2012年8月分
日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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8/31(金)快晴 大曲中通病院外来
0:40起床、新聞・文献他、本読み。ゴミ出し。コイ・ハト後6:45自転車病院着、回診他、他科依頼の準備2件。8:01こまち。8:45-15:00大曲中通病院外来。16:30帰院、17:00-19:00映画「ミツコ」感覚、19:30夕食、20:30就寝。
自由人(18) 組織(5) ひたすら順応する情けない自分がいた
社会に出るまでは親族の一員として護られていたが、社会に出ると同時にいろいろな組織の一員として過ごした。ザッと言って宮古病院、秋大病院、現在嘱託として勤務している法人の3組織である。約40年間であった。この間、医師会役員であった12年間も同様の意味を持つだろう。
私は組織に身を寄せていないと不安だ、ということも理由の一つであったが、医師としての修練のために、また、培った技能の実践のためには既存の組織とそこの人材の英知のもとにて修練するしか選択肢はなかったからである。
大きな組織の一員として働きながら、私はいつも、いつかはじかれるのではないかと言う一抹の不安感と、対人関係の中でトラブルを回避するための心配りをしながら、与えられた仕事をコツコツと処理してきた。従順な職員であり、物わかりの良い職員の一人として都合の良い存在であったと思う。
日が浅いうちは責任も薄いから個人としての言葉を些かは吐くことが出来たが、徐々に組織の運営の一旦を担うようになると次第に発言出来なくなる。唯々諾々と業務を引き受け、質量共に自分の能力以上の業務に押しつぶされながらも、それでも自分に与えられた環境に不満を持つことは殆どなかった。過重な業務をこなしている同僚も少なくなかったし、この組織を通じて社会貢献もしている、と言う満足感もあった。
還暦を迎える数年前までは道を変える発想や意識は殆ど生じた事はなかった。むしろ中途で参加し主流でなかった自分にとっては恵まれた環境なのだ、と納得していた。
業務で、あるいは医師会とかでの会合の中で興味を思ったのは、自由と時間が比較的豊かに持てている同僚あるいは同業者の姿であった。この様な過ごし方もあるのかとの驚きであったが、頻繁に接していると、次第に自分が置かれている立場はかなり自分を苛んでいる、と自問し始めた。ある開業医の言葉が耳から離れない。「開業医は厳しい。勤務医の先生が羨ましい・・」と。どのようなことを背景に発した言葉であったか忘れたが、私から見ると、自分を生かすために選んだ道なのに何を言っている・・、と思った。勤務医はそんなに甘くない。自分を殺さなければやっていけないのだ。ただ、そんなことを言い合っても何とも成らないので反論はしなかった。ただ、そのような考え方があると言うことは私をいらだたせた。
これは決して羨望ではなく、まもなく還暦を迎え、残りの時間が少なくなって来た自分自身に対する焦りであった。
還暦近くの歳になって、組織への帰属のメリット、離れる不安は相対的に薄れてきていた。もう何とかやっていけると辞表を用意したのであるが、時機を失してしまい昨年まで約6年待ってやっと実現した。
ひたすらまわりに順応する情けない自分はもういなくなった。
8/30(木)早朝降雨・晴れ、太平洋岸で地震、震度5強 外来
1:00起床。文献読み、PDF化他いつもの如し。コイ用餌作り時間なし、ハトのみ。7:00病院着、回診その他、8:45-14:00外来、新入院あり対応。16:30横山金足線経由で帰宅。刈り取った笹だけ処理に困り一部庭で消却、一部ゴミ処理に回す。19:30夕食。20:10就寝。
自由人(16) 組織(3) 私にとって組織とは何だったのか
私は退職して組織の一員の立場から離れた。退職後も嘱託として業務は行っているが100%診療だけである。それも、長く経過を追ってきた患者の外来診療と入院診療のみとなった。外来、殆ど新規の患者はを受け持つことはないが、時には私宛に紹介された患者を受け持つこともある。その際、私の年齢や体力、嘱託という立場などを患者や紹介してくれた医師に説明し納得頂いた患者に限っている。それでもまだ外来患者は減少せず結構多忙な毎日である。
7年ほど前、還暦を迎えるにあたって組織の一員としての自分の姿、行動に疑問を感じ、一旦組織から離れたい、と機会をうかがってきたが、その機会を失ってしまった。昨年やっとその状態になったが、私にとっては良い意味で予想以上の生活環境となった。
私は小さい時から不安が強い子供であった。何が不安の対象であったのか忘れたが、漠然とした不安を感じていた。虚弱なせいもあったのだろう。いのちに対する不安は大きかった。常に誰かが傍にいなければ、いや、誰かという個人よりは家族とか親戚とか、隣近所の人とか、何らかの絆の中の一員として常に複数の人の近くでなければ安堵出来ない性分であった。
その一方では、人間関係や人との距離感にも恐れと不安感を持っており、一定の距離を置かなければ一緒には居れないというような妙な感覚も持っていた。そのために小学校卒業する頃から食事以外の時間の大部分をかつて診療所として使われていた一軒家で飼いネコと過ごしていた。
今迄の交友関係を振り返ってみて多数の方々といろいろなレベルのお付き合いがありお世話になったが、真に「親密」と呼ぶべき間柄の人がいたのか、と自身に問うてみると、いなかった様な気がする。「友人」という関係で見ても ちょっと思い当たらない。私のこんな考え、感覚は人にも伝わるのだろう。人から、組織から疎まれている感覚はほぼ日常的であった。私の方に原因があると自覚していたからそのことを気にしたことはあまりない。
わずかに家族達とは上記と同義には語れない関係にある。それは否定できないし認めたい。ただ、家族に関しては責任感から関係を維持しているのではないのか、いや、そんなことではないはずだ、と自問自答している。私は人間関係について未だよく分かっていないようだ。
8/29(水)晴れのち雨 外来 職員検診
2:00起床,文献・新聞ほか。7:00コイ・ハト給餌後病院。回診他病棟業務。 8:45-13:20外来。職員検診、2月に比し4Kg減であった。書類処理。15:30-17:00新屋3回目、余楽庵・新屋参画館・忠専寺・ 地蔵堂、栗田神社など見て帰宅。新聞検討、19:00夕食、20:45就寝。
晴天続き(2) 日本の、世界の水不足について
8月から記録的な小雨である。関東東北圏でも水不足の可能性が出て来ており、東北5県では自主的な農業用水の節水が行われている。東北河川の中では、信じ難いことであるが雄物川も水不足の候補河川とされている。県内では特に、旧中仙町、旧太田町一帯は斉内川の水量に依存している渇水の候補地区でであるが、このままではどうなのか?と心配になる。
日本は降雨量も多く緑に恵まれていて水は豊富な方だと思われている。今年は九州、山陰山陽地区はゲリラ豪雨で洪水が問題になった。関東関西以南、特に四国では時に深刻な水不足が生じることはよく報道される。水の豊かな秋田市周辺に居住していると厳しい水不足まではなかなか理解が及ばない。しかし、世界的には日本も深刻な水不足に陥る候補地に上げられている。
本年3月、米国国家情報長官室は3月に、2040年までに世界的に水が不足し、食糧事情や経済に深刻な打撃を与えるという報告書をまとめた。これは水不足を原因とする戦争の可能性を追求するための調査であるが、戦争が10年以内に起こることは考え難いが、国家間の対立要因になり得る、と警告している。水受容は人口増加、経済発展で2030年には現在の3割増しになると推定する一方、温暖化で供給量が減少、水力発電量が低下して経済活動にも支障が出る、食料品は高騰する、と推定している。
なお、2001年にはジュネーブでで開催された「気候変動に関する政府間パネル」の作業部会は当時の水不足人口17億人から2025年には50億人に上るという最終報告書をまとめている。私の資料の範囲からであるが、その後、この3月までこの関連の大きな報道は見られなかった。
日本列島は降水量に恵まれていながら度重なる水不足に悩まされてきた。国交省は2008年版「日本の水資源」で背景を検討している。気象庁の統計によると年平均降水量は1960年から減少傾向を示している。減少してきていると言えども降水量は1690mmで世界平均810mmの2倍もある。しかし、狭い国土に密度高く国民が暮らしているわが国は、国民一人あたりが使える水資源は3200立方mで世界の平均8600立方mの半分以下である。川は勾配が大きく、有効に利用されないまま短時間で海に流れ出る。だから、わが国は年ごとに異なる降水量に敏感に影響を受けることになる。
水不足は特に四国地方で頻発するが、1994年の列島渇水では42都道府県に影響が及び、1600万人が節水を強いられ、1400億円の農業被害が出た。秋田でも節水が叫ばれ、車の洗浄とかに自粛が求められたことを思い出す。
日頃水不足を実感する機会は少ない。しかし、地球規模でも、日本としても、更に秋田でも天候によっては大変な事態になり得る状況にあることを、古い資料を調べて改めて勉強しなおした。
8/28(火)快晴 残暑 外来
1:00起床,論文読み、データ処理・整理他、家庭ゴミ。7:00コイ給餌後病院着.回診、8:45-13:45外来。15:45-17:15新屋へ2回目。秋田公立美術短期大学、アトリエももさだ、新屋温泉、新屋図書館、大川瑞帯状近隣公園等を見て帰宅。新聞・本読みなど。19:30夕食、20;10就寝。
晴天続き(1) 私にとっては嬉しいが、水は大丈夫か?
8月から記録的な小雨である。
8月 28日までの県内降水量は平年の4割程度で、生活や農業への影響が懸念される。
玉川ダムは水位が低下し、県は最大出力2.36万Kwの玉川発電所の運転を31日から停止する事にした。ダムの水位が発電に必要な4mを下回る見通しで取水できないためで、停止は1990年の運転開始以来初めて、と言う。玉川発電所は東北電力に売電し、現在は約2.3万世帯分に相当する発電を担っている。
ダムは発電とかんがい用水のため放流が続き、ダム湖のは普段見えない湖底がむき出しになっているらしい。
県内の8月の降水量は36観測地点のうち、最も少ないのは象潟の26mmで、平年の約5分の1。大曲32.5mm(平年170.4mm)、田沢湖は平年237mmで137.5mmの6割程度、とのこと(秋田さきがけ)。山間部は平野部よりは降水量は良いようだが随分少ない。
私の日記では8月中は6日、16-17日だけで、降雨のために自転車通勤出来なかった日は1日だけであった。コイに餌を与えている旭川の水位もこの1ヶ月間増水で汚濁した日は殆ど無い。また、帰宅後に花壇や畠に散水はほぼ毎日であった。墓参りに中旬に2泊3日で家を空けたが、それだけで花や野菜達は一気に弱ってしまった。車を使わないようにしていて比較的天候に行動が左右されている私も今月の降雨は著しく少ない、と実感している。
上旬の竿灯の4日間も、先日の25日の大曲の花火も天候に恵まれた。ただ、花火は中継を見ていると風が少なくて前の煙が残っている状態で次が上がり、画面では一部が欠けて見えた。
太平洋高気圧が衰えない事による晴天続きで、今後も尚晴天が続くという。
炎天に身体を晒し作業するのを好む私にとっては嬉しいが、雄物川も水位が下がってきているようだし、そろそろ渇水が心配になってきた。
8/27(月)晴れ 外来 映画:「道ー白磁の人−」 除雪機予約 同級会打ち合わせ
1:45 起床。文献・新聞、医学論文チェック、その他。コイ・ハト後6:50自転車病院着。回診等、8:45-13;30外来、混雑、入院2名あり疲弊。書類処理他。16:00除雪機予約、16:30文化会館小ホール映画:「道ー白磁の人−」、18:30-21:00同級会打ち合わせ、帰宅。21:45就寝。
領土問題(2)ナショナリズムの高揚
ロシアでは首相が北方領土の国後島を訪問したが、現地は別にして国民の意識が盛り上がりを見せているという動きはさほど見えない。むしろ、メドジェーエフ首相はそれを喚起するために行動しているように見える。
一方、韓国では大統領が竹島を訪問したことによって低迷していた大統領の支持率は一気に70%台にまで上昇した、と言う。今回は韓国側の行動だから抗議行動などはないが大統領の行動を支持する国民の意見は大きいようだ。もし、訪問が野田首相だったら大変な事態になっていた、と思う。
尖閣に関しては今回の香港の活動家の不法上陸、逮捕、強制送還、更に日本人の上陸したことに中国国内では激しい抗議行動が生じていて邦人も被害に遭っている。中国政府はこれらの行動が拡大しないよう抑制しているが成功していない。あまり強く抑制すると国民の抗議活動の矛先が反日から自国の体制批判に向かう可能性があるからである。
韓国と中国においては「親日的」という評価を受けている人々は何か事があれば激しいバッシングの対象になる。かつての日本も思想を色で区別して排除した時代があったが、それに似ている。「反日」と言う言葉を大きく叫ぶだけでナショナリズムを高揚させる効果があるようだ。
竹島や尖閣諸島問題が起こる度に韓国や中国では反日感情の高揚が生じるが、国民はどれほど領土問題を理解した上での行動なのだろうか? 恐らく、反日というだけの行動ではないか。領土問題は最もナショナリズムを刺激しやすい対象である。領有権を主張している国でそれに異議を唱える国民はどれだけいるのだろうか。考え方に濃淡はあるだろうが、総じて支持するだろう。領有権を否定すると言うことは国家としての主権を否定することに等しいからである。
今回の韓国大統領の電撃的訪問をしたばかりでなく、天皇陛下が述べた過去の見解を否定し、新たな謝罪をも求めてきた。それに対してわが国で抗議行動は起こってもおかしくない事態であるが、そのような動きが見られない。国民性の違い、政治に無関心という事もあろうが、わが国の若い世代には「反韓」意識が殆ど無いからだと思う。
私は中国や韓国に行ったこともなければ知人もいない。歴史本や文献、新聞などから知識として取り入れることが出来るだけである。それでも感じ取れるのは反日感情の根深さであり、それが世代を超えて若い世代まで受け継がれている、と言う事実である。
8/26(日)快晴・暑い 飯川病院日直
1:00起床、新聞/文献チェック。本読み。8:00コイ・ハトに餌。飯川病院日直。病院は問題なさそう。こんな天気の一日、やりたいことが一杯あるのに拘束されるのは辛い。18:30金足線経由帰宅。20:00夕食。20:30就寝。
領土問題(1)日本の領土政策の根拠を明確にして欲しい
7月にはロシア首相が北方領土の国後島を訪問し、8月に入って韓国大統領が島根県竹島を、香港の活動家が沖縄県尖閣諸島に上陸した。一気にことが噴出したように思えるが、実際には長年にわたって常に小事件が生じている。
いずれもわが国ではこれらの島々を「わが国固有の領土」として来たが、竹島は韓国が1952年に勝手に竹島を含む李承晩ラインを設定し、それ以降竹島に警備隊を常駐させているし、北方領土はロシアが第二次世界大戦の結果ロシアに領有権が移ったと主張し、ロシア人が居住している。日本はサンフランシスコ条約で千島列島の所有権は放棄したが、択捉・国後等の4島はそれに含まれない、との立場を主張している。尖閣諸島はそれまで問題になっていなかったが、1970年代以降東シナ海付近に石油埋蔵の可能性が指摘されてから中国が領有権を主張してきた、とされている。
国が主張している以上、私もこれらの領土は日本領だと思っている。ただ、正直なところその根拠については深いところは実は知らない。これから勉強しなおす。
そんな立場であるが、各国の対応は許し難い。ただ、それ以上に、わが国の領土問題への対応はこれまで何だったのか?と思ってしまう。こちらの方が問題でないだろうか。各国はそれなりの立場と根拠を上げて領有権を主張して来るのが、わが国がそれに明快に反論しているように見えず残念である。
わが国が固有の領土だと主張し続けるのであれば、そこを管理下に置かなければならない。だから、主張と実際にやっていることの間には大きな乖離がある。そこが分からない。言動不一致も甚だしい。勿論、管理下に置くと言うことは相手国との間に一定の緊張感が生じることになる。それをわが国は避けてきた。そのツケが今の問題のルーツである。
尖閣に何故みすみす上陸を許す? 竹島への韓国の警備隊が常駐を何故許す? 北方4島にロシア人が不法に居住している。何故それを許しているのか? そんなことを許しながら主権だけを主張するのはおかしい。明らかに矛盾である。私の理解では実質的利用してきたと言うような古文書とか歴史的記述が根拠になっている様に見える。だから、政府が大した反論もせず実質的利用をさせている事実を過小に評価出来ない。
8/25(土)快晴 終日外仕事 第86回全国花火競技会
1:30 起床、文献・新聞チェック。6:00コイとハトに餌をまいて自転車病院へ。餌になる冷凍ご飯を天日で乾燥するために持ち帰る。金足線経由で帰宅。9:00から炎天下で庭仕事、笹ダケ運搬、一部償却、取り残した笹ダケの処理などほぼ終日。十二分に日差しを浴びて大満足。途中グーグルアース関連のソフト使用も試みる。19:00大曲花火TV中継一部観つつ夕食。20:10就寝。
炎天下庭仕事終日 残暑を堪能
我が家の庭に咲いたハス。留守の間に脱水気味で元気がない。変色した葉も見える
今朝8月25日、暗いうちはやや雲があったが陽と共に快晴となった。日差しも強い。今日も暑くなりそうである。今日は休日、こんな日はもう私は気分が高揚し黙っていられない。
まず、間もなく散りそうなハスの花を写真に撮り世話をした。このハスは5月に知人から譲り受けたもので初の開花である。墓参りで家を空けたがその間すっかり脱水状態になり花勢も弱まった。今朝がラストチャンスのように思う。ハスは水分が不足すると葉の外側から水の供給を止めるようで、葉の周辺から褐色に変わっている。まずかった。2匹のネコについては十分注意したが、畠や花壇の事も考えなければならない。大きな反省点である。
次いで、余った食材をきざみ、ヌカをまぶしてコイ用の餌を作り、ハト用には乾燥米を持って旭川、千秋公園経由し、20Kmほど自転車散歩して帰宅。これだけでも汗びっしょり、気分良好である。
約1ヶ月ほど前から隣家との境界近くにある笹ダケを刈り取り始めている。かつては義理の父がやっていたというのだが亡くなった後、この10年ほどは野放し状態にしていた。実際ひどい状態になっていた。笹と言ってもバカにならない。大部分が私の背丈を遙かに超えて太さは1cmほどもあった。それらが密集し隣家の様子など全く見えなくなっていた。根が境界を越えて畠に這って行って迷惑をかけているようである。ここまでひどいと処分せざるを得ない。
最初は草刈バサミで刈り始めたが密集したところは刃が立たず無理であった。電動草刈機に金属のブレードを取り付け慎重に作業を進めた。私の草刈機にとってこれ程の笹ダケ刈りはちょっと荷が重いようである。加熱せぬ様休ませ休ませ作業を続けて来た。本日はそれらをガレージ前に運搬し乾燥した。その後細断して市のゴミに出す予定であるが、あまり多くて何十袋になるか予想もつかない。
本日はテニス用ショートトランクス一つで上下裸で作業した。これ程日差しが強いとまわりには殆ど人影がないから迷惑にもならんだろう。水分を十分摂取し、何度もシャワーを浴びながら終日作業した。強い日差しも十分堪能し、今日は満足した。まだまだやらねばならない外仕事が残っている。残暑がしばらく続くようなので日光浴を楽しみつつ、作業を進めたい。
8/24(金)快晴 大曲中通病院外来
1:40起床、新聞・文献他。コイ・ハト後7:05自転車病院着、回診他、8:01こまち。8:45-15:00大曲中通病院外来。16:30帰院、17:00-19:00映画「ミツコ」感覚、19:30夕食、20:30就寝。
大仙市大曲 明日の全国花火競技大会で様相が一変
私は1992年頃まで大曲中通病院に3ヶ月ほどの短期赴任5回した。その後数年、外来診療を週一回手伝っていたが、その後は若手医師に交代した。だから、私にとって県内では秋田市に次いで親しみを感じる街である。
本年4月から再び外来診療を週一回手伝っている。一言で言えば法人内の医師不足のためである。同じ法人内の施設の診療応援をするのは当然であるが、約10ヶ月間維持してきた週一回の患者関連書類処理日がなくなったのは苦しい。机上に未処理カルテがたまるようになった。
大曲中通病院は15年ほど振りである。この間「大曲市」は新幹線で通過するだけで一度も訪れていない。この間、大曲中通病院は平成20年9月に新築移転し、「大曲市」は平成17年3月に周辺の6町1村と共に合併し「大仙市」となった。
4月、久々降り立った大仙市大曲は駅周辺の様子が一変していた。街並みがとてもきれいになっている。特に駅から中通病院に向かう路はメインストリートであるが道幅が広がり、両側に並ぶ商店の外観が殆どリニューアルされている。また電柱の地中化、が行われており空が広く開放感がある。
しかし、街中に人出は殆ど見られないのは異様である。尤も、私が新幹線こまちで移動し街をタクシーで通過するのが8:30前後だからちょうど人出の端境期なのかも知れないが、そうは思っても私の目には異様にうつる。コンビニも含めて閉鎖した店舗も2,3見られる。概して活性化が乏しいように思う。正直、2011年9月東電第一原発の周辺市町村について、「市街地はまさに死の街だった」と発言し辞任した鉢呂通産相の言葉を思い出した。
それが、本日午後は様相が一変した。明日は第86回全国花火競技会が行われる日である。15:00に街を通過したが、キャスター付きバックを曳いた観光客が大勢歩いているし、駅舎内や周辺は車や人で溢れていた。下りの新幹線からは通常の数倍以上の乗客が降りてきた。
花火競技会は雄物川河川敷で1.8万発の花火が予定されている。桟敷席は2.1万席、今年は80万人の人出が予想されるという。本日夕方から明朝にかけては交通渋滞が予想されている。
大曲の花火大会は素晴らしい。私も子供達が小中学生の時は何度か見に行った。その際、宿を取ったこともあったし JRを利用し。溢れる人混みで駅まで歩くのも大変であった。車で行った秋田の友人は帰宅に6時間もかかったという。いつかまた見に行きたいとは思っているが、あの混雑と帰りのことを考えると二の足を踏んでしまう。駅には臨時列車の看板が出ていた。20時から0時にかけて「大曲花火号」と称する列車が10本ほど運行されるようである。
幸い天候は心配なさそう。無事に運営される様願っている。
8/23(木)晴れ 外来 日吉神社に立ち寄る
1:45起床。7:00自転車病院着、回診その他、8:45-14:00外来、16:00運動のため秋田大学を経由し自転車帰宅.講演準備。夕食。20:50就寝。
映画「少年と自転車」と『ミツコ感覚』
■「少年と自転車」日本での実話がヒントになった作品
ベルギーの映画。監督はダルデンヌ兄弟。第64回カンヌ国際映画祭でグランプリ受賞した、評価の高い作品、とのこと。
主役は12歳の少年。かつて父親から買って貰っ自転車にかなりの執着を持っている。彼は自分を児童養護施設へ預けた父親と暮らすことを夢見ていて、学校をさぼって父を探す。彼を探しにきた学校の教師から逃れようとして入った診療所で美容院を経営する女性にしがみつく。それが縁となってその女性が週末だけ里親になり一緒に過ごしながら、父親の行方と自分の自転車を探す。父親と再会出来たが父親は「もう会いに来るな」と言って少年を突き放す。養育放棄である。また、自転車は父親によって売られていた。もう誰も信じることの出来なくなった主人公はついに悪の道に誘われ罪を犯す。里親になった女性が少年を矯正しながら、共に歩んでいく、と言う過程を描いた作品。
この映画は2003年に「息子のまなざし」のプロモーションで来日した監督が、ある少年犯罪のシンポジウムで耳にした「赤ん坊のころから育児放棄されて施設に預けられた少年が、親が迎えにくるのを何年間も屋根に登って待っていた」という実話を聞いたのがきっかけだったという。
「少年と自転車」という題名に興味があったが自転車との関聯についてはそれほど興味ある展開はなかった。別に自転車である必要はなかった。また、著明な映画祭でグランプリを取ったのは何は評価されたのか、私には理解出来なかった。
ただ、忠犬ハチ公にほぼ共通した話題が実際にあったことをこの映画のパンフレットで初めて知ったが、この話は広く知られているのだろうか。信憑性が疑われているハチ公よりもはるかに話題性が大きいと思うが、犬だから美談として話題になったのだろうか。
■『ミツコ感覚』 出演者の表情は楽しめた
行きつけの映画館で観たが、観客は私一人であった。
監督 山内ケンジ 。出演は初音映莉子、石橋けい、古館寛治、三浦俊輔ほか。全て初耳、初めて見た俳優達で、それぞれキャラクターに沿った良い演技、表情を見せていた。
二人暮らしの、ごく普通の姉妹の日常が語られただけだが、母は自殺、父親は新しい女と共に家出、妹は就活中、姉は会社の上司と不倫あり、煮え切らない上司、その妻の自殺未遂・・と次々と展開し、ストーリーは多彩であった。全編を通じて姉妹に妙な男がストーカー的にまとわりつく。やや暗い話題を扱っていながら、ストーカー役の小柄の俳優は独特の味を出していて取り上げ方は軽くてユーモラスに仕上げられていた。
楽しめた、とは言えなかった。姉妹の家庭をのぞき見した様な、妙な感じがした。ただ、こんな家庭や世界もあるのかな、所詮作り話だな・・と半ば乗り切れないまま、個性的なキャラクターを的確に演じた出演者達の表情を見つめていた。
この2本を見て、昨年から50本以上も観たが、まだ私は映画の良さ、価値を理解出来ていない、と思った。
8/22(水)晴れ 外来 三吉神社に立ち寄る
2:00起床。文献他。コイ・ハト後7:00車病院着。回診、入院患者家族面談。8:45-14:00外来。17:00帰宅。新聞、文献処理、文藝春秋を読む。19:00夕食、20:00就寝。
ヘルスチャレンジ2012(1)多項目達成を目指す
9月1日は法人共済会主催の「ヘルスチャレンジ2012」と称する2ヶ月間のキャンペーンのスタート日である。 「ヘルスチャレンジ」(ヘ・チャ)は共催会員の健康管理と健康増進を兼ね,会員一人一人が目標を立ててチャンレンジするもの。項目は全部で14項目あって,「ジョギング100Km」、「休肝日二日以上」、「完全禁煙」、「ウオーキング60万歩」、「サイクリング200Km」・・・と身近な項目、数値目標である。自分で目標値を設定して申告しても良い。達成者には項目毎に図書券1.000円分、抽選で10名には10.000円のギフト券がつく。自己申告であるから判定が甘くて問題であるが、ごまかすと心に傷を負う。 私はこんな規格があるとつい参加したくなる。今までの実績は以下の如くである。 ■「ヘ・チャ2007」:「スリム3Kg作戦」、「エレベーター・エスカレーターを使わない」の2項目、 図書券2.000円獲得。
■「ヘ・チャ2008」は何としたか記録取っておらず不明。
■「ヘ・チャ2009」:「ウオーキング60万歩」、「エレベーター・エスカレーターを使わない」の2項目。前者は脱落、図書券1.000円獲得。
■「ヘ・チャ2010」:「サイクリング200Km」、「スリム3Kg作戦」の2項目、後者失敗、図書券1.000円獲得。
■「ヘ・チャ2011」:「サイクリング500Km」、「週5日以上、腕立て伏せと腹筋運動、背筋運動を各20回以上」の2項目。後者失敗、図書券1.000円獲得。
今年の「ヘ・チャ2012」は「スリム3Kg作戦」と「サイクリング1000Km」と自分で設定してエントリーした。
ところが、問題点が生じた。今週自分で体重測定してみたら2月に比較して既に3Kg減量になっていた。確かにもう少し減量したいと思ってはいるが更に3Kg絞るのは辛い。来週に職員健康診断があるのでそれを基点とするが、それまでの間若干肥らせておく。昨年はサイクリングは「500Km」を目標に設定した。
私は今回は「スリム3Kg作戦」と自己目標を「サイクリング1.000Km」に設定して2項目にエントリーした。私の気力のバロメーターになる。次回から出来れば何項目でもチャレンジできるようにしてもらいたい。予算もあるだろうから達成者には図書券2.000円を限度とすれば良い。
8/21(火)晴れ 外来
2:00起床,文献・新聞ほか。コイ・ハトに餌後7:00車病院。回診他病棟業務。 8:45-13:20外来。盆の翌週と言う事で混雑。17:15雄和、雄物川河川脇経由で帰宅。庭の草刈り若干、17:00夕食、20:45就寝
墓参り2012(4) 小岩井農場 最後に墓参りして解散
19日日曜日、つなぎ温泉四季亭でゆっくり朝食を摂る。前日は浄土ヶ浜パークホテルであったが2泊で併せて10回ほど入浴した。いずれも早朝2時からだから浴場は一人だけであった。家族は別であるが、私は最近は何をするにも一人が一番である。見ず知らずの他人は居ても別に何と言うことはないのだが、居ないのがやはり一番。私は温泉地での入浴を十二分に堪能した。
9:00小岩井農場に。混む前に入るのが楽しむコツである。孫連れの小旅行となるとどうしても孫中心の計画になる。実際には3歳と1歳近くだからまだ十分には遊べない。電動ボートに乗っても同じ所を回るだけ。それでも楽しげなのが良い。
農場内で羊と牧羊犬によるショーがあった。劇仕立てのショーで、ボーダーコリーの牧羊犬が上手に4匹の羊、30匹ほどの羊の集団をコントロールする様が見られた。もともと羊は集団でかたまって動く性質があるのだが、どうしてもはみ出た行動の羊も居る。それを牧羊犬が上手にまとめて目的を果たすという内容。広大な牧場を舞台に仕立てたショーで観客は小高い丘から見る。犬は時にはずっと遠回りして羊の集団の周辺を走り周り、時には集団の後ろについて一生懸命羊をコントロールする。一匹の犬の技量とまじめな仕事ぶりには感動さえ覚えた。息子宅にはボーダーコリーの「あんず」がいるのだが今後どうなるのか? 楽しみである。
小岩井と言えば、大人の目当てはやはりアイスクリームとミルク。 炎天下、9人が汗流しながらミルクセンターへぞろぞろと移動する。美味さが強調される条件が揃っていたからか、やはり、美味かった。
11;30紫波町長岡の江岸寺に向かう。今年は兄一家の参加はない。住職殿の読経をしみじみと聴く。本堂の鐘の余韻はいつ聴いても素晴らしい。心が洗われる。その後みんなは墓参に、私だけがご本家に挨拶のため離れた。
みんなでワイワイやっていると時間が経つのが早い。15:30に盛岡駅で解散し、それぞれ盛岡を離れた。私どもは兄宅を訪問、短時間であったが歓談した。私より一回り高齢で、健康を害しているが、思っていたより元気であった。気丈な奥さんの刺激が薬以上の「くすり」になっているのだろう。
お盆の墓参りは私にとって重要な位置づけであると共に、実質的に夏が終わる日である。勝手であるが、明日以降も長く残暑が続くことを願っている。
8/20(月)晴れ 患者関連書類処理 患者家族面談
1:20 起床、文献チェック他いつもの如く。コイ・ハトに餌後6:50自転車病院、回診。隔週の患者関連書類処理日で外来なし。紹介状その他6人分処理。 14:30患者家族面談。16:30帰宅、庭、花壇、畠など対応。19:00夕食。20:10就眠。
ハンディナビゲーター、パナソニックCN-MC01Lを買いました
今月12日(日)に由利郡西目のハス園に行こうとして道に迷い、山形県にまで行ってしまった。結局、その日は目的地を探すことが出来ずに帰宅した。助手席の60年も使った古いナビゲーターが思い込みで仁賀保インターを降りてからもドライバーに南下の指示をしたことと、プリウスのナビが9年前の版で日本海高速道路が対象外であった事、素直なドライバーが助手席のナビに任せきりにしたためである。
マア、楽しくドライブした、と考えれば良いのであるが、これから先のことを考えると問題を感じてしまう。家内のレガシーのナビは15年ほど前のでこれまた全くアテにならない。プリウスのナビのソフト更新も考えないわけでなかったがナビは日進月歩で、しかも安くなっているから、この際新しいのを購入することとした。
私は歩くのも好きだし、自転車にも乗る。車も複数台用いることもあるから購入対象機種は車への据え付け式ではなく、どんな状況でも役立つハンディタイプのが良い。ちょうどパナソニックから、歩行者・自転車・車モードを持つ携帯用ナビが発売になっているからそれに決めた。
ナビは便利であるが、100%アテには出来ない。特に知っている道で案内開始すると煩いし、通常と異なったルートが推奨される。だから知らない土地では素晴らしい威力を発揮するが、必ずしもベストなコースではないと割きらなければならない。
私はこれを主として自転車で用いている。日常的にはナビは不要であるがサイクルコンピューター機能で走行時のデータの記録することが出来る。今まで用いていたサイクルコンピューターは車輪の回転をマグネットで感知する方法であるが、本機はGPSデータから計測する。また、ナビとしては施設を検索するのにとても便利である。現在地周辺の各施設を探してくれる。電話番号からは3.850万件も検索出来ると言う。私は秋田市内の神社仏閣を訪問しているが、私が調べた以上の施設が出てくるし、道案内もしてくれるから便利で今後が楽しみである。
本機の問題点は歩行や自転車で用いたときの内臓電池の持続時間が短いことである。炎天下でも見えるようにハイコントラストの液晶を用いているほか、GPSに常にアクセスしているから消費電力が大きいのだろう。3時間くらいで切れそうになる。私は時間延長のために外付け電池も用意した。
まだ購入したばかりで十分機能を理解していない。今回の三陸訪問と墓参は車モードで使用したが、ナビのメリットを今まで殆ど感じたことがなかった私にとって実に便利で、驚きの連続である。それと共に米国の軍事用衛星のGPS機能の一部を民間に開放する懐の広さがうれしい。
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8/19(日)晴れ 墓参り後盛岡で解散、帰秋
2:00四季亭にて起床。ロビーにて読書など、入浴数回。7:00朝食他。9:00小岩井農場へ。孫を遊ばせるのとアイスクリームが目当て。13:00江岸寺に墓参、住職殿の経をいただく。恒例の年に一度の本家への挨拶。15:15盛岡駅にて解散。次男一家は仙台から埼玉方面に、長女夫妻は横浜に発った。私共は兄宅に挨拶に。18:30帰宅、夕食、21:30就寝。たった2泊3日の小旅行なのに、ネコは不満顔、花壇の花はしおれ、畠にはジャンボキウリが多数ぶら下がっていた。
墓参り2012(3) 釜石市訪問 鉄の歴史館
予約していた宮古の寿司屋で昼食を摂った後、山田を経て釜石に向かった。
釜石市は宮古在住の2年間に何度か訪れた。世界的に知られた製鉄の町である。釜石市街は昨年の津波で壊滅的な被害を受けた。宮古市よりも被害が一層大きかった事が見て取れた。復興も遅れているようであった。
国交省によると、陸上にあった波浪計は殆どが破損したが、釜石沖20Kmに設置してある波浪計は計7回の津波を観測していた。これは貴重な記録なのだそうだ。津波は地震後15分から始まり27分で最大に達した。第一波で6.7m、その後は2m程度であった。沿岸ではその数分後2-3倍の高さになったと推定されている。
津波の3ヶ月後にまとめた被害データでは、釜石市の死者は862人、不明者434人で岩手県として陸前高田市の1512人、628人に次ぐ被害であった。ちなみに宮古市は417人と355人。山田町は577人と271人であった(岩手日報)。
小高い丘陵に鉄の歴史館があった。
鉄の歴史館は1856(安政3)年釜石に洋式高炉を築造し日本で初めて鉄鋼の製造に成功した大島高任の偉業と製鉄業に携わった先達の偉業を伝える資料館である。原寸大の高炉の模型を使い古い写真とアニメを用いて釜石の鉄の歴史を伝える。鉄の製造工程の解説や、我々の生活の身の回りにある鉄を紹介している。
時代は流れる。1989年に高炉を休止しその後全体的に街の活力は低下した。地域の活力は人口に表れる。釜石市の人口は、1970年に7.3万人であったが、2010年は3.9万人に減少している(ブリタニカ年鑑)。
この館で一番衝撃的だったのは鉄のことではなく、津波の時のある学校の生徒達の集団避難の写真であった。つい目前まで津波が迫っている状況での避難の緊迫した状況が読み取れる写真であった。津波到達まで30分もあったのに、何で津波が目前に迫るまで避難していなかったのか?この子供達は一体どうなったのか?・・気になった。しかし、そこには何も説明はなかった。
宮古や山田、釜石の被災地を前にしての疑問は、津波対策は「まず逃げる」であったろうが、その判断がまちまちであったのは何故か?ということであった。
今回の三陸訪問で見た海は、霧の発生もあり、静かで美しかった。これが1年半年前に突然牙をむき、市街地を破壊し尽くしたあの海だとは思い難かった。
8/18(土)晴れ一時激しい降雨 宮古→釜石→つなぎ温泉へ
2:00浄土ヶ浜パークホテルにて起床。ロビーにて新聞チェック、読書、入浴数回。8:00朝食他。10:00浄土ヶ浜にて遊覧船に。ウミネコにエサ、海側から景観と津波の被害状況を見る。海面には時折濃霧が発生、幻想的。11:00県立水産科学館見学。12:00目当てにしていた寿司店で昼食、その後釜石へ。鉄の記念館見学。同時に釜石の津波の被害状況を見る。遠野市経由で盛岡に、途中激しい降雨。18:30つなぎ温泉四季亭着、家族全員揃う。19:30夕食、21:00就寝.
墓参り2012(2) 海側から見た宮古の被災状況
今回の三陸訪問の二日目は浄土ヶ浜の遊覧船に乗り、さらに県立海洋科学館を見学した。遊覧船は2歳の孫のためでもあったが、私にとって40年ぶりで十分楽しめたし、海側から津波の被災状態を目で見ることが出来た。
遊覧船が出るとすぐにウミネコの乱舞が始まる。船内ではパンが餌として売られていて 客の指先にまで迫って餌をねだる。私は餌を不用意に握っていて指を思いっきりかじられた。
海側から見た海岸は波が到達した中腹まで塩害のため松が枯れていたが、一部であり、それほど景観が変わっていたわけでない。一方、人工的なコンクリート製の護岸堤防の殆どは横転したり、水没したりとまともな形に残っているのは皆無であった。港の機能維持のため邪魔になった損壊堤防は撤去したというので被災直後はもっとひどい状況にあったのだろう。自然界の強さ、人工物の脆さが読み取れた。これが、防災の基本的考え方でなければならない。
乗船した観光船は船名は陸中丸だったと思う。かつては同型の観光船三隻で運行されていたと言うが、この一隻のみが船長の機転で地震後全速で沖に避難して難を逃れた、と言う。
同じ地震の中、あれほどの地震だったにもかかわらず、個々人によって津波来襲への判断が大きく異なっていたことが不思議でもあり、人的被害を大きくした様に思われた。昨年8月に報告された岩手、福島、宮城3県の海岸付近の住民に対する政府の被災者調査では、直ちに避難せずが42%、58%が津波警報が出たことさえ知らなかったと言う(秋田さきがけ)。
私は2年間宮古に住んでいて海釣りにも頻繁に行った。その際、セミプロ級の腕前の病院職員から命を守るための指導を受けたが、その重点は1-数時間毎に来る思いがけない大波と、津波の際に身を守る方法であった。そのことが頭から離れていない私にとって、海岸に住む住民達の津波への反応はちょっと信じ難い。
岩手県立水産科学館に立ち寄った。
水産科学館は浄土ケ浜のそばの高台にある。駐車場から徒歩で行くことが出来る。ミニ水族館と言うべきか、受付ホールに10個くらいの水槽があり、三陸に生息する魚類、チョウザメ等が展示されている。奥のホールには漁具、標本などが展示されている。その中ではDVD画像で紹介していた海洋資源、養殖漁業の説明が勉強になった。日本人の蛋白摂取の40数%が海産物であることも初めて知った。肉類は27%だと言う。逆だと思っていた。200海里時代で漁場が狭まったあと、主流は捕獲から養殖に移っていったと言う流れなどが紹介されていた。農業と漁業は発想が同じである事が理解できた。日本人の健康を守るためにも、国策としても保護していくべき産業である。
8/17(金)秋田雨曇りー晴れ、岩手快晴 秋田→盛岡→宮古へ
2:10起床、文献・新聞チェック、家の片付け、掃除など等。二泊三日と短いが家を空けるにはネコや畠のケアなど含め相当の準備必要。12:00病院に家内迎え、4人で墓参りに出発、16:00盛岡息子宅、運転は限界で交代、嫁さんと孫二人加えて18:30浄土ヶ浜パークホテル着。19:45夕食。昨年とは段違いの機能。ウニとアワビ中心の料理。20:45就眠。
墓参り2012(1)まず宮古訪問
本日、私は一日、家内は半日年休を取り、土日を利用して墓参り目的で岩手で過している。
盆の墓参はわが家にとって年1回親族・家族が集合する重要な行事であり、私にとって年一回の故郷訪問でもある。両親・祖父母の供養のほか、健康問題を抱える実兄に会う機会になっている。本家への年一回の挨拶もある。
長女の夫と息子は業務の関連で18日夜から合流予定である。私も嘱託となってもなかなか休めない。昨年は5時間だけ、今年は金曜の一日だけの年休となった。昨年は遠野を訪問したが、今年は宮古市まで一気に移動し、浄土ヶ浜パークホテルに宿泊した。昨年9月にも宮古、山田を訪問したが、私は県立宮古病院に2年,家内は1年お世話になったし、長女が誕生した忘れられない町であり、今年も訪問することとした。
昨年は9月には宮古市内で青森、大阪府のパトカーを頻回に見た。今回は他県ナンバーのパトカーは全く見られなかった。
昨年は市役所付近にあるビルは1-2階付近は破壊され、小さな住宅や建造物は廃墟化していたが、もう殆どが修復が終わり活気も戻っていた。しかし、港近辺の商業住宅地は復旧した住宅は疎らで、残された土台は雑草に覆われていた。昨年はがれき、車等が高く積み上げられていたが、それらはきれいに撤去されていた。寂寥感が漂っていたが、港付近の復興が遅れているのは住宅など他の地区に移す大きな計画などがあるのかもしれない。
宿泊した浄土ヶ浜パークホテルは多分4回目の利用だと思う。
昨年は大阪府警の宿泊所になっていて、私は大勢の若い警察官と一緒に風呂に入り、彼らの引き締まった体型、筋肉、形の良い尻、その他見事な裸体を沢山見れた。また、昨年は宿泊客を受け入れていたといえどもレストラン等の機能は十分とは言えなかったが、今年は通常に戻っていた、と言えよう。早朝に4回ほど入浴したが、私一人だけでそれはそれで良い気分を味わった。
宮古に居住したものにとって宮古市の被災は決して人ごとではない。だから今回も訪問した。この一年間の変化を見て確実に復興に向かっていて安堵した。だが、どんなに言葉を労しても宮古市民の心情、直接被災に遭われて仮設住宅に住んでおられる方々の心情を理解することは出来ない。今年もまた敬虔な気持ちを味わった。
8/16(木)降雨 外来
1:10起床、新聞、文献、歴史本。激しい降雨あり、7:00車出勤、回診他。8:45-13:15外来。総括処理3冊。16:00車帰宅、雨読に徹する。文献、歴史本など。夕食、20:30就寝。
書評:鶴見辰吾著「気がつけば100Km走っていた」実業之日本社 2010年11月 1470円
サイクリング、ロードバイク等の出版物が盛んである。中でもこの本は「梅ちゃん先生」に出演している俳優・鶴見辰吾氏の著書である。鶴見氏はNPO自転車活用研究会の2代目自転車名人となった人である。名人は忌野清志郎→鶴見→勝間和代→片山右京と引き継がれているとのことである。3代目の勝間氏と自転車の関係は分からないが、初代、4代目は自転車乗りとして名が知られている方で、その中で2代目として選ばれたのはそれなりの評価があるからだろう。
サイクリング、ロードバイク関連の出版物は、私の目には気楽なエンジョイ派、ストイックな限界への挑戦派、メカニック派に分かれるような気がする。その中では著者と本書はストイックな挑戦派に分類されるだろう。
鶴見氏は40歳目前、健康のために自転車に乗り始めた。自転車の面白味を感じて、マウンテンバイク→電動アシスト自転車→ロードバイク→100km/dayが朝飯前→クルマ・バイクを手放す→国内外のロードレースに参加→チームLEGON結成・・・の過程が語られている。楽しく、長距離を走るノウハウや楽しみ方、メンテナンスや便利な小物などの紹介等も記述されている。
内容は以下の如く(一部簡略化)
第1章 えっ!? 自転車って、おもしろいじゃない!!
■横浜から原宿へ ■自転車選びはクツを選ぶ要領で ■生活リズムもガラリと変わった!■ロケに行くにも自転車で ■お気楽自転車ライフ ■早朝は危険 ■ドライバーの心理を知って事故を防ごう ■永遠の「相棒」
第2章 もっともっと遠くへ!
■遠乗りはやめられない! ■ロングライドには15分毎に水分補給 ■輪行のすすめ ■明日の仕事に疲れを残さない ■海外旅行も自転車と共に ■ロングライド・イベントに出よう
第3章 自転車で広がった友だちの輪
■仲間と走るのはおもしろい。■「LEGON」結成 ■おすすめ絶景コース
第4章 ロードレースに挑戦だ!
■初めてのレース ■ヒルクライムレース ■国際レースに ■次は何に挑戦?
ザッと読んでいて楽しい本である。初心者は知識を得るにも良い。日常自転車で楽しみながら通勤している私には、鶴見氏は年齢的にも、持てる時間についてもはるかに遠い存在であるが、共感出来る内容も多数記述されている。
ただ、私は著者をストイックな挑戦派に分類したが、限界への挑戦の苦しみ、達成の喜びの記述にかなりのページが割いている。見方によるとマゾ的マニアの自己満足の本、と言えないわけではない。しかし、自転車乗りは、誰にも、何にも頼らずに自分の力だけで走ることを考えれば、記述にはウソも誇張もない、真の努力の記録である。どうどうと自慢して良い。
フェラーリやポルシェ、ハーレーを止めてまで自転車にのめり込んでいる一人のマニアがここにいる、と言うこと。そんな彼が、カネも時間も体力も乏しい初心者にも分かる本を書けたのは中年から、ほぼゼロの状態からスタートしたからであろう。
8/15(水)快晴 終戦記念日 外来
1:20 起床,自転車用ナビ初装着。コイ、ハト後7:00自転車出勤。回診、病棟業務他。
8:45-12:50外来。16:30自転車ナビ電池切れで途中で帰宅。歴史本、講演準備中心に。庭掃除など。新聞チェック、夕食、20:00長女帰秋、20:30就寝。
梅ちゃん先生(3) 共演の 鶴見辰吾、石井正則、片岡鶴太郎
「梅ちゃん先生」を突然見る気になったのは100%主演の堀北真希に興味があったからであるが、脇役も素晴らしい。
うち、鶴見辰吾、石井正則、片岡鶴太郎の各氏について。
鶴見辰吾は主人公のおじさんでちょっと軽いワルの役を演じている。この番組を見るまでは全く知らなかった俳優。警察の留置場で兄と面会したシーンでの涙の演技がとても良かった。通常ならベテラン俳優の一人として特に注目することはなかったと思うが、たまたま彼は二代目自転車名人、と言うことを知り突然興味を持った。「気がつけば100Km走っていた」と言う自転車関連の著作もある。自転車名人はNPO自転車活用研究会と言う団体が選んでいる。初代は忌野清志郎で、以降は鶴見、勝間和代、片山右京と続いているとのことである。
氏は40歳目前、健康のためにたまたま乗り始めた自転車が徐々にエスカレート、いつの間にやら自転車ライフにどっぷり漬かり、国内外のロードレースに参加するようにまでなったと言う。そのような技量を持つ俳優と考えれば体型なども自然と注目してしまう。年齢に比して筋肉質の体つきが素晴らしい。最近は登場の機会が少なくなっている。
石井正則は主人公の属した大学医局の助教授役として出演している。本来はお笑いタレントとのことで氏についてもこの番組を見るまでは全く知らなかった。氏も自転車の愛好家でNPO自転車活用研究会から「ミニベロ親善大使」に任命されたこともある。ミニベロは小径自転車のことで、日常的に利用しつつ、メディアを通じてミニベロ自転車の普及に努めている、とのことであった。今後は回顧シーンを除けば登場の機会が無さそうである。
片岡鶴太郎は顔だけは知っていた。この番組で名前を知った。確かに、厳しい表情をした時の目は鳥類の如く、見るものを射貫くように鋭い。主人公の隣の町工場を経営しており、主人公の父とは折り合いが悪い。後に主人公の義父になるが、短気で単純、気っぷの良い役を演じている。
氏も多彩な技能を持っているらしいが、その中で私にとって興味があるのは絵画や書道で、その腕はかなり高く評価されており、群馬県吾妻郡草津町、福島市には美術館、加賀市、伊万里市に工藝館がある、と言う。各地で個展などが開催されている。秋田でも5月30日から3週間にわたり秋田アトリオンで開催された。閲覧を予定していたが残念ながら見逃してしまった。返す返す残念である。またの機会を探ってみる。
この様に本職以外の分野で個性や技能を発揮している方々に、特に私が関心を向けている分野だとすれば、私は興味を持つ。こう言う方々が出演している事が分かってきてから「梅ちゃん先生」は見てて徐々に楽しくなって来た(文中敬称略)。
8/14(火)晴れ 外来
1:20起床,いつもの如く。コイ、ハト後7:00自転車病院着。回診。8:45-12:30外来。20名前後と少ない。16:45遠回りして帰宅、庭掃除他。夕食。20:30就眠。
なんか変だが,まあいいか(11)私用のプリンターインクは詰め替えている
インクジェットプリンター用のインクカートリッジは異常に高価だと思う。対策として私はずっと詰め替え用のインクを用いてきている。
私は1993年からマックを用い始めた。その時期、プリンターもマックのStyleWrighterを3台ほど用いた。そのうちマックがプリンターを出さなくなったのでエプソン社とキャノンの製品を併用して来た。ここ10年ほどはキャノンに統一している。
この間、可能な機種のインクカートリッジは詰め替えインクを用いてきた。StyleWrighterの頃は詰め替え用のインクはそれほどなく、岡山の文具商を通じて購入してきたが、その後、詰め替え用インクの種類も増えた。それでも、今回廃棄したPIXAS900PD、家のサブのエプソンの機種は比較的高機能と言うべきか、インクも6-8色と多色でインクの容量は少なかったから頻繁に交換が必要であった。色も複雑で入手出来なかったことに加え、ICチップでインク情報が管理されているらしく、一度カートリッジを本体から外すと再装着しても認識されなかった。
私は一時比較的高機能のプリンターを用いたこともあったが、写真等をプリントすることはなく殆どが文章なので機能的には単純な製品で良い。寿命が来る度に低額のシンプルな製品に置き換えている。2年前自宅のメイン機種をシンプルな製品MP270に替えたがカートリッジは黒とカラーの2ヶのみであり、再びインクの詰め替えを再開した。
詰め替えインク使用でノズルが詰まるなどのトラブルが生じることがあるとされるが、幸い私はそのような経験はない。また、最近はパソコンの周辺機器を多数扱っている会社が詰め替えインクを発売し始めているので入手も簡単になり、一層安心感が増したような気がする。
詰め替えインクの値段は正当なものなのだろうか?
市場競争原理なのかも知れないが、プリンター本体は逆に安すぎるような気がする。だから、消耗品は安くできないのかもしてない。私には理解出来がたい世界である。
8/13(月)快晴 外来 映画「少年と自転車」
1:30起床,新聞・文献チェック他。7:00自転車病院着。回診、8:45-12:45外来、盆で若閑散、10数人のみ。15:30映画「少年と自転車」。18:00帰宅。外回り掃除若干。19:00夕食、20:30就寝。
なんか変だが,まあいいか(10)インクジェットプリンター更新 インクの方が高い!!!
病院で私がここ5年余用いて来たキャノンのプリンターPIXAS900PDがついに動作がのろくなって限界に達した。
これは2003年製で、若手の医師が紙送りが不調だとして廃棄処分にしていたのを見つけて貰い受けたもので、自分でクリーニングしちょっと調整したら改善した。その医師はもう新しい機種を購入済みということで、受けとらなかったので私が今までメインのプリンターとして使用してきた。この間、人間ドックや診療関連の書類、カルテの記載など、ザッと言えば1万枚近く印刷したと思う。
印字速度は速く、静粛でなかなか良いプリンターであった。自分でなおしたと言うこともあって愛着もあった。それが、2週間ほど前から急に動作がのろくなってA4版一枚のプリントに数分かかるようになった。恐らく、メモリー関連かと思われた。10年ほど前の製品でもう修理出来ない。やむなく廃棄とした。
院内の担当部門を通じて代替品として届いたのはキャノンのPIXAS iP2700で、機能的には単純な製品である。基本的機能だけのエントリーモデルで使用説明書の最終ページには2010年とあるから新製品ではない。
現在の流通状況を確かめたら大体5,000円程度である。ただ、この製品はインクカートリッジが高い。クロが2,900円、三色カラーが3,200円ほどである。要するに、インクカートリッジが装着されたプリンターの値段がカートリッジ単体で購入するより安いと言うことになる。 最新機種でないからこんな事が起こるのかもしれないが、これは実際どうしたことかと思う。
確かに、本体を安く提供し、消耗品で収益を確保するという行き方はあると思うが、些か疑問である。
2年前に自宅のパソコンを購入した際に、旧プリンターとスキャナーが認識されなかったのでやむなくCanonの複合機、それも最廉価の機種を購入した。この時は交換用のインクカートリッジ2ヶのセット値段より2.000円ほど高い程度の値段であった。
今回のPIXAS iP2700に関して言えばカートリッジ交換の際にプリンター本体を購入してカートリッジだけを外して使えば、あるいはインクが切れる度にプリンター本体を購入する方が経済的と言うことになる。そんなことを実行する人はいないだろうが、こんなバカなことがあるのか、と思う。ただ、本音で言えば交換用のインクカートリッジは高すぎると思う。
まあいいか・・とは言いたくないのだが、私が知らないシステムで流通が成り立っていて製造・販売・ユーザーがそれぞれ喜べる状態なら、私は納得せざるを得ない。
8/12(日)晴天 日航事故27年 山形との県境探訪
12:00起床、体調は徐々に改善。のんびり読書、新聞、蓄積データ整理など。6:00コイ・ハト給餌病院。重症患者回診など。13:30倉田窯のハス園見学に発つも到達せず、県境の様子を見て戻る。19:00-18:30病院、重症者対応。19:00夕食、20:00就寝。
梅ちゃん先生(2) 共演の南果歩と倍賞美津子の演技・技量に感心
「梅ちゃん先生」を突然見る気になったのは100%主演の堀北真希に興味があったからであるが、脇役も素晴らしい。
まず、主人公の母親役の南果歩。
笑顔が良くてとても明るい雰囲気で気むずかしい夫をさりげなく扱うなど、家の中の雰囲気作りに役立っている。それなりに存在感がある。南果歩と言う女優の名前もこの番組で覚えた。しかし、引っかかるものがあり映画のメモを調べて、今年3月に観た映画「家族X」の主役を演じていた女優であることを知った。
映画「家族X」 は会話もない暗い暗い3人家族を取り上げた作品で、そんな生活の中、主婦は次第に神経をきしませ、自壊して行き、発作的に家を飛び出す・・ 。見てて辛い、暗い映画であった。映画では、几帳面、神経質、体面重視、暗くげっそりやせて目は落ちくぼみ、頬はこけ、笑顔もない、年寄りじみた主婦役を南が見事に演じていた。私は映画を観ながら何と適役な、貧相でやせこけた女優が居るモノだ、と感心して観ていた。 映画を見終わった時点で主役の名前は記憶に残らなかった。 今、「梅ちゃん先生」に出演している南果歩は丸顔で明るく、映画の登場人物とは100%別人である。今は十分納得出来ているが、私は同じ女優と気付いたときにはにわかには信じ難かった。
彼女を見て、これほど対極にある役それぞれに成りきってを見事に演じる女優のすごさについて驚いている。勿論、女優だけの問題でなく、役柄として抜擢する制作関係者の選択眼、場面構成、性格描写などの成果である。こんな驚きを感じさせてくれる映画の世界、私はまだ観賞し始めたばかりで十分に楽しめる域には達していないが、芸術の一分野として尊い値があると思う。
祖母役の倍賞美津子。
気むずかしい養子である主人公の父をさりげなく扱っているしぶい存在を演じている。倍賞美津子は昨年暮れに観た進藤兼人監督の最後の作品「一枚のハガキ」に田舎の老婆役として出演していた。歌のうまい倍賞千恵子はCDも購入したことがあるが、その妹であることも知らなかった。ベテラン女優らしいが、私はこの映画で初めて見た。
映画では貧農の一家で、息子二人は相次いで戦死、夫は心筋梗塞死、残された嫁と二人で爪に火を灯す如くの生活を送っていた老婆役である。ある日の夕方、出された食事を「美味しい、おいしい・・」と言って満面笑みを浮かべて摂り、その夜、自室で首を吊る。先を悲観したことと嫁が生きていくために少しでも口減らしをしようとした自死である。
映画全体も良かったが、私にはこの老婆の自死周辺の場面の描写、倍賞の迫真の演技が目に焼き付いている。
「梅ちゃん先生」は内容的にはちょっとくだらないと思うが、出演者の魅力もあって見続けている。
8/11(土)快晴 終日発熱で不調
2:00起床、発熱あり不調、本読みなど若干。早朝から微睡繰り返す。本読み中心。13:00自転車パンク修理15回目。ハト・コイ用のエサ作りなど、夕方から体調若干改善。19:00夕食、20:00就寝。
梅ちゃん先生(1) 主演の堀北真希に惹かれて見始めた
かつて私はあまりTVを見ることはなかったが、最近は生活が変わったこともあって視聴時間が増えた。もう「TVはきらいだ、くだらない・・」などとは言えなくなってちょっと寂しい。
ほぼ定期的に見ているのは「19:00のNHKニュース」、「梅ちゃん先生」、「題名のない音楽会」、「のど自慢」、「笑点」、「ダーウィンが来た」の6番組である。NHKニュース以外は直接見ることは殆どなく録画を都合の良い時間帯に見る。その他、居間で過ごす時間帯には家族が見ている番組に時に目を向けるが、求めてみる番組は少ない。
NHKの朝の連続ドラマは昭和40年代からずっと今迄続いているとのことであるが、私は「おはなはん」だけは継続的に見た記憶がある。この頃は新潟の学生寮にいた時期であるが、何故か岩手の家で家族と見た記憶として残っているので、恐らくは夏休みか何かで帰省した時に見たのであろう。それ以降の作品は一切知らない。NHKのホームページによると「梅ちゃん先生」は第86作目だという。すごい蓄積である。この間のドラマの題名一覧表をずっと見なおしてみたが、私の記憶に残っているのはない。だから、「梅ちゃん先生」は私にとっては40年ぶりの第二作目と言うことになる。
今迄全く見なかったこの番組を突然見だしたのは主演の堀北真希に興味があったからである。今は脇役として出ている鶴見辰吾と、南 果歩、倍償美津子、片岡鶴太郎にも興味があって見ている。ストーリーに興味があって見始めた訳ではないが見続けた今は結構楽しんでいる。ストーリーは陳腐であるが、これは一種の喜劇と思えば楽しめる。
堀北真希はNHKドラマ「篤姫」で皇女和宮役で出演していたのをたまたま見て、雛人形のように整った顔立ちに興味を持ったからである。「篤姫」の中では堀北は不機嫌な表情の役柄で、かつ大奥の素晴らしい衣裳を纏っていたから、とても美しく見えた。一般的に整った顔立ちの美人は表情が乏しいほど妖艶に見える。
実際、今回のお節介焼きで半ばドジな役柄の彼女を毎日見ているとかなり印象が変わってしまった。先に抱いていた美女としての印象は殆ど失われ、顔の整った当たり前の若い女性の一人になってしまったが、それはそれで良い。今は各出演者の表情も演技も含め十分に楽しんでいる。
堀北が主演でなければ興味を持つことはなかっただろうと思う。これを見始めたことで俳優以外の分野でも活躍している鶴見辰吾も片岡鶴太郎も知ることが出来た事も良かった。
8/10(金)超快晴 大曲中通病院外来 遠来の友人と会食
1:30起床,文献・新聞チェックその他。一般ゴミ処理、コイ・ハト、6:50自転車病院着。回診。8:01こまち。8:45-15:00大曲中通病院外来。16:30回診他。17:30帰院。17:45何となく体調不良、斎場脇でシャントし帰宅。18:30-21:00遠来の友人と会食、21:15就寝。
自由人(14) 組織(2) 組織の不正と個人の判断力
企業の公募増資をめぐるインサイダー取引で、証券最大手の野村ホールディングスの最高経営責任者(CEO)が辞任することとなった。先日、関係者がTVカメラの前で頭を下げていた。当局の調べでは、帝石やみずほグループ、東京電力が実施した増資について、絶対的に秘密にしておくべき情報を営業部門に漏らし、三井住友信託銀行などの投資家に儲けさせた、とのことである。
野村証券では情報漏れを防ぐ仕組みをつくっていたが、営業部門が組織的にしつこく情報を取ろうとしていた。にもかかわらず経営陣が「情報管理に問題はない」と過信し、適切な措置を取らなかったことが外部への漏洩につながった。
インサイダー取引は証券法で厳しく禁止している。証券会社の職員で知らぬ者は居ないはずである。企業ぐるみの悪質さに、金融庁は野村証券に業務改善命令を出す方向で検討に入っている。
野村証券への行政処分は業績にも打撃となる。日本航空は野村を介しての取引を止めることにした。野村では悪影響を最小限に抑えるために、野村はCEOが引責辞任し、経営陣を刷新すると発表した。まず当然の措置であろう。ただ、辞任後の処遇は?ただの人?処遇の在り方によっては形式的になってしまう。
証券業界最大手の野村證券が不正に走ったことで国内外における業界全体の信用を失わせた。これはとてつもなく重い。おりしも英国ではロンドン銀行間取引金利の不正な操作が明らかになり、世界的に金融証券市場に対する不信が高まっている。
この機密漏洩は個人的なものでなく組織的に行われている。ここに関わった人達は個人的には、多分、証券法を知り尽くした、まともな判断力を持つ当たり前の人間だと予想する。組織的犯罪は個人の感覚を狂わせる事で生じるようだ。組織とは、会社とは、規模が大きくなればなるほど組織の論理が個人の判断力を凌駕していく。個人は組織の権威を背負って行動する。組織的犯罪はよほどのことがない限り個人的には罰せられない。
個人の良識を狂わせる組織の権威って何だろうか。記者会見場で頭を下げた人達、どの様なつもりで下げているのか。アレはマニュアルに沿ったアクションである。だからみんな同じ。そこに真意があるか否か、頭を深々下げた時には舌を出していても誰にも分からない。だから、頭を下げた瞬間にフラッシュ焚いても無駄なのだ。説明の時の責任者の苦悩に満ちた表情と言葉、今後どうするのかの言葉にこそ価値があるのだ。
組織の権威、それから一度外れ、名刺に肩書きが無くなったらただの人である。ただの人になりたくないから、保身のために良識を捨てるのか。捨て得た人達だけが残っているのだろうか、と思う。
優しいお父さんが、良き夫が、組織の中では別人として行動しているかもしれない。
私はいま組織から離れて自由を満喫している。本音で暮らせる日常はこんなに素晴らしいのかとしみじみ思う。
8/9(木)快晴 外来
1:00起床、コイ・ハト後6:50自転車病院着、回診、外来。16:30帰宅。歴史の勉強、自室の整理、掃除など。夕食、20:30就寝。
自由人(13) 組織(1) 人にホンネを語らせない組織とは何なのか
見る度毎に嫌な思いがする光景が、またまた繰り返された。東電とか、大津のいじめ自殺問題に関する記者会見などのことである。
何か事件が生じて社会的に問題になると記者会見が行われる。大部分が社会に陳謝する会でもあり、前に座した責任者が一斉に立ち上がって「世間をお騒がせして申し訳ありません・・」と頭を下げる。その機を逃さないよう一斉にフラッシュが焚かれる。マスコミは責任者達がこの場で一斉に頭を下げる瞬間に最高の価値があると思っているのだろうか。一体メディア関係者は自分たちを何様だと思っているのだろうか。虎の威を借る狐のようだ。
しかしながら、これからが問題なのであるが、陳謝に続く言葉は、殆ど例外なく、会社には、あるいは学校や教育委員会には責任はありません、といわんばかりの釈明が始まる。実際には、時をほぼ同にして隠された事実が次々と明るみに出て、長い年月をかけて築いた組織の信用と、陳謝した面々に大きな傷がついてしまう。
彼らの報告を聞くと、殆どが自身や組織の保身、仲間内のかばい合いの姿である。そのために問題を矮小化したり、あり得ない推測をしたり、時には誰が見てもわかるだろう嘘が交じることもある。
私はこの様な場面を見る度に、この方々は私的には多分良き夫であり、いい父親でもある、と思うのだが、どうして組織の一員としてはこの様な非常識な人間になってしまうのか、と言う疑問である。勿論、私的にもどうしようもなく非常識な方々はいる。しかし、大部分はそうではない常識的価値観の人間のはず、と私は思いたい。
責任者が取るべきは、自らの責任で内容を把握し率直に語ることだ。そのうえで、自らも含めて偽装や隠蔽に携わった関係者について厳しく処断するべきである。最近の不祥事を見ると、こうした基本を忘れて保身にはしるばかりが目につく。人をこの様に行動させる組織とは何か、と思う。
私は組織を離れて1年余になるが、今はホンネで過ごせる素晴らしさを味わっている。
8/8(水)快晴 外来
1:00起床。文献新聞整理。日本語勉強。ペットボトル日。コイ・ハト後7:00自転車病院着、回診。8:45-13:30外来。入院患者不調に加えて新入院2名。16:30金足線経由帰宅、笹ダケ処理、夕食、20:00就寝。
規制緩和(2) いのちが失われないと問題が表面化しないのか
規制の多くは社会秩序を保つためにある。
一定の秩序が保てるような環境が整った際には規制の閾値を緩和して市場原理に委ねることは当然の動きである。だから、規制緩和自体が悪いのではなく、規制緩和によって生じる負の側面、法令順守の事後チェックが徹底されていなかった、という点に集約される。
国交省が、高速ツアーバスを運行する全国300社余りを緊急監査した結果、8割以上の250社に違反が指摘され、無視出来ないのは安全に関わる面で違反が多数を占めたことである。8割以上に法令違反があったこと自体異常であるが、国交省がそうした事実を認識していなかったことにこそ問題がある。
違反と言う前に、設定自体にも問題点が。業界の「指針」で、運転士一人の運転距離の上限は670Kmとされてきた。この異常性も国は容認してきている。関越自動車道の事故は、結局国の安全行政の不備が招いた事故で、東電事故とつながるものがある。質的に異なるがいじめ問題とも共通である。
規制緩和や撤廃は、社会や経済の成熟を前提にしているが、実際には法の隙間をかいくぐって下げた閾値より低いはるかに低いレベルで運用されていることを各省は認識すべきである。重大事故を生じたあと、貴重ないのちが奪われたあとでなければ気付かない、対策に手を付けないとしたら、国民は規制緩和が勧められる中、私共は危険と紙一重の中で生活していることになる。
今、格安航空会社が次々と参入している。つい一週間ほど前に3社目が就航した。安全面に関してだけは通常の航空会社と同じ、と言うが、格安航空会社では少ない機材を頻回に飛ばさなければ成り立たない。地上にいる時間は短く、機は朝から晩まで休むことなく運行されれ、飛行回数も多い。時間的余裕が乏しい中で本当に安全確保が十分行われていくのだろうか。
20年も前、秋田市だったと思うが、ある交差点で人身事故が生じた。住民はかねてから県に対して交通信号の設置を申請していた箇所である。事故後に再度申請したがまた却下された。それを報じる新聞に載っていた一人の住民の言葉、「あと何人ケガして、何人死ねば県は設置してくれるのですか?」は忘れられない。
8/7(火)快晴 外来
1:00起床,新聞入力、文献整理。本読み。ゴミ日。コイ・ハト後7:00自転車、回診等。
8:45-13:30外来。16:30自転車帰宅、新聞文献入力、笹ダケ処理、夕食、20:20就寝。
規制緩和(1) 便利さ、安さだけでは危険 ユーザーも判断力が必要だが
わが国では官僚指導で大型産業が育成されてきた。日本専売公社、日本国有鉄道、日本航空などが良い例である。一般的に過保護状態でこの業界にはなかなか新規に参加出来ない。だから競争原理は働かず、次第にその閉鎖性、非効率性が問題になり、特に経済界に規制緩和や自由化を唱える声は根強かった。加えて、米国からの市場開放の圧力もあって、小泉政権とそれ以降の政権はいずれも規制緩和に積極的である。
小泉政権下では医療の中にも次々と規制緩和の方針が提示された。■株式会社の参入、■混合診療導入、■医療広告の解放・・・枚挙にいとまはないが国民皆保険を脅かすような項目は医師会を中心とした医療関係者による反対運動で阻止してきた。
民営化の代表的なのは、■日本電信電話公社、■日本専売公社、■国鉄 、■郵便事業、 ■建築基準検査機関の民間開放、■日本航空、などなどが挙げられる。
規制緩和の例としては、■タクシー台数制限撤廃、■バス運送事業、貨物自動車運送業への新規参入条件緩和、■労働者派遣事業条件緩和などなどである。
医療面における規制緩和は問題があるが、一般的経済活動に於いては理屈の上ではより望ましい形なのであろう。しかし、規制緩和導入は弊害も伴う。企業は価格競争の激化で厳しい生存競争を強いられ、そのしわ寄せは下請け企業、労働者に向かい、労務環境は悪化する。
その解決のためには関係省庁のチェック機能や規制内容の再検討などのセーフティーネットの構築が必要となる。規制を緩和したことと国の責務も軽減されたと考えていないか。規制緩和によって抜け道も広がる。このチェック機構が弱まったのではないか、と思われる。また、消費者も厳しい選択眼が求められる。安ければいい、と言う発想や視点で喜んでは時に危険である。ただユーザーは情報が乏しい。総務省や消費者庁の目が必要である。
この規制緩和の悪しき点が表面化したのは本年4月に群馬県の関越自動車道で乗客7人が死亡したツアーバス事故である。直接の事故原因はドライバーのいねむり運転、その原因は過労による疲労、と言うことになるが、その背景は?その背景は?と問題点を遡ってみれば行政、即ち規制緩和に行き着く。
8/6(月)晴れ後久々降雨 書類処理
0:30 起床。文献処理他録音データ整理。コイ・ハト後6:50自転車病院着、回診など。隔週の貴重な外来無し日で入院総括、外来紹介状他多数処理。日中激しい降雨、16:45北インター経由帰宅。再度降雨、歴史関連文献読む。夕食、20:00就寝。
自由人(13) 私はメスのヤブ蚊にさえ嫌われている
自由に生きるには人から厭われることなど気にしていられない。良き人間関係を、と言う呪縛から解放された今は実に身軽で気分が良い。
私はメスの蚊からかなり嫌われているらしい。何でなのだ?と思う。
人を嫌いになる、人に嫌われることに関してはほぼ理由が特定出来る。多くは自分の方に原因がある。私は蚊を嫌っていない。なのに、何故メスの蚊に好まれないのか、その理由がわからない。やはり私に原因があるのだろうか。
夏の畠仕事やガーデニングで最もやっかいなことの一つは「蚊」対策らしい。ところが、私にはさっぱりその実感がない。対策などしたことがないからである。
私は昨年から晴れた日は帰宅後庭や畑に出て短時間作業をする。晴耕雨読的、これも自由人の特権の一つである。暑い時は短パンとシャツ姿である。本当はもっと軽装で出たいのであるが、家人から犯罪行為と強く禁止されている。
家内はバラや花などの散水の時などは、黒の長袖・長ズボン、長靴、靴下に帽子、首にはタオルと完全防備でやっている。それでも蚊に食われるらしく、着込む前に手、腕、首筋、足首には防虫スプレーもやっている。腰にぶら下げる蚊取り線香も持っている。私から見れば暑苦しそうで笑いたくなる姿であるが本人は真剣である。そう言えば隣の家の奥さんは更に加えて頭からネットをかぶっている。
人家周辺でよく刺されるヤブカはヒトスジシマカであろう。ちょっとした鉢受けの皿に溜まった水、落ち葉の下からも発生し、周辺にたむろする。発生防止には水たまりや落ち葉の処理等が必要と言うが、自分の家だけでやってもしょうがない。刺されない様に身を囲って防御するしかないようだ。
家の中で刺すのはイエカ類の代表、夜行性の強いアカイエカである。網戸は完全ではない。ベランダなどの窓の回りに「蚊連草」の鉢を置くと良いともされているが未経験である。わが家では私は刺されないが、夕方から朝まで古典的な蚊取り線香が数本煙を上げている。
オスの蚊は、花の蜜や果汁を餌にして人は刺さない。刺すのは、産卵の為の栄養を求めるメスのみである。刺され方にも個人差があるとされ、刺され易いのは、■体温が高目の人、■アルコール摂取後など、皮膚からの二酸化炭素の排出が多い人、■加齢臭も含め汗などで臭う人、■黒い服の人、・・・とされている。■食事にも関係があるという。しかし、私は特別なものを食べているわけでなく、挙げた要件に合致する項目に心当たりはない。加齢臭など自分ではわからないと言う。メスの蚊さえ嫌うほど臭うのだろうか。この点は人に迷惑かけるから気になる。先日、風呂で丹念に身体を洗って、ほかほかの状態で畠に出たが、メスは一匹も寄ってこなかった。
自由人を目指している私が、蚊からは自由であることを素直に喜ぶことにしよう。
8/5(日)快晴・猛暑 自宅内外の清掃など
1:00飯川病院にて起床、文献整理、書類廃棄などいつもの如く。途中微睡。7:00検食、日直医師が来院、7:40病院を出て横山金足線経由で帰宅。カンカン照りの快晴、黙っていられず畠の草刈り、居間・台所他掃除。午後は風除室の整頓、配線等、夕方は庭の笹ダケの刈り取り他。何をしていても全身汗だくの一日。大量の水を飲み大量の汗をかく。日中5回もシャワー浴びて働いた。20:00夕食、20:45就寝。
書評:「宰相の資格」 櫻井よしこ著 産経新聞出版 2011年2月 1400円+税
私はいま近代日本史を勉強中である。時間が足りず遅遅としていてサッパリ進んでいない。
2012年4月に本田雅俊著「総理の辞め方」PHP新書を見つけた。戦後の東久邇首相から安倍首相に至る28人の首相の辞任に視点を充てたユニークな本であった。2008年発刊であるから福田首相については一部だけ触れられていた。
次いで、櫻井よしこ著「宰相の資格」を読んだ。
桜井氏は頻繁にメディアに登場し歯切れ良く持論を展開する政治評論家で、興味を持っている方の一人である。
本書は管、鳩山、小泉、 安部、福田、麻生の6人の首相の政治について、各々の時代がかかえていた問題点と世界情勢を踏まえて細かく分析し、何をすべきであったか、何を成したか、を解説し論評した本である。各首相について8-10篇の小論文から成るが、各文は産経新聞2005年から6年間にわたって掲載した文章をもとにしている。
全体として、 桜井氏は各首相に厳しい。その批評の中で頻回に用いているのは「歴史感がない」、「総理が持つべき国家観欠如」、「日本をどう導くのか等の理念の欠如」などの厳しい言葉である。筆者の前に十分評価に足るような宰相はいない。特に政権交代後の二人の首相については論評に値しない、とまで言い切り、切り捨てている。
私自身の評価は、かなりイメージ的評価であるのだが、小泉>安倍>麻生>福田>>>菅>>鳩山である。本書の範囲で著者のランク付けを推測すると、安部>麻生>小泉>福田>>>管>鳩山であるようだ。安倍氏は歴史観があるという評価である。
各小論文についてはコメントしないが、全て引き込まれてしまう。一読の値がある。
著者がこれらの首相を歯切れ良く評価していくのは小気味良いが、著者自身はどの様な政治家が「宰相の資格」を持っているのか、が問題になる。この点は本書の序文に詳しく説明がある。評価するのは、■明治時代の指導者の群像達、伊藤博文、木戸孝充、山県有朋たち■大正から昭和は総じてダメだが、例外は岸信介■チャーチル■ニクソン・・。
そして、指導者たらんとするわが国の政治家にとって必要なのは、深く歴史を学び、広く世界を見ること。思索の時間を持ち心身の鍛練を続けること。そして、眼前のいま評価されなくても、いずれ歴史が評価してくれる、と言う強い信念で事に当たることである、と結ぶ。
ただ、あまりにも歯切れが良いだけに、読むにあたっては「ちょっと待てよ・・、本当にそうかな?・・・」といった視点は必要である。
8/4(土)快晴 暑い
1:00起床、新聞や文献読み。6:30-7:30コイ・ハトに餌やりながらポタリング、以降夕方まで風除室中心に整頓、掃除。本日は夏らしい暑さで季節感を満喫。16:30飯川病院当直に。18:00検食、20:00就寝。
ロンドン五輪(2) メディアの過度の味付けが不快 世紀の大金星なんて無いのだ
ロンドン五輪が開幕した。NHK-TV、ラジオ、新聞共に連日五輪一色と言って良い。日本選手団は随分頑張っていると思う。ここに至るまで積み重ねられた努力に頭が下がる。
新聞は毎日一面から選手達の健闘を称え、社会面では栄光への軌跡をたどる記事であふれている。ラジオ、TVも同様である。欲するか否かは別に国民は自然と「五輪漬け」にさせられている。直接の関係者以外にとっては大した実感もあるはずも無いのにもかかわらず、である。
私は、結果の勝敗一覧表と、もし伝えるべき名場面があればダイジェスト映像だけで良い。日本選手が勝っても負けてもそれほどの感慨は生じない。しかし、メディアは結果を価値観を含む物語にして美化して報道している。スポーツはこの汚れた社会の中では超健全な世界である、と言った先入観があるようだ。すべて美談に仕上げてしまう。清らかな精神性の世界の住人扱いである。メダルでも取れば本人の談話だけでなく、生い立ちから小中学生時代の様子、両親、友人までが登場したドラマに仕立て上げられる。
大体、騒ぎ過ぎである。男子のサッカーの対スペイン戦勝利などは「世紀の大金星」などと評された。アマテュアとプロの様に実力差が歴然としている組み合わせでアマが勝ったならその表現も良いのだろうが、そんな試合など初めからやる必要もない。五輪に登場するチームは互いに頂点を狙ってしのぎを削っているチームである。その差は些少のはず。だからどちらにも勝機があるはずだ。勝機が片方に全く無いなら組み合わせが決まった時点で勝者を決めればいい。「世紀の大金星」、「涙の敗退」など無いのだ。メディアが勝負に勝手に脚色し、国民がその脚色に乗せられているだけだ。こんな状況に誰も疑問に思わないのだろうか。
日本では特にスポーツには精神性があがめられ、尊ばれる。異常に大きく取り上げられる高校野球がそのルーツと思われる。たかが野球なのに、である。勝負に勝つには精神性でなく、作戦であり、技術力、実力である。また、人である限り選手の心身の好調不調もある。そして勝負である以上、勝敗が決まるだけ。負けを喫したとしても自分たちが望んで勝負しているのだから仕方がない。
徐々に少なくなったが、東日本大震災に絡めた発言などまだ聞かれる。私は聞きたくもないし、読みたくもない。
五輪は尊い。しかし、もっと淡々と報じて欲しい。
8/3(金)超快晴 大曲中通病院外来 竿灯初日
1:30起床,文献・新聞チェックその他。一般ゴミ処理、コイ・ハト、6:50自転車病院着。回診。8:01こまち、秋田駅は人出が増えている。大曲帰路は指定座席を確保。8:45-15:00大曲中通病院外来。下りのこまち40分遅れで運行。意外とガラガラであった。17:00帰院。17:45帰宅。ガス台、扇風機清掃、笹ダケ刈り取り。夕食、20:15就寝。
ロンドン五輪(1) NHKラジオ、TV が占拠されて不満
ロンドン五輪が開幕した。その直前、サッカー予選で女子と男子が白星スタートを切り、弾みがついた。自己の限界に挑む姿には心を打たれる。その姿を集中的に見ることができる。それが五輪の魅力である。
ロンドン大会はこれで3回目という。競技会場の近くではテロに備えて軍隊が配備され、ハッカーらによるサイバー攻撃にも厳重に備えているなど話題も多い。
日本は文科省のスポーツ基本計画に金メダルの数で「世界5位以内」を国策としてめざしているという。今年度のスポーツ関連予算は238億円。うち、五輪の有望種目を手厚く支援する事業は27億円と、3年前から9倍に増えたという(数字は朝日新聞)。
国がスポーツ振興に力を入れていることは知っていたが、国策として金メダル獲得数で世界上位を目標にしていると言うことは知らなかった。これで良いのだろうか。五輪はあくまでアマテュアリズムを背景にした個人の問題、と私は思う。ただ、お金はかかるだろうから、選手個人や団体に対して経済的援助することは必要であろう。今さら国威発揚でもあるまいに。
大体、表彰式において国歌が流されると言うこと自体、私は納得できていなかった。いつも不思議だと思っていた。
かつてはプロの選手は排除されていたはずであるが、時代の流れになのかアマチュア規定は1970年代に五輪憲章から消えたらしい。今回もテニスはプロ選手間で戦われている。テニス選手達にとって五輪は魅力あるのだろうか。次回からはゴルフも競技に加わる事になっている。テニスもゴルフも世界規模の大会が頻回にあるのに何で五輪か、と思う。
NHK-TV、ラジオ、新聞共に連日五輪一色と言って良い。私はスポーツは実況中継は見ない。結果とダイジェストだけで良い。いま、ほぼ一日中実況中継、それがないときは録画放送が流されている。それは仕方がないのかも知れない。ただ、私は一日の締めくくりとして19:00のNHK-TVニュースだけは欠かさない様にしているのであるが、このニュースすらも中継と変わらない雰囲気で扱われていて、重要な政治経済、社会のニュースが後回し、かつ不十分になっている。この点は不満である。
節目節目のニュースだけは五輪関連のは除いて、報じるべきニュースをしっかり報じて欲しい。
8/2(木)快晴 外来
1:30起床、新聞・文献など。空き缶・ビンの収集日でゴミ処理、コイ・ハト後7:00自転車病院着、回診、8:40-13:00外来。15:00外来輸血患者が症状悪化、入院他対応。17:00自転車帰宅、庭で散髪、笹竹刈り、散水他、夕食。20:00就寝。
今年の気象(2):2012年夏 なんか変だ いつもより寒い
私は降雪期は除雪に難渋している。それだけでなく寒いのは嫌いである。だから、春を待ち、桜を待ち、夏を待つ。今は待ちかねた夏の最中で、明日から竿灯祭りも始まる。しかし、今年は天候に不満である。日中はそれなりに暑いのであるが、早朝は寒く不満である。このままでは好きな夏を十分に味わうことなく、お盆を、即ち私にとって秋の到来を迎える。不満な年になりそうである。
梅雨期、九州地方はゲリラ豪雨で洪水が頻発した。秋田では一時新城川があふれそうになったとのことであったが、それほどの大雨はなく比較的平穏であった。
梅雨明け後、秋田地方は晴天続きで暖かである。
ここ10日間ほど外来患者の話題は「暑くて、暑くて・・大変ですね」、と賛意を求めて来る。私は時候の挨拶など嫌いである。私からそんな言葉を発することはない。だから対応も素っ気ない。私の返事は「そーですか? 私は暑いと思ってません・・」、である。患者達は賛意を得られず一様に不満顔である。
だいたい時候の挨拶は本来気楽なもので、本気で反論したら絆が切れる。だからキョトンとして困ったような表情をする。
その反応も面白いのであるが、これを機会にどうやって暑さを凌いでいるか聞いてみる。結果としてわかったのは「暑い、暑い・・」と言う患者はみんなエアコン持ちである。
要するに、エアコンなどで自然現象から逃げようとするからむしろ辛いのだ。夏は暑いのが当たり前。暑さは迎えればいい。そのつもりで待っていれば多少の暑さにはへこたれない。どうせ秋田の暑さなどたいしたことはない。私が育った岩手では冷夏は秋の不作に直結した。猛暑は大歓迎であり、喜びを持って耐えたものだ。
エアコンに関して言えば、確かに、私は勤務日、勤務時間は病院の冷房の恩恵を受けている。だから主張に後ろめたいところもあるのだが、実際にはそれほど快適だとは思っていない。医局で一人いる時はエアコンも換気扇も回すことはない。音も嫌だからである。それでも建物全体が冷えているから間接的に室内は若干冷えている。私にとってはこれで十分である。同室者がいるときは辛い。
自宅では私が書斎として用いている一室にだけエアコンがあるが、通常はその部屋を使わないし、私が使うときはエアコンをオンにすることはない。意地でも使わない。
確かに、全国的には高気温のニュースが続き、熱射病による搬送され死亡した高齢者、畠仕事中に死亡していたことなどが連日報道されている。そんな中不謹慎と思うが、私は今年の夏は不満である。今朝は3:00頃、寒くてついに長袖のフリースのセーターを着た。
私は真夏のギラギラの太陽、夜間から朝にかけての寝苦しいほどの気温の時期が好きである。体力的には辛いが、気持ちは高揚する。少しでも日差しを浴びたくて炎天下自転車でうろうろし、帰宅後は夕陽のモトで庭の笹ダケ切りに精を出している。
7月下旬になれば暑くなるさ・・、と楽しみにしていたのであるが、今夏は朝夕は涼しく、9月の早朝の雰囲気である。あと2週間、私にとって秋の訪れとなるお盆の時期が来る。私は些か焦っている。
8/1(水)晴れ・暑い 外来
1:15起床,文献チェック、同級会関連処理、その他。自転車、コイ・ハト後7:00病院、回診。8:45-13:30外来、入院患者家族面談、疲弊した。15:30中六郵便局で郵送と再差し出し関連相談、16:45帰宅。炎天下走行は厳しい、汗だくとなる。新聞処理、園芸用ハサミとぎとササ竹処理、夕食、 20:00就寝。
開腹手術(2)開腹・経尿道手術5周年 最高に調子良い
私は2007年8月1日に膀胱頸部硬化症と膀胱憩室の手術を受けた<http://www.mfukuda.com/essei/mitaiken.htm>。もう5年経過した。
はっきりとした記憶はないが、私は幼少の頃から排尿障害をかかえていたように思う。 下部尿路が細いためなのであろう、排尿に時間がかかり学校のトイレで私より遅くきた友人達が私より早く終わって行くのを気にし劣等感をいだいていた。 以来50数年、徐々に悪化傾向があることは自覚していた。尿が出始めるまでに時間がかかり、尿線が細くなり、頻尿となって来た。時に少量の尿漏れを来すこともあった。
残尿に感染を合併した症状が出たのを機会に限界と覚悟を決めた。専門医に相談したところ診断は膀胱頸部硬化症と膀胱憩室で、開腹と経尿道的に膀胱頸部切除を同時に受けた。実際には膀胱頸部硬化症は再発が頻回にあるために手術ではなく間歇的自己導尿も一方法と説明があったが、同じ悩みをかかえていくのはしんどいので迷わずに手術を選択した。
術後の経過は極めて良好で、この5年間、50年間ほど味わってきた苦悩から完全に解放され、一日数回排尿時に爽快感を味わっている。
大げさに言えば、それまでの私の人生はいつも排尿のタイミングを気にしていた。自由がきき難い状態、例えばカナダやヨーロッパ旅行の際には長時間のバス移動も含まれていたが、そんな時は最後の手段と水制限で臨んでいた。フォーマルな冠婚葬祭等に出席するときなども同様であった。今から見ればバカくさい、涙ぐましい努力をしてきた。いわば「全身膀胱人間」であった。 ただ、幸い、本当に幸いなことによその方の前で失禁などをした経験はなかったが、実際の所は薄氷ものであった。
だから、限界を悟った時点で手術を受ける覚悟はすぐに決まった。
結果は最高である。数ヶ月かかったが膀胱は十分に伸展できるようになった。排尿回数も減り、排尿関連の症状は全て消失、自由に水分も取ることが出来る。緑茶やコーヒー、ソーダ水などをがぶ飲みが出来る幸せを感じている。加齢と共に身体各所にいろいろな衰えや障害を感じている日々であるが、こと排尿に関しては完全に解放され、排尿はこんなに爽快なものだったのか、と改めて快適な排尿感覚を味わっている。
本当に良い時期に手術を受けたものである。もしこの様な素晴らしい治療効果が得られなかったら、あるいは再発していたら、この5年間ばかりでなく、いつまで続くか分からないこれからの残りの日々を苦痛と共に生きなければならなかったろう。
感謝である。
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |