徒然日記
2022年2月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記



 2/28(月)快晴温暖  健康クリニックドック 飯川病院  
1:00起床。新聞・文献チェック。徒然など。曜日間違い可燃ゴミまとめと集積所に運搬。結局再搬入し自宅に、明日廃棄。6:40バス飯川病院、9:00-11:50健康クリニックドック14名、結果判定13名、意外と時間がかかった。12:00飯川病院。微睡、14:00-19:00勤務。入院患者対応。データ入力と整理、19:10帰宅、夕食、20:30就寝。Σ7406歩。

ウクライナ情勢(6) プーチンは核使用の可能性をチラつかせた
 ロシアは2月21日ウクライナの一部を併合、
 2月24日侵攻開始。以降激しくミサイル攻撃を繰り返している。
 2月27日ウクライナ・ロシア間で停戦交渉が始まることとなった。現時点では平行線。一方、戦闘は激化している。

 ロシア軍がプーチン大統領の指示を受け、戦略核の運用部隊が「特別態勢」に入ったと発表した。核による威嚇で欧米の動きを牽制するのが狙いだとしても、越えてはならない一線を越えた。核使用をちらつかせた核大国による威嚇は、キューバ危機が有名。当時のフルシチョフ書記長とケネディ大統領の時代である。

 なぜいま「戦略核」強調したのだろう。短距離ミサイルによる「核」だけではなく、大陸間弾道ミサイル(ICBM)などの「核」を強調しているのも奇妙だ。実際の使用は想定しにくいが、プーチン氏の意図は何か??ウクライナ側につく欧米への威嚇だろう。

 軍事侵攻に突き進んだプーチン氏がとれる選択肢は狭まり、切り札がなくなりつつある。
 一方、ウクライナ情勢はロシア側がやりたい放題やっていても、ウクライナはNATOにも参加していないから、欧米側にとっては所詮他国の問題であり簡単には手を出せない状況にある。このまま侵攻を進めればウクライナは焦土と化す。

 話題になっている核は、より小規模なものだろうが、破壊力は広島に投下された原爆をはるかに上回る。
 米国はプーチン氏にどう対応するのか。バイデン氏は核戦争への懸念は「ない」と語ったが、想定外のことが起きるリスクはあり得ないことではない。ロシアが示した核戦略について日本を含め国際社会は最大限の抗議を発せねばならない。

 プーチン氏は侵攻前も、「最強の核大国だ」「介入すれば経験したことのない結果を招く」と発言していた。そんなことは誰でもわかっている。武力侵略に有無を言わせないために、世界の安全を人質に取った脅しだ。
 今回の核戦略をちらつかせたロシアの行動は、世界が堅持すべき核不拡散体制への重大な挑戦である。

 核による脅しも他国の主権侵害も、絶対に容認されないことを国際社会は結束した行動で示す必要がある。


2/27(日)寒波緩む 快晴 飯川病院日直
1:10起床、本読み。データ整理。午前8:30回診に行く家内に同乗、飯川病院、日直につく。日曜討論、新聞文献データ入力、微睡、読書など。12:00検食、NHK「のど自慢」なし。午後も同様、急に春めいてきた。19:30帰宅夕食、20:30就寝。Σ4897歩。

ウクライナ情勢(5) 2月24日ロシアがウクライナに侵攻
 
ロシアは2月21日ウクライナの一部を併合、一方的に独立国とする大統領令に署名した。
 独立国の領土を他国の大統領が勝手に分割するなど、ウクライナの主権を踏み躙る行為であり、こんなことを許していいものか?

 2月24日、ロシア軍がウクライナへの軍事侵攻を開始した。
 独立国の主権を武力で踏みにじるのは国際社会の秩序をないがしろにする暴挙であり、断じて容認できない。

 ロシアのプーチン大統領は国民向け演説で、親ロシア派武装勢力が実効支配するウクライナ東部での軍事作戦実施を決定したと表明。ウクライナの非軍事化が目的とし、同国の占領は計画していないと述べた。
 ロシア軍は、ウクライナの首都キエフなどの軍事施設をミサイルで空爆。ウクライナ当局などによると、北部のベラルーシ国境やロシアが実効支配する南部クリミア半島との境界の施設が攻撃を受けた。死傷者も出ている。

 プーチン氏は2月21日にウクライナ東部独立を一方的に承認し、住民保護を名目に派兵を命令。米国と欧州諸国、日本などは経済制裁の第1弾を発動した。
 侵攻により、米欧などとロシアの対立は深まった。各国は躊躇せず経済制裁強化を打ち出すべきだ。侵略は重大な代償が伴うことを国際社会が一致して示すことには意義がある。

 北大西洋条約機構(NATO)が冷戦終結後、東方への拡大を続けてきたことにプーチン氏は反発。米欧から軍事支援を受けるウクライナが将来的にNATOに加盟すれば、安全保障上の重大な脅威になると主張していた。 ウクライナには独立国家として自らの安全保障政策について決める権利があり、ロシアの要求には無理がある。

 プーチン氏はロシアとウクライナは「一つの民族」と主張する。そういう捉え方は可能だろう。しかしながら、それと侵攻とはどんな関係があるのか??

 ウクライナでは侵攻に備え、高齢者や高校生を対象にした軍事訓練も行われているという。10代の若者たちが実際に武器を取って戦い、血を流すようなことは何としても避けたい。
 ウクライナには独自の文化がある。主権国家として国連に加盟し、国際社会が承認している。
 現ロシアが近隣の独立国を「属国」の様に扱うのは時代錯誤。プーチンもボケたか??

 国際社会の側も外交による解決の道を閉ざしてはならない。多くの国がロシアに対する厳しい制裁を通じて毅然たる態度を示し、粘り強い外交努力を継続することを期待したい。


2/26(土)曇り小雨 風除室猫トイレ改修、床掃除など
 1:00起床。早朝午前は新聞、文献、徒然など、微睡読書ゆったり進める。午後は風除室ネコトイレ改修、床掃除など、敷物除去など。19:00夕食、20:15就寝。歩数Σ4252歩のみ。

ウクライナ情勢(4) 2月21日ロシアがウクライナの親ロシア地域の独立を承認
 ロシアのプーチン大統領が21日、ウクライナ東部の親ロシア派が事実上支配する地域の独立を承認した。平和維持を口実に同地域に派兵もするという。
 プーチン氏は西欧諸国の首脳と外交交渉を進めながら裏でウクライナ東部の独立策を進めていた。

 2014年のクリミア半島併合に続いて、再び武力で現状を変更する試みだ。15年に独仏の仲介でまとめたロシアとウクライナの和平案「ミンスク合意」も事実上破棄した。
 ウクライナの現政権がが西欧寄りの姿勢を持っているが、プーチン氏は、西側諸国の影響力を排し、ウクライナを自らの「勢力圏」に置くつもりなのか。主権国家を蹂躙し、国際秩序を踏みにじる行為を見過ごすわけにはいかない。そもそも、他国が勝手によその国の領土を分割できるなど考え難い。

 ロシアはウクライナとの国境近くに10万人を大きく超える部隊を配備し、軍事的緊張を高めている。西側諸国は何度も警告を発し、自制を促してきたが、受け入れられなかった。

 武力による現状変更を禁止した国連憲章に違反することは明確。国連安保理は21日、緊急会合を開き、この問題を協議した。大半の理事国は反ロシアの姿勢である。いまこそ国際社会としてロシアの暴挙を弾劾すべきだ。中国はロシア支持を明確にはしなかった。

 ロシアに対しては経済制裁を行う。バイデン氏は21日、独立承認した地域との貿易や新規投資に米国人が関与することを禁じると発表、22日には追加措置も決める。日本も主要7カ国(G7)と連携して、相応の制裁に加わる。

 ロシアの大規模部隊も撤収しないまま、本格的な軍事侵攻を許さないためにも、外交努力は続けるべき。国際社会は一致して毅然とロシアに立ち向かってほしい。ウクライナの独立が脅かされれば、「力による威嚇」が定着する。アジアにも影響が波及する恐れがある。そうなれば我が国の領土も危険にさらされる可能性がある。

 冷戦が終結し、ソ連が崩壊して30年を超えた。再び高まる分断の危機に世界はどう立ち向かうのかが問われている。


2/25(金)曇り小雪寒波ゆるむ 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:10起床。文献・データ整理、読書。5:30可燃ゴミ廃棄。7:20Taxi駅に、8:11こまち、8:55大曲中通病院外来。病院駅間は往復Taxi。15:30飯川病院ボランティア、微睡。新聞記事チェック、入力ほか。患者の急変あり、20:00帰宅、夕食、21:15就寝。歩数Σ7490歩。

ウクライナ情勢(3) ロシアがウクライナの一部併合 私にとってウクライナ? 
脅威を与え続けていたロシアがウクライナの一部を併合、一方的に独立国とする大統領令に署名した。ロシアの具体的行動が明らかになった。独立国の領土を他国の大統領が勝手に分割するなど、ウクライナの主権を踏み躙る行為であり、こんなことを許していいものか?
 今後の両国の動き、欧米の動きを注視する必要がある。
 国際法なんてなんの役に立つ??国連なんて??と思う。

 ウクライナとロシアは歴史上複雑な関係を持つが、ソ連崩壊後から現在に至るまで政治的緊張が続いている。
 ウクライナはロシアよりもEU(欧州連合)諸国との関係を強化することを目指していた。同様の立場を取るグルジア、アゼルバイジャン、モルドバとともにGUAM(4か国の頭文字)と呼ばれる連合を結成。ウクライナ自身が将来のEU加盟を希望している。さらにする様なことがあってはロシアにとって脅威になることである。しかし、クライナはNATOに加盟を決めたわけではない。

 私にとってウクライナに関する知識はどれだけあるか、というと甚だ心もとない。
 チェルノブイリ原子力発電所事故とウクライナのキエフを拠点とする国立バレエ団の存在くらいか。
 いつでも調べられると思い前向きではなく、不勉強であった。

 チェルノブイリ原子力発電所事故は、1986年4月旧ソ連の構成国、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国のチェルノブイリ原子力発電所4号炉で起きた。深刻な事故を示すレベル7に分類された。この事故に関しては福島第一原発事故もレベル7であり、比較しながらかなり勉強したが、将来のことはよくわからない。それは福島と同じである。

 ウクライナのキエフを拠点とするキエフバレー団は2年前に秋田でも公演を行った。
 
 (2019年12月秋田公演のパンフ この時の公演は録音音源が用いられた 経費の問題だった、と推定できた)
国立キエフバレー秋田公演 「くるみ割り人形」 秋田市文化会館

 1867年に設立。旧ソ連時代の1970年代にロシアバレエの伝統を受け継ぐバレエ学校とともに広く知られるようになった。
 ウクライナ情勢が緊迫する中でも、名門キエフ・バレエは公演を続けている。「観客に芸術で喜んでもらいたい」「気持ちが楽になってほしい」。日本人も活躍するバレエ団のダンサーたちはそんな思いを抱きながら、つい先日まで社会の重苦しい雰囲気を和らげることを願って踊っていた、と言う。
 しかし、状況がさらに悪化し、キエフバレエだけでなく、多くのバレエ団が上演をやめ、多くのバレエダンサーたちがレッスン場に通うことすらできない事態に陥っているようだ。

 キエフバレエ団は2022年12月秋田市に完成予定の「あきた芸術劇場」でウクライナ国立歌劇場管弦楽団ととも来秋し「白鳥の湖」公演が予定されていたが、おそらく実現不可能と考えられる。残念なことであるが、そんなことより、一刻も早くウクライナに平和が戻ることを願いたい。


2/24(木)寒気若干緩む曇り晴 飯川病院 
1:00起床。文献・データ整理、読書。午前は座学中心、読書文献中心。10:50バス飯川病院。iMac27大曲に送る。新聞チェックなど。文献入力多数。14:00-18:45飯川病院。患者急変にて院長救急車にて市立病院へ。20:00帰宅、夕食、21:15就寝。Σ6172歩。対ロシア対策世界中で。

徒然ネコ談義2022(10) 地域ネコ活動(2) 私の場合 
私の場合、初代のネコは別であるが、それ以降の約10匹は野良ネコをやむなく保護し、飼育しているのであって、彼らの生活、命に関しては責任を感じている。
 一般的に語られるような野良ネコ達には一切興味も関心もない。

 もし、私がネコ好き?と問われれば、いろいろ感慨はあるが説明するのが面倒なので「まあね・・」と答える程度である。
 だから、地域ネコ保護活動をされている篤志家の方々には心から敬意を表している。

 ただ、考えてみると私がネコを飼育していることは一種の「地域ネコ活動」と言えると思う。ただ、地域活動だとは思っていない。命ある気の毒な野良ネコを安全な状態に保護しているという感じである。

 特に、いまわが家で保護しているネコは、横浜の長女が保護し我が家に届けられた「黒チビ」と、野良の母親とその子供達の一家である。

 後者は、ある日出産間近のブチの猫が現れ、わが家のガレージや生垣で過ごしていた。餌を十分確保できない、空腹の妊婦ネコは流石に不憫で、時折キャットフードを与えていた。その時生まれたのが3匹で、子供達は家の周りで過ごし、冬の寒空を健気に外で耐えた。私は時折餌を与えていた。
 春になって1匹が肺炎()で死亡、もう1匹が我が家を去り、1匹が残った。それが現在のプチである。我が家の周辺はネコ嫌いの方が多く、畑仕事が始まると小石が投げられるなど、プチにとっても安全でなく、やむなく風除湿に保護した。

 しばらく姿を消していた母ネコが、また孕んだ状態で戻ってきて今度は5匹産んだ。しばらく無視していたが、近隣方々の目も厳しくなった。家族の協力もあって母子一家6匹を風除湿に保護し、慣れてきたプチを家に入れて家ネコとして飼うことにした。

 いくら何でもこんなことを繰り返してはいられないと、プチを含め7匹を去勢手術した。

 振り返ってみると、私にはそんな意識はなかったが、実際にやっていることはいわゆる「地域ネコ活動」その物である。

 里親探しもやったが、実際に引き取られたのは1匹だけで、プチを含めて一家6匹と黒チビと同居することとなった。

 ネコにとって良い環境とは「安全、清潔な場所、ネコ嫌いでない飼い主、水や食べ物がある環境、自然に生きる」ことと私は考る。その意味ではまあ合格かなと思っている。


2/23(水)天皇誕生日 晴れ寒波緩む ロシア・ウクライナの一部併合
1:00 起床飯川病院で起床。文献・新聞チェック。iMac27再梱包。明日大曲に。9:30家内の迎えあり、駅まで送られバスで帰宅。家内は午前午後学習会、ゾンタに。新聞チェック、読書多数。自炊準備数冊。19:00夕食、20:30就眠。Σ6196歩。玄関から一歩も出ず。

徒然ネコ談義2022(10) 地域ネコ活動(1)
 日本のネコの日は、「ネコと一緒に暮らせる幸せに感謝し、ネコとともにこの喜びをかみしめる記念日」という趣旨で制定した、と言う。以降、毎年ネコに関する啓発活動も行われるようになった。確かに、人間中心の社会にとって、イヌネコは社会的に問題点を有していると言えよう。

 かつては野良イヌがたくさんおり、かつリードなしで放し飼いにしていた飼い主もずいぶんいたが、今は野良イヌはほとんどいなくなった。残っている問題は飼っている側の人間の良識が問題として残っているだけの様に思う。
 秋田県のある地方で20頭ほどのイヌがリードなして飼われ、近隣住民から鳴き声、威嚇行為、糞尿問題で苦情が出ている。飼い主は一切応じていない。この問題の責任者はヒトである。

 ノラネコ問題は近年クローズアップされてきている。以下の活動が見られる。
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地域でネコ対策
 最近は個人としてだけでなく地域での問題として捉え、主に都市部でネコ対策活動をしているところが見られる。 地域ネコ対策活動はその地域の有志が主体となって行う。当然、活動をうまく進めるためには、地域の人の理解を得られるような配慮が必要。理解のないまま一方的に活動すると、人間同士のトラブルの原因になりかねない。

 活動の目的は、野良ネコの数を減らし「住みよい地域」をつくるのが目的。
 ■不妊去勢手術を行う。ネコを一代限りの生を全うさせる。公的補助金を出している地域、獣医の協力もあり、廉価で手術が受けられる地域もある。
 ■適正なエサやり。エサを与える時間と場所を限定する。食べ残しはすぐに片付け、置きエサは絶対にしない様にする。エサをやらなくなるとネコはゴミをあさったり、住居に侵入、他の地域に移動、その地域の住民に迷惑をかけることになる。
 ■ふん尿の始末をする。エサ場の周辺で地域の合意が得られた場所にトイレを設置し、定期的に掃除する。
 ■ネコの飼い主への啓蒙 (1)屋内飼育をする。(2)不妊去勢手術をする。(3)首輪をして身元の表示をする。(4)終生飼養をする。

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野良ネコの捕獲について
 ネコは「動物の愛護及び管理に関する法律」によって愛護動物とされており、捕獲することはできない。また、駆除目的で捕獲されたネコは、動物管理センターでは引き取らない。この辺のことについては一般的にはまだあまり知られていない。保健所への捕獲依頼が結構ある、という。
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 私の場合、やむなくネコを飼育していて、彼らの生活、命に関しては責任を感じているが、外のネコには全く関心が無い。
 だから、この様な地域ネコ活動をされている篤志家の方々には心から敬意を表したい。


2/22(火) 曇り寒波 ネコの日 中通外来。飯川病院ボランティア+当直
1:00起床。文献など読み、データ整理、5:20可燃ゴミ提出。作業・歩行にヘッドランプまだ必要。6:40バス飯川病院、バス待ち昨日よりは楽。8:35-12:40中通外来。14:00-19:00飯川病院ボランティア、微睡。iMacOS入れ替え試行錯誤しつつ終了。17:00当直業務に就く。18:00検食。21:30就眠。歩数計:Σ7766歩。

徒然ネコ談義2022(9) ネコの日 スーパーネコの日
 本日2月22日は「ネコの日」なのだそうだ。特に今年の場合は2022年2月22日と「2」が6個並んだことから「スーパー猫の日」と言われるらしい。鎌倉時代の1222年以来、800年ぶりのスーパー記念日で、各地でイベントが用意されている様である。次の「スーパー猫の日」は200年後の2222年。

 私は最近、徒然ネコ談義を綴るために、ネコに関して文献的にいろいろ勉強し始めたが、この記念日を知ったのはつい先月のことである。
 時代柄、ツイッターやインスタグラムをはじめとしたSNSでは、記念の投稿が相次ぎ、愛ネコを公開する人が相次いだ・・・らしい。さらに関連する企業や放送局、地方自治体も便乗しているみたいだ。

 ネコの日は、日本の「猫の日実行委員会」が1987年に制定した記念日であり、2月22日に定められた。世界各国でも定められているが各々日にちが異なる。
 日本のネコの日は、愛ネコ家の学者・文化人が構成する「猫の日制定委員会」が一般社団法人ペットフード協会の協力のもと、「ネコと一緒に暮らせる幸せに感謝し、ネコとともにこの喜びをかみしめる記念日」という趣旨で制定した。以降、毎年ネコに関する啓発活動も行われるようになった。「ネコと一緒に暮らせる幸せに感謝し、ネコとともにこの喜びをかみしめる・・・」なんて、ネコの方ではワレ関せずで人間側の勝手にそう思い込んでいるだけ。まあ、よくわからんが、ネコにとって少なくとも迷惑にはなっていないだろう。

 数々の経済効果の算出で知られる関西大の宮本名誉教授が今年のネコによる経済効果を試算したところ。2兆円に迫る額がはじき出された。試算の前提になるのは、上記のペットフード協会による飼育頭数調査(推計)約894万6千匹。キャットフードや医療費など1匹あたりの飼育にかかる平均費用(月8460円)を基に、年間で約9080億円の飼育費用、そのほかの費用を合わせ今年の経済効果は、約1兆9690億円と試算している。 

 ちなみに我が家のネコは、全ネコはノラで購入費用なく、不妊手術を除くと医療費はゼロ、食費とトイレ用ネコ砂、トイレ周りの吸収シートのみで、1匹あたりの飼育にかかる平均費用はペットフード代だけはほぼ正確で月540円、全体で1500円未満と推定される。私の外来に通院している愛ネコ家達は高級なペットフードを与えており、医療費などを含めると驚くばかりである。私は理解できない。

 ネコの推計飼育数は犬を追い抜いた。市内のペットショップ、10-30万円台の子ネコが売られている。調査では年代が若いほど、ショップで買う人が増える傾向にあるそうだ。自分より由緒正しいネコに仕えたいのだろうか。

 ネコは「蛍光灯」をあて続ければ年に3、4回繁殖できるらしい。
 原因遺伝子が特定できているネコの病気は現在約60もある。養老先生の「マル」で有名なスコティッシュフォールドは、骨軟骨形成不全症が優性遺伝することがわかっている。さいわい「マル」は17歳の天寿とまとうした、と言う。


2/21(月) 強風大荒れ寒波 健康クリニックドック 飯川病院  
1:00起床。文書整理、徒然他。いつもの如く。降雪はそれほどないが、強風大荒れ寒波。6:40バス飯川病院へ。バス待ちはこんな気候ではでは冷えて辛い。新聞チェックなど。9:00-11:30健康クリニックドック12名。結果判定13名。11:45飯川病院。定期便でiMac21.5大曲から届く。早速OS入れ替え開始。微睡、本読みほか、14:00-19:00勤務、入院患者対応、19:20帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計:Σ7329歩。

こころと身体2022(14) 怒り、恨みの心理(8) 謝罪の形 丸坊主 土下座
 不用意に怒りや恨みを買ってしまった際、最初に自分の心のコントロールが必要である。
 もう一つ重要なことは、相手とコミュニケーションを維持して誤解の解消を図り、非がある場合には心を込めて謝ることが一番である。

 これとは別に、相手の怒りを鎮めるために我が国では一種の伝統的行動がある。
 それは土下座と剃髪行為である。

 事故や事件を起こした企業のトップの謝罪会見を見ることは少なくない。その際はマニュアルに沿って整然と進めるために、意外と謝罪の気持ちが伝わらない。企業の謝罪は完全に形骸化してしまった。

 今は少なくなったが、かつては土下座姿を見ることが少なくなかった。
 福島第1原発事故の影響で福島県浪江町の住民が避難している二本松市の体育館を当時の東電社長が訪れ、約150人の住民を前に土下座し「心からおわびします。 皆さんが早くふるさとに戻れるように全力を尽くしたい」と謝罪した。住民たちは冷ややかであったが、これは比較的大きく報道された。
 それ以外でも、クレーマーから土下座で謝罪を要求されたという話題が誌上に散見される。

 怒り、恨みを買った際に「土下座」や「頭を丸める」行為で謝るのは日本特有の謝罪の姿なのかもしれない。謝罪なのに両者に何か嫌な感じがつきまとう。これは何故なのだろうか。

 個別のケース毎に意味は異なるだろうが、土下座は多くの人に本能的に嫌な感じを抱かせる人間の姿の一つ、と考える。

 土下座は基本的な人間関係の中で自らが持つ尊厳()を放棄した姿の一つを表現している。相手よりも低い姿勢をとり、相手の前で、両手を地面につけて平伏し謝罪や服従の意思を見せる。その姿は自らの尊厳を否定し、捨て去る姿と捉えることができる。だから、その姿を受け入れることを好む一部のヒト以外の方々には、本来的に不快感を与える、と思われる。

 頭を丸める行為、すなわち剃髪で謝ろうとする発想は理解できない。

 贖罪は、自分が犯した罪や過失を償うために、善行を積んだり金品を出したりする、といった行動を指す言葉。宗教的な意義があるようだ。何しろキリストはイエスが磔刑に処せられたことにより、人類の罪を償ったとする教義であり、キリスト教は贖罪の宗教と言っていい。
 日本では非宗教的な文脈で「罪滅ぼし」あるいは「禊(みそぎ)」がほぼ同一の意味で用いられる。

 私は現役の頃、県内の大病院の院長から医師の人事をめぐる齟齬があった際「土下座」されたことがあったし、頭を丸められたこともあった。その両行為自体には何ら効果はなかったが、共にその後の話し合いでトラブルは解決された。


 2/21(月) 強風大荒れ寒波 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。文書整理、徒然他。いつもの如く。降雪はそれほどないが、強風大荒れ寒波。6:40バス飯川病院へ。バス待ちはこんな気候ではでは冷えて辛い。新聞チェックなど。9:00-11:30健康クリニックドック12名。結果判定13名。11:45飯川病院。定期便でiMac21.5大曲から届く。早速OS入れ替え開始。微睡、本読みほか、14:00-19:00勤務、入院患者対応、19:20帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計:Σ7329歩。

こころと身体2022(14) 怒り、恨みの心理(8) 謝罪の形 丸坊主 土下座

 不用意に怒りや恨みを買ってしまった際、最初に自分の心のコントロールが必要である。
 もう一つ重要なことは、相手とコミュニケーションを維持して誤解の解消を図り、非がある場合には心を込めて謝ることが一番である。

 これとは別に、相手の怒りを鎮めるために我が国では一種の伝統的行動がある。
 それは土下座と剃髪行為である。

 事故や事件を起こした企業のトップの謝罪会見を見ることは少なくない。その際はマニュアルに沿って整然と進めるために、意外と謝罪の気持ちが伝わらない。企業の謝罪は完全に形骸化してしまった。

 今は少なくなったが、かつては土下座姿を見ることが少なくなかった。
 福島第1原発事故の影響で福島県浪江町の住民が避難している二本松市の体育館を当時の東電社長が訪れ、約150人の住民を前に土下座し「心からおわびします。 皆さんが早くふるさとに戻れるように全力を尽くしたい」と謝罪した。住民たちは冷ややかであったが、これは比較的大きく報道された。
 それ以外でも、クレーマーから土下座で謝罪を要求されたという話題が誌上に散見される。

 怒り、恨みを買った際に「土下座」や「頭を丸める」行為で謝るのは日本特有の謝罪の姿なのかもしれない。謝罪なのに両者に何か嫌な感じがつきまとう。これは何故なのだろうか。

 個別のケース毎に意味は異なるだろうが、土下座は多くの人に本能的に嫌な感じを抱かせる人間の姿の一つ、と考える。

 土下座は基本的な人間関係の中で自らが持つ尊厳()を放棄した姿の一つを表現している。相手よりも低い姿勢をとり、相手の前で、両手を地面につけて平伏し謝罪や服従の意思を見せる。その姿は自らの尊厳を否定し、捨て去る姿と捉えることができる。だから、その姿を受け入れることを好む一部のヒト以外の方々には、本来的に不快感を与える、と思われる。

 頭を丸める行為、すなわち剃髪で謝ろうとする発想は理解できない。

 贖罪は、自分が犯した罪や過失を償うために、善行を積んだり金品を出したりする、といった行動を指す言葉。宗教的な意義があるようだ。何しろキリストはイエスが磔刑に処せられたことにより、人類の罪を償ったとする教義であり、キリスト教は贖罪の宗教と言っていい。
 日本では非宗教的な文脈で「罪滅ぼし」あるいは「禊(みそぎ)」がほぼ同一の意味で用いられる。

 私は現役の頃、県内の大病院の院長から医師の人事をめぐる齟齬があった際「土下座」されたことがあったし、頭を丸められたこともあった。その両行為自体には何ら効果はなかったが、共にその後の話し合いでトラブルは解決された。


2/20(日)温暖曇り 五輪最終日
1:00起床、早朝は文献関連。データ整理。昼近くまで蓄積データ整理、読書。微睡ご新聞切り取り。書籍自炊。16:00書斎にて申告準備開始、本日は資料集め。19:00夕食、21:00就眠。Σ2680歩。玄関から一歩も出ず、平穏な1日。ただし夜半から強風となるとの予報がある。

冬季五輪開幕2022(2) 本日無事閉幕 よかった!!!よかった!!!
 北京冬季五輪がやっと閉幕した。
 私はこの間、NHK AMラジオが五輪関係の番組で占拠されて実に寂しい思いをした。この面で無事終了してよかったよかった!!!、と思った。

 実況映像をとして午後7:00のNHKTVニュース以外は見る機会がなかった。新聞紙面だけは自然と目に入ってくるから本大会の大体の状況は把握できた。

 COVID-19、オミクロン株の世界的流行が続く中、昨夏の東京五輪と同様に徹底した対策で感染拡大の封じ込めを図った大会となった。
 同じコロナ下でも、北京大会は東京大会ほど、開催への疑問がわき起らなかった。政治的事情が異なっていることもあるが、東京大会は初の感染症蔓延下の開催で、無観客やバブル方式の初体験での強行開催で、国民の多くの方が感染拡大の不安感や怒りを感じたと思う。

 不自由な環境下にあっても各競技で見せた選手たちの姿には感動を覚えた。
 結果として、金3、銀6、銅9の計18個のメダルを獲得、前回大会の13個を上回って冬季五輪最多となった。メダルは目的でなく結果であろう。メダルに届かなかった選手の健闘も光っていた。

 事前のマスコミの下馬票のかなりの部分が無駄に流された事になる。今回は有能なトップ選手が年齢的限界やハプニング的事情で真価を発揮できなかった様である。根拠のない下馬評は選手にとっては追い風になることもあろうが、大きなプレッシャーになることを考えれば実に気の毒なことである。
 下馬評通り進まないことにこそスポーツの意味があるのだ。その結果、新しい選手が確実に台頭してきている。

 私にとって不可解なニュースが何件かあった。

 ■スノーボード男子ハーフパイプ決勝での審判員の異常に低い判定。
 ■スキー・ジャンプ混合団体では日本を含む女子選手5人がスーツの規定違反で失格、検査手法に疑念が持たれた。 ■ドーピング問題。15歳の選手のドーピング疑惑で疑問の声が高まり混乱が生じたが参加年齢の問題に飛び火した。 ■習主席はプーチン大統領と五輪外交を展開。五輪の政治利用である。 ■中国はウイグル族の選手を開会式の聖火リレー最終走者に起用。これも五輪の政治利用である。
 ■中国は本大会の成功を大いに宣伝に用いることであろう。 ■五輪はこのほかコスト膨張、商業主義の横行などの課題が指摘される。

 コロナ問題に限らず、今後も五輪の諸問題は持ち越される。東京、北京の両大会で見えてきた諸課題の検証が大切である。安易に札幌に誘致してはならない。

 東京大会以降、社会の五輪への考え方は変化が生じている様に見える。五輪に価値を見いださなくなった人が増えたと思う。
 五輪がどんな意味があるのか、自分たちの社会的な存在意義は何かを、主役はだれ??選手なのかIOCなのか??
 新旧のアスリート達が大いに語る場をつくっていかないと、選手と国民が乖離していく。


2/19(土)曇り 温暖 
1:00起床。新聞、文献、徒然などゆったり進める。午前蓄積データ整理、読書、データ化など。14:00飯川病院ハイビスカス鉢替え一つ。データ整理など。19:00帰宅、夕食、21:15就寝。Σ6280歩。

こころと身体2022(13) 怒り、恨みの心理(7) 恨みと妬みの晴らし方
 「羨望」、「恨み」と「妬み」は共に人の不幸を願う感情であるが、これらは似た様に見えるが互いに質的に異なるものである。この様な感情を抱いている自分自身もつらくなる。このように、人の不幸を願う心情、とりわけ「妬み」は自身の心の健康を害する危険性や、反社会的トラブルに結びつく。

 たとえば、相手に面と向かって「羨ましい」、とか「恨んでます」とは言えても、「妬んで(ねたんで)ます」とはなかなか言えない。前二者は「相手とほぼ対等」であることから言えるが、「妬みます」の場合はなかなか言えないもの。なぜなら、「妬みます」という言葉は、相手にくらべて自分が明らかに劣っていること、怨念がとても深いのを公然と認めることになるからである。だから「妬んでます」はそうやすやすと自分から話せるものではない。

 「妬み」を相手に、あるいは第三者に知られることは、最期通告の言葉として使われるが、それだけ辛く恥ずかしいことなのかもしれない。「妬ましい」は相手と自分との間の共通点が沢山あるからこそ、堪えがたい苦しみをもたらすことになるのだ。
 
 自分と相手との差がわずかだと感じれば感じるほど、「妬み」が強くなっていく。競争できる見込みがある相手だからこそ、ほぼ対等と考えている相手だからこそ妬ましいと思う。それは、言い換えれば、私たちは、自分と近い他者をわざわざ選んでから比べているようなもの。
 可愛いだけでさしたる能力もなさそうなアイドルがもてはやされたりすれば、都合の良い「妬み」の標的になる。ヒトは、あまりに能力や格が違う相手や、絶対的に手に入らないものを持っている相手に対しては妬んだり羨んだりせずに、ただ賞賛したり憧れたりするだけ。
 しかしながら、自分と同等あるいは僅差だと思われる人が、自分が手に入れられないものを手に入れ、自分が届かなかったレベルに先に届いてしまったとき、私たちは、羨だり妬んだり、非社会的行動に走ることになる。ネットいじめの炎上などがこれに当たる。

 「妬み」を感じた後に、ヒトは大きく分けて三種類の行動をとることがわかっている。
■前向きな行動に結びつけて「妬み」の感情を凌ぐよう努力する、
■何もしない、諦めるといった静観的・回避的な行動、
■相手の悪口を言いふらす、いじめの対象にする、時には破壊的な反社会的行動を計画する。

 こうした行動の中でも、 静観的回避的な行動は、成長していくにつれて、努力では到達できないレベルがあることを思い知らされ、諦めが肝腎な場合もあるのだと学んでいく。

 一方、反社会的行動を計画するには時間が必要であり、その間、「妬み」感情の維持や増幅が必要となる。この場合は、本人の病的性格などが背景になっていることも稀ではない。


2/18(金)曇りやや寒い 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 除雪14回目
0:50起床。文献・データ整理、読書。5:30可燃ゴミ提出準備のみ。6:00-6:50除雪14回目、7:10Taxi駅に。あまりに早く着いた。スターバックスで読書、8:12こまち。9:00大曲中通病院外来、定期便で不調のiMac21.5(Late 2009)リハに送る。15:30飯川病院ボランティア。微睡、新聞等入力。19:20帰宅、夕食、21:15就寝。歩数Σ9926歩。新雪に関しては秋田の方が多い。もうこの位にして欲しいものだ。

こころと身体2022(12) 怒り、恨みの心理(6) 私は報復ができなかった
 私は「怒り」の感情を抱きやすい方と思うし、「恨み」の感情も抱きやすい。「怒り」の感情は私の活力の元になってきた。記憶を辿ると「怒り」、「恨み」を感じた事象は小学生以来いろいろあった。

 世の中には「怒り」、「恨み」を背景にした事件が少なくない。ほとんどがこの感情に由来しているのではないか、とさえ思う。
 しかし、私は「怒り」や「恨み」の感情から、小さな、あるいはやや大きな仕返しや報復行為をほとんどしてこなかった。性格的に度胸がなくできなかったというのが正しいだろう。それが私を現在に至るまで助けてくれた、と言える。
 それに加えて子供の頃から心情を書き留めてきた日記風のメモ、初代のネコの存在が大きかった、と思う。

 自分には自我があるのだ、というものの、自我など不安定もので他者と比べることで、自分の評価やブライドが左右されてしまう。他人の方が幸せだと感じると同時に、人生は公平ではないとも考えることもある。自分が地味でつまらない人間であるような気にもなるものだ。

 こんなとき、生じるネガティブ感情の一つに「恨み」や「妬み」がある。ポジティブな感情の場合には「羨み」や「羨望」という形になる。

 「恨み」や「妬み」の中核には、その対象が自分に近い似た様な環境になければならない。あまり大きな対象は初めから質的に異なっているから直接仕返しをしたりする気持ちにはなり難い。私を殴った中学教師、嫌味を投げつけた高校教師は、当時の私から見て質的に大きすぎて報復を考える対象にはならなかった。ただし、両者に対しては徹底してダンマリ戦術をとった。前者の教師は私の態度がかなりストレスだったらしい。

 「恨み」や「妬み」は、自分に近い能力の人に対し「自分より優れている」、「自分が持っていないものを持っている」、など、比較的身近な苦々しい思いの場合に、ゆらめきが生じ、時には増幅していくのだ、と思う。それは手で触れられる物に留まらない。能力や地位の高低、容姿、権力やコネの有無、学業や業務上の実績など、実にさまざまなものについて妬みや羨みの感情が生じることは禁じ得ないものだと思う。

 もちろん、誰彼を構わず妬むわけでもない。対象者を判断し、その事象が自分にとって重要なものかどうかを判断することになる。
 結局、相手に強い関心がなければ、相手を妬ましいとは思うこともないだろう。勿論、その後に対等なコミュニケーションが保たれる関係にあれば、恨みなどの感情は消えてしまう。

 私の恨みの気持ちは日記に記載することで鎮められた。文章にする過程で軽減されていく。この徒然日記の前のノートは個人名も恨みも具体的に記載してあったから残しておくことはできず処分したが、今から見れば勿体無いことをしたものだ、と思う。

 日記と共に大きかったのは初代のネコの存在であった。仔ネコを処分した後の乳房の腫れは毎日私がもみほぐして喜ばれた。私に大きな悲しみがあったときには、ネコの柔らかい腹に、フサフサの毛の中にしばし顔を埋めて過ごしたが、とても癒された。


2/17(木)曇り降雪寒波  終日飯川病院勤務
0:30飯川病院起床。文献チェック他。本読み、徒然など。院長大学病院外来受診で終日飯川病院勤務。外来患者対応。文献新聞そのほか。18:20帰宅、19:00夕食、21:30就寝。4781歩。腰痛1割程に軽減、運動不足。

ウクライナ情勢(2)  我が国の対応
 米国はウクライナ近隣国への駐留兵力を増強して備えている。
 バイデン大統領の支持率が低迷している事情もあるだろう、この問題には強硬である。ロシアによるウクライナ侵攻があれば欧州と結束して対ロ経済制裁を行う姿勢。
 火器を用いた戦闘は行わない方針らしい。
 ウクライナ情勢に対して日本は、欧州の問題であるとしてほぼ静観していた。
 国会で今月、ウクライナとの連帯を示す決議を採択したものの、ロシアに配慮して名指しを避けた。北方領土交渉への影響を懸念したのだろう。
 軍事侵攻を阻止するためには断固とした姿勢が必要と思われる。
 先進7カ国(G7)財務相が「経済・金融制裁を用意」とする共同声明を出すに至って、日本は初めて制裁に言及した。その詳細は明らかではない。 欧州にはロシアが輸出する天然ガスを重要なエネルギー資源とする国が少なくない。軍事侵攻となればその供給が止まる国のダメージも大きい。日本は要請を受け欧州への天然ガス(LNG)の融通を決めた。ただ、我が国もLNG入手が潤沢とは言えない。どれだけ融通できるか?これについても明らかにされていない。分からないことばかりである。

 軍事的緊張を駆け引きの道具としてロシアが利を得るようなことがあれば、将来も同様の事態が繰り返されかねない。対話による解決が望まれるが、いずれの関係国も納得できるような着地点を見いだすのは容易ではない様だ。 ウクライナ問題の本質がどこにあるのか分からないから、私など思いもつかない。
 緊張関係が続くだけでも、世界経済などへの影響は大きい。ただ軍事侵攻となればダメージがその比でない。関係国が対話を重ねていく中で、衝突回避へ、緊張緩和の道筋につながる糸口を見いだす為に岸田首相も尽力してほしい。


2/16(水)暴風雨小康 散髪、古書店 午後飯川病院勤務 +当直 
100起床。文献チェック他。本読み、徒然。9:50将軍野で散髪、ブックオフ土崎展8冊。12:30バスにて飯川病院。患者対応無し。17:00当直業務。18:00検食、家内Web講演会あり、20:00就寝。歩数計Σ4442歩。

ウクライナ情勢(1) よくわからないが無関心ではいられない
 ロシアによる軍事侵攻の脅威が高まっているウクライナは地理的にロシアに近接しており、歴史的にもロシアに翻弄されてきた。
 ウクライナはソ連邦の一国として核兵器の貯蔵庫としての役割を担っていた。
 1991年ソ連崩壊後ウクライナは独立を達成したが、同国の安全を保証する「ブタペスト覚書」を米英露で交わしている。

 ウクライナでは2014年親欧米派政権が発足したが、ロシアは近隣のクリミア半島を併合し、同国の危機は一層高まっている。
 プーチン大統領は「大国」復活にウクライナが欠かせないとみて、自分の勢力圏にウクライナを取り戻そうとしているらしい。その過程として、現在求めているのはウクライナの北大西洋条約機構(NATO)への加盟を阻止しようとしている。ロシアの主張は過去の国際合意を無視しており、正当性を欠いている。
 ここでよくわからないのがウクライナ自身が、国民がどう考えているのか、である。
 ロシア、米国、英仏などの動きは報道されているから若干ながらわかるが・・・・。ウクライナ国内でも親ロシアの地域があって一枚板ではなさそう。

 ロシアは緊張が高まる中、今月、ウクライナ隣国のベラルーシで合同軍事演習を実施。クリミア半島に面する黒海に軍艦を派遣した。10万人を超える規模の兵力をウクライナ国境に展開してきたが2週ほど前に一部の撤収を始めたと発表した。だが、NATO側の米国はそれを確認できないとして警戒を緩めていない。米国のほか、フランスやドイツによる外交努力も行われている。
 欧米とロシアのトップ外交ではロシア側が強硬姿勢を崩しておらず、立場の隔たりは埋まらない。それでも双方が対話継続で一致していることだけは現時点での救いといえよう。

 国連の事務総長はロシアとウクライナの緊迫する情勢に対し「深い懸念」を表明し、外交的手段で解決する重要性について述べている。しかしながら、国連がこういう時に大きな機能を果たしたという実感はない。

 ロシアはウクライナ侵攻の意図を否定しながら、これまで戦力を増強してきた。
 求めているのはNATOがウクライナなど東方へ拡大しないという確約だ。これに対し、欧米側は受け入れられないとしている。肝心のウクライナの意図はわからないからこの問題は理解し難い。


2/15(火)曇り午後から風雪 中通病院外来 職員健診 飯川病院ボランティア
1:00起床。新聞・文献など読み、5:20可燃ゴミ提出。やっと朝が早くなってきたという感じ。作業・歩行にヘッドランプまだ必要。6:40バス飯川病院、8:35-12:40中通外来。途中隙間を練って春の職員検診を受けた。14:00-19:00飯川病院ボランティア、微睡。19:15帰宅、夕食。21:30就眠。歩数計:Σ10976歩。

徒然ネコ談義2022(8) ネコは、実は飼い主の心に忍び寄る「魔術師」なのだ
 私は徒然ネコ談義2022(5) で、日本の名だたる文豪たちはいずれもネコに関する優れた作品があり、その飼いネコも写真や記録に残っているが、文豪たちの自慢の飼いネコは私の目から見て総じてブスネコであり、かつ、それと一緒に写っている文豪の相好を崩した笑顔の写真などを見ると、文豪各人のイメージとは大きくかけ離れている。これは一体どういうことなのか?私は不思議に思うーーーーーと記載したところ、間接的にクレームが来た。

 私は自分ちのネコが最もかわいい。確かにかわいいネコの画像などいくらでも探し出してみることはできるが、それほど素晴らしくは見えない。なんと言ってもやはり我が家のネコが一番である。私はネコどもに完全に毒されてしまっていて客観的判断ができなくなっている、のかもしれない。

 ネコと飼い主との関係は、「これ以上はない!!!」と思われる親密性、緊密性、個別性にある。
 飼い主は完全にネコに心が奪われており、飼い主にとってのネコは「誰が、他人がなんと言っても、自分にとってはこのネコが一番であり、このネコでなければならない!!!」のであり、他人の意見や他のネコが介入してくる余地などない関係である。もう他人が判断する美醜など、論外なのだ。

 あたかもネコが、飼い主に魔術をかけ、飼い主が知らず知らずのうちに完全に虜になってしまった様なものである。
 私はネコの方でも親密性、緊密性を感じているかというと、実際は飼い主が思うほどではないのだ、と思う。ネコにとっては「何かと都合のいいヒト」のレベルではあろう。にもかかわらず、この関係が成り立つのは「飼い主の方でネコに対して、ヒトとしてのプライドを捨て、自我を捨て、ネコの足元に這いつくばるような、このネコが全て的な気持ちになっている状態」だからである。

 私はネコと飼い主との関係を思う時、スペインの作曲家 マヌエル・デ・ファリャ作曲したバレエ音楽「恋は魔術師」を思い浮かべる。この作品は『三角帽子』とともに、ファリャのもっとも有名な作品の1つである。中でも曲中の「火祭りの踊り」などはとりわけ魅力的である。

 『恋は魔術師』の物語はネコとは直接関係ない。私がネコとヒトとの関係を理解するのにこの曲のイメージを持ち込んで理解しているだけである。
 このバレーの物語は、ジプシー娘のカンデーラは、素敵な恋人のカルメロと付き合っているが、カルメロは彼女の元彼の亡霊に悩まされおり、なかなか積極的には動けない。そこでカンデーラは友人の美しいジプシー娘に亡霊を誘惑してもらい、その隙にカルメロと結ばれる、という他愛のない筋である。本作品は、美しさと独創性が顕れる瞬間を頻回に感じさせる素晴らしい音楽作品で私は好んで聴いている。

 西洋でも日本でも物語や風刺画に魔女が出てくるときには、もっぱらネコがセットになっている例が多い。日本では「化猫」の話は古典時代から有名で、「猫又」という妖怪ネコもいる。
 また『猫には9つの命がある』という諺や、『猫は七代祟る』などの迷信の類い等々、いろいろとネコに関する神秘的な言い伝えなどがある。世界的に見ても、やはりネコが魔力を持つ動物と見なされている。

 これについては、私はネコが飼い主の心に入り込み、深く影響を与える存在だから、と思っている。
 この魔術師理論、日本の陰陽道や呪術的なものの中にある「呪い」ともとてもよく似ていて興味は尽きない。


2/14(月)曇り 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。文書整理、徒然他。いつもの如く。6:40バス飯川病院へ。新聞今朝は休刊日、新聞は一紙のみチェック。9:00-11:30健康クリニックドック12名。結果判定12名。12:00飯川病院。微睡、本読みほか、14:00-18:20勤務、入院患者対応。19:10帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計:Σ9235歩。

徒然ネコ談義2022(7) ネコが登場する文学作品のリスト2冊 

 イヌ、ネコ好きの文豪たちの、ペットたちに対する愛情は、両者に大差を感じ取ることはできないが、作品から読み取る範囲で、私の印象ではネコを好む文豪たちにより広く深い「心の隙間」を感じ取れる様な気がする。彼らは作品を通して自身が飼っているネコたちを優れた筆力で表現している。

 私はペットに関連した著作は比較的読む方であるがその存在をそれほど広範に知っているわけではない。 
 そういう私が頼りにしている書籍が2冊ある。

(1)書籍:御茶ノ水文学研究会 文学の中の「猫」の話 1995集英社 
(2)書籍:御茶ノ水文学研究会 文学の中の「犬」の話 1995集英社。

 (1)はネコにまつわる日本・世界の文学作品を約100点紹介、(2)は同様に日本・世界のイヌにまつわる文学作品を約100点紹介している。

 共に古いがイヌ、ネコ好きの読書家にとっては有名かつ有用な本。この1995年までのリストであるが、通常では読む機会のなかったであろう内田百閧フ「ノラや」などの紹介はうれしい。「老人と海」、「ティファニーで朝食を」でのネコのシーンは素晴らしい。「吾輩は猫である」や「黒猫」などから、「100万回生きたねこ」、「猫たちの聖夜」まで広範に扱われている。

 ネコと人間の関係を考察した動物学者・今泉吉晴の「ネコの探究」のような知的好奇心を満足させる本、開高 健・小松左京などのエッセイ本も紹介されており、じっくりと探して、古書店で見つけて購入できた時の喜びは格別である本。時には探し切れずAmazonを介して購入することもある。Amazonは古い書籍も購入できるから嬉しい。

 しかし、両書籍に関してはイヌ、ネコに関する作品を紹介するだけのあっさりとした内容で、作品の内容にまでは紹介し切れていない。それでもこの本の目的としては十分である。
 加えて、巻末の関係書籍リストはとても有用であり、これを手がかりに知った、あるいは得た書籍も少なくない。

 (2)は日本・世界のイヌにまつわる文学作品を約100点紹介したものでほぼ同様の価値があるが、私はこちらの方はあまり利用していない。巻末のイヌ関係書籍の出版リストは有用である。

 両作品は20年以上前のイヌ、ネコに関する作品の紹介では集大成である。
 イヌ、ネコに関する作品は、その後にも次の世代の文学者によっても多数出版されている。それらを探し当てて読むのも喜びの一つである。
 さらに嬉しい最近の傾向として、漫画でも素晴らしい作品が次々と出てきていることである。

 ネコは、作家たちに次々と新しいインスピレーションを与えてくれるのであろう。
 私は表現力が乏しいので忸怩たるものがあるが、新聞雑誌等で垣間見るエッセイなどの一般投稿作品にも優れた作品が見られるのも嬉しい。ネコ、イヌたちがその姿を通じて飼う者の心の中にまで深く浸透している様を知るのも嬉しい。


2/13(日)終日曇り   
1:20起床、ネコ相手にのんびり。本読み、徒然。その他いつものごとく。10:30ゾンタに行く家内に送られ通町書店、その後ドンキ。飯川病院13:30。文献・本読み、情報処理、19:00帰宅、19:30夕食、21:00就寝。歩数計:Σ3481歩。腰痛残20%。

徒然ネコ談義2022(6) 飼い主の感覚 ネコ vs イヌ
 私は今まで、ネコ、イヌ、伝書鳩、十姉妹、うさぎ、熱帯魚、コイ、カメ、スズムシ、コオロギなどを飼ってきた。そのうちの一部とは若干のコミュニケーションができて楽しかったが、やはりネコとイヌは別格であった。

 今は空前のペットブームとされている。ちょっと古いが朝日新聞でネコとイヌに関する調査がある(回答者数3469人)。その中の設問に「ネコ好き?」ですか「イヌ好き?」ですかとの設問があり、44%が「イヌ好き」、16%の人が「ネコ好き」と答えている。この比率に関しては最近イヌ、ネコの数が逆転したからこの値は当てにならないが、好きな理由に関しては大きな変化があるとは考えられないので引用した。

―――――――――――――――――――――――――――――――-
(1)「猫好き」の人の答え。
■マイペースさ 1344人
■しぐさがかわいい 1312
■姿形が好き 247
■人間にこびない 186
■散歩の手間がない 106
■世話が楽 105
■その他 43

(2)「イヌ好き」の人の答え。
■素直で従順 1005
■よくなつく 951
■喜怒哀楽がわかりやすい 526
■姿形が好き 426
■散歩が楽しい 299
■防犯に役立つ 291
■その他 61
―――――――――――――――――――――――――――――――-
 私はイヌよりもネコに親しみを覚える方であるが、イヌとの生活もそれなりの価値があったので無視はできない。

 ネコ好きの文豪については、徒然ネコ談義2022(6) に述べた。

 イヌ好き文豪のもたくさんいる。彼らが残した心温まるイヌとのエピソードや、文学者ならではのイヌとの付き合い方を知ると、その人の人柄までもが身近に感じられるから不思議である。
 一部でしかないと思われるが挙げると、志賀直哉、菊池寛、林芙美子、田辺聖子、江藤淳、幸田文、徳川夢声 荒畑寒村、横山隆一、戸川幸夫、長谷川町子、山田風太郎氏など。
 イヌ好きの文学者の作品には私は余り親しみを持って深くは読んでいないが、中野孝次氏の「ハラスのいた日々」、江藤 淳氏の「妻と私と三匹の犬たち」は格別との印象である。

 イヌ、ネコ好きの文豪たちの、ペットたちに対する愛情は両者に大差を感じ取ることはできないが、私の印象ではネコを好む文豪たちに「心の隙間」を感じ取れる様な気がする。


2/12(土)快晴 温暖  
1:00起床、文献・本読み、その他いつものごとく。積雪0cm。腰痛は初期の30%程度まで改善。午前午後は微睡を挟みずっと座学。多くを学べたが運動不足になる。新聞のチェック。16:00書斎で音楽関連録画視聴、N響定期公演:Vcチャイコロココ風,サンサーンスの作品。19:00夕食、21:30就眠。自宅から一歩も出ずに過ごす。腰痛もあって歩数は伸びない。歩数計Σ2883歩。

徒然ネコ談義2022(5) こんな性格、人なら到底受け入れられないが・・・
 家族、友人、知人、同僚に以下に示す様な人がいたとすれば、私はイライラするし、目障りだし、気分は害されるし、付き合おうなんて到底思わない。
私はこんな人は耐えられない。耐えられず「いいかげんにしろっ」・・・と言いたいところであるが、私は気が小さいからそれもいえず、不満はエスカレートし、終いにはその人間に殺意さえも感じてしまう、と思う。

■わがままである。
■気まぐれである。
■自分勝手である。
■人の気持ちを斟酌しない。
■すぐ気が変わる。
■やたらにあくびをする。
■居眠りばかりしている。
■ときには人のやっていることにちょっかいを出す。
■人の仕事を妨害する。
■そういうことをしては困る、と言いきかせても聞く耳を持たない。
■人に嫌がらせをする
■忙しくても一切手伝わない
■さっぱり進歩しない
■などなど・・・・・・・・

 ところが、これが人でなく相手がネコだったらどうなるか。
 猫好きの人にとっては多分評価は100%変わってしまい、「だからかわいいんだよね」、「居眠りばかりしているところに癒されるんだよね」、「ほんとに、もう、わがままなんだからァ」と事情が一変する。
 私の印象ではネコ好きの人はどちらかというと気難しい人が多い様な気がする。その様な人は当然人間への評価も厳しい傾向がある。にもかかわらず、である。
 ただ、私は友人、知人、同僚などとネコ談義をすることはない。だから私の印象は著名なネコ好き作家の作品を通じて感じ取ったことである。
 夏目漱石、南方熊楠、内田百閨A谷崎潤一郎、藤田嗣治、大佛次郎、稲垣足穂、幸田文、池波正太郎、田村隆一、三島由紀夫、開高健、中島らも・・・などなど枚挙にいとまがない。最近の人を挙げれば養老孟司氏かな。
 これらの作者はいずれもネコに関する作品があり、その飼いネコも記録に残っている。文豪たちの自慢の飼いネコは私の目から見て総じてブスネコであり、かつそれと一緒に写っている文豪の相好を崩した笑顔の写真などを見ると各人のイメージとは大きくかけ離れる。
 これは一体どういうことなのか?私は不思議に思う。


2/11(金)建国記念日 終日快晴  飯川病院日直
 1:20起床。発熱改善し気力が戻ってきた。文献チェック、徒然など。まだ腰痛、改善傾向なるもそろそろと歩く。8:30回診に行く家内に同乗、飯川病院に、9:0017:00日直。読書三昧、データ入力整理など過ごす。12:00検食、19:00帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計4130歩。

こころと身体2022(11) 怒り、恨みの心理(5) 私のためになった怒り、恨み2件(2) 
私は「怒り」の感情を抱きやすい方と思うし、「恨み」の感情も抱きやすい。「怒り」の感情は私の活力の元になってきた。

(2)高校担任の教師の言葉に深く傷つく
 高校は県立の盛岡第一高等学校に進んだ。緊張感の高い県内有数の進学校で、生ぬるかった私立の中学校を中退して進んだことは間違いではなかった。
 高校1-2年の担任はU教諭、当時30歳後半か40歳程度であったと思う。東大卒の国語教師で何かにつけて東大卒を鼻にかけているような言動がみられ,私など、「東大卒が,何でこんな片田舎の高校の教師なんかしているんだ。もっと別な道に進めなかったのかね。高校生に東大卒の自慢話してなんになるんだ・・」というのが彼に対する当時の感想であった。 高校2年の春のある夕方,その担任と今後の進路について面接した。
 私の成績表を前に示し本論に入ったのだが,進路希望を尋ねられた。私は迷わず「医学部,しかも国立の・・・」と述べたのだが,担任は信じられないといった風な,笑顔ともとれない複雑な表情を浮かべた。その後,絶句し,しばし対話が途切れた。■U教諭 (満面の笑みを浮かべて)「国立と言っても,具体的にはどの辺の大学を志望しているの?」。
◇私 親が無職で,経済的事情があるので,国立なら何処でも・・・」。
■U教諭 「フーン,まだ決めていない??フーン,・・・そんならいっそ東大医学部でも受験してみてはどうかね??どうせ同じ結果なら良い思い出になるよ・・」。◇私 「・・・」。
■U教諭 「君には,無理だね,国立の医学部は」。◇私 「・・・・そうですか。いっさい可能性はないですか??」。
■U教諭 「・・・,無理でしょう,国立の医学部は・・・」とにべもなく答えた。 これがその時の会話の全てで,約5分間。私の人生はここで決まったようなもの。この会話のわずかな時間の間に私の心には大きな目標が形成された。「私は担任を見返したい。本日から3年計画で行く。U教諭には今日彼が見せたようなヒトをバカにしたような笑顔で結果を報告するぞ・・・」と。

 時は流れ、3月、遂に受験の時期を迎えた。卒業時は私の医学部進学3年計画の2年目だったから始めから大きな期待は抱いていなかったが、私は新潟大と弘前大を受験した。昭和39年3月の話である。結果は、両方とも不合格。 卒後、仙台の文理予備校を選択した。10月頃の指導教官との対話であるが,高校担任に言われたことを含めて進路を相談したが,彼は「半分冗談で言えば・・・」,と前置きして「東大以外は何処でも可能性はあります」と言ってくれた。その言葉は担任のイヤミの言葉と共に追い込み期の励みになった。結果として,新潟大学に合格した。 

 新潟大学に合格数日後盛岡一高を訪れU教諭に合格を報告に行ったが、あいにく教諭は不在で会うことは叶わず、私の見返すという当初の願いは実行できなかった。
 顧みれば不在で良かったと思う。当初考えた様な態度で報告をすれば、私にとって一生忘れられない悔恨となった、と思う。

 後日談:2-3年前の盛岡一高の同窓会誌「白亜」に、ある卒業生がU教諭を讃える投稿をしていた。深い人間性と熱意ある指導についての賛美と謝辞であった。私が抱いている氏への印象と180度異なる評価で私は驚いたが、冷静な視点で見れば確かにそうかも知れない、と今は思える様な気がする。それはさておき、かつて私の心に火をつけたことは確かであり、私はそれをバネに自分を伸ばすことができた。とても辛かった3年間であったが氏の言葉がなかったら私の人生は別なコースを辿っていた、と思われる。感謝で締めたい。


2/10(木)曇り、晴れ  なんとなく体調不良、微熱終日
1:20起床。いつもの如く。腰痛は不変、まだ痛い。それ以上に問題はやる気が出ないこと、体調が不良。COVID-19 ワクチン3回目接種の副作用と思われる。午前コンポスト対応、ネコとの対話、11:50バス飯川病院、そろそろと歩く。午後微睡をはさみ、読書三昧、グダグダ過ごす。最高で37.4℃、発熱以上に倦怠感強度。19:30帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計:4488歩数。

こころと身体2022(10) 怒り、恨みの心理(4) 私のためになった怒り、恨み2件(1) 
私は「怒り」の感情を抱きやすい方と思うし、「恨み」の感情も抱きやすい。「怒り」の感情は私の活力の元になってきた。
 小さな記憶では「怒り」、「恨み」を感じたことはそれまでもいろいろあったが、中高生の時の経験を記述しておく。

 (1)英語教師に殴られた。
 私は中学校は私立の岩手中学校という中高一貫校に進んだ。小学校で成績がいささか良かったことや、長兄が進学しそれなりの成績を得たことで周囲の意見で決めた。学校は盛岡市のやや北側にあり、我が家から約17Km。私は体力がなかったためにバス通学とした。
 朝のバス時間は7:00と早い。6:00には起床する必要があった。

 入学間もないころ、寝不足などで疲れ果てていたこともあろう、英語の時間に睡魔に襲われ意識が薄らぎ、授業中ということも忘れうっかり欠伸した。その時若い教師と目がバッチリ合ってしまった。席は一番後列であったが教師は私に立つように命じ、つかつかと寄ってきて何も言わずに思い切り右頬を平手打ちした。彼の表情から何かはあるな、と予想してはいたが、とっさに避けようとした私の動きに教師の平手打ちの力も加わって左側の側頭部を激しく木製の扉に撃ちつけた。要するに2倍痛かった。 

 私は親からも直接殴られた経験はなく大きなショックを受けた。確かに授業中に欠伸をした私は悪かったと思うが、何故、問答無用であれほど強く殴られなければならなかったのか、自分では未だに解らない。恐らく、他のことでたまたま英語教師の虫の居場所が悪かったのであろう。
 その後2年間、この教師の授業があったが、教師と一度も目を合わせることなく徹底して無視し続けた。一方、この教師を見返すために英語は特に力を入れて勉強したために常に成績はトップ。そのために教師の方からいろいろ話しかけられたが、常に最小限の返答のみで無視し続けた。

 この時の出来事も一つの因子であったが、全体に学校の雰囲気に生ぬるさを感じ、2年後私はこの中学を中退し、公立高校を受験するために郷里の中学に戻った。

 教師にとっても私の態度はかなりストレスであったらしい事は後に担任であった教師から聞かされ、私は溜飲を下げた。
 私の執念深さは既にこの時期には出来上がっていたらしい。

 今、考えてみるに教師と対話の機会があればここまで意地を張らなくともよかった。私のその後の態度も悪かったと思う。反省している。


2/9(水)比較的温暖曇り 飯川病院ボランティア COVID-19ワクチン3回目接種
 1:00起床。腰痛は不変、熱感消失。新聞・文献などいつもの如し。家内午前日赤へ外出予定、同乗して飯川病院へ。ボランティア。道路は滑る。微睡、新聞、文献電子化。ラジヲ深夜便インデックス欠損補充。14:30COVID-19 ワクチン3回目接種。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。Σ6486歩。腰痛改善傾向か。

こころと身体2022(9) 怒り、恨みの心理(3) 私は怒り、恨みを誰かに話すことはなかった
 私は「怒り」の感情を抱きやすい方と思うし、「恨み」の感情も抱きやすい。「怒り」の感情は私の活力の元になってきた。「怒り」がなければ何も出来なかったのでは?とさえ思う。
 私は仕事上では随分真面目にこなしてきた。結果的に医師としての仕事、医師会の仕事などにおいて日のあたるコースを歩んできた。一方では「自分はいささか過大に評価されている・・・」と、自身では過小に評価する傾向がある。実はそれだけ自分に自信が乏しい人間であった。一方、プライドは高く、それだけ仕事に対する下準備は慎重であったし、周囲の人の発言などで不快に思い「怒り」を感じる機会は日常的にあった。すごく矛盾した二つの感覚の中で生きてきた。

 感じた「怒り」をモチベーションにして、ストレスに耐えてきたといえる。

 「怒り」や「恨み」をプラスに転じさせるのは、そう易いことではない。自分を否定されたりすると、なんともやり切れない気持ちになる。そんなときは、比較的高い評価を受けてきたこと、私の周辺の方々が私に対して重箱の隅をつつくような具体的行動で責めてこなかったことで乗り切れたことも幸いであった。実際には、上司や同僚の顔を思い浮かべるたびに、腸が煮え繰り返る思いにさせられたことも稀ではなかった。

 一方では自身を過小に評価するためか、他の人に対して高く評価出来ないことも私の特徴の一つであった。他人の活躍や成功や抜擢を素直に喜べた。他人が受けている高い評価を疎ましく思うことはなかった。それは他人に対しそれほど興味を持っていなかったからである。

 一般的に、「悲しいことがあった」、「腹立たしかった」などの比較的軽微な悲しみや怒りは、気の置けない人に愚痴るなどして、鎮めたり和らげたりできるとされている。また、自分の人生に深くかかわるものではない些細な出来事であれば、時間と共に気にならなくなる。それが「恨み」となると話は別で自然に消えていくことは滅多にない。不当な行為や侮辱した相手に対する怒りが繰り返し思い出される状態になってしまったら、それは「怒り」から「恨み」に変容したことでもある。こうなると他人には一層話し難くなる。「恨み」は何故誰かに話しにくいのか?? それは、恨んでいる自分への後ろめたさを伴う、恥ずかしい感情だからだ、と思う。「恨み」を背景にした報復事件は少なくないが、事前にその動機や背景を詳しく吐露された人はほとんど見つからないのはそのためであろう。

 私の場合は、幼少の頃からその様なことを話し合える親しい関係の友人や知人がいなかったから、自分の心中を素直に吐露することはできなかった。ましてや、家族には吐露できなかった。

 「恨み」を抱え込み、ため込んだままにしておくのは危険である。なぜなら、鬱積した感情が自分に向かうと自身の心を病み、他者に向かうと報復などの行為に直結する。
 幸い、私は気が小さく度胸がなかったから「報復」する勇気は生じなかった。

 私の心を休め鎮める役目を担ってくれたのは初代のネコであったし、日記であった。現日記は2000年以降の記録であるが、公開する前提で記載している。それ以前のは散発的ではあったが、「怒り」や「恨み」を思うに任せて文章にぶつけたものであった。それには、激しい言葉が固有名詞と共に記載されており、残すべきでないと考え全て焼却した。


2/8(火) 夜間降雪3-4cm、除雪なし 中通病院外来 飯川病院 腰痛発症
1:10起床、文献、本読み他、降雪3-4cm除雪せず。5:00可燃ゴミまとめ、提出。この間明らかな原因思い当たらないが腰痛発症、徐々に悪化。6:40バス飯川病院。外来は中等度なるも疲弊。なんとかこなす。13:30飯川病院、午後微睡、読書など新聞データチェック、入力。夕方から熱感あり、腰痛のためか。19:16帰宅夕食、20:30腰のために早めに就寝。Σ7679歩。

こころと身体2022(8)怒り、恨み恨みの心理(2) この感情は人間としての基本
 私たちはなぜ、「恨み」「妬み」「羨み」「嫉妬」など、できることなら感じたくもない苦しみを味わうのか。しかも、ときに私たちをさらなるネガティブな行動や考え、すなわち自己否定や自死に駆り立てるのか。
 そもそも、こうした感情は一体何から由来し、何のために存在しているのか。

 誰かを恨まずにはいられない。誰かが妬ましくて仕方ない。そんなとき、私たちの心にどのような変化が生じているのか。こうした問いに、今まで学んできた心理学的知識の視点から考察したい。

 私は、医師であるが特に精神医学を専門にする立場ではなく、人間の「感情」に興味を持っているだけであるが、今回は「恨み」をキーワードとして見たい。このことを通じて、自分の恨みや妬みの感情を考え、それらを有効に活用する術を考えたい。御し難いネガティブ感情が湧いてくることにも、きっと何か意味があるはず。それに気付くだけでも、これまで見えていた世界が一変するかもしれない。

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 人間社会では、いかなる文明、社会においても、好むと好まざるに関わらず、誰しも性別、人種、年齢、出身地、職業、障害の有無、貧富、などの格差の中で生きていかざるを得ない。
 この格差をもとに、ありとあらゆる事項において「偏見・差別感」が生じる、と私は思う。
 「偏見・差別」感情を持つことはいけないことだと教えられるがそれは間違っている。絶対になくならない。
 各人の心の中に「偏見・差別」感情は必ず内在する。この感情がないと個の確立がなく、力強く生きていけないからである。

 人間は成長過程で免疫学的に完全に個が確立される。例外は一卵性双生児間だけで、たとえ親子間であっても兄弟間であっても免疫学的には完全に、絶対的に他人である。「免疫学的個人」の確立の目的は完全な他者の排除にあり、他人同士の臓器移植は基本的にうまくいかない。そのことが免疫力を背景にした疾患防御力、疾患からの回復力になる。

 他方、人間の成長過程において、知的な意味において「自我」が確立していく。
 乳児のイヤイヤ期、幼児の反抗期、青少年の権力への反抗心などは自我の形成過程で生じてくる。
 この自我は、「免疫学的個人」よりは多少ゆるいところがあり、教育や環境で変わりうる。「自我による個人」の確立は本人の知性、社会的常識観などでコントロールされ、日常顔を出さないこともある。教育も一部効果的である。

 自我の確立とともに、各個人はこの世の不平等の中に自分が置かれていることを自覚し、次第にその抑圧感に苛まれていく。その際に「偏見・差別感情」が形成されるが、多くは諦め、達観を介して乗り切っていく。一部の人は「偏見・差別感情」をテコに大きく前向きに飛躍していく。

 要するに、「偏見・差別感情」は誰しも持つ普遍的感情である、ということ。ならば、差別や恨みの感情はどうしようもないのかというと、「偏見・差別感情」、「恨みの感情」を悪しき行動に移さないことは不可能ではない。

 その端的な方法論の一つは、自己研鑽によって自己の立場を理解すること、差別者、被差別の対象者の置かれている立場を多方面から学ぶことである。差別感情の発露は、多くの場合は、一時的なコントロール不能の熱情的感情から、慢性的な場合は互いのコミュニケーション欠如から発していることが多いからである。


2/7(月)曇り降雪23cm 健康クリニックドック 飯川病院 
1:20飯川病院で起床、文献・本読みなどいつもと同じ。曇り降雪23cm、除雪不要で助かった。9:00-11:15健康クリニック、受診者12名、結果判定14名。新聞チェックデータ化、自炊3冊、本読みなどいつものごとく。14:00-19:00勤務。入院患者対応。19:30帰宅、主要道路は除雪あるも支道・路地など凸凹で車がまっすぐ進まない。市の除雪に問題あり。市は生活道路の除雪計画あるのか??夕食、20:30就眠。Σ6676歩。

こころと身体2022(7)怒り、恨みの心理(1) この感情に起因する事件
 私は人の感情や心の動きに関して興味を深く感じている。
 今まで「いじめ」「差別」「ひきこもり」などについて考察してきたが、「怒りと恨み」の感情は人間にとって誰にでもある当たり前の感情である。精神的発達の段階で自己のアイデンティティが確立した結果である。これは他者の排除につながりる一方で、生きるためのエネルギーの源にもなる。

 人とは比較できないが、私は怒りと恨みの感情を抱きやすい方だと思う。しかもしつこい。私が幼少のころ、父が「自分は執念深い男だ・・」と言っていたことを思い出す。その影響なのか性格の遺伝なのか、私もしつこく、恨みの記憶はいつまでも忘れない。私は小学生の時に味わった屈辱を始めとして、最近まで忘れられない事象が数多い。それ以上に不快なのは、自分を許し難いのは、そんな気持ちを隠して相手の人と一見何事もなかったように付き合ってきたことである。
 私は現役引退後はひきこもり状態にある、と言い、他人との付き合いは絶っている。深刻な悩みを抱えてひきこもっている方々とは比較できないほど甘い状態であるが、その背景の一つに怒り、恨みの記憶があり、それを眼前で再現したくないからでもある。

 この感情には色んなレベルの仕返し、報復、復讐に結びつきやすい。そのうち、自分の心の中にうまく押し留めていることが多いだろう。私はほぼ全てをそうしてきたが、心理的に変な歪みの元になっている。

 最近、この感情を背景にした報復事件と思われる悲惨な事件が頻発している。
 最も古い事件は1938年(昭和13年)未明に岡山県の事件で、刃物、銃を使用して村民30名を約2時間で惨殺、犯人は自殺した。
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■京都アニメーションの放火事件、
■大阪のビル放火事件、
■本年1月15日に、大学入学共通テストの試験会場での東大前刺傷事件、
■在宅医療医師射殺事件
■去年3月、徳島市の雑居ビルにガソリンを撒き火をつけ、70人以上を殺害しようとした事件。懲役11年の判決確定。
■97歳、交通事故の捜査が不適切だったとして検察官に恨みを抱き、高知地検の男子トイレにガソリンを撒き火を付けた事件。懲役5年の判決。被告は大阪府警の元警察官。裁判員裁判判被告の最高齢とみられる。
■などなど・・・。
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 一般的にこの心理を背景にした事件は周到な準備のもとに犯され、その結果は実に悲惨、深刻な事態となる。私は性格的に自分にも関係なし・・と思えないのでこの様な心理状態が背景になっている事件の記録を集めている。
 入手できるものは積極的に集めている。
 ある作家は、「作家の使命の一つは時代の記録にある」、と言っていたが、有難いことである。私は犯人を擁護する気はないが、事件ごとに社会の歪みに対して「何かが発信」されている、と考えている。
 事件を個人の問題として片付けると同様の事件がまた起こる。


2/6(日)降雪  除雪13回目 飯川病院日当直 レセプトチェック
2:15起床。久々寝過ぎ感あり。新聞文献処理、徒然、録音データ処理、など。微睡若干。7:00-7:50除雪13回目、8:30回診する家内に同乗飯川病院、9:00-翌朝9:00日当直。以降は新聞電子化、読書。微睡など。14:00-15:00日当直レセプトチェック、12:00、18:00検食、20:30就寝。Σ7256歩。読書三昧、ラジオ深夜便聴取三昧の一日。

冬季五輪開幕2022(2) 複数回出場選手、長期間の自己鍛錬、体力維持に脱帽する
 国際オリンピック委員会(IOC)は昨夏の東京五輪で、政治的、宗教的、人種的な宣伝活動を禁じた五輪憲章50条の規制を一部緩和した。
 サッカー女子の日本vs英国では、両チームの選手が試合前に片膝をついて人種差別への抗議の意を示した。記者会見や会員制交流サイト(SNS)などで意見を発信することも認められた。自由度が増した、と言う意味ではいいことだ、と思う。一定の制限があるだろうが表現が自由になったのはいいことと思う。 しかし、数々の人権侵害、紛争等を抱える北京の組織委員会は五輪精神や中国の法律、規則に反する行為は「処罰の対象」と明言。発言内容によっては選手の参加資格の剥奪もあり得るとした。アスリートがウイグルや香港の状況について自由な見解を世界に発しないように、先手を打った事になる。
 中国への抗議はいかなるものも受け付けない強硬姿勢と言える。

 五輪憲章には、五輪が「人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会」の実現を目的にすると明記されている。北京冬季五輪を、中国が人権尊重へ向け方針転換する契機にしたいものだが、そう甘くはなかろう。下からの突き上げが私に見えてこないのはかなり激しい抑制策が浸透しているからなのだろう。

 新型コロナウイルスの新変異株「オミクロン株」が世界で急拡大。大半の会場が無観客となった昨夏の東京五輪・パラリンピックに続き、この五輪も異例の大会となる。
 オミクロン株は感染力が強く大会運営の脅威となる。海外からの参加者の行動範囲は選手村、競技会場、練習会場などとその間の移動に限定されるが、外部との接触を完全に遮断したはずの「バブル」内で既に陽性者が確認されている。検査で陰性ながら感染していた関係者がすり抜けたのであろう。

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 日本勢の過去最多の金メダルは1998年長野大会の5個。メダル総数では平昌大会の13個が最多とされているがそんな結果は重要でない。選手は自己ベストの状態で臨んでほしい。
 今回の五輪には急速に実力をつけてきた新人選手も多い。私は2度3度ならず4度まで、いや、6度出た選手もいる!!!!! 連続して代表に選ばれた何人かの選手たちには心から敬意を表したい。若く多感で人生にとって最も重要な時期に、目標を定め、脇目も振らず10年以上も自己鍛錬し、体力維持してきている姿には脱帽するしかない。長い選手生活の中で体力の衰えを感じ取っているだろう、にもかかわらず努力し続けた結果としての代表である。

 私とは住む世界が違う、と言えばそれまでだが、私は足元にも及ばない。
 今年は雪が多い。私は明朝も除雪か??と考えるだけで気持ちが萎えるが、そんなことを言ってはいられない。彼らの姿から学ばねば、と思う。  


2/5(土) 曇り降雪若干 除雪は明朝に
1:30起床。文献,新聞整理他、録音データ整理など。午前は座学一般。旧スキャナー完全に解体、精密な構造に驚く。午後は微睡、新聞チェック、読書、文献読み、16:00書斎の整理、音楽映像チェック。N響定期公演など パガニーニVn協第一番他。19:30夕食、20:30就寝。歩数計Σ3625歩。

冬季五輪開幕2022(1) 国際的大イベントであるが、私は興味を持てない 
冬季五輪は2月4日開幕した。
 91カ国、選手約2900人が参加。7競技で史上最多の計109種目を実施する。北京では2008年に夏季大会が開催された。同じ都市で夏と冬の大会が行われるのは史上初。

 私にとっての五輪はやはり1964年の東京大会で、高校を卒業したばかり、仙台で浪人中で放送も含め直接は見ることは叶わなかったが、その記録映画はディスクで購入し何度も見た。その後の大会は影がうすい。開催地など記憶はあるがいつ頃のことだったのか、など全く思い出さない。

 私は心を入れて結果を追うような競技種目はない。
 それ以前に、たとえスポーツの世界といえども互いに競い合うということ自体にほとんど興味がない。リアルタイムに競技を実況で見ることは嫌いである。競い合った結果には興味がない・・というわけではないが、事前に話題になった選手たちの結果を確かめる程度で、誰かを注目してその結果に一喜一憂するわけではない。

 むしろ、事前の報道姿勢に対して不満がある。期待感の高揚のためとは思うが意味のないランキング予想など、選手にプレッシャーとなる内容が多い。競技の結果には不定の要素が大きい。選手たちの活躍をそっと見守ってあげられないものか。

 昨夏の東京大会はCOVID-19感染の世界的拡大下であり、IOC主導の判断が何事にも優先する状況、菅内閣の理由不明の開催ごり押しなど、みちゃおれん・・という状況であった。私は中止する方がいいとの考えであったが、なんとか開催され、大禍なく終了した。

 五輪の主役は選手だ。選手たちはおそらく持てる力を発揮できたのであろう。この点はは良かった思う。傷だらけの開催であったが、結果がよければ全てよしというべきではない。今でも開催自体は疑問である。
 結果的に東京大会は TV、ラジオなどでは一切見る聴くことはなかった。新聞はあえて視野に入れなかった。NHK-TVでの総集編は録画してあるが、いまだに見ていない。どうも興味が湧かないのだ。
 ところで、昨夏の五輪東京大会の記録映画はどうなっているのか?あまりニュースにもなっていない。これは歴史の記録であり、気がかりである。

 今回の北京冬季大会は共産党一党独裁の、言論の自由もない国での開催である。
 中国は経済的に世界第二に到達した発展途上にある国で、経済力を背景に国際的に貢献する一方で、世界各所で必ずしも是というべきでない深刻な歪みの元になっている。
 中国の国内の人権問題に対して国際社会は厳しい目を向けている。問題は少数民族ウイグル族や香港民主派への弾圧だけではない。女子プロテニス選手が元副首相に性的関係を強要されたとネット上で告白した後、一時消息不明になる理解不能の「事件」もあった。後者の件についてはIOCの姿勢もよくわからない。中国におもねっているイメージが払拭できない。

 米国は政府代表を派遣しない「外交ボイコット」を表明。英国などが追随し、日本も政府代表派遣を見送った。 ロシアのプーチン大統領は開会式に出席し、習近平国家主席と会談した。ウクライナを巡って欧米と対立するロシアは、中国との良好な関係をアピールした。欧米と中ロの対立が平和の祭典に影を落としている。


2/4(金)曇り降雪 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:10起床。文献チェック、徒然など。5:30可燃ゴミ準備だけ集積所に出さず。降雪3-4cmあるも週末だから除雪なし。7:15Taxi駅に。7:37意外と早く着きスターバックス時間調整、8:11こまち。9:00曲中通病院外来、駅病院間往復Taxi。帰路新幹線30分遅れ。秋田駅病院間は歩行難Taxi、15:45-19:00飯川病院ボランティア。微睡、新聞データ化、19:30帰宅夕食、21:00就寝。歩数計Σ5423歩。

徒然ネコ談義2022(4) ネコの武器は、「ネズミ捕食」、「雑食性」、「かわいい」
 ヒトはネコの役立つ機能に注目し、「ネズミ捕食」を通じて使役動物として生活をともにするようになった。農耕によって穀類を保存する時代になって人はネズミの害に悩まされたが、これを救ったのがネコであった。もう一つ、ネコの姿形、仕草から「かわいい」と言う価値が認められ、「愛玩動物」としてヤマネコを側に置きたいという気持ちに発展していった。

 大型のネコ科動物はヒトを襲うが、小型のヤマネコはヒトを襲うことはなかった。さらに、大きな目、低い鼻、広い額に丸い顔、そして手触りのよい美しい被毛。これらはヒトにとって十分な魅力となる。おそらくヒトは、ただ「かわいい」という理由でもネコに餌を与え、家庭のなかに彼らの居場所をつくり、住まわせたのだろう。

 ネコも、ヒトの周辺にはネズミが多く、自らネズミを摂り、ヒトから餌をもらうことを覚えた。その時「かわいい」は最強の武器になったのだ。
 じつは私など、ネコにうまく利用されている、と思う。それが不快でないのが、ネコの魅力の一つ。
 このように、ネコは自発的にヒトのそばで暮らすようになり、かわいがられて、日々ぬくぬくと暮らしている。ネコはいわば家畜の「横綱級」に上り詰めた。

 通常、家畜は複数の個体をヒトの指揮・命令のもとで一緒に飼育するもの。現在、家畜になっている動物をみても、ウシやヒツジ、ニワトリやイヌなど、序列の明確な群れで生活する動物が大多数を占める。われわれ人類は、このような群れのトップの立場を奪い取って、群れ全体をコントロールして飼育してきた。また、群れをつくる動物は、もともと密集して生活することに慣れているので、十分な食糧と安全な住みかを与えられれば、囲いのなかの生活にすんなり順応できた、と考えられる。

 一方、ネコは単独生活を好む。さらに餌も、一般的な家畜は植物を食べるものが多いのに対し、ネコは肉食動物。植物であれば多くの場所で入手可能だが、肉はヒトにとっても貴重な食料でそう簡単には回ってこない。しかし、人の周りには常にネズミがいた。
 
 ネコはヒトの命令をほとんど聞かないので、決して扱いやすいとはいえない。開放的な家の中に閉じ込めたり、柵で囲って飼育したり、イヌのように紐でつないで飼うことも困難。勝手気ままに行動するネコを家のなかに閉じ込めて飼いらすのは、ほぼ不可能であったと考えられる。
 このような点から考えと、ネコの家畜化はむしろ「ネコの都合」で成り立った、と想像できる。ネコは捕獲されて無理やり家畜にされたわけではないようだ。ネコは、なにかヒトのそばにいると自分に都合がいいことがあったため、ヒトと生活することを選んだのだろう。こんな素晴らしい生活ができるなど、彼らにとっても想像以上だったろう。

 ネコは基本的に肉食であるが、ヒトの傍らにいても肉が与えられる機会はそれほどなかったと考えられる。肉は人にとっても貴重品であった。そのうち、ヒトが出した残飯などにも順応したのではなかろうか。
 
 現在の日本では、ネズミ退治効果を求めてネコを飼うことは少なくなった。ネコフードも発達した。それでネコの飼育数はイヌを抜いた。ネコの最大の武器は「かわいい」がトップになった。これが他のペットと大きく異なる点である。

 私の側にいるネコは、半世紀前の初代の「タロ」除くと全て野良で、私は完全に利用されている。


2/3(木)晴れ時々降雪  飯川病院1:15起床。新聞、文献本読み。電子化。除雪なんとか不要
10:50バス、通町でコーヒー購入後徒歩飯川病院、まだ路地は歩行は危ない。秋田市は路地の除雪する気があるのか疑問。11:40飯川病院、微睡など。14:00-19:00勤務、本読みなど、書籍データ化など。外来のMac mini大曲用に検討、微睡。19:10帰宅、夕食、20:30就寝。歩数6397歩。一昨年はこの時期から除雪始まる。

徒然ネコ談義2022(3) ネコは何で「かわいい」か ついでに女性はどうか
 女性に対する評価として「かわいい」はよく用いられる。私もたまには用いることがある。
 私が女性に対して感じる「かわいい」感覚はペットに対する感覚と一部は共通している。しかし、ペットの場合は人間でないという気楽さがある。
 人間の女性に対してはそうは行かない。私が男だから感じる感覚なのだろう。「かわいい」の背景にどうしても男尊女卑的な視点、男として嗜虐的な様相、猟奇的?感覚や心理を伴う。
 私は古い感覚から逃れられない前時代人間である。

 思春期前の女の子の、笑顔を伴う表情はとても「かわいい」と思う。この時の感覚はより純粋で芸術的でさえある。

 女性の場合、
■見てくれは重要だが、まあまあ程度で、悪く無い範囲で、ちょっとだけ綺麗。
■年齢は、・・・問わない。婆さんでも・・・いい。
■笑顔がいいこと。
■頭の回転は悪く無い程度でいい。知性を感じられればいい。
■時折、バカじゃないか?と思わせる、抜けたところがあるのがいい。生来の天然バカがよりいい。
■気が強くない。
■理詰め、理屈をしつこくは言わない。
■ぐさっとくる様な内容をソフトに表現できる。
■社会的活躍はいいが、地位はほどほどがいい。
■清潔感がある。清楚。嫌な匂いも無し。
■などなど

 私から見て、「かわいい」は女性に対して用いる最高の評価ではないが、高い評価にあたる。美人、綺麗、有能、よりははるかに高い。

 私が日常的に女性達を観察して楽しんでいるが、「かわいい」と感じてもまったく外には出さない。心で感じて喜んでいるだけ。口で表現するだけ度胸がない。言えない自分が情けない。

 ただ、逆に、私が女性たちからどう評価されているのかということも書かねば片手落ちである。
 私はほとんど無価値、害もなく、空気と変わらぬ存在だろう。

 我が家のネコたちは全員、「なんだか知らないが、頼り甲斐のある人・・・」、と思っているような表情をするのがこよなく嬉しい。


2/2(水) 晴れ時々小雪 飯川病院ボランティア+午後勤務 古書店
 1:30起床。データ整理に集中。家内に同乗飯川病院、午前運動兼ねて古書店に、往復バス10冊購入。12:23ターミナルよりバス飯川病院。検食、14:00勤務、19:30帰宅。夕食、21:00就寝。Σ5762歩。積雪5cm、明日は除雪必要か。

徒然ネコ談義2022(2) ネコは何で「かわいい」のか
 現代の日本語の「かわいい」が意味するものは多彩になってしまった。
 かつての日本語では、「かわいい」は小さきもの、弱きものなどを示していた。清少納言、式部などはそのように用いていた。

 私の「かわいい」感情は、より強いものが弱い者に感じとる「守ってやらねばなるまい」と言う生身の感情、いのちを守ってやりたいと思う気持ちが背景になっていると思う。
 ところが、「このダンプ、よく俺のために働いてくれるんだ。とても『かわいい』やつだぜ!!」。これはある小説で使われた一節であるが、こんな大きく硬い対象物の評価にも用いることは私にはない。日本人は広く擬人化する傾向がある。
 一方、縫いぐるみ等の、生物を模した作り物に私は不気味さ、気持ち悪さを感じる事はあっても、一切「かわいい」との感想は抱く事はない。要するに「かわいい」は大きさ、姿形が全てと言うわけではない。

 私の「かわいい」と思う気持ちの対象をペットに限ってざっと見てみる。

 人・ペット等に対する共通の感覚 
―――――――――――――――――――――――――――――――
 ■攻撃性がない。
 ■見てくれ、表情がいい。
 ■私より小さい。
 ■抱っこするのに丁度いい大きさ。
 ■全身が柔らかい毛に覆われている。
 ■抱っこしても撫でても快適。
 ■私より弱い存在。
 ■私より劣っている存在。
 ■私の庇護を求めている。
 ■私と微々たる程度でもいいが、コミュニケーションがある。
 ■不快な音を発しない。
 ■清潔、汚れていない、匂いも無し。
 ■かわいい、はそれらに対する最高の評価の一つ。
―――――――――――――――――――――――――――――――

 その「かわいい」と思う背景には、以下のような残酷な心理が隠れている、と思う。
 ■私の方からいつでも無視できる、
 ■いつでも縁を切れる、
 ■ひねりつぶす事ができる、
 ■私の方に絶対的優位性がある事。
 ■微妙なバランス関係を維持している状態

 今までに動物を虐めたという、あるいは殺めたと言う具体的経験は一度しかないある鳩の思い出が、条件が外れれば「かわいさ余って憎さ百倍」にもなりうる危険な、微妙な感情である。
 他の人との間で話題にして確認したことはない。私の言う「かわいい」の感覚はおぞましい感覚と表裏一体のだ、と思う。

 その点、他人には聞かせられないが、ネコたちには日常「かわいい」と遠慮なく表現する。ネコどもの前で私はひたすら自分を捨てて素直で謙虚になる。ネコたちに「ゴロゴロニャン」と言わせながら、実は自分でゴロニャンしている。そのことが私を癒す。

 私がネコたちと遊んでいる姿は、とても他人には見せられない。


2/1(火)小雪やや寒い 中通病院外来 飯川ボランティア
1:00起床。新聞、本読み、電子化などいつもの如く。5:30可燃ゴミ集配所に。6:40
バス飯川病院。8:45-13:00外来。院長と面談、次年度からの外来診療契約延長。13:20飯川病院-19:00勤務、微睡も。19:30帰宅・夕食、21:20就寝。Σ8908歩。昨年Amazon Echo Show購入。

徒然ネコ談義2022(1) ホワイトハウスにネコ  
バイデン大統領の妻のジル・バイデン氏は1月28日、自身のTwitterで飼ネコの「Willow」をお披露目した。2020年の選挙活動の際にステージに飛び乗ってきたネコだとのこと。

(「Willow」の引き締まった表情がいい メスなのだそうだ)

 歴代の大統領一家のペットとしては犬が断然は多い。最後にホワイトハウスで暮らしたネコは、ジョージ・W・ブッシュ氏の「インディア」。
 クリントン一家の「ソックス」も有名だ。「ソックス」は、一家がアーカンソー州で暮らしていた時に、娘の腕に飛び込んできた迷い猫だった、とのこと。「Willow」とともにシンデレラ猫といえよう。

(「ソックス」の表情)

 懸案を多数抱えているバイデン夫妻にとってネコの「Willow」は新しい悩みのもとにならないか??私は心配している。それとも癒されるのか??
 ネコは攻撃性は少ないものの、ほとんど飼い主の思惑通りには行動してくれない。プーチン氏、周氏よりもコントロールが困難かもしれない。「Willow」から両氏に対する処し方を学べるかもしれない。

 私の場合は、ネコは一切言うことを聞かないから、一切文句も言わないから、だから好きなんだけどね。
 
(我が家の4兄妹たち 奥の白いのが「雪音」と「プチ」、 手前左が「しまじ」と「鉄」、 「しまじ」は「ソックス」に、「鉄」は「Willow」によく似ている)


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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