徒然日記
2020年5月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記



5/31(日)快晴 温暖 園芸畑中心に過ごす 
1:30起床、本読み、文献チェック。午前は10:30草刈り残終了。NHKニュース、のど自慢楽しむ、微睡。14:00根が出始めたダリアを掘り起こし本植。キウリ棚追加、バラの鉢がえ。散水。夕方からは文献検索、読売日響コンサートの録画楽しむ。19:00夕食、21:00就寝。Σ13863歩。

新型コロナ(44) 新型コロナ対策は何が奏功したのか?? これからはどうなる??
 年始以降の新型コロナ対策は何だったのか?
 一見、対策がなされているように見えるが、新型コロナウイルスへ影響を及ぼすような対策は何一つ行われていない。
 にも関わらず、これだけ抑制ができた、ということは、経済活動を求めて人口が過度に集まる過剰な人口密集3蜜が、いかにウイルスにとって都合が良かったのか、ということの証である。

 これからの問題は、感染が終息するとは考えられず、対策が解除されると流行か再燃する可能性が大きい。

 政府を中心に、日本の対策は優れていた、かつ抑制に成功したというが、実際はどうだろうか。
 各種のデータを見ると、日本の対策が明らかに優れていたとはいい難い。

 アジア諸国は欧米諸国に比べて感染者数も死亡者数も圧倒的に少ない。その中で、アジア諸国間で人口10万人当たりに換算した死亡者数を比較すると日本はフィリッピンに次いで2番目に多い。

 欧米諸国での人口10万人当たりの感染者数はアジア諸国に比べて10倍から100倍以上も多い。欧米では10万人当た275-492人にもなるが、インド、日本、韓国、台湾では10万人当たりに1.9一21.5人に過ぎない。

 インフの致死率は0.05%程度であるが、新型コロナの致死率4.4%と高く、欧米諸国の致死率12-15%と高く、アジア諸国の致死率は欧米諸国よりも明らかに低い。
人口10万人当たりの死亡者数は欧米では40-60人とその差は明らかである.

 日本とドイツの人口10万人当たりの死亡者数を比べるとい0.56 vs9.7人で17倍差があり、スペインと比べるとい0.56 vs58.75と実に105倍となる。

 欧米とアジアの死亡率の差の原因は不明である。人種差なのかもしれない。
 欧米諸国と比べて死亡者数が少ないと数からだけでは日本の対策が成功したとはいえない。

 第2波の問題が世界の懸案事項となっているが、日本を含めたアジア諸国では第2波は欧米諸国と同じような激しい流行となる危険性もある。
 そのため欧米の被害状況を詳しく分析して、慎重に準備する必要がある。PCR早く増やして欲しい。軽症者の収容場所の確保も必要である。

 加えて、今季は大規模なインフの流行が予測される。どうやって区別するか。また、第2波の最中に自然災害が生じたら・・・・、その対策も必要である。
 
 緊急事態宣言解除は新型コロナ対策の輝かしい結果からではない。社会生活の維持からの判断だから、必ず再燃するだろう。みんな心を引き締めて対応しなければならない。


5/30(土)快晴 温暖 散髪 園芸畑中心ダリヤNo8 3分割本植え
1:10起床、文献検索整理など何時ものごとし。8:45石井さんと共に3Q理髪。その後DIY店、枝豆の種購入。午前午後と庭の草刈り、2週目は終了。農道の草刈りも同様。畑に追加苗植える。支柱立て。午後はヤツデ、もみじの枝落とし、紫陽花に陽を当てる為。ダリヤNo8分割本上。電動ノコ切断はダメだったか反省。微睡若干。19:00夕食、20:30疲れ果てて就寝。歩数Σ17464。

新型コロナ(43) 社会の努力で感染抑制 日本文化特質に諸外国メディアも驚き
 日本は新型コロナ感染抑止に成功したのだろうか??日本が単にラッキーなだけなのか、それとも優れた政策や国民性、文化の成果なのか。見極めるのは難しい、としながらも、結果的には感染者数の少ない日本の状況を、海外メディアは大きな驚きをもって報じてる。

 先に安倍総理が緊急事態宣言を発表した際、諸外国のメディアは、
■強制力のない外出自粛なんて
■圧倒的PCR検査数の少なさ。これで通用するの??
を指摘し、冷笑を持って迎えた。にもかかわらず、日本で感染が広がらなかったことに注目し不可解な謎、サクセスストーリーなどと揶揄している。 

 米某誌は「日本の新型コロナ対策は何から何まで間違つているように思えたのだが・・・」、と指摘した上で、現状は不思議なことに、全てがいい方向に向かつている!!!!と報じている。感染が野放し状態にある米国のメディアから言われたくないが、現実はその通りである。  

 不可解な謎と題した記事を配信したのはオーストラリアのメディアもだ。
■公共交通機関の混雑ぶり
■高齢者人口の多さ
■罰則を伴わない緊急事態宣言
■日本の政策は大惨事を招くためのレシピのようだ。
■日本は間も無くイタリアかNY並みとなる、と指摘した。
 
 海外では日本のPCR検査数は韓国と比べるとゼロを一つ付け忘れているように見える、と報じるなど、PCR検査数の少なさを疑問視する報道が相次いでいた。 
 確かに検査数には限界があったが、我が国の医療では「まず患者ありき・・・」で、新型コロナ感染症を疑いつつ治療を進め、可能性が濃厚であれば検査が行われている。これはPCR検査の人的資源、機材不足を補うための方策であり現場まではやむを得なかったと思う。ただし、第2波の場合は治療薬も出てくるだろうし、その判断は重要であり、検査の絶対数は明らかに不足である。

 米通信はこの点について 第1波をかわしたのは本当に幸運であり、第2波の前には1日10万件できるように準備しなくてはならない、という専門家の話を紹介している。 

 英国紙は大惨事目前の状況をサクセスストーリーへ変えさせたのは、日本人の生活習慣、疾病習慣が感染拡大を防いだとの見方を伝えた。
 ■マスク着用する習慣
 ■挨拶で握手やハグより一定の距離を置いてのお辞儀をする習慣
 ■高い衛生意識、清潔志向
 ■靴をぬいで家に入る習慣など

 さらに私は以下も追加したい。
 ■農耕民族の歴史 
 ■個人より集団主義、集団監視、同行圧
 ■経済的、社会的弱者が比較的少ない

 一方で、第1波を免れた分、第2波の拡大が懸念されるとして注意を呼びかけている。
 感染者が少なかつたということは免疫を持つ人が少ないということ。第1波より感染着が増える可能性があると指摘している。

 ありがたいアドヴァイスと捉えよう。


5/29(金) 終日快晴 大曲中通病院 飯川病院勤務   
1:00起床。文献、新聞など読む。5:00ゴミ出し、7:40Taxi、8:11こまち。大曲駅病院往復徒歩。9:00-12:00大曲外来。13:30飯川病院勤務、14:00-19:00家内患者不調居残り、Taxi帰宅、夕食、21:00就眠、Σ14319歩数、久々よく歩いた。

新型コロナ(42) 社会の努力で感染収束は期待できるが、終息はしない

 新型コロナの緊急事態が全国で施行され、感染抑制が現実的に数値上で明らかである。新聞誌上では入り乱れて用いられているような気がする。
 私のイメージでは、病気の場合に用いる「治ったように見える抑制状態なら寛解、完全に治ったのなら治癒」と使い分けているように「抑制状態なら収束、根絶なら終息」という表現になる。だから、現状では収束となる。

 社会的努力で感染をできるだけ「収束」させて被害を最小に抑え、最終的には「終息」させられいいのであるが、その過程は決して甘くはなかろう。私はワクチンの成否にもよるが「終息」は困難だ、と思っている。
 その立場で見れば「収束」も「終息」も判断基準が甘い。夏の高校野球の中止の判断もあまりにも遅かった。数ケ月単位での「収束」、「終息」が期待されているが、年余かかる。

 今回の新型コロナウイルスの世界的感染伝播は、経済効率のみを追求し、生物としての身の丈を超えた欲望実現活動が背景になっている・・と思う。

 例を挙げれば、
 ■過剰な経済効率の追求、■過密な人口密度、■人と物の移動が世界規模であまりにも自由かつ大量、かつ高速になつた。■人間同士の距離の維持困難。東京都内のJRの混みようを考えれば他の例を挙げるまでもなかろう。

 今回の新型コロナウイルス対策は、人間同士の3蜜状態を回避することしかなかった。慧眼ではあった。十二分の効果を上げたが、経済社会活動も維持しなければ国の、国民の生活を維持することは困難である。

 緊急事態宣言は確実に成果を挙げた。しかし、それによって我が国も、各国の経済活動は激しく低迷、疲弊し新たな問題が生じてきた。

 しかしながら、今はこれしかない。だから、3蜜回避策を解放したら、感染は再び増加に転じていく。実際には緊急事態宣言は一部を除き解除されたので3蜜回避は維持できなくなる。
 緊急事態宣言解除された地域の町の人出、ビアホールなどの客の様子を見ると暗澹たる気持ちになるが、今まで抑制に協力した方々にとってはやむを得ない状況なのだろう、と理解してあげなければなるまい。
 秋田に生きる私は、緊急事態宣言の影響をほとんど受けずに平穏無事に過ごしているからキツいことは言える立場にはない。これからは個人的な抑制行動が伴わなければ元の木阿弥となる、と思う。

 年始以降今月までの新型コロナ対策は何だったのか?
 一見対策がなされているように見えるが、新型コロナウイルスへ影響を及ぼすような対策は何一つ行われていない。にも関わらずこれだけ抑制ができた、ということは、人口密度を背景にした3蜜がいかにウイルス伝播にとって都合が良かったのか、ということの証である。ウイルスは自己複製のために人間の身体が必要であり、だから、過疎が、田舎が嫌いである。


5/28(木)快晴 午後飯川病院 
 1:00起床。いつもの如く文献、新聞など。画像データ整理、廃棄。8:30-11:00庭仕事と畑、草刈り、ダリア用の植える部分穴掘り、肥料。11:50バス飯川病院着。微睡、14:00-17:50飯川病院、入院患者対応、19:10帰宅、夕食、21:30就眠、13715歩。

新型コロナ(41) 5月以降の動き
 新型コロナ関連記述は5月5日以来である。

 5月28日本日時点の国内感染者総数(死者)数は以下のごとく。
―――――――――――――――――――――――――――――――
??国内感染判明例       16807人(883人)
秋田県        16人(1ケ月以上新規軽症者受け入れ施設秋田感染なし)
岩手県        0人
??ダイヤモンドプリンセス号関連        723人(13人)
??コスタ・アトランチカ号関連         149人
??チャーター機関連     15人
??空港検疫関連者者    172人(2人)
 この間全国の感染者数は増加、死者が倍増に近い。
 昨日の段階で感染者数は減少傾向にあるが、まだ厳しい状況にある。
 世界で感染者は500万人超。死者30万人超。50万人/週のペースで増加している。
―――――――――――――――――――――――――――――――

 秋田は4月15日以来新感染者は見つかっていない。岩手は0人のまま推移している。


 この間の動き 私の新型コロナ関連新聞記事、医療文献は連日30-40件蓄積されるが、その中から注目すべき項目を抜粋し、ここ一月の新型コロナ関連の経過の概要を理解した。

(1)5月06-10日
??緊急事態宣言延長 ??緊急経済対策117兆円世界最大 ??人出8割減 ??こまち利用者減-97% ??医療物資不足 ??倒産ドミノ ??抑制策と経済の兼ね合わせ ??感染症ハラスメントやめよ ??在宅でDV増加、夫婦不仲離婚の危機増加 ??新生活様式とは ??長期戦か ??通販加熱

(2)5月11-15日
??新学期9月問題 ??マイナンバー混乱 ??アビガン早期承認 ??原油安サウジ経済直撃 ??SNSネットにコロナ女など ??医療 献血減少 ??解除検討 ??教育 ネットゲーム依存 ??抗原検査 ??社会的弱者対策 ??重症化と受容体 ??食肉輸入不安 ??避難所と3密 ??軽症者受け入れ施設秋田 ??再陽性者 ??試される知事 ??社会的弱者対策 ??働き方 多様な働き手に ??この機会に読書を ??防御服不足 医療福祉現場困窮 ??コロナ危機民主主義危機 ??国際的連携不足

(3)5月16-20日
??一律10万円ネット申請煩雑 ??28歳力士死去 ??37都道府県で解除 ??PCR伸び悩み ??第二波に不安 ??経済V時回復見通せず ??インド ブラジル厳しい ??オフイス不要論 ??ネット依存 ??医師9割感染に不安 ??拡散するデマ ??県外ナンバーバッシング ??原油安でどうなる ??困窮学生対策 ??根絶できず共存風土病に ??新型コロナ関連自殺 ??人工呼吸器どちらに ??妊娠中不安 ??肥満は危険 ??便乗詐欺 ??コロナ関連 離婚

(4)5月21-25日
??WHO台湾問題 ??アビガン有効性示せず ??がん患者の不安 ??高校野球甲子園中止 ??五輪来年無理なら中止 ??新幹線減便取りやめ ??入国制限3段階で ??免疫暴走 ??戻らぬ客足・・・・


5/27(水)快晴 終日飯川病院勤務
 0:40起床。早朝は新聞・文献読みとデータ化etc座作業中心に。畑庭に散水。7:10バス飯川病院着、午前午後共勤務、外来患者対応、午後は読書中心。19:00帰宅、夕食、20:30就眠、Σ10986歩。

心理学を学ぶ(18) 「匿名での行動」(7) 指先文章は「憎悪育成器」??(3)「保育園落ちた日本死ね!!!」
 2016年、「保育園落ちた日本死ね!!!」で始まる、国の保育所政策に不満をぶつける匿名プログが反響を呼び、その内容は国会でも取り上げられた。
 私は読んでとても不快であった。最悪の文例として記憶から消えない。首相が当初は真摯に取り上げなかったのは当然だと思う。しかし、時代柄か、このような品位を欠く、匿名のブログも無視できなくなったのか、と残念に思う。

 もう一つ、今頃の若い女性の潜在的な「こわさ」を垣間見た事である。怒り心頭に達した状態とはいえここまで口汚く罵ることが出来るものか?
 子育中の方とのことである。いつもこんな状況ではないだろうが、母親の性格、行動が子供に影響しなればいいが、と思う。
 ブログの主は都内の30代前半の女性と特定されたが、5歳近い長男、夫との3人暮らしの方だという。共同通信の質問にメールで回答し、「ここまでの騒動になるとは思わなかったが、これかきっかけで待機児童問題が解決に向かえばと期待している・・・」、と述べた、と言う。長男の保育園は引き網き探しているという。投稿内容の品位とは別にして、この方の悩みは真剣だったと思う。

 それと、識者と言われる方々のコメントも新聞紙上に登場したが、品位を書く文章に言及した意見は見られなかった。このことは私の第二のショックであった。

 この方のブログは宛先もない。内容的には不満の吐露である。
 私は日頃からメールやブログ、ツイッターなどは便利ではあるものの、「憎悪増幅器」の副作用を持つ危険なツールだとも思っている。それにしても、よくまあここまで書けるものだ!!と感心したものである。

 メールは画面を見ながら、浮かんでくる言葉を次々と積み重ね、全体像などを見直すこともなく、直ぐに送るのが常なのだろう。誤字も多い内容からそう感じられる。
 私の場合、現役時代にメールのクレームに返事を書いたが、緊急連絡などを除き最小限1日は下書きのままにしておき、再度見直してから送信する様にしている。ブログの更新も同様である。

 簡単に手紙とメールの違いを論じれば、後者は近代文明の合理主義が、人に備わっている感性、情念などをスルーしてしまった事に起因する、と思っている。

 ツイッターは140字?こんな字数では何も表現できない。私は見ることも利用したこともない。短文であるほど内容は濃縮され、「死ね・・」などが頻回に出る。反対意見やクレームの場合の表現は鮮烈・強烈になり、時には人を死に追いやるほどの力になる。
 自筆文と違い筆跡などから品位を知ることはできない。小文であっても内容的に品位と起承転結は備えてほしいものだ。<a href="https://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20170706">残念な日本語(2) 「保育園落ちた、日本 死ね!!」の行く末は怖い</a>。

 私は言葉による暴力性は何故大きく取り上げられないのか、不思議に思う。
 私自身のことを言えば、私は幼少の頃から小心で、常に劣等感に苛まれてきた。そのため、言葉の暴力にとても敏感である。私は現役を退くまでに無数の暴力的な言葉によって深い傷を受けてきた。私がそれらに屈服せずに、あるいはいじけずに乗り越えて来れたのは、私を癒してくれる心の拠り所があったからであるが、究極的にはまともにやり合うほどの度胸がなかったためである。


5/26(火)終日晴天 外来 飯川病院 
0:30起床、5:00ネコへの給餌、花壇ダリアに散水。可燃ゴミ提出。6:47バス飯川病院着。8:45-13:30中通外来、14:00-18:30飯川病院勤務。微睡、入院患者対応。文献読み、読書など。19:00帰宅、夕食、20:30就歩行計Σ9169歩。

心理学を学ぶ(17) 「匿名での行動」(6) 指先文章は「憎悪育成器」??(2) 岩手県議の自死

 2013年6月25日、ネットに関連した悲劇が生じた。
 舞台が郷里の岩手県であり、県立中央病院を舞台にしていたから、決して忘れられない事件となった。

 K岩手県議は、6月上旬、県立中央病院を受診した際に、番号で呼び出されたことに腹を立て医療費を払わずに帰宅、「病院は刑務所か!」などと、事の顛末を自身のブログに掲載し、読者に意見を求めた。これに対し全国から批判の声が上がり、TVでも取り上げられた。
 本人は事の反響に驚き、謝罪文を掲載してブログを閉鎖、医療費も支払った上で県議会でも陳謝した。これで一段落かと思ったのであるが、私がその次に得たニュースは県議の死亡記事で目を疑った。 K県議は車中で死亡していた。自死と思われた。

 何でK県議が死を選ばなければならなかったのか、本人の立場にはなり得ないが、私は何も死ぬことはなかったのに、と思った。
 K議員にも反省すべき点はあったが、それ以上にネット上でのバッシングの激しさに驚いた。

 ツイッターには短文の悪意に満ちた声が多数集まっていた。気軽に他人に「死ね」という人々、彼らは何を考えての投稿だろうか。
 ツイッターの投稿者はロクに思考もせず、ノリで気楽に指先から呪詛を吐き出す。呪詛は連鎖し、数で凶暴性を増す。この無責任社会の現実を、K議側も適正に評価しなければならなかった。
 ネット上で激しくバッシングされようとも、所詮、匿名の、無責任な仮想のやり取りである。県議にもそう考えてほしかった。死ぬほどのことはなかった。

 K県議に向けて発せられた悪意に満ちた声は「指殺人」に相当する脅迫行為と思う。

 県議は積極的に自分のホームページで県民に向けて政治的意見を発信してこられた方である。ネットを積極的に利用されていた一方で、ネットの恐ろしさについてどれほど認識されていたのだろうか。
 自分の意見を文章で表現することは大きな責任を伴う。また、ネット上で交わされるバッシングと実際のバッシングとは別次元のものと私は思うのだが、県議はどう考えておられたのだろうか?

 私もネットを利用しブログを開設している立場なので、当時県議に親近感を持った。どちらにせよ死なねばならないほどのことではなかったと思う。

 攻める側の「いのち」に関する考え方も問題であったが、K県議は自分の「いのち」をもっと大切にして欲しかった。


5/25(月)快晴 健康クリニック 飯川病院 
2:10飯川病院で起床。ディスクバックアップetc、メモリー不調でロック解除できない。いつもの如し。7:00検食、9:00-11:00健康クリニックドック8名、レ線判定2名。11:10飯川病院、検食、微睡など。14:00-18:30飯川病院勤務。入院患者対応、19:00スーパー、佐野薬局経由帰宅、夕食、20:30就眠。歩行Σ9131歩。

心理学を学ぶ(16) 「匿名での行動」(5) 指先文章では「憎悪育成器」??(1)

 韓国では2019年11月KARAのク・ハラ氏(28)がネット中傷などで自死したが、以降「指殺人」と呼ぶ、と最近知った。適正な言葉だと思う。私はパワハラ、セクハラなどによる自死では間接的「口殺人」なのだと思っている。物理的暴力行為に至れば傷害事件となるが、「指殺人」、「口殺人」に由来する自死などは犯罪性を証明するのは困難である。それでも自己防衛として、前者の場合は記録を残しておくこと、後者に関しては録音を残しておくことによって立件できるかもしれない。

 2004年5月、小学6年生が同級生の頸をカッターナイフで切り死亡させるという、信じ難い事件が生じた(佐世保小小6同級生殺害事件)。11歳の少女が抱く愛憎とはなんだったのだろうか?
 加害者、被害者共にパソコンを自由に駆使し、ホームページも持っていて、通常からメールを頻繁に交換する仲であったらしい。私はこのことが深く事件に関連していると思う。最初は小さな思惑の行き違いであったようであるが、次第に憎悪のぶつけ合いになったようだ。
 私はメールやSNSなどは便利ではあるものの、副作用として、場合によっては憎悪に憎悪が重なる文書作成器になる、「憎悪育成器」にもなりうるツールと思っている。

 合理主義の近代科学文明は人間に備わるべき感性、情念を簡単にとびこしてしまった。人としての成長の基礎も作られないうちに合理的、ヴァーチャルな、視覚だけの世界に接していくと、基本的な感性等は育たない。
 例えば、読書の場合は、読み聞かせであっても、自分で読む場合であっても理解するのに感性や空想力が必要である。ネットやゲームの場合はこれらが不要である。なんら苦労せずに快楽を得ることができる。青少年のネット依存、ゲーム依存の背景の一因だと思っている。

 私はかつてはある病院の管理者であった。
 患者や家族から投書や手紙、メールにていろいろの意見や提言、クレームが寄せられる。私はこれに関してすべてに目を通し、どんな意見であっても天の声と考え前向きに対処してきた。住所や記名のある投書や手紙に対しては可能な範囲でご返事を差し上げた。
 病院備え付けの投書箱、手紙によるものは圧倒的に中高年の方が多い。肉筆の手紙はクレームも少なくないが、好意的な礼状が多い。筆跡から書いた方の心理すら推定できた。丁寧に記されているものが多く、見事な筆跡、文体に書いた方の知性を感じさせられるものも少なくなかった。

 一方、メールによるものは、圧倒的に若い年代に集中し、文章には通常は用いないだろう言葉が並べられ、徹底的に厳しい内容のクレームが多い。その文体は粗雑であり、筆者の感性や知性を感じることはできない。しかも、本人からのものは少なく、話を聞いた友人とか、家族からのが多い。メールの場合には直ぐに対応しなければ2-3日後には追加のメールが来る。その際には内容が一層エスカレートしているのが常であった。内容は時間が経った今見直してみてもメール特有の、怨念の自己増殖部分だな、と思われる表現が随所にみられる。

 肉筆は脳を介して指先で書く。だから感性も表現される。
 メールなどは脳を介さず、指先でスマホやパソコンに仕組まれた文書作成機能を利用して文章が作られる。そこには感性など表現されようがない。だから、「憎悪育成器」にもなりうる。


5/24(日)快晴 飯川病院日当直
 1:00起床、データ整理。徒然、ダリアに散水ほか、6:30バス飯川病院、7:00日当直業務に就く。9:00までは前日の当直医の業務一部代行。10:00院長に留守頼みブックオフに。8冊購入、12:00検食、読書中心。微睡。18:00検食、20:00就寝。Σ6796歩。

心理学を学ぶ(16) 「匿名での行動」(5) スマホなどの指先文章では「誹謗中傷」は成長する
 私が知らない世界のことであるが、芸能関連の人気リアリティ番組「テラスハウス」(Netflix)というのがあって、そこに出演中のプロレスラー・木村花氏(22)が5月23日に急逝した、という。
 状況からSNS誹謗中傷を苦にしての自死と思われる。その突然の訃報が波紋を呼んでいる。

 私はその訃報を見て初めて彼女の存在を知った。
?
 木村氏には「テラスハウス」に出演以降、誹謗中傷が絶えなかった、という。どんな番組か予想もできないがその中で何かがあったのだろう。一見出演者が野放図に話し、演技しているようであっても、そこには必ず台本があるはず。だから今回の事件は番組制作側にも責任の一端があるはず。

 昨年、ネット中傷に悩んでいた韓国のグループ元KARAのク・ハラ氏(28)が亡くなったことで韓国では「指殺人」という言葉が広く知られることとなっていた。私は「口殺人」という言葉とともにいい指摘だと思っている。

 木村氏のツイッターに「死ね」、「気持ち悪い」、「消えろ」、などと多数書き込まれていたが、アカウントが23日午後から、続々と削除された、という。投稿者が削除したのか管理者が削除したのかはわかっていない。それがまた「匿名の無責任者」達のコソコソと不快な動きである。堂々と出て来れば良いじゃないか。言いたいことがあったらなんで誹謗記事を投稿したのか、キチンと論理的に説明してみろ、と言いたい。

 木村氏の死亡後、ラインやツイッターなどのSNS事業者でつくる「 ソーシャルメディア利用環境整備機構」は緊急の声明を発表した。
 「SNS上での嫌がらせや名誉毀損などを禁止事項として利用規約に明記し、こうした行為を把握した場合、利用停止などの措置を徹底します。また、法律に基づき情報を開示するよう求められた場合、適切な範囲で必要な情報を提供します。機構は特別委員会を設立して、さらに対策を検討します」としている。

 著名人からはネットリンチについて批判の声が相次ぎ、BBCなど海外メディアも「ネットいじめ」があったと報じている。菅官房長官も会見でこの件について言及した。誰もが「投稿者の素性を明らかにするのは不可能ではない・・・」という。しかし、どの方もずれている。投稿者の特定の手続きのためには裁判所の判断を2回受けなければならず一般人にとってほぼ不可能に近い。その手続きの最中に問題の記事が削除されることも稀ではない・

 日本の犯罪においては「被害者の権利」よりも「加害者の権利」が擁護されていると思う。「個人情報保護法」、私個人は「個人情報隠蔽法」と呼んでいるが、ができてから一層状況が悪くなってきている。

 指先感覚で文章を作る作業は漢字変換などを勝手にやってくれる。だから、エスカレートしやすく、頭を、知能を倫理観などをスルーしてしまう。
 同じ作文であっても、筆記用具で原稿用紙に向い、苦労して書くと自ずから別の文章になるはずである。


5/23(土)曇り 草刈り等外仕事 ダリアNo1分株 飯川病院午後日直  
 0:20起床、新聞入力、データ整理。徒然、など。散水。午前仮植えしていたダリアNo1株掘り起こして分株。7つに分けて本植え。畑はナスが2株枯れそう。補充よてい。12:30バスにて飯川病院。12:30?19:00日直、一部当直医の補助。19:30レガシー帰宅、夕食、21:00就寝。Σ8833歩。

佐野眞一著「東電OL殺人事件」 新潮文庫(2) 被害者の人物像こそ知りたかったが 

 「東電OL殺人事件」について当時のマスコミは猟奇的な意味で報道し、3面記事的な扱いしかしていなかった。
 この事件について著者の佐野氏は真実を嗅ぎ分ける臭覚を持ち、地道な調査活動で問題点の一端を明らかにした。

 被害者WYさんは、東電では国の財政や税制及びその運用等が電気事業に与える影響をテーマにした研究を行い、月1-2本の報告書を作成し、そのレポートは高い評価を得ていたと言う。中には「原発の危険性を指摘」する報告書もあったという。
 被害者WYさんの父親もかつて東電職員で、途上でガン死したが、原発に関しては慎重な姿勢を貫いていたという。WYさんは父親に傾倒していたという。彼女の激ヤセの原因は心因性食欲不振症だったと思われるが、その原因の一因は原発推進を社是としている東電にあって、原発の危険性について自覚しているWYさんの考え方にあるように思われる。板挟み状態にあったと思われる。その辺は東電は明らかにしていない。
 結果として事件の真犯人は判らず、迷宮入りとなった。警察・検察はまったく見当違いの捜査と立件を試み、事件の真相は完全に闇になった。

 東電は圧倒的資金量から、マスコミに対し大きな力を持っていた。東電のマスコミ操作も疑われるが、明快な証拠はないようである。
 本書を読んでわかるのは、筆者が「マスメディアの論旨は鵜呑みにしてはいけない」ということであり、「裏で権力と結託しているという疑念を持って見る」ということを主張していることになるだろう。その通りだと思う。
 しかしながら、事件が新しく、まだ情報があやふやなうちは一般人がその情報の真偽を疑うことは困難である。

 著者の佐野氏は地道な調査をもとに、警察、マスコミ報道の歪みを浮き上がらせた。その過程がどのように生成されていったのか本書を読むことによりよくわかった。著者の地道な努力と真実を嗅ぎ分ける臭覚が示されている。

 警察発表があり、それを報道するだけの大手マスコミ、それを疑問なく受け入れる一般市民がいれば、警察の思惑でいくらでも誤ったストーリーを描くことができる。
 本書も警察の怠慢を実感できた一冊で、警察批判の書でもある。警察組織はある意味、恐ろしい組織なのかもしれない。

 ただ本書は文庫本で500余ページにも及ぶ大作である。ネパール調査を含め足しげく事件現場の調査をすることは素晴らしいことだと思う。執念に感心した。本書の中にその筆者の思いが詰め込みすぎている。本人にしては決して無駄な記述ではないだろうが、読者の一人としては白々しくも感じた。

 被害者の心理的背景を知りたく読み切ったが、8割位が冤罪で無罪を勝ち得た被疑者に関する話だった。それも一つの行き方だと思うが。

 結論的を言えば、被害者に関しては、闇の中のまま。女性の人物像にまで達せていない物足りなさを感じた。高給取りの被害者が、激ヤセ状態で一回数千円の立ちんぼもしていた理由は何か?やはり彼女の心の中のことまでは分からない。しかし、医師としては彼女に対する興味はますます湧いてくる。

 地道な取材を丹念に行い、それを通して真実を明らかにしようとする著者の姿勢は高く評価する。しかし、敢えて実名を使う必要性までは感じなかった。

 筆者の立場からの、優れた解釈の一つとして認めたい書籍である。


5/22(金)降雨のち晴れ 大曲外来 午後飯川病院ボランティア 
0:45起床.書類、文献・新聞チェック。徒然。5:00可燃ごみ提出。7:40Taxi駅東に。。8:12こまち、大曲駅徒病院復路徒歩。9:00-12:00大曲中通病院外来。秋田は曇り模様、13:30-17:00飯川病院ボランティア。19:00帰宅夕食、21:30就寝。歩行Σ9770歩。自炊数冊進める。

佐野眞一著「東電OL殺人事件」 新潮文庫(1) 2015年 被害者は心因性食欲不振症か?

 私は事件を詳細に調査し報告する本書のようなドキュメンタリー書が好きだ。

 ある地方で一つの事件が生じた際は当初は大々的に報じられるが、時間と共に報道されなくなる。特に地域から離れている我々には情報は届き難い。調べても当時の資料が十分の入手できるとは限らない。
 その際、本書のような資料があれば便利である。古い本であるが、今回読み直してみた。

 著者の佐野真一氏は1947(昭和22)年東京生れ。出版社勤務を経てノンフィクション作家に。権力に、マスメディアに対峙する姿勢が見られる。著書多数。

 「東電OL殺人事件」は1997(平成9)年に生じた。
 犯人が逮捕され、裁判まで経過したが冤罪であることが明らかになった。
 未解決の事件である。

 この事件について私は当初から以下の点で興味があった。
■昼は東電エリート女性職、夜は街娼。明らかに異常状態でないか?
■決定的証拠がないにも関わらず最高裁まで公判が維持され、無期懲役となった。
■DNA関連の新証拠が出て無罪判決となった。
■被害者のWYさんは、身長169cm、体重44Kgと病的に痩せていて、あたかも骸骨のごとくだった。
■被害者はおそらくストレス性の病気だったのであろう。
■そのストレスの一因には父親の意向を継ぐ反原発推進論者で、そのレポートに対する周囲からのプレッシャーがあったと思われる。
■家族も社の同僚もこれほど長期間の二重生活に気づかなかったはずはない。

 この事件は謎めいた内容であった。当時のマスコミは猟奇的な意味で報道し世間の関心を集めた。

 被害者は39歳WYさん、犯人として逮捕されたのはパキスタン人のGPM氏。

 事件は渋谷区円山町にある木造アパート空き部屋で女性の絞殺死体が発見された。
 被害者のWYさんは、身長169cm、体重44Kgと骸骨のように痩せていた。私はこの点にいたく関心を持った。心因性の精神病だったと考えた。
 死体のそばにあつたバッグには「東京電力東京本社企画部経済調査室副長」の肩書を記した名刺があった。

 事件の捜査の結果、WYさんは退社後に円山町で売春していた事実が判明した。自分に1日に4人のノルマを課し、さらに休日にはSMクラブでも働いていた、という。
 WYさんはエリート社員で金銭的余裕があるのに、夜は相手を選ばず不特定多数の相手に売春を繰り返していた背景には、何らかの強迫観念に取りつかれ、精神を病み、自律心を喪失したのではなかろうか。この辺を詳細に報道したメディアはなかったようだ。

 当初は、ありふれた殺人事件と思われていたが、日本を代表する大企業のエリート女性社員が売春を行っていたこと、無罪になった外国人を釈放せず拘留し続けたこと、DNA鑑定の真偽に問題があること、検察による証拠隠しの疑いなどにより、裁判史に残る事件となった。


5/21(木)降雨 終日飯川病院 家内大学口腔外科・腫瘍内科受診
1:00起床.文献等資料チェックなど何時もと同じ、8:30プリウス飯川病院着、8;40勤務終日。外来入院患者対応。18:00帰宅。19:30夕食。21:00就寝。歩行計Σ5889歩。自炊数冊。

心理学を学ぶ(20) 火へのこだわり(5) 結局こだわり性格とはなにか(2) 短所
 こだわりが強い私の性格は自分にとっては悪くない、と思っている。しかしながら、特に家族などにとっては短所やデメリットとなるようだ。
 こだわりが強い性格は、状況によって長所にも短所にもなり得る。

(2)こだわりが強い人の短所・デメリット

■1. 意見を曲げないため、付き合いにくいヒト、変人と思われやすい
 簡単には揺るがない価値観や考えを持って、他人の意見に左右されないのは長所、どんな場面でも周囲の意見に全く耳を貸さないのは短所。

■2. 考え方が極端で柔軟性がない
 二択でしか考えない。変化に柔軟な対応ができない。私の場合、本当は柔軟な理解力、包容力はあるのだが、口をから出てくるときは極論になる。

■3. 人から問題を指摘されるのを好まない
 自分のルールやペースを重視する。自分のルールやペースで進められないことに納得がいかず、強いストレスを感じる。 時に攻撃的に対応する。

■4.他の人にペースを合わせられない。
 仕事でもプライベートでも協力して何かを行うのが苦手。私は仕事上では複数のメンバーが協力し合うチーム医療が苦手であった。プライベートでは早寝早起きで家族と生活域を分けて自分の世界を確保している。

■5.臨機応変に対応できない
 環境や状況の変化についていくことができない。

■6.空気が読めない
 こだわりがあるものに対して高い集中力を発揮するが、他には無関心。まわりから浮いた存在になりやすい。

■7.否定されず、適度に褒められることには弱い

■8.こだわりが強い人に向いている仕事
 「研究者」、10年余やって見た。しかし能力がなかった。 自分色を出せる「クリエイター」,「職人」,「プログラマー」などなどが考えられるが、私は最も安易な医療に進んでしまった。
 私の人生観の甘さのルーツはここにある。


5/20(水)降雨 
 0:45起床。文献・本読み他、いつもの如し。午前は各種データ整理、外来・入院患者対応。微睡、新聞チェック、そのほかデータ整理。11:50バス飯川病院。ボランティア。ラジオ深夜便録音ながら聞き直し10本ほど。19:25帰宅夕食、新聞入力、8:30就寝。歩行Σ8716歩。

心理学を学ぶ(19) 火へのこだわり(4) 結局こだわり性格とはなにか(1) 長所
 私はこだわりが強い。興味を感じる分野とそうでない分野が極端に分かれている。
 こだわり性格というのがある、と思う。自分がそれに合致すると思う。厄介な性格と思うが、他人に対する害はさほど及ぼさない。それなりに良い性格である。

(1)こだわり性格の長所

■1.粘り強い
 こだわりを持つ対象に対し、自分の納得がいくまで、粘り強くやり続ける忍耐力がある。向上心がある。一度決めたらなかなか諦めない。

■2.信念がある
 自分に確固たる信念があり、そこを曲げないことが「こだわり」というかたちを取る。過剰になると「執着」に変わる。自分では自覚がない。

■3.完成度が高い世界を作りあげる
 思い入れがあるものに対しては、時間や対価など関係なくとことん追求する。結果的に完成度が高い内容になる。自分の納得のためなら苦に感じることない。

■4.周囲の評価より自己満足できるか否かを重視している。自己肯定感が高い。

■5.客観的な「正しさ」や「誤り」に関心が薄い。

■6.高度の技術・知識を持つ。豊富な知識や情報を持っている自分が好き。自信に満ちた陶酔状態にいる。

■7. 自分の意思や意見を曲げない
 自分の価値観や考え方に強い自信を持つ。 自分が決めたルールやペースを重視しているため、他人にそれを乱されるのを非常に嫌う。

■7. 協調性がない
 こだわりが強い人は、自分の時間の使い方にもこだわりやルールを持っている。 そのため、周囲の人に合わせて行動したり、協力して作業をしたりすることに、強いストレスを感じる。 臨機応変が苦手。

■8. ナルシストな面がある
 こだわりが強い人は、ナルシストな傾向がある。妥協せず追い求める自分に誇りを持ち、そんな自分が好き。

■9. 値段が高くても良いと思ったものを購入する
 持ち物にも妥協しない。 判断基準は、「自分が良いと感じるかどうか」のみ。値段、ブランド、トレンドなどには一切関心を示さない。

■10. 人からの評価を気にしない
 行動の判断基準は「自分が満足できるかどうか」。他人の評価や意見は気にならない。

■12. 細かい部分まで目が届く
 興味関心がある物事に対して、非常に高い集中力や追求心を向けられる。

■13. 会話が嫌い、一人で過ごすのを苦にしない
 自分の ルールやペースを他人に乱されるのを極端に嫌う。 一人で過ごすことが苦にならない。

■14. 主張は極論になりやすい。

 (参考 加藤諦三著 こだわりの心理 一部を引用した)

 今回これをまとめて見て、自分の性格の一部が客観視できた。


5/19(火)終日曇り降雨 中通病院外来 飯川病院
0:45起床、夜半から降雨。文献チェック、徒然。本読み他いつもの如く。昨年家内舌癌のために大学口腔外科に入院。5:20可燃ゴミ提出、6:47降雨の合間を縫ってバス飯川病院着。8:40-13:30外来、疲弊。14:00-18:30飯川病院。入院患者対応。19:15帰宅・夕食、21:30就眠。歩数計9550歩。

心理学を学ぶ(18) 火へのこだわり(3) 目標は火葬場の白骨
 焚火、ゴミ焼却を何年も続けていれば、自ずと自分なりの技術、目標点のごときものが生まれてくる。目標は白骨のごとくの白い灰である。

 ■第一は速やかな着火。ここで時間を費やすのは惜しい。このためには枝の組み方など空気を通すための工夫が欠かせない。生木や落ち葉などは庭の片隅に重ねておき乾燥を待つ。普段からの精進が求められる。ゴミを集める際は焼却物を分別しておく。 

 ■第二は一瞬たりとも変わらない火炎、燃焼物が静かに自変していく様子に情趣を感じる事。微妙な移ろいを尊ぶものであれば、点火から鎮火まで決して目を離せない。取るに足らない趣味であってもそれなりに奥の深いものである。

 ■第三は白い灰となるまで完全燃焼させる。これが腕の見せ所であるが、なかなか難しい。私から見て燃えかすを残したまま、あるいは、黒い灰が残る焚火跡は焚き火をまとうしたとは言い難い。ふんわりした軽い灰にしなければならない。
 焼却を終える前に火ばさみで燃えかすをかき集め小山を築く。中にこもつた熱で残った可燃物質は完全に燃え尽き白い灰となる。
 この完全に白い灰になった状態は、火葬で白骨化した遺体のイメージを彷彿とさせる。いずれ、私も・・・、だから好きである。

 ■第四は完全な消火。念には念を入れている。急ぐ場合は水をかけるが、邪道。次回に影響することもある。白い灰は対応不要だが、最も良いのは土をかけることである。

 第1から第四までのプロセスは燃やすね着物の量にもよるが概ね半日はかかる。燃えにくい生木などが含まれているとさらに時間は長びく。この間、私は飽きもせず火を見つめている。ここがこだわりか?
 その間、私は一体何を考えているのか??
 燃焼物の究極の最後の姿を求めるほかは、何も考えていない。火炎が激しく燃え盛えた時の緊張感、そして白い灰となった後の寂寥と安堵感、今から考えると小学校1年の時に経験した火災そのものを自分の中で再現していたのだ、と思う。

 この落差が、一枚の宗教画を見たり、鎮魂ミサ曲を聴いたあとと同じような安らぎを私にもたらすのであろう。
 
 いずれにしてもこの趣味は環境問題からもう再現できない。
 残念であるが、やむを得ない。 


5/18(月)曇り 健康クリニック 飯川病院 
 1:20起床、各種データ整理。徒然。7:10バス飯川病院着。新聞・画像処理。9:00健康クリニックドック+レ線判定。キャンセル多数で2名のみ。10:45古書店経由、12:00飯川病院に、検食後微睡。14:00-19:00勤務。入院患者対応、読書。ラジオ深夜便録音ながら聞き直し10本ほど。19:30帰宅。夕食、21:30就眠。歩行Σ7043歩。

心理学を学ぶ(17) 火へのこだわり(2) ダイオキシン
 私の趣味は長い間焚き火であった。
 しかし、環境汚染の立場から焚き火は禁止された。私はシュンとなったが、諦めてここ20年ほど焚き火はやっていない。
 
 私が小学生の頃から焚き火、火炎、ごみ焼却が好きになったのは、小学1年の時の自宅の火災を離れたところからつぶさに見届けていたことと関連がある。一種のトラウマの一つでなかったかと思う。今でもはっきり思い出すが、建物が焼ける火災の火炎は強烈な破壊力、焼却のパワーであった。消防が駆けつけたがもはや手の打ちようはなかった。400坪もあった瀟洒な建物を始め、我が家が蓄積して来たレントゲン装置などの医療器具、物品の大部分が、強風の中とはいえ数時間で跡形もなく消え去った。

 当時の自宅の敷地は約1000坪もありごみを焼くのにスペース上問題はなかった。焼却は広い場所を選び、畳1畳ほどの広さで、深さ50cmほどの穴を掘ってもらい、ごみや灰が飛散しないように工夫した。
 私は休みの日には早朝から家中のごみを集め、火災で焼け残った木材などを集めて数時間焼却するのが常であった。風のない日は、多少雨が降っていても待ち兼ねたように庭に飛び出す。好きな道だったとはいえ、我ながらよく飽きもせず火炎を眺めていたものだ、と思う。 

 ところが、時代は変わった。
 ゴミの安易な焼却などによってダイオキシンなどの副生成物が生じる、とされる。
 確かに、ゴミや廃棄物の不十分な焼却処理過程においての発生が一番多い。家庭における焼却ではダイオキシン等が多く発生する。プラスティックや食品トレイ、その他塩素を含むあらゆる物質が、燃焼温度800℃以下の低温の燃焼によってダイオキシンが発生する。

 そのため、800℃以上の高温で完全燃焼させ、排ガスは300℃前後まで急速冷却し、微量のダイオキシン類を活性炭で吸着し、バグフィルターでろ過してから再加熱し、最終的に大気中に放出している。
 また、焼却によって生じた灰や活性炭などは固化処理などを行いダイオキシン類や重金属類などの溶出を防止している。処理した固化物などは管理型最終処分場に埋め立て処分することが定められている。
 ゴミの焼却は巨大な設備、大量のエネルギーを要するものである。

 秋田県では1971年(昭和46年)公害防止条例37-2項に焼却の禁止としてごみ焼却が禁止されている。ただ、県の条例だからなのか、不徹底だったのであろう、私もそのような取り決めがあることは知らず、しばらくは庭先でごみ焼却をしていた。その間、ご近所の方々には煙とか匂いとかで迷惑をかけた。

 焚き火が趣味と言う人はそう多くはおるまい。自慢すべき趣味でないために人前で話したことはない。

 焚き火は枯れ枝、枯れ葉、家庭から出る不要の紙くず、ゴミ、木材などの可燃物を集めて燃やすことである。ただそれだけのことである。
 単純明快、取るに足らない趣味であるが、趣味と言っている以上、それ以上のノウハウを考え、その中に楽しみを見出していた。


5/17(日)夜間早朝降雨、以後晴れ 飯川病院日直
0:40起床、早朝は本読み、文献チェック。8:41バス飯川病院に。9:00-19:00日直業務。患者は安定。新聞チェック、読書、自炊データ整理進めた。19:30中通病院医局忘れ物ダリア球根とりに立ち寄り帰宅。病院内に人っ子一人会わず。夕食、21:00就眠。Σ7333歩。

心理学を学ぶ(16) 火へのこだわり(1) きっかけは自宅の消失
 人は誰しも何かしらのこだわりを持っているのではないか。私のこだわりは結構多い。
 今回は私が頑なに持っている「火についての執着、こだわり」について、まとめるとともに考察を加えてみた。
 
 こだわりのルーツには何かしらの大きな事情がある。
 私の火に対するこだわりのルーツ、それは7歳の時に突然生じた。

 小学校に入学して間もない昭和27年4月10日の正午頃、風速10mほどの強風の中、近所の農家のお爺さんが田植えの時に肥料として用いる籾殻焼きを強行した。火がついた籾殻が風に飛ばされてまず自分の家の藁葺き屋根に燃え移り、火のついた藁が空中を舞い、それがもとで我が家を含めて11軒が全焼した。 

 火事そのもの恐ろしさ、数週後の火元のお爺さんの風呂場での入水自殺、関係者に長く残る心の傷(PTSD)など、火災の悲惨さを身をもって体験した。道路脇に並んで建っていた民家のうち風下にあった住宅が集中して焼けたが、100m以上も離れてポツンと建っていた一軒家にも類焼が及んだ。それだけ強風であり、乾燥し切っていたためであろう.

 丁度、昼食時であり、後で食べようと大きな卵焼きを脇によせておいたが、食べないまま避難したことが心残りであった。祖父から麻薬の入った手提げ金庫を託され、背負って安全なところまで避難し、その金庫の上に座って家が焼け落ちる過程をずっと見ていた。自分で出来る範囲で責を果たした、と言う満足感があった。

 翌日から、まだ熱い焼け跡を整理し始めた。数日たってもなかなか冷えないものだ。焼けただれた物品が次々と出てきたが、一月前に仕舞ったばかりの雛の陶器製の頭部を10数個回収したが、年季の入った見事な品であっただけに、変わり果てた姿に涙した。

 今でも私は「火事」と「卵焼き」と「麻薬」には異常反応を示す。特に「火の始末」には異常に執拗で、時には家族や手伝いのおばさんのやり方が気に入らず声を荒げることもある。薪や炭と異なり一瞬に消火できる器具の時代になってでさえ、火に対する私の要求は執拗である。

 この経験を経て、「火の持つ破壊的燃焼力の威力」、「火炎の持つ怪しい美しさ」、「火が持つ浄化能力」・・など、火を見ることも、考えることも好きである。

 他の人には到底理解できないこだわりのレベルなのではないか、と思う。当人にしか分からない、「こだわりの心理」が働いていると思う。

 「こだわりがある」というのは、良い意味ではより深化し構造化された感受性や知識があるということ。
 「こだわりを持つ」ことは、仕事であれ、趣味であれ、「納得できる」、「満足できる」という充実感につながる心理である。
 だから、前向きに捉えたい。


5/16(土)曇天・降雨 PDF書類の合体・分離などよく働いた
1:00起床。新聞、文献PDF化他、録音データ処理、本読みなど。午前午後共に降雨のために外仕事不可。PDF書類の改変について種々検討。機能性たかまる。夕方から新聞処理。読書、データ処理に。徒然更新。19:00夕食、21:00就眠。歩行Σ4978歩。

四季2020(7) 庭先の花たち(2) オオデマリ、白・ピンク・赤のボタン、白フジ。シャクナゲ赤白、ドウダンツツジ
 4月07日、私の春が来た。
 四季2020年(5) ついに、私に春が来た が、結構寒い

 4月24日、秋田の桜が散った。私の夏が来た。今年の春は短かった。
 四季2020(6) 桜散り私に夏が訪れた 庭先の花たちが萌えている
 夏、花の季節である。
 今年は巷では新型コロナウイルスの世界的蔓延を迎え、緊急事態宣言も出て人出はまばらである。それに、ここ数日天候が悪く桜開花に伴う気持ちの高揚も中途半端で、もう大部分散り、葉桜となっている。
 人間社会がいかに混乱しようと自然は偉大である。いつもと変わりなく開花したが、私の心の問題なのか、今年の桜は心なしか寂しげであった。
 2011年3月11日東日本大震災が生じた。津波の直接的被災を免れた地域では4-5月いつもと同じに桜が満開となった。いつもなら嬉しいのであるが、この年の桜はメディアが報じるたびに私の涙を誘った。今年の桜を見て、2011年の桜を思い出した。

 5月に入り、わが家の木々、草花は満開となり、我が屋の庭先は一気に華やかになった。

 ここの花に対して私の知識は乏しい。名称もろくに知らない。
 (左から、一応オオデマリ、白・ピンク・赤のボタン、白フジ。シャクナゲ赤白、ドウダンツツジ、大輪のピンクのボタン)

 名前はなんであれ、木々、草花の美しさをじっくり味わえる幸せを感じている。

 なんで花はキレイに咲くのか?誰のために??私の疑問はまだ解けていない。

 私にとっては夏が始まった。これから木々草木は緑に萌え、種々の花々が次々と開花する。
 いい季節になった。


5/15(金)快晴やや暑い!!! 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床。新聞・文献・雑誌読みと自炊他。6:00可燃ゴミ提出、7:40Tax駅に,こまち14号。往復ともガラガラ。9:15-12:10大曲中通病院外来、往復徒歩。13:30飯川病院ボランティア。19:20Taxi帰宅、夕食、21:15就眠。歩行Σ12404歩。

75回目の感謝の日(2) 後期高齢者医療制度に自動的に移行
 我が国では国民全員が何らかの医療保険に加入している。
 私は一昨日までは「社保」加入であったが、昨日から後期高齢者医療制度の被保険者となった。
 後期高齢者医療制度についてよく知らなかったから、その概要についてまとめてみた。

(1)後期高齢者医療制度が誕生した背景
 国民は、基本的に「国保」または「社保」のいずれかに加入。保険料を納めると、わずかな(?)窓口負担(3割)で医療を受けることができる。
 この国民皆保険制度は世界に冠たる社会保障制度と言われているが、私は本当か??と思っている。

 ■窓口負担は確かに3割と少ないが、給与から天引きされる保険料は、あまり意識されていないが高額であり、国保税は生活が逼迫するほど高額である。国保税の未納者は14%にもなる。国保加入者の一人当たり平均保険料は、政府試算でも、中小企業の労働者が加入する協会けんぽの1.3倍、大企業の労働者が加入する組合健保の1.7倍である。
 例として東京23区に住む給与年収400万円の4人世帯をあげると、協会けんぽでは保険料は年19.8万円、これに対し、国保加入だと年42.6万円、じつに2倍以上の格差とされる。
 
 ■国民皆保険制度のために患者の受診行動は往往にして安易であり、時間外診療を担う勤務医の業務は過剰である。

 しかしながら、時代の推移とともに制度の問題点が浮き彫りになった。その最大の問題点は高齢者にかかる医療費が膨張したことである。2013年には年間の国民医療費約40兆円のうち約3割が後期高齢者に支出された。また、現役世代の多くは社保に加入しているが、加入者が多くて支出が少ない社保と被保険者が高齢化し高額になった国保とのアンバランスがが大きくなってきた。
 こういった背景から、■1983年従来の「老人保健制度」を見直した。それでも高齢者医療の支出は止まらず、医療費亡国論などと言われた。

(2)医療費の膨張で、高齢者は保険料の1割を負担することに
 満75歳になった高齢者は自動的に後期高齢者医療制度に移行する。ただし、障がい者などは65歳から加入することができる。

 後期高齢者医療制度による最大の変更点は、財源の一部を75歳以上の高齢者が負担すること。従来の老人保健制度では、税金が50%、国保と社保からの支援金が50%で運用されていた。後期高齢者医療制度では後者の負担割合を40%に減らし、削減した10%分を75歳以上高齢者が納入する。

 毎月の保険料は、各都道府県によって異なるが、支払う上限額は年間で50万円となっている。徴収方法が年金からの天引きで、徴収漏れがない。

(3)後期高齢者医療制度の自己負担額と限度額
 後期高齢者が窓口で支払う自己負担額は原則1割。ただし”現役並み"の所得者は3割負担。だから、私は3割負担のまま。その他、さまざまな減免措置が用意されている。
 
 果たして私に社保の時に比較してメリットがあるのかは今の所わからないが、後期高齢者医療制度の収支に関しては貢献することにはなるだろう。


5/14(木)快晴 75回目感謝の日 後期高齢者に 運転免許関連認知症検査
75回目感謝の日。後期高齢者に突入。0:50起床。いつもの如く本読み、データ整理中心。畑仕事若干。11:50飯川病院。14:00勤務、入院患者対応。19:20帰宅夕食、21:00就眠。歩行Σ12276歩。小説類自炊進める。

75回目の感謝の日(1) まだ運良く生きています 後期高齢者に突入

 本日75回目の誕生日。私には関係ないと思っていた後期高齢者になってしまった。2013年9月、東京五輪誘致が決定したが、その時の感想は「私は興味がないし、2020年なんて関係ない・・」であったが、ついにその歳まで生きてしまった。結局、東京五輪は新型コロナ禍で延期はなったが。

 私が本当に消える日までの生き方は昨年と同じだが、以下の如くに過ごすつもりである。

(1) 私の社会的使命は終わっている。仕事は最小限の診療に限定する。今年は昨年の同様のスケジュールが組まれている。
(2) 自由に、ホンネで生きる。やりたくないことは受けない。
(3) 時間がない。だから、意の赴くまま、気ままに生きる。
(4) 五感を生かして生きる。自然、人生に一層深く味わいを感じる様になった。
(5) 長時間の歩行は体調不良できなくなったが、こまめに歩いて移動機能、下半身機能を維持したい。ちなみに、2020年4月14日、7.3年かかって沖縄を含む日本一周を達成した。所要日数2565日、7.03年。総歩数Σ2411万歩、平均9.399歩/日)。歩行距離Σ19292Km、平均7.52Km/日。今2周目を始めている。軽い膝痛を感じる様になった。
(6) 診療で得られた報酬の約20%を岩手の復興資金に送る。収入減とともに徐々に少額になりつつある。
(7) 終活を一層進める。
(8) 私には自省すべき言動が数多くあり、今になってそれを恥じて身を隠している。
(9) 最近何もしない時間が大切に思えてきた。
(10) 男性性から解放されつつある。より中性的立場から、女性について考察し論じたい。 
(11) 年とともに衰えを感じるが、それを得難い長所と考えたい。
(12) 人、物事に対して寛容になってきた。人の気持ちがわかってくる。考えが深くなる。じっくりと味わうことができる。多様な考え方を受け入れていく。さりとて人の言葉に左右されたくはない。これは矛盾点。
(13) 同年代の死亡広告を見ればホッとする。若い者のを見るのは寂しい
(14) 自然の大事さを認識。自分自身が自然と思える様になりたい。
(15) いい詩には言葉以上の、無限の広がりがある。私も美しい日本語を書きたいものだ。
(16) 新型コロナの動向、社会の動きが気になる。

 矛盾する気持ちで、スッキリしない部分もあるが、家族も元気であるし、まずは良い75歳のスタート日だと思っている。


5/13(水) 午前降雨午後快晴 飯川病院ボランティア 
 1:10起床。文献チェックほかいつものごとし。早朝- 午前、激しい降雨、合間を見てトマト鉢植え作成。庭のボタン風雨にやられた。支柱処理必要。12:12雨が止んでバス、飯川病院ボランティアに。院長外出。微睡。入院患者対応。庭に散水、19:10帰宅、夕食、21:15就眠。Σ12483歩。購入書籍自炊進める。

心理学を学ぶ(15) 「匿名での行動」(4) 「恥を感じないですむ文化」
 「お天道様が見ている」、ということの抑止力が現在の人間にとってどれだけの意義があるのか、今の私にはわからない。
 社会の目の抑止力は今でも確かにあるようである。さらに加えて自分が生活上で獲得した知恵で構築した規範に照らし合わせ、「自分に対して恥ずかしい」などとのたまわる立派な方もいる。

 私など、仮に問われたとしても、あの青春時代には戻りたくない。年月が経過した今、青春時代を振り返つてみると、全てが自己中心的で、かずかずの欲望を抱えていた。そこに、自分の役割が何だかわからずに単に存在していたに過ぎない自分を発見する。若い時の存在というのは誰でもそんなものだが、私自身は振り返ってみれば結構恥ずかしい時代であった。それでも、私は気が小さかったから法に抵触するような悪事はほとんど経験がない。

 太宰治の「人間失格」の冒頭には「恥の多い生涯を送ってきました。」という一文があり、あまりにも有名である。この小説の主人公の気持ちには、共感できる部分が多い。誰もが持つ人間の闇の部分をあからさまに表現している、からである。

 人がネット上で文章を書くにあたり、その人心理状態はどんな状態にあるのか。匿名で投稿できるということは大きな鍵である。時には匿名性が破られ投稿者の素性が明らかになることもあるが極めて稀である。要するにネットの投稿はおとがめなしの世界である。当然、抑止力はほとんど利かない。

 社会生活の中で実名を明示すると、なぜ抑止力になるのか?私は日本の文化が「均一社会を背景にした恥の文化」のため、と思う。

 私は実名でブログを書いている。稀ではあるが、思わぬ人から「読んでます」と声がかかることがある。なんせ実名ブログだから「ヘン」なこと、「まちがったこと」を書くのは許されないし、その責任は全て自分に返ってくる。そのことは意識している。
 要するに実名を明らかにすることは「恥を意識すること、すなわち世間体を意識すること」である。実名の場合はそのために自ずから表現にブレーキがかかる。

 世間体は古くて新しい言葉である。
 地域共同体が存在し、まだ近所づきあいが活発だった時代には、世間からつまはじきにされないことが生きていく上で必須事項であり、行動の指針だった。だが個々人が経済的に自立し、住民地域共同体としての機能が崩壊した今は組織的な「村八分」などは存在し難い。

 その代わりとして大きくなってきたのは匿名の誹謗中傷である。かつての村八分は、何が原因か誰が仕掛けているかは明快であった。その地域から出ればそれから逃れることができた。
 ネット中傷の場合は時と場所を問わないから受ける側にしてみれば地獄であろう。


5/12(火)晴れ 外来 飯川病院
1:30起床。文献他PDF化、徒然、6:00可燃ゴミ出し。7:10バス飯川病院着,8:45-13:20中通総合病院外来、14:00ー18:30飯川病院勤務、19:00帰宅。夕食、21:15就眠。Σ14713歩。購入した書籍の自炊、読書進める。

心理学を学ぶ(14) 「匿名での行動」(3) ・・

 匿名と実名における人間心理について考察してみる。

 日常的に感じられる行動上の抑止力は、若干の例を挙げれば、以下のようなものだろう。
―――――――――――――――――――――――
 ■商店名や会社名が書いてある業務用のバンやトラックなどを運転する際は自然と運転がおとなしくなる。
 ■タクシードライバーも同様の傾向、と懇意のドライバーの弁。
 ■お天道様が見ている。
 ■恥の文化、羞恥心を育成。
 ■みんなが見ている。かつての隣組制度、村八分。現在ではいじめ、無視、ネグレクトなど。
 ■新型コロナの外出制限などは、日本では法的に強制力がないが文化的に、社会的に存在する
 ■などなど
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 日本の文化はかつては「恥の文化」と言われていた。社会の目、世間体が行動の抑止力にあっている。西欧など宗教が力を持つ社会ではアッラー、ゴッドなどの神が個々人の上に君臨している(?)のだろう、日本とは事情が異なっているようだ。

 「お天道様に恥ずかしい・・」は幼少の頃によく言われたものである。直接、悪事や問題点を指摘されたりするより、ずしんと心に圧迫を与えたものだ。今はそんな教育を受けた若者などいないだろう。

 (参考まで) 2005年3月5日の徒然、日記の一文である。
お天道(おてんと)様が見てる
 秋田の市街地を歩くことは滅多にないが、東京出張時などにはかなりの距離を歩く。道すがら商店のガラス窓などに「だれかが見てるぞ!!!」のポスターが貼られている。万引きなどの防犯関係の意味で貼られているのだろうが、ハッキリ言って見る度に不快になる。? 
 確かに、ヒトの関心が向いているところ、衆目のある場面ではまず犯罪は起こらないとされる。だから、「誰かが見ている」と言うことは現実的に犯罪の抑止力が働く事は明らかだろう。でも、何かコセコセして嫌な印象を持つ。
 私が幼い時、悪戯したり悪いことをした時など、母はよく「おてんとさまが見ている・・」と言ったものだった。「良いことをしている時も、悪いことをしている時も、おてんとさまがぜーんぶ見ていて、お前の心も、やった事もみんな知っているんだよ」と、諭すように、静かに言ったものだ。?
 この言葉を聞かされる度に、太陽や、自然の営みに対し絶対的な、何かすごく大きなものを感じ、言われる度に、尻を叩かれる以上にシュンとなったものだった。これは私だけでなく、当時の子供達はみんなそう言われて育ったのではないだろうか。??
 これは私に対しての、理屈抜きの倫理教育だった。朝日が昇る時、夕陽が沈む時、私自身今でもとても敬虔な気持ちになる。最近まで、この言葉を想い出すこともなかったが、街で「だれかが見ている」のポスターを見て思いだした。やはり不快だ。??
 今、倫理問題が喧しい。我が国は法治国家だから、法に抵触するか否かは極めて重要な判断基準である。しかし、倫理観は法よりも優位にあるもので、自己の倫理観に照らしてどうなのかの方が、遵法であるか否かよりも遙かに重要なことだ。?? そういえば「そんなことをするとお医者さんに注射して貰いますよ・・」これは良く聞いたものだ。これも親の責任を放棄した不快な言葉だった。 

? 最近の親は子育ての際に何といって倫理教育をしているんだろうか。


5/11(月)曇天、時に降雨 健康クリニック 飯川病院
1:10起床、データ整理、画像データ、音楽データなど整理。6:47降雨の隙間を狙ってバスで飯川病院、結局降られて濡れた。9:00-11:00健康クリニックドック。新型コロナのためにドックにキャンセルが多い。古書店、大型DIY店で本10冊、燻製用桜チップ購入。12:15飯川病院。微睡。14:00-19:00勤務、入院,、外来患者対応。19:20帰宅、夕食、21:00就眠。Σ9791歩。

心理学を学ぶ(13) 「匿名での行動」(2) 被害者を守る「プロバイダー責任制限法」があるが・・
 ネット上では匿名で名誉毀損やプライバシー侵害が多数生じている。
 私は個人情報保護を前提にしながら、匿名による個人の誹謗や中傷は犯罪行為と思っている。

 ネット上で名誉毀損やプライバシー侵害が生じた際、「被害が広がらないように、被害者が侵害情報の削除や発信者の情報開示を請求できる」と定めた法律がある。
2001年に成立し、2002年5月に施行された。

 掲示板管理者などの特定電気通信役務提供者は、侵害情報を削除したり、発信者の情報を開示したりしても、賠償責任は問われない。
 ネット被害者は管理者に対し侵害情報の削除を要請できる。被害者は正当な理由があれば、発信者の氏名や住所などの情報開示を請求できる。

 しかしながら、この法施行後も、ネット上で権利を侵害される被害が増え続けている。SNS上で飛び交っている情報量が多く削除手続きが追いつかない。その間に情報が拡散してしまう。これが現実でもある。

 どうすれば事実無根の書き込みを止められるのか? 
 投稿者を特定すればいい。それは明らか。

 その方法は一般人の知識では困難、弁護士に相談、書き込んだ相手を特定するため裁判を起こすのは一方法である。
 発信者、加害者を特定するには、■サイトの管理者にネット上のIPアドレス開示を求める。■プロバイダーを特定し、氏名などの開示を求める方法、がある。
 実際には、接続記録は膨大なのでプロバイダーが保存しているデータは半年くらいが一般的。したがって、それ以前の書き込みについて加害者側にたどり善くのは困難。
 
 また、発信者情報の開示を命じる判決を得るには、原告側がプライバシー侵害や名誉毀損などの権利侵害が明らかだと立証しなければならない。ここまでの手続きは煩雑で、多くの被害者は加害者の特定するのを途中であきらめてしまう。これが第二の現実でもある。

 だから、ネット上の匿名誹謗は無法状態にある。
 ネット上の匿名は、人を良識、倫理観などから解き放ち、裸状態にする。私は性悪説をとるが、だから怖い。


5/10(日)終日降雨 飯川病院日直
1:20起床、若干腹に緊張感あり、疲れか。本読み、文献読みほか。5:00購入したキウリトマトを畑に。途中腕降雨で中断。若干晴れ間、8:42バス飯川病院、途中から降雨、濡れた。9:00-17:00日直業務、入院患者は落ち着いている。14:00-15:00後輩医師来訪あり歓談。読書、データ整理中心。18:30レガシー帰宅、19:00夕食。21:00就眠。9322歩数。

心理学を学ぶ(12) 「匿名での行動」(1) SNSについて
 SNSとはソーシャル・ネットワーキング・サービスの略で会員制交流サイトのこと。
 私はメール、ライン、インスタグラムを使用しているが、ほとんど家族内に限定した連絡用であり、これらの機能の詳細については全く不案内である。

 新型コロナ関連で外出規制とかが行われて学童・学生を含め多くの方々が在宅で過ごすことになり、新聞紙上などでSNSの話題も増えている。

 今回はSNSと呼ばれる項目について若干調べてみた。

 国内で使用されている主たるSNS配下のごとく。自分も参加していて何であるが、ずいぶん多数の利用者がいるものだ、と感心する。
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■ライン  8200万人 メッセージ、スタンプ中心、、無料電話としても
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■ツイッター  4500万人 拡散が早い
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■インスタグラム 3300万人 写真とかを共有
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■フェイスブック 2600万人 実名で交流するサイト
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 全世界的に見ればラインは24億人が利用しているのだそうだ。
 ツイッターは気になった内容について転載(リツイート)されると、世界中に短時間で拡散する。新型コロナウイルスの拡散よりも早いのが恐ろしい。しかも、誰の検閲も不要で勝手な意見が飛び交っている。 

 この機能はインターネットの時代になってから、誰でも匿名で投稿できるという夢のような機能が実現したもの。人間の文化と倫理観の熟成を超えた素早い発展と遂げてしまった。高齢者の大部分は興味も示さないが、小学生を含む若い世代にとっては垂涎の機能なのであろう。

 したがって、利点も多いが負の側面もある。

 ある70代の女性が20歳の男性とネットの交流を通じて恋仲(!!)になりトラブルに発展した例とか、詐欺事件や女性や子供では性犯罪に巻き込まれたという話題は枚挙にいとまがない。

 個人への誹謗中傷に使われる例が多い。ネットいじめなどがその例である。
 今回の新型コロナにおいても、感染者やその家族、医療関係者、介護者などが実名をあげられて中傷されているという。 

 流行地の医療関係者などは、マスクや感染防御のガウンなど不足する中で業務を行なっているが、感染を完全には防ぎ得ない。マスコミでも取り上げるが、良識あるメディアでは個人情報などには一定の配慮が見られる。しかしながら、SNS上の情報は実名を挙げて辛辣な内容の例が見られている。

 匿名性は往々にして人間を狂わせる。私は個人情報保護は極めて重要なことだと思っている。だからこそ、原則として匿名では社会参加はしない。


5/9(土)快晴 当直医補助
1:10起床。文献読みと新聞電子化、録音データ整理、徒然。8:00-11:00草刈り第一回目終了。昼軽食、午後DIY店に。キウリ・ナス・トマトの苗、支柱、移植ベラ購入、明朝植える予定。15:30家内とともに飯川病院。16:00-19:00当直医一時補助代行。恐竜の参考書孫から借用。19:30夕食、21:30就眠。13331歩。書籍自炊進める。

わが家のゴールデンウイーク(2000) (2) 今年のGWの特徴
 何と言っても、今年のGWは新型コロナの発生と世界的流行とその影響である。
 緊急事態宣言が発令されて企業や商店の営業自粛、人の移動の抑制などの指示が出た。

 今年のGWの特徴は長女一家が来秋できなかったことである。勿論、その原因は新型コロナである。ここ、40年ばかりを振り返ってみても初めてである。

 5月9日本日時点の国内感染者総数(死者)数は以下のごとくである。
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??国内感染判明例   15754 624 
秋田県           16人
岩手県           0人
??ダイヤモンドプリンセス号関連     712人(13人)
??コスタ・アトランチカ号関連        149人
??チャーター機関連     14人
??空港検疫関連者者    161人
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 世界的には感染者は400万人に達している。

 私がこの集計を掲げるのは10日振りである。
 この間、国内の感染者数は約2000人増加、死者も倍増しつつある。
 わが国ではこれでも良く抑えられている、と評価できる。それでも蔓延している地域の住民は心が休まらないだろうし、医療機関のスタッフたちは大変な状況にある。秋田でも蔓延する可能性はゼロでないだけハラハラして見つめている。

 新型コロナ感染の動きは速かった。
 1月3日武漢で原因不明肺炎44名と報道、1月9日ウイルス検出、1月15日武漢在住邦人感染、国内第一例は1月18日。実に速い進展である。これ以降、全世界的に新型コロナとの戦いが続いている。
 国内では4月9日緊急事態宣言が出された。全国民に移動の制限が勧奨された。約一月を経て宣言解除の動きが出てきているが、判断を誤れば、また住民の気持ちが緩むと再燃しかねない厳しい状態は続く。

 この緊急事態宣言が出たからといって社会的にはいろいろ影響があろうが、私個人は、もともと3蜜状態が嫌いなのでほとんど影響は受けない。

 横浜在住の長女は18歳で進学のために秋田を出て現在は横浜在住であるが、GWは毎年欠かすことなく来秋していた。しかし、今年は新型コロナ禍のために移動することができなかった。
 例年、GW中には家族孫たち12名が一堂に会して庭で焼肉パーティをするのであるが、それは中止したので実に静かな、気が抜けたようなGWになった。孫たちの前で短時間ながらも良きジジを演じることは私の義務と思っている。

 GW前後に、私は毎金曜に大曲の中通病院に診療応援に行くのであるが、往復の新幹線はガラガラ、GWから外れた8日の下りこまち11号は車掌に確認したところ私を含めて終着秋田で降りるのは三人だけだという。
 秋田さきがけ新聞によるとGW中の秋田新幹線こまちの利用客は-97%、空路は減便で提供座席は減少、ANAは−81%、JAL-83%とのことであったが、それでも搭乗率は10%程度だったらしい。
 秋田新幹線は今月末以降2-5割減便するという。

 GW期間中に私が買い物をしたのは古書店2軒とDIYだけであるが、結構混雑していた。秋田県は新型コロナ感染者は今の所16名計上されているがここ3週間ほどは新しい感染者が出ていない。実質0名である。過度な抑制は不要である。
 秋田では緊急事態宣言の提言がよく守られているようであるが、ちょっと寂しい。

 私に取っては、内容的にはシルバーウイークレベルだった。


5/8(金)快晴 大曲中通病院 飯川病院勤務
1:00起床。文献検討、徒然。新聞チェック。5:00家庭ゴミまとめ提出。7:40Taxi駅に。8:11こまち14号、先頭車2名のみ。9:10-12:15大曲中通病院外来、大曲往復、秋田駅病院間徒歩。13:30-19:00飯川病院勤務。通町書店経由帰宅。19:30夕食、21:00就眠。Σ12958歩。昨年家族からused iPad pro入手。

わが家のゴールデンウイーク(2000) (1)新型コロナかでも淡々と、かつ多忙に過ごした
 今年のゴールデンウイーク(GW)は、暦上は5月2日(土)−5月6日(木)の5日間であった。
 私はこの間、初日は飯川病院の日当直、最終日は日直が当たったから実質的には3日間であった。それでも開放感があった。

 今年のGWの天候、1日の過ごし方、歩数、考えたことなど記録しておく。

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■5/2(土)曇り午後から快晴 GW初日 飯川病院日当直   
 1:00起床。9:00-10:30今季初の草刈り。本格的な園芸作業開始、というところ。今朝まで寒かったのにラジオの天気予報では熱中症の注意をしていた。12:20家内に同乗、書店経由で飯川病院へ、午睡、入院患者対応、書類整理、読書。歩行計Σ6541歩。
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■5/3(日)憲法記念日 快晴温暖 GW2日目 
 2:00飯川病院起床、画像・文献新聞チェック。録音データ整理。7:00検食後、花壇に散水、外来レセプトチェック。10:30帰宅途中でドン・キホーテ内のブックオフに。10冊ほど購入、結構人出あり、駐車場もほぼ満杯。駐車した場所忘れて40分ほど駐車場内をウロウロ、歩数稼ぐ。正午のNHKニュース、のど自慢の優勝者の画像楽しむ。DIY店にて培養土4袋、ネコ餌6袋購入、ダリア球根仮植え。16:00「読響公演、さだまさしとのコラボ」視聴。読書、歩行計14052歩。

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■ 5/4(月)みどりの日休日 快晴夕方から降雨 GW3日目
 0:30起床,文献チェック、随想読みほか。10:00-11:30草刈り2回目。新聞データ化二日分、自炊3冊、午後草刈り追加、全体の3/4程度終了。幸い降雨あり、それ以降は座学、文献読み、読書など。19:00夕食、21;15就眠。歩行計14457歩。草刈りでうろうろ。書籍自炊進める。

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■5/5(火) こどもの日 曇りのち晴れ GW4日目 
 0:30起床,文献チェック、随想読み、読書ほか。5:00可燃ごみ提出、秋田市契約の処理業者さんご苦労様。7;10-8:30草刈り3回目、畑と農道周辺。 8:45-13:45座学など。午睡14:00-16:00草刈り追加4回目、予定面積の4/5ほど終了。15:00-16:30DIY店、ナイロンブレード購入、下水の蓋修理。ブックオフ土崎店初利用、8冊ほど購入。帰宅、19:00夕食、21;00就眠。歩行計10050歩。

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■5/6(水)振替休日 快晴 飯川病院日直 GW5日目最終日 
0:50起床。随想読み、新聞処理。徒然。11:40バス飯川病院へ。12:30-17:00日直。入院患者平穏。文献読み中心。19:00家内の迎えあり帰宅、夕食、21:40就寝。 歩行計16722歩!!!。本日は振り替え休日だが、いつもなら日曜が祝日の際に振替が生じるから月曜なのだが、今年は祝日が連続したので木曜日になったもの。暦を見てなんで本日が休みなのか疑問に思ったらそうだった。
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 日当直で時間が取られ、草刈り、畑仕事に時間が取られ、本も10冊ほど読んだ。この間検討すべきと決めていた二つの事項、パソコン上の写真の分類作業、終活の一環としての自分の死亡の際の具体的手続きをまとめ、家内や子供たちに残そうとしたが、できなかった。


5/7(木)快晴 午前居間整理 午後飯川病院勤務
 0:50起床。随想読み、新聞処理。徒然など。11:50バス出勤。14:00飯川病院勤務、
入院外来患者対応。18:30寿司店、結構老舗なのだが今はテイクアウトのみ、に立ち寄り帰宅。18:45夕食、20;00就眠。歩数9158歩。

心理学を学ぶ(12)美しいとは何か(12)私にとって、音楽>絵画>文字>写真>その他(2)
 文字を読む.
 
 私にとって、美しいと感じることができる世界は、音楽、絵画に次いで文学を上げなければならない。
 さいわい私は文字情報への感受性、想像力が豊からしく、美しい文体と優れたストーリーがあると容易にそのシーンに、登場人物に入り込むことができる。読んでいる間中主人公になりきっていることもある。

 私は幼少期から本に親しんできた。何故か小学生向きの「世界少年少女文学全集」、「日本昔ばなし」、「伝記」などの全集ものがあった。古いもので、私が買ってもらったという記憶はないから兄のために購入したものかもしれない。比較的早熟で小学入学前からつっかえつっかえのレベルでなんとか読めていた。アラビアンナイト物語を始め、冒険もの、偉人の伝記など気に入って読んでいた。そのうちの一部は昭和27年、類焼によって自宅が全焼し焼失した。

 高校時代後半は全てを投げ打って大学受験優先の生活したので本を読むことは少なかった。
 大学入学後はその反動で堰を切ったように読書に集中した。有名な内外の文学作品はほとんど網羅したが、当時は読んだ、触れた、読破した、という実績を積むことが目的になって十分味わったとは言い難い。
 そのために、印象が浅かったためか大部分忘れている。
 大学時代の乱読期以降、翻訳物はほとんど読んでいない。内容的に良くてもどうしても訳文に満足できなかったからである。このころから日本語の優れた表現力に美しさを感じ、関心を持ったからである。

 医師になってからは時間的制約はあったが、結構読んだ。経済的に若干の余裕ができたために広いジャンルの書籍を購入、大部分は積ん読であったが、読みたいと思った書籍が身近にあったことは、たとえ読めなかったとしても私の生活に大きな潤いとなった。

 現役を退いてからは蔵書の処分を開始して今に至っている。書籍を裁断し、スキャナーで取り込み、それをパソコンやタブレットで読む。書籍を直接読んでいた時以上に読書量が増え、満足している。今は速読、乱読はしない。文章の美しさを味わいながら。じっくり読む。

 私は均整のとれた、文章に美しさを感じ取る。小説、短歌俳句詩歌などなどに。


5/6(水)振替休日 快晴 飯川病院日直 GW5日目 
0:50起床。随想読み、新聞処理。徒然。11:40バス飯川病院へ。12:30-17:00日直。入院患者平穏。文献読み中心。19:00家内の迎えあり帰宅、夕食、21:40就寝。 歩行計16722歩!!!。

心理学を学ぶ(11)美しいとは何か(11)私にとって、音楽>絵画>文字>写真>その他(1)
 私にとって、美しいと感じることができる世界は、音楽>絵画>文字>写真の順のような気がする。これは人類の発達過程と私の成長とも密接な関係があるようだ。

 音楽の歴史
 音楽の歴史などと固いことを言わなくとも、原始的な音楽は有史以前まで遡ることが出来る。
 おそらく最初の音楽は声である。楽器もいらない。だから、おそらく誰にでも原始的な素養は備えあっている、と考えられる。
■新生児の泣き声が原点か
■抑揚をつけて言葉を唱える
■感情をほとばしらせること

 おそらく最初の楽器は打楽器と推測できる。打楽器によってリズムが生まれた。古代人にとって、猛獣や害虫、天災から身を守ることが重要であり、古代の音楽は、そのために形を変えてきた、と考えられている。生活の安全を守ってくれる音楽は、後に祈りや祝祭などに用途を代え発展した。ハーモニーの誕生は中世のグレゴリオ聖歌あたりから。

 だから、原始的な音楽は人類の存在当時から存在する。人には誰でも音楽に対して何らか素養を備えていると思われる。
 だから人間にとって音楽は生まれながらにして備わっていた素養であり、あとは個人的に生かせるかどうか、だけである。

 私にとっての音楽はある程度幼少時から感受性が備わっていた、と考える。中学校までは音楽教師からも歌唱力を褒められた。私は音楽に接する時に何ら論理的である必要がない。音楽が存在していればそれだけでいい。なんらストレスも感じない。それだけで十分に美しさを感じ取ることができる。

 絵画の歴史
 音楽と異なり、絵画の技術は恐らく一部の技能を持つ人に限られていたのだろう。アルタミラ洞窟などで見られる動物や狩猟画など巧みな陰影処理など,その表現は極めて高度であると言われる。

 我々の絵画は遊びや教育を通じて行われている。幼少時のお絵かき、塗り絵、図工の時間など。
 私には全く才能は感じない。決して嫌いではなかったが、同級生で一人だけ抜きん出て絵が上手く感心していた。彼は画家になったが早逝した。三陸訪問(1) 郷里の岩手山の勇姿を見て、亡き同級生を思う

 私が絵画の世界に目覚めたのは1982年大原美術館でエル・グレコの「受胎告知」を見た時に遡る。
 それ以降、画集収集を始めた。
 優れた絵画には主張点があるはずであるが、私は美しさはわかっても、解説書を見なければその良さを感じ取れない。私にとってはまだまだ遠い世界である。


5/5(火) こどもの日 曇りのち晴れ GW4日目 
 0:30起床,文献チェック、随想読み、読書ほか。5:00可燃ごみ提出、秋田市契約の処理業者さんご苦労様。7;10-8:30草刈り農道畑の周辺。 8:45-13:45座学など。午睡14:00-16:00草刈り追加、3/4ほど終了。15:00-16:30DIY店、ナイロンブレード購入、下水の蓋は見つからず。ブックオフ土崎店初利用、8冊ほど購入。帰宅、19:00夕食、21;00就眠。歩行計10050歩。

新型コロナ禍のこどもの日 いい機会教育として生かしてほしい
 ほぼ2ケ月にわたる期間、休校が続き、外出もままならなかった子どもたちのストレスの話題が新聞紙上で取り上げられている。休校中にゲームやインターネットに接する時間が増え、依存症に進行するケースがないかも気がかりである。

 子どもたちにとって学校、勉強、友人、遊びいかに大きいかが改めて示されている。
 まだ先のことはわからないが、それだけ世界に流行している新たな疫病についても理解を深めるなければならない。その意義を教えなければならない。

 今後、蓄積したストレスから新たな学校生活に戻れるよう、配慮すること不可欠だ。

 秋田県内の小中学校は7日以降、高校など県立学校は11日から再開されることになった。先ずは県内の新型コロナウイルその感染状況が学校を再開できる状況に維持できていることを喜びたい。

 政府は2月末、新型コロナの感染拡大防止策として全国の小中高校などの臨時休校を要請した。県内では大部分の学校が3月2日から休校した。4月6日には1カ月ぶりに再開したが、県内で新たな感染者が確認されたり、緊急事態宣言が全国に拡大されたりしたため、再び休校が余儀なくされていた。

 子どもたちにとって卒業、入学、進級などの節目となる時期に、本来であれば家族や友人たち、先生方に囲まれながら楽しく過ごす時期に、通学できない状況が続くのは極めて異例で子供達の心も傷を負っただろう。

 しかしながら、その傷が大きければ大きいほど今回の経験を生かして命を守るための危機管理について教え込まなければならない。ある意味では今回、人生のスタート期にいい経験したとも言える。
 学校が再開しても、遅れたカリキュラムを必死に取り戻すだけではなく、その学年の理解度に応じ、何故新しい疫病が全世界に蔓延したのかについて、自分の命を守るにはどうすればいいのか、人間社会の将来的なあり方を教えなければならないし、一人一人が当事者として考え行動できるよう指導するいい機会としてほしい。

 新型コロナは、なんで秋田で感染者が少ないか?それは空が広く、人口が少ないから、人間同士の過密状態、交流が比較的少ないからである。これは人間のより自然な生き方の一例である。子供達が大きくなる過程で、地球温暖化、地球の環境の汚染は一層進み、自然災害も増えていくだろう。それらに対して、自分はどう行動すべきか考えさせる機会を作ってほしい。

 外出自粛などで、ストレスが募っているのは子供達だけではない。家庭内暴力も、離婚なども増えつつあるとも言われる。機能的な、一見便利な都会地ほど生活に遊び感覚がなく、このような時には弱い傾向にあるらしい。

 秋田の良さも一緒に考えよう。


5/4(月)みどりの日休日 快晴夕方から降雨 GW3日目
0:30起床,文献チェック、随想読みほか。10:00-11:30草刈り2回目。新聞データ化二日分、自炊3冊、午後14:00-16:00草刈り追加、3/4程度終了。それ以降は座学、文献読み、読書など。19:00夕食、21;15就眠。歩行計14457歩。草刈りでうろうろ。書籍自炊進める。

心理学を学ぶ(10)美しいとは何か(10)好きなものには美を感じやすい
 私が美しいと感じることには、やはり好きか否かが絡んでいるようだ。
 自然の移ろい、風景、草花などなど。女性の表情・姿・裸像など、に美しいと感じる。
 その対象が広くて具体的に挙げきれない。数々も名曲たち・・・もあるし。
 毎日が美しい事柄に囲まれて、私は実に恵まれている。

 私が美しいと感じることが出来るようになったのはいつからかは実は分からない。
 でも、自然に身についたものではなかろうと思う。欧米人はスズムシやコウロギの鳴く声を雑音と捉えるという。わが国では、万葉の時代から秋の風情を味わってきたようだ。この違いは、教育、文化の差によると思われる。

 だから、多分、私も誰かかから教わったのだろう。思い当たるのは、私が小学校4?5年の頃だったと思うが、とても情緒的な雰囲気を身につけた年上の従姉妹がいて、彼女はすでに大学生だったが、私を可愛がってくれた。正月やお盆の時などには私の家に来たが、そのたびに遊びながら、散歩しながら、色んな景色とかについて「綺麗、美しい・・」と言ったようなことを私に教えてくれたのが大きいと思った。
 今思い出すと私の情緒面の気付き、発達はこのようなことを機会に始まったように思う。
 当時、お風呂にも一緒に入ったが、本当に、純粋に、非エッチ的に、「なんで女性の体はこんなに滑らかで、柔らかで、形がいいのか!!!」と思ったものである。女性の美しさに目覚めた一瞬であった。この時の感覚は私にとっては衝撃的であり、そのショックは美を味わう対象として今まで続いている。

 私が、自分で周辺の事象を能動的に美しいと思い始めたのは中学校に入った時だったと思う。
 それは音楽から始まった。家には蓄音器とかがあって私のおもちゃになっていたが、SPレコードを通じて自然に音楽を好きになっていった。強烈に素晴らしさを実感したのはNHK交響楽団の盛岡公演の演奏を聴いた時、また、放送で名指揮者オイゲンヨッフム指揮でエグモント序曲を聴いた時、最初の和音が鳴った瞬間、一瞬全身に鳥肌が立った時であった。それ以降、ずっと音楽の美しさを味わい、追求し続けている。

 だから、美しさのを感じる対象が広すぎる。対象を絞ってみないと「何が美しいのか」についての話を進めることが出来ない。

 まず「女性の美につい」て考えてみるが、美の対象を絵画から始めることで、画家の目を通じた「女性の美について」間接的に味わうことにする。


5/3(日)憲法記念日 快晴温暖 GW2日目 レセプトチェック
2:00飯川病院起床、画像・文献新聞チェック。録音データ整理。7:00検食後、花壇に散水、レセプトチェック。10:30ドン・キホーテのブックオフに。結構人であり。駐車した場所忘れて40分ほど 駐車場内をウロウロ、歩数稼ぐ。正午のNHKニュースとのど自慢の優勝者の画像楽しむ。DIY店にて培養土4袋、ネコ餌6袋購入、本読み。ダリア球根仮植え。16:00「読響公演さだまさしとのコラボ」視聴。読書、19:00夕食。20:30早々に就寝。歩行計14052歩。

憲法記念日(2000)
 我が国の憲法は制定後74年であるが、世界的にも平和憲法して評価が高い。
 ただ、平和主義憲法を持つのは日本だけではなく、8割以上の国が平和条項をもっている、とされる。

 この74年間、日本国憲法は一度も改憲されていない。しかし、毎年5月の憲法記念日の時期になると改憲論を中心に憲法論議が盛んになる。今年は新型コロナ禍のためにやや低調である。

 憲法9条で戦争放棄が謳われている。
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 憲法9条は、
1項:日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2項:前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――-

 実に立派な条項だと思う。
 戦後平和が守られてきたのはにこの平和憲法があったためではない。
 世界情勢、日本の情勢、日米安保条約しかり、米国との同盟関係など、がそうさせてきた。
 平和は平和、平和と唱えるだけでは達成できない。

 わが国も情勢に対応しながら自衛隊の解釈を捻じ曲げながら、機能拡張を進めてきた。我が国の戦闘能力は世界的に見て10番以内らしい。
 これは憲法9条2項から見てどうなのか?日本の軍事力は軍隊でないのか?

 憲法に関する各新聞社やメディアの世論調査によると、改憲については「不要」>「要」である。また、ここ数年「不要」とする割合は増加している。
 特に9条の改正「反対」は7割に近い数字となっている。この背景には改憲論者・安倍首相のこだわりへの反発もあろう。支持率も低下している。

 安倍首相は9条に関して自衛隊を合憲化し軍隊としたいという意向である。
 私もこれについては正しい判断だと思う。今の自衛隊は何なのか??曖昧にしたまま、黙している日本人の曖昧文化はここにも極だっている。

 改憲反対論者は、9条の改正は日本の平和主義を放棄することにつながりかねず、再び戦争に巻き込まれるリスクを増大させる、と主張する。
 9条の改正は、即、日本の平和主義を放棄することには直結しない。私はそう思っている。

 9条を改正することによってごまかしのない形になる。
 戦争という非常事態が生じても、あくまで平和主義を貫くべきだ、という意見がある。特に護憲派の人たちはそのように言う。国際世論に訴えながら「座して死を待て」、ということだろう。

 戦後憲法の基本的な理念に無理があった、と思う。憲法作成当時としては価値ある考え方であっただろう。
 有事の際に日本としてどう対応すべきかについてもほんど論議されていない。国民に問いかけてもいない。
 自衛隊員の身分はなんなのだ?こんなあやふやな状態の中で危険な業務に就かせている国民はどうなのか、と思う。

 今年は新型コロナ禍のために改憲議論は低調である。
 一方では、緊急事態宣言も出されたが現憲法の中の宣言で個人の人権がどう守られるのか、企業などの権利がどう守られるのか、ちょっとあやふや。やはり議論は必要である。 


5/2(土)曇り寒い、午後から快晴暑い GW初日 飯川病院日当直   
 1:00起床。早朝読書、文献処理一部廃棄。9:00-10:30午前今季初の草刈り、1周目の(1)。本格的な園芸作業開始、というところ。ラジオでは熱中症の注意。12:20家内に同乗、書店経由で飯川病院へ、午睡、入院患者対応、書整理、読書。歩行計Σ6541歩

大型駐車場で車が見つからない!! 3回目の失敗
 4月26日は飯川病院の当直明けであった。10:00自宅への帰路の途中、本を仕入れようと思い旭北錦糸町にある大型ショッピングセンター内の古書店に寄った。
 このビルは秋田市内に30年ほども続く老舗の一つであったが、いつの間にか店舗の名称が変わっていた。
 私は昨年まで一度も利用したことはなかった。店舗内に古書店があると言うので興味を持って数ケ月前にバスを利用して一度利用しただけであった。古書店は規模も大きくいたく気に入った。その時は10冊ほど購入した。

 その時の印象が良く、朝から降雨でもあり、私は急に思い立ち寄ることにした。初めて車で行ってみた。駐車場は627台収容できる大規模な立体駐車場であった。外出自粛が出ている状態であったが、駐車場はほぼ満杯状態であった。

 幸い2Fの駐車場に駐車できた。駐車場からは店舗への入り口が何け所かあった。
 10数冊ほど購入し満足して駐車場に戻ってきたが、自分が出てきた店舗の出口を含め、駐車場の位置関係が全く分からず、車が見つからない。駐車場内を45分以上うろうろし、やむなく一階に降りて駐車場へのルートを歩いて登り、やっと車を見つけることが出来た。振り返ってみれば駐車場の柱には区画ごとに番号が振ってあってそれを記憶しておけばよかったのであるが、初めての利用であり、駐車場の規模も知らなかった。一度はタクシーで帰り、駐車場が空く時間帯に探しに来ようかと思ったが、なんとかことなきを得た。

 実はこの様な経験は3回目である。
 ■ 初回は秋田空港の駐車場で、東京から戻ってみると一面10cmほどの雪が積もっており、私の車はボロ車で通常は見つけ出すのに苦労することはないが、雪が積もれば高級車と変わりない。矢張り30分ほどうろうろした。当時、秋田空港の駐車場は頻回に利用していたから、大体の場所が推定できてなんとか見つけることが出来た。

 ■ 2回目は秋田市郊外の大型ショッピングモールの劇場に映画を観た帰り、同様に車を見つけ出すのに1時間ほどかかった。駐車した時には辺りを見回し記憶にとどめておいたのであるが、別の入り口から出たらしく、完全に見失った。駐車場の規模は立体を含め3200台もあった。初めての利用でもあり柱の番号確認を怠っていた。

 ■ 3回目が今回。

 結論:大型駐車場では記憶に頼らず、区画を示す番号を確認すべきである。
 わかっていたのであるが、つい失念した。老化のなせるワザか。


5/1(金) 降雨 大曲中通病院診療応援 飯川病院ボランティア
1:00起床、新聞入力、文献検索、録音データ処理その他,5:30可燃ゴミ提出。7:40Taxi駅東に。8:11こまち、先頭車両1人だけ。雨模様病院往復Taxi、9:00-12:15大曲中通病院外来。帰路こまち同様に一人だけ。市内も雨でTaxi。駅に待っても本日はまだ客は二人目だと。13;30飯川病院、19:20帰宅夕食、21:00就眠。歩数計6987歩。

新型コロナ(37) 入学、始業の時期9月案浮上
 ウイルスの感染拡大で学校の再開時期が見通せないなか、都道府県知事らが「9月入学」を提言した。

 大きく以下のふたつの理由を上げている。
 ■学校の休校に伴い、在宅でのオンライン授業が始まったが、文科省の調査では、デジタル教材による家庭学習に取り組んでいる公立の小中高校は全体の29%、教員と児童・生徒が双方向で対話する遠隔教育を実施したのは5%にとどまった。休校が長期化すれば、授業の遅れを取り戻せない懸念が生じている。
 ■今年度、入学・進級した子どもたちの授業時間を確保し、私立、公立の設置形態の違いや、地域による学びの格差を是正するために半年間、卒業や修了を延期することが望ましい。

 安倍首相は国会で、慎重な意見もあるとしたうえで「さまざまな選択肢を検討したい」と答弁した。まともに提起された以上、首相は無下には否定できず、苦渋の答弁だったと思う。萩生田文科相は「国民の間で認識が共有できれば大きな選択肢のひとつ」と述べたが、自らの考えを持たない無責任答弁である。
 どちらにせよ、入学や始業の時期を9月に変更する案が政策課題として浮上してきた。

 確かに、新型コロナの問題を別にしても9月に変更するメリットは数多い。しかしながら、感染状態がはっきり見通せない現在、急速に検討を始めるのは良くないと思う。もっとも今から検討を始めても実質的には実行にまでは年余とかかる。ならば、新型コロナの問題が一定程度落ちついた時点で考えればいい。新型コロナは綺麗に収束することはなく、数年単位で感染がジワジワと持続すると思う。だから、9月、いや矢張り4月!!!と決められない事態が生じうる。

 国の会計年度や、企業の採用慣行との整合性がとれるか??就職も遅れるほか、半年延びる分の学費をだれがどう負担するかなど課題は多く、短時間では決められないだろう。

 他方、コロナ対策としてでなく、諸外国の学事暦とも足並みを揃えることで、留学がスムーズになる。高等教育の国際化が進むなどの利点もある。
 2011年に東京大学は9月入学の導入を検討したが社会に与える影響が大きく断念したことがある。それをクールに再評価し検討する値はあろう。

 9月入学への変更だけで現在の課題が解決するわけではない。コロナ禍の収束時期は見通せない不安定な時期に大人の価値判断を前面に出して制度を弄れば、児童・生徒・学生たちを動揺させるだけである。

 今は、学びを保障するために、現制度の中で何ができるのかを官民の協力で検討してほしい。
 まずは、今できる可能な手立てを尽くすべきだ。

 はっきりしているのは、教育問題は前例のない事態に遭遇している。だから、思い切った対処をするしかない。9月変更は現時点では小さな意味しか持たない。

 どの道にも一長一短がある。柔軟な発想で臨み、マイナス面を小さくする必要がある。

 そのうえで、恒久的な制度としての秋入学の可能性について国民的な議論を期待したい。 


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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