徒然日記
2017年12月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


12/31(日)大晦日 年始休暇三日目 曇り 
 2:00起床、いつものごとくデータの更新・整理、コンピューター関連読書、徒然ほか。除雪不要。7:30レガシー、中通病院経由で飯川病院。発熱患者対応など。データ整理中心に。12;00帰宅、年越しそばの鴨せいろ、過食。微酔、午後は書斎ですごす。BRながら視聴:「NHKso1870回定期:M、ヤノフスキー指揮ヒンデミット、ベートーヴェン作品」、「1869回定期:K、エッシェンバッハ指揮、ブラームスNo4、No1」、本年分の蓄積データの更新作業。19:00お節料理中心に夕食。紅白最初だけ見る。過剰演出に耐えられず20:00就寝。Σ7085歩。

2017年大晦日 小雪ちらほら曇、寒い いつもと同じく「感謝」 で締めたい
 時間の経過は実に早い。2017年も大晦日を迎えた。
 淡々と過ごした一年であった。

 私は先に勤務していた病院の嘱託医、家内が傭われ院長している飯川病院の補助医として診療を細々と続けている以外は外との接触・交流・対話は一切ない。今年も同様、家族とネコ、自分との対話を中心に過ごしている。

 年毎の蓄積データの更新など。読書三昧、文献整理その他、文献チェックなど。新聞雑誌、文献等の活字体、録画映像、ラジオ番組の録音を通じていろいろ情報を仕入れ勉強した。無知であった自分を恥じながら新しい史実、事実を知った。

 今年は徐々に増大し、自発痛を増してきた右下腹部の鼠径ヘルニアと数週毎に現れた原因不明の腹痛に悩まされた。後者もその関連痛だろうと考え9月に手術をうけた。術後の経過は順調である。
 私は最近、体力・気力の衰えを自覚している。
 家内は元気であるが、年末に体調を崩した。

 家族達は、総じて元気に過ごしている。孫5人、何れも個性豊かにすくすくと育っている。

 私自身はそろそろ引退を希望するが、家内が働いている間は補助的に手伝わなければならないだろう。

 我が家は数年でネコ屋敷になった。今年の夏から風除室ネコも居間で一緒に過ごす時間が増え、内ネコ/外ネコの区別が曖昧になって来ている。彼等彼女らはとても元気、毎日笑いを提供してくれている。

 私供がこうして無事年末を迎え得たのは、やはり多くの方々のお陰である。
 この一年、いつもと同じく「感謝」の気持ちを込めて、厳粛な気持ちで締めたい。


12/30(土)年始休暇二日目 曇り 
 2:00起床、いつものごとくデータの更新・整理、コンピューター関連読書、徒然ほか。夜間の降雪2~3cm除雪不要。午前はコーヒー店、中通病院経由し飯川病院。子供達と今後の事を打ちあわせる。16:00帰宅。BRながら視聴:「NHKso定期演奏会数回分」。19:00焼き肉中心に夕食。20:30就寝。Σ7682歩。

右肩上がりの経済成長手技は苦しい
 この年末に、私は常日頃感じている「右肩上がりの経済成長主義」への疑問を、ささやかな形で考えてみた。結論は出なかった。色んな立場があるから、当然である。

 1990年代になって日本はほとんどゼロ成長に近い状態になっている。にもかかわらず、日本人の多くは相変わらず、より便利な生活を求め、より多くの富を求め、休日ともなればより遠くまで遊びに行かなけれぱ満足できない状況にあるようだ。グルメ情報を片手にうまいものの食べ歩き、旅情報をもとに秘境まででかけ、株式市場の動向に一喜一憂し、医療情報や健康食品にやたら関心をもち、住宅もITなどと結びつけられて生活環境そのものがいっそう便利に自動化されつつある。

 そしてそのあげくに、病院のベッドに縛り付けられて最後を迎えることになる。故障したロボットがベルトコンベアの上で解体処理されるように。こうした今日のわれわれの標準的な生と死は本当に幸せなものなのだろうか。

 政府は生産性をあげるためにAIやロボットによって、人間の労力をコンピューターや機械に置き換えようとする。更に、外国からは観光客を呼び込み、国内では消費需要の拡張に腐心している。それもこれも、経済成長のためであり、それはグローバル競争に勝つためである。

 私は、経済成長を否定する反成長論者ではない。しかし、これだけモノも資本も有り余っている今日の日本において、グローバル競争に勝つためにどうしても経済成長を、という「成長第一主義」の価値感に没ることはできない。

 現実に経済成長が可能かどうかという面では日本は厳しい状況にある。それより、問題は日本人の価値観である。経済成長によって、「より便利に、より豊かに」の追求を第一義にしてきた戦後日本の価値感を持ち続けることはもはや不可能なのだ、と思う。

 われわれはどういう生を送り死を迎えるのが幸せなのか。
 生物の本来の姿に立ち戻ることだろうか?
 風が通り、鳥がやってくる、四季がめぐる。時には台風が襲う。そのすべてが循環しながら土地をはぐくみコメや野菜を育てる生活を支えている。この生命の循環のなかに戻る志向はどうだろうか?

 かつては、日本のあちこちにこういう循環型農業場所がごく自然に存在していた。
 1960年代でもまだ、都市の郊外や地方をゆけぱ、人々は自然の循環のなかで野菜をつくり、半ば自給しながら生活していた。
1970年代にかけて高度成長は終息し、80年代のバブル経済も崩壊した。90年代になって日本はほとんどゼロ成長に近い状態になっている。にもかかわらず、われわれは、相変らず、である。

 日本がグローバルな競争にさらされていることは私も理解しているつもりだが、このような事は政治家や経済人にまかせ、第一線をリタイヤしたら、自然や四季の移ろいを肌で感じ、地域に根を下ろし、便利な機械や便利なシステムにできるだけ依存しない自立的生活に戻ろう。
 
 経済成長を否定する必要はないが、そのかたわらで、脱成長主義の生活を部分的であれ、採り入れることはできるはずである。

 政治家や経済人と一般人は思考、志向が異なってもいいじゃないか。


12/29(金)中通病院年末休暇初日 寒波降雪 飯川病院
 2:30中通病院にて起床。4:00帰宅。市の除雪初めて。データの更新・整理、読書、徒然ほか。降雪2~3cm除雪不要。5:30今年最後の可燃ゴミ。7:00中通病院経由飯川病院へ。8:45-17:00飯川病院勤務。横浜の長女インフワク接種に来院。舩杉さん来秋。
18:00-21:30年一回の恒例、知人と会食、サンビーム。Taxi帰宅。22:00就寝。歩数Σ9776歩。

2017年の出来事(2) 自身の行動の評価と総括   
 私は自己満足観を重視し、一人で生活を楽しんでいる。新年に立てた目標の達成状況をざっと自己評価した。
 今年は、体力・気力の一層の減退と限界を強く自覚している。来年からは前向きに転換しようと思うが無理だろうと、はじめから諦めムードである。私はそれでいいと思っている。

向上した項目あるいは維持できた項目。
@ 時間を自分のために有効に使えたか-------------(→)達成度7割
@ 園芸・野菜作り・除雪その他の作業-------------(↓)達成度7割
@ ラジオ深夜便 録音聞き直し---------------------(↑)達成度8割

@ 徒然日記の連日更新――――――――――――(→)達成度10割
@ 新聞4紙の記事を電子化ファイリング------------(→)達成度10割
@ 月収の2割以上を岩手県の復興基金に送る--------(→)達成度10割
@ 契約上の勤務達成度 ―――――――――――(→)達成度10割
@ 録画の映像、音楽映像視聴―――――――――(↓)達成度6割
@ 天候不順日をのぞく徒歩通勤-------------------(↓)達成度6割
@ 医療・医学を学ぶ姿勢、取り組み----------------(↓)達成度6割
@ 終活・身辺整理―――――――――――――(→)達成度6割
@ 階段昇降――――――――――――――――(↓)達成度7割
@ 健康管理面への配慮、注意、努力---------------(↓)満足度6割
@ 惰眠をむさぼらなかったか――――――――(↓)満足度3割
@ 英語、芸術、歴史、特に近代日本史を学ぶ----(↓)満足度4割

 上記の判断の尺度は客観性はない。自分の心の中にある良心と邪心を鬩ぎ合わせて適当に判断した。
 
 達成感、満足感は全般に低下傾向にある。私が退行してきていることの表れである。
 最近はやたらに睡魔が襲ってくる。読書や作業を3時間ほど続けると横になって休みたくなる。身体が要求するから無理せずそれには従う。20:00pmに就眠し1:00am前後に起床するという変則的な生活を今も続けていることも関係しているのかもしれない。

 私の好きな言葉は「継続は力なり」であるが、中身より継続することの方を重視し、本末転倒だと思うこともある。自己満足度はこんな程度でもマア良かった、と思う。
 ただし、こんな評価は今回を最後にしよう。来年からもっと無計画に、適当に生きてみることにする。


12/28(木)暴風雨寒波 飯川病院勤務 今季初除雪
3:00起床、トロトロ過す。4:00帰宅、5:20-6:10今季初除雪。7:00中通病院経由飯川病院、8:30-18:00勤務、外来病棟対応。19:00帰宅、夕食。21:00中通病院、就寝。
ラジオ深夜便ながら聴数時間分。歩数Σ14717歩。広島通過愛媛に。

2017年の出来事(1) 秋田県の出来事 科学面から 医療界 
 この一年間に私が関心を持ってファイリングした国内の事件、出来事の項目は多岐にわたるが、10大ニュース調に項目のみあげてみた。

●2017年秋田県の主な出来事、事件。
以下は魁新聞による秋田県10大ニュース。

―――――――――――――――――――――――
@1  記録的大雨 
@2  北朝鮮 男鹿沖にミサイル
@3  県人口100万人割れ
@4  佐竹知事 ゴルフ問題
@5  BB秋田J3初制覇
@6  北朝鮮籍船漂着
@7  クマ目撃1000件越える
@8  ヨネタナバトミントン初V
@9 衆議院選小選挙区自民独占
@10  ねんりんピック秋田開催

●2017年科学面の主な出来事。
―――――――――――――――――――――――
@1  「ヒアリ」を国内初確認 
@2  パリ協定 米離脱宣言
@3  チバニアン
@4  東海地震予知前提見直し
@5  原発運転禁止高裁が初判断
@6  中性子星の合体初観測
@7  AI囲碁を究める
@8  軍事研究禁止の声明
@9 他人のiPS細胞で治療
@10  日本原子力研究開発機構で作業員5人が被ばく


●2017年医療界の主な出来事(医療維新1000人からのアンケートによる)。
――――――――――――――――――――――――――――

@1  2018年開始の専門医制度を巡る動き 
@2  医師の働き方改革への動き
@3  2018年診療・介護報酬同時改定を巡る動き
@4  日野原氏105歳で死去
@5  小林麻央さん
@6  千葉大医学部学生に有罪、集団乱暴事件
@7  医師の地域偏在、診療科偏在を巡る動き
@8  京都医大、虚偽診断諸問題
@9 NHK糖尿病治療に睡眠薬推奨
@10 2018年薬価制度改革を巡る動き



参考に昨年ーー医療界2016 秋田県の出来事2016年

●医療界2016
@  オプジーポを対象に緊急薬価改定実施 薬価の毎年改定導入
@  大隅氏がノーベル医学・生理学賞受賞
@  全国がん登録がスタート
@  新専門医制度の2018年度開始に
@  診療報酬改定で多剤投与の見直し
@  国際医療福祉大の医学部設認可
@  HPVワクチン接種を巡る混乱
@  過労死等防止対策白書が初めて公表
@  B型肝炎ワクテンか定期接種化
@  世界医師会総会で横倉日医会長が次期会長に
@  日医など5団体が無認可施設の新型出生前診断中止を求める共同声明
@  厚労省協議会がアレルギー疾患対策推進で初の基本指針を取りまとめ。
@  障害者施設殺傷事件の厚労省検証チームが最終評価
@  2017年度予算構成で社会保障関係費の自然増は5000億円に抑制
@  群馬大で腹腔鏡手術後の死亡が相次いだ。第三者委員会が人員確保や指導、手術適応検討の体制が不十分だったと報告
@  40代男性がマダニで死亡。国内感染死亡は初めて
@  喫煙と疾病の因果関係を盛り込んだ報告書を厚労省検討会が取りまとめ
@  国立がん研究センターが受動喫煙による肺がんリスク評価を「ほぼ確実」から「確実」に引上げ
@  美容医療など医療機関のHPにみらる虚偽・誇大表示への法規の方向で
@  患者申出癩費の第1例目が承認。
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秋田県の出来事2016年
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@  県人口、101万人割る 
@  大森山で鳥インフ発生
@  軽乗用車が逆走、日東道で3人死亡
@  鹿角でクマに襲われ4人死亡
@  本県の3行事が無形遺産登録
@  全国学力テストで9回連続トップ級
@  金田氏法相に
@  むのたけじさんが死去。享年101歳
@  参院選本県選挙区で石井氏が再選
@  仙北市で無人運転バスの公道実証実験
@  秋田市で食と芸能大祭典開催
@  佐竹知事3選出馬


12/27(水)終日暴風雪 飯川病院 
 0:30起床、新聞チェックほか,ほぼいつもと同じに過ごす。6:30中通病院経由飯川病院。8:30-18;00飯川病院勤務。中通病院経由19:00帰宅、夕食。横浜長女孫と帰秋。20:00再度中通病院、20:00就寝、途中2度ほど覚醒。Σ7664歩。

新幹線「のぞみ」台車亀裂(2) 関係者の危機管理は危機的状況にある
 博多発のN700系、16両編成の新幹線「のぞみ34号」の台車に亀裂が見つかった。

 新聞報道から私が理解したのは以下の如くである。
―――――――――――――――――――――――――――
 最初に異常が分かったのは、11日午後1時半に博多駅を出発した直後、13号車付近で車掌が異音を感じた。その後も異音や異臭は断続的に続き、岡山駅では保守担当の社員3人が乗り込み、異音と13号車の洗面所付近で床下から伝わる振動を確認。

 しかし、指令員は「点検の必要があるなら保守担当員が明確に伝えてくると認識していた」、保守担当員は「指令員がどこで点検するか、調整してくれる」と受け止めていた。 保守担当員が「台車が原因か判断できかねるが、通常と違う状態であることは間違いない」と点検を主張したが、指令員は「運行に支障はない」と認識を変えなかった。結果的に互いに判断を譲り合い、運行を継続した。

 新大阪釈で行われたJR西からJR東海の車掌への引き継ぎでは「支障はなく運行継続」と伝えられ、指令員同士の協議も十分に行われていなかった。

 名古屋駅で点検した結果、16両編成の13号車台車に深い亀裂が見つかり、運転をうち切った。確認されるまで約3時間。「のぞみ」はこのまま運行していれば重大事故に発展する恐れを抱えながら、原因を突き止めずに最高速で運行されていた。

 国の運輸安全委員会は、大事故につながりかねない重大インシデントとして調査を始めた。重大インシデントに認定されると同委が調査官を派遣して原因究明にあたり、再発防止策も検討する。今回は一つの台車で亀裂と油屑れという複合的トラブルだったため、重大インシデントと判断した、と言う。亀裂だけ、油漏れだけ、であれば認定はしなかった?? 記録が残る2001年以降、鉄道では48件のトラブルが認定されているが、新幹線では皆無であった。

 台車に亀裂が生じた車両の重量は約40トンで前後の台車で1両を支える。問題の車両について、JR西は今年2月、異常がないことを確認して,その後の黙視による検査でも異常はなかったと強調する。
 国土交通省は15日、新幹線の台車で亀裂が確認されたのは今回が初めてとし、新幹線を運行するJR5社に約4800の全車両の緊急点検を指示した。
―――――――――――――――――――――――――――
 これらが本当ならば・・・私の感想。

●重大事故直前で発見できた事は最高の朗報であった。
●たまたま乗客の方々、関係者の方々が運が良かった。
●いいところに名古屋駅があった。無ければ悲惨な人災に陥る可能性があった。
●人類が経験したことのない、人災による大惨事が生じていた可能性があった。
●異音、異臭、振動を感知しながら全関係者は内容を甘く見ていた事は重大である。
●車内に11人いた乗務員や保守担当者がいたが、客観的な情報獲得せずに、感覚的に状況を論じていた。互の認識のずれが生じ、走行を停止させる判断をしなかった事は重大である。その判断過程はぞっとするほどおぞましい。
●走行停止は列車の基本である。減速もせず高速運行を維持していたことは、安全確認よりも定時運行を重視したためと思われる。
●半世紀以上の新幹線の歴史、25年以上の「のぞみ」の無事故の実績が判断を誤らせた。
●時速300Kmと言う超不自然な状況で運行されている事に対する「恐れ」と「謙虚」さが関係者に無かった。乗客はどの様な状況であったのか??
●今さらながら、「新幹線の安全対策システム全体」の問題であった。
●亀裂だけであれば重大インシデントと認定はしなかった、は本当か??
●私は今年の重大ニュースのトップに据えたい事件であった。


12/26(火)暴風雨 外来 飯川病院
 1:30起床、文献読み。データ整理、降雨の中5:00可燃ゴミ出し、コンポスト処理、びしょ濡れ。6:50レガシー飯川病院。7:45中通病院見舞、外来混雑、終了は14:00。疲弊したが、 今年の外来は本日で終了。14:00-18:45飯川病院勤務。外来入院対応。BRながら視聴:「ぶらぶら美術館」。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。Σ10680歩。

新幹線「のぞみ」台車亀裂(1) 何であの日、あの時間に、あの危機が
 東海道新幹線の「のぞみ」が本年3月で満25年となった。現在は東京ー新大阪を最短所要時間は2時間22分,東京博多は最短4時間46分で結ぶ。
 「のぞみ」だけで1日上下計200本を超える看板列車に成長した。

 東海道新幹線の列車は、1964年の開業時は「ひかり」と「こだま」の2種類だけだった。
 「のぞみ」300系が時速270Kmで登場したのは92年3月。93年3月からは、山陽新幹線でものぞみを運行。97年3月には「500系」を投入、当時の世界最速最高時速300Kmで営業運転した。
 今の主力車両「N700A」はブレーキなど性能か向上、東海道区間で最高時速285Kmを可能にし、2020年度に新型「N700S」が投入された。「S」は最高を意味する「Supreme」の頭文字。一見するとN700系と大きく変わらないように見えるが、JR東海によると実際には「基本設計から変えている」ニューモデルだという。

 新幹線の技術開発は素晴らしい。最高速度を高めるほか、騒音対策、地震時緊急ブレーキシステムなど目覚しい発展に驚く。

 しかし、私は巨大な建造物、高速の移動手段などを用いる度に、技術・科学・文明の進化の素晴らしさに驚き、それを享受する一方で、いつも底知れない恐怖感を感じている。

 東京都庁に足を踏み入れた瞬間、新幹線「のぞみ」、「こまち」に乗っているとき、北海道新幹線で青函トンネルを通過中、旅客機に乗っている時、いつも恐怖感に苛まれている。こんな不自然な事が、何で事故も無く成立っているのか??ちょっとバランスを崩したときには悲惨な結果が到来する、それをつい考えてしまう。
 他の方々は怖くないのだろうか。

 実際にはこれらの巨大システムを避けて暮らせない。ほぼあらゆる場面で巨大な建造物やシステムの中に身を委ねざるを得ない。何時かは事故に遭遇する可能性は有り得るという、ある種の諦めの気持ちも持っている。私にとっては危険を感知できない、避難できないブラックボックスに身をまかせ、自分の運をすべて他人様任せにしていることになる。
 一つ一つの事故を教訓にして一層安全性を高めて欲しい、そうなっているもんだ、と私は思ってきた。そう思うことが最後の砦である。

 自分が関与できるレベルは、住宅ならほったて小屋、交通手段ならせいぜい自転車程度でしかない。これ以上になると知らない部分が多くなって他人様任せの部分が増えてくる。そうなれば自分で安全を確保できなくなる。
 だから、自分は恐怖感と不安感から逃れ得ない世界に暮らしている、と思ってしまう。

 天災ならまだ考えようもあるが、人災は見て、聞いて、読むだけで、とてもつらくなる。

 最高時速300Kmで走る新幹線の台車に亀裂が見つかった。放置して走り続ければ脱線など大事故につながりかねなかった。


12/25(月)暴風雨 飯川病院終日
 1:00起床、徒然、文献読み。院長休暇中。7:00レガシー、中通病院経由にて飯川病院、終日勤務。入院患者外来対応。微睡ほか、15:00短時間中通病院に。19:00患者見舞い、コンビニでサラダ購入、帰宅。夕食、20:00就寝。BRながら視聴:「林修関連」。Σ8610歩。

22日夕方 飯川病院にサンタが来た。
 間もなくクリスマスである。
 12月24日の夕方から25日の夕方までの1日をクリスマスという。ちなみに、クリスマスはキリストの誕生日ではないらしいが、慣習的にこの時期に祝うことになっている、という。
 クリスマスイヴと言うのは多くはクリスマスの前日、と思っているようであるが、そうではなく「クリスマスの夕べ」、と言う意味である。

 私は岩手のど田舎育ちで、外国の文化など全くなかったが、中学生の頃まで毎年サンタクロースからプレセントをもらっていた。私は中学生頃までサンタがいると信じて疑わなかった。
 でも疑問はいくらでもあった。何で爺さんだけなのだ? 何人いるのか? 夏はどうしているのか? 火が燃えている細い煙突からどうやって入ってくる?? など分からない事ばかりだった。
 やがて、何だそうだったのか、と納得した。

 サンタがいると信じていたときは幸せだった。夢があった。今の子供たちはもっと早く現実を知るのだろうか。2009年12月に某米紙社説で「サンタはいる」と子供たちに向けて丁寧に説明した新聞があるのを知った。今回読み返してみた。社説担当編集者があーでもないこうでもないと良いながら頭を付き合わせて文章を練っている姿が頭に浮かんで来る。普段とちがってみんな笑顔であふれていたのではないだろうか。
 ジジババ・孫論2015(5) 孫たちに「サンタはいる」とおしえていいのか


 22日夕方、飯川病院にサンタが来た。
「何で今日なの・・?」と聞いたら週末だから、今日しかない、という。
 入院患者一人一人を訪問し、声を掛けながらリボンの付いたティッシュボックスを手渡した。悲しい事に、入院患者30数名の中で、サンタを、小さなプレゼントを認識できたのは10名弱に過ぎなかった。殆どの患者はほぼ無反応で、サンタは哀しげな表情をしてはそっと枕もとにプレゼントをおいて帰っていった。


 (このサンタ、どっかで見たような ヒゲは自前のだそうだ)

 たぶんサンタは日本の高齢化と延命治療について、自らを重ね合わせて複雑な感慨を抱いた事だろうと思う。彼は「寝たきりを増やして今年も日本一」と言う川柳を知っていた。
 第三者的視点で書いてみた。


12/24(日)曇比較的温暖 飯川病院所要
11:15起床、本読み、新聞PDF化、徒然。4:00-6:00飯川病院、患者死去。9:00-11:00中通病院。書斎整理、BRながら視聴:「プロファイラー:立川談志」。15:00飯川病院、当直医師補助など、院長休暇中。19:15中通病院。19:45帰宅、夕食。21:00就寝。Σ10050歩。

NHK2017(12) これが公共的放送? 
 昨朝、NHKラジオ2:00amは5分ほどの短い時間であるが、紅白歌合戦の出場者が唄う曲名、トリを歌う歌手の紹介で占められた。
 私はTV、ラジオ共にNHKしか視聴しない。ずいぶんお世話になっている。だからこそ関心があり、不満がある。これを聴いてまたまた怒りの感情を覚えた。

 紅白の出場歌手が歌う曲名がなんでニュースなのだ??

 最近のNHKのニュースに私は不満を感じる。
 一番の不満はドキュメンタリー調の構成。あたかも芸能番組か、と見紛ってしまう。
 メディアは先ず、事実だけを淡々と伝えるべきであり、自分たちの見方、考え方、とらえ方をニュース等には入れるべきではない。特にTVは影響力が大きいので一考すべきだ。

 NHKという組織と視聴者の間で考え方が大きくズレていないだろうか。少なくとも私とは大きくズレている。

 私はマスコミ関係者は立場を誤解している、と感じている。視聴者に意味のない様な、普遍的な話題でも共感、協調を強いるからである。上野のパンダの赤ちゃんはホントにかわいいか?私はそうは思わない。見た目だけ。親は自分の子供のホントの可愛さに気づいているか?

 マスメディアは自分達の思考に沿った番組を、直接利害のない方々に向かって安易に、半ば「娯楽」として発射し続けている。本質に迫る姿勢は乏しい。北朝鮮のミサイルと似ている。

 共感や協調を強いる「報道や物語」には、様式化された一定の手順があるようだ。近所などの人を登場させて、誰でも予想がつく様な、最も常識的なコメントを挿入する。「あんないい人が!!! 信じられないです!!!!」の連発。子どもを登場させて「かわいかった」、「おもしろかった」、「美味しかったです」・・・は意味がない。TVの前の視聴者も結果特そうなのか、と言うことになる。二重、三重に同意を強いている。
 パンダの赤ちゃんをかわいいと思わない人間もいるのだ。だが、一度も登場したことはない。NHKの嗜好に合わない意見だから。

 特に、お涙ちょうだいの報道は、本質に迫る視点や創造力が乏しくても技術だけで作ることができる。視聴者には「共感する」と言う面と、「他人事として楽しむ」の両面があるから必ず受ける。高視聴率を稼げる。

 政治への世論調査、隔月(?)くらいで行なわれる。内容的に現政権の状況を示すのだが、結果的に現政権の後押しに寄与している。大衆は世論に弱い、NHKに弱い。どうしても引きずられる。公共的(?)ならば世論調査はやらない方がいい。

 NHKは強制的に受診料を取っている。決して安くはない。
 番組審議会などがあって有識者の意見は集めているようだが、視聴者の声をとりあげる窓口は広く開かれているのだろうか?


12/23(土)快晴で温暖 天皇誕生日 休宝寺法要 
 1:00起床、新聞チェック、医学系論文読み、徒然ほか。昼食、微睡など。15:00-18:00休宝寺先住職17回忌法要。読経を聴くと言うことはなんぞや??全く意味が分からないが、何だか有り難みがあるのが不思議。19:00帰宅、就眠。歩数Σ12206歩。

NHK2017(11) NHKラジオ2:00amニュースに驚く 紅白の曲名発表だけ
 今朝、NHKラジオ2:00amニュースに驚いた。5分ほどの短い時間であるがすべて大みそかの紅白歌合戦の出場者が唄う曲名の発表、トリを歌う歌手の紹介で占められた。紅白の出場歌手が歌う曲名がなんでニュースなのだ??

 私は基本的にTV、ラジオ共にNHKしか見ないし聞かない。TVの操作は電源を入れ、地上デジのNHKしか選局できない。ラジオは日常的に数ケ用いているが、すべてNHK第一放送に固定している。
 だから、他の放送局の事は一切分からない。だからNHKとの比較は出来ない。

 最近のNHKのニュースには私は不満を感じる。
 一番の不満はドキュメンタリー調の構成が目に余るということである。

 あたかも日本人全体の世論であるかのような視点の置き換え、あるいはそう感じなければおかしい、と思わせるような共感の押し付けが目立つ。
 メディアは先ず、事実だけを淡々と伝えるべきであり、安易に自分たちの考え方、とらえ方をニュース等には入れるべきではない。特にTVは影響力が大きいので一考すべきだ。

 最近、NHK受診料について、家にTVがある者はNHKと受信契約を結ばなければならないと定める放送法の規定を合憲とする判決を言い渡した。特定の個人や国の機関などの支配・影響が及ばないようにするため、放送を受信できる者すべてに、広く公平に負担を求め、公共的放送をするのは合理的だと、大法廷は結論づけた。
 私は情報収拾、趣味の面でもかなりNHKに依存しているので受信料に関しては納得して支払っていた。

 ただ、最近の放送に関して本当に公共的内容なのかという点ではいささか疑問がある。
 NHKという組織と視聴者の間で考えからが大きくズレていないだろうか。少なくとも私とは大きくズレている。

 「紅白」を年末行事のお祭り騒ぎ,ドンチャン騒ぎの番組と割り切れば納得も出来るが、そのバカさ加減、演出も豪華絢爛、人海戦術で呆れる。年々私の紅白の感覚からだんだん遠い存在になっていった。ここ10年ほどはほとんど観ていない。ただ、50年も楽しんで来た番組なので無関心ではいられない。視聴率は今でも40%ほどという。

 紅白は単なるNHKの娯楽番組にすぎない。にも関わらず多方面に影響を与えている。歌手のランキングにも利用されている。
 これを機会にNHK受診料のあり方についても改めて考えたい。


12/22(金)冬至 寒波ゆるみ晴れ間も 大曲中通病院 飯川病院 
0:30起床、徒然、文献読み。5:00可燃ごみまとめ、搬出なし。7:30Taxi駅東に、タッチの差でこまち間に合わず。いわゆるブラックアイスバーン状態で渋滞。9:12こまちで大曲、10:00-12:15外来業務、駅病院間は往復共徒歩ならず。午後から院長長期休暇に。飯川病院勤務。サンタ役でティッシュ配り。20:00帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ10771歩。

四季2017(19) 冬至迎えてうれしい
 本日は冬至。冬至は1年で日の出の時刻が最も遅く、日の入りの時刻が最も早い日とされている。私は天文学・暦学についてはよくわからないが、今後朝が明るくなるのは嬉しい。
 我が家の可燃ごみは私が集積所に出すのであるが、近隣の人に会うのが嫌で5:00am頃に出す。10月末から12月末までは真っ暗闇の中の作業である。自転車用のヘルメットを改造して作ったヘッドランプで手元・足下を照らさないと危ない。

 秋田では冬至は通常は積雪状態で迎え、寒さはとても厳しい。それでも、冬至を迎えるとほっとする。寒さはまだまだ厳しくなるが、朝が徐々に明るくなるからである。

 昨年の冬至の日には夕食のテーブルには「カボチャとあずき」がなかった。
 今年は「カボチャとあずき」がチャンとあり、風呂には柚子が浮いていた。賄の石井さんの配慮である。

 賄の石井さんは約40年にわたりわが家の家事一切をお願いしてきたが、彼女は昨年8月末をもって高齢のためにこれ以上の手伝いはムリとのことで退職して北海道に帰った。

 それが、孫が生まれるというので今年の8月からまた秋田に来て家事を手伝ってくれている。孫が無事生まれた後は、私のヘルニア手術の為に10月中旬まで滞在を延長してくれた。

 10月中旬に一旦北海道に戻ったが、家内が自宅内で転倒、右膝を捻挫し歩行や家事が困難になって、北海道に戻ったばかりの石井さんをお願いしたらしい。10月下旬からまたわが家で家事の手伝いをしている。年末年始は家内の長期休暇があるので正月もこちらで過ごしてくれるらしい。
 自宅に余剰の人間がいるという事の意義はとてつもなく大きい。ありがたいことである。

 昨年は柚子を風呂に入れるだけではもったいないと果肉を直接食べ、ジュースも作ってみた。香りは強烈で、酸味がきつくて飲用に、食用には適さないことがわかった。柚子風呂は皮だけで十分であった。今年は丸のまま浮かしてあった。ここまで検討すればもう良いだろう。
 関係無いが、恒例の紅白歌合戦のトリは「Yuzu」というグループが歌うらしい。

 まだまだ寒いし、秋田ではこれからが本格的な雪の季節である。しかしながら、今後一週間単位で見れば夜が明けるのが確実に早くなっていく。春を待つ私の心の拠り所になるスタート日である。「冬至」を迎え、とても嬉しい。


12/21(木)快晴 外来 飯川病院
1:00起床、新聞、文献自炊。徒然ほか。7:10バス病院着。8:45-13:00外来+ドック総括12名分。14:00-18:30飯川病院、入院・外来患者対応。19:00薬局経由帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ8177歩。

先生、人生ってはかないですね!!! 86歳高齢女性しみじみ語る
 約1週間前の外来での話。「先生、人生ってはかないですね・・・!!! 」と86歳高齢女性患者がしみじみと語ってくれた。「来た!!来た!!」。私は人生、老化、死について語るのは好きである。患者自らが口火を切ってくれてありがたい。

 こんな話題の際に、私の本心は「86年も生きて、何を今さら・・」であるが、そう答えては患者から次の言葉を引き出せない。
 「何かあったんですか?」とさりげなく話題にのる。
 「一週間前に外で夕食を一緒にとった同級生が4日ほど前に急に具合が悪くなり、そのまま救急車で運ばれたそうです。病院に到着したときには心臓が止まっていたそうです。詳しいことは分かりませんが・・・」との事。
 
 私の本心は「理想的な、いい死に方でしたね・・、あなたも手本にすれば良い・・・」であるが、患者はそのような言葉を待ってはいない。
 「大変残念なことで、さぞやびっくりされた事でしょう、とても言葉がありません・・」と続ける。

 人生の醍醐味はうつろいがあること、それに終わりがあるということに尽きる。終わらない人生はない。
 今まで生きてきた生命体は必ず死んでいる。生命体は死亡率100%である。明日あたり、運悪く死ぬ可能性はいつだって誰にだってあるのに、ふつうはそれを意識せずにうたかたの人生をおもいおもいに過ごしている。否、無意識のうちに考えることを避けている。たいした根拠もないままに、今日と同じ一日が明日も続くと思っている。

 私どもに遺された時間はわずかだ。そう自覚すれば、おそらくやり残していることがたくさんあるのに気付く。
 あれも、これもやりたい。しかし、今となってはもうほとんど何もできないではないか。それに気付いてガックリくるのが通常の姿であろう。

 命が明日までと分かった時に「自分が本当に何をしたかったのか」、が見えてくる。同時に、「何もしなかった」ことにも気付く。私なぞ「3人の子供を育てた以外には何をしたのだろうか。何にもしなかった・・・」と自覚する。

 人生のはかなさを知るのは、とても有意義な事である。

 悲しみや無カ感で何も手につかない。生活のリズムが乱れて体調も悪い。家族や友人を亡くし、そんな状態に陥る人は多い。近親者との死別は「人生最大のストレス」だろう。
 「大切な人との死別は、その人かいなくなるだけではない。自分の一部がもぎ取られたように感じる」、と経験者は述べている。

 こんな時に、独りで対処するのは難しい。頑張り過きずに助けを求め、自分をさらけ出せる人や場を見つけるのが必要だ。「大切な人を亡くしたとき」は元に戻るものは一切無い。日指すべきは忘却・立直りではなく、悲しみと折り合いをつけることである。それには時間がかかる。

 周囲の者は黙って話を聞いてあげればいい。


12/20(水)小雪 晴れ寒波緩む 飯川病院ボランティア
 1:00起床、徒然ほか。新聞、文献チェック。午前は昇天したMacBookPro17を今のゴミ箱のふたに応用、いたずらネコ対策の一環。12:07クリーニング経由バス飯川病院、院長整形外科受診のボランティア。外来など。19:00帰宅・夕食、20:30就寝。BRながら視聴:「そこまで言って委員会:医師の診断書問題、性格異常者の犯罪他」、「今世界は」。歩数計Σ8415歩。

MacBook Pro17インチ昇天す 感謝しつつ13インチMacBook?Airに乗換え
 2010年から用いてきた家内用のMacBook Pro17インチが数ケ前から起動中に電源が落ちるなどの不調になりつつあったがなんとか使い続けてきた。しかし、12月13日ついに起動出来ず、昇天と判断した。
 生産後時間が経っているためにMacの修理の対象外にもなっていた。Mac以外の業者で修理は不能ではなかろうが寿命と判断した。最新のOSのアップデートも対象外であった。
 MacBook Pro17インチはMacBook Proシリーズの中でも当時のフラッグシップモデルで画面サイズも17インチとシリーズで最大。2009年12月中国製、メモリー8GB、500GBのハードディスク、CPUが3.06GHz Intel Core duo、OSは10.6.8から10.10.5迄はアップデート出来た。重量は2.8Kgとズッシリ重い。

 何台か用いて来たMacBookは13インチだったので、17インチの大きな画面は魅力的であった。
 家内の元でほぼ連日、家計簿、ネットサーフィンと活躍、業務上でも頻用されて来た。私は講演会等でスライド上映のために時折借用してきた。

 このMacBook Proの昇天は予想済みであったので、翌日Apple StoreにMacBook?Air13インチを注文、その翌日には自宅に届いた。

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 今回購入したMacBook?Air13インチは現在のMacBookシリーズの中でも入門器的機能である。それでも7年前のMacBook Proよりはあきらかに能力が高い。体感できる。

 画面サイズは13インチと現シリーズの中では2番目の大きさ。2017年中国製。メモリー8GB、ストーレジは128G/SSD 、CPUがBroadwell1.8 GHz。重量は1.3Kgと軽い。

 このなかでの特筆はSSDによるストーレジである。容量こそ128Gと小さいが回転を伴うハードディスクと異なり反応が速い。起動は10秒ほど。容量が小さいのは外付けストーレジで、画面サイズも外付けのディスプレイで解決できる。バッテリー駆動は10時間ほどと長い。1.3Kgと軽く寝ころんでも使える。
 家内は患者の病状説明などにも用いる積りらしい。

 などなど、MacBookエアーは家内の生活の一部を変えて行くだろう。

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 昇天したMacBook Pro17インチはMacの中でも特異な存在であった。それだけに愛着があり、重量もあるのを活かして居間のゴミ箱の蓋として生きてもらうこととした。

<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/e5/a0b5ad9072594aeede769e1e924cc75a.jpg" border="0">
 (比較して見るとサイズの違いは一目瞭然。デザインは大幅に薄くなっているが、全体のイメージはほとんど変化していない。)


12/19(火)降雪時に激しく 比較的温暖 外来 飯川病院
 1:00起床、ネコ対応。文献チェックなど。降雪不要でうれしい。5:00可燃ごみ処理、7:10バス飯川病院。8:45-13:00外来。13:15飯川病院、14:00勤務、入院患者対応。16:00秋銀スタッフ2名。19:00帰宅、夕食、20:00就寝。BRながら視聴:「そこまで言って委員会」、「今世界は」。歩数計Σ7625歩。

大曲駅新幹線ホームの発車メロディが変更になった
 2012年頃から大曲駅ではこまちが発車する直前に、ホームのスピーカーから20秒ほど「民謡と思われる雑音」が大音量で鳴りだす。後で知ったのであるが、曲は秋田を代表する民謡の「秋田おばこ」の一節なのだそうだ。秋田土着でない私には馴染みがない曲である。

 新幹線から降りてまだホームを歩いているうちに突然鳴り出す三味線の衝撃音はつらい。こんな雑音を平然と流している駅関係者の無神経さに腹が立った。ちなみに私は自称「騒音ノイローゼ」で音に過敏過ぎるかもしれない。

 2013年9月24日、私は大曲駅長に新幹線発車時の民謡調の騒音は不快なので中止して欲しいことを書簡で要望した。これに対して10月4日に丁寧な書簡をいただいた。大曲駅のおもてなしの一環として大仙市との協議で決めた事なのでご理解いただきたい、と言う内容であった。その後も今年の7月まで何ら変化がなかった。

 私は騒音対策として、ノイズキャンセリングヘッドフォンを用い、かつ、改札にもっとも近いホームに降りる先頭車両に乗車し、騒音が鳴る前にホームを離れるようにしてきた。

 何の為に発車メロディを鳴らすのか??
 少なくとも新幹線の乗客には何の効果もない、と思う。私は帰路も新幹線を利用するが車内に入ってしまえばホームの騒音は殆ど聞こえない。要するにホーム上に居る少数の降客が聴かされるだけである。

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 7月から大曲駅新幹線ホームの発車メロディが変更になった。

 新しい発車メロディは津雲優氏作曲の「夢の空」で、これは全国花火競技大会オープニング曲なのだそうだ。流されるのは曲のイントロだけでキーボードで演奏(?)され、前の「秋田おばこ」に比べてのどかなゆらぎを感じる曲で、私の耳にも当たりのいい曲である。

 この変更で、私のストレスはだいぶ減った。
 世の中、騒音でうるさ過ぎる、と思う。
 
 なお、この変更は新幹線ホームだけで、在来線の発車メロディは従来どおり「秋田おばこ」が用いられているそうだ。


 12/18 (月)寒波小雪 健康クリニック 飯川病院 
 1:00起床、降雪。新聞チェック、そのほか文献読み。PDF化書類。7:10バス飯川病院へ。9:00-10:50健康クリニックドック業務、13名。11:15飯川病院、微睡など、本読み、14:00-18:30飯川病院勤務、入院外来対応する。ラジオ、深夜便録音数日分聴く。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。Σ歩数計Σ7626歩。

スポーツ選手の報道 ミスばかり強調した放送をすべきでない 人権問題だ
 芸術家、スポーツ選手を始め、いわゆるプロの方々は常に切磋琢磨し、自己の限界に挑戦している。私からみて超人間的だと思う。
 
 特にスポーツ選手の場合には競技の最中に失敗やミスが付き物である。いまは大部分の試合は録画されているが、メディア、特にTV等では折につけて有名選手のミスを強調する放送を行う。中にはプロ野球名場面集など、選手のミスばかりを特集した番組もあった。私はこの傾向を不快に思っている。

 真剣に勝負している最中に生じたミスなどはリアルタイムに報道されるのは良いとして、編集で頻回に放送すべきではない。
 何ら努力せずに見ている聴衆だからこそ興味本位にそれを見る。ちょっとでもその道を求めた事のある人はそのような視点では見ない・・と思う。メディアは大衆に迎合し、「知る権利、見る権利がある」から、と報道を繰り返す。

 フィギアの羽生弓弦選手の場合。
 羽生選手は23歳、宮城県出身のフィギアスケート選手である。
 一見華奢な体格のハンサムボーイで演技そのものが中性的な美しさをともなう。小児期からぜん息の持病があり、現在も発作を起こすというが、これが彼の体格、表情等に良い意味での影響を与えているだろうと私は考えている。

 羽生選手は輝かしい成績を挙げていて枚挙にいとまはない。
 主要な成績として2014年ソチ五輪男子シングル優勝、2014年/2017年世界選手権優勝など。世界歴代最高得点記録保持者で世界ランキングも1位である。超難度の技術を次々と成功させて来た。私からみて超人間的だと思う。同時に四肢・関節は大変なストレスを受けていると予想していた。
 羽生選手は昨年あたりから怪我に悩まされている。本年9月にカナダで開催された競技会に出場。右膝に痛みがあり転倒で失速。11月のNHK杯の公式練習で転倒し負傷、欠場した。治療とリハビリに専念したが、練習を再開することができない状態にある。恐らく、2018年2月9日に開幕する平昌オリンピックにも出場は困難と思われる。

 本人はさぞかし悔しい思いをしているだろう。本人はどんな気持ちで受けとめているのか、私などその一片すら理解出来ない。
 だから、NHKニュースなどで転倒シーンが繰り返し放映されるのを静かな気持ちで
見ておれない。

 メディアの方々は何と思っているのか。
 あと、各大会の前に過剰に上位入賞を期待する予測報道がなされる。これも不快であるが、選手達からは何もないのだろうか。マスコミは徒に騒ぎたて、いい結果を上げられなかった時、また騒ぐ。マスコミの常套手段である。

 これとは異なるが、北朝鮮の話題がでるとミサイル発射の同じ映像が繰り返し繰り返し放映される。これも不快である。番組ディレクターの技能のレベルの問題だと思う。


12/17(日)寒波多少ゆるむ、秋日小雪 飯川病院日直 
 1:00起床、新聞チェック、そのほか文献読み等淡々と処理。PDF化書類、ラジオ深夜便のMP3データを整理。8:37バスにて飯川病院に、9:00-17:00日直勤務。病棟は平穏。ラジオ、深夜便録音数日分聴く。18:00迎え有り帰宅、新聞入力。19:00夕食、20:30就眠。歩数計Σ7442歩。

人間は地球のガン(4) 人口過剰と贅沢な生活には地球は狭すぎる
 日本では人口減と少子高齢化が問題になっているが、全地球的視野でみると日本の人口はもともと国土のなかで自活出来ないほど増えすぎていた。
 日本は国土を広げる必要があるとして大東亜共有圏構想を掲げ、満州に進出して行った歴史がある。日本の敗戦によって構想は頓挫した。
 戦後、日本の人口はいっそう増えた。それでも日本は一見安泰であり、繁栄をむさぼっている。

 今の時代、日本の位置づけはどうなのか?将来的にはどうなるのだろうか。

 地球の環境容量をあらわす指標として生態学的足跡(Ecological Footprint)というのがある。人間活動が環境に与える負荷を、資源の再生産および廃棄物の浄化に必要な面積として示した数値である。通常は、生活を維持するのに必要な一人当たりの陸地および水域の面積として示される。

 日本について現在の生態学的足跡は、一人あたり4.3ヘクタールと計算される。一方で、日本の全国土と海洋面積から見たからみた日本人一人あたりの生態学的足跡は0.6ヘクタールでしかないという。

 要するに、不足する3.7ヘクタールは、貿易と言う名のもとに海外の国土や水面を利用させてもらっていることになる。日本は鉱物資源や化石燃料の大半、食料の六割を海外から輸入しているからこのような値と計算される。
 これは我が国の資源や食料の安全補償の弱点を指摘する重大な数字である。

 世界的視野で見ると平均的な生活水準を設定して計算すると、地球が養育できる人口は48億人程度と計算されていた。1986年にコレを突破し、現在は70億人が地球上で暮らしている。もはや地球の許容限界を遥かに突破し、70億人を養育するには地球が1.3ケ必要になっているレベルである。

 20世紀は農地の開拓や作物の品種改良等で食糧増産ができた時代であった。その結果、計算値よりは若干緩和されているが、それでも世界で10億人が飢餓状態で暮らさねばならない、のは物理的事実が示す冷酷な現実である。今後はどこの国でも食糧はひっ迫する。食料ナショナリズムが台頭してくる。豊かな国が経済力にまかせて食糧を争奪出来た時代は去りつつある。

 世界の人口はまもなく100億人近くになる事が予想されている。これは地球2ケ分の養育力に相当する。
 しかも、21世紀は地球温暖化の為に食料増産が右肩上がりに発展する事は期待できなくなっている。世界人口100億人時代には半数の人達が飢餓状態になり、食糧の争奪戦が激しくなってくるだろう。

 我が国は天候に恵まれた肥沃な国土を持つ。このわが国が食料自給率が39%と低いことは食料安全保障の面でもおおいに問題である。早めに一次産業に重視する方向にもどる必要がある。


12/16(土)曇り時々晴 寒波若干 
1:20起床、本読み、医学文献読みなど。まだ体調は万全でない、時折短時間微睡。午前は文献整理など入力。MacBookエアーにOffice2016入力、設定に時間食う。午後はダリア球根越冬用処理。バラの雪対策、ガレージ整頓掃除。夕食用にネギ初収穫。手を加えられなかった割には良い出来。19:00夕食。20:55就寝。歩数計Σ7230歩。

人間は地球のガン(3) 地球にとってヒトの存在とは何なのか
 日本では人口減と少子高齢化が問題になっているが、世界的に見た場合人口が増加し続けてもはや地球の許容限界を突破している。

 いま地球温暖化が大問題になって来ている。その対策困難の背景には地球の許容量を越えた人口増加がある。
 人は生まれた以上、食事をとらなければ生きれない。食料を生産するためには耕地や牧場、海面や湖面も必要である。エネルギーも消費するから森林や、油田や炭田も必要である。森林は木材を提供してくれるだけではなく、生物が排出する炭酸ガスを酸素に変換してくれるから一定以上の面積は重要である。

 人間の多くは住居を建設するし、社会を作れば道路、鉄道、空港、港湾など、社会基盤を整備しなければならない。これらはすべて空間とエネルギーを消費する。

 20世紀は人間同士の戦いに明け暮れた暗黒の世紀であった。
 21世紀を迎えたとき、この世紀こそはより希望に満ちた世紀になる事が期待された。しかしながら、大戦こそは生じていないが、地球上では人間のエゴが錯綜し、各地域ごとに紛争がやまず、難民問題が世界のバランスを変えようとしている。

 それ以上に、今世紀は母なる地球が人間の欲望、エゴのためにネを上げ始め、予想を超える異常気象が生じている。?
 地球に一体何が起こっているのか?

 原因はほぼ解明されている。人間の身勝手、エゴがもたらした温暖化である。原因が分かったが対策は後手後手になっている。ここでも人間の身勝手、エゴが邪魔している。

 人間社会はどうなっていくのか?今後どうなるのか??? 地球はすっかり人間社会の営み、人間のエゴによって毒され、害され、障害を受け、自然の自浄力・回復力を失い、ついに包容力を失ってきた。


 何1000億年という長い長い時間を通じて、多くの生物を安定的に育んできた地球は、この地球上に現れてから僅か300万年程度の歴史しかない人間という、ガン細胞の如くの新生物によって、それこそ、僅か数100年程度の短い間に、大きく傷つけられている。?? かけがえのないこの地球はこのままでは、厳しい病気になってしまうだろう。
 人間に例えれば呼吸不全、尿毒症、・・、そして多臓器不全状態に陥っていく。いずれも濃厚な医学的対応を必要とする状態であり、治療がうまくいかないと死を迎える事になるだろう。


12/15(金)曇り・晴れ 大曲中通外来 飯川病院ボラ
1:00起床、本読み他いつもの如く、6:00家庭ゴミ処理、提出。7:25飯川病院経由Taxi駅に。8:10こまち。9:50ー12:15大曲中通病院外来。雪出歩けず往復Taxi。14:15-18:40飯川病院ボランティア。室田薬剤師本日最終勤務。玄関花リバビリ室に。
19:30車帰宅、21:30就寝。BRながら視聴:「池上ニュースそうだったのか:警察白書」。歩数計Σ8425歩。MacBookエアー届く。条件設定も終了。

タニタ食堂3月末閉店 外食の満足感満たさず
 タニタは、血圧計など健康計測機器メーカーであるが、自社の社員食堂が健康的なメニューを提供することで注目され、そのコンセプトで全国的にレストラン経営を展開してきた。全国で10店舗になっている。
 低カロリー、減塩で健康的、それでも満足感のある食事の提供がコンセプトという。

 秋田の「タニタ食堂」は2012年7月にオープンしたエリアなかいちの商業施設の目玉テナントとして、14年12月、東北で初めて出店した。その後に盛岡にも出店した。
 年中無休で、これまでにカロリーや塩分を抑えた定食の提供に加え、県や秋田市などとタイアップした健康セミナーなどを開催してきた。

 私は隣接の施設で15年10月の日曜日、「秋田生と死を語る会」からのお誘いがあって「医療の時代と死生観」について講演した。講演終了はちょうどお昼時であったので、なんでも体験と、話題になっていた「タニタ食堂」に行ってみた。正午ころであったが席は3-4割程度しか埋まっていなかった。

 詳細は忘れたが、店鋪の内装も軽いイメージで、レストランに入ったという印象はなかった。入り易い社員食堂のイメージを演出したつもりなのだろう。定食の一つを注文したが、正直言って美味しくなく、外食の満足感は全然満たされなかった。

 その時、私はおそらく2度と利用する事はないだろう、と思った。更に、はたして秋田でこのようなコンセプトのレストランが存続できるのか?とも思った。実際には3年半しかもたなかった、と言うこと。

 タニタによるとと、オープンから半年間は客足が好調だったものの、その後は伸び悩んでいた、という。また、企業向けの社員食堂契約も当初の計画を下回った、という。開店当初は興味を持たれたが、実質が伴わなかった。

 商業施設ナカイチ自体が集客が落ち込んでいる。
 2015、16年度は年間140万人ほどが訪れたが本年度は5-10月の集計で計86万人で、前年比-5%ほどと減少している。秋田県民会館は来年5月末で閉館する。新文化施設が完成するまで4年近くかかるから、この周辺の人出はいっそう落ち込むと予想されている。
 私は通勤時に商業施設ナカイチの脇を通る事が多いが、建物のデザインそのものに入って見たくなるような魅力を感じない。

 「タニタ食堂」はマーケットリサーチを充分してから秋田進出を決めたのだろうか??

 ■ ほぼ連日利用する社員食堂なら別だが、外食時に秋田人はわざわざ健康的メニューを求めるだろうか。
 ■ 家庭料理と大差ない、あるいはそれより落ちると思われるメニューに秋田人は満足出来るか?
 ■ 滅多に外食しないような客が外食に求めるのは、非日常的食事でないだろうか。健康的な食事は理屈では分かっていても魅力ではないだろう。
 ■ 学生とか若者が日常的に集まるような、市井の定食屋としてなら大きな意義があるだろう。

 わたしは一度しか利用していないが、「タニタ食堂」は秋田で受け入れられなかったのは半ば自然の流れのような気がする。


12/14(木)寒気ややゆるむ 風雨 外来 飯川病院 
1:00起床、徒然。今年の文献・録音データの整理・処理など。7:10バス飯川病院に。8:40-13:40外来+人間ドック判定14名、14:00飯川病院、勤務。入院患者対応、新聞、文献読みなど。MacBookエアー注文。BRながら視聴:「池上ニュースそうだったのか:北朝鮮問題」。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ8817歩。雪かなり溶ける。

家庭菜園・園芸2017(7) 今年の園芸はバラ冬囲いで終了
 今年の園芸は先週と昨日のボタン、バラの冬囲い、ダリア球根の乾燥作業で終了とした。

??ボタン
 我が家のボタンは基本は家内の領域である。鉢植えが8鉢ほどある。今年も見事な花をつけた。冬を迎えるにあたって昨年までは鉢を室内に運び入れたが、今年は鉢を軒下に集め、風や雪を防ぐ作業を施して終了した。来年が楽しみである。


(鉢植えのボタン)

??バラ
 バラも家内の領域である。多忙なので増やさず、地植えの数株しかない。剪定若干と散水のみであまり世話出来なかった。それでもそれなりにきれいに咲いた。自然の力は大きい。



??ダリア
 ダリアも家内の領域であったが意外と手が掛かる。その為に家内は手をひいた。5月中旬に借用した畑の一角に植えた。今季は4季目。試行錯誤しながら続けている。昨年の4株ほどは球根を分割し、かねてからダリア栽培を希望していた知人に差し上げた。綺麗に咲いたそうである。
 添え木などは十分に立てて秋口の台風に備えたが、追肥などは殆ど出来なかった。しかし、太陽と土の自然の力は大きい。今年は9株のうち8株が成長し、見事な花をつけた。ダリアは9月-11月が見ごろであるが、前半はヘルニア痛のために、後半は術後痛と行動制限等の為に充分対応出来なかった。
 今年の球根は先日掘り出し、乾燥して来期に備えた。球根は昨年より小振りである。





??灌木等の処理
 現在住んでいる小屋(しょうおく)は昭和54年に現地に新築した。
 40年も経ち、柿の木を含む我が家の木々が大きくなり過ぎ、枝が隣家の方まで伸びた。私がいなくなる前に樹木のケア及びその後の方向を指示しておかなければならない。

 樹木終活の第1段階として、昨秋庭師にお願いして八重桜を始め5本以上の樹木を根元からバッサリ切断し、残した木々も大幅に枝を落とした。実にスッキリした。

 庭の木々は背の高い樹木だけでない。地を這うような、「いちい」、「ひば」などの灌木類も一面に繁茂している。立木と違ってこれらの灌木類は根が複雑に地表を這い、枝も複雑に絡み合うためにメインテナンスが難しい。脚を踏み入れるのも困難であった。今まではなんとかやって来たが今後はムリだろう。次世代人は関心がない。

 庭木終活の第2段階として、今年はGW以降8月末までかけてこれらの灌木類を私の手で整理し撤去した。幹や枝を裁断して市の回収にゆだねたが、実に難しい作業であった。結果として、カキやクリ、びゃくれんなどの根元は実にすっきりした。

 
 一つ一つの作業を進める度に、実直で勤勉で、酒好きであった義父を想い、その苦労を偲んでいる。
 来年からはこの開いたスペースに、可能であればダリアを植えたいと思っている。


12/13(水)荒れ模様風雪 飯川病院ボランティア スパイク今期初装着
1:30起床、文献読み。蓄積データ処理。午前データ整理、11:00バス飯川に。スパイク今期初装着、威力は充分だが積雪道路以外は逆効果、バス内も危ない。院長受診外出。院長は明和会年末交流会。BRながら視聴:「そこまで言って委員会」、「これで分かった世界のいま:サウジアラビア事情」。18:15レガシー帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ10137歩。MacBookPro17、2009年12月製造、起動せず昇天する。

家庭菜園・園芸2017(6) ダリア冬眠に入る 今年の家庭菜園・園芸は終了
 今年の晩秋から初冬は日照時間がとても少なく季節の移ろいが釣瓶落とし調で実に速い。

 11月末頃から晴天の日がほとんどない。なかなかダリア球根を掘り出すチャンスが得られなかった。
 今月6日午前は自宅で過ごしたが、ちょっと雨が小降りになったのでダリアの球根を掘り出し、乾燥させた。本日茎をカットして球根単独として凍結を防ぐために居室の2Fの一角に仕舞いこんだ。
 これで、元蔵ネギがまだ土中に埋まっているが、これは追い追い鍋料理の時に引き抜く事として、今年の菜園・園芸は本日の作業をもって終了となった。

 春は何時もであれば4月末からGWにかけて作業をはじめるのであるが、今年は5月17日にトマト、キウリ、ナス、元蔵ネギを植えた。予定より2週間遅れた。枝豆はカップに栽培、芽の生育状態を見ながら本植えしている今年の苗は1本も枯れることなく順調に生育している。

 今年は4月末から生じた腰痛のために作業開始が大幅に遅れた。それだけでなく右鼠径ヘルニアが一層巨大化して疼痛も伴って来たので、植えた後の世話も充分とは言えなかった。一応、支柱や棚は充分作った。
 腰痛のために草むしりは出来ない。代りに週末には草刈りに追われるが今年は頻度が減った。右鼠径ヘルニアは9月上旬に手術を受けた。

 5月下旬になってから気温は全般に低く、雨が多く日照時間が少ない。例年に比して成長が明らかに遅かった。

 診察の合間に時に畑栽培の農家の方々に栽培のコツなど教わるが、畠の話題が出るとパッと表情が輝く。同じく今年は成長が悪いと言っていた。やはり5月末以降の寒さが原因なのだろう、と納得した。

 6月25日からキウリが収穫できた。昨年より10日遅かった。
 今年は冷夏で成長が遅い??と思っていたが、7月上旬後半から突然キウリとナスの収穫量が増えた。キウリ・ナス共に昨年より本数を減らし、かつ時間差もつけて植えたが、毎日収穫量が増え、連日追われるようになってきた。


 野菜作りのガイドブックにはいい実を得るために剪定や間引きをせよと書かれていても、私はかわいそう、と思い、なかなかできない。結果として私の畑のキウリは、ご近所の畑のそれに比較して明らかに繁茂しすぎている。

 約2ヶ月間、収穫が続いたが、8月下旬をもってトマト、キウリ、ナス、枝豆の収穫は終了した。ちょっと早かったが、右鼠径ヘルニアの手術が9月上旬に予定されていたから茎を抜き取り、ざっと掃除して来年を期して畑を近所の農家の方にお返しした。


12/12(火)小雪寒波のち晴れ 積雪5-6cm 外来  飯川病院
耕陽命日、1:20起床、データ処理。5:00可燃ごみ処理、7:30家内に同乗飯川病院へ。道路冠雪でのろのろ一時間近くかかった。8:45-12:10外来。12:30飯川病院。院長検査で一時留守に。14:00-19:50勤務に。次男宅にCT届帰宅。20:00夕食。21:00就寝。歩数計Σ13149歩。ラジオ深夜便録音数篇聞く。

人間は地球のガン(2) 30年間の大気のCO2濃度測定
 地球温暖化関連の研究の精度を高めるには、できるだけ多くのデータを集める必要がある。地球全体の問題であるために、調査対象が時間的・空間的に非常に広範囲に及び、なかなか進まなかった。
 国内、アジアで連続的に観測を始めてまだ30年あまりしか経っていない。

 私の郷里の岩手県の大船渡市三陸町には「気象庁大気環境観測所」があるが、ここで行なっている大気中の二酸化炭素(CO2)濃度の連続観側がアジアで初めて30年を超えた。1987年に測定開始された。同観開所はアジアで初めて、世界では14番目にCO2の連続観測に着手した。本州唯一の観測所で、中国などユーラシア大陸からの人為起源CO2を監視する上でも重要な位置にあるとされる。


(気象庁大気環境観測所のCO2測定濃度 確実に上昇している)

同所の単年毎のCO2観測値は以下の如くである。
■ 1987年の年平均値は351.4ppm。以後年々上昇。
■ 1914年の年平均値401.3ppmを記録した。「危険領域400ppm」を突破した。
■ 2016年の年平均値407.2ppm(前年比3.8ppm増)で観測史上最高。この30年間で55.8ppmも上昇した。
■ 2017年4月の平均値(速報値)は415.4ppmで観測史上最高を更新した。

10年ごとの上昇幅は以下の如く上昇幅が拡大している。
■ 1987〜1996年 13.9ppm
■ 1997〜2006年 18.9ppm
■ 2007〜2016年 20.6ppm

 気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は産業革命前からの気温上昇幅2℃未満を達成するためには、2100年時点でCO2を含む温室効果ガス濃度を450ppmに抑える必要かあるとしている。

 過去数百年は280ppm程度だったが、18世紀半ばから工業化で上昇を始め、ここ数十年で急激に増えている。
 地球温暖化対策を巡っては、世界各国で削減が叫ばれているがその効果は出ていない。

 岩手県で地道に積み重ねたCO2濃度のデータは温暖化の科学的解明の根拠の一つとして国際社会へ警鐘を鳴らしている。

 アジア開発銀行(ADB)は、アジア太平洋地域における気候変動の影響をまとめた。
 「パリ協定」などの温暖化対策が実行されなければ、アジア太平洋地域の平均気温は今世紀木までに6℃上昇すると予測。
 温暖化を放贋した場合、中国北西部やタジキスタン、アフガニスタンなどは特に気温の上昇程度が大きく、8℃に逹する。
 食料生産への影響は大きく、東南アジアではコメ収穫量が最大で50%減少。南アジアで700万人の子供が栄養失調になるという。

 ヒトは地球上に発生したガン細胞の様な存在である。母なる地球を弱らせて行く。


12/11(月)朝温暖夕から寒波 健康クリドック 午後飯川病院 
11:00起床、文献・新聞チェック、読書。8:30家内に同乗飯川病院。9:00-11:00健康クリニックドック。11:20飯川病院に移動、微睡など。14:00-18:45勤務、入院患者対応。 年末のスケジュール確認。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ8298歩。改善傾向だがまだ体調不良、痙攣性の咳嗽時おり。ラジオ深夜便録音数篇聞く。s

人間は地球のガン(1) 地球温暖化 
 最近、日本列島は激しい雨に脅かされている。他にも、ゲリラ豪雨や竜巻、迷走する台風など、異常気象に関するニュースは絶えることがない。
 米国の異常気象、洪水も歴史的な規模であった。

 このような状況を前にして私たちの脳裏に浮かぶのは、「温暖化」という言葉である。

 地球温暖化説が一般に知られるようになったのは、20世紀の後半であるが、その可能性に開する指摘は古く19世紀の前半である。二酸化炭素の増加によって気温が上がることを、19世紀の末に指摘されている。ー酸化炭素の濃度が2倍になれば、気温が5~6度上昇するだろうという予測もすでに示されていた。

 それらの科学的な知見を具体的な問題とし議論に持ちこんだのは、1960年代の環境NGOであり、また米国大統領の諮問委員会であった。さらに、それが地球全体にとって重要課題として共有されたのは1980年代後半から90年代にかけてである。

 今は、日本人なら、恐らくは誰しもが化石燃料の多用によって二酸化炭素が蓄積し、結果として温暖化を来していると漫然と思い込っているが、この分野の研究は結論が最近まで得られていなかった。
  
 因果関係の証明に科学上の困難さが伴っていたからである。

 研究の精度を高めるには、できるだけ多くのデータを集める必要があるが、地球全体の問題であるために、対象が時間的・空間的に非常に広範囲に及び、なかなか進まなかった。また、二酸化炭素の増加後に、実際に気候が変化するまでに、かなり時間がかっているからである。

 地球温暖化問題は、科学的に把握すること自体に根本的な困難さを伴っている。やっと、世界中の専門家が、人為的な二酸化炭素の放出によって温暖化が起きている可能性が極めて高いと、結論づけられるところまで来た。

 しかしながら、この不確実性が政治的な判断の介入の余地を大きくする。
 地球温暖化問題が政治問題化しやすい、一つの大きな要因である。

 それがトランプによるパリ協定離脱に結び付いた。
 米国こそが、最初にこの問題の深刻さを理解し、本格的な科学的検討を開始したこと、そして今も多くの中心的なメンバーが米国で活動している、という事実がある。米国は科学的には地球温暖化対策の先鋒を走っている。それが、トランプの強権によって目立たない状況にさせられている。

 今夏に生じた米国の異常気象、大洪水も地球温暖化による異常現象である事はトランプも気づいている筈である。ただ、トランプは選挙期間中に勝手なことを言いすぎた。方向転換しても非難される事なく、国際的に受け入れられるだろう。

 地球温暖化は多くの自然現象を変化させ、陸地の埋没、気象の変化を通じて食糧確保の面でも、病原体の分布の変化でも、人間の存続の危機的要因を誘発する。
 それでもやっぱりヒトは生活を変えようとしない。
 ヒトは地球上に発生したガン細胞の様な存在である。


12/10(日)寒波、雲、積雪なし 体調不良で終日臥床
 1:00起床、身体違和感あり。時折臥床、新聞チェック、読書など最小限。午前は「NHKのど自慢」見る。午後もときどき微睡。BRながら視聴:「題名のない音楽会:スケートと音楽」、「らららクラッシック:ウインナワルツ」、「N響定期:エッシェンバッハ ブラームス No1、No4」。19:00夕食、20:00就寝。 歩数計Σ3926歩。ほとんど部屋から出ず。

北朝鮮2017(14) 木造船漂着問題 「漁船は軍艦、魚は銃弾・砲弾と同じ」   
 日本海沿岸で11月以降、木造船の漂着が相次いでいる。
 11月は28件、12月は上旬の集計で既に20件。今年の漂流・漂着は79件となり、過去最多であった2013年の80件に迫る。さらに増える可能性がある。

 遺体は今年19人で、2015年の27人に次いで多い。前からこんなにも多かったのか?と思う。
 生存者は42人、海保が保護し近くの北朝鮮漁船に引き渡すなどしてきたが、北海道・松前小島では、乗組員が一時上陸し、島の施設の発電機を盗んだとして道警に逮捕される事件もあった。灯台の電源用ソーラーパネルが取り外され被害額が11品目で約500万円、漁協の小屋で家電製品などの被害額は計約790万円に上る。この船の場合、自国にこれらを乗せて帰る燃料など充分残っていたのだろうか??

 地元自治体では、遺体の扱いや木造船の処理に苦慮している。

 金正恩が10月の党中央委員会総会などで繰り返し、トランプが推奨する経済的制裁に対抗するための自力更生を強調した。
 北朝鮮の労働新聞 (電子版)は11月7日付の社説で、日本海で本格的な冬季漁業が始まったことに触れ、「敵対勢力の反朝鮮策動が極限に達した今日、水産部門の漁船は祖国と人民を守る軍艦であり、魚は社会主義守護戦に立ち上がった軍と人民に送る銃弾・砲弾と同じ」、と鼓舞した。
 かつての日本の軍部がメディアを介して行った国民への宣伝活動とほぼ一緒で、返す返す不快である。

 北朝鮮では、漁業部門は独立採算制で国家に上納するノルマもあるため、遭難の危険を知りつつ漁に出ざるを得ないという。
 漁師は自前で木造船を調達。漁の稼ぎで燃料や船員の食糧を購入し、登録先に上納金も納めている。軍も民間人を雇って漁業を行い、活動資金を稼ぐこともある。 北海道・松前小島に着いた船には「 朝鮮人民軍 第854軍部隊」のプレートが付いていたのはこの為と考えられる。

 菅官房長官は9日の講演で「 工作員などの可能性もある」と語ったが、海保などの関係者は工作活動や軍との関係をうかがわせる状況はなかった、と否定している。
 安倍内閣は12日に北朝鮮籍の漁船による日本のEEZでの相次ぐ違法操業に強い懸念を示し、今年に入って北京の大使館ルートを通じて北朝鮮に違法操業について5回抗議した。その際、漂着船への対応も求めたという。

 北朝鮮の木造船の漂着が急速に増えたのは、北朝鮮の食糧事情が厳しさを増したためと分析している。
 
 外務省関係者は、北朝鮮が外貨獲得のため黄海や日本海の漁業権の一部を中国漁船に売却したことも、日本のEEZにまで北朝鮮船が押し寄せてくる要因の一つとみている。
  


12/9(土)小雪時々晴れ寒波 飯川病院日直
2:00起床、昨日のリキュール一杯の過酔で過睡。体調に違和感あり。文献検索、徒然他何時もと同じ。午前は外仕事に向かない天候。データ整理中心。午後は飯川病院日直、プリウス出勤。倦怠強度でほとんど医局で臥床して過ごす。19:00帰宅。19:30夕食、20:30就寝。BRながら視聴なし。歩数計Σ5670歩。ラジオ深夜便録音数篇聞く。

北朝鮮2017(13) 相次ぐ木造船漂着 日本の特攻隊を思ってしまう 
 日本海沿岸で11月以降、木造船の漂着が相次いでいる。11月は28件だったという。

 秋田県関係では
??11月23日に由利本荘市の海岸に木造船が漂着し乗組員8人が保護された。
??11月27日には男鹿市の宮沢海水浴場に漂着した木造船の中から8人の遺体が見つかった。
??12月4日にかほ市沿岸で白骨化した遺体1体とばらばらになった木造船のものとみられる木片が見つかった。

 海自の集計では他県分まで含めると今年になって64件、18遺体と言う。

 北朝鮮の漁船が、エンジンの故障などで漂流したとみられる。県内では以前から北朝鮮のものとみられる船が漂着しているが、今年のように多くの乗組員が確認された例はない。無人の漂流船にも複数の乗組員がいた可能性があり、船そのものが乗組員と共に不明になっている例もあると推定される。かなり多くの貴い命が失われている恐れがある。
 
 漂着した船をみると沿岸海域用の木造船にしかみえない。3m超の波で沈んでしまう様な、簡易で不安定な構造だ。真冬の海で操業するための装備がある様には見えない。雨雪・風さえ遮ることもできないようだ。波が荒れるこの時期、こんな船で出漁すること最初から大きな危険を伴う。

 金正恩は国策として漁業振興を唱えている。経済封鎖の影響で国内の食糧事情がひっ迫し、漁師を強制的に出漁させている可能性がある。
 漁師たちは自国から約500Km離れた日本の排他的経済水域(EEZ)まで出漁せざるを得ないようだ。燃料が貴重で手に入りにくいため、ほかの油で薄めて使っているのでは?と思われている。まさに命懸けの漁といえる。私はやっと飛ぶ様な故障機まで動員した日本海軍の特攻作戦のイメージが浮かんだ。

 日本のEEZはイカやカニの好漁場で、以前から北朝鮮、中国籍とみられる船の違法操業が横行していたが政府はほとんど黙認してきた。先月になって、漂流船の続出を受け、不審船のパトロールの強化に乗り出したが、遅きに失する。

 大体、わが国の領土問題への対応はこれまで何だったのか?と思ってしまう。こちらの方が問題でないだろうか。
 わが国の権利がおよぶ海域だと主張し続けるのであれば、そこを管理下に置かなければならない。日本は主張していることと実際にやっていることの間には大きな乖離がある。勿論、管理下に置くと言うことは相手国との間に一定の緊張感が生じることになる。それをわが国は避けてきた。そのツケが今の問題のルーツ、領土問題が拗れる原因にもなっている。

 韓国の警備隊が竹島へ常駐しているが何故許す? 北方4島にロシア人が不法に居住しているが何故許す?尖閣に中国人の上陸を何故許した? 
 そんなことを許しながら主権だけを主張するのはおかしい。明らかに甘い対応であり、矛盾である。

 北朝鮮の木造船に関しては海上での巡視強化により、違法操業させない環境をつくり出すことが重要である。故障船は乗組員を救助する必要がある。北朝鮮との新しい接点になりうるのでは??


12/8(金)小雨小雪 大曲外来 飯川病院ボランティア・忘年会
1:00 起床。文献検索、6:00家庭ゴミ収集所に。7:30Taxi駅、8:10こまち。9:00-1210大曲中通病院外来。13:30-17:40飯川病院ボランティア。18:00-20:00飯川忘年会ペペロンチーノ。リキュール一杯で泥酔。この時間から咳頻回に。風邪か?? 20:30帰宅。21:30就寝。歩数計Σ9404歩。BRながら視聴:「そこまで言って委員会」。

ミカンの缶詰に郷愁を感じた 幼少時、体調不良のときはこれが最高だった
 本日12月8日は飯川病院の忘年会兼歓迎会兼送別会が行なわれた。
 自称引きこもりの私にとっては唯一の忘年会であった。なかなか楽しい回であったが、着席したとたん咳が頻回にで始めた。隣の席と向かいの席にはヘヴィスモーカーの看護師と助手さんが陣取っていた。
 なんでそこに私の席が割り当てられたかと言うと、日頃から「自分は吸わないが、隣に喫煙者がいても気にしない」と言っていたからであろう。

 彼女らはかなり頻回に吸っていた。私の咳は時間とともにひどくなってきたが彼女らは気にもせずスパスパと吸う。おかしい、普段なら隣で吸われても咳が出るようなことはないのだが、と思っていたが、会の終了の頃から全身倦怠感と熱感が生じてきた。
 恐らくウイルス性のカゼであろう。院長である家内はいつもなら二次会に行くのであるが、外傷性の右ひざ痛で動くのが難と言うので二次会を辞めて一緒に帰宅した。

 こんな晩は寝るに限ると、早めに就寝した。
 習慣になっているから体調が悪いからといっていつまでも寝て居れない。
 2:00am、いつもの様に新聞スクラップの電子化、データ整理をはじめたがなんか口さびしい。冷蔵庫近辺にも好む食材は残っていない。
 そうだ、子供のころ、体調不良で伏せっていた時は「母がミカンの缶詰やモモの缶詰をたべさせてくれたっけ」と、突然思い出し、急に懐かしくなって食品庫を探したらミカンの缶詰が出て来た。
 我が家では子育ての頃には、何かの行事があると大量のフルーツポンチを作る。今年も暮れには餅つき大会が計画されているのでその時に用いるために買い置きがあったのだろう。

 ミカンの缶詰、まるまる1ヶ独占できた。
 私は簡単に悦に入りやすい。安あがり人間である。今回もミカンの缶詰まるまる1缶?ばってすごく満足した。この満足には幼少の頃の母の顔が見え隠れした事も加わっていた。かなり古い缶で周りは若干錆び付いていた。ハゴロモ印だった。285円のシールが張られていた。
 色鮮やかでそろった果肉、爽やかな甘み。チョット酸っぱく、どこかなつかしい味がした。

 ただ、シロップ全部飲むと280カロリーとあった。もちろんシロップも全部飲んだが、ダイエット中の私には厳しい負荷にもなった。

 体調不良のときはこれに限る!!! 今回久々に再確認した。何缶か買い足ししておこう。


12/7(木)寒波,曇降雪 外来 飯川病院
0:10起床、新聞。文献読み。労働問題の文献読む。家内出勤に同乗、7:00プリウス公営駐車場にとりに。7:30飯川病院。8:45-13:00外来+人間ドックデータ整理13名分。14:00-19:00飯川病院勤務、入院・外来対応、院長超音波再発像。19:30帰宅。夕食、20:20就眠。歩数計Σ8986歩。ラジオ深夜便録音数篇聞く。

秋田の雪問題 融雪道路に感謝
 師走である。そろそろ秋田では雪の話題が生じてくる。秋田の雪の話題と言えば車道の除雪が話題になるが、歩道の除雪融雪も重要である。凍ってスケートリンクのようになり、転んでケガをするおそれもある。

 昨日12月6日は積雪5−6cmで道路が冠雪したほか、寒波到来で歩道が凍結し滑って大変であった。そろそろとペンギン歩き風に停留所まで歩き通町までバスで行き、コーヒーを購入後飯川病院まで歩いた。通町から病院までの3Kmの歩道は9割近くが融雪道路で滑ることもなく安心して歩くことができた。多少遠回りでも融雪のある道を歩いた方が安全である。

 私は歩行時の転倒が多い。年に数回は雪道で転ぶ。幸い今まで大怪我をした事はない。
 原因を考えて見ると今まで用いてきた防寒靴がすべりやすいことに加えて私の筋力とバランス感覚が悪化しているためと考えられる。防寒靴は滑り止めを付けたりして工夫して来たが今年は早々に買い換えるつもりである。

 秋田市内の歩道の融雪装置(ロードヒーティング)は、市道10.9Km、県道18.4Km、国道0.3Kmの総延長29.6Kmに設置されている。

 その運用状況とかについてのデータは無いが、隣の盛岡の場合、市街地に設置している融雪装置の維持管理が課題となっている、という。装置の電気料金や度重なる故障の修繕費などが市の財政を圧迫している。整備を求める声は各地にあるが、予算の面で今後大規模な新設は難しくなるとみられる。

 盛岡市が設置している融雪装置は、■電熱線タイプ、■地下水を循環させるタイプ、■ヒートポンプタイプ、■ガスボイラータイプなど。市内の75カ所に設置しており、本年2月の時点でうち22ヵ所で不調や故障が生じている。
 修繕費は例年約1千万〜1700万円ほどで、初期に多く導入された電熱線タイプの電気料金は、市の道路関係の電気料約1億2千万円の約4割にあたる約5千万円を占める。上記は岩手日報の記事によった。

 車道は道路管理者が除雪してくれるが、基本的に歩道の除雪はその前の各家庭や会社が行うことが半ば暗黙の了解になっている。大雪になれば歩道が機能しなくなる。
 豪雪地帯の大曲などでは、水を流しっぱなしにして雪を融かす装置もあるが、秋田市内では見かけない。気温が低くその水が凍ってしまってかえって危険なこと、路面や靴が濡れること、それに地下水を使う場合地盤沈下の可能性があることなどが理由かもしれない。

 それを解決するのが、路面を温めて雪や氷を融かしてしまうロードヒーティング。秋田市内では、坂道の車道や市街地の幅の広い歩道で普及している。
 今や雪国の生活欠かせない装置。冬しか使わず、暖冬傾向、人口減とはいえ、決して無駄な工事だとは思えない。
 秋田市はエイジフレンドリーシティーをうたっているが、私を含む高齢者の安全に寄与しているだろう、と思う。


12/6(水)道路冠雪 曇り寒波 飯川病院ボランティア
 0:30起床、寒い、外を見ると積雪2-3cm。医療文献PDF化、書類整理淡々と処理。文献・新聞読み。午前はコンポスト土保存、レガシーバッテリー交換。ダリア球根掘り出し。12:00バスコーヒー店経由徒歩飯川、院長受診。外来入院対応。17:00バス帰宅、データ整理、19:00夕食,20:50就眠。BRながら視聴:「池上:猪木と北朝鮮」。歩数計Σ10182歩。道路滑り危険。通町からの融雪道路に感謝。プリウス不調?エンジン掛からず。

横綱・日馬富士の暴行事件におもう(2) 「引退」の真相 
 大相撲の横綱日馬富士が引退した。
 29日に日本相撲協会に引退届を提出し、受理された。障害事件が起きてから一月以上たってから、警察や協会の調べが続く中、処分を待たずに自らが責任を取って引退を決意した。
 私はその判断を支持する。

 27日の横綱審議委員会では「厳しい処分が必要」という意見が大半を占めたが「引退勧告」は出されなかった。しかしこのまま鳥取県警や相撲協会の調査が進めば、厳しい処分が下される可能性は大きかった。

 2010年に暴行事件により「引退勧告」を受けた元横綱朝青龍のような、最悪の事態だけは避けたかったというのが本音だろうか。
 愛する母国の先輩や同輩にまで迷惑をかけてしまった。自らが身を引いて事態を収束させるしかなかったのだろう。日馬富士の精神状態は日に日に衰弱していた。そんな状況下で事態が大きくなるにつれ、逃げ道がなくなっていた。
 28日には日本相撲協会の八角理事長がスポーツ庁を訪問。鈴木大地長官に謝罪すると「社会に対する説明責任を果たしてほしい」と厳しい言葉を送られている。

 日馬富士は自ら引退の道を選んだ。それだけ周囲の声が大きくて、追い込まれていたというのが実情だ。

 暴行騒動の真相は明らかにされるのか?
 初めから日馬富士と貴ノ岩の関係が険悪なものではなかったようだ。2人は、どのような経緯で関係がこじれてしまったのか。スマホの操作をし続けた事は原因のひとつであろうが、一時的激昂であって深いものがあるとは考えたくない。

 今場所のなかで白鵬が立ち会いについて物言いをつけたこと、朝青龍の事件を含めてモンゴル出身の横綱が起こした行動から、「だから、モンゴル出身力士はダメなんだよ」、との印象をあたえたことは否めない。今後、ここから負のイメージを払拭することは簡単ではなさそうだ。もちろん、モンゴル出身力士の大半は何の問題も起こしていない。そこを評価すべきであろう。

 しかもいずれの問題行動でも、番付の頂点に立ち、力士の模範となるべき横綱としての資質が厳しく問われている。その結果、角界内での風当たりも強まっている。

 師匠の伊勢ヶ浜親方は引退会見の中で、「私は16歳の時から日馬富士を見てきたが、稽古で相撲に精進したのみならず、いろんな勉強もし、難病救済など社会貢献にも目が届く本当に珍しいタイプと思っていた。そして酒癖が悪いとか乱暴するとか、そういったところは見たことも聞いたこともありません。だから、今回こういうことになったのが、不思議というか、残念でなりません」と悔しがった。さらに親方は「横綱の権威を汚すようなことをした本人が一番悪い、と言うしかありません」と結んだ。これは親方のホンネだったと思う。


12/5(火)雨のち晴れ夜間降雪 外来 飯川病院
 0:45起床、文献・新聞などPDF化。録音データ整理。6:00可燃ごみ集積所に。7:10バス飯川病院着。8:45-13:00中通病院外来。13:10飯川病院、微睡、14:00飯川病院勤務。入院患者対応。19:00帰宅、夕食。20:00就寝。歩数計Σ8856歩。

横綱・日馬富士の暴行事件におもう(1) 不可解な経過
 大相撲で再び暴力事件がおきた。新聞を開くと横綱・日馬富士の暴行事件、そして引退報道がめじろ押しであった。
 相撲は国民的関心が高いし、前代未聞の事件である。しかし、浅く同じ内容の繰り返し記事も多く、記事にスペースの取り過ぎとの印象は否めない。

 相撲の騒動では角界に詳しいとするコメンテーターが常に語る言葉は「礼に始まり礼に終わる勝負の世界で、品格のない行為はいかがなものか??」である。言外に、活躍するモンゴル出身の力士たちには「日本人らしい品格に欠ける」との気持が見え隠れする。

 事件は10月25日、巡業先の鳥取市でおきた。モンゴル出身力士らの懇親会で、横綱が酒に酔い、貴ノ岩に対して暴力をふるった。その後も両人は通常の稽古などおこなっていたが、11月5日貴ノ岩は福岡市内の病院に5日間入院、診断書は「脳しんとう」、「右前頭部裂傷」、「右外耳道炎」、「右中等頭蓋底骨折」、「髄液漏疑い」で全治約2週間とあった。

 日頃の鍛錬で養った力を暴力として用いるのは、スポーツ選手の資格が問われる事態。横綱は場所中の14日になって、負傷させた事実をメディアの前で認めた。約3週間隠蔽していた。
 日馬富士は責任を感じた負い目からか、初日、二日目と精彩を欠き連敗、3日目からは診断書を出して休場した。この診断書はなにか?

 被害届を受けた鳥取県警は捜査を始めた。

 大相撲をつかさどる日本相撲協会の動きは鈍かった。
 協会は、法曹関係者らによる危機管理委員会を立ち上げた。協会自ら真相解明を尽くすとともに、厳正な処分を下さねばならない。

 不明な点も多い。入院後「右中頭蓋底骨折」、「髄液漏の疑い」で全治2週間と診断されたが、貴ノ岩は事件のあとも土俵に上がっていた。貴ノ岩は29日に警察に被害届を出していたのに、その事実がはその後、どう対応したのか。身内の中で、しかもモンゴル出身力士の会合の中で生じたこととはいえ、協会の鈍い体質が変わっていない。協会が閉鎖的である事が問題なのでないか。

 危機管理委は、そうした相撲界の土壌も追及すべきだ。

 過去の暴力沙汰として
■時津風部屋で07年、師匠や力士に暴行を受けた若手が死亡した。
■07年大麻陽性反応の3力士解雇。
■10年には横綱朝青龍が知人への暴行の責任をとり引退。
■10年野球賭博、30人処分。
■11年八百長問題春場所中止。25人関与認定。
■15年髪結職人への親方による暴行。門限を破った力士を師匠がゴルフクラブで殴った。例など・・・・問題が続いた

 そのたびに協会は力士や親方への研修会などを開いて再発防止の姿勢を見せたが、その効果は乏しかった。
 大相撲は、今年の初場所後に稀勢の里が横綱になってから、本場所の連日満員御礼が続く。人気の回復に協会も力士も慢心したのか。

 相撲界関係者は、血気盛んな若者を指導する難しさを指摘する。しかし、力でねじ伏せる指導が、あしき伝統として受け継がれているのではないか。
 暴力が続く素地を解明し、根絶する協会の意識改革こそ必要だ。


12/4(月)雨のち曇寒波 健康クリニックドック 飯川病院
1:00起床、本読み。文献・新聞などPDF化。7:10バス飯川病院着。9:00-11:00健康クリニックドック。11:30飯川病院へ、微睡など。14:00-18:45勤務、入院患者、外来患者対応。家内の文書校正。19:30帰宅夕食、21:15就寝。歩数計Σ12111歩。BR視聴なし、ラジオ深夜便録音数篇聞く。

少資源国日本2017(4) 自動車のEV化(4) レアアース対策と展望
 ■ レアアースの埋蔵の地域差ーー決定的不公平がある。
 中国にレアアースが集中していることが問題である。じつに不公平な分布である。
 ケ小平はかつて、「中東に石油があるなら、我が国にはレアアースがある」と述べていた。
 尖閣漁船体当たり事件の頃、レアアース全体の産出量の97%が中国産であった。全世界で見ると、埋蔵量の36%中国に、ロシア19%。
 個々のレアアースでみると、タングステン産出量は75%が中国、埋蔵量で見ると67%中国に。アンチモンは産出量の88%が中国、埋蔵量の46%が中国であった。

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 上記のデータをみると、我が国のエネルギー、鉱物資源、レアアースなどの鉱物の事情は惨憺たるものであった。中国からの輸入が出来なければ日本の産業界は決定的ダメージとなる。政府及び産業界では協力してこの難関を乗り切ろうとして、ここ数年具体的活動が始まっている。

 ■ レアアースなどの備蓄
 原油の備蓄は全国で10け所。備蓄量は194日分とされる。
 茨城に国家備蓄センターをつくり、現在7種のレアメタルの備蓄を始めている。

 ■ 調達国の分散化 国産のレアメタルも
 中国に片寄らない調達分散化を開始した。カザフスタン、ベトナム、モンゴル、オーストラリア諸国と開発協力を行ない、輸入拡大を図り始めた。インドからの輸入も軌道に載っている。
 日本にも温泉地にレアメタルの存在が分かってきた。その抽出の研究を始めている。 草津温泉はスカンジウム、別府はリチウム、タングステン、セシウムが含まれることがわかった。

 ■ 都市鉱山
 金鉱石1トンから60gの金を得ることができる世界一の良質金鉱は日本にある。それ以上に重要なのは都市鉱山と言われるもの。携帯電話1トンから300gの金を取り出すことが出来る。我が国は金の回収技術は最先端に有り、世界の16%程度の金保有で、これは世界一である。

 ■ レアメタルの代替品開発
 ステンレスは鉄とクロームとニッケルの合金であるが、レアメタルのニッケルをスズや銅に置換えた製品が我が国で実用化され輸出されている。 
 ネオジムその他のレアアースはハイブリッド車の生産に必須とされていたが、レアアース不要の自動車用モーターもわが国で実用化されている。トヨタ自動車など11企業・団体は、レアアースを一切使わないモーター用磁石を研究する組織を発足、レアアース不要の自動車用モーター用の磁石を各社が相次いで開発している。

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 「EVシフト」は小資源のわが国にとっては厳しい問題が突き付けられているが、わが国には「窮しても何とか乗り切る」と言う産業界の技術力がある。
 途上国が生産力を高めている現在、わが国の産業が力を発揮する分野は高付加価値を持った先端技術部門中心と言うことになる。この分野ではレアアース・レアメタルは貴重であったが、徐々にであるがこの問題も先進技術で乗り切ろうとしている。

 レアアースは世界の供給量のうち90%以上を中国が占めており、中国はこれを戦略物質として見なしていた。我が国ではカザフスタン、インドからの輸入が軌道に乗り、中国への依存度を下げている。国内のレアアースの備蓄、リサイクルも始まっている。
 結果的に中国のレアアースは輸出が減少し、戦略物質としての目論みは完全に外れた。採掘現場は不況で厳しい状況に陥っているらしい。


12/3(日)降雨小雪寒波  レセプト点検終了 日直明け 
1:00起床、本読み、文献チェック、スクラップ化。5:00レセプト点検終了。9:00レガシー帰宅、入浴、スクラップ電子化、データ整理。11:00除雪機2台整備、稼動可能に。ダリア防寒処置、コンポスト新規設置。ガレージ落ち葉掃除、15:30過ぎると外仕事は厳しくなる。携帯缶にガソリン購入、眼鏡購入ほか。19;10夕食、20:30就寝。BRながら視聴:「題名のない音楽会:アジアの民族楽器」、「らららクラシック:バレー音楽」。歩数計Σ11658歩。寒波あり、今年は11/20から防寒靴、スキーウエア着用、昨年は未だったから今年は寒い。

少資源国日本2017(3) 自動車のEV化(3) レアアース厳しい現実
 わが国にとって「EVシフト」は、「ハイブリッド」の複雑なメカニズムを実用化して世界的に注目されたが、それにこだわった為に国を挙げて「EVシフト」を進める諸外国よりも大きく遅れをとってしまった。しかし、わが国の「ハイブリッド」関連技術はEVにも生かすことで、十分太刀打ち出来るとも考えられる。

 しかし、わが国の「EVシフト」は別な重大な問題に直面する。
 それは、レアメタル・レアアースの問題である。

 2010年9月尖閣諸島漁船逮捕事件を契機に中国はわが国に対してレアアース・レアメタル輸出禁止措置をとった。私はこの漁船衝突事件は中国政府の指令によって行われた、と考えているが、中国側による報復的なレアアース・レアメタル輸出禁止措置によって我が国の産業界には大きな衝撃が走った。

 私はレアアース・レアメタルの重要性については一応は知ってはいたが、この中国による日本向けの輸出禁止措置が出るまでこれほど逼迫している状況と知っていたわけではない。

 レアアース・レアメタルなど資源について調べてみた。

 ■ レアアース・レアメタルは、存在がレアである他に、産業界にとってはメタル中のビタミン剤と言われるほど重要な物質で、近年の物作りでは必須の成分である。
 ■ レアというのはどの程度か・・・?
 地球上に存在する物質を重量比では見ると、もっとも多いのは酸素で全物質の質量の約50%を占める。岩石の主成分であるケイ素がこれに続く。これに対して、光ディスク製造に必須で、原発の制御にも必須なジスプロシウムは0.004%、強力な磁石製造や携帯電話製造に必須なネオジムは僅かに0.0022%程度である。

 ■ わが国の資源自給率は悲惨な状況にある。
 石油99.6% 、天然ガス96%、石炭100%が輸入。日本のエネルギーの自給率は4%しかない。鉱物資源はほとんど輸入と言っていい。

 ■ 地球の埋蔵量はいつころまであるのか
 資源の埋蔵年限は、確認埋蔵量 / 年間使用料で決まる。
 石油40年、天然ガス70年、ウラン85年であるが、途上国を含め年間使用料が増えているからさらに短くなる。
 銀14年、金17年、銅36年、鉛26年、鉄120年、アンチモン13年、タングステン62年、ニッケル46年、クローム82年。これらの物質の使用の歴史は6000年程であるが、すべての資源があと100年ほどで枯渇する。

 ■ 値段はどう推移しているか
 2000年に比較して、原油2.7倍、ウラン8.4倍、ニッケル1.9倍、アンチモン2.9倍に上昇している。値段が高くなるということは入手困難になることを示している。


12/2(土) 略快晴、飯川病院午前外来・午後日直当直 
 1:00起床、新聞文献チェック、PDF化。8:15レガシーに冬囲いセット乗せて飯川病院に、9:00-12:00午前外来勤務。検食。12:30玄関ピロティのサツキに雪囲。13:45某診療所医来訪歓談、16:30外来レセプト点検。18:00検食、読書など。20:30就眠。ラジオ深夜便録音数篇。Σ6530歩。レガシーのバッテリー機能低下、注文した。メインテナンスに失敗。

本:「このあと どうしちゃおう」ヨシタケシンスケ著 ブロンズ新社(2)
本書は、死、極楽・地獄をテーマにえがいた絵本である。子ども向きではない、全年齢層向き。
 昭和30年代、貧しい農家の高齢者が自宅で死を迎えた。そのうちのホンの数人ではあるが、その様子を医師の祖父に連れられて垣間見た。

 当時の死はすべて自然死、静かな死であった。家族や親戚、隣近所の人たちがその時を待ちながら,患者や自分の死の時のことをしんみりと考えていたのだ。

 高齢者の自然死を通じて、死は決して恐れるものではない・・私は何も分からなかったが、印象としてはそんな感じだった。人生の終末に迎える静かな死、いいものだと思った。
 私の医療観はこのときにつくられた。だから、私は必要充分な診断・治療は行ったが、それでもいずれ患者に死期は来る。その判断のもとでは如何にスムーズに人生の最終コースに乗せるか、死戦期をいかに苦しくない状況にしてあげられるか、を最大の念頭に置いて来た。

 例えていえば、秋田空港を力強く離陸した旅客機が無事飛行したあと目的地の羽田空港滑走路にスムーズに着陸する様に、である。着陸しないですむ旅客機はない。私が先輩後輩の医療を通じて見た患者の死の姿は決してスムーズでなく、不時着、墜落、オーバーラン、空中爆発・・であった。
 当時の医療界全体が患者の死は医療の敗北で、いろんな手を用いて少しでも長く生かすべきといった考えがあって、心拍が停止するまで、時にはそのあとですら心臓に注射をうち、電気ショックをかけた。

 結局は自分の医療観にそった医療を求めて現在の病院に移ったが、臨死状態の患者の治療は似たようなものであった。さいわい、私は自身の人間性の問題があったためであろう、同僚から仲間としては受け入れられたとは言えなかったが、それだけ自分の医療観に沿った診療が出来た。臨死期になると対症療法しかしない私に対して同僚から「手抜き医療」と激しく非難された事もあった。

 人はいずれ死ぬ。結果が見えているのに患者を最後まで病気と闘わせる。そんな医療は正しいと思わない。患者は死の直前、30分ほどの安息期に入る。患者の呼吸・循環は一時的に安定し、表情も良くなり周囲の家族達と言葉を交わすこともある。この時期こそ死に向かって「患者が病気を受け入れ、戦うのをやめた」貴重な時間である。自然死に近い状態はこの時間が長い。この時間すら奪ってしまう医師が少なくない。

 当時は、一生懸命治療してくれた医師が喜ばれた。
 私の感覚から見ると家族と医師とで患者を生きながら地獄を味あわせていた、と思う。

 そんな感覚で患者の終末期を見てきた私にとって、私が自身の医療に納得するためにもこの本は素晴らしいと思う。

 もうひとつ、この本はおじいさんの死を通じて、孫が「生きている間にやりたいことがいっぱいある」ことに気づかされる、というくだりである。そう、いい死を迎えるという事はいい生き方をすることなのだ。死ぬ瞬間であわてて時間を伸ばしてももう遅いのだ。



12/1(金)寒波曇り小雪 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 0:30起床、本読み、医学文献チェック。なんとなく不調、微睡などでだらだら過ごす。
6:00家庭ゴミ集積所に。粉雪。7:30Taxi。8:10こまち。9:55ー12:15大曲外来。降雪あり病院間はタクシー。ダイソー木材、リストバンド購入。14:00飯川病院ボランティア。19:30タクシー、書店経由帰宅、夕食、21:20就眠。Σ7289歩。BRながら視聴:「そこまで言って委員会」、「世界が分かった」。

師走2017 もう師走、毎日をもっとゆったりと過ごしたいものだ
 師走である。
 この月はかつては多くの家で僧侶を家々に迎えて読経などの仏事を行ったため、師が東西に走り回る、と言った、年の暮れの往来の慌ただしさを絡めて、陽暦12月の異称として親しまれている。

 私はあまり好きでない。慌ただし過ぎるからである。

 私はかつては常に時間に追われて過ごしていた。毎日心の中では「忙しい」、「忙しい」と思いながら過ごしていた。実際に、現役の時のスケジュール表、この徒然日記の記載を見ると信じられないほどの業務をこなしていた。
 「忙しい」と言うことは「自分の心を亡くすこと」だ、と言われる。自覚はしていなかったが、私は「心を亡くしていた」、と思う。ここ数年、まだ時間に追われてはいるが、かなり自分を取り戻している。そうなると見えてくる分野も広くなる。
 オーバーにいえば何のために働いていたのか??とも思う。

 師走を迎えると世の中が喧騒になってくる。通勤路にはイルミネーション、街に出れば商店街がクリスマスセール、お歳暮セールと、目や耳にうるさい。お歳暮は今なら10%引きなどと世の中を煽っている。半ば新設、半ば脅迫である。
 新聞ひらけば折り込み広告がうるさい。ラジオ、TVも同様、商店街も「ジングルベル」。これからますます酷くなっていく。音楽雑誌をひらけば「第九」、「第九」の広告である。

 駅前のイルミネーション、評判は良いようであるが私はガックリくる。なんか、猿まわしの猿のごとく、ハムスターが必死に車輪を回しているがごとく、世の中が見えない力で踊らされている、と感じるからである。

 人間には、濃密でない時間があってもいい。とりたてて目的のない時間に自分を置く、そんな贅沢もたまにはいい。ほっとするし、すがすがしい感性が湧いて来て、私を刺激する。そんな人生良いと思うが、私はまだ初心者である。これからは時間を大切にすることは勿論であるが、お金で買えない豊かな時間を浪費していくことが最高の贅沢になる。

 病院の窓から、或いは帰路に太陽が沈むのをゆっくり眺めると、今ここに生きていることを実感する。
 かつて私は昇る朝日を見るのが好きだった。
 暗い夜がだんだんと明るくなり、山の端から強烈な光が現れる。その姿に、その日1日の希望を感じたり、何か前向きな気持ちを抱いてきた。
 一方で、最近は夕日も好きになった。
 丸い太陽がゆっくりと沈み、代わりに闇がやって来る。いよいよ今日一日のおわりを感じる。どんな一日であっても、とにかく終わっていく。間も無く休息の時間である。とにかくいい1日であった。まずは休むことにしよう。必ず次の新しい一日がやってくる。

 どうやら、沈む太陽を見ることは、時間が流れ続ける、という当たり前のことが感じとれ、今日一日が長い人生の中の貴重な一日であったことも自覚する。それはつまり、生きているということを意識するということでもある。

 今年の師走を迎えての感想である。「毎日をもっとゆっくりと」過ごす為に。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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