徒然日記
2015年1月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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1/31(土)曇り・寒波降雪若干 重症患者対応 
 1:30 起床。録音データ整理他変わらず。風邪か?体調不良若干にて1時間ほど微睡、やや改善。10:30家内と長女、孫を駅に向かうも本荘の仕立て屋がインフルエンザに感染ということで中止。11:00-12:00入院患者回診帰宅。14:00家内達を迎えに往復。 BRに集めたドキュメンタリーのインデックス作り。全13巻豊かな資料集となった。19:00夕食、20:00就寝。歩数計Σ5585Km。イスラム国邦人人質が殺害?メールが入ったらしい。

秋田県の雪 秋田市内の降雪は私の集計でも明らかに少ない
 今年は雪が少ない、・・と私は思う。
 私にとって冬季の早朝の除雪はかなりの心理的な負担になっている。5cm以上降雪があると5:30から1時間除雪し、出勤するが、今年は頻度が少なく極めて楽である。

 印象だけでは説得力はない。それで過去6年間の1月末日の段階で自宅の除雪機稼働回数をこの日記帳から取り出してみた。
 結果は以下のごとくである。
??2010年 13回 ??2011年 9回 ??2012年 14回 ??2015年 21回 ??2014年 11回 ??2015年 7回 
 確実に今年の除雪回数は少ない。私の記録には何cmで除雪したかを時折記述しているが、過去には40cm、15cm、7-8cm積もったので除雪した・・・、などの記載があるが、今季はせいぜい7-8cmで開始している。だから回数も少ないが、除雪作業内容も軽微で30分程度で仕上がったこともある。もう一つの指標を上げると、私が除雪する道路は道幅が狭く長い。だから、路脇に積み上げるのに苦労して、接するお宅の庭先にまであげさせて頂いているが、今年はそこまで至ったのは一度もない。
 
 秋田地方気象台によると、県内は1月中旬以降、冬型の気圧配置が弱まり、秋田市市街地では26日頃には雪がほぼ消失した、という。中旬の平均気温は1.8℃と平年に比べ1.8℃高く、雪解けが進んだことも影響している。

 私が担当する中通総合病院の外来には、大館、能代、鷹ノ巣、阿仁合、上小阿仁から通院してくる患者は少なくないが、その方々が診察時に例外なく話すのは、秋田市内の積雪が少ないことに対する驚きた感想である。

 県北の各地では記録的な積雲で生活に影響が出ている。
 北秋田市阿仁合128cm、鹿角市77cm、鷹巣68cmで、平年の1.5-2倍。鹿角市では12日に1mに達し、2011年に記録した1月の観測史上最大に並んだ。また、大館市は昨年12月の累計降雲量が319cmと過去10年で最多となった。
 一方、例年ならば豪雪に悩む県南は今年は比的過ごしやすい、という。26日現在の積雪は横手市79cm、湯沢市60cmと昨年同日のほぽ半分である(さきがけ新聞)。
 私も週一回大曲に通っているが、例年より降雪が少ない印象である。駅と大曲中通病院間を歩く回数も例年より多い。

 県北では事故も多発している。県総合防災諜によると、今冬県内で発生した除排雪中の死傷者は23目時点で66人(死者7人、負傷者59人)で、このうち県北の死傷者数は昨年同期比19人増の34人に上り、全体の過半数を占める。昨年までは県南の事故がめだっていた。


1/30(金)曇り 夜間降雪3cm 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床、文献チェック他本読み等いつもと変わらず。7:40Taxi駅に。8:10こまち。9:00-12:00大曲外来、患者数少で早め帰秋。13:15飯川病院着、ボランティア。17:00ー18:00中通病院患者回診など、19:00帰宅、夕食、20:00長女迎えに駅往復、21:00就寝。DVD視聴「池上:2015への道」、「池上:2014の国際ニュースを斬る」、「ドキュメント:最後の戦死者」。歩数計Σ5581Km。イスラム国邦人人質安否不明。

死生観(5):私はどんな状態で死にたいか  
 私はとても恥ずかしがり屋である。衆目の視線には辛い。
 私はとても恥ずかしがり屋である。衆目の視線には辛い。
 現役の時には大勢の方々を前に挨拶とか講演をこなしてきた。インフルエンザの時期にTV出演も少なくなかった。これらは私にとっては針の筵のような辛い仕事であった。リタイヤ後これらからの解放は大きな喜びの一つであった。

 私はかつて勤務していた病院の外来診療のみ続けているが他の活動は一切行っていない。髪も髭もボウボウで見てくれも変わったし、ほとんど忘れられた存在になった。半ば死んでいるようなものだ。これぞ私の理想とするところであり、時とともに確実にそれに近ずいている。

 次にちょっとだけ注目されるのは死ぬ時だろうかな、と思う。とはいっても関心を持つのは家族ぐらいなものである。こんな性格だから、私は死ぬ時もひっそりと一人で死にたい、と思っている。 

 約3週間前に実兄が死去したが、奥さんが外出中の時間帯に死亡であったという。まさか死亡するなんて・・と嘆いていたが、私は報告を受けた時に、これぞ理想的な死に方だ・・と羨ましく思った。

 よくわからない習慣だが、わが国では「死に目に会う」ことの意義がことさら強調されてきた。今でもそうである。日常、施設に預けっぱなしでロクに世話しない子供達ほど「親の死に目に会う」ことにこだわる。中には東京にいる子供達が来るまで人工呼吸器とかつけて延命させといてくれと家族から懇願されることがある。私はそれは「最大の親不孝となる」と説得しお断りする。親孝行は親が元気なうちに、互いに感じ会えなければ意味がない。臨死状態で改めて会っても何にもならない。この辺のことは映画やドラマで美化され過ぎている。

 私は医師の立場で大勢の方々の死を看取ってきたが、「死に目に会う」ことの意義をほとん感じない。死の瞬間など意味はそれほどない。

 私の場合、まだ70歳と常識的に見ればやや若いから、新たに起こった急病や急な変化の時はなんらかの処置がされるだろうが、それでももう元に戻らないだろうと判断された際、あるいは慢性病で緩徐に朽ち果てていくような場面では、すべての医療的処置を中止して一人にしておいて死ぬのを待って欲しいと思う。食事も水分も、酸素も不要。それでも死ぬまでに時間がかかるようなら自宅に運んで欲しい。死を待つ家族には、番をする一人を残して日常と同じ生活をしていて欲しいと思う。

 そんな死に方を夢想して一人でにやけている今日この頃である。


1/29(木)曇り比較的温暖 外来 飯川病院
 0:30起床、新聞・文献チェック他。昨夕から降雪があったが3-4cmで除雪不要。6:47バス飯川病院。8:45-13:00中通外来+入院患者対応。今週は外来患者数少ない。13:30-18:30飯川病院、19:15帰宅、夕食、就寝20:30。DVD視聴「ドキュメント:囚人番号A26188ホロコースト」、貴重な画像が見れた。「介護という贈り物:ペコロス」、「知恵泉:榎本武揚」。歩数計Σ5574Km。全豪オープン錦織敗退。イスラム国人質緊迫。

戦後70年を機に予定されている安倍談話(2)過去を蒸し返さず未来志向で
 歴史的節目の時期を迎えているし、その時期に政権を担当している内閣から談話が出ているから、安倍政権としては出さざるを得ないだろう。
 節目節目に出される首相談話にどんな意味があるのか、私にはわからない。首相談話は対象は誰に向かっての発信なのか?国民か?諸外国に向けてなのか?よくわからないが、終戦記念日に出されるというものである以上、全世界に向けての発信と取るべきだろう。
 談話は一般的に大規模な災害、事故、海外での紛争などに関して外務大臣や担当閣僚から出されることもあるが、首相談話は国家としての態度を表明するものとして最も注目され、その後の政策にも反映されるから重要である。

 歴史的に重要な意味を持つ談話として、1995年の終戦記念日に発表された「村山談話」、2005年「小泉談話」、があり、両者とも過去に日本はアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた、としてお詫びの気持ちを表明した。村山首相以降の内閣では「村山談話」が国際的にも一定の評価を得たこともあってずっと「村山談話」を踏襲している。

 安倍首相は歴史に造詣が深いのだろう、多分。そのために戦中、戦後処理に対して種々のお考えを持っているようで、「東京裁判」や「村山談話」などに関しても時折発言を続けてきた。安倍内閣としてどんな内容の談話を出そうとしているのかわからないが、「村山談話」について大きく触れる必要はないと思う。修正もしないほうがいいのでないか??

 ところで、過去の歴史に関して日本国政府がどれだけ謝罪を重ねてきたかをみると、日中国交正常化を果たした田中角栄時代から菅直人談話まで、実に36回であるという(櫻井よしこ著:宰相の資格 平成23年2月 産経新聞出版)。
 戦後処理は各国間で終了しているはずなのに、なんで日本国政府はこれほどの反省を言い続けなくてはならないのだろうか??

 例えば、日韓・日中共に戦後処理の合議がまとまっているが、両国は不平等な取り決めであった、との立場で振り返そうとしている。確かに、両国は経済的に成長を遂げ日本とのバランスは変化が認められる。それを背景に「過去の取り決めは間違いである」とぶり返すのは理解できないし国際的にも理解は得られないだろう。それを言うなら、日本との戦後処理を担当した当時の政権担当者たちを弾劾すればいい。要するに国内問題である。

 2010年8月、菅直人首相は8月10日の閣議で日韓併合条約発効100年に関する首相談話を決定した。この談話は、菅・鳩山・仙谷の3氏が合議しただけで出されたとのことであるが、日韓の歴史について恐ろしく貧しいことを暴露している。批判も多い。
 村山総理は「国策の誤りは疑うべくもない歴史の事実」と述べたが、「国策の誤り」とは具体的に何を示すのかを記者団に質問された際答えられなかった、ともされている。

 こんなレベルから見れば安倍首相はまだ良いのかもしれない。
 ウジウジと過去にとらわれていては未来志向もできない。過去の政治的発言は「村山談話」に任せ、未来志向を中心に据えたものであった欲しい。これとは別に、歴史的検討は学術的に進めればいい。


1/28(水)小雪 外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床。文献チェック他。徒然。蓄積データ整理。夜間降雪1cm。6:47バス飯川病院。8:45-13:00外来+入院患者対応。今週は外来患者数少ない。13:00-18:45飯川病院、14:30秋銀来訪。19:00帰宅、夕食、20:45就寝。DVD視聴「BSドキュメント:イスラム国はなぜ台頭したか」、これはいい番組であった。「日本列島誕生:西ノ島新島拡大を巡って」、「五輪の名花:チャスラフスカ」、歩数計Σ5565Km。

戦後70年を機に予定されている安倍談話(1)
 戦後70年の節目に当たり、安倍首相が今夏、多分、終戦記念日に、「戦後70年談話」を発表する予定で準備を進めている。1995年には村山首相が、2005年に小泉首相がそれぞれ談話を発表している。

 この中で、「村山談話」、「小泉談話」も閣議の決定を経て、内閣の意思として発表された。
 植民地支配と侵略を「国策の誤り」とし、「疑うべくもないこの歴史の事実」と位置付け、「植民地支配と侵略」という言葉を明記し、「痛切な反省」を盛り込んだために中国や韓国、米国から評価された。「村山談話」はそれまでの「お詫び」表明から見れば一歩踏み込んだ内容で、今日に至るまで日中韓の外交において頻繁に引用されている。

 歴代政権は「村山談話」を継承、「小泉談話」も文言は異なるが内容的にはほぼ同じ、と言える。

 安倍首相は戦後70年の節目に当たり「安倍談話」を出す方針だ、という。歴史的節目の時期を迎えているから談話は出さざるを得ないだろう。談話は現内閣の責任で出すものであるが、外交の基盤となる重要な政府見解としての位置付けになる。「植民地支配と侵略」という「村山談話」の核心的表現の継承には消極的な考えを持っているらしい。

 安倍首相は従来から歴史認識についていろ発言しており、右傾化内閣との批判を招いている。新聞記事から発言を拾ってみると、
??「村山談話」、「小泉談話」も閣議決定を受けたものでわれわれは全体として受け継いでいる。先の大戦の反省の上に戦後70年どんな国を作ってきたのか、今後未来に向けてどういう国を作っていくかを発信したい。
?? 戦争の教訓は多くの国民の命を失い、アジアの方々にも多大なご迷惑をおかけした
??第一次安倍内閣では「村山談話」を踏襲すると言ったが、歴史認識に立ち入らない談話を出したかった。
??現内閣として「村山談話」をそのまま継承しているというわけではない。
??侵略の定義は学会的にも国際的にも定まっていないと言っていい。国と国との関係でどちらから見るかによって違う。
??「村山談話」はあまりにも一面的。
??「村山談話」を歴史認識と教えるのは大間違い。
??A級戦犯のの戦争犯罪を認定した東京裁判は連合国が勝者の判断によって断罪したものだ。
??・・・・・・・

 戦後70年談話は、内容によっては新たな外交問題にも発展しかねない。中韓米、その他の国々も注目している。
 どんな談話になるか、私は興味を持って見ている。


1/27(火)曇り・温暖  外来 飯川病院
1:00起床。新聞チェック、徒然他。7:15病院着、回診他。6:47バス飯川病院。8:45-13:00外来+入院患者対応。今週は外来患者数少ない。13:00-18:45飯川病院、19:00帰宅、夕食、20:25就寝。DVD視聴「池上:日本の底力 東日本大震災 日本製紙第一工場復興ほか」。歩数計Σ5559Km、秋田まであと100Km。

今冬、初めて上下のアンダーウエア着用した(2) 機能性インナーは快適である
 機能性インナーウエアは現在数種類ほど発売されている。私が唯一知っていた「ヒートテック」はユニクロが東レと共同開発した特殊な繊維を採用、2003年より発売し、世界7か国で1億枚以上売れたとのこと。

 用いられている繊維の主な特徴は
??体から発せられた水分を熱エネルギーに変換する「発熱機能」
??繊維の間にできる空気の層が熱を逃さない「保温機能」
??素材にミルクプロテインを配合した「保湿機能」
??気になる臭いを抑える「抗菌機能」
??伸縮性のある素材で体にフィットする「ストレッチ機能」
??着脱のバチバチを抑える「静電気防止機能」
??洗濯による型崩れを防止する「形状保持機能」(ユニクロHPより 一部改変)

 実にインナーウエアとして理想的な機能が並んでいる。
 発熱繊維の発熱の機序の詳細は調べてもわからなかったが、これらの線維では、体から蒸散した気体状の水分の運動エネルギーが線維に吸着する際に熱になる現象を利用している、らしい。今まで私が着てきた綿の下着は、汗を吸うと気化熱によって体温を奪うので、急激な汗冷えを起こす可能性がある。だから汗をかいたら着替える必要がある。

 「ヒートテック」のインナーは体からの汗成分を利用して発熱する。汗でないとダメらしい。先日洗濯した時に生渇きの状態で着てみたが、予想に反して寒かった。汗を利用するから素肌に直接着るのが原則である。アクリル繊維の豊かな伸縮性により体にピタッとフィットする着心地も心地いい。今まで着ていた綿の肌着は体より大きく作られておりダフダフ感がある。

 しかし、逆にボディラインを隠せないという欠点がある。上に何かを着ればいいのだが、私などは暖房が入った居間などではこれ一枚で過ごすから、腹のラインがポッコリと出て格好が悪い。

 肌触り感は合成繊維なだけに綿のような柔らかい感じはなく「ザラザラ」している。これを不快に感じる方には合わない。また関連して、重ね着するときに滑りが悪く、着脱時に抵抗がある。

 発売から10年以上も経っている製品であるが、今季初めて購入し着用してみた。綿のインナーとは一線を画する魅力があり気に入った。寒いこの季節、ユニクロの機能性インナー「ヒートテック」を離せなくなりそうである。

 ところで、一月以上も着替えせずに着続けることができる、自浄作用のある??機能性インナーもできているそうで、宇宙飛行士とかが着用しているようである。下着の洗濯を好まない私にピッタリの機能で、興味がそそられる。


1/26(月)晴れ・温暖 健康クリニック 飯川病院
 0:20起床、新聞チェック、蓄積画像処理、一部廃棄、本読み、徒然。6:47バスにて飯川病院着。9:00-11:00健康クリニックドック、入院患者対応。13:00-18:45飯川病院、19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計5552Km。

今冬、初めて上下のアンダーウエア着用した(1)
 最近の冬は寒さが身にしみる。加齢によるものだろうか。
 いや、必ずしもそうではないようだ。昨冬までは雪がないときには徒歩通勤を、積雪期にはプリウスで通勤した。今冬から積雪期はバスで通勤している。そのため朝、夕にバス停で5-15分待つことになる。この間の寒さを意識するようになったのが第一の原因と思われる。
 何で今年からバス通勤を始めたか、というと車を自分で運転するのが面倒だからである。車は便利だが、運転しないとすごく気が楽である。

 朝は6:47のバスに乗る。勤務時間は8:30からだが、これ以降だと混む他にラッシュで時間がかかるからである。7:10ころ飯川病院に着き時間を過ごす。帰りは家内の車に便乗が多いが、バスの場合は18:40に乗る。

 バスを待っている時間は寒さが身にしみる。特に、12月18日の朝は体調が悪かった上、一時間間違えて家を出て、来るはずもないバスを20分ほど待ったが、この時の寒さは特に身にしみた。
 これを機会に冬季の服装について考えた。

 私は子供の頃から日常的には上下とも長いアンダーウエアは着た記憶はない。今でも長袖シャツ、ズボン下は持っていない。車通勤では冬季でもそれほど寒くはないからこれで十分である。ところが、今期からはバス待ち時の寒さが身にしみてちょっと辛くなった。

 どこかで読んだ文章の中に、ドイツには「悪い季節はない。悪い服装があるだけだ・・・」という言葉があるというころを思い出した。で、発想を変えて上下ともアンダーウエアを着用することとした。

 今まで関心はなかった分野であるが、通販カタログなどから機能性下着、ヒートテックという製品があることくらいは知っていたので、物は試しと求めてみた。

 結果は上々であった。


1/25(日)快晴・寒い。飯川病院日直
0:50起床、本読み、文献・新聞チェック。録音データ整理。8:27バス飯川病院、9:00-17:00飯川病院日直。12:30-13:30中通病院入院患者不調で回診に。18:30帰宅、19:00夕食、20:15就寝。DVD録画「ヒストリア:東京ローズ」、「ヒストリア:リスボン大地震」、「おもてなし:帝国ホテル」、「知恵泉:開国・阿部正弘」、歩数計Σ5546Km。

フランスの週刊紙テロ事件(2) イスラム国の現状を知る
 昨年来、テロやその類似事件が、カナダ、オーストラリア、フランス、ベルギーと立て続けに発生した。これらの国はいずれも「イスラム国」空爆の参加国である。フランスで1月7日に起きた週刊紙シャルリー・エブド紙への襲撃事件は全世界に衝撃を与えた。

 そして、空爆には直接参加はしていないが、人道的援助と称して費用の提供を申し出た日本も対象国になった。拘束されているとみなされていた2人の日本人の殺害予告がネットを通じて行われた。

 「イスラム国」の実態はなかなか分かり難い。内戦など紛争が止まないシリアやイラクの領土で武力による実効支配を始め、勢力を拡大している集団で、「イスラム国」と名乗ってはいるが国家ではない。しかし、中東地域はもちろん、欧米をも巻き込んで抗争を始めている。

 差別や貧困などの問題点をかかえる欧米の若者たちが「イスラム国」の活動に参加すしているというが、「イスラム国」では油田の占拠による豊かな資金を持ち、戦闘員に給与も支払われている、という。戦闘員は昨年9月時点で31.000人、12.000人以上がイラク、シリア人以外の外国人で、世界の81ケ国から参加しているとされる。支配した地域では極端なイスラム教解釈に基づく統治を行なっている。
 世界で最も危険な戦闘集団だとされていて、このままでは「イスラム国」のテロ活動は今や欧米の一大脅威となっていく。

 米国は「イスラム国」の脅威をこれ以上放置できないとして撲滅のため空爆を始めたが、今までどんな成果を上げているのか?新聞報道などからはよくわからない。

 「イスラム国」の活動は一般的イスラム教の信者の考えとは全く異なっている、と思いたい。欧州諸国がイスラム世界を色眼鏡で見て、彼らの自尊心を傷つけ、経済的にも言論上でも抑圧するようなことが続けば、一部の若者たちは「イスラム国」に参加してイスラムの栄光を取り戻そうとする考え方を生むのではないだろうか。

 「イスラム国」は、欧州の既存の秩序への敵視と挑戦なのだろう。だとすると、この勢力は放置しておくと、国家規模の無法集団になる可能性を持つ。
 対応としていま必要なのは、国際協力により、資金源を断つこと、シリア、イラクの安定化でとされている。困難であるがやるしかないだろう。


1/24(土)晴天・温暖  
 0:30 起床、新聞チェック、文献読み。昨日から寒波緩む。車道は雪無し。昨年の本日は積雪と融雪のために路地の通行難になった。今年は全く異なる。午前は居間にスポットライト増設、これに手こずった。DVD・BR録画「N響定期公演から;プーランクのグローリア、ベルリオーズのテ・デウム」他を楽しむ。午後から全豪オープン錦織の三回戦見る。今までは断片的にしか見ていなかった。画像他データ整理。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ5538Km。自宅内ウロウロではわずか3Kmだった。

フランスの週刊紙テロ事件(1) イスラム教徒の現状を知る
 2015年1月7日フランスの週刊紙シャルリー・エブド紙への襲撃事件は複雑な背景を持つ。この事件を機会に欧州でイスラム教徒問題がいろいろ存在することが明らかになってきた。今までこの辺のことに考えが及ばなかった。無知であった。

 今回の事件は、言論・表現・報道の自由に対するテロ行為で、言論の自由を暴力行為で阻害することは、いかなる宗教的・政治的見解があっても決して許されない。このことでは一層の国際的連帯が進んでいる。

 事件後11日にフランス国内で行われた抗議集会では120万人が参加し、フランスのオランド大統領はもちろん、ドイツのメルケル首相など各国首脳が集まり、言論の自由を守る必要を訴え、わが国でも大きく報道された。

 私は言論の自由には一定の抑制が働かなければならないと考えている。そうでなければ言論の暴力になってしまう。
 この方向での動きは無いわけではないが、決して大きくない。私は不思議に思っている。現にこの事件の後のシャルリド紙の最新号がムハンマドを表紙にて発刊された。
 私の理解を超えた行動である。多分、シャルリド紙は自分たちは決してテロ行為に屈することない、と言う決意の表明かもしてないが、イスラム教徒側から見れば挑戦の継続ととらえるだろう。

 欧州では、これまでにもメディアがムハンマドを不必要に中傷する風刺画を出し、イスラム教徒の怒りと反発を招いてきた。数々の暴力沙汰も起こってきた。

 フランスには人口の8%にあたる500万人のイスラム教徒がいる。彼らは今回のテロはイスラム教に関わりのない過激派のテロ行為だと批判しているが、この風刺画にはイスラム教徒なら誰しもが傷ついているはずである。

 欧州全体ではイスラム教徒は2000万人以上といわれる。だから、共存する以外に道はない。そのためにも、文化や宗教、価値観を互いに尊重しあう必要がある。ところが、フランス、ドイツでもイスラム教徒の増加に反対する団体が毎週デモを行い、回を追うごとに参加者数を増やしている。わが国でもヘイトスピーチが問題になっている。

 今回のテロは厳しく非難されなければならないが。このような事件を繰り返させないために、まず、文化や宗教、価値観を互いに尊重し合う姿勢が求められ、言葉の暴力をなくしなければならない。

 今は遠い欧州のことであるが、人口減に対策として積極的に移民を受け入れた国もある。わが国の少子高齢化を論じる中ではまだ移民に頼るという考えははっきりとは浮上してきていないが、いつかはわが国の問題にもなるかもしれない。


1/23(金)曇り・寒い 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床、文献チェック他本読み。7:40Taxi駅に,8:10こまち。9:10-13:10大曲中通病院外来。駅往復歩く。中通病院で入院患者回診など15:10飯川病院ボランティア。新聞読みなど。19:00夕食、20:30就寝。DVD「上杉鷹山」、「保科正之、」「エカテリーナ二世」。歩数計Σ5535Km。

実兄死去に際して(6) 兄とともに生きられたことに感謝 冥福を祈る
 ??昨年、「互いの死亡時には最小限連絡だけはし合う」と確認
 昨年のお盆、私は墓参りの後、秋田に戻る途中でいつものように兄宅を訪問した。この時の会話が最後になった。
 兄の様子は加齢による体力の低下の様子は認めたが、まだ酸素を吸いながらベットから離れることもできた。もっと弱っているかと思ったが、一昨年の印象と大差ない状況に見えた。短時間の面談の範囲ではボケの症状も感じ取ることは出来なかった。

 交わされた話題の中で、兄嫁は「あと数年は生かしたい。生きててほしい・・」と述べた。私は兄本人の気持ちを確かめた。通常、高齢になると別な返事をするものであるが、「自分としても生きたい・・」と明るい口調で述べた。その時の表情に私は感じ入った。通常は夫婦二人の生活で、ヘルパーの援助はあると言え、不自由な体と呼吸障害を抱えた80歳の病人のケアは大変なはずであるが、兄嫁との生活に満足しているからこそ発すつことができる言葉である。

 最後に二人で並んで写真を撮った。二人とも髭面で満面笑みをたたえており、年齢差など分からない。記念すべき一枚となった。

 約30分後、「来年の再会」を期して兄宅を辞した。最後に互いに病気を抱えている身であるので、「互いの死亡時には最小限連絡だけはし合う」ことだけ確認した。これが最後の別れの言葉になった。

 兄は肺炎を併発したのであろう、1月8日に死去した。

??兄とともに生きられたことに感謝 長い間ご苦労様
 兄の死去を機会に弟の私から見た兄の姿、兄に対しての心情を綴ってみた。

 私どもは二人兄弟であり、年齢差が11才あった。この年齢差が二人の結びつきを堅固にしたように思う。さらに、彼が高校三年生、私が小学一年の時に交わした約束は私の立場からみて勝手すぎる約束だ、と思ったこともあるが、二人の間では一度も蒸し返すことはなかった。

 兄の人生は私よりは波乱に満ちていた、と思うが、一度も愚痴らしい話は聞いたことはない。常に明るかった。
 私は、社会的は恵まれた道を過ごしたが、たまたま運が良かっただけ。本心とはかけ離れたコースであったが、自分としては厳しく辛い日々でもあった。壁に当たった時に、挫折しかかった時に、ふと思ったのは語られることのなかった兄の心境であった。比較など到底できないが、私より遥かに厳しかったことだろう、と思い、私は生きるための教科書として参照してきた。兄にとっても私の存在は生涯を通じて小さくなくなかった、と思いたい。

 私が、兄の訃報を聞いたとき最初に思ったのは「私が先に逝く悲しみをあじあわせなくて良かった、これで恩の一つは返せた」、であった。
 兄とともに生きられたことに感謝し、「長い間ご苦労様でした」と霊前に語りかけた。


1/22(木)曇りのち晴れ 外来+飯川病院 
0:30起床、新聞・文献チェック他。冬靴あまり滑るので底に滑り止めシール装着。ビスも数本打ち込んだ。6:45バス飯川病院。8:45-13:00外来+入院対応,13:10飯川病院、院長往診に対応し留守役。19:00帰宅、夕食、19:30就寝。DVD「池上:解説塾3時間」、「ニュース英語:今年の10大リスク」。Σ5527Km。

実兄死去に際して(5) 障害者になったが常に明るい姿に感じ入った
??奇跡的に救命されたが、治療の後遺症で障害者となる
 兄は臨死的状態から奇跡的に助かった。救急病院では患者として受け入れていながら、ろくな判断、対応もせずにいたずらに経過観察し重症化させてしまった。手術にはあの時間がラストチャンスで、助かる可能性は極めて少なかった、と思う。
 外科医たちの卓越した技術、未検査血含め8000mlの保存血を使用できたことで、幸いに一命を取り留めた。

 兄は救命のためには欠くことができなかった未検査血輸血によりC型肝炎を発症した。各種の肝庇護剤が使用されたと言うが効果は乏しく、ステロイドホルモンの長期治療が行われた。この副作用による右側大腿骨頭壊死を発症、下肢機能不全で身体障害者となった。初期は松葉杖を必要としたが数年後はなんとか歩行できる状況になったようである。

??兄の明るく生きる姿勢に感心
 骨頭壊死の状況判断と対応を求めて発症数年後に秋田大学整形外科を受診した。結果は回復不能との厳しい判断が下された。兄はそれまでの経過と過程の中で覚悟はでできていたのであろう。表情からは大きなショックを受けたようには思われなかった。

 兄は大学進学直前に自宅が火災にあったために医師への道から通信工学の道に進んだ。さらに見込まれて養子縁組までして商家へ道を変えたのであるが、この自損事故、後遺症のためにそれも継続できなくなった。
 大きな転機が彼の人生を変えてしまったが、その辺のことは私は詳細を知らない。

 仕事に関して私が知っている範囲では、再びエレクトロニクスの分野に戻り、盛岡の企業で働いていたようである。私は会うたびに明るく生きる兄の姿に感じ入った。

 最近まで兄嫁も働いていた。多分、家計的には余裕はなかったと思うが、金融機関の経験のある兄嫁はやりくりのプロと言っていいのだろう、息子3人を立派に育て上げた。私は学生時代に学費の援助を受けた大恩があるためにバックアップの心づもりをしていたが声がかかることはなかった。

??年に一回、墓参りで会う
 兄一家が盛岡に引っ越してからは私は秋田に住んでいた。隣県にいると言っても私自身が郷里を訪れるのは毎年盆に墓参りする時のみと言ってよく、墓参は双方の家族の定期的行事にな30年近く続けてきた。
 我が家の子供達も、叔父である兄からいろいろ影響を受けただろう。彼らの兄を見る目は総じて暖かい。

 不自由な体になっても墓参り行事もそれは最近まで続いた。
 約10年ほど前からは、兄は肺機能不全にて在宅酸素療法を行っていた。加えて加齢による衰弱もあり、ここ数年は寺まで来ても駐車場で待つ身となった。さらに、ここ何年かは兄一家とは墓参の時間調整ができず、寺で会うこともなくなった。その後は私の方が墓参の度に兄宅を訪問して短時間親交を温めてきた。


1/21(水) 寒波緩む 降雪2cmほど 外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床。新聞・文献チェック、徒然。降雪せず。6:47バスにて飯川病院着、途中凍結道路で激しく転倒した。右臀部を強打した。8:45-14:00外来+人間ドック判定総括+入院患者対応。14:00-18:45飯川病院、19:00帰宅、夕食、20:10就寝。DVD「そこまで言って委員会」、「NHKsp:日本新生ニッポンの若者はどこへ」。Σ5521Km。

食品異物混入問題(3) 私の経験と対応
 2011年5月、私も食品異物混入に近い経験をした。食品の細菌汚染が疑われたケースである。

 製造販売元の対応が十分であったために保健所とかへの報告は行っていない。
――――――――――――――――――――――――
 2011年5月、秋田県内の某食品会社の袋状のブルーベリージャムその他を数ケ秋田西武で購入した。絞りながらパンに塗ったりするのに便利な製品である。賞味期限は1年後であった。 
 未開封で暗い食品庫に常温で並べていたが、数日後一袋だけがパンパンに膨れ上がりいまにも破裂しそうなほど膨張しているのを見つけた。
 私はガス発生細菌の汚染による増殖と考えた。
 
 対応として、会社に電話して状況を報告した。
 翌日、会社の責任者が来訪し、膨張した製品をつぶさに調べた。一応は私の関与を考えたのであろう。私は公的検査機関に依頼して汚染の実態を調べて欲しいこと、必要に応じて保健所に届けるよう述べた。
 
 社は、翌日に秋田県総合保健事業団に当該商品を送付し、原因の解明を依頼したという。

 後日、丁寧な挨拶状とともに調査結果の報告と対策の報告があった。

 検査機関による見解は以下の如くであった。「人体に影響をおよぽす、食中毒菌などについては陰性。但し、秋田県食品等の衛生指導基準の10万ケを上回る生菌が認められた。菌は酵母と判定。酵母菌の多量発生が袋膨張の原因と考えられる。」

 また、社は、上記事象と同様の該当品がないか調査。商品納品先、売場を各営業担当が確認した。上記品以外に袋の膨張が認められる商品は認められなかったが、同じロットの製品を回収し、6ヵ月の経過観察をすることにした、という。
 原因として、充填後100℃40分加熱殺菌をしているにも関わらず上記事象が発生したことを重視し、殺菌処理数500パックが適正であるか検討を開始し、一度に行う滅菌処理数を減じた、とのことであった。
――――――――――――――――――――――――

 私の経験した件は滅菌処理過程で酵母が残ったもので、基本的には最近の食品異物混入問題と同じである。私は上記の対応で満足したが、最近の状況は変わってきているらしい。

 国民生活センターによると、異物混入で寄せられる相談は年間2000件前後で推移している、という。こんなに多いものかと驚く。だから、最近話題になっているケースは氷山の一角ということになる。これらをセンターではどう処理しているのだろうか。それが知りたい。

 大手企業は製品に問題か発生した際に公表するかどうかの基準を独自に設けているが、消費者にはわからない。だから、最近は消費者がネットに直接投稿し、会社が後追いするケースが増え、新聞等に取り上げられ、悪しき印象を与えることになる。公表基準の見直し、基準の公表も含め対応を再検討する必要がある。

 異物混入を完全に防ぐことはできない、と思う。再発防止を念頭に、消費者も会社も冷静に対応する必要がある。


1/20(火) 曇り・寒波若干緩む 外来 飯川病院
 0:30起床、文献・新聞チェック,PDF化。夜間降雪無し。6:47バスにて飯川病院着。8:45-14:45外来+入院対応。外来は混雑し時間に追われた。患者たちも疲弊、不機嫌。14:50-18:40飯川病院、19:00帰宅、夕食、20:15就眠。DVD「そこまで言って委員会」、「NHK戦後70年日本の肖像」。歩数計Σ5516Km。

実兄死去に際して(4) 兄と比較され常に挫折・悲哀を味わう(2)
挫折(3) 長男の結婚 
 時満ちて盛岡市の古い料亭を借り切っての結婚式が盛大に??行われた。その結婚式の時の兄の扱いは完全に跡取り息子、長男のそれであり、私なんぞ、実に影の薄い存在であった。
 この頃には私が家督である事は親戚間では知られていたが、この結婚式を機会に私の予想に反して兄の長男としての立場はより堅固になった。私は次男坊の悲哀を更に長く味わうことになる。

挫折(4) ヴァイオリン購入で兄嫁から責められる
 新潟大学進学後管弦楽部に入部し、ヴァイオリンを購入した。この楽器は当時の私にとっては大冒険であった。大学進学後は兄夫婦は余裕のない生活の中から学資の援助をしてくれていた。この楽器の購入の件に関しては当時からほぼ現在に至るまで兄嫁から責められている。具体的に話題に上ることは年と共に少なくなったが、当時の兄夫婦の生活の大変さを考えれば当然であった。楽器の話題になると私は頭が上がらない。今はただただ兄嫁と兄に頭を下げて感謝するのみ、である。兄は、ヴァイオリンについては一度も話題にしなかった。

兄は兄嫁の家に養子縁組し道を変えた 
 兄は兄嫁の生家の事業を手伝うために道を変え、盛岡に転居することになる。その経緯は私はほとんど知らない。私はそのころ大学3-4年目くらいであったが、兄が自分の納得のいく生き方が出来るのであれば姓が変わることも含め問題なしと賛成し、新しい道に進むことも祝福した。また、両親のいる盛岡へ兄が戻ってくることは私に取っても好都合であった。
 この兄の改姓によって、私の家督としての立場は周囲にやっと認めらることになった。

兄は瀕死の重傷を負う
 兄が盛岡に転居してからしばらく経ったある日の夕方、兄は業務でコンテナ車を操作中に、自損事故を起こし、救急病院に搬送された。
 その頃、私は三陸の病院勤務を経て秋田に住んでいた。
 22:00頃、秋田に電話連絡があった。電話の主は兄嫁の姉さんだったと思うが、なかなか話がうまく通じない。解ったことは、夕方に何らかの事故に遭い、救急病院に搬送されたが、命が危ないので直ぐに来て欲しい。もしかすれば到着までに間に合わないかも知れない、ということであった。 

 到着時、兄は死を目前にした状態で横たわっていた。貧血状態、腹部が膨隆、意識も朦朧としており、輸血、点滴は入っていたが血圧は60mmHg以下と厳しい状況であった。  
 病態としては外傷による血管障害か内臓破裂が考えられたが、この状況のままで様子を見ている現状に驚くとともに憤りを感じた。

 私は若い、当直医に面会し、「救急病院として患者を引き受けた以上、こんな対応はあり得ない。今からで良い。死を覚悟で開腹手術し止血を試みて欲しい・・・」旨申し出た。そのときの当直医の迷惑そうな表情は忘れられない。彼は状況を理解できていないと判断、責任者と交渉するよう迫った。
 結果的に部長クラスの外科医を中心に、岩手医大からの応援医2名で夜半過ぎに手術を開始、出血の原因は肝破裂で、8000mlの輸血によって幸いに一命を取り留めた。この輸血に関しては、肝炎ウイルス等の検査が行われていない血液の使用の許可を求められ、私は了承した。約6000mlの未検査血液が輸血された。

 この時の手術の決断に私が寄与したことは確かである。あの時の判断がなければ救命できなかった。勿論、救命には手術を行った外科部長の卓越した技能に負うところが大きい。感謝している。


1/19(月)曇り降雪若干 健康クリニックドック 午後飯川病院
 1:10起床。本読み、新聞・文献チェック他。6:47バス出勤、飯川病院。9:00-11:00健康クリニックドック。入院患者対応、12:00飯川病院へ。14:00-18:45飯川病院、19:10帰宅、夕食、いつもの如く20:15就寝。 DVD「プロフェッショナル:マツダエンジン開発者人見光夫」、「池上:ユーロの秘密」、「プロファイラー:カエサル」、「鉄の王国」、「知恵泉:北小路魯山人」。歩数計Σ5510Km。

食品異物混入問題(2) 直接ネットに投稿は問題
 私のファイリングの中での食品への異物混入の記事が集中し出したのは「ペヤングからゴキブリ出てきた」の記事が最初である。それほど興味を持っていなかった領域だったからなのか、意外と少ない。

 新聞によると、「ペヤングからゴキブリ出てきた」の事の発端と推移は、都内の男性が12月2日、ツイッターに1枚の画像と共に「ゴキブリ出てきた」と投稿したことに始まる。有名な商品だったからか、画像は一気に拡散した。ネット上では驚きと画像を疑問視する声が入り乱れた、という。

 同社は3日、男性に会い商品を回収し、「ネットの影響力を考えて」画像の削除もお願いした。このやりとりがツイッターで明かされると、今度は同社の隠蔽工作だとする批判が相次いだ。

 社を管轄する保健所は食品衛生法に基づく立ち入り調査を実施し、
健康被害が確認されていない、
製造過程で混入したか不明
などの理由で、衛生管理面などの社内調査とその結果報告を求めるだけにとどめた。

 「まるか食品」は4日、「製造過程での混入は考えられない」とする一方、商品計約4万6千個の自主回収を決定。さらに11日、社内調査の結果で「混入の可能性は否定できない」としてペヤング全24商品の製造・販売を休止し、返品・返金に応じると発表した。

 この「混入は考えられない」、「混入の可能性は否定できない」は当然の過程である。調査開始する前に混入を認めたら衛生管理の根本姿勢が問われるし、調査で混入の事実は見つからなかっただろうし、混入の事実を掴んだとしても「混入の可能性は否定できない」の表現は妥当である。ただし、この表現だけでは消費者は納得でき難いだろうし、自然と製品の回収に結びつく。

 私はこの一連の推移を見て組織も個人も実に危険な状態にある、と感じてしまう。

 特に、ネットによる告発については危険だと思う。ネットによる告発はなんら歯止めがない。投稿は自由である。匿名でも可能。抑制は投稿者の倫理観のみである。第三者的視点に立つであろう人々の目には一般的には触れ難い。ネットの世界は他の媒体にはない特徴を持つ。

 今回のケースは実名で投稿されたのだろうか。「まるか食品」は男性に会ったとされるから匿名ではなかったかもしれない。

 食品に異常が見つかったら「直ちにネットに流すのではなく、企業や管轄する保健所に届けるべき」である。画像は撮影する側の意図を強調することもできるし、意図的に手を加えることもできる。今は画像重視の時代ではあるが、私は画像の信憑性に問題があると思う。

 食品に異常を発見した場合には、解明すべきは、健康被害が生じる可能性の有無、異物混入の真相の解明、再発防止にある。関連会社による事実の公表は差し支えないが、保健所等の関与も必要である。我が国では企業のイメージアップのために回収が頻回に行われるが、その判断はもっと慎重でいいのではないかと思う。

 私は食品製造関連会社も消費者も安全・衛生管理に関心を持つべきであるが、不必要なほどの緊張関係に置かれている、危なっかしい時代、と思う。


1/18(日)夜間降雪7-8cm後晴 除雪 秋田ゾンタクラブ新春チャリティコンサート
1:30飯川病院で起床。昨夜の風雪で一安心。若干軽減新聞・文献・録音・PDFデータ整理など。DVD「映画:星新一の世界」、佐々木希の表情が美しい。9:00駅よりバス帰宅、10:30まで除雪7回目、8日以来で楽。11:31バス、買い物広場まで。12:00-14:45View秋田ゾンタクラブ新春チャリティコンサートでヴァイオリンの演奏を聴く。家内への付き合い上やむなし。15:00バス帰宅、書斎整理、歌劇「オテロ」見る。19:00夕食、20:15就寝。歩数計Σ5501Km。慌ただしい週末であった。

品異物混入問題(1) 食品問題はなぜ年によって流行り廃りがあるのか
 最近食品に異物が混入したというニュースが頻繁に見られる。前から散発的にあったがこれほど集中的に発生したのはここ一月余りのことである。

 食品の問題を振り返ってみれば、「食品パニック」というべき状況は2001年頃に生じた「狂牛病」問題を嚆矢とする。当初は牛肉のみの危険性が論じられたが、徐々に食品全般に対象が広がっていった。それだけ我が国の消費者に余裕が生じ始めてきたことでもあろう。

 代表的な項目を挙げてみる。
2001年:「狂牛病」問題
2007年:賞味期限偽装事件頻発、輸入食材の残留農薬事件頻発、乳製品に期限切れ牛乳使用事件。 
2008年:産地偽装事件頻発。売れ残り商品再使用問題。
2015年:食肉を加工問題。一流ホテル・レストラン等で高級食材の偽装表示事件頻発。中国産期限切れ食肉使用事件。 
2014年:食品に異物混入事件頻発。

 これらの事件の特徴は一件が発覚すると次から次にと類似事件が芋づる式に明らかになっていったことである。各年に類似の事件が集中して明らかになっている。年度ごとに食品関係の事件には流行り廃りがあるように見えるのが不思議である。

 この現象の陰には時代の変遷がある。
 食品の流通量が安定し入手しやすくなると「食品のリスク」に対する関心が高まって来る。

 加工食品は「何が原料?」、「どこでどのように加工されている?」、「安全管理、衛生管理がどのようになされているか?」など分からないことだらけである。一応、最小限の表示は義務付けられているのであるが、上記に挙げたような事件も次々と明るみになっている。
 消費者は漠然とした不安の中で加工食品を食べている、と言えよう。

 料理の材料を、地産地消の食品を中心に自分で選択して購入、料理して食べることが最も安全だろうと思われるが、現実的には大なり小なり加工食品も使わざるを得ない。

 もう一つの大きな時代の変遷はネット社会がある。
 問題提起や告発が誰にでも簡単にできる社会になった。
 そのために企業の姿勢も変わった。類似の問題を抱えた企業などが、率先して公表するようになった。
 


1/17 (土)寒波・風雪 飯川病院日当直 
1:20起床。いつもの如く。古書、新聞文献PDF化。文献読み、本読み。11:31バス、11:50-12:50中通病院、入院患者対応。13:00飯川病院日当直に。検食2回、微睡。本読みなど。17:30就寝。 DVD「映画:前科アリの女たち」、「世界で一番受けたい授業:外国人が好む日本の食品50選」、歩数計Σ5492Km。

実兄死去に際して(3) 兄と比較され常に挫折・悲哀を味わって成長(1)
 兄と私の間はの関係は歳の離れた兄弟ということで仲も良く、私は兄を尊敬していた。しかし、地域や親戚の中では二人の密約など通用しない話であった。当時、個人より家が、長男が格別に尊重され、年端もいかない次男坊なんて軽い存在であった。
 
挫折(1) 長男は正明 私は影の薄い次男坊
 家族間では兄が大学進学のために家を離れ、私と兄の立場が変わっり何れは私が家業を継ぐことことは理屈としては容易に受け止められたが、母や祖父母にはかなり未練を喉していたと思われる。地域や親戚の方々にはなかなか通用しなかった.彼は何時までも我が家の長男であり、私は影の薄い次男坊のままで、長男の立場を果たさんと意気込んでいた私は自尊心をいたく傷つけられた。

挫折(2)  私立中学で「正明の弟」
 中学は地元の中学校ではなく兄と同じく盛岡市にある私立岩手中学校に進学した。
 この岩手中学は中高一貫校である。11歳違いの兄は同校で学び、優秀な成績で卒業し東北大学に進んだ。兄の友人は東大医学部に進学したこともあって、この高校にとってエポックメーキングな記念すべき年に見なされていた。

 私立学校の教職員は転勤がほとんどなく閉鎖的である。殆どの教師は私は卒業した「福田正明」はまだ記憶に新しく私は「福田正明」の弟としての扱いであった。入学して数日後、私は教頭室に呼ばれた。そこで話されたのは、「正明の弟」として「学校では君に大きく期待している、・・・」と言うことであった。私は兄よりは「鈍」であり頭も良くない。中学に入ってのちもそれだけの成績は示してはいたが、いつも私個人というよりは「正明の弟」として比較されながら見られていることに大きな煩わしさ、不満、プレッシャーに変わっていった。

 中学2年の夏頃、岩手中学の生ぬるい学習環境に嫌気がしはじめ、このまま中高として在籍していては医学部への進学は困難ではないかと感じ始めていた。心の中では中退し盛岡一高に進学する気持を固めた。ちょうどその年に村役場の職員であった父が村長と言い争いが元で突然退職した。私はこの機会を利用、経済的問題が生じたために、という理由をあげて地元の中学に転校した。この話を告げた時の担任の表情は未だに忘れられない。


1/16(金)寒気 夜間積雪3cm 大曲中通病院外来
 1:00起床。文献・新聞PDF化。夜間積雪な。7:40Taxi、8:10こまち。徒歩、9:15病院着、大曲も一週間ほとんど積雪なかったらしい。9:15-13、混雑疲弊、徒歩。14:30飯川病院、16:30歯科治療、17:30帰宅、リゴレット楽しむ。19:00夕食、20:30就眠。 歩数計Σ5488Km、本日は10Km歩行蓄積。

2015年度の当初予算案(2) 感想(2)
 政府の2015年度予算案は一般会計は過去最大の96兆3420億円になった。

 歳出は社会保障費がまた1兆円増え、政策に使える予算のうち4割を超す。防衛費は3年続けて増額、公共事業も減っていない。これらは国民の生活のために、安全のために、景気の維持のために欠くことはできない分野である。

 社会保障費面では高齢者、生活保護関連で以下のごとくの厳しい対応が行われる。
 一定の収入がある高齢者にとって介護サービスを受ける費用が増え、サービスも絞り込まれる。
 年金も受け取る額が変わる。年金支給額の伸びを物価や賃金の伸びよりも低く抑える「マクロ経済スライド」を初めて適応する。
 生活保護の関連では、受給所帯は160万所帯に達したが、住宅扶助と暖房費の冬季加算を減額する。

 防衛費はオスプレイ5機、水陸両用車30輌、対潜哨戒機、滞空型無人機の購入、海上保安庁の大型巡視船6隻、小型巡視船3隻を新造して尖閣島の警備網を厚くする。

 自治体が自由に使える一般財源が最高になった。地域を活性化するためと統一地方選挙への目論見があるらしい。
 地方創生枠を新たに設け1兆円を充てた。都市圏からの移住策、農業や林業の活性化を上げているが、前向きに結果が出るような具体的な方策内容は提示されていない。事業内容が具体化していないのに予算だけ確保しているが、最終的にはバラマキ政策なのか?
 15年度は総務省と財務省の話し合いで、人口減が進む自治体に交付税を多めに配る、という。人口減がお金で解決できるものなのだろうか。私の疑問は解けない。

 東日本大震災の被災地の復興は地方創生のモデルだと思う。
 お金をかけてインフラその他の復興ができても、住民の生活が戻ってきているとは言えない状況にある。

 2015年度予算案は安倍首相の意欲の表れだと思うが、歳入面ではデフレ脱却による景気回復による税収の伸びを見越している。が、昨年からは景気が減速しかかっており、危うさを感じる内容になっている。財政再建は今年度も先延ばしにしている。景気回復がなければ財政再建はおぼつかないが、そんな時代は再来しないと思われる。いづれは財政再建にむけて舵を切らなければならないが、その時には相当の苦痛を覚悟しなければならないだろう。


1/15(木)曇り 外来+飯川病院
 1:00起床、文献・新聞PDF化。資源ゴミ、車に満載して集積所に。6:48バスにて病院へ。 8:45-14:10中通総合病院+入院患者対応。外来は混雑して疲弊。来年度の診療契約の打診があった。14:40-18:40飯川病院、19:00帰宅。夕食、20:30就寝。歩数計Σ5478Km。DVD「日本戦後のサブカルチャー史(8)(9)」

2015年度の当初予算案(1) 歳入・歳出・具体的歳出・感想
 政府は14日2015年度の当初予算案を閣議決定した。

 概要は以下のごとくとなっている。
―――――――――――――――――――――――――――
 歳入
 税収は24年ぶりの高水準となる54兆5000億円程度と見込み、新規国債発行を36兆9000億円前後と14年度から4兆円以上圧縮する。

 歳出
 総額は過去最大の96兆3000億円前後、社会保障費が初の31兆円台に膨張。防衛費は4兆9800億円程度で3年連続増。
 政策経費全体は72兆9000億円前後。公共事業がほぼ横ばいの6兆円程度、地方交付税交付金は15兆5000億円程度と0.6兆円程度減額した。
――――――――――――――――――――――――――

 感想
 予算案の概要を見ると官邸主導で、安倍首相の意向が濃厚に込められた仕様となっている。アベノミクスによるデフレ脱却を見越して税収を54兆円に設定するなどかなり強気である。国債の債務長は1000兆円を超えている。だから、今年もさらに増えることになるがその伸び率は若干ながら軽減される。
 消費税増税延期が医療・介護・福祉関連に影を落としている。
 予算は安倍政権の政策実行プランに等しい。
 具体的政策には以下が予定されている(新聞3紙から合成)。
 表の数値単位は億円

―――――――――――――――――――――――――――
地方交付税
   交付金                     15兆5000  
   地方創生枠  1兆
防災インフラ関係
   巨大地震に備えた堤防整備など           2146
   老朽化や大災害に備えて地方が使える交付金    1兆947
   地方の活性化に向けた高速道路網の整備       4762
   整備新幹線建設、北陸と北海道は前面し        754
復興、原発関連
   被災地の子どもの健康・生活支援の交付金       59
   エネルギー確保 廃炉研究を加速          38
   太陽光発電の効率を高める技術支援         43
   官民による資源権益翼収を支援          485
某畜産林業など
   畜産・酪農家の設備導入を支提           75
   農地をまとめて貸す「農地バンク」を推進      190
外交
   「ジャパン・ハウス」などで海外発信を強化     195
   モルディプなど6大便館の新設など        794
   アジアの海の安全に向けODA活用        4238
防衛 
   離島などの防衛ヘオスブレイ 5機を購入     516
   潜水艦探知に優れた哨戒機を20機購入      3504
   海上保安庁巡視艇の新造・改修          371
医療・介護・福祉関連
    生活苦の人の相談を就労につなげる支援     400
  所得が少ない世帯に1人6千円を支給       1693
    高所得の世帯を除き、子ども1人3千円を支給    587
    女性の乳がん検・診などのクーポン配布      12
    所得が少ない世帯の幼稚園料を年3.6万円に減   15
    無利子枠の拡大など大学員学金を充実      748


1/14(水)晴れ  外来 飯川病院ボランティア
1:20起床、文献チェック他、読書、本、数冊に目を通す。6:47バス病院。8:45-14:30外来+入院対応。昨日の外来分数名多い、疲弊した。14:45-18:30飯川病院ボランティア、バス帰宅、19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ5471Km。DVD「池上:ニュース深読み(1)(2)」

実兄死去に際して(2) 小一の時、兄との間で交わした密約
 昭和27年4月、私が小一、兄が高三の時に自宅・医院が火災にあった。11軒が焼け、しばらく「乙部大火」として知られていた火災である。

 我が家は自宅と医院が完全に消失した。そのショックもあって、医師であった祖父はすっかり意気消沈し、兄を後継者にする夢を失い進路変更を認めた。兄も長男である立場上医師になるつもりにはなってはいたようであるが、興味は通信工学にあったようである。
 大学受験を控えていた兄は進路変更を許され嬉々として工学部に鞍替えし、東北大学に進学した。

 消失した自宅も立派に完成し、全てが一段落しつつあったある夜、久々に盛岡の下宿先から帰宅した兄は私を一室に呼んだ。具体的な言葉一つ一つは覚えていないが、「自分は祖父から許可が出たので工学部に進む.自分は長男としてのすべての権利をおまえに委譲する。今後はお前が長男の立場で親をみて、出来れば医師になって家業を継いで欲しい。この話はしばらく内密にしておきたい・・・」、と言う意味のことを述べた。長男であるという自覚は十分にあったということである。

 私にとっては細かいことは分からなかったが、「家族と一緒に暮らせて、この家や好きな生活環境を引き継ぐことが出来る」ことだけでも魅力的だった。私はなんら疑問を持たずにその申し出に同意した。

 今から見れば、こんな重要な話を小学一年の私と二人きりで交わすなど、非常識極まりないと思う。対外的に問題にすれば笑止千万といわれるだろう。しかし、私も兄も約10年間は口に出すことはなかった。また、兄も私も紆余曲折はあったが、生涯を通じてこの時の話し合いを尊重して行動した。兄の死を迎える今日まで、二人の間でこの話の内容に文句をつけたり、蒸し返されることは一度もなかった。
 私にとって、兄もおそらくそう考えていたと思うが、あの夜の約束を守り通したことが、お互いの絆と信頼感を深めていた、と考えている。

 二人の間ではこれで良かったが、地域や親戚の中では通用しない話であった。当時、時代は変わりつつあったと言え、個人より家が、長男が格別に尊重され、年端もいかない次男坊なんて付録のような軽い存在であった。


1/13(火)曇り 実兄の葬儀で盛岡に 中通外来休診 飯川病院は欠勤
1:00起床、新聞チェック、文献、本読み。5:00可燃ゴミ廃棄。6:40Taxi、7:14こまちで盛岡に。9:30火葬、11:30葬儀、12:30会食。家族だけのこじんまりとした葬儀であった。15;45こまちで帰秋、17:20飯川病院着。19:30帰宅、夕食、20:00就寝。歩数計Σ5463Km。

実兄死去(1) 70年生きてやっと兄に対して優位に立てた瞬間

 唯一の兄弟である兄、正明が2015年1月8日死去した。享年80歳であった。
 兄と私は11歳違いである。この間には誰も生まれなかった。戦争末期、産めよ増やせよの時流に乗ってその気になったのか、久々に授かったのが私である。
 私の出生のルーツは戦争にあった。そう考えて私は今日本の歴史を学んでいる。

 この大きな年齢差が私と兄の関係に決定的影響を与えた。
 兄はとにかく私が物心つく頃から私の前にそびえる山のような、あたかも岩手山のような大きな存在だった。「ふるさとの 山に向かいて言うことなし・・・」、その通りで、私の人生を通じて一度も越すことができなかった、逃れることも出来なかった兄に対する心境である。

 それが、70年生きてやっと兄に対して優位に立つことができた。そう思ったのは兄の訃報を告げられた瞬間であった。私が兄に対して絶対にしたくなかったこと、あってはならないことと念じていたのは、「弟の私が兄より先に旅立つという悲しみを、病床にある兄に味あわせてはならない」、ということだったからである。

 兄に直接問うたことはないが、私たち兄弟は互いに、その存在を意識し合っていた兄弟であった、と思う。

 本日13日、火葬、葬儀、食事会があった。身の丈にふさわしい規模のいい別れの会であった。火葬直前に見た表情、息子たちが選んだという笑顔の遺影を見て、私は深く感じ入った。

 一人になった今、兄との間で交わされたエピソード、私の立場で感じていたことを中心に、私の気持ちを綴って置く。


1/12(月)成人の日 曇り 飯川病院日直 入院・外来患者対応
1:10起床。文献検討.徒然など処理。新聞記事のチェックDPF化など。8:27バスにて飯川病院。8:50-17:00飯川病院日直。本読み、PDF化したデータの整理など。17:30ー18:30入院患者対応、明日の休診準備。19:00帰宅、夕食、20:00就寝。歩行Σ5458Km。

言論の自由は果たして金科玉条なのか(2) 心の傷、トラウマは死ぬまで消えない
 人はそれぞれに生活のスタイル、価値観が違う。自分の存在そのものや行動、業務内容を他の人から批判されることは決して少なくない。

 直接言われるのはまだいい。相手の表情、言葉のニュアンスから受ける印象はかなり違う。知った時にはガックリくるが、冷静に考え直せば「天の声?」として素直に受け入れるべきポジティブな批判と、心から反発したくなるものがある。後者の場合は、「バカにするな」、「頭にきた」等と感情的になってしまい、自らが増幅して受け取ってしまうことが多い。

 程度の差はあるものの、自分の人生は自分が望んだような状態にあるわけではない。自分自身でも「これでいい」と思っていないことの方が多い。相手の態度や表現の中に、自分に対する誹謗・中傷・蔑みのような感情を読み取った時には、こちらの気持ちも穏やかではなくなる。さらに、陰口だったりすれば、こちらの感情は一層逆なでされる。

 どんな人でも、他人に触れられたくない深い沼のようなものを隠し持っている、と思う。とは言えど「他、我にあらず・・」である。だから他人の状況は分からないのであるが、多分、無数に持っているのではないかと類推する。勿論、私にも数え切れないほどある。

 自分の過去を振り返ってみると、「トラウマ」になっていることもある。そのことは何度も何度も、年月を越えて頭の中によみがえって、そのたぴに、自分を責めることになる。誰もが「過去」を消すことはできない。唯一、死をもってのみ自分との葛藤は消滅することになる。「死は救いである」と私は思っている。

 勿論、そのようなことを他人に話す必要などない。話すべきではない。ふとした時に、他人から漏らされた時などには、その深淵の深さを感じ取り、決して自分から触れてはならない。ましてやさらに他人に漏らすことなどあってはならない。

 今回のフランスの週刊誌襲撃事件は厳しく非難されねばならない。このような事件を繰り返させないために、テロの温床をなくす真剣な努力が求められなければならない。そのための方策として政治・経済・宗教などの面から論じられることは多いが、最も根源的なものとして「人間の心の深淵の問題を互いに尊重する」ことにあると思う。

 「ペンの力は偉大である」、これは正しいだろう。が、向かってくる暴力、銃口に抗する力はペンにはない。


1/11(日) 曇り・降雪なし
2:00起床、新聞チェック、文献・録音データ整理。ヘッドフォン修理。本読み、オペラ視聴中心で過ごす。14:00忘れ物とりに秋田中央交通臨海営業所に。秋田市立体育館前に着飾った女性10人ほど見流。ワンパターンの和装。14:30-15:30中通病院で13日休診の準備作業。16:00-18:00飯川病院で画像データ処理。19:00夕食、20:00就眠。歩行Σ5447Km。

言論の自由は果たして金科玉条なのか(1) フランスの風刺週刊誌襲撃事件 
 仏週刊紙シャルリー・エブドへの襲撃事件は、数分のうちにジャーナリスト12人が犠牲になった。さらに人も射殺された。悲惨な事件である。

 言論・表現・報道の自由に対するテロ行為、言論の自由を暴力行為で阻害することは、いかなる宗教的・政治的見解・背景があっても決して許されることではない。私もそう思う。しかし、このような常識が通用し難い、通用しない世界もあることを同時に認識しなければならない。

 フランスには風刺が盛んな文化があるとされ、「フランスのエスプリ」と言われている。私もウエットに富んだ作品を楽しんだことがある。
 中でも週刊誌のシャルリー・エブド紙は、皮肉をこめた風刺画を売りにしており、これまでもイスラム教の預言者ムハンマドをたびたび登場させてきた、という。実際の状況は目にしたこともないが、欧州ではこれまでにもメディアがムハンマドを中傷する風刺画を出し、イスラム教徒の怒りと顰蹙を招いていたことは確かなようである。
 宗教が絡むと問題は一般的に、複雑になる。

 歴史的に見て宗教と暴力、宗教と犯罪、宗教と戦争などの話題には事欠かない。宗教はには論理が通用しない世界だと私は思っている。

 今回の問題点の背景とかについて実情をよく知らないのでこれ以上のコメントはできない。

 個人のレベルでも互いの文化や宗教、価値観は互いに尊重しあう必要がある。
 言論の自由は尊重すべきであって抑制すべきではない。そうは言っても言論の自由は果たして金科玉条なのか??私はそうは思わない。言論の自由を守るためには相手の立場を尊重するという一定の抑制が必要である。
 言葉は自由、表現はという短絡的立場に立って「刃」のごとくの鋭い毒のある言葉がメディアやネット上で飛び交っている。暴力に等しい言葉もある。その「言葉の刃」に対しては言葉で反論すればいいのだが、時に感情に負けて相手に手を出す。この際、罰せられるのは手を出した方である。

 職場のセクハラを録音したテープを聞いたことがあるがそこでは「言葉の刃」が連射されていた。セクハラを受けた方は反論もできず、暴力行為にも出れず、死を選んだ。しかし、加害した方は罰せられていない。これは不公平である。暴力に訴えれば白黒ははっきりするが、それも不公平な結果になる。言葉の暴力は録音でもなければ評価されることはない。そのような立場に立ったら録音しておくのがいい。


1/10(土)早朝降雨 
1:10起床。新聞・文献チェックほか。古書PDF化。7:00-8:00除雪7回目。9:00微睡。10:30-13:00中通総合病院で13日火曜日外来の休診に向けての準備。予約患者に電話連絡、予約を別の日に振り分け。15;30バスにて帰宅。書斎でオペラ鑑賞。19:00夕食、20:00就眠。歩数計Σ5447Km。 

2015年 自己満足的生活の目標
 今年5月に満70歳を迎える。ちょっとした節目の年に当たる。ここ1-2年、体力・気力が徐々に減退しつつある。そろそろ完全リタイヤを考えるべき年齢である。

 2015年の自己満足的生活の目標を立ててみた。

■時間を有効に使うが、適宜惰眠をむさぼる。一方、早朝起床生活は維持する。
   体力不足で、惰眠せず継続的に気力維持は無理になった。適宜、休息を取る。
■勤務形態。   
   引退を念頭に交渉する。
■徒歩通勤。中通総合病院、飯川病院の階段昇降。
   通勤するなら続行。
■自宅周辺・路地の除雪
■英語、芸術、歴史、特に近代日本史を学ぶ。映像資料を活用する。
   意欲あり、継続。
■医療・医学を学ぶ姿勢、取り組み。
   意欲減退。最小限頑張る。
■新聞4紙の記事、雑誌等の有用記事を電子化。新書、文庫等の書籍の電子化と廃棄。
■ラジオ深夜便録音「明日への言葉」聞き直し。
■LPレコード1.000枚ほどに適宜針を通しつつ、廃棄作業を開始。
   音楽の分野も映像付きにシフトする。
■月収の2割を岩手県の復興基金に送る
■徒然日記の連日更新
■健康管理面への配慮、減量、簡単な筋トレ・ストレッチ。
■対外的活動は忌避・回避
■終活・身辺整理 有形無形の所持品廃棄。

 今年の最大の目標はまず完全引退だろうか。特に病院の外来は患者数が多く、体力的にストレスとなっている。もういいじゃないか、というのが本音である。ただ、実際にそうなれば、新たに自分に負荷をかける生活設定にしなければ自分は一層退化する。実はこれが一番怖い。
 次世代に通用しないガラクタ類を大量に所持している。その作業を急ぎたい。 


1/9(金)寒波続く 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 歯科治療
12:45起床。いつもの如くに読書他。降雪2-3cm、除雪無し。7:25Taxiにて駅に。8:10こまち。9:00-13:00外来。新幹線30分遅れで運行、15:00中通総合病院、入院患者対応。15:30飯川病院病院、16:00Taxi将軍野に。16:30-17:00歯科治療、17:45迎えの車にて帰宅、新聞チェックなど。19:00夕食、20:00就寝。歩数計Σ5438Km。

2015年の医療環境はどうなるか(4) 介護報酬マイナス2.2%と厳しい内容  
 来年度予算の最大の焦点の一つは社会保障費を如何に抑制するかがポイントとなっている。
 その中で「介護報酬」の見直しについて、安倍政権は4月からの引き下げ幅を2.2%台とする方向で最終調整に入った。

 介環報酬は介護保険サービスの公定価格で、3年ごとに見直される。下がれば介護保険の国の負担が減り、サービス利用者は1割負担しているが、これも減る。一方、事業者の収入も減り、サーピスの質が下がる恐れがある。

 マイス改定は、過去最大の下げ幅となった2006年度のマイナス2.4%以来9年ぶり。前回の12年度改定は+1.2%、09年度は+3.0%の改定だった。介護現場での人手不足解消のため、職員の給与アープなど待遇改善を図るのがプラス改定の主な狙いだった。しかし、介護現場では相変わらず従業者の収入は低く、人材雇用もままならない状態が続いている。

 厚労省は介護現場での人手不足解消のためまだまだ改善が必要と、今回も当初はプラス改定を要求した。一方、財務省はマイナス4%の大幅引き下げを求めた。理由として、特別養護老人ホームの「収支差率』は8%ほどで、中小企業の2%を上回っており、介護報酬を下げても職員の待遇改善はできるとの主張だった。この辺の評価は私にはわからないが、正しいのだろうか。特養の人員も不足とのレポートに事欠かないほどである。

 デイサービスも利用者が300人/月以下の小規模事業者の報酬も引き下げる。
 特養の相部屋利用者には部屋代として15000円程度を徴収、水光熱費も値上げする。

 国は高齢化社会の医療・福祉の基本を在宅に置いている。
 在宅を強調するのであれば在宅医療・福祉のシステムの構築が重要である。現状では到底満足できない。高齢者を「在宅」に押し付けているとしか表現できない。
 高齢者の支援として、「24時間対応の訪問介護」を増やし、夜間の電話対応の人員基準緩和などを行う。人手不足解消のため介護職員の処遇改善加算を上乗せする。しかし、「特養」などの基本報酬引き下げは他の施設の介護労働者の処遇後退につながる可能性がある。

 介護報酬全体の改定率は2015年度予算編成で決まり、それを受けて2月ごろに各サービス単価が決定される。

 このような厳しい結果になったのは、今年秋に予定されていた消費税10%引き上げによる税収を充てにしていた。だが増税が先送りされ、財源確保が困難な以上、マイナス改定は避けられないと厚労省も判断した。
 しかし、医療・介護の業務はマンパワーの配置が重要である。今ですら介護業界は薄給で人材確保が困難で人手不足があり、従業員は激務である。

 今回のマイナス改定によってスタッフたちの業務意欲の低下が生じる可能性がある。介護保険というシステムの維持が困難にならないか、と危惧する。


1/8(木)降雪曇り 夜間積雪5-6cm 除雪6回目  外来+飯川病院 実兄死去
1:00起床。本読み中心5:45除雪6回目。またもピンが折れて中断。6:47バス飯川病院、玄関先の除雪。8:45-14:30外来+入院患者対応。この間盛岡在住の実兄の訃報があった。14:40-19:00飯川病院、19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ6429Km。「歴史展望:忘れられた犠牲」の一部、「ドキュメント:美しく青きドナウはこうして生まれた」見た。

2015年の医療環境はどうなるか(3) 改革骨子案判明 患者にとって厳しい内容だ
 厚労省が検討を進める医療保険制度改革の骨子が7日に明らかになった。
 予想通りの厳しい内容となっている。この骨子案のコンセプトは持続可能な保険制度の構築にある、という。
 9日の社会保障審議会(厚労相の諮問機関)で内容を詰め、今月下旬始まる予定の通常国会に法の改正案を出す予定という。

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自営業者らが入る国民健康保険の運営を2018年度に市町村から都道府県に移行する。
    各市町村に分担金を課して国保税の徴収強化などを行う。
高齢者医療への支援金の分担方法を変更、大企業の健保組合の負担額を増やし、中小企業の協会けんぽの負担を軽減する。
健保組合などの保険料率の上限を16年度から12%から13%に引き上げる。
    健保組合は大企業中心で、加入者は約2900万人。
    国民健康保険より財政基盤は安定しているが、高齢者医療制度への支援金が財政
    全体の約4割のために8割の健保組合が赤字になっている。
  高齢者医療への支援金などの負担が重い健保組合に財政支援も実施する。
入院時の食事代の自己負担引き上げ
    現在260円を460円に引き上げる。
紹介状なしの大病院受診時に新たな2016年度に負担金を求める。  
    特定機能病院、500床以上の病院対象。定額負担5000~1万円程度を徴収、
    目的は大病院医師が重症患者の治療に専念しやすくする。
    いまは初診料2820円がかかるが、患者負担は1~3割。
    初診料とは別に徴収し大病院への受診抑制を図る。
75歳以上の後期高齢者の保険料軽策特例を17年度から原則廃止する。
    低所得者を対象とした負担軽減特例を原則的に廃止 
    865万人の低所得者が2-10倍もの負担増になると考えられる。
    負担が大幅に増える人には「緩和措置をきめ細かく講ずる」としている。
健康増進や予防の取り組みに対しては保険料軽減などの奨励策を導入する。
患者の申し出による「混合診療」を16年度から実施。
―――――――――――――――――――――――――
 
 これでは患者の自己負担はかなり増えることになるが、増え続ける国民医療費にどれだけ影響するかは未知数である。


1/7(水)寒波風雪襲来  外来 
0:45起床。本読み中心。風雪なるも積雪ほぼなし。ところどころに吹き溜まり。除雪は不要と判断した。7:00プリウスで病院着。 8:45-14:00外来と入院患者対応。外来は疲弊した。14:30飯川病院ボランティア。医局用iMac21.5インチの条件設定、ソフトなど入力。18:30帰宅、19:00夕食、20:30就寝。DVD視聴「生命体を作る」、「歴史展望:忘れられた犠牲」の一部。

紅白歌合戦と決別か 60年近く楽しませてもらったが・・・

 かつて私はあまりTVを見なかったが、12月31日のN饗のベートーヴェンの合唱付きの放送と紅白歌合戦に関しては特別の感慨を持って見て来た。

 子供のことから我が家では大晦日の夜はラジヲで紅白歌合戦を聞きながら家族で花札遊びをした。小学高学年のことからはTVで見た。当時はTVは珍しく、近所の方々も10数人ほど誘い合って見に来た。

 紅白に関してはいろんな思い出がある。睡魔に負けてごろ寝したこともしょっ中であった。それで夜半には起こされて、除夜の鐘を聞きながら蕎麦もすすった。味などろくにわからなかったが、重要な儀式だと思っていた。
 そんなこともあって10数年ほど前まではできる限り紅白は見るようにしていた。当直等で見れない場合にはラジオで聞いた。

 かつては21:00頃からであったが、歌合戦といってもどちらかと言うと超ベテランの歌手たちが中心でそれに大きなヒット曲を出した若手が混じるということで、演出も少なく、その年の流行歌の集大成のようで、歌を十分に楽しめていた。

 1990年頃からだろうか19時半頃から開始と放送時間の延長もあって「紅白」は長丁場になった。グループサウンズの時代、アイドルの時代、最近は多人数の集団が中心を占めるよになってしっとりと歌を聴くよりはビジュアル中心のどんちゃん騒ぎの番組になってしまい。楽しみ、期待感は半減した。そんなこともあって徐々に紅白に対する関心は薄れていた。

 今年は飯川病院で当直であった。ラジルラジルで紅白を流しながら本読んだりしていたが、ラジオでは舞台の雰囲気が全くわからない。時々アナウンサーが舞台上の様子を解説したが、それでもわからない。しかも、うるさい。1時間ほどで聞くのをやめた。家では録画されているはずだから後日それをも見ることとした。

 1月5日、録画を見た。今回も舞台装置はすごかったし、人海戦術には驚いた。演出も豪華絢爛、派手派手で呆れた。見ていて苦しい。「紅白」を年末行事のお祭り騒ぎ,ドンチャン騒ぎの番組と割り切れば納得も出来るが、年々私の感覚からだんだん遠い存在になっていく。ラジオで聞く番組ではなくなった。

 それでも、私にとって幼少からのなじみであり、無関心ではいられなかった。しかし、私はひっそりと過ごしたい。紅白終わってからの「除夜の鐘」、「行く年くる年」の静けさが貴重に思えた。

 今年の紅白を観て、もういいや、と思った。
 これが時代の流れだと思う。私はすっかり遅れてしまった。


1/6 (火)曇り→雨→風雪 外来 飯川病院
 0:30起床、何時ものパターンの開始日。医学文献、新聞などチェック。5:30家庭ゴミ集積所に。今朝は積雪なし、6:47バス飯川病院、8:45-13:50外来+入院患者輸血ほか対応。14:00-18:45飯川病院。医局用にiMac21.5インチ届く。DSバージョンアップ等開始。19:00帰宅、夕食、20:00就寝。歩数計Σ5409Km。DVD視聴「トルコ、イスタンブール紀行」、「冷戦は回避できるか」。

年末年始休暇2014-2015(3) スカラ座「リゴレット」、サン・カルロ劇場「オテロ」
「リゴレット」
 2015年9月のスカラ座来日公演の「リゴレット」、NHKBSで放映、録画があった。
 指揮:G・ドゥダメル、「リゴレット」: レオ・ヌッチ、「ジルダ」エレーナ・モシュク。
 この公演の聴きどころはレオ・ヌッチの存在感、歌唱と演技力であった。この役を演じた回数は数え切れない、一説には数100回と言われる。この回数は信じがたいが、彼の姿にはその経験・歴史が現れている。初老の「リゴレット」は宮廷では道化として哀れな男であるが、家に帰れば一人の娘を溺愛する父親である。

 Verdiの作品を私の好みから比較すれば「椿姫」が優位であるが、構成上は「リゴレット」に分があるように思われる。悲劇的終幕にクライマックスのシーンが用意されているが、ジルダが公爵の身代わりになって死ぬことを決意するシーンの三重唱は、バックのオーケストラの奏でる嵐の音響をバックに圧巻である。ジルダが刺されるシーンまでの盛り上がり、死ぬ間際に一瞬の安息を描いた後、冒頭の不吉な予感が繰り返されて曲が終わる。

 Verdiの作品の多くは悲劇的結末を迎える。にもかかわらず心地よく入り込める。私が最もVerdiの作品を好むのは、観るものの心の中にある不安感、期待感、開放感を掻き立てる劇的な旋律、和音によっていると思う。その魅力を、歌手陣、オーケストラ、演出が引き立てる。至福の時間が味わえる。
 私は未だに「リゴレット」の実演に接する機会を得ていない。そんな機会は来るだろうか。

「オテロ」
 現役で使われているオペラ劇場の中では最も歴史があるとされれる、ナポリのサン・カルロ劇場で行われた、Verdiの作品、歌劇「オテロ」も素晴らしかった。
 誇り高きベネチアの将軍オテロが、部下の策略にはまり身を滅ぼしていく。シェークスピアの戯曲をもとにVerdiが作曲した傑作である。デズデモナ役のR・ハロウトゥニアンの歌唱、N・ルイゾッティ指揮のオーケストラの演奏も劇的であった。

 私は40年ほど前、ミラノスカラ座来日公演の際にNHKホールでこの曲を観た。さらに、もう30年にもなるがオペラ観劇ツアーに参加した際に、ウイーン国立歌劇場でJ・シノポリ指揮で観た。細かいことは忘れたが、両者の雰囲気はまだ記憶の隅にある。このサン・カルロ劇場の公演は見事な画像・音質で記録されており、その時の記憶を呼び戻してくれた。

演奏会雑感
 私は演奏会に行った際などにできる限り記録として残すが、私の筆力では音楽自体、演奏そのものを到底表現できない。せいぜい、どんな印象を受けたのか、どんな雰囲気であったのか、程度を思い出し記録しておくに過ぎない。ネガティブな印象はほとんど残さない。その会ごとに没頭・集中し十分楽しめるからである。それでもあとで見て、自分の足跡としては有用である。

 私が定期購読している雑誌の一つが「音楽の友」で、音楽に関する情報を得るのに有用である。かなりのページを演奏会の批評が占めている。30名ほどの評論家?の方々が微に入り細に入り演奏会の内容について記載している。統一性はなく判断の基準もバラバラである。曲、演奏、聴いて受けた心の動きなど、よくまあ言葉に言い表せられるものだ、と感心する。だから、私は原則的に演奏会の内容を記した記事は読まない。


1/5(月)積雪0cm、寒波緩む 健康クリニック休診 飯川病院
 10:55起床、ヤフウオークションに参加、パソコン落札。新聞、文献、雑誌など読み。5:00微睡とる。風呂のボイラー不調、修理申し込み。午前の健康クリニック休診、12:20バスにて中通総合病院へ、入院患者回診、輸血指示、処方など対応、13:45-18:30飯川病院、19:00帰宅。夕食、20:30就寝。DVD視聴「朝までTV:新春討論(後半)」、「紅白歌合戦」、この2本は乗り切れずに頓挫中断。「映画;はやぶさ」観る。歩数計Σ5409Km。

年末年始休暇2014-2015(2) グラインドボーン音楽祭の「椿姫」にハマった
 「椿姫」
 NHKBSで2014年のグラインドボーン音楽祭の「椿姫」の放映があり録画されていた。 
 私はオペラのうちでもVerdiの作品、その中ではこの「椿姫」が最も好きで、レコード、CD、レーザーディスクなど10種類ほどのソフトを所持し、適宜楽しんできた。レーザーディスクはゼッフィレッリの演出、T・シュトラータスの盤を楽しんでいたが、それも見れなくなってから数年経つ。

 この「椿姫」は、終始名旋律揃いで、映像がなくても十分に楽しめていた。
 しかし、今回のグラインドボーン音楽祭の映像を見てオペラには映像を欠いては片手落ちであることを再確認した。そう思わせるだけの見事な出来であった。

 「椿姫」の主人公であるビオレッタは高級娼婦??である。大きな屋敷にすみ、毎夜のように上流社会のパーティを渡り歩いている。フランスのこの時代の社会情勢は知る由も無いが、日本の娼婦とは社会的立場が全く違うようだ。
 
 この奔放でかつ悲しいヒロインを演ずるには、歌が上手いと言うだけでは不足で、気品と美貌が備わっていなければダメ。しかも、主人公は最後は結核で、死ぬから肥満体でもダメ。私は数種しか見ていないが、イメージがぴったりと合う歌い手の映像はそう多くはない。

 この2014年のグラインドボーン音楽祭の「椿姫」の主役を歌ったのは、ボリショイ劇場のヴェネラ・ギマディエワという、聞いたこともない若い歌手であるが、歌唱力は勿論、演技力、気品と美貌、妖艶さ、そして、死に臨んでの悲嘆の表情など、すべてをバランス良く備えた舞台姿に、私は圧倒された。今まで抱いていたこのオペラのイメージが変わった。みごとな椿姫であった。

 他の登場人物も初耳の方々ばかり。わずかにテノールのマイケル・ファビアーノについては音楽雑誌て読んだことがある程度。指揮のマーク・エルダーも初耳であったがイギリスのオペラ界では有名らしい。叙情的場面、劇的な場面、見事な演奏だと思った。
 
 加えて見事なのは映像記録の技術である。ヴェルディのスコアを熟知し、演出を熟知し、ヒロインたちの動き、どのアングルでの表情が最も効果的なのか、等など・・・。
 この休み中に2回も見た。今後も繰り返して観ることになるだろう。
 
 グラインドボーンはロンドンの南80Kmの郊外の町。ここの地域にいた資産家が自分の土地にオペラハウスをたて、3代にわたり運営し、拡張し続け、今では世界的にも有数なに至っているという。今回は80周年だったという。


1/4(日)曇り・寒波 飯川病院日直 
 0:20起床。新聞、本読み、徒然など。7:18バスにて病院。中通総合病院入院患者対応。8:45飯川病院日直に。14:00-15:00外来レセプトチェック終了。17:00迎えあり車帰宅、18:30夕食、19:30就寝。歩数計Σ5405Km。DVD視聴「映画:桜田門の変」、「スキージャンプ:恐怖に打ち勝ち飛ぶ」、「朝までTV:新春討論(前半)」

年末年始休暇2014-2015(1) 結構多忙であったがオペラの録画を楽しめた
 中通総合病院の嘱託医の立場で考えると、今季の年末年始は土日を含めると9日間もあった。
 私はこの間、飯川病院の午後勤務と日当直が6回当たった。28日が日直、29日と30日午後勤務、31日が当直、2日と本日が日直である。実際にはそれほどの実働が伴っているわけでなく医師の立場での留守番役に近い。それほどストレスではないが、出勤時のバス待ち、長時間の拘束感はやはり苦痛である。

 今季の年末年始休暇のうち除雪を要したのは12月27日のみで、以降はまとまった降雪はなく、とても助かった。
 
 自宅で過ごす時間は少なかったが、その時間の大部分を書籍の廃棄作業と録りためた歴史関係の「ドキュメンタリー」、N響定期公演を中心とする「クラッシク音楽」の映像、「ラジオ深夜便」の録音データの整理、分類に充てた。私のライブラリーはこの一年間に大きく充足していて、私はホクホクのいい気分でいる。もう全てを見直す、あるいは聞き直す時間もないのに、いい気なものである。

 録画映像に興味を持ったのはここ数年のことである。
 かつてはS-VHSに衛星放送を中心に音楽番組を録画していたが、再生した時点でかなり画像、音質の劣化があって楽しめなかった。やむなくLaser Diskで楽しんでいたが、再生装置が壊れてそれも果たせなくなった。

 ここ3年ほど前から放送も録画もデジタル化して画質・音質ともに大きく改善し、ほぼ満足できるようになった。大容量のハードディスクに録画できるために、あまり選択せずに広く撮り溜め、その中から選んでDVDやBlu-reyディスクに落として視聴している。これらの操作を繰り返しても画像・音質の劣化はほとんど気づかない。私の書斎のミニ・ミニシアターでは十分楽しめる。

 今回は音楽のソースの映像を整理した。N響定期公演の演奏を見ることができるのは嬉しい。その他にも音楽番組、特にオペラの分野で優れた演奏の録画を10数曲見つけ出した。自動録画されているので整理し始めるまで何が録音されているのか今回まで気づいていなかった。
 
 私はオペラ好きである。LP、CDでも十分堪能していたが、オペラの場合、画像が見えないことは致命的な欠陥あった。古くからNHKではオペラの来日公演を放送していたが、古い時代の録画は画質も音質も劣悪で楽しめなかった。
 今回整理した録画の中にオペラも10曲くらいあった。いずれもいい条件で収録されていた。

 その中でこの休暇中はヴェルディの「椿姫」、「リゴレット」、「オテロ」にハマった。


1/3(土)年始休暇 曇り降雪1-2cmほど 
 1:15起床、読書三昧、文献整理その他。文献、新聞チェック。今朝は除雪不要。8:30-9:30車にて病院往復、患者回診、検査オーダーだし。書斎の書籍廃棄準備。電話、生保関連の書類処理。ドキュメンタリーBRディスクのインデックス作り、「リゴレット」、「椿姫」を再度楽しむ。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ5399Km。

2015年の医療環境はどうなるか(2) 消費税増税見送りの影響がもろに出てくる
 医療は決して理想に沿った運用はできない。聖域でありたいと願いながらも、医療は政治・経済・社会情勢の影響を濃厚に受ける。しかも、国民皆保険の中で厳しく限定された条件の中でしか医療行為はできない。自由診療という道はあるが患者の立場から維持は非現実的である。

 特に経済面では、限られた医療財源を考えると、今後は規制が一層強まっていく状況にある。どう理屈をつけてもこの流れは止めることはできない。
 しかし、医療は人の生命に直接関わる業務であり、医療の質を守るためには専門家集団としてこの流れを指をくわえて見ているわけにはいかない。国の経済再建のためとする政治家の目論みにのまま、医療を市場原理に、自由競争に委ねるべきではない。

 ひとたび医療を自由競争に委ねれば、その安全性と平等性が揺らぎ、わが国の国民皆保険は崩壊の一途をたどる。国民にとっての国づくりの原点は「医食住」の確保による生活の安定であり、国民皆保険はその根幹にある。

 従って、国民の健康を守るための動きについては、その医療提供の専門家集団として、ユーザーである患者の理解を得ながらあリ方を粘り強く国に主張していかなければならない。

 厳しい社会経済情勢の中で、国も医療提供者も患者も考え方の変更を余儀なくされていく。

 国は今後の医療供給体制を「入院病床の機能分化と地域医療連携」、「在宅医療・介護の充実」、「地域の特性に応じた地域包括ケアの推進」の方向に舵を切っている。本年4月には改正医療法に基づき、県単位の地域医療構想が策定されることになっている。
 
 患者の受診行動の流れとして「かかりつけ医」の活用を中心に地域に即した形での医療文化構築を進めていくことが必要である。さらに、生活習慣の改善対策や各種健診などの生涯保健事業を推進し、健康寿命を延伸させること、終末期に至った際の死生観を自分でしっかり持つことが必要となる。これらは国民皆保険を堅持し、持続可能なものにしていく条件の一つとなる。

 12月の衆議院総選挙では自公与党が大勝し、安倍政権が継続することになった。
 消費税の再増税が見送られ2015年度は4500億円、2016年度は1兆4000億円も財源が不足との試算がある。さらに、2015年度予算では、社会保障施策のうち、人口減対策として子育て施策が優先されるために、介護報酬のマイナス改定、診療報酬本体のマイナス改定か行われる可能性が高い。更に、市販品類似薬の保険外しや大病院の外来受診時には定額負担が導入される可能性もある。

 医療・介護改革が今後大幅に圧縮されることは確実である。
 そうは言っても、私ども医療職にあるものは専門家集団として事の流れを指をくわえて見ているわけにはいかない。日本医師会を通じて私どもの意思を国政に取り入れてもらわねばならない。国は、われわれ医療関係者側に「痛みに耐える」ことを求めてくる可能性も高い。


1/2(金)年始休暇 降雪3cm・寒波 飯川病院日直
 1:30 起床、いつものごとく読書、徒然ほか。データの整理など。降雪3cmで除雪不要。8:28バスにて飯川病院に。9:00-17:00飯川病院日直、午後外来レセプト2/3点検処理。DVD視聴「池上彰:今年あったことは歴史に残るのか」。迎えの車にて18:30帰宅、19:00夕食、20:00就寝。歩数計Σ5397Km。

2015年の医療環境はどうなるか(1) 理想を掲げるだけでなく現実的対応にシフトを
 ほとんどリタイヤした身とはいえ、医療関係者の一員である以上、今年が私ども、患者双方にとって、より明るい年なって欲しい、と願うのは当然のことである。
 そうはいってもなかなか厳しい現実が待ち受けている。

 今年の医療界はどうなるのだろうか。

 国民皆保険を基礎とする公的医療保険制度は昭和36年に施行されてから半世紀余を迎えた。発足当初から経済的困窮から何度も何度も壁に突き当たり、決して順風満帆だったとは言えなかったが、徐々に国民同士の相互扶助による保険制度として支持され、発展した。この制度によって労働者の健康は守られ、日本の高度経済成長を下支えし、保険制度自体も高度成長の果実に後押しされながら豊かに発展してきた。

 結果的に、わが国は世界一の長寿国となり、健康寿命においても世界一となっている。これは、日本の公的医療制度が極めて優れている証である。また、WHOは国際的医療制度の比較では日本の医療制度を高く評価している。
 
 今日の国民皆保険は、理想を掲げれば問題は多々ある。しかし、時代背景などを勘案してみれば、医師・患者の双方がほぼ納得できる体制にあるものと言える。

 一方、我が国の債務は1000兆円を超え、社会保障費は高齢化に伴い、構造的に更に増加する。国家財政上の大きな課題となり、政治的にも経済的にも大いに注目を浴びるだろう。アベノミクスは現時点でほぼ順調に推移しているとはいえ、将来的には経済成長は伸び悩むことになろう。従って、今後は医療・介護等の費用を緊縮しようとする立場から、規制改革や自由競争化の導入によって、公的医療保険給付の範囲を狭める圧力が一層強まるものと思われる。

 2025年には団塊の世代が75歳以上となる。これに向けて早急に手を打たなければ、医療供給体制は破綻する。具体的には、国は医療供給体制を「入院病床の機能分化と地域医療連携」、「在宅医療・介護の充実」、「地域の特性に応じた地域包括ケアの推進」の方向に舵を切っている。本年4月には改正医療法に基づき、県単位の地域医療構想が策定されることになっている。

 われわれ医療関係者は、貴重な「いのち」を扱う聖域として理想を掲げて来たし、国民からも支持されてきた、と思う。
 しかし、もうがそれだけではダメである。医療関係者のほぼ全ては国民皆保険を堅持すべきだ、と考えている。私もそう思う。ならば、その方向で現実論に向けてシフトしていかなければならないと思う。
 医師集団の代表的組織として自負している日本医師会も、その方向に沿って検討を始めるべきである。


2015/1/1(木)年始休暇 
 1:30飯川病院で起床、新聞チェックほか,ほぼいつもと同じ。6:50検食、正月らしい和風のメニュー。入院患者に特変なく平穏。読書、データ整理、音楽などで優雅な当直であった。8:30バスにて帰宅。新年の行事の一つが蓄積データの年間の締めと新規のフォルダへの更新作業。かつてはハードディスクの容量が気になったものだが1TBにしてから余裕。午後は録画にて「リゴレット」、「椿姫」楽しむ。19:00夕食、「ウイーンフィルNYコンサート」観つつ20:00就眠。歩数計Σ5392Km。

2015年元旦 明けましておめでとうございます
 2015年元旦、明けましておめでとうございます。

 我が家は全員揃って無事新年を迎えることが出来た。これは大きな喜びである。

 秋田地方は12月末日から正月にかけて、比較的天候は悪くない。昨年同様殆ど降雪はない。12月中の除雪は5回だけで済んだ。今年は雪が少なくあってほしい。厚い雲に覆われ殆ど姿が見えない初陽に向かって祈願した。

 私の新年の朝は、飯川病院の医局で迎えた。1:30amから起き出していつもの如くのワンパターン生活が始まった。2015年の初日と言っても本質的に特別変わったことはないのだが、昨年一年積み上げたパソコン上のデータは閉鎖し、本日から新規にスタートした。このリフレッシュ感は大きい。

 私は、まだまだやりたいこと、知りたいことは沢山ある。今年も従来と同じ目標で行きたい。本欄も継続したい。私は現在、午前は中通総合病院外来、午後は3日間飯川病院勤務、2日間は私的にボランティアをして過ごしている。ホントの所、自由時間が欲しいのであるが、飯川病院の院長の体調が今ひとつと言う事なのでやむを得ない。

 なお、甚だ失礼なことであるが、一昨年の暮れから勝手に年賀状を失礼させていただいている。
 今年一年がいい年になるよう,心から願っている。願うだけでは心許ないから、私ができることがあれば参加したいと思う。

 まずは新年のスタートが切れた事を喜びたい。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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