徒然日記
2013年6月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

徒然日記バックナンバーへ戻る       徒然日記へ戻る   トップページへ戻る

先月の日記          来月の日記


6/30(日)晴れ 飯川病院日直 
 1:00起床、新聞、文献など。早朝畠の手入れなど。8:00里帰り出産の長女一家が時満ちて空路横浜に帰った。8:30-17:00飯川病院日直。太陽が燦々と照っている中室内で時間を過ごしているのは惜しい。録音データ整理中心。飯川花壇に撒水後自転車帰宅。家でも撒水、孫がおらず気が抜けた感じ。19:30夕食、20:30就眠。歩数計793Km。

わが家の家族たちとB787
 6月1日、B787が羽田・秋田便として定期就航した。
 全日空は昨年秋、今春3月16日からB787を秋田便に就航させると発表した。私はこの機の先進性について興味があって、古くから新聞記事などでフォローしていた。だから、秋田便就航と発表になったときは驚き、かつ楽しみにしていた。しかし、その後燃料漏れとかの重大なトラブルが頻発し、バッテリーからの発煙事故の後は、世界的に運行停止となっていた。

 B787は2004年全日空が多数発注したことで生産が本格化した。しかし、量産機生産体制に入ってからも強度不足、対落雷対策の不備とかで改修を繰り返し、更に試験飛行中に配電盤から出火するなどあって、全日空への納期は3年以上も遅れていた。2011年11月、量産一号機が全日空に納入され、約一年間は大きなトラブルはなかったが、昨年の年末以降次々とトラブルに見舞われた。就航する機体数が増えてきたことも関連していると思われる。
 不具合の真の原因は分からなかったがバッテリーを保護することで安全が確保されたとして6月1日から定期便が再就航出来ることとなり、国内線では最初に羽田秋田間を飛ぶ事となった。

 6月1日の記念すべき初就航便で家族の一人が来秋した。里帰り出産した長女のご亭主である。週末だけの通いパパとして当初は新幹線を利用していたが、ほぼ毎週のことなのでストレスだったのだろう、5月以降は週末に羽田発の全日空第一便で秋田に通っていた。

 この便が6月1日にB787に機種変更になった。問題なく運行されていたが、6月22日の便は出発前の点検で飛行姿勢制御のシステムの一部に不具合が見つかり、急遽別の787機に乗り換えて、彼は1時間余遅れて到着した。この不具合が発生したB787は、5月中旬に納入された新造機で、バッテリー発煙事故の後にボーイング社が航空会社に納入した一番機であった。その後は何らトラブルなく快適に飛行したという。

 長女夫婦と孫は本日10:00発の全日空機で横浜に戻った。この便もB787であった。

 長女は大の飛行機嫌いで成田-NY間は何度か往復しているが国内線は初めてだろう。3ヶ月の孫も初体験である。機は揺れもせず快適に飛行、孫も泣くことなく無事ついたという連絡があって、安堵した。

 ボーイング社が受注しているB787機はは800機ほどという。B787は今後も改良を重ねながらより安全な機体になっていくだろう。


6/29(土)晴れ 畠の植え付け作業 
1:00起床、新聞、文献など。食品庫など大幅に整理。家庭菜園のきうり、なすが採れ始めた。サッと水洗いして囓ると最高。13:00微睡、日差しが強烈で晴耕という訳にならず。読書、映画鑑賞が進んだ。夕方から畠の植え付け作業、19:30夕食、20:30就眠。歩数計793Km。

DVD映画鑑賞「下妻物語」 
 私の歩数計の集計は約800Kmで、日本橋を起点として海岸線を北上しているが、間もなく茨城を抜け福島に入るところにいる。茨城についてもおりに触れて地図を開き、文化や産業について読んでみた。その中で、茨城県の地名を題名にした映画作品「下妻物語」があることを知った。何かの縁である。今回はそれを取り寄せて観た。

 嶽本野ばらによる小説を原作とした作品。2004年の作。物語は茨城県下妻市を舞台にしている。この年度の映画祭で各分野の賞を受賞するなど、高い評価を受けた作品である。私はこの映画の存在はつい数日前に知った。

 この映画で、何となく分かっていたような気がしていた「ロリータ」と「ヤンキー」という言葉の意味を映像を通じて初めて知った。簡単に言えば、「ロリータ」はロココ調の少女趣味的ファッションで古き良き時代の服装のこと。「ヤンキー」とは髪型やファッションなどで、アメリカの若者の風俗をまねた、一般的には不良青少年をさしている。
  
 あらすじは他愛ない。茨城県の下妻市に住むロリータ・ファッションを愛する高校生Aと暴走族の一員の高校生Bが主役。二人はいわゆる通常の道から外れているのだが、二人 とも自分の信念をしっかり持っている。周囲に迎合しないヒロイン達は魅力的である。二人はひょんな事から知り合う。Aは優れた刺繍の腕を持っており、たまたまBの特攻服に刺繍をしたのをきっかけに、二人の間に友情が芽生え始める・・・・。後はコメディタッチのどたばた劇である。

 映像としてはロリータ役はファッションを含めて可愛く可憐である。他の登場人物、Aの両親、祖母ともにはすべて一癖も二癖もあるキャラクターに仕上げられて先が読めない行動をとる。この部分は面白いし笑わせる。一方、10名ほどのヤンキースタイルの暴走族の女子高校生役のスタッフは化粧から顔の表情、眼力まで、歪んだ表情を巧く演技している。素顔をみてみたいものである。私は暴走族やヤンキーのことなど不案内であったから、物珍しさもあってこのDVDを一気にみてしまった。

 この物語は、下妻と渋谷区の代官山が主たる舞台となっている。茨城県の内陸地方にある下妻市は人口44.000人ほどの中規模の市で、広域合併案が進められていたが、この映画のヒットで知名度が上がり郷土を大事にしようとする住民感情に影響し、合併協議会から早々と脱退した。私はこの映画の舞台が下妻市であることの必然性を知ることは出来なかったが、映画が住民感情を刺激し、政治的決断に影響を与えたことに興味を持った。

 癖の強い、騒々しい映画であったが、 十分楽しめた。


6/28(金)快晴 大曲中通病院外来
1:00起床、文献・新聞チェック。何時ものごとく、Taxi駅に、8:02こまち。8:45-15:00大曲外来、Taxi17:00帰宅、家の片付け他。19;30夕食、 20:15就眠。歩数計789Km。

自分の時間を得て一層貴重になった土日、休祭日 
 わが国は他の先進国から働き過ぎだと指摘されてきた。
 我が国の週休二日制は、1989年から金融機関が、1992年から国家公務員が、2002年度から公立学校もで実施された。その後は社会的にも一般化してきた。私が勤務していた法人も1994年に4週5休制と呼ばれる変則的週休二日制を導入した。
 私は2011年の退職まで週休制を返上し土曜日も平日と同じ勤務としていた。休祭日も殆ど休む事はなかった。随分働いた。当時はこれが自分にとって当たり前と思っていたのであるが、振り返ってみればバカな働き方をしたものだ、と思う。

 退職後は嘱託医として勤務しているが、自分のための時間の確保を重視して勤務時間を調整している。
 この2年の間に頻回に入退院を繰り返していた患者の多くが死亡した。そのために本年度は勤務は外来中心となった。私が最後まで責任を負わねばならない方々はまだおられるが、その方々以外は主治医になる事はない。これで業務はかなり軽減された。もう元の勤務状態には戻れないし、戻らない。私はもう労力として求められる事もないだろう。

 現役の時の休祭日は私にとってはウイークデイと大差なく、それほど大切ではなかった。せいぜい嫌な外来がない日と言うだけであった。しかし、自分の時間として使えるようになってからはとても貴重になっている。その日を待ちわびている。不思議な感覚である。この時間を無駄に浪費する事など出来ない。これが勤務が全く無くなればまた変わるだろうが。

 退職後、近隣の老人病院の日当直勤務が割り当てられる様になった。
 当初は月間2回ほどであったが法人内の医師不足もあって少しずつ増えている。回数が増えただけでなく、日直+当直、または当直+日直と二日間に渡るケースが増えてきた。先週は、土曜午前中は法人の診療所を担当、夕方から当直、翌日夕方まで日直があたった。この日当直の間も自分の時間として使えるのであるが、何せ拘束感があり、動ける範囲が狭い。この日は24時間のうち17-8時間は椅子に座りっぱなしで、尻に褥瘡が出来そうであった。

 大切な週末、日当直の分担はかまわないが、大切な週末に24時間家に帰れないのはつらい。庭の草花、畠、猫など、私の帰りを待っている。


6/27(木)快晴 外来 LL大学開校記念講演
1:30起床。音声他各種データ整理。ハト給餌、7:30自転車病院着、回診その他、書類など。8:40-12:00外来。患者数を制限して余裕。健康クリニックドック資料判定。13:00-15:40 LL大学開校記念講演。13:20Taxiで直帰。疲れて午睡若干。水撒き、19:00夕食、22:00就寝。 歩数計780Km。

植物から学ぶ(5) 樹木に聴診器を当てると
 かつては樹木が水を吸い上げる音だと説明された事がある。今は否定されていると思うのだが、つい先日も幼児教育、いのちの教育を担当されている方がラジオで「樹木の音を聴きましょう。木々も生きているのが分かります・・」と、述べていた。

 実際には樹木のなかを水流音が聞こえるほど水が流れているわけではない。幹の中を流れる水は浸透圧と毛細管現象によって上昇し、流れる速度は1時間に40cm程度なので聞こえるような音は出ない。さらに、水が音を立てる機序を考えればいい。水流が比較的安定して流れているところでは音がしない。水流が音を立てるには空気が水と一緒に流れている時だけである。お腹に聴診器を当てると腸の蠕動音が聴こえるが、腸内を液体と気体とが一緒に流れているから聞こえる。樹木の中に気泡が共存することはない。だから音はしない。

 自然観測会などの時に用いるアウトドア製品のカタログをのなかにもが聴診器が掲載されいた。自然観察の一つとして、樹の幹に耳を当てて樹の音を聞き,樹の「いのち」に気づいてもらうという体験企画があったが、聴診器はこれが発端になっているようだ。
 観測会ではインストラクターが聴診器で実際に樹木から聞こえる音を体験してもらおうとしているわけであるが、自然への「気づき」が目的なのだから,何を聞いていても構わない。むしろ、知ったかぶりして聞きもしない方が気付きの芽を摘み取る。

 聴診器は身体の音を聴くときは肌に、木々の場合は木々に密着させなければならない。結構使い方は難しい。実際、樹木は堅く、円柱形だし、表面には凹凸がある。聴診器を樹木に密着させることが困難どころか不可能で、そのために以下のごとくいろんな音が聞こえてくる。むしろ面白い。  

■自分の身体から発する音、■聴診器と木の間を通る風の音、■木の葉がざわめき音、■遠くの車の音を含む環境騒音、■地面を伝わってくる近くの川の音など、■人の足音など。

 実際に聴いてもらって、「ナーンだ。がっかり・・」と言わせよう。


6/26(水)晴 外来     
1:00起床。データ整理、本読み。講演準備。ハト餌撒き、7:45自転車病院着。回診他病棟業務。8:45-13:00外来、混雑。15:00帰宅。主に歴史探索。夕食、20:00就眠。歩数計773Km。

医師と患者関係(21)某クレーマー(6)岩手の小泉県議が死去された
 ブログが炎上した、岩手県議会の小泉光男議員が25日、死亡しているのが見つかった。自殺とみられている。

 小泉県議は、6月上旬、県立中央病院を受診した際に、番号で呼ばれたことに腹を立て医療費を払わずに帰宅、「ここは刑務所か!」などと、自身のブログに掲載した。これに対し全国から批判の声が上がり、TVでも取り上げられた。
 本人は謝罪文を掲載してブログを閉鎖、医療費も支払った上で県議会でも陳謝している。これで一段落かと思ったのであるが、私がその次に得たニュースが県議の死亡記事で、私はニュースを見て目を疑った。

 何で死を選ばれたのか、本人の立場にはなり得ないが、私は何も死ぬ様なことはなかったのに、と思った。私はこの件はクレーマーの一例として評価し、どうあるべきだったのかについて記述した。小泉議員に反省すべき点はあったが、それ以上にネット上でのバッシングの激しさの方に注目していた。

 短文の投稿で信じられない悪意の声が多数集まっていた。気軽に「死ね」という人々、随分多かったが、彼らは何を考えての投稿だろうか。いや何も考えていないだろう。ツイッターの投稿者は思考もせず、ノリで気楽に呪詛を吐き出す。呪詛は連鎖し、数で凶暴性を増す。この無責任社会の現実を、受ける側も適正に評価しなければならない。ネット上で厳しく批判されようとも、所詮、仮想のやり取りである。県議にもそう考えてほしかった。死ぬほどのことはなかった。

 私はいじめ体罰問題で具体的な折檻や体罰が言葉の暴力よりも重視されているのはおかしいと思っている。言葉による暴力性は何故大きく取り上げられないのか。私自身のことを言えば、私は幼少の頃から小心で、常に劣等感に苛まれてきた。そのため、言葉の暴力にとても敏感である。私はつい先日まで無数の暴力的な言葉によって深い傷を受けてきた。私がそれらに反撃せずに、あるいはいじけずに乗り越えて来れたのは私を癒してくれる心の拠り所があったからであるが、究極的には度胸がなかったためである。こんな私から見れば、小泉県議に向けて発せられた悪意に満ちた声は、仮想の脅迫行為に等しいものだと思う。

 県議は積極的に自分のホームページで意見を発信してこられた様である。ネットを積極的に、有効に利用された一方で、ネットの恐ろしさについてどれほど認識されていたのだろうか。自分の意見を文章で表現することは大きな責任を伴うことでもある。また、ネット上で交わされるバッシングと実際のバッシングとは別次元のものと私は思うのだが、県議はどう考えておられたのだろうか?

 私もネットを利用している立場なので県議に親近感を持った。どちらにせよ死なねばならないほどのことではなかったと思う。ご冥福をお祈りしたい。
 


6/25(火)快晴 外来  
0:30起床,講演準備他。コイ、ハト餌撒き、7:30自転車病院着。7:30回診他。8:45-12:40外来。13:00秋銀スタッフ来訪。15:15新藤田経由帰宅、向かい風が結構強いが炎天下走行気分よし。新聞、撒水。19:00夕食、20:15就寝。歩数計767Km。

3人めの孫誕生(9) 高齢の母は児の健康と発達に好影響を与えるらしい
 高齢出産については出産時のリスクは十分検討されてきたが、児の発達についての検討はなかった。今回。英国の貧困地域の小児を対象にこの点が検討され、学会誌に報告された(Sutcliffe AG et al)。

 出産時の母の年齢を10歳代、20歳代、40歳代に分けて検討、児の参加は9ヶ月児31.257人、3歳児24.781人、 5歳児22.504人と大規模な検討である。私の問題かもしれないが、記述に理解困難な点が少なくなかった。

 それによると、
■児の外傷とか疾病による入院の頻度は母親の出産時の年齢が高くなるにつれ減少。
■ワクチン接種率は母親の年齢が27歳のグループで最も高かった。
■児の過体重は母親の出産時の年齢が高くなるにつれ増加した。この判定に母親のBMIを解析に組み込むとこの傾向は消失した。要するに母は年齢とともに体重が増加していることだろう。
■児の言語発達は母親の出産時の年齢が高くなるにつれて良好であった。
■母親の出産時の年齢が高くなるにつれて社会的、情緒的困難さが減少し、児の情緒発達に良好に影響していた。
■結論:母親の出産時の年齢が高くなると児の5歳までの健康、発達に良好な結果であった。

 高齢出産には児の発達に良い影響を持つ面もることが分かった。そうは言っても医学的にみて高齢出産のリスクは高い。
 2012年のに35-49歳の母親が出生した児は221.245人、40-45歳は37.435人であった。特に40歳以上での出産数は私の予想より遥かに多かった。これは不妊治療の発達なども含め、時代の推移に伴った現象とも言えるが、やはり高齢出産を減少させるような仕組み、考え方が必要であろう。


6/24(月)快晴 健康クリックドック業務 患者関連書類処理
1:00起床、講演準備ほかいつもの如し。膝通のために自転車、コイ、ハトに給餌後7:30病院着。9:00-11:00健康クリニックドック、14名。その後は2週間処理できないでいた事務処理。患者対応。患者関連書類処理。15:00帰宅、新聞処理、畠・花壇対応。19:00夕食、20:00就眠。 歩数計759Km。


3人めの孫誕生(8) わが国の高齢出産の現状
 3月に3人目の孫が生まれた。里帰り出産であった。今まで我が家で一緒に過ごしてきたのであるが、あと数日で横浜に戻ることになっている。生後3ヶ月にもなると目鼻立ちもしっかりしてきてよく笑う。丈夫で機嫌のいい子である。寂しくなる。

 私も医師として産科分野は一般的な勉強は続けてきてはいたが、正直言ってそれほど関心はなかったが、今回の長女の出産を機に、高齢初産、不妊治療、出生前診断などについてのニュースや文献があるとつい目が行ってしまう。長女の出産は私が予想していた様に危険に満ちたものだったが、スタッフの方々の尽力でことなきを得た。感謝である。

 2011年の厚労省の人口動態調査によると平均初婚年齢は男性が30.7歳、女性が29.0歳であった。晩婚化とともに初産年齢は30.1歳と遅くなっている。多くは5年ほどで高齢出産の域に達してしまう。

 人口動態調査によると2012年の出生数は103万3000人で、統計を取り始めた1947年以降最も少なかった。出生率は若干上昇しているが、若い女性が減少しているから出生数は今後も減少が続く。34歳以下の出生数の減少が大きい。逆に、35歳以上の出産は増加傾向にある。45-49歳の出生数は22.1245人、40-45歳でも37.435人であった。

 晩婚化・晩産化の因子として
■男女雇用機会均等法などの整備もあって社会的に活躍する女性が増え、社会的地位も上昇した。
■不景気の時代の中で収入が安定しないなか、子供を養う不安、教育費に大して不安がある。
■経済的に、生活を親に依存するパラサイト状態が社会に容認されてきた。
■結婚に対する考え方が変わった。
■個人の価値観が尊重される時代になった。1950年代には54%も占めた見合い結婚が最近は5%と減少している。
■社会的にも、医療の発達などを背景に高齢者初産に体する認識が変わってきた。

 医学的には高齢出産は、早産、先天異常、妊娠高血圧、糖尿病、甲状腺疾患、分娩異常、胎児仮死、胎盤早期はクリなどで帝王切開のリスクが高いとされている。

 このように、出産に関しては厳しい項目が並ぶが、最近、母親の年齢と幼児の健康についての検討結果が報告されている。とても興味深い。
 なお、上記は慶応大学小児科松崎洋平氏の論文を参考に構成した。感謝申し上げる。


6/23(日)曇り・快晴 飯川病院日直
0:30飯川病院当直室で起床、随想読み、徒然など。講演準備。微睡。7:00検食、花壇に撒水。8:30引き続き日直業務に。この長丁場はストレス。19:00自転車帰宅、撒水、新聞等チェック。19:30夕食。歩数計750Km。

中居真麻著「古書店小松堂のゆるやかな日々」宝島社文庫 2013年6月 670円
 2012年6月宝島社から「私は古書店勤めの退屈な女」として出版された単行本に加筆し、先日文庫として発行された。
 毎週金曜日に大曲に通勤しているが、その際、毎回改札口の近くの売店をちょっと寄って見る。数10册程度と並んでいる本は少ないが、時々フッと手に取ってみたくなるような本が並んでいる。

 私は古書店めぐりが好きである。この本で古書店について何か知ることが出来るのではないかと手に取ってみた。
 著者の中居真麻氏は1982年兵庫生まれ。「恋なんて贅沢が私に落ちてくるのだろうか」で日本ラブストーリー大賞で大賞を獲得している。私はこの本を取ってみるまで知らなかった。
 あらすじは、新規開店準備中の古書店に30代の主婦が働く事になり、その店主との間で交わされる、奇妙な、絶妙な、変な会話を通じて日常的な事件や懸案事項が処理されていくというもの。
 私が書くと三行で終わってしまう内容。この内容を文庫本350ページもの長編に仕上げる作家の想像力・創造力は何なんだろうか?驚くばかりである。
 物語としては退屈な女の退屈な話で大して面白くなかった。ただ、泥沼的が夫婦関係をかかえる主人公と、古本オタク、かつ、ノー天気な店主との会話は大部分がすれ違っているのだが、時に絶妙なニュアンスが醸し出される。そのために何とか読み続けられた。このように会話が重要な意味を持つ小説を延々と綴り続ける能力はたいしたものだと思う。

 知りたかった古本屋についての知見は殆ど得られなかったが、店主の本を愛する意気込みはよく表現されていた。
 太宰の作品を別にすると久々に読んだ小説である。私にとって面白い訳ではなかったが著者の能力の一面については感心しながら読み通した。時間に余裕がある方には勧められる。


6/22(土)曇り晴れ 港北診療所 飯川病院当直 「ヤートセ秋田祭り」前祭
0:10起床、文献・新聞チェック。データ、自宅の片付け整理。今朝、羽田発秋田行きの787機で家族が来秋予定であったが整備不良で代替機に乗り換えているという。Taxi港北診療所へ。8:45-12:00港北診療所。12:30Taxi帰宅。文献読み、データ整理など。16:00自転車通町「ヤートセ秋田祭り」会場へ。16:30中通病院、回診。17:00飯川病院当直へ。18:00検食、本読み、講演準備。20:00就眠。歩数計745Km。

「ヤートセ秋田祭り」 若者はなぜ集うのか 
若者が街秋田の中心市街地を少しでも元気づけたいを盛り上げようと始めた「ヤートセ秋田祭」の前祭が本日6月22日、秋田市大町の大町イベント広場で開かれている。今回が16回目だと言う。数年前から一度見てみたいと思っていたが機会が得られなかった。

 本日16:00当直業務につく途中に会場に寄ってみた。本日の参加は約20チームで、私は5チームほどの踊りを見た。明日の本祭は、大船渡市のチームなど、東北6県と東京などから68チーム、約1.700人が参加する予定と言う。本祭を見たかったのであるが残念なことに今夜の当直に引き続き日直があたっているので今年は無理である。

 「ヤートセ秋田祭」の「ヤートセ」は、多くの秋田民謡の歌い出しの掛け声とのこと。全国に広がる「よさこい祭り」の一環で、平成10年に秋田駅前のアゴラ広場と県民会館近くの中土橋で開催したのが始まりで、今では秋田市の夏の風物詩の一つとして広く親しまれるようになった。子どもたちから学生、青年男女、お年寄りまで参加して、個性豊かでエネルギッシュな踊りを次々と繰り広げる。

 私は「ヤートセ秋田祭」そのものに興味がある訳ではない。人ごみは嫌である。

 若者達がこのようなエベントになぜ集うのか、そこに興味を感じている。各チームごとに20-30名程度、コスチューム、旗も実に個性的である。演出、踊りの振り付けも個性的、おそらく、費用もかなりかかっているように思う。それに移動や宿泊などどうしているのだろうか。これらを誰がリードしまとめ上げているのだろうか。

 一般的に、最近の若者は互いの対話が少なくなり、孤立する傾向があるとされる。その原因として経済的充足、住宅事情の改善があり、互いに助けを必要としない生活環境があり、加えて、ゲームや各種のIT機器の発達などがあげられている。また、責任を追う事を忌避する傾向もあるという。

 私は、若者は集い、集団で何かを行うパッションは失っていないと思う。切っ掛けがあれば、適当なリーダーさえいれば彼らは集まり行動するエネルギーを持っている。高校・大学等の学校祭が近隣にあれば出かけてみるが、結構完成度が高い。また、阪神淡路大震災、東日本大震災での若者達のボランティア活動は特筆すべきであった。
 また、「ヤートセ秋田祭」は秋田の中心市街地を少しでも元気づけたいと始めた、と言うが、将来の問題点についても無関心ではないようだ。
 何もわかった訳ではないが、「ヤートセ秋田祭」を見て若い世代の行動力について若干考えた。


6/21(金)晴れ 大曲外来
0:00起床,新聞文献、徒然。講演準備など。7:30Taxi駅に、8:02こまち。8:45-15:00大曲中通病院外来。16:45Taxi帰宅、新聞・歴史関連文献読み、DVD「おくり人」2回目見る。19:00夕食、20:00就寝。歩数計732Km。

馬子にも衣装とは(12)DVD「ハンサム・スーツ」2008年作(2)
 優しい性格ながら冴えない風貌に悩む男、恵まれた容姿だけが評価されることに耐え難い思いを抱く美女、ドチラも私には分からない心情であるが、これを見事に描いた作品だと言わざるを得ない。5年も前の作品であるが私はこの映画の存在も知らなかったが、先日、知人から勧められて観た。感心した。

 更にこのドラマに関連して若干。
 女性は男より生き難い面が確かにあると思われる。気の毒な事に、女には外見による評価が生まれた時から死ぬまでついて回る。
 男の価値は何だろうか。女の価値は?と、言うのは簡単であるがいろんな要素があって簡単に評価する事は出来ない。

 私の場合、男を評価するとき外見等をは判断材料のかなり下位である。殆どそんな事を意識した事はない。せいぜい清潔であるか、身だしなみは常識的か否かくらいである。ただし決定的に嫌悪を感じるのは、咳払いとか、体から頻回に不快な音を発する男である。それ以外の項目はさして興味もない。私に敵意をもっている男でも暴力に訴えない程度であればそれで良い。

 女性に関して言えば、かなり上位に可愛いか否か、美人か否かの判断がつきまとう。しかも、単に美貌か否かだけではなく、スタイルから着こなしから、笑顔、動作の素早さなどを含む。これらをバランスよく備えた「美しい」女性は滅多にいない。これは実に気の毒で、不公平な事だと思っている。だから、評価を自ら口に出す事はしない。

 この映画では、不細工な男がハンサムな男に変身すると、それだけで起居動作のすべてが洗練される様に描かれている。これが、「馬子にも衣装」では絶対にあり得ない。「ハンサム・スーツ」は容姿に恵まれない人たちの願望ではあろうが、普通の男は装いだけではだめである。

 一方、美貌、スタイルともに恵まれている女性は自分の立ち位置をどう考えているのか。私には女の気持ちは分からないが、あえて推論すれば自分を逆方向に、すなわちブスの方向に演出しようとする発想などはあり得ないと思う。女の同性の中における優位性は一瞬で決まってしまうものと思っていて、その維持のために努力を怠らないものだ。従って、「ブス・スーツ」をまとう事はあり得ない。
 映画「ハンサム・スーツ」は喜劇として発想が面白かった。


6/20(木)雨のち曇り 外来 整形受診 患者家族面談
1:30 起床,次週の講演準備に着手。文献整理。7:40バス病院着。回診他。8:45-13:00外来。13:00-14:00患者家族面談、郵便局通帳再発行手続き、整形受診結果滑膜炎とのことで負荷減で経過を見ることに。そのため再度マウンテンバイクを出すことにした。 16:00バス帰宅。文献検討。新聞PDF化、撒水。19:00夕食、20:30就寝。歩数計726Km。

馬子にも衣装とは(11)DVD「ハンサムスーツ」2008年作(1)  
装いの最大の目的は、自らの裸体、スタイルを衣服と言う人工的な新しい皮膚によって代理させていることにある、と私は思う。要するに衣服を纏うことによって変身している。それによって社会における受け入れられ方が変わるからである。これは何も女性に限った事ではなく、男も同じである。

 自らのスタイルを誇れるような人はその素晴らしいスタイルを一層誇示出来るような衣装を纏えばいい。一方、そうでない人はこんなものだと諦めるか、投資をして別な方向に変身すればいい。ファッションの世界は外見の問題とされるが、本当は外見だけでは不足で、真に「美しく装う」のには品性も伴えば一層いいのだが、こんなのは一部の人だけである。

 さいわい「人は見てくれが9割」とも言われるから、先ず外見を整えればいい。だから、ファッション、化粧はピンからキリまで強い欲求がある。ファッション、化粧品の世界の可能性は無限である。

 このたびこのテーマを見事に映像に表した映画をDVDで見た。「ハンサム・スーツ」である。原作は鈴木おさむによる同名の小説。
 あらすじは他愛がない。


【ネタバレ】以下、物語の核心に触れる記述があります【注意】



 定食屋の店主大木琢郎は、料理上手で心優しい性格なのにデブで低身長、不細工な容姿から、女性とは無縁である。美人のアルバイト店員・星野寛子に思い切って告白するも、あっさりフラれ、彼女はバイトを辞めてしまう。そんなある日、紳士服店を訪れた琢郎は、店長・白木の勧めで着るだけでハンサムになれる「ハンサムスーツ」を手に入れる。着ると、琢郎はハンサムな男に変身。その日から女性にはモテモテ、モデルにスカウトされて瞬く間に大人気と、幸せな人生を手に入れた様に思えた。寛子に出会った彼は再び告白するが、何故かまたもやフラれる。
 一方、琢郎は、前向きで仕事の出来るデブでブス、強烈な北関東訛りとおかめ顔の新しいバイト橋野本江が気になり始める。そんな中、結局、不細工でモテない人生へと逆戻りする。その上で橋野に結婚を申し込む。すると橋野は「ブス・スーツ」を脱いで星野寛子になる。彼女は自分の外見だけが評価される事を嫌悪し、自分の内面を見てもらいたくて「ブス・スーツ」を着用していた。


6/19(水)雨 電子カルテダウンの中での外来  
1:00起床,文献読み、整理中心、いつもの如く。7:40車病院着、回診他、8:45-13:30外来。この間、電子カルテ機能せず久々紙ベースで。16:00バス帰宅。新聞整理、D
VD「県庁の星」観る。19:00夕食。20:00就寝。歩数計713Km。

医師と患者関係(19)某クレーマー(4)地元新聞に
 岩手県立中央病院を舞台としたクレーマー問題は、6月18日の地元紙「岩手日報」に以下のように掲載された。個人名が明記されているのでそのまま紹介する(一部省略した)。

 小泉県議(56)無所属、は17日県庁で記者会見し県立中央病院を受診した際に受付で「ここは刑務所か・・」「会計をすっぽかして帰ったもののまだ原も虫が治まりません」などと記していた事を認め、「不適切な表現で著しく思慮に欠けていた」と謝罪した。県議会議会運営委員会でも陳謝し、予定していた6月定例会の一般質問を辞退した。

 小泉県議は6月5日のブログで「番号で呼ばれた時に頭に血があがりました」「ここは刑務所か・・」「受付嬢に食って掛かりました」などと書き込んだ。
 7日に「不適切な表現がありましたので削除の上お詫びします」などと記し、9日にブログを閉鎖した。
 これに対して県内外から「非常識」などとする批判の声が殺到、県議会事務局には14日夕方までに469件の電話とメールが寄せられた。

 小泉氏はブログの内容について「公人としての立場を忘れ、一患者の思いを書いてしまった」と説明。病院の職員や県民に謝罪したいと話し、「身の至らなさ、軽薄さを猛省し、県議会にふさわしい議員となるべく日々努力する」と陳謝した。県議を辞職する考えはなく、料金は後日支払ったと言う。

 県議は2011年初当選し、現在1期目。県医療局局長は小泉氏が会計をしなかった事について「患者個々の対応についてはプライバシーの問題があり、コメントできない」としている。



 このクレーマー問題は私も関心をもっていたが、本人がブログを閉鎖したためにその後の経過を知らなかった。記事から分かった事は、■記者会見で陳謝の意を示した。■ 県議会議会運営委員会でも陳謝した。■一般質問を辞退した。■県議辞職の考えはなく、日々努力する。■料金は後日支払った。
 病院に直接訪れて担当者、責任者に陳謝する事が最も重要であるが、その辺の事は分からない。

 県議が会計をしなかった件については、県の医療を監視する立場にある方のコメントとしては、あまりにも素っ気ない。
 ただし、上記の記事はあくまでも記者の記載であり詳細なニュアンスは分からない。


6/18(火)降雨 外来 
1:30 起床,かなりの降雨、植物たちにとってみて慈雨。新聞・文献チェック、他。7:30車で病院、回診他。8:45-13:45外来。家族面談2件で時間かかる。書類作成。15:30バスにて帰宅。植物、野菜栽培関係の本読み。新聞チェック。19:00夕食、20:00就寝。歩数計713Km。

徒歩通勤(13) 秋田県民は、日常歩くのが少ない  
  県の健康栄養調査のうち「歩数調査」は5年ごとに行われているという。私は初めて知ったが、調査の詳細は県のホームページの秋田県医療保健福祉計画の結果として見ることが出来る。詳細は挙げないが、11年度の一人平均一日歩行数は5.768歩で全国平均6.800歩より少ない。

 成人のみを対象とした調査で全国のデータと比較すると、男性は6.232歩で全国43番目、女性は5.174歩で46番目であった。ランキングなんてどうでも良いが、こんな項目でも秋田はそっと控えめな順番をキープしている。
 同じようなランクに鳥取県や青森県があるが、都会に比べて一般に地方は公共交通機関が不備であり、車を利用することを前提に生活している。また、寒冷・積雪時期にはどうしても歩く機会が少なくなる。だから、環境が異なる地域のデータを比較する意味はそれほどない。
 県では一日1万歩を目標にしていたが、目標との間に大きな乖離があるために、いまは男女共に2-3.000歩目標値を下げている。

 私は通勤を徒歩にしていることもあって歩くことに関心が向いている。
 県に歩数調査があることなど知らなかった。どうやって調査しているのか興味を持った。歩行数の調査は県民664人に歩数計を一日身につけてもらう方法で調査しているという。さらにデータを見ると男女別、年齢層別にも集計されているから、細かく分ければ分けるほど母集団が少なくなっていく。やはり母集団が少ないのではないだろうか?また、一日だけの調査というのもいかがなものだろうか。いまは歩数計でも1-2週間分のデータが残るタイプのもあるから、せめて1週間連続記録とすべきであろう。

  秋田は交通手段が少ない。若い人たちの住宅が徐々に秋田市郊外に延びている。若い年代の人たちの歩っw数が最も少ない。県の健康対策課は健康のためにできるだけ歩くように勧めている。

 ちなみに、私も今春から歩き始めた。私のデータは一日平均1.2000歩を示している。しかし、最近、右に膝痛が出てきて膝の安静のためにバスを利用して通勤している。


6/17(月)快晴 外来 飯川病院
1:30起床,いつものごとし。晴天が続き徒然など遅れ気味。データ整理ほか。7:35バスと徒歩病院着。8:45-13:30外来。終了際に飯川病院からまた応援の要請が来た。 14:00-17:00飯川病院。18:00家内の車で帰宅、散水、畠若干。19:00夕食、20:15就眠。歩数計704Km。

第6回秋田なまはげオーケストラ定期演奏会(2) アンコールに驚く
 ■「シェーラザード」は私の大好きな曲である。華麗なヴァイオリンソロをふんだんに聴けるほか管弦楽曲の色彩豊かである。コンサートマスター藤村氏のソロは音色も美しく見事であった。管楽器群に頻繁に訪れるソロにも破綻がなかった。その中でもクラリネットの音色が会場の隅々に響き渡ったとき、私は久々に両腕に鳥肌が立った。この様に複雑な構成の管弦楽曲は演奏家を見ながら直接聞くのが一番である。しかし、秋田では「シェーラザード」が演奏される機会はこれまではなかった。

 ■アンコール曲(1)「ボレロ」。アンコールが始まったときに私は一瞬耳を疑った。小太鼓から発せられるリズムはボレロ以外ではあり得ない。ボレロはプロのオケですら演奏が困難とされているのに、アマテュア楽団である秋田なまはげオーケストラにとってはかなり冒険を伴う選曲であったはずである。しかも、「シェーラザード」直後である。ここでも見事なクラリネット、管楽器のソロが聴けた。次々と楽器を替えて受け渡されるソロパート、充実した演奏内容に驚きつつ十分楽しめた。

 ■アンコール曲(2)「花が咲く」は作詞・岩井俊二氏、作曲・菅野よう子氏による東日本大震災の復興ソングと言われるもの。ラジオでも時折聴いていた、なかなか好い曲である。この曲を秋田ラジオ歌謡連盟合唱団の方々がオーケストラをバックに歌いあげた。 
 「ボレロ」の後、最前列の方々60-70名ほどが突然立ち上がって舞台下に並んだのには驚いた。歌詞などは聞き取れなかったが十二分に曲の雰囲気がでていた。私も後席の方から見ていて、最前列はよくもびっしりと観客が集まったものだと思っていたが、実は演奏者の集団であった。という事は、この演奏会は客と演奏家がほぼ同数であったということ。

 私は通常、著名な演奏会であってもアンコールを聴かないで会場を飛び出す。演奏会自体が長丁場すぎるし、会場の出口の混雑が嫌だからである。今回もそのつもりだったが家内がもたもたして機を失った。結果としてとっても良かった。それでも「花が咲く」の終了を待って早々に会場を出て病院に向かった。

 この「秋田なまはげオーケストラ」は配布されたパンフによると、2005年に秋田大学医学部の学生を中心に構想され、2006年に秋田県内の学生・社会人音楽家を中心に結成された市民オーケストラである。メンバーは秋田県内の演奏家を中心に、近隣の県や首都圏からの有志も加わり構成されている。確かに中年の方は数名おられたがほかは20-30代と思われるわかい方々であった。2007年5月に初演、その後1年に1度の定期公演を行い、今回で6度目の公演を迎えている。演奏する曲目は秋田県内では演奏される機会が少ない作品を積極的に取り上げている、という。
 2012年2月の第5回定期演奏会の曲目は、■アルメニアン・ダンス Part.1(A.Reed)、■ヴァイオリオン協奏曲第1番ト短調作品26(M.Bruch)交響曲第2番ホ短調作品27(S.Rachmaninoff)だったと言うし、 第4回はラフマニノフのピアノ協奏曲2番、■チャイコフスキーの悲愴だったことからもその意気込みを知る事が出来る。

 私も楽しみが一つ増えた。この「秋田なまはげオーケストラ」の今後に期待したい。


6/16(日)快晴 家族バラ園へ 第6回秋田なまはげオーケストラ定期演奏会 
 2:50起床、新聞・文献チェックほか。畠・庭仕事、胡瓜・トマトなどに支柱を追加、台風・強風に備えた。読書等。14:00-16:20文化会館でなまはげオーケストラ演奏会を楽しむ。17:00-18:20入院患者対応、Delsorで帰宅、散水、晴天続きで花壇・畠とも脱水気味。書類処理など。19:30夕食。20:30就眠。 歩数計699Km。

第6回秋田なまはげオーケストラ定期演奏会(1)
 本日、14:00-16:20秋田市文化会館で行われた秋田なまはげオーケストラ定期演奏会を聴いた。期待した以上の演奏が聴けた。
 指揮は岡田友弘氏、コンサートマスター藤村政芳氏。アンコールで合唱を担当したのは秋田ラジオ歌謡連盟合唱団。

演奏曲目は
(1)ショスタコビッチ 「祝典序曲」作品96
(2) アルチュニアン 「トランペット協奏曲」
(3) リムスキーコルサコフ 「交響組曲シェーラザード」作品35
 アンコールとして(1)ラヴェルの「ボレロ」、 (2)花が咲く

 「秋田なまはげオーケストラ」は初めて聴く楽団であるが、練習場で一度だけ聴いた事がある。多分2011年12月の事だったと思うが、秋田大学心臓血管外科学教室の忘年会のアトラクションのためのバンドに私も参加していたが、その練習を秋田市のジョイナスの一室を借りてやった事がある。そのとき別の階からラフマニノフの交響曲の一部が聞こえてきた。休憩時間にそっとドアを開けてみたところ50名ほどが練習していた。なかなかのレベルと思った。そのときに「秋田なまはげオーケストラ」という名前を知った。秋田でラフマニノフの交響曲を取り上げるオケはどんなオケかと興味を持った。何度か演奏会のポスターを見たが実際に出かけたことはなかった。

 今回の演奏会でトランペットの独奏をする柴谷祐子さんは土崎の休宝寺を介してご家族も知っている方である。大学在籍の頃休宝寺でミニコンサートをやったこともある。ということで今回初めて聴くことになった。

 ■「祝典序曲」は私にとっては初めて聴く曲であったが、騒々しい曲であった。恐らく、原曲の楽器編成ではなく金管楽器を多数用いたバージョンではないかと思われた。

 ■「トランペット協奏曲」は1950年頃の作品。ハイドンの協奏曲とともにトランペット奏者にとって重要なレパートリーとなっているそうであるが、私は初めて知った。華麗な曲であるが、独奏の柴谷さんはテクニック十分、細やかな旋律から強奏まで見事に演奏した。特に、演奏が難しいと思われたpからppと弱音で奏される旋律でも安定しており、表情豊かで見事であった。


6/15(土)久々雨、午後快晴 片付け大幅に進む 枝豆第二弾蒔く 
1:30起床。文献新聞チェック、蓄積データ整理、その他。孫の週末パパ来週。羽田で787撮影。書庫と居間の整理、書籍大量廃棄。午後は庭の草刈り。枝豆第二弾蒔く。水撒き。 19:00夕食、20:00就寝。歩数計695Km。晴耕雨読的一日、至福。

慰安婦問題(4) 歴史は現場の当事者が記録し語り継ぐ事が重要 
毎年、8月上旬になると原爆投下問題がTVを中心に多数放送される。見ているうちに被爆された方々の恐怖、疼痛、苦痛、更に続く放射線障害を考えるととても辛くなる。今年も間もなくその季節が訪れる。
 ラジオ深夜便でも毎年取り上げられる。多くの被爆者が十分な治療を受けられず、日々の食事にも事欠いたこと。いのちを永らえた後も結婚や就職にも差別を受け、バスの中でも傷口を隠し、片隅に逃れるように乗っていた、などなどの体験談を多く耳にした。中には広島長崎で二重に被爆された方もいた・・・こんな体験が淡々と語られる。私がラジオ深夜便を録音しながら聴き始めた2008年以来、20名以上の被爆者、関係者が登場した。
 米国を始め、他国の為政者、知識人は上空から原爆投下の意義のみを語る。そこには被爆者が受けた苦しみを考慮した論評は見られない。原爆を投下された唯一の国であるのに、我が国の為政者達はあまり多くを語らない。何故だろうか、と思う。
 一方、被爆者はその体験を地べたの立場から語る。そこにはトルーマン、スターリン達の思惑など一切関係ない。語られるのは、一瞬の閃光、熱射、爆風等、地獄絵図である。この地べたからの訴えの実態を知らずに投下の是非を論評するのであれば、そんな事を口にする資格すらない。米国の大統領は原爆記念館を一度も訪れずに原爆の意義を語る。
 沖縄県民の中には日本軍の命令で自決を強要された体験を持つ方がいる。沖縄では自国軍も怖かったと何人もの方が語っていた。しかし、自決に軍が関与したという文書は残っていないということで軍は関係なしとされている。時代は今と違う。あの時期そんな文書がまともに発行されただろうか?もし、あったとしても証拠として残し得たのだろうか。文書はないが恐怖の体験は残されている。

 慰安婦問題も同様で、国は軍が強制的に行わせたのではない、そのような文書は一切ない、という大上段からの立場を取っている。しかし、数10万人の慰安婦がいた事実、長期にわたって広い地域で展開した制度について、地べたから発せられる数多くの証言をすべて虚偽として否定する事は出来ないのではないか。
 何であれ、多くの史実に関しては権力者側の立場と被害を受けた側との間には埋めきれないほどの乖離がある。これを埋める手だてはそれほどない。権力側が歩み寄る事は期待できない。
 いま出来る事は地べたの立場から事実は事実として記録し、語り継ぎ、同じ轍を踏まないようにすることでないだろうか。


6/14(金)晴れ 大曲中通病院外来 
0:30起床,文献本読み、新聞チェックほか。7:30Taxi駅に。途中ハトに餌、8:02こまち、先週から新型車両になった。8:45-15:00大曲中通病院外来、16:45膝をまもるためにTaxiで帰宅、畠・花壇に散水、文献チェック。19:00夕食、20:00就寝。 歩数計689Km。

植物から学ぶ(4) 植物の温度調節のメカニズム 
ここ2週間ほどまとまった降雨がない。かつ、秋田も30℃をこす猛暑が続いた。鉢植えやプランターの花、花壇の木々や花、成長盛りの畠の作物は簡単に水不足状態に陥る。だから、朝夕の水撒きは欠かせない。

 毎日細かく観察していれば彼らが水をほしがっているか一目瞭然である。ここまで世話してしまうとするともう黙っていられない。飼い犬が主人に散歩を求めてくる様に、植物たちは私に水を求めてくる。いても立ってもいられなくなる。

 鉢植えの花のいくつかを昨年の夏に刈らしてしまった。目が届かずに水不足にしてしまったからで、生きながらドライフラワーにした。辛かっただろう。先日それらを鉢から外し、洗浄してみた。小さな鉢の中は隙間がないほど細かく、かつ、複雑に根が張り巡らされ、鉢の形を保ってなかなか崩れない。その一部の根を伸ばした見たら鉢の深さの10倍はありそうである。狭い鉢の中にこれだけの根が張っているということは旺盛な水の吸収のためであることが予想できる。もっと豊かに水を与えれば枯れないで済んだはずであるが、この水を求める根の様子を見て、私は小さく狭い鉢に草木を植えるのを止めた。

 夏の暑い日、人は日差しを避け、扇風機やクーラーで身体を冷やすのであるが、そんな炎天下でも植物たちは強い太陽を浴びながら耐えなければならない。それでも茎や葉はそれほど熱くなっていない。これは実に不思議なことだと思っていた。第一、日差しを浴びて温度が高まれば変質してしまう。それには温度調節に私の知らないメカニズムがあった。

 植物の体温調節は水が豊かでないときは葉をしぼめて受ける太陽光を少なくし、水が豊かなときは大量の水を体表から蒸発させてその気化熱で調節している(甲南大学教授 田中修)。炎天下で植物たちが元気をなくすのはすべて水不足と思っていたのであるが、確かに水を与える前にシャンと戻っていることもあり、自己防衛のために萎れていた、と理解した。

 私は植物が水を求めるのは体内に水を満たし張りを維持するすため、と思っていたが内部環境を守るために大量の水を蒸発させていた。植物たちは私が思っていた以上に水を求めていた。

 最近、散水量が増えた。水道水を撒くのは贅沢なことでもある。雨水利用なども考えねばなるまい。


6/13(木)晴れ 32℃ 外来+紹介状
0:00起床,新聞チェックほかデータ整理。7:30バスと徒歩病院着。患者対応、家族面談。8:45-13:00外来。健康クリニックドックデータ処理。紹介状作成に難渋する。 17:30通町からバス利用で帰宅。新聞チェック。花壇・畠に散水、雨が乏しくて厳しい。19;00夕食、20:30就寝。 歩数計679Km。

私の真の宝物は何か それは身体と精神と時間(2) 
■身体と精神が維持できていれば、次に貴重なものは何と言っても時間である。
 古くから時間に関する格言は数多存在する。「少年老い易く学成り難し」などなど枚挙にいとまがない。後者は少年であっても学なり難し、と言うのだから、既に成年や高齢になったわれわれには一層深刻な問題である。
 また、私自身も感じているが、時間のすぎるのがとても早くなっている。「光陰は矢の如し」に過ぎ去って行く、年齢とともに「心理的時間の経過は年齢に反比例する」というJanetの法則がある。要するに、歳と共に内的時間感覚が大幅に変わっていくと言うことである。誰に聞いてもそう答えるからほぼ万人に共通の感覚なのだろう。

 ■将来に向かっての時間
 各人の人生を考えるとやがて終末を迎える。人生の時間を前向きに語れば有限である。いつまで生きられるか分からないが、残りの時間は常にカウントダウンしている。そのゼロに到達する時間が一般的に分からないだけである。残りの人生の長さについては関心が高いのであるが、これを論じるのはあまり意味がない。いつ終わるか、場合によってはこの瞬間に終わってしまう可能性がある、からである。

 ■現在の時間
 もう一つの時間がある。一刻一刻と過ぎ去っていく現在の時間である。この時間は止まる事はない。誰にとってそうだ。どう考えようとも自由であるが、時間を意識する事なくボーっとして浪費している暇などない、と私は思う。この時間は空気と同じくあまり意識される事はないが、失われた時間は絶対にとり戻す事は出来ないから、 実に貴重な宝物である。今、やろうとしている事を今行わなければならないのだ。
 この現在の時間に関しては質があると思う。タイトに過密のスケジュールをこなすのも良し、もう一方では、過ぎていく時間を意識しながら自分なりに最もあった質の高い時間を味わうのも良し、である。避けたいのは、時間に追われる生活である。かつての私もそんな状態の中で貴重な時間を失ってきた。いま過ごしている時間は前より遥かに質が高い。

 ■過ぎ去った時間  
 既に失われた時間は再び戻ってくる事はない。物理的にはそうであろう。しかし、過ぎ去った時間を呼び戻し利用する事が出来る。そのために私は日々の記録を自分の手で綴り、データを蓄積し、日々の感想を記録する。自分の世界は狭い。それを補充するのが歴史の史料であり、文献である。1975年以降の分はブリタニカ国際年鑑を利用して過去に戻っている。

 「よく生きたい」は万人にある夢であり希望である。よく生きたいのであれば今の時間を意識し、吟味して生きる事である。時間は貴重であり、何物にも代え難い財産である。
 他のものはすべて財産だと思いこんでいるだけにすぎない。


6/12(水)快晴31℃ 外来 
0:30起床,新聞、文献等整理、蓄積データ整理と廃棄。本読み、ペットボトル廃棄日。ほかいつもの如く。7:30バスと徒歩病院着、書類処理ほか。8:45-13:30外来。健康クリニックドックデータ処理。15:20書店経由、一部バス帰宅、 本読み散水その他。19:00夕食、20:30就寝。歩数計662Km。

私の真の宝物は何か それは身体と精神と時間(1) 
最近は身辺をいろいろ整理している。次々と廃棄するものは多い。意外と残しておくべきものはないものだと思う。 
 その中で自分にとって財産だと思うのは身体と精神と時間であることを自覚する。生きていくためにほかのものも欠くことは出来ないが、現状ではそれほど不足する現状ではない。身体と精神と時間が大切だなどと言えるのはとても恵まれていることである。一方、これらの大切さを認識していないとすれば実にもったいないことでもある。

■身体は自分だけの宝である。
 「他、これ我にあらず・・」はある高名な僧の言葉であるが、この言葉は自己と他人との身体の関係についても100%当てはまる。他人が代わって食事をし、排泄してくれる訳でない。絶対に有り得ない。従って自分にとって自分だけの究極の持ち物、宝物・財産と言っていいだろう。言い換えれば、自分が財産と思っているものは、家族であろうと金品であろうと、結果的に真の財産とは言えない。私にとって自分の身体はかけがえの無い財産である。だから、大切にしたい。私の持ち物、道具などは大した価値はない。
 よその方の考え方など分からないし、言及したくないが、医療関係者の目から見てもっともっと大切ににするべきでないだろうか。

 ■もう一つは精神活動。
 精神活動も私自身だけのもので、それ以外ではあり得ない。個別の人間同士はどんな状態にあっても、「他、これ我にあらず・・」である。私は自分以外の人と感情的に共通の状態はあり得ない。近似の状態ですらあり得ない。すなわち、自分以外の人間との間に共感などもあり得ない、と割り切って来た。

 医学教育の中に於いても、医師は患者と共感し、寄り添わなければならない・・などと指導されるが、それは100%無理。そんな中で医師として私がやってきたことと出来たことと言えば、患者の言葉に耳を傾けたことだけでしかなかった。その傾聴にあたっては、経験と訓練によって体得した「和顔愛語」の技術が役にたった。

 私の精神活動も大したことをしてきた訳ではないが、日常つらつら考えていることを日記として文章に表して来たことは小さな果実の一つである。そのうちの10数年分はこの徒然日記である。見直せば自分が当時何を考えていたのか、生きてきた毎日の足跡を確認できる。

 いろいろな考え方はあろうが、私に精神活動に大きな障害が生じた際にはいのちの維持を目的にした治療は望まない。身体的障害を含めてその書面は用意している。


6/11(火)快晴 暑い30℃らしい 外来 
1:00起床,いつもの如く。徒然など。 7:40バスと徒歩病院着。8:40-13:00外来、並程度。本日から一応飯川病院
の午後勤務なしに。定期採血とプラザキサ処方。15:30バスと徒歩帰宅。夏の日差しと暑さ堪能。レクイエムほか。畑・花壇に散水。19:00夕食。新聞、文献読み、20:30就寝。歩数計648Km。

医師と患者関係(18)某クレーマー(3)ネットの威力と怖さ
 岩手県立中央病院を舞台としたクレーマー問題は、医療費をすっぽかした点をのぞけば全体的には茶番に近い内容である。

 この件に対する私の感想は、
 第一に、現職の県議の行動だった事。これにはいささか驚いた。当初、当人は当該記事を削除したうえでネット上で謝罪したが、順序がまずい。病院には医療費スッポカシを含めて担当職員にも不快な思いをさせているのだから、直接病院を訪れて医療費を支払い、しかるべき方々に謝罪すべきであった。ネット上での謝罪はその後にすればよかった。ネット上での謝罪は誰に対してしたつもりなのだろうか。

 第二にはネット上の情報の伝播は著しく早く、それに短時間に多数の人たちが反応してくる、という事、これは考えようによっては怖い現実でもある。事の次第が一人歩きしてしまう。

 第三に、特に反論とかの場合、ネット上での記述内容は当該の件の記述にとどまらず、個人的な資質、それほど関連していない人にまで影響が及び、人格を傷つけられるような内容ということである。人格の否定、誹謗、中傷は人としてやってはならないことである。 

 このクレーマー問題は数日前からYahoo上でも話題になっており、岩手県のレベルから全国区レベルに広がってしまった。その記事に寄せられたコメントは優に5.000件を超えたという。当初、反響の大きさにご当人は当該記事を削除したうえでネット上で謝罪したが、むしろ批判は高まる一方で、ついにブログも閉鎖した模様である。真に謝罪の気持ちがあるのであれば、やはり直接病院を訪れるべきであった。

 私も現役にあった時、メールによる病院へのクレーム、スタッフへのクレームが多数よせられ、その記述内容の激しさに閉口したものであった。時には院長であった私まで誹謗の対象となった。それでも実名でのクレームに関しては丁寧に対応した。ときには直接お会いして説明したこともある。

 私はパソコンやワープロは「憎悪増幅器」になる、と感じている。今は殆ど見られなくなったが、自筆で書かれたクレーム文などは一般的に表現がソフトである。自筆で「書く」ことによって自分の考えが整理され、誇張や無駄な部分が削ぎ落とされるからだと思う。一方、パソコンやワープロは「書く」のではなく「打ち込む」作業であり、感情の赴くままに次々と言葉が打ち込まれ、追加されていく。行き着く先は誹謗と中傷である。また、クレームは本人からのよりも、本人の話を聞いてエキサイトした家族や友人からのが遥かに辛辣である。

 私はブログ、ツイッター、フェイスブック、掲示板・・などが何たるものか全く知らない。ネット上で大々的に意見が飛び交い、盛り上がる事を「炎上」と言うことも初めて知った。今回のクレーマー事件は「炎上」に相当するだろうが、交わされる意見や感想は多くは刺激的な言葉だけから成る短文である。これらを見るのは辛い。私の様にくどくどと説明をしているのはまず無い。私にはそのような、刃のような文は書けない。

 私がつらつら綴っているブログにも時に反論やコメントが寄せられるが、多くは親切な助言が多い。しかし、時に一行程度の短文がぶつけられることがある。その意図も分からないだけに私は困惑する。

 私はつくづく良い時代に生きている、と思う。自分の生活の中にいろいろなことを取り込み享受している。ただ、これはちょっと、と思うことも少なくない。


6/10(月)晴れ 健康クリニックドック 飯川病院 
0:30起床。蓄積データの整理。7:45バスと徒歩病院着。回診。9:00-11:00 健康クリニックドック。2週間分のやり残し業務、カルテまとめ、総括など。14:15-17:00飯川病院。病院花壇に散水。18:00家内の車で帰宅。花壇畠に散水。19:30夕食、20:30就眠。 歩数計648Km。

安倍政権の経済政策(7)アベノミクス(5)暗雲が現れ始めた 
 私も若干ながら経済問題に口を挟めるようになった。まだまだであるが2-3年前には考えられない事であった。

 いま興味を持って追っているのはアベノミクスであるが、ここ数週間の間にちらほらと綻びが見え始めた。ただ、政府関係者、日銀関係者はまだ強気の発言を繰り返している。本当のところは分からない。 

 黒田日銀総裁は量的緩和政策を実行に移し、長期金利も引き下げる方針だったが、長期金利が0.3%から1%まで上昇し始めている。これは予想外のことだったと思われる。
 長期利率は国債の運用実態を反映する。住宅ローンの金利も上昇している。金利が上がって行くと資金運用が困難になることからアベノミクスの成長戦略に大きく影響する。アベノミクスは実質経済の成長でなく、人工的なデフレ対策だから実質成長との間に矛盾も現れてくる。それが市場に鋭敏に反映する。今後どのようなコースをたどるのだろうか。 

 国債の売り買いはだれがやっていたのか?
 最近明らかになったのは、日本の大手の金融機関だと言う。3月は2.7兆円ほど買い越しだったが、4月は国債をこぞって売り始めて売り越し状態である。金融機関が先を見て方向転換したということ。国債の動きに連動して長期金利が影響を受けている。  
 アベノミクスでは景気を刺激しようとしているのだが、その効果が実質経済に届かないうちに金融が先に動いてしまった。アベノミクスにはマイナス要因である。

 安倍総理が成長戦略について語り始めた途端に株価が下落、円は再び高くなっている。成長戦略は私など見ればよく出来ている様に感じられるが、金融関係者、投資家の立場から見れば期待に反していて、国債を保持していてもメリットはない、と判断した結果と思われる。

 輸出に関しても思わしくない傾向にあるようだ。
 輸出産業は円安効果で一見好調に見える。確かに円安だから輸出関連業界の、特に大企業は利益率が増えて豊かになってきている。しかし、金額は増えたものの仕事が増えているわけではない。だから、下請け企業に仕事に回っていない。国内の仕事量は減少し、結果的に輸出総量も低下しつつある。輸出に関するある指数は昨年10月頃は93.6、12月は90.0、3月は85.1にまで低下し、貿易収支の悪化を来している。円安が回り回って貿易収支の悪化に繋がっている。努力なしにお金だけ入ってくる円安は、企業の活力を低下させるという皮肉な結果になりうる。

 期待を実質に変えなければならない。夢を語る政治家的言葉だけではダメだろう。次の手は何を提起してくるのか?


6/9(日)晴れ 家の修理・畠仕事など 
0:30起床。本読み、文献チェック。午前畠、花壇の散水、野菜の支柱立て他。家内と娘買い物にでかけたので孫とともに留守番、緊張したが比較的簡単に寝てくれた。ガラス掃除、ドアの猫対策、自転車整備など、若干の午睡後、18:00散水。2週間ほど前に蒔いた枝豆が発芽しない。19:00夕食、20:00就寝。 歩数計639Km。

ABS秋田放送開局60周年記念「笑点」収録
 ABS秋田放送開局60周年記念で人気番組「笑点」の収録が6月7日12:30から秋田県民会館で行われた。

 知らなかったのであるが、私はABS特選落語会の優先予約登録会員になっているらしく招待という事で入場券が手に入った。これとは別に一般公募も行われたというが、15.000人ほどの申し込みがあったと言う。ABS秋田放送では落語会などいろいろの事業を行っているが、今までの最大の倍率であったらしい。大変な人気である。職場に抽選に漏れ手に入らなかったスタッフが何名かいた。私は貴重な機会と思い出かけることとした。

 入場券はペア券となっていた。娘の子育ての手伝いに北海道から来てくれている賄いのおばさんを誘ったが、北海道に逃げられた。家内にも逃げられた。どうしようかと迷っていたが、たまたま私の診療についたスタッフに声をかけたところ是非と喜んでくれた。

 当日は招待券を指定券に替えなければならなかったが、同伴の彼女に依頼した。おそらくそう早くは並らばないだろうから座席は期待できない。バードウオッチング用の双眼鏡を持参した。予想通り席は2階席の中段で双眼鏡は役に立った。

 収録は2週分で、私は放送と同じ順に1週毎分に撮り進められるのかと予想していたが、歌丸師匠の導入の挨拶2週分連続、前座の漫才2本、ついで大喜利2週分という順序で進められた。前座の漫才2本は早口でよう楽しめなかった。名前も初耳だったが、恐らくペアのうちの一人は秋田出身だと言うから「磁石」か?もう一つのペアは「U字・工事」だったと思う。

 私は落語が好きで独演会などにも聴きにいく。笑点のメンバーのうちでまだ聴いていなかったのは木久翁、円楽であったが、これで一応全員を生で見たこととなる。

 笑点は人気の長寿番組であるが、笑点メンバーの落語会では「笑点での話題が頻回に」登場する。確かにメンバーの知名度、人気はこの番組を介して抜群であるが、独演会等では笑点の話題は控えてほしい。純粋に、落語家としての技能を、粋な噺を聴きたい。一方、ほかの落語家からは笑点の話題は一切出てこない。同じことはNHKにも言える。TVの歌謡番組は見ることは少ないが、ラジオ深夜便では3:00amからの歌謡曲を中心とした日本のメロディをほぼ連日聞いている。歌手の紹介には「紅白歌合戦」に何回出たかが紹介される。NHK的尺度であって客観的判断ではない。大上段に構えたNHK的態度でとてもしつこい。ぜひ、止めてほしい。

 司会の桂歌丸師匠は77歳、私は5回ほど聴いているが、芸にも司会にも枯淡の味がある。第一、姿勢が良い、言葉がはっきりしていてよどみが無い。表情、動きも・・である。枯れた華を感じる。今後も元気で長くご活躍いただきたいものである。
 秋田の収録は6月30日と7月7日に放送される。


6/8(土)晴 笑点収録を見る 
2:00起床、文献検索整理など何時ものごとし。12:10バスにて県民会館に、ハトにエサ。12:30-15:30笑点収録、16:20帰宅。午睡。18:00散水、19:00夕食、20:00就寝。伊能歩数計634Km。

医師と患者関係(17)某クレーマー(2)医療費すっぽかしは犯罪行為
 岩手県立中央病院は私が宮古病院に赴任した時代から県立病院群のセンター病院であり救急患者を何度も移送した。また、各種の研修会にも通った。10数年後、血液科科長外遊の際に依頼があって秋田から10日間ほど通って入院患者の治療に通った事もある。昨年まで院長と副院長は宮古病院時代の同期生であった。現在、知り合いが化学療法科で勉強中である・・・など、私にとっても懐かしい病院の一つである。

 このクレーマー問題は会計をすっぽかした件以外は内容的にはほぼ茶番だが、岩手県立中央病院を舞台にしているのでそう無関心でいられなかった。それに、通常見られるクレーマーが匿名で投稿するのに対して、この方は、ブログの中で身分、URL、主張、などを明快にしている事はある意味では潔い。また、現職の県議会議員である事も無視出来ないし、犯罪行為であるとの自覚を欠いている点は問題である。

 私の立場で若干コメントすると、

■「受付で番号で呼ばれた事に激怒」であるが、個人情報、患者間違いを防ぐためには今は通常の姿である。どこかに「フルネームでの呼び出しを希望なさる方は・・」旨の掲示があれば良かっただろう。
■「職員がカウンターから出て、会計をもって患者の方に来るべき」に関しては医療機関と一般のサービス業と取り違えている。額の問題ではない。不自由な方にはそのようにしている。
■「会計をすっぽかして帰った」は犯罪行為である。ラーメンを食い逃げすれば逮捕されるが、医療機関の場合は問題にならないらしいが矛盾している。医療機関も対応には及び腰である。記録から当人を追跡出来るが、後回しにすると難癖つけて支払わないケースが多い。大きな病院の未収金は年間1.000万円にも及ぶ。病院は即座に警察に通報していい。まず逮捕、事情はその上で考慮しましょう。
■「事務長に・」と申し出た。「院長を出せ」「事務長をだせ」は最近のクレーマーに多いが、内容によってはこちらから対応する。「患者さん」であって「患者様」ではない。患者とスタッフは同列である。
■ブログに事の顛末を提示して「私が間違っていますか。病院の対応が間違っていると思いますか」と問うたのは実に面白いが、本人が自分に非がない、と確信を持っているのが不思議である。さらに、数100件もの指摘を受けてから記載された「お詫び」の文章にも自分の一連の行為が、犯罪であることも含め、反省の気持ちがないことも不思議である。

 私の感想は、
 第一には、これが現職の県議の行動であることである。ご本人の資質に関しては触れないが、岩手県の医療は現在厳しい状態にあり県立病院の再編も進められている。2007年の県立医療機関の決算は一般会計から140億円の繰り入れを受けても10億円以上の赤字を計上し、2009年の県議会では県立病院の再編について議題となり、達増知事が議会場で土下座してまで議案通過を求めたことがあった。岩手県にとって今なお医療機関の問題は重要課題であり、議会でも検討を進めているはずである。

 その議会人が県立病院を舞台に茶番を演じたのは、根が深いんだか、浅いんだか、判断に迷ってしまう。
(参考URL)
岩手県のK議員、病院で番号で呼ばれたことに激怒  http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-3011.html

(魚拓)http://megalodon.jp/2013-0607-0824-01/ameblo.jp/koizumi-mitsuo/entry-11545371158.html


6/7(金)快晴 大曲中通病院外来 飯川病院 
 1:00起床。文献、新聞など読む。7:30Taxiで駅に、途中ハトに餌。8:02こまち26号。この便も今回から新型車両に変更になった。8:45-13:00大曲外来。13:25こまちで秋田に。14:15-17:00飯川病院。病院の花壇にも散水。18:00家内の車で一緒に帰宅、畠・花壇散水他。19:10夕食、20:30就眠、伊能歩数計627Km。

医師と患者関係(16)某クレーマー(1)自身の気持ちをブログで吐露し、判断を仰いだ
 私は自分でも書いているくせにヨソの方のブログを読む事は滅多にない。先日たまたま病院の対応に不満を持った方の意見が記載していたブログに出会った。 今回のクレームは医師との関係ではないが、参考になる。

 本文は自ら削除しているのでそのまま提示出来ない。ブログの主は50歳代後半の現職の岩手県のK県議会議員で、本文の要旨は以下のごとくである。

■検査受診した際、受付で「 “241番の方”、会計が出来上がりました。どうぞお越しください”」、と呼ばれた事に激怒。
■「ここは刑務所か!名前で呼べよ。なんだ241番とは!こちらは15,000円以上の検査料を支払う、上得意のお客だ。そっち側から、“本日は有難うございました。”と、カウンターの外に出て、患者の方に来るべきだ 」と受付嬢に食って掛かかった。
■会計をすっぽかして帰った。
■公衆電話から「職員対応にクレームがある。事務長に繋いで」と申し出たが、3分以上待たされ、事務長でなく男性担当者が電話口に出た。
■これにも激怒。「事務長は逃げ回っているのか」と再び電話口で炎上。
■このブログをご覧の皆さん私が間違っていますか。岩手県立中央病院の対応が間違っていると思いますか!

 この問いかけに「あなたの方に非がある・・」との書き込みが数100件あり、県議は本文を削除、二伸のお詫びの文となったものである。投稿の殆どは県議の判断、行動の是非に留まらず、本人の資質、「だから岩手県は、岩手県人は・・・」と言うところまでエスカレートしている。

 本文は既に削除されていたが、二伸として以下のようは一文が掲載されていた。

 岩手県立中央病院様に、ご迷惑をお掛けしました。
 皆さんこんにちわ。カラ梅雨継続中ですが、今日夕方、場所によっては、少なめながら慈雨に恵まれた地域もところどころあったようです。

 さて、一昨日の昼のブログで、県立中央病院に検査受信(注;受診のこと)した際に不適切な表現がありましたので、削除の上お詫びします。
 日々自己犠牲も厭わず献身的に、県民医療サービスに従事され、汗を流している医療関係者の皆様が、多くいらっしゃいます。そうした方に対しても、配慮のない表現でした。

 重ねて深甚なるお詫びを申し上げます。今後一層勉学に励み、岩手県民のために、精一杯働いてまいる所存でございます。宜しくご指導の程お願い申し上げます。

(参考URL)
岩手県のK議員、病院で番号で呼ばれたことに激怒  http://news020.blog13.fc2.com/blog-entry-3011.html

(魚拓)http://megalodon.jp/2013-0607-0824-01/ameblo.jp/koizumi-mitsuo/entry-11545371158.html


6/6(木)快晴 外来 飯川病院 
 1:00起床。いつもの如く文献、新聞など。7:20バス併用病院着、7:30回診など。8:45-13:10外来。14:00-17:00飯川病院。病院の花壇にも散水。18:00家内の車で一緒に帰宅、畠・花壇散水他。19:10夕食、20:30就眠、伊能歩数計617Km。

秋田の2012年人口動態 出生率、自殺率、婚姻率、がん死亡率など全国最下位
 厚労省は6月5日、2012年の人口動態統計概要版を発表した。
 秋田の新聞、TVはこぞって大きく報道している。わが国全体の統計はも重要であるが、それによると秋田の2012年の人口動態によれば、出生率、自殺率、婚姻率、がん死亡率などで軒並み全国最下位を占め、出生率、自殺率共に18年、がん死亡率は16年連続で全国最下位を占めていると大きく取り上げている。
 私はこれらは順位を争う競争でないのだから、○○年連続全国最下位という表現は評価や感情がこもっているから適正でないと思う。ワーストも不適である。用いるならせいぜい客観的に「全国一高い or 低い」で良い。 

 簡単なデータは以下の如くである。参照した秋田魁誌はワーストなのでそのまま借用した
----------------------------------------------------------------------------
■出生率は、6.2/千人 18年連続ワースト  出生は6.543人で前年比115人減 
■婚姻率は、3.8/千人 13年連続ワースト  婚姻数は4.020組で前年比38組減 
■がん死亡率は、386.7/10万人 16年連続ワースト  
■自殺は、27.6/10万人 18年連続ワースト 293人で前年比53人減 
-------------------------------------------------------------------------------------- 

これらの各項目は発表される毎に評論や対策がなされているが、私は各項目は互いに深いレベルまでリンクしているのだから個別に考えても、論評しても無駄だと思う。
 これらの指標はすべて秋田県の県勢、すなわち活力に関連している。
 基本的な原因は、(1)県の人口減で、(2)その因は人口の流出、(3)その因は低迷する秋田県の経済状況で、若者が県内では生きていけない。(4)都市圏で就職、結婚し、子育てする。婚姻率、出生率はそのためこの様な数値になる。(5)若者の流出は県の経済を低迷させる。(6)自殺率の高さも県の経済活力低下に直・間接的に関連している。(7)がん死亡率は検診等の問題もあるが、基本は県人口の高齢化によっている。
 (1)から(3)によって県の活力は低下し、これらは悪循環して(1)から(7)の因になる。

 悪循環を改善させるには最も深い要因、県の経済力の低迷を断ち切ることにある。それは政治にしか出来ない。県の関係者や心ある方々は、■出生率、■婚姻率、■がん死亡率、■自殺率、を改善させようと努力しているが、個別に頑張っていても効果はない。最も根本である県の経済の立て直しにしか活路はない。従って、これらの指標は数年間単位で微少に動く。他県との比較でワースト脱却もあり得るが、そんなことに価値はない。
 佐竹秋田県知事は2期目に入った。所信表明では「人口減社会に対応する社会システムの構築」を最重要課題に挙げ、政策や県勢方針を大胆に語っている、とのことである。期待したい、と思う。ただ、知事には壁が立ちはだかっている。世界的不況のもと、わが国の経済低迷、株価や円は不安定はである。アベノミクスの経済成長戦略も評価が分かれるところである。壁はあまりにも大きく高く、知事の「人口減社会に対応する社会システムの構築」は時代の流れに抗うのではなく、流れにそって県をまとめていく方向に中心がある様に見えてならない。


6/5(水)晴天 外来 飯川病院 
0:30起床。新聞・文献読みとデータ化etc。7:40膝痛のためにバス利用で病院着。書類処理。8:45-12:45外来。書類処理。14:00-17:00飯川病院。18:00バス利用で帰宅、畠花壇散水他。19:10夕食、20:30就眠、伊能歩数計608Km。

徒歩通勤(12) 偉人伊能忠敬(5) 千葉県を通過 茨城県に入る
 私は4月7日以降、伊能忠敬の指導のもと、師が歩いたルートを辿って歩いている。本日伊能式歩数計は徒歩通勤してから608Km、本日ついに千葉県を通過し茨城県に入った。次の福島県まで171Kmである。

 東京を出るまでは約60Km、千葉県は九十九里浜こそ単純であったがそこに至るまでの海岸線が長く550Kmもあった。約1ヶ月半かかった。この間、数日ごとに日本地図で通過点を確認し、Wikipediaで地域の産業や文化について読んでみた。ずいぶん広い県であるが房総半島は山岳丘陵地帯が多く、海岸線に市町村が点在している。九十九里浜になると内陸部は広大な平野につながっている。

 私は地理については殆ど勉強しておらず、北関東各県の位置関係とかやっと分かり始めた。茨城県も私に取っては疎遠な県であった。本日からいろいろ勉強する。
 師である伊能氏は鉄人である。私など足下にも及ばないが、先日ラジオ深夜便を聴いていてすごい人の便りを聞いた。文京区在住のご高齢の方で年齢は不詳。ここ10年間歩く事を習慣としており、毎朝5:00amから2時間、昼食後1時間、夕食後1.5時間歩行しているのだそうだ。高機能の歩数計を携帯しパソコンでデータを集計していると言う。昨年度の集計は歩数が1億1.828万4.441歩 、一日平均3万2.407歩、 年間の歩行距離は 7.097.4 Km でこれをJR路線にプロットすると鹿児島・稚内間を往復する距離と言う。すごい方である。これだけの時間を歩行に割けるのもすごい。ちなみに私の場合、一日平均2時間程度、1万3千歩、距離は12Km程度でしかない。それでも最近は膝痛が生じているので若干歩行を控えている。

 外来診察時に運動についての生活指導をする。その際、自分の試みについても話題として紹介するが、何人かの患者に「一日2時間も歩いている?先生もかなり暇ですね。私はそんな時間なんて・・」と言われた。 他人の事は理解不能であり、何とも言えないが、 時間がないから出来ないという人間は時間があっても何もしない人間の様に思えてならない。私も暇だから歩いているわけでなく、この時間は私にとっては学びもかねる貴重な時間でもある。
 


6/4(火)快晴 外来 飯川病院
1:00起床。新聞・文献入力、データ整理etc。7:45膝痛のため一部バス利用して病院着、回診他、8:45-13:45外来、14:00-17:00飯川病院。18:00一部バス利用で帰宅、本読み、自室整理。19:00夕食、20:30就眠、伊能歩数計597Km。

安倍政権の経済政策(6)アベノミクス(4)首相と日銀総裁が近すぎないか? 
 日銀黒田新総裁の就任とともに「異次元」と言われるの金融緩和が行われている。アベノミクスの政策と一致して景気回復の期待感から流れはいい方向に進んでいたが、5月28日には日経平均株価が市場に例の無かった1.100円も暴落してから 市場は大きく動き始めた。本日の時点でも安定していない。

 私は安倍総理と黒田総裁の経済運営の方針が似通っている事は心配の種である。日銀の中枢も似た考えのスタッフで固められた。

 新総裁のもと大胆なマネー供給策が行われ、1ヶ月で155兆円に達した。これも最大の記録更新で3月比26%増、4月はひと月で16兆円が供給された。日銀はこの方針を続け、2年間にマネー供給を270兆円に拡大、2015年末までに人工のインフレによって2%物価を引き上げるという。日銀が本日発表したマネタリーベース(資金供給残高)は世の中に出回るお金の量が159兆と過去最大、前年比で37.6%増に達している。

 今、日本の金融機関は国債770兆円、日銀は110兆円保有している。日銀が国際を買い集めているので市場の国際が少なくなり、これが長期金利を例のない実験だとも言われている。

 株価の変動が直接企業の景気をつくるから、株価が上がれば、一時的には座しているだけで儲かることになるから、アベノミクスに対する期待感は極めて大きい。国を挙げて「期待」、「期待」である。
 結果的に安倍総理に文句は言えない雰囲気である。かつて小泉総理のときは「反対勢力」などと言われて反対意見も言い難い状況になっていたが、現在もそれに近い。民主党は野党第一党として反対意見は述べているが主張が小粒、負け犬の遠吠えのように聞こえる。共産党はアベノミクスに最初から問題点を指摘しているが、国民には知られていない。

 今の状況は人工的に仕掛けられた株高だから実態経済と乖離している。期待感だけは大きかった。だから今回アメリカの製造業関連の指標が落ち込んでドルが一気に売られ、円が買われたことで円安から一気に円高になった。今後もアメリカのFRBが金融緩和を継続するか否かにかかっているとされる。

 だから、日本が一国だけで金融緩和を進めていても結局はアメリカの景気によって左右され、黒田総裁、安倍首相の言うバラ色のコースを進むのかは先行き不透明である。
 私は現状では政府・日銀の経済政策、アベノミクスを見守るしか無いと思っているが、政策自体に大きなリスクを抱えているだけに目論みが外れたときの落としどころを知るのが恐ろしい。黒田総裁はそうなれば責任を取って辞任・・などと言っているが、混乱の中取り残される国民はどうなるのか?政治家はどうする?


6/4(月)快晴 外来 飯川病院
0:10 起床。新聞チェック他資料整理、バックアップetc、いつもの如し。8:00徒歩病院着。回診他、8:45-13:00外来。患者家族面談2件。14:00-17:00飯川病院、先月までと思ったが、今週も必要との事。やむなし。18:00保戸野からバスで帰宅、本読み、自室整理。19:00夕食、20:30就眠。伊能歩数計586Km。

3人めの孫誕生(7) 世界的にみた出産の現状
 孫が生まれたりすると妊娠出産関連について興味が高まりつい目がいく。特に長女の場合は子供が出来ずに悩み、ひとたび妊娠が判明したときには高年初産の壁にぶつかった。帝王切開で出産した後も大量出血にて結構危機的なコースをたどった。娘の出産は現代の医療の進歩のおかげである。関係された方々には感謝である。
 妊娠・出産は病気ではない、との誤った考え方も聞かれる。あらゆる生物の中で人間の出産が最もリスクが大きい。医療が未発達な時代、途上国の現状がそれを物語っている。
 日本の古い文献を見ると、歴史中の人物で、出産時に命を落とした例は枚挙に暇がない。平安時代後期の古典『栄花物語』には、村上天皇中宮安子から白川天皇女御道子まで47名の妊娠・出産が記述されていて、中宮安子を筆頭に後朱雀中宮まで11名が妊娠・出産で死亡している。死亡率は実に23.4%にもなるという(佐藤千春 お産の民俗 日本図書刊行会 1996)。 わが国の妊産婦死亡率はこの50年で1/30に激減し、出生10万人あたり6人程度となっている。人口あたりの医師数および医療費が先進国中最低ランクであることを考えると、奇跡的な結果である。このような医療水準は、国内では「当たり前のこと」と不当な評価を受け、産婦人科医師に異様なプレッシャーを与え、産科医減に寄与している。

 WHOの統計によると、世界全体の妊産婦死亡率は1980年は出生10万人あたり422人、2008年には251人まで低下した。それでもまだ日本の40倍である。米国は2008年は17人と、わが国の3倍程度である。いかにわが国の医療水準が高いか分かる。

 妊産婦死亡の50%はインド、ナイジェリア、パキスタン、エチオピア、コンゴの5カ国に集中している。10万人あたりの出産で2.000人死亡の国もある。世界の妊産婦死亡は年間34万2.900人と推定されている。不十分な集計しかない地域もあるから実態はもっとひどいことされている。 

 エチオピアの場合、若年結婚が多い。背景に食い扶持を減さねばならない経済事情もある。10-12歳で妊娠すると母体に比して相対的に児頭が大きく、出産時のトラブルが頻発する。運良く母体が助かっても膀胱膣瘻、直腸瘻などで尿や便が垂れ流し状態となり、臭いのために家にも入れられず、社会的にも抹殺されている若い経産婦が200万人もいると言う。300ドル程度で治療出来る病態であるが殆ど治療されていない。明治時代までこれに類似した状況は日本にもあったとされる。

 妊産婦死亡は先進国ではほほ99%助かるのに、どんな環境で生を受けたかによって女性達の人生が変わっていく。この現実は厳しい。

 おりしも日本が音頭をとって20年前に始めたアフリカ開発会議(TICAD)の5回目の会議が横浜市で開催されている。資源や市場としての開発の話題が中心であるのが寂しい。


6/2(日)快晴 
1:00飯川病院で起床、本読み、新聞チェックなど。蓄積データ整理、バックアップなど。7:00検食、9:00業務終了、徒歩10:00帰宅。散水ほか。快晴で暖かく机に向かう。夕方再度花壇・畠に散水他、20:00夕食、20:45就寝。伊能歩数計563Km。

退職3年目初日 今年のキーワードは「自分勝手に行こう」 
昨日は退職3年目初日となる。
 今も長く勤務した法人の病院で嘱託医として働いている。実質的にはあまり変わっていない部分はあるが、勤務が原則外来だけの午前中となった。徐々に法人ともスタッフ達とも疎遠になって行く。組織には年寄りは不要、は持論だが、自ら線引きもすべき時期も近いかな、と思う。それは私が望むところでもある。

 高卒を機に郷里、盛岡近郊であるが、とのしがらみから距離をとった。土地も家屋も売却し私は自由になった。高齢の兄一家が盛岡に、郷里に墓だけ、と言って良い。そうそう、息子一家がまだ盛岡在住である。
 秋田で長く組織の中で過ごしてきたが、振り返ってみれば組織は本音を出せない窮屈なものである。退職してから自身のために使える時間がふえ、自由を味わっている。

 近況としては、就寝時間が早くなり、0時頃から1時にかけて起き出す。自由に使える時間が増えたので通勤は徒歩にしている。出勤準備に入る6時頃までの早朝の静かな時間帯は私にとって至福の時間である。少しだけ医学雑誌に目を通し、電子的に蓄積している文章・録音データを整理し、後は人間の歴史、宗教、美術、文学などの書籍に目を通す。最近経済問題とか歴史問題に些かながら口を出せるようになってきた。まだ午後は自由にならない状況であるが、これらの時間と、週末の二日間は素晴らしい時間である。とにかく時間が勿体なくて無為には過ごせない。

 いろいろあったが、良い一年であった。
 今年の目標は「いきものがかり」の曲名にちなんで「自分勝手に行こう」にした。

 日差しが強くなってきた。ひげも伸びている。世の中うるさすぎる。だから、サングラス、iPod付きノイズキャンセリングヘッドフォン、マスクは必須の小道具である。左甚五郎の「見ざる・言わざる・聞かざる」を自身でやっているのであるが、これらを全部同時につけると変質者そのものである。外では二つだけにしている。

(診察室でーー診察時はマスクだけにしている)

 まあ、理屈抜きに、この一年無事に過ごせれば最高、と思っている。 


6/1(土)快晴 飯川病院日当直  
 0:20起床、新聞入力、データ整理。徒然、など。7:00花、畠に散水、9:00庭のアジサイを植え替えしたが腰を軽く痛めたらしい。孫の侑奈の週末パパが第一便で来秋、搭乗便は秋田便初就航のB787だったと言う。膝痛もあり車で送られ病院着、入院患者回診、オーダーだしなど。12:30飯川病院に移動、日当直業務に。持参の本読み、録音データ、文章データ整理。18:30夕食、20:30就寝。伊能歩数計563Km。

秋田空港にB787定期便として就航 
 
昨年秋、全日空が今春3月16日からB787を就航させると発表した。

その後機体のトラブルが続き、世界的に運行停止となっていたが、本日から各地に向けての定期便が再就航出来ることとなり、本日の羽田発の第一便が秋田便の初就航となった。私は最近航空機を利用することはほとんど無くなったが、この便で家族の一人が来秋した。秋田空港はB787を見ようといつもにないほど混雑していた、と言う。
 (ボーディングブリッジから見えた頭部。窓の形とちょっとだけ見える主翼の先端からB787とわかる)

 B787の発注は全世界で800機に及ぶ。全日空が66機、日航は45発注し次々と引き渡されている。
 2011年11月世界に先駆けて全日空が定期便として就航させた。 約一年間は大きなトラブルはなかったが、昨年の年末以降次々とトラブルに見舞われた。就航する機体数が増えてきたこともあると思われる。

 トラブルを私のスクラップから並べて見る。
■2012年10月宇部空港燃料漏れ
■12月ユナイテッド航空で電気系統トラブルで緊急着陸
■2013年1月7日米国ローガン国際空港に到着した日航機で補助動力バッテリーからぼや騒ぎ
■1月8日米国ローガン国際空港で離陸直前日航機で燃料漏れ
■1月9日宇部空港でブレーキ関係トラブルで欠航
■1月16日キャビンに煙り充満、高松空港に緊急着陸。メインバッテリートラブル。国内全機飛行停止に
■1月17日全世界で運行停止。この時点で全世界で50機が運行、そのうちの半数が全日空と日本航空であった。

 B787は機体に炭素繊維を用い軽量化し低燃費のエンジン採用、操縦系統の多くが機械式から電気系統に置き換わった。電気の固まりの機体、とも称され、就航前から電気系統が心配されていた。ほぼ同サイズのB767より燃費が2割改善し、航続距離は4割伸びた。機体の35%が日本製部品からなる。秋田のメーカーも名を連ねている。

 2004年全日空が発注したことで生産が本格化、しかし強度不足、対落雷対策の不備とかで改修を繰り返した他、試験飛行中に配電盤から出火するなどで初納期は3年以上も遅れた。
 トラブルの真の原因は分かっていないとのことであるが、バッテリーに幾重にも安全対策を行って再就航にいたった。
 これらのトラブルでは人的な被害が生じていないのが幸いであった。革新的な技術を多数採用した為の初期トラブルと考えれば、問題が発覚しただけでも無いよりは良かったと思う。B787はより安全になったと言えよう。

 B787の再就航によって一世を風靡したB747ジャンボ機、現在は全日空が7機運用しているだけとなった、が間もなく日本の空から姿を消すことになると言う。時代の流れである。


徒然日記バックナンバーへ戻る       徒然日記へ戻る   トップページへ戻る

   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


ご意見・ご感想などをお聞かせください

これからの医療の在り方:Send Mail