徒然日記
2007年5月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


5/31(木)晴 長副会議 外来 医療安全推進会議
2:10起床。ドック総括x1、ほか。5:10病院着、徒然送付。6:00回診他。7:30臨時長副会議。8:45-13:30外来。連休後4週目なので比較的余裕。15:00以降来訪者数件対応。16:30-18:00医療安全推進会議。20:30帰宅。夕食。21:00就眠。

最近の医療状勢(3)医療界の新展望(2)
 二木教授の論文を要約することなど恐れ多いが、私自身のために試みた。
 教授は「敢えて希望を語る」の項目として、3点を挙げておられた。第1は「最近の医療制度改革の肯定面」と「医療者の自己改革の動き」、第2は「昨年来のマスコミの医療問題の報道姿勢の変化」、第3は「安倍政権の医療・介護・福祉抑制策の部分的見直し」である。 

 第1の「制度改革の肯定面」としては、
●医療・経営情報公開の制度化、●領収書の発行、●医療機関の医療機能の情報公表制度創設、●医療法人制度改革、を挙げた。「医療者の自己改革の動き」として、●医師会の自浄努力と医師の絶対数不足を認めたこと、●産科医療無過失補償制度の制度化の見通し、●都道府県・地域医師会レベルの市民・患者に目を向けた自己改革の動き、を挙げ注目されている。

 この中で、私は「医師会が未だに医師の絶対数不足を公式には認めていないのが大きな問題の背景になっている」、と病院委員会で発言し、教授からそれは認識不足、と注意を受けたが、最近出版された日医の「医療のグランドデザイン2007」でもこの点はまだ明快にされておらず、残念に思っている。

 第2の希望として、教授は世論の形成に大きな影響を与えるマスコミの医療問題の報道姿勢が、昨年来「日経」を除いて変化し始めたこと、論調の変化が際だって鮮明になったこと、を挙げておられる。社説の論調の変化も分析され、更に一般記事に「医療クライシス」、「医療危機」、「医師不足」、「医療荒廃」、「減少する救急病院」、「医師不足 産科 大病院もピンチ」、「「大規模病院 手術待ち『伸びた』3割」、等と題した特集記事、調査結果を掲載し始めた事を挙げられた。更に特記すべき事として各紙が「医療費抑制政策に慎重姿勢を示すようになった」ことと「朝日」の論説委員が、部分的ながら日医の方針・活動を率直に評価する論評を発表したことを挙げられた。

 これらの記事を読んでいて私自身も論調に変化を来していることは感じていたが、今回教授のまとめに接して改めてその流れが確実なものであることを教えていただいた。ここまで荒廃が進んで何を今更との観もあるが、来るべき時代の入り口にやっと達したような実感がする。私はマスコミの厚労省寄り、反日医姿勢がわが国の医療荒廃の進行を共に支え合いながらここまで悪化させてきたと思っているのでこれらの変化が本物なのか、注目していきたいものである。

 この論議でいつも思い浮かべるのは、「あと何人ここで子どもが死ねば信号機を付けてくれるのですか!!」と言う地域住民の悲痛な言葉である。


5/30(水)快晴 外来 研修管理委員会 体調回復 62.0Kg
2:00起床。体調かなり改善、されど62.0Kg迄減。ドック判定x1他。5:20Taxi病院着。6:20回診他、8:00救急カンファ。 8:45-14:20外来。16:30-17:00研修管理委員会。夕方になって体調良好に。20:45帰宅、21:30就眠。

最近の医療状勢(3)医療界の展望(1)
 政府、厚労省は低医療費政策をあらためる気配は見えないし、医師数の絶対的不足すら認めようとしない。今の医療界に展望は殆ど見えない。特に、私的医療関係者は自らの将来に漫然とした不安をかかえて運営している。展望の乏しい将来をかかえての運営は非常にストレスフルである。

 日本福祉大学二木 立教授から私は日本医師会病院委員会の場で日本の医療の問題点等について親しくお教え頂いているが、教授は先の日本医学会総会で「医療改革−敢えて希望を語る」と題する特別講演をされた。その内容が日本医事新報2007/5/26号に掲載された。
 教授は従来から日本の医療制度改革は国民皆保険制度と非営利医療機関主体の医療提供体制を維持する必要があり、そのためには「世界一」厳しい医療費抑制政策を見直し、公的医療費の総枠を拡大する必要がある、と主張しておられる。
 そのためには、医療者がまず自己改革を行い、国民・患者の医療不信を払拭することが不可欠であるとの前提を挙げ、個々の医療機関レベルでは、●個々の医療機関の役割の明確化、●医療・経営両方の効率化と標準化、●他の保健・医療・福祉施設とのネットワーク形成または保健・医療・福祉複合体化の3項目を挙げている。より大きな制度改革としては、●医療・経営情報公開の制度化、●医療法人制度改革、●医療専門職団体の自己規律の強化、の3点を挙げている。
 教授自身も、前政権が強行した厳しい医療費抑制政策が昨年臨界点を越え、このままでは医療荒廃が生じると危機感を持っておられるとのことであるが、同時に、医療界とマスコミ、さらには安倍政権の中に、新しい動きが生まれてきていることに注目されている。

 私どもの病院も決算内容は厳しい状態であった。法人内各施設の収益によって法人全体としては大きな欠損を出さないで済んだ。しかし、今年度は、来年度は・・と考えるとそう大きな展望が目の前に開けているわけではなく、決して気を抜くことは出来ない厳しい状況が続いていくだろう。

 そんな中、私は機会あって教授より原稿を頂き、早々と読む事が出来たが、結果的に気持ちが随分明るくなった。こんな時勢の中、注目すべき論文である。医療関係者の方々には是非一読されることをお勧めしたい。

参考リンク:二木立の医療経済・政策学関連ニューズレター33号
特定非営利活動法人 非営利・協同総合研究所いのちとくらし より


5/29(火)快晴  外来 常務会 法人評議員会 医局会・MC(欠)
2:00起床、未だ体調不良。2:30病棟から緊急呼び出しあり出勤。そのまま病院で業務。6:00回診、救急カンファは体調不良で欠。8:45-13:45外来、14:45-15:45常務会、17:30-19:45法人評議員会、20:00帰宅、20:30就眠。

エスカレーター(3)階段代わりに歩くのは間違い、とのこと
 先日エスカレーターを階段代わりにして歩いていると記載したら早速メールにて注意を受けた。本来エスカレーターは、ステップ上に立ち止まって利用することを前提に作られているとのことで、片側に寄って立つと荷重バランスが崩れ不具合を誘発する可能性があること、歩いたり走ったりすると振動で安全装置が働き緊急停止することもある、とのことであった。その上で社団法人日本エレベーター協会のホームページを紹介された。

 私は都会地では急いでいる人のために片側に立つのがマナーで、そのために幅の広いエスカレーターが設置されているのだろうと、何も考えずに思いこんでいたが、全くこれは誤解と言うことになる。昇降者が多いときのために2列幅のエスカレーターがあるとのことであった。

 日本エレベーター協会の危険行為の説明には多数の項目が記載されているが、関連する項目は以下の3点であった。
●すり抜けは危険です。他の利用者や荷物と接触して、思わぬ事故を引き起こすことがあります。
●歩いたり走ったりすると身体のバランスを崩し、転倒するなど、大きな事故を引き起こすことがあります。また他の利用者を巻き込む恐れもあります。
●ケガなどで、片方の移動手すりにしか、つかまることのできない方もいます。たとえば左手を骨折していて、右手でしか手すりにつかまれない方がいらしたとします。その方はエスカレーターの右側にしか乗れませんが、右あけが慣習となっていたらとても不自由で危険です。

 確かにその通りだと思う。ただ、ここまで用意しているのであれば、エスカレーターの乗り口とかに注意書きでも置くべきだと思う。一部の地域、施設ではそのような動きがあるとのことであるが、私は一度も見たことがない。幅広のエスカレーターの場合には是非そうすべきであろう。
 これを機会に私もちょっと反省した。


5/28(月)快晴 管理会議    外来 療養判定会議(-)院内感染予防学習会 長副会議  体調不快
2:00起床、ドック判定総括他。淡々と業務処理、5:00出勤。6:00回診、紹介状作成。7:45-8:25管理会議、8:45-13:30外来、療養判定会議は対象者無し。院内感染学習会、講師は波多江新平氏。18:30-22:00長副会議。22:30帰宅。23:00就眠。外来を始めた途端に全身の違和感、筋肉痛、腰痛等あり発熱する。重症患者もおり、スケジュール上でも厳しく、新入院も3名あった。辛かったが何とかこなした。

院内感染対策の権威、波多江新平先生を迎えての学習会
 本日夕方は院内感染予防対策の世界的な権威、波多江新平先生を迎えての学習会が旧千秋会館で開催された。多忙な方であろうが、一医療機関の学習会のためにわざわざ来秋し、一時間ずつ2回にわたって講演された。実に有り難かった。
 院内感染症対策の権威としての地位は揺るぎないものがあるが、権威等という言葉が相応しくないほど、実に気さくな方であった。経験を十分に積んだ実地医家であり、話の内容は単に院内感染予防策に止まらず、いかにコストを軽減するか、病院経営に寄与するかと言う方面にまで及び大変有意義な会であった。私は第一部しか聴けなかったがその終わりに謝辞を述べた。

波多江先生、本日は大変ご多忙の中、中通総合病院の感染制御部の学習会のために秋田までおいで頂きましてどうも有り難う御座います。しかも、2コースにわたってご講演いただくとのことで、病院を代表して心から感謝いたしたいと思います。
 私は当院の院長であると共に、血液免疫学をいささか囓ったと言うことなどから秋田県医師会では感染症等危機管理対策部門の責任者をつとめており、新型インフルエンザ対策、麻疹対策等をおこなっております。その関係もあって、日頃から波多江先生の業績に関しましては院内感染の記録集やインターネットでの検索から知っておりました。また、各種の文献を通じて私は常日頃から先生の教えを受けて来たと思っております。まさか、私共の学習会で先生に直接お目にかかる事が出来るなどとは思ってもおりませんでした。

 私どもの病院は残念ながら院内感染対策という面でハード面から見て時代にそぐわない構造をしています。そのために院内でノロウイルス感染者が職員も含めて多数発生しましたし、インフルエンザでもMRSAでもいろいろ苦慮しています。
 新病院建築の際には是非とも感染症対策を意識した、院内感染に強い病院の構造にしていきたいと思っております。それまでの間は、私どもはスタッフの学習意欲と知識、判断力、行動力を最大の頼りにして行かなくてはなりません。本日の第一部の講演では会場に入りきれないほどの職員が出席したのを見て、私は心から安堵しました。

 本日は院内感染対策について、実に分かりやすくお教えいただきまして本当に有り難う御座いました。誤解していた部分もあって目から鱗が数枚落ちました。
 最後になりますが、今日の会の開催にあたっていろいろお世話いただきました明治製薬KKの皆様に心から感謝申し上げます。
 このような楽しい雰囲気の講演ならば後半でもう一度お聴きしたかったと思いましたが、次の会議を控えておりますので、私はここで失礼いたします。
 今一度、大きな拍手を持って波多江先生に感謝の意を表したいと思います。本当に有り難う御座いました。


5/27(日)曇り時に雨 病棟拘束 FF tennis(中止)家内は日本ゾンタクラブで横浜
2:00起床、新聞一週間分チェック。ドック関連、退院総括下準備。5:45家内を駅に送り病院。重症患者対応。以降、20:00まで自室にこもり患者関連書類と格闘。20:30帰宅、夕食、21:15就眠。起床後約1
6時間、家と病院で書類書きしたがそれほどの数処理できたわけでない。金から日までの週末は殆ど机に向かっていた。実に勿体ない時間である。患者関連の書類に追われる日々を何とかしなければ。

自伝 中通病院(19) 昭和63年7月副医局長になる 
 昭和63年7月、院内の規定による選挙で信任されて副医局長となった。長く副医局長を務め、今回、医局長に立候補したK医師から協力要請があり、揃って立候補したものである。選ばれれば苦痛・苦悩が増すポストだから対立候補が出るはずもなく、この時は反対者はあまり居なかったようで信任された。
 7月8日の法人内広報紙「日報めいわ」に以下の一文が掲載されている。編集部の求めに応じて記載したものだったと思う。

この度、推薦されて副医局長になりましたが大変なことと緊張しています。まずはあまり構えずに、医局長を補佐するという役割から果たしていきたいと思います。私自身、まだ民医連についてよく分からないこともあり、勉強していかなければなりません。しかし、医局運営委員会がしっかりしているので何かと安心です。最近、民医連医療や民医連資料を引っ張り出して目を通すことも多くなりました。

 大規模病院医局がかかえる問題点の一つとして、多様な価値観を持つ人間が増え、そのままではまとまりに欠けるという事が挙げられます。例えば、今回私が副医局長に選ばれたこともその一つだと思います。価値観が多様だと言うこと自体は素晴らしいことで、大切にしたいものです。
 明和会の医師団としては、少なくとも医療観については一定の方向性が得られるものと思うし、その点でまとまった集合体として病院におけるリーダーシップを発揮できるはずです。

 具体的には今年度の医局の活動方針を形あるものにすることにつきますが、難問も抱えているので1年では出来ないかもしれません。医局会議はいろいろな意見をぶつけ合い、論じ合える雰囲気を大事にしたい。

 また研修医の中からより多くがスタッフとして戻ってきて欲しいと思います。そのためにも医局が医療展望を持ち、各々が責任と義務を負いつつ十分に力を発揮できる様な環境を皆で作らなければならないでしょう。

 もうこれを記載してから20数年にもなる。いま読み返してみると何と抽象的な、何を言いたいのか分からない様な文章である。
 この20年の間病院の機構も変わり、医局のメンバーも随分入れ替わっている。それでも、中段のあたりは当時も今も殆ど変わらない共通の問題点であり、悩みでもある。


5/26(土)曇り 病棟拘束 患者面談x4  No18内視鏡外科フォーラム東北
2:00起床。ドック判定総括x1,徒然。5:20病院着.6:00回診他
患者家族面談。8:30救急カンファ。9:45別患者の家族面談、10:30-11:30ドック受診者と病態について面談。紹介状他書類処理。15:00 No18内視鏡外科フォーラム東北(Alve)に参加、特別講演3題聴講。重症患者対応。19:30-22:45外食、21:00帰宅、21:30就眠。

最近の医療状勢(2)医療費削減で現場は夢と士気を失いつつある
 昨年4月に診療報酬が3.16%と過去最大の引き下げが行われた。いま医療機関は患者減と診療報酬削減が、重くのしかかっており青息吐息状態である。
 この状態はもう限界である。こんな状況が更に続くと医療関係者は使命感、夢を失い、医療崩壊が一層進んでいく。

 厚労省は医療を量的拡充から質の向上に視点を移している。それは正しい。しかし、方法が良くない。医療事故とか、院内感染などが問題になると次から次と改善命令の文章を発行する。しかし、人も費用も一切出さない。全て医療機関に自主努力を求めてきている。だから、医療の質を高めようとすると医療機関では自らの頸を絞めるような事態に追い込まれていく。次の診療報酬改訂の際にはその面をクリアしていないと加算が取れないようにするなど経済的に締め付けてくる。それでも医療機関はサービス改善に努めている。患者から利用されなくては運営が出来なくなるからであるが、資金は乏しく身銭を切ってサービスを維持している。

 小泉前首相はいろいろな意味で日本の医療を米国型に近づけようとしてきた。日本の医療現場には患者への医療提供体制の面では米国に学ぶべき点など殆どないが、医療事故が問題になるとマンパワーやコストをかけて問題点を改善するという方向性だけは米国から学ぶべきである。

 わが国独自の国民皆保険制度は最小限のコストで最大の効率を上げてきた。しかし、その背景にはマンパワーや人件費には最小限に抑えてきたという現状がある。だから世界一の効率を上げることが出来た。それを支えてきたのは医療人の使命感であった。しかし、これからも同じ方向で行くならば、医療人は夢を失い、士気を失い、倫理観さえも失っていく。

 日本の医療費がいかに安いか、国民には殆ど知られていない。
 長期療養型の入院コストは一日8000円からであり、病院の条件によっては3000円と言うところもある。最低限の小さな調度と寝具、TVしか置いていないレベルの安いビジネスホテル以下のコストである。この中から医師、看護師、コ・メディカル、事務員、他のスタッフ達の人件費、施設維持費等をどうやって出せと言うのか。これでは乾いたタオルから水を絞り出せと言う論旨に等しい。

 無理ですよ、安倍さん、こんな状況では。もう医療人は気力さえも維持できませんよ。


5/25(金)雨 健康クリニック代診 ドック診察 法人理事会 野呂田衆議院議員スリランカ・ラトナ章受章祝賀会
2:00起床。ドック判定総括x1,医報投稿文校正、徒然。5:15病院着。回診他。8:50-10:20健康クリニック代診。重症患者対応。13:30人間ドック診察、患者家族面談。17:30法人理事会、18:30-20:20野呂田衆議院議員スリランカ・ラトナ章受章祝賀会。盛会であったが、私とは別世界、懇親会は出ず20:45帰宅、21:00就眠。

最近の医療状勢(1)受診抑制と診療報酬低減で医療崩壊が一層進む
 時期的に各組織・企業体の決算報告期にある。つい先日、JALが180億ほどの赤字決算を出したことがマスコミで報道された。
 医療界も同様で、一斉に決算報告が始まっている。内容的にはどこの医療機関とも運営に苦慮している様子が聞こえてくる。

 医療機関にとって厳しい結果をもたらしている原因は、患者減と診療報酬の低減であり、それに更に医師・看護師不足が拍車を掛けており、これは日本の医療政策が、政府、厚労省の思うように推移している現れである。わが国の医療政策に国民の健康を大事にする視点が欠如しており、今後も医療機関への締め付けを一層強めていくだろうから、あらゆる医療機関の運営は一層厳しくなっていく。医療関係者の熱意を維持できないレベルに達したとき、日本の医療は崩壊し、瓦解する。

 日本医療政策機構と言う組織がある。数々の提言を発信し続けて止まるところを知らない、あの黒川清東大名誉教授が代表を務めている。ここは医療に関する種々の調査を行い、結果を公開し、政府に種々の提言を行っていく組織である。機構は本年2月に「日本の医療に関する2007年調査結果」を発表した。 
 それによると、低所得・低資産の方々の80%強が「深刻な病気になった場合には医療費を払えない、との不安を持つ」と回答をしており、約40%の方々が「具合が悪いと思っても我慢して受診しなかったことがある」と答え、国民が最も関心を持っている点を重視した政策に変換すべきだと意見を述べている。

 この背景には、昨年6月に成立した医療制度改革関連法で、10月から現役並みの所得がある70歳以上の方の窓口負担が2割から3割に引き上げられた影響と見ることが出来る。更に、平成20年度からは一般的な所得の70-74歳の方の窓口負担が1割から2割に引き上げられる事になっているから、今後も高齢者を中心に一層受診抑制が進み、国民の健康維持に重大な支障になることが予想される。

 昨年4月に診療報酬が3.16%と過去最大の引き下げが行われた。
 昨年12月に発表された日本医師会の緊急レセプト調査では6-9月間のまでの医療機関の総点数は、診療所、病院ともに明らかに低くなっている。要するに医療機関は患者減と診療報酬のダブルパンチを受けて青息吐息状態である。

 この状態が一層続くと医療関係者は使命感、夢を失い、医療崩壊が一層進んでいく。もう、その兆しは地域医療に現れている。国が医療政策の根本的欠陥を改めなければこの流れにブレーキはかからない。


5/24(木)快晴 病棟スタッフと打ち合わせ 外来 新臨床研修管理委員会 療養病棟診療部会議   
2:00起床。ドック判定総括x1。その他。5:20病院着.6:10回診・紹介状関連書類他。7:30病棟スタッフと打ち合わせ。8:45-14:45外来、混雑。16:00-16:55臨床管理委員会。17:00-17:45療養病棟診療部会議、重症者対応。21:30帰宅、夕食、22:15就眠.

狭いエスカレーターは上れない(2)エレベーター、動く歩道
 私はエレベーターが嫌いである。その前で来るのを待つのが嫌だし、乗っている間何もすることがないのが辛い。だから、7-8階程度の秋田の職場では殆ど乗らない。他の施設ではやむを得ず利用する。高層の場合は利用せざるを得ないが、それだけでなく最近の施設の構造はエレベーターによる移動が前提になっていて階段が何処にあるのか分からないし、あっても不便な場所に離れていて扉が付いていたりすることが多いからである。古い建物では階段とエレベーターが並列しているが、この場合は、勿論階段である。

 エレベーターの前でじっと待っている方々の忍耐力には脱帽である。
 アキレス腱を切ったときに辛かったことの代表は歩行許可が出る迄の6週間、エレベーター前でじっと来るのを待つことであった。少しずつ自由度が増した後半は時に松葉杖で階段を昇降したが、さすがにこれは転倒すれば元も子もなくなる可能性があるばかりでなく、それ以上の怪我を負うかもしれない危険な行為であった。

 待たなくても良い事から見ればエスカレーターはより便利であるが、歩ける構造だけに着くまでじっとしているのが辛い。都市圏のエスカレーターの大部分は横幅が広く、誰かが立っていても脇を昇降できる。だから、私は大きな荷物を持っていない時を除けばエスカレーターを階段代わりにして歩いている。エスカレーターにじっと乗っている方々の忍耐力には脱帽である。端から見れば何とせわしない中年男(初老男)、と思うかもしれないが私は別に急いでいるわけではない。階段があるから歩くのだ。

 空港とかには動く歩道がある。羽田でANAを利用する際の移動距離は随分長くなったからとても便利である。ここでも私は立っている方の脇をすり抜けて歩く。 これらの設備に身を任せておられる方々の表情は耐えていると言うよりリラックスしている様子でとても良い。いずれ私も、と思うが今のところは自らの足で動く方が性に合っている。エスカレーターも動く歩道でも、堂々と真ん中に立っておられる方が居て思うように歩けないことがあるが、人は様々だから邪魔にも出来ない。この時はちょっと辛い思いがする。
 
麻疹(はしか)やインフルエンザ等の感染症が流行している時は閉鎖空間となるエレベーターは危険である。


5/23(水)快晴 臨時長副会議 外来 友の会理事会(欠)県医師会理事会 
2:10起床。ドック判定総括x1,他処理。徒然。5:10病院着.6:00回診、書類他。 7:45-8:30臨時長副会議。8:45-14:50外来、14:00からの友の会理事会は急遽欠席、16:30-19:00県医師会理事会。入院患者吐下血、対応。21:50帰宅、夕食、22:30就眠。最近、時間の隙間すら乏しくなってきた。徒然更新は夜に予定した。

狭いエスカレーターは上れないから困る 
 当法人の共済会が企画したヘルスチャレンジ2007の結果予稿によると220名ががエントリーしてうち159名が目標を達成したそうである。内容はまだ発表になっていないが、「スリム3Kg作戦」には何人がエントリーして何人が目標を達成したのか、結果を見るのがとても楽しみである。勿論私は達成者の一人であるが、多分、それほどの達成者は居ないはずだと思う。

 もう一つのエントリーは「エレベーター・エスカレーターに乗らず、階段を歩く」である。院内で、と限定すればエレベーターは一度も乗っていない。エスカレーターは動いていようと止まっていようと階段代わりには何度も利用した。このことで未達成と言われるかも知れない。
 私はエレベーターが嫌いである。その前で数秒でも待つのが嫌だ。昇降自体は勿論楽、だから疲れたときなど、つい誘惑に負けそうになるが、その日の体調、気力のバロメーターにもなる。年間を通して一度も乗っていない、多分。


5/23(火)快晴  職員面談 外来   法人常務会     院内倫理委員会
2:00起床,ドック判定総括x1,医師会・病院書類ほか.5;10病院着.6;10回診。7:00-7:45職員面談。8:00救急カンファ、8:45-14:35外来。14:45-16:30常務会。17:30-19:40院内倫理委員会。21:45帰宅、22;20就眠.

新井 満 作詞(?)作曲 ラジオ深夜便の歌「ふるさとの山に向かひて」
 私は2:00頃の起床時から2時間ほどは古いレコードを聴きつつ業務をこなしているが、3:45分頃からはNHK-FMに切り替える。4:00前の「ラジオ深夜便の歌」、「ニュース」、4:06からの「心の時代」を聴くためである。もう何年続けてきている習慣なのか、記憶も定かでない。

 「ラジオ深夜便の歌」は一つの曲を殆ど1ヶ月ほど毎朝聴くことになる。最初は多少違和感を覚えてもそのうちにすんなりと入ってくる様になる。このシリーズ、私の記憶でも10数曲あるが総じて良い曲である。

 ここ一月ほどは新井満作詞作曲の「ふるさとの山に向かひて」と言う曲が流れている。これは石川啄木の短歌、詩4作を歌詞として、それに曲を付け自らが歌っているものである。

 最初聴いたときは、何だこれは、と言う程度の印象で余り良い感じを受けなかった。新井氏は野間文芸新人賞 受賞者であり、『尋ね人の時間』で第99回芥川賞 受賞している著名な作家の一人である。近年では作者不詳の詩『千の風になってなどの訳詩とそれに曲を付けて歌っていることで一層有名になったが、この時ももっと真の作者が注目されてしかるべきと感じて、新井氏が突出して注目されることに私は何故かあんまり良い印象を持たなかった。しかし、『千の風になって』を紹介した業績は大きいと認めたい。

 今回は詩が石川啄木作であることからその点は問題ないが、この2作を見た範囲では彼は他の方が作った詩に曲を付けるのが上手なようである。
 私自身が岩手出身で啄木ゆかりの地後核で育っていることからからの作品に郷愁を感じるが、そのうちの代表格の詩に付けた新井氏の曲も、彼の歌唱も何度も聞いているととても良いものに感じられ、とても良い数分間を味わっている。


5/21(月) 快晴 管理会議 院内巡視 病棟対応 療養病棟判定会議 長副会議
2:00起床。ドック総括、紹介状、返事の準備。徒然、5:15病院着。6:10回診、7:45管理会議。10:00-11;30院内巡視、病棟対応、机上業務。16:00-16:30療養病棟判定会議。17:00-20:00長副会議、21:45帰宅、夕食、22:30就眠。

オーダリング導入余波(6) 最近9時5時から10時5時人間になった
 私は故植木等が見事に演じた9時-5時人間、5時から男的生活、であるが、一年ほど前から院内にオーダリングが導入され、その機能が徐々に拡張して行くにつれ、業務に費やす時間配分がずれ始め、10時-5時人間になって来た。即ち帰宅時間が徐々に遅くなっている。外で夕方からの会合があっても短時間でも病院に戻って業務を若干こなしてから帰宅する生活になってきている。

 その理由は、患者関連の書類もオーダリングシステムを用いて作成するようになってきたからである。システムの機能拡張前には紹介状、総括、入院時治療計画等の書類は自分のパソコンを用いて作成していた。これらのうち、検査データなど、必要最小限のデータ部分は病院で入力し、全体的には早朝自宅で完成させる事が出来た。だから仕事途中で帰宅してもそのまま書類作成を自宅で継続することができた。しかし、今は病院内でしか作業を進められない。最近患者の入退院数が増えているから書類の数もただ事でない。

 オーダリングシステムは閉鎖システムでその中のデータを自分のパソコンに引き出すこともその逆も全く出来ない。従って、1985年以降最近まで自分のパソコンの中に蓄積した臨床データは一切利用できない。だから、能率も激しく悪い上に不慣れなウインドウズを用いて作成するので、入力すると言うよりキーボードと格闘しているようなもので勝手が違って一人分の書類作成に2倍の時間がかかっている。この病院に就職してから未総括カルテを貯めたことは最近まで皆無であったが、今月ついに17冊の未総括ありで、かなり上のランキングにノミネートされてしまった。

 オーダリングシステムはとても便利で私はその利点を享受している。もう元に戻すことなど考えられない。しかし、いろんな影響が身辺に及んできている。その一つが帰宅時間への影響、食事時間への影響である。先月末から体重調節は止めているが、今朝、62.9Kgで更に減っていた。もっと痩せるのだろうか。


5/20(日)雨→晴  病棟拘束  FF tennis中止 飯島元医学部長退官記念祝賀会
2:00寝不足感あるも起床、未だ体調不良。ドック判定総括x1。新聞1週間分チェック。7:30病院に。8:30救急カンファ。天候微妙でFF tennisは中止。15:00帰宅、居間のオーディオに録音用にFMチューナーをセット。17:30-20:20飯島元医学部長退官記念祝賀会、スピーチ多数。中座して帰宅。21:00就眠。

自伝 中通病院(18)ピンクのカーテンで激しく叱責受ける 
 外来診療部長になってから数ヶ月目の頃のある週の朝、外来業務が始まる30分ほど前、ポケットベルがなり、呼び出し主は当時の整形外科科長であった。事後上のプロ意識は大変なもので、それだけなかなか対応が困難な人物で、電話先で激しく興奮している様子が瞬時に伝わってきた。私も一瞬でフリーズした。いつにも増して早口で、何を言われているか即座には理解できなかったが、耐えてずっと聴いていると、外来のピンクのカーテンがどうのこうのと言っている。外来にピンクのカーテン??どんな意味なのか、何で私が関係しているのか?私は理解できなかった。

 要するに、外来診療前の整形外科の朝カンファレンスのために外来に来てみたところ外来の間仕切り用のカーテンがベージュ色から一斉にピンクに変わっていたと言う事らしい。そこまで電話の要件をやっとの事で理解した。全く一言も相談もせずに勝手にカーテンのカラーを変更したこととピンクという異様な色調にした事の2点を怒っていることが分かった。それでも何故私が怒りの電話を受けているのか俄には分からなかったが、第3点として、外来診療部長が現場に一言も相談せずに勝手に実施した事が許せん、と言うことらしい。

 そこ迄電話の内容を理解しても実際何のことか分からなかった。私が言葉を差し挟む余裕など与えてくれない。何とか電話での話をおさめ、実際見に行ったところ整形外科だけでなく、外科も内科外来もカーテンが一斉にピンクになっていた。やはり整形外科科長が言うように異様であった。

 私自身が驚くような変化であった。真相は当時の総師長を中心とした検討チームが古くなったカーテンを交換する際にそのように決定し、院長の許可を得て注文、実施したものと分かったが、私はそのような動きがあったことすら一切知らされていなかったのにあの叱責である。「それでも外来診療部長が悪いのだ、責任があるの」と最後まで引かない相手も相手であったが、組織の中の責任部署の役職に就くことの厳しさを味わった日であった。

 外来のカーテンは翌日にはすっかり元に戻っていた。整形外科長が総師長にも激しく迫ったらしい。そのカーテンはその後産婦人科、小児科の病棟用として用いられていたとのことである。
 
 時間の作用は大きい。今は笑える思い出話の一つである。私は一つ一つの事象をその時点時点で、心がさざ波立っている時点で最終評価せず、時間の浄化作用に一定程度任せてから再評価するようにしているが、私に合ったとても良い方法だと思っている。


5/19(土)曇り 病棟拘束 散髪 歯科治療(キャンセル) 家内横浜「日本女医会」 体調不良
2:20起床。ドック判定総括x1。データ集め、徒然他。6:20家内を駅のリムジン乗り場に送り病院へ。6:30病棟業務、8:30救急カンファ、総括・主治医意見書等作成。13:00-14:00散髪。この頃から急速に体調不良に。違和感、倦怠感など。歯科治療は移動も困難なのでキャンセル。14:30-15:30机で坐位にて午睡。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。

首都圏で麻疹流行  若者に拡大し、大学休校も行われている
 麻疹が首都圏を中心に流行している。
 麻疹は罹患者のうち30%が肺炎や脳炎、中耳炎などの危険な合併症を生じる怖い病気である。年間10-20万人が罹患し、数10人死亡している。にもかかわらず、麻疹は誰でも罹患する当たり前の感染症と思われている。そのため、予防接種という手だてがあるのにその接種率は50%ほどと言われている。先日の医師会の会合の際の話題では、秋田では1歳児の接種率は90%ほどだったという。地域によって大きな差があるのかもしれない。

 麻疹は2001年に大流行し、約28万人が感染したとされるが、それ以降は沈静化していた。東京、神奈川、千葉の南関東で2月ごろから感染者が増え始め、4月以降に急増し流行している。小中高校での臨時休校は首都圏を中心に増えており、文科省は都道府県宛に保護者にワクチン接種を促すよう求める通知も検討しているとのことである。

 今回の流行は15歳以上が多いのも特徴で、感染の機会が少なくなり、かつ予防接種を受けていない若者が増えているためと思われる。通常あまり話題になることのない高校や大学の休校も行われている。
 八王子市にある創価大は学生50人ほどが感染し、先月18日から2週間ほど学部と大学院を臨時休講した。同大は学生約6.000人に予防接種を受けさせた、とのことである。
 また、千代田区にある上智大も1週間の全学休講を決定したという。上智大は学部・大学院で約12.000人、4月末から発熱などを訴える学生が現れ始め、11日までに感染者が10人となったことで2次感染予防のため全学休講・課外活動も全面禁止にした。僅かの人数の罹患なのに休校を決定したのは大英断ではないだろうか。

 厚労省は昨年から、麻疹の定期予防接種をこれまでの1歳児に加えて、小学校就学前の1年間に1回の接種をする制度に改めた。しかし、強制でないため、接種を受けていない子供も多い。
 麻疹単独のワクチンは、4月末から需要が急増。今月中旬までにメーカーなどの在庫は11万本になった。麻疹と風疹の混合ワクチンは34万本の在庫があるとのことである。非流行地で一気に接種が始まると不足すると考えられる。私は若い医師や看護師達への感染防御のために接種も考えているが、ディレンマである。新しいワクチンの供給は9月になる。


5/18(金)曇雨 ドック結果説明・診察    
2:30起床。いつもの如く5:10病院着。自室用にツツジを一鉢持ち込む。6:20回診他、8:00救急カンファ、外来無く机上仕事中心。9:00ドック結果説明。13:40ドック診察。事務的処理。主治医意見書2編、退院総括2編、その他紹介状記載。これでも氷山の一角でまだまだ多数残っている。21:20帰宅、夕食、22:30就寝。

航空券は申込場所によって入手出来ないのか?
 4月27日は日本医師会病院委員会で東京出張であった。
 医師会の事務局の担当者が私の出張を失念していた。私からの確認電話で数日前に慌てて航空券を手配したが、復路のJALの座席はどうしても手に入らなかった。旅行社からアドバイスとして「空港で申し込んでみるのも一方法です」、と言われたという。このことの意味が分からなかった。やむを得ず帰路はJRの「こまち」を確保した。

 往路、浜松町でモノレールからJRへ乗り換え時に、ダメでモトモトと考えて帰路の航空券を申し込んでみたら、何と6席も残っていていとも簡単に手に入れることが出来た。手に入ったことは嬉しかったが、「こまち」の払い戻しと割引無しのJAL航空券購入でいつもより9000円近く高価な復路となった。なおかつ、空路は片道の予定で、空港までは医師会の公用車で送ってもらったから、空港から秋田市内までリムジンバスを用いたから時間も余計にかかった。おまけにバスの座席に文庫本を一冊忘れてしまったが、10日ほどまえにバス会社に取りに行った。

 何故、当日に6席もあったのに数日前には座席を取れなかったのだろうか?キャンセルがあったのか?旅行社割り当て分があったためか?・・等と疑問が湧く。「空港で申し込んでみるのも一方法です」との旅行社のアドバイスの意味は何なのか?今はコンピューターで全国どこでも同じ条件で購入出来るはず、と思っていたが、私の誤解なのか?

 今回得た教訓は予定が決まったら早めに航空券を手配すべし、と言うことである。

 ところが、航空券を持っていても確実に搭乗できるとは限らないという経験が3度ある。一度目は座席のオーバーセールスの煽りで搭乗できなかったし、二度目はいつの間にかチケットがキャンセルされ無効になっていたし、三度目は羽田の待合室で居眠りしている間に突然搭乗口が変更になって遅れそうになった。これからの教訓はチケットを確保していても必ず搭乗できるとは限らないから、空港にはなるべく時間に余裕を持って行くべし、待合室では寝るな・・と言うことであった。偶然か、すべてJALであった。

 多くの疑問のまま、若干の不満をかかえて搭乗したが、上空から見た夕日の素晴らしさが私を余りあるほどまで、十二分に癒してくれた。


5/17(木)秋田小雨 東京雨→晴れ 都道府県医師会広域法人制度改革担当理事連絡協議会 
2:00起床。文献整理など。出張準備
等あり3:30Taxi病院へ。5:00回診他病棟関連業務。6:30病院発秋田道経由空港。7:30ANA767-300 80%ほどと混雑。3席独占で快適。終始かなりの揺れ。10:30-16:15都道府県医師会広域法人制度改革担当理事連絡協議会。私にとっては別世界の難しい話題。中座して帰路に。空港書店で新書3冊購入、18:00JAL MD-90満席。何故か2席占拠出来、快適。揺れ無し、夕日が見事。19:10秋田着、8:00秋田道経由帰宅.夕食、21:00就寝。

柔道は受け身、負け方から教える(2) 医師の研修の項目にも必要
 柔道を始めとして道具を使わない格闘技は良い負け方を知っていればこそ、勝負に余裕を持って臨めるし、負けることは次のスタートの始まりでもある。これは人間教育の、子どもの教育の根本でもある。これが十分でないと人間関係は対立構造になりやすいし、キレ易くなる。

 先日、3日間缶詰になって臨床研修指導者講習会を受講したが、研修医とのコミュニケーションの取り方、誤りの指摘や指導の項目では研修医を腫れ物に触るが如くに、周りくどく扱う傾向があってとても気になった。
 確かに、最近の子供達は誰でもその傾向は多少あるのだろうが、特に医師になろうとする若者は家庭でも、学校でも特別扱いを受けて来たのではないか?とも思わざるを得ない事象に触れる事も少なくない。いや、決して若手医師だけでない。医師が「在日日本人」と評されたのは決して最近のことではない。医師一般の問題であろう。私もあらゆる世代の医師に同じ傾向を感じてしまう。多分、私も他の方々からはそう見られているのだろう。

 最近は医療の分野ではクレームが増えてきている。著増である。医療行為自体に殆ど問題が無いのにちょっとしたことが切掛けになって大きなクレームにまで発展する。その増大の切掛けが患者や家族の不満に対する最初の医師の対応・反応であることが多い。小さな歪みのうちに摘み取れたはずのレベルの事象がその後の応対の中でむしろ徐々に増大していく。医師は責められる事、攻められる事に不慣れであり無防備である。若手医師だけでなく、地域のベテラン医師も往々にして同じ経過をたどる。ベテラン医師は心の隅に残っているかつてのパターナリズム的発想にも起因している。

 これからの医師教育の中では、患者・医師関係におけるトラブル回避のためにも上手な受け身を、負け方を研修の一項目として取り上げなければならないと思う。それによって対立関係になることを防止できるから日常の医療にも余裕が生まれてくる。


5/16(水)  晴れ 外来 院内感染症対策委員会 郡市医師会長協議会  
2:00起床。講演校正関係終了、他。5:20Taxi病院着。6:20 病棟回診、関連書類。8:00救急カンファ、8:40-14:30外来。15:00 QP KK担当者来訪。来客と打ち合わせ。16:00院内感染対策委員会は欠席。16:30-20:00郡市医師会長協議会+情報交換会。新型インフルエンザの各地域での対応について情報提供した。中座し病院へ。21:30帰宅、22:00就眠。明日は東京往復予定。

NTT東のネット接続・回線障害で救急病院などに影響、私も困惑 
 昨日15日18:00以降、院内の全ての部署でインターネット接続ができなくなった。20:00過ぎ頃に外から帰院した時、私もデータ収集が出来ずに困惑したが、当院担当者の説明では院内のシステムのトラブルらしく、現時点では原因は分からない、肝腎のNTTにも電話連絡できないとのことであった。院内のトラブルならば自宅では問題ないはずと帰宅後に必要なメールの処理をした。

 この時点で、この障害は病院内の問題でなく、都内23区以外の地域、北海道、東北6県を始めとする14都道県に及ぶ広域の障害であることが分かった。病院では電話もネットも繋がらなかったためにこれほどの障害とは分からなかったと言うことになる。院内のシステムのダウンでなくて良かったとまず安堵した。

 この時間帯、本県では一時的に110番、119番通報ができなくなるなどの影響が出て、県立脳血管研究センター、県内の何ヶ所かの救急病院でも電話がつながらなかったと言う。人命にかかわる緊急連絡の支障はなかったらしいが、県総合防災課もネット障害にすぐには気付かなかった、とのことである。

 実際には15日の20:00過ぎには暫時修復されたらしいが、私は本日16日早朝に病院からデータを送ろうとしたが出来なかった。何故だ?やはり院内のシステムも不調??と再度困惑した。
 8:00過ぎには院内の機能はまもなく元に戻った。担当者によると当院では昨夜大事を取ってシステムのメインスイッチを切って置いたということであった。これで私のブログも通常にアップ出来た。ただ、徒然日記は送付時間に間に合わなかったために夜まで更新されなかった。

 県の機能も、病院機能も、病院のスタッフにとってもネットやメール等の機能を欠いては業務を円滑に維持することも出来ない時代になった。
 今回のNTT東のネット接続・回線障害を県の部署も院内の部署も正しく感知できなかったが、この障害は今後の対応を考えるのに良い材料を提供したことになる。そう考えよう。


5/15(火)曇り   外来   常務会    医局会・MC(欠)    病院協会総会/情報交換会
2:00起床、新型インフルエンザ関連のまとめ、他。5:10病院着。6:00回診他。8:00救急カンファ、8:40-14:30外来、14:45-16:00常務会、17:30医局カンファ(欠)。18:00-20:00病院協会総会/懇親会(View)。病院に、21:30帰宅。22:00就眠。

柔道は受け身、負け方から教える(1) 身を守り、立ち直るために
 私は柔道を高校の体育の授業の中で半年ほど習ったことがある。勿論、内容的にはホンのさわり程度で、習ったなどと言うのも烏滸がましいレベルである。冬期間には、ラグビーとかハンドボールもやったから、身体が弱い、ひ弱だからと言って種目の選択は出来なかったのだろうと思う。 

 痩身,軽量、筋力も乏しかった私は本来柔道など全く向いていない。だから、決め技の練習などの際に投げられロボット人形程度の都合の良い相手として喜ばれる様な存在であった。随分投げられたものである。勿論、教師も付いているし、当然相手も手抜きはしているし、型通りの決め技を掛けられるのだからそれほど決定的にダメージを受けることはなかったが相当に痛い授業であった。しかし、怪我もせずに無事に終了できた。今考えると懐かしいが、当時は結構怖い授業であった。
 このとき思い出すのは最初の数時間は徹底して受け身の練習に費やされたことである。投げられた事を想定して数種類の受け身の型を何度も何度も繰り返し、身体で教え込まれた。全然面白くもない時間であったが、今考えるととても論理的な教育方法であったように思う。技をかける方も相手が受け身をある程度出来るから安心して練習台にすることになるし、掛けられる方にも余裕が生じている。

 道具を使わない格闘技は何でも「負け方から教える」のだろうと思っているが、良い負け方を知っていればこそ、勝負に余裕を持って臨めるし、負けることは終わりでなく次のスタートの始まりでもある。これは人間教育の、子どもの教育の根本でもある。

 最近では若者や子どもだけでなく、分別もあるような大人すらキレる、キレ易いと言う話が出てくる。家庭の中で、あるいは学校で、人生を負け方から教えているのだろうか。これが欠けているから人間関係が苦しくなる。対話が成り立たず、すぐに捨て台詞を吐く、暴力に訴える、権力にすがる・・・などの行動に走り易い。


5/14(月)晴れ 62回目の誕生日 管理会議 外来 療養判定会議 長副会議   
2:30起床。ドック総括、文章校正などいつもの処理。5:10病院、机上は書類、カルテの山。6:20回診他病棟業務。7:45管理会議.8:45-13:30外来。16:00-16:30療養病棟判定会議。17:00-20:30長副会議。21:50帰宅,夕食、22:30就寝。

62回目の感謝の日改めてダ・ヴィンチ、エル・グレコの名画「受胎告知」を思う
 本日は62回目の感謝の日、すなわち私の誕生日である。
 昭和20年5月14日に生まれた。ひ弱だった私にしては随分長く生きたものである。これだけでも驚きであり感謝である。私にとっての今日は、単にこの世に生まれたと言う記念日だけではなく、今日まで関わって下さった全ての方々、事象に対して改めて感謝する「感謝の日」ともとらえている。お祝いメッセージが数人の方々から戴いた。病院でも数人のスタッフから声がかかった。有り難いものである。改めて私の方からも感謝の意を表したいと思います。

 さて、この一年も無事生きたものだ。不整脈が数日続くとそろそろ何かが生じるのでは、と思いつつも何も生じなかった。そう思う頃になると何故か止まる。不整脈を続けていることに心臓の方で疲れてしまうからでないか、等と思っている。一言でこの一年を言えば、「ひたすら日常の業務を余裕無くこなしてきた一年」と総括することになる。その過ぎ去った日々の記憶は、かなり近い日々のことでも実は殆ど残っていない。

 しかし、スケジュール表の過去のページ、徒然日記の過去のタイトルだけでも読み返すとその日のことが鮮明に思い出される。決して無為に過ごしていなかった、意義ある一年であった、と改めて確認出来る。毎日コツコツと記述し続けて来たことの意味はとても大きい。時間に迫られた中で続けるのは厳しいものがあるが、そのために費やした時間は決して無駄でない。

 私が生まれてくるまでの背景には歴史があり、社会・文化があり、両親の人生があった。11年ぶりの妊娠が分かった際に母が、両親が何と感じたのか、その点には大いに興味がある。その一つ一つを知ることは到底出来ない。

 折しも東京でダ・ヴィンチ展が開催されている。その目玉として初期の問題作「受胎告知」が話題になり新聞雑誌、TVの美術番組で何度か取り上げられていたが、不思議な絵である。宗教画としての「受胎告知」は私が知るだけでも20数種あるが、そこには共通した情景が展開されていおり、私は大好きである。エル・グレコの有名な「受胎告知」は25年ほど前に大原美術館で直接観た。ダ・ヴィンチの作は鋭角的であくまでも分析的であり、後者はソフトな雰囲気の良い絵である。

 これらの宗教画を引き合いに出すのも恐れ多い話であるが、自分の誕生日を迎える度に母が私を身ごもったことを体感したときに果たしてどう感じたのか?何を考えたのか?との興味は尽きない。その時必ず浮かんでくる情景はこれらの宗教画である。

 この62年よくマア生きたものだ。本音ではそろそろ滝にあたる生活からコツコツと井戸を掘るタイプの人生にシフトしたいのだが、まだ実現は困難なようである。


5/13(日)雨 臨床研修指導者講習会3日目 FF tennis中止 夕方以降病棟拘束  
2:30ホテル・サンルーラル大潟で起床。持参の文献整理。7:00葉っぱとコーヒーで朝食。8:30-15:45臨床研修指導者講習会3日目。15:20修了証書を県の福祉部長から有り難く押し頂いて長丁場の研修会から開放。16:00帰宅。直ちに残業処理。この3日間でスパムメールが200通以上にもなっていた。16:30-18:30病院。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。

自伝 中通病院(17)病院の方針にも従わない医師も少なくない 
 外来診療部長を拝命してから外来診療で気になっていたことをいろいろ改善したが、全病院的に最初に手を付けたのは、慢性疾患指導料の算定の徹底であった。

 この指導料は医師の外来診療における技術料の一環として認められたもので治療、通院、検査等に関して医療上のみならず生活指導をした場合に月に一回に限り算定が認められた。しかし、当院ではその算定は医師によって全くバラバラで、日常の外来診療でとても気になっていた。ザッと言って算定率は60%程度と考えられた。この低い算定率は病院の運営そのものにも少なからず影響を与えているはずである。

 管理会議でこの慢性疾患指導料の算定の徹底を提起したときに出席した部長クラスの医師の反応は様々であった。算定を徹底すべしとの意見は無いのは当たり前であるが、最初に飛び出したのは「算定率が低い、低いと言うが、算定率をきちんと調査してから提案すべし」、「私はこのような指導料は一切算定しないことにしている」、「算定は面倒」と言うもので私はガックリ来た。
 算定されていないカルテが散見される事は算定率が低いことを示しており、算定の徹底を提起するのに正確な調査など始めから不要なレベルである。また、個人的な好みや手間の煩雑さを理由として算定できる診察料を請求しないなどと言う、医師として勝手な行動が許されていること自体不可解なことであった。

 最終的には院長のまとめで慣性疾患指導料の徹底は管理会議の決定事項として認められ、外来カルテに算定可能な疾患で通院している事をカラーの説明書を付けて分かるようにすることとなった。これを機会に算定率は大幅に改善されたが、数人の医師はその後も算定していなかった。個人的にも説得したが効果は殆どなかった。そのうちにこの慢性疾患指導料自体、200床以上の大規模病院では算定できなくなった。

 当院は種々の発言や提案が比較的自由で、職員にとって自由度の高い病院としての評価があったが、本来の自由度というのは個人的な我が儘を許すことではない。この点を取り違えているスタッフ、とりわけ医師は少なくないと思う。


5/12(土)曇り→雨 臨床研修指導者講習会二日目 家内講演「女性医師の労働の現況」
 2:30ホテル・サンルーラル大潟で起床。持参の文献整理。LANが無く徒然更新できず。FMもステレオでは十分に入らず残念。紹介状作成、持参の文献整理。7:00葉っぱとコーヒーで朝食。8:00-19:00臨床研修指導者講習会二日目。実に長丁場の研修会だった。19:00-20:30夕食+懇親会、中座し文献チェック等。21:30就眠。

県内への医師の定着率向上のために(3)秋田大学の受け入れ体制の更なる充実を
 新臨床研修制度は実施後5年目を迎えた。この制度自体は見るべき価値があると思っているが、この制度施行後、都市圏以外の地域医療はマンパワー不足で崩壊直前状態になった。制度と医療崩壊の間接的関連は疑うべくもない。
 秋田大学卒業生数(卒後に県内に残った数)とその比率を以下に示す
制度前の平成13年度121(62)で51%と高かったが、14年度102(44)で43%、15年度101(37)37%で、制度発足後の平成16年度82(26)31%、17年度108(41)37%、18年度108(40)38%であった。

 制度開始前後3年間をトータルで見ると、324(143)44.1%、298(107)36.0%とかなり減少している事から、一見すれば新臨床研修制度の影響が示唆される。しかし、秋田大学卒業生の秋田大学離れは制度発足前から51%→43%→37%と段階的に減少し始めていた。平均値をとった場合には表現されないことになるが、現実には重要な変化である。

 一方、秋田県内で臨床研修に入った研修生の数(うち秋大卒)は平成16年68人(26)、平杉・鰻年61人(41),平成18年70人(40)だから、20-40人が秋大以外の卒業生である。
 研修修了した卒後3年目の医師の県内定着は、初年度には55/68、次年度に41/61人で、このうち秋大に残ったのは28人、20人で人数も、定着率も大きく後退した。

 秋大ではこの状況を打破すべくいろいろな試みが行われているようであるが、その実態はなかなか外部の人間には分からない。
 約一週間前に外科系医局の研修関連の会合に参加する機会を得た。ここでは将来外科を指向する卒業生の初期研修を大学または県内の病院で受けさせることを話し合う会であった。この種の動きは評価すべきであるが、外科系講座らしい発想なのであろう、初期研修の段階から外科の研修時間を長くとって欲しいとの意向であった。私はそこに出席した唯一の内科医であったが、この内容には違和感を覚えた。これじゃ、初期臨床研修制度の持つ意義が薄れてしまう。
 どうせ将来外科医になるなら初期研修の2年間はそれ以外の方をやるべきだと私は思う。加えて、私は、県内の初期研修医にもっと秋大の魅力を、外科医としての魅力を宣伝しなければ秋大には若い医師は集まらない、との意見を述べたが、分かっていただけなかったようだ。


5/11(金)快晴 ドック診察  臨床研修指導者講習会初日  法人理事会(欠)
2:00起床、ドック判定総括、紹介状返事そのほか。5:20病院着。6:00回診他。対外的行事無し。出張前諸準備。入院患者対応、机上処理。11:00ドック診察。12:30病院発、14:15大潟村ホテル・サンルーラル着。14:30-19:30臨床研修指導者講習会初日。本日の内容は随分役に立つ。20:00-21:20夕食+懇親会、中座。21:50就寝。法人理事会は3回連続で欠席となった。

県内への医師の定着率向上のために(2)初期研修医の受け入れ定数過剰問題
 新臨床研修制度は実施後5年目を迎えた。この制度自体は見るべき価値があると思っているが、この制度施行後、地域医療はマンパワー不足で崩壊直前状態になってきた。制度と医療崩壊の関連は直接的ではないがその関連性は疑うべくもない。
 この臨床研修制度の最大の問題点は研修対象者に比較して受け入れ数が2000人分ほども多いことである。そのため研修医の都市への集中が生じてしまった。加えて、研修先を大学よりも研修病院を選ぶ傾向が強くなり、特に地方の大学の充足率は総じて低く、中には研修医が10人以下のところも10大学ほどある。マンパワーが不足した大学は自身の機能維持のために各地の病院で働いていた医師を次々と引き上げた。その動きは地域医療を担当している立場のものから言わせれば、ウムを言わせぬ厳しいものがあり、結果として、今や地域医療は医師不足で崩壊寸前、深刻な状況至っている。だからといって大学の医師引き挙げを責めることは出来ない。

 新臨床研修制度は施行から5年で見直すとされている。医道審議会の医師臨床研修部会でその検討を進めている。研修内容の改革を求めていく必要は認めているが、制度を根本から見直す動きはない。従って、新研修制度の導入以降機能しなくなった大学医局に依存する医師派遣のシステムは、今後も復活しないと考えざるを得ない。
 大学医局制度のあり様、教授の人事権の掌握などが悪しきものとして問題になって久しいが、この悪しき制度、権限が地域医療を支えてきていたことは明らかである。地域医療を崩壊させないためには地域に医師を配置する新しい考え方やシステムが必要である。

 全国の地方大学が首都圏を中心とする学生の医師養成所に化している現実を見れば、研修先の選択を研修医の自発性に任せている限り、大都市集中の傾向は今後も続いていく。

 医学部入学選抜時に地域枠を増やしていくとの考え方もあるが、教育の機会均等を保障するという立場からは問題がある。先に10県で10人づつ10年間医学部の入学定員を増やす特例が決定されたが、臨床研修医の受入数に手を付けなければ首都圏の医師の供給に寄与するだけである。
 研修医の地域配分の設定等は国の医療政策として実行可能であろう。この研修医が大都市に集中するという問題に手を付けない限り、地域医療の崩壊は防げない。是非、早急に実行して欲しいものである。

 研修を終了した医師がそれ以降、どこで専門研修を受けるかは、彼らの自由に任される事になるが、研修終了後の医師はそのまま研修病院にとどまる傾向がある。このことから研修医の偏在の解消は地域の医師充足にもつながっていく。


5/10(木)曇り  外来 
2:00起床、ドック判定総括、その他。5:10病院。6:10回診その他。8:00救急カンファ、8:40-15:20外来、地獄の如くの混雑で、6時間以上もしゃべり続けて疲弊した。勤務医が外来にこれだけエネルギーを割くのは無駄だ。日本の医療の非効率性は改善すべきだね。16:00病棟対応数名。出張前準備、患者関連書類、書類等懸案処理。20:45帰宅、夕食、21:30就眠。
明日から昼から日曜夕方まで、2泊3日で臨床研修指導者講習会で大潟村に出張する。宿泊先にLANがあることを望む。

任天堂の新ゲーム機「Wii」体験(2)グリップタイプのセンサーに興味

wii sportsテニスゲームに興じる筆者

 この「Wii」には二つの点で興味を持った。一つはハンドグリップを持ち、身体全体を使って入力すると言う従来のゲーム機とのコンセプトとの違い、もう一つはグリップタイプのセンサーそのものに対する興味である。

 従来の指先だけの入力ではゲーム自体はバーチャルの世界そのもので、体感は伴わない。だから、自分と画面との立場の非関連性はどうしようもないほど広い。この両者の解離は恐らくゲーマーに心理的な意味での種々の影響を与えることになると思う。また、体力を使わないだけ、いつまでもやれる、止められないという問題点も伴う。そのことも問題である。それから見ればこの「Wii」は身体そのものを用いての参加型で、それでも所詮バーチャルと言えばそれまでだが、かなりの程度の体感を伴うことから、ゲーマーと画面間の解離はかなり埋められることになる。

 「Wii」にはゴルフとか野球とかの種目があるが、私はテニスゲームを選択してみた。思ったようなコースに、思ったようなスピードボールを打ち込むにはかなりの力で素早くグリップを振りきる必要があった。そのためにはTVの前を広く片付け十分に動けて、安全に腕を振れるスペースを確保しなければ危ない。側に人がいても危ない。勝負のレベルを上げるとかなり真面目にやらないと歯が立たないから、つかなりの体力を使ってしまう。これだとあまり長時間遊べない。

 ハンドグリップには全方位方のセンサーが組み込まれ、振られたグリップに与えられた運動・位置エネルギーを電気に置き換え、瞬時にコンピューターで処理して球の動きに表現していくのだろう。これは航空機に備えられている「慣性運行システム」のセンサーに類似した装置の様に思えて、私はいたく興味を持った。

 問題は、実戦と異なりかなり早めに振り込まないと対応が遅れてしまうと言うことである。実戦ならば球をグッと引きつけておいて素早く打つのも技術のうちであるが、この感覚で打つとこの「Wii」では全て振り遅れになる。これは「Wii」に組み込まれているCPUの演算処理能力が追い付かないためだろう。しかし、そこまで要求するのは酷であろうから、良い結果を出すには「Wii」の電気的特徴に自分を合わせていく必要がある。

 真面目にグリップを振っていた家内は翌日筋肉痛を訴えていたが、真剣に対応するとかなりの体力を消耗しそうである。いろいろな面で面白いゲーム機だと思った。

 Wii用ソフト Wii Sports公式サイトです...


5/9(水)晴れ  外来+人間ドック診察  県感染症評価会議 県健康推進課員と打ち合わせ 医師会常任理事会  
 2:30起床。紹介状・総括草稿等。5:10病院着、6:00回診。最近患者が増え、早めに開始しないと間に合わず。8:00救急カンファ、8:40-13:50外来+人間ドック。14:00-14:50県感染症評価会議。15:00-15:50県健康推進課員とC型肝炎対策打ち合わせ。16:00-20:00県医師会常任理事会。21:45帰宅,22:30就寝。

任天堂の新ゲーム機「Wii」体験(1)参加型新タイプのゲームに興味
 この連休の中で変わったことを敢えて挙げると言えば任天堂の新ゲーム機「Wii」を短時間ながら体験したことを挙げられる。何故、こんなゲーム機が家にあるのだ?と訝ったが、横浜在住の長女が欲しがっているのでその誕生日祝いに長男・次男と石井さんが贈る予定で購入してきたのだという。

 このゲーム機はまだ発売してそれほど経っていないようであるが、既に全世界で500万台ほど出荷したヒット作らしい。その販売数のデータを見て、すごいスケールで生産され販売されているものだと驚いてしまう。それでも任天堂が驚くほどの黒字を出したとは聞いていないから、薄利多売なのだろう。長女は横浜や秋葉原の販売店をいろいろ探したらしいが品不足でずっと手に入れられなかったらしい。地方なら手に入る機会が高いとして長男が依頼され、秋田で購入したらしい。

 私はバーチャルなゲームに殆ど興味が無い。聡明期の頃、小さかった子ども達を相手に責めてくる小動物を打ち落とすという単純なインベーダーゲームで若干遊んだことはあったが、それ以来、むしろ子ども達の心理とかに与えるネガティヴな影響の視点でゲーム機の発展を見て来た。

 それが今回「Wii」に興味を持ったのは、このゲームは従来からのコントローラーを指先でこまかく操作するタイプでなく、バーチャルとはいえ直接ゲームに参加するタイプであったから、これは今までのとは世界が違う、との印象を抱いたからである。

http://www.nintendo.co.jp/wii/index.html


5/8(火)曇天 外来 常務会 医局カンファ(欠) 外科臨床医を育む会
2:00起床、ドック判定総括.その他。5:15病院に、6:10回診。8:00救急カンファ。8:45-14:35午前外来超混雑。14:45-17:30常務会。新入院患者対応。19:00-21:30外科臨床医を育む会。22:00帰宅、22;30就眠.

県内への医師の定着率向上のために(1)初期研修終了医が秋田から去っていく
 新臨床研修制度は平成16年4月に義務化され、昨春1期生が研修を終えた。昨年は県内で2年間の研修を終えた医師68人中、55人が県内の医療機関にそのまま残った。80%もの若い医師が県内に残った意義はとても大きかった。これに対し、今春、県内の医療機関で臨床研修を終了したのは61人であったが、そのまま県内に残ったのは41人(67%)で、人数も、定着率も後退した。

  2年の研修を終了した医師の受け入れは基本的に各医療機関の自由であり、殆ど制限がない。首都圏の大規模病院の一部では3年目の医師は採用しない、との方針をかかげているが、極めて少数で、大学病院では受け入れを拒否するところは皆無だろう。要するに、2年の研修を終了した医師がそれ以降、どこで専門研修を受けるか、働くかは100%彼らの自由に任される事になる。

 この際、どの病院を選択するかは、出身地や出身大学などにも左右される事になるが、この点では、県内の医療機関で臨床研修終了した医師のうち、秋大医学部出身者が全体の半数以下であったことも、定着率の低下に影響したとみられる。

 その他の因子としては、本人の専門分野の選択の方向、熱意と向上心も関係していると私は思う。しかし、それ以上に重要なのは、2年間の臨床研修の後にそのまま研修病院に残ることも県内の別の医療機関に移ることも自由なわけだから、その動きが少なかったと言うことは、2年間の臨床研修を通じて、秋田県の医療レベル、医療機関のレベル、臨床研修を受けた病院等に、秋田県にそのまま居続けるだけの魅力を見いだせなかったと言うことである。これは秋田県の医師不足を考える上で、実に大きな問題である。 

 ちなみに、3年目以降の研修先として秋大医学部付属病院を選んだ医師は、1期生では28人いたのに対し、今年は僅か20人だった。県内最大で、最も先進的な医療機関である秋田大学附属病院で研鑽を積もうという若手医師が少ないこと、ここに無視でき得ない大きな問題があると思う。


5/7(月)曇-快晴  院内巡視(中止) 神経内科外来担当  眼科受診 療養病棟判定会議  長副会議
1:00起床、ドック判定総括、5:10病院着、6:30回診その他病棟業務。本日は管理会議無し。9:00-12:30神経内科外来急遽担当。科長病欠のため。15:00-16:00眼科受診、16:00-16:30療養病棟判定会議、17:00-19:00長副会議。新入院対応、21:30帰宅、夕食,22:00就眠。昨年入院部門のオーダリングスタートの日。

わが家のゴールデンウイーク2007 
 我が家は連休でだからと言って特別レジャー的なものを計画するわけではない。変わったことと言えば関東在住の長男が帰省した事くらい。秋田にいるはずの次男は私にとっては消息不明状態に近いが、たまに声が聞こえるからそれで良しとしよう。

 業務の分担は、5月3日に午前が内科、午後はICU日直が割り当てられた。内科午前外来は患者が多くて結構大変だった。連日の病棟拘束の処理事項は多くなかったが、患者数が多いだけに処理すべき事項は連日発生する。数人の患者が重症化し対応した。

 今年も夫婦二人共、重症患者をかかえ、各々早朝から呼ばれて出勤し、殆ど通常勤務の如く終日病院で過ごした。結果的に8:30からの救急カンファレンスは皆勤した。更に家内は「女性医師問題」で講演を控えており、大して進んでもいないのに本人はケロッとしている。大したものだと驚くが、私は自分のこと以上に心配で気が気でない。それでも夕食時には何とか3人揃う事が出来た。

 私はこの連休をあてにしてため込んでいた仕事を、例年の如く病院と家とで淡々とこなした。外来がない分時間的に余裕があったが、紹介状、退院患者総括、主治医意見書は結構時間がかかり、呻吟した。その他、「21世紀の医療を守る会」の原稿、「新型インフルエンザ対策」の原稿など処理した。遅れていたドックの判定総括も全部処理できた。床上、机上に広げて置いていたカルテ、書籍、書類の一部も整理し、通路が確保出来た。

 マア、今年の連休もよく働いた。私の時間的余裕度を測るバロメーターの一つは楽器の練習であるが、この連休中は一度も取り出していない。書店から定期的に届く「文藝春秋」、「音楽の友」は昨秋からの分が袋に入ったまま本棚に並べられているが、ついに開封できなかった。一方、任天堂の新ゲーム機「Wii」なるものを20分ほど体験してみていたく興味を感じた。

 総合的には今年もこの連休はランクを一つ下げてゴールデンならぬシルバーウイークと評価しよう。    
 本日の神経内科の外来はピンチヒッターで大変であったが、明日からの内科外来は予約患者が予約枠を越えて溢れている。私にとっても患者にとっても地獄の外来になるだろう。


5/6(日)曇り雨 病棟拘束 FF tennis  ハーレー車検に  
2:00起床。ドック判定総括,医師会投稿文校正、徒然。5:50病院着、6:30回診,病棟関連種々処理。8:30救急カンファ。11:00帰宅、13:00-15:00小雨の中でFF tennis、コート面濡れて危険、9-7であったが今日のは参考値。降雨激しくなりにて途中で中止。15:30-17:30病院。18:00ハーレー車検に。外見は一層ボロボロに、風格が増した。夕食、20:00就眠。これで私のゴールデンウイークは終了。開放感はあったが時間的には窮屈でもっと時間が欲しかった。

中通病院(15) 昭和61年外来診療部長になる 
 赴任して約1年半後の昭和61年11月、外来診療部長を拝命した。この後、毎週月曜日朝の病院管理会議に出席し、毎週外来診療部会議を主催し、隔月ほどに医局で拡大外来診療部会議を開催した。
 これまでの一年半ほどはいろいろ見聞きしたことから病院の状況を見てきたが、実際には公式の書類等は殆ど見ることはなかったし、どのような機構になっていたかもよく分からなかった。これ以降は病院の運営に関する資料の一部に目を通すことも出来るようになり、病院の運営の一角を知ることが出来る様になった。また各医師の職務上での立場、病院運営上での位置づけを知ることが出来、新しい視点で周囲を見ることが出来るようになった。

 その頃に抱いた印象は、院長の権限を実行力はダントツであり、管理会議は討論の場でなく、既にどこかで決定された事項の伝達が中心の場であったこと、居並ぶ副院長の職務とか立場が全く見えなかったと言うこと、各部門の責任を負っている出席者の発言は少なく、管理会議の中で院長の方針に異議を唱えるメンバーは少数に限られていた。一方、各診療科、各医師のわがままが結構まかり通っていて、病院としての統制がとれていないのではないか、と言う感想と疑問であった。
 
 自分にとって外来診療部長のポストが与えられたことで病院の機構の中に居場所が与えられ、職務を続けていく上で気分的に随分安定した。それまでは病院の決定、医局会議の決定をただ受け入れるだけであったが、若干は意見を言う機会と場所が与えられたことになったからである。そうはいっても最初の頃は雰囲気に飲まれてじっと聞いていることの方が多かった。
 ポストを戴いた事は責任も負うことになり、日常の外来診療が滞りなく行われることは勿論のこと、病院にとっての外来の在り方の検討、外来診療における保険制度に関する勉強も必要であり、この面でも新しい刺戟があった。

 病院機構の中で外来診療はほぼ全ての医師が関与している部門であり、各医師との個別の折衝も必要であったが、この面は私の最も苦手とする分野であり、結果的に随分挫折を味わう事になったが、これは職務上やむを得ないことでもあったし、私自身の、個人交渉が苦手で、かつ、押しが弱いという性格にも由来しているので、やむを得ないことでもあった。


5/5(土)子供の日 雨・曇り 病棟拘束
 3:00起床、ドック結果等.転院患者の紹介状。そのほか種々処理。6:10病院、回診その他、8:30救急カンファ他病棟業務、拘束としての対応。12:30帰宅。一時午睡、任天堂の新ゲーム機を体験した。事務処理中心。机周辺整理。19:30ソバ屋にて夕食、22:30就眠。

ドライバーはアルコール絶対禁、車にはアルコール燃料をどうぞ
 最近、酒酔い運転に対する社会の目がとても厳しくなった。当然である。
 一方、車には「環境に優しい燃料」としてバイオ燃料の意義が話題となり、実際に首都圏でバイオエタノール混合ガソリンの試験販売が始まった。原価は高いが国と石油会社が差額を負担しているので、通常のガソリンと同じとのことである。

 京都議定書を作るときの議長国でもあったことから環境問題に対する国の責任は大きい。地球温暖化の原因となるガスの排出量を、1990年当時のレベルから6%減らすことを国際的に公約しているし、エネルギー確保の分散対策の意義もあって、国策としての方向性、重要性はよく理解できる。

 バイオ燃料は原料となる植物が育つときにCO2を吸収するから燃やしてもCO2排出量はゼロと計算されるのだそうだ。しかし、本当にそうなのか?と疑問に思う。CO2排出ゼロとされる「環境に優しいエネルギーシステム」はいろいろ実用化されつつある。太陽電池、燃料電池、風力発電、原子力発電など挙げることが出来る。確かに完成品が稼働している時にはCO2排出はゼロだろうが、そこに至るまではCO2排出するエネルギーをどれだけ消費したのか、きちんと検証したデータを私は未だ見たことはない。

 バイオ燃料はトウモロコシや小麦から作るとのことであるが、種を蒔く前、蒔く時、追肥時、収穫時にもエネルギーを消費する。工場への運搬、エタノール生産過程、流通販売にもエネルギーが必要である。
 また、我が国のバイオ燃料も全て輸入に頼ることになるのだからここでも運搬エネルギーが必要である。コスト面から見ても成り立つのか問題になる。

 それ以上に、小麦やトウモロコシなどの食料品を先進国が車の燃料にしてもいいのか、と言う考え方は必要ないのか、と思う。世界の食糧不足に拍車をかけないか?食料品の流通価格が上がることで途上国や食糧難に悩む国に悪影響を与えないのか?この点は大丈夫なのだろうか?大きな影響があるとすれば倫理上でも問題になる。

 バイオ燃料の実用化は我が国にとって大きな意義がある事は理解出来る。しかし、課題も山積している。「環境に優しい」と言う面からは消費抑制の考え方をまず優先させてからだと思うが、こちらの動きはほとんど見えてこない。


5/4(木)みどりの日 晴れ 病棟拘束 
2:00起床,ドック総括x1。遅々としている家内の講演準備手伝いなど。6:00病院着、6:30回診他病棟業務。8:30救急カンファ。夕方まで退院総括、患者病態検討関連業務。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。

「ヘルスチャレンジ2007」二ヶ月で3Kgの減量を達成した
 法人共済会では3月から2ヶ月間「ヘルスチャレンジ2007」と称するキャンペーンを展開した。全部で13項目あって「ジョギング100Km」、「完全禁煙」、「ウオーキング60万歩」・・・と身近な項目があった。
 私はこのうち「スリム3Kg作戦」、「エレベーター・エスカレーターを使わない」の2項目にエントリーした。

 この間、「エレベーターを使わない」は院内では正真正銘の完全達成。「エスカレーターを使わない」は自分の判断では達成であるが、どう解釈されるかは判定者に任せたい。私は病院のエスカレーターを階段代わりとして利用したからである。エスカレーターに身を任せずに足で昇降した。

 「スリム3Kg作戦」は5月1日の計量をもって達成と判断した。2000円分の図書券が届く日が楽しみである。
 体重のデーターは以下の如くであるが、第三者が測定した値も参考に入れた。2月23日の職員健康診断で66.9Kg、エントリー前日の2月28日の早朝の自己測定は66.6Kg、終了一週間前の4月23日の活き活き健康フェアでの測定は62Kg、5月1日早朝の自己測定は63.4Kgである。自己測定は我が家の風呂場の体重計で、何も纏わない同じ条件下での測定である。

 私のスリム化作戦は何も特別なことをしたわけではない。私はこの10年ほどは原則的に一日一食で夕食だけであるが、それを意識的に3/4程度に減らしただけである。意識しただけで特に辛さは感じなかった。「スリム3Kg作戦」に何人エントリーしたか知らないが、多くは減量の辛さから達成できなかったのではないかと思う。30年ほど前に70Kgほどから59Kgに減量をしてみたことがあったが、このときは3食食べていたときだから本当に「痩せる辛さ」を味わったものである。
「スリム3Kg作戦」を達成して私にとって何が変わったかというと、「いつでも簡単に痩せられる」と公言していたことがウソではないと証明出来たこと、腕や肩付近の肉がげっそり落ちたこと、腹壁は薄くなった事などに現れている。ディバッグが肩からずり落ちるようになったし、「先生痩せたようですが大丈夫ですか?」と患者さん方から声がかかるようになったから外見上でも変わったのだろう。

 しかし、下腹が出た不様な体型は変わらなかった。出来ることであればこれを何とかしたい。それには更に数Kgの減量が必要なのだろう。やって出来ないわけではないが、もっと不様なひどい姿になる可能性の方が大きい。


5/3(木)憲法記念日 曇り 病棟拘束 午前内科半日直 午後ICU半日直
2:30起床。ドック総括x1他。紹介状とか書類2,3処理。家内の講演準備手伝い。5:10病院、6:20回診、レセプト関連書類処理.8:30救急カンファ、9:00-14:00救急外来、席を立つ暇もないほどの急患が続いた。午後は患者関連書類処理。一時午睡、19:30帰宅、夕食、20:30就眠。

仙北市の民間有料老人ホーム突然閉鎖 中央の論理は秋田では通用しないのだ 
 東京に本社を置くある企業が仙北市に昨年7月に開設した民間有料老人ホームが一月ほど前に突然閉鎖された。定員80人、全室個室で県内では最大規模の施設だったという。しかし、入居者は30人程度で、職員への給料不払いなどで退職者が相次ぎ、運営が困難になったとの事。定員の40%くらいの利用率では人件費、施設維持費など賄えないのは当然である。こんな事態は何で生じたかが問題となるが、私は都会の論理を地方にそのまま適応しようとした事に原因があると思う。

 有料老人ホームは経営計画、資金計画などを県に届け出るだけで設立出来る。審査などはない。だから、介護保険導入以降、民間企業の参入が相次でいる。厚生労働省の資料によると、有料老人ホームは平成17年の時点で全国で1400もの施設があり、結構競争も激しくなって、かつては数100万から数1000万円もした入居費も徐々に安くなっているとのことである。

 私はこの件についての詳細は知らないが、地方の特性をよく調べないままに仙北市に進出してきた結果でなかったかと思っている。
 県内には同様の施設が13施設あるとのことで、うち県外資本は今回閉鎖された1施設だけで、他の施設は概ね経営状態は良いという。このことからも推測できる。

 恐らくこのような施設は都会では大もてで入居希望者も多いだろう。しかし、秋田では住民の生活の中における老人ホームの位置づけはまだまだ低い。入居費用も秋田のレベルから言えば決して安くはないだろう。当然、費用だけの問題ではない。家族・親戚間の感情論もあるだろうし、世代によって考えも当然異なっている。
 しっかり市場調査して成り立つとの計算の上で進出してきたのだろうか?県民感情は?経済力は?宣伝は十分だったのか?地域の人達や団体と事前に協議したのか?等々疑問である。

 日本の医療・福祉行政は米国型を手本とし、都会の論理を中心に立案され、無理矢理地方にも押しつけられている。
 この閉鎖した施設は単なる一例に過ぎないが、無知とおごりがもたらした結果のように思う。厚労省も、県もこの点を認識して欲しい。


5/2(水)曇り→小雨  整形外科医と打ち合わせ  外来  病棟歓迎会(欠)
2:00起床、ドック総括x1。事務処理。医療事故関連他。5:10病院着、6:15回診、患者関連書類。7:30-8:10整形外科医と患者対応打ち合わせ。8:45-14:15外来、予約外患者の受診も多く超混雑。疲弊した。退院総括他処理。新入院、病棟患者対応。予定の5B病棟歓迎会は時間無く会費だけ参加。21:30帰宅、夕食。22:00就眠。

ホテルのベットサイドのラジオは何であんなに音が悪いのか
 私は出張の多くは出来るだけ遅く出発し、帰路は空路の最終便、新幹線、寝台列車、夜行バスなどを利用し、無理しても日帰りとしている。翌日の業務で同僚に迷惑をかけたくない事が第一の理由であるが、やはり自宅は落ち着くからである。

 しかし、時には2-3日間にわたる学会とか会議とかがある。かつて、事情があって3日間連続で東京秋田間を往復し、周囲の顰蹙を買ったが、さすがに最近はそんな無理はせず、ホテル泊としている。

 ホテル泊の際には大抵パソコン持参で行く。いつもの如くのパターンで時間を過ごすが、ネットを通じたやり取りも欠かせない。都内の比較的名の知れた古くからあるホテルでもまだLANが無いところもありとても不便である。それでも電話回線で何とか通信が出来るから何とかなっている。

 ホテルの備品で最も不満足なのはベットサイドボード、病院で言えば床頭台、に備え付けのラジオの音質である。モガモガ・モゴモゴと音がダルでろくに内容が聞きとれない、極めて低レベルの音質である。この点で満足したことがない。一方、TVは結構立派なのが備え付けられているが、私は殆ど触れたことも無い。各室にパソコンが備え付けられているホテルもある。TV等の備品が立派になっていく中でラジオは全く軽視されており、超ラジオ派を自認している私はとても不満である。
 私は自分のミニラジオも持参して行く。だから、実害はないがそれでもラジオ軽視の風潮には大いに不満を感じている。


5/1(火)晴れ メーデー 管理会議 外来 法人常務会 医局会議 長副会議
 23:45早め
起床。新聞チェック。ドック判定総括x1。5;10病院着。6:10回診、7:45-8:35管理会議。8:45-14:20外来、混雑。14:30-15:30法人常務会。次週から外来の関係で14:45からに。17:30-18:30医局会議。18:30-19:55長副会議。新入院患者対応。21:30帰宅、22:00就眠。

魁新聞記者、酒気帯び運転で現行犯逮捕 社の扱いがおかしくないか
 先週、やっと間に合わせた日本医師会病院委員会の資料づくりから解放された事と、連休に入って若干時間的余裕が出来たことから、ここ2日間に約10日分の新聞をまとめてチェックした。この間もいろいろなことが生じていたものだ。

 その中で特にひときわ目にとまったのは秋田魁新聞能代支局の記者が酒気帯び運転で逮捕された4月24日の記事である。

 その要旨は以下の如くである。
 『北秋田署は4月23日、秋田魁新報社支局N記者(35)を酒気帯び運転で現行犯逮捕した。無免許運転の疑いもある、とのことであった。
 秋田魁新報社は同日付で当人を懲戒解雇とし、O常務取締役編集局長を役員報酬減額10%、1ヶ月、T地方連絡部長を減給1ヶ月にしたほか、一緒に飲酒した社員2人を厳重注意にした。
 同社総務部は「社員が酒気帯び運転で逮捕されたことは極めて遺憾であり、心からおわび申し上げます。あってはならないことであり、本人を懲戒解雇とするなど厳しい社内処分を決めました。再発防止に向けた体制整備と社員教育の徹底を図ってまいります」とのコメントを発表した。』

  私はこの記事を見て、一つは扱いが小さい事、社の責任者が何故登場していない?即懲戒免職は果たして正しいのか?・・等の疑問を持った。

 マスコミは世論を左右するほどの重大な責務を担っていること、今は社会を挙げて酒酔い運転、酒気帯び運転を撲滅しようとしている時である。特にこの時期、社員が酒気帯び運転で逮捕されるようなことは考え難い不祥事である。魁新聞自体も飲酒運転に関する記事を随分多数取り上げ、主張もしてきた。この点では随分社会貢献もしてきたと思う。
 しかし、である。その社会的使命、社員が持つべき倫理観などを考えれば、この新聞社は文章だけが立派なのか、記事は社としての主張でなく単なる作文だったのか?と思われかねない大事件のハズである。県内の企業の不祥事に対しても、身内にしてみればここまで書かれなくても!! と思うであろうほど辛らつに批評し弾劾してきたではないか。

 そのことを考えると、記事としての扱いは小さすぎる。一面トップで取り上げるべきだっただろう。これから社説等で取り上げ、きちんと説明するのも良い。当該社員をとりあえず謹慎処分とし、徹底調査すべきであった。懲戒免職はしかるべき後で良い。即懲戒免職で社としてけじめを付けたと考えるかもしれないが、責任放棄に等しく私は疑問に思う。
 数多い社員の中である。不祥事は皆無ではないだろう。不祥事そのものでなく、それが判明した後の対応こそ、その社の真の姿を示す、と思う。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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