徒然日記
2022年7月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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7/31(日) 快晴暑い 31℃
 2:00起床。いつものごとく。エッセイ読み。朝の涼しい時間に散水とダリア世話若干。9:00以降は座学。12:15のど自慢、微睡、そのまま読書、作文、17:00庭掃除、小枝など片付け。19:00夕食、20:45就寝。歩数計積算5655歩。
音楽談義2022(2)歌謡曲が好き(2) 時代をうつす曲
 私が歌謡曲を再認識し集中的に聴き始めた背景の一つは、近代日本の歴史を再勉強していることにも関連している。

 昭和の政治、経済、社会等の歴史から学んでいると芸術面ではどうだったのかと言う興味もわく。文学、絵画、演劇、映画等、どの分野も政治、社会、国際情勢等の影響を大きく受けている。これらの分野の変遷を近代日本が辿った足跡に重ねて見る事で一層興味がわく。

 その中でも、歌謡曲は特に世相を濃厚に反映している。
 戦前は、まず、口コミで広がり、新聞に取り上げられることでさらに流行、更に、レコードと楽譜も発売され大ヒットとなっていった。 この当時は新聞の果たした役割は大きい。

 昭和の時代を概観すると、以下のように分けられる
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●大正から昭和にかけては、大正デモクラシーの時代
●昭和初期は自由を求める革新思想の時代、
●中期は戦争の時代、
●戦後の窮乏時代
●復興繁栄の時代
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 昭和初期から歌謡曲と呼ばれることとなった流行歌は戦後ラジオの普及と共に日本の津々浦々で聴かれるようになり、次々と国民的ヒット曲が生まれるようになる。

 歌謡曲は昭和時代と並走し、戦後の窮乏時代を支え、その後の復興繁栄の時代の喜びを享受するなど、時代を濃厚に映してきた。この時代、TV、ステレオ装置の普及が音楽文化の育成に、歌謡曲の発展に大きな役割を果たしてきた。
 
 歌謡曲は日本人の心を表現している。だから、そのまま末永く続くかに思えていたが、昭和から平成に移る頃から若者を中心としたライフスタイルの変化と共に歌謡曲は急速に衰退していった。従来は家族がみんなで楽しむ娯楽から、個人個人がそれぞれ別の部屋で個別の娯楽に変化したことは大きい。

 歌謡曲の領域はジャンルが分散化し、楽曲も分散化していった。この流れの中で、ニューミュージックが台頭し、シンガーソングライターが多数誕生した。結果的に古き良き時代の歌謡曲作家、歌手達、特に日本的歌謡の、いわゆる演歌と言われる分野は大きく衰退した。

 この変遷にソニーのウオークマンが果たした役割は大きい。その後、大量の曲を持ち運ぶことができるアップルの音楽再生装置、iPodシリーズは若者達を中心に普及した。私も飛びつき、頻用した。


7/30(土) 快晴暑い 飯川病院午前日直
 2:00起床。いつものごとく。朝の涼しい時間に散水とダリア世話若干。8;30回診のかないに同乗飯川病院に。9:00-12:30日直業務、午後は帰らず、そのまま読書、作文、医学文献読み、微睡、19:00帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計積算5655歩。

音楽談義2022(1)歌謡曲が好き(1) 録音歌謡曲をデータベース化
 私は音楽が好きである。いわゆるクラシックと言われる分野が中心であるが、民謡、浪曲、ポップス等を含め広く、あまりジャンルを問わない。ただ、ジャズはちょっと遠い。

 この2−3年はクラシック分野で特に頻度が高いのはブルックナー、マーラーの曲が中心。近代の作品はあまり聞かなくなった。ブルックナーの交響曲は、特にチェリビダケ指揮ミュンヘンフィルの演奏に集中して聴いている。私にとってブルックナーの曲は総じて宗教音楽に近く、聴く度に敬虔な気持ちになる。

 私はもともと歌謡曲が大好きである。特に昭和時代の歌謡曲が好き。
 昭和の歌謡曲は好んで聴いてはきたが、2013-15年は特別集中的に聴いた。その理由は、録りためた録音のデータベース化、インデックス作りをしたからである。

 私は2008年からFM放送のラジオ深夜便の午前1時、午前3時、午前4時から各1時間、計3時間分を連日ハードディスクに録音している。これらの録音は適宜iPod等に落として通勤途上などで聴いてきた。

 歌謡曲は2013年時点で5.000曲ほど蓄積したので全曲をデータ化した。データ化しないと曲を探し出すことは不可能だから100%無為な録音になってしまう。だから私にとって大変だったけれどもインデックス作りは楽しい作業となった。検索をかけると一発で探し出すことが出来る。これは宝である。その後も蓄積は継続しているので今の時点では約15000曲に達している。

 午前1時、午前4時からは各界の著名人(?) が登場し貴重なお話が聞けるが、これも全てインデックスを作成、いつでも呼び出せる様にしてある。加えて連日の新聞スクラップ、電子化した蔵書もいつでも呼び出せる状況にある。

 私の人生は各種のデータの収集とそれらのデータベース化に充てられている。これらは、ほぼ連日何らかの形で役立っているから無駄ではなく、楽しい作業である。

 この2年ほど再び歌謡曲を聴き始めた。
 その理由はインターネットラジオの普及であった。インターネットラジオはほとんど雑音がなく音質は極めて良好、FM放送の音質を十分凌いでいる。しかも、NHKの場合、1週間ほど「聞き逃しサービス」を利用できるので私にとって都合がいい。今はこちらの録音蓄積も始めておりデータベース化している。

 歌謡曲は昭和7年にNHKによって命名されたという。それまでは「流行歌」と呼ばれていたが、流行という言葉をNHKが嫌ったからだとされている。「流行歌」とは「歌詞・曲・歌い手」をセットとしてヒットを狙って売り出される商業的歌曲のこと(なかにし礼)であるが、それが昭和初期から歌謡曲と呼ばれることとなった。

 私は戦後時代に育ったが、「流行歌」は昭和の時代・世相を濃厚に反映している。

7/29(金)晴れ暑い 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
 1:00起床。いつものごとく。4:30可燃ゴミ提出、収穫、散水ほか。7:30Taxiハードディスク取って飯川病院で経由駅西口に。8:11こまち、9:10大曲中通病院外来、往複足低痛、と暑さでTaxi、書店訪問、15:30飯川病院ボランティア、保健所の監査終了したばかり。19:30帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計積算3800歩。

老医のつぶやき2022(2)   老医の技術「偽・和顔愛語」、「偽・親切」、「偽・傾聴」
 色紙や掛軸などでよく「和顔愛語」の四文字を見かける。これは仏典「無量寿経」の経典に出てくる言葉で、意味は漢字そのものである。 
 これは人に接する際の礼儀の問題で、特に医療関係者にとっても大切なことだとされている。確かに,不安に駆られて訪れてくる患者が,医師から怒ったような表情できつい言葉を投げかけられれば心を閉ざしてしまうだろう。これは当然であってこんなダメ医師は淘汰されていけばいい。
 しかし、医療関係者に特別に「親切な対応」を求めること自体がおかしい。この不機嫌な社会の中で,マンパワー不足で呻吟している医療関係者だけに「親切な対応」は求められないが「親切そうな対応」は技術として身につけることが出来る。患者対応で苦情が出る様な医師はANA、JALとかで訓練すればいい。

 最近は病院の外来カルテも電子化され、情報の入力や検査値と画像のテェックのため、医師はパリコンの画面に向かったまま患者と会話をする頓向がある。やはり、目と目を合わせ相手の表情を汲み収りながら対話することが大切であろう。マスクを着用していても表情を読み取ることができる。
 医師も悩んでいる。患者観察や対話、入力作業と和顔愛語が両立できる環境、自転車操業をしなくとも成り立つ医療環境が必要である。

 私は外来診療で多くの患者に接するが,もうそれほどの意義を感じてやっているわけではない。私が担当する外来に定期通院してくる患者は大部分高齢者で、長い方では40年超にも渡って経過観察してきた縁で繋がっている方々で「老・老」外来である。他の医師の外来に移る様勧めているが、私の「偽・和顔愛語」、「偽・親切」、「偽・傾聴」が心地よいらしく未だに残っている。嬉ししいことに、悲しいことに患者達は私を誤解している。

 私は今年77歳となり、週に2回だけ外来に出ている。人間ドックの仕事が1回ある。午後は療養病院で勤務3日、ボランティア3日勤めている。午後の業務内容は軽い。
 老医としていつまで続けられるか、私にも全くわからない。診ている患者が自然消滅して今の半数くらいになれば外来を閉じることになろうがなかなか減らない。それよりも私の方が先かもしれない。どちらが先か、全て運である。

 今もしみじみ感ずる事は、主治医の一言一句が如何に患者に強い影響を与え、且つそれが病状に関連して来るかを良く考えて発言して欲しいという事である。

7/28(木)快晴30℃予想 午後飯川病院勤務 
 1:30起床、新聞・書籍データ化準備、整理などいつもと同じ。8:00ダリアに散水。10:30バス、駅まで、長崎やターミナル、古書店、10冊購入再発防止まで。11:50バス飯川病院、微睡読書ほか、14:00勤務、患者対応なし。読書、散水ほか。19:30帰宅夕食、20:30就寝、歩数計積算8381歩。

老医のつぶやき2022(1)   高齢者は総じて甘ったれ
 私は、内科医師の仕事の8割は患者の話を聞くこと、と思う。特に老医にとってはそうである。そこに自身の存在意義があると思っている。

 医師だからと言って患者のすべての病態を治せるわけではないし、合併症の発生などあり、治療には副作用も生じ得るからいつも完ぺきな治療ができるわけでもない。そういう医学上の限界を患者も医師双方が納得していないと、患者は真の意味で共感しないし、医療の良さを享受できない。

 生活習慣病の多くの高齢者はそれによる症状はほとんどない。加齢に関わる症状がほとんど。慢性疾患、とりわけ悪性疾患、難病をもつ患者は、治療中も増悪や再発の不安を抱えている。定期検査の時に医師の「大丈夫」という声、医師の和顔に触れて「また元気に頑張れます」と言って診察室を出る。いかに信頼関係を築けるかが重要である。

 医療の中で重要なのは始めから分かり合える筈のない患者・医師関係の調整でなく、患者・疾病関係にある、と思う。少なくとも他人のことなど分かるわけはないという前提に立つ私はそう思う。
 どうして高齢者はグジュグジュと愚痴を言うのだ!!!私は共感どころか呆れている。あなたの80年の人生は何のためにあったのか??逆に私から問うことが頻回である。

 医師は患者と疾患との間に立って、患者の闘病意欲を高め、良き方向になるよう治療し,良き生活が出来るよう手を貸していく立場である。医師が治せる病気,機会は,特に私が担当する高齢者の内科領域ではそう多くはない。

 患者が心配すべき対象はあくまでも自分の加齢、病気に対してであり、自身の人生、究極的には死そのものである。なのに、「治してくれない」,「治らない,効かない・・」、「親切でない・・」が一例である。「治らない・・」のは医疾病そのもののため、逆に,治癒するのは大部分が急性疾患で自然治癒である。

 「親切でない・・」の発言の背景は医療と医師に対する誤解と、弱者の甘ったれの精神である。私は聞きたくもないが、職業上和顔を作り、愛語を吐く。これが結構辛い。

7/27(水)晴れ 午後飯川病院 
1:20起床、文献新聞整理。徒然ほか。読書、8:30ダリアの世話、畑収穫。10:30古書土崎店10冊購入、12:12バス飯川病院、14:00入院外来患者なし、散水、微睡。17:00千秋公園の鯉に給餌、大量に。19:30帰宅夕食。20:30就寝。歩数計6067歩。

COVID-19(2022)オミクロン株(15)  コミュニケーションが変わるが触れることの意義は重要
 人同士の接触の機会が乏しくなりつつあるCOVID-19、親子のスキンシップに与える影響も心配されている。親子間では顔の表情は重要な情報伝達であるが、これがマスクの着用で障害になっていないか、マスクで言葉も通じがたくなり、親子間のいじめや虐待の原因にならないだろうか。学校での教師や友達間との関係構築ではではどうなのか、危惧される。

 テレワークなどの発達で、人間関係が単なる情報伝達になりかねない。 
 オンラインを用いたコミュニケーションでは身体が発するリアルな情報が伝わり難い。推敲した文書のやりとりで情報は伝わるが、こうした方法では貧困な人間関係しか生まない。双方向の関係で大切ににされた個々人のイメージ、性格などを理解した上での共生の場はなくなり、実生活では偶然生まれる親近感を醸し出す機会までもが失わかねない。

 上記は否定できない事実だろう。だが、悲観論にだけ支配さてもいけない。
 勿論、生身の人間同士の直接の接触は、五感を駆使されれば人間関係構築に不可欠かつ重要だが、生身の関係至上主義にも怖いものがある。
 新時代を迎えて他者との出会い方は多様でいい。危機の時こそ新しい可能性にも目を向けなければならない。

 空気や場所を物理的に共有せずとも、相手の現在に出会うことの重要性に気づくことが大切でないか。その一つ、例えばライン、フェースブック等の音声や画像を通じたコミュニケーションは積極的に利用すべきであろう。現に、日本に技術研修に来ている実習生が無料のアプリを介して自国にいる家族たちと双方向のコミュニケーションを維持している例もあるという。ただ、私は家族以外の顔などは画面上ではみたくもない。

 COVID-19を克服した後、人々の振るまいや生活がどれほど元通りになるかは分からない。私は新しい生活様式としてマスク着用、人間同士の距離確保などについては、先に引用した社会学者の「不快や不安を感じる範囲の推移は文明化の過程」とした、R・エリアスの言葉が正しいならば、人間の近接が知らず知らずにもたらしていた生理的嫌悪感に気づいたことで、私たちの価値観や行動様式大きく変わり、元には戻らない、と思う。

 五感のなかでも手や肌による接触の価値、特に「ふれる」が生む価値を信頼を得る方法として後世に受け継ぎながらも、疫病下の多様な人間関係の育み方に改めて考えなければならない。

 話題の主眼からいささか離れるが、患者の死に関して私は触れることの重要さに関する貴重な経験をした。

 (1)心臓の拍動が停止し、心電図の波形が平坦化したのを確かめて「ご臨終です」と周辺の家族に伝えたところ、数人の家族が患者の手を握り、頬ずりし、身体にしがみついた。その時点で心電図の波形が再開した。拍動は再開しなかったが、10数分ほど死亡時間を遅らせざるを得なかった。

 (2)飼いネコの一匹が顔面に発生した悪性腫瘍で衰弱し死を迎えたが、生を終える最終段階での苦しげな表情は、私どもが体に触れ、身体をソフトにマッサージすることによって明らかに静まリ安息に死を迎えた。

 この二つのケースは触れる、ということの重要性が示されている、と思う。 

7/26(火)快晴暑い 中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:45起床,文献整理。本読み。雑誌データ化。5:00可燃ごみ提出。6:47バス飯川病院。8:45-12:50外来。13:15飯川病院、14:00-19:45勤務、終了後微睡。軽食とる。家内Web学習会、20:30帰宅、21:00就寝。歩数9567歩。

COVID-19(2022)オミクロン株(14)  新しい生活様式がもたらすこと
 人類は今COVID-19の蔓延で「ともに集まる」 共生の場を失っている。 

 「他人は命を脅かすリスク」という認識は感染症の世界ではほぼわかっていたことではあるが、COVID-19はこれを万人に知らしめ、新しい生活様式を生み出した。 外出自粛を前提に、3密の回避、マスクの着用やパーテーションの設置など社会的距離の確保、換気が活動の条件になった。 

 社会的動物としてのヒトの在り方の根幹に関わる、従来当たり前だと思っていた行動、が大幅に制限された。

 社会全体が他人との距離の取り方に神経質になっている。各人は各々独自の距離感覚を持っていることがわかるが、この違いがこれまで以上に大きなストレスを生む要因になっている。
 不快に思う他人との距離感は動物として人に持つ「縄張り意識」に関連があると考えられている。個人差はあるものの、人は心理的空間「パーソナルスペース」を持ち、他人に近寄られると不快に感じる。生理反応として動悸や発汗などの自律神経反応が現れる。

 米の人類学者E・ホールは人間同士の適正な距離を以下の様に分類している。
1.恋人や家族同士の「密接距離」(0〜45cm)
2.友達同士の間にある「個体距離」(45〜120cm)
3.同僚や仕事仲間などの間にある「社会距離」(120〜350cm)
4.講演会などで聞き手・話し手の間に発生する「公衆距離」(350cm〜)

 それにしても、豊かになればなるほど、他者との距離を遠くに取りたがる個人主義が際立ってくる。社会学者のR・エリアスは「不快や不安を感じる範囲」の推移は文明化の過程だという。コロナ禍で求められている新しい生活様式は、外力で求められた文明化の一端とも考えられないことはない。

 人間同士の信頼を生むためには、相手を思いやった五感による感覚、とりわけ「ふれる」行為だった。しかし、私はこれの全てが嫌いである。特に触られること、それが偶発的なものであっても許し難い。また他人が発する身体的なノイズ、例えば咳やたん、身体的な震えや落ち着きのなさは身の毛がよだつ。他人同士の会話すらも嫌いである。
 ただ、職業上の場合には、当然のことながら耐えられる。

7/ 25(月) 早朝降雨のち快晴     健康クリニックドック  飯川病院
1:20起床。早朝降雨 文献処理他録音データ整理。6:40バス飯川病院、9:00~11:30健康クリニックドック14名、結果説明先週終了。11:45飯川病院、本読み微睡、14:00~19:00飯川病院勤務、家内Web学習会、20:30帰宅、夕食、21:30就寝。歩数6766歩。
COVID-19(2022)オミクロン株(13)  蔓延脅威的!!! されど僭越ながら私にはメリットも
 私は他人との距離をすごく重視する。
 側に人がいると緊張するし、不快になる。知人の場合はもっと嫌だ。多分多かれ少なかれ誰でもそう言う傾向はあるのだろうが、私は特に敏感だと思う。
 飛行機、新幹線は特に嫌だ。数人乗車のタクシーなど知人同志であるだけに耐え難い。

 飛行機の座席のレイアウトは非人間的と思う。詰め込みすぎ。その点は新幹線はまだ良いが、それでも狭く、近い。だから、横の席が空いているだけで嬉々としてしまうし、移れる場所があると勝手に移動する。ちなみに、毎週の大曲中通病院への移動はこまちで、片道40分程度なのに、こんなことを書きたくなるほど嫌だ。もうほとんど行かなくなったが、コンサートも苦痛の方が大きくなった。

 会議だってそうだ。物理的な余裕がなければ良いアイデアなんて出ないのだ。
 先日、情報収集関連会社の方と面談したが、広いスペースがあるのに近くに陣取られて閉口した。圧迫感があって冗談も言えなかった。

 人と人との距離は適正な距離というのがある。
 握手の距離、挨拶の距離を考えてみても面白い。開きすぎた距離での握手、近すぎる距離での挨拶はハタから見ていて陳腐である。その意味では日本の挨拶は、適当な距離があってとても良いものだと思う。

 私は人との距離を過剰なほど気にする。人は一人では生きられない、人の間で暮らすから人間なのだ、と言うことは理解している。でも、人間関係にはほどほどの距離が必要と思われる。

 私の場合、自分からは距離もかなり長く確保する方だが、何故か他人が近くに来ると居たたまれなくなる。過緊張状態になるからだろう。
 だから、人が混雑する、密集する場所は苦手である。しかも移動の自由を奪われるときは一入である。ちょっとした拷問となる。

 そんな私であるが、COVID-19禍はこんな環境を一変させた。

7/24(日)  早朝降雨のち快晴 草刈り 
1:30起床、書類、読書、徒然などいつもの如く。午前座学中心、のど自慢見ながら新聞チェック、微睡。14:30草が乾き草刈り17回目、畑中心。収穫キウリ、ナス、トマト、ミニトマト。ミニトマトは植えたつもりはなかったのだが、成長してみたら3株。14:00家内の文章を仙台ゾンタに送るのに手間取った。ファックスも含め送付一段落。黄色のが咲いた。読書、19:00夕食、20:00就寝。歩数8971歩。

安倍元首相狙撃され死去(8) 政治家の顕彰、ノーベル平和賞に重ねてみれば
 安倍元首相の政治家としての評価はじっくりと検証しなければならないが、政治家とノーベル平和賞の関係に重ねて考えてみたい。勿論、安倍元首相がノーベル平和賞に相応しいという意味ではない。

 10月を迎えるとノーベル賞の発表が始まる。
 ノーベル賞は平和賞の存在抜きに語れまい。とりわけ人道、抵抗、不屈といった努力を体現している人物に贈られるとき、輝きは一層増す。 2014年の17歳のマララ氏、2017年核兵器廃絶国際キャンペーン、2020年国連政界食糧計画などの受賞は大きな意味がある。
 その様な運動をされている人たちは、無視、迫害などとも戦わなければならないが、ノーベル平和賞の栄誉はそうした人々の声の浸透力を倍加する。理不尽に抗う人には、世界の良心を味方につける効果ももたらす。

 古今東西、迫害に耐えてたかった時が一番輝いていた人がいる。民衆とともにあった英雄も一度権力を得れば汚れがちだ。政治の世界とはそんなものである。

 具体的にノーベル平和賞を受賞した政治家に思いを馳せれば、
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(1)ミャンマーのスーチー氏 (1991年受賞)
 長い軟禁のあいだ、 氏にはその身を案じ国情を憂える国際社会のまなざしが絶えることなく注がれてきた。その氏に向けられる世界の眼差しが、いまや失望と非難に染まっている。イスラム系の少数民族ロヒンギャ迫害のことだ。新たな政権の指導者となって2年半、氏のかつての非暴力に根ざしたイメージの清らかさゆえに、現状への落差は一層大きい。
 ロヒンギャ難民は今も劣悪な環境に置かれている。国連は広範な迫害「人道に対する罪」にあたるとする報告を公表し氏を「国家指導者の立場を、迫害を止めるために行使しなかった」と非難している。

(2)エチオピアのアビー・アハメド・アリ首相(2019年受賞)
 隣国エリトリアとの国境紛争で和平合意したことが評価されたが、わずか1年後、今度はエチオピア国内で軍事衝突が始まった。多数の死傷者や難民が出ており、少数民族勢力への掃討作戦を命じたアビー首相は非難を免れまい。

(3)米のバラク・オバマ氏 (2009年受賞)
 「核なき世界」の演説は感動的だったが、大統領就任間も無くの受賞でいわばまだ描かれてもいない絵を予約買いするようなものだった。この程度のことは私も何度もブログに書いている、というのが私の印象でもあった。複雑な国情があるにせよ、演説の内容はほとんど実行されなかった。
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 例として挙げた3人にかぎらず、その後に色あせた平和賞は少なくない。発表とともに受賞者がそれにふさわしいかどうか、世界中で賛否の応酬が起きることも珍しくはない。生身の現実と向き合う平和賞は、他のノーベル賞とは異質である。

 希望と勇気だけでなく、平和賞は失望と無力感ももたらしてきた。それでもや
はり、理不尽の絶えない世界に光をもたらす灯火として、存在は大きい。
 だが、120年近く続いてきたノーベル平和賞受賞者の顔ぶれをみると、その時々の国際政治の理想と現実が凝縮している。 選出する側の思い込みもあり、授与後の受賞者の行動を保証するものでもない。

 スーチー氏やアリ首相、本稿では言及しなかったが佐藤栄作元首相、のように後年に功績に傷がついた例はある。
 現職政治家への授与については疑問を感じる。

 同じ様に、政治家の評価は早々に下すべきではないだろう。安倍元首相の業績はまだ結論を出すべき状況ではない。
 私は国葬に疑問を感じている。

7/23(土) 早朝降雨のち曇り 午後園芸中心 
1:30起床、新聞や文献読み、いつものごとく。9:00-11;30大谷の1918年のベーブ・ルース以来の「2桁勝利&2桁本塁打」記録がかかっている試合、初めて見た。日本投手新記録となる5試合連続2桁奪三振とし、6回まで1安打とほぼ完璧だったが、打線の援護がなく7回に崩れ残念な結果になった。昼食後微睡14:30、草が乾くのを待って草刈り16回目、庭の東側とダリアの周囲。黄色のが咲いた。収穫、キウリ、ナス収穫、入浴など。16:30書斎にて音楽関連録画見る。19:00夕食、読書。20:30就眠。徒歩7402歩。

安倍元首相狙撃され死去(7) 業績は偉大だが国葬は疑問(2)
 集票によって立場が大きく変わる政治家に「品行方正」を期待してはならない。 実社会は「品行方正」だけで成り立たっていない。政治家が、あるべき姿、正しいことを語るのは推薦政党あるいは支持政党の理念を語り、いい顔するときだけ。
 隠された本心を語る政治家は、おそらくは居ない。
 投票は真面目にするが、政治面での経験のない私にはそう思える。 いたとしたら、その政治家は人生の選択を間違えたのであり、有権者の信頼を失い、早晩政界から露と消えるにちがいない。

 政治家にとって、タテマエは表の顔、裏に本心を隠している。それが立派な政治家なの条件なのだ。だから、政治家には清濁の複数の顔をもち、TPOで使い分ける。政治家は「嘘と詭弁」を駆使する。政治家に「本心」の吐露を期待してはならない。 
 現に、統一教会との関連を取り沙汰された現役の政治家は多数確認されている。今後調査をすればその関連がもっと明らかになっていくだろう。
 
 銃撃を受け死亡した安倍氏は、内閣府設置法を法的根拠として、閣議決定により9月27日に日本武道館で国葬が営まれることとなった。戦後二人目である。葬儀委員長は現総理が、副委員長は松野内閣官房長官が務める。 
 近年では、有力政治家の葬儀は、所属政党、所属議院、遺族の組み合わせによる合同葬行うことが多く、私はこのレベルでいいと思ったが、国会での審議も経ずにあれよあれよと国葬が決まってしまった。

 国葬は、安倍氏がおこなってきた政治への批判を封じ、自由な言論を損なうほどの力がある。安倍氏の政策や疑惑について検証する機会も失われよう。

 この偉大な政治家の驚くべき不慮の死は悼んでも悼み着れないが、政治家としての死の意味づけは難しく、「???」状態になってしまった。だからこそ、その代償としての「国葬」の強行なのであろう。死者を悼む姿勢は岸田総理の政治姿勢にも間接的に、いささかは寄与するだろうが、安倍氏の死を安易に国葬として意味づけることによって、絶対に許し難い凶行をも共に神格化してしまう。

 私は国葬にせず丁重に弔い、犯人を法に則り厳正に裁き、政治とカルト、不明集団との関係を清算するべきと思う。安倍元総理は非行の死を遂げられたが、その死はあくまでも死である。
 安倍氏の業績はじっくりと検証すべきであるが、その死を政治的に拡張的に捉えてなはならない。

7/22(金) 曇り小雨 大曲中通病院 飯川病院ボランティア 今年も墓参り中止する
1:10飯川病院起床,文献・新聞チェックその他。7:45徒歩駅に。8:11こまち、8:50大曲中通病院外来。降雨と足低痛にてTaxi 。書店訪問後、15:30飯川病院ボランティア。微睡、読書、新聞チェッ ク。散水。19:30帰宅・夕食。21:00就寝。Σ8205。夜半長女からメールあり、COVID-19BA・5株が連日倍々と急増している状況で帰省は困難だろうと。墓参りに関して中止を決定し関係者に通知。

安倍元首相狙撃され死去(6) 業績は偉大だが国葬は疑問(1)
 元首相が街頭演説中に射殺されるというおぞましい事件が生じた。
 しかし、政治信条上のテロではなく、カルトによって家庭を破壊された男が、私的な恨みから、関係者だと指摘されてきた元首相を狙った蛮行のようだ。
 カルトは非科学的主張をしている集団や組織を指す際に用いられる呼称である。強制又は詐欺的な入会勧誘、多額の寄付金強要による経済的搾取や性搾取を含む人権侵害など様々な反社会的活動のため、世界各国で社会問題になっている。今回のカルトは旧統一教会と言われた集団で、犯人の母親が1億円もの寄付をし、結果的に家庭崩壊に至っている。昔からその存在は知っていたが、よくわからない集団であった。

 参院選中だったこともあり、事件後「民主主義への挑戦」などと評する言説が飛び交った。しかし、今回の事件をそのように評するのは適さない、と思う。
 
 事件の詳細が明らかになるにつれて分かったのは、政治的背景の義憤でも、転覆でも、挑戦でもなく、カルトによる家庭崩壊に関わる私的と言ってもいい恨みだった。その結果、この偉大な政治家の驚くべき死は、意味づけを欠き、「???」状態になってしまった。

 ただ、最近、メディアは旧統一教会と政治家の関係を明らかにしている。
 10数人の有名な議員が関係者と面会したり、会合で挨拶している様である。安倍元首相も教会にヴィデオメッセージを送っている。犯人はこのことから安倍元首相の関与を疑い、情報不足もあって盲信したらしい。

 国会議員と諸種の団体が接点を持つことについては、持ちつ持たれつの 「相互間のメリット」があると思われる。政治ってそんなものである。
 議員が集票できなければ地位を失い自身を発揮できなくなる。そのために比較的安易に各種団体と接点を持つことになる。だた、これまで何度も社会問題化してきた統一教会が、これほど政治の中に浸透してきていたということは、私は今回の事件を機会にに初めて知った。集団側にとっても政治家とのコンタクトは魅力があることなのだろう。政治活動への支援と引き換えに政治的な力で守ってもらいたい意図が見え見えである。

 しかしながら、数々の問題が明らかになっていた旧統一教会との関連は一定の距離を置くべきだった。その様な指導が各党の選挙対策の中でなされていなかったのが実に不思議なこととして私には映ってくる。

7/21(木) 快晴 散髪 午後飯川病院+当直
1:00飯川病院で起床、新聞・文献・本読みなどいつもの如く。7:00検食、8:00庭畑軽作業。10:00散髪3Q理髪へ、飯島に向かうも土崎港まつりの交通規制で不可、11:00途中で軽食、11:50バスにて飯川病院、14:00-17:00勤務、入院患者対応、新聞入力、自炊4冊。17:00当直に就く。18:00検食、読書中心、本日届いたあさま山荘関連書籍自炊と読破。20:00就寝。歩数計7163歩。

COVID-19(2022)オミクロン株(12)  BA.5(2) 懸案事項を抱えたまま第7波に
 BA.5変異株の増加は見過ごすことができない危険な状況である。
 現在の流行は10-30代の若者が中心。BA.5は感染力が強い半面、重症化しにくいようだ。

 BA.5変異株は、過去の感染やワクチン接種によって免疫を持っていても感染することがあるとのこと。何でだ?? ただ、ワクチンによって重症化はかなり防げるとみられている。これは大事。

 危機的重大事態である。日々の感染者数に一喜一憂せず、3年間の経験を活かして個々人が冷静に対処すべき。

 検査体制の不足は慢性的に解決していない。発熱外来がパンク状態にある地域ではすべての患者を医療機関で対応するのは困難。抗原検査キットを無料配布し、陽性ならばかかりつけ医を通じて保健所に登録し、重症化した際の病院収容を含めてシステム化が必要で、治療が可能な医療機関の病床確保をすべきである。

 行動制限しないならば、第一に力を入れるべきはワクチン接種。
 3回目を終えた人は40歳代以下では30〜50%台にとどまる。接種率がこんな低い状態で自由行動を認めるのは危険であるが経済活動も大事。だから、政府はワクチンについての接種勧奨を強く宣伝すべきである。ワクチンの感染予防効果や重症化防止作用、感染後後遺症の予防のためにも必要であり、行動の自由度はワクチン済みであればこそ、といった意義を丁寧に説明する必要がある。

 国は14日、60歳以上としていた4回目の接種を、医療従事者や高齢者施設の職員計800万人を新たに加えると表明した。当然の判断。

 COVID-19は今後どのようなコースを辿るのか全くわかっていない。より弱毒化して終焉を迎えてほしいのは山々だが、逆の変異が生じる可能性も否定できない。だからこそワクチン接種を第一の目標とすべきである。ワクチン接種は今後の予測できない変異株の発生を乗り切るにも必須である。

 秋田県でも1日の感染者数が830人に達し、これまで最多だった3カ月前の445人を大幅に上回った。病床使用率が2割を超たが、県は近く感染警戒レベルを引き上げ、注意喚起を強める方針だ。

 夏休みが始まった。観光や行楽、帰省のシーズンを迎え、人同士の接触機会が増える。本県では竿燈まつりをはじめ、夏祭りやイベントが3年ぶりの開催に向け準備が進められている。
 しかし、自身を守る為に個人的に行動制限は必要である。
 我が家の墓参り小旅行は今年も中止とした。

7/20(水)     快晴 土崎港まつり 午後飯川病院+当直 
1:20起床、新聞・文献・本読みなどいつもの如く。9:00-11:00外の軽作業、ダリア世話、モモの枝の支柱たて。実があまりにもなりすぎ、枝が負けている。11:50バス飯川病院、14:00-19:00勤務、新聞入力、自炊4冊。19:30帰宅、夕食。20:45就寝。歩数計7163歩。

COVID-19(2022)オミクロン株(11)  BA.5(1) 従来見られなかった強い感染力
 COVID-19の新規感染者数が急増している。
 ロシア・ウクライナ間の戦闘状況のニュースと並ぶ状態になって来ている。共に無視できない重要な課題である。

 6月末日頃はCOVID-19BA.2感染は下火になりつつあったがなお持続している、という程度であったが、7月上旬から急増加、7日には全国で4.8万人に、16日には11万人、20日には約20万人に達した。「第7波」である。

 オミクロン型の派生型「BA.5」の割合が増えており、8月には大多数を占めそう。感染力は現在主流の「BA.2」の約1.3倍と高い。私の印象ではもっともっと高いと思う。

 今のところ従来株に比較しても感染者は若年者が多く、しかも軽症で病床には余裕がある。しかしながら、家庭や高齢者施設での高齢者の感染も増えており、高齢者の場合は関連死が生じるために決して安心できない。これ以上の感染者が出ると保健所機能が麻痺し、病院機能も影響受ける。

 これほど一気に急増している今、感染源は特定できない。したがって、まん延防止等重点措置、行動制限等の対策が有効とは考えられない。効果が乏しい以上、社会・経済活動への打撃を考えるとデメリットの方が大きい。

 ただ手をこまねいていてはダメだ。行動制限が求められないからこそ、感染対策は一層重要である。

 (1)個人が行うべきは、今まで3年間に蓄積した知識と経験を背景に国民一人一人が感染しない、感染させない基本的行動をとることである。
 ●必要な場所ではマスクが必要。されどマスクの感染予防効果は完璧ではないことを認識を。●体調が悪い時は集団行動などを避ける。●大騒ぎはしない。●換気に勤める。●家族外、他人数での食事はできるだけ黙食、などなど。

 (2)国や自治体が行うべきこととして以下があるが、現状ではちょっと遅れ加減である。改善を求めたい。
 ●ワクチン接種の勧奨
 ●治療薬の準備
 ●検査を受けやすくする 個人でも判断できるようにする
 ●患者の受け入れ態勢の準備と在宅療法者の経過観察の態勢準備。
 ●政府、自治体、医療機関の緊密な連携構築。
 ●などなど

7/19(火) 早朝降雨 外来  飯川病院 土崎港まつり
1:20起床、文献読みなど。5:30可燃ゴミ収集所に、8:00クリーニング店経由Yシャツ回収後中通病院。8:45-12:30中通病院外来。数以上に疲弊した。12:50飯川病院、微睡。14:00-19:15勤務。19:30帰宅、夕食、 20:30就眠。昨年プリウス全塗装したが、1年も持たず数週間前に左後方ドアを凹ませた。歩数計7163歩。

こころと体2022(62) 自己肯定感(5) 外向き自己肯定感と内向き自己肯定感
 自己肯定感について考えてみると、確かに私の自己肯定感はひどく低い、と言わざるを得ない。だから、「必死に周囲に合わせて生きて来た」と総括できる。単語として並べてみると「イエスマン」、「八方美人」などなどに合致する。それは私が田舎者として身につけた人付き合いの処世術の一つ、であった。

 私は真面目に生きてきた。 必死に努力してきた。 結果として日の当たるコースを歩んできた。それなのに喜寿を迎えるまで生きた現時点で振り返ってみて、「良いことはあまり無かった」、「三人の子を育てたこと以外意味のある足跡は何もない」、「ただただ辛いだけだった・・・」と思っている。そう考えるのはどこに原因があるのだろうか? いったい「誰のために」 努力してきたのか?

 私は、周囲に対して怯えながら、自分自身で問題をつくってきたことに最近まで気がついていなかった。

 一方では、私は個人的には地に着いたほぼ満足できる良き人生を歩んできた。

 だから、自己肯定感は、外的なものと内的なものに分けて考えれば良いと思う。

 「外向き自己肯定感」は社会的な付き合いの中での問題、「内むき自己肯定感」は全く自分一人の個人的な問題である。

 ●「外向き自己肯定感」はさらに二分して知人、友人関係の付き合いと、医療や病院管理、医師会などの仕事上での問題に分ければいい。
 前者に関しては知人との付き合いを中心に考えると、本当に自分をあまり主張することなく、人を傷つけることなくソフトに生きてきた。
 後者に関しては、岸田首相の如くに「聞き上手」に徹しながら譲れない事項については自分の主張を貫いてきた。とはいえど、難しい判断では情報過多でしばし混迷状態、優柔不断状態を経過した。苦しかったが、何とか大きな誤りを経ずに過ごし得た、と総括したい。私は優れた社会人では必ずしも無かった。

 ●「内ち向き自己肯定感」は全くパーソナルな問題である。この部分に関しては確個たる肯定感が備わった、と考えている。そのために乏しい「外向き自己肯定感」のなかで自分を保ち得た、と考えている。

 要するに自分の世界だけでは自己を心置きなく発揮できていたし、そのことが拠り所となって楽しく生きられた、と思う。今は準引きこもり状態に自分を置きながらこの内向き自己肯定感の中でチマチマと生きている。

7/18(月) 海の日 快晴午後曇り小雨 飯川病院日直
1:30起床。文献処理。データチェックと改変。8:40回診に行く家内に同乗飯川病院、9:00-19:00日直。入院患者は落ち着いている。新聞チェックと入力。12:00検食、微睡、座学、自炊3冊、散水、19:20帰宅・夕食、20:30就眠。Σ4682歩。

こころと体2022(61) 自己肯定感(4) イエスマンは不満を抱えているが、私は・・・ 
 私は一見「優しいイエスマン」だと思う。
 強度の同調性を発揮するイエスマンの中には自己喪失に陥る人もいるらしい。このような人は人間関係が一見良さそうに見えるが、自分を抑制してばかりいて日々不満は積もるばかりなのであろう。

 不満が積もれば当然、周辺の人間や個人に敵意も出てくるし、周囲の人が自分に敵意を持っていると錯覚しはじめる。 それはさまざまな誤解を生む。孤立することもあろう。

 このような背景を持って様々な事件が起きることがある。
 その場合、新聞報道では近所の人や知人などの話として「朗らかで、明るい、明朗な人」などと言う。 そして 「あの明るい人がなぜ?」という例の問いが並ぶ。私はそれらの意見は、かつては当該者に対する同情とリップサービスかな?と思っていたのであるが、この項を考えていて実際はそうではない、と考えを改めた。

 要するに、その事件の当該の人が、「必死に周囲に合わせていた」ことに周囲の人は気がついていない、ということ。当該者は本当に周囲の人たちにいい顔をしていたのだろう。自己肯定感が未発達の当該者にとって周囲の世界が脅威・恐怖に満ちているからである。

 また、「あの人は陽気だか陰気だかわからない」などと述べられることもある。 その状況は「相手に嫌われないため陽気な姿を見せる」からであり、陰気なのは「垣間見せる本来の姿」なのであろう。そんなのでは矛盾で自分がバラバラになってしまう。

 人生が確実に行き詰まる生き方が二つある。
 一つは、他人に嫌われないようにすることである。相手に嫌われないようにするには、常にみんなの気持ちを害さないように気を配ることである。しかし、言いたいことも言わないようなそれらの努力はそのまま心の中に傷として残る。

 その結果、日々不満は積もるばかりである。不満が積もれば当然、敵意も出てくるし、周囲が自分に敵意を持っていると錯覚しはじめる。 その結果孤立する。それはさまざまな誤解を生むし、何らかの事件の背景にもなりうる。

 もう一つの行き詰まりは、ウソを重ねること。「ウソにウソを重ねなければ辻褄が合わなくなり、壁に突き当たるし、いずれは破綻のコースを辿る」ということ。

 私は自己肯定感が乏しく「優しいイエスマン」である。しかし、それによってストレスは感じていない。「優しいイエスマン」であることが後々まで影響するような継続的な人間関係がないからである。むしろ「優しいイエスマン」であることでその場を切り抜けており、ストレスになっていない。
 他人がこんな私をどう評価しているかは分からない。

7/17(日) 快晴  
2:00起床。読書、データ整理他。自炊、10:30回診に来た家内に同乗、帰宅、新聞切り抜き。12:00ニュース、のど自慢。読書微睡、15:30草刈り15回目、ダリア周辺中心に。小石など整理、散水。17:30久々書斎整理、録画で95歳の指揮者ブロムシュテット関連ドキュメンタリー鑑賞。19:00夕食、20:30就寝。Σ10202歩。自炊進める。白鵬全勝優勝、照ノ富士横綱昇進確実。ともに偉業。一年の経過が長い。

こころと体2022(60) 自己肯定感(3) 私は一見優しいイエスマン 
 私は軽微ながら対人恐怖があるが、それほど強いものではない。「無視されるのでは?」、「嫌われるのでは?」との漫然とした、弱い恐怖感、心配である。恐怖ではなく不安程度だったかもしれない。「無視された」、「嫌われた」ことも少なくなかったが、だからと言ってそれによってショックを受けることもなく、特別に何かを感じることはなかった。それは私は他人に対して大した期待もしていないからである。
 対人恐怖を乗り切るために、他人と対峙する時のために私が身につけた技法は、相手を拒まず、相手の言葉をじっくり聞き、許容出来難い内容でも一旦受け入れるような形をとるのが私の人付き合いの基本的な姿勢であった。だから、私はいわゆる「イエスマン」、「八方美人」的対応をしてきたことになる。しかし、白黒がはっきりさせることができる会話を除き、私は会話を通じて心から共感できることは稀である。共感できないことにはやんわりと自分の考えを述べるが、主張したり説得はしない。
 多くの方は好きこのんで嫌われることをしない。 だれだって積極的に嫌われるようなことはしないだろう。嫌われることを恐れている人もいるだろうが、私はそれほど恐れていない。濃密な人間関係をはじめから期待していないし、求めていないからである。

 私は、嫌われるのが嫌だから一見安易に見えるほど相手に合わせてしまう。 あっちでもこっちでも相手に合わせる。その場の雰囲気にすぐに合わせてしまう。しかし、その動機は、他人の好意を得ることにあるのではなく、その場の当面の関係をつつがなく終わらせることである。


 中には周囲への極端な同調性から自己喪失に陥る人もいるらしい。日々不満は積もるばかりである。不満が積もれば当然、敵意も出てくる。つまり周囲の人が自分に敵意を持っていると錯覚しはじめる。 それはさまざまな誤解を生む。

7/16(土) 快晴暑い 飯川病院日当直
1:30起床。読書、データ整理他。7:00散水、昨年草刈機故障、新しいのを注文。寿命は1年だった。8:30家内に送られ飯川病院に。新聞入力午前いっぱいかかった。最近作業が鈍い。歩数計回収、読書中心、自炊3冊など。12:00、19:00検食、21:30就寝。Σ968歩これは特別。

こころと体2022(59) 自己肯定感(2) 対人関係で漫然とした不安感・恐怖感
 私は、「常に人の顔色を伺がっている腺病質な子供」として成長した。
 この気質は中高校、6年間の大学の寮生活、集団生活を通じて、多くの会話を通じて、徐々に、一見改善したように見えたが、実質的改善ではなく他人との会話ががより自然の形でできるように訓練されたに過ぎなかった。

 私の対人恐怖はそれほど強いものではなく、「無視されるのでは?」、「嫌われるのでは?」との漫然とした、弱い恐怖感である。恐怖ではなく不安程度だったかもしれない。「無視された」、「嫌われた」と感じたことは少なくなかったが、だからと言ってショックを受けることもなく、特別に何かを感じることはなかった。
 それは何故か、と考えると、他人に対し「漫然とした恐怖感はあるが、もともと他の人に殆ど関心を持たないため・・・」、「他人に大きく期待していない・・・」から、だったと思う。無視されるのは嫌だが、さりとて他人には関心がない、から実害もないと言う矛盾している感覚である。

 結果的に、私の人間関係は「来るものは拒まず、去る者は追わず・・」という形をとっている。初めから拒否する対象者は殆どおらず、私の人間関係は濃厚ではなくサラリとした薄い関係で終始している。だから、去られても困らない関係だからである。

 私には「知人はいるが、友達はいない」とまとめられよう。ましてや親友と感じたような人はいない。一般的にいう「友達関係」とは、「親友関係」とは私には理解し難い関係であるが、私に友人がいなかったのは、他人に対する恐怖感があるために胸襟を開くような会話ができないから、心の交流がなかったため?・・と考えている。

 他人に対する恐怖感を最も強く感じるのはエレベーターに鉢合わせた相手に対してである。必ずしも男性にだけではない。今まで何も悪き経験はないが、そのような状況ではさっと恐怖感が走り、緊張する。誰でも大なり小なりそのような感覚はあると思われるが、私にとってはとても大きい。私がどれだけ異常なのか、よその方と比較対象できないのが残念である。


7/15(金) 降雨午後はれ  大曲中通病院外来  飯川病院ボランティア
2:00飯川病院で起床。文献など読む、録音データ整理。7:50家内に送られi駅に、8:11こまち、9:00大曲中通病院外来。降雨と足低痛にてTaxi 。書店訪問後、15:30飯川病院ボランティア。微睡、読書、新聞チェッ ク。散水。19:30帰宅・夕食。21:00就寝。Σ6567、歩数計忘れた。

こころと体2022(58) 自己肯定感(1) 私は自己肯定感が身に付かなかった

 自己肯定感とは、「ありのままの自分を肯定する」こと。 自尊心とほぼ同義と考えられる。他者と比較することなく、自分自身を認め尊重することであり、生きることや物事を前に進めるための原動力となる、大事な自信というべき感覚である。


 私は、幼少の時から、若い時から、この自己肯定感が乏しく何事につけても消極的な人間だと考えていた。そのために苦悩を重ねたが、どうにか3人の子育ても無事終了し、一定の職務は果たした。


 齢を重ねて喜寿を迎えたので、この視点からもう一度自分を再評価したい、と考えた。


 自己肯定感という考え方は1994年に高垣忠一郎によって提唱された。年月が経ち、便利な言葉として多様な解釈がなされるようになった。

 特に教育現場においてが注目されるようになった。

 教育再生実行会議による第10次提言では、「自己肯定感を高め、自らの手で未来を切り拓く子供を育む教育の実現に向けた、学校、家庭、地域の教育力の向上」が、教育目標の一つに掲げられている。


 日本の子どもの自己評価が米中韓の子どもの自己評価に比べて有意に低いことが日本青少年研究所の調査報告などで指摘された。

 日本人の自己肯定感は子どもにとどまらず、若者をはじめ成人でも低いことが明らかになっている。

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 私は幼少期から学校の成績などとは別にこの自己肯定感がとても低かった。

 虚弱であったが、子供として周囲の評価は決して低くなく、期待もされていた。しかし、「無気力」、「消極的」、「劣等感」、「漫然とした不安感・恐怖感」・・・などに苛まれていた、と言えよう。


 原因として、家族の中で年齢的に最も近いのが35歳離れた母親であったこと、謹厳な祖父のもと発言力の乏しい両親を見て育った事・・などなどもその因子として挙げられよう。結果として「常に人の顔色を伺がっている腺病質な子供」として成長した。


 救いは、小学1年の時に出会い高校卒業まで共に暮らした1匹の猫であった。これが私にとって初代のネコであった。このネコと過ごしている時間は自分は自分らしく過ごし得た。今も複数匹のネコと同居しているが、彼らの姿を通じて初代のネコの面影を追っている、と言える。


 私は65歳の時に現役を退職したが、ずっと人間関係の構築では緊張を強いられていた。その面での大きなトラブルはなかったが、常に苦しんでいた。だから、退職を機会に社会的活動からは一切手をひき、準引きこもり状態として過ごしている。診療時の会話、家庭での会話以外は人と言葉を交わす機会はほとんどない。


 自己肯定感の乏しい自分にとってやっと安息が得られた、という感じである。


7/14(木)    快晴 暑い!!  午後飯川病院+当直 健康クリニック
1:30起床。新聞・文献等。データ作成、自炊データ整理。7:00-10:00暑くなる前に外仕事開始。庭見回り、草刈り14回目。東側ダリア付近。散水、収穫、可燃ごみまとめだけ。11:50バス通り街珈琲店経由飯川病院に、読書、微睡など。14:00-19:15勤務。14:30健康クリニック、入院患者対応。17:00当直に、18;00検食。読書、21:00就寝。歩数計12895歩。書籍データ化4冊。

季節の話題2022(18)  家庭菜園・園芸(11) ダリア(2)  開花シーズンの始まり

  ダリア栽培について今年はなかなか意欲が湧かなかった。マンネリか、私の老化による意欲低下か??


 一昨年からは仮植えを行う2段階的手法を導入した。

 5月1日、昨年より3週遅れで花壇の一画に条件のいい球根を10数ケ選び、腐葉土を中心とした柔らかな土に仮植えした。

 徐々に発芽し始め、5月15日過ぎには全株から発芽した。その成長を見極めつつ6月中旬にまでかかって球根を分割し、ダリアを住宅の前スペースの2辺に地植えし、鉢植え4ヶで合計31株植えた。


 7月4日そのうちの一株だけ狂い咲きした。大輪である。一般的に大輪花は成長が遅いのだが、・・・。



 7月13日中輪、小輪各一本が開花した。続いて数本の蕾が膨らみつつある。




 今年はやや遅れたがなんとかここまで来た。

 我が家のダリアの開花シーズンの始まりである。


7/13(水) 早朝降雨曇り、午後快晴  午後飯川病院 
1:00起床。データ整理などいつもと同じ。午前は天候良くなく庭に出て小作業のみ。読書中心。12:12バス飯川病院、微睡後、14:00入院患者対応。新聞書籍データ化、自炊3冊。 19:10帰宅・夕食、20:50就眠。歩数計5431歩。

季節の話題節の話題2022(17) 家庭菜園・園芸(10) キウリ、ナス、トマト、薬味ネギ
 私の野菜つくりの成果は食卓に新鮮な野菜が一時期上る程度である。


 6月21日キウリの初収穫があった。以降本日まで毎朝4-5本収穫できている。毎日朝夕の食卓に酢の物として食べる。これが一番私の好みにあっている。もちろん野菜サラダ、そのほかにも利用される。とにかくキウリは新鮮さが命。朝採りキウリをその日のうちに食べるのがベスト。

 今年はズングリのラリーノという品種を初めて栽培してみた。ラリーノは比較的新しいキュウリで、マーケットにはまだほとんど並んでいない。まだキウリとして認知されてはいない様である。細長いキウリに比して茎丈が低く、実はやや早く成長する。キウリは一気に成長して実をつけるから時間差栽培が必要になるが、期せずしてその目的にも叶った。多分お盆頃まで楽しめるだろう。


 ナスは7月2日に初収穫があった。ナスは成長が遅く数日に5-6本というところか。漬物に、ナス焼き、ひき肉との炒め物、味噌汁などに適宜活躍中である。ナスは9月初旬まで採れるだろう

(ある朝の収穫品 キウリはラリーノ中心。ちょっと過熟させてしまった)


 トマトは7月12日に初収穫。なかなかいいのがとれた。まだ数は少ない。これからが楽しみ。


(初採りトマト キウリは通常のタイプ)


 薬味ネギは今年初栽培、やっと食卓に。

 枝豆は植えた後に手抜きしてしまい、雑草に負けて芽が出ず、100%失敗、反省した。


 自家菜園はコスト面では割りに合わない。キウリ、ナス、トマト、ネギなどはスーパーで買うほうがはるかに安い。栽培前の土作りも大変、苗の購入時用も決して安くはない。栽培後も散水、草取りなど気が抜けない。


 しかしながら、採りたての野菜が食卓に上るのは最高の喜びである。完全有機栽培、無農薬栽培だから安心して食べられる。疑ってかかるわけではないが、売られている食品は安全だろうが、ホントかな?


 自然の恵みは素晴らしい。その感謝の気持ちは畑園芸関連の作業を通じて一層深く感じられる。これがいちばんの収穫かな?


 それに、私の場合は完全無農薬だから植物とともに昆虫も育てることになる。これも楽しみの一つである。


7/12(火)    快晴暑い 中通病院外来  飯川病院ボランティア
1:00起床、データ整理、本読みなど。5:30可燃ゴミ廃棄1ケ。6:40バス飯川病院、新聞切り抜きデータ化、8:45-13:00中通病院外来、患者中等度、されど疲弊。13:15飯川病院、微睡。ボランティア、散水など。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計9335歩。自炊数冊。

安倍元首相狙撃され死去(5) 個人的恨みで非業の死を遂げた 世界的損失である

 安倍元首相が、参院選の街頭演説中に銃撃され亡くなられた。

 私は安倍政権の政策の一部、長期政権を背景にした驕りの姿勢を批判していたが、安倍氏が暴力の犠牲となる所以は全くない。

 元首相が狙撃された事件は衝撃であった。


 政界・財界の要人に危害を加える事件は、歴史上後を絶たない。今回の狙撃事件をテロ行為の立場で論じているメディアもある。民主主義への挑戦、言論封鎖などと大きく捉えていたメディアもある。


 政治的目的をもつという意味でテロは単なる暴力行為と明らかに異なる。それらの目的には、政権の奪取や政権の攪乱・破壊、政治的・外交的優位の確立、報復、活動資金の獲得、自己宣伝などさまざまなものがある。これらテロリズムを行うテロリストは個人から集団、あるいは政府や国家などが含まれる。


 しかし、今回の事件は本当にテロと表現すべきなのだろうか。

 テロは、ある政治的目的を達成するために、暗殺等の過酷な手段で、敵対する当事者、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、攻撃の物理的な成果と、そこで生ずる社会的不安を通して、譲歩や抑圧などを図るもので、時に犯行声明などが発せられる。


 今回の事件の詳細が徐々に明らかになってきている。 要人への攻撃をテロリズムと断ずるには、その事件の分析と定義が求められる。


 暴力行為は勿論のこと、テロリズムに対して、きっぱりと対応する姿勢が必要である。言論、思想の自由の重要性はもちろんであるが、「思想には思想をもってあらそう原則」とともに「思想抹殺的行為の徹底的排除」が必要である。


 私は今回の事件は個人的な恨みを背景にした個人的な暴力行為だ、と思う。

 そうはいっても、その標的が国内外で数々の業績を上げ、いまだに重要な影響力のある要人だっただけにその影響は小さくはない。


 安倍元首相は非業の死を遂げた。銃規制が強く入手困難なために自作の銃を用いた蛮行であるが、不幸中の幸いとして周辺の一般人に被害が及ばなかったことは大きい。


 犯人は41歳で、定職に就いていなかった。彼は若き日から実母の宗教活動で貧困家庭不和を経験してきたようだ。だからと言って絶対に許されるものではない。暴力によって何も変えることが出来ないことを示すことが、暴力の連鎖を抑止する最大の行為となる。


 安倍氏が、長期政権を築き、自民党の最大派閥を率いる有力者であったことからその死は国際的にも衝撃を与えているが、日々、暴力にさらされている人々が周囲にいることにも思いを馳せなければならない。

 その暴力とは殺人や傷害、家庭内暴力や虐待、陰惨ないじめだけではなく、差別、 SNSによる集団リンチ的な誹謗中傷も含まれる 。


 経済的格差の放置も、当事者には「社会的暴力」となる。特に我が国では一度道を外れた場合、なかなか再出発が難しいとされる。それらの不条理が無差別殺人の背景になっていることは過去の事件の際に指摘されてきた。 


 社会の片隅で種々の暴力にさらされている人々にも目を向ける必要がある。
7/11(月) 快晴32℃  健康クリニックドック 飯川病院
1:45起床、寝不足ではないがファイト欠如。各種データ、特に自炊関係整理。そのほかはいつもの如く。微睡若干。6:40バスにて飯川病院。9:00-12:00健康クリニックドック、受審者13名、結果判定15名。実習生4名。12;15飯川病院、12;50検食、微睡。14:00勤務、患者対応。データ整理、自炊5冊。読書、19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計7415歩。

安倍元首相狙撃され死去(4) 元首相を欠いた政治的影響  岸田首相はどう乗り切るか

参院選を首相は大勝で乗り切った。予想通りであった。

 安倍元首相の銃撃による死去は投票率と自民党票に一定の影響はあっただろう。安倍氏は党内最大派閥を率いて政策面で岸田政権にも影響力を誇示してきた。首相にとっては目の上のたんこぶだっただろうが、大きな拠り所でもあった。

 その要の人物を失ない、党内権力バランスが大きく揺らげば、政権運営は試練を迎える。


 首相は、安倍氏不在が政局に与える影響について、「さまざまな影響がある」と答えて、「戦後最大級の難局」、「有事の政権運営」と表現した。その上で党内の「結束」に繰り返し言及した。


 岸田派は安倍派>茂木派>麻生派につぐ第4派閥。100人近い人数を擁する安倍派の支えがあり政権を得てきた。安倍氏の存在を常に気にかけてきた。 


 内政では物価高対策、改憲への姿勢、外交では歴史問題が絡む中国、韓国への対応、対露対応など枚挙にいとまがない。外交で安倍氏の存在は大きかった。対応次第で首相批判が噴出しかねない。

 首相は会見で改憲推進の姿勢を打ち出した。改憲案の国会発議に取り組む、と明言した。ただ、私は岸田首相は改憲への意欲はそれほど高くはない、と見ている。安倍氏への配慮と取れる発言に聞こえている。


 政権は今後、防衛力整備や防衛費の在り方を議論する。6月に閣議決定した経済財政運営の指針「骨太方針」の策定過程で、安倍氏は防衛費増額、国内総生産(GDP)比2%という目標や「5年以内に」という時期を盛り込ませた。


 首相にとって安倍氏の存在は時にプレッシャーにもなっただろうが、政策が安倍氏の賛同を得れば党内は収まった。党内保守派の要求が強い防衛費を巡る調整が今後の焦点となる。


 注目されるのが、円安、物価高の背景になっている「異次元の金融緩和」の行方。 日銀・黒田総裁は来年4月に任期満了を迎えるが人材選定をどうするか。

 もう一つ、参院選で公明党の改選議席減だ。自公関係は首相の懸念材料となるだろう。


 問われるのは岸田首相の政治観、日本を将来的にどうして行きたいのかのビジョンであるが、まだ見えてこない。願わくは、糸の切れた凧の如く政策が迷走しないことを望みたい。


7/10(日) 快晴31℃予想 参議院投票日 
1:30起床、文献検討等など,いつもの如く淡々と。蓄積データの整理中心。午前園芸関連、畑、トマトナス支柱に固定、収穫。昼NHKニュース、のど自慢。13:30家人とともに参議院投票、ゾンタに行く家内に同乗、断り切れず今回は会長になったそうだ。新聞データ化、書店訪問、資料作成手伝う。微睡作業若干読書、17:00書店。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計7788歩。

安倍元首相狙撃され死去(3) 業績「一億総活躍プラン」は今後の社会の問題点を網羅

 安倍元首相は任期が長くなるにつれ国会や国民を軽視するようになったと思う。国会答弁は徐々に紋切り型、早口、強弁、質問趣旨無視・・・・など、国会論戦を聞いていて不快になったことも、もう少しなんとかならないだろうか?などと感じたことも少なくなかった。


 しかし、そんなこととは別に、氏の偉大な業績は認めざるを得ない。

 特に、外交面での成果は国際的に評価が高い。国際的に要人から惜しむ声があがったのは当然でもある。しかし、プーチン氏に対し何らかのアクションしたかは分からないし、氏の死去に際しプーチン氏から何らかの表明があったのか、私は情報を得ていない。


 国内政策も次々と提起された。


 中でも「一億総活躍プラン」(2016)は日本の今後の社会のあり方を示していた。

 若者も高齢者も、女性も男性も、障害や難病のある人も、一度失敗を経験した人も、みんなが包摂され活躍できる社会の構築をうたっていた。

 強い経済の実現に向けた取組を通じて得られる成長の果実によって、子育て支援や社会保障の基盤を強化し、それが更に経済を強くするという「成長と分配の好循環」を生み出していく新たな経済社会システムの構築を目標とした。

 これは、岸田内閣の「新しい資本主義」にも通じるものがある。


 「1億総活躍社会」に掲げた目標をまとめてみた。今から見ても優れた内容であった。


 それだけ到達目標は高すぎ、実効性は乏しく成果を挙げた、とは言えなかった。

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■1 働き方改革  

   同一労働・同一賃金の実現  

   長時間労働の是正

■2 子育ての環境整備 

   保育士の処遇改善 確保・育成

   放課後児童クラブの整備:

■3 介護の環境整備

   介護の受け皿整備:2020年代初頭までに約50万人分を整備。 

   介護人材の処遇改善:月額平均1万円相当を改善。 

   多様な介護人材の確保・育成:

■4 すべての子どもが希望する教育が受けられる環境の整備  

   学びの機会の提供

   奨学金制度の拡充 

■5 「希望出生率1.8」に向けた取組  

   女性活躍、若者・子育て世帯への支援:子育て世代包括支援センターの平成32年度末までの全国展開。

   不妊専門相談センター:平成31年度までに全都道府県・指定都市・中核市に配置 して相談機能強化。

■6 三世代同居・近居:大家族で、世代間で支え合うライフスタイルを選択肢として広げるための環境づくりを推進。 

■7 子供・若者等の活躍支援:困難を有する子供・若者等に対して、地域若者サポートステーション等の関係機関が連携して伴走型の支援を実施。

■8 「介護離職ゼロ」に向けたその他の取組

   健康寿命の延伸、 障害者、難病患者、がん患者等の活躍支援

   地域共生社会の実現

■9 「戦後最大の名目GDP600兆円」に向けた取組(省略)

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 あまりにも総花的であるがこれらが達成されたら日本の社会はほぼ理想な状態になり得た。今回の参議院選でも各党の政策の中に取り上げられていた。


 実際に到達し得た目標は少ないが、今の社会の問題点を列挙しただけでも価値があると思う。


7/9(土) 超快晴33℃暑い 飯川病院午前日直
1:00起床、読書、文献チェック他いつもの如し。8:30回診に行く家内に同乗飯川病院に。9:00-12;30午前日直。勤務明け後も部屋で仕事、微睡読書、19:30帰宅、夕食。20;30就眠。歩数計4248歩。

安倍元首相狙撃され死去(2) 安倍元首相年表

安倍元首相の足跡。

 長期間にわたるために忘れかかったのもあったが、列挙するとその足跡の大きさをあらためて確認できる。

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■1993年初当選、 2006年首相に就任 第1次安倍内閣は2007年8月まで。

■2012年12月 第2次安倍内閣が発足 目玉は「アベノミクス」 

■2013年3月 日銀総裁に黒田氏 

■2013年9月 2020年の東京五輪開催を決定 

■2013年12月 首相が靖国神社を初参拝

■2014年4月 消費税率8%に 

■2014年5月 日朝がストックホルム合意。北朝鮮は拉致被害者の再調査を約束 

■2014年7月 集団的自衛権の行使を認める憲法解釈を 閣議決定 

■2014年11月 第2次政権以降、首相が初めて中国の習近平国家主席と会談 

■2014年12月 衆院選で与党が勝利、第3次安倍内閣発足 

■2015年8月 戦後70年の首相談話を閣議決定 

■2015年9月 安全保障関連法が成立 

■2015年12月 慰安婦問題で日韓合意 

■2016年5月 主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)を 開催 

■2016年5月 オバマ米大統領が広島訪問 

■2016年6月 消費増税を再び延期 10%への消費税率引き上げの2年半延期を表明。 

■2016年7月 参院選で与党が勝利 

■2016年12月 首相が米ハワイの真珠湾訪問 

■2017年5月 首相が2020年に新憲法を施行する意向表 明 

■2017年10月 衆院選で与党が勝利 

■2018年6月 森友問題で財務省が文書改ざんの調査報告書 

■2018年9月 党総裁選で首相が石破元幹事長に勝って連続3選 

■2018年10月 首相が約7年ぶり中国公式訪問 

■2018年11月 日ロ首脳会談。日ソ共同宣言を基礎に平 和条約交渉へ 

■2019年5月 皇太子さまが新天皇に即位。「令和」に 改元 

■2019年6月 20カ国・地域(G20)首脳会議を大阪で 開催 

■2019年7月 参院選で与党が勝利 

■2019年10月 消費税率10%に、軽減税率導入 

■2019年10月 菅原経済産業相、河井法相が相次ぎ辞任 

■2019年11月 通算在任日数が桂太郎を抜いて歴代最長 に 

■2020年4月 新型コロナウイルスの感染拡大で緊急事態宣言 

■2020年8月 体調不良で慶応病院で検査 

■2020年8月 連続在任日数が佐藤栄作元首相のもつ最長記録を超えトップに 

■2020年8月 辞意を表明 

■2020年9月 安倍内閣総辞職 

■2022年7月8日 狙撃され死去

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(日経の記事を参照。一部自分の新聞・文献スクラップデータで改変、資料としてまとめた)

コメント 


7/8(金) 晴暑い 安倍元総理狙撃  大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア  
1:30起床。文献読みなど。新聞雑誌スクラップ作成。5:00可燃ごみ集配所に。7:35Taxi駅に。8:11こまち、9:00大曲外来。往復は足低痛のためTaxi。11:30安倍元総理狙撃、詳細不明なるも心肺停止らしい。書店訪問、15:30飯川病院ボランティア、微睡、散水、新聞チェックと入力など。17:00安倍元総理死去。19:30帰宅、夕食、就寝。歩数計8002歩。

安倍元首相狙撃され死去(1) ご冥福をお祈りします

 7月8日、11:30頃大曲の診療応援の最中にメールの着信音が鳴った。メールは無視できる内容であったが、その際「yahooニュース」の画面が開かれており、そこに「安倍元首相奈良で狙撃され心肺停止!!!」の項目が飛び込んできた。


 全く信じられない事態で、その後、時折ニュースをチェックしたがしばらく詳細は不明であった。最初の報で既に心肺停止とあったことから心配していたが、17時頃に死亡されたと報じられた。


 恐らく、狙撃犯以外の誰一人として予想も出来なかったであろう卑劣な蛮行である。主義主張が違えど、暴力で封殺することは絶対に許されない。

 狙撃犯はすぐに逮捕されたが、41歳無職の男、単独犯で、動機は政治信条からではなく個人的な恨みであること仄めかす供述をしている、という。


 世界でも非常に銃規制が厳しい国で、警察による要人の警備も厳重でとても安全だとされてきた現代の日本で、考えられないような事件である。

 つい2年前まで日本の首相として、憲政史上最長の在任記録を持ち、現職の衆院議員であり、自民党最大派閥の長としても、国内だけでなく世界にも貢献してきた安倍元首相の死去は惜しんでも惜しみきれない。


 今は、静かにご冥福をお祈りするしかないが、氏の政治上の業績を振り返ってみたい。


7/7(木)  快晴暑い11:50 七夕  飯川病院
1:30起床。文献,録音データなど処理。読書、5:00ネコ対応など。8:00鉢植えボタン地植えに。バス11:50飯川病院、14;00勤務、入院患者、外来患者対応。散水、19:30帰宅、夕食、20:30就寝。Σ7056歩。書籍自炊4冊。

参議院選2022(14) 選挙の視点論点(10)  子育て問題

 日本の出生数が過去最少の約81万人に落ち込み、婚姻件数も急減している。


 今後も出生数が改善する見通しは立たない。従って人口は予測の通り7.000万人程度まで落ち込むことはやむを得ないだろう。

 だから、効果が乏しい人口問題をいつまでも繰り返すだけでなく、右肩下がりの国力の中で日本をどう運営していくのかの議論に切り替えなければならない。


 しかしながら、参議院選挙において人口問題の話題や提起は少なかっただけでなく将来的な日本のあるべき姿に対する提起はほとんどなかった。


 人口減は有効な対策は極めて限定的でほとんど有効な方法はないが、若い世代の出産・子育てへの希望を後押しする政策は重要である。各党はもっと危機意識を持ち、具体的な道筋を語ってほしい。


 公約で多くの党が強調するのは経済面の支援。アイデアでなく常に金のバラマキであるのが残念。

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●自民党は「大胆な児童手当や育児給付の拡充」を掲げる。「将来的には予算の倍増を目指す」

●立憲民主党は児童手当の所得制限の撤廃と高校卒業年次までの延長・増額をうたった。「国内総生産比3%台」

●日本維新の会その他は「実質的な出産費用の無償化と教育の完全無償化」など、出産、教育費の負担軽減。

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 子ども政策の財源については高齢者福祉に比較して踏み込みが足りない。視点が分散しすぎていることも一因。ここ10年ほど児童手当制度をめぐる見直しが相次いだのも、財源不足が大きな要因。


 仕事と子育てを両立しやすくすることも重要だ。多くの党が男性の育児休業の促進をあげ、非正規社員でも育休を利用しやすくするなどの主張も目立つ。公明党は「短時間勤務制度」の延長を検討するとした。


 子育ての期間は長い。働き方改革と支援策とが整わなければ効果は上がらない。先進国のなかで著しく女性に偏っている家事・育児負担の是正も欠かせない。

 少子化の最大の要因は未婚化だ。

 加えて、結婚している夫婦が2人目、3人目を持てない理由の第一が教育費である。非正規の増加などで経済基盤が安定せず、希望がかなわない人が多い。就労支援や非正規の処遇改善などを少子化対策として正面から位置付ける必要がある。


 少子化と子育てのしにくさは、長年の高齢者の社会保障対策に主眼を置いてきた政策の不十分さの反映でもある。国の社会保障のあり方を声高に批判してもいいと思う。

 若い世代は自分達の生活環境を整えるために、各党や候補者の主張をしっかり吟味し、投票してほしい。


7/6(水) 晴れ32℃ 飯川病院 
1:00起床。文献チェック、読書歴史関連書籍、あさま山荘事件関連本他。8:30外仕事若干、畑周辺草刈り13回目。東側に除草剤まく。 10:30受診の石井さん迎えの車に同乗、久保田新橋、千秋公園のコイに給餌。11:00飯川病院。昼微睡。14:00勤務。入院患者対応。読書他、散水。19:30帰宅、夕食、20:25就眠。歩数計6240歩。

参議院選2022(13) 選挙の視点論点(9)  社会保障

 少子高齢化が加速していく中で年金、医療、介護をどうやって維持していくのか。社会保障制度に対する国民の不安は根強いのに、参院選での論戦は低調だ。


 各党共、有権者を納得させるような施策がないのが原因である。かつて高齢化率がやや低い時は高齢者に向けて甘い政策を提示でき、票を集めた。それがシルバーデモクラシーである。

 しかし、もう甘い話はできない。


 今回の選挙での当選者は任期中に2025年を迎える。2025年は「団塊の世代」の全員が75歳以上の後期高齢者となり、医療・介護費用が増大していく。一方、高齢者を支える20〜64歳の人口は2025年から40年にかけて1.000万人以上も減少する。現役世代が高齢者を支える、現在の仕組みの社会保障が限界を迎えるのは明らかだ。


 2025年をどう迎え、40年にどう備えるか。これは今後6年の任期を与えられる参院議員にとって最重要課題のはずだ。

 ところが、今回の参議院選で示された各党の公約は、給付の充実策が前面に出るだけで、制度の持続性を高める改革案はない。


与野党の社会保障に対する公約

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●自民党の公約は「世代間の公平性や制度の持続性の観点から負担のあり方を検討する」と、まだ何も決まっていないらしく、何を言っているのかわからない。

●立憲民主党や国民民主党は最低保障機能を強化した年金制度の検討を掲げている。だが財源や給付水準など具体像は示していない。

●日本維新の会などが掲げる、減税と現金給付を組み合わせる給付付き税額控除も同様だ。

●社会保障の安定財源を確保するために、消費税率引き上げも議論しなければならない。特に物価高対策として消費税率の引き下げを訴える野党は、社会保障の財源をどうするのかきちんと説明してほしい。

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 年金は将来の給付水準が著しく下がるのを防ぐために2004年に制度改革をおこなったが機能していない。この時の主な改正点は、

 (1)13.58%の厚生年金保険料を04年10月から毎年0.354%ずつ引き上げ、2017年に18.30%(労使折半)になったところで固定。

 (2)年金給付は負担の範囲内でバランスがとれるようにし、マクロ経済スライドにより、2023年度に50.2%まで抑制する、としたもの。


 2022年度の基礎年金額は月額6万4.816円だが、年金財政の悪化が反映され、2046年以降は2019年時点の額に換算すると約4.7万円まで目減りする。これで生きていけるのだろうか。


 各党は厚生年金の適用範囲を拡大して、パートタイム労働者らが報酬比例年金を得られるようにする方針を掲げているが、働いている高齢者が今から積み立てても雀の涙程度だろう。さらに、自営業者らは対象外なので低年金問題の決め手にはならない。


 繰り返すが、要するに、各党共、有権者を納得させるような施策がないのだ。


 いつも同じことを書くが、この問題は半世紀も前から予想がついたこと。人口問題と同じで問題的されながら最近まで放置してきたためにもう不可逆的状態に至った。今後の社会保障を賄うには消費税を20%以上にしなければならない。多分国民生活は成り立たなくなるだろうが、計算上はそうなる。


7/5(火) 雨のち雲  外来  飯川病院 
1:00起床,新聞、文献読み、自炊2冊、その他いつものごとく。5:00可燃ゴミ提出。徒歩6:40バス飯川病院。8:45-12:40中通外来。飯川病院へ、14:00-19:15勤務、終了後微睡、19:30帰宅夕食、20:15就眠。Σ9151歩。

参議院選2022(12) 選挙の視点論点(9)  エネルギー問題

 ロシアによるウクライナ侵攻などの影響で国際的に原油やLPGの流通に変化が生じ、燃料価格や電気代が高騰し、家計を直撃している。


 2018年の日本のエネルギー自給率は11.8%(2010年20.3%)で、他のOECD諸国と比べると低水準。化石燃料は輸入に頼り、依存度は85.5%。LNG輸入はロシアからは全体の8%と少ないが、エネルギーの流通は世界的に大きく変わっていく。

 エネルギーは、食料と並び戦略物質となった。


 エネルギー資源が乏しい日本の苦しい現実と化石燃料への依存体質が改めて浮き彫りになった。第一次、二次オイルショックの時代から見て、中東への依存から切り替えつつあると言えども化石燃料は輸入に頼らないざるを得ない。


 ガソリン価格高騰は国民の生活、流通業界、農漁業、林業にまで影響が大きいから、政府は石油元売りへの補助金を通じて燃油の価格を抑制している。当初3月末までの時限措置だったが延長を繰り返し、終了のタイミングは見極めが難しくなっている。


 気候変動が深刻化する中、脱炭素の取り組みは欠かせない。エネルギーの安定供給と脱炭素をどう両立させるのか。エネルギー政策のありようが問われている。


 福島県にある一部の老朽火力発電所が地震の影響で操業を中止したこともあって電力需給も厳しい。猛暑の折、政府が東京電力管内に電力需給逼迫注意報を出す事態となった。節電や省エネで夏場を乗り切る構えだが、一層需要が高まる冬に向けた備えも必要となる。


 エネルギーの供給と価格の安定をどう図るかは喫緊の課題。各党、各候補は論戦を通じ選択肢を示さなくてはならない。

 中でも、原発に対する姿勢が争点の一つとなっている。

 各党の公約は再稼働推進か反対かに大別される。


 自民党など推進する側は、エネルギー逼迫を想定して「原子力の最大限の活用を図る」などと明示。CO2抑制の効果も訴える。


 一方、稼働で生じる核のごみの問題は解決されておらず、東京電力福島第1原発ではいまだ事故処理が続く。ロシアのウクライナ侵攻では原発が武力攻撃を受けたこともあり安全性への不安は根強い。


 再生可能エネルギー導入の意義は大きい。ただ、太陽光発電は快晴の日の昼は出力制限が必要だ、という。それほど普及したのか、と驚くばかりである。だが、風力や地熱発電などの施設整備などに時間とコストがかかる。しかも、国の危機感が乏しかったためにこの方面での産業は育たなかった。太陽光、風力の場合は殆ど中国産で賄われている。

 再生エネルギーの場合は発電量の変動に対応するための蓄電設備、補完電力の確保の課題も残る。


 政府は2050年の脱炭素社会実現を掲げる。再エネの比率を高めることは脱炭素化を進めるだけでなく、エネルギー自給率を高める安全保障の側面を併せ持つ。新たな産業振興や雇用創出につながる可能性も秘めている。この面での遅れが悔やまれる。


 ウクライナ関連でエネルギー流通がどのような形で落ち着くのか見通せない。

 私は原発には反対の立場であるが、現状では「最少限に原発を利用しながら」新エネルギー時代を迎える準備を進めること、と思う。そのためには道筋を明らかにしなければならない。


7/4(月) 曇り午後快晴 健康クリニックドック  飯川病院 KDDI復旧
1:00起床、医学文献等など中心に読書、録音データ整理。 KDDI POVO回線電話3:00に回復したようだ。家内のは遅れて15:00頃回復。6:40バス飯川病院。9:00-11:50健康クリニック、ドック15名、レントゲン読み結果判定15名。ちょっと過剰気味。12:10飯川病院。14:00-19:00業務。17:30散水など。自炊5冊。19:30帰宅夕食、20:30就眠。Σ7800歩。

参議院選2022(11) 選挙の視点論点(8)  経済:日本の借金財政
 私は日本の経済の仕組みがよくわからない。また日本の政治家の経済の考え方がよくわからない。


 国の経済は税収によって賄われるべきものと理解するが、景気低迷の近年、毎年の国家予算の半分程度しか税収がない。不足分は国債を発行して賄っている。


 景気対策として国債発行は多額である。国債に頼ることは他の多くの国のにも共通することであるが、諸外国の場合は自国で十分購入力がないため国外から購入してもらっている。要するに外国から借金している。

 一方、我が国の場合は国債は日銀や国内の金融関連の企業が購入していて諸外国からの購入には大きくは頼っていない。


(国債の保有率 民間の比率が減少しているのも気になる)


 しかしながら借金財政は膨張し、国の借金は6年連続で最大を更新して2022年3月末時点1.241兆円と過去最大を更新した。 COVID-19対策等の財政出動などで、21年3月末から24兆8.441億円増加した。


 私が知っている国債に関する話題として、ギリシャの経済破綻がある。ギリシャは2009年10月頃から経済破綻を迎えつつあったが、これに拍車をかけたのがギリシャの国債を購入していた諸外国が償還を求めた頃であった。これで一気にギリシャの経済が破綻した。


 政治家は、与野党ともに、国の借金を際限なく膨らますことをどう考えているのだろうか。歳出拡大や減税ばかりを強調し、財源確保を語らない論戦に、私は不安が拭えない。


 与野党の歳出増につながる政策

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●物価高対策、●消費税減額または廃止、●子育て、●脱炭素、●防衛予算の大幅増額、●「生活安全保障として児童手当拡充、●学校給食の無償化など、●・・・・・

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 参院選で、物価高への対策が喫緊の課題であるのは間違いない。だが、原資に余裕がないから適所に配布するなら納得できるが、各党の訴えは、バラマキ合戦の様相を呈している。集票のためだろう。万人へのバラマキなど支持できない。


 一方、立憲民主党や日本維新の会などの野党各党は軒並み、消費税の減税・廃止を公約に掲げる。しかし、一律に減税する合理性は乏しい。

 昨年来、税収がちょっと増え65兆円、その主役は消費税で消費税が22兆円。やっと軌道に乗りつつある消費税、国の財政を大きく支えている。消費税は社会保障費をまかなう基幹税だ。巨額の税収が失われれば、社会保障の持続可能性への懸念が強まる。


 かつては財政再建が大きな争点になった。COVID-19禍で政府の巨額の借金がさらに積み上がったにもかかわらず、どの主要政党も財政を立て直す道筋を論じない。異常だろう。この面での政治家は無能?でないかとも思う。


 政治家の発想は半世紀も放置してきた人口問題と全く同じ。どの政権も責任を取らない。無責任政策である。


 私の、国の経済に対する考え、不安が大きく間違っていることを望む。


7/3(日) 雲ひとつない快晴 暑い 夕方畑と散水  KDDI電話不通
2:30飯川病院にて起床、画像データ整理他。7:00検食、花壇に散水。新聞データ化、自炊数冊。11:30回診に来た家内に同乗帰宅。のど自慢楽しむ、読書、微睡、データ整理。16:00-18:00庭畑作業。キウリの棚追加。19:00夕食。20:55就眠。歩数計5490歩。

参議院選2022(10) 選挙の視点論点(7)  物価高
 私は日常生活上で買い物はほとんどしない。生活用品、食品等は家内や賄いの石井さんの担当分野である。

 私が購入するのは書籍中心。しかし物価高騰は実感できる。私が好むのは文庫本、新書であるが新刊書は千円前後になった。ソフトカバーは2000−2500円前後となる。


 ラジオニュースでは値上げのニュースが頻繁である。食品値上げはもう一万品目にも達しているともいう。通勤のたびにガソリンの値上がりがわかる。

 食品や日々の暮らしに欠かせない物品は節約が容易ではない。


 これらの値上がりは昨年から始まっている。値上げの理由は多岐に渡る。そこにロシアのウクライナ侵攻による流通障害と、世界的インフレ抑制のための主要国の金利の上昇の煽りを食らって24年ぶりの急激な円安が追い打ちをかけた。


 生鮮食品を除く4月の全国の消費者物価指数は前年同月比2.1%上昇。実質賃金が上がらない中、年金支給額が減る中での物価高であり家計への負担は深刻だ。EU諸国では8%らしい。


 政府は4月に物価高騰への緊急対策をまとめているが、よくわからない施策で物価高の長期化が避けられない中、不安を解消できる対策とは言い難い。

 野党は「対策が不十分」と訴え、物価高を積極的に争点化している。


 立憲民主党を含む野党はいずれも消費税の減税や廃止を主張。確かに10%の消費税上乗せは消費者には厳しい。ただ年金など社会保障の財源となる消費税を減じる影響は大きい。減税しても社会保障費は減ることはないから財源を国債に頼らざるを得ない。消費税減税は手っ取り早い政策なのだろうが、現実的にはどうなのだろうか。私にはわかり難い。他の方法はないのだろうか。


 物価高と言っても誰も得をしていない。


 ならば、少々の物価上昇に家計が動じないように賃金を上げればいい。これも各党が公約に盛り込む。野党には最低賃金「時給1500円」目標も目立つ。大企業は多額の内部留保を持っているだろうが、零細企業は存続するだけで精一杯、賃上げは困難だろう。これもよくわからない方針である。


 首相が当初掲げた「所得倍増」は「資産所得倍増」に変容している。所得を上げる方法が乏しいから持ち金を投資の形で有効活用させようということ。これも万人ができるというものではない。


 国民の家計への負担軽減策として広くばらまけばいい解決するというものではない。国民はこんな時には消費生活のコントロールで賢しく対応する。それでも生活困難な方々に支援することに尽きるだろうが、どう判断するのか。


 物価高対策が参院選の最大の争点といわれるのは当然のことだ。参院選で議論を戦わせてもらいたいが話題は消費税に偏っていて参考になり難い。

 私に、悔しいが名案はない。


7/2(土)  曇りのち快晴 飯川病院日当直 外来レセプト点検 KDDI電話不通

1:00起床、文献チェック他いつもの如し。録音データ大量整理。8:30出勤する家内に同乗、飯川病院に。9:00日当直に就く。新聞データ化。12:00検食、読書中心。微睡、13:00-14:00外来レセプト点検、外来患者数減少しかかっている。18:00検食。読書に集中。22;30就眠。歩数計5226歩。

参議院選2022(9) 選挙の視点論点(6)  食料危機(2) 漁業

 日本は国土こそ狭いが世界で6番目の海洋国である。

 しかし、漁業の状況は厳しい。近年漁獲量は減少している。漁獲量は1980年頃は1300万トン、2017年は430万トン。にもかかわらず食卓に魚介類が並ぶのは、約半分を輸入に頼っているから。


 食用魚介類の自給率は2017年は55%。日本の水産物の輸入金額は約1.8兆円で、アメリカの約2兆円に次いで世界第2位。世界の水産物の漁獲量は過去50年で2倍以上に増加、資源は枯渇状態にあるとされる。


 その結果、養殖による生産量が一気に増えたが、高級魚1Kgを得るのにその5-7倍の餌が必要と問題も多い 。これは畜産も同じ。先進国では肉食が旺盛であるが肉用牛の体重1kg増やすのに約10〜11kgの飼料を必要とするなど非効率でもある。

 高級な食材を求め続けるならば世界の食糧難は解決しない。


 イカなどの魚介類が深刻な不漁に陥っている。背景にあるのが、世界的な乱獲。 気候変動に伴う海水温の上昇も重なり、海洋水産物の3割超が将来、海から姿を消す可能性があるとの調査もある。

 日本が食文化を守るためにも「水産資源を保護する国際的なルール作りが必要」と専門家は説く。


 漁業・養殖業生産統計によると、獲がれた海洋水産物の総漁獲量(養殖除く)はピークだった1984年の3分の1以下に落ち込んだ。統計を確認できる5年以降で最少だ。


 要因は海水温の変動や繁殖周期など様々だが、特に懸念されるのが乱獲だ。近年は中国などの大型漁船が日本近海で操業するケースが目立ち、資源減少の一因となっている。スルメイカの場合は中国漁船による乱獲が懸念されている。 2019年は日本海に出漁した中国漁船が約15万dを漁獲したとみられる。スルメイカの国内漁獲量の3.7倍に相当する。


 国連食糧農業機関(FAO) によると、世界の海で持続可能な水準にある漁業資源は1990年に80%だったが、2017年は68%に低下。 残る34%は将来、乱獲のために海から姿を消す恐れがあるという。


 2021年のロシアからの水産物輸入額は一全体の1割弱に当たる約1380億円。ロシア産水産物の流通が滞れば、さらなる値上がりも懸念される。


 多くの魚種については、各国・地域の間で漁獲量を把握し、共有する仕組みは整のっていない。

 「漁業は国際的に利害が対立しがちで、日本もルール作りには後ろ向きだ」と指摘。「このまま価格が上がり続ければ、日本の食文化への影響は避けられない。


 今回の参議院選挙において漁業問題を正面から取り上げた候補者はいない。今のところなんとか食卓に乗っているからであろうが、漁業資源を守るためにも、目先の状況にとらわれず取り上げ、国を動かしてほしい。


7/1(金) 霧雨  大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア  
2:00起床。文献読みなど。5:30可燃ゴミまとめと提出。7:35Taxi秋田駅東に。8:11こまち、大曲市内往復徒歩不可、9:00大曲外来。書店訪問など、15:30飯川病院ボランティア。新聞チェック、読書、微睡など。19:30通りまち書店経由で帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計8345歩。

参議院選2022(8) 選挙の視点論点(5)  食料危機(1) 農業
 国際的に食料は逼迫しているのに我が国はカロリーを指標とした2020年度の食料自給率が37%と過去最低。統計を始めた1965年度の73%から半減した。政府は2030年度の目標を45%に据えるが、下落傾向に歯止めはかかっていない。ただし、この数値にはカラクリがある。


 食品は輸入に頼り続けてきた。コメ以外は軒並みに輸入品で賄われている。

 世界的に見て食品生産量は温暖化、砂漠化とかで頭打ち状態にあり、発展途上国の生活向上に伴い自国の食品需要量は増加しつつあり、供給量は減少しつつある。

 現在、食品は兵器と同じく戦略物質化している。特にロシアのウクライナ侵攻によって世界の食糧供給の様相は大きく変わりつつある。今までは我が国は豊かな資金力を背景に食品を獲得できてきたが、今後は厳しくなるだろう。


 食料受給率の向上が必須と考えるが、その意味と国の食糧自給の方針がわからない。

 カロリーを指標とした食料自給率が37%であることはとてもわかりやすい指標であり、この数値の低さは国民にある種の危機感をもたらす。逆に、食糧輸入が比較的良好であることを示している。


 すなわち、食料自給率の値は国民の食生活の実態、困難さをを示しているわけではない。例えば、食品の輸入量が激減すれば流通量は減少するだろうが自給率は上昇する。輸入量がゼロとなれば自給率は100%になる。カロリーを指標とした自給率は食糧危機を示すものではない。


 国際的にはカロリーを指標とした自給率はほとんど通用し無い統計数値という(参考飼料:浅川芳裕著『日本は世界5位の農業大国』)。


 日本は国土こそ狭いが降水量も多く、世界に名だたる肥沃な土地を持つ。四季がはっきりしていて多くの農産物に対応できる。だが、少子高齢化によって休耕田が目立ち、農作放棄地も増えている。


 不測の事態が起きても食料を安定的に提供することは国の責務。各党、各候補は選挙戦を通じて食料安全保障の強化に向けた道筋を示して欲しい。しかしながらその論議は一般に低調である。


 農水省によると、農業を主な仕事とする「基幹的農業従事者」は2020年に136万人。10年間で70万人近く減り、現在は65歳以上が7割を占める。一方、2021年の農地面積は435万ヘクタールと10年比で5%減った。ジリ貧状態である。


 今後の農業は規模拡大による効率化、ITを活用したスマート農業推進が不可欠だ。

 食料安保を考える上では生産性向上と農地保全を両立することが重要だ。いかにバランスを取り、全体の生産量を増やすか。各陣営の主張を見極めたい。


 2021年の農産物輸入額7兆388億円のうち、6割は米国や中国など6カ国が占める。国内生産量を高めると同時に、相手国との関係強化と、リスク回避を図る輸入先の多角化を進める必要がある。


 ロシアによるウクライナ侵攻や円安の影響を受けた肥料価格、燃料費などの高騰も農業経営を直撃している。営農維持に向けた支援が急がれる。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
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