徒然日記
2008年6月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


6/30(月)晴れ 管理会議 安全管理者と打ち合わせ 療養病棟判定会議  長副会議 
1:30起床、ドック判定総括x1。文献チェック。アトリオン室内オーケストラ寄稿文作製、送付。5:15病院着.事務処理、回診他。7:45-8:35管理会議。10:00-10:40医療安全管理者と打ち合わせ。患者関連書類処理。16:00-16:45療養病棟判定会議。17:00-18:45長副会議。21:10帰宅、夕食、21:50就眠。

録音機、Roland R-09HRまで(2)FMエアチェックから生録へ 
 1971年に購入したソニー製のカセットデッキは便利ではあったが、まだカセットは黎明期であり音域は狭く、ノイズ、回転ムラが大きくて閉口した。それでも補助的には数年用いた。
 
 この頃メインの録音機としてはAKAI電気製のオートリバースのオープンリールデッキを購入し用いた。1972年だったと思う。ソースは主にFMで機能的には十二分の余裕があったが、オープンリールは大きく場所ふさぎでもあり管理に大変であった。テープは50巻以上にはしないようカセットに落としたり、消去・録音を繰り返し、38cm/分のテープスピードをいつしか19cmに落とし、さらに9.5cm/分にして用いた。それでもFMエアチェック用には充分であった。このデッキも1985年頃修理不能になった。残ったオープンリールテープはちょっとした機会に知り合った盛岡市の某病院の医事課職員に差し上げ喜ばれた。
 
 恐らく1982年頃だったと思うが、ソニーからカセットデンスケと言うポータブルのTC-D5が発売になり購入した。このころのカセットの機能はかなり充実していて相性の良いテープを選び、ドルビーオンで録音レベルが適正だとほぼ満足出来た。TC-D5は1.7Kgで持ち運びに便利で、家はでは据え置きデッキ代わりとして、大学の医局、出張病院の当直室などのほか、音楽他の生録にもでも活躍した。何度か修理に出したが、返却時には各種機能の再チェックのデータが一緒について来た。ソニーのこの製品に対する意気込みが感じ取れた。マイナーな改良、変更は何度かなされたようであるが、数年前までカタログに載っており、著しく寿命が長かった。それだけ完成度が高かったのだろう。
 
 2003年6月にポータブル録再MDレコーダー(Panasonic-MR230)を購入した。目的は楽器の練習用と講演の記録用である。機能的にも物理的にもカセットを凌いでおり、エアチェックや生録は全てミニディスクの移行し、私のカセット時代は終了した。録り貯めたカセットテープは大切なソースを若干残して全て処分した。実にしのびなかったが、揺れる気持ちを時代の流れなのだ、として振り切った。
 
 今はTC-D5は音楽その他の録音用としては用いてない。今でも講演会の記録とかを依頼するとカセットテープで供給されるので、主としてそれらの再生用として用いている。26年も前の製品であるが、今でも機能には満足している。


6/29(日)晴→雨  病棟拘束   
2:00起床、ドック判定総括x1。随想読み、徒然など。離秋する長女を送り13:30病院、患者書類対応、古い書籍処分。退院時総括他種々処理、19:00帰宅、夕食。20:20就眠。 

録音機、Roland R-09HRまで(1)AMからFMエアチェックへ 
 最近、録音機Roland R-09HRを購入した。これは単体のままでかなり高精度の録音が出来るので、今のところとても気に入っている。私は録音、特に生録が好きでいろいろ楽しんできたが、また楽しみが増えた感じである。
 
 私の音楽好きは子供の頃だったらしく、小学入学以前からいろんなところで歌わされた記憶がある。十八番は「長崎のザボン売り」であった。
 
 レコードを通じて西洋音楽にふれたのも小学生の頃からでゼンマイ式の蓄音機、電気式蓄音機などでSPレコードを聴いていた。この頃は音楽そのものより再生装置をいじくる方が楽しかった時期である。多くの童謡、民謡、謡曲等のSPレコードの中にブッシュ弦楽四重奏団、カザルスのバッハ等のレコードもあり、こりゃ何の音楽なのだ?と疑問に思いつつも時折聴いていた。このころのレコードの一部はLPでも再発されたので買い換えて懐かしく聴いた。
 
 この時期、東北大学で電子工学を学んでいた兄がどういう経緯で引き受けたのか分からないが、小学校から依頼されて備品としてオープンテープレコーダーをセットアップし納入?したことがあり、この間、自宅でいろいろ調整していたが、今話した内容を直ぐに聞き返すことが出来ることに大きな驚きを感じた。このときの経験が私を録音好きにしたルーツである。この録音機の値段を聞いたが15万円に近かったように記憶している。このころの大卒の初任給は1.5万円程度と昭和史の本にあったから大変な額である。
 
 実際に自分用にテープレコーダーを購入したのは5年ほど経って、高校生の頃で、バス通学を自転車に替えて約一年貯金、さらに親から前借りしてし、やっとの事で購入した。ナショナル製のオープンリールテープレコーダーで4万円ほどで目が飛び出た。音には満足出来なかったがラジオの深夜の音楽番組を録音しては聴いていた。約10年使用、メカは全部廃棄したが、そのケースは今私の大工道具入れに再生されている。
 
 1971年に卒業し、給料をいただくようになってからオーディオにかなり入れ込んだ。録音機として購入したのはソニー製のカセットデッキであった。このころはまだカセットは黎明期であり音域は狭く、ノイズ、回転ムラが大きくて閉口した。
 


6/28(土)快晴  病棟拘束  秋田県医師会第134回臨時代議員会+情報交換会
2:10起床、5:05病院着.事務処理、6:30回診他。8:10ドック診察。8:30救急カンファ。その後は総括・書類と格闘。代議員会での事業報告の予習。15:00打ち合わせ若干。15:30-17:45第134回秋田県医師会臨時代議員会。18:00-19:30懇親会。19:45中座し帰宅。20:30就眠。

朝日新聞「夕陽妄語」の執筆者 加藤周一氏から学ぶ
 評論家の加藤周一氏が朝日新聞に1984年以来連載している「夕陽妄語」は、社会、政治、文学、演劇、音楽と多岐にわたる随筆で、私は10数年来これを読むのを楽しみにしている。

 氏の随想、文章そのものはとても硬い。しかも、見事なほど完成されている。そう簡単には入りこめない格調の高さがある。ある時期までは私は掲載文のタイトルだけは読んだものの、内容を読むことは殆ど無く、どちらかといえば毛嫌いし、敬遠していた、と言っていい。それが急に身近に感じられ求めて読むようになったのは、ある時、彼が医師であり、しかも血液学を専攻していたという氏の経歴を知ってからである。

 同じような感覚はアトリオン室内合奏団を聴くときにも感じる。この合奏団の賛助会員になってから以降、私にとってとても身近な存在となり、その演奏を求めて聴き、心から楽しめるようになった。賛助会員になる前とは聴き方がすっかり違ってしまった。この様に、極めて細い糸であっても繋がっていると言う事には前向きの意味がある、と思う。

 加藤氏の経歴を見ると、大正8年東京生まれ、東大医学部卒で血液内科に入局、とある。彼は日本医事新報のインタビューに、「医学は汲めども尽きせぬ程面白く、魅力ある世界でした。実験を行えば結果が出ました。しかし私にとって、戦争とファシズムがなぜ、どのように起こったかを検証するのに比べれば、小さいことに思えました」と書いている。これは私のメモなので何時の号に掲載されたのか、分からない。

 広範な問題と取り組むには彪大な時間が必要だったし、極度に専門化した医学研究と両立させるわけにはいかなかったので、彼は結果的に血液学から離れたとのことであった。政治、経済、歴史、宗教、文学、芸術、あらゆる事象を手中に収め、安保条約や日本の近代思想史、ヨーロッパの現代思潮、あるいは源氏物語絵巻についても造詣が深い。どれを読んでも教えられることばかりである。

 氏の経歴を知った後も、氏の論評はとてもクールに感じられるが、その合理的批判精神は、医学を礎にして成り立っていることをあらためて感じている。一方、レベルは全く異なるから比較するのもおこがましいが、似たような道を歩みながら、今でも優柔不断、中途半端な知識に甘んじている私は、学問から学び取るべき思考、方法論すらも身に付けられなかったからなのだろう。

 氏は医学から離れて久しいが、医師のあり方について「今後、ますます難しくなるだろう。倫理など、医学の外の間題が多くなったので、はみ出した部分にも教養がないといけない。ただし、教養とはたくさんの知識を身につけることではなく、問題を洞察できる能力のことです」と同紙に述べている。この点については全く同感である。
 しかし、氏ですらこの大きな問題については両立できなかったことではないか、とちょっとだけ批判的に思うと共に、やりたいことの多くを捨てている今のような環境の中に、私自身が何時までいて良いのか、これで良いのか、いつ道を変えるべきなのか、と若干の焦りと共に思うこのごろである。

 氏の著書はリストを見れば数10点に及ぶ。そのいくつかを読んでみたいと思っている。


6/27(金)快晴 年休 休宝寺元坊守様葬儀参列
 2:00起床,ドック総括、徒然など。5:10病院着、6:15回診他、8:00救急カンファ。感染防御打ち合わせ。患者書類処理など。13:00年休。15:00-19:00休宝寺元坊守様葬儀+法要、家族5人全員集合し参加。一人中座し帰宅、20:00就寝。

岩手・宮城内陸地震の影響  栗駒高原牛乳の配達も本日から再開
 6月14日朝の岩手・宮城内陸地震の影響は秋田在住の私にとっては大きな被害はなく、牛乳の配達が止まった程度であった。
 
 秋田市は震度4で、病院の壁や床に若干の亀裂が入ったり、最上階の病棟では机の位置がずれたり、本が棚から落ちた程度はあったが、幸いなことに院内で人的な被害はなかった。一時エレベーターが全機停止したが、閉じこめられた方は居なかった。自宅も殆ど影響がなかった。
 私自身は当日東京出張であった。院内に大きな被害がないのを確認後、空路で上京、行程にほぼ影響なかった。翌日は新幹線で仙台に向かい所用をすました後、新幹線で帰秋したが、地震当日全面的運休翌日にもかかわらず定時運行であった。
 
 唯一影響があったのは定期的に配達を受けている栗駒フーズの「栗駒高原牛乳」が届かなくなったことである。
 これは秋田県県南の湯沢市皆瀬にある会社で、地熱を利用した殺菌がセールスポイントである。全国的にも名が知られつつあるようだ。県南地区も震度は大きかったはずである。販売店からの連絡では地震で断水となり、一時製造ラインを停めたとのことであった。
 給水は翌々日には再開したとのことであるが、ラインやビンの洗浄用の水質の安全が確かめられるまで停止とし、福島県の某微生物研究所に依頼した皆瀬湯元地区の水質分析結果報告が届くのを待ったとのこと。22日夜に異常がないことが判明、23日より製造出荷が再開した、とのことであった。
 
 我が家は週2回配達を受けているので本日朝から配達になった。牛乳瓶のくびには輪ゴムで小さな挨拶がつけられ、最後は「合掌」で締められていた。
 
 私に関連した地震の影響は小さかった。しかし、私の郷里の県南地区が大きく被災したことについては決して心穏やかではない。まだ、数人の方々が行方不明である。
 私に今できることと言えば被災地に義捐金を送ることくらいしかない。
 昨日から院内で募金が始まった。四川の募金よりは若干多めに・・と思っている。


6/26(木)晴れ 感染防御打ち合わせ ドック診察 外来 ドック結果説明 感謝状授与式 療養病棟診療部会 秋田市医師会総会 
2:10起床,ドック判定総括など。5:10病院着。6:15回診他。7:40感染防御打ち合わせ、8:10ドック診察、8:45-14:00外来+ドック結果説明。16:00生け花師匠に対し感謝状を差し上げた。18:50から秋田市医師会総会に出席、要望2件述べた。21:50帰宅、夕食、22:30就寝。

「後方病院として指定」する場合、必ず事前にご連絡下さい
 本日は秋田市医師会第120回定時総会であった。18:30からであったが30分ほど遅れて参加した。予定の第1から第12号議案は執行部の提案の通り全て承認された。
 
 その他と言うことで発言が求められたので「要望事項」として以下の点を述べた。これは某病院院長と私の間で何度か話題になった懸案事項であるが、本日はその院長が欠席であったために私から話題にした。
 
 厚労省の医療費抑制政策の中で在宅医療が重視され、在宅医療を支える地域の診療所にも種々の加算が認められている。その中で、在宅療養支援診療所の指定があり、診療所側にとって必ずしもメリットだけではなく厳しい点もあるが、比較的厚く診療報酬が認められている。
 この場合、診療所が施設基準取得のために書類を提出する必要があるが、その中に「緊急時に入院出来る体制」を記入する項目があり、連携医療機関の名称等を記入することになっている。この場合、入院を引き受ける連携医療機関の同意書や印鑑等は求められておらず、その病院の名称を記入するだけで良い様になっている。
 
 書類上求められていないが、各々の診療所では従来からの病診連携を背景に、互いに納得の上でこの「緊急時に入院出来る体制」についても連携関係を維持している。しかし、最近この書類をめぐって病院の救急の現場で様々なトラブルが発生し、管理者を悩ませている。
 
 要するに、この書類を診療所側が県に提出する際に病院側に連絡がないまま書類を作成し届け出ている例があり、患者がその書類のコピーを持参して突然来院し、入院治療を求めて来る場合がある。病院としては重症患者であれば診療も入院もお断りすることはないが、全く関知していない書類を楯に入院を求められても直ぐには対応出来ない厳しい状況もある。しかも、そのようなケースは多くは夜間帯に生じることで診療所の院長に連絡しようにも繋がらず、患者も救急診療担当者も路頭に迷うことになる。
 
 書類作成時に確かに入院を引き受ける病院の承諾は求められていない。しかし、これは医療人同士の常識の問題であり、互いの立場を考えた場合には決して名前を記入してそれでヨシとする問題ではない。
 
 と言うことで、本日は秋田市医師会に善処をお願いした次第である。


6/25(水)快晴 外来 LL大学園開校式記念講演
1:20起床,ドック判定・総括x1他いつもの如く。5:20病院着、6:10回診他、重症患者対応。8:00救急カンファ。8:45-13:00外来。14:00-15:30 LL大学開校式記念講演「これからを豊かに安心して生きる」。20:50帰宅、夕食、21:30就寝。

秋田LL大学園合同開校式記念講演「これからを豊かに安心して生きる」
 秋田県長寿社会振興財団 (LL財団)が企画する秋田LL大学園と言うのがあって、県内三カ所で開校となるが、本日はその合同開校式が秋田の中央シルバーエリアで行われた。

 LL財団は理事長は県の健康福祉部長が就任しているから、県の健康福祉部の一事業らしいが、私にはその関係とか背景はよく分からない。似たような組織に「老人クラブ連合会」というのもあるが、これとの関係はどうなっているのだろうか?
  秋田LL大学園はこのLL財団の事業の一つで、平成2年度から続いているのだという。そのコンセプトは「高齢期を充実して過ごすための入門講座として位置づけ、時代に即した教養を身につけ、レクリエーション活動や社会活動を促進して、高齢者の健康づくり、また楽しく学びながら仲間づくりもできるもの、として開設している」とのことである。参加資格は県内に在住する60歳以上の方々とある。確かに、良い企画だと思う。
 
 本日は20年度の開校式と言うことで私が記念講演を依頼された。光栄なことである。4月の時点では時間的に折り合わず一度はお断りしたが、担当の方の熱意が感じ取れたので時間調整の上で引き受けた。
 
 高齢者のこのような会では、ほぼ全て希望演題として「これからを健康に生きるには」と言った内容で依頼される。確かに高齢者の方々は健康に特別関心が強いことは理解出来るが、高齢者の方々一人一人が個性的人生の達人者であり、ある面では人生のエリートであること、大部分の傷害や疾病は年齢関連だから、一般的な健康指導など先ず殆ど意味がない。
 
 だから私は健康指導は殆どせず、「健康寿命は今更何してもそう延びないし、決して長くはない」「いずれ寿命はつきる。その間安心して生きるにはどうすればいいのか」という視点で、「健康で長生きの呪縛からの解放」「上手な医療機関の利用法」「社会資源の利用法」「財産管理等委任契約について」「成年後見制度について」「遺言書」「尊厳死宣言書」・・について話す。最後には「どうせ死ぬならガンで・・」と付け加える。
 
 ここまで準備していれば先ず一安心、後はお迎えが来るまで楽しく過ごせばいい。今日はそんな内容で話した。90分、100名近くの方々は実に熱心に聴いて下さった。
 医師の講演だから「またも健康教室か」と思うのは当然であるが、内容的には「不健康教室」だったからかえって聴く方々にとって新鮮だったと思う。


6/24(火)雨→晴れ 外来 患者家族面談 法人常務会 朝日新聞取材 医局カンファ(欠) 県医務薬事課員と打ち合わせ
2:00起床,ドック判定・総括x1、他.5:15病院着、6:20回診他。定期処方発行。8:00救急カンファ。8:45-14:20外来、混雑、途中で家族面談など。14:45-16:00法人常務会。16:30-17:10朝日新聞取材「微量採血・・」関連。医局カンファは欠。17:30-18:45県医務薬事課員と打ち合わせ「微量採血・・」関連。21:00帰宅、21:30就寝。

エネルギー高騰、食材高騰(2)  医療崩壊にも関与    
 エネルギー高騰、食材高騰が問題になっているし、将来的にも先行き不透明で、世界経済の有り様の再検討、リセットが必要な状況になりかかっている。なのに世の中は余りにも平穏である。
 
 生活が苦しくなっているはずの国民も異様におとなしい。最近の新聞で見ると諸外国での民衆の抗議デモなどのニュースが増えている。
 私はこの大人しさは、「水戸黄門」をこよなく好み、「最後は黙っていてもお上が何とかしてくれるさ」、と期待する我が国の国民性の現れなのかなと思う。窮地に立っても最後はどんでん返しに解決する。実に爽快な気分を味あわせてくれるのだろうが、私は卑怯な手でありイヤである。はじめから身分を明かせば良いじゃないか。小泉元首相は「水戸黄門」的論旨はもはや通用しないのだ、と間接的に主張してきたと思うが、国民には十分浸透していない。
 
 昨今、燃料を大量に用いる企業は経営が困難、あるいは成り立たなくなっている。国の経済活動も低迷してきている。報道される経済指標にも、たとえば、この一年、土建建設業者は全国で約1000の企業が消滅した、日本の代表的大企業の業績は史上最大の減収・・などの厳しい数字、コメントが並んでいる。
 
 これからの病院の運営は一層厳しくなることが予想される。その一つは国の「骨太の方針」にある、年2200億円の社会保障財源の削減方針の堅持、即ち、医療崩壊の源になている低医療費政策の続行であり、今回のエネルギー高騰、食材高騰の影響である。
 
 真摯な経営をしていても70数%の病院が赤字(06年)になるような医療行政は問題であるが、これがさらに締め付けられようとしている。医師養成数を元に戻し、今より500人増員するというニュースは朗報であるが、2200億円の社会保障財源の削減方針は続行と言うから、その資金繰りのためにどこかに必ず歪みが生じることになる。
 
 それに加えてエネルギー高騰、食材高騰が医療機関にとっても大きな痛手になる。医療機関は電気、重油、水等、資源やエネルギーを大量に消費する。それに、食材も大量に必要である。現に、重油などは数ヶ月ごとの契約更新の度に20-30%の値上げが求められている。
 
 病院もさることながら患者の生活も打撃を受ける。生きていくのに必要な経費もどんどん上がる。通院費用もままならないようになる。結果的に患者の病状は重症化していくことが危惧される。
 
 今問題になっている医療崩壊は根が深いが、主として勤務医不足によっている。これからは病院の運営自体が苦しくなっていくと言う因子が加わって加速する可能性が高い。
 
 もはや、個々の、末端の対応、企業努力では解決出来ないレベルである。国の早急な対応が望まれる。黙っていてはダメだ。それを引き出すのが国民のパワーなのだ。


6/23(月)晴れ→曇り 管理会議 外来 療養判定会議 長副会議 
2:00起床,人間ドック総括など。5:20病院着。回診,書類処理。7:45-8:25管理会議、8:45-14:00外来、混雑。16:00-16:30療養病棟判定会議。17:00-19:00長副会議。21:30帰宅,夕食、22:20就眠。

エネルギー高騰、食材高騰(1)  なのに異様に平穏 大丈夫なのか    
 私は買い物など滅多にしないから細かい物品の価格なよう分からない。ただ、通勤の途中のガソリンスタンドの看板は毎日見る。夕べはレギュラーガソリンが171円/Lの表示がでていた。2-3日前は確か164円/Lだったと思う。通る度に目まぐるしく変わっている。
 
 食料品の値上げも相次いでいる。家計簿をつけていた家内が「2割引のパンが値引きされていない」と言って怒っていたが、翌日確かめたら「2割引してその値段・・」と言われがっくり来ていた。すごい値上げ攻勢である。
 
 物価はどこまで上がり続けるのか、最近の物価高は需要と供給のバランスによっていないから先が読めない。極めて不透明である。
 原油や穀物は大切に用いると全世界的に不足しているわけではない、らしい。これらは従来はそれほど良い投機対象ではなかったが、サブプライムローン破綻で不安定になった金融業界から資本が投機対象としたのが原油、穀物相場だったと言うことで、想像もできないほど巨額のマネーが集中し、価格を異常なレベルまで押し上げている。
 
 エネルギー、食料品とも大部分を輸入に頼る日本は被る影響は大きいはずである。実際、我が国の景気減速は避けられない見通しになっている。なのに、政府や日銀は何か対策しているのか、全く見えない。与野党は党利党略、政権問題で不毛とも思える遣り取りをしているし、与党内では解散だ、改造だ、次期内閣は誰だ・・・などなど喧しい。こんなことをしていて良いのか?疑問である。
 
 世の中は余りにも平穏である。生活が苦しくなっているはずの国民も異様におとなしい。
 昨今、燃料を大量に用いる経営が成り立たなくなっている。先日はイカ釣り漁船が一斉に操業をやめたニュースが報道されていた。いや、我が国では全てが輸入エネルギーに頼っており、生産、流通、販売、買い物・・全てが大量のエネルギー消費を伴っている。極論を言えば衣食住全てが油漬け、と言っていい状況である。
 
 もはや、個々の、末端の対応、企業努力では解決出来ない。これ以上価格に上乗せしていくと国民生活に支障が出る。国レベルでの早急な対応が望まれる。


6/22(日)快晴 病棟拘束 
1:30起床。ドック判定、新聞チェックほか。3:00-4:00休宝寺に見舞いに。6:00Taxi病院、回診ほか。8:30救急カンファレンス。朝テニスは急遽中止。10:00バイク帰宅、新聞チェック、業務処理など。15:00-19:30病院、回診その他対応。20:00帰宅、夕食、21:0021:30就眠。

微量採血用穿刺器具の不適切使用(3)医師会は伝達機関ではない
 06年3月に厚労省は英国、カナダの対応を確認して『使い回しを禁止する通知』を出したが、島根県ではこの通知が各医療機関に通知されておらず、複数患者への使用が不可であることを認知していなかったとの報道があった。

 この通知は、厚労省医薬食品安全対策課長名で各都道府県衛生主幹部に送られた。
 内容は、「器具の安全使用に万全を期すための予防処置を講ずる事としたので貴管下関係製造販売業者に対し添付文書の改訂等の指導を行うと共に、貴管下の医療機関等への注意喚起を図られるようお願いする。併せて、民生主管部局にも周知願いたい。なお、別途、関係団体に通知したので申し添える。」である。通知した関係団体名として日本医師会をはじめ、24団体が挙げられている。

 秋田県医師会は県と日本医師会から通知を受けた。
 県からの通知の末尾には「・・下記の措置を講ずることにした旨通知がありましたので、貴会会員への周知についてご配慮下さるようおねがいいたします。」とあった。
 日本医師会からの通知には「・・・つきましては貴会におかれましても本件についてご承知いただきますとともに、管下会員等への周知徹底のほどよろしくお願い申し上げます。」とあった。
 県医師会ではこれを受け、内容は理解したが、各会員に直接は伝達していない。秋田医報の通達文書一覧の中で書類の名前だけは掲載しただけである。

 今となってみれば県医師会が伝達しなかったと言う点が責められるかもしれない。現に、ある病院の院長はインタビューの中で「県からも、市からも、医師会からも連絡はなかった」と述べている。
 私は本来この種の内容の伝達義務は行政にあると考える。当然行政が全医療機関等に通達し、更に補足的に、医師会に連絡して来るものと理解している。

 行政からの文書、日医からの文書の多くには「・・・上記について会員に周知されたし・・」とあり、県医師会としてどのようにすべきか判然としない。だからこの様に記載されてもすべてを郡市医師会に連絡したり、会員に直接連絡してはいない。書類の内容によって区別しているというのが現状である。

 私は県医師会の立場上、県の健康推進課と比較的関連が深い。この場合、県医師会を通じて徹底して欲しい内容は両者で必要性や方法を具体的に検討している。一枚の通達で済ませることはないし、受け付けない。
 県医師会は日医や県の伝達機関ではない。すべて通達の内容によって判断し、自立して動く。

 今回の微量採血用穿刺器具の不適切使用については厚労省からの通達が末端まで伝わっていなかったことにも一因があることが分かったが、基本的に行政に責任がある、と私は考える。

 昨日も今日もNHKはこの関連のニュースを流している。
 中央の研究機関の医師が登場し、極めて常識的コメントを述べていた。地域医療を担っているわれわれは徐々に窮地に追い込まれていく。


6/21(土)快晴 ドック結果説明 第3回秋田市内初期研修医ジョイントカンファ
2:00起床,ドック判定・総括x1、院内業務等。5:20病院着、回診他。8:30救急カンファ。9:00ドック結果説明2名。業務、15:00第3回秋田市内初期研修医ジョイントカンファ+情報交換会(スカイホテル)。20:10中座し帰宅、20:30就眠.


微量採血用穿刺器具の不適切使用(2)感染は考えられない 検査は不要である
 私は正直言って病院、市保健所の発表は勇み足、と思う。この発表、報道は県内の医療機関に混乱をもたらしている。恐らく、今回の発表、報道を見た医療関係者は事態の進展について驚いただろう。私は驚いた。

 この器具は穿刺器具であって、採血器具ではない。だから器具や穿刺針が血液まみれになる可能性は低い。針までも使い回しにしている医療機関はないだろう。器具の先端に血液が付着する可能性はゼロとは言い切れないが、アルコール綿とかで必ず拭く。よしんば血液が着いていても新しく装着した針に血液が付着する可能性はさらに低い。器具に付着しているかもしれない血液が次の被験者の皮膚を介した感染源になるだろうか?疑問である。

 確かに、針を交換し、消毒したといえども器具を使い回したことは正しい使い方ではない。ならば、決定的に誤った使用法か?と言えばそうとも言えない。現在の医療レベルに照らしてみれば「不適切な使用」とは言べきだろう。

 これによって感染が成立する可能性はこよなくゼロに近いと誰しも思ったはずである。
 確かに英国では10数例の感染があったとされ、カナダでは注意喚起があった。ホントにこの器具の使用と因果関係はあるのか?「不適切ではない、誤った使用法」ではなかったのか?これらについての詳細は何一つ報告されていない。

 我が国でも数100万件以上の使用があるはずなのに未だにこれによると特定される感染例は報告されていない。英国との差は何なのか?検証して欲しい。

 こんな状況なのに、それでも医療機関は検査すべきなのか?対象者の特定はどうするのか?その際の費用はどこが負担すべきなのか、病院か?超低頻度の感染成立の条件下で陽性者がでた場合に因果関係はどう証明するのか・・。

 私は、これほどの低感染成立状況で、対象者が著しく多い場合の検査は国策的医療のレベルと思う。
 しかし、厚労省発のQ&Aに「肝炎検査をする場合、誰が費用を負担するのか」に対しての答えは「・・当該施設等が対象者に説明し、検査及び受診勧奨を行う・・」とあり、全く答えになっていない。国ではやる気はないようだ。もう一つのQ&A「検査項目はどう選択・・・?」に関しては「対象者の個々の状況をふまえ総合的にすべきだから各医療機関等の医学的判断によられたい」と答えている。同様に全く答えになっていない。

 私は個人的には、「不適切使用」であったことは認めるが「誤った使用法」ではないし、感染の確率からみて検査は不要だと思う。もしどうしてもというなら、国費で、あるいは肝炎疑いとして保険診療としてやるべきと思う。なぜなら、厚労省は医療機関に対する注意喚起を充分に行わず、業者任せ、都道府県任せにした責任がある。


6/20(金)晴 感染対策打ち合わせ 県社会福祉審議会・審査部会 全体学習会「仕事と情報セキュリティ」
2:30起床,ドック判定・総括x1、徒然など.5:10病院着、6:30回診他、書類と格闘。11:00入院患者対応、13:30人間ドック診察、15:00-16:30県社会福祉審議会・審査部会、議長となる。18:00-19:30全体学習会で講演「仕事と情報セキュリティ」を聴く、締めと感謝の挨拶。20:50帰宅、珍しく家内帰宅していた。夕食。21:30就眠.


微量採血用穿刺器具の不適切使用(1)感染は考えられないのに不安を煽る発表だ!!!
 6月16日午後、何かの会合で本日夕方に市立秋田総合病院が採血器具を複数の方々に使い回ししたことについて記者会見を開く、との情報が入った。この時点では、私は事の実態を知らず、「市立病院とあろうものが何で今頃、採血器具を使い回し?」と疑問に思った。

 翌日の新聞に大きく取り上げられていた。それを見ても私は何でこの穿刺器具がこれだけの問題になっているのか、直ぐには理解出来なかった。

 毎日新聞によると、見出しは「採血器具使い回し:秋田市保健所と市立秋田総合病院、1000人以上に使用」とあり、内容は以下であった。
■ 市保健所と市立病院は採血器具を糖尿病患者や市民向けの講座参加者らに使い回していた
■ 針は交換していたが、先端の皮膚接触部分はアルコールなどで消毒して再利用していた
■ 06年3月に厚労省が『使い回しを禁止する通知』を出したが、市には連絡がなかった
■ 1000人以上に使用されたとみられ、保健所と病院は無料で肝炎検査を実施する
■ 06年8月に業者からの指摘で、新型に切り替えたが、その後も旧型の器具を5本残し、消毒のうえで使用していた

 この器具は1997年に発売され、何種類かの器具が全国で汎用されていた。

 06年8月に厚労省は、類似の器具を用いていたイギリスの介護施設で2名のB型肝炎死があったこと、カナダ保健省も注意喚起したことを受けて、
■ 製造販売業者に複数の患者に使用しないよう説明書に記載し,注意シールを貼る
■ 医療機関へ複数の患者に使用しないよう、特段の注意を払うこと

との文書をもって各方面に通達していたという。
 しかし、この通達の伝達方法にも大きな問題点が潜む。またこれは穿刺器具であって、採血器具とは異議が全然違う。

 厚労省は本年5月末に使い捨てでない器具の使用状況についての全国調査を指示した。何故だろうか? 各医療機関に調査用紙が配られた。

 次の問題点は何で秋田市保健所と市立秋田総合病院が単独で突然この件について会見を開いて発表したのか?と言うことである。同様の発表は秋田赤十字病院でも行われ、ここでも「病院は無料で肝炎検査を実施する」と発表された。私どもの病院には残念ながらマスコミは来なかった。当院では先の通達以降100%改善していたから、ニュースバリューがなかったからである。

 私は正直言って病院側の発表は勇み足、と思う。この穿刺器具の、いわゆる不適切使用は日本全国レベルでみれば数10万件、もしかすれば100万件にものぼると思われる。だから、今後の対策は各医療機関レベルで決めるべきではなく、高次の、行政的判断がすべきであるし、委ねるべきであった。発売を許可したのは厚労省なのだ。

 このご時勢の中で、医療機関側は何かを恐れ「一刻も早い情報公開と親切な対応をしなければならない」という呪縛にとらわれているのではないだろうか。早いだけでは困る。隠蔽は論外だが、住民に不安を与えない配慮、医療現場に混乱を来さない配慮が必要だった、と思う。


6/19(木)雨 患者家族面談 外来+ドック診察+結果説明 感染対策打ち合わせ 
1:50起床,ドック判定・総括x1、ほか。5:10病院着。6:15回診他。7:00入院患者家族面談。8:00救急カンファ。8:45-14:30外来、混雑。14:45感染対策検討。入院患者対応。書類等、20:45帰宅、夕食、21:30就寝。

NHKラジオ〜深夜便のうた〜チェリッシュが歌う「約束は心の中に」
 早朝3:50分頃からNHKラジオ深夜便では2ヶ月間にわたって2曲のNHKラジオ深夜便のうたを放送している。もう何年も何10曲も聴き続けてきたが、早朝に流される曲だけにうるさくなく、テンポもスローでなかなか良い曲が並んでいる。
 
 5月以降、新曲に変わったが、そのうちの一曲はチェリッシュが歌う「約束は心の中に」である。これがまたとても良い。
 
 ラジオ深夜便の歌は私は連日2ヶ月近くも聴きつづけることになるのでしっかりと覚えてしまう。この曲に関してはデュエットであることと、二人の声のバランスがとても良いので「チェリッシュ」に若干の興味を覚えた。
 私は家でも職場でも一人のときは情報収集のために四六時中ラジオを低くつけている。歌などは何となく聴いているのでチェリッシュ」なるデュエットが歌った「戦争を知らない子供たち」「なのにあなたは京都へゆくの」「てんとう虫のサンバ」「白いギター」などは聴き知っている。しかし、まだ一度もその姿を見たことははない。あるいは紅白などで見たかもしれないが、記憶には残っていない。
 
 チェリッシュ」は35年ほどのキャリアがあるらしい。最初は5人グループで、途中からデュエットとなり、そのうちに夫婦でデュエットとなったらしい。これが息の長い活動の背景なのだろう。
 
 今回
チェリッシュが歌うラジオ深夜便のうた「約束は心の中に」は「人生は旅人,例え幾つになっても・・・」と静かに歌いあげるのであるが、これ以上遅いテンポならいくらスローテンポの曲が多い彼ら二人でさえも破綻すると思われるほどである。通して女声で歌われるのであるが、曲の後半から男声がそっと目立たないように寄り添う。曲そのものも美しいが、このあたりのデュエットとしての絶妙なバランスがこの曲を魅力的にしている。

 男声は決して脇役ではない。とても良い雰囲気、と思う。これを聴くとつい我が家の過ぎし時間、自分の立場を思い出し、考えさせてくれる。


6/18(水)快晴 外来 コスミックコーポレーションKK員来訪 院内感染対策委員会+検討会
2:00起床,ドック判定・総括x1等、他いつもの如く.5:10バイク病院着、6:10回診他、8:00救急カンファ、8:45-14:10外来、15:00コスミックコーポKK員来訪・面談。16:00-17:00院内感染対策委員会、18:00-19:00感染対策検討会。21:10帰宅、夕食。21:50就寝。

医療崩壊(29)医師数抑制の閣議決定を撤回 内容は未知数、期待は薄か?
 福田首相と舛添厚労相は深刻な医師不足の解消に向け、医師数抑制のため医学部の定員削減を決めた1997年の閣議決定を撤回し、医師の増員を検討していく方針で一致した。
 会見で舛添大臣は「政府は医師数は十分、偏在が問題、22年度には医師不足は解消する、と言い続けてきたが、週80-90時間の医師の勤務を改善するだけでも、勤務医は倍必要」との考えを表明した。具体的な増員目標は明示しなかったが、削減分を戻したうえ、さらなる上積みができないか検討するとみられる。

 はっきり言って、考えていることのスケールは小さいのではないのだろうか。
 しかし、これは方針変更としては関係者が待ち望んできたことであり評価しなければならない大決断である。しかし、具体的内容は提示されていない。今の日本の医師数は諸外国に比較して12-14万人も不足しているのだから、今後の具体的方針を早く提示して貰いたい。
 
 政府は医師数抑制のため82年以降、医学部の定数削減に取り組み、97年6月の閣議決定で「引き続き医学部定員の削減に取り組む」と抑制方針を確認。医学部定員の削減は80年代後半に始まり、07年度の定員は養成数ピークであった84年度時より8%少ない7625人であった。2006年に、一部の大学医学部での定員増を認めた際も、「医師養成の前倒し」と称して削減方針を変えていなかった。
 結果として諸外国の医師数との格差はどんどん広がり、日本の人口1000人当たりの医師数は04年度で2.0人で、OECD加盟国中で最低レベルであった。
 
 来年度予算編成に向けた「骨太の方針」には2200億円の削減は堅持するとの方針が示されている。これに医師養成増方針を盛り込み、定数削減分を戻し、さらに上積みができないか検討するとのことである。
 はっきり言って、今の日本の医師不足をここ20年以内に解消するには養成数を一気に2-3倍にしなければならない。しかも、早急に、である。厚労大臣はここまで考えてのことではなかろう。それが不可能なら、他の方策、今居る人材の有効利用を強力に進めて欲しい。

 新聞記事に、有識者の意見として「医師養成増の効果が現れる10年後には医師過剰になる可能性がある」とのコメントがつけられている。バカな話である。医師数を人口比で論じれば確かに増えていく。しかし、それ以上のスピードで医師の、特に勤務医のマンパワーの需要が伸びている、と言う現実を有識者と言われる方々はどこまで認識しているのか?疑問である。

 私はこれら有識者、学識経験者の存在、無責任発言も医療崩壊の一因として項目に加えておくこととした。


6/17(火)晴れ 外来 法人常務会 医局カンファ(代謝科) 長副会議

 2:00起床,ドック判定・総括x1等いつもの如く.5:15Taxi病院着、回診他。8:00救急カンファ。8:40-13:30外来、本日比較的余裕。14:45-16:15法人常務会, 17:30-18:25医局カンファ「最近の糖尿病治療」。長副会議。20:50帰宅、21:30就寝。

ホテルの省エネ、省無駄作戦に賛同

 先日14日は第16回Medical Management研究会に参加した。とても勉強になる会なので第9回以来参加させて頂いている。今回の会場はグランド・プリンスホテル赤坂とあった。新しいホテルかと思ったが行ってみると赤坂プリンスホテルであった。プリンスホテル系は運営上で何らかの変化があったのか、いくつかの代表的ホテルがグランドの名を付けたようである。
 いつもであれば最終便で帰秋し翌日に備えるのであるが、今回は翌日仙台で所用があったために久しぶりに宿泊した。

 客室で案内のパンフレットを見ていたら興味深い内容があった。客室クリーニングのスキップサービスと言う名だったと思うが、連泊の場合に部屋の掃除不要と申請をした場合には1000円分のサービス券を進呈するという企画である。ゴミは捨ててくれるらしい。これは良い企画だと思った。
 私が宿泊する場合は、本を読みや仕事の他はただ眠るだけであり、部屋が汚れることはまずない。連泊の場合は部屋の掃除は無駄だと思っていたが、これはホテルの譲れないサービスなのかと理解していたが、こういう考えもあるのは嬉しいことである。
 ホテル側にとってマンパワーの削減に寄与すると思う。利用する立場にとってもメリットもある。ただここではタオルの交換スキップサービスは併用していないらしい。

 2-3年前から、バスタオル類の「継続使用にご協力ください」と表示しているホテルのいくつかに宿泊したことがある。このときも良い企画だと感心した。

 連泊で同じ人物が継続使用する場合、さほど汚すこともないタオル類を毎日選択するのは明らかに無駄である。おそらく全国のホテルで毎日何トンにも及ぶタオルが洗濯されているだろうが、その際に用いられる化学洗剤も私には想像もつかない。しかし、洗剤が水の汚染、地球環境汚染に繋がっていることは想定出来る。洗ってほしいときは脱衣かごに入れておき、継続使用に協力出来る場合にはタオル掛けに掛けておけば良いとのことであった。

 私は予備校時代、大学6年間を通じて洗濯は洗濯板でゴシゴシやってきた。これは大変な労力であり、冬期間は格別であった。だから、出来るだけ洗濯物がでないよう工夫もした。今は自分でやることはないが、人差し指一本だけで出来る時代だから過剰にやられていないのだろうか、と疑問である。少なくとも我が家の洗濯にはそう感じている。

 私は電力、水、環境汚染の面から洗濯物を出来るだけ出さない様に密かに工夫して来た。その方法の詳細は残念ながらオープンに出来ない。


6/16(月)晴れ 管理会議 安全管理者・事務長との打ち合わせ 療養病棟判定会議(欠) 常務会 工藤胃腸内科クリニック開設記念講演会祝賀会 
2:00起床。ドック総括x1,新聞チェック.5:10病院着。6:10回診他。7:45-8:25管理会議。10:00-10:50安全管理者・事務長と打ち合わせ。11:30健康推進課員来訪打ち合わせ。総括・紹介状指示書など。15:30常務会、療養病棟判定会議(欠)、17:00工藤胃腸内科クリ内覧・講演・祝賀会。20:30中座帰宅。21:30就眠。

岩手・宮城内陸地震発生(2) 情報が安心源

 14日8:43大規模の地震があった。すぐに情報収集のためにラジオを聴いた。震源地や推定規模、各地の震度は数分以内に報道される。これで自分の置かれている立場の概要が判断できた。
 
 しかし、実際の被災の中心部の規模はかなりの時間が経たないと分からない。特に最近多い山間地の被災の場合には情報の収集と発信まで時間がかかる。一方、都市部であっても一定以上の規模の場合は停電によって通常の通信手段が機能しないし、頼りの電話は殆どが不通となる。今回の土砂災害の規模も後に報じられたが、実際には大変な規模であった。
 
 平成7年1月17日5:46に発生した阪神大震災の時には早朝出勤時にカーラジオで阪神地方に大規模な地震が生じたと言うことは聞いたが、その後30分ほど部屋でラジオニュースを聴いていたがその時間帯には詳細は殆ど報じられなかった。実際の被害規模が分かるようになるまでに数時間を要したようだ。
 
 今回は秋田は結果的にそれほど大きな震度でないことが分かったが、直後から通話が殺到したのであろう、30分ほど電話、携帯電話共につながらなかった。県南の湯沢地方ではけが人も出たとのことであったが病院や医院間の連絡も出来なかったと言うことで、緊急時の連絡網についての話題が県医師会のメーリングリストで交わされている。アマチュア無線や簡易業務無線は大丈夫らしいとのことで、検討する値はありそうだ。
 
 東北新幹線がトンネル内で急ブレーキが掛かり停車、そのまま5時間ほど立ち往生したとのこと。救出のバスが来るまで乗客の不安は大変であったと思う。この方達に情報は充分与えられたのだろうか。
 
 私も30数年前に宮古から釜石市に向かう途中、1Kmほどのトンネルだったと思うが、中央付近で車が詰まり進めなくなったことがある。全く事情が分からない状態で排気ガスが充満する不快な中、不安に耐えながらなすすべがなくじっと待機していたが、トンネル内で動けなくなる恐怖は格別であった。結果的に無事通り抜けることが出来たが、原因はトンネル出口付近で発生した交通事故の現場検証のためであった。トンネル内の渋滞は車両火災等の二次被害も発生しないとは言えない。これは人災、当時の警察署の無神経さに驚いたものであった。
 
 とにかく、自然災害時には命を守ることが第一であるが、次に必要なのは情報なのだろうと思う。正確な情報が次にどう行動すればいいのかの判断の最も信頼の置けるガイドになる。
 防災行政の面でも、個人の立場でも軽視出来ない、問題であるが、実際どうすればいいのだろうか。

 


6/15(日)晴れ 父の日 病棟拘束(一部) 瀬戸中通総合病院名誉院長葬儀 感染制御部と打ち合わせ
2:30赤坂グランドプリンスホテルで起床。持参のドック総括x1、本読み、文献チェックは今朝から通常運転とのこと。7:00葉っぱとコーヒー朝食、9:10東京駅へ、9:58こまちで仙台。12:00-13:10仙台陸奥国分寺にて瀬戸中通総合病院名誉院長葬儀。13:38こまちにて帰秋。17:30-18:30感染制御部と打ち合わせ。19:30帰宅、外食、21:00など。ラジオで地震被害のその後の状況を聞く。終日不通であった仙台以北の新幹線就寝。長女から父の日の花束届く、感謝。

瀬戸中通総合病院名誉院長葬儀 さらに大きな存在に
 瀬戸泰士中通総合病院名誉院長(78)が5月31日お亡くなりになり、本日仙台市の陸奥国分寺にて葬儀が営まれた。

 私は東京発9:58こまちで仙台に向かい、葬儀が始まる少し前に到着し、末席に座らせて頂いた。葬儀はしめやかに、厳かに進められた。5人の僧侶による読経は幽玄に響き、私にはとても音楽的に感じられた。経と聖歌には和洋を問わず共通の響きがある、と思う。また、寺の雰囲気、葬儀の雰囲気は生きると言うことの意味をしっとりと感じさせる空間、時間としてとても良いものがある。本日もそのように感じられた。

 弔辞は、同門会代表として東北大学外科学教授、友人代表として秋田市で開業されているK医師、中通総合病院OB医師代表として立川相互病院名誉院長の三人が立たれた。いずれも名誉院長の業績、人となりについて述べられたが、私にとってその多くは初めて聴く内容であって、改めて名誉院長についていろいろ教えられ、今まで以上に大きな存在となった。

 喪主は今春東大外科学教授に就任されたご長男で、ご挨拶は型にはまらず、父君にたいして感じられておられることをさわやかにお話しされた。

 瀬戸名誉院長は秋田で47年の長きに渡り、患者の立場に立つ地道な医療を展開され、今ある中通総合病院をここまで育てられた。名誉院長を慕う方々、患者はとてつもなく多い。
 7月27日には私どもの法人が中心になって秋田でしのぶ会が催されることになっている。
 心から、ご冥福をお祈りします。


6/14(土)晴 岩手・宮城内陸地震 病棟拘束(一部) MM研究会
1:30起床、ドック総括x1他、文献検索若干のみ。5;10病院着。6;20回診その他、書類と格闘。8:30救急カンファ。その最中に8:43地震あり。最初の数10秒近くは小刻みな縦揺れ、その後強い横揺れ。岩手で震度6強、本県内陸南部で5強、秋田市は震度4とのこと。院内エレベーターは全部停止、閉じこめられた方。7階病棟ではスチール机の引き出しが開き、机も若干移動した。全病院的に大きな実害無しの報告。9:45病院発、空港、10:45ANA東京、赤坂グランドプリンスホテルへ。14:00-18:30MM研究会。19:45情報交換会中座。20:20就寝。

岩手・宮城内陸地震発生 かなりの被害が出たが地名が分からない
 本日8:43大型の地震があった。すぐに情報収集のためにラジオを聴く。震源地は岩手県内陸南部で、震源の深さは約10Km、マグニチュード7.2とのことであった。岩手では震度6強、本県内陸南部で5強、秋田市は震度4であった。
 院内には明らかな被害はなさそうだとのことであった。県は午前中に災害対策部を設置、情報収集を始めた秋田市も災害警戒対策室を設置した、とのことで対応は迅速と思われた。

 本日は東京出張が予定されていた。JRは各線の運行を中止し安全点検を実施開始とのことで秋田新幹線こまちは再開の目途がたっていないとのことであるが、秋田空港の情報がなく、出発時間が迫ってきたので先ず空港に行くこととした。秋田空港は問題ないとのことでほぼ時間通りに離陸した。

 夜はラジオを聴いて被害状況を知ったが、岩手南部、宮城北部の被害は相当で5人が死亡、10数人が行方不明となっていた。秋田の被害は比較的小さいようで、高速道路に若干の段差が生じた事と、私の自宅近くの70才の女性が転倒、左腕骨折などのけがをした事が報じられていた。
 私は岩手出身である、なのに、平成の合併のためにラジオニュースを聞いていても言われる地名は殆どが初耳で、その中に一関とかの聞き慣れた地名が混じるのでその付近であることは推定できた。

 わずか2週間前の5月26日は日本海中部地震25年目であり、本日6月14日は宮城県沖地震から30年目の日でもあった。さきがけ新聞朝刊にはその記事が掲載されていた。偶然なのかもしれないがこの記事を読んでいる最中に地震の揺れを感じた方も少なくなかったはずである。
 それにしても、四川大地震からも一ヶ月、あれほどの大被害で衝撃を受けてそれほど時間が経っていないのに、今度は地元で大きな地震が生じるとは!!、と驚いた。

 お亡くなりになられた方々のご冥福を祈り、被災された方々にお見舞いを申し上げます。


6/13(金)晴れ、曇り 健康クリニック代診 法人理事会
1:30起床。ドック総括x1、etc。5:20病院着、回診など。8:00救急カンファ、10:00-11:20健康クリニック代診。総括,書類・文献整理。14:00医療安全打ち合わせ。ドック診察ドック診察x5。17:30-18:30法人理事会。21:10帰宅、22:30就眠。

舛添厚労相殿 ちょっと暴言ですよ 私たちは医療政策のための道具ではない
 厚労省内に設けられた「医療確保ビジョン会議」の中で5月30日、舛添厚労相は医療確保ビジョンについて、(1)規制強化でビジョンの実現を図るのは反対、(2)中央集権的に改革を進めるのも反対、(3)改革努力、医療費の削減努力を行わずに、金をつけてくれには反対、と表明した。
 
 中医協について「専門家で議論するのはいいが、透明性がない」と述べ、「見直す時期に来ている」などと発言した。このことが論議を呼び報道されている。
 
 さらに、日本医師会などに対しても厳しい意見を述べた、と報道されている(日本医事新報4389)。以下であるが、表現は若干改変した。
 
日医はビジョン案の中で自らの役割について一行も言及していないが、患者退院後の受皿など、努力すればできるものがあるはず。
医療提供側の全国団体はたくさんあるが、どれも自己改革が必要。国民から乖離した利益団体は存続できない。
自分たちの金儲けばかりでは、団体推薦候補が選挙で落ちるのも当たり前。
利益団体が、ビジョンを利用して自らの権益を拡大しようというのは断固反対。
ピジョンが出たからといって、何でも予算がつくわけではない。無駄を省く努力は必要。
2200億円削減見直しについても、改革の努力なく、ただ金をくれというのは通らない。
私はどの利益団体に推されて議員になったわけでもない。だから、薬剤師会も医師会も関係ない。国民の視点ということに尽きる。
・・・などなど。
 
 桝添大臣は従来の厚労大臣から見ると異色とも言えるかもしれない。一部は評価しなければならないが、発言は内容的には時に唐突であり、マスコミ、国民向けのリップサービスが目立つ。その中でいつも感じることは、われわれ医師他の医療提供者を「国の医療政策における単なるツール、コマ同様に見なしているのではないか?」と言うことである。その発言は対立を誘発する様な内容を含む。
 
 長い間の誤った医療政策が現在の医療費の高騰、医療崩壊を招いた主因であるのに、その責任を言及することなく、日医や薬剤師会、病院協会など地域医療を守るために日夜奮闘している医療従事者の団体に責任をすり替えようとしている様に見受けられてならない。
 立場は違えど、国民に良い医療を提供することでは一致出来るはずだ。互いに、対立に持ち込むようであってはならないのだ。


6/12(木)晴 外来 
2:00起床。ドック総括x1、病院ホームページ院長挨拶更新文作成etc、いつもの如し。5:10Taxi病院着、6:00回診など。8:00救急カンファ。8:45-14:00外来。退院総括、紹介状返事、主治医意見書など数件。20:50帰宅、夕食、21:30就眠.

「エイプリルフールでした」、と笑いたい(8)白と決める 身軽になった
 
昨日の胸部レントゲンは異常陰影が一層縮小し、薄く、線状になっていた。

 3月末から今までの経過観察の範囲では、検査の度に少しずつ陰影の改善が認められたのだから、今回は白と断定して良い、と思う。
 ならば何なのだ?と言うことになる。今回主治医は一般検査の他、肺癌の腫瘍マーカー、吸入系のアレルゲン等の検査を提出してくれていた。まだ全て出たわけではないが、異常はなさそうだ。結局本態は分からないままになりそうである。

 この3ヶ月間、肺の異常陰影は有形無形に私の生き方をいろいろガイドしてくれた。

 視野も広がった様に感じる。いろいろな事象に一層興味を感じながら見る、考える、聴くことが出来るようになった。私の周りにも興味深いものがたくさん転がっている。もっと時間を大切にしなければならない、と言う自覚も出来た。

 形に見える部分としては、物品に対する考え方が大幅に変わった。この間、大切に扱い整理して所持していた品々の一部、自宅と院長室の文献、資料、医学雑誌等は1/3程度が廃棄され、書棚等に空間が出来た。自分が管理していた私的な文書や書類なども整理し、一カ所に集め、必要なときに取り出しやすいようにしておいた。ここまで整理・処分すると身軽になって実に気分が良い。

 状況は昨日の検査で変わった。しかし、陰影が教えてくれた方向性は今後も続けていこうと思う。
 まだまだ処分しなければならないものは沢山ある。昭和27年の火災で焼失を免れた茶器、数10人分の来客用の膳や食器などの品々は私が受け継いで来ている。30年前に母が残していった衣類など、殆ど手つかずにしていたが、これらはその思い出を持っている私の手で処分しなければならないと思っている。
 私が捨てることの出来る、捨てるべき有形無形のモノは身の回りにまだまだ多い。それを探し実行するのも楽しい。

 陰影が私に教えてくれた教訓を一言でまとめれば「今までの価値観、こだわりを捨てて生きよ」、と言うことかな、と思う。


6/11(水)晴 外来 県感染症評価会議 県医師会理事会 損保ジャパンとの懇談会
1:50起床。人間ドック総括x1など処理。5:10バイク病院着、回診など。8:00救急カンファ。8:45-13:45外来、14:00-14:50秋田県感染症評価会議(県環境健康センター)、16:30 -18:45県医師会理事会、定例代議員会前で議題多。19:00-20:30損保ジャパンとの懇談会。21:00帰宅.夕食、21:20就眠。
 
 当院研修医、機内で急病人対応し、JALから感謝状  私なら・・
 去る3月29日、羽田発宮崎行きのJAL機内で病人が発症、たまたま乗り合わせていた当院の2年目の研修医のF医師が即座に、かつ、的確に処置、空港に救急車を要請、救急隊に病人を引き継いだ、とのことである。
 不調になったのは24歳の男性で獣医師国家試験に合格、就職先の宮崎に向かっていたとのこと。翌日、本人からF医師に改善した旨の報告とお礼の連絡があったという。
 後日、JALから病院経由でF医師に感謝状となにがしかの金品が送られてきた。
 
 私はこの話を聞き、当院の指導が研修医にしっかり身に付いていることを感じ、とても嬉しくなった、と同時に自分がその場にいたらどのように行動したのか、とつい考えて気恥ずかしくなった。多分、私なら即座には行動を起こさず、誰も居なかったときに恐る恐る出て行くのではないか、と思う。求められ、誰も名乗り出ない状況の中では手を挙げないわけにはいかない。最小限の自覚は何とか持っている。
 
 今の救急対応などを少しでも学びたいと私は毎朝の救急カンファレンスに出てはいるものの、今のレベルから見てもう通用するものではない。自信も何もない。だから、誰か、私より優れた方がいれば私など出る幕でない、と思う。情けないがこれが現実である。私が院内で何とか仕事が出来ているのは同僚医師に助けられているからである。
 
 私がF医師と同年代の時に盛岡から宮古に向かっていた準急列車の中で中年の男性が不調を訴え、車掌が医師を捜していた。このときは名乗り出て対応した。狭心症かと思われたが、まもなく症状は改善し事なきを得た。このときは自分が勤務する宮古病院の救急室に送り届けた。その後は、対応を求められる様な立場になったことはない。
 
 東京秋葉原で去る8日、東京・秋葉原の歩行者天国で7人が殺害された事件は、メディアが大きく報じている。すさまじい光景が繰り広げられていた。周囲の店員や通行人らが大勢取り巻く中、救急隊に混じって一般と思われる方々も多数負傷者の処置を手伝ってくれていた。この場合、自分がその側にいたならばどのような行動をとったのか、と思う。おそらく、夢中で駆け寄ったのではないか、と思うが・・。


6/10(火)快晴 外来 法人常務会 医局カンファ
2:00起床。ドック総括x1、病院業務他etc。5:05バイク病院着、回診他、8:00救急カンファ。8:45-13:30外来。14:45-16:40法人常務会。17:30-18:25医局カンファ。21:00帰宅.21:30就眠。

「エイプリルフールでした」、と笑いたい(7)とうとう来たか、が感想だった
 前回のレントゲンから一ヶ月経った。明日、経過観察のレ線を撮影してみる。
 
 3月から5月までの経過の範囲では白黒は決められずグレイゾーンのままであったが若干白の方向に動いたかな?と言うところである。黒へのの方向でない変化は私にとってはとても良い知らせなのだが、まだ余裕をもって安心といえる領域ではない。
 ここ一ヶ月体調は決して悪くはないがベストでもなかった。若干の咳もある。だから明日のレ線の結果が待たれるところである。どちらにせよ明日になれば分かることだ。
 
 3月下旬に肺の陰影が悪性の可能性大と判断されたときの心境を思い出す。
 それほど大きなショックはなかった。私は元来、諦めがどちらかと言えば早いほうである。尤も、比較出来るほど人と比べたことはないから、他の方々のことは分からない。
 
 60歳を迎えるまでつつがなく生きて来れたことだけでも法外の幸運であった。こんなに順調で良いのか、と常に虞の気持ちを抱いてきた。現実的にこれから以降は今まで以上に何かが生じる可能性が大きくなる時期である、近々何かが起こるかもしれない、と漠然と思っていた。
 
 だから、そのとき感じたのは「えっ、もう来たの!!! ちょっと早いじゃないか・・」という感覚であった。いつかは来る自分の最後のコースを斜に構えつつ少しずつ心の準備をしていたが、ついに真正面から向き合わねばならないその時期が来たか、という感じである。

 しかし、幸いなことにその後まだ真正面に向かうような状況に対峙することに「待った」がかかっている。一度は覚悟しただけに今の心境は最高である。一方、その後も全く余裕のない時間を何一つ変わりなく過ごしている自分に、果たしてこのままで良いのか?と言う自省の気持ちも生じている。与えられた幸運をこんな状態で消費していて良いのだろうか?というジレンマである。しかし、そう簡単には変えられそうもない。
 
 黒への変化の可能性は少ないのだろうが、明日のレ線が私の生き方を再度ガイドしてくれるだろう。



6/9(月)晴 管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議 
1:50起床。ドック判定総括。新聞チェック他資料整理etc、いつもの如し。5:10病院着、6:30回診など。7:45管理会議、8:45-13:50外来、16:00-16:40療養病棟判定会議。17:00-19:20長副会議。20:50帰宅.夕食、21:30就眠。

早朝起床時には宗教音楽を聴く (2)
 宗教音楽は良い、特にグレゴリオ聖歌を始め、チマローザ、バッハ、モンテヴェルディ、シュッツなどのレクイエム等の作品がとても良い。そうは言うものの、私は宗教音楽についての知識は皆無である。いや、宗教音楽の基となっている宗教そのものについて漠然としたイメージはあるが、知識は全くないに等しい。今後、もしそのための時間が得られれば勉強したい分野であり、知りたい分野である。
 多分、敬虔な祈りの気持、死者を悼む気持などは恐らく人間にとって共通なのだと思う。

 私は寺の雰囲気も好きだし、仏像を見るのも好む。僧侶の読経も好きだ。特に、葬儀の際に数人の僧侶によって行われる読経は音楽的美を感じる。一方では、教会も良い。その中で演奏され歌われるミサ曲も良い。経にしろ、ミサ曲にしろ何を言っているのか、何を歌っているのか全く分からない。要するに、私は雰囲気と音楽的要素を味わっているだけに過ぎない。それでも心が充分洗われる気分を味わう。

 レクイエムなどは一定の教義に沿って作られ、歌われる歌詞の内容は共通らしい。それでも、作品毎に持つ雰囲気、美しさは異なる。その中ではフォーレのを一番好んで聴いていた。
 いま、好んで聞いている曲の一つがチマローザ作曲のレクイエムである。チマローザは1749年にナポリの近くで生まれた作曲家で70曲ほどのオペラ、多数の宗教曲を作曲したとされるが、この時代のほぼすべての作曲家がそうであるように長らく忘れ去られていた。近年復活したが、そうはいってもオペラ「秘密の結婚」が知られているに過ぎない。

 一方、仏蘭西の文豪スタンダールが「私が生涯において情熱を込めて愛したのは、チマローザ、モーツアルト、シェイクスピアだけである」と言ったとある本に紹介され、興味を抱いていた。このレコードを購入した切っ掛けはこの言葉だったような気がする。
 スタンダールがチマローザについて語ったのはこのレクイエムのことではないだろうが、この一曲しか聴いたことのない私にとってもこの作品は十分な名曲に思われる。

 もうしばらく、早朝には手持ちのレコードで宗教音楽を味わい続けたいと思っている。聴く度に新しい発見があるのも楽しい。


6/8(日)快晴 黒猫到着3年目 病棟拘束  森吉山自然観察会に参加
1:30起床、3:00家内帰宅。午後ずっと続いた緩和ケア関連の会の後、夜は病院に戻り患者を看取ったという。森吉山自然観察会に参加する家内に付き添って私も急遽同伴とした。8:18出発、10:00森吉山野生鳥獣センター着。桃洞の滝見学後、15:00逆コースで帰秋、17:30帰宅、午睡、21:00夕食、21:30就眠。山道を9Km、運転200
Km、どっと疲れた。

急遽、森吉山自然観察会に参加 アカショウビンを聴き、桃洞の滝を観る
 家内は昨年事から野鳥に興味を持ち始めている。本とかDVD、CDとかで時に勉強もしていた。徐々にエスカレートし、高性能の録音機を購入、先週は野鳥の会秋田支部の観鳥会に参加、本日は森吉山自然観察会に参加の予定となっていた。

 森吉山の現場までは片道100Kmもあり、途中の山道は道路も良いとは言えないはずである。寝不足状態の家内が一人で参加するのは往復だけでも危険である。自覚はしていないようであるが、山登りとかトレッキングに相応しい体型でもなく、その面でも心配がないとはいえない。よその方には迷惑はかけられない、ので最小限現場まで送ることとしたが、天候も良かったので急遽私も参加することとした。

 8:18出発、高速、五城目街道経由で上小阿仁、北秋田市、国民宿舎森吉山荘を経て10:00ちょうどに森吉山野生鳥獣センター着。既に約60名の参加者が集まっていた。私のエントリーも認められ、途中でセミ、鳥の鳴き声を楽しみ、高山植物、小動物のなどを観察しつつ正午頃桃洞の滝に到着した。湯浴みをしている女性の尻を想わせる様な、不思議な形をした滝であった。

 森吉山はなだらかな山で1.454mであるが県内にある山としては最も高い。ブナとアオモリトドマツに覆われている。迷路のように谷があり所々に滝がある。本日の観察コースは往復で約9Kmであったが全体になだらかで水を含みゆるい足場には板が敷かれ、登るというイメージは全くなかった。
 今日は半日緑と青の色調の中で過ごし、蝉や野鳥の声10数種、木々や植物20数種、モリアオガエル、山椒魚の卵や稚魚(?)を観ることが出来た。また、そう聴ける物ではないとされるアカショウビンの鳴き声を往復共聴くことが出来て実に運が良かった。この付近はクマゲラの生息地でもあるとのことであるがその姿を見ることはなかった。熊の生息地でもあり、看板などにその爪痕を見た。

 家内は時々一見無理と思われるような計画を立てる。その度に心配なので私が渋々エスコートすることになる。今回も一人ならとても集合時間に間に合わなかっただろうし、滝までも行けた物ではなかった、と思う。実に困った物であるが、それ故に私も思いがけない良い経験をすることが出来ている。
 野鳥の録音ために購入した録音機「Roland Edirol R-09HR」は24bit 96kHz Wave/MP-3で録音が出来る優れものであるが、実質的には私の所有物になるだろうから、購入を即座に同意した。生録派の私は前から欲しいと思っていたが我慢していたからである。

 家内の話の中に時折高性能一眼レフとか双眼鏡の話も出てくるのが恐ろしい。こちらの話題には安易に乗らないように気をつけている。


6/7(土)母ハナ命日 晴れ  病棟拘束  中通総合病院友の会第44回総会で講演   
2:00起床、3:00家内帰宅、5;10病院着。5:30昨日入院の重症者対応。回診、机上の書類処理などこなす。8:30救急カンファ。講演準備。12:15-15:00中通総合病院友の会第44回総会、講演「身近になる医療崩壊」45分。懇親会、17:00-20:00病院、20:30Taxi帰宅、20:50就寝。

早朝起床時には宗教音楽を聴く (1)
 私は早朝2:00-2:30に起床する。これ以降眠っていることは滅多にない。  
 直ちにパソコンを立ち上げドック等の業務を始めるのだが、この時間から4:00迄レコード音楽を楽しむ時間帯でもある。4:00以降はNHK-FMで「心の時代」を録音しながら聴く。これが終わると出勤である。
 起床後の早朝は聴く音楽のジャンルは大抵決まっていて、やはり地味で静かな作品を好む。ここ1年ほどはモーツアルト以前の宗教音楽を楽しんでいる。同じ宗教音楽でもこれ以降の時代の作品だとこの時間帯には相応しくない。例外は今のところフォーレの「レクイエム」だけである。

 昭和53年の今日、母が死去した。やはり気持の落ち込みや揺らぎもあったのだろう、それ以降しばらくの間は集中的に宗教音楽のレコードを買い集めて聴いた。それがレコードとして50数枚になっている。昨年夏、術後の休暇中に集中的にワーグナーの「指輪」、その他を聴いたが、そのあたりからこれら宗教音楽のジャンルを聴いてみたくなり、最近までほぼ連日楽しんでいる。昼とか夜はあまり聞く気がしないが、この時間帯にはなかなか良い。

 古いレコードで、録音はすべて30年以上前と言うことになるが、これが私の居間にある古い再生装置、レコードプレーヤーは1970年代のテクニクス製、スピーカーは1965年製の英国製のセレッションで前時代物であるが、結構いい音がする。こういう古い装置が機能を発揮しているのは何となく嬉しい。
 グレゴリオ聖歌を始め、チマローザ、バッハ、モンテヴェルディ、シュッツなどの作品がとても良い。


6/6(金)晴れ ドック診察  
1:40起床.書類処理、2:30家内帰宅。3:50病棟より連絡出勤。4:10患者死亡。6;10見送り。書類処理。8:00救急カンファ。8:45-12:30外来代診。20数人と少ないが馴染みの患者でないためギクシャクする。14:00ドック診察x5。病棟患者対応ほか。明日の講演準備。20:45帰宅、夕食、21:30就寝。

明日は中通総合病院友の会第44回総会で講演「身近になる医療崩壊」
 明日午後、中通総合病院友の会の第44回総会で講演「身近になる医療崩壊」をすることになった。
 昨年のこの会では「中通総合病院将来構想」について講演した。続けて依頼が来たことはそれなりに受け入れられたたということであろう。  
 業務の隙間を見つけて粛々と準備勧めてきたが、8割方の準備状態で望むことになりそうである。まあ、これでも良い方である。
 
 「医療崩壊」を論じることはそう困難ではない。しかし、医療関係職のわれわれでも今論じるべきなのは「日本崩壊」「地方の崩壊」「国民生活崩壊」である。「医療崩壊」はそれらの中の一つのパートに過ぎないことが分かってくる。だから、「医療崩壊」を単独で論じ、改善策を提案出来ても、その解決策は国の、特に景気や経済問題、人口問題などと深くリンクしているからそう簡単に実施出来ない。
 
 これらの多方面の「崩壊」のルーツは、古く1970年代の日本の舵取りにまで遡って論じなければならない、と私は思う。「医療崩壊」の責任は小泉政権の構造改革にあると誰しもが言う。しかし、中曽根政権、田中角栄の時代にまで遡って検証しなければならないのだ。小泉、中曽根首相は低医療費政策を実施したが、そのこと自体は責められない。ただ、方法論として正しかったのかというと問題はある。私はそのように思っている。
 
 国民には健康で生きる権利、医療を受ける権利があり、それを補償するのは国の責務である等と主張することは困難ではないが、ここまで進行した医療崩壊を改善していくためには、国の医療費を十分確保し、医師養成も思い切って50%増しにするなどの劇的な対応が必要である。はっきり言って今の国力の中では不可能に近い。
 
 われわれ医療職にある者が「医療崩壊」の現実を分析し如何にして改善していくかを考えることは重要である。主張すべきは主張しなければならないが、それだけでなく、現実的に住民の健康を守り、自らの権利をも守るためにどうすればいいのか、視野を広く持たなければならないのだと思うし、今できることを確実にしていくことから始めなければならないのだ、と思う。
 
 多少焦点がぼけるかもしれないが、こんな趣旨の講演を行う予定である。


6/5(木)晴れ 外来  
2:00起床.文献資料チェック、5:10バイク病院着、6:10回診、紹介状x2など、8:00救急カンファ。8;40-14:00外来。午後の予定ないと外来が時間かかっても楽だ。患者紹介関連対応。退院時総括x2、講演準備など。21;30帰宅、夕食、22:20就寝

「私どもの7:1看護体制」「働く喜びを感じられる職場に」 20年度明和会管理職会議の締めより
 本日は平成20年度第1回の明和会管理職会議にご出席いただき、昨年度の事業報告についてご検討頂きました。本当に有り難う御座いました。各職場の報告の中でいろいろ助言・提言もいただきました。それらは今後の法人運営に生かしていきたい、と考えます。
 ただ、この会議は何とかもう少しフリーディスカッションが出来るよう工夫する必要があるとも感じました。

 昨年のこの会は6月2日でありました。そのときにも私が締めの挨拶を致しましたが、そのときのことはよく覚えております。
 中通総合病院は平成13年来、慢性的な収入の伸び悩み状態にありましたが、18年度は、?億円にも上る予算未達成を発生させてしまいました。しかし、法人としての最終決算は他の院所の黒字と、徹底した支出の抑制の結果で、何とか1700万円程のに抑えて頂きました。
 そのことを受けて、大きな赤字を出したことを陳謝し、大きな欠損を埋めて頂いたことに対して感謝申し上げました。そして、企業体として次年度は同じ轍は踏めない、そのためには7:1看護体制の取得を欠いては達成できないと申し上げ、これに関しての協力のお願いをいたしました。

 そのこともありますので本日も7:1看護体制について一言お話しいたします。
 お陰様で、先年度は先ほど報告がありましたように中通総合病院として昨年に比して?億円の増収があり、実に7年ぶりに黒字で締めることが出来ました。その内訳のなかで7:1看護体制の取得による増収が約5億と計算され、とてつもなく大きな比重を占めております。勿論、7:1看護体制の取得と維持には不安定な要素もあり、かつ、かなりの経費もかかっておりますが、それを凌駕するだけの活発な医療活動があった結果としての黒字でした。

 ここで、参考までに東京大学附属病院の7:1看護体制状況をお話しいたします。
 東大では7:1を取得するために通常よりも200人も多い、307人の看護師を採用しました。それによる収入増は9億7800万円でした。しかし、人件費増が9億300万円かかっており、結果的に7500万円の増収にしかなっておりません。

 東大と私どもとどこが違うのか、それは、東大は7:1を大幅増員で達成し、私どもは看護師の法人内シフト、院内シフトを中心に最小限の増員で達成している、と言う違いに起因しております。一方、そのため、法人内の院所に多大な負荷をかけているだけでなく、院内の看護師の方々もいろいろ無理をお願いし、協力をいただいています。

 従って、平成19年度中通総合病院が黒字で締められたこと、法人としても新病院建設の積立金を積むことが出来たということは、単に7:1を導入できたからではなく、法人内のすべての院所の協力、全職員の協力のたまものである、むしろそちらの方が大きかった、と評価できます。
 心から感謝申し上げたいと思います。

 さて、医療制度そのものにも、政治・経済の面でも、はたまた自然環境の面でも、世界のエネルギー高騰と流通の問題、食材の高騰などの不安定、不明の要素が立ちはだかっており、まだまだ厳しい運営が余儀なくされております。
 今年度の法人の事業計画は既にスタートしております。それに沿って着実に医療活動を進めていきたいと考えております。
 その目的、到達点は「全職員が明和会に勤務してよかった、働いて良かった」と語れる職場にしていく、ことにあります。

 本日はいろいろありがとうございました。(2008/5/31 第一会館本館)


6/4(水)快晴 外来  県医師会常任理事会
 
2:00起床。ドック判定総括x1ほか、いつもの如し。5:20バイク病院着。6:20回診。8:45-13:50外来。講演準備、資料作成他。17:30-19:50県医師会常任理事会。代議員会前で長時間。患者家族面談その他。21:20帰宅、21:50就眠。
 
瀬戸名誉院長がお亡くなりになった(2) これからも・・
 瀬戸泰士中通総合病院名誉院長(78)が5月31日お亡くなりになった。
 
 一昨夕から私はややうつ的心境にある。まだ晴れない。これと同じ心境には過去にも2回ある。法人、病院の要職を退かれて、名誉院長になられた日と秋田を去られる前に催された送別会の日である。これらの日の後、数日間私は得も言われぬ虚脱感と共にうつ的心理状態に陥ったことを思い出す。
 その原因は特定できないが、時の流れによって迎えざるを得ない節目とは理解できても、納得とは違う面もあったからなのだろうと思っている。
 
 昭和60年ある日,初めて面会したが、当時の院長からみれば私などフリーになったばかりの、海のものとも山のものとも分からない、一介の医師に等しかったと思う。まあ、運良く拾って頂いたと言うべきであろう。カモが来たと思われたかもしれないがその辺は詮索していない。どちらにせよ私にとって恩人である。
 医局での部屋が近いこともあって、また医師会活動をしていたこともあって、時折部屋に呼ばれて情報を求められたり歓談したりした。その際、調子に乗っていろいろ苦言も申し上げたが、実際には殆ど取り上げられることはなかった。それでも言えるだけ良い、私は恵まれている、と思っていた。
 
 その方が役職をおりられる、秋田を去る・・と言うことが私にある感慨をもたらしたのだと理解している。今回はご逝去である。同様の心理状況になっても不思議ではない。
 
 名誉院長については、今でも診療の際に、患者会、医師会などの会合、病院や法人内のなどの際にも語られることが少なくない。秋田の医療にとって、多くの患者の方々にとって、職員にとっても名誉院長の足跡は燦然と輝き続けている証である。名誉院長を知る方々が中通総合病院について語るのは、名誉院長のことを語っていることに等しい、と私は理解している。運命のいたずらで同じ部屋で執務をとるようになってからますますその偉大さを感じるようになっている。私など、まだまだ、さらに、まだまだと付け加えたいが、その足元にも及ばない。
 
 ともあれ、また一つの節目を迎えた。今までは一人の偉大な医師として私の目の前に立ちはだかっておられた。これからは名誉院長の偉大な業績、無形の意志が、同じように私の目の前に立ちはだかっていくことになろう。私が名誉院長からのプレッシャーから真に解放されるのは、私が法人を去るとき、あるいは世を去るときなのだろう、と思う。
 
 心から、ご冥福をお祈りします。


6/3(火)晴れ 外来 常務会 医局会 DPCセミナー
1:50起床,ドック判定総括x1、3:00家内帰宅、ほかいつもの如く。5:10バイク病院着。6:10回診他。8:00救急カンファ。8:45-13:00外来、連休4週目で予約患者が少なく余裕あった。14:45-16:30常務会。17:30-18:40医局会。19:00-20:15DPCセミナー。21:45帰宅。22;00就眠。

瀬戸名誉院長がお亡くなりになった(1) 心からご冥福を祈りたい
 秋田で47年の長きに渡り、患者の立場に立つ地道な医療を展開し、患者の方々から「秋田のシュバイツアー」とも称され、今ある中通総合病院をここまで育てられた瀬戸泰士中通総合病院名誉院長(78)が5月31日お亡くなりになった。
 
 昭和30年4月に一人で来秋,中通診療所を開設し、47年の長きに渡って医療、経営など多方面に手腕を発揮され、平成14年5月に法人会長、理事長、中通総合病院院長を辞され名誉院長になられた。
 
 瀬戸名誉院長の偉大な指導力・実行力のもと、積み重ねた歴史の長さとその意味についてはどのような言葉を選んでも表現出来るものではない。平成14年9月には新執行部が延びのびと業務が出来るように、とご配慮されて秋田を去られたが、私はその業績だけでなく、潔い姿勢にも尊敬の念を抱いている。
 
 2年ほど前であったと思うが、秋田大学の泌尿器科名誉教授の葬儀の際に同級生として弔辞を読まれた。とてもお元気で、力強く、哀悼を込めて読まれた弔事は人間味にもあふれ、内容的にも素晴らしく、私にとって大きなインパクトがあった。記録しておかなかったことを今でも悔やんでいる。その際、親しくお話ししたが、秋田の医療情勢に並々ならぬ関心をお持ちで、いろいろご指導・ご助言いただいた。私が直接お話を伺ったのはこの時が最後であった。
 
 本年3月6日、救急告示医療機関設備基金運用委員会が市内で開催され、委員長である瀬戸名誉院長が来秋されると聞き楽しみにしていたが、実際には体調が優れない、とのことで欠席され、お会い出来ず残念であったし、その後の健康状態を案じていた。
 
 私は今、名誉院長が執務された部屋でこれを認めている。
 昭和60年のある日,私は院長室を訪れ「大学医局を辞すので働かせて欲しい」と申し出て採用され、今に至っている。最初怪訝な表情をされていたが話すにつれ満面の笑みを浮かべられ「一緒に働きましょう」と締めくられた初対面の日のことを懐かしく思い出す。
 名誉院長の偉大さ、業績は後で知った。それを思うと、私がここにいること自体、運命のいたずらとしか思えない。それを再度実感している。昨夕からややうつ的心境にある。


6/2(月)晴れ 管理会議 安全管理者と打ち合わせ 療養病棟判定会議 長副会議 
2:00起床、新聞チェック、ドック判定総括x1。5:10バイク病院着。6:15回診他、入院患者2名不調。7:45-8:30管理会議。10:00-10:45安全管理者と打ち合わせ。患者関連書類処理に呻吟。特にリハビリ関連のレセプトのコメントが困難。16:00-16:45療養病棟判定会議。17:00-18:20長副会議。18:33患者死去。20:00見送り。21:00帰宅。夕食、22:00就眠。一昨年は梅雨入り宣言。

高齢者の多い外来風景(3)病気よりも言い方、患者の個性で苦労
 私が担当する外来の高齢化率は著しい。だから、とにかく時間がかかる。対応は実に手間がかかりめんどうである。
 
 私が担当する外来は前身が高血圧外来であったことで、今もその名残で生活習慣病中心の概して元気なお年寄りが多い。だから、私のような古くて錆かかった医師でも何とかやっていけている。
 ただ、診察自体よりその前後の時間が長いのが悩みである。
 
 悩みの一つは具体的でない会話の応酬である。
 「その腰の痛いのは何時頃から?」と問えば「しばらく前から」と来る。次に「しばらくっていつ頃?」と聞く。「イヤ、ちょっと前だ」と来る。こんなことを繰り返して実は「20年前から時々あった腰痛が最近症状が若干強くなってきた」と言うことにやっと達する。
 
 薬に関しては希望があるのなら一錠持ってくるとか、薬手帳を持ってくればいいのに、と思う。「あの前にもらった、小さな赤みがかったタマ薬で、3つ飲むやつ。あれ、効かないから、その前にもらった白い粉のやつが良い・・・」と来る。それを特定するのにカルテをひっくり返し、オーダリング画面を過去にさかのぼって探し出す。なかなか見つからない。その途中で「ァ、あれは去年日赤からもらった薬だったな」と来る。
 
 患者の病状はほぼ安定しているから病気そのもので悩むことはそれほど多くない。最大の問題は、60年から90年も生きてきた人生が培った個性である。100人100様である。サラリと椅子を立つ患者もいれば、なかなか去らず一頻り病院に対する不満とか人生論を述べていく方もいる。これは途中で良い区切りを見つけ話を終わらせるのに一苦労である。毎回同じ話を切り出すアルツハイマー型認知症の方もいる。
 
 こういう方々だけお相手していると時間が無くなるし、疲れる。つい面倒になって許容範囲であれば希望は取り入れてしまう。断るのが何10倍も大変だからである。そうすると「院長は良く話を聞いてくれて、とても親切。患者の気持ちになってくれる・・」と思うらしく、知人に受診を勧めたり、連れてきたりする。こういう方々は概して手がかかる。
 
 若手医師達は私が担当する外来の代診を出来ればやりたくない、という。当然である。テンポがまるで合わない。私にも会わないから当然である。代診があたった若手医師が気の毒だが、それを面々と続けている私も気の毒な医師なのだ。


6/1(日)雨のち曇り 病棟拘束  泉tennis中止 
2:00起床、ドック判定総括、新聞処理。講演準備。5:30家内を高清水公園に送る。10:00予定の泉tennis雨で中止。午睡若干、講演準備等、16:00-20:00病院。20:00帰宅、夕食、21:00就眠。

高齢者の多い外来風景(2)診察前後に時間がかかるのが悩み
 私が担当する外来の高齢化率は著しい。
 
 私自身は、いま高齢者中心の医療をやっていることに意義を感じているから、そのこと自体に問題はない。しかし、患者数が多いだけならまだ良いのだが、一般的特徴として診察前後の時間が長いと言うことは外来に出る度ごとの悩みである。
 
 先ず、診察室に患者をお呼びするのだが、名前を呼んでも返事もなく、動いた気配もない。何度か呼ばなければならないことも少なくない。そのときはステンレスの器をチンチンと叩く。この音を聞きつけて診療介助の看護師とか助手の方々が来てくれるのだが、最近は診療介助のスタッフを減らしているからうまく連携がとれないこともある。そのときは席を立ち呼び込む。これが結構大変である。最近は前の患者の処方箋、予約票とかの処理の最中に次の方を呼び込むことにしている。これで診察前の効率は若干改善した。
 
 患者が椅子に座ると同時に、もうそのときには私は患者の状態は動作や表情からだいたい分かっているのだが、習慣でもあるし、挨拶代わりとして「どうですか?身体の調子は」と先ず例外なく聴く。だから患者も慣れているはずなのだが、聴かれてから考え始める方が多く、なかなか返事が返ってこない。10数秒も考えて「・・何ともないです。」を始めとしてとしていろいろな答えが返ってくる。
 
 問題なのは軽い認知症の方々は一生懸命表現しようとするのだが、論旨が通らない話をポツポツと言い始める。これが始まるとしばらく聴いてあげねばならぬから本心がっくり来るがしばらく耐える。切れの良いところを見つけて話を終わらせるのに一苦労する。こんな患者が日に10人ほどでどっと疲れる。
 診察自体は血圧中心だから問題は少ないが、体調によっては腹部を診察するのだが、動作が若干遅くなっているからこれまた時間がかかる。
 
 最後に、次の予約日の希望を聞くのだが、大抵聞かれてからおもむろに考え始める。予約制になったとはいえ若干の待ち時間があるのだから、何で待ってる間に決めていないのだ!!!と思う。そう問うと「先生の都合もあるでしょうから、私からはとても言えません・・」と殊勝なことをおっしゃる。
 高齢者の多い外来は、診察以外のことに時間がとられる。充分分かっていても、外来にでるたびに私は疲弊する。
 


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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