徒然日記
2020年9月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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9/30(水)晴れ 午後飯川病院ボランティア 
 1:00起床。読書、録音データ整理と処理、新聞データ化、データ分類など。歴
史関連本読み。午前は座学とダリアの世話、ガレージ2F整理、13:40バスにて飯川病院、ボランティア。自炊準備。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ7178歩。

菅義偉氏(8) 菅首相(4) 私の印象(3) 自称、都市も地方もわかる政治家だと
 菅首相は、何事も中途半端で解決を見なかった政策について進めていくだろうと思う。
 新型コロナを受けて注目されたのは東京一極集中の問題、要するに地方創生である。

 地方創生の一環として官房長官時代にふるさと納税制度を提起した。
 私はふるさと納税制度自体はいいアイデアだと思っている。地方で経費をかけて育成した人材が大都市に吸収され、そこで納税する構造、これは地方の立場から見ればどう考えても理不尽である。だから、郷里に対して納税の一部を振り分けることができるふるさと納税制度はとても素晴らしい制度だと考えている。しかし、そこに見返り品という報酬をつけたことは問題である。国民の三大義務の一つである納税を景品付きのネット通販まがいにしたことは許しがたい。
 日本は文化として寄付が少ない国である。寄付は基本的には見返りを期待しない無償お行為である。景品付きの納税制度は寄付文化の一層の衰退に結びつく。

 菅首相は突然秋田人になった。秋田県出身者ではあるが、選挙地盤は神奈川県である。秋田県では初の首相誕生と手放しに喜んでいるが、公的には神奈川選出の首相ということになる。秋田県には秋田新幹線が走っており、県民の重要な交通手段になっているが公的には秋田・山形新幹線は我が国の新幹線網の中には入っていない。規格外だからである。
 菅氏は今月2日、総裁選の出馬会見で「地方も都市もわかる政治家」として働く、と述べた。しかしながら、氏は2000年のころは「地方重視の交付税を見直し、都市の住宅問題、保育問題に力を注ぐ・・・」、と述べていた。地方創生は前政権の目玉政策の一つであったが、はっきり言えば何一つとして成果を上げていない。
 都市型政治家が地方出身政治家に変身を遂げようとしている。

 秋田には、菅氏が秋田出身だからといって期待すべきではないが観光と農業政策は進めてほしい。

 菅氏の主張として、なかなか実現しなかったのが携帯電話料金値下げ問題であった。名だたる日本の大企業ですら収益率が5-6%でしかないのに携帯電話3社は90%ものユーザーを寡占する状態であり、世界一高い料金で20%もの収益率を挙げてきた。
 なんで是正ができなかったのか??自民党に対する多額の政治献金がなせる技か??我が国の多くのユーザーは契約内容を十分理解しないで使用契約を結んでいる。スマホ料金は各人5000-10000円程度ではないのだろうか?あまりにも高いと思いながらも便利さの陰に隠れてしまっている。
 立場が変わった今、是正の方向に大きく変化していってほしい。

 今後は新型コロナウイルスとともに生きていかなければならない。
 テレワーク、デジタル化が求められる所以である。我が国はこの分野が遅れている。デジタル庁の発足は当を得多発想であるが、従来からもかなりの予算を投じてきた分野であり、総括が必要である。


9/29(火)曇りのち快晴 中通病院外来 飯川病院
 1:10起床、新聞・文献チェック、書籍電子化、徒然など。5:10家庭ゴミまとめだけ、ストッカーに余裕。6:47バス飯川病院着、8:45-13:30中通病院外来、予約数通常の倍、処方予約だけの患者募集するも誰も希望せず、疲弊。13:45飯川病院、14:00-18:30勤務。入院患者対応、19:00帰宅、夕食、20:30就寝。自炊数冊。歩数計Σ10718歩。

菅義偉氏(7) 菅首相(3) 私の印象(2) 安倍氏が任期満了なら・・・
 菅氏がいつから総理を意識したのかという点では、総理のお考えは全くわからないが、野心としては多分あったであろう。大体、総理を目指さないような政治家は烏合の衆でしかない。
 
 自民党の流れとして数年前から次期総理候補としては岸田・石破ラインが規定的であり、両人も地道な活動を展開してきた。
 今回この二人が脇に置かれたのは、安倍総理の体調不良で突然辞任表明したことが大きい。それまでは菅氏は次期総裁候補としては大きな話題を集めていなかった。
 今回の総理選出はハプニングであった。しかも、喫緊の課題、新型コロナ対策が迫っているということで、周りから安倍長期政権の後継としてとして、即戦力のある総裁に押されたのであろう。

 今回の総裁は来年9月までの任期しかない。
 イメージとして暫定政権という考えがあるが、菅首相はこれを完全に否定している。ただ、これは当たり前の表明である。頂点に達した政治家が暫定を認めるはずはない。「働く内閣」としての実力の評価を図るだろうが、今回の総理選出が自民党内の派閥の成果として選出された以上、同じことが次の総裁選で生じる可能性がある。

 同じことは第66代内閣総理大臣の選出時にもあった。三木武夫氏が総理に任命され、1974 年(昭和49年)12月から1976年(昭和51年)9月までの2年弱の短命内閣である。三木は金脈問題で世論からの厳しい批判を浴び、退陣に追い込まれた田中政権の後に、金権批判をかわすことを目的とした緊急避難的な事情で首相に選ばれた。いわばクリーンな政権を運営することであった。
 しかしいったん政権を獲得した三木は、自民党内で期待されたクリーンな管財人的な役割を越え、自らの政治的な理想を追求しようと試みた。保守政治の修正を試み、保守政治に新たな方向性を見いだそうとした。しかしながら、最終的には三木おろしとされる派閥間抗争の結果、退陣に追い込まれた。

 私は菅首相は暫定内閣ではないと思われる。
 安倍長期政権を傍で支えた実力者であり、時期候補とされている岸田・石破ラインは政策的に影が薄い。さらに、喫緊の課題として新型コロナ対策がある。経済抑制はもはや限界、特に新型コロナ直前に観光3188万人へ達した海外からの観光客をいかに取り戻すか、国内ではGo-Toキャンペーンの成果が求められる状態にある。
 国内外の観光業の回復は、新たな感染の危険を含むために、アクセルとブレーキのバランスを適宜維持して操縦するF1レースのヒール&トウに例えられる難しい判断が求められる。

 この時勢は前政権の延長線上に立つ、政権が求められている、と思う。


9/28(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院  富士山初冠雪
 1:00起床、新聞・文献チェック。データ整理、6:47バスにて飯川病院。9:00-11:00健康クリニックドック14人+結果判定1人。11:15飯川病院、読書、微睡ほか、14:00-18:50勤務、入院患者対応。新聞チェック、読書他、書籍自炊準備。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数10218歩。富士山が初冠雪した。平年より2日早く、昨年より24日早い。

菅義偉氏(6) 菅首相(2) 私の印象(1) 派閥の談合を否定するが
 菅義偉氏は首相まで上り詰めたが、官房長官時代に私が菅氏に抱いていた印象は決してよくなかった。

 官房長官としての力量は、安倍首相の長期政権の間ずっと勤めていたことから政治的力量は確かなのであろう。堅実な、失言のないスポークスマンとしての技量は政権側からは安心して委ねることができたのだろうが、情報を与えられる側にとっては紋切り型の不満が残ったのではないだろうか。菅氏は気に食わなかった質問は無視することもあったというし、似たような質問には全く同じ言葉を繰り返すだけで、どうひねって質問しても発展的ではなかったという。

 失言が少ないことは情報を絞って提示していたとも取れる。記者たちとの間にホットな応酬があったとは思えない。
 今までは自分の言葉として話した機会に私が接したことがない。だから何を考えているかわかり難かった。
 
 最近の、総裁選などを通じて少しずつ氏の言葉に触れてきたように思う。まだ不十分であるが。
 
 氏は安倍総理の補佐役として7年余にわたって日本の行き方を指導してきたのだから、首相になっても根本的な独自性は期待できないだろう。安倍氏の方向を維持しながら、その隙間を縫って安倍氏が成し得なかった分野に力を発揮するだろう。

 今回の総理選出に至る過程は、私には派閥の談合としか見えないが、本人はきっぱりと指定している。それは自身がどの派閥にも属していないことを強調している。
 逆に菅氏に派閥カラーがないことが、7つある自民党の5派閥にとって都合がいい存在になっていたということ。すなわち、その5派閥の長あるいは主要なメンバーは次期総理を狙える実力者まで育っていななかった、からである。

 5派閥にとって、総理候補のトップを擁している岸田派、石破派はとは、決して同調できない、ということになる。
 石破、または岸田氏が次期総理になってしまうと時間が無駄になると考えたため、と思われる。もちろん、このお二人の政策にも問題ががあったのだろう。
 菅氏はその意味で都合よい存在になっていた、ということ。本人が派閥人間であるかいなかは別として、今回の総裁選出は派閥政治の事情が濃厚に反映されている。これが派閥の談合ではない、と言えるのか。

 公職選挙で選ばれた議員のうちの一部は、好色選挙法で選ばれた??といような議員でもあるが、菅氏が清廉潔白な方であることは明らかなようである。この点では信頼がおけそうである。


9/27(日)快晴 夕方から降雨  
1:10飯川病院起床、結構寒い。データ整理、読書など、7:00検食、読書など、9:40バスにて帰宅、新聞データ化など。12:30昼食後ダリア世話、ガレージ2F物置整頓、一部物品廃棄準備。微睡。書籍自炊化。19:00夕食。21;00就眠。歩数計10779歩。

菅義偉氏(5) 菅首相(1) 9月14日総裁選挙、16日首相指名選挙 結果
  9月16日午後、衆院本会議の首相指名選挙で菅義偉氏が第99代の首相に選出された。

 菅氏は湯沢市秋ノ宮出身。秋田県出身者が首相に選出されるのは初。 
 体調不良により辞任した安倍首相の後を受け、菅官房長官が急にクローズアップされ、あれよあれよといううちに自民党総裁に選出され、首相指名選挙に臨んだ。
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 自民党総裁選挙地方票(141票)
   菅氏68票、石破氏42票、岸田氏10票
 国会議員票(393票)
   菅氏288票、岸田氏79票、石破氏26票票。
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 衆院本会議での首相指名選挙(投票総数462票)
   菅氏314票、立憲民主党の枝野氏134票、日本維新の会の片山虎之助氏11票、
   無所属の中山成彬氏2票、自民党の小泉進次郎氏1票 
 参院本会議での首相指名選挙(投票総数240票)
   菅氏142票、枝野氏78票、片山氏16票、国民民主党の伊藤孝恵氏1票、白票3票
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 首相交代は2012年12月以来7年8力月ぶり

 菅氏は直ちに組閣に着手。皇居での首相任命式と閣僚認証式を経て自民・公明両党連立による菅内閣が17日に発足した。 

 自民党選出首相で、派閥に所属せず世襲でもないのは異例。その派閥なしのあり方が派閥人にとってむしろ都合が良かったのだ。

 菅氏は第26代総裁に選出された14日に、国民のために鋤く内閣をつくると宣言。役所の縦割り、既得権益、あしき前例主義を打破し、規制改革を進めること強調した。
 新型コロナの感染抑制と経済再生の両立にも取り組む。 

 安倍内閣は16日午前の臨時閣議で総辞職した 歴代最長となった安倍首相の在職日数は連続1位で2822日、第1次からの通算は3188日であった。

 安倍内閣の終焉を受け、私は開放感を味わった。
 菅首相がどのようにこの国を導いていくのか未知数であるが、かなり前から政策上の限界を見せながらなかなか退陣しなかった安倍首相よりは見るべきものがあるかもしれない。そういう期待を抱いて首相指名選挙を見守った。

 自民党の総裁選挙は、時間がないなどの理由で簡易型をとったが、時間はあった。だから納得のいかないものであった。総裁選挙は首相指名選挙に等しい。
 長老たちの意向が見え隠れするだけに、首相選出を私物化したと言わざるを得ない。総裁選そのものを私は支持しない。

 だが、今となれば、菅首相の手腕に期待するしかない。


9/26(土)晴れ 飯川病院日当直
 1:00起床。文献チェック他。何時ものごとし。風邪の症状続く、熱感、鼻汁。読書、自炊と書斎の整理。新聞チェック。自炊5冊、午前も同様。12:00家内に同情飯川病院、日当直に就く。録画でTVドラマみる。検食、読書、微睡、18:00検食、20:30就寝。歩数計Σ6612歩。

本 若竹千佐子著「おらおらでひとりでいぐも」(3) 芥川賞、直木賞などの文学賞について 
 「おらおらでひとりでいぐも」の著者は、2018年、史上最年長となる63歳で、デビュー作で「芥川賞」を受賞した。「おらおらで・・」(2)で紹介した「壬生義士伝」の著者浅田次郎氏は「直木賞」を受賞している。
 これを機会によく知らなかった文学賞について調べてみた。

 芥川賞、直木賞、本屋大賞、山本周五郎賞、川端康成文学賞、吉川英治文学賞、太宰治賞、大江健三郎賞、三島由紀夫賞・・・などなどであるが、各文学賞についてどんな特徴があるのか理解していなかったので、今回調べてみた。っ区文学賞には有名出版社が主催または後援しているのが多い。

 ウィキペディアで調べた範囲では数百の文学賞があるようだ。とてもまとめきれない。結局よくわからない。私にとってはあまり役立たない資料であった。私にとっては芥川賞、直木賞、本屋大賞くらいが関心のあるところになる。

■ 芥川賞
 世間で最も知名度がある。直木賞とともにメディアでも取り上げられる。デビュー作で受賞も可能。受賞者一覧を見ると私が知らない作家も多い。なぜか、受賞後に次作が続かず消えてしまう作家も多いようだ。注目されるだけに受賞そのものがプレッシャーとなり書けなくなる場合が少なくないらしい。

■ 直木賞
 世間で最も知名度があると思われる。芥川賞とともにメディアでも取り上げられる。芥川賞は純文学系に、直木賞はエンターテインメント小説、大衆小説を対象にしていることに加え、将来性を加味して選ぶらしい。受賞者一覧を見ると息の長い活躍をされている作家が多い。

■ 本屋大賞
 「打倒直木賞」をスローガンに作られた賞。受賞作は全国の書店で店頭宣伝されるために売れ行きがよく、重版、重々版されるケースが多いという。

■ 山本周五郎賞
 エンタメ系の文学賞で権威もある。

■ 吉川英治文学賞
 エンタメ系の文学賞の中で高い評価がある。ベテラン作家の受賞が多い。

■ 読売文学賞 
■ 三島由紀夫賞
■ 谷崎潤一郎賞
■ 野間文芸賞
■ 柴田錬三郎賞 などなど多数。多すぎてとても記載できない。

 私が好んでいる作品の著者は上にあげる代表的文学賞のどれかを受賞している。このリストにない場合は、個別に作者の経歴を調べれば他の文学賞を受けていることがわかる。作家は何かの受賞を契機に作家活動に専念する機会にしているようだ。尤も、受賞暦がなければ作品が有名出版社から出版され難いのは理解できるし、出版されなければ作品が世にでることもない。

 それにしても作家生活は大変なものだ。新人が次々とデビューし話題をさらっていく。中堅作家としてもほぼコンスタントに作品を上梓続けないと忘れ去られていく。

 私は最近は自由になる時間のほとんどを読書に当てている。
 彼らが呻吟した作品をさらさらと、飛ばし飛ばしなどしながら読む。気楽なものである。


9/25(金)曇りのち降雨 大曲中通病院外来  飯川病院ボランティア
 1:30起床,文献、データ整理などなどゆったり過ごす。5:00可燃ごみ集約提出せず、7:35Taxi駅西口、8:11こまち、8:15大曲中通病院外来。往路徒歩、復路雨Taxi、アルベ氏の出張所で住民票取り方確認。13:40-19:00飯川病院。書籍データ化進める。19:20帰宅・夕食。21:45就寝。歩数計Σ10753歩。

本 若竹千佐子著「おらおらでひとりでいぐも」(2) 味のある方言文学 
 主人公は標準語と岩手弁を駆使して物語を進めている。
 通常の語り部分は標準語で、心情の吐露、独り言などは岩手弁で語る。主人公の二つの言語を駆使して人生が語られるのは実に新鮮である。

 岩手弁が活字になると結構読みにくい。私にとっては懐かしい郷里の言葉であり心地よい柔らかさで伝わってくる。イントネーションも思い出し、親しみがわく。もう忘れてしまった言葉も頻繁に出てくる。本作品はなにより言葉に活気がある。直接話し言葉として聞いてみたいほどであるが、もうそのような機会はなかろう。多分、他の地方の出身者の読者の方々は読み切るのにかなり苦労されるだろう。

 本作はひとりの老女の周囲の出来事を追うことに多くの頁が割かれていて、彼女の記憶や思考を巡る内容が中核をなす。こうした手法で小説を構成し、これほどの緊張感を保つのは難しいと思われるがそれが成功している。

 今の社会は地方で育っても、ほとんどが生きる糧を得るためには郷里をでて都会で生活せざるを得ない。だから、誰しも方言を持っているのだろうが、数ある作家の中でこのような手法をとった作品に触れたことはない。
 標準語と東北弁の声が交錯する二重構造が効果的で、生きていく上で東北の女の置かれている立場を示している。
 主人公は、親とも子とも闘ったあげく、私は一人で生きて死んで行くのだという心境に至る。今の高齢者の諦觀、表題は宮沢賢治の、妹の死を悲しむ「永訣の朝」の一節、「わたしは、わたしで、ひとりで、逝きます」からとられている。これもいい。 
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 私が知っている岩手の方言を駆使した作品として、浅田次郎著「壬生義士伝」がある。私はまだ読み切っていないが、以下は郷里の盛岡の情景を示した一節である。

「南部盛岡は日本一の美しい国でござんす。西に岩手山がそびえ、東には早池峰。北には姫神山。城下を流れる中津川は北上川に合わさって豊かな流れになり申す。春には花が咲き乱れ、夏は緑、秋には紅葉。冬ともなりゃあ、真綿のごとき雪こに、すっぽりとくるまれるのでござんす。」(文春文庫下巻 P.82)。
「盛岡の桜は石ば割って咲ぐ。盛岡の辛夷は、北さ向いても咲ぐのす。んだば、おぬしらもぬくぬくと春ば来るのを待つではねぞ。南部の武士ならば、みごと石ば割って咲げ。盛岡の子だれば、北さ向いて咲げ。春に先駆け、世にも人にも先駆けて、あっぱれな花こば咲かせてみろ。」(文春文庫上卷, p401)。

 浅田氏は岩手出身者ではない。本作の時代背景も異なるから比較はできないが、「おらおらで・・・」の方言は柔らかく心に沁みる。


9/24(木)家内誕生日 晴れ 午後飯川病院 
 1:15起床、新聞、医学文献他読む。徒然。9;00-11:00ガレージ、庭掃除。11:50バスにて飯川病院、14:00-18:50飯川病院勤務。入院患者対応。19:30書店経由帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計Σ9683歩。書籍自炊5冊。

本 若竹千佐子著「おらおらでひとりでいぐも」(1)河出書房新社  2017年11月
 2018年、史上最年長となる63歳で、デビュー作で芥川賞を受賞し話題になった若竹千佐子氏の作品。


 私は通常は受賞作の作品は、購入してはおくものの、受賞に関して話題になったという先入観にとらわれるので、購入しても自炊して電子化しておくが、読まないでおいている。
 この作品も早々に入手はしておいたがまだ手をつけていなかった。二ヶ月ほど前に、ラジオ深夜便の「芥川賞受賞作家シリーズ」の一人として若竹氏へのインタビューを聴いて、彼女の人生、人となりに興味を持ち一気に読みたくなった。

 著者の若竹氏は幼少時は私と同じく岩手で過ごした方。1954年、岩手県遠野市生まれ。岩手大学教育学部卒。教職を目指すも果たせず。専業主婦として家庭を維持し子育てなど。夫と死別後、55歳から小説講座に通い始める。8年の時をかけて本書を執筆、2017年、河出書房新社主催の第54回文藝賞を受賞、翌年、同作で芥川賞を受賞した。

 本書で設定した主人公は作者よりも10歳ほど年上の、74歳の女性として登場させている。
 テーマは老化、孤独、死。主人公の内面は複雑な思に満ちていて、過去、現在、未来へと縦横に行き来する。多分さほど多くの時間はないであろうが、未来への期待にも富んでいる。それを淡々と綴っている。文芸作品として面白みはあるのか??と言えば起承転結の流れも乏しく、大きな山場はないからなんとも言えないが、活字化された岩手弁が魅力である。
 
 作品の底に流れているのは、この生きていることのぬくもりではないだろうか。そしてこのぬくもりは、作者がその人生を賭けて勝ち取ったものである。
 このような深さは、やはりある程度の年齢を重ねてこなければ書けないもののようだ。同様に、読む者にとってもやはりある程度の年齢を重ねてこなければ理解や共感もでき難いようだ。

 筆者は、地球46億年の歴史など、卓越した知識も有していて各所に散りばめられる。だから、もつととんでもない場所にまで到達した作品が生み出される可能性を秘めており、そのような作品が生み出されることが期待できる。

 語りは、自由気ままを装いながら、実に用心深く、論理的、かつ卓越した構築を持っている。

 一例として、ある病院の待合室に偏執症と思われる老女がいる。彼女はさつきから持つているバッグを開けて財布の中身を取り出し、一つ一つを確かめるようにひろげ、財布の底まで確かめと、ふたたび全てをバッグに戻す。しぱらくするとまた同じことを繰り返す。自分より少しだけ若そうなこの老女を眺めていた主人公は「ああ この人は何かをずつと探している人なのだと思つた。何を探しているかも忘れて探すことに没頭している。 この人にはこの人にとって特異な時間が流れているだけなのだ」と受け入れる。 


9/23 (水) 快晴 飯川病院当直医補助出勤 ボランティア 2TBハードディスク購入
 0:30起床,早朝冷え込み。フリース着込む。新聞、文献、徒然などゆったり過ごす。6:47バスにて飯川病院。当直医早めに離院。代行す。その後ボランティア。11:00-13:30ブックオフドンキホーテ店。10冊購入。そのままボランティア。入院患者対応。19:30帰宅、20:45就寝。歩数計Σ13755歩。書籍自炊5冊。

敬老の日2000(2) 敬老から軽老にシフトせざるを得ない社会作った前政権 

 日本が置かれている現状として、医療や介護は高齢化で給付費が膨張し、国と地方自治体の財政を悪化させている。だから、長寿社会、高齢化社会、敬老だ・・・といって手放しには喜べない。

 人口問題などは、統計学などを駆使すれば数10年先までほぼ正確に読める。
 前政権は、せっかくほぼ安定した長期政権が予想されながら、政治手腕としては場当たり的な発想のスローガン政治で、内容的にはほとんど実を結んでいない。「地方の時代」、「一億総活躍」などなどであるが、一つも成果を上げていない。

 今まですら厳しい状況であったが、今年になってから新型コロナウイルスの蔓延があって、国や地方の財源を休業補償とかに充てたために、国や地方の経済状況は厳しさを増している。休業補償などは社会を維持させるのに必須であったことは論を俟たない。毎年借金を重ね、このようなリスクに対応する力を養ってこなかった。
 リスクの中には、少子高齢化社会という項目は当然入っているが対策は乏しかった。

 私から見て安倍政権は権力者その特権を最大限利用し、社会をの小さな個を無視し、国のために利用しただけの政権だったと思う。政権の目は大企業に向けられてきた。

 社会保障や労働条件を悪化させた一方で、家族の助け合いや自助を押し付ける。病気や事故、自然災害に対して極めて脆弱な社会を前政権が生み出してきた。     

 日本は、先進国のなかで子育て世代、母子家庭への支援が薄く、特に働く世代に冷淡な国になった。アベノミクスの3本の矢の元に、非正規雇用者は約4割まで増加し、女性の6割近くは非正規で、何かがあればいち早く失職させられる。統計的には女性の就業率は世界が驚くほど上昇したが、その内容は脆く危なっかしい。
 女性たちの経済的劣位は、子どもの貧困にも直結する。子どもの貧困は次々と連鎖し、貧困社会の拡大に繋がる。 

 社会的弱者は、政治によって守られるのではなく、つくられるといっても過言ではない。

 皮肉なことに、政治が弱者の声に耳を傾けない状況が長く続くと政治には期待しなくなる。選挙の無関心は有権者にあるのではなく身近に感じられない政府にある。

 日本で消費税などがアップされると拒否反応が起こるのは、税金が本来の役割である 格差の是正やセフティネットもの強化、教育の強化などの働きを果たしていないから。数年先の社会保障がどうなっているのか、あるのはネガティブな材料だけである。


9/22 (火) 秋分の日 快晴
 1:10起床,文献、データ整理などなどゆったり過ごす。早朝冷え込み。フリース着込む。5:00可燃ごみ提出、午前は座学、データ整理。ブログ記載。午後は畑仕舞い。残るはネギのみ。録画のぶらぶら美術館視聴。書籍データ化進める。19:20夕食。21:45就寝。歩数計Σ11586歩。書籍自炊5冊。

敬老の日2000(1) 私が敬老会のメンバーに??!!! 私は最も若い新入りだから末席に
 昨日、9月22日は敬老の日で祝日であった。
 その数日前に、私あてにA4判厚さ3cmほどの、とても軽い箱が送られてきた。一見何も入っていないのでは??と思うほど軽い箱であった。
 包装を開けてみると「祝 敬老」とあり私宛で驚いた。全く予想もされていなかったからである。

 中には小分けされた「焼き海苔セット」が入っていた。また、外旭川地区の高齢者1.300人余の名前と年齢が記載された名簿が同封されていた。この個人情報隠蔽の時代に、よくもまあこんな名簿が作られ、送られてきたものだ、と感心した。
 私から見ればこれが当たり前の姿である。

 また、秋田市長、秋田市社会福祉協議会会長からの挨拶状が入っていた。
 以下は後者の内容である。名文なので引用した。
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        お祝いのことば

 本日、ここに敬老の日を迎えられた皆さまのご長寿を心からお祝い申しあげます。
 これまで、皆さまが貴重な経験を生かしその豊かな知識でご家族や地域社会のためにお力を注いでくださいましたことに、心からお礼申しあげます。
 さて、今年は新型コロナウイルスの感染拡大によりマスクの着用、人と人とが互いに距離を取り、接触する機会を減らすなど、新しい生活スタイルが求められ、不慣れな生活を強いられております。
 しかし、この様な状況が、誰かを支えていたり支えられていたりしていることの大切さ、ふだんのくらしの幸せを、我々に改めて気付かせてくれました。
 今こそ、一人一人が力を合わせて繋がり合い、生きがいを感じられる地域共生社会を目指していかなければなりません。
 そのためにも、皆さまにはこれまでの経験を生かして、地域の発展にご尽力いただくことを期待しております。
 本会では今後、皆さまの健康と長寿を喜ぶことができる地域共生社会を目指し、地域福祉推進のため更なる努力を続けてまいりますので、何とぞご支援、ご協力をお願いいたします。

 結びに、敬老の日に際して、ご尽力されました関係各位に感謝申しあげますとともに、皆さまのご健勝とご多幸をお祈り申しあげ、お祝いのことばといたします。

  令和2年9月吉日   秋田市社会福祉協議会 会長 〇〇〇〇
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 我が国で「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことを趣旨として「敬老の日」が設定されたのは1966年(昭和41年)で国民の祝日に制定された。
 この年は私は新潟大学医進過程1年生であったが、忘れられない重大事故として2月にANA727型機東京湾に墜落、3月カナダ太平洋航空DC8型機羽田着陸失敗事故、翌日は英国BOAC 707型機富士上空で空中分解事故が起き、巨大事故を追っている私にとっては忘れられない年である。

 1966年(昭和41年)日本の人口は約1億2.000万人、高齢化率は10%程度であった。現在は28.4%で世界一である。

 敬老の日の趣旨は素晴らしいが、今は同じコンセプトで高齢者を捉えていては国が成り立たなくなっている。菅首相のにとっては厳しい判断を迫られる高齢者対策が問われることになる。

 最近まで、シルバーデモクラシーとしてで厚い庇護を受けてきた高齢者は、今後は「軽老」へシフトせざるを得ない状況を自覚しなければならないだろう。
 現実的にどうなるかは、政治家の手腕にかかっているが、新型コロナの影響もあって国力は低下しつつあり、決して甘くはない。


9/21(月)敬老の日 早朝降雨雷鳴降雨  
1:30起床、。文献、新聞他。午前座学、午後書斎にて録画音楽番組視聴中心に。微睡後外仕事。16:00から新聞文献など処理。19:00夕食。21:00就寝。歩数計Σ15096歩、外仕事のため。

菅義偉氏(4) 総裁選(3) 派閥と老害が作り上げた不可解な総裁選(2) 派閥とは
 自民党総裁選で派閥が果たした役割はとてつもなく大きい。今回の総裁選を見ていると派閥と老害が作り上げた不可解な総裁選と言える。
 日本の議会制民主主義って上手く機能しているのだろうか、と思う。 

 派閥とは、同じ政策や利害に基づいて行動する国会議員の集団のこと。一般に政策名でなくトップの名前をとって〇〇派と呼ばれる。自民党には7派閥がある。

 7派閥のうち、石破氏は19名、岸田氏は47人の派閥のトップである。菅氏は無派閥と言われている。

 今回の総裁選では、細田派や麻生派、二階派など5派閥が菅官房長官の支持を表明した。これで264票を獲得したようなもの。菅氏が一気に岸田氏、石破氏よりも優位に立てたのはこの派閥の存在が大きい。

 派閥は、かつては総裁候補を担ぐ集団という意味合いが強かったが、議員自己保身のための集まりの意味づけが強くなったように思われる。政策集団として、組閣や党人事でポストを得られるよう働きかけている。しかし、金策上の繋がりが一番でないかと感じている。

 日本の政治は派閥政治といわれる。
 衆院選選挙が中選挙区で行われていた時代、同じ選挙区に党内から複数の立候補者が出ていた。候補者は選挙では派閥から選挙資金や支援を受け、議員としては総裁選では派閥のトップを応援する。

 様々な場面で派閥間の勢力争いが激化、閣僚人事は人物の適性よりも派閥の力学に左右される。閣僚不祥事や不適切発言が増えてきた背景には、人物としての資質以上に派閥の力関係で推挙され、任命する首相がほとんど知らない人物が大臣になることもある。 

 政治制度改革の一環として1996年に衆院選に小選挙区が導入されたが、1選挙区に1党公認候補しか立だなくなったことで派閥の力関係が変わった、と言われている。 

 菅氏は派閥に配慮した人事を否定しているが、派閥の支持で総裁候補にまで上がっただけに菅氏は派閥に関連なく組閣できるのか??
 水面下ではもう派閥からポストの要求が始まっているという。

 私は各議員が政策集団として派閥に属することは否定できないと思う。自身の政治活動、保身のためにもやむを得ないだろう。

 しかし、個人として信任を得て当選した議員が、個人の判断よりも派閥の論理に従って総裁選挙に投票するならば、議会制民主主義の破綻を意味する。


9/20(日)快晴 国際ダリア園訪問
 1;00起床。本読み、早朝・夜間はけっこう寒い。読書、新聞などいつものごとし。書籍自炊進める。午前は座学。読書、データ整理。午後は急遽国際ダリア園に。種々参考になった。読書、微睡。19:00夕食、20:45就寝。Σ8529歩。

菅義偉氏(3) 総裁選(2) 派閥と老害が作り上げた不可解な総裁選 
 安部退任表明後、菅氏が一躍政治の表舞台に躍り出た。つい先日までは菅氏は候補の一人とはみなされていたが、本命は岸田氏、石破氏であった。

 自民党総裁選出は、通常は党大会を開き、国会議員と党員・党友票の合計788票で総裁を選出する。今回は両院議員総会で国会議員394票と47都道府県連が持つ3票だけで選出した。「コロナで緊急を要する。政治空白を作るべきではない」との党執行部の判断。しかし、これはおかしい。安倍首相はまだ執務できている。だから時間はあった。原則通りに実施できなかったはずはない。

 自民党総裁選は首相を選ぶことと同じ。候補者が政策論争を交わし、党員・党友の意思を反映させるべきであった。

 党青年局ら有志議員は二階幹事長に国会議員140人超の署名を添え、党員・党友投票を実施するよう申し入れた。地方議員ら約400人も賛同。このほか、地方組織も同じ要求を出している。これほどの多数の意見を取り上げなかった超長老の自民党幹事長の横槍、個人的と思われるゴリ押しが見える。二階氏は自分の保身を考え、岸田氏、石破氏に不満を感じていたのだろう。

 総裁選は岸田氏、石破氏、菅氏の三人が立候補した。実際には、変な総裁選が展開された。派閥に属さない菅氏が、細田派、麻生派、二階派などの支持を受け優位に立った。菅氏がどこかの派閥に属していたらここまでの指示にはならなかったと思う。菅氏への各派閥の支持表明を見た限り、総裁選は投票の必要はないほどであった。
 こんな馬鹿な総裁選はない。

 総裁選では議員票の比重がより増した。しかも、議員個々の判断というより、各派閥の意向によっている。なんで各議員は総裁を自由意思で投票できないのだ??これは絶対的におかしい。
 各派閥の支持表明はいい。しかし、各議員はそれにとらわれない自由意思で投票すべきである。派閥に属する議員は派閥のロボットなのか??

 派閥にとらわれた各議員の投票行動は、各議員が各国民の1票の選挙で選ばれるという民主主義の根幹を揺るがすもので、私は絶対に受け入れられない。
 こんな総裁選で選ばれた総裁を支持できない。

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 古い話であるが、私が県医師会の役員であった時に、県医師会の代議員として日本医師会の会長選挙に何度か臨んだ。私はその際、県医師会の支持候補には投票しないこともあった。代議員ではあったが、一人の医師会員としての判断が尊重されるべきで、最終的には自分の判断に基づく1票を投じた。

 今回の総裁選で小泉進次郎氏に1票が入ったという。ふざけた結果であるが、個人の考えを表明した議員がいたことは朗報と考えたい。

 今回の総裁選の候補者には直面する新型コロナウイルス感染症対策、経済立て直しなどへの姿勢が問われている。。


9/19(土)曇り時々雨  
1:00起床。新聞チェック・文献読み。画像データなど整理。座学三昧。新聞、単行本データ化、19:20夕食。20:10就寝。歩数計8520歩。

菅義偉氏(2) 総裁選(1) 突然秋田人になった 
 菅義偉氏は自民党総裁候補として突然トップに躍り出た。その背景には複雑な派閥の事情もあるようだ。
 同時に菅氏は突然秋田人になった、という印象である。もちろん、秋田県出身者であることは知られていたが、つい最近までは、私の目から見て決して秋田県と関連深い政治家とは言えなかった。現住所は神奈川県横浜市。選挙の地盤も神奈川県にある。

 氏は現在の秋田県湯沢市秋ノ宮出身である。イチゴ農家の長男として生まれる。母や叔父、叔母は元教員、2人の姉も教師である。
 県立湯沢高校卒業後上京し、ダンボール工場に勤務したが、社会の厳しさを痛感、2ヶ月で退職した。大学進学を志し、アルバイト生活で、法政大学へ進学。法政大在学中にもアルバイトで生活費と学費を工面していた、という。苦学生であった。大学を卒業後は建築関連会社に入社した。

 1975年、政治家を志して小此木議員の秘書となる。以後11年秘書を務めた。
 1987年、横浜市会議員に初当選、2期務める。
 1996年、衆議院議員選挙に出馬、初当選。以降8回連続当選している。

 菅首相が総裁選に出馬し、本命とされ始めると秋田県出身者による初総理誕生の期待が高まり、秋田県でも一躍時の人となった。実際には「秋田犬」よりも知名度が低く秋田への影響力があったとはいえないが、秋田県知事をはじめとして地元でも大いに持ち上げ始めた。菅氏自身も秋田県の田舎町出身で苦労した話をするようになった。総裁選における自身の地方票の獲得のためと、地方へ目配りできる政治家としての印象を植え付けるための戦略が見え透いてくる。

 地方紙である秋田さきがけ新聞は大々的に扱って、私など「今更何を・・」と気恥ずかしい。
 
 秋田県関係者は、秋田県が歴代首相の出生地でも選挙区でもない18県の一つであることに大きなコンプレックスを持っていたようである。政治家の出身地などどうでもいいのだ。


9/18(金)午前降雨時々晴れ 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
 0:30起床。新聞チェック・文献読み・徒然など。書籍自炊による電子化、可燃ごみまとめだけ。7:30Taxi駅東口に。8:11こまち12号、雨で徒歩不可、9:10-12:00外来、徒歩駅に。駅で軽昼食、13:50-18:45飯川病院ボランティア、散水など。19:15帰宅、21:00就寝。歩数計Σ11623歩。

菅義偉氏(1) 官房長官として
 安倍首相は8月29日夕方、持病の再発を含む体調不良を理由に退陣を表明した。内閣連続最長記録を樹立して1週後であった。安倍首相については何回か記載した。全然足りないが、退任を表明した政治家などはすでに過去の人である。安倍政権についての評価はまた機会を改めて考えたいと思う。

 あれから約3週間になろうとしているが、その間、菅氏が9月14日に自民党総裁選挙で総裁に選出され、9月16日に国会で首相に指名された。
 現在の政治状況を予想した人は私を含め当初はほとんどいなかったであろう・・と思う激変である。

 第一には、安倍氏が思い入れのある東京五輪の前に辞めるとは、予想できなかったからである。しかし、病気にはストレスの持続が最も悪いから、やむを得ない判断だったのだろう。
 第二には、辞任を受け自民党総裁の人選が急展開したが、菅官房長官が一気に浮上した。次期首相の候補としてはかねてから石破氏、岸田氏が常に下馬評に上がっていた。多分このどちらかが次期の首相につくものと私は思っていた。
 それが、安倍首相の辞任表明直後から、菅官房長官がトップに躍り出てしまった。

 菅義偉官房長官は71歳、日本で、安倍氏の裏で仕事をきっちり進めてきた。安倍総理も歴代最長政権であったが、菅氏は官房長官としての歴代最長でもある。2016年、内閣官房長官の在職期間が、歴代1位の在職日数を記録したが、その後も最近まで記録を伸ばしてきた。

 菅官房長官は一見目立たないが、政治的実力は確かなものであろうとは私も思っていた。安倍氏の後任候補の何番手かにはなり得るだろうな・・程度には思っていたが、一気に時の人になるなどまでは考えつかなかった。四年前、トランプ大統領は共和党の大統領候補としては本当に末席であった。誰も大統領候補にまで上り詰める、とは思っていなかったのではないか。質的には異なるが、なんか類似性があると思ってしまう。日本では三木首相の登場がこれに近いし、鈴木善幸首相の誕生とも類似性がある。

 菅氏が官房長官として公に見せる顔は、笑顔がなく、表情も乏しく、地味で魅力的とは言えなかった。政府スポークスマンとしては適任であったろう。自分の言葉で十分説明する姿勢も見えなかった。
 もっと表情豊かであれば、表情から心を読まれることもあっただろうと思われるが、見事なポーカーフェイスを身につけている。気に入らない質問には回答を拒否することも度々であったが、失言をしないことが安倍内閣の中では高く評価されていた。何しろ安倍内閣は失言閣僚を何人も抱え、辞任に追い込まれ、その度ごとに首相の任命責任が追求されてきた。任命責任って何か?任命者が傷つくわけでもなし、今だにわからない責任である。議員不祥事2020(3) 首相の任命責任 あまりにも軽い マスクのごとく使い捨て


9/17(木)早朝雨のち曇り 健康クリニックデータ判定 飯川病院
1:15起床。文献若干,本読みなど。書籍自炊データ数冊。雨は上がったが外仕事は向かない、座学中心。12:07バス飯川病院着、13;15健康クリニックデータ整理、14:00飯川病院勤務、入院患者対応、文献読み、新聞チェックほか。読書進める。19:00帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ10699歩。

運転免許証返納(3) 実は、私は誰よりも安全運転励行者であった、・・今だから言える
 数年前から、同乗した家族から私の運転のことをいろいろ注意されていた。自覚は無かったが気にはなっていた。多分指摘は正しかったのだろう。

 実は、私は誰よりも安全運転励行者であった、・・と思う。そう感じていること自体が傲慢であり問題があるのかもしれないが、免許証を返納した今だからこそ自信を持って言えることである。

 私は運転が嫌いであるほかすぐに睡魔が襲ってくるため自分ではあまり運転しなかった。約20年間愛車として用い、今も現役で動くスバルレガシーワゴンは6万Km余しか走っていない。私は、歩行者として、自転車・バイク愛好者として、交通弱者の時間が多かった。
 危険なことも2、3経験したが大きな事故までは至っていない。弱者の立場で日本医事新報に投稿したこともある。車よ騎るなかれ!! 車を騎らせるなかれ!!--ある交通弱者の叫び--

 交通弱者は自分で危険に近づかないことが安全を守る要である。自転車にせよバイクにせよ、車との事故の場合、車側の乗員の安全は車体でバッチリガードされている。だから、自分に過失があろうとなかろうと決定的に受傷するのは自分の方である。だから、周辺の車の動きに注意し、見通しの悪いところ、交差点では、たとえ青信号でも細心の注意をして通過していた。

 私のコンセプトは、交差点は「車だけでなく、人間の思惑が交差する危険な場所」と考えてきた。だから、自分を守るのは自分しかない、と考えてきた。第1は適正なスピード維持である。第2、第3は自分の五感である。
 それでも3回衝突された経験がある。今夕、路上で接触事故に遭う(1)
 3回目の経験となった いずれも双方に人的被害はなかった。一回目は後部ドア付近がバッチリ潰れ、結構ボロ車だったのでそのまま販売店に行って車を買い替えた。あとの2回は自分で直せる軽微な損傷で済んだ。加害者側?にはなんの保障も求めなかった。
 このいずれの事故も相手の車がブレーキを踏んだか否か、直接は判断できなかった。私は車のフロントにブレーキランプを装着すべきとの意見を持っていてそれについてを国交省に2回提言したが梨の礫であった。

 私は爽やかな気持ちで運転免許を返上したが、不便であることは否定しない。でも、私はなんとか暮らせそう。しかし、田舎の高齢者にとっては生活の足であり、生活が成り立たないこともありうる。私は高齢者用に、車種限定、走行地域限定、高速道路不可などの条件をつけた限定免許証も一つの方法かなと考えている。


9/16(水)快晴 飯川病院ボランティア 菅総理大臣就任
1:00起床、文献若干,本読み。書籍自炊データ化。なんとなく体調不良なるも午前は畑の仕舞作業、草刈り、支柱整理、ダリアの世話若干、11:50バス飯川病院に。ボランティア。文献読み、新聞チェックほか。散水。家内は漢方研究会、18:30発バスにて帰宅、19:00着、夕食、20:45就寝。歩数計Σ14930歩、外作業のためか。菅総理の十個応力は未知数。

運転免許証返納(2) 身分証機能を持つ運転経歴証明書の交付を受けた
 9月13日(日)、私は県交通運転免許センターで運転免許証を返納してきた。
 主たる理由は視力低下であるが、漠然とした事故の恐れも背景にあった。まだ1週間にも満たないが、車なしは不便を感じるものの、事故を起こす不安とは無縁の立場になった自身を感じて安堵している。 
 運転免許証は最も信用のある身分証明書として汎用されるが、返還時に運転経歴証明書の交付を受けた。身分証明書としては勿論のこと、これを提示すれば秋田県ではタクシーが10%、バス回数券が20%引きになるなどの各種の特典もついている。

 秋田県警運転免許センターのまとめでは、1998年に始まった免詐の自主返納制度は県内では増加傾向が続いてきた。
 2017年に3550人を記録し、19年には一気に4495人を記録し過去最高を更新した。統計的には最近急増したが、その背景因子として池袋で2018年にあつた当時87歳の男性が運転する車が暴走して12入が死傷した事故などで、高齢ドライバーによる事故に関心が高まったことがありそうである。
 高齢化が進む秋田県内でも、2018年交通死亡事故は39件で死者42人。このうち38.5%の15件が高齢運転者によって引き起こされている。高速道路の逆走事故もあった。

 高齢ドライバーによる事故対策として、認知機能検査を強化する改正道路交適法が2017年施行された。2018年は約216万入が検査を受け、約5万4千人が認知症のおそれがあると判定された。最終的に医師に認知症と診断され運転免許証が取り消しになったのは5.0%にあたる1932人だった。

 2019年の秋田県における自主的免許返上のうち 65歳以上の高齢者は96%を占めた。 
 年齢別にみると、60歳未満72人、60代425人、80代2077人、90歳以上が203人だった。 
 県警では返納手続き時に返納理由も尋ねている。それによると65歳以上の返納者で過半数2227件を占めたのが身体機能の低下、運転の必要がないが1256件、家族などの助言が689件と続いた。私の場合は身体機能の低下のためと申告したが、その内訳に関しては残念ながら統計がない。視力低下はどれだけいるのであろうか。

 警察庁は認知機能に着目した仕組みは一定の効思をあげつつあるとしながらも、認知機能に問題がない高齢者を対象にした対策も進める必要がある、と検討していると言う。

 私自身の状態を見ても、高齢者の問題は認知だけでないことは確かである。加齢とともに運転技術は明らかに低下するからである。


9/15(火)早朝降雨午前曇午後快晴 中通病院外来、飯川病院
 1:20起床。新聞・医学論文チェック他データ整理。書籍4冊ほど自炊データ化、5:00ゴミ出し。6:47バス飯川病院、8:45-13:15中通病院外来混雑疲弊。14:00-19:00飯川病院、微睡後入院患者対応など。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ10543歩。書籍自炊4冊ほかデータ化。

運転免許証返納(1) 56年間の運転に終止符
 9月13日(日)、県交通運転免許センターで運転免許証を返納してきた。
 昭和39年取得の普通免許と昭和40年取得の大型2輪の運転免許であったが、56年間の運転に終止符を打った。
 私の運転免許は本年6月が有効期限であったが、新型コロナ蔓延のために特例として3ケ月間の延長が認められ、9月14日が有効期限となっていた。有効期限のギリギリまで利用した。

 免許免許証返納の背景としては、バランス感覚の低下から全体的に運転技術が落ちていること、集中力の減弱で注意力が散漫になり、疲れやすくなったことの自覚が主であったが、加えて視力の低下である。高齢者の交通事故が社会問題化していて、自分がその中の一人になる可能性を否定できなかったことも遠因である。

 いまは高齢者の運転免許更新時に事前に適性検査を受けておかねばならない。その中で認知症検査等はクリア出来たのであるが、視力が限度の0.8 に今一歩どとかなかった。眼科的対応や眼鏡の調整で再度臨むことも考えたが、無理やり更新したとしても危険の更新にもなる、との結論に達したためである。

 私の56年間の運転生活を振り返ってみれば、我が家では10台近くの車を利用した。大型2輪免許は1440ccの大型バイクも楽しめた。人身事故なし、他車への物損事故なしであったが、自分の車には小さな傷は随分つけた。ほとんどは自分で修理できた程度の傷であった。バイクは20年ほど乗ったが、転倒歴もなしであった。

 私は車の便利さは享受してきたが、車を運転することは好きではない。だいたい、あの密閉空間が嫌であった。それに対してはオープンカーはやや快適に用いることができた。私が車よりバイクを好むのは「風」であった。

 遠出する場合には他の方法、例えば列車とかバスとかがあれば迷わずそちらを選んだ。同じ時間を移動にかけるのであればハンドルを握っている時間は私にとっては無駄な時間だからである。

 加齢とともに運転技術は明らかに低下する。私は特にギリギリの隙間を通過させたり駐車するのが得意であった。ぶつからなければ1cmであろうと1mであろうと変わりない、と豪語していたこともあるが、さすがに中年以降は無理になった。ましてや今は75歳である、技術的衰えは明らかである。返納はやむないだろう。
 しかし、わかっていても足をもがれたような寂しさを感じる。

 通常はバスを利用している。車は寒さや風雨の時には便利であった。今後もタクシーという手はあるが、心情的には簡単には利用できない。大きな傘、便利な雨具を購入して悪天候に備えたいと思っている。


9/14(月) 降雨  健康クリニックドック 飯川病院 自民党総裁に菅氏
 1:00起床、新聞・文献チェック。データ整理、自炊文庫本4冊。晴れ間を縫って6:47バス飯川病院、結局びしょ濡れ。9:00-11:45健康クリニックドック14人+結果判定14人分。12:00飯川病院、微睡ほか、14:00-18:50勤務、入院患者対応。新聞チェック、読書他、19:15当直医来院待ち帰宅、夕食、21:30就寝。歩数8673歩。書籍自炊5冊ほど。

扇風機で右小指怪我 労災か??
 9月8日、約1週間前、間借りしている飯川病院院長室の古い扇風機の風向きを変えようと上部の取っ手を持ち上げた途端に右の小指に激痛が走った。後方の針金状のガードの間隔が広くなっておりそこから小指が入り込み回転する羽に接触したもの。予想もしていなかったことで、一瞬で手を引いたが衣服に鮮血が飛び散リ小指の先端は血だらけになっていた。傷を見たところ皮膚に小さな切創が3箇所、指尖部は挫滅して大きく皮膚が剥げ落ち、爪は3/4ほど爪床から浮いて禿げかかっていた。
 私は5年ほど前に心臓由来の脳梗塞を発症したことがあり、それ以降血液凝固阻止剤を服用している。そのために止血機能が落ちているのだろう、出血は3日間続いた。

 一般の方であれば十中八九救急外来を受診したであろうが、私はその気にならなかった。受診すれば切創は縫合され、爪は抜かれ、挫滅部分は遊離した組織を除くためにクリーニングされるだろう。傷そのものよりもその処置・治療の方が恐ろしい。私はあまり医療に頼りたくない。

 対応として、新しいティッシュペーパーを帯状にたたみ傷に巻きつけ、左手で圧迫止血を試み、次いで輪ゴムの収縮力も利用して圧迫し、小指全体はサランラップのボール紙の芯をカットし小指ケースを作り保護した。血液がしみたティッシュは頻回に変え、清潔維持に努めた。出血は徐々に減弱したが、結局3日間も続いた。止血後はできるだけ傷口を覆わずに空気に晒し乾燥するように努めた。約1週間経過した本日のの状況では傷は乾燥し、硬いカサブタで覆われ順調な回復過程を辿った。

 この間、感染の可能性は少なかったから抗生物質は用いず、鎮痛剤も用いなかった。自分のバカさ加減を反省するには痛みに耐えていた方がいい。

 最近は傷口の治療方針として出来るだけ湿潤に保つことが推奨されているらしいが、本当にそうだろうか?? 
 私は子供の頃から傷口は綺麗に洗い、圧迫で止血した後は外気に晒し乾燥し、痂皮の形成を促すのがいいと思ってきたので、今回もそのようにした。

 飯川病院勤務時間内の受傷であり、ちょっと欠陥のある備品で受けた傷だから労災にもあたるだろうが、私の不注意が因である。自己責任の範囲で考えた。子育ての頃は扇風機は危険と口すっぱく指導してきたが、その私が・・と思うと情けない。還暦後ここまで幼児化したのか??

 総務省の労働調査によると65歳以上で就業しているのは2019年は892万人もおり、労働者全体に占める高齢者の割合は13.3%で過去最高になっている。高齢者の健康寿命が伸びたことだけでなく、一昨年の2000万円問題などが示すように、老後の経済的不安が大きくなっていることも因の一つあろう。
 それに伴い仕事中に怪我をする高齢者の割合も増えてきている。労災発生状況によると60歳以上は全体の26.8%を占めている。
 厚労省は今年3月「高年齢労働者の安全と健康弱保のためのGL」を初めて定めた。事業者に関しては職場環境の改善や高齢者の体力に応じた仕事の提供などを定め、労働者に対しては自分の体力の限界等の把握と安全就業に対する自己管理を求めている。納得である。


9/13(日)終日降雨 県運転免許センター免許証返納手続き  
0:30起床、自炊、本読み。午前は座学、ナスの収穫。13:20バス駅→運転免許センターへ。14:30運転免許返納手続き、費用は1100円。14:50バスで逆方向、16:15飯川病院。18:00家内とともに帰宅。微睡。19:00夕食、20:45就寝。梅酒50ml泥酔。書籍自炊化進める。歩数計Σ10215歩。

私の嗜好品観(11) 自家栽培のキウリ、トマト、ナス

 4月下旬から5月上旬にキウリ、トマト、ナスを植えるのだが、6月下旬から我が家の食卓に自家製の野菜がリッチに上るようになる。いや、リッチという以上に拷問に近い状態まで行く。贅沢な悩みである。
 最近の私は痩せれないが、自家製野菜の過剰収穫も一因である。

 我が家の栽培は完全に無農薬。土つくりの段階では石灰とか散布するが、基本的には土と水と太陽の力におんぶしている。だから有機栽培にも合致しない。安心して食べられる。

 通常の年は、天気予報、特に強風情報を先取りして、その際には支柱を強化し風に備えるのであるが、過去にはそれでも根こそぎ吹き飛ばされ涙したことがあった。今年は強風をきたすことは皆無であり、台風の直撃も一回もなかった。
 今年はキウリの支柱を工夫して斜めに立てたのでキウリが枝から遊離してぶら下がり、見た目も収穫も楽であった。機会があれば来年はもっと工夫して臨みたい。

(毎朝、平均的にこれだけ獲れる。最盛期にはこの2倍以上獲れる)

(1)キウリ
 我が家の中では最も早い時期から収穫できる。
 今年は6月20日から9月12日まで約2.5ヶ月間収穫でき、しかも豊作であった。

 キウリは綺麗な緑の色合いのため多くの料理の添え物として年間を通して重要である。しかし、素人の自家栽培となると年間を通しての収穫は無理で、同じ種類を時期を1-2週間ずらして植えてもそのくらいの差だとシンクロしてしまって、短期間に一気に収穫することになる。早生と奥手の品種に分けなければなるまいだから旬の、食べごろに収穫できる。

 キウリが活躍する食品といえば意外と少ない。代表的なのは漬物か??

 きゅうりはみずみずしく、パリッとした食感が持ち味。特徴的味もないことから、脇役として重要。せん切りしてサラダ、和え物、酢の物、オイキムチなどなど。酢豚もいいね。

 各方面で引っ張りだこであるが、しかし、こんなものでは到底消費できない。我が家ではキウリを好むのは私だけだから地獄であるが、自分で作った以上、なんとか食べ切るよう工夫する。
 漬物のほか、梅味の酢の物、ひき肉入りスープ、時に味噌汁に。時にキウリサンドイッチを作ってもらう。特に、梅味の酢の物は100mlほどのガラス瓶に常に10ケほど作られ冷えている。それを一日2ケは食べている。

 収穫時期は終了したが我が家では年間を通じてキウリが必要という。今は適宜スーパーから仕入れている。

(2)トマト
 今年は7月15日から9月12日まで収穫できた。
 私は基本的に枝の剪定はしない。そのために実は市販品よりははるかに小さい。栽培するにはこれでいい。大型の実はやや大味であり、雨が降った後には表面に亀裂が入ることが多い。小型だけに味は濃厚である。家内が殊の外トマト好きで収穫した7割ほど食べてくれる。
 味の評価もまずまずで、畑に向かうのが楽しみである。

(3)ナス
 今年は7月20日から9月12日まで収穫できた。漬物に、炒め物に、ナス焼きに、カレーに、味噌汁にと大活躍である。ナスを栽培してわかったことであるが、ナスのヘタには鋭いトゲ状の突起があり不要に触ると激しく痛い思いをする。だから、ナスに関しては鋏を用いて丁寧に扱う。
 ナス漬けが綺麗にできた時の紫の色調はなんともいえない美しさがある。栽培していての楽しみの一つである。
 ナスは国際的に全世界で栽培されている代表的野菜で、料理法も豊かである。我が家ではやはり私が中心に消費するが、ひき肉と炒めたのが一番口に合う。


9/12(土)降雨・曇天・午後快晴 散髪 古書店へ 大阪なおみ全米優勝
1:00起床。蓄積資料整理。9:00散髪、読書、書籍自炊、データ整理など。午後はダリアの世話、15:00ブックオフ飯島店、17冊購入。散髪を含め自らの運転としては最後。微睡。19:00夕食、20:30就寝、歩数計Σ7395歩。昨年千秋花火大会、今年は中止。

私の嗜好品観(10) さくらんぼ 羽後スイカ
 夏になると我が家の食卓に果物類が急にリッチに上る。いや、リッチという以上に拷問に近い状態まで行く。贅沢な悩みである。

(1)さくらんぼ
 6月下旬、サクランボの季節がやってきた。
 毎年、この時期になるとわが家の食卓には殆ど途切れることなくサクランボが並ぶ。それも結構な量である。
 例年、知人から送られてくる県南の十文字産のサクランボがきっかけとなって始まる。今年も見事なのをいただいた。

 (写真を撮る前に食べられてしまった)

 この時期以降、家内は「錯乱母」化する。かつては2Kgの箱、それも比較的高級なのが、1-2晩で全てツルと種に変身し、腹ふくれた「錯乱母」が箱の横でうたた寝していたこともあった。注意しても効果はない。救いはサクランボの旬が短いことである。
 
 サクランボは世界で1000種、国内で100種程、山形県では30種程あるといわれている。

 佐藤錦、晩生種の紅秀峰が有名。後者は佐藤錦の後に食べ頃になる。さらに、「紅姫」というブランド品は冷蔵保存技術により、酸素を通しにくいフィルムをかけ、低温で冷蔵保管したもの。約40日間鮮度を保つとされている。
 家内は自分が楽しむだけでなくお世話になった方々にも送っているらしい。今年の出費は3万円超か?? 錯乱母には何も言えない。

 サクランボはバラ詰めのが好きだ。綺麗に並べられた高級品は私の方で気後れしてが出ない。ざっと水洗いする。実の表面は天然のオイルで覆われているのか撥水性がある。この水滴と果実の色調がおりなす光沢、新鮮な雰囲気が良い。美しさという点ではきれいに紅色になった果実より黄色と淡赤色、深紅のモザイク調のが一層美しい。    

 サクランボはあのツルをプラプラさせて形や色合いを十分楽しんでからおもむろに口に運ぶ。1ヶずつ口に含む。 この時、おちょぼ口である。若くて口元の美しい女性をイメージするとエロチックなイメージが伴う。

(2)羽後スイカ
 秋田県羽後町は昭和22年頃からスイカの生産を始め、高い評価を受けている。羽後町の夏は日照時間が長く、内陸気候で昼夜の温度差は15℃と大きく、この温度差が羽後町のスイカをさらにおいしくしているという。
 同じ枝から収穫してもスイカの味には必ず当たり外れが生じるらしい。その点、羽後町産スイカ「夢あきた」は確実に甘い。確かにハズレはない。JAうごの「光センサー選果システム」で糖度の高い美味しいスイカだけを出荷しているからである。だから安心して購入できる。

 数年前から家内はスイカ中毒にも罹患した。その季節になると週に一回羽後産スイカを積んだ移動販売が病院前に売りに来る。毎週1-4ケ購入する。自宅用のほか、病院スタッフ用に、応援医師に、病院の厨房に食後のフルーツ用に、時には近隣の病院にも届けている。多分良い顧客なのだろう、わざわざ病院まで来てくれるのが嬉しいという。

 さらに、デパートでもカットスイカを買いこむ。おかげで私は連日スイカに追っかけ回されている。先週、ついにスイカの季節は終わってホッとしている。
 「今年のスイカ関連出費は5万円近くでしょうね・・」、その嬉しそうな笑顔に向かって、私は何も言えない。


9/11(金)改正暑い 大曲中通外来 飯川病院ボランティア 
 1:30起床、新聞・文献他、本読み。5:10可燃ゴミ提出。7:35Taxi秋田駅東口、8:45-12:00大曲中通病院、往復徒歩できず、やや体調不良。13:30飯川病院ボランティア。散水他、19:15帰宅夕食、20:30就寝。書籍自炊化。歩数計7268歩。右小指の傷出血止まりやっと痂皮化始まる。プリウス車検問題なしと。

私の嗜好品観(9) 冷菓(3) 水羊羹 (付)ソーメン 冷やし中華 
 私は虚弱児だったから、夏になると毎年食欲が失せ「夏まけ」という状態に陥った。ガラガラに痩せていたがさらに1-2Kg体重が減った。何を食べても美味しくない。口に入れても飲み下すのが嫌。しかし、家族のいる食卓の前では無理やり流し込んでやるという状態であった。

 こんな時に、私が好んだのは「水かけご飯」であった。茶碗に盛ったご飯に水をかけ、しばし箸でかまして洗い、ぬめりを取った後で、もう一度冷やした水をかけて食べた。たくあんや梅干しがよく合った。盛夏の何日かは三食ともこれで過ごしたものである。こんな時にも、新鮮な果物は食べられた。りんご、トマト、桃など、直接枝からもいで洗って食べた。
 こんな場合、「一暑いからといって口触りの良いものばかり食べていてはいけません。夏だからこそきちんと食べないといけません」、という声が聞こえてくるが、私は間違っていると思う。たとえ精などつかなくとも一時的現象である。はかない薄味のものしかたべれなかったという事実、食べれない者に「食え」と強制するのは一種のいじめだ。 

 夏には、あまり硬いもの、中身がびっしり詰まった練り物などは食べたくない。
 あるかないか?といった感じのはかなさを漂わせる食べ物を、暑さにぐったりとしながら飲み込むというのが合う。 

 その点では、今なら、お菓子なら水羊羹、食事ならソーメン・冷やし中華がいい。

(1)水羊羹
 水羊羹は羊羹のサマーバージョンで存在感がある。口に入れればあくまで冷たく、そして舌の上でほろりと溶けて消えていってしまう。この食感が水羊羹の存在意義だと思う。工夫した人は偉い。最近はプラスチックのカップ容器入れが断然多い。カバーに若干の趣向が見られるがちょっと風情がない。地元の菓子屋では笹舟に盛った製品などを売り出している。日持ちは悪いだろうが、風情があってとても良い。 

(2)ソーメン
 私は麺類も、特にラーメンが好きだ。三食ともラーメンでも困らないほどである。しかしながら、盛夏にはちょっと出番が少なくなる。
 代わりにソーメンは盛夏にはぴったりである。氷を張ったガラス製のボールに浮かべたソーメンをちゅるちゅると吸って食べる。生姜を効かし、氷を入れたたつけ汁、これがあれば何もいらない。

 ソーメンの持つ風情、はかなさ、せつなさこそが夏という特別な季節を象徴するような気がする。夏ははかないというイメージがつきまとう。

(3)冷やし中華 
 ちょっと濃厚に麺類を食べたい時は冷やし中華がいい。氷と畑で採れたばかりの具、キウリの千切り、カットしたトマトをリッチに乗せ、和がらしを十分に効かせて食べる。至福である。

 水羊羹、ソーメン、冷やし中華は夏の味がする。
 夏のご馳走はどちらかというと爽やかであり、かつ安上がりである。


9/10(木)夜半から激しい降雨 曇り小雨 午後飯川病院
1:00起床。文献検索、新聞チェック、微睡など、書籍自炊多数、ダリア枝のまとめ。雨で外無理、座学。11:00レガシー出勤、途中ブックオフ、9冊購入、12:30飯川病院、HDMI-RBG変換機にてMacMini復活。助かった。入院患者対応。19:30通町書店など経由帰宅、夕食、20:50就寝。歩数Σ8555歩、書籍自炊化。

私の嗜好品観(8) 冷菓(2) ソフトクリーム 秋田特産ババヘラアイス
 ソフトクリームは美味しい。しかし、この2年間は食べていない。
 今年は新型コロナの影響で墓参りツアーがなくなったからである。

 例年盆には墓参りする。寺は盛岡近郊にあるが、その時国道13号線、角館町近辺に〇〇醸造の大型店舗がありいつも小休憩を取る。この店では味噌・醤油・酒などの醸造製品の販売され、レストランもある。この店の醤油味のソフトクリームが静かな人気商品となっている。同行者はみんな食べるのであるが、家内など、孫がいる時には流石に我慢しているようだが、いない時にはソフトを両手に持ってダブルで食べていることもある。
 なかなかの味で私も好きである。
 帰路にもこれを目当てに寄ることがある。

 ソフトクリームはスプーンで上品に食べるのもいいが、やはりひたすら砥めること。まずは先端の尖った頂点を口に含み上から下にだんだんに砥め下がって行く。下の方が溶けてきそうになつたら逆に下から上へと砥めあげる。間に合わなくて溶けてしまった場合にはコーンの尻に口をつけて吸い取る。ソフトクリームは舌および口唇とが直に接触する面が非常に多い稀な食品である。要するに、舌と唇をつけたいと誘惑する微妙な感触をそなえている。
 
 先日、読んだ某女性作家の小説の中に似たような表現の官能的部分があった。あまり想像豊かに、詳細は記述できないが、ソフトクリームは考えようによっては卑猥なイメージを体感できる稀な食品と言えそうである。

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 アイスといえば、秋田にはババヘラアイスという特産の冷菓がある。
 中高年の女性(ババー)が道の傍らに立ちアイスクリームをヘラで盛って売るからババヘラアイス。
? ババヘラは主に国道沿いやイベント会場に出ている。黄色とピンクのパラソル、アイスを詰めた缶があり、ババが座っている。
 イチゴ味、バナナ味の二種類。味が薄めのジェラート風。駄菓子感覚に近い。
 ババヘラは春から秋まで道端で食べられる。?

 気になるのはババーのトイレ問題だが、近くの公衆トイレを使うか、あるいは会社の見回りのワゴンを携帯で呼んでトイレまで連れてってもらうという。そうか、しばらく疑問に思っていたがこれで解決、安心して食べられそう。

 ソフトクリームは機械が必要だから国道脇では販売できない。
 だからババヘラアイスは外に似合う粗野な感じもあり、その価値は相対的に増加する。?

 今年はまだ食べていない。今後楽しみにしている。


9/9(水)快晴暑い 小指の怪我で飯川病院ボランティア休む 
1:20起床。右小指怪我、今だに出血続く。傷自体挫滅に近く、かつプラザキサの効果か。
小指のため飯川病院ボランティア休む。主として座学、10:00整形受診の石井さんレガシーで病院に送り、ブックオフに。13冊購入。午後微睡ご久々書斎で仕事、読売日響の録画見る。2月以降公演を停止していたという。書籍電子化新聞電子化、書籍自炊。文献検索、画像データ整理、本読み他。新聞チェックほか。19:30家内帰宅待ち夕食、21:00就寝。歩数計Σ7452歩。書籍自炊化。

私の嗜好品観(7) 冷菓(1) かき氷派だが、カップアイス、アイスキャンデイで代用 
 かき水は何故か美味しい。しかし、店舗では60数年間食べていない。

 子供の時の思い出の中で生きている食材である。
 幼少時の田舎には住居の近く、歩いて数分のところに食品も扱う雑貨店があったから、暑い時には店頭で木のベンチに座って食べた。ときには住み込みの看護婦の分を含め10数人分を出前で届けてもらって楽しんでいた。記憶では定番のイチゴミルク一杯分10−15円であった。カップを返しに行くのはいつも私の役目であった。

 今は滅多に街を歩く機会はないが、街には子供の時から見慣れている「氷」の旗がひらめいている店が時折ある。懐かしい旗である。実際には各店で若干の違いがあるが、昔からほとんど変わっていない。
 ほんとのことを言えば、たまには入って食べてみたいのであるが、店内は高校生を始め女性方が分取っていることが多く、つい気後れして入れない。それに、内容的に豪華なのかわからないが、昔のより2-3倍大きくカラフルで、一杯400-700円もするようだ。
 どんな状態なのか?中に何が入っているのか?興味は深々である。ちょと涼しくなり始めたから、今年もついに食べれないだろう。

 かき氷は冷たく美味しくてもわざわざ食べに行くというものではない。たまたま、強い日差しを浴びながら、流れる汗を拭きながら歩いていて、たまたま見かける「氷」と描かれた旗が軒先に吊るされているのを偶然た時に、気持ちが大きく揺らぎ吸い寄せられる。

 かき氷は偶然性に左右される食品だ、と思う。盛夏といっても曇りの日、ちよつと肌寒い日には興味も意欲もわかない。
 街中で食るかき氷にも条件設定が必要なのだ。

 ものすごく暑い夏の日の午後に、さほど冷房の効いていない、かき氷の美味しそうな、年季の入ったような甘味店に出会う。この条件が全て揃うと、最高のかき氷の醍醐味が味わえそうである。今は見るだけ。

 私は代替品で楽しんでいる。
 市販のカップアイスと棒状のアイスである。前者は、苺味の、単純な、大きめの氷が入っている「ガリガリアイス」が好きなのであるが、今年は秋田地方は品薄らしい。安いから仕入れないのかもしれない。入手できるのはアイスクリームにより近いタイプの、練乳入りの製品が中心である。さらに入手困難な時は棒状のアイスで代用する。


 家族は夕食後ビールなどを楽しみ歓談しているが、私はアイスを楽しみ、ネコどもとスキンシップでコミュニケーションを取る。至福のときである。


9/8(火)快晴暑い  中通病院外来 飯川病院 扇風機で右小指怪我
1:30起床、医学文献・新聞ほか。5:15可燃ゴミ廃棄提出。6:47バス徒歩飯川病院
着、8:45-13:40外来。患者多くはなかったが疲弊。13:50飯川病院。入院患者対応、新聞スクラップ、16:00回転する扇風機で不用意に指挟み右小指怪我。挫滅創で止血困難。19:10帰宅・夕食、20:30就寝。歩数計Σ7381歩。書籍電子化。

安倍首相退陣表明(10) 7.5年間の評価(9) 女性活躍推進法(3) 性差をもっと尊重して
 首相はダボス会議で演説し「指導的立場に立つ人の3割を女性にする」と宣言した。実際、女性就業率は7割になり米国を上回った。女性就業率が欧米を上回ったことに海外投資家も驚いている。
 政府が女性の活躍を成長戦略の柱に位置づけたからこその結果なのだろう。ただ、働く女性の5割以上がパートなどの雇用か不安定な非正規にとどまる。

 指導的立場の女性を3割とした目標はどうか。
 企業の役員や課長相当職以上の女性比率は15%にも届かず、上場企業の役員に占める割合は5.2%、国会議員は14%。海外では多くの国が議員の候補者や議席の一定数を割り当てる制度を取っているが、高比率を確保するのにはジェンダー文化の異なる諸外国でも人為的操作をしないとなかなか到達しないようである。

 仕事と家庭の両立支援は中途半端だ。
 女性が働き続けるには男性の子育て参加が重要で、2020年の男性の育休率13%を目標に挙げたが、19年10月時点で7.5%となっている。

 合計特殊出生率は、目標は 1.8であったが、2012年に1.41で、この7年間の間に1.36に低下した。
 
 各国は女性の登用を急いでいる。日本はむしろ遅れをとった。
 経済活動、政治への参画度、教育水準などから算出する男女平等の度合いを示すジェンダーギャップ数の順位は、12年の101位から19年は121位と首相の肝いりがあっても過去最低に落ちた。
 
 首相が、女性問題を成長戦略に据え、社会の共通課題にした点は大きい。
 リーダー層はまだまだ薄いが、政策だけでは進むものではない。社会の熟成が必要である。人口減少で労働力不足は続く。経営者も社員も偏見を改め、女性労働者のポテンシャルを最大化する必要がある。

 私見であるが、女性活躍推進法などの趣旨はわかる。
 しかし、男女の性による特質をそぎ落とし、双方を中性化して近ずけようとする考え方には問題があるように思われる。性差を否定することなくその違いを最大限に尊重し、むしろ違いを広げ、お互いの偉大さを互いに認識し合いながら共存を図る方向性が必要と思う。
 私は、人間の男と女は全く別の種類の生物ではないか??とさえ感じている。


9/7(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院
 1:45起床、若干寝過ごし感。新聞・文献チェック。データ整理、自炊文庫本4冊。6:47バス飯川病院、9:00-11:45健康クリニックドック14人+結果判定14人分。12:00飯川病院、微睡ほか、14:00-18:50勤務、入院患者対応。新聞チェック、読書他、19:15当直医来院待ち帰宅、夕食、21:30就寝。歩数7691歩。書籍自炊。

安倍首相退陣表明(9) 7.5年間の評価(8) 女性活躍推進法(2)
 安倍内閣が掲げた施策として、2016年「女性活躍推進法」がある。
 「法」の第2条2項には、「男女が共に協力して家事や育児をし、就労を継続できる社会を目指す」という理念が書かれている。この理念は素晴らしいが、そうなっていない背景は長い日本的文化がある。
 日本の社会は長い間、男尊女卑的であった。これは否定できない。その間に日本的な男女の役割分担が浸透し、男女の心理そのものにも影響を与えた。時代とともに女性の地位向上運動は盛んになったが、目立つのは相変わらず一部の活動家だけである。日本の女性の大多数は地位向上など求めてないのじゃないか?と思うこともある。

 日本の「女性活躍政策」は、人口減少社会における経済活性化の一環として広がった。今の時代、女性就労が増えることによる税収増や社会保障財源の安定といった経済効果を期待するのは国の舵取りを担う立場からは当然だろう。 

 女性活躍は、社会をよりいいものにするために必要なのだ。
 人手不足を解消するためではなく、税収のためでもなく、女性が希望を持って社会の中で生きていく立場を確立するために必要なのだ、という視点をもっと強調すべきだ。 

 2016年の世界経済フォーラム「ジェンダー・ギャップ指数」でみると、わが国の女性の社会進出は111位/144国中、と異常事態である。
 日本の女性は高学歴だが、多くは人材として未活用のままでいる。これは女性側にも問題もあるが、男性中心社会、年寄り中心社会が長く続いてきたからである。それに高齢者の居残り。私は「男性害社会、老害社会」と呼んで批判的である。
 しかしながら、この文化を短時間で改善させようと法律などで無理やり動かそうとしても、社会に受け入れ素地が乏しければ無理がある。
 
 閣僚の女性登用を例にまとめてみた。
 ■ 2014年9月、安倍内閣は5人の女性閣僚を登用した。
 ただ、女性閣僚を、改造するたびに4-5人と登用していくと、女性の人材が枯渇し、後回しにされた男性閣僚候補者から不満が出る。
 小渕経産、松島法務、稲田防衛と、途中3人が辞任した。女性の人材が育っていないことの表れであり、総理の思惑は空回りしている。
 ■ 2017年の第3次安倍内閣改造では女性閣僚は野田総務大臣兼女性活躍担当大臣と上川法務大臣の2人、となった。
 2017年当時、自民党の議員は、衆院290名、参院126名の計416名。うち女性は、全体でも10.8%程度しかいない。女性議員は一般的に若くて経験が乏しい。無理やり登用すると綻びが生じる。
 ■ 2018年10月の第4次安倍改造内閣では女性閣僚は片山地方創生担当相のみ。
 ■ 2019年9月11日の第4次安倍再改造内閣では、高市総務相、橋本五輪担当相の2人。

 首相でもなかなか実行できない。裏に大きな事情があるのだろう。


9/6(日)快晴残暑 飯川病院日当 
 1:00起床、新聞チェック、本読み、データ整理ほかいつもの如し。読書進める。7:00検食、実にあっさり。外来レセプト点検終了、散水。その後はデータ整理、読書三昧。12:00検食、午後院長来院したので許可得て外出、ブックオフにて12冊購入。新聞データ化多数。読書三昧、19:00当直医と交代、レガシー帰宅。夕食。21:00就寝。歩数計5838歩。

安倍首相退陣表明(8) 7.5年間の評価(7) 女性活躍推進法(1) 法に違和感を持つ
 安倍内閣が掲げた施策として、2016年「女性活躍推進法」がある。以降、政府も自治体もメディアも、法律や政策の周知のため一生懸命である。この法が、それだけ社会が熟していない中に無理やり施行されたことの現れである。私はそう思う。

 首相も内閣の中で女性を積極的に登用してきた。しかし、そのほぼ全てが、私から見て失敗に終わっている。要するに、わが国では「女性活躍」はまだ機が熟していないのだ。

 私は女性の存在と役割について、如何に高く評価しても仕切れないと思っている。女性を敬っている。私は、女性は男とは違う、別な崇高な生き物ではないのか??とすら思う。
 そのルーツは、
 第一は、やはり妊娠、出産、子育てに関連している特質。
 第二は、男にないそのほかの特質、性格、気配り、曲線の美しさと軟らかさ、などなど。とても挙げきれないが、それらの全て。
 第三は、男の私は、常に女性の存在を意識している。今でも。思っていることの事も実行できないが、それでも良い。見ているだけでも楽しい。私はアルコールを嗜まず、喫煙もしない。さらに、女性のいない社会だったとしたら、生きていてもつまらない、と思う。

 ただ、このことを女性たちに述べると「それはセクハラ的意見だ・・・」、と言われる。男女に関して心底思っていることも言えない時代になってきた。実につまらない。

 わが国の女性の社会進出、活躍が国際的に見て乏しい、とされている。そのために女性活躍推進法が2016年に施行された。日本の男女の歴史にも因があり、男女の性別に由来する特質の差を無理やり法で埋めようとする方法はなじまない。

 私は女性に対して理解ある方だ、と思っているが、そういう私にとっても残念なのは女性活躍という言葉がしっくり響いてこないことである。「女性活躍推進」云々と言われると何だかもやもやする。

 確かに、女性たちの活躍の場が無理やり抑制されている、とすれば必要な法律だろう。
 「女性活躍推進」に関して、確かに社会の受け入れ態勢が未熟の部分もある。それは認めたい。が、それ以上に「女性自身の社会進出の自覚や準備ができていない」ように感じられる。

 違和感の根本は、家事や育児より外で働くことに価値がある、との見方である。
 日本の経済の低迷に女性が関連している?云々、いろいろ言われている。
 そうだとしても、もっと両性の考え方の土壌の醸成が必要である。もう少し時間が必要である。


9/5(土)快晴猛暑  飯川病院日当直 外来レセプトチェック
1:20起床。いつもと同じ。新聞、小説、録音データ整理。自炊数冊。朝方微睡。8:00-10:00庭仕事、草刈り。日照りと気温で疲弊。10:30家内に同情、書店経由で飯川病院へ。
12:00件食後から日当直に就く。外来MacMini不調に。モニターに像が出ない。Appleにも相談、ほとんど治る可能性なしと判明した。外来レセプトチェック一部。18:00夕の検食。読書三昧。20:30就寝。歩数計10600歩。

安倍首相退陣表明(7) 7.5年間の評価(6) 「憲法改正」(2) むしろ不信感に
 首相は2012年第二次政権が発足直後、憲法改正の条件を定めた憲法96条を議員の2/3以上の賛成から過半数に緩和すべきと主張した。要するに、与党のみで改憲が可能になる。これは与野党、識者、専門家からの反対を受けて沈静化したが、安倍首相の改憲の考え方を示すものとして最初の勇み足となった。

 自ら改憲に向け一て主張を強めた2017年5月3日を振り返り、自民党がまとめた憲法9条自衛隊明記を含む改憲4項目を、令和元年という新たな時代のスタートを受け我が国の将来像について真正面から議論を行うべき時に来ている、と訴えた。首相は持論に固執しているが全くの空回り状態である。首相の焦りだけが目立った。
 改憲を急がず、改憲について冷静かつ率直に議論できる状況をつくる努力をするべきだった。そのことが改憲の手段の一つなのだ。

 首相はさらに2020年までに戦争の放棄と戦力不保持を定めた9条はそのままとし、自衛隊の存在を明記する文言を追加する案を提唱した。自衛隊を憲法に明記しても自衛隊の任務や権限に変化はないと脱明したが、そんなら改憲の必要はない。こういうことを含め憲法改正へのこだわりは首相自身の不信感に繋がっていった。

 2014?15年は集団的自衛権の行使に関して無理やり自衛隊法を改正したが、識者・専門家はこれは憲法に抵触する、憲法軽視ならぬ憲法違反と言いうる、との意見を述べたが当然である。

 憲法53条に関して、2017年6月モリカケ問題のために野党から臨時国会招集の要求が出された。憲法ではこれを拒むことは許されていないが内閣は開催を拒み続け、9月に召集した国会は冒頭で衆議院を換算し、実質協議に入っていない。これじゃモリカケ問題隠蔽と言われても反論できない。
 2020年7月新型コロナに関して野党から臨時国会招集の要求が出されたが、開催することなく辞任発表に至った。コロナ対策についての検証要求に応えたくなかったからであろう。

 安倍首相自らが憲法を軽視している。
 安倍首相退陣で憲法改正問題は一旦影を潜めるだろう。

 急がず丁寧な憲法論議を求めることが民意重視の姿である。
 今後は、「自身の信念のゴリ押し」ではなく、国民の声に真摯に耳を傾けながら議論を深めてほしい。

 私は、安倍首相の改憲姿勢を是とするものではないが、改憲は必要、と思っている。<a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20170506">憲法論議2017(1) 私は改憲が妥当と思う</a>


9/4(金)夜半に降雨曇り 大曲中通外来 飯川病院ボランティア 
 1:20起床、夜半から激しい降雨と雷鳴。新聞・文献他、本読み、自炊数冊。5:10可燃ゴミ集めただけ。7:30Taxi、渋滞でギリギリ、8:11こまち、途中で徐行、9:10-12:15大曲中通病院往復Taxi。大曲は早朝集中豪雨あったらしい。13:30検食なしと言うので駅で軽食、飯川病院ボランティア。入院患者対応。プリウス17歳(初登録平成15年9月)車検終了、最近の方が故障少ない。19:30帰宅夕食・就寝。歩数計9767歩。

安倍首相退陣表明(5) 7.5年間の評価(4) 「憲法改正」 笛吹けど踊らず、当然だ

 日本国憲法は公布から73年目を迎えた。

 新憲法発令後間も無く憲法改正の息吹は始まっていて「憲法の自主的改正」を自民党の党是としてきたが、いまだにどの内閣も成し遂げていない。国民的論議を喚起したこともない。安倍首相が長期政権、国会議員の数の優位性を背景に意欲を示すのは理解できないことではない。

 ずっと現憲法でやってきてそれほど大きな問題が生じていないのに改憲改憲という意義が国民には一切伝わってきていない。安倍首相の思惑と国民の思惑は全く一致していない。にも関わらず任期中、常に語っていること自体が、国民から浮いた状態にあるとも言える。

 2017年の憲法記念日に首相は「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と踏み込み9条への自衛隊明記に意欲を示した。成し得なかった。

 2018年に自民党は4項目の改正案のたたき台をまとめたが、憲法審査会はろくに開かれず議論は進んでいない。このの4項目とは、■9条改正、■緊急事態条項、■参議院の合区解消、■教育制度、から構成されている。

 安首相のめざす2020年の改正憲法に盛り込もうとしている緊急事態とは、@内閣の一存で、国会の審議抜きで、法律と同じ効力を持つ政令を定めることができ、これによって、例えば官庁組織を自由に設立したり、刑罰を定めることもできる。A国会議員の任期を無限に延長することができ、内閣総理大臣も終身在任とすることができる、なども含まれている。かなりの強権を目指している。

 憲法改正に向け国民の意識はクールである。
 自民党内でも憲法に自衛隊明記など考え方が多様にあり一枚板ではない。

 与野党対立に加えそれに、森友・加計・桜の会など、権力の私物化の疑惑などが解決しない中での憲法改正は国民に浸透しない。

 憲法改正は急ぐ必要はない。クリーンな内閣のもとで進めてほしい。
 安倍内閣のもとで論議が進まなかったのは当然でもある。このような中での改正論議はできるはずもなかった。
 憲法改正は「笛吹けども踊らず」、であったがその因は自分にあったことを安倍総理には考えていただきたい。


9/3(木)快晴やや風強し 飯川病院終日勤務 
1:20起床,医学文献、新聞他、自炊数冊。院長受診ということで飯川病院終日勤務。入院・外来患者対応、15:30 あきぎんスタッフ来訪、12:07バス飯川病院。19:30帰宅、夕食。21;00就寝。歩数計7610歩。


安倍首相退陣表明(4) 7.5年間の評価(3) 「1億総活躍社会」(2)掲げた目標
「1億総活躍社会」に掲げた目標をまとめてみた。今から見ても優れた内容であった。
それだけ到達目標は高すぎ、実効性は乏しかった、と思う。
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■1 働き方改革  
   同一労働・同一賃金の実現 
   長時間労働の是正
■2 子育ての環境整備
   保育士の処遇改善 確保・育成
   放課後児童クラブの整備:
■3 介護の環境整備
   介護の受け皿整備:2020年代初頭までに約50万人分を整備。
   介護人材の処遇改善:月額平均1万円相当を改善。
   多様な介護人材の確保・育成:
■4 すべての子どもが希望する教育が受けられる環境の整備 
   学びの機会の提供
   奨学金制度の拡充
■5 「希望出生率1.8」に向けた取組 
   女性活躍、若者・子育て世帯への支援:子育て世代包括支援センターの平成32年度末までの全国展開。
   不妊専門相談センター:平成31年度までに全都道府県・指定都市・中核市に配置 して相談機能強化。
■6 三世代同居・近居:大家族で、世代間で支え合うライフスタイルを選択肢として広げるための環境づくりを推進。
■7 子供・若者等の活躍支援:困難を有する子供・若者等に対して、地域若者サポートステーション等の関係機関が連携して伴走型の支援を実施。
■8 「介護離職ゼロ」に向けたその他の取組
   健康寿命の延伸、 障害者、難病患者、がん患者等の活躍支援
   地域共生社会の実現
■9 「戦後最大の名目GDP600兆円」に向けた取組
(1)第4次産業革命 (2)世界最先端の健康立国へ (3)環境・エネルギー制約の克服と投資拡大 (4)スポーツの成長産業化 (5)2020年東京五輪・パラリン競技大会に向けた見える化プロジェクト (6)既存住宅流通・リフォーム市場の活性化 (7)サービス産業の生産性向上 (8)中堅・中小企業・小規模事業者の革新 (9)攻めの農林水産業の展開と輸出力の強化 (10)観光先進国の実現 (11)地方創生 (12)国土強靭化、ストック効果の高い社会資本整備 (13)低金利を活かした投資等の消費・投資喚起策 (14)生産性革命を実現する規制・制度改革 (15)イノベーション創出・チャレンジ精神に溢れる人材の創出 (16)海外の成長市場の取り込み

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 あまりにも総花的でこれらが達成されたら日本の社会はほぼ理想な状態になり得た。
 実際に到達し得た目標は少ないが、今の社会の問題点を列挙しただけでも価値があると思う。


9/2(水)晴暑い 草刈り 飯川病院ボランティア 台風9号九州に接近
 1:00起床。文献・新聞。医学論文など。7:00ガスレンジ上の換気扇スイッチ故障。On Off不可に。約40年間の油汚れのため固着?。別ルートでスイッチ新設し解決。
10:00-11;20草刈り。昼食後13:07バス飯川病院、ボランティア。微睡、データ整理。文献読み、録音データ整理ほか、歴史本他読む。19:00帰宅・夕食、20:30就寝。歩数10218歩。飯川病院粗大ゴミ廃棄あり、iMac21(2012)一台廃棄。

安倍首相退陣表明(4) 7.5年間の評価(3) 「1億総活躍社会」(1)
 政府の看板政策「地方創生」が何だか分からないうちに、なんだか分からない「1億総活躍」政策に変わってしまった。両者の内容は互いに重なるところが多い。

 私は、「1億総活躍」よりは「地方創生」のままの名称で突き進む方が良かった、と思う。ただ、後で調べてみると「地方創生」は目標点がなんであったか不明の観念的な政策であったが、「1億総活躍」はより具体的な項目を挙げての実質的内容であった。しかしながら、どれだけ到達できたのか、という点では「地方創生」も「1億総活躍」も共に不発に終わってしまったと思う。

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 2016年6月「一億総活躍プラン」が閣議決定された。
 少子高齢化に歯止めをかけ、50年後も人口1億人を維持し、家庭・職場・地域で誰もが活躍できる社会を目指すため、という。具体的には、同時に発表したアベノミクスの新しい「3本の矢」を軸に、経済成長、子育て支援、安定した社会保障の実現を目指した。

 経済面は、「強い経済」を目標とし、2020年頃にGDP600兆円を達成する。
 子育ては、「夢をつむぐ子育て支援」により、希望出生率を1.8とした。
 社会保障は、「安心につながる社会保障」により、介護離職ゼロを実現。

 以上の目標に向け、新たに「一億総活躍国民会議」が設置され、初代担当大臣は、加藤勝信が任命された。首相を含む閣僚13人と有識者15人から成る会議である。

 私は「一億総活躍プラン」が発表された時には「またスローガンだけに終わるのか??」とクールに考えていたことは確かである。
 財政再建2015(11) アベノミクス第二ステージ宣言(3) 1億総活躍社会って何だ

 「一億総活躍プラン」は日本語としても素晴らしい内容であった。社会のあり方の理想郷を述べた微分であった。
 以下の如し。素晴らしすぎてちょっと恥ずかしい。

 若者も高齢者も、女性も男性も、障害や難病のある方々も、一度失敗を経験した人も、みんなが包摂され活躍できる社会の構築。
 一人ひとりが、個性と多様性を尊重され、家庭で、地域で、職場で、それぞれの希望がかない、それぞれの能力を発揮でき、それぞれが生きがいを感じることができる社会。
 強い経済の実現に向けた取組を通じて得られる成長の果実によって、子育て支援や社会保障の基盤を強化し、それが更に経済を強くするという「成長と分配の好循環」を生み出していく新たな経済社会システムの構築を目標とする。


9/1(火)曇りのち快晴 外来 飯川病院 
1:30 起床、医学文献・新聞ほか。5:15可燃ゴミ提出、6:47バス飯川病院着、 8:45-13:15中通病院外来、数・質ともに中程度、されど疲弊。13:40飯川病院、微睡、14:00-18:20勤務。入院患者対応。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数7551歩。書籍自炊化。

安倍首相退陣表明(3) 7.5年間の評価(2) 「地方創生」
 首相は次々と新しい政策を提起した。
 「地方創生」、「一億総活躍社会」、「全世代型社会保障」、「女性活躍社会」など毎年のように看板政策を陥げて政策の幅を広げた。この新しい名前はとてもわかりやすい。これも首相の才能の一部だろう。

 しかし、私は「一つ一つの政策を総括することなしに・・・」次の政策を繰り出してくる姿勢には疑問を感じていた。安倍首相はきちんと総括してから次に進むという手法には長けていないようである。ズルズル型である。

■「地方創生(2014年)」について。
 政府が熱っぽく「地方創生」策を打ち出し担当相まで指名した。現在、自民党総裁選の立候補者の一人石破氏であった。
 
 「地方創生」は流行語となった。しかし、政策はどこへ行ったのか?
 「地方創生」の目標は、地方の経済低迷からの脱却、深刻な人口減と、東京への人口集中に歯止めをかけることだった。日本の将来の舵取りに関与する最重要な政策であった。政府は、無責任にも地方自治体に「地方創生」の政策立案を丸投げしたが、自治体は日頃から乏しい知恵を総動員して地域に相応しい戦略を立てきたが、自治体レベルでは限界を迎えていた。それを一層進めろと、と言うのは土台無理な話であった。
 地方に新風を吹き込むのは地方の判断を超えた中央の仕事である。

 「地方創生」の政策は、国主導で地方への機能移転しかない。一局集中を是正するには、働く人の働き場所を変えることが現実的である。
 秋田県にとっての地方創生策は食料生産だと思うがそのような方策は出ていなかったようである。

 「地方創生」の予算として、2017年には1兆7536億円、2018年には1兆7877億円の予算が付けられている。
 第一の目標は、まず地方経済の活性化である。
 第二は人口減少を止めることである。それを回避するために、東京に流出する人口を抑制し、出生率を上げることである。

 多くの自治体は地方に安定した仕事をつくり、結婚、子育てできる本来の事業を地方に定着させることを求めている。それらは壮大な事業であり、国主導でなければ不可能である。
 「地方創生」は、人□減、東京一極集中を是正する素晴らしい政策であった。
 国は継続的に財源を確保し、柔軟な姿勢で支援すべきなのは言うまでもなかった。

 結果的には到達点が見えず、予算のバラマキだけが目立った政策であった。約2年後、成果が見えないまま「一億総活躍社会」が打ち立てられた。

 秋田から東京を考える(3)  人口減対策、東京一局集中対策の地方創生はどうなった??


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
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