徒然日記
2023年6月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記



6/30(金) 降雨夕方から曇り風強し 大曲中通病院   
2:00起床。新聞、文献などを読む。5:30可燃ゴミまとめ。しまじ捕獲。7:35Taxi駅東。8:11こまち、8:50大曲内科外来、中通リハ病院のカルテ回診と記載済ませた。15:30長崎屋経由中通リハに。新聞チェック+入力。入院患者対応。文献チェック。19:30帰宅夕食、20:30就眠。

住宅設備の老朽化(2)  水洗トイレの故障(2) 1Fトイレのタンクの水が止まらない
 我が家では1F、2Fにトイレがある。設置後約20年問題なく機能していた。

 それが、本年3月、5月、7月と立て続けに故障した。

 (2)5月の第二の故障
 5月に突然1Fのトイレのタンクへの注水が止まらなくなった。タンクから水が溢れ出る場合は住宅が水浸しになり大事となるが、今回の故障はトイレのタンクを水がスルーして直接下水管に流れ出ている状態であった。

 この場合の故障の箇所はタンク内の止水弁が閉じないためであるのは明白である。

 タンク式の場合は水を流す、止めるの構造はとても単純である。

 (タンク内の構造 とても簡単な機構で動作を見てても楽しい 今回はタンクの底にある止水弁の劣化で交換すれば治るはずであった)

 タンク式の水洗トイレは、タンクの横に位置するレバーを引くとゴム弁が上がり、タンクの水が一気に便器内に排出される。
 レバーの位置が元に戻ると、ゴム弁が下がり、タンクの排水が止まるようになっている。
 タンク内には他に水の量を調節する浮き袋がある。タンク内の水位が下がったとき、浮き袋が下がりタンク内に給水し、水位が上昇すると給水が止まる様になっている。機構そのものはとても単純で、考えても楽しいほどである。

 確かめてみたところ、タンクの底にあるゴム製の止水弁が劣化し裂けていた。20年以上も水中で頑張ってきたのでやむをえない。
 これは私でも交換が可能であったが、止水弁を注文するにもその品番号がわからない。やむをえず専門業者に探してもらったところIHK25Sとわかったが、古い製品なので市場で見つけるのは困難だろうとのことであった。

 だから、やむなくこの業者に依頼して修理した。部品代代金4.000円ほど、工賃が18.000円であった。

 私は自分で修理するのが好きである。そのレベルの故障であったが、部品の入手ができず修理できなかったのが残念であった。

 ちょうど同じ頃、横浜在住の長女宅でも同様の故障が生じた、という。偶然が重なったものだ。11.000円ほどで修理できた、という。
 
f



6/29(木) 降雨  
2:00起床。新聞、文献などを読む。家内に同乗中通リハ病院。
新聞チェック+入力。入院患者対応。新聞雑誌スクラップ、文献チェック。15:30患者家族面談。19:30帰宅夕食、 20:30就眠。

住宅設備の老朽化(1)  水洗トイレの故障(1) 1Fお尻の洗浄水が出ない

 我が家では1F、2Fにトイレがある。それが今年になって立て続けに故障した。

 私の居住区で上下水システムが整ったのは2004年頃だったと思う。それまでは簡易型水洗トイレであったが、これを機会に我が家も通常の水洗トイレとなった。

 その頃は超多忙で、機器選定は全部業者任せとした。TOTO製、温水シャワーシステムは通称アプリコットと言われるもので2000年発売された品。当時の機能としては消臭、乾燥など何でもありの高級タイプであった。私からみてほとんど不要の機能であったが、設置後約20年問題なく機能していた。

 それが、本年3月、5月、7月と立て続けに故障した。

 (1)3月第一の故障
 1Fのトイレは本年3月にノズルからお尻の洗浄水が2回に1回ほどの頻度で出なくなった。TOTOのメンテナンスサービス店の専門家の出張診断を受けたところ以下の判断であった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――-
製品品番 TCF4021AR#SC1  製造No. A44S1830304
設置時期:2004年4月
評価結果:トイレ座面のセンサーの故障でマイコンのスイッチ作動が不確実となっています。本商品は既に部品供給または修理対応期間が終了となっておりますので修理不能です。お早めにお取替えをお願い致します。
 故障した製品を継続してご使用されることは、製品安全上危険が伴い、思わぬ被害に繋がる危険性があります。当面の対策として、安全のためウォシュレット部の止水栓を閉め、電源プラク抜いていただきますようお願い致します。
説明期日:2023年3月8日
――――――――――――――――――――――――――――――――――-

 要するにもうダメだから早く交換すべし、ということ。
 ウォシュレット部の止水栓を閉め、電源プラク抜くと全く機能しなくなる。
 これは困る。
 新しいタイプのアプリコットは7-15万円だという。

 私はプロの判断でもすぐに受け入れるわけではない。お尻の洗浄水がでなくともトイレとしては使える。
 ユーザーの立場でいろいろ観察し、●座面に深く座れば洗浄水のスイッチが入り機能することが多い、●それでもダメな時はリセットスイッチを押せば通常通りに機能する・・・、ことを把握していた。

 だから、この故障に関しては上記の判断と説明に納得せずに、いまも使い続けているがなんら問題は生じていない。

 かつて、プリウスのリアハッチドアの締まりが悪くなったことがある。ディーラーの判断を受けたところドアが微妙に変形しており交換が必要で見積もりは22万円であった。私は納得できずドア逆方向に捻ってみたところ問題なく回復した。その後10年以上も使い続けている。

 プロは修理に関してはマニュアルに沿って部品交換などの安易な方法で完全に直そうとする。その際、ユーザーの意見は通らないことが多い。
 私はそれを残念に思う。 



6/28(水) 降雨 富士通スキャナーパットユニット交換
1:30起床。文献・新聞チェックなど。雨で外仕事なし、午前9:00損保ジャパンスタッフ来訪歓談、自動車保険更新。キウリ収穫など。11:50バス中通リハ病院。新聞データ化など。13
:00医局会。微睡、14:00新聞チェック、入院患者対応、合同カンファ、新入院あり。富士通スキャナー部品到着、機能満足。時間を失ったね。19:00帰宅夕食、20:20就眠。

季節の話題(17)  電動草刈機からさらに除草剤にシフト(2) 
 私の1日の行動は心臓の残存機能レベルに応じて主治医からきつく制限されている。
 体調は徐々に改善しているので、自分で身体と対話しながら週2-3回は歩行を伴うバス通勤に戻し、園芸・畑作業も順次作業内容を拡張しつつある。

 園芸作業のうち特に草刈りは体力を消耗する。
で、昨年はついに除草剤に手を出した。数年前までは「絶対に使わないぞ」と思っていたのに。昨年は試用の範囲で我が家の北側にある農道、この場所は今は人道路としての機能は全くないが、住民の方の説明ではこの部分の除草は我が家に課せられているのだそうだ。私は電動草刈機で毎年数回この部分の除草を行なってきた。
 除草剤の効果はテキメンであった。

(我が家で処理すべきとされている自宅裏の農道の一部。10日前に除草剤を散布。手前部分は散布しなかった部分)

 私は殺虫剤、農薬、化学肥料、除草剤などにネガティブな考えを持っていた。
 そのルーツは環境汚染、土壌汚染、ハチなどの小動物への影響を考えてのことである。私の小規模な畑、園芸には農薬、殺虫剤などは一切用いない。肥料も化学肥料は用いず、コンポストで作った自作の有機肥料、または市販の鶏糞牛糞しか用いていない。これは、小規模だから出来ることである。

 今の除草剤は結構研究されていて人体や動物、環境への影響は少ないとされているが、私自身はいまだに半信半疑である。

 私が購入した用いた「グリホタッチ」の説明文には以下のように記載がある。
 植物の葉や茎から吸収され根まで枯らす。除草効果は約1週間後から徐々に発現。土に残らず、土壌微生物により、天然物質に分解される。雑草を刈った後に散布しても効果を発揮しない・・とある。

 一見理想的な薬剤のように見えるが・・。ホントかな?? 私は使用経験を積みながら真偽を観察して行きたい、と考えている。

 今年は、樹木に影響与えないよう樹木から直径1.5m離して除草剤を散布した。効果は明らかで、これだと草刈の頻度と時間は大幅に軽減される。

(庭の東側 ダリアと樹木を避けて除草剤散布 二週間経過後の状態)

 除草剤の使用は私にとって妥協の産物である。後ろめたく、心は決して穏やかではない。しかし、心機能の維持のためにはやむをえない、と割り切るしかない。



6/27(火) 曇り  中通病院外来 
1:00 起床。文献など読む。蓄積画像データ整理。5:00可燃ゴミ出し。資源ゴミも、畑収穫。6:40バスリハ病院。7:00回診そのほか。新聞チェック。8:45-12:15中通病院外来。患者数の割に疲弊。12:30リハ病院、微睡、15:00病棟対応。19:30帰宅、夕食、20:45就寝。

季節の話題(16)  電動草刈機からさらに除草剤にシフト(1) 
 私の1日の行動は心臓の機能低下レベルに応じて主治医からきつく制限されている。

 それでも体調は徐々に改善しているので、自分で身体と対話しながら週2-3回はバス通勤に戻し、園芸・畑作業も順次作業内容を拡張しつつある。

 結局、今年は若干手を抜きながら例年通りダリアを栽培し、畑仕事をこなしてきた。

 私の園芸・畑作業の中で作業量として大きな位置を占めるのは草刈り作業である。
 これも大幅に手を抜くことを考えた。すなわち昨年試用してみた除草剤へのシフトである。

 2011年、私が退職し嘱託医となったが、この年から家内の家庭菜園を手伝っている。実際には手伝っているレベルではなく、作業の指示を出すのは家内で、実作業は私であるが・・・。

 目的外の植物、一般的には雑草と称されているが、園芸にはこれへの対策が必要で、草取り作業は腰痛持ちの私にとって最大の悩みであった。
 
 雑草は他所の畑への迷惑にもなる。
 それで2012年100V400Wの電動式草刈機を導入した。標準的な刃はプラスチックであったが、私はナイロン製のヒモ状のブレードを用いている。

(プラスチックの3枚の刃を装着した山善電気草芝刈機「刈る刈るボーイ SBC-280A」 1台目は1.1000円だったが現在19.000円 大事に使おう)

 草刈り作業は一回あたり約3時間で、年間14-5回行ってきた。草刈り機は現在3台目を用いている。1台目は2012年に購入、8年間用いた。2台目は2020年に購入、これは当たりが悪かったのか1年間しか持たなかった。3台目は2020年7月に購入、現在も現役である。

 問題は、私の技術のせいもあるだろうが、あまり細やかな作業が出来ない。大事な薔薇の枝、クリスマスローズ、ダリア、野菜の株を切断したこともある。

 昨年、突然、全く使用経験もない除草剤に興味を持ち100mlを購入、試してみたところ効果は十分で驚いた。その時点では翌年から頻用することなどは考えてもみなかった。何かのお知らせだったのか?? いや、単なる労働意欲低下だったのだろう。



6/26(月) 晴れ 健康クリニックドック 
1:20起床。文献処理。データ整理中心。6:40バスリハ病院、入院患者対応、新聞チェック、9:00-11:20健康クリニックドック+結果判定13名。11:30中通リハ。微睡、新聞チェック追加、入力。入院患者対応。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。

季節の話題(15)  紫陽花の季節 
 梅雨期といえばアジサイである。我が家には5本ほど開花している。
 6月下旬になり、わが家の庭に紫陽花が満開となった。 



 原産地は日本で、ガクアジサイから改良されたもの。外国で品種改良され逆輸入されたものはセイヨウアジサイと呼ばれる。6月から7月にかけて開花し、白、青、紫または赤色に咲く。

 正岡子規のを詠んだ俳句に、「紫陽花や きのふの誠 けふの嘘」という句がある。「七変化」と呼ばれる紫陽花に、ふと句作する気になったのだろう。
 その他にも
「紫陽花や紫尽きて浅緑」 、「紫陽花や赤にならぬが面白き」 、「紫陽花や赤に化けたる雨上り」、「念入れて又紫陽花の染め返す」・・・などがある。 

 人だって紫陽花と変わることはない。長雨が続けばお天気を欲し、お天気が続けば雨を欲しがってしまう。そんなわがままな気持ちを抱いてしまうのは、仕方のないことかもしれない。

 私は梅雨時のアジサイが好きだ。雨にぬれて、こうべを重そうにしているアジサイは、何とも言えぬ風情がある。
 以前はこの時期にカタツムリも見掛けたが、ここ何年も見ていない。

 間も無く梅雨が明け、本格的夏を迎えようとしている。
 梅雨ながらじめじめ感の少ない今年の初夏。美しい日本の四季はいつから変わってしまったのかと思う。だが、美しい四季を失うことのないよう、自然を大切にしながら日常生活を送りたい。草木にも癒やされて心を満たしたい。

 永井荷風が昭和6(1931)年に発表した「あぢさゐ」という短篇小説がある。また
渡辺淳一にも「あじさい日記」と言う作品がある。紫陽花のことを調べてみるとあず (集まる) さい(藍色)からこの名称がが生まれたという。

 紫陽花は、植えられた土壌により、アルカリ性だと赤い花に、酸性だと紫色に変わるところから「七変化」とか、「八仙花」などの名がある。さらに花言葉として、「移り気」 「心変わり」と記されている。
 この辺のことがあってか、小説の題材になったり俳句にも多数読まれている。

「あぢさゐの鏡にあふれくしけづる」 長谷川ふみ子
「紫陽花に昼を彩りて何失ふ」 馬場移公子
「紫陽花の藍きはまると見る日かな」 中村汀女
「紫陽花に秋冷いたる信濃かな」 杉田久女
などなど。

 日本人は古くから紫陽花を好んだようで、万葉集にも2首の和歌に詠まれている。



6/25(日) 快晴暑い 
1:20起床。 本、文献読み、データ整理。10:30ガレージにまとめてあった飯川病院からの搬送品の整理。机など、花など。一部解体。家内はつるバラ処理。12:00NHKニュース、のど自慢聴く。13:00微睡。16:30畑草刈り5回目、里芋二本ダメにした。ダリ
ア周辺も刈り取る。除草剤が有効に作用している。19:00夕食。20;30就眠。

季節の話題(14)  ダリア咲始めた キウリ収穫たけなわ
 ダリア栽培について今年はなかなか意欲が湧かなかった。マンネリか、私の老化か??
 さりとて球根は保存してあるから植えなければならない。4月20日に本数を減らして仮植えした。

 5月上旬に思いがけず体調を崩したが、比較的早めに日常生活に復帰し得た。されど、日常生活は大幅に行動制限されてしまった。例えて言うなら、車運転時に時速40Km以上を出してはならない、坂道を登ってはならない、思い荷物を運んではならない・・といったような制限である。

 その時点で家庭菜園とダリアの本植え、庭の草刈り作業が待っていた。

 5月20日に体調を確かめながら、畑に恐る恐るキウリ、トマト、ナス、里芋を植え、
翌5月21日にダリアを本植えにした。

 心機能低下のデータ、体調を考慮して、畑の野菜類は株間の距離を空けることで昨年までより本数を減らした。ダリアは南側の一辺のみとした。


(庭の南側のダリヤコーナーの現状 成長の早さは様々。概して背が低い、)

 その後のケアは例年に比較して手抜きとなった。
 雑草の刈り取り、キウリ等の棚支柱だても手を抜いた。

 しかしながら自然は偉大である。私の手抜きにもかかわらず、野菜類は十二分に成長した。

 本日ダリアが数株開花し、きうりが一斉にとれ始めた。

(ダリヤコーナーの現状 一番咲の花の様子 造形は見事である)


(今朝の朝どりキウリ たった6株からこれだけ ネコは我が家の雄のテツ)

 我が家のダリアの開花シーズン、野菜の収穫時期の始まりである。今年は作業が遅れたがなんとかここまで来た。

 各々はいずれも見事な花を咲かせる。土壌と日光と水、それに肥料の威力は絶大である。

 採りたての野菜が食卓に上るのは最高の喜びである・・・と誰でもそういう。しかし、実はそうでない面もある。第一スーパーで買う方が安上がりである。

 今日の段階では、キウリだけの問題なのだが、一気に取れすぎて困っている。毎日食卓に登るのだが、家族たちはそれほど好むわけではない。大部分私が食べることになる。生食、漬物、サラダ、あん掛け、味噌汁などであるが到底食べきれない。キウリに追いかけまわされている感じ。

 今年も病院のスタッフたちに提供する予定である。



6/24(土) 曇り午前降雨のち快晴 
2:20起床、各種データチェック、徒然。6:30キウリ収穫。11:30家内に同乗飯川病院。まもなくエレベーター停止となるので花、木工製品。など最終引越し。2:00リハにて新聞チェック+入力。データ整理。17:30帰宅、19;00夕食、20;40就眠。

季節の話題(13) 「6月21日」 夏至を迎えて心に漣(さざなみ)が立つ
 自然の移ろいを楽しむ心境、辞世の句などを楽しむのも終活の一つ、ととらえてこの辺の変化に感受性を高めてきた。

 夏至を含む二十四節気が毎年日付が異なるのは日本人の生活に密着した暦だから。夏至は通常、6月21日〜6月22日のどちらかにになる。

 北半球の日照時間が最も長くなる日。高緯度の北海道では日照時間は16時間40分程度、低緯度の沖縄では13時間50分程度である。

 最近はam3:00ころから東の空から白々と明けていた。
 夏至近く、秋田の日の出はam4:11。冬至はam7:11で、夏至と冬至とは約3時間もの差がある。

 夏至が静かに過ぎてしまった。
 夏至は嫌だ。まだ梅雨も明けていないのに、あとは明るい時間がどんどん短くなってゆくばかり。悲観的、下向きの性格である私はもう厳しい冬を思い、落ち込み始める。人生の黄昏すら感じとる。

 5月の心不全罹病以来、私の残りの持ち時間が大幅に減ってしまったことを自覚する。一日過ぎれば一日減ってゆくことをより具体的に意識し始めた。夏至後の日照時間の如くである。
 にわかに家内たち、家族たち、ネコどもと共有できる時間について抜き差しならない切実なものとして、心を占め始めた。

 さらに気掛かりなのは、降雪期の我が家のアクセス道路の除雪である。出来るだろうか??
 しかし、夏至を過ぎたばかりの今から気にしててもどうにもならない。私が今より元気になる可能性もないわけではない。

 一方、冬至の日はうれしい。これからどんどん明るくなるのだと思うと、その頃はまだ厳冬だというのに心が明るんでくる。

 私はカンカン照りで汗だくで過ごす真夏が好きである。しかし、徐々に日照時間が短くなり、季節は秋に向かって変化する。実際には気候としては2ケ月遅れて変化する。まだまだ暑い。
 8月14日は墓参り日。天候としてはまだ真夏であるが、私は足元の露から秋の雰囲気を先取りし、気持ちの上では寂しくなる。

 困った性格である。
 



6/23(金)曇り時に降雨 大曲外来  
1:00起床、文献検索、新聞チェック,本読み他.5:00可燃ごみ、5:30キウリ収穫。7:30Taxi駅東口へ。8:11こまち、最近は混雑し始めている。8:45大曲外来。午後書店訪問。7冊購入。15:30中通リハ、新聞チェック。病棟対応。19:25帰宅、夕食、21:00就眠。


鉄道員(ぽっぽや) (2)  新田次郎 高倉健
 鉄道員(ぽっぽや)は新田次郎の短編小説である。117回1997年(平成9)直木賞受賞作。
 最近再読した。

 次いで、1999年映画化された作品をアマゾンでレンタルしてiPadで観た。この作品は高倉健の主演、多彩な出演者で傑作とされていたことで知っていた。

 私は優れた文学作品を何度も読んで楽しむ。
 読むたびごとに新しいイメージが展開するから常に新鮮である。しかしながら、映画化された作品はイメージが固定されてしまうので観るのを好まない。ほとんどが落胆する。しかし、この作品は、比較的素直に楽しめた。

 
 映画の場面は、北国の田舎の冬を中心に設定されており、色彩的には雪の白が主たる色調である。凍えるような厳しい生活環境の中で、逞しく、優しく生きる人々の姿が、温もりを感じさせる。ある時代に生きた人々の生活ぶりを象徴的に表現している。

 映画は、まず、蒸気機関車の勇壮な疾走シーンから始まる。D51が雪を蹴散らしながら疾走する。実は私はSLの隠れマニアの一人である。中学生の頃よく駅を訪れ見たものである。このシーンだけでも観る価値がある。

 蒸気機関車は平地では走りはスムーズであるが、上り坂などでは黒煙を吐きながら必死の形相で喘いで走る。とても人間的なイメージに溢れている。だから私は好きだ。私も弱った心臓の元、喘いで階段や坂道を登っている。

 やがて時代と共にディーゼル車に代わった。 

 主人公自身も定年が真近に迫っている。昔炭鉱で栄えたが、過疎化のために間も無く廃線となる駅を実直に守り続けている。かつて妻と幼い一人娘の命さえ守れなかった苦い悔恨は、主人公の心に深く宿っていた。

 氷点下30℃近い極寒の、降りしきる雪の中に制帽を目深にかぶり、背すじを伸ばして、プラットフォームに立ち続ける姿は、まるで自分自身に厳しい罰を与えているかのよう、修験者の如く、哲学者の如くの姿だった。高倉健の表情、演技は他に代替できないほどしっくりしている。

 ある日、愛らしい少女が三人次々とやって来る。主人公は目を細めて優しく会話し、見送る。少女は成長した姿を見せに年老いた主人公の元を訪れたのだが、それは老化に伴う幻想だった(??)と考えられる。この娘たちとの交流によって読む者も、観る者も救われた感じがする。
 翌日、主人公は雪の中ホームで倒れて息を引き取った。やはり、娘が迎えにきたのだろう。

 あまりにも実直な男の生き方のラストは娘の訪問で幸せに満ちていた。そう思いたい。

 この映画は主人公の人生を通して、時代の推移、当時の住民達の生活の変化、老化などについて示唆するものがある。主人公が口ずさむ鼻歌や口笛が高倉健のかつての夫人だった江利チエミのヒット曲であったのも意味深であった。



6/22(木)快晴  
 1:30起床、文献チェックほか、資料整理。本読み。昨年けやき一本伐採、まき用に裁断。マサカリ用作業台作成、8:10家内同乗リハ病院に。新聞チェック、入力途中微睡、12:00回診、入院患者対応、微睡読書など。19:20帰宅、夕食、20:30就寝。

鉄道員(ぽっぽや) (1)  新田次郎 小川洋子
 鉄道員(ぽっぽや)は新田次郎の短編小説である。117回1997年(平成9)直木賞受賞作。
 浅田次郎作品のうちで、私が読んだ作品は壬生義士伝ほか数編とそれほど多くないが、最高の傑作の一つ、と思う。

 最近、20余年ぶりに再読した。再読のきっかけは『Panasonic Melodious Library』FM秋田放送の2015年02月22日放送の録音の再聴であった。この番組は小川洋子の解説のもと、古い作品も年齢を重ねた私に、また新たな魅力を訴えかける。この番組を聞いてから再読した本、新たに求めた書籍も少なくない。
 小川洋子の解説を聞き、再読したいと思ったが、電子書庫にみあたず再購入し、自炊して読んだ。


(集英社文庫本 表紙)

 あらすじは、詳細は書けないが、北海道の某過疎の町の駅長を務めていた実直なある鉄道員(ぽっぽや)は、生後2ヶ月の娘の死、妻の最期も看取らず愚直に責務を纏うし駅のホームに立ち続けた。定年を前にして妻に似た三人の若い娘が駅舎を訪ねてきて至福の時を過ごした。この娘こそ成長したわが娘の姿であった。鉄道員は後日、ホームでラッセル車を待っている間に倒れて死亡した。

 この作品がこれほど胸に染みたのは、私も歳を重ねた証拠かな?と思う。
 今回再読して、後半の話題は高齢者の痴呆に伴う幻覚症状だった、と思われる。私も65年前に初代のネコと死別したが、現在共に暮らしているネコ達にその面影を見てハッとすることがある。私もボケたかな?? その面でも共感できた。

 隆盛だった炭鉱業や織物工業が衰退していった頃の昭和の香りのする短編として懐かしい。一気に完読した。
 私が過ごしたのは昭和の一部でしかないが、苦労しつつも古き良き時代だった、と懐古した。

 死んだ妻や娘がふらっと現れる切ない展開は意外性があって面白い。
 戸惑いつつ読んだが、語られる背景に悲哀や愛情が感じられ、とても良かった。


6/21(水)晴れ暑い 午後リハ病院 合同カンファ
 1:40起床、文献チェック,読書。10:00庭仕事若干、キウリ棚補強+収穫4本。11:50バス リハ病院、新聞データ化、専門誌読み、14:30合同カンファ+評価会議。入院患者対応。19:15帰宅・夕食、20:30就寝。

慢性心不全急性憎悪?にて緊急入院(9)  その後6週間経過 すっかり多剤服用患者に(2)
 慢性心不全急性憎悪?にて緊急入院したのは5月5日、約1週間入院したがその後6週間経過した。今のところ経過はいいと考えられる。
 私もすっかり多剤服用患者になってしまった。2012年から降圧剤と心原性脳梗塞予防のため2種類の処方を受けてきたが、今回のエピソードを機会に一気に7種類に増えた。

 私の処方内容
―――――――――――――――――――――――――――――――
循環器用薬 1剤 心房細動の脈拍コントロールで心不全予防 
利尿薬   2剤 体内の水分を減らし心臓への負荷を減じる
降圧薬   2剤 心臓への負荷を減じる
高脂血症薬 1剤 冠動脈脈硬化症の進行予防
血栓予防薬 1剤 抗凝固剤 心房細動下での心原性脳梗塞予防。
―――――――――――――――――――――――――――――――
 各薬品は効能上は私の弱った心臓の機能維持、改善のために必須のように思われる。

 私はかねてより高齢患者の多剤処方に対して批判的立場をとってきたのに自分のこととなるとそううまくいかないものだ。

 主治医の判断をそのまま受け入れて、言われるままに7剤を服用し続けている。まだ発症から1.5ケ月余と短く、今後の経過が読めないことと、利尿剤の効果で日中の排尿回数が若干増えたこと以外は目立った副作用はない。素直に続けている。

 何もなければ半年後くらいに心臓機能の再評価があると思われるのでその結果を見てからの対応となろう。

 何種類以上が多剤内服かについては明快な定義はない。ただ、東京大学老年病科の研究によると内服薬が6種類を超えると薬物有害事象の頻度は15%くらいにはねあがるという報告がある。
(参考資料)


 高齢者は薬物の代謝機能が変化しており、副作用が起きやすい状況にある。
 複数の疾患を抱えているために高齢者は多剤内服になりやすいが、私の場合は心機能庇護のために7剤も要していることになる。
 先が思いやられる問題でもある。



6/20(火) 曇り 中通病院外来  
 2:10起床。データ整理.書類処理、逃走したネコのうち雪音確保に成功。4:30可燃ゴミ提出、畑とダリア見回り。6:40バスには間に合わなかった。8:15家内に同乗、リハ病院、8:45-12:00中通病院外来。患者数10名以下と余裕。外来でリハ病院の定期処方、点滴等の指示などの業務できた。電カルの大きな優位点。12:15リハ病院へ、微睡、病棟対応、新聞データ化、自炊数冊など。19:30帰宅、夕食、20;30就眠。

慢性心不全急性憎悪?にて緊急入院(9)  その後6週間経過 すっかり多剤服用患者に
 慢性心不全急性憎悪?にて緊急入院したのは5月5日、約1週間入院したがその後6週間経過した。
 幸いその後の経過は、自分の症状から見て、一見順調である。

 しかしながら、すっかり多剤服用患者になってしまった。2012年から降圧剤と心原性脳梗塞予防のため2種類の処方を受けてきたが、今回のエピソードを機会に一気に7種類に増えた。

 私はかねてより高齢患者の多剤処方に対して批判的立場をとってきた。

 高齢になると疾病が増えるだけでなく、加齢によって種々の症状が増え、親切な主治医だと薬も多くなる。
 糖尿病など慢性疾患が二つ以上ある高齢者では、平均で約6種類の薬が処方されている(2018年厚労省)。

 薬が増えると副作用は起こりやすい 。
 私はとても心配である。副作用が増えるなど体調に深刻な影響を及ぼすことがあるからだ。
 ところが、これに反して多剤投与を受けている患者は意外とケロッとしている。これは何たることか??それほど薬品は安全になったのか??

 いや!!! 私が考えるに、多剤処方の多くは安全なのでなく、ほとんど効果も発揮していないのではないか?? と思っている。だから副作用も来たさない。要するに無駄なのだ、と考えたい。

 日本の高齢者がこれほど多剤の投薬を受けていながら嬉々として通院してくるのは費用が安いことと、多種の投薬を受けて薬に依存しているからなのだろう。だから、減薬には激しく抵抗する。

 私の記憶の中にある二人の患者について。
――――――――――――――――――――――――――――-
 ?約6年前の外来での話。
 86歳高齢女性の新患患者。某有名総合病院の循環器科に長く通院してきた方。患者いわく、「何か症状を訴えるとその度ごとにお薬が増えるんです。できれば転院したい」とのことであった。
 「おくすり手帳」には25種類の処方のコピーが貼り付けてあった。

 内容的には循環器用薬が5種類以上、抗不安薬2種類以上、消化器薬7種類以上、高脂血症薬、血栓予防薬・・・、と続く。

 結局、主治医に転院のことを言えず、転院してこなかったが、患者は悪性疾患の悪化で一年後に死亡した、とのことであった。

 私の50年の医師生活の中で最も多い多剤服用患者であった。

 ?他の患者のケース
 20年以上の前の患者。たまたま私の外来に通院するようになった80歳ほどの男性、すでに12剤ほどの投薬を受けていた。めまい、ふらつき感、手指の振戦、全身倦怠感で元気が出ないなどの不定愁訴が中心であった。私は受診してくるたびに減薬を薦めていたが頑として同意しなかった。

 その方が突然外来に現れなくなった。しつこく減薬を薦めるので嫌気がさして他の医師の外来に変わったのか?ならばそれでもよし、と存在を忘れていた。

 約一年後、とても元気な状態で外来を受診した。
 孫が事故に遭って四国に行っていて3日前に帰秋したのだ、という。この間どこにも受診せず薬も服用していなかった。
 帰ってきたから前の薬を出してほしい、というが、今の状態が本来の姿だから、このまま様子見るように薦めたのは無論である。

――――――――――――――――――――――――――――-

 そもそも高齢者は重要臓器の働き、全身の代謝が低下し、薬効が不安定である。薬が効き過ぎることがある。 複数の診療科で同じような薬を重複して処方されたり、別々に処方された薬の相互作用で効果が変化したりして副作用につながる場合もある。

 薬の副作用が病気の症状と取り違えられ、さらに薬が増えることもある。食欲不振で処方された薬で振戦が起こり、パーキンソン病の薬が出されて認知機能が低下した例もあるが、私が危惧しているこのような状況は実際にはそれほど多いものではない。
 
 それが現実だから不思議である。
 私は高齢者による交通事故、転倒事故、ベットからの転落事故などの背景に薬剤の多剤投与が関連している例は少なくないと思うが、プライバシーの関係から報道されることはない。


6/19(月)快晴 健康クリニック 循環器科受診
 2:00起床、文献チェック。読書中心。6:40バス病院へ。7:00中通リハ、発熱患者対応、検査等提出。新聞チェック、9:00-11;00健康クリニックドック12名+結果判定13名+結果説明1名。11:20循環器科受診、さらに降圧剤増える。すっかり多剤服用患者になってしまった。米国に送った冠動脈画像の詳細な解析は出来なかったらしい、残念。飯川病院へ。微睡読書、入院患者対応。15:30座学、新聞チェック+入力。19:30帰宅夕食、20:30就眠。

遊行期に生きる(27) 読書に勤しむ毎日(8) 人は、特に若人は本を読むべきなのだ!!(2)
 努力が実って、運よく企業に採用されたとしても、現代では気は抜けない。
 今や、新卒といえども即戦力として期待される。業績を上げられなければ、リストラされる恐れがある。社内にいても昔と違って仲間意識は乏しく、弧戦奮闘、バラバラに歩いているようなイメージ、という。

 就業を境に若い世代の環境がガラリと変わる。
 それまではまったく鍛えられなかったのに急激に重荷を背負わされる。このギャップは衝撃的だ。だから、精神的に追い込まれる20-30代の若者が増えているのではないだろうか。

 若者の離職は「753現象」と呼ばれる。中卒の7割、高卒の5割、大卒の3割が就
職後3年以内で離職している(ちょっと古いが、2015厚労省推計)、という。離職の原因は様々でこの数値の解釈は慎重でなくてはならないが、就職を機会に得た生活環境の激変に耐えられなかったケースは少なくない。

 この時期、家庭内の「しつけ」の価値は大きい。物事の判断もできない時期は「しつけ」はすべて強制だ。
 子供はお辞儀の仕方から挨拶まで、親に言われたことを意味もわからずに渋々その通りにする。自発的に納得したのでもないが、仕方なく従う。
 すべての教育は、必ず強制から始まる。 しかし異常事態でない限り、強制をいつまでも続ける必要はない。やがて自我が発達して「しつけ」を自身で選択する様になる。納得して継続するか、拒否して止めるかに至る。この時期に親子の葛藤・確執が生じるがこれは重要である。
 
 人は、快い経験からも学ぶが、不快で不幸な体験からも人生を知る。

 この時期、自分を鍛えるのに圧倒的に優位の位置を占めるのは読書であろう。若者の成長過程を考えれば、今こそ読書の必要性は高まっているといえる。

 今の時代に欠かせないのが「思考力」である。知識をベースに、自分でものを考え、価値観を決めていく。それによって自分の立ち位置を決めていかなければならない。

 「ストレス」と呼ばれるものも多いが、今や飢餓や生命の危機に起因するものは少ない。それよりも、日常生活の中で精神的なダメージを受けたりするケースがほとんどである。それを処置できるか否かは、家庭内の「しつけ」や教育、親への反発・確執、読書などを通じて涵養され個人の資質によってくる。

 それはもちろん、学校の成績ではない。
 ものごとの本質をすばやく掴み、優先順位をつけ、自分の能力とすり合わせて判断し、危機管理を含む行動をきちんと選択できる思考のことである。

 


6/18(日)快晴 ダリアに追肥 庭掃除 きうりの世話
 1:00起床、いつもの如く、早朝は大嵐、雷鳴頻、激しい降雨。午前に快晴となる。午前座学、新聞チェック。ニュースのど自慢いつもの如く。微睡後、ダリアに有機肥料追肥、畑できうりの世話。17:00書斎でクラシックTVなど視聴。片付けなど若干。入院患者不調の電話あり。19:00夕食、20:30就眠。 

遊行期に生きる(26) 読書に勤しむ毎日(7) 人は、特に若人は本を読むべきなのだ!!(1)
 文字は人間がつくり上げた文化の中で最も画期的というべき発明である。
 まだ話し言葉しかなかった時代、人類は膨大な年月を費やしながら、大きな文明的発展を遂げることは出来なかった。
 その後、文字が発明されたことにより、知識の蓄積と伝達というワザを獲得する。
 そこから文明が生まれ、急速な発展が始まり、今日に至っている。

 文字を書き留める媒体は石版や木簡・竹簡から紙へと進化し、「本」という利便性の高い形に落ち着いた。
 人類の発展の歴史は、本によって築かれ、また本に刻まれて受け継がれてきたといっても過言ではない。
 その重要性は、今後も失われることはなかろう。 たとえ紙の本に代わって電子書籍になったとしても、である。

 最近の若者たちの本離れが顕著だという。
 こんな素晴らしい文化があるのに、読み手側の変容は多いに気になるところである。

 読書とは何か、なぜ本を読むべきなのか、人生においてどういう意味を持つのか、を問い直してみる。

 近年、日本人のものの「考えかた」は大きく変化し、備えるべき「精神力」は弱くなった様に思われる。
 「精神力」は、幼いころからの成育環境の中で鍛えられる「困難に立ち向かっていく気力・精神力」のことで、生活上での経験、家庭内の人間関係や教育などで鍛えられる。

 しかしながら、昨今は親は過剰に優しくなった。怖い父親像は消滅し、家族関係も変わって教育環境としての機能も失われた。
 今の子供達は、ひもじい思いをすることも少なくなった。子供達の主たる関心ごとである進学も「全入時代」を迎え、大学すらも以前より競争は厳しくない。
  
 日本の子どもは一般的に過保護であり、試練を受ける機会が減っているといえるだろう。言い方は良くないが、金がかかるペットに近い。手伝いもせず、ネットやゲームに興じる時間は豊かである。

 ところが、一歩社会に出れば、そうはいかない。
 むしろ社会における試練のハードルは以前より高くなっている。就職自体も 「氷河期」と呼ばれる様に厳しくなった。そこで失敗すると将来の道が急激に狭まり、経済的にも精神的にも追い込まれてしまう。

 その様な、社会の荒波を乗り切る力を養っていくのが家庭教育の重要な項目であろうが、家庭内の指導力は急速に失われている。

 ところが、一歩社会に出れば、そうはいかない。
 むしろ試練のハードルは以前より高くなっている。就職自体も 「氷河期」と呼ばれる様に厳しくなった。そこで失敗すると将来の道が急激に狭まり、経済的にも精神的にも追い込まれてしまう。



6/17(土)曇りのち晴れ 暑い 外仕事若干
1:20起床。いつも使っている1Fトイレ修理完了。気分よく使えた。経費2万円。新聞、文献などデータチェック。午前は意欲湧かず座学だけ。午後微睡、畑と庭の見回り。キウリほか枝固定。前回の除草剤の効果がはっきりしてきたので残りの部分に再度散布。17:00書斎で読売日響視聴。片付けなど。19:00夕食。20:00就寝。

遊行期に生きる(25) 読書に勤しむ毎日(6) 生成AIを超え本の時代が復活する!!!(2)
 生成AIの元になっている一つ一つの情報が、 どこの誰が責任をもって発しているのかが見えないがゆえに、文章が美しくとも
の内容はいい加減な情報で溢れかえってしまう。

 情報は誰が発信しているのかは、とても重要なこと。情報の信頼性を最低限担保するものとして、誰が言っているのかが分からなければ、信じるに値しない情報ということになる。私はそう思っている。だからネット情報は重視しない。

 その点、書籍は発信する人が誰なのか、発行する会社も発行人もがはっきりとわかる。たとえ、極端な意見の本であっても、読み手は安心して読み進められる。

 書き手の氏名、情報の責任者がきちんと入っていることは、これからの時代、絶対的な強みになるだろう。

 ネットはこれまでは光の部分ばかりにスポットライトが当てられてきまたが、信頼性の欠落という影の部分が、今後はろいろな問題を伴ってクローズアップされていく。
 
 そのネットの影の部分を埋めるものとして、本は再びその価値が見直される。私はそう思っている。

 専門家による情報であっても必ずしも信頼できるとは限らない。誰が書いているのかが明らかであっても、それだけで信頼性が十分に担保されているわけではない。専門領域の解説では素人にはわからない部分が多々あるから、専門家は嘘をついてごまかすことができる。

 大新聞社が行った世論調査にしても、調査のやり方からきちんと見ていかないと、世論を正しく反映しているのか定かではないことが多々ある。

 究極的には、社会的に信頼度が高いと思われている専門家や大手マスコミ、大企業であっても、すべての情報が真実かどうか、信頼できるかどうかは本当にはわからない。だって、彼らも生成AIを用いているかもしれない。いや、用いるのは当然と考えるべきだろう。しかし、きちんと自分で修正し、自分の意見になればいい。
 
 普段から情報のクオリティを見抜く力の涵養が必要である。
 とりわけ、ネットを中心に夥しい数の情報が溢れている時代にあっては、接する情報を一度は疑ってみる必要がある。

 ところで、一冊の本を作るには、どんな人がどれだけ関わっているのか(?)、ざっと考えてみる。

 本を一冊出すにも多数の人手や多額の費用がかかるようだ。
 著者に原稿を依頼する場合は、企画書の段階から数回の会議を経て決まるようだ。執筆者の原稿が専門分野の人たちに次々と受け継がれ書籍として世に出る。こうした過程を知れば、書籍は生半可な気持ちでは作れないことがわかる。本は内容だけでなく、それを支える出版業・印刷業の企業努力にも目を向ける必要がある。

 書籍づくりは大きく分けて「著者・編集者」、「校正・校閲者」、「デザイナー」、「印刷会社」の四つの専門家が関わっている。それぞれが能力を発揮することで、情報を読みやすく、著者の意向を忠実に反映した書籍が完成する。「ライター」や「カメラマン」など、より充実した内容にするためにかかわる関係者も含めると、その数はさらに多数となる。著者を除いても最低10人ほどがかかわっていると思われ、長いものでは数年、緊急出版でも1-2ヶ月かかるとされている。本づくりは多くのプロの参加で出来上がる一大プロジェクトである。

 私にも時折出版社から自費出版の勧めが届く。300冊で300万円程度という。私はこのブログで十分である。ゴミを増やしたくないからその気にならない。


6/16(金)曇り小雨 大曲中通病院外来 トイレ修理完了
2:00起床、文献・新聞データ整理。何時ものごとく。5;00可燃ごみまとめ。7:30Taxi秋田駅東、8:11こまち。座席半数以上とやや混雑。8:45大曲徒歩不可。秋田駅飯川病院Taxi。9:00トイレ修理完了したという。15:30長崎や古書店経由中通リハ。微睡後新聞チェック。病棟対応問題なし。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。


遊行期に生きる(24) 読書に勤しむ毎日(5) 生成AIを超え本の時代が復活する!!!(1)
 文字文明がいま大きな危機を迎えようとしている。生成AIの登場である。

 生成AIは能力は高いし便利だから、どんなに規制しても後戻りはしないだろう。ますます美しい文章と信頼性の低い情報の時代が来るだろう。多くの人たちは生成AIに頼ってしまうだろう。これは人類の危機の一つと言いうる状態である。

 核戦争の危機、地球温暖化・・・という人類が迎えている危機に生成AIというニューフェイスが参加した。蓄積してきた文字の文化が信頼性を失う、ということは近代文明の大きな危機である。

 その危機を凌いでくれるのは、生成AIに頼らずにじっくり編纂された本ではないか?? 私はそこに救いがあるのではないか、と期待している。

 いまの時代、ネットの利用なしでは生活できない。ネットは実に便利である。ただ、私はそれほど濃厚に利用しているわけではない。信頼を置いていないからである。

 私の情報収集は、検索内容にもよるが、書籍>文献>新聞>録画映像情報>ラジオ>ネット>・・の順、だと思う。ネットは便利であり自分のブログ更新もあるので毎日アクセスするが、いわゆるネットサーフィンは殆どしない。

 ネットによる情報検索は単語的検索に近い。百科辞典の目次や索引とほぼ同じ。重い本を運んだり選んだりする手間が省けて実に便利である。情報収集の入り口としてのネット検索の便利さは最高である。捨てがたい。そうは言っても、私にとって情報源としての重要性や信頼性はとても低い。

 ネットは誰でも情報を発信できることが利点でもあり欠点にもなり、ネットの優位性が萎んでしまった。私は本や新聞の価値を再確認した。最近は本の購入も増え、読書する時間も増えている。

 ネットの隆盛が本の市場に与えた影響は少なくない。 本がかつてほど売れなくなったのは、明らかにネットの普及にある。
 しかし、私はこの流れがそのまま続くとは思わない。 再び本が見直される時代がくると見ている。そのキーワードは「信頼性」 。

 いまは情報拡散力の高いネット上のSNSによって、あっという間に世界中に情報が伝達していく。 ところが、その情報に対する信頼度は極めて低い。

 嘘のニュースや情報で世界が動く可能性がある。ネット上の情報は嘘や間違いだらけだということになれば、それは不利益を与えるものとして、まともに相手にする対象でなくなる。しかし、一般的にはそう思われていない。

 生成AIはネット上の情報を自己学習し、独自の編集で整理して新しい価値をもたせる能力がある。玉石混淆のネット情報から都合の良い玉ばかり集めてきたかのような印象がある。これじゃダメだ。

 コンピュータはビッグデータなど情報を整理するスピードに関しては非常に優れているが、その情報の真偽などを見極めることは出来ないのだ。


6/15(木)曇り 家内大学受診 
1:00起床。録音他各種データ整理。笹巻き大量に持って、8:30家内に同乗、9:00家内大学病院受診のため。午前新聞チェックと入力、入院患者問題なし、微睡など。19:00帰宅夕食、20:20就寝。歩数計見つからず

遊行期に生きる(23) 読書に勤しむ毎日(4) 積読せず読みちらしで購入本に目をとおす
 毎日、座して、または寝転んで本を読みちらす。これが私の日常である。
 なぜ「読む」と言わず「読みちらす」のか、と言うと読む本が多いからである。通常毎日5冊以上本を開き、読む。私が購入する本は月刊誌を含めると毎月20-30冊、時にはそれ以上になる。そのジャンルは専門分野からエッセイ集、小説、ドキュメンタリー、漫画にまで及ぶ。

 毎日複数の本を開くが、1冊の本を一気に最後まで通して読み切ることはめったにない。まあ50冊に1冊くらいかな? とにかく、ごく少ない。大概は読むのを途中でやめる。 中には1-2ページでざっとその本についての初期の評価しただけで更に読むときの優先度を決める。

 購入した本はそのままは読まない。私の読書は本の解体作業から始まる。ハードカバーは高価だし装丁も良いので勿体無いが私には時間がない。本は読まれなければ価値がない。割り切ってそのままスキャナーで電子化しiPadに転送する。

 読書で得たものが知識になり易いのは、本を読む行為自体がある種の努力、エネルギーを要し、同時に「考える」ことを伴うからであろう。これがTV視聴と異なる点である。
 それでも、読むだけでは印象に残り難いから読書で得た知見をできれば早めにアウトプットするのがいい。忘れる前に読書メモを作る、他所の方と話し合うのもいい。私はブログにその一部を適宜投入できるから、その面でも恵まれている。

 人類が悠久の時間をかけて積み重ねてきた膨大な知識に接する機会はごくごく一部にすぎない。

 人間が生まれ、言葉を持ち、文明を築いた。 この大宇宙のなかでなぜ地球だけが高度に発達した生命が存在しているのか。 はたまた生命とはそもそも何なのか? 世界は考えれば、まだまだわからないことだらけ。詰まるところ、人間がこの世界についてわかっていることなど、根拠なく無責任な値であるが0.0000001%(??)もないのだろう。

 それにしても言語の進化、文字の発明は文明の発達に大いに寄与した。文字の発明がなければ人間の文明など、人間の「こころ」の発展もどれだけ遅れていたのか、予想もつかない。

 「じゃんけんで 負けて蛍に 生まれたの」(池田澄子)、という句や詩歌を味わうことができるのは文字文明の一方の到達点であろう。

 その文字文明がいま大きな危機を迎えようとしている。生成AIの登場である。
 生成AIがどんなに規制しても後戻りはしないだろう。その危機を凌いでくれるのは、生成AIに頼らずにじっくり編纂された本ではないか?? 私はそこに救いがあるのではないか、と期待している。


6/14(水)曇りはれ 午後中通リハ勤務 
1:45起床。雪音・シマの捕獲作戦開始。自炊など各種データ整理。8;00外仕事。掃除、12:12バス千秋公園コイに給餌。中通リハ病院。新聞チェックと入力、微睡など。14:30合同カンファ。読書など、19:30帰宅。夕食、21:00就寝。歩数計見つからず。

遊行期に生きる(22) 読書に勤しむ毎日(3) 自分は何も知らないが私のルーツ
「自分は何も知らない」と自覚していることが私の読書欲のルーツである。
 他人のことは知らないが、私の長所の一つは「自分は何も知らない」と自覚していること。要するに「無知の知」を知っていること。

  毎日、新聞を読んでいると世界のことを薄くであるが広く教えてくれる。それらから電子的にスクラップを作っている。また、私はAMラジオを微弱な音で常に流しているが、ここでも「無知の知」を教えられる。中でもラジオ深夜便はam1:00とam4:00からは各1時間、社会的に一定の成果を上げた各界の経験豊かな方々の貴重な意見を拝聴できる時間である。その取り上げるジャンルはとても広い。私にとっては貴重な番組である。
 これらから刺激されて書籍を求めることも多い。

  本を読めば知識が増え、この世界のことを幾分か知ったような気になるが、同時にまだまだ知らないことも多数あるということも、気づかせてくれる。
 自分にとって有用な本だと思えば、類書を当たったり、巻末の参考文献からまた面白そうなものを探してみる。絶版になっている古い本であれば図書館やネットで古書を探してみる。そうやって自分の知識欲の枝葉を縦横に伸びていく。それらがさらに大きく成長していく。それが楽しい。

 「何も知らない」という自覚は、私を謙虚にしている。どんなことからでも何かを学ぼうという気持ちがある。学ぶことで考えを深め、よりよい社会や人間関係を築こうと努力すればより良いのであろうが、私は性格上そこまでは出来ない。

 しかし、例え自分とは違う考え方であっても、それを認める寛容力も増す。現在は非寛容の時代と言って良い。相手のことを知れば寛容できる様になるが、残念なことである。自分が何も知らないという思いは、その人を際限なく成長させてくれる。

 反対に自分は何でも知っている、何でも分かっている、と思っているような人ほど嫌なものはない。こういう人は傲慢で、何でも人より優位に立って、自分の思い通りに事を進めようとする。

 いわゆる知識人といわれる人は、専門分野のことは非常に詳しいものの、専門外のこととなると、並の人とたいして変わりないのが一般的である。

 人の一生は限られているから、どんなに頑張ってたくさんの本を読んでも、博覧強記の人であっても限界があり、知らないことのほうが遥かに多いはず。そう思わない人には初めから問題がある。物理的にも人が知りうることには限りがある。

 ネットの発達によって、世の中の情報量は爆発的に増えている。
 しかしながら、細切れの断片的な情報をいくらたくさん持っていても、それは知識ではない。情報は「考える」作業を経ないと、知識にならない。 考えることによって、さまざまな情報が有機的に結合し、有用な知識になる。


6/13(火)快晴 中通病院外来   
1:45起床,いつもと同じ、4:30可燃ゴミは枝裁断含め4袋提出、2往復。一輪車の車輪が外れ一部はプリウスで運搬。8:20家内に同乗中通リハ。ズボン着替え忘れてそのまま作業服で中通病院、外来8:45-13:00。疲弊、自分の神経内科受診は最後とし主治医にあいさつ。13:15中通リハ病院へ、微睡、入院患者対応。平穏、新聞チェックと入力、自炊、19:20帰宅、夕食、21:00就寝、歩数計見つからず。

遊行期に生きる(21) 読書に勤しむ毎日(2) 視力の悪い私にはiPad最高!!
 2014年にiPad miniを次男から家族価格で手に入れた。我が家の家族価格は市場価格よりはるかに高い。iPad miniがどんな価値があるのかわからないまま、私にとって有用なのか否かもわからなかったが、とりあえず譲ってもらった。
 それが、実にすばらしい結果を私にもたらした。私の読書生活に大きな変化をもたらした。

 私の読書のかなりの部分は2011年以来、終活を兼ねて書籍を裁断しスキャナーで電子化する、いわゆる自炊して書籍そのものは廃棄していた。
 当時はパソコン画面上で読んでいたが、ほぼすべてiPad mini上で読むようになった。本の購入自体は現在に至るまで電子書籍ではなく普通の書籍である。その方が幅広く選べる。

 既に自炊した書籍のデータは2千冊ほどに及び、適宜iPadに自炊データを移し、呼び出して読んでいる。 iPad miniはもう手放せない。いつも身近に置いてちょっとした時間でもひょいと利用している。iPadもminiを中心に4機種となりTPOに応じて使い分けている。

 私は視力が悪い。
 年2回の職員健診では、2018年以降裸眼視力は0.02以下と記載されている。その原因は、眼科のカルテによると近視+乱視+白内障+緑内障+眼底出血となっている。
 
 私はぼやけた視野の中で生活している。メガネは所持しているが運転の時など稀にしか用いない。コンタクトなど興味もない。2021年5月には運転免許を返納した。不便なものである。

 1mほど離れると他人の顔の区別ができない。月も三ヶ月など見たことがない。ボケて満月に見える。焦点が合わない状態での生活は、勝手知った範囲ではむしろ気楽なものである。

 私の視力は眼前10cmの狭い距離だけは完全に焦点が合う。パソコンも近づければなんら不便なく見えるが、画面に異様に近づかなければならない。外来の患者達はびっくりしているだろう。

 iPad miniは軽いから眼前に近づけて、快適に見ることができる。だから、よく見える。字を拡大してみることもできる。
 今汎用しているiPad miniはメモリーの容量が256GBもあるから自炊済み書籍500冊ほど収容できる。だから、読みたい本を次々と開くことができる。だから読みちらしができる。本そのものを読んでいた時には到底できなかった芸当である。

 私にとってのiPad。もう手放せない。
―――――――――――――――――――――――――――-
 ?私は視力障害があるから、むしろ読書の意義が高まった。
 ?iPadを用いれば、ほぼ自由に読書ができる。
 ?終活が進んだ。我が家から書籍の大部分が消えた。
 ?iPadは軽く携帯が自由。その中に数100冊収納できる。
 ?移動中でも、外来でもどこでも本を読める。
 ?読みたい書籍をすぐに呼び出せるから、次々と読みちらせる。
 ?などなど。
―――――――――――――――――――――――――――- 
 常に充電状態を意識しなけなければならないが、こんなことは小さな問題である。


6/12(月)晴れ 健康クリック 
2:00起床、いつもの如し。データ整理、一部廃棄。8:42家内に同乗中通リハ、9:00-11:30健康クリニック、12名、判定14名。微睡、14:00病棟回診、患者は安定、読書、データ整理。19:30通町書店経由帰宅、夕食。20:30就寝。

遊行期に生きる(20) 読書に勤しむ毎日 (i) 本を読み散らす
 毎日、座して、またはねころんで本を読みちらす。これが、ここ十数年来の私の主たる生活パターンである。
 なぜ「読む」と言わずして「読みちらす」と言うか、と言うと読む本が本のかずが多いからである。通常毎日5冊以上本を開き、読む。

 通常勤務の上で毎日5冊以上なんて本当なの? とびっくりするには及ばない。多数の本を開くが、1冊の本を一気に最後まで通して読み切ることはめったにない。まあ50冊に1冊くらいかな? とにかく、ごく少ない。たいがいは読むのを途中でやめる。 中には1-2ページでざっとその本についての初期の評価しただけで閉めてしまうこともある。ただ、この様な本も別な機会に再読を始めることが多い。

 私が購入する本は毎月20-30冊、時にはそれ以上になる。そのジャンルは専門分野からエッセイ集、小説、ドキュメンタリー、漫画にまで及び、一見とりとめない。分野としてあげるのも不可能なほど多種多様である。本の購入は新聞の書評欄を重視して決める。また、読んでいる本の「参考文献」から芋蔓式に遡って購入する。

 しからば、私の本のよみかたは、あてどなく大海をただよう小舟のごときものかといえば、必ずしもそうでない。
 しばらくあれこれと読みちらすと、自然とまた本拠地というか寄港地にもどる。ここにもどれば安心で、途中で閉じていた本、気に入った本をじっくり読み返す。 しばらくはここで遊んで、また読み散らしの漂流へと出てゆく。

 本拠地で私を待っているのは、本というより、「人」である。個別の本に限定せず 「人」にまで拡大している。その人たちの本を読めば、必ず面白いし、タメになる様な、満足できるという著者、作家達である。
 その、信頼おける著者・作家達は優に100人は超えるだろう。
 それも近年の作家に限らず、50年前のでも100年前、1000年前、とさまざまである。

 私が本が好きなのは振り返ってみれば「人間関係の構築が苦手」、ということに帰結する。私は多くの方々に世話になった。貴重な指導を受けて能力を伸ばしていただいた。感謝に絶えない。
 しかしながら、やはり「人間関係」の維持は辛かったし、究極的には会話は過緊張、恐怖の元で心を開けなかった。

 そういうことがあって、私は本により深く頼ることになったと思う。
 


6/11(日)晴れ 雪音とシマ脱走
 1:30起床、読書などいつもの如し。8:00庭、畑のケア。鉢植え整理、草刈5回目。11:30暑いので作業終了。ニュース、のど自慢、新聞チェック、微睡。庭仕事若干、16:00家内に同乗、旭川コイにオヤツ。川の流れなく食いつきは良くない。中通リハ、患者対応問題なし。データ入力、雪音とシマ脱走する。19:00帰宅、夕食。20:30就寝、歩数計見つからず。

遊行期に生きる(19) 自身の死についての考察(17)  もし、延命治療を望むなら
  「自分らしい死」は美しい言葉であり、概念である。だから、これに反対する人はいないはずである。
 しかし、「自分らしい死とはどんなものなのか」をわかっている人はいないはず。何しろそのように死んだ人はいない。言葉だけ一人歩きしている。

 例えば、尊厳死は過剰医療、延命治療を廃した、一見理知的で格好の良い死に方の選択と思われているが、私はそうは思わない。苦悩の押しつけである。「ただベッドに横たわってひたすら死を待つ状態」なんてとても辛そう。とても見ちゃおれん。そのどこが尊厳なのか?そうなる前にできれば死を迎えてほしい、と願っている。

 「これ以上、生きたくない」と個人として納得した死を迎えることは何の問題もないはずである。生き難い環境は天国にでも行かなければ人生にはついてまわる。「ここまででいいよ」、私は関係者に笑顔で述べたい。

 現在、高齢者の大部分は、本人の希望に基づかない延命処置や治療を受けている。
 私はこのことが「患者自身を苛む」、「医療制度を歪む」、「国に経済的危機をもたらす」と思っている。高齢者の死生観の熟成と意思表示が社会を救う唯一の方法と思っている。

 しかし、高齢者はほとんど自身の死について意思表示していない。だから家族は良かれと思って延命治療を選択してしまう。家族愛による高齢者いじめ、と言っていい。

 ならばどうするか!!!
 高齢者が意思表示しないなら、「延命治療希望の思表示がなければ自動的に延命治療拒否者と見なす」ように社会を変えていけばいい。延命治療をしてほしい場合には運転免許証、マイナカード、健康保険証にそれなりに表示しておけばいい。

 この方式を高齢者医療の中に適応する、と言う意見をまだ誰も唱えていない。もしかして私が最初??
 これは、フランスの「本人が移植を拒否する意思を明示していなければ、脳死状態から臓器を取り出し、移植することを認めている」とみなして良いとする社会的意向を引用したものである。

 この方式は、移植に本人の同意を求めるオプトイン方式に対して、オプトアウト方式と呼ばれる。従来の臓器移植法のオプトイン方式とは対極をなす方法で、移植への法的なハードルを低めた。これによってフランスでは移植医療が大きく進展したとされている。日本でも早くから、この方式を採用すべきだという主張はあった。

 この考え方を応用すれば、高齢者医療のありようが大きく変わっていくと思うのだが・・・。


6/10(土)曇り 終日園芸関連
1:30起床、自炊データ整理、随想読み、徒然など。トイレの修理に集中するも不可、志摩水道は火曜日対応と。8:00外仕事、草刈り4回目、東側。キウリなど枝のガイド、トマト支柱に固定。トイレの修理はネットで注文、午後は微睡から、樹木の枝裁断、資源ゴミ袋に収納、新聞チェック。読書、データ整理若干。16:00修理業者来訪、部品交換の必要と。やむなし。19:00夕食、22:15就寝。紛失か??見当たらず。

遊行期に生きる(18) 自身の死についての考察(16)  自分の死の宣告
 最近、高齢者医療の中で、延命治療や過剰医療を廃した自然死、平穏死、尊厳死など取りざたされている。それでも無理矢理死の過程に枠をはめることになり、個人の自由は無い。自由になるのは今のところ唯一、自死しかない。

 自死も多様で、生き難い状況や社会の中で選ぶ自死は半ば強制死であり、間接的他殺に近い。この場合、原因として社会より個人の資質が問題にされるが、これは問題である。

 自死数が全国一の秋田県の場合、原因別では、健康問題が40.3%>経済・生活問題>家庭問題>勤務問題6.4%であった。

 健康問題の場合、自分で死の形を選択出来ずにあえて辛い自死を選ぶのは二重、三重に悲惨である。
 自死が出来る、と言うことはまだ健康状態に余裕があり、対策をとれる余裕があると言うこと。この間に何も対策出来なかったとすれば、それは悲しい。周りにも責任があろう。

 衰弱しかかっていれば自死すらもできない。

 健康問題に起因する自死を防ぐために、私は安楽死も選択の中に入れるべきと思う。安楽死に頼れるとなれば安心して療養を受けられるから自死する必要がない。

 自分はどのような死を望むか、常に考えているが結構楽しい作業である。
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■ 私のいのちは誰のものではなく、家族のものでもなく、自分のものだと思う。だからもっと自由が認められていい。
■ 誰でも何れ死を迎える。死には「救い・解放・安息」という魅力がある。
■ 他人や、医療者の、家族の、法などの介入のない死がいい。
■ 基本は在宅死。孤独死・自殺もありうる。実際には困難が伴うが・・。
■ 入院・施設死なら、延命不要、家族の見守りも不要。      
■ 生きている意義を享受できない状態、食べられなくなったら人生の終わり。
■ 点滴、高カロリー輸液、鼻管栄養、胃瘻希望せず。餓死希望だが困難だろう。
■ 何もしないで死を待つのは生きるより辛い。可能であれば意識あるうちに安楽死を希望する。
■ 判断力を失った場合も安楽死で死期を早めてほしい。    

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 これは自身の死に対する宣告でもある。


6/9(金)終日降雨 大曲中通病院   
1:30起床,文献本読み。5:15可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅東に。8:11こまち。 大曲往復Taxi、8:50大曲中通病院外来。書店訪問10冊ほど購入。15:30中通リハ病院。入院患者対応、比較的平穏、新聞チェックと入力。微睡、録音。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計8100歩。

遊行期に生きる(17) 自身の死についての考察(15)  尊厳死には安楽死的処置が必要
 安楽死の概念は、古代に遡ることができる。ギリシャの哲学者の多くは安楽死を擁護していた。 ソクラテスやプラトンは、不具の子供の排除を正当とし、回復絶望の病人を生かす努力は不要と述べている。ヒトラーの考えにつながることになる。

 日本安楽死協会は尊厳死協会に名称変更したが、安楽死協会の名称が安楽死を推進する団体であるかの如き誤解を与えたためという。

 尊厳死は日本語の尊厳とは別の意味をもつ。
 即ち、「尊厳死とは不治の病気や障害によって意識不明やひどい苦痛の状態の患者に対して、延命だけを目的とする治療をやめ、人間としての名誉を保ちながら死ねるようにすること・・・」となる。

 尊厳死のイメージを無理やり作り上げると「威厳をもった死」、「尊厳ある死」、「気品ある死」等々となる。しかし医療の現場において、現実にこのような死はあり得ない。

 延命処置を外しても緩徐に迎える死の場合は意外と数週以上と時間を要する。
 だから、苦痛がある患者は苦痛に耐えなければならない時間も長い。そう簡単に綺麗な状態で死ねない。心肺の機能が自然に停止するまでただひたすら待たれるだけ。これが尊厳ある死に方なのか??

 この間、本人は空腹に耐え、褥瘡の痛みに耐え、介助者がいない場合には汚物にまみれ不潔な状態で死を迎える。これが尊厳ある死に方なのか?? 疑問である。

 したがって、安楽な死を迎えるには、身の回りの清潔を確保し、薬物を用いて苦痛を除去し、安楽に過ごさせる方法が必要である。その処置によって死の訪れが早まるかもしれないが、それでいいじゃないか。ただ待っているよりはずっといい。即ち、いわゆる尊厳死には安楽死の考えの導入が必要ということになる。両者合わせて私は自然死と言っていい、と思う。

 私が心配し恐れるのは、「尊厳死」なる言葉が一人歩きすること。あたかも英断的行為であるかの如くに報道されるなどの社会的影響である。孤独死という言葉ももてはやされている。

 だから私は敢えて言いたい、「尊厳ある生も、死もない!!!」、孤立した高齢者が憧れる、憧れているように表現する、「美しい孤独死!!!」もないのだ、と。

 尊厳ある生き方ってどんな生き方を言うのか? 性悪説を基本に置く私は、また、「罪深い人生を送ってきた」私には、一切言及できない世界である。

 人間は誰でも死を覚悟せねばならぬ時がくる。
 焦らず、騒がず、静かに、できれば清潔なところで、その時を迎えたいものである。


6/8(木)降雨  
1:30起床,読書、新聞文献、徒然など。1Fトイレの水が止まらない、対応するが持続性はない。部品交換する必要がある。19:20帰宅夕食、20:30就寝。Σ6990歩。

遊行期に生きる(16) 自身の死についての考察(14)  尊厳ある生はなく、死もない
 そもそも尊厳とは何か??「尊きこと、おごそかなこと、おかさざるべきこと」などと言われるが、これの定義は難しい。

 尊厳とは何と立派な言葉であろうか。自分が尊厳ある存在なのか??甚だしく疑問である。私の人生に尊厳などの冠は100%不適である。恥ずかしいではないか!!

 尊厳については明快な定義はないが、日本国憲法において「個人の尊厳」がうたわれている。また国連憲章、世界人権宣言、国際人権規約にも記載されている。

 私は一介の町医者にすぎない。何々大学の教授や高名な評論家や、学者でもない。そんな私が、何故、人間の生や死、あるいは尊厳死に異を唱え、安楽死の導入が必要などの問題について考える気になったのか?
 私のような一介の医者だからこそ、毎日の如く末期医療の困難さを体感しているからこそ、その問題点を訴えたい。また、「人間の尊厳とは」、「尊厳ある生き方」、「尊厳ある死」とは、どんな人間の姿をいうのか、私自身の考えを表現しておきたかったからである。

 私の死の捉え方の変化は以下の如くである。
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?私が幼少時に垣間見た在宅死、それは全て自然死であったが、苦しむ患者はいなかった。

?私は秋田大学で近代的西洋医学、とりわけ血液学、免疫学を学んだ。医学的知見の発展には脱帽せざるを得なかったが、患者への扱いに関しては納得し難いものであった。

?治療効果を上げるために患者の苦痛を軽視する治療方針に納得し難くて、もちろん他の理由もあったが、一般病院に移った。それ以降、私は緩徐な患者の死においては、家族の納得のもと延命処置を例外的にしか行わなかった。

?私の医師としての業務はの徐々に老人医療に移った。

?私は自力で経口摂取ができなくなった時が終末期の患者の最終コースとしている。

?実際には、他医からの紹介患者を中心に、経鼻胃管、胃瘻、中心静脈栄養などで生命を維持している患者を多数お世話している。

?胃瘻とかで生命を維持されている患者は本人の意思に沿った場合は稀。ほぼ100%家族の意向によっている。

?高齢者の死生観の確立の動きは乏しい。リビングウイルの表明者など皆無に近い。ほとんど本人の意志の確認が出来ないまま延命処置がなされている。

?人は自身で死に方を検討しておくべきであって、そのことが、自分自身を、家族を、医療を、国を救う唯一の方法と思っている。

?人には尊厳がある、というのはいいだろう。概念だから。しかし、尊厳のある生(?)など貫いた人を知らない。ましてや尊厳のある死(?)など、私は知らない。


6/7(水)快晴 グリフィス命日(2021)  
1:30起床,文献整理。いつもの如し。7:30庭掃除若干、8:00家内に同乗リハ病院、新聞チェックと入力。昼微睡、新入院あり患者対応、午後も同様。14:30心臓リハかねて千秋公園鳩と鯉にえさ、ナカイチコーヒー。iMac21プリンターソフト入れられず。19:00帰宅夕食、20:30就寝。Σ6557歩

遊行期に生きる(15) 自身の死についての考察(13)  尊厳死ってなんだ??
 私は1980年代から、すなわちほぼ50年前から、講演や健康講話を頻回に行ってきた。
 山口百恵の歌を引用して「いい日、いい旅立ちを」などと、その中で尊厳死・尊厳死についても言及してきた。将来の少子高齢化、多死社会に向けて老人は死生観を学び、死に及んで自己決定すべきである・・・などと述べてきた。しかし、いまひとつ受けが悪かった。当時、患者を1日でも長く生かすことが医療の方針であり患者の死は医療の敗北、との考え方であった。私の話は時代を先取りしていたのだろう。

 時代も変わって、病院でも延命治療に対する意思を患者に確かめるようになった。隔世の感がある。しかしながら、いまだに全介護状態、経管栄養、胃瘻患者、中心静脈栄養患者は増え続けている。「寝たきりを増やして今年も(平均寿命)世界一!!!」と突っ走っている。

 最近、尊厳死がやたらに強調されてきている。ネコも杓子も尊厳死である。

 人間としての尊厳は重要である。ただ、普段は軽い扱いをしているのに、なんで死際だけ尊厳が強調されなければならないのか?疑問である。

 私は日本語の深い意味が軽く扱われるようになって残念に思う。カタカナ語への安易な置換のみならず、「異次元の少子化対策」など内容的には何も異次元ではないのに、言葉だけが立派・・などなどである。

 欧米では安楽死と尊厳死は明快な区別がないようであるが、日本では両者は明快に分けられている。
 かつて日本安楽死協会との名称であった日本尊厳死協会が、尊厳死の法制化を求めている。「不治かつ末期になった場合、延命措置を拒否する。苦痛を和らげる措置は最大限実施してほしい。回復不可能な意識障害になった場合は生命維持措置を装着しないでほしい」と明記した意思表示の登録書を管理している。

 法制化されていないので、同意を取っても家族等が反対する可能性があるため医師・医療機関は訴追されるリスクがある。尊厳死宣言を提示しても、延命治療を止めない医療機関もある。

 人の死に関わる問題なので、特に我が国では尊厳死を法的に認めるという国民的な合意は得られにくいと思うが、日本尊厳死協会の活動が一層普及して欲しいと思っている。

 私は尊厳死協会に登録する気はないが、人は自身で死に方を検討しておくべきであって、そのことが、自分自身を、家族を、医療を、国を救う唯一の方法と思っている。

 そもそも尊厳とは何か??これの定義は難しい。
 尊厳とは何と立派な言葉であろうか。自分が尊厳ある存在なのか??甚だしく疑問である。私の場合、尊厳などを示す言葉は不要である。

 尊厳については明快な定義はないが、日本国憲法において「個人の尊厳」がうたわれている。また国連憲章、世界人権宣言、国際人権規約にも記載されている。

 しかしながら、私は尊厳死の裏には重大な人権侵害が隠れていると思っている。だから、一定の条件下では安楽死を望む立場をとる。



6/6(火)快晴 中通病院外来  
1:15起床,天空の満月が素晴らしい。新聞・文献チェック、5:00可燃ゴミ廃棄。8:25家内に同乗リハに、8:45-13:00中通外来。13:15リハビリ病院へ、微睡、病棟対応、新聞入力。データ整理・新聞チェック、入力。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。Σ8123歩。

遊行期に生きる(14) 自身の死についての考察(12)  尊厳死は恥ずかしい 自然死がいい
 私は現役時代は、いま顧みても唖然とするほどの激務をこなしてきた。人生の味わいなど考えることもなかった。
 退職後もしばらくは業務は多かったが次第に軽減され、今に至るまで、10年間悠々自適の時を過ごした。 特に2016年以降は飯川病院に医師としてより作業員として雇われた。準引きこもり状態を希求したこともあってパラダイス的生活を送った。その意味では満足である。

 社会とのつながりは、毎日通勤のための最短距離を公共交通で移動していることくらいか。例外は書店巡りだけ。人に会うこともなく、 天候によっては書斎に閉じこもって本を読む。 逆の場合には畑や庭に出て草むしり、園芸作業をする。
 毎日、その程度のことしかしないのだが、ゆったりと豊かな時が流れていた。

 それと共に、自分の人生を考えた。私は何を成し得たのかについても考えた。結局、私の人生は「三人の子供を育てた、ということに尽きる」、それ以外のことは全て派生的なこと、と総括した。日々の現実と向き合いつつ「ただ生きて、働いて、最近は文章を少し書いてます。それっきりです。まあ、こんなものでしょう」。

 私は遊行期に達して人生の終わりの時期を迎えようとしている。私は心臓に故障が見つかり急死する可能性もあるが、急死の場合は何時、何処で何が生じるかわからないからその場の状況にまかすしかない。

 緩徐に衰えていく様な場合は、医療の関与が少ない状態で尊厳死でなく自然死を迎えたい。

 そんなとき、在宅ケアが理想だが、我が家のマンパワーの点で無理だろう。だから、以下の様に考える。
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 ?病状に応じて病院またはホスピス、不可なら老人施設の世話になりたい。
 ?延命治療によって一日でも長く生きようとは思わない。
 ?死までの期間に余裕があって病状維持につながるものであれば、胃瘻、姑息的放射線照射等々も受るかな?
 ?痛みや吐き気などの症状の緩和については最善を求める。
 ?心停止が生じたときは、心蘇生術を受けない。
 ?抑制困難な激痛に襲われたときは、大量モルヒネ注射等による深い鎮静を望む。
 ?結果として死が早まればそれもいい。
――――――――――――――――――――――――――――――――-
 などなど、これは家族にも伝達する。



 私は1980年代から講演や健康講話を頻回に行ってきた。山口百恵の歌を引用して「いい日、いい旅立ちを」などと、その中で尊厳死・尊厳死についても言及してきたが、いまひとつ受けが悪かった。時代を先取りしていたのだろう。
 時代も変わって、病院でも延命治療に対する意思を患者に聞くようになった。隔世の感がある。

 現在では安楽死を希望する患者はほとんどいなくなった。安楽死が消えてしまえ尊厳死という言葉も意味を失ってくるが、最近尊厳死がやたらに強調されてきている。ネコも杓子も尊厳死である。

 人間の尊厳は生涯において重要である。普段は尊厳を感じるような人は居ないのになんで死に際にだけ尊厳が強調されなければならないのか?私は疑問に思う。

 安楽死とは以下のものが含まれる。
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■ 侠義の安楽死:医師か患者に致死薬を注射して患者の生命を終結させる行為など。 
■ 広義の安楽死:患者が医師から処方された薬品を、自ら服用して生命を終結させることなどをさす
■ 消極的安楽死:生命維持のさまざまな治療を中止または開始しないことをさす。 

――――――――――――――――――――――――――

 欧米では安楽死と尊厳死は明快な区別がないようであるが、日本では両者は明快に分けられている。
 かつて日本安楽死協会との名称であった日本尊厳死協会が、安楽死は求めず尊厳死の法制化を求めている。
 現状では法制化はされていないが、「不治かつ末期になった場合延命措置を拒否する。苦痛を和らげる措置は最大限実施してほしい。回復不可能な意識障害になった場合は生命維持措置をしないでほしい」と明記した意思表示の登録を管理している。

 法制化されていないので、文章により同意書を取っても事実と異なると家族等が主張する可能性があるため医師・医療機関は訴追されるリスクが存在する。尊厳死宣言を提示しても、延命治療を止めない医療機関もある。

 人の死に関わる問題なので簡単に結論は出ないと思う。死生観が変わりつつある日本でも、尊厳死を法的に認めるという国民的な合意は得られにくいと思うが、日本尊厳死協会の活動が一層普及して欲しいと思っている。

 私は尊厳死協会に登録する気持ちはないが、各自が自身で死に方を検討しておくべきであって、そのことが、自分自身を、家族を、医療を、国を救う唯一の方法と思っている。

 そもそも尊厳とは何か??これの定義は難しい。尊厳とは何と立派な言葉であろうか。自分に尊厳があるのか??甚だしく疑問である。
 尊厳については明快な定義はないようであるが、日本国憲法において「個人の尊厳」がうたわれている。また国連憲章、世界人権宣言、国際人権規約にも記載されている。

 しかしながら、私は尊厳死の裏には重大な人権問題が隠れていると思っている。安楽死復活を望む立場をとる。


6/5(月)快晴、健康クリニック 
1:00起床、家内空路無事帰宅していた。いつものごとし。録音データ整理ほか。読書ほか。6:40歩行を兼ねてバス中通リハ、当直医補助、病棟対応。Mac対応。9:00-11:30健康クリニック、ドック13名。結界判定12名。11:45中通リハ、新聞チェック、微睡、入院患者対応。患者面談、すっかり失念していた。プリンター設定に難渋。19:10帰宅、夕食、21:15就眠。Σ5380歩。

遊行期に生きる(13) 自身の死についての考察(11)  死なれるのが怖い? 喪失感
 自分の死に至っては、死ぬ直前までは意味を考えることはできるだろうが「死後は無になる」のだから究極的には「自分の死をじっくり味わうことはできない」。もし、出来たとしてももはや表現も出来ない。だから、自分の死だけは純粋な「概念」の世界で、誰も体験できないことである。

 だからこそ、多くの人が死を恐れると共に、哲学や宗教が追究してきたテーマでもある。しかも、いまだに何も結論を得ていない様にみえる。死はこれからも永遠のテーマとなりえよう。

  「一人称の死」すなわち自分の死は、自分はどういう人生の締めくくり方をし、どういう死の迎え方をしたいかという、まさに個人の「甘い美学」に帰結する。
 突然死で椿の花が落ちるが如くにに終わりたい、と願っていても、がん死を迎えるかもしれない。脳卒中で寝たきりになるかもしれない。そうなったら、死の美学を、医療の受け方とか、最後の日々の過ごし方といった、具体的な内容のものに変更しなければならない。しかし、それでもなお、死を目前にした段階では、意識も体力も衰えて、自分で自分の美学を貫くことは困難になる。まして、死体となった自分の処理などはできるわけもない。

 死に関しては、現実的には「二人称の死」に直面した時が自分の時以上に衝撃的体験と言える。
 自分にとっての大切な人が亡くなる瞬間、あるいはそれを知った時で、それは心の一部が欠損したような深い喪失の感覚を伴う。
 人間は弱い存在であり、多くの人は人との互助の中で生を営んでくる。それだけに、自分と直接的につながっている大切な人を失うこと、すなわち「二人称の死」の体験は、自分の存在の一部を切断されるような辛いものになる。

  二人称とは、夫婦・親子などの人生の大事な部分を共有し合った人。その死がまさに「二人称の死」。
 「二人称の死」は、二つの特殊性を持つ。
 「二人称の死」に直面した人は、時には生活手段を失うが、一般的には愛する人を喪うことによって大きな心の空白、喪失感に陥り、それを癒すために長い時間を要することになる。
 この問題ひとつをとってみても、人の「いのち」とは、死にゆく人の生物学的ないのちだけでなく、互いに共有し合う精神的な「いのち」の共有が、いかに重要な要素になっているかがわかる。

 「二人称の死」の恐怖は、「一人称の死」のように直接的なものではないが、大切な人との強いつながりが切られることにある。 大切な人の死を前にして、「いのち」の共有に対する後悔が悲しみにつながる。
 そうであれば、共にどう生きていくかにたえず目を向けることが、悲しみを緩和する唯一の道となる。それはただひとつ、できる限りのことを尽くした、という満足感があればこそ到達できる心境なのだろうが、難しいだろう。それでも喪失感は生じてくるだろう。

 「二人称の死」の恐怖とは、そうした人と人との関係性の原点を今一度確認するための心のサインのようなもの。

 「三人称の死」は、友人・知人からアカの他人に至るまで範囲は広い。 人間には自己防衛のための心理的緩衝が働いて、他人の死に対しては平静でいられるようになっている。
 医師や看護師にとって、患者の死は「三人称の死」である。治療とケアに精力を注いだ患者であっても、 関係性は変わらない。そうでなかったら、医師や看護師の心身はもたない。
 もちろん、冷淡な関係という意味ではない。



6/4(日)降雨午後から晴れ 
 2:00起床、通常の作業、読書ほか。自炊データ整理。雨で外作業できず、座学中心。午前は新聞チェック。微睡、午後は散歩兼ねて13:56JR、Suica試みるも昨日の後遺症で無理、乗車券にて秋田駅に、Suica対応受ける。中通リハは素通り、16:30帰宅、読書、微睡、19:00夕食、20:00就寝、歩数Σ3686歩。

遊行期に生きる(12) 自身の死についての考察(10)  死ぬのが怖い?
 もし自分が、冷静に死にたいと願うのなら、死ぬ前の仕事として大切なのは、この世に満足し、これ以上の執着を持ち続けない様に、「いのち」を切り捨てるという仕事だろう。

 この世に対する執着を断つ方法は、いろいろあろう。
 自分が死んだ後、家族たちが当面困らないような算段をしておくことは重要である。この面に関する私の準備はまだ不完全であり、今回それに気づいた。現在改訂作業に手につけ始めているところである。

 なぜ「死ぬのが怖い?」のだろうか?
私は死が怖いのではなく、怖いのは死に至るまでの身体的苦痛、精神的苦痛、と思う。あるかどうかわからないが、あの世に地獄があり私がそっちに行くことを指示されたとすればやむを得ないだろうが、この世にいる間に、しかも死に臨みながら地獄の雰囲気を味わう必要はない。

 そもそも、「死」と「恐怖」は、それぞれ独立した概念。
 「死ぬのが怖い」という言葉は、まだ体験していない死への過程への苦しみ、この世への未練の強さ、寂しさを総合的に表現している、と私は思う。

 死に対する恐怖を取り除くには、死を理解することしかない。私は職業柄この辺の知識には事欠かない。身体的苦痛は医師の世話で軽減してもらうしかない、と割り切っている。

 死には「1人称の死」、「2人称の死」、「3人称の死」がある。
 1人称の死は「自分の死」、2人称の死は「大切な誰かの死」、3人称の死は「自分と無関係と思える人の死」。

 このように「死」といっても多様。そして多くの人が、死を恐れるにあたって「自分の死=1人称の死」をイメージする。
 しかし、自分の死に関しては「死んでしまえば無になる」のだから自分の死をじっくり味わうことはできない。だから、1人称の死だけは純粋な「概念」の世界。自分の死の意味は考えることはできるが、体験できないのだ。
 だからこそ、多くの人が恐れているとともに、哲学や宗教が追究してきたテーマでもある。

 普段、私たちが何かを学ぶ時、知識だけでは不十分で、身体的な体験を経ることで初めて本質を学びとれることが多い。私は幼少時から何度か重い病を経験したことで、「自分の死」という概念に近づけたし、「臨死体験」も経験し、自分なりに考えを深めてきた。このことは自分の人生を味わう上でとても恵まれていた、と思う。
 それをはからずもつい先日も味わってしまった。


6/3(土)降雨午後快晴 家内ゾンタ札幌
1:30起床。文献チェック、録音データ整理、蓄積データ整理、その他いつもの如し。10:30家内こまちで札幌に出発。雨で外仕事できず。昼新聞チェックと微睡、15:00JR試みるもタッチの差で遅れ、駅前からバス。千秋公園コイに餌。中通リハ、病棟対応。Mac21家内用OS入れ替え。新聞チェック残りと入力、18:23バス帰宅。19:00夕食、20:30就寝。8448歩。

遊行期に生きる(11) 自身の死についての考察(9)  そろそろ最後の仕事
 退職13年目を迎えて、また、健康を害して改めて残りの時間に何をすればいいのかを考えてみた。
 私は振り返ってみれば世の荒波に揉まれた経験が殆どない、温室、ぬるま湯の中で過ごしてきた。恵まれていた。それなりに努力し、真摯に業務をこなし生きてきたが、所詮井の中の蛙。この自覚は私の劣等感の一つになっている。
 それを一番強く感じたのは田舎の中学の同級会であった。みんな別々の世界で、強くたくましく生きて来たという自信が各人の表情から読み取れた。一方、新潟大学医学部の同級会ではそんな感じは抱かなかった。

 もし私が若い頃に、「働くことに、仕事に意義を見出せない、いや、まったく魅力を感じない」、という現在の一部の若者達と同じ様な考えを持っていたら、どんな人生を描いたか、全く自信がない。生きるためには努力はしたであろうが、自分の軟弱な性格から見て果たして生きていれたのだろうか。

 こんな私が、死ぬ前の仕事として最後に何をすべきなのか?? 残り時間が少なかろう、という具体的現実に突き当たった今、死ぬ直前のやるべきことについて考えてみる。

 その骨子は、独りで死んでゆくことに自分を馴染ませ、家族たちには私がこなしてきたことを委譲する、という仕事。後者は手をつけていなかった。

 私は、昨年10月、今年5月に一瞬ながらこれで終わりか、と思うような身体上の問題を経験した。子供のころから抱いていた諦観はあるが、この機会に死ぬ前の仕事として改めて考えてみた。
 
 私は、死後「完全に無となる」ことを望む。最小限の関係者の記憶に残るとすればそれだけでいい。骨も不要、墓石も不要、遺影も・・・何もかも不要。

 身体的にはごまかされた状態で死ぬことを望む。モルヒネで朦朧となったまま息を引きとることを容認する。これは私の医療観の基幹でもある。

 ただ、私は、心の問題として「これでいいのだ」とか「みんなありがとう」というようなことを呟いて死にたくはない。

 死に方は、各人各様。 真に心の底から感謝して死ぬこともあろう。そういう死の美しい話は多数知っている。しかし、私はそれに特別感動もしなければ、そういう人を特別尊う気もない。ただ、自分とは違った信条のもとに生きてきたのだなあ、と思うだけである。

 また、信仰をもつ人は、安心して死ぬのかもしれない。しかし、私はそうではない。

 自分にとって突然死の場合はそんなことは考えてもしょうがないが、緩徐に死ぬとすれば意外に大変なことだと思っている。

 私はこの世に対する執着を「生きているうちになるべく断ち切ってから死を迎えたい」というストーリーを描いて今準備しているところである。


6/2(金)終日降雨 大曲中通病院   
1:30起床,文献本読み。5:15可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅東に。8:50大曲中通病院外来、病院・駅間は往復Taxi。長崎や古書店経由15;30中通リハ病院。入院患者対応、新聞チェック+入力。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計8100歩。

退職13年目 感想 パラダイス期間だが2回大きく健康を害した
 2011年5月末社会医療法人明和会を退職した。
 「急性期の病院に高齢医師は不要」、「私の社会的使命は終わった」、「老害、男性社会害の一人にはなりたくない」、「医師としても終わった」・・・などと発言してきた私は、秋田県の医師不足、法人の医師不足のおかげもあって現在も法人内病院で嘱託医師として働かせていただいている。

 3月末日をもって飯川病院が閉院となった。中通総合病院嘱託医以外は終了になると思っていたが、家内共々中通リハ病院の嘱託医として働くこととなった。それでちょっと業務量が増えた。

 過去の発言内容と矛盾している。だから内心忸怩たるものがある。ただ、秋田県は相変わらず医師不足、加えて法人も医師不足である。私自身が医師としての技能が求められているのか、医師免許が求められているのかは定かではないが、新しい環境の中でいろいろ学べ、経験できるのは楽しい。
 
 人生の最終コース、遊行期に入った身にしてみれば、この様な環境が与えられていることは法外の喜びで、感謝以外の何者でもない。

 私は昨年10月は下部消化管からの出血で、この5月上旬には心不全で1週間の入院生活を送った。前者は大きな後遺症もなかったが、後者では心保護のために生活全般の抑制が求められている。車で例えれば30Km以上で長時間走ってはならない、という制限である。

 近年体力意欲が乏しくなっていたが、特に心不全罹患以降は再度意欲が向上しているような気がする。
 こんな私であるが、私は学資負担はほとんどせずに税金で医師になったようなものだから、社会に恩義がある。だから求められるうちは働くつもりである。
 
 ほぼ毎年と同じだが、近況。
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 ■ホームページ:更新が負担になった。まだ更新を欠かした日はないが今後、更新できない日が増えていく??
 ■徒歩通勤:全コース歩行はくなった。その分、日々こまめに歩いている。目標は8000歩とまだ高め。伊能忠敬の足跡を辿っての日本一周は、2周目で間もなく京都。焦らずゆっくり歩きたい。
 ■通勤の交通手段:往路はam6:40バス。体調によっては家内に同乗。復路は家内に同乗。
 ■岩手県への復興資金:収入減で減額したが続けている。
 ■日々のルーチンワーク:録音、録画、新聞スクラップ、文献スクラップ、学術文献スクラップ、書籍の自炊などなどは継続。
 ■読書欲は亢進している。
 ■園芸:野菜、花壇づくり。負担になりつつあるが、草刈りは除草剤を利用して軽減している。
 ■体調:ちょっと無理すると動悸息切れがある。筋力は相当落ちてきた。
 ■視力低下;iPad、パソコンの画面を舐めるように見ている。
 ■体重コントロール:難渋。ブタ!!みたいだ、と言われても腹も立たない。ブタに悪いとは思う。
 ■終活:コツコツと進めている。
 ■緊張感の少ない生活:惰眠をむさぼる、ネコと遊ぶ時間などが増えた。
 ■などなど・・・・。


6/1(木)快晴  
 2:30起床,いつものごとく。7:30ダリアの掘り起こしの後に里芋、さつまいも本植えし今年の植え付けはこれで終了。8:15家内に同乗中通リハに、新聞チェックと入力、微睡、午後、入院患者診察処置など。月刊音楽の友定期購読は電子版に移行することに。19:20帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計5485歩。
ラジオ・TV番組『NHKのど自慢』(3) カラオケは嫌いだがのど自慢はいい

 私は「NHKのど自慢」が大好きである。この番組は開始から77年目を迎えた、と言う。

 3月下旬から中通リハビリ病院勤務となり、日当直業務がなくなったから週末は自宅で過ごしている。天候が良い日は午前から心臓に負担にならない程度外仕事をこなすが、正午には一休みしNHKニュースと「NHKのど自慢」を観るのが日課となっている。

 「NHKのど自慢」は、心地よい鐘の音が鳴り響き、司会者の「明るく楽しく元気よく・・」の言葉で始まる。終戦直後から視聴者に支持されて続ける超長寿番組である。

 カラオケは今でもブームが続いているようであるが、私はカラオケが大嫌いである。30-40年前に宴会の二次会として一度行ったことがあるが以後は一切行っていない。

 そんな私がなんで「NHKのど自慢」が好きなのか?? 
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 ?偉大なマンネリ番組である。マンネリは見るものに安心安定をもたらす。今回ちょっと刷新され失われたものもあるが・・・。
 ?内容的には見事な歌唱力を持つ方もいるが、大概は学芸会レベル。それがいいのだ。玄人はだしの歌唱力はむしろ場を白けさせる。
 ?1組1分程度しか歌わせないがそれがいい。ど素人が歌うフルコーラスなど聴きたくもない。 
 ?この短時間の中に歌あり、振り付けあり演技ありと多彩。
 ?歌った後の表情と司会者との短い会話がいい。
 ?出演者の応募のきっかけは千差万別で悲喜交々。職場の仲間同士、出会いあり、別離あり、家族愛あり、闘病中の見舞いの気持ちあり、故人を偲ぶため・・・などなど。
 ?出演者の屈託のない笑顔がこの番組の看板である。見終わった後ほっこりする。
 ?・・・・・・
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 実は、私は小学校3年の頃に村に巡回してきた「のど自慢素人音楽会」の子供バージョン「NHKこども音楽会」なる番組に出場している。学校からの推薦もあった。正確な名称は忘れた。何を歌ったかも忘れたが、私は11番目に登場し、最初の合格の鐘を鳴らし、喝采を受けた。賞品はお菓子の詰め合わせであった。2週ほど後にラジオで放送された。お菓子は美味かった。私の歌は上手かった。

 当時、私はちょっぴり歌が上手で、小学校に上がる前から校庭で遊んでいると時折校長から声がかかり、職員室で歌を披露していた。当時の私の十八番は「長崎のザボン売り」であった。

 更に、恥ずかしげもなく余談を重ねると、中学は盛岡の私立の中高一貫校に進学したが、ある日、音楽の授業で突然指名されて教師のピアノ伴奏で「星影やさしく またたくみ空・・」の歌詞で始まる「追憶」を歌わせられた。教師はいたく感心し「お前、うまいじゃないか・・」と評価してくれた。
 しかしながら、これ以降、恥ずかしがり屋の私は人前で歌を披露することはなくなった。このふたつのエピソードが今でもいい思い出として心の中に生きている。

 そんなこともあって、私は「NHKのど自慢」に親しみを感じているのだろう。

 この番組はずっと大きな変化がない。このマンネリ感がいい。通常はマンネリは嫌われるが、この安心感がいい。

 同番組がいつまでも続くよう、願っている。

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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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