徒然日記
2020年8月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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8/31(月)曇りのち快晴 健康クリニックドック 飯川病院
1:00起床。新聞・文献チェック。データ整理、9:00-11:30健康クリニックドック13人結果判定13人。早めに終わったので古書店訪問、文庫17冊購入。12:30飯川病院、微睡ほか、14:00-18:50勤務、入院患者対応。新聞チェック、読書他、当直医の来院待って19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数8347歩。

安倍首相退陣表明(2) 7.5年間の私的評価(2) アベノミクス 消費税
 約7年8カ月の「長期政権」は、今月24日には連続在職日数が佐藤首相を超え歴代最長となった。それは圧倒的な多数議席を背景にした「数の力」の政治で「1強」、「官邸主導」などと揶揄された。

 安倍政治とは一体、何だったのか。

 ここ数日、各新聞社は社説はもとより、識者を登場させて 7.5年間の評価について賛否両論展開し、喧しい。

 私も時折、安倍政権の政策に対し言及していたので、それを振り返りながら私にとっての7.5年を振り返って見たい。衆院選挙(4) 自公で320議席超確保 民主は壊滅的敗北

 安倍政権の前には政権交代があり、政権再奪還の後も首相がコロコロ変わる短期政権が続き、政治に対る期待感は急落した。
 
 そんな中、5年程の空白期間を経て再登場したのが2回目の安倍政権であった。確かに平地に降りて充電した期間が有効に働き、特に低迷した日本の経済に対し力強い方針をうち出した。安倍政権の経済税策:大型借金と「コンクリートからコンクリートへ」への回帰 

 選挙後自民党総裁に就いた、安倍首相は2013年1月政権発足当初の年頭記者会見で、内閣として経済再生に目を向けたい。何よりも強い経済を取り戻す、と強調した。そこで提起したのが後にアベノミクスと呼ばれる経済政策であった。
 首相は通常国会の施政方針演説で3本の矢、すなわち、■大胆な金融政策、■機動的な財政政策、■民間投資を喚起する成長戦略を宣言した。 
     
 2013年3月、日銀総裁に黒田氏が就任、物価上昇率2%を目標に大胆な金融緩和を始めた。民主党政権時に一時1ドル80円を突破した過度な円高が修正され、平均株価は4月にほぽ4年半ぶりに1万3千円台に回復、2018年に一時2万4千円台まで上がった。 

 景気回復の一方で首相が直面したのは消費税増税の判断であった。
 民主党政権は2014年4月に税率を5%から8%にあげ、15年10月に10%に引き上げると決め、野党として自民・公明も合意していた。

 首相は同年4月予定通り8%に上げた。??2014年(3)経済はどうなる?

 増税前の駆け込み需要対策を打ったものの増税後の景気落ち込みは想定を上回った。
 この経験から最優先する経済や政権運営への悪影響を懸一念して10%への引き上げには慎重を期した。 

 同年11月には増税時期を17年4月に1年半延期すると表明した。
 その後、突然衆議院を解散、選挙で国民に信を問い、勝利した。いきなり解散・総選挙(4) 総理は「自身のために」解散し、勝利をおさめた

 個人消費の伸び悩みなどを踏まえ、首相は10%への消費税の増税を19年10月まで再ど延期した。
 19年10月は予定通り実施した。


8/30(日)曇り11:00以降降雨  
 1:00飯川病院にて起床、新聞チェック+歴史本、医学論文読み。9:50日直医来院確認帰宅、通町書店経由。外仕事できない、終日読書、新聞データ化。蓄積データ整理。19:00夕食、20:00就寝。歩数6305歩。自炊進める。

安倍首相退陣表明(1) 7.5年間の私的評価(1) なにはともあれ「ご苦労様」と言いたい

 安倍首相は昨夕記者会見を開き退陣を表明した。持病の潰瘍性大腸炎の悪化が判明、職務を継続することはできないと判断した、とのこと。
突然の辞意表明に驚きを感じた。ここ2日間新聞報道を中心に安倍首相の評価、辞任についての記載を一気に読んだ。

 安倍政権は長期に渡ったがために、前向きの成果のみならず批判せざるを得ない項目も少なくない。批判的検証を受けることは首相の責任のうちの一つである。病気だからといってその点を曖昧にすることは長期に頑張ってきた安倍氏にむしろ失礼になる。

 一つの驚きは、突然の辞意表明にかかわらず、大手新聞各社、私が読んでいるのは共同通信社、朝日、日経の記載が総じて詳しかったことであった。ここ数週間の動きから、多分Xデイが近いことを先取りして予想していたのだろうと思う。一方で歴代内閣で在任期間最長関連の記事、それと並行してXデイ用の記事を並行して準備していたのであろう、新聞社のブレーンは大変なものである。それにしても新聞各社は昨夜はてんやわんやでなかったのか?と思った。

 国会閉会後、首相はマスコミの前に姿を表す機会は減っていたようである。ドック受診後短期間に時間をそれほどおかずに医療機関を受診している様子から健康不安説が取り沙汰されていた。私も、顔の表情から何かありそうだ、とは思っていたのだが、それにしても昨日の突然の表明には驚いた。

 さらにもう一つの驚きは、首相の約7年8カ月に及ぶ活動に関して前向きの評価よりも批判的評価が多かった、ということであった。辞任が健康上の理由が主であったことからもう少しソフトに表現してもいいのではないか?との印象であった。

 私は安倍政権に関していろいろなことを感じ、時折記載してきた。
 ■ 長期政権たらしめた要因は何か、
 ■ 業績は何か、
 ■ 森友加計、桜を見る会など、対応不十分の事案、
 ■ 憲法改正の熱意、
 ■ 米ソなど、70ケ国以上にもわたるにもわたる訪問外交は、結局何をもたらしたのか
 ■ などなど

 考えたいと思う。


8/29(土)曇り午前から降雨雷鳴など 終日座学
 1:20起床、新聞・文献他、本読み。散水、9:50日当直医の来院確認して、通町書店経由で帰宅、11:00外仕事始めるも降雨で中断、以降は座学、終日読書、データ整理三昧。19:00夕食、50mlの梅酒の小瓶飲んで泥酔、20:30就寝。書籍データ化。歩数計9586歩。

心理学を学ぶ(35) 「差別の心理」(9) 共同体帰属に由来する優越感(2)
 社会の共同体の考え方のうちゲマインシャフトは基本的に「縁」に由来している。だから個人に帰属、離脱の選択肢はない。

 これに対して、利益社会の結びつきであるゲゼルシャフトは選択意思を基礎として形成される。
 実用主義的合理性,経済活動を中心に据えた人為的,機械的な,互いに相手を利用する打算的契約関係を特色とする。

 これは離れるのも参加するのもほぼ自由意志でできる共同体であるが、そこに存在続けるにはその共同体に対して一定の義務を果たすこと求められる。

 かつては日本の雇用関係は終身雇用制を背景にした結束の強い共同体であった。ここから離脱することは生活基盤を失うことでもあった。労働者は会社に忠誠を誓い、持てる能力の何倍も必死に努力した。会社も労働者を、その家族も含めて庇護してきた。一昔前、会社主催の家族旅行、盆踊り大会、運動会、野球大会などが開催されていた。このような労使関係は日本の経済復興過程では高い生産性を上げたが、発展途上国の経済力が向上して先進国は搾取の旨みが薄れてきた近年、特にグローバル経済の流れの中では日本型雇用関係は非効率となり、ここ20年ほど就労関係は大きく変容を遂げた。すなわち、正規職員による雇用制から非正規労働者中心の労使関係にシフトしている。

 この実用主義的合理性を備えた組織への帰属は、能力という意味で高い均一性が求められ高い生産性が求められる。そのことが落ちこぼれを生じさせ、職場内のいじめやパワハラ、セクハラの温床になっている。

 社会を構成する人間に自我があり、より良き状態を求めるという人間の欲求・エゴがある限り、社会やコミュニティは差別感情の温床であり坩堝になりうる。

 この差別意識は個人のアイデンティティそのものであり、人間の心の中から無くすることはできない。
 だから、差別意識への対応は個人の問題から「社会の考え方を無理矢理変えて行く」しかない。その手段は第一には法律ということになるが、法による規制は人間の心の中までは及ばない。次の手は教育、ということになろう。

 ところが、新型コロナの蔓延は会社組織に急速な変化をもたらしつつある。多くの分野でテレワークが導入されつつある。新型コロナはワクチンとかが実用化したとしても完全収束は考えがたい。そのために労働者は集団で一箇所に集まって仕事する分野が製造業では残るだろうが、労働者は分散して働き業務内容が集合される時代になろうとしている。
 こんな労使関係の変化を迎えて、おそらく企業間の差別意識、企業内の差別意識に変化をきたすようになる可能性が出てきた。


8/ 28(金)快晴暑い35度 大曲中通病院 飯川病院ボランティア 首相辞任発表
 1:20起床、新聞・文献他、本読み。可燃ゴミ2け提出。ダリア散水、7:35Taxi、8:45-12:00大曲中通病院往路Taxi、復路徒歩。市内もTaxi、13:30飯川病院ボランティア。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。書籍データ化。歩数計8935歩。久々寝苦しい夜であった。

心理学を学ぶ(34) 「差別の心理」(8) 共同体帰属に由来する優越感(1)
 人間は社会的動物だから一人で生きてはいけず、必ず何らかの集団に属さねばならない。

 社会の共同体の考え方のうちゲマインシャフトは個人に選択肢はない。
 生まれ落ちた時点で帰属が決まっている。その共同体のありように自らは何も貢献していない。国、民族、故郷、家族などであるが、通常はこの環境の中で自我の形成がなされていくから、基本的にはこの共同体を好み、愛している。もちろん成長とともに批判する余裕も出てくるが基本的には離れることはできない。
 この共同体には個々に性格があり、他の共同体との間にランク付けが決まっている。自分が属する共同体のランクが上位にあると思う優越感が差別感情が生じる一因となる。

 国、民族の優位性に由来する差別感は、例えば、戦前の日本民族の欧米に対する卑屈な劣等意識、それに反動してか、アジア諸国に対するいわれのない優越感にも現れる。
 ナチスのユダヤ人差別によるホロコースト、現在も続くヘイトスピーチ等に現れる。アイヌ民族に対する差別感はないのだろうか。

 それに比較すると故郷に対する誇りは現代のグローバル社会においては一般的に結びつきは強くない。しかし、根底には根強いものがある。その一端は部落問題などに現れている。
 意外と、学歴社会の中では、特に勝ち組に属するエリートたちの同窓意識は半端でない。負け組は一般に結束力は弱い。負け組は同窓意識で落ちこぼれであり、庇護される機会は少ない。

 家族・家庭は現在社会においては崩壊傾向にあるが、時には家柄、そだち、経済状態を背景に、また、異常な心理状態を背景にした毋娘関係において堅固な結びつきが見られる。各家庭単位の秘匿性、排他性、他の家庭への容認しがたい批判感情は、その関係が利害関係がある近隣間の家庭で繰り広げられる。感染症、遺伝病などを抱えた家庭、犯罪者が出た家庭に対する受け入れがたい感情は家庭の中の会話や指導で形成されて行く。時に、村八分的差別に直結する。

 このゲマインシャフトの帰属性は互いの「縁」であり、均一性が求められ、互いの監視の目で互いを縛り、最近再注目されてきた同調圧力が吸引力の一因になっている。特に個人主義的価値判断が強い欧米に対して集団の価値判断が優先する日本社会の特徴の一つである。

 新型コロナ対策の緊急事態宣言は個人の自覚の範囲で衛生思想の喚起と、外出自粛への協力であった。初期には大きな効果が見られたが、その背景には互いの行動を監視し合うという日本独特の同調圧力をあてにしたものであった。

 その結果、新型コロナ感染者への差別、医療関係者及びその家族たちへの偏見、差別行動がいまだに収まらない。
 ウイルスよりも「常識人と自認する人たちの差別」、「同調を求める圧力」の方が手をつけられない状況にある。


8/27(木)快晴 飯川病院 職員検診
1:10起床。新聞雑誌データか。録音データ整理。ダリアとネギの世話、散水、11:10バス飯川病院、13:00-18:45飯川病院勤務、15:45職員検診。歩行9497歩。

心理学を学ぶ(33) 「差別の心理」(7) 共同体帰属に由来する優越感
 人間は社会的動物だから一人で生きてはいけず必ず何らかの集団に属さねばならない。

 私は新潟大学の教養課程で社会学を選択した。人間の歴史の中で太古の時代から現在まで、社会がどのように形成し発展したのかなど何も知らなかった。私は社会学の講義に大きな衝撃を受けた。今でも社会の有り様を考えることが好きであるが、そのルーツはここから始まっている。

 社会学では共同体をゲマイシャフトとゲゼルシャフトに2大別している。ともにドイツの学者の考え方の集大成である。適当な和訳がないので私は今でもそのまま用いる。

 ゲマインシャフトは最も本来的,自然的状態としての人々の意志に関わらない完全な統一体,すなわち、あらゆる分離の試みにもかかわらず本質的に結合し続けている社会のことである。それには、家族、地縁社会,友情社会の3つを典型的形態とした。この概念は,社会の類型,人間の結合関係を示すだけではなく,社会の歴史的考察の原理ともなる。

 これに対して、ゲゼルシャフトは利益社会の結びつきである。選択意思を基礎として形成される社会関係を言い、実用主義的合理主義,都会的ないしは産業的文明よ生まれる人為的,機械的な,互いに相手を手段とする打算的契約関係を特色とする社会である。これは離れるのも参加するのもほぼ自由意志でできる共同体である。

 卑近な例で言えば親子・同胞関係 vs 恋人・夫婦関係に例えられる。後者であれば自由意思によって別れることは可能であるが、前者は感情的な、あるいは法的な結びつきも堅固で一般的には別れることが困難な関係である。

 ゲマインシャフトにせよ、ゲゼルシャフトにせよこの集団に属した立場、ここは一般的に居心地がよく安全である。
 大部分の方は、ごく自然に、国、民族、故郷、家族、出身校などを愛して、同行の人達と共同体を形成する。この共同体にはすでに個々に性格があり、このことが差別感情が生じうる一因となる。

 心から愛することができる共同体をもっている人は幸せである。
 しかし、その幸せ感がそのまま他の者を何らかの形で排除する感情に繋がっていく。
 
 帰属意識を愛することに由来する差別感情はある意味で自然であり、それは人間か社会的動物であることから自然に導かれる。その場合、ある人が属する集団と他の人が属する集団には必ず内容的にも、力関係でもランクづけが生じてくる。
 
 われわれは、ある共同体に所属していることによって、身の安全を得るのであり心の落ち着きを得る。また生活の基盤を得る。


8/26(水)快晴 飯川病院ボランティア 
1:00起床、文献検討、新聞チェック。11:50バス飯川病院、検食は院長、イヤタカ会館で昼食。飯川病院ボランティア、新聞チェック、微睡。病院周辺の草刈り。読書と書籍データ化進める。散水。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計10421歩。

本 川崎悟司 絶滅した奇妙な動物 2009年(3) 「ゴキブリ」(2) そんなに悪者か?
 国内に約40種が生息するというゴキブリ。そのうち屋内でよく見かけるのは小さい順にチャバネゴキブリ、ヤマトゴキブリ、クロゴキブリ、ワモンゴキブリの4種類。 
 家庭ではクロゴキブリ、飲食店やビルなどではチャバネゴキブリが主。ゴキブリと言っても人間と密接な関係にあるのは一部の種に過ぎない。あとは自然界の清掃係りをになっている。にもかかわらず十把一絡げにゴキブリと称して嫌われる。

 ゴキブリの被害にどんなものがあるのか?
 ゴキブリが人にもたらす害が意外と多いとされている。しかし、本当だろうか?私は疑問である。
 ゴキブリの所為にする前にゴキブリを呼び込む人間の方に何か問題あるのでは?

 ゴキブリが屋内に侵入する経路は排水口や流し台のシンクなどで、ここは雑菌の温床。これらの場所を通過してゴキブリが屋内に侵入すれば、自ずと雑菌も持ち込まれてしまう。常識的にはみんなそう説明している。しかし、雑菌の巣にしているのは人間の方に問題があってゴキブリは通過しているだけ。

 健康上の被害としてゴキブリが持ち込む雑菌、時に病原菌による病気がある、とされる。さまざまな食中毒の原因となる。本当かな??ゴキブリが原因になった食中毒、私は不勉強にしてまだ知らない。あるとすれば人間の衛生観念の欠陥に起因する。
 ゴキブリのフンや死骸が喘息などのアレルギーの原因となることは確認されている。確かに、アレルゲンの検査にゴキブリの項目は含まれている。

 経済的な被害も。ゴキブリは雑食のため紙なども食べる。貴重な古書や絵画のような美術品に被害が出ることはあり得る。

 ゴキブリの被害を防ぐには生活環境の中にゴキブリを喜ばせないようにしておくことにつきる。ゴキブリの好む環境は、■暖かい、■水がある、■暗い、■食べ物がある環境だろうという。
 具体的には、生ゴミはこまめに捨て、シンクも掃除すること。

 それでも完全に駆除は無理だろう。そんなに彼らは柔じゃない。何しろ3億年も生きてきた実績があるから。

 市販の駆除用具、薬剤、あるはあるはいろんな剤型のが数10種類も。これだけあることはどれも決定的でないことを示す。それでも、と思うなら専門家へ依頼して駆除するしかない。

 私も時に早朝などゴキブリと対面することが稀にはある。そんなに不快ではない。私は追っかけ回すことはない。我が家には複数のネコがいるので彼女らに任せることにしている。

 本書には魅力的な解説文、コラムがある。その中で「ゴキブリのしぶとさの秘密」についてのコラムがある。これはとても面白い。以下について言及している。
 ■その1 なんでも食べる超雑食
 ゴキブリはなんでも食べる。その雑食度合が半端ではない。人の毛髪、フケなども。ゴキブリの体内には消化分解能力の高い細菌が同居しておりそんなものまで栄養にしてしまう。
 ■その2 ゴキブリはとても清潔な虫
 昆虫は人のように免疫系を持つていため、病原菌に対する抵抗力は皆無に等しい。しかし、ゴキブリは病原菌に抵抗する抗生物質のような成分を体内で生産し分泌することができる。だから、病気にならずに生きていけるのだ。また死骸も腐らない、という。
 ■その3 3億年も生きた実績
 ほぼ同じ姿のままで生き続けたしぶとさがいかに強大であるか、疑いのない実績がある。


8/25(火)快晴 外来 飯川病院 
1:00起床、文献検討、新聞チェック。5:00可燃ゴミ集積所に。6:47バス飯川病院、8:45-
13:00中通外来、混雑なし。13:15飯川病院。14:00-18:30飯川病院。微睡、入院患者対応、外来のMacMini調整、画像でず。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計9396歩。

本 川崎悟司 絶滅した奇妙な動物 2009年(2) 「ゴキブリ」(1)しぶとさ 
 人間は、何故ゴキブリを毛嫌いし、見れば大声をあげ、スリッパなどを片手に追いかけ回し、叩き潰すのか。その執念に対して私は非常に興味がある。
 どうしてあんなか弱い生き物が気に入らないのか。ゴキブリから見たら人間の姿そのものは恐竜にも匹敵する恐怖の対象なのだが、彼らは一言も弱音を吐かないでただ逃げ回るだけのひ弱な生物である。

 人間とゴキブリの関係の裏には非常に深い、何か根の深い別の問題があるように思われる。

 ゴキブリはそんなに悪い昆虫なのか??
 私は結構ゴキブリについては詳しい方だと思う。だから、気持ち悪くもないし、むしろ親しみの気持ちを持っている。

 世間的には、最も嫌いな身近な生き物と問われれば、間違いなくゴキブリがトップになるだろう。
 ゴキブリは、悪行が過剰に評価されていて気の毒であるが、人間にとってそれほど危険性があるわけではなく、多大な害を及ぼすわけではない。

 にもかかわらずゴキブリは嫌われ者の代表に挙げられる。
 その理由には、■黒光するその体色、■長い触角、■トゲトゲしい長い脚、■垂直の壁でも走り抜ける機動性、■突然走り出す予測不可能な動き、などなど生理的嫌悪感は絶大である。この中で黒光するその色から受ける印象はカラスのそれに似ている。

 このために嫌われ者などの総称として「ゴキブリのようなやつ・・」などと悪い印象の生き物の代名詞としても呼ばれる。これは同じ生きるものとして、いわれもない差別である。人間は自分たちの不潔な生活環境をそっちのけにして出てくるゴキブリを悪の主役に押し付けている。

 そんな嫌われ者のゴキブリであるが、人類が滅んでもゴキブリは生き残るといわれるほどしぶとい生き物という説が定着している。人間や他の生物が絶滅した後新しい「いのち」の源となりうる貴重な生き物なのだ。むしろ尊敬すべき存在である。

 ゴキブリの先祖は3億年も生き続けた「生きた化石」といいうる。この3億年前に生息していたというゴキブリ仲間は、たくさんの環境激変があり、他の生き物たちが絶滅したり、いろいろな形に姿を変えて進化していくなか、ゴキブリはほぼ同じ姿のままで生き続けた唯一の生物と言っていい。その生きるしぶとさがいかに強大であるかを物語っている。


8/24(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:20起床。文献、新聞チェック。自炊、データの電子化。収穫散水他、6:47バスと徒歩飯川病院。新聞チェック、9:00-11:45健康クリニック、ドック診察13名。先週分の結果判定13名分。12:00飯川病院へ、微睡。 14:00-19:15勤務。入院患者対応、散水、19:10帰宅、夕食。21:00就寝。歩行Σ9718歩。書籍の自炊化。

本 川崎悟司 絶滅した奇妙な動物 ブックマン社 2009年(1)
 最近私は考古学に関心を持って書籍を通じて勉強を始めている。今更ながら何やってんだ、と思う。もう、深いことはできない。
 地球の歴史から始まって、生物の誕生、動物の誕生と進化など、初歩的なものである。その中でも絶滅した動物たちに関心を寄せている。

 何億年という生き物の長い歴史は進化と絶滅の繰り返しである。
 5億年ほど前にカンブリア大爆発という生き物の急激な多様性が生じて、現在知られているほぽすべての生き物が出揃つたといわれている。
 それ以降、生き物の種の7-9割が絶滅した大量絶滅期が5度起きたといわれている。
 その5番目が隕石の大衝突で生じた6500万年前の白亜紀末の大絶滅でこの時に恐竜か絶滅した。これ以降哺乳類が一気に増え大型化した。

 現在は第6番目の絶滅期を迎えてる。国際自然保護連合(IUCN)が評価した種の25%以上が実際に絶滅の危機にあるという。これらの種は、人間があらわれる以前の絶滅の数100倍ものスピードで絶滅していく。
 多くが、低危険種→近危急種→絶滅危惧種→近絶滅種→絶滅種にランクアップされていく。

 本誌は恐竜図鑑・百科などとともに購入した数冊の一つ。



 著者の川崎悟司氏は1973年、大阪府生まれ。古生物研究家。古生物イラストレーターとしても活躍している。
 化石の発見やその後の研究により、その昔確かに地球に生息したとされている動物たち。現生種を思わせる姿形をしながら、どこかちょっと滑稽なその動物たちを紹介している。

 5億年前、生物の急激な多様化が起こった古生代から、恐竜が出現・繁栄した中生代、そして恐竜が絶滅した以降、哺乳類が大型化し、ヒトが出現した新生代と、生命の歴史をたどりながら、著者選りすぐりの113頭を詳細な復元図とともに解説している。例えば、
 ●恐竜をエサにしたカエル
 ●へその緒を持った魚
 ●空を飛ぶ爬虫類
 ●推定体重1トンの巨大ネズミ 
 ●歯が螺旋状に生えたサメ
 ●頭にリボンをのせたキリン
 ●4本足で地上を歩いたアザラシ
 ●シャベルを持った象……

 本書はイラストだけ見ても十分楽しめる内容であるが、それぞれの動物につけた短な解説文が意外と充実している。古生物へのロマンがあるれてくる。
 本当の姿を誰も似たことがない古生物の想像図。イラストであるが、色彩豊かでいろんな想像が自然に湧いてくる。実にリアルで古代に思いを馳せてしまう。
 大きさを比べる為に人間の女性が並べられているのもいい。

 近世以降に滅んだものを除けば、ほとんどの絶滅生物はその生態や姿かたちを知るすべがない。しかしこの本に登場した生き物たちは、川崎氏の温かみあふれる筆のもとで実に生き生きとしている。
 古生物学の入門書として、また「いのち」の連なりに思いを馳せる文献の一つである。


8/23(日)快晴 庭で焼肉パーティ 
0:30飯川病院起床、本読み、データ整理他。外来コンピューター調整。散水。5;17患者死去、確認。9:10レガシー帰宅。ダリアに追肥、散水、ガレージ整理。12:15NHKのど自慢、特集番組。微睡、14:00蛍光灯など解体廃棄。読書進める、データ整理、読書中心。18:00庭で焼肉パーティ下準備、19:00ビール100ml泥酔就寝。歩行Σ11277歩。

イヌの飼育は、思春期児の「しあわせ感」維持に貢献する ネコは??
 「思春期の子の幸福度はイヌを飼うことで高くなる。」
 そんな研究結果が大学や東京都医学総合研究所などの家庭環境調査から明らかになった。 

 ペットを飼うことで幸せを感じる人は多いが、その仕組みはよくわかってはいない。
 従来の研究ではヒトはイヌと見つめ合うことでオキシトシンが分泌されることがわかつている。オキシトシンは社会行動の積極性を高める作用が確認されている。 

 研究では、東京大など3機関が2012年度から行っている「子供の発達を支援するための調査結果」を活用した。
 この調査は、10歳の子のいる家庭を無作為に選び、質問票やインタビューを通して家庭環境を調べたもの。

 この中からデータのそろつた約2600家庭について、10歳の時点でイヌやネコを飼っているか、10歳と12歳の時の「幸福度」を点数化して行なった。「幸福度」はWHOの基準によった。 

 楽しい気分だつたか、よく眠れたかなど、過去2週間に幸せを感じたかを6段階で評価した。
 家庭環境を
 (1)イヌもネコも飼っていない
 (2)イヌを飼っている、
 (3)ネコを飼っている、の3群に分けた。

 一般的に人の幸福度は自我の形成とともに10歳ごろから徐々に低下する、とされる。
 3グループの中でイヌを飼う家庭の12歳児の幸福度の低下度が最も低かつた。

 子の性別、兄弟の有無、親の年齢や収入などの影響を除いてデータを補正しても結果は変わらなかつた。 

 イヌは最も古くから家畜化された動物のひとつ。
 イヌと人とは日常的に旺盛にコミュニケーションをはかる。犬と共生することにより交わされるコミュニケーションはヒト同士のコミュニケーション能力をも円滑にする働きがあり、人間関係から派生してくるストレスが軽減されるからではないだろうか、と考察できる。
 これに関する論文は https//www.mdpi.com/1660-4601/17/3/884 で読むことができる。

 我が家の孫達4人はボーダーコリー犬3匹とともに暮らし、成長してきた。別の孫一人はイヌもネコも飼っていない。ジジイの立場から贔屓目に見れば前者の孫たちはより活発に見えるが、基本は性格的な差異であり、犬の影響が有意に出ているかわからない。

 加えていえば、私はネコと暮らした期間が長いが、私はネコから学んだのは自己中心的、孤立を好む生活であり、コミュニケーション能力は全然伸びなかった、と言える。ただ、ネコのさりげない日常の仕草を見て私が「しあわせ感」を感じているのは確かである。


8/22(土)快晴 飯川病院日当直
 1:15起床、新聞・文献他、本読み。散水日差しは強く汗びっしょり。ガレージ整頓、岩手で用いていた台所用品、瀬戸物廃棄多数。11:30レガシー飯川病院へ、12:00日当直に就く、検食、新聞チェック、微睡、読書三昧、18:00検食、20:30就寝。歩数計5518歩。

本 福田幸広著 写真集「動物たちのしあわせの瞬間」NG社 2016年 3200円(2)

 本書は動物たちの「しあわせ」感を彷彿とさせる瞬間の表情を集めている。確かにそのような表情が見える。しかしながら、動物たちにそのような感情があるかは疑問である。
 私もペット歴は長い。イヌ、ネコを始めウサギ、金魚、熱帯魚など、いつもなんらかのペットを飼っていた。それらのうち大部分では、怒りや恐怖感、食後の満足感、快適感を表情から感じ取ることができた。
 しかし、幸福感と思われる感情は一度も読み取れなかった。

 動物の「心」は、本来異質である人間の心理や感情からから類推できるものなのか??私はできないと思う。

 私は極端なことをいえば、同じ人間であっても、他人の、いや、家族であってもそのなかの心を読み取ることは全くできない、と達観している。その人が幸福であるかなどは考えても無駄である。本人が言葉とか文章とかでそういえばそうだろうと思うだけ。

 ましてやペットである彼らの心などわかるわけはない。私はペットの気持ちといえば、安全性、快適性に加えて安定的に餌をもらえればそれで全て充足、と思っている。その範囲の中でより都合のいい飼い主に擦り寄って生きている、のだろうと思う。

 ペットに対して「かわいい」というのは飼い主の勝手な気持ちであって、動物の理解に人間本位の感情を押し付けないことだ、と思う。

 写真集「動物たちのしあわせの瞬間」をまとめた福田幸広氏もおそらく動物たちは「しあわせ感」など持っていないとわかった上で、見るものをほっとさせるような表情を収集されたのだ、と思う。私は、この画集は見るものを「しあわせな気持ち」にさせるという十分な意義があると思っている。

 動物心理学の分野には擬人主義が入り込んでいる。
 動物心理学は、動物がヒトと同じような行動をする場合には、その背景にある意識も同じと類推できると考えた。
 実は、これが一般の人が動物と接する時にしている、ごく自然な考え方である。そして、ペットや動物たちに「かわいい」という感情を持つ。しかし、そのことこそが問題の根本原因なのだ。

 ペットに名前をつけること、「うちの子供達」などと呼ぶことなどで感情移入が始まる。
 イヌやネコはうれしいときには人間から見て喜んだような顔をし、痛いときには痛そうな表情する。だから、動物の気持ちを類推することが全くできないわけではない。だから、動物に人間同様の心がある、と多くの人が考えたくなる。 

 動物とも、「わかりあえると思い込む擬人主義」こそが動物やペットをきちんと理解するする理性を曇らせてせてしまう。 


8/21(金)快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア  
 1:20起床、新聞・文献他、本読み。5:10可燃ゴミ提出。7:30Taxi駅東、8:11こまち、9:00-12:00大曲中通病院、駅病院間往路Taxi、復路徒歩、秋田も徒歩。業務用スーパー経由、13:30飯川病院ボランティア。18:45帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計16458歩。
大曲にiMac21交換す。飯川外来にはMacMiniセットする。

本 福田幸広著 写真集「動物たちのしあわせの瞬間」NG社 2016年 3200円(1)

 福田幸広氏は1965年生まれの動物写真家。現在は動物、水中、風景の3本柱で取材を行う。主な著書に「うさぎ島会いに行けるしあわせ動物」(NG社)、「PENGUIN LAND ペンギンたちの国」(青菁社)、「ウマがうんこした」、「ねむいんだもん」、「オオサンショウウオ」(そうえん社)、 『うさぎじまのうさぎちゃん』(小学館)など。 (出版NG社 =ナショナル ジオグラフィック社を示す)

 私は氏を知らなかったが、本年6月2日ラジオ深夜1:00am「便動物たちの幸せな瞬間を撮り続けて」と題したインタビュー番組を通じて知、甚く興味を持った。

 動物たちに「幸せな瞬間」が果たしてあるのか?
 私は動物たちにはそんな感情はないと思っている。ただ、見る私たちが動物たちの姿に擬人化して感情移入している、だけと考えている。その立場でこの写真集を見ても動物たちの表情に人為的なものはなく、本当に「幸せな瞬間」を味わっているような気がする。

 本書は30年近くにわたる撮影活動による作品を収めた写真集。250ページ余、A4版、数100葉の作品を掲載している。紙質のためだろう、通常の本よりずっしりと重い。


 写真の撮影は、山あり、海あり、極地ありで、絶壁あり、マイナス20℃を下回る雪山、標高4000メートルを超える高山、熱帯ジャングル・・・厳しい環境の中で数週間にわたり待ち続けて得られた貴重な瞬間の記録である。

 ページをめくリその動物たちのリラックスした姿を見るたびに、私は幸福感に満たされた。

 「はじめに」より、著者の意向を知ることができる。
 動物たちは、親子で寄り添い、遊び、眠り、恋をする。「そこに暮らす動物たちは、実に生き生きとしていた。満たされるだけ食べ、穏やかに眠る。日だまりで無邪気に遊ぶ子どもたち。大人たちは誰にはばかることなく愛を叫ぶ。膨大な時間をフィールドで過ごしたことで、彼らは懸命に生きている証しを私に見せてくれた。」

 福田氏はこの動物たちと同じ環境下で過ごし、野生動物に溶け込んでから撮っている感じで、野生の動物もリラックスした感じで、本来の姿の一瞬が写ってる感じがする。余人には真似のできない作品である。

 動物たちには温かな眼差しが感じられる、表情がある。
 食べる、眠る、恋、子育てなど14の章に分かれ、空と陸と海に住む動物たちの日常が、美しい写真とメッセージで綴られている。ページをめくるごとに動物たちの豊かな表情に驚かされ、そして何とも言えない穏やかな気分に浸る。ただ自然に生を営んでいる姿、それ自体がいのちあるものにとって幸福な瞬間なんだと気付いた瞬間でもあった。


8/20(木)快晴暑い 終日飯川病院勤務
1:00起床。文献・新聞ほか処理、読書。自炊多数、畑、収穫。8:07家内に同乗飯川病院へ。本日は院長受診、生検とのことで終日飯川病院勤務。入院外来患者対応、書類等処理。散水、19:00佐野薬局経由帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計10202歩。

心理学を学ぶ(32) 「差別の心理」(6) 「自分は常識人・・」、に由来する優越感

 差別に結びつく心理として、「自分は常識人」であるという判新に潜む差別感情態度は極めて危険である。
 常識人であるという言葉が持つプレッシャーは特に日本の社会では大変なものである。

 なぜなら 差別問題におい「自分は常識人」である判断基準を当たり前のように、非反省的に使って世を批判いたくてうずうずしている人は多数いるからである。最近のネット中傷などこれに由来している。

 それは世の中で古くから言い伝えられてきた常識的因習などを背景にしている。例えば、男として外で働くのは自然のことだ、女は子供を産むのは自然のことだ、義務教育の間は学校に行くのは当たり前だ、そんなことは日本人として不自然だ、・・・というように、そう主張する人は、自分の考え方が自然である、という言葉を用いることによって、すべての議論を終らせようとする。よく考えない、怠惰な人達なのである。 

 「自分は常識人・・」という人は、そこに潜む間題をあらためて見なおすことを拒否し、思考を停止させている人である。常識的考え方を背景に、その鈍い刀ですべてをなぎ倒す。あたかもマニュアル重視者がマニュアルを遵守することだけを重要と考え、ほとんど応用力を持たない状態に陥っているようなものである。 

 差別を論じた時に、相手が「自分は常識人・・」という言葉を使用したら用心しなければならない。差別感情の考察においてこのような人たちは差別問題を真剣に考えている人にとって最も手ごわい敵でもある。 
 なぜなら、彼らはまったく自らの脳髄で、あるいは心を駆使して思考しないで、ただ世間を支配する空気に合わせて少数派を裁いているのだ。だから、罪が重い。
 しかも、そのことに気づかず、気づこうとしないのだからさらに罪が重い。

 息子に家出されたある父親は「私が彼に求めた要求は、ほぼあたりまえの常識的なことじやないか!!!」と述べていたが、そういう考えが息子を追い詰めたのだ。そのことを今だに父は自覚していない。その父はもう十分すぎるほど苦しんでいたが、考えを変えることがなければ、息子の気持ちを死ぬまで理解できないのだろう。 
 
 差別に対峙とき、最大の敵はよく考えないことである。あらゆる差別問題はよく考え
ないこと、すなわち思考の怠惰、思考の停止から発生する。
 
 差別について、差別の対象者についてよく考えれば、すさまじく複雑に入り組んでいる問題が鮮明に見えてくる。よく考えない者にはそれが見えてこない。見えてこないから 単純に思い込む。
 こういう怠惰な人達が差別における最大の加害者である。
 しかも、自分が加害者であるとはちっとも思つていない、鈍感きわまりない加害者である。だから差別問題は根が深い。


 8/19(水)快晴暑い 午前歯科受診 午後飯川病院ボランティア
0:30起床。文献・新聞ほか処理、自炊、読書。畑、庭に散水。収穫、10:30-11:00歯科受診、メインテナンスが主。次回は11月に。11:50バスにて飯川病院へ。ボランティア。検食、微睡、新聞チェック、書類等処理。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計9742歩。

心理学を学ぶ(31) 「差別の心理」(5) 自尊心=差別感 だから差別は無くならない
 心理学の中でも「差別感」はとても重要だ、と思う。あらゆる心の働きにリンクしている。「いじめ」にも深い関係にある。

 差別感のルーツは格差の自覚に起因する。その格差の気持ちは「自尊心」、「優越感」、「自己肯定感」、「プライド」・・・などの言葉と置き換えられる。多少のニュアンスの違いがあるが大きな問題問題ではない。
 
 人は「自分の存在を価値あるものとして肯定したい願望」を意識的、無意識的にもっている。これが人だけにある「自己肯定感」にほかならない。これは人間だけに備わった「今以上に良き状態を求める」という欲望にも結びつく。すなわち、人間に備わった「エゴ心」である。

 いい面で言えば、文明・文化の発達のルーツであり、他人より優位でありたいという差別感のルーツである。
 マイナス面で言えば、人間の「エゴ心」で、例えて言えば、地球環境は「エゴ心」のためどんどん悪化、■採取・乱獲、■森林伐採、■環境汚染、■温暖化、■不用意な外来種導入、■里山の管理放置・・・などをもたらし、他の動物の存在を脅かし絶滅にいたらしめた。いや、人間自身が「エゴ心」のために絶滅品種の一つ、となっている。

 成長過程で身についた、自分に対する「肯定的感情」が、実は後の差別のルーツでもある。他の動物にはない感情とされている。彼らには差別感なんてないのだ。
 我々人間には、「今以上によりよきものを目指す」という欲望が普遍的に備わっている。人間の知能、心理はそこまで発達している。誰もが、自分に対する肯定的感情を備え、それを元に前向きの意欲が出る。

 われわれ人間が「より良い状況を目指し続ける限り」差別は無くならない。「より良いこと」の背景には「より良いことではないこと」を否定し、押しのけ、それを凌駕し続けなければならない。これが差別感である。

 一般的に、常識人や教育者達は「差別感を抱くことは良くないこと・」、「差別感を教育とかを通じてなくしなければならない」との主張するが、これは正しくない。その主張している限り差別はなくならない。

 「いじめの根絶」、これも重要なテーマであるが、差別感情がある限り、差別感情があるから人は生きられるのだから、いじめは複数の人間がいれば、多数の人間がいればなおさらのこと、その間で生じて当たり前。だから、「いじめ」も、「不和」も「DV」も決してなくならない。


8/18(火) 快晴やや熱い 中通病院外来 飯川病院 
 2:00起床,論文読み、データ処理・整理他、自炊数冊、可燃ゴミ提出、6:47バス飯川病院。8:45-13:50中通病院外来。盆明けで混雑、疲弊。14:00飯川病院、14:00-19:00勤務、入院患者対応、散水ほか。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計6440歩。

なんと!! 飯川病院の検食にうな丼(2) うなぎの完全養殖の現状
 私どもが食べているウナギは全て天然ウナギである。
 養殖、養殖と言われるから、うなぎは養殖されているだろうと考えている人が少なくないが、浜松等の生産地では各地の沿岸で漁獲された幼魚のシラスウナギを養殖して成魚にして出荷しているだけ。

 昨年、うなぎの完全人工養殖についての現況を調べた。
 なかなかよく記述できたので再掲する。
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 日本でのウナギの人工生産の研究開始からおよそ40年を経た平成14年、世界で初めてシラスウナギの人工生産に成功した。農林水産省の報告書によると、平成22年に 完全養殖を達成した、という。

 ウナギの養殖産業にとってはシラスウナギを安定的に確保が年々困難になり、ニホンウナギはクロマグロとともに「絶滅危惧種」に指定された。
 ウナギの人工的な完全養殖を求める声が高まった。

 ウナギの完全養殖はとても難しいらしい。
 新聞記事などをもとにまとめて見た。
 ■ ウナギの繁殖生態はよく分かっておらず、最近までどこで生まれるのかさえ不明であった。ウナギから卵をとるには、まず性成熟させて卵を産める状態にする。人工飼育では性成熟の進行や産卵を起こすホルモンによる情報伝達系が正常に働かなくなる。まずそれに対する研究と技術開発が必要であった。

 ■ウナギは養殖環境ではほとんどの親がオスになる。人工飼育でも同じだったため、母親候補のウナギには成長期の初期に女性ホルモンを加えた特別な餌を与えメス化するなどの研究も進めた。

 ■さらに大変なのは、ふ化した仔魚の飼育。人工ふ化仔魚がサメの卵を食べることがわかり飼育が可能となった。サメの卵などの材料を調製した餌を2時間間隔で1日5回、長いガラスのスポイトで静かに流し込む。水槽内は常に清潔に保つのは勿論のこと、光の色もアクリルの円形水槽も、注水装置も試作・改良を繰り返した。

 ■シラスウナギ量産化への課題
 こうして世界で初めて人工養成ウナギから人工受精によって世界初のふ化仔魚が誕生し、完全養殖に成功した。

 ■課題は人工シラスウナギの大量生産をいかにクリアするかで、まだ解決には至っていない。まだ1万匹程度の生産だというが、日本の食文化であるウナギ安定供給のためには1億匹は必要と言う。本格的な実用化には費用や技術の面で多くの高いハードルがあり、実現は容易ではない。仔魚の飼育に必要なサメの卵などの入手も困難。関係者はさらなる技術の確立に力を注いでいる。

 上記が日本ウナギの完全養殖の概要と到達点である。
 関係者の努力には頭がさがる思いである。

 かつてはクロマグロの完全養殖も同様の困難さを抱えていたが、今では商品化されるにまで至っている。

 私にとっては、日常の食材としてウナギもマグロも必要ない。日本の漁業は危機に瀕している。TV、雑誌、新聞などを見ても食に対する情報ばっかり。なんでもお金さえ払えば手に入る現場で、食料に関しての危機意識が乏し過ぎるように思う。

 日本人は食べることにしか興味がないのか?とさえ思ってしまう。
日本人の食を考える(1) 日本人は食べることにしか興味がないのか?


8/17(月)夜半から小雨、午後から晴れ 健康クリニック 飯川病院勤務
 1:00起床。文献・新聞、医学論文チェック、先週分溜まった文献その他電子化。降雨ありレガシーにて出勤。飯川病院着。新聞切り抜き、9:00-11:30健康クリニックドック13名、結果判定昨週終了で無し。11:45飯川病院、入院患者対応、花壇に散水。読書、微睡、新聞切り抜きなど。14:00-19:00勤務。当直医来院まち19:30帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計7949歩。

なんと!! 飯川病院の検食にうな丼(1) 2年ぶり再会す
 8/14 (金)飯川病院はお盆休みであった。通常は大曲中通病院内科外来に診療応援日であったが、飯川病院の日直医師の人グリがつかず、大曲を休診にして飯川病院の日直に就いた。
 12:00昼の検食に、なんと!!! うな丼が出た。うなぎとは2年ぶりの再会、お互いの無事を喜びあった。ご飯が見えないほどのサイズ、厚さもリッチ、ふわふわの食感で最高に美味かった。


 私はウナギが好き。しかし、昨年のうなぎ狂騒を呆れて傍観していた。同時に、今後は口に入ることもなかろう、絶滅に近いのであればそれもやむを得ないと諦めていた。それが丼の蓋の下にいた。びっくりした。

 今年は、ニホンウナギの稚魚シラスが豊漁とのことで、今夏の土用の丑の日は前年より安くなりそうだのニュースには触れていた。実際は食べていなかった。
 不漁であった前年に比べ、今年の国内の稚魚の漁獲量は約4倍に増え、取引価格は大幅に下がった。国内の養殖場は稚魚で満杯となっているという。

 食卓に上がるうなぎの9割は12月から翌春にかけて海や川にいるシラスウナギを捕獲し養殖場で半年ほど太らせて出荷する。
 静岡県の3月末までの漁獲量は前年同期の3.5倍、高知県の漁獲も前年の約5倍。 

 稚魚の豊漁で取引価格が下がった。同年まで2年連続でKgあたり平均200万円を超えていたが、今季は12月が110万円、2月には35万円ほどにまで下がった。

 今年は日本に限らず 東アジア全域で豊漁だという。
 うなぎは日本から約2000Km離れたマリアナ諸島付近の海域で生れ、海流に乗ってアジアに来る。
 日本で消費するうなぎの半分近くが中国産。前年までは在庫が枯渇していたが、業界筋によると今後3年間は蒲焼の供給に不安はない、という。

 ただ、ニホンウナギの漁獲量は激減している。最近、科学的検討から絶滅危惧種に指定された。アジア地域に生息するニホンウナギの資源が減った要因には河川の環境変化なども指摘される。しかし、量大の要因は過剰な漁獲にあるとされている。特に日本の食生活が果たしている責任は大きい。親うなぎを保護し、シラスを捕獲し過ぎないよう、資源保護のためにも悪循環を断たねばならない。

 水産庁の推計によると、大雑把な統計では1960年代に比べると60分の1ほどという。
 
 7月27日は土用の丑の日、例年うなぎの消費量はピークを迎える。土用の丑の日は江戸時代からの風習なのだそうだが、商業主義的イメージに加え、食品軽視、遊び半分のイメージが払拭できない。私は、丑の日や恵方巻きなど特定の食品を食べる日などは不快に思っている。

 完全養殖によって生産されたシラスウナギの供給はまだ試験段階である。

 先日うなぎと久々再会した。しかも病院食として。驚いた。
 今年のうなぎの状況について若干調べてみた。


8/16(日)曇り快晴暑い 
 1:00起床、新聞文献チェック。本読み、データ整理他。趣味の園芸自炊。午前、散水、ダリアのケア。収穫。10:00畑周辺の草刈り、追加。ナイロンブレードホルダー注文。午後は微睡のちガレージの2F中心に整理、16:00新聞切り向き作業など。19:00夕食。20:30就寝。歩行Σ9278歩。10日以降の盆中心の非日常的生活は本日で終了。徒歩12467歩。

75回目の終戦記念日(2) これからの平和の維持はどうすべきか
 戦争は国民にとっては不幸な現実に陥る。新聞の論調を見るとこぞって我が国は過ちをおかした、過ちを二度と繰り返さないと、誓いを新たにしたい、との論調である。
 
 そうだろうか。欧米列強の中で孤立を求められ、日本は生きる道を求めて開戦に至ったもの。確かに今からみれば戦争回避できる機会はあったかもしれない。

 最近、以下の書を求めて読んだ。
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 油井大三郎著、「避けられた戦争―1920年代の日本の選択」(ちくま新書)で近著である。
 いまから100年前、ヴェルサイユ条約が発効し、国際連盟が発足して軍事力と植民地権益を基軸とする19世紀的な国際政治が変化をとげる時勢のさなかにあった。ところが11年後満州事変によって日本は世界の潮流から離脱、やがて国際連盟も脱退して自ら孤立化の道をたどつてゆく。 
 この過程に起こつたのは軍部の暴走による全面戦争の可能性を退ける選択肢があり得たのではないか、という考え方を著者はとる。
 1924年の排日移民法などで日本が首を絞められつつあったともされるが、日本の対外権益を最重視する19世紀的な外交忌考にとらわれていたことを明らかにする 
 具体的にはどう対応すればよかつたか。中国は国家の統一をめざして国権回復運動
が起きたが、欧米諸国と協調して中国ナショナリズムに対応すれば1930年代の満州事変や日中戦争は回避できたとの考え。
 1925年の北京関税特別法に英米と協調して中国の関税自主権の回復に応じていれば日中の軍事衝突は回避できた??
 もう一つは1930年の日華関税協定で、この時満蒙特殊権益の一部返還で合意が成立すれば日中関係は修復可能だった??などなど。 

 歴史には「もし・・」ならばという考え方は成り立たないとされるが、歴史を学び直す価値は大きい。

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 最近の世論調査では、日本が75年間、戦争をしなかった理由について「憲法9条があったから」と答えた人が最多の47%だった。次に多かったのが「戦争体験者や被爆者が悲惨さを訴えてきたから」の23%であった。
 平和主義、戦争放棄を掲げる憲法と太平洋戦争への反省が深く根付いていることがうかがえる。しかし、戦後75年間戦争をしないでこれた理由は、日本を取り巻く世界情勢が微妙な非戦のバランスを保ってきたことにあると思われる。

 その中で大きな意義を果たしてきたのは日米安保の存在であろう。
 私は、日米安保は日本を守るためにあるのではなく、米国自身のためだ、と思っている。米国が自由社会の大義を守るために地理的位置付けから日本が必要なのであり、日本の危機のために米国民が犠牲になる道は取らない、と思う。
 しかし、近年米国の力には陰りが見られる。多分、日米安保はより関係の薄い方向に変化していくだろう。

 北朝鮮の非核化に向けた米朝交渉は頓挫している。米中ソ関係の悪化も進む。
 日本に求められるのは関係改善に向けた外交努力ではないか、平和を守るには平和的な手段がふさわしい、というのは簡単だが、それで我が国がの安全が守れるのか?

 戦後75年の節目に、私は勉強し直す必要があるようだ。


8/15(土)ポツダム宣言受諾終戦の日 曇り晴れ 畑周辺の草取り
 1:30起床、文献・新聞チェック等、本読み等。午前は自炊ほかデータ化と整理。午後晴れ間あり。草刈り開始するも電動草刈機不調、補修試みるも完全昇天、部品取りにする。飯川病院に新草刈機とりにいき調整。夕方畑周辺の草刈り。雑草に覆われたネギは脆弱。腰が弱い。19:30家内帰宅待ち夕食、21:00就寝。歩数計8890歩。

75回目の終戦記念日(1) 平和は維持された
 本日75回目の終戦の日を迎えた。敗戦という表現も使われるが戦争には勝ち負けがあるのだろうか?疑問である。あるのは悲惨さだけである。

 我が国国民は東京無差別絨毯爆撃、沖縄戦、そのほかを含め、2発の原爆で戦争の愚かさを国民は十分に味わった。ただ、米国のこのような作戦は全て国際法違反であった。東京裁判では戦勝国側の論理のみで結論が導かれたが、これも認めがたい史実である。
 
 GHQによる民主主義が押し付けられたが、結局その前があまりにもひどかったから日本人の多くは思考停止に陥り無批判に民主主義に変わって行った。そこまで国民の意識が成熟していたのかは疑問である。結果として、民が主権者として進路を決める民主社会へシフトしたのは良かったと思う。
 ただその後現在まで民主社会が成熟してきているのかは疑問である。

 ことしのコロナ禍を受け、一部の政治指導者は事態を戦争に例える発言をした。また、昨年議員の一人が領土返還交渉を話題にする際に戦争を持ち出したが、社会を不安や不満が覆うとき、政治家が勇ましい言葉で気を引くことは珍しくないが、常識を疑ってしまう。

 日本は当時の軍部の世論指導、マスコミの追従などあって国民の大部分が戦争を志向していた。当時は簡単に異議を唱える時代ではなくなっていったが、国民は開戦に向けてほぼ一体化していた。国民自体が情報不足もあって狂っていた。治安維持法などにより、言論が厳しく取り締まられた時代である。軍部が情報を操作し、新聞を含むメディアは真実を伝えず、国民は多くを知らないまま一色に染め上げられた。
 開戦して溜飲を下げた人が多かった。
 まず国民はその歴史に振り返ってみなければならい。

 ドイツではヒトラーを盟主とするナチスがホロコーストを含め暴挙を繰り返した。ドイツはナチに責任を押し付ける政策をとって国際社会に復帰したが、ナチの台頭を熱狂的に支えたのはドイツ国民のほぼ総意でであった。

 戦争遂行中は軍部が暴走した。いのちは軽視され結果的に300万余の国民の生命は失われた。犠牲者は日本人だけではない。
 この時代の中にいた指導者たちの思考過程は、求めて読んで勉強しているが、私はいまだに理解し得ていない。
 戦争の理不尽さや悲惨さを語り継ぎ、世代を超えて記憶を共有して教訓を学び続けたい。

 今は時代が変わった。同じ思考にはハマらないとは思うが、国民は政治を冷静に見極める必要がある。戦後民主主義の理念は、あの戦争から学んだ社会の安全装置の一つである。
 いま世界では、自由社会と、画一性を強いる強権社会がある。その間で米中ソの「新冷戦」と呼ばれる覇権争いが起きている現実は嘆かわしいが、歴史が人間社会のバカさ加減を示している。集団となるとバカが台頭してくる。歴史の勉強は人のバカさ加減の振り返りである。

 日本では不戦の誓いと民主主義とが結びついた平和思想は、国民に浸透しているといえるだろう。

 ただ、不戦の誓い、平和思想だけでは平和は守れるのか?これも疑問である。


8/14 (金)曇り午後から降雨 大曲中通病院外来休診→飯川病院日直
 0:30起床,文献・新聞ほかこなす。5:00家庭ごみ廃棄、ダリアのケア、8:42バス飯川病院、9:00日直に。本日は飯川病院は盆休み二日目。本来なら大曲中通病院外来担当であるが日直医の人ぐりつかず休診として飯川病院日直に就いた。 12:00検食、なんと鰻丼が出た。美味かった。データ整理と読書三昧、19:30帰宅。21:00就寝。歩数9436歩。

心理学を学ぶ(30) 「差別の心理」(4) 自分の優位性、自尊心から
 心理学の中でも「差別感」はとても重要だ、と思う。あらゆる心の働きにリンクしているからである。

 差別感のルーツは格差の自覚に起因する。
 他者との比較において自分自身に対する優位性の自覚である。自尊心と言い換えてもいい。自尊心はさらに「自己肯定感」、「プライド」と置き換えてもいい。
 
 自尊心とは、一般的には、自分を他人より高く位置付けようとする感情ないし態度のことで、人は自分の存在を価値あるものとして肯定したい願望を意識的、無意識的にもっている。これが人だけにある自尊心にほかならない。
 自尊心のスタートは、ほとんどの両親が自分の子供に与える好意的評価の表現にあると思われる。親は可及的豊かに新生児に話しかけなければならない。親バカ的表現でもいい。とにかく褒めることである。子供たちは、こうした価値づけを全面的あるいは部分的に受け入れ、それ以後の自分の成長、経験と評価をそれに一致させようと努力する。
 したがって、幼少時に両親が子供に頻繁に否定的な評価を与えれば、子供は自分自身に対するこの見方を後世まで受け入れてしまい、自分をだめな人間と決め込んでしまい、自尊心の低い人間になる。

 「自尊心」が表す意味には「尊大である」という否定的ニュアンスが伴いがちであり、そのため「自己肯定感」や「プライド」などの表現が用いられる。

 成長過程で身についた、自分に対する肯定的感情が、実は後の差別のルーツでもある。動物と異なる所以でもある。我々人間はよりよきものを目指すという普遍的に備わっている。人間の知能、心理はそこまで発達している。誰もが、大なり小なり自分に対する肯定的感情を備えている。

 我々人間が「成長の過程で、生活の過程で、より良いことを目指し続ける限り」差別は無くならないであろう。「より良いこと」の背景には「より良いことではないこと」を押しのけ、それを凌駕し続けなければならないからである。


8/13 (木)快晴暑い 飯川病院お盆休み初日 飯川病院日直
1:00起床,文献・新聞ほかこなす。早朝涼風あり快適だが秋の訪れ怖い。8:42バス飯川病院。9:00-17:00日直。患者は落ち着いている。散水など。19:00迎えあり帰宅、19:30夕食、20:45就寝。歩行Σ7944歩。

心理学を学ぶ(29) 「差別の心理」(3) 優位性の意識から
 「心理学を学ぶ」は今年の3月から。新型コロナについての勉強も必要で、なかなか進んでいない。
「美しいとは何か」、「匿名での行動」を取り上げたが、最近は「差別」について考えている。
 
 心理学の中で差別感はとても重要だ、と思う。
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心理学を学ぶ(27) 「差別の心理」(1) 「偏見や差別」は生きるエネルギー源(8月5日)
心理学を学ぶ(28) 「差別の心理」(2) 「偏見や差別」は社会集団にも生じる(8月6日)
―――――――――――――――――――――――――――――

 私は差別感というのは個人の自我の形成に伴って必ず身につくもので、個々人が生きるエネルギーであり、あらゆる場面で、心の表に出てくるものだと思う。

 まず、私は差別について語るときに、差別感情を抱くのは人間として当然のことと認めよう。そこから始めなければ進められない。だが、その感情をネガティブな行動に、例えば「いじめ」、「ハラスメント」等に、結びつけていいということとは決して同格ではない。

 国際的な差別問題でも、ナショナリズム、人種差別、国別の差別、肌の色による差別感、歴史観、経済格差など。かつての日本人は経済的優位性で他国を差別していなかったであろうか。GNPなどの指標が次々と中国に抜かれる現実にショックを受けていないかな?これからは差別を受ける側になるかも。
 国内問題でも差別部落問題、アイヌ民族に対して差別感はないか?能力、家柄、収入とか父親の社会的立場を背景にした差別感はないか?男社会の優位性を感じないか?

 差別問題といえば常に差別感を無くそう、という話題になる。
 我々は差別感解消を求めていくのではなく、各人が心理の内に持っている差別感情について徹底的に考え、それを足蹴にすることである。尤も、足蹴にしても解消には結びつかないだろう。差別感はあって当たり前、なくすることはできないのだ。
 問題にすべきは差別に起因する行動をいかに抑制できるか、にかかっている。

 「差別感」をわかりやすく論じるには「格差」を背景に考えるのがわかりやすい。
 
 自我の中においては自分の優位性を模索し、自分を他者や外界から区別して成り立たせる格差の発見は、行動や意識の主体となる。精神分析でいえばで、現実への適応を行わせる精神発達の一側面である。その時に人は必ず他に対する格差、優位性を意識する。

 「差別感」を「格差」を背景に優位性の意識と考えるのがわかりやすい。
 自分自身に対する優位性の意識、他者に感じる劣勢の意識が差別の意識を形成し、自分が存在できるエネルギーの元になる。
 あらゆることで、優位性を意識しなくなる時、自分の存在意義が乏しくなる。


8/12(水)早朝幸運、午前から晴れ 飯川病院ボランティア
1:00起床,画像データ整理、文献・新聞ほかこなす。6:00トマト・キウリ収穫。8:20ダリアの世話、11:50バス飯川病院、郵便局から江岸寺当て書留送付。12:30:飯川病院ボランティア。リッチに座学、至福の時間過ごす。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。歩行Σ9232歩。

新型コロナ(75) 墓参り2020 墓参初中止 ミニ家族旅行も中止
 私は、物心つくころからお盆の墓参は欠かしたことはなかった(はずである)。
 昭和40年前後までは祖父母中心、昭和58年迄は父母中心、それ以降は私が中心になって墓参を続けてきた。平成10年頃からは子供たちも就職や修学のために家を出たのでそれ以降は繋温泉、花巻温泉郷とかに宿を取り1-2泊のミニ家族旅行とした。

 平成20年以降は孫もぞくぞく生まれ、その頃からは墓参のための小旅行、家族同士の親睦という静かな小旅行が、孫を中心とした喧騒旅行に様変わりした。最近は家族も増えて総勢12人となった。孫たちの活動力にはほとほとついていけないものがある。

 今年は新型コロナ蔓延のために実行が危ぶまれたが、計画だけは立てておかないと何も生まれない。いつものように繋温泉、花巻温泉郷のホテルを確保しておいた。しかしながら新型コロナ感染状況は東京圏を中心とし憎悪傾向が出てきた。

 新型コロナ感染対策は基本的に人間の移動の制限、3蜜の回避しかない。
 緊急事態宣言解除後は特に若い世代は油断し、3蜜は当たり前、マスク、フェイスシールド、窓口のアクリル盤などの効果はやらないよりはいいだろう的レベルである。現に感染対策OKのお墨付きをもらった店からも感染者が出ている。尤も、実際にはどう対策されているか、「接待を伴う・・」と微妙は表現がされる店舗などでがマスク、フェイスシールドでことが足りるわけがない。
 経済活性化のためにGoTo トラベル政策も始まったが、感染抑制のためにはちょっと早かったと思う。各地の医療機関が破綻する可能性がある。

 そのような感染状況を受けて、次男が勤務する大学病院、私が勤務する中通総合病院、家内が勤務する飯川病院も県外への移動は原則禁止、家族以外との外食・飲み会が禁止されている。県外からの家族の帰省、来客の受け入れも要注意ということであった。

 上記の事情から、横浜在住の長女夫婦は帰省しないこととなり、秋田在住の家族も岩手へは出かけないこととし、7月末日に旅券やホテルをキャンセルした。
 
 菩提寺である岩手県紫波郡の江岸寺には本日現金書留で「志」を、別便でお茶を送った。今年はこれで済まさせていただくこととした。いつもは住職殿から経をいただき、若干のふれあいがあるのであるが、今年は残念なことである。孫たちへの教育効果もあると思っているだけ残念であった。墓周辺の草はどうなっているのだろうか、案じてもしょうがない。

 今年の秋田は夏の行事がなくて静かでいいのだが、ちょっと寂しい。


8/11(火)快晴 中通病院外来 飯川病院
1:50起床,体調は比較的良好に。文献・新聞ほかこなす。早朝涼風あり快適・・というより秋の息吹に恐怖感。5:30家庭ゴミ、資源ごみ集積所。畑花壇の対応散水、収穫。
8:47バス飯川病院。8:45-13:00中通病院内科外来。19:20帰宅夕食。草刈機届く。
20:30就寝、歩数9232歩。恒例の鎮魂・家族親睦小旅行今年はなし。

新型コロナ(74) 寂しい夏・静かな夏 秋田の祭軒並み中止

 秋田は夏祭りの宝庫である。秋田県内各地に有名な祭りがある
■土崎港曳山まつり、■今泉祗園囃子、■仁井田番楽 、■秋田竿燈祭り、 ■増田の朝市・花輪朝市・五城目朝市、 ■男鹿日本海花火、■西馬音内盆踊り、■花輪ばやし、■大曲全国花火競技大会、■その他にも角館祭り、大館人妙者祭、能代市などなど・・・。

 上記の祭りは新型コロナの影響で軒並み中止になっている。

 私は3月下旬の時点で東京五輪の開催は無理、2年は延期すべきだと考えていた。現時点では一歩進めて中止・返上すべきと考えている。
 同時に秋田県内の主要な祭り、■土崎港曳山まつり、 ■秋田竿燈祭り、■西馬音内盆踊り、■大曲全国花火競技大会、は今年は従来の形での開催が無理と考えていた。
 実際には中止の決定がとても遅くどうなることかと気を揉んでいた。各祭とも開催時の一月前近くまで中止の発表はなかった。
 それだけ開催する立場にある人たちの新型コロナに関する甘い期待感、収束の期待感、地元の経済に及ぼす影響を恐れてズルズルと決定を遅らせていた、と思われる。立場はわからないわけではないが、日本国中の感染状況を見れば簡単に結論が出る問題であった。感染症の専門家等の意見を聞けばもっと早く決断できただろうし、早めに結果を出せば、中止したのちの地域に密着した小規模な形態での開催を模索できただろうに、と思う。

 祭は基本的には地域の神社を中心に住民たちによって運営が行われてきたが、近年の観光ブームですっかり様変わりしてしまった。徐々に全国規模の大型化になってしまった。各地の祭は各地域の地元の住民たちのものではなく、地域の経済を大きく潤してきた。これでは中止延期の決断がでないのは当然である。

 私は来年も従来の規模での開催は、多分無理と考えている。いや、今後しばらくは無理だろうと考える。

 私は、新しい姿での祭りの開催を早く模索し始めるべきだ、と思う。

 小さな祭も中止に??
 私が住む地域の父兄と子供会が中心になって開催されてきた「お堂っこ祭」も中止になった。私の新型コロナの感染状況を観察している立場から見れば、現在の秋田の感染状況のもとでは中止にすべき理由は一つもない。「行事は中止を!!!」は感染多発地域の問題である。ちょっとワンパターンすぎる対応に思われる。

 竿灯祭りが中止になって、毎年恒例になっている各町内のお囃子の練習の音が聞こえない。
 静かな環境を好む私にとってはとても良かったが、祭り好きの方々にとっては相当に寂しい夏になっただろう。


8/10(月)山の日休日 早朝まで降雨のち晴れ暑い 室内で31℃
 1:30起床、新聞記事チェック。蓄積データ整理。午前中は溜め込んでいた資源ごみ化。音楽データiTune化。パソコン2機に取り込む。午後は家内の椅子が壊れたので修理。DIY店にて車輪、ベニヤ板購入、完成す。19:00夕食。その頃から体調不良、早めに20:00就眠。歩数計9685歩。日本国中35℃ほど熱暑のニュース。我が家は室内で31℃。5台の扇風機大活躍。

原爆投下75年(3) 核を持たないことが抑止力にならないか
 いま、世界の核兵器をどのように考えるべきだろうか。
 
 核兵器は廃絶すべきだという議論、他方、抑止力としての核が必要だという主張がある。
 核兵器に関する議論の多くは、この正反対の立場の間で行われ、両者は現実の戦争で核兵器が使われる懸念には目を向けていない、様に見える。
 核戦争は核がある以上、可能性として否定されてはいないが、遠い遠い将来の小さな可能性と考えられてきた。 

 専門家の見方はこれとは違う。
 核兵器を管理する体制が近年著しく弱まっており、大国の軍事戦略における核兵器への依存、さらに核兵器自体の軽量が進み、核の破壊力も小さくすることで実戦で使用される可能性さえ高まっていると考えられている。 

 どうしてだろうか 
 まず、ロシアが核戦力への依存を高めている。さらに中国が新世代ミサイル開発を進めている
 これを受けて、米国核態勢見直しである。ここでは抑止力の強化ぱかりでなく、小型化を通じて実戦における使用可能性も視野に入れている。 

 昨年8月のトランプ政権によるIMF条約離脱はこの流れのなかから理解することができる。

 米ソ冷戦終結後、米口両国の核戦力削減が進むとともに、国際政治の課題として核核兵器を用いないという国際的な合意さえ生まれた様な考え方すらあった。

 しかしながら、その流れは逆転した。
 中ソ米の軍事的緊張が高まるなかで、核兵器への依存が復活しようとしている。
    
 核戦争は、多分起こらないと思うが、管理上のミスもありうる。決して起こりえない危険ではない。

 日本政府は、緊急の政策課題として、核軍縮を実現しなければ現在の平和が失われるという緊張感のなかで核兵器の削減に努めなければならないが、安倍首相は米の核の傘の下にあることから踏み込んだ発言は聞かれない。今年の慰霊祭でも同様で関係者の顰蹙を買っていた。
 
 核を持たない国に核攻撃を仕掛けてくることは考えられない。考えたくない。核を持たないことが核を持つよりも強力な抑止力を発揮する、との考えは甘いのだろうか??
 その面でもトルーマンは史上最大の犯罪者の一人である。


8/09(日)終日降雨、風多少 長崎75年  
 1:30起床。読書、徒然、データ整理など。早朝から雨の中ダリアの風対策。特に白ダリアは風に弱い。書斎改修、微睡、読書、自炊数冊。19:00夕食、20:30就寝。歩数計8593歩。

原爆投下75年(2) 核なんてもはや無駄 人類は温暖化でいずれ滅亡する
 広島・長崎に原爆が落とされてから、75年を迎えた。広島・長崎では慰霊祭が規模を縮小してしめやかに行われた。
 核をめぐり、数年前までの「核なき世界」への方向性が後退し、核大国は再び、軍拡に転じようとしている。核を小型化し、兵器として実用性のあるものにする、という。

 トランプ政権は戦力の更新に力を入れている。これにロシアは対抗姿勢を打ち出したほか、台頭する中国も新型ミサイルなどの開発に突き進む。核兵器の舞台は宇宙空間にも広がり、兵器システムは複雑さを増している。システムの誤作動や誤認による核戦争の危うさも高まっている。一国が増強すれば他国は黙っておれない。

 世界的政治指導者はなんと馬鹿なことを繰り返すのか!!!

 地球は核兵器を用いなくともジリ貧状態にある。旺盛な人間の欲望と経済活動の結果地球環境の悪化である。すでに不可逆的状況にまで進んでしまった。気候変動、人口増加、食料不足、・・・・。

 それに、新型感染症の勃発である。今回の新型コロナの蔓延は一つの例に過ぎない。これ以上温暖化するとその気温に適したウイルス等が発生してくる。かつてインフルエンザという弱い感染症が蔓延したことがあったが、あの当時はまだよかった・・・と懐かしく語られる日も遠くない。

 かつて地球上をに王者のごとく君臨していた恐竜たちは隕石の落下による地球環境の変化で絶滅した。それは予想外の大事件であったが、いまの人類にとって一触即発の核戦争がそれに匹敵するだろう。

 ことわざに「前門の虎、後門の狼」というのがある。ひとつの災いを乗り越えたとしても、間髪おかずに次の災いがやってくる、という意味がある。前門は核であり、後門は地球温暖化である。まさに八方ふさがりな状態にある。

 核の加害者は核大国の指導者の問題が大きい。
 地球温暖化の加害者は地球上に住む全人間、と集約できる。
 核についても声をあげよう、地球環境のためには、破滅は回避できないが遅らせることは可能である。そのために各人が何ができるかを考えよう。


8/8(土)夜半早朝降雨 曇り 夕方から再度雨 電動草刈機昇天す
 2:00起床,読書、入浴、午後は収穫、畑、ダリアの世話など。昼食、微睡。午後から草刈り試みるも1時間ほどで不調に。2012年購入の製品、ずいぶん働いてくれた。寿命か?我が家にとっての必需品、同一型を注文した。価格3.000円アップしていた。17:00微睡。19:00夕食、21:30帰宅、就寝。9429歩。


原爆投下75年(1) 核なんて改良しても無駄 人類はいずれ滅亡する
 広島は8月6日 長崎はあす8月9日、被曝75年を迎える。

 

 今年は新型コロナの世界的蔓延のために広島・長崎での慰霊祭は縮小されて行われる。継続は力だからその運動の意義は小さくないが、よくまあ同じような行事を繰り返してきたものだ。

 核をめぐり、数年前までの「核なき世界」への方向性が後退し、核大国は再び、軍拡に転じようとしている。
 従来の核は威力向上を目的にしてきたために非実用的になっていた。大型の核では被害が大きすぎるために使用できない、というジレンマを抱えていた。
 大型核兵器は軍事的に国威を示し抑止力にはあるだろうが、一度核攻防が生じれば地球環境は放射能汚染だけでなく、地球環境の変化を介して気候も大きく変動する。陸地は砂漠化し、食糧生産も困難になる。結果として人類滅亡も視野に入ってくる。

 だから、核兵器を小型化し、兵器として実用性のあるものにする動きもある。

 戦争といっても何をしても良いということは無い。
 戦争には国際法がある。無差別東京空爆などは非合法だったとされているが、原爆投下に対しては国際法違反との言葉をほとんど聞かない。広島長崎に原爆投下を決めたトルーマン元大統領を非難する言葉も弱々しい。原爆投下が第二次世界大戦を早期に終わらせた、などの考え方は、世界最大級の嘘である。

 トルーマン元大統領は投下を決断しなかったら政治生命は途絶えていただろう。国を挙げて、秘密裏に巨費を投じて開発してきた爆弾を使用しなかったらその責任は大きく問われたことだろう。
 加えて言えば、東京大空襲、ポツダム宣言受諾前日の秋田の空爆は、作り過ぎた兵器を消費するために計画されたゴミ捨て行為であった。もはや戦略的に意味をなさないことを熟知していながらあえて実行したのは戦略的必要性からでなく、当時の政治家の保身のためであった。

 トランプ大統領の不用意な?ツイッターが反応を呼び、核のリスクが高まってる。
 「核兵器が存在し、抑止論に頼り続ける限り、いつか使われる」、「核兵器が使われるリスクは、第2次世界大戦後で今は最も高い」との識者からの警告もある。

 米・ロシアは互いに数を減らしてきた、といえども世界の核兵器のうち9割、計12,000発以上を保有している。
 核不拡散条約で核保有の権利を認められてはいるが、両国は核軍縮に逆行するふるまいが目立つ。

 核に関連する世界的政治指導者は総じて馬鹿である。


 8/7(金)夜半から降雨・昼前から晴れ暑い 大曲中通病院 飯川病院ボランティア 
 1:05起床,朝強烈な雨。文献・新聞チェックその他。5:30一般ゴミまとめまで、7:30Taxi駅東。8:11こまち。往Taxi、9:10大曲中通病院外来、混雑なし。復路徒歩、新幹線ガラガラ、ジュンク堂により哲学書購入、徒歩、13:50飯川病院ボランティア。19:00帰宅、夕食21:00就寝。歩数10411歩。

四季2020(13)立秋 2020年は明日8月8日
 最近は日中はやや暑いが、8月に入ってから早朝1:;00頃から涼風が室内に流れ込むようになった。間もなく秋の到来を実感する。

 私は子供の頃からお盆の墓参りの時に秋を感じて来た。当時は日が登る頃に起床、いまは1:00 am頃起床だから早朝の涼風をいち早く感じるのだろう。

 立秋は毎年8月7日頃〜8月22日頃にあたる。日付が固定されているわけではなく今年は明日8月8日から8月22日とのこと。

 立秋は、1年を約15日間ごとに24等分して決められる二十四節気のひとつ。1日程度は前後する。
 立秋とは、立秋に入る日を示す場合と、二十四節気の第13立秋から処暑までの約15日間をさす場合がある。私の感覚では入りの日のこと。
 暦のうえでは立秋の日から秋に入る。立秋以降の暑さを「残暑」という。「暑中見舞い」は、立秋以降「残暑見舞い」にかわる。

 二十四節気をさらに5日ごとに七十二侯に分ける。七十二侯がある。立秋の間に、以下がある。
■涼風至(すずかぜいたる)8月8日頃。
■寒蝉鳴(ひぐらしなく) 8月13日頃。
■蒙霧升降(ふかききりまとう) 8月18日頃。
 いづれも今の季節の移り変わりをほぼ正確に提示している。昔の方々の季節への感受性にはほとほと感心する。
 
 立秋を迎えると大好きな夏が去っていく。秋は好きと言えないが、爽やかな季節である。

 今年の県内は長引く梅雨の影響で記録的な日照不足になっている。横手市や湯沢市など複数の観測地点で7月の日照時間が平年の5割に満たなかった。
 秋田地方気象台によると、7月は太平洋高気圧の本州付近への張り出しが弱かったため 梅雨前線が停滞して曇りや雨の日が続いた、という。
 7月の日照時間は県内の24観測地点全てで平年を下回つた。
 秋田市は平年の70%で、日照時間が10時間以上あったのは計5日だけ。
 降水量は県内36観測地点のう20地点で平年を上回った。
 
 日照不足が県内の農作物にも影響を及ぼし、市場では高値が続いている。私の畑ではキウリ、ナス、トマトは豊作である。 
 水稲の生育は平年並み、という。

 本県を含む東北北部の梅雨入りは6月14日。平年の梅雨明け7月28日ごろ。
 今年は東北北部(青森、岩手、秋田の各県)について、気象庁が梅雨明けを発表しない見通しとなった。
 8月の日照時間や降水量はほぼ平年並みの見込み。暖かい空気に覆われ、気温は高くなりそうだ、という。 


8/6(木)広島75年 晴れ暑い 飯川病院 健康クリニック結果判定
1:00起床、新聞データ化と整理。画像データ処理。5:00野菜収穫。11:50バス飯川病院勤務、14:00入院患者対応。健康クリニック結果判定。微睡、読書。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計積算11144歩。

心理学を学ぶ(28) 「差別の心理」(2) 「偏見や差別」は社会集団にも生じる

 どうすれば「偏見・差別感情」をなくすことができるのか??

 私の考えを結論から言えば、「偏見・差別感情」はなくすることは出来ない。仮にそのような理想的な(??)個人の集まりによって社会が成立すれば、その社会は活力を失い、滅亡していくだろう。」なんとなれば「偏見・差別感情」に基づいた思考は人間としての生きるエネルギー源だからである。
 問題は「偏見・差別感情」に基づいた攻撃的行動をなくすることで、これは教育などで可能である。法による規制もやむを得ないないだろう。しかし、ハンセンなどで見る限り、教育も法も十分な効果を上げているとは思えない。

 なぜ偏見や差別が生じてしまうのか??
 それは、個々人の存在理由(アイデンティティ)を有しているからで、アイデンティティの確立は人間の成長にとって必要不可欠なことである。それが「自己肯定感」にもなるのだが、安易に攻撃的アクションを起こすことが問題である。

 社会集団から生まれる偏見や差別もある。
 私は個人が持つ「偏見・差別感情」は自我の形成の結果であって当然と考えている。
 ところが、これは社会集団に属している人間にも生じる心理である。
 アイデンティティは個人だけではなく、社会集団の中でも生じうる。「普通」の存在でいたがる人の多い日本人は、自分を安全な大きな集団に属させながら、マイノリティー集団を差別することで安堵感を抱きがちである。

 人間が営む社会生活において、集団としてもあらゆる状況や場面で偏見や差別が生まれているといっても過言ではない。思想家吉本隆明氏のいう共同幻想依存症だと思う。
 共同幻想依存は「ある集団に属する人々は、特定の性格や資質をみんなが持っているように見えたり、信じたりする認知的な傾向」、偏見は「好感、憧憬、嫌悪、軽蔑といった感情を伴ったもの」ということになる。
 これは社会の問題であるが、個人の問題とほぼ同一のことである。
 そして差別は「偏見・差別感情」を根拠に、集団的に接近・回避、攻撃などの行動として現れる。
 
 社会心理学では、人には味方と敵を分ける心理が働き、自分にとっての敵を区別するのが基本的な考え方とされる。
 外国人差別はこの典型的なパターン。簡単に言えばナショナリズム。
 ヘイトスピーチの対象となりがちな在日韓国人や中国人は、日本人にとって身近な存在だからこそ、自分たちを脅かしうる敵だと判別されやすく、偏見や差別が頻発する。

 「偏見や差別」にさらされる対象は、「LGBT」や「障害者」などのようにマイノリティー側であることが多い。日本のマイノリティー差別の問題について、自分たちが社会の中で「普通」の「安全な、より正しい」存在だと考える傾向がある。

 マイノリティーへの「偏見や差別」を防止するにはマイノリティーの人々への理解を深めることが重要であるが、それ以上に必要なのは自分自身に対する考察で、倫理観の高揚である。


8/5(水)曇り暑 歯科受診 午後飯川病院ボランティア  
 1:00起床,新聞・録音のデータ整理中心。3:00前後から外から涼風が吹き込みシャツ着用。読書データ整理、9:00収穫、胡瓜、トマト、ナス豊作。10:30佐々木歯科医院、定期メインテナンス。Fitにて往復。虫歯一本もなしと評価。11:50バス飯川病院、諭すファクション昼食、やや過食。新聞データ化そのほか座学中心、外来患者対応。20:30帰宅、夕食。21:30就眠。歩数計積算8285歩。

心理学を学ぶ(27) 「差別の心理」(1) 「偏見や差別」は生きるエネルギー源
 最近、小説「あん」を読んでハンセン病の差別を考えた。ハンセン病の差別の背景には医学会も、政治も社会も深く関与している。
 差別を受けた人は人生が否定された気持ちになる。差別を受けていない人は偶然自分がその環境に生まれなかっただけ。その差別を受ける立場を自分に置き換えて考えてみてほしい、と訴えている。切実な気持ちである。

 差別の心理について考えてみた。
 人間社会では、いかなる文明、社会においても、好むと好まざるに関わらず、誰しも性別、人種、年齢、出身地、職業、障害の有無、貧富、などの格差の中で生きていかざるを得ない。
 この格差をもとに、ありとあらゆる事項において「偏見・差別」が生じる、と私は思う。
 「偏見・差別」感情を持つことはいけないことだと教えられるがそれは間違っている。絶対になくならない、と思う。
 各人の心の中に「偏見・差別」感情は必ず内在する。この感情がないと力強く生きていけないからである。

 今は新型コロナウイルスが話題になっており、ワクチン問題を介して人間の免疫形成等についての話題が盛り上がって、国民に多少免疫についての知識も増えているようである。
 人間は成長過程で免疫学的に完全に個が確立される。例外は一卵性双生児間だけである。たとえ親子間であっても兄弟間であっても免疫学的には完全に、絶対的に他人である。「免疫学的個人」の確立の目的は完全な他者の排除にあり、他人同士の臓器移植は基本的にうまくいかない。そのことが免疫力を背景にした疾患防御力、疾患からの回復力になる。

 他方、人間の成長過程において、知的な意味において「自我」が確立していく。
 乳児のイヤイヤ期、幼児の反抗期、青少年の権力への反抗心などは自我の形成過程で生じてくる。
 この自我は、「免疫学的個人」よりは多少ゆるいところがあり、教育や環境で変わりうるが、「免疫学的個人」と同様にほぼ完全な個の確立と言っていい。ただ、「自我による個人」の確立は本人の知性、社会的常識観などで抑制され、日常顔を出さないこともある。教育も一部効果的である。
 自我の確立とともに、各個人はこの世の不平等の中に自分が置かれていることを自覚し、次第にその抑圧感に苛まれていく。その際に「偏見・差別感情」が形成されるが、多くは諦め、達観を介して乗り切っていくが、一部の人は「偏見・差別感情」をテコに大きく飛躍していく。そういう人たちの心の中では「偏見・差別感情」は大きく育っていく。

 要するに、ここで述べたいのは「偏見・差別感情」は誰しも持つ普遍的感情である、ということ。
 「偏見・差別感情」を持つのは当然のこと、ならば、差別などどうしようもないのかというと、「偏見・差別感情」を悪しき方向で行動に移さないことである。
その端的な方法論の一つは、自己研鑽によって自己の立場を理解すること、差別の対象者の置かれている立場の人たちを多方面から学ぶことである。差別感情の発露は互いの無知から発している。


8/4 (火)快晴暑い  外来 飯川病院  
0:20起床,いつもの如く。5:00可燃ゴミ廃棄。散水、6:45バス飯川病院。8:45-13:30外来、盆前で混雑疲弊。14:00飯川病院、18:45まで勤務。外来入院患者対応。19:15帰宅、夕食。21:30就眠。歩数計10095歩。竿灯なく市内平穏。

本 「あん」ドリアン助川著 ポプラ社 2013年(2) 深刻な内容をさらりと表現
 ハンセン病家族への差別に対する国の責任を認めた熊本地裁の判決後1年を迎えた。昨秋11月には元患者の家族に130万余を補償する法律施行された。

 原告となった元患者の家族561人のうち表に出て活動したのは僅かに10人ほどで、大部分が名前や身元を伏せている。また、厚労省によると申請期間は法施行から5年間で約2.4万人が対象。せっかく判決が出たのに補償金を申請した人は約2割にとどまる。過去の差別がトラウマとなって申請をやめた人もいた。根深い差別が背景にある。

 ハンセン病をテーマとして取り上げた文芸作品は多くはないが、最近本作品を読んで感銘を受けた。

 作者のドリアン助川氏は1962年、東京生まれ。詩人・作家・道化師。早稲田大学東洋哲学科卒。全国ネットのラジオ深夜放送のパーソナリティーを務め人気を博す。著書多数。

 ストーリーは単純である。詳細は記載できないが、小さなどら焼き店が舞台。店先に、バイトの求人をみてやってきたのは70歳を過ぎた手の不自由な老婆。彼女が作った「あん」の旨さに舌をまいた主人公は、彼女を雇い、店は繁盛しはじめるのだが、間も無くハンセン病患者を雇っているのでは?と疑われ客足が落ち、やがて閉店やむなきに至る。

 偏見のなかに人生を閉じ込められた老婆、あやまちを犯し一時刑務所で過ごし、生きる気力を失いかけていた主人公、自分の未来が見えず日々苦しんでいるカナリアを飼う女子高校生。3人はそれぞれ新しい生き方を求めていく。その際、老婆によって放たれたカナリアが象徴的役割を果たす。

 なお本作品は出版翌年に映画化されている。樹木希林の最後の作品になった、という。映画は50力国以上で上映されて好評を得た。 

 ハンセン病についても、病気そのもの、歴史、社会の偏見迫害の実態が語られる。極めて深刻で重要な内容であるが、作者の優れた文章力のため全然圧迫感がない。表現が繊細で描写が綺麗で、わかりやすい。

 作者は、人はたとえ何者になれなくても、生きているだけで鮮やかな体験ができるとする「積極的感受」を解く。世の中を見る、感じる、花をめでる、鳥のさえずりに耳を傾ける。この世をただ受け止める。これこそが人生である、と説いている。仏の境地に近い。

 一時、社会問題とまでなって人々の関心を集めた事件なも、訴訟・裁判を経て結論が出ることころには人々は忘れ去り、誰も関心を持たれない。マスコミの扱いも小さい。だから、社会へ浸透しない。

 ハンセン病訴訟に関しても同様の経過をたどっている。家族訴訟に加わつだ原告たちはその痛みを社会に分かつてほしかつたから訴えたのだ。補償金が欲しかったわけではない。しかしながら前向きの判決が出たからといって原告らは決して解放されることはない。

 世を震撼させた重大事件など、次々と風化していく。だから、世に及ぼす影響は皆無に近い。同じ様な事件が次々に生じることの一因になっている。


8/3(月)晴れ暑い 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床,新聞・文献チェック他。5:00ネコ給餌ほか。6:47バス飯川病院着。9:00-11:30健康クリニック。12人、結果判定13名、11:45飯川病院に。読書、データ整理。微睡。14:00-18:30勤務。本読。撒水。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計積算6888歩。

本 「あん」ドリアン助川著 ポプラ社 2013年(1) この作品の社会的背景
 ハンセン病患者の隔離規定が盛り込まれたらい予防法は1996年に廃止されたが、差別は現在まで色濃く残っている。 

 家族への差別に対する国の責任を認めた熊本地裁の判決は1年を迎えた。判決は確定し、昨秋には保障金の支払いを定めた法律もできた。

 しかしながら、裁判を闘った家族たちの手記などを読むと、患者家族を取り巻く状況は裁判前と変わつていないようである。 
 訴訟では、ほとんどの原告が差別を恐れて匿名だった。判決から1年たつても名前や顔を出せる状況にはなつていない。
 ネットでは、元患者への賠償を国に命じた訴訟の判決を引き合いに、「お前たちは、また賠償金をもらうのかよ!!!・・・」などと批判する声も散見する。

 国がハンセン病に関する偏見を作った責任を認めた判決が確定し、補償法もできた。それでも患者家族たちは自分たちが受けた思いが社会にはほとんど届いていないと感じている。
 差別を受けた人は人生が否定された気持ちになる。差別を受けていない人は偶然自分がその環境に生まれなかっただけ。その差別を受ける立場を自分に置き換えて考えてみてほしい、と訴えている。

 2016年、私はハンセン病について、医学的諸問題、政治・社会的問題、補償問題などについて集中的に学び直した。

 その中で得た結論は、当時の医学会が果たした悪しき役割であった。
 また、我が国の社会が持つ差別意識は、特に病人に関しては極めて強いものがある。私の育った田舎でも結核患者がでた家に遊びに行くことは禁止され、その近くを通る際には呼吸を止めて急いで通り過ぎなさいと言われていた。
 その後もハンセン病についての動きは追跡している。この中で患者家族が受けた社会的差別については厳しいものを感じ取った。らい予防法が成立してから四半世紀にならんとしているのにその差別はいまだに続いている。
 人間は、特に農耕民族である日本の社会では均一社会が望まれ、一定の基準から外れた人間は排除するという習慣がある。

 東大教授であった呉秀三は1918年『わが邦の十何万の精神病者はこの病を受けたるの不幸の他に、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし』と言った言葉は医学生の頃に知ったが、私の記憶からから離れたことはない。

 誰でも罹りうる新型コロナ感染者についても非難の言葉などが浴びせられている。
 感染者が出た医療機関に勤務する職員の子女は幼稚園、保育園から休むよう強制されている場合が報告されている様である。
 また、先日岩手県では初の感染者が出たが、本人、会社などに誹謗中傷の電話とかが多数かかってきているという。中には励ましの内容もあるというが、一抹の救いである。


8/2(日)快晴暑い 飯川病院日直
 1:00飯川病院起床、読書、新聞、画像データ整理など。継続日直で時間はたっぷり。
ひまわり急成長、支え追加必要。新聞データ化そのほか。竿灯中止で市内は平穏。7:00、12:00検食。観葉植物2鉢植え替え、ハイビスカス1鉢土入換。19:30帰宅・夕食、21:00就寝。歩数計9625歩。

最近、辞書で調べたカタカナ語2020(5) 最近のカタカナ語に関する世論調査

 オーバーシュート、ロックアウト、クラスター・・・、新型コロナの感染拡大の防止に向けて、政府や専門家らが国民に外出の自粛を求める際に用いてきた力夕カナ語である。 

 最近の力夕力ナ語を許容できるか??
 朝日新聞が読者に尋ねたところ、回答者の72%が許容できない、と答えた。 
 回答者を世代別でみると50代以上が全体の87%をしめた。カタカナ語許容の割合は28%。 
 40代以下の回答者は全体の13%と少数だつたがカタカナ許容派の割合は395%と全世代の割合よりも高かった。

 その中の意見の一部
 ■ 新型コロナ禍は地球規模の非常時。国民に自粛を求めるのであれば(子供でも高齢者でも)誰もが理解できる平易な言葉を使うべきだ。
 ■ そもそもカタカナ語の中には官僚や政治家、専門家や報道機関が翻訳の努めを怠った結果である。 
 ■ 不都合な真実を伝えない意図を感じる。  
 ■ カタカナ語は人によって理解が異なるので、都合が悪くなれば言い逃れをするのに便利。
 ■ 漢字ばかりだと硬い雰囲気になって意味が通じにくくなる。 
 ■ 無理やり翻訳すれば弊害が生じることもある。 
 ■ 力夕カナ語の役割もある。うまく採り入れるのが良い。

 上記は朝日新聞の記事を参照したが、この記事の結論は「カタカナ語の氾濫は許容できない・・」ということであるが、掲載した朝日新聞の姿勢がわからない。
 朝日新聞も無批判にカタカナ語を取り入れている。矛盾している姿と思う。

 言葉は生き物である。
 言葉の微妙なニュアンスが加わつて表現しやすけれぱ定着するし、適正な訳語があれば次第に便われなくなるだろう。
 力夕カナ語の是非は今に始まった話ではない。ただ、その過程で国文学者の姿勢が見えないのが不思議でもある。

 私が住んでいる秋田市はカタカナ語が氾濫している。
  氏の標語は「エイジフレンドリーシティ」
  「コグニサイズ」
  「秋田版ネウボラ」
  「妊娠のお祝いにプチギフトを差し上げます」
   などなど。


8/1(土)?快晴 飯川病院日当直 外来レセプト点検
1:30起床、新聞や文献読み。データ整理。途中微睡とる。キウリ、トマト収穫、ダリアに有機肥料追加。ガレージの2F整理。庭の草刈り一部。11:30バス、飯川病院へ。12:00日当直業務に。検食、新聞入力。午後は微睡、読書中心。16:00外来レセプト点検
、18:00夕食、20:30就寝。徒歩8587歩。

最近、辞書で調べたカタカナ語2020(4)
 最近のカタカナの氾濫は、異常である。
 その責任は安易にカタカナ語を用いるマスコミにある。第二に各界の識者と言われる方々である。専門分野の説明に平易な日本語で表現できないということは、識者としての実力の欠如を示している。

 おそらく、カタカナ語を好んで用いる方々は、カタカナ語の方が最新でグローバル化の波に乗った語彙で、かっこいいと考えているのではないか。もしかすると、日本語は近い将来カタカナ語を平仮名の「てにおは」でつないだ言葉になるかもしれない。

 日本語はそれだけで内容伝達性がある。カタカナ語にすればソレを失う。これは記録性や意思伝達、内容伝達が目的の言語としての価値を捨てることになる。さらに日本語は、書いても聴いても歌っても美しい。

 新聞を読んでいる時に、以下の条件で不適切と思われる単語を抽出した。

■意味が取れなかった単語、 
■日本語表記できるのに無駄に置き換えられている単語、
■何でここでカタカナ語が使われなくてはならないのか?と疑問に思った単語。

 日本語に興味を持ち、できるだけ標準的な日本語を大切にしたいと思っている立場からは残念である。私みたいな高齢者は日本語でもいじめられている。

 ざっと挙げると以下のようなものである。一つ一つの意味は省略する。

(1)老医のつぶやき2019(15) 最近意味がわからなくて辞書で調べたカタカナ語
(2)老医のつぶやき2020(1) 最近、辞書で調べたカタカナ語(2)
(3)老医のつぶやき2020(2) カタカナ語(3) 河野防衛相も疑問に思っている

今回が4回目である。

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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
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