徒然日記
2018年9月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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9/30(日)午前降雨 飯川病院日直 レセプト点検
 1:15起床、録音データ大量整理。なかなかファイトが沸かず横になったりで過ごす。8:30降雨ありレガシーで飯川病院へ、日直。9:10新聞チェック、10:00レセプトチェック半分。12:00検食、ラジオは大風24号接近のニュース、のど自慢無し。14:00レセプトチェック終了。新聞チェック大量、微睡。CDデータ化進める。19:30帰宅、夕食。21;00就眠。歩数計7445歩。

災害列島2018(11) ペットの避難
  昨年来、豪雨や地震など各地で災害が相次ぐ。今も台風24号で列島が混乱している。私のダリアがまた折れた。

 私は避難を余儀なくされるような巨大災害では、あくまでも人の都合を優先して然るべし、今いる7匹のネコにはその間は自活して貰おう、とクールに思っているが、私の周辺に居るペットの飼い主の方々はそう簡単には考えないようで、特に対策もとらず、気持ちだけオロオロしている。

 環境省によると、2011年の東日本大震災などの大災害では、避難所で犬がほえたり、毛が飛匹ったりして、飼い主と他の遊難者の間でトラブルになるなどペットを巡る問題が相次いだ。その為に、災害時のペット対策プランを作成した、という。

 環境省はペットの飼い主向けの災害対策ガイドライン(GL)「災害、あなたとペットは大丈夫?」を作成し、9月13日公表した。GLは環境省のホームページで見ることができ私も見てみた。
 そのポイントは以下のごとくであるが、物品など以外は予めの準備は難しかろう。
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■ ケージに入ることを嫌がらないように慣らす
■ 人やほかの動物を怖がらないように慣らす
■ ペットフードやトイレ用品など避難用品の確保
■ 決められた場所で排泄するなどのしつける
■ ペット受け入れ可能な避難所の把握など事前の情報収集
■ 親戚や友人など避難所以外の一時預け先の確保
■ 各種ワクチンの接種や寄生虫の駆除をしておく
■ 車に残す場合には温度管理と水、餌について考慮する。
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 岡山県では県の保健福祉部生活衛生課にペットの救護本部が置かれている。その担当者がNHKラジオの朝番組に出演していた。
 今回の倉敷市の水害では本部が活躍した、という。倉敷市では8月の段階で6施設に犬8匹、ネコ数匹が人と同行避難していた、という。

 はやり避難者からクレームが出て、ペット連れの被災者は準備ができるまで車ですごしたりしたが、避難所の別室に一緒に寝泊りさせた。
 岡山県動物救護本部には獣医も参加し、えさ、衛生用品などの支援物質の受け付けや、獣医による病気治療、他の支援団体との協議や調整などに当たったが、状況把握が困難 で他団体との連携はまだ満足するようなものではなかったと言う。対策本部は県に置かれるが、避難所は市町村に置かれるなど、その間の連携はうまくいかなかった。確かに、混乱している現場の担当者に県からペットのことで電話があったりすれば、頭にくるようなことも想定出来る。

 ペットは後回しにならざるをえない。だから、共助、公助が得難いために飼い主が平時から備蓄品などを用意しておく事だろう。
 また、避難所ごとに屋内でペットと一緒に過ごせる場合や、飼い主とは別に屋外飼育が求められる場合、ペット受け入れ不可など、ルールが異なる。過去の災害で、避難所がペット受け入れ不可だったため、飼い主がペットと屋外で過ごしたケースがあった。事前に避難所の情報を集めておくことが重要だとしていた。


9/29(土)曇りのち快晴 畑仕舞い、庭掃除 枝処理 
 1:00起床。文献チェック他。何時ものごとし。書斎の整理、衣類廃棄など。午前はメガネ修理、洗濯・掃除、座学。午後、畑仕舞い、庭掃除 枝処理。疲れ果てた、腰痛若干。洗濯2回目。新聞チェック。19:00夕食、20:30就寝。本日から掛けふとん用意。歩数計Σ13691歩。

災害列島2018(10) 厳寒期に地震が起きたら(2) 如何に体温を維持するかが最重要課題
 私は早朝起きているから、1995年(平成7年)1月17日5時46分の阪神淡路大震災、2016年(平成28年)4月14日21時26分の熊本地震、2018年9月6日 3時08分の北海道地震に関しては地震発生事態を緊急地震速報とかでリアルタイムに知っていた。その後ずっとラジオを切ることなく情報を得ていた。

 しかしながら、これらの地震では震度等はわかるが、朝を迎えて明るくなるまで被害情報はほとんど入って来ない。その後に集中的に入って来た被害情報はいずれの場合も目を覆うような甚大なものであった。

 要するに周囲が明るくならなければ、地震被害の実態は殆どわからないということである。

 だから、このような大型の地震が、もし、厳寒期の夜間帯に生じた際には、被災の状況はいろいろであろうが、いかに被害があっても朝が訪れるまではなすすべも無く待たなければならない、という事である。
 救急医療を要する状態はこの限りではないだろうが、被害状況によっては対応が困難になる可能性もある。

 秋田では被害者用の備蓄材は県内各所にあるとしても、被害をチェックし、その状況に応じて防寒品などを配布することになろうが、その判断だけでも24時間あるいはそれ以上の時間を要するであろう。また道路状況によっては救援の手、物資が届かないかもしれない。

 もし移動がままならない状況に陥り、暖房がない状況で厳寒期にはどれだけの時間生き長らえているのだろうか、過去の状況からどう考えられるのだろうか。よく、災害被害者の救出の際には72時間を経ると生存率が著しく低下するとされる。厳冬期では対象者や状況にもよるが、私は数時間で生命が危険な状況に陥るのではないだろうか、と危惧する。

 また厳寒期には暖房器具を使ったまま休んでいる場合もあるだろう。その際には火災が発生する可能性が高い。

 上記のごとくの状況では公的な救援活動には殆ど頼ることができないだろう。

 ならばどうすればいいのか。

 最近の頻回の災害発生に備えて、各家庭が、各自が身を守る方策を準備する必要がある。その為のセットなども用意されているが、厳寒期を意識した準備が提言されている事は少ない。

 私は、厳寒期の災害に備えては、当面本人や家族の体温を維持する為の準備の方が最優先になると思う。各自、各家庭が考えなければならない。
 さらに一歩進めて考えれば、高齢者世帯、虚弱者の単独世帯などには町内会としての働きが求められる。


 9/28(金)小雨のち晴れ 大曲中通病院外来  飯川病院ボランティア
 0:30起床、いつもの如く。5:00可燃ゴミ提出。7:30Taxi駅東に。8:11こまち。駅病院間は徒歩、9:10-12:15大曲中通病院外来。帰路時間なくて駅までTaxi。13:45飯川病院ボランティア。CDデータ化進める。19:10帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計Σ10601歩。

災害列島2018(9) 厳寒期に秋田で地震が起きたらどうなるか(1)
 近年、大型の地震が頻発している。私が直接ゆれを感じたり、何かの間接的影響を受け記憶に残っている地震は、下記のごとくである。
 地震名、発生年月日時間、死者数を以下に示した。
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 ■ 新潟地震 1964年(昭和39年)6月16日13時 M7.5? 死者26名 浪人中に仙台で経験。
 ■ 日本海中部地震 1983年(昭和58年)5月26日11時59分 M7.7?死者104名 負傷者163名 秋田大学勤務中に体験。
 ■ 阪神淡路大震災 1995年(平成7年)1月17日5時46分 M7.3?死者6,434名 負傷者43,792名 
 ■ 新潟県中越地震 2004年(平成16年)10月23日17 時56分 新潟県中越地震 M6.8?死者68名
 ■ 岩手宮城内陸地震 2008年(平成20年)6月14日午前8時43分 M7.2?死者17名
 ■ 東日本大震災 2011年(平成23年)3月11日14時46分 M9.0?死者16,278 行方不明者2,994名津波の高さは最大で40mとも
 ■ 熊本地震 2016年(平成28年)4月14日21時26分 M7.3?震度7
 ■ 北海道地震 2018年9月6日 3時08分(M6.5)。
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 上記の他にピックアップし忘れた地震があるかもしれない。

 私が地震の発生年月日時間を一緒にあげたのは以下の理由からである。

 私はかつて県の災害医療対策委員会の委員長をやっていたことがある。その時の主たる答申は救急ヘリコプターの導入に関するもので、その後、高次の判断のもとで秋田県でも救急災害ヘリの導入が決まった。

 その委員会の場で私はとくに厳寒期の地震災害について被災者の防寒等の対策はどうなっているのか、を質問したことがある。その際の県の担当者の返答では「別の部署で検討しており、秋田空港の倉庫に防寒品とかの備蓄があります・・・」とのことで、私の言いたい内容がうまく伝わっていないような気がした。
 その時はその程度のやり取りで終わったが、私は今でもずっとこの点を気にしている。

 上記の災害のうち冬季間に生じたのは阪神淡路大震災で1995年1月17日早朝に生じているが、幸い比較的温暖な関西地方での発生であった。

 東日本大震災は3月11日14時の発生で、若干暖かくなってきたとはいえ寒さは厳しかった。死者の大部分は津波による死亡であり、恐らくずぶ濡れ状態のまま寒冷のために命を落とした被災者も少なくなかったと思われる。
 私は管理者の立場で、停電し暖房もない病院で3泊したが、院内の夜間はかなり冷えた。被災地の詳細な情報が明らかになったのは停電が回復してからである。


9/27(木)降雨のち晴れ 外来 飯川病院 居間ガスストーブ初点火
 1:30起床、新聞、医学文献他読む。徒然。7:30雨にてレガシー出勤、8:45-13:15外来。13:30飯川病院。CDデータ化進める。19:30レガシー帰宅、19:10夕食、20:30就眠。歩数計Σ8913歩。

多様性の疎外が表出した事件(4) 障害者(2) 相模原「津久井やまゆり園」殺傷事件2年(2)

 相模原「津久井やまゆり園」殺傷事件はなぜ起き、投げ掛けた問題点は何なのか。報道から見る限りこの2年の間に解明はほとんど進んでいないように見受けられる。

■措置入院の評価
 事件を起こす前に犯人が衆院議長公邸を訪れ犯罪予告状を渡したことから、措置入院させてしまったが、この措置入院自体がこの事件の引き金になったのではないかという考え方もある。

 強暴性を帯びている精神疾患患者を社会の安全性を守る観点から社会から隔絶しようとするのが措置入院であるが、このケースでは事件の予告に具体性はなかったために警察が扱われず、とりあえず精神科に預けたという形になった。

 犯人は措置入院当初は暴れたが、考え直して、事件起こすために早く退院するにはおとなしくしていればいいのだと体得した。
 措置入院は治療目的だから状況が良くなれば退院ということになる。精神科医の判断は妥当であったとされるが、その後のフォローが成されていなかった。退院後の監視は人権問題と直結するから評価は困難、この時点で評価の議論が止まってしまった。
 
 措置入院自体が悪い影響をしたかについては、確かに措置入院中に殺害実行を決定していたことから、措置入院自体が効力を果たしていないことになるが、精神科医師はあくまでも医療職で犯罪防止までの配慮を求めるのは不可能である。

■犯人に精神疾患があったのか否か
 犯人は津久井やまゆり園で働いていた。
 当初は「障害者も楽しく生きられればいい」と思っていたが、奇声を上げるなどする障害者を「人間として見られなくなった」ことがきっかけで、勤務2年目ごろから考えが変わったと言う。
 彼は固執度が極めてつよい性格らしくその後は一貫して上記のごとく主張し続けている。
 ナチスドイツの優生思想やトランプ米大統領によるメキシコ人難民排除の論理など、従来の曖昧模糊としていた考え方をはっきりさせつと言う考え方から影響を受けたと言う。

 病気と狂気との区別は精神科的にも極めて困難だとのことである。
 裁判では責任能力があるか否かが問われるだろうが、裁判官の判断はどうなるのだろうか。

 「津久井やまゆり園」殺傷事件は困難なテーマを突きつけた事件であったが解明はそれほど進んでいない。
 家族達は何も解明されていないから今でも恐怖感が薄れない、という。現に障害者の3割はこの事件に関連する不安を抱いている、という。
 一方、事件は一般に関係の乏しい別世界の出来事だったとして忘却されかかっている。


9/26 (水) 快晴 飯川病院ボランティア 
 0:30起床,総長冷え込み。新聞、文献、徒然などゆったり過ごす。5:00ペットボトル廃棄。午前畑の仕舞作業、マルチ廃棄、10:00町内の虚弱老人2名訪問様子調査。 12:00家人に便乗飯川病院。院長外食のためのボランティア。19:00プリウスにて帰宅、院長は患者不調で残る。19:30夕食。20:45就寝。歩数計Σ12012歩。

多様性の疎外が表出した事件(3) 障害者(1) 相模原「津久井やまゆり園」殺傷事件2年 
 相横原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が殺筈され、職員2人を含む26人が重軽症を負った事件から7月26日で丸2年経過した。
 戦後最悪とされる大量殺人事件であった。犯人が同園の元職員(26)で、優生思想的な発言から、社会は一時騒然となった。
 あれから2年経過し、事件は風化しつつある。

 「障害者への差別はいけない」と誰もが口にする。
 私はかつては県の障害者問題検討会の委員長を務めていたことがあった。そのときの挨拶として「健常者は実は病人である。障害者の事を殆ど知らない、知ろうともしない欠陥を持つ・・・」と述べたことがある。われわれは意識下にあるか否かは別にして、常に大なり小なりヒトを差別をしている。全ての人間を同じように愛する、接することなど不可能である。だから、多人数の世界では職場でも学校でも虐待やいじめ問題にが生じてくる。
 通常の社会の中で障害者の事を語り、ひいては差別のない社会を作ることがいかに困難であるのか、医療を通じて、障害者との関連を通じて抱いた私の実感であった。

 私が関与した障害者、障害児はいずれもその障害の程度がひどく、多くは施設に入所していたし、より軽度な障害児は養護学校に通学していたが、その一部の児にはたんの吸引や経管栄養などの医療的ケアが必要であり、この場合にはより充実したケアをするためには医療法の改正が必要、と考えられた。障害者、障害児は程度の差こそあれ、社会から隔絶された環境の中にいる。だからその実態はほとんど知られていない。この事件の被害者となった方々の実態は、おそらく殆どの一般人は接した事もなく、予想した事もないだろう。
 この「津久井やまゆり園」事件の犯人は驚いた事に同園の元職員であった。障害者の状況はよく知っていた。

 「障害者への差別はいけない」と誰もが口にする。美しい響きの言葉である。その言葉には嘘はないが、学習から知識として絞り出された常識的言葉で、その背景をほとんど知っていない人から発せられる。
 だから、この事件は一般人は口を閉ざし、マスコミの報道姿勢もワンパターンの全否定的で、一部識者の意見に見るべき意見はあったが、この事件から社会が何を学びとるべきかの生産的な議論はほとんどなかった。
 
 この事件は、関係者以外なら「他人事として離れていたい世界のこと」としての感覚が根底にあったからなのか、報道や評論を見てもしっくりしない、隔靴掻痒の感があった、と思う。


 (4)障害者雇用水増し問題


9/25 (火) 早朝から雨 外来 飯川病院
 2:10起床,少量のワインで軽く酔った為か。文献、データ整理などなどゆったり過ごす。5:00可燃ごみ提出、雨にて8:00家内に便乗飯川病院着。8:45-13:20中通病院外来、混雑。14:00-18:30飯川病院、患者対応無し。CDデータ化進める。18:45帰宅・夕食。20:45就寝。歩数計Σ8250歩。昨年、足温電気あんか使用開始。テニスウエア通勤終了。

多様性の疎外が表出した事件(2) Jender マスコミ報道のあり方
 2014年は女性が不自然に注目された事件があった。
 これらの報道を通じて我が国のジェンダー文化の後進性が明らかになった。その主役を担ったのはマスコミであり、興味本位で「女」、「女」とバカ騒ぎ。それを喜んで受け入れてきた国民の問題もある。
 カスコミは、最近は踵を返してジェンダー、LGBT問題で問題を起こした側を責めあげる。

??STAP細胞
 STAP細胞について報道はSTAP細胞の意義をそっちのけに、「リケジョ」、「かっぽう着」、「ムーミン」といった、世紀のアイドル誕生といった「女性」を意識した報道が不自然であった。STAP細胞の発見者が男だったら全く別の報道になっていた。

??都議会のセクハラヤジ
 都議会で飛び出した「自分で産め・・」と言う趣旨のセクハラヤジ問題は日本の男尊女卑的文化が根強く残っていることの表れであった。
 報道したメディアのスタッフも、コメントを述べた識者達も、男性であれ女性であれ突然聖者様のようなコメントを述べた。識者達に非を責める資格はあるのか?少なくとも私にははない。男尊女卑的考え方は私にも強く残っている。

??閣僚辞任劇
 当時の小渕経産相、松島法相が辞任した。共に公職選挙法に違反したと言う内容であった。マスコミは「女性閣僚」の失態、非として「女性」、「女性」と大騒ぎ。この件に男女を区別して論じる必要は全く無いのに。
 自民党の議員の男女比の具体的数値を私は知らないが、まだまだ少ないはず。この中から5人も女性閣僚を登用したのは不自然な政治的判断である。真の女性の社会進出は、政治的に成し遂げようとしても困難である。
 男性中心の社会の歴史の評価が必要である。男の考え方にも問題があるが、女性にも男の庇護のもとに生きて行きたいとするような考え方があるような気がする。女性自身の社会に対する考え方の進展を待たなければならない。

 上記の3件はちょっとした例に過ぎないが、メディアの報道から変に「女性」を強調した部分がなくれば、我が国のジェンダー文化が真に成熟に向う兆しが見えた、と言えるだろう。

 最近セクハラ事件が大きく取り上げられ、それに引っ張られて我が国のジェンダーの考え方に進展が見られるようになった。
 理屈では良い方向に向かっていると理解しているし、私も変わっていかなければ、と思うが、古い考えが根強く残っている私のホンネから言えばちょっと寂しい。


9/24(月) 秋分の日 曇りがちの晴れ 家内のBD 
0:30起床、早朝・夜間はけっこう寒い、着衣なしは無理。文献、新聞他。午前は家事の補助、庭掃除、畑仕舞い。トマトきうりナス終了とした。午後微睡後同様の作業、切り取った絵だなと細断、廃棄準備。16:00から新聞文献など処理。18:01バスで飯川、19:00-21:00牛玄亭にて祝膳、Taxi帰宅。21:30就寝。歩数計Σ17626歩、外仕事のため。

多様性の疎外が表出した事件(1) LGBT 国の対応が求められる
 性別は男女しかなく、結婚は男女かするもの、男らしく、女らしく・・との通念が根強い。しかしながら、心と体の性が一致しない性同一性障害などの性的少数者は、長らく價見の対象となってきた。偏見が差別、孤立を生み、時に絶望的心理へ追い込む。
 だが、少しずつ「性の多様性」を尊重する社会になってきた。同時に、性的少数者との呼び方自体が偏見を助長している。少数者などと言うべきではない。
 性同一性障害者が生きやすい社会とは、全ての人か尊重される社会でもある。

 国でも一億総活躍社会、男女雇用均等法などを進めてきた。しかし、まだまだ男女を平等に扱う社会の風潮は出来ていない。
 最近でも以下の事件等が明らかになってきて、共生社会実現の道のりは険しいことが示されている。

 (1)杉田衆院議員「生産性がない」発言問題
 戸籍上は男性だが、心の性が女性の学生をお茶の水女子大学が再来年度から受け入れると表明した。多様な性のあり方を認める動きが広がるのは意義深い。
 文科省は15年に性的少数の児童・生徒への「きめ細かな対応」を求める通知を全国の小中高校に出した。
 日本学術会議の分科会が昨年まとめた提言「性的マイノリティの権利保障をめざして」でも、教育機関に対し、通称名の使用やトイレ、体育・健康診断での配慮、カウンセリング体制の充実などを要請している。
 性の認識や家族の姿に規範はない。多様な考えや生き方が現にあり、それを認め合うことが、人権が守られ、誰もが生きやすい社会につながる。

 ところが、自民党の杉田衆院議員が月刊誌への寄稿で、同性カップルを念頭に彼らは子供を作らない=『生産性』がない、と行政による支援を疑問視した。人権意識を欠いた記述だと批判が上がっている。寄稿は「新潮45」が掲載した。

 (2)東京医大
 東京医科大の入試において、平成23年度以降、女子合格者を全体の3割前後に抑えるため女子の得点を一律に減点していたことが分かった。
 得点操作は入試の段階で男女差別が行われていたことになり、個人の社会経済的地位や,性別、人種、居住地,などの属性的要因にはよらないとする教育の機会均等を定めた憲法第26条および教育基本法第4条に明らかに違反する。

 女性医師は出産、子育て等によって離職、あるいは休職せざるを得ないケースがあるが、それを見越して入試の段階で調整することは許されない。女性医師の問題点は、女性医師の出産や子育て等を前提として、短時間労働の導入や当直の軽減、院内保育施設の整備など、医家現場で女性が働きやすい職境整備を進めることが重要でである。所管省庁である文部科学省に対しては敞底した詞査と厳格な対応をそむぞむ求めている。

 そのほか、以下の事件などが表出してきた。
 (3)強制不妊問題
 (4)相模原事件
 (5)障害者雇用水増し問題


9/23(日)快晴 幼稚園運動会 岡山到着
 1;30起床。本読み、新聞などいつものごとし。8:30広面幼稚園運動会、家内送ったあと飯川病院、撒水、CDデータ化進める。11:40バスにて帰宅、NHKのど自慢、微睡、外仕事。草刈り、野菜の支柱はずし、落花生初収穫。本日の歩数Σ12660歩。四国終了、岡山に。歩数計開始から1990日、Σ1929万歩、15470Km 。

徒歩通勤2018(10) 本日、香川を通過し岡山に入った
 平成13年3月から徒歩通勤を始めた。
 歩数計「新・平成の忠孝」で歩行実績を積算している。伊能忠敬が歩いた海岸線をたどり、東京を基点に、東北、北海道、北陸、九州を終了、12月28日に広島県を終了、四国愛媛県に渡った。愛媛、高知、徳島、香川を経て四国の海岸線を歩破し岡山県に入った。

 平成13年3月から本年9月22日時点までの積算データ
■歩行開始後 1.990日目、
■総歩数 Σ1.929万歩 (平均9693歩/日)、
■歩行距離 Σ15.470Km(平均7.74Km/日)。

 香川県通過のデータ。
 香川県に入ったのが 8月19日、通過日9月22日。
■香川県の海岸線は301.03Km。
■香川県の通過所要日数 34日。
■一日平均歩数 10.588歩、
■一日平均歩行距離 8.9Km。
■現在の位置 日本一周目標の83%終了。

 最低1日10.000歩を目標にしていたが、今回は10.588歩と目標を達成した。
 そのため、香川県は9月中に通過できれば良いかな、とゆったりとした計画にしたが1週間ほど早まった。

 香川県を通過している間は梅雨も明け、途中で台風21号が日本海を通過したが天候不順はそれほでなく、歩行出来る機会は多かった。
 
 通過した香川県は私にとってはなじみの少ない土地で、NHKのど自慢の開催地、高校野球の代表校、歌謡曲に登場する地名、讃岐うどんとかで若干知っているに過ぎない。

 いま歩き始めた岡山県の海岸線は304.8Kmである。

 最近ちょっと気力減退気味である。岡山県は10月中に通過できれば良いかな、とゆったりとした計画にした。


9/22(土)終日降雨 
2:00起床、昨夕から引き続き降雨。新聞チェック・文献読み。画像データなど整理。いつもと同じ。午前午後、微睡はさみ音楽、座学三昧。Blu-ray視聴:「らららクラシック:バーンスタイン」、「N響ホッとコンサート、ウクライナ国立交響楽団演奏会:小品多数」。新聞、単行本データ化、19:00夕食。20:10就寝。歩数計6456歩。

幼児の虐待死(2) 虐待死を防ぐには子育てへの熱い援助が必要 
 人口動態調査票のデータから分析した成育医療センターの調査によると、2015〜16年に102人の女性が妊娠中から産後にかけて自殺しており、わが国の妊産婦死亡の原因の中で最も多い。自殺の時期は、産後1年を通して生じていた。子背てヘの不安やストレスによって起きる「産後うつ」が原因と考えられる。
 諸外国と比べると、わが国の妊産婦の死亡者数はとても少ないが、自殺の占める割合がとても高い。
 我が国に何らかの特有な出産、子育てに悪しき環境があるように考えられる。この点の分析が必要である。
 この調査では幼児の虐待との関係は明らかにしていないが、私は産後うつと幼児の虐待との関連は否定できないと思っている。

 幼児の虐待死を防ぐには、教育と政治と社会の改変が必要である。

 まず、幼児虐待はいじめ問題と同様に、ある一定の環境のもとでは基本的には起こるものだとの認識が必要である。子育て環境は密室である。
 その上に立って、いかにそれを少なくするか、虐待をどう感知し、止めさせるか、k取るべき対策は広範に及ぶ。 

 政治家の、性や家庭や子育てに対するイメージが極めて貧困だと考える。その結果として、子育て世代に対する社会保障が貧困、社会的常識の枠からはみ出た環境にある人たち、例えば、シングルマザー問題、母子家庭、父子家庭問題を真剣に考えていないし、生活困窮者に対する生活保護受給者バッシングの風潮を示唆するような言動とか、目に余るものがある。
 最近では 自民党議員のLGBTの非効率論、それに対する与党の反応などを分析すれば、政治家が何を考えているのか予測ができると思われる。

 性教育も不十分である。早い段階から正当な教育を授ける必要がある。情操教育の一環としてかなり早い段階で手を付けなければならない。

 親が子どもを育てるべきという考え方は正しいが、それができない環境にある場合の、設の問題、里親養育制度などにも気を配ってほしい。

 目黒の幼児虐待死にの問題をつぶさに読めば、幼児の虐待死を防止するために何をしなければならないのか明確になってくる。

 人間の、妊娠・出産・育児は、人間が立ち上がって二足歩行をするようになってから他の動物にはみられない様相を呈するようになった。すなわち骨盤が固く丈夫になり、胎児の頭がやっと通過できる状態まで狭くなった。その為に胎児は未熟な状況で娩出される。出産自体も危険である他、新生児は厚い加護がなければ生きる手立てはない。

 人間の場合、妊娠・出産・育児を通じて母親だけで子育てをすることは不可能である。だから、夫婦間の子育てや家事の分担、両親や親族の参加、強いては社会の援助がなければ若夫婦の一部は次第に追い詰められる。

 安心して子供を育てられる社会構築する必要がある。
 2017年に虐待の疑いかあるとして警察が児童相談所に通告した件数は6万5431人になった。政治的にも手を付けなければならない問題である。


 9/21(金)快晴、夕方から降雨 大曲中通病院 飯川病院ボランティア 飯川病院歓送迎会
 0:30起床。新聞チェック・文献読み・徒然など。可燃ごみ廃棄準備するも袋に余裕あり。7:30Taxi飯川経由駅に。8:11こまち12号、徒歩病院、9:10-12:00外来、13:15-18:45飯川病院ボランティア、散水など。CDデータ化進める。18:00南通ピザ店飯川病院歓送迎会。楽しい会であった。21:00帰宅、22:00就寝。歩数計Σ11312歩。

幼児の虐待死(1) その実体
 「もうおねがい ゆるして ゆるしてください」。ノートに書かれた幼い文字が悲惨さを物語る。この文章を新聞記事で読んだとき、本当に5歳児が書いたのだろうか??私は驚いた。

 東京目黒で、今年3月20日に両親から虐待を受けた5歳児が病院に搬送され死亡した。この子の虐待は何度か繰り返され児童相談所も児を保護、父親は転居前に住んでいた香川県警から2回書類送検されている。しかし虐待死を防げなかった。5歳児の平均体重は約20Kg。この児は死亡時高度の累層状態で14Kgしかなかった。食事を与えられなかったと考えられる。

 虐待により幼い命が奪われる悲惨な事件が後を絶たない。
 警察庁の統計では、2017年までの15年問に18歳未満の子供1175人が虐待死している。17年に虐待の疑いかあるとして警察が児童相談所(児相)に通告した件数は2004年は962人で年々増加し、17年は前年より2割増の6万5431人になった。
 虐待の見逃しや深刻化を防ぐため警察は関係機関と連携強化を進めている。
 2017年の虐待死の子供は前年より9人減ったが、0-16歳は58人に上った。

 2017年に殺人や保護責任者遣棄致死などの虐待死事件で摘発された親などは55人、実母など女性が35人、実父や内縁の夫など男生は20人だった。

 目黒の例は悲惨であり、両親に対して、強い憤りを感じる。しかしながら関係者の非を指摘するのはいいがそれのみでは児童虐待は防げない。

 虐待を発見した際に児を親から離す必要があるが、その手続を扱う児童相談所のスタッフ不足の問題、保護施設不足の問題も大きい。現状では非行少年も扱っているために規律が厳しい所が多い。食事時の私語の禁止、窓の無い部屋規律などの面でも拘置所並みの環境が多い。これでは収容された児の心に一層のキズがつく。本来ならば、個室で丁寧に扱会、心のケアまで行なわなければならない。

 親の側にも問題がある。約30%が心中である。背景には生活苦があり、生活保護の申請時に門前払いを受け、その非人間的な扱いにショックをうけ心中した例もある。
 
 虐待死した児は6割が生後1年以内が多い。望まれない、祝福されない妊娠出産で、母が出産したその日に児を殺める例もある。
 望まない妊娠の背景には性的知識不足がある。若い段階から適切な性教育が必要である。近年の若者は性的行動には安易に走るが、正しい性知識には乏しい。

 かつ、親になるための人間的成熟が乏しい。忍容性にも欠ける。子供がむずがったりするとすぐにキレて虐待する。
 虐待する親の関係として特に多いのは、子連れのシングルマザーが新しい男性と関係ができた場合で、母親は弱みがあるのか、過去を嫌ってなのか、男性の子供に対する虐待を看過し、共犯者になる傾向がある。


 9/20(木)快晴夕方から降雨 中通病院外来 飯川病院 自民総裁安倍3選
1:15起床。文献若干,本読み。7:30徒歩で飯川病院、8:45-13:30中通病院外来、結構混雑、13:45飯川病院、外来患者対応、文献読み、新聞チェックほか。CDデータ化進める。19:00帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ12887歩。

余生をパソコンと共に生きる(7) パソコンで音楽を聴く (5) 音に満足か??
 私は音楽が好きである。私が通常聞く音楽はほとんどジャンルを問わない。童謡、民謡、ジャズなど何でも聴くが、いわゆるクラッシック音楽を聴くことが多い。クラシックとしてはバロックから最近の作品まで、フルオーケストラから楽器の独奏曲までと幅広く楽しめる。

 楽器の音色とすれば、特に弦楽器の音を好む。今は殆どやらないが、自分でも下手ながらバイオリンやチェロを楽しんでいた事もある。聴く状況にもよるが、楽器の音色としては落ち着いたチェロ、ビオラの音が好きである。

 弦楽器の曲として特に好きなのは弦楽四重奏である。作品自体も素晴らしいが、4本の弦楽器が織り成す音楽には心から感じ入る。弓と弦との間で松脂が飛び散っている雰囲気まで再現される名録音が多い。弦楽四重奏曲としてはベートーヴェンの作品、バルトークの作品を好む。

 いま終活中と称してCDをパソコンに取り込んでいる。
 いままでに取り込んだのはCDは連続再生し続けても97.3日を要する膨大な量となった。これらの曲を好みで13の大項目に分類している。各ジャンル毎の曲数と時間のデータをみると、弦楽四重奏578曲、67時間分、交響曲が1070曲、185時間、チェロの独奏曲が1830曲、124.8時間分・・・とジャンルの好みが反映されている。

 これらの曲は6台のパソコンと256GBの「iPhone8」にそっくり入っている。 

(パソコン前のiPhone8。厚さ5mm程度の筐体にCDが500枚以上も入っている。画面には分類されたすべての曲目、演奏家、全曲目などが示されている)

 これらの大量の曲のうちから目的の曲をなんら苦もなく探し出せるのがデータ化音楽の最大のメリットである。

 音楽を聴くのにどんなに便利でも音質がかなり劣化するようでは実用にはならない。
 私の音楽ソースはほとんどがCDである。試みに生のCDとデータ化した音源をソニーのヘッドフォンを有線で繋いで比較したが、私にはほとんど差を指摘できなかった。次いで、データ化した音源を有線とBluetoothによるワイヤレス状況で比較してもその差はほとんど分からなかった。

 私はオーディオの世界で語られるような、深い意味での音の良し悪しがわからない。
 だからなのかもしれないが、私がいま頻用しているシステム、すなわち、CDの音楽データをパソコンで読み取り、「iPhone8」に転送し、それをBluetoothを介して飛ばし、ソニーのノイズキャンセリングヘッドフォンWH-1000XM2で受けて聴くという、超手軽な方法であるが、機器としては低機能揃いといっていいだろう。いかにデジタルの世界とはいえ、音質が劣化しうる過程を何度も通過しているだろうが、私の耳まで質が保たれて届くとことに驚きを覚えている。

 毎日、通勤時もオーディオルームを頭に乗っけて通っているが、至福の日々である。


9/19(水)快晴 飯川病院ボランティア
2:15起床、寝すぎた。昨日の外来の影響。文献若干,本読み。11:00院長受診日バスで通町、書店コーヒー店経由飯川病院に。ボランティア、CDデータ化進める。外来患者対応、文献読み、新聞チェックほか。18:00レガシー帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ12887歩。

余生をパソコンと共に生きる(6) パソコンで音楽を聴く (4)「iPod touch」、「iPhone8」でも聴く
 パソコンに一度、曲のデータを取??込んでしまえば、パソコンがジュークボックスとなり、CDを取??替えなくてもワンタッチで選曲して聴くことができる。すべて手元のキーボード1つで再生出来る。この機能はものぐさな私にとっては超超便利である。パソコンにミニコンポを繋いで聴くと結構いい音がする。私はこのレベルで満足している。

 調子に乗ってCDをパソコンに取??込んでい??うちに、本日の段階で私の「iTunes」には 音楽データとして165GB分取り込んだことになっている。CDとして500枚程度に相当するのだろうか。

 終活と称してパソコンに私のCDを全部取??込むことにした。私が購入したのはせいぜい100数十枚で、その作業は一月ほどで終わってCDは廃棄したが、わが家には予想を超えた枚数のCDがあった。私は感知していなかったが長男が大学生の頃から収集していたらしい。それらのCDの中には私のライブラリーに是非加えたいと思うのが沢山あり、長男のCDからはデータだけそっくりいただく事にした。本日また缶ビールが入っていたダンボール箱で一つ届いた。彼は「まだあるがやっとゴールが見えてきた・・・」、と言っていた。私の作業はまだまだ続きそうである。

 私は、6台のパソコンにデータを転送している。また「 iPod touch」、「iPhone8」にも同期させているから何処でもいつでも聴ける。
 この終活作業を介して、昔のごとく音楽三昧の生活が戻って来た。パソコンがない部屋でも、通勤時、農作業時、車の中 など、どこでも気軽に聴る。

 そんな中、今春娘から64GBの「 iPod touch」を貰ったのが火付け役となって、「ならば音楽を全部詰め込んで持ち運ぼう」と考えて今年6月に256GBの「iPhone8」を購入した。 「iPhone8」にはまだまだCD200枚分程の余裕がある。

 「 iPod touch」も「iPhone8」も充電はUSBケーブル経由で簡単である。充電池の能力も向上していて、短い充電時間で何時間も聴くことができ??など、技術の進歩には驚くばかり??。 ひと昔前のカセット、MD、CDウオークマンの時代には音楽メディアを頻繁に取り替えなくてはならなかったから、当時としてはそれなりに便利であったが、今の状態とは隔世の感がある。
 「 iPod touch」「iPhone8」はそれだけでも間にあわせ的に、かそけく聴けるが、私はBluetoothを介してソニーのノイズキャンセリングヘッドフォンWH-1000XM2をで聴いている。
 私はこのレベルで満足している。


9/18(火)快晴やや寒い 中通病院外来、飯川病院
 0:30起床。新聞・医学論文チェック他データ整理。5:00ゴミ出し。7:30徒歩で飯川病院、8:45-14:30中通病院外来混雑疲弊。14:20-19:00飯川病院、入院患者対応。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ12192歩。

敬老の日2019(2) 家族関係推移予測から見る日本の高齢者問題   
 厚労省の国立社会保障・人口問題研は本年1月に「日本の所帯数の将来推計」を発表した。
 2015年の国勢調査を基に2040年までを見通した。
 厚労省の資料から抜粋し、以下のごとくまとめた。

―――――――――――――――――――――――――――――――――――――- 
 ■ 日本の総人口は2008年のピークから減少している。
 ■ 全世帯数は15年は5333万であるが以降も増え続け、23年に5419万世帯でピ-クに連し、その後は減少に転じる。
 ■ 世帯数が増える理由は、一人暮らしや一人親世帯の増加。ひとり親と子の世帯は15年には477万所帯で、40年には492万所帯になる。シングルマザーなどの増加による子どもの貧困が課題になりそうだ。

 ■ 平均世帯人数は15年の2.33人から40年2.08人となる。
 ■ 65歳以上の高齢世帯は2040年に全世帯の44.2%へ。半数にまで迫る。
 ■ 世帯主が65歳以上の世帯数は、15年1918万、40年には2242万に増加する。     
 ■ 世帯主が75歳以上の世帯が急増し、40年には54.3%と半分を超える。
 ■ 65歳以上の高齢の一人暮らし世帯は15年の625万世帯から40年には890万世帯
と、約43%も増加する。
 ■ 2040年には高齢者世帯の40%が一人暮らしに。頼る人がいない高齢者の増加は社会制度にも大きな影暫を与える。
 ■ 若い世代も含めた世帯でも一人世帯が34.5%から39.3%に増える。
 ■ かつて4割以上を占めていた「夫婦と子ども」という世帯は26.9%から23.3%へ減る。
 ■ このような世帯動向の背景にあるのは少子化。かつては1人の女性が産む子どもの数は4人以上だったか、16年には1.44人まで減った。
 ■ 結婚しない人も増えていく。15年は65歳以上女性の未婚率は5.9%だが、40年には14.9%となる。

 ■ 配偶者も子どももいない一人暮らし高齢者は経済的にも健康面でも不安定な状況になりやすい。特に基礎年金しか受け取れない高齢者は貧困に陥りやすい。
 ■ 家族がいなければ、介護が必要な状態となったときに全面的に社会制度に頼らざるをえない。
 ■ 地域で支え合う仕組みをつくることか必要になる。
 ■ 私的年金を含め、現役時代からできる限り年金を増やすような努力が欠かせない。   
 ■ 高齢でも働き続けることができる社会環境の整備が必要。
 ■ 社会保障制度の財源確保や効率化で持続可能性を高める必要がある。

 ■ 社会保障の機能強化も必要だ。無駄を排する一方で、国民の負担能力に配慮しながら、税や社会保険料を引き上げで制度を維持せざるを得ない。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――- 

 日本の高齢化は一人一人を論じただけでは総論的にはわかるが、問題が明らかにはなりがたい。世帯、家族と言う単位でみればより一層明らかになる。

 次の問題点は
 ■地域のコミュニティの崩壊。
 ■集落の崩壊。
 ■・・・・・
に繋がって行く。単位が大きくなるほど問題も大きくなる。

 このような動きに対し行政としてどのように対応していこうとしているのか?みえない。総裁選で語られている施策には具体策はない。
 財政再建、このような社会構造の変化を背景に現実は厳しいと思う。


9/17(月)敬老の日 夜半午前降雨 午後快晴 飯川病院日直
 1:00起床。読書、書籍自炊、画像整理などいつもの如し。8:30バスで出勤予定で途中まで歩いたが突然降雨ひどくなりレガシーで出勤。8:50-17:00日直勤務、患者は落ち着いている。CDデータ化進める。歩数計Σ9524歩。19:00帰宅、夕食、21:00就寝

敬老の日2019(1) 高齢化に関する統計と感想   
 本日は敬老の日。
 かつては新聞では各紙が社説でお祝い記事、一部問題点提示などを掲載したものである。私は現在中央紙2紙、地方紙1紙を購読しているが、その範囲では社説で取り上げた紙はなかった。

 高齢者の社会的な意義はますます大きくなってきているのに、これでいいのか、と感じた。
 去年までは岩手日報も購読していたが、一紙だけ社説で取り上げていた。今年はどうかと思ってネットでみたところ同様に今年もとりあげていた。ちょっとホッとした。さすが岩手県!!!

 県はこの9月に秋田県の高齢化の状況をまとめた。国の統計もまぜて以下に記載。
 ■ 県人口98万3000人、65歳以上高齢者は35万7125人。
 ■ 75歳以上は19万245人(男性6万8766人、女性14万2685人)。
 ■ 県人口に占める割合は19.6%だった。
 ■ 100歳超の県内の高齢者は、642人。女性が562人、男性は80人だった。
 ■ 100歳以上人ロは続計が残る2002年以降、高齢化率1975年以降、増加傾向。
 ■ 県人口に占める65歳以上の割合を示す高齢化率は7月の時点で36.3%。
 ■ 市町村別の高齢化率は上小阿仁村54・4%>藤里町49・3%、>五城目町47・1%。最も低いのは秋田市で30・4%。
 ■ 高齢者単独世帯は12万809で、総世帯数の10%。
 ■ 一人暮らしの世帯は6万6563、総世帯の17.1%

 ■ 総務省の人口推計(昨年10月)の高齢化率は27.7%。本県は35.6%で全国最高。
 ■ 本県の高齢化率は2025年に40.8%、2045年には50.1%になると推計。

 ■ 厚労省によると100歳超の高齢者は全国6万9785人に上り、女性が88.1%。
 ■ 老人福祉法が制定の1963年は100歳超153人、98年に1万人、2012年に5万人。
 ■ 国立社会保障人口問題研究所の推計によると、100歳超は5年後には10万人を突破し、10年後には17万人。
 ■欧米主要6カ国と比較した高齢化率は日本>イタリア23.0%>ドイツ21.5%。
 ■日本は世界的に見て長命国になったのはそれなりの理由があるが、長寿社会へ成熟したとは言えない。

 日本では年寄像の二極化が進む。
 一つ目は、元気なお年寄りが増えていること。実際、働く高齢者は年々増加している。
 二つ目は、虚弱な年寄り関連で暗い現実がある。孤独死、生活苦や老老介護の果ての心中や殺人、介護施設での虐待・・・、も。

 国の少子高齢化対策は後手後手に回り、結果的には、現役世代で高齢者を支えるには限界である。
 日本の人口問題の指摘は戦後直後からあったが、経済成長の影に隠れ深刻な討議がされなかった。日本は分析技能には長けているが対策に結びつかない。「懸案事項は話し合うだけで対策しない国」。「座して死を待つだけの国」となった。少子高齢化問題はもう間に合わない。

 高齢者にのぞみたいのは死生観の確立である。
 命の限界を迎える前に、周囲の人たちと話し合い、死生観を共有しておくことが重要である。


9/16(日)晴れ夕方から降雨 飯川病院日直 
1:00起床、電子データチェック、本読み。微睡など。8:00家内に同乗飯川病院。日直業務に。微睡など。本読み中心。CDデータ化進める。19:00家内に同乗、G Martに立ち寄り帰宅、通常価格など知らない私は食品が高いのに驚く。夕食、2130就寝。歩数計Σ6903歩。

「耳かき」談議(2) 余談:耳かき店員殺害事件
 世の中には不思議な商売があるものだ、と思う。私はいま極悪犯罪の死刑について資料を集めて学んでいる。その一つとして、2009年8月の「耳かき店員殺害事件」と称される事件も対象の一つで読んでいた。

 耳かき店は、「耳かきサービス」を中心にする。この店の場合、耳かきの時は、客の顔に折り畳んだ手拭いが掛けられ、手が直接に顔に触れないようにしていた。性的なサービスはなく、指名料金を含め費用は1時間で4800円ほど。

 当時21歳の女性は秋葉原の耳かき専門店でナンバー1の人気で、多い時は月に65万円の収入を得ていた。
 2009年8月、果物ナイフ、包丁、ハンマーを準備して自宅を訪れ、女性と祖母の2人を刺した。後者はその場で、女性は1ヶ月後に死亡した。41歳の会社員の男が逮捕された。男は1年前からこの女性を指名し200万円以上を費やしていた。男は女性に店外で会うことを要求したために店を出入禁止となり、その後、ストーカー行為を繰り返した。

 男は独身。女性との交際歴は乏しかったが、仕事での評価は高かった、という。週末にはいつも数時間店で過ごしていたという。

 実際に加害者と被害者の間がどのような関係であったか、私の手持ちの資料では分からない。それに私はいわゆる風俗店と言われるところに一切近ずいたことも無く、このあたりの知識は皆無に近い。
 私の耳かき作業はせいぜい30秒ほどで終わる。毎回数時間も過ごしていたというが何をしていたのか?分からない。

 この犯罪で「死刑」か「無期懲役刑」かの選択が問われた。

 いわゆる永山基準に基づき、他の事件との均衡の見地のほか、前科なし、20年以上まじめに働いていたこと、約1年間にわたって店に通い詰め、両者間の表面上良好な関係であったことが酌まれたらしい。男には無期懲役の判決が下された。

 日本の死刑判決は日本の混乱期は頻度が高く、被害者がひとりでも死刑判決が下されたが、徐々に減少している。いまでは複数殺害でも無期の判断が増えている。司法の関係者の中でも死刑廃止の機運が高まりつつあるとのことである。


9/15(土)曇天午後晴天 千秋花火大会
1:00起床。蓄積資料整理。午前は読書、データ整理など。午後はダリアの世話、庭木の枝を裁断など、16:00以降は書斎にこもりデータ、帰宅後書斎整理。N響定期公演録画数曲、らららクラシック、題名のない音楽会など視聴。19:00夕食、20:30就寝、歩数計Σ16570歩。千秋花火大会は10万円寄付、しかし、人出が多く大変だったと言う。

音ノイローゼの耳 ヘッドフォンで痒くなる 「耳かき」談議(1)
 私は幼少の頃から耳掻きが好きである。母からやって貰ったような記憶はない。いつの間にか体得していたらしい。なにせ気持ちがいい。
 それほど痒くなくともちょっとしたときに掻く。長時間机に向かう日には何度も何度もかく。私の生活の中に根付いた習慣で、半ば癖?になっている。

 耳かき棒は気にいったのは数本あるが、そのうちの一本を取り分け気にいって私の宝といっていい。これを集中して用いる。
 それは細い竹製なのだが、太さと言い長さと言い、先端のカーブは微妙、さらにスプーン状の先端は刺激感もなく、耳を傷つける事なく、使用感は最高である。この一本を30年近く使っていると思う。居間のペン立てのなかに鎮座している。時に机から落ちたりする。その時は半ば狂ったように仕事そっちのけで探し出す。ゴミ箱あさりまでする。

 痒みはなぜ起こるか?? 皮膚にある、ある種の細胞から出されるヒスタミンという物質が神経をソフトに刺激すると痒みとして感じるらしいが、そんなことはどうでもよく、痒いところは掻くに限る。

 耳掃除はなんで気持ちいい?
 耳のなかには人の性感帯である腋窩とか乳輪などにもあるアポクリン腺という分泌腺があり、その周辺の迷走神経が刺激されると性的快感に似た感じになると考えられている。

 私の場合は耳が痒くなると居ても立っても居られなくなる。
 最近、耳が頻繁に痒くなるのは四六時中装着しているヘッドフォンが原因である。私は自称音ノイローゼで静寂な環境を好む。市井は騒音ばかりである。人々はなんでこんなうるさい環境に耐えられるのか不思議である。

 私を救ったのはノイズキャンセリングヘッドフォンで、2004年4月、BOSEの「クワイアットコンフォート2」を購入した。4万円と決して安くはなかった。以来15年間、ソニーの製品とともに数個使い続けてきた。本年2月にソニーのWH-1000XM2を購入した。これは機能的に私が使ってきた従来品に比較するとノイズキャンセリング効果は驚くほど素晴らしく隔世の感がある優れた製品である。

 いまはこのWH-1000XM2を離すのは睡眠中と診療中くらいでほとんどの時間用いている。これは密閉型で両耳をやや強めに圧迫する。だから機密性が高い。だから、夏場は特にひどいが湿気が耳の中にこもりやすい。だから頻繁に痒くなる。
 私はイヤーカップの中に短く加工した耳かき棒をセットして適宜用いている。

 耳鼻科医の意見によると基本的には耳掻きは不要とのこと、たまった耳垢は自然に外に排出される、と言う。
 そんな事を言われても私は耳掻きを止めることはできない。何となれば「気持ちがいい」からである。


9/14(金)晴れ 大曲中通外来 飯川病院ボランティア
 0:50起床、新聞・文献他、本読み。5:10可燃ゴミ提出。7:30Taxi、8:45-12:00大曲中通病院、往復徒歩。13:30飯川病院ボランティア。散水他、18:30Taxi、途中で飛び出し車あり急停車で購入し卵数個割れた。19:15夕食、21:30就寝。CDデータ化。歩数計11364歩。昨年居間ガスストーブ初点火。今年はまだ。

背中が遠くなりにけり 「孫の手」談議
 私はもともと体が硬い、特に体幹がひどい。これは若い時からで、特に前屈が辛い。大学教養課程の体育の時間に教師から強く押され、それから腰痛持ちになった。日常的には特に不便を感じていないが、机の下に落とした物を取ったりする時に不自由である。
 老年になってからは下肢が特に固くなり正座できなくなった。歩くことで下肢は使ってはいるが、ほとんどイスの生活だから屈曲に弱い。

 上肢は特に固いと思わず、いまでも背中はどこでも掻くことが出来るが、最近少し硬くなったらしく、先日「孫の手」を使って見たらこれが快適であった。

 家には、家族が使っている竹製の、先が湾曲し、手の形をしているのが2本、私がかつて頂きしまい込んでいた先端に凸凹の金属の板が貼ってある折り畳み可能なプラスチック製の1本あった。

(家族が使っている竹製の2本と私のプラスチック製の孫の手。先端の金属の凹凸が絶妙な掻き心地を醸す)

 竹製の「孫の手」は子どものころから使っていたのと形が変わっておらず、逆に新鮮な驚きを覚えた。

 「孫の手」は名前からしてユニークである。しかも形が幼児の手を思わせるように作られている点は実用的、かつ面白い。暖かい。

 秋田出身の探検家の高橋大輔氏のエッセイによると、ある時「孫の手」をアメリカに土産に持って行ったら全然喜ばれなかった、という。孫の手が日本独特のものだと思い込んでいたとのことで、同じものはアメリカのどこの家にもあるらしい。
 
 アメリカの「孫の手」も先端が人間の手の形をしているものの、堅牢な鉄製でかなりの重さがある。アメリカ人の背中を掻くには良いかもしれないが、自分が使えぱ、皮ぱかりか肉までこそげ落ちてしまうだろう、と書いていた。
 アメリカではバックスクラッチャー(背中掻き)と呼ぶらしい。何と無昧乾燥な名前なのだろう、とも。

 氏は、日本ではそれが「孫の手」と呼ぱれているのだと説明した。すると友人は不思議そうな顔をした。なぜ孫なのか?背中かかゆくなるのは老人ぱかりとは限らないだろう、と言われ、答えに窮した、と言う。

 氏によると「孫の手」のルーツは中国の仙女、「麻姑」の手から由来したものだという。「麻姑」の爪が長かったので、背中を掻いてもらいたいと願う人がいて、中国の背中掻きは「麻姑の手」と名づけられ、いつしか日本にもたらされた。氏は「麻姑の手」を「孫の手」と言い喚えたところに日本人のセンスを見つけ出すことができると言う。形は世界共通でも、日本の「孫の手」は実に奥ゆかしい、と記述している(秋田魁新聞2011年のコラム欄を参照した)。

 背中を掻く棒を「孫の手」と言い換えたことに日本のセンスに妙がある。祖父や祖母の存在がイメージされる。そこには世代間の暖かな人的交流が思い浮かぷ。

 私は孫が数人いるが外孫であまりホットな交流はない。それと私は他人から触られると身の毛がよだつほど不快感を覚えるので、孫から触られた事もない。 
 
 今の私の日課に飼いネコ達の背中掻きがある。「じっちゃんの手」であるが、彼らは目を細めて実に気持ち良さそうである。


9/13(木)快晴 外来 飯川病院 トランクスから作業服に
1:00起床。文献検索、新聞チェック、書斎整理、微睡など、7:25徒歩飯川病院着。8:45-14:30外来+ドック判定14名+クリニック移動してレ線チェック。疲弊した。レガシー充電、プリ移動中に薬剤師の車のミラーに擦る。19:00レガシー帰宅、夕食、雪音不調か?様子見で良いと思うが。20:50就寝。歩数Σ13560歩、CDデータ化。

余生をパソコンと共に生きる(4) パソコンで音楽を聴く (2)「iTunes」に音楽CDを取????込む
 私はMP3に音楽データを圧縮すればオリジナルCDよりは音質がかなり悪いのではと危惧していて当初はMP3化はそれほど乗り気ではなかった。しかし、MP3化したデータをミニコンポにつないだ結果は、私には遜色なく聞こえ、結果的にパソコンがCDプレーヤーに変身した。

 パソコンに一度、曲のデータを取??込んでしまえば、ジュークボックス様となり、CDを取??替えなくても聴くことができる。CDを探してセットする必要がなく、すべて手元のキーボードで操作出来る。この機能はものぐさな私にとっては超超便利である。
 それで終活、と称してパソコンに手持ちのCDデータを全部取??込むことにした。

 ただし、パソコンに音楽データを取??込むには単純にコピーするだけではダメで「リッピング(ripping)」 という作業が必要となる。
 「リッピング」は、音楽CDのデータをMP3などのファイルに変換し、かつ、音楽データに曲名、アーティスト名などの情報を持たせ、表示や保存、編集などの管理、さら??には音楽プレーヤーとしての機能をたせる作業である。
 「リッピング」ソフトとしていくつかあるが、私はMacに付属してくる「iTunes」を用いている。「iTunes」でCDをパソコンに取??込むと、曲名、アルバム名、アーティスト名が自動的に表示され ??、音楽データとともに保存さ????れる。
 しかも、「iTunes」の場合はパソコンで聴くだけでなく、「iPod」、「iPhone」でも共通して使えるから音楽を持ち運ぶことが可能である。
 
 音楽CDを「iTunes」へ取????込む作業はこれまた超簡単でほとんどストレスなく行うことができる。私の旧式のパソコンiMac21にはCD・DVD読み取り装置が付いているので、私は1日10枚ほど「iTunes」へ取????込む作業をしている。

 保存????ファイルの形式は、「AAC(Advanced Audio Coding)」、「MP3(MPEG Audio Layer-3)」があるが、少なくとも私の耳では 「AAC」と「MP3」の音質の違いは分??らないので後者にしている。

 音楽CDは約1時間分のデータが入っているが、一枚あたりの取り込み時間は10分程度と早い。

 このため「全部のCDを取??込む作業は大変・・」という先入観は覆えされ ??、コツコツと作業を進め、今日の段階で500枚以上取り込んだことになる。

 私の場合、全部のパソコンにデータを転送しているから何処でもいつでも聴ける。また「iPod」、「iPhone」にも同期させている。
 一度、この快適さを味わうと音楽環境がガラリと変わり、昔のごとくの音楽三昧の生活が再現された。

 音楽を聴く、と言うことで見れば、書籍の終活も同じであるが、終活の作業を通じて新しい可能性を見出した。いま、その喜びに浸っている。


9/12(水)快晴 午後飯川病院ボランティア 
0:20起床。文献検索、画像データ整理、本読み他。靴底修理に。BR視聴、ベルリンフィル、ラトルの足跡。マーラー交響曲6番。昼石井さん一時離秋。13:30レガシー佐野薬局経由飯川病院へ。午後ボランティア。新聞チェックほか。当直医手術とのことで遅れ、20:00Taxi着たく。レガシーバッテリー上がった、何故??ハザードか? 20:10夕食、21:30就寝。歩数計Σ7312歩。CDデータ化。

余生をパソコンと共に生きる(3) パソコンで音楽を聴く (1)
 中学に入ってまもなく所謂クラシック音楽の魅力に触れた、岩手の片田舎で育った私は音楽はラジオ放送だけといってよかった。
 中学2年の時に同級生の家でヴァイオリン(Vn)を初めてみてその美しさに感動した。来日中のアムステルダムコンセルトヘボウ管弦楽団とオイゲンヨッフムが演奏したTV中継を見ていたく感激、初めて生を聞いたのがN響定期響盛岡公演で外山雄三指揮の新世界交響曲であった。
 
 新潟に進学して直ぐにオーケストラに入り食費を削ってVnを購入、学生寮に当時としては立派なステレオもあり、学業はおろそかにすることはなかったが、まさに貧乏と音楽漬けの毎日を送った。
 Vn 楽器は下手だったけど、聴くだけでは絶対に到達できない音楽の妙に触れることができた。

 時は流れ??、大学から病院に就職してまもなく古楽器を入手した。1740年頃の作らしい。本物か否かは信じるしかないが学生時代の初心者用の楽器とは次元の異なる音質で再び練習意欲を書き立てられた。一時自宅で室内アンサンブルを組んでいたこともある。

 オーディオ歴も長い。重厚な音を求めた時期もあるが、私の耳はグレードをあげても違いがわからないレベルと自覚してからオーディオへの考え方を変え、ミニコンポレベルにした。その時点でオーディオ機器、カセット、MD、大量のレコード、CDが残ったがここ10年ほどかけて大半を処分しつつある。

 ちょっと疎遠になりかけていた音楽視聴の状況を一変させたのが昨秋のCDプレーヤーの故障で、新しいのを購入する気にもならず、間にあわせ的にパソコンに内蔵されているCDプレーヤーに繋いだところ音質も問題なく、とても便利で、 再び、音楽漬けの日々が戻ってきた。
 
 しかも、パソコンではCDのデータをMP3という音声ファイルに圧縮して保存できる事、そのデータをBluetoothを介してワイヤレスでヘッドフォンなどに送れる機能も標準で付いていた。

 その結果が今である。
 春にソニーの新型のBluetooth機能付のノイズキャンセリングヘッドフォンを、6月に音楽プレーヤーとして高容量のiPhone8購入して、私の音楽鑑賞は主にこのシステムになった。
 CDデータのMP3化はまだ途中であるが500枚近く終了した。 


9/11(火)快晴 中通病院外来 飯川病院 
1:30起床、医学文献・新聞ほか。5:15可燃ゴミ廃棄提出。7:30徒歩飯川着、8:45-13:00外来。13:20飯川病院。入院患者対応、新聞スクラップ、データ整理。18:10バス帰宅・夕食、20:30就寝。歩数計Σ13165歩。CDデータ化。

余生をパソコンと共に生きる(2) 本を読む
 現在私は終活中である。
 あまりの書籍の多さに自分自身で呆れて、これでは死なれんと10年程前から書籍をばらしてスキャナーで読み込み、パソコンとiPadで便利に読んでいる。iPhoneでも読むのは不可能ではないが画面が小さく私にはつらい。iPhoneはせいぜいデータの確認作業程度にしか用いない。

 この10年間のデータ化した書籍は1000冊に達した。等身大のスチール書棚7つ分ほどか。今は家財道具の収納棚と化した。
 これらの書籍は電子データとなって容量は1TBほど占めているが、容積は10cm角、厚さ1cm程の300gのハードディスクに収まるからスペース縮小効果は甚大である。このデータは据え置きのハードディスクにもバックアップをとってあるから、失くしても、故障しても一応安心である。また私が死んだら指先一つで一瞬にしてこの世から消滅させることができる。

 書籍はジャンル別に分類されているが、検索をかけると1発で探し当てることが出来る。
 読みたい本はハードディスクからどれか一つのパソコンに移すとDropboxを通じて6台のパソコンに同期するから家でも病院でも何処でも読むことができる。
 ページの拡大、字の拡大もできるから視力が悪くなりつつある私にとってはとても便利である。

 それでもパソコンで読むにはパソコンの前に座って読む、と場所や姿勢が限定される。寝転んで気楽に読む、そんな本の雰囲気がやはり欲しい。その時はiPadの登場である。
 iPadはほとんど常に持ち運んでいて何かの待合時間、新幹線の中とかに取りだして読む。iPadはサイズ違いのを2ケ持っていて使い分ける。各々に200冊分程入れてあり適宜内容を入れ替えるから通常は読む本には困らない。大型のほうはやや重いのが難点であるが、そのサイズの便利さを考えればやむを得ない。

(居間の私のコーナーの一角。27インチのiMacと二つのiPad)

 パソコン、iPadで本を読む場合に本特有のパラパラ感を味わうことは出来ない。電子化した本は書籍名、目的のページを探すなどはお手のものであるが、やはりなんか寂しい。そんな時は最後の手段として一旦バラバラにした本を再製本して読む事もある。私の製本技術は並以上と自負している。
 
 終活は人生を閉める下向きの作業と考えていたが、実際は逆であった。私の手持ちの書籍には未読だったもの、読んだが時を経たいま再読したいものが目白押しである。
 新規に購入した本も数日以内には電子化される。

 終活は私の残りの人生にとってより積極的な意味付けがあると気付いた。まだもったいなくて死なれない。そういう意欲が生じてくること自体に本当の就活の目的があるのかもしれない。


9/10(月)終日降雨  飯川病院ボランティア
 2:00起床、寝過ごした。新聞・文献チェック。データ整理、8:30家内に同乗飯川病院着。9:00-11:30健康クリニックドック14人。12:00飯川病院、直ちに入院患者静脈ルート確保の対応求められた。微睡ほか、14:00-18:50勤務、入院患者対応再度。新聞チェック、読書他、19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数8857歩。CDデータ化。

余生をパソコンと共に生きる(1) 1993年からスタート
 私はパソコンにのめり込んでいるわけでは無い。むしろその進歩についていけない。それでもやっとなんとか、日常生活にかなりの部分でパソコンを利用して生活している、と言っていい。
 いまはパソコンの無い生活は考えられない。だから、私が椅子に座って仕事をするところにはパソコンを置いている。設置していないところにはモバイル型を持ちこむ。

 私のパソコン歴なんて大したのもはないが振り返ってみる。

 ワープロは1985年頃から論文書き等に用いていたが、当時黎明期にあったパソコンに若い医師たちが、わき目もふらずにのめり込んでいる姿を見て、中年の私には遠い世界と思い、1993年まで距離を置いていた。
 
 とは言っても、1990年頃から音楽用機能限定型のパソコンを利用していた。
 下手な私のヴァイオリンの伴奏を文句を言ず、何時でも付き合ってくれる相手として、人間ではダメだった。それでヤマハミュージックコンピューター(MSX)を用いた。しかし、インプットが困難、音質も不満で、まもなく頓挫した。

? ワープロはエプソン製であったが、ある日故障した。その頃、エプソンが突然ワープロ業界から撤退し、修理も更新もできず、やむなくパソコンに向かうことになった。ワープロで作成したフロッピーディスク20数枚分の文章データは廃棄せざるを得ず、当時エプソンを恨んだが、考えて見るとエプソンのお陰でパソコンに移行できたのであって、今では感謝している。
? 最初に購入したのはマックのCalour Classicで、1993年2月に発売と同時に購入、それ以降現在に至るまで25年間Macだけを用いてきた。この間に購入したり、頂いたりして40機種ほど用いただろうか。きちんと記録しておけばよかった。周辺機器、記憶装置まで入れるとかなりの出費となっただろう。
 私の今までの中で高額の出費は、住宅>書籍>オーディオ>パソコン>車・・・の順だろう。

 現在活動中の機器は7台
■ iMac27 (2013年製) 自宅居間  ■ Mac mini (2014年製) 自宅書斎   ■ Mac mini (2011年製) 大曲内科外来   ■ iMac21 飯川病院(2010年製)    ■ iMac21 飯川病院(2011年製)
■ Mac mini (2009年製) 中通病院医局  ■ MacBook Air (2017年製)モバイル用。

 これらで文章を書き、新聞スクラップを作り、自炊し、音楽を聴き、画像を集め、メモをとり・・・、などなど枚挙にいとまがないが、私の衰えた記憶力を電子的にしっかりと補助し、代行してくれている。この部分が最もありがたい機能かもしれない。


9/9(日)降雨 飯川病院日直 
 2:00起床、新聞チェック、本読み、データ整理ほかいつもの如しo。日航123便関連文献、死刑関連の小説よむ。8:37バス飯川病院、900-19:30日直。当直医わすれていたらしい。結構多忙にすごす。CDデータ化多数。音楽蓄積データ整理。19:40帰宅・夕食、21:00就寝。歩数計8493歩。

終活2018(15) 再発見 廃棄候補書籍の中に宝が埋まっていた
 現在私は終活中である。
 物理的に空間を占拠し、あまり用いることが無くなったような物品に関しては、機械的に廃棄しすっきり感を味わいつつある。視野から物品が消え空間が増える事でのスッキリ感がいい。随分物品に囲まれていたものだ、と反省した。

 終活は人生を閉める下向きの作業と考えていたが、実際は逆で、終活は私の残りの人生にとってより積極的な意味付けがあると気付いた。

 書籍と音楽ソースに関しては他の物品とは異なりお宝発見の日々である。
 書籍に関しては2011年から電子化を進めてきたがまだまだやり切れていない。残りの書籍を整理してみるとかつて読みたいと思って購入したものの、読んでいない貴重な文献がたくさん出てきた。これらは就活という作業を始めなければ見られることがなかった可能性がある。いま、これらを次々と電子化し、パソコン、とタブレットで時間を惜しんで読んでいる。

 最近も本をかなり購入している。
 行きつけの書店への月毎の支払いをみると徐々に増えている。ただ、最近は本が届くとざっと見た後に全部バラして電子化し、それから読む。だから、周辺に本が散在するということはなくなった。

(私のもとで約10年活躍、約15万ページ処理した旧式の富士通のスキャナー。今年購入した新式の富士通のスキャナーは速さ、ページ処理能に隔世の感がある)

 パソコン関連のデータソースは1990年当初はFloppy discであったが、90年後半からCD-ROMで提供され、いつからかDVD-ROMに変わった。2011年の時点でデータCD-ROMを平積みしたら1m程となり、可能なデータはハードディスクに保存し、全部廃棄した。

 音楽のソースは、レコードも半分程になったし、カセット、MDは全部廃棄した。
 最近、2018年春になってから手をつけ始めたのが音楽CDの廃棄である。
 私が求めたCDはそれほど無く200枚程度でそれらの廃棄は2け月ほどで終了した。

 これでCDの終活一段落、と思ったが、実際には音楽好きだった長男が集めたCDが更に数100枚あることが分かった。ほとんどが私の聴くジャンルではなく、私ははいたく興味を感じ、最近はCDそのものは廃棄せず、音楽データだけ頂き、今新しいジャンルの曲に挑戦しながら聴いている。

(6月の時点で廃棄した私の音楽CD。実際はこの数倍のCDのデータをパソコン取りこみつつある)。

 私にとって書籍と音楽ソースはやはりほかの物品の終活活動とは趣を異にする。

 埋もれていたお宝再発見の毎日でこれでは安易には死ねないと考えている。


9/8(土)降雨  ヘルニア手術1年 三遊亭兼好独演会
1:20起床。いつもと同じ。新聞、小説、録音データ整理など繰り返す。朝方微睡、庭の小枝など片付け。午後食洗機対応スタッフ來訪すれど平成元年の製品で部品無くギブアップ、新規購入考慮。N響定期公演:東欧の識者達、ノイマン、マルケヴィチなど聴けて満足。17:21バス、秋田オーパの書店に初めて立ち寄った。癖になりそう。18:30三遊亭兼好独演会。21:00外食かに本家、帰宅10:15就寝。歩数計10382歩。

本 13階段 高野和明著 講談社 (2004/8/10)
 私は今死刑について資料を集めて再勉強中である
 死刑に関しては関心持ちながらそれほど深くは求めずに過ごしていたが、ここ10年程は高齢者の死、自死、死刑など含めて人の死について関心を持っている。一般論だけでなく、自分の死が迫りつつあることを自覚してひっ迫感を持って真剣に考えている。オウム死刑囚が一気に刑を執行された事も背景にある。

 死刑に関する書籍は少なくない。私も10余冊は読んでいるが、いろいろな作品を読み継ぐ中でこの作品に巡りあった。

 本書は小説である。私にとっては小説の筋書きそのものではなく、死刑に関する記述に価値を認め、集中的に読み切った。

 小説としての内容は簡単に記せば以下の如く。
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 犯行時刻周辺の記憶を失った若い死刑囚がいる。その冤罪を晴らすべく、刑務官南郷と、前科を背負い仮釈放の身の三上青年が某依頼者からの命を受けて共に調査を始める。手掛かりは、死刑囚に甦った「階段を登った」の記憶のみ。処刑までに残された時間はわずかしかない・・・といった筋。
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 古い作品だが江戸川乱歩賞受賞した長編で評価も高い。3Dプリンターの話題なども取り入れ展開している。

 私は以下の点に注目しながら読み終えた。
 これらの各項目についてさらに資料を求めて検討したい、と思う。

■惨殺事件、傷害致死事件について
■死刑囚、刑務官、教誨師、保護司、裁判官、弁護士の心情、死体処理担当者、死刑制度に反対する人々の苦悩。
■職務として殺人を担当する刑務官らの苦悩の深さ。
■死刑制度の重さは人の命の重さに等しい。ならば制度をどう評価する?
■人を殺した人間は殺されて当然か?国家が行なう死刑は殺人ではないのか?
■死刑は廃止すべきか?
■更生すれば罪は許されるのか?
■死刑執行の施設の構造など
■死刑囚が死刑に至るまで収監の実態。
■死刑執行する側の極限の精神的の苦しみ。
■死刑される側の苦しみ。
■死刑執行前後の様子。
■贖罪の苦難さ、困難さ。
■法で人が人を裁き死刑に処すことで正義は果たされるのか
■真実の正義とは何か。
■罪を犯した事で家族や周りがいかに傷つくのか。
■被害者の家族や周辺の苦悩。遺族の残された思い。
■人間が殺人を起してしまう理由、動機は何なのか。真に裁かれるべき人は、社会はなぜ罪を問われないか。
■冤罪はどのようにして起きるのか。
■死刑という法の下による殺人は正義なのか。
■死刑は犯罪者を裁く以上に重く人間の心の奥のまで影響を及す存在。
■日本の死刑制度周辺の矛盾や不備は何か。


9/7(金)くもり小雨 大曲中通外来 飯川病院ボランティア
 0:20起床、新聞・文献他、本読み。5:10可燃ゴミ提出。7:30Taxi、8:45-12:00大曲中通病院小雨の中往復徒歩。13:30飯川病院ボランティア。14:15秋銀来訪。18:00バス、19:00夕食、20:30就寝。CDデータ化。歩数計11640歩。

本 日航機123便墜落 最後の証言 堀越豊裕著 平凡社新書  2018年7月(2)
 墜落事故から33年。事故調査委員会が後部圧力隔壁の修理ミスと結論づけたこの事故原因が、やはり確からしいと詰めていったノンフィクションである。
 誠実な取材で出した答えは事故調査委員会のそれと変わりないところに落ち着いた。しかしながら、その論旨の積み上げ過程には、推理小説を読むような緻密な構築がある。

 今までの出版物と決定的に違うのは、事故調査に携わった関係者や別の事故のパイロットら多くの米国人の証言があることだろう。両方のエンジンが停止したエアバス320をハドソン川に着水させたサレンバーグ元機長も登場する。ボーイング社の元社長の言葉は重かった。
 日航機123便墜落の事故原因について述べた類書は多々あるが、このような手法を取った書を知らない。

 著者は共同通信の米国特派員だった2014年から、日米の100人以上の関係者にに取材。30年がたったから、今だからこそ話せる・・と重い口を割り、新事実を明らかにした人もいる。
 然し、この30年と言うのは長い時間である。遺族たちは高齢化し御巣鷹に登れなくなった人、故人になった人も少なく無い。事故関係者の多くも亡くなっている。隔壁を直接修理した技術者も既にいない。米国の123便墜落に関する資料も廃棄されたのも少なくない。その意味で、この長さが成り立つ最後の機会だったといえる。
 墜落は避けられなかったのか。撃墜や誤射は果たしてあったのか。論争に終止符を打つドキュメントとしての価値は高い。
 

 著者は撃墜説など異諭を唱える人の話も盛り込んだ。そこにも価値がある。

 真摯なジャーナリストとしての姿勢に好感が持てた。
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 蛇足ながら、当時のボーイング社の元社長シュロンツ氏の証言と「私はずっと自責の念を感じている」と言う謝罪の言葉は重かったが、私はそれ以上にシュロンツ氏から受けた著者の印象の記載のほうが気になった。以下に引用する(論旨に関係の無い一部を省略、単語を2,3加筆した)。

 シュロンツ氏はシアトル中心部にある高級高層マンションに暮らしていた。高級で一見ホテルのよぅだが、実態は老人向けの施設である。
 到着を伝えると一階まで迎えにきてくれた。
 84歳とは思えないがっしりとした体格。世界的大企梨のトップを務めた威厳や押し出しは皆無で、記憶の衰えもまったく感じさせない。
 部屋に通されると高層階の窓から雨のシアトル市街が一望できた。
 高級な調度が並ぶリビングルームをぐるりと見回すと、部屋全体が薄暗く、氏の表情はどこか寂しげだった。
 「シアトルにもアイダボにも家かあるが・・・」。巨額の報酬を手にしてきたであろうから何の不思議もないが、どこか虚しさを吐露しているように思えた。ありあまる資産も名誉も手に入れたが、歳を重ね、妻もいなくなった今、そんな過去、資産にどれほどの意味があるのか、そんな風に言っているように思えた。


9/6(木)曇のち快晴 3:08am北海道で震度6強 外来 飯川病院 
0:20起床,嵐状態、医学文献、新聞他、3:00am北海道で震度6弱発生、詳細は不明。夜が明けるに従って甚大な被害があきらかに。2年前の熊本地震に匹敵あるいはそれ以上。
7:30徒歩飯川病院着。8:45-13:00中通病院外来、結構混雑。13:30飯川病院、微睡、入院患者対応。19:30帰宅夕食。21;00就寝。CDデータ化多数。歩数計12666歩。

本 日航機123便墜落 最後の証言 平凡社新書  2018年7月(1)
 私は巨大システム、巨大構造物、高速移動手段については潜在的恐怖感を持っている。

 航空機に関しては実際に乗りはじめたのは1973年(昭和48)年以降であったが、幼少の頃から飛行機が好きで、紙飛行機からゴム動力飛行機に凝っていたし、航空機そのもの、航空機事故に興味を感じていた。

 事故に関心が向いたきっかけは1966年の羽田を中心とした連続墜落事故であった。このころの新聞紙面をいまでも思い出す。
 ■ 1966年2月4日羽田空港に進入中の全日空727が東京湾に墜落、
 ■ 1966年3月4日カナダ太平洋航空のDC8が羽田着陸時に炎上事故
 ■ 1966年3月5日富士山上空で英国のBOACの707機が空中分解

 更に、航空機事故を身近に感じたのは
 ■ 1971年に私の郷里の近くの岩手県雫石上空で生じた全日空機727と自衛隊機F86Fとの衝突事故であった。この時は岩手県宮古市の県立病院に勤務中で、実際には行くことはなかったが、事故現場に援助要請の打診があり緊張した。

 航空機事故に関して最初に読んだ本が柳田邦夫氏の「マッハの恐怖」で、航空機を始めとする巨大システムをめぐる作家の取材活動と、安全管理のドキュメンタリーに感銘を受けた。以来、読んだ航空機関係の書籍は優に100冊を越える。

 ■ 日航123便墜落事故は1985年の8月12日、満席の747SR機が尾翼が脱落し操縦不能に陥り、約30分間迷走した後御巣鷹山に背面から墜落した。乗員乗客524名中、520名が死亡。単独機で史上最大の事故である。

 この事故は事故調査団の結論、即ち、後部圧力隔壁破断が原因、さらにその原因数年前に大阪空港で起こした尻もち事故とボーイング社の隔壁の修理ミスで納得出来ると思われるが、未だに根拠の薄いミサイル説、無人機衝突説などの主張があり、123便関連の書籍は20冊以上読んだ。

 しばらくこの事故からはなれていたが、本年7月に「日航機123便墜落 最後の証言」が発行された。
 私は久々にこの事故について再総ざらいしてみたくて早速購入した。読んだ結果はとても有用であった。


9/5(水)曇晴れ、時々雨 台風21号関西中心に被害甚大 ダリア悲惨
 1:00起床。外はまだ強風。徐々に治ってきた。マウス到着快適に作動。ストレス減。文献・新聞。医学論文など。明るくなった時点でダリア確認、地植えは枝折れで悲惨な結果に。ネコトイレカバー修理、12:30食洗機修理関連で東部ガススタッフ來訪、未解決。微睡、データ整理に集中。文献、録音ほか、歴史本他。19:00夕食、20:30就寝。歩数10106歩。自宅から一歩も出ず。

台風21号 各地に甚大は被害 我が家はダリアに被害
 台風21号は最近の中では最大級の勢力とされ、山陽山陰地方に甚大な被害を及ぼしながら日本海を北上し、4日夜から5日未明にかけて本県沖を通過し、県内は激しい雨と暴風に見舞われた。

 秋田地方気象台によると、瞬問風速は、ハ峰町ハ森で37.7m、秋田市29.7mだったと言う。にかほ市や秋田市では川の氾濫や土砂崩れ住民が自主避難した。また、授業を早めに切り上げる学校もあり、航空機の欠航、フェリの欠航などもあり、県民生活への影響が広がった。果樹園の状況はまだニュースとしては報じられていないが、かなりの被害が予想されている。
 
 4日午後から秋田市内は雨は無かったものの、次第に風が強まってきた。我が家ではもダリアが危ないと思って焦ったが、業務上早退出来なかった。さらに当直医の来院が遅れ、19:15帰宅、枝豆最終収穫後、ダリアの枝を折れないように紐をかけてまとめたが、その時点で地植えのダリア10本程のうちの半数は様々に折れ曲がり、いくつかは既に折れていた。

 それでもこれ以上の被害にならぬ様、暗い中、強風の中で支柱を追加し、それらに結びつけた。
 5鉢の鉢植えダリアにも多少折れた枝があったが、風が直接当たらない軒下に運び避難させた。

 その後も風が強かった様であるが私は熟睡し、1:00amに起床、その頃から風は徐々に収まってきた。
 5:00am、多少明るくなってから家の外周りなど被害状況を確認したが、窓に吊るしたよしずが2、3外れただけでそれほどの問題はなかった。

 ダリアに関しては避難させた鉢植えは無事であったが、地植えのすべての株が大なり小なり折れていた。昨夜予想した以上の折れようであった。風も治ってきたので縛り付けた紐を解き、自然の形に戻すと共に、折れた枝葉、茎、花をカットして整えた。花は花瓶にたて、室内で咲かせた。

(折れたダリア)

(風に耐えて咲いたダリア)
 この週末には再生のための世話をじっくりしなければならない状態である。
 それにしてもダリアは弱い。何しろ二ケ月ほどで私の背丈に近くまで伸びるのだから茎は太いわりには脆い。美しいが、自立出来ないほど大型の花を付ける。自然には無い不自然な、人工的スタイルである。
 
 関西空港、関西、山陰地方の甚大な被害、県内の果物農家などの気持ちを考えると私のダリアの被害など取るに足らない程度ではあったが、心配のホンの一部は共有出来たと思う。


9/4(火)快晴、台風21号の影響か強風 外来 飯川病院 
0:30 起床、医学文献・新聞ほか。5:15可燃ゴミ提出、7:25徒歩飯川病院着、 8:45-13:00中通病院外来、数質ともに混雑。13:30飯川病院、14:00-18:20勤務入院患者対応。午後より強風が吹く。家のダリアが危ないが途中で帰宅出来ず。当直医の来院遅れ、19:15帰宅、枝豆最終収穫、ダリアの枝まとめたが既にかなり折れていた。鉢は安全な場所に移す。19:00夕食、20:30就寝。歩数12952歩。CDデータ化。

医療はどれだけ役に立っているのか2018(4)
 私はまだ考えを上手くまとめ切れていないが、国民医療費を削減し国民皆保険を持続可能な制度とするにはざっと以下のように考えている。

 ――――――――――――――――――――――――――――――― 
 ■ 自然治癒するような状態ならば、基本的には医療は必要でない。それを明確にする。
 そのような状態をだれが判断するか?という問題が生じるが、その評価のためには医師及び判断の訓練を受けた看護師が当たれば良い。その際の判断は受診あるいは電話などで行なうがその際の判断は責任を伴うので判断料は必要である。
 検査や治療を希望する場合は自費扱いする、とする。

 また日本人の健康に対する考えの特性の一つとして薬物療法の希望が強い。
 主治医が認めた疾患の治療のために必須な薬剤は5剤程度までとし、それ以上必要とする場合、患者の希望で投薬する場合などは自費とする。ただ複数の疾病を抱える場合は判断がちょっと難しくなる。

 生活習慣病予備軍で、疾病の定義に当てはまらない程度の状態に対する治療は第一に生活習慣の改善である。それでも薬物療法を希望するなら保険対象外とする。過度の喫煙、飲酒に由来する疾患も同様。

 治療に必要な最小限の検査は認める。漫然とした不安に対するCTやMRIなどの検査や年一回機会的に行なわれている全身管理的検査などは人間ドックで受けるよう勧める。医療機関で行なうなら自費扱いとする。

 科学的に有用性が証明されていない治療、終末期にある患者への延命的治療は医療保険対象外とする。

 などなど。

 ――――――――――――――――――――――――――――――― 
 ならば、必要な医療とは何か?
 全てを網羅出来ないが、大別すれば医療行為を行わなければ早晩「死を迎える」、「死を迎えそうになるもの」、「体の機能を喪失する恐れがあるもの」ということなろう。

 具体的に疾患としてクリアに分類し挙げれることは困難であるが、ざっと云えば次のようなものといえる。

 ■ 救急対象疾患の急性期のすべて。但し、通常の疾患での時間外受診はのぞく。
 
 梗塞性疾患、出血性状態、重症感染症、交通事故などに伴う外傷、火傷など。
 呼吸器、循環器、消化器系など、各分野の急性疾患。
 胎盤早期剥離など、産婦人科の救急医学的処置、末熟児の管理
 感覚器に関する救急医学的な処置
 急性薬物中毒

 などなど

 ■ 慢性期疾患。医療行為を行わなければいずれ「死を迎える」、「死を迎えそうになるもの」、「体の機能を喪失する恐れがあるもの」・・・・。

 などなど
 ――――――――――――――――――――――――――――――― 

 多分、とんでもない、と異議が出そうな考えである。ただ、これほどのことを実行しなければ日本の医療制度は持続困難となる、と思う。

 今までが良かったのではない。予想できた国民医療費増大の危機を、政治家も医療関係者も、日本医師会も、誰も手をつけなかった怠慢が今に至ってきただけ。


9/3(月)晴れ 健康クリニックドック 飯川病院
 1:00起床。新聞・文献チェック。データ整理、7:30徒歩飯川病院着。新聞チェック。9:00-11:30健康クリニックドック13人。12:30飯川病院、微睡ほか、14:00-18:50勤務、入院患者対応。14:00 A Bank来訪、プリウス車券、三内科関連振込。人件費用おろす。新聞チェック、読書他、当直医の来院待って19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数11857歩。CDデータ化。

医療はどれだけ役に立っているのか2018(3)
 一般の方々のみならず医療関係者の方々は日本の健康保険制度についてどう考えているのだろうか。

 多くの方々は、気軽に良質で平等な検査・治療が受けられる、有難いシステムと思っておられるだろう。確かに便利さと言う点ではそうだろう。
 ただ、私はこの健康保険のシステムそのものこそが、勤務医を疲弊させ、医療崩壊の原因となり、医師不足感を助長させ、医学関連産業のドル箱であり、医療に対する患者の誤解を生み出す源でもある、と思っている。

 更に言えば、何でもかんでも保険対象に含め、選挙対策として高齢者に甘い政策を取り優遇してきたシルバーデモクラシーといわれる状況をつくったから、我が国の国民医療費は日本の国家財政を破壊するレベルにまで肥大してきた。高齢化が進み、さらに団塊の世代が後期高齢者に仲間入りする状況も迫っており、今後、さらに社会保障費、医療費の増大が予想されている。

 にも拘わらず、政府は増大する医療費などを賄うため、来年10月に消費税のアップを決めた。高齢者の窓口自己負担をさらに増やそうとしている。
 私はこのような姑息的手段では日本の国民医療費の増大は最早対応できないと思っている。

 保険とは、自分では手に負えない程のリスクや経済負担が生じた時に頼るものだと思っているが、こと医療保険に関していえば、当たり前の生活の範囲で生じるリスクともいえないほどの軽微な疾患やケガも給付の対象にしている。
 現在の保険で認可されている検査、治療、薬品の多くは、その価値から言っても、保険の考え方からいっても、全くそぐわない、と言っていい。

 大体、軽微な疾患や怪我は医療処置が直しているのではない。全てが自然治癒している。そして、本来必要でない検査や治療や投薬がなされている。自然が直しているのにその報酬はちゃっかり医者や医療関係者がもらっている。なんかおかしくないか?
 私は医師として約半世紀働いたが、医師としての役目ってなんだったのか?この歳になって忸怩たる思いを感じている。

 私は自然治癒が期待できる状態は保険診療で治療すべきでは無いと考える。
 
 日本の医療は完全に誤解されて、行くべき道から逸脱している。宗教的??と言っていいような様相を呈している。


9/2(日)快晴 飯川病院日直 レセプト点検
 1:00起床、新聞チェック+歴史本、医学論文読み。8:30バス飯川病院に。日直に就く。入院患者対応、散水他。微睡後レセプト点検、約1時間余。月いちの作業だがこれが結構ストレス。当直医遅れあり、18:30帰宅、19:00夕食。21:00就寝、Blu-ray視聴なし。歩数9900歩。CDデータ化。

医療はどれだけ役に立っているのか2018(2) 過去の考察(2)
 私はかねてから医療は果たしてどれだけ人間にとって役に立っているのか、医師の立場で考えてきた。もちろん医学医療の意義を否定する事はない。
 私もここまでの間に何度か手術を受けて来たし、医業を通じて整形を営んで来た。

 そういう私が医療はどれだけ役に立っているのか、考えることも不遜ではあるが患者の状態を分野別にわけると医療の意義にはおのずから差がでてくる。
 
 かつて私ははこんなふうに考えていたようである。2年前にも考えていた。
 この年の10月に秋田ゾンたクラブで「医療医学の意義」という趣旨で荘園したが、その際の準備過程でまとめたものである。

 日常から自分の考えを記述しておくことの重要性と、怖ろしさの双方を味っている。
 今回は膨張し続ける日本の社会保障費をどうすればいいのか、という視点で再考してみたい。

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■2016年8月10日
医療はどれほど役に立っているか?2016(1)私見
■2016年8月11日
医療はどれほど役に立っているか?2016(2)寿命について
■2016年8月12日
医療はどれほど役に立っているか?2016(3)伸びる平均寿命の背景
■2016年8月25日
医療はどれほど役に立っているか?2016(4)周産期医療と小児期ワクチン
■2016年8月26日
医療はどれほど役に立っているか?2016(5)年代別の医療の意義
■2016年9月1日
医療はどれほど役に立っているか?2016(6)健康寿命とは何か 延長するには
■2016年9月2日
医療はどれほど役に立っているか?2016(7)不健康状態への医療は?


9/1(土)曇天昼から晴天 草刈り 植木伐採、
1:30起床、本読み、文献チェック。新聞データ化、オーディオ配線改善、歪み改善。午前は浴室前の竹製のカゴ修理。音楽三昧。12:30昼食のち微睡。14:00-16:30草刈植木伐採、先日の風雨で折れたダリア世話。その後、新聞電子化、19:00夕食。20:00就寝。Blu-ray Disc視聴なし。歩数計13616歩。

医療はどれだけ役に立っているのか2018(1) 過去の考察(1)
 財務省が2019年度予算への各省庁の概算要求を締め切りった。19年10月には消費税率を10%に引き上げる予定で、政府の財政健全化に向けた取り組みは正念場を迎える。

 今年も概算要求基準で歳出上限の設定を6年連続で見送った。この結果、要求総額は過去最大の102兆円台後半になる見通し。

 財政健全化の中では、歳出の3分の1を占める社会保障費の伸びをどう抑え込むかが焦点になる。16-18年度は伸びを合計1.5兆円に抑制するという目安があったが、19年度以降の目安を定めていない。
 団塊世代が75歳になり始める22年度以降は医療費など社会保障費が急増するとみられており、その前に高齢者に一段の負担を求めることになるだろうが、それでは限界が目に見えている。一体どうする気なのか??日本の医療、受療の考え方を変えなければ解決しない。

 我が国独自と言われる患者の頻回の受診、医学的に根拠が乏しい検査や治療が横行している。終末期医療のあり方の議論を避けてはならない。

 安倍首相は日本の経済を、社会保障を、国民医療費をどうしようとしているのか??国民の希望に迎合していては取り返しがつかなくなる。

 私はかねてから医療は果たしてどれだけ人間にとって役に立っているのか、医師の立場で考えてきた。

 今回は医療費抑制という視点で考えを見直してみたいと思う。

 かつてはこんなふうに考えていたようである。

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■2002年9月10日
医療は果たしてどれだけ役に立っているのか
■2009年11月22日
医療はどこまで役に立っているのか?(3)医師などは自然の深み、驚異、畏怖を語るべし
■2009年11月23日
医療はどこまで役に立っているのか?(4)よくわからん



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