徒然日記
2015年11月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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11/30(月)曇り後雨 健康クリニック 飯川病院
 1:30起床、文献・新聞など。いつものごとく。7:20徒歩飯川病院着。9:00-11:00健康クリニック。11:30飯川病院、14:00-18:45勤務。19:20車、DIYショップ経由にて帰宅、夕食、20:15就寝。Blu-ray視聴:「ヨーロッパの城巡り:モナコ他」、「昭和偉人伝:森光子」。歩行計Σ7712Km。

情報収集2015(4) 新聞スクラップ(2) 名前付けと分類作業を通じて何度も読む
 2005年Mac対応のドキュメントスキャナーが発売されたので早速購入した。電子化は簡単であるが、読み取ったドキュメントは基本的にはPDFの画像で、日付と時間だけの名称になるために、適宜名称をつけ、分類する作業が必要である。

 尤も、その後発売になった後継機には自動でOCRをかけて画像から文字に変換してくれるソフトが付属していると聞く。羨ましい機能であるが、私の場合は便利すぎてデータを再検討する機会が少なくなりそうなので導入していない。私の機種は10年間働きづめであるが故障もなく作動している。

 新聞は当日朝のうちに裁断処理する。なお、家人が読む可能性がある秋田魁新聞だけは1日遅れで処理する。
 大体以下のスケジュールでデータ化する。

(1)毎朝、勤務前の時間、7:30頃から飯川病院医局で興味ある記事を探し、厚手の定規を当てて一気に切り取る。4紙で30分ほど、平均40枚程度切り取る。この時点ではかなり重要な記事しか読まない。

(2)毎夕帰宅後、夕食の前後に、あるいは早朝起床後1:00頃から切り取った記事をスキャナーを通して画像化する。入力に30分ほどかかる。この時に記事を再確認し、時に熟読する。この時点で優れた記事には電子的にマークを入れる。

(3)パソコンに向かうたびに、あるいは気分転換したい時に、画像化したデータに5-10項目ずつ名称をつける。この時も記事を読む。

(4)名称をつけた記事はモバイルのハードディスクに移し、常に持ち歩き、時間的余裕がある時に自分で設定した、「政治」、「経済」、「国際関係」などの15大項目に沿って分類する。

(5)データ利用時には、入力日時別、大項目別、名称別などに範囲を絞って検索する。1997年以降の記事が瞬時に目の前のディスプレイに並ぶ。

(6)ある事項に関連した記事を集中的に読みたい時にはiPad miniに移して読むこともある。

 連日、名称付けと分類の作業に追われる日々で手を抜けないが、検索をかけると読みたい記事が一瞬にして目の前に現れる。これは壮観である。私は黙々と作業を続ける日常に満足している。得られる果実が大きいからである。「継続は力なのだ・・」と、心から思う日々である。

 新聞記事は最近様変わりしているように感じる。おそらくインターネットの普及で速報性から、じっくり読ませる資料集的記事に主眼を写しているからであろう。この傾向は私にとっても大歓迎である。


11/29(日)快晴時折曇り 夜半23時25分初雪観測
 1:00起床、昨日と言ってもついさっき23時25分頃秋田市で初雪観測。新聞チェック、医学論文読み,整理、PDF化。午前自室の整理。ネコ防寒等対策。大量に蓄積した家族等のスナップ写真、画像データの整理開始。午後は除雪機2台整備、プリウスタイヤ交換。午睡若干。 写真、画像データの整理、蓄積データ整理。夕暮れ後はBlu-ray視聴「NHKのど自慢」見る。19:00夕食、20:30就寝。Σ7701Km。

情報収集2015(3) 新聞スクラップ(1) 読むよりまず資料化
 私はガラクタ集めと情報収集が趣味と言ってもいい。後者の情報は全て電子化している。
 私の記憶装置が軟化して壊れ始めているために記憶は硬いハードディスクに代行をお願いしている。データとして記録している対象物は、書籍の自炊データ、文献・新聞のPDFデータ、ラジオ深夜便のMP3データ、自分のHPの蓄積、それにドキュメンタリー番組を中心とする録画のDVD・Blu-ray diskである。これらのデータは1TBのハードディスクに、録画データもディスクに一括してまとめてある。分野別に別のハードディスクにバックアップをとり、大事に扱っている。

■新聞スクラップ
 私は小学生の頃から「小学生新聞」、「中学生新聞」なるものを購読していた。週に2-3回届いていた。だから新聞には親しみとこだわりがある。初歩的な新聞スクラップは当時から日記帳などに貼っていたが、本格的に始めたのは大学病院から今の病院に移った1985年以降である。スクラップブックは年度別に分類したが、書架を二つも占拠した。さらに、目的の記事を探すのが困難で、切り抜きを保存する方法では限界であった。

 1995年頃はオフィスのペーパーレス化が流行っていて、紙データを電子化する機器がで始めた。私は1997年頃にヒュレット・パッカード社のペーパーポートというスキャナーを購入し、約8年近く用いた。しかし、数年で後継機がなくなった。米国の大企業の製品であり、信頼していたが、ハード、ソフト共に不運な運命で消滅したらしい。 
 
 2001年富士通からScanSnapが発売された。2005年Mac対応機が発売されたので早速乗り換えた。電子化は簡単であるが、読み取ったドキュメントは日付と時間だけの名称になるために、適宜名称をつけ、分類する作業が必要である。

 1997年-2005年までは毎日糊付けで手が黒くなった日々、2005年以降は連日名称付けと分類の作業に追われる日々である。大変であるが、検索をかけると10余年分の読みたい記事が一瞬にして目の前に並ぶ。これは壮観である。

 東日本大震災後は被災地の状況を知りたくて、福島・宮城の地方紙も取っていたが、2年ほど前からは岩手の分だけを残し4紙にした。連日40−50枚の記事を蓄積している。多分ハードディスクには1997年以降の10万枚ほどの新聞記事がPDFとして保存されていると思う。
 これらの全データは毎日持ち歩き適宜活用している。私にとっては時間をかけて作り上げた宝物であり、三重にバックアップを取り、自宅、病院に保存している。
 家族達は興味も示さないのがちょっと寂しい。電子データは他のガラクタ収集とは異なり、その気になれば一瞬に処分できるから気が楽である。

 私にとって毎日届く新聞はその日に読むものではなく、記事の選択と資料化のための材料である。勿論、興味ある分野は資料化しながらざっと目を通す。


11/28(土)曇り 冬支度他
1:00起床。いつもの如く資料整理中心。読書。午前は室内のネコ対策。暖房の配慮。書籍、新聞等廃棄準備。午後はダリアの球根掘り。外回りの掃除他。次男一家訪問あり、エルグランドのタイヤ交換手伝い若干。夕暮れ後はBlu-ray視聴。「ザルツグルグ音楽祭VPO:椿姫後半」、「読売日本so演奏会:打楽器特集」、19:00夕食、20:30就寝。

情報収集2015(2) 溢れる情報とどう付き合うか
 既に言われていることであるが、日本人は情報に流されやすく、信じやすく、忘れやすいという特性がある、と思う。私も毎日情報を集めてそれらを楽しんでいるが、上記の特性を情報発信側に受け取る側にも感じてしまう。
 何か大事件がおこって集中的に報道されてきても時間とともに急速に萎えてしまう。人々の関心も少なくなる。人の噂も75日と言われる所以である。

 情報にはさまざまな特性があるが、特に瞬時に情報を発信できるネット、放送・新聞等のメディアからの情報は刹那的である。
 書籍、論文とは異なり、メディアの情報は次々と上書きさねていく。発信さねる情報の賞味期限は短く、連続性も乏しく.一貫性も曖昧である。そもそもメディアから発信される情報の性格は,受け取る側へのおもねりもある。その点も理解していなければならない.
 「事実は一つだが、真実はたくさんある」とよく言われる。政治など論調がメディアによって異なるのはよくあることである。
 私は医師であるが、メディアからの医療関係の情報の正確性・解釈には頻繁に違和感を覚えている。

 一般的には、知識の及ばない分野の情報は疑問を持たずそのまま信用しがちである。判断の実力がないから当然でもある。常に認識しておくべきことではあるが、情報の送り手は多様であり、素性すら知らない相手の場合が多い。そこからの情報は恣意的な一面もあるという認識か必要である。

 また、受け手が情報に無意識的にフィルターをかけて対応する。人間には潜入観に基づいて都合のいい情報だけを集めて「自分の先入観を補強する」という心理現象がある。見たいものを、聞きたいことのみを聞いている。逆に言えば、見たくないものは見ないし、聞きたくないことは聞かない。第一、実際に見ても聞いても、「見えても見えず、聞こえても聞こえず」、それが人間の情報処理の性格でもある。
 結局、情報は送り手、受け手共に、無意識にお互いが情報にバイアスをかけていることになる。

 情報と付き合うにはどうすれば良いのだろうか。
 ネットを含む現代の情報社会では、膨大な情報を整理し、廃棄すると共に自分の力で考え抜き、有用な情報を使いこなし、自分なりの意見を構築する能力を鍛えることである。

 具体的には私は以下を念頭にしている。
#1 情報を鵜呑みにしない
#2 専門誌の記事や論文などは疑ってかかる

#3 大騒ぎされ、一見重要と思われる情報は結果的にあまり役立たない
#4 無意味に見える情報も重要であるという意識が必要
#5 寿命が極端に短い情報は捨てる
#6 発信者が不明な情報は捨てる
#7 手に負えない情報は捨てる
#8 自分の五感を駆陵して自ら考え、そして発言する


11/27(金)強風風雨 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:30起床、体調ほぼ改善。新聞文献チェックPDF化、徒然他。6:00可燃ゴミ出し。7:35タクシー駅に、8:10こまち、9:00-13:40大曲中通病院外来、駅病院間徒歩不可。13:39こまちに間に合わず。駅前Plusにて軽食、14:33発こまち、15:30飯川病院ボランティア。18:30車帰宅、19:00夕食、20:30就寝。Σ5204Km。Blu-ray:「ガイア:貸す借りる新時代」、「プロファイラー:林芙美子」、「林修:窓際のトットちゃん」。

医療事故調査の新制度(5) 運用状態の検証を
 既に言われていることであるが、日本人は情報に流されやすく、信じやすく、忘れやすいという特性がある、と思う。私も毎日情報を集めてそれらを楽しんでいるが、上記の特性を情報発信側に受け取る側にも感じてしまう。
 何か大事件がおこって集中的に報道されてきても時間とともに急速に萎えてしまう。人々の関心も少なくなる。人の噂も75日と言われる所以である。

 情報にはさまざまな特性があるが、特に瞬時に情報を発信できるネット、放送・新聞等のメディアからの情報は刹那的である。
 書籍、論文とは異なり、メディアの情報は次々と上書きさねていく。発信さねる情報の賞味期限は短く、連続性も乏しく.一貫性も曖昧である。そもそもメディアから発信される情報の性格は,受け取る側へのおもねりもある。その点も理解していなければならない.

 「事実は一つだが、真実はたくさんある」とよく言われる。政治など論調がメディアによって異なるのはよくあることである。
 私は医師であるが、メディアからの医療関係の情報の正確性・解釈には頻繁に違和感を覚えている。

 一般的には、知識の及ばない分野の情報は疑問を持たずそのまま信用しがちである。判断の実力がないから当然でもある。常に認識しておくべきことではあるが、情報の送り手は多様であり、素性すら知らない相手の場合が多い。そこからの情報は恣意的な一面もあるという認識か必要である。

 また、受け手が情報に無意識的にフィルターをかけて対応する。人間には潜入観に基づいて都合のいい情報だけを集めて「自分の先入観を補強する」という心理現象がある。見たいものを、聞きたいことのみを聞いている。逆に言えば、見たくないものは見ないし、聞きたくないことは聞かない。第一、実際に見ても聞いても、「見えても見えず、聞こえても聞こえず」、それが人間の情報処理の性格でもある。
 結局、情報は送り手、受け手共に、無意識にお互いが情報にバイアスをかけていることになる。

 情報と付き合うにはどうすれば良いのだろうか。
 ネットを含む現代の情報社会では、膨大な情報を整理し、廃棄すると共に自分の力で考え抜き、有用な情報を使いこなし、自分なりの意見を構築する能力を鍛えることである。

 具体的には私は以下を念頭にしている。
#1 情報を鵜呑みにしない
#2 専門誌の記事や論文などは疑ってかかる

#3 大騒ぎされ、一見重要と思われる情報は結果的にあまり役立たない
#4 無意味に見える情報も重要であるという意識が必要
#5 寿命が極端に短い情報は捨てる
#6 発信者が不明な情報は捨てる
#7 手に負えない情報は捨てる
#8 自分の五感を駆使して自ら考え、そして発言する
 (参考:<a href="http://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20150711">情報収集2015(1) 放送からの情報収集はAMラジオから映像にシフトした</a>)


11/26(木)寒波と降雨  外来 飯川病院  
 1:00 起床、文献処理、徒然。7:15バス飯川病院着。寒くてセーター手放せない。8:45-13:15外来。14:00-18:45飯川病院、19:10車で帰宅、夕食後、20:30就寝。Σ7689Km。Blu-ray:「オイコノミア:どう決まる本の値段」、「経済フロントライン:京都」,「チョイス:白血病を食い止める」。

映画「ペコロスの母に会いに行く」原作・岡野雄一 監督・森崎東
 最近、外来に通院してくる95歳の男性患者から書籍を頂く。頂いた書籍は自分なら購入しないジャンルなのでそのうちの何冊かを興味深く読んでいる。

 昨年の今頃読んだ、渡辺淳一著「孤舟」(2010年作) もその中の一冊であった。「定年退職亭主在宅症候群」だったので読んでみた。しかし、この作品は成功したとは言えないように思う。この作品には従来読んだ作品には見られない、退屈さが終始付きまとっていた。
 <a href="http://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20141026">「孤舟」 渡辺淳一著 集英社(1)「定年退職亭主在宅症候群」をテーマにした作品</a>
 「遠き落日」、「心臓移植」、「花埋み」・・などの初期の作品から受けたシャープな印象とはちょっと違う作品となっていた。ただ、渡辺氏は注目している作家ではあったが、それほど多くの作品を読んでいうわけではないから即断はしたくない。

 2け月ほど前に新たに頂いたのが「幻覚」(2004年作)であった。「幻覚」は主人公が精神科女医であることからちょっと興味を感じて読み始めた。本作は、2003年6月〜2004年4月まで読売新聞に連載された。
<img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/ff/c35f5d9c47ecd13d6a1a2782dbbb5bae.jpg" border="0">

 この本のあらすじは以下のごとくである。

 美貌の36歳独身の精神科医で病院を経営するH子、医師であった父の病院を引き継いでいる。H子の治療には薬の過剰投与など、一部のスタッフは疑義を持っている。H子は父親との生活をトラウマとして抱えていた。同じ悩みを持つ患者に薬を過剰投与していた。H子は自分の心の悩みを、患者にも投影していた。
 ある年末、患者の一人が突然死し、死因に不審を抱いた家族が病院を訴える。H子はカルテを改竄する。裁判沙汰は週刊誌に取り上げられスキャンダルとなる。H子の自殺を持ってこの小説は終わる。

 舞台設定が精神科領域で、その病院に勤める31歳の独身の男性看護師を語り部としている。著者はいろいろなテーマを散りばめている内容を膨らませているが、ありきたりの、予測できる、主人公の自殺という結末に至る過程をトロトロと記述しているだけのような気がした。
 精神科領域の医療内容の記述にも深みがない。尤も著者は整形外科医であるからこの方面に多くを求めることはできないのかもしれない。

 この作品は半煮え、生煮え的な中途半端な印象が付きまとう。エロチックな場面はほとんどない。これは、新聞連載小説であったこととも関連しているかもしれない。新聞掲載の場合は内容的にも、表現的にも、さらに字数にも最初から枠がはめられているからなのだろう。

 私が読んだのは渡辺氏の初期の作品が多い。私が抱いている氏への印象、作品の素晴らしさへの印象はまだ崩れてはいない。
 今後も機会があれば他の作品を読んでみたいと思っている。


11/25(水)寒波 曇り 外来 飯川病院ボランティア
1:00 起床、新聞・文献読みとPDF化、他諸々。本日から長袖セーター着用。7:30徒歩病院着。8:45ー13:30外来。14:00-18:30飯川病院ボランティア、Blu-ray:「そこまで委員会:スパイ問題」、「世界は今:IS問題」、「サイエンスゼロ:睡眠研究の最前線」。19:10バス帰宅、寒かった。夕食、20:45就寝。歩行Σ7681Km。

渡辺淳一著 「幻覚」 中央公論新社  2004
 最近、外来に通院してくる95歳の男性患者から書籍を頂く。頂いた書籍は自分なら購入しないジャンルなのでそのうちの何冊かを興味深く読んでいる。

 昨年の今頃読んだ、渡辺淳一著「孤舟」(2010年作) もその中の一冊であった。「定年退職亭主在宅症候群」だったので読んでみた。しかし、この作品は成功したとは言えないように思う。この作品には従来読んだ作品には見られない、退屈さが終始付きまとっていた。
 <a href="http://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20141026">「孤舟」 渡辺淳一著 集英社(1)「定年退職亭主在宅症候群」をテーマにした作品</a>
 「遠き落日」、「心臓移植」、「花埋み」・・などの初期の作品から受けたシャープな印象とはちょっと違う作品となっていた。ただ、渡辺氏は注目している作家ではあったが、それほど多くの作品を読んでいうわけではないから即断はしたくない。

 2け月ほど前に新たに頂いたのが「幻覚」(2004年作)であった。「幻覚」は主人公が精神科女医であることからちょっと興味を感じて読み始めた。本作は、2003年6月〜2004年4月まで読売新聞に連載された。
<img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/ff/c35f5d9c47ecd13d6a1a2782dbbb5bae.jpg" border="0">

 この本のあらすじは以下のごとくである。

 美貌の36歳独身の精神科医で病院を経営するH子、医師であった父の病院を引き継いでいる。H子の治療には薬の過剰投与など、一部のスタッフは疑義を持っている。H子は父親との生活をトラウマとして抱えていた。同じ悩みを持つ患者に薬を過剰投与していた。H子は自分の心の悩みを、患者にも投影していた。
 ある年末、患者の一人が突然死し、死因に不審を抱いた家族が病院を訴える。H子はカルテを改竄する。裁判沙汰は週刊誌に取り上げられスキャンダルとなる。H子の自殺を持ってこの小説は終わる。

 舞台設定が精神科領域で、その病院に勤める31歳の独身の男性看護師を語り部としている。著者はいろいろなテーマを散りばめている内容を膨らませているが、ありきたりの、予測できる、主人公の自殺という結末に至る過程をトロトロと記述しているだけのような気がした。
 精神科領域の医療内容の記述にも深みがない。尤も著者は整形外科医であるからこの方面に多くを求めることはできないのかもしれない。

 この作品は半煮え、生煮え的な中途半端な印象が付きまとう。エロチックな場面はほとんどない。これは、新聞連載小説であったこととも関連しているかもしれない。新聞掲載の場合は内容的にも、表現的にも、さらに字数にも最初から枠がはめられているからなのだろう。

 私が読んだのは渡辺氏の初期の作品が多い。私が抱いている氏への印象、作品の素晴らしさへの印象はまだ崩れてはいない。
 今後も機会があれば他の作品を読んでみたいと思っている。


11/24(火)曇りのち降雨 外来 飯川病院
 0:30起床。新聞・文献読みとPDF化、本読み、他諸々。雨の予想にて7:10バス飯川車病院着。8:45ー13:45外来+紹介状発行。14:00-18:30飯川病院。Blu-ray:「ニュース英会話:VW疑惑」、「久米書店:吉本ばなな」、「NHKsp:ジョーズの謎に挑む」。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。

イヌ・ネコはペットにあらず?2015(13) 猫屋敷化した我が家(3) 雌ネコ避妊手術(2)
<5代目ネコのプチ>
 野良のプチを本年3月初めに我が家に引き取って、11日に避妊手術した。可憐な乙女である、いくら何でもまだだろう、と思っていたがすでに4匹の胎児を孕っていた。「女性を診たら妊娠と思え・・」は内科診断学の中でしつこく学んだ。実際、「絶対ありえません」と頑なに否定する女性の診療でこの教訓が生きたことは10度に余りある。しかし、その業務上の勘は我が家の乙女には働かなかった。術後は隔離も抜糸も不要で、翌日から元気に動き回っていた。

<迷いネコの小さい方>
 「小さい方」は基本は野良ネコの立場である。我が家周辺で2回出産した。GW以降やむなく風除室で保護しているが、これ以上子ネコを産むと困るので本年6月22日に避妊手術した。
 出産して2ケ月余、離乳し始めたとはいえまだ5匹の子ネコに授乳中だったので私は妊娠するはずはないと固く信じきっていたが、開腹してみると既に8匹の胎児を孕っていた。

 人間の場合は授乳中は乳汁分泌ホルモンのプロラクチンの関係で排卵はないはずなので、ネコの場合も妊娠しているはずはない、と私は固く思い込んでいた。全くの思い違いでこの件に関して私は家人から完全にバカにされた。
 確かに、調べてみるとネコの場合、授乳しているかに関係なく、出産後1-2け月で再度妊娠する可能性があるという。人間に関する医学的知識はネコには通用しない世界であった。「小さい方」はしょっちゅう風除室から遁走したが、その隙に孕んだのであろう。私は「小さい方」の旺盛な繁殖力驚いた。

<迷いネコの雪音>
 まだ迷いネコの立場であるが、5月生まれの雪音もそろそろ年頃を迎えるので11月7日に避妊手術を受けた。術後は体幹を全部覆うシャツ状の包帯が巻かれている。まだ傷の一部に問題が残り全部抜糸していないが、まもなく終了する。

 これで我が家の雌ネコに対する不妊手術は終了となる。全部で5匹。いのちを慈しむ私であるが、もうこれ以上は野良ネコを受け入れる気はない。少なくとも内ネコ、外ネコともに私の責任は果たしつつあるように思う。

 今年中に雄ネコ3匹の去勢手術を行う予定である。


11/23(月) 勤労感謝の日 曇りのち午後降雨 レガシータイヤ交換 庭仕事
1:00起床。文献・新聞等処理、徒然といつもの如くこなす。午前はレガシータイヤ交換 庭仕事、ガレージ整理。クロスバイクはガレージ2階に収納。蓄積データの整理。午後はBlu-rayディスクの確認と分類、インデックス作成。Blu-ray:「ザルツブルグ:ムーティ指揮VPO演奏会、ブラームス交響曲、チャイコン。『椿姫』」を鑑賞。素晴らしいプリマで見とれてしまった。18:30家内帰宅、19:00夕食、20:30就寝。Σ7666Km。

イヌ・ネコはペットにあらず?2015(12) 猫屋敷化した我が家(2) 雌ネコ避妊手術(1)
 日本では毎年約17万頭のイヌやネコが殺処分されている。大切ないのちのために避妊・去勢の手術が推奨されている。自治体でも簡単にはイヌやネコを引き取らなくなった。

 私が今まで飼ったネコ、飼っているネコは全て雌ネコだけであった。尤も、今いる子ネコのうち3匹はオスで、私は初めてオス猫と付き合っている。

<初代ネコ>
 半世紀前に死んだ初代のネコは、1952年私が小学1年の時から1964年の高校卒業まで12年余一緒に暮らした。毎年2回出産した。生まれたばかりの子ネコの大部分は私が・・・した。ネコを飼う条件として祖父母から厳しく条件が付けられたからである。子を失った母ネコは数日間狂ったように探し回った。ちょっとした物音にも敏感に反応し探し回った。その姿を見るのは実に辛かった。母ネコは子ネコがいなくなったことに私が関与していることを知っていたと思う。私の手や衣服には子猫の匂いが付いていたはずである。翌日から8ケある乳房がはれ上がり痛がった。私は懺悔の気持ちを持って2週間ほど乳房をマッサージした。私はこんなこともあってネコには頭が上がらない。

<2代目ネコのナンナン>
 初代のネコの後、約20年私はネコに関心を持たなかったが、1989年頃の厳寒の冬の夜、居間の外で3日間鳴き続けたネコをどう追い払うか考えながら窓越しに顔を見た瞬間、目があって私は思わず戸を開けて招き入れた。初代のネコの表情に酷似していたからである。
 この頃は雌ネコには避妊手術を受けさせることが推奨され始めていた。受け入れて数日後に避妊手術を受けさせた。傷を舐められないように首にプラスチックのカラーがつけられた。ナンナンは去勢後スプレイ行為が見られ私を悩ました。雌の因子が少なくなり、相対的に雄の性格が優位になったためだろうか。

<3代目ネコのユウ>
 カラスの様なネコ。2005年生後1ヶ月ほどで横浜で保護した。数ケ月後避妊手術した。乱暴な性格であったが手術後おとなしくなり噛み付く癖もなくなったが、気が小さく臆病になった。手術との関連は分からない。我が家では今孤立している。

<4代目ネコのミーシャ>
 賄いのおばさんが2000年友人から譲り受けた猫で、しばらく日中だけの通い猫であったが、3008年に正式に我が家で引き取った。すでに前の飼い主によって避妊手術がされていた。従順でおとなしく、万事控え目であった。


11/22(日) 快晴 飯川病院日直
 1:00起床.新聞チェック、医学論文読み,整理、PDF化。17インチMacBook ProのOSを最新のに更新がうまくいかない。8:50バス病院着、飯川病院日直、久しぶりの快晴で外仕事出来ず惜しい。Blu-ray:「バクモン:働く車」、「ガイア:新たなリサイクル」、「林修世界の名著;たけくらべ」、「団塊スタイル;老後の節約術」、「世界と日本の知られざる絆:肥沼信次、他」、「池上;ニュースそうだったのか]、「ドナルドキーン;私の愛する日本人へ」、アナザースカイ;円楽とハワイ」観る。星新一:妄想銀行読了。18:00バス利用帰宅。19:00夕食、20:30就寝。Σ7861Km。

イヌ・ネコはペットにあらず?2015(11) 猫屋敷化した我が家(1) 
 我が家には今ネコが7匹いる。
 黒猫の雌「ユウー」は11歳、「小さい方」雌3歳か、その娘「プチ」2歳、小さい方の子供で今年4月に生まれたプチの妹分「雪音」、弟分の「テツ」、「シマ二郎」、「グリフィス」である。
 春から里親募集していたが、無事里子として引き取られたのはオスの「モフ太郎」のみ。噂では漱石の「吾輩はねこ」にちなんだ名前をもらい、とても可愛がられているそうだ。

 「プチ」は昨夏生まれで3匹兄弟であった。餌は与えたが家に入れず、私が作った防寒シェルターやガレージの2Fで健気にも厳寒を乗り切った。一匹「クリ坊」は雪が消える頃呼吸器疾患で死んだ。もう一匹の「ミニズリー」は春先に行方不明となった。仲よかった三兄弟のうち2匹を失なった「プチ」は寂しげに一人で過ごしていた。我が家周辺はネコにとっては危険域であるため見かねて3月に我が家のネコとして受け入れた。「プチ」はノラの時期が長かったが、徐々に慣れ、最近は私を恐れずゆったりと過ごしている。

 「プチ」の母親である「小さい方」は、子供たちとの間にいさかいがあったためか昨年初冬から「プチ」ら子供3匹を置いて姿を消していたが、4月に孕んだ状態で戻ってきた。「なんで孕んで戻ってくるのよ・・・」。こんなことになるなら前回避妊しておくべきだった、と悔やんだ。私どもには責任がないが、これはマズイことになりそうな予感がした。他所に行って欲しいと兵糧攻めにしたが、立ち去らない。

 孕んだ状態での空腹は不憫である。私は賛成でなかったが、家人は見兼ねて勝手口で餌などやっていた。GWの頃「小さい方」の周りで5匹の子ネコがまとわりついていた。危険である、私は渋々風除室を「小さい方」とその子供たちに提供した。

 子供たちはすくすくと育った。集団だから実に活発であり乱暴でもあった。苦労して作った風除室の防寒カーテン、網戸、天井のサンバーザーは破壊された。子供たちははなかなか私どもに慣れない。 
 窓を開けれがすぐに全員が遁走し、鳴き声、排泄物等で隣近所に迷惑をかけるから開けられない。真夏、密閉した風除室は40℃にも達したために居間に入れざるをえなかった。一旦、そんな習慣をつければもう元には戻せない。その後現在に至るまで日中は居間を解放し、夜間は風除室に戻している。
 そんな毎日、これが今の状態である。私は「小さい方」とその子供たちを我が家のネコとして認知していない。できればどっかに行って欲しいと心の隅で念じている。

 加えて言えば、本来我が家の正式なネコであった黒の「ユー」はみんなと折り合いが悪く家出同然状態で、時折勝手口を訪れ餌をもらっている。
 立場上、「プチ」がトップの座についている。


11/21(土)晴れ 飯川病院日直 仔ネコ達に防寒マット改良 
1:00 起床。新聞・文献PDF化。各種の録音資料再検討。7:00カレンダー購入のため横浜に発つ家内を送り駅に。7:38臨時こまち。9:00野良の子ネコ用防寒シェルター改良。自宅のBlu-ray「チェコフィル演奏会モルダウ」を見る。12:30プリウス飯川病院に、12:30-17:00日直勤務。病院のBlu-ray:「久米書店:一行バカ売れ」、「日本人の3割しか知らない」、「林修;今でしょ講座・栄養素、調味料他料理関連」を見る。19:00夕食。20:00就寝。

徒歩通勤2015(7) 京都府を通過、兵庫県の海岸線を歩行中
 平成13年4月から始めた歩数計「平成の忠孝」の積算開始、約2年6ヶ月かかって19日Σ7644Kmに達し、京都府を通過し、いま兵庫県の海岸線上を歩行している。この間、ざっと計算すると1日8.5Km。

 北海道海岸線には約1年、秋田37日、山形10日かかった。福井県の海岸線403Kmは70日で平均5.7Km/日であっ た。京都の海岸線は302Kmで43日で1日平均7Kmと若干歩行距離が増えた。
 福井、京都府通過時に1日あたりの歩行距離が減ったのは、8月16日の滑落による腰痛臀部痛、シルバーウイーク中の腰痛再悪化、11月に入って浴室の清掃中にも再々悪化させたことで、全コースの徒歩通勤ができなかった日が増えたためである。今も、実際にはまだ腰痛は多少残っている。かねてから腰痛は年に1-2回程度は生じていて私の健康上の問題点の一つであったが、この夏以降一層頻度が増した。要注意事項である。

 京都市には国際会議場があり、日本内科学会、血液学会等で10回以上も訪れ、私にとって比較的馴染みがあるところである。しかし、京都市は県の内陸に位置して、奈良や大阪と近く、府の海岸線を意識したことは今回までほとんどなかった。

 京都府の海というと私にとっては舞鶴のことしか知識がなかった。
 私が3-4歳の頃、実際の記憶はないが同じ歳の従兄弟の一人が海岸で事故に遭い死亡したことを聞かされていたし、小学生の頃ラジオのニュースでシベリア等からの引き揚げ船が舞鶴港に頻回に入港したことが報じられ地名をして記憶に残っていただけであった。

 今回、京都府の海岸を意識したのは、歩数計「平成の忠孝」は海岸線の測量のコースを模して歩くものであり、そのコースを地図上で辿り、初めて知ったものである。

 京都の海岸線上には大浦半島、丹後半島があり、その間に挟まれて舞鶴湾がある。松島、広島の厳島と合わせ日本三景と呼ばれる天橋立はこの地にあることを初めて知った。私は日本地理、世界地理ともに真面目に学んだことがなくほとんど知識がない。だから、座右には地図を置き、話題が出るたびに調べている。全国の海岸線については歩数計「平成の忠孝」を通じて遅まきながら勉強中である。

 兵庫県は日本海と瀬戸内海に面している。こんな県は珍しい。他に思いつかない。日本海側の海岸線は110.33Kmと長くはない。無理せず2週間で通過したい。次は鳥取県である。


11/20(金)快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床.新聞、文献PDF化、読書。徒然他何時もの如く。7:40Taxi駅に、8:10こまち、9:10-12:10大曲中通病院外来。片道徒歩。13:30-18:30通町珈琲店に立ち寄り帰宅。19:00夕食。20:00就寝。歩数計Σ7650Km。 Blu-ray視聴:「プロファイラー:スターリン」、「ヒストリア:満州のプリンセス」観る。

地方創生2015(13) プレミアム付き商品券(2) 経済効果は否定的
 プレミアム付き商品券は地域の活性のためとされるが、その経済効果はあるのだろうか?一定額の商品券を買うとプレミアム分を上乗せした金額の買い物が地元でできる。ある自治体はプレミアムのうち8%分を市、2%分を商議所が負担している。

 経済効果は? 短期的な消費浮揚策として効果が当然あると思われる。プレミアム商品券は地元限定、期間限定なので、東京や他県で購入する分を県内で消費を促す効果を期待できる。

 かつて発売されたプレミアム付き商品券は購入枚数限定でなかったために一人で600万円分購入した人もいて問題になった。期間限定だから、予め予定していた車などの高額物品の消費に使われたと推定される。それだけ経済効果はあったと思われるが、60万円分の国民の税金が個人のために使われたことになる。こんな馬鹿なことがあっていいのだろうか。

 そんな反省もあって、今回は窓口を訪れた各人が3万円分しか購入できない仕組みになった。この程度の額であれば、日常的消費活動のレベルの額である。従って、商品券は10%のプレミアムを当てにした節約目的での購入と考えられる。だとすれば消費の総額は増えない。消費税と同様に、所得が低い人ほどプレミアムの恩恵は大きいとの見方もあるが、所得再分配というほどの規模からみれば微々たるものである。

 おそらく、一人一枚との限定があっても寒空に並んだ人々の心には、デパ地下食品売り場とか、スーパー閉店時間前の半額セールに並び、生活費をできるだけ切り詰めようとする人たちの生活防衛的発想、と同じと思う。それはそれなりに、意義はあると思われるが、地方創生という意味での地方活性化には結びつかない。

 内閣府は2015年8月17日、2014年度補正予算で打ち出した経済対策の執行状況を発表した。地方自治体が発行するプレミアム付き商品券は、6月末までに総額2736億円が販売され、9月末までに総額7814億円に達する予定と発表している。政府は今後の景気の下支えになると期待している、とあるが私は効果は微々たるものだと思う。

 しかし、地方総政策がこんなマイナーな事にこだわっていて良いのだろうか。
 消費を喚起するにはこんな一時的な消費高揚対策ではダメで「潜在需要」の掘り起こし以外はない。消費喚起にはこんなバラマキ政策ではなく産業の代謝を促す成長戦略こそ求められる。このことこそが地方創生策の基本でなかったのではなかろうか。

(訂正)秋田市の場合、3万円分で3.6万円分のチケットが付き、プレミアムは20%、との事でした。


11/19(木) 快晴 外来 飯川病院
 1:00起床、新聞、文献PDF化など。7:25徒歩飯川病院着。8:45-13:00外来+人間ドック判定一部。ジブラルタスタッフ訪問。14:00-18:30飯川病院、15:00ジブラルタスタッフ訪問。19:00車帰宅、夕食、20:10就寝。歩数計Σ7644Km。兵庫県に到着。Blu-ray視聴:「スーパーコンピューター:京」、「オイコノミア:文学の経済学」、「昭和は輝いていた:ちあきなおみ」、「昭和偉人伝:三船敏郎」。

地方創生2015(12) プレミアム付き商品券(1) 税を原資にしたバラマキ策に過ぎない
 今朝、通勤時に銀行の前で50人ほどの行列ができていた。なんか記念硬貨でも発行されるのかと思っていたが、のちにプレミアム付き商品券の発売日であったことを知った。
 結構冷える朝であった。開店までまだ1時間もあった。待つのも大変だったと思う。秋田市の場合、商品券は窓口を訪れた一人あたり3万円分を購入でき、3.3万円分のチケットが付いている。10%のプレミアム付き、ということになる。

 プレミアム付き商品券は国の地方創生交付金などを原資に自治体が地域振興のために発行する商品券。そういえば、数ヶ月前にも数分で売れたとか、売れ残ったなどと話題になったことを思い出した。それがまた発売になったとのこと。

 この商品券は各自治体ごとにかなり自由度があるみたいだ。割増金の比率、販売対象を住民に限るか、子育て世帯優先的にするかなどの条件などを、自治体が決められる。使える店も決められる。

 昨年、地方創生が話題になり担当相も決められた。
 当時、私は地方創生作は地方の活性化のために極めて重要ではあるが、地域の活性化政策は秋田県をはじめとして既に十二分に行われてきており、それでも思うような成果が出ていない。その責任は県や自治体にあるのではなく、国の政策の問題である。だから、国の政策として外から、秋田県にそぐわない外様的政策を持ち込んでも成功する可能性はゼロに近い、と思っていた。有効な政策が作れないとすれば、恐らくその政策はお金のばらまきになるだろうと思っていた。

 地方創生に関しては国でも、県でも来年度の予算がついた話は出てくるが、実ある地方創生策が決まったということはまだ聞いていない。

 プレミアム付き商品券の発売は地方の経済を活性化するための手段の一つとして作られたものらしい。
 結局はバラマキ策でないだろうか。かつて、竹下内閣が自治体に一億円を交付したことがあったが、ほとんどが地域の文化にないような立派なパイプオルガン付きのコンサートホールなどの建設に充てられ、それらはほとんどが廃墟になっている。地方の活性化策は地元に根ざした文化の延長線上にあるものでなければならない、と思う。今回の政策は個人の消費活動に関連したものであり、日常生活に関連した政策であり、実害はないが、実効性には疑問がある。

(訂正)秋田市の場合、3万円分で3.6万円分のチケットが付き、プレミアムは20%、との事でした。


11/18 (水)快晴 外来 飯川病院ボランティア
1:00起床、文献チェック。徒然他。録音データ整理など。7:40小雨でバス飯川病院着、8:45-13:00中通外来+ドック結果判定。13:00-18:30飯川病院ボランティア。Blu-ray視聴:「英雄たちの選択:1940東京五輪」、「ガイア:外食革命は輸出できるか」、「林修世界の名著:藤沢周平 蝉しぐれ」、「100分で名著:『斜陽(4)』、『BS doc:忘れえぬJFK』。19:00疲弊してタクシーにて帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ7634Km。

医療事故調査の新制度(3) 調査の仕組み
 すべての医療機関、助産所、歯科医療機関を対象とした医療事故調査制度がまとまり10月から運用が始まった。論議は10年越しで行われた。

 新制度の主眼は再発防止、事実の検証に主眼が置かれ、医療過誤の追及などではないとされる。調査対象は(1)予期せぬ死亡事故、(2)調査をするかは医療機関が判断、(3)調査結果の書面による説明は義務化されず、となっている。

 予期せぬ死亡事故が生じ、調査をするかを医療機関が判断した場合、病院は第三者機関である「医療事故調査・支援センター」に届け、調査開始する。
 調査結果の報告書はセンターに届け、遺族に説明する。説明は口頭、報告書など遺族が望む方法で説明する。報告書を遺族に渡すのは義務ではなく病院が決める。
 遺族が調査結果に納得できないときはセンターに再調査を依頼できる。センターは病院の調査が妥当かどうかを独自に調べて、その結果を遺族と病院に知らせる。病院が事故ではないと判断した場合、遺族がセンターに調査を求める手立てはない。

 医療事故調査はここまでのことが取り決められている。この制度は調査の開始が病院の良識に負っている制度と言える。この部分は患者側からの評価が分かれる処である

 1990年代、医療への不信が高まる様な事故が相次いだ。刑事事件として医師が逮捕された事例も例もある。一方では、内輪だけで事故調査を済ませている例もあった。
 このような歴史を背景に医療事故調査の仕組みを確立する機運が高まった。遺族側は真実を知りたい、診療側は個人の責任追及にならない調査を求める声が多かった。新制度は両者が完全に納得したわけではないが、遺族と診療側の間に第三者機関が入る画期的と言っても良い制度となった。

 今後は、透明性の高い調査によって遺族と診療側と第三者機関が結果を共有し、事例の検証を積み重ねながら事故の再発を防ぐことに結びつくことが期待される。
 
 診療側からはこれでも、報告書を訴訟に使用する可能性がありうる点や、第三者機関への報告の対象となる「予期しなかった死亡・死産」の基準が広く解釈できる点などに不安を感じる意見が飛び交っている。
 実際、この点はどんなシステムを作ろうと「いのち」に関することだから、患者側の不信は残り、たとえ過誤がなかったとしても診療側が抱える不安を消し去るものではない。それを消し去るのは、究極的には「患者と医師をはじめとする診療側との信頼関係」に尽きるのだ。私はそう思う。


11/17(火)小雨・曇り 外来 飯川病院
1:00起床。文献・新聞等処理、徒然。自炊本読み。5:00可燃ごみ処理。6:47雨模様でバスで病院。8:45-12:55中通外来。手のかかる患者がいて数の割には難渋。疲弊。13:00飯川病院、14:00-18:50飯川病院。花壇に花、新聞、医学論文チェック、19:30帰宅、夕食、 20:15就寝。 歩数計Σ5109Km。Blu-ray視聴:「そこまで言って委員会:中台問題、夫婦別姓など」、「世界は今:パリ同時多発テロ他」、「プロファイラー:グレース・ケリー」、「100分で名著:『斜陽(4)』、『BS doc:忘れえぬJFK』.

医療事故調査の新制度(2) 白衣の効能
 人は外見で判断される。衣服は人がその富や権力を誇示するアイテムにもなるし、一定の組織に属していることを示す制服もあり、資格や職業を象徴したりする制服などもある。医師・看護師像は純白の白衣姿、警察官は制服で、旅客機の客室乗務員などは制服を着用しているだけで資格を表し、ほとんど疑われることはない。尤も、医師・看護師の白衣姿は制服でなく作業衣であるが、職業人としてのイメージを表現する。

 私が子供の頃に偽医者事件というのが頻発したことがある。帰還衛生兵などがなりすました例が多かったが、上手に白衣を着こなしていたし、医師(?)としての評判は例外なくすこぶる良かった。逮捕時には住民から減刑の嘆願書が出されたケースもあった。医師の原点の一つが何であったのか示す例であるとともに、白衣の効能を如実に語っている。

 現在の病院に赴任した当初から、私は白衣を着なかった。
 白衣は体にまとわりついて不快だったし、診療上特に必要がなかったからである。さらに、多くの医師は白衣をボタンもはめずにだらしなく着ている。本人たちは格好良いと思っている節があるが、見る度毎に不快である。ところが私は「白衣を着用しないことは職業人として無責任である・・」との批判を受けた。「院内ではきちんと自分の資格を示すべきだ・・」とも。その時、私はその意見を無視した。白衣は制服ではない、単に作業衣だからである。現在、午後に三日間勤務している飯川病院でも着用を院長から求められているが、抵抗を続けている。

 白衣姿での会見や謝罪は、白衣の効果を利用している部分もあるだろう。医療事故とかの記者会見で看護部長クラスも同席することもある。医師の白衣姿はほとんど権威を失ったが、看護師の白衣姿はまだ無形の価値を醸し出している。つまり、問題が生じてしまったが、白衣を着た医師・看護師は身を削って業務に邁進しているのだ、といった気持ちがどこかにないだろうか。

 やはり、服装はきちんと整えて会見に臨むべきだろう。もちろん、患者や家族に対しての説明の場でも同様である。
 考え過ぎかもしれないが、そう思う。

 医療事故調査の新制度が発足したが、支援団体にはもうすでに100件近くの問い合わせがあるという。
 新制度が発足で、おそらく緊急の記者会見などは従来よりは少なくなると考えられる。社会的責任があるから要請されれば断ることはできないが、詳細がわからないうちの緊急会見は医療側にとってもストレスが大きい。これも新制度の役割の一つであろう。


11/16(月)曇りのち快晴 健康クリニックドック 飯川病院
 0:45起床。文献・新聞等処理、サルツブルグ音楽祭、ムーティ指揮ウイーンフィル、チャイコVn協、ブラームスほか。歌劇「椿姫」など見る。徒然。7:10バス病院。9:00-11:25健康クリニックドック。12:15飯川病院。新聞、医学論文チェック。14:00-18:45勤務。
19:00帰宅、夕食。 20:15就寝。Blu-ray視聴:「オイコノミア:ローンの正体」、「BS世界のドキュメント:ケネディ大統領への背信」、「昭和は輝いていた:特集編」、「昭和偉人伝:梶原一騎」。

医療事故調査の新制度(1) 謝罪会見等の白衣姿は失礼である
 10年越しの論議ののち医療事故調査制度がまとまり10月から始まった。
 医療事故調の新制度は、ざっと言って、(1)調査対象は予期せぬ死亡事故に限定、(2)調査を始めるかは医療機関が判断、(3)調査結果の書面による説明は義務化されず、などと医療側に優位に見えるが、この制度は責任追及のためではなく、再発防止に主眼が置いた制度である。新制度の発足としては私はまずいい制度だと思う。

 最近医療に関する不祥事が多く、新聞TVなどで病院管理者が謝罪する場面に遭遇する。最近話題になった代表的例は、東京女子医大で鎮静剤の不適切投与、群馬大学の腹腔鏡手術、国立国際医療センターの造影剤脊髄腔注入事件などがある。
 
 これらの場合、病院管理関連者たちが記者会見を開いてメディアを前に内容を公表、内容によっては謝罪する。そこでいつも気になるのが会見の場での医師たちの白衣姿である。私は、医師にとって白衣は診察するときの作業衣だと思っている。学生時代に白衣姿で院外に出てはいけない、白衣は不潔である、と指導された。

 私は謝罪などの会見の場には白衣で出るのをやめるべきと思う。あくまで白衣は作業衣であり、医師の正装ではない。作業衣を来てフォーマルな場に臨むのは、社会人として失礼だと思う。公式な会見では背広にネクタイというフォーマルな服装でお願いしたい。そうでないと伝わるべき内容も軽くなる。メディアを前にしての会見は決してメディア対策ではない。メディアを介して社会へ向けてメッセージの発信である。それを作業衣のまま行うというのは社会に対して失礼である。

 医師の白衣姿は時代と共に変わってきている。いわゆる古典的な白衣、今でも中年以降の医師に汎用されている。次に登場したのはベン・ケーシースタイルと呼ばれた上半身だけの半袖の白衣。ベン・ケーシーと言われても今の世代の人には通じないだろうが、簡単に言えば床屋さんスタイルに似たタイプ。次はその発展型というか、色調はいろいろあってもはや白衣とは言えないが、一見パジャマ風のタイプ、などに変わってきた。白衣は診療するときの作業衣であることを考えると、この変化は医師の業務の機能性向上から見ても納得できる変化である。

 私は原則として白衣は着用しない。かつて大学にいた頃は診療よりも実験室にこもる方が長かった。実験室では白衣を必ず着用した。血液とかで汚れるし、逆に汚れた手を拭く手ぬぐい代わりでもあった。白衣は2着用意し、診療時には着替えた。
 中通総合病院では、白衣を着用しなかった。通年半袖のYシャツ姿である。通常の内科の診察では白衣を必要とするほど汚れることはないし、汚れが予想される状況ではガウンを着た。

 人は外見で判断される。患者から見た医師像は、マンガ的に表現すると、白衣、聴診器、額帯鏡であろうが、私は白衣はまとわりついて嫌だったから用いなかった。
 現在の病院に赴任した当初、白衣を着なかったことで一悶着あった。


11/15(日)降雨・夕方曇り ネコ5匹のための防寒マット作成ほか。
1:30起床、新聞、文献チェック。医学雑誌のPDF化、録音データ整理など。浴槽蓋の清掃と修繕。ディバッグ修繕、ネコ用の風除室整備、暖房マット作成、電気回路の改修。Blu-ray視聴:「らららクラシック:3本ほど」。19:00夕食、20:00就寝。歩数計7615Km。

財政再建2015(11) アベノミクス第二ステージ宣言(3) 1億総活躍社会って何だ
 アベノミクス第二ステージ宣言に国内総生産(GDP)600兆円、出生率1.8、介護離職ゼロを「新三本の矢」として実現を目指す。

 また首相は新しいキーワードを作った。「1億総活躍社会」って何なのだ??昨年のキーワードとして「地方創生」があった。「地方創生」の進捗状況はよくわからないが遅々としている。その総括もないうちに次のキーワードを出すと総花的で印象は良くない。単なる言い替え、乗り換えに過ぎないのではないだろうか。目標というより宣伝文句と捉えるべきだろう。

 私も実感はないが、わが国にとって「1億・・」という言葉はあんまりいいイメージではない。あの忌まわしい「いのちの軽視」の極限の言葉として「1億総玉砕」のスローガンが頭をよぎる。確かにそう考えるのは変かもしれない。「1億」という言葉はわが国にとっては「全国民の」という意味だろうが、ちょっと違和を覚える。

 GDP600兆円目標は目新しいものではない。政府はGDP名目3%の成長をずっと目指してきた。アベノミクスでは大量の経済政策が行われたが、にもかかわらず日本の潜在成長力は最近0%台で、バブル期以降は3%成長の実績はない。目標というより宣伝文句かなという所以である。

 出生率1.8も、既に地方創生のビジョンで示されている。だから、「地方創生」の目標を、「1億総活躍」に置き換えただけではないか、と感は否めない。

 介護離職ゼロ。親の介護のために仕事を辞めざるを得ない介護離職をゼロにする、という。5年後には団塊の世代が70歳を超え、その家族が介護に直面する。そうすれば経済は成り立たない、と安倍首相は強調する。今でも介護離職は年に10万人を超える。
 家族の介護離職を防ぐためには社会の介護機能の充実が先になければならない。
 だからまず手始めに介護職の離職防止の対策を行う思っていた。国は在宅中心の地域包括ケアを推し進めてきたが、秋田のような広い面積を持ち、かつ過疎化が進行する地方ではどうしても在宅介護不可の障害を持つ高齢者が発生する。ここで特別養護老人ホームを増やせば良いわけではない。施設とともに介護人材を増やす抜本的な対策が必要だ。まずそれを先行させなければならないと思う。

 日本の経済は読むほど、勉強するほどに壁が大きくそびえ立っているように見える。その渦中にいる為政者たちはもっと苦悩しているのではないだろうか。
 日本の競争力が回復すれば、経済が回り始めれば、すべてが解決する、と思うのだが、そんな時代はもう戻ってこない。低成長時代、ゼロ成長時代の社会の在り方も検討しなければならない。しかし、国を預かる与党には言えないことかもしれない。


11/14(土)終日雨 歯の治療 飯川病院日直
1:00起床、新聞チェック、徒然他いつもの如し。PDFデータ整理。10:00-10:45歯の治療。12:30-20:15飯川病院日直、当直医が研究会で遅れるとのこと。雨と時間の関係で往復プリウスで移動。Blu-ray視聴:「読売日本交響楽団、飯森範親指揮:マメールロア、ローマの祭」、「林先生初耳学」、「世界が驚いた日本:イカ」、「世界一受けたい授業:東大、京大」、「笑点」、「ドラマ本棚食堂」、「歴史列伝:伊藤博文」、コンピューター関係の勉強に集中。18:00検食、20:30帰宅。21:00就寝、歩数計Σ7612Km。

四季2015(8) 紺青の空、山・木々の真っ黒なシルエット、星のきらめき
 11/12、13日はそれまでの曇天・雨模様のぐずついた天候から一変、終日、雲ひとつない超快晴状態となった。しかも無風状態、こういうのを正真正銘の秋晴れ、というのだろう、と感心した。

 13日早朝5:00am、新聞と牛乳を取るために玄関を開けた。ほぼ暗闇の中、ひんやりした外気に誘われて外に出てみた。
 この季節の早朝は、その日の天候の影響をもろに受けて空の色、雲や朝日、霧などが織りなす素晴らしく、時に幻想的な景観を楽しめる。早起きの得の一つである。?? 13日朝は日本国中を覆う高気圧の影響で終日超快晴の天候と予想されていた。ほぼ無風状態。放射冷却現象でかなり冷え切っており、呼吸するたびに鼻や喉に痛みを感じるほどであった。

 空気は限りなく澄み、朝日を迎える東側の一部だけはかすかに橙色に変わりつつあったが、空は一面深い深い紺青色、満天に無数の星がいつもより遙かに大きく、明るくみえた。星の黄色の光がは揺らめきながら紺青色の色調の中でとても美しい。
 建物、公園その他の木々、山並みはすべて真黒のシルエットとして深い紺青の空と調和し、これも実に美しい。

 時間よ止まれ!!と心の中で願いつつ、寒さも忘れ10数分、自然の恵みを堪能した。この光の織りなす微妙な世界、絵画や写真ではとても表現できないと思う。覚えておくしかないか・・・と思いつつ見続けていた。?
 こんな静寂な情景の中、私の心の中にはR。シュトラウス作曲「アルプス交響曲」、ロッシーニ「ウイリアムテル序曲」、グリーグ「ペールギュント組曲の朝」、ブルックナー「交響曲の導入部の弦のトレモロとホルン」が次々と浮かんでくる。実際に外は無音である。深い静寂の中に身を置いている。これらの曲はいづれも無音のまま私の心の中で鳴り響く。無音のまま壮大な音楽として聴こえてくる。

 今朝の情景は、更に数10分経てば、空は明るくなり、徐々に乳白色のイメージが加わり、深かった紺青色は紺青色に変わる。さらに明るくなると澄んだ青一色に変わってくる。

 私は感動した。今日も、この一瞬の美しさを味わった、生きていて良かった、と思えるほどの感動であった。もうここまで美しければ言葉なんて要らない。いかなる言葉を用いてもこの美しさは表現出来ない。ましてや私ごときが言葉にしてこの素晴らしさの何割を表現出来ない。例え、表現出来たとしても、私以外のヒトにとって何の意味があろう。そう考えてやめた。?? 私は、この朝の紺青色は好きだ。ゆったりとした時間の流れを味わいながら、今日1日をどう過ごすか思案する。徐々に気力が湧いてくる。これ人生そのものだ。
 最近の出勤は6:20am頃である。約1時間歩くが、歩行者道路はちょうど昇り始める朝日に向かって歩かねばならない。これはちょっと辛い。サングラスを利用すればいいのであるが、そんな色眼鏡を通して朝の景色を見る意味はない。

 今朝は空から、人生を教わった。


11/13(金)超快晴 冷えた 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:00起床、録音、PDFデータ整理。新聞処理。5:00可燃ゴミ集積所に。この時の空、紺青色で最高だった。7:15Taxi飯川病院に、徒歩駅、8:10こまち、9:10-12:10大曲中通病院外来。14:00-18:40飯川病院ボランティア。19:00帰宅、夕食。20:00就寝。 歩数計Σ7607Km。Blu-ray視聴:「久米書店:特別編」、「NHKsp:山崎豊子」「サイエンスゼロ:ケレスの謎」。

財政再建2015(10) アベノミクス第二ステージ宣言(2) 「新三本の矢」各論
 (1)GDP600兆円目標
 過去20年以上、実現したことのない3%成長が前提となる。2%だって困難。これを無理やり実現しようと金融緩和による景気対策が今以上に行われると国債頼みが一層強まる恐れがある。そうだと財政再建などの課題を先送りすることにされかねない。経済界からも懸念の声が上がっている。国債も評価が落ちる。

 (2)合計特殊出生率1.8を20年代半ばに達成
 これも難しい。1人の女性が生涯に産むと見込まれる子どもの散を示す合計特殊出生率は、14年が1.42で1.8は30年前の水準である。達成に向けて首相は「幼児教育の無償化拡大」などを挙げるが、従来も財源の目処が立たずに見送られてきた経緯がある。子育ては20年以上にわたる。この間の安心感をいかに与えられるか?幼児期だけの対策では不足であろう。一番は学費である。

 (3)介護離職ゼロ
 これも険しい。首相は施設整備と介護人材の育成で20年代初めの実現を掲げるものの、家族の介護を理由に仕事を辞める人はいま、年間10万人もいる。
 特別養護老人ホームの入居待機者は、全国の入居者数とほぽ同数の52万4千人。少子高齢化で介護費負担が増す中、政府はを在宅介護を重視する政策に軸足を置いている。施設を大幅には増やせない。      
 介護職員の給与は約22万円(14年)で、全産業平均より約11万円低いとされ、深刻な人材不足につながっている。厚労雀は今年度から、月1万2千円の給料アップにつながるよう介護報酬の加算金を増やしたが、今後の展望を示さなければ焼け石に水。

 (2)、(3)の矢の実現には社会保障財源が必要になる。安倍政権は6月、財政健全化計画で社会保障費の伸びを抑える方針を打ち出したぱかり。この矛盾をどう解決していくか。

 アベノミクス第二ステージの政策実現のための原資を確保するには、経済を成長させ、税収を増やす必要があるが、これが出来るのであれば苦はない。旧アベノミクスの金融緩和、財政出動による成長戦略はさほど成長効果はうかがえず壁に突き当たっている。民間の投資も誘導できていない。

 私の経済に関する知識は付け焼き刃的で薄っぺらである。
 文献を、新聞を読めば読むほど壁が大きくそびえ立っているようで、今後どう解決していくのかその筋道が見えて来ない。多分、経済の専門家たちは言うべき指針を持っているのかもしれない。時に求めて読むのであるがやっぱりわからない。


11/12(木)超快晴、終日雲一つなし 外来 飯川病院
0:30起床、文献・新聞チェックなど。7:30徒歩飯川病院着、8:45-13:00外来。13:15飯川病院、14:00-19:00勤務。Blu-ray視聴:「NHKsp映像の世紀(9):ベトナム戦争とアメリカ」、「NHKsp映像の世紀(10):悲劇の果てー難民問題」、「NHKsp映像の世紀(11):映像によって海外に伝えられた日本の姿」。19:14車で帰宅、夕食、20:20就寝。歩数計Σ7600Km。

財政再建2015(9) アベノミクス第二ステージ宣言(1) 「新三本の矢」総論
 アベノミクスの3年間で、確かに円安や株高が進み、企業収益は好転した。ただ、そういう効果を全部ひっくるめても、国内総生産(GDP)はアベノミクス以前と比べたいして伸ぴていない。2014年通年の実質成長率は13年と比較してマイナス0.03%、今年4〜6月期の成長率もマイナス。7〜9月期もさえない結果が予想されており、さほど成長効果はうかがえない。

 インフレ期待を高めて国民の消費意欲を喚起しようとした思惑も外れ、個人消費も伸びていない。

 日銀の異次元緩和は開始から2年半となる。今までどれだけの通貨が市場に出されたのか、私にはわからない。その効果は薄れてきているが、まだ続けるようだ。だが、これ以上の深入りはかなり危険ではないかと危惧されている。
 日銀は国債を発行額の90%近くと、大量に買い入れているが、いずれは売却しなければならない時が来る。一気に手放すと国債価格は急落し、日本の国債の信頼度は失われる。国債の信用を失うということは日本の信頼を失うことになる。それを防ぐには国債の放出は10〜20年、あるいは、さらに長い期間をかけなければならない。その間、世界経済、日本経済が安定したままということは考え難い。だから、国債放出のプロセスは厳しいものになるだろう。

 そんな中、安置首相がアベノミクス第2ステージを宣言した。
 なんだか突然の発表で十分推敲して出したのか、よくわからない。安保法案の強行採決で失った政権の弱みを補うために無理矢理出した??と言うイメージである。

 第2ステージのアベノミクスは以下の3つを基本方針としており「新3本の矢」と称している。その内容は以下である。旧アベノミクスに比してとてもわかりやすい内容が、旧版よりも実現が難しそうに見える。

(1)GDP600兆円目標 
(2)合計特殊出生率1.8 
(3)介護離職ゼロ


11/11(水)曇り雨模様のち晴れ 外来+ドック総括 飯川病院ボランティア
0:30起床。新聞・文献・医学論文PDF化・録音データ編集他。7:10バス飯川病院着、8:45-13:00外来+ドック総括。14:00-18:30飯川病院ボランティア、19:00バス帰宅、夕食、20:20就寝。DVD視聴『すずらん本屋堂:内館牧子 終わった人』、「プロファイラー:太宰治」「NHKsp映像の世紀(9):ベトナム戦争とアメリカ」。歩数計Σ7590Km。

財政再建2015(8) アベノミクスは効果を膨らませる誘導策が限界に達した
 アベノミクスは第二次安倍内閣においてデフレ経済を克服するため、大胆な金融緩和措置を含む経済政策に対して与えられた通称である。いつの間にかこの呼び名は国際的にも普及している。
 アベノミクスの経済政策は以下の3つを基本方針としており、首相はそれを「三本の矢」と表現している。

 (1)機動的な財政政策
 (2)大胆な金融政策
(3)民間投資を喚起する成長政略

 このアベノミクス政策が言われた頃は日本はデフレの真っただ中にあり、政権に対して国民も経済界も大胆な経済政策を求める声が大きかった。
 安倍首相の経済手腕はそれなりに評価され、株価は上昇し、円安となり、公共事業も勢いを取り戻した、と評価され、日本の経済は長い低迷から脱しつつあるような印象を与え、政権の支持率に大きな影響を与えてきた。

 しかしながら、最近、アベノミクスの手法に限界を迎えたとの評価が出てきている。
 以下がその概要である。

(1)機動的な財政政策の一つが、年金基金を用いた株価誘導策である。
 昨年10月、国民年金積立金管理運用独立行政法人(JPIF)が国内株式に運用出来る上限を12%から25%にルールを変更した。これにより14年度の投資額は3兆9800億円国内株式に投資した。この結果、株価は目に見えて上昇した。
 しかしながら、本年3月末に運用比率が限度近くになった。運用出来る原資137兆円のうちあと残っているのは僅か1.7兆円のみで、原資が底をついた。この方法による株価の操作はこれ以上出来なくなった。
 この間、景気は緩やかな回復傾向と喧伝されてきたが、実際にはそううまくいっていない。景気動向指数は足踏み状態と下方修正されている。これには中国経済の減速、個人消費の低迷も関与している。こんな情勢の中、これ以上の株価の操作は無理だろうとされている。

(2)大胆な金融政策として日銀の円安誘導策が講じられた。アベノミクス政策の発表とともに日銀総裁が黒田氏に変わった。それ以降、日銀から放出された円は多額に及び、市場に円が流通し、円安が進行した。一見、この政策は成功したかに見えているが、これも限界に達したようである。
 黒田総裁自身も、これ以上円安があっても経済に寄与しないだろう、と発言している。その背景には、アメリカのドル高が行き過ぎと判断されているが、こんな状況の中で日本がこれ以上の円安誘導策を行うことは国際的に批判を浴びることと、円安を自ら演出していくのにもう原資が乏しくなっていたということもあるようだ。

(3)民間投資を喚起する成長政略路しては、財政支出拡大で建築ブームを誘導してきた。公共事業を積極的に施行し、結果として2013年後半には公共投資の出来高は前年比+20%にまで達した。しかし、本年2月には前年比0.2%に減少、請け負う金額も減少に転じた。財政支出をこれ以上増やしても社会そのものに受け入れ態勢がなく、この方法で建築ブームを煽るのは無理な状態にある。
 東京五輪は若干明るい話題ではあるが、地方ではその恩恵は期待はできない。地方経済は相変わらず低迷したままである。

 アベノミクスの効果を膨らませるような政策はいずれも限界に達したようである。

 この形でない政策が期待されている。安倍政権は先月新アベノミクスとし「新三本の矢」政策を発表した。


11/10(火)曇り・雨  外来 飯川病院 インフルエンザ予防注射
0:00起床。暖かい、1昨年初雪があった。腰痛あり。文献、新聞・徒然。5:30家庭ゴミ集積所に。7:10バス徒歩病院、8:45-13:40外来。14:00-18:30飯川病院、インフルエンザ予防注射、18:40バス帰宅、夕食、 20:00就寝。歩数計Σ7582Km。Blu-ray視聴:『そこまで委員会:日本の宗教』、『世界は今』、『ヒストリア:ハチ公』、『ガイアの夜明け:訪日外国人攻略』、『林修世界の名著:足ながおじさん』。

高齢化社会の医療・福祉2015(2)  高齢者を引退させない社会の構築が鍵
 厚労省は7月30日に簡易生命表を発表した。
 それによると平均寿命はさらに伸び、女性は86.83歳で引き続き世界第一、男性は80.50歳で第3位の長さである。
 平均余命はそれよりも長い。現在65歳の方々は19年ほども生きることになる。
 
 先進国では経済の発展により乳幼児死亡率が減少、高齢者の寿命も延長した。
 平均寿命が低かった、と言えば高齢者が少ないとの印象であるが、昔から長寿者は少なくなかった。死亡率の高い子供の時期を乗り越え成人する頃になれば死亡する危険はぐっと少なくなる。65歳以上の人口は現在25%ほどであるが、江戸時代ですら7-8%はいた、と推定されている。水戸黄門は決して例外的長寿者ではなかった。
 明治維新の立役者は比較的若者が多かったが、国が安定し始めた明治中期以降に国を治め歴史上に名を残した偉人は総じて高齢者であった。

 20世紀になると出生率が高くなり高齢者も増えたが、数値上は高齢化率は減少した。
 21世紀は一転して出生率が低くなり、高齢者の寿命が延長したことで高齢化率は年々伸び、2050年には40%に達することになる。少子高齢化で人口構成は頭でっかちとなる。人口の年齢構成は、子供の時に作って遊んだ雪だるまに例えればひっくり返したような変な形になる。とても胴の重さに頭が耐えられない。

 2050年には60歳の余命は28年にも達する。このような社会を迎えるにあたって一人一人の生き方が変わらねばならない。これからは20年間学び、40年間働き、退職後も30年間の人生が待っている。この引退後の長い人生においては社会保障がなければ生活を維持できない。しかしながら、頭でっかちの少子高齢化社会ではその全てを負担できない。かつて、団塊の世代が夢見たパラダイスの到来の可能性は消え去った。

 人は65歳以上になっても体力、能力が年齢とともに直線的に落ちるわけでない。特に、判断力はむしろ豊かになる。国連では高齢者を60歳以上、国連の世界保健機関 (WHO) は、65歳以上を高齢者としている。わが国の後期高齢者医療制度では65歳以上75歳未満を前期高齢者、75歳以上を後期高齢者という。
 時代とともに高齢者の概念は変わる。

 この社会の中で多数を占める元気な高齢者達、今の時代その人的財産を生かしきれない社会になっている。定年も60歳半ば、年金支給も60歳半ば、悠々自適が30年と言った夢のような世界は到来しない。
 社会の仕組みを変えれば寿命が延びる、寿命が伸びれば社会はさらに成長する、という前向きの研究もある。実際そう言う社会が少子高齢化社会の救世主になるだろうが、それには時間がかかる。

 まずできることは、高齢者は60歳を過ぎても働くのは当たり前という考え方で生きていかなければならない。それが当たり前としなければ日本の少子高齢化は維持できない。


11/9(月)雨 健康クリニックドック 飯川病院 
0:20起床。文献・新聞等処理、徒然など。再度腰痛。バスにて7:10飯川病院。9:00-11:00健康クリニックドック14名+結果説明1人。11:20飯川病院、14:00-18:30勤務。19:00帰宅、夕食。20:00就寝。歩数計Σ7576Km。Blu-ray視聴:『昭和は輝いていた:モノマネ』、『プロファイラー:偉人たちの名言』、『日本列伝:田中角栄』、『100分で名著:斜陽(3)』。

高齢化社会の医療・福祉2015(1)  2013年度社会保障給付費110兆円
 日本は世界的に例を見ないスビードで少子高齢化が進んでいる。高齢化としては世界一の先進国。我が国の高齢者対策の成り行きは全世界が注目している。
 国民医療費、高齢者医療費のデータを見ると不安を持たない方が不思議である。国は借金を重ねながら対策しているが、国として、個人としての対策を考えなければならない。しかし、その姿が見えて来ない。

 10月23日、国立社会保障・人口問題研究所は2013年度の「社会保障給付費」は110兆6566億円だったと発表した。初めて110兆円を超えた。統計を取り始めた1950年度から過去最高を更新し続けている。
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 社会保障給付費 = 年金、医療、介護などに支払われた経費。  
 総額:110兆円で、前年度よりより1兆6556億円(1.5%)増。
 国民一人当たりの給付負担額:86万9300円。前年度より1万4500円(1.7%)増。
 年金:54兆6085億円で1.2%増
 医療:35兆3548億円で2.1%増
 福祉・その他(介護や生活保護、子育てなど):20兆6933億円で1.5%増。
    うち、介護分野:8兆7849億円、4.7%増。
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 社会支出(給付費に施設整備費など):114兆1356億円、1.4%増。
 国内総生産(GDP)比:前年比0.09%減の23.63%。
 高齢者向け(年金や介護):前年比0.01%増の11.31%
 家族向け(児童手当など子育てに使う):前年比O.06%減の1.25%だった。
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 後期高齢者医療:2013年度92.2万円/一人、前期高齢者は20.7万円/一人。
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 社会保障財源=社会保険料が約50%、公費負担が36%、他の収入が約15%。?
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 我が国の社会保障費用の特徴は、少子高齢化を背景にした高齢者対策が主眼となっている。高齢者は今後も増え続けるために全体像は変え難いが、基本的問題点が人口減・少子化にあるのだから、少子化対策に社会保障給付を増やして子育て環境を整えなければならない。選挙の度に候補者は高齢者に向けて甘い言葉を投げかける。若者に訴えかけても票が集まらないからである。だから、発展していくのは高齢者対策だけ。

 安倍政権は「新3本の矢」の一つに子育て支援を盛り込んだ。欲しい子どもの数「希望出生率1.8」を20年代半ばに実現することを掲げた。最近の日本の合計特殊出生率は1.42で、人口を維持できる水準とされる2.07に遠く及ばない状況にある。
 ここにどう予算を配分するか??。
 生半可な対応では効果は望めない。国民個々人は高齢化・少子化に注目しても、現状の子育環境では第2、第3子を産む気にはなり難い。社会保障費は国の経済を圧迫している。手持ちのパイは決まっている。もう余裕はない。その中でどうするか!!! 国民の理解のもとに、社会保障を高齢者対策から少子化対策に目に見えるほどシフトしていかなければならない。しかも、長期にわたってである。
 スウェーデンやフランスは一時出生率が減少したことがあるが、児童手当や育児休業手当などが手厚くし、子育て環境が整えることで出生率の回復に成功している。


11/8(日)雨 
1:00起床、新聞・文献チェック,徒然その他。午前は懸案の浴室関連の清掃、自室の書籍ほか廃棄。午後、オイルヒーターかキャリア作り、文献類電子化など。一歩も外に出ず。19:00夕食、20:00就寝。Blu-ray視聴:『らららクラシック2本分』、『ロンドンSO来日公演、ハイティンク指揮、ベートーヴェンP協No4、ブラームスSymNo1ほか』、「海の巨大生物:サメ・カメ」、「桂米朝の芸術」ほか。

労働者のストレスチェック 自殺対策への効果が期待される
 労働者のストレスチェック制度が本年12月から始まる。
 労働安全衛生法の改正により、労働者50人以上の事業所では年1回ストレスチェックが義務化となる。対象となる事業所は県内で1500カ所ほどと考えられる。この義務化を各事業所のメンタルヘルス管理体制の中に位置付ける。

 秋田県の自殺率が過去14年間連続してトップレベルにあった本県で、自殺が多いのは働き盛りの50代男性である。自殺率全国ワーストであった本県では、早くから民間団体、行政が情報を共有し、足並みをそろえた。自殺予防の活発な動き全国的に注目され、本県は「自殺ワースト県」から「対策先進県」へ変わった。評価すべきと思うが、「自殺ワースト県ついに離脱」などど騒ぎ立てるのは問題である。絶対数の現象は評価すべきであるが、自殺率を他県と競う意味はない。

 厚労省の人ロ統計によると、本県の自殺数はピークだった03年519人から、14年に269人と半減。県警の統計では、年代別で40-50代が6割超、原因別では生活苦問題が7割超もしめた。県のデータによると09-13年までの自殺の原因・動機は、健康問題>経済生活苦問題>家庭問題・・・と続く。年代別では50代が全体の22%、女性は70代が45%と最多であった。自殺の動機の中で職場のストレスが占める割合は不明であるが、健康問題、経済苦・生活苦問題の中に含まれているように思われる。

 私が担当する外来はほとんど再来の方で、大部分が高齢者で病状も安定している。週一回大曲中通病院の診療応援では若い方々も、新患も診る。ここでは職場のストレスが原因となったうつ病、心身症とかストレスに起因した不安症とかを診る機会が少なくない。その中では職場の人間関係に起因していると判断することは多い。

 職場のストレスチェックは、仕事量などについての質問票に労働者自身が記入し、ストレスを把握する簡単な検査からなる。
 事業者は、検査結果を通知された労働者の希望に応じて医師による面接指導を実施。医師の意見を聞いた上で、作業の転換、労働時間の短縮など適切な措置を講じる。実施状況は毎年、労働基準監督署に報告される。

 上記の労働安全衛生法の改正は、一般的にはあまり知られていると思えないが、職場の担当者は準備を急いでいると思われる。労働者のプライバシー保護、面接指導結果を理由とした解雇など不利益な取り扱いがないことを周知徹底する必要がある。

 この法改正は労働者数50人以上の企業に義務付けられているが、労働者50人未満の事業所は「当分の間努力義務」である。また、契約期間1年未満の労働者、短時間労働者は義務の対象外になっている。派遣労働者については、派遣元には義務が生じるが、派遣先は「実施が望まれる」にとどまるなど、就労条件によって対象者が異なるのが問題であるが、これを機に職場のストレス問題の理解が進むことを願っている。


11/7(土)快晴 ネコ避妊 歯治療 
1:00起床、何時もと同じ.データ整理、読書中心。7:00軽く朝食、文献・新聞読み。8:30仙台出張の家内送り駅、10:00歯科医院にて治療、雌ネコ避妊手術に。午後は庭の冬支度と落ち葉掃除。午睡若干。大工仕事若干、整理。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ7570Km。

高齢者の事故2015(5) 高齢者の交通事故(2) 高齢者講習は私にとっては良かった
 警察庁の統計によると、2014年末時点の高齢者(65歳以上)の免許保有者は約1638万人で10年前の約1.7倍。14年に高速道路で起きた逆走事案224件のうち、65歳以上は7割近い152件。うち認知能が疑われるケースは26件だった。

 厚生労働省は、団塊の世代が75歳以上になる2025年には認知症の人は約700万人に達すると推計。警察庁も対策強化を進め、昨年の道交法改正で運転に支障を及ぼす可能性がある病状の申告義務を課し、今年6月に成立した改正法も、検査で「認知症の恐れ」と判定された人は違反歴の有無に関係なく、医師の診断を義務付ける。

 私は今年5月に運転免許証を更新したが、その際更新剤の講習として70歳以上の適正検査と更新後に診断書の提出を求められた。
 前者では予想以上に運転機能の低下が認められてショックを受けた。
運転免許更新(1) 高齢者講習会 予想以上に能力劣化
 後者は更新手続きの過程で脳梗塞の既往の申告をしたので更新の条件として求められたものである。
運転免許更新(2) 問診と診断書提出(1)


 要するに、私は今後一層大きく社会問題化するであろう、高齢の運転者の一人であり、しかも中枢神経系の疾患の既往持ちで、さらに言えば認知症発症候補者(?)なので、この問題は無関心ではいられない。

 私が適性検査受講後の講評結果に沿って判断すれば、動体判断力が衰えており、反応も遅れがち。スピードを出し過ぎると周りの人や車を捉えきれないこともある、との判断となる。

 それを受けて、いま私が心がけているのは、すべて当たり前のことなのだが、以下のことである。

# 適切な速度を保つ。速度がすべてを決める。異常な速度が出ていなければ反応が遅れても事故を防げる。よしんばぶつかっても被害は小さい。
# 車間距を保つ。反応が鈍くなったから。
# 私は走行中の事故暦はないが、それだけ自己流の運転をしがちなので、基本に戻す。
# 運転席に乗り込む前には周囲の状況を確認する。可及的に静かに発進する。後進する距離はできるだけ短くする。
# 歩行者、自転車には極力注意する。特に黄昏時、夜間。
# ・・・

 かつては、自分が事故なんて起こすはずはないという変な自信の元に運転していたが、最近は細心の注意をして何とかして事故を起こさないようにしたいと謙虚な姿勢になった。
 それだけ高齢者講習、診断書提出は私にとってはメリットが大きかった。


11/6(金) 曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:45起床。寝不足感あり。文献、新聞チェック、徒然。6;00可燃ごみ廃棄。7:35Taxi駅、8:10こまち。徒歩病院、9:10-12:15大曲中通病院外来。業務用スーパーにて買い物、華人の車で飯川病院、13:30-18:30ボランティア。19:00Taxi帰宅、夕食、20:00就寝。歩数計Σ7565Km。 Blu-ray視聴:『NHKsp:戦争とプロパガンダ』。

高齢者の事故2015(4) 高齢者の交通事故(1) 決して無関心でおれない
高齢者の事故2015(4) 高齢者の交通事故(1) 決して無関心でおれない
 暴走車が歩行者らを巻き込む事故は全国で絶えない。原因は、運転者の持病や飲酒、危険ドラッグ吸引などさまざまであるが、高齢者が多い。私も無関心ではおれない。

 毎日新聞10月28日電子版に以下の暴走事故がリストアップされている。いずれも当時新聞等で大きく取り上げられたが、記憶が薄れていた。
――――――――――――――――――――――――――
<2008年>
9月 福岡県、74歳の男性運転の乗用車がホームセンターに突っ込み、10人死傷
<2009年>
1月 大阪市、74歳の男性運転の乗用車が居酒屋に突っ込み、3人死傷
<2010年>
12月 東京都大田区、急ハンドルを切った乗用車が歩道に突っ込み、児童ら7人死傷
<2011年>
4月 栃木県、てんかんの発作を起こした男のクレーン車が集団登校の列に突っ込み、児童6人死亡
6月 東京都江戸川区、81歳の男性の乗用車が歩道に乗り上げ、歩行者ら5人死傷
<2012年>
4月 京都・祇園、てんかんの持病を持つ会社員の軽ワゴン車が暴走し、7人死亡、12人重軽傷
4月 京都府亀岡市、無免許で居眠り運転した少年の軽乗用車が集団登校の列に突っ込み、児童ら10人死傷
6月 大阪府大東市、86歳の男性の乗用車が次々と歩行者をはね、6人重軽傷
<2013年>
9月 京都府八幡市、ドリフト走行をしようとした少年の車が集団登校の列に突っ込み、児童5人重軽傷
<2014年>
2月 福岡、危険ドラッグを吸った男の乗用車が暴走し、12人重軽傷
2月 JR名古屋駅近く、男が乗用車で歩道に突っ込み、歩行者14人重軽傷
5月 福岡県、77歳の露天商の軽ワゴン車が祭り会場で暴走、11人重軽傷
6月 東京都池袋駅前、危険ドラッグを吸った男の乗用車が歩道に突っ込み、7人死傷
<2015年>
10月 宮崎市、73歳運転の軽乗用車、歩道を暴走、7人死傷。
――――――――――――――――――――――――――
 以上の14件の中で高齢者は6件占めている。かつては若者が起こす車の事故が社会問題であったが、最近は高齢ドライバーの事故が目立つ。
 
 警察庁の統計によると、自動車とオートバイの事故の件数は減り続けており、2004年に約90万件だったのが、13年は約59.7万件だった。ところが、65歳以上の高齢者の事故は、07年に9万件台から10万件台へと増加している。事故総数に占める高齢者の割合は04年の10.5%から13年は17.5%へと上昇した。

 今や高齢者の事故防止が交通安全の大きな課題になっている。


11/5(木)快晴 外来 飯川病院 映画「ペコロスの母に会いに来た」
 0:20起床,新聞整理。本読みなど。5:00資源ごみ大量廃棄。7:30徒歩飯川病院。8:45-13:30中通病院外来。14:00-18:30飯川病院勤務。19:00Taxi文化会館、映画「ペコロスの母に会いに来た」、21:30外食、10:00帰宅、20:30就寝。歩数計Σ7558Km。 Blu-ray視聴:「昭和偉人伝:池田隼人・岸信介」。

四季2015(8) 落ち葉は次季のための栄養源?? 私は庭に埋め還元する
 ついに紅葉の季節になった。
 最近は6:30amに徒歩で病院に向かう。その時間はまだ陽が昇らず薄暗い。徐々に明るくなっていくが、途中で見える山々の紅葉が朝日に映え、刻々と様相を変えて実に美しい。さらに最近は身近な木々が紅く、黄色くなってきた。徒歩通勤は一層楽しくなった。

 木々の種類によっては黄色く変化する。これは黄葉と呼ばれる。この代表はイチョウに見られる。黄色はカロチノイド色素による。カロチノイド色素系のキサントフィル類は生化学的には若葉の頃から葉に含まれるが、春季、夏季には視認できない。秋に葉の葉緑素が分解し退色し黄色のカロチノイドだけが残るからである。
 <img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/e7/39c51f3e2b516fdadc459707f767b03e.jpg" border="0">
(旭川沿い、秋田北高の向かいの公園のイチョウの黄葉、朝陽を受け見事)

 紅葉が形成されるプロセスはさらに詳しく知られている。
 葉が赤くなるのは、葉緑素が壊れる前に、アントシアニンが作られ蓄積されるからである。樹木の季節的変動から見て秋の過剰の日光は樹木にとって有害に働くとされている。赤いアントシアニンには葉緑体へ到達する光量を減少させることが目的とされる。が、本当だろうか??私は、と思う。それは結果論であろう。

 何で落葉するのか?
 落葉の意味については諸説あるが、定説はまだ無い。針葉樹と異なり広葉樹は葉からの水分の蒸散が多く、秋から冬季にかけて樹木の活動が落ちるため自ら葉を落とし水不足を防ぐため、という説が有力。
 落葉樹の場合、落葉前に葉から幹へ養分を運ぶ経路が断たれる。そのために糖分が葉に溜まる。この糖分を利用して赤や黄色の色素をつくる、とされる。

 そもそもなぜ紅葉があるのか?
 1999年紅葉植物とそれに寄生するアブラムシ類の関係が調べられ、紅葉色が鮮やかであるほどアブラムシの寄生が少ないことが発見された。紅葉は免疫力を誇示する信号として進化した、という説がある。アブラムシ以外の寄生に対するデータはない。

 紅葉の機能についてはまだ議論が続いている。

 私はこれらの知見に加えて、糖分を豊かに溜めた葉を周辺に落とすことにより次季の活動再開に自分の栄養源として利用するためと考えている。自然は無駄をしない。本当か否かは確かめようがないが、私は庭掃除で集めた落葉は木々の根元に積み上げて土に還元している。
 以下の書籍も参考にした。<a href="http://blog.goo.ne.jp/mfukuda514/d/20130826">書評: 「葉っぱのふしぎ」田中 修著  2008年4月 ソフトバンククリエイティブKK  952円</a>


11/4(水)超快晴 外来 飯川病院ボランティア 
0:30起床,新聞整理。本読みなど。7:45徒歩飯川病院。8:45-13:00外来+健クリドック判定15名。14:00-18:30飯川病院ボランティア。19:10帰宅、20:30就寝。Blu-ray視聴:「サイエンスゼロ:DNAの大事件」、「林修:初耳学」、「NHKsp:老衰死ー穏やかな最期」、「映像の世紀(7)(8);米ソの戦い、冷戦。原水爆開発」。

財政再建2015(8) 日本国債の格下げ 問題だと思うが・・・
 日本の借金体制はこれでいいのだろうか。私は懸念しているが、国も産業界も、経済界も、国民にも深刻さがない。それが不思議である。

 日本の財政に厳しい視線が向けられている。先進国の中では借金は最悪で1057兆円、GDP比250%も占める。毎年毎年借金を増やして平然としている日本政府の姿勢に批判が集まっている。

 米国の格他け会杜「ムーディーズ・インベスターズ・サービス』が昨年12月1日、日本の国債の格付けを1段階下げた。ムーディーズの格付けは21段階あり、日本はそのなかで上から5番目になった。低い方ではないが、1番目の米国やドイツからすれば見劣りする。中国や韓国よりも1段階下になった。
 大手格付け会社の「スタンダード&プアーズ」も、つい先ごろ1ランク下げ、シングルA+ にした。5番目ではあるが、中国・韓国・サウジよりも低い。  

 国債は政府が借り入れる借金で、どこの国でも背負っている。いつまでに返すかが重要と評価される。だから、格付けは政府が約束通りにお金を返せるかどうかを示す目安と考えていい。
 国債の格付けが1段階下がったニュースが流れても、産業界も経済界もなんとも言っていない。不思議なことである。これは、日本の国債所有が90%ほど国内で買われているからで、諸外国の事情とは大きく異なる。邦銀は国債比率保有率13%、欧州銀行は4%程度だから、評価が下がれば日本の銀行は国債を売らざるをえなくなる。こうなるとどうなるのか、私には見当がつかない。
 今のところ日銀の国債操作に任せっきりで、大きな問題が生じていないから深刻さは感じられない。日銀の国債保有は300兆円、最近発売される分の90%を日銀が買い上げている。IMFは買い入れの減額を求めている。

 今回の格下げは消費税を8%から10%に上げる予定だったのを、先送りしたのが理由と考えられている。借金を返す原資となる税金が増えない、と判断された。高齢化が進んでいるため社会保証にかかるお金がかさむことも判断の材料になっていると思われる。

 格下げの影響は今は大したことはないが、さらに格下げされれば、国債の金利を上げなければ買ってもらえなくなる可能性がある。さらに、「円」の信用が失われ、ひどい円安になるおそれもある。

 国債の格付けが下がると、日本の銀行や企業の格付けも下がる。企業が新しい事業を始めるために資金調達するのが難しくなる。景気にはよくない。アベノミクスの先行きに不安を持たれているが、国債の格付けも関係している。

 これからは増税だけでなく、企業が自由に活動できる環境をつくることも大事になる。努力が十分ではないと見られればヽさらに格下げされる裂れもある。
 国債の格付けは市場に何かが起こった時に予想以上の影響が出て問題化する。国債の格付け評価に対し油断は禁物。国債の問題点を謙虚に受け止めて国内外にアピールし、財政再建の方向性を堅持することが必要であろう。

 日本の近代歴史は借金から始まった。借金を重ねながら綱渡りした国策、その行き着く先に第二次世界大戦が待っていた、私はそう思っている。
財政再建2015(2) 我が国の借金体制は明治政府から


11/3(火) 文化の日 雨曇りのち快晴 飯川病院日直  外来レセプト処理。
0:15起床,新聞整理。本読みなど。5:00可燃ゴミ出し。8:45バスにて飯川病院。8:50-17:30飯川病院日直勤務。13:00-15:00外来レセプト処理。持参の文献読み等々。18:10帰宅、スクラップ入力。19:00夕食。20:30就寝。歩数計4995Km。Blu-ray視聴:「そこまで委員会:日中韓問題他」、「世界は今:南シナ海問題、日中韓問題」、「久米書店;情報の捨て方」、「オイコノミア:家購入の経済学」。

近隣のレストラン、蕎麦屋閉鎖 
 昨日、バスで帰宅した。
 夕方はもう暗くて危ないから全コース歩く気はしない。さりとて、夕方のバスはなかなか都合の良い便はない。通常は18:40秋田駅発の神田旭野線を利用するのであるが、その前後の便は少なく、時には添側線に乗る。
 これは途中で別ルートに回るために私は天徳寺前で降り、通常の倍ほど、20分ほど歩かねばならない。歩数蓄積は日々の目標でもあるからこの距離は私にとってむしろ都合がいい。周辺の町並みを見ながら、ライト片手に家に向かう。

 天徳寺近くに2年ほど前に開店した瀟洒なミニレストランが閉店し、売り物件として看板が出ていて驚いた。
 私は近隣に洋食が食べられるレストランができたことをとても嬉しく思っていた。私は基本的に外食を好まないが家人が旅行とかで不在の時になど、まれに外食することもある。近隣にはラーメン屋、トンカツ屋、カレー店などがあるが、静かに洋食を食べられるレストランなら・・と期待していた。
 昨年の今ころ一度利用したが、その時は期待に反する内容で残念であった。客は一人であったが、BGMが大きすぎ、心休まらなかった。料理は比較的良かったが、客あつかい、サービスの面では問題を感じた。


 開店当初には午前から夜にかけて営業していたらしいが、徐々に営業時間を狭め、最近ではランチのみになっていたらしく、夕方から夜間にかけて灯が灯っていることは無くなっていた。必ずしも営業は順調でなかったようで、心配していた。
 閉店、店舗の売却を知って寂しい思いがした。固定客の確保ができなかったのかもしれない。

 蕎麦屋は1年ほど前に、歩いて5-6分のところに開店した。
 私は蕎麦好きである。せっかくだから味わってみよう、と考え半年ほど前に一度利用してみた。店内は清潔な和風の雰囲気であって好感が持てたが、テーブルが3つほどと小規模であり、中年のご夫婦で経営していたようであった。初めてだし、ちょっと背伸びして1600円の天ぷら蕎麦セットを注文した。
 味は?忘れたが、それほど魅力的な特徴があるとは言えなかった。それ以上に、品数、ボリュームは値段の割にはちょっと寂しい印象であった。
 外旭川の交差点脇で、コンビニの隣で目立たないたたずまいである事、駐車スペースが1台ほどしかないこと、店の規模も含めて考えると、遠方からの客がわざわざ求めて来店するとは考えられなかった。これだと客の回転率をかなり上げなければ運営は困難だろう。
 食べ終わって店を出る時に、この地区の住民の中で、こんな地味な商いでリピーターは得られるのだろうか?大丈夫だろうか?と心配した。
 私が利用して2-3け月後に店は閉店した。ちょっと残念な思いがした。

 私は商才などゼロに等しい。見る目があるとは言えないが、共に一度しか利用していないが、先のレストランはネガティブなベクトルが働いている印象、蕎麦屋はポジティブなベクトルを感じ取れなかった、という印象であった。新しい起業へのチャレンジが実を結ばなかったことは地域の住民としても寂しい限りである。


11/2(月) 曇り・降雨 健康クリニックドック 飯川病院 
 2:30起床。録音データ、画像データ整理、iPodに入力など。歴史本を読む。PDF書類整理など集中。7:20徒歩飯川病院、9:00-11:10健康クリニックドック。12:00飯川病院。14:00-18:30勤務。19:00帰宅、夕食。20:10就寝。歩数計7533Km。

当HP「これからの医療の在り方--徒然日記」満14年迎えた(2) 
(5)自分の弱気に抗する毎日
 私は人と競争・抗争することは好まない。だから、自己主張もしない。人間に興味が乏しいからである。人と会話すると不快な後味が残る。それが嫌だ。極力避ける。
 私の競争相手、対話の相手は私自身、抗する対象は私自身の弱気である。今のところは若干やる気の方が勝っている。最近は安易な方向に流れそうになり、抗するのが大変になってきた。だから、今続けている項目は気力のバロメーターの証である。

(6)ちょっとしたことをちょっと学び、一つだけ形にする楽しみ 
 普段感じている事、考えている事を一日一つずつ文章化していく作業は楽しい。考えるだけだとすぐに霧散する。私には長文は無理。だから、小文にまとめる。
 何故連日か? 一旦不定期にすると多分頓挫する。だから、一日一話と自分に負荷をかけた。毎日の事だから深くは踏み込めない。適宜調べながら文章化していく。調べている間に当初考えていた事と別な結論になる事も希ではない。これは、書けばこそ考味わえることで、大きな喜びを感じる時でもある。

(7)言葉で表現することが徐々に苦痛に
 話すことは不得意だがキーボードは打てる。書く方はまだしばらく続けられそう。

(8)生活記録、小文は自史資料としても貴重
 私は日々届く情報や資料を蓄積するのを好む。文章、画像、音楽など、覚えきれないから最近はほぼ全てを電子的に蓄積している。
 何か調べたいことがあるとまず自分の資料に検索をかける。5000項目もあるから大抵これで間に合う。それから文献を探す。ネットでの検索は滅多にしない。
 日記の更新は、半ば楽しみ、半ば苦しみである。それでも今後も続けていく。

(9)私の文章は、私の文章とは言えない
 私はペンを握れば僅か数行のハガキでも悪戦苦闘し、数枚無駄にするような文章力しかない。これは情けない事実である。
 私はパソコンで文章を作る。日本語入力ソフトは特別のものを購入しないでマックのOS付属のをそのまま用いている。これが私のボキャブラリーより数段、数十段勝っている。とても便利であるが、自分で書いているという気がしない。自分の文章であるとの実感は乏しい。電気と機器を利用して淡々と記録しているだけ。この点は残念である。 
Macで作る文章(1)文章作成機能を享受したが、疑問もわいてきた
Macで作る文章(2)過剰な機能を持った漢字変換機能に不安を覚えた。

(10)結論
 いろいろあるが、今後も続けていく。


11/1(日)曇り・快晴 飯川病院日直
1:00起床。録音データ整理、iPodに入力。経済と歴史本を読む。PDF書類整理などゆっくり過ごす。8:28バス、飯川病院、8:45-17:40日直、病院は平穏。新聞データ処理。通町まで徒歩、夕食購入し帰宅、18:30夕食、20:00就寝。Blu-ray視聴:「池上ニュース:日本の借金他」、「地球事変:氷河期」、「映像の世紀(5)(6):第二次世界大戦、アジア諸国の独立運動」視聴。第二次世界大戦の画像は新しい映像が多く、耐え難く、落ち込んでしまった。 歩数計7523Km。

当HP「これからの医療の在り方--徒然日記」満14年迎えた(1) 
 当ホームページ、「これからの医療の在り方----徒然日記」は、2001年11月1日開設後満14年を迎えた。本日は15年目のスタート日。読んで下さった方々,コメントを下さった方々には感謝している。

 この日は毎年ほぼ同じ記載になってしまう。今年もその例にもれない。変化に乏しいない日の積み重ねだから当然でもある。
 15年目のスタート日の雑感である。

(1)なぜ書くか?継続は力だから
 今年もやりきった、と一人で悦に入っている。
 私の執念深さも相当である、と自賛する。意を決して始めた事は止めない。
 生活記録は通算で50年、そのうちの14年がこの徒然である。
 早寝早起き習慣は30年、新聞・文献スクラップ蓄積は20年、ラジオ深夜便連日3時間蓄積は9年、岩手へ復興資金寄付は4年、映画・録画の視聴4年、徒歩通勤2.5年で距離蓄積Σ7500Km、などなど、自己満足だけの世界にどっぷり浸っている。

(2)「これからの医療の在り方」のタイトルが重荷に
 現在、不勉強であった非医療の分野を学び直している。医療面での話題が減ってきている。タイトル名が重荷になったが、医療に長年身を置いてきたから発想のルーツとなっている。いつまで続けられるかわからないからこのままにする。

(3)記録に頼らねば記憶が保持できない
 記録をつけていないと全て忘れる。忘れてしまえば今の自分があると言うことだけになる。私の脳はソフトになっているのだろう、記憶保持が困難になった。今はハードディスクに任せてデータとして蓄積している。検索にて何月何日、何時頃に私が何をしていたか、何を考えていたかを知ることが出来る。私にとって貴重な生きて来た証しになっている。

(4)小さな毎日の積み重ねが楽しい
 今は外来診療を続けている。他の時間は引きこもっている。相変わらず時間が足りない。
 孫の成長、家族達の動向を楽しみ、自然現象の移ろいを味わう。心理、芸術、文学、歴史、政治・経済、宗教、社会問題など、興味の対象は今でもまだまだ広がっていく。先人達の足跡を味わう日々である。こんな中で感じたことを小文にまとめ、形にする。これは苦しく、かつ、楽しい作業である。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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