2009年7月分
日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。
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7/31(金)快晴 病診連携セミナー
2:30起床。手術から2年目。ドック判定総括x2、文献・新聞チェック他。5:50Taxi出勤、6:40回診他。8:00救急カンファ。患者関連書類処理中心に過ごす。18:45-21:00病診連携セミナー+情報交換会、中座し21:25帰宅、22:00就寝。
阿修羅像の写真を前にして(2)
私は仏像を見るのを好む。敬虔な気持ちにもなるし、心が洗われる。仏像は想像力も豊かにしてくれる。
しかし、今のところ知識は殆ど無い。私にとっていずれは追求したいと思っている分野の一つである。仏像にはざっと見ても、如来・菩薩・明王・天部・羅漢など6種類があり、更に一つ一つに更に名前がついているが、語源がサンスクリット語後が多く、割り振られた漢字も難しくなかなか覚えられない。
数ある仏像の中で興福寺の阿修羅像は実に不思議な仏像である。もともとはインドの悪神なのだというが、興福寺のそれは眼には深い憂いを含み、一点を凝視し、困惑の表情ともとれる悲しげな風貌である。阿修羅はサンスクリット語の「アスラ」の音写で、ここから「修羅場」という言葉がうまれたとされている。興福寺の阿修羅像からは想像も出来ないが、激しい性格の闘争仏だとのことである。
そのような仏教上の意味とは別に、極めて不遜ではあるが、人も3面の顔を持ち、3対の手を持っていれば、いろいろな仕事を同時に処理することが出来てとてもはかどるだろう、実に羨ましい、と言う思いを抱いてしまう。
全くの空想である。しかし、待てよ、人混みの中では手や腕が邪魔になるし、痴漢と間違えられる可能性もある。寒いときにはポケットも沢山必要になるな、着るものはどうするのか、リューマチになったら方々の関節が痛いだろうな、感染症の時代、手を洗うにも大変になるな、等々、決して良いことばかりではなさそうである。
一方では、もう私どもは3対の腕を手に入れるという望みの一部はかなえられている状況にある、と考えることも出来る。
私は職場ではパソコンを3台、時には4台立ち上げて同時に複数の作業を処理している。横に広い机上にはキーボードが3台置いてあり、私自身が横に移動して各パソコン毎に割り振った仕事を進めている。コンピューターと言えソフトを切り替えるのは無駄な時間がかかるし、印刷や画像処理には結構時間がかかるから、こういう使い方をすれば何かと便利である。
これでもそんなに時間をセーブできるものではないが、阿修羅様だって頭は一つだから複雑なことを同時には進行させられないだろう、と妙に納得済みである。
古いコンピューターであるが、阿修羅的な使い方をしながら、便利な時代になったものだと感心しつつ、今の環境を楽しんでいる。
7/30(木)曇り時々雨 医師面談 外来 ドック診察 医師面談
2:30起床。ドック判定x1、新聞・文献等。5:15Taxi病院着。6:10回診他病棟業務。8:00医師面談。8:45-14:00外来。15:00患者対応他。19:00医師面談。21:40帰宅、22:10就寝。
昨年は指揮者カラヤンの生誕100年(2) 東京公演を一度だけ聴きました
私は力ラヤンには人としての興味があるが、カラヤンでなければ、と言うほどの好んでいると言うわけではない。そんな音楽家は彼を含めて一人もいない。
私は演奏の違いが分かる方ではない。そこに存在している音楽、今、鳴っている、聴いている音楽・演奏が、演奏も録音もある程度の水準にあれば簡単に没頭できて楽しむことが出来るから、はっきり言えば演奏者は誰でも良い、と言う感覚に近い。現に、自分で楽しむためコピーや録音したCD、MDなどは曲目は書いているが、演奏者は誰だか分からないのも多数ある。
その理由の一つは、録音などは深く集中して聴くことはなく、殆ど何かをしながら、それだけでは時間が勿体ないから音楽でも聴きながらやるか・・と言う程度の聴き方だからでもある。それに、録音された音楽は私にとっては簡便に楽しむための、曲を知るための、便利な道具であって、本命は演奏会の方に置いている。
だから、演奏者が有名であろうと無かろうと、機会がある度に出かける。
秋田の青少年オケ、アトリオン室内合奏団、そのほかの団体の演奏会の方がカラヤンの録音を聴くより楽しいし、聴く度に新発見がある。演奏会は前売り券を購入して心待ちにして聴きに行くのはあまり好まない。演奏会等のスケジュールはだいたい把握しているが、その日または直前に行くか否かを決める。そのため、会場に行きながら入場できなかったことも少なくない。
カラヤンの来日講演は一度聴いた。フモンカンと言う大きな会場で1階の中央付近の、そう悪くはない席であったが、会場がでかすぎて、人も多すぎ、心から楽しめたとは言い難かったが、この目で彼を直接見る事が出来たことは良い思い出となっている。
カラヤンに関心を持つ人なら誰でも知っている事だろうが、彼は「より良い演奏環境を得るため」にナチに入党した。本人が著書の中でこの様に表現している。このことは彼の業績を語る際にいつでも話題にされ、マイナスの印象を及ぼしているが、果たして誰が彼の行為を他人が批判できるのだろうか。私には分からない。
そのためにカラヤンは戦後の一時期演奏活動は許されず、この間はフィルハーモニア管弦楽団を指揮して多数の録音を行った。音楽家としては最高の充電期間だっただろうし、録音技術への関心も高めた時期となったのだろう。
演奏活動が解禁されてからは一時、ベルリン・フィル、ウイーンフィル、ミラノスカラ座、パリ管等の世界的なオケと共に活動したこともあって指揮界の帝王等と等と呼ばれた。
彼の出世志向、政治力の結果であるとの見方も多分正しいだろうが、それ以上に、彼の才能がもたらした結果であったと私は思う。
7/29(水)雨 外来 秋田メディカルサービズ取締役会 郡市医師会長協議会+県医師会理事会+納涼会
2:00起床、ドック判定総括x1そのほか。5:00Taxi出勤。6:30回診、8:00面談事前打ち合わせ。8:45-14:00外来+ドック診察。15:30秋田メディカルサービズ取締役会。16:00-19:50郡市医師会長協議会+県医師会理事会+納涼会、中座、帰宅。20:15帰宅、 21:00就眠。
昨年は指揮者カラヤンの生誕100年(1) ブルックナー8番を聴き直して
昨年は指揮者カラヤンの生誕100年で、雑誌「音楽の友」にもいろいろ特集が組まれていた。
未読のまま積み上げてあった「音楽の友」を廃棄するために手に取った中にたまたまカラヤンの特集記事があり、2-3週間前に読んでみた。そのこともあって、先日26日の仙台出張の際、こまちの往復時間を利用してブルックナーの交響曲8番を聴き直し、演奏の素晴らしさを再確認した。
カラヤンはモーツアルトと同じザルツプルクに生まれ、1955年にフルトベングラーの後任でベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者となった。カラヤンは大衆からは熱狂され、何故か一部の評論家からは酷評されたが、亡くなってからもう20年経つが今でも1982年に死去したピアノ界の奇才グレン・グールドと共に、今でもCDやDVDの売れ筋ナンバーワンだと言う。
昨年、ユニパーサルはカラヤン生誕100年記念に400枚のディスクからなるセットを発売、ソニーも10万円でDVDボックスを発売したが殆ど完売したらしい。
時の人として君臨していた方でも死去したことを機会に一気に忘れ去られる場合もあるし、終身身分を得ている人は逆に死去を待たれている場合もあるだろう。中にはしばらくは名声を維持してから忘れ去られる人もいる。「偉大な人は二度死ぬ」とされる所以である。それから見るとカラヤンはグレン・グールドと共に死してなお真価が認められるだけでなく再評価されることで未だに成長過程にある、なかなか二度目の死が来ない音楽家の一人と言えよう。
私はCD時代にはそれほどカラヤンの録音を購入していないが、LP時代には欲しい作品があって購入を迷った際には先ずカラヤン版を選んだ。ただし、フィルハーモニア時代のは購入しなかった。1964年のベルリン・フィルとのベートーヴェン交響曲全集は今でも時折取り出すことがある。この録音以降はカラヤン版を購入して悔やんだことはない。聴く喜びを十分与えてくれる。
7/28(火)曇り・晴れ 外来 法人常務会 医師面談 医局カンファ 市医師会永年勤続者表彰+納涼会
2:30起床、ドック総括x1他。5:00出勤。6:30回診、8:00救急カンファ。8:45-14:20外来、14:45-16:00法人常務会。17:30-18:00医局カンファ、大腸がん、中座。医師面談2件。19:00-20:50市医師会永年勤続者表彰+納涼会、大館曲げわっぱ太古迫力十分、中座。21:00帰宅、21:30就眠。
阿修羅像の写真を前にして 私の願い
去る3月から6月中旬に前、東京国立博物館で奈良興福寺の興福寺創建1300年記念の「国宝阿修羅展」が開催された。期間を通じて盛況だったという。
この展覧会では、興福寺の文化財の中から、阿修羅像をはじめ国宝八部衆像、国宝十大弟子像、を始め1400点をこえる国宝鎮壇具や、再建される中金堂に安置される重文の薬王・薬上菩薩立像、重文四天王立像などが展示されたという。
これを新聞で見たときには是非とも直接見たいと思ったが、その後の報道ではあまりにも混雑し、十分見れないことが分かり諦めた。会場では精巧な作りのミニテュアも販売されるとのことであった。
いつか興福寺に行ってみたいものである。
阿修羅像は天平6年(734)、光明皇后が母の1周忌供養の菩提を弔うために造像して以来、1300年に渡って大切に守り伝えられた。
実に不思議な構造の仏像である。若者か子供の像と考えられ性別は分からない。一体に顔3 面、アンバランスに細く長い腕とが6本、その顔はどちらかというと女性的で、表情は困惑であり、何かを訴えている。清楚な雰囲気が漂う、美しい仏像である。しかし、何でこの仏像に阿修羅の名が与えられたのか、疑問に思う。
これと同じような仏像は4つの顔と24の腕を持つチベットの「カーラチャクラ父母仏立像」がある。こちらも美しいが、力強い躍動感が漂っている。しかし、構造上は当然ながらとても複雑である。
仏像は想像力を豊かにしてくれる。私は仏像を好む。敬虔な気持ちにもなるし、心が洗われる。
しかし、一方、私は阿修羅像を前にとても現実的な夢を見る。自分にも3面と6本の腕があったらどれだけ良いのだろうか。全くの空想である。
とても羨ましいと思う。顔と腕をそれぞれ別のことに分けて物事に対応できたらどんなに良いことか。時間もより有効に使うことが出来るだろうし、無理して表情を変えることも不要となり、ストレスもぐっと軽くなるだろう。
更に、願わくば、一つの顔面の表情は苦悩・困惑でなく、カーラチャクラ父母仏立像の如くの明るさと躍動感が欲しい。更に、第4の面も欲しい。阿修羅像を後ろから見ればもう一つの顔面を作ることが十分出来そうである。第4の面を備えるなら、私の希望は表情の無い、ノッペラボウの顔が良い。その顔も一緒にあれば最高だろうと思う。
新聞に掲載された阿修羅像の写真を前に、超現実的な事を考えてみた。
7/27(月)降雨のち曇り 患者家族面談 管理会議 療養病棟判定会議 長副会議
2:30頃起床、ドック判定総括、文献収集その他。5:10病院、6:30入院患者家族面談、回診、7:45-8:30管理会議。患者対応その他書類処理。16:00-16:40療養病棟判定会議。17:30-19:00長副会議。21:00帰宅、夕食、21:45就寝。
「民主党政策集INDEX2009」発表 財源は?
民主党は23日、総選挙のマニフェストの基になる「民主党政策集INDEX2009」を公表した。今月末に発表する総選挙のマニフェストは、この政策集に盛り込んだ項目から選ばれる。
医療関係者として無関心ではいられない。後ほど政策集もマニフェストも全文に目を通す必要があるが、マスコミを通じて得られる情報からは以下の如くの内容が盛り込まれている。
■社会保障費2200億円抑制撤廃し、医療費抑制施策からの転換を図る。
■医師・看護師らの確保に努める。地域医療を支える医療機関については入院医療の診療報酬を1.2倍にする。
■医師数を現状の「2.1人/1000人」から「3.1人/1000人」を目指す。そのため医師養成数を1.5倍に増やす。
■現役医師の有効活用策として、短時間の勤務も正規勤務とみなす制度を導入する。
■政府が2011年度までに廃止を決めた介護型療養病棟の削減を中止し、必要な病床数を確保する。
■約40万人とされる介護施設の入所待機者の解消に向け、グループホームや特養を地方自治体の計画の3倍の早さで実現する。
■出産時に公的医療保険から支給される出産一時金は現行で38万円、10月から42万円に増額されるが、これを更に55万円に大幅に増額する。
■総医療費を国内総生産(GDP)の8.1%から8.9%まで引き上げる。0.8ポイントの引き上げは、単純計算で約4兆円の医療費を増やすことになる。
■・・・・
大変な計画である。少なくとも私どもが医師会を通じて主張したことのほぼ全てが総花的に盛り込まれている。医療福祉面でこれだけ並べたのだから、外交や国内の他の分野のことがどれだけ記載されているのか、興味が出てくる。
現に教育面では高校の授業料がほぼ無料になるような計画も出している。全国の高速道路を段階的に無料化するという。
ただ、これだけ並べられると財源はどうするのだ??
医療費抑制政策を批判してきた私どもも驚いてしまう。しかし、現状ではこれらの政策に関しての予算規模や具体的な財源は明示されていないらしい。
麻生総理も随分ばらまきをしていると思うが、この方針では自民党からばらまき政策ではないかと批判があがりそうである。
それに、これらを読んで民主党で本当に大丈夫か、とかえって心配する有権者も出てくるのでないだろうか。
7/25(日)晴 病棟拘束 東北医連理事代表者合同会議
2:00起床、ドック判定総括x1、新聞チェック等など。5:30病院、6:30回診他拘束業務、8:56こまちで仙台へ。 11:30-13:15東北医連理事代表者合同会議+昼食会。13:38こまち。16:00-17:45病院、患者・書類対応。20:00帰宅、夕食、 21:00就寝。
アンチ・アンチエイジング(2) 「嫌老」でなく「賢老」路線で行きましょう
車やバイクでも筆記用具にせよ、長く使い込んだ道具は体の一部になったようになる。それらについている傷、古くなると不調になっていく過程やその結果としての不調にさえ愛着も沸いてくる。使う毎に安らぎを感じる。
同じことは人生にも言える、と思う。私自身も特にこの1-2年心身共に退化しつつあると自覚している。この兆候が出てきた以上、もうこれ以上は無理しない方が良いだろう。足駄をはき、背伸びしても手が届かず、更に踏み台に上ってやっと手を届かす様なことを今までやってきたがそろそろ無理になってきたようだ。あるがままに生きる。そういう人生にいずれ切り替えていきかねばならない。
顔のたるみ等の身体的変化は年輪・老化の証しである。全てが経年変化であるが、老化はマイナスの事ばかりではない。配憶力、体力は褒えても、感性はむしろ豊かになっていくし、自然の移ろいなどに対しても敏感になり、興味の対象も広くなる。だから、毎日が楽しい。
私は街に出ると機会ある毎に書店に立ち寄るが、購入する本のジャンルはだんだん広がっている。本日はこまちで仙台往復したが、秋田、仙台駅の構内の書店で10冊ほど買い込んだ。政治、思想、音楽、脳生理・・等、かつては手に取らなかった領域の本も含まれる。ただ、本は買えても読む時間は何所にも売っていないから先々に向けて積み読となる。
老化をむやみに嫌悪したりせず、かといって落胆もせず背も向けない。ここまで来ればどう悩んでも、どうしようもない。今更「アンチ」でなく、「ウイズ・エイジング」で行けば良い。真剣に「アンチ」を願うなら幼少のころからの順当な準備が必要である。「アンチエイジング」効果をもたらす方法は確かにあるようだ。実験的にも証明されているらしい。ただし、座ってTVを見てて、サプリメントを飲んでてなしえるものではないようだ。
アンチは「嫌老」思想である。それよりも老いを受け入れて「賢老」路線に乗るよう考えよう。高齢者の方々に、自分の親や祖父母のことを思い出してみて欲しい、と私はよく言う。当時の50歳代の人たちはかなり老けていたはずだ。さらに、江戸末期に活躍した坂本龍馬等の偉人達の肖像画や写真を見ると若いのに総じて老けて見える。賢治しかり、漱石しかりである。あの頃の若者は早老だったのだ。
今は90歳代でも驚くほど矍鑠としている方が多い。日本の高齢者は今更個人的に焦らなくても十分「アンチエイジング」文化の恩恵を受けている。だから、アンチを考えるより、短い残り時間を如何に生きるかの方が大事、すなわち「賢老」路線、「ウイズエイジング」路線に乗って欲しい、と思う。
7/25(土)晴 病棟拘束 ドック結果説明
2:40起床、ドック判定総括。5:20Taxi病院着。6:00回診他。8:30救急カンファ、9:00ドック結果説明。患者関連の書類処理など。床上の未処理書類かなり減少、歩きやすくなった。15:00不調の患者対応。コンピューター上のデータも整理、破棄した。19:30帰宅、夕食、 20:35就眠。
アンチ・アンチエイジング(1) 「年はとりたくないものだ・・」は禁句だよ
先日、あるロータリークラブの設立何周年か目の記念大会があり、基調講演の依頼が来た。演題希望は、何と「アンチエイジング」ということで、驚いた。私はアンチエイジングの考え方はとらず、アンチ・アンチエイジングの立場、「ウイズ・エイジング」が良いと思い、毎日を楽しんでいるからである。
ロータリークラブの会員の方々はやや高年齢の方で、社会的にもそれなりに活躍なさっておられる。秦の始皇帝の如くの不老不死の望みは不可能としても、「アンチエイジング」は最近可能になっているらしいので話を聞いて、いつまでも若さを保って活躍し、社会奉仕をしたい、とお考えのようである。実に結構であるが、私の講演は多分その意気込みに水を差すことになるだろう。
「アンチエイジング」の話題は随分身近になってきた。
昨年7月の私どもの病院、秋田市市内科医の会、他の協賛で開催した「医療連携の集い」の講演も「アンチエイジング」に関する漢方治療の話であったし、本年1月の秋田市医師会の「医療と健康を考える集い」のテーマも「アンチエイジング」であった。医師会もここまで来たか、という感じである。今やマスコミもこぞって採り上げ、その筋のサプリメントも飛ぶように売れているらしい。何でそんなに老いることを嫌い拒絶するのか、私は理解できない。
今、国を挙げてメタボ対策に必死である。生活習慣の蓄積、すなわち加齢、老いのマイナス面をことさら強調し、それらを出来るだけ予防し、世を挙げて健康な万年青年的であるように「老いない、老いさせない社会」を作っていく方向にある。実に結構なことであるが、その背景には、老いを忌避し、老いて不健康な高齢者は社会にとってマイナスの存在として抹殺していく考え方があるように思えてならない。
高齢者への扱いの推移を単語で表現するとは「敬老」→「健老」→「軽老」→「嫌老」、今社会をあげてこの流れの上にいるのではないか? これは恐ろしい考え方である。
よく外来とかで高齢の患者型は「年はとりたくないものだ・・」とこぼすが、これはあまりにも身勝手な考え方で、「それは禁句。本当に年をとりたくないと思っているなら、なるべく早く、出来れば今日死ねばいい。それ以外の方法は絶対にない。生きている限り年はとる」とその度毎に諫めている。
高齢の方々に対し、前期高齢者にまもなく入ろうとしている若年高齢初心者の私がこんな事を言うのは実に僭越なことであるが、高齢の方自身が「嫌老」的考えであれば、いずれ社会も「嫌老」社会になっていく。単語をあてるなら「賢老」が良い、と私は思う。
7/24(金)晴 ドック診察・結果説明 法人理事会 県医師会感染症委員会・郡市医師会担当理事合同会議
2:30起床、ドック判定総括x1。文献・新聞チェック。5:20Taxi病院着、6:30回診他、事務処理。8:00救急カンファ。9:00 ドック診察・結果説明。退院院患者対応ほか書類記入中心に。13:30ドック診察x4。17:30-18:10法人理事会、中座。18:30-20:00 県医師会感染症委員会・郡市医師会担当理事合同会議。疲労し病院による気力無くそのまま帰宅、21:00就眠。家内日医女性医師関連で札幌へ。
太古の医療、介護に思いを馳せる
人類の歴史と共に医学の歴史も始まっていた、と思う。
医学と言っても内容的には、動物並に怪我をした際に、あるいは病気になった際に傷を舐めることや安静保持程度のレベルであった、と思われる。その後知恵を持った人は神や悪魔、のろいと言った超自然的なものを信ずるようになったのであろうが、この頃の記録は当然であるが残っていない。
文明の芽生えた共に医学も発達し始めた。古くメソポタミア文明の時代、もう職業的に医師が誕生し、くさび形文字による医学書もあったとされ、紀元前18世紀のハンムラビ法典の中にも医術の記録があるとされる。
有史以前の古き時代の医療の記録としては、出土する人骨に治療なしでは改善しないと考えられるほどひどい骨折の治癒の跡や手術痕のある頭蓋骨から類推できる。頭蓋骨の手術痕は術後すぐに死亡したとされるものから、かなり長期生存したものまで広く見られる。当時どのような医術がなされていたのか興味が持たれるところである。
一方、介護に関して私は最近まで殆ど知ることは無かった。恐らく健康を害した状況の中では到底生きられないだろうと思ってきたが、先日古い文献の中にこれに関連した記述を発見し、私の考えが正しくないことを知らされたと共に、感心した。
1966年に洞爺湖付近の入江貝塚で出土し、「入江9号」と名付けられた約4干年前の人骨は、頭部が普通の大きさなのに、四肢骨の太さは通常の1/3ほどしかなく、自力では立てなかったであろう事を示している。
この出土骨が語るストーリーは、幼少期に何らかの病気で四肢発育障害を来たし、介護無しには生きられない状態ながら、家族や同族達の介護を受けながらほぼ成人まで生きたと言うことである。弱者は淘汰されたのであろう、という時代観を変えた重要な証拠を示す出土骨とされている。
北海道の厳寒に耐え、飢えと闘い、かつ感染症等の病魔と闘いながらも長く生きたことは驚異である。世話し世話された同士で、どんな会話が交わされていたのだろうか。興味が持たれるところである。
同時に、環境も良く、栄養も豊か、医療レベルも高い中で、他人に世話されながら会話もなく、寂しく生きているご老人達は果たしてどうなんだ、幸せなのか?と思ってしまう。
7/23(木)快晴 患者家族面談 外来+ドック結果説明 療養病棟診療部会議
1:26 起床。ドック判定x2、5:30Taxi病院着。6:10回診他病棟業務。7:00入院患者家族面談。8:00救急カンファ。8:4014:45外来+
ドック結果説明x3。ハードであった。17:00療養病棟診療部会議。18:00G3機種にハードディスク増設。17:00-20:00対策会議。
21:00帰宅、夕食、21:50就寝。
第4のブレーキランプを車前部に
ハイブリッドや電気自動車の安全性を高めるためにクラクションとは異なる発音装置を装着するらしい。
それも事故防止上大事だろう。私はブレーキランプを車のフロントにつけて欲しいと思う。
私は第3のブレーキランプは歩行者や自転車、バイクなどの交通弱者を守るために、また、交差点での右左折時の衝突事故を避けるために車の前部に必要だと考えており,「車よ傲るなかれ」を書いた時、当時の運輸省に提言したが返事すら来なかった。
で、第3のブレーキランプは後部に持ってかれたので、今度は第4のランプである。是非、これをフロントにつけるよう、再び主張したい。
確かに、追突防止への方策は重要だが、そのためにブレーキランプがある。追突は視認性の問題以上に車間距離とか速度とか、運転者の守るべき基本のマナーが重要である。それに車は自由な走行が可能な道具であるから、運転の仕方によっては衝突・追突するのは宿命でもある。車同士の衝突はやむない。
しかし、防ぐべきは、交通弱者と車との間で生じる事故である。この場合、追突事故はバイクとの間では生じ得るが、それ以外の殆どは車のフロント部で生じる。かつ、傷害を受けるのは常に弱者の方である。これらの事故を防ぐためには、ドライバーの運転状況が弱者に分かるように車のフロントにブレーキランプを装着するのが一方法である。
フロントにブレーキランプがあれば、ドライバーの操作状況が分かり、弱者にとって自分を認識して対応してくれているか否かを判断できる。私はバイクに乗るが、前を走っている車の動きも重要であるが、更に怖いのは路地から出ようとしている車と対向車である。最近の車はドライバーの表情が見えがたい。ブレーキから足が離れたか否か、判断は困難である。
また、バイクと車、車同士の衝突の中でも少なくないのは直進車と対向車線の右折車間の衝突事故であり、しかも死亡に至る大事故が多い。フロントにブレーキランプがあれば互いに相手の運転状況が分かり、事故防止にかなりつながるはずである。
強弱が入り乱れて道路を使用する以上、規制は必要だが、今は弱者の方を規制している。これはおかしい。
第4のブレーキランプを是非とも考えて欲しい。更に出来ることなら、ダンプ等の大型トラックのルーフについている速度インジケーターランプが全ての車にあればもっと良い。
交通弱者の一人としての深刻な要望、希望である。
7/22(水)雨 患者家族面談 外来+ドック診察 医療行政懇談会+情報交換会
2:20起床。ドック総括他。5:15Taxi病院.6:15回診、病棟業務。7:00入院患者家族面談。8:00救急カンファ、8:45-14:20外来。15:30-17:30医療行政懇談会+情報交換会。中座、19:00帰宅、20:00就眠。
プリウスに発音装置を装着する方向らしいが、・・・
私のこの欄に雑音、騒音などなど音に関する記述の機会が多い。私は音に敏感で耐え難いからで、日頃から嫌音権を主張している。
私の嫌音権の主張は殆ど理解されず、ただ神経質なだけと思われているが、私は体調が悪くなるから、真剣である。されど通らない。何でこんなに世の中はうるさいのか。うるさいことが問題にならないのか、不満である。
だから次の手は音源、人から逃げることで、部屋などの窓は開けることはない、音源には近づかない、周囲と生活時間、生活空間を出来るだけ分ける、あるいは離れる、こと等で対応している。第三の手はノイズキャンセリングヘッドフォンで、ある。
最近、プリウスを主たるターゲットとした動きとして、警笛より小さな音で危険を知らせる警報装置を装備する検討を国土交通省が始めた、とのことである。
モーター駆動の際には確かに音は小さい。だから嫌音権主張の私も事故防止のためにはこのアイデアには賛成である。
プリウスの「静かすきる危険」は海外でも間題になっていると言う。プリウスは発進時や低速走行時、モーターだけで走る・・と強調されているし、エンジンの騒音も最大20dbも低いとされているが、ユーザーの一人として本心は「そんな馬鹿な、」である。モーターのみの走行は無いわけではないがそう長い距離、時間ではない。私とってはプリウスのエンジン音ですらうるさいからヘッドフォンは手放せない。
国交省は有識者や業界関係者による検討会を立ち上げ「第二のクラクション」を装備する方向で話を進めている。常に自動的に人工音を出すべきだ、との馬鹿げた意見もあるそうだ。これには反対である。
私は今回の問題とは別に、車のクラクションは強弱二つがあればいいと昔から思っていた。近くの方に知らせるには小音量でも良いからである。もう一つ、車のフロントにもブレーキランプを装着すべし、と通産省時代に意見を送ったが無視された。
重要なのは、適所に応じた適度の速度である。これは法定速度とは関係ない、その場その場の問題なのだが、適正な速度であれば「第二のクラクション」はあっても用いられることは極めて希だろう。私はプリウス歴3年ほどだろうか、自分の車のクラクションの音を聞いたことはない。
7/21(火)曇りのち雨 管理会議 外来 法人常務会 療養病棟判定会議 長副会議 医局カンファ(欠) 県病院協会と賛助会員の懇談会
2:30起床,ドック判定総括、特定疾患書類処理、その他。5:15バイクで病院着、6:10回診。病棟関連業務。7:45管理会議、 8:45-14:30外来。14:45-15:20常務会。16:00療養病棟判定会議。17:00-18:00長副会議。17:30医局カンファは大規模災害対応(欠)。18:20-20:00県病院協会と賛助会員の懇談会。中座、帰宅、21:30就眠。
衆議院解散 40日の選挙戦に
本日衆議院がついに解散した。解散、解散と言われて久しいがいつも肩すかしを食っていたが、ついに、である。
ここに至るまでの過程は、一因が麻生首相にあったと言え、自民党内は反麻生首相の立場をとる議員達の麻生下ろしで全く泥沼的であった。この国民不在の党内の抗争によって自民党はかなりの票を失ったと見なければならない。
一方、民主党はどうだろうか。直接演説会等で一式話を聞いたわけでないから何とも言えないが、鳩山代表の演説は「政権交代」「交代」「交代」・・・コールである。TVやラジオのレポーターがこの部分だけを選択して流している為もあろうが、少なくとも私にはそう見えてならない。「政権交代」のムード作りはもう出来上がっている。もう少し具体的に政権を取ったら何をするのか、国をどうするのか、国民生活をどうするのか語って欲しい。
日曜朝9:00からの「NHK日曜討論」はTVとラジオ第一放送で流されるが、私は出来るだけ聞くことにしている。良い番組である。
ここ1-2週間、この番組での発言内容は政権交代を意識した発言に変わりつつある。民主党は、従来は一方的攻めの姿勢であったが、既に発言に守りの姿勢が見え隠れする。話の内容が慎重になってきている。一方、自民党はもう既に野党に下野したが如く民主党の政策の矛盾を突いて抵抗しているとの雰囲気が見えている。
私ども医療人の関心は医療福祉政策であるが、民主党のそれは残念ながら見えてこない。医師を大幅に増やすなど、断片的ないい話だけ伝わってくるが、医療費はどうするつもりなのだろうか。
他の分野では、例えば先日は高校教育を無料化する話が出てきたし、ガソリン税撤廃、高速道路無料化なども表明している。しかし、財源は徹底した無駄の排除、節約なのだそうだ。
確かに国民の生活に密着した、お金に関する話題が多い。それも大事だろう。しかし、それ以上に重要なのは我が国の国際的立場の展望であり、国としてのビジョンである。どう経済を立て直そうとしているのか。経済の立て直しは、この時代国際的視野に立たなければ無理だろう。今の日本にとって難しい話である。
私の勉強不足もあるだろうが大きな視点に立つ政策が見えてこない。この40日間、二大政党がどのようなマニフェストを私どもの前に出してくるか待ちたい。そして、実のある討論が交わされることを期待している。
7/19(日)雨 病棟拘束 患者死去 東北医連出張(JR不通で中止)
2:00起床、ドック判定総括、3:00病棟より連絡病院へ、3:21患者死去、5:30見送り。そのまま業務。新聞チェック、退院総括。
8:30救急カンファ。11:00帰宅。12:58こまち乗車予定も運休とのこと。したがって医連は欠席に。14:00微睡む。本読み、CD等楽しむ。ドック関連処理。dogも来訪。 19:30夕食、21:15就眠。
こまちが降雨で運休 仙台出張は途中で諦めた
本日は仙台出張であった。東北医師連合会の「地域医療再生基金に関する説明会」の日で、日本医師会から役員が説明に来ることになっていた。
患者が不調で3:00前に病院に出かけたが、激しい雨の中、自宅で車に乗るまでの僅か10数メートルだけで上着なしの上半身はずぶねれとなった。昼から出張ために昼前に帰宅したが、そのころは空も明るくなり、雨は小康状態となっていた。
TVニュースでは全国的規模で大雨が降っていることなど報じているが、私自身あまり実感はなかった。
12:58分発こまちに乗るためにタクシーにて出かけたが、途中でカーラジオはこまちが運休中であることを報じていた。会議、説明会は16:00からの開催なのでもう間に合わない。半分残念な気持ち、半分は何となく嬉しい気持ちで自宅に戻った。
昨日に次いで時間の贈り物を貰ったようなものである。早速、素人のど自慢の後半部分を楽しんだ。
思いがけず得られた時間をドックのまとめ3人分処理しつつ、先日友人から戴いたソプラノのサラ・ブライトマンのCD、ヴァン・クライバーン国際ピアノコンクールで優勝した辻井伸行氏のCDをじっくり夕方まで楽しんだ。
調べてみると、本日は県北を中心に列車の運休や区間運休などダイヤの乱れが続いていた様である。秋田新幹線こまちは朝から盛岡?秋田間で運転を見合わせていたのだという。朝のうちにその情報を得ていれば、責任上車で行くとかの方法をとったかもしれない。私にとって片道20Kmを超す車の移動は辛いから仙台までなど考えられない。誰かに運転を依頼しても嫌であることに関しては大同小異である。だから、ウジウジと悩んだ末にサボったかもしれない。
だから、本日はこまちの運休を出発直前まで知らなかったのは精神衛生上とても良かった、と言うこと。本日欠席で生じた欠損は資料のやりとりで何とかカバーできるだろう。
7/18(土)雨 病棟拘束 21世紀の医療を守る集い(横手会場)
2:15起床、ATOK 2009 for Mac入力。ドック判定総括他、いつもの如し。6:00病院着.7;10回診他。8;30救急カンファ。10;00入院患者面談。書類等処理。 11:38JRで横手。タクシーで「かまくら館」へ。13:00-16:00「21世紀の医療を守る集い」。17:10JRで秋田に。病院にて業務若干、 20:00帰宅、夕食、20;30就眠。
ひさびさJRで横手に いい事ずくめだった
本日は「21世紀の医療を守る会」が主催する集会を初めて秋田市以外で、横手で開く日である。
私もこの会の役員である。車で出かける方が何かと便利ではあるが、雨の中で睡魔と闘うことになりそうで危ない。今日は不便さを別なことに転化して楽しもうと在来線JRにした。片道約90分である。
結果的に、ハンドルにしがみついていては味わえなかった良いことがいろいろあった。
第一はJR。復路がやや混んだものの立つ人はおらず、一車両に20-40人程度と少なく、快適であったこと。狭い車の空間よりはずっと良い。ワンマン運転のために運転手が車掌を兼ねていた。30歳前後と思われる若い方であったが、乗客から差し出される切符を白い手袋をはめた手で、しかも両手で丁寧に受け取っていた。彼の笑顔もよく感心した。
第二は音楽。いつものヘッドフォンとiPod shaffleで人工的静寂、人工的圧縮音源ではあったが、往復の3時間、Mozart三昧出来たこと。普段これ程まとまって聴けることは滅多にない。
第三は本。中野孝次著「生き方の美学」文春文庫018 1998年発売、を読み切ったことである。購入してから何年経つだろうか、開く機会なく積読状態にあった。たまたま手にとったのであるが、本日まで読んでいなかったことを悔やんだ。内容は中野氏が読んでよかったと思われる20名の人物の生き方や信条に、高潔、無私、廉恥、使命感、道義、徳、無心・・等々、今や死語と化した言葉20を振り当てて解説紹介した本である。ここに採り上げられた20名のうち半数の方々を私はこの本を通じて初めて知った。著者のフィルターを通した人物像の紹介であるので一方的な表現もあるのだろうが、紹介された各人の生き方に感じ入った。
第四は緑。車窓から見えた雨に濡れた沿線脇の木々の緑、平鹿平野の稲田の緑の美しさであった。何と爽やかな緑だったことか。
第五は横手駅での光景。3、4番線での発着であるため階段を昇降しなければならない。階段は真ん中が手すりで二分され、左側通行となっている。これが、右側に一人も居ないにもかかわらず、整然と全員左側を昇降していた。何と非能率的かと思い、私は右側の階段に足を踏み出しそうになったが、思いとどまった。これは地域の習慣なのだ、よそ者が乱すべきでない。私がたまに利用する空港や都内のJR駅ではまず見られない光景であり、心から感心し、自らを恥じた。
本日の午後は時間がとてもゆっくりと流れた。
7/16(木)晴れ 外来+ドック説明 県地方独立行政法人評価委員会 AKT,ABS収録 損保会社との懇談会
2:30起床。ドック判定.文献チェック、徒然。5:20病院着、6:10回診ほか、8:00救急カンファ、8:40-13:10外来。 13:30-15:00県地方独立行政法人評価委員会。中座し帰院。15:30ABS収録、16:00AKT収録。18:30-20:30損保会社と懇談。20:45帰宅、21:00就眠。夜半に長女帰秋。
麻生首相、8月30日に総選挙と決断 それも紛糾の因に
麻生総理は来週早々の衆院解散とし、投票日は8月30日と設定した。
選挙内閣であったはずが、先送り、先送りで首相が決断した日程は事実上の任期満了選挙であって、考えてみれば何も決断ではないが、まあ、都議選敗北を背景に党立て直しのために延ばせるまで延ばしたと考えればやはり決断か。
今回の決断に対しても党挙げてのブーイングである。
今の麻生首相にとって何を言っても、何をやっても騒動の元になっている。
直ちに解散だと都議選の敗北のあおり受ける、と異議が出たことであろう。時間稼ぎしたばかりに今度は「麻生おろし」の強風に晒されている。
こんなにも弱々しい首相はかつていただろうか、と思うが、しっかり筋道を通している。安倍、福田も弱かったが、ここまでバッシングされていなかった。しかし、彼らは政権を投げ出した。麻生氏は彼らの負の遺産を背負ってのスタートで、麻生氏が絶対にやってはならないことは政権投げ出しであったから、私は立派に頑張って来たと思う。党では麻生氏に何でも責任を押しつけているが、麻生氏個人が悪いのでなく自民党全体の問題である。
ここで選挙前に首相の顔だけ替えてどうするのか。
むしろ、宮崎県知事問題を含め、姑息的な運営と国民には映るし、第一、選挙の顔になるべき人材はいるのだろうか?選挙用に無理矢理次の顔を立てても恐らく敗北する。自民党内が何も変わらないからである。むしろ、今の混迷の党の姿は悪印象以外の何者でもない。
ここは、もう腹をくくって政策で勝負するしかない。自民党は民主党にはない底力がある。実績が無く人材も薄い民主党では国の運営は事実上不可能であると真っ向から国民に問いかけて行くべきだ。今のままでは自民自体が民主党以下に思われてしまう。
7/15(水)雨 患者家族面談2件 外来 市内で新イ8名発症
2:30起床。ドック1判定総括x1、文献・新聞チェックなど。5:20Taxi病院着。6:20回診、8:00救急カンファ。8:45-14:00外来+ドック診察。16:00院内感染症対策委員会。20:40帰宅、夕食。21:50就眠。
警察、検察、裁判官には何故業務上過失が問われないのだろうか
長い服役の後、えん罪が晴らされ、無罪の判決を受けたケースは決して少なくない。
最近では、例の古いDNA鑑定の信憑性が問われ、再審が決定した足利事件がある。この事件の被疑者である菅谷氏は積極的にマスコミに登場して思うところを述べている。当時のことは分からないが、警視総監の謝罪に対して見せた態度などから見て基本的に好人物に見えた。
このような事件を見ていると、実に不思議な、素朴な疑問が沸いてくる。
明らかな判断ミス、過誤と思われる警察、検察、裁判官は、後に誤った判断だと分かった際にも、何故業務上過失の罪が問われないのだろうか。特に警察の捜査の段階では白を黒と言わせるような厳しい追及がなされているとのことであるが、多分それは本当だろうが、それは明らかなでっち上げ、すなわち過誤である。彼らは誤った判断をして無罪である被疑者に被害を与えながら、何故罪が問われないのだろうか。法的に庇護されているのだろうか。
私は時々記載しているが今まで職質を3回受けた。
3回目は警察に連れて行かれるのではないかと思うほどの追求があり恐怖を感じたが、他の警察官が無線連絡して私の素性が判明したため、まもなく放免されたが、一言の陳謝の言葉もなかった。これは社会的には許されないことである。完全に言葉と権威による暴力行為に相当する。これで謝らないですんでることはおかしいが、これをエスカレートさせれば警察、検察、裁判官への疑問に到達する。
私ども医療関係者は常に安全を求められ、神経をすり減らしている。人は過ちを犯すものである。どんなに注意していても一定の割合で副作用や合併症が生じてくる。われわれに落ち度があって患者に何らかの被害が及んだ際には刑事罰すら科せられる。適正な判断がリアルタイムに次々と求められていく医療現場での一つのミスさえ許されない。その判断の結果は後になって分かってくる。そんなわれわれには業務上過失罪が待っている。
なんか、これは差別でないか?と思えてならない。
7/14(火)晴 外来 法人常務会 医局カンファ 高額医療機器共同利用委員会
2:00起床。起床時歳を感じる。昨年あたりまでとは異なってきた。ドック判定・総括他文献など.5:10病院、6:00回診。8:00救急カンファ。 8:45-14:00午前外来、患者不調に。14:45-16:10法人常務会。17:30医局カンファ「禁煙外来」、途中で別の患者死去。対応。 19:00高額医療機器共同利用委員会+情報交換会。21:40帰宅、22:15就眠。
「子は親を決して醜いとは思わない」(2) 私どもの反省の弁
私どもは3人の子供を育てた。
親ばかと言われるだろうが、私の目から見て子供達はそれなりにまずまずよく育った、と思っている。3番目も既に30歳を超えており、もう私どもの影響力も無きに等しい。一つの解放である。
この時期になっても、私ども夫婦の会話は子育てに関しては「人任せにせず、もっと自分たちで手をかけて育てればよかった・・・」と言う反省の一点に尽きる。そんな中で個性は強いが性格も悪くなく、よくまあ育ってくれたと子供達一人一人に感謝しているし、お世話になった賄いの石井さんを始め、周辺の方々のお陰である。
当時は双方とも仕事第一でやっていた。仕事も子育ても手を抜いたと思っていなかったし、時間も無駄にしたとは思っていない。
今でも家族全員が集まると雑魚寝をしながらよく子育ての頃の話になる。いろいろ不満があったこともよく話題にのぼり、その度毎に反省しきりである。ただ、その話の中で「それでも両親とも子供達のために時間を作って遊んでくれたよね・・」という言葉がときたま出るのが救いである。
そんな今、改めて振り返ってみれば、私どもはそれなりの信念を持って仕事を中心に考えて行動してきたつもりだが、この歳になって考えてみると、私どもの仕事は果たして子育てに勝る価値はあったのか?と天秤にかけてみたくなる。私の結論は否と出しているが、今更何ともならない。
子育ては常に大きな反省の材料であるだけ、私は子育て、しつけ、教育について無関心ではいられない。
恵まれない境遇の中、虐待を受けている幼児が外では親をかばうような事を言っているなどのニュースを聞く度に心が痛む。漢詩の一節を引くと「なみだ おつること雨のごとし」である。
7/13(月)雨 早朝大雨洪水警報 管理会議 安全管理者・事務長と打ち合わせ 療養病棟判定会議 長副会議
1:00起床。週刊アキタ原稿作成。書類処理。新聞チェック。5:20病院。6:10回診、7:45-8:15管理会議。10:00-11:10 安全管理者と打ち合わせ。16:00-16:45療養病棟判定会議。17:00-19:00長副会議。20:50帰宅、夕食、21:30就眠。
「子は親を決して醜いとは思わない」(1) だからこそ親の責任は大きい
「世の父母は、わが子を醜いとは思わない」と言う言葉は「ドンキホーテ」の原作者、スペインの小説家、劇作家、詩人であるセルバンテス(1547-1616)の言葉である。
これを承けたのかと思われるが、寺田寅彦には「世の父母は、わが子を醜いと思わないが、子も父母を醜いと思わない」と言う言葉がある。一月ほど前にラジオでこの言葉を久々に、懐かしく聞いた。
セルバンテスの言葉、寺田の言葉の前半は自身の経験からも全くその通りだと思う。ただ、私は後半の言葉に、子育て過程における親の責任と言うことを深く感じとってきた。だからこの言葉は忘れられない。
私が大学生の頃だからもう40年も前のことだろうか、東京郊外在住の兄夫婦のところを訪ねた際に、たまたま寄った近所のスーパーの精肉売り場で就学前頃の二人の子供を連れた30歳くらいの若い主婦が店員に数日前に購入した製品についてクレームをつけていた。
かなりの美人だったが、厳しい形相で店員に詰め寄っていた。やがて、呼ばれたのであろう、責任者と思われる恰幅の良い中年の男性に替わったが女性は全く変わることなく厳しく詰め寄っていた。いま思い出しても過剰な言葉であり、態度であった。
田舎ものの私はこんな現場に当たったこともなく、これを見て東京というところは恐ろしい人種が住んでいるところだ、と縮あがったものであった。その時、特に印象的だったのは、二人の子供達の母親を信頼しきっている様な、親を見る眼差しであった。他人の私からは若い女性がこれ程の行動に出ていること自体異常な場面に見えたが、子供には生活環境の一部なのか、それほどではなかったらしい。それが、むしろ異様に感じられた。
これを機会に、この親子の生活環境まで考えてしまったが、この場面も一つの材料となって子育て環境についていろいろ考える良い機会となった。
もう一つ言葉を引用する。インドの生んだ世界的詩人タゴールは、「赤ん坊の純真無垢さ、あどけなさは、人間が本来持っている純粋さを、神が私たちに教えてくれているのです」といっている。これも良い言葉である。この純真無垢さ、あどけなさを白い画布に例えれば、成長過程でいろいろな色が塗られていくのであるが、基本となる色調は両親が持っている色になる。だいから、育つ環境を含めて、両親の責任はとてつもなく大きい。
7/12(日)曇り→雨 病棟拘束 秋田室内合奏団演奏会(欠)
3:00起床。ドック判定・総括x1、新聞チェック、本読み、文献整理。7:30病院、8:30救急カンファ、週刊アキタの依頼原稿作成。 11:30帰宅、ヘッドフォン修理、原稿作成。15:00病院、患者対応、書類処理。18:30帰宅。19:30夕食、20:30就眠。
政治が大きく変わる予感 本日の都議選で自民敗退
本日は東京都議選であった。来る衆議院選挙の行方を占う前哨戦の位置づけであった。投票率は54.5%で、前回より10%も上回った。都政と言うよりも政治への関心の高まりの反映と考えられる。
開票結果では自民は10議席失い38議席となり、40年間にわたって維持してきた第1党から転落した。一方、民主党が20議席のばし54議席を獲得、第1党となった。票が堅い公明党は現状維持、共産党は13議席を8議席に減らしたが、恐らく世論が自公か、民主かに集約された事の煽りを受けたのだと考えられる。
どちらにせよ、石原都知事はこれから都政の運営が厳しくなる。
それ以上に重大なのは国政への影響である。
都議選の大敗で、麻生首相は大きな危機を迎えた。総理は都議選後の解散をほのめかしていたがこの結果が出た以上、解散は不可となった。今解散したら同じような結果になるだろうと予想されるからである。
党内の重鎮(?)達は選挙結果を受けて相変わらず総理に対する批判的発言をしている。結果的に、首相の進退が問われる事になるのは必須だろう。細田幹事長は「都議選の結果と国政とは別。首相責任論には及ばない」との認識を表明している。
内閣としてはそう言わざるを得ないだろうが、現実には誰もそう思っていない。
明日からの永田町の動きは目が離せない。
7/11(土)曇り 病棟拘束 臨床整形医会講演岡部氏「新イ」聴講
2:15起床、ドック判定総括x1他。毎朝の貴重な時間のドック処理は不快。5:45病院着、6:20回診、8:30救急外来。患者関連書類処理。17:00-20:00第10回秋田県臨床整形医会、岡部信彦氏「新イの現状と対策?整形外科医として何をすべきか聴講」21:00帰宅、夕食、21;40就眠。
養殖の結果? 最近の鮎は縄張り意識、闘争心がない??
初夏の若鮎は姿もよく、美味である。特に塩焼きが香ばしくて私は好きだ。琵琶湖周辺の稚魚の佃煮や、成魚の飴煮も名物として製造販売されているが、これ
も結構な味である。鮎は清流で石に付いたこけを食しているということから清楚、清潔なイメージがある。しかし、成長過程では小さな虫なども食するらしい。
鮎についてそれほど知識があるわけではないが、最近、生息数の割にあまり釣果があがらない、との話を聞いたことがある。それが養殖との関係もあるらしいと聞いて興味を感じた。
鮎は高級食材とされ淡水下で養殖される魚種としてはウナギに次ぐ生産高があり、
食用用の成魚養殖と、釣り目的の稚魚の養殖とが国内各地で行われている。鮎の養殖の最盛期の1988年には13.600トン余生産されたが、その後
2001年に8.100トン、2005年には5.800トン程度まで減少している(数値はwikipedia)。
水産資源確保のために11月-5月は鮎釣りが禁止されている。秋田でも鮎釣りは
盛んである。先日解禁になった。刺し網、投網のほか、産卵期に川を下る成魚は梁などで漁獲されるが、鮎の縄張り争いの性質を利用した友釣りがよく知られて
いる。郊外の河川で腰まで浸かって竿を振り出しているあれである。鮎が1m四方ほどを縄張りとし、近くに寄ってきた鮎に体当たりをする性質を利用して引っ
かける釣り方で、自然保護団体などは動物虐待にあたると非難している。
1990年代以降、地域によっては縄張りを作らず群れたり、縄張りを持っても追
わない鮎が増えているとされる。原因はよくわかっていないが養殖放流が関与しているらしい。養殖という餌が豊かで危険の少ない環境が稚鮎の性格を変えたの
かもしれない。一方では、縄張り意識の強い鮎が釣り上げられてしまい、縄張りを作る性質の弱い個体が残るためとの指摘も出ている。自然淘汰の役割を養殖と
友釣りが担っているのではないか、という。
ヒトの子育ての環境も次々と変化している。ケガしないように環境自体は安全になり、競争の場面は随分少なくなっている様だ。そのことが危険を回避する能力や良い意味での競争心を奪っているのではないかと思っていたので、鮎の行動変化の話題に絡めてみた。
7/10(金)雨 患者家族面談 人間ドック診察 法人理事会
2:20起床、ドック判定総括x1。文献検索、新聞チェック他.5:10病院着。6:30回診、紹介状その他。7:00入院患者家族面談。8:00救急カンファ。主治医意見書、保険関連診断書等々患者関連書類処理に費やす。13:00ドック診察x5。17:30-18:30法人理事会、残務、21:00帰宅。21:30就眠.
新聞政治欄に不満 解散を題材に劇場化してどうするのだ
就任して半年、オバマ大統領の活躍は追い着けないほどで目覚ましい。核軍縮関連も注目できる。予想以上の働きである。
一方、麻生首相も就任して10ヶ月、随分頑張っていると私は思う。並の人間ではもう耐えきれないレベルだと思うがしぶとく頑張っている。彼が政権を投げ出したらもう日本の政治は壊滅的になると言っていい。その面では大きく評価する。
ただ、背景には、確かに彼の資質だけの問題でなく、自民党内にふさわしい後継者の姿が見えないこともある。永田町から離れたところで見せる彼の笑顔は屈託が無くてマンガ少年の面影があってとても良い。
彼がこの間に挙げた業績、成果は何か、と問われれば挙げるのに困難を伴う。
総選挙を乗り切るための過渡的内閣の性格を帯びて誕生したが、まもなくサブプライムローン破綻問題が勃発したために、政権よりも政策として方向転換、低下し続ける支持率の中でしぶとく頑張ってきた。経済賦活のために打ち立てた経済政策にはそれなりの意義があるだろうが、表面に見えるのはばらまき政策のようにしか見えない。
新聞は麻生総理誕生後から終始、政権維持のために右往左往している総理の姿を連日報道している。いつ解散か、いつ総選挙か、総裁選前倒しか、政権交代はあるのか?ただそれだけの繰り返しの毎日である。尤も、その背景には自民党自体が統率を欠いてバラバラだという背景はある。自民党はもうパニックと一定ほどの混乱、混迷状態に近い。各人が勝手なことを言っている。
総選挙集票のためだろう、宮崎県知事にもラブコールを送って総裁選に出すつもりなら・・等と馬鹿なことを言われている。ここまでコケにされるとかえってマイナスイメージになる。こんな事はしかしながら、つぶさに報道する意義はそれほどあるとは思えない。
確かに総選挙は重要な問題であるが、新聞はまるでTVのバラエティ番組の如くの上っ面だけの大騒ぎ報道に等しい。いま紙面を広く割いて論じていることなどは解散・総選挙が決まれば、もう見直す価値のないことばかりである。
こんな報道は止めて、活字媒体の利点を生かして日本の根本的問題点を論じることが私は新聞に課せられた使命だと思う。日本の経済の今後、医療福祉をどうするか、国民負担増をどうするか、世界における日本の役割など、新聞が国民に向かって提言する良い機会だと思う。文献として、資料として参照されるような紙面であって欲しい。
我が国の新聞の多くは定期購読である。これが、新聞社の経営安定に寄与しているが、若者を中心に新聞離れが進んでいる。こんな紙面作りだと更に読者から見放されて行くのではないだろうか。
7/10(木)雨 患者家族面談 外来 ドック結果説明
2:40起床、ドック判定総括x1、文献チェックほか、5:15家内送り病院。回診他病棟業務、7:00患者家族面談、その他、8:00救急カンファ。8:45-14:30外来+ドック結果説明、疲弊した。蓄積した書類処理。21:30弥高で選挙関連の集会?家内拾って帰宅、夕食、22:10就寝。
季節変わり目 不定愁訴の患者が増えてきた
体調維持には身体的、精神的な適度の緊張感とバランスが必要である。
双方に過剰な負担・負荷が加わるとストレス過剰状態となり、主に精神面に意欲低下、鬱状態などの多様な症状を出してくる。これは一種の生体反応、ストレスからの逃避のための一定の仕組まれた反応なのだと思う。人によっては先に身体面の症状として表れてくる。現代のストレス社会の中で結構頻度が高い。このような場合には適度な休息をとることは体調コントロールのために重要である。
このような方々に、せめて休日とか時間が出来た時には思い切って体を休めてはどうかとアドバイスしても、一般的に過ごし方が下手である。
多くは、休息をとるつもりで家にいても子供達や家族との関係で休息にならないという。また、何とか休息できる環境を得ても、仕事をするわけでもない、他人から指図されるわけでもない、そんな中途半端な環境の中ではかえってイライラ感がつのって来て、それだけで疲れてしまう、と言う方もいる。贅沢な話である。
逆に、衣食住何も不足せず、生活のために特別やらなければならないことが無い方々が、疲れ易い、頭が重い、倦怠感等の不定愁訴で来院する。このような方々は、時間をもてあまし、身体的にも精神的にも弛緩している。TVのバラエティ番組や健康番組を一生懸命見ているから、総じて何か重大な病気にかかっているのではないかと深く思いこんで来院して来る。その一方で、食欲だけは結構保たれていると言う特徴がある。特に一人暮らしの高齢女性に多い。
一般的に畑を持っている方や孫の世話を押しつけられている高齢者女性は街中で恵まれた環境の中で住んでいる方よりも元気である。
生きて行くには困らないものの、当面やることがない方々への生活指導は通常とても困難である。
そんな患者で医療現場は混乱し、多忙化している。
若い独身看護師・保健師がベテランの母親に育児指導などしている事もある。でっぷり太った方が食事指導していることもあるし、多忙で寝不足、不規則な生活をせざるを得ない医師が患者に規則正しく暮らす様に生活指導している。多忙で仮眠をとることも出来ず疲弊している当直医に不眠の患者が受診する。一言言いたいのだがぐっと我慢する。38℃以上の発熱があっても医師が外来を休めず、元気な患者に「お大事に・・」と言わねばならないこともある等・・枚挙にいとまがない。
7/8(水)曇り 外来 ドック診察 院内新興感染症対策委員会 県医師会常任理事会+県医師会新イ対策本部会議 患者死去
2:30起床。ドック判定総括x1ほか。5:10バイク病院着.6:30回診その他。8:00救急カンファ、8:40-14:00外来、ドック診察、疲弊。15:30-16:40院内新興感染症対策会議。17:30-19:40県医師会常任理事会+県医師会新イ対策本部会議。途中患者不調に。 22:10帰宅、22:50就眠。
音楽評論家黒田恭一氏(2) 評論・批評と言うより普及・紹介に尽力
音楽評論家の黒田恭一(71)氏が5月29日死去された。私は黒田氏について放送を通じて知るだけだからほんの一部でしかなかろうが、あえて言わせていただければ氏は肩書きにある音楽評論家というよりは音楽の普及や紹介に尽力された方だと思う。
そこまで含めて評論家と賞するのであれば氏の肩書きについては理解できるし、親しみをも感じられた。著書「初めてのクラシック」を注文しようと思う。
黒田氏のこととは別に、私は正直なところ、○○評論家と称する方々のことがよく分からない。
まだ私がオーディオに関心を持ち、その可能性をいろいろ求めて散財していた頃、よく出入りしていた専門店があるオーディオ評論家なる方を招いて講演会を開いた。オーディオ関係の専門誌、音楽関係の雑誌のオーディオの部分に鋭い切り口で機器の評論を書かれている、この方面では著名な方であった。
私も招待されたので期待して聴きに出かけたが、内容的には雑誌とか著作で述べていることを壇上から話しただけで何ら新しい収穫はなかった。
講演後、質疑があったので「お話の内容の大部分は既に読んでいた。実際に来てお話されるのであれば、普段活字で表現、主張されていることを一部で良いから実際に聴かせていただきながら解説していただきたかったと思う。活字では微妙な音の差、ニュアンスを十分に表現できているとは思えませんので・・」と述べた。
講師が何と答えたか、明快な回答はなかったので今は覚えていない。不快感を抱いたことは確からしい。店主も発言して結果的にうやむやに終わらせられた様な気がした。
私は紙上では言葉によって表現するのはやむを得ないにしても、実際の講演の場などでは実際に聴かせてみて「いかがだったでしょうか?」と黒田式に問いかけて欲しかったと思う。実際、マニアックなユーザーなら材料があれば言葉による細かい説明は不要である。それによって評論家のレベルも分かろうというものである。
このエピソードとは直接関係ないが、この機会からまもなく、私が持っているプリアンプの1/5ほどの値段のプリアンプを自宅で何日かかけて比較視聴してその違いが全く分からず、私は「違いが分からない」自分にあきれ果てて大型化、ハイパワー化、高額化しつつあったオーディオ追求から足を洗い、以降はミニコンポ、ヘッドフォンオーディオの方にシフトした。
iPodなどは毎日のように便利に使っているが、今の私にはこれで十分である。タンノイのGRFを中心にくんだセットは年に数時間だけしか鳴らされていない。
7/7(火)晴れ 外来 法人常務会 医局カンファ(欠)院内倫理委員会
2:10起床。ドック判定総括x1.書類処理、5:10バイク病院着.6:10回診他定期処方、書類書き、8:00救急カンファ。 8:45-14:20外来、混雑、疲弊。14:45-15:40法人常務会。17:30-19:00院内倫理委員会、検討5件。医局カンファは欠。 21:00帰宅。21;30就眠。
想定外の故障 車の鍵にも金属疲労が
家内が使用しているスバル・レガシーはそろそろ20年に近くなろうとしている。
当時、購入した家内が何を考えたのかのか分からないが、ツインターボ装着とかでエンジン出力を最大限に高めた車を選んできた。ハイオク仕様、燃費もきわめて悪い。私のプリウスの1/3程度である。高圧縮エンジンだからメカにはかなり無理がかかっているのだろう、高速で走る分には今でもすこぶる快調であるが、アイドリング時、低速走行では数年前からエンジンが何となく不調であり、音もうるさい。
不経済だし、故障も多い。そろそろ引退も考えないわけではないが、オプションで内装を総革張りなどにしたものだから勿体なくてまだなかなかその気にならない。走らなくなった日が替える日だ、と心待ちにしている。今度は単純で低出力の車にしたい。
本日午後、家内から電話がかかってきた。
鳥の声を求めて知人と上新城付近の森に出かけたが、途中でレガシーが動かなくなった、とのこと。ついにダメになったか、と思ったら何と、再始動の際にキーをひねったら真ん中からポッキリと折れてお手上げ状態なのだという。私は仕事中で対応できないので、先ず知人に依頼して合い鍵を届け、一方、中に入り込んだ鍵の先端をJAFに依頼して取り出してもらうこととした。
JAFにとっても想定外の難作業で難渋し、場合によってはレッカー車を呼んでディーラーまで牽引移動も考えたらしい。一時間以上もかかったらしいが、何とか取り出すことが出来、合い鍵で無事帰宅できた。それにしてもJAFはたいした技量である。
いろいろトラブル続きであるが、今回も一件落着した。レガシーの寿命がまた伸びそうである。
それにしても20年近く使ったとはいえ、単純な構造のエンジンキーが疲労亀裂で折れるなど考えてもいなかった。キーを回すのにそれほど抵抗もなかったし、外力で曲げたり直したりしたこともないのに不思議である。
最近の車は殆どがキーレス仕様になっているようであるが、機械的なものより電子的メカの方がやはり優位なのかもしれない。
金属も人間も長く使っていると徐々に劣化していく。これは形あるものの常であろうし、生物体としての宿命である。折れたキーを見ながら疲労が蓄積しやすくなってきた我が身のことも考えてしまった。
7/7(月)快晴 管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議
1:00起床、新聞・文献チェックなど。4:00違和感あり1時間微睡む。5:20バイク病院着.6:15回診他.7:45-8:25管理会議.8:45-14;10外来。16:00-16:30療養病棟判定会議。17:00-19:10長副会議。21:00帰宅、夕食、21:45就眠。
音楽評論家黒田恭一氏死去
6月上旬、朝日新聞訃報欄に音楽評論家の黒田恭一(71)氏が5月29日に多臓器不全のため都内の病院で死去したとあった。
早稲田大在学中に音楽評論の道に入ったとのことである。若いときには暮らしの手帖の中でレコード評論とかを担当していたという。著作も「オペラへの招待」「初めてのクラシック」など多数あるというが、私は手に取ったことはない。後者あたり購入してみようかと思っている。
私は氏が解説した日曜午前9:00からのNHK-FMの長寿番組であった「20世紀の名演奏」などを中心に、時には19:30頃から始まる音楽番組で氏の控えめな解説に親しんできた。
氏はカラヤン、クライバー、シノポリ、チェリビダケをはじめとする多数の巨匠たちの演奏の魅力を、本当に淡々と語ってくれた。おそらく激しい好き嫌いがないわけではなかろうが、放送の中では決して自分から批判がましいことを言うことはなかった様に思う。曲が修了した際に不用意な解説や言葉、特に賞賛の言葉が続くだけで不快になるが、氏は「いかがだったでしょうか・・」と問いかけるだけで決して聴き手自身の満足感や感慨に水を差す様なことはなかった。
そういう解説に物足りなさを感じる方々も少なくないと思う。カラヤンに関しては多くのアンチ・カラヤンがいて、その人達を満足させるような解説を放送で加える評論家が居る。スパイスが効いて一見存在感があるようにも見えるが、聴くものにそんな個人的な好みは押しつける必要は無い。自著としてでも書けばいい。そんな意味でも、黒田氏は私素晴らしい解説者のお一人であったと私は思う。
番組の最期には「今日のこれからの時間を有意義にお過ごしください・・」などと一言入れるのが常であったが、私は初期には音楽解説者らしくないことを言う方だと若干違和感を持ったが、そのうちに慣れて今日はどんな言葉で結ぶのか、とその一言を楽しみにさえしていたものである。
私はかつてはNHK-FMのクラシック番組、特に生演奏の放送をオープンやカセットテープに録音して楽しんでいたが、MDに替えた際にそれらを全て廃棄した。氏の解説した番組も全て失なってしまった。
あの声が聞けないのはちょっと寂しい。
7/5(日)超快晴、病棟拘束
2:30起床、ドック判定総括x1、新聞・文献チェック。7:00Taxi病院、回診他。8:30救急カンファ。12:00バイク帰宅、自宅でドックほか書類検討、午睡若干。昨年秋から修理中のホンダデルソルが修了して引き取った。機能の一部欠損した状態だがやむなし。ドック総括などを辻井氏ほかのCDなど聴きつつ処理。19:00夕食。20:20就眠。
「じゃんけんで 負けて蛍に生まれたの」(3)日本人の心象と蛍
「蛍の光、窓の雪・・・」などと日本人は蛍に独特の感慨を抱き、好んでいる。
この光を発する不思議な生き物である蛍は、古くは「日本書紀」に登場しているとされる。そのなかで秋の虫の声と共に蛍に寄せる想い、心象風景が語られているとされる。諸外国のことはよく知らないが、日本人に特別な心象の一つのようだ。諸外国では実際には一部であろうが、日本人なら聞き耳を立ててむしろ静けさを感じ取る秋の虫の声などは単なる騒音でしかない、ととらえられているらしい。そんな国では蛍は単に光る虫でしかないだろう。
蛍は人間以上に長い時間を掛けて、環境に何とか適応し、生き残ろうと努力を重ねた結果、「発光」という独特の技能を獲得したと考えられている。ホタルは「ルシフェラーゼ」という酵素の働きで光っているのであるが、幼虫・サナギの時にも発光しているとのことである。
何の為に光るのだろうか。恐らくは生存のため、主に繁殖のために雌雄同士が交わす交信手段なのだと思われる。今人間は光ケーブル通信等で蛍の域に達しつつある。光で雌雄の意思疎通をはかるなどとてもロマンチックなのだが、逆に、光ると言う希有な特技のために人間に捕獲される蛍も少なくなかったと思われる。明治期に滋賀県では一月に150万匹もの蛍を取引したという記録があるようだ。
蛍は、世界で約2.000種も存在するが、日本人に馴染みのある代表的ホタルはゲンジポタルであろう。源氏がいれば当然平家であるが、確かにヘイケポタルと称される蛍もいる。
初夏の夜に風情を添えた蛍の光は人と自然との共生のあり方のバロメーターでもある。蛍のみならず、多くの生物の生きる場所となっていた自然が急速に姿を消している。
農業は機械化し、農薬や化学肥料が投入され、小川はコンクリートの側溝となり、自然が姿を変えている。我が国の生活様式が、自然に背を向ける方向になってから、蛍の光は急速に我々の眼前から消えていった。私が子供の頃は家の中ですら光ったものだし、蚊帳の中にも紛れ込んできた。蛍には独特の臭いもあった。今は懐かしい思い出である。
「じゃんけんで 負けて蛍に生まれたの」は別に蛍でなくとも別の生物でも良いのだが、蛍であるからこそ醸し出される風情・心象がある。私もお陰でいろいろ考える事が出来た。名句である。
7/3(金)曇り 患者家族面談 ドック診察 第3回県新興感染症部会+記者会見
2:30 起床、ドック判定、文献・新聞チェック。5:10Taxi病院着、6:30回診他、7:00患者家族面談。8:00救急カンファ。9:00ドック結果説明。紹介状、主治医意見書など作成、患者対応。13:45ドック診察。15:30-18:10第3回県新興感染症部会+記者会見。20;30帰宅、夕食、 21:10就眠。
県がJA秋田厚生連に13億円補助(7)決算で5億円の剰余金がでた!!
本年5月、経営危機に直面しているとして県から13.5億円の緊急支援を受けたJA秋田厚生連の2008年度決算が蓋を開けてみたら、何と5億1400万円の剰余金が生じていた。
これについて6月30日の定例県議会の総括審査で補助を提案した当時の県の見通しをただす声が上がった。
以下は7月1日秋田魁新聞の記事からの引用である。
委員から「5億円を超える黒字は、補正予算を提案した2月時点で想定できていたのか?」などの質問がでたが、これに対し県側は「支援しなければ3期連続で赤字になる事態を想定していた。大きく見て厚生連の経営の厳しさは変わらない。黒字は厚生連の経営努力や1月以降の患者数の伸びが反映された結果でもある。2月補正時には予測できない要素もあった」などと答えた。
「県は黒字分の返還を求める考えがあるか?」を問われ、「者えていない」と答弁した。
県は、厚生連が3期連続で大幅な損失金を計上することが確実な見通しになったとし、厚生連運営病院の改築整備に関する長期借入金の08年度償還分のうち、元金相当額分を補助したもの。
県が補助の根拠とした厚生連の2月時点での08年度決算見込みでは、赤字額は11億8727万円だった。
厚生連は「大胆な増収・費用抑制策の効果が現れたことと、冬場の患者数の伸びで医業収益を上方修正でき、損失金の額が縮まった」などと説明。08年度に予定していた高額医療機器購入を、09年度に先延ばししたことも大きい、としている。
私は3月上・中旬に県が厚生連に対して13.5億円を緊急的に補助したことについて若干の意見を述べた。記述にの中に関係者にご迷惑を掛けた表現があったと指摘され恐縮したが、私はこの補助を支持する立場である。秋田県の医療は厚生連の各病院の存在と機能にかかっている事は論を待たないし、運営が困難になった状況に県が対策の手をさしのべることは県民の医療を守るために当然と考えるからである。
ただ、県も厚生連も県民に対して説明責任があると思うのだが、両者ともそれを果たしていない事は不満であり、問題だと思っていた。
今回、5億円もの余剰金が発生したのであればなおさらである、これほどの決算見込み違いを生じた厚生連、返還させないとした県共に県民に説明責任を果たすべきである。
7/2(木)小雨→晴れ 外来 地域医療包括実習レポート発表+懇談会+慰労会
2:15 起床。ドック判定総括x1。各種データ収集。5:15Taxi病院着、6:30回診その他、書類など。8:00救急カンファ、8:40-13:50外来。 14:00-16:00地域医療包括実習レポート発表+反省会。19:00同実習慰労会。20:20中座。21:30帰宅、就眠。
新医師臨床研修制度(11)ドイツでも若手医師に新風が吹き始めている
ドイツの医療事情について詳しくはないが、最近文献を整理していてドイツの若手医師事情についての文献2、3に巡り会った。
明治維新後、時の政府は医療の近代化に当たって当時普及していた漢方医学、オランダ医学でなくドイツ医療を導入した。その背景は急速な近代化政策、富国強兵策と密に関連している。結果として我が国の医学、医療は急速に近代化した。しかし、ドイツから導入された教育システムが大学における医局制度となった。
私の前の世代の医師の多くは医師免許取得前には身分不安定なインターン制度に耐え、医師免許取得後は医局に属して無給の状態が長く続くのは当然のこととして、長い間問題にもされずにきた。当時は最低の生活さえ出来れば、無給でも勉強ができればそれで良しとされた。その背景には教授が握る人事権によって将来それなりのポストに就けると言う期待もあったからである。しかし、この問題が後に大学紛争へのきっかけとなった。
日本では2004年から、新臨床研修制度が導入された。研修医の身分や給与制度が確立されたことは大きな進歩の一つである。
ところがドイツでは、私どもから見て旧態依然の医師養成制度がまだまかり通っていたらしい。
ドイツでは医師にとって大学病院の教職に就くことが最高とされ、能力の高い医師にとっては憧れの的であった。ドイツでは今でも大学医学部が少なく、職員の定員も限られている。医学部の教授という称号は、社会的に最高のステータスであり、いまだに恐れを持って迎えられるほどの権威があるとされる。このあたり、今の日本の医学部の教授とは段違いである。
数年前から大学病院の若手医師による待遇改善要求のストライキが行われるようになっている、とのことである。大学病院の若手医師は、連日朝7:00-22:00までフルに働かされ、平均給与は日本円にして約20万円、土日曜も休めないと言う。
こうした状況の中、研修医の2割程度であるが外国への移住者が増加する傾向が見られている。移住先は英国、オランダ、ノルウェー、デンマークなどで、これらの国では勤務狩間が9:00-17:00台までで、給科もドイツの3,5倍程度という。
ドイツ政府もこのような動きを見て危機感を募らせやっと重い腰を上げ、改善策を検討し始めていると紹介されている(ドイツ国内の状況は日本医事新報4288号の岡田昌義氏の記述を参考にした)。
フィリッピンでも国内での待遇が不十分で医療従事者の海外流出が盛んで養成すれど国内医療事情がなかなか改善しないとのことである。
我が国の急性期医療をあずかる病院の勤務医の就業状況は先進国の中では劣悪で、勤務時間を超えて働くのは当たり前、休日出勤も当たり前との風潮がある。これは医師側の問題ではなく、そうともしなければ業務が処理できないからであり、主治医制をしいている病院が多いためである。
医師不足が顕著な今、人間的な生活が出来る就業条件を求めて行くのは当然のことであるが、今の医師養成増の範囲では到達は困難である。何とかしなければならない。
7/1(水)快晴 入院患者家族面談 外来+ドック診察
3:00起床。ドック他文献整理、Taxi病院着。6:20回診他病棟業務。7:00患者家族面談。8:00救急カンファ。8:45-13:30外来。患者関連書類ほか。20:45バイク帰宅。夕食、21:30就眠。
「じゃんけんで 負けて蛍に生まれたの」(2)あらゆるいのちを大切に
「じゃんけんで 負けて蛍に生まれたの」はNHKラジオ深夜便で紹介された句である。幼稚な印象の俳句であるが、私の幼稚さに合致する。名句だと思う。
私はかつて復讐のために猫を惨殺したことがある。私の伝書鳩が4羽無惨に殺され復讐したのであるが、死を覚悟した(?)猫が私に向けた視線は今でも忘れられない。この猫の惨殺はずっと私の心の傷になっているが、同時に命の大切さ、自制の大切さを深く深く教えてくれた。今はこの猫や犠牲になった鳩達に感謝している。
上記の経験を境に、私はあらゆる生き物に対し、その命が存在すること、必死に生きる姿は美しいし、尊重しなければ、と思えるようになった。与えられたいのちを大切に、最善と思われる生き方をしたいし、させたいものである。それが人として天命を果たすことであり、自らの願いや意思を実現することにも通じていく。これは大きい変化であった。関連して、いろいろな感受性を広く育んでくれた。
命ということでは、自身に対しても、家族やあらゆる人たちに対しても、存在する事の意義、重大さを感じているし、人に対してだけでなく、生きとし生けるものすべてに対して、同じように感じている。
だから、私は直接的に、間接的に危害がなければ殺傷することはない。夜、あるいは早朝、光に誘われていろいろな虫達が私の周辺を飛び回る。多くはそのままにする。いつぞやいなくなる。しつこく飛び回り邪魔になるときはやむを得ない、そっと捕らえて外に出す。
いま、自分がここに人として存在している事、私の周辺に存在するあらゆる人達、生き物達、環境すらも、到底理解し得ないほどの偶然性の積み重ねで存在し、成り立っている。
いまここに私がいること自体が不思議である。ホント、「じゃんけんで 負けて蛍に生まれたの」の境地である。いろいろ理屈を積み重ねるより、この一句で説明する方が非合理的ながら、私はむしろ納得出来る。
だから、初めて聞いたとき、一気に共感できたのだ、と思う。
年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。 日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。 |