徒然日記
2017年10月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

徒然日記バックナンバーへ戻る       徒然日記へ戻る   トップページへ戻る

先月の日記          来月の日記


10/31(火)晴れ夕方から雨 外来 飯川病院 
 0:40起床,文献チェックほかいつものごとし。5:00可燃ゴミ提出、7:10バス飯川病院着。8:45-13:00中通外来。13:30飯川病院へ。14:00勤務。入院患者対応。18:50車帰宅、夕食、20:30就寝。Blu-rayながら視聴なし。深夜便聴く。歩数計Σ8796歩。

ヘルスチャレンジ2017(3) 私の体重コントロール -3Kgは未達成で終了
 2007年頃は、私は175,5cm、66,6Kgであった。現在70+アルファKgでなんとか70Kgを切りたいと思っているがなかなか実現できない。

 9月1日は法人共済会主催の「ヘルスチャレンジ2017」(以下「ヘ・チャ」)と称する2ヶ月間のキャンペーンがスタートした。本日で終了したが、今朝の体重は69.4Kgで、途中良い所まで行ったのであるが、終了間際にまた増えて-3Kgの目標はついに達成できなかった。9月1日5:00amの時点で70.5Kgであったから正味1Kgしか減っていない。

 「ヘ・チャ」直前にすでに3Kgほど減らしたから、今回の目標は最初から厳しいものがあった。

 私は右下腹部に大きなヘルニアを抱えていて徒歩通勤時に疼痛があった。そのため歩行、外作業が辛くなって運動量が落ちた。
 9月8日に手術を受けた。術後の経過は順調であったが、約一月は歩行時に、自転車時にまだ疼痛があった。今は気力の減退もあって全コースの徒歩通勤は再開していない。バスで通町まで行き、そこから病院まで歩いている。間も無く再開しようと思うのだが、天候の関係で踏み切れていない。これも減量失敗の一因になっていると思う。

 食生活は減量に重要である。この3ヶ月間ほどは口に入れたものは全部書き出している。これにより間食がだいぶ減った。やはり間食は多かったと反省している。しかし、甘党だから時には出が出る。

 三度の食事であるが、朝食は残り物など軽く摂る。私は脳梗塞を予防するために抗凝固剤を3年ほど継続しているが、この薬剤は胃腸障害が多い、とされる。私の場合はげっぷも頻回、時に腹痛かな? そのための朝食でもある。サラダ中心。
 昼食は飯川病院の検食。副食だけ。主食は持ち帰る。
 問題は夕食。19:00ころ、出されたものは感謝と共にぺろりと平らげる。用意してくれる側に私の減量作戦にアンチのイメージが見え隠れする。だからやや多めに盛り付けられる。分かってはいるけど残せない。ここに減量失敗の因がある。
 私は食品廃棄については厳しい対応をしている。日本の食糧は自給率が39%と低く、輸入に頼っているくせに、食べ残しはWHOの食糧援助とほぼ同量であることなどに心を痛めている。だから残せない。

 もう一つ、私の牛乳の過剰摂取の問題がある。家内がカスピ海ヨーグルトに凝っており、週2.8L作っている。それを飲まされるのは私である。自分は飲まない。400ml/日の牛乳は健康に悪いのは明らかである。長い間世話になったし、止むないか、と諦め半分の境地で受け入れている。

 「ヘ・チャ」は終了したが、体重コントロールは今後も継続する。成果や如何に、結果が楽しみである。



10/30(月) 曇り・降雨 市内初雪 大曲中通病院臨時応援 飯川病院 
 0:30起床。録音データ、画像データ整理、歴史本を読む。PDF書類整理など集中。7:35Taxi駅、8:10こまち。9:10-12:15大曲中通病院外来。駅病院間往徒歩。13:30徒歩飯川病院、途中で降雨あり、みぞれ、すなわち初雪。微睡後14:00-19:30当直の次男の補助勤務。入院患者処置対応、深夜便聴く。19:30帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計9520歩。

企業不正2017(2) 人間の根本的欠陥に由来する企業不正
 私たち人間は未来を展望しながら生きていく存在である。より良き未来を築くためには、現在生じている問題を直視しなければならない。

 しかしながら、一昨年以降、次から次へと「立派な会社」の不正、隠蔽工作が明らかになった。
 今年になってから「日産自動車」、「神戸製鋼所」、「スバル」の不正が明らかになった。
 日産自動車、神戸製鋼所、スバルなどの場合は不正の結果は国内外に及ぶ。物としての信用度の他に日本の車、日本の製品は、高級で安全、信用できると行ったイメージにまで傷をつけた。
 
 これらの企業では30年以上前からの不正もあり、組織ぐるみの疑いが強い。

 かつての「立派な企業」とは単に儲けだけを追求する企業ではなかった。ブランドイメージは信用に繋がっている。だから、ユーザーは高い金を払うのだ。
 日本の産業が発展してきたのは、ごまかさず品質を追求する、真面目なもの作りの姿勢ゆえであったはずだ。
 なぜこんなに幼稚な不正が横行してしまうようになったのか。私は呆れているが、ここに人間の根本的弱さがある、と考えている。

 昨年問題になったVWの不正を見れば、日本だけの問題ではないと分かる。
 欧州の中でも抜きんでて真面目なイメージがあるドイツにあって、VWは特に質実剛健、真面目一辺倒の企業だと思われていた。その車が米国の排ガス規制をクリアするために、テスト時のみ排ガス浄化能力を最大限に働くソフトウエアを搭載していた。
 販売台数世界一を目指しての不正だというが、なぜ世界一になりたいのか?「世界一」をブランドの頭に冠したかったのだろう。

 「いいものを作る」から「売れる物を作る」へのシフト、「立派な会社」から「評価を得る会社が立派な会社」への価値観の大逆転だ。
 自分たちの製品が「人類に貢献し、人々を幸せにしている」、のではなく、「ひたすら売りまくって経済的に勝利する」、これが組織の経営の考え方ならば、人間の尊厳の敗北である。組織人は、やがてその先にある空虚感に苛まれることにならないか。組織そのものには力がある。エネルギーがある。そこの構成員一人一人が、人間の弱さを知り、他人への思いやりに満ちて、人が見ていなくてもコツコツと努力する。そうした「勤勉さ・誠実さ」が必要なのだろうが、それが死滅しようとしている。

 なぜこんな風潮になるのか??組織の抱える問題点は何か??いつも私は考えているのだが、よくわからない部分がある。
 でも、根本は構成するメンバーの人間性にあると思う。組織を動かすような立場になればなるほど人間性が問われてくる。
 「日産自動車」、「神戸製鋼所」の不正は、組織的で、幹部が知っていた、という。重症である。

 ■ 人間の問題。人は自分にさえ嘘をつく。ましてや複数の人間関係の中では嘘をつき、それを隠蔽するのが当たり前。
 ■ 不正をしても自らが直接利益を享受しない場合、背徳感は乏しくなる。
 ■ 他人の不正を看過する無責任さ。
 ■ 組織犯罪は、一般的に個人の刑事罰は問われない。
 ■ 慢性的疲労蓄積。
 ■ 資本主義社会の右肩上がりの思考。
 ■ 安ければ良い、という消費者の嗜好。
 ■ 日本の社会が育てる道義感の希薄化。
 ■ ・・・

 結局、人間そのものの問題、組織という構造、社会の経済事情・・・などである。
 尊厳ある人間としての教育と創造性を高めなければならない。
 
 


10/29(日)曇り  ゾンタ講演「健康増進・医療にどこまで期待できるのか」
1:00起床。録音データ整理、11:00飯川病院、13:00市役所ホールへ、14:00ゾンタ講演、ちょっと不満、疲弊した。17:00飯川病院、残務整理。18:30帰宅、19:00夕食、21:30就寝。。歩数計7156歩。昨年同日に居間のストーブ初点火、今年は未。

企業不正2017(1) 個人のアイデンティティ、道徳心は企業の中では不要になる??
 大企業、一流企業の不正が次々と明らかにされている。企業不正の裾野はどこまで広がり、いつまで時をさかのぽるのか。この情報化の社会、学ぶ機会は数あるはずなのに、企業人には「他山の石」、「対岸の火事」の論理は通用しないのか。

 今年になってから日産自動車、神戸製鋼所、スバルの不正も明らかになった。ちょっと時を遡れば、東芝、三菱自動車、VW、スズキ、タカタ、化血研、旭化成杭打ち問題、廃棄カツ横流し問題・・・と私の蓄積した情報ファイルを開くとすぐに出てくる。

 日産自動車、神戸製鋼所、スバルなどの場合は不正の結果は国内外に及ぶ。これらの企業では30年以上前からの不正もあり、組織ぐるみの疑いが強い。

 企業不祥事が起きると、経営陣が何らかの責任を取り、再発防止策がつくられる。でも、神鋼の場合には1999年以降、不祥事を繰り替えしていた。
 どこも法令順守、企業統治の重要性は分かっているはずだし、態勢も整えてきただろう、と思う。別企業の例などから学ぶ機会もあったはずである。それでも不正が絶えない。企業人はバカか??バカとは言えなくても何かが狂っているとしか言えない。

 企業不正を語るに当たって、組織の問題点を明らかにすることは勿論当然だが、企業人個人の心理も分析する必要がある。
 企業のお偉方といえ、私人としては道徳心もあり、倫理観もある、よき父、よき夫のはずである。それが、企業の中では変身してしまうと考えざるを得ない。

 企業経営ではまず伝統的な経済学理論が重視されるが、行動経済学では人の経済活動での感情や心理が分析の対象となる。

 「自らが不正をしても直接自分が利益を得るわけではない」という考え方がある。だから不正に関わっても後ろめたさは乏しくなるだろう。
 「上司や同僚もやっていた、だから良いのだ」、と他人の不正を看過する。これは複数の部署、管理職が関わっている場合に当てはまる。看過して何も言わない、は道徳心の域値を下げる原因となる。
 「人は疲れが蓄積した時、壁に当たった時に不正に手を染めやすい」、とも言われる。

 では、どんな対策が有効なのだろうか。この分野では人の感情や心理が対象となるから一見非科学的となる。

 「仕事前の朝礼で皆んなで社是を口に出す」、立ち小便に悩む住宅では鳥居のミニテュアや絵を張り出すのが効果的だったという。
 それに似たような効果なのか、会議室の長押に歴代社長の肖像を飾る、なども有効であった。見られている、という心理が行動にブレーキをかける。昔は「お天道様が見ているよ」と言われるたびに私は大きなプレッシャーを感じたものである。

 ちょっとした誘惑が不正ヘの抵抗を鈍くさせる。人間は弱いのだ。本人は「これぐらいなら」という思いだったとしても、その小さな弱さの積み重ねが、大きな会社を危うくする。



10/28(土)快晴 講演準備 
0:30起床、新聞文献チェック。文献その他整理、廃棄。11:00飯川病院。講演準備に集中、19:00バス帰宅、女性運転士の車内放送心地よし、夕食、21:30就寝。 Blu-ray視聴なし。歩数計12876Km,9492歩。

第49回「よこて菊まつり」 見事な菊であった
 10月27日、大曲中通病院外来の業務終了後、横手に足を伸ばし秋田県立近代美術館を訪れた。目的は「明治工芸至宝展」であった。昨年の時期は「橘小梅」展だったが、その時も「よこて菊まつり」が開催されていて、帰りしなにざっと見てその見事さに感じ入った。

 美術館エントランスの前庭には昨年と同様「よこて菊まつり」が準備中であった。準備中とのことであったが、会場は自由に入れたので、今年は若干時間をとってじっくりと鑑賞した。

 横手は古くから観賞菊の栽培が盛んな地域で、昭和44年より「菊まつり」が始まったという。今年は第49回で期間は本日10月28日-11月6日 までとなっている。

 「菊花展示大会」は「秋田県菊花展示大会」や「横手市菊花展示大会」が開催され、県内の愛好家が丹精込めて育てた菊約2500点が並び、訪れた人の目を楽しませる。全県の愛好者が育てた菊が一堂に介する重要な大会という。
 
 会場には黄や赤、紫など色鮮やかな作品が並ぶ。 色鮮やかな大輪の菊やかわいらしいスプレー菊の他、玉菊を使った玉菊アートなどを鑑賞できた。

pastedGraphic.pngpastedGraphic_1.png

会場中央には、小菊を玉状に盛った鉢植え約500点を並べて愛らしい秋田犬を描いた「玉菊アート」があり、隣接する県立近代美術館の6階展望スペースから眺めることができる。米作地域でよく見られる田んぼアートのようなイメージである。私は高い場所から眺めるのは諦めた。

 菊花の育成は奥が深いという。
 私はバラとダリアを若干育てているが最小限の世話しかしていない。それでも十分美しく咲く。しかし、これらの菊を見ていると到底そんなレベルではなさそうである。私には到底できないな・・と思いながら会場を後にした。




10/27(金)快晴 大曲中通病院外来 県立近代美術館「逸品 明治工芸の至宝展」
12:50起床、新聞文献チェック。文献その他整理、5:00可燃ごみ処理。7:30家人に同乗大曲、9:00-12:10外来。12:30業務用スーパー、ラーメン小盛り、13:45-14:40横手、県立美術館「逸品 明治工芸の至宝展」の七宝、漆工、木彫・牙彫、印籠、刺繍絵画など約100点展。見事な作品群であったが、展示方法に問題。16:30直帰宅、ストーブ点火関係修理試みるも失敗、19:00夕食、21:30就寝。 歩数計9667歩。

展覧会2017(8) 県立近代美術館「明治工芸至宝展」 明治近代化に貢献した
 本日、10月27日、大曲中通病院外来の業務終了後、横手に足を伸ばし秋田県立近代美術館を訪れた。昨年の同期「橘小梅」展だったからあれから1年、早いものである。本年8月28日には「ミューズ展」を観た。

 今回の明治工芸展は明治工芸の至宝展実行委員会による展覧会で、明治期の“超絶技巧“をもって制作された七宝、漆工、木彫、牙彫、印籠、刺繍絵画など、清水三年坂美術館他が所蔵する幅広い分野から選りすぐった工芸作品約100点が展示されている。

 明治工芸について語るとき、精緻な手仕事が話題になる。江戸時代より蓄積されてた様々まな技法が、各作品に実に見事に応用され表現されている。その超絶さには、理屈抜きにに驚嘆させられる。
 しかし、技巧だけなら人は「感心」はしても「感動」することはないだろう。おそらく多くの現代人の心を動かすのは、精緻な技巧の奥に見えてくる、時代の要請に必死に応えようとする明治の職人たちの「心意気と熱意」ではないだろうか。
 明治工芸の魅力は、果たして技巧だけなのだろうか、と思う。同様の感覚は6月に観た「明治有田焼展」でも感じた。

 時代背景を見ると、日本が万国博覧会に初めて参加したのは開国まもない慶応2年(1867)のパリ博覧会とされる。明治政府として初めて参加した明治6年(1873)のウィーン万博には陶磁器、金工作品か沢山並べられた。当時、工業を持たない日本は、江戸以来培ってきた工芸技術の粋を結集した、大型でかつ細密な工芸作品を万博会場に並べた。

 ウィーン万博以後、ほぼ2年毎に開催された万博で、日本は大量の工芸品を売却し、得た外貨で欧米先進国から工業技術を導入し、工業国化、軍事大国化を推進した。明治も30年代になると急速に人件費が高騰し、優秀な人材は工業・商業分野を目指し、工芸の分ごは急速に衰退の一途を辿ることになる。皮肉な経過である。

 特に明治20年代から30年代にかけて作られた作品には、欧米から流人した異質な文化の影響で、より新しい感覚の魅力的な作品が多い。このことは特に蒔絵作品や金工作品に顕著に表れている。金工作品では、武家社会において主に刀装金具で培われてきた彫金技術が、花瓶や香炉のような器を装飾する技術として使われ、金工の新しい美術分野として大きく発展することになる。

 明治の工芸作品は、その時代の欧米人を魅了し、今なお多くの欧米人を魅了し続けている。一方で、日本人からは忘れ去られ、日本には作品が殆ど残っていない。残念なことである。
 同様のことは浮世絵、伊藤若冲の場合にも当てはまる。

 わずか数十年の間だけ花開いた美しい世界、もう誰にも作れない超絶技巧の世界を日本人はもっと知るべきではないだろうか。

 会場で、「明治の万国博覧会の再現美術品」 2010年 制作:清水三年坂美術館、を購入した。素晴らしい写真集である。
<img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/e6/11f20083d36b9e7936956b80d2001dc5.jpg" border="0"><img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/29/6c938a5caad4de429633fdc561a10cfa.jpg" border="0">

 秋田県立近代美術館の展示はほとんどが壁際であった。工芸品は絵画などと異なり正面から味わうだけでは不足である。裏も側も観れるよう部屋の中央での展示、または、例えば、回転する台の上に設置して全方向から見れるようにしてほしかった。





10/26(木)早朝曇り晴れ 外来 飯川病院 
 0:40起床,新聞・文献チェックほか。7:15バス通町から徒歩飯川病院、8:45-13:00外来、複雑。14:00-18:30飯川病院。入院患者対応、19:10薬局経由帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ9739歩。Blu-rayながら視聴:「100分で名著:維摩教(1)(2)(3)」。

健康増進・医療にどこまで期待できるのか(8) 高齢者の交通事故に多剤服薬の関与はないのか
 10月20日午後、武蔵野市の吉祥寺通りで、車が歩行者に突っ込んだ。警視庁によると、2歳児を含む男女7人がけがをした。いずれも命に別条はないという。
 武蔵野署は車を運転していた85歳の運転者を現行犯逮捕した。車は対向の路線バスに接触、そのまま走行し歩行者らをはねた。調べに対し容疑者は「アクセルとブレーキを踏み間違えたかもしれないが、よく覚えていない」と供述しているという。

 警視庁が2016年に起きた75歳以上の運転者による死亡事故459件を分析したところ、「ハンドル操作」の誤り、「アクセルとブレーキ踏み間違え」など「操作の誤り」が一番多く、認知機能の低下が原因とみられる事故も少なくない、という。 

 このような高齢者の交通事故が生じると認知症との関連がよく言われるが、私は背景に精神安定剤や睡眠薬を含む高齢者への薬物多剤投与が関連しているのではないか、と考えている。降圧剤ですら可能性があると考えている。
 しかし、高齢者の交通事故に関して身体の状況、疾患の治療状態、服薬中の薬剤などが報じられることは殆どない。おそらくプライバシー保護の問題であろう。

 高齢者が運転中に体調を崩して事故に結びついた例は、てんかん発作、低血糖、心筋梗塞、大動脈解離破裂、脳卒中、咳嗽失神などの例が挙げられる。このような方々はおそらく医療機関に受診中で、治療を受けているだろうと考えられる。
 疾患や服薬が影響する自動車運転に関する改正道路交通法と自動車運転死傷行為処罰法が2014年に施行された。医療機関が投与する薬剤の添付文書で運転に対しての注意喚起が記載される薬剤は多い。市販薬の文書にも記載がある。

 自動車運転死傷行為処罰法は、疾患や服薬が影響した事故への厳罰化を規定しているが、「運転に支障が生じる恐れのある状態」でも適用される。改正道路交通法は、疾患の虚偽申告による免許取得への罰則化を規定し、法律で定めた一定の症状を呈する患者は主治医の診断書が求められる。

 多くの薬剤の添付文書で運転禁止の注意喚起がなされていることを含め、一定の疾患があると運転が大幅に制限される状況にある中、服薬を継続する患者は少なくなく、運転行動に悪影響を及ぼす可能性がある。しかしながら、薬剤の運転に影響に関する判断については十分ではない。現状では「薬剤服用期間には運転をやめましょう」など画一的な指導にならざるをえない。だから運転免許更新時にも虚偽報告される。

 そういう私自身が、具体的に薬剤と交通事故の関連についてデータをつかんでいるわけではない。しかし、某県のデータでは後期高齢者の多数が多剤服用であることを示している。通院中の患者のうち、約1/4が2ヶ所以上の医療機関に通院し、十種類以上の投薬を受けていることが示されている。これらの薬剤には精神安定剤や睡眠薬、降圧剤、血糖降下剤が含まれていると推定する。

pastedGraphic_2.png
(緑の部分は私の追記)

 この状態が交通事故に関与している可能性は大きいと思う。
 
 私は交通事故に関しては年齢にかかわらず、運転者の服用中の薬剤を明らかにすべきと思う。主治医には厄災と事故との関連性を問い合わせるべきである。そのことが、運転免許を持つ高齢者の治療にいい意味での影響すると思われる。





10/25(水)快晴、 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 2:30起床,なぜか寝過ごす。文献チェックほかいつものごとし。7:30Taxi駅に、8:10こまち。9:10-12:15大曲中通病院外来。駅病院間往徒歩。13:30ヤマハ秋田店からヴァイオリン受け取り飯川病院。14:00-18:30ボランティア、検食、外来・入院患者対応。19:10タクシー帰宅・夕食、20:30就寝。歩数計Σ12542歩。Blu-rayながら視聴:「コズミックフロント:トラピスト1惑星系、木星の不思議、環境DNA」。

健康増進・医療にどこまで期待できるのか(7) 29日の秋田ゾンタ同名の講演内容
 昨年9月中旬、秋田ゾンタクラブで「医療介護に頼らず長く生きる」と題する講演を行った。
 今年も講演依頼が来た。昨年の講演で全てを話したから、とお断りしたのであるが是非にと再依頼を受けた。今年は「健康増進・医療にどこまで期待できるのか」、にした。

 日本人は世界でも有数の生活環境にあり、平均寿命も世界一である。医療環境も、国民皆保険制度を含めて最高である。
 にもかかわらず、私の目から見ると健康に過度の不安を抱え、軽微な症状でも受診し、採血検査やCT検査を希望する。今まで生きて何を体得して来たのか、と呆れてしまう。
 我が国の糖尿病が候補者を含めると2000万人に近くなっている。ここまでくると疾患というよりは病的な状態である。その上、責任は自分にあるのに健康不安が強く、「健康追求病」と言うべき病的な状況に陥っている。

 この点についての話題である。
 話す項目を書籍の目次風に並べてみた。

―――――――――――――――――――――――――――
■通院中の方は、私でなく、主治医の方を信じて。
■人は他力でなく自分の生命力で生きている。
■医療の意義は大きいが、医療の一部に疑問あり。
■健康に対する不安、医療に対する期待は過剰すぎる。
■医療:健康上のリスクを避けるために別なリスクを加える。100%安全な医療はない。
■体を動かす努力しない高齢者ほど、サプリに頼り、医療に頼る。
■高齢者の今後の人生は、「努力」と「運」で決まる。
■私がクスリ嫌いになったルーツは。
■非科学的だが、私は臨死体験し、祈祷師の予言を受けた。
■自転車通学が私を丈夫にした。
■平均寿命、余命、健康寿命とは。
■長命の背景因子。 医療は大きくは関与していない
■健康寿命を伸ばすには体を動かすことに尽きる。
■自然治癒力、生命力に頼らない医療はない。
■軽微な病気の90%は自然に回復する。経過観察が基本。なんで医師に金を払う。
■多剤服用の高齢者。気づかれない副作用。
■過剰な検査と治療 CT検査ほか。
■高齢者の胃瘻。
■過剰医療の背景。
■健康と食事。
■サプリメント・健康器具。
■認知症、ガンは予防できるのか??
■最後はガンで逝きましょう
■私の人生は何だったのか?
―――――――――――――――――――――――――――
 何故、現代人はこれほどまでに、健康に関することに、みな不安を持つようになったのだろうか。サプリメントの広告も多い。メディアの健康関連記事や番組が目白押しである。さらに、理解する力もないのに自分からも健康情報を求めている。これじゃ狂うのが当たり前。

 医療や健康の情報はいくら流されても、医学知識がなくては患者側は十分な理解ができない。だから、不完全な情報に接した後で自らの健康状態と比較して不安に陥るのが常である。

 健康とはなにか、という基本が理解されていないのに、いい結果だけを求めるから、かつ、人生は全て「運」なのだ、と言う諦観や死生観などが確立していないから、狂うしかない。人生は運なのだということを自覚すれば、気楽に生きられると思う。
 これが本当のの断捨離である。



10/24(火)台風一過超快晴 外来 飯川病院 
 0:40 起床,文献チェックほかいつものごとし。4:00家内トイレ転倒、膝捻挫?。
5:00可燃ゴミ提出、7:45プリウスで同乗、飯川病院着。8:45-14:00中通外来、大混雑。14:30-18:30飯川病院勤務。入院外来患者対応。18:50車帰宅、夕食、20:30就寝。
Blu-rayながら視聴:「昭和は輝いていた:北の富士、蚊取り線香、コカコーラ」。昨年居間のストーブを初使用、今期まだ。歩数計Σ9706歩。

健康増進・医療にどこまで期待できるのか(6) 米国「Choosing Wisely」 日本の「お薬手帳」
 国は医療費抑制策に必死であるが、医療費を改善するために日本医師会も何を考えているのか?疑問である。だいたい、医師はコスト感覚が欠けている。いや医師だけでなく患者達も、である。その背景には日本の医療が廉価であった時代の背景がある。

 ■米国「Choosing Wisely」の動き
 第2次大戦後、米国の医療は臓器別・疾病別に専門化が進んだ。その行き過ぎを反省して、総合的な医療が見直され、科学的、臨床的な研究データを根拠に診療しようとする動きが米国医学界で生じてきた。それの作業を専門学会が進めている。 

 ネツトで「Choosing Wisely」を検索すると、ABIM財団のサイトが簡単に見つかる。約70の学会が「医者と患者が検討するべき五つのこと」を各学会が発表したリストは印刷するとA4判で160p余りにもなる。
 原則5項目だが10-15項目をあげる学会もある。それぞれの項目に、解説と根拠となる研究論文が明示されている。主要な専門学会が名前を連ねているから、全米医師の8割程度がカバーされる。

 私は常々、現代の医療には過剰検査、過剰治療が多いと考えているから、そこで挙げられている各項目は、そう驚くべきことではない。ただ、医療に漫然と疑問を感じていても、根拠になる情報や考え方が日本では乏しかった。私は資料集として参照している。

 日本では自分が受ける医療に疑問を持だない人が多いが、自分の健康に関することだから、いい情報はもっとあっても良い。

 英名Choosing Wiselyを自身の視点で選択し、「絶対に受けたくない100の医療」としてまとめた。本書は米国の動向に触れながら日本国内でも行われている無駄な医療をリストアップし、日本の医療、臨床医、患者に提言している。

 医療が高度化し医療費が増大する中、それぞれの検査や薬が本当に必要なものか、重複はないか、ますます真剣に考える必要がある。しかし、わが国ではまだその動きは少ない。

 ■お薬手帳
 薬剤治療の面では薬剤師会が主導して普及に努めた「お薬手帳」は多剤投与や重複投与の情報を伝え、そのれらの弊害を防ぐ面でとても役立っている。
 お薬手帳の内容は、処方内容/調剤日/調剤薬局名/処方せん発行医療機関名/薬剤名/薬剤の用量・用法/日数/ジェネリック医薬品か否かなどであるが、副作用歴、アレルギー歴、も記載され、クスリのリスクを減らす効果がある。急に余所の医療機関に受診する場合に貴重な情報となる。薬剤師会の大きな業績の一つである。




10/23(月)台風23号接近中強風降雨 大曲中通病院外来 飯川病院
1:30起床、文献新聞他チェック。この時間からだと余裕あり。7:30Taxi駅に、8:10こまち、大曲小雨。8:50-12:15大曲中通病院外来。駅病院間往復タクシー。復路のこまちは30分弱遅れ。14:00-18:30飯川病院勤務、入院患者対応。Blu-rayながら視聴:「昭和は輝いていた:永六輔」。歩数計Σ9345歩。19:00帰宅・夕食、20:30就寝。

第48回衆議院議員総選挙(2) 希望の党は排除の言葉で負けたのではない
 第48回衆議院議員総選挙の結果は予想通り自民党の圧勝であった。与党第1党は立憲民主党となった。
 私には特に驚きはなかった。

 今回の衆議院選挙は自民の信任ではなく、野党の総崩れによる漁夫の利をえただけ。これほど何がなんだかわからない選挙は私の経験では、ない。
 
 希望の党の小池党首、前原民進党代表の責任は大きい。単に希望の党の問題ではなく、公認した候補が軒並み落選したことだけにもとどまらず、日本の政治全体に与えた影響は小さくない。

 希望の党は、発足当初こそ何たるものかわからなかった。だからこそ、小池氏が何か仕掛けるのではないか、と希望をもたせたが、途中で民進前原代表との合意で民進党の党員を受け入れ、公認し始めた時から何が何だか分からなくなった。

 小池氏をはじめとして細野氏とかはメンバーを選択するにあたって「排除」の言葉を用いたことに敗因があると表明しているが、そんな言葉の問題などではない。排除しなければ民進党そのものになってしまう。そんなことよりも党の性格も公約もはっきりしなかったうちから希望の党の推薦を受けようとした「コウモリ」集団の、節操のなさが明らかになるにつれ、メンバーも、党も、小池氏も呆れられただけ。

 民進党議員が両院総会で希望の党から公認を受けるという方向性が決まったこと自体が驚きであった。
 民進党議員の主義主張はどこに行ったのか?単に議席を確保したかっただけでなかったのか? 保身のためにアイデンティティを捨てた集団、この時点から、からもう結果が見えていたといえよう。
 民進党は政策の面でも烏合の衆であった。同じ党に属していても各議員の個人的考え方が異なっていることは当然である。それは自民党、公明党でも同じ。しかも、民進の場合は決定的重要な意思統一が必要な場面でも党としてのまとまりができなかったのは党として命取りであった。

 蓮舫氏はそれなりの信任票を得て党代表に就いたが、蓮舫氏をバックアップする動きはなかった。こんな無責任なことがあるか!!! その状況を見ている中で、私は今度こそ民進党は決定的敗北になるだろうと思っていた。前原氏は分党すべきだったと思う。その方が筋が通っている。
 どちらにせよ今回の選挙を通じて民主党の区分けがはっきりしたことは良かった、と思う。

 さて、今後であるが、希望の党は分裂に向かうだろう。




10/22(日)台風23号接近降雨 講演:読書の楽しみ Vn修理 当直医補助 投票日  
0:30起床。新聞チェック。資料、種々こなす。11:00投票所へ。12:15NHKのど自慢一部見る。12:30家内に送られ飯川病院、文化会館に。13:30-15:00講演会「読書の楽しみ」、音響設定が悪くよく聞こえなかった。雨の中歩く。16:00ヤマハ秋田店にヴァイオリン修理に、16:25-19:00当直医代行補助。Blu-rayながら視聴:「そこまで言って委員会;医療問題後半」、「林修:初耳学2本」。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ10510歩。

第48回衆議院議員総選挙(1) 第47回総選挙との類似性、結果も同じ
 第48回衆議院議員総選挙は2017年10月10日公示、本日22日は投票日であった。
 私は、午前中に投票を済ませ、夕食後いつものごとく早寝した。目覚めたのは日付が変わってからで、早速ネットで開票結果を見たら、予想通り自民党の圧勝であった。与党第1党は立憲民主党となった。特に驚きはなかった。
 今回の衆議院選挙は自民の信任ではなく、野党の総崩れによっている。希望の党小池党首がもたらした政界の混乱、前原民進党代表の責任は大きい。まだ本選挙の詳細は明らかになっていないが、いろいろ考えさせる選挙であった。

 顧みると、前回の第47回選挙は、2014年( 平成26年)11月21日の衆議院解散に伴って行われた。この選挙と類似点が大きい。
 この時も首相が衆議院をいきなり解散した。首相が、2015年10月に予定していた消費税率再引き上げの先送りを決め、衆議院を解散することを表明した。直近の国内総生産(GDP)の実質成長率は、年率換算で1.6%減で、事前の予測を大きく下回ったことが消費税率再引き上げの先送り決断をさせた。
 
 私は、この時の解散は見事な判断だったと思う。12年夏の「社会保障と税の一体改革」の民主、自民、公明の3党合意に基づく消費増税法は、2段階の消費税率引き上げを定めつつ、景気が悪化した時の先送り条項も設けている。だから、安倍総理は日本を揺るがすような決断はしていない。にもかかわらずの解散であった。

 今まで消費税関係で増税を行った内閣は直後の選挙で全て大敗を喫している。「増税は選挙には鬼門」という言葉が出来ている。
 「消費税を表明」したことで1979年の選挙で大敗した大平内閣、「3%」の竹下内閣、「5%」の橋本内閣、「8%」の野田内閣である。当時、安倍首相が「10%」増税実施を打ち出した後に解散すれば二の舞になり得たから、決して解散には踏み切らなかっただろう。

 消費税増税を見送ったことは財政再建の道が遠のくことであり、首相にとっても苦痛の決断であっただろう。だからこそ、この機会に抱き合わせ解散して政権の評価を選挙で問うておきたい、ということだった。「消費税増は先送りしました」、という大衆向けに耳あたりとよい言葉にリンクさせて今までの政策の信を問う、という作戦に出た。

 この第47回選挙解散に際しても「大義はあるのか??」との意見も見られた。総理にとっては大きな大義があった。たとえ国民生活に直結する審議を遅らせても、自民のために、公明党のために、長期政権維持のために、歴史に足跡を残すために、・・・。このチャンスを生かすために決断した。総理の目はいま国民の方を向いていない。

 肩透かしを食った野党、総選挙に向けての準備も間に合わなかった。慌ててマニフェストを作った。結果は与党の大勝利であり、安倍総理の作戦勝ちであった。
 要するに、今回の総選挙は前回の第47回総選挙と類似性があった。



10/ 21(土)曇り夜間降雨 家内松山から夜半に帰宅
 1:00起床、新聞・文献、徒然、その他、ゆったりと。貴重な週末、プチとゆっくり過ごす。午前は居間や書斎の整理、掃除。データ整理。微睡後、講演準備。Blu-ray視聴なし。19:00夕食、21:00就寝。家内松山から伊丹経由で夜半に帰宅、機種は74席のボンバルディアDHC8-Q400で満席だったという。歩数計8163歩。

新聞週間2017(2) 今のところ新聞各社の編集方針は受け入れられる

 私の新聞の読み方は、その日に読む新聞紙を裏向きにして、当日紙一紙、前日紙、前々日紙と重ねる。
 TV番組面は無視、社会面から、次にその右側のページの第2社会面を読む。スポーツ面、芸能面はほとんど無視。それから科学面、文芸面、経済面、国際面、経済・政治面と進む。その日の紙面をざっと把握した後、今度はゆるゆるともう一度読み直し、スクラップする。
 専門性のある医学、科学、文芸欄、書評欄には高頻度で専門家の依頼原稿が取り上げられる。記者が記載した記事より当然深く参考になる。

 新聞を読みながらいつも感心することは情報量の豊富さ。新聞は冷静、客観的、俯瞰的な視点を求められるだけでなく、取り上げた記事を正確に検証することまで求められる。

 世問には、インターネットの情報があふれているが、その信ぴょう性は弱く、デマすれすれの不誠実な情報が満ちている。ネット記事は負うべき責任者が不明のことが多い。その意味では新聞社の電子版は参考になる。各社のポリシーが信用の拠り所となる。

 放送などのメディアと新聞の一番違うところは幾度も読み返せること。つまり幾度も読み返すに足る、正確で豊富な情報が求められる。毎日読みながら、頑張れ新聞といつもよ評価している。

 偽ニュースが一瞬で全世界を駆け巡る時代、メディアの信頼が問われている。
 今年の新聞週間は衆院選の期間と重なった。

 中央紙は大きな視点でこの国の課題と進むべき方向を論じている。
 地方紙は地方の現状を見つめ未来を考えることで、課題と進むべき方向が見えてくる。

 どの新聞であっても、事実に基づき報道し、評論することが基本である。
 明治期に始まる日本の近代新聞は、国民を「教育」することが国から託された新聞の使命だった。「上から目線」が、近代日本の新聞の原形であった。その歴史を引き継ぎ、戦時下で新聞社はおぞましい役割を担ってしまった。言論統制もあったが、正しい情報を国民に伝えなかった。むしろ開戦に世論誘導をしてしまった。

 そのような時代を二度と招かないためにも、新聞側も読者も「知る権利」、「知らせる権利」、「言論の自由」、「報道の自由」をしっかりと守る必要がある。
 こんな中、新聞はどうあるべきか。新聞の社会的責任を捉え直すことが、新聞週間の意義であろう。新聞週間の意義を新聞側のみが考えるだけではなく、購読者からも情報を発信していきたいものである。

 今の若い人たちにとって、情報収集はパソコン、ネットが中心になっている。自分の興味のあることだけを読んでしまう。しかし、新聞は、探し出す記事にしか触れない、読まないことはあり得ない。必ず予測外の記事にも目が向くはずである。同じ記事でも新聞の情報量は全く異なる。解説記事や、心を高揚させてくれる情報、記事なら、やはり新聞だと思う。




10/20(金)小雨 大曲中通病院外来 飯川病院 家内松山 
 1:30起床、新聞チェック他。歴史関連本読み、5:00可燃ゴミ出し。7:35Taxi駅、8:10こまち、大曲小雨。8:50-12:15大曲中通病院外来。駅病院間往復タクシー。13:30-18:30飯川病院勤務、入院外来対応。19:00Taxi帰宅・夕食、20:30就寝。Blu-rayながら視聴:「そこまで言って委員会:医療問題」。歩数計Σ13205歩、この一年間で2800Km歩行、7.6Km/日、意外と少ない。

新聞週間2017(1) 私の情報収集8割は新聞から
 10月15〜21日は新聞週間。
  新聞週間は終戦後新聞の普及と教育を目的に1947年に愛媛新聞社が独自に企画し、翌年から新聞協会加盟社によって報道の使命と責任を再確認するという趣旨で始まった、とされる。戦前の新聞が果たした負の役割を考えれば当然の運動と思う。

 この週間、新聞各社では色々な企画記事が見られ面白い。今年の代表標語は「新聞で 見分けるフェイク 知るファクト」とのこと。

 私は新聞好きである。現在中央紙2紙、地方紙2紙を定期購読している。私の情報収集はおそらく8割以上は新聞からである。あとは順をつければ、ラジオ>ネット>雑誌>書籍>TV・・・だろうが大差はない。

 私は毎朝新聞を読むが、全てを当日読むわけではない。当日の中央紙1紙、前日の地方紙を1紙、前々日分2紙を読む。これで事件とか速報の場合は3-4日間の推移がわかってとてもいい。

 実際には興味ある記事は切り取りスクラップにしながら読む。毎日40枚程度の量になる。ついで、スキャナーを通し記事を電子化する。読み取ったデータは適宜名称をつけ、分類し、ハードディスクに収納する。この作業の間に内容によっては4回記事に触れることになる。
 簡便なスキャナーが入手できたのを機会に2000年からスクラップを電子化した。もう15年分以上の蓄積がある。電子化以降は欲しい記事を一瞬に呼び出すことができる。このための労力も時間も連日かなり投入しているが、私の情報源として手放すことができない宝物になっている。

 新聞は情報のスピードという面ではTV、ラジオ、インターネットよりは劣るが、注目すべきはその情報量の豊富さである。新聞には冷静・客観的視点が求められ、記事が正確であることが求められる。その面では各新聞社の報道ポリシー、編集ポリシーが拠り所となる。

 放送などのメディアと新聞の違うところは幾度も読み返せることにある。つまり幾度も読み返すに足る、正確で豊富な情報が求められる。何度も、各社の記事を比較しながら読み返すから、記事自体が、新聞社の報道姿勢が検証されることになる。本当は中央紙を更に2紙欲しいのであるが、それらを読む時間は無いし、購読料もバカにできないから諦めている。不足分は電子版で読む。

 ちなみに、ラジオ、TVの情報はリアルタイムに消えていくが、私はそれを是としない。ラジオの脇には3機種の録音器を置いている。気になる情報はワンタッチで録音できる。TVは録画装置が数機種あるようであるが、煩雑で私は操作できない。家人に依頼して録画し、Blu-ray Discでもらう。

 世間には、インターネットの情報があふれている。ネット記事は負うべき責任者が不明のことが多い。その点、新聞社の電子版は参考になる。





10/19(木)快晴 外来 飯川病院 家内松山に
 1:30起床。文献・新聞他。7:15通町から徒歩飯川病院、8:45-12:30中通外来。13:00飯川病院、14:00-19:10勤務、入院患者処置。Blu-rayながら視聴:「昭和は輝いていた:戦時歌謡、夫婦漫才、回転すし」。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ9733歩。

健康増進・医療にどこまで期待できるのか(5) 標準治療とニセ治療(2) 臍帯血移植
 医療経営は常に厳しく、ほとんど儲からない。各医療機関は赤字経営にならぬよう常に努力している。保険診療は厳しく枠が決められており、その面では厳しい。

 自由診療は儲かる。しかし、一度そこに手を染めて利潤を得る甘い道を知ったら、医師は医道からそれ、悪魔に魂を売って人の道からもそれてしまう。

 心ある医師はまだ免疫細胞療法を評価していないが、免疫細胞を培養する会社の営業マンは、「患者の満足度は高く、儲かる。自由診療だから責任は取らなくていい」、とクリニックや小規模病院の医師に誘いをかける。現在、国内で400ヵ所以上もの医療機関でまがい物の免疫細胞療法が実施されている。

 効かないことが分かっていて最新のガン治療と宣伝するのは詐欺である。

 ビタミンC大量療法があるが、1980年代にすでに効果がないと否定されている。それでも実施施設は、全国で数100ヵ所に及ぶ。

 私も院長時代に免疫細胞培養会社の営業マンの訪問を受けたことがあるが、若い時に血液疾患の病態研究、治療研究をし、一応免疫系については詳しいので営業マンの説明を全て論破できた。

 また、ガン医療においては末期ガン患者への抗がん剤の継続投与の問題もある。
 特に日本では亡くなる30日以内でも、抗ガン剤治療、高カロリー輸液を受けている状況がある。末期に至った状態では抗がん剤が効果がなくなっている。だから、やればやるほど体力を消耗する抗ガン剤から患者を解放するのが末期患者に対しての最上の治療となる。

 効果のない免疫細胞療法に関しては、科学的に有効性が証明されているオプジーボをごく少量併用して論理性を高めている、例もあるとされる。ここまでくれば悪質にも磨きがかかる。
 臍帯血を用いた異様な治療が今春から明るみに出た。全国のクリニックで他人の臍帯血が患者に移植されていた問題は、刑事事件に発展し、8月に関係者が逮捕される事態に至った。自由診療が行われるクリニックでは、このような科学的根拠のない、高額かつ悪質な医療が横行している。

 傷ついた組織や臓器を修復する再生医療は、iPS細胞を使って目の網膜の再生す世界初の臨床研究を理化学研究所のチームが実施したばかりで脚光を浴びる。一方、臍帯血は多くの細胞に進化できる幹細胞の供給材として注目されており、白血病の治療の分野では有効性が確立している。

 臍帯血を用いた研究は未知ではあるが可能性は広い。国の承認を目指した臨床試験が次々と始まっている。ただ、現時点では有効性が確認されていない実験段階のものが多い。それにもかかわらず、民間の自由診療クリニックでは「肌の老化を防ぐ」などという宣伝の元に移植が行われていた。治療の選択肢がなくなった末期がん患者の弱みに付け込む悪質なケースもあった。

 このような事態が生じる背景には、関係した医師たちのモラルと犯罪性にあるが、日本のメディアが先進的医療についての情報を流し過ぎることにもある。
 一般の方には、iPS細胞、臍帯血内の幹細胞、ES細胞などわかるはずもなく、イメージとして捉えているに過ぎない。小保方氏のSTAP細胞では専門家ですら騙されてしまった。こんな状態で、末期がん患者やその家族にとって臍帯血を用いた治療法の存在と可能性を提示されれば、藁にもすがる心理に陥るのは当然とも言える。

 その時に、きちんとした指針を与えられない主治医、かかりつけ医の責任も小さくない。主治医、かかりつけ医と患者の距離は広く、意思疎通不足は目に余る。


10/18(水)秋晴れ 飯川病院ボランティア プリウスブレーキ修理 
0:30起床。読書、録音データ整理と処分など。歴史関連本読み。午前はネコ室暖房安全確認ほか。レガシー冬支度、14:00バス、飯川病院ボランティア。19:10帰宅、夕食、20:15就寝。Blu-ray視聴:「コズミックフロント:イスラム天文学」、「ありえへん世界、林修関連」、「昭和は輝いていた:東海林太郎、藤山一郎」。歩数計Σ11771歩。

洞爺湖有珠山ジオパーク訪問(5) 有珠山
 有珠山は、洞爺湖の南に位置する737mの活火山。昭和新山とともに支笏洞爺国立公園は「日本の地質100選」に選定され、周辺地域がとして「日本ジオパーク」、「世界ジオパーク」に認定されている。

 ジオパークとは、「地球・大地の公園」を意味する。
 世界ジオパークとは、ユネスコの定める基準に基づいて認定された高品質のジオパークで、2017年5月現在、世界35カ国、127地域にあり、そのうち以下の8地域が日本にある。
 洞爺湖有珠山、糸魚川、山陰海岸、室戸、島原半島、隠岐、阿蘇、アポイ岳(北海道)。

 有珠山が形成されたのは約2万年前で噴火を繰り返し20世紀の間で4度も噴火した、世界的に見ても活発な火山である。
 寛文噴火1663年、明和噴火1769年、文政噴火1822年、嘉永噴火1853年、明治噴火1910年、1944年昭和新山噴火、1977年噴火、2000年噴火が記録されている。

 昭和新山は1943-44年の2年間に17回の火山活動で出来た溶岩ドームである。当時は戦時中でであり、噴火の事実は伏せられ、公的な観測を行うことができなかった。標高は400mを超え、昭和新山と名付けられた。山肌が赤色に見えるのは、畑であった土壌が熱で焼かれて固まったためである。温度低下などによって少しずつ縮んでいる。山への立ち入りは禁止されている。

 昭和新山山麓から有珠山ロープウエイが運行しており、私どもは三松正夫記念館見学の後ロープウエイで有珠山中腹に登った。さらにここから片道約1,1kmの「有珠外輪山遊歩道」があり、有珠山や昭和新山、洞爺湖や内浦湾などの景色を眺めた。普段運動不足の家内は休み休みであったが、なんとか終着点まで往復できた。

pastedGraphic_3.pngpastedGraphic_4.png

 洞爺湖有珠山ジオパークは、数十年に一度の割合で火山噴火で景色を変えるという。
 そこに住む人たちは「火山との共生」の考えのもと、噴火を少しでも早く察知し、被害を最小限に留める態勢を作りながら、有珠山の与えてくれる温泉、農産物、美しい自然景観をなどの恵みを享受している。

 バスとロープウエイを用いての散策であったが、今回の新潟大学46年卒の同級会出席を機会に、久々山岳を、しかもつい先日まで火山活動が見られた山の様子を間近に見ることができ、心が洗われた。

 心に残る旅だったと思うが、洞爺湖有珠山ジオパークの観光客は8割方がアジア系の人々であった。こんなに多いと、日本に居ながら外国に行ったような錯覚さえ感じた。麓の店でソフトクリームを味わいながら、これらの観光客がいなくなったら観光地として存在できるのか??とも思った。

 最後に、有珠山から用や駅に移動するバスの中で家内の財布がなくなった。家内の財布管理はいつも問題があるから自ら招いた事故であろう、と諦めた。いくら入っていたのか聞いてもいないが、そう少なくはなかったらしい。ちょっと焦ったが、帰路の切符は私が確保してあり、ディバッグの底にはいつも若干のお金を隠し持っていたので、それを用いてなんとか自宅まで帰り着いた。

 最後に妙なオチがついたが、洞爺湖有珠山ジオパーク訪問は十分に楽しい旅であった。






10/17(火)快晴 外来 飯川病院 
 1:30起床、歴史、新聞切り抜きと入力などいつものごとし。5:00可燃ゴミ集積所に廃棄、ネコ世話、家内不調にて同乗出勤、昨夜の雨上がり雲ひとつない超快晴に。8:10飯川病院着、8:45-12:00中通病院外来。12:30飯川病院。14:00-18:30勤務、入院患者処置。18:30バス帰宅、夕食、20:30就寝。Blu-rayながら視聴:「コズミックフロント:コンピューターと呼ばれた女性たち」。歩数計Σ6370歩。月水曜日の大曲中通病院の診療応援の依頼あり。

健康増進・医療にどこまで期待できるのか(4) 標準治療とニセ治療(1)
 古き良き時代には医師の裁量権が比較的大きかった。各医師によって治療への知識や経験、学識がかなり異なっていた。
 名医、やぶ医、土手医が存在し得た。やぶ医はやぶの隙間を通して向こう側が見える医師、土手医は全く見えない医師、の例えである。

 いい意味での個別的な判断はいいのであるが、逆方向の方にも裾野が広いから問題となる。当時の比喩に「医者選びも寿命のうち」というのがあるが、今も決して誤りではない。
 これほど医療が発達し、保険診療で誰でもいい治療を受けられる時代なのに、特にガン治療の分野においては非科学的なニセ治療が多く、むしろ人気を集めている。

 今更ながら、と思わないわけではないが、患者と医療者が治療方針を決めるときに活用する標準治療指針がガン治療の分野で検討されようとしている。

 標準治療指針は科学的な根拠に基づいて作られる。
 指針は病気別に作られ、患者の状態をみて最も効果的な治療法を選べるようにしたもの。患者がどの地方で、どの医療機関にかかっても最適な治療を受けられるよう、治療の標準化が目的である。

 日本で本格的に診療ガイドラインが作られるようになったのは1990年代末。当初は複数の専門家が意見を出し合って作るやり方で、発言力が強い医師の考えに影響を受けやすかった。
 その後、臨床研究の結果をふまえた、科学的根拠のある治療法を示すやり方が主流になった。中でも、患者を無作為に複数のグループに分けて異なる治療法の効果を検証する「ランダム化比較試験」の結果が最も信頼性が高いと見なされている。その際、参考になるのがカプランマイヤーの生命曲線と統計的処理である。指針作成過程の透明性が増し、信頼性が高まることが期待される。

 ただ、私は統計処理で5%の危険率で効果ありという程度の差異は臨床的には大差ないものとみなしている。

 がん患者を対象とする自由診療の分野は、広告可能な診療として、「保険診療または評価療養もしくは選定療養と同一の治療等」、「薬事法の承認または認証を得た医薬品または医療機器を用いる治療等」などと限定的である。
 さらに、「虚偽・誇大広告」のみならず、「医療従事者の主観や科学的恨拠に乏しい文献」など、客観的事実を証明できない内容は広告として認められていない。

 実際には「ニセがん医療」がある。残念ながら、それらの実施を制限する規制は現状では無い。せめて、ニセ治療法を推奨するウェブサイトの広告規制を早急に行うことで、がん患者が標準治療の受診機会を失うことがないようにすべきである。

 「ニセがん医療」は効果がない上に、極めて高額である。
  標準治療が難しくなってきた時点は、患者にとってつらい状況である。患者が高額な「ニセがん医療」の道にすがりつくのも無理はない。その心情は理解可能であるが、「ニセがん医療」は効果がない。このことを医療者は声高に主張しなければならない。

 各ガン学会、日本医師会はもっと強力に情報を発信してしかるべきと思う。



10/16(月)曇りのち晴れ 健康クリニックドック 飯川病院
1:05起床。いつもの如くデータ整理、読書とか。講演準備少々。6:47バス、通町から徒歩、7:20飯川病院着。新聞チェックなど。9:00-11:00健康クリニックドック。11:30飯川病院へ。文献など。14:00-18:00勤務。入院患者処置対応。院長体調不良。18:00帰宅、19:00夕食、20:30就寝。Blu-ray視聴なし。歩数計Σ8578歩。

健康増進・医療にどこまで期待できるのか(3) サプリメントに効果はあるか
 いま、巷には保健機能食品、機能性表示食品、栄養機能食品、健康補助食品などの表示の元に数多くの健康食品が販売されている。認可基準、効能表示の制限等がいろいろあって、私もこれらの区別を理解できていない。
 健康食品において示される効能などは、行政による公的な確認を経ないため、商品の信頼性は消費者側が客観的に評価、検証することになる。

 その中では、比較的素性が知られているものに特定保健用食品(トクホ)がある。
 トクホは1991年以降、基準を満たした商品を「健康にいい」、と国がお墨付きを与え、商品に「血圧が高めの方に適する」、「コレステロールにいい」などの効能を表示できる。
 健康ブームに乗りヒット商品も相次ぎ、一昨年度のトクホ商品の総売り上げは6400億円、現在の許可・承認件数は1271件超と大きく市場を成長させた。

 私は自然科学やドキュメンタリー番組を中心にTV番組を録画しておき、文献のチェックなどの際にながら視聴しているが、民放のトクホとかの健康食品、健康器具、化粧品等の宣伝があまりにも多く驚いている。私の目では、ユーザーは旺盛な企業利益追求姿勢の被害者!!!と言ってもいいように見える。

 トクホや健康器具の購入には「苦労せずに健康維持したい」、という中高年の方々の考え方が見え見えで、メーカーはその点を突いて業績を伸ばしている。

 トクホは、メーカーが有効成分の分析結果を示し、効果と安全性の審査を経て国が許可する。トクホは当初は2年ごとに審査をやり直す更新制だったが、1996年に4年ごとになり、1997年に更新制が廃止された。
 2011年には販売中のトクホ商品の安全性に疑いが出され、日本サプリメント社が自社のトクホ6商品の有効成分が規定値以下だったと発表し、消費者庁は昨年初めて販売許可を取り消した。

 国による更新制から永久許可制への切り替わったが、不適格品の流通には国の責任が大きい。消費者庁も「現制度では企業の良識に期待せざるをえない」と認める。

 サプリメントが真に有効か否かを見極めるには以下の項目が重要であるが、一般ユーザーは知ることは困難である。
――――――――――――――――――――――――――――――-
■服用、非服用者の二つの群できちんと比較しているか?
■比較する二つの群の構成員を公平に選んでいるか、両者の分類条件を合致させているか?■統計処理に叶うだけ十分な人数であるか?
■比較検討は十分長期間でなされているか?
■寿命への影響は明らかになっているか?
■効果があったという統計的データを示しているのはより信用できる。
■経験談を前面に出している広告の品は疑ってかかるべき。
――――――――――――――――――――――――――――――-

 サプリメントが寿命を延ばしたというデータがあるとは考え難い。
 ユーザーは、最低限、効果があったという経験談を前面に出している広告の品は疑ってかかるべきである。その広告の脇には小さく「個人的感想」とあるのは無責任極まりない。
 サプリメント、健康器具はユーザーの自己満足感には寄与するだろう。多額のお金を消費することで国内総生産に寄与するというなら、それもいいだろう。ただ、私の目から見て健康器具、サプリメントユーザーは一層怠惰になる傾向がある。これははっきりしていて中高年者の健康にとってはマイナスの作用となる。(ただし、非統計的データで、私の個人的感覚です)。




10/15(日)晴れ 
 1:00起床。文献チェック他。何時ものごとし。早朝から午前は新聞切り抜き他。各種書類電子化、データ整理。12:15NHKのど自慢。微睡若干、14:00-16:30ネコ室掃除、庭掃除、冬支度多少、ダリアのケアなど。19:00夕食、20:45就寝。Blu-ray視聴なし。歩数計Σ9998歩。

本:「絶対に受けたくない無駄な医療」室井一辰著 日経BP社 2014年 1400円

 米国のおよそ50の医学会が従来の医療のあり方には無駄があったと認めて、各学会ごとにあげた項目、すなわち「推奨できない医療」、英名Choosing Wiselyは250に及ぶが、この内容を本書の著者が自身の視点で選択し、「絶対に受けたくない100の医療」としてをまとめた。本書は米国の動向に触れながら日本国内でも行われている無駄な医療をリストアップし、日本の医療に提言している。

 書名としての「絶対に受けたくない100の医療」は、私は必ずしもいいと思えない。このような一般人の目を引くような署名は、この本の性格を歪めている。しかしながら、似たような内容の書籍が多い中、書店で手に取ってもらうためには止むを得ないかもしれない。著者の意に反して出版社がつけたのかもしれない。私の目から見て通常の医療忌避本、医療批判本より表現は穏便で内容はより正当である。これは、著者が実際に医療を行なっている臨床医ではなくジャーナリストであること、米国のChoosing Wiselyに100%準拠しているからであろう。巻末に元となった米国の学会名が明らかにされており、詳細を調べようと思えば可能である。私は資料集として参照している。

 とあれ、医者、看護師、薬剤師の一見専門的な偏りのある意見、健康食品等の広告等に振り回されないための資料の一つにはなるだろう。

 著者の室井一辰氏は金沢市生まれ。東大農学部獣医学課程修了。大手出版社を皮切りに、医学専門メディアや経営メディアなどで医療に関する記事を執筆している医療ジャーナリスト。
 現在は、ニュース情報サイト「Business Journal」で医療関連連コラムを連載中。「週刊ポスト」2014年5月2日号に掲載された「『血圧147は健康値』の怪奇」に始まる血圧、血糖値、コレステロールの健康基準をめぐる集中連載で企画や取材協力を担当された、という。
 私も血圧147は健康値と思っている。

 「なぜ日本でも無意味な医療が横行するのだろうか」??本書は、そのルーツもたどるが、そこには現代医療の負の問題点も姿を見せる。

 内容は3部構成になっている。
【第1部】こんな医療では治らない!
【第2部】「受けたくない医療100」
【第3部】“無駄な医療”を追放しよう

 現代の医療に不満を持つ患者は多い。ちょっと古いデータであるが厚生労働省の「受療行動調査」の2011年によると、医療機関に対する不満を感じたことがあると回答した人の割合は31%という。さらに、患者の一部はメディアの医療関連番組、TV、健康食品の広告に振り回されている。インターネットで情報を集めているものの、これらの理解には深い知識が必要であるために理解できない。患者は不満、不安に苛まれている。

 第三部では、「無駄な医療を撲滅するのに立ちふさがる壁」について考察している。
「医療機関の経営問題」、「クスリを欲しがる国民性」、「念のため、万が一の不安を求める医者と患者の心理」、「訴訟リスク」、「安易に受診できる健康保険の存在」などを指摘。国民や医師の双方が納得できる形で無駄な医療削減するべきだと総括してる。

 常々この分野について考えている私にとってそれほど役立った内容とは言えないが、文献を調べられるのが嬉しい。
 医療に不安を感じている人たち、現代の医療に問題を感じている方々に、考えるきっかけを提供する本である。



10/14(土)曇り   
 0:30起床。データ入力整理。家内の講演準備資料検討。11:00飯川病院、講演会資料作成補助。13:30-15:50家内講演会補助。会場付近の神社散策。飯川病院で本読み、その他で静かに過ごす。Blu-ray:「昭和は輝いていた:芸者歌手」他。18:00添川線バス帰宅。夕食、20:30就寝。歩数計Σ10460歩。

飯川病院歓迎会 付け足しで私の快気祝いも
 昨日14日、飯川病院の新しいスタッフ2名を迎え、歓迎会が行われた。20数名のこじんまりとした和気藹々の会であった。

 女性中心の会なので通常なら出席しないのであるが、幹事が会の出席メンバーを増やそうと、私の「快気祝いも兼ねます」と誘てくれたので出席した。

 席上、私の快気祝いを「怪奇祝い」と称し、賢治の「雨にも負けず」をパロディ風にもじった以下の詩が読み上げられた。一部わかりやすく改変した。

―――――――――――――――――――――――――――――――――
「福田先生 怪奇祝いの詩」 

雨にも負けず、風にも負けず、手術後の傷の痛みにも負けず、妻の時間感覚の欠如にも負けず、丈夫な精神力を持ち、決して驕らず、髭をたたえて、いつも老師のような自然体。

1日中、塩分を控え、たくさんの野菜を食べ、あらゆる食品の賞味期限などを気にすることなく綺麗に平らげ、それでも元気に生きている。

八幡田の、へその緒道路の突き当たりに住み、大きな風除室にネコを住まわせる。

4階病棟に抹消点滴維持困難になった患者がいれば血管確保に駆けつけ、3階病棟で尿道カテーテルが詰まったと聞けば駆けつけてスルスルと挿入し、備品のワゴンが壊れたとなれば修理する。

ネコが寒いといえば暖房付きのネコ部屋にし、花が寒いといえば防雪防寒の花の家を、北風の中でも作っている。

日照りの時も畑仕事、自転車に乗ってハトに餌、生きとし生けるものを平等に扱い、壊れたものを蘇させる。

そういう光之先生、お帰りなさい。快気おめでとうございます。
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 ちょっと賢治さんに迷惑かけたかな!!と恐縮したが、私の生活ぶりをの一部を表現してくれた幹事の才能に感謝、である。



10/13(金)雨のち晴れ 大曲外来 飯川病院ボランティア 飯川病院歓迎会 
 0:30起床、いつものごとし。院長講演会資料作成補助、5:00可燃ゴミ廃棄、7:30Taxi駅に、8:10こまち、9:10-12:15外来、駅病院歩行、帰路はTaxi。13:30-17:20飯川病院ボランティア。17:30-20:00歓迎会と私の快気祝い、20:20Taxi帰宅、21:00就寝。歩数計Σ14057歩。

c
 洞爺湖は約11万年前の火山活動によって誕生した巨大なカルデラ湖で、支笏湖と並び最北の不凍湖としても知られている。湖の中心付近には「中島」が浮かび、四季を通じて、また昼夜を通して美しく姿を変える。 第34回主要国首脳会議G8 Summitは、2008年7月7日から7月9日までザ・ウィンザー ホテル洞爺リゾート&スパを会場にして行われた。

 洞爺湖は初日は快晴のために景観が見事であった。翌日は遊覧船にでも乗るかと楽しみにしていたが、二日目は朝から曇り空で、湖面は濃い霧で覆われ、湖上からの景観を楽しむことは諦めた。

 代わりに、まず洞爺湖サミット記念館を訪問した。
 ここは期間中日本政府現地本部に使われた建物で、世界の首脳たちが意見を戦わせた会議場がそのまま再現され、各首脳の等身大のパネルが雰囲気を高めている。当時は福田首相であった。首相はサミットをつつがなく進めたが、間も無く突然辞意を表明した。辞任記者会見での「あなたとは違うんです」の名セリフだけが一人歩きしたことが思い出される。辞任の真相は深いとされ、首相の業績は再評価されている。

 pastedGraphic_5.png

 (訪問者はわれわれだけであった。貴重な記録が数多く展示されていた)

 ついでバスにて有珠山・昭和新山を訪問した。
 昭和新山は全体的イメージに大差はなかったが、1960年の中学3年時の修学旅行の時は新山は丸裸で、麓からすぐに登れたが、今回は5合目ほどまで樹木で覆われ、簡単には登ることは出来なかった。当時、山全体が熱を帯びていたように記憶している。
 
 pastedGraphic_6.png

  (有珠山中腹から見た昭和新山)
 
 昭和新山は戦時中の昭和19年に爆発隆起してできたが、戦時中であったので報道管制が敷かれ国民には知らされていなかった。敗戦が濃厚になった時に天変地異が生じ、国民の戦意が衰えることが危惧されたからであった。
 この間、地元の郵便局職員であった三松正夫氏が詳細な記録を残し、国際火山学会でも高い評価を受けている。
 氏は荒廃から守るため昭和21年に私財を投じて昭和新山を土地ごと購入し天然記念物への申請などの保護に努めた。昭和新山は現在、三松家の私有地であり、世界でも珍しい“私有地にある火山”となっている。昭和26年国の「天然記念物」に指定され、昭和32年には「特別天然記念物」に指定された。

 三松正夫記念館は昭和新山の駐車場のすぐ脇にある。火山に魅せられ、火山に一生を託した三松正夫氏が克明に書き綴った昭和新山生成の記録をはじめ、書画の才能あふれる巧みなデザインや書簡などの貴重な資料が展示しされている。

pastedGraphic_7.png

 (客は私どものほか一組だけで、娘婿の現館長とゆっくり歓談できた。80歳とのこと。)

 昭和新山自体にはアジア型の観光客が目白押しであるが、記念館を訪れることは稀だ、と玄関長は寂しそうに話していた。
 昭和新山に関する資料を3種購入し、今新山について勉強中である。



10/12(木)降雨 外来 飯川病院 
 0:30起床、歴史、新聞切り抜き入力・整理。録音データ整理などいつものごとし。
7:10バス飯川病院着。8:45-13:00中通外来。13:20-18:30飯川病院、入院患者対応。院長講演会資料作成補助19:00帰宅・夕食、20:00就寝。歩数計Σ7615歩。一昨年書斎で足温器使用開始、昨年今年は未。

洞爺湖有珠山ジオパーク訪問(3) ほとんどはアジアからの観光客?
 東北・北海道新幹線で新函館北斗駅で在来線のスーパー北斗に乗り換えた。この乗り換え時間は12分ほどしかなく、駅の構造に不案内であったこともあって多少焦った。
 新幹線を降りるまでの車内の雰囲気はいつもと変わらず。一見、外国からの観光客と思われる集団はいなかった。新幹線の案内は日本語と英語であったが、新函館北斗駅で新幹線から降りた途端に駅・列車の案内は日本語と中国語に切り替わった。
 外国からの観光客というと欧米系を考える私にとっては、なんだこれは??という感じであった。

 駅のホームには大勢の乗客で溢れていた。
 私はあたかも中国を旅行しているのでは?という錯覚を持った。周囲で交わされる言葉は、私は台湾の言葉については何も判断できないが、外見上は我々と全く変わりないのに聞こえてくるのは中国語、韓国語であり、日本語はほとんど聞かれなかった。

 スーパー北斗の乗客のうち日本人は2−3割はいただろうが、日本人は静かなのであろう、あまり話し言葉は聞こえてこない。大部分中国語であった。

 私は1980年国際血液学会に出席した折、モントリオール空港で50人ほどの中国人の集団に遭遇したが、そのコーナーだけはピーチクパーチクと喧騒で、会話というよりは怒鳴り合いのように見え、異様な感じを受けた。その後、中国人の集団に関しては喧騒で落ち着きないと思い込んできたが、今回はそのイメージを捨てる必要を感じた。かなり静かに落ち着いた会話が交わされていた。

 スーパー北斗の座席前にはチケットホルダーがあって、微睡中に読書中に車掌がチケットを確認しに来ても邪魔されない様になっていて良いアイデア、と思った。私は毎金曜日秋田新幹線こまちで片道40分ほど大曲まで通っているが、ちょうど心地よくとろりとした頃に検札のために起こされてしまう。

 pastedGraphic_8.png
 (スーパー北斗の車内。チケットホルダーを示す。車内は満席で中国?の若者たちはほとんど休むことなく、スマホ、タブレットなど駆使して旅を味わっていた。私のゴミ袋が目立つ)

 洞爺湖有珠山ジオパークではできるだけ地域のバスを利用した。数回乗車したが、うち2回、中国人と思われる青年たちに席を譲られた。一度は英語が通じてなんとかお断りしたが、2度目は丁寧に断る言葉も浮かばず好意を受けた。中国・韓国ではまだ年寄りを大事にする文化風習が残っているのだと感心し、ほっこりした気持ちとなった。

 メディアでは、嫌中嫌韓と兼日本人といった互いに相容れない国民感情が強調して報じられるが、彼らの姿からは嫌いな国に来ている、嫌いな日本人と乗り物に同乗しているといった雰囲気は全く感じられず、むしろ日本が大好き、といった友好的な雰囲気が感じられた。

 私の対中国、対韓国の方々に対する印象や感覚もこの二日間でかなり変わってしまった。
 




10/11(水)降雨 飯川病院ボランティア
 1:30起床、歴史、新聞切り抜き入力・整理。録音データ整理などいつものごとし。途中微睡、12:50バス、通町珈琲店後徒歩、13:30-18:10飯川病院ランティア。Blu-rayながら視聴:「世界のいま」観る。18:00雨中バス予定も乗り遅れ、桜町までタクシー、バスに乗り換え帰宅。歩数計Σ9520歩。昨年早朝書斎にストーヴ点火。

家庭菜園・園芸2017(5) 我が家のダリア  いまがピークの見どころ
 ダリア栽培育成のきっかけは家内であったが、作業の主役はほとんど私である。彼女は偉大なディレクター、監督である。

 一昨年に初挑戦した。今季は3季目。

 初年度は、球根は雄和にある国際ダリア園にから10株入手した。私はダリア栽培は初めての経験であった。このうち8株が成長して開花した。降雪の前に球根を掘り出し乾燥、これも見よう見まねで書斎の奥で越冬させた。

 2年目は、5月初旬に球根を確認したが、乾燥しきった状態の球根は掘り起こした時の半分以下ほどになっており、発芽するか危惧された。しかし、自然の力は大きい。昨年はこれら8株のうち5株が成長し、初年度よりも見事な花をつけた。
 秋に掘り出した球根は初年度に比し2倍ほどの大きさ太さとなっていた。

 3年目となる今年は、5月初旬に4株を分割し9株に増やし、一部の株は初めて知人に差し上げた。今年は慣れもあるが、私の腰痛のために栽培時期がやや遅れ、初期の水やり、中期の追肥など不十分であったが、9株中8株が発芽した。9月には私の手術などあって台風対策の支柱立てなども十分できなかった。

 それでも、太陽と土壌の、自然の恵みは大きい。見事な花をつけた。昨年よりは背の高さも花の大きさも若干小振りとなった。
 まもなくダリアの季節は終わる。今年の花々の状態を記録しておく。
pastedGraphic_9.pngpastedGraphic_10.pngpastedGraphic_11.pngpastedGraphic_12.png




10/10(火)曇りのち雨 外来 飯川病院
 3:00起床、流石に眠い。新聞データ整理などいつものパターンに戻る。5:00可燃ゴミ提出、7:10バス飯川病院。8:45-13:15外来、14:00-18:30飯川病院、患者対応。19:00帰宅、夕食、20:00就寝。Blu-ray:「そこまで言って委員会」、「世界は今;ロヒンギャ」。歩数計Σ12069歩。N元第三内科助教授、N元由利組合病院院長訃報届く。

洞爺湖有珠山ジオパーク訪問(2) 復路は新幹線グランクラス初体験
 洞爺からの復路は、17:35-19:20洞爺発スーパー北斗8号、19:37-21:45新函館北斗発はやぶさ96号でグランクラスを初体験した。22:30-23:53盛岡発こまち35号で秋田に戻り、タクシーで自宅に移動した。

 復路の青函トンネルは夜間走行だったから地上との違いはほとんどなく、何ら意識することなく、ストレスなく通過した。

 函館北斗-盛岡間では新幹線のグランクラスを初体験した。往路は混雑し、全コースほぼ満席でグランクラスは取れなかったが、帰路のはやぶさ96号は17両編成でガラガラ。これほどの長い車両の端から端までキャリアをガラガラと引っ張って移動したが、ガラガラの客を乗せて動かすのは無駄なように思えたが、臨機応変にはできないだろう。

 グランクラス車両はわれらを含めて3名だけであった。
 東北・北海道新幹線の座席仕様は、普通車両が5列、グリーンは4列、グランクラスは3列仕様である。5列仕様の普通車はこまちの4列より座席幅が狭い。だから、わざわざ東京ー盛岡間をこまちに乗るという乗客が少なくなく、そのためにこまちの指定席が取れ難くなっている。

 さすがにグランクラスの3列仕様だと余裕があり、背もたれを倒しても他の席に迷惑をかけないのがいい。AC電源、読書灯もあり、座席の色調は白色に近く、クッションはソフト、リクライニングも快適であったが、どうせならもう少し深く、ほぼ水平位まで倒せないか、と思った。

 最近、九州地方を中心に豪華仕様の列車が話題になっている。私はほとんど興味はないが、半年先あたりまで予約が一杯だという。どんな世界の方々が利用するのか、私には理解できない。
 今回は、それに張り合うつもりは毛頭なかったが、多分、ラストチャンスかもしれないだろうからとグランクラスにしてみた。函館北斗ー盛岡間の値段は乗車券5.840円で、グランクラス15.450円、グリーン車11.330円、普通車指定7.040円だから、普通車の倍額程度で手が届かないほどではない。

 ただし、ケチな私はもうグランクラスを利用することはないだろう。
 どのクラスに乗ろうと同じ時間で着くのであれば最も安いコースで十分である。今回の旅行もこれ以外は全部普通車で移動し、別に不満はなかった。






10/9(月)振替休日 道南曇り、午後快晴 秋田降雨 帰秋 
2:00「乃の風リゾート」にて起床、本読みなど。4:00入浴、一人で快適なるも湯温がぬるめで残念。8:30遅めの朝食をのんびり摂る。再度ロビーコンサート楽しむ。10:00チェックアウト。10:30洞爺湖サミット記念館見学後、バスにて昭和新山へ。60年前と若干印象異なる。三松正夫記念館訪問、昭和新山関連資料数冊購入。15:00有珠山ロープウエイ往復。時間なくタクシー洞爺駅。17:35洞爺発スーパー北斗8号、19:37はやぶさ96号グランクラス初体験、22:30こまち35号23:53秋田着、タクシー自宅、1:30就寝。歩数計Σ12288歩。

洞爺湖有珠山ジオパーク訪問(1) 往路青函トンネル中は緊張した
 昨日10月8日は新潟大学医学部46会同級会であった。これを機会に洞爺湖有珠山ジオパークを見学した。ジオパークの名称に昭和新山の字句も欲しかった。

 自宅からの往路は、8:10秋田発こまち12号で盛岡に。10:32-12:22はやぶさ5号で新函館北斗に。12:34-14:09スーパー北斗11号で洞爺着。
 函館北斗での在来線特急への乗り換えは12分しかなく、大勢のアジア系観光客で大混雑した。洞爺駅は有名観光地の割に小さく、付近に書店等も見当たらず、路線バスもまばらで適当な便なく、タクシーにて同級会会場の乃の花リゾートに向かった。

 私は盛岡以北の列車の旅はほとんど記憶にない。多分、昭和35年春の中学3年時の北海道への修学旅行が最初で最後だったと思う。当時は蒸気機関車で、客室のグレードは三等車。二等車は今でいうグリーン車であった。三等車のシートは一応クッションがあったが背もたれは木製で堅く、長く座っていると背中が痛くなった。青森・北海道間は青函連絡船で、記憶によると往路は十和田丸、復路は松前丸だったように思う。青森で客室の円形の窓を開けておいたが、沖に出たところで大量の海水を浴び、私を含む数人がびしょ濡れになった。

 修学旅行の帰りの列車は驚いたことに全員が二等車であった。「二等車に乗れるぞ・・」と喜んだものの、制度がこの間に変わり三等車が廃止され、名前だけ二等車にグレードアップした。これもいい思い出である。

 それ以降、盛岡以北に向かったことはない。だから、北海道新幹線が1年ほど前に開通していたことは関心も乏しく、すっかり失念していた。

 盛岡から新青森間はトンネルが実に多い。新幹線の先端の形状が大きく改良されたためかトンネル内の気圧の変動はほとんど感じなかった。
 新青森を越すと間も無く青函トンネルである。

 青函トンネルは津軽海峡の海底の約100m下に設けられたトンネルで、全長は54Km。これは交通機関用のトンネルとして東洋一、世界2位の長さで、海底トンネルとしては世界一の長さと深さを持つ。深さは海底下100mで海面から240mが最も深い。当初は在来線の海峡線として開業したが、2016年(平成28年)3月から定期旅客列車は北海道新幹線のみとなっている。

 さすがにトンネル通過区間の40分ほどの間はなんとなく緊張し、息苦しい気がした。北海道側の明るい空を見たときはホッとして体の力がドット抜けた。




10/8(日)体育の日 秋田快晴・道南快晴 新潟大学46会同級会 
1:30起床。何時もと同様、書類・録音データ整理、新聞、医学論文などチェック。旅行準備など、8:10新幹線こまちにて盛岡、JR東日本・北海道新幹線、函館北斗から在来線にて洞爺湖に。9:00盛岡駅にて軽食。14:00洞爺駅着。15:00乃の花リゾートチェックイン、17:00講演会「高齢者リハビリ」こんな考え方もあるのか??、18:00新潟大学46会同級会、懐かしい顔24名。元気でいるのを確認すれば十分。19:30一次会、少量のアルコールで泥酔、一人中座、就寝。

新潟大学医学部46会同級会2017 
 本日10月8日は新潟大学医学部46会同級会で、約60年ぶりに洞爺湖/昭和新山に来ている。

 ここ10数年、ほぼ皆勤状態の同級会の出席記録は2003(H15)年から残している。今年は12回目の出席となる。

 最初は家内の付き添いという消極的な参加であったが、出てみれば楽しいので以降はほぼ皆勤状態にある。2005年家内が病気をしたので、その後の出席は家内の生存報告のためと理由付けたが、最近では我ら夫婦の生存報告を兼ねた出席となっている。

 ここ数年の開催地は、2012年 秋田、2013年は未開催、2014年 佐渡。この時は直前に家内の病気再発のために欠席。2015年 松島、2016年 月岡温泉郷、今年が洞爺湖温泉郷であった。

 今年の同級会は元北大教授の札幌在住のM氏が幹事で洞爺湖温泉郷の乃の花リゾートで開催された。

 私は旅行嫌いである。現役を退いてからの私の旅行はこの46会同級会のみとなった。だから、最近は若干の時間的余裕を作って各地を訪問している。昨年は家内の希望で長岡市にある国営丘陵公園のバラ園を見学するために前日から現地に入りバラ園をゆっくり堪能した。

 今回の洞爺湖での会は、家内は直ちに出席を決めたが、私は片道10時間もかけて移動し、懇親会に僅か1-1.5時間しか同席できない私にとっては割に合わない、と考えて欠席としていた。
 しかし、実際にチケット購入する段階になって新幹線を乗り継げば片道6時間程度ということがわかった。にわかに信じられなかったが6時間なら、と急遽出席と決めた。考えてみれば私の中では、北海道新幹線はまだ工事中であった。実際には1年以上も前に開通していた。

 当日、8:10発のこまちで発ち14:00には現地に着いた。

 会場となった「乃の風リゾート」は洞爺湖温泉郷の中では新しい施設のようであった。ホテルのロビーではヴァイオリン、オーボエ、ピアノによるミニコンサートが行われており、プロの見事な演奏を身近で聴くことができた。

 pastedGraphic_13.png

 私は2014年の体調不良以降楽器に触っていないが、もう一度トライしてみたくなった。

 17:00から元循環器系教授であったTI氏による高齢者のリハビリテーションに関する講演会があった。なかなか示唆に富む講演で、高齢者を大切にする姿勢には感じ入ったが、私の高齢者医療の姿勢とはちょっと異なっていた。

 18:00に記念撮影し、懇親会に移った。
 
 大広間に24名が一堂に会した。並べられて料理は見事であった。
 幹事からは訃報など報告なかったから、今年も物故者はなかったということだろう。我らの仲間はなかなか死なない。

 みんな嬉々として笑顔に溢れ、元気な様子であった。これが同級会の良いところである。尤も、元気でなければ出席しないだろうと思うから、まあ当然でもある。

 出席者の近況報告があった。ゴルフ、ペット、孫の話など、肩が張らなくていい。
 私は席の関係からトリを務める予定であったが、一杯のビールで泥酔してしまい、順序を早めてもらった。年一杯だけ飲むビール、美味しかった。元気な状況を報告し、高齢者はお迎え来たら争わずに死ぬべし、と持論を述べ一人部屋に帰って意識を失った。今回も席の周囲の数名と声を交わしただけだったが、出席してとても良かった。

 翌日は夕方まで時間をとってあるので付近をざっと回ってみる。これも楽しみである。






10/7(土)降雨 飯川病院午後日直
 1:30起床。何時もと同様、書類・録音データ整理、新聞、医学論文などチェック。5:30微睡。午前旅行準備、掃除など、12;30飯川病院、午後日直、入院患者安定、19:00帰宅夕食就寝 8:30就眠。歩数計Σ11542歩。Blu-rayながら視聴:「世界が驚いた日本:京都の文化財後半」、「地球大紀行:大西洋」。

私の外傷歴・疾病歴(12) 疾病歴(10) 鼠径ヘルニア手術(5) 本日でちょうど一月経過
 ひと月前の9/7日私は鼠径ヘルニアの手術を受けた。ちょうど本日で1ヶ月経過した。

 当初は腹腔鏡による手術を施行したが、今までの病歴からそれは困難ということで従来の術式で全身麻酔下で受けた。

 傷そのものは、感染の徴も出血の徴もなく自発痛や圧迫痛はないが、もっとも処理に難渋したと思われる鼠径靭帯部分は1.5x4cm程度のしこりが触れ、その部分は押せばそれなりに痛い。手術は通常のコースより1時間ほど長くかかった、と説明を受けたが、テニスボールほどに広がったヘルニア孔の処理に手間取ったのだろう。

 私の受けた術式は、ヘルニア嚢を切除後に、開いた筋肉の穴に手術用立体メッシュを用いて栓をするMesh-Plug hernioplastyと言われるものだろうと思う。私は外科的知識、特に個別の術式などは知らないので詳細は記述できない。
 しかし、立体的なメッシュは手術後硬い塊となるため、痛みの原因となったり、再発を起こすといった問題が指摘されている。症状から見ればまさに今の状態の一部がこれに相当する。

 今後のことを考えて鼠径ヘルニア手術の合併症をまとめてみた。
 手術は無事終了した、と説明受けたが、手術の成否はこれらの合併症の恐れがなくなった時期に判断されなければならない。

■感染、化膿:稀であるが、術後数ヶ月で発症する場合もある。頻度は1.5%ほど。
■創部の腫脹、硬結:多くは2週間から1ヶ月ほどで改善するが、半年から1年程かかる場合も。
■違和感:一般的に数ヶ月で軽快。
■術後疼痛、知覚異常、神経痛様疼痛の痛み:数ヶ月から半年ほど。
■再発:全ての患者のうち、約2-5%に生じる。
■漿液腫:自然に吸収されて消えることが多い。1.5%。
■術後の慢性疼痛:術後3ヶ月以上続く慢性疼痛が10-40%の患者に認められたといった報告が見られるが、術後60日から1年を過ぎる間に軽快。

 まあ、私の場合はまだ1ヶ月であるが、現在のところ順調な術後経過を辿っているといえよう。
 今回の治療も、振り返って見れば、私の勝手な自己判断で治療時期を遅らせてしまったようだ。反省を要する。

 術後再開した外来で、私が外科の主治医に紹介した鼠径ヘルニア患者のうち2名が私と同じ日に手術を受けていた。2名とも経過良好なようである。






10/6(金)快晴 大曲外来 飯川病院ボランティア
0:50起床、新聞その他文献チェック何時ものごとく。4:30可燃ゴミ提出。7:35Taxi駅に。8:10こまち、9:00-12:20大曲中通病院。往路徒歩。13:30飯川病院ボランティア。入院患者対応。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ8141歩。

国会解散2017(5) 民進分裂はいい結果をもたらすかも
 1996年に結党した旧民主党の流れをくむ民進党が分裂した。
 もともと民進党は「寄り合い所帯」であった。だから、数の上では最大野党であったが、何も決められない、機能不全状態にあった。この党の分裂・解消は、政策・理念を軸にした新しい野党形成を促す転機になることが期待される。

 「非自民・非共産」の保守勢力を合わせた政権交代可能な新しい受け皿をつくる。民進党の前原代表は就任直後に「改革保守」を当げる希望の党への合流を決断し、民進内のリベラル系は立憲民主党をつくる道を選んだ。
 もう一度政権交代を皆さんと一緒にやりたい、前原氏が9月28日の両院議員総金で訴えかけ、小池都知事が代表に就いた希望の党との合流に理解を求めた。

 希望の党は得体がしれない党であったはずなのに、このような提案が出て承認されることなどうなんだろうかと、私は思った。最初に解党して、意を同じにするグループを作り、その上で希望の党に属するというのが筋だと思うが、党全体を・・というのは初めからおかしい。希望の党が小池氏を党首とする民進党になってしまうではないか。特に、元総理などの重鎮がそっくり移って来られて困るのは希望の党の方で、拒否するのは当然であった。
 衆院週を間近に控えていたから、分党などの手続きは無理だったのだろう。

 前原氏は党勢が回復しない民進党の閉塞を打ち破る最後のチャンスに映ったのだろう。しかし、党としては節操が無さすぎる。
 党内には、改憲派と護憲派が同居し、外交・安保政策などの主要政策でもまとまらない。

 自民党も多彩な考え方を持つ議員で成り立っているが、最終的には党としてまとまる老練さがある。民進党にはそれがなかった。

 今回、希望の党によってリベラル系議員、民進党の重鎮達が「排除」されたことでうまく選別されたことになるが、それでも希望の党内では多分問題を醸し出すだろう。それでも、野党勢力は民進党よりはマシになると期待される。

 まだ先のことはわからないが、前原氏は意外といい決断したのかもしれない。一時的な新党ブームに終わらせないでほしい。




10/5(木)快晴 外来 飯川病院 
 0:30起床。文献・新聞他。バス7:10飯川病院、8:45-12:30外来、12:45飯川病院、14:00-18:25勤務。19:10帰宅、19:00夕食、20:00就寝。Blu-rayながら視聴:「世界が驚いた日本:京都の文化財」。歩数計Σ13666歩。

国会解散2017(4) 希望の党 小池氏の人気以外に何も見えない 
 安倍首相が決断した衆院解散・総選挙。
 首相は絶対に勝てる「今しかない」、と踏み「伝家の宝刀」を抜いた。今の安倍首相ならそう考えるのは当然だろう。何しろ、不祥事閣僚の不自然な擁護、森友・加計学園問題などを機に、内閣支持率は一気に低迷し、自身の政治基盤は揺らぎ始めてきた。昨年までは飛ぶ鳥落とす力を発揮していた首相だが、首相交代論も出てきた。
 なんとかして自身の基盤を確固たるものにしたいと思ったのであろう。

 選挙は民主主義の礎である。最大の権力闘争でもある。
 選挙に勝利するには、相手が弱みを見せたタイミングで仕掛けるというのは理にかなっている。何しろ民進党が内部の混乱から一気に力を失ってきたからである。

 あっと驚く冒頭解散を仕掛けた。いつも問われる解散の大義もない。「首相は説明せよ」、などとメディア、識者などは問うているが「今しかない」というのが説明となる。何しろ首相にしかない解散権を有しているからで、これを用いない手はない。首相特権の私物化であるが、明らかな権利なのだから他のものがクレームをつけてもしょうがない。このことを含めて投票で評価するしかない。

 ところが、首相に大きな誤算があった。
 国会解散の記者会見と時を同じくして小池東京都知事が国政新党「希望の党」を立ち上げ、3つに分裂した民進党の議員がどっとなだれ込んだのだ。数の上では一気に一大勢力となった。

 首相は一体国民に何に関して信を問うかが改めて問題になる。
 首相は2019年10月に予定する「消費税率10%への引き上げ」に信を問いたいと言い、「今後は北朝鮮情勢がさらに緊迫し、解散のタイミングを失いかねない,今のうちに政権基盤を固めたい」と力説する。北朝鮮問題は一層混迷状態にあり、今なら大丈夫、となんで言えるのか。北朝鮮情勢をあげた解散の理屈はこじつけにしか聞こえない。それとも、トランプとの間になんらかの密約合意があるのか。

 消費税の使い道の変更??本来もっと早くやるべきであった若者の教育・社会保障分野への重点配分に変えるという。今までの配慮不足を棚に上げて、総括なしで方針変更するのか?

 一躍脚光を浴びる「希望の党」は小池氏の人気だけが頼みの綱で、訴えも「しがらみのない政治」など、どこか抽象的だ。大勢の民進党員を受け入れ一気に大所帯となった。歴史も実績もない新党だから党運営には「しがらみのない」話し合いなどできるわけがない。民進党出身者不満がくすぶり始めている。小池氏にもまだ実績がないし、都政の運営を見ても問題提起はするが明快な落とし所を持っているとは思えない。まだ安心して見ておれない。

 「今しかない」と判断した首相の思い通りになるのか、希望の党の出現で大誤算になるのか。首相の演説は絶叫調になってきている。

 私もまだ情勢を読めないでいる。与党は嫌だ、投票したくない、としても、自分の権利の一票を託するに足る野党の状況は、まだまだ分からないからである。
 選挙戦を通じて候補者が何を訴えるのか。じっくり聴いて見たいものである。




10/4(水)午前降雨午後快晴 飯川病院ボランティア 
 1:00起床。読書、録音データ整理と処理、新聞データ化、データ分類など。歴
史関連本読み。13:30バス飯川病院-18:45ボランティア、19:00車帰宅、夕食、20:00就寝。Blu-rayながら視聴:「体の秘密:怒りは美の大敵」、「バクモン:消防車工場」。歩数計Σ6873歩。

10月 県内の中学・高校は夏服から冬服へ衣替え
 10月2日の県内は、時折日が差す穏やかな天気であった。街路樹の葉、千秋公園の木々がうっすらと色付き始めた。もうすっかり秋である。

 10月といえば衣替えの時期、県内の中学・高校は夏服から冬服へ衣替えした。冬服へ衣替えで街の雰囲気がガラッと変わる。これから厳しくなる季節を先取りして私にはちょっと辛い風景であるが、毎年の街の風物詩の一つである。
 登校時間帯にはちょっと早いが、私も深まる秋を感じながら、毎朝病院に歩いている。時折すれ違う高校生たちの、明るく生き生きした表情がまぶしい。 

 季節の移り変わりのニュースは節目節目に地方紙を飾る。この場合、掲載される写真が重要である。
 10月2日の秋田さきがけ新聞、岩手日報共に女学生の通学姿を掲載したが、前者の写真はなぜかマスク姿であった。何もわざわざマスク姿を掲載することがなかろうが、何か別の意図を伝えたかったのか??・・・と私はちょっと違和感を持った。

 pastedGraphic_14.png
 (秋田さきがけ新聞 マスク姿が目に入る)

 pastedGraphic_15.png
 (岩手日報 高校生たちの、明るく生き生きした表情がいい)

 日本人の特徴として昔はメガネ、カメラが特徴と言われたのものであるが、今は「マスク姿」だと思う。いつの間にかすっかり慣れてしまった風習であるが、海外の国々ではマスクをするのは「感染症等に罹患している病人、または、職業的に着用が必要な人」にほぽ限られ、マスクをして街を歩いている人はほとんどいないし、いれば敬遠される。確かに、各国の生活を報じた画像などを見てもマスク姿はほとんどいない。

 風邪などの時にくしゃみや咳の飛沫によって他人に移さないための「せきエチケット」を除くと、通常入手できるレベルのマスクをに直接的感染症予防効果はない。何となく安心感を得るための自己防衛であるが、街中で着用する意味はほぼない。日本人が陥りやすい非科学的医学的常識とそれに伴う習慣である。

 私は診療時にはマスクを着用するが、目的は無精ヒゲ隠し、テューリップ隠し、耳の遠い患者と対話する際のツバガードである。少なくとも屋外でつけることはない。100%意義を感じないからである。

 さきがけ新聞の秋の衣替えに用いた写真は、表情隠しのだてマスク目的のように見える。あまりいいことではない。顔を、表情を隠すという悪しき風習を後押しすることにつながり、私は適正でないと思う。
  (秋田さきがけ新聞、岩手日報の写真を引用させていただきました。)

 マスクの効能
                           



10/3(火)午前降雨午後快晴 外来 飯川病院
 1:10起床、新聞・文献チェック、電子化、徒然など。5:10家庭ゴミ出し。7:10バス飯川病院着、8:45-13:00中通病院外来、混雑、疲弊。13:15飯川病院、14:00-18:30勤務。入院患者対応2件、外来1件、19:00帰宅、夕食、20:30就寝。Blu-rayながら視聴:「ヒストリア:美の巨人エカテリーナU世」。歩数計Σ12972歩。

健康増進・医療にどこまで期待できるのか(2) 健康とは何か
 少し前だと医師と患者の知識には大差があった。保険診療できない薬品、検査も多かった。しかし、いまはメディアを通じて情報は入ってくる。その情報の大部分は私は意味のない情報だと思っている。しかも、保険診療はどんどんと充実してくる。

 この恐ろしいほどの医療情報の交錯のなかで、ますます患者は、冷静な目で医療の情報を判断できなくなってきている。
 さらに健康でありたいという欲望は相変わらず、追求され続けている。
 これが果たして健全な状況なのであろうか。

 人間は健康でなければいけないのだろうか。いつのまにかそういった医療情報の中で確固たるものになってしまった。価値観の多様化するなか、当然健康の定義も変化していくべきであるのに、こんな画一的な考え方に固執するから相模原の身障者施設の殺害事件も起こってくる。

 だれもが健康でなくてはいけないということで、健康食品を求め、サプリメント等の健康補助薬を飲み、ちょっとでも変わったことがあればすぐに医者へ行く。
 子供が遊んでいて膝小僧をちょっと擦りむき血が滲んでいるだけ救急外来を受診し、母親が「破傷風は心配ないのでしょうか??」とのたまわる。起きがけにくしゃみが3発でたので、と内科外来を受診し、「肺炎は心配ないでしょうか?」。
 それだけ健康に興味を持ちながら、健康維持に関して自ら勉強することなく、最小限の努力すらしない。

 労働世代は、人間ドックを会社の費用で受けながら、タバコを吸い、深酒をする。戸口から戸口まで車で移動し、栄養たっぷりな食事をとって、デブっている。生活そのものが安易である。人間が生物である以上、最低限の運動は必要であるが、安易な道に走ってしまう。

 自然界における動物の場合、体重増加、怠惰な生活態度、外傷は直接死を意味する。自ら餌を取れなくなるし、天敵から逃げられない。例外は、人間とペット、動物園の住民たちだけである。ここまで生きて、生かして満足するのは、人間だけ。

 しかも、会社の検診等は労基法に基づいて行われ、タダだから、検診結果にはそれほど関心を持たず、異常の再検査勧奨に対しては再検査は受けない。
 人間ドックや健康診断の結果に不安を抱きながら、その結果がほぼ正常であれば、もうそのあとの健康管理はおこなわないというのが一般的だ。

 現代人は、いったい健康をどう考えているのであろうか。健康というものをどう考え、どう実現していくのが実践的なのであろうか。さまざまな調査や医学的事実に基づいて、新しい健康観を考えてみたいと思う。

 医療はもはや医者まかせにしている時代ではない。
 この高齢化の時代、大部分の人が大なり小なり老化による障害を持つ。老化による障害や疾患に医療が関与できる部分は少ない。
 高齢者ひとりひとりが、自分の健康観や信条を持つべきである。そのなかで自分ができることはなにかを考えていくべきである。
 それ以上に必要なのは、命は必ず尽きるから、一人一人がその時に向けて死生観を確立しておくことである。





10/2(月)快晴 健康クリニック 飯川病院 
 0:50起床。いつもの如く。7:10バス通町徒歩、千秋公園ハトに餌まき。乾燥米はこれで底ついた。飯川病院着。8:30中通病院外来で一名診察、明日化学療法に。9:00-11:00健康クリニックドック業務14名。飯川病院へ。歴史本など。14:00-18:30勤務、19:00帰宅、夕食、20:00就寝。Blu-rayながら視聴:「ヒストリア:フランス機ハイジャック事件、金大中事件」、歩数計Σ9712歩。

健康増進・医療にどこまで期待できるのか(1) 最も恵まれていおる日本人の最も不幸な姿
 昨年8月中旬、秋田氏の川辺地区の健康講話会で「あなたは何才まで生きたいですか?」、9月中旬には秋田ゾンタクラブで「医療介護に頼らず長く生きる」と題する講演を行った。
 両者の講演に共通するコンセプトは、あまりにも不自然な、効果がほとんど期待できないような健康増進法がはびこっている、さらに、医療に対しても、特に新聞のニュースに取り上げられるような先進的医療に過度の期待を抱いている方々が多すぎるから、ソフトにアンチテーゼを提示した内容であった。

 今年も秋田ゾンタクラブから講演依頼が来た。昨年の講演が評判が良かったから、ということであったが、予定していた講師の何名からの承諾が得られなかったこと??で回り回って来たのだろう、と思う。今年も同じような演題、「健康増進・医療にどこまで期待できるのか」、にした。
 何も目新しいことを提示できるわけではないが、初めて聞きに来られた方にはちょと目新しいだろうし、リピーターの方々はなんか似たようなことを聞いたことがあるな、と思ったとしても、もう内容を忘れておられるだろうから問題はなかろう。

 日本人は世界でも有数の生活環境にあり、結果として平均寿命も世界一である。
 にもかかわらず、私の目から見ると総じて健康に過度の不安を抱えて生きているように見える。

 何故、現代人はこれほどまでに、健康に関することに、みな不安を持つようになったのだろうか。テレビや新聞は毎日、医療の問題や健康に関する情報を流し続けている。広告だって健康関連が目白押しである。
 医療や健康の情報はいくら流されても、医学知識がなくては患者側は十分な理解ができない。だから、不完全な情報に接した後で自らの健康状態と比較して不安に陥るのが常である。
 健康であることが何物にも優先した絶対的価値だと思っておられる方は多いが、ではその健康とはなにかとなると、なかなか自らうまく表現することはできないはずである。
 それは当然である。健康とはなにか、という基本が理解されていないのに、いい結果だけを求めるから、かつ、人生は全て「運」なのだ、と言う諦観や死生観などが確立していないから、ではないだろうか。

 現代人が何かの行為の動機として理解できるのは、「金銭欲、「快楽欲」、「健康欲」の三つである、という言葉がある。

 先進国に住む現代人は「食べる」、「住む」といった基本的な欲望が満たされたように見える。
 その次に興味を示すのは「健康」というものであろうことは理解できる。
 健康はある部分はお金で解決できるが、お金だけでは手に入れられないのが現実である。

 だからこそ「健康でありたい」と言う欲望は、いつになっても実現できないし、だから存在し続ける。
 その健康という欲望へ、産業もメディアも儲けるために群がってなだれこんでくる。だからこそさまざまな情報があふれている。
 
 視聴者は全員消化不良状態にある。その状態を、私は不幸なことだ、と思っている。









10/1(日)晴れ 飯川病院日直 レセプトチェック 米で銃乱射50人以上死亡
 1:30起床。いつものごとし。読書、歴史本など。8:38バス飯川病院、日直に就く。新聞チェック。10:00-11:30外来レセプトチェック前半、Blu-ray:「そこまで言って委員会:TVの危機」見直し。14:00-15:30外来レセプトチェック終了。18:30帰宅、19:00夕食、20:00就寝。歩数計Σ7037歩。

徒歩通勤2017(11) 5年続けた千秋公園のハトへの餌、餌が枯渇し終了
 私は通勤時、千秋公園のハトに餌を与えてきた。
 2012年5月からの習慣である。当時、クロスバイクで通勤していた。

 たまたま業務開始時間が迫っていたので近道し旧県立美術館前を通った。そこに腹を空かしている様子のハトが20羽ほどいた。旭川のコイに与える餌を若干残していたのでそれをハトに与えた。嬉々としてついばんだがその様子を見ていて、小中高校生時代に伝書鳩を飼育していた頃のことを思い出した。
 ある鳩の思い出

 餌をもらって喜ぶハトたちの表情はなんとも言えない。懐かしい。さりとて今自分でハトを飼うことはできない。これを機会にこのハトたちに餌をやるのがやめられなくなった。

 2013年からは徒歩通勤にしたから、厳冬期、積雪期以外は週に3-4回餌を与えてきた。
 私が近づくと近隣の木や電線からハトが集まってくる。伝書鳩、土鳩も入り乱れている。時には空を飛んでいる鳩も降りてくる。私の肩や腕にとまるハトもいる。手のひらから直接ついばんだり、餌袋の近くでホバリングしてねだるのもいる。

 餌は中通病院医局の検食用のご飯で、食べていない場合にこれをもらい、冷凍保存し、冬季間ストーブ上で乾燥米とし、それを春に手製の石臼で破砕し、ハト用にしたものである。
 餌作りの手間は結構大変であった。一時は2年間分も溜まったのであるが、医局医師も徐々に若返ってきたためか、ご飯が手に入らなくなってきた。
 ためていた餌は徐々に減り、本日の餌が最後の乾燥米であった。
 今朝は、いつもよりハトの数が多かったような気がする。最後ということで私もいつもより大盤振る舞いした。

 pastedGraphic_16.png

 (ハトの写真は何度も掲載している。いつも変わりばえしない姿であるが、本日のスナップはちょっと感慨深い)

 多分、今後は食パンをカビさせた時とか以外には餌をやれないと思う。
 餌が用意できない時はいつもの通勤コースである旧県立美術館前は通れない。エサを期待して寄ってきたハトをそのままに通り過ぎることは私には出来ない。

 「達者でな、元気に暮らせよ・・」、と声をかけ心の線引きとした。


徒然日記バックナンバーへ戻る       徒然日記へ戻る   トップページへ戻る

   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


ご意見・ご感想などをお聞かせください

これからの医療の在り方:Send Mail