徒然日記
2014年11月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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11/30 (日)快晴 中通総合病院完成祝賀会
 1:30起床.新聞チェック、医学論文読み,整理、PDF化。午前Vn練習若干。古い背広など廃棄若干。11:30バス,、12:30-14:30中通病院完成祝賀会、Taxi帰宅。午睡。 蓄積データ整理、DVD「NHKのど自慢、本日分」、Vn若干、19:00夕食、20:30就寝。Σ5218Km。

祝:中通総合病院完成 大事業を成し遂げた全職員の方々に心から敬意を表したい
 一昨年3月から工事を進めていた中通総合病院新病院が完成、昨29日にグランドオープンした。本日正午から完成祝賀会が盛大に行われた。

 まず、立案から尽力され、見事に大事業を成し遂げた全職員の方々に心から敬意を表したい。
 <a href="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/31/a8/1d0ebba75f92432b272d2c480654764e.jpg"><img src="http://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/31/a8/1d0ebba75f92432b272d2c480654764e_s.jpg" border="0"></a>

 祝賀会では県内外で活躍されている医療関係者のご出席を賜り、県福知事、副市長、秋大学長、県医師会長からご祝辞をいただいた。いずれも、心にしみるお話であった。

 会には秋田県内外で活躍されている医療関係者、元職員の姿も見られ、旧知を暖めることができた。

 中通総合病院新病院は新時代に向け新たなスタートを切った。60年にわたって培ってきた「いつでも、どこでも、だれにでも」良き医療を提供するという創業以来の理念は医療の原点である。
 これを維持しながら、より一層の発展を祈っている。


11/29(土)終日小雨 飯川病院日直
1:15起床。いつもの如く資料整理中心。午前はVn若干、書籍、新聞等廃棄準備。10:30車で出勤、11:00-12:00中通病院患者・家族面談。12:10-17:00飯川病院日直勤務につく。院内は平穏。18:00帰宅、Vn若干、夕食、20:30就寝。Σ5213Km。DVD視聴「NHK sp:世界を覆う異常気象」、「巨大災害:地球大変動の衝撃」。

レストラン等で食べきれなかった料理(3) 私が食品廃棄にこだわるのは母の影響が大きい
 私は昭和20年の生まれである。戦後の食糧難の時代について私は知る由も無いが、岩手の片田舎であったこと、開業医で、当時は診療費代わりと食品の提供を受けたらしいから、それほど厳しい状況ではなかったと推定される。

 しかし、母は食品に対して異常なほど保守的な考えを持っていて決して無駄にしなかった。それを目の当たりにしながら育った私には母の考えの一部がしっかりと身についた。母から受け継いだものは性格や身体的素因などいろいろあるが、食品を無駄にしない工夫、質素な生活ぶりは今の私にも役立っている。

 新潟大学では6年間学生寮で過ごしたが、金銭的の余裕がない中、最小限+α程度の食事が確保されて、安心して学生生活を送ることができた。食事内容は確かに貧しかったが不満はなかった。

 所帯を持ち、秋田に転居した。賄いは家内の叔母さんにお願いした。私の食生活は一変した。母は時折孫を見に秋田に来たが、その時に発した「秋田では毎日、盆・正月のような食事なのか・・」の驚きの言葉は忘れられない。

 岩手と秋田では食文化は大差あると私も思っている。私の目から見て秋田は過剰にリッチである。より質素な食事に矯正しようと試み「一汁一菜に近い食事を」と主張したこともあったが、秋田に居ながらでは無理であった。品数は多く、ボリュームも相当ある。

 私の家でも無駄になる食品が結構あると思う。私は心穏やかでない。
 自然と棚や冷蔵庫にある食品に目がいく。家族からは嫌がられている。

 我が家では食品は出来るだけ無駄にならないように、時に私が引き受ける。中身が大丈夫なら賞味期限なんて無視。だから、どうしても摂取過剰になる。かなり肥った。最近は自分のためにも多少目を瞑っている。
 私は外食はほとんどしないが、飯川病院では日常的に検食をしている。食べきれない分は持ち帰る。

 食品の廃棄の際は、ネコ、ハト、コイ用に加工する。それにも不適な食品はコンポストを介して土に返す。だから、我が家から廃棄される食材が可燃ゴミとして外に出ることは一切ない。このことで私の心は若干救われている。


11/28(金)快晴・夕方から降雨 中通総合病院完成オープン 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:30起床、体調ほぼ改善。新聞文献チェックPDF化、徒然他。7:45タクシー駅に、8:10こまち、9:15-13:00大曲中通病院外来、駅病院間徒歩、14:40飯川病院。18:30車帰宅Vn練習、19:00夕食、20:30就寝。Σ5204Km。DVD視聴「地球温暖化:異常気象」、「未来サイエンス:生命を作る」。

税の勉強を始めた(3) 法人税って何だ 減税の方向にあるガ・・・どうして?
 わが国の税収の中で法人税が重要な位置にあることは分かったが、法人自体がよく理解できない。私は長く医療法人の職員であったが、法人制度の詳細は最後までよくわからなかった。

 簡単に言えば、法人は組織体であり、それに「人に例えれば人権とか責任とか」に相当する「人格」を与えたものをさすのだそうだ。この辺は理解し難いが、会社とかの組織体に「CEOや社長がいて、人と同じく社会的な責任を果たしている」、と考えれば理解しやすい。法人税は、法人が得た所得に課せられる税のことである。

 法人は課税されるか否かで大きく二つに分けられる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
??課税される法人
@普通法人   
株式会社・有限会社・医療法人・相互会社・企業組合・日本銀行など
全所得に原則課税される。
A協同組合等
農業協同組合・信用金庫・労働者協同組合など。
原則、法人税が課税されるが、税率が軽減されている。

??課税されない法人
@公共法人
地方公共団体・金融公庫・事業団など
「非課税」。
A公益法人等
社団法人・財団法人・宗教法人・学校法人・社会福祉法人など
「法人税は非課税」、収益事業から生じた所得には法人税が課税される。
B人格のない社団等
PTA・同窓会・実行委員会など
人格のない社団は法律上の法人ではないが、税法上は法人とみなされ、収益事業から生じた所得には法人税が課税される。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 法人税は、国税であり、税法に従って算出される。法人事業税と法人住民税も地方税で課税される。この三者の合計が法人税となる。
 一般的に見て、法人は儲けの約35%を税金として納めている、と理解していいようである。私が漫然と考えていた税率よりはるかに高かった。

 我が国の税収は所得税、消費税、法人税の位置付けが高い。しかも、最盛期に90兆円もあった税収は年々減少し50兆円ほどになっている。一方、国の支出は増え続け100兆円規模になりそうであるている。

 こんな中、政府は新成長戦略で法人税の実効税率を2015年度から引き下げることとした。20%台まで引き下げるらしい。減税は海外からの投資を呼び込む、日本企業の国際競争力を強める、と経済界からの強い要望があって踏み切った。法人実効税率を1%引き下げると4700億円程度の域収になる。この穴を埋めるために、現在、資本金1億円以上に限られているナントカという課税対象を1億円以下の中小企業にまで拡大して賄う、という。

 中小企業は日本の企業の99%以上を占め、雇用の70%を担っている。これらの企業は消費税の負担にあえいでいるというが、さらに法人税負担を課すことになれば一層大変になるだろう。
 
 私には法人税減税、消費税再増税の延期で日本の運営がどうなるのか、分からない。アベノミクスがシナリオ通りに結果を出せなかった時の、次の手は考えられているのだろうか。


11/27(木)快晴  外来 飯川病院  
 1:00 起床、体調徐々に改善。文献処理、徒然。7:45徒歩飯川病院着。8:45-13:50外来+入院患者対応。14:00-18:45飯川病院、19:10車で帰宅、夕食後、20:30就寝。Σ5193Km。DVD視聴「1プロファイラー:ガガーリン」、「瀬戸大橋 後半」、「知恵泉:伊佐庭如矢」。

税の勉強を始めた(2) 国の収入のうちわけは? 税収の推移
 私は税金についての知識は殆どなかった。それでも大きな問題は感じていなかった。
 私が思い立って税の勉強始めたのは、今問題になっている消費税や法人税のあり方、相続税について考えるためである。

 私が日常的に触れる税は、定期的に徴収される所得税、住民税、固定資産税、それに物品を購入した際にかかる消費税がある。
 国の税収にとってこれらはどんな位置にあるのか、財務省のホームページから資料が得られた。(図1 平成26年度)。<img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/6a/496e5cacaa818e172910ae9781238298.jpg" border="0">

 これによると、所得関係はざっとみて、収入の約1/2を占める。個人:法人=3:2と個人所得関連収入が多い。政府は企業活性化のために法人税を減らそうとしている。

 資産関連課税は15%を占め、固定資産税が大部分を占めるが、相続税は平成22年、25年に大幅に改定された。これにより27年からの税収は大幅に増えることになる。相続税の改定など私にとっては関連ない遠い世界の話と関心も持っていなかったが、蓋を開けてみればそう無関心でいられない内容となっている。

 残り約30%は消費課税に分類されている。消費税は今回10%への増税は見送られたが、最も安定した収入源となっている。

 問題は国の税収の推移である(図2)。
<img src="http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/63/fb/15512e04d74881a9f1a242d1ca348f9d.jpg" border="0">

 緑の棒グラフに示される一般会計の収入は1990年頃をピークに年々減少し続けている。その原因は個人所得税(青の折れ線)、法人税(赤の折れ線)の減少である。これは国の経済的活力に関連している。これに対して消費税(黄色の折れ線)はほぼコンスタントな収入源となっていることがわかる。このグラフは消費税5%の時の推移までしか表現されていないから、8%での位置付けは表現されていないが一層重要になっているはずである。国の運営上、消費税10%への増税の延期は数値以上の大きな意味があるだろう。

 国の収入が減少している状況で支出が右肩上がりに増え続けている現状は厳しい。


11/26(水)寒波 曇りのち雨 外来 飯川病院ボランティア
1:00 起床、まだ時折咳嗽発作あり。新聞・文献読みとPDF化、他諸々。7:50徒歩病院着。8:45ー14:00外来+入院患者回診。14:10-18:30飯川病院ボランティア、DVD視聴「11月23日NHKのど自慢」、「アナザースカイ:優香」、「南部牛追歌」、「ガッテン:血液」。19:10バス帰宅、寒かった。夕食、20:45就寝。歩行Σ5182Km。

税の勉強を始めた(1) 私が関連する税金
 私はつい先日まで税金についての知識は殆どなかった。今までずっと給与生活だったから税の大部分は自動的に徴収されてきたし、講演とか他の医療機関の臨時的診療応援の収入などは北税務署で申告をしてきた。

 知識がなかったために多少の間違いもあった。税務署からの呼び出しの書簡を開けないまま無視し、再度督促を受け、申告漏れのために多額の延滞金を徴収されたこともある。
 数年前に申告書を自分で計算し納税した。約半年後に呼び出しがあり過払いがあったとして8割方戻ってきた。この時までは税とは一方的に取られることばかりであって税務署に悪しき印象を抱いていたが、「税務署は納税者の立場にも立って判断することもあるのだ」、と見直した。

 私が思い立って税の勉強始めたのは、今問題になっている消費税や法人税のあり方について考えるためと、私が死んだ後に家内や子供たちに相続関連で迷惑をかける可能性が生じて来たためである。死に行く私には関係ないが、残ったものが迷惑しうる。そのために今のうちから準備して置かねばならない。これは親としての義務である。税は難しい。読めども読めども分からない。用語が難しすぎる。

 まず、私が日常的に支払う税金はどんなものがあるのか、まとめてみた。
 日常的なものは、毎月給与から惹かれる所得税、買い物の時に支払う消費税がある。
 税は国に支払う国税、県や市に支払う地方税がある。

 私が支払う可能性はゼロであるが、誰かから多額の金銭物品を貰った時にかかる贈与税、私が死んだ時に家内や子供たちが払うことになるかもしれない相続税などがある。

 私は喫煙せず、ゴルフもしないからたばこ税、ゴルフ場利用税などは関係無い。それらを除いても私が関連する税金は以下のごとくである。いろんな税を支払っているものと思う。

          国税            地方税
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ??所得課税   所得税            住民税
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ??資産課税   (相続税・贈与税)       固定資産税
         登録免許税
         印紙税
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 ??消費課税 消費税            自動車取得税
         酒税             自動車取得税
         揮発油税(ガソリン税)    地方揮発油税(ガソリン税)
    石油ガス税           入湯税         
         自動車重量税
         電源開発促進税
――――――――――――――――――――――――――――――――――

 これらのうち、日常的に目に触れる税は、定期的に徴収される所得税、住民税、固定資産税、物品を購入した際にかかる消費税がある。
 他の税は、例えば車を買った時などにかかる不定期の税である。酒税とかガソリン税、電源開発促進税は値段の中に組み込まれていて税そのものを意識することは少ない。


11/25(火)晴れ 外来 飯川病院
 夜半に家内帰宅。0:30咳嗽頻回にて寝苦しく起床。新聞・文献読みとPDF化、本読み、他諸々。7:40バスにて飯川車病院。8:45ー13:45外来+入院患者対応。14:00-18:30飯川病院。咳嗽、発熱で体調不良ながらなんとか対応できた。17:10バスにて帰宅、夕食、20:30就寝。歩行Σ5171Km。DVD視聴「新幹線レール交換の現場」、「映画:悪人」、「そこまで言って委員会」。

レストラン等で食べきれなかった料理(2) ドギーバッグ
 私がレストラン等で食べきれなかった料理などの持ち帰りについてこだわるのは食品を無駄にしたくない、という視点からである。食物連鎖の頂点にある人として、理屈抜きに、とても大切なことと考えるからである。

 ちょっと広げて言えば、例えば医療関係職種にいるものなら患者の健康維持に、病気の治療になどを通じながら患者がよき人生を過ごして欲しいと思うのは当然である。少なくとも私はそう考える。靴屋ならいつまでも喜んで履いてくれる靴を、料理人なら食材を大事にし、喜んで楽しく食べてもらえる料理を作り提供したい、多分そう思っているのではないか、そういう考えがプロなのでないか、と思うからである。

 何故、レストラン等で食べきれなかった食品は持ち帰って有効に利用して欲しいと、思っていただけないのだろうか。多くの日本料理店はその姿勢で昔からパック、折り詰め容器などを用意している。持ち帰った料理で後日問題になったことがあるのかどうか、私は知らない。日本人は衛生観念も高い。もし何かがあったとしてもそれは持ち帰った側の責任であって店の責任ではない。店側の免責をはっきりさせてもいい。

 最近はテイクアウト専用の店もあるし、出前もある。スーパーなどでは料理済みの食材も多数用意してある。この業界は客を信用しているから成り立っている。持ち帰りを拒否するレストラン等では客を信用していないのでは?あるいは、そんな業界とは違うのだ、と云うブランド意識か?そうそう、昨年は高級レストランの高級食材の偽装表示事件が次々と明らかになったが、やはり、客を小バカにしているからなのか?

 和食ですでに行われているのだから、レストランやファミレスでも持ち帰りを断る必要はない、と思う。持ち帰り用の箱とアルミホイルを用意しておけばいい、と思う。ケーキを買った際にくれる箱程度でいい。有料でもいい。主に米国では「犬に持ち帰る」という趣旨で残した料理を入れる容器がドギーバッグとして普及している。本当に犬に食べさせるのか?それは客が店に「申し出しやすく」するためにこの名前にしたのであって、家族で食べているのかもしれない。勿論、客持参の容器でもいい。

 食べ残った料理を持ち帰ることで食品に対する意識も変えることができる、と思う。

 私はきれいに残ったご飯を、ネコ、ハト、コイの餌にしたいと申し出て断られた。その背景について調べたが、当然ながら法的な規制はなく、食材に対する意識、客に対する信用の問題なのだ、と納得せざるを得なかった。


11/24(月) 振り替え休日 快晴 体調不良
1:00起床。体調不良、だるい、咳嗽頻回で苦しくファイトが出ない。文献・新聞等処理、徒然といつもの如くこなす。午前は時折微睡取りつつ、17インチMacBook ProのOSを最新のに更新した。蓄積データの整理。午後はBlu-rayディスクの確認と分類、インデックス作成。DVDにて「MEGADIASTER巨大災害(1)-(4)」、Blu-rayディスクにて「グラインドボーン音楽祭2014の『椿姫』の公演」を全曲鑑賞した。素晴らしいプリマで見とれてしまった。19:00夕食、20:30就寝。Σ5162Km。

レストラン等で食べきれなかった料理(1) 持ち帰れない時もあるが・・・
 10月中旬に、国際ダリア園を訪れた際に近隣のレストランで昼食をとった。同行の3人の高齢女性のご飯の大部分が残ってしまった。実に勿体ない。私はハトやネコの餌を作るために持ち帰りたいと申し出たが、ウエーターから拒否された。衛生上問題があること、持ち帰った客からクレームがあってトラブルなることがあるから、と説明があった。多分、レストランの方針だろうから、これ以上言っても若いウエーターも困るだろうと私は諦めた。

 店によって持ち帰りは時々拒否されることがあり一定していない。私の印象では和食の料亭・割烹等では折り詰め容器など用意されている。洋風のレストランは大抵ダメである。持ち帰りを申し出て不快な気分になることもある。

 レストランの料理の食べ残しをどうすべきなのか、持ち帰りを店舗側で断るのは何故なのか?考えてみた。

(1)食材の有効利用は人としての基本である。無駄にはすべきでない。
 食品をいただくことは動植物の命をいただくことである。だから、無駄にせず有効活用するのは人としての基本である。生産から流通、調理などに関わる方々にとっても有効に利用して欲しいという気持ちは同じでないだろうか。だからと言って、2〜3年前に問題になった客に提供した食材の再利用のことではない。
 レストラン側で廃棄食材は決められたルートに乗せていると思うのだが、その実態はよく分からない。多分、産業廃棄物として扱われている、と思う。
 客として注文した食品が食べきれずに残った場合、客が利用するのは決して悪くないだろうと思うのだが。

(2)日本の食料自給率。言われているほど低くないようだが、だからと言って食品は無駄にすべきでない。
 「食料を無駄にしてはならない」、というのは自給率の低さとリンクさせて強調されるが、関係はない。人が生きる姿勢の基本に関わる問題である。
 参考までに、食料自給率は種々の評価法があるようだ。カロリーベース、重量ベース、生産額ベースの自給率などであるが、農水省の発表による食料自給率はカロリーベースで出されるが、これは日本独自の考え方で国際的には指標にならない。わが国の畜産関連の食品は国産と見なされていない。だから、実際の食料自給率は高いらしい。例えば、生産額ベースの自給率は66%である(参照:日本は世界5位の農業大国 大嘘だらけの食料自給率 講談社α文庫)。

(3)農水省の食品ロス実態調査 食品の無駄をなくするために意識改革を要する
 農水省の食べ残し実態調査は2001年から行われているが、最初のデータでは重量ベースで、一般家庭でも8%弱の食材が廃棄されていることがわかった。外食産業における食事のロス率は平均5.1%。うち大衆食堂など一般飲食店は3.0%、旅館などが7.2%、立食パーティなどの宴会が15.2%、結婚披露宴23.9%と食べ残しの多さが目立った。このうち500~800万トンは食べられ状態で廃棄されている。この調査は外食産業などでは5年おきに、一般家庭は毎年行われているが、最近は共に徐々に低下しつつある。喜ばしいことであるがまだまだである。

 残り物をどうすべきかなど法的規制はない。だから、おおげさに考えることはないが、レストラン側も「持ち帰る食品には一切責任を負わない」
という姿勢で、もっとゆるく考えて良いのではないだろうか。


11/23 (日)勤労感謝の日 快晴 飯川病院日直
 1:30起床.風邪か、微熱、咽頭痛で体調不良。新聞チェック、医学論文読み,整理、PDF化。8:50バス病院着、飯川病院日直、久しぶりの快晴で外仕事出来ず惜しい。 DVD「日本流サービス:サービスの海外戦略」、「土砂災害:広島」、「映画:トットチャンネル」、「映画:天然コケコッコー」観る。18:00バス利用帰宅。Vn若干、19:00夕食、20:30就寝。Σ5158Km。

野良の子ネコ3匹に防寒シェルター用意(2) 元気で自活して生きて欲しい
 我が家は何か知らないが野良ネコが集まってくる。
 いま、子ネコが3匹家の周りをたむろしている。私は野良ネコは嫌いで特別目をかけてやる義理はないが、母親と決別した子ネコが腹をすかし、寒空に震えている姿を見るのは辛い。
 ガラス戸一枚を介して、私とか我が家の黒ネコはぬくぬく暮らしている。これらの子ネコたちの環境とは雲泥の差である。
 我が家から自主的に去ってほしいのだが、居る間はこの差は縮めてやらねばならぬ。生きとし生けるもの、目をつぶってはいられない。

 防寒シェルターは週末ごとに手を加えている。
 ??底面からの冷えはかなりだろうと思う。仮敷きのカーペットの下に、発砲スチロールの板、新聞紙を敷き、ダンボール、さらに触感と保温のために私の古いセーターをバラして敷いた。
 ??他の4面は内張はダンボールを2重に貼り付けた。これ以上やると狭くなる。
 ??出入りする正面は70%ほどをガラス張りにして、風の流入を防ぐとともに中の猫の様子を観察できるようにし、出入り口には暖簾を下げた。
 ??外装は正面口を除き5面全体をプチプチシートで覆った。

 今のところはここまでであるが、中の様子を確認しつつ寒そうであればさらに外装面をダンボールとブルーシートなどで覆うなどの工夫をしていきたいと思う。子ネコ3匹が単独では越冬は無理であろうが、仲たがいせずに寄り添っていけばこのシェルターはかなり有用でだと思われる。中で身体を寄せ合って寝ている姿は、のびのびとしているし、表情も柔らかで満足気である。

 3匹のうち一匹はメスである。冬の間に去勢する。私の家の周囲で子供が生まれたら困るし、ご近所にも迷惑となる。獣医師には連絡済みである。

 何でここまでやるのかというと、私はネコに感謝しているからである。第1代目のネコは別格であるが、私の手で命を落としたネコにも感謝している。これらが居なかったら、もしかして別の人生を歩んでいたかもしれない。二代目、三代目の、ナンナン、ミーシャは死にざまから色々教わるものがあった。四代目?まだコメントしたくない。
 無事このシェルターで冬を越し、春には各々独立して生きてってほしい。それまでの繋ぎである。


11/22(土)晴れ 野良の子ネコの防寒シェルター改良 タイヤ交換
1:00 起床。新聞・文献PDF化。各種の録音資料再検討。7:00来年のカレンダー購入のため横浜に発つ家内を送り駅に。7:38臨時こまち、満席で出発という。行楽か? 9:00野良の子ネコ用防寒シェルター改良。午後プリウスタイヤ交換、庭掃除、マウンテンバイクはガレージ2階に収納、などなど冬支度。夕方、Blu-ray蓄積の「NHK定期演奏会数回分、他の演奏会記録」を見る。19:00夕食。20:00就寝。歩数計Σ5146Km。

野良の子ネコ3匹に防寒シェルター用意(1) 80cmのガラス製水槽流用
 我が家は何か知らないが猫が集まってくる。
 我が家には、床に寝転んでいると黒のセーターと見間違うような黒ネコが一匹いるが、私のと関係は決してよくない。私は彼女の召使である。「餌」、「ドア開けろ、入れろ」、「ドア開けろ、出せ」、「寝る」の4アクションだけ。いい声だが煩く、要求はしつこい。2005年6月横浜で死にそうであったのを引き取った。私は良き友になれると期待したのであるが、私とはつい友達関係にはなれなかった。母親は人間との付き合い方についての情操教育を授ける前に他界したらしい。それにしても私は女運が悪い。勤務先でも家でも召使に近い扱いを受けている。
 
 今年春から栄養状態の悪い雌のトラネコが庭に出没していて、家人は見兼ねて時折餌などやっていた。私はどうせ野良、とそれほどを関心持っていなかったが、9月頃一時いなくなって良かったと思っていたが、3匹の子ねこを伴って戻って来た。母親はさらに栄養状態が悪い様子であった。やはり家人は餌をやり続けていて、子猫は順調に成長した。子供達は昼は我が家の夜は庭の植え込みでの中で寝ているらしい。

 不思議な現象があった。3匹の子ネコが母親との生活を拒否したらしい。
 母ネコが近ずくと威嚇し、母はその剣幕に恐れをなしたのか最近は全くみる機会はない。母ネコと青年期にある子ネコの世代間の確執か、あるいは餌場の確保かのためか?多分、後者ではないと思う。餌は十分に与えているから餌をめぐっての競合ではあるまい。何かあったらしい。

 11/3(月)文化の日は強風・降雨・雷鳴で気温は急速に低下した。家人は旅行中、私は飯川病院の日直であったが、帰宅してみると子ネコたちが裏口のところで互いに身体を密着させ寒さに震えていた。親ネコが居るならまだしも、冬の寒冷は初体験であり子ネコだけでこれからの季節、風雨雪、寒冷を防ぐのは困難であろう。

 私は20年以上前まで熱帯魚と金魚を飼っていた。その時の80cmの水槽を廃棄せずにとってあったので、これを横置きにして底面にカーペット敷いてとりあえずの風雨を防ぐシェルターを用意した。子ネコたちは警戒することもなく早速入っていた。よほど寒かったのであろう。
 この後、私も野良の子ネコたちの状況が気になり、観察がてら早朝にぬるいミルクを与えている。

 いま、週末ごとにシェルターに保温・風除改良を加えている。


11/21(金)超快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床.新聞、文献PDF化、読書。徒然他何時もの如く。7:45Taxi駅に、8:10こまち、9:00-13:00大曲中通病院外来。往復徒歩。軽く体調不良ファイトでず。19:30佐野薬局経由帰宅。夕食。20:30就寝。歩数計Σ5139Km。 DVD「日本流サービス:コンビニ」観る。

青年期の心理(3) 事件関係者の人物像に問題児はいない
 北海道、秋田での高校生による家族への死傷事件は、青年期の心の葛藤を抑制出来ずにに生じたと考えられるが、両者共突発的、衝動的に発生した事件ではないようにに思われる。私は青年期にある子供達からの暴力に悩んだ結果、身体的不調を訴える患者に接することが少なくないが、このような例では家人は長期的に悩んでいる場合が多い。

 人間は他人から見れば落ち着いた静的は状態にあるように見えるが、本人の立場から見れば多くの要因の葛藤がせめぎ合った状態の中、一見静粛性を保っている様に思う。
 「円満な人柄」、と言われることはその防衛戦略が非常にうまく作動しているからである。「他、我にあらず」、私には他人の心の葛藤などわからないが、私の場合は正しくそうであった。主に人間関係から生じる葛藤の多い環境から距離を置くことができた今は、私の心はかなり静的になったが、「医師と患者」等関係でもまだかなりの葛藤は生じている。

 一方、青年期にあるものは「体験として保持されてしかるべき内容」を背景に比較的容易に「抑制の効かない行動」に走る傾向がある。精神分析の立場からはこれを「アクティングアウト」というらしいが、発達途上にある青少年は常にこの傾向を内在させている。今までおとなしかった姿からは想像のつかない様な行動にに向かう。私は、飼っていたハト4羽を殺した野良ネコを惨殺したことがある。この行為がこれに当たる。いまは深く後悔している。

 今回もそうであるが、新聞紙上から知る範囲で、青少年が起こした事件、いじめ問題も含め、一般的に加害者・被害者についての人物評価は悪くない。学校関係者も近所の方々もほぼ一様に「とても良い子なのに信じられない・・・」である。まるで、いい子だけが事件を起こしているのでは??と思わせる記述が並ぶ。

 これは一概に信用できない。だから、新聞記事は事実関係の記述部分しか役立たない。
??青少年に特有の心理から教師にも近所に対しても、「猫をがぶった状態で接しており、他人に真の姿を見せない」。だから、誰も気づいていない。これは一部は正しいだろう。

??取材の際に、学校関係者は自分たちがネガティブな情報を知っていてもそれを述べることはあり得ない。後に責任問題に発展するからである。取材対応のマニュアルがあるのではと思うほどワンパターンである。

??近隣の方は、たとえ多少の情報を得ていたとしても、また、多少被害を被っていたとしても、良き地域であり、良き隣人であること言わねばならない。後にトラブルに巻き込まれる恐れもある。TVの際は顔が出るからなおさらである。

??新聞も同様、誰も傷つけない様に無難にまとめる。ネガティブな情報はキャッチしても掲載しない。裏をとる必要があるからである。


11/20(木) 曇り時々晴れ 外来 飯川病院
 1:00起床、新聞、文献PDF化など。7:45徒歩飯川病院着。8:40-13:45外来+人間ドック判定。14:00-18:30飯川病院、19:00車帰宅、夕食、20:10就寝。歩数計Σ5128Km。DVD映画「強力ヘビパワー」、「名著100分:菜根譚(上)」、「強力ヘビパワー」、「日露戦争講和:決裂も辞さず」、「プロファイラー:W.Aモーツアルト」。

青年期の心理(2) それぞれ葛藤をを抱えているが、外面を繕ろい平然と振舞う
 両事件は青年期に比較的特徴的な要素を共通して持っている、と思う。

 青年期には心の葛藤を処理しきれずに往々にして暴力に向かう。一般的には小暴力の範囲である。心の葛藤に耐えていくレベルは近年一層低くなってきているような気がする。さらに暴力はエスカレートしている様に見える。人間関係の乏しさ、コミュニケーションの乏しさから一人で奮闘しているからなのであろう。

 この青年期の暴力の特徴としては、反社会的意義は乏しく、あくまでも家庭内のいざこざに起因している。暴力行為は原則として家庭内に起こり、家庭内にとどまる。この暴力は父親に向かうことは少なく、母親に向かうことが多い。

 もう一つの特徴は、加害者である子供は第三者の前では見事なほど「おりこうさん」を演じ、完璧に外向きの顔となる。この切り替えは瞬時に、かつ徹底して行われる。だから、家庭内暴力は一般的に外に知られることはない。「神経症性不安」、「視線恐怖」、「対人恐怖」などの不安定な心理状況を背景に、他人が関与した中では見事に取り繕われる。

 ??北海道の例では女生徒は母と祖母を刺した。捜査員に素直に容疑を認めている。生徒は生徒会長に就任する予定だったとのこと。教頭は「非を指摘できない。事件とは結びつかない」旨の発言している。
 ??秋田市の例は男子生徒が母親を包丁で刺した。自ら119番に通報、署員へは落ち着いて対応したという。校長は「事件は信じがたい」と語った。友人や近所の方々の男子生徒に対する評価も高い。スーバーの店長の母親への評価も高い。

 一般的にそれぞれの家庭内では種々のトラブルを抱えている。金銭問題、愛憎問題、家族感の人間関係など多彩である。さらに、少年少女期から青年期に至った子供達ををかかえる家庭では教育問題、不登校、しつけの問題等が加わる。家族が互いに緊張し、恐々として過ごしている家庭も珍しくない。しかしながら、その問題の多くは事件にまで発展するわけではなく、外に知られることは少ない。

 人というのは、たとえ家族であっても、それぞれが葛藤をを抱えばがら、外面を繕ろい平然と振舞いながら付き合っているのだ、と思う。
 


11/19 (水)小雨曇り 外来 飯川病院ボランティア
1:00起床、文献チェック。徒然他。録音データ整理など。7:40小雨でバス飯川病院着、8:45-13:00中通外来。13:00-18:30飯川病院ボランティア。DVD映画「ETV特集:イスラエルとパレスチナ」、「逸品:南部鉄器」、「日赤パリナース達の戦場」。19:00車帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ5118Km。

青年期の心理(1) 秋田市、北海道で生じた二つの事件から
 この2ヶ月の間に高校生が家族を殺害したり重傷を負わせる事件が二つ起きた。1件は秋田市で起きた。

 ??10月1日、北海道南幌町の高校の女子生徒(17)が母(47)と祖母(71)を刺殺した。生徒は「しつけが厳しかった」、と容疑を認めているという。生徒は祖母と母、姉妹と4人家族。生徒は今月中旬には生徒会長に就任する予定だったという。
 通学する高校の教頭は、「明るく、信頼される生徒だった」、「保護者から、家庭の事情について相談を受けたこともなかった」、「友人関係のトラブルも聞いていない。ふさぎ込むような様子があったとも聞いておらず、事件とは結びつかない」と話した(10月2日魁新聞、一部改変)。

 ??秋田市でこの17日、高校の男子生徒(17)が母親(55)を包丁で刺して重傷を負わせ、殺人未遂で逮捕された。母親を刺した約25分後、自ら119番に通報している。署員へは落ち着いて対応したという。生徒は「日常生活について母親に干渉されるのか嫌だった」と容疑を認めているという。生徒は父母と3人暮らし。
 校長は「普段の生徒の様子から考えると、事件は信じがたい」と語った。成績は学年でトップクラス。学級活動にも積極的に参加。担任にいじめや家庭内の悩みに関する相談を寄せたことはなかった、という。同級生は「勉強ができておとなしいイメージ。活発な方ではなかったように思う。事件を起こすなんて考えられない」と、近くに住む女性は「穏やかな家族という印象。こんな事件が起きるとは」と語った。
 母親が勤めるスーバーの店長は「丁寧な仕事ぶりで、後輩の面倒見も良い。家族のことで悩みを聞いたことはない」と安否を気遣っている(11月18日魁新聞、一部改変)。

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 この二つの事件は多感な青年期の年代で生じた事件で類似性がある。

 誰でもそうだろうが、私もいろいろ心の葛藤を経て成長した。そのために大学進学してよりしばらくの間は自分自身を知るために「心理学」関連、「精神発達」関連の書籍を読み漁った。しばらく離れていたが、子育ての時期には子供達の成長を見ながら、今は孫たちの成長を見ながら学んだものを反芻している。

 幼児期、青少年期の精神発達の立場からの分類で17歳というのは「青年期」に分類される。「少年少女期」は12~13歳を示す。社会的な分類と精神発達を扱う分類とは年齢区分がずれており、「青年期前半」は17歳前後まで、「青年期後半」は18~24歳を示す。精神発達の分野でこの分類の方が有用である。

 この青年期は「身体と精神のアンバランス」を自覚し、それに立ち向かい、闘位、乗り越える時期でもある。これらの葛藤を背景にして程度には差があるが「神経症性不安」、「視線恐怖症」、「対人恐怖症」などの不安定な心理状況にある。また、これらを背景としてしばしば「神経性食欲不振症」になったり、家庭内の小暴力行為にまで及ぶ。

 この時期を乗り越えるために最も必要なものは、家庭環境、友人環境、自然との交わりだ、と私は思う。
 今回の事件は、私には上記の新聞記事の情報しかないが、両事件は青年期に比較的特徴的な要素を共通して持っている、と思う。


11/18(火)小雨・曇り 外来 飯川病院
2:00起床。文献・新聞等処理、徒然。自炊本読み。歌謡曲データ化。5:00可燃ごみ処理。7:50徒歩病院。8:45-12:55中通外来。数の割には難渋。疲弊。13:00-18:50飯川病院。新聞、医学論文チェック、19:30帰宅、夕食、 20:15就寝。 歩数計Σ5109Km。DVD視聴『表現者たちのディスタンス』、『瀬戸大橋』、『初のベストセラー作家:近松門左衛門』。

地方創生は出来るのか(8) 人口問題(2) 第二次世界大戦終戦以降
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??戦後の従来の価値観の否定と民主化。家中心の考え方の崩壊、徐々に個々人の時代に変わった。窮乏の時代を経たが、朝鮮特需で急速に経済復興。
??第一次ベビーブームによって生まれた多数の若年労働人口は10歳程度でも簡単な労働力となり家庭を支えた。中学卒業後は田舎から都会の工業地帯に大量就職した。日本経済を支え、仕送り等で田舎を潤した。この頃は子供が多い家庭ほど親にとって見返りがあった。子供一人あたりの養育期間は15年間程度。この時代、「親の中に子供がいて、子供の中に親がいた」。良き時代だったかも。
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??日本は高度成長期を迎え、国民全体が経済的に余裕が生じ、家庭内の人間関係に変化、より孤立性となる。子供は高校進学が当たり前となり、家庭内での労働力として当にならなくなったばかりでなく、手伝いもしなくなった。子供一人あたりの養育期間は18−19年程度。
??子供達は家庭を持っても親と別居。古き良き家庭が持っていた養育・介護、世代間の生活協力等の機能が崩壊。子供から親に対する経済的援助は期待できなくなった。親にとって子育ては無償の労となった。この時代、「親の中に子供がいたが、子供の中の親の影は薄くなった」。時代の変遷かも。

??子育ては夫婦単独で、主に母親が担うことになった。社会資源が乏しい中、妊娠・出産・子育、教育を含め、女性・母親の負担が増大。成長とともに教育費の負担が増大した。大学進学率は高まり、塾や予備校も含め教育費は子育て費用の中心となる。子供は一人又は二人程度。子供一人あたりの養育期間は22−24年程度。教育費の一部にするために母親がパート勤務などに。この時代、「親の中に子供がいたが、子供の中の父の影はどこかに行ってしまった」。
 とにかく、女性の負担が大きかった時代。子供はせいぜい二人が限度。だから、出生率は1.3程度で改善しない。

??アベノミクスで一見持ちこたえているが、長期的には低成長時代を迎える。子育てにも当然影響を与えることになろう。

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 立川談志に次のような言葉がある。「現実は正解なんだ。時代が悪いの、世の中がおかしくなったと言ったって仕方がない。現実は事実だ。現状を理解、分析して見ろ。そこにはきっと何故そうなったのかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら、処理すればいいんだ(立川談春:「赤めだか」より)。」 
 この中で「現実は正解だ」は説得力がある。
 地方創生策が生きるかは人口減問題にどう対処するかにかかっている。人口減は純然たる事実である。人口減は文化・文明がもたらした自然の姿での結果である。どうすればいいのか。答えはこの中にある。


11/17(月)終日曇りと小雨 健康クリニックドック 飯川病院
 0:45起床。文献・新聞等処理、徒然。7:50徒歩病院。9:00-11:25健康クリニックドック。12:15飯川病院。新聞、医学論文チェック。19:00帰宅、夕食。 20:15就寝。DVD視聴『ベートーヴェン・ファイル』、『スターリンの亡霊』。ロシアでは自国民を含め大量虐殺を行ったスターリンの恐怖政治に対する評価の作業が進んでいないばかりか、スターリン崇拝の機運が根強く残っているという。驚きである。

地方創生は出来るのか(7) 人口問題(1) 第二次世界大戦終戦まで
 出生率をいかに目標値をあげたとしても「産む産まないを決めるのは個々人に任されるべきであって政府が口を出すべき問題ではない」、という考え方は、第二次世界大戦前までならいざ知らず、近年では国際的にも定着した考え方である。だから、こんな数値をあげても影響を受ける人はいない。参考になろうが、効果はない。

 そんなことよりも何で出生率低下が生じたのか、を考えなければ解決しない。
 私は、人口問題は自然の流れであり、流れに逆らうことはできない、と思う。例え、国が潰れるような、ドラスティックな環境整備をして、妊婦、出産前後の女性を保護し、子育てを支援し、教育費を補助したとしても、解決しない問題だと思う。ましてや今の日本はそんなことはできない。だから、7000万人時代に見合う社会を構築するよう発想の転換を考えたほうがいい。
 
 何で人は子供を産むのか?何で産まなくなったのか?そこから考えなければならない。
 思いつくまま人口問題の推移を挙げてみる。
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??人類の発生。生物としての繁殖能・種の保存能のもと、高新生児死亡率による多産多死を乗り越え、人類が存続してきた。
??社会化と共に、種族・部族の維持繁栄のため多産傾向強まる。
??農耕文化の発展とともに種族・部族としてマンパワーの必要度高まる。
??蓄財が始まり、貧富差が生じた。直系の血筋を重視する家族、家の概念。
??貧富差の拡大、上層階級は血筋重視、下層階級は労働力としてマンパワー必要となる。
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??安政の不平等条約の屈辱から、明治以降は富国強兵策を掲げ、国家の意図的な出産・育児・教育政策が画策され、人口が急激に増加。
??明治時代には管理体制として「家」制度が再編成・強化され、女性には「家」を守るために男児の出産を半ば強要。
??明治以降の農業生産力の増大、工業化による経済発展と国民の所得水準の向上と生活の安定、公衆衛生水準の向上等で、人口は増加の一途。
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??軍国主義的人的資源の増強によって、女性に男児の出産が奨められた。
??国は、人口問題を抱え、経済的に一層窮乏していくと考えられ、外に食料、エネルギーを求める大東亜共栄圏構想へ →日中戦争・第二次世界大戦に進展。
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??戦後の従来の価値観の否定と民主化。第一次ベビーブーム、窮乏の時代を経て朝鮮特需で急速に経済復興。
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11/16(日)曇り・晴れ 飯川病院日直 
1:30起床、新聞、文献チェック。医学雑誌のPDF化、録音データ整理など。8:00斎場前からバス飯川病院に、8:30-17:00日直業務。15:00息子一家盛岡に。17:30迎えあり車で帰宅,Vn若干。19:00夕食、20:45就寝。 歩数計Σ5091Km。DVD視聴『人を動かす知恵:長谷川平蔵』、『細菌学者:野口英世』、『ヒストリア:官兵と三成』、『知恵袋:大岡越前守』。

地方創生は出来るのか(6) 「出生率1.8」をどう考えるか
 地方創生政策は時代の流れと自然の摂理に逆行する施策であり、私は人口減を含む根本的な課題に注目してみた場合、地方の活力創生の実現性は乏しいと思っている。しかし、「リニアの国家プロジェクト化」、「企業の地方移転」、「大学の地方移転」、「首都機能の一部移転」などの小項目毎にみれば、結果を出せるものもあるだろう。

 安倍政権が人口減対策の考え方をまとめた文書に、出生率1.8を「目指すべき水準」と記した、という。これに対し「出産の押しつけだ」等とメディアは騒ぎ、政権の方でも「数値目標ではない」と躍起になって説明しているようだ。「出産の押しつけだ」などと騒ぐ方がおかしい。出生率1.8など掲げてもそのために子供を産もうという女性がいるのだろうか。まさか!! と思う。

 何で出生率1.8に設定しているのかがよく分からない。おそらく日本の人口はこのままでは50年後に7000万人程度になることが考えられるため、人ロー億人を維持するために「当面は出生率を1.8程度を目標にしておく」と唱えたのであろう。日本の人口の将来像は第二次ベビーブームが落ち着いてしばらく経った頃から専門家の中では予測され始め、出生率の低下傾向の推移から将来日本が迎えるであろう状況は30年以上も前から予想されていた。ここまで放置しといて、今更慌ててもね。

 まず、なんで7000万人程度ではダメなのか。そうなると日本はどうなるのか?私はかねてから人口問題に関心があったから凡そのことは理解しているつもりであるが、政権の文書の中に出生率1.8と具体的に出すなら、なんで7000万人ではダメで、1億人ならいいのかの考え方を具体的に提示すべきである。

 次に、何で出生率が減少しているのか?その分析結果も提示してほしい。
 私でも20ケ程度の要因は挙げられる。その内の代表的原因は、現代の若い男女にとっては子供がいなくともそれほど困らない、ということ。子供を持つことの意義と子育てに楽しみを感じている夫婦にとってすらも、大多数は子供は1~2人で十分であり、もう一人欲しくても子育ての人的負担と経費、特に教育費の負担が大きくなりすぎて無理、と言う。それに、日本は出生率が低くて国が維持困難になろうとしているのに、妊婦や子連れに対して世間の目は一般的に冷たい。妊娠・子育て期間中の母親はひたすら忍従を強いられる。子供ができるまでは共同作業であろうが、子育てに夫の協力も得られ難い。社会もそれをサポートしてくれない。これでは女性は大変である。

 この、子供がいなくともそれほど困らないという考え方、子育ての負担を負いきれないと考えに対してどのように対処していくのか、また、「結婚、出産に関する国民の希望が実現すると、出生率は1.8程度に改善すると試算した」というが、これこそが至難事項である。どう対応するのか、地方創生本部の考え方に注目したい。


11/15(土)終日暴風雨  
1:00起床、新聞チェック、徒然他いつもの如し。PDFデータ整理。午前は野良猫3匹のための防寒ハウス作成。満足そうに利用している。イヌ3匹は残ったものの息子一家は親戚の結婚式に出かけた。午後は音楽関連のDVDを視聴しつつインデックス作り。楽器を取り出し若干練習。4年のブランクはきつい。新聞チェック、 アジアの歴史関連読む。19:夕食、20:30就寝。歩数計Σ5083Km。DVDを視聴『N響定期2回分』、『スイスロマンド演奏会』、『サイトウキネン演奏会;小澤 幻想、ファルスタッフ』。

Macで作る文章(2)過剰な機能を持った漢字変換機能に不安を覚えた
 ワープロ、初期のマックの日本語の入力は共に今から見ればかなりチャチであったが、機器、OSのバージョンアップとともに徐々に改善した。とはいえマック付属の漢字Talk7はかなり不満で、市販の日本語入力ソフトを購入して用いた。EGBRIDGE、EGワード、ATOKと乗り換えてきた。
 ATOKシリーズはバージョンアップをしながら素晴らしい機能となった。ATOK8からATOK13まで用いてきたが、ATOK13入手直後、私は開封もせずにATOKシリーズと決別した。

 ATOKシリーズの進化は自分にとってその度ごとにほぼ満足すべきものであったが、近年の版はその満足を乗り越えて機能過剰になってしまった。そのことに恐怖感をいだいたからである。

 添付の説明書によると「ATOK 2013 for Macは、変換辞書の語彙・用例を拡充しました。使用頻度の高い言葉や日常で使われる表現を強化するとともに、改まった文章も身近な言葉も切り替えずにスムーズに変換できるようにしました。文章の流れに応じて、「内蔵」と「内臓」、「脅威」と「驚異」などの同音異義語を正しく変換し、長文や話し言葉も適正に変換、入力がスムーズになります。間違って覚えている読み方や慣用句も、ATOKが指摘し適切な候補を提示してくれます。恥ずかしいミスが減り、自然と適切な表現が身につきます。うろ覚えの英単語も、日本語やカタカナ語を入力すれば英単語に変換できます・・・。(後略)」とあった。

 かつては私の座右には国語辞典を始めとして百科事典も積み上げていたが、数年前からそれらを開くことが殆ど無くなっていた。語彙が乏しい、常識に乏しいと自認している私にとって辞典、事典は離すことができなかったし、それらを引くことも楽しみの一つでもあった。前後のページからもいろんな知識がもたらされたからである。ATOK 2013はもう私以上の能力・判断力を持ってしまった。

 変換前の文章は自身で考え入力するにしても、変換キーを押した瞬間に期待した漢字に変換されるほか、他の変換候補の文字だけでなく内臓の辞典・事典から自動的に語彙までも提示される。

 いまの私の知識を超えた漢字変換が行われるし、文章の間違いすらも指摘される。これを他の方々は一層便利になった、と考えるのだろう。

 ATOK 2013は私の能力を超えてしまった。だから、これを用いている限りもう私の文章でない。私が筆記用具で文章を書けば漢字の少ないもっと貧相な文章になるだろう。だから、マックでの文章は「書いた文章」とはかけ離れた、パソコンの力を借りて「作った文章」である。

 私は毎日書いている小文を気に入ってはいるが、「自分の文章でありながら、自分の文章でない様な、妙な不安」も感じている。これは不思議な感覚である。
 さりとて、マックから離れて作業は出来ない。矛盾を抱えながら今後も進むことにしよう。


11/14(金)風と雨 冷えた 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
1:20起床、録音、PDFデータ整理。新聞処理。5:30可燃ゴミ集積所に。7:40Taxi駅に、8:10こまち、9:00-13:10大曲中通病院外来。雨で徒歩不可。14:30-18:40飯川病院ボランティア。19:00帰宅、夕食。20:00就寝。 歩数計Σ5079K。DVD「池上:リーマンショックを語る」、「映画:毎日かあさん」。息子一家+犬3匹来秋。

Macで作る文章(1)文章作成機能を享受したが、疑問もわいてきた
 歳を重ねてくるにつれ、私の場合にはいろいろな分野に興味を持ち始める。日本語に対する興味も深まってきた。
 日本語は難しい、と思う。読みやすいが、書きにくい。
 読み易さは、漢字・ひらがな・カタカナ・英単語などが適宜混在しているから、文章を読む際に全て読まなくとも漢字を拾い読みするだけで大体の意味が通じる。漢字は単字であろうと、熟語になってもそれ自体に意味が内在している。実に素晴らしい言語だと思う。
 しかし、日本語は書き難い。その原因は漢字にある。私はラジオを聴きながら速記的にメモを取るような場合はローマ字を用いる。これだとほぼ一筆書きで書ける。しかし、解読する際、意味を取れなくなることもしばしである。

 私はもともと自分の考えを文章にするのが好きであったが、文章力は決してよくなかった。万年筆を好んだが、字は下手であった。葉書一枚書くのに5枚無駄にすることも稀ではなかった。論文を推敲していて完成間近になって加筆したくなり、最初から書き直すこともしばしであった。これは辛い作業であった。

 1980年末に日本語ワープロを購入した。ひらがなを打つと漢字に変換してくれる、途中に文字を追加できる、まとまった段落をそっくり他の場所に移せる、きれいな字で印刷できる、フロッピーに保存できる・・・、今から機能的にチャチなものであったが、私の文章書きの環境は一変した。この時から自作の文章は電子的に保存を開始した。膨大な文章が蓄積されている。

 1993年、ワープロが故障し、マックのカラークラシックが発売になったのを機会にワープロからパソコンに乗り換え今に至っている。マックはアメリカの製品であり、当初は日本語の入力はチャチでワープロ以下であったが、機器のバージョンアップとともに、かつ日本語入力ソフトの登場・発展によって機能は改善し続け、今に至っている。まとまった私的な文章はすべてキーボードを介して入力、自筆は文章はメモ書き程度になってしまった。

 キーボードを介して文章を作って25年以上になる。その機能を思いっきり享受してきた。しかし、最近になって私はキーボードとパソコンの力を借りて「文章を作っている」のであって、「文章を書いている」のではないのでは??という疑問と違和感を持つようになってきた。すなわち、「自分の文章でありながら、自分の文章でない様な、妙な不安感」である。
 その原因は漢字変換機能に拠っているような気がする。


11/13(木)暴風雨、大荒れ、寒波 外来 飯川病院
0:30起床、文献・新聞チェックなど。7:40雨でバスにて飯川病院着、暴風あり歩行中ずぶ濡れ。8:45-13:00外来。13:15飯川病院、18:45までそのまま勤務。DVD「天才画家の肖像:ゴッホとゴーギャン」、「知恵泉:蔦屋重三郎」。19:14車で帰宅、夕食、20:20就寝。歩数計Σ5074Km。

NHK-TV体操 せめて一人は後ろ向きにしては??
 昨年から毎週月曜日は9:00から健康クリニックでドックの診察を行っている。
 毎回15人ほどの方が受けられる。お一人お一人を診察室に迎入れるために待合室に声をかけるのだが、その度に数秒程度待合室のTVについ目がいってしまう。

 この時間帯はニュースから始まる。小渕通産大臣の辞任についてはこのTVを通じて知った。
 ニュースが終われば次はNHK-TV体操の時間である。最近は足腰が不自由な方たちのために椅子に座ってもできる体操も組まれていている。時代柄、とてもいいことだと思う。 

 高齢の方々にとっては生活習慣病などの対策以上に四肢機能、体幹機能の維持、バランス機能などの維持が重要である。ある統計では、わずか15分ほどの軽い運動でも連日行っている高齢者は転倒による骨折率は低く、生命曲線にもいい影響を与える可能性が高いことが示されている。さらに、国民にあまねく知られているラジオ体操は、実行している高齢者は少ないが、有酸素運動としても、体の機能を維持するにも有用と見直されている。

 NHK-TV体操であるが、3〜4人のインストラクター?と思われる、美形の女性が登場し、模範的動きを見せてくれる。その動きはバレーダンスのごとくに見事にシンクロし、優美な動きであり、清楚な印象を受ける。NHKが作る画面は綺麗である。一度じっくり見てみたいと思っているが、まだその機会はない。

 ところで、NHKのこのTV体操は視覚的価値が高すぎて、視聴者を運動に誘うことにはあまり寄与していないのでは、と思う。なんでこんなに若くて、プロポーションのいい美形の女性だけ登場させるのか? せっかくいい企画なのに見るものとの乖離が大きすぎる。現実離れした夢の世界を見せている様なものではないのか?
 さりとて視聴者に近い方々を登場させたら100%スイッチが切られるだろう。自分に近い人の姿をこんな場面設定の中で見るのは耐え難いはずである。これがTVと現実の違いである。もともと画面が見せているのは現実離れした虚像である。

 提案であるが、視聴者が真似したり、動きを追えるように、せめてインストラクターの一人か二人を後ろ向きにしてみてはどうだろう。後ろ姿を真似するのは左右を意識しないで済むから比較的簡単である。これで、全国的に数十人くらいはTVの前で体を動かす様にならないだろうか。

 小中学校の時、集団でラジオ体操をやったが、なんで段の上で模範を見せる先生や生徒の代表が後ろ向きにやってくれないのか、疑問を持っていた。しばらく忘れていたが、最近NHKTV体操を見て当時のことを思い出した。


11/12(水)午後より荒れ模様・寒波 外来+ドック総括 飯川病院ボランティア
0:30起床。新聞・文献・医学論文PDF化・録音データ編集他。7:50徒歩飯川病院着、かなり寒い。8:45-13:45外来+ドック総括。14:00-18:30飯川病院ボランティア、19:00車帰宅夕食、20:20就寝。DVD視聴「映画:ディアドクター」、「人類資金」。歩数計Σ5064Km。

高齢化社会の医療・福祉は2014(3) 高齢者は、「すがらず、頼らず、強く生きる」
 この度、後期高齢者医療制度で、保険料軽減措置を段階的になくす方針を厚労省が打ち出した。
 負担増になる高齢者は約865万人、加入者の半数以上が影響を受ける。発足直後は政府の人気取りの材料として、高齢者に比較的厚い保護があるように見せかけていた後期高齢者医療制度は、徐々に矛盾が明らかになって運用が困難になってきた。

 後期高齢者医療制度の保険料は2年ごとに引き上げを繰り返している。現在でも、年金が少なく天引き徴収の対象にならない高齢者で保険料を滞納した人は約25万人にのぼり、2.3万人が短期保険証を交付されている。
 年金は減る、消費税負担が増える、医療・介護などの負担は一層膨らんでいく。こんな中、更なる保険料の引き上げは厳しい。

 年々厳しくなる高齢者の医療福祉。では、高齢者はどうすればいいのか。私は、自活できる間は、「すがらず、頼らず、強く生きる」こと、と思う。

 世界的に見て、ほぼすべての国が高齢化対策が必要となってきている。各国とも大変な経済的問題点、負担を抱えることになる。
 他の先進国の高齢化は100年以上もかかって緩徐に進行してきた。だから、その対策もじっくり準備出来た。わが国の高齢化ははわずかに30年ほどで急速に進行し、瞬く間に世界一の高齢国になってしまった。高齢化としては超先進国で、健康寿命、平均寿命も世界一である。高齢者制度、医療制度も充実している。今までの日本の高齢化対策の充実・成功を世界は驚嘆の目で見てきた。今後は、厳しくなりつつある経済的情勢の中で、日本がどうやって高齢化問題を乗り切るのか、世界の目はそちらの方向に視点を変えて日本を見ている。

 日本人は勤勉な国民である。先々の不安に対しては「備えあれば憂いなし」と蓄財に励んできた。国は個人の蓄財を借り上げて維持している。
 しかしながら、「備えあれば憂いなし」が通用しなくなる時代が到来した。今となっては夢物語である。独居率は現在23%だが、急速に上昇しつつある。高齢者は独居生活のためのノウハウを身に付けなければならない。

 高齢者の方々は、この急速な変化に自らの意識が追いついていない。まだ親方日の丸的考えで、年金、互助・共助、国のサポートがまだ右肩上がりにが良くなっていくと思っている。政治家は耳に心地よい言葉を並べて票を集める。現実には、在宅で老老介護などで悲惨な生活をしている老夫婦は少なくない。

 一方、最近還暦や高齢に最近達した方々は、国のサポートは右肩下がりになる事を感じ取り、不安に思っている。どうやって生きていくのか模索している。 そのキーワードは、「限界に達するまでは、すがらず、頼らず、強く、自分中心に生きる」である。限界に達した後は、社会資源に頼らざるを得ない。その時は「私心を捨て、身を委ねる」しかなくなるが、その時に自分の「その先の姿」が見えてくるだろう。人生の集大成として人生観、死生観が問われることになる。
 高齢者が迎える現実は厳しい。


11/11(火)昨年初雪 雲ひとつない快晴 外来 飯川病院
0:00起床。文献、新聞・徒然。5:30家庭ゴミ集積所に。7:40徒歩病院、8:45-13:40外来。14:00-18:30飯川病院、19:10バス帰宅、夕食、 20:00就寝。歩数計Σ5055Km,、本日は13km歩いた。DVD視聴『ヒストリア:柳田國男・遠野物語』、『日本の伝統建築:白川郷・伊勢神宮」。『世界のドキュメントタリー:音楽家ユン・イサン 南北統一という夢』、音楽を通じて南北統一を夢見た韓国人の奇跡。私が30年以上前から親しんでいた音楽家が紹介された。

高齢化社会の医療・福祉2014(2) 後期高齢者医療制度の維持も綱渡り状態
??後期高齢者医療制度の背景(1)
 平成24(2012)年10月1日現在、65歳以上の高齢者人口は過去最高の3,079万人。高齢化率24.1%。そのうち65〜74歳の前期高齢者は総人口比で12.2%。75歳以上の後期高齢者は総人口比で11.9%とほぼ等しい。高齢者一人当たりの年間医療費は後期高齢者92.2万円、前期高齢者は20.7万円と決定的に異なる。

??後期高齢者医療制度の背景(2)
 「これほど医療費に差がある集団を一律の保険制度にしては成り立たない」、と国は後期高齢者医療制度を作り、75歳になるとすべての人はこの制度に入らなければならなくなった。
 この後期高齢者医療制度は、小泉政権の「構造改革」の柱として2008年から実施された。被保険者の保険料は原則として年金からの天引きされる。国民健康保険は滞納率が高いことが一つの問題点であったが、後期高齢者医療制度は確実に保険料が徴収できる仕組みになっている。厚労省のお役人達はなかなか考えるものである。

??後期高齢者医療制度を支えているのは現役世代
の背景後期高齢者の医療費負担はたとえ徴収が円滑にいってもそれだけでは成り立つわけはない。制度を支える仕組みは、医療給付費の5割を公費(国:都道府県:市町村=4:1:1)で、4割を各医療保険の加入者で負担し(後期高齢者交付金)、残りの1割を後期高齢者の保険料で負担する。報道等では高齢者の負担金ばかりが注目されているが、現役世代が税金や各医療保険を通じて支払っている負担がとても重い。平成24年度にはこの負担によって、74%の健保組合が赤字決算に転落、4割の組合が保険料率を引き上げた。

??保険料の軽減措置
 保険料の均等割額は世帯の所得水準にあわせて9割、7割、5割、2割軽減される仕組みになっている。従って個々の被保険者が徴収される保険料はなかなか理解できない。本日の時点で私は把握しきれず提示出来なかった。

??後期高齢者の窓口負担
 他の世代に比べると比較的安くなっている。

(1)窓口で払う自己負担額
 後期高齢者が窓口で支払う負担金は、課税所得額145万円以上の場合は「現役並みの所得者」とみなされ、窓口負担は3割、それ以外は1割。

(2)高額療養費の自己負担額
 窓口での負担金が一定額を超えた際は高額療養費が支給される。「現役並み所得」の人は外来では4.4万円超で、一般人は1.2万円超で、低所得者は8000円超で高額療養費が支給される。したがって、後期高齢者の月々の窓口負担金は、現役世代より負担が軽い。


11/10(月)曇りのち晴れ・寒気 健康クリニックドック 飯川病院
1:00起床。文献・新聞等処理、徒然など。若干の降雨あり、バスにて7:45飯川病院。9:00-11:00健康クリニックドック。12:00飯川病院、14:00-18:30勤務。19:00帰宅、夕食。20:00就寝。歩数計Σ5042Km。DVD視聴『そこまで言って委員会』。『プロフェッショナル:五嶋みどり』、『昭和は輝いていた:美脚ファッション』はストッキングの歴史でエロチックな雰囲気を伴い、女の執念が感じられ面白かった。

高齢化社会の医療・福祉2014(1) 迎えつつある厳しい状況
 日本は世界的に例を見ないスビードで少子高齢化が進んでいる。高齢化としては世界一の先進国。我が国の高齢者対策の成り行きは全世界が注目している。国民医療費、高齢者医療費のデータを見ると不安を持たない方が不思議である。国として、個人としての対策を考えなければならないが、その姿が見えて来ない。

 最近の文献から人口問題、高齢化に関する数値をピックアップしてみた。
??我が国の総人口は平成24(2012)年10月1日現在、1億2,752万人。高齢化率24.1%。秋田県30.7%で全国一、上小阿仁村は50.2%.
??65歳以上の高齢者人口は過去最高の3,079万人(前年2,975万人)。
??前期高齢者(65〜74歳)1,560万人、総人口比で12.2%。
??後期高齢者(75歳以上)は1,519万人、総人口比で11.9%。
??100歳以上の超高齢者:現在5.9万人、2050年には70万人。秋田県は498人(本年9月時点)ーーー多くは自立出来ない状況と予想される。
??人口減:2050年には現在の7割ほどの9.000万人に減少する。 
??国の平均年齢:2055年は53歳で4割が高齢者、1割が子供、5割が労働世代ーーー現況の労働世代の負担のみで社会保障は運用困難。
??独居生活、独居率:現在の日本は23%。米国45%、英仏は50%以上と日本は他の先進国に比較してまだ少ないが、急速に上昇しつつある。ーーーわが国では独居老人対応の歴史が短く、独居のための医療福祉のノウハウは未成熟。
??認知症:65歳以上の高齢者、2800万人のうち約3割の800万〜900万人が認知症屠蘇の予備軍状態にある。 
??高齢化率が高い過疎地区が増えるーーー社会資源サービス困難に。医食住の維持困難に。

 日本は経済的に、活力面では下降線を辿っているが、人口問題は世界に例を見ない超先進国で毎年毎年記録を更新してきている。
 後期高齢者は医療や福祉の面で色々とコストがかかる世代である。2013年度の医療費を見ると、後期高齢者一人当たりの年間医療費は92.2万円、前期高齢者は20.7万円である。
 この厳しい状況をどう考え、どう対策しながら国の活力を維持するか?難しい。

 大きな課題を内在しながら、大多数の国民は今は恵まれているためか、その現実を知ろうとしていない。国民皆保険、年金制度、介護保険制度、虐待防止法がそろっている国は世界広しといえど日本だけである。この恩恵を国民がどれだけ認識して享持しているか?むしろ不満タラタラでないのか?

 日本は減りつつある収入を国民から借金を重ねながらカバーし国を運営している。このままでは年金・医療・介護・福祉の社会保障で財源を食い尽くしていく事にもなりかねない。国の活力を維持するためには子育て世代への福祉も考えなければならない。内憂外患、多くの懸案が目白押しである。これらとうまくバランスをとって行かなければならない。


11/9(日)曇り、寒い 飯川病院日直
1:00起床、新聞・文献チェック,徒然その他。8:28天徳寺バイパス経由のバスに初乗車。8:45-19:00飯川病院日直。迎えの車、上新庄方面、土崎経由にて18:30帰宅。新聞データ化。19:00夕食。歩数計Σ5036Km。DVD視聴『日本の宇宙開発の実力』、『池上彰の解説塾:世界の独裁者達』。

吉村昭著 「戦艦武蔵」新潮文庫(4) 不沈艦武蔵の最期
 「戦艦武蔵」は進水後、戦艦として艤装がおこなわれ、昭和17年8月5日に第1艦隊に編入された。
 4ヶ月間の猛訓練を経て18年初春から戦闘艦として戦列に加わることとなった。2月21日はトラック泊地で山本海軍長官が激励に訪れた。しかし、4月18日には山本海軍長官の遺骨を密かに安置することとなり、長官の死は5月21日に乗組員に初めて公表された。約一月、長官の死は伏せられていた。

 日本の技術の粋と多大な予算を投じて造られた武蔵も、航空機の発達により大艦巨砲主義が過去の遺物となっている状況では、活躍の余地がなかった。呉を出港してから1年9ヶ月、戦闘にほとんど参加することなく「武蔵御殿」と呼ばれた平穏な時間を過ごしたが、昭和19年10月24日、レイテ沖海戦でアメリカ空軍の執拗な攻撃を受け、武蔵が沈没する。

 吉村氏は撃沈の様子も詳細に記述する。敵戦闘機の爆撃、魚雷攻撃攻撃、3本の魚雷が艦中央部に命中。これで武蔵は大きく左舷に傾く。さらに敵戦闘機襲来、250Kg爆弾の炸裂、艦内は兵士の血と肉片が飛散した。さらに数発の魚雷が前部に命中、船首部分が下がり始め、さすがの武蔵に衰えが生じ始めた。さらに12本の魚雷、これで武蔵は左辺に30度傾いた。

 「自由行動をとれ」怒声に似た命令が艦上を走り、乗組員たちは思い思いの方向に走りはじめた。傾斜が急に早まり、右舷の艦底の側面が海水をあおり立てながら露出しはじめた。乗組員たちが海へ飛び込みはじめたのは、そそり立った艦尾からであった。しかし、海面に達するまでに、ほとんどは、巨大なスクリューに叩きつけられ、粉々に砕かれ、肉片になった。
 舷側を滑り降りた者は魚雷であけられた穴に、波立つ海水とともに大勢吸い込まれた。
 艦底の側面から海面までは50mほどもあり側面を滑り降りていった乗組員はその側面に厚くこびりついた牡爛殼でたちまち傷ついた。あたかも地獄絵図さながらの悲惨な状況を呈した。

 艦首が没し、やがて艦橋が海中に没する。艦尾が没するとともにととも海面から人影が消えた。巨大な渦に巻き込まれたからである。突然、海中で大爆発音が起った。
 これが不沈艦武蔵の最後である。

 吉村昭氏は戦争の記憶が風化しつつある中、傷ついた人々、死に至った人々の様子を記録することで、鎮魂を意図したのだと思う。それ故に本書を読み終えた後に、強い感銘を読者に与える。
 吉村氏の取材は微に入り細に行っている。特に登場する人物についてきの記述がすごい。このことは作家吉村氏のすべての作品に共通することであるが、資料を紐解き、生存者を訪ね歩き入念に取材した成果である。本書を2回通読し、必要な個所は数回読み返した。それでも氏の記述内容の何%を読み取ることができたのだろうか、自信がない。
 私はまだ氏の作品の一部しか読んでいない。これからである。


11/8(土)快晴 野良猫対策他
1:00起床、何時もと同じ.データ整理、読書中心。7:00軽く朝食、文献・新聞読み。午前は11月3日に野良の子猫にセットしたカーペット敷きの風徐室を高床にし防寒用内張り、暴風対策をした。喜んでいるように見える。午後は水栽培のケースの改良、午睡若干。読書とデータ入力、整理。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ5031Km。DVD視聴『バトルシップ』、『11月2日のNHKのど自慢』。

秋田市のバス交通網(3) バス交通網維持は市民、行政、運行会社の意思疎通から
 私は秋田市の斎場近辺に住んでいる。勤務先は秋田駅の近くである。通勤は天候によって選択するが、基本は徒歩、次いでバス、荒れ模様の時は車を用いる。選択肢があるだけ考えが甘いかもしれない。

 11月1日から秋田市のバスの運行時刻の改訂が行われ多くの区間で減便となった。減便のコンセプトは、最終便繰り上げと運行の間引きで、経営の合理化と考えられる。

 秋田市のバス交通網はさらに減退していく?と危惧される。秋田市の場合、人口の伸び悩み、高齢化、人口分布、車を前提とした社会構造などがマイナス要因である。衰退の一方と思われるが、秋田市では2009年に「秋田市公共交通政策ビジョン」を策定しているし、昨年12月から「交通政策基本法」が施行され、市町村や都道府県が公共交通の再編計画を立て、これを国が支援することになる。

 しかし、自治体が立派な計画を立てても、利用する側のニーズに合わなければ計画倒れになる。交通手段の確保と維持には、住民、行政、運行会社間の意思疎通が必要であり、利便性、応分の負担、補助金などの対策が必要である。

 ??住民は公共交通手段の利用促進を考えなければならない。自然環境保護も課題でもある。町内会単位でも利用促進をキャンペーンする、車で行けるところでもバスを利用する、などであるが、それには利便性がなければならない。コストは安くなければならないが、乗車に関しては応分の負担をする、などである。移動距離あたりの経費は自家用車の方が安いことも。それでもバス利用を選ぶ満足感をどうユーザーに感じてもらえるか、難しい。
 基本は住民、行政、企業の意思疎通である。

 ??行政も利用促進を市民に働きかけなければならない。秋田市はモータリゼーション前提に住宅地が広がっている。利便性から利用したくともできない住民もいる。行政面では何か対策はないだろうか。
 高齢者に評判の良いコインバスの料金はこれでいいのか?私が乗る区間は往復で高齢者は200円、68歳以下の若い方は600円である。この差はまともな状態か?私は高齢者過剰優遇と思う。この格差を埋めなければ若者は離れていく。一律であるのも不公平。年齢、収入等で見直ししては?
 コインバスは運行会社の運営にどう役立っているのだろうか?補助金が出てもこの政策で収入は減っていないだろうか。難しい。

 ??秋田市の中央交通は民間会社といえども公共交通機関であり、代替企業もない。だからと言って不可能なものが可能になるわけではない。社は市民にもっと広報すべきである。また、秋田市はもっと公共交通手段の維持に積極的に関わるべきだと思う。補助金等の再検討も一方法であろう。その原資をどうするか?
 秋田市には公共交通機関の運用に関する意見交換できる官民一体の委員会などないのだろうか。

 公共移動手段としてのバスの維持は、ある意味で時代の流れに逆行する考えであり、施策である。だから、膨大なエネルギーを投入しなければ流れを変えられない。ここまでくれば、国、県、自治体の関与、市民の関与がなければ実現できないだろう。


11/7(金) 快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:00起床。文献、新聞チェック、徒然。7:00Taxi病院、重傷者回診、8:12こまち。9:00-12:50大曲中通病院外来。往復徒歩、14:30-18:30飯川病院ボランティア。19:00帰宅、夕食、20:00就寝。歩数計Σ5026Km。DVD視聴「そこまで言って委員会」。

秋田市のバス交通網(2) バス交通網維持は、交通政策基本法を利用すること(改訂しました)
 私が利用する秋田駅と秋田市斎場を結ぶ路線のバスの運行本数が大幅に削減された。平日は上り下りともに31→20本程度に、休日は21→15本程度に著減していた。しかも、ラッシュ時も非ラッシュ時も満遍なく少なくなっていて、この時間帯に利用する幼稚園児、学生、勤務者にとってはきつい改正である。
 そうはいっても、バスの数、ドライバーの数もそう余裕があると思われないから、ラッシュ時だけ濃密に運行を集中させることは不可能である。
 時刻表から見ると、減便のコンセプトは、最終便繰り上げと運行本数の間引きで、運行の効率化経営の合理化が目的と考えられる。

(この項については私の誤解もありました。秋田市斎場前は神田旭野線ですが、斎場前を通過する便数は上記のごとく減りましたが、減便分は天徳寺バイパス経由に振り分けられたためで、神田旭野線としては減便になっていませんでした。天徳寺バイパス経由便を併用すれば便数としては従来通りとなります。斎場前利用者にとっては利便性は落ちました。taic様よりご指摘をいただき、訂正と加筆をいたしました。)

 減便されるバスに、どのくらい客がいたのか私には分からないのでなんとも言えないけれど、多分、会社では日々の乗客数は調査して蓄積せているはずである。私が時々利用する7:10斎場前発の秋田駅行き、18:42分千秋公園前発の便は時に満席で座れないこともある。しかし、乗客が1~2人で空気運搬車と化しているバスも多く、社としてはギリギリの判断だったのかもしれない。

 国土交通省によると、この5年で8000超のバス路線が廃止された。バス停が500m以内にない空白地域は、国内の可住地の30%超に及んでいる。私も自宅とバス停、職場とバス停も1Kmはないが、空白地帯に合致する。

 バスの衰退には社会的事情が絡んでいる。秋田市の事情としてあげられるのは、人口の伸び悩み、高齢化、人口分布、車社会化、などである。なんだか衰退一方の様に思われるが、昨年頼りになりそうな助っ人が登場した。

 昨年12月、「交通政策基本法」が施行され、「日常生活に必要不可欠な交通手段の確保」が、国の施策と位置づけられた。「自由な移動は基本的人権の一つ」との考えかたも記述されている。
 市町村や都道府県が、公共交通の再編計画を立て、国が支援する。そんな枠組みを国交雀は法改正で整えようとしている。

 だが、国や自治体がどれほど立派な計画を立てても、利用する側のニーズと合っていなければ成り立たない。

 どうすれば便利で乗りやすい公共交通になるのか。税金のバラマキではなんともならない。
 地方の交通手段の確保と維持には、住民、行政、運行会社間の意思疎通が必要であり、利便性、応分の負担、補助金などの対策が必要である。要するに、今話題になっている地方創生政策そのものの、バス事業の維持版である。


11/6(木)快晴 外来 飯川病院
 1:20起床,新聞整理。本読みなど。7:45徒歩にて飯川病院。8:45-13:30中通病院外来。14:00-18:30飯川病院勤務。19:00バスと徒歩帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計、Σ5017Km。DVD視聴「近代建築誕生秘話」、『驚き日本新常識」。


秋田市のバス交通網(1) 11月の運行時刻改正で大幅減に(記述を改訂しました)
 本年11月1日、秋田市中央交通のバス時間の改正が施行された。私はそれを見て驚いた。私が利用する秋田駅と秋田市斎場を結ぶ路線のバスの運行本数が大幅に削減されていたからである。

 平日は上りが31本→19本に、下りが31本→21本に、休日は上りが21本→14本に、下りが29本→15本に著減していた。平日は1/3に、休日は1/2になってしまった。上記はバス停の新旧の運行表を比較して算出した。具体的に本数を比較したのはこの路線だけなので、秋田市内全域の傾向はわからない。ただ、停留所にある他の路線の運行表も似たような傾向にあった。したがって秋田市内の路線全体も同様と推定できる。
(この項については私の誤解もありました。秋田市斎場前は神田旭野線ですが、斎場前を通過する便数は上記のごとく減りましたが、減便分は天徳寺バイパス経由に振り分けられたためで、神田旭野線としては減便になっていませんでした。斎場前利用者にとっては利便性は落ちました。天徳寺バイパス経由便を併用すれば便数としては従来通りとなります。昨日taic様よりご指摘をいただき、訂正と加筆をいたしました。)

 バスを利用するのは幼稚園児、学生、高齢者が多いが、これらは交通弱者である。私にとってはこの激減は辛い。

 2006年3月末、秋田市営バスがなくなって、はや9年になろうとしている。当時の市営バスが秋田市にとって財政的負担になっていたことは頻回に報じられたから民営化はわかる。でも、昨今、秋田市のバス事情は大幅に後退しつつあるように思う。

 バス会社の方針はどうなっているのだろうか? この会社の HPを見てもよく分からない。9年前にバス会社の社長が「秋田市程度の規模では、1つのバス会社が経営した方が効率的」と表明して、望んで市営バスの全路線を引き受けたように記憶している。その後の経営状態はどうなったのあろうか。会社に公共交通の担い手であるという自覚はあるのだろうか。経営の問題か、マンパワーの確保困難か?
(この項については私の正直な感想でしたが、神田旭野線としては減便はなかったので誤ったデータに基づいた感想でした。秋田市のバス交通網(2) に記載しましたが、バスの衰退には社会的事情が絡んでおり一企業の努力の範囲を超えていることは理解しているつもりです。訂正いたします。不快に思われた方には申し訳なく思っております。)

 秋田市は2009年3月に、2015年度までの秋田市における公共交通の将来構想をまとめた「秋田市公共交通政策ビジョン」を策定した。路線、ダイヤ設定、路線図やバス待合所の維持、さらにはバス利用啓発にいたるまで幅広い構想を記載した立派な構想である。これはその後どうなったのであろうか。中間評価はどうなのか?
 不採算で路線バスが廃止されたのに伴い、郊外地域では数年前から、秋田市がマイタウンバスを運行している。タクシー会社に運行を委託しているが、再市営化である。究極的にはやむを得ない対応なのだろう。

 秋田中央交通は民間会社といえども公共交通機関であり、代替できる企業もない。社は市民にもっと広報すべきである。また、秋田市はもっと公共交通手段の維持に積極的に関わるべきだと思う。補助金等の再検討も一方法であろう。
(この項については斎場前のバス停の時間表に一言、『最寄りの八幡田一丁目の停留所もご利用下さい』とでもあれば利用する者にとってよかったと思います。追記いたします。)


11/5(水)超快晴 外来 飯川病院ボランティア 歩行計積算5.000Km
1:30起床,新聞整理。本読みなど。7:45徒歩にて飯川病院。8:45-13:45外来。14:00-18:30飯川病院ボランティア。19:10帰宅、20:30就寝。歩行計積算5.005Km、ついに目標の第一関門到達。次は1万Kmだが、耐えられるか? DVD視聴「映画:第5福竜丸」、『映画:オカンの嫁入り」。


疾患名の名称変更(2)「癌」「ガン」「がん」を「のぞみちゃん病に」変えよう
 「ガン」の表記は「がん」であったり「癌」だったりする。いろんな使われ方をしている。「国立がんセンター」、「日本癌学会」など一定しない。また医学用語辞典などでは「がん」、「ガン」、という表記はなく、「癌」となっている。

 「癌」という感じは硬そうで痛そうなイメージが伴う。古くは「乳岩」と表記された文献もあるという。岩のように硬い腫瘍だったからだろう。「岩」の異体字「嵒」に病垂れをつけたのが漢字の癌である。ギリシャ語では「蟹」を表す語源に由来するという。
 だから、一般的には「癌」は痛みを連想させるので、最近は表記しない様になってきた。
「ガン」とか「がん」を用いることによってかなり柔らかな表現にはなる。だから、胃癌よりは胃ガン、胃がんと表記される。しかし、「ガン」であろうと「がん」であっても日本人なら、その陰にある「癌」をイメージする。
 だから、「ガン」、「がん」、「癌」となんと表記しても痛そうな雰囲気から離れられない。「死」や「痛み」を連想してしまう。だから、どう表現しても「恐怖感」を伴う。

 いま、我が国では国民の二人に一人が「がん」に罹患し、三人に一人が死亡する病気である。国民病と言っていい。新聞等の健康欄、健康関連雑誌等は「がん」、「がん特集」と花盛りである。国民全体が関心ある領域で、「がん特集」を組めば売れるのだという。私は働き盛りの方々が「がん」で死亡するのは耐え難い思いであるが、高齢者の場合は「がん」でなくともいずれは死ぬ。だから、あまり騒ぎたてなくてもいいと思う。高齢者の死は多岐にわたるが、がんで死ぬのは決して悪いことではない。

 日本対がん協会は「がん」と、「がん予防」についての正しい知轍の晋及とがん検診の受診率の向上を広くアピールしている。毎年9月を「がん制圧月間」と定め、各種の運動を行った。本年度は「面倒? こわい? 忙しい? 言い訳しないで検診へ」のスローガンのもと、各種の運動を全国的に展開した。

 2013(平成25)年のがん検診の全国受診状況は、「肺がん」と「胃がん」、「大腸がん」は国の当面の目標である40%近くに、「乳がん」と「子宮がん」は目標の50%に達しないまでも40%を超えている。特に若い年代の受診率をさらに向上させる必要がある。
 官民挙げての「がん検診」の普及・広概括勣を展開することもいいが、「がん検診」はどうしても恐怖感を伴うからなかなか普及はむづかしい、と思う。

 ここで私の提案。
 「癌」、「ガン」、「がん」の用語をやめて「のぞみちゃん病」に変えてしまおう。「がん検診」は「のぞみちゃん病検診」にしよう。これだと、何となく楽しげに受けられるし、もし病気が発見されても「のぞみ」があって治るような気がする。
 また、「胃ガン」です、と宣告される場合でも「胃ののぞみちゃん病」ですと告げられる方がショックが少ないだろう。治療も明るく受けられる。運悪く亡くなった場合には、死亡診断書は「●●ののぞみちゃん病」とある方が故人を偲びやすい。「福田先生は先日胃のぞみちゃん病で亡くなったとさ・・」という方が「胃ガンで・・」というより明るくていい。良いことづくめだと私は思うのだが・・・。


11/4(火)雨 外来 飯川病院  脳梗塞2年
2:00起床,新聞整理。本読みなど。7:45バスと徒歩にて飯川病院。8:45-13:40
外来。14:00-18:30飯川病院。19:15バス利用帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計4995Km。DVD「映画:猿の惑星・創世記」、「夭折の女流作家:樋口一葉」、「池上彰時事問題解説」。本日より飯川病院院長復帰し、午後勤務は月・火・木曜日の3日間に戻った。

脳梗塞発症から二年
 2012年11月4日(日)9:00am頃、突然激しいめまい、次いで意識朦朧混迷状態、右片麻痺、発語障害に進行した。脳卒中発作と自己判断。救急車にて中通総合病院に搬送、救急室到着後に意識は回復傾向となる。CT上脳梗塞疑い、発作性心房細動による血栓症の診断であった。

 入院、ICU入室。急遽見舞いにきた息子が私を見て、家族に「医師として患者の前に出るのはもう無理だろう・・」と告げた。その時の状況をよく言い表している。その時点で私もそう思っていた。

 分からないものである。後遺症らしいものは自覚しない程度まで回復した。一週間後には復帰した。
 発作性心房細動がありながら抗凝固療法を受けなかったから自業自得である。いまは反省し、再発防止のために抗不整脈剤、抗凝固剤を服用している。

 一般的に心房細動に由来する脳塞栓症は重症で、予後も良くない、とされている。だから、私の場合には千に一つ、万に一つの幸運だったと思う。発症一年後に撮ったMRIには発症時とほぼ同じ様に病巣がバッチリ残っていた。これで症状が出ないのは不思議なほどである。でも、次の発作はいつ来るかわからない。毎日毎日を大切に過ごしている。

 一緒に働いているスタッフ達は私を見て何ら変なところはない、という。本当かな?家族の目からも同様という。嬉しいことである。
 しかし、自分では何も感じないかというとそうでもない。自分でも病気のせいなのか、加齢のせいなのか区別できないほどの軽度の違和感である。平衡感覚がおかしい?記憶力も?・・・などなど、ないわけではない。

 まあ、残る道は身辺整理を進めながら、毎日を大切に過ごすこと、である。


11/3(月)文化の日 強風・降雨・雷鳴 飯川病院日直 
 2:30起床。録音データ、画像データ整理、iPodに入力など。歴史本を読む。PDF書類整理など集中。今朝から大荒れ。野良の子猫にカーペット敷きの風徐室を用意した。早速入っている。車で出勤、8:50-17:00飯川病院日直勤務。19:30まで病院で。持参の文献読み等々。19:20家内帰秋、外食。21:10就寝。歩数計4985Km。DVD「世界のダイエット術」、「皇女:エリーザベト」、「池上彰時事問題解説」。

疾患名の名称変更(1) 精神科領域は日本語なので好感が持てる
 生活習慣病、統合失調症、認知症などの名称変更は学会レベルでも生活上でもほぼ定着し、成人病などの古い名称を用いることは皆無になった。
 
 日本精神神経学会は心の病の名称や用語について、新しい指針を作り、2013年4月に公表した。学会は診療現場で使うように呼びかけている。米国精神医学会の診断手引「DMS15』が2012年5月に改訂されたが、国内で様々な訳語が出て混乱しないように、関連学芸が共同で名称を検討した。

 変わる主な病名や用語の以下に示す。()が改定後。
??アルコール依存症(アルコール使用障害)??性同一性障害(性別違和)??神経性無食欲症・拒食症(神経性やせ症)??解敵性同一性障害・多重人格(解雌性同一症)??注意欠陥多動性障害(注意欠如多動症)??アスベルガー症候群、自閉症(自問スペクトラム症)??言語障害(言語症)??学習障害(学習症)??言語障害(言語症)??パニック障害(パニック症)

 今後調査研究が必要な新しい病態として以下の名称もあげている。
??カフェイン使用障害??インターネットゲーム障害

 改定後の名称は記憶障害のある私にとって覚えるのが大変である。
 私は、アルコール依存症、アスベルガー症候群、自閉症はこのままでも良かったと思う。学習症はむしろ勉強し過ぎのイメージが伴う。

 検討過程では「障害」という言葉を減らしたという。それでも随分残っている。
 現在一般に使用される「障害」は体及び精神等に何らかの障害を有する者を示す。「害」を使用することを好まない人々は、「碍」を用いている。これも徐々に浸透しつつあるが今回は採用されていない。

 精神科領域はいたずらにカタカナ語を用いない。好感が持てる。

 これに対し最近の整形外科領域の用語は横文字・カタカナ語が目立つ。「サルコペニア」、「ロコモティブシンドローム」、「フレイル」などは日本語でいいのでは?日本語ならば漢字を見ただけで大体の予想がつく。これは日本語の利点の一つである。それを用いない横文字化は惜しい。

 「サルコペニア」は「加齢筋肉退縮症候群」ではだめ?「ロコモティブシンドローム」は「加齢運動器症候群」では?「フレイル」は「虚弱状態」でいいじゃないか。高齢者にとって「ロコモティブシンドローム」と聞いてNTTのドコモと関係あるのか?「サルコペニア」は自分もサル並みに扱われるようになった??と思うのがせいぜいである。


11/2(日)終日雨 患者死去で病院に レセプト処理
1:00起床。録音データ整理、iPodに入力。画像処理。経済と歴史本を読む。PDF書類整理などゆっくり過ごす。9:00-12:00Taxi往復、飯川病院、死亡診断書、外来レセプト処理。昼食はチキンラーメン。録音データ処理。20:00近所のトンカツ屋夕食、22:00就寝。家内旅行中。家には誰もおらず無音。たまにはこのような時間も良い。静かにレクイエム3種聴く。 歩数計4978Km。DVD「ビルマの竪琴」。

当HP「これからの医療の在り方--徒然日記」満13年迎えた(2) 

当HP「これからの医療の在り方--徒然日記」は満13年迎えた。

■弱気に抗する毎日
 私は人と競争することは好まない。自己主張も殆どしない。人の先に出ようという気持ちも乏しい。争いは徹底的に避けてきた。優柔不断と思われただろう。そのために窮地に陥ったこともある。人と交わると必ず不快な感じが残る。それが嫌だ。だから一線を退いてからは人との交わりを徹底して避けてきた。ほぼ引きこもり状態である。
 私の競争相手、対話の相手は私自身であり、抗する対象は私自身の弱気である。今のところは若干やる気の方が勝っている。それで徒然も続いている。
 ただ、最近は気力体力の問題なのか、私自身安易な方向に流れそうになり、それに抗するのが大変になってきた。だから、徒然は自分の気力のバロメーターにもなっている。

■ちょっとしたことを一つだけ形にする毎日  
 普段感じている事、考えている事を一日一つずつ文章化していく作業は楽しい。考えるだけだとすぐに忘れるし、まとまった考えにならない。私は大きな事を継続的に考える事は不得意である。長文は無理。だから、小文にまとめる。

 何故連日なのかというと、一旦不定期にしてしまうと私の場合は多分頓挫するだろうと思う。だから、一日一話と自分に負荷をかけた。毎日の事だから深くは調べる事は出来ないが、適宜調べながら文章化していく。調べている間に当初考えていた事と別な結論が導きだされる事も希ではない。恥ずかしい一方、大きな喜びを感じる時でもある。

■言葉で表現することが徐々に苦痛に
 間も無く脳梗塞罹患2年目である。言語障害も一見元に戻ったが、時に言葉が出難いこと、呂律が乱れることも自覚する。加齢も加わっての現象だと理解する。日常業務、生活は一見通常に出来ている。たぶんこんな状態に気づいている人はまだいないだろうが、もう言葉で表現することに自信を持てない。幸い、キーボードは打てるから助かっている。こっちの方はまだしばらく続けられそうである。

■徒然の生活記録、小文は資料としても貴重
 私は日々届く情報や資料を蓄積するのが好きである。かつては綺麗に製本していたが、最近は電子的に蓄積している。覚えきれないし、並べていても周辺が乱雑になる。実物を取っていても探し出すのが困難、時に不可である。
 中でも新聞・文献スクラップは20年、徒然は13年、ラジオ深夜便蓄積は8年ほど、蔵書の電子化はまだ3年余、2000冊以上。ほぼ連日、収集と分類を続けている。私独自の資料館である。これだけ蓄積すると宝物である。

 何か調べたいことがあるとまず自分の資料に検索をかける。たいていこれで間に合う。ネットでの検索は滅多にしないし、その必要もない。

??徒然日記の更新は、半ば楽しみ、半ば苦しみである。それでも今後も続けていく。


11/1(土)曇り時折雨 飯川病院午前外来+日直 
0:30起床、家内旅行中。新聞文献チェック。文献その他整理、廃棄。8:00バスと徒歩飯川病院に。9:00-12:30外来、数人診療。12:30-17:00午後日直。19:00のバスで徒歩帰宅、夕食は近所のラーメン屋、20:30就寝。 歩数計4971Km。DVD視聴:「きわめびと:記憶力」、「江戸のススメ:遊女の一生」、「後藤新平」、「思い出のO・ヘプバーン」。

当HP「これからの医療の在り方--徒然日記」満13年迎えた(1) 
 当ホームページ、「これからの医療の在り方----徒然日記」は、2001年11月1日開設後満13年を迎えた。本日は14年目のスタート日。読んで下さった方々,コメントを下さった方々には感謝している。最近は匿名の方にもできるだけ返事をするようにしている。

■継続は力、その一項目として
 この13年間、よく続いた。「継続は力なり」と言うのは私が好きな言葉で、自分の信条の一つでもある。今日一年間もやりきった、と一人で悦に入っている。

 継続する事が辛いこともある。だから、自分の気力のバロメーターにはなる。今の所は続いている。でも信条だけでは続くものではない。私の執念深さも相当である。意を決して始めた事はなかなか止めない。

 生活記録は通算で50年続けている。そのうちの13年がこの徒然である。新聞・文献スクラップは20年、ラジオ深夜便連日3時間蓄積は8年ほど、岩手の復興資金は3年、映画・録画の視聴3年、昨年四月以降は歩いた距離を蓄積している。などなど、自己満足だけの世界に浸っている。

■「これからの医療の在り方」のタイトルが重荷になった
 第一戦から離れたのを機会に、今まで不勉強であった分野を学び直している。医療面での話題が減ってきている。タイトル名が重荷になったが、私の発想のルーツなのでこのまま継続する。時折、医療や福祉面についても考えたい。

■ハードディスクへの記録に頼らねば記憶が保持できない
 平凡な日々なので記録をつけていないと全て忘れてしまう。良い人生だったと満足しているが、忘れてしまえば無になる。私の脳はソフトになり記憶が困難になってきたのでハードディスクに記憶を頼っている。検索にて何月何日、何時頃に私が何をしていたか、何を考えていたかを知ることが出来る。私にとって貴重なデータであり、生きている証しになっている。

■小さな毎日の積み重ねが楽しい
 患者に迷惑をかけないよう範囲で外来中心の診療を続けている。これだけが外界との接点である。後は引きこもっている。時間は殆どムダにしていないつもりであるが、相変わらず時間が足りない。
 孫の成長、家族達の動向を楽しみ、自然現象の移ろいを味わう。芸術、文学、歴史、政治・経済、宗教、社会問題など、興味の対象は到底あげきれない。先人達の足跡を味わう日々である。こんな中でその日に感じたことを小文にまとめ、形に表す。これは楽しい作業である。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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