徒然日記
2008年7月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


7/31(木)快晴 外来 初期研修マッチング 県医師会委員会  
2:26起床。ドック判定x1、新聞・文献等。5:15病院着。6:10回診他病棟業務。8:00救急カンファ。8:45-14:00外来。15:00マッチング。18:30-20:10県医師会委員会。20:40帰宅、21:10就寝。

筆記用具(2) 鉛筆---六角が多い中、色鉛筆は何故丸い??
 私は筆記用具の中で鉛筆も好きである。
 中学生の頃までは専ら鉛筆中心で、その後は父親からもらった万年筆と併用するようになった。私にとって鉛筆は筆記用具であるばかりでなく、玩具であり、工作やミニ彫刻の材料でもあった。また、綺麗に削ることで勉強の合間の憂さ晴らしにも大いに役立った。
 
 最近の鉛筆業界は大変らしい。単価が安く利潤は少ない。少子化で需要が少なくなっているうえ、子供達は小学校高学年になると鉛筆を使わずシャープペンシルを用いるという。更にパソコンが普及したのも一因である。
 国内の鉛筆の生産量は1966年の13億8500万本がピークであったが2007年には3億1300万本に低下した。1/4のレベルである。日本鉛筆工業協同組合加盟の企業は35社と半減している(朝日新聞)。
 
 鉛筆の字は結構長く残る。私が小学校の時に書いたテストなど、未だ十分に読める。一方では簡単に消せると言うのも最大の特徴でもある。だからとても便利である。書類の下書き、メモ用にはにとても良い。そう値段が張るものでもないし落として芯が折れても削れば元に戻る。こんな便利な筆記用具はない。
 
 鉛筆の長さや太さは人の手の寸法から経験的に割り出したとされる。体格が異なっているが国際的に似たような規格になっているのはどうしてなのだろうか。また、断面が六角形でちょうど手になじむ。机上で転がることはない、六角形は物理的にもとても安定した形で強度もあるとも言われている。蜂の巣の断面も六角形である。
 
 私が今まで見たのは断面が三角、四角、六角、丸形であるが、希ながら五角、八角もあるようで、このうち前者は合格祈願と関連した受験生向けの特別の製品らしい。しかし、合格を削って使ったらかえって危なくなるのじゃないのかな、といらぬ心配する。
 三角、四角のは手になじまない。丸形の鉛筆は稀でなくあるが、大抵は豊にプリントされており企業の広告等が入っているものが多い。
 
 私の知る限り高級品と言われる鉛筆は国産も、輸入品も六角形である。
 一方、色鉛筆はまず総じて丸い。六角形の色鉛筆があるとすれば多分違和感が伴うのではないかと思う。ただ、手に馴染む形と、転がり防止の機能を考えると、なぜ二色鉛筆の断面が円形なのか未だに解せない疑問点である。私はしょっちゅう床に落として芯を折っている。だから、色鉛筆は中央付近に輪ゴムを巻着付けて使っている。


7/30(水)快晴 外来 ふれ合い看護体験 初期研修マッチング 秋大教授来訪
 
1:30起床、ドック判定総括x1。5:00出勤。6:30回診、8:00救急カンファ。8:45-14:40外来+ドック結果説明+ドック診察。途中、9:45ふれあい看護体験の挨拶。15:00初期臨床研修マッチング。17:30秋大外科教授来訪懇談。21:00帰宅、夕食、21:45就眠。

筆記用具(1) IT化の時代だからこそいろんな筆記用具を楽しむ
 私共内科医の業務は、というか私の業務はいつも何かを書きながら進めている、と言っていい。ただ、書いていると言っても最近は大部分、恐らく90%以上はコンピューター入力とそれのプリントになってしまった。

 医療のIT化によって、医師は外来では患者の顔を見ないで画面ばかり見ている、と悪評が高いが、私は逆に外来ではディスプレーを患者と私の中間に置き、出来るだけ患者が見やすい様に向けて検査結果や病状説明、予約の際などコミュニケーションツールとして用いている。この位置だと、画面と患者の顔、表情が同時に確認できるから便利である。患者が興味を示した部分はそのままプリントして手渡す。入力に手間取ることもないわけではないが、紙カルテの時に比して遙かに便利であり、外来の診療は一層豊になり、能率も上がり、患者達も喜んでいる、と思う。

 IT化し、直筆で記載する機会が少なくなったからこそ、私は筆記用具に若干こだわる。

 ボールペンはあまり好きではないが便利であることは否めない。当院は電子カルテではなくオーダリングシステムなのでカルテに診察の状況を記載する必要がある。外来ではかつては万年筆を用いていたが、マウスと筆記用具を頻繁に持ち替える必要があり、落す危険もあるために今は専らボールペンを用いている。外来以外では複写紙の書類以外にはまず用いることはない。

 万年筆は入院カルテ、直筆で書かねばならない書類、ハガキ、書簡の際などに用いる。院内の伝言は自作(?)の「万年筆ペン」を用いて墨で書き、文献や本を読む際には鉛筆を握り、ドックの判定の際は二色の鉛筆を用いている。
 油性のマジックインクとかサインペンなどはあの臭いがイヤで殆ど用いない。


7/29(火)曇り・雨 打合会 外来 法人常務会 医局カンファ 患者家族面談   
 
1:30起床、ドック判定総括x1。5:00出勤。6:30回診、7:00ニュースで当院職員の交通事故を知る。7:40対策会議、8:00救急カンファ(欠)。8:45-14:20外来、14:45-16:30法人常務会。17:30-18:20医局カンファ、神経内科。18:30入院患者家族面談。21:00帰宅、21:30就眠。

腹の底から笑いたい(2) かつて通った鈴本が懐かしい
 去る7月15日夕方、久しぶりに落語の実演を楽しんだ。それも秋田で。

  医師・落語家「立川らく朝」氏の落語は、聴衆が大部分医療関係者と言うことでなかなかやりにくかったのではないだろうか。イントロとして世間や世相の話、厳しい医療情勢などを中心に話題を展開された。これも素晴らしい出来ではあったものの、何か一つ乗り切れないものがあったような気がした。

 後半は名作『番町皿屋敷』で、皿を手からすべらして割ってしまい殿に咎められ、井戸に身を投げたお菊が美形の幽霊となって現れ、皿を「いちまーい、二まーい・・・」と数える、あれである。

 「らく朝」氏はこの話に運動不足、ストレスによる過食による肥満等の生活習慣病の話題を織り交ぜてモディファイし、現代調の「健康落語」に作り上げていたが、動きも少なく静かだった前半とは一変、全身を使っての大熱演で、演技力、迫力も充分で感心して聞き入った。落語は大変な全身運動であることがよく分かったし、これだけの域に達するには、あるいはこれ以上を求めるなら、最早医業とは到底両立し得ないだろうとも思われた。

 私は笑いの元になる4コマ漫画とか、落語とか漫才、コントなどが大好きである。
 馬鹿馬鹿しい、あり得ない様な話に腹から笑いこけたり、反対にしんみりした人情噺に感心する。これらはストレス解消のためにもとても良い。
 秋田大学で学んでいた頃は学会などで時折上京したが、大抵寝台特急あけぼので前夜に上京し、帰路は21:00と22:25分上野発の2本のあけぼののどちらかであった。夕方からあけぼのまでの時間、上野文化会館で音楽を聴くか、「上野・鈴本」で落語を聴いて時間を過ごしたものである。それが秋田空港が現在地に移って便利になったことや新幹線の開通で東京は完全に日帰り圏となってこれらの楽しみは消滅してしまった。

 その後、私が落語を楽しむのはすべてラジオ番組である。滅多に聴けないので本当はCDとかの落語選集などを購入し、名匠の表現を味わいたいのであるが、聴く時間が確保できないので諦めている。私が時間的に余裕が出来たら・・と楽しみにしているが、収集したレコードあり、MDあり、CDありで、果たして落語や漫才まで果たせるのだろうか。多分私にはもうそんなに時間は残っていないと思う。

 とにかく、先日の病院協会の催しでは「立川らく朝」氏の落語を十二分に堪能出来、すばらしい時間を過ごし得た。


7/28(月)降雨 管理会議 安全管理者との打ち合わせ クリニック訪問 療養病棟判定会議(欠) 長副会議 
1:30頃起床、身体障害者申請書、患者病態検討、その他。6:30回診、7:45-8:30管理会議。10:00-11:00安全管理者と打ち合わせ。16:00-17:20クリニック訪問, 療養病棟判定会議は欠。17:30-20:00長副会議。21:15帰宅、夕食、21:45就寝。

腹の底から笑いたい(1) 医師・落語家「立川らく朝」氏の落語を楽しむ
 去る7月15日夕方、久しぶりに落語を楽しんだ。それも秋田で。
 翌日、外来で何人かの患者に「先生、昨日落語は面白かったですか?」と問われ「何で知っているのか?」と不思議であったが、この日の会場の様子は地方のTVで紹介されたとのことであった。その中で、一番前の中央の席に陣取り大笑いしている私の顔が大写しにされたらしい。どんな顔していたのか些か気になるところであるが、もう後の祭りである。
 
 この落語を聞く会は、かなり場違いの印象受けるのであるが、秋田県病院協会と賛助会員との定例の懇談会の企画として秋田ビューホテル
で行われた
 この会は、例年であれば病院関係者とか、厚生労働省の課長クラスの方を招聘して医療情勢に関連した講演が行われるのであるが、暗いニュースが続く世の中なのでたまには落語でも聞いて大いに笑おうと企画されたとのことである。とても良い企画だったと思う。
 
 この日高座に上がったのは「立川らく朝」と言う落語家である。この方は東京表参道福澤クリニックを開設されている現役の医師でもあり、ご自身の専門性を生かして、健康教育と落語をミックスした新しいジャンルである「健康落語」を確立した。
 
 氏は杏林大学昭和54年卒で大学生時代は落語研究会に所属、慶大内科に入局して主として生活習慣病、動脈硬化症なとの研究に従事、その一方では
エイズ対策企業懇話会を設立してこの方面でも活躍しておられる。平成10年に、44才にして落語への未練を断ち切れなかっただけでなく、更に極めたいと考えて立川志らく門下に客分弟子として入門、2年後正式に入門して研鑽を積み、平成16年二つ目に昇進、全国を飛び回っていると言うことである。
 
 氏は全て病の元凶はストレスにあり、そのストレス解消は笑うことに尽きると演目の中でも強調していた。確かに、笑うことが免疫力を高めるとことについては実験的にも確かめられているし、ガンやリューマチの患者の自覚症状も軽減することは日常的にも経験していることでもある。
 
 ならば、医療関係者はむすっとして患者達にストレスを与えるようではダメだと言うことにもなる。と言うことは、医療関係者に笑う、笑わせる余裕を与えることが患者を救うと言うことにもなる。
 舛添さん、福田さん、予算編成に関して2200億円の件、よろしく。


7/27(日)晴 病棟拘束 故瀬戸泰士中通総合病院名誉院長「お別れ会」「お清めの会」
2:00起床、ドック判定総括x1、新聞チェック等など。5:30病院、6:30回診他拘束業務、8:30救急カンファ。10:00Castlesへ。11:00故瀬戸中通総合病院名誉院長「お別れ会」、12:00-14:45「お清めの会」。15:00-16:00院長室で熟睡。18:30家内につき合い街へ、買い物、外食など、20:30帰宅、21:00就寝。

故瀬戸泰士中通総合病院名誉院長「お別れ会」「お清めの会」
 瀬戸中通総合病院名誉院長(78)は去る5月31日にお亡くなりになった。
 ご葬儀は6月15日に仙台の陸奥国分寺で営まれ、私も出席した。

 本日、法人主催による「お別れの会」「お清めの会」が午前11時から秋田キャッスルホテルにおいて催された。

 「お別れの会」は、正面に百合を中心とした白い生花が壁面いっぱいに飾られた中央に在りし日の写真が飾られた質素なレイアウトの会場でいとなまれ、500余名もの各界の方々が参会された。故瀬戸名誉院長を慕う方々、患者はとてつもなく多い。

 黙祷の後、法人会長のあいさつに始まり、秋田市長、県医師会長、社会福祉協議会長、元副院長、元総師長の5名の方々からお言葉をいた。いずれも名誉院長の業績、人となりについて、特に医療面で当時大きく遅れていた秋田市、秋田県の医療を超人的バイタリティの元にリードし発展させた功績については共通して述べられ、私は本日も大きな感銘を受けた。
 ご遺族のあいさつとしてご長男からのメッセージが代読され、次いで中通総合病院設立50周年記念祝賀会の際に来賓としてご参加いただいたときの挨拶が録音と写真にて再現され、お元気であった在りし日の名誉院長の力強い言葉に改めて聴き入った。最後に参列された方々全員が献花され、「お別れの会」は終了した。

 次いで、別室にて生前深く関わられた方々100余名のご出席のもと、「お清めの会」の会食が催され、県健康福祉部長による献杯のあと、会食をとりながら10名ほどの名誉院長ゆかりの方々から思い出話等のスピーチをいただいた。この方々にとって、中通総合病院の院長と言えば未だに「瀬戸泰士」名誉院長であり、私など影が薄い存在である。私にとって初耳となる貴重なエピソードも数多く語られた。

 「お清めの会」の謝辞は私が担当した。
 ご来賓の方々から名誉院長について十二分に語られた後なので、以下の如く簡単に述べさせて頂いた。

 中通総合病院院長の福田です。
 本日は、故瀬戸泰士中通総合病院名誉院長の「お別れの会」「お清めの会」にご出席いただきまして、真に有り難うございました。
 瀬戸名誉院長も、本日、生前より心からご信頼申し上げておりました
皆様方と再会でき、更にお心のこもったお言葉を数多くいただき、感謝いたしていることと存じます。
 故人に代わりまして、改めてお礼を申し上げます
 中通総合病院は、明日から新しい一歩を踏み出すことになります。
 医療情勢の厳しい中ではありますが、創業以来の理念であります「いつでも、どこでも、だれにでも」を大切にし、「患者の立場に立つ良質の医療」を提供し続けて参ります。
 今後もよろしくご指導・ご鞭撻くださいますようお願い申し上げます。 
 本日は本当に有り難うございました。
 これを持ちまして、瀬戸名誉院長の「お清めの会」の御礼と閉会のご挨拶にさせていただきます。


7/26(土)晴 病棟拘束 ドック結果説明 散髪 救急補助対応
2:40起床、ドック判定総括。特定疾患関連書類。5:20病院着。回診他。9:00ドック結果説明。患者関連の書類処理など。床に広げた未処理書類かなり減少、歩きやすくなった。13:00散髪。14:30-15:50小児科病棟救急対応補助。18:55帰宅、夕食、20:30就眠。

救急外来へ泥酔して頻回に来院、暴言・乱暴、非協力的患者への対応
 
当院は秋田市内の救急告示病院の一つで多数の救急患者を受け入れている。
 
 最近は来院患者の重症度は低下傾向にあり、必ずしも救急外来に受診するほどでもない患者の来院が増えている。時間外の救急業務を粛々とこなしているスタッフには頭が下がる思いである。
 
 更に問題なのは、泥酔状態で必ずしも疾病や外傷でないのに頻回に来院、スタッフに難癖をつけ、時に乱暴をはたらく問題患者が少数ながらいる。しかも診察費は未払いである。この様な患者でも、時には診療の対象になる疾病を持っていることもあり、ひとまず急患として受付し診察の上で判断している。この様な患者に対しても医師には応召義務があると定められており、対応は慎重であらねばならない。しかし、こんな患者が来ると働く意欲は一気に萎え、どっと疲弊する。
 
 救急診療部長からこの様な患者に対する対応の原則について、院長としての考えを問われたので、以下のごとく回答した。
 
現状の見解
■診療費未払患者----原則として未払を理由に直ちに拒否はできない。
■医師や看護師に暴言を吐く患者----暴言の程度や病院側の説得等も聞き入れない場合などには診療を拒否できる場合がある。
■夜間救急外来を受診し点滴抜去などを繰り返す患者---説得も聞かず適切な医療ができない状態であれば診療を拒否することが許される場合がある。
 
 しかし、いずれの場合も患者の容態等によっては拒否できない。応召義務が患者保護の側面も有することから、診療拒否したことにより患者に不利益が発生したときは、医師に損害賠償が課せられることもある。
 
解  説
医業報酬が不払であっても直ちにこれを理由として診療を拒むことはできない。不払の理由を確認し、生活困窮等などのやむを得ない事情がある場合には支払方法等についての相談を受けるなどの対応が必要。また、行政機関の福祉事務所等へ紹介し、生活保護により医療扶助を受ける方法もある。
資力があるのに、再三の説得や督促にもかかわらず,理由もなく支払わない場合には、診療を拒否する正当な事由となる。
暴言の程度にもよるが、再三の注意や説得も聞かず、院内において医師や看護師等、あるいは他の患者も萎縮させまたは困惑させるような言動に及ぶ患者に対しては、診療を拒否する正当な事由となる。
前項の如くの状態や、病院の業務に支障を来す行為を反覆し、放置できない場合には、威力業務妨害罪に当たるので、警察に通報して良い。
医療は、医療側と患者側の医療契約なので、患者側にも診断や治療に協力義務がある。勝手な行為を繰り返す患者との間には、医療契約自体が成り立たない。診療を拒否する正当な事由となる。
上記の状況が頻回で対応が困難であれば、院内への立入り等の禁止を求める仮処分命令の申立ても検討する。
対 応
暴言・乱暴とかが徐々にエスカレートするようであれば、当直スタッフの応援を求める。
スタッフや他の患者に不安を抱かせるような場合には警察に通報して良い。
救急部部長に報告する。
 
 舛添大臣は「あえて私は時々医師を信用しない一人の国民の立場で発言することもある」等と発言しているが、医療現場の苦悩を知らない「机上の大臣」が何を言うか、と思う。
 こんな発言が問題患者を増やしていく温床になり、勤務医を不足の一因になっているのだ。


7/25(金)晴 患者家族面談 ドック診察 法人理事会 感染院内研修会+情報交換会 
1:30起床、ドック判定総括x1。文献・新聞チェック。5:10Taxi病院着、6:30回診他、事務処理。7:00患者家族面談。8:00救急カンファ。退院院患者対応ほか書類記入中心に。14:00ドック診察x5。17:30-18:30法人理事会、18:30-20:00院内感染症研修会。20:30-22:30情報交換会、中座して帰宅、23:00就眠。

舛添厚労相の無責任、評論家的発言に驚く
 舛添厚労相は対国民向け、対マスコミ向けにちょっとリップサービスが過ぎる様な気がしてならない。背水の陣の福田内閣の一員として国民の側に立たざるを得ない苦しい立場なのか、自らの人気取りなのか、はたまた、性格なのか?真意はどこにあるのかなかなか読みとれないが、私は後二者と思う。

 「メディファクス」によれば大臣は「安心と希望の医療確保ビジョン」に関する会合などで、「中医協の議論は透明性がない」と述べ、「(医療)関係団体は国民から乖離している」と発言した。また7月17日の「安心と希望の医療確保ビジョン」の具体化に関する検討会では、「医師に対する不信感を何とかしてほしいという国民の声もある。あえて私は時々医師を信用しない一人の国民の立場で発言する・・」と述べ、「自分はあくまで国民の目線で議論する」との立場を強調した。

 これを一般の国民が聞けば、意味する内容を考えること無しに、その通りと思うだろうし、よくぞ言ってくれた、と思うであろう。私は大臣ともあろうものが国民に十分な説明をせずに、耳あたりの良い単語を並べただけの、評論家的無責任な発言をすべきでない、と思う。

 患者側の医療や福祉に対する要求度が高まった現在、どんなに良い医療に対しても100%満足すると言うことは望みがたい。ましてや、自ら経過の良くない疾患に罹患した患者、最愛の家族を亡くした家族に対し、医師を始めとする医療関係者が如何に真摯に対応したとしても不信感や不満が残ることは否めないし、これを到底ゼロには出来ない。逆にお互いの立場の差は開大していく傾向にある。 

 勿論、医療者側の要因は全く無いと言うことは出来ない。医療関係者の個人的資質の問題も否定はしない。しかし、厳しい我が国の医療制度のために医療関係者が何とかしたいと思っても出来得ない状況にある現実を、大臣を始め医療行政側が直視して欲しい。

 医療は患者・家族、医療関係者による共同作業であり、本来そこには対立関係が生じることは望ましくないが、「あえて私は時々医師を信用しない一人の国民の立場で発言することもある」等と患者・医師関係に対立構造を持ち込むことを煽るような発言は問題である。また、行政側と医療関係者の関係維持の立場からも不適切な発言と思う。

 個々の医師も、医師会員も今の医療がこれで良いとは思っていない。患者家族の気持ちも理解できる。だから、もっともっと良くしたい。それが医療人の共通の望みだ、と思うが、私共の行く手を阻んでいるのが我が国の低医療費政策、医療行政なのだ。

 
舛添厚労相の無責任、評論家的発言に驚いた。


7/24(木)秋田雨・東京快晴 地域医療崩壊阻止総決起大会に出席  
0:26地震で起床。ドック判定x1、特定疾患認定更新関連x3等。5:30Taxi病院着。6:10回診他病棟業務。8:00救急カンファ。9:40空港へ。10:45 ANA767-300、何故か到着便が遅れ、30分ほど遅れて出発。12:10羽田着、空港で持参の業務処理。14:30笹川記念会館へ。15:00-16:05地域医療崩壊阻止総決起大会。18:10JAL-MD90満席。20:00帰宅、夕食、21:00就寝。

国民医療推進協議会主催「地域医療崩壊阻止総決起大会」 内容は乏しかったが
 
国民医療推進協議会は国民医療を守ることを目的として日医を中心に40ほどの医療関係団体によって平成16年に結成された会である。混合診療導入反対をはじめとして国民皆保険制度を守るための署名運動・地域集会等の活動を展開している。かつては600万人の署名を集めたなどの活動実績がある。
 
 本日、国民医療推進協議会が主催し、東京都医師会が協力した地域医療崩壊阻止--社会保障費の年2.200億円削減撤廃?を求める総決起大会が笹川記念会館2階国際ホールにおいて15:00から開催され、県医師会の代表の一人として出席した。
 
 各団体の長による、開会宣言、挨拶、趣旨説明、決意表明が行われた後、決議を採択、最後は頑張ろうコールで締めた。
 
 地域医療崩壊阻止のための総決起大会として以下の決議が採択された。

 決議:「長年にわたる社会保障費の伸びの抑制が、医療崩壊を顕在化させたことは明らかである。国民が安全で安心な医療を受けられるための確固たる医療提供体制の再構築には、適正な社会保障費の確保が必要不可欠である。よって、本大会参加者全員の総意として、次のとおり決議する。
■ 社会保障費の年2,200億円削減撤廃」

 壇上には各団体の代表者、自民党、公明党の多数の国会議員が並んだ。50名ほどか。来賓挨拶として尾辻参議院議員会長、津島税調会長を始め、10数名ほの議員が短時間ずつ意見を述べた。2200億円の削減に反対の立場の方々なのであろうが、はっきり言って何を言っているか分からなかった。論理性抜きに声高に檄を飛ばしているようなものであった。
 満足すべき内容の総決起大会とは言い難いが、予算編成の直前にこの様な会を開催したことの意義は、参加した意義は小さくはないだろう、と思う。
 それにしても東京は暑かった。


7/23(水)雨 患者家族面談 外来+ドック診察  秋田メディカルサービスKK総会+県医師会郡市医師会長協議会+理事会+納涼会
1:30起床。ドック総括他。5:15Taxi病院.6:15回診、病棟業務。7:00入院患者家族面談。8:00救急カンファ、8:45-14:20外来+ドック説明+ドック診察。15:30-16:30秋田メディカルサービスKK取締役会。16:30-18:15県医師会理事会+郡市医師会長協議会。18:20納涼会、中座、20:00帰宅、20:30就眠。0:26岩手県沿岸部を震源とする地震。

ディバッグと通路側の座席、エレベーターなど
 ここ10数年、年に20数回、往復とすれば50回ほど航空機を利用してきた。大部分は東京往復、日帰りである。今年から日本医師会の委員会委員を辞したので、利用の機会は少なくなる。
 
 搭乗券を購入する際、座席は予め最後部の通路側を指定するが、たまたま前方席になっているときなどには空港で座席変更する。団体が占拠していないときには多くは希望が通る。
 いつも後席を指定するので何か考えがあってのことかと良く聞かれるが、より人の密度の少ない広々とした環境で、ゆったり過ごしたいからで、どの座席がより安全か等を気にしているわけではない。航空機で大きなトラブルが生じたらそれまでで、後のことは宜しく、と割り切っている。
 
 通路側なら良いといえど前方の席は側を後部座席の乗客が通るため、煩わしく、かつ、手荷物をぷつけられる危険がある。さりとて、窓際は狭くて閉塞感があって苦しい。やはり後方が良い。
 
 私はバイク通勤をするので20年来バッグは背負えるタイプのものを日常的に用いている。ディバッグと言われるものであるが、最近はこのタイプを持つ方が増えているようである。両手が自由になるから何かと便利である。ところが、これを背負ったままでは狭い航空機の通路などでは他の方に迷惑になる。手に持って移動すべきである。
 
 思慮深い一部の方々(?)は手荷物を座席の手すりより低い位置に下げて人にぷつけないようにしているが、手荷物を高く持ったり、担いだりして、平気で他人にぷつけながら通る人が少なくない。家庭での常識教育の欠如と思ってしまう。特に、金属の留め金などがついたバッグは危険である。
 
 私は、いつも最後に乗り込む。このころ通路は空いている。それでも機内ではバッグは胸に抱え、背負わない。降りるのも最後だが、この時はもう誰にも迷惑にならないから背負う。私の一寸した配慮である。
 
 新幹線でも同様の配慮が必要である。混んだ電車やエレベーターでディバッグを背負ったままと言うのもとても迷惑である。手に提げるか、足下に置くべきである。
 明日24日は東京往復の予定である。


7/22(火)雨 管理会議 消化器科と話し合い 外来 法人常務会 医局カンファ 長副会議  市医師会永年勤続者+納涼会
1:30起床,ドック判定総括、特定疾患書類処理、その他。5:15バイクで病院着、直後から降雨。6:10回診。病棟関連業務。7:45管理会議、8:20消化器科と面談。8:45-14:30外来。14:45-15:40常務会。16:00組合病院院長来訪。17:30医局カンファ、オピオイド。18:00-19:30長副会議。19:40-20:45秋田市医師会永年勤続者+納涼会。中座、21:00帰宅、21:30就眠。

福岡出張(2)北海道産「さくらんぼ」、など購入
  前夜遅く、長女、長男が揃って帰秋したが、入れ代わり家内が早朝福岡に出張した。日本医師会の男女共同参画フォーラムで、県医師会の委員としての参加である。

 フォーラム終了後、帰省中の子供達にいろいろ食べさせたい、とデパート巡りをしたらしく果物などいろいろ抱えて帰秋した。フォーラムの資料や持参のマックや録音機等は持ちきれず、別便で送ったのだという。この発想は母親である。

 土産の中に見事な「サクランボ」があった。もう秋田では地産や山形産の「サクランボ」は殆ど姿を消して輸入物が並んでいる。何で今頃福岡で?と思った。箱には北海道産、産地直送、と書いてあった。今は北海道で「サクランボ」が旬らしい。大粒で実に立派、味もなかなか良かった。

 北海道から九州までどのようにして送られたのだろうか。空路なのだろうか、あるいは陸路か。新鮮さが売りだろうから、前者のような気がするが分からない。それを秋田の旅行者が購入、翌日の午後に秋田で味わったわけだが、実に贅沢なことで恐れ入る。

 他に、岡山産の「桃」「マスカット」、宮崎産の「マンゴー」など買って帰ったが、何れも見ているだけで感心するほど見事な出来であった。これらは産地が比較的近いからトラック便だろうが、生産から収穫、福岡までの輸送、秋田での消費までたどった全コースを考えるととてつもないほどの化石エネルギーが消費されていることになる。

 値段など聞いていない。予想も出来ない。ケチな私はいろいろ考えて、これらの見事な果物に感心し、味わったが、単純な気持ちで楽しむことが出来なかった。


7/21(月)海の日 晴れ・暑い一日 病棟拘束
2:30起床、ドック判定総括、新聞チェック。5:10バイク病院着。6:00回診、病棟関連業務。8:30救急カンファ。10:00帰宅。楽器練習など。12:00家族揃って外食。文献チェック。網戸修理他。15:00長女離秋。17:00パスポート用写真撮影。19:30夕食、20:00就眠。

福岡出張(1)福岡も日帰り圏になっている 
 家内が7/19福岡に出張した。日本医師会の男女共同参画関連の会で、県医師会の委員会委員としての参加である。
 その行程のプランを立てたが、会は13:00-17:00なので、日帰りのプランも事実上不可能でないことが分かり、その便利さに感心した。

 実際には会の後に情報交換会も予定されており、家内も福岡で若干の買い物をしたりしながら、少しゆっくりしたいとの意向があったので福岡泊とし、翌日10:00福岡発、13:00羽田発のANAで帰秋した。

 秋田空港発の一便は7:15発のANAで、羽田発の最終便は20:05発ANAである。従って、片道2時間半の沖縄便をのぞくと羽田との間で都合の良いANA便がある都市の場合には充分日帰りが可能である。
 これは宿泊嫌いの私に取ってはとても便利である。多分、今回の福岡出張が私だったら、秋田発一便で発ち、9:15羽田発で福岡に向かい、2時間ほどゆっくり過ごし、会議に出て、17:30福岡発、20:05羽田発で帰秋するコースを組んだと思う。

 去る6/20-6/21は日本病院協会主催の「医療の質向上セミナー」が札幌で開催されることになっていて出席を予定していた。秋田・千歳便は2往復あるが、秋田発は午前遅く、千歳発は15:40分と早いので実用的とは言い難い。
 この時の予定は、6/20の11:00秋田発LALにて千歳に向かい、若干遅れてセミナーに出席、翌日は最後まで聴講し17:30千歳発ANAで羽田に向かい、最終便で帰秋する行程とした。多分このコースの出張旅費は出ないだろうから半分は自腹と覚悟していた。実際には当院が当番の秋田市内の研修医の会が6/21に開催されることになったために今回のセミナーは出席を断念せざるを得なかった。

 羽田はJALとANAが第1・第2ビルと別々になり、互いの乗り換えは不便になった。午後だけの会議等の場合、ANAに一本化して乗り換え時間を短縮すると多くの都市へ日帰りコースで出張が可能である。
 忙しないが私にとっては実に便利である。


7/20(日)快晴  病棟拘束
2:00起床、ドック判定総括、新聞・文献チェック、ずっと自宅で業務、特定疾患更新用書類記載など。11:00-12:00微睡。13:00-14:00久々楽器練習。家内福岡より帰秋。16:30-19:00病院、患者関連書類処理。19:15コーヒーショップへ。20:00帰宅。20:30夕食、21:15就眠。

古い文献類廃棄作業を楽しむ(4) 単行本は廃棄対象外で、溢れている
 文献類廃棄処分は本の処分も含んでいる。空き時間を見つけては大量に処分している。尤も処分の対象は医学雑誌、専門誌、趣味関連の雑誌類、教科書類で、単行本の多くは廃棄対象外である。

 医学雑誌、専門誌、趣味関連の雑誌類の処分は困難ではない。より新しいのが簡単に手にはいるからで、私は原則的に3年間分はそのまま取ってあるが、それ以前のものは暫時廃棄している。
 ただ、そのまま廃棄するのではなく一度ザッと目を通しなおす。その際、注目すべき思った論文は1ページ目だけをPDF化して保存し、分類しておく。いつでも検索できるし、必要なら当院図書室、あるいは大学の図書館で全文を再取得出来る。

 一方、処分する気にならないのが単行本である。

 読書も趣味の一つであるが、今のところは時間が無く積読が多い。常日頃から新聞や月刊誌の書評欄を見てはメモを取り、購入予定リストを作成している。10数年分のリストは優に1500冊分を超える。街に出たとき、出張の際には浜松町、空港や駅の書店で物色する。範囲は歴史、仏教、美術等々雑多で広範な分野であるが、ジャンルで言えばノンフィクション、随筆類が多い。

 読み終わった本を売りに出す方もいるが、私はどうしてもその気になれない。幼少の頃から書物を大切にせよと教わったことが骨の髄までしみ込んでおり、一度目を通した本を廃棄することに大いにためらいを覚えるし、背表紙で本のタイトルを見ているだけでも安心する。

 我が家は、2階建て、8LDKのプレハブ住宅で、特別補強しているわけでないので30個近くある本棚、書棚は各部屋と廊下の壁際に平均的に分散している。入りきれない古い文庫本は段ボールに入れ山積みにしてある。

 私が集めた本は私以外にはそれほど価値があると思えないし、至るところ糊付けしてあるので売り物にはならないそうだ。私がいなくなるとき、なったとき全てがゴミとして処理されるだろう。勿論それで良いと割りきっているが、それまでは、最小限、背表紙を眺め、早く時間を作って読み返したい、と思っている。


7/19(土)快晴 病棟拘束 21世紀の医療を守る会総会+集い 秋大泌尿器科同窓会
2:15起床、ドック判定総括他、いつもの如し。福岡出張の家内送り、6:20病院着.7;10回診他。8;30救急カンファ。10;00入院患者面談。書類等処理。特定疾患患者の書類更新時期。12:15県医師会へ。12:30-16:00「21世紀の医療を守る会総会+集い」。18:30-20:00秋大泌尿器科同窓会、中座して帰宅、20;30就眠。

新聞のお悔やみ欄で患者の消息を知る
 私は地方新聞のお悔やみ欄をよく見る。いや毎日チェックしているという方が正しい。私が外来で、あるいは病棟で主治医として治療した方が掲載されていないか、を見るためである。 
 私は療養病棟の入院患者を中心に25-35名ほど受け持っている。そのうち毎月5-7名ほどが、他の病院、老健施設、ショートステイ、自宅等に退院していく。その内の一部の方はまた具合が悪くなって再入院されるか、外来を受診するが、その他の方々の消息を知ることはまず無い。生命保険の用紙が送られてきて亡くなられたことが分かることもあるが、高齢者の場合はそれも少ない。だから、患者の消息を知るのにこの蘭は有用である。
 この欄の情報は名前、年齢、住所、喪主だけだから、私がお世話した方であるかを特定できない。翌朝、オーダリング画面で、あるいは外来カルテを出して確かめる。大体半数くらい私がお世話した方である。
 この方々はどこでどのような状態でお亡くなりになったかが気になるところであるが、約半数ほどが私共の病院で亡くなっている。具合が悪くなって、再入院していた、と言うことである。そのことが前主治医に知らされていなかったと言うことで、驚く。

 当院以外で亡くなった方の状況を知ることはまず出来ないが、退院時に地域の医療機関や施設長に紹介している。だから、本来ならば亡くなった時点で報告があってしかるべし、と思う。

 このおくやみ欄は個人情報が云々されている時代にどのような経過で掲載されているのだろうか。秋田の魁新聞の地域情報欄には「おくやみ欄への掲載は無料です。ご希望のご遺族は葬儀社を通じ、または直接当社おくやみ係へ御連絡下さい」と案内がある。だから、遺族が承諾して掲載していることで問題はない。が、逆に、掲載されない場合もあるということでもある。


7/18(金)晴 ドック診察 医療連携セミナー+情報交換会
 
1:30起床。ドック判定総括x1他、文献読みなど。5:15Taxi病院着。6:10回診、事務処理他。8:00救急カンファ。11:00入院患者対応。14:00ドック診察、18:45-21:00医療連携セミナー+情報交換会。21:00-22:30講師を囲み懇談会。23:00Taxi帰宅。家族全員揃っていたが、酔ってダウン、そのまま就眠。

古い文献類廃棄作業を楽しむ(3) ハードディスクに収納することも学びなのだ
 私共は人生を通じて膨大な学習をしている。
 生きていると言うことは、学ぶこと、感じること、味わうことなのだ、とも言い替えることも出来る。ただ、自分自身のことを考えてみれば、63年もの時間をかけて学んできたこと、感じ、味わってきたことが自分にとってどれだけ具体的に生きているのか、と考えると、とても心許ない感じがする。
 
 学ぶと言うことは、学んだことが身に着いていると言うことであろう。
 広範な学びの対象のうち、身を危険から守るような危機管理の学び、人間関係、社会性などの学びなどは言葉とかで置き替えられた知識ではない。これらは体得という形で直接的に身に付くことになる。
 
 一方、本とか文献から、あるいは講演等を通じて得た、知識として学んだことはどうなっているのだろうか、と思う。一部はそのままの言葉でしっかりと身に付いているものがあるが、これはホンのホンの一部に過ぎない。例えば、短歌、和歌、格言等であるが、これはそのままの形で再現は可能である。他の多くの知識は、概念的イメージとして、自分なりに解釈された形で、記憶のどこかに蓄積され、適宜再利用されている、・・ハズであった。
 
 ところが、最近、収集した古い文献を整理していると、当時必死に学習したはずの文献の存在すら全く忘れているし、存在は分かっていても内容を完全に失念している、と言う現実を味わっている。実に情けない状況にあることが分かった。かつての学びが完全に失われてしまっているのだ。と言うことは自身の過去が失われたに等しいことでもある。厳しい現実に愕然としている。
 
 今回の文献の整理を通じ、知識として再度覚えなおしたのもあるが、必要な書類はインデックスをつけてハードディスクの中に格納しなおしている。これによって概念的に再度記憶しただけでなく、文献そのものを簡単に再現することが出来るようになった。
 これは学びそのものにほぼ等しい作業である。自分のあやふやな記憶のシステムに学ぶのではなくハードディスクに記憶させている。これは形を変えた学びだから、とても楽しい作業である。あとは、如何に利用するか、である。


7/17(木)晴れ 外来+ドック説明 秋大外科教授訪問 河北新報記者来訪 病院協会医学生との集い
1:30起床。ドック判定・総括x.文献チェック、徒然。5:20Taxi病院着、6:10回診ほか、8:00救急カンファ、8:40-14:30外来。15:00秋大外科訪問。16:00河北新報記者来訪懇談、消化器科医師と面談。18:00-20:00病院協会医学生との集い+情報交換会。多数の医学生参加、盛会であったが例によって中座し帰宅、夕食、21:00就眠。

古い文献類廃棄作業を楽しむ(2) PDF化なら永く使えるのでは??
 最近、必要な書類は殆ど富士通社製のScanSnap S300Mを用いてしてPDF化して保存している。紙ベースの書類は取り込んだ後大部分廃棄している。データに名前をつけて分類しておけばいつでも検索し簡単に取り出すことが出来るから紙で取っておくより遙かに便利である。
 
 かねてから私はヒューレット・パッカード(HP)社のScanJet 4sと言う機種を使って書類を電子化して整理していた。この機種はVisioneerとPaperPortと言う二つのソフトで動作するもので、その意味では汎用とは言えなかった。1997年5月にScanerは生産中止となったが、私はその後も5-6年は使用していた。機器が生産が中止になっただけなら何とかなったが、このソフトはOS10.0以降用にVersion upされることはなく、SCSI接続を持つ旧Macで、OS9までの機種でしか動かない。
 
 パソコンの進化に即応してソフトを改良して蓄積したデータを生かす様な方法を維持していくのはメーカーのユーザーに対する義務だと思う。先にはEpsonでも、クラリスワークスでも、MacのHyperCardでも同様の経験し、古い、大量のデータを活かせず悔しい思いをして来たが、米国大手のHP社ですらそれをしなかった。
 
 だから、私は大量のデータを死蔵させないためにOS8.0-9.0で作動する古いパソコンも廃棄できないで4機種所持している。ソフトを何種か介して何とかOS10.4でもデータを見ることは可能にしたが、使い勝手は良くない。だから、ScanJet 4sは2年ほど前に見切りをつけ廃棄した。
 
 今春、富士通からMac専用のカラーイメージスキャナ2種が発売された。これはウインドウズでヒットした商品で余勢を駆ってMac専用器も発売したらしい。取り込んだ画像をそのままPDF化して特別なソフトを介さずとも表示、編集、管理保管出来るもので、メール添付も可能,コピー機としても使える便利なものである。
 
 貴重な文献を製本しておいても実際に必要になったときに探し出すのが大変で、途中で諦めることも多々あったが、今進めている作業でいつでも取り出せるようになった。私自身が一層賢しくなったような気がして実に気分が良い。
 
 富士通社製のScanSnap2機種はおすすめ品である。


7/16(水)晴れ 外来 医療行政懇談会+情報交換会
1:30起床。ドック1判定総括x1、文献・新聞チェックなど。5:10Taxi病院着。6:20回診、8:00救急カンファ。8:45-14:00外来+ドック診察。院内感染対策委員会は欠。15:30医療行政懇談会+情報交換会。19:20よって中座、19:40帰宅。20:10就眠。

古い文献類廃棄作業を楽しむ(1) 記憶に残っていないのが悔しい
 最近、思うところがあって収集した古い文献に目を通しなおし、廃棄できないのは
PDF化して保存し、他は廃棄している。お陰で自宅、病院の書棚は隙間が出来始めている。

 私はどちらかというと整理整頓が良い方であろう。読んだ文献のうち後にまた利用したり読んだりする可能性を感じた文献は自分で製本して取ってある。厚さ
1.5cmほどの本として50-60冊になっていて一部は書棚に、一部は家で段ボール詰めになっていた。目録を作ってあったがそのソフトは古いパソコンでしか開くことが出来なくなったのも見直す切っ掛けの一つである。

 今年
3月、専門誌や一般的学術雑誌類は目を通さずに古い順にばっさりと処分した。一旦目を通し始めると惜しくて捨てられなくなるからである。これで身辺が随分すっきりした。
 
5月連休ころ、収集した文献集の処分も決心した。その目的で書類を簡単にPDF化できるスキャナー(富士通製ScanSnap)を購入した。今は昭和50年代分の廃棄を終了し、60年代に収集した文献を処分し始めている。

 一般的な学術雑誌ではなく、読んだ時に価値を感じて選別して集めたものだから20数年前の文献といえ、今でも興味を覚えるものばかりである。これらを取り出してみると実に懐かしい。赤鉛筆でびっしりと線が引かれ、当時かなり集中して読んだと思われる文献、いつか読むだろうと思われたもので未だ読んでいなかった真っ新のもある。

 懐かしい文献も見つかった。だから、とても楽しい作業である。
 悔しい思いをするのは、赤鉛筆でびっしりと線を引いた文献も記憶からすっかり消えているのが多いことで、愕然とする。自分の過去が消滅しているのだ。
 だから、私の場合、記憶に頼らず、整理し、目録を作り、いつでも検索して取り出すことが出来るようにしなければならない、と言うことになる。この方法は自分に合っていたのだ、と再確認も出来た。


7/15(火)晴 外来 法人常務会 秋田県病院協会と賛助会員との懇談会 医局カンファ(欠)
3:00起床,熟睡時間が乱れると辛い。歳を感じる。ドック判定・総括他.5:10病院、6:00回診。8:00救急カンファ。8:45-14:00午前外来、14:45-16:10法人常務会。17:30-19:45秋田県病院協会と賛助会員との懇談会+情報交換会。特別講演は表参道福沢クリニック院長であり落語家である「立川らく朝」氏の落語「ヘルシートークと健康落語」。懇親会は中座。20:10帰宅、21:00就眠。
 
思いがけない出会いがある徒然日記(3)日々の事象との出会い
 私が具体的に日記をつけ始めたのは、30数歳の頃、小さかった子供達を公園で遊ばせていたときに受けた県警の職務質問がきっかけで、生活記録をつけておかなければ過ぎ去った日々の自分を説明できないと自覚したからである。
 
 日記の効用については、日記をつけておられる多くの方々が既に述べておられるし、それに関して著作をお持ちの方もいる。私にとっての第一の効用は上記のごとくの何時頃何をしていたかの記録である。幸い、その後、職質は受けておらず実効はまだ発揮されていない。
 
 私は早朝、ちょうど4:00頃、人間ドック関連の業務、文献、新聞チェックが一段落した時から、ラジオ深夜便の「心の時代」を聞きながら書く。この時間は入浴、出勤準備などで結構落ち着かないが、5:00の出勤までに7-8割出来る、後は通勤の途上で考え、病院で仕上げて送る。
 今は日記をつけないと何か忘れものをしたようで、落ち着かない。習慣とはえらいもので、中座とか止めるのが惜しくなる。継続は力なり、と続けることを目的に書くこともないわけではないが、365日欠けることなく埋まっている。
 
 第2の効用は自身の精神面への影響か、と思う。要するに憂さ晴らしである。忙しい日々であればあるほど何かを書きたくなる。20分でも30分でも、一日の自分を振り返る時間を習慣的に持つことになる。朝の貴重な時間帯にドック総括など病院業務やっているとなんてバカらしい、人生を浪費していると思うが、日記を書くと落ち着くから、ストレスの解消に役立っている。
 
 効用の第3は、何か話題がないか、書くものがないかと、思いめぐらしていると、今まで聞こえなかった周囲の物音が聞こえてくるし、見えても見えていなかったことが見えてくる。これはとても良いことである。身近な事象に何と味わい深いものがあるか、と驚かされる日々である。

 第4の効用は過去の出来事をさがすのにとても便利だということである。私はブリタニカ年鑑を20年以上毎号購入していて、過去を調べるツールとしてとても便利であるが、自分の記録から探す方がずっと楽である。検索をかけると一発で出てくるからある。


7/14(月) 雨のち晴  管理会議 安全管理者と打ち合わせ 県DV防止基本計画改定委員会 療養病棟判定会議(欠)長副会議    
2:00起床。ドック判定・総括。書類処理。新聞チェック。5:00病院。6:10回診、7:45-8:25管理会議。10:00-11:00安全管理者と打ち合わせ。13:00-15:30県DV防止基本計画改定委員会。療養病棟判定会議は欠。17:00-18:40長副会議。20:50帰宅、夕食、21:30就眠。19:30就眠。23:00病棟より電話、出勤。患者死去、1:45帰宅、就眠。

ウナギ偽装事件に呆れ、大分県の教員採用不正に驚く
 今回のウナギ偽装事件は従来の食品の偽装と異なりスケールがあまりにも大きく、あくどい。社会が隠蔽や偽装を正す風潮が高まっている中で不正をやめるどころか、一層複雑、大規模化している。もう虚偽表示のレベルを超え、詐欺行為である。

 これとそれほど間をおかずに判明したのが大分県の教員採用汚職事件である。教員採用試験への介入、校長や教頭への昇格人事を巡って、現職校長らが現職の教育委員会幹部らに多額の現金や商品券を送り、有利な計らいを求め、誰から見ても異例の抜擢というような人事が行われていたと言うことで、これは明らかに贈収賄事件である。

 ここ数年、企業の隠蔽体質とか不正が明るみに出るようになり、企業の社会的責任、企業倫理が厳しく問われ、社会の企業を見る目も厳しくなってきていた。甘く判断して良いというわけでは絶対にないが、企業の不正や隠蔽工作の裏には厳しい経営状態がある。だから許されて良いというものではないし、発覚した際には不正で得ようとした利益と比較しようもない巨大な損失、すなわち倒産や関係者の逮捕などが待っている。

 一方、公務員の不正は企業の不正とは本質的に異なった土壌を持っていると思う。ある意味では、企業の不正よりも悪質である。
 実情を知っているわけではないが、私が学生の時に旧国鉄や地方公務員、教員になるにはコネが必要でこれがないとなかなか採用されないと、就職試験を間近にしていた仲間通しで良く話題になった。確かに、私の郷里の親戚の中でも親子孫と三代ともほぼ全員が国鉄職員だったたり、親子全員が教員とか、郵便局員の家庭があった。このことを私は実に不思議に感じていたことを思い出した。ただ、当時不正があったのかは分からない。

 黒豚の流通量は生産より遙かに多いと言われているようだ。真偽を確かめることを国はやっているのだろうか。ウナギも同様で国内生産量の何倍もの国産ウナギが流通している、偽装は暗黙の了解、と言う記事を遙か前に何かで読んだことがある。国とか業界の責任でチェックが必要なのでないだろうか。

 大分県の件は大分県だけの問題なのだろうか?とつい心配になる世相が悲しい。


7/13(日)晴れ 病棟拘束  
3:00起床。ドック判定・総括x1、新聞チェック、本読み、文献大量に整理。15:00-19:30病院、患者対応、書類処理。20:00帰宅、夕食、21:00就眠。

NHKアーカイブス「摩周湖」を見て(3)西村由紀江 歩荷(ぼっか) 細川音治氏
 戴いた
DVDNHKアーカイブスとしての再放送で、「摩周湖」の前に音楽を担当したピアニスト西村由紀江氏の演奏とトーク、後ろには黒部ダム建設の貴重な映像がカップリングされていた。

 ピアニストの西村由紀江氏については私は
20034月福岡市で開催された日本内科学会総会における市民公開講座「医療と音楽」に参加して初めて知った。ステージにおける彼女はスタイル良し、表情良し、笑顔良しで、実に美しい方であった。話術もなかなかで、特に「日本昔話」の語りはピアノ演奏を織り交ぜながらの語りで、見事なものであった。この時のことは今でも鮮明に思い出す。それ以降、時に朝のラジオ番組に間奏として彼女の演奏を聴くことはたまにはあったが、姿を見たのは5年振りである。
 明るいスタジオでの収録なので、あのステージでの姿とは大きく異なっているし、年輪も加わっているが、思いがけない方の映像を見ることが出来た。「摩周湖」の映像と共に流れるピアノ曲もなかなか良い。

 摩周湖の後に歴史の記録として、「黒部ダム」建設の映像が加えられている。これも心打つ映像である。私は歩荷(ぼっか)と言う言葉をこの映像で初めて知った。歩荷(ぼっか)とは荷物を背負って山越えをする、特に、山小屋などに荷上げをすることで、それを職業とする人もさす。
 昭和
30年代の、多くを人力に頼っていた頃の労務の状況を知ることの出来る貴重な映像であるが、麓から黒部ダム建設の現場まで大きな荷物を背負って黙々と歩き、届ける歩荷(ぼっか)達の映像は特別心に染み入った。今なら大型ヘリで一気に荷揚げが行われるであろうから、既に存在しない職業であり、歩荷(ぼっか)と言う言葉も忘れ去られてしまったのだろうが、今までこの言葉を知らなかったことをこの映像を見ながら恥じ入った。

 「摩周湖」の映像には環境庁自然公園指導員、てしかが自然史研究会会長、細川音治氏が紹介されている。
 病院事務長もやられた方というので今回の
DVD提供のエピソードも含め、身近に感じられる方である。植物学を独習し、若いときからずっと摩周湖をひたすら愛し、詳細な観察を続けて来られた方である。著書に「阿寒・摩周の植物」他がある。
 ラジオ深夜便によると今まで湖におりた回数は優に
2000回を超えるという。その時の話し方は実にさわやかで、摩周湖に対する気持が静かな言葉で熱く表現されていたが、今回DVDで紹介されたその姿は、放送を聴きながら抱いていたイメージと一致した。摩周湖を語る際の言葉、優しげな目の表情、笑顔も素敵である。
 最近収録されたと思われる映像では必ずしもそのようなイメージは受けなかったが、今回
2-3回いただいたメールからは、摩周湖に降り、観察をし続けるのが徐々に困難になりつつあるようにも感じ取れる。
 確かに、摩周湖の急峻で険しい崖の映像を見ても、湖面への往復だけでも体力的にも大変なことと思われる。
 今後はご無理なさらず、いつまでもお元気で過ごされるよう願っている。
「摩周湖」の映像を通じていろいろ教えられ、考える機会を与えて下さった細川氏には改めて深く感謝したい。


7/12(土)曇り→晴れ 病棟拘束 「山田カップ」テニス大会 秋田弦楽合奏団第32回定期演奏会
2:15起床、ドック判定総括x1他。毎朝の貴重な時間のドック処理は不快。家内不在で4:45病院着、6:20回診、8:30救急外来。患者関連書類処理。10:00入院患者対応。13:30-15:30太平山テニスコート、3ゲームデパートナーに助けられ6-1、6-1,6-4。中座し病院、17:30-18:30アトリオンへ。秋田室内合奏団第32回定期演奏会「セレナードの夕べ」、遅れた上に更に中座。20:25帰宅、夕食、21;00就眠。下腿痙攣数回。家内帰宅。

NHKアーカイブス「摩周湖」を見て(2)人から隔絶された希有な自然湖 
 構造上、山から注ぐ川がないことから有機物が入り難く、夏でも14℃前後と水温が低い。あらゆる生物が生息しにくい環境にあって、これらの要因から湖水に不純物の発生する条件が少なく、高い透明度を保っているとのことであった。

 この摩周湖にも食料増産を目的に大正から昭和にかけてヒメマスやニジマスが放流されたとのことで、当時の食糧事情の一端を知り驚いたが、期待に反してよく育たなかったために放流が中止されたとのこと。今でも小型の魚群が少数認められるだけという。その背景は、2.500Lの水を濾過しても少数のプランクトンしか検出出来ない環境にあることが分かる。

 水質の研究は北見工科大学が継続的に行っているとのことであるが、重金属類は他の湖や水道水に比較して著しく低く、人間の生活から隔絶され、生活用水などで汚染されていない純水に近いものだという。一方、その水に含まれる化学物質、例えば、?-DHC、PCBとかの検出は大気汚染等を通じて摩周湖の水にも蓄積されており、人間の営みのを反映するバロメーターとして国際的にも貴重な湖沼の一つとして価値も高いという。

 全編を通しての圧巻のシーンは、「摩周湖」といえば私共にとってはやはり「霧」と「透明度」なのであるが、霧が発生し、瞬く間に湖面を覆い尽くす場面であった。
 朝、外輪山の外で発生した雲の一部が外輪山を乗り越え始め、霧となり、見る見るスケールが大きくなり、あたかもナイアガラの瀑布の如くの様相で、湖面に流れ込み、3時間ほどの間に霧が厚く湖沼全体を覆い尽くしてしまう。静かな朝の情景はこの間一変し、台風の如くの風が吹きすさび、6月であっても気温は0℃にまで低下するのだという。やがて陽が昇るにつれ霧が静かに薄れ、湖面が見えるようになのであるが、この情景は自然の営みの壮大さを見せてくれる。
 私は摩周湖の霧は冷たい湖面で静かに発生するものだと思っていたので心から驚いた。

 透明度は41.5mと世界一を誇っているが、この映像を録った時期は31mで、世界で5本の指に入る,との表現であった。かなり、ランクは落ちてきているようで今後が心配である。

 湖畔への立ち入りは、環境保護のため厳しく制限され、湖面に降りるには大臣の許可が必要である。従ってこの映像で見ることが出来た大部分の情景は私共は直接見ることの出来ない、とても貴重なものと言うことになる。
 これを見る機会を作っていただけた細川氏に改めて深く感謝したい。


7/11(金)雨  人間ドック診察 クリニック訪問 法人理事会  
1:20起床、ドック判定総括x1。文献検索、新聞チェック他.5:10病院着。6:30回診、紹介状その他。8:00救急カンファ。主治医意見書、保険関連診断書等々患者関連書類処理に費やす。13:00ドック診察x4。15:00クリニック訪問、歓談、打ち合わせ。17:30-18:30法人理事会、残務、21:30帰宅。22:10就眠.

NHKアーカイブス「摩周湖」を見て(1)初めて見る若い湖の様相に驚く
 
環境庁自然公園指導員、細川音治氏よりいただいたDVDはNHKが5ヶ月かけて1997年に制作したもので、本年6月に再放送されたものだ、という。私は全く知らなかったが見られた方もおられると思う。

 私は摩周湖に関しては、本などで若干知っているに過ぎなかった。
 データは手元にある。火山噴火口に出来たカルデラ湖で標高は350m、周囲約20km、最大水深212m、透明度は41.5mと世界一とのことであるが、最近は20数mと言う。阿寒国立公園の中にあり、アイヌの人々が神の住む領域として「神の湖」と名付けてあがめてきた、神秘的なたたずまいの湖という。

 確かに、一般的に見ることの出来る本や絵はがきの範囲から知ることの出来る摩周湖のイメージは緑豊かな山に囲まれ、摩周ブルーと称される湖面の色調もあって、ひたすら美しいが、湖面側から観察される急峻な崖は厳しい自然の営みを表現している。その像を見る限りとても若い地形の様相で驚く。

 摩周湖の成り立ちについては番組の中で精緻なCGを駆使して説明されている。
 約16.000年前から始まり、何度も繰り返された火山活動で現在のカムイシュ島、摩周岳の形が出来たとのことであるが、最終的な、今ある形が出来たのは決して古くはなく、約1.000年前で、平安朝時代だとのことである。山の頂上にあると言う地形上、流入する川も流出する川もなく、その水の源は直接カルデラに降り注ぐ降雨のみであるという。わずか1.000年の間にこれだけ豊かに水が溜まり、しかも、降雨、蒸発、地下への水分の浸透が微妙にバランスがとれ、現在の水面が殆ど変わらず維持されている、と言うのも驚きであるし、大いに興味が持たれるところである。

 摩周湖は人間生活と隔絶された、厳しい自然の中に出来た湖であり、流入川が無いことから、構造的にも人間の生活の影響を受けがたい構造をしている。わずかに存在する小川の水は湖面に達する前に地層に染み込んで濾過される構造になっている、と言うことも知った。更に、人の出入りは厳しく制限され、湖面におりるには大臣の許可が要るということも摩周湖の透明度の維持などに関連していることになる。
 
 摩周湖の水の調査によって人間生活による環境汚染の推移を知ることが出来るという、世界的にも貴重な場所の一つとなっていることなど、いろいろ知ることが出来た。


7/10(木)晴れ 外来 渡辺玲子レクチャーコンサート 
1:40起床、ドック判定総括x1、文献チェックほか、6:30家内送り病院。回診他病棟業務、その他、8:00救急カンファ。8:45-14:30外来、疲弊した。蓄積した書類処理。19:45-20:10渡辺玲子レクチャーコンサート、これも中座。21:00帰宅、夕食、21:40就寝。
 
思いがけない出会いがある徒然日記(2)細川音治氏からメール
 6月29日 Otoji Hosokawaの送信者名でメールが入っていた。許しを戴いたのでお名前入りで紹介する。初のメールであったために迷惑メールとして分類されていたが、かつて何処かで聞いたことのあるお名前であったために恐る恐る開いてみた。
 
 「
2007/11/20のNHKラジオ深夜便で摩周湖をお聞き戴き、感謝申しあげます」との書き出しがあり、驚いた。実際は2004年11月のことなのであるが、NHKラジオ深夜便「こころの時代」で2回にわたり「てしかが自然史研究会」の細川音治氏の摩周湖についての話を聴き、いたく感心し、何度か聞き直し、11/20の徒然に感想を書いていた。その出演された細川氏その方であった。

 
「徒然日誌を拝見しました。NHKラジオ深夜便・摩周湖をお聞き戴き感謝申しあげます。1997年にNHKが5ヶ月かけて映像化したNHKスペシャルが先般NHKアーカイブスで再放送されました。誠に失礼とは存じますがDVDをお送りさせていただきたく、ご笑覧いただければ嬉しく存じます(中略)。」
との内容であり、私は早速、「喜んでいただきます」と返事を差し上げた。
 
 このような感じで「徒然」を通じて思いがけない方々から連絡をいただく。開設以来優に100名は超える方々とネットを通じて知り合いになれ、意見交換出来た。中には表現がきついとかのお叱りの内容のものもあり、反省させられたこともある。
 
 数日後に細川氏からDVDが送られてきた。映像には想像も出来なかったシーンが次々と映し出され、摩周湖についていろいろなことを知ることが出来た。ラジオ深夜便の録音も改めて聴き直した。双方を合わせることでまだ見たことのない摩周湖の神秘さ、壮大さなど知ることが出来た。

 2004/11/20の徒然に書いた感想は誠に恥ずかしいレベルであるが、それを見て記憶の一角ににとどめて下さり、DVDを観る機会を与えてくださった細川氏には改めて感謝申し上げたい。


7/9(水)快晴 対策会議 外来 ドック診察 県医師会常任理事会  
2:00起床。微量採血関連投稿文用意はついに間に合わず、次号に。ドック判定総括x1。5:10病院着.6:00回診その他。7:15-7:55対策会議。8:00救急カンファ、8:40-14:00外来、ドック診察。17:30-19:40県医師会常任理事会。21:40帰宅、22:00就眠。

思いがけない出会いがある徒然日記(1)
 秋田の地方紙である魁新聞コラム「杉」の話題は今回はブログに関するものであった。題は「ブログの責任」というもので、ブログの「光と影」についてで、「影」の部分についても意識すべしという論旨であった。その記事によると、日本はブログ大国で、国内ブログは1700万近いとする調査結果もあり、世界で有数の規模という。私もその一人と言うことになるのだが、この記事を見て複雑な気持になった。
 
 確かに何事にも光があれば影もあり、表があれば裏もある。
 実は、私は自分の文章には光も影もあまり意識していなかった。憂さ晴らしをかねて、独り言を言い続けているレベルでとらえているから実害は無かろうと気楽に考えているからである。
 
 誰のために書いているのかと問われれば、自分のため、次いで家族へのメッセージとしてである。私自身や私が挙げた話題に若干の興味を抱いた方々に読んで頂けるのは嬉しいが、これはあくまでも副次的である。
 
 何で自分のために書くのか、と言えば、思いついたこと、考えたこと、疑問に思ったことのメモ化、定着化、記録化と言うことになる。光は写真または録画として、音は録音としてその機器があれば簡単に記録できる時代である。それと同じで、考えたこと、感じたことを形に表し、残しているだけなのさ、ととらえている。
 思いついたこと、考えたこと、疑問に思ったことなどは、よほどインパクトの強いものでなければ霧や雲のようなもので、時間と共にすぐに消え去ってしまう。これは実に勿体無いことである。だから、書く、書き留めておくことは私にとっては大きな意味がある。
 
 何で連日書くのか、に関しては「継続は力なり」と言う言葉に意義を感じて実践しているだけ。だから、継続自体が一つの目的であり、私自身の状態を示すバロメーターでもある。徒然そのものは2002年からであるが、その前の記録を見ると約15年間ほぼ欠くことなく記録できている。この間、一定の気力を維持できていたと言うことでもある。いつか突然頓挫する比があるかもしれない。今まではそれがなかっただけである。
 
 魁のコラムは、「われわれは光の部分を享受している。だからこそブログの責任もかみしめたい」、と問題を投げかけて終わっている。私も知らず知らず問題を起こしているのだろうか。そんなことはないと思うが、心に刻んでおこう、と思う。


7/8(火)晴れ 外来 法人常務会 県教育庁との懇談会 医局カンファ(欠)
 
1:10起床。ドック判定総括x1.書類処理、5:10病院着.6:10回診他定期処方、書類書き、8:00救急カンファ。8:45-14:10外来、混雑、疲弊。14:45-15:40法人常務会。16:00-17:15県教育庁と医師会との懇談会。医局カンファ:「非定形好酸球症」は欠。20:50帰宅。21;30就眠。

「医師不足解消に歯科医師の活用は如何か」、と言う有り難い意見があった(2)   
  私が知っている範囲で一つだけ医師と歯科医師の区別が明瞭に示された判決がある。

 数年前に北海道のある病院で救急救命センターに若い歯科医師を受け入れて研修させたことが問題になった。障害者の歯科治療の際など全身麻酔を用いることもあるが、通常は医師とのタイアップで行われるが、何かと連携がうまく行かないこともあり、実施できる医療機関も限られている。そのために、より広範な技術を備えた歯科医を養成するという新しい時代を迎えたのか、と注目していた。しかし、司法は病院とセンター長に対し、歯科業務とは直接関連しない医師の業務を歯科医に担わせた責任を厳しく認定した、と記憶している。

 要するに、養成課程で同様のカリキュラムであるとしても、現在は医業と歯業の間には相容れないほど大差がある、と言うことである。

 一方、現実に歯科医も投薬や注射をすることが出来るし、抜歯とかの処置の前には血圧測定等も行っているが、これらの医業との共通部分は「歯科治療を目的とした範囲」に限定され、歯科治療と関連のない状況下で歯科医が独立して患者を診療したり治療したりすることは出来ない、と言うことである。

 私が秋田大学第三内科で勉強していた後半の数年は新研究棟で口腔外科学教室と隣り合わせであった。この間スタッフ同士は廊下で会えば会釈する程度で、患者の歯科的治療について数回相談したことはあったが、共通の話題もなく、殆ど交流もなかったことを思い出す。何となく世界が異なる一角、のような気がしたものである。

 医師会の仕事を通じては、口腔外科と耳鼻咽喉科の診療領域に関して互いに相容れがたい関係にあることも知った。何とかトラブルとして大事にならずにいるようであるが、いつか問題として吹き出すかもしれない。双方にまたがるような疾患を持つ患者に歪みが出ないことを願うだけである。

 結論として、養成課程で同様のカリキュラムであるものの法的に両者の業務範囲には大きな違いがある。歯科医が臨床研修を充分に行い医師国家試験を受ける道も先の判決で閉ざされている。医師国家受験資格は医学部卒でしか得られない。

 意外と医科と歯科の距離は大きい。医師不足に解消のために残された道は、歯学部学生が医学部に編入することしかないようであるが、これとて医学部入学者に定員がある以上、医師不足解消には役立たない。

 有り難いご意見であったが、私が考えた範囲ではどう考えても実現不可能なようである。


7/7(月)雨 管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議 
1:00起床、ドック判定、新聞・文献チェックなど。5:10病院着.6:15回診他.7:45-8:25管理会議.8:45-14;10外来。16:00-16:30療養病棟判定会議。17:00-19:40長副会議。21:00帰宅、夕食、21:45就眠。

「医師不足解消に歯科医師の活用は如何か」、と言う有り難い意見があった(1)   
 
私がこの徒然にしつこく医師不足のことを取り上げてきたので、歯科医師と思われる方から、医師不足の解消に歯科医師の活用を考えては如何か」、と言う有り難いご意見を寄せてこられた。
 参考になるご意見でもあるし、個人を特定するキーは一切含まれていないのでお許しいただけると思うので、一部紹介する。

 こんにちわ。
 現在、医師数が充足してないとのことで、国民も医師も大変な状況にあるのは、周知のことです。
 歯科医師の教育科目は、解剖、病理、薬理、生理、生化学、組織、臨床系では、内科、外科、麻酔、耳鼻科、眼科、産婦人科など、医科の教育課程と相当に同じような内容の科目があるのです。
 国家試験の科目にはありませんが、知識としては、医師に一番近い資格なのです。
 現在、歯科医師は過剰といわれ、医師は足りないのが現状ですので、歯科医師を再教育か講習することで、医師国家試験を受験させ、臨床研修すれば、早期に医師の確保ができるのではないでしょうか。
 また、診療科目の制限をすることで、短期に専門を勉強することもできますので、専門のみの医師とすることも可能でしょう。あるいは、医師の監督、指導のもとであれば、おなじ医療行為をすることができる準医師(勤務医のみ)なども認められていいと思います。
 たとえば、麻酔医などは、同じ研修内容で同じ資格なのに、歯科医師の麻酔医は、歯科にかかわる手術の麻酔しかできません、
 全身管理は、医科も歯科も同じです。麻酔医などは、すぐに応用できるでしょう(後略)。


 確かに、米国では、新型インフルエンザ蔓延時に不足するマンパワーの緊急解決策として歯科医師にも業務を担って貰うよう全米歯科医師会に協力を養成したことが本年
1月中旬に2夜にわたってNHKで放映された「最強のウイルス 感染爆発の脅威」、でも取り上げられていた。

 本来、私ごときが答えるべきレベルの問題ではないが、私宛のご意見だったので若干考察してみた。

 日本では医師は絶対的不足であるが、歯科医師は養成過剰で余っている。従って、歯科医師とのタイアップは医師不足対策に意味あることのように思われる。しかし、法的に見ても、社会通念上も、さらに、両者のプロフェッショナリズムの面から見てこれは簡単にはいかない問題を含んでいる。

 まず、医師法
17条には「医師でなければ医業をなしてはならない」とあり、歯科医師法17条には「歯科医師でなければ歯科医業をなしてはならない」とある。ここで、もう既に両者には純然たる区別がつけられている。
 一般社会の考え方、感じ方も重要である。両者には大学教育における共通な部分はあるとしても、両者は質的に全く異なった職種という風に捉えられている。ご意見を下さった方もこの点は十二分に分かっておられて歯科医師の方が医師国家試験に合格して・・としているのはこのためだろう。


7/8(日)超快晴、暑い一日 病棟拘束 家内引っ越し ヴェネチア合奏団(キャンセル)
 1:30起床、ドック判定総括x1、新聞・文献チェック。6:00Taxi病院、回診他。8:30救急カンファ。9:30バイク帰宅、10:00-12:30家内の書籍等の荷物組合病院から引っ越し。大曲でのヴェネチア合奏団演奏会は開演時間に間に合わずキャンセル。自宅居間のレイアウトその他変更。15:00-16:30NHKスペシャル「摩周湖」をDVDで観る。今までのイメージが一変した。ドック総括など処理しつつ自宅で過ごす。19:00夕食。20:00就眠。

書評:「失踪日記」吾妻ひでお  2005年 イースト・プレス (1197円)
 私はここ数ヶ月間、恐らく本年3月以降だろうか、吾妻ひでお氏のマンガ、「失踪日記」にはまっている。とは言っても入眠前のほんの数分間だからそれほど何度も読み返したわけではないが、3回ほどは読んだかなと思う。

 作者の吾妻ひでお氏はその道では結構有名な、人気作家らしい。私はこの本で初めて知った。1950年生まれ、1969年にマンガ家デビュー、ギャクマンガ、不条理・SFもの、エロチック美少女ものなどの多彩な作風で各方面から支持を得ている、とのことである。

 私も作品を見ていて才能豊かな作家だと思う。絵が素晴らしい。コロコロした若い女性がロリコン風に可愛く、見事に描かれており、この絵を見ているだけで飽きない魅力がある。微妙な心の変化が画に的確に表現されている。

 内容は、自分自らが社会から脱落していく様子を描いた作品で、締め切りに追われるストレスいっぱいの生活、逃亡後の厳しいホームレスの生活、ガス配管工としての奮闘記、アル中病棟入院後の厳しい生活が淡々と表現されている。各所で医学的に見てどうなのかと思うような記述もあるが、アル中病棟入院前後の気が狂いそうな幻覚状態の表現は圧巻であり、禁断状態、他のアル中患者の観察と表現、アル中病棟の看護師等の笑顔など、私はついつい引き込まれてしまう。

 調べたら、この作品はその道でも高い評価を受け、「文化庁メディア芸術祭・大賞」「日本漫画化協会賞・大賞」「手塚治虫文化賞・マンガ大賞」のトリプル受賞を果たしている。

 彼の得意分野の一つというSFものの作品を一冊取り寄せてみたが、あまり面白いとは思えず、まだ途中である。何で私がこれほどこの「失踪日記」気に入ったのか、と考えると、私の隠れロリコン趣味、潜在的逃走願望・逃避願望、母親譲りのうつ的性格・・等々が互いに共鳴しあっているから、と思う。だから、共感しながら何度も何度も読めているのだと思う。

 「ベルサイユの薔薇」の作者の池田理代子氏が4月18日のコンサートのトークで漫画家の悲惨な生活の一部を語っていたが、この作品を読んでいたから理解出来たし、苦労しながらもソプラノ歌手に見事に転身出来たルーツ、バイタリティも理解できた。要するに彼女も現実から逃避したかったのであり、実際に「失踪した」のだ。私はそう思っているし、その気持ちに共感できている。

失踪日記 - Wikipedia


7/5(土)曇り  病棟拘束   東北医連理事代表者会議
2:15起床、ドック判定x1, その他。5:10病院着、事務的処理、6:00病棟回診、その他。8:30救急カンファ。9:00ドック結果説明。14:05こまち仙台へ。16:30-18:20東北医連理事代表者会議+情報交換会。18:38こまち、21:30帰宅、21:45就眠。
 
録音機、Roland R-09HRまで(6) R-09HRで一段落しそう 
 ポータブルMDは楽器練習、講演会等で随分役に立ったが、外付けマイクが必要で設定も微妙、チョイ録りには向いていなかった。一時、代用品としてICボイスレコーダーを2機種購入して用いてみた。しかしながら、これらはチョイ録りに便利であったが肝心の録再機能、音質面では全く満足出来ず、いろいろ工夫してみたがゴミ箱行きとなった。
 
 昨年夏頃、コンピューターの月刊誌MacFunの中にRoland R-09というMP-3録音機が、音楽の生録にも十二分に機能する推薦機種として紹介されており、一時検討したが、ICレコーダーで失敗したという経験もあって今ひとつ踏み切れないで居た。
 本年5月、家内が野鳥の声を録音したいと言い出したが、そのときこの機会に、と購入した。この製品なら、通常の録音は内蔵マイクで充分と言うことで何もつながなくともよいからアウトドアにも適している。
 
 調べたところ、今春からR-09の上記種としてR-09HRが発売になっていた。R-09HRは、R-09の基本コンセプトはそのままに、24bit/96kHzのリニアPCM録音への対応や、すぐに録音状態を確かめることが出来る小型スピーカーを搭載、ワイヤレス・リモコンもつき、更に高機能になっていた。記録媒体はSDメモリーカードで512MBが付属している。会議の録音の時などに自動的にレベルをセッティングする機能などもあり、まず通常の録音機としては満足出来る製品である。
 当然、パソコンでデータを保存、編集も可能、CDを作ることも可能である。
 
 問題は付属のSDカードでは通常のMP-3 128kbpsでは490分ほどの録音が可能であるが、最高音質の24bit/96kHzのリニアPCM録音となるとわずか13分しか録音出来ないことである。データの圧縮技術が如何にすごいモノなのか実感させられるが、8GBのカードだと最高音質でも220分ほど録音可能となるのでいずれは用意したい、と考えている。
 
 まだ購入して一月程度で楽器練習、講演会、法要の録音、アウトドア録音などと持ち出していろいろ試行錯誤中である。思った以上に消費電力は大きいようだ。パソコン転送等も結構時間がかかる。
 それでも、今まで用いてきたポータブルの録音機としては機能面でも音質面でもベストで、十二分に満足している。
 後は如何にしてこれを生かすか、と言うことになるが、また楽しみが増えた。


7/4(金)曇り 患者家族面談 ドック診察   
 
1:30起床、ドック判定総括x1ほか文献・新聞チェック。5:10Taxi病院着、6:30回診他.紹介状、主治医意見書など作成、7:00患者家族面談。8:00救急カンファ。本日は院内外の予定無し。14:00ドック診察と面談。20;30帰宅、夕食、21:00就眠。

床屋のひげそり、整髪  そんなに丁寧にしなくても良いが 
 私は床屋が嫌いである。身体を触られるのが何とも耐え難いからである。だから、行きつけ以外にはまず行くことはない。大抵は職場内の生協とかにある理髪店だけを利用する。
 
 かつて散髪は2-3ヶ月毎であったが、県医師会の役員をやるようになった、ここ10年あまりは1.5ヶ月程度毎と周期が短くなった。広報と感染症等の危機管理を担当していて講演やTV出演とかが頻回であったこと、突発的TV取材にも備えている、がその理由の一つである。
 
 数年前、レジオネラ肺炎が県内の温泉地で発生したとき急遽TVインタビューを申し込まれたが、この時はうかつにも髪を伸ばしすぎておりとても受けられる状態になく、他の医師に無理矢理お願いしたことがあった。
 
 そのとき以来、若干は意識し、気をつけている。くだらん配慮と私自身は強く思っているのだが、TV画面というのは変なところだけが強調されるらしく、見た方々の評価は、実際に私が何について話したのかはあまり関係なく、「ネクタイが曲がっていた」「髪が伸びていた」「白髪が・・」であり、回り回って「・・奥さんは何も言わないんですか??」と言うのもあった。TVとは所詮こんなものなのである。
 
 私は髭とか、髪とかには殆ど関心が無い.自分で髪に櫛を入れることはまず無い。いわゆる手櫛のみ。私が無精髭を生やすと実に貧相に見えることは重々分かっているのだが、面倒だから週に1-2遍しか剃らない。外来中に患者から指摘され、中座して剃ることもある。
 
 こんな私だから、床屋があまりにも丁寧なのに閉口する。時間も短縮出来ないのだろうか?
 どうせ明日からは元の木阿弥になるのだからザッと軽くやってくれればいいのに、といつも思うし、実際に希望として告げている。でも効果はない。しつこく髭をそり上げ、すべすべである。髪をドライヤーで整えてからまたハサミを入れる。ほぼ形式の様だが、必ずこの過程を踏む。最近はこれが理髪師のプロ根性なのだ、と納得し諦めている。
 
 プロ根性を彼女らと比較すると私のはグッと劣っているようだ。
 「先生、簡単に澄ませて・・」「楽に逝かせて・・」 と本人が希望したら、私なら喜んでそうしてあげるのだが・・・。


7/3(木)雨曇り 外来 地域医療包括実習レポート発表+懇談会+慰労会 
 
2:00起床。ドック判定総括x1。各種データ収集。5:15Taxi病院着、6:30回診その他、書類など。8:00救急カンファ、8:40-13:50外来、混雑、ストレス。14:00-16:00地域医療包括実習レポート発表+反省会。18:00同実習慰労会+懇談会。20:00中座し帰宅。20:15帰宅、ダウン、20:.30就眠。

録音機、Roland R-09HRまで(4)カセットからMDへ 
 2003年6月、思い立ってMD録再器(Panasonic-MR230)を購入した。
 
 わが家の子供達はとっくにカセットに決別し、3人ともポータブルのMDプレーヤーを持ち歩いていた。私はそれを見ながらも2-3年間は、意固地に距離を置いてカセットにこだわり続けていたが、ある日、たまたま借用してみて、この7x7x5mmの小さなディスクに最大5時間(LP4モード)もの録音が可能で、テープ特有のヒスノイズが無く、音質も良好、消去、頭出しも簡単、と言うことを知り、もうカセットに執着すべきでない、と一気に納得した。
 
 購入する目的の第1は楽器練習時のモニター用、第2は講演会の録音、第3はラジオ深夜便「心の時代」を中心とするFMの録音で、前二者を重視して最少サイズの録再器とした。
 
 その後、MDの便利さに惹かれ、私の録再の殆どがMDとなり、カセットの時代は終えた。
 現在は据置形のMDデッキ4台、再生専用のポータブルMDプレーヤーも用いている。ディスクも300枚ほどとなり、これ以上は増やさない様に工夫している。
 
 ただ、MDデッキは故障し易いように思う。据置形のMDデッキ4台のうち2台は録音部分がダメになり再生専用となっている。再生専用のポータブルMDプレーヤーも不調である。修理はしていない。
 MDは更に規格が進化し、Hi-MDタイプの製品が見られるが、あまり普及していないようである。
 
 NHK-FMが中心なので、私にとってMDの機能で十二分であるが、時代はさらにiPod等の新規格の製品に移りつつあるようだ。最近の電子機器の寿命は短くなっている。


7/2(水)快晴 入院患者家族面談 外来+ドック診察 療養病棟歓送迎会   
1:30起床。ドック他文献整理、5:10バイク病院着.雲一つ無く、放射冷却で寒いほど。6:20回診他病棟業務。7:00患者家族面談。8:00救急カンファ。8:45-15:00外来、大混雑。18:00-19:30療養病棟歓送迎会、なべ勝にて。これも例の如く中座。20:00Taxi帰宅。20:10ダウンし就眠。

録音機、Roland R-09HRまで(3)FMエアチェックから衛星放送へ 
 1971年以降、私が利用した録音機は据え置き型カセットデッキ、72年にはオープンリールデッキ、1982年頃にカセットデンスケとかわっていったが、1987年に本格的に衛星放送がスタートした。
 
 FM放送に比較にならないほど高音質の音楽番組が放送されるという触れ込みに惹かれ、私もこの年、早速受信装置を導入、同時に特に高音質で録画出来ると評価の高かった日本Victer社製のS-VHSビデオデッキを購入した。型番は忘れてしまったが、当時のビデオデッキの中でも機能は最も充実しており、価格帯も最高クラスであった。
 
 確かに画像、音質共に当時のレベルとしてはほぼ満足出来る録画・録音であったが、聴き直すのに私にとっては画像が邪魔であり、最終的には画像無しに音声のみの録音再生器として用いられた。
 
 結局、毎年年末に放送されるバイロイト音楽祭のワーグナーの「指輪」3種類、バーンスタイン指揮の「マーラー交響曲全集」、各種のオペラ数10本位の録画程度で、このS-VHSビデオデッキはオーディオ機器の地位から居間のTVの付属品に格下げされ、昨年カセットを取り出すことが出来なくなり寿命を終えた。これを機会にVHSビデオテープも全て廃棄した。
 
 今はTV放送、音楽番組は家内と賄いの石井さんの傘下のハードディスク3機種に録音・録画されている。なかなかいい音で記録されている。しかし、私は残念ながらこれらの装置を一切操作出来ない。


7/1(火)晴れ 患者家族面談 外来 常務会 医局会議
2:00起床,ドック判定総括x1他。5:10バイク病院着。6:30回診他。7:00患者家族面談、8:00救急カンファ、8:45-13:20外来。14:45-15:40法人常務会、17:30-18:40医局会。病棟患者対応、21:00帰宅。軽食。21:45就寝。

酒の席では私はいつも中座 アルコールと会話がダメになった
 私はもともとアルコールにひどく弱い。
 父親は弱くはなかったが深酔いしたときの酒癖は良くなかった。だから幼少の頃から酔っぱらいは嫌いであった。私は二人兄弟であるが、共に酒は駄目である。娘は分からないが次男は底なしに呑める。不思議なことと思う。

 酒類は滅多に美味しいと思わない。それでも若干は呑む。イヤ、舐める。自分だけの基準だが、少し深目に酔うと不整脈や嘔気で気分が悪くなる。両者とも立ち上がった際に一気にひどくなる。さらに、激しい睡魔に襲われる。だから、宴席は苦手中の苦手である。しかし、酒を酌み交わすこと、宴席の会話に意味がないと言う気はない。一定の範囲ではあるが、むしろその価値は認めている。

 秋田に住むようになってから家内の親族の方々にも大事にされてきたが、酒が出る頃になると別扱いで、私など居ない方が良い。何でこうも秋田の方々は酒好きなのか、よそ者の私には理解が出来ず呆れるばかりである。

 
30代後半頃から毎晩、130mlのビールの小缶で練習した甲斐があってここ数年は何とか350mlほど飲めるようになったが、最近またダメになりつつある。
 数年前までは県医師会の総務・庶務担当として情報交換会、懇親会等のマネージメントもやっていた。このときはジュースや茶で時間稼ぎをして、中締めまで何とか頑張っていた。今はそれからも開放された。だから、ここ数年、酒の出る会で最後まで居たことはほとんど無い。中座、中座である。

 最近は、始めから中座する積もりでいるから注がれると呑む。酔ったら中座のパターンである。少しの酒で手足も含めて真っ赤になるから、深酔いした様に見えるらしく咎める人もいない。

 私が中座する理由は他にもあって、一日一食だから夕方は空腹で呑むより食べる方が良い。だから目の前の料理がすぐ無くなることと、会話することはそれほど得手でないので、時間を持たせるのが辛くなるからでもある。自ら席を立って話しに行くことは先ず無い。だから私の周りは寂しくなる。この時も引け時である。もう一つ、余興が出始めたら退散である。

 中座が私にとって良いのはいつもより早めに帰宅出来ることなのだが、もう酔っているから本も読めず、ネコとも遊べず、ただ寝るだけしかないのが寂しい。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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