徒然日記
2007年7月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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7/31(火)曇り 外来 入院 法人常務会 院内エイズ学習会   
1:30起床、ドック判定総括x1。入院期間の患者申し送り準備他。5:00出勤。しばらくは戻れないのでネコとちょっと濃厚に別れ惜しむ。5:20病院着、回診、定期処方発行他。8:00救急カンファ。8:45-14:30外来、14:45-16:30法人常務会。病棟で改めてオリエンテーション。夕食を出し忘れていた。18:00-20:00院内エイズ学習会。21:00まで執務。結局三食抜きに。明日は一日絶食となる。21:20病室にて就眠。

8月1日、未体験ゾーンへ (13)  私の未体験ゾーン(2)「長いトンネルを抜けるとそこは・・だった」
 まもなく、である。本日午後、常務会終了後に入院した。
 すぐに外出の手続きを取り今日の紹介患者に対する返事書きなどこなす。院内エイズ学習会の謝辞を最後に公的な業務は終り、と線を引き二番目に挙げた未体験ゾーンに漬ることにした。まだ数時間でしかないが開放感を得て良い気分である。一番目の未体験ゾーンである明日の手術は麻酔科、手術室の都合で若干開始時間が遅れるとの連絡があった。

 未体験ゾーンの三番目は、長い間あこがれていたきつい排尿感覚からの開放された状態のことである。限界を感じて手術を受ける決心をしたとき頭に浮かんだのは川端康成の名作の出だしの一節、「長いトンネルを抜けるとそこは・・だった」の一節であった。言い換えると「麻酔から覚めたら、そこには45年間ずっと待ち望んでいたスムーズな排尿感覚を持つ健康体になっていた・・」、の期待感であり、夢である。

  是非そうなって欲しいのだが、現実にはそう期待したようにはなり得ない事は十分に分かっている。第一、麻酔から覚めたら身体にはいろいろ違和感が残っているだろうし、時間と共に手術創や尿道カテーテルの痛みなどが襲ってくるだろう。恐らく数日は多かれ少なかれ痛みとの闘いになるだろう。順調に経過した場合は一週間後には尿道カテーテルからも開放されるだろうが、それ以降しばらく排尿はかなりの苦痛を伴うのだろうと思う。

 更に、長期間の病態である。硬化し、細くなったルートに切開を加えて開放したからと言って直ぐに排尿機能が戻るものでもない、とクールに思っている。膀胱頚部硬化症という病態そのものもは前立腺肥大と比較して治療効果がそれほど明確でない場合もあるとされているからでもある。

 そう考えつつも手術を受ける決断したのは、少なくともこれ以上は放置出来ないという限界を感じたからで、憩室の切除と、膀胱の負荷を減じる方策があるのであればそれを回避すべきではなく、願わくば、手術を受けてホントに良かった、と感じる状態になってほしい、との希望であり、夢であった。

 さて、結果はどうなるのだろうか。楽しみである。
 どんな結果であれ、明日麻酔から覚めた以降に迎える世界は、私にとって45年間いつかは来るはずと待ち続けていた未体験ゾーンの、新しい日々と言うことである。その迎える状況に応じて今後の生き方、過ごし方を変えていく必要があろう。

 明日、この徒然日記がアップされる頃、手術に向けて前処置が始まる事になっている。何日続くかは分からないが、暫くは徒然からも離れなければならないだろう。
 同じように再開出来る日が無事に来ることを願っている。


7/30(月)快晴  管理会議  安全管理者との打ち合わせ  病棟オリエンテーション  療養病棟判定会議(欠) 麻酔科ラウンド  長副会議 
1:30頃起床,選挙速報聞きつつドック関連他業務。武見氏次点で落選。
日医にとっては大打撃となる。6:10回診、その他。7:45-8:30管理会議。院長代行、診療部長代行等を表明。10:00-11:00安全管理者と打ち合わせ。11:00-11:30病棟オリエンテーション。16:00-16:30麻酔科術前ラウンド。療養病棟判定会議は欠。17:00-19:00長副会議。休暇中の申し送りなど作成。20:30帰宅、夕食、21:15就寝。

8月1日、未体験ゾーンへ (12)  私の未体験ゾーン(1)「全麻下手術」と「遊」
 まもなく、である。明日の午後入院する。
 私が未体験ゾーンと表現しているのは大別すれば三つある。

 その第一はやはり入院、手術である。
 私は入院が一度、手術は2度経験している。小学校4-5年頃盲腸周囲膿瘍で1ヶ月入院した。この時の手術は腰麻下で排膿だけで終わってしまった。術中の医療器具の音、術者と助手・介助者の会話、麻酔が覚めていく過程での両下肢のしびれ、違和感はどれも不快であった。もう一つの手術の機会は3年前のアキレス腱の縫合術で、これは局麻で入院はしていない。

 今回は経腹的に憩室を摘出し、次いで内視鏡的に膀胱頚部切開術ということで全麻下に行うこととなった。これは全て未体験である。何れは内視鏡的治療を受ける事になるだろう、最悪時には尿路変更も有り得る、その時は開腹、と覚悟をしていたから今回の事態は素直に受け入れている。ただ術後の疼痛が不安であるが、麻酔科医がいろいろ配慮して下さっているので、お任せである。私も医師になって今までの間多くの患者を外科系診療科に紹介し、その多くの方々は手術を受けている。いま私自身が患者になり、手術を受ける。これは医師としての貴重な体験となるはずである。

 未体験ゾーンの二つめは、実はこっちの方が大きいのだが、術後約2週間業務から離れられるという貴重な体験「遊のこころ」である。医師になって36年、病欠は一日もなく、今の病院に赴任後にわずかに一度高熱でダウンし外来を途中で代わって貰って早退したことがあるだけである。この継続が絶たれる事になるが、今までが幸運過ぎたのだ。

 今回、限界を感じて手術を受けなければならないと覚悟した時に同時にわき上がってきた感覚は、まとまった自分の時間が得られる機会がついに来たという、半ば喜びに似た不思議な感覚であった。今までずっと、好不調はあったにせよ前向きにやってきたが、やはり心の隅では「遊のこころ」、すなわち、気持ちのゆとり、を求めていたのだと思う。

 業務を代わっていただく方々には本当に申し訳ないが、生身の身体だから不調の時はいつかは来る。その故障に伴って得られる貴重な機会である。出来ることなら100%「遊のこころ」に漬りたい。だから、この間、出来るだけ人に会わずに過ごしたい。だから、病棟に面会謝絶の手続きもお願いした。尤も、術後はそれこそ疼痛、発熱などで「遊」にひたる余裕などないのかもしれない。それでも折角得られた未体験ゾーンである。何とかして「遊」のこころを求めたい、と思っている。


7/29(日)晴 病棟拘束 第21回参院選挙
2:30起床、ドック判定総括x1、新聞チェック等など。5:30バイクで病院、6:30回診他拘束業務、8:30救急カンファ。12:00帰宅、13:30-14:45午睡後業務。16:30-20:00再度病院にて業務。20:30夕食、21:00就寝。「金田」候補落選、「武見」候補厳しい。

参院選:当選のキーワードは「年金」、「民主」、「マスコミ」。 医療は、秋田はどうなる?
 安倍内閣発足後初めての国政選挙である第21回参院選は本日投開票が行われ、自民党は歴史的な惨敗を、民主党は議席を大幅に増やし、与野党が逆転した。安倍首相は29日夜、厳しい状況であるが引き続き政権を担う、と表明したが、党内には異論もあって、首相の責任論が強まるだろう。

 安倍首相は異端の小泉の後という幸運さもあって実力不明ながら大きく期待されて登場した。しかし、靖国に対する不明瞭な行動、相次ぐ閣僚の失言に対する意味不明な擁護の姿勢は首相のイメージを大きく損ない支持率が低下した。が、決定的だったのは急速に浮上してきた年金記録不備問題である。年金問題は全国民に関わる問題で、額も大きく老後の生活に密着しているだけに国民の最大の関心事になった。首相は年金記録問題の解決や改革路線継続を必死に訴え続けたが、結果的に厳しい審判が下された。

 日本医師会が後援している比例区の厚労副大臣の武見敬三氏も厳しい結果になった。外交問題、医療問題では政界トップの実力者であるが、年金問題の陰に隠されてしまった。

 本県の選挙区は、2期12年の実績をもち、県医師会も支持した金田氏が落選し、元アナウンサーの松浦氏が初当選を果たした。前回も同じだったが、秋田では選挙に勝つには地道な実績よりもマスコミを通じて顔が知られていることが重要らしい。ちなみに、私は松浦氏をTVで本日初めて見た。確かに、若くて明るくて笑顔も良い。キビキビしていて良いイメージである。金田氏には実績があるがこの雰囲気が欠けている。政治の世界とは直接関連しない、若く明るい人物イメージと時代の流れが明暗を分けた。

 私は病院の帰り、20:00にNHKニュースを聞いたが、投票の締め切り時間を迎えると同時に数人の当選確実者が出たこと、かつ、与野党の大差による逆転をNHKが結論づけていたことには驚いた。独自の出口調査を統計処理して得た結果とのことである。秋田県でも開票数%レベルで当選確実が出た。
 今回の選挙は候補者個人の資質を問われたと言うよりは政党選択選挙であった。従って若い新人が多数当選した。当選のキーワードは「年金」、「民主」、「マスコミ」のようだ。従って、当選者の多くは小泉チルドレン達のイメージと大差ない状況である。会見ではほぼ全てが年金問題を口にし、自民党を激しく批判したが、解決への具体策はどうなのだろうか。

 ベテラン議員の多数の落選によって国会機能は弱体化するのではないかと危惧される。取りわけ、日本の医療、秋田県の今後はどうなるのか、むしろ不安のもとが増してしまった。


7/28(土)曇-雨 病棟拘束 No2女性医師支援フォーラム  家内:日医男女共同参画フォーラム(神奈川)へ
2:00起床、ドック判定総括x1。特定疾患関連。5:20バイク病院着。家内は空港に。回診他。患者関連の書類処理など。床に広げた未処理書類かなり減少、歩きやすくなった。13:00-16:20 No2女性医師支援フォーラム。19:55帰宅、夕食、21:00就眠。

厚労省役人の講演(3)「医師養成の前倒し」の「前倒し」意味に驚く
 2007年を迎えてから厚労省役人の講演を聴く機会が5回ほどあった。講演の演題は何であれ、結論は大体予想される範囲で、その面ではあまり期待できないが、いろいろの情報を受け取ることが出来るのは魅力の一つである。

 先日、7月21日の秋田市医学集談会の講演では医師不足について、私にとっては初耳の内容に接して驚いた。私だけ知らなかったのであろうか。

 政府は医師不足を解決するため1973年から「1県1医大」を推進し、秋田大学は新設医学部の第一号であった。1983年に「人口10万人当たり医師150人」の目標は達成され、それを受けて厚生省の検討会が1984年に「2025年には医師が10%程度過剰になる」との推計値を公表し、1997年に「医学部定員の削減に取り組む」という閣議決定がなされた。閣議決定はかなりの重みを持つものらしく、現在も我が国の医師政策、医療政策の基本となっている。

 ところが、昨年、高まってきた医師不足の世論、進みゆく医療崩壊の現実を背景に「医師養成の前倒し」との名目で医師不足が深刻な地域の10大学に10人ずつ10年間学生を増員することを容認した。秋田大学医学部を始め東北地方の大学は1県を除き全て対象になっているはずである。我が国の絶対的な医師不足はこんな程度の増員では何も解決できないが、それでもないよりは増し、ととらえていた。

 私はこの「前倒し」と言う言葉を、今後検討・実施されて行くであろう医師養成増を、その決定の前に一部先取りして実施しておくものだ、と前向きにとらえ、やっとその時期を迎えたかと考えていた。しかし、そうではなく、「10年間10人ずつ増やした分を以後の養成数から差し引く」というものだという。すなわち、「100人の定員を10年間110人に増やすが、その後はそれ分を差し引いて90人またはそれ以下に減らす」というものである。要するに、医師の養成数は長期的に見れば増やさない、更に削減して行くと言う閣議決定はそのままということである。

 私はこの講演でこの話を聞いて言葉のトリックに驚きがっくりすると共に、政治の世界では「前倒し」という言葉はこの様な意味で通用しているのではないか、と思った。それを知らないで糠喜びをしていた私はバカだった、と言うことなのだ、と自覚した。


7/27(金)晴  ドック診察x5 法人理事会
2:00起床、ドック判定総括x1。特定疾患更新手続き関連.5:10Taxi病院着、6:30回診他、事務処理。8:00救急カンファ。新入院患者対応ほか。14:00ドック診察x5。17:30-18:30法人理事会、18:30-19:45秋大第一内科渡辺教授歓送会。21:00帰宅、21:30就眠。

8月1日、未体験ゾーンへ (10)  調子が良いと気持ちが揺れる
 まもなく、である。一部業務の申し送りがまだ残っているが、入院する病棟師長との打ち合わせ、麻酔科科長の術前診察の予定も立てた。周辺の条件はほほ順調に整ってきた。そろそろ必要な物品をそろえなければならない。とりあえずは手のひら大のMDミニステレオを持ち込んで術後の痛みが和らいだら録り貯めておいた「ラジオ深夜便 心の時代」の録音を集中的に聴いてみようと思っている。

 6月中旬に体調に異変を感じ、自ら検査を進めて状況を理解したが、主治医となって下さった科長の判断は、「何れは対応しなければならないしょうが、秋口とか、来年でも・・」と、時間的には比較的余裕を持たせての対応であった。むしろ、私自身の方が来るべき時はきた、と納得し、ずっと考え続けてきたことだからこの際、と比較的簡単に早期に手術を受けることを決断した。スケジュール表を前にして8月1日を第一候補に挙げ、私の希望を受け入れて主治医が決定したと言うことである。

 6月の段階では感染を伴っていたのでいろいろ違和感があった。それ以降は経口抗生物質、抗菌剤を服用しているが、検査結果は正常化し、自覚症状は全く消失し、今のところ体調はすこぶる良い。
 やはりそうなると、少し判断を焦りすぎたか、少しでも先送りできないか、出来れば手術を回避できないかという気持ちがチラチラと頭をもたげてくる。別に悪性疾患でないし急ぐことはないんだし、もう少し様子を見たら? 何も危機的状態でないし自分から急いで受ける必要はないのでは?・・などの考えである。一方、先送りしても何れは必要だから今がチャンスだ、抗生剤なんて長く服用すべきでない、憩室があるなら感染は必発、難治だから避けられないよ・・などの考えも湧いてきて、両者が私の心の中で勝手に言い争っている。

 決断した時点で周辺の業務を整理し始め、代理をお願いする方も決め、実際にはもう動き始めているからもう何ともならないし、変更する気も勿論一切無いが、心は若干揺れ動いている、と言うのが現時点での正直な感想である。


7/26(木)快晴 外来 小児喘息サマーキャンプ 県医務薬事課ガン診療拠点病院関連院長会議 院内倫理委員会  
2:30起床 、ドック判定x1、特定疾患認定更新関連x3等.5:10Taxi病院着。6:10回診他病棟業務。8:00救急カンファ。8:40-13:00外来、中座し「まんたらめ」に。14:00-15:15小児喘息サマーキャンプ開会式。実行委員長の立場で簡単に挨拶した。16:00-17:30秋田県医務薬事課ガン診療拠点病院関連市内4病院院長会議。18:00-19:40院内倫理委員会。入院患者対応。21:30バイク帰宅、22:00就寝。

8月1日、未体験ゾーンへ (9)  望郷なのか子供達も来るそうだ
 まもなく、である。それに向けて、いま私は業務をいろいろ整理し申し送りの準備をしている。業務を離れるのにより相応しい時期と思って選んだのだが,その後もいろいろ会議とか行事とかの予定が飛び込んでくる。それらはすべて丁寧にお断りした。

 ここ数日、診療外、対外的行事が続いたほか、外来で経過を見ている患者が悪化して入院し、近所の診療所の医師からも入院治療要請の連絡が入るなど、結構忙しい。まだ数日あるからと、何とか引き受けているが、今月中に目処が付かなければ同僚にお願いしなければならない。余り良い状態の患者ではないので、お願いするのは結構プレッシャーである。

 業務の整理だけでなく、この機会に持ち物もドンドン廃棄している。古いマック3台、関連した周辺機器もソフト類もかなり廃棄した。書類、書籍も捨てた。何となく身軽になった。

 家族もいろいろ下準備を始めたようである。家内は私の予定に併せるよう病院に休暇を申請したらしい。ハッキリは言わないが、これまでの借りを返そうといろいろ世話を焼くつもりらしい。が、彼女が頑張れば頑張るほど私は不安になってくる。恐らく、術後の痛みに耐えている私に、側でいろいろあーだのこうだと指図するのではないか??と心配になる。

 子供達も夏季休暇を取って集まってくるらしい。確かに、子供達にとっては単に父親が手術を受けると言うだけでなく、治療部位は自分達にとってはふるさと付近だから、とりわけ望郷の念に駆られているのかも知れない。自分たちが生まれ育った所の脇まで切り開かれて切除縫合されるとのことだし、かつて一度だけ通った事のある管は切断され、一部拡張され、切り取られるのだから当然かも知れない。
 願わくば、私の傍らにべったり付いていないで、家でみんなで団欒していて欲しい。私はふだんの寝不足をこの機会に取り戻そうと楽しみにしているのだからね。


7/25(水)晴れ ふれあい看護体験  外来+ドック診察  秋田メディカルサービスKK総会  県医師会郡市医師会長協議会+理事会+納涼会
2:30起床。ドック総括他、特定疾患更新手続きx3。5:15Taxi病院.6:15回診、病棟業務。8:00救急カンファ、8:45-14:10外来+ドック診察x4。9:50ふれあい看護体験開始の会挨拶。16:00-16:30秋田メディカルサービスKK総会。16:30-18:15県医師会理事会+郡市医師会長協議会。18:00-19:45納涼会。20:00帰宅、20:50就眠。

厚労省役人の講演(2) データは立派。解釈、コメントには不満
 2007年を迎えてから厚労省役人の講演を聴く機会が5回ほどあった。
 厚労省役人の講演は豊富なデータを見ることが出来る。その内容は時に日医総研のデータと細部ではいろいろ異なっているが、現実に医療行政を立案している立場の厚労省が利用しているデータという点では重要であり興味深い。

 地域医療を担っているわれわれは医師会組織を通じて医療の問題点をいろいろ主張しているが、その論旨の組み立てに用いているデータは厚労省のデータとほぼ同一である。厚労省と医師会は立場こそ異なるものの、国民に、県民に良い医療を提供すると言う点では一致している。その点は役人達の講演からもくみ取ることが出来る。方向性は一致しているのだから、基本的には厚労省と医師会は対立関係にはあるはずはない。医師会が真に対峙すべきは、激しく医療費を押さえ込もうとしている財務省であり、時の政府であり、経済界である。

 医師会の立場ではこの共通のデータから、医療費抑制の状況の中では展望はないこと、医師不足を早急に解消しなければならない、という大きな2点に到達する。そのように主張している。しかし、厚労省の役人はこの2点については医師会と意見が一致することなく、その方向では決して論旨を展開しない。

 われわれは厚労省役人の講演を聴くときは藁にもすがる気持で、今日は何か展望に繋がるような話題を述べて欲しい、と半ば期待、半ば諦め気分で気を張りつめて聴いているのだが、この最も聴きたい点については決してクリアには言及しない。

 私は彼らもほぼ同じ結論を持っているのだと思う。しかし、何をするにも財務省から医療費抑制を強要されているため立場上自由な論旨の展開が出来ないのだろう。だから、誰が講師になってこようとも、印象は異なるものの結論は殆ど同じである。これが彼らの苦しい立場なのだと思うしかない。

 秋田県病院協会の講演では懇親会の中締めの挨拶の指名が私にあった。
 私は事前にそっと演者に話す内容を伝え、了承を得てから壇上に上がり、「前半の説得力は十分であったが、後半は聴かなかった方が良かった。演者が説明されるときに見せた苦しげな表情の中にだけ、私はほのかな光を見ることが出来ました」と述べた。
 演者の側にも配慮しながら、聴くものの立場から率直な感想を述べたつもりである。


7/24(火)晴れ  外来  法人常務会  医局カンファレンス  市医師会永年勤続者+納涼会
2:30起床,ドック判定総括x2、その他を淡々と進める。5:15バイクで病院着、6:10回診。病棟関連業務。8:00救急カンファ、8:45-14:10外来。14:45-16:20常務会。17:30-18:00医局カンファ、腹痛のCT像、一部出席。19:00-21:20秋田市医師会永年勤続者+納涼会。病院紹介担当。21:40帰宅、22:00就眠。

8月1日、未体験ゾーンへ (8)  私の45年のストレスとは?
 この45年、いろいろ気遣いしながら、なるべく連れションにならないようにトイレを使ってきた。勿論、終日じくじくとこの事ばかりを考えていたわけではない。普段は100%何ともないから意識しないが、一日10回ほどの排尿の度には大なり小なり必ず意識してきた。

 これを回数で言えば、1年に約3650回だから、これが45年だと何と16万5千回にも上る。私の膀胱は徐々に増してくる抵抗に抗してホントによくまあ今日まで頑張って収縮してくれたものだ。耐えきれなくなって憩室が出来たんだね、知らなかったよ、ごめんなさい、と改めて感心し、深く感謝し、今まで放置してきたことを誤りたい気持ちである(笑)。

 この間どんな感じだったのか?と問われれば、どんなに巧く説明しても経験ない方には、特に女性には分かってもらえないだろう。例えて言えば、ギアが故障で3速に固定した状態のマニュアル車をごまかしごまかし、そろそろと発進させる時の様な状態に近い。アクセルとクラッチを微妙にコントロールしながらゆっくりゆっくり速度を上げていく。なかなか速度は上がらないが、一定以上に達すれば後は問題なく走らせることができる、そんな感じである。一人で走っている分には慣れれば実用上問題はないが、混み合う道路や交差点では後続車に迷惑をかける事になる、迷惑にならないまでも気持ちの上でストレスになる。こんな感じかな? 空いた道路は誰も居ないトイレ、交差点での発進は講演会やエベント等の休憩時間の混み合うトイレの例えである。

 こんな感覚を毎日感じながらも、今まで、母親代わりだったネコにはそっと話した事があったような気がするが、家内や三人の子供達の誰にも話したこともなく、ひっそりと、ちょっと悩みながら45年ほど過ごしてきた。古くなってだんだん調子も悪くなってきたものの、もう少しこのまま使えると思っていたが、この6月に、いつもと違う?と感じたのを機会に検査をしたらやはり故障していた。ザッと言えばそんなところである。

 来週8月1日、手術を受ける。憩室を切除して容量を少なくして、かつ、膀胱の頚部を削り取り、排尿時の抵抗を少しでも軽くして、今まで弧線奮闘してくれた膀胱をそっと楽にしてあげたいものである。


7/23(月)晴れ 管理会議 外来 術前検査 県健康づくり審議会 唐澤日医会長来秋 県がん医療推進検討会 療養病棟判定会議(欠) 
1:30起床、ドック判定総括x2、新聞チェック。5:10病院着。6:00回診、病棟関連業務。7:45-8:25管理会議、8:45-14:20外来。合間に採血、レントゲン、心電図など術前検査。15:00-16:00県健康づくり審議会、中座。16:30-17:15唐澤日医連会長来秋、選挙関連面談。17:30-19:45県がん医療推進検討会。療養病棟判定会議は欠。20:00-21:10入院患者対応、22:00帰宅、夕食、22:40就眠。

厚労省役人の講演(1) データは立派、されど歯がゆく、物足りない
 2007年を迎えてから厚労省役人の講演を聴く機会が5回ほどあった。 昨今の厳しい医療情勢の中で厚労省の役人の話を聴きたい、と希望する機会が増えているだろうし、省の方でも積極的に対応し、情報を共有しようとしている様子がうかがわれる。このことはとても良いと思う。私は講演の度毎に何か光が見えないか、とその部分に気持ちを集中して聴くが、どの講演を聴いても全然心が晴れない。質問してもクリアな答えが返ってくることは殆どない。この先、日本の医療はどの方向に進んでいくのか、とりわけ地方の、秋田の医療はどうなるのか!!、各講演からは全く読めなかった、と言うのが私の立場での感想である。

 今年度の講演について思い出してみると、5月12日サンルーラル大潟で新臨床研修制度指導者講習会で東北厚生局健康福祉部医事課長による「新たな医師臨床研修制度について」、7月17日に秋田県病院協会では厚労省医政局医事課課長補佐による「医師・看護師不足への対策と現今の医療行政の課題について」、7月21日秋田市医学集談会で東北厚生局局長による「医療行政を巡る最近の話題」の3回である。

 何れも講演のテーマは時宜を得ており、病院の立場でも、医師会の立場から見ても最大の関心事の内容がメインテーマとして掲げられていた。
 講演に共通した話題としては、より具体的なものでは、「臨床研修」、「医師不足」、「勤務不足と勤務医の過重労働」、「医師確保対策」、「女性医師問題」、「産科医療保障制度」等について、総論的方向性を示すものとしては「新たな医療計画」について述べられた。

 厚労省は豊富なデータを蒐集して分析していると言うことについてはいつも感心する。が、このことは当然のことである。従って、講演のうち資料の提示部分とのその解説部分については説得力のある説明となるし参考にもなる。しかし、そのデータの解釈とか、意見とか判断の部分になると途端に鮮明度が鈍ってくる。三つの講演に共通してそう言う印象を受けた。


7/22(日)曇り→快晴  病棟拘束
2:30起床、ドック判定総括x2、新聞チェック、5:15Taxi病院に。8:30救急カンファ。11:45帰宅。自宅で業務、主に特定疾患更新用書類処理続行。13:00-14:00午睡。16:00-20:00病院。秋田県医師会版「新型インフルエンザ対応ガイドライン(案)」の草稿完成。20:15帰宅。20:30夕食、21:15就眠。

自伝 中通病院(27)学会活動(5)赤血球膜蛋白分画欠損による楕円赤血球症の世界第一例に遭遇 
 1985年8月下旬、強度の貧血を伴った中年女性が私が担当する外来を受診した。貧血の原因は体内で赤血球が崩壊することによって生じる溶血性貧血であった。糖尿病、肺炎、うっ血性心不全も合併していたために入院精査した。この患者は入院直前に急速に貧血が進行したものと推定され、その原因として数日前にある医院より投与された感冒薬の関与が濃厚であった。

 薬物が原因になって生じる溶血性貧血には赤血球内の酵素異常が推定されるが、この患者の場合は検査上否定的であった。患者の血液像をつぶさに観察すると赤血球が軽度にいびつであることに気付き、楕円赤血球症、即ち、赤血球膜の異常が推定された。われわれの病院ではここまで見込みは付けられても検索は何も出来ない。
早速、この分野で最も進んでいる川崎医科大学の血液内科教授に電話し、赤血球膜の機能を調べていただくこととした。何度か採血し医大に血液を送付したが、結論は赤血球膜蛋白の分画4.2が全く検出されず、先天的欠損症であることが判明した。この分画4.2欠損による楕円赤血球症、溶血性貧血例はまだ世界で報告されたことがなく、世界で第一例となった。この例に関する詳細は1987年の日本血液学会の総会で報告し、臨床血液29(4):559-564.1988に掲載されている。

 私は大学で勉強している最中にも溶血性貧血例で赤血球酵素G6PD異常症と考えられる患者に遭遇した。東京大学医科学研究所内科で検討していただいた結果、G6PD異常症の未報告タイプであることが判明し、G6PD Akitaと命名されてWHOに登録されている。

 2例の極めて希な新タイプの赤血球膜蛋白異常症、酵素異常症に遭遇できたことは実に幸運であった。2例とも孤立例であり、共にお子さんが居ないために遺伝的に子孫に伝播していくことはない。私の論文に残るだけの貴重な例となる。

 中通病院に赴任後の学会活動はこの例の報告と先に記載した第32回臨床血液学会総会でのパネルディスカッション「薬剤性血液障害」の二つだけで、その後は全くご無沙汰している。学会に報告するに足るような仕事をしていないからで、今後もその機会は訪れる事は二度とないだろう。


7/21(土)雨 病棟拘束 入院患者家族面談 秋田市医学集談会
2:15起床、ドック判定総括x2他、いつもの如し。5:20病院着.6;10回診他.7;00入院患者家族と面談。不調患者数名あり対応、8;30救急カンファ.書類等処理。特定疾患患者の書類更新時期で大変。15:15Viewへ。記念写真撮影後、15:30-19:45秋田市医学集談会。県医師会長挨拶の代読に若干のコメントを追加した。石塚東北厚生局長、日医石井常任理事の講演会聴講。20:00帰宅、20;30就眠.

8月上旬、未体験ゾーンへ (7)  排尿関連の基礎的、臨床的分野に強い興味
 1965年、運良く医学部に進学でき、3年目から専門教育を受けた。実に広範にわたる分野であったが、やはり自分の体調に関連している所には興味が惹かれた。当時、自分の健康上の問題と言えば175cm、50Kgと極端に痩せていたことと、尿線が細いという問題だけであったと思う。前者に関しては体調が良く、気にはしていなかった。体重は徐々に増えて卒業間際には55Kg程度にまで増加した。

 だから、医学部の授業のうち、基礎系では排尿に関連する臓器の解剖学、排尿の電気生理学機能、尿路系の病理学に興味を持ったし、臨床の分野ではとりわけ泌尿器科学に興味を感じ,講義に真面目に出席したほか、自分でも文献や図書を求めて学習した。しかし、自ら進む道としてこの方面は選択しなかった。

 学習の過程で、自分の尿線の細い原因は、先天的に尿路が狭いのか、敢えて疾病と考えるならば膀胱頚部硬化症と言うべき状況であろうと自己診断し納得していた。

 当時は当然今よりは臨床的知識は乏しかったが、先のことまでいろいろ予測していた。

 当面は若さもあるし、差し迫った問題点はないだろうが、膀胱頚部硬化症ならば長い間には徐々に排尿抵抗が増していくだろう。排尿時の膀胱内圧が徐々に上昇し、それに抗するために膀胱壁が肥厚し、進展障害のために頻尿になるだろうし、更に残尿が生じ、場合によっては尿閉や膀胱尿管逆流現象、さらには水腎症、尿路感染合併、腎機能障害と進行していくだろう。そして、他の原因で命を失わない限り、いずれは必ず尿路系のトラブルが前面に出て、外科的対応が必要になるだろうし、場合によってはこれが私の命取りになるかも知れないと考え、納得し、覚悟を決めていた。

 その後、1978年だったと思うが、札幌からの帰路、大揺れに揺れたYS-11機内で膀胱尿管逆流現象が生じた時は、ちょっと早過ぎるが来るべき時がきたか、と焦ったが、永続性はなくその時だけで済んだ。その後、予想に反して幸いも約30年近くも、最近まで大きなエベントもなく過ごし得た。

 本年6月に発熱を機会に検査を行い、ついに限界を迎えつつある事が分かった。その時感じたことは、来るべき時が来たが、よくぞ今まで何事も起こさずに働いてくれたものだという感謝の気持ちであった。が、大量の残尿と膀胱憩室を伴っている以上、感謝だけでは解決しないので、直ぐに泌尿器科科長に治療の相談に行った。

 明後日、術前検査が予定されている。7月31日外来と常務会終了後に入院、夜は外出してHIV関連の院内学習会を司会し、翌朝に全身麻酔下に開腹と内視鏡的治療が同時に行われる予定になっている。手術を受けるにあたって私のいまの心境はさわやか、と言っていい。ただ、こんなに大変な時期に業務から離れ、患者やスタッフ達に迷惑をかけることには忸怩たる思いでいる。


7/20(金)雨 ドック診察 長副会議
 
2:00起床。ドック判定総括x1。5:15病院着。6:10回診、事務処理他。8:00救急カンファ。11:00入院患者対応。14:00ドック診察、17:00-20:15長副会議。21:20帰宅.夕食、22:00就眠.

8月上旬、未体験ゾーンへ (6) 45年間の懸案(2)
 尿線が細いというのは幼少の頃からだから、数えてみれば50数年のはずであるが、私があえて45年としているのは一つの切っ掛けがあるからである。

 18歳の時に福島医科大学を受験したが、試験科目終了時に大勢の受験生がトイレに殺到した。寒かったし、膀胱には大量にたまっていたし,大勢の中で緊張していたことなどもあって、自分でもいつもより長くかかりそうだ、後ろに並んだ方に悪い、と感じていたが、後ろの受験生から「まだか!!・・・」と声をかけられた。「いま終わる・・」とか何と答えたか忘れたが、終わりかけていたので早めに終わらせてそそくさと立ち去った。幼少の頃を別にすれば、他人から指摘されたのは初めてで、この時に感じた気恥ずかしさはずっと忘れない。私はこれ以降、排尿に関してはコンプレックスを持ち続ける事となった。このエピソード以降、45年経過したということ。

 その後、トイレに関してなるべく連れションにならぬようとりわけ気を遣い何とか凌いでいたが、うまくいかないことも何度かあった。女性から指摘を受けた際にはさすがに深く傷ついた。

 医師になって3-4年目のころ、秋大医局の慰安旅行で羽黒山方面に車で移動していた時のこと、途中の駅でトイレタイムをとった。田舎の駅のトイレは小さく、男女共用であった。連れションにならぬよう、みんなが終わった頃を見計らってトイレに入ったが、やや遅れてある女医さんが入ってきた。女医さんも驚いたようであるが、私にとってこれは100%誤算であった。「まずい、必ず何か言われる!!・・」と、何とか先に終わらせようと祈るような気持でいたが、このときも種々の条件が重なってなかなか終わらない。結局、女医さんが早く終わって出てきたが、手を洗いながら、呆れたように「すいぶん長いわね、・・・」と私の気持ちを逆なでするような言葉を2、3かけて出て行った。その時に私が何と答えたか忘れたが、この時はコンプレックスをかかえた傷つきやすい心に、相手が女性だけに言葉の刃がグサグサッとつき刺さった。その後も、何かの機会にこの時の話題を出されたことがあるが、何とか笑ってごまかした。
 幸か不幸かこの女医さんとはいまだに縁が切れない。秋大でもしばらく一緒であったし、いまの病院でも私より先輩格として一緒に働いている。この女医さんはその時のことなど、もうすっかり忘れたであろうが、ホント忘れてて欲しいが、たまに廊下ですれ違うとあのときのことがいつも私の頭をよぎってしまう。


7/19(木)晴れ  外来 統括科長面談
2:00起床。ドック判定・総括x2.5:20Taxi病院着、6:10回診ほか、8:00救急カンファ、8:40-14:30外来。骨髄検査など入院患者対応。以降は退院総括、紹介状作成など患者関連業務。19:00循環器統括科長と面談。21:00帰宅、夕食、21:30就眠。

岩手名物「わんこそば」(2) 人手がかかる非能率な商売
「わんこそば」は岩手の名物の一つで、椀に盛られた一口大の蕎麦を何杯もお代わりをして楽しむものである。蕎麦は食べ放題であるが、並コースが一人前2800円、上コースが3800円程度と決して安いものではない。他にも5000円クラスの特別コースもあるようであるが、今回は提示されたメニューの中にはなかった。薬味もいろいろあるとは言え、蕎麦関連の料理の中では最も高価なものだろう。

 混雑しており、順番が来るまで若干の時間があったので廊下に立って職員達の動きを見ていたが、随分人手がかかる、実に非能率な商売である。

 2階の廊下の脇の小部屋では蕎麦を茹でる大釜の脇に二人が陣取り、茹で上がった蕎麦を汁の入った鍋に移し、そこから蕎麦を大きな盆の上に並べられた小椀に次々と小分けしていく。盆の上の約30椀が蕎麦で満たされると運搬係がその盆を運び、給仕に手渡していく。

 給仕は自分の担当の小グループの椀に投げ入れていく。盆上の小椀が全て空になると盆は逆コースをたどり再び小分け作業の所に並べられる。個々の椀に客が口を付けるわけでないから、一回毎には洗わないようであった。給仕は4-6人程度の客を受け持つから混雑したときには一部屋で7-8人ほどの給仕が忙しく動いている。2階だけでも広間は何カ所かあるようだし、1階にもあるから全部で何カ所あるのかは分からなかった。

 他の小部屋では客の注文に応じて薬味、食後の果物などが用意している。奥の方は直接見ることは出来なかったが、食器の洗浄の部門があって5-6人以上はいたような雰囲気であった。食器も相当な数が動いているから洗う方も大変だろう。

 玄関先には案内係り、会計係りもいたから、直利庵ではかなりの人数が働いていることになる。殆どが中年から高齢の女性方であるが、印象は人手がかかる非能率な商売、と言うことである。蕎麦と薬味自体でなく、半ば観光的な遊びの雰囲気、人件費にお金を払っていると言うことである。

 ちなみに、入り口を別にして通常の蕎麦屋としての部門もある。こちらでは安くて美味しい蕎麦を常識的値段で楽しむことが出来る。


7/18(水)晴れ 外来 新臨床研修制度マッチング2名 県医師会と損保ジャパンとの懇談会
2:00起床。ドック1判定総括x2など。5:20Taxi病院着。6:20回診、8:00救急カンファ。8:40-14:40外来。15:00新臨床研修制度マッチング2名。16:00救急外来、病棟患者対応。18:00-20:20県医師会・損保ジャパンとの懇談会。20:40帰宅。21:10就眠。外来、救急外来、入院患者対応その他で机上は再びカルテ、書類の山になった。


岩手名物「わんこそば」(1)  ブロイラーの給餌か、エサを欲しがるツバメのヒナか
 「わんこそば」は岩手の名物の一つとされている。椀に盛られた一口大の蕎麦を何杯もお代わりをして楽しむものである。花巻では2月に、盛岡では3月に大食い競技大会も開かれ、全国的にも有名である。  
 由来として江戸時代に南部藩の何とか利直という当主が花巻市に立ち寄った際に、椀に盛られた一口大の蕎麦を何杯もお代わりをしたことから「わんこそば」と名がついた、とする説が有力であるが定かではないようである。

 私は盛岡育ちなので遠来の客が来たときなどに何度か連れて行って貰った。成人になってからも3回ほど行っている。今回、長女が未だ食べたことがないというし、現在米国在住でまもなく帰国するご亭主も興味を持っているらしいとのこともあって、16日の墓参の際に寄ってみた。直利庵と言うところである。南部藩当主の利直と関連している店名なのかは分からないが、私はここ以外で食べたことはない。店舗は私が知る範囲で全く変わっていない。
 長いテーブルの大部屋に通され、大勢で並んで食べるスタイルも何にも変わっていない。薬味などもいろいろ用意されており、山菜、イクラ、とろろ、刺身など多彩であるが、決定的に良いのはそば自体、とても美味しいことである。

 一人の給仕が客数人を受け持ち、掛け声と共に碗に蕎麦を次々と放り込んでいく。給仕のペースにはまるとゆっくりと味わうことが出来ないので、あえてペースを落として食べる。やはりここの蕎麦は美味い。蕎麦好きの私には何よりである。成人男性の平均が60杯ほど。15杯でおよそ盛りそば1人分らしい。私は68杯で帰路の運転のことを考えて止めにした。

 マア、通常の蕎麦屋というより観光的な意味の方が大きい。遊びの雰囲気を加味して考えればこれで良いが、真面目に考えればテーブルに所狭しとつめられ、並んで一斉に食べる姿はブロイラーの給餌と同じだな、と思うし、碗をさしだして蕎麦を入れて貰う姿はエサを欲しがるツバメのヒナのようだ、と思ってしまう。


7/17(火)晴一時雨 管理会議 外来 法人常務会 秋田県病院協会と賛助会員との懇談会 
1:30起床,ドック判定・総括x2他.5:10病院、6:00回診。7:45-8:20管理会議。8:45-14:30午前外来、14:45-16:30法人常務会。17:30-18:45秋田県病院協会と賛助会員との懇談会。特別講演は厚生労働省医政局医事課課長補佐,井内 努氏「医師・看護師不足への対策と現今の医療行政の課題について」。内容的には聴かない方が良かった、という感じ。懇親会の中締めの挨拶に指名された。20:30帰宅、21:00就眠。

8月上旬、未体験ゾーンへ (5) 45年間の懸案事項(1)
 私が45年間も抱えてきた懸案事項というのは、尿線が細く排尿時間が誰よりも長いと言うことである。

 その異変に自分が気づいたのは小学生のことだったように記憶するが、具体的にいつからと言うことは出来ない。何かを切っ掛けにそうなったというわけでないからであるが、小学生の高学年の時に友人の誰かに「おめのションベンいつも長げー」と言われたことをうろ覚えに記憶している。実際はもっと前からだったのだろうが、具体的に意識し始めたのはこのころである。勿論そのころはその意味も分からず、然全深刻に考えていたわけではない。

 思い出してみると、当時は地域の男の子達は学校が終われば毎日の如く徒党を組んで外で遊び、野山を駆け回り、川に入って遊んでいたものであるが、誰かが立ち小便をし始めるとみんなオレもオレも、とよく並んでいわゆる連れションをしたものである。何かをめがけて一斉に排尿したり、飛距離を競ったり、短くくるりんと可愛いかっこうしたペニスを振り回してあちらこちらに小便を飛ばしたものである。当時は排尿自体も遊びの一つだったし、競争の項目でもあった。今思い出しても懐かしい。

 その中で、途中で途切れさせずに誰が一番長く小便をするか、という競争もあってこの場面では大抵私が一番であった様に記憶する。
 要するに、私は幼少の頃からこの件に関して問題を抱えていたように思うが、成長と共に排尿そのものが自然と遊びとか笑いの対象から外れていき、話題になることもなくなっていってみんなの前で指摘されたり感心されたりすることもなくなっていった。しかし、私自身は学校のトイレなどで私より遅くきた友人達が私より早く終わって行くのを若干であるが気にし続けていた。


7/16(月) 海の日 台風一過快晴   盛岡へ墓参  一部病棟拘束  
2:00起床。ドック判定・総括x2。書類処理。新聞チェック。5:00病院。回診、8:00帰宅。8:30次男に病棟の留守を依頼し4人で盛岡に。秋田道、13号線経由で予定時間通り12:00江岸寺着、新住職に挨拶、お盆の読経戴き墓参済ます。13:30直利庵に。長女盛岡から帰路に。矢巾在住の叔父宅に寄り帰秋。雫石で運転代わり18:30帰宅。新潟の地震のニュースに接した。年に一度の長距離運転の疲れがどっと出て19:30就眠す。

江岸寺、鷲盛瑞良住職が遷化された
 本年は都合で盆の墓参りは出来ないだろうと考え、本日墓参した。今回の墓参にはもう一つ目的があった。幼少の時からお世話いただいた江岸寺住職の鷲盛瑞良和尚が去る6月2日に遷化されたので、そのお参りを兼ねてである。

 和尚は享年79歳、新住職からうかがったお話では、4月頃心血管系の病を発症されて岩手医科大学に入院され、一時回復に向かったもののその後に種々の合併症,肺炎を併発されて約一ヶ月間人工呼吸器を装着して治療したが、結果的にお亡くなりになられた、とのことであった。

 私は和尚に住職としてばかりではなく、50数年に渡りいろいろお世話いただいた。小学校時代には教師として乙部小学校にも赴任され、担任にはなられなかったが国語などを中心に広く教えを受けた。また短期間ながら毛筆の私的な教師として直接指導を受けた。下手ながら、私は今でも毛筆を捨てきれないでいるが、これは和尚の影響である。これからも筆を手にする度に和尚を思い出すであろう。

 和尚は教育者としての生涯も送られたが、住職としては毎年の仏事行事の際に、また祖父母、両親死去の際には葬儀に関して一式を取り仕切っていただいた。その後、毎年のお盆を中心とした墓参の際には読経の後、多忙にもかかわらず親しくお話しする機会も作っていただき、家族一同に対して私の祖父母、両親の生存中の生き方等について種々お話をしていただいたものである。我が家の3人の子供たちにとっても、宗教、仏教、仏僧に対するイメージの形成に、良い意味で大きく影響を与えて下さったと思う。

 感謝しても仕切れないほどの影響を戴いた和尚であった。昨年お会いしたときまでは血色も表情も良く、何ら健康上の危機感を感じさせず、健康状態は良好との印象を受けていたが突然の訃報に驚いた。私には盛岡近辺にいつ訃報があっても納得できるレベルの親戚が何人も居て心の準備はしているが和尚の訃報は想定外であった。

 和尚の遷化は世の常と納得すべきだが,最期は一ヶ月以上も人工呼吸器装着下状態にあったとのことで、その間の和尚の心境を思うと辛くもなる。しかし、新住職の語る表情には、十分な医療を受けさせることが出来た、と言う安堵の表情が読み取れたので、このことについては言及せずに寺を後にした。
 心からご冥福を祈ります。合掌。


7/15(日) 晴れ、台風4号の影響で若干風強い  病棟拘束  
2:00起床。ドック判定・総括x1、新聞数日分チェック、本読み若干。5:30仙台の研修会出席の長女を駅に送り病院に。6:30回診、8:30救急カンファ。患者関連書類処理。15:00帰宅。16:00帰宅。FM放送のワーグナー「パルシファル第3幕」、M・ヤノフスキ指揮モンテカルロ・フィルの見事な演奏に感嘆。17:30-20:00再度病院へ。ドックなど処理。20:15長女迎え、外食。仙台は大雨であったという。21:30帰宅、就眠。


自伝 中通病院(26) 学会活動(4) 
 1990年9月第32回臨床血液学会総会においてパネルディスカッション「薬剤性血液障害」が取り上げられ、新潟県を含む東北7県の調査を私が担当して140例ほどの症例を集め分析して報告した。
 調査期間が短かったが結果的には多数の症例を集めることが出来た。各地域からの報告例はせいぜい40-60例程度で、総数で400例であった。私の報告は最も母集団大きく全症例の35%を占めたが、人口、医療機関数、医師数からみて東北7県からの報告が多数占めたと言うことは、他地区の担当者がそれほど精力的に症例を集めなかったためと考えられた。
 私はこの企画の全体像も知らされず、準備期間も乏しい状況の中で東北地方の責任者に指名され、この限られた期間の間で最大限の効果を上げようと集中的に必死に頑張った事が結果的に良かったのだが、蓋を開けてみてガックリ来たことも確かであった。

 パネルディスカッションは臨床血液学会総会の3日目の午後に行われたために会場は150-200人程度と出席者も少なかったが、討論自体は活発に展開された。その中では最も多い母集団で状況を分析して報告した私は、司会者から発言の機会を多く与えられ、フロアからの質問も数件あるなど有意義な会であった。その時の内容は総会の記録誌に掲載されている。

 全国血液疾患懇談会はその後どうなったのだろうか?このパネルディスカッションのあとも何度か連絡はあったようだが、私はその後一度も会に出席しなかった。そのうち連絡もなくなった。恐らく自然消滅したのではないだろうか、と思っている。

 このパネルディスカッションも貧乏くじを引かされたようなものだが、考えようによっては良い機会が与えられたとも言いうる。また、その責は十分に果たしたと自己評価している。

 私はこれ以降、学会関連のシンポジウム、パネルシスカッションの機会は一度もない。それに相応しい仕事は一切していないから当然である。私は新潟シンポジウム2回、臨床血液学会総会のシンポジウム、パネルシスカッション各1回の機会を与えられたことになるが、自身の仕事が評価されて指名されたとは思っていない。人脈、偶然がもたらしてくれた機会であった。
 血液疾患の臨床に些かでも寄与できたのか?と問われれば言葉に詰まる。「とても良い経験をさせていただきました」それが私の総括である。


7/14(土)曇り 病棟拘束 ドック結果説明 散髪 秋大泌尿器科同窓会
2:15起床、ドック判定総括x2他。毎朝2例分処理すると貴重な時間がもったいなくて不快。5:10バイクで病院着、6:20回診、8:30救急外来。その後、ずっと患者関連書類と格闘。10:00入院患者対応。14:40-15:30散髪。18:30-19:50秋大泌尿器科同窓会「虚の会」(Castle)に出席。20:15Taxi帰宅、21;00就眠。

個人情報保護法が、個人情報隠蔽法に(2)法の内容の広報が必要 
 個人情報保護法を切っ掛けとした団体や企業、個々人の「過剰反応」は各方面に広がり、深刻な影響が生じている。これをいかに解決していくかは今後の重要な課題である。いや、法を云々する前に団体や社会、コミュニティと個人の関わりについてもっと考えてみる必要があるだろう。

  県医師会では隔年に医師会名簿を刷新するが、最近、名簿に名前他の掲載を拒否する会員が出てきている。名簿としての機能を維持するために最小限の項目でも掲載させて欲しいと担当役員や職員が苦労している。医師会は医師の自発的な参加による学術団体であるが、実際には地域医療を維持するための活動も活発で、頻回に連絡を取り合う必要があるほか、日常診療においては会員同士の連絡も必要であり、時には業務外のことでも連絡を取り合うこともあろう。この際欠くことが出来ないのが会員名簿である。個人の住所とか電話番号などのプライベートな項目は掲載する必要はないが、医師会員は会員である以上、業務に限定した最小限の情報は医師会名簿に掲載すべきと思う。

 さらに加えて言えば、医師には養成の段階から多額の国費が費やされているし、国家資格を与えられ、医療を業として社会に参加し、かつ生活を維持している。そのことから社会に対して一定の責任がある。だから、業務に限定された情報が必要に応じて求められるのは立場上やむを得ないのだ、と私は納得している。

 勿論、上記の考えは医師だけの問題ではない。社会を構成する一員としてその立場に応じて最小限の個人の情報を提供することは社会に対する責任の一つなのだと思う。

 個人情報保護法は決して個人情報を隠蔽するために作られたものではない。法の拡大解釈がまかり通って、社会が徐々に匿名化していくのは決して良いことではない。
 国民生活審議会の個人情報保護部会の論議では、個人情報に関しての過剰反応対策として公益性が認められる場合などは、法の例外とするよう法改正すべきとの意見も出た、というが、最終的には、法の運用の改善などで対処するとして法改正は見送られたという。まず今は、法に対する国民の誤解を解くことである。必要な情報は円滑に提供されるように、政府は法に関する広報啓発に努力を傾けるべきであろう。


7/13(金)晴れ  人間ドック診察  法人理事会  長女帰秋
2:20起床、ドック判定総括x1。県医師会版新型インフルエンザ対策案他.5:10病院着。6:30回診、紹介状その他。8:00救急カンファ。主治医意見書、保険関連診断書等々患者関連書類処理。ほぼ終日これに費やすが、机上の山が若干低くなっただけ。14:00ドック診察x5。17:30-19:00法人理事会、残務、20:55帰宅,久々家族全員集合し夕食。21:30就眠.

8月上旬、未体験ゾーンへ (5) 24時間心電図上、不整脈が散発・・でなく3発のみ、だった
 私は5-6年ほど前から不整脈で悩んでいる。当初は寝不足とよく相関していたが、徐々に関連がはっきりしなくなってきて、かつ、時間も長くなっている。週のうち半分以上不整脈状態のままで過ごすこともある。若干胸部不快感、倦怠感、意欲低下を伴うこともある。からといって特に生活を変えるわけでもなく、仕事もテニスも通常にこなしてきた。

 要するに、自分としてはそれほど深く悩んでいたわけではないということ。不整脈で不快だと言っている限り心臓は動いているのだし、不整脈死をするときは一瞬で意識を失うだろう。それはそれで良いじゃないか。もう、還暦まで生きたし、と思っている。この自分の命に対する軽さも私の人生観であり、生き態、死に方の一つと割り切ってきた。決して一般的に言われる医者の不養生、なのではない。
 循環器科のスタッフはおそらく発作性心房細動だろうから脳梗塞予防のために抗凝固剤を服用すべき、と脅かしをかけてくる。しかし、あまり深刻な顔つきで勧めているわけでもないから気持ちだけ戴いて、無視してきた。

 検査も今まで一切受けて来なかった。運が悪いことに、年2回の健康診断の心電図にまだ一発も不整脈の波形が記録されていない。だから、病態は未だに解っていなかった。しかし、今回は、自分一人の問題でなくなった。治療していただく主治医に不整脈のことで迷惑はかけられない、と考えて術前検査の一環として自分で24時間心電図を受けてみた。
 結果は、今度こそ診断が付くものと期待していたのであるが、完全に空振りであった。24時間約10万3000回の心拍の波形が記録されているが異常波形は散発しているどころか、3発のみで、上室性不整脈が2連発1回、単発1回のみであった。これでは全く診断をつけようがない。

 もうあまり時間がないから、不整脈の診断に関しての解決策は現実に不整脈が起こった状態で生理検査室に飛び込み、心電図をとって貰うことだろう。検査課にもいろいろ迷惑を掛けそうである。


7/12(木)曇り→雨  外来 
2:10起床、ドック判定総括x1ほか、5:10病院着。6:10回診他病棟業務、その他、8:00救急カンファ。8:45-15:30地獄の外来。すっかり疲弊したがそれだけ開放感が大きい。蓄積した書類と格闘。21:30帰宅、夕食。22:10就眠。

個人情報保護法が、個人情報隠蔽法に(1) 匿名社会化の動きはまずい
 個人情報保護法は、各個人が安心してIT社会の便益を享受するための制度的基盤で、平成15年5月に成立し公布され、17年4月に全面施行された。この法は、個人情報の有用性に配慮しながら、個人の権利利益を保護することを目的としている。

 個人情報保護法の目的の一つは本来、個人の情報が無断で不特定多数に提供され、執拗なセールス活動などに悪用されるのを防ぐことであったはずである。だから、この法の施行は大きな価値がある、と私は前向きに捉えてきたが、その後、法が一人歩きして徐々に「匿名社会」になりつつあって何となく居心地が悪くなってきている。

 学校や自治会の名簿や連絡網が作れなくなり、そのために人的交流が減り人間関係が疎遠になった、との指摘もある。高齢者や交通遺児の支援団体でも、行政機関などから情報が入手しにくくなり、活動に支障が出ている、と言う話も聞こえてくる。それが、公益的な活動を行う非営利団体への情報提供までが制限されて来ているのは、本末転倒である。
 法は5000人以下の個人情報を扱う企業や団体などは対象外としているので通常の自主組織や自治会は、この法の規制を受けない。だから名簿を作成する際に規制などはない。もっともこれらの団体が法のために名簿等を作らなくなったのではなく、作ろうとしても各個人が掲載を拒否したり、名簿そのもの作成に反対するからとされている。

 学校や企業、各種の団体がその中で人的情報を共有することは活動の基本である。それには構成員の各人が納得できる範囲で自己の情報を提供する必要がある。しかし、これが法のためにギクシャクしうまくいかなくなっている。この個人情報の提供に対してのネガティブな方向への過剰反応の多くは、現行法に対する誤解が原因だと思うし、個人が都合良く解釈し利用している事によっている。だから、法の周知徹底がさらに必要である。更に、法を云々する前に社会の中における個人の関わりについてもっと考えてみる必要があるだろう。


7/11(水)雨 外来 ドック診察 院内感染対策委員会(欠) 感染症評価会議 県医務薬事課と打ち合わせ 県教育庁と懇談会 県医師会常任理事会  
2:00起床。ドック判定総括x1などいつもの如く。5:10Taxi病院着.6:00回診その他入力。8:00救急カンファ、8:40-13:20外来。14:00-13:40県感染症評価会議。14:40-15:50県医務薬課と医学生修学金制度について意見交換。16:00-17:40県教育庁との懇談会。院内感染対策委員会は欠。17:45-20:00県医師会常任理事会。病院にて残務、21:40帰宅、22:00就眠。

8月上旬、未体験ゾーンに旅します (4)  CT上、だめ押しの所見が得られた
 私自身が約45年近く抱えて来た身体上の一懸案がついに限界を迎えた。ホントはごまかしごまかし何とか定年退職時まで持たせたい、その時点で治療を受けられれば最高だね、と思っていたが、そこまで持たせられなかった。

 先日の採血検査、超音波検査等から深刻な事態を迎えつつあることは理解出来た。とりあえずは合併している感染の治療のため抗生剤の服用を開始した。これが著効して発熱は止み、一週間後には検査成績もすべて正常化した。これだと炎症さえ治まればもう暫く余裕が生まれるか?十分仕事を整理してから治療を受けられないか?と、また新たに小さな期待が生じてきた。ちょっと良い兆しがあるとつい期待してしまう。勝手なものだと自ら思う。

 二日後、主治医の指示で腹部CTを撮影した。

 かつて造影剤で強度の腹痛を生じたことがあり若干心配したが、何事もなくCT撮影は終了した。側で仕事をしていた放射線科医に判定をお願いしたところ、予想した所見以外に大きな所見はなかったが、膀胱憩室が指摘された。膀胱の右後ろ側に飛び出した容量20-30ml程度の袋状の構造である。恐らく膀胱内圧の上昇に耐えられなかった壁の一部が外側に飛び出したものである。要するに膀胱に小部屋が出来たもので、これがあれば尿の一部が停滞し、感染はなかなか治癒せず再発しやすくなる。

 私の場合、抗生剤が奏功し体調は改善したが、抗生剤などそう長く服用すべきでないから、この憩室の存在がだめ押しになって、甘い考え、期待をスッパリと捨て、手術療法を受ける決心をし、主治医に申し出た。主治医の都合では7月中旬に手術を受けることも不可能ではなかったが、7月中は院内外のスケジュールの関係で休むと同僚方に多大な迷惑をかけることになるから8月1日に決めた、ということである。

 恐らくは大丈夫であろうが、若干の回り道をする可能性もあるために医局スケジュール上には2週間の休みを申請した。医師会や県の仕事も整理した。現在、8月中旬までの外来の予約患者数を少なくする努力をしている。
 私の健康問題を知った内科の同僚達にとって今の最大の関心事は院長の健康なんかではなく、そんなことはどうでも良いのだが、院長担当のあの外来の代診だけは何とか回避したい、と言うことらしい。さもありなん、と自分でも思う。対応困難な患者が目白押しである。だから今まで極力代診をお願いするのを避ける配慮をしてきた。アキレス腱縫合術を受けた翌日も通常に外来をこなしたが、今回はさすがに血尿を流しながら外来をするわけにはいかんだろうから、と心は痛むが、割り切っている。


7/10(火)晴れ 外来 法人常務会 医局カンファ 高額医療機器共同利用運営委員会
2:10起床。ドック判定総括x1.書類処理、5:20バイク病院着.6:10回診他定期処方、書類書き、8:00救急カンファ。8:45-14:10外来。14:45-16:40法人常務会。1730-医局カンファレンス:小児科「救急外来での対応」、前半のみ出席。19:00-21:20高額医療機器共同利用運営委員会。21:50帰宅。22;30就眠。

医師不足対策(11)国レベルの「臨時医師派遣システム」その後
 国は5月末日、医師不足対策に6項目、即ち、■緊急臨時医師派遣システム ■勤務医の労働環境改善  ■女性医師対策  ■研修医の都市集中是正  ■医療リスク支援体制  ■不足地域や不足診療科の医師養成、を決定した。

 その内で、最優先に取り組むのは「臨時医師派遣システム」の構築とした。医療スタッフが充足している都市部の公的病院などの医師を、不足地域に一定期間派遣すると言う制度である。
 私はこの「臨時医師派遣システム」は政治家、官僚共の机上のプランで、実効性は皆無と思う、と当初思ったが、厚生労働省は6月26日に、制度の初めてのケースとして、1道4県の6病院に計7人の医師を送り出すことを明らかにした。派遣先は北海道、岩手、栃木、和歌山、大分県の病院で、岩手県だけは県立大船渡病院(循環器科)1人、岩手県立宮古病院(循環器科)2人の計3人と派遣医が多い。

 岩手県は私の出身地であり,しかも、県立宮古病院には2年間勤務したこともある。大船渡病院は同じ三陸にある病院として数回診療応援にも行ったことがある。だから、今回の医師派遣のニュースは特に目が惹かれた。岩手県は県立病院網が医療の大部分を担っており、かつては32ヶ所もあり、最近合理化で合併などで数は少なくなったと言うがそれでもまだ25ヶ所以上ある。当時から国道4号線沿いを除けば慢性的医師不足にあったが、遂にここまで深刻になったのかと、決して人ごとと思えない。3人の応援医を得たことは大きいと思う。

 これら緊急派遣を受ける病院では医師の退職が相次ぎ、深刻な影響が、道や県が派遣を要請していた、とのことである。ところで、秋田県は申請していなかったのであろうか、と疑問に思う。県の担当者の説明では、厚労省は医師派遣のルールには合致しなかった、との判断で申請しなかったらしい。

 医師は国立病院のほか、日赤などから選ばれ、8月頃までに着任するとのこと。派遣期間は3-6ヶ月間で、2-3週ごとに医師が交代するのだという。
 私は実効性がないだろうと読んでいたが、幸いにも違った結果になりそうである。喜ぶべき誤算であった。ただ、このシステムはやっと始まったばかりで先のことは分からない。全国の医師不足の実情を考えるとまだまだ焼け石に水程度の効果しかないと思うが、緊急的効果はあると思う。このレベルで終わらせないよう条件を整備して、地道に続くように期待している。


7/9(月)晴れ 管理会議 外来 療養病棟判定会議 長副会議 
2:00起床、新型インフルエンザ関連。5:20バイク病院着.6:15回診他、7:00入院患者家族と面談.7:45-8:15管理会議.8:45-14;30外来。16:00-16:20療養病棟判定会議。17:00-19:30長副会議。21:00帰宅、夕食、21:30就眠。

8月上旬、未体験ゾーンに旅します (3) 超音波上、異常なしが大きな異常だった!!
 私自身が約45年近く抱えて来た身体上の一つの懸案がついに限界を迎えた。
 発熱があり、感染が疑われたために腹部超音波検査を受けた。

 手慣れた技師によって手際よく肝臓、脾臓、胆のうなど次々にモニターに映し出されるが、一見、異常はなさそうである。左腎臓にはピンポン球に近いサイズの嚢胞があるが、両側とも水腎症も無い。腫瘍陰影もない。膀胱は尿で中等度に満たされ、壁が若干不整に見えるものの大きな異常はなく、前立腺も大きくない。
 要するに、腹部超音波検査上では殆ど異常が無かったのだが、一見異常が無い像が得られたことが私にとっては予想していた以上に異常であった。私は一瞬にして事の深刻さを理解し、限界を悟った。

 記載すれば上記の如く大げさになるが、事は簡単である。その理由は、私はある結果を予想して、あえて排尿してから検査を受けてみた。腹部超音波検査は下部尿路の状態を知るためには膀胱が尿で満たされている時の方が情報は多い。だから、一般的には排尿前に検査するのが通常である。従って膀胱がある程度膨らんだ状態に映し出されるのは検査上当たり前で、異常な所見ではない。

 私は、恐らく、ある程度の残尿はあるだろうと予想していたので、その量を知りたいことと、左側の逆行性の水腎症も疑っていたのであえて排尿してから検査を受けてみたわけ。だから、尿で中等度に満たされた膀胱が映し出されたこと自体がが、異常だという事になる。しかも、私が密かに予想していたよりも遥かに大量の残尿量であった。要するに、下部尿路の抵抗のために膀胱が収縮しきれていないことを示している。これでは尿路感染を生じても当然であり、このままでは一時的に改善しても繰り返すのは必須であり、進行性に悪化していくだろう。

 上記の如くの事情で、当院の泌尿器科のお世話になることになった。
 7月中はスケジュールがタイトであったので、7月31日の外来と常務会終了後入院し、夜はちょっと抜けてHIV学習会の司会をして、翌日手術と言う計画を立てた。8月中旬までの外来と病棟、医師会業務等についても患者や関係者に余り迷惑にならないよう、対策を進めている。
 私にとっては小学校4年生の時の盲腸周囲膿瘍以来の入院で、未体験ゾーンへの旅立ちになるが、ちょっとした旅であって欲しいし、良い気分で戻って来たいと願っている。


7/8(日)超快晴、暑い日 病棟拘束 来客
 2:10起床、ドック判定総括x1、新聞一ヶ月分チェックと廃棄に着手。6:00バイク病院、回診他。8:30救急カンファ。自室の書類、古い書籍整理、廃棄。11:30帰宅、来客あり対応。13:00-14:30午睡、以降椅子の修理、楽器練習、新聞チェック、ドック総括などで久々自宅で過ごす。19:30夕食、マルミミゾウの生態を観る。21:00就眠。

自伝 中通病院(25) 学会活動(3)第32回臨床血液学会総会
 平成2年5月、「全国一般病院血液懇話会」の東北地区の代表を消極的姿勢で余り深刻にも考えずに引き受けてしまった。
 5月末に懇話会会長より書簡があり、秋に札幌で開催される第32回臨床血液学会総会でパネルディスカッションとして「薬剤による血液障害の実態」を取り上げ、その企画運営は「全国一般病院血液懇話会」に委されたので、各地区の代表者にその地区の実態調査と報告をお願いしたい、と言う内容であった。そのタイムスケジュールは6月末日が抄録の締め切りだという。内容も時間的にも全く暴力的であった。パネルディスカッションの準備を一ヶ月で行い、抄録を書くなど信じ難いことである。

 何か変だ、話が違う、裏があるのでは?と思った。要するに、学会の企画等は昨年早々に決まっていたのであろうが、恐らく東北地区から参加していた会員は誰一人としてパネラーを引き受けるものが無く、最後まで決まらずに紆余曲折の上、最終的に私に白羽の矢が向けられ、何も事情を知らない私が引き受けてしまったと理解した。
 大体、私の人生はこんなものである。前世での問題なのか、何の因果か分からないが、どちらかというと損な役目を背負うような運命と共にこの世に生を受けたらしい。人を簡単に信じること、騙されやすいことも私の問題点の一つと認じていたが、人を騙して生きるよりは良い、と割り切っていた。また、である。

 ほぼ実行不可能に近いタイムスケジュールであったが、引き受けた以上今更断るにわけには行かない、学会の場に穴を空けるわけにはいかないと、急遽調査とまとめを行うこととした。具体的には調査票を作り、6月5日発送、14日返送締め切り日とし、戻ってきた調査票と格闘、月末には学会宛に抄録を送付した。

 この約一ヶ月間の生活記録を見ると、診療関連の時間と3-4時間ほどの睡眠時間以外の殆どをこの仕事に費やした状況が分かる。今顧みると感無量であるが、考えてみると、ここ10年以上、ほぼ似たような生活を慢性的に、非主体的に、受動的に送っている事になる。


7/7(土)晴れ  病棟拘束    歯科治療 県医師連盟執行委員会  梯 剛之チャリティピアノコンサート
2:00起床、寝不足間、体熱感若干あるが今回は風邪だろう。ドック判定x1, その他。5:10病院着、事務的処理、7:00病棟回診、その他。8:30救急カンファ。11:00湯沢コカ・コーラ社員来訪面談。山積みの業務、かなり消化した。14:00-14:40歯科治療。16:30-17:00医師連盟常任執行委員会。17:30-19:45アトリオンにて「梯 剛之チャリティピアノコンサート」。外食、21:30バイク帰宅。22:10就眠。

「アルビノー二のアダージョ」(2) あまりにも柔らかかったソロの音色
 指揮・ヴァイオリンのE・ダーネル氏はスロヴァキア放送交響楽団コンマス、スロヴァキア弦楽四重奏団の第1奏者、スロヴァキア・ビアノトリオ、室内合奏団カペラ・イストロホリターナの芸術監督を歴任し、現在、愛知県立芸術大学で客員教授を務めておられるとのことで、演奏家としても教育者としても高名な方である。私もビアノトリオを含め既に数回聴いている。

 当日のプログラムは、
■アルビノー二のアダージョ(L・ジャゾット編曲)
■レスピーギ作曲、独奏ヴァイオリンと弦楽のためのソナタホ短調(J.S.バッハ/BWV.1023より)
■バルトーク作曲(R.マロシュ編曲)「子供のために」より小品
■チャイコフスキー作曲(L.ドゥリュー編曲)フイレンツェの思い出

であった。偶然だろうが全曲に編曲者の名前が入っている曲である。

 一曲目アダージョはアトリオンのパイプオルガンの重低音に乗って静かに始まった。良い雰囲気である。曲が進むにつれ独奏ヴァイオリンがどの様な音色でどの様な表現で入るのか期待が徐々に高まっていった。が、結論から言えば、あまりにもソロの音色が柔らかく、更に全体に弱奏で終始し、節目節目の強調部分も抑えられ過ぎるようで、少なくとも私の好みの表現、期待とは異なっており、若干気落ちした。しかし、これも無限にあるうちの一つの表現と割り切る事によりそれなりに楽しめた。初めて演奏会で聴いたアダージョ、オルガンと弦の組み合わせ、それらが残響豊かなアトリオンホール一杯に響いたとき、身体が勝手に反応し鳥肌が立った。ちょっとの不満を残しながら、なかなか経験出来がたい、至福の時間となった。

 二曲目のレスヒーギの曲は私が初めて聴く曲であるが、原曲はバッハの「ヴァイオリンと通奏低音のためのソナタBWV1023」である。原曲のイメージで曲想を追いかけていくことで、マア楽しめた、と言うところ。これもオルガンとの組み合わせが良い雰囲気をかもし出した。

 私は常々演奏会が長すぎると思っている。目当ての曲が終われば、それが特に素晴らしい演奏であった時には、いつもそれだけで中座する。今回はこの2曲だけとした。

 弦楽器の音色について、私はあまりにも柔らかいのを好まない。弦楽器の柔らかい音色のイメージを語れる言葉はないが一般に「ビロードの如く」と表現されていると思う。私はそれらにガラスの微粉を適宜混ぜ合わせたような、どちらかというとザラザラした、シャープな部分を併せ持つ音色の方が好きである。
 本日のE・ダーネル氏が奏でた音色はとても柔らかかった。その面でちょっとだけ物足りなさを感じつつ会場をあとにした。


7/6(金)晴れ 県健康推進課員来訪打ち合わせ  ドック診察  患者家族面談 
 
2:15起床、ドック判定総括x1ほか。5:10病院着、6:30回診他.紹介状、主治医意見書など作成、13:30県健康推進課員来、難病関連事業についての打ち合わせ。15:00患者家族と面談。業務処理と書籍書類整理。20;30帰宅、夕食、21:30就眠。

「アルビノー二のアダージョ」(1)  秋田室内合奏団演奏会
 「弦楽とオルガンのためのアダージョ」はヴィヴァルディとほぼ同時代に活躍したイタリア・バロック期の作曲家アルビノーニのスケッチの断片をもとに20世紀の音楽研究家レーモ・ジャゾットがオルガンと弦楽合奏のために編曲したとされる曲であるが、最近、原曲のスケッチもアルビノーニのものでないとの意見もあり、曲にまつわる真相は分からないとのこと、一名「20世紀に作曲されたバロック音楽」とも言われているらしい。

 曲はオルガンの低音と低弦のピチカートの静かな序奏から始まる。まもなく有名な主題が提示され、中間部では長い通奏低音の上でソロヴァイオリンが何度も何度も美しい旋律を歌いあげ、最後はソロヴァイオリンが低域から高音に登りつめ、寂しげに、美しく曲を締めくくる。

 カフカ原作の「城」を取り上げた映画のバック音楽として用いられたことで一気に有名になった曲とのことであるが、私が初めてこの曲を聴いた時、多分20代半ばであったと思うが、大きなショックを受けた。たまたま購入したバロック音楽小品集レコードの中にさりげなくおさめられていた。こんな素晴らしい曲を何で今まで知らずにいたのか、と失われた時間を惜しんだものである。

 その後、ずっと今に至るまでこの曲を求め続け、聴き続けてきた。実際に何種類の演奏を所持しているか分からない。私にとってこの曲は単にヴァイオリンの独奏を伴う単に美しい曲というだけでなく、私に聴く度に活力、気力を与えてくれる特別な曲の中の一曲だからである。ここ一ヶ月以上、車で通勤する際にはパイヤール室内合奏団の演奏のCDをBOSEのヘッドフォンでじっくりと聴いている。独奏を受け持つジェラーリ・ジャリの表現が素晴らしい。この期間だけでももう何10回聴いたのだろうか、それでも飽きることはない。

  この曲を演奏会で直接聴く機会はなかったが、7月1日(日)アトリオンホールで行われる秋田室内合奏団の演奏会で取り上げられるとのことで聴きに出かけた。体調不良のために日曜毎に行ってきたFF tennisが取りやめになったために得られた時間である。

 ヴァイオリン独奏と指揮はチェコスロヴァキア出身で愛知県立芸術大学の客演教授で、この合奏団の客演指揮者として、あるいは室内楽の奏者として秋田でも馴染みが深くなっているエーヴァルト・ダーネル氏。オルガンはアトリオン専属の演奏家、香取智子氏である。


7/5(木)雨→曇り 外来 地域医療包括実習終了懇談会 中通リハビリテーション病院院長退職慰労会  
 
2:00起床。ドック判定総括x1。各種データ収集。5:15病院着、6:30回診その他、書類と格闘。9:00-15:00外来、今日も混雑。15:30から秋田大学地域医療包括実習終了の懇談会。病棟患者対応、その他。18:00-21:00中通リハビリテーション病院渡辺院長退職慰労会。弥高会館、挨拶を述べた。21:20帰宅、22:00就眠。

8月上旬、未体験ゾーンにちょっと旅します (2) その理由
 私自身が約45年近く抱えて来たある懸案がついに限界を迎えた。
 もう何年か程度、定年を迎えるあたりまではこのままごまかし、ごまかししつつ行けるかな、とつい一月ほど前まで考えていたが、頻発する発熱を機会に検査を受け、その所見から遂に限界の時期を迎えたと判断し、専門医に対策をお願いした。

 その解決のために8月上旬、2週間ほど休暇を取る手続きをした。6月26日に記載した「未体験ゾーンにちょっと旅します 」、はそのことである。100%私的な問題であるが、業務上で院内外に少なからざる影響・・で済めばいいのだが・・を与える可能性があることから、ことの概要を提示して関係の方々のご理解と協力を得たいと考えている。

 検査を受ける気になったのは特にここ2-3年来、時折、主に土日、祝祭日などを中心に微熱、時に高熱を発することを若干気にし始めていた事から始まる。実際には高熱と言っても検温などしたことはないから具体的には何℃あったかなどは分からない。体熱感、高熱感だけからの判断である。

 私は幼少のことから病弱で発熱なんて慣れていたから、発熱があっても特別の配慮も対策もしたこともない。医師になってから発熱で業務に穴を空けたこともない。高熱がある時でも通常に外来等をこなし、私より遥かに元気な患者に「お大事に・・」と言ってきた。自分への対策としては、時間がある時はひたすら横になってじっとしていること、これは、母親代わりのネコが教えてくれた対応策である。

  私は薬物に関してはとても慎重でかつ保守的な考えを持っている。だから服薬と言えばせいぜい葛根湯だけで、成人になってからこの方、アキレス腱縫合手術まで解熱剤、抗生剤の類は一切使用したことはなかった。2003年のアキレス腱縫合手術に際しては一週間ほど抗生剤を服用したが、消炎鎮痛剤は術後1錠服用しただけ。2005年秋の激しい腰痛の際には整形外科医の助言を得て鎮痛目的と言うより局所の消炎目的に初めて消炎鎮痛剤の座薬を10日間ほど使用し、その劇的な効果に驚き、薬に関する保守的な考えを若干改めた。
 しかし、その後はこれらの薬物を使用する機会は幸い、一度もなかった。

 通常は高熱があっても特別の局所症状もなく、一晩程度で改善することからウイルス感染でも生じているのだろうと軽く考えていたが、今回、珍しく発熱が数日続いたので血液検査を受けてみたところ、白血球増多とCRP 6.0程度で細菌感染の所見である。特に際だった局所的症状はなかったのであるが、感染部位は直ぐに予想がついた。
 そのために腹部超音波検査を受けたが、モニターを見て私は一瞬にして事態を理解し、限界を悟った。


7/4(水)曇り→雨 外来 医療行政懇談会+情報交換会   
2:00起床。5:10病院着.6:20回診他病棟業務。8:00救急カンファ。8:45-14:50外来、大混雑。この間10:00岩手医大教授来訪、歓談若干。15:30-17:30医療行政懇談会+懇親会。重い話題で評価は難しい。17:30から懇親会。19:00中座し病院、20:50Taxi帰宅。21:30就眠。

久間防衛相やっと辞任  会見の度に印象悪化する不快な軽薄さ 
 久間防衛相がやっと辞任した。
 広島、長崎への原爆投下に関して「これで戦争が終わったのだから、しょうがない」と発言したことが原因。歴史認識が誤っているだけでなく、状況によっては原爆使用を容認出来る、という認識を示した点で、唯一の被爆国である我が国の歴史・苦悩と被爆者の苦痛・苦悩を踏みにじった、発言であった。これが、庁から省に格上げされ、初代の防衛相となった人物の発言としては信じがたい暴言である。
 事態が大きくなった後の本人の表情、発言を見る限り全然深刻な気持になっていないようだが、そのことこそが一番の問題であって、辞任は当然だ。

 久間氏は会見の度に弁明を繰り返し、自分の思いがうまく伝わらず、言葉尻をとらえられた、という言い分を表明しているから、その後の言動も軽い。表情も軽い。にやけ過ぎである。
 本人は辞任当日朝まで辞任の気持など全く無かったらしいが、自民が選挙協力を期待する公明党の代表代行が辞任を促し、釈明のための党への訪問を拒否したことが直接の切っ掛けになって本人も首相も辞任を決断したとされるが、その後の会見で「選挙対策上、身を引く」と語ったようだ。全く反省などしておらず、自らの発言の持つ意味すら考えて居ない様で、ただただ呆れるだけである。バカでないか?

 爆弾発言の閣僚をかばった安倍首相の対応も問題がある。「産む機械」発言の柳沢厚労相に関しては何とか乗り切ったが、光熱水費の松岡前農相をかばい続けた事で結局彼を自殺に追い込んだ。久間氏に対しては参院選のため、やむなく決断したというのが実態だろう。この三人とも直ぐに辞任させるべきだったと思う。このレベルで大臣が務まるなら代わりなどいくらでも居るだろう。発言内容は誰が、どんな地位の人が述べたのかによって意味が自ずから異なってくる。その点では判断を誤った首相も同じ。呆れた首相、閣僚であり、暴言内閣である。

 久間氏の発言は、暴言などのレベルではない。核兵器廃絶を訴える日本の国際的地位、姿勢を揺るがす大事件である。


7/3(火)晴れ 患者家族面談 中央診部長面談   外来 常務会 医局会議
2:00起床,ドック判定総括x1他、新型インフルエンザ対策案など。5:10病院着。6:00回診他。6:30患者家族面談、7:20中央診部長面談、8:00救急カンファ、8:45-14:20外来。14:45-16:00法人常務会、17:30-19:30医局会。病棟患者対応、21:00帰宅。軽食。21:30就寝。

医師不足対策(10):秋田県の医師対策(3) 後期研修に視点を移せ 
 秋田県では医師が不足し、秋田市以外の地区の医療は崩壊し危機的状況にある。地域医療の維持は県、自治体の仕事である。県では必要な医師数を確保するために昨年度から7項目からなる医師確保総合対策を展開している。先日の新聞報道に修学資金貸与事業の結果の報道があった。修学資金に関して本年度は定員の3倍の15人が応募し、県では修学資金貸与枠の定員増も検討しているという。これは予想以上の結果で喜ばしいニュースである。

 新臨床研修制度が発足してまもなく、我が国の地域医療が一気に崩壊に向かった。これは都市部への研修医の集中傾向もあるが、一番顕著なのは研修医の大学離れだった。事実、秋田県の場合、県内で研修している研修医数は制度発足以来、毎年60-70名と決して減少したわけではない。ただ、地域の中核病院に研修医が集まったのであって、それまで県内の新卒医師の半数ほどの研修を担っていた秋田大学が数名程度に著減した。このことで大学から地域の中小病院への医師派遣が出来なくなったばかりでなく、地域の医師の引き上げを行ったために秋田の医療事情は一変した。

 秋田県の医師確保についてはまだまだ予断を許さない厳しい状況にあるが、秋田県の医療の再構築という点では視点をいわゆる後期研修に移さなければならない重要な時期を迎えている。
 その視点では、■秋田大学の専門医育成の機能を生かして行くのか、■地域中核病院で臨床中心の立場から専門医を育て、地域医療を再構築していくのか、の方法は二大別されるが共に一長一短がある。私は前者により期待している。

 3年目以降のいわゆる後期研修の主役は勿論研修を受ける本人達である。昨春は県内で研修を終えた68人中、55人(80%)が県内の医療機関に残った。うち3年目以降の研修先として秋大医学部付属病院を選んだのは28人であった。これに対し、2期生は61人が研修を終了し、県内に残ったのは41人(67%)で、秋大医学部は僅か20人と人数も、定着率も後退した。

 秋田県の医療の再構築を図るにあたり、まず初期研修医が一人でも多く院内の研修病院を選んで欲しい。この面はかなりの実績を上げていると評価すべきだろう。次の問題点は、臨床研修病院の研修責任者の多くは、秋田大学と良い関係を保ちながら後期研修医を自院、または県内に定着させようと考えていると思うが、県内最大で最も先進的な医療機関である秋田大学附属病院で3年目以降の研鑽を積もうという若手医師がなかなか出てこないこと、ここに無視でき得ない大きな問題があるのだと思う。

 秋田県の初期研修は比較的うまく運用されていると評価出来るが、いわゆる後期研修についての姿が見えてこない。行政,大学、医師会、病院会に研修医と指導医も加えた協議会を立ち上げ、秋田県版後期研修プログラムを早急に構築すべきだろう。


7/2(月)晴れ 管理会議 安全管理者と打ち合わせ 療養病棟判定会議  長副会議  
2:30起床、ドック判定総括x1。5:15病院着.事務処理、回診他。7:45-8:35管理会議。10:00-11:00医療安全管理者と打ち合わせ。患者関連書類処理。16:00-16:45療養病棟判定会議。17:00-18:45長副会議。珍しく短時間で終了。
竿灯の練習か?太鼓の音がうるさい。20:30帰宅、夕食、21:20就眠。

また偽装(2) 信用を失うことは全てを失うこと
 北海道の食肉加工販売業者が牛ミンチに豚や鶏を混ぜて出荷し、利潤を上げていたことが発覚した。目的はコストの削減とのことらしいが、それだけ経営が厳しかったのだろうか。しかし、こんな不正を7-8年も続けていたとすれば経営が厳しいから、と言うような甘い解釈は出来ない。
 経営者の倫理観、人間性が問われるべき問題まで行ってしまう。

 一定以上の収入と利益がなければ会社の経営は成り立たないのは道理である。許されることではないが、会社がせっぱ詰まったとき、一時的に、良心に魔が差し、緊急避難的に浮かんだアイデアだったのかもしれない。しかし、ウソも何度も繰り返しているとウソでなく当たり前の考えになって身に付いてしまう。これが怖い。ここまで来ればもう罪悪感は薄れてしまうから、元には戻れない。虚偽・偽装を続けることでしか維持できなくなる。虚偽・偽装を続けて行くには不自然なエネルギーの投入が必要であり、何れは発覚する。会社の従業員は当然実態を知っていただろうし、出入りの業者、取引業者も不審に思っていたかもしれない。今なら内部告発もあり得る。

 虚偽・偽装・隠蔽工作などは発覚したとき、企業にとって最も大切なもので、最後の砦でもある信用を失墜し、結果的に全てを失うことになる。ユーザーへの感謝の気持ちを失ったときが出発点となる。あの不二家は山崎製パンの傘下に入った。松岡前農相の水光熱費の真相はどうも理解できないが、各方面から追求され追い込まれ、行き場を失い、彼は文字通り全てを失った。コムスンの問題もみんな同類である。身近には男鹿みなと市民病院の医師獲得契約問題も挙げられよう。

  ここまで虚偽、偽装が次々に湧いてくると、社会全体が相当病んでいると思わざるを得ない。組織体は何か隠しているのではないか?と疑ってかかる土壌を生んだら何をするにも疑心暗鬼になってしまう。不幸な事態である。

 うそをつかない、偽装などしないことは社会生活を営む上で基本中の基本である。それが教育の基本でもある。先日、赤信号を待っている幼稚園児の脇をすり抜けて道路を堂々と渡って行った3人のおばさん達がいた。
 良識欠如は市井の隅々まで浸透しいていると愕然とした。


7/1(日)快晴 病棟拘束 秋田室内合奏団演奏会 
 
2:30起床、ドック判定総括x1。講演終了し開放感。6:10病院、患者書類対応、8:30救急カンファ。自室の古い書籍処分。11:30帰宅、14:30-15:15アトリオン、秋田室内合奏団演奏会。大好きな「
アルビノー二のアダージョ」と2曲目だけを聴き、病院に。16:00-19:30総括他種々処理、20:00バイクで帰宅、夕食。21:00就眠。

自伝 中通病院(24) 学会活動(2) 
 中通病院赴任後、私は学会活動に関しては一気に消極的になった。当初は殆ど機会がなく学会は聴講のみであった。
 平成元年秋、川崎市立病院原田医師から「全国一般病院血液懇話会」に是非入会して欲しいとの誘いの書簡があった。

 「全国一般病院血液懇話会」はその5年ほど前から大学以外の一般病院の血液の臨床医により結成され運営されている血液学や血液疾患についてより気軽に語り合う懇談会で、いつも日本臨床血液学会総会の日程に合わせて学会の地で学会日程終了後に懇談会を開催し、それなりの成果を挙げてきた会である。

 重箱の隅のゴミを電子顕微鏡で見るが如くの詳細な研究成果が中心となっている血液関連の総会とは別に、血液の臨床に則した演題を出し合って勉強し合うという趣旨の会で、私も非会員として何度か出席し、講演とか演題とかを聴講する機会は持って来たが、敢えて入会する気には至っていなかった。何でも会に属すとしがらみが発生し面倒だから、私の生には会わないからである。

 原田医師の書簡では東北地方の担当者が欲しいとのことで、会員にいろいろ尋ねたところ、岩手県立中央病院や千葉県がんセンターの血液疾患担当スタッフ達が私を強く推薦したとのことである。これらの医師は私の先輩にあたり、いろいろ教わったし、よく存じているだけに、推薦があったと言うことではやむなしと考え、それほど活動は出来ませんが、それでも良ければ、と前置きをした上で引き受けた。
 原田医師の最初の頃の書簡はここまでであったが、実はこれには伏線があったの事が後に判明した。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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