徒然日記

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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2/29(日) 大坂雨 秋田曇天 病棟拘束
 2:00起床、大阪のリーガロイヤルホテルにて。持参のドック処理x1、紹介状x1、日医委員会関連、友の会関連の業務他、いつものペースでこなす。6:30サラダ朝食、静かな雰囲気は中年女性を中心とする団体客の喧騒に破られガックリ、何で団体客はこんなに煩いのか。早々に退散。8:00ホテル発Taxi にて伊丹空港に、9:10離陸、MD-81、搭乗率80%化。後席とれずに久しぶりに前方6A席に座る、エンジン音が静かで良い。特に揺れなかったがずっと雲中飛行、地上が見えたのは離着陸の時だけ、10:35秋田着。病院へtaxiにて。11:00机上はカルテ他山に。12:00入院患者家族と面談。14:00帰宅、15:00-18:00来客、アンサンブルも楽しむ。19:30-22:00仮就眠、起こされて22:00夕食、22:30本格的に就寝。

自伝 大学時代 医学部3年(1965〜71)(31)
昼食時にスパゲッティ・ミートソースなるものを初めて食べて驚く
 専門課程1年目になると解剖実習を始め、組織学実習、生理学実習・・と続くので何かと席順に近いメンバーで動くことが多くなる。多分秋頃だと思うが昼食時に皆で街に出るというので珍しく私も付いていった。通常私は学生食堂を利用するか、時間があれば寮に帰って昼食を摂っていたのであまり一緒したことがなかった。
 学生でも入れる程度のちょっとしたレストランで昼食を摂ったが、私がそれまで入ったことのない様な西洋風の瀟洒なところ。見たこともないような洋風のメニューが並んでいる。何を注文すればいいのか??分からない。だから、みんなに合わせてスパゲッティ・ミートソースなるものを初めて注文、どんなものが出てくるのか??が、一口食べてあまりの美味さに驚いてしまった。

 私の育った家は食事に関しては比較的恵まれていたと思うが内容的にはきわめて保守的、純和風であった。外食など殆どすることなど無かったし、あったとしてもラーメンとか蕎麦屋程度、希にカレーライス程度でしかなかったような気がする。高校生の頃も、仙台での浪人中も、新潟においても外で食事をしなければならなかったときは殆どラーメンかカレー程度と何も変わることはなかった。スパゲティと言えば定食とか添え物としてついてくるケチャップ味のモノだけしか知らなかったからである。

 あまりの美味さに驚いて側にいた友人達に感想を述べたら、隣にいたF嬢、呆れたように「あら、こんなモノ私でも作れるワヨ」と言う。私はその言葉にまた大きな衝撃を受けてしまった。この様な美味いもの、洋風のもの一般の家庭で作れる??、しかも、普段テニスだけやっていて真っ黒に日焼けしている、料理をするなどのイメージを全く欠く女学生がケロッと言ってのけたのには心底驚いた。この日を機会に私の食事に関する保守的な感覚は一変し、機会あるごとに、積極的にいろいろなものを食べるようになった。思えば、小さな人生観の転換だった。

2/28(土)秋田曇天、大坂快晴 第9回M-M 研究会
 家内の帰宅で2:00起床。ドックx1、紹介状他。4:30家内やっと就寝。5:15病院着。回診その他。8:55病院発Taxi空港。10:30離陸、15分遅れ、搭乗率30%ほどか、後部には私の他は数人だけ、揺れもなく快適。12:00関空着、上空から見たのは何度かあるが降りたのは初めて。駐機も少なく、人も疎ら、寂しい空港。JRにて新大阪に。これも本数が少なく不便。これが鳴り物入りで開港した関空??かと言うのが第1印象。14:00ー18:30リーガロイヤルホテルにて第9回M-M(Medical Management Meeting) 研究会。実に勉強になった。チェックイン後情報交換会に出席。20:00若干業務処理、21:00就寝.

良い刺激になった第9回M-M(Medical Management Meeting) 研究会(1)
 本日の大阪出張は上記のセミナー聴講の為である。これはT薬品主催の会で今回で第9回になると言う。私は今までこのような会自体が催されていたこと知らなかったし、知っていても多分無視したであろう。従って、初めての参加。今回の参加は院長の紹介によるもの。時間的には苦しいが、演題は魅力的。寝台特急「日本海」でのとんぼ返りも考えたが、空路でも翌日の昼に予定の患者家族との面談も可能なので最小限の時間配分のルートで参加した。

 講演の内容は●「最近の医療制度改革について」●「今後急性期病院が考えておくべき事〜DPCデータ解析の目的●「これからの急性期病院の在り方」●医療情報と専門性を生かした病院経営」●パネルディスカッション「変化の時代の病院経営」
 司会は笹川記念保健協力財団理事長紀伊國氏、演者は厚労省医政局総務課課長栄畑潤氏、産業医大公衆衛生教授松田晋哉氏、松本市の相澤病院院長相澤孝夫氏、公立八女病院院長吉田博氏。

 司会の紀伊國氏はかなりのご高齢で、言葉も明快・・とは言えず、講師の紹介程度は別としてパネルディスカッションでは何となるかな??秋田くんだりからはるばる来たのに・・・と若干危惧したが、これが実に的確な司会、進行、まとめ役を果たし、イメージが一変した。

 各演者の講演内容は演題に即した内容で聞き応え充分。
 松本市の相澤病院は460 床規模で、私の知人が数人勤務している松本協立病院と同一の医療圏の病院。協立病院とは一ヶ月前にある血液疾患患者の対応についてメールを頻回にやり取りしたばかりで、親しみを持って聴けたが、こんな病院の近くにあって大変だろうな、でも刺激は大きいだろうなと思いつつ聴いていた。
 公立八女病院は久留米市にある公立の300床規模の病院で、今月中旬に本荘市での高齢者フォーラムで特別講演を聴き、その経営姿勢に関心したの聖マリア病院の近隣の病院で、病院経営としては競争の激しい地域の病院である。一ヶ月の間に九州の同じ地区の医療機関の病院運営についての講演を聴けるなんて、偶然の組み合わせとはいえ些か驚いた次第である。

2/27(金)寒波曇天、医師会打ち合わせ(失念) 鹿角市「エイズを語る」 法人理事会
 家内の帰宅の音で1:30起床。人間ドックx1、紹介状他。3:00家内は患者急変で再出勤し5:00帰宅した。健康が心配だね、ホントに。入れ替わりに出勤、5:15病院着。回診その他。9:30病院発、9:53普通列車大館へ、公用車にて鹿角へ。広域交流センター13:00-14:30講演「エイズ」。鹿角は地吹雪も生じるほどで実に寒かった。16:40普通列車で秋田へ。そのまま、17:30-19:00法人理事会へ。県医師会へ打ち合わせ出来ないことを連絡するのを忘れた。20:00帰宅、21:00就寝.

今日の一日をを大切にする家内、不思議なヒトだ
 家内は興に乗ると徹夜も辞さない集中力、体力を有しているすごい人だ。朝や日中、夜半までの生活ぶり、仕事ぶりは殆ど知ることはないが、深夜から早朝にかけての彼女の生活ぶりは私の理解の範囲を超えている。

 まず、なかなか帰ってこない。少なくとも私が寝込む22:00前に帰宅することは月に何度もない。2-3回程度かもしれない、週休日の土曜日ですらそうである。私が起床する2:00頃に帰っているのは半々。それでも最近は2:00から始まるTV番組を気に入っており、それを観るためにあたふたと帰宅しているらしい。何で帰宅がこんなに遅いのか?かつて病院長に「労務管理上問題でないですか?」と尋ねたことがあるが、「普通の医師なら18:00頃までに片づけることを夜半までかかっているだけ」と実に素っ気ない返事が返ってきた。フンフン、多分そうだろうねと私も簡単に納得してしまった。
 夜半に帰宅するとまず食事し始める。TVを観て、パソコンで家計簿つけて・・となかなか寝ない。子供達が小さい頃には早く寝なさい・・が口癖だったが今も同じである。もう若くもないし、健康が心配でもある。朝は何時頃起床し、出勤しているが分からないが、就寝時間は通常3:00-4:00頃で、私が出勤する5:00まで起きていることも希ではない。
 重症患者を抱えていても同じなので一睡もしないまま夜半に出ていくことも度々。それでも本人はけろっとしているから驚く。本当に日中まともに働いているのか?働けるのか?・・と心配である。仕事をさぼって寝ているならむしろ安心だが、そういう噂は聞こえてこない。日曜の夕方は西武に買い物に行く。これが楽しみの一つらしい。日曜の夕食だけは一緒に摂るが、これが何時に食べられるのか、その時でなければ予想もつかない。

 逆に、私は今日の日と同じほど明日を大事にするタイプ。だから明日のために早寝をし、規則正しく時間調整をする。重症患者がいるときには呼び出しに備えてまず寝てしまう。業務が重なった場合などJRや機内で過ごす時間帯にすら仕事を割り振って計画的に処理する。それでも計画的に進まないと呻吟している。そんな自分の生活信条と100%異なるだけに、未だに理解し得ない不思議なヒトである。そういう彼女の生活を侵害したくはない、むしろもっと自由にしてあげたいが、健康管理の立場だけは忘れて欲しくないと小さな声で願っている。


2/26(木)曇→降雪 寒波 療養病棟診療部会議
2:00起床。ドックx2。紹介状、返事等書類書き中心.5:10病院着。回診その他、9:00-13:30外来。14:00入院患者家族と面談、治療方針など。日医委員会報告書改訂。17:00-18:00療養病棟診療部会議。20:30帰宅、今夜は冷える。21:00就寝.

開扉を早朝から待つ患者や患者家族
 一昨日、患者さん死亡されて夜に再度病院に出かけ、0:00頃帰宅したが正面玄関の風防室にはお二人が5:00の開扉を待っていた。この寒い季節、大変なことである。私は通常、職員出入り口が開く5:00過ぎに病院に着くようにしているが、時には必要があって4:00過ぎに出勤するときもある。この時は職員入り口が施錠されているため正面口から入るが、いつも10数名ほどの方々が待っている。この方々の脇を通ってインターフォンで開扉して貰い一人院内に入っていくのは実にストレスである。しかし、22:00-5:00の間は病院の安全確保の面からも一般の方々を入れてあげることは出来ない。心が痛むがやむを得ない。

 この方々は5:00になると院内に入れるが、更に受け付け開始時間の7:00まで待つことになるが、こんな現状は何とかしなければならない。確かに病院の診療体制にも問題はある。外来機能よりも患者数が多いことも一因であるがこれ以上のスタッフを割くことは困難である。予約制の導入も一策ではあるが、予約制はより多くの診療スタッフが必要になることからそう簡単には導入出来ない。

 病院の体制は検討を続けることとして、患者さん方の発想の転換も必要である。とにかく早く診療を終わらせて一日を有意義に使いたいという方もいるだろうし、いろいろ事情のある方もいて一概に言えない。しかし、病院の外でこれほどの時間を待つのであれば、通常の時間帯に院内で待つ方がまだいいのではないか、と考えるのは所謂常識人の考えであって、この様に早朝から順番を待つ方々にはまた別の感覚を持っている方もおられるようである。

 いい季節ならまだしも、この寒さに耐えて頑張る方々、背景はいろいろであろうが大変なことと理解は出来るが、病院にとっても、並ばれるご本人達にとっても対策、発想の転換はそう簡単なものではないようだ。


2/25(水)曇→晴れ NGO来訪 県医師会財務委員会
2:50起床。3時間あまりとさすがに寝不足状態。ドックx1等処理など.5:10出勤、回診他、9:00-13:00外来、混雑せず。13:30ドック診察x1名。13:00患者家族と面会。16:00NGO二名来訪、講演の打合せ。机上未整理書類処理、18:30県医師会財務委員会、20:00帰宅、早めに20:30就寝。

Y売新聞購読止めた事情 典型的コミュニケーションギャップ
 昨年はSARS関連のトラブルでM日新聞を止めたが、今度はY売新聞を止めることになった。人気野球チームと漫画コボちゃん、あたしんちなどで有名な新聞である。5年ほど前から購読し、ニュースソースとして結構役に立っていたし、支払いは数年間自動振替で何ら問題を生じていなかった。残念な結果になったがやむを得ない。
 留守役の石井さんによると、昨年11月末、新聞販売店の方が来訪され、「手違えで、8月以降自動振替になっていなかったので3ヶ月分現金で戴きたい」と言う。先方に非があるにもかかわらず、陳謝の言葉もなく「払え」という雰囲気で、かなり横柄だったとのこと。私は「支払いに関してはきちんと契約済み。従って支払いに関して納得出来る説明が出来ないなら、購読継続出来ない」旨連絡して貰った。その後は何故か全く連絡無く、かつ新聞はいつもの如く届いていた。それから約3ヶ月経過した数日前、再度販売店の方が来訪し、今度は「半年分約2万円支払うように」と言って来た。2万円なんて今の時代、自宅には置いていないから後に払うこととしたが、翌日から新聞は届かず、現金を用意して待っていても取りにも来ず、結局は電話して取りに来てもらい支払いを済ませた。その際にも不快なやりとりがあったという。

 いろいろのすれ違いがある経過であるが、初回の来訪時に手違いを陳謝し、理由を述べ現金払いを申し出ればすべて円満に進んだはずの単純な話であるが、態度、説明、その後の対応、すべてに於いて私にとって不満な結果であったために結果的に購読中止になってしまった。
 今回の話は立場の異なる二者間に於いてのに由来したエピソードである。トラブルが多くなって来た時代、医療関係者として学ぶべき事も大きい。


2/24(火)曇り 県「トリインフルエンザ」講習会(欠) 医局MC「新鮮脳梗塞の診断と治療」 医師会書類点検 第1回HP・情報化推進委員会 
2:00起床、ドックx1、紹介状x1.エイズ講演準備。5:20病院着、回診そのほか、入院患者2-3名重症。9:00-13:00外来.13:30 ドック説明x1、重症患者への対応と講演準備に集中していて、県庁での「トリインフルエンザ」講習会は完全に失念、気づいたときには間に合わず欠席、残念であった。17:30医局カンファ、18:10県医師会書類チェック、18:30-19:40県医師会HP・情報化推進に委員会。県医師会のHPは外注の方向に。20:00夜の回診後帰宅、21:45患者連絡ありTaxiにて再出勤、死亡確認.0:00見送り後に帰宅。ほぼ同時に家内も帰宅。0;30就眠。

男がスカートをはけば可笑しいか?(2)私も家でははいている
 1週間ほど前に、とある会社から送られてきたパンフレットの隅に小さく紹介されていたこの「スカートをはきたい男達のデモ行進」の記事に私の目が引かれたのは、実は私も、スカート(?)の愛好者の一人だからである。
 私は、昨秋以降、帰宅するとまず着替えしてスカート(?)にはき替え、ゆったりとした気持ちで食卓に向かうのが日課となっている。勿論、私の場合ファッションのためではないし、そんな趣味もない。用い始めたきっかけは、昨秋の寒くなり始めてきた時期、昨年春まで使っていた30年ほどの年代物の足温器をいくら探しても見つからず、しばらく小さな毛布を腰に巻いて机に向かっていた。これがとても暖かく意外と良い事に気づいた。これならズボンも靴下も不要である。しかし、毛布では厚すぎて動き回るにも何かと不便、厚手の保温性の良さそうなバスタオルを2枚つなげて長くし、マジックテープで調節しながら腰に止めて用いている。

 考えてみれば、われわれの身体からはかなりの放熱があるわけでその半分ほどは下半身から放熱されている事になる。一説によると300Wほどの電熱器に相当するとか。その信憑性は確かめてはいないが、その熱を有効に利用すればかなり暖かく過ごせることになる。さりとて厚手のズボンや下着、靴下の着用は身体を締め付けるし、まとわりつくので好みではない。第一ズボンは表面積が大きいからどう考えても保温性では非能率である。その点、巻きスカート様に細工したタオルは実に良い。下半身に開放感がいっぱい。長目に作ってあるので寒い日は長くはくと足下まで暖かい。動き回るときは短めに巻けばほぼ自由に歩ける。これは良いアイデアである。

 しかし、さすがに来客があるときなどには着用できない。客人は私の異様な姿に驚き、多分二度と来なくなるだろう。それでは困る。ならば逆に、休日の日など新聞の勧誘や訪問販売の方達が来たときに試しにこれで対応して見ようか。もし、効果が乏しかったら、カツラを付け紅でも厚く塗って出たらどうだろうか、・・・といろいろ考えて一人にやけている。


2/23(月)曇り-晴れ 管理会議 長副会議 整形外科医と懇談
2:00起床、人間ドック他、各種書類記入処理.家内は本日午前指定休とのことで徹夜。5:10病院。回診他、8:00管理会議.9:00-13:30外来。13:30ドック説明+ドック診察X5。16:30-17:30 長副会議、17:30-19:45整形外科医との懇談.20:30帰宅。21:30就寝。

男がスカートをはけばおかしいか?
 2月の最初の土曜日、男性約100人が寒さの厳しいこの日、わざわざスカート姿をして街を歩くという、一風変わったデモ行進がNY市街で行なわれた。さすがのNYでもやはり奇異の目で見られ、一部からは嘲笑されたそうだが、デモの参加者はおおまじめ。デモの目的は男にもスカートをはく権利を認める様に、と言う要求であったとの事。

 彼らはいわゆる同性愛者とかゲイとか呼ばれる人々とは違って、純然たる衣服としてのスカート愛好者で、スコットランドやスウェーデンからも同好の士が駆けつけて行進に参加したらしい。
 連中に言わせれば、スカートはハイヒールと共に、もともと欧州では貴族が日常的に愛用していたものであるが、フランス革命(1788)の後にこれが何故か農民がはいていたズボンにとって替わられ、スカートがすっかり女性のモノになってしまったのであり、元来男がはくことが異常に見られることの方が異常なんだ、と主張したそうだ。


2/23(日)晴れ→夜半に荒し  日医会長候補桜井氏一行来秋
 2:30起床、ドック総括x1、再検査報告文、など種々。次回の講演の準備など開始.家内も出勤するというので私も10:15病院へ。総括書、紹介状など。12:30-14:50日医会長候補桜井氏一行来秋、若干遅れて参加、View Hoteにて昼食を挟みつつ歓談。15:00-19:30病院にて人間ドック etc残務消化、処理。途中療養病棟患者不調となりCT他対応。20:00帰宅、Vn etc。21:00就寝。

自伝 大学時代 医学部3年(1965〜71)(30)
学費枯渇 岩手県医療局の奨学金を受ける
 専門課程3年目になる頃から私の軍資金が尽きつつあった。親から貰った50万円、兄夫婦からの毎月の援助金、日本育英会からの奨学金を計画的に配分して1万数千円で生活していたが、徐々に書籍や教科書の購入量も増え、友人達とのつき合いも増えていき、さすがに残金が乏しくなってきた。どう考えても卒業までの2年間には不足どころか全く枯渇する状態となった。
 いろいろな方法を考えたが、従来の如く時間を大切にすることを第一に考え、そこで月額2.5万円の岩手県医療局の奨学金を借りることとした。条件は借用したのと同期間を岩手県立病院の何処かに勤務するというものであった。岩手県は四国ほどの広大な面積があり人口密度も低い。私的病院が十分に機能する環境にないためか県立病院が32もある。勿論すべて大病院ではなく300-600床規模の病院から有床診療所レベルまでいろいろである。医療局によると奨学生は卒業後に何処に配属されるか解らないが、従来からの方針では基本的には大病院中心に配属し、それなりの指導は行うとのことでその面では安心して良いとのことであった。
 奨学金を受けてから経済的には突然豊かになった。欲しい書籍も十分に買えたし、外食なども、友人達とのつきあいもある程度気楽に出来るようになったが、その他のことでは基本的には変えることはなかった。必ずしも寮に居続けることはなかったが、それなりの人脈もあり、5年目ほどになると先輩方に気を遣う必要もなく、居住環境もそう悪くはなかったからそのまま居続けた。
 この奨学金を受けたことから卒業後の進路は決まったようなものである。豊かな卒後研修のコースには乗れそうもないために大学の授業にはより一層身を入れ、前にもまして勉学するようになった。卒業後、三陸の宮古市の県立宮古病院に配属になり2年間働いたが、私を育くんでくれた岩手県に雀の涙ほどでも貢献できたことを含め、私は医師としとても良いスタートをきれたと評価している。


2/21(土)秋田東京共曇天 産業医研修会(欠) 日医セミナー:医療機関の危機管理
1:30起床.ドック他、公的書類処理種々、徒然、紹介状。5:10病院、回診・紹介状・総括予稿作成。8;50病院発高速経由空港へ,10;15JAS,A300-600型。到着便の遅れにて15分遅れて出発、全く揺れ無し。機内にて秋大内科医局の元秘書さんから声をかけられた。25-30年ぶり。昔の雰囲気殆ど残っておらず、実に立派な様相になっていた。13:00駒込日本医師会館着。13:30-16:30日医セミナー「医療機関の危機管理」、なかなか良い内容であった。18:05JAS、MD-90、全く揺れ無く快適。20;00帰宅.21;00就寝.

読書、音楽、セミナー、空路の往復。有意義で満足すべきあった一日
 本日は県医師会で医療廃棄物関連の産業医研修会があり、担当の一人として外部から招聘した講師と昼食会等が予定されていたが、医師会の都合で急遽日本医師会セミナーの方への出張となった。
    読みかけの本数冊、MDとソフト数枚持参で空路往復した。
 今回出張の変更があったとき何ら躊躇せずに航空券を注文したが、後で考えてみるとそれだけ私の足の機能が戻ってきたのだと思う。昨年10月にアキレスを切って以降何度か東京往復したが前回までは敢えて空路を避けた。秋田でも羽田でも結構歩く距離が長く、都内でのJR乗り換えも結構きついからである。今日は4ヶ月ぶりの空路往復となったが脇の席が空いており、揺れもなく快適であった。右足にまだまだ違和感はあるものの歩行にも乗り換えにも何ら不都合を感じなかった。
 機内ではMDは用いることは出来ないが、往復の時間帯は読書にもMDによる音楽にも集中出来た。読みかけであった「コンチネンタル航空-奇跡の大逆転!」を読み切り満足した。良い本である。
 セミナー内容も良かったが、今回初めてボイスレコーダーでなくMDに講演内容を録音してみた。ボイスレコーダーは小型で良いが今ひとつ聞き取りが困難で不満を感じていたからである。途中のコンビニでブランクソフトを購入、超小型のダイナミック型マイクを取り付け、4倍速で試してみたが、十分な録音がとれた。これなら聴きたい方がいれば提供出来るレベルであるし、出張レポート作成時にも威力を発揮するだろう。重要な話題にさしかかるごとにトラックマークをつけると瞬時にその場所を呼び出せるのも実に便利である。
 今日の出張は天候も良く、機内も過密ではなく、持参の小道具類のお陰で移動中も何らストレス無かったし、セミナー自体が素晴らしかった。実に有意義な、満足すべき一日となった。


2/21(金)快晴 職員検診 医師会打ち合わせ(欠) 臨時長副会議
1:10起床、人間ドック他、寝不足感。医報校正、紹介状。5:20病院、総括数編、書類他。10:30-13:00外来。13:30ドック診察x5。医師会打ち合わせはキャンセル。15:30職員検診。16:30-18:30臨時長副会議。20:00帰宅、21:00就寝。

耐え難い騒音、トイレのジェットタオル
 私どもの病院内トイレに最近ジェットタオルの設置が急速に進んでいる。他の医療機関でも清潔保持のために設置が進んでいるのだろうか? 
 ジェットタオルは、M電機の商品で名前にタオルという言葉がついているように手を乾かすというよりも、手についた水分を取るという、タオルやティッシュペーパーと同じ概念が出発点となっているようで、ふき取るのではなくジェット噴射で約6秒で手についた水分をはじき飛ばす商品である。機器に触れることなく手を近づけるだけで作動するが突然激しい音がする。私にはまるでジェット機のエンジン音に近いと思われるほどの騒音で、実に耐え難い。ジェット機のエンジンだって私の目の前で突然発進するなんて考えられないし、空港ではジェット機の騒音がすること自体当たり前だから容認出来る。ジェットタオルには機器のそばを通っただけで自動でスイッチが入ると言う欠陥もある。

 トイレは元来静かなところであったし、そうあり続けて欲しい場所である。チョロチョロと流れる水の音、とても良い.スーッと心にしみてくる。だから私はまだジェットタオルを一度も使ったことがない。それどころか、トイレに先客が居て手洗い後にジェットタオルを使ってから出ていくのではないかと考えただけで、私の○○は縮みあがってしまう。
 確かに清潔の維持という点では、特に医療機関のトイレでは無いよりはあればよりいい道具ではあろう。維持費はペーパータオルよりは安く、ゴミを出さないから地球環境にも優しいと言うことがこの製品の売りになっているとはいうものの、音に対する配慮が乏しい日本の象徴的な道具である。ゴミを出さないと言う事だってウソだ。M電気は発電所で出る熱や炭酸ガス、放射性廃棄物を何と考えるのか! 更に故障でもして使わなくなったらこの機器自体がゴミになるのだ。

 ちなみに、私は医局の天井の換気扇すら音が嫌で約2年間一度も回したこともないし、間違って回さないように壁のスイッチには細工をしてある。街の騒音が嫌でこの間窓を一度も開けたこともない。完全に音ノイローゼ人間である。


2/19(木)曇ー晴、医局会(中止)  SARS講演
2:00起床、ドックx1、本日の講演の最終準備。紹介状、徒然.5:30病院着、回診、不調患者への対応他。9:00-13:45外来+ドック説明x1、14:20-16:00SARS講演。平安閣、対象は
秋田県中小企業組合中央会。中国他から研修者等を大勢受け入れている企業の業務管理の方々。県民の中では医療関係者に次いで関心の高い分野の方々だけに熱心に聴いていただけた。16:30病院に.種々処理。20:20帰宅、21:00就眠.

オペラやオーケストラライブ映像のカメラワークの見事さに改めて驚く(2)  
 音楽映像が放送されたり画像付きのメディアとして販売されているが、実にカメラワークが素晴らしく、多くは見事に音楽と映像が一体になっている。
 同じ映像でもスタジオ録音・録画のものは面白くはない。多くの映像を残したカラヤン・ベルリンフィルの映像は演奏自体素晴らしいが、作為的で、カラヤンの演出、作為に驚く。映画調に作られたオペラも一つ一つの作品は見事ではあるが、私にとっては評価出来ない。

 私が驚くのはライブ録音・録画による放送などである。演奏家の構成が単純な例えば弦楽器のソナタ、弦楽四重奏、室内楽でも曲の構造に応じた映像が提供され、観るものを飽きさせない。これは大変な技術だと思う。いや、それ以上に映像ディレクターは数台のカメラに相応しい映像を得るよう指示し、曲の進行に応じて画面を適宜切り替えて相応しい画面を構成していく。その切り替えのタイミングは、曲を隅々まで知り尽くしていなければ出来ないことである。このことだけでもすごい。

 編成が大きくなる協奏曲や交響曲、管弦楽曲に至っては50-100人ほどの編成となり、楽器の種類も多く、曲の構成自体が実に複雑になっている。指揮者、ソリスト、管楽器のソリスト達、コンマス、ヴァイオリンやチェロなどが選択されていくが、曲想にマッチした画像となっている。またこの画像によって音声としてあまり聞こえてこないパートの音を聞き分けられる様になり、聴く者観る者の立場でも映像なしの場合とは別の発見があって面白い。

 オペラの場合には劇場で見るのはやはり良いが、視覚的には座席によってかなり限定される。LDなどの画像付きの場合には演出家の技法とかオケピットの様子、歌手の細やかな表情の変化等を見ることが出来て良い。この場合も映像の構成にはいつも感心する。本当に隅から隅まで知り尽くしたヒトによって、しかも、ライブで、同時進行で作られている。私の想像を遙かに越えた技術家集団が居て、楽譜を片手にどの様な構成にするのか研究に研究を重ねているのだろう。


2/18(水)曇 県医師会理事会+養護学校・学校医連絡会議
1:30起床、ドック総括x1、紹介状、徒然。5:10出勤.積雪4-5cm。回診他、9:00-13:30外来。14:30ドック診察x5、病棟患者処置数名、16:30-18:15医師会理事会。決議文も検討、若干手直し。18:30-19:45養護学校・学校医連絡会議。20:00病院残務、20:45帰宅、 21:15就寝。多忙な一日。

オペラやオーケストラライブ映像のカメラワークの見事さ。改めて驚く(1)  
 オペラやオーケストラのカタログを見ていると、2-3年前まではレコードもあり、ビデオあり、LDがあったが、最近はさすがにレコードの発売は目に付かなくなったし、LDはピタッと発売が無くなった。私はレコード、LD派であり矢張り寂しい。好事家も息を絶たれた感じである。
 今は音声だけのは主にCDで、映像付きのはDVDに集約されたが、一方ではもう別企画のメディアが準備されていると言う。私の音楽ビデオやLDはオペラ、オーケストラが中心で、数的にはそれほど多くはないが代表的な作品は一応揃っている。しかし、ビデオは音声も映像も劣化しており、今はもうあまり執着はない。LDは盤そのものは劣化することはまず考えられないので大切にして行きたい、と思っていたが、肝心のパイオニア製のLD playerが故障しやすく脆弱であり、何度か修理には出しているが、実に心許ない状態である。もう何処の会社も新製品は出さないとのことであり、何とか動いている今のうちにDVD-Rにでも焼き直ししておかなければならないと思っている。

 数日前に、たまたま参考にすべきことがあり、古いワーグナーの「リング」のビデオテープの一部を再生してみた。10数年前のサバリッシュ指揮のバイロイトのライブ盤であるが、改めて映像と音楽が一体になっている見事さに感心してしまった。


2/17(火)降雪 医師会打ち合わせ 医局カンファ(ノロウイルス)
2:00起床、ドック他、決議文、講演準備、徒然、5:10出勤.回診、定期処方箋発行他、9:00-14:00外来+ドック説明。14:00入院患者家族と面会今後の対応を相談、15:15-16:15医師会館。17:00-19:00医局カンファ:ノロウイルス院内感染総括。20:40帰宅、21:20就寝。

世界の隅々の植物、動物、昆虫まで,全て和名が付いているが・・・
 月曜20:00-20:40NHK-TVは地球の生態系の紹介される時間。これは可能であれば帰宅してから観たいと思ぅ唯一の番組。意識して帰っているので、半分くらいは何とか観れている。
 私が全く知らなかった動植物の生態が詳細に紹介される。私が知っている世界など微々たるものであるが、番組作成の苦労は大変なものと思う。1-2週間あるいは1-2ヶ月も厳しい自然のなかで粘ってやっと撮れた決定的映像が惜しげもなく紹介される。これはすごい番組だと思う。前の「生き物地球紀行」シリーズは最後に流される主題歌?も良く終了したときは落胆したが今回のシリーズはそれを超えているかも知れない。時折挿入されるコンピューターグラフィックスを用いた生態系の説明などは理解を大きく助けてくれる。

 なかでも一番驚くのは、世界の果ての動植物を始めとして、ガラパゴス諸島などわが国に全く居ない動植物、超小型の昆虫たちに至るまで全て和名が付いていることである。一体誰がその様な生き物をわが国に、あるいは国際的に紹介するのか?、和名は誰が命名するのか?、その呼び名の了解・了承は誰がどの様にしてなされるのか、和名の確定はどうするのか???など、疑問は尽きない。更に、番組の構成を観ていると、番組作成者達の知識も相当なものと思える。
 医療関連番組ではあまり満足したと言う経験はないが、この自然界の機微を紹介する番組は素晴らしい。ただ、脱帽するだけである。
 


2/16(月)曇り・晴れ 管理会議 長副会議
23:15病棟より連絡あり起床、出勤した。患者死去し3:00帰宅。この待ち時間にドック他も処理。そのまま業務、各種書類記入処理.徒然、講演準備若干、5:10出勤.回診他、8:00管理会議, 診療実績中心。9:00-14:00外来+ドック説明x1。月曜にしては超混雑。途中さすがに眠かった。総括原稿作成。Zip入手した。調整に手こずるもUSB電源供給の問題。電源付きハブの造設が必要だ。16:30-18:20長副会議、予算他懸案事項など多数。20:30帰宅、21:30就寝。

狭い地下道やトンネルは照明を明るくするか、壁の下半分は白色に塗って欲しい
 通勤時にJR奥羽本線と道路が交差する場所が1-2箇所ある。ルートによって選ぶことが出来るが、踏切またはトンネル状の地下道を通らねばならない。踏切は開放感があって良いが、私が連日利用する近所の地下道は古い時代に作られているらしく、殆ど余裕のない造りで狭く、かつ暗い。
 小型車なら何とか交差出来るがやや大きめの車同士は交差時やや苦労する。
 問題は、歩行者用あるいは自転車用のスペースが全くないことで、この地下道を通るときには歩いても自転車でも、車でさえもかなり緊張する・・否、それ以上に生命の危機すら感じてしまう。自転車通勤の際には通過しないようなルートを自然に選んでしまう。

 更に問題は、地下道の照明が暗く、かつ壁が黒いことである。そのために白い服装以外の歩行者、光り物の付いていない自転車等は識別に困難する。最近は黒っぽい服装をしている人、特に老人が多いし、高校生の自転車は無灯火であるから問題である。

 歩行者、自転車等の安全を確保するために照明を著しく明るくするか、それが出来ないならトンネルの壁を白く塗ること、最小限人間の背の高さ程度の壁は白くして欲しい。それにより壁際の歩行者等の識別はかなり容易になるはずである。トンネル、地下道に入って行くこと自体気持が若干暗くなるから、そこが明るくなるだけでも、安全性が高まる効果に加えて、いろいろな意味で良い影響が出ると思う。


2/15(日)曇-雨、降雪、強風 病棟拘束 第25回秋田県薬学懇話会学術大会
6:00起床、ドック判定1名分、7:00病院に。回診、不調患者あり、対応する。10:00-13:30第25回秋田県薬学懇話会学術大会シンポジウム「成熟期に向けた医薬分業のあり方を考える」のシンポジストを務める。13:45-14:30病院、重症患者対応、15:00帰宅、15:15-18:00来客、夕食後早めに寝て重症患者への対応に備える。20:00就寝。

自伝 大学時代 医学部3年(1965〜71)(29)
新潟大学医学部管弦楽団演奏会(昭和43年)、貴重な体験(2)指揮者に抱きつかれる
 昭和43年12月14日は新潟大学管弦楽団演奏会。会場は新潟県民会館。演奏曲目は
(1)ベートーヴェン「コリオラン序曲」(2)グリーグ「ペールギュント組曲No1」(3)モーツアルト「交響曲40番」。
 
 それほど技術の無かった私にとってVlaパートの最前列で弾くのは大変なことであったがそれだけやりがいもあり、自分としては相当準備をして演奏会に望んでいた。(2)のアニトラの踊りでは第一VnとVlaとの掛け合わせ部分が繰り返されるが、これが結構難しく、練習中にも満足するような出来は滅多になかった。本番の演奏中にエキストラを含めて6人のVla奏者がいたが、この部分で次々とこけて最終的には私一人が残って掛け合わせ部分を無事通過した。もし、この部分のVlaパートが鳴らなければ曲想自体が陳腐になってしまぅ重要な部分であった。練習の時にはろくに出来なかったが本番では思いがけなく上手く決まって自分自身でも驚いてしまった。
 演奏が終了して舞台の袖に引き上げたときに、待ちかまえていた指揮者に抱きつかれた。私までこけたらどうしようかとハラハラしていたのだという。私自身が今までにソロをやったののはこの時、この部分以外にないし、大人の男性に抱きつかれたのもこれが初めてでかつ最後である。

 第3回定期演奏会は昭和44年6月28日、新潟県民会館で、曲は(1)ロッシーニ「絹のきざはし序曲」(2)モーツアルト「ファゴット協奏曲」、(3)ベートーヴェン「交響曲No3英雄」を演奏した。徐々に勉学の方も大変になっていく時期を迎えていたので、私はこの演奏会終了後オーケストラ活動を中止した。後は自分で時折適当に楽器をとりだして楽しむ程度となり、付け焼き刃の如くの私の技術はどんどんと劣化し、下手になっていった。


2/14(土)東京・横浜晴れ 病棟スタッフ結婚式  東北医連理事・代表者合同会議(欠)秋田市医師会総会(欠)
2:30寝台特急「あけぼの」車内で起床。本日の祝辞の草稿の手入れ、読書等で過ごす。7:00上野着、京浜東北線にて横浜に。長女とシェラトンホテルで朝食。長女宅にて引っ越し片づけの手伝い若干、インターネット接続、祝辞最終チェックなど。15:00から横浜市都筑区茅ヶ崎の「アニヴェルセル ヴィラ ヨコハマ」と言う舌を噛むような名前の結婚式場にて病棟スタッフ結婚式、15:30式場着、式には失礼してフラワーシャワーと風船とばし、記念撮影から参加。快晴の空に風船が高く高く吸い込まれていった。パーテイでは新婦側の代表として祝辞を述べた。若々しい演出があり、楽しい雰囲気の披露パーティであった。18:45お開きとなり、急ぎ会場を出て新横浜から新幹線にて東京へ。20:04こまち最終、23:58秋田着、病院経由で1:00帰宅、残務種々、4:00就寝。

結婚式の祝辞
 ご指名にあずかりました福田と申します。
 新婦の◎◎子さんが現在勤務している病院の副院長であり、同時に病棟の診療部長でもあります。
 本日はこのようなお目出度い席にお招きいただき,また,お祝いを述べる機会も戴きました。心から御礼申し上げます。
 ◎◎さん、○○さん、ご結婚まことにおめでとう御座います。
 ご両家の皆様方も、さぞやお喜びのことと,謹んでお祝い申し上げます。

 私は、新婦の◎◎さんに対して日頃から感じ取っていたことをご披露しながらお祝いを述べさせていただきます。

 ◎◎さんは,平成11年、◎◎高等看護学院を卒業し,中通総合病院に勤務することとなり内科・呼吸器科病棟に配属となりました。
 私は、病棟の仕事は静かな早朝に済ませることにしており、日中は滅多に病棟には参りません。従って,私が病棟スタッフと言葉を交わすのは、大部分が,彼女達が深夜勤務の時であります。
 朝6時半頃に病棟に上がりますが、看護師さんは手短に夜間の患者さんの状態や経過の報告をしてくれるわけですが、徹夜勤務中ですので看護師さんの性格などがもろに出ます。◎◎さんの看護師としての実力は十分水準には達していますが、まだまだ経験不足は否めません。これからももっといろいろな経験を積む必要があります。
 しかし、それとは別に◎◎さんは受け答えがとても明るく,はっきりとして,礼儀正しく、実に素晴らしいのです。何度かそのような受け答えをしているうちに,彼女自身に何か特別な資質を持っているのでは?と感じておりましたが、最近まで何であるのか分かりませんでした。

 ただ、何かの話題のついでに、「私は今日これから盛岡に行くんです。実は毎週のように行っています」・・と話してくれ、その表情からぴんと来るものがありました。実は私は盛岡出身でありまして雄大な岩手山、北上川の清流を毎日眺めて育ちましたし、未だに誇りも愛着もあります。それ以降は盛岡のことを中心に雑談を交わすことも何度かありました。盛岡にも見るべき施設など沢山ありますのでそれらを紹介したのですが、多分、お二人はまだ行っていないのではないかと思います。

 さて、機が熟したのでしょう、結婚式の招待状が届き、私は職場の責任者として出席させていただくことになったのですが、◎◎さんには双子のお姉さんがいらっしゃることを聞きました。
 私はそのときに◎◎さんに備わった素晴らしい資質は、実は、お母さんの胎内から今日のこの時間までの間、良しにつけ悪しきときもあったでしょう、自分と遺伝子的に全く同じの、もう一人を、あたかも鏡を見るが如くに見続けながら育った結果、すなわち、自分を見つめ直す機会が誰よりも多かったことであり、そのことを通じて自分をより客観的に見ることが出来たから、なのではないか?多分そうだろう・・・と納得できました。

 私は血液・免疫等を学び、骨髄移植を手がけた関係で移植医療の立場からも一卵性双生児に対し興味はあるのですが、今はそれ以上に双子の心理的影響について興味を持っております。
 ヒトは他の動物に比べて,極めて未熟な状態で、何も出来ない状態で生まれて来ます。従って,成長する間の環境が,育て方が,その個人の資質に重大な影響を及ぼすことになります。特に10歳位までのスキンシップ,特に両親から,家族から,環境から受ける影響は大きく,それによって如何様な人間にも変わりうるということであります。だから,子供を育てると言うことは,とても意義のあることであり,一方ではとても怖い事でもあるのだ,という風に感じております。
 その点,この様な素敵な娘さんに育て上げられたご両親は、とても素晴らしいお仕事を社会のために為し遂げられたのだと思います。

 新郎の○○さんには、今日はじめてお目にかかりますが,地道な努力を怠らない、明るく、堅実な方と伺っております。お二人は,今後,息の合ったご夫婦になられ、末永く仲むつまじい生活を送られることと、心からお喜び申し上げます。

 それでは、お二人の幸多い将来とご両家のご繁栄を祈りまして、お祝いのご挨拶に代えさせていただきます。


2/13(金)曇りー晴れ 医師会打合せ(欠)、法人理事会(欠)、「老人医療フォーラム」
1:30起床、ドックx1。5:10病院に.回診他。10:00人間ドック説明1名。10:30-14:00外来新患補助+ドック説明x1+ドック診察x1.入院患者若干不調、県医師会打ち合わせは時間的に無理。15:30病棟師長の車にて由利組合総合病院へ。院長と歓談。18:00「老人医療フォーラム」、実質は療養病棟についてのフォーラムで一般演題5題。当院の開設までのプロセスについて提示した。20:30懇親会、21:43寝台特急「あけぼの」、初めてのB個室。独立していて快適だが、出入りが窮屈。22:30頃就寝。

何年ぶりかで寝台特急「あけぼの」に乗った。しかも初めてB個室で
 寝台特急「あけぼの」は夜の上野−青森間を1日1往復している。夜行列車が次々となくなる中で現在東京方面から秋田方面を結ぶ唯一の夜行列車となっている。本日、本荘から上野まで、本当に久しぶりに利用した。
 かつては一日2往復あり、自分にとって日常的な交通機関で、よくこれで往復したものであったが、早朝着くし、帰りは夜なので東京での用事が済んでからの時間調整もそれなりに大変であった。朝食を赤坂東急ホテルを利用してゆったりと摂り、本も読んでから学会場や仕事の会場に行ったし、夕方から夜にかけては上野の「東京文化会館」の大小ホールでのコンサートがあればそれを楽しみ、気に入ったコンサートがないときは「鈴本演芸場」で古典落語、漫才等を楽しんでから帰ってきた。今の駆け足出張よりはむしろ楽しみもあったと思う。

 特急寝台列車「あけぼの」が「こまち」の開業に伴って奥羽本線から羽越本線に変わり新潟経由となった。最近はレディースカーも出来たし、AB個室もある。徐々に多様化してきている。独房みたいで嫌だという人もいるが、時代の要請なのであろう、寝台の個室化が進んでいる。
 今回は県医師会の事務局を介して切符を手に入れたが、思いがけずソロに乗れた。ソロとは一人用個室寝台のことで、時刻表にはB1と表示されている。このソロの寝台料金と普通のB寝台2段の料金は同じで普通の寝台料金で個室が利用できる。個室の方が数は少ないので早めの予約が必要とされている。

 両側に個室が上下に2段あるために、まず廊下が随分狭い 。出入り口のドアも狭い、天井が低い、まるでロッカールームのごとし・・・と不満はたくさんあるが、私にとって熟睡するにも、本を読むにも通常の寝台よりは個室は遙かに快適であった。まくら元のスピーカーからはちゃちな音であったがBGMも流せるし、個室の外に出るときはテンキーでセットするカギも着いているなど便利でもあった。次にはA個室にも乗ってみようと思った次第である。


2/12(木)晴れ 夜若干降雪 県医師会モニター会議+懇親会
1:30起床、人間ドックx2. E-mail返事多数あり、徒然など、5:10出勤。回診他。9:00-14:10外来+ドック説明。15:00-18:30View ホテルで第3回県医師会モニター会議。今期のメンバーでは最期の会。内容は「女性外来」「ターミナル・ケア」。双方とも話題は沸騰、懇親会の席でも盛り上がった。病院に戻り残務に取りかかったが、若干のアルコールの影響で不調、眠い、だるい。20:00タクシーにて帰宅。21:00就眠.

アトリオン室内合奏団(ACO)第20回定期演奏会
 
ACOは1994年誕生以来、8月と2月の2回の定期公演は定着している。当初はガラガラであったが最近は満席に近いこともある。今回の第20回定期公演は、昨日ウィーンフィルのコンマス、ライナー・ホーネック氏(指揮.Vn)と、首席オーボエ奏者、クレメンス・ホラーク氏を迎えて全てモーツァルト・ブ□。曲目はディベルティメントK137、小夜曲K525、オーボエ協K271、Vn協No5「トルコ風」。

 ホーネック氏は1961年生まれ、7歳でVnを習い始め、8歳でウィーン音楽大学へ入学したという逸材で、オーストリア国立銀行から貸与されているストラディバリウス(1714年製)を使用している。クレメンス・ホラーク(オーボエ)氏は1969年生まれ。9歳の時にリコーダーのレッスン始め、1985年からオーボエを学び、高等学校卒業と共にウィーン交響楽団に主席奏者として入団、現在ウィーンフィルの首席として活躍中。

 時間10分ほど前に到着したが、好んで座る後側には空席が全く無く、前列2列目に座った。お陰で1st Vn等よく聴くことが出来た。ACOは最近人気が高くなってきているようで喜ばしい。出来れば賛助会員がもっと増えればいいのだが、この点はさっぱりな様子。
 客演のお二人ともすごい逸材なんだと思うが、資料を見なければ共に遙かに年をとって見える。オケはいつもより更に少人数編成。20人ほど。ついにオーケストラもリストラか、と思ったが、別資料にはメンバー表が掲載されており、別に減っておらず、一安心。

 オーボエは草笛の雰囲気を持ち、弦は繊細の一言に尽きた。時には消え入りそうに迄押さえたPPP。ホーネック氏の影響だろう。今までのACOとは明らかに異なった印象。弦奏者はいつもと異なる奏法を求められたのではないか? ただ、協奏曲では彼のストラディバリウスは全体に音量が小さく感じた。一方、アンコールのハイドンのVn協奏曲の第2楽章では彼の奏法と楽器の素晴らしさを十分に堪能出来た。終わりに、ピッチカートポルカが演奏され、会は終了した。
 
 私にとって、十分楽しめた良い演奏会であった。


2/11(水)建国記念の日 病棟拘束 晴れ温暖後降雪 アトリオンオケ演奏会
2:00起床。人間ドックx2、徒然等、医師会決議案、披露宴挨拶、薬剤長期投与の問題など.Vnなど.14:00-16:10アトリオンオケ演奏会。16:30-20:00病院で業務、回診他。主治医意見書、紹介状への返事数編。20:15帰宅21:00就寝。

懐かしい正月玩具類。猫じゃらしにしてみた。

 昨夕、仕事の合間に医局の荷物を若干整理した。正月頃、某製薬会社から正月用の玩具が入った袋をいただいたが、手をつけずそのままにしてあったので開封してみた。結構、懐かしい玩具が入っていた。千代紙、副笑い、双六、けん玉、紙風船、名前忘れたが煙管状のあの伸び縮するカメレオンの舌のような玩具・・が入っていた。それで遊ぶ気にまではならないが、懐かしいので一部は医局の書棚に並べて置いた。千代紙は療養病棟に持っていこう。

 最近、我が家の15歳ほどのネコが元気がない。約一ヶ月不調で、この間殆ど食事摂らず水分だけで生きてきて、とても軽くなった。今度こそ最期かと長女が横浜から二回も見舞いになど来たが、そんなことが若干効いたのか少しずつ持ち直してきたようである。朝の海苔の要求もしっかりするようになった。

 煙管状の伸縮玩具はネコをじゃらすのに丁度良さそう、久しぶりに遊んでやろうかと持って帰って鼻先でシュルシュルと延ばしたり縮めたり。最初は乗ってこなかったが次第に興味が出たらしく真面目な顔して手を出してきた。これに反応するくらいならまだ生きられそうだ。

 ところでこの玩具、伸ばすのは息の吹き込みであるが実に力強く、一瞬に縮んでくる。昔はこんなにキビキビと動かなかったように思う。何がそのエネルギー源なのか?形状記憶紙??と見てみたら細いピアノ線上の金属が埋め込んである。結構精密な造りでちょっと驚いた。昔はどんな構造をしていたのか、もう記憶はないが壊しても針金なんか出てこなかった様に思うが、ならば何で縮んできたのか??。これだけのちょっとした玩具、実に精密な細工がしてある。Made in Chinaだが、たいしたモンだと感心した。


2/10(火) 晴天・温暖 感染症評価委員会、県医師会打合せ、MC
2:00起床、ドックx2名分。総括2名分他. 5:30病院着。回診他、定期処方箋40枚発行。9:00-13:30外来、混雑。14:00県衛生科学研究所で感染症評価委員会。話題の中心は矢張りインフルエンザ。例年に近く発症しているが、従来の曲線から見ると後2週間ほどで減少に転じると考えられる。この席でもと細菌学教授からウイルスが血中に入らないとの説明があり、勉強不足に恥じ入った。県医師会打合せ。17:30カンファレンス「インスリンの種類と使い方」、学会リハーサル「クロンカイト・カナダ症候群」、20:30帰宅、21:00就寝。

車のルーフからスキーキャリアが消えた!!
 かつては車のルーフにとりどりのスキーキャリアがついているのは、真冬の北国の風物詩だった。早朝の出勤時には田沢湖国際スキー場方向に向かう若者達、時には中年者が何台かの車を連ねて走る風景よく見られたものだが、近頃はとんと見かけない。一週間ほど前にたまたまそのことに気付いてから本日までの間に、外出時、通勤時間帯に意識的にスキーキャリア搭載車を探してみたが、見かけたのは僅かに1台だけ!!!。一見、スキーキャリアがついている様に見える車は確かにもっとあるが、デザイン上のダミーキャリアで、これでスキーは運べない。スノーボートならキャリアは不要だからそのためか?
 統計を見ると、確かにスキー人口は93年の1900万人程度をピークに減り続けており、昨年あたりは1000万人がやっとというところらしい。その分スノーボード人口が増えており、あるスキー場ではスキーとスノーボートが半々程度というが、とてもスキーの減少分をカバーできる程ではないようだ。

 人気が無くなった理由の一つはコスト。ツアーや用具にかなりの金額がかかるから、いろんな方面でお金のかかる若者は、とてもスキーまで手が回らないらしい。もう一つは、楽しめるレベルになるまでかなり練習を要することが敬遠の原因らしい。
 スキーは考えようによっては一生楽しめるスポーツの一つだ。しかし、こういう基礎が大切なスポーツこそ若い頃から始めなくてはいけない。成人、中年になってからスキーに取り組んでも、なかなか上手くならない。その意味ではスキー場の経営の先細り感はぬぐえない。

 私はガキの頃は毎日スキーで遊んだから、子供達に同伴してスキー場に出かけた時に比較的手軽に滑ることが出来た。その後しばらくはシーズンごとに何度かは行ったから、下手であるが大抵のコースは降りられる。蔵王の「横倉の壁」を(スキーとウエアで)何度か滑り降りたのは良い思い出になっている。今は時間的にとても行く機会はないが、また何時かは滑ってみたいと考えている。行くなら私は雫石スキー場のゴンドラコース。何しろ郷里に近いからあの岩手山を望む風景がいい。まさか、それまでの間にスキー場が消滅するなんてことは、いくら何でもあるまい。


2/9(月)晴れ-曇り-寒波 管理会議 長副会議
 1:30起床、ドック総括x1。5:30病院着。回診他、8:00管理会議、9:00-13:30外来、混雑。14:00入院患者家族と面会指導、16:30-18:00長副会議。回診他。20:30帰宅、21:00就寝。終日業務をこなし続けたが、何となく意欲が湧かず、乗り切れない一日であった。

日医の会長選挙。ブロックごとの推薦などはやるべきでない
 日本医師会の坪井会長は今期限りで勇退する。4月1日が選挙日である。今、次期会長候補として4人の立候補者、その支持者が運動を行っている。私は選挙権を有する代議員の一人であり、次期もその予定なので注意深く見守っている。
 各都道府県医師会は地域ごとにブロックを作って活動しており、東北6県の医師会は東北医連としてまとまった活動もしている。前回の東北医連会長会議に於いて次期会長として現在の青柳副会長(北海道医師会)を推薦しようとしているらしく、今月14日の理事・代表者会議で決定するという。従来の会長選挙はこの様にブロック単位での推薦を背景に行われてきた経緯があるが、基本的にブロック単位で特定の候補者を支持したり、推薦するようなことは止めるべきである。推薦・支持の表明は選挙を、日本医師会の会長の性格、業務遂行を妙なものにしてしまう。

 今、医療器は大変な危機を迎えている状況にある。日医会長は日本の医療行政に対する影響力の点から見ても大きな存在である。今度こそ純粋に人物、力量で全国1区として選ぶべきであるブロック単位での推薦合戦は、公約とかとは関係のない、単なる地域の票数の表現となり、候補者の力量と関係のない地域選挙となり、選挙とは言得るが、少なくとも理想の選挙とはほど遠いものになる。kの場合、各ブロックごとに有する代議員数がかなり異なるから、その候補者が何処出身であるかによって得票数が予測出来るし、当落が決まってしまう。大体、◎◎ブロックの絶大な支持を得て選挙を制した会長など、なったとしても業務の遂行でも他のブロックとの意見の摺り合わせなどに下らないエネルギーを必要とする。現坪井会長はその辛酸を十分になめたはずだ。

 今回の選挙は東北医連は支持を表明すべきでない。医連としての支持を表明せずとも良識のある各代議員の意向はほぼ固まっていると思う。支持表明は大きな得票数に変化を与えないだろう。だからこそ、真の選挙をするために、日医会長のポストの意義を高めるためにも、支持表明などすべきでないのだ。更に、東北医連は全国に向かって、ブロックごとの推薦表明を止めるよう積極的に働きかけるべきである。

 私は残念ながら2月14日の東北医連の会合には出席出来ないので、意見を直接表明することは出来ない。県医師会会長には私の考えを表明してあるが、さて何としようか、思案中である。


2/8(日)晴れ・温暖。病棟拘束 
 2:00起床、この間病棟から3回ほど電話ありやや眠い。ドックx1、退院総括・紹介状、医報校正など種々.降雪(−)。 7:15検食、8:30病院に移動、病棟関連他の残務処理。12:20帰宅。家内は早朝4:00頃呼ばれて出勤今帰ったばかりという。以降、Vn練習など。CD等聴きつつだらだらと院内委員会関連業務等進める。週末の川崎での結婚披露挨拶などに着手。20:30就寝。

自伝 大学時代 医学部3年(1965〜71)(28)
新潟大学医学部管弦楽団第2回定期演奏会(昭和43年)、貴重な体験(1)
 昭和43年はインターン闘争も一段落した年であるが、この年は私のオーケストラ活動のなかでは未だに忘れられない思い出を持つ貴重な年となった。
 まず、6月29日は新潟大学管弦楽団の第2回定期演奏会。会場は新築された新潟県民会館。演奏曲目は
(1)ロッシーニ「泥棒かささぎ序曲」(2)ドビュッシー「小組曲」(3)モーツアルト「クラリネット協奏曲」、独奏:田中 恵氏(4)ビゼー「交響曲第1番」。

 曲のうち(2)(4)においてはベートーヴェンまでの時代とは全く異なる構築をもっており、自分が弾いている部分の価値、意義もよう解らないような複雑な構造で、何が何だか解らないまま楽譜を単に音にすり替えていただけなような気がする。特に、ビゼー「交響曲第1番」はVlaにとっても演奏は困難で、下手な私は何とか誤魔化して流してしまったと言う厭な体験が残っている。今でもFMとかでこの曲が流れると冷や汗ものである。
 
 モーツアルト「クラリネット協奏曲」は私は大好な曲の一つである。特に、静かに心にしみいるような第二楽章は私にとっては特別の曲で、今でもCDにリピートをかけ、一日中BGMとして鳴らしていることもある。この曲によって日常如何に癒され、救われているか、計り知れないものがある。
 この曲を演奏出来るなんて、それだけでも十分であった。楽譜上の難易度から言えばそれほど困難ではなく、Vlaでは比較的余裕を持って独奏部や他のパートの演奏を聴くことが出来た。独奏の田中 恵氏は当時芸大在学中の方だったと記憶する。

 第二楽章、ゆっくりと独奏部にオケが弱音で伴奏をつける。独奏クラリネットの低音部、哀愁を帯びた旋律はあくまでもゆっくりで、可能な限りの弱音である。舞台は勿論十分な光を受けて明るいが、舞台から見渡す巨大なホールは暗く、天井の弱い光が点々と、あたかも夜空の星のように見える。独奏楽器の音が、シーンと静まりかえったホールにしみ入っていく。最高!!!、独奏だけの部分は後半に数小節と短いが、私は完全に聴き入って呆然自失となってしまった。伴奏部分になっても私一人だけ座ったまま微動もしなかったらしい。指揮者が私の譜面代を叩いてくれてハッと我に返り、演奏を続けた。

 この時の演奏、私の音楽体験のなかで最高の一瞬であった。それ以後も同曲のコンサートは2-3回は聴いたし、集めた演奏も数10種類はあるだろうが、第二楽章に関して言えばこの時の演奏を凌駕する演奏にはまだ接することは出来てない。FMのライブ録音で近いものを聴いたことはある。恐らくは、今後も無いだろうと思う。あのような演奏は何度も聴かれることを前提にしたCD録音ではあり得ないのだろう。それでも良い。この曲にじっくり耳を傾けて聴くとき、私はその時の状況を思い出す。それだけで私にとっては十分である。


2/7(土)晴れ-曇、比較的温暖 病棟拘束 リハビリ当直
2:00起床、家内も帰宅直後らしく夕食を摂っている。
4回目の夜食かな?? ドック2人分処理、退院総括、紹介状返事など。5:30病院着.回診など。9:00ドック説明2名。10:30-13:00外来。回診その他処理後、病院機能評価関連等院内業務、一部医師会業務進める。16:50未読の新聞、業務資料、マック、MDステレオ等一式トランクに詰めてリハビリ病院に移動、20:30就寝。

何でヒトは3回/日も食べるのか(3)。三食の世話は大変。「在宅医療で、療養病棟で」
 われわれは何で日に3回食事をするのだろうか??私は常に疑問に思っている。「定年亭主在宅症候群」をみても食事の支度は如何に大変であるかわかるもの。

 25歳で家庭を持ってから平均寿命の85歳まで添い遂げたとすれば、その60年間に奥様方が作る食事は弁当を含め一日3回と仮定すると、年に約1100回、実に6.6万回にも達することになる。これは女性方の一大事業である。男性の多くは外での仕事をしていてそれぞれに大変であろうが、この大変さを考えたことがあるだろうか。私なんぞ気が遠くなってしまう。

 ところが同じ事を、
高齢者の寝たきり状態の方の在宅介護や病院での介護の分野でもつい真剣に考えてしまう。これらの方に対しても一日3食きちんと用意して、かつ、食事の世話をしているが、このような方の多くは一人では上手に食事を摂れないから、家の方や、看護師が介助して食べさせる。一部の方は全く自分では食べられないから全介助と言うことになる。これが実に大変な仕事である。口に入れてあげても飲み込みに時間がかかるから一人あたり30分以上もかかることは希ではない。急がせれば事故に繋がるから、慎重にお世話しなければならない。私が受け持っている病棟では朝7:15、昼12:15、夕は18:00頃が食事時間であるが、この時間帯は戦争状態に近い。特に朝夕はスタッフが少ない時間帯であるために食事の世話、その前後の用意、片づけに忙殺される。この時間帯、業務上の用事で看護師さん方に電話をかけても、声をかけても無碍に扱われ、私にとっても大変な時間である。

 もし、これらの患者さんが一日2食で良いならどんなに助かるのであろうか。勿論、世話する側の論理で勝手に3食から2食に減らすことは人権問題であり、絶対にやれることではないが、患者さんが日常からの習慣で2食でいい方であれば、また、栄養学的に、生理学的に活動性の乏しくなった高齢者方の食事の在り方を検討して、2食で充分との確証が得られれば、如何に良いことなのか・・・と思うこの頃である。何でヒトは一日3食なんだ
!!!   せめて、時間差給食は容認できないかな・・・。

 多分、検討すれば一日2食で充分という結果が出るはずである。何となれば、通常は一日1食で、希に2食しか摂らない私が、何ら問題なく日常の生活が出来ているからである。だからこそ、矛盾を感じてしまう。
 栄養関係の職種の方々、真面目に考えていただけませんか??


2/6(金)晴後寒波・雪  中通病院友の会理事会 医師会打合せ
2:30起床、ドック2x1、退院総括、紹介状返事。5:20出勤.回診など。退院総括、紹介状作成。午後の挨拶検討。10:30-13:00外来、14:00-15:30中通病院友の会理事会+懇親会、15:30ドック診察x5、16:00医師会打合せ・・・といろいろ移動して歩く。夜の回診の後20:10帰宅、21:00就寝。

何でヒトは3回/日も食べるのか(2)。三食の世話は大変。「定年亭主在宅症候群」
 考えてみれば、われわれは何で日に3回食事をするのだろうか??私は常に疑問に思っている。
 確かに人工的な光のもとでは起きて活動している時間が長いし、一定の労働サイクルの中では一日3食は合理的なのであろうし、基本的な要求であるところの食欲を満たす意味もあろう。ただ、専業主婦の方々は一人で居る場合には3食と言っても昼とかは簡便な方法で済ましているようである。
 ところが最近の傾向であるが、私が担当している外来に通院されてくる初老の、老老介護をしている高齢の女性の患者さんの表情が急にさえなくなった方が居る。前者の方々はほぼ共通して、最近ご亭主が定年を迎えて家で過ごすようになった方である。今の若い方々の傾向は些か異なるようだが団塊の世代より上のご亭主達は仕事中心で過ごしてきただけに自活する能力に欠けている方々が多い。日常生活の大部分が奥さんに頼りきりの様である。・・の様である、と言うのは私は若干違うぞと言う自負があるからでもある。

 普段は家にいなかった亭主が何時もいるようになると、食事からお茶の世話から突然忙しくなって生活が一変するのだそうだ。その中で一番は矢張り食事の世話で、それほど働きもしないのに長年の習慣であろう、3食をしっかりと食べるから、主婦はその支度だけでまいってしまう。大体一日に3食なんて、多過ぎるのだ。煩い亭主から何とか解放されようとスーパーやデパートに買い物に行こうとすると何もすることない亭主がついてくるのだそうだ。今、地獄の様な生活です・・とこぼして帰っていく。ただ、帰っていくときの表情が若干明るくなっているのが私にとっては若干の救いであるから話だけはじっくり聴くことにしている。 
 
 同じ世話でも一寸違うのは、子供達の夏休みとかの場合である。お母さん方の大変さは変わりないはずであるが、これにはあんまり文句は出ない。亭主以上に手がかかってもいそいそと世話をやく。これは期間が限られていることが基本的違いではであろうが、亭主と子供の地位の違いだろう。勿論、低いのは亭主の方の地位の様である。・・・の様である、と言うのは私は若干違うぞと言う自負があるからでもあるが、100%誤解かな??


2/5(木)晴れ、NHK来訪、来客者数名
2:20起床。家内は2:30帰宅、怪我してまでも自由人、4:00就寝。人間ドックx2、家内も患者急変で私と同時に5:30出勤.業務も大変だろうが自身の管理は大丈夫かね。心配である。回診ほか。9:00-13:30外来、NHKから高齢者の肺炎球菌ワクチンに関連した取材を受ける。16:00-18:00 A I医師、S I医師来訪歓談す。20:00帰宅、21:00就寝。

何でヒトは3回/日も食べるのか(1)。現代の栄養学は文化や社会に迎合し過ぎている。
 考えてみれば、われわれは何で日に3回食事をするのだろうか??私は常に疑問に思っている。これは身体が求めているのではなく、社会や文化の変化が主たる理由だと思っている。

 現代の栄養学は、ヒトを動物としてとらえた真の意味での栄養学ではなく、社会生活のパターンに迎合した間違った栄養学だと思っているから、それに挑戦する意味もあって、私は成年から中年にかけて殆ど2食で、マイペースで過ごして来た。
 1985年に今の病院に勤務してしばらくは昼食時に病院内のレストランに行っていた記憶があるから40歳頃までは3食摂っていたが、間もなくそれも止めて一日2食に変更した。50歳を過ぎてからはその日の気分で一日1-2食にしている。2回の時は朝と夕、一食の場合は夕食のみであるが、それでも私自身は何ら困っていない。
 何で昼食を抜くのかというと一日の気分の変化が厭だということ。すなわち、早朝の起床時から20:00前後の夕食までの間は、気分的にも身体的にもワンパターンの状態で維持するのが自分に一番合っているからで、私にとっては昼の休息時間などは全く不要である。

 ヒトには成長期から枯れていくまでの間、それに相応しいライフスタイルというものがあるべきだ。成長のための栄養・エネルギーが必要な幼児期、成長と活動のための高エネルギーが必要な青少年期、社会的・身体的活動にエネルギーが必要な青壮年期、活動、消費エネルギーが共に減少してくる初老から老齢期にかけて、運動の必要性や摂取すべき栄養等が著しく異なって良いはずである。しかし、幼児期の食事は別にして、これについて、大して論じられていないのが不思議でならない。


2/4(水)寒 晴れ-曇り 県医師会常任理事会
2:00起床。家内直前に帰宅。人間ドックx1、退院患者総括。5:30Taxi 出勤.事務処理、回診他。9:00-14:00外来、13:30人間ドック説明1名予定あるも院内におらずキャンセル。3月の代議員会の決議文検討、特に目新しい内容無し。17:30-19:00県医師会常任理事会。20:00帰宅、20:30就寝。寝不足蓄積か、終日眠かった日。

アキレス腱断裂・手術後100日(2)
 アキレス断裂・翌日の手術から既に100日が経過した。12月初旬からは松葉杖なしでの歩行が許され、ソロソロと歩いた。やはり若干不自由でも装具や道具なしで自由に移動出来るということは素晴らしいことである。エレベーターを待たないで済むのがとても良い。

 ●松葉杖:最初の頃は歩行の負荷がかかり過ぎて疼痛がひどくなった場合などには、また一時使うかも知れない、と考え部屋の隅に立てかけて置いた。1月になってまず不要であろうと返却したら借用費用が日割り計算になっているとのことで、7000円の松葉杖の費用は底をついており返金はないとのこと。そんなことは説明もなかったし、知らなかった。てっきり杖貸し出しの保証金だと思っていたよ、私は。だから12月に返しておくべきだったのだ。医療費で稼ぎ、杖の貸出料で稼いで居るんだ。へーそうなんだ、フーンと思った次第、しかも説明なしで。

 ●装具関連:術後1週間でギプスから装具に変えた。実に良かったがヒールをつけることで機能性は随分違う。私は後でつけて貰ったが、始めから高めのヒールをつけるべきだと思う。費用は7万円ほどであったが保険が利くので、後で手続きすれば戻って来るという。会計窓口で簡単に出来るかと思ったら外部の社会福祉関係の関連部署に申請して払い戻すのだとぅ言う。面倒くさい話だ。確かに一人一人型取りしてきっちりフィットするように作るのだが、それだけに勿体ない。似たような体型の方に有効に用いて貰いたいと思うがままならないようで、私も記念品としてとっておくことになりそう。

 ●保険の給付:医師会の団体保険でこの受傷も対象になるとのこと。ただし私の場合は入院しなかったので微々たるものらしい。給付条件に一日以上の入院、とあるとのこと。受傷したことが問題なのであって入院の有無、しかも一日だけの入院の有無なんて意味がない。しかも、時代がら、外来手術、日帰り手術が普及しているというのに。不満である。

 ●お茶を零す:自分も今は普通に歩いていると思っているが、そうでないことは医局から自室にコーヒーを運ぶときよく解る。最近、何度か廊下にコーヒーが点々と零れているのを目にした。一体誰なんだ・・と思っていたが、実は私であった。受傷前はそんなことはなかったがカップになみなみと注いで持ち運ぶとなかなか上手く運べない。徐々に上手くなってきているが。で、今はお盆にのせて運んでいる。自分でも普通だと思っていてもまだまだ細かいところで機能障害が続いていることを実感した次第。



2/3(火)曇り-降雪 AAB収録 医局カンファレンス 秋大医学部との懇談会
2:00起床、家内1:00頃帰宅、4:00就眠。人間ドック1名分,職場討議事項対応.本日の医学部との懇談会話題提供要旨検討、日記記載送付、5:30病院着,回診、9:00-13:30外来、ドック説明x2。病棟対応、16:00-16:30AAB-TV収録、17:30医局カンファ。18:00-20:30秋大医学部との懇談会、大学法人化はどのように収集するかまだ見当着かない状況のように思えた。20:50帰宅。21:30就眠。

吉野家、初体験
 BSEによる米国牛肉輸入中止問題で注目を浴びている吉野家を一寸応援したくなって2/1昼食時に秋田市の新国道店に行ってみた。
 店舗は予想していたよりも遙かに軽い造りで小さい。コの字形のテーブルを中心に、他に5箇所ほどのテーブル席があるだけの単純な作りで全部で25席くらいか。席間に殆ど余裕がなく、混雑時には隣の客との間を維持するのに困るだろう。コの字形の配列はその間を店員が接客するのに実に機能的である。
 メニューはまだ牛丼もあったし,定食類も数種類、他の丼ものも数種類あった。特盛が無くなっていること、朝定食と同じ定食を終日出しているなどの張り紙があったが、これは米国牛肉輸入中止への対応措置と思われた。

 客はその時は6-7割の入り。年齢層は20代中心であるが、私のような中年も2-3人。高齢の方も1-2名。持ち帰り弁当を買いに3名ほど居たがその方々は椅子に座るのを許されない様子で立って待っていた。店員は3名ほどと思えたが、その対応は実に早くてきぱきと動き、サービス用の笑顔・愛想もそう悪くない。席を立つ客を目敏く見つけてはサッと会計が始まる。あたかも椅子に立ち上がりセンサーでもあるが如くの反応が見られた。テーブル席からは話し声が時折聞こえたが、コの字の席に座った若者達は言葉も発せず黙々と食べ、サッと帰っていった。

 ここでは矢張り牛丼を注文。サラダもつけてみた。直ぐに出てくる。味は・・ウ-ン、曰く言い難し、であるが予想の範囲で可も無し不可も無し、であったが、ご飯は思った以上に良い印象。しめて500円弱で済んだ。この間15分ほど。待ち時間を全く意識させない、薄利多売の為の工夫が随所に生きているイメージ。満足度は??私は食べると言うことに不満をあまり感じない方。結構満足して帰路についた。出かけてから30分ほどで帰ったので家内が驚いていた。食べないで帰ってきたと思ったらしい。

 ただ、牛を口にしながら今新たな脅威になっている鶏、ブロイラーの飼育場での給餌のシーンをイメージしてしまった。今、インフルエンザ問題でアジアで何万羽の鶏が生きながら処分されたのであろうか。


2/2(月)曇 降雨 管理会議 長副会議
2:00起床。ドック1名分,紹介状、返事。医報用原稿校正など。5:30出勤,回診.病棟重症者数名。8:00管理会議.9:00-13:30外来。入院患者家族と面会・病状説明他2件。病棟対応他.16:30-18:30長副会議、懸案事項多数、時間が足りない。20:00帰宅。降雨にて路地以外の雪は路肩のみ。路地は轍が深くなっている。一日一食の夕食を摂り、21:00S.

アキレス腱断裂・手術後100日(1)
 アキレス断裂・翌日の手術から既に100日が経過した。12月初旬迄は松葉杖生活であったが術後6週目の5日の受診の結果で荷重をかけることが許され、歩行も車の運転も許可になった。受傷後、さすがに東京・仙台に予定されていた出張は取りやめたが、松葉杖のまま医療廃棄物講演会の座長、小坂町、大曲、市内での講演2件、その他各種委員会、医師会会合等、良くやったものだ、とほぼ通常になった今の身から見て、今更ながら良くこなしたものだと自身で感心している。
 しばらくはソロソロと歩行していたが矢張り開放感は大きい。下旬の受診の結果で軽度の運動もして良いとのことで、以降はリハビリをかねて屈伸運動、7階病棟への階段昇降、つま先立ち歩き、小走り歩行などを取り入れている。エレベーターを待つ事は実に辛いことであった。これからの解放感は短気な私にとってすごく大きい意味があった。正月を迎える頃には、外見上はほぼ不自由なく歩行しているように見えたらしい。多くの職員の方々から祝福の声をかけられた。有り難いものである。

 自分にとってどうなのか・・と言うと、時間経過と共に足の機能は確実に改善している。歩行する分にはかなりの距離でもストレスは感じなくなった。しかし、問題もまだまだ少なくない。具体的には、膝下あたりからの原因不明の浮腫が取れないこと、皮膚に発赤が見られること、局所的に違和感が強いこと、下腿全体の違和感など、まだまだである。鼠径部のリンパ節も腫れたこともあって、浮腫の原因として蜂窩織炎-----これであれば最悪の事態なのであろうが------も疑ったこともある。実際に私の経験から照らしても蜂窩織炎、脂肪織炎などと考えるためには炎症所見が軽微過ぎる。客観的な証拠は得られていないこと、起床時には浮腫が消失していることから良い方向に考えて循環障害や、何らかのアレルギー機序かな??と、考え自分を納得させようとしている。


2/1(日)快晴,温暖  病棟拘束
2:30起床。ドックx1、2/14の
高齢者療養フォーラムへ演題を出す準備。県医師会代議員会決議文案検討、医報用報告文構成。Vnなど、11:30吉野家に。15:00-18:00S.Seiko来客。18:30サンビーム。20:00帰宅.20:30就寝。

自伝 大学時代 医学部3年(1965〜71)(27)
新潟大学管弦楽団で
新潟大学医学部管弦楽団第1回定期演奏会(創立40周年記念)
 昭和42年7月2日は新潟大学医学部管弦楽団から新潟大学管弦楽団に組織改編があってから記念すべき最初の演奏会であり、私個人にとってはVla転向の初回の演奏会であった。会場は新潟市公会堂。演奏曲目は
(1)ベートーヴェン「エグモント序曲」(2)組曲「ロザムンデ」(3)「歩み」(4)ベートーヴェン交響曲第7番、でアンコールとしては「運命」の第一楽章を演奏した。

 曲のうち「エグモント序曲」は私をいわゆるクラシック音楽の世界に誘ってくれた思い出の曲である。心から堪能出来た。今でも、小品として何か一曲をあげるよう求められれば、最初に聴いたときの感動と、演奏出来た歓びと共に、多分この曲をあげるだろう。組曲「ロザムンデ」は軽快な曲であり、随所随所に作曲者の特徴である名旋律がちりばめられている。演奏自体はそれほど困難ではなかったように記憶している。ベートーヴェン交響曲第7番は私にとって技術的には超難曲で第一楽章の基本的リズムについては徹底して絞られた。第二楽章の第一VnとVlaの掛け合わせは実に楽しい。第3楽章、終楽章は演奏は困難で私は付いていくのが精一杯と言う状態であった。

合唱と管弦楽の夕べ
 昭和42年11月30日は新潟大学合唱団と共に「合唱と管弦楽の夕べ」が新潟市公会堂で開催された。演奏曲目は
(1)グリーグ「心の傷で」、「過ぎし春」(2)モーツアルト交響曲第35番「ハフナー」。(1)についてはもう記憶にも残っていない。(2)に関してはこの前後に福井県で行われた全国学生オーケストラ連盟北陸信越支部の合同演奏会でも演奏した。後者の演奏会では私のVlaの調弦が演奏途中でくるうと言うハプニングを経験し、第一楽章は演奏に乗り切れなかった。私にとってこの曲はその想い出と共にあり続けている。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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