徒然日記
2010年11月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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11/30(火)秋田:晴れのち雨 東京:快晴  公私病院協会講演会
1:00 起床、ドック判定総括x1他諸々。5:20病院着、6:30回診、出張準備。8:35病院発、9:40JAL、737−800型機、満席で不快。 12:30ー16:45公私病院協会講演会、中座し、17:55JAL、MD-90型機、70%程で快適。19:30病院、患者家族面談、21:00 帰宅、21:30就寝。

初冬の秋田空港 夜は雨でたすかった 
 本日、東京出張した。公私病院協会と言うのがあってそこの主催による第22回「国民の健康会議」講演会聴講のためである。この連盟の存在、講演会の存在は初めて知ったので会のレベルも不明、一般市民向けの講演会であれば病院出張には出来ない。私的出席としたが、内容的には医師の研修としても十分の値があった。

 秋田は昨日から荒れ模様。県内は昨日から冬型の気圧配置で、上空に寒気が入り込み、各地で強風が発生し雪が降った。秋田地方気象台は29日、秋田市で昨年より26日遅く初積雪を観測したと発表した。本日も冬型の気圧配置が続く見込みということで若干心配した。夜に帰秋したときに車が雪に埋もれていたことが何回か経験しているが、まだ冬用タイヤに交換していなかったからである。
 朝明けてみると幸い快晴である。この調子では夏タイヤでも良かろう、と安堵した。途中、9:00前後に一機飛び立っていったのが見えた。7:30発の全日空なのか?空港は除雪などで大変なのだろうか。 9:20am頃に空港に到着したが、 駐車場に若干の積雪がありよく滑った。久々のスリップ感覚である。 夕方から降雨または降雪とあったから若干心配した。積雪があれば帰れない。その際、車を置いてリムジンで戻ろう。

 9:40定刻に離陸、 737−800型機で満席。50人ほどの高齢者の団体が後側を占めていた。この機種は通路をはさみ3列の座席だからどの座席でも苦しい。満席で重かったためか滑走距離は随分長いと感じた。殆ど揺れず、この面では快適、東京は快晴で都内の移動も快適であった。

 帰路もJAL。MD-90型機、70%程の混みようで快適。着陸態勢に入ったあたりから主翼端から前向きのビームに横向きの無数のラインが見えた。時に白い線が混じる。雪混じりの雨滴である。 一方、後方へのビームは線状ではなく霧状である。この対比がとても美しかった。 減速しつつあっても時速数100Kmの高速では雨滴が横に走る。さらに、機体の重量を支える浮力を生み出すのに、主翼でいかに空気が攪拌されているのか、形として理解出来るいい眺めであった。
 秋田空港はかなりの雨であった。雪でなかったことを喜んだが、駐車場で車を探しだし乗り込むまでにジャンパーがびしょ濡れになった。傘は持っているが、私はものぐさである。この程度であれば濡れるのは苦にならない。
 病棟から連絡あり、患者対応のために病院に向かった。


11/29(月)雨時に雪 管理会議 安全管理者・事務長との打ち合わせ 県スタッフ来訪打ち合わせ 療養病棟判定会議 長副会議
1:30 起床。ドック判定総括x2、文献・新聞等処理、徒然。6:40車病院、7:00回診。7:45-8:30管理会議。10:00-10:40安全管理者・事務長との打ち合わせ。13:00県スタッフ来訪打ち合わせ。16:00療養判定会議。 17:00-18:00長副会議。21:00帰宅、夕食、21:30就寝。

「ヘルスチャレンジ2010」自転車200Km達成 減量3Kgは頓挫



今朝、共済から上記のデザインの封書に入った1.000円分の図書カードが届いた。クリスマス調のなかなか良いデザインである。9−10月間に行われた「ヘルスチャレンジ2010」の達成である。
 「ヘルスチャレンジ2010」の項目は「ジョギング100Km」、「完全禁煙」、「ウオーキング60万歩」・・・と身近な項目で全部で13項目ある。そのうち2項目にエントリー出来る。成果は自己申告なのでかなり適当で緩いのであるが、外に対してではなく自分への約束でのチャレンジに意義はある。自分に嘘をついてもしようがない。

 「ヘルスチャレンジ」には2007年以降毎回エントリーし、毎回1−2項目達成し図書券を戴いている。最近、体力の衰えと共に気力の減退を感じているから、何か目標を設定するのは気力の自己評価にちょうど良い。2007年には「スリム3Kg作戦」ともう一種目の2項目にエントリーし、双方とも達成、 2.000円分の図書券を獲得した。その時は66.9Kgから63.4Kgまで減量した。結構辛かったのであるが達成感は大きかった。

 今回は「サイクリング200Km」と「スリム3Kg作戦」にエントリーした。前者は往復12Kmの距離を自転車で通勤すれば自然に達成できるので特に意識していなくとも、毎日何で往復したのかを日記にメモしておくだけでよかった。記録は事務局に提出したので忘れたが、多分350Km程であった。今から見れば安易な選択をしたものだと思う。次回からは共済会で決める目標とは別に自身の目標設定して申告しそれにチャレンジする項目も作って欲しい。そうなったら倍の「サイクリング400Km」としたい。
 本日帰りに20リットルだけプリウスに給油した。今年は2月、8月、11月の3回、総量100リットルの給油で済んだ。自転車通勤の省エネ効果は明らかである。

 一方、「スリム3Kg作戦」は達成できなかった。9月の検診では69.0Kg、今朝は67.8Kgだった。退職した家内が一日一食では心身に対して良くないと、時々朝食を用意し強要する。老夫婦の円満のためには妥協が第一である。こんなことでカロリー摂取が増えたのと、私の緊張感の欠如が原因と考えられる。意外と後者が主因なのかもしれない。共済の「スリム3Kg作戦」は終了し未達成に終わったが、私の目標はまだ生きている。
 減量は私の緊張感、意欲を計るバロメーターでもある。


11/28 (日)終日雨 病棟拘束 秋大医学部創立40周年記念式典+祝賀会
1:30起床.ドック総括x3、その他。来週の講演準備、16:00車病院。17:00 秋大医学部創立40周年式典+祝賀会。19:40中座し帰宅、21:00就寝。

TPP参加問題(1)「農業」「水田、稲作」「はたけ」について

 先進国の中でわずか40%と最低の食糧自給率しかないのに、食材が豊に諸外国から入ってくることから国民は食糧問題に関心を持たず、相変わらず飽食をむさぼっている。日本人の食糧問題は今後どうなるのだろうか。今、それが大きな転機を迎えようとしている。

 最近、唐突に論議になり初めているTPP(環太平洋パートナーシップ協定 Trans Pacific Partonaship)はわが国の産業、とりわけ食糧事情に大きな影響を与えうる重要な課題であるが、まだ真剣に検討されているとは言えない。日本は輸入米に778%、牛さんのお肉には38.5%も関税をかけて農業を守っている。この関税が撤廃された場合、今ですら脆弱な農業は安い輸入品によって占拠され、壊滅的打撃を受けると思われる。結果として食糧自給率は14%程に低下するという試算もある。TPP何も食糧問題だけではないが、真剣に考えるべき課題である。

 農業問題とは、何よりもコメ問題のことだと短絡している政府と世論、なぜ私たちは毎日3回も食べているのに、かつ食料は命を繋ぐ大事な大事な物品であるのに、農業問題は水田稲作という短絡的思考から抜け出そうともしない。確かに、単一の生産品目であるから大事であることは論を待たないが、 今もって食糧間題を正面から広く受け止めていない。これは大変な問題である。
 農業に関する言い伝えは沢山ある。 これらからはかつてはハタケが農と生活の基盤であったことは明らかになる。 祭りや神儀などの際は五穀豊穣と祈願する。それは粟、麦、豆などの雑穀がなくてはならい生命の糧であったからだ、とされているし、七草粥は、七種の雑穀粥のことで、ここでもハタケから採れる雑穀の大切さを裏付けている。なぜそれがコメ至上主義になったのか。これは秀吉による太閤検地以来、農地は国家の支配下に置かれ、すべての耕地をコメの石高に換算し、水田耕作民だけを「農民」と位置づけたことで、本来からの農業の多様な可能性を封じ込めてしまったからだ、とされている。「士農工商」として農民は高い位置づけを与えられたが、それは稲作を前提としていた身分と言う。

 稲作文化はいろいろ保護も受けながら今日に至るまで続いている。世界で最も高い生産性があり美味しい。農業の主役の位は揺るがないと考えられているが、肝心の国民のコメの消費量は年々低下しつつある。

 今年の夏は熱暑であった。そのために生鮮野菜の生産、果物類の生産が影響され、市場価格も高騰した。しかし、ハタケが注目され話題になったのはこの時だけで、私の印象では本当に一時的なものであった。わが国の農業の諸問題は市場が混乱したときだけ一時的に注目されるに過ぎない。農産物は命の糧であるが、これで良いのだろうか。
 TPP問題を機会に、農業問題、食糧問題は国民全体が真剣に考えるべき重要な課題である。


11/27(土)快晴 病棟拘束 入院患者家族面談 県感染症対策協議会研修会 園児保健研修会
2:00 起床。ドック総括x1他、各種の資料再検討。6:50自転車病院着、回診他。9:00入院患者家族面談。14:00−16:30第55回県感染症対策協議会研修会「新型インフ」「多剤耐性アシネトバクター」「疥癬」。16:30−17:40園児保健研修会へ。18:30帰宅、夕食。19:30就寝。

「アトリオン室内オーケストラ(ACO)」活動休止(3) 休止保留したが現実は厳しい
 ACO協会の臨時総会が26日開かれ、同協会の来年度以降の活動休止案を議題に討議した。会員からは県に頼らない新たな運営形態も視野に入れながらACOを何らかの形で引き継ぐ道を探るべきとの意見が相次ぎ、結論は保留とされた。執行部で新たな運営形態を検討した上で年度内に再度総会を開き、結論を出す。

 本日の魁新聞にこれに関する記事が掲載された。昨夕、電話による取材を受けたが、私のコメントも以下の如く紹介された。『 ACOの賛助会員で、定期公演には必ず足を運ぶという福田光之・中通通総合病院院長は「存続を実現させるには、多くの県民の支援が得られるよう、目に見える形で活動を展開する必要があるだろうが、そうなるよう応援していきたい」』。

 ACOの活動休止案が保留されたことは私の予想外のことであり、とてもうれしい。ただし、学生オーケストラの運営に携わった経験から、楽団の運営等にも関心があり、記事や資料が音楽雑誌等にあれば目を通しているが、どこの楽団も運営は火の車であり、ACO前途は決して楽観できないと思う。それでも、何とか活動を続けて欲しいものである。

 最近、大阪でACOと同じような問題が生じている。
 大阪府は府が設立した「大阪センチュリー交響楽団」(セ響)へ財政難を理由に補助金を打ち切ることになり、セ響は民営化して存続することとなった。わが国の公設の楽団が初めて迎えた試練に直面している。
 セ響はバブル期の1989年に吹奏楽団「大阪府音楽団」に弦楽器を加えて再編された55人編成の楽団。小規拠だが、アンサンブルの精密さ、現代作品やオペラの演奏に定評がある。年間運営費は約7億円で、2008年はこのうち約4億円が府の補助金だったが、橋下知事の財政再建策で09、10年度は1億1千万円に減額され、11年度は補助金廃止・自立化の方針を府が打ち出した。セ響の基本財産として今回大阪府は20億円を出した。これが最後の補助となる。楽団はそのうち11億円を適宜年間運営費に繰り入れ、一方で公演を増やし、スポンサー獲得も進めて収支を均衡させる計画を立てた。
 まず、大阪セ響は「日本セ響」と名称を変更する。大阪から飛ぴ出し公演数、観客数を増やす目的で、今後は福井市や津市でも定期公演も開く。しかし、入場料だけでは到底不十分で、年間3−4億円の負担をどこかに求めなければならない。当初、1社による丸抱えを目指したが見つからず、8月以降は1口 5.000万円、500万円、100万円で支援を募っているが、10月の時点で100万円1口だけしか獲得し得ていない。法人賛助会員は1口10万円、個人賛助会員は1口2万円である。この状況下では、最悪、基本財産が底をつけば消滅する可能性もある。

 橋下知事はこの厳しい状況に対し「ある意味で厳しいかもしれないが、将来の夢も持てる、満足のいく方向性だ」と、計画を歓迎するコメントを出している。何か深刻さが感じられない。上記は朝日新聞の記事、セ響のホームページを参照した。

 884万人を擁し、経済活動が旺盛な大阪府でさえも55人規模の楽団の維持が困難と言うことは信じ難かった。民営化後の運営は困難が予想されている。 ACOの今後もセ響以上に厳しいだろうとは思う。県内の音楽愛好者が、一人でも多く金銭的にサポートしていくかにかかっている。

 セ響には橋下知事が、ACOについても佐竹知事が濃厚に関与している。佐竹知事は県の広報誌にはノーザンブレッズ、ハピネッツのウエアなど着て登場していたように思うが、知事は体育会系なんだろうか。一度、楽器か指揮棒を持って舞台に登場してACOをサポートして欲しかった。


11/26(金)曇り雨 入院患者家族面談 法人理事会 秋大心血外科合奏(CVS)練習
2:30起床.ドック総括x1、徒然他。7:05病院着、回診、書類処理。15:00入院患者家族面談 17:30-18:35法人理事会。アトリオン室内オーケストラ活動休止は保留となり秋田朝日放送、魁新聞電話取材。19:20-20:40 秋大心血外科合奏(CVS)練習、21:20帰宅、21:50就寝。

旭川の鯉に餌(9)カラスはフライングキャッチも出来る
 まもなく12月になろうとしている。随分寒くなって来たが、自転車通勤はまだ続いている。雪の季節までは何とか続けられそうである。

 今もほぼ毎日旭川にかかる久保田新橋から鯉に与えている。鯉は水温が下がると活動性が乏しくなり、餌もあまり食べなくなると思っていたがまだ元気で食欲は旺盛である。数も増え、日によって違うが30−50匹は居るようだ。そっと見ると上流に頭を向けて整然と並んでいるのであるが、私共が欄干から顔を出すと一斉に黄色い口を開けて早く餌くれ、と要求する。別に橋の上からのぞき込む人達から私共を識別しているわけではないだろうが、これだけ反応されると悪い気はしない。干したご飯や野菜くずを与えている。鯉が取り損ねたのはカルガモが食べる。今朝数えたら16羽集まってきた。

 最近、またカラスも沢山集まってくる様になった。どこで待っていたのか分からないが、10羽ほどが欄干にとまり鯉に餌を蒔くのをうかがっている。ご近所迷惑になるだろうと気を遣って、直接はカラスに餌をやっていない。カラスの中には1−2羽であるが水面に浮いたパンくずとかを水面すれすれに飛びながら上手に採る。最近は更にフライングキャッチも出来るのも混じっている。手元から水面に落ちるまでわずか1秒くらいだが、見事にキャッチする。カラスはそんなに敏捷性はない、むしろ不器用な方なものだと思っているが、大したものである。

 カラスに被害を受けている方は少なくない様である。ある方は「カラスのいたずら」に困っていると表現し新聞の声欄とかに投稿している。「庭木をつついたり、熟して食ぺごろになったトマトやトウモロコシまで食ぺてしまい、軒先につるした干し柿までとられてしまった。干し柿の味をよく覚えて食べに来たものだと思いながら、カラスに食べられるとは何と情けないことだろうとあきれ、笑ってしまった。カラスのいたずらに対して新たな知恵を絞り、来年の策を練っている」。これは今月初旬に魁新聞にあった投稿である。ご高齢の方であるが、カラスを見る目に優しさを感じ取れる。

 ただ、私はカラスは「いたずら」などしているのではなく、生きるために必死なのだと思う。ハトやスズメを追っているのを見ることもまれではない。彼らは雑食性で、小鳥や雛や卵、子猫、ネズミなどの小勤物、いもむしやセミなどの昆虫、ヤマブドウやアケビなども食べる。屍体も食べる。それでも不足なのだろう、ゴミ集積所などを荒らす他、都合の良さそうな人に寄ってくる。私は本当は必死な彼らにも餌をあげたいのだが、近所迷惑になるだろうと控えている。だから、特技を発揮して餌を採るのを見ると嬉しくなる。


11/25(木)晴  外来 健康推進課スタッフ来訪
2:00 起床.寝不足感あり。ドック総括x1、徒然他。7:05自転車病院着、水清んで鯉の食いつき良好。7:30回診、8:45-14:30外来。今日も混雑。入院一般病棟2名、療養病棟2名で業務煩雑。19:00患者不調で対応。20:45帰宅、夕食、21:30就寝。病棟から電話数回にて安眠出来ず。

「アトリオン室内オーケストラ(ACO)」資金難で活動休止(2) ACOへの私の想い
 秋田市の「アトリオン室内オーケストラ」が資金難のために活動を停止する。県は公演の一部費用を負担してきたが、本年度予算は370万円と5年前に比較して半減、加えて、企業や個人の会員、賛助会員も減少しつつあり、運営困難な状況に至ったもの。

 これについて先日県議会でも問題にされたらしい。24日の県政協議会で佐竹知事は「一度仕切り直しが必要」と述べ活動休止も止む無しとの見解を示した。議員からはもっと文化振興に力を入れるべき、との意見が相次いだ。佐竹知事は「予算を県が負担すれば良いという問題ではない。民間から集まる資金や会員もかなり減っている。直ちに復活させられる問題ではない」と答えている(魁新聞)。
 残念ながら、実に残念なコメントである。明日、 活動の休止はACO 協会の臨時の理事会で決定されるが、ここに至ってはもう後戻りは出来ないだろう。

 私は24日にこの件に関して秋田のTV局の取材を受けた。業務外のことでは初めてのことである。何で私が、と思ったが何人かの候補の方にお断りされて私、と言うことだったらしい。11月18日のブログの記載が切っ掛けと言う。私は「 ACO は地元のオケでとても親しみを感じること、運営の一助になればと賛助会員になったこと、毎回の演奏会は殆ど聴きに行っていること、外来の著名な演奏家とは別な意味での感動や学びがあること、知事の前向きの英断が欲しかった・・・」などと述べた。どのように取りあげられ放映されたかは知らない。

 私は歌や演奏に対する感動は、だれが、どんなときに歌ったか弾いたかがによって感じ方が異なると思う。聴く側の心の準備状態も影響する。そんな体験が多数ある。ホンの一例であるが、ショパンのノクターン・遺作は同僚の医師がわが家のピアノで弾いたのが、アミンが歌った「待つわ」は親戚の姉妹が中高生の時にわが家で歌ったのが、テレサ・テンの「つぐない」はかつて宴会の二次会で師長の一人が歌ったのがベストで、プロの録音には無い味があり、深く感動し感心した。これらはもう5-20年も前の事なのに未だに耳から離れない。大学医局の一泊旅行の時の女性達の歌声は酔っぱらって夢うつつで聴いていたが、40年近くも前の事であるが、まだ鮮明である。
 これに近いと言えば軽すぎるのだろうか。同じような体験を ACOで何度も体験したし学んだことも少なくなかった。演奏を聴いて感じたこと、感想はほぼすべて記録している。ACO協会機関誌「響き」vol 29 「15周年記念特集号」2008.8には私の拙文が掲載されたが、これも思い出として残るだろう。

 私は青少年オケをはじめ、地元の演奏家の演奏会に良く足を運ぶのは、外来演奏家には無い味わいがあるためである。


11/24(水) 曇り 外来 法人常務会 ABS取材 NHK取材
2:00起床、ドック総括x2他。7:15自転車病院着、回診他。8:40-14:30外来、混雑。14:00ABS取材、14:45法人常務会。16:30NHK収録。20:30自転車帰宅。夕食、21:10就寝。

北朝鮮の砲撃 大韓航空機爆破事件を思い出した
 23日、北朝鮮人民軍は、韓国が黄海上の軍事境界線と位置付ける北方限界線に向けて陸上から砲撃した。これに対し韓国側が応戦して砲撃戦となり、砲弾が韓国の延坪島に撃ち込まれて家屋多数が炎上し人的被害も出た。北朝鮮側は180発もの砲弾を用いたとされる。
 今のところ韓国側が抑制的な対応をしているが、両国間の緊張は高まっている。これ以上悪化する事態は考えたくもないが、一方が北朝鮮であるだけ予断は許さないし、韓国内でも強行手段で報復すべしと言う世論が高まっているとのことである。

 黄海の南北境界水域は両国の見解が異なっていることもあり、これまでも何度か銃撃戦が起きている。今年3月、韓国海軍哨戒艦が北朝鮮によるとみられる攻撃で沈没したのもこの海域である。韓国軍は黄海でいつもの如く軍事訓練を行っていたがこれに対し北朝鮮側が強く反発、断固たる措置を執ると警告していたとされる。
 何故、今この時期に挑発的行為に出たのか、に関していろいろ憶測がある。北朝鮮は新指導部をスタートさせ、金正恩氏を党中央軍事委員会副委員長に選出した。後継体制を構築する中で国内の緊張感を高め、軍事優先政治を一層強化するためだという見方もある。その可能性は高いのだろうが、その目的のために他国に攻撃を仕掛けるという論理は国際的には到底通用しない。

 後継者が台頭しつつある時期に生じた事件として、私は1987年の大韓航空爆破事件を思い出した。数ヶ月前に来日し話題となったた元工作員金賢妃が関連した事件で、偽造された日本の旅券を持っていたために一時日本人による爆破でないかと騒然となったことを思い出す。
 この当時は金正日氏が二代目後継者として台頭しつつあった時期で、ソウルオリンピックを前に韓国に対する国際的評価をおとしめるために彼の指示で行われたと言われている。実際には北朝鮮はこの爆破事件の関与を否定し続けているから今回の砲撃事件とは内容的には同義とは言えないだろうが、私はこの時期に何故砲撃?と思った時に、つい、この事件を思い出してしまった。


11/23 (火)勤労感謝の日 晴れ  病棟拘束 
2:30起床、ドック判定総括x2、文献チェック。徒然他。13:00病院、一部回診、総括処理、その他。16:50帰宅、自転車グッズ数種購入。業務若干、19:00夕食、20:30就寝。

インフルエンザ2010-11年(7)鷹巣病院(5)行政の立入検査の結果
 鷹巣病院のインフルエンザ院内感染について、県は11月11日に医療法に基づく立入検査を行い、結果の概要を19日に担当部長が発表した。以下は調査結果と指導内容の一部である。

(1)感染者の状況について
 10月27日に感染者4名(入院患者1、職員3)が発生した。新規感染者数は29日に23名(患者20、職員3)、30日に14名(患者12、職員2)が発症、30日の感染者総数は45名(入院患者39、職員6)となり、31日に死亡者が出た。11月9日時点で、8名の患者が死亡。11月7日以降、新規感染者はない。

(2)発生時の対応について    
 10月27日に感染した入院患者を隔離し、同部屋患者3名を他の病室に移動した。その後、感染が広がったため、28日には感染者を第1病棟に隔離した。 感染した職員には出勤停止措置をとった。 10月27日に院内感染防止対策委員会を開催した。
 初発感染者と同室の濃厚接触者を他病棟に移したことで感染拡大につながった可能性があり、不適切と言える。また、対策会議の結果は口頭で職員へ通達しているが、申し送りの徹底やナースステーションなどへの掲示により全職員に周知を図る必要があった。

(3)発生後の対応について,
 入院患者全ての検温は、毎朝10時に行い、37度を超える者には14時と19時にも実施し、38度以上の場合には簡易キツトによる検査を行ない、陽性者にタミフルを投与した。11月2日から60歳以上の患者にタミフルの予防投与を行い、8日からは50歳以上の入院患者にも実施した。
 しかし、外泊制限、物販・業者の出入り禁止が遅れた。デイルームの利用制限がなく適切ではなかった。

(4)患者家族等への対応について 
 院内感染の発生について、面会に来た家族や電話による照会のあった家族には説明してたが、すべての患者家族や通院患者への説明はなかった。 
 混乱を避けるためにすべての患者家族等に説明すぺきであった。

(5)院内感染対策マニュアルの遵守状況について
 マニュアルは、国のガイドラインを参考に、院内体制の実態を十分考慮して更新を行い、発生時を想定した行動計画などを作成し、併せて職員に周知する必要があった。

(6)病院の管理体制について
 昨年の立入検査の時点では医療法上の医師の充足率を満たしていたものの、通常の勤務体制は日勤も当直も1人であった。
 今回のような重篤患者や集団感染が発生し、院内のみでの対応が困難な事態が生じた場合には地域の専門家等に相談したり、支援を受けられるような体制を確保しておく必要があった。また、院内感染発生の疑いがある時は院内感染防止対策マニュアルに沿って速やかに保健所にが行えるような体制を整備する必要があった。

 県による立ち入り検査は法に則って行われた。上記は一部であろうが種々の問題点が指摘され、指導を受けている。院内感染を十分抑制できなかったこと、多数の死亡者が出たことは事実であり、これらの内容を病院側は真摯に受け止め改善する必要があると共に、すべての医療機関が参考にして院内感染対策を一層進めるべきである。

 ただ、私は病院の対応に上記の如く問題があったとしても、病院だけの問題と矮小化してはならないと思う。
 今回の院内感染の蔓延は、わが国の医療行政がもたらした厳しい医療情勢、一層厳しい県内の医療事情、病院の体制、行政の指導や危機管理体制等、多方面からの検討が必要である。報道によると、県庁内でも今回の行政の対応に対し反省し、対策についてもいろいろ動きがある様であるが、当事者間では評価にも限界がある。私は同業者として病院の対応を責める気持ちになれない。だから、求められてもクリアなコメントを出せないでいる。
 だから、第三者的な立場の評価委員会等で問題点をクリアにすべきだろうと考えている。


11/22(月)快晴 管理会議 外来 産経新聞取材 療養病棟判定会議(欠)長副会議
1:45 起床。ドック判定総括x3、文献・新聞等処理、徒然。7:00自転車病院。7:45-8:30管理会議、8:45-13:55外来。 14:00-14:30産経新聞取材、インフルエンザ関連。16:00療養病棟判定会議は欠。17:00−18:30長副会議。20:00帰宅、夕食、 21:00就寝。

インフルエンザ2010-11年(6)鷹巣病院(4)行政の対応に数々の批判集中
 鷹巣病院で季節性インフルエンザの院内集団感染が発生し、60−90歳代の入院患者8人が死亡したが、次第に県の危機管理の問題点、特に情報伝達の遅延が明らかになり、議会や県の上層部、地域自治体、家族、マスコミから激しく批判されている。幸い、今回は院内感染の範囲で終息しつつあるが、感染症の場合は判断と対応が遅れれば感染が外に拡大する可能性もある。批判は真摯に受け止めるべきである。

 保健所に病院からインフルエンザが蔓延し4人死亡、と連絡があったのは11月2日で県の公表は6日、この時点では死者が6人に増えている。この4日間に保健所と県はいかに動いたかが問題になる。新聞報道の範囲からあまりクリアに見えない。最終的にPCR法で季節性インフルエンザと確認した時点で公表した。私はこの間、保健所が、あるいは保健所を介して県がどのように病院を指導していたのか?と思う。

 公表時に病院名を伏せた事は大きく問題にされた。地元ではどこの病院かと疑心暗鬼になった、と言う。このことから北秋田市長も、県議会も問題にし、最終的に知事が陳謝し、情報が早ければ自分の権限と責任で病院名を公表したかもしれない、とまで述べた。県の担当部署はそれなりの論理性と他の都道府県の状況も勘案して病院名を伏せたとの事であるが、今後は医療機関名公表の基準をつくる、という。

 私は県の新興感染症部会の部会長を担っているが、今回の感染に関しては情報提供は少なく、県の担当部署の判断には参加していない。しかし、決して無関心ではいられない立場である。
 今回の動きは情報が少ないこともあって、私は軽々に評価は出来ない。秋田県内でのサーベイランスではまだインフルエンザの発生はゼロであった。病院側の診断は比較的早めになされたように思う。11日に県の立ち入り検査が行われ、19日にその結果の概要が報告されたが、それによると、情報伝達と感染蔓延防止対策には問題があった様である。


11/21(日)快晴 病棟拘束 
2:00起床、ドック総括x2。新聞チェック、文献チェックなど。13:15病院。以降入院患者対応、退院総括など業務。再度業務、19:00帰宅,夕食、20:30就寝。

明るい夕方の空 太平山の頂に白い満月
 今年度からは出来るだけ週末・休日は職場で過ごす時間を少なくするようにしている。しかし、入院患者の中には目が離せない状況にある方が数名いるし、机上には退院未総括カルテがどんどん貯まっていくために思った様には休めない。出も、週末は出来るだけ休息を取ることにしただけで気持ちに若干余裕が出来てきた。



 本日は午後昼過ぎに病院に行き、回診や書類の処理の後に16;00頃に自転車で家に向かった。朝から雲一つない快晴で、素晴らしい一日であった。 16;00頃はちょうど太陽が西にかげり、少しずつ暗くなり始める時間である。いつもの如く旭川に沿って走ったのだが、秋田北高校の近くの橋の上からふと下流側の空をみると、紺青色の高い空に上りと下りと思われる二機の航空機が作る二筋の飛行機雲がちょうど交差するところであった。暗くなり始めた夕空に陽の光を浴びて機体が黄色く鋭く光り、飛行機雲は黄色く柔らかい。実に美しい光景で思わずiPhoneを向けた。


 次いで上流側に目を移したところ、ちょうど太平山の頂上付近から大きな白い満月が顔を出している。通常、満月と言えば中秋の、もっと暗い時間帯に強い夕陽の光を豊かに受けて東の空にやや赤みがかった黄色に燦然と輝くのであるが、今日の満月はほぼ真っ白でとても清楚な印象であった。まだ十分暗くなかったことや、地表の湿度等の影響や、秋深く夕陽が弱まっていることも関係して白かったのではないだろうか。これにもついiPhoneを向けてしまった。

 恐らく、こんな風景は日常的に繰り返され珍しくも何ともないのだろうが、私にとっては久々に見る光景であった。私のiPhoneは初期型でカメラ機能は最近の機種に比較しすると劣っている。自分としては大きな不満はないのだが、遠景を撮る時には流石にパワー不足である。今日もあまり良い写真にはならなかったが、記憶に残す素材としては十分である。


11/20(土)曇り・晴れ 病棟拘束 入院患者家族面談  
2:30起床、ドック判定総括x2、新聞チェック、徒然他。6:10丸善本店でカレンダー購入に行く家内を駅に送り病院に、6:30回診他。7:00入院家族面談。事務処理等、総括に追われる日々。16:00帰宅、午睡、業務若干、外食。21:00就寝。

回転寿司に行ってみた 
 私は自分の食行動がまともだと思っていない。最近、家内の押しつけで朝食をとることもあって若干習慣が乱れつつあるが、基本は一日一食である。しかも食事の際、他人が居るところで食べることに小さいときから抵抗がある。だから、外食は徹底して嫌いである。別に私のマナーが悪いわけではない。

 しかし、立場上、懇親会を伴う会に出ざるを得ないこともあるが長居は無用と多くは中座する。業務上、夜間まで帰宅できない時は病院で出前を取る。しかし、部屋で一人で摂る。
 外食は嫌いなのであるが、家族が揃った時や家内の都合や判断があれば出かける。ただし、その際の選択条件は、混み合っていない、静かである、無用に高級でない、時間が無駄に長くならないこと・・である。
 一方、食糧問題、食材の流通や外食産業等に関する興味は少ない訳でなく資料等は読んでいる。2004年1月、当時米国のBSE騒動で牛さんのお肉の輸入が止まり、吉野家が話題を集めた時にはどんなところかと思い、初めて入ってみた。実に安く、早く、効率的で、味も悪くはなかった。何かの際にはこういう店も悪くないな、と感じたのであるがその後は一度も行っていない。最近、回転寿司も様変わりしたと言うことで多少興味を感じていた。

 本日、家内は来年のカレンダーを仕入れに上京したので賄いの石井さんを誘って回転寿司に行ってみた。10年以上前に親戚の家族が来たときに一度行ったことがあって子ども達に喜ばれた記憶がある。秋田にも種々のグレードのお店があると言うが、今日はとても安いという「かっぱ寿司」にした。「かっぱ」が住む遠野に関係はあるのだろうか。
 駐車場は広いがほぼ満杯で人気があるのが分かる。店舗は広く明るく、一見とても衛生的、機能的で驚いた。混雑する時間であったが、受付はディスプレイのタッチパネル、空席状況も一見して分かり、人数、希望の席等を入力すると整理券が出て来る。それを持って待機するが、間もなく席が決まった。人数によって効率的に席が配分されている様である。
 回転してくる皿を取っても良いが、各席にあるタッチパネルで個別に注文も出来る。その際には別のレーンを走る新幹線様のキャリアに乗って席まで届く仕組みであって、おもちゃ風でなかなか面白い。客は子連れの家族、それに若者のグループが大部分で、これは仕組みの面白さが引きつけているのだと思う。値段は一皿一律100円ととても安い。味は割り切って考えると不満は言えない、納得の範囲であった。会計をタッチパネルで求めると初めて店員が現れ皿の数を数えて伝票が切られる。これで終了、実に効率的であった。

 一方、食品が多数の人の前を通過すること、皿の扱いなど利用者の良識の上に成り立っているシステムでもある。他の店はどうなっているのだろうか。


11/19(金)曇り・雨 ドック診察 No9秋田市周辺救急隊・中通総合病院合同カンファレンス  
2:30起床、ドック判定。3:50病棟患者不調、Taxi病院着、そのまま院内で業務。患者家族面談、13:30ドック診察。新入院対応、18:00-21:10秋田市周辺救急隊と中通総合病院合同カンファ+情報交換会。21:40帰宅。22:00就寝。

ピアノ弾き語り(2)三咲順子氏「白いジャンパー」 音楽付き語りの心理効果は大きい
 私は最近、機会があればいろいろな方々の講演等をジャンルを問わず広く聴きたいと思って、半ドンにした週末に出かけている。

 11月6日土曜日、「ヒューマンクラブ創立40周年記念---講演と音楽で充実のひとときを」という催しがあった。家内が入場券を購入したものの行けそうにないとのことで私が代わりに行ってみた。
 当日のプログラムは見城美枝子氏の講演と三咲順子氏の音楽とのこと。共に初耳であるがご両人とも結構有名な方のようである。ヒューマンクラブと言うのも初耳である。慈善団体なのか?何の組織か未だに分からないが、会長は西木正明氏とのこと。会場はViewホテルで、入った途端何か場違いの所に迷入した感じで、コソコソと末席で聴いた。

 見城氏の講演は眠くて最初の10分ほどで意識を失った。機能低下した私の記憶装置の代わりにレコーダーがしっかりと講演内容を記憶してくれたはずである。講演が終わると何故かバッチリと目が覚めるのが実に不思議である。

 三咲氏の演奏をちょっと聴いて中座しようか、と思ったが引き込まれて最後まで聴いてしまった。ピアノを弾きながらの一人芝居のようなもので、演目は「白いジャンパー」。内容は子どもと生き別れした母親の心情を取りあげた作品であるが、その葛藤、いらつきなどの心情を語るにあたってピアノを有効に用いた語りは劇的、かつ見事であった。バイクの音もピアノでうまく表現した。音楽つきの語りの演出効果はとても大きい。この会で聴いた方の紹介があって三咲氏は1 月中旬にゾンタクラブの新年会にも登場なさるとのこと。時間があれば、もう一度と思っている。

 ピアノの弾き語りというのはこれで二回目であった。初回は2003年4月、福岡市で開催された日本内科学会総会の市民公開講座「医療と音楽」と言う企画。この時は名前も聞いたこともなかったピアニスト・作曲家西村由紀江氏のコンサートであった。自作の曲、ショパンの曲などの後、ピアノ伴奏を演奏しながら「日本昔話」から「猿の生き肝」が演じられた。通常は老婆の雰囲気の語りで淡々と語られ、それも良いのだが、若い彼女のピアノつきの語りは何倍もの説得力があった。 

 音楽つきの演目がこれだけ効果を上げると言うことは、素晴らしいという一方で使われ方によっては危険でもあり得る。音楽に上手にメッセージを乗せると、歌う者、聴く者に大きく影響を与えるからである。校歌、社歌、県民課などいろいろあるが、軍事パレードの際の軍楽隊の行進曲なども場の雰囲気をもり立てる。まだ十分に確認したわけではないが、ヒトラーは音楽を雰囲気作りに上手に利用し効果を上げた、と言われている。この辺のことも後に調べてみたいと思っている。


11/18(木)快晴 外来 県独法化評価委員会   接遇研修会(欠)  市内4病院と秋田市医師会の懇談会
 2:00起床、ドック総括、文献チェックなど。7:10自転車病院着、回診他、8:45-13:00外来。13:30-14:20県独法化評価委員会。17:45全職員学習会「接遇」は欠。18:30-21:10市内4病院と秋田市医師会の懇談会。21:30Taxi帰宅、21:45就寝。一昨年道路初冠雪。
  
「アトリオン室内オーケストラ」資金難で活動休止!
 2週間ほど前に一通の封書が届いた。秋田市の アトリオン室内オーケストラ協会からであった。
 内容は 「アトリオン室内オーケストラ(ACO)」が資金難のために活動を停止する。その決定を11月26日に開催される臨時理事会で承認する予定であるが、賛助会員も理事会を傍聴できる、という内容であった。 会員の減少や県予算の縮減による資金不足が主な理由とのことであった。

 ACOが資金難であることはかねてから知っていた。だから、ついに来るべき時が来たか、と思った。 2002年2月ACO演奏会の際のパンフレットで合奏団の維持が経済的に困難となりつつあり、2002年度には2名の団員の契約を更新しなかった、と言うニュースを知り、私も少しでも役に立てば、と年会費3万円の賛助会員登録したという経緯がある。あれから約10年経過した。

 本日秋田魁新聞にこの件が掲載され、内情がオープンにされた。それによると、ACOは1994年、アトリオンホールの開館5周年を機に設立され、ホールを拠点に16年間にわたって演奏活動を行ってきた。運営の費用は団員の出演手当などは同協会が賄い、外部からの指揮者やソリストの招聘費用などは県が負担して来たのだと言う。
 しかし、会員減によって同協会の運営は年々厳しさを増して来ていた。年会費12万円の団体と個人会員は1998-99年は最多の127であったが、その後減少し、現在は41とほぼ1/3に、年3万円の賛助会員も最多だった2005年の131から107に減少した。更に、県予算はこの5年間でほぼ半減し本年度は約370万円と減額された。結果として年2回だった定期公演も本年度は8月の1回だけと運営が縮小した。
 私はACO発足当初からほぼ毎回定期公演を聴いてきた。賛助会員になってから一層親しみを感じ、楽団の維持に些かなりもと貢献しているという喜びすら感じて来たから、今回の活動休止はとても残念である。 同協会は「厳しい経済情勢の中、早急な会員増強は期待できない」としている。会員増のための活動がどのようになされたのか私からは見えないが、実に残念なことである。

 ACOの活動休止はまだ最終的に決まってはいないが、ここに至ってはもう後戻りは出来ないだろう。ACOは秋田の音楽文化の発展に大きく寄与したと思っている。


11/17 (水)快晴 外来+ドック説明 MR来訪 院内感染対策委員会 新築計画策定委員会
1:30起床。ドック総括x3、その他。7:20自転車病院、回診他病棟業務。8:45-14:45外来+ドック結果説明。16:00院内感染対策委員会、17:30-19:30No8新築計画策定委員会。20:30自転車帰宅、夕食、21:20就寝。

自転車(18)日の出6時15分 日が昇らないと天候なんて分からないのだ
 随分寒くなって来たが、まだ雨の日以外は自転車通勤している。 先週からウインドブレーカー代わりに雨が無くとも雨具を着込んでいる。これでかなり保温になって助かっている。耳も冷えるが私はノイズキャンセルヘッドフォンを着けているから問題なし。手足の冷えはバイク用の手袋とテニスシューズで何とかなっている。次の防寒対策はスキーウエアと言うことか。

 朝も夜もこの寒い季節になると、暗いうちは雨が無くとも道路は濡れたように黒い。だから自転車は安全確保のためには白っぽい服装をするほかに、後部にも電池式の点滅ライトをつけて車からの視認性を高めている。交通手段として自転車はマイナーであり、自動車側から見れば邪魔者で、軽視される存在だけに自己防衛は必要である。こんな事もあって、最近は少し明るくなってから家を出るようにしている。最近の秋田地方の日の出時間は大体6:15am頃である。暗いうちだと毎日餌をやっている旭川の鯉の姿がよく見えない。これも出勤時間が遅くなった理由の一つである。

 日が昇らないとその日の天候なんて分からない事は朝起きしている者にとっては当たり前なのだが、これが理解できない方々もいる様である。
 朝5:00am になるとNHK-FMのラジオ深夜便は終了するからAMに切り替えてニュースを聞く。続いて「ラジオ朝一番」と言う番組となる。男女ペアのアナウンサーが対話しながら日本各地の朝に相応しい話題等を紹介しつつ展開していく。その中で5:15頃から全国のレポーターなる方々に電話してその地の朝の情報、話題を聞き出すのであるが、生番組だけに緊張感があって結構面白い。
 ところがこの季節になるといつも陳腐な質問がなされる。それは「そちらの今のお天気はいかがですか??」と言う問いである。マア、日本人にとって天候の話題は相手に対する呼びかけ、挨拶代わりとしては良い質問で真面目に応える必要は無いのだが、リポーターは聞かれたことに真面目に応えることになる。リポーターはその都度「まだ真っ暗闇で全く分かりません。少なくとも雨は降ってませんが・・」と答えるのであるが、これが異なったアナウンサー達によって週のうち何度も繰り返される。NHK放送センターのラジオ放送のスタジオは恐らく外とは隔絶したところにあるだろうし、人工的な一定の光の中での放送だろうし、担当のアナウンサー達は数時間前に出勤しているだろうから放送開始の頃の空の暗さは理解できないのだと思う。

 この時間帯には日本国中はまだ真っ暗で、晴れだか曇りだかは全く分からない状態である。
 この季節は曇天の朝が多いからなおさら分からない。晴天の早朝は星と月が青くて実に美しいのだが、これは昔から言われる三文の徳の一つだろう。


11/16(火)ミゾレ若干 寒波 外来 法人常務会 全体学習会インフルエンザ
1:30起床。ドック判定総括x2。文献、徒然、後援準備他。7:10車病院着。回診他。8:45-14:15外来。14:45-16:30法人常務会、17:30-19:30全体学習会インフルエンザ 、20:00帰宅、夕食、 21:00就寝。

残念、白鵬の連勝が豪風戦前に止まった
 白鵬の活躍は素晴らしい。
 今年の角界の不祥事の中、連勝記録は63連勝で終わったが、歴代2位の記録を打ち立て横綱の地位の責任を十分に果たしている。白鵬は今25歳、あと10 年は取れる。一年90日間の土俵がある。双葉山の時代とは違う。まだまだ再チャンスはある。再スタートを切って欲しい。その際のライバル、敵、目標は白鵬自身である。他人には見えないだけ、これを乗り越えるのが最も難しい。
 白鵬は双葉山を尊敬しているとのことで、自らがその記録に挑むところまで近づいたことでむしろ迷いもあったらしいことが、新聞に紹介している彼の発言からうかがい知ることが出来る。よく分からないが、多分自分がモンゴル出身の力士であることも関連している、と私は思う。11月5日には双葉山の故郷である大分県宇佐市を肪れ墓参をしたそうである。

 双葉山の記録は破られることはないだろうとまで評されていたが、近似の63連勝という史上2位の記録を打ち立てて白鵬の連勝記録は一端途絶えてしまった。特に、今場所は白鵬と双葉山とを比較した記事が紙上に頻繁に取り上げられ、おかげで双葉山についても資料等を読み返す機会があった。双葉山は私が子どものころ定期購読していた月刊漫画誌「おもしろブック」等でも頻繁に取り上げられ、伝記なども読んだものである。子ども達にとって遠くにあるあこがれの伝説の人の一人であった。

 双葉山の69連勝記録は昭和14(1939)年に達成した金字塔である。双粟山は十両だった昭和7(1932)年、待遇改善を求めて幕内力士多数が脱退した春秋園事件の影響で異例の幕内昇進を果たした。連勝が始まったのは4年後の昭和11(1936)年、前頭3枚目の地位からであったが、当時は年2場所制で多分場所は11日制でなかったかと思う。「いちねんを はつかで暮らすいい男」と当時の角界を風刺した古い川柳が落語等で良く取り上げられたもので、記憶に残っている。だから、双葉山は3年間も負け知らずで、当然横綱の地位まで上り詰めた。
 双葉山は混迷する当時の角界の救世主だった。この点も白鵬の立場は似ている。逮勝が止まったのは昭和14(1939)年前頭の安芸ノ海で、その時も今回の白鵬の場合のようにあっけなく敗れた、とのことである。負けるときってこんなものなのだろう。それがまた良いのだ。12回の優勝を飾って33歳で引退、後に理事長を務めて角界を大改革、56歳で亡くなった。

 双葉山の場合は自らの記録の更新で目標には限りはなかった。白鵬の場合は目標がしっかりとあるだけに、また、一度敗れれば記録はその瞬間に途切れてしまう。むしろ白鵬の場合の方が厳しかっただろう。ここまできた白鵬はすごいと思う。
 相撲ファンというわけでない私は実に無責任に気楽に白鵬の記録の伸びを楽しんでいた。大記録を超えるか否かよりも、何時、誰が白鵬を倒し、相撲の歴史に名を残すのか、出来ることであれば、秋田出身の豪風が時の人にはならないか、などと考えていた。白鵬の気持ちなど私などに寸分も分かるわけはない。だから、実に気楽なものである。


11/15(月)雨・曇り 管理会議 安全管理打ち合わせ 療養病棟判定会議(欠) 長副会議
1:45 起床。ドック判定総括x3、文献・新聞等処理、徒然。7:10病院。 7:45-8:30管理会議、10:00安全管理関連打ち合わせ。明日の講演準備。16:00療養病棟判定会議は欠。17:00長副会議。20:00帰宅、夕食、21:00就寝。白鵬の連勝記録は本日途切れたという。

後発医薬品問題(2)県主催の「後発医薬品に対する講演会」
 秋田県医師会医薬連携委員会では、県内の後発医薬品の普及率が全国的にみて極めて低いことから、医師を中心にもう少し後発医薬品について理解していただくために「後発医薬品に対する講演会」を企画した。
 その会の演者の一人として私に打診があり「この機会に後発品について勉強し直すのも悪くはない」と考えてお引き受けした。その時点では基調講演は別として、県内の問題点をあげて討論する会だから、県内の医師、薬剤師、行政から演者が出て討論するものと考えていた。

 私に与えられた情報は日時が12月5日(日)午後に決まった、と言うことだけであった。明日16日はインフルエンザの全職員学習会がありその際に30分ほど講演することになっていていま準備中であるが、これが終了したら早速「後発医薬品に対する講演会」のために準備を開始しなければならない。しかし、会場や時間、演者、演題などを含め、会の詳細はまだ送られてきていないので何をどのように準備したらいいのか分からなかった。その旨を、このブログに記載したところ県医師会の担当理事、県の担当の方から早速連絡があった。

 結構このブログも役に立っていることが分かったが、同じように逆効果も果たしていると言うこともある、と心しておかなければならないことも自覚した。

 県医師会理事からは厚さ5cmにもなるほどの膨大な資料が届いた。どれだけ読めるか分からないが、読むのが楽しみである。県の担当者からは当日のプログラム案がファックスされてきた。
 それによると主催が秋田県となり、県医師会、薬剤師会は共催、県歯科医師会は後援という形になったようである。次に私はメンバーを見て驚いた。基調講演はジェネリック医薬品学会代表理事で国際医療福祉大学院教授の武藤氏、薬剤師としては福井大学薬剤部長政田氏と元厚労省薬剤管理室管理官磯部氏、それに私と言うことになっている。私が入っていることで実にアンバランスな組み合わせになっている。もう少し気楽な講演会と思って引き受けただけに荷の重さを感じるとともに、正直ちょっとガックリきた。

 プログラムを確定するために私の演題が求められていた。他の演者は恐らく高邁は内容を話されるだろうから、私は徹底して現場の立場からの話題を提供すべきと考え「後発医薬品、一処方医の立場から」とした。また、会の趣旨から言って秋田県の現状と分析が紹介されなければならないだろうが、私にはそれを語る資料はないので司会者からイントロとしてでも提供して頂ければ有り難い。その旨は県の担当の方にお願いした。
 どんな話題を提供できるのか、明日の夜から取りかかることにするが、楽しみでもある。


11/14(日)曇り 病棟拘束 千秋美術館に 
1:00起床、ドック判定総括x3。文献チェック他。講演準備他、楽器練習若干。15:00-16:30千秋美術館、16:45-19:00病院。患者対応、総括など、帰宅。自宅近所で外食、21:00就寝。

秋田市立千秋美術館 ストラスブール美術館所蔵「語りかける風景」展
 本日午後、久々秋田市の千秋美術館に行ってみた。企画展としてストラスブール美術館から選りすぐられた数多くの絵画が展示されていたからである。

 ストラスブールはフランス北東部、ライン川左岸に位置する都市で、アルザス地域圏の首府、語源はドイツ語で「街道の街」でドイツならばストラスブルグと言うことになる。交通の便が良いことから商工業が盛んだとのこと。
 私は地理にはすこぶる弱い。諸外国の多くの都市は音楽と芸術を通じて名前を知っているだけである。ストラスブールはストラスブール・フィルハーモニー管弦楽団と美術館で知っているに過ぎない。前者はかつてはストラスブール市立管弦楽団と言う名称であって私もA・ロンバール、T・グシュルバウアー指揮による数枚のレコードを持っているはずである。

 後者のストラスブール美術館については、全集「世界の美術館」を通じて知っていたが、4月以降、コロー、モネ、ピカソ等による80点の絵画がわが国に貸し出され、熊本県立美術館から始まり、全国5カ所の美術館で展示されている。秋田市立千秋美術館の展示はその最後にあたり10月23日から35日間展示されている。これほどの素晴らしい企画は見逃す手はない、本日午後入館、堪能した。
 今回の展示のテーマは「語りかける風景」で絵画は「窓からの風景」「人物のいる風景」「都市の風景」「水辺の風景」「田園の風景」「木のある風景」の5 章に分類されていて、各々の画家のフィルターを通じて切り取られた風景が、あるものはあくまでも写実的に、あるものはデフォルメ化されて描かれる。これら多数の絵画をシリーズとして一気に観ると写実の技法では描ききれない芸術家の思いさえ感じ取れるような気がした。そのために恐らく写実からデフォルメ化へシフトせざるを得なかったのではないか?と思った。そう考えてみると今まであまり親近感を持てないでいた近代的手法で描かれた絵画にも若干親しみを感じられた。

 音楽について言えば、いかに優れた録音で名演と言われるものであってもコンサートを凌駕するものではない、と思っているので私は出来るだけコンサートに通う。その際、評判や演奏レベルなどはあまり問わない。没頭できればいい。同様に、絵画も実物以上のものはあり得ないと思っている。今までは図鑑で観るのがせいぜいであったが、やっと、鑑賞できる心境・環境になってきた。
 今日も時にはかなり離れて、時にメガネを外して5cm程まで近づいて詳細なタッチまで十分に鑑賞できた。東京とかの美術館での展示の場合はガラスケースを通じてしか観れないことが多いが、ピカソの1956年の作品「闘牛士布さばき」などの名画をはじめとして有名な作品が無防備な状態でさりげなく展示されていたのには些か驚いた。ガラスケースを通して観多場合にはいつも不満が残った。だから、本日はなめるが如くに近づいて観ることが出来て、十分満足した。
 好みから言えばいろいろであったが、中でも、パンフレットにも使われたブリオン作の「女性とバラの木」に描かれた若い女性が着ている服の柔らかな質感には感動した。


11/13(土)超快晴 病棟拘束 
 3:00起床、ドック判定総括x2他、何時もと同じ.6:55自転車病院着、すこぶる快適。書類処理患者関連書類処理。15:00帰宅、業務、ストーブガード作成。夕食時コップ一杯の川反ラガービールで泥酔、19:30就寝。

オペラ、「カルメン」(2)総合芸術としての魅力・醍醐味十分
 演奏はウクライナ国立歌劇場管弦楽団、合唱団、バレー団の息のあったアンサンブル、演技楽しむことが出来た。
 ソリスト達は全く聞いたことがない方々。指揮は30代かな?と思わせるやや小柄、金髪の女性。ピットから見えたのは肩から上だけであったが明快な、分かりやすい上半身の動きと、繊細な指揮棒の動きが印象的であった。

 ソリスト達数人の声は、ヒロインのメゾ・ソプラノもそうであったが、なかなか声が通らない感じがした。これはフランス語のオペラのためかもしれない。フランス語はシャンソン風に語りに向いている言葉だと思う。録音の場合は歌手の声は十分通っているが、多分それらはミキシングでバランスがとられているからなのかもしれない。管弦楽団、合唱団は共に圧倒的量感で見事であったし、聴き所と思われる場面でも高度のアンサンブル、妙技を聴かせてくれたし、バレー団も美しい動きを見せた。

 筋書きはこれも月並みである。 魔性の女?・・って何なんだ?私には未だに理解できない存在なのであるが、そう言う設定の女カルメン、その魅力に引き込まれ、自分を見失っていく幸せな男ホセ、最期はカルメンを刺殺し号泣するという悲劇の結末を迎える。こんなストーリーでも見事なアリア、名旋律、演技、舞踊、演奏、演出を伴っていればもう言うことはない。まさに総合芸術、十二分である。
 フランス語歌詞に対応し、ステージ両脇に字幕スーパーを設置していて、オペラ好きと言ってもろくにストーリーなど知らなかった私にとっては今回もとても役に立った。

 私はカルメンの舞台は2回目である。初回は1985年にバイエルン国立歌劇場で聴いた。未だに記憶に残っている。その後はカルメンは一部を数回自宅で聴いただけで、ホントの所あまり好きな作品とは言えない。でも、実演ならば何度でも接してみたい演目の一つである。

 終演後、若い女性の指揮者もカーテンコールに応えたが、満面の笑みで表情の良い美人さんであった。指揮もメリハリが良かったが、その容姿も肥っていないのにグラマラス、メリハリが良いスタイルをしていた。この点に関しては一緒に聴いていた家内の同意は得られなかった。


11/12 (金)朝小雨後快晴 永年勤続者院内表彰 ワクチン接種 法人理事会 新築打ち合わせ キエフ・オペラ「カルメン」
2:00起床、ドック総括x2.徒然。7:00車病院着、回診他。書類処理等。12:30永年勤続者院内表彰。16:00ワクチン接種、17:30-18:50法人理事会+新築関連事務局会議。19:10-21:45キエフ・オペラ「カルメン」聴く。 22:30帰宅、夕食、23:15就寝。

オペラ、「カルメン」(1)第一幕は聴き損ねたが結構楽しめた
 本日11月12日18時30分から秋田市の文化会館大ホールでビゼー作曲の歌劇「カルメン」が演奏された。キエフ・オペラの来日公演で、演奏はウクライナ国立歌劇場管弦楽団、合唱団、バレー団。

 ウクラィナ国立歌劇場オペラはキエフ・オペラとも呼ばれているらしいが私はこの辺のことは殆ど知らない。当日もらったパンフレットによると、キエフ・オペラはボリショイ歌劇場、キーロフ・オペラ(現マリインスキー歌劇場)と並ぷ、旧ソ連邦の三大オペラ劇場として重要な位置を占めるとのこと。1867年の劇場開幕当初よりロシア、イタリア、ドイツのオペラも積極的に取りあげ、世界的な歌手が出演している。チャイコフスキーもこの劇場を讃えた。高い実力を持ちながら、旧ソ連邦下では国内と限られた国への公演だけに終始し、ウクライナ独立後も海外公演が控えられていたが、今ではヨーロッパ各地で公演を行い、高く評価されている。
 2006年には「アイーダ」と「トゥーランドット」を携えて初の日本公演を行い好評を得た。この時には、全国で60回もの公演をこなし、総客数延べ10 万人だったという。同歌劇場は、翌2007年、2008年にも来日し、「トゥーランドット」「椿姫」などで絶賛されている。

 いつも思うのだが、旧ソ連邦や近隣の東欧国から来日する演奏家や楽団の日本における演奏スケジュールを見ると、時には1-2ヶ月も滞在し、ほぼ連日の演奏をこなしている。本来の勤勉さなのか、それが通常の労務環境なのか、はたまた、集中的に収入を上げるためなのか分からないが、すごいと思う。

 まだ11月中旬であるが年末を控えて種々の予定が立て込んでいる。前売りチケットを購入していても結局は時間がとれなくなって無駄にしたことも何度かあるから、今回も決断が出来ない状態であった。本日の状況では病棟の患者も落ち着いているし、遅れるものの何とか聴けそうである。招聘元に電話したところ終演は21:30頃で、当日券があるとのことだったので、十分聴く時間はある、と考え業務終了後急ぎ文化会館に向かった。
 入場したのはちょうど第一幕が終了した所であった。有名なオペラ演目で演奏団体も高名である。多分満席あるいはそれに近いだろうと考えたが、何と2/3ほどの入りでしかなかった。これでは招聘元は恐らくペイしないだろう、と案じてしまった。

 文化会館大ホールはオーケストラピットが置かれ、舞台上には種々の装置が立体的に組み立てられ、舞台の演出でホールがここまで見事に変身するものかと驚いた。


11/11(木)超快晴 ドック診察 外来 秋大訪問 
2:00起床。ドック判定総括x3。徒然ほか。7:00病院着、 8:45-13:45外来+ドック結果説明2名、混雑。14:00秋大2医局訪問。16:00診療所院長来訪歓談。患者関連処理処理。21:30車帰宅、夕食、22:15就寝。

後発医薬品問題(1)秋田県の後発品のシェアは下から二番目!!
 患者が医師から処方される薬品には先発品と後発品がある。
 新しく開発された薬品は、10年間は先発品としての特許が認められ、他のメーカーは同一薬を製造して販売することが出来ない。この特許が切れた後には、別の会社が同じ有効成分を製造し、眼売する事が出来る様になる。一つの新薬を開発し、販売にこぎ着けるまでには約200億円の研究開発コストがかかると言われているが、後発品の発売に際してほとんどかからないため、同じ薬効であっても先発品よりも3割-7割ほど安く販売される。 だから、患者の自己負担分の窓口負担は軽減するし、国の医療費も軽減される。このことだけをとれば一石二鳥という事になるし、わが国の医療界にとっても重要なことでもある。

 ただ、後発品については『安かろう、悪かろう』といった医師らの評価がぬぐえず、シェアは予想ほどは増えていない。本当に安いから悪いのだろうか。私は疑問に思っている。秋田県医師会には医師と薬剤師との連携を深めるために医薬連携委員会を作り意見交換をしている。昨年の医薬連携の会で、医師の処方権は固く守る必要があるが、後発医薬品使用に反対する立場にはない、というスタンスで行くということが確認された。

 しかし、わが国の後発薬のシェアはとても低い。流通している薬の数量換算で見ると米国67%、カナダ・英国 ・ドイツが65-59%、フランス39%であるのに対して、日本は未だに20%でしかない。更に言えば、秋田県の後発医薬品の普及率は全国の中で下から2 位である。このことは院外処方箋発行率の高さと逆リンクしている可能性がある。多分、そうだと思う。従って、秋田県に於いては後発品の使用を一層促進普及すべきであるが、院内薬局を持つ医療機関が先発品を後発品に切り替える事はそれほど困難ではないが、処方箋発行で院外薬局で処方を受け取る形態だと後発医薬品の普及は何倍も困難であることは予想可能である。だから、秋田県では後発品の普及率の向上は単なる宣伝とかではなしえない困難さが横たわっている。

 秋田県医師会では県内の医師を中心にもう少し後発医薬品について理解していただくために講演会と討論会を企画した。主催は医師会、薬剤師会、歯科医師会と行政の4者と考えているとのことで、県医師会からも医師の立場で誰かを講師に出す方がよいというで、県医師会理事会で協議したそうであるが、何故か私にお鉢が回ってきた。私が適任であるか否かは分からないが、役員を辞した後に与えられた機会、と言うこともあり、準備段階でいろいろ勉強できるし、とちょっと荷は重いがお引き受けすることとした。
 
 12月5日(日)午後とのことでそろそろ準備を開始しなければならないが、会場や時間、演者、演題などを含め、会の詳細はまだ送られてきていない。


11/10(水) 雨・曇り 外来 県新型インフルエンザ相談窓口研修会で講演
2:00起床,ドック判定総括x1その他、本日の講演準備。7:00病院着。8:45-14:20 外来。14:30-16:10県新型インフルエンザ相談窓口研修会で講演。20:20 帰宅、21;20就寝。

インフルエンザ2010-11年(5)鷹巣病院(3)県による病院名公表問題
 県は11月6日の発表時には「医療現場に混乱が生じる」との理由で、インフルの集団感染が発生した鷹巣病院の病院名を公表しなかった。
 そのことについて県内マスコミ各社は問題視して関係者を追求している。私もこの件について何度も意見を求められた。

 私の考えは「情報は原則的に公開されるべきであるが、あの時点で県が病院名を公表しなかったことは理解できる」と答えた。
 私は「明らかな悪意や犯罪性のある事件以外については、行政といえども当該医療機関名を一方的に公表すべきでない。公表にあたっては原則的に相手方の了解が必要」と考えているし、更に「公表は可能であれば医療機関が自主的に行うべき」と考えている。私は立場上、感染症や医療事故などについて日常から報道資料、医学雑誌、業界紙などから情報を集めている。今回のような感染症についての事例を数年間分検索してみたが、初期段階から医療機関、施設名が付されている事例は見あたらない。

 今回の県による集団発生報告は、重症化・死亡の事実のみ公表された。私の所にもその発表資料が送られてきたが、死亡者が簡易検査でA陽性、その後、一検体からA香港型と判明した、全員タミフルの投与を受けていた、と言う内容で詳細を読み取ることは出来なかった。

 感染症の場合には感染症法に調査と公表に関する取り決めがある。
 それによると知事は患者その他医療関係者等の協力のもと、感染症の発生の状況、動向及び原因の調査を行うことができ、必要な情報を積極的に公表することとなっている。その必要な情報に施設名、病院名を含むか否かと言うことになるが、明記されていない。

 実際にはどのように運用されているのだろうか。
 魁新聞の記述によると、 厚労省は、どのような情報公開を行うか統一の規定はなく、都道府県の判断に任せている、としている。本県を含む東北6県はすべて、死亡者や重症者が確認される集団感染が発生しても「基本的に病院名は非公表」という方針をとっている。一方で茨城県は、病院や学校など大きな集団組織で発生した場合は原則公表している。茨城県は5年ほど前から、名前を公表する旨を相手側に事前通告し、強硬な反対がなければ公表しているとのことである。要するに法の運用上では「基本的に病院名は非公表、又は了解の上で」である。
 更に、私は今期まで秋田県個人情報保護審査会委員を務めたが、秋田県情報公開条例では、情報の公開の際、個人だけでなく法人等に関する情報についても除外して公開することとされている。従って、県は関係者の同意・協力を得ながら、施設や医療機関が自ら説明の機会を設定する様指導するのが良いのではないかと考える。

 医療機関は県や保健所に対して届け出すべき事は多い。法で決められていなくとも届け出をする場合もある。調査を受けることもある。この様な場合、もし、事前の相談もなく県から一方的に公表される様なことがあれば、医療機関は届け出をためらうことになろう。その弊害は計り知れない。
 鷹巣病院が集団感染を察知した時点で届けをしなかった背景に、この問題が無かったであろうか。


11/9(火)暴風雨 入院患者家族面談 外来 北秋田市副市長来訪 法人常務会 新築関連打合会 医局カンファレンス CVS打ち合わせ
1:30 起床,ドック処理他、講演準備、徒然。6:55病院着。7:20回診、8:45-14:00外来、混雑。14:00北秋田市副市長来訪。 14:45-15:30法人常務会。15:30-16:30新築関連打ち合わせ。医局カンファ、アルコール依存症、中座。18:30秋大心血管外科打ち合わせ。21:00帰宅。途中激しいこむら返り、21;20就寝。 

インフルエンザ2010-11年(4)鷹巣病院(2)入院患者死亡は8人に増加
 秋田県は11月6日午前、北秋田市の病院でインフルエンザとみられる病状の患者が集団発生し、昨日5日までに入院患者6人(男性4人、女性2人)が死亡した、と発表した。本日までに死亡は更に2名増えて8名となった。
 同一医療機関内でこれだけ多数の感染者が一気に発生し8名もの死亡がでたことはインフルエンザ院内感染としては前例が見あたらないほどの大事件であり、全国的にも大きく報道された。

 11月8日(月)午後に私は秋田放送、秋田NHK他のマスコミ各社から取材を受けた。秋田県新興感染症部会部会長としての立場だからである。各社とも質問は類似していて、
■6名も死亡しており、病院の対応に問題はなかったか、
■今回のウイルスは感染力が強いなどの特徴は無いか、
■県の対応は遅くなかったか、
■ 病院名を発表しなかった事について、に集約された。

 これに対し、私は病院の対応、地区保健所の対応、県の対応について疑問はないわけではないが、私は報道関係者に配付された一枚の資料以上の情報を受けていないので判断する拠り所はない、と言う立場で一般論として質問に答えた。

■多数の患者が死亡しているが、どのような患者なのかが分からない。病院の対応に付いては、患者が発生してから地区の保健所に報告するまでの数日を要しており、通常では考えがたいプロセスではある。ただし、病院の対応についてこれ以上コメントする情報を持ち合わせていないので軽々には判断できない。

■11月2日に地区保健所に報告があってから保健所は5日にかけて医療機関の患者について調査を実施し、院内の感染対策の徹底を指導した、とされている。どのように行動したのか、更に、県の担当課に情報が入った後の処理にも多少の疑問は残る、が私には上記項目と同様に判断材料はない。

■今回のウイルスは感染力が強いなどの特徴は無いか、 については無いだろう、と答えた。急速な蔓延はウイルスは感染力の問題でなく、院内の患者や職員の導線、構造、防止措置をどのように行ったのかなどに関連している、と思われた。

■ 発表時に病院名を公表しなかった事については私は「情報は公開されるべきであるが、あの時点で公表しなかったことは理解できる」と答えた。

 自分の立場から見ても煮え切らない説明であった。行政の対応は別にして医療機関としての対応については、日本の医療行政から、県の医療事情、医師不足問題などが色濃く影響している、と思う。だから、コメントするのはとても苦しい。第三者による検証をのぞみたい。


11/8(月)降雨 管理会議 外来 ABS/NHK取材 県健康推進課スタッフ来訪打ち合わせ 療養病棟判定会議 長副会議  職員インフワクチン接種開始 
1:00 起床、ドック判定総括x2、文献チェック、徒然、その他。7:00車病院。7:45管理会議。8:45-14:00外来、14:00ABS取材収録、 14:45NHK取材収録、15:30県健康推進課スタッフ来訪、鷹巣のインフルエンザ対応について打ち合わせ。16:00療養入棟判定会議は欠。 17:00-18:00長副会議。20:45帰宅、夕食、21;30就寝。

菅首相(21) 最近表情が暗い 支持率も急速に低下
 最近の総理の中で笑顔が良かったのは麻生元総理であった。就任当初、子どものように純粋な笑顔を振りまいたが、やがてわずかに外遊の際の映像でしか見られなくなって行った。政治的に追い込まれた首相にとって国を離れたときにのみ開放感を味わえたのだろう。

 菅総理の笑顔もなかなか良い。市民派でクリーンな政治家を目指してきた菅氏の笑顔の背景には地道な政治運動でこつこつと獲得し蓄積してきた国民の熱い支持への自負なのであろう。ただ、最近、表情が暗くなってきている。 疲れているのだろう。まず、当然なのかもしれない。

 彼の前には難問が次々と降りかかって来ている。内憂外患山積み状態である。
 内政では雇用問題、年金問題、経済問題、財政健全化問題、小沢問題があり、鳩山も煩そう。企業献金の問題、情報漏洩問題などなど枚挙に暇がない。外交では尖閣間題、北方領土、普天間基地問題、TPP問題などなど、どれをとっても大きい問題で一朝一夕に解決できるものではない。前二者に関しては歴史的事実の積み重ねがあるだけに毅然と対峙して欲しい。
 現内閣は自らに「有言実行内閣」と命名したが、政策を提案するにあたっては、肝心の根拠、財政問題が後付けだったり、政策にはブレやズレがあったり、問題の先送りがあったりで、日本の首相として些か弱腰で心もとなく感じられるのは確かである。国会での質問も厳しい応酬がなされている。答弁の際、投げやりな態度も垣間見られ、時に捨て台詞的言葉で締めくくることもある。かなり、弱気になり始めている様な気がする。「どこまでやれるか分からないが、石にかじりついてもやりとげたい・・」、「何100年か経ってから正当であったと評価される判断だと思っている・・」などとの発言も聞かれるようになってきた。

 私は頻回の支持率調査は意味がないところか弊害もあると思っているが、ここでまた支持率調査である。マスコミが各社がこぞって調査し、結果を発表している。読売新聞社が5〜7日に実施した電話方式による全国世論調査では、菅内閣の支持率は35%となり、10月初旬の前回調査の53%から急落し、発足以来最低となった。不支持率は55%で支持、不支持率が逆転した。無責任な回答者による結果だから首相は一喜一憂する必要はない。凛として政策に対峙していけばいい。問題は、国民が支持率調査結果から影響を受けてイメージ的に内閣や首相を過小に評価して、見くびっていくことである。

 私な民主党の小沢・鳩山・菅の中では菅氏は一番まともな方だと思っている。首相としての力量の判断はまだ早い。空虚な笑顔は困るが、国を代表する首相の落ち着いた表情、笑顔はとても大事である。


11/7(日)晴れ 病棟拘束 
2:00起床.ドック判定x4。新聞、文献チェック。後は講演準備中心にゆっくり過ごす。13:00午睡若干、約一年ぶりに楽器取り出し若干音出しした。17:00-19:30病院、帰宅。夕食、業務若干、20:45就寝。

私はワーカホリックではない(3)富山ミニ旅行で味わった不思議な時間感覚 
 近年特にに感じるが、一週間がとても短い。
 4月以降は私のストレスの一因になっている人間ドックの判定総括業務をはじめとして私の業務量は明らかに軽減している。しかし、それでも連日業務処理に追われていると言う感覚、週末にゆっくりした実感が伴わない。もうまた月曜の朝になってしまったと言う感覚に相変わらず苛まれている。机上に退院患者総括等が次々とたまっている。日曜夜から月曜朝には気持ちが若干落ち込む。2-3年前まではこんなことはなかった。実に嫌な感覚である。

 何とかして逃れる方法がないか考えた。対策として、本年6月以降、土曜日を全日勤務から半日勤務にして午後フリーにして見た。心がけてなるべく早めに病院を出るのだが、悲しいことにバッグにはドック関連の書類など詰めている。対外的行事も土曜午後に、あるいは日曜午後に組まれて休めない週末もあり、まだあまり効果は表れていない。

 週末を、あるいは休日を上手に過ごすヒントを先日の富山ミニ旅行で得たような気がする。今それをもとに週末や休日の過ごし方をいろいろ考えているところである。
 去る、10月10日は恒例となっている新潟大学46卒同級会で富山に出かけた。JRでは時間がかかりすぎるために空路にした。当日は1:00 と早めに起床。ドック判定等いつもの如くこなし、7:35発の一便で秋田を発ち、乗り継いで10:15には富山着。その後はトロトロと時間を過ごしながら会場に向かい、夕方から新潟大学46卒同級会に参加、短時間で中座し就寝。翌日も富山発15:00なので時間を考えずにゆったりと移動し、20:00過ぎには自宅に着いた。その時、玄関先の新聞受けに「何で一日分しか新聞がないのか?」と妙に思った。一泊二日の行程だから新聞が一日分しかないのは当然なのであるが、私がその瞬間まで3-4日ほど家を離れていたように錯覚していたからである。

 この、時間感覚を失った体験は時間の感じ方にヒントを与えてくれた。要するに、急がず、あせらず、時間にゆったりと身を任せて過ごすと、時間感覚もゆったりする、と言うことである。富山へのミニ旅行は非日常的であったのだが、このゆったりした生活を週末や休日に持ち込むことで、一週間の時間感覚が変わるのではないだろうか?
 そう思いつつも、昨日の土曜は約6時間座ったままで講演を聴いていたし、本日は大部分の時間をドック判定と今回も間に合わないと焦りながら講演準備に充てたのでのんびり出来なかった。


11/6(土)晴れ 病棟拘束 ヒューマンクラブ40周年講演と音楽 秋田市医学集談会
2:30起床、ドック判定総括x1、新聞文献チェック。7:00自転車病院着、回診他、10:00患者家族面談。13:00-15:30ヒューマンクラブ40周年講演と音楽会。16:00-19:30秋田市医学集談会。患者トラブル関連講演2題。20:20車帰宅、夕食、21:40就寝。22:00魁新報社から電話取材。

インフルエンザ2010-11年(3)秋田で集団感染 鷹巣病院で入院患者6人死亡 
 秋田県は本日午前、北秋田市の病院でインフルエンザとみられる病状の患者が集団発生し、昨日5日までに入院患者6人(男性4人、女性2人)が死亡した、と発表した。恐らく明日は大きく報道されるであろう。

 県の報道発表資料は以下の如く(箇条書きに改変)。
■発生の探知は11月2日。病院からインフルエンザ様疾患患者が49名発生した旨北秋田保健所に連絡。
■北秋田保健所は2日から5日にかけて医療機関の患者について調査を実施し、院内の感染対策の徹底を指導した。
■5日現在、職員8名、入院患者25名がインフルエンザ様症状を呈しており、これまで6名の入院患者が亡くなった。
■5日に患者1名の検体の提供があり、PCRを実施した結果、H3N2(A香港)であることが6日確認された。
■県は、H3N2(A香港型)による集団感染と判断し、同医療機関に対し引き続き院内における感染防止対策の徹底を図るよう指導していく。
■亡くなったのは、男性が60代1人、80代2人、90代1人。女性は70代と80代が1人ずつ。簡易検査では全員陽性。先月29日に全員ワクチン接種を受け、発症後はタミフルの投与を受けていた。

 私は日中に報道発表原稿をメールで受け取った。重大な内容であったがそれ以上の情報がないまま夕方まで院外で講演等を受けていた。22:00頃就寝後に魁新聞の記者から電話があり新興感染症部会長としてのコメントを求められた。質問はいろいろあったが、主たる内容は以下の2点であった。■県の発表が遅すぎなかったのか、■県が病院名を伏せて発表したのは感染拡散防止の立場からいかがなものか、と言うことであった。報告のあった2日から発表までの間にどのように処理されていたのかなどに関して情報を受けておらず適正なコメントは出来なかった。

 毎年冬期に流行する季節型インフルエンザは、人生の最期の、か細い灯火を消す病気とされている。従って対策は高齢者を中心に行われる。昨年のH1N1型の大流行に際しても高齢者の罹患が危惧されたが、結果的に高齢者の感染は少なく学童期にある児童中心に罹患した。200人余の死亡者は成人・壮年中心であった。

 今年も全国各地でH3N2(A香港型)の流行の報告がありH1N1型より A香港型中心になるのではないかと思われていたが、県内ではまだ流行は認められていなかった。今回、突然の、院内感染と思われる流行で、一気に多数の感染者と死亡者である。
 全員にワクチン、タミフル投与も行われていた様であるが、院内感染の拡散防止対策を含め検証が必要であろう。それと共に、高齢者施設を中心に、各年代にわたる感染防止対策を一層強化すべき時が来た。今年もまた医療関係者が緊張が強いられる。


11/5(金)曇り 患者家族面談 保健所立ち入り検査 新築関連打ち合わせ会議
2:00起床。体調はほぼ通常に戻った。ドック判定総括x3。4:30病棟から連絡、病院へ。患者死去。6:20回診、7:00見送り、患者家族面談他、13:00−16:45秋田市保健所立ち入り検査。17:00-18:30新築関連打ち合わせ会議。20:30車帰宅、21:25就寝。

菅首相(20)こんな画像の扱いで国会で論議していたの??
 尖閣諸島問題は本日ネットの動画サイトに事件の現場の映像がアップされたことで新展開を見せている。

 現状では
■国の方針が非公開としている映像が外部に漏出した危機管理上の問題
■情報を持ち出した犯罪性
■国、外交問題に微妙な位置づけであると考えられる映像を匿名で公開した行為
に関してそれぞれ重大な問題を含んでいる。これらについては厳重な予防対策、捜査が必要である。

 そのことを別にして、映像だけのことを考えると、映像を公開するか否かで国会や予算小委員会もめていたのを新聞で読んでいて、事件をより正しく理解するのに役立つ映像があるならそれをもとに対中国交渉や対策を考えるべきであるが、何故公開しないのか、公開できない決定的な何かが映っているのか、と考えていた。
 一部の国会議員は先日非公開で見たとのことであるが、映像の公開に関しては意見は半々であった。それも不思議であった。

 本日、19時のラジオニュースでネットに現場の映像がアップされたことを聞き驚いた。国の情報漏洩に関連した危機管理はどうなっているのか??
 21時のNHKニュースで映像の一部でも観ることが出来るのか、と夕食を摂りながら期待して観たが、驚いたことにちょっとどころか、数分にわたって、しかも繰り返し放映された。NHKでここまで公開したと言うことで昨日までの公開・非公開の論議は全く無に帰してしまった。

 かなり長時間にわたる録画があり、公開されたのは編集したホンの一部らしいから決定的なことは言えない。更に、NHKが報道のために都合良く再々編集したであろうこの映像から分かることは、漁船側の恣意的な衝突行為で、例え公海上であったとしても正しく犯罪行為である。更に、日本の領域内で、違法行為を取り締まる海上保安庁に対する攻撃的行為だから公務執行妨害に相当する、と読み取れる。
 那覇地検は国益を考えて船長を釈放したと言うが、その必要は無かったと言える。

 国際政治、外交は微妙であると言われる。恐らくその通りであろう。そのニュアンスなど私には分かるべくもないが、何でこの映像をめぐって公開、非公開の論争が生じたのか理解できない。公開して全く問題ないのではないだろうか。こんな事で国会議員が、他の案件を棚上げにしてまで言と時間を浪費したのかと思うと、政治とはなんぞや、外交とは何ぞや、議員とは何ぞや、と思ってしまう。

 それにしても、最近の情報関連の事件は殆どがデジタル情報を媒介にしている。完全に同じものが瞬時に複製できるし、瞬時に世界に向けて公開でき、その過程は跡を残さないからである。あまりにも簡単に出来るから使う側の人間の心理にも重大な影響を与え、倫理観、違法性、犯罪性の意識の閾値は明らかに低くなっている。それにいやな匿名社会である。
 重要なデータの場合にはアクセスの記録がすべて残るような対策が必要であろうし、デジタル時代に応じた人間教育が必要であろう。


11/4(木)雨 早朝近所で殺人事件 外来 県健康推進課スタッフ・障害福祉課スタッフ来訪
1:20起床。昨夜よりは若干体調改善。ドック総括、徒然。6:10車病院着、6:20回診他。8:45-14:30外来、この間にやっと体調戻った。以降、総括他こなすが、まだ20部以上残っている。16:00県健康推進課スタッフ,17:00障害福祉課スタッフ来訪打ち合わせ。20:00車帰宅。30時間振りに食事摂る。21:30就寝。

早朝、近所で殺人事件発生 弁護士受難
 本日外来にいつも定期的に通院している中年女性の様子が変であった。血圧も異常に高い。何かあったのか?と聞くと「親しくしていた方が殺され、ショックで・・・」と言う。秋田市の泉地区で弁護士だ、と言う。
 私も弁護士なら何人かは知っている。まさかそのうちのお一人とは考えもせずにお名前を聞いたら、何とT弁護士、と言う。T弁護士なら秋田県の弁護士会を代表するような立場の方であり、私も医師会の役員の時に何かの会で同席し、多分会話したこともあったような気がする。

 同姓の別人ではないか?とも思い、外来終了後ネットで調べたところ正しくその方であり、犯人はその場で取り押さえられた、と言う。また事件のあった場所は私の生活圏のすぐ近くで二重に驚いた。
 19:00のNHKラジオニュースでは業務に関連しての事件だけに全国放送の中で報道された。警察官が到着後、警察官の居る前でT弁護士が刃物で胸部、腹部を刺され致命傷を負ったらしい。どういう事だろうか?と、私はまだ詳細な記事とかは見ていないので理解できていない。

 私共医療関係者も業務上の問題で患者さんやご家族との間に感情的なしこりが残ることも少なくないだけに無関心ではいれない事件である。
 消費者問題を中心に弱者の立場を救うために尽力され、社会貢献されてきた方が、この様な悲惨な形で最期を迎えられた。その心情は私など到底推し量ることさえ出来ない。 
 
T弁護士のご冥福を心からお祈りいたします。


11/3(水)文化の日 曇り 病棟拘束 秋大産婦人科教授就任祝賀会
2:40起床,何となく倦怠感か?ドック判定総括処理。文献チェックほか。10:30Taxi病院。13:00-15:00秋大産婦人科教授就任祝賀会、途中で発熱感ほかで体調不調に。中座し帰宅、午睡他。17:00次男一家離秋。不調とれず夕食も摂らずにそのまま就寝。

自転車(17)酒気帯び自転車は検挙の対象になるか??
 10月末、秋田魁新報の社会面に「市職員が酒気帯びで自転車」という見出しで小さな記事が掲載された。以下はその全文である。

 秋田市建設部の男性主査(38)が22日夜職場の歓送迎会で飲酒し、自転車で帰宅する途中、酒気帯び運転の疑いで秋田東署に検挙されていることが分かった。市人事課によると同市東通りの歩道で運転中に縁石にぶつかり転倒、巡回していたパトカーの警官に見つかったという。同市では酒酔いや酒気帯びで自動車を運転した場合には免職や停職と内規で定めている。同課は「自転車にも当てはまるかは不明。本人から事情を聴くなどして対応を決めたい」としている。

 自転車は立派な車両であって、軽車両に分類され、その運行は道路交通法で規定されている。自転車も加害者になり得るだけに対社会的責任は大きい。だから、「飲んだら乗るな、乗るなら飲むな」である。現実に、法には「何人も、酒気を帯びて車両等を運転してはならない」とある。自転車も車両であるから飲酒運転は禁じられてはいる。しかし、酒気帯びでの車両運転の罰則は「3年以下の懲役または50万円以下の罰金」であるが、「軽車両を除く」とされているため、自転車の酒気帯び運転には刑罰が科されない。

 私は酒気帯び運転は禁じられているものの刑罰が科されないから検挙の対象にならないはず、と理解していた。 罰則が適応されないのに検挙されてはたまらない。厳重注意くらいで良いのではなかったのだろうか。ただ、酒酔い運転と判断されたのであれば別である。だから、この記事について違和感があって、と自分に全く関係ないとは言えないだけに注目した。この検挙記事のその後の対応について何か記載がないかずっと見ているが記述がなく、どうなったか分からない。

 血液1mlにつき0.3mg以上、呼気中アルコール濃度0.15 mg以上あれば酒気帯び、と判定される。一方、酒酔い運転には明確なアルコール濃度の基準は無く、アルコールの影響で正常な運転が出来ない恐れがある状態を言う。  市の主査は市内の歩道で自転車を運転中に縁石にぶつかり転倒したと言う。だから、まともに運転できなかった状態であったと判断されれば、酒気帯びでなく酒酔いになる。それに、自転車は車道を走るべきであって、その時は歩道を走って良い状況であったのか、も問われることになる。

  酒酔い運転の場合は軽車両の適用除外がなく、自転車も自動車と同じ扱いとなり、現行犯として逮捕される事になる。
 現実に、救急診療の現場には明らかに自転車の酒酔い運転で車と接触したり、転倒して搬送されてくる患者は少なくない。この様な場合には警察官も来ることが多いが、患者が後に酒気帯び運転とか酒酔い運転とかで逮捕・検挙されたとか、飲ませた関係者が酒を勧めた罪で検挙されたと言うような後日談は聞いたことはない。この辺の場当たり的な判断が自転車行政の矛盾点でもある。




11/2(火)嵐、曇り・雨 外来 法人常務会 新築関連委員会 医局会 県がん診療連携協議会
2:40 起床,家内39℃ほど。私も倦怠感。ドック判定総括4人分、文献チェックほか。6:30車病院着.重症者回診他。8:45-14:00外来。 14:45-15:45法人常務会、15:45-17:00新築関連打ち合わせ会議。17:30医局会、中座し18:00 県がん診療連携協議会、20:40帰宅。犬含め次男一家と歓談、21:30就寝。

パソコンでのスケジュール管理の落とし穴(2)思い込み、自己暗示の因に
 私は日々のスケジュールはOfficeのエクセルを使って自作している。市販のスケジュール管理ソフトはiPhoneとの間で同期出来るなどの利点があるが、なかなか私になじまない。いや、設定が難しくて使えないでいるという方が正しい。

 1993年に私はワープロからマックに乗り換え、以来、スケジュール管理は手帳から統合ソフトであるクラリスワークスの表計算を用いていた。その後、2003年にOfficeのエクセルに乗り換えた。
 表計算で作る予定表は自分で好きなようにアレンジできるし、広く一覧できるためにとても便利である。しばらく印刷して持ち歩いていたが、2008年年末以降はiPhone上でスケジュールを確認できる様になって更に便利になった。このように時代と共に徐々に便利になってきたのであるが、問題は入力する自分自身にあり、時々誤った入力をしてしまう。一端入力すると最後まで誤りに気づくことは少ない。入力した後は殆ど検証しないためである。これで何度も失敗をおかしている。

 本日、14:00から秋田市のアトリオンホールで仙台フィルハーモニー交響楽団のメンバーによるトリオの演奏会が行われることになっていた。15分ほど前にアトリオンに入場したのであるが、2000円のハズであったが入場料が500円であった。何かの事情で急に安くなったのか、それにしても聴衆は100 人程度と少ないのは何故?・・と思ったが、なおしばらくまだ前の企画が終了していないのだろうと考えて客席で待っていた。一端思い込んだり自己暗示にかかってしまうと疑ったり過ちに気づくような機会があるのにもかかわらず、なかなか誤りに気がつかないものである。実に危ない心理状況、と思う。

 やっと、もらったパンフレットを見てこの日アトリオンホールでは終日「あきたぶんかフェスティバル2010」が催されていることに気づいた。私の予定表の日付か場所の入力が誤っていたのであろう。観念してしばらく聴いてから帰ることにした。■第14回秋田県青少年コンクールグランプリ受賞者の演奏、■演技:大江戸玉すだれ、■演奏:「Moko&Kyu`s」を見て、聴いたが高度な内容で結構楽しめた。
 
 病棟から連絡もあり、15:00過ぎに病院に戻った。綴じ込んであったパンフレットを確認したらトリオの演奏会は「14:00、文化会館小ホール」となっていた。単純な入力ミスであった。


11/1(月)降雨 安全管理者と打ち合わせ 管理会議 療養病棟判定会議 長副会議  全体学習会「これからどうなる社会保障」
2:30起床、ドック判定総括x6、文献チェック、その他。6:45車病院へ、一昨年フロントガラ初氷結した。回診他、7:45管理会議。 10:00安全管理者と打ち合わせ。 退院患者総括ほか。16:00-16:30療養入棟判定会議。17:00-18:25長副会議。 18:30-19:50全体学習会「どうなる社会保障」. 21:00帰宅、夕食、 21;45就寝。

尖閣諸島、北方領土、竹島
 本日、ロシアのメドベージェフ大統領が北方領土の一つ、国後島を訪問した。
 ロシアの最高指導者が北方領土を訪れたのは今回が初めて、と言う。日本政府はこの訪問の動きがあってから「両国関係に重大な支障が生じる」と警告を発していたと言うが、それを振り切っての訪問である。菅首相は国会で遺憾の意を表明した。外相もロシアの駐日大使を呼び抗議した。ロシア側はこれに対し外相が日本側の主張は根拠無く到底受け入れられないと強く反発したことが報じられている。
 日本政府のとった対応は当然のことである。しかし、何かいつも後手に回っているし、事が起こってから慌てて対応しているように見えてならない。結果的に弱腰にも見えてしまう。これだと相手に見透かされる。領土問題は微妙で高度の外交能力が求められるのであろう。北方領土に居住しているのはロシア人である。この現実と我が国固有の領土との主張の間にある乖離は一体何なのだ? 不勉強にして、私などに分かることは少ないが、何かいつも割り切れないものを感じてしまう。
 沖縄県尖閣諸島周辺における漁船船長の逮捕に端を発した今回の中国とのひずみは当然中国側の対応に問題があると思うが、まだ解決の兆しが見えない。それに加えて今回の北方領土問題である。わが国は本日以降、ロシア間で難しい局面を抱えることになった。
 領土問題と言えばもう一つは韓国との間の島根県竹島問題も未解決である。
 領土問題は決定的拠り所がないだけに解決が極めて難しい。実際には両国共に判断の基準点はあるのだが、互いに根拠無しと否定しあっている。複雑な 歴史観や漁業権、埋蔵エネルギー問題もある。さらに国民感情とも複雑に結びついている。その中では、北方領土に関してはまだ歴史も浅いししっかりした記録もある。一体、国際的な評価はどうなっているのだろうか。
 最近、中国とロシアは経済的交流を中心に急接近しつつある。そう考えると、まさか、歩調を合わせたと言うことはないだろうが 、尖閣諸島の領有問題に揺れる今が良い機会と日本に、新政権に揺さぶりをかけた可能性もある。
 日本側は何かことが起こると慌てて対応しているように見えてならない。種々の事件にどう対応してきたのか、その足跡をもとにして今後どう対応していくのか、それこそ揺らぎのない、骨太の外交方針の確立が望まれる。






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