徒然日記
2021年11月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


 11/30(火)超快晴 
中通病院外来 飯川病院  1:30起床、文献・新聞などPDF化。録音データ整理。5:20可燃ごみ集積所に。6:40バス飯川病院。新聞スクラップ。8:45-13:00中通病院外来。微睡14:00飯川病院勤務に。入院患者対応。散歩中一付近まで。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ11254歩。昨年作業服厚手に変更。

COVID-19(2021)(32) COVID-19感染者激減 弱毒化変異でも生じたのか
 COVID-19は欧米やアジアので最急増しているが、何故か我が国を含む100ヶ国で感染者が激減している。その原因は明確には特定出来ない。 

 いろいろ要因が考えられる。
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 ■SARSの時のような独自の弱毒化変異が生じた??
 ■ワクチンの効果で集団免疫形成
 ■不顕性感染者の急増で集団免疫形成
 ■予防対策の効果
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 COVID-19のワクチンは2回目接種から約2週間後に効果が強まり、効果は6~8カ月とみられる。しかし、それにだけではなく、免疫担当細胞のメモリー能力で長期的な免疫力も形成されると思われ、これが感染時にブースター効果を発揮すると思われる。この部分はワクチン接種後に上昇する抗体値では推し量ることができないために意外と論じられていない。

 我が国では7月から64歳以下の人の接種が急激に進み、ワクチンによる数千万人の集団免疫ができた。実態は不明だが、同時に若年者の多くが不顕性感染した、と思われる。若い人の「不顕性」感染は検査で確認された人の10倍近くはいたのではないだろうか。この両者で国内で集団免疫効果が強く表れ、8月半ば以降に感染者が急減した可能性がある。

 英国やイスラエルなどワクチン接種が先行した国では、ワクチン効果による免疫力が弱まり始めた時期デルタ型が流行し、接種した人も感染する「ブレークスルー感染」が増えた。日本ももっと早く接種が進んでいれば同じような状況になったかもしれない。
 さらに日本は衛生思想が高い国である。基本的な感染対策、手洗い、うがい、マスクなどが文化として定着している。マスクを着用し、密集を避け、十分換気する。緊急事態宣言解除後も会食を控えるなど対策を緩めていない。人出は増えても多くの人々が用心し続けていることが染者数を少なくしている効果がある、と思われる。

 COVID-19ワクチンの効果は6~8カ月とみられるから3回目の接種は必要である。
 追加接種は12月以降に始まる見込みで、接種するタイミングも良く、高い効果が期待できる。オミクロン株が蔓延する前に、あまり時間をかけずに一気に接種を進めるべきであろう。 


11/29(月)曇り 健康クリニック 飯川病院
 2:00起床。文献・新聞等処理、蓄積データ処理。徒然。6:40バス飯川病院、新聞チェック、9:00-11:15健康クリニックドック15名+結果判定14名。11:30飯川病院。微睡ほか。14:00-19:30勤務。入院患者対応。途中ドンキホーテ片道徒歩、ブックオフ2冊購入、19:30帰宅、夕食。 21:15就寝。歩数計9393歩。

COVID-19(2021)(31) 新幹線の乗客急増 なのに新株オミクロンで長女一家のイラつきも急増
 COVID-19は何故か一部の国で感染者激減している。その原因は明確には特定出来ない。私は独自の弱毒化変異でも生じたのか??と思っている。
 その例として、2003年に世界的に流行し大きな脅威となったSARSは、我が国で感染者が出る前に、ワクチンなどは開発されていなかったにもかかわらず、流行が突然終焉した。その原因はSARSウイルスの弱毒化の突然変異ではないかと思われている。

 COVID-19に関しては、菅首相が辞意を表明した頃から我が国の感染者数は突然激減方向にシフトした。8月には1日2万人を超える新規感染者が報告されていたが、11月に入ってからも減り続け、昨日の全国の集計は1日150人程度である。これは我が国だけの現象でなく減少傾向は100ケ国以上で見られている。他方、欧米やアジアの一部ではワクチンの接種率が上がっているのに感染者が急増し、各種の生活や行動制限が再び加えられている。

 政府は9月30日をもって、COVID-19対策の緊急事態宣言と、まん延防止を重点措置を全面解除した。緊急事態から重点措置への切り替えも見送った。
 秋田県の佐竹知事は11月22日、年末年始を控え「県では以前のような自粛要請はしない」と述べた。感染対策を成した上で往来するよう求める。
 東京などで今後、感染が急拡大した場合には帰省自粛の再要請を検討する。知事はワクチンを2回接種しても「感染する恐れはある」として、「忘年会、クリスマスなどでは、気を緩めず感染対策を怠らないようにしてほしい」と求めた。

 私の近辺での変化というと秋田新幹線の乗客増が挙げられる。
 私は週に一度金曜に大曲中通病院の内科の診療応援をしている。秋田新幹線は昨年春以降乗客が激減し私がいつも利用している客車にはせいぜい2−3人しか乗っていなかったが、11月に入ってから乗客が漸増し、11月26日は往復とも座席の約半数が埋まった。こんな混雑は1年半ぶりのことである。乗客の様子から見ると殆どが旅行者と思われた。

 感染者急減と国の対策の改定を受けての変化であろう。

 我が家の長女は横浜在住である。長女は秋田が好きで休みのあることに一家でに帰省していたが、昨年春以降来秋していない。かなりの欲求不満状態にあると思われる。
 今年の年末年始は帰省可能かもしれないと、我が家でも先方でも期待を膨らませていた。

 しかし、最近、アフリカで見つかった新変異株オミクロンの急速な伝播が伝えられ様相が一変しつつある。政府は水際対策を強化した。ニュースによると成田空港でアフリカからの乗客に陽性者が出た、という。
 オミクロン株の感染力、毒力などはまだ分かってはいないし、国内の対策にも変化は見られない。しかし、再び行動制限が敷かれる可能性は十分ある。

 長女一家、特に孫の落胆は目に見えるようである。


11/28(日)曇りのち晴れ プリタイヤ交換 落ち葉処理
1:00起床、新聞・文献チェック,他。画像整理多数。音楽録音数編。12:00次男一家タイヤ交換に来襲するも今までと異なり庭掃除、人海戦術。庭掃除続きに役立った。ついでにプリのタイヤ交換もやってもらった。16:00座学に戻る、新聞スクラップ化、自炊数冊。音楽関連録画視聴。おもにN響定期公演。19:00夕食。20:30就寝。歩数計Σ4862歩数。昨年スキーウエア準備。

季節の話題2021(27) 息子一家の人海戦術で落ち葉掃除あっという間に終了、感激した

 紅葉は美しい。

 
 ただ、季節の移ろいを楽しむにはそれなりの努力がいる。この紅葉の楽しみの後に来るのが落ち葉の掃除である。それが、我が家の庭は落ち葉が半端でなく毎年私が一人で苦労してきた。

 本日昼、息子一家6人がタイヤ交換のために来た。我が家のガレージにタイヤを預かっているし、広場があるから作業しやすいからである。いつもなら孫たちは家の中で本を読んだりゲームをしたりして過ごし、私が非力ながらタイヤ交換の手伝いをするのであるが、今回は孫たちがなかなか家に入ってこない。

 気になって外に出てみるとタイヤ交換は男の孫を助手に次男が進めている。
 他の女の孫たちは?嫁さんの指導のもとで落ち葉掃除を始めている。
 こうなれば私も黙ってはいられない。家の周りの整理は私の分担領域だからである。掃除道具を出したり、使い方を教えたり、廃棄用の袋を用意したり、やることはいろいろあった。女の孫は3人、各々が箒を持って、家内と嫁さんとともに年齢に応じた働きをしていた。私はびっくりした。


(働く孫たち)

(落ち葉が掃除され綺麗になった庭)

 やることは流石にチャチな部分はあったが、女性5人のパワーは私一人のそれとは比較にならないものがあった。みるみる落ち葉が集められ、90Lの大型の資源ごみ袋詰めが6袋出来上がった。その間、次男と孫は余力もあったのであろう、自分の車のタイヤ交換に続いて我が家のプリウスのタイヤも交換してくれた。


 庭掃除はここ10数年は私が黙々と何日もかけて、ネコの手も借りたい状況で借りないでやってきたが、本日の体験は夢の様である。しかも、私にとって初めての嬉しい体験であった。
 今日改めて、「次男を育ててよかった、いい嫁さんを得られてよかった、孫も産んでくれてよかった、・・・」と心から実感した。
 それだけ時間がかかっている。苦節40年、その代わりに私が老化した。作業パワーが確実に落ちてきているだけにとても助かった。

 私は口には出さなかったが、激しい降雪で手が回りきれない時に今日の様に人海戦術で除雪にきてくれないかな・・とちょっぴり欲を出してしまった。今日の出来事が今日だけで終わらない様願いながら。


11/27(土) 終日曇り降雨不安定 
 1:00起床、新聞文献チェック、PDF化などいつものごとく。オーディオライン修理など。オリンパス録音機の機能に今更ながら驚く。午前座学とダリヤ球根採掘準備開始。、里芋一株掘り出す。午後書斎のパソコン周辺の整理中心に。16:00新聞チェック。読書、自炊など。19:00夕食、20:30就眠。Σ4239歩。

作曲家 小林亜星氏の作品にハマる (2)
 作曲家小林亜星氏は請われて1974年俳優デビューした。氏の独特の体型から向田邦子氏の作品の中で太ったお父さんのイメージにふさわしいと周辺から強く説得され恐る恐る応じたという。
 結果的に、俳優としても成功し、「寺内貫太郎一家」はシリーズ化されることになった。

 今回、この小文は私の録音に残っている以下の曲と今年7月16日ラジオ深夜便am1:00「母を語る 作曲家小林亜星さんをしのんで」を聴き直しながら、氏の意見を参考に綴った。
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ピンポンパン体操、イエイエ、赤いキッス、夜が来る、北の宿から、あわてんぼうのサンタクロース、振り向かないで、この木なんの木、人間ていいな、魔法使いのサリー、野に咲く花のように、ひみつのアッコちゃん、ガッチャマンの歌、狼少年ケン、やんちゃりか、一二の三のご挨拶、キングコング、かぜよひかりよ、花の子ルンルン、りんごがひとつ、幸せくん、恋待草、アンジェにお任せ、ゆかい痛快怪物君、夢を勝ち取ろう、ターンAターン、未知というなの船に乗り、金魚うり、北の宿から、

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 普通、音楽家の人気や功績の物差しはレコードの売上枚数や受賞数が評価されるが、亜星氏はその枠に当てはめては評価出来ない様である。
 誰もが親しみやすく、口ずさめる名曲をこれだけつくった人は他に思いつかない。

 子供の合唱を用いた作品も素晴らしい。言葉がピチピチ跳ねる、生きている。

 彼の作品を機会があったらもっと広範に味わってみたい。


11/26(金)曇り小雨時折 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床、本読み、医学文献チェック。5:30家庭ゴミ集積所に。7:35Taxi。8:11こまち。8:55大曲外来。病院間は降雨にて往復徒歩不可。帰路の新幹線今までになく混雑。全国的に制限解除の影響か。秋田も徒歩。15:30飯川病院ボランティア。19:20帰宅、夕食、21:20就眠。Σ7811歩。

作曲家 小林亜星氏の作品にハマる (1)
 私は音楽全般が好きである。いわゆるクラッシック音楽もいい。特に弦楽器の音色が好きで、ヴァイオリンやチェロも下手ながら弾くこともある。が、日本の歌も劣らず好き。長唄、民謡を含めて何でもござれであるが、とりわけ歌謡曲が好きである、その中では子供たちが歌う元気な歌、悲しげな人生を歌う演歌もいい。

 作曲家の小林亜星氏が85歳で今年春亡くなった。氏に関しては作詞の阿久悠久氏とのコンビで、1976年の日本レコード大賞を受賞した「北の宿から」の作曲家であることは知っていたが、氏についての知識はそれほどなかった。

 先日まとめて氏の作品を聞く機会があった。NHK−FM「歌謡スクランブル」で氏の作品が特集された。
 20曲ほど聴いただけなのでコメントするのもおこがましいが、放送で流された氏の曲を聴いてみると、この曲もあのCMソングも氏がつくっていたのかと驚くことばかり。氏の曲は何も知識のない私の心と耳に、がっしりと残っていた。
 たまたま録音していたのでこのひと月の間に何度も何度も聞き返し、氏の作品を一部であるが味わうことができた。

 今回はこの番組と今年7月16日ラジオ深夜便「母を語る 作曲家小林亜星さんをしのんで」を聴き直した。

 1932年生まれの氏が生涯に残した曲は6-8千曲とも言われる。祖父が医師であった事から最初は医学部に進学したが音楽の道を諦められず経済学部に転部、卒業後は一時商社に就職するも一月も経たずに退社、服部正氏に弟子入りし作曲を学んだ。

  CM音楽に関しては、依頼されるとだいたい2曲つくって依頼主に選んでもらっていたというから、実際の作曲数がどのくらいに及ぶか、わからない。依頼を受けると頭の中で構想を練り、取りかかると2時間もかからずに作品が生まれた、という。
 亜星氏の持論は「音楽は楽しめるものでなくてはいけない」ということ。そのためには「メロディーが生きていなくてはいけない」。だから、曲づくりの最初の段階では無伴奏で、歌いながら「幸せな気分」を味わいながら作ったという。

 確かに、氏の曲は「インパクトがあり覚えやすい」、「明るくて短くて、一度いたら耳から離れない」という印象である。
 自らが全盛期と振り返る2070年ごろはCM依頼がどんどん舞い込み、1日3曲くらつくっていた。
 その中でも「この木なんの木」はCMはつくられてから半世紀ほど経った今も現役で流され、世代を超えて強い人気がある。

 当然のことだろうが氏は歌もうまい。豊かな低音で聞かせる。「夜が来る」「りんごがひとつ」「金魚うり」などで聞くことができる。


11/25(木)曇り時折降雨 飯川病院  
1:30起床、本読み、徒然他。医学文献自炊、整理、廃棄。8:30家内に同乗して飯川病院。新聞チェック微睡、10;30-11:30玄関のハイビスカス剪定と訓練室に運搬、微睡、15:00入院患者インフワクチン対応10名。読書その他、19:15帰宅、夕食、21:30就寝、歩行計6089歩。

立憲(3) 代表選 立憲の構造の複雑さと党内のグループ
 野党の一般的特徴であるが、合併や分裂を繰り返しているのでなかなか構造や歴史的な流れが分かり難い。
 下表は私が参考にしている立憲を中心にした流れである。出典は失念した。


 また、自民党内に「派閥」があるように、立憲民主党には「グループ」がある。自民党の派閥と異なり、「グループ」は掛け持ちが認められているなど結束は緩やかとされており、実際に所属議員の線引きが判断しにくい。
 以下のグループがあるとされている。

 名称、代表他、人数、今回の代表選での支持候補者、
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 ■サンクチュアリ 約27名 泉 逢坂 西村
 旧立憲民主党系議員によるグループ、枝野氏は顧問。海江田万里も所属。リベラル路線。

 ■新政権研究会(泉グループ)約20名 泉
 泉健太氏が代表。旧国民民主党系の議員らが中心。中道路線。

 ■国のかたち研究会(菅グループ)約20名 西村
 菅直人元首相が中心。民主党時代から存在する旧立憲民主党系の党内グループで存在感のあるグループ。リベラル的。

 ■直諫の会(重徳グループ)約10名 泉 小川
 立憲民主党と国民民主党をまたぐ超党派として若手を中心とした集まりだった。

 ■小沢グループ 約10名 泉
 党内でも中道〜右派。

 ■野田グループ 約10名 小川
 蓮舫参院議員など。保守派。

 ■岡田グループ 約10名 ?
 中道路線?
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 政治家は単独では活動が困難である。党内で派閥やグループに属すのは悪いことではないが、議員の投票行動がこれで制約を受けるとすれば真の民主主義とは言えない。
 その意味では結束は緩やかとされている立憲のあり方の方が納得できる。


11/24(水)終日ほぼ降雨雪混じり 飯川病院 
1:30起床、本読み、徒然他。文庫本、医学文献自炊、整理、廃棄。10:50バス通町、徒歩長崎屋、ブックオフ4冊、13:00バス飯川病院。微睡後勤務、15:00入院患者インフワクチン対応10名。微睡読書。19:15帰宅、夕食、21:30就寝、ラジオ深夜便聞き直し数篇。歩行8499歩。

立憲(2) 代表選
 立憲民主党代表選(30日投開票)には4人が立候補している。
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泉健太氏(62)政務調査会長、
逢坂誠二氏(62)元首相補佐官、
西村智奈美氏(54)厚生労働副大臣、
小川淳也氏(50)元総務政務官。
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 私はこの方々に関する知識は全くない。調べてみると、当選回数も5回以上とベテランで、党内の役職では十分活躍されている方々である。
 菅・小沢・野田、岡田、前原などの各市も在籍しているが、彼らの声が聞こえてこないのがいい。立憲は確実に世代交代が進んでいるように見える。

 時事通信社が47都道府県連の幹部(n=47)を対象にアンケート調査を行ったところ、泉健太政調会長を支持する声が最も多く、他の3候補をリードしていることが分かった。

 調査は同党各都道府県連の幹部を務める地方議員に、回答者個人の見解として支持候補やその理由などを尋ねた。
 結果は泉氏(62)が15人でトップ。逢坂氏(62)が7人、西村氏(54)が6人、小川氏(50)は1人だったという。
 国会議員票(n=140人)でも泉氏は40人程度を固めている。小川氏が30人弱で続き、逢坂、西村両氏は20人台半ばだった。約30人は態度を明らかにしていない。ただ、態度未決定の議員や総ポイントの4分の1を占める党員・サポーター票の動向次第で情勢は変わる可能性がある。

 泉氏を推す理由としては、発信力や説明力を挙げた人が多かった。逢坂氏は北海道ニセコ町長を務めた経験から、その行政手腕が評価された。唯一の女性候補である西村氏は党が重視する多様性の観点から支持するとの回答があり、小川氏は掲げる政策だった。

 先の衆院選で前代表が進めた共産党を含む野党共闘への評価を聞いたところ、「与党候補との1対1の構図を多く作り、接戦に持ち込むなど効果があった」と答えたのは23人。「無党派層や一部連合の離反を招き失敗だった」と回答した5人を上回った。ただ、8人は功罪ともにあったと答え、問題の複雑さをにじませた。
 来夏の参院選での野党共闘については「必要だが修正の余地がある」と答えたのが23人で最多。衆院選と同様の手法による「継続」を訴えたのは10人、「ゼロベースで見直すべきだ」と回答したのは7人だった。
 ただ、代表選は1回目の投票で過半数には届かず、上位2人による決選投票にもつれこむとの見方が強まっている。

 私はNHKで放送される各候補の討論会などはできるだけ聞くようにしている。各々の候補者の主張は民主的な党内運営とかに関してはみるべきものがあるが、国政の最中枢での経験がないためか少子高齢化、社会保障、子育てなどの具体案については一般に浅い感じがする。人口減少子化問題については出生率の増加が日本を救うから積極的に関与・・というが、もう間に合わないのだ。その危機感は与野党問わず考えが甘い。


11/23(火)勤労感謝の日 大荒れ曇り 
 0:30起床、献新聞入力PDF化など。iMac27(2017)にデータ復元6時間。自炊2冊、文献整理など。5:20可燃ゴミ45L袋提出、徒歩でびしょ濡れ。iMacがWi-Fiに繋がらずアップルに相談、90分一応解決す。Ethanetの問題か?その後は順調。終日座学。19:00帰宅、夕食、21:30就寝。歩行計Σ4244歩。低activity日であった。

 政治に野党第1党の立憲民主党のは大きい。
 政権交代を訴えた衆院選で、逆に公示前より13議席減となった立憲の枝野幸男代表が辞意を表明した。
 私は、枝野氏が責任をとるのは当然だろう、いずれは交代はやむなしと思っていたが、早い辞任表明に驚いた。
 私のイメージでは枝野し辞任でますます立憲の影が薄くなってしまわないか??心配している。

 立憲にはあまり報じられない、私が知らない内部事情があるのだろう。
 立憲民主党は今回の選挙で選挙結果を徹底的に分析し、新しい代表を選び、体制の立て直しと地力の強化に努めねばならない。

 後任を選ぶ代表選は11月30日に行われる。
 4人立候補したが、私にとってほとんど知らない方達である。やはり、立憲は私から見て枝野氏の知名度がダントツであった。
 新たなリーダーを拙速に決めるのではなく、時間をかけ、党員も巻き込んで、候補者の資質を吟味してほしい。

 立憲は4年前の総選挙で、当時の野党第1党だった民進党が小池百合子氏率いる希望の党に合流を決めた際、たった一言「排除します」と言われた仲間達の受け皿として、枝野氏が立ち上げた。
 その時は大きな支持を集め驚いたが、その後、枝野氏は4年間かけ、所属議員を増やし、共産党を含む野党共闘を整え、自公政権に交代を迫るまでの体制をつくりあげたのは大きな功績に違いない。

 しかし、枝野氏を中心に少数の幹部だけで党の基本方針や政策を決める場面も多いらしく、枝野氏の「枝野1強」ともいわれた。枝野氏がもっと広く党員の意見を聞き、人材を育成すべきだった。

 野党共闘の検証、支持団体の連合や国民民主党との関係の再構築も不可欠だが、議員個人や地方組織が、地域における日常活動を抜本的に強化することが、有権者に選ばれる政党になるうえでカギを握ると思われる。
 政権選択選挙と称し、政権交代を訴えたが時期が早すぎた。過去の政権交代のことを、その時の失政を国民は忘れていない。広く人材を提示できない状態ではまだまだ早すぎた。

 私は枝野氏の業績を評価するが、氏の対話技術はよくなかったと思う。野党精神が丸出しでもあった。時には相手の話を折り、「なんでも反対、反対」。そこには対話に入っていけない、相手の主張をブロックするような強い響きがあり、主張を聞いていても不快を感じることもあった。それだけ言いたいことはあったのだろうが、一人相撲をしているとのイメージが残るだけであった。立憲の諸メンバーを後に抱えているというイメージは乏しかった。

 それだけ氏の辞任表明はショックだったし、代表戦はどうなるのを心配した。


11/22(月) 曇り降雨午後より嵐 健康クリニックドック 飯川病院 
 0:30飯川病院起床。文献・新聞等処理、蓄積データ処理。徒然。9:00-11:00健康クリニックドック14名+結果判定14名分。11:10飯川病院。読書微睡。新聞、医学論文チェック。14:30入院患者対応、駅まで徒歩、15:15新屋線バスにてキタムラに。iMac27(2017)修理終了、回収に。16:30帰院タクシー。19:00帰宅、夕食、20:30就寝、歩数計8999歩。

本を楽しむ2021(4) 本の自炊は法の範囲で 
 私は、最近の読書は、自分所有の本を電子化してiPadで読んでいる。書籍を捨てて身軽にすることが発想の原点である。書籍を裁断し、スキャナーを通して電子化、原本は廃棄する。
 市販の電子本には興味はない。

 ここで重要なのは著作権に対する配慮である。
 書籍の著作権は、書籍に記載されている人にある。基本的には著者が著作権保有者になる。なお、書籍の場合は原則、作者の死後70年で著作権が効力を失う。著作権が切れた青空文庫等の電子本の扱いは規制の外にある。

 PDFファイルにした電子ブックは、いくらでの複製ができる。友人・知人にメールで送信すれば、同じ電子ブックとして利用することができる。ただし、それはやってはならない厳禁行為。
 映画や音楽のコビーを配布して摘発されるケースが時折報じられるが、基本的には本も同様。「自分で購入した書籍」を、「自分で読むため」に「自分で電子ブックにする」のが許されたルールである。

 もう一つ気を付けたいのが、自炊の時に本を裁断してしまうので、古書店に売ることは恐らくできないだろう。だが、仮にできる状態だとしても、改造本として売買はルール違反になる。先に裁断後の書籍がネットオークションに出ていたのを見たことがある。自炊後の本は、自分で保管するか捨てるべき。友人、知人にプレゼントするのもルール違反である。

 著作権法の第30条によれば、「私的利用」に限りコピーができるとある。本を自炊して電子ブック化してもよいという、法的な根拠となる条項。文化庁の意見では「電子化の作業は自分で完結するのが基本。私的利用の範囲に限られる」というが「合法的な私的利用の範囲」が明らかでない。また、自作した電子ブックをコピーして、パソコン、自分のスマートフォン、iPadなどの電子ブックリーダーで読むのは問題ないが、他人に配るのは違法。

 裁断した本をスキャンしてくれる業者もあるが、これでは「自炊」とはいえない。「他炊」というべきか??利用すると違法になる可能性がある。

 理論的には本が1冊あればいくらでも電子書籍が作れてしまう。コピーが流通すれば、著者、出版関係者の首を絞めることになり、出版文化は衰退する。それは読み手にも不利益となる。これからの時代紙媒体の出棺物と電子本を並行して出すのがいいのではないか。私は新聞は3紙購読しているが、見落とした記事を検索するために一緒に電子版も購入している。新聞は紙面を見るに限る。

 私は自炊をおこなっているが遵法を旨としている。読みたいと強い希望があれば本の購入を薦めるか、データを入れたiPadを短期間貸し出す。結構厳しく自信を律している。


11/21(日)曇り晴れなど不定 飯川病院日当直
 1:00起床、新聞チェック、医学論文読み,整理、自炊5冊PDF化。新聞スクラップ入力、8;30家内に送られ飯川病院、9:00から日当直につく。新聞スクラップ作成、録音整理、読書他。12:00検食。NHKニュースのど自慢ラジオで聞く、郷里の隣村矢巾町から。微酔若干。読書。夕食、20:00就寝。歩数計2983歩。

本を楽しむ2021(3) 電子書籍購入には抵抗感 COVID-19で電子書籍需要が高まった
 私は今はほとんどの読書は自分所有の本を電子化してiPadで読んでいる。書籍を捨てることが発想の原点だからである。書籍を裁断し、スキャナーを通して電子化、原本は廃棄する。もう10年以上、作業を進めていて書架の本の大部分は廃棄されたがまだま残っている。
 一方、最近も書籍を積極的に、月に10数冊購入しているが、それらはほとんど書架には並ばない。購入した数日中には自炊して電子化してしまうからである。

 ならば、最初から電子出版された書籍を購入してはどうか、と思うが、私はまだ本そのものにこだわりがあって電子書籍を購入する気にはならない。
 しっかりした本の装丁、形を確認し、内容の一部を味わってから電子化する。それに、私は古い本も購入するから電子化されたものはまだ少ない。電子本は今までに10数冊しか購入していない。要するに私自身が電子書籍に十分の意義を認めていない、ということ。発想の転換はなかなか出来なものである。

 電子書籍市場は、COVID-19の感染拡大の影響で、外出を抑制する傾向が始まった2020年は、図書館にもなかなかいけず、在宅時間に読書の需要が高まった、という。その中でも、特に電子出版市場は活況で、前年比28.0%増の3.931億円と大幅に成長した。出版科学研究所発行の「出版月報2021年1月号」によると、電子書籍が伸びた最大の要因は、巣ごもり需要による新規利用者数の増加という。
 月報によると、2020年の電子出版市場で、書籍は14.9%増、コミックは31.9%増だった。緊急事態宣言に伴う図書館の休館や宅時間増加などで、2020年春に電子のストアの利用者が増加した。

 紙の版市場を大きくけん引した大ヒット漫画「鬼滅の刃」であるが、この作品は電子コミック市場も支えた。
 利用者数が増加したことに加え、利用者1人当たりの購入金額も増加した。やはり漫画の売りあげが伸びたことから、電子図書を支えているのは子供たちや若者なのだろう。特に、最近は学校でもタブレットを用いた授業が始まり、子供たちは抵抗感なくデジタル社会に溶け込んでいくことになる。ただ、それには問題もある。アナログ感覚も重要である。

 また、電子書籍の世界では、電子化を解禁する作家が相次いでいる。東野圭吾氏の作品が国内で初めて電子化されるなど、話題となった。

 時代は確実にデジタル時代に向けて動いている。
 私はそういった意味では純粋のデジタル派と言えない。終活デジタル派とでも呼ぼうか。


11/20(土)快晴 庭の落ち葉対応 鉢をガレージに
1:00起床。いつもの如く資料整理中心。読書。昼食微睡ご 13:30-16:00庭の掃除、鉢、ガレージに移動、ガレージ掃除、落ち葉掃除。16:30新聞チェック、読書。19:00夕食、21:30就寝。歩数計8570歩。昨年iPad mini2012自壊す、直ちにiPad mini4落札、2.7万円。

本を楽しむ2021(3) 電子化で失ったもの、失いうること
 iPad miniを用いての読書はとても便利である。
 ところが、どう考えても、本にかなわない部分がある。

 ■書籍が持つ装丁の威厳感、全体のヴォリューム感、質感、紙質感などほとんど失われる。新しい書籍を手にした時の幸せ感も電子化で失われる。
 ■書籍を持って感じる全体像のイメージ、安心感、満足感。
 ■パラパラとめくり内容について目星をつけたり、興味がありそうなところを探したりすること、
 ■書籍リーダーには電子的にしおりをつけたり、加筆したり、付箋をつけたり、それらを検索する便利な機能がついているのだが、これがどうも面倒。本ならば、ページを折ったりしおりや付箋を挟んだり、蛍光ペンで印をつけるのだが、書籍ほどには便利ではない。電子書籍を読みながら、メモ用紙を用意することも稀ではい。またはもう一台のiPadを側に置きそれに入力しながら読むという妙な事態も生じうる。

 結局、ツールは甚だしく進化しても、本に込められた情報を整理し、理解し、思考する自分の頭は、10数年程度の電子化の経験では進化してくれない様だ。頭で考える情報の主役はどうしても本や書籍なのだが、種々の事情のためにそう言っていられないのだ。
 
 本といっても、導入部から起承転結を追って読み進む小説のような「線的、時間的読書」はともかくとして、情報を吟味するために同じページ行ったり来たりする「面的、立体的の読書」となると、電子書籍は甚だしく使い勝手が悪い。

 たとえば、求める情報が、本の厚みのどのあたりのページに、どのあたりの面に位置しているか、といった空間的な記憶は情報の全体像を理解する上で大きく意味を持つようだ。理解や思考のための自分の脳内に形成された3次元的地図と書籍の特定の活字の位置が緩く、しかしかなり確信的に結びついている気がする。だから、積読とか、書架に並ぶ本の背表紙を眺めているだけでその本に何が書いてあるのかなど、朧げながらイメージが湧く。読書家の書家は本で溢れているが、同時に記憶の中も本で溢れているのだろう。書店や図書館の書架に並ぶ本とは存在の意味が全く異なる。
 とはいえ、無限大の空間と整理のための途方もない労力を必要とする紙媒体の資料の保管に代わるものとして、電子媒体は文明と、文化の継承に不可欠であることは間違いない。

 ただし、先進的と思われる電子化も楽観はできない。
 有史以来世界各地で起きた焚書坑儒は、中国秦の始皇帝が政治批判を抑えるために、一部の実用書を除くすべての書物を焼却するよう命じ、禁令を犯したとして数百人の学者を生き埋めにした故事から由来するが、このような事象は世界各地で行われてきた。
 その際、焚書なら1人の蒐集家が命がけで保存すれば、一部でも破壊を免れる可能性があるが、電子の世界では大量の書籍データが一瞬で跡形もなくなる事もあり得ないことではない。旧世代の人間としては甚だ心許ない。

 個人的には3重にデータのバックアップをとって別地域の医療機関に預けてある。狭い範囲の災害とかでは何とかなりそうであるが、もっとスケールの大きな不幸が襲ってきた時には個人的には対応できない。そんな悲劇が起こらないことを祈るばかりだが、電子データの国家レベルでの蓄積と安全確保はどの様な状態で行われているのだろうか。
 政治家にその様な発想はあるのだろうか??いや無いだろう。森友のデータ改竄問題然り、公文書の廃棄問題など然りで、見てて辛い。


11/19(金)終日天候不順 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
1:00起床、この頃から降雨、新聞文献チェックPDF化、自炊数冊、徒然他。6:00可燃ゴミ提出。7:35Taxi秋田駅、9:15大曲中通病院外来。インフワクチン接種担当だった。秋田も降雨で徒歩不可。15:30飯川病院着、ボランティア、微睡。19:15帰宅、夕食。21:30就寝。青森在住の親戚より訃報届く。 歩数計Σ9406歩。

本を楽しむ2021(1) 今は、紙の書籍よりは電子化した文章を好む
 私は周辺に友人が少なかったこともあって幼少期から読書好きであった。
 床面積だけは十分あって収納力は十分なはずなのに、我が家は住宅の壁も、仕事部屋の壁も書棚で一杯になった。古い書籍はダンボール詰にしてガレージの2Fに引っ越ししていた。我が家はオーバーに言えば、地震とかがあった際には床が抜けるのではないかと危惧していたほどである。
 で、15年ほど前から終活を兼ねて保持している書籍を裁断してスキャナーで電子化し、原本は廃棄する作業を進めている。

 人生の黄昏期を迎え、次世代のために所持品を減らしておくべき年代でもあり、いずれはどこかで一気に処分しなければならないとは思うが、思い出が詰まっているとか、情緒的な理由で書籍は捨てるに捨てられない。レコードやCD、オーディオ機器は思い切って一気に廃棄したが、書籍に関してはそうクリアに割り切れない。

 ずいぶん専門誌も購入したが、最初に廃棄に回したのは学術書、専門書であった。書庫の分はやや古いものが多かったし、今日的情報は新たな購入書籍で得られる、と割り切った。

 読書は夢やイメージの発想の原点だ。が、そのイメージを追ってもう一度、書棚の前に立ち見渡すと、決して、体系立てた整理などしていないのに、それらしきイメージに近い本が見つかる。
 手に取れば、記憶にあるベージや記述のあった場所に何となく行き着く。読んだときには、格別感銘も受けず、なるほどと膝を打ったわけでもないのに、記億のどこかに仕舞われていたのだろう。あるいはその後の人生の過程で興味が生まれていたものもある。
 
 令和の時代、新たな知識はネットで、というのは一般的であろうが、それは大いなる誤解で、テレビや、新聞でさえそれほどの信憑性はない。私はそう思っている。
 情報がやや古びているとはいえ、私が頼るのはまずは書籍や単行本となる。それらは出版されるまでの過程で十分に吟味され、出版の意義が検討され、秩序立てられた内容で、記憶に残りやすく、理解しやすいという理由だろう。

 年老いた目に書籍や新聞の小さな活字は過酷だ、と一般的には言われる。
 私はもともと強度近視と老視なので裸眼の視力検査は0.01以下の判定である。遠近両用のメガネを作ったが、かえって不快で本はスムーズには読めない。10分も持たない。メガネなしの方が快適である。書籍でもパソコン画面でも約10cmの距離で読めばなんら不自由なく読める。パソコン画面なら細いドット模様までクリアに見えるほど見える。

 そうした視力の欠点を電子書籍リーダーが容易に解決してくれる。読書用端末は私はiPadを数機種用いている。その中では軽量のiPad miniを頻用している。書籍は重さが様々であり読むのに苦労することもあるが、iPad miniの重さは300g前後なので目からの距離を簡単には保持できるから不自由しない。採光の良くない場所でもバックライトがあるから快に読書ができ、持ち歩きに適し、そのメモリーの中に本棚ひとつ近くの書籍を収納できる。

 昔から座右の書という表現があるが、私はiPad miniを離すことはない。寝ている間も抱えている。


11/18(木)曇り時折小雨 古書店訪問 飯川病院
 1:00起床、文献処理、徒然。10:50バス、通町からブックオフドンキ店、10冊購入。12:58徒歩飯川病院へ。14:30-16:00インフワクチン担当、微睡、新聞入力ほか読書。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計10100歩。

季節の話題2021(26)  私の近所にカモシカ出現
 カモシカ(ニホンカモシカ)はウシ科の動物で、本州・四国・九州の山岳地帯に生息している。成獣の体長は1〜1.5m程度で、体色は黒褐色や灰褐色が多く、12〜15cmの黒い角を2本もつ。カモシカは基本的に低山に分布する森林性の動物で、多種多様な植物(低木の葉、芽、小枝、花、実、ササ、草木)を食べる。

 かつてカモシカの毛皮や食肉を目的とした狩猟が行われていたが、数が激減したため、昭和30年(1955)に国の特別天然記念物に指定された。
 秋田でも時折近くの里山で見ることはあったが、つい先日私の住居の近くのゴミ廃棄所で遭遇した。

 カモシカはおとなしい性格で人を襲わない。必要以上に近づかず、もし現れても見守るのが良いとされている。帰巣本能もあるので、山に帰る道筋がわかれば立ち去ると思われる。幼獣は、一度保護してしまうと野生復帰が困難になるという。

 発情期は10月から12月とされている。単に迷い込んだのか、何かを求めてきたのかは不明。
 確かに見ているうちに去っていった。

(先日の個体)

(昨年数Km離れた小桜団地付近で遭遇した個体 角は一本だし、何となく似ている 両者は同じ個体と思われる)

 10年ほど前の話であるが、東京出張で早朝の秋田「こまち」で向かったが、出発してから15分ほどで緊急停車した。
 アナウンスによるとカモシカを跳ねたらしいとのこと。そのまま現地で30分ほど停車して、安全が確認されたので発車しますとアナウンスがあった。カモシカがどうなったかは説明はなかった。天然記念物だけに簡単には出発できなかったようだ。通常「こまち」は盛岡駅で東北新幹線「はやて」などと連結して東京に向かうが、この日は単独で東京に向かった。
 「こまち」は盛岡秋田間は最高時速120Km程度でノロノロ走るが、E6系「こまち」は、新幹線区間の最高速度320km/hで走る事ができる優れた車両という。この日も「こまち」+「はやて」の連結車両と何ら変わりなく快適に走行した。「こまち」+「はやて」が連結できない事例は少なくないと思うが、運転士の配置など、あらかじめセットされているのだろうか。


11/17(水)曇り晴れ温暖 柿取り2回目 県立美術館 飯川病院
1:00起床、新聞・文献読みとPDF化、他諸々。自炊数冊、ネコの世話、給餌、トイレ掃除など。9:30柿取り2回目、10:50バス途中下車、以降徒歩、旭川新橋から鯉に給餌、数匹。パン小片をを旺盛に食した。約1年ぶり。県立美術館、木村伊兵回顧展観る。12:30飯川病院。14:30-15:00インフワクチン担当、外来患者対応。19:00帰宅。19:30夕食、20:45就寝。歩数計8471歩。

季節の話題2021(25)  もう外が暗くなっている 早い秋の移ろい
 秋の日暮は早い、さっきまであんなに明るかったのにもう真っ暗。まさに、秋の日は釣瓶落とし。
 夏は一年のうちでもっとも昼の時間が長い。夏が終わり、秋に近づいてくると少しずつ日が短くなっていくが、思いがけずもう外が暗くなっていることに気づいて、晩秋の思いを深くする。

 なぜ秋の日暮れは早く感じるのだろう?
 秋田の年間の日没時間を調べてみると、もっとも日没時間が早いのは11月下旬〜12月上旬で、16時半頃には日が沈む。6月下旬〜7月上旬の日没時間が19時近く。実に2時間半も早い。これじゃ心の準備が間に合わない。

 もう一つ、「薄明」の現象についても理解しておきたい。薄明とは、上空の雲や大気が太陽光を散乱させ、日が沈んだ後も空がぼんやりと明るく見える現象。6月の場合、薄明の時間は1時間50分ほどで、ゆっくりと暗くなっていく。一方、9月、10月は6月に比べると30分近く薄明継続時間が短い。すなわち、日没が早いことに加えて、日が沈んでから暗くなるまでの時間が短いいため、夏に比べてあっという間に日が暮れるように感じるのも当然かもしれない。
 逆義語に、「春の日は暮れそうで暮れぬ」がある。
 秋とは反対に、冬から少しずつ日が長くなっていく春は、日暮れの移ろいがゆっくり感じられる。

 晩秋は紅葉の季節でもあるが緑に萌える時期と比較しても変化は早い。わずか10日間ほどで変容することもあり、これも関連する。

(通期途上にある紅葉、10日後の様子)


(我が家の柿、20日後の様子)

 早朝に霧が発生することもある。

(大曲の早朝の霧模様)

 日本の自然は、冬に向けて素晴らしく変化する。日本の四季は素晴らしい。


11/16 (火)快晴 中通総合病院内科外来 飯川病院ボランティア 
 1:15起床。新聞・文献読みと本読み、専門誌自炊他諸々。6:00可燃ゴミ出し。6:47バス飯川病院。8:45ー13:00中通病院外来。14:00-19:15飯川病院勤務。14:30-15:00インフワクチン担当、入院外来患者対応。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計9175歩。

徒然ネコ談義2021(6) ネズミの害で医師の診断書が必要???生存権はどうなっているのだ!!!  
 閑話休題(2)、ネズミの害で医師の診断書が求められた話。ネコ談義と直接関係ないが・・・。

 私が外来で診ている初老の女性患者の話。
 この方は若くして配偶者と死別し、子供はおらず、病弱のために労務は不可。秋田市内の築30年以上と思われるボロアパートに住んでいる。生活保護受給者で家賃が支給額の半額近く、食費にも余裕がないギリギリの生活。したがって居住環境は最低レベルで、六畳一間+アルファ程度。前から室内にネズミが出ることはあったが、この二月ほど前から夜間にネズミが毎日現れ、布団にも上がってくるなどで、ゆっくり眠られない、という。食欲もない状況で明らかに羸痩が進んでいた。

 管理人に相談したがラチがあかず、市の福祉関連の担当部所に相談したところ、「ネズミが病状に関連しているかに関して医師の診断書をもらってくるように。引越し費用などは出ないが転居に力をかせるかもしれない・・・」とのことであった。

 2週間ほど前に患者からそのことを相談されたが、果たしてこんな事例に医師の診断書が必要なのか 私は疑問であったが、患者が困っている様子がありありなので、担当者から類似ケースに発行された診断書のサンプルをファッスしてもらうこととした。
 先週届いたが、それには「・・・、住宅環境、ネズミがこの患者の病状に悪影響を与えているか否かについて記述いただきたい」、とあった。

 私はあまりの馬鹿らしさに驚いたが、患者の窮状を見かねて「もともと中等度のうつ的状況にあったが、患者の心理状態は確実に悪化している・・・」という意見書を記載した。患者の話について私は裏をとっているわけではない。しかし、行政の担当者の反応、患者の疲弊した様子からそう大きな齟齬はないと感じた。
 この意見書がどの様に扱われるかはわからない。
 付帯事項として、私は以下に記載するニュアンスで抗議の意味での意見も記載した。

 行政がこの様な意見書を求めてくること自体おかしなことである。健康で最低限度の生活のレベルを逸脱している。私はそう思う。

 日本国憲法(昭和21年憲法)第25条には以下の記載がある。
 ■第1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
 ■第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。

 要するに、国民には生存権があり、国家には生活保障の義務があることを憲法で明らかにしている。この患者の住宅環境が行政職から見て最低レベルの条件を満たしている、とでもいうのだろうか

 生活困窮に陥ったものに対しては、国家扶助によって最低限度の生活を保障するとともに、公衆衛生及び社会福祉の向上を図り、すべての国民が文化的社会の成員足る生活を営むことができるようにすることが定められている。
 我が国ではすでに生活保護法などによってホームレスの人々の居住が保障されているし、災害救助法等によって震災の被災者の緊急の居住は保障されている。したがって、問題はこれらの住居が劣悪である場合、行政がどの程度の判断力を持つかどうかかである。わが国では居住水準を定めた法律は存在せず、世田谷区等が条例レベルで定めているにすぎない。しかし、条例によるものは指導基準の効力しかない。

  生存権が外国人にも保証されるかについては議論があるが、最近起きた入管局に収監されていたスリランカ人の若い女性の死の様子を見ると殆どネグレクト状態であり、捨て置けない気がする。


11/15(月) 終日曇り 健康クリニックドック 飯川病院 
 0:30起床。文献・新聞等処理、蓄積データ処理。自炊3冊、徒然。6:30バス飯川病院、新聞チェック、9:00-11:00健康クリニックドック13名+結果判定14名分。11:10飯川病院。新聞、医学論文チェック。微睡。14:00-19:00勤務。14:30-15:00インフワクチン担当、入院患者対応若干。15:30-14:45旧長崎屋に歩行。古書籍8冊購入。データ整理、19:15帰宅、夕食。 21:15就寝。歩数計10118歩。一昨年上下ヒートテック着用開始。今年はまだ半袖。

徒然ネコ談義2021(5) ネズミの食害の凄まじさ 書:吉村昭「海の鼠」から学ぶ  
 飼い主と家畜たちの関係は、人間の生活と密着した「持ちつ持たれつ」の関係から始まった。

 イヌと異なりネコの場合、夜行性で、単独行動を好み、忍び寄りの狩りをする性格がある。その行動様式は、当初は人間の生活とまるで接点がなかった。ネコと人とを結びつけた媒介者はネズミだった。
 イエネコという家畜としてのはじまりについては、まだ決定的な学説はないが、今から約5.000年の古代エジプト人が、ネズミから備蓄食品を守るためにリビアヤマネコを飼いならしたのが始まりとされる。

 古代の人間が農業を行うようになって、頭を痛めたのはネズミの食害である。野ネズミが畑の作物を荒らしはじめ、豊かなエサがある状態では「ネズミ式に増える」という言葉があるように、ネズミは旺盛な繁殖力を持ち、エサを求めて人間の家屋の中にまで進出し、さらに、ベストなどの病気を流行させ、その後も人間の生活を長きにわたって脅かしてきた。 

 リビアヤマネコがあらゆるイエネコの祖先かどうかは断定できないが、この後、ネコはネズミ退治の使命を受けて、世界中に広まっていった。

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 ここで閑話休題(1)。
 ネズミの食害は何も古代エジプトの話だけではない。
 昭和の時代、四国宇和海の小島でネズミの大量発生があり、農作物や海産物等への被害、人的被害が生じた。1949年に始まり1963年頃まで続き、島民の生活はネズミによって破綻した。
 作家吉村昭氏の「海の鼠」はこの騒動を調査しドキュメンタリーとしてまとめた作品。
 本 吉村昭 「海の鼠」 新潮社 1973年  COVID-19対策と重なる地域社会の大混乱
 氏の筆は精密かつ生々しく、ネズミ嫌いの人は到底読み続けられないと思われるほどである。

  この小島は島民にとって厳しい生活環境であったが、ネズミにとっては天敵がおらず、温暖で環境が適し、いわしの煮干や甘藷、麦などの農作物、食料が潤沢にあることで、他の島から海を渡り、集団移転し定着したもの。7年後には120万匹に達したと思われた。最初は軽微な被害であったが、やがて畑のものも海からの物も、家の中の食糧もネズミに食い漁られるようになる。考えられる駆除対策は殆ど行ったが、どれも決定的は効果をあげなかった。大量のネコも導入されたが、ネコもあまりのネズミの多さに呆れたのか、本来の使命を忘れてネズミよりも海産物を漁るようになったという。

 人々はネズミの害と戦いながらもその島での暮らしを棄てることは出来なかったが、ついに畑作も漁も放棄し島を離れて生活の資を得る人が増えた。結果的に住民が生産する食料が尽き始めた島からネズミの大群はこの島に見切りをつけ「海を泳いで」別の島を目指し去って行った。

 人間の生産活動は、たとえそれが人間にとって不十分なものであってもネズミにとっては大きな恵みであったことが示されている。古代の人たちにとって鼠害の抑制が、ネコを家畜として受け入れることがどれだけ重要な課題であったかがわかる作品である。


11/14(日) 終日降雨 
1:30起床.新聞入力、自炊数冊。読書。微睡など思うがまま。正午NHK TVニュース、のど自慢楽しむ。晴れ間を縫って微睡後に歩行を兼ねて15:27バス、通町から徒歩で長崎屋に。最近の中で人手は最大、書籍7冊購入、バスで飯川病院、なんとか濡れないで済んだ。読書ほか、18:45帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ9319歩。

徒然ネコ談義2021(4) ネコはネズミを捕るという貴重な性質を介して人間と接点を持った 
 自然界の動物同士が互いに、深く助け合って生きる関係があるのか否か、私は無学にして知らない。

 人間と動物との関係に絞って考えれば、家畜やペットなどとしての関係がある。しかしながら、家畜、ペットとして身近にいる動物はそれほどの種類はいない。
 この地球上には4000種ほどの哺乳類がいるが、人間に飼い慣らされる動物はせいぜい10種類ほどでしかない。イヌ、ネコ、馬、牛、豚、羊、ロバ、ラクダくらいだろう。
 
 人間側では、多くの動物を捕獲しては飼い慣らそうと努力したであろうが殆どうまくいかなかった様である。
 その原因は動物側にあると思われる。
 動物側には単独の種で、厳しく生きる術が遺伝子レベルで備わっているのだろう。これが野獣の一般的な姿である。

 だとすれば、人間に適応する動物には共通する何かの性質があるはずである。
 ざっと上げれば以下の様な特質かな?これは馬の項目でも述べたことなのだが・・・
―――――――――――――――――――――――――――――――――-
 ■人間に関して興味を感じる余裕を持つ心がある、
 ■人間に好まれるソフトな性格である、
 ■飼い主に関心を持つ好奇心()がある、
 ■人間に対する凶暴性がない、
 ■人間に餌をねだる様な依存性がある、
 ■食べ物に融通性があり飼う側の人間にとってが餌を用意しやすいこと、
 ■縄張り意識が稀薄なこと、
 ■人間の要求に対応する知能と適応力を備えていること、
 ■飼い主が好む、甘えや訴えかける表情や仕草を持つこと、
 ■・・・・。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-

 現在ペットとしての代表はイヌ、ネコであろうが、上手く飼い慣らされた個体は全て上記の性格を兼ね備えている。だから、好まれるべくして好まれている。

 共通の祖先を持つネコとイヌだが、人間の生活の中に入りこんだのはイヌの方が早かった。走って、追いかけて、狩りをするイヌの習性が、人間の生活を助けるようになりやすかった。飼い主とイヌたちは、密着した「持ちつ持たれつ」の間柄になった。とりわけイヌは、集団のリーダーに従う習性があったので、人間との関係を構築しやすく、訓練も受け入れ、役立ち方も多様だった。

 そこへゆくとネコの場合、夜行性で忍び寄りの単独の狩りをする。行動様式が人間の生活とまるで接点がなかった。
ネコはネズミを捕るという貴重な性質で人間と結びついた。古代の人間が農業を行い、穀物を貯蔵できるようになって頭を痛めたのはネズミの食害である。今から約5.000年前の古代エジプト人が、リビアヤマネコを買いならしたのがネコの家畜化のはじまりとされている。ただ定説ではない。


11/13(土)曇り晴れ午後から降雨 歯科治療 飯川病院日直 
1:45起床。新聞・文献PDF化。読書、画像。いつもと同じ。10:30-10:50歯の治療、短時間で済んだ。自宅で読書、微睡後12:00家内に同乗飯川病院。12:30-17:00午後日直。16:00新聞チェック。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ6293歩。

徒然ネコ談義2021(3) もし、こんな人が同居人だったら
 同居人が、もし、こんな人だったら私は到底耐えられないだろう。
■わがままである。
■気まぐれである。
■自分勝手である。
■人の気持ちを考えない。
■すぐ気が変わる。
■やたらにあくびをする。
■居眠りばかりしている。
■クッチャネ・クッチャネでちょっと手も借りたい時も役立たず。
■呼んでも気が向かなければ返事もしない。
■早朝から、私がやっていることにちょっかいを出し、仕事を全部消してしまうこともある。
■重い荷物を運んでいるとその上に乗っかってくる。
■新聞を読んでいると、わざと新聞の上にどっかと居座る。
■いくら言いきかせても聞く耳を持たない。
■・・・あげきれない!!!。この辺で。


 私は何も大きなことを成し得ない常識的人間であるが、自分で言うのも何であるが勤勉である。だから、こういう人と毎日一緒だったら、イライラするし、目障りだし、気分は害されるし、お付き合いしようなんて到底思わないだろう。
 しかしながら、私は「いいかげんにしろ!!!」などと言えないし、怒鳴りつけることもできない。気が小さいから出て行けと言えず、ひたすら耐えるだけ。耐え難くなれば私が出て行くかもしれない。

 ところが、これが人間でなくネコだったらどうなる。
 「そういうとこが全部かわいいんだよ、ねー!!!!!」と事情が一変する。「わがままなとこがいいんだよねー!!! 私の心を代弁しているからねー」、となり、「居眠りばかりしているところに癒されるんたよねー」ということになり、最終的には「撫でてやりたい、抱っこしてあげたい!!! おやつをあげたい・・・」ということになる。「ホントに、もう、わがままなんだから・・・!!!」などと言ことが、喜びの口癖になっている。全然困ってもいないのに「困った、困った。どうして君たちはこうなんだ!!!」と愚痴る日々である。

 ネコを研究している人は数多いが、こんなネコの心理を解明できた人はいまだに一人もいないし、ネコの心を入れ替えることに成功した人もいない。

 それでもいいのだ。わが家では一時ハスキー犬もいたが、その後はネコを飼いつづけてる。今は我が家にはネズミはいない。だからネコは直接何も仕事はない。直接役立ってはいない。

 我が家のネコどもの最大の仕事は元気でいることである。悪戯してもいい、喧嘩してもいい。猫たちの存在が私のイラつきを抑制し、結果として家内安全に寄与している、と思う。
 ここまで書けば、やはり私はネコ好きなのだ、と言わねばならないのか?? 完全に否定すればウソつきになる。それもイヤだ。


11/ 12(金)終日降雨 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床.新聞、文献PDF化、読書。自炊数冊、5:30可燃ゴミ2袋、7:35Taxi駅に、8:11こまち、大曲中通病院外来。降雨のため大曲往復、秋田市内Taxi。15:30-19:00飯川病院ボランティア。19:00帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計Σ6918歩。

徒然ネコ談義2021(2) 愛猫家の「擬人化」的態度は見ちゃおれん
 いうまでもなく、ネコを人間の赤ちゃんとか幼児と混同する人間はまず存在しないだろう。だが、ネコに接する実際の態度、つまりどのような行動で飼い主が被らに向かうか、と考えると多くの人たちは完全に「擬人化」、すなわち、人間でないと重々わかっているネコたちにあたかも人間と同様な心的活動があると想定または期待して扱う。ネコを呼ぶときに赤ちゃん言葉を用いる方もいる。ただ、私は愛猫家の方々との直接の交流はないからその実態はわからない。

 「擬人化、擬人主義」は、現在ではもっぱら動物に人間的な心の動きを求めようとする態度をさすが、これは、人間側の勝手な論理であって、ネコにはそんな心の動きはない、と私を含めて批判的に捉える意見も多い。

 実際には、多くのネコ好きは、事実上ネコをあたかも人間の様にあつかっている。

 それなら、ネコは人間をどう見ているのだろうか。
 ネコの立場は、明らかに人間を「擬ネコ化」して仲間だと考えている?? 著名な動物学者で都留文科大学名誉教授の今泉吉晴氏はそう考えているようだ。(ネコの探求:平凡社新書セレクション1997.7)。その記述によれば、ネコたちは人間をネコにみたて、ネコの方法をもって人間に接し、挨拶して、付き合ってくれている、という。
 それを示す事象としてネコたちは、人間の何げない動作に、時に強い反応を示すことがある。たとえば、ネコのツメとぎはネコ社会の中では、相手を威味するのに使われる、かなりつよい敵対的恣意的行動である。それゆえ、飼い主が玄関のマットで靴の泥を拭う行動は、ネコをひどくおびえさせる。また、飼い主を交尾に誘おうとする雌ネコの人間に向けた求愛行動も、ネコの行動の「擬ネコ主義」を象徴する、と言う。

 私は飼いネコからこの様な態度を受けた経験がないのでこの考えが正しいかはわからない。 
 その真偽は別にして、「擬人化」をとる人間と「擬ネコ化」をとるネコとの間に成立する関係、それが地球上に何百万、何千万組みのレベルで存在し、しかも「親密」といえる内容で保持されている現状は、動物学的に見るならば実に驚くべきことといわねばならない。
 第一に、動物の社会行動は同種のメンバーに向けて展開されるのが原則であり、またそのためにこそ進化してきたものだからである。 自然界では他種のメンバーに向けてその親密さを用いることは意味のないことであるし、また実際まずはありえないことである。
 第二に、「擬人化」も「擬ネコ化」も、人間とネコの関係を誤解を導く源となるからである。

 私たちは、ネコのある行為を見て、たとえば「楽しんでいる、喜んでいる」と判断する。だが、その判断の規準は「擬人化」的な一方的な見方であり、客観的に正しいものである保証はない。それゆえ、その判断に基づいて展開されるネコの気持ちの解釈は、人間側にとっては意味が大きいだろうが、基本的に間違っている、ネコはむしろ迷惑している、と私は思う。


11/11(木) 終日雨 午後飯川病院 インフルエンザワクチン施行
 1:00起床、新聞、文献PDF化など。11:50バス飯川病院着。14:00勤務。14:30-15:00インフワクチン担当、微睡。19:20帰宅、夕食、21:10就寝。歩数計Σ6210歩。昨年ハイビスカス剪定。

徒然ネコ談義2021(1) 私はネコ好きなんだろうか
 私はネコ好きなんだろうか?
 小学校から高校卒業までの13年間私は一匹の猫といつも一緒であった。その後しばらく、約30年近くは飼う事はなかったが1990年頃から今に至る30年間は再びネコを飼っている、というか共に暮らしている。
 簡単に言えば私の人生の約半分はネコと共に過ごしていることになる。

 私もそろそろ残り時間が少なくなってきているのでネコへの想いをまとめておきたい。

 ネコを愛する人間と愛されるネコの関係は、少なくとも、古代エジプトの昔から、広く普及してきたことらしい。
 文献の初期にはネコがいかに人間社会において必須の動物であったかが語られていた。ネコはかつては人間の生活に必須の動物といってよかった。穀類の保存、船や建物の保全、仏教経典などの文化資産の保存に重要な役割を果たしていた。
 しかし、時代の変遷と共に人間・ネコ関係は様相が変わった。ネコは本来の仕事の大部分を失ったが、愛玩動物として生き残った。

 最近はネコへの「愛」を綿々とつづる書籍や文献、新聞記事を、私共は、諸外国、そして日本の書籍から何十冊も今すぐにでも集めることができる。

 ネコへの「愛」をつづるのは街のネコ愛好家ばかりではない、作家、詩人、評論家、学者、俳優、音楽家と、自らの気持ちを表現する多くの文筆文壇人種がそこに登場する。
 それらの書物を一読するならば、ふだん辛辣な意見を吐く識者たちにしては、実にナイーブな「愛」の表現が連続する。今日、ネコ以外の対象物に対してこれほど素直な愛の表現を、私たちはそうざらには見ることができない。
 しかしながら、私はそれらを素直に読むことができない。気恥ずかしく、気持ち悪い、からである。

 なぜ人間は、ネコにそのようにメロメロに接することができるのか。その理由の一部について、私が感じている内容は、後にふれることができると思う。

 ネコは人間同様、名前をもって語りかけられ、人間同様に育てられる。家の出入の自由を許され、家族として、家庭のくつろぎの時間の大部分を人間の家族とともに共有する。彼らは人間家族の平等の一員として、遇されている。多くの場合、死後も人間の方法をもって埋葬される。

 当然のことながら、ネコを飼っている人たちにとっては特定のネコに意味があるのであって、ネコ一般に意味があるのではない。人間は特定のネコを家族関係の中にとり込むことができる。その「愛」は、家族愛の一形態にこよなく近いものにほかならないように思われる。

 私は本当にネコ好きなんだろうか?いまだに疑問を持ち続けている。


11/10 (水) 降雨 飯川病院
1:00起床、文献チェック。徒然他。データ整理など。自炊3冊、雨で座学。患者死亡関連の業務のために早めの来院求められたが10:50激しい降雨あり1便遅くして11:50バス飯川病院。14:00から勤務、14:30-15:00インフワクチン担当、微睡。ZOOMによる秋田市周辺地区医療構想会議傍聴する。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計6068歩。

季節の話題2021(24) 秋は黄色、赤が素晴らしい 身近な紅葉など
 ついに秋たけなわ、となった。
 私にとっては秋は好きな季節ではない。大好きな夏から、除雪を要する厳しい冬の中間の季節だからである。それでも、深夜から起き出して早朝までの、誰にも邪魔されない貴重な時間、秋の夜長朝長の日々は楽しい。
 味覚の秋でもある。紅葉の季節でもある。

 冬を前に赤く変色しながら枯れて散る葉を「無常」と受け止めたのは平安の世。
 紅葉は晩秋の風物詩である。散る葉を惜しみ、人生の黄昏を歌った名歌も多い。京都を中心とした静かで優雅な雅の文化である。

 「奥山に紅葉ふみわけなく鹿の声聞くときぞ秋は悲しき(詠み人知らず)」

 一方、紅葉の風情を、積極的に、明るく楽しむスタイルを確立したのはやはり天下泰平の江戸時代だった。日本人の、普通の人が、自ら自然の移ろいを楽しもうとする、当時の人々のバイタリティー、審美眼に感服する。

 日本の文化は桜も紅葉も見るだけに止めない。秋の情景をえがく和菓子にも趣向を凝らした名品がある。季節の情景を思い浮かべてみれば一層美味に感じられる。

 奥深い山の紅葉はどこか神秘的で捨てがたい。秋の紅葉を意識して計画的に植林された京都の風情は格別美しい。しかし、何も有名な観光地を訪れる必要はない。自然は懐が深い。周辺にある木々にちょっと目を向ければ、自然の営みの一面を感じ取心にしみる。
 日本の自然は素晴らしい。

 最近は6:30amにバスで病院に向かう。徐々に明るくなっていくが、途中で見える山々の木々の紅葉が朝日に映え、刻々と様相を変えて実に美しい。ところが、この時間帯の乗客は私を除くとほぼ携帯のミニ画面に集中している。実にもったいない。週一回、大曲を往復するが、新幹線から見える山々も美しい、それに刈り取られた田圃の風情も良くマッチする。が、誰も見ていない。

 しかしながら、紅葉などの木々の評価は二分する。紅葉は美しいが、積み重なる落ち葉が嫌われる。歩行者が濡れた落ち葉で滑って転倒することもある。新幹線がスリップし遅れたこともある。

 私の家の庭にも楓や他の大きな落葉樹が数本あり、この季節になると週末には落葉の掃除に忙しい。でも、恨めしい気持ちを持って次々と葉っぱを散らす木々を見上げることはない。一年間ご苦労様、の気持ちで見上げる。

(我が家の紅葉 一部は盛りを過ぎた)

(飯川病院の窓から見える紅葉 通勤路にある紅葉)

 日本の自然は素晴らしい。


11/09(火)午前曇り午後降雨 外来 飯川病院ボランティア
昨年秋田初雪、1:05飯川病院起床。文献・新聞等処理、徒然。映像データ整理、自炊本読み。8:45-13:30中通外来。疲弊。14:30-15:00インフワクチン担当、微睡。新聞、自炊数冊準備。19:10帰宅、夕食、 20:45就寝。歩数計5904歩。

ラジオ2021(7) 浪曲、講談をたのしむ
 日本の話芸、演芸にもいろいろある。落語、漫談、漫才、コント、浪曲、講談、大神楽、手品、などなど。
 私は小中学生頃に、幸せなことに鉱石ラジオ、トランジスタラジオを与えられ、これらの演芸にもかなり親しんでいた。いま、隆盛を極めているのは落語と漫才なのだが、後者は全体に喧騒で、落ちつきなく、早口でついていけない。その点では浪曲、講談はじっくり聞かすだけにいい。

 浪曲や講談からはかなりの期間離れていたが、近年若手のスターが出たこともあって、聞ける機会も多くなった。この先、再度集中して聞いてみようと思っている。

 講談は話術を中心にした日本の伝統芸能。書物の文・語義を説き聞かせる。仏教の説教、神道講釈、古典講釈、ことに太平記読みなどを源流として成立した。講談は釈台という小机を前に置き、張扇や拍子木などを用いて演じる。江戸時代に発展し、明治時代に最盛期を迎えたが、近年は衰微した。

 浪曲は三味線に合わせてうたい語る演芸。江戸末期ごろ関西地方に始まったとみられ,江戸で浪花節と呼んだ。日露戦争後の国家主義的風潮とあいまって大衆芸能として発展,1900年から1950年ころまで民衆娯楽の最右翼となる。 
 浪曲は昭和の大流行を経て今日では低迷しているが、私は講談よりは浪曲が好きである。

 明治時代の芸人は、「遊芸人」の免許状がないと語れなかったから、講談師、浪曲師は時代を伝えるジャーナリストといっても良い存在でもあった。
 浪曲人気は絶大で、大正時代になってラジオ受信機が普及したのは「浪曲を聴きたい」人が多かったからで、貧しい庶民でも無理してまでも買っていた。
 昭和30年代に入ってTVが普及し、エンターテインメントの選択肢が増えてくると、講談は埋もれていった。浪曲にも若手のスターが育っているという。
 物語に聞き入って、この先はどうなるのか、と身を乗り手と、「ちょうど時間となりました~」と肩すかしを食わせるのもいい。

 当時の状況を知るのに昭和43(1968)年に出版された一龍斎貞鳳氏の著作のタイトルが「講談師ただいま24人」で、それほどまでに講釈師の数は減っていた。令和になって盛り返したとはいえ、それでも90人ほど。落語家は900人くらい。なんとか命脈を保ってきた講談だが、一時は絶滅が危惧されていた。その理由として、難解な言葉と時代背景の中で「講談は難しい」というイメージが広がっていったためとも言われる。最近は女性の入門者が増えている、という。

 昨年、真打ちに昇進した6代目神田伯山は講談師が一方的に語るのではなく、客との間に現代社会の話題も織り交ぜ「回路」を作ったとされる。彼の登場によって、講談へとアクセスするファンが飛躍的に増えた。
 氏は、「ラジオのリスナーや、テレビで僕を認識して、独演会に足を運んでくださる方も結構いらっしゃいます。ここ数年は、講談の存在を知っていただくことが最優先でした。初めて講談を聞いたお客さまのアンケートを読むと、笑いを求めていることが多いです。 僕のネタの中でも『万両婿』『飲講釈』といった軽い、笑いを中心とした話が喜ばれているようです。講談って難しいものだと思ってたけど、意外と楽しかった、また聞いてみたい、と思っていただくことが最初の段階。それから徐々に本格的な講談の魅力に触れていただけたらと思っています」と述べている。

 講談、浪曲等の優れた和芸が今後勢いを取り戻すことを切に願っている。


11/08(月)曇り時々降雨 健康クリニックドック 飯川病院+当直
 1:00起床。文献・新聞等処理。蓄積データ処理。徒然記載。6:40バス飯川病院、半袖ではやや寒い。9:00-11:30健康クリニックドック14名+結果判定14名。11:45飯川病院。新聞、医学論文チェック。微酔はど。14:00-18:45勤務。14:30-15:00インフワクチン担当、15:00外出、千秋公園の恋に給餌すれど喰いつかず。バスにて長崎屋、古書5冊購入、徒歩帰院、19:00当直業務に。18:00検食。 22:00就寝。歩数計1063歩。

バス通勤 乗客が車内で移動中は発車させないで欲しい
 私は日常から自分ではできる限り運転しないでように心がけ、数年来、できる限りバスで通勤してきた。昨年夏に運転免許を返納してからはほとんどバスを用いて通勤している。

 秋田市では65歳以上の高齢者は一回の乗車毎に100円で乗れる。高齢者にとっては嬉しいことであるが一律100円でなくてもいいのでは?と思う。

 他社のバスに乗る機会はないが、秋田中央交通では乗客の降車時には安全のために「ドアが開いてから席を立ってください・・・」と注意するアナウンスが必ず流れる。これはとてもいいことだ、と思う。最近のバスは後方の座席に向って車内に段差があるのが多い。だから乗客は注意して移動しなければ危ない。また、秋田などでは積雪期には靴底についた雪のために思いがけず滑ることもある。

 しかし、乗車時にまだ乗客が席に座る前に、あるいは混雑時などには立つ場所や手すりを掴んでいないうちに、姿勢が決まらないうちに「早々と発車させる運転手が多い」のはとても残念なことである。もちろん全ての方ではなく、じっと乗客が落ち着くまで待ってくれる方もいる。
 「乗客が席に着くまで発車させないでください」とアナウンスを流してはどうだろうか、とすら思う。

 先日は、後方の空席に向かった老夫婦が着席前にバスが動き始めたために、そのうちの一人が私の体の上にしなだれかかってきた。その方はその後、私も手伝ったのであるが、近くの席に座ることができ、事なきを得た。この間運転手は事態を把握していないようだった。これは実際危険な事である。

 バスの車内事故、旅客乗降時の事故は、急ブレーキの際などやむを得ない場合がありうるが、統計的に高齢の利用者、とりわけ70歳代の女性利用者に圧倒的に多くみられる(国土交通省自動車交通局自動車運送事業に係る交通事故要因分析検討会)。
 平成21年には乗り合いバスの中における転倒重傷事故は93件、そのうち65歳以上の方は82.8%を占めている。

 したがって、実効性のある予防対策が必要であるが、いろいろ理屈をこねる前に、一番簡単で重要なのは、乗客が乗降などで不安定な状態にある時に急発車や急停車をしない事である。それに尽きる。高齢者は足元が不安定な状態に実に弱いことを運転手は知るべきである。

 なお、この件はバス会社の意見欄に実名で投稿した。


11/7(日)快晴
1:30飯川病院起床、新聞、文献チェック。自炊化準備数冊。9:10-10:00徒歩で天徳寺ma迄、睡魔に負けて微睡。12:15NHKのど自慢後柿の収穫作業。ネコ部屋清掃。見ながら新聞切り抜き作成、電子化。録音データ整理など。自炊ほか新聞入力。19:00夕食、21:00就寝。歩数計5832歩。

ウワッ 脳梗塞の再発か?? 

 我が家の飼い猫であるプチは私の膝の上で過ごすのが好きで夜間早朝などに頻回に求めてくる。その際、私は作業をやめ、両足をテーブルに乗せプチを大腿部に乗せ、背中を叩いたりマッサージなどしながら30分ほどコミュニケーションを図る。その間、私はiPadで本を読んだり、少し微睡んだりもする。
 
 (プチ アップで)

 去る10月17日、am5:00頃プチを載せながら、少し微睡んだのであろう。プチも満足したのか膝から飛び降りた。am5:00過ぎといえば朝の出勤前の諸準備を始める時間でもある。廃棄するゴミをまとめたり、湯を沸かしたり、私の軽食の準備などである。

 その時、私は右下腿に特に痺れなどを感じておらず、通常のようにテーブルから足を下ろし、歩き始めようとしたが右膝から末端に力が全く入らず、動かず、そのまま右を下にして転倒した。
 それにより特に新たな外傷はなかったが、その際、第一に考えたことは数年前に生じた脳梗塞が再発したのではないかという危惧であった。

 しばらくそのまま横になっていたが、数分もたたないうちに右下腿に痺れが襲ってきて徐々に下腿が動く様になってきた。その間5分くらいであったが徐々に痺れも消失、下腿に力がもどって通常になった。

 この時間経過を感じながら、実際には脳梗塞などではなく、長時間テーブルの角によって膝裏の神経とか血管が圧迫されて起こった一過性のしびれで、時間と共に症状が改善、消失したと考えられた。プチの体重も些か関連したのであろう。

 その際、iPad miniを抱えたまま転倒した。起動したところ画面が縦に半分だけになっていた。再起動などを何度か試みたが改善しなかった。転倒時に衝撃を受け内部が断線でもしたのであろう。
 

 有難いことに、最近、秋田でもアップルの製品の修理が可能になった。「iPhone修理SHOPドン・キホーテ秋田店」である。早速翌日修理に持ち込んで3日後に修理終了して戻ってきた。費用は意外と高く25.000円であった。

 プチに責任はない。可愛いから、何があっても免責である。


11/6(土)快晴 歯科治療 飯川病院日当直 レセプトチェック
1:00起床、新聞チェック電子化、徒然他いつもの如し。PDFデータ整理。自炊5冊、11:00家内に送られ佐々木歯科医院、12:15新国道でバスに、12:30日直・当直に就く。患者は落ち着いている。12:00検食、15:00外来レセプトチェック。18:00検食、20:30就寝。歩数計Σ6929歩。微睡を交え読書三昧で過ごす。

季節の話題2021(23) 家庭菜園・園芸(12) 秋の味覚(3) 柿(2) 巧妙な自己防衛
 私が育った盛岡郊外の家には大きな柿の木があり、落葉樹が葉を落としつつある晩秋に、赤い数百個の柿の実が見事な美しさを醸し出した。

 柿は我が家にとっても、貴重な果物でもあった。私は大好きである。
 子供の頃から大人たちに混じり摘み取り作業を手伝った。柿の木は脆い。突然折れることがあり、柿の木から落ちると死ぬ、言われ、枝に直接体重をかけることは絶対にしてはならないときつく教えられた。

 なぜ柿の枝が脆いのか??
 柿の枝が身をつけたままドサッと落ちてくることもある。私は柿の木の自己防衛ではないか、と思う。柿の木には木材特有のしなりで耐える力は乏しい。驚くほど素直にポキンと折れる。成熟した実の重さに耐えきれなくなった時に、自身を折って落下させて自らを守るのだろうと思う。これは私の経験からの勘である。

 摘果作業は、長い杉の丸太数本を組み合わせてそれに梯子をかけて登った。だから効率が悪く、作業には数日もかかった。それでも全部取るのは無理で、半分程度は取り残した。鳥たちが訪れ、柔らかくなった実を選び、丁寧に食べていく。熟れて柔らかくなった実が多数雪の上にも落ちた。凍りついた実はかじかんだ手のひらで溶かして食べたが、とても美味しかった。

 なぜ柿の若い実は渋いのか??
 ここには枝の脆さとともに巧妙な自己防衛、子孫を残そうとする姿を見ることができる。
 柿の渋みのもとはタンニンで、果肉や果汁の中に溶け込んでいる。そのおかげで、未成熟の渋いカキの実は、虫や鳥などに食べられることはない。
 しかし、実の中のタネが十分できあがってくると、カキの実は、徐々に渋みが消えて甘くなる。鳥たちによって食べられ、タネが広範囲に散布され、若い芽が生える機会を増やす。

 果肉や果汁に含まれるタンニンは、「不溶性タンニン」に変化する性質がある。不溶性になれば口の中でタンニンが溶け出してこないので、味蕾を刺激しないから渋みを感じることはなくなる。タンニンを不溶性にする物質が、「アセトアルデヒド」である。渋柿の中で、タネができあがるにつれて、アセトアルデヒドがつくられタンニンと反応して、タンニンを不溶性に変え甘い柿にする。

 柿も巧妙であるが、人間はさらに上をいった。柿の実の呼吸を止めることで、アセトアルデヒドができる過程を促進させる。
 渋柿を湯に漬ける。湯につけるのは、温度が少し高いとアセトアルデヒドができやすくなるから。
 柿を干すと甘くなるのは、水分を失った外表面が硬くなって柿の内部の呼吸を妨げるからである。
 
 (軒下に吊るされた柿 一部)
 柿をアルコールや焼酎とともにビニール袋に入れて密閉するのも一方法。また、ドライアイスを入れて密閉するのもいい。
 余談であるが、重症急性アルコール中毒では人間の呼吸も止まる。柿と同じ。

 真っ赤に熟れた柿の風景は田舎の秋の風物詩である。
 ちなみに、10月26日は全国果樹研究連合会が「柿の日」と決めている。

 先週あたりから私は柿を細い枝ごと切り取って摘果している。
 
 全部は取りきれない。半分以上は鳥たちのために残す。カラスが来れば多少がっかりするが、彼らも必死で生きている。食べてくれればそれなりに嬉しい。


11/5(金)早朝降雨のち曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:10起床、データ整理。新聞処理。5:30可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅、こまち。徒歩病院へ。9:10大曲中通病院外来。復路Taxi。15:30徒歩飯川病院着、19:00ボランティア。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。 歩数計Σ8555歩。昨日4日朝、行方不明になった女児が発見されたとのニュースが一回だけ流れた。その後全くなし。誤報だったのか?

季節の話題2021(22) 家庭菜園・園芸(11) 秋の味覚(2) 柿(1)

 この季節は紅葉と実りの時期でもある。

 秋の果物は数々あれど、柿は秋を代表する果物の一つと思う。本当はりんご、なし、みかん・・・と、もっと列挙したいのであるが、到底挙げきれない。柿を代表的として挙げるのは単に果物として存在するだけでなく、私どもの生活の中にとても有用だからである。
 
 (たわわに実った我が家の柿 小枝ごとに切って収穫するが1本の小枝に10kgほどの身がついている場合がある)

 柿は奈良時代に中国から渡来したという説が有力。それ以来、柿は日本人の日常生活と深い関わりを持ってきた。家の周りには柿の木か必ず植えられていた。それだけ食料としても重要な樹木であった。柿は他の木の実と比べてはサイズ的にも遜色なく、しかも大量に実った。
 柿は食料として、家具材として、実、ヘタ、葉は薬として用いられてきた。今でも頑固なしゃっくりを止めるのに柿のヘタを煎じて飲ませる方法は民間療法の中で生きている。

 柿の渋は防水剤、防腐剤になる。和紙に柿渋を塗って防水紙とした。水回りに用いられる木製品には柿渋を塗りつけた。
 正月の儀礼に欠かせない鏡餅に添えられるのは、今はみかんが主であるが、従来は串柿であった。

 渋柿の渋味は果肉細胞に含まれる可溶性タンニンが舌の上で溶けだすため。渋抜きは、可溶性タンニンを不溶性タンニンにすれば良い。
 渋抜きにもさまざまな方法が見られる。渋抜きは、干してもいいが、焼酎などの高濃度のアルコール飲料などを使ってやるやり方が一般的。固形エチルアルコールを使用した棒状の渋抜き剤も市販されている。我が家では焼酎を用い、ビニール袋に密閉して1週間待つ。
 ドライアイスで二酸化炭素責めにする方法もある。

 柿は日本の文化では「甘さの源として重要で、甘さの原点」であった。砂糖がなかった時代の甘味は柿でつけられた。今でも秋野菜を漬ける際に柿の実を入れる地方がある。
 陶磁器に鮮やかな柿の色を再現したのは「柿右衛門」、それくらい柿は日本人に親しまれていた。

 昔は農家には必ず柿の木は見かけた。葉が落ちた柿の木はにたわわに残った赤みがかった柿はカラスも食べきれないくらいで秋の田舎の風物詩でもあった。

 どんな柿でも干し柿にすれば十分に美味しく食べられるし保存が効く。昔は何処の農家も作っていた。だから柿の大木が農村の何処にでもあったのだ。それが、最近柿の木が減っている様に思われる。我が家の近くの柿の木も数本伐採され寂しくなった。

 柿の木を見る度に私はもったいないと思う。あまり真剣に摘果されていない。菓子を楽しむのもいいが、もっと自然の恵みを味わって見てはいかがか。干し柿は日本人が生み出した最高の「ドライフルーツ」である。


11/4(木)午前小雨のち晴れ 飯川病院午後勤務 
1:00起床、文献・新聞チェックなど。新聞・文献入力、自炊数冊。読書など。10:50バス飯川病院着、通町から長崎屋に歩く予定なるも雨で不可。微睡、14:00勤務、15:00外出ドンキ書店5冊購入往復歩行。19:10帰宅、夕食、21:45就寝。歩数計Σ9893歩。

季節の話題2021(21) 家庭菜園・園芸(10) 秋の味覚(1) 栗・里芋
 日々かなり寒さを感じる様になった。まさに、つるべ落としの間である。早朝などは暖房器の熱が欲しくなる。

 この季節は紅葉と実りの時期でもある。

 (1)栗
 ここ数週間、庭の栗の木から時折栗が落ちてきた。かつては大量に得られたが、昨年春に庭師に依頼し、大幅に枝を切り落としたことが仇になったのだろう。今年は実が少なくなった。
 枝切りの目的は栗の木の周辺に植えるダリアの日照を確保するためであった。ちょっと切りすぎで樹勢に影響したのかもしれない。気の毒なことした、と反省した。
 あるいは今年の一定しない天候の推移、寒かったり超暑かったりが、影響したのかもしれない。

 毎年は4-5回は栗ご飯を炊くのであるが、今年は2回しか楽しめなかった。
 自分のところで取れた食材は格別美味しい。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4f/69/af4a5133504d3a676a13d64ff5325d0f.jpg" border="0">
(栗剥きは意外と大変である。今年は小さいのがあっておばさんが苦労していた)

 (2)里芋
 今年は定番の、キウリ、ナス、トマト、枝豆、ネギを植え終わっても畑の一部に空きが生じた。勿体ないので6月になってから6株ほど里芋を植えた。DIY店でカップに入った苗を入手した。初体験だから判断しがたかったが、里芋の成長は他に比べてゆっくりしていて初収穫はつい10日ほど前である。
 「夕食のおでんに使うので一株掘り出して見て。当日堀の芋はかなり美味しいはず・・」というので、当日の朝はかなりの降雨であったが掘り出し、洗浄して台所に置いた。
 芋は、私が思っていたよりは立派な出来で自ら感心した。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/51/1c817a2268784ad463aed97feec470fe.jpg" border="0">
(土の中でこんなに綺麗に成長するなんて!! 周辺の土、泥を洗い落として改めてと思った。繊細な根が綺麗)

 夕食のおでんの芋は、やはり美味であった。
 自分のところで取れた食材は特別美味しい。

 芋栽培は全くの初体験で、散水し周辺の雑草を刈り取った以外は特別なにも世話をしていなかった。追肥もしていない。今になって成書を読むと「茎の成長に合わせて茎の周辺に何回か土盛をすべし・・」とあった。多分そうすべきだったろう。成長とともに種芋が浮き出てきていた。おそらく土の中の小芋が行き場がなくて種芋を上に押し上げたのだろう。だから周りに盛り土、ということか。納得した。


11/3(水)文化の日 晴れ時に小雨 柿とり iMac27修理に 
0:30起床。新聞・文献、録音データ編集他。徒然など。書斎のMac mini居間に移設。しばらくこれで行くか。微睡、新聞データ化。9:30柿とり、15:00iMac27カメラのキタムラに修理に。秋田でMacが修理に出せる様になったのは嬉しい。16:00飯川病院、新聞チェックほか。19:00プリ同乗帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ7691歩。

当HP「これからの医療の在り方徒然日記」21年目のスタートを迎えた(3) 
 ■ 人生100年時代というが、私はもう時間が乏しくなってきている、と実感する。
 よしんば、もし生きながらえたとしても、身体機能、知的機能は劣化していく。現実的に、視力障害が著しく昨年運転免許証は返上した。図書館の書架の本のタイトルが見え難い。ぼんやりした視野で生きているが、これがむしろ快適なのだ。

 ■ 「可能性が一番豊かなのは今日なのだ」、と考え、生活の時間配分、終活作業にも力を注いでいる。

 ■ 終活として、CDを全て廃棄した。今は書籍の電子化、すなわち自炊に集中している。同時に読書欲にも火がついた。
 最近は読書のための時間確保に四苦八苦している。自炊データはiPad3台を駆使して読む。じっくり読み返すのもあるが、虫食い的に拾い読みしているのもある。

 今だに書籍を購入し続けている。それらはすぐ裁断、電子化する。この作業が終了したらまた購入である。
 最近の青春小説は面白い。ジェンダー関連の感覚を得るために女流作家の書く評論、随想も読んでいるが、これも面白い。

 ■ 不要なった家財道具を細く解体して燃えるゴミとして廃棄している。作業は楽しい。

 ■ 私は外来診療を除くと100%引きこもっている。別に鬱ではないが、人と会うのが面倒になった。会話すると不快な後味が必ず残るから嫌。若い頃からそうだったがずっと耐えてきた。
 私は、生者より死者が好き。改めて親しみを感じる友()となる。最近、恩師をはじめ知人がずいぶん亡くなった。

 ■ 私の文章は、私の文章とは言えない。
 私はペンを握れば僅か数行のハガキでも悪戦苦闘する。だから、普段はパソコンで文章を作る。それでも呻吟する。
 かつては辞書を引くのが好きだった。今は自動的に漢字変換されるからそれに任してしまう。便利すぎ、なんか気持ちが悪い。電気とパソコンと、他人の技術を利用して文章を作っている。
 とても自分の文章とは言えない。この点はやむを得ないが、残念だと思う。
 
 ■ 私のブログは自身の日記的なもので、子供たちへの生存報告が大きい。
 他の効用のひとつは、淡々とした生活の中にちょっとまとめてみようか、と思う話題が見つかること。言い換えれば、淡々・漫然とした暮らしの中でお宝探しをしているようなもの。
 また、一つの話題を調べる過程でたくさんの枝葉が出て、そこから新たな果実がうまれてくる。それもまた楽しい。

 ■ ただし、そのことが私を圧迫し、確実にストレスの因にもなっている。誰にも影響しないから止めりゃいいじゃないか? でもやめられない。自身に意固地になっている。それが自分であり、悩みなのだ。


11/2(火)夜半降雨快晴 中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床。文献、新聞・徒然など。iMac27(2017)突然?まーく出現、機能障害に。全く起動しない。重大故障か。MacBook Airで代行。6:00家庭ゴミ2袋提出。6:40バス病院。8:45-13:15飯川病院外来。検食、微睡、以降はいつもと同じ。Macサポートとチャットで相談、修理に。明日カメラのキタムラに持ち込む。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計9080歩。

当HP「これからの医療の在り方徒然日記」21年目のスタートを迎えた(2) 
 21年目のスタート日の雑感その2。若干(1)と重複するが・・・。

 なぜロクに読まれもしない駄文を綴り続けている?何のため??あくまでも自分のための作業。
 それにはやめられない自分だけの厳しい背景がある。

 ■継続は力なりーー私はこの言葉が好きで、継続している第一の理由がこれなのだが、いじけた性格の反動でもある。だから、自分さえ納得すればいつでも止められるのだが、自分に恥ずかしくて安易に止められない。

 ■記録に頼らねば記憶が保持できない
 私の記憶装置が劣化して記憶の蓄積や保持が困難になった。記録がないと全て忘れる。忘れてしまえば、自分は無為に生きたことに等しい。このHPは、徒然日記は、私が生きて来た証しになっている。

 ■忘却防止のため
 思うだけ、考えるだけでは考えはすぐ霧散する。だから気になったことはメモを作り、その中の一部を文章化しておく。文章化することで固定される。言ってみれば、点を線に変え、さらに面に変える行為である。それらはハードディスクに電子データとして蓄積している。そのための作業が連日続けている。
 その代わり頭は空っぽ。

 ■生活記録、小文は自史資料としても貴重
 私は日々の記録を蓄積するのが好き。文章、画像、音楽など、読後の感想など。覚えきれないから最近はほぼ全てを電子的に蓄積している。これがとても有用。
 新聞スクラップに関しては2008年から1日もかかさず作業しているから20万枚ほどあるが、検索ですぐ出てくる。
 何か調べたいことがあると、まず自分のデータに検索をかける。

 ■自分だけの、毎日の小さな積み重ねを楽しんでいる
 今は嘱託医として細々と外来診療を続けている。読書などに使える時間が増えた。読書量も増えた。1冊読了すれば芋蔓式に読みたい書籍が増えていく。読後感想文蓄積も増えた。購入した図書はすぐに自炊するから書棚には並ばない。電子書棚に並ぶ。

 ■孫を含む家族達の動向、飼いネコたちとの日々を楽しみ、畑作や園芸を通じて自然現象の移ろいを味わう。

 ■興味の対象は歴史、文化、政治・経済・・、と今でもまだ広がっていく。先人達の足跡は偉大である。それらを新聞、文献、書籍を介して味わう日々は最高。

 ■自分の弱気、体力低下に抗する毎日
 私は人と競争・抗争は好まない。対話も好まない。だから、他人と会話することもない。引きこもり状態である。
 対話の相手はもっぱら7匹のネコども。
 私の競争・対話の相手は私自身。抗する対象は私自身の弱気。

 最近はなんでも安易な方向に流れそうになる。それに抗するのが大変になってきた。もちろん、背景には老化による身体上の問題点、例えば下肢の衰え、バランス感覚の減弱によるふらつきなども意識する。

 このHPの更新はいつまで出来るか分からないが、私の気力、体力の総合的バロメーターである。
 昔お世話になった方々、私に少し興味のある方にも私の訃報などは届かないと思うが、このHPで生存だけは確認できます。


11/1(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。昨日投票の結果の大部分が判明。自民党の重鎮らが苦杯を舐めている。若返りのためにいいが比例区で当選しているから意味ない。文献・新聞等処理。自炊3冊。6;40バスにて飯川病院、9:00-11:00健康クリニックドック13名。判定14名。11:20飯川病院。新聞、医学論文チェック。微酔。入院患者対応、散水ほか。15:30-16;45散歩Book-Offドンキ店8冊購入、5冊売却、復路はバス。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計Σ10224歩。

当HP「これからの医療の在り方 徒然日記」21年目のスタートを迎えた(1) 
 当ホームページ「これからの医療の在り方――徒然日記」は、2001年11月1日に開設したので本日満20年を迎えた。
 本日は21年目のスタート日となる。ちょっとした記念日に当たる。

 抜粋版「雑記帳Blog」は満17年目、「インスタグラム」は4.5年程である。

 21年目の雑感。
 変化に乏しい日々の積み重ね。毎年似たような感想になるのはやむを得ない。

(1)なぜロクに読まれもしない駄文を綴り続けているか? 何のため??
 「継続は力」、この言葉が好きだから。この1年間、何とか連日更新できた。その達成を一人で喜んでいる。私は自己満足を大事にする。他人の評価にはそれほど興味ない。

 駄文は自分のために続けている。記憶力が乏しくなったから備忘録としても役立つ。

(2)私は意を決して始めた事はなかな止めない。
 習慣的に続けている項目を挙げれば、以下の如く。
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 ■ 生活記録は50年以上、うち18年間分がこの徒然として記述している。
 ■ 1:00amに起き出す。早寝早起きと言っていいか分からないが約30年超。
 ■ 新聞・文献スクラップ蓄積は20年超。
 ■ ラジオ深夜便連日3時間録音蓄積は12年超。そのうち6割方聴いている。
 ■ 岩手へ復興資金寄付は10年。金額は収入減とともに少額になりつつあるが・・・。
 ■ CDから音楽番組録画に移行し、その視聴9年。
 ■ 終活、特に書籍の電子化と廃棄は10年。今年から家財道具の整理に集中している。
 ■ 自身の過去を反省し、準引きこもり状態は10年。
 ■ 徒歩通勤は健康上の支障でやめた。昨年1月伊能忠敬の足跡を追ったゲーム上で日本一周を達成した。現在2週目で北海道通過中。
 本日で、集計開始後3135日、歩数Σ2.896万歩、距離Σ23.165Km。一日平均9800歩。
 ■・・・などなど。
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 他人に影響を与えないよう心がけて自分一人だけの世界を楽しみ、自己満足にどっぷり浸っている。

 最近「雑記帳Blog」の連日更新はちょっと辛くなってきている。
 加齢による意欲減退、何をするにも時間がかかるようになった。歩行速度も遅くなった。園芸・畑作業にかなり時間を要することもその原因。ちょっと何かに集中していると直ぐに時間がなくなる。

 終活を兼ねた書籍や文献の自炊作業が読書欲に火をつけた。フリーの時間はほとんど読書に充てている。
 自分に負荷している習慣、やるべき仕事をこなすのに1日24時間では足りない。でも、そんな考えはやめた。全体をミニ化し、簡素化し、休息を大事にしていく。

(3)「これからの医療の在り方」のタイトルが重荷に・・・
 最近、医学関係分野の勉強時間は少なくなった。もちろん最小限は維持しているが。


10/31(日) 曇り小雨終日 衆議院選挙投開票
1:00起床、新聞・文献チェック,他。画像整理多数。テーブル作成一応終了、石油タンク移動後の場所整理。昼食軽く取り、12:40歩行に。15:30新聞チェック、微睡。18:00、18:00衆議院投票に、19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ7474歩。

衆院選2021(13) 選挙で審判が出た 小選挙区と比例の同一人の立候補は卑怯
 約4年ぶりの衆院選で国民は、と括っていいか分からないが、結果的に自公の連立政権継続を選択したことになる。
 
 岸田首相は公約を打ち出しただけで実績はない。だから、今回の結果は9年近く続いた安倍、菅両政権、特に安倍政権への審判と言えるだろう。そんな中、自民は苦戦を制して与党による衆院の議席過半数を維持した。

 自民への風向きの厳しさは、秋田県でも明らかになった。秋田県では野党連合によって小選挙3区はいずれも自民候補と野党候補の一騎打ちとなった。2区では立憲の候補が自民元法相を破った。

 野党は共闘により全国で候補者一本化を推進。今回構築した共闘を国会でも堅持し、岸田政権と対峙する、と言う。来年は参院選がある。

 昨年以降のCOVID-19感染拡大では政府の対応が病床逼迫を招き、自宅療養中に亡くなる事例などが発生。政治が国民生活の生活、いのちに直結していることが実感された。
 それだけではない。自民の苦戦は、「官邸主導の強権政治」、「政治とカネ」の問題などによる政治不信の表れともみられる。

 その一つが自民の甘利幹事長の小選挙区の落選に表れている。

 安倍政権下で経済再生担当相だった甘利氏は2016年、建設会社側からの現金授受を巡る問題で辞任、暫く蟄居していたが岸田総裁の下で表舞台、党幹事長に就任すると問題が再燃した。当然である。私は今回の党人事に呆れた。国民をバカにしてはならない。これまで自身が十分説明責任を果たしたとは言い難いし、就任直後にNHK午前に放送された日曜討論では私は不遜な、若手を見下すような態度を感じ取った。

 岸田首相の発言が総裁選出馬表明以降、大きく後退した。「政治とカネ」に向き合おうとしない。甘利氏の件、河井案里氏に党が投入した1.5億円についても説明を避け続けている。森友学園問題を巡る公文書改ざん、菅政権下での日本学術会議任命拒否問題などにも後ろ向きなまま。

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 ところで、ベテラン議員のかなりが小選挙区で落選、比例当選となった。私は世代交代のために喜んだが、最終結果を見てがっかりした。甘利氏も同様であるが、秋田選挙区では元法相と当選5回の前議員が小選挙区で落選し比例区で返り咲いた。

 私は小選挙区制は若手や新人にとっては厳しい制度と思っている。小選挙区、比例の双方に立候補出来る制度はやめるべき、と考える。
 議員にとっての制度で国民のための制度ではない。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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