徒然日記
2017年2月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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2/28(火)寒波 中通病院内科外来 飯川病院 外来レセプト
2:00 起床,文献読み、新聞チェック、徒然ほか。6:47バス飯川病院、8:45-12:10中通外来。比較的余裕。12:30飯川病院、14:00-18:15飯川病院。入院患者対応、18:30メトロホテル経由、ホテル経由、プリ帰宅、夕食。ホテル経由、20:30就眠。BR視聴:「そこまで言って委員会:日米首脳会談、北朝鮮・金正男・中国・」など2週分、「いま世界は:金正男問題」。Σ6069歩.

NHK健康番組「ためしてガッテン」で行き過ぎた表現で謝罪(1)
 NHKは2017年2月26日夜、生活情報番組「ガッテン!」の22日の放送で、ある特定の睡眠薬を服用することで「糖尿病の治療や予防ができる」などと伝えた件について、批判を浴び、番組公式サイト上に謝罪文を掲載した。

 番組放送後、医療現場を中心に内容を問題視する声が相次いだ、らしい。今回の謝罪文でNHKは「行き過ぎた表現」、「誤解と混乱を招いた」と謝罪した。

 私はこの番組をわざわざ求めてみることはないが、家族が見るのに付き合うことはある。
 番組の構成に多少の問題を感じていた。

@「ためしてガッテン!」というビジュアルは構成はいい。
A最初から結論ありきの構成。無理やり結論を導きだす。
B実験?ためしてのサンプル数が少なすぎる、
Cにもかかわらず Yes or No の判断が明快で単純すぎる、グレーゾンがない。
D医療関係者の監修は受けているのか疑問??
E人気の長番組ではあるが、毎週の放送で、マンネリ化し、取り上げる話題も乏しくなっているように見える。
F・・・

 今回の特集は、「血糖値を下げる!デルタパワーの謎」と題したもの。ある特定の睡眠薬に焦点を当て、この薬を服用することで血糖値が下がり、糖尿病が治療できるなどと説明していた。
 番組に出演していた医師は放送中、紹介した睡眠薬について「新しいので安全性が高い」として、糖尿病患者でも「わりと気軽に飲める」と持ち上げた発言。また、テロップでは「睡眠薬で糖尿病が治療できる」との説明が出ていた。

 睡眠薬の個別性など十分検討していないが、特定の製品を推奨した番組内容について、問題視する声が殺到、複数の専門医の見解も番組の内容に批判的だった、と言う。

 一般向きの健康番組の作成はとても難しい。
 医療問題、特に治療面においてはクリアカットに結論を説明できるものは少ないからである。臨床医学・医療はグレーゾンがとてもひろい。
 私も市医師会、県医師会役員の時に広報担当したことがある。その間、ラジオ番組、TV番組を作り、自らも出演したのは30本はくだらない。さらに、SARS、ノロウイルス、新型インフルエンザの流行期には頻回にTV出演した。
 私どもはいろんな可能性を想定できるが故に、作る番組は歯切れが悪い説明になることが多い。だからわれわれが作る番組は面白みに欠ける。

 NHK番組「ガッテン!」は純たる健康番組というよりはバラエティ番組である。
 ネームバリューのある医師が登場していたが、私の経験から推定するに、必ずしも思ったようは発言が出来なかったのではないかと思う。NHKの方針に合わせすぎたのではないか、と推定する。
 私の場合、用意した原稿にディレクターが大幅に修正を加え、その論旨に納得できなかったために収録をキャンセルしたことが一度ある。NHKはなかなか手強かった。  

 民放の場合はより自由度が高く、意見が異なっていてもその場で修正できた。


2/27(月)晴れ 健康クリニックドック+飯川病院 ルミエール映画:沈黙
1:30 起床、文献、徒然、その他。6:47バス飯川病院。9:00-10:45健康クリニックドック12名+結果2名。11:15飯川病院、12:25ルミエール映画:沈黙。15:30-18:30飯川勤務、19:00プリ帰宅、夕食。20:30就寝。Σ10880歩数。ヤマトからiPhone旧機種入手、データ復帰。BRなが視聴:「団塊スタ:橋田壽賀子」、「VFXディレクター:山崎貴の挑戦」、「コズミックフロント:衛星マスター」、「サイエンス:触覚テクノロジー」、「あらすじ名作:養生訓」、「昭和偉人伝:賀川豊彦」。

徒然草から学ぶ(2) (157段) 心身一如

 徒然草からはいつ読んでも新しい発見がどこかにある。
 157段も今まで何度か目を通したはずであるが記憶から薄れかけていた。また読んでみた。

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(157段)
筆をとれば物書かれ、楽器をとれば音をたてんと思ふ。盃をとれば酒を思ひ、賽をとれば攤打たん事を思ふ。心は必ず事に触れて来たる。かりにも不善の戯れをなすべからず。
あからさまに聖教の一句を見れば、何となく前後の文も見ゆ。卒爾にして多年の非を改むる事もあり。かりに今、この文をひろげざらましかば、この事を知らんや。これ則ち触るる所の益なり。心更に起らずとも、仏前にありて数珠をとり、経をとらば、怠るうちにも、善行おのづから修せられ、散乱の心ながらも、縄床に座せば、覚えずして禅定成るべし。
事理もとより二つならず。外相もし背かざれば、内証必ず熟す。しひて不信を言ふべからず。仰ぎてこれを尊むべし。

――――――――――――――――――――――――――
 (私の意訳)
 パソコン開けば書きたくなる。ヴァイオリンを持てば弾きたくなる。盃をとれば飲みたくなる。賽をとれば博打したくなる。心は必ず物事に触れて起こる。だから戯れ事をしてはならないのだ。
 仏典・経典を見れば、前後の経文も見える。一瞬にして長年の悪いことを改めることもある。今、この経典を広げなかったら、この事を知ることはなかっただろう。
 仏心がなくても、数珠をとり、経文をとれば、良い行いを自然に行う様になる。座禅を組めば、自然と禅定の境地に至る。
 外に現れる現象とその内にある真理は、もともと別物ではない。外部にあらわれた姿がもし道に背くものでなければ、心の内に真理を悟る機会は必ず熟してくる。
 だから、あながちに不平を言うものではない。仰ぎてこれを尊ぶのべきだ。
――――――――――――――――――――――――――

 上記の意訳のごとく徒然草157段は「心と体はひとつである」ということについ手の記述と考えられる。手に取ったものによって心が動かされる。だから「心と体はひとつである」ということ。だから戯れ事をしてはならない、と諌める。
 私は診療において「心身一如」は常に念頭に置く言葉であり、個々の患者が必ず持っている心身の問題点まで考えている。しかし、言うは易しいが、医師としての能力不足もあってなかなか到達できる境地ではない。わかりやすい別の言葉「病は気から」、「病は気に」に置き換えるとわかりやすいが。

 「心身一如」は、曹洞宗を開いた道元禅師が説いた言葉。生も死も、身も心も一体であるというのが根本的考え方。最近読み始めた正法眼蔵に収められている。


2/26(日)晴れ午後から寒波雪模様  
1:00起床、文献関連、iPhoneデータ一部戻らず、雑誌や本の整理など。9:15-11:30アップルと電話対応。結局一部のデータ戻らず。ヤマトから旧機種再入手できることに。NHK-TV「のど自慢」見る。微睡、ネコに破られたステンレスの網戸の修理再生。16:00データ整理。新聞PDF化、19:45夕食、21:30就眠。Σ4794歩数。BR視聴なし。

ふるさと納税2017(3) ふるさと岩手は春に向かっているだろうか
 ふるさと納税を考えながら、ふるさと岩手はいま頃春に向かっているだろうか、との考えが頭をよぎった。

 温暖化のせいか、近年は秋田の降雪もめっきり少なくなった。秋田はもう完全に春の雰囲気である。
 私のセピア色の思い出の中では岩手ではいま頃もこんこんと雪が降っていた。何しろ、私の小学校の入学式は降雪の中を母と一緒に歩いて行った記憶がある。

 自然の営みは偉大である。冬の間はぼんやりと雲をかぶっていたお日さまが、次第に明るくなりじわじわと雪を解かしなから環境を春へ近づけてゆく。
 ふるさとの春は水辺から始まる。日当たりのよい小さな池、農業用貯水池、川の土手や、小川の岸辺の縁から、待望久しい土がのぞく。それは子ども心にも感動的だった。心も明るくなる。やがてその土にふきのとうがいつの間にか首を出している。マンサクの花が咲いて春を告げる。雪国の春はモノクロの世界から黒い土と淡い緑と黄色のカラーから始まってゆく。

 戦後、団塊の世代が日本の高度成長を支えた。団塊の世代は私の人生とともにあった。社会は生き生きしていた。活気があった。「百年に一度」の経済危機、工場閉鎖なども乗り切った。
 その世代もいまやアラカン、アラウンド還暦と呼ばれ、現役からの退場と期を同じくして日本の活力は一層弱まってきた。

 いま、地方創生が言われている。都会の余剰人員、労働力を地方で吸収し、人口減、人手不足の農業にも振り向けようと画策しだした。これで地方と農業に人口と活力が戻るなら、それにこしたことはないが、今までの無策に対していささか釈然としない思いも残る。地方創世の動きも一時的でなかったか?一億総活躍社会と名を変えて細々生きているようであるが、求心力は失われた。

 地方は戦中はもちろん、戦後も一貫して人口の調節機能と労働力供給を担わされてきた。敗戦時、地方は多くの帰還兵、復員兵を受け入れた。高度成長期には労働力を供給した。その間、地方は少子化高齢化が進んでい行ったが、その対策は後手に回った。絶滅集落が話題になってから慌てて、地方創生、地方活性化と言われても釈然としない。
 そしていま、都会で役に立たなくなったアラカンの受け皿になってくれという。アラカン世代は地域でどう活躍できるというのか?地域に受け入れ態勢はない。

 ふるさと納税は、地方の活性化に対して、現役世代が果たすことの出来る数少ない方法の一つである。一定の効果はあるだろうが、ふるさと納税の理念が返礼品によって歪められているのは残念である。


2/25(土)曇り時に快晴 iPhone7Plus修理交換 歯科受診
 1:20起床。新聞、文献、徒然などゆったり進める。午前はiPhone7Plus修理交換後のデータ復元などに疲弊する。微睡、倦怠感等体調今ひとつ。午後は製本修理、クリーニング店、網戸の修理用品購入、15:30-16:30歯科受診。録画データ項目別整理。20:00家内講演会食道疾患から帰宅、夕食、21:30就眠。Σ9217歩10941Km。

ふるさと納税2017(2) 私は返礼品などいらない 
 総務省は昨年4月、ふるさと納税の返礼品について、@金銭に近い、A資産性が高い、B高額、返礼割合が高い、に該当する返礼品は取りやめるよう通知を出した。ただ、強制力はなく、通知後に返礼品を増額した自治体もあった、と言う。

 一方で、総務省ではふるさと納税自体が下火になりかねないことを懸念している、という。また、「地方自治体がお互いに競争することも、地域活性化のために良い」との考え方もあるようだが、やはり何か変でないか。

 私はふるさと納税について、興味はあったが次第に納税の本質からずれていることから距離を置いて別の寄付を続けている。
 私は3.11の東日本大震災に対して、岩手県出身者として、何らかの貢献したいと思い、岩手県の会計管理者あてに、かつては年間100万円超、現在は収入が減ったからその半分くらい毎月送金を続けている。これに対し、岩手県知事から礼状が一枚届くだけであるが、私はそれで十分満足している。寄付金の捻出にはそれなりに苦労しているが、今の所欲しいものもない。少なくとも私の寄付金は岩手県の復興のために有効に使われている、と思っている。

 このような立場だからこそ、私はふるさと納税の、特に最近の返礼品競争の状況についてとても看過できない。

 私の場合は岩手県で生まれ、医療や教育等様々なサービスを受けて育ち、やがて秋田で収入を得てそこで納税を行っている。その結果、自分を育ててくれた故郷には税収が入らない。これを補う納税システムがふるさと納税である。自分の故郷に限らず、どの自治体にでも納税を行うことができる。

 ふるさと納税は、都道府県市区町村への「寄附」扱いなので、寄附金額の一部が所得税及び住民税から控除される。ふるさと納税では自己負担額の2.000円を除いた全額が控除の対象になる。したがって、節税対策にもなり、収入が多い人ほどこのメリットが大きい。

 だから、ふるさと納税には、@故郷への貢献、A節税対策、B返礼品を貰う、のメリットがある。
 返礼品についても、地域の特産品を用いるとすれば地産地消の趣旨に合致するから地域の活性化に寄与する、ので否定する必要はない。程度の問題だとおもう。

 総務省のデータからふるさと納税の納税額を調べて見ると東日本大震災・原発事故の罹災三県が特に多いと言うわけでもない。趣旨から言ってちょっと残念な結果である。

 ふるさと納税は今一度原点に立ち返って見直すべき、と思う。


2/24(金)夜間降雪2-3cm 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:10起床。文献・データ整理、読書。5:00可燃ゴミ出し、夜間降雪2-3cm。7:30Taxi駅に、8:10こまち、8:55-12:15大曲中通病院外来。13:45-18:30飯川ボランティア、16:00北都スタッフ来訪。19:00Taxi帰宅、19:15夕食、20:15就寝。BRながら視聴:「昭和は輝いて:外国人タレント」、「100分で名著:中原中也詩集(1)(2)」、「コズミックフロント:天体衝突」。Σ9782歩10934Km。

ふるさと納税2017(1) 何か変ですよ
 ふるさと納税がブームになっている。
 納税は、ブームというような言葉をかぶせるのに最も相応しくないと思うが、当面私も使うこととする。
 納税者が豪華(?)返礼品に踊らされ、ふるさと納税は本来の趣旨から次第にかけ離れてきている、と思う。

 ふるさと納税は、自分が住む自治体に納める税金の一部を、2千円の手数料を払ったうえで、生まれ故郷や応援したい自治体に寄付する仕組みで、08年度にスタートした。私はこの時点では面白い試みと思っていたが、次第に返礼品が肥大化して疑問に思い始めていた。

 返礼品は当初は地域の特産品などが中心だったが、税収入を増やしたい各自治体が返礼品を競い合うようになった。次第に、高級食材や家電、商品券などが高額になり、納税者がそれらの返礼品入手を目当に、また、節税対策として利用する人が増えた。

 総務省のまとめによると、寄付総額は08年度は約81億円だったが、15年度は約1653億円に登った。このうち4割が納税者への返礼品の調達費などに使われている。返礼品が納税額の7割相当という破格の「還元率」が話題になったところもある。

 返礼品を変えたことによって納税が著しく増えた自治体もあることから、納税の目的が明らかに変わってきたことは確かである。返礼品コストが高ければ、住民サービスに充てる財源が減るし、実質的税収の減少になる。

 納税は「教育の義務」「勤労の義務」と共に国民の3大義務として憲法に定められている、国民として果たすべき最重要課題である。かつ崇高な義務である。
 それなのに、表現が悪いかもしれないが、国・自治体が半ば国民の義務を「オモチャ扱い」にしてそれに納税者が踊らされているのではないか、と思っている。

 当然、納税者の一人である私は返礼品競争に歯止めが必要、と考え、国が何で乗り出さないのか疑問に思っていた。やっと総務省が対策に乗り出すと言うが、遅すぎないか??

 それによって、ふるさと納税自体が下火になっては元も子もなくなる、という考えもあるが、何ということない、単に振り出しの頃に戻るだけ。いいじゃないか、と思う。本当にふるさとに貢献したいと考える納税者は納税し続けるだろう。それに、納税する場所が異なるだけで、国全体とすれば税収が減るわけでない。

 総務省は、税制などの専門家、地方団体の当事者らから意見を聞いて課題を洗い出し、今春をめどに改善策を取りまとめる方針だ、と言うが、あるべき姿に戻すことも独自に決められないのだろうか。


2/23(木)降雨 外来 職員検診 飯川病院
 1:00起床。文献チェック他。本読み、徒然など。降雨のためにバス諦め7:30家内の出勤に同乗飯川病院。8:40-13:00中通病院外来+10:30途中で職員検診+ドック判定総括12名。14:00-18:00飯川病院勤務。文献新聞、BRながら視聴:「プロファイラー:マリア・テレジア」。19:10Taxi帰宅、夕食、20:30就寝。Σ8919歩。

本 漫画『その「おこだわり」、俺にもくれよ!!(1)(2)(3)』清野とおる著 講談社
 私は本も漫画も好きだ。漫画は価値が低いとは思わない。漫画を読むメリットは大きい。読んだことがきっかけとなって興味が広がって、さらに深く追求している分野も少なくない。
 最近上記の漫画を購入、そのこだわりが興味深く、私も積極的に取り入れ、生活にちょっとだけバラエティがつき豊かになった。

 日常の生活で人はいろんなものにこだわっているものと思う。私もその一人であって、どうでも良いことに強いこだわりを持っている。こだわりを持つということはその近辺の価値判断が狭いということである。私はそうだ。すごく狭い。
 この作品はそんな「おこわだり」を持つ人を探し出してスポットを当て、漫画でレポートする。漫画でなければ成り立たない作品と言って良いように思う。

 作者の作品は今まで読んだことはない。絵も過剰な背景がなく、読みやすい。どこからこの漫画を見つけたのか忘れてしまった。

 取り上げられたこだわりの項目は以下のごとくである。
―――――――――――――――――――――――――――
1巻
?1. ツナ缶の男 ?2. 寝る男 ?3. アイスミルクの男 ?4. ポテトサラダの男 ?5. ベランダの男 ?6. 白湯の男 ?7. 帰る男 ?8. 内ポケットの男 ?9. さく男 ?10. コンソメパンチの男

2巻
?11. 薄皮パンの男 ?12. 中国うなぎの男 ?13. トマトのかす男 ?14. うめ粒の男 ?15. ねぬ男 ?16. シロップおじさん? 17. パルおばさん? 18. 配置青年 ?19. 土日、人に会わぬ男(前後編) ?20. 読む男

3巻
?21. フランクフルトの男 ?22.メロンの女 ?23. すしざんまいの男(前後編) ?24. オールドファッションの男  ?25. フックの男 ?26. 基礎体温プラス1度の男(前後編)
―――――――――――――――――――――――――――

 取り上げたこだわりの数々がたまらない。しかも、それほど苦労なく真似できそうなものが多いのがいい。

 自称こだわり人間ならこだわりに関してその人独特の意見や主張を持っているだろう。小さい物事に、己だけのシアワセを見出し、それをひたすら楽しむ。人からどう思われようと、そんなの関係ない。そんな世界である。
 私の立場ではどの項目を取っても面白い。清野氏はこだわりのない立場でインタビューしながら時折ツッコミを入れる。これがまた良い。この辺が漫画の良さなのだろう。

 私はこの本で初めてポテトチックスを食べてみた。フランクフルトも、薄皮パンも同様で、ひと月ほど前からこれらを求めて食べてみている。
 今の所はこんなところであるが、私も積極的にこれらのこだわりをいろいろ取り入れたいと思っている。


2/22(水)曇り 映画鑑賞 美術館 フランクフルト初体験 飯川病院ボランティア
 1:00起床。文献チェック他。本読み、徒然。8:45家内の車で市内まで。9:55ルミエールで映画「この世界の片隅で」鑑賞。千秋美術館「描かれた人」2回目。帰路コンビニでフランクルト購入、昼食として食す。13:30飯川病院ボランティア。患者対応。15:00バスにて帰宅、がたつき始めた椅子一脚を修理。満足できる仕上がりであった。ネコと遊び、書類処理など。19:00夕食、20:30就寝。BRながら視聴:「サイエンスゼロ:アンドロイド」、Σ8919歩。


本日はフリー日、話題になっているらしい映画を観てきたら?と勧められ、私は素直にその助言に従った。自分の判断だけで過ごすと世界が狭くなる。映画は「この世界の片隅で」で、能年玲奈、改名「のん」が出るらしい映画である。

 第13回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞を受賞した同名のコミックを映画化した作品。私はルミエールの入り口で初めてアニメ作品であることに気づいた。「のん」は主人公の声、と語りを担当していた。何年振りかで元能年玲奈の可愛い表情が見れるかな??との期待はおじゃんになった。

 第2次世界大戦下の広島・呉を舞台にした無名の少女の生活を描いた作品。
 故郷の広島市から20Kmの呉に18歳で嫁いできた主人公すずは、戦争によって様々なものが欠乏する中で、生活に工夫を凝らしていた。日本海軍の拠点で大和を建造した軍港呉は激しい空襲の標的となった。前向きに生きるヒロインと、彼女を取り巻く人々の日常を描く。空襲で自らの右手を失ったが、健気に生きる。8月6日の朝、爆心地から遠い呉でも閃光と衝撃波が響く。8月15日、ラジオで終戦を知る。

 場面場面には戦時下の軍港呉の生活が生き生きと描かれる。私が生まれる前の日本の文化、米軍の爆弾投下、機銃掃射から逃げ惑う姿が忠実に描かれる。アニメであるが、戦争の恐怖感はリアルに伝わった。

 アニメによる表現の拡張は発想次第で自由自在だ、と思う。むしろ実写映画、CG多用の作品に勝る部分がある。ジブリ作品では、動画を1枚ずつ筆のように強弱のある柔らかいラインで猫き、淡い水彩画のような色をつける手法を採用している。この作品もその線に沿ったのであろう。この作品では一層発展と進化した制作技能の進化が感じられたように思われた。

 とにかく、画面が美しい。畑、野原の草花が美しく、人物の表情の描き方も自然である。デジタルアニメのクリアな映像とは一線を画するものがある。

 わが国のアニメの発展はとどまるところを知らないようだ。
 私はその詳細を知らないが、アニメ史を振りかえれば、かつての派手派手の作画手法、クリア過ぎるCG作品によって作られた作品はちょっと近寄りがたい。水彩画のような柔らかな作品によって「送り手と受け手の距離の近さ」が生まれ、大変革が起きているように見える。真の進化と発展は、まだまだこれから広がっていく、と思う。

 この作品は、制作資金、プロモーション費用の一部をクラウドファンディングで一般から調達したことでも知られる。終了後には協力者の名簿が長々と示される。ミニシアター中心の映画としては制作前から支持され、異例のヒット作となっているようだ。

 「のん」は直接見れなかったが、語りとセリフはとても心地良かった。


2/21(火)曇り時々晴 外来 飯川病院 
1:00起床。新聞・文献など読み、5:00可燃ゴミ集めたが提出せず。やっと朝が早くなってきたという感じ。6:47バス飯川病院、8:45-13:00中通外来。14:00-18:30飯川病院。19:00帰宅、夕食。BRながら視聴:「ワイルドジャパン(3)」、「痴漢問題」、「ヒストリア:着物1000年のトキメキ」、「コズミックフロント:惑星の誕生」。19:30帰宅、夕食、20:30就眠。Σ9867歩。

社会保障環境2017年(9) 「シルバーデモクラシー」(2)18歳選挙権への期待
 「シルバーデモクラシー」の改善のために若い世代が投票の環境整備が欠かせない。
 前回の参議院選から、70年振りに選挙権年齢が引き下げられた。私は長期的には大いに意味あることと考えているが、昨年の投票の結果はちょっと期待に反していた。

 若者の投票率を資料から拾ってみた。

 総務省の資料によると、投票率は、18歳が51.28%、19歳が42.30%、18+19歳は46.78%であった。
 18+19歳で都道府県別で見ると東京の57.84%、以下神奈川、愛知。最低は高知の30.93%、宮崎、愛媛で都会で高く、地方で低かった。
 秋田県は42.29%、岩手県は43.03%とともに中間であった。

 この都会で高く地方で低かったという差が出たのはなぜなのか。

 選挙管理委員会の働きかけの違いが理由の一つとされている。東京都選管は出前授業や模擬投票など多様なアプローチを展開した。東京では10代の投票率が全世代の投票率を0.34%上回り、全体を押し上げた。「投票した後も政治に関心を持ち続けて・・」、と
都選管は呼びかけている。秋田県選管とかではどうアクションしたのであろうか。

 民主主義における主権者教育の目的は投票率のためだけではない。社会的課題を自分で見つけて考え、解決する能力を育てることで、社会で活躍できる人材の育成を目指す。
 成人年齢を引き下げる検討も始まった。

 若者たちの投票率はキャンペーンの割に低かったが、その理由として以下が考えられる。
 第一は、急に投票権が与えられ、政治について考えなさい、と言われて戸惑ったこと。長い間、子ども扱いし、政治から遠ざけてきたのに急に何だ!!というのが正直なところであろう。

 第二に、18歳選挙権の対象世代は、日本と自分たちがが幾多の難問に直面していることを頻繁に見聞きしている。政治の世界にいい話はあまりない。実際、若者たちはこのまま避けていたいとの意識が働く。しかし、だからこそ政治に耳を傾ける主権者になることが重要な時代に入っている。

 今後、18歳投票権を持つ若者に期待することは、
 第一に、少なくとも、「投票しないことが私の主張だ・・・」などと言うことは一見若者らしく「カッコウがいい・・」と思っている有権者もいるだろうが、バカな考えである。なんと理屈つけても何れ税金はしっかり取られる、あるいは取られる存在になる。「選挙に行かないで納税だけしっかりする有権者ほど政治家にとって都合の良い人間はいないのだ・・」との自覚を持つことが重要である。

 第二に、まず投票するという決意が大切である。そこから全てが始まる。政治は複雑な仕組みで成り立っているが、その複雑さが徐々に見えてくるのも、投票の決意を固めればこそである。政治は分かりにくいが、誰だって迷いながら選択している。

 第三に、新しい感覚を身につけた若者たちの台頭と蓄積こそが、将来の日本を変えていく。

 総じて、昨年の参議院選挙は準備期間が少なかったと思う。


2/20(月)雪・曇り 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。文書整理、徒然他。積雪5cm、除雪なし。6:47バス飯川病院へ、9:00-11:00健康クリニックドック12名。その後飯川病院。14:00-18:50勤務、19:30帰宅、夕食、20:30就眠。BR視聴:「林初耳関係2本」、「世界が驚いた日本:ランキング50」。歩数計:Σ6505歩。

社会保障環境2017年(8) いわゆる「シルバーデモクラシー」とは(1)
 最近、シルバーデモクラシーという言葉が散見される。
 シルバーデモクラシーというのは、有権者のうち、高齢者が占める割合が高く、かつ、若者の投票率が低いために、選挙結果に必要以上に高齢者にの価値判断が反映されることをしめす。

 我が国でも選挙の際この傾向は顕著である。人口の4割が高齢者であり、若者が投票に行かない傾向があり、有効投票の6割以上が高齢者である。しかしながら、もともと我が国の高齢者福祉は厚目であるために、選挙におけるいわゆる「シルバーデモクラシー」は一回ごとの選挙で顕著に現れてはいない。

 欧米で昨年、一昨年に年齢間のギャップが結果を大きく左右した。
 英国の国民投票では、高齢者はEUからの離脱を志向し、43歳以下の若者はEUにとどまる意見の方が多数であった。投票結果は離脱となり世界を驚かした。アメリカの大統領選挙においては若い有権者は反トランプ的であったが、結果はトランプ氏であった。ギリシャの国民投票でも年代別に意見が異なっていたという。

 これらは二者択一の投票であり結果は Yes or Noで明快に示される。結果は高齢者の意向が濃厚に反映したものとなった。

 選挙による民主主義は、老人の、老人による、老人のための政治より、となっている。このことの是正は将来さらに重要になっていくだろう。

 民主主義の基本は多数決を背景にしている。本当ならば多数決に頼らない納得の政治が理想であろうが、それでも最終的には数の論理で結論を導かなければならない。
 若い世代の人たちがより長くその国を支えていくことを考えれば、選挙が高齢者寄りになっていくことは問題がある、というべきであろう。少子高齢化は我が国では当たり前の感覚になりつつあるが、年齢別の構成人口が変わり投票率が高齢者がよりになっていくと、国の有り様が次第に変則的になっていく。これは先進国に広く見られる現象である。

 わが国では人口が1億人を超えたのは1966年である。この時の65歳以上の高齢者人口は7%であった。現在は1.2億人で高齢化率27%、2050年頃1億人を割るとされているがその時の高齢化率は40%に達するものと考えられている。同じ1億人といっても中身が全然違ってくる。

 日本の場合、詳細データは手元にないが、民間人が有している金融資産のうち7割以上が高齢者が保有している、とされる。しかも、ほとんどが回転していない。
 戦後の混乱と激しい競争をたくましく生き抜いてきたこの団塊世代は、自分たちを過大評価する傾向があるように見える。オリンピックが当初予算の3倍にまではね上がった背景にはこの世代が身につけてきた拝金主義的自己保身があるように見える。

 迫りくる異次元の高齢化社会をバランスよく運営していくには、少数派の意見より重視した、数の論理を越すような理性的価値判断が必要になってくる。これからの政治家は資質が問われていくだろう。


2/19(日)曇り小雪多少 飯川病院日直医業務一部代行
1:00起床、文献・本読み、その他いつものごとく。ティッシュボックス、網戸修理など。12:15NHKのど自慢。文献・本読み。家人買い物に同乗飯川病院に、16:00-19:00飯川病院日直医業務代行。BRながら視聴:「池上:ニュースそうだったのか」。19:30帰宅、夕食、20:30就眠。歩数計:Σ7479歩10899Km。

日韓問題2017(2) また振り出しに戻してはならない
 2015年の12月末に、日韓両政府は最大の懸案だった慰安婦問題で合意に達した。
 合意点は以下のごとく。

 @ 岸田外相は慰安婦問題を「軍の関与のもと多数の女性の名誉と尊厳を傷つけた問題」と定義し、「日本政府は責任を痛感している」と明言。
 @ 安倍首相は日本の首相として元慰安婦に対し、「心からのおわぴと反省」を表明。
 @ 韓国外相も今回の合意について、「日本政府の措置の着実な実施」という前提つきで、「最終的かつ不可逆的に解決されることを確認する」と名言。
 @ 韓国政府は、元慰安婦の名誉と尊厳を回復し、心の傷を癒やすための財団をつくり、そこに日本政府が約10億円を国家予算から拠出する。
 @ 在韓日本大使館前の少女像について適切に解決されるよう努力。



 50年前の請求権協定で「法的には解決済み」とする日本政府はこれまで、国家責任を連想させる言葉遣いに消極的だった。今回はその原則を何とか維持しつつ、率直な表現に踏み込んだ。

 日本は90年代、慰安婦問題の解決のために国民の募金からなる「償い金」と、政府の資金による医療・福祉支援事業に首相の「おわびの手紙」を添えた「アジア女性基金」事業を始めたが、日本政府が必ずしも積極的な姿勢で事業に臨まなかったことや、「償い金」に民間募金をあてたことなどで、韓国側は「国の責任を明確に表明していない。だから、
なんら本質的解決にはならない」、と反発していた。

 その過去を受けての今回の合意である。韓国の支援団体は、この合意についても「被害者や国民を裏切る外交的談合」と非難している。要するに、韓国国民は、多分一部だろうが、ここまで踏み込んだ合意ですらも納得できない、と批判を続けていくようである。

 あの合意から一年、市民団体が釜山の日本総領事館前に慰安婦少女像を設置した。韓国政府も釜山市当局も黙認している、と言うから、合意の趣旨に完全に反している。韓国は「約束しても結論を勝手に動かす国」と批判されているが、今回も同様であった。
 韓国・釜山に慰安婦像を設置したことにより、日韓関係が再び険悪なムードになってきた。

 日本政府は対抗措置として駐韓大使と釜山総領事を一時帰国させたほか、経済分野の協議中断などに踏み切った。まず妥当な処置と考えるが、日本の対抗措置に対しては韓国最大野党は慰安婦問題合意の破棄を主張している。昨年末の韓国内の世論調査では「合意を破棄すべき」が60%ほどを占めた、と言う。
 バカな話であるが、これが韓国の国民性と政治の姿である。どちらに問題があるかは明らかであろう。

 この、国家間で結ばれた約束の反故の動きに対して、安倍首相は毅然として対応しているように見える。対韓問題には何度も煮え湯を飲まされてきたし、国内の調整にも腐心してきたことも考えれば、私としては理解可能である。
 ただ、落とし所をどこに置いているのか、気になる。


2/18(土)曇り 降雪若干
1:00起床、文献・本読み、その他いつものごとく。6:00微睡、10:00秋田CNAスタッフ来訪、光ケーブル化についての商談。ほぼ終日データ整理、読書、ネコたちと遊ぶ。録画:『らららクラシック』等視聴、19:00夕食、20:30就眠。歩数計:Σ5685歩。

日韓問題2017(1) 特命全権大使一時帰国1カ月経過
 安全保障や経済、環境など広い分野で課題を共有する韓国から、特命全権大使が一時帰国して1カ月経過した。

 この事態の発端が韓国側にあったのは明らか。韓国は国政が混乱に陥っているが、日本側はその混乱に乗じて行動を起こしているわけではない。韓国政府の無責任な振るまいが、今日の対立を招いた。

 今こそ、我が国が日韓問題に一定の意思表示するいい機会と思う。私は安倍総理の決断を支持する。大使を安易に戻してはならない、と思う。

 大使の一時帰国は韓国の市民団体が昨年末、釜山の日本総領事館付近に慰安婦像を設置したことへの対抗措置としてであるが、そんな些少な問題ではない。一昨年12月の慰安婦問題への合意を踏みにじる行為が一年以上も続いていることに対しての怒りである。
 いや、それ以上に1965年に調印された日韓基本条約を踏みにじってきた、長い間の韓国政府の姿勢に対する怒りと見ていい。

 慰安婦問題は2015年12月に日本側の多大な譲歩によって、非可逆的に解決した。だから、慰安婦問題はもう国内問題である。その韓国政府の対応の不甲斐なさに日本側が強く抗議したのは当然である。
 大使の一時帰国は韓国世論の反発を強め、結果として像の撤去が一層困難になった。これは止むを得ない。今までは我が国の姿勢が軟弱で事なかれ主義的であった。

 韓国の野党では、駐日大使の帰国を求めるなどの発言も出ている、と言う。これもいい機会と捉えるべきである。

 日韓は共通の懸案事項として北朝鮮のミサイル問題がある。両国の関係全般を後退させるか否かの判断は全て韓国側が握っている、と言っていい。
 韓国の政治家は国際常識に欠ける??プロ意識が乏しい??ようだ。さらに韓国の政権は国を掌握していない。また司法も同様、中立的真実よりを世論に迎合した判断をしている。韓国はそんな国である。

 日本側はもっと時間をかけて冷静に事態の解決を進めるときだ。
 いい機会がおとづれている、と思う。


2/17(金)曇り・大雨 大曲中通病院外来  飯川病院ボランティア
 1:00起床。文献チェック、徒然など。5:30可燃ゴ@@@@ミ集積所。7:30Taxi駅、8:10こまち、往徒歩。9:10-12:15大曲中通病院外来、13:30飯川病院ボランティア。19:00帰宅、夕食、20:00就寝。歩数計:Σ9997歩10888Km。BR視聴:「そこまで言って委員会」、「世界は今日米首脳会談」、「笑点」、「らららクラシック:ハイドン皇帝、ショスタコ弦楽四重奏8番」。

整理整頓 不得手な人 vs 得手な人
 現役時代には数多くの医師たちと机を並べたが、机の上に所狭しと書類や物が積み上げていた同僚も何人かいた。
 さらに、そういう人は、書架の使い方も下手で並べ方も乱雑、上手に使えばまだまだ並べられるのに、入りきれない資料や本などが、床の上まで一面に積み上げられていて、部屋全体も雑然、混沌としていて私は不快に思っていた。
 時には机の上に積み上げられた書籍や本が私の机の上や床に崩れて大ごとになったこともあった。本人に連絡つけばなんとかなるが、そうでないときは勝手に手をつけることもできず、私は大変迷惑したものである。

 このような状態だと、何がどこにあるのか、必要なものを探し出すのにどうするのか??側から見ても心配であった。
 多分、あっちをひっくりかえし、こっちを探してみなければ見つからないだろう・・・と考えていたのだが、実際にはそんなことはなく、意外と早く目的のものを探し出してくる。実に不思議で、理解できない世界に住む人であった。おそらく机の上は乱雑でも、一定の法則性に基づく、意味のある乱雑性で、彼の頭の中はそれなりに整理されている、と考えるしかない。

 一方、私はこまめに整理整頓する方で、机の上を少しでも広く使うために本などを積み上げることはまずない。書庫、部屋が乱雑になることはない。届いた書類のうち当面必要がなさそうなものはざっと分類してファイリングしてしまう。
 では、私は求める書類などをスムーズに探し出せるかというと、実はそうではない。整理する時は、「整理することが主目的になって」、往々にしてどこに何をしまったのかわからなくなるからである。

 そこで、資料を探すことに時間が取られて時間がどんどんなくなってしまうこともあり、最後には、探し出すのを諦めて再発行を願ったりすることも稀ではなかった。周囲の方々に迷惑をかけたことも稀でなかった。
 得た教訓としては、未処理の書類などは整理せずに乱雑にしておき、それらをコツコツと処理していくことであった。

 整理整頓に長けた人たちの言葉を借りると、「机の上も整理できないようなだらしがない人は、結局、仕事のできない人であり、周囲の人たちに迷惑をかけているのではないか。だから、時間を有効に使い、手際のいい仕事をするためには、いつも身の回りの整理整頓を心がけることだ」、などと主張しているが、私はその意見には同意できない。

 書類や書籍の整理などは人それぞれの方法があり、そんなに単純に割り切れるものではないのだ。

 さて、私も歳をとった。何かを始める時など、もの探し、道具探しで、かなりの時間を費やすようになった。これは「整理好き」とは違う因子によっている。


2/16(木)曇り 外来・ドック処理 飯川病院 
1:45起床。いつもの如く。降雪なし。6:47バス飯川病院へ、7:05病院着。8:45-13:30中通病院外来、混雑。ドック関連業務処理。13:45-17:50飯川病院。18:00バス帰宅、夕食、20:45就寝。BR視聴:「コズミックフロント:伊能忠敬」「林:初耳」。歩数計:8459歩数10880Km。

徒然草から学ぶ(2) (121段) 動物を飼う

 (121段 一部略) 養ひ飼ふものには、馬・牛。繋ぎ苦しむるこそいたましけれど、なくてかなはぬものなれば、いかがはせん。犬は、守り防ぐつとめ、人にもまさりたれば、必ずあるべし。その外の鳥・獣、すべて用なきものなり。走る獣は檻にこめ、鎖をさされ、飛ぶ鳥は翅を切り、籠に入れなれて雲を恋ひ、野山を思ふ愁、止む時なし。その思ひ、我が身にあたりて忍びがたくは、心あらん人、是を楽しまんや。生を苦しめて目を喜ばしむるは、桀・紂が心なり。王子猷が鳥を愛せし、林に遊ぶを見て、逍遥の友としき。捕へ苦しめたるにあらず。
凡そ、「めづらしき禽、あやしき獣、国に育はず」とこそ、文にも侍るなれ。


 (私の意訳)馬・牛他の動物たちのは繋いで苦しめるのは痛ましいが、無くてはならないから仕方ない。犬は家を守り防ぐから、必ず飼うべきだ。その他の鳥や獣は、すべて無用のものである。飼われて苦しむ他の動物たちの思いを、我が身にあてはめて耐えられるだろうか。楽しめない。生き物を苦しめて目を喜ばせるのは古代の暴君の心である。風流人として知られる王子猷が鳥を愛したのは、林に遊ぶのを見て、そぞろ歩きの友としたのである。捕えて苦しめるためではない。
「珍しい鳥、見慣れない獣は、国内で養わない」と、書物にもありますよ。


 今の時代を兼好法師が見たらどう思うだろう。
 馬・牛他の動物たち一般的には飼われていない。文中に登場する動物の中で飼われているのは犬だけであるが、ネコが多いのに驚くことだろう。

 兼好法師とネコの関係はようわからないが、多分嫌いだったのだろう。
 紀元前から日本にネコが存在をしていた可能性は否定できないが、今の祖先に当たるネコは奈良時代ごろに、経典などの大事な書物をネズミから守る益獣として、中国から輸入されたとも言われている。ネコの記録は、889年の宇多天皇による黒ネコの飼育日記である。平安時代にはさまざまな和歌や物語に登場し、「花咲か爺さん」、「桃太郎」などに登場するなど人々に親しまれていたことが窺われる。一方、ネコはの登場は一般的に少ない。十二支からも外された。

 兼好法師(1283-1352)は平安時代の末期に生まれているからネコの存在は十分知っていたと考えられているが、この文には登場していない。89段で「奥山に猫またといふものありて・・・」という項でてくるが、実際はネコではなく犬であった。当時はネコはまだ数も少なく一般的でなかったと思われる。

 一方、日本ネコは愛玩用ではなく鼠狩りの益獣として輸入されたため、家で飼われるより外で暮らすことが多かったらしいが、1945年第二次世界大戦が終結した頃から進駐軍など外国人の手によって外来種が日本国内に大量に持ち込まれるようになり、爆発的なシャム猫の流行期以降、外来種との混血が急速に進んだ。

 本来の日本ネコは、定義もはっきりせず、よくわからない存在となっている。ちなみに我が家の7匹のうち3匹はシャムミックスである。


2/15(水)快晴・温暖 飯川病院ボランティア 
 1:30 起床。新聞・文献などいつもの如し。飯川病院院長多忙にて一緒に出勤、9:00-14:00ボランティア。徒歩で薬局、書店、コーヒーショップ経由、15:06菊谷小路からバス帰宅。ネコ室コタツの通電モニター修理。春の訪れを体感した1日。BR視聴:「エンスゼロ:心の所在」。「100分名著:野生の思考(3)」「知恵泉:大江戸事件簿」「北斎漫画」「英雄の選択:小松帯刀」。19:00夕食、20:30就寝。Σ12216歩10873Km。

徒然草から学ぶ(1) (序段) やっと法師の気持ちの一端が分かるようになったかな
 本日は比較的暇があった。請われてボランティアとして飯川病院に来たものの、午前中に予定した患者搬送等の予定がキャンセルされたためである。こんなときにはゆっくり過ごすに限る。

 当ブログの名称になている徒然草は一度通読し、他は適宜参考になりそうな章を読んではいたが、深読みしたことはない。名前を借りたということもあってちょっと罪深さを感じていた。それが、今日突然、再読してみたくなった。通読した時には、現実離れした、勝手なことをのたまっているひねくれ老人、と捉えていたが、今読むと印象がかなり違う。私の感受性がすっかり変わってきたのだと思う。

 徒然草序段は短文である。それに、暇な時間があるときの時間の使い方についての提言である。

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 (序段)つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。
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 (私の違訳)特に急いでやることもないままに、一日中パソコンにむかって、心に浮かんでは消えていく何でもないこことを、コツコツと書き付ける。これがなかなかいいもの。私にとっては平穏そのもので、あやしくも狂おしい感じはない。兼好法師は何を狂おしく感じられたのだろうか?」
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 現役を退職してから5年経った。ほぽライフスタイルもきまってきた。まだ勤務していて辛いほどの業務が重なる日もあるが、現役時代とは一線を画する余裕が生まれた。当時は今から考えるとずいぷんコマネズミに近い生活をしていたものだと反省させられる。「名利につかわれて、閑かなる暇なく、一生を苦しむるこそ、愚かなれ」と、兼好法師に笑われていい生活であった。

 退職した時には、責任ある立場から解放され、自分の自由になる時間ができる。いろいろやりたいことが山積みで計画を立ててこなしてきたが、5年も経つとそれにも限界も見えてきた。

 昨年暮れに私はそのような自覚の元に、年間の総括と新年を迎えていつも立てていた年間計画とそれに対する努力することを一切やめた。

 勤務ある日は穴を開けないようにするのは当然であるが、それ以外の時間はその日暮らしの発想である。無計画な日常生活を送って見ることとした。自分の五感で感じ取ったことに応じてその場で考えたことをやって見る。読みたければ読む、腹がへれば食べる、微睡を取りたければそうする・・・。「忙中閑あり」でなく、気が向いた時に「閑中忙あり」にする。そんな感じである。

 現代は徒然草の時代と異なることは言うまでもないが、「しずかなるところ」にこそ、いろいろな知恵も生まれ出てくるということは、多分、昔も今も変わりはないであろう。もう長くないであろう余生を、無為に過ごしてみたいものである。それが無駄でない結果を生むのではなかろうか。

 発想を転換してから、かなり心に安らぎが生まれてきたように思う。


2/14(火) 晴れ比較的温暖 外来 飯川病院 
 0:30起床,文献、本読み他、降雪無し。5:00可燃ゴミまとめ、提出せず。6:47バス飯川病院、8:45-13:00中通病院外来+書類数件処理、13:15飯川病院。本日は対応患者なし。BRながら視聴:「池上ニュース総括2016」、4時間の長時間番組であった。19:00帰宅、夕食、20:00就寝。Σ6604歩。

社会保障環境2017年(7) 高齢者定義75歳?? 制度的意義がなければ無駄
 高齢者の定義について国際的にも一般的に65歳以上とされいる。

 日本老年学会と日本老年医学会は1月、高齢者を75歳以上とすべき、とする提言を発表した。65-74歳は「心身とも元気な人が多く、高齢者とするのは時代に合わない」として、新たに「准高齢者」と位置づけた。
 医師や心理学者、社会学者らでつくる両学会のワーキンググループが日本人の心身の健康に関する複数の調査結果をもとに2013年から検討してきた。「あくまで、医学的な立場から検討した・・・」というが、ヒマな方々だね、と思う。

 社会的に認知度がたかい現在の前期高齢者、後期高齢者で何が悪いのか?
 「准高齢者」とは考えたものである。私は今これに相当するのだが恥ずかしい。前期高齢者の方が居心地がいい。それに、「元気だから高齢者とするのは時代に合わない・・」とは何を示すのか。高齢者は元気ではダメか?

 65歳以上でも、身体能力をみる指標の歩行速度などが衰えず維持される傾向にあり、生物学的にみた年齢は10-20年前に比べて5-10歳は若返っていると判断した。そんなこと学会がわざわざ指摘しなくとも誰だって実感として感じている。「高齢者の体力は最近向上したね・・」とお祝い事として捉えていればいいのだが、「・・・だから、社会保障など少なくてもいいよね」との議論に必ず組み込まれる。なんとなれば、高齢者社会保障は今後薄くなることはあれ、逆は無理だろうからである。

 高齢者は長い人生を生きて来ているから個体差が大きい。そんな高齢者を年齢で十把一絡げにまとめてどうするのか。高齢集団は多様である。
 働ける方には働きやすい環境を用意してほしい。
 健康的に問題があったり、経済的に、社会的に弱者であったり様々である。このような高齢者を拾いあげるための工夫を考えてほしい。

 私は今後、この提言を社会保障そのほかをめぐる高齢者制度に利用するのであれば賛成である。健康的で豊かな高齢者への社会保障は薄くし、代わりに個々の落ちこぼれを如何に拾い上げるかを考えるならばいい。

 知的機能の面でも、70代の検査の平均得点は10年前の60代に相当するという報告があり、判断根拠の一つとされた。そんなこと言っても今後は高齢者の10%以上が認知症になると予想されているから、認知症軍団が増えてくる。

 「高齢者とは何歳以上か」を間うた2014年の内閣府の意識調査では、70歳以上との答えが28%で、15年前より13%上がったのに対して、「65歳以上」は6%で、12%下がった。こうしたことも考慮された??「あくまで、医学的な立場から検討した」のではなかったのか?

 学会の提言は概ね好意的に受け入れられているように見える。しかし、私は疑問である。


2/13(月)曇り時々晴れ 比較的温暖 健康クリニックドック 飯川病院
 1:00起床、文献・本読みなどいつもと同じ。積雪予報に反し殆どなし。6:47バス、7:10病院着、9:00-11:00健康クリニックドック診察11名、11:15飯川病院へ。14:00-18:30勤務。入院患者対応。 DVDながら視聴「100分で名著;正法眼蔵(3)」、「知恵泉:小林虎三郎」、「池上:ニュース2016」、「サイエンスゼロ:未解決問題??心はどこにある」。19:00帰宅、夕食、帰路道路脇には雪が積み上げられて危険な感じ、排雪急務。20:30就眠。Σ8056歩。

稀勢の里横綱昇進 「日本人横綱」か、「日本出身横綱」か
 大相撲初場所で初優勝した稀勢の里が25日、第72代横綱に昇進した。相撲界に19年ぶりとなる「日本出身横綱」が誕生した。

 私が目にした新聞・雑誌は全て「日本人横綱」でなく、「日本出身横綱」との表記で足並みが揃っていた。そのための表現としてメディアでは「〇〇人力士」と表現せず「〇〇出身力士」と記載する取り決めがあったのだろう。

 私はそのことを今回まで知らなかったが、今回初めて「日本出身横綱」の表現に気づき違和感を覚えてしまった。

 若乃花が66代横綱に昇進したのは19年前の1998年、67代横綱武蔵丸はその1年後に昇進した。武蔵丸は米国のハワイ出身であるが、日本国籍を取得し、横綱昇進時は日本人だった。それ以降の、朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜と続けてモンゴル出身の横綱で、4人ともモンゴル国籍のままである。

 ほとんど私の記憶から消え去りつつあるが、横綱武蔵丸の呼び出しは変わらず「ハワイ出身」、同じく日本国籍を持つ旭天鵬は「モンゴル出身」と呼ばれていたような気がする。両者とも日本人になっていたのだが、日本人になったことよりも出身地を重視した差別的扱いになっていた。

 稀勢の里は、出身を重視すると19年ぶりの「日本出身横綱」、国籍を重視すると武蔵丸以来18年ぶりの「日本人横綱」ということになる。この辺は微妙である。

 メディアはなぜ「武蔵丸以来18年ぶり日本人力士」と讃えないのか?私は若乃花以来の「日本出身横綱」との表現に、差別的扱いを感じ、やはり少しの引っかかりを覚える。

 日本人ではなく日本出身と記載するきっかけを作ったのは旭天鵬の優勝らしい。彼が優勝する前は「〇〇人力士」と「日本人力士」の別だったのが、その後は「日本出身者」、「モンゴル出身者」とかに表現が変わった、という。国籍を重視して「〇〇人力士」は差別的、との発想があったのだろう。

 私は熱心な相撲ファンではないが嫌いでもない。
 国籍は関係ないと思っている。相撲が日本の国技とされるがここまで外国出身力士が多くなり土俵を盛り上げていることは重要である。外国人力士がいなければ相撲がこれほど面白くなっていただろうか。
 角界では約630人の現役力士がいるが外国出身力士は6%ほど。人種別のバッシング等もあると聞く。中立であるべき協会が露骨にモンゴル出身力士に対し差別的発言したこともあった。侵略者のような扱い?である。そんなに嫌なら、新弟子として受け入れるのをやめればいい。多分、相撲は一気に衰退するであろう。

 こんなこととは別に、横綱としての稀勢の里の活躍を願っている。


2/12(日)曇り寒波去る? 北朝鮮ミサイル発射 除雪11回目
 1:00起床。新聞文献処理、録音データ処理など。7:00-8:15除雪11回目、10-15cmで水分含む雪で難渋する。疲労感あり微睡。ネコ風除室掃除、コタツ天板改良し熱効率高めた。冷蔵庫の移動、棚固定。午後は書斎にてBR視聴:「らららクラシック:薔薇の騎士」,北朝鮮ミサイル発射ニュースのため予定変更なった「NHKのど自慢、岡山」観る。新聞・文献などファイル化。秋田市の除雪あり、助かった。19:00夕食、20:30就寝。Σ13381歩10852Km。

日米首脳会談の印象
 安倍首相がトランプ大統領と会談した。
 この会談は、未知数のトランプの今後を見るのに重要で、おそらく世界的に注目されたことだろうし、今後、今後内外のメディアを通じて多くの論評がなされることだろう。

 私の印象では、初会談という割には、大方の予想に反し比較的おとなしい、ふつうの会談だったと思った。いや、それ以上に過度に、時間を共有し、不自然に親密な会談であった、ちょっと気持ち悪さも印象として感じた。このことの意味はまだわからない。
 両首脳が個人的な信頼関係をうたい、そのこと自体は良いと考えるが、両国の「蜜月」を演出しても、国際社会の秩序の維持につながらなければ、意味はない。

 日本にとって最大の懸案事項である日米同盟に明快な方向性が示されたことは評価すべきだろう。共同声明では強固な日米同盟をうたい、尖閣諸島に日米安全保障条約第5条が適用されることが明記された。一方、声高に主張していた日本国内の米軍の駐留経費について、日本側の負担増の要求もなかった。
 
 トランプ大統領が選挙戦や当選後も繰り返してきた自動車輸出や為替問題をめぐる対日批判が、記者会見で一切出なかった。

 経済問題、二国間の貿易に関しては副総理と副大統領間で別口に相談する機会を作ったことも大きいと思う。損得勘定には詳しいが、トランプ氏は日本との貿易の歴史や背景をご存じないだろうから、日本にとって安心材料の一つと言える選択だったろう。

 トランプ氏の政策の詳細はいまなお、わからない。
 対中国問題も流動化している。台湾総統と電話会談したかと思うと、習近平氏との電話会談では中国一国主義を支持するとしたかと思うと、トランブ氏は中国の為替政策を改めて批判した。

 今回の首脳会談は一見うまく行ったように見える。
 「予測不能」な言動のトランプ氏への対応として、共同声明を文書に残したのは適切な判断といえるだろう。しかし、今後の日米関係を安堵するのはまだ早い。トランプ氏が中国との関係も複眼的に見ていることは注目しなければならない。

 まだまだトランプ氏はわからない存在である。
 選挙期間中、大統領選出後、日米首脳会談前に放っていた対日本政策、これらは首脳階段で影を潜めたように見えるが、トランプ氏の言動には日本人が考え直さなければならないだろう真実も含まれていた。常に原点に立ち返って考えなければならないことには変わりがない。


2/11(土)建国記念日 終日曇り降雪 飯川病院日直 
1:00起床。文献,新聞整理他、録音データ整理など。除雪は迷ったがパス。8:38バスにて飯川病院、9:00-17:00日直。入院患者は落ち着いている。BRながら視聴:「ヒストリア:最上兄妹」,「段階スタイル:ぶらり旅」,「小野田直武と角館」,「NHKsp:がん治療革命」。歩数計Σ5921歩10830Km。日直日はほとんど部屋から出ず運動不足。19:00迎えの車あり帰宅、夕食、20:30就寝。

こたつの思い出(3) 今季ネコ専用暖房器として採用
 我が家では平成10年頃まで世界初と思われるハイブリッドこたつを用いていたが、コタツを暖房器具として使わなくなってから15年余りが過ぎた。

 わが家は家ネコの「クロ」と「プチ」、風除室に親子ネコが5匹がいる。親子ネコ5匹は「プチ」の母親と一年違いの兄弟である。後者は家ネコの資格は与えていない。風除室ネコとして、私とは内縁の関係である。しかしながら、今更何ともできない。ずっと保護してやらねばなるまい。同じ生き物として尊重し、掃除洗濯、食事などは十分に世話している。全員去勢済みであるし、遊びの道具も比較的リッチに与えている。

 風除室は4畳ほどの広さで、床を除く4面がガラス、屋根部分がプラスティックだから、冬は寒い。風除室は外気とほとんど同じ気温でとても冷える。家ネコの「プチ」は暖房の効いた部屋でぬくぬくと過ごしており、風除室ネコから差別だ、とクレームが来ているらしい(・・・ウソですけど)。

 昨冬は暖房として11月下旬から2枚のヒーターマットを用意した。ネコ達も体格が大きくなってヒーターマットに乗り切れなくなった。

 ネコといえばやはりこたつが相応しい。
 今年は70cm角の家庭用こたつを風除室にセットした。古いのもあるが、安全を考えて新調した。
 こたつといえど布団は用いていない。床を含め6面をダンボールで覆って箱型にし、一箇所に出入り口を作っている。温度は安全を考えてほのかに暖かい程度にセットした。電源のon/offは私の作業机で切り替えが可能であり、朝夕の給餌の際には箱を触って温度を確かめている。何しろ、こたつの製造元ではこんな状態で使用されるなど想定外だろうから、安全の面では私も緊張して用いている。

 ネコたちはこたつの中と天板の上で暖を取れるようになっている。中に入ったり天板の上に横になったりして、のびのびと過ごしている。その表情は満ち足りているように見え、一安心である。今季、暖房にこたつを採用して良かったなと思う。

 こたつの上にミカンがあるという風景は、それだけで心がほっこりするような温かさかある。「おーい、おめだちミカンでも食うか?」と声をかけるが、返事はない。こんな気持ちになる自分を見て、「年取ったな・・・」と苦笑いする日々である。
 マンガ「ネコと爺さん」もほっこりと暖かい本 「ねことじいちゃん」 ねこまき著 KADOKAWA 第1巻2015年8月、第2巻2014年4月 @1100円。

 なお、わが家のネコどもの様子はこの雑記帳の左袖にあるブックマークのインスタグラムのクリックで見ることができる。


2/10(金)曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:10起床。文献チェック、徒然など。5:30可燃ゴミ集積所。降雪なし。7:30Taxi駅に。8:10こまち。9:10-13:15大曲中通病院外来。千秋美術館に立ち寄り、14:30-18:15飯川病院ボランティア、18:40Taxi0書店経由帰宅、19:30夕食、20:30就寝。BRながら視聴:「プロファイラー:田中絹代」,「コズミックフロント:金星」、「ガイア:日本の米」。歩数計Σ7772歩10830Km。雪に足取られ3回目の転倒、実害なし。


こたつの思い出(2) 子育ての頃 ハイブリッドこたつを自作
 秋田には昭和48年に転居した。
 長女が生まれたのを機会に家内の親族が多い秋田で子育てしようと画策したものである。
 幸いなことに、私が志向していた血液内科学の講座が秋田大学に作られる予定であったから一挙両得であった。私は幸運の星のもとに生まれている。

 私は大学病院に勤務し血液免疫学を学んだ。家内は秋田組合総合病院内科に復帰した。
 日常の勤務状況は多忙を極め、生活一般、子育ては家内の叔母にあたる石井さんにお願いした。石井さんは昭和52年頃から二人の女の子とともに同居することになった。

 昭和51年に長男、54年に次男が生まれたをの機会に借家が手狭になって現地に居を構えた。子供が石井さんの娘2人と合わせて5人、大人3人の多人数家族で暮らした。

 居間には比較的大型のストーブがあったが、そのほかに補助的に豆炭こたつも併用していた。豆炭こたつは炭火に比較して扱いが簡単で、長時間火力を維持できた。しかしながら、休日などにはこたつ一つではでは物理的に不足で、その時には電気こたつを引っ張り出して併用していた。豆炭こたつは、私どもが夜遅くに帰ってきた時などには燃え尽きて冷えていることも稀ではなかった。その場合、電気コタツが重宝した。しかし、こたつ二つ併用は、結構部屋も狭くなるし、機能的にも不便であった。

 ならば、70cmx70cmの豆炭コタツと電気コタツを合体し、ハイブリッド化すれば互いの長所が活かせるのでは、と考え作成に取り掛かった。コタツは物干しの時の踏み台にもなるし、子供達が上で遊ぶことも稀でないし、70cmx140cmにしても脚が中央にあれば意味がないから構造的に4本足を維持しながら大人の体重に耐え、子供達の遊びにも耐える構造に強化した。これは私の木工作業の中でも傑作の部類に属する成果であった。
 こたつぶとんも二つ合体させた。

 自作の細長い、ハイブリッドこたつに一家8人が集まり、背中を丸めて顔を寄せ合う。ミカンを食べたり、ファミコンしたり、トランプ・・・など、時には雑魚寝の場にもなるなど、ハイブリッドこたつは長い間わが家の冬のだんらんの場だった。

 やがて、子供達は一人一人進学し家を出た。ハイブリッドこたつは平成10年頃まで用いていたが、家族が少なくなるとそのでかい図体があだになって邪魔者扱いとなり、ガレージの2Fの物置にしまわれ、数年後に解体した。

 2000年トヨタがハイブリッドのプリウスを発売して、ハイブリッドの言葉が広く知られるようになったが、我が家ではその20年も前から世界初と思われる豆炭と電気によるハイブリッドコタツを実用化していた。このことは、誰からも知られていない歴史的秘話である(・・・ウソですけど)。


2/9(木)曇り 外来 飯川病院
0:20起床。新聞、文献本読み。電子化。6:47バス飯川病院、8:45-13:00中通病院外来+人間ドック結果判定14名分。13:30飯川病院、14:00-18:50勤務。19:10帰宅、夕食、20:30就寝。BRながら視聴:「100分で名著:正法眼蔵(2)」,「知恵泉:江戸」、「アナザーストーリーず:日活ロマンポルノ」、昭和偉人伝:吉岡治」。歩数計Σ7922歩10830Km。

こたつの思い出(1) 岩手で
 こたつは古くは室町時代から用いられた、と言う。木炭などを熱源に専用の布団をかけて温かい空間を作り、そこに脚や体を入れて暖を取るという道具である。日本人の多くが親しみを持つ暖房器具であり、これからもその価値は薄れることはないだろうと思う。

 私もこたつに関していろいろ思い出がある。しばらく用いていなかったが昨秋から復活した。今回はネコ専用暖房器具としてである。

 岩手でのこたつ生活の思い出ーーーそこにはいつもネコがいた

 岩手の冬は寒かった。1-2月の朝は家の中でも-5℃は当たり前、-10℃に達することもあった。居間の暖房は薪ストーブ一つと木炭のこたつであった。座敷は複数の火鉢だけ。私はこたつに入って小机を脇に置き、湯たんぽに湯を入れ、かじかむ手を温めながら受験勉強した。そばには常にネコがいた。私に生き方を教えてくれた初代のネコで、こたつの上や私の膝上が彼女の好みの指定席であった。

 早朝、母が炭火を起こしコタツを準備するのであるが、最初は火力の調節が難しく時に木炭が弾けるのでその時は布団をかけない。ネコはその時はこたつの縁に丸くなって暖をとるのであるが、布団をかけていないのに頻回に一酸化炭素中毒になった。炭は点火時に多くの一酸化炭素が出るのだろう。
 ネコはその時、ふらふらと立ち上がり、よろよろと数歩歩き、ばったりと倒れ、意識を失った。私が遭遇しただけで10回はあっただろう。うちわで冷たい風を送りながら全身をマッサージして刺激を与え続けた。10分ほどで意識を取り戻しことなきを得た。呼吸が止まりそうになったことが一度あって、私は鼻から息を吹き込んだこともある。

 炭火が安定すると灰を厚くかけて火力を落としこたつ布団をかけるのであるが、ネコは頭だけを布団から出して、あるいは布団のヘリに丸くなって暖をとった。

 ネコとこたつ、とても相性がいい組み合わせである。冬のこたつの周辺にはいつも私とネコがいた。私が大切にしている以下の写真は昭和38年頃、こたつの上にいるときに撮影された。

(あったかいこたつの上で、はいポーズ)

 やがて、ネコは老衰死し、私も新潟に進学し、両親は盛岡郊外に小さな住宅を得て転居した。これを機会に我が家のこたつは木炭から電気に変わった。母親も早朝の火起こしから解放されたし、安全のためにもとても良かったと思っている。


2/8(水) 曇り比較的温暖 飯川病院ボランティア 除雪10回目
 1:00起床。新聞・文献読みとPDF化およびそれらの整理に集中。新たな降雪2-3cm。6:00-7:00除雪10回目。場所によっては20cmほどに、除雪し甲斐があった。昼食久々回転寿司に。13:00飯川病院ボランティア。BRながら視聴:「そこまで委員会;トランプは大丈夫か」、「世界は今;トランプ」観る。18:00バス帰宅。自宅近くで氷結路面に足とられ2回目転倒。実害なし。それにしてもよく滑る。19:00夕食、20:20就寝。Σ9514Km。

回転寿司 ほろほろと口の中でとろけるしゃりの美味さに驚いた
 本日(水)はフリー日である。
 週の中間に勤務がないフリー日があるのは最高である。こんな恵まれた環境が得られるとは思ってもいなかっただけにとても嬉しい。とは言っても、飯川病院の院長からボランティアの声がかかるから、完全に休める水曜日は月に一度ほどである。本日も午後依頼があった。

 午前フリーだったのでゆっくり10回目の除雪し、ネコ室となっている風除室の掃除、壊された棚の修理などをやった。時間がゆったり流れる。読書タイムも取れた。

 午後の飯川病院のボランティアは時間がそう厳しく決められているわけではない。家人が買い物に行くと言うので車に便乗した。途中、空腹を満たすために回転寿司店に寄った。
 私は基本的に外食は嫌いであり、回転寿司店は3-4年ぶりである。それほど空腹でもなかったが、こんな時は、安く、気軽に好きなものを好きなだけ食べられる回転寿司がいいのでは?と大学病院近くにある店に寄った。同様のチェーン店は数多いが、入ったのはその中でも安い方に属するK店であった。

 昼食時だがウイークデイでもあるし混んでいるか??と思ったが、座席の1/3程度の客数であった。どこに座ってもいいと言うわけでなく、店の方から座席に案内された。2ブロックほどに客がまとめられた。店側の効率化のためで納得できた。だだ、ちょっと幼児たちが通路を駆け回ってうるさかったが、未来の日本のために我慢我慢である。

 最近の回転寿司は寿司が回転していないようである。上下にレーンがあり、下のレーンに回っている寿司もあるが、多くは品物を記載したプレートであった。これにはびっくりした。
 いまは、各テーブルごとにタッチパネルの注文タブレットがついており、注文を受けるようになっていた。注文すると1−2分程度で上段のレーンに新幹線が音もなく運んでくる。握ってからできるだけ早く口に入るように配慮している、と言う。

 肝心の味である。しゃりは柔らかく炊かれ、握りは一般的にゆるい。形も大きさもほとんど一定である。多分機械で作っているのだろう。サーモン、タマゴ、ブリ、ネタなど食べたが、そのネタの質については寿司への知識が乏しくコメントできない。まずまずであった。
 頬張れば口の中でしゃりがほろほろと崩れてとろける。このしゃりの食感と美味さに驚いた。私はしゃりの美味さに誘われてやや食べ過ぎた。

 私が寿司を食べる機会は、ほとんどが出前である。子供達や孫が集まってきたときなど時折利用する。値段も倍以上高い。ネタは概して立派、高級である。その場合、冷えた状態で食べることを前提にやや硬めに握られ、寿司鉢の中で転がしても簡単には崩れない。
 K店の寿司は出前の店のそれに比べて質・量ともに、見てくれさえも及ばない。しかし、しゃりの食感に関しては出前の寿司よりはるかに優れていた。今日は、冷えた寿司の限界を感じた。

 寿司は握った瞬間から食感が劣化し始める、と言う。本日は握りたての寿司の素晴らしさを確認できた。これほどの美味しさなら、近々また味わって見たいと思う。

 ちょっと過食したが、私の分は1000円程度で、心に、負い目は感じなかった。この点も良かった。


2/7(火)降雪寒波 外来 飯川病院
0:20起床。新聞、本読み、電子化などいつもの如く。可燃ゴミ集めた。6:47バス、7:00飯川病院。8:45-11:50外来。12:00飯川病院、微睡他、14:00-18:30勤務、入院患者対応。19:00帰宅・夕食、20:20就寝。Σ8932歩。BRながら録画:「昭和は輝いていた:島倉千代子」、「団塊:企業女性」、「ありえへん世界」、「サイエンスゼロ:海底地下生命」。帰宅時、我が家の積雪量は約10cmで明朝除雪。

本:「下流老人 一億総老後崩壊の衝撃 」藤田孝典著 朝日新書 2015年(2)
 日本の高齢者の格差と貧困は極めて深刻であり、今後も一層深刻になっていく。
 私が細々と行なっている外来は高齢者が多いが、徐々に経済的に破綻を迎えつつある患者も少なくない。

 現役時の年収が400万前後の平均的サラリーマンにとってもそれは例外ではない。なんとなれば、退職後の期間は平穏無事に過ごしたとしても長命化のために、十分だと思った蓄えが枯渇する可能性が高い。何しろ20年−30年にも及ぶ高齢期は年金と蓄えを崩して生きていくにはあまりにも長すぎる。
 さらに、高齢期は健康問題そのほかに相当なリスクを抱えている時期である。夫婦二人暮しの場合、途中でどちらかが病気になる確率が高い。がん、寝たきり、認知症などになった場合多額の療養費がかかる。高齢期にそのリスクが現実になった場合、若い時と違ってもはややり直しがきかない。

 このような実態や背景については、ある程度の収入と貯蓄がある方々ほど驚くほど無知である。老後の生活を順風満帆と捉えている。
 そのようは状況に差し迫った人たちは異口同音に家族の疾病罹患など「想定外でした・・」という。

 医療、介護のニーズは、若者にとっても明日は我が身。備えているつもりでも、自身や家族の病気、寝たきり状態やがん、難病に罹患した場合、貯蓄を切り崩し、貧困状態に向かうパターンも頻繁に発生している。
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 本書の記述に戻る。
 本書の著者藤田氏によると、下流老人の指標として以下の項目を挙げている。

@ 収入が著しくすくない。
@ 貯蓄がない
@ 社会的kに孤立

 また、下流老人の増加が社会に及ぼす影響を以下のようにあげる。  

@ 価値観が変わる。健康で長生きは誰でも望むことだろうが、捉え方が変わる。
@ 世代間の共倒れ。国としても、家庭内としても。
@ 若者世代消費の低迷。国の経済の落ち込み。
@ 少子化加速。高齢者を抱えては心配で子供を産めない。
@ 平成25年国民生活基礎調査から見れば、全所帯収入平均537万円、高齢者世帯309万円。しかし、平均値の比較は実態を表さない。格差があるためで、高齢者の90%は全所帯収入平均以下。
@ 高齢者世帯は倹約しようとしても支出が減らない。想定外のリスクが目白押し。

 下流化に向かうパターンを以下のようにあげる。

@ 病気や事故による高額な医療雨日
@ 高齢期が長くなった
@ 高齢者介護施設に入れない
@ 家族が年金に寄りかかる
@ 熟年離婚
@ 認知症・・・などなど。

 下流老人の救済の最後の砦として、生活保護を中心に社会保障の再構築を主張している。著者の言うごとく最後の砦としての生活保護があるが将来的には原資の点で成り立たないのではないか。
 さらに、人として必要な「備え」も列挙している。豊富な現場経験を持つ著者ならではのアイデアが示されており、教えられるところが多きい。
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 医療・介護・貧困を含む社会保障全般について、私は将来的にビジョンを持ち得ない。この本を読んでも私の結論は変わらない。社会保障を全て経済で捉えるならば、私には解決策が浮かんでこない。現状の考えでは限られたパイを奪い合うしかない。

 ここで、発想の転換が必要である。

 「経済成長で人間の幸福を考える価値観からの脱却」、「そもそも人間の尊厳とは何か」、「国家と国民の在り方は?」にまで立ち返っての転換が求められる。私は高齢者本人、家族、医療者関係者の死生観の確立が必要だと思う。その上で経済弱者を「切り捨てるのではなく、支える社会の安全装置」をつくらなければ「歪みが下の世代に及び、社会は衰退ていく」と思う。


2/6(月)終日小雨降雨 健康クリニックドック 飯川病院
1:10起床、新聞、本読みなどいつもの如く。夜間降雨。不明の腹痛軽度あり。6:47バス飯川病院、9:00-11:00健康クリニックドック14名+結果説明。11:15飯川病院へ、休息、微睡、データ整理。14:00-18:00勤務、入院患者処置。19:00帰宅、夕食、20:20就寝。Σ7666歩10809Km。BRながら視聴「コズミックフロント:彗星探査」、「ヒストリア:真田丸」、「団塊:国際交流」、「ありえへん世界、10809昭和偉人伝特別編」。

本:「下流老人 一億総老後崩壊の衝撃 」藤田孝典著 朝日新書 2015年(1)
 いま、高齢者の貧困について関心を持って色々調べている。その過程で今までチェックしていた書籍を何冊か見直したが、その中でも本書は優れた内容の本であった。いま集中的に読み返している。

 「下流老人」とは著者の定義によると「生活保護基準相当で暮らす高齢者およびその恐れがある高齢者」とのこと。
 本書は貧困状態にある高齢者に関する資料が豊富に掲載されていてそれだけでも価値がある。
 わが国では裕福な老人も多数いる一方で、貧困な老人がさらに多いことがわかる。高齢夫婦世帯の生活も決して楽でないが、死別、離婚などでの高齢者単身世帯になった場合、男性は4割近くが、女性は5割以上が貧困となっている。

 著者は、貧困対策を行うNPO活動の経験から、具体的なケースと統計データを駆使し、高齢者の置かれている貧困実態を描き出す。本書の前半部分の、我が国の高齢者が置かれている実情と、将来、かなり裕福な一部の高齢者を除き、ちょっとした人生の回り道、例えば同居の家族や、自分、配偶者の病気などによって、ほぼ全てがそう時間をおかずに「下流老人」化するという現実、このことを知らなかった人々に対する忠告部分は見るべきものがある。ある程度の蓄えがある多くの高齢者はこの厳しい現実に気づいていない。著者の言いたいところはここにある。

 最終章に近づくとナショナルミニマムとしての社会保障の再構築を主張している。その中で生活保護についての考え方が詳細に示されている。著者の言うごとく生活保護受給を通じて貧困老人を助けるべきと言う考えは理屈では成り立つが、少子高齢化の状態にある我が国では経済的に成り立たないのではないか。
 さらに、人として必要な「備え」も列挙している。豊富な現場経験を持つ著者ならではのアイデアが示されており、教えられるところが多きい。

本書の構成は以下の章からなっている。
●第1章 下流老人とは何か
●第2章 下流老人の現実
●第3章 誰もがなり得る下流老人
●第4章 「努力論」「自己責任論」があなたを殺す日
●第5章 制度疲労と無策が生む下流老人――個人に依存する政府――

●第6章 自分でできる自己防衛策――どうすれば安らかな老後を迎えられるのか
●第7章 一億総老後崩壊を防ぐために


2/5(日)晴れのち曇り夜半降雨 
 1:00飯川病院にて起床、医学文献、新聞チェックPDF化など。9:00バス帰宅、午前はデータ整理、録画にて「題名のない音楽会」2回分。「のど自慢」たのしむ。午後ネコ室の底の抜けたたな修理、掃除ほか、「N響定期クラリネット協奏曲」聴く。データ整理にて過ごす。19:00夕食。20:30就寝。Σ14421歩10803Km。

社会保障環境2017年(6) どの世代だって生活は苦しい
 現代の日本社会は、一見すると貧困の拡大に歯止めがかからない状況に陥っている。
 国民生活基礎調査によると、生活が「大変苦しい」と感じている世帯の割合と「やや苦しい」を合わせると、「国民の約6割が生活苦を感じている」としている。

 にもかかわらず、政府に対して市民レベルから貧困対策強化を求める声が高まらない。どうしてなのだろうか。

 @ 国民性か??
 @ 漫然とした不安があり、調査にはそのように答えるが、自己責任の範囲で耐えられる、今後も耐えられる状況?と甘く考えている。
 @ 高齢化に伴い高齢貧困者は増加しているものの、その貧困率は低下傾向にあると分析データもあるが、本当か?弱者の実態を捉えているのか?
 @ 生活苦を感じている甘く考えている、というが実態はそれと違う??
 @ ある程度の蓄えがあるから、なんとかなりそうだ、と思っている。
 @ 旧来の家族観の「幻想」があり、なんとかなる?と考えている。

 最近注目すべき動きは「子供の貧困」に対する関心の高まりである。子どもの貧困に関してはここ2年ほど社会的に問題となってきている。その背景には子育て世代の非正規労働など労務環境の変化、それに伴う経済力の弱体化の実態がある。

 「子供の貧困」が注目されたことは貧困問題を前向きの対策を考えるきっかけとなるから良いことだと思う。
 「子どもの貧困」対策を「貧困問題全体の牽引車」にしていこうとする議論もあるが、これらは両立し難い問題である。高齢者や単身者など「子育てに直接関わらない大人世代の貧困問題を「子どもの貧困」対策にリンクさせると議論が噛み合わなくなる。

 我が国の社会保障制度には問題が山積みであるが、その背景は原資、すなわち、対策資金が乏しいことである。だから、子供の貧困、子育て世代の貧困、労働者世代の貧困、高齢者の貧困全てに光をあてることはできない。
 だからこそ、「高齢者の貧困」を正面から語っていく社会運動が必要だ。

 老後への不安が高まる中、「軽老」「嫌老」感情とともに『世代間格差」が叫ばれている。社金の分断は回避できるのだろうか。

 現代の高齢者問題の背景。
# 平均寿命の急速な伸び。
# 旧来の家族観の残存「幻想」を背景に、老後の生活を具体的に思い描けない。
# 75歳以降の十数年間を、病や障害を持ち、親族との関係も失われた状況をイメージできないまま、長生きしたいと望む。

 我が国は社会保障の原資がない。だから、子供の貧困、子育て世代の貧困、労働者世代の貧困、高齢者の貧困全てに光をあてることはできない。
 限られたパイを世代間で奪い合う事になりかねない。「世代間格差」を上手に解消出来ず、全体的に落ち込ませるのは得策でない。
 そんな政治には展望を感じ取れない。
 「高齢者の貧困」はどうすればいいのか。ウーン、名案は思いつかないが・・・。


2/4(土)曇りのち晴れ 飯川病院日当直  
1:00起床。徒然。メロディアスライブラリーインデックス2016年分作成。聞きたい番組が目白押し。12:15家人の車で飯川病院に。12:30検食・日直当直に就く。微睡、15:00 -18:00 1月分外来レセプト点検、健康クリニックドック14名分処理。BR録画ながら視聴:「サイエンスゼロ:ノーベル賞解説」、「アナザーストーリーズ:ユリゲラー」、「昭和の選択:市川房枝」、「プロファイラー:ロックフェラー」。Σ3177歩。18:00検食、20:00就寝。

社会保障環境2017年(5) 高齢世帯の貧困の実態は厳しい
 我が国の相対貧困率が、年々、悪くなっている。このようなデータが示されるたびに本当か??と思ってしまうが・・、本当らしい。
 年間120万円以下の収入しかない「貧困世帯」は2012年16.1%、1985年が12.0%だったから増加している。

 OECDが2015年に発表した各国の生活に関する調査報告書では、日本の「子どもの貧困率」がOECD平均13.7%を上回る15.7%であることが示された。日本の17歳以下の子どもの1/6人がこの貧困世帯に属し、OECD加盟34カ国中11番目に高かった。

 子どもの貧困に関してはここ2年ほど社会的に問題となってきている。実態はきびしいが、注目されたことは前向きの対策を考えるきっかけとなるから良いことだと思う。

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 一方、高齢者の貧困問題は一層厳しい実態である。
 我が国の高齢者は蓄えを持っていて豊かなのだ、と言われたこともある。若い世帯と比較して長い生活歴があるから個々の世帯間の格差は大きい。

 昨年、生活保護を受ける高齢者世帯の割合が初めて受給世帯全体の5割を超えた。そのうち、9割は単身者で、受給者数は100万人に迫る。
 公的扶助に頼らざるを得ない高齢者は増え続け、将来への不安をかき立てる。

 老後に経済的に困窮しないための備えが、全国民が加入を義務付けられている公的年金制度である。ただ、国民年金しか受け取っていない人の2014年度の平均受給月額は約5万円にとどまる。もともと国民年金の対象者は、老後も資産や収入があるような自営業者が中心だったから生活援助の意味合いが大きかった。しかし、現在はパート・アルバイトなど非正規の労働者の割合が増えている。この場合の年金支給額は生活をフルに支えるには足りず、更に、保険料の納付期間によっては満額を受け取れない低年金や無年金者が問題となっている。

 毎月の国民年金の保険料は、今年4月時点で1万6千円余りでそれでも平均受給月額は約5万円である。一方、勤め人らが加入する厚生年金では毎月の保険料は企業と折半して納め、受給額の平均は15万円前後である。

 少子高齢化で制度を支える現役世代が減り、公的年金は今後目減りしてゆくが、14年の国民生活基礎調査では、高齢者世帯の収入の67.6%は年金が占め、うち56.7%の世帯はほかに所得がないとしている。

 現在の国民年金水準で、持ち家のない高齢者の生活は厳しい。生活は不可能であろう。結果的に生活保護を受給することにならざるを得ない。年金制度の問題と住宅政策を解決しないと、これからも生活保護の受給者は増え続けるだろう。

 生括保護は憲法25条で「健康で文化的な最低限度の生活」を保障している。国が定める最低生活費を収入が下回れば不足分を支給するので、年金を受け取っていても額が少なければ生活保護を受給できる。
 厚生労働省によると、生活保護受給世帯のうち、65歳以上の高齢者を中心とする世帯は今年3月時点で過去最多の82万世帯で、初めて受給世帯の5割を超えた。

 これは厳しい実態である。


2/3(金)曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 除雪9回目
 1:00起床、徒然。新聞・データチェック。5:00可燃ゴミ集積所に。7:25Taxiにて駅に。8:10こまち、秋田より雪が少ない。8:50-12:10大曲中通病院外来、今週も患者少ない。14:00-19:30飯川病院ボランティア。19:15帰宅、夕食、20:30就眠。Σ8724歩。BR録画ながら視聴:「昭和は輝いていた:平尾昌晃(前半)」、「100分名著:野生の思考(2)」、「あらすじ名作:宮沢賢治」。

本を読む(3) iPadで読む
最近、私は本を読む際に電子ブックリーダーを用いている。
 スマホのiPhone5にも電子ブックリーダー機能があるが、こんな4インチの小さな画面を到底見つめる気がしない。

 2012年末にある男(A氏)がiPad miniを買ったから不要になった、と楽天の電子ブックリーダー「Kobo」をもらった。「Kobo」は白黒のディスプレイで画面サイズ6インチ、180gと軽く、充電も一月以上も不要であったなどの利点もあった。しかし、私の実力では自分で自炊した書籍をうまく「Kobo」用に変換出来ず、やむなく専用の電子書籍を購入して読んでいた。当時、普及し始めた電子ブックリーダーってこんな不便なものか??と思い込んでいた。

 2013年末、A氏がRetina displayのiPad miniを新規に購入するので、現有のiPad miniを「下取り価格で是非・・」、「安くしとく、○円で良いよ!!・・」と甘い言葉をかけてきた。私にとってその条件が有利なのか否かも判断出来なかったが、A氏に益するならと了解した。それが、画面サイズ7.9インチ、331gと若干重かったが、実にすばらしい結果を私にもたらした。

 2016年初頭、今度は別の男(B氏)がRetina displayのiPad proを購入するので、現有のiPad2を「下取り価格で是非・・」、「安くしとく、○円で良いよ!!・・」と声をかけてきた。私にとってその条件が有利なのか否かも判断出来なかったが、B氏に益するなら、と了解した。サイズ9.7インチ、441gとずっしり重いが、私に一層すばらしい結果を私にもたらした。

 2種のiPad共にいろいろ多機能でまだ使い方を習熟した訳ではないが、Wi-Fiを通じてネットにも繋がるから情報収集と読書の面で、私の生活に大きな変化をもたらした。

 私の読書の大部分は自分で電子化した書籍を、ほぼすべて二つのiPadで読むようになった。視力が弱ってきたが、字が小さければ拡大すれば良い。

 パソコン画面は21?40インチと広くていいのだが場所と読む姿勢が固定される。iPadには別世界の利便性があり、手に取った瞬間からすっかり気に入ってしまった。各々に書籍を数100冊も収納できる。パソコンの末端にもなるし、Wi-Fi環境下では通信も可能である。もう手放せない。いつも身近に置いて、バスや新幹線の中で、外来診療中の空いた時間などにちょっとした時間でもひょいと利用している。

(パソコン、iPad mini、iPhone5S、iPad2)

 私のエレクトロニクス製品の多くは三人の子供たちからのお上がりである。やや古いが、居間、書斎、職場で不足なく機能している。実に便利な時代に生きているものだと思う。

 私の最近の出で立ちは、髪ぼうぼう、口髭顎髭伸ばし放題、子供たちが中高生の頃に着ていた派手派手のスキーウエア、口にマスク、耳にiPad shaffleを装着したノイズキャンセリングヘッドフォン、夏場はサングラス、左手にiPhone、右手にiPad、右の足首に歩数計、背にディバッグ、腹に脂肪である。端から見ると変なジジイにみえるだろう。
 ここまで来れば何も気にすることない。マイペースで生きられる境地に到達した。


2/2(木)夜間降雪2cm、寒波曇り 外来 飯川病院
 1:00起床。新聞チェック、徒然。家内5:00患者急変にてTaxi出勤、7:10レガシーにて飯川病院、8:45-13:50外来+人間ドック結果処理不可。患者数多く疲弊した。14:00-18:20飯川病院。19:20孫誕生日で男宅経由帰宅、夕食。20:20就寝。BRながら視聴:「そこまで言って委員会;過剰反応社会」、「いま世界は、世界のいま」。Σ11674歩10782Km。

四季2017年(2) 1月末日現在の除雪機稼働回数
 今年、1月6日、今季初除雪した。あれから約一月、もう日差しには春の息吹が感じられる。ただ、まだ安心はできない。

 私にとって早朝の除雪はかなりの心理的な負担になっている。3-5cm以上降雪があると、5:30から1時間除雪してから出勤する。

 それで、私は毎年1月末日の段階での我が家の除雪機稼働回数を取り出して比較している。
 
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?2010年 13回  ?2011年 9回  ?2012年 14回  ?2013年 21回 ?2014年 11回  ?2015年 7回  ?2016年 2回    ?2017年 8回
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(1月末日時点の毎年の除雪機稼働回数。今年は平年並み)

 初除雪日は、2013年は12月13日、2014年は12月16日、2015年は12月27日、昨年は1日12日、今季は1月6日であった。温暖化?のためか徐々に遅くなってきている印象はある。

 除雪回数では2013年をピークに、昨年までは確実に少なくなっていたが、今年は8回と例年並みに戻ってしまった。

 今年は予想としては降雪量が多いとされていた。
 しかし、雪の少ない正月を迎え楽な冬かと思っていたら、1月中旬から冬型の気圧配厦が続いた。それもただ事でないほどの寒波と降雪であった。天気予報は連日雲だるまが並び秋田市では1月23日、平年の2.7倍となる積雪43cmを観測した。

 1月中旬から下旬にかけての寒波は全国的に規模で、山陰地方、九州沖縄まで降雪があったという。

 県内では冬本番を迎えて積雪が増す中、除雪予算が不足し、追加して計上する自治体が相次いでいる。
 ニュースによると、由利本荘市では、今年度の除雪費が過去最高になるペースとなっている。予算を追加計上したのは秋田のほか4市3町で、追加計上の総額は約12億円に上る。
 全体的な降雪量は多くないが1月中旬に集中的に降ったため、除排雪にかかる負担と費用が増えたのだ、と言う。
 秋田市でも当初予算11億円であったが7億円が追加計上された。

 最近の日差しには春の息吹が感じられるが、そう甘いものではないだろう。緊張感を失わないよう、毎朝の積雪状況を見守り、対応したいものだ。


2/1(水)曇り降雪・霙・風雪 飯川病院ボランティア 
 1:00起床。新聞チェック、徒然。午前から飯川病院ボランティアとなる。8:38バス狙うも休日ダイヤだった。急遽戻りフィットで。8:55-14:00院長代行、帰宅。微睡、データ整理読書中心に。19:00夕食、20:20就寝。BR視聴なし、落語録音ながらで聴く。Σ9243歩10773Km。佐賀の海岸線再度、次は110Kmで再度福岡へ。九州の海岸線の構成は複雑である。

徒歩通勤2017(1) 長崎海岸線1048Km通過、再度佐賀県に入った
 平成13年3月から徒歩通勤を始めた。歩行実績が積算できる歩数計「新・平成の忠孝」の積算開始が13年4月7日からだったから、約4年近くかかって本年2月1日に歩行距離がΣ10.773Kmに達し、長崎県の海岸線1048Kmを歩破し、再度佐賀県に入った。
     
 長崎県に入ったのが9月18日であった。海岸線1.048Kmを10Km/dayのペースで100日程度で歩きたいと思ったが、秋口の天候不順、12月以降の積雪もあって135日もかかった。7.76Km/dayと大幅にペースが落ちた。

 佐賀県の海岸線175Kmは8.75Km/day、福岡県は461Kmで8.9Km/day、山口は7.9Km/day、島根県約5.3Km/day、鳥取県は約5.0Km/dayであったから1日の平均時歩行距離はいい方というべきだろうか。

 歩数にしてみると積算開始から現在まで1345万歩/1390日だから9700歩/dayとなる。1万歩/dayの目標値に近くなった。

 私は旅行嫌いで、観光にも土地の味覚にもそれほど興味がない。九州は一般的に見ても馴染みがない。

 ただ、亡母の話によると幼少の頃に一度何かの用事で長崎を訪れたことがあるらしかったが、私の記憶には全く残っていない。
 その後、長崎県は内科や血液学会を通じて2回訪れた。学会のことなど記憶は皆無だが、平地の少なく坂道だらけの地形、夜景の素晴らしさ、歴史的な街として長崎出島、グラバー邸などが記憶に残っている。長崎チャンポン?はあまり美味とは言えなかった。
 中でもやはり衝撃的だったのは平和公園、原爆資料館で、2回のとも訪れた。広島のそれとともに機会があれば何度でも訪れたいところである。

 具体的日時は忘れたが、最初の訪問時には飛行機が海面すれすれまで降下して長崎空港滑走路に着陸したことである。長崎空港は大村湾の中央付近、海岸から約2kmに浮かぶ世界初の海上空港として開業したが、その情報を得ていなかったためにこのまま海上に不時着するのかと思った。

 長崎については一昨年だったか、吉村昭氏の戦艦「武蔵」建造に関わる著作を読んだことが機会となって、ひさびさ長崎について認識を新たにした。

 いま通過中しようとしている2回目の佐賀県の海岸線は117Kmである。ここが終わると2回目の福岡県の海岸42Kmに至る。九州地方は島々が多くて複雑な地形しているが、海岸線も福岡→佐賀→長崎→佐賀→福岡を通過して熊本に至る。県境は複雑である。

 まだ徒歩通勤には厳しい天候、道路状況が続く。バスに乗る機会がまだしばらく続くが、歩行の機会を可能な限り得て20日ほどで熊本に入りたいと考えている。


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  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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