徒然日記
2017年11月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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11/30(木)曇夕方から降雪 外来 飯川病院 
0:30起床、本読み、徒然他。医学文献自炊、整理、廃棄。7:15バス通町徒歩で飯川病院着。8:45-13:00外来。微睡、14:00-17:50飯川病院、入院患者対応。19:02通町スーパー経由帰宅、夕食、20:30就寝、歩行計11829歩。ラジオ深夜便聞き直し数篇。

本:「このあと どうしちゃおう」ヨシタケシンスケ著 ブロンズ新社 2016年 1512円(1)
本書は、死、極楽・地獄をテーマにえがいた絵本である。
 私が死にそうになったときに孫達に見せてやりたいと思って購入した。マア、私の終活の一つ。

 私の兄を医師にしなかったことを悔やんだ祖父は、まだ小学校低学年の私に将来医師になるよう仕向けた。
 当時小学生であった私を祖父は時々往診に連れて行ってくれた。

 昭和30年代の頃の記憶である。当時、貧しい農家の高齢者が自宅で死を迎えた。そのうちのホンの数人ではあるが、その様子などを垣間見てきた。
 死期を迎えた患者は、座敷の中央に寝かされ、身近な数人が取り囲んでいた。居間や隣の部屋には家族や親戚、隣近所の人たちが静かにその時を待っている。そんな感じだった。誰しもその時を待ちながら,旅立とうとする患者や自分の死の時のことをしんみりと考えていたのだ。その場に酒があったのが理解出来なかったが・・・・。

 当時の死はすべて自然死であった。途中の経過は知る由もないが、意識も無い状態でむかえる静かな死であった。当時は口から水分や食事を摂れなくなったら、あとは痩けていくしかなかった。やがては脱水、電解質異常を来すことになるが、その結果,意識も徐々に落ちていく。自然がかけてくれる安息の為の麻酔である。あくまでも静かな死であった。
 その祖父も私が小学5年の時に自宅で死亡した。自然死であった。

 高齢者の自然死を通じて、死は決して恐れるものではない・・私は何も分からなかったが、印象としてはそんな感じだった。人生の終末に迎える静かな死、いいものだと思った。

 祖母は、私が「おまえが医学部に進学するのを見届ける迄は死ねない・・」、と口癖のごとくに言っていたが、私が新潟大学に進学した年に本当に死んでしまった。岩手医大に入院、点滴の日々で、高熱で苦しんだ、と言う。家族は短時間しか面会出来ず、私は駆けつけたが言葉を交わすことも無かった。祖母は決して勝利しない闘いの中に無理矢理組み込まれ、苦しみながらながら死を迎えた。

 祖父と祖母の死に時代の差を感じた。近代的医療を学んだ今も、幼少のころに感じた自然死の良さが頭から離れない。私の医療観の重要な位置を占めている。

 今後迎える我が国の多死社会において、高齢者の死について少しずつ変わりつつあるように思う。それでもやっぱりまだまだ不十分である。社会に対する「死の教育」というものはどのように行っていくべきであろうか。死に行くものが自己の中に確立しておくべき「死生観」、これが最も大事なものと思う。長い人生はその準備のためにあるのだ。

 そのような時代にもう一度、真正面に「死」を考えさせるこの絵本は、人生の締めくくりをあまり重く考えず、思わずフッと笑ってしまうような絵で、ユーモアの中に私どもを導いていく。


 11/29(水)降雨のち曇 飯川病院ボランティア 北朝鮮ICBM 日馬富士引退 
 12:30起床、文献新聞チェックPDF化など。北朝鮮ICBM発射。8:45家内に同乗、飯川病院監査のためのボランティア。外来対応など。12:30Satisfactionにてサラダセット。17:30通り町まで徒歩後バス帰宅して帰宅、データチェック。19:00夕食、20:30就眠。歩行計8016歩。ラジオ深夜便聞き直し。日馬富士引退。

少資源国日本2017(2) 自動車のEV化(2)  レアメタル・レアアース問題
 この「EVシフト」の背景には電池の性能向上やコスト低下といった技術革新が後押しする。EVではベンチャー企業の米テスラが台頭し、世界の主要メーカーも本格投入を急ぐ構えで、エンジンからモーターヘの移行が加速しようとしている。

 米国の一部の州や中国がEVなどのエコカーを普及させる政策を進めていたが、英仏が新たに2040年までにエンジン車の販売を禁止する方針を打ち出した。
 世界的な「EVシフト」の背景は、地球温暖化への意識の高まりだけではない。

 第一の理由は車の製造の簡略化で、既存の自動車メーカーに依存しないクルマ製造が可能になる。現に、掃除機で有名になったダイソンも車製造に進出してくる予定と言う。

 第二には、現状の発電システムでは発電所がCO2を大量に排出している。だから、現状のままで如何にEVを普及させたとしてもCO2排出量は減少せず、地球温暖化には寄与しない。ところが、「EVシフト」は現在の発電システムを根本から改善させる可能性を秘めている。
 再生可能エネルギーは太陽光や風力であるために発電が不安定である。この欠点を補うのに「EVシフト」が役立つ。EVカーは強力な蓄電池であるから、発電が不安定な時間帯には電力の供給源になる。昼に発電された電力を蓄電しておき、不足な夜間帯にはEVカーから電力の供給を受ける事によって再生可能エネルギーの安定化にも寄与することとなる。

 第三の理由は車の人工知能(AI)化である。情報通信の技術を武器に、米国のグーグルやアップルなどが自動車産業に挑む、という。

 この三つの道は日本の自動車業界に強く自己改革を追っている。
 日本車は燃費の良さや価格の手ごろさ、総合的な技術力で国際競争を生き抜いてきたが、今後はこうした強みを発揮しにくくなる。
 一方、個別企業では対応しきれない課題もある。EVや充電設備の普及は当面、補助金など政策支援がカギになる。

 わが国にとって「EVシフト」は別な問題に直面する事となる。
 それは、レアメタル・レアアースはの問題である。

 2010年9月7日、尖閣諸島沖で中国漁船が海上保安庁の巡視船に体当たりした。石垣海上保安部は乗組員を逮捕し、石垣簡易裁判所は船長の拘留期間延長を認めたが、これに対し中国は種々の方法を用いて釈放を迫った。那覇地検検事は日中関係を考慮して・・と言って船長を釈放した。

 この事件を契機に中国はレアアース・レアメタル輸出禁止措置をとった。中国側による一方的な輸出禁止措置によって産業界には大きな衝撃が走った。
 ついに少資源国日本に対して、資源取引が武器化してしまった。レアアース・レアメタルはわが国にはほとんど埋蔵されていない。わが国は大きな問題を突きつけられた。これは今でも変わっていない。
 「EVシフト」はわが国にとっては厳しい変革となる。

最近発射された北朝鮮のミサイルとは異質の,新たな脅威となった。

 私はレアアース・レアメタルの重要性については一応は知ってはいたが、この中国による日本向けの輸出禁止措置が出るまでこれほど逼迫している状況を知っていたわけではない。

 資源が乏しいわが国にとって原料を輸入して付加価値を付けて輸出することで経済が成り立っている。しかし、製造業分野では途上国が生産の実力を付けてきており,わが国の産業もかなりの部分途上国で生産するようになった。国内で生産が成り立つ分野は高付加価値を持った先端技術部門中心と言うことになる。この分野ではレアアース・レアメタルは貴重である。これらに関してはわが国には殆ど埋蔵が無く少資源国より乏資源国と言うべき状態である。

 同じように,諸外国に頼っている物品や資源は多い。水・食料、エネルギー,鉱物資源、木材・・など枚挙に困難しない。これらも世界中で潤沢にあるわけではない。各国の国内事情、外交上の問題などから輸入が滞る可能性はいくらでもありうる。その時、わが国の国民生活、産業は大きなダメージを受ける事になる。現に、原発事故で電力事情が逼迫している上に、米国のイラン制裁への同調することで原油の輸入が1割ほど減る可能性があり、これも不安のもとになっている。食糧事情が逼迫した時、生産国は自国民のことを第一に考えるのは当然である。

 わが国は少資源国である。私共の生活や産業は実に脆い基盤の上に成り立っている。政治が,外交が、国民の生活様式が少資源国としてこのままで良いのか,と思う。海外から潤沢に入ってくる時代は終わるし、国家間で獲得を競い合えば価格は暴騰する。わが国はもっと省資源国として変わらなくて良いのだろうか。新年を迎えその感を強くしている。


11/28(火)晴 外来 飯川病院  プリ・フィットタイヤ交換
 0:30起床、筋ケイレンあり服薬。文献新聞チェックPDF化など。文献整理など。6:00可燃ゴミ提出。7:10バス通町徒歩飯川病院着、8:45-13:00中通病院外来。13:45飯川病院、入院患者対応。14:00 -16:40外出、自宅にてプリ・フィットタイヤ交換。19:00薬局書店経由帰宅、夕食、20:30就寝。歩行計Σ11829歩。昨年飯川病院トイレで転倒。

少資源国日本2017(1) 自動車のEV化(1) HVにこだわりEV化に遅れた日本
 自動車が1世紀の歴史の結果、大気汚染等の悪き作用が前面に出て大変革の時代を迎えようとしている。

■地球温暖化対策への意識が高まってきた。
■英仏が新たに2040年までにエンジン車の販売を禁止する方針を打ち出した。
■ガソリンなどの化石燃料を用いるエンジン車からEVが次世代エコカーの本命候補になりつつある。
■EVはエンジンからモーターへのシフトであるが、電池、モーター共に希少元素レアアース・レアメタルを欠いてはできない。我が国は資源的には厳しい状況にある。通常の金属も少ないが、希少元素はほぼすべて輸入に頼らざるをえない。この点で劣性である。
■自動運転の技術も急速に進化し、遠くない将来、操作がほとんどいらないクルマが登場するかもしれない。

 自動車は全世界的に人々の暮らしを支えてきた。文明文化の発達に及ぼした恩恵は計り知れない。公共の交通機関が普及していない地域でのクルマの重要性は論を待たない。

 自動車産業は日本経済を支えてきた。
 「EVシフト」は社会に大きな変化が生じそうだ。クルマの「EVシフト」によって車の構造が簡素化され、エレクトロニクス関連会社などが比較的簡単にクルマを作れるようになる。米国で台頭しつつあるテスラ社は本来は電池メーカーである。

 比較的先端を走っていた日本の自動車産業は複雑なハイブリッド車の技術を確立して注目されているが、逆にそれにこだわり過ぎて「EVシフト」に乗り遅れてしまったようだ。今後は、民間企業などが競争を通じて創意工夫を重ね、行政はインフラやルールの整備で後押しするという基本を忘れずに、進めていかなければならない。

 「EVシフト」を目論んで日本の自動車産業は再編が進む。
 トヨタはマツダと提携した。国内AIベンチヤーヘの多額の出資も発表し、自前主義へのこだわりを捨てて異業種との連携を急ぐ。ホンダがグーグル系企業と完全自動運転の共同研究で合意するなど、国境をまたぐ動きも広がる。


11/27(月)快晴 健康クリニック 飯川病院 
 1:30起床、文献・新聞など。いつものごとく。7:10バス通町徒歩飯川病院着。9:10-11:00健康クリニックドック12名。11:30飯川病院、本読み、微睡など、14:00-18:45勤務。入院患者処置+インフワクチン2名。18:00バス帰宅
19:00夕食、20:15就寝。ラジオ深夜便聞きなおし数題。歩行計Σ10283歩。昨年病院玄関先で転倒。

人の外見とアンチ工イジング(3) 現代に生きること自体アンチエイジング
 何でそんなにジジババたちが老いることを嫌い、加齢を拒絶する気持ちをもつのか、私は理解できない。

 私が担当する外来に通ってくる高齢者のかなりの方々は、男女共に白髪染めを用いている。大体、白髪を黒く染めるのに何で黒髪染めで無く白髪染めというんだ??ここからも疑問である。

 体型も年寄り的、顔も年寄り、動きも鈍い。なのに髪だけが黒々。これは異様である。単に見てくれだけが異様であるばかりで無く、白髪を隠して生きている不自然な姿のほうが良いと考えること自体が問題。禿げている方の方が自然である。

 人の最初の印象は見てくれで決まる、といっても年寄りなど誰も注目しない。高齢期の健康を維持するためには、そんな見てくれを考えるよりは運動習慣を保つこと、社会との接点を維持する事が重要である。

 若者支援や世代間交流が老化防止の秘訣であることは、数々の研究で明らかにされている。しかし、若者たちがそれを求めていない。ジジババの子育ての経験などまったく役に立たないどころか、下手に口をはさむと孫をはさんで世代間の確執が生じる。

 最近の高齢者は私の両親祖父母と比較すれば、総じて20年近く若くみえる。体力的にも10歳近く若返っている。現代に生きていること自体がアンチエイジングである。世の中には若返り、若さ維持をうたったサプリ、化粧品等があふれているがそんなのにお金をかける必要はない。体が許す範囲で動く事、これが最重要である。

 80歳代は、過度に自立を意識するが、残り少ない時間をおおらかに生きればいい。社会貢献など考えなくとも高齢者が自立している事自体が社会貢献である。

 エイジングの最終局面は「よい死」である。
 さまざまなことが選択可能になっている今、自分の死は長い人生を背景にした死生観にもとづき、自分でデザインすればいい。すれば、やがて向かえる死も静かに許容出来るのでは??

 文献として、出版社: ブロンズ新社刊、ヨシタケシンスケ著 「このあと どうしちゃおう」1512円、が参考になった。あの世、天国地獄に関する絵本であるが、線がホントに柔らかくて温かくて、子供からお年寄りまで楽しめる傑作だと思う。


11/26(日)早朝激しい雷雨 降雨曇り 飯川病院日直
 1:20起床、新聞チェック、医学論文読み,整理、PDF化。早朝激しい雷雨でパソコン電源切って待機。秋田空港停電で午前麻痺。8:38バス、9:05飯川病院着日直勤務。新聞スクラップ、ソファに読書灯つける、快適。午後は健康クリニックドックデータ整理14名分、微酔若干。19:00迎えあり帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計8264歩。昨年は除雪機2台整備、プリウスタイヤ交換。今年は悪天候で未。

人の外見とアンチエイジング(2) 加齢の否定は自身の人生を否定
 「エイジング」というのは「老い」である。「健やかな老い」などと訳されるが、「健やかな老い」などは無いのであって、私は「上手に老いる」と訳す方がいいと思う。

 よく外来とかで高齢者は「年はとりたくないものだ・・」とこぼす。
 これはあまりにも身勝手で、それは禁句。「人は生きている限り人に迷惑をかけ、食料・エネルギーを消費し環境を汚す。もし、本当に年をとりたくないと思っているなら、早く、消え去るしかない。生きている限り年はとる」とその度毎に諫め、逆に呆れられている。

 「年は取りたくない」と、若者が言うのなら分かるが、長く生きてしまった高齢者が言うのは良くない。若者なら「年を取らない」方法はいくらでもあるが、高齢者はもう戻れない。高齢者のその言葉は淋しさの裏にある甘えでしかない。

 私の講演歴は随分多かった。求められた演題の中で「アンチエイジング」は秋田ロータリークラブの設立記念大会を始めとして、東北老人クラブ連合会、中通病院の友の会、地域や町内会でも求められて何度も何度も講演した。10月の秋田ゾンタクラブの講演の一部にもこの事を取り上げた。

 何でそんなにジジババたちが老いることを嫌い拒絶する気持ちをもつのか、私は理解できない。

 今、国を挙げて悪き生活習慣の蓄積、すなわち加齢、老いのマイナス面をことさら強調し、世を挙げて健康な万年青年的?であるように「老いない、老いさせない社会」を作っていく方向にある。実にバカくさい、そんなことは不可能である。その背景には、老いを忌避し、老いて不健康な高齢者は社会にとってマイナスの存在として抹殺していく考え方があるように思える。
 これに、サプリメント、健康食品、健康器具業界が乗っている。医療関係者すらも。

 高齢者への扱いの推移を単語で表現すると「敬老」→「健老」→「軽老」→「嫌老」→「棄老」。今社会をあげてこの流れの上にいるのではないか?最近は高齢者が亡くなる時に息子や孫達が駆けつけてくることは少なくなった。家庭内でも「棄老」がすすんでいる。
 いつまでも若くありたい、とは私は思わない。誰もが年齢を重ね、老いていく。馬齢であろうととなかろうと同じであって、行き着く先も同じ。加齢を否定する事は自分自身の人生を否定することになる。

 少子高齢化が深刻さを増している現在、元気な高齢者は、支えられる側から支える側へ回って貰おうという考え方もあるがそんな必要はない。若い人たちのお荷物にならなければいい。今更、社会貢献など要らない。
 高齢者にとっては、何よりも自分の生活を自ら律すること、そして、残った機能を生かして生活を楽しむ姿勢が求められる。


11/25(土)小雪曇 外仕事中心冬支度他 飯川病院ボランティア
0:30起床。いつもの如く資料整理中心。読書。午前は座学中心.午後はホテル大和にプリとりに。車の冬支度、ガレージの整頓、15:30-19:00飯川病院ボランティア、当直医業務一次代行。迎えあり帰宅、19:30夕食、21:30就寝。歩数計5870歩。

人の外見とアンチエイジング(1) 最初の印象は見てくれで決まる
 私は、だらしない格好しているのが好きである。肩を張らずに済むから楽である。私は装うことによるメリットを感じとれない。

 現役のときに、「立場に相応しい格好していないと相手に失礼」と同僚から厳しく注意を受けた。なるほどその通りと納得して、その後は身ぎれいにしてして過ごしていたが、実につらかった。

 いまは気楽な嘱託医の立場である。髪はぼうぼう、髭は伸ばしっぱなしである。
 中通総合病院の外来は一応マトモなスボンと半袖のYシャツを着用して診療する。大曲中通病院ではスポーツウエアで、飯川病院では院長がわたしの格好を嫌悪しているようだ。「患者が去っていきます・・・」とまで言われている。だから、私が過去に診たことのある患者か否かで装いを変えて診療する。

 しかし、やっぱり貧相なのであろう。ときおり患者に不快な感じを与えたのではないか、と感じる事もある。その分、コミュニケーションを充分とる事でカバーしている。
 人物評価の最初の関門は見た目、と言うのは正しい。それでも、私の装いは評価は低いが、身の丈に合った自然体に近い、と自賛している。

 よその方々は、ちょっと姿かたちへの意識が過剰ではないか??しかし、各人は他人、ナントしようと勝手である。

 米国の女性誌「アルーア」の編集長が今年8月、もう「アンチ工イジングという言葉は使わない」と宣言した。同誌は美容特集などで知られる米国の代表的な月刊誌。
 同誌の編集長は「アンチエイジング」という言葉によって、「加齢とは戦わなくてはならないもの」というメッセージを強めた、と指摘。「美しさとは若者だけのものではない」、「彼女は年のわりにはきれいに見える」ではなく、ただ「あなたは素敵だ、と言ってみてほしい」と呼ぴかけた。なかなか良いことをいったじゃないか。
 年齢を重ねることを否定的にとらえる米国の風潮や美容業界のあり方に、一石を投じ、若く見せることとに価値を置きがちなファッション業界や美容業界へ再考を促した。

 「アンチエイジング」という言葉はわが国でも美容業界、ファッション業界、加えてサプリメントなどの業界などで広く使われている。私は「アンチエイジング」という言葉は嫌いで、事前の摂理に反する馬鹿げたことと考えている。あえて言うなら、私は自然に老いる、「ウイズエイジング」がいいと思う。

 米国の女性誌「アルーア」の宣言は日本にも影響を与えて欲しい。
 私は化粧品は、まあ別として、効果の乏しい、あるは効果の無いサプリメント、健康食品などが飛ぶように売れている現実をちょっと問題だと考えているので、この動きは歓迎である。


11/24(金)曇り寒波小雪 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床、新聞文献チェックPDF化、徒然他。6:00可燃ゴミ出し。7:30Taxi駅に、大曲は降雪。9:00-12:15大曲中通病院外来、往復Taxi、秋田駅→健康クリニック→飯川にドック資料。13:45飯川病院ボランティア。秋銀来訪、出張散髪。 18:50Taxi帰宅、19:00夕食、20:30就寝。歩数計12097歩。

人口減問題を考える2017(4) 人口減は国を亡ぼす のこる手段は?
 日本は人口減少を静かに、抗わずに受け入れている国家、としか言いようが無い。このような重要な選択が国の方針として国民に提起された事はあるのだろうか??私は不勉強にして知らないが、無かったと思う。
 
 もはや日本は人口増による国力を追求しない、国の将来を自然衰退、自然消滅の道にゆだねた国だ、と言うことが出来る。

 人口減の影響は何処に出るのだろうか。全ての分野に影響がでるから枚挙すること自体に無理があるが、思いつくままに上げてみる。
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第一、第二、第三次産業衰退 食品・エネ・農林酪農確保困難
社会保障(医療・福祉・介護 年金) の劣化、維持困難
国の税収減少 企業力低下 経済力の落ち込み 国防等の軍事力
教育の衰退 文化活動一般 科学 環境 災害一般と対応 
経済 労働の場の衰退 リストラ化 世界経済の中の立場の維持 
貿易 エネルギー確保 希金属等の資源確保 国際協調 貧困
警察・事件など治安関係の維持 スポーツ衰退 
・・・・・
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 要するに、人口減は全国民が影響を受ける。
 しかしながら、政治経済を始め、企業人、教育者などから人口減の問題点が声高に主張されたこともない。

 たとえば、日本の国防一つをとってみても大丈夫か?と思う。
 人口が減り、その半分が50歳以上に達したヨボヨボの国が、軍事的存在惑を維持出来るとは考えられない。対して、周辺国はワカモノがウジャウジャいる。

 若者が減少し、雇用も不安定になってく中で、組織としての金融業など、銀行や生命保険会社等はどう生き延びるのか?
 顧客から預かった資金を貸し出す先が企業力の低迷で無くなっている。活力が残っている米国やオーストラリアに投資して何とか凌いでいる状況である。金融業に夢はあるのか?

 住宅は住む人が少なくなり空家が目立つ。手放したくとも売れない。にもかかわらず、若者は住宅を新築している。わが国の不動産神話は根強いが、長期ローンで支払った総額の1/2-1/3程度の資産価値しか残らないだろう。多分。土地と住宅は負動産化している。
 
 私は医療職にあるから、「医療福祉の分野」、更に間口を広げると「社会保障の分野」を通じて人口問題は無関心ではいられなかった。
 しかし、日本では人口問題は語るためのテーマであって、対策を考えるような重大なテーマにはなり得ていないように感じてしまう。

 人口再生産可能人口、要するに若者達がこれほど減少した今となっては、出生率が今の2-3倍に上昇したとしても人口増加に結び付かない。

 ならばどうするの??

 私は、移民を受け入れることしかないように思う。


11/23(木)勤労感謝の日 寒波と小雨終日 
 1:00 起床、文献処理、徒然。本日は秋日座学、各種作業。文献読み中心、データ処理。12:30-14:00微睡。午後はBlu-rayながら視聴:「NHK音楽祭2017」、「らららクラシック:ジャズピアニスト」、「題名の無い音楽界」、「ぶらぶら美術:京都」、19:00夕食後、20:50就寝。歩数計2377歩!!! 少なくて驚く。計測上最低記録か??

人口減問題を考える2017(3) わが国の人口問題は語るだけで具体策無し
 日本人は従来の延長線上でのみ物を考える。中々抜本的な考え方に至らない。

 人口減問題は日本にとって危機的問題だと思うが、語るだけで具体策は無きに等しい。

 その結果、人口は2010年以降、減り始めている。減っているだけでなく、少子化・高齢化を伴っている。しかし、危機意識がほとんどない。

 各自治体の人口減少はさらに顕著である。秋田などその最たるもので県の人口は10万人を切った。高齢化も日本一、出生率も最低、厳しい状況にある。しかし、県や県知事には重大問題だとの認識を感じとれない。
 各自治体は、都会からのUターン、Iターンを奨励しているけれど、都会との間でやりとりしていても人口問題にはなんら寄与しない。

 日本は明らかに人口減少を受け入れている、としか言いようが無い。
 人口減少を受け入れる国というのは、もはや国力を追求しようとしない、自然衰退、自然消滅の道にゆだねた国だ、と言うことが出来る。

 日本の人口の推移はかなり前に描かれたとおりの曲線を辿っている。当然である。人口問題はかなり前から指摘されてきたが、何ら対策して来なかったから推定どおりの経過をたどるのは当然である。

 出生率低下問題、人口減問題は個々人を含む社会全体の問題であるが、個々人には関心があっても対策のしようが無い。これは政治家と、学者の仕事である。

 政治家は当面の問題だけで、自分の当選の事とか派閥の立場でしかモノを考えず、日本の将来を論じる程の力は無い。この一年の政治活動、野党の動きをみれば、一体彼らは何を考えているのか?と疑問をもつ。
 学者は理屈だけは述べている。学者にはかなりの経費を払っているはずだが、こんなに役立たないものなのか??

 日本は、人口動態の問題を解決方法として諸外国で昔からのとりいれている大規模な移民に頼ることを拒んでいる。

 完全に島国根性である。今までは島国てあった事が良い面で生きて来たと思う。 
 それを背景に、日本は国力を維持するより、自分であり続けること、日本人による純血主義の国家で居続ける事を選んだ。

 それは何を意味するのか。結論は、一方的衰退の道だけである。

 先進国の衰退は国際的にみて自然の理ではあるのだが、先進国と右肩上がりの途上国の間のズレは無視できない問題を生じてくる。中国の台頭と発言力の向上、日本の守成傾向はその一つである。米州の関係も変わってきた。

 例えば食糧問題では、先進国の食糧の生産は減少して来るが、途上国はまだ余裕あるがそろそろ生産量に限界が見えてくる。そうなると奪い合いとなるが、食糧は持っている方が絶対的につよい。武器と同じ意味を持ってくる。

 部門部門では外国人の助けを借りて来ている。これらの部門は日本の将来の縮図と言えよう。
 そのもっとも顕著なのは角界である。あれほど伝統に拘る角界が外国人力士を導入した事は今となっても驚きでありが、いまの隆盛は外国人力士の活躍の結果である。もし純血主義に拘っていたら、いまの隆盛は無いだろう。それなのに、まだ純血主義のなごりは深く残っている。

 介護部門の労働力不足を補う為に外国人スタッフの導入について、多少の取り組みは始めている。 


11/22(水)寒波 曇り 飯川病院ボランティア インフワクチン接種
0:30 起床、新聞・文献読みとPDF化、他諸々。本日幼稚園発表会。終日飯川病院ボランティア。午前は外来入院患者対応。ラジオ深夜便聴き直し。18:30プリ帰宅。19:30夕食、20:45就寝。歩数計8389歩。昨年夕方にiPhone7プラス入手。

人口減問題を考える2017(2) わが国の人口問題の推移(2) ベビーブーム以降現在まで
??日本は高度成長期を迎え、国民全体が経済的に余裕が生じた。家庭内の人間関係に変化しより孤立性となる。子供は高校進学が当たり前となり、家庭内での労働力として当てにならなくなったし、家の手伝いもしなくなった。子供の養育期間は18-19年程度。

??子育ては夫婦単独で、主に母親が担う。社会資源が乏しい中、妊娠・出産・子育、教育を含め、女性・母親の負担が増大。成長とともに教育費の負担が増大した。大学進学率は高まり、塾や予備校も含め教育費は子育て費用の中心となる。子供は1-2人程度。教育費の一部にするために母親がパート勤務などに。出生率は1.3程度で改善なし。
 子供一人あたりの養育期間は22−24年程度。

??子供は結婚を機に親と別居。家庭が持っていた養育・介護、世代間の生活協力等の機能が崩壊。子供から親に対する経済的援助は期待できず。
 親にとって子育ては無償の労となった。

??日本経済は低迷。アベノミクスで一見持ちこたえているが、長期的には低成長時代を迎える。低成長時代の背景には少子・高齢化があり、子育てにも当然影響を与える。

??この少子・高齢化の現実は事実であり、文明がもたらす自然の摂理であり疑問を抱く余地はない。時代が悪い、世の中がおかしい、と言っても仕方がない。まず。現実を認め対策を考える必要がある。

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 日本の将来に向けての国力を維持するには人口減問題にどう対処するかにかかっていた。人口問題に詳しい有識者達は数十年も前から将来の日本の姿を予想し、主張していた。

 しかし、その声は小さく時の政治家達には伝わらなかった。
 日本は右肩上がりの成長をなしとげ、経済的・物質的豊かさを享受して来たが、バブル崩壊を機に景気が悪化した。この背景因子に少子・高齢化がからんでいたのにその自覚はとぼしかった。子育て世代に対する社会保障の重要性が認識されて、視点を移し始めたのはここ1-2年である。
 特に来年度の予算編成にその特徴はみられる。子育てに、教育に対する論議を読んでいる。
 しかし、日本人の日本人による人口維持能力は、出産可能女性の絶対数が減少してしまった今となっては、すでにその機会は失ってしまった。

 改善策は、移民に対する捉え方にかかわっている。
 これが、島国日本の文化にとってなかなか踏み切れない問題であるが、忌避してはいられない。


11/21(火)曇り小雪寒い 外来 飯川病院 積雪5cm
 0:30起床。新聞・文献読みとPDF化、本読み、他諸々。5:30可燃ゴミ出し。レガシー動かす。積雪5cm湿った雪。7:10バス飯川病院着。8:45ー13:00外来+紹介状発行。13:20-18:30飯川病院。院長を公開MC中通に送り19:00帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計7682歩。

人口減問題を考える2017(1) わが国の人口問題の推移(1) ベビーブームまで
 国の人口が減少することは、文化・文明の進化がもたらす自然の姿である。さらに日本の場合、少子・高齢・人口減の三点セットで諸外国よりも深刻な問題なのに、そう深刻には考えられていない。
 
 国が出生率の目標値をあげたとしても「産む産まないを決めるのは個々人に任されるべきで政府が口を出すべき問題ではない」、という考えは近年では国際的にも定着した考えである。
 だから、こんな数値をあげても影響を受ける人はいない。参考になろうが、効果はない。
 出生率の目標値をあげることよりも、何で出生率が低下したのか、を考えなければ解決しない。

 私は、人口減は文明の自然の流れであり、流れに逆らうことはできない、と思う。例え、ドラスティックな環境整備をして、女性を保護し、妊婦、子育てを支援し、教育費を補助したとしても、解決しない問題だと思う。ましてや、今の日本はそんな対策はできない。だから、わが国はもはや人口増加は希み得ない。人口7000万人時代に見合う社会を構築する方がいい、と考えて来た。

 ただ、これは間違っていた、と思う。
 
 何で人は子供を産むのか?何で産まなくなったのか?人口問題はそこから考えなければならない。

 わが国の人口問題の推移を思いつくまま挙げてみる。
――――――――――――――――――-
??人類は生物としての繁殖能・種の保存能のもと、新生児多死を多産で乗り越え存続してきた。

??社会化と共に、種族・部族の維持繁栄のため多産傾向強まる。農耕文化の発展とともにマンパワーの必要度高まる。

??蓄財が始まり、貧富差が生じた。直系の血筋を重視する家族、家の概念が生じた。上層階級は血筋重視、下層階級は労働力としてマンパワーが必要となった。

??明治以降は富国強兵策を掲げ、国家の意図的な出産・育児・教育政策が画策され、人口が急激に増加した。農業生産力の増大、工業化による経済発展と国民の所得水準の向上と生活の安定、公衆衛生水準の向上等で、人口は増加の一途となった。

??国は、人口問題を抱え、将来は経済的に窮乏していくと考え、外に食料、エネルギーを求める大東亜共栄圏構想を打ち立てた。

??戦後、従来の価値観の否定と民主化があった。第一次ベビーブーム、朝鮮特需で急速に経済復興。

??ベビーブームによって生まれた子どもは10歳程度でも労働力となり家庭を支えた。中学卒業後は田舎から都会の工業地帯に大量就職した。日本経済を支え、仕送り等で田舎を潤した。この頃は子供が多い家庭ほど親にとって見返りがあった。子供一人あたりの養育期間は15年間程度と短かった。


11/20(月) 秋日小雪寒波 健康クリニックドック 飯川病院 
 0:45起床。文献・新聞等処理、蓄積データ処理。徒然。道路は冠雪少々。7:10バス飯川病院、新聞チェック、9:00-11:00健康クリニックドック14名。11:30飯川病院。新聞、医学論文チェック。14:00-17:45勤務。入院・外来患者対応若干。19:15帰宅、19:30夕食。 21:15就寝。歩数計6551歩。スキーウエア、手袋、上下ヒートテック着用、防寒靴今季初使用。

安倍首相の所信表明演説を読んで感じたこと
 11/18、安倍首相が所信表明演説を行った。第4次安倍内閣発足後初の所信表明。平成以降2番目の短さだったと言う。

 ■北朝鮮の核・ミサイル問題を解決する
 ■拉致問題を解決する
 ■米国抜きのTPPの早期発効を見据え、日本農業に対する十分な対策を講じる。
 ■衆院選で公約に掲げた経済政策や安全保障政策、憲法改正論議を確実に実行。

 北朝鮮問題をどう解決するのか。「北朝鮮に政策を変更させるため圧力を一層強化する」と述べたが、圧力の強化だけで良いのか、対話は求めないのか。近隣国の中国・韓国も対話の重要性を訴えている。共同歩調を取らないのか。米追従だけでいいのか?

 進展が見られない拉致問題に対し、トランプの関心を導いた点は評価するが、具体的な手だてがあるのか?

 TPP発効に伴う農業対策をどうするのか。政府は農家らが経営面で安心できる対策をまだ打ち出せていない。農業政策は防衛政策に匹敵する重要さであるのだが。

 財政再建はどうするのか。
 2019年10月に消費税を8%から10%への引き上げるが、一部を幼児教育無償化などに充てる方針になった。突然のバラマキ政策である。社会保障を高齢者中心から全年代に広げた事は評価するが、数十年前から言われていた事を今年まで放置してきた自民党の責任をどう総括するのか。これに伴い20年度にプライマリーバランスを黒字化するとしていた政府の財政再建目標の達成は不可能となり、財政健全化の道は大きく後退する。にもかかわらず、「財政健全化を確実に実現する」と述べている。どう進めるのか? 

 首相は「安定的な政治基盤の下で政策をひたすら実行する。これが総選挙で示された国民の総意だ」とも語り選挙で政権基盤を固めた自信をうかがわせた。選挙で勝利したとは言え、偶然生じた野党の混乱で浮上したにすぎないのに、その反省は乏しい。

 今回の所信表明演説は、北朝鮮と少子化対策を2本柱に据えた。所信表明で森友、加計問題には触れなかった。首相にとっては過去の問題となったようだ。

 首相は、今回は国民の目先をごまかす様な「人つくり革命」を打ち上げた。
 「地方創生策」は消えたのか?「一億総活躍社会」の構築はどうなった? 
 今回の目玉は「人つくり革命」である。一つ一つ総括も無しに新たな政策を打ち立てる。いつものことだが、どうなっているんだろうか。

 少子高齢化対策は日本の将来を決める重要な政策であるのに、諦めたのか。少子高齢化対策に具体的進展が無ければ国のパワーは甦らない。


11/19(日)小雪寒波終日 飯川病院のボランティア 
 0:30飯川病院で起床.医学論文読み,蓄積データー整理。健康クリニックドック判定終了。7:00検食、9:00レガシー帰宅。外作業など不可能、座学、データ整理他。NHKのど自慢楽しむ。14:45飯川病院のボランティア、入院患者対応。18:00帰宅、19:00夕食、21:00就寝。歩数計Σ4615歩、ほとんど室内だけ。

ひやみこき病(3) 私はうつ病か? いや違う
 かつては、私にとって大きな意義を占めていた演奏会に出かけなくなって来たのは、音楽に対する姿勢が変わったのではなく、単に人混みが嫌になっただけである。

 演奏会の前日の夜あたりから、気分が滅入ってくる。かつての様に心が弾まない。どうしてこんなコンサートのチケットを購入したのかなどど考え、なんともいえぬウツウツとした沈んだ気分になる。
 別に時間に窮しているわけではない、気に病むことがあるわけではない、気に入らないことが重なっているといったこともない。要するにめんどうなのだ。出来ることなら、このままじっとして出掛けず、私の好きな環境の中で好きな事に集中していたい、ということ。

 こんな気持を綴ると「うつ病」か??と思うこともないわけではない。初老期うつ病の好発年齢でもある。
 自分では、今のところ「うつ病」ではないと思っているが、先々どうなるか分からないから、実の事は分からない。

 全体的に「おっくう感」はあるが、年間を通して日付けが変わった直後に起きだし、一人静かに書を読み、思索を巡らし、新しい情報・知識を求める。この姿勢は全然衰えていない。いや、むしろ興味の範囲や深さが増してきている。とにかく本を読みたい。自分では作ることはないが、短歌・俳句の世界にも興味広がってきた。
 頭を休めるために、充電のつもりで時折微睡をとるが、惰眠を貪る事はない。

 老いとともに社会的のけ者になるのは自然の理である。私は「終わった人」と自らを評価し、その道を自ら求めている。
 ともあれ人を避け、引きこもることにしよう。

 私は生きている人よりも死者を好む。生きている人はこわい。
 私はとても視力が悪くなった。眼鏡なしでは1?2m離れた人の顔は正確には判別出来ない。人がいる事は分かるが誰だか認識出来ない。この焦点が合わない視野で暮らすのはとても快適である。個人個人を識別できないのは、すべてが他人と同じだから実に気楽である。

 ひやみこき病は若い人がかかると問題であるが、幸いなことにそのようなケースは少ないと思われる。齢とともに疾患率が高まって来る。私の場合、現役引退のときから始まり、老いとともにだんだんひどくなってきた。今はもうひやみこきを楽しんでいる状態である。


11/18(土)終日降雨 飯川病院日当直  
2:45起床。寝過ごした。新聞・文献PDF化。各種の録音資料再検討。11:30レガシー、給油と空気圧チェック後、12:00飯川病院着、日当直に就く。木曜遣り残しの健康クリニックドック判定半分処理。新聞チェック、Blu-rayながら視聴はディスク読み込まず。ラジオ深夜便録音たのしむ。入院患者対応3名の他は読書微睡三昧。18:30検食、定時には来なかった。忘れていた??21:00就寝。歩数計Σ5408歩。ほとんど部屋に籠りきり。

ひやみこき病(2) 音楽会がおっくうになった
 「ひやみこき病」という病気があるとすれば、ここ数年前から私はそれに罹患してしまったらしい。勿論、正式な医学用語には無い病名である。「ひやみこき」というのは秋田弁で怠け者、めんどうくさがり者、と言う事。
 標準語では「おっくう」に相当するだろう。漢字では億劫と書く。「新明解国語辞典」には「手足や頭を働かせることがめんどうな様子」とある。気か向かない、めんどくさい、と言う事である。

 今月7日、私は午前中業務をズル休みした。
 ひやみこき病(1) ズル休み

 ズル休みの願望自体はかなり前からあったが、実行にうつしたのは今回が初めてである。その日は午後には飯川病院の勤務があるので時間的には大した休暇にはならなかった。しかし、こう言うズル休みの願望・発想を実行に移したことに、私にとっては大きな意義があった、と思う。一つのハードルを越えた。これからはもっと気軽にずる休みできるようになる、と思うとなんか楽しい。

 こう言う発想はいつからなのだろうか。
 私は、外来の業務は余り好まない。今も続けているが、患者と交わす会話が徐々に億劫になってきた、と言うこと。予約が混雑している日など逃げたくなるが、責任上実行不可能である。

 一番顕著な様変わりは大好きだった音楽関連の分野の変化だ、と思う。
 現役のときは、乏しい時間をやりくりして音楽関係のスケジュール、とくに各種の演奏会には積極的に出掛けていた。当時は、興味ある演奏会がある時は東京にまで出掛けていた。チケットを手に入れたときはその日を迎えるのがたのしみだった。

 今は時間的には余裕がある。しかしながら、かつて燃えたような、世界の一流歌劇場の引っ越し公演、オーケストラの演奏会の広告、予告をみてもチケットを入手する気にもならない。
 秋田の2-3の団体からはいまでも招待券などが送られて来る。前はほぼ皆勤していたが、今はあまり行く気にもならない。演奏会に行くなど大した努力も要さない。身支度をして、定刻に出かけて座っていればいいのに、である。

 出掛ける労力はイヤでない。むしろ、その機会を活かして歩く事ができる。
 何が私を音楽会から遠ざけたのか、と言うと人ごみの中に出かけていくこと自体が嫌なのだ、と気付いた。真面目に考えてもしょうがないのだが、人混みに出かけるのはもともと嫌だったが、それでも音楽会にはでかけていた。今は何の因果で、嫌な人混みの中に出かけていかねばならないのか??と言う疑問が生じてきたからである。

 私にとっては演奏会に出掛けることは一生続く趣味の一つだろうと思っていた。それを嫌うようになった。ただ救いは、私にとって大きな意義を占めていた演奏会を避けるようになって来たのは、音楽そのものに対する姿勢が変わったのではなく、単に人混みが嫌になっただけだった。
 音楽に対する興味に、考え方に大きな変化が無いことは、これは救いでもある。


11/17(金)晴夕方から寒波 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 2:00起床.新聞、文献PDF化、読書。徒然他何時もの如く。5:30可燃ゴミ提出、7:30Taxi駅に、8:10こまち、9:10-12:10大曲中通病院外来。片道徒歩。13:30-19:00飯川病院ボランティア。19:00書店経由帰宅、夕食。21:00イスで仮眠、11:00就寝。歩数計Σ9318歩。家内高熱で不調。

座間の9遺体事件(3) 動機は死刑願望か
 座間の9遺体事件で白石容疑者(27)を理解するために新聞記事から時間経過を追ってみた。
 
 容疑者は現場の近くで生まれ育った。幼少期を知る人物は少年時代の印象と衝撃的な事件との落差に驚いた、という。容疑者を幼いころから知る男性は、おとなしく、近所づきあいもできる子だった、と述べている。
 この様な凶悪犯の人物像として、常に言われる、いわゆる「いい子」、「優しい子」、「影の薄い子」・・と、当容疑者も同じである。

 容疑者は高校卒業後の足取りは明らかになっていないが、最近は歌舞伎町周辺でキャバクラや風俗店のスカウトをしていた。今年2月に、売春させると知りながら女性を風俗店に紹介したなどとして逮捕され、本年5月に職業安定法違反で懲役1年2ケ月、執行猶予3年の判決を受け、6月に確定していた。この頃、父親に対して「何のために生きているかわからない」などと漏らしていた、という。  

 3月に保釈されて実家に戻ったが、そのころからツイツターに自殺に関する投稿を始め、女性達とやりとりをしていた。

 8月22日現場のアパートに入居し、同日に「死にたい」というアカウントを、9月15日には別の「首降り士」をそれぞれ開設した。自殺をほのめかすような内容の投稿を繰り返し、投稿に反応した女性達、人生に悲観的な想いを抱いて投稿をしている女性達に「一緒に死のう」などとメッセージを送り、自宅に誘っていた。

 10月中旬に、関東地方の女性に「数やってるから死刑になるだろう」などと、複数の殺害をツイッターでほめかしていた。

 10月下旬には「もう3ヵ月経った。捕まらないものだと思った」、「逮捕された場合は拘置所で小説を書く」などとも記していた。

 10月30日に容疑者の跡をつけた捜査員が自宅を訪れた。容疑者は覚悟が出来ていたのか素直に解錠、失踪女性の居場所を問われ、クーラーボックスの中とすらすら供述した、という。

 容疑者は今年2月の逮捕、判決後に生きかたを変えた?のではないか、と思われる。
 自身の自殺願望については誘いの言葉としてツイッターで述べているが、実際にはウソだろう。自殺願望者がこんな複雑で手の掛かる犯罪を続けることはなかろう。

 この事件の動機は、生活の為とか性的欲求の為、と応えているらしいが、一人の男性を除き、非力と思われる若い女性達のみをねらっている。部屋に招き入れた後それほど時間を置かずに殺害している。10代、20代の若い被害者たちから高額の金をせしめたとは考えられない。

 要するに動機があいまいである。自分が犯した罪は死刑に相当するであろう事を認識して、そのうえで次々と殺人を重ねて来た。
 私は、容疑者は「死にたい願望」、「死刑願望」があり、その為に殺人を繰り返していたのではないか、と推論している。


11/16(木) 小雨のち晴れ 外来 飯川病院
 0:30起床、新聞、文献PDF化など。7:10バス飯川病院着。8:45-13:20外来+人間ドック判定一部のみ。14:00-18:45飯川病院、入院患者対応+インフワク5名。19:00帰宅、夕食、21:10就寝。歩数計Σ7161歩。Blu-rayながら視聴なし。

座間の9遺体事件(2) わたしが抱いた疑問点
 神奈川県座間市のアパートの一室で、9人の切断遺体が見つかった。徐々に事件の概要が明らかになってきたが、何とも理解出来ない事件である。
 私はこんなこともあるのか、と疑問と驚きだらけである。

■近隣の住民は、容疑者の部屋の換気扇が常に回っており、異臭を感じていたらしいが、そのほかには異常を感じていなかった。
■アパートの部屋は2階中央部にあり、同じ階に住民もいる。自殺願望あるといえ、男性一人を含め、健康な8人の女性を人に知られないよう、音をたてずに殺害できるものか。
■自殺願望あったといえ、真意は分からない。自殺願望はゆれ動く。本当に死にたい人はいなかった?
■最終的にはかなり抵抗すると思われるが、悲鳴、異音等は聴かれていない。
■階下住人にも知られぬよう、どの様にして、静かに殺害したのか。
■意識をおとした状態でロフトに吊したのか。
■死体を解体は困難な作業のはずだが・・・。
■8月下旬からの犯行で、死体は時間が経っているのもある。かなりの異臭を発するはずだが、臭い処理はどうしたのか。
■部屋に招き入れたらしいが、被害者は部屋の臭気など異常を感じなかったのか。捜査員は異臭がした、と言う。
■遺体はクーラーボックス、大型の収納箱にいれたとしても少ない。少しずつ廃棄していたのか。
■被害者の遺品は少ないが、どう処理したのか。
■容疑者はツイッター、SNS交信から特定される可能性を知らなかったのか。
■被害者の失踪捜索願いなど少ない。
■協力者に待ち合わせてもらい、捜査員がアパートまで追跡した。おとり捜査?
■容疑者は職業安定法違反で本年5月懲役1年2ケ月、執行猶予3年の判決を受けているが、フォローされていなかったのか。
■容疑者は捜査が及ぶことに覚悟が出来ていたのか。素直に解錠、すらすら供述?
■容疑者は逮捕、判決後に生きかたを変えた?自身の自殺願望はウソだが、死刑願望はあるのでは?
■個人特定はDNAで、確定したらしい。
■殺害方法の特定、死因特定は困難か?供述が重要。

 まだまだあるが、考えるだけでつらい。


11/15 (水)小雨 やや寒い 飯川病院ボランティア
1:00起床、文献チェック。徒然他。録音データ整理など。12:30雨でレガシー病院着、飯川病院ボランティア。雨中、雪に備え外のハイビスカス剪定、リハビリ室に移動。Blu-rayながら視聴:「@@@:@@@@」。18:40帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計10543歩。

座間の9遺体事件(1) 不可解な事件だ
 神奈川県座間市のアパートの一室で、クーラーポツクスなどから切断された9人の遺体の一部が見つかった。10月31日から新聞に報道されたが、なかなか理解出来ない事件である。

 八王子市の女性(23)が10月下旬から行方不明になり、捜索願いをうけた警視庁が捜していた。31日に神奈川県座間市のアパートに住む職業不詳の白石容疑者(27)を死体遺棄容疑で逮捕し、発表した。 
  
 白石容疑者は8月22日に転居してきた。
 供述のなかで、「全員、転居後に殺し、自宅で死体を解体してクーラーボックスに入れた。証拠隠滅の目的でやった。インターネットで自殺についてやりとりして呼び寄せた人もいた。金銭やわいせつ目的だった、多くて50万円ほど奪った」などと話している。

 警視庁によると、白石容疑者は8月22日から10月30日に渡って自宅アパートで9人を殺害、浴室で遺体を解体した。室内にはクーラーボックスが3ケ、大型の収納箱が5ケ見つかり、9人の頭部のほか、足や腕などが大量に見つかった。

 遺体のうち8人は女性とみられ、部屋からはのこぎり等も見つかっている。

 発見の機会となった八王子市の女性は、10月21日から家族と連絡が取れなくなった。女性のツイッターには「死にたいけど一人だと怖い,一緒に死んでくれる?」などの書き込みがあった。24日に兄が警察に届け出た。同庁が女性の行方を捜していたが、ツイッター交信から白石容疑者が関連している可能性が浮上した。30日に容疑者と連絡をとりあった捜査協力者に容疑者と待ち合わせてもらい、捜査員がアパートまで追跡した。
 容疑者はドアを開け、捜査員に女性はここに居ます、とクーラーボックスを示したという。

 私は新聞記事でこの事件をフォローしてきた。上記は初期の報道の概要であるが、被害者が女性であり、猟奇的かつ残虐な事件の為か、報道は被害者や世論に与える影響を配慮してか、歯に絹着せた様な、遠慮っぽい記載に終始し、なかなかの状況がつかめなかった。
 徐々に事件の概要が明らかになってきたが、何とも理解出来ない事件である。


11/14(火)降雨雷鳴ときに激しく 外来 飯川病院
0:00起床。文献・新聞等処理、徒然。自炊本読み。5:00可燃ごみ処理、提出。6:47雨模様でバス+徒歩で飯川病院。掘りの鯉にエサ。8:45-12:55中通外来。26歳神経症患者に難渋、疲弊。13:15飯川病院、14:00-17:50飯川病院。インフルエンザワクチン接種数名。新聞、医学論文チェック、19:10帰宅、夕食、 20:45就寝。歩数計8535歩。Blu-rayながら視聴:「ピアノと日本人」。

徒歩通勤2017(12) 大分県を通過し広島県に入った
 最低1日10000歩を目標にしていたが若干不足であった。
 9月上旬にヘルニアの手術を受けたが、その前はヘルニアの疼痛で、その後しばらくは術後の疼痛の為に充分歩行出来なかった。また、秋口は天候不順だったし、ここ数日前から冷えて来て歩行には相応しくなくなって来た。最近は「ひやみこき」であってちょっとペースが落ちている。


(現在点は29番の広島県で、全行程の69%である)

 歩数計「新・平成の忠孝」は歩行開始からの種々のデータが蓄積されるほか、略図でいま何県のどこらへんの海岸線上にあるのか、次の県までは何kmなどが示される。それを見ながら日本地図を開き、確認する作業を月に一度ほどやっている。地理に疎い私にとっては地図帳を開く貴重な機会でもある。

 大分県は訪れたことがない。私にとってはなじみの少ない土地である。
 地図上で、宮崎県海岸線から大分県に北上すると佐伯市、津久見市、大分市、別府市、と通過する。別府市も温泉で有名であるが、その内陸側には同じく有名な由布市がある。恥ずかしながら大分県で私が知っている地名はこの程度である。

 佐伯市、津久見市の名は高校野球で知っていた。今回地図をみてはじめてその位置を知った。
 昭和43年、私が卒業して4年目頃、久々に甲子園出場を果たした盛岡一高野球部は優勝候補の第一であった名門津久見高校、簑島高校を破り準々決勝まで進出し校歌が2回演奏された。盛岡一高の校歌は歌詞は格調高く、曲は「軍艦マーチ」その物である。
 TVで観ていたが、演奏開始と共に甲子園が一瞬で静まりかえり、アナウンサー、解説者も絶句し、校歌の最後まで不思議な雰囲気になったことが思い出される。
 観客、TV・ラジオで聴いていた全ての人にとって、この校歌のメロディ、画面に映し出された歌詞はよほどショックであったと思う。
 地図で津久見市をみて、当時の事を思い出した。

 広島県の海岸線は326.3Kmである。今年中に歩破出来れば良いが、季節がら難しいかも知れない。


11/13(月)快晴温暖 健康クリニックドック 飯川病院 
 0:05起床。文献・新聞等処理。蓄積データ処理。徒然。7:10通町から徒歩飯川病院、掘りの鯉にエサ。院長室のiMac21 2台にマックOS10.13.1インストール。9:00-11:00健康クリニックドック13名+説明1名。11:30飯川病院。新聞、医学論文チェック。微酔。14:00-18:45勤務入院患者対応、インフ予防接種5名。19:00帰宅夕食。 20:45就寝。Blu-rayながら視聴:「池上:ニュースそうだったのか、カタルーニャ地方、クルド人問題」2回目他、歩数計8580歩。

企業不正2017(7) 「アイムソーリー法」
 なんでテレビの前で謝罪するのかと言うと、謝罪の相手が当事者に対してではなく、不特定多数になってしまっているから、テレビの前で謝罪することで社会的義務を果たしたことになる、という一面があるからだ。
 「謝罪の言葉すら無かった・・」と言う評価はキツイ。新たなバッシングを生む危険が大きい。だから、企業関係者、政治家、芸能人などは謝罪に勤しむ。

 ところが、バッシングする人たちは、その不正によって何の不利益も受けていない。にもかかわらず、ネット社会ではバッシングが横行する。

 しかし、現実には誠意ある謝罪、丁寧な謝罪が効果を発揮する。単に損得の問題でなくそこには個人としてのプライド、アイデンティティーが関与しているからである。
 謝罪は心のわだかまりを溶かす強い力を持っている、と米国など「誤らない文化の国」でも理解されはじめてきた。

 訴訟大国といわれる米国の36の州で「アイムソーリー法」が施行されている。この法律は、1986年にある州で施行され、2000年ごろから広まっている。
 かつて、米国では謝ったら、責任を認めた事になるという考え方があった。しかし、「アイムソーリー法」のもとでは、たとえば、医療事故が起きた場合、謝っても、裁判等で不利にしない事となった。

 医療が本来危険な行為であること、医療従事者は「間違える可能性のある人」である限り、それなりに教育を受けていても何らかのエラーにが生じることは防ぎ得ない。

 従って、医療事故を減らすには単なるかけ声ではダメで、対策としては間違えない様に器機を設計すること、間違えても大きな事故にならない様なヒュエル・セーフ機構をつくる事、加えて、ミスやエラーが生じた際の患者や家族に対しての初期対応も重要である。

 日本でも、かつては医療紛争が生じた際には「安易に謝ってはならない・・」といわれてきた。私もそういう教育・指導を受けて来た。医師会が主導した、と言う意見もあるが私が調べた範囲ではそのような事実はなかった。
 しかし、医療関係者は「あやまり下手」であることは確かである。そのために最初の一瞬の対応の仕方で事がこじれて行くことも希で無い。

 私はかつて医師会で維持紛争・医療事故検討委員会で多くの事例に接してきた。その際、医師の最初の心ない言葉が事を紛糾させてしまった例もあり、逆に、誠意ある謝罪によって訴訟に発展しなかった例、示談額や賠償額の高額化か抑えられた例も見られた。

 医療事故や紛争の場合、当事者と被害者は個と個の関係なので分かりやすいが、企業の不正などでも、謝罪するということは、次なるバッシングを押さえ、企業のイメージダウンを抑えるなど、社会的なコスト負担を軽減することにつながっていく。

 謝罪は社会的に、経済学的にみても合理的な行為だといえそうだ。


11/12(日)午前午後曇り 伊能忠敬歩数計広島到着
1:30起床、新聞、文献チェック。医学雑誌のPDF化、録音データ整理など。終日机周辺、書斎の荷物等整理。居間のiMac27にマックOS10.13.1インストール。12;00NHKニュース、ノド自慢、微睡、庭仕事、次男のタイヤ交換ほか。書斎のMacMiniにOSインストール。19:00夕食、21:00就寝。歩数計10619歩数。広島到着、次ぎの愛媛まで322Km。Blu-ray視聴なし、CDにて「白鳥の湖」。

企業不正2017(6) 謝罪とはなにか、謝罪でなにがもたらされるのか
 神鋼、日産、スバル等の企業不正が明らかになって、企業関係に限らず、毎日のように謝罪会見の映像がテレビで流れている。
 その主なのは、
■不良品の出荷や違法行為が発覚して、企業のトップか頭を下げている。
■芸能人が不倫をしていたということで、謝罪。
■政治家がその行動や発言について追及されて謝罪する。

 そもそも謝罪とはなんだろうか、誰に向かってなんのために行われているのだろうか。
 謝罪とは、それまでに築かれていたお互いの信頼関係を、故意または過失によって壊してしまった場合に、加害者が被害者との関係を修復するための手段である。

 修復のためには被害者に対して謝罪し、ゆるしを得なければならない。謝罪である以上、加害者が被害者よりも低い立場に身を置いて、被害者側の評価に身を委ねることも必要となる。

 こう考えると、謝罪の相手は誰なのか?なぜテレビで流がす?テレビで見て溜飲を下げているのは誰なのか?ということが疑問になってくる。

 信頼感は政治家にとっての生命線であり、タレントや有名人にとっては人気こそが存在の核心である。
 政治家や芸能人がテレビで視聴者に向かって謝罪したとしても、視聴者は別に金銭的な被害を受けたわけではない。
 言葉だけの謝罪を受けただけで、私たちは信頼を壊してしまった人を許し、信頼関係を取り戻すせるのだろうか。私はそうではないと思う。関係者以外の一般大衆にとっては利害関係なんてそもそもあるはずがないからである。
 だから、謝罪会見は実体のないショーである。だから、頭をさげた瞬間カメラのシャッターが一斉に切られる。マスコミはそれをしつこく流す。本当は、謝罪で何を、どう謝罪したのかが大切なのに、それは殆ど取り上げない。マスコミの大衆路線を垣間見る瞬間でもある。

 謝罪には金銭的な代償を支払うものもあれば、そうでないものもある。
 金銭的・非金銭的であろうとコストを支払って謝罪して初めて、人々は本人が本気で謝罪していると分かって、初めて、人々はその人を許す事になる。

 金銭的・非金銭的な負担を伴わない謝罪は、相手に信頼されないと考えられている。「謝罪するなら、誠意を見せろ・・」と被害者から逆襲を受ける事もある。
 言葉だけの謝罪そのものには関係者間の感情的利害が一致するような特殊な場合を除いては、効果かないはずなのに、実際には効果的な場合があるのはどうしてだろうか。

 それは、謝罪の相手が不特定多数になってしまっているから、テレビの前で謝罪することで社会的義務を果たしたことになる、という一面があるからである。「謝罪の言葉すら無かった・・」と言う評価は新たなバッシングを生む危険が大きい。だから、企業関係者、政治家、芸能人などは謝罪に勤しむ事になる。


11/11(土)強風降雨 飯川病院日直 県立美術館「フジタとモデルたち」
1:00起床、新聞チェック、徒然他いつもの如し。PDFデータ整理。10:40バス。11:00-県立美術館「フジタとモデルたち」展。12:30-17:00飯川病院日直。19:40帰宅、夕食。21:30就寝、Blu-ray視聴;「世界は今:カタルーニャ地方独立問題」2回目、「ISとクルド問題」他。データ整理に集中、歩数計Σ8296歩。

展覧会2017(9) 千秋美術館「遠山美術館名品展--至高の日本美術展」
 今月11月1日(水)、大曲中通病院外来の臨時応援終了後、秋田市立千秋美術館を訪れた。9月23日から11月5日まで企画展「遠山記念館名品展ー至高の日本美術」が開催されており、「布晒舞図」など重要文化財6件を含む日本美術の名品65点を展示が行われている。
 遠山記念館は、埼玉県川島町にある博物館で日興証券創設者遠山元一の邸宅と美術コレクションをもとに1970年に開館した。遠山家の邸宅・庭園と美術工芸コレクションを保存し、文化芸術の振興に寄与することを設置目的としている。

 遠山邸の建物は遠山氏が母のために建てた邸宅で、当時最高の建築技術を駆使して建てられ、国の登録有形文化財となっている。

 美術館は2017年6月から2018年4月まで改築休館している。その間を利用しての秋田展示会が催された、ということ。
 遠山氏が蒐集した古代中近東、南米の工芸、日本の書や絵画など、世界各地の美術工芸品が収蔵されているが、今回の秋田千秋美術館の展示では日本美術に焦点が絞られている。

 私があらかじめ知っていたら作品は展示会パンフレットに取り上げられている「布晒舞回」で英一蝶作である。最も関心を持ってみた。
 英一蝶は、狩野派に学んだのち風俗画家に転向して成功を収めた。山水や花鳥、あるいは和漢の古典的人物より、江戸の都市風俗を好んで描いたため、狩野派から破門されたというエピソードをもつ伝説の作家である。「布晒舞回」は代表作として、早くから重要文化財に指定された。



 (歌舞伎役者が招かれたと思われる武家の座敷で踊る舞の一瞬なのだろう、流れる白布が着物の赤に美しく映える。三人の囃子方も表情豊かで、華やいだその場の雰囲気が伝わってくる。本企画展のパンフレットの一面を引用)

 英一蝶は雷神像も有名である。

 佐竹本三十八歌仙絵も展示されていた。かなり価値有るものらしいが、わたしにはよく分からなかった。
    
 このような名品を見ても、とても覚えられない。記憶に残らない。
 今回も会場で展示関連の書籍を購入した。東山邸の写真も含め素晴らしい写真集である。


11/10(金)曇り冷え 大曲中通病院外来 飯川病院勤務 
1:00起床、録音、PDFデータ整理。新聞処理。微睡、5:00可燃ゴミ集積所に。7:35Taxi駅、こまちで大曲。8:50-12:10大曲中通病院外来。13:30飯川病院着、14:00-18:00ボランティア。19:00Taxi書店経由帰宅、夕食。20:30就寝。 歩数計Σ10021歩。Blu-rayながら視聴なし。

洞爺湖有珠山ジオパーク訪問(6) 余談:財布が見つかった事など
 約一月前、大学の同級会出席をかねて洞爺湖有珠山ジオパークを訪問した。
 バスやタクシー、ロープウエイを使っての旅であったが、有珠山、洞爺湖、昭和新山の自然を味わった。

 ジオパークの観光客は8割方がアジア系の人々であった。こんなに多いと、日本に居ながら外国に行ったような錯覚さえ感じた。この旅の間、中国人と思われる若者からの2回席を譲られた。日常的にはめったにない事だけに中国、韓国等では高齢者を大事にする文化が残っていたのかと感心した。

 心に残る旅だったと思うが、最後に妙なオチが付いた。

 有珠山から洞爺駅に移動するバスの中で家内の財布がなくなった。取られたのだろう。家内の財布管理はいつも問題がある。バッグを閉めないから、財布が丸見えのことも稀でない。いくら入っていたのか聞いてもいないが、そう少なくはなかったらしい。お土産を買った後で良かった。帰路の切符は私が持っていたし、ディバッグの底には若干のお金を隠していたので、それを用いてなんとか自宅まで帰り着いた。
 後日、飯川病院のスタッフ達の助言があって洞爺湖署に届けた。
 更に数日後、洞爺湖の住民の若い男性の方から「バス路線の傍の草むらから財布を拾ったが、中に名刺があったので連絡しました。カード、保険証等しか入ってませんでした。警察に届けておきます」と電話があり、翌日、洞爺湖署からも電話があった。
 クレジットカード、キャッシュカード等はその場で凍結の手続し、再発行したので現金以外は実害はなかった。
 財布がみつかったことで一応の心の整理が出来た。

 洞爺湖湖畔のホテルでの話題。
 朝から霧がたちこめたために急いで出掛けても仕方がない。
 朝食は9:00頃レストランでゆっくりと摂った。ビュッフェスタイルで、混雑はしていなかった。
 向かいの席に若いカップルが座った。女性は20代の、中肉中背、10人並みの顔立ちながら笑顔がとてもチャーミングであった。スッピンの顔、浴衣調の部屋着に羽織を着ていた。ちょっと分からないが、夫婦ではなさそうであった。
 席は私からみて、家内、男性の後姿、女性の順である。幸せそうなカップルだと思って何となく眺めていたが、たまたまテーブルの下に眼をやると、女性の両膝・両足はだらしなく開かれ、浴衣の裾もはだけて大腿の奥まで見えるようであった。女性は普通に会話しながらフォークを動かしている。恐らく、女性は無意識的にそうしていた、のだろう。同伴の男性からはテーブルがあって何も見えない訳だから、向い側の席にいるジジイの視線など気にせず、安心しきっていたのだろう。
 そのカップルは私どもよりも先に席をたったが、食事の終りまで終止その姿は変わりなかった。普段はこんなに無防備な姿ではなかろうが、どうしたのだろうか、と思った。
 実は、私はほとんど眼が見えない。両眼とも裸眼では0.1以下でボヤけた視野の世界で生きている。運転の時だけはメガネを用いる。
 だから、そんな私に見られても実害は無いし、私にとっては殆ど見えないから実益は無かった。
 まあ、それでも少しばかり目の保養にはなったかな!!

 最後に妙なオチがついた洞爺湖有珠山ジオパーク訪問であった。


11/9(木)曇りのち晴れ 外来 飯川病院 昨年トランプ大統領誕生
0:30起床、文献・新聞チェックなど。7:10バス通町徒歩飯川病院着。8:45-12:45外来。13:30飯川病院、14:00-17:50勤務。Blu-rayながら視聴:「そこまで言って委員会:死刑制度の是非」、「世界は今:カタルーニャ地方独立問題」。18:35バス帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ10754歩。

企業不正2017(5) 「スバル」の不正(2) メーカー任せに問題
 国土交通省は、新車の最終検査について、自動車メーカーが認定した従業員が行うよう求めている。スバルの場合、正規の検査員に認定されていない4人に最終検査を行わせていた。
 スバルのリコールの対象は約40万台に上る。安全に関わることだけに、迅速に対応するとともに、ユーザーには丁寧に説明して理解を求める必要がある。
 スバルは業界の中では小さな方に属する。製品にも、ディーラーのサービスにもひたむきさが窺い知れた。個人的にはそこを評価してきた。スバル車を30年以上も使い続けてきたルーツの一つである。

 国交省は資格者の基準は設けておらず、メーカーに任せていた。各メーカーが勝手な基準を用いているとすれば、例え正規資格者が検査をしていたとしても信頼に足るものにはならない。三菱自動車で、燃費データ不正が行われたのは自社の測定データが用いられてきたからである。

 この様な重要な検査の資格者の認定などはメーカー任せにしてはダメだ、と思う。
 せめて、自動車業界の機関が共通の基準と資格者認定を行うべきである。今回の事件は他のメーカーには波及しないとのことであった。それは良いことと思ったが、今回の不祥事の背景には国交省の考えの甘さもある。
 組織には巨大化するとともに隠蔽体質が備わっていく。ましてや経済活動が旺盛な企業には不正と隠蔽が付きまとう。

 家ではよき夫、パパが組織の中では良心、倫理観を失っていく。何故だろう!!
 人間の弱さ、ずる賢さ、があると思う。複数の人間が集まれば責任感も曖昧になる。

 私は医学論文を読むときに疑いの目を持ってみる。特に、新薬や新治療法については、その関係者の論文は距離を置いてみる。

 いま、小中高でいじめ問題が多発し、自殺者も相次いでいる。学校や教育委員会はいじめはなかった、気がつかなかったと安易にコメントするが、人間の集団では大なり小なり必ずいじめが発生するものだ、との前提を持たねばならない。こんなことが教育関係者になんで浸透しないのか。私は不思議に思っている。いじめがない学校を作るのは無理だろう。いじめがあるとの前提で観察する方がいい。

 残念なことだが、組織には大なり小なり不正・隠蔽が付いて回る。企業不正は探して発見してから、発覚してからでは遅い。
 年に一度ずつ、過去にあった企業不正の項目をチェックする習慣を義務付け、公表すればいい、と思う。
 
 日本のものづくりの信頼度は高いとされてきた。いま、現場は一体どうなっているのか、と思う。失われつつある信頼を取り戻すために、掛け声だけではダメだ、思う。


11/8(水)曇り時々雨 終日オーディオ調整
0:30起床。新聞・文献・医学論文PDF化・録音データ編集他。本日は天候も悪く飯川ボランティアは必要な案件が出た時に出かける、とした。結局は飯川病院も休み。荒天を理由に午前からオーディオ調整。難渋した。結局タンノイスピーカーの劣化が明らかになった。新規システム構築。19:00夕食、20:20就寝。DVDながら視聴:「N響定期、国立劇場バレー公演:白鳥の湖他」。歩数計Σ4739歩。

企業不正2017(4) 「スバル」の不正(1) 社長の姿勢、倫理観欠如に驚く
 昨年4月には三菱自動車で、燃費データ不正問題が発覚した。
 日産自動車は、本年9月29日に完成車の無資格者検査の事実を公表した。完成車検査は、公道を走る要件を満たしているか否かのチェックで、運輸支局で検査を受ける検査を、メーカーが代行し、条件を満たした車を販売している、ということ。言わば「発売前の0回目の車検」にあたる重要な検査である。

 ここまでは私は車関係の企業不正について憤りを感じながら、私は日産も三菱も車を購入したこともないし、とちょっと距離を置いて推移を見ていた。

 自動車に関しては私は変なこだわりがあって先進的な技術の実用化をなし遂げたメーカーに注目して、その技術が生かされた製品を用いてきた。新しい技術の開発とその実用化に至るまでの企業の長い間の努力、投資を評価し、車メーカーとしてのブランドイメージを自分の中に形成してきたからである。

 ホンダに関してはCVCC、スバルは4WDを、マツダではロータリーエンジン車を、トヨタに関してはハイブリッド車に注目してこれらの社の製品を用いてきた。その意味では三菱自動車、日産車には目を惹く魅力がなく、まだ購入したことはない。

 スバルに関しては他社にない水平対向エンジンと前輪駆動車の開発、さらに4WDの技術に注目した。さらに整備士として働いている旧知の友人から「スバル車は整備士から見ても丈夫、しっかりと作られている・・・」という評価を聞かされていたこともイメージアップにつながった。1970年台後半から現在に至るまで途切れることなく、スバル1000、レオーネ、レガシーと乗り継いできた。現有のスバル車はレガシーで20年目である。

 日産は過去3年間に国内販売した38車種、106万台について無資格者による最終検査をやっていたことでリコールの届け出を行った。ブランドイメージのダウンは避けられないだろう。
 この無資格者による新車の最終検査が、スバルでも行われていた。30年にわたり常態化していたというから驚く。これで、自動車業界全体のイメージダウン、日本車のイメージダウンは避けられそうもない。神鋼の不正を加えれば日本製品そのものへの信頼を損ねることになろう。

 スバルの吉永社長は不祥事を謝罪する一方、慣習で続けていたもので悪意はなかったと強調した。だが資格のない従業員が有資格検査員の印鑑を借り押印していたのだから、明らかな偽装であり、社長の考え方は有用しない。トップがこうだからこんな不祥事が起こるのだ


11/8(火)曇り、午後快晴 外来 飯川病院 
1:00起床。文献、新聞・徒然。5:30家庭ゴミまとめ提出。7:10バス通町徒歩病院。8:45-12:30外来。14:00-18:30飯川病院勤務、入院患者対応。19:00帰宅、夕食、20:00就寝。歩数計Σ11850歩。Blu-rayながら視聴:「知恵泉:宮沢賢治」2回目。

ズル休み
 昨日7日、私は午前中ズル休みした。過去にはなかった発想である。
 大曲中通病院の医師体制が一時的に薄くなるから、3週間に渡って月曜・水曜の追加の診療応援の依頼があった。週一回金曜日に診療応援に行っているから3週に渡って週三回の応援となった。

 私自身は嘱託医師として、健康クリニックの人間ドック、中通総合病院外来、大曲中通病院の外来診療を継続しているが、内容的にいつ継続終了を告げられてもやむを得ないレベルの外来しかやっていない。本来なら、この様な診療応援は、より能力の高い常勤医が行うべきであるが、なぜか私に診療応援の依頼がまわってきた。

 水曜はもともとフリーの日にしてあったので問題はないが、月曜は健康クリニックで人間ドックを担当しているが、こちらの方に代診を出すから大曲に、とのこと。確かに、大曲の外来は金曜の診療応援で慣れているから、ということもあったらしい。

 3週の予定で診療応援を引き受けたのであるが、事情が変わって3週目の診療応援は、すなわち今週は応援不要となった。
 
 スケジュール表を見れば、3週目の月曜日、すなわち昨日も代診医が決まっていてそのままになっていたので、せっかくの機会と考え、私が休暇を取ることにした。
 月曜日のドックは面談診察の作業はそれほどではないが、結果の判定をする木曜日は外来が混雑するから処理が大変で、外来の混み様によっては飯川病院に持参し、そこで判定することもあるほどで負荷が大きい、という事情もあった。

 月曜日は、午後飯川病院の勤務があるので時間的には大した休暇にはならなかった。現に、正午のバスで飯川病院に出勤した。

 こんな、大した実益にならない休暇を取る発想をした、という背景には、私の老化によって気力の衰えがあるのだろう。かつてならこの様な発想はしなかった、と思う。

 私は今、身の丈にあった業務を与えられている。
 いつまで続くかわからないが、今の環境はとても恵まれている、と思っている。


11/6(月)曇りのち快晴 午前年休 飯川病院 
0:20起床。文献・新聞等処理、徒然など。いつもと同じ。臨時大曲中通病院診療応援は職員の経過順調とのことで先週で終了。健康クリニックの業務は本日まで代診医が決まっているので休暇を申請した。実際には飯川病院の応援があって休めないが良い気分。12:07バス飯川病院に、14:00-18:30勤務。入院患者対応。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計Σ7778歩。Blu-rayながら視聴:なし。

サイクリスト谷垣氏の事故に自分を重ねて(2) 身の丈にあった自転車で
 中学の時から用いていた内装変速機付の自転車は浪人生活の仙台、大学の時は新潟で用いていたが、大学2年時に盗難にあった。9年ほどの利用で終わった。

 秋田では、1988年に隣家の高校生から事故でシャーシーが軽く変形したスポーツタイプの自転車を1000円で引き取り、修理して2006年まで用いた。これは勤務先の中通病院の駐輪場から消えてしまった。次いでボロ・マウンテンバイクは貰い物で半年近くかかって整備したが数日で中通病院の駐輪場から消えた。
ボロ・マウンテンバイク、見事に持ち去られました(1)

ボロ自転車盗難(2)私は病院では2台目

 2011年9月、現役引退の記念に、と子供たちからクロスバイクを贈られ、また自転車ライフが始まった。
 谷垣氏と比較するのもおこがましいが、氏が自転車を再開したのは40代の頃、私がクロスバイクに乗り始めたのは66歳の時だからキャリアは全然違う。氏の自転車は100万円以上するロードバイク、チネリの名車、私のはブリジストン製のクロスバイクC9で12万円と比較にならない。

 氏は年間3000Kmを目標にしていたらしい。業務がきつくなるとなかなか到達できなかったという。私も2011年夏から秋までの約1年間で4200Km走破した。当時の新幹線ルートは総距離2800Kmだったから地図上にプロットしてみるとその距離が実感できる。


 2周目に挑戦しているときに不注意で高校生と衝突した。
 幸い私の場合には凹凸がない舗装面に投げ出され、胸腹部を強打しただけで済んだが、氏の場合は頸髄損傷の重傷を負った。私は外傷としてはそれほどひどくなかったが、怪我の関連でその後腸閉塞を発症し、脳梗塞も起こしてしまった。

 氏も私も自転車に乗る目的の一つは健康増進のためであった。しかしながら、その軽快な走りが仇になったということ。私の場合には不注意で、谷垣氏の事故の状況は知らないが、かなりのスピードが出ていたと推定する。多分受傷当初には相当厳しい状態だったろう。

 私の場合、クロスバイクだからタイヤもロードに比べると太く、車体も重いからせいぜい瞬間的に40Km/hであったが、谷垣氏の場合は多分50Km/hは出せると思う。自転車での高速は怖い。特に路面の凹凸、小石や砂が怖い。ハンドルが取られる。

 日本の狭い道路では一気に自転車専用通行帯を確保することは不可能である。谷垣氏のいうシェア・ザ・ロードの考え方には全面的に賛成である。

 私は高校生との衝突事故で、高校生には幸い怪我がなかったが、自分の非力を認めてクロスバイクをやめた。自転車としては気に入っているので、改造して通常の軽快車に近づけて利用している。スピードも上がらず、22-23Km/hがせいぜいであるが、停止時足も地面に届くから立ちごけもない。
クロスバイク2016(1) スポーツ仕様のクロスバイクを軽快車に改造した

 自転車は便利であり、健康増進にも良いと思う。しかし、危険が伴う。そこを十分考慮して身の丈にあったタイプの自転車を選び、マナーを守って慎重に乗って欲しい、と思う。


11/5(日)曇り寒い 家内帰秋 
1:00起床、新聞・文献チェック,徒然その他。ネコ対応、5:00-7:30患者死去あり飯川病院。10:00-12:30年賀状用記念写真ごとのことで次男一家来訪、NHKのど自慢楽しむ。午後、懸案のオーディオ関係調整、難渋したがなんとか完成。タンノイの調子今ひとつ。音が歪む。エッジの劣化か??17:00飯川病院、18:20駅に家内迎え。19:00夕食、20:30就寝。Blu-rayながら視聴:「らららクラシック:ドヴォルザークVn協奏曲」。歩数計Σ8622歩。

サイクリスト谷垣氏の事故に自分を重ねて(1) 氏の受傷と引退を惜む
 2016年7月16日午前、当時自民党幹事長の要職にあった谷垣氏は、趣味のサイクリング中に皇居前で転倒し、頸髄損傷を起こした。幹事長を辞し、療養に努めていたが、思うようには回復せず、本年10月の衆議院総選挙には立候補せず、正式に政界引退を表明した。

 谷垣氏は2012年11月、趣味の自転車ライフについて朝日新聞に寄稿している。たまたまスクラップのファイルを整理して見直す機会を得たてじっくりと読んだ。以下が掲載文である(一部省略、表現を改変)。

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 小学生のころ、親父と一緒によく東京近郊の多摩川や多摩丘陵をサイクリングしました。
 中学から大学までは山登りのトレーニングを兼ねて自転車に乗り、ロードバイクを本格的に始めたのは司法試験の勉強をしてから。ぶくぶく太って風邪もひきやすくなり、これはいかんと。自宅から本郷の東大まで17Kmを往復しました。

 弁護士になってすぐに父が急死。後を継いで衆院補欠選挙に立った時も自転車を使った。最高級のレース用で。
 それから10年ほどは忙しくて自転車から遠ざかりましたが、40代後半で再開。以来、趣味と健康のため、全国各地を走っています。

 昔の面影が残る街道が好きです。
 最近、自転車人口が増え、通勤に使う人もいる。サイクリストがマナーやルールを守るのは当然ですが、自転車用のスペースを車道に確保することも不可欠です。道端に白線を引くだけでかなり違う。
 前後にお子さんを乗せた「ママチャリ」のため、歩道を走る際のルールもいります。シェア・ザ・ロード!!! 道路を、自転車、車、歩行者で共有していく意識が大切です。

 自転車を中心に発想すれば、町も変わります。地方の中心部の市街地がシャッター街になっていますね。みんなが車で郊外型ショッピングセンターに行くからです。それって人の息づかいの聞こえる町でしょうか。
 車中心の発想から離れ、公共交通と自転車、徒歩で気軽に行き来できる町をつくれば、駅前商店街は活性化します。

 年間3000Km走破が目標ですが、役職についていたら厳しい。自民党総裁選への不出馬を決めた後、一気に1500Km乗り、(年間目標の)3000Kmを超えました(後略)。
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 谷垣氏はのロードバイク歴は長い。20代からで、東大までの17Kmを往復した、とある。それでスリムになったらしい。
 私は中学生当時まだ珍しかった内装3段の変速機付の自転車で、降雪期を除き、岩手中学に2年、盛岡一高に3年、往復32Kmを通学した。当時は田舎道は舗装されておらず、北上川を渡し船で渡り、舗装されている国道4号線に出て走った。朝7:00前に家を出て、着くのが8:40ギリギリで風のある日などは実に辛かった。その代償として、私はすっかり丈夫になった。
 
 新潟での大学生活、秋田岩手で医師として過ごしている間は子育てもあって車中心となった。自転車は便利な日常の足としての利用のみとなった。
 2011年9月、現役引退の記念に、と子供たちからクロスバイクを贈られ、また自転車ライフが始まった。


11/4(土)夜半雷雨降雨のち曇り 家内東京 レセプトチェック終了
1:00起床、何時もと同じ.データ整理、読書中心。6:00軽朝食、文献・新聞読み。午前、居間のストーブ点火試験、室内整理。軽昼食後微睡、13:50-18:10飯川病院に。入院患者対応、外来レセプトチェック終了。往復はバスで。19:00帰宅・夕食、20:00就寝。歩数計Σ11038歩。Blu-rayながら視聴:「知恵泉:宮沢賢治」。

四季2017(11) 紅葉・黄葉が織りなす様が美しい(2)
 秋田も紅葉の季節である。それも、多種類の葉が色づき、それらが織り成す紅葉の風情がいい。
 私はかつては、見るたびに自然のエネルギーを、また、今後迎える暖かい季節を感じ取れる青葉を好んでいた。それが、最近はちょっと変わってきた。年とともに紅葉にも惹かれるようになってきた。

 秋は行楽にふさわしい時期とされている。私は行楽に行く趣味はない。紅葉狩リは秋の代表か?

 紅葉ならば身近なところでも十分に味わうことができる。
 私は6:30amに徒歩で病院に向かう。その時間はまだ陽が昇らず薄暗い。徐々に明るくなっていく。途中で見える山々の紅葉が朝日に映え、刻々と様相を変えて実に美しい。わざわざ紅葉を見に出かける意味は多くはない。


(通勤路の一本紅葉、生垣のニシキギ ともに見事)
 
 ただ今年は約ひと月前、同級会があって洞爺湖有珠山ジオパークを訪れた。結果的に行楽に行ったようなものであった。秋田は、まだ紅葉には一歩早かったが、洞爺湖有珠山はすでに紅葉の真っ盛りであった。
 湖畔の路傍のドウダンツツジ、ニシキギの赤さから刺激を受け、改めて山々を観察した。秋田の山々の色調よりはくすんだ印象を受けた。おそらく、時期の違い、樹木の違いによるものと、樹木の側で見るのと下から遠く眺める景色との違いによると考えられた。


(有珠山ロープウエイ乗り場から見た紅葉 色調は今ひとつの感)

 紅葉は色の交じり合いこそが美しい。明るい赤、暗めの赤、黄色、それに加えて常緑樹の緑。それぞれの色のバランスは場所によって千差万別、個性がある。紅葉の美しさは「多様性の美」である。
 自然のエネルギーを感じる緑の若葉もいいが、エネルギーの枯渇しつつある様を予想させる紅葉にはまた別な味がある。西に沈む夕陽がとともに見れば無常観すらも漂う。
 つい自分の年齢、状況を重ねてしまう。高齢者の人生は多様である。

 赤く変色し、枯れて散る葉を無常と受け止めたのは平安の世。散る葉を惜しみ、人生の黄昏を歌った名歌も多い。京都を中心とした静かな雅の文化である。

 紅葉の風情を大いに、積極的に、明るく楽しむスタイルを確立したのは江戸時代だった。商業が栄え町民文化が華やぐようになると、人々は行楽を楽しむようになった。日本人の、普通の人が、自ら自然の移ろいを楽しもうとする、当時の人々のバイタリティー、審美眼に感服するばかりである。

 日本の文化は桜も紅葉も見るだけに止めない。秋の情景をえがく和菓子にも銘菓がある。味わう時は紅葉の情景を思い浮かべてみれば一層美味に感じられる。

 奥深い山の紅葉はどこか神秘的で捨てがたい。20年以上も前、学会出張で見た清水寺の紅葉、他の寺社仏閣の庭園の紅葉はこの世のものと思われないほど素晴らしかった。日本の自然は素晴らしい。しかし、京都の風情は紅葉する木々の植樹によって作られた産物という。でもそんなことはどうでもいいのだ。

 私の家の庭にも楓や他の大きな落葉樹が数本あり、この季節になると週末には葉っぱの掃除に忙しい。でも、恨めしい気持ちを持って木々を見上げることはない。

 日本の自然は素晴らしい、だから、この程度の労力を回すのは当然、と思っているからである。


11/3(金)晴れ 文化の日祝日 家内東京 レセプト対応
1:45起床。文献、新聞チェック、徒然。6;00可燃ごみ廃棄。久々在宅の休日、ストーブ煙突修理、レガシーバッテリーメインテナンスなど整理中心。14:30-16:50クロスバイク病院往復、高熱患者など対応、レセプト一部点検。書斎の Blu-ray視聴:「NHKのど自慢、先週分」、「題名のない音楽会:天才少年少女Vn+Vc」、「らららクラシック:作曲家ニーノ・ロータ」、この作曲家について初めて知った。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ9487歩。

四季2017(10) 紅葉・黄葉が織りなす様が美しい(1)
 街路樹の葉か歩道に落ちて風に吹かれてカサコソ音を立てる風情は、冬を前にした寂寥感をいや応なく増す。秋の紅葉、四季があってよかった、と言いたくなる。
 ついに秋たけなわ、となった。しかしながら、私は秋はそう好きな季節ではない。除雪に追われる日々の、追われる気持ちをつい先取りしてしまうからである。

 秋田の山々は「紅葉」というも「黄葉」という方かぴったりするように思う。
 イタヤカエデ、ブナ、シラカバやダケカンバは黄色く色づく。これは見事な赤である。その中にドウダンツツジ、ニシキギ、ヤマモミジ、ナナカマド、ウルシなどの赤か適度に混じり自然美を見事に醸し出す。

 一方、「紅葉」といえば思い浮かべるのが京都。
 京都は学会を通じて何度もおとづれ、その風情に興味を抱き、感動していたが、ここ10年以上は行っていない。最近、花房観音という作家の京都を舞台にした著作を読んでから、文字を通じて表現された京都の風情に一層興味を持つようになって、新聞雑誌等に掲載される写真を集めて鑑賞している。

 京都の紅葉の写真を見ると明らかにと赤一色。
 京都のもみじは王朝時代に、宮中で愛でる「紅葉」として、赤く色づく植物が好まれ、家庭や寺の境内に植えられた。当時の公家たちや京都五山を指導した寺僧たちの色彩感覚かうかがい知れる

 京都のもみじは極めて美しいが、人工的に植栽されたものか多く、周辺の山を彩るもみじは、長い間の人の手によるものだ、いうことを知った。それによって評価が下がるものではないが、驚いた。

 万葉集の中でもみじが歌われた歌のうちほぽ9割が「黄葉」という字を当てている、という。すなわち、古代万葉人にとって、もみじは「紅葉」ではなく「黄葉」だった。万葉人は自然の美しさをそのままに受け止め、その色のままに表現していた。

 秋田も紅葉の季節である。それも、多種類の葉が色づき、それらが織り成す紅葉の風情がいい。
 私はかつては、見るたびに自然のエネルギーを感じる青葉を好んでいた。それが、最近はちょっと変わってきた。年とともに紅葉にも惹かれるようになってきた。

 紅葉は色の交じり合いこそが美しい。明るい赤、暗めの赤、黄色、それに加えて常緑樹の緑。それぞれの色のバランスは場所によって千差万別、さらに、一日の中でも時刻によって、色合いもまた微妙に変わってくる。それがまた良い。つい、人間の一生を重ねてしまう。


11/2(木)夜間降雨のち快晴 外来 飯川病院 
 0:40起床,新聞・文献チェックほか。7:15バス飯川病院、8:45-13:00外来、複雑。13:30-18:30飯川病院。入院患者対応、院長、私用にて東京に。19:10帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ8006歩。Blu-rayながら視聴:「ヒストリア:愛に生きた城主」再視聴。「英雄たちの選択:徳川吉宗誕生、坂本龍馬暗殺、家康大敗北し天下人に」。

企業不正2017(3) 「商工中金」の不正
 「商工中金」という政府系金融機関で不正が発覚した。
 「商工中金」は私にとっては耳慣れない組織であるが、中小企業によって組織された団体に対する金融の円滑化を目的として設立された特殊法人。中小企業向け融資を手掛ける国の機関である。
 小泉政権下で民営化が決まり、2008年株式会社化されたが、その後完全民営化は先送りされた。政府が株式の46%を持つ筆頭株主。貸出金は16年9月末で約9.5兆円。商工債券の発行が認められており,これがおもな資金源となっている。

 政府系の金融機関の不正といえば、「日本郵政」が海外事業で巨額の損失を招き、赤字決算に陥ったニュースが目新しい。同社は一昨年に上場したが、株式の8割を政府が持つ。上場の半年前にオーストラリアの物流企業を6200億円で買収した。しかし、この企業の業績が悪化し、企業としての価値が落ち、4000億円もの損失を計上した。この問題はまだ国民に説明がない。監督官庁である総務省の責任も重い。

 年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)は2015年度の公的年金積立金の運用実績がマイナス5兆3千億円だったと発表した。年度ペースの赤字は10年度以来、5年ぶりのことだった。GPIFは14年10月に運用基準を見直して株式の運用比率を24%から50%に倍増したために株価の影響を受けやすくなっていた。よくわからないが、正当な経済活動の一つで不正とはいえないらしい。後日、かなり損失は縮小したらしい。

 「商工中金」は不正を重ねて民間企業を圧迫していた。不正融資は4609件、2646億円に上ることが明らかになった。経済産業省は業務改善命令を出し、責任の所在の明確化や再発防止策の策定、経営管理体制の強化などを求めた。不正は全100支店のうち97店で行われており、秋田支店でも4件の不正があった、という。

 「商工中金」の存在意義は民間の金融機関が融資しにくいリスクのある案件が対象で、そこに政府系金融機関の存在意義がある。不正は職員が書類を改ざんしたり自作したりして融資していた。背景には各職員のノルマ達成と関係書類の煩雑さがあるというが、徐々に不正に対する現場の感覚が麻痺していった。

 「商工中金」はかつての年金機構のごとく、解体的出直しが必要であるが、監督官庁である総務省はここに至るまで何をやっていたのか??

 森友学園の土地の異常値引きを容認した財務省も含め、政府系組織の金銭感覚はどうなっているのだろうか??驚くばかりである。


11/1(水) 降雨 大曲中通病院臨時診療応援 千秋美術館
0:30起床,新聞整理。本読みなど。7:35Taxi駅、8:10こまち。9:10-12:15大曲中通病院外来。先週から週3回の大曲の臨時診療応援は本日までとなる。13:30-14:00千秋美術館、飯川病院。外来患者対応など。散水など。19:00Taxi、書店経由帰宅、20:30就寝。Blu-rayながら視聴:「ヒストリア:愛に生きた城主+大奥ロイヤル:篤姫、和宮」。歩数計11450歩。

当HP「これからの医療の在り方--徒然日記」 17年目迎えた
 当ホームページ、「これからの医療の在り方----徒然日記」は、2001年11月1日に開設したので満16年を迎えた。本日は17年目のスタート日。

 17年目のスタート日の雑感である。昨年とほとんど同じ。変化に乏しい日々の積み重ねだから当然でもある。

(1)なぜ続けているか? 
 継続は力、この言葉が好きだ。この1年間もやりきった、と一人で悦に入っている。
 私は意を決して始めた事はなかな止めない。
 生活記録は50年以上、うち16年分がこの徒然。1:00amに起き出す早寝早起き習慣は約30年、新聞・文献スクラップ蓄積は20年、ラジオ深夜便連日3時間蓄積は10年、岩手へ復興資金寄付は6年、映画・録画の視聴5年、徒歩通勤4.5年でΣ16万歩、距離蓄積Σ12.900Km、などなど、自己満足だけの世界にどっぷり浸っている。

(2)「これからの医療の在り方」のタイトルが重荷に
 現在、医療外の分野を学び直している。医療関係が減ってタイトル名が重荷になった。今更変えてもいつまで続けられるかわからないから、このままにする。

(3)記録に頼らねば記憶が保持できない
 私は記憶蓄積や保持が困難になった。記録をつけていないと全て忘れる。忘れてしまえば自分は無為に生きていただけ、になる。考えるだけでは霧のごとくすぐ消えてしまう。だからメモを作り、その中の一部を文章化しておく。
 私の記録はハードディスクに電子データとして蓄積している。
 検索にて何月何日、何時頃に私が何をしていたか、何を考えていたかを知ることが出来る。私が生きて来た証しになっている。

(4)小さな毎日の積み重ねが楽しい
 今は嘱託医として細々と外来診療を続けている。他の時間は引きこもっている。別に鬱ではないが、人と会うのが怖い。付き合いが辛い。私は生きている人間に興味が乏しい。人と会話すると不快な後味が必ず残る。それが嫌だ。幼少時から我慢してきたことが嫌になっただけ。生者との付き合いは文章、書面上なら耐えられる。私は、生者より死者が好き。親しみを感じる。

 家族達の動向を楽しみ、自然現象の移ろいを味わう。興味の対象は歴史、文化、政治・経済・・、と今でもまだ広がっていく。先人達の足跡は偉大である。それらを感心しつつ味わう日々である。

(5)自分の弱気に抗する毎日
 私は人と競争・抗争は好まない。だから、口頭では自己主張もしない。私の競争・対話の相手は私自身、抗する対象は私自身の弱気である。最近は年齢のせいか安易な方向に流れそう、抗するのが大変になってきた。このHPは気力のバロメーターである。

(6)ちょっとしたことをちょっと学び、一つだけ形にする楽しみ 
 普段考えている事を文章化していく作業は苦しいが楽しい。考えるだけだとすぐに霧散する。私に長文は無理。だから、小文にまとめる。
 何故連日か? 一旦不定期にすると多分頓挫する。だから、一日一話と自分に負荷をかけた。キーボードはまだ打てる。気力さえ続けばまだしばらく続けられそう。

(7)生活記録、小文は自史資料としても貴重
 私は日々の記録を蓄積するのが好きだ。文章、画像、音楽など、覚えきれないから最近はほぼ全てを電子的に蓄積している。
 何か調べたいことがあるとまず自分の小文に検索をかける。5000項目もあるから大抵これで間に合う。それから文献を探す。ネットでの検索は滅多にしない。

(8)私の文章は、残念ながら私の文章とは言えない
 私はペンを握れば僅か数行のハガキでも悪戦苦闘し、数枚無駄にする。だから、パソコンで文章を作る。それでも呻吟する。
 日本語入力ソフトはMac OSのを用いている。これが私の語彙力より何十倍も勝っている。とても便利であるが、自分の文章であるとの実感は乏しい。電気と機器と、他人の技術を利用して作っているだけ。この点は残念である。
 パソコンがなければ到底続けられなかった。いい時代に生きた、と満足している。間も無く、キーワードを入れるだけで自動で文章化されるようになるだろう。そうなると私は一体どうすればいい??楽しみが一つ減ってしまう。今から考えておかなければならない
 
(9)結論
 継続は力、今後もしばらく続けていく。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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