第一部 出生まで(〜1945)


〜父・耕栄と母・ハナ〜
1945年5月14日、時は第二次世界大戦の真っ只中であったが、すでにヒトラーの第三帝国の野望は一発の銃弾によって砕け散り、ナチスドイツは連合国に無条件降伏していた。日本も本土空襲が激しくなっていて敗北はもはや覆しがたいものになっており、軍部の過激派の一部からは一億総玉砕が叫ばれだしていた。そんな時代に私は生まれた。
 しかし、この戦争がなければ私はこの世に生をうけることはなかったであろう。第一部では私が生まれる前の近辺の様子について伝え聞いたことについて記したい。


 当時乙部で助役を務めていた父・耕栄は小柄で身体が比較的弱く、かつ高年齢だったため徴兵という形で戦争には直接には参加しなかったようである.戦況の悪化と共に、父と同じ程度の体力で保留になっていた方々にも徴兵の可能性も徐々に話題に挙がり始めていたらしい.
 当時のことだから多分、父はかなり引け目を感じていたのではないかと思う.それで『産めよ増やせよ』の政策の方に参加することで責任を果たそうとしたのだろう。結果、母(福田ハナ)にとっては11年振りの、二回目の妊娠ということで私を身ごもった.

 ところが、これに遅れること数ヶ月、舞鶴の叔父と、盛岡に嫁いだ叔母の所でもおめでたが判明した。しかし、本来めでたいはずのその知らせは当時診療所を開いていた祖父を始め、周囲のものを愕然とさせたという.なぜなら当時、同じ歳の三人の従兄弟が居ればその内一人が必ず幼少期に欠ける運命にある、という言い伝えがあったからである.

 周囲の心配をよそに、私は母の胎内ですくすくと育つ・・・・はずであったが、やはり、当時戦況と嫁の立場での食事の摂取状態ではそうはいかなかったらしい.それでも時間だけはしっかりと経過する.遂に、安全で心地よかった母の胎内に別れを告げた.その道のりの暗く、狭く、硬く、長かったこと・・・(勿論、これはフィクション).


       

                              父・福田耕栄                                       母・福田ハナ


   自伝 0歳〜小学校まで につづく



ご意見・ご感想をお待ちしています

これからの医療のあり方Send Mail