徒然日記
2007年8月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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8/31(金)秋田雨 東京曇り  日医病院委員会  
2:00起床、ドック判定総括x1。など。5:10病院着、6:30回診他、各種処理。8:00救急カンファ。8:50病院発秋田道経由空港へ。9:55JAL、AirBusA300-600R、後方は40%ほどとガラガラ。13:30-16:00日本医師会病院委員会。18:00JAL MD-90満席。19:10秋田空港着、実質的飛行時間は45分、風の影響か。20:00帰宅、夕食、22:30就寝。

オールド・ボロ・ハーレー(11)車が少ない早朝、ゆっくり走る 
 私の場合、バイクは年間のうち半分くらいしか乗れないから乗れる季節には天気予報を確かめ、空を眺めて雨が降らないようであれば通勤時に出来るだけ乗るようにしている。第一、一人で移動するのに5人乗りの車は無駄である。

 乗るだけなら、療養休暇明けのお盆頃の出勤時から不可能ではなかったが、下腹に傷がある身では取り回しも困難、倒したときには起こせないだろうと思って我慢した。結局、その我慢は数日だけで今月20日から再び乗り始めた。ハーレーはクッションがとても固いから道路の凹凸はもろに下腹の傷に響いて痛いが、それも徐々に楽になってきている。

 早朝は気力も十分なのでやや遠回りであるが市内に入らずバイパスを通り、秋田市水道局手形山配水場の脇を通る片道約9kmのルートを選ぶ。このルートは右左折も殆どないし殆ど全ての交差点に信号が付いているから比較的安全なルートで快適に走れる。しかも、この時間帯は車も疎らである。ひんやりと空気が冷たい朝、空気を、風を感じながら、刻々と変わっていく夜明け前の空を楽しみながら、遠くの信号まで全て青になっている直線道路をゆっくり走るのは実に気分が良い。

 私がハーレーを好む大きな理由は、ゆっくりと、大体時速で45-60km程度で走るのに向いたバイクだからである。この速度だと、特徴的な低音域の音とV型二気筒エンジン固有の振動が快く身体に伝わってくる。音は文字で表すとバフ・バフ・バフ・・である。更にスピードを上げてもバイク自体は問題なく走るが、音も振動も変わってしまうし、ヘルメットの風切り音が高くなって私の楽しみが薄れてくる。単に高速で移動するだけなら、バイクが車に勝る点など何もない。だからバイクにまたがったらゆっくり走る。

 一日働いた後はさすがに気力が萎えている。このルートを選ぶのは3回に1回くらいで、多くは5kmほどの最短のルートを通って帰宅する。このルートだと車は多いし赤信号で停車することも頻回で右左折も多いから走る楽しみは半減する。このバイクは走っているときは安定して扱いやすいが、停車したときはうるさくて重くて、扱い困難な鉄の塊と化すからである。それでも、風、星、月などが楽しめる。バイクの楽しみの一つに自然との対話がある。だから私は乗り続けるのだ。


8/30(木) 快晴   外来  医療安全事例分析ワークショップ
 2:10起床。ドック判定総括x1。5:10バイク病院着、6:20回診その他、8:00救急カンファ、8:45-14:30外来、15:00生命保険会社員来訪、16:00入院患者対応、17:20-19:10医療安全事例分析ワークショップ。出張準備、書類処理。20:50帰宅.夕食。21:30就寝。

オールド・ボロ・ハーレー(10)残暑厳しいが、早朝のバイクはもう寒い
 夏の盛り、全国的に猛暑が話題になっている時期に、私は秋の訪れを早めに察知して寂しくなる。子供の頃からお盆の早朝の墓参りの際に足下の草が露でしっとりと濡れていることで秋の訪れ感じたが、バイク通勤するようになってからはより一層早く、8月上旬から秋の訪れ感じ取る。

 春の中頃から初秋にかけては雨天以外の日はバイク通勤にしているが、全国的に猛暑だ、熱暑だと話題になっている8月初旬、中旬であっても早朝5時頃の時間帯は空気はひんやりと冷え始めている。それが下旬になると結構厳しく、寒さを感じるほどで、夏の間は風を入れるために緩くしておいたレザーウエアの襟元、袖口のファスナーを締め上げて乗る。

 私はバイクを好むと言っても通勤以外には例外的にしか乗らない。だから早朝5時前後と20時半前後が走る時間帯と言うことになるが、この時間帯だと快適なのは6月下旬から9月上旬までで、その前後の一ヶ月はやや寒くて苦痛を伴うし、初春、晩秋はかなりの苦行である。なるべく長く乗ろうと心がけているが年間を通して走れる期間は限られている。

 新聞配達とかで用いられる小型の実用バイクは別であるが、北国では大きめのバイクは冬期間は乗れない。更に、私の場合は走るのが早朝・夜間帯と言うこともあって用いる期間は更に短い。実に残念である。バイク通勤を始めたのは平成2年からだから18年用いているが、積算走行距離は2台のバイクを合わせても50,000Kmに満たない。平成3年から用いているボロ・ボロ・ハーレーはわずかに23,000Kmで、年間平均1,500Km程度でしかない。

 そう考えると北国の大型のバイクは実に贅沢な乗り物、と言うことが出来る。


8/29(水)晴れ 外来    県医療審議会医療法人部会
2:00起床。ドック判定総括x1、他。5:10バイク病院着.紹介状返事その他事務処理。6:10回診等。8:00救急カンファ。8:45-14:00外来、混雑。16:50-18:10県医療審議会医療法人部会。20:50帰宅。夕食、21:20就寝。

医師不足対策(13)政治家、厚労省役人は若い医師の立場をどう考えているのか 
 最近、厚労省のかなり上のポストにある官僚がやっとわが国の医師不足が偏在ではなく絶対的不足にも起因している事を認める旨の発言をし始めている。従来、絶対的医師不足に関しては決して認めようとしていなかったから、これは大きな変化である。
 その上に立って、厚労省は新しい医師不足対策を打ち出して来ている。

 その一つが、来年4月から医学部の入学定員を増やそうとしていることである。我が国の医師数は絶対的に不足しているから養成数を増やすことには意義があるが、今のところ将来的医師養成の展望については何も触れていない。だから、おそらく、今回も閣議決定に手をつけないままの「医師養成の前倒し」と言う発想の導入であろう。
 厚労省の役人はよくもまあこんな姑息的なことを考えつくものだと感心する。

  もう一つはより即効的、より確実な効果を上げるために、定員増枠に入学する学生には強制的に奨学金を与え、卒後9年間の義務年限のうちの一定の期間を、平成18年改正の医療法に定める救急医療等確保事業(救急医療、災害時における医療、へき地の医療、周産期医療、小児医療、小児救急医療など)、及び知事が特に必要と認める医療の確保に必要な事業、に従事させようと言う考えである。

 私は、医療の確保は国の責務なので、行政、都道府県、自治体、地域の医療機関、医師会等が担うべきで、特定の個人、特に何も分からない若者を人質にとって押しつけるべきでない、と思っている。若い医師にとって卒後の約10年間は医師としての技量を身につけるために最も重要な時期である。この期間の自由度を束縛し、十分な修練なしに強制的に就業させる事で地域医療を充足しようとする考え方には賛成できない。

 18歳時に医学部を選択すること自体も早過ぎるのに、医療の何ぞやも知らない医学生を修学金という甘い餌によって縛りあげるのは良くない。
 ただ、この辺のことは考えることは出来るが私にとっては実体験は乏しい領域である。だから、自治医科大学出身者の方々の発言が欲しいところであるが、何故かあまり話していただけない。


8/28(火)雨→晴れ 外来 法人常務会 県健康づくり審議会エイズ部会 医局カンファ 
1:30起床,ドック判定総括x1。民医連関連文書検討+資料送付。5:10病院へ。6:30回診、7:00患者家族面談。定期処方その他病棟業務。8:00救急カンファ。8:45-14:30外来、超混雑。14:45-15:45法人常務会。16:00-17:30秋田県医療審議会感染症エイズ部会。17:30-18:20医局カンファ、整形外科「慢性関節リュウマチ」。回診、20:50帰宅。21:30就寝。

医師不足対策(12)若手医師の自由を奪う無謀な新医師養成計画 
 深刻化する医師不足に歯止めをかけるため、政府は8月24日、来年4月から大学医学部の入学定員を各都府県で最大5人、北海道で最大15人増やすことを認める方針を固めた、と報道された。定員増の期間は10年間のみで、一年に最大計245人の増員となる。政府・与党が5月に発表した緊急医師確保対策の一環とのことである。

 医学部の入学定員をめぐっては、政府は既に今回の計画とは別に来春以降の10年間で、医師不足が深刻な10県の大学と自治医大の計11大学について年間で最大10人ずつの増員を認めている。それに加えての新しい医師養成の計画の発表である。

 我が国の医師数は絶対的に不足しているから医学部の定員増に踏み込んだことには意義があると考える。前者の計画で約1000人、今回の計画で2400人程度、併せて3500人程度の養成増になる。

  私は、しかしながら二つの点から俄には賛成できない。

 一つは、平成9年に閣議で医師数が将来過剰になると言う予測をもとに、引き続き医学部定員の削減に取り組む、との決定がなされ、このことがその後の医師養成に金科玉条の如くに扱われている。今回もこれを改めたわけではないことである。従って、今回の決定は医師養成を10年間にわたって養成数を前倒しで養成する、と言うことである。10年間で3500人の養成増がなされた後は養成数を3500人、あるいはそれ以上削減していくと言うことである。これではわが国の医師養成の問題点に何ら踏み込まない、姑息的解決法だと言うことである。

  第二には、この計画による増員枠に入学した学生に対しては、入学金や授業料は自治体が全額肩代わりし、卒業後はへき地などの病院や診療科を指定して9年間の勤務を義務付ける、と言うものだからである。同様の取り組みは自治医大が実施しており、毎年2、3人が都道府県から奨学金を得て入学し、卒業後に指定された病院に赴任している。今回の新たな増員について、厚生労働省は「都道府県版の自治医大構想」と位置付けているが、これこそ人権無視の、金で若者を奴隷化する悪しき方法だと思う。

 何も知らないまま、医師になりたくて医学部に入学する18歳程の未成年に対して卒業後の9年間、30代前半の医師としての修行に最も重要な時期を、都道府県が指定する医療機関で働かせる、と言うものである。私は自治医大が果たした任務は小さくないと評価するが、その任務は終わったと思う。これからは自治医大の在り様を変えて行くべきではないか。

 だから、今回の金で若者の人生を縛る新医師養成計画、「都道府県版の自治医大構想」には賛成できない。


8/28(月)曇・雨 管理会議 院内巡視  長副会議 
1:40起床、ドック判定総括x1、紹介状他作成。5:10病院、6:15回診他。7:45-8:25管理会議、10:00-10:45安全管理者と打ち合わせ。午後は回診、重症患者対応、紹介状など。17:00-19:30長副会議。再度回診、21:00帰宅、夕食。21:30就眠。

今年の「高校生一日医師体験」は、県の医師対策の企画として実施
 私どもの病院では毎年「高校生一日医師体験」を行っており、県内の高校から毎回10数名の高校生が参加している。この企画は、開かれた医療機関として法人及び病院の医療活動を社会にアピールする一方、医師を目指している高校生が、病院を見学し、医師やスタッフ達の仕事を見学し、一部を模擬体験することで、目指す方向をより明確に強固にしてもらう、という趣旨と目的で行われている。

 昨年まで7回施行されたが、8回目の今年は病院独自の企画ではなく、県の医師確保総合対策の一環としての事業に協力するという形で実施した。

 秋田県の絶対的医師不足、偏在の解消は喫緊の課題であるが、対策としてそれほど決定的、速効性のある名案があるわけではない。県は国の指示や他県の試み、医師会、各病院からの提言等を受け、「医師確保総合計画」として種々の試みや対策を行っている。

 平成19年度に県が挙げた事業は、■地域医療従事医師修学資金等貸与事業、■夢実現・ドクターセミナー開催事業、■臨床研修対策支援事業、■医師登録紹介・広報事業、■医師リクルート強化緊急事業、■産科等医療体制特別対策事業、■県職員採用医師派遣事業、である。

 このうち、「夢実現・ドクターセミナー開催事業」は当院で行ってきた「高校生一日医師体験」とほぼ同様の内容の試みであり、県が今年から事業として開始したもので、7月-8月にかけて県内4病院で実施した。今年の協力病院は、県北は大館市立総合病院、中央地区では当院と市立秋田総合病院、県南地区では平鹿総合病院である。

 当院では8月3日と7日に行われ34人が参加した。参加者は院内の各職場を回り、医師だけでなく、コ・メディカルの脇でその仕事内容も見学した。また、医師、看護師によるミニ講演、手術見学、心電図検査やギプス巻きの模擬体験、医師との懇談も行われた。

 当院が行ってきた「高校生一日医師体験」は高校の指導教諭からも、参加者からも評価は高く、参加した高校生は高頻度に医学部を志望しており、秋田県人の医師養成に貢献している。秋田大学が関東、関西圏出身者の医師養成所化し、加えて、新臨床研修制度のもとで従来よりは遥かに自由に研修先を選べることから秋大卒生の秋田県への定着率は低い。これは早急に対策を講じなければならないが、この一環として秋田県人から医師を養成する企画の意義は決して小さくない。

 この「高校生一日医師体験」の企画が高校生の進路決定により前向きに寄与していることは今までの感触、実績から明らかである。一人前の医師に養成するには時間はかかるが、このような地道な努力が必要ではないだろうか。

 秋田県の医療は秋田県民が守るのだ、地域で医師を育てるのだ、と言う視点が医療関係者のみならず県民にも重要だと思う。


8/26(日)曇り→雨  病棟拘束  
2:00起床、ドック判定総括x2、その他作文多少。6:30バイク出勤、7:30回診。8:30救急カンファ、10:30重症者回診、11:30帰宅。12:00軽食、13:00-14:00午睡、ドック判定総括x2、見舞いの来客あり、レコード数枚聴きつつ新聞10日間分チェックそのほか。20:30夕食、21:30就眠。

ボルト一本が重大事故の原因になりうる危うさ
 本年3月、伊丹発高知行きの全日空ボンバルディアDHC8-400型機が前輪が出ないと言うトラブルに見舞われたが、機体の前部を滑走路に擦りつけ、火花を挙げながらも火災も起こさずに無事に着陸した。乗客乗員に死傷者はなかった。原因は前輪を出し入れする機構に緩んだボルトの一本が引っかかり機能しなかったためと判明した。

 今月13日、韓国釜山市に設置された移動式のテーマパークに設置され、8人乗りのコンドラ42基がゆっくり回転する、高さ約60mの観覧車で、一家7人が乗った一つのゴンドラが水平位置をとらずに固定された状態で傾き、ほぼ逆さ状態にまでなり、ガラスが外れて5人が落下して死亡した。韓国の捜査当局は、観覧車を組み立てた際のボルトの取り付けミスが原因と断定し、遊園地側を業務上過失致死などの疑いで立件する方針を固めた。観覧車の鉄柱のボルトの一部が、誤って本来とは反対に取り付けられ、ゴンドラは垂直の位置を保てず、別のゴンドラに引っかかったためという。実に痛ましい事故である。

 今月20日、那覇空港で着陸したばかりの中華航空ボーイング737-800型機が爆発炎上した。乗客がエンジン付近の異常を訴えているのに客室乗務員は無視したなど、危機管理上の問題点は指摘されているが、間一髪165人の乗客乗員全員が脱出して死傷者はいなかった。人的被害が出なかったのは幸運であった。原因は主翼の揚力装置に取り付けてある一本のボルトが何らかの機序で外れ、燃料タンクを突き破り、燃料漏れを生じたものだと言う。外れたボルトがどの様に燃料タンクを突き破ったのか、燃料タンクはそんなに脆いものなのかなど、理解し難い点も多いが、調査でボルトに付けられた留め具のワッシャーが外れており、付け忘れなど整備上のミスの可能性が浮上している。

 最近ボルト一本の脱落や緩み、取り付けミスが原因で巨大システムの重要部分が機能を失い、重大な結果に結びついた事故が続いた。このような事故はむしろ希であろうが、解明されてみるとホントにちょっとしたことが重大事故の原因となっている。巨大なシステムは思いがけないところに危うさを秘めているものだと改めて思ってしまう。
 私は巨大な建造物、高速の移動手段などにいつも恐怖感を感じる。一方ではそれらを避けて暮らせないだけに、何時かそのような事故に遭遇する可能性は有り得る。ある種の諦めの気持ちも持っているが、私にとってはブラックボックスで他所様任せでしかない。
 一つ一つの事故を教訓にして安全性を高めて欲しい、と願うしかないのだ。 


8/25(土)快晴 病棟拘束  
2:00起床、ドック判定総括x1他。5:10バイク病院着、もう寒い。回診他。8:10ドック診察x4。8:30救急カンファ。8:45-10:00ドック結果説明x5。11:00重症患者対応など。後はずっと書類と格闘。医療関係の新聞等チェック、資料作成など。19;00バイク帰宅、夕食。本読み若干、20:45就寝。

アトリオン室内オケ27回定期演奏会 フォーレの「レクイエム」(2) 
 8月19日(日)、アトリオン室内オーケストラ第27回定期演奏会が行われた。5曲取り上げられていたがメイン曲はフォーレ/レクイエム 作品48である。私の大好きな曲で昨年からずっと楽しみにしていた。途中で入院手術が入ったので券を取らずにいたが、その後の私の経過は順調で聴きに行けた。

 声楽が入る演奏会でいつも感じることはソプラノソロ歌手の存在感である。今回も「オンブラ・マイ・フ」、「アヴェ・マリア」及び「レクイエム」を歌った秋田県出身の長谷川留美子氏の舞台姿、舞台袖に引き上げるときの表情と歩く様は圧倒的である。勿論、豊満な体格、衣装による部分もあるだろうが、痩身な歌手にも同様の存在感があるので、何か特別な訓練でも受けているのかと思ってしまう。多分、舞台を数多くこなし拍手を浴びているうちに自然と身に付いていくのだろう。

 私は寺の鐘や読経を聴くのが好きである。何本かのテープ、CDを持っているが聴く度に心が洗われる。葬儀の際の複数の和尚による読経には深い音楽性を感じてしまう。心残りなのは我が家の菩提寺である江岸寺の鷲盛瑞良和前住職が今春死去され、その読経を録音する機会を失したことである。寺の本堂には亡父が寄贈した、見事な余韻を持ついい音色の鐘がある。今年こそは録音するぞ、と思っていたが、果たせず残念であった。 
 これと同じ感覚だろうが、私は西洋の宗教曲も好きである。レクイエムに関しては古典から現代曲まで10数曲に親しんでいるが、その中では特にフォーレ、チマローザの作品を好んで聴いている。

 で、当日のレクイエムであるが、総じてレベルが高く期待した以上に満足できた。全然眠らずに聴いた。特に合唱がピアニッシモで入ってくる部分では何度も何度も鳥肌が立った。CDなどでは決して体験できない現象である。各楽器、オルガン、合唱の使用などに関しても予想外の部分が多く、後ほど楽譜を購入して聴きなおしたいと思った。オルガン、弦、合唱が豊かな音響のホールに壮大に響き渡ったときにはヨーロッパの古い寺院、教会の内部にいるような錯覚さえも覚えた。

 トークなど過剰なサービスには落胆したが、聴き終えた後幸せな気持ちで会場を後にした。


8/24(金)快晴 職員検診 県難病相談・支援センター事業運営検討委員会 法人理事会         
  
2:30起床、ドック判定総括x1等.5:20病院着。6:20回診、患者関連書類、カルテ整理、総括他。入院患者対応そのほか。A bank来訪、14:00-16:00県難病相談・支援センター事業運営検討委員会。17:30-19:00法人理事会。重症患者対応他、21:00帰宅。21:20就眠。

 「アイスブレーク」(2)アイスクリームを味わう時間ではなかった
 ホテルに3日間缶詰になって講習会を受けるなど初老の私にとって面倒で嫌あったが、研修病院の指導医として一度は出席しなければならない。好物のアイスクリームが頻回に出されるならば、と半ば餌につられて重い腰を上げた。

 参加してみるとこの講習会は大部分が問題解決型、体験・参加型とも呼ばれる「ワークショップ」形式で行われると言うことで、ロール・プレイも組まれていた。ロールプレイは、懸案事項解決のための訓練方法としての意義は理解していたつもりであるが、見て、聞いていてあのわざとらしさがとても耐え難く、知らない人の前では緊張する私にとって苦手で嫌な形式で、今までは機会があっても参加せずに逃げてきた。

 で、楽しみにしていた肝腎の「アイスブレーク」であるが、アイスクリームなど全然関係がなかった。ガッカリした。「アイスブレーク」は、セミナーなどで場の雰囲気、参加者の緊張をほぐすための簡単な遊びや作業のことで、緊張して氷の如く固まっている状態を砕く・壊す、という意味なのだそうだ。これは初めて知った言葉である。この場に至ってはもう逃げるわけにはいかない。嫌々ながら「アイスブレーク」の企画にも参加したが、確かに、初対面の医師同士の緊張感を解くにはかなり役立ち、私の緊張感も徐々に解れていった。アイスクリームは食べられず落胆したが、別な意味での価値は大きかった。これによって3日間の缶詰状態にも耐えられた、と言えよう。

 この「アイスブレーク」の真の価値を確認したのは、去る7月29日に行われた第29回秋田県小児喘息サマーキャンプの場であった。私は実行委員長として開会式に出席したが、その待ち時間の間に、ボランティア参加のある小学校の教諭がコーディネーターとなって30人の児、大勢のボランティアを指導して体操や遊技、ゲームを行っていたが、この間に参加者達の緊張した固い雰囲気は一気に解れ、開会式も明るく和気藹々に、楽しい雰囲気で行うことが出来た。

 セミナーの際の「アイスブレーク」も私みたいな人間にも一定の価値はあったが、このサマーキャンプの場でみた「アイスブレーク」企画がかもし出した効果は信じ難いほどであった。この企画の前後で場の雰囲気は大きく変わった。3日間のサマーキャンプは十二分に盛り上がり、成功裏に終わることが出来たが、初対面の参加者の気持ちを一体化させたこの「アイスブレーク」の企画が功を奏したことは明らかであろう。その教諭の雰囲気作りの技術にも脱帽した。私にはそのような能力は一切備わっていない、と改めて自覚し、感心しつつ帰路についた。


8/23(木)入院患者家族面談 外来 米内沢病院院長来訪 業務部と面談 臨床研修制度マッチング 療養病棟診療部会議 県医師会紛争処理委員会 
2:30起床,ドック判定総括x1他、いつもの如く。5:00バイク出勤。道路の凹凸が若干下腹に響く。6:00回診そのほか病棟業務。6:30患者家族面談、8:00救急カンファ。8:40-14:30外来、超混雑。北秋田市立米内沢病院事務長来訪、14:40法人業務部長と面談。15:00-16:20新臨床研修制度マッチング5名。17:00-17:50療養病棟診療部会議。18:30-19:30秋田県医師会医事紛争処理委員会。20:00回診他。21:10帰宅、夕食、21:50就眠。細切れ状態の一日。終日余裕なし。病棟からのファックスもたまっていた。

一夜明けたら別の高校が優勝していた 佐賀北の快挙
 昨日、医局で垣間見たTVでは広陵佐賀北戦をやっていた。見ると決勝戦である。ほう、甲子園もやっと今日決勝か、と思いつつ見ると、8回裏の佐賀北の攻撃中で、4-1で広陵がリードしていた。この回でこの差、相手が名門広陵では勝負は決まったようなものと思った。同時に、これで今年の国民的行事である甲子園も終わり、本格的な秋の訪れだな、と感じながら県医師会に出かけた。理事会の後、再度業務をこなし、20:30頃帰宅、そそくさと就寝した。早朝はラジオもTVもつけず、フォーレとチマローザの「レクイエム」を聴きながら業務をしていた。昨夕から一切の何も情報を得ない状況で過ごしてしまった。

 今朝、6:30、回診時に入院患者の枕もとのTVでは昨日の決勝戦の様子が映し出されていたが、画面もアナウンスも異様な雰囲気である。見ると画面構成でスポットライトを当てられているのは広陵ではなく、佐賀北である。何と優勝は佐賀北高校であった。

 私は本当に驚いた。私が医局を離れる時に打席に入ろうとしていたあの選手が劇的な、満塁ホームランを打ったらしい。録画で何度も何度もそのシーンが繰り返された。見事なスイング、飛距離も十分で感動した。わずか1-2分の違いで直接見ることが出来なかったのは実に残念であった。

 今年の高校野球は野球特待生の制度で揉めた。佐賀北は公立高校で、勿論、野球特待生制度などはなく、地元佐賀の中学から集まった選手ばかりで、特別目立つような選手はいない、とのことである。今年、頂点を極めたのが公立高校であったことは半ば偶然でもあろうが、高校野球のあり方にさわやかな一石を投じる事になった。

 今年、10数年ぶりだろうか、私は療養休暇中であったこともあり金足農業、大垣日大戦を楽しむことが出来た。大垣日大もすごく良いチームだと感じたが、いつぞや姿を消していた。高校野球の醍醐味は一瞬で優劣が逆転しうるドラマ性にあると思う。その魅力すらも最近はすっかり忘れかけていたが、今朝は、久々に高校野球の醍醐味を味わうことが出来た。こんな思いを味わったのは数10年ぶりかも知れない。
 


8/22(水)雨 入院患者家族面談 外来 県医師会理事会   
1:20起床,ドック判定総括x2、紹介状x1、5:10出勤。6:00回診、病棟業務他。7:00患者家族面談、8:00救急カンファ、8:45-14:30外来。15:00入院患者対応。16:00県医師会へ、16:30-18:30県医師会理事会。再度回診。20:30帰宅、夕食、21:00就寝。

アトリオン室内オケ27回定期演奏会 フォーレの「レクイエム」(1) 満席で驚いた
 8月19日(日)、アトリオン室内オーケストラ第27回定期演奏会が行われた。
 プログラムは
■ コレッリ/合奏協奏曲二長調 作品6-4
■ヘンデル/歌劇「セルセ」より「オンブラ・マイ・フ」
■バッハ(グノー編曲)/アヴェ・マリア
■ フィンジー/ロマンス 作品11
■ フォーレ/レクイエム 作品48

 演奏は、指揮:梅田俊明氏、ソプラノ独唱:長谷川留美子氏、バリトン独唱:藤野祐一氏、合唱はコール・カペラ、秋田男声合唱団、秋大教育文化学部音楽教育講座の学生達、それと管、弦にエキストラを大勢加えたアトリオン室内オーケストラである。

 私はいつもの如く最後列左側通路脇の席で、トロトロ眠りながら至福の時間を過ごすのを楽しみにして15分前頃に入場した。何と、殆ど満席で、結局前列から4列目左寄りの席にやっと座れた。基本的に私はこんなに前で聴くのは好まないがやむを得なかった。

 このホールがこれほど満杯になったのを経験したのは初めてであるが、アトリオン室内オケにとってはとても良いことである。夏の盛りの暑いときに何故これだけの聴衆が集まったのか? フォーレ/レクイエムが目玉とはいえ、演奏曲目、演奏者、演奏内容が秋田県民にそれほど大きく期待されたのであろうか? 否、そうでは無かろう、おそらく出演者、特に合唱団のメンバーの友人、知人が大勢詰めかけたための今回だけの現象であろう、と私は解釈した。

 演奏前にこの室内オケの音楽監督である四反田氏の曲目解説があり、ついでコーラス3団体の指導者3名を加えての若干のトークがあった。演奏会の演奏開始前に曲目解説などクドクド話すのを聴きたくはない、不要、と言うのが私の感想である。合唱指導者に関しては紹介のみで良い。それに用いられたマイクの音響であるが、低域が強調され、話が聴き取り難かった。スピーチの際にはホールの音響を加味し、また、人の声の周波数帯域を考えてマイクの低域を大幅にカットすべきと思う。

 無いよりは良い企画なのかもしれないが、時間的にも、話の内容も、音響的にも、コンサート開始前の試みとしては大いに不満で、演奏に対する期待感と緊張感がグッと削がれてしまい残念であった。
 この件はアンケート用紙にも記載させていただいた。うまく伝わるであろうか。


8/21(火)曇り→雨 入院患者家族面談 外来 法人常務会 
4:20起床,入浴ほか、5:10病院着。6:00回診、剖検関連準備、8:00救急カンファ。8:45-14:30午前外来、盆明けで超混雑。14:45-16:00常務会。再度回診、病棟関連対応。定期処方発行。20:50帰宅、夕食、21:30就眠。

「ワークショップ」ってなんだ??「アイスブレーク」とは??(1)
 私が「アイスブレーク」という言葉に初めて接したのは、5月中旬に八郎潟のホテルに3日間缶詰になって受けた新臨床研修制度指導者講習会のプログラムを見た時である。

 研修会の一日のスケジュールの合間合間に「アイスブレーキング」と言う時間が数回はさまれている。通常は「コ−ヒーブレーク」なはずなのだが、今回は季節柄アイスクリームが出されるのか?こりゃ楽しみだ、とその時点で疑問無く思いこんでしまった。

 業務の申し送りなどを考えると二泊三日のセミナーに参加することはとても大変で、厚労省は研修病院の医師達は暇だとでも考えているのか?と懐疑的・批判的に思っていたし、実際に病院を出るまで準備が大変であったが、私にはコーヒーならぬアイスクリームが何度も食べられそうな「アイスブレーク」がちょっとした魅力であった。

 参加してみて愕然としたのは、第一にこの指導者講習会は単に講演を受け身的に聴いていれば良いというものでなく、大部分が問題解決型、体験・参加型とも呼ばれる「ワークショップ形式」で行われると言うことであった。この形式では参加者は5-6人毎の小グループに分けられ、司会進行役の指示に従って、全員が作業に参加したり発言しなければならない。自分だけ特別という事はあり得ない。気が小さくて内気、人見知りも激しく、知らない人の前では緊張して言いたいこともロクに言えない私にとってはとても苦手で、嫌な形式である。

 私は一般の講演会には好んで参加するが、録音をとりつつ自分は半ば斜に構えて居眠りしながら聴くが、今回の指導者講習会は録音をとる暇も、居眠りする暇も一切なさそうな雰囲気であった。こりゃ厳しい三日間になるぞと思ったが、それだけ最初の「アイスブレーキング」の時間が来るのを楽しみにしていた。その時になってもアイスクリーム等は一切出ず、私はここで二回目の愕然とした気分を味わった。
 無知のなせるワザである。


8/20(月)晴れ→曇り 管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議 0:30起床,ドック判定総括x1、退院総括準備、保険会社提出様診断書x2。紹介状。5:20バイクにて病院着。6:00回診、7:45-8:25管理会議.8:45-14:10外来、盆明けで混雑。16:00-16:30療養病棟判定会議3名判定、17:00-19:30長副会議、懸案多数。新規入院、重症患者回診。21:20帰宅、夕食、21:50就寝。23:45病棟より電話、再出勤、0:27患者死去。2:00帰宅、3:00就眠。

「白い恋人」(2)2003年製のも昨年夏製のも、結構美味かった 
 今回の事件の発覚は同社が製造したアイスクリームとバウムクーヘンからそれぞれ大腸菌群、黄色ブドウ球菌が検出された事実が札幌市に告発されたことから一連の問題が発覚した。告発には賞味期限が変更された製品についても記述されていたとされることから内部告発だったのであろう。

 その調査で、社内で「4カ月」と決めていた「白い恋人」の賞味期限を、流通在庫処理の都合から最大「6カ月」まで延長していた実態が明らかになったものである。賞味期限はもともと会社が安全に、風味を失わずに味わうことが出来る期限として保障している期間で、もともとそれほど根拠が在る期限ではない。だから、それを延長することは直ちに違法行為とは言えない。問題は、賞味期限が在庫処理などの会社の都合によって勝手に、根拠無く、2ヶ月も延長されてきた事にある。この点は消費者軽視、欺きと言われてもやむを得ない。

 市保健所は「賞味期限6カ月として良いと言う根拠は科学的に不十分」と指摘したことが新聞とかで大きく報じられたが、食品衛生法上で取り上げるべき問題があったわけではなく、その様にコメントする根拠も無いはずだ、と私は思う。

 私は、「賞味期限6カ月」でも問題ないと会社側が判断するのであれば、衛生上の観点、風味上の観点などの諸項目をきちんと再検討し、全商品を「賞味期限6カ月」とすれば何も問題はなかったのだ、と思う。これを怠ったことで命取りになる可能性が出てきた。

 私の手元にたまたま「古い恋人」ならぬ古い「白い恋人」があった。2003年製が1ヶ、昨年夏製のが4ヶである。それぞれ昨日味をみた。何で2003年製と分かるかというと、私どもの病院が療養病棟を開設して間もない頃に入院された、高齢で認知症の患者さんから回診時に1ヶだけ戴き、机の引き出しに放っておいた品だから製造時期はほぼ特定可能である。

 私は基本的に賞味期限など気にしない。だから貴重な体験したことになるが、2003年製のは若干渋みが強いような印象であったが双方とも問題なく美味かった。だから、個人的には「賞味期限6ヶ月」でも何ら問題ないと思った。

 今回はアイスクリームとバウムクーヘンから細菌が検出されたという法的な問題以上に「白い恋人」の賞味期限延長問題がクローズアップされた。隠蔽体質、改竄・・・等のキーワードをぶつけられてマスコミから非難され、会社大きく信用を失うことになった。自業自得とはいえ、やるべき事をやっておけば防げた事で、実に勿体ない、気の毒なこと、とも思ってしまった。


8/19(日)快晴 病棟拘束 アトリオン室内オケ27回定期演奏会
2:30起床、ドック判定総括x1、診断書用文書作成など。6:00病院、回診その他、8:30救急カンファ。10:00帰宅、人間ドック判定総括、文献整理若干。14:00-16:10アトリオン室内オケ27回定期演奏会。駐車場出るのに30分。午睡若干。20:00夕食、21:00就眠。

アトリオン音楽ホール  梯 剛之チャリティピアノ・リサイタル
 本日午後、アトリオン室内オケ27回定期が行われ、フォーレの「レクイエム」が演奏され堪能した。これを聴きつつこのホールは豊かな残響が生かされた場合には素晴らしいが、逆にこの音響があだになる、と思いつつ聴いていた。最近聴いた演奏会の中では、本日の演奏会と7月1日の秋田室内合奏団のアルビノーニのアダージョは前者、7月7日の梯 剛之チャリティピアノ・リサイタルは後者であった。

 盲目のピアニスト、梯 剛之氏のチャリティピアノ・リサイタルが,7月7日にアトリオン音楽ホール行われた。私はこの方の演奏は僅かにCDでシューベルト/ピアノ・ソナタ程度で、演奏会で聴くのは初めてで楽しみにして出かけた。

 プログラムは
■バッハ/フランス組曲第5番ト長調BWV816
■モーツアルト/ピアノソナタ第16番変ロ長調K570
■ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第23番ヘ長調,「熱情」op57
■シューベルト/即興曲集op90より2-4番

  当日はチャリティと言うこともあってか、前座としてポピュラー系のトークや歌などが組まれていたが、氏の希望で取り止めになり、代わりに氏がプロデュースしたDVDの一部が映写されたとのことである。私は遅れていったので後で聞いたことであるがむしろ当然の事と思う。そのような前座の後では演奏に集中できるはずがない。

 梯氏の演奏は残念ながら全く期待はずれであった。氏は目が不自由な方であるが,当然な事ながら演奏自体にはそういったことを全然感じさせない見事なものだった、と言うべきだろう。氏は小柄な女性に付き添われてステージに登場し、椅子に座った後若干の間をおいて弾き始めたが、演奏中の姿は常に背筋を伸ばしていて、上体を大きく揺らし、時に前屈みになって演奏するピアニストが多い中、清楚な感じを受けた。

 しかし、ピアノの音は常に強打に聞こえ、当夜の氏の演奏は猪突猛進型に思えた。速いパッセージは低音域の音が互いに重複して濁り、全く冴えなかった。私はいつも最後列左よりの座席に座るがその関係もあるのかもしれないが、一曲目から耐え難い音の洪水に苛まれた。

 多分、ステージ上の本人には全く別のように聞こえているのだ、と思う。氏は十分に演奏に没頭し、満足しているように思えたから、聞いている私は更に疑問符だらけとなり、混乱した。

 3曲目のベートーヴェンのソナタは,私自身大好きな曲であり何とか楽しもうと耳を傾けたのであるが、演奏は前の曲と同様に音の洪水で聴くに耐えがたいものであった。この曲が終わった時点で私は当夜の演奏会に見切りをつけて中座し、帰宅した。

 私は氏の演奏の問題とは思っていない。ホールの過剰な反響に原因があるように思う。席の位置の問題も大きいように思えた。
 秋には小山実稚恵氏のコンサートが予定されている。この時にもう一度確かめてみたいと思っている。


8/18(土)曇り→快晴  病棟拘束
2:30起床、ドック判定総括x1、他いつもの如し。6:50病院着.7:20回診その他、8:30救急カンファ。入院患者対応、特定疾患関連書類処理。書類整頓、文献・雑誌一部廃棄。書棚整理ほか。17:00ACLS研修会見学。19:00久々バイクで帰宅、夕食、21:00就寝。

「白い恋人」(1) どうなっている?  HOKKAIDO
 また消費者を欺く事件、隠蔽体質の発覚である。
 北海道の土産品として有名な「白い恋人」の賞味期限改ざん問題は、最初は「またか?」と言う程度の印象であったが、日を追うごとに根深い問題が明らかになってきた。

  食品衛生上の問題から行政・保健所も動き始めたようであるが、法的、衛生上の問題などよりも、企業が消費者に感謝の気持ちを失って利益のために消費者を「だまし続けた」企業モラルの方が問題であり、これでこの会社は大きく信用を失う事になる。そのツケは何よりも重い結果をもたらすであろう。

 しかも、また北海道である。間に不二家が挟まったが、「雪印」、「ミートホープ」、「白い恋人」と続けば北海道に何か道民体質でもあるのではないかと勘ぐってしまう。北海道は「HOKKAIDO」と記載しても良いほど観光で国際的にも知られている。今回の「白い恋人」の事件は大勢の観光客が訪れる香港では新聞の一面で報じられたという。もう、地域だけの問題に止まらない。

 「白い恋人」はこれまで、どれほど売れたのだろうか。私は一度も購入したことはないが、随分戴いている。空き缶も次々と捨てているが、一列入れの小型の缶は結構重宝している。いま、私の机の周りには空き缶が7ヶあって筆記用具入れ、MDのソフト入れ、ペン皿代わりに使われている。

 「白い恋人」はなるべく手を付けたくないが、ミルク味が恋しくて一度食べ始めると止められない。10日間の夏期休暇を取って北海道に帰省していた賄いの石井さんによると店頭から完全に姿が消えていたとのことで買ってこなかった。残念であった。

 「白い恋人」の偽装表示は北海道のイメージ悪化にもつながりかねないほど重く、大きい問題である。私にも小さいながら影響が及んでいる。


8/17(金)雨後曇り 入院患者家族面談x3  ドック診察  
2:30起床、ドック判定総括x1他。5:10病院着、5:50回診、事務処理他。救急カンファ間に合わず。入院患者対応、総括など。13:15入院家族面談.14:10ドック診察x5。15:00障害者生活支援センターの
職員と面談。18:15入院家族面談.20:00帰宅、外食,21:30就眠。

お盆の前後はおぞましいバイク事故が多発する
 私たちはいま多くの交通手段を利用することが出来るし、個人で利用できる乗り物もいろいろある。スピードが速くなると乗り物自体も利用者も大きな物理的エネルギーを持つ事になるために、安全とは言えなくなる。自転車だって同様である。

 その中で最も危険な乗り物を挙げるとすれば、私は躊躇無くバイクを挙げる。それは私自身がバイクを愛用し、危険を体感しているからで、自信を持って言える。

  勿論、バイク自体が悪いのではなく、その危険度は利用者によって大きく変わってくる。バイクは他の乗り物と同様に、あるいはそれ以上にパワーが豊かにあるが、構造的に運転者をガードしてくれる装置が一切無い。加えて二輪だから転倒の危険がある。カーブでは小石一つで滑って転倒したり、急に飛び出した犬猫を避けようとして転倒し、大けがをしたり命を失うことも希ではない。更に、自分が一切悪くないのに、他の乗り物と衝突し、受傷することもある。
 だから、ライダーには自らの身の安全を守るためにいっそうの安全運転、安全に対する配慮が求められる。

  私もそのなかの一人だからどうしてもバイク事故のニュースには目がいく。みんな悲惨な結果になっている。毎年のお盆前後はバイクが関連した交通事故が頻発しているが、今年もここ一週間の新聞に死亡事故や大怪我の記事が並んだ。

 ■今月11日午前、八幡平で大型バイクが緩いカーブで転倒、運転していた横手市の教員(48)が対向車線に滑走し、対抗してきたバスに頭部等を轢かれて死亡した。

 ■15日早朝、由利本荘市の市道でバイクの男性(22)が道路に倒れている所を発見され、市内の病院に運ばれたが脳挫傷などで死亡。タイヤ痕からセンターラインを越え、右側の鉄製ワイヤのガードロープにぶつかって転倒したとみられる。

 ■ 13日午前6時半ごろ、浜松市の国道1号浜名バイパスでオートバイの男性(54)が中央分離帯に接触し、男性は接触に気づいたもののそのまま数分間、約2Km走り、インターチェンジで止まろうとして初めて自分の右足が無くなっているのに気づいたと言う。切断された足は仲間が現場に拾いに戻り、男性と一緒に救急車で同市の病院に搬送されたが、右足はひざ下約10cmでつぶされたように切断されていたという。男性は仲間約10人とツーリング中、緩い左カーブを曲がりきれなかったらしい。とても信じ難い記事であった。

 これらはおそらくスピードの出し過ぎによる自損事故と思うが、このほかにも乗用車との衝突での受傷、自動車に当て逃げされた記事など数件の記事が載っていた。

 私はまだ下腹の手術創の関係で乗っていないが、来秋あたりからまたバイク通勤をしたいと考えている。私はスピードをあまり出さないが、道路は自分だけ走っているわけではないので、現実には今日、明日のことは分からない。
 ひたすら安全運転に徹することと、あとは幸運を祈るのみである。


8/16(木)晴れ 外来 入院家族面談
2:30起床、昨夕から入院患者状態不良、入浴後そのまま出勤。3:10病院着、患者対応等.6:30回診。8:00救急カンファ、8:45-14:00外来。入院家族面談、新入院患者2名あり対応。20:00帰宅。夕食、21:00就眠。


経済財政諮問会議が来年度で社会保障費を2200億円削減、と明記!!
 2007-2011年度の5年間で社会保障費を1.1兆円削減するという政府の方針があるが、「07骨太の方針」ではこれを機械的に割り振らないとの確認もされている。しかし、安倍首相を議長とする経済財政諮問会議は8月7日、2008年度予算編成の基本方針となる「2008年度予算の全体像」を取りまとめたが、この中で社会保障は昨年同様に本年も2200億円削減することを明記した。

 ちなみに、現在の諮問会議のメンバーは、安倍総理(議長)、塩崎官房長官、太田内閣府特命担当大臣、管総務大臣、尾身財務大臣、甘利経済産業大臣、福井日銀総裁、伊藤東大大学院経済学教授、丹羽伊藤忠商事KK会長、御手洗キヤノンKK会長、八代国際基督教大学教授で11人中6人が閣僚である。

 この諮問会議の2200億円の機械的圧縮明記に自民・公明両党の厚生労働部会の議員から厳しい、医療の崩壊は防げない、などの批判が相次いだ。一方、厚労関係議員幹部は、2200億円の圧縮額をねん出するとしても医師の技術料を引き下げてまで削減はしないだろう、との見方を示した、ともされる。

 日医の唐澤会長も「骨太の方針2007を無視した内容で、ルール違反」と述べ、反発している。

 安倍首相の言動の中に小泉前首相が敷いた路線を徐々に是正していく様な兆しを感じ取り、期待してきたが、彼が議長を務める諮問会議の結論がこれでは幻滅である。
 政府関係者は、削減路線の中で伸ばすべきは伸ばしながら全体に削減していくとし、国民の安心確保を踏まえた視点で合理化を行い、医師確保や産科医・小児科医不足の対策など必要な施策には予算を重点的に配分するとの見解を示している。
 削減の方向を維持しながらメリハリのある配分で目標を達していくと言うことは、傾斜配分を行いながら削減する、と言うこと。既にどん底状態に至っている高齢者対策を中心とする医療・福祉分野は更なる削減の対象になり、医療・福祉分野の崩壊は更に進む事が危惧される。

 目が離せない話題である。


8/15(水)快晴 熱暑 終戦記念日 院内感染対策委員会
2:10起床。ドック判定・総括x1。5:10病院着、6:30回診。8:00救急カンファ。8:45-13:00外来。16:00-17:10院内感染対策委員会。20:10帰宅、21:00就寝。

最高気温30℃超が真夏日、35℃超を猛暑日と言う。秋田も暑かった
 ここ数日秋田地方、と言うか全国的に猛暑状態にある。
 夕方のニュースによると関東のある地域ではでは40℃を越え、仙台で37.2℃で1926年の観測開始以来の最高気温を更新した、とのことで、他の地方ではまだまだ猛暑日が続くらしい。

 一方、本日は県内で35℃を超えた地域はなかったとのことで、明日以降は、曇りや雨のところも多くなり、暑さは一段落するとのことである。
 私もここ数日自宅で過ごしたが、確かに暑く汗びっしょりであった。扇風機を動員して凌いだが、私は真夏はこんなものと思っているから、そう辛くはない。むしろ嬉しいくらいである。

 気の毒なのは夏季休暇を利用して私の見舞いをかねて関東から帰省している長男と長女夫婦である。地域として北の方に来ているのだから、一般的には避暑と言うことになるだろうが、それは昔のことで、今は環境を調整する時代だから、自宅にいる限り彼らはむしろ快適に過ごせたはずである。それが、わざわざ猛暑を味わうために秋田に来ている様な結果になっていて、見ていて実に気の毒である。
 わが家にも一部屋だけエアコンが付いている部屋がある。通常使っていない部屋で、今は物置の如くになっていて足の踏み場もないほどであるが、彼らは日中はそこで暑さを凌いでいた。

 これほどの猛暑で全国的に、特に関東地方の電力の消費はかなりだろうと思う。一月前の中越沖地震で柏崎刈羽原発が予想外の揺れで被害を受けて停止したために、東京電力の電力不足が危惧されていた。しかし、熱暑、猛暑のニュースは見られるものの、意外と電力不足に陥っているというニュースは無い。
 他の電力会社からの供給調整がうまく行なわれていることなのだろうか。あるいは電力消費量が減じたのだろうか。


8/14(火)快晴 熱暑  業務に復帰  外来 常務会 医局カンファ(-)
2:30起床,ドック判定・総括x1、など。体調も良いのでウオーミングアップも兼ねて本日から業務に復帰した。5:10病院着、6:30回診等,一般病棟患者6人。8:00救急カンファ、8:45-12:30外来、患者制限したので10数名だけ。強度貧血の患者紹介あり入院。14:45-15:30法人常務会。机上書類処理等。入院患者対応。20:00外食、21:50帰宅、22:00就寝。

「無所属」の議員は何が出来る? 投票した県民の票の重さをどう考える?
 松浦大悟参院議員は本県選挙区で民主、社民両党、連合秋田、鈴木陽悦参院議員の推薦を受けて、無所属で立候補し当選したが、当選後に民主党入党も視野に院内会派「民主党・新緑風会」入りの希望を表明した。これに対して民主が賛成、社民が反対、連合と鈴木氏は「十分な説明が必要」と慎重姿勢を示すなど、推薦した四者が別々の主張を持ち、話し合いは平行線で今後も協議を重ねる、とのことである。

 この件について、特に、社民党県連は松浦氏の動きに対して強く異議を唱え、無所属での活動を要請し続けていく方針を表明した。

 これは予想された当然の動きである。

 私は当選後に無所属で行くか否か、いずれかの政党に属そうと考えているのかは予め投票前に候補者が表明しておくべきものだと思う。それによって推薦母体が変わってくるが、如何に票を獲得したいからと行って意見の異なる団体から推薦を受けるという考え方はおかしい。基本的に無所属で行こうとしているのなら各個たるその信念を示し、当選後も変えるべきではない。私は無所属であり続けることは潔い生き方の一つであると思うが、個人の人生観とは違うのだ。ずっと無所属で通そうとする議員への投票は一つの選択ではあるが、捨て票に近いものだと思う。

 私は仕事上でアナウンサー時代の鈴木陽悦氏と何度も会話も交わした事がある。参議院議員に立候補した意義も十分に感じているが、だからといって投票はしなかった。予想通り、当選後の彼の働きは全く見えない。松浦氏の推薦がらみで今回顔がちょっと見えたに過ぎない。秋田県選出参議院議員が共に若手になったことで、秋田県民の意向は少なくとも国政の場ではしばらくは生かされないように思える。

 無所属では何も出来ない、と民主党に属して活動しようとしている松浦氏の行動は理解できるが、勝手すぎる行動ととらえられてもおかしくない。しかし、彼を推薦した四者はもっとおかしい。推薦する方もされる方も当選した後の行動について何ら予め協議していなかったのか?候補者は初心者であり、何としてでも当選したかったであろうから若干甘く評価するとしても、選挙のプロである連中は、推薦する際に当選後の彼の行動について何らかの覚え書きでも交わしていなかったのだろうか?推薦とはそんな軽いものなのか?あるいは当選すると思っていなかったのだろうか。

 彼が当選したら、必ず生じてくる問題だと私は考えていた。事の成り行きは陳腐としか言いようがない。しかし、事はそう簡単なものではないが、秋田の変革を求めて彼に投票した県民の票の重さを第一に考えて決めるべきだ。

 彼は、推薦の受け方を間違った。今期は無所属で行くべし。有権者も利口になるべし、と言うところか?


8/13(月)快晴 熱暑 自宅療養最終日とした 
2:00起床。ドック総括x1。文献処理他。体調略良好、明日から通常勤務にした。5:00-6:00一時微睡む。8:00-8:45水撒き。文献その他整理しつつ、レコードでワーグナー「ワルキューレ」「ジークフリード」、を聴く。双方で約7時間の超大作。18:00-8:45水撒き。20:30外食。22:30就寝。

術後12日目、未体験ゾーンのその後(5)「遊のこころ」(2)
 折角得られた「未体験ゾーン」である。この開放感、時間を無駄には出来ない。
 8月9日午後退院した。診断書上は一応16日まで病欠としているが、体調も比較的良好なので、早めに出勤することとした。

 療養期間を短縮したので、一層貴重になった時間を何とするか、一昨日、突然西方の海に沈む夕陽を見たくなったがこれも「遊のこころ」の一つだったかもしれない。 

 入院中はヴェルディ、モーツアルトをヘッドフォンでじっくり味わった。繊細な表現を十分味わい満足した。自宅ならば大きな音も出せる。この際、こんなにまとまった時間は得難いだろうから、と久々にワーグナーの楽劇に取り組んでみることにした。

 この作品のレコードを取り出すのは久々である。1961年のバイロイト音楽祭の実況盤、サバリッシュ指揮の「さまよえるオランダ人」、1962年の「タンホイザー」、1967年のベーム指揮の「ニーベルングの指輪」四部作である。全部でレコード24枚、古い録音であるが、音質的にはそう不満はない。購入してから30年ほどは経過しただろうか。この間まだ数回しか針を通していない。

 この間、猛暑で汗だくになりながら「タンホイザー」と「指輪」四部作中「ラインの黄金」「ワルキューレ」「ジークフリード」を約15時間かけて聴き通したが、この勇壮な音楽、音の洪水の中に身を置いているうちに、この程度の感受性と気力が維持されているのであれば、これ以上は療養休暇を取っていることは冒涜だろう、との結論に達した。

 未体験ゾーンの(2)としてあげた「遊のこころ」に関しては、この豊かな時間を有効には使ったとは思うが、いささか本や音楽を楽しむ事をむさぼり過ぎ、本当の意味での「遊のこころ」を持てなかったようである。これは多分に性格的なものだろうと思う。その反省のついでに、今週末にかけて残りの「さまよえるオランダ人」、「神々の黄昏」を聴いて一つの区切りにしようと考えている。出来うれば「ローエングリン」も加えたいところであるが、やはり欲張りすぎか。

 この2週間で設定した未体験ゾーンをまず充分味わう事が出来たので、病欠期間を終えることとした。良い体験、経験が出来たと思う。その満足感と共に明日から通常勤務に戻ることとした。


8/12(日)快晴   熱暑日 
2:00起床、病院へ。退院総括x2など。書類書籍廃棄。7:30帰宅。レコード、文献整理、本読み、午前の水まき、猫じゃらし、などでのんびり過ごす。炎天・猛暑である、こんな時はひたすら午睡。草花もぐったり、夕方再度水まき。19:30夕食、20:30就寝。

術後11日目、未体験ゾーンその後(4)結局排尿はどうなったか、
 私が未体験ゾーンとして第3に挙げたのは、長い間あこがれ続けて来た、きつい排尿感覚からの開放で、勿論、憩室切除も必要であったが、これが治療の第一の目的であった。

 康成の名作の出だし、「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」の一節を書き換え、「麻酔から覚めたら、そこには45年間ずっと待ち望んでいたスムーズな排尿感覚を持つ健康体になっていた・・」、の期待感であり、夢であった。

 麻酔から覚めたら確かに別世界ではあった。まず、予想外の無痛状態であった。この無痛状態は硬膜外カテーテル抜去迄で、抜去2時間後は創痛が襲って来たが、想定内の範囲で鎮痛剤は不要であり、3日目ほどから徐々に改善しつつある。でも、未だに痛い。
 麻酔から覚めた時点でのもう一つの別世界は、排尿からの解放である。尿道カテーテルも初体験であったが、意外と苦痛は少なく、術後大量の点滴の他、お茶も大量に飲んだので、この4日間5リットル以上の尿が出た。この間、排尿する必要が無く実に快適であった。

 5日目についに尿道カテーテル抜去した。
 予想として、その後の排尿はかなりの苦痛を伴い、切開されより小さくなった膀胱、膀胱頚部の切除に伴う過活動膀胱、括約筋の機能不全などからかなりの尿漏れも伴うものだろうと覚悟していた。しかし、これらの苦痛に関しては大部分が杞憂であった。確かに少量の尿がたまる度に強烈な尿意が襲ってきたし、尿は見事なワインカラーで白い便器がピンクに見事に染まった。薄い血尿は実に奇麗なものと感心する。しかし、排尿に伴う苦痛は殆ど無くこの面ではおおいに助かった。尿漏れは殆ど無かった。

 それよりも、明らかに異なったのは私がいままでに体験したことのない、抵抗のないスムーズな排尿感である。これは最高の感覚である。その度毎に大きな満足感を覚える。経過と共に膀胱容量も徐々に増してきたし、尿の色調も徐々に薄くなってきている。

 手術を受けても直ぐに排尿機能が戻るものでもない、と半分クールに考えて、半分は夢を抱いて手術を受けたが、今日までの経過では全てが良い方向にある。ホントに良かった、と100%満足している。長年の夢がついに叶った。在トイレ時間も明らかに短縮した。いま、毎日私は一日に何度も未体験のさわやかな排尿感覚を味わっている。

 ここまで調子が良いと、失われた時間も計算してみたくなる。
 実にくだらん計算であるが、私の排尿時間が一回2分長と仮定して計算してみると、この45年間約16万回の排尿で、何と、よその方よりも220日分も長くトイレで排尿していた計算になるね。ああ、我が人生である。


8/11(土)晴れ  不要書類・文献処分  セリオンに昇る
2:00起床、直ぐに病院に。ドック総括x1、特定疾患更新書類とか若干記載。7:45帰宅。自宅療養中、時間がゆっくり経過する。文献等見ながら野球観戦する。金農は1-2と惜敗。午睡挟みワーグナー「ワルキューレ」聴く。セリオンにて夕陽を見る。外食、21:00帰宅、21:30就眠。その後、家族全員揃って酒盛りしたらしい。

夏にさようなら  曳山まつり 竿灯祭り 甲子園 セリオン
 7/20-7/21は秋田市土崎港曳山まつりであった。秋田の夏はこの祭りで明けるとされる。私は祭り期間は晴れることを願う程度の軽い関心程度は持っている。今年の曳山まつりは天候に恵まれなかった様だ。家内は地元人だから私とは違う。些か血が騒ぐのかも知れない。親戚宅に呼ばれ、「えい」の乾物を煮込んだ「カスベ」を貰ってきた。私も若干味わったが、舌触りがざらざらしてあまり美味しいとは言えず珍味のレベルである。私にとって土崎港曳山まつり、別名カスベ祭りは私にとっては今年もこれだけであった。

 今年の竿灯祭りは病院近くの町内会からも竿灯が出たらしく、7月上旬からお囃子が聞こえて来た。最初は何故か不快な音にしか聞こえなかった。そのうち何とも感じなくなったから、囃し手達の技術的問題もあったと考えられる。

 初日は台風5号の近接で天候不順、若干風がある状況下で、二日目、三日目は曇天、小雨の中で行われた。最終日は何とか晴れたようであるが、客足はいつもより少なかったらしい。今年の竿灯期間中、私は入院中で窓から空を眺めてはその夜の祭りのことを心配していた。例年であれば帰宅時に交通規制で不便するのであるが、今年はそれもなくホントにいつの間にか心配だけで終わってしまった。

 本日、日中はとても暑かった。36℃ほどあったのではないだろうか。動員された何台かの扇風機の風切り音の中で文献などを見ながら過ごした。昼前からはTVで金足農-大垣日大(岐阜)戦を見た。15三振を喫したのに1-2と接戦であった。良い試合であったが、県勢はこの10年連続して初戦敗退とのことである。

 土崎港のセリオンは平成8年に作られた施設であるが、今日まで私は興味を感じたことは無かった。なのに、何故か、突然セリオンに行ってみたくなった。日没時をねらって100mの展望台に昇り夕陽が沈むのをじっと眺めた。夕陽は形と色調をいろいろ変えながら、最期は一筋の横線となって消えていった。見事な眺めであった。西方の眺めはたそがれを感じる。価のある眺めである。

 今朝も早朝に目覚めた。習慣である。窓から入ってくる風はもう結構冷たく、十分に秋の息吹が感じられる。今年は早々にテニスも止めたから、夏らしいことを殆ど味わえなかった。私の大好きな夏、炎天の夏が去っていく。まだまだ暑い日は続くが、私は気持ちの上ではもう寂しい季節を迎えている。
 ラジオ深夜便で伊藤ゆかりが「夏にさようなら」を歌っている。良い歌だが、私には寂しい歌である。


8/10(金)雨のち晴れ 自宅療養 娘夫婦来秋
1:30起床、2:00-7:00病院にてドック判定総括x1、退院総括など。8:00帰宅。後は書類文献を整理しつつゆったり過ごす。ワーグナーの楽劇に挑戦。本日は「タンホイザー」「ラインの黄金」その他を聴く。20:00夕食、娘夫婦来秋、21:00就眠。

食べながら痩せたいなら「ビリーズブートキャンプ」もお勧め 
 

ビリーズブートキャンプに挑戦する筆者
(写真は入院前のものです)

わが家の賄いの初老の従業員はTV中毒である。
 私が帰宅した時には夕食を直ぐに食べられるように状態にしておき、また、新聞、郵便物、伝言メモなどを一定の場所に全て揃えて置くよう、予め電話連絡してから帰る。その項目の中にTVチャンネルをニュース番組に合わせておく事も厳命している。くだらんバラエティ番組等を見るのは本人の勝手だが、私が居るときは一瞬たりとも見ることを許していない。そんな番組を受信している自宅のイメージは私には許せないし、帰る意欲も失われる。

 夕食時に10数分程度見るニュース番組は私が能動的にTVを見る唯一の時間であるが、この番組の内容切り換え時にコマーシャルが流される。半年ほど前から頑強な黒人が登場して指導、激しい運動で身体を鍛える「ビリーズブートキャンプ」の宣伝が繰り返し放送される。DVD4枚組のTV通販で、14800円と決して安くはないが、運動の結果を日記にしてレポートすれば5000円がキャッシュバックされるらしい。先日の新聞では世界で1000万、日本で100万セット以上を売り上げたとの記事もあった。

 激しい運動を整然と進めていく画面はなかなか魅力的である。

 親戚の体重過剰状態にある若奥さんがこれを購入し、一回やったきりで止めたというのでそのDVDを借りてみた。私はやってみようとして借用したのではなく、画面をまとめて見たかったからで、第一巻の基礎編だけ見た。見るだけではばからしいからちょっと画面に併せてやってみた。結構激しい運動が延々と続く。
 一方、巷には楽に痩せる、食べながら痩せると言う、私から見て理解できない安易なダイエット方法が氾濫し、種々のサプリメントやバイブレーターも売られている。私の外来に通院してくる患者もこの方面にかなりの経費をかけているが、成功者は皆無である。

 食べて、楽に痩せる方法などこの世にあり得ない。私は食べないで痩せる方法で比較的簡単に体重をコントロールできる。今年2月から4ヶ月ほどで5Kg程体重を減らしたばかりである。

 食べて痩せるには「ビリーズブートキャンプ」が良いね、と私は勧めているが誰も実践しようとしない。さりとて食事量も間食量も減らさない。凡人はそんなものだと思う。ウジウジと考えながら、反省しながら肥っていく。

 この「ビリーズブートキャンプ」のコマーシャルは安易なダイエット方法を戒めるのにとても都合が良く、有用である。


8/9(木)曇り 退院 自宅療養初日
2:30起床、自室にてドック判定総括x1、その他業務若干。7:00朝食、退院総括、紹介患者経過報告書処理。12:00入院費用自己負担分24万円の支払いを済ませ退院。自宅で本読み、レコード、風呂など。鏡を見て陰毛が奇麗に剃られていたのに初めて気付き、約50年振りだよね、と感動した。ドック判定総括等進めながらレコードでモーツアルト、ヴェルディのオペラを楽しむ。19:30夕食、20:30就寝。

術後8日目、未体験ゾーンその後(3)入院生活 ベット、点滴、食事など
 成人になってから入院は初めてで未体験ゾーンの一つであった。疾患、治療内容から術後にいろいろ手がかかるだろうから、病室は泌尿器科病棟の病室か?と思っていたが、主治医の気遣で新館の個室に入院出来た。
 僅か10日間の入院であったが、もし、個室でなかったら、また、室にトイレ、洗面所が付いてなかったらかなり大変だったと思う。まず、他人に遠慮して唸ったり声を上げたり出来ないとすれば、術後の疼痛はより耐え難かったと思う。

 術後は自分では動けない。同じ体位では辛くなるので適宜ベットの角度を変える必要があった。二日間付き添ってくれた家内や娘に頼んだ用事の大部分は、勿論これだけではなかったが、このベットの角度の上げ下ろしが主で、歩けるようになっても結構ハンドルは重く、回すと下腹部のキズに響いた。やはり電動ベットが欲しい。

 尿道カテーテル、持続点滴も勿論初体験である。私は術後翌日から離床できたが、点滴台に双方をぶら下げての押しながらの移動は室内だけでも大変で、段差があって狭い洗面所の中は動くのは大変であった。
 動くには点滴の方が遥かに厄介で、夜間点滴から開放された以降は早朝から朝食までの間は自室で過ごした。尿道カテーテルからも解放された後の3日間は許可を取って日中もかなりの時間を自室で過ごしていた。あの「千の風」をもじると、「私の病室の前で、私をさがさないでください。そこに私はいません。眠ってなんかいません・・(以下略)」という感じで、元気になってくるとベットとその周辺だけで過ごせという方が土台無理で、私は次第に落ち着きのない患者になった。

 私は下腹部を大きく切開したが腸管には手を付けていないから、食事は術翌日の昼から可能となり、流動食を皮切りに普通食まで一食毎に変更して貰った。日常一食で十分な私の場合、一日三食は私には拷問に近かった。対策として主食は1/2以下で止めておいた。五分粥で止め置くのも一方である。

 上記の如くいろいろあったが、何と言っても最大のインパクトは看護スタッフの働きであり、とても表現できないくらいである。だから書かない。


8/8(水)曇り 術後7日目、全抜糸、退院前日
2:30病床で起床。3:00-7:10自室で書類整理他。7:30朝食、主食半分。8:30回診時全抜糸。シャワー許可になる。明日退院
決定。10:00-12:10自室で一部業務。12:20昼食、主食半分。14:00-16:30自室で書類等整理、退院患者総括など。18:30夕食、主食半分。19:00-21:00自室にて過ごす。21:30就眠。

術後7日目、未体験ゾーンのその後(2)「遊のこころ」(1)
 折角得られた「未体験ゾーン」である。この開放感、時間を無駄には出来ない。無駄にしては私自身にも、業務を肩代わりしてくれているスタッフ達にも申し訳ない。

 まず「惰眠」と楽しみにしていたので術当日は終日トロトロと、積極的に、家族も心配し呆れるほど、ひたすら寝た。麻酔薬の影響、手術のストレスもあったのだと思う。しかし、10数時間連続に寝たあと、更に惰眠を楽しもうと思ってももうダメであった。術翌日の夜は、家内とも会話も途切れがちとなったので、23時頃入眠しようとしたが、ついに入眠出来なかった。振り返ってみればその夜は痛みがピークだったので、ひたすら動かず、動けず、じっとしてNHK「ラジオ深夜便」を聴いていた。折しも台風5号も九州山陰地方を通過し、勢力もピークであったために通常番組は無く、徹夜で台風情報を聴いていたようなものであった。15分毎に台風の現在位置とスケールを告げたあと、昨日夕方のまとめと同じ被害状況を何度も何度も繰り返す。録音を使っても良いほどのワンパターンだが、アナウンサーは毎回手抜きもせずしっかりと読み上げた。呆れ、飽きた。

 痛いが、豊かな時間を得る事が出来ている。さあ、「遊のこころ」を楽しむことが出来る、と意気込む。「遊」という字は「心を自由にして何事にもとらわれず、いろいろ発想、空想などを楽しみ、哲学する・・」と言った深い意味がある古く由緒ある言葉とのことであるが、時代と共に解釈が変わっていったのか、身近な国語辞典のレベルではこの意味は出てこない。関連法人に「遊心苑」なる老健施設があるが、当初から実に素晴らしい名称を付けたものと感心していた。ただ、第一線を退いた方々が「遊のこころ」を楽しめるような環境なら良いのであるが、実際に入所されて居られる方々は年齢的に更に更に、更に上の方々で、どんな「遊のこころ」をお持ちなのか、今の私には知るよしも無い。確かに、「こころが遊んでいる」方々とも言えそうだから、マア良いか。

 さて、時間が出来たので何を考えるか、どうやって心を遊ばせるか・・と言っても、創部がひどく痛くて心は現状からなかなか離れて行かない。こりゃ「遊のこころ」を楽しむなんて現状では無理だ、と割り切る。  こうなると次の手、具体的には本、新聞、MD、CDにたよることである。更に、マックまで持ち込んだ。そう割り切ると悪い性格が頭をもたげ、「遊のこころ」などそっちのけでむさぼりの世界に入っていく。 

 本は溜めていたうちの6-7冊ほど読破できた。「禅」「論語」の勉強も若干ながら出来た。簡易な解説本3冊ほどを利用した。小説も久々読めた。新聞は自宅に未読で溜め置いていた3紙約一ヶ月分に目を通し、必要部分は切り抜き大量に廃棄した。私にとって新聞は解説や論評を中心に時の流れを読む資料であり、じっくり読むと捨てるに惜しくなる。

 ヴェルディ「リゴレット」「椿姫」「ドン・カルロス」、モーツアルトの各種協奏曲などヘッドフォンで微細な音も聴き逃すまいと集中して、じっくり味わう。久々である。作品の素晴らしさもさることながら演奏、録音、エレクトロニクスの発展の成果を考えつつ良い時代を過ごしているものだと、ふだんは味わえない贅沢な感覚の中で感心した。

 結局、この贅沢さにも飽き足らなくて術翌日の夕方からマックを持ち込む。記録したいもの、整理したいものも沢山たまっており、一部ながら処理できて満足した。 さて、明日は退院である。あと数日時間を戴いているので今度は自由度の高い自宅を中心に次のステップの「遊のこころ」に漬ってみることにしたい。


8/7(火)快晴 術後6日目(半抜糸) 
2:30起床,本読み、3:00-7:10自室で書類整理他。7:30朝食、主食半分。8:30回診時半抜糸。9:40-11:45自室で一部業務。12:00昼食、主食半分。15:00-18:00自室で退院患者総括など。18:30夕食、主食半分。20:00-21:00家内来院。21:30就眠。

「過ち改めざる、これを過ちと謂う」 首相自身による続投決断は疑問
 参院選が自民党の歴史的な惨敗で終わった. その参院選を受け第167臨時国会が本日7日召集された。会期は参院議長などの選出が主のため、4日間の会期で閉会する。参院本会議では議長に民主党の江田五月氏、副議長に自民党の山東氏が選出された。国会運営の要とされる参院議院運営委員長には民主党の西岡武夫氏が選ばれた。

 1955年の保守合同以来、与党が議長席を明け渡したのは初めてである。これは大事件であるのだが、安倍首相は選挙直前、著しい劣勢が予想されているのに早々と続投を決めた。選挙後に党の重鎮三人が退陣要求のために会談したと言うが本人の意向を重視し退陣要求は引っ込めたのだという。
 首相の続投は本人の意向だけで良いのだろうか?
 公明党だっておかしいよ。13議席から8議席に減ったというのに危機感が全く感じられないコメントを繰り返すだけである。

  今回の選挙の実態は「政党選択選挙」であり、結果は明らかな「不信任」だったからである。首相は選挙翌朝の会見で、「反省すべき点は反省し」と繰り返した。しかし、何を反省し、何を変えていくのかについては言葉を濁した。こんな会見だけ繰り返しているようではダメだ。

  今回の選挙を野球やサッカーに例えるならば有能な選手を揃えた名チームが監督の誤采配によってエラーを重ね重ねて、選手交代も後手後手となり、自滅したようなものだ。だから、対戦相手のチームはその勝利にただ酔うだけではならない。身を引き締めて味合わなければならない。今回の選挙は特別なムードの中、首相の指導力が問われた選挙であった。

 これだけの惨敗を喫しても、まだ誤采配に気づいていないとすれば、民主主義の基本、政治の基本を読み違えていると思わざるを得ない。論語の一節、「過ち改めざる、これを過ちと謂う」そのものでなかろうか。

 一見、党内は安倍首相の続投で落ち着いているかのように見えるが、与党内は決して一枚岩になってなどいない。本日の別ニュースでは九州地方の党関連の集会で落選した候補者達から「安倍責任論、退陣論」が続出したという。私も、首相は党公認の落選全候補を集めて自らの姿勢を説明すべきであろう。今回辛酸をなめた候補に対して個人的責任は問えないような気がしてならない。

  今回、秋田は経験豊かな候補を、医師会は支持候補を失った。結果がすべてであると潔い姿勢も良いが、政治は算数と違う、各議員の持つ経験と人脈を考えれば1=1ではないのだ。


8/6(月)晴れ 術後5日目(カテーテル、点滴抜去) 竿灯祭り最終日    広島原爆の日 62年
2:00起床、了解を得て自室に戻り私的文章等をまとめる。6:00病室に戻り、7:30朝食、主食は半分。8:40回診あり、尿道カテーテル抜去.疼痛は想定内。排尿は少量ずつ、頻回であるが苦痛は伴わず。12:00昼食、主食は半分。17:00最後の抗生剤終了、点滴からも解放。これで行動は自由となった。夢いろいろ膨らむ。18:30夕食、主食は半分。20:30-22:00自室。22:15就眠。

術後5日目、未体験ゾーンのその後(1)「入院」・「全麻下手術」の経験
 私が術前に未体験ゾーンの意味として挙げたのは第一は「入院・全麻下手術」、第二は「遊の心」、第三が「きつい排尿感覚からの開放」であった。本日は術後5日目で尿道カテーテル、点滴も抜去となった。形として体内に残っているのは下腹部と陰嚢部の縫合糸だけである。

 私は小学生の時に腰麻下での盲腸周囲膿瘍の手術の際の不快感もあって、今回は心の隅では全麻を望んでいた。当初は憩室も内視鏡的治療を試みるとのことで腰麻予定であったが、開腹で一度に切除することとなり、希望通りに全麻となり内心喜んだ。

 前日夕方入院したのだが、実際には当日朝までほぼ通常のパターンで業務をこなし、病室には前処置開始に合わせて7:00頃に戻った。緊張感を欠く、我が儘な患者と思われたであろう。

 手術は、前処置の筋注一本で完全に意識を喪失、目覚めたときにはすべてが終わっており、全麻の威力に驚いた。実際には麻酔科科長、術者もそれなりに苦労したとのことであるが、私は一切感知していない。「なんか解らないが目覚めたらこの世だった」、という感じであった。術後も硬膜麻酔の威力だろう、約一日は完全無痛であった。これほど無痛状態で過ごせるとは予想もしていなかった。

 不快な感覚として、異様に口腔内乾燥感があった。これは時折氷の小片を口にふくむことで凌いだ。それ以外では、翌朝まで鼻に酸素投与のカヌラと鼻から胃にテューブが入れられ鼻と咽頭付近が若干痛かったこと、気管内挿管に伴う咽喉頭違和感があったことだけで、前2者は翌朝には外され解消した。後者は全麻には必発と聞いているが私の場合、挿管に難渋したことの影響なのか解らないが、本日の段階でも若干残っており、時折必要となる咳払いの際の創部痛はいまだに辛い。

 硬膜外麻酔テューブは主治医の配慮で予定より早めに抜去となったが、抜去後強い疼痛が襲ってきた。それだけ効果があったと言うことである。看護師達は鎮痛剤の使用を勧めてくれたが、この疼痛は術前に予想したレベル内であり、結局一度も用いないで済んだ。お陰で術翌日には痛みに耐えつつ洗面所まで歩け、歯も磨けた。実に恵まれた状況であったと思う。

 術後は主治医、麻酔科医、担当看護師達の訪室も頻回で、これからのことを細やかに配慮して戴き、むしろ恐縮した。その後本日に至るまでの看護師達の働きには感心し驚いた。ひたすら感謝、感謝である。

 これで私は腰麻、局麻、全麻と三方法の麻酔の下で手術を受けたことになる。私が費やした医療費は如何ほどになるのか見当もつかないし、多くの方々の手を煩わせ、迷惑も掛けたから、良い経験をしたとは言いたくはないが、良い経験をしたものだと思う。
 この経験を公私ともに前向きに生かしていくことが私の務めの一項目に付け加わったのだ、と今は考えている。


8/5(日)小雨・曇り 術後4日目 竿灯祭り3日日 
0:30起床、昨日紹介状に対する照会書簡あり、その対応のために院長室に戻り業務。3:00病室に戻り新書・新聞読み若干。4:30-6:00 再度就眠。7:30朝食7割摂取。12:00昼食、4割。帚木蓬生著「閉鎖病棟」を一気に読む。複雑な読後感を持った。18:30夕食、9割摂取。未読で寄せてあった新聞1ヶ月分チェック終了した。見舞いに戴いたMDでMozartのピアノ協奏曲を堪能。長女17:00こまちにて戻っていった。家内20:00帰宅、21:00就寝。

私が今回提出した「リビング・ウイル」
 今回、私が受けた手術は術前の説明から察するに、泌尿器科的にも手技的に見てもそれほど困難なものではなく、おそらくその道のプロにしてみれば日常的なレベルのものだろうと推定される。一方、麻酔科科長の説明は手技的には同様であるが、不測の事態はゼロではないことを強調していた。それは当然で私の考えと一致する。

 医療とは何かという問いにいろいろな答えがあるが、私は医療行為とは「大きな危険を回避するために小さなリスクを合法的に与える行為」と定義している。医療行為には必ずリスクを伴う、だから、どんな医療行為でも100%安全とは思っていない。不測の事態はいくらでも生じうるし、芋づる式に悪化の一途もたどる事もある、と割り切って考えている。私は内科医だから治療上で患者に与えるリスクは麻酔科や外科系診療科の医療行為に比較してより小さいとは思っているが、自分が担当する患者に対して行う医療行為は結構慎重に選択するし、不測の事態まで予測しながら行っている。

 私を担当している看護師達は、私が何故鎮痛剤を使用せずに痛みに耐えているのか理解できないようであるが、基本的にこの考え方に沿っている。抗生物質や点滴は今の私には必須だから受けているが、不足の副反応が生じる可能性については同様である。

 今回、私は手術を受けるにあたって、もし不測の事態にて私が意思表示を一切出来ない事態に陥った際のその後の医療について、私が先々から決めていたことをリビング・ウイルとして以下の如くカルテに明示しておいた。意思表示が出来る状況であれば、その後のことはその時点で私が決めればいいことであるから明記せず単純化した。家内は4週間は短すぎないか?との意向であったがこの書状の提出には反対しなかった。

                         お願い  
 中通総合病院院長代行  殿
 この度、私が入院治療を受けるにあたり、不測の事態にて私が意思表示を一切出来ない事態に陥った際には、4週間に限り治療の継続をお願いいたします。
 その時点で、同様に意思表示が出来ない状況にあった場合、栄養・水分補給を含めてあらゆる医療行為を止めて下さいますようお願いいたします。
 上記により生じる結果の全責任は私自身にあります。
 なお、上記の記載内容については、家族を始め、私以外の方々の介入を一切お断りいたします。
                        平成19年8月 1日   福田 光之 印

 
 幸い、今日の時点でこのリビング・ウイルは無駄になりそうである。しかし、これを明記しておいた意義は小さくないと思っている。         


8/4(土)雨  術後3日目 竿灯祭り2日目 台風5号秋田沖→北海道へ
5:00起床。熟睡できた。気分良好。新聞チェック、本読みなど。7:00朝食、普通食となる。7割方摂取。回診、ドレーン抜去。12:00昼食、8割。18:30夕食、9割摂取。安静時の痛みは少ないが体動時、咳払い時の痛みは昨日と大差ない。もう少し楽にとの期待は実現せず。新聞を過去20日分ほどチェックし、廃棄する。五木寛之「林住期」など読む。夜間の点滴なくかなり自由になった。21:00就眠。

頭の先から爪先まで看護師方の世話になる 申し訳ないほど有り難い
 肩書きとは関係なく、私自身は単なる泌尿器科の患者の一人であるが、入院を受け入れる病棟スタッフはそれなりに緊張したらしい。それは当然でもある。私にとっても同業者や同じ病院のスタッフの主治医になるのは快適ではなく、出来れば回避したい。が、立場上出来ない事もある。

 私は模範的な患者になるつもりなど全くないし、出来るはずもない。せめてこの間は自分を取り憑くろったりせず、あるがままの自分で過ごしたい。だから、「面会謝絶」とさせていただき、マイペースの療養生活に漬っている。

 そうは言っても、主治医、病棟の看護師達からわがままで扱い難い患者との評価を貰うとのも本意でない。だから、医療・看護に関しては100%「まな板の上の鯉」に成りきり、全てを委ねることにした。数ある申し出、提言の中で私がやんわりとお断りしているのは鎮痛剤の使用に関してのみである。それも、決して拒否しているのではない。

 主治医は私より若干年長のベテランである。毎日回診に来てくださるが、言葉は少ない。単語に若干のつなぎの言葉が挟まるだけ。まるで小泉首相の様な表現である。私は話すときの主治医の表情から十分な治療をしていただけたと読み取っている。やるべき事はやっていただいた。あとは時間をゆっくりかけつつ私の排尿機能の回復を待つだけだ。

 看護師はとにかく優しく、機会ある毎に言葉をかけてくれ、笑顔も豊で表情も良い。当院の看護師は親切で優しいと患者からの評判はすこぶる良い。そう評価されるのは管理者としてとても嬉しいことであるが、患者の立場で接したことは殆どなかった。今回はそれを実際に体験した。実にこまやかな気配りである。

 手術当日から、頭の先から足の爪先まで、陰部まで含めて清潔保持の清拭をして貰った。男性患者の看護にも陰部洗浄、清拭があるのを初めて知った。2日目には洗髪と洗足をして貰った。小学生時の入院は約一月に及んだがこのような看護を受けた記憶はない。自分の身体を他の方々から洗ったり拭いて貰うことなどホント初体験の私は何か申し訳なくて複雑な気持ちであったが、100%「まな板の上の鯉」に成りきり、乳飲み子のようになされるままに身を委ねた。この全身の清拭、洗髪がなかったらこの暑さと発熱による発汗で大変なことになっていたのではないかと思う。看護師の仕事の領域はとても広い。私は今まで看護師の仕事のうち患者の生活援助、清潔保持などの価値を若干過小評価してきたような気がする。

 動けばまだ結構痛いが、看護師達の労を少しでも軽減させてやりたい。清拭は今日から自分でやってみる。


8/3(金)秋田曇り 術後2日目 竿灯祭り初日 

23時に消灯して寝ることにしたものの日中も寝ていたこともあり殆ど熟睡できず。ラジオ深夜便を聴きつつ朝までトロトロと過ごす。4:00には起床した。7:30朝食は5分粥、全量摂取。12:00昼食7分粥。半分ほど。15:00洗髪、足洗他受ける。18:30夕食は全粥。6割ほど摂取。寝ているだけの身に三食は苦痛。新聞チェック7日分。二日間付き添ってくれた家内も帰宅。21:00就寝。

術後2日目、疼痛は徐々に軽減してきたが、やはり辛い

 手術翌日に「先生の性格なら早期離床をお望みでしょうから」、と主治医が回診時に硬膜外麻酔のテューブを抜去してくれた。「痛みが出てきたら座薬で十分でしょう」、とのことである。術後まだ18時間程度しか経っていないからちょっと早いのではないか?と思ったが、経験豊かな主治医と麻酔科医の合意とすればそれも一方法かと思いその判断に委ねることとした。

 テューブ抜去後、1時間ほどして徐々に創部痛が始まり、2時間後ほどには結構激しい疼痛が襲ってきた。どれほどまでひどくなるのかとじっと観察していたが大体ピークの様でじっとしている限りそれ以上はならないようで若干安心した。 

 硬膜外麻酔のテューブ抜去前は100%疼痛はなかったから、随分この*麻酔が効いていたものだと感心した。麻酔科科長がじっくりと検討してくれ、疼痛の分布に合わせ2本テューブを入れてくれたものである。   

 私自身、手術野は広く深いから術後疼痛でかなり苛まれるだろうと覚悟していたからそれから見れば想定内のレベルより幾分軽い。ただ、挿管後の喉頭違和感もあって咳払いなどした際とか、ベット上での体位変換する時の創部痛はかなり厳しいものがある。それでも痛みのピークがこの程度なら耐えられそうである。訪室する看護師はほぼ全員私の姿を見かねて鎮痛剤の使用を勧めてくれるが、気持ちだけ戴いてやんわりとお断りする。

 私は子供の時の腰麻での手術の経験から、今回は全身麻酔下でやって欲しいと願っていたが、憩室切除も同時に行うこととなり、主治医が全身麻酔を選択してくれた。完全に無痛状態で前処置や手術が行われ、術後も約一日無痛状態でいられたことだけでも十分である。術後の疼痛に耐えるのも医師として患者の気持ちを味わうための研修だと思えば重要な機会であり、無駄では無かろう。

 折角硬膜外麻酔のテューブ抜いていただいたので早速手術翌日から室内を何度か歩く。歯も磨けた。姿勢は前屈み、一足毎に下腹に響いて痛みはあるが、結構まともに歩くことが出来た。洗面とか歯磨きとか、元気なときは何とも思わずに出来た当たり前の日常行為が手術翌日から出来るということは最高に恵まれた事なのだという実感を味わうことが出来た。


8/2(木)快晴 術後1日目 大型台風5号九州四国地方に上陸

 ハッキリ何時に起きたかと言うことは出来ない。4:00頃か。6:00検温その他。胃管抜去、酸素吸入中止。8:00主治医回診、ガーゼ交換、ドレインカット、早期離床のためにと硬膜外麻酔抜去。10:00頃より疼痛始まる。なかなか厳しい痛みになるも私の想定内での範囲で何とか自制出来そうだ。12:00坐位にて流動食。3日振りの食事、5分もかからず全部戴く。体動時の痛みは結構辛い。18:00夕食は3分粥。あまり食欲はない。7割で止め。23時就寝したが、熟睡できず。

術後1日目、時間つぶしに苦労 手術は結構大変だったらしい

このとおり、元気なのでお見舞いは特に必要ありませんヨ

 ベット上では出来ることは限られている。ラジオは終日台風5号関係のニュース。人的被害については同じ内容を繰り返している。録り貯めていたMD「ラジオ深夜便・心の時代」を集中して聴き、本読みなどで過ごすが時間つぶしに苦労する。何かに飽きるとトロトロと眠る。ふだんは味わえない贅沢な感覚だ。

 結局、この贅沢さに飽きて夕方からマックを持ち込む。これが一番時間をつぶすのに向いているようだ。ふだん出来ないデータの整理、まとめなど進めることとした。ドック判定総括用のカルテがあると仕事も出来そうだが、しばらくは手を付けないことにしよう。

 手術の様子を聴いた。回診時に主治医がカルテを置いていったので手術の様子を知ることが出来た。前処置の筋注でかなり深く眠ってしまい手術場に着いたときには舌根が沈下しかなりイビキをかき、血液酸素飽和度も80%前後まで低下したらしい。硬膜外麻酔のテューブ挿入時には痛みに反応し体動もあったとのことである。更に、下顎の発達不全なのか喉頭展開が出来ず、挿管に難渋し何度か試みたあと最終的には気管支鏡下に挿管テューブをいれたとのことである。

 泌尿器科的にも膀胱の出口に大きな土手状の構造があって通常なら内腔が見えるレベルまで内視鏡を進めても土手が邪魔して十分見ることが出来なかったらしい。その土手をかなり削った様である。広くトンネル状に内腔が作られていたが、今後どうなるのか楽しみ半分以上だが、若干の不安が残る。

 手術場では使われた薬品も20種類ほども記載されている。これらの過程が全く気がつかない状況で進められたことは全身麻酔下だから当然であるが関係者の皆様方には随分迷惑をかけた様である。感謝感謝である。

 硬膜外麻酔テューブ抜去後疼痛が襲ってきた。看護師達は鎮痛剤の使用を勧めてくれるが、この疼痛は術前予想したレベルであり、暫く疼痛と対話することとした。


8/1(水)快晴 手術日
2:30病室で起床。許可を得て自室でラジオ深夜便聴きつつ紹介状返事、カルテの追記など。昨日は出勤後に殆ど水分も取らず、結局食事も取らずに過ごしてしまった。若干口渇空腹感あり。7:00前処置開始・・。
徒然に、ここまで記述した。そろそろ次の処置が始まる。このあとは暫く休む事にする。

手術の感想(初日)何が何だか全く分からないうちに終了し、全く無痛

 9:00点滴開始、留置針だから痛い。9:30筋肉注射を受ける。これも痛いものだ。数分後には殆ど意識が無くなったらしい。その後のことは全然記憶がない。手術室に運ばれたことも全く分からない。

 次ぎに覚醒した時にまず目に入ってきたのは無影灯であった。麻酔科科長の声も聞こえる。私は前処置の過程で覚醒し、これから硬膜外麻酔でも始まるのか、と思ったが、「もう終わりました。上手くいきましたよ」と主治医を声も聞こえた。10:00頃から開始し、覚醒したのは13:00頃であったらしい。驚いた。

 暫く様子を見て安定しているのを確認し病室に戻った。ストレッチャーが床の凹凸を正直に拾う。夕方までとろとろ眠っていた。痛みは全くない。ホントに無い。これも驚きである。担当の看護師も何度も何度も訪室し声をかけてくれる。 

 19:30頃、麻酔科医、主治医の回診も終わり、家内を残して家族も帰宅した。異様に口渇があり氷の小片を口に含む。トロトロ、氷小片、トロトロ、氷小片、を朝まで何度か繰り返す。全く痛みはない。当日の感想は、とにかく予想外に楽で驚きであった。

 鼻には酸素と胃管が入っており、そのために喉に若干の違和感がある。尿道カテーテルも入っているはずだが違和感は全くなし


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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