徒然日記
2010年9月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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9/30(木)晴れ 外来 ドック診察+結果説明 療養病棟診療部会議
2:00起床、ここ数日寝不足状態続く。ドック判定x1。徒然など。7:00自転車病院着、8:45-14:10外来+ドック関連。17:00療養病棟診療部会。20:30自転車帰宅、夕食、21:30就眠。

郵便料金割引制度悪用の事件(2)マスコミが断罪した責任をどう取るのか
 障害者団体向けの郵便料金割引制度悪用の事件で、 厚労省の元局長村木氏に大阪地裁は無罪判決を言い渡した。その村木氏は数日前に笑顔と共に復職を果たした。この事件の逮捕・起訴・裁判を通じて村木氏は一 貫して関与していないことを主張していた。実際には大阪地検特捜部の主任検事が押収したフロッピーディスクを改ざんして村木氏を主犯にでっち上げたことが 明らかになり、事件は急転し、今度は主任検事が逮捕された。検察側は控訴をしなかったために村木氏は晴れて無罪となった。

 私は20年近くも新聞の興味ある記事は切り取ってスクラップしている。何かと便利なデータベースになっている。昨年6月のスクラップを見るとこの事件が大きく取りあげられている新聞記事を10枚ほど再確認できた。
 三大新聞は連日村木氏の顔写真を掲載して社会面で大きく取りあげ、更に各紙とも社説にまで取りあげて論じている。

 じっくり読み返すとこの段階では記事の中で村木氏を犯人と断定してはいない。それは当然である。逮捕、起訴されただけでは有罪と確定していないからである。しかし、どの新聞も共通して、村木氏を真犯人扱いにしている論調である。
 特に、見出し語や記事中の表現がすごい。「 郵便不正事件 政官業癒着の根本にメスを」「厚労省局長逮捕--政治案件とは何だった」「議員絡みだからと指示」「 障害者団体を食い物に」「手段を選ばない人」・・・で結果が分かった今読み返すのも辛い。恐らく読者全員が「逮捕された村木氏は悪い人、真犯人だ・・」と 思い込んだに違いない。何となれば、読者はそんなに情報を持っていないから、紙面に書かれた内容を信じてしまうしかない。微妙なニュアンスで断定を避けて いるが、そんなところまで読み取る人はそれほどいないはずである。

 要するに、村木氏は逮捕の記事、マスコミによって社会的に犯人と断罪されてしまったのだ。家族や周辺の方々がどんな気持ちであったのか、知るよしもないがかなり辛い状況に陥ったのではないだろうか。

 無罪と分かった今、マスコミは村木氏にどう謝罪するのであろうか。


9/29(水)晴、外来 ドック診察 新築計画策定委員会
3:00起床。ドック判定総括x1他。文献若干読む。7:10自転車病院着。やや寒い。回診等病棟関連業務。8:45-14:00外来+ドック診察、混雑。17:30新築計画策定委員会、21:50自転車帰宅、夕食、22:45就寝。

郵便料金割引制度悪用の事件(1)検察の信用失墜は国の信頼失墜につながる
 障害者団体向けの郵便料金割引制度悪用の事件で、 厚労省の元局長村木氏に大阪地裁は無罪判決を言い渡した。村木氏は数日前に笑顔と共に復職を果たした。

 この事件の裁判を通じて、大阪地検特捜部の主任検事が押収した捜査資料のフロッピーディスクを改ざんしていたことが明らかになり、その後主任検事は逮捕された。
 検察は警察などの捜査結果を受けて、裁判に持ち込むか否かを決める権限と独自に捜査する権限を持つ。法で認められた大きな権限にもとづき公正におこなわ れるべき捜査でえん罪を作るために捜査の証拠品まで改ざんしたと言うことは極めて重大な問題で絶対に許されない。主任検事は同僚に改ざんしたことを話して いたと言うし、上司も知っていたらしいが、なぜそのまま放置され、事件が処理されていったのか、解明が待たれるが組織としての検察の責任は極めて重大であ ろう。

 今回の問題は主任検事の個人の問題と言うよりは組織全体の体質に問題があると感じられる。 検察には大きな権限が与えられているが、それだからこそ中にいる人たちが謙虚でなければならないのに、組織的に倫理観を失ってしまっている様に見える。こ んなことでは、自分も含めて誰でも無実の罪に陥れられる、と言う可能性もあり得るほかに、今までの事件の検察特捜部の判断にも同様な経過はなかったのであ ろうか、と疑問にもなる。
 足利事件でも分かるように、過去の冤罪事件は証拠から得られる情報との間に理解しがたい矛盾があるにもかかわらず、警察や検察の自白の強制や事実のねじ 曲げによって有罪とされていた。捜査の可視化が求められていると言うことは捜査上の信頼感が失いかけていることを示している。それだけでも十分に問題なの に、証拠の改ざんまで行われ、組織的に無視されて来た、あるいは隠蔽されてきたとすれば、検察は一層信頼を失うことになる。

 こういう警察や検察を抱えていることは、法治国家としての国の欠陥と言うことになる。主任検事逮捕で一件落着としてはならない重大な事件である。検察と 言う国家権力によって法的に犯人とされかかり、マスコミ報道を通じて社会的に犯人扱いされた村木氏、ご家族他の方々には、大変お気の毒な事件であった。だ からこそ、十二分に検証されなければならない。


9/28(火)雨 外来 法人常務会 医局カンファ 
4:30起床。流石に眠い。新聞チェック他。7:15自転車病院着.回診・病棟業務。 8:45-13:50外来、混雑。14:45-15:30法人常務会。17:30-18:30医局カンファ、大腸がんと膜性腎症。 22:10自転車帰宅、22:30就寝。

一日数回、座睡・微睡を楽しむ  体力・気力の減退なのだろう
 漢字「座」が先頭に付く熟語を挙げてみると、座席、座右、座標、座談・・等とあるが、辞書数冊を探しても「座睡」という単語はない。椅子に座ったままで 睡眠を取れるという若い頃からの私の特技に座睡という単語を創りたい。要するに、座ったままで短時間睡眠、微睡を取るという事である。

 これは比較的睡眠時間が短い私の生活を支えてきた、私にとっては大事な習慣である。座睡というのは外来の椅子とか部屋の事務椅子、自宅の書斎用の椅子で 仕事をしているそのままの状態で、座したままで短時間睡眠をとることである。最近、仕事をしていても持久力・忍耐力が乏しくなってきており、この座睡の頻 度が増えてきている。

 40代の頃から私は年間を通して1:30-2:30amには起床している。この時間から出勤までの間が私にとって最高の心豊かになる時間で、業務や勉強 や趣味の時間に充てている。しかし、ここ1-2年は4:00am頃に急にけだるくなって机に向かっているのがイヤになる事が増えてきた。その際には椅子に 座ったまま10-15分睡眠をとる。これで気力が戻ることが多い。この様なことはかつてはなかったことである。

 勤務中にも座睡する。私は週3-4回外来を担当しており、多いと50-60人あるいはそれ以上の患者を診るが、私にとって対話が辛くて外来は実にストレスである。
 高齢者中心であまり具合悪い方はいないから、体調を聞き血圧を測って検査とか処方を出すのが中心で、刺激も乏しく、11:00amほどに意欲が減退し能 率ががた落ちとなる。この時は外来の椅子に座ったまま看護師に5分後に電話で起こすように頼み、肘掛けにもたれて睡眠をとる。すぐに熟睡してしまう。良い 気分の時に非情にも電話が鳴る。もう少し融通を利かして寝せてくれても良いのに、と看護師を半分恨みながら、そうは言っても待合室の患者は待たせられない し、と諦めて患者を診察室に迎え入れる。
 熟睡から覚醒間際は手が震えたり、オーダリングの画面を見てても次のアクションが出て来ず、じっと眺めていたりするが、間もなく元の調子に戻りその後の 1-1.5時間すっきりした気分で外来が続けられる。大混雑の時には13:00頃に2回目の座睡をとる。この外来での1-2回の短時間睡眠が外来業務の中 での楽しみの一つと言って良い。

 早朝、あるいは外来中の睡眠は共にここ1-2年で頻度が増えてきている。やはり、短めの睡眠時間がストレスになってきている、と言うことだろう。もう若くもないのだから、体調維持のために考えなければならない事項の一つとなってきた。


9/27(月)曇り 管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議 
2:00起床。ドック判定総括x1他いつもの如し。7:10病院着。6:00回診、7:45-8:30管理会議。8:45-14:20 外来が患者で溢れかえり疲弊。16:00療養病棟判定会議は欠、 17:00-18:55長副会議。20:50疲弊し気力なく車で帰宅、夕食、21:30就寝。23:00患者急変、再出勤対応、3:00帰宅、再度就寝。

中国人船長釈放問題  衝突は過失か故意か、はたまた命令か
 沖縄県・尖閣諸島周辺の領海内で海上保安庁の巡視船に中国漁船が故意に衝突した事件で、那覇地検は公務執行妨害の疑いで逮捕、送検されていた中国人船長を処分保留のまま釈放した。
 検察独自の判断なのか、政府の判断なのか、どうもすっきりしない経過をたどっている。中国側の異常と思える強硬姿勢の中で行われた唐突な釈放で、国際問題である。地方の検察の判断で出来る判断だったのか、どうしても疑問が残る。

 この事件をめぐって中国側が示した強硬姿勢は激しいものであった。
 ■駐中国大使を未明に呼び出し、■東シナ海ガス田への機材の搬入拒否、■政府・民間交流の拒否、■希土類の対日輸出手続きの遅延、■河北省での邦人4人の拘束など、など。通常では考えがたい激しい抗議活動であった。

 事件の背景は尖閣諸島の領有権問題である。中国は自国領と主張しているが、歴史的にも国際法上もわが国の領土であることは明白な事実とされている。この辺のことはまだ不勉強にして私は十分知っているわけではないが、国の判断であり、ずっとそう思って来た。
 中国は一党独裁的だから政策にはブレーキもきかないし、国民は自己主張が強く容易にエキサイトする。船長の郷里では船長は英雄扱いであり、人民の団結が もたらした勝利であるなどとお祭り騒ぎのようである。この辺も理解し難い事なのであるが、対中国交渉だけで解決を進めては更に態度を硬化していく可能性が ある。だから、今後は尖閣諸島はわが国の固有の領土であることを前面に出して国際社会に喧伝していくことが大事と思う。

 今回の釈放は日本は脅しに弱い、御し易い国だというイメージを、中国政府・国民に与えただろうし、また世界各国もそう受け取っただろう。中国は国境を接している国々と国境問題とかでいろいろ諍いを起こしているから、近隣国にとっては特に衝撃的でなかったのだろうか。

 日本国内では野党を中心に腰抜け外交と政府を責め立てている。自由にものが言えるだけに菅政権も大変である。
 私は中国の今回の対応は自国民向きの、体制維持のための政府の演出なのだろうと思う。経済的格差が大きい中国には強い政府の力による統治が必要である。 そのためには政府が求心力を失ってはならない。その演出のために尖閣諸島が利用されたのだ、と思う。尖閣諸島はかつては中国はそんなに領有権を主張してこ なかった。資源問題として価値が高まったことは確かであるが、何で近年大きく主張してくるようになったのだろうか。

 船長の個人的判断として船を巡視艇に故意にぶつけたのだろうか?あるいは操舵上の過失なのだろうか。まさか、とは思うがどこからか指示があったのでは?とさえ考えたくなる。


9/26(日)横浜超快晴→夕方雨・秋田曇り 日本血液学会最終日 帰秋
2:30 ホテルで起床。ニュース聴く度に日中関係がこじれている。新聞チェック、情報収集。8:30葉っぱとコーヒー朝食。9:30-16:15学会聴講。品濃町 娘宅に。17:30YCATにて空港。夕食、20:00ANA満席で苦しい。21:50帰宅、22:30就寝。外気は11℃ととても寒くなってきている。 出発前患者不調で後ろ髪引かれる思いであったが3日間病棟から一切連絡なく不気味であった。

第72回日本血液学会総会(2) 今回もいろいろ勉強できて満足
 今回の学会で聴講できた講演は以下の如くである。コーポレートセミナー以外の個々の講演内容は既に論文となっているのでをここに記するのは適当でないので割愛した。

教育講演
■急性骨髄性白血病ー病態から治療まで3講演■瀰漫性大細胞型B細胞リンパ腫に対する標準治療と最新の治療動3講演■NK/T細胞■ATL教育講演■骨髄 増殖性疾患(MPD) 3講演■骨髄不全の病態と治療3講演■Epo産生細胞■TGF-β阻害薬■骨髄異形成症候群3講演■輸血2講演

コーポレートセミナー
■鉄過剰症とキレート療法■血小板減少症の新たな治療■The management of CLL

公開シンポジウム
■血液疾患と言われた患者が知るべき知識、入手方法

 最期の公開セミナーは血液疾患を患っている患者達の組織で、話された内容はとても刺激的であった。
 演壇に最初に立たれた再生つばさの会の代表によると、この会は再生不良性貧血(AA)及び関連する疾患〔骨髄異形成症候群(MDS)・発作性夜間ヘモグ ロビン尿症(PNH)・ファンコニー貧血(FA)・ダイアモンドブラックファン貧血(DBA)・先天性角化不全症(DC)・シュワックマン・ダイアモンド 症候群(SDS)〕と診断された患者とその家族によって構成され、会員同士が互いに連絡しあい、励まし合い、病気に対する認識の向上と、治療方法の情報交 換を行っていくことを目的といるとのことであった。
 ?疾患についても、現在の医療情勢についてもかなり勉強して詳細な情報をお持ちな様である。厚労省に対する新薬の承認要求等の運動も盛んなようである。 また、会が主催して各地で疾患に対する講演会等が数10会も企画されているようであるが、東北地方では秋田県での開催歴がないようである。
 会の悩みはインターネットとかによって情報収集が広く行われる様になってからむしろ会員が数が伸び悩んでいるとのことであった。私は不勉強にして血液疾患の患者による全国的な組織があることを初めて知り、その講演には感銘を受けた。
 難病を持つ患者がこの様な会に入会し情報交換を行う事はとても良いことだと思う。私の身近には中通リハビリテーション病院へ入院あるいは通院している脳 卒中の患者による「だるまの会」がありいろいろ活動している。私もその機関誌を読み、総会等には出来るだけ出席するようにしているが、この会を通じて患者 達の声が聞けていろいろ参考になっている。この会の悩みも会員の高齢化と会員数の伸び悩みである。


9/25(土)横浜・台風12号の影響強風で雨→晴れ 日本血液学会二日目
2:00ロイヤルパークホテルで起床、新聞チェック、情報収集。8:30葉っぱとコーヒー中心の朝食。9:30-16:30学会聴講。元同僚数人と出会い立ち話歓談。17:15帰室、18:30新書購入、長女のご亭主も交えて会食歓談。21:00就寝。

イチロー 白鳳 豪風 それにワールドカップ いつものやっかみ見解
 今年のスポーツ界は話題が目白押しである。
 ワールドカップにおける日本チームの大活躍、角界不祥事も大きな話題であったが、ここ数日はイチローと白鵬の大記録への挑戦、大活躍が注目されている。

 イチローは3.500本安打と10年連続200安打を達成した。偉業である。
 白鵬の活躍も注目を集めている。角界不祥事問題などで揺れ、人気が低迷しつつあった中で歴代2位の連勝記録を連日更新し、双葉山の記録に迫りつつある。 彼の活躍で一時相撲から関心が薄れた人々をも再度引きつけ始めている。それに、今場所は秋田県出身の豪風が大活躍である。一昨日あたりまでこんなに快進撃 していることは知らなかったが、昨日ゆっくりと新聞のスポーツ欄を見ていて驚いた。

 昨年2月、豪風関は当院を慰問してくださったが、その際、握手し短いながらも会話を交わしたことで他の力士よりは親しみを感じている。だから、野球賭博 が問題になった際にも心配していたが名前が挙がらずホッとしていた。昨日、9月23日は豪風が勝ったことで白鵬の優勝がおあずけとなったが、本日は豪風が 負けてその瞬間に白鵬の優勝が決った。白鵬は今日も勝って61連勝と記録を伸ばしている。豪風の成績は三賞のうちのどれかに相当するのだろうと思う。

 イチロー白鵬の活躍は最高レベルの偉業だと思うが、これについてはいろんな評価がある。イチローについては3Aのマイナーレベルの日本球界での 1.278安打をカウントするのはおかしい、内野安打が多い、だから大リーガーの記録と同等に扱うべきでないと言った意見や、いや、どこでプレーしていて も現在これだけの成績を真の実力と評価すべきと言う見解がある。
 白鳳に関しては快挙をライバル不在の中での快進撃だとのうがった見解もある。

 どのように評価するのかは個々人の勝手であるが、人にはすべて運があり、その運を生かすか否かは努力と実力である。中にはビギナーズラックと言われる思 いがけない結果が生じることもあるのも確かであるが、彼らの如く長期にわたって一定以上の成績を維持できていることは前人未踏のレベルで疑問はない。イチ ローは自らの行き方を含め野球選手としての総合力がもたらした結果であり、白鵬は他の力士との勝負以上に自己との闘いに勝利しているのだろうと思う。

 二人の結果を比較してみるとイチローの場合は蓄積による結果で今日がダメでも明日があるし、白鵬の場合はall or nothingの綱渡り的蓄積である。白鵬は一度敗れれば記録は途切れる。双葉山を超すのか否か、何時、誰が白鵬を倒し、相撲の歴史に名を残すのか、何時 しかその日は来る。
 来場所、豪風が時の人・・にはならないか。興味が持たれる所である。


9/24(金)秋田曇り・横浜強風 第72回日本血液学会総会初日
1:30 起床、感冒様症状・熱感・全身違和感あり。 2:00車病院着。重症患者対応、出張準備申し送り他。6:30病院発、秋田道経由空港。7:30ANA、後部は10%程で快適。羽田から高速バスにてパ シフィコ横浜に。10:00-15:00学会聴講。16:00ロイヤルパークホテルへ。午睡、本読み、文献チェック。長女・家内合流、20:00夕食。 22:00就寝。

第72回日本血液学会総会 教育講演が充実 英語講演が増え国際化した
 9月24日から3日間パシフィコ横浜国際会議場にて第72回日本血液学会総会が開かれ、本日から聴講している。

 私は一応この学会の認定医、指導医であり私が勤務する病院は教育関連病院と言うことになっている。昨年は学会を聴いていてもさっぱり分からず、 血液学も遙か遠くに去って行ってしまった、と感じて認定更新を止めようと思ったのであるが、更新条件を満たしていたので更新した。有効期間が5年だから年 齢から見てももうこれ以上は不要である。そう思ったらむしろ勉強したいとの気持ちになり急遽出席を決めた。そのために病院評価受審委員会を一週間延期し た。

 いつも航空券、ホテルの確保はJTBを通じてお願いしているが、今年も間際の申し込みで難渋したらしい。今年も学会場の近くのロイヤルパークホテルと なった。何度か宿泊しているから横浜のホテルの中では身近な方であるが、日常生活とあまりにもかけ離れた環境で身が縮む思いがする。今回は56階の部屋で 横浜港付近が一望でき、夜景も素晴らしい。遠方に工事中の東京スカイツリーが見える。

 今回の学会には従来にない特徴があって講演聴講が目的の私にとってはとても良い。
 まず、教育講演の充実がある。しかも一つの話題に対して演者を2-3人登場させ、更に演者は助教授や講師クラスの若手の方が多くて、歯切れの良い講演を聴かせてくれた。これは私の如く臨床のみでリサーチとかから離れている立場のものにとってはとても良い。
 次に、12のシンポジウムのうちの8つが英語によって進められており、国際学会に出席したが如くの印象を受けた。抄録も70%程英文抄録である。一般口 演も15が英語セッションで構成されている。当然通訳はなく、よく分からなかったがスライドがあったから何とか理解は可能であった。
 第三に、昼食時の時間を利用したコーポレートセミナーと称した協賛企業による講演会が充実していることである。3日間で30本ほどの演題が予定されている。このセミナーにも外人講師が多数予定されている。
 第四に、主たるスケジュールが16:00に終了になるので、その後の時間をゆったり過ごすことが出来る。私は早めにホテルに戻り本読みなどで、秋田にいては味わえない開放感を味わっている。
 第五に血液病を患っている患者やその支援組織との連携のために公開シンポジウムが催されること、など。
 
 私は春の日本内科学会の総会とこの学会には万難を排して出席しているが、前者はより高齢者が多いし、この学会は若手から中堅どころが中心で会場の雰囲気がかなり異なっており、交わされるディスカッションも尖鋭である。
 今年の学会は楽しめそうであるが、私は今後徐々にこの学会とは疎遠になっていくことだろう。ちょっと寂しい気もする。


9/23(木)秋分の日 降雨 療養病棟拘束 県医師会設立63周年記念医学大会 
1:30起床、ドック処理。新聞チェック、本読みなど。自宅の書籍整理若干、12:00車病院着、病棟業務。15:00-18:00県医師会設立63周年記念医学大会。患者不調に。19:30帰宅。夕食、21:45就寝。23:00前後病棟より電話数回。

エネルギー CO2削減が叫ばれている中、石炭火力発電は何故無くならないのか
 石炭火力発電はCO2排出量が多いとされている。
 一方、国連気候変動サミット」の開会式で鳩山首相は「2020年までに1990年比25%削減」という積極的な国際公約を表明した。首相の地球環境保全への呼びかけに90カ国が驚嘆の声と共に大きな賞賛の声が上がった。鳩山首相が国際的に注目された一瞬であった。

 世界的にCO2排出量を減らそうという動きは盛んで石油の消費を減らそうと言う動きは活発であるが、何故かCO2排出量の多い石炭火力発電を減らそうと いう動きは表だっては見られない。それどころか世界的に見て増えているらしいし、わが国の長期計画でも積極的に削減する方向にはないようである。

 1950年代、この頃は水力発電が中心であったがその時は石炭火力発電は20%、その後の石油中心時代には5%にまで減少、オイルショック後にはエネル ギー多様化政策もあってか再び増えて25%を占めているという。総発電量の増加から見て25%と言っても絶対量はかなりの量の増加と見ることが出来る。
 世界的に各国の石炭発電量の割合は、中国80%、インド68%、米国50%、ドイツ47%、英38%も占めている。このデータから見れば日本の25%と いう比率は国際的には少ないが、私が予想していたよりも石炭発電の占める比率は全世界的にはるかに多い。ただ、日本の石油発電の効率はかなり高く発電量の 割りにはCO2排出量は少ないとされている。

 これは何故なのか、と思う。やはり1970年以降何度も苦い経験をした石油ショックに由来するエネルギー多様化政策に依ってる。しかも、これは各国で軽 重はあるとしても政策的意義としては殆ど同じとされている。その理由としては、石油は産油国がアラブなどに限局されているために相手側の経済戦略によって はいろいろな不都合が生じうるが、石炭は広く地球上に分布している事からその危険性は少ない。わが国にも相当量の埋蔵はあるが、コストの関係などからすべ て輸入に頼っている。石炭の輸入に関しては石油の確保よりも安定的に行われている。だから、わが国は10数年前まで政策的に維持していた石炭採掘をも止め てしまっている。

 地球温暖化防止に対する取り組みは盛んになってきているが、一方では各国共に複雑なエネルギー政策の維持・発展を抱えていることから国として明快な方針 は出せないでいる。その中では鳩山首相が表明した「2020年までに1990年比25%削減」という積極的な国際公約を表明した事は驚きをもって迎えられ た。これはエネルギー政策の転換を伴わずしては達成できがたい発想だからである。ただ、首相がどれでだけの勝算の可能性を考えての発表であったのか、今か ら見ると単なる思いつきだったのではないだろうかとさえ思ってしまう。
 この宣言の後で具体的にからが何をしようとしていたのか一切見えないまま退陣してしまった。


9/22(水)雨模様のち晴れ 外来 県新型インフルエンザ研修会
1:00起床。ドック判定総括x1、文献検索、新聞チェック、本読み他。7:00車病院着。7:20回診、病棟業務。 8:4514:15外来、混雑。15:00-17:15県新型インフルエンザ研修会。17:30帰院。業務。20:10夕食、20:50就寝。

シエナ・ウインドオーケストラ演奏会(2) 音の大洪水に圧倒された
 一昨日9月20日16:00から秋田県民会館で佐渡裕指揮のシエナ・ウインドオーケストラ演奏会があった。当日昼過ぎ盛岡を発ち秋田に急ぎ、15:50病院着で何とか開演時間に滑り込んだ。

 この楽団の演奏会は2008年5月24日にも秋田のアトリオンホールであった。この時は指揮が金聖響氏で楽しみにしていたが、時間がとれるか否か分から なかったので前売り券を購入しなかった。 吹奏楽だから満席にはなるまい、とタカを括っていたのが裏目に出て、券は完売で入場できなかった。通常のオーケストラの場合にはガラガラのことが多いのに 何故だろうかと考えたが、秋田は吹奏楽が盛んであることから高校生達、あるいはOB達が大勢押しかけたのかもしれない。私は今回はABS事業部から直接購 入したのであるがプレイガイドの券は短期間で売り切れたという。大した人気である。

 シエナ・ウインド・オーケストラは1990年に結成されたプロのウインド・オーケストラで、かつては横浜の「みなとみらいホール」を拠点に演奏活動をし ていたと思っていたが、パンフによれば現在は東京を本拠地にしているとのことである。日本を代表するウインド・オーケストラとして高い人気を誇っている。 私さえも知っているからそうなのだろう。「シエナ」はイタリアのトスカーナ地方の古都の名前であるが、何でこの楽団がこの名前を冠しているのだろうか?
 今回指揮をとった佐渡裕氏は2002年からこの楽団の主席指揮者をつとめている。大きな体格の指揮者で、京都市立芸術大学音楽学部フルート科卒業と言う が、彼が吹くとフルートがピッコロのように見えるのではないだろうか。タングルウッド音楽祭で小澤征爾、R・バーンスタインに師事。1989年にブザンソ ン国際指揮者コンクールで優勝している。 指揮は激しく身体を動かすタイプであるが、剽軽な一面も持ち合わせているらしく、今回の演奏会でも軽妙なトークで会場を沸かせた。

 演奏曲目は■スミス作曲:華麗なる舞曲■ホルスト作曲:吹奏楽のための第二組曲■佐渡裕のトークと音楽コーナーで合唱、マンボ・ナンバー5など■レスピーギ:リュートのための古風な舞曲とアリア■レスピーギ:ローマの祭り。
 レスピーギは聴き知っている曲であるが前二者は初めて聴いた。トークと音楽コーナーでは秋田の合唱団8団体の賛助出演を得て2曲演奏された。合唱曲もな かなか良いものだ。次いで聴衆を立たせて簡単なステップを踏ませ、かけ声も入れさせてのマンボ・ナンバー5で、楽しい雰囲気が醸し出された。ウインドオケ ならではなのだろう、通常のオケではなかなか出来難い演出であった。この辺も人気がある所以なのかもしれない。
 後半の2曲も通常のオケとは異なる音色で十分楽しめたが、 「ローマの祭り」での強奏部分の音は壮大かつ巨大で、私にとっては暴力的でさえあった。で、アンコールは聴かずに早々に退出した。まず、十分に楽しめた演奏会であった。


9/21(火)雨模様 管理会議,外来 秋大医学部教授来訪 法人常務会 新築関連打ち合わせ 長副会議(中止) 医局カンファ 羽川Vcリサイタル(欠)  
1:30起床。ドック判定総括、メール返事他.新聞チェック。7:00車病院着。7:45-8:30管理会議,8:45-13:55外来混雑。14:00 秋大医学部40周年関連で教授来訪。 14:45-15:30法人常務会、15:30新築関連打ち合わせ。17:00長副会議は中止とした。 17:30-18:30医局カンファ、学会報告予行。19:00羽川Vcリサイタルは時間的に無理で欠。20:30車帰宅、21:00就寝。

高齢者問題(4) 高齢者虐待 ドメスティック・バイオレンスの一つ
 広い意味でのドメスティック・バイオレンス(DV)は両親・子・兄弟・親戚などの家族から受ける家庭内暴力のことを指している。それが最近はDVの概念 が狭められ、同居の有無を問わず、元夫婦や恋人など近親者間に起こる暴力を指すようになった。 殴る、蹴るなどの身体的暴力のほか、性的な暴力、精神的暴力がある。被害者である女性は子どものためとか、経済的な事情などから我慢しつづけていることが 多い。家庭の内情は外から見えず、そのため周囲もDVになかなか気づかない。徐々にエスカレートし、問題をさらに深刻にしている。
 国は対象を更に狭め、配偶者からの暴力に係る通報、相談、保護、自立支援等の体制を整備して「配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護に関する法律 (DV防止法)」を2002年に制定した。この中に都道府県は、配偶者からの暴力の防止及び被害者の保護のための施策の実施に関する基本的な計画を定めな ければならない、とあり秋田県でもDV防止基本計画を策定しており、私も昨年度までこの策定委員会、改訂委員会委員であった。

 本日の外来に高血圧等で定期的に通院してくる70歳代の女性患者の首筋に直径3cm程の皮下出血があったのを見つけた。通常、怪我や打撲する場所ではな い。どうしたのかと聞くと、同居の40代の娘から棒で殴られたため、とのことであった。娘は10年ほど前に交通事故に遭い、退職し以降仕事にも就けず自宅 で過ごしているとのことであったが、5年ほど前から、時に激しく苛つき両親に暴力をふるう様になったとのことで、目下自分たちにとっての最大の悩みなの だ、時に情けなくて死にたいと思う、こんなことを外で話したのは初めてです、と涙を流した。この患者は10年以上も前から私が担当している外来に通院して いるのであるが、いつも明るく立ち振る舞い、家庭内にこのような事情を抱えていることなど、私は本日まで全く気がつかなかった。

 国は 高齢者への虐待を防止する体制を整備するために「高齢者虐待の防止、高齢者の擁護者に対する支援に関する法律(高齢者虐待防止法)」を2006年に制定している。

 家庭内暴力は本人達も隠すために外から見えないので実態はよく知られていないが、高齢者虐待に関するある調査によると、虐待の内容としては、■暴言や侮 辱などの心理的虐待>■ネグレクト>■身体的虐待>■経済的虐待・・の順であった。被害者は女性が男性の倍以上、高齢であるほど、介護機関が長いほど、認 知症があるほど被害に遭いやすいとの実態が示されている。加害者も女性が多く10-80歳代と広いが、多くは40-60歳代の介護者であった。

 最近、幼児や高齢者虐待の話題がマスコミを賑わしている。 虐待はどのケースをとってもそれぞれ複雑な、他人が入り込めないような事情を背景に抱えており、悲惨でしかない。


9/20(月)敬老の日 晴れ 帰秋 夕方から病棟拘束 シエナ・ウインドオーケストラ
2:00 雫石プリンスホテルで起床。ドック判定総括他、本読み等で過ごす。8:15朝食、ほぼ満席、情景はブロイラー給餌の如し。10:30盛岡の岩山公園を経て 次男宅。グランドHで昼食後、長女は横浜に、私どもは帰秋。15:50病院着、16:05県民会館シエナ・ウインドオーケストラ演奏会。19:00帰宅、 夕食、20:30就寝。

「敬老の日」雑感  我が家は孫を介して家族団らん
 今日は「敬老の日」で連休である。家内は長女と共に盛岡で孫と過ごそうと計画を立てた。私には何時もの如く事前相談無しで、決まってから一緒に行くかの 一言だけ。家で一人もたまには良いが家内の運転は心配なので私も参加した。次男の嫁は孫と共には男鹿の実家に帰省していたとのことで我が家で合流、5人で 雨の中岩手に向かった。
 仙岩峠のトンネルを明けたら曇っているもののそれは明るく雨はなし。宿泊場所以外は何も決めていなかったので小岩井農場内で昼食をとり、散策等若干のみ。天候も怪しくなり始めたのでやや早目に雫石プリンスホテルにチェックインした。

 ホテルの夕食に集まった宿泊客を見るとゴルフ目的と思われる方々の他に、三世代の家族連れと思われる方々が多く見られた。恐らく「敬老の日」と言うことで祖父母を誘っての宿泊、親睦かな?と思われた。そう言う目で見まわすとレストランはとても良い雰囲気で満ちていた。
 私も昨年までは「敬老の日」を外から支える立場であったが、私の両親も、義父母ももういない。だから、もうその目でこの日を意識する必要がなくなった。 今は私自身が高齢者に分類されて、年金受給者でもあるから「敬老の日」を祝うと言うよりは祝ってもらう立場になった。 しかし、私が高齢者の仲間に入ったことは子供達は誰も意識していないらしい、話題にも上らない。こんなことを言っていると逆に、甘ったれるでない、と叱咤 されそうである。

 我が家は高齢者でなく、10ヶ月目に入った孫がとりもってのミニツアー、親睦の集まりとなった。次男が出張中で不在とのことが切っ掛けで計画されたので あるが、私共と次の世代、長女長男を含め家族内を結びつける重要な役割をこの孫の笑顔が立派に担ってくれている。翌日は次男も合流して昼食を共に楽しん だ。
 高齢者をたたえ、長寿を祝う「敬老の日」が「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」ことで国民の祝日となったのは1966年、約 40年前とのことである。その精神・趣旨は大事にすべきである。単なる祝日、休日になっていないのだろうか。特に今年は「敬老」というよりも、高齢者の 「孤独死」や「熱中症」「所在不明老人」問題などが関心を集め、嫌な言葉であるが高齢者が「軽老」扱いされている実態が明らかになるなどの特異な年となっ た。 
 厚労省の調べでは100寿超の方々だけでも全国で44.449人。世界からの注目されてきた我が国の長寿社会、今年は逆にどうなっているんだと言った奇 異な目、驚きの目で注目されたのは残念なことでもあった。満足な年金や医療も受けられない、生活もままならない、社会から孤立して、高齢者が人知れず息を 引き取っている実態が次々と明らかになったが、このようなことはあってはならないことである。高齢者の生活を支える医療・公的介護の制度は抜本的に考え直 して充実することはこれからの社会の課題である。このことを経済問題だけに置き換えてはならない。別な方法も考えなければならないだろう。地域のボラン ティアなどの独自の、自主的な取り組みを大事にして行政が支援する必要がある。
 ただ、個人情報保護法、私は個人情報隠蔽法と呼んでいるが、このために地域に高齢者がどれだけ、どのような状態で生活しているのか、それすら知ることは困難だと言う。


9/19(日)秋田降雨・雫石曇り 午前まで病棟拘束 小岩井農場、雫石へ 
1:30 起床、若干風邪気味。ドック判定総括x1、新聞チェックほか。6:00車出勤、回診。9:30帰宅、10:30男鹿から次男の嫁と孫合流、5人で小岩井に 向かう。仙岩トンネルを抜けた岩手の天候は一転して曇り。小岩井で昼食、散歩若干、土産購入など。15:30雫石プリンスホテルに。午睡。19:30夕 食、300mlのビールで泥酔、21:00就眠.

映画鑑賞「オーケストラーーConcert」(2) 最後の演奏会風景が良かった
 映画「オーケストラーConcertー」は先日アトリオンオーケストラ定期演奏会を聴きに行ったときに貰ったパンフレットの束の中の一枚を通じて知り、とても楽しみにしていた音楽映画である。

 ストーリーそのものは実にばからしい内容。ブレジネフの圧政時代、 1980年にロシア・ボリショイ交響楽団から多くのユダヤ人が解雇追放され、それに反対した天才指揮者のアンドレイも解雇され、復活の機会をうかがいなが ら生活のために劇場清掃員として働いていた。ある日パリのシャトレ座から送られてきた、ロスアンジェルスフィルハーモニーの公演がキャンセルされたために 急遽代わりのオーケストラを探しているというFAXを発見し、その瞬間、かつての仲間を集めて偽のオーケストラを結成楽団を急造、ボリショイ交響楽団にな りすましてこの公演に出演することを思いつく。しかし、時間は2週間しかない。そんな設定である。

 仲間捜しから始まるドタバタ劇が全体の2/3を占める。何とか間に合って寄せ集めオーケストラでパリのシャトレ座に出演し、チャイコフスキーのVn協奏 曲をリハーサルもなくぶっつけ本番で演奏する。最初はひどい不協和音を奏で始めるが、徐々に盛り上がり演奏を無事やり遂げ、演奏者も聴衆も感涙にむせぶ、 というサクセスストーリーである。

 前半はドタバタ風のコメディーで私にとっては楽しくない展開で、かなり落胆したが、後半の演奏の風景は結構見応え・聴き応えがあった。アンドレイ役の男優、ソリスト役の何とか言う有名?な女優もそれほど不自然なく指揮者、ヴァイオリニストの役を演じていた。

 パンフレットを見た際には全編を通じてモーツァルト、バッハ、チャイコフスキー、マーラー等の作品が流れるものと期待したが、実際には断片的にで不満であった。
 今は多数のソフトが発売されているから完成された演奏を視聴することはいつでも出来る。しかし、楽団として、演奏者にはそれぞれドラマが潜んでいるのだ ろうと思う。通常、それに一般人は触れることが出来ないがこのような形で紹介されるのはうれしい。「おくりびと」もそんなシーンから始まっていたことを思 い出した。
 前半、後半で落差が大きかった。映画鑑賞の経験が乏しい私があえて評価すると前半が3点、後半8点、全編も8点と言うところか。ラストが良かったからまず満足。


9/18(土)快晴 病棟拘束 映画鑑賞
2:00 起床、ドック判定総括x2,患者対応など。9:00患者家族面談。以降患者関連書類、退院総括など。午後、患者不調で対応。16:00-18:30映画 「オーケストラーConcertー」を観る。夕食求め中央地区のレストラン数軒回るも貸し切り状態で「車や」に落ち着く。20:00車帰宅,グラス一杯の ビールで泥酔、20:30就眠。

映画鑑賞「オーケストラーConcertー」(1) 秋田で映画鑑賞2回目 
 本日、秋田で2回目となる映画を見に行った。フランス映画の 「オーケストラーConcert-」 と言う、音楽映画である。
 映画、と言えば実際には数年前には県民会館で「カンダハル」と言うアフガニスタンの現状を示した記録映画を、昨年には県の児童館で行われた「アンダン テ」という、これも音楽を中心とした映画を観た。これらは「映画○○を上映する会」という市民団体?が主催した上映会であった。

 更に、自宅で「おくりびと」「ジョンQー最期の決断」「シンドラーの手紙」の3本はDVDを求めて真剣に観た。 だから、正確に言えば、秋田に来てから映画館で映画を観たのは今日が2回目という事である。一回目は「アマデウス」で、次男が3−4歳の頃だから昭和 56-7年頃だから、ざっと言って28年振りである。
 私は完全にずれているようだ。映画は立ってみるのは苦痛である。映画館「シアタープラザ」に電話して、館へのアクセス方法、上映時間の確認と、座って観 れるのか、駐車場は大丈夫なのか、についても問い合わせたが、何でそんなことを心配するのか?という雰囲気で、いずれも全然心配ない、との返事であった。 実際、入ってみると300席ほどの中に入場者は僅か20数名だけであった。驚いたのは値段で、正規値段は1.700円であったが50歳以上なら1.000 円だという。家内と帰省中の長女を伴って観たが3.700円で済んだ。映画離れを防ぐためのサービスだと思うが、こんなに割り引いても良いのか、とむしろ 心配になり、駐車場のサービス券は断った。確かに、高齢者を中心に映画観賞が息を吹き返せばかつて隆盛であった映画文化の継承になる、と思う。

 私は今までは映画を忌避してきた。映画館で観た映画は今回のを含めても10本にもならない。「アマデウス」の前は昭和40年の「東京オリンピック」、 30年代の「ディズニ−・ファンタジア」、・・だけである。ただ、ここ数年若干考えを変えた。だから少しずつ映画を観る機会が増えつつある。これからは時 間を作って名作を中心にいろいろ味わってみたいと考えている。 今回のもその一環である。


9/17(金)快晴 事前検討会 患者家族面談 職員全体学習会「穿刺事故」
2:00起床、ドック判定総括ほか。7:00自転車病院。7:45事前検討会。患者家族面談、午後は新入院患者対応、16:00患者家族面談。18:00職員全体学習会「穿刺事故」。20:45自転車帰宅。21:30就眠。長女帰秋。

自転車(15)朝、霧の中を走る 残念ながら秋が来てしまった
 今年の夏は暑かった。いや、昨年に比較するとまだ暖かい。これは実測した気温云々で言うのではなく、私の記録と服装から判断してのイメージである。昨年 は9月15日に朝夕の自転車通勤時、寒さに耐え難くてウインドブレーカーを着用し、テニス用トランクスからズボンに替えた。しかし、今年はまだその必要は ない。身軽に気分良く走っている。

 秋田は日中はまだ30℃近くまで上昇するから残暑は厳しいが、ここ数日は一層過ごしやすくなり始めている。本音では私はもっと暑いままであって欲しいの だが、クーラーもない部屋で留守番している賄いのおばさんは暑い暑い、と文句ばかりである。言外に何とかしてくれ、と言っているのが分かるだけに、私は取 り合わず無視している。軽老罪なるものがあれば抵触するかもしれない。

 ここ一週間ほどは朝夕の気温は急速に下がり始めている。中でも9月14日の朝は深夜・早朝から冷え冷えとし、久々にランニングシャツを着て過ごした。白 々と夜が明け始めた6時半頃から外は一面うっすらと霧に包まれ、秋の到来をはっきりと実感した。この日は流石に自転車は寒くて手足が冷え切った。

 今月初め、気象庁は今夏の平均気温が、記録のある過去113年間で最も高かったと発表した。全国で5万人も熱中症で救急搬送され、死者も150人は超え ている。だから3-5℃は高かったろうと思って聞いていたが、6月から8月にかけて平均気温は平年より僅かに1.64℃高かった、と言う。これ程の酷暑で 日本全国が蒸し風呂の如くであったのだ。実感との乖離が大きく驚くが、一定の方法で測定したデータではこうなるのかもしれない。また、マスコミが最高気温 の所だけ追っかけて報道することで異常な酷暑とインプリントされてしまったからかもしれない。

 地球温暖化について論議が活発であるが、産業革命が始まった19世紀後半から今までに0.8℃しか上がっていないから、1.64℃の高温はかなりものも と言うことが出来る。昨年末の気候変動枠組み条約締約国会議(COP15)では、「2,0℃を超えないようにすべきという科学的見解を認識する」と盛り込 まれた。ここで一応許容された2.0℃というのはかなりの高温環境を許容すると言うことになる。こんな甘い設定で良いのか?本当にこれで自然環境は守れる のか?と思ってしまう。
 写真は、通勤時にほぼ毎日通り鯉に餌をやる旭川の霧の様子と数日前の快晴の日の様子である。


9/16(木)曇りのち雨 インフルエンザ対策会議 外来 患者家族面談x3 臨床研修管理委員会
2:00起床,ドック判定総括x2他、6:50自転車病院着。昨年は寒くてテニス用トランクス通勤は終了。7:45 インフルエンザ対策会議。8:45-14:30外来。 患者家族面談x3 16:00-17:00臨床研修管理委員会、新入院対応、20:30車帰宅、夕食、21:15就寝。

菅首相(17) 菅氏にとっては良かった代表選    昨年、鳩山氏は不退転の決意を述べたが・・
 今回の選挙では結構大差が付き妥当なところでに落ち着いた。基本的にはよく分からない選挙であったが、菅氏にとっては最高に良かった、と思う。小沢氏にとっては厳しい結果であった。

 弁舌はうまいが大きなビジョンが分からない菅氏であるが、この14日間小沢氏と異なっている点を強調し話し続けたことで自分の理念として強固なものに なったのではなかろうか。それと、参議院選挙で大敗してねじれ状態を来し、消費税問題を不用意に提起した事で責任を問わされていたが、それも今回の代表選 を通じてみそぎになったと言えよう。だいたい参議院選挙に負けたのは菅氏の消費税発言ではなく、その前の一年間の民主党のあり方、鳩山総理の不甲斐なさだ と私は思う。今、国の立て直しのために消費税に手を付けなければならない事は一部の方々を除き国民の中に浸透している事であって、何も菅氏のオリジナルな 提言などではないのだ。現に、小沢氏は自著の中で消費税は10%にすると明言している。だからタイミングの問題はあるだろうが、菅氏を責められない。

 菅内閣の前途は極めて厳しい。国としても党内も内憂外患が山積みであるが党の信任を受けたと言う立場は揺らぎ無い事実となった。 選挙を通じて菅氏の足場が固まった事は確かである。 これを背景にやれることを大胆にやっていけばいい。
 小沢、鳩山氏はもう表面に出てくる必要はないし、党をダメにする。
 自ら降りた事にさせて貰ったにもかかわらず、鳩山元首相は動きすぎである。振り返ってみれば昨年の今日、鳩山内閣が発足した。鳩山氏の発言の中で私が最 も注目したのは選挙前に「総理を辞めた後は政界に残ってはいけない」と述べ、「自分が総理になった場合、基本的にはその様に考えている・・」と記者団に答 えた言葉である。
 私は不退転の決意と受け取った。そういう考えに賛成である。しかし、総理になった後の鳩山氏の言葉は軽かった。前言を簡単に修正した。辞任した後の鳩山 氏の言動も軽い。何に責任をとって辞任したのか、自分の立場をまるで分かっていないように思える。失政で総理を辞めた方が表舞台に出てはならないのだ。鳩 山氏が次の衆議院選挙時に議員を引退するか否か、私はその発言や姿勢を評価し、期待しているのであるが、今の言動を見ていると何か怪しくなってきた。「基 本的にはその様に考えている・・」の「基本的に」が怪しい。


9/15(水)快晴 外来 院内感染症対策委員会
2:30起床。ドック判定総括x4。7:00自転車病院着。回診他。8:45-14:30外来+ドック対応、患者家族面談。16:00院内感染症対策会議。16:45患者家族面談再度。20:50自転車帰宅、夕食、21:30就寝。

多剤耐性アシネトバクター(3)警察の捜査!!?? アシネトバクターを逮捕し厚労省を捜査せよ
 帝京大医学部付属病院で「多剤耐性アシネトバクター」の院内感染が発生した問題で、警視庁捜査1課が「業務上過失致死の疑い」もあるとし医師ら病院関係 者らに対し任意の事情聴取を始めた。 捜査が記者会見後わずか3日後に始まったことは、院内感染により複数の患者が死亡したという結果だけからの短絡的対応としかいえない。これから院内対策会 議や外部の専門家達による評価結果が明らかにされようとしている最中に、刑事罰を科すか否かの視点で官憲が入ることは問題である。

 捜査の目的は「病院の感染防止体制の不備の有無」や「感染ルート」について捜査を進めるために、検出菌の遺伝子検索結果、カルテなどの資料も提供を求め ている、とのことである。今後は医療専門家からも参考意見を聴き、慎重に捜査を進める、としているが、誰から意見を聞くというのだろうか。警察から要請さ れた専門家の方々は現時点では警察の捜査に協力すべきではない。
 今回の集団院内感染をめぐっては確かに「院内の連絡態勢」や「国や都側への報告遅れ」が感染拡大につながったとの指摘が専門家らから出ている。厚労相も 国立感染症研究所の専門家を病院に派遣することや、さらに院内感染が発生した際の報告制度の在り方について考える検討会も省内に立ち上げる方針も明らかに した。
 アシネトバクター感染症が問題になって来たことを評価するには時代の流れ、医療の流れ、医療行政のあり方を論じなければならない。結果的に多数の患者が死亡した、と言うことだけでとらえられない複雑な背景が存在している。
 
 医療上の問題点の解明には時間がかかる。どこからも横やりが入らない完全独立の専門家集団による検討が官憲の介入の前になければならない。その上で犯罪 性、業務上の過失に相当する事実が濃厚に疑われるのであれば警察の介入もやむを得ないことになる。なのに、記者会見の数日後からの介入は何を根拠にしたも のだろうか。恐らく「患者が院内で死んだ」ことなだけなのだろう。医療、感染症について殆どご存じない方々の判断は理解できない。その社会的影響は小さく ない。最先端医療を担う医療関係者の熱意はそがれてしまう。医療崩壊を一層進めることにもなる。

 警察も検察も裁判官も、その判断は当事者に大きな影響を与える。マスコミは興味本位に報道し輪をかける。後に結果が間違っていても彼らは罰せられること はない。同じ国家資格でありながら、何で、逐一厳しい判断が求められる医療関係者だけが刑事罰の対象者になるのか、私は疑問を抱いている。


9/14(火)晴れ 外来 法人常務会 管氏再選首相続投 医局カンファ「緊急輸血」
2:00 起床、ドック判定総括x1、文献ほか。7:00自転車病院着、早朝はかなり冷え始めた。うっすらした霧の中を走る。昨年はウインドウブレーカー着用し始め ている。回診。 8:45-14:10外来。14:45-15:40法人常務会。新築関連事務局会議。17:30医局会「 緊急輸血」。 21:00自転車帰宅、21:30就寝。

菅首相(16) 民主代表選菅氏圧勝 やっと終わったバカな党内抗争劇
 本日午後、民主党は任期満了に伴う党代表選を行い、郵送された党員・サポーター票、地方議員票とその場で行われた議員投票分を開票し、菅氏が合計で721ポイント、小沢一郎前幹事長491ポイントで党代表に再選された。これによって菅首相の続投となった。
 しかし、党を二分する選挙戦となり、一体感どころか、小沢支持議員、菅支持議員と全メンバーを2色に色分けされることになった。今後の党運営に代表選の しこりが残るのは必至であろう。挙党態勢は一層困難になったのではないか。そこを意識すると菅首相は小沢氏や、小沢氏議員をどう処遇するかが次の注目点で ある。しかし、ここで小沢、鳩山両氏をポストに就かせるべきではない。これを機会にトロイカ体制を次世代の新体制に移していかなければ党の将来は無い。

 この代表選は政策論争ではなく両候補のもつイメージで戦われたと言っていい。菅氏に対しては「まだ3ヶ月でないか・・」、小沢氏は「カネ・・」であり、 今後の日本をどうするかはほぼ同じであった。その中で互いに違いを見つけ出し、それをことさら強調し口角泡を飛ばして演説をぶつものだから非難合戦になっ てしまった。後味が悪い選挙である。

 「ねじれ国会」が菅首相を待ち受ける。あらゆる懸案事項において野党との連携がうまく行えず国政が停滞するようなことがあれば、あるいは11年度予算案 の審議が行き詰まった場合には衆院解散・総選挙に追い込まれかねない。その際、鳩山氏は出馬しないと明言しているが本当だろうか。


9/13(月)降雨 管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議 
1:10起床。文献チェック。ドック判定。7:00車病院着。7:45-8:25管理会議。8:45-14:30外来。16:00-16:25療養病棟判定会議。17:00-19:05長副会議、21:00車帰宅、夕食、21:45就寝。

プッチーニ作曲・歌劇「ラ・ボエーム」 35年前のレコードを引っ張り出す 
『ラ・ボエーム』はプッチーニ作曲の4幕オペラで、比較的演奏される頻度が多いイタリアオペラのひとつとされているが、私はあまり好きな作品でなく、今までそれほど聴き込んでいない。
 大きな講演が終わった次の週末と言うことで若干時間に余裕が出来たので、今は物置化した旧自室の奥に積んであったレコードの中からこの作品を引っ張り出 して久々聴いてみた。私はこの曲はこれ一種だけで、CDとかは持っていないから選択の余地はない。このレコードの購入はメモによると1975年で、この頃 は私が積極的にオペラのレコードを聴いていた時期である。購入当時2-3回は聴いたと思うがその後は今回が初である。だから、35年振りと言うことにな る。

 このレコードは1956年録音の古い古い版である。指揮はT・ビーチャム、演奏はRCAビクター管弦楽団・合唱団、コロンブス少年合唱団。歌手としてはY・ビョルリンク、R・メリル、V・ロス・アンヘレス他で、歴史的名歌手達である。
 実際にステレオレコードの発売は1958年であるからその前の録音でオーケストラの原盤はモノラル録音で、後にEMIが独自の方式で疑似ステレオ化して いる。音声は後に別録りして完成させたとのことで、今の技術なら当たり前のアフレコであるが、当時この様なやり方で録られているのは驚きである。旧い録音 であるが音質は比較的良く今聴いても耐えられないと思うほどではない。BGM的に流すのには十二分の音質を持っている。演奏そのものにはコメントできるほ どの知識、経験はない。土日、全曲を3回ほど聴きながら業務をこなした。

 何で突然『ラ・ボエーム』を聴く気になったかというと、10月3日日曜日は秋田市のアトリオンホールで同曲の公演が予定されていて入場券を購入したから である。オーストリアのモーツアルティアーデ管弦楽団、Buhneバーデン市劇場合唱団の来日公演でのある。歌手、指揮者達の名前は聞いたことがない。久 々のオペラである。会場一杯に鳴り響く音にドップリと漬りたいと楽しみにしている。折角の機会を無駄にせぬよう、聴くためのリハーサルとしてレコードを 引っ張り出した、と言うこと。

 私が13歳の時の録音である。半世紀以上経って東洋の隅っこで初老の男が静かに演奏を聴くであろう事を当時の演奏家達は予想だにしなかっただろうな、と 思いながら聴いている。音を採取し塩化ビニール上に溝として刻印して保存、好きなときにそれをなぞることで再生するという知恵は実に素晴らしいものだと思 う。
 残り少なくなった私の持ち時間、良き時代に生きていることをもっともっと深く味わいたいものである。


9/12(日)終日降雨 病棟拘束 
2:00起床、ドック判定総括x2、新聞チェック+本読み。久々歌劇「ボエーム」楽しむ。12:30運転免許更新の家内をセンターに送り病院、退院総括、紹介状他。18:00家内の自転車を積んで帰宅、夕食。20:00就寝。

9.11から9年(2) 菅首相(15)日本の9月は政権交代月だが、今年は・・

 9.11は忘れられない歴史的日である。
 日本にとってもこの9.11はブッシュの方針にいち早く賛同した当時の小泉首相によって自衛隊海外派遣の方向性を決定する重要な日に当たる。

 9月は、我が国において政治的に激動する月のようである。古いことは調べてみないと分からないが、2007年9月12日に安倍首相がストレスによる体調 不良で退陣。2008年の9月1日は福田首相が選挙をにらんで退陣表明した。続く麻生氏は2009年8月30日の総選挙で大敗し、野党に転じて首相の座を 明け渡した。
 9月にイラク戦争に反対した民主党鳩山内閣が発足した。鳩山首相は政策が行き詰まり9月まで持たず6月に辞任し、菅氏に首相が交代した。そして、本年も また9月である。安倍氏以降はすべて1年で首相が交代している。もし、今回の代表選で菅首相から小沢氏に代わるとなると5人目となる。

 混迷した日本の政治をどう再建するかが今大きく問われているが、そんなことそっちのけで民主党は党首選を展開している。小沢氏は揺さぶりだけで恐らくは 出馬しないだろうと思っていたが、鳩山前首相の軽々しい行動もあって出馬することになった。基本的には党内の抗争で、バカなことだと思っているが、小沢氏 の立候補によって菅首相と小沢氏の主張、政策の違いが分かったことは重要な収穫であった。しかし、両者とも抱えている問題は共通していて政策遂行時の財源 不足である。その調達方法に違いが見られるだけである。この両者の違いは初めから分かっていることであって党内で調整を図るべき問題であった。

 明後日、14日が代表選挙日である。小沢氏は選挙で恩を売ったことを背景に議員票をあてにしており、菅氏は世論の指示を背景に党民票に頼っているが、今 のところ五分五分である。私は菅氏当選と予想しているが、問題はその後に両陣営が政策面で歩み寄れるかが問題となる。さもなければもともと寄り合い所帯の 民主党は分裂していく。

 どちらが代表になっても、民主には思い切った政局運営をして欲しい。
 政権交代した意味をしっかりと提示しつつ、政策を展開して欲しい。分裂の切っ掛けになるとすれば、別な意味で日本の政治上忘れられない9月になってしまう。


9/11(土)降雨 病棟拘束 ドック結果説明2名 患者家族面談3件 
2:30起床、ドック判定総括x2他.新聞、文献チェック。6:20車病院着、回診、事務処理他。9:00ドック結果説明。10:00入院患者家族面談3件続く。14:00 自転車積んで車帰宅、本読み、持参業務、片付けなど。19:00夕食、20:00就寝。

歴史的な9.11同時多発テロから9年   
 2001.9.11は同時多発テロで歴史上忘れられない日である。忌まわしい同時多発テロの日から9年経つ。

 非道なテロ行為に全世界の人々が衝撃を受け、 国際社会は野蛮なテロを非難し、テロ根絶のために国際的に強い連帯感が広がった。
 ただ、ブッシュ政権の力によるテロ対策は、当初こそ支持を集め、国際的協力体制も出来たが、結果的にテロに反対する国際世論の団結をも崩し、イスラム世界をはじめとし世界に反戦・反米感情を広げる結果となった。
 続くオバマ政権は「対テロ戦争」との考え方を「対テロ組織アルカイダとその関係団体」に特定して対応を継続しているが、結果を出せていない。最近は対テ ロ活動が宗教戦争の様相を帯びてきていて、センタービル跡地近傍にイスラム教のモスク建立問題、コーラン焼却問題もあって事態はだんだん泥沼化して行って いる様に見える。

 武力でテロを根絶することは本当に可能なのだろうか、と考え直すべきだろう。軍事力行使が続くと、例えテロ根絶が目標という正義を掲げていても国際社会 の協力も継続できない。力に対して力で対抗するときには、憎しみの感情を抱く勢力が必ず台頭し新たな紛争の元になる。ベトナムの時もそうであったが、力に よる抑圧には限界があること歴史的にもこれを繰り返してきた。 特に、外国勢力が駐留する限り抵抗が続く様に思えてならない。

 軍事力に頼らない対テロ対策は無いのだろうか。
 第二次世界大戦後、我が国には長くGHQが駐留したのであるが、政治的には別として大衆の目で見れば整然と統治された様に思える。対GHQテロなどは私 が知る範囲では生じていない。これはどうしたものかと不思議に思う。一つのキーは統治に威圧はあっても武力行使がなかったことだろう。
 勿論、今のアフガニスタンの状況は日本の場合と全く比較にならない厳しさがあり、兵士は武器を手放せないのだろうから、いつまでも武力抗争が続くことになる。


9/10(金)晴れ 入院患者対応 ABS取材 マッチング順序判定会議 法人理事会  ラ・ボエームレクテュアコンサート
1:30 起床、ドック判定総括x2他.7:00自転車病院着、回診、事務処理他。入院患者対応。 15:00ABS取材 16:00マッチング判定会議 17:30-18:20法人理事会。その後ダウンし座位眠、予定していたラ・ボエームレクテュアコンサート失念。21:30車で帰宅、22:15就寝。

多剤耐性アシネトバクター(2)感染症・病原体の闘いは果てしなく続く
 昨日夕方、秋田放送から多剤耐性アシネトバクターについての取材を受けた。以下がその後半。

Q3 地域全体でどのような取り組みがされているのでしょうか
■情報の交換が大事。
■秋田県では院内感染対策協議会、感染対策協議会が定期的に開催され、学習会と共に検出病原体の傾向や耐性菌の出現状況の情報交換がなされており、感染対策のレベルの底上げに寄与している。
■秋田大学医学部付属病院のバイオサイエンスセンターが中心になって感染症の連携システムが構築され、試行されている。県内の細菌検出状況が把握され、施設間、行政と連携しながら迅速に対策を行うことが出来る。

Q4 抗生物質の開発に消極的になっていることが医療に及ぼす影響は?

■抗生物質の特性として、必ず耐性菌が出て効かなくなるし、慢性疾患治療薬に比較して使用期間が短く、新薬として出しても感染症の専門家が使用制限をする・・・等で収益性が低く、開発の意欲が低下している。
■感染症、病原体と人類の戦いは宿命であり、終わりなく続く。従って、耐性菌を発生させないような治療法、抗生剤の使用法のガイドラインを国際的に使用する必要がある。そのためにはWHOの強力なリーダーシップ、指導が必要。
■すべての医療機関で耐性菌発生、院内感染予防を強化する。
■新規抗生物質の開発に国レベル、国債レベルでバックアップし、開発する。

 

人類と細菌の関係は400万年以上も続いてきた。大部分の細菌は人類と共存し互いにギブアンドテイクの関係にある。常在菌の存在は健康保持にも重要であ り、私どもの各人は体細胞の数とほぼ同じの60兆個の細菌と共に暮らしている。だから、細菌を語る際にはまず細菌に対して感謝の気持ちが無くてはならな い。

 一部の病原性のある細菌と人類との闘いは同様に400万年以上も続いてきた。両者の関係は例えて言えば裸と裸の闘いで、細菌の感染力、病原性に対して免 疫力を中心に自然治癒力との関係で勝負が決まっていたのだろう。恐らく事故死や急死を除くと最後は殆ど感染症を合併して死んだものと推定される。将来ある 若者が才能が開花する前に感染症で世を去った記録はいくらでも挙げられる。

 それが、フレミングによるペニシリンの発見によって人類は細菌に対して抑制する武器を手に入れた。実に画期的なことであったが、細菌がペニシリンに耐性 を獲得するのに1年もかかっていない。細菌も内因性に武器を備えていたと言うことである。その後約60年、新兵器と細菌の耐性獲得能力との闘い、すなわち 力と力との闘いであった。地球上の人類の抗争のような印象である。最近、虚弱な多くの患者が医療・介護の援助の元でやっと命をつないでいる。この様な患者 では感染症が必発であり、抗生物質の治療を受けても免疫力が弱く治癒できないし、病原体を駆逐できない。残った病原体はゲリラ戦の如く表舞台から姿を消し ながら次々と耐性を獲得し虎視眈々と機会を狙っている。
 
 感染症は個々の患者の病気と考えるのではなく、人類と細菌の闘いととらえたい。一時感染症に対して人類はこれを凌駕したとの奢りのもとで、学問的にも医療面でも軽視されてきた時期があるが、感染症学、治療学の意義は最近再びとても大きくなってきた。

 多剤耐性菌の出現、これは重要な問題である。これに対しては新興感染症の出現並にとらえ、人類の英知を集めて対応する必要がある。


9/9(木)晴れ 外来 +患者家族面談+ドック結果説明 県社会福祉審議会身体福祉専門分科会  
2:20起床。ドック判定総括x1、7:00病院着、回診ほか。8:45-14:00外来 +患者家族面談+ドック結果説明。15:00-16:30県社会福祉審議会身体福祉専門分科会。20:30自転車帰宅、夕食、21:00就寝。

多剤耐性アシネトバクター(1)重要な問題だがマスコミは騒ぎすぎ
 本日夕方、秋田放送から電話があり多剤耐性アシネトバクターについての取材申し込みであった。この問題は重要な問題だが、新型インフルエンザと異なり殆 どの方々には直接関連のない問題で、いたずらに恐怖感を煽るようなマスコミの取りあげ方の方が問題でいささか騒ぎすぎである。 私は県医師会の役員を辞したので、県医師会の感染症危機管理担当の理事にお願いして欲しいと一旦はお断りしたが、連絡が付かないと言うので今回だけ、とし て代行した。

 局からの質問事項は以下の4点にまとめられる。それに対し適宜説明したが、話しが冗長すぎたかもしれない。局の方で適当に編集してくれるだろうが、その際、論旨がうまく伝わるだろうか。

Q1 帝京大学の場合、防御の難しさはどんなところにあったのか
■高度の医療が行われており、抵抗力が低下した患者さんが多かったと思われる。
■アシネトバクター感染症の重要性について十分認識していなかった。
■そのため、行政から注意喚起が行われていたが、あまり注目していなかった。
■大きな院内感染の経験がしばらく無かったのであろう、感染症の危機管理について感覚が鈍っていた様に思える。
■多剤耐性菌が検出されたあとも、院内感染と気づいてからも事の重大性に気づいていない様だ。
■院内感染の蔓延防止対策が感染制御部の指示でシステマティックに動いていない様だ。


Q2 先生の病院では多剤耐性菌対策をどのようにしているのか
■日常的に感染症、院内感染に対して注意を喚起し、年に何回かは全職員を対象に研修会も開催している。
■抗生物質の使用状況を把握し、月一回の院内感染対策委員会で評価し、必要に応じて注意している。
■細菌検査室からの情報は速やかに感染制御部に伝達され集計される。
■通常は院内感染対策委員会で報告され、その結果は管理会議、運営会議を通じて職員に伝達される。
■必要に応じて、院長を含めた対策会議が持たれ、患者の隔離、感染伝播防止の措置が執られる。


9/8(水)晴れ 外来  医療安全関連打ち合わせ
1:30 起床、ドック判定・総括x1、文献検討、新聞チェック。7:00自転車病院着、回診他。8:45-13:45外来+ドック診察。14:00-15:00医 療安全関連打ち合わせ。医師面談。患者関連書類処理。新入院2名対応。20:45自転車帰宅、夕食、21:30就寝。

自転車(15)更に一段と走りが良いクロスバイクが欲しくなった
 昨年8月から運動不足解消のために歩いて通勤したが、頑張りすぎて足底の皮膚にやや深い亀裂が入り、疼痛のために長距離は歩けなくなった。さりとて車にはあまり乗りたくないから自転車を購入した。
 自転車選びは、出来るならスポーティなのが良い。一方、盗まれる確率が高いから出来るだけ安いのが良いと探した。良いのが無くて結局は通販で超格安マウ ンテンバイクを購入した。あまりにも安かったのでひどいのが届くかと思ったら結構乗れている。通販で購入したことは今でもちょっと心の傷になっているが、 地元のショップには適当なのがなかったからやむを得ないと割り切る。

 あれから1年、降雪期以外は通勤に用いている。昨年は自転車通勤の最後が11月30日で、その頃は身体が芯まで冷え切った。今年は3月22日から通勤に使い始めた。
 今年は特に自転車通勤の頻度が高い。医師会の役員を辞したために病院と家の往復だけになった。降雨でないときはほぼすべて自転車である。恐らく、8割が 自転車、歩き1割、車1割と言うことかな。いかに車に乗る機会が少ないかは、8月の盆の墓参りに岩手に行った際に久々Priusに給油したが、その前の給 油の記録が2月だった。だからいかに車に乗らなかったかが分かる。省エネはそれなりの器機を用いる事でかなり消費エネルギーが減少するが、それすらも使わ ないのが最も省エネになる。蛇足ながら、今年は秋田も連日暑かったが、扇風器の風のみで乗り切れた。わが家は電気消費量が少なかった方だろう。

 自転車購入直後は、わずか6Kmとはいえかなりしんどかったが今は慣れてスイスイである。お陰で下半身、とは言っても両足のことであるが、筋肉たっぷり となった。腹の脂さえなければなかなかのものである。約1年乗った結果、私は昔取った杵柄というか、自転車は私にあった道具で、今後も長く使えるようであ る。そう考えるともう少し走りの良い自転車が欲しくなった。

 実は、競技用に近いロードバイクと言うタイプのにも乗ってみたいのだが、年寄りには無理みたいである。最近、マウンテンバイクとロードバイクの中間に、 両者の利点を持つクロスバイクというジャンルが出来ている様でこれだと良さそうな気がする。とは言っても、安いのでも今乗っているのの5-10倍の値段だ からまだ決めかねている。
 さりとて、楽しみは先にとっておくと言うのは私の趣味ではない。何としようか。


9/7(火)雨 外来 法人常務会 医局カンファレンス(欠)
2:10起床,ドック判定総括x1、文献・新聞その他。7:10車病院着、降雨。回診、8:45-13:55外来。14:45-16:00常務会。新入院対応、17:30医局会はダウンし休息、欠席した。20:15雨で車帰宅、21:00就寝。

新型マック購入(9)ハードディスク4台作動中に一瞬停電!! 幸い無事だったが
 今朝、9月7日3:00am、久々の降雨と雷鳴の中、一瞬停電した。
 この時、私はiMacで文章作成中で、他に音声データを病院の外付けから自宅の外付けハードディスクにコピー中であり、更にOlympus Radio ServerでFM放送を内臓のハードディスク録音中であった。ハードディスク4台が回転していた時間帯であった。
 わずか1-2秒の停電であったが、iMacの電源は落ち、他の3台も停止し、iMac以外は再通電で電源だけは入った。

 ハードディスクは突然の停電にもっとも弱い部分である。無防備だった、クラッシュしたか??ととても焦った。私は10数年ほど前、当時はオーダリングが 無く私用のパソコンを用いて外来通院の予約をとっていたが、ちょっと中座した際に机上を後片付けしていたスタッフに電源を抜かれ、結局パソコンを廃棄した ことがある。以降、電源確保については結構神経質になっている。
 一時小型の無停電装置を購入して用いていたが、3年ほどで内蔵電池が機能を失い、これも廃棄した。その後、今回まで実害を伴う様なことはなかったが、一 度だけ激しい雷が生じたときにパソコン、当時PM7200だったと思うが、とISDN回線の電話機が機能を失ったことがあった。この時は、前者は全機能が リセット状態になっただけで再設定で戻った。後者はNTTスタッフの援助で復活した。

 近くの避雷針等に落雷した場合、停電しなくても落雷電流の一部が建物内の電気機器などに回り込むことがある。落雷に至らなくとも、雷雲に伴う猛烈な電磁 界により近傍の電線などに電流を生じて一時的高電圧になる。これが「雷サージ」で通信機器やパソコンに被害が及ぶこともある。私の経験はこれであった。機 能が良いタイプの無停電装置には「雷サージ」防止機能もついているからこれがあれば安心で、今回の停電を機会に再度導入を考えている。

 結局、今回はiMacの機動に多少時間がかかり、2台の外付けハードディスクの認識にも時間がかかっただけでハード的なダメージはなかった様だ。勿論、 作業中のデータは失われたが同じデータは病院のパソコン内にもあったから実害は無かった。私の外付けハードディスクな3-5年ものでそう新しくない。最近 のは少々衝撃を与えても保護される機能がついている。それと同様、停電時にも故障しないよう何らかの保護機能が付いたのだろうか。
 どちらにせよ、ハードソフトともに助かって安堵した。今後のために「雷サージ」防止機能つきの無停電装置を考えたい。


9/6(月)晴れ 管理会議 安全管理者との打ち合わせ 秋田市保健所スタッフ来訪 療養病棟判定会議 長副会議 
1:45 起床。文献チェック。ドック判定・総括x1。6:00Taxi病院へ。6:30回診他病棟業務。7:45-8:25管理会議。10:00-11:00安全 管理者と打ち合わせ。13:00市保健所スタッフ来訪。16:00-16:45療養病棟判定会議。17:00-19:00長副会議、20:30自転車帰 宅、夕食、21:45就寝。

懐メロ「氷雨」 演歌歌手・佳山明生氏を直接聴いた
 昨日9月5日は第59回東北六県再生資源組合連合会で2時間に渡り講演した。私も大変であったが、400名ほどの方々も大変だったと思う。しかし、2時 間、場の雰囲気を何とか維持出来たと思う。ただ、Castleホテルの壁を隔てた隣の会場ではどなたかのコンサートが行われておりその音も聞こえて来たか ら、逆に私の声も隣の会場にも響いたのではないかと心配した。されど、それを意識してあまり淡々と話したのでは持たないから通常の如くメリハリをつけて話 した。もしお隣から苦情があっても会場側の責任であろう、と割り切った。続く懇親会では20 数名の方々と名刺交換したが、講演は結構インパクトがあり、ためになったとの評価を戴いたが、まあ半分くらいに割り引いておこう。

 続く懇親会ではメインテーブルに座らせて戴いた。開会、乾杯の挨拶は共に簡素で、挨拶はかくあるべしと思ったが、長時間の講演の反動であったのかもしれない。
 懇親会のアトラクションは演歌歌手の佳山明生氏なる方が登場し、私は一番近い席であったこともあって、十二分に楽しめた。さすがにプロ歌手は身なり、 姿、身のこなし、表情等が素人とは段違い、世界が違う、と思った。「氷雨」という曲を中心に約1時間ほど会場を回りながら数々の歌とトークで雰囲気を盛り 上げた。ただ、秋田の酒の席である、喧噪の中に声が埋もれ、後半はちょっと気の毒に感じた。私も2,3言であるが彼と言葉を交わし握手した。

 ところが、実のところ、私はこの日まで「氷雨」なる曲をまともに聴いたことが無く、曲名も知らなかった。演歌歌手・佳山明生氏についても全く知らないま まで、すごい、と感心していた、と言うこと。翌早朝にネットで調べてみたところこの曲は1977年の彼のデビュー曲で、当初はヒットしなかったが1983 年にからヒットし始め、80万枚近いセールスを記録した、という。とすれば実際には何度かは聴いているだろうが、殆ど記憶に残っていなかった。 YouTubeで何度も何度も聞き返したが、バックの伴奏を含めて実に良い曲と思う。

 「氷雨」はもう懐メロのジャンルに分類され、数々の歌手がカバーしていた。テレサ・テン、本田美奈子、前川清、研ナオコ、日野美歌、ジェロ版も YouTubeにあったのでじっくり聴いてみた。各々特徴、個性があって比較は困難であるが、本人の歌を直接聞いたばかりと言うこともあってか、佳山明生 氏の版が一番親しみを持って聴けた。
 縁があってお引き受けした講演で準備も大変であったが、思いがけず名曲「氷雨」と歌手佳山明生氏を知ることが出来て良い半日となった。


9/5(日)快晴 病棟拘束 再生資源組合連合会講演 
1:00起床、ドック判定・総括X1、文献・新聞チェック。講演準備。12:00自転車病院着。回診、15:10-17:15第59回東北六県再生資源組 合連合会講演+懇親会。2時間の持ち時間は聞く方も大変だっただろうが、何とか維持出来た。懇親会のアトラクションは演歌歌手の佳山明生氏。楽しめた。 20:00帰宅、20:00就眠。

ゆらぐ血縁という「きづな」(2) 血縁関係の乏しい関係
 血縁以外の「きづな」もあるのだろうか。多分あるだろう、と思う。
 私の母の妹は理由は知らないが、私が知る範囲ではずっと独身を通していて東京の某会館のマネージャーとして定年まで勤めた。この間、私が大学生の時に上京する際に何度も会館に宿泊させてもらったし、秋田にも2-3回ほど訪れたこともある。
 彼女は退職を機に同じような境遇にある女性と資金を出し合い都内にマンションを購入し、共同生活をしていた。この叔母は静岡にの郷里には手をかけた甥達 が住んでいるが、側に住むとか、援助を求めるような考えは一切持っていないようであった。長い時間をかけて準備したであろう自立の覚悟と老後の生活のため の術を用意されていた。退職後の生活についてほぼ思っていた様に順調と話していたが、私は楽しげな雰囲気と共に裏には悲壮な決意とのイメージを受けた。い つぞや私との音信は途絶えたが、年齢的にみてお亡くなりになったと思われるが、意志の如くに生をまとうされたのか、心の隅に引っかかっているものがある。 この気持ちは全くの他人であれば一切気にも留めなかったであろう。血縁がある方という「きづな」のなせるところである。

 叔母の選択は今後の生き方の一つとなり得るが、その背景として自立心、許容力、健康それに資金は最小限必要なのだろうと思う。家族の中で暮らすのとは別の、甘えの許されない自己規制が必要であろう。そうでなければ他人同士の「血縁以外の結縁」は成り立たない。

 東京慈恵会医科大学阿部正和名誉教授・元学長は「医師に求められる心」としてイカの4点をあげている。(1)病に苦しみ悩む人の、その病に共感する心 (2)病に苦しみ悩む人に、意識的ではなく自然に慰めの手が出る心 (3)自分がこの世にあるのは自己の幸せのためではなく病める人の幸せのためである、と考える心。(4)病人に真実を伝え納得してもらい、自由意志のもと に同意して頂くよう努力する心。
 私はこの阿部先生の言葉を学生や研修医の教育の際に引用してきた。しかし、医師として約40年になろうとしている私自身は正直言ってこの心境には全くな り得ていない。「無縁」の方々に対し、私は医師としての職業上の責任から、こうあらねばなるまいと思って患者に対応してきた。
 そんな私がいつも感心し、到底その側まで近づけない、と思っているのは看護師や看護助手、ヘルパー等の方々の働きである。全く「血縁を欠く結縁」なのに たまたま巡り会った他人にどうしてこれ程親身に世話できるのだろうか。職業人としての自覚だけでは理解できないレベルだと思う。 


9/4(土)晴 病棟拘束  講演準備
2:00起床、ドック総括x1、新聞文献チェック他、明日の講演準備。7:00病院着。回診。重症患者対応。レセプトチェック。その後は講演準備中心。16:30回診、18:00自転車帰宅、夕食。19:50就寝。家内は札幌泊で不在。

ゆらぐ血縁という「きづな」 家族関係の乏しい個の時代へ
 全国で100歳以上の高齢者の所在不明が相次いでいる。ミイラ化した状態で見つかった方々も10人ほどで、昨日もほぼミイラ化・白骨化した遺体が見つ かったようであるが、このケースでも年金の不正受給が絡んでいた。家族が同居していたことから高齢者の孤立死ではなく、血縁者と共にいながらも見捨てられ た家庭内孤独死といえる状況だったようである。
 まれなケースが次々と発覚してくる。まだ、特異なケースだと思いたい。

 しかし、血縁があるからという理由はもう通用しがたい時代になってきており、私の周辺にもポツリポツリとそのような事象が増えつつある。
 さすがに秋田は都会地とは異なりまだ少ないが、今年になってから私どもの病院で亡くなった方々のうちには、全く名前や身元が分からなかった方はいない が、身よりが一切無い方、身寄りがいても長期間音信不通で連絡が付かない方、あるいはご子息や娘さんが見つかり連絡したところ、逆に怒られ、「関係ない、 二度と連絡するな」と一方的に電話を切られた方々が数人おられた。
 そのような方々は行政の福祉関連担当部署が死後の世話をしてくれるよう手続きする。その際、私が仮の身元引受人として私が署名する。その際、この方は人 生の最期を迎えるに当たり一時的にせよ当院の医療や看護を受け、ホッと安息の気持ちになられたのであろうか、と思いをはせる。ご遺体が霊柩車で病院を出ら れる際には主治医や治療に当たった看護師等がお見送りするが、その後どのように事が進められているのかは私は十分理解していない。

 もう血縁と言うきづなの意義はとても薄れ、揺らぎつつあることを仕事を通じて日常的に実感する。
 上記の如くの例はまだ特異な例だろう。しかし、病気を持ち、障害を持った高齢者を抱えた家族は住み慣れた自宅で介護していくと言う気持ちは殆ど失せてき ている。勿論、背景には高齢者夫婦家庭であったり、家族構成から明らかに無理だろうと考えさせる場合もあるが、多くは逆である。経済的にも家族構成からも 明らかに家庭内で介護が出来る環境にある方々、あるいはヘルパーとか訪問看護とかの社会資源の導入のもとで十分でやっていけると思われる場合でも、それほ ど検討もせず簡単に在宅介護を拒否し、退院を拒否したり、施設の紹介を求めてくる。
 このような家族の姿は秋田でももう当たり前になりつつある。


9/3(金)降雨・曇り 入院患者対応 ドック診察 
 1:30起床、講演準備他。7:00自転車で出勤。緊急入院、回診その他。11:30入院患者対応。 13:30ドック診察。患者関連書類処理他、20:00帰宅。夕食、 22:30就寝。

アンチ・アンチエイジング(6)自立のためのアンチエイジングを
 昨年9月、秋田市のあるロータリークラブの設立何周年かの記念大会に際して私に基調講演の依頼が来た。
 演題は何と「アンチエイジング」であった。私はアンチ・アンチエイジングの立場であるがお引き受けした。この時は講演時間が30分ほどと短かったが結構 バカ受けしたらしく、この講演会のあと「アンチエイジング」を演題として何度か求められとても驚いている。本年4月は県南の羽後町で、5月には秋田市の ロータリークラブの記念式典でも話す機会があった。6月、8月の県LL大学開校式、県老人クラブ連合会でも類似の演題で講演した。

 私自身は老いることを楽しんでいる。やはり日々、体力・気力の減退を自覚しつつあるのだが、それでも感じられる事象は私にとって初体験であるからやはり楽しいし、驚きでもある。その一方で、何で他の方々は老いることを忌避したいのか、私は理解できない。

 明後日の日曜夕方から「東北六県再生資源組合連合会第59回秋田大会」という会で「アンチエイジングーー生きがい・ライフスタイル」という演題で特別講 演をすることになっており、ここ数日準備している。講演時間として与えられたのは2時間と、十二分である。しかし、話す内容はいくらでも提供できるのであ るが、聴いて下さる方々の気持ちを集中させていけるのか、多少不安を抱えながらいろいろ工夫しているところである。いつものことであるが準備時間がなかな か確保できず、本日呻吟している。恐らく直前まで悩むことであろう。幸い、今朝家内はZonta Clubの用事で札幌に出かけたので集中できそうである。気がかりなのは入院患者の病状で、大きな変化が生じないように、と願っている。

 最近、高齢者をめぐって奇怪な事件が頻発している。100歳以上の高齢の方で行方が分からない方は全国で300人ほどいるという。他人への無関心は先々 から言われてきていたことであるが、親子関係に於いてすらも無関心、放置がなされる風潮にある事が明らかになってきた。しかも、高齢者は家族の一員をして でなく、年金の方が金づると見なされている、直視し難い実態も見られている。

 アンチエイジングの考え方の背景には、老いを悪しきものとして忌避し、老いと共に徐々に不健康になっていく高齢者は社会にとって役にも立たない、マイナ スの存在として抹殺していく考え方があるように思えてならない。これは恐ろしい考え方であるが、政治も、医療福祉行政もその方向に向いており、すでにこの 考え方は社会に浸透している。
 この様な中、私の講演の趣旨は、アンチエイジングの考え方を容姿や容貌の維持とかの狭い部分に向けるのではなく、もっと広く前向きにとらえて自分の生活 の中に取り入れ、いつまでも元気に自立した生活を送るために利用する、という視点に置いている。それと同時に、避けることのできない死についても話題を提 供し共に考えながら、死生観の確立の重要性についても言及している。


9/2(木)晴・暑 リハ病院との合同感染症対策会議 外来 医師来訪面談
2:00起床、ドック判定総括x2他、時間なし。6:20自転車病院着。6:30回診+病棟業務、7:45リハ病院との合同感染症対策会議。 8:45-14:30外来。疲弊。退院総括他書類処理。16:00老健施設長来訪歓談す。20:45自転車帰宅、夕食、21:15就眠。

8月29日のNHK日曜討論の後半、勝手な政党選択は不公平でないか 
 日曜朝9:00からNHKーTV、ラジオ第一放送で毎週放送される日曜討論を私は出来るだけ観る、あるいは聞くようにしている。

 先日8月29日の番組時間を20分ほど延長して二部構成にし、最初の30分間ほどは民主党の小沢氏を支持する山岡副代表と菅氏側から寺田学首相補佐官が 登場し互いの立場を主張した。両陣営ではの考え方の違いはある程度分かったが、こんな討論は放送でやるべき事ではなく、党内で話し合って政策や考え方を摺 り合わせ挙党態勢を作るべきだろう、と思った。

 後半の1時間のテーマは「円高・株安 経済政策」を問う、であった。司会者の導入の挨拶は、日本の円高対応の現状と経済対策の問題点について、政府代表 と「国会で法案提出権をもつ政党」の各代表による討論を行う、とのことで、民主側2、自民1、公明1、みんな1の4党5人と司会者の6人で話された。
 討論された内容は、それほど目新しいものではなかったが、政府の対応が遅すぎる、日銀とのタイアップが乏しいなどと、一方的に追求を受けた形となった。 方法論として提示された内容は野党側の方に見るべきものがあったように感じるが、どれも似たり依ったりの印象であった。 

 「国会で法案提出権をもつ政党」と言う縛りを付ければ上記の4政党になるのだが、この様な重大な内容の討論において、民放ならいざ知らず、公共放送で、 国民から義務的に受信料を取っているNHKが勝手に出席者を絞り込むことは果たして許されるのか?大いに疑問を感じてしまった。外されたのは、共産党、社 民党、国民新党、たちあがれ日本、新党改革の5党である。
 ただ、実際に更に5人のメンバーが増えた場合には討論が成り立つのか?と言う疑問は残るが、それは何か運用上の工夫で解決出来るだろうと思う。 基準はないのだろうか。それに、小さな党だからこそ持ちうるユニークな考え方もあるのではないかと思う。

 同じ事は街頭のインタビューにも言える。都合の良い意見だけを選択して放送したら情報操作にあたる。「今回、何名から意見を聴取し、その分布はこうでした」、と全体像を提示し、その上で代表的な意見を紹介すべきだ、と思う。情報はそう軽々しく扱ってはならないのだ。


9/1(水)晴 外来 院長6年目 ヘルスチャレンジ2010  県個人情報保護検討委員会 新築関連総合内科との話し合い
2:00 起床。ドック判定総括x2.講演準備等。7:10自転車病院着。家内転倒すれど大きな外傷無し。8:45-15:00外来+ドック結果説明3名。 15:30県個人情報保護検討委員会。県のこの委員会は本日で任期終了。17:00-18:15新築関連総合内科との話し合い。 病棟書類処理他。20:40自転車帰宅,夕食。21:30就寝。

院長就任6年目で心境は「我、時を待つ」 「ヘルスチャレンジ2010」スタート
 今朝、院長就任6年目の朝を迎えた。
 まる5年経過した。この日は毎年同じことを記載しているが、5年もやれたのは長副会議のメンバーをはじめ、全職員の協力、サポートがあればこそである。
 この一年、公私ともども、いろいろあったが、今年もまた振り返る時間も持てず今日を迎えた。
私的な面ではこのままの状態は心身にとってダメだ、ということ。最近、体力の減退、気力の減退が著明で緊張感の維持が困難になりつつある。昨年のこの日の心境は「時、我を待たず」であったが、今年は逆転させて「我、時を待つ」である。
 ともあれ、今朝、6年目のスタートの朝の一歩は踏み出した。

 本日は法人共済会主催の「ヘルスチャレンジ2010」と称するキャンペーンの初日でもある。
 「ヘルスチャレンジ2010」の項目は全部で13項目あって「ジョギング100Km」、「完全禁煙」、「ウオーキング60万歩」・・・と身近な項目であ る。今回は「サイクリング200Km」「エレベーター・エスカレーターを使わない」の2項目に手続きしたが、考えてみると両項目とも私の生活そのものであ るから「ヘ・チャ」に相当しない。数日前に後者を「スリム3Kg作戦」に変更した。
 「ヘルスチャレンジ2007」の時には「スリム3Kg作戦」、「エレベーター・エスカレーターを使わない」の2項目にエントリーし、双方とも完全達成、 2.000円分の図書券を獲得した。その時は66.9Kgから63.4Kgまで減量した。「ヘルスチャレンジ2008」は何にエントリーしたか忘れた。手 続きが間に合わなかったかもしれない。「ヘルスチャレンジ2009」は「ウオーキング60万歩」、「エレベーター・エスカレーターを使わない」の2項目。 前者はウオーキング時間がとれず早々と脱落、後者だけ達成1.000円分の図書券を獲得。

 最近また太ってきた。先週の職員検診では69.0Kgだった。退職後在宅で過ごしていた家内の監視下で隔日程度であったが朝食を強要されたことでカロ リー摂取が増えたのと、私の緊張感の欠如が原因と考えられる。6月以降は、朝に弱い家内は自らの出勤準備で忙しく、私の食事まで気が回らなくなっており、 再び一日一食の福田式減量の機会が訪れている。
 今回の「スリム3Kg作戦」は多分達成できるだろうし、この間の緊張感が私の意欲の維持の後押しをしてくれるものと期待している。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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