徒然日記
2023年2月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

徒然日記バックナンバーへ戻る       徒然日記へ戻る   トップページへ戻る

先月の日記          来月の日記




2/28(火)晴れ春めく 中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:45起床、文献関連など。6:00可燃ゴミ2袋出し。6:40バス飯川病院、8:45-12:00中通病院外来。予約患者も少ななかった。自分分の申告書提出。飯川病院へ移動微睡、14:00-19:15ボランティア、入院患者対応なし。15:00-16:00許可を得て歩行、19:30帰宅、夕食、20:20就寝。Σ11060歩。久々1万越え。

国際 ウクライナ問題(7) ロシアの侵攻1年(5) 正義、倫理観が通用しない専制国家ロシア

 「平和」は誰もが希求する。民主的政治もそうだ。まして戦乱の地であれば、その思いはひときわ強いに違いない。
 しかし、これは日本にいるからの第三者的論理なのではないか。

 国際社会を見ていると、平和の希求、正義感、戦争による犠牲、指導者たちの倫理観、人道性など、日本に居て期待するような事項は国際社会では通用しない様に思える。だから、侵攻問題は日本の地で軽々に語るべきではない。

 それでも、私は1日も早く平和が戻ってほしい、と思う。

 (1)プーチン大統領の非人道性
 ウクライナ侵攻1年を前にプーチンは年次教書演説を行い、今回の侵攻は西側が始めたもの、ロシアはこれに対抗している、などと信じ難い論旨で国民に「祖国防衛」を呼びかけ、ウクライナ侵攻の責任を欧米になすりつけた。

 「戦争を始めたのは彼らだ」、 「西側は18世紀から、今ではウクライナと呼ばれ歴史的な領土を我々から引きはがそうとしてきた」。プーチン氏は演説でそう訴え、ウクライナ侵攻の責任を何度も欧米になすりつけた。

 プーチン氏はウクライナ政府を一方的に「ネオナチ」と糾弾。「彼らを前に我が国の存続がかかっている」とまで主張した。

 プーチン氏は昨年来、欧米の脅威をあおり、自ら始めた侵攻を正当化し続けてきた。
 昨年2月24日の侵攻開始時の演説では、ウクライナを「非ナチ化して、非軍事化をしなければならない」 を侵攻の目的に掲げ、短期間でゼレンスキー政権を転覆させ、 ウクライナに自らの意思に従うロシアの傀儡政権を打ち立てる計画だったとされる。

 だが、侵攻によってゼレンスキー政権に対する世界の支持と支援が高まった。
 追い込まれたプーチンは、国民の支持をつなぐ必要に迫られている。そのために侵攻した側のロシアが、欧米諸国から集団的な攻撃を受けているかのような構図を描き出した。これが、国内で発揚するのだから恐ろしい国である。

 (2)ウクライナの世論調査 「平和」より「正義」の希求
 昨年11月にウクライナで実施された世論調査では、ロシア軍による占領が続く状態での停戦を求めた人は、わずか1%だった。停戦の条件として、93%が「クリミア半島を含むウクライナ全土からのロシア軍撤退」を挙げた。

 多くのウクライナ国民は、現在の状況では平和を得るよりも、戦う道を選ぶ。つまり一般的「平和」希求とは異なる価値観を有している。その価値観の中心は「正義」なのではないだろうか。

 なぜロシアから攻撃されるのか。あまりに理不尽ではないか。このような市民の怒りが、「いのち」を賭しても「正義」を望む意識に結びついているのだろう。

 ウクライナの弁護士たちはロシア軍が占領期に手を染めた戦争犯罪行為に対する訴追活動を、ボランティアで続けている。国際司法裁判所(ICC)には被害者救済制度が設けられており、損害賠償への道も開けるという。この動きの効果は不明瞭であるが、ロシアを糾弾することにも結びつく大事な活動である。


 2/27(月)快晴温暖  健康クリニックドック 飯川病院  
1:00起床。文献チェック。徒然など。読書。6:40バス飯川病院、歩道もほぼ消雪。9:00-11:50健康クリニックドック15名、結果判定14名、意外と時間がかかった。12:00飯川病院。微睡、14:00-19:00勤務。入院患者対応。確定申告関連作業、iMac21利用して自分の分は印刷も終了、明日提出予定。家内分医療費問い合わせなど。データ入力と整理、家内はWeb学習会認知症。20:00帰宅、夕食、21:30就寝。Σ5300歩。

国際 ウクライナ問題(6) ロシアの侵攻1年(4) 世界はどう行動しているか(2)
 第2次大戦後、米国が秩序形成を先導し、なんとか均衡を維持してきた「ポスト冷戦時代」は、ロシアのウクライナ侵攻で終焉した。

 その結果、「米欧と日本を中心とする民主主義陣営」と「中ロを核にする専制主義陣営」の対決が、 世界情勢の基調になった。

 以下の図は両陣営の分布を世界地図上にプロットしたものであるが、国名を挙げられて説明されても分かり難いが、画像化すると分かりやすい。
 世界はこの図の如く分断されている。EU諸国、チベット、日本、オセアニア地区はその接点にあり、緊張が高まっている。また、日本から見て理解し難い、NATOにおける米国の重要性はこの地図を見ることで理解できる。

(スエーデン調査機関「V-Dem研究所」の解析による「民主主義陣営」と「専制主義陣営」の概要 秋田魁新聞より引用)

 「帝国主義的な野心」を抱くプーチン大統領の侵攻は、国家の主権や領土の一体性との保全といった国連憲章の原則を無視した暴挙であり、国際的秩序を根底から覆した。 

 米中対立も相まって大国間競争が激化している。戦後秩序の中核に位置した国連安全保障理事会の常任理事国」はロシアによる 「憲章違反」(欧米首脳) という暴挙で機能は一層低下した。その影響は計り知れない。

 「ロシアの侵攻で全ての民主主義国家が試練にさらされた」。バイデンはキーウ訪問後、ポーランドでの演説でこう訴え、一層の結束を訴えた。
 しかしながら、民主主義陣営の多国間協調の在り方も再考を迫られている。
 バイデン氏は大統領就任前から「プーチン政権は最大の脅威とみる欧米の民主主義を攻撃する」(2017年の米外交誌への寄稿)と警戒していた。2年後の就任時以降、トランプ前政権で揺らいだ民主主義の再興を急いだ所以である。

 民主主義国家の連携はウクライナへの強力な軍事支援につながったが、21年12月に開催した「民主主義サミット」では「二者択一を嫌う途上国からは敬遠された」(東南アジア外交筋)との声もあり、バイデンのもくろみ通りに進んでいるわけではない。

 中国は米国の予測を上回るスピードで核弾頭数の増強など軍拡を進める。 バイデン政権は意思疎通を通じた衝突回避を図るが、中国の偵察気球を米上空で撃墜した問題もあり緊張は緩和されていない。

 対ロシア、対中国と二正面作戦を迫られる米国は、かつての冷戦期よりはるかに難しい立場に立たされている。


2/26(日)寒波再来 小雪 申告家内分作成開始
1:50起床、本読み。データ整理。午前家内分申告開始。医療費は問い合わせることに。日曜討論、新聞文献チェック、微睡、読書など。12:00検食、大阪マラソンのためにNHK「のど自慢」なし。午後も読書中心、急に春めいてきた。19:00夕食、20:30就寝。Σ3010歩。

国際 ウクライナ問題(5) ロシアの侵攻1年(3) 世界はどう行動しているか
 独立国の主権を武力で踏みにじるのは国際社会の秩序をないがしろにする暴挙であり、断じて容認できない、と私などは単純に思うのだが、国際社会ではその様に考えない国民や指導者が多いらしい。

 プーチン大統領は2022年2月21日にウクライナ東部独立を一方的に承認し、住民保護を名目に派兵を命令。2月24日、ロシア軍がウクライナへの軍事侵攻を開始した。

 これは暴挙であり、侵略は重大な代償が伴うことを国際社会が一致して示すことには意義がある。米国と欧州諸国、日本などは経済制裁を発動した。

 北大西洋条約機構(NATO)が冷戦終結後、東方への拡大を続けてきたことにプーチン氏は反発。米欧寄りのウクライナが将来的にNATOに加盟すれば、安全保障上の重大な脅威になると主張していた。ウクライナには独立国家として自らの安全保障政策について決める権利があり、ロシアの要求には無理がある。

 プーチン氏はロシアとウクライナは「一つの民族」と主張する。そうは言っても、ロシアが過去にソ連邦の一員であった近隣の独立国を「属国」の様に扱うのは時代錯誤である。

 国際社会の側も外交による解決の道を閉ざしてはならない。多くの国がロシアに対する厳しい制裁を通じて毅然たる態度を示し、粘り強い外交努力を継続することを期待したい・・・のであるが、国際状況はそう単純ではない。ようだ。

 2年目に入り込んだウクライナへの侵攻は国際政治・経済・社会の各分野に大きな影響を及ぼしている。国際経済的側面から見てもエネルギー・食糧危機が高まっており、世界的供給網もまた揺れ動いている。

 国際規範や価値観の代わりに自国の経済的利益を優先視してEU側とロシアの間で「日和見的静観国」として行動する国が大きく増えたという点が注目される。

 英シンクタンクの王立国際問題研究所が2月21日に発表した「戦争1年報告書」で、以下の如くボベている。
-----------------------------------------------------------------------
アジアではウクライナを擁護するのは韓国と日本、シンガポールなど少数。
インド、パキスタン、イラン、インドネシア、南アフリカなどは自国の利害関係により行動している。ここでは国際規範や、自由・人権・民主主義のような理念のは軽視されている。
イランはロシアにドローンを輸出し、代わりに自国のヒジャブデモ無力化に必要な監視装備を導入した。
インドはアジア太平洋戦略では米国など西側諸国と肩を並べながらも値段が安いロシア産石油輸入を持続するなど経済的利益も手放していない。
アフリカと中南米、中東など、開発途上国の「日和見的静観国」も注目される。
-----------------------------------------------------------------------

 拒否権を持っているロシアと中国の反対で国連安全保障理事会の機能が事実上麻痺した状況であるが、国連総会は昨年3月に2回、4月、10月の4回にわたり対ロシア決議を採択した。
 これに対し上記の途上国地域を中心に45-48カ国が棄権または欠席した。特に昨年4月の対ロシア人権決議案には反対24カ国、棄権58カ国、欠席18カ国と193カ国の加盟国のうち100カ国が否定的・留保的反応を見せた。

 「日和見的静観」を決め込んでいる国を味方に引き込むための民主主義陣営とロシア・中国など権威主義陣営間の、表に出難い戦いも一層激しくなる見通しだ。

 この様に、国際社会では「国際的規範、正義や道義」が通用し難い状況に陥っているが、それらの国の国民や指導者たちの考えを直接確かめる術がないのが残念である。


2/25(土)曇り小雪 申告本人分作成
 1:00起床。早朝午前は新聞、文献、徒然など、微睡、申告書作成開始、ゆったり進める。午後も微睡後同様の作業。夕方一応終了。19:00夕食、のど自慢チャンピオン大会観る。見事な歌唱、優劣なし。20:15就寝。歩数Σ3728歩のみ。玄関から一歩も出ず。

国際 ウクライナ問題(4) ロシアの侵攻1年(2)
 侵攻1年を前に米ロ両国の大統領が演説を行った。

(1)ロシアのプーチン大統領は戦争を始めたのは米欧の側だと強弁し、侵攻を正当化。「ロシアに勝つことはできない」と述べた。

 だが、独立国であるウクライナに一方的に侵攻し、国際法を踏みにじったのがロシアであることは明白な事実。プーチン氏の発言に道理はない。

 当初はウクライナの首都キーウ周辺まで軍を進めたが、予想を上回る反撃に遭って後退。主な狙いだった東部ドンバス地域の全面制圧も果たせないまま、戦闘は泥沼化している。ロシア軍は万単位の死者が出ていると推定される。

 さらなる犠牲の増加にロシア国民が理解を示すかは不透明。国民に情報が浸透しているとは思えない。ロシアは戦闘を長引かせ人命を失う愚に気付き、直ちに撤退を決断すべきだ。

 プーチン大統領は21日にモスクワで100分間にわたり演説をし、米ロ間の新戦略兵器削減条約(新START)中断を宣言した。これまでも核使用を示唆する発言を繰り返しており、今回の条約不履行も到底容認できない。

 22日の祖国防衛の日の記念演説で3大核戦力、すなわち戦略爆撃機と大陸間弾道ミサイル(ICBM)、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)などの保持を強調した。現在ロシアは兵力と兵器を増強し新たな攻勢を予告している。

 (2)米国のバイデン大統領はキーウを電撃訪問し、開戦以来初めてウクライナの首都キーウを訪問してゼレンスキー大統領と会談した。ウクライナを支え続ける決意を表明した。その後、ワルシャワで演説し「決してロシアの勝利にはならない」と断言。米欧各国の結束を誇示した。ひとつの国が侵略を受ければ集団で対応するNATO憲章第5条も繰り返し強調した。

 (3)北大西洋条約機構(NATO)加盟の各国はドイツ製戦車の供与などを決めた。ロシア軍による一般市民の虐殺など戦争犯罪が明らかになっている中、各国の団結は評価されよう。

 (4)日米欧はロシア産原油の禁輸や資産凍結、金融取引からの排除などの経済制裁を続けている。
 しかし、中国など制裁に加わらない国への原油輸出などが堅調で、制裁の効果は限定的なものに留まっている。日米欧はこれまで以上に結束し、制裁を強化してロシアの戦闘継続能力を奪うことが求められる。

 (5)日本は今年のG7議長国であり、2年間は国連安全保障理事会の非常任理事国。いかに困難であっても、外交を通じ平和を回復する努力を放棄してはならない。日本には平和外交で主導的な力を発揮することが期待される。

 (6)中国の王毅共産党中央政治局委員は22日にモスクワでプーチン大統領と会い協力を確認した。これから中国がどう動くか、ウクライナ侵攻に大きな変化をきたしうる重大事項である。中露は協力関係にあるが、ロシアの暴挙に対して冷静な判断が求められる。中国による武器供与が行われれば侵攻は一層泥沼化する。

---------------------------------------------------------------------
 このように侵攻1年を迎え米中ロの首脳クラスの要人の注目すべき動きが続いた。国際社会では自由民主主義陣営と権威主義陣営間の「代理戦争」の様相が鮮明になりつつある。


2/24(金)曇り小雪寒波ゆるむ 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:10起床。文献・データ整理、読書。5:30可燃ゴミ廃棄は準備のみ。7:30Taxi駅に、8:11こまち、8:55大曲中通病院外来。病院駅間は歩行難往復Taxi。長崎や古書店経由15:45飯川病院ボランティア、新聞記事チェック、入力ほか。微睡。患者の急変あり、20:00帰宅、夕食、21:15就寝。歩数Σ7490歩。ウクライナ侵攻1年。

国際 ウクライナ問題(3) ロシアのウクライナ侵攻1年(1)
 ロシアによるウクライナ侵攻が始まって今日で1年経過した。

 この間、よくわからない部分もあるが、戦闘はウクライナ側の強力な応戦で膠着状態にあるようだが、ウクライナの一般市民を含む多くの生命、ロシア兵の生命が失われた。プーチンは当初、経験の乏しいゼレンスキー大統領の能力を見誤り、数日で陥落させることができると考えたようだが、これは誤算であった。

 戦闘はNATO側からの武器供与を背景に、ロシア vs NATO の戦いの様相を帯びた。いまだ戦闘終結の見通しは立っていない。いや、プーチン vs NATOというべきかもしれない。

 旧ソ連時代から周辺諸国に少なくない影響を及ぼしてきた巨大国ロシアに対する不信感が背景となって結成されたNATOの位置付けが確個たるものとなった、とも分析される。同時に、西側勢力を牽引してきた米国の世界的リーダーシップもまた挑戦を受けている。
 欧州とNATOの「対ロシア恐怖症」の拡散も西側諸国がNATOを中心にひとつになる要因として作用している。長く中立基調を維持してきたスウェーデンとフィンランドがNATO加盟を申請したのが象徴的だ。

 一刻も早くロシア側が撤退し、ウクライナに平和が戻ることを願う。
 今回の如く、武力による一方的な現状変更を許すことは、ウクライナばかりでなく世界全体の平和の維持に影を落とす。
 さらに、今回の侵攻は二国間の戦闘問題でなく、経済・食糧・エネルギー流通に全世界的に深刻な問題を醸し出している。

 国際社会、日本も含め、改めて結束を確認し、ウクライナへの支援を強化すべきだ。同時に事態打開に向け、粘り強い外交努力を続けることが求められる。

 ロシアのウクライナ侵攻から1年を迎えた国際社会が以前とは全く変わった局面と向き合っている。
 国連は23日に緊急特別総会を開き、ウクライナを侵攻したロシアの無条件かつ即時の軍撤収を要求する「ウクライナ平和と原則関連決議案」を通過させた。
 決議案は賛成141票、反対7票、棄権32票で可決され、国際的に孤立したロシアの現実をそのまま見せた。韓国も米国と欧州連合(EU)などが中心となって推進した決議案に共同提案国として参加し賛成票を投じた。反対国はロシア、ベラルーシ、北朝鮮、シリア、ニカラグア、エリトリア、マリだけであった。

 今回のロシアの暴挙に対して国際機関である国連の機能不全が明らかになったが、上記の経過を見る限り、国際社会は新しい局面を迎えつつあるように見える。


2/23(木)天皇誕生日 寒気若干緩む曇り晴  
1:00飯川病院起床。文献・データ整理、読書。微睡挟みつつ座学継続。新聞チェック、入力、12:00迎えあり帰宅。13:30微睡、申告資料集め。読書、そのほか。文献データ整理多数。19:00夕食。20:30就寝。Σ6472歩。

こころと体2023(5)  睡眠 眠らなければどうなる??(2)

 私の場合、睡眠不足の翌日、体調が本調子でなかった。 体熱感があり、終日ボーッとしていることもあった。それでも睡眠を削って生きてきた。

 もっとも寝不足の時に顕著に現れるのは、注意力の低下である。それは運転中にはっきりわかる形で表れ、寝不足での運転は酒気帯び運転と同等に危険であることを自覚していた。
 私はアルコール飲料は好きだが、酔うことは嫌い。眠くなる。判断力は落ちる。起きた後も身体的に倦怠感を中心に不快な気持ちが残る。 だから、飲まない。飲んだ場合には一切運転しなかった。運転免許を返上した今、気が楽になった。
 
 また、睡眠不足は冷静な判断力も鈍らせる。
 ときに警察の過酷な取り調べが冤罪を生んでしまうことがある。取り調べ中に、眠りを奪われると判断力を失い、眠りの代償にどんなことでも話すようになる。ある種の宗教的儀式の洗脳時にも利用される。

 残酷な拷問方法が約100種類も記録されている。
 その多くは心身に重大なダメージを及ぼす方法であるが、中国では尋問するために、断眠法がよく使用されている、と言われる。

 断眠法は最も残酷な拷問の1つと世界的に認識されている。被害者の体に拷問の痕を残さず、意志をくじくのに役立つため、広く使用されている。強制的に座位か立位にし、強い照明を常時被害者に当て、眠らないように怒鳴ったり、物を叩いたりして眠らせない。被疑者は数日で錯乱状態になり、強度の神経衰弱症状を発症する。善悪の判断力を失ってしまう。
 冤罪から無罪を勝ち取った元受刑者の手記を読むと、取調べ中の不眠はに抵抗できなかった、と評している。

 私は睡眠の軽視していた。
 大学受験の頃、現役の多忙であった時期には、眠らずにいることができるのであれば、あるいは1−3時間で済むのであればいいのに、夢のようなことを考えていた。

 睡眠は高等脊椎動物では普遍的にみられる現象である。種によっては睡眠形態に違いがあるが、睡眠を欠いて存在しうる哺乳類はいない。これは生物とその生存のバランスを保っていく上で重要な因子である。

 睡眠中、動物は外敵に対してまったくの無防備になる。もし、睡眠をとる必要のない動物が突然変異で発生していたら、生存競争のなかで圧倒的に有利のはずで、生物界を圧巻していてもおかしくはなかった。幸か不幸か、実際そのような生物は知られていない。

 水中の哺乳類、長時間を飛行する渡り鳥でさえも、睡眠の呪縛から逃れることはできない。水中で、あるいは飛行中に睡眠に陥ることは命にかかわる。 彼らは、特殊な環境で眠るために睡眠を進化させた。

 このことからだけでも、高等動物にとって睡眠はどうしても省くことのできない必須の機能であることがわかる。

 「惰眠をむさぼる」ことができるヒトはいかに幸せな生物であるか、私はこの歳になって初めてこの心境に至った。
 もう、睡眠を削って生きる、という発想はそっくり捨ててしまった。


2/22(水)晴れ時に小雪 寒波緩む 午後飯川病院勤務 飯川病院当直 ネコの日
1:00起床。文献・昨日分新聞チェック。座学一般。12:12バス飯川病院、家内の迎えあり、自炊データ整理、新聞チェック、入力、読書多数。自炊準備数冊。外来患者対応、17:00当直に就く、18:00検食、20:30就眠。Σ4005歩。当直。

こころと体2023(4)  睡眠 眠らなければどうなる??(1)
 無理して睡眠時間を削って仕事をつづけていると心身の機能が低下し、睡眠で、疲労感が消滅し、作業効率が回復する。そのため時間は惜しいが寝ざるを得ない、と思っていた。せめて3-4時間熟睡してすっきりできる方法があったら求めたかった。

 私の場合、睡眠不足が続くと自律神経系の乱れが生じていることがはっきりわかった。不機嫌、イラつき、意欲低下、めまい、ふらつき、頭痛などが生じた。時には真っ直ぐ歩行できずロッカーの角などに肩を頻回にぶつけた。血圧上昇、不整脈を自覚した。不整脈が高じて、発作性心房細動から慢性心房細動に固定したのは2010年の頃であった。

 寝不足状態で最も危険だったのは車の運転であった。
 通勤の帰路、赤信号で不覚にも寝込んで窓ガラスを叩かれて起こされたことが3度あった。東京出張時には秋田空港までの運転が恐怖で、県医師会の公用車あるいはリムジンバスを用いて危険を回避した。

 私どもは、もし眠らないとどうなるか
 もし眠らないと生き物はどうなるのだろうか。
  文献から事例を集めてみた。
--------------------------------------------------------------------
 最も古い動物実験報告に、19世紀にロシアの科学者M・M・マナセーナの実験がある。イヌを運動させて起こし続けたところ、96-120時間で死んだ、という。

 脳波で睡眠を感知すると直ちに覚醒させる装置を用いてラットで断眠を行うと、およそ3週間で死んだ、という。

 1964年に断眠マラソン大会で11日間起きていた米国の高校生。 しかし、その間も覚醒の質が明らかに低下していた。

 一日半の断眠実験で、目を開けているのに脳波はまどろんでいる状態と同じになってしまった、という。つまり、目を開けたまま眠っている状態が生じた。

 ディスクジョッキーのP・トリップは1959年に小児麻痺救済の募金集めのために200時間一睡もしない不眠マラソンに挑戦した。3日目になると、彼は幻覚や妄想をきたし、意味不明なことを話すようになった。ゴールに近づくにつれて妄想や幻覚は顕著に、ある種の精神疾患に近い状態になった。

 極度の睡眠不足におちいったヒトには、数秒、あるいはもっと短い一瞬の間だけ眠りにおちいるマイクロスリープが現れる。私は運転中に何度か経験している。これによって何度か事故を免れた。思い出しても恐ろしい経験である。

 睡眠不足に関する実験では、睡眠時間を半分にしただけで血圧上昇がみられたり、4時間睡眠で6日間過ごすと血糖値のコントロールが乱れた。

 睡眠時間を短縮すると食欲ホルモンが増加して、食欲が増進する。
--------------------------------------------------------------------

 睡眠不足の翌日、終日本調子でなく、睡眠をとることのみで解消した。私にとって日常的であった。


2/21(火)寒波再来 小雪雲り 中通外来 飯川病院ボランティア
1:20起床。文献など読み、データ整理、5:20可燃ゴミ提出。作業・歩行にヘッドランプまだ必要。6:40バス飯川病院、バス待ち昨日よりは楽。8:35-12:40中通外来。14:00飯川病院ボランティア、微睡。読書、19:15帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計:Σ7766歩。

こころと体2023(3)  睡眠 なんで眠るのか 眠気を解消するために??
 私はかつては睡眠を軽視し、「 限られた人生なのだから、その貴重な人生のうち3分の1にあたる睡眠時間は勿体無い」と考えていた。どうして人は眠らなければならないのか??私は疑問に思っていた。

 その疑問は高校/大学生の時に思いついたことで、自分なりに工夫して睡眠時間を短くしようと工夫していたのであるが、その多くは精神論的な、「頑張りの維持」に立脚した不確かなものであった。しかし、その頃はそれによって時間を確保できた。しかも、自分の時間はほぼ自分で自由に過ごすことができた。いわば極楽のようなものだった。

 社会に出てからは私は多忙な状況に身を置いてしまった。
 睡眠時間の設定は自発的なものではなく、その日の仕事上のデューティなどの外的要因によって決まっていった。それが20-60代後半まで続いた。いわば、自由に眠ることもできないがんじがらめの日々であった。

 特に中通総合病院の管理者として過ごした時期は県医師会の副会長でもあったために自由時間の殆どない、苦しい時期であった。その間のスケジュール票を見直すと、よく乗り切ったものだ、と評価する一方、やることなすことが中途半端に終わった感がどうしても否めない。だから、思い出すのも辛い。

 「燃え尽き症候群」と言う言葉は有名である。「それまで意欲を高く保っていた人が、身辺の状況が変わったことなどを機会に突然やる気を失ってしまう鬱に近い状態」のことであるが、私の場合はこれとは違う発想で積極的に「準引きこもり状態」に身を置いて時間を確保し、有効に、自分のために用いることとした。やっと自分を取り戻した。

 その過程で、睡眠の重要性に気づき、睡眠について学習をし始めたのはここ3-4年のことである。 睡眠の持つ不思議な生理機能に驚きながら、睡眠についての学習をつつづけ、睡眠に魅力を感じ、結果として睡眠を大切にするようになった。

 ヒトはなぜ眠るのか
 確かに、無理して眠らずに仕事をつづけていると心身の機能が低下し、睡眠をとることによって、疲労感が消滅し、作業効率が回復する。だから寝るのだ、と思っていた。

 そもそも、どうして眠らないとならないのか??
 その高校生、大学生の頃に抱いた疑問に対してつい先日までの到達点は「眠らないでいると眠気が襲ってくる。眠気を無くするには寝るしかない」ということであった。70年も生きていて、毎日寝ているのに睡眠の意義をこの程度にしか考えてこなかった。これではなんら進歩していない。

 睡眠の医学的意義、整理的意義は知れば知るほど不思議な、興味深い世界である。


 2/20(月) やや寒い曇り夕方から小雪 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。文書整理、徒然他。いつもの如く。降雪はそれほどないが、寒波再来。6:40バス飯川病院へ。バス待ちはやや辛い。新聞チェックなど。9:00-11:30健康クリニックドック14名。結果判定12名。11:45飯川病院。微睡、新聞入力、本読みほか、14:00-19:00勤務、入院患者対応、19:20帰宅、夕食、20:30就眠。歩数計:Σ6730歩。

こころと体2023(2) 睡眠 現役時代は寝不足人生
 社会に出てからの生活と睡眠
―――――――――――――――――――――――――――――――
 宮古病院時代(20代)
 1971年から三陸の県立病院で2年間の勤務したが、一年目はほとんど病院の仮眠室で過ごし、当直医等から声がかかると昼夜問わず手伝った。実に不規則な、不健康な生活であったが、得るものは大きく、睡眠不足を意識したことはなかった。

 秋田大学の頃(30代)
 卒後3年目の1973年春から秋田大学の内科に属した。娘も生まれ共稼ぎであり、19時頃一旦帰宅、夕食をとり、娘を寝かし、21時頃-2時頃まで再度大学で過ごした。血液内科の独立準備等で多忙であった。当初は無給に近く、休日はアルバイトで県内の病院を回っていた。その後、家内の叔母にあたる石井さん親子と同居して家事の多くから解放され一息ついた。
 大学では年と共に、診療、教育、研究に追い立てられ心が休まることはなかった。自己評価では、特に大きな成果を残せなかった。

 中通総合病院の頃(40-60代後半)
 1965年、中通総合病院に赴任、時とともに、立場が上になるとともに院内業務多忙となった。加えて、特に市、県医師会役員を兼ねたことからはam2:00頃から自宅で業務処理、5:00過ぎ出勤で入院患者対応など行なう必要があった。常に寝不足状態、体調も安定しなかった。
 その原因の大部分は私が協調性が乏しく、業務をスタッフたちに振り分けることが出来図ず、自分でかなりを抱え込んだところにあった。自業自得でもあった。

 中通総合病院嘱託医の現在(70代)
 2011年6月嘱託医となり徐々に業務軽減され、やっと自分を取り戻した。読書中心に時間を費やしている。ともすれば興に乗って寝不足状態になる。
―――――――――――――――――――――――――――――――

 私はつい70歳近くまで業務をこなすために睡眠を削らざるを得なかったが、時間を有意義に使っている、そのため業務を広くこなしていたという満足感()に似た感覚もあった。馬鹿だったね。しかし、後悔はしていない。自分の人生を自分で否定したくない。

 睡眠不足が蓄積していくと自律神経系の乱れが生じていることがはっきりわかった。不機嫌、イラつき、意欲の低下、めまい、ふらつきが生じてきた。時には真っ直ぐ歩行できずロッカーの角などに肩を頻回にぶつけた。

 交感神経が緊張すると、血圧や心拍数が上がる。 必要以上の興奮状態は、心臓に大きな負担をかけることになる。
 私が高血圧、不整脈を自覚し、心房細動に罹患したのは2010年の頃であった。睡眠不足が誘因の一つだった、と思う。
 睡眠不足が、うつ病、糖尿病とも深い関係があることも疫学的には証明されている。

 私は睡眠不足に苛まれながら、「睡眠」に関してあまりにも無関心だったのではなかろうか。 睡眠は単なる「休息」の時間と勝手にかたづけていた。 確かに睡眠は休息の時間でもあるが、それは睡眠がもっている機能のごく一部にすぎなかったのだ。

 実は睡眠は脳が積極的に生みだす自己防衛手段であり、身体と脳のメンテナンスに必須の機能であることを知った。目から鱗である。


2/19(日)比較的温暖終日小雨
1:30起床、早朝は文献関連。データ整理。昼近くまで蓄積データ整理、読書。のど自慢、新聞切り取り。微睡後申告準備のための資料収集。自炊図書再分類開始。19:00夕食、21:00就眠。Σ3680歩。玄関から出ず運動不足。

こころと体2023(1) 睡眠 つい最近まで睡眠の意義を誤解し軽視していた
 私はかつては睡眠を軽視していた。

 つい10年ほど前まで、すなわち、ほぼ70歳に近くなるまででである。それまでは、眠りの意義についてロクに考えもせずかなりおろそかに考えていた。

 「 限られた人生なのだから、その貴重な人生のうち3分の1にあたる睡眠時間は勿体無い」と考えていた。睡眠の意義を無視し、睡眠時間を犠牲にしてでもほかのことをしたほうが自分にとって有意義だと固く思っていた。

 しかし、高齢になり、社会的立場も変わった。体調も変わってきたし、物事に関する考え方も変わってきた。

 睡眠の重要性に気づき、睡眠について学習をし始めたのはここ3-4年のことである。  睡眠の持つ不思議な生理機能に驚きながら、睡眠についての学習をつつづけ、睡眠に魅力を感じ、結果として睡眠を大切にするようになった。

 睡眠は外部からの刺激がなくなったことによって起こる受動的な休息状態で、身体のためには最小限必要と考えていたが間違っていた。
 睡眠は脳にとって、身体にとっても極めて重要な生理的現象であることがわかった。積極的に睡眠を取る価値がある。「果報は寝て待て」という言葉の意義もわかってきた。

 私の睡眠に関する考え方を辿ってみた。
―――――――――――――――――――――――――――――――
 幼少の頃
 早寝早起き、陽が登るとともに起き、暗くなると寝るといった自然のサイクルに沿って過ごしたように記憶する。

 中学の頃
 盛岡の私立中学に通い、通学時間が自転車またはバスで往復3時間ほどもかかって常に寝不足気味であった。英語の時間に思わずあくびをして英語教師に殴られた。
こころと身体2022(10) 怒り、恨みの心理(4) 私のためになった怒り、恨み2件

 高校の頃
 私が睡眠について強く意識したのは、さほど能力に恵まれていない私が医学部を狙うにあたって、「無駄に寝ていては医学部進学などおぼつかない」、と意地を張って自己暗示したのが最初だった。

 当時、受験生の間では「4当5落」という言葉があったが、私もすっかりその影響を受け、その気になった。当時、睡眠時間を5時間もとるようでは、東大合格は無理で、4時間以下に切り詰めないといけない、というようなことが言われていた。「東大を狙うような優秀な人でもそうなら、私みたいな並な能力しかないものが国立の医学部を目指すのだから当然のこと」、と思い込んだ。その背景には担任との以下のやりとりがあった。
こころと身体2022(11) 怒り、恨みの心理(5) 私のためになった怒り、恨み2件(2)

 私は高校時代のこと、浪人時代のことのことはあまり覚えていない。ひたすらガリ勉に費やした。結果として新潟大学に合格でき、よく成し遂げたものだと自画自賛していた。
 今は学習塾などもあり、論理的合理的学習法が普及しているのか、この「四当五落」ということは、あまり聞かれなくなったようだ。

 ちなみに、現役で新潟大学医学部に合格した家内に聞いてみたが、それほど辛い受験勉強ではなかったとケロッと言う。私はガックリきた。

 大学の頃
 フランクリン自伝の影響を受け「惰眠は人生の浪費」、と考え、規則正しい生活とし、睡眠時間をけずって学業に、読書に、部活のオーケストラに取り組んだ。


2/18(土)曇り 温暖なるも終日降雨 家内秋田県医学会総会
1:30起床。新聞、文献、徒然などゆったり進める。午前蓄積データ整理、読書、データ化など。午後微睡後、データ整理、ディバッグ補習、強化など。申告準備のための資料収集。漫画あかね噺に集中。19:00夕食、20:45就寝。Σ5541歩。運動不足。

三菱ジェット 開発中止(2) その内情、外的要件
 三菱重工業は国産ジェット旅客機の開発を中止すると発表した。私はショックを受けたが、文献を読んでみると種々の問題点が浮かび上がっていたことを知ることができた。 

 2013年に予定していた初号機の納入を6度も、10年にわたって延期し、いまだに先が見えないことで航空会社として新規導入機材としての魅力をほとんど失ってしまった結果である。

 私も、開発中止はやむを得なかったと思うようになった。

 三菱ジェットの失敗の原因は耐空証明を取得できなかったことにある。その理由として、技術的に国際的企画でなく、持てる技術への慢心()、「JIS規格」で通用すると甘く見ていた()、という意見もある。 真偽は分からないが現実に通用しなかったの事実である。

 試作機公開後、電気系統の配線などに約900カ所に上る設計変更が必要であることが判明した。そうした設計変更は、試作機製造以前に対処すべき課題である。その点でも甘さがあった。

 今回の結果に対する責任は三菱重工と国の双方にあるが、事業への支援に約500億円の公的資金が使われていること、導入予定計画を維持していたANAとJALの事業計画に大きく影響を与えた責任がある。

■ 官民一体で日の丸ジェットを推進。
 三菱重工と国一体で計画が始まった。ANAとJALは伊丹空港のジェット機発着枠が削減される動きがあり、66-80席のスペースジェットが国内で使いにくくなる可能性が見込まれ導入には慎重だった。三菱重工はANAとJALに対して納入実現まで、他社機リース料の肩代わりなどを提案して売り込みを図ったとされる。

 2006年時点では採算ラインは350機、利益確保には600機の生産が必要とのことであったが、2008年3月にANAから25機の発注を受け、JALは32機の導入が決定されたた。導入に慎重であった両社が発注に動いた背景には、政治からの働きかけがあったとみるべきであろう。

ANAはLCC(格安航空会社)のピーチ・アビエーションをグループに入れ、短距離ローカル線を強化する戦略を描いている。本当は70-100席の中型ジェットが欲しいところであるが、今更三菱ジェットではなかろう。他社にも候補機はある。

JALの事業計画では、ブラジルエンブラエル社製(76-90席)機体を32機を三菱ジェットに置き換えることが書かれているが、三菱ジェットに切り替えていく必要は消えた。だから、JALにとっては実は好都合だった

■ 航空会社経営に与えた影響と政府の責任
 三菱ジェットの開発の遅れは10年間もANAやJALの機材計画に大きな影響を与えてきた。三菱重工と国に責任がある。

 とりわけ、経産省と国交省は所管官庁であるのに、官民一体の事業と言いながら事実上、開発を三菱重工に丸投げして耐空証明を取得できるような援助も指導もできなかった。その責任は重大である。
 投入した500億円という公費への責任をどう考えるのか。まだ説明はない。

 私も、三菱ジェットの開発中止はやむを得なかったと思う。
 ただ内情を知るにつれ、計画そのものの杜撰さを感じガックリきた、のが本音である。


2/17(金)晴れ時々曇り  大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:20起床。文献・データ整理、読書。5:30可燃ゴミ提出2袋。7:20Taxi駅に。8:11こまち。9:00大曲中通病院外来、長崎屋古書店経由15:45飯川病院ボランティア。新聞等入力。18:30Taxi帰宅、期待のH3ロケット不具合にて打ち上げ中止。中止でよかった。夕食、20:15就寝。歩数Σ7500歩。新雪に関しては秋田の方が多い。もうこの位にして欲しい。

三菱ジェット 開発中止
 YS-11に次ぐ国産ジェット旅客機、三菱スペースジェットについて私はずっと期待して完成を待っていたが、今月、開発断念のニュースが入き驚いた。

 日本の産業史に残る失策と言える。

 私は乗るのは嫌であるが、航空機の形や機能が好きである。飛行機ほど姿形に無駄がなく最も機能的美しさがある、と言える。世界を飛んでいる代表的旅客機の資料を集めて楽しんでいる。

 三菱重工業が国産ジェット旅客機の開発を断念した。
 開発には約15年の月日をかけて1兆円規模の資金を投じた。試作機は6機作られ、飛行を繰り返し欠陥部分を改良しつづけていたが、ついに型式証明が得られなかったばかりか、もたもたしている間に機能的に遅れをとってしまった。型式証明を得たとしても欧米の優秀機と比較して見劣りし、事業化しても無駄、という状態に追い込まれた。

 (画像はpixtaより借用 試験飛行中の勇姿 ここまで完成したのにもたつきが惜しまれる)

 注目すべきは最近登場した中国製の旅客機C919である。C919は158〜192人乗りのジェット旅客機で、三菱ジェットとほぼ同時期2007年に開発が決まり、2017年5月に初飛行した。まだまだ問題はありそうだが、すでに注文数は900機以上、とのこと。

 国産ジェット旅客機開発は約500億円もの国費もつぎ込まれた大型プロジェクトである。

 そもそも見通しが当初から甘かった。
 三菱重工は2008年に事業化を決定したが、わずか1年余りで主翼や胴体といった基幹部分の大幅な設計変更を迫られた。その後も主翼の強度不足など欠陥が露呈した。2013年に予定していた初号機の納入を6度も延期する事態となった。わずか5年で完成できるという事業計画は、素人の私から見ても余りにも無謀に思える。

 当初は1500億円と見積もっていた開発費が膨れ上がっただけでなく、航空機の開発でハードルとなるのが、機体の安全性などに問題がないことを示す「型式証明」の取得のための条件整備と対策が欠けていたこと。

 途中で、海外から認証取得の専門家を招き開発全体の責任者に据えたが、海外とは企業の土壌が違い現場が混乱した。経営陣と現場の関係もぎくしゃくし、三菱航空機社長を次々とすげ替えた。背景には独立心が強い航空畑の幹部との主導権争いもあったとされる。

 先進的航空機の開発にあたって、日本の古い企業体制の欠陥がモロに出た感じ。
 ここにも老害があったのではないか?


2/16(木)曇り降雪寒波やや緩む  飯川病院勤務
1:30起床。文献チェック他。本読み、徒然など。11:50バス飯川病院。外来患者対応なし。文献新聞そのほかチェックと入力。19:20帰宅、夕食、20:30就寝。4958歩。

気候2023(9) 雪(7) 雪は文学にどう表現されているか
 私は文学作品は全般的に好むが、とりわけドキュメンタリー、ノンフィクション、小説などを好む。これらの作品を通して、自分として未知の分野を知ることができるのが楽しい。

 文学作品のジャンルには旅行記、冒険記などもあるが、私自身旅行を好まないのであまり好んでいない。
 この項を考察するにあたって、日本の文学作品の中で、雪に関連した作品として私が記憶から離れないのは、新田次郎「八甲田山死の彷徨」、井上靖「氷壁」、川端康成「雪国」、加えて渡辺淳一「阿寒に果つ」である。そのほかにも忘れ難い作品があるが・・。

新田次郎「八甲田山

死の彷徨」
 日本陸軍史に残る悲惨な事件。日本陸軍史に残る悲惨な事件を題材とした山岳小説である。気象学を修め、登山家でもあった著者の描く雪山の情景は、恐ろしいほどの現実感をもって読む者の胸に迫る。
 日露戦争前夜の1902年、厳寒の積雪期において軍の移動が可能であるかを、八甲田山中において検証すべく、青森第五聯隊、弘前第三十一聯隊は、それぞれ特命を受けて過酷な雪中行軍に挑んだ。
 雪の中に呑み込まれていく兵士たちの姿は余りにも悲惨であり、大自然の脅威を改めて認識させられる。
 2つの部隊は明暗がはっきりと分かれる。深雪の対策を行った三十一聯隊が1人の犠牲者も出さずに任務を完遂したのに対して、気象の苛烈さを侮り、精神論で行軍に挑んだ五聯隊は199名もの死者を出した。
 著者の筆致は冷徹を極める。不可避の運命へと向けて行軍していく者たちの姿が眼前に浮かび上がる。
 大人数、異常な暴風雪の中、軽めの装備、民間の案内人も断った軍隊意識。吹雪の中で気が狂っていく隊員たちの描写がすごい。

井上靖「氷壁」
 井上靖が描く男の姿は素晴らしい。氏の作品は学生時代に好んで30冊ほど読んだ。「氷壁」は最も印象に残った作品の一つ。
 登山パートナーが何故かザイルが切れて遭難するが、その原因について、その事件がもたらした後の人間模様が複雑に交錯していく。
 上高地、穂高の自然が美しく描写されていたことが印象に残った作品。

川端康成「雪国」
 「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」この文章で記憶に残っている作品。内容的には複雑であった印象はあるが、良く覚えていない。

渡辺淳一「阿寒に果つ」「リラ冷えの街」「ひとひらの雪」「失楽園」など
 著者は札幌医大卒の医師作家。氏の広範な趣味と筆力には舌を巻く。氏の毛筆による揮毫は美しい。短歌や俳句、エッセイにも魅力的作品が多い。小説は恋愛小説、医学小説、伝記小説など、あらゆる分野に及んでいる。

 恋愛小説では描写があまりにも精緻に描かれたために性愛小説作家、と誤解を受けているが、私はそうは思っていない。氏に貼られたこのレッテルが氏の存在感を狭めてしまった。
 氏は囲碁・将棋にも秀でているばかりでなく、ゴルフもプロ級であった、という。写真に残っている着物姿も艶やかである。

 氏の作品には北海道の冬、雪のシーンが頻繁に出てくる。その中の圧巻は「死に顔の最も美しい死に方はなんであろうか」で始まる「阿寒に果つ」、であろう。

 私は人間としての氏の存在を無視できない。今も作品を読み続けている。



2/15(水)寒波来襲という 除雪6回目 午後飯川病院勤務  職員健診  
1:20起床。文献チェック他。本読み、徒然。8:00-9:00降雪10cmあり除雪6回目。11:50バスにて飯川病院。患者対応無し。新聞チェック入力、15:30中通病院にて職員検診、以降座学、19:15帰宅、20:30就寝。歩数計Σ9179歩。

気候2023(8) 雪(6) 雪がもたらす叙情 雪は歌謡曲にどう表現されているか
 私は音楽全般を好むがとりわけ歌謡曲、特にねっちりとした恨み節の演歌が好きである。
 日本の歌謡曲、とりわけ昭和時代の歌謡曲は、人間模様の抒情だけでなく日本の風土や文化をもうまく表している場合が多い。

 そこで,「雪」が歌謡曲でどのように扱われているかを、雪に関連する題名がついた曲を取り出しながら聴き直し、考えてみようと思った。

 曲の収集は私が集めている歌謡曲のライブラリーにゆるく検索をかけてピックアップした。
 私は中学生の時に身の丈を超えた値段のオープンリールテープレコーダーを入手して以来、録音マニアになって現在に至っている。2008年、それまで録り溜めて大量になったアナログテープ音源をバッサリ廃棄してデジタルのMP3録音に乗り換えて現在に至っている。

 録音は全て自動化してam1:00-5:00に放送されるラジオ深夜便は全部録画している。am3:00-4:00が「日本の歌、こころの歌」で、15年分、時間にして5.500時間ぶん蓄積している。録音を溜めておくだけでは再聴できないから、全てインデックスを作って整理し、いつでも検索できるようにしている。

 ここ数日間の作業で以下の曲と歌手が抽出された。抽出された曲のうち私が知らない曲は除外した。不完全ながらアイウ順に並べた。
――――――――――――――――――――――――――――

紅い雪(長山洋子)          暖かい雪(永井真理子)
艶姿女花吹雪(長山洋子)       あなたという名の雪が降る(松原のぶえ)
淡雪(鏡五郎)            淡雪の花(真咲ようこ)
海に降る雪(太田裕美)        落葉が雪に(布施明)
おとこ雪 おんな雪(やや)       肩に二月の雪が舞う(北島三郎)
悲しみは雪のように(浜田省吾)    北の雪虫(岩本公水)
恋吹雪(大沢栄作)          ?粉雪は忘れ薬(中島みゆき)
細雪(五木ひろし)          さだめ雪(長山洋子)
札幌しのび雪(篠路圭子)       三月の雪(槙原敬之)
残雪の駅から(三船和子)       白い雪(松山千春)
白い雪が降る夜に(上戸彩)      白い雪まいおりた(大江千里)
雪中花(伍代夏子)          ?雪の華(中島美嘉)
雪椿(小林祐子)           白い恋人達(桑田佳祐)
外は白い雪の夜(吉田拓郎)      雪國(吉幾三)        
雪のファンタジー(松田聖子)     雪が降る町(多数の歌手)   
雪の慕情(佐々木功)         津軽恋女(新沼健二)    
津軽海峡・冬景色(石川さゆり)    なごり雪(イルカ)         
クリスマス・イブ(山下達郎)
恋人がサンタクロース(松任谷由実)
虹と白い雪のバラード(トワ・エ・モア)
クリスマス・ラブ ~涙のあとには白い雪が降る(サザンオールスターズ)
クリスマスキャロルの頃(稲垣潤一)
――――――――――――――――――――――――――――

 歌謡曲が好き、とは言えよくまあ聴いたものだ、知っているものだと感心する。
 これらで歌われている曲は多彩でそのコンセプトはまとめきれないが、「挫折」「傷心」「出直し」「静謐」「失恋」「恨み」「清潔」「望郷」「クリスマス関連」・・・・などなどである。

 一曲一曲、序奏も、歌唱も、伴奏を含め実に味わい深い。3分間のドラマである。
 厳しい季節に耐えなければならない北国の私どもにとって、いや他人の感覚はわからないが、これらの歌謡曲を聴くとき、私がホッとする時間、心安らぐ時間である。


2/14(火)曇り晴れ午後風雪 中通病院外来 飯川病院ボランティア
2:00飯川病院で起床。新聞・文献など読み。やっと朝が早くなってきたという実感。8:35-12:40中通外来。24名、スムーズに進行した。13:00飯川病院、ボランティア、微睡。読書、新聞チェックと電子化、学術雑誌自炊他。19:15通り町書店経由にて数冊購入、帰宅、夕食。21:30就眠。歩数計:Σ4939歩。バレンタイン、昼の検食にチョコレートプリン。

気候2023(7) 雪(5) 雪の異名「六花(むつのはな)」 
 雪の異名として「六花(むつのはな)」というのがある。もちろん雪の結晶の形が名前の由来になっている。とてもいい言葉である。雪と共に暮らし、厳しい環境と戦ってきた雪国の先人がどれほど子細に雪を観察し、色々の表現に用い、生活に生かしてきたかよくわかる。

(1)「六花」という名称を冠した学生寮で6年過ごした。
 雪国の代表県の一つ新潟、私はそこで学生時代を過ごした。「六花」という名を冠していた寮であったが流石に「むつのはな寮」ではなく「りっか寮」という学生寮である。1965年、入寮した時のボロ「六花寮」は耐用年限を大きく過ぎていたような建物で今にも崩れそうな状況にあった。1964年の新潟地震でよくもまあ倒壊しなかったものだ、と感心した。

 同年12月に新築移転した。新六花寮は、A館・B館の2棟、鉄筋コンクリート4階建、1~3階は4人部屋、4階は2人部屋で総勢400名の男子学生が居住した。

 私は青春時代の後半をここで過ごしたが、世間知らず、孤独を好む私は人間関係の構築や好まない人物の扱い方などで学ぶものが大きかった。粗食にも慣れた。大学時代 医学進学課程(1965〜67)。

(2)「六花(むつのはな)」などの言葉を冠した季語などの日本語。

 雪と共に暮らしてきた先人の悲喜交々が言葉として残っている。それらの一部を参考文献からピックアップしてみた。
 これらの言葉は雪国に住む私たちには日常語でもある。

「雪の花」:雪を花の散るさまに見立てて
「雪の花」:雪を花の散るさまに見立てて。
「銀花(ぎんか)」:雪を銀になぞらえて。
「雪空(ゆきぞら)」:雪が降ってきそうな空模様。
「雪明かり」:積もった雪のために辺りが明るく見える。
「雪の声」:樹木などに積もった雪が落ちる音。
「深雪(みゆき)」:深く積もり、音を吸い込むような雪。
「粉雪・細雪(ささめゆき)」:寒く乾いた時に降る、細かい雪。
「小米雪(こごめゆき)」:精米する時に砕けた小さい米のような。
「餅雪」:餅のようにふわふたした。
「新雪」:新しく降り積もった。
「根雪」:積もったまま春まで残る。
「雪紐」:木の枝、電線などに積もった雪が垂れ下がり、飾り紐のように見える。
「雪庇(せっぴ)」:庇に張り出した。
「雪華(せっか)」:雪の結晶がいくつか合わ去った。
「雪片(せっぺん)」ひとひらの雪。
「しまり雪」:降り積もった雪の重みで締まった状態。
「ざらめ雪」:日中解けた積雪が日没後再び凍結し、それを繰り返してできる塊、
「湿雪(しっせつ)」水分を多く含んだ雪。
「雪風(ゆきかぜ)」:吹雪を指す。
「雪月夜(ゆきづきよ)」:雪のある時の月夜。
(参考文献:新版 角川俳句大歳時記 冬  
     夏井いつきの365日季語手帖)

 四季の代表的な風情を表す「雪月花」という言葉がある。雪は、春の花、秋の月と並んで冬の美を代表する。

 豊かな表現の数々から、雪と共に暮らしてきた先人がどれほど子細に雪を観察し、生活に取り入れてきたか良く分かる。


2/13(月)曇り 健康クリニックドック 飯川病院+当直 
 1:20起床。文書整理、徒然他。いつもの如く。明日可燃ゴミ廃棄できないので今朝まとめた。6:40バス飯川病院へ。体調ちょっと問題あった。新聞今朝は休刊日、新聞は一紙のみチェック。9:00-11:30健康クリニックドック12名。結果判定12名。12:00飯川病院。微睡、本読みほか、14:00-18:20勤務、入院患者対応。19:10帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計:Σ9235歩。

気候2023(6) 雪(4) 美しい雪の結晶(2) 江戸時代の審美眼に驚く
 今朝も多少降雪があった。服についた雪をよく見るとみんな板状の六角形。柱状のはなかった。

 結晶ができるときは、雲の中の小さな水滴が凍って氷の粒になる。最初は丸いが、周りの水蒸気が少しずつくっつき次第に六角形の柱になる。

 水は氷になるときの蜂の巣のように六角に並ぶ性質がある。「雪の赤ちゃん」の大きさは100分の1mmくらいで、目には見えない。それでも顕微鏡で観察してみると形は六角形が基本。不思議なものである。

 雲の中で雪の結晶は水蒸気を取り込みながら成長していく。1時間くらいかけて数mmになったところで、自重によって地上に降ってくる。

 雪の結晶が成長するとき、周りの温度によって、六角の柱が横に広がるか、縦に伸びるかが決まる。 横に広がると平らな板状に、縦に伸びると細長い柱形になる。

 その際、土0度Cから-4度Cだと板形に、-4~10度Cでは柱形に、 -10~12度Cでまた板形に、-22度C以下ではまた柱形になる。温度のほかに、空気中にどのくらい水蒸気があるかということも関係する。水蒸気は結晶の角にくっつきやすい、という。

 雪ができる温度と環境によって様々な形ができるなど実に不思議である。

 中谷宇吉郎博士が顕微鏡を駆使して精密な雪の結晶を観察したが、歴史を遡ってみると、江戸時代に既に衣服や陶器などの紋様に雪の結晶が精密に描かれている。

 下にその実例を示す。


(江戸時代、着物の紋様に雪の結晶が描かれた浮世絵、陶器や印籠に描かれた雪の図、書籍に描かれた雪の結晶ーーー日本経済新聞より引用)

 当時、拡大鏡があったか否かは私にはわからないが、精密な観察が行われ、それらが書籍にも書かれ、デザインの素地として一般化していた、と見ることができる。これは実に驚きである。
 
 雪の異名に「六花(むつのはな)」がある。江戸時代といえば暖房も灯りも乏しかったはず。雪と共に暮らしてきた先人達が厳しい環境の中でもこれほど子細に雪を観察してきたか、その審美眼の素晴らしさがよくわかり感動すら覚えてしまう。


2/13(日)終日曇り降雨 新降雪なし  
2:00飯川病院で起床、本読み、徒然。その他いつものごとく。11:30回診に来た家内に同乗、帰宅。昼食、のど自慢楽しむ。13:30微睡。その後文献・本読み、情報処理、座学中心。19:00夕食、21:00就寝。歩数計:Σ3382歩。

気候2023(5) 雪(3) 美しい雪の結晶(1)
 「雪は天から送られた手紙、そして例えようもなく美しい宝物である」と書いたのは科学者の中谷宇吉郎博士(1900-62年)。彼は北大理学部教授として雪の研究と人工雪製作で知られる。戦後、研究の場を米国へと広げ、研究対象も雪から氷、さらにグリーンランドの氷冠へと進める。
 氏は、雪の結晶の美しさに魅了され、生涯を氷雪の研究にささげた。早くから地球の気候変動や温暖化にも着目し、科学者として多くの社会的発言も遺した。


(雪の結晶観察中の中谷氏の様子とエッセイ集の表紙から 研究の苦労が偲ばれる)

 氏は寺田寅彦氏の弟子である。師に習って多数の文献、エッセイを残したが、幸せなことに私どもはそのほとんどを「青空文庫」で無料で読むことができる。

 寒い日の朝、サラサラと降ってくる雪を掌で受けると一瞬ながら雪の結晶を見ることができる。いろんな形の結晶が見られるがなぜ毎回形が違うんだ しかし、今まではじっくりと観察することなどはなかった。

 雪はなぜ小さいのか。それは、上空で雪の結晶が誕生してから地上に着くまでに、1時間ぐらいしか時間がかからないから、という。雲の中で生まれる最初の雪の粒は0.01mmほど。周囲の水蒸気を呼び寄せて成長し、地上に届くころには直径2~3mmほどに育つ。もっと時間があれば、また引力の影響を受けない場合にはどんな結晶になるのだろうか。

  一瞬ながら、掌で輝く六角形の結晶を見て、「自然がなぜこんな形を造り出すのだろう」と疑問を持ったのは小学生の頃、中谷氏の文献を読み始めたのは最近のことである。

 雪の結晶一つ一つは微小であるが、この世界に巨大な量が存在している。 地球上の気温の幅が土50度と広い中にあって、氷の融点は0度であること。雪と氷の結晶化とそれらが水になる際に、大量の熱を抱え込んだり放出する。それも気候変動の一因と考えられる。雪や氷の結晶が温暖化で融ける際に大量の熱が放出され、さらに温暖化に関与していく。

 中谷氏が記録した極小の雪の結晶の世界が、地球という大きな世界につながっている。
 雪の世界は決して小さくない。


2/11(土)快晴  積雪5cm 除雪せず 飯川病院日当直
2:00起床、猫たちと交流。いつものごとく。積雪5cmなるも本日は気温が上がる予報があり除雪は省略。8:30家内に同乗、飯川病院に。日直予定であったが当直医が都合悪くなったとのことで急遽に地当直となる。8:50業務につく。新聞チェックと電子化、読書など。微睡を挟みずっと座学。Zipファイルの解凍に関す対策に時間取られたがなんとか。16:00書斎で音楽関連録画視聴、N響定期公演:Vcチャイコロココ風,サンサーンスの作品。19:00夕食、21:30就眠。自宅から一歩も出ずに過ごす。腰痛もあって歩数は伸びない。歩数計Σ2883歩。

気候2023(4) 雪(2) 雪への考え方が変わってきた
 私は盛岡近辺で育ち、新潟で学び、1973年秋田市に移り住んだ。秋田市はかれれ50年になる。

 人生のほとんどを雪国の地で送っている。当然、冬の間は「雪」を意識せざるを得ない。雪は時に牙をむき出して襲いかかってくる悪魔でもある。1973年(昭和48年)豪雪には心底びっくりした。

 現役の頃は多忙で、除雪の時間確保も困難、「もう雪の降る所は嫌だ」と一心に思いながら処理していたものであったが、考えてみたら育った故郷より雪の多い地区に長く住んだことになる。
 冬季間のみとはいえ雪との付き合いは切っても切れない。広さを重視して構えた我が家は立地条件が今ひとつで、降雪の季節には除雪の手を抜くと通行に不便になる。そんな条件下、雪の悩みは私から離れない。
 私が雪から解放されるのは黄泉の国に移ってからであろう。

 雪国人に共通なものかはわからないが、私にとって雪が人生そのものになってしまった。厄介で大嫌いなはずなのに、雪に魅かれるところもある。生活の中に、心の中まで雪が染み込んでいるのだろう。

 雪は時に牙をむき出して襲いかかってくる悪魔的な存在でもあるが、えも言われない良い表情でほほ笑みかけてくることもある。

 雪のもたらす恩恵をちょっと考えてみた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 冬の早朝、積もったばかりの新雪に朝日が当たる光景を見るとあまりの美しさに胸がキュッと締め付けられる。雪国で過ごしている厳しさとは別に、雪が織りなす表情の素晴らしいことといったら、なんと表現したらいいのか。とにかく、そういう景色に心が洗われている。
 空気中の塵埃物を吸収する空気清浄作用。
 山に水をためる貯水作用。
 雪の下を零度以下にしない土壌の保温保湿作用。
 辺りを静寂にする吸音作用。
 雪国の子どもの遊びの種類の豊富さは雪のない地方の約三倍もあったと言われる。子どもの心をより情緒豊かに、かつ厳しい自然に対峙する雪国人に特有な強靭な精神力も涵養する。
 「雪景色の中の家々の明かり」を描いた絵画、「雪の降るまちを」などの名曲には家族のぬくもりを強く感じたもの。現代の家族制度や家族形態について考えさせられた。
 などなど・・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 普段は雪のデメリットばかりが話題に上りやすい。
 雪がもたらす恩恵の大きさを思うと、生活に不便と狭い視点で忌み嫌うべきものではなく、発想を変えて親しむことも大事かもしれない。そんなことを時々考えながら過ごしている。

 自然美のギッシリ詰まった雪国は良いものでもある。


2/10(金)寒波再襲来予定 終日曇り降雪  大曲外来 飯川病院ボランティア
 1:20起床。徒然など。7:25Taxi、8:11こまち大曲へ。8:50外来、長崎屋古書店、21冊購入。大創、日用品各種、Taxi帰院。15:55飯川病院ボランティア。新聞チェック。微睡。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計7545歩。

気候2023(3) 雪(1) 今季の降雪
 恒例の1月末日時点での除雪機稼働回数比較の時期が来た。

 私は勝手に冬の訪れ日を初除雪の日と決め、冬の定義を「除雪が必要になった日から不要になった日の間」にしている。
 1月5日、夜から朝にかけて降雪6-7cmあり、今季初除雪を行った。私にとって冬の訪れである。いつまで続くのだろうか。

 今季は雪が多めと長期予想の中で示され、心の準備、除雪機、除雪道具等の準備は早々に行ったが、秋田市内は意外と降雪量は少なかった。全国的にみれば北陸以南で降雪が多かったようだ。九州でも雪が降った、という。
 秋田県では県南の豪雪地帯では平年程度であったとのこと。

 我が家へのアクセス道路、私はそれを「胎盤・臍の緒道路」と呼んでいるが、50m以上あり、ここの除雪は私も担っているが結構大変である。人力では到底無理で、除雪機は2台あり、うち1台はほぼ40年前の旧品であるが、まだ現役でバックアップ用に用いている。

 私が除雪に勤しんでいるから、まだ経験はないが、我が家のアクセス道路は道幅が狭い部分がありちょっとでも手抜きすると車がスタックし生活用品が届かなくなる可能性がある。例えば、郵便物、宅急便、牛乳の宅配、灯油の宅配、宅配スーパーへの注文商品、タクシーなど。
 我が家のプリウスも前輪駆動車だからスタックする可能性もある。

 だから、降雪期は早朝何度も状況を確認し除雪をするか否か判断する。
 私の生活は冬の除雪を中心に季節が回る。

 私は毎年1月末日の段階での我が家の除雪機稼働回数を取り出して比較している。
 その回数をグラフで示すと以下の如くとなる。

  (年別除雪機稼働回数とグラフ 前年と今年分は手書きで色を変えた。)

 2020年は0回、21年は8回、22年は12回であった。
 多少の増減はあるが、除雪回数は2013年をピークに、確実に少なくなって来ている、といえよう。

 2023年の立春は2月4日であった。最近の日差しには春の息吹が感じられるが、まだ寒波の襲来が予想されている。緊張感を失わないよう、毎朝の積雪状況を見守り、対応していく。


2/9(木)曇り、晴れ 午後飯川病院
1:20起床。早朝はいつもの如く。午前座学中心、11:50体調不良、調整不備にてバスに乗り遅れ、12:50バス飯川病院、午後微睡をはさみ、入院患者対応、以降読書三昧。19:30中央郵便局経由、帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計:6788歩数。

人権2023(9) 共同体帰属に由来する人権侵害
 一つは家族、国、民族、故郷、地縁社会を典型的形態とする。
 生まれ落ちた時点でもう帰属が決まっており集団間のランク付が決まっている。だから差別感情が生まれ易く人権侵害にも発展しうる。
 基本的には人はこの共同体を好んでいる。もちろん成長とともに批判する余裕も出てくるが基本的には離れることはできない。

 家族・家庭は現在社会においては崩壊傾向にあるが、時には家柄、そだち、経済状態を背景に、堅固な結びつきが見られる。
 各家庭単位の秘匿性、排他性、他の家庭への容認し難い批判感情は、その関係が利害関係がある近隣間の家庭で密やかに成長する。感染症、遺伝病などを抱えた家庭、犯罪者が出た家庭に対する受け入れがたい感情は家庭の中の会話や指導で形成されて行く。時に、村八分的差別に直結する。

 この帰属性は互いの「縁」であり、均一性が求められ、互いの監視の目で互いを縛り、最近再注目されてきた同調圧力が吸引力の一因になっている。個人主義的価値判断が強い欧米に対して集団の価値判断が優先する日本社会の特徴の一つである。
 国、民族の優位性に由来する差別感は、例えば、戦前の日本民族の欧米に対する卑屈な劣等意識、それに反動してか、アジア諸国に対するいわれのない優越感にも現れ、人権侵害に結びついた。軍部の捕囚に対する侵害は熾烈であり、まだ一部しか明らかになっていない

 二つ目は利益社会の結びつき。
 互いに相手を手段とする打算的関係。これは離れるのも参加するのもほぼ自由意志。とは言っても生計のルーツでもあり、気軽には離別でき難い。ここに悲劇が生じる。

 この集団にあっても質的には均一ではない。ごく自然に、国、民族、故郷、家族、出身校などを通じて、共通の人達と新たな共同体を形成する。この共同体の中の非均一性が一体感と排他的差別感情が生じうる一因となる。

 その場合、自分が属する共同体のランクが上位にあると思う優越感が組織の求心力になる。そこに存在続けるにはその共同体に対して一定の義務を果たすこと求められる。

 かつては日本の雇用関係は終身雇用制を背景にした結束の強い共同体であった。ここから離脱することは生活基盤を失うことでもあった。労働者は会社に忠誠を誓い、持てる能力の何倍も必死に努力した。会社も労働者を、その家族も含めて相互に庇護してきた。

 グローバル経済の流れの中では日本型雇用関係は非効率となり、ここ20年ほど就労関係は大きく変容を遂げた。すなわち、正規職員による雇用制から非正規労働者中心の労使関係にシフトした。

 この実用主義的合理性を備えた組織への帰属は、能力という意味で高い均一性が求められ高い生産性が求められる。
 そのことが落ちこぼれを生じさせ、職場内のいじめやパワハラ、セクハラ、ひいては人権侵害の温床になっている。


2/8(水)比較的温暖曇り 飯川病院ボランティア COVID-19ワクチン接種担当
 1:00起床。早朝はいつもと同じ、ハードディスクの書籍データ他に移す。午前、コンポストNo3の一部をNo2に移した。町内廃棄物集積所のメインテナンス、玄関先のドアの調整など。11:50バス飯川病院へ。ボランティア。道路は滑る。微睡、新聞、文献電子化。14:00COVID-19ワクチン接種担当、数名だけ。微睡、データ整理。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。Σ7595歩。

人権2023(8) 「自分は常識人・・」に由来する人権侵害

 差別に結びつく心理として、「自分は常識人」であるという判断に潜む差別感情は極めて危険である。
 「自分は常識人」であるという言葉が持つ意味は、特に横並びを好む日本の社会では大変なものである。

 なぜなら、人権侵害問題におい「自分は常識人」である判断基準のもと、世を批判いたくてうずうずしている人は多数いる。最近のネット中傷、多くの人権侵害加害者などはこれに由来している。

 それは、世の中で古くから言い伝えられてきた常識的因習などを背景にしている。
 例えば、「男として外で働くのは当たり前」、「女は子供を産むのは当たり前」、「学校に行くのは当たり前」、「そんなことは日本人として不自然だ」、・・・と主張する人は、自分の考え方がない。集団帰属を背景に、安心しきってよく考えない、怠惰な人達である。 

 「自分は常識人・・」という人は、そこに潜む間題を改めて見なおすことを拒否し、思考を停止させている。「自分は常識人」を背景に、「だから正しい」と考え、その鋭い刀ですべてをなぎ倒す。あたかもマニュアル重視者がマニュアルを遵守することだけが重要と考え、ほとんど応用力を持たない状態に陥っているようなもの。 

 差別に由来する人権侵害を論じる時に、このような「自分は常識人」と考える人たちは最も手ごわい敵でもある。 
 なぜなら、彼らはまったく自ら思考しないで、ただ世間を支配する空気に合わせて少数派を裁き、「非・常識人」が持つ権利を侵害している。だから、罪が重い。
 しかも、そのことに気づかず、気づこうとしないのだからさらに罪が重い。

 差別について、差別の対象者についてよく考えれば、すさまじく複雑に入り組んでいる問題が鮮明に見えてくる。よく考えない者にはそれが見えてこない。見えてこないから単純に判定し、単純に思い込み、単純に人権侵害的行動に移す。

 こういう怠惰な人達が人権侵害における最大の加害者である。

 しかも、自分が加害者であるとは些かも思つていない、鈍感きわまりない加害者である。だから人権侵害問題は根が深い。

 特に国家権力を背景に特権階級にある人たちは人権侵害だと気がつかないままに行動している。例えば、入管関係者、司法関係者、警察・検察などは目に余る。私はそういう目で人権侵害問題を収集している。


2/7(火) 夜間降雪1-2cm、日中は晴れ 中通病院外来 飯川病院 
1:10起床、文献、本読み他、降雪1-2cm。5:00可燃ゴミまとめ、2袋提出。路地は融雪凍結で歩行も難渋。6:40バス飯川病院。新聞データチェック、入力、8:45-13:15外来は混雑疲弊。なんとかこなす。3月20日から中通リハ病院に転勤となる。13:30飯川病院、午後微睡、読書など,、新聞データチェック、入力。19:16帰宅夕食、20:30就寝。Σ6917歩。

人権2023(5) 差別感情に起因する人権障害(2)
 なぜ、偏見や差別が生じてしまうのか??
 なぜ、我が国では人権侵害がこんなに多発するのか

 それは、個々人が存在価値(アイデンティティ)を有しているから。
 アイデンティティの確立は人間の成長にとって必要不可欠である。それが「自己肯定感」にもなるのだが、安易に攻撃的アクションにつながることが問題である。能力、家柄、収入とか父親の社会的立場を背景にした差別感はないか?

 社会集団から生まれる偏見や差別もある。
 「普通」の「横並び的集団の一員」でいたがる人の多い日本人は、自分を安全な大きな集団に属させながら、マイノリティー集団を差別することで安堵感を抱く。

 社会的差別は「偏見・差別感情」を根拠に、集団的に回避、攻撃などの行動として現れる。

 外国人差別はこの典型的なパターン。簡単に言えば誤ったナショナリズム。
 ヘイトスピーチは重大な人権侵害である。その対象となりがちな在日韓国人や中国人は、日本人にとって身近な存在だからこそ、歴史的に見て下位の民族だと思われていたこと、また、国民性の違いによる特異な言動は偏見や差別の対象になりやすい。

 さらに、「LGBT」や「障害者」「発達障害者」などのマイノリティーは特に差別の対象になりやすい。アイヌ民族に対して差別感はないか?部落問題はどうか?

 国際的な問題でも、ナショナリズム、人種差別、国別の差別、肌の色による差別感、歴史観、経済格差など。かつての日本人は経済的優位性でODAで援助を与えながら、裏では途上国の国民に対して差別感はなかったであろうか。

 差別問題といえば常に差別感を無くそう、という話題になる。
 我々は差別感解消を求めていくのではなく、各人が心理の内に持っている差別感情について徹底的に考え、差別に起因する行動をいかに抑制できるか、にかかっている。

 マイノリティーへの人権侵害などの行動にするにはマイノリティーの人々への理解を深めることが重要である。
 それ以上に必要なのは自分自身に対する考察で、倫理観の高揚である。


2/6(月)曇り降雪10cm 健康クリニックドック 飯川病院 
1:20起床、文献・本読みなどいつもと同じ。曇り降雪10cm、本来なら除雪だが出勤時間まで降雪を気がつかなかった。5:40バス飯川病院、新聞チェックデータ化、9:00-11:15健康クリニック、受診者12名、結果判定14名。11:30飯川病院、新聞チェックデータ化追加、本読みなどいつものごとく。14:00-19:00勤務。入院患者対応。19:30帰宅、主要道路は除雪あるも支道・路地はひどい。夕食、20:30就眠。Σ6676歩。

人権2023(5) 差別感情に起因する人権障害(1)
 人間社会では、いかなる文明、社会においても、好むと好まざるに関わらず、誰しも性別、人種、年齢、出身地、職業、障害の有無、貧富、などの格差の中で生きていかざるを得ない。
 この格差をもとに、ありとあらゆる事項において「偏見・差別」が生じる、と私は思う。
 「偏見・差別」感情を持つことはいけないことだと教えられるがそれは間違っている。絶対になくならない。

 各人の心の中に「偏見・差別」感情は必ず内在する。この感情がないと力強く生きていけないからである。

 そしてこの「偏見・差別」感が内在しているうちはいいのだが、外に向かってアクションを起こす時、そこには虐待、いじめ、人権侵害の形をとる。

 人間は成長過程で免疫学的に完全に個が確立される。
 他方、人間の成長過程において、知的な意味において「自我」が確立していく。

 この自我は、「免疫学的個人」よりは多少ゆるいところがあるが、「免疫学的個人」と同様にほぼ完全な個の確立と言っていい。ただ、「自我による個人」の確立は本人の知性、社会的常識観などで抑制され、日常顔を出さないこともある。教育も一部効果的である。

 自我の確立とともに、各個人はこの世の不平等の中に自分が置かれていることを自覚し、次第にその差別感を強く意識していく。
 その際に「偏見・差別感情」が形成されるが、多くは諦め、達観を介して乗り切っていくが、一部の人は「偏見・差別感情」をテコに大きく飛躍していく。そういう人たちの心の中では「偏見・差別感情」は大きく育ち、次第に外に向かってアクションするようになっていく。その形は「優位な立場」では他人への侵害に走り、劣位の人は屈辱に甘んじる事になる。

 要するに、ここで述べたいのは「偏見・差別感情」は誰しも持つ普遍的感情である、ということ。それによる人権侵害は切っても切れない関係にある、ということ。

 「偏見・差別感情」を持つのは当然のこと、ならば、その外向きの表現で他人への人権侵害はどうしようもないのかというと、「偏見・差別感情」を悪しき方向で行動に移さない文化の育成と監視機構である。

 その端的な方法論の一つは、自己研鑽によって自己の立場を理解すること、差別の自害者の立場の人たちを多方面から学ぶことである。差別感情の発露は優越感、と無知から発している。


2/5(日)晴れ寒い 飯川病院日直 レセプトチェック
1:30起床。なかなか乗らず。4:00頃までトロトロ。文献処理、徒然、録音データ処理、など。8:30回診する家内に同乗飯川病院、9:00-19:00日直。新聞チェック&電子化、読書。微睡など。14:00-15:00日レセプトチェック、12:00検食、19:30帰宅、20:30就寝。Σ3756歩。読書三昧、ラジオ深夜便聴取三昧の一日。

人権2023(5) 日本の人権意識のながれ
 近代日本の歴史を振り返ると、維新の前後に西洋の普遍的な人権思想を真剣に学ぼうとする動きはあった。
 その到達点は、「人権は権力者によって与えられるものではなく民衆の運動で闘いとるもの。権力者は謙虚に人権を認めるべき」いう考えであった。

 しかし、明治政府は女性を選挙権から排除し、政治活動を禁止した。天皇主権を採用した明治憲法では普遍的な人権は認められず、表現の自由などが制限され、それを背景に戦争の時代へと突入していった。

 それでも人権を求める運動が日本社会で連綿と続いていた。
 例えば、敗戦直後、憲法学者たちが作った「憲法研究会」は、社会権規定などを盛り込んだ憲法草案要綱をまとめた。連合国軍総司令部(GHQ)はそれを参照し、日本国憲法に取り入れた、とされる。

 憲法13条には「個人の尊重」を定めている。それが、文化の熟成が未熟であったために「個人主義」、「利己主義」尊重と誤解されたという事情もある。

 日本国憲法には、米国憲法にもない「男女平等規定」が盛り込まれた。しかし、1947 年(昭和22)5月3日に本国憲法が施行されて70余年にもなるが、女性の人権状況を見ると先進国で最低レベルにある。

 背景には、戦前からの家父長主義的家制度と性別役割分業構造の残存、積極的改善措置の遅れなどがある。いかに法律が充実しても文化としての考え方が急速に変化を遂げるわけではない。中年以降の日本人に男尊女卑的考え方がいまだに蔓延っているのに驚く。古い人間は意識改革などできない。消え去っていただかなければならない。

 人権の番人としての最高裁に、女性裁判官は15人中2人しかいない。司法の世界でのジェンダー平等の実現は、喫緊の課題の一つ。

 人権侵害をなくすには人権教育と主権者教育の充実が必須である。
 小学校の低学年から人権感覚を教え鍛え、批判的精神を涵養して欲しい。その欠如を象徴するのが、現在社会の各所に蔓延っている人権侵害の現実である。ジェンダー不平等もその一つである。

 人権は戦後に著しく発達した国際規範である。1948年、国連総会で世界人権宣言が採択された。そこにはナチスによる迫害など深刻な人権侵害への反省があった。市民の自由権から社会権、マイノリティーなど特定集団の人権保護規定なども培われ、国際法が整えられた。人権は普遍的価値として共有されつつある。

 ところが過去15年ほどの間に世界では人権を軸とした自由主義的な価値観が弱体化し、言論、報道、信教の自由などが侵害されるケースが増えている。SNSなどの技術革新も進み、人権抑圧の道具として使われている。

 人権とは、だれであっても等しく、個人として尊重される権利である。漠とした考えではなく、法律で守られるべき権利である。

 人権を保障する責任は最終的に国家にある。しかし我が国の政治家は人権問題に関して感受性が低い。人権の侵害が放置されると、社会も不健全となる。それを避けるための専門家の要請など仕組みが極めて不十分。

 「選択的夫婦別姓制度」の実現を求める動きや、「性と生殖に関する権利」、議席や候補者の一定数を女性に割り当てる「クオータ制」導入を求める動きなどフェミニズムには元気がある。

 多くの人が、日本でこうした政策が遅々として進まない背景が、人権が国家の柱でなく、日本に人権政策がないからと気づき始めた。誰もが生きやすく魅力ある日本社会を作るために今こそ国内人権機関が必要である。


2/4(土) 晴れ 飯川病院午前日直
2:30起床。文献,新聞整理他、録音データ整理など。8:30家内に同乗飯川病院に。午前日直に就く。新聞チェックと入力、座学一般。午後はそのまま飯川病院で過ごす。微睡、読書、文献読み、18:30帰宅、19:00家内はゾンタWeb会議、19:30夕食、20:30就寝。歩数計Σ3387歩。

人権2023(4) 日本の人権の国際的位置、評価
 日本は国際的に見ても人権後進国だと思う。
 世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数では、政治分野の男女格差は146カ国中139位で世界ワーストテンに入っている。
 外国人技能実習生の被害や入管収容施設での深刻な人権侵害の報道を目にすると、保育所から障害者施設、高齢者施設まで含め、全般にわたって点検する必要性を痛感する。

 人権の制度面でも日本は世界の動きから遅れている。

 人権意識の遅れの原因
一つが、「国内人権機関」の設立ができなかったこと。
二つ目が、日本の政治形態が、特権階級の集団である保守によって長期間占められてきたこと。自民党が一時下野し野党になったが、この時の政策提案の方が血が通っていたように私は思う。
三つ目が、人権侵害に関わった個人や組織を罰することができる人権制裁法も必要。
四つ目が、人権教育の場がないこと。

 「国内人権機関」は、政府から独立して、人権侵害からの救済と人権保障を推進する国家機関である。世界約120カ国が国内に「人権機関」を持っている。日本は国連からも度々、「国内人権機関」を設立するよう勧告されているが、日本政府の関心が乏しく、いまだに作られていない。

 日本には、人権擁護委員会制度というなんだかわからない仕組みはあるが、総合的に人権政策を作る機関がない。
 ここに日本で人権尊重が進まない一因が垣間見える気がする。つまり、具体的な人権の中身に関する議論が深まっていない。

 その結果、世界各国の政府には多数いるが、「人権政策の専門家」日本に殆どいない。これでは、日本の人権政策が場当たり的で、政府のリーダーシップに欠けるのは必然である。

 人権は「いのち」に匹敵する普遍的価値である。
 どの国にも同じ基準で対処すべきで、国際的に、人権という価値の実現を目指して行くのが人権外交である。しかしながら、しばしば恣意的に外交手段として使われてきた。
 冷戦期には西側先進国が、政治、経済的に重要でない国に人権侵害を理由に圧力をかけた一方、大国の人権侵害には口出ししてこなかった。

 今、国際社会が最も憂慮するのは、中国政府による香港、ウイグル、チベット、内モンゴルなどでの人権侵害である。

 日本などアジア諸国は、他国への内政不干渉を重視し人権外交をためらう傾向があった。岸田首相は、国際人権問題担当の首相補佐官を新設し人権外交に乗り出した。ただ、自民党保守派の望むままに、対中国への強硬姿勢の道具として人権を掲げるようでは、国際社会からの信頼は得られない。インドやインドネシア、ミャンマーをはじめ、日本が連携を強化する他の民主主義国における人権問題にも目を向けることが欠かせない。

 人権外交を進める側が、国内で人権を尊重しなければ説得力はない。
 日本国内で女性や外国人の権利、ヘイトスピーチなど様々な問題をなおざりにしたままで人権外交を唱えても、それは単に実体のないイデオロギー的空論に過ぎない。

 また、日本のODA援助は「政府対政府」がほとんどで、抑圧されている人々には、届き難い。援助の効果を再評価しなければ人権侵害国家を助長することにもなる。

 人権の理解のアップデートは必須だ。今こそ、国際人権規範を手がかりに、具体的な人権の中身について議論を深める時に来ている。


2/3(金)曇り降雪 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:10起床。文献チェック、徒然など。5:30可燃ゴミまとめるも集積所に出さず。降雪1−3cm、路面は凍結、除雪なし。7:20Taxi駅に、8:11こまち。9:00曲中通病院外来、駅病院間往復Taxi。長崎屋古書店15:45-19:00飯川病院ボランティア。微睡、新聞データ化、19:30帰宅夕食、21:00就寝。歩数計Σ6189歩。

人権2023(3) 「人権侵害」は「人ならば誰でも持つ差別感情」が具現化したもの

 私は「人権侵害」の背景には「人ならば誰でも持つ差別感情」があると考える。
 「差別感情」は自分の「優位性、自尊心」から由来し、 家庭で、学校で、社会で育つ。
 人は自尊心がなくては生きられない。

 一見、立派な地位を持ち、社会的にも権力を持つ方ほど自尊心は強い。
 「人権侵害」は差別感の具現行為である。より上位の人からの「人権侵害」の素地は常に存在する。

 「人権侵害」を具現するかは、より優位にある方々の、教養、倫理観、常識、価値観である。これらの抑制力は強くはない。その時に気分によっても左右される。弱い者の立場を味わい考え直すこともない。

 「人権侵害」の具現化は快感を伴い、徐々にエスカレートするから一層困難である。
 だから、「人権侵害」の監視する制度が必要である。それが制度として存在する今の人権擁護委員制度ではダメだろう、と思う。
 
 私は2020秋に「心理学を学ぶ」という項の中で「差別感とは何か」について考察した。
 以下にそれらの見出し題名のみ列挙してみた。この題名からだけでも、私が考えた「差別の心理」の概論を思い出す。
――――――――――――――――――――――――――――――――
「差別の心理」(1) 「偏見や差別」は生きるエネルギー源
「差別の心理」(2) 「偏見や差別」は社会集団にも生じる
「差別の心理」(3) 優位性の意識から
「差別の心理」(4) 自分の優位性、自尊心から
「差別の心理」(5) 自尊心=差別感 だから差別は無くならない
「差別の心理」(6) 「自分は常識人・・」、に由来する優越感
「差別の心理」(7) 社会的立場に由来する優越感
「差別の心理」(8) 共同体帰属に由来する優越感(1)
「差別の心理」(9) 共同体帰属に由来する優越感(2)
「差別の心理」(10) 新型コロナと差別(1) 私の周辺では
「差別の心理」(11) 新型コロナと差別(2) 知識が差別行動を抑制
「差別の心理」(12) 新型コロナと差別(3)
「差別の心理」(13) 新型コロナと差別(4) 攻撃より寛容
「差別の心理」(15) 免疫的には他人を100%排除する
「差別の心理」(16) 家庭で、学校で育つ差別感
――――――――――――――――――――――――――――――――

 上記のごとく、人に差別感情がある限り、自分以外ものもの対して差別感情を抱くのは自然である、と思う。その結果として生じる人権侵害は無くし難い。

 繰り返すが、人権侵害は差別感情の具現化である。その優位にある立場の人の感情をコントロールできるか否かが問われる、と思う。人権侵害を犯しながら平然としている組織のトップの方々の良識を疑う。もう転換は無理である。このような方々には去っていただくしかない。

 そのためには新しい監視機構が必要である。


2/2(木)寒波続く 昨日除雪後は2cmほど
1:30起床。新聞、文献本読み。除雪なんとか不要。座学、微睡。11:50バス、飯川病院、まだ路地は歩行は危ない。14:00-19:00勤務、本読みなど、書籍データ化など。微睡。本日もWeb講演会、19:10帰宅、夕食、20:30就寝。歩数6397歩。

人権2023(2) 我が国では人権擁護制度、人権擁護委員会もあるが活動実体不明

 最近の報道を見ると社会の各所において「人権侵害」と言っていいような事件が頻回に報じられる。学校や会社、組織のいじめ、セクハラなど、入管や拘置所、刑務所等の説明のつかないような死亡事故などなど全てこの範疇に入る事件である。
 これはどうしてだろうか。

 我が国には人権擁護委員制度がある。これは、我が国独自の制度で世界に比類のない独特の制度、という。

 人権擁護委員制度は、様々な分野の人たちが、人権思想を広め、地域の中で人権が侵害されないように配慮して人権を擁護していくべし、という考えから設けられた。その歴史は戦後間も無く、GHQ占領下から始まり、紆余曲折しながら現在に至っている。GHQも、我が国が新しい民主化時代を迎えるにあたって人権の擁護を監視する組織がが必要と考えたのであろう。

 人権擁護委員は、無報酬で、一般人から選ばれ、現在、約14.000人が法務大臣から委嘱され、全国の各市町村に配置されている。
 現在、人権相談の年間取扱件数は20万件、という。

 人権擁護委員制度の紹介文には、・・・・
 「全国の法務局・地方法務局では,『人権を侵害された』という被害者からの申告などを受けて,救済手続を開始します。
 人権擁護委員は,法務局の職員と協力して,人権侵犯事件の調査,処理に当たります。また,調査の途中で,当事者の主張や利害を調整し,事案の円満な解決を図ることも行います。」とある。

 そして、対応する項目は・・・・
 差別を受けた
 暴行・虐待を受けた
 いじめ・体罰を受けた
 セクハラ・パワハラを受けた
 インターネット上でプライバシーを侵害された
 名誉毀損・プライバシー侵害を受けた
 などなど・・・
と記載されている。

 しかしながら、頻発する人権侵害の事件に人権擁護委員会が間に立って調整したとか解決を図ったというようことなどの報道も一切なく、その活動実体はほとんど知ることができない。
 少なくとも私はその実態を知らない。
 第一、人権擁護委員制度の紹介文は固すぎる。お役所の文書そのもの。被害を受けた弱い立場の人が気楽に相談できるようにはとても見えない。

 私は、人権擁護委員会は全国の市町村にも設置されているとのことだから、その存在や活動実態をもっと住民に広報すべき、と考える。


2/1(水)降雪 午後飯川病院勤務 積雪20cmほど 除雪4、5回目
 1:30起床。データ整理に集中。8:00-9:00除雪4回目、11:50バス飯川病院、しかしこの時点で積雪10cm、再度除雪を要する状況になっていた。迷ったが出勤、検食、14:00勤務、患者対応なし。プリウスの通行確保のために除雪要す。16:07バスにて帰宅、16:30-17;30除雪5回目。19:00夕食、20:30就寝。Σ11905歩。積雪5cm、明日は除雪必要か。2台目のオリンパスラジオサーバー外部出力部分故障す。

人権2023(1) 人権軽視・無視が蔓延る日本、看過できない
 「人権は重要、とても大切」とだれもが言う。ときに外交の場面でも使われる。しかし、私たちの社会はこの言葉の意味を真剣に受け止めてきたのだろうか。

 私は社会のありとあらゆるところで、例えば入管、児相、教育、介護などなどの現場で、職場で、男女間で、家庭の中でさえ、特に閉鎖的環境の中で、強い立場にある人間による「人権無視・軽視・侵害」などが生じており、そういう報道に接するたびに不快になる。

 「人権」とは何か、について非力ながら考えたい。

 20世紀世界大戦の反省に立って、地球上に生きる全ての人に対する基本的人権の尊重こそが世界平和の基礎であることを確認した「世界人権宣言」が、昭和23年 (1948 年)に採択された。

「世界人権宣言」の骨子は以下のごとくに始まる。
 (前文)「人類社会のすべての構成員の固有の尊厳と平等で、譲ることのできない権利を承認することは、世界における自由、正義及び平和の基礎である」。
 (第1条)「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である」。
 (第2条)「すべて人は人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治上その他の意見、国民的、若しくは社会的出身、財産、その他の地位又はこれに類するいかなる事由による差別をも受けることなく、この宣言に掲げるすべての権利と自由とを享有することができる」。
 (第3条)「すべて人は、生命、自由及び身体の安全に対する権利を有する。」
・・・・・・と規定されている。

 これは、人権の尊重と擁護が、国を越えた共通の課題であることを世界の各国が再認識し、その実現には各国の絶え間ない努力が必要であることを指摘したものである。名文であるが、さっぱり機能していない。

 日本国憲法においては、法の下の平等、思想及び良心の自由、信教の自由、学問の自由、生存権、教育を受ける権利、 勤労の権利など多くの種類の人権を基本的人権として保障している。名文であるが、これもさっぱり機能していない。

 最近の報道を見ると社会の各所において「人権侵害」に関する報道が頻回に見られる。これはどうしてだろうか。

 「人権侵害」が生じる背景には特権階級意識の存在が大きい。また社会は種々の立場の人間が交錯する。個々人の社会的立場は決して平等ではなく、階級差が自然と備わっている。

 この階級差がある限り、そこには人権侵害の事象が発生しうる。
 人権侵害に対しては、弱い立場の視点に立つ監視機構が絶対に必要である。解決策はここにあると思われる。

徒然日記バックナンバーへ戻る       徒然日記へ戻る   トップページへ戻る

   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


ご意見・ご感想などをお聞かせください

これからの医療の在り方:Send Mail