徒然日記
2011年6月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


6/30(木)雨 外来  
2:00 起床。音声他各種データ整理。6:55車病院着、回診その他、書類など。8:40-13:50外来。新入院対応など。16:00車帰宅。今夕は花岡事件関連の資料検討に充てた。19:45夕食。20:30就眠。

オールド・ボロ・ボロ・ハーレー(18)車検どうしようか
 私は車よりバイクを好むのだが、2009年秋以降、通勤の中心は自転車になり、時には歩いている。雨の日とか降雪期になると車を使うことになる。だから、バイクは殆ど車庫の中に鎮座している。

 今年は5月の連休にやっと車庫から出した。 約半年、埃まみれである。最小限、座席とバックミラーだけは綺麗にしたが他の部分はそのままである。新たに錆が加わり、ボロ・ボロで世界に一台の個性的なハーレーになった。

 連休に車庫から出して乗れる状態にはしたものの本日で車検切れである。車検証を確認したところ、この2年間でわずか267Kmだから、通勤に10回ほど用いただけである。その2年前は1.200Kmで車検を迎えているから如何に乗らなくなったか分かる。私のプリウスも昨年一年間は3回しか給油していない。今年は病院へ一往復しただけで、まだ12Kmだけ。

 このバイクは購入してから20年になる。その間、通勤だけで、例外的に講演の時に大館と湯沢に一度行ったくらいである。この間、バッテリーしか交換していないから製品としてあたりが良かったと思う。

 いま、車検を取ろうか否か迷っている。この2年間と同じなら意味がないが、若干ながら自由時間が増えたから今までとは違う利用も出来るのではないか、とも思うし、もう少し時間がとれるようになった時点で車検を通しても良いのではないか、とも思う。一方、年寄りには大きく重たすぎるから、そろそろ見切りをつけて誰か欲しい方がいればあげて、より軽量の250ccほどのスクーターにでもしようか、などなどと考えている。

 まあ、急ぐことはない。とりあえず乗る予定はないからもう少し考えることとする。


6/29(水)晴 外来 入院患者死亡 家族面談2件     
2:00起床。6:45自転車病院着。7:20回診他病棟業務。8:00救急カンファ。8:45-14:00外来。9:05入院患者死去。午後は患者関連書類ほか、患者家族面談2件。16:00車帰宅。今夕は主に歴史探索。19:30夕食、21:00就眠。

嘱託医生活(6)脳のMRIを受けた(2)脳が小さい!! 画像を見てガックリ
 脳のMRIの結果は、左の後方に嚢胞状の構造があり、年齢相応程度の無症候性脳梗塞があるという。上記コメントを読んだ範囲では嚢胞状の構造は別として全体的には年相応ならまあ良いか、とそれ以上のことは特別考えなかったが、自分でも画像を目で確かめるべくフィルムを取り寄せた。見た瞬間、ガックリ来た。

 一見して脳室が拡大して大きく見える。脳が萎縮しているのだ。更に、詳細は判断できないが左の視放線と言われる付近に確かに袋状の構造がある。そのほかに脳実質に白い斑点が散見される。いわゆる無症候性脳梗塞である。読影医師は特に萎縮のことを記載していないが、どうしてだろうか?私にはとても年齢相応には見えないが、やはりその範囲と言って良いのだろうか?と揺れ動いた。

 老化関連の変化は別として嚢胞状の構造ならば脳外科医の評価ももらわねばならない。早速評価をお願いした。結果は特別の異常とまでは言えないとの判断であった。これで一安心したが、文章の後半でまたガックリした。「この嚢胞状に見えたのは、年齢相応と思われる脳の萎縮の過程でたまたま・・・」と記載があった。まあ嚢胞状の脳腫瘍でもなかったし、結果は喜んで認めなければなるまい。ここでも年齢相応とあるし・・。しかし、カルテの表紙に付いてきた赤い付箋には親切にも「カルテに直接書きましたがよろしかったでしょうか?」とあった。萎縮について記載したことについて気遣ってくれたのであろうが、何か妙な配慮を感じてしまった。

 まあ、これで一安心であるが、何か気が晴れない。確かにもう66歳にもなるのだから無症候性脳梗塞、軽度の脳萎縮があって当たり前で、患者に対してであれば「歳ですね、元には戻りませんよ・・・」と言うレベルであるが、こと自身のことだとそう気楽なものではない。これから先、脳機能が比較的早く落ちていくかもしれないな、などと考えてしまった。

 幸い今のところなかなか人の名前が思い出せないなどの症状はあるものの、自分でショックを受けるような障害は感じたことはないからまだ大丈夫だろう。今日の段階の結論は、「まあ良かった」、と言うことにしておこう。


6/28(火)雨のち晴れ 外来 LL大学開校記念講演  S病院スタッフと歓談
1:30起床,講演準備。7:00車病院着。7:30回診他。8:45-12:30外来。13:10-14:40LL大学開校記念講演、15:30-16:15新入院患者対応、家族への病状説明。18:00 S病院スタッフと歓談。20:30帰宅。21:15就寝。

嘱託医生活(5)脳のMRIを受けた(1)眼底所見、視野欠損から頭蓋内病変が疑われた
 つい先日まで勤務していた法人は年に2回、2月と9月に職員健康診断がある。昨年から眼底に何らかの所見があったらしく、精査を受けたが特別の結論を得られないまま終了した。

 今年2月下旬の健康診断は4月に判明し、同様に眼科的精査を受けるようにとの指示であった。昨年も受けて何も問題なさそうだったし、忙しいからそのうちに、とゆっくりと構えていたが、眼科科長がわざわざ部屋まで来られて精密検査を受けるようさりげなく、かつ熱心に勧めてくれた。ここまで勧められれば逃れられない。その頃、検査のための受診は私にとっては金曜日しかチャンスがなかったので隔週ほどに、視野検査は3回も再検査した。なかなか一貫性のある良い結果が得られなかったらしい。確かに、私も検査の途中で睡魔がひどく、居眠りした可能性もあった。

 5月も下旬になってから科長の診察があり、眼底所見、左目に視野欠損があるとのことで正常眼圧緑内障(NTG)が濃厚に疑われる他に、視野欠損の局在から脳の病気も否定できないので一度脳のMRIを撮るようにとの指示を受けた。

 NTGは簡単に言えば緑内障の一種で、眼圧が正常の範囲内なのに視野が欠けていく病気。私が受けた教育の中では緑内障は正常眼圧のもないわけではないが、基本的に高眼圧を伴うとされていた。しかし、そんな概念は通用しないらしい。今は緑内障のうち7割がNTGらしい。最近知見によると、40歳以上の日本人28人に1人がNTGに罹患しており、そのうち8?9割が医療を受けていないとのことである。私の場合、治療や今後の経過観察についてはコメントはなかったからNTGとしても緊急性はなかろう、とひとまず安心した。

 問題は脳のMRIである。私は中枢性疾患の存在を示唆するような症状を感じたことはなかったが、一体自分の脳はどうなっているのか?と興味を覚えていたからもう65歳にもなったし、退職を機会に受けてみるのも悪くはない、と軽く考えた。
 ちょうど身分変更の端境期であり、健康保険証が再発行されるまで20日ほど要したので6月下旬になってから脳のMRI受けた。
 結果は、脳内の何とか言うところに嚢胞状の構造があるほかに、無症候性脳梗塞が指摘された。後者については年齢相応とのコメントであった。
 上記コメントまでは何も特別に感じなかったが、自分で画像を取り寄せて見て、ガックリ来た。


6/27(月)雨 患者家族面談  
1:30起床、文献チェック。7:00車病院着.事務処理他。11:00患者家族面談。患者関連書類処理。16:00帰宅、明日の講演準備、19:00夕食、20:30就眠。

サクランボ(3)錯乱母
 今年もサクランボの季節がやってきた。家内にとっては嬉しい、私にとっては恐怖の、かつ心配な時期でもある。
 毎年、この時期になるとわが家の夕の食卓には殆ど途切れることなくサクランボが並ぶ。それも結構な量である。例年、知人から送られてくる十文字産のサクランボがきっかけとなって始まる習慣である。今年も見事なのをいただいた。これが届くと家内の心に火がつく。これ以降、旬の終わりまでほぼ毎日の如くに買ってくる。また、例年6月後半に開かれると言う十文字町の「さくらんぼ祭り」に、親戚も子連れで出かけるから、その家族からも土産としていただく。
 新聞によると、今年は2割減の作柄と言うことであるが、味はまあまあだと言う。
 家内は自分が楽しむだけでなくお世話になった方々にも送っているらしい。

 サクランボはきれいに並べられたのからバラ詰めのまでいろいろあるが、私はバラの方がいい。より気楽に楽しめるからである。あまり立派なのは私の方で気後れする。ざっと水洗いする。実の表面は天然のオイルで覆われているのか撥水性がある。だから表面に水滴となるが、この水滴と果実の色調がおりなす光沢、新鮮な雰囲気が良い。美しさという点ではきれいに紅色になった果実より黄色と淡赤色、深紅のモザイク調のが一層美しい。    

 サクランボはあのツルをプラプラさせて指先の遊びを楽しみ、形や色合いを十分見て楽しんでからおもむろに口に運ぶ。果実の表面はとてもスムーズ舌触りがとても良い。1ヶずつ口に含む。 この時、おちょぼ口である。若くて口元の美しい女性をイメージするとエロチックなイメージが伴う。ひげの男が大口を開けて食べているシーンなど思いたくもない。

 この季節、私は家内を「錯乱母」と評する。さすがに最近は食べる量は減ってきたように思うが、かつては1Kgの箱、それも比較的高級なのが、一晩で全てツルと種に変身し、腹ふくれた「錯乱母」が箱の横にうたた寝していたこともあった。健康面も心配である。注意しても効果はない。救いは旬が短いことである。


6/26(日)曇り夜に雨 庭と畠仕事若干 千秋美術館
2:00起床、随想読み、徒然など。新聞チェック。10:00-12:00庭と畠の手入れ若干。15:00千秋美術館へ。陶器展、医家美術展、平野政吉美術館と作品を沢山見ることが出来た。17:00病院へ、重症患者回診。18:30帰宅、19:30夕食。20:45就眠。 

無知、無智の効
 数日後に県の長寿社会振興財団の行事の一つである「LL大学園」の開校式記念講演を私が担当することになった。今鋭意準備中である。
 その中で高齢者の処世の一方法として、出来るだけ孤独に陥らないように常に社会との接点を持つことの重要性についても語る。その際、コツとして「高齢になったら、口を慎み、阿呆のまねが無難。昔のことはみな忘れ、自慢話はしなさんな・・」というどなたかの言葉を自分なりに解釈して紹介する。また、もう一つ、日本人は世界で最も安全で長命な国に住んでいながら国民の大部分が「健康追求病」に罹患しているということも話す積もりである。
 これらは私が集めていたスクラップの中で「無知」に関連した項にあった次の2枚がヒントになっている。

 一枚はスペインの小説家グラシャン(1601-1658)の「無知であると思わせるのは、時として最大の英知である」という言葉である。私どもは、自分より身分的にも知的にもあるいは財力の面でも優れている、と思っている人の前では、形式や建前論を尊重した会話に終始し、本音を言わない傾向がある。こんな中からは良い人間関係など形成されない。それに対し、そのような緊張感を持たなくても良いような関係の人の前では、不要な緊張感がなく、しばしば本音で会話できることがある。そのような環境の中でこそ、人情の機微や、思いがけないような情報も得られることがある。幼なじみなどはこのような関係に近い。高齢者の人付き合いは年齢も大幅に異なり、現役時代のキャリアも異なることからとても難しいと思う。特に男性はすぐに相手のマイナス面のみを評価してしまう傾向にあり、新しい仲間とはなかなかうち解けないようだし、長続きしないようである。特にプライドを傷つけられることを最も嫌がるようである。
 
もう一枚。吉川英治著「宮本武蔵」の一節、「無智はいつでも有智よりも優越する」というのもあった。吉川はあえて無智、有智という言葉を用いたのであろうが、その辺は意味深である。知恵があるということはむしろ迷いや悩み、恐れの原因にもなり得ると言うことである。知恵があるとどうしても利口に立ち回ろうとする。そこから新たな歪みが生じてくる。人間である限り無智よりは有智が良いということにはなるのだろうが、有智にもそれなりの欠点がある。健康に関して言えば、多くの方々はTVや新聞、健康雑誌等から健康に関する知識を得ているが、それを理解する基礎的な知識に欠けるために正当な評価が出来ない。そのことがむしろ不安の因になっている。有智がマイナス面に働く一例である。謙虚さ、純粋さ素直な気持ちを持ち続けること有智か否かとは別問題である。そのような方々が持つ人間力はこざかしい知恵を大きく凌駕する魅力がある。
 
もう一枚、「無知な友ほど危険なものはない。賢い敵の方がずっとましだ」というフランスの詩人ラ・フォンテーヌ(1621-1691)の言葉も見つかった。


6/25(土)曇り 
2:10起床、文献・新聞チェック。自宅の片付け、録音データ整理、本読み等。16:00-18:35病院。18:50車帰宅。19:30夕食、20:30就眠。

東日本大震災(26)原発再稼働問題 一貫性がない 安全はどう確保??
 浜岡原発を政治主導で停止したかと思ったら、経済産業相が、定期点検などで停止している原発の再稼働を関係自治体に要請している。経済産業相の立場からだろうが、国の方針としては一貫性がない。

 福島第1原発事故で原発のあり方そのものに未知の問題点が判明し、事故対策・危機管理における日本の原発政策の脆さが露呈した。それなのに、福島原発事故の冷温停止のめどもたたないのに再稼働の話しである。原発のある地域住民は不安を抱き、再開に戸惑っている。
 各電力会社が政府の要請に従って実施した対策も、非常用電源車を配置した、水素爆発で原子炉建屋が破壊されないよう穴を開ける準備が整ったなどで、これで安全が確保されたと言えるのだろうか。安全対策はハード・ソフト両面から必要で、まず、ソフトである。

 私が一番疑問なのは、東電福島原発事故への対策のため緊急導入された浄水装置や散水車等の装置や道具が、ロボットを含めて全部外国製だと言うこと。これは一体何なのだ、と思う。安全神話は嘘で塗り固めて広報し続けた結果であったし、具体的危機状況をを想定した危機管理対策、訓練も何にも用意して来なかったと言うことで、未必の故意とも言いうるほどの、考えようによっては犯罪的行為と言えるのではなかろうか。
 全電源喪失の想定は全くしていなかったと言うことであるが、過去の津波の記録から現実論として検討・想定しなければならなかったことであるし、津波以外でも航空機の墜落事故などもあり得ないことではない。

 もう一つの疑問はメルトダウンの判断の遅れである。原発にとっては最悪の事態であろうが、これに対する判断能力を欠いていた事である。今回の判断はそんなに困難なことだったのだろうか。こんな環境で原発が運営されてきたなど、私にとっては「想定外」であった。

 東電は住民達にどう説明して原発を設置したのだろうか。住民は十分な情報を与えられていなかったのではないだろうか。
 原発の再稼働は自治体との協定で決まるらしい。原発の有り様を決めるのは政治であっても、各原発の再稼働は政府が決める問題ではない。住民の合意が得られない状況での再稼働はあり得ないし、住民の説得には最悪の事態を想定した危機管理対策を公開してはじめて可能になると思う。?


6/24(金)雨それもかなり 外来代診 MRI受けた
2:00 起床,新聞文献など。6:45車病院着。7:00回診他。8:45-13:00呼吸器内科外来代診。13:45秋田銀行スタッフ来訪、14:15自身の頭部MRI。職員検診の眼底写真から眼球外の病巣が否定できない、とのことであった。16:00自転車帰宅、歴史関連文献読み、20:00夕食、20:45就寝。

おんぶの会(秋田県音楽普及協会):コンサートと講演(2)大沼えり子氏の講演
 去る6月5日、秋田市アトリオンホールでおんぶの会が主催する「コンサートと講演のシリーズ」を聴いた。
 第二部は大沼えり子氏の講演。初めて聞くお名前であるが、50歳代と思われる。名取市の老舗の割烹の若女将で、二児の母。かつ、シンガーソングライター、執筆家、ラジオのディスクジョッキー、保護司、などなど幅広い活動をしていて結構有名な方らしい。
 氏はNPO法人「ロージーベル」を設立し、更生を目標に頑張っている少年達に手を差し伸べている。少年の更生のための施設「ロージーハウス」も運営している。「ロージー」とは、母あるいは女性を薔薇に例え、この母なる薔薇が奏でる幸せのベルを少年たちの心に響かせたいという願いを込めて命名したとのことである。また、少年院向けDJ番組を毎月制作し、東北にある3ヶ所の少年院に贈り続けている。この他にも、青少年の健全育成に関する講演会や学習会、チャリティコンサート、相談窓口の設置など、少年の更生と健全育成に係る様々な活動を行っておられる。

 講演は実に早口で,90分、時にしんみりと,時にヒステリックに、次から次と話題を展開させた。

 まず3月11日の大震災について触れ、自ら体験した大地震、大津波について述べた。名取市は大きな被害を受け死者行方不明者が多数出たところである。演者はその時間、夜に行われる大宴会のための用意を取り仕切っていたとのことであるが、家は倒れなかったものの、内部は足の踏み場の無いほどの状況になった。従業員を逃がしながら、隣家を見たところ大揺れの中屋根瓦がバラバラに飛び跳ね落下した,と言う。家の中の片付けしながらしている最中ゴーゴーという地鳴りのような音が響き、見ると側の河が逆流し,車とか遠くの海に浮かんでいるはずの漁船が割烹の直ぐ側まで流されてきた。割烹は高台にあったためにもう一歩という所で津波の直接の被害は免れたという。救援のために防寒等の物資を持って被災した地域に降りていったが、そこで目にした光景は瓦礫の中に多くの屍体が見え、地獄絵図そのものであった。命が助かった方々もヘドロや油で全身ずぶ濡れ状態,ショックで言葉も失っていたという。
 現実に大震災で被災された方の話を聞くのは初めてであったが,表現は実にリアルで会場はシーンと静まりかえり、張り上げた彼女の声だけが反響し,心に染み通った。この話を私は到底文章にはしきれない。

 次いで,自分の育児を通じて地域の恵まれない児と接し,やがて問題児になっていく過程について話され,その児に対し自分がどのようにかかわってきたのか、後に保護司になった事情、保護司としての活動について具体的な例を挙げつつ約1時間話された。
 この講演の中から私が感じ再確認したのは、近年失ってしまった、地域ぐるみの子育ての重要性についてである。

 ロビーで演者の著作が何種類か販売されていた。その中から家内が「子育てよかった物語ー子どもの笑顔はこうして作る」を選び取った。今それを少しずつ読んでいるところであるが、自らの子育ての頃に照らし反省すること数多い。

 アトリオンホールは反響が豊で講演の場としては相応しくない。今回は特に早口の演者だったから言葉がとても聞き取り難かった。私はノイズキャンセリングヘッドフォンを用いて聴いた。高低域がカットされて言葉が聴きやすくなるからである。ホールの音響担当の方に一考して戴きたいと思う。


6/23(木)雨のち晴れ 外来 患者家族面案
2:00 起床,ドック判定総括など。6:50車病院着。7:25回診他。8:45-14:00外来+ドック結果説明。16:00車帰宅、文献検討、歴史としてニュールンベルク裁判勉強す。19:30夕食、20:30就寝。

おんぶの会(秋田県音楽普及協会):コンサートと講演のシリーズ(1)
 去る6月5日秋田市アトリオンホールでおんぶの会が主催する「コンサートと講演のシリーズ」を聴いた。おんぶの会もこんな会が継続的に行われていたことも初めて知った。 秋田県音楽普及協会と言う名前からして県に関連した音楽の普及を目指しているのかもしれない。「おんぶの会」という名前は親しみがあって良い。音楽普及協会と言う名前での主催では聴きに行く気になり難い。いつもの如く家内が知人の方からチケットを購入してきたもので、私は何でも見てみよう聴いてみようの姿勢だから聴きに行った。

 第一部はコンサート。出演者は秋田県出身者から選ばれている。小学5年生のボーイソプラノの三浦くん、母と中一の双子の姉妹によるファミリーボーカルニット「美風優」、ピアノ独奏、テノール歌手本田武久氏の独唱であった。
 三浦くんの歌を聴くのはこれで3回目。今回は「グリーングリーン」、「フニクリ・フニクラ」の他、「歌の翼に」,ヘンデルの「私を泣かせて下さい」と、聴く度に徐々に高度な選曲になってきている。「美風優」の三人は「夏の思い出」、「アベ・マリア」、「キラキラ星変奏曲」を歌い美しいハーモニーを聴かせた。
 ピアノ独奏は大学1年の宮野さんという方。ショパンの「バラード第一番」、「ノクターン:遺作」、「エチュードop25-1」の三曲を弾いた。秋田中央高校1年の時に第13回秋田県青少年音楽コンクールピアノ部門でグランプリを獲得した方で現在桐朋大学1年とのこと。これからの活躍が楽しみである。
 この様な若手の方々の真剣な演奏から真摯な姿勢と熱意が十分に伝わってくる。

 テノールの本田氏は私は2回目である。角館出身で教職に就いてからプロの道を目指したという。「アベ・マリア(カッチーニ)」、「野ばら」、「峠の我が家」の三曲。このアベ・マリアは数多い同名の曲の中で私は好んで聴いている。本田氏は闘病中と言うが、そうとは思えない張りのある声で声量豊に歌い切った。この会の後にもAlveで開催された「がんささえ愛の日」で聴く機会があり、その時、自身の病気についても紹介したので私は初めて知ったが、治療の合間に時を惜しむようにコンサート活動を行っているようだ。いつまでも歌い続けて欲しいと思う。



6/22(水)曇り・雨 外来 患者家族面談 
2:20 起床,文献整理中心、いつもの如く。7:00自転車病院着、回診他、8:45-13:50外来。16:00途中まで自転車、雨で戻り車で帰宅。日本医事新報整理、19:30夕食。20:30就寝。

東日本大震災(24)政府、原子力関係者は住民、国民を信用していない??
 東日本大震災は世界中が注目している。大規模の地震、続いた大津波、さらに原発事故が続いた。諸外国のマスコミの論調は、政府や原子力関連分野の対応のまずさ、情報隠蔽体質などについて批判的であるが、その中で国民、地域住民の対応を驚きの目で見ているとの好意的論調が多い。その過程で英国だったかのある新聞は、国民は一流、官僚は二流、政治家は三流と評した、とされる。

 地震や津波は目に見えるだけに理解されやすい。しかし、原発の事故に関しては目に見える部分は結果であって原因ではない。原発そのものの状況など素人には真相など状況はなかなか理解できないし、引き続いて起こった放射能汚染、被爆などは相手が見えないだけに不気味な恐怖感を伴う。だから、情報が大事である。

 初期対応から様子を見直してみると、国民向けの発表は事の本質に関しては決してリアルタイムではなく、重大な内容は時間をおいてから「実はこうでした・・」といった状況で発表されている。例えば、原発にとって最も重大な状況であるメルトダウンに関して言えば、5月中旬になってこれを認めて公表したが、原発についての最大かつ最悪の状況がその時点でやっと判明したとしたら、構造的にも安全上から見ても原発そのものが欠陥機器であり、危機管理担当者は知識と洞察力、判断力に置いて重大な欠陥があったことを示し、彼らには危機管理など担当する資格などはないということである。要するに、わが国では根拠のない安全神話と言う得体の知れないカプセルの中で、原発を「運に任せて」運用していたことになる。

 国の責任のある方々は「住民はうわさに惑わされてパニックを起こすだろうから、冷静な対応を呼びかけ、強力に指導する必要がある」という前提に立って発表している様に見える。こう考えるとむしろ不安は助長される。

 かつて新型インフルエンザが国内で見つかったときに、当時の舛添厚労大臣が早朝に緊急記者会見を開き、深刻な表情で国内感染例があったことを伝え、次いで国民に冷静な行動を呼びかけた。これは国民以上に彼ら自身がパニックに陥っていることを示し、むしろ国民を不安に陥れた。心配しなくて良いなら、何で早朝に記者会見?あんな深刻な表情?だったのか。付け加えた「冷静な行動の呼びかけ」と彼らがやっていることと完全に矛盾してるでないか。

 今回も同じである。「国の安全基準を超えた放射能が検出されたが、心配いりません」という。ならば、安全基準は何のために、何を根拠に誰が決めた??ということになる。担当者達は自ら矛盾のある内容を公表しているということに気づいていない。
 これらを通じ、政府、原子力関係者は住民、国民を信用していないのではないか?と疑問に思う。60年以上前の、大本営発表の事実隠蔽と大差ない状況なのではないか?


6/21(火)晴れ、曇り 外来 ドック説明 
2:00 起床,新聞・文献チェック、他.6:45自転車病院着、7:20回診他。8:45-14:20外来、16:00自転車帰宅。CD整理で過ごす。20:00夕食、21:00就寝。

東日本大震災(24)100日経過 死亡15.477人、不明者7.464人、避難112.405人

 東日本大震災発生から100日。
 復興は遅遅としており、5万戸以上必要とされている仮設住宅はまだ半分らしい。原発も現状がどうなっているのか、この先どうなるのかサッパリ分からない。震災そっちのけで政治も混迷。今後の日本はどうなるのかという重苦しい雰囲気が漂う。

 福島第1原発事故は、チェルノブイリに匹敵する重大事故として世界が注目している。放射性物質による土壌汚染は、学校生活、農業、水産業に大きな影響を与えている。原発の周辺では地震、津波、原発事故、放射能汚染、風評被害の5重苦状態にある。

 政府と東京電力は汚染水の処理など、事故の収束に全力を挙げなければならないが、外から見ると何かちぐはぐな印象である。毎日毎日東電、保安院、それに政府の記者会見が行われているが、統一が取れていないから具体的にどうなっているか皆目分からない。行き当たりばったりの説明しか出来ない記者会見の中継など不要である。情報隠蔽がなされているのではと言う疑問が常に纏わり付いている。責任ある部所がその日の出来事をまとめて公式見解を提供して欲しい。

 復興基本法案はやっと成立したが、あまりにも遅い。今月末にまとめる復興構想会議の提言の素案には、復興特区や農林水産業の集約化などを盛り込まれるとのことであるが、農林水産業の現場の方々の声は反映されるのだろうか。

 この3か月間、菅首相はリーダーシップを発揮できずモタモタした。私もそう思うが、別の方なら迅速に行っただろうか。私は管首相以外の問題だと思う。首相の首をすげ替えたなら政策に協力するなどとの論旨は国民の前では通らない。別な首相が誕生すればしたでまた同じことを言い出す可能性は大きい。
 
 今回の大震災には世界中が注目している。その中で国民は一流、官僚は二流、政治家は三流と表されているという。尤もである。私は3、4を欠番として、五流くらいにする方が良いと評価している。?


6/20(月)快晴 外来  
2:30起床,いつものごとし。6:50自転車病院着。8:45-14:00外来、混雑。16:00古本やに寄り歴史関連の数冊購入し帰宅、19:30夕食、21:45就眠。

「ワンコイン健診」ってなんだ?(2)医療のコンビニ化もここまで来たか
 詳細は分からないが、わが国の医療もついにここまでコンビニ可したか,という感じである。

 「ワンコイン健診」の施設に医師や看護師が居るのか否か、問診はどうするのか、採血等は誰が誰の指示を受けてするのか、データの精度管理は??などなど疑問だらけである。数値の報告だけで評価や生活指導を伴っているとは思えないが、実際はどうだろうか。ありようによっては医療法に抵触しないだろうか、とも思う。そこは2年ほど前から経営されているというので、保健所とかのチェックでは問題はなかったのであろう。運営母体の中で医師がいて全体を管理しているのかもしれない。

 医療は専門家である医師の管理と指導の下で,患者との対話を通じて良い人間関係が確立して成り立つ、と思う。検査結果の数値が正常か否かだけで片付く問題ではない。
 私は病院で人間ドックも担当してきたが,受診者の方々との対話を重視しており、検査結果の異常の有無,その軽重を主たる問題にしていない。全て正常範囲であっても生活パターンを聞いてみると指導を必要とする方は多い。体重コントロール、食事、喫煙、飲酒、運動等の指導を行う。ほぼ健康的な方々が対象だからこそ、その判断と指導はむしろ大変であるし、時には受診者に不快な思いを抱かせることもあろうが、その責任は担当である私が負う。「ワンコイン健診」の結果のハガキには,異常がある場合には医療機関を受診のこと、と勧奨する文字はあったが、その判断は全て個人に任されることになる。
 
 それ以上に、都会では医療のコンビニ化もついにここまで来たか,と驚きと落胆が大きかった。確かに,多忙なビジネスマン達にとって医療機関への受診は時間的にも負担だろうと思う。しかし、それと医療が限り無くコンビニ化していくことの是非とは別問題である。受診のための時間、費用は確かに発生するが,受診そのものにそれ以上の価値があるのだ,と思っているし、そう思っていただける様な診療でなくてはならない。
 それが欠けているからこの様な便利さだけの「ワンコイン健診」等が台頭してくることになる。

 現在の医療供給体制がこのままで良いとは思わない。医療を提供する側からも状況を改善する努力が一層求められるし、患者側にも医療機関の機能に対応した適切な受診行動が求められる。


6/19(日)快晴 知人宅訪問 
2:30起床、新聞・文献チェックほか。11:00-14:00家内の知人宅訪問、すっかり長居させていただいた。14:30-18:00病院、回診、患者関連書類処理。18:30一月ぶりバイクにて帰宅。19:00夕食、20:30就眠。?

「ワンコイン健診」ってなんだ?(1)
 「コイン○○」と言えばコインランドリー,コイン洗車等、日常生活の便利な施設などを思う。最近「ワンコイン○○」と名付けた催しものを時折見かける。秋田ではアトリオン音楽ホールの「ワンコインコンサート」がある。

 「ワンコイン」と名付けることで安くて気軽に利用できるというイメージが伴う。私は100円ショップなどもあるから、「ワンコイン」というのは100円硬貨のことか,と思っていたが,実際は500円硬貨のことだという。

 先日、でっぷり肥った30代後半の男性の会社員の方が外来を受診した。会社の検診の結果を持参で会社の指示で再検査に来た方である。見るからに代謝系に異常が想定される体格をしているが、再検査してみるとコレステロールなどに若干の異常があったがそれほどの異常ではない。
 本人も「今までは異常ありませんでした」と言いつつ,過去2回分の検査結果のハガキを見せてくれた。脂質3項目のみであったが正常範囲であった。「秋田だと病院に来なければならないので不便です・・」とも言った。その言葉に驚き、尋ねたらこれは東京の本社の側にある「ワンコイン検診のデータです」と言う。

 私はこの時初めて「ワンコイン検診」と言う言葉を聞いたのでとっさには理解出来なかった。要するに、東京ではコンビニ感覚で気軽に検査できるところが数カ所あって結構利用者が多いらしい。総コレステロール、血糖等何項目かあって一項目500円。結果は一週間ほどで送られてくるとのこと。

 「ワンコイン健診」について採血などどうするのか?など、いろいろ聞きたいこともあったが、外来が混雑していたこともあってあまり聞けなかった。体重コントロールの必要性、食生活、喫煙、飲酒、運動等の生活指導を行って診察は終了とした。
 外来のスタッフ何人かに尋ねたが、誰も「ワンコイン健診」について知らなかった。


6/18(土)快晴 県がんささえ愛の日
2:30起床。文献新聞チェック、8:55自転車病院着、回診他。14:00-16:30Alve県がんささえ愛の日会場に、木田武久コンサート他。病院重症者回診。18:00帰宅、19:45夕食、20:45就寝。

嘱託医生活(4)後輩医師よりCDいただく(2)他所ではCD-R盤も販売されているのか?
 後輩の女医さんから4枚のCDを頂いた。

 1982年9月16日東京文化会館で収録されたヨッフム指揮の「エグモント序曲」と「田園」はTDKコアKKから発売になっていて録音も良い。

 ところが、「エグモント序曲」「田園」「交響曲第7番」3曲の2枚組、それに、カラヤン指揮のブラームス「交響曲第二番」盤はしっかりと封された状態で戴いたので市販品と思われるが、開封してみると盤自体両者ともCD-Rであった。確かにケースの表面にCD-Rと書いてある。2枚組のはMade in USAで「VIBRATO」というレーベル、カラヤンのはそれも不明であった。

 録音はヨッフム指揮の2枚組は良くない。演奏が終了した際の聴衆の拍手がとても近く聞こえることから演奏会の座席でポータブル録音機で録音したものと考えられる。中高音域中心で低域はほとんど入っていない。ノイズもただごとでない。ケースの隅には「NOTE : HISS IS MIXED」と印刷されている。最初は何のことか分からなかったが聴いてみて即座に理解した。要するに「雑音入り」である。私は歴史的録音の復刻CDも何枚かあるが、1930-50年頃のSP盤の感じである。

 それでも「エグモント序曲」「田園」からはヨッフムの音楽が十分聴き取れたし、「交響曲第7番」 も十分味わうことも出来た。 ただ、CD-R面の印刷は2枚とも「交響曲第7番」と印刷してあった。多分細部にこだわらないのんびりした会社が作ったのかもしれない。一方、カラヤン指揮のブラームスの交響曲第2番のCD-Rは録音も良い。

 この度戴いたCDからいろいろなことを考えた。

  今まで自分もCD-R盤を何枚か作ったが、購入した音楽CDがCD-Rだったことはない。初めての経験である。諸外国では音楽CD-R盤、多分複製なのだろうが、これらも通常に市場に流通しているのであろうか。

 演奏家と曲目を私用に選択していただいたことがよく分かりいたく感心したのであるが、女医さんはどうやってこれらを入手したのだろうか。私もネットでヨッフム指揮の盤を検索してみたが、戴いたCD-R盤は見つけることは出来なかった。

 いつか、感謝の意を伝えながら、入手経路や経緯を聞いてみたいものである。


6/17(金)晴れ ふき検診センター代診 
2:00起床,ドック判定、新聞チェックほか。7:00自転車病院着。7:40回診他。10:45外来1名。13:00-15:15 ふき検診センター所長が手術にはいることとなり急遽代診。16:00帰宅、文献チェックなど。19;30夕食、21:30就寝。

嘱託医生活(3)後輩医師よりCDいただく 私の思い出の演奏家の曲(1)
 私の退職を祝って、何人かの方々から花束や書籍、書簡などいただいた。有り難いものである。

 後輩の女医さんからは4枚のCDを頂いた。オイゲン・ヨッフム指揮バンベルク交響楽団によるベートーヴェンの「エグモント序曲」と「田園」、同じく「エグモント序曲」と「田園」と「交響曲第7番」3曲が入った2枚組、それに、カラヤン指揮ベルリンフィルのブラームス「交響曲第二番」の一枚である。4枚ともライブ録音でベートーヴェンの一枚物は1982年9月16日東京文化会館で収録された録音、二枚組のは同じく9月21日のライブ録音で収録箇所は不明である。恐らく一連の演奏旅行での演奏であろう。カラヤンのは1987年6月14日パリのPleyel Salleでの収録とある。

 私はこのCDの選択にいたく感心した。私のために十二分に選曲、演奏家を選んでくれた事が分かる。
 私が音楽に目覚めた決定的機会は正確には覚えていないが、中学1年頃のある夕方、NHK-TVで初来日したオイゲン・ヨッフム指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏会の中継であった。当時は東京文化会館はまだ無く,演奏会場は多分日比谷公会堂であった様な気がするが、これも定かではない。演奏の最初の曲は「エグモント序曲」であり、最初の強奏和音を聴いた途端に全身に鳥肌が立つような不思議な気分を味わった。このことを機会に突然クラシック音楽にとりつかれた。しばらくの間は主としてラジオ放送で貪るように聴いていたが飽きたらず、小遣いを貯めてLPレコードプレーヤーを購入、最初に購入したレコードは、有りふれた選択だが「運命」、2枚目が「田園」であった。この田園がオイゲン・ヨッフム指揮の盤であった。本当にレコードがすり減るほど聴きこんだ。これらの盤は引っ越しなどで紛失したらしく今手元にはない。

 ヨッフム指揮の田園は私が今迄聴いた中で最も遅いテンポで開始することから忘れたことはない演奏である。
 全集や個別の盤でわが家では20種ほどの「田園」の演奏がある。名曲だけに優劣はつけられないが、最も聴き込んでいるカラヤンの演奏がポルシェなどで颯爽と故郷を訪ねる雰囲気であるのに対して、ヨッフムの演奏は仕事から開放され、田舎に着いた途端道端でカタツムリを見つけた、と言う感じで全く違う。今回いただいたCDは勿論私が愛聴した盤とは世代は異なった録音であるが、30年以上聴いていなかったヨッフムの演奏に触れ、心から懐かしく思った。

 後輩の女医さんは私がヨッフム指揮のエグモントで音楽に目覚めたことをHPで知ったと思われるが、ヨッフム指揮の「田園」にも思い入れがあったことは記載していないから偶然と思われる。
 実に素晴らしいカップリングの一枚を戴いたものである。


6/16(木)晴れ 外来 
2:00起床,ドック判定、新聞チェックほか。6:45自転車病院着。7:10回診他。8:45-14:00外来。16:00帰宅、ドックなど。19;30夕食、20:30就寝。

第19回M-M(Medical Management) 研究会 司会の紀伊國氏今回で降板
 先日6月4日土曜日はホテルニューオータニ第19回Medical Management研究会(M-M研究会)があり出席した。14:00-18:00と長丁場で、かつ内容的にも密度が濃く、いつもながら得られるものは大きかった。この講演会はT薬品の主催で年1-2回行われるもの。私は2004年の第9回からほぼ毎回出席させていただいている。私が参加し続けてきた薬品会社主催の唯一の講演会である。会の内容が他の企画に比して格段に素晴らしかったからである。

 今回は「病院医療の将来」というテーマで、内容は以下の如くであった。
(1) 学術講演「糖尿病領域におけるT薬品の取り組み」(T薬品工業KK学術員)
(2) 基調講演「病院医療の将来?70年の医師の経験から?」(聖路加国際病院理事長日野原重明氏)
(3) 講演(1)「病院医療はどこに行く」(高松市医療管理者塩谷泰一氏)
     講演(2)「選ばれる病院を目指して」(日本病院会会長・聖隷浜松病院 
        院長堺 常雄氏)
(4) パネルディスカッション「病院医療の将来」

 司会はいつもの如く笹川記念保健協力財団理事長紀伊國献三氏。初回に参加したときもから8年、一度だけ体調不良で司会を代わられたが、今回まで実に的確な進行、まとめ役を果たされた。相当な、多分80歳後半と思われるが、全く衰えを感じさせず、よどみなく司会され、まとめも素晴らしい。驚嘆の至りである。
 今回も笹川氏は良い司会をされた。しかし、会の最後の挨拶では自分は今回をもって司会の立場を終わりにする、と宣言された。主催者側にも相談せずに決めたことらしい。まだまだ続けられると私は思っていたが、ご本人の立場では良い引き際なのだろう。

 私は高齢の方々のご活躍を驚きをもって見ているが、その一方、退任の時期は期限が明確でなく、明らかな能力不足の指摘もない状況では、他人はなかなか口を挟めるものではない。だから、自らが立場と能力を感じ取り、自ら判断する、これは高齢の方々に必要な大事な判断力なのだ、と思っている。

 各演者の主張点は後にまとめたいと思っているが、私もこの会の出席は今回が最後になる。今回は役職を離れてからの出席となったが、まだ役職にある間に招待され出席を決めたが、最終的にはT薬品のご厚意で参加出来た、ということ。

 今までいろいろ学ばせていただいたことを心から感謝し、この会が一層発展されることを願っている。


6/15(水)快晴 外来 患者家族面談
2:00起床,新聞、文献等、ドック処理他いつもの如く。7:00車病院着、回診他、8:45-14:00外来。15:00療養病棟患者家族面談。16:00自転車積んで帰宅、支度書庫整理 、19:45夕食、20:30就寝。

「鼓童」結成30周年スペシャル・ワンアースツアー2011(2)壮、和、雅、静、楽、そしてエロス

鼓童HPより転載

去る6月3日秋田県民会館にて和太鼓集団、「鼓童」の結成30周年スペシャルとしてのワンアースツアー2011なるものが開催され聴いた、観た。
 彼らは佐渡に本拠地を持ち、奥義を求め続け、年の1/3は国内演奏旅行、1/3は外国への演奏旅行だとのことで、「ワンアースツアー」と称した演奏会は国内では2.000回以上、諸外国での演奏会は46ヶ国で3.400回以上講演している。また、ジャンルを超えて、新日本フィルハーモニー交響楽団、ジャズピアノの山下洋輔氏等とも共演している。

 「鼓童」の演奏はただ勇壮に太鼓をたたくのではない。

 開始曲の演出は歌舞伎や能の演出をうかがい知ることが出来た。休みなく続いていくいろいろなサイズ、音質・音量の組み合わせの太鼓の饗宴部分では演奏する男女の奏者達の楽しげな表情、各演奏者達の間を自由に動き回る小型の鐘奏者達の動きや表情は太鼓のルーツが人の喜びや営みを背景にした祭りに由来していることを示してくれ、それが見事な芸術の域にまで高められたものであった。

 極度の静寂の演出もあった。一つの太鼓、名前は分からないが三味線のような形でありながら弓で演奏する楽器を背景に一人の佐渡おけさ風の姿をした微小な動きで演じた踊り手、低い音域で語るが如くうなるが如くの見事な歌唱を聴かせた女性歌手が醸し出した、10分ほどの暗闇と微少な光の中の世界、これは能そのものの世界であった。壮大、勇壮な太鼓の演奏との対比は見事であった。

 後半は勇壮な演奏が繰り広げられた。

 まず、舞台の中央に鎮座している直径2mほどの大型の太鼓を一人の、下帯姿の男性奏者が満身に力を込めて、正確には分からないが数分以上、打ち鳴らしたいわば独奏、3人の男性奏者が上半身を30度ほどに起こし続けた状態で10分も打ち鳴らす三重奏を伴う大合奏などが続いた。私はこの間、固唾をのんで聴いていた。

 太鼓の魅力は太古からの原始的な時代からの人間の喜びを表す表現法の一つであったろう。だから、太鼓には誰しもが心惹かれるものを持っているだろう。「鼓童」の演奏は極度に洗練された芸と姿を通じ、人間共通に持つ心のふるさとに和太鼓の響きを持って入り込んでいる様に思う。だから、諸外国でも共感を持って歓迎されているのではなかろうか。いかに国際交流が進んでいるとしても3.000回以上をも海外公演をしていると言うことは芸術の世界であっても考えがたい。「人類に共通の何か」に触れるものがあるからだろう。

 打楽器にも数多くの種類があるが、和太鼓だけであることが有する「和」にも深い意味があるような気がする。それに加えての演奏上の「和」である。
 加えて、よろこびを表現する乱舞もあった。

 もう一つ「鼓童」の演奏の評価ではずすことが出来ないのは「男の肉体美」の表現である。持久力、筋力、軽快な身のこなし、一つのことに打ち込む美、飛散する汗など、彼らの勇壮な演奏を通じてエロス的な陶酔感すら味わせてくれた。

 今日のこの体験は忘れられない、 次はいつ機会があるだろうか、 と考えながらいつもの如く中座し、帰路についた。


6/14(火)朝小雨 外来 家族面談2件 市内4病院院長・前院長懇談 
2:00起床,ドック判定、等いつもの如く。小雨の中自転車で7:00病院着、回診他。8:40-13:00外来、比較的余裕。家族面談2件,重症者対応。18:00-20:30市内4病院院長・前院長懇談。20:50タクシー帰宅。注文した福島産乳製品等大量に届いていた。21:30就寝。

嘱託医生活(2)病院内では仕事の密度が増し、むしろ多忙になった
 6月1日から嘱託医として働いている。
 約2週間経過したが、診療の仕事は今迄と同じで増えてはいないが、実際には忙しく過ごす毎日となり次々と処理していかなければならず、多少困惑している。勿論、診療外の業務はすべて抜けたので夕方から夜の業務は一切ない。ただ、病棟のスタッフの大部分は私の勤務時間が15:30までであることを知らずに夕方までいつもの如く電話をかけてくる。

 先月までは役職に関連する業務を抱えながらではあったが、朝の6:00頃から20:30頃までの14時間ほどに、あるいは特に忙しい日は更に早めに出勤して適宜分配し、あるいは細分しなが、その日のペースに合わせてこなすことが出来ていたが、今は8時間勤務だから7:00-15:30の間にこなさなければならない。私は、時間を分散して使いながら、合間に本を読んだり音楽を聴いたりしながら適宜処理していた。それが、今度は息つく暇無く業務を処理している。

 この8時間の間に外来が5-6時間入るから残りの時間は2-3時間ほどしかない。この間に20数名の入院患者の回診、患者家族面談、紹介状などでもう時間はない。幸いなことに、金曜日と隔週の月曜日は今のところ予備日として定期的な外来は入っていないから、この時が書類処理のチャンスと言うことになる。ただ、少ない医師で回しきれないような業務があった際には代理として入ることになろう。

 先月までの溜まった書類の処理から優先的にやっているが、新しく発生したのが山積みになっている。今のところ時間が大幅に足りないが、今後は人間ドック、療養病棟の担当から徐々に外れていくことになっているので何れはバランスが取れることになろう。

 勤務時間終了後はなるべく病院にいない様にしなければならない。16:00前には病院を出る。夢のような状態であるが、こんな時間に、日が暮れないうちに帰るのはちょっと気後れするが、正職員とは全てのことでもう違うのだ、と割り切ることにしている。


6/13(月)晴れ  
1:30起床。よう寝た。ドック総括x1,新聞チェック.7:00自転車病院着。7:20回診。外来無し。9:00-10:50紹介状など。11:00人間ドック結果説明。患者対応、紹介状など。16:00自転車帰宅。文献チェック他、19:30夕食、20:30就眠。

「鼓童」結成30周年スペシャル・ワンアースツアー2011(1)和太鼓による交響楽団だ
 去る6月3日秋田県民会館にて和太鼓集団、「鼓童」の結成30周年スペシャルとしてのワンアースツアー2011なるものが開催され聴きに行った。

 この集団は佐渡で1971年頃結成されている。ちょうど私が医学部を卒業して新潟を去る頃に「佐渡の國鬼太鼓座(おんでこざ)」として活動を始めていて、その後レコードなども発売しており私はとても興味を感じていた。しかし、一度も公演に接することなく、そのうちその存在も忘れていた。ただ、最近ここ2年ほど医師会の会合の余興とか特別企画として秋田の太鼓グループ、大館曲げわっぱ太鼓グループの演奏に接したが、私はその時には必ず「佐渡の鬼太鼓座」ならばどうなのか?と思いを馳せながら聴いていた。

 今回、「鼓童」なる太鼓集団の秋田公演があると知り資料を取り寄せたが、何と、かつての「鬼太鼓座」が1981年に「鼓童」として再デビューしていた。その集団の公演であり、約40年待って私の思いがやっと実現すると言うことで見逃せない聴き逃せない公演であった。

 「鼓童」は創世記には作曲家石井真木氏が指導し音楽的表現を高め、10年前からは坂東玉三郎氏と共演しながら深遠な表現を学んだとのことである。更に「鼓童」の燃えたぎるようなデザインの揮毫は岡本太郎氏の作であるが、生誕100年を迎えて今回のツアーから用いられた、と言う。「鼓童」のメンバー達は佐渡に本拠地を構え、太鼓の奥義を究めながら共同生活しているらしい。詳細は知ることは出来ないが、私にとっては秋田のわらび座とオーバーラップするイメージである。

 県民会館のステージ上には大型の太鼓が一つだけ置かれ、極めて設定は単純であった。また、暗闇を背景にした演出で会場の照明はすべて消された。ただ、足下灯だけは消せないのだろう、その光すら邪魔であったが、やむを得まい。

 最初の曲は大小様々な和太鼓が10数ヶ人物と共に登場、ちょうど横綱の土俵入りの如くの雰囲気でゆっくりと動作しながらエネルギーを矯めに矯め、一瞬、全員の満身の力で打ち鳴らして始まった。10数名一糸乱れぬ見事なアンサンブルと言うべきで、打ち鳴らされた低域豊かな和太鼓の音がホールに反響し、私の腹に響いた。その後は各サイズの太鼓が入り乱れて乱舞するが如くの中間部があり、コーダは導入部に戻り一糸乱れぬ強打で終了した。

 待ちに待った「鼓童」の演奏開始の演出は私を十分虜にした。バチを持つ両手の動きなどは歌舞伎の演出を取り入れている事が分かる。坂東玉三郎氏と共に作り上げた世界なのだと思う。中間部の饗宴部分では各太鼓の音色が乱れ飛んだが、トレモロあり、各人が奏でるリズム、音色の織りなした世界、大音響から微少な音まで、あたかも大交響楽団の演奏そのものを彷彿とさせた。
 私は「鼓童」は和太鼓によるオーケストラだと思った。?


6/12(日)晴れ 隣家との境界線再設定
3:30起床。本読み、文献チェック。患者は落ち着いており終日家で過ごす。午前新聞、文献チェックなど。正午娘を駅に送る。午後は台所掃除整頓など。16:00息子一家離秋。静寂が戻り気抜け状態。19:30夕食も摂らず就寝。

嘱託医生活(1)フレックスタイム
 6月1日から嘱託医として働いている。

 私の今迄の職歴からは退職した後はそこの組織とは可能な限り距離を置いてきた。秋田大学第3内科には13年余お世話になったが、辞してから20年以上もご無沙汰した。本当に失礼なことをしたものだと思う。医局を訪問し、年に何度かの行事に参加する様になったのは院長に就任してからのことであった。
 このルーツは、出典とか忘れたが、若いときに読んだ本に「去る者は組織を振り返ることなく、距離を保ち、前向きに進め。それが自身と組織のためなのだ・・」と言う内容の言葉をにいたく感心したことがあって今迄それを実践してきたと言うこと。同じ文献だったと思うが、「去る者は残る物に物心等、一切の負担をかけてはならない・・」というのもあった。これも名言だと思う。

 その考えから言えば今回も退職と共に法人・病院から離れるのが性に合っているのであるが、25年余とあまりにも長期に勤務した結果、私が責任を負わなければならないと思っている患者も少なくない。それで引き続いて嘱託医として働かせて戴く事になった。ただし、一医師として診療のみとし,主に外来を担当する。スタート時は今までの業務をそのまま引き継ついでいるが,今後療養病棟入院患者、人間ドックは徐々に受け持ち数を少なくして頂けるとのことである。

 道を変えるにはその違いが明確でなければならない。そのために今年度中の勤務は月から金の週5日間、時間は7:00-15:30の変則性にして頂いた。一種のフレックスタイム制と言うこと。正規のフレックスタイムは、必ず勤務するコアタイムを設定するのが一般的で,それ以外の時間帯は自由に設定できるのであるが、今回は固定時間とした。

 私は人込みを好まない。ラッシュ時などの移動も非効率で嫌である。看護師、医師が大勢で仕事をしているナースセンターなどではフリーズ(?)して仕事が進まない。だから、まだ職員が出てこない早朝に病棟関連の回診とかの仕事は一段落させたい。外来はこの勤務時間帯に十分収まる。これ以外の時間、土日祭日は契約外なので基本的に院内にいることは出来ないが、受け持ち患者不調の際は例外となる。

 「時間に少し余裕が出来ましたか?」と良く尋ねられる。私の答えは「いいえ、むしろ忙しくなりました・・」である。


6/11(土)晴 重症患者対応 下新城方面へ 慰労会 
2:00起床、文献検索など。病棟より電話、7;10自転車病院着。旭川の鯉が昨日から戻ってきた。食欲旺盛。7;20回診その他重症患者対応、家族面談。9:30家族面談2件目、10:30-11:30私的な医師面談、退院総括、書類と格闘。12:50自転車帰宅、16:00下新城方面へ墓参り、18:00私的慰労会、20:00-22:00招待した中国からの留学生を送って本荘往復、22:30帰宅、疲弊し、そのまま就寝す。

鯉とスズメ、カラス(6)5日間一匹も姿を見せなかった旭川の鯉が戻ってきた
 いつもなら大きな黄色い口を開けて私を迎えてくれる真鯉たち、緋鯉達が 6月6日の朝から一切姿を見せなくなった。欄干を叩いてみても、用意した餌を撒いても一匹も出てこなかった。緋鯉は川底にいれば見えるがそれも全く見えなかった。どうしたことかと訝ったが川の環境はそれほど変わっていない。あえて言えば刈られた草が川面に流れている事、若干水が黄色く濁っているくらいである。

 6月10日の朝になってやっと数匹が姿を見せたがいつもの1/10ほどである。川面にはもう草が殆ど流れて来ていない。やはり、何か関係があるようだ。11日の今朝はもういつもとほぼ同数程度集まってきた。餌を撒くと大喜びでバクバク音立てながら食べた。これだけ食べてくれると嬉しくなる。

 川面に刈られて短くカットされた草が大量に浮いていたことと鯉が姿を消したことと何か関連があるのだろうか??考えてみるとありそうである。

 時期は忘れたが、私は80cmほどの水槽に金魚を飼っていた。祭りの夜店でたまたますくったことが切っ掛けになり、小さな水槽から始めたのであるが、育つ命は大切にせねばならぬと飼育環境は徐々にエスカレートした。次いでペット屋から緋鯉の稚魚10匹ほどを購入して同居させたが、成長が早く水槽を2ヶ3ヶと増やして対応した。間もなく25-30cmほどのサイズになった。これでは室内での飼育は困難と言うことで親戚のお寺の池に苦労して運んだ。しかし、数日後にわが家から移したコイは一匹もいなくなったと電話が来た。すべて野鳥に食べられたらしい。

 わが家からの緋鯉はシロ系統だったから池の中でよく目立った。それだけ鳥の眼にもとまったのだろう。更に、室内飼育だったことで天敵に対して全く無防備状態で鳥が近づいても危険と思わずにゆったりと泳いでいたのではなかったのだろうか・・等と推定した。多分そうだろうと思う。多分、川面の状態に自然界の魚たちは敏感なのでは無かろうか。だから、今回の様に草が流れたり、桜の花びらが流れたときにいつもと異なる危険を察知して姿を消したのではないか??もう一つ、風が吹いて川面にさざ波だっていると鯉の数は減るような気がする。これからもう少し観察して見る。私は鯉の本当の生態を知っているわけではない。自分の経験から無理矢理説明しようとしているだけに過ぎない。どなたかご存じの方がおられたらお教え願いたい。

 マア、理由は何であれ、戻ってきて良かった。明日からは餌を多めに持ってこようかと思っている。


6/10(金)晴れ 重症患者対応 家族面談2件 下新城方面訪問 慰労会
2:30起床。ドック総括などいつもの如く。7:05自転車病院着、7:30患者家族面談、回診など。13:00、14:00患者家族面談,15:00散髪、16:45帰宅、自室整理、文献他、オーディオ関連部品、孫のおもちゃ修理など。20:00夕食、21:00就眠。

賞味期限(4)自家製いにしえ風味のラーメンに期限切れのトッピング
 我が家はラーメン好きで、いろいろな種類のを楽しんでいる。夕食時に主食として食べることも多い。

 私は幼少の頃からラーメン好きで,その頃はシナそばとか中華そばと呼んでいたが三食とも,しかも数日間続けても良いと言うほど好物であった。実際には母がそんな我が儘を許すはずもなく実行出来なかったが毎朝ラーメンを食べて学校へ,と言うことはしょっちゅうであった。また、たまに遊びに来た友達も一緒に食べたが、数十年経って同級会の席で我が家で食べたラーメンの思い出話がでたこともあった。

 ここ20年ほどは、いろいろ試した結果、北海道の西山ラーメンが最適と言うことでこれを中心に買い求めて来たが、最近ではスープ、麺,トッピングのシナチク、焼き豚なども共にわが家で自作してあるいは味付けして楽しんでいる。勿論作るのは私ではないく、家族と賄いのおばさんで、私はもっぱら試食してほめあげる担当である。スープはあっさり系の所謂「いにしえ」の味を求め、なかなか良い出来になっている。ただ、今のところは麺は自家製よりは市販品の方が良いようである。

 先日、私は味だけでなく質的に「いにしえ」のラーメンを味わった。
 トッピングにした焼き海苔は賞味期限が2005年で、今回の引っ越しで書棚の奥から埃まみれで出てきたもので更に1-2年前に戴いていたものらしい。焼き豚は我が家の冷蔵庫の冷凍室の奥から出てきた一年前の市販の製品で賞味期限は確認しなかった。共に、時間的にいにしえの食品となった品である。
 家族達はコンポストに処分したら、と言うが「食品を大事にすること」を主張している私は納得できないし、「言動一致」を示すためにも自ら食べることとした。流石に焼き海苔は特有の良い香りは失われ,色もあせていて湿っているなど、新品とは全然違う様相であったが、スープの中に溶け出してコクを増しその役目を果たした。焼き豚は水分が失われてパサパサし若干酸敗しかかって酸っぱかった。
 今晩の食事は楽しんだ、というよりは食品を無駄にしないで済んだという満足感、普段主張していることを実践できたと言う気持ちの方が大きかった。正直、食後はちょっと体調を気にしたが何ともなかった。

 今回の大震災への救援物資の中に相当数の期限切れ食品があったとされ、自治体ではそれらを除いて現地に届けたという。それは納得できるが、取り除かれた期限切れ食品はどう扱われたのか、廃棄したのだろうか?私はそこのあたりも知りたい、と思う。


6/9(木)晴 外来 県庁スタッフ来訪 長女帰省
 2:00起床。いつもの如く文献、新聞など。7:05自転車病院着、7:30回診など。8:45-14:00外来。入院患者対応。16:00県庁医務薬事課スタッフ来訪。16:30自転車帰宅。17:30病棟より患者の尿道カテーテルが詰まり再度病院へ。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。途中23:55秋田駅に長女迎えに。再度就寝。

書評 ウエンカムイの牙 熊谷達也著 集英社文庫 2008 
 最近クマによる人的被害の報告が増えているようだ。日本クマネットワークはこの度全国で発生した人身事故1106件の実態を報告している。そのうち195件が秋田県で最も多い。日本一の項目が増えた。被害程度は北海道でヒグマに襲われたうちの30%以上の45名が死亡、ツキノワグマの場合でも重傷が半数を占めているという。

 私も市内の山道をバイクで走っているときに2頭の小熊に遭遇したことがある。クマがエサ不足で住宅や農地に出没するようになってきているが背景の一つに人間側の不用意な食品の廃棄で味をしめたことなどもあるという。実際は本州はの場合はヒグマよりは小型で温和しいとされるツキノワグマクマによる被害であるが、両者とも生態はそれほど知られていない。
 ちなみに私の祖母は酒造の旧家出身で、今でも「月ノ輪」酒造として続いている。で、私はクマに対して比較的親しみを感じている方であるが、そうは言ってもクマに関してはあまり知識がない。

 この度の東京出張を利用し熊谷達也著「ウエンカムイの牙」集英社文庫を読んだ。
  退職を祝して同僚の医師からいただいた数冊の本のうちの一冊。作家熊谷氏については若干知ってはいたが今まで作品を手に取ったことはなかった。
 ヒトがクマに襲われることを中心にしたフィクションである。
 登場人物は主人公たるプロのカメラマン、クマを繰る謎の若い女、クマの研究者達、行楽の大学生、不遜なハンターなどで多くが死傷するが、その描写もリアルである。登場する2頭のクマが危険なクマになっていく過程も設定がおもしろい。ヒトが大きなクマに遭遇したとき、襲われそうになった場面での心理描写がとても優れている、と感心した。

 この作品は作家熊谷達也氏のデビュー作で、97年度の第10回小説すばる新人賞受賞作とのこと。情景描写・心理描写が生き生きとし、迫力があり、現代人の自然観に関して問題点等も文中で取り上げている。山、森を愛する作家ならではである。 一気に読んだ。
 
 この作品を通してクマの生態、行動を知ること、危険に遭遇しないための知恵も学ぶことが出来た。自然が残る場所、未知の動物がいる環境は危険が伴う場所であることが分かる。クマの生態はよく知らなかった。ヒグマは今本州に出没しているツキノワグマとは全然違い、一層危険である。遭遇したときに寝た振りをすれば良いとか、無視するのも良いという 一般的に言われていることはまずダメらしい。
 遭遇事故を避けるには出没情報に注意してクマと距離を保つ必要があるという。

 作家熊谷達也氏の別の作品を読んでみたいと思わせる良い作品だと思う。


6/8(火)快晴 外来 
1:30 起床。ドック総括x1、トラブル関連対応文書etc。7:05自転車病院着、回診他、8:45-13:45外来。16:00自転車新国道経由帰宅、自転車関連大型店は定休日であった。書斎整理他。19:00夕食、20:30就眠。OL進化論10巻目再検討中。

医療事故、医事紛争は何故減らないか?(19) クレーマーの心情はじっくり聞く
 本日中通病院医報2010年1号が机上に届いていた。これに巻頭言が求められて、私は「医療事故・医事紛争を防ぎたい」とする一文を掲載した。この文では医療事故やトラブルを医療行為、看護行為上の問題よりも患者と医療人の人間関係の方に重点を置いた。

 中通病院医報は当院に赴任してから10年間ほどは学術的記述、日本の医療等に対しての考え、一般的散文も含めて活字化して記録しておく場として利用させて貰っていた。殆ど毎号に何らかの文章を載せていたが、いつしか発行が遅延するようになり、徐々に疎遠になってしまった。今回の巻頭言は私にとって最後の投稿と言うことになる。内容はHPに断片的に掲載していた文章を元にしている。

 最近のわが国は何でも対立構造に持ち込み抗争させる風潮が蔓延っている。

 何かの問題が生じると内容の正しさや吟味の検討すら始める前に、最初から弱者が正しく強者が悪いと言う「社会的バッシングの公式」に当てはめられる。国や大企業が関与した事件は強者へのバッシングで始まる。古くは雫石上空での全日空と自衛隊機の衝突事故、最近の護衛艦あたご事故など枚挙にいとまがない。

 医療事故や医事紛争の場面においては医療側が強者であって患者側が弱者と見なされている。従って、正義は患者側にあり、医療者側は悪者に分類されてしまう。対立構造になると、その間のコミュニケーションはうまく行かなくなり、小さな問題も増幅されて、うやむやで灰色部分は都合良く黒く分類され解決が困難になっていく。

 しかし、 今の時代、 こんな分け方は通用しない。医療行為について限定して言えば私共医療関係者は国から免許を与えられている専門家である。だから、患者側とは自ずから立場が違う。

 患者側は診療に際しては「私共は弱者であって医師には何も言えません・・・」とよく言うが、医師側にこんな意識は無い。それが、一旦トラブルでも起きようものなら、立場、人権、権利、義務など、どれをとっても患者側が強者である。もう患者・医療者間の関係は逆転している。

 従って、トラブルや紛争が生じた際には社会的公式に沿って医療側がバッシングを受けることになるが、実際は弱者である医療関係者が二重に責めを負わされることにもなる。 こんな時には医療者側は患者側から罵詈雑言を浴びせかけられようともじっと耐え、言いたいことは万とあるのだが一言も弁明せず、相手側の言い分を聞きながら時間の流れを待つことになる。言いたいことをすべて話して戴く事が解決の糸口になる事が多いので、じっと耐えることにも意味はある。しかし、時間とエネルギー、不快感に耐えることは実に辛い。


6/7(火)快晴 外来 
1:30 起床。ドック総括x1、トラブル関連対応文書etc。7:05自転車病院着、回診他、8:45-13:45外来。16:00自転車新国道経由帰宅、自転車関連大型店は定休日であった。書斎整理他。19:00夕食、20:30就眠。OL進化論10巻目再検討中。

医療事故、医事紛争は何故減らないか?(19)クレーマーの心情はじっくり聞く
 本日中通病院医報2010年1号が机上に届いていた。これに巻頭言が求められて、私は「医療事故・医事紛争を防ぎたい」とする一文を掲載した。この文では医療事故やトラブルを医療行為、看護行為上の問題よりも患者と医療人の人間関係の方に重点を置いた。

 中通病院医報は当院に赴任してから10年間ほどは学術的記述、日本の医療等に対しての考え、一般的散文も含めて活字化して記録しておく場として利用させて貰っていた。殆ど毎号に何らかの文章を載せていたが、いつしか発行が遅延するようになり、徐々に疎遠になってしまった。今回の巻頭言は私にとって最後の投稿と言うことになる。内容はHPに断片的に掲載していた文章を元にしている。

 最近のわが国は何でも対立構造に持ち込み抗争させる風潮が蔓延っている。
 何かの問題が生じると内容の正しさや吟味の検討すら始める前に、最初から弱者が正しく強者が悪いと言う「社会的バッシングの公式」に当てはめられる。国や大企業が関与した事件は強者へのバッシングで始まる。古くは雫石上空での全日空と自衛隊機の衝突事故、最近の護衛艦あたご事故など枚挙にいとまがない。

 医療事故や医事紛争の場面においては医療側が強者であって患者側が弱者と見なされている。従って、正義は患者側にあり、医療者側は悪者に分類されてしまう。対立構造になると、その間のコミュニケーションはうまく行かなくなり、小さな問題も増幅されて、うやむやで灰色部分は都合良く黒く分類され解決が困難になっていく。
 しかし、 今の時代、 こんな分け方は通用しない。医療行為について限定して言えば私共医療関係者は国から免許を与えられている専門家である。だから、患者側とは自ずから立場が違う。

 患者側は診療に際しては「私共は弱者であって医師には何も言えません・・・」とよく言うが、医師側にこんな意識は無い。それが、一旦トラブルでも起きようものなら、立場、人権、権利、義務など、どれをとっても患者側が強者である。もう患者・医療者間の関係は逆転している。

 従って、トラブルや紛争が生じた際には社会的公式に沿って医療側がバッシングを受けることになるが、実際は弱者である医療関係者が二重に責めを負わされることにもなる。 こんな時には医療者側は患者側から罵詈雑言を浴びせかけられようともじっと耐え、言いたいことは万とあるのだが一言も弁明せず、相手側の言い分を聞きながら時間の流れを待つことになる。言いたいことをすべて話して戴く事が解決の糸口になる事が多いので、じっと耐えることにも意味はある。しかし、時間とエネルギー、不快感に耐えることは実に辛い。


6/6(月)晴れ 母命日 外来  
2:00 起床。ドック判定総括。新聞チェック他資料整理etc、いつもの如し。7:00自転車病院着。回診他、8:45-14:00外来、大混雑。16:00自転車帰宅、本読み、自室整理。19:20夕食、20:30就眠。

鯉とスズメ、カラス(5)今朝鯉が一匹も姿を見せなかった!! 何故??
 今年はなかなか暖かくならなかった。そのために田植えが1-2週間遅れた、とのことである。それが最近、天候も良くなって暖かくなってきた。 木々の新緑が綺麗である。
 自転車は自由度が高いから途中いろいろな楽しみが伴っている。その一つが旭川の鯉たちに餌を与えることである。3月は鯉の姿を殆ど確認できなかった。4月に入ってからは時に1-2匹姿を見せたが、餌はほとんど食べない。水温が低いためなのであろう。桜が満開になった4下旬頃から急に多く集まるようになり、毎日その数が増え、最近は50cmほどの赤白黒色とりどりの鯉が30匹以上も姿を見せる様になった。橋の中央から川面を覗き込むと近くにいた鯉たちが一斉に真下に集まってくる。空腹なのだろう、餌への食いつきもとても良い。バクバクと食べる。生命力を感じるし、見ていて楽しい。これが秋までの間の大きな楽しみの一つでもある。?? 私が蒔く餌は干し飯が中心で、それに乾燥した野菜くずなどをブレンドしたものである。餌は直ぐ沈むので上手く食べてくれなかった。何とか浮かせたいといろいろ考えて来たが良いアイデアが出ないうちに鯉の方が慣れて、沈んだ餌も上手に食べている。工夫するまでもないようである。
 今朝もいつもの如く餌を用意して出かけたが,何故か鯉が一匹もいない。欄干をたたいたり餌を蒔いても全く集まって来ない。全く居なくなるなんて信じ難い。いつもは空になる餌袋に大量の餌を残したまま病院に向かった。スズメ用には小さな餌を選んで欄干に置いてきた。
 今朝の特徴は川面に刈られて短くカットされた草が大量に浮いていたことである。私が通る自転車道路も所々で草刈りが行われ,草で狭まった道が広くなっている。旭川沿いの通路も同様である。その刈った草の一部が流れてきているのだろう。この様な状況を鯉たちが嫌うとは思えないが、それ以外には理由はちょっと思い当たらない。そう言えば、桜の花びらが川面に浮いていたときも鯉の姿は少なかったような気もするが、定かでない。
 明朝はどうだろうか。半ば期待,半ば諦めて餌を袋に詰めている。


6/5(日)快晴 患者死亡 おんぶの会コンサートと講演
2:30起床、新聞チェックなど。4:40病棟より電話あり病院。患者死亡、見送りなど10:00帰宅。ドック処理。13:00-16:00おんぶの会コンサートと公演。16:30病院、ドック処理など。18:00帰宅、午睡。19:40夕食、21:30就寝。

高齢の方々の活躍にふれ、ただただ驚くばかり
 昨日は「Medical Management研究会」、 本日は 「おんぶの会コンサートと講演」を聴講した。また、 5月20日は「緑のそよ風コンサート」を聴いた。これらの会を通じてご高齢者のパワーにふれて自分の立場と比較しながら、改めていろいろ感じるものがあった。

 「緑のそよ風コンサート」の企画は音楽を中心に文化活動を続ける深川貴美子氏(89)で私は初めてお聞きするお名前である。コンサート終了時に直接お話しする機会を得たが、容姿も矍鑠としておられ、話し振りも実にクリアであった。その後、地方紙の切り抜きを探して見ると「秋田を明るく」と言った趣旨の文化活動に広く参加しておられ、シンポジウム等でもいろいろ前向きな発言をされている。秋にはアトリオンホールでのコンサートを企画されているとのことであった。

 「Medical Management研究会」はT製薬が主催する学術講演会で東京ホテルニューオータニで開催され出席した。
 司会は笹川記念財団理事長紀伊國献三氏。私は2004年の第9回のこの会から出席させていただいているが、年齢等の詳細は不明であるが、その当時からかなりのご高齢のイメージで、そのときの印象を「言葉も明快・・とは言えず、何となるかな??と若干危惧したが、これが実に的確な司会、進行、まとめ役を果たし、イメージが一変した。」と記載している。  
 あれから7年間経った今回も見事な司会役・まとめ役を果たされた。この日の特別講演は三題用意され、縁者のお一人は間もなく100歳を迎えんとする聖路加国際病院理事長日野原重明氏。さすがに背が丸くなっておられるが、演台上で左右に動きながら原稿なしで「病院の今後のあり方」という演題で約30分講演された。パワーポイントで用意した病院概要等をレーザーポインターで的確に指すことも出来たことから視力もそう悪くなさそうであった。さすがに言葉は若干聞き取り難かった。ご本人はまだまだやりたいことがあるのであと10年は時間が欲しいとのことで、衰えることのない意欲に驚かされた。
 会の最後には司会の紀伊國氏が今まで19回のこの会のうち18回を司会してきたが、自分としては今回を最後にどなたかに役目を譲りたいと述べられ、会場から惜しむ声が聴かれ、最後は大きな拍手がわき上がった。

 本日は秋田市のアトリオンホールで「おんぶの会コンサートと講演」が行われた。詳細は別記するが、講演に先立ち代表の佐野春子氏がマイクの前に立たれた。秋田市で長くピアノ教室を主宰され我が家の長女もお世話になった。秋田県文化功労賞も受賞されており、90歳間近と推察するが、やせ形ですらりとした容姿でお話もとても明快で年齢をまったく感じさせなかった。

 私はこの高齢の方々の活躍にはただただ驚くばかりである。特に私は雇用契約が満了したのを機会に第一線からリタイヤすべき時期が来たと自認して先月末日をもって退職したばかりである。自身の年齢を意識してのことであったが、ここ何日かの間にお会いした方々からは前向きの良い刺激を沢山頂いたと思う。
 いつまでもお元気で過ごしていただきたいものである。


6/4(土)秋田小雨東京快晴暑い MM研究会   
2:20起床、ドックなど何時もの如く。7;30自転車病院着。回診他出張前準備、9:20病院発、10:30ANA、AirBus320、満席。14:00-18:00Medical Management研究会。日野原氏、日本病院協会長等の講演,パネルディスカッション聴講。20:00ANA、AirBus320、ほぼ満席なるも臨席空きで幾分快適。22:00帰宅、20:50就寝。

「Legend」チャリティコンサート 言葉が全く聴き取れなかった!!
 二月ほど前に、家内が5月27日に秋田市のアトリオンホールで行われる 「オペラユニットLegendチャリティコンサート]」なる音楽会のチケットを購入してきた。家内が知人から勧められ,あるいは半ば押しつけられたのかは分からないが、時間的に折り合えば何でも聴いてみようと思っているので興味半分で聴きに行った。

 全く初耳のグループ名。ちょっと格好良く決めた若い男性5人のグループで国立音楽大学の同級生なのだという。それぞれコンクール受賞歴があり、テノールやバリトンで数々のオペラやコンサートに出演、実力・経験ともに豊富でコンサートも好評を博している,とのこと。 2005年12月にグループ結成、ライフワークは「平和への祈りを人々に歌で届ける」で、これまで広島や長崎をはじめ、国内外の平和のイベントに無償で参加している。
 グループは、東日本大震災に伴ない、被災者の方々の為にチャリティー活動を行うことにし,秋田公演もチャリティーコンサートとなった。収益の一部や募金を義援金に当るとのことであった。有り難い話である。

 第一部ではクラシック・オペラのみならず古今東西の名曲を組み合わせたステージを繰り広げた。歌唱に関しては,各人の声の美しさ、声量、ハーモニーのどれをとっても驚くべきレベルで、5人の合唱部分ではアトリオンホールがビリビリと共鳴した、様な気がした。その点では実に素晴らしかった。

 休憩を挟んだ後の第二部は台詞、歌、演技を交えたオペレッタのようなもの。しかし、残念なことにホールの反響が良すぎたほかに各人が低音域を中心にしたいわゆるオペラ歌手特有の発声で話すものだから台詞の内容が全然聞き取れない。女性の声で電話がかかってくる場面だけはクリアに聞き取れた。思いあまっていつも頭に乗せているノイズキャンセリングヘッドフォンを通して聴いたら低域がカットされ幾分改善された。

 何でも自分の感覚でしかものを言えない。確かめたわけでないから他の方がどう感じられたかは分からないが、アトリオンホールは音がこもりやすい。だから、独奏楽器の演奏、小編成の合奏とかはとてもよく響くが、規模の大きいオーケストラには向かないと思う。まして、講演会など聞き取り難くて最悪である。音響係員もいてマイクや反射板で調整できるはずであるが、残念なことである。その面で言えば残念ながら第二部は最悪であった。

 記念に彼らがソニーより出したデビューシングルCD『永遠のゼロ』を購入した。私のメインの装置で会場で聴いたのよりクリアな音質で快く聴いている。 


6/3(金)小雨のち晴れ 患者対応・家族面談 鼓動演奏会 
2:00 起床.書類処理、文献・新聞チェック。6:50車病院着、7:30回診ほか。自室整理、患者書類対応。14:00-14:45患者家族面談。16:30県民会館鼓動演奏会、中座し病院に。20:30帰宅、夕食、21:30就寝。

緑のそよ風コンサート 
 去る5月20日、家内がある知人の方から小さな音楽会のチケットを勧められたのを機に小さなコンサートを聴きに行ってきた。私は最近、機会があれば何でも見て見よう、聴いてみよう,と言う心境になっているので、あまりえり好みしないで参加している。

 会場は病院近隣の弥高会館ゲストハウス・ヴァレリーノと言うところ。中規模の結婚式場らしいが私は初めて入館した。聴衆は200人程度かな。

 プログラムは メゾ・ソプラノ池田早苗氏、ピアノ竹内俊平氏、それに秋田のボーイソプラノの少年の賛助出演となっていた。企画は音楽を中心に文化活動を続ける深川貴美子氏(89)で矍鑠としておられた。帰路、会場の階段の踊り場で直接お話しする機会があり,秋の企画に招待をいただいた。

 メゾ・ソプラノ池田早苗氏は東京藝大学院を卒業された方だそうである。何度か秋田にも来ておられるらしいが私は初めて聞くお名前である。

 曲目は池田早苗氏は曲についてと近況などについて軽妙なトークを交えつつ「わかば」「緑のそよ風」「風」「浜辺の歌」「野ばら」「アヴェ・マリア」など16曲。 ピアノ竹内俊平氏はショパンの「幻想即興曲」 「マズルカ」等3曲を演奏、賛助出演の少年は「子鹿のバンビ」「フニクリ・フニクラ」の2曲を歌った。

 小さなホールで身近に聴くプロの歌,演奏は素晴らしい。

 賛助出演の少年は秋大学付小四年生。全国レベルの大会で上位入賞したとのことで私は1月の秋田ゾンタクラブ新年会でも聴いたから2回目。綺麗なボーイソプラノが会場に共鳴し、会場に驚嘆の声が上がった。間もなく変声期を迎えるだろうが,今後も音楽の道に進むことになるのだろうか。


6/2(木)小雨 外来 入院患者家族面談 外来患者対応
2:30 起床.文献資料チェック、6:45病院着、7:45回診など、8;40-15:外来。途中で家族面談、対応困難患者との面談。16:30帰宅、自室整理、パソコンデータ整理など。19:30夕食、 20:20就寝

内閣不信任案 否決されたが菅首相の苦肉の調整が更に混乱の元になった
 菅首相降ろしの動きは党内外からあったが、3.11東日本大震災で一時的に影を潜めた。その後、大震災への対応が悪い,遅い、原発事故への対応をめぐっては政府の情報公開が遅いなどなどあって、発生後3ヶ月になろうとしているが対策は未だに迷走を重ねている。時間と共に永田町では菅降ろしが再燃してきた。震災前は小火程度であったが、大震災への対応の拙さはより具体的な菅バッシング攻撃の標的となり、菅下ろしの動きは次第に大きくなった。

 いま国会に求められているのは大震災の復興に向けた対応で、それには予算や法律の制定が必要である。こんな時期にも政治家は党利党略に明け暮れている。すっかり国民離れした呆れた連中である。

 野党は菅内閣の不信任決議案の提出時期をめぐって模索していたが、ついに、自民、公明、たちあがれ日本の3党が衆院に提出した。自民党の谷垣総裁は、きのうの党首討論で、震災と原発事故への対応の不手際などを理由に挙げ「お辞めになっては如何か」と正した。それは良い。しかし、菅降ろしが主眼であってその後についての政策は自民党にだって何もない。政府のトップのすげ替えさえしてくれればその後は協力するという。これはなんたる論理なのだろうか。一般には通用しない暴論である。

 民主党の中でも不信任案を如何に乗り切るかについての駆け引きが進み、菅首相は民主党のメルトダウンを防ぐために代議士会で自ら辞任の意向を表明した。このことで内輪揉めは若干収まり、造反予定であった議員も不信任案反対を投じた。しかし、菅首相は辞任の時期については明言しなかった。このことで昨夜から与野党挙げての混乱状態となっている。「ウソつき」「詐欺師的」などと言う言葉も飛び交っているが、国民によって選ばれた代議士が総理に向かって言う言葉か!!

 菅首相は二次補正予算が成立し、フクシマ原発の処理が一段落する時期まで責任を纏うするつもりだったらしい。だが、退陣を口に出したなら速やかに辞めるべきだろう。大いに譲って補正予算の目途が付くまでだろう。原発の工程表ではクールダウンは来年1月の予定になっている。しかも、それとて大幅に伸びる可能性もある。

 結局野党が出した不信任案は何だった?民主党内の団結に荷担しただけとなり、案は大差で否決されている。バカらしい茶番である。彼らは責任を感じるどころか、不信任案提出が菅首相の退陣の言葉を引き出した、ので大成功だったと自賛している。

 彼らには大震災、原発事故の被害者の気持ちは全く分かっていない。国民の多くは菅首相を含め国会議員全員に不信任案を出したい、と思っているのではないか?少なくとも私はそう考えている。



6/1(水)快晴 嘱託医初日 外来  
?2:00起床。ドック判定総括x1ほか、いつもの如し。7:00自転車病院着。7:20回診。8:45-13:30外来、午後の予定が無くゆったりと対応できる。連休の影響で若干少なめ。 引っ越し後の部屋再構築。16:00自転車帰宅、残務整理、自宅の自室の整理。19:30夕食、20:45就眠。

嘱託医生活初日 なんか妙な感じだ
本日から嘱託医生活となった。齢を重ねてついに来るべき時が来た。

 本日は新しい業務環境の記念すべきスタート日である。やりかけの仕事を中断して16:00に帰宅し,家に運んだ大量の書籍その他を整理した。

 こんなに明るいときに帰宅するのは何か妙な感じである。土曜だってこんな時間に帰宅するのは滅多になかった。それが,ウイークデイに帰れたのだから何か違和感がある。家に帰っても何か落ち着かない。

 昨日まで27年間勤務した法人は1994年4月に4週5休制と呼ばれる変則的週休二日制を導入したが、私は昨年まで土曜日も平日と同じ勤務とし、今春から午前勤務のみにした。週休二日制は未経験であった。本日からは実質週休二日制,と言うことになる。実際には入院患者も受け持つことになるからそうクリアには行かないだろう。

 まずは、得られた貴重な時間である。大事にしていきたい,と思う。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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