徒然日記
2022年10月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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10/30(日)  快晴 飯川病院日直    家内ゾンタ講演会
 1:30起床。徒然など。途中で微睡取る。8:20回診に行く家内に同乗飯川病院。8:45日直業務につく。新聞切り抜き、読書。微睡。録音、データ整理多数。当直医到着待って19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ3158歩。 
文房具2022(4) 万年筆(2) 修理代が有に価格を超えたモンブラン
 私は筆記用具にはこだわる。別に高価なものとかではなく気に入ったか否かである。

 万年筆はモンブランマイスターシュティック149を30年ほど使った。亡くなったある患者さんにいただいた品である。決して書き味は良いとは言えなかったが、その方の思い出もあって使い続けて来た。

 この製品はトラブル続きであった。今になってみればいい思い出になっているので当時の記録を元に思い出してみた。

 ?18年間使用した頃、キャップのクリップが金属疲労によって折れた。毎日、時には10数回もポケットから出し入れしたので当然かもしれない。
 大阪の代理店の返事では、一本一本が手工芸品でありクリップだけの交換は出来ない、とケチな私にとっては驚くような対応であったが、結局、先方の言う如く軸全体を交換した。
 ?さらに数年後にボディが割れてインクが漏れて再度軸全体を交換した。2回の修理で購入価格の半分以上の費用がかかった。
 ?2006年ころ、インクが途切れ字がかすれるようになった。更に、秋になって再びペン軸に微少な亀裂が入ってインクで手が汚れる様になった。
 修理をしようと決心し出入りの小売店に持ち込んだ。
 
 小売店からの連絡では、『モンブランは体制が変わり、従来国内で修理していた品も全てドイツに送って修理するようになったので、修理可能か否かの返事と見積もりに2-3ヶ月、修理依頼はそれから3ヶ月ほど、修理しない場合は往復の送料と見積もりの費用で2万円ほど…』、とのことであった。

 このモンブランの報告には呆れた。この時点では修理しない、と返事し、仕舞い込んだ。

 しかし後日、これは何かの間違いでないのか?と思い直し自分で確かめた。それによると「通常のマイスタースティックなら国内で修理可能」とのことであった。

 上記のやり取りを経て数日前修理に送ったが、届いた返事は「現在、マイスタースティックの部品が品切れで取り寄せていますので、2-3ヶ月かかるかも知れません」というものであった。ボディとキャップ一式交換となり、ペン先の曲がり修理で、送料込みの費用は16.497円であった。

 これでこの万年筆はボディ交換2回、キャップ交換3回で、残っているのはペン先部分だけ。2007年までで修理費用の総額は購入当時の価格56.000円をユウに超してしまった。

 ペン先だけは変わっていない。だから、良くない書き味はそのままである。されど妙な満足感がある。

 これが愛着というものなのだ、としみじみ思う。何でもそうだが、物品に変な愛着を持つとコスト/ベネフィット比は確実に悪くなる。それで更に愛着が深まっていく。自分のバカさ加減にもほとほと呆れるが、こんな自分の性格にも愛着が増してしまう。

 その後、紆余曲折あり、私の好みは「パイロット」に集約していくことになる。

10/29(土)晴れ   午前孫一人あづかり 午後樹木伐採処理
1:00起床、体調良好。何時もと同じ。データ整理、読書中心。8:00孫一人あづかり。対応、疲れた。微睡後、植木の処理、伐採。15:50散歩歩行に。19:00夕食。20:20就寝。歩数計Σ6393歩。 昨年居間のストーブ準備、初点火。
文房具2022(3) 万年筆(1)
 私は万年筆が好き。万年筆はいい、書き味がいい。ペン先でインクが一瞬にして乾くのがいい。万年筆は字を書くことが楽しくする。また、万年筆による筆跡は他の筆記用具で書いたものより上手に見えるのもいい。

 しかし、最近はキーボードを使うことが大部分で、万年筆の出番は大幅に減ってしまった。それでも、居間や書斎、飯川病院のパソコンの脇のペン皿には各々一本の万年筆があり、ちょっとしたメモなどの場合に用いている。

 私が万年筆に興味を持ったのは小学校の高学年だったと思う。父親が書き物をしているところをのぞき込んで、初めて万年筆を知り、欲しいと言ったらしい。間も無く私は安物であったが万年筆を買ってもらった。
 大変気に入って、勉強の際にしょっちゅう使っていた。

 私は社会に出てからは、日常的にはより便利なボールペンを用いるようになったが、いつも万年筆を意識し憧れていた。

 いつぞやは某文具屋でペンドクターによる修理、相談会が開催されていて私も立ち寄ってみたことがある。通りすがりだったのでその時は不幸にして万年筆を持っていなかったが、高齢のペンドクターは「多くの方々は万年筆の最良の状態を知らないで使っているのです。万年筆は調整が必要で、それによって驚くほど書きやすくなります。万年筆は奥が深いのです・・・」と話していた。当時私はモンブランのマイスターシュティックを使用していたが、必ずしも書き味に満足していなかった。ペンドクターの説明に興味を持ったが、実際に持ち込んで調整してもらう機会は失っしてしまった。その後、モンブランの維持には手を焼き、やがて机の奥に仕舞われてしまった。残念なことをしたと思っている。

 私が今までに使ったことのある万年筆は20本ほどだろう。私にしてみれば意外と多い。私は気に入って物があると徹底してこだわり長期間にわたって使用する傾向にあるが、万年筆に関してはこの傾向が破れた。

 社会に出てからは自分で購入したのも3-4本あるが、大部分の万年筆は頂き物であった。患者さんからいただいた「モンブラン」、病棟スタッフたちから何かの祝いにいただいた「プラチナ」、製薬会社からいただいた「セーラー」のデスクペン、「パイロット」などなどである。

 加えて、県医師会の広報担当をしていた時、頻回にNHK秋田局の健康番組に出演した。出演の報酬は出なかったがそのたび毎に記念品をいただいた。その中にある時期記念品として万年筆があり、私は5種類ほどの外国製の万年筆をいただいた。「シェーファー」が2本、「パーカー」、「ラミー」、「ウオーターマン」など自分では買うことがないような一流メーカーの製品で、万年筆好きの私を喜ばせた。それらは決して高級品ではなかった。私も使いこなすよう努力してみたが、結果的に私の好みに合うことはなく、机の奥に仕舞われた。
 
 私の好みは「パイロット」の製品に集約していくことになる。


10/28(金)  超快晴午後降雨  大曲中通病院外来休診  飯川病院ボランティア 
1:40起床。体調良好。文献、新聞チェック、画像データ確認、徒然。可燃ゴミ少量でまとめだけ。午前は繁茂した玄関先の庭木の枝落とし。12:12バスにて飯川病院、ボランティア。15:00富国生命スタッフ来訪、医療保険の手続き、そのほか歓談。家内院外で会議、
19:00通町経由港交通タクシー帰宅、クレジット支払い、14日のツケの分も支払い、夕食、21:00就寝。 歩数計9110歩。 
下血にて急入院(9) 死ぬにはいい環境だったね(3) 下血直後は死を覚悟した
 私は子供の頃から自分に残された時間はそう長くはないのではないか、と思いながら生きてきた。幼少・少年時代にも、そんな考えがあった。ひとつには自分がとても虚弱児であったことが関連している。
 成長するに従い徐々に丈夫になってきたのであるが、その考えは心の隅から消えたことはない。結果として今まで長らえてきたからその事を吐露するのはいささか恥ずかしい。

 私が年老いた両親から生まれたこともあって私にとって肉親、家族は比較的早くに死死亡した。2015年にたった一人の兄が死去し、そういう意味では天涯孤独となった。もちろん、私の家族がいるから恵まれている。

 「死は前から迫ってくるだけでなく、後ろからも忍び寄る(兼好)」、という有名な言葉がある。私が通常意識していたのは前から私を迎えにくる死のことであるが、私の後ろから迫ってきた突然の死の危険は5回あった。

 ?小学生時の虫垂炎・腹膜炎、?腸閉塞、?心原性脳梗塞、?崖からの滑落で頭部打撲と腰部出血。さいわい、運が良かったのだろう、いずれも大事に至らず乗り切ってきた。

 ?今回の腸出血は5回目に当たる。
 
 10月20日の早朝から大量の下血が始まり何度も繰り返した。これは血液凝固阻止剤使用下でもあり、厳しい状態であった。血液で汚れた下着、便器、敷物を自分で淡々と処理していたが、途中で家内に見つかり手伝ってもらった。
 その時点では「ついにお迎えが来たか・・・」と、その時点では覚悟した。しかしながら、いつも考えていることなので不安はなかった。

 数時間後に排泄量は減少し、全身的悪影響はそれほどなかったので若干心に余裕が生じた。
 しかし、「これで最後かもしれない」という気持ちが残っていたので、後世に残しておくと不都合な秘密の電子データを全部消去し、午前に救急と消化器外来受診、大腸憩室出血の診断のもと、内視鏡的止血処置を受け、入院した。

 今後も再出血はありうるが、その際には、●輸血療法のもと自然止血を待つ ●内視鏡的止血処置 ●放射線科的血管処置にて塞栓術 ●大腸憩室切除の順に対策がなされるであろう。急死の可能性はほぼ消滅した。

 今回入院後は、止血阻止剤の中止、トイレ歩行禁止、車椅子介助、水分摂取のみで3日間絶食など、当面の再出血をさせないよう、ちょっと過剰と思われるケアのもと経過を見た。さいわい、再出血はなく、徐々に制限が解除され入院7日目に退院となった。

 私の人生は幸運に恵まれている、とつくづく思う。
 今回も、再び人生を機微を味わい続ける機会が与えられた。残りの時間を大切に過ごしたいと思う。

10/27(木)   晴れ   飯川病院終日 院長口腔外科受診 孫虫垂炎大学で手術
 1:20起床,自宅に溜まった書類ほか整理、ほかいつものごとし。7:50家内に同乗、飯川病院、途中新国道から飯川病院まで歩行。院長は秋大へ向かう。口腔外科受診で終日勤務。入院患者対応、その後歩行訓練へ、千秋公園お堀のハス刈られて環境一変、コイは一匹も現れず。ミルハス喫茶室に初めて入る。タッチパネル注文がいい。文化創造館経由。19:00帰宅、夕食 20:45就寝。歩数計Σ9200歩。孫虫垂炎大学で手術。
下血にて緊急入院(8)  死ぬにはいい環境だったね(2) 自分の白骨化を夢みる
 私は医師の立場で大勢の方々の死を看取ってきたが、「死に目に会う」ことの意義をほとん感じない。長い人生の中で「死の瞬間」など意味はそれほどない。

 私の場合、77歳、もう十分に生きた。今回は幸運な経過を辿ったが、非可逆的病状と判断された際、あるいは慢性病で緩徐に朽ち果てていくような場面では、すべての医療的処置を中止して一人にしておいて死ぬのを待って欲しい。

 栄養も水分も、酸素も不要。それでも死ぬまでに時間がかかるようなら自宅に運んでもいい。死を待つ家族には、番をする一人を残して、残さなくてもいいが日常と同じ生活をしていて欲しいと思う。私は一人で静かに旅立ちたい。

 私は 深沢七郎著「楢山節考」、平谷美樹著「でんでら国」などに描かれた高齢者の死生観の世界が好きだ。私もそれに近い考えを持っているが、現代には通用しないだろう。

 私が死んだら社会的抹消手続きを早急にやってほしい。
 棺はどうせ焼却するのだからダンボール製で十分、顔の部分に扉がないのがいい。あるいは扉があるなら開かないように固定してほしい。折角死んだんだから、死に顔まで見られるのは嫌だ。
 そして出来るだけだけ早く火葬にしてほしい。
 火炎の魅力は、何でも焼きつくすパワーである。強烈な熱と焼却力は私にとっては浄化力でもある。火は実に美しく、潔い。

 火葬によって白骨化した自分の姿を想い感慨を抱く。
 白骨は最高に美しい。人間が到達できる究極の美の姿、完全な浄化、私はそう思う。

 白骨の魅力が私の対人間観に与えた影響は大きい。

 親族の死、愛憎を含め、私との間で蓄積された、あらゆる感情が死の瞬間をもって浄化される。そこには、喜びの感覚さえ伴う。
 自分自身の白骨化も夢想する。私はその時、長い間蓄積してきた罪深い人生が浄化されるのだ、と心待ちにさえしている。
 太宰治は「人間失格」の中で「恥の多い人生を送ってきました・・」と吐露した。私の好きな言葉である。私はこの言葉を借用し「罪深い人生を送ってきました・・」と自分の人生を総括している。
 
 私の「罪深い人生」とは、社会的に糾弾されるようなことを示しているのではない。他人が眉をひそめるようなことは無かったわけではなかろうが、明らかに「罪」として問われるべきものはない・・と思っている。
 私の言う「罪深い人生」とは、気が小さい事を背景に「本音と建前」を過剰に使い分けてきたことである。誰だって同じだろうと思う。しかし、私の場合は自分で許しがたいほど著しかった、ということ。

 こんな夢想を病床で考え、一人でにやけていた。


10/26(水)  爽やか快晴 入院7日目午前退院 午後飯川病院COVID-19ワクチン担当
1時頃から読書。徒然記載、ときどき微睡。体調良好。5時頃からデイルームでブログ更新など。早朝ガラス越しだが日光浴いい気分。太陽ってすごい。感謝しなければ。7時50分朝食、常食、味噌汁、鮪フレーク、お浸し、ひじき炒め煮、牛乳。朝食後退院に向けて身の回り整理。9:30会計処理等修了、入院費支払い後退院、徒歩で飯川病院。検食、微睡、講演責任者に詫状作成。14:00-15:15COVID-19ワクチン担当。データ整理中心。19:30帰宅夕食。20:45就寝、歩数計Σ7145歩。

下血にて緊急入院(7)  COVID-19で面会禁止 死ぬにはいい環境だったね(1)

 今は全国的に医療機関はCOVID-19で入院患者は面会禁止扱いとなっている。社会的には旅行者の入国制限などが解除されつつあるが医療機関はそう制限を軽減できない。入院患者に感染するとクラスター化し大変な事態となるし、スタッフ達が感染しても人手不足で病院運営が困難になる。

 だから、今回の入院中は病棟内に家族達はおらず、加えて入院患者通しのコミュニケーションもなく極めて静かな入院生活であった。

 私も後期高齢者である。今回の入院は大腸憩室からの出血で、大事に至る前に内視鏡的に止血処置を受けその後は出血していない。間も無く退院できる。
 今のところ順調ではあるが、高齢患者の入院の場合はまともに推移せず、入院していても不測の事態が重ねて生じうるリスキーな状態といえる。

 だから、病状が落ち着いてくるといろんなことが脳裏に浮かんでくる。
 こんな静かな病床なら「死ぬにはいい環境だ・・・」とも考えた。それほど切羽詰まった状況でないから余裕を持って考えられた。

 私はとても恥ずかしがり屋である。衆目の視線は辛い。
 現役の時には大勢の方々を前に挨拶とか講演をこなしてきた。インフルエンザの時期にTV出演も少なくなかった。これらは私にとっては針の筵のような辛い仕事であった。
 私は、今はかつて勤務していた病院の外来診療のみ続けているが他の活動は一切行っていない。ほとんど忘れられた存在になった。これぞ私の理想とするところであり、時とともに確実に理想に近ずいている。

 次にちょっとだけ注目されるのは死ぬ時だろうかな、と思う。とはいっても関心を持つのは家族ぐらいなものである。
 こんな性格だから、私は死ぬ時もひっそりと一人で死にたい、と思っている。 

 2015年に兄が死去したが、普段付き添っていた奥さんが外出している間の死亡であったという。彼女は「まさか死亡するなんて・・」と激しく嘆いていたが、私は報告を受けた時に、これぞ理想的な死に方だ・・と羨ましく思った。

 よくわからない習慣だが、わが国では「死に目に会う」ことの意義がことさら強調されてきた。今でもそうである。日常、施設に預けっぱなしでロクに世話しない子供達ほど「親の死に目に会う」ことにこだわる。中には東京にいる子供達が来るまで人工呼吸器とかつけて延命させといてくれと懇願されることがある。私はそれは「最大の親不孝となる」と説得しお断りする。親孝行は親が元気なうちに、互いに感じ会える状態でなければ意味がない。臨死状態で改めて会っても何にもならない。この辺のことは映画やドラマで美化され過ぎている。

 私は医師の立場で大勢の方々の死を看取ってきたが、「死に目に会う」ことの意義をほとん感じない。死の瞬間など意味はそれほどない。


10/ 25(火)入院6日目 爽やかな快晴
 通常なら中通病院外来と午後飯川病院ボランティア、全てキャンセル。
1時頃から読書。徒然記載、ときどき微睡。体調良好。早朝ガラス越しだが日光浴いい気分。7時50分朝食、常食、味噌汁、味付け卵 お浸し ゼンマイ炒り煮、牛乳。12時昼食、常食 若鶏のケチャップソース、フレンチ和え、リンゴ2切。18時夕食。常食、焼き魚と付け合わせ 豆腐の中華あん、オレンジ2切。
 9時過ぎ外科回診。明日退院予定とのこと。新聞チェックスクラップ、読書音楽三昧。消灯と共に就眠。歩数計Σ2622

下血にて緊急入院(6)   4人部屋、カーテン閉めっぱなし、これじゃ個室と変わらん
 私も入院歴は5回目になる。
 1回目は膀胱頚部硬化症手術(2007年)、2回目は腸閉塞手術(2012年)、3回目は心原性脳梗塞(2012年)。4回目は鼠径ヘルニア手術(2016年)で、その時は何れも個室入院であった。

 今回初めての4人部屋の経験である。空床がない状態での緊急入院だったのもあるが、これが高齢者医療の通常の姿で良い。スタッフはキャリアを意識していろいろ気遣ってくれたが、退職後約10年の、引きこもりの高齢医師にとって、これで十分である。若い人にいい療養環境を与えなければ、と思う。

 4人部屋に入るに当たっての最大の心配点は同室者とうまく会話できるか、であった。
 しかしながら、この点は全く杞憂であった。何故ならば、各々の患者が24時間ベット周辺のカーテンを隙間なく締め切っているからである。入院6日目の今日まで同室者の姿も見たこともなく、一言も挨拶も声を交わす機会がなかった。時折の看護師との対話は聞こえてくるから居ることは確か。

 私が病棟患者を受け持っていた約8年ほど前の旧病院の病室の雰囲気とは全く異なっていて、驚くと共に感心した。当時は朝になると患者達自らが、あるいは看護師がカーテンを開け病室を明るくし、時には患者通しのコミュニケーションを仲介することもあった。請われて担当以外の患者を診ることもあった。

 私一人だけが古い感覚を持っているのか?
 これについて病棟看護主任を呼んで確かめてみた。主任によれば「2014年に新病院になってからはずっとこんな雰囲気で、患者さん同士、特に男性はカーテンを締切り、ほとんど会話もしなくなった。患者が嫌がるので看護師も介入せず患者に任せています。一部の女性部屋では日中はカーテンを開けて過ごす部屋もありますが、むしろ稀です・・・」という。

 時代柄かな?とも思った。その際、日本人は孤独好きになったのか??それともプライバシー優先か??どっちだろうか、疑問に思った。

 この半閉鎖空間、患者同士の対話なしの環境は、私にとってメリットであったが、困ったことは、私は病室入り口脇の壁側のベットであったから、さらにカーテンがあったから、入院後太陽には一才お目にかかっていないことであった。だから、歩行が自由になった時から、連日6時前後に日当たりのいい廊下のコーナーに車椅子を置いて1時間ほど日光浴を楽しみながら読書や音楽を聴いていた。


(入院中の私にとって貴重な太陽だった am6:05東の空に姿を表した瞬間)

 日光浴をした日は一日中身体がぽかぽかして暖かい。体調も気分もいい。
 太陽って本当に素晴らしい存在である。我々の全ての母である。改めて感謝を捧げたね。

10/24(月) 1024(月)入院5日目 爽やかな快晴
通常なら健康クリ二ックドックと午後飯川病院、共に休む

1時頃から読書。間欠的に微睡。体調良好。7時50分朝食、全がゆ、味噌汁、鮭缶おろし添え、炒り煮、牛乳。12時昼食、常食 立田揚げと付け合わせ トマト煮、きうい2切。18時夕食。常食、茹で豚味噌だれあえ、しめじのおろしあえ、林檎2切。

 9時過ぎ外科回診。本日の点滴中止となる。ありがたい。プラザキサは本日から減量の上開始。明後日退院予定とのこと。目の前がパッと開けた感じ。読書音楽三昧。新聞スクラップ化。消灯と主に就寝。歩数計Σ2439。

下血にて緊急入院(5)   アメニティについて、
 アメニティとは本来は地域とか住宅などの居住空間の快適性を指す言葉であるが、最近では身の回りを清潔に保つ小物消耗品のことを指す様である。
 
 入院したらすでにベット脇のテーブルにはホテルの浴室にあるような歯磨きセットなどの小物がおいてあった。へー、最近も病院もホテル並みのサービスになったのか、と驚いた。そのほかにも戸棚の中にはバスタオルとかのタオル類、リハビリパンツとその内側に敷く大型の尿とりパッドが数枚ずつ置いてあった。
 入院3日目頃にこれは経営に余裕のない医療機関のサービスとしてはありえない、と気づいた。

 調べてみると、入院時に家内が1日350円のアメニティコースを2口申し込んだようだ。紙おむつコースと日用品コース。申し込めば消耗品はほぼ使い放題のようだ。要するに自分のものだったのだ。ならばもっと遠慮なく使って良かったのだ。それに気づいた時はもう殆ど必要なくなってからであった。

 紙おむつコースにあるリハビリパンツとその内側に敷く尿とりパッドはあまりにも大きく立派すぎて、ちょっと汚れた程度では取り替えるのに気後れしてしまう。私は安易に交換しに方法を考え実践した。だから消費したのは2枚だけ。

 また、紙オムツと言われるが、紙というのは名前だけでほぼ石油由来の化学製品の吸水ポリマーだから焼却処分は地球環境にも良くないだろう、と心配になる。廃棄された紙おむつは液体成分が主で重い。これを焼却するとなると燃料として重油を大量に要する。紙オムツの消費量は高齢化で増加の一歩である。いま再生の方向で研究が進んでいるようだが、内容が汚物だけにその処理は困難で、道は遠い様である。

 自分だけ綺麗にしていい気分になればなるほど結果的に地球環境を汚すのだ。洗濯好きの我が家で家事担当の石井さんにいつも言っていることばである。私は汚さない事を旨としているから滅多に洗濯物を出さない。

 アメニティの使用を申し込むと、家族が細やかに用意する手間が省けて良いとは思うが月額にすると1コース10500円になる。これが患者負担の面から見て如何なのだろうか。特に長期入院となればどうなのだろう。私は今も働いておりいささか余裕があるが、年金暮らしの高齢者達にとって決して少額とは言えなかろう。

1023(日)入院4日目 爽やかな快晴
 3時頃から読書、音楽。7時50分朝食、全がゆ、味噌汁、生姜煮、おひたし、キャラ蕗、牛乳。12時昼食、全がゆ、サーモン焼魚、麻婆茄子、オレンジ。美味しかった。18時夕食は、全粥、牛皿、卵豆腐、ブドウ。美味。新聞スクラップいつもの如し。おどろいたことにもう2日間日中のみ点滴あるという。すなおにうけいれる。午後点滴針差し替え。徒然追記という形で更新。ブルックナー、チェリビダケ盤3~9番じっくり聴く。ちょっと気持ちが落ち込んでる時には最適な演奏。入院に慣れ、病状が安定してくると食事くらいしか書くことがなくなるのが寂しい。歩数計Σ3543

下血にて緊急入院(4) ?消化器外来で受けた下部消化管内視鏡の苦しかったこと 死ぬかと思ったね
 今回の下血は10月20日(木) 予兆なく早朝から始まった。特に腹部症状なく凝血塊と血液のみ排泄。色調から大腸由来と考え、憩室出血と考えた。朝方には止血されかかったのか、血圧脈拍、自覚症状に著変なきため午前の救急外来受診、採血、CT、点滴等の検査と処置を受けた。
 データ上、血色素の軽度低下以外に大きな異常はなかった。消化器担当医は一応内視鏡もやりましょうとのこと。私は簡単な前処置しか出来ないのだから出口近くの一部の観察だけなのだろうか??私は気楽に同意した。
 実際に内視鏡を担当してくれたのは若い女医さんであった。

 最初の頃はやさしく声も掛けてくれたが、医師は次第に無口となり表情も真剣になっていった。
 モニターで見てても腸管内には凝結塊のみ。しかし医師はそこで止めずさらに奥にすすめていく。それに伴い苦痛は増したが必死に耐えた。やがて内視鏡は盲腸にまで達した。憩室は数10ヶみられたが顕出血はなくこれで終わりか、とホッとしたが医師はなお真剣に何かを探している様子。途中でヴェテラン医師を呼び交代した。すでに出血は見られなかったが責任病巣と思われる部位に止血用のクリッピングを数本置いた。部位的に困難らしくここでも長時間を要した。

 この間、約1時間半。激しくつらかった。
 ガス注入による強度の腹満、疼痛で、頭は、汗びっしょり吐き気も伴った。これほど腸管を空気で拡げたら再出血を誘発するんではないか、たくさんの憩室がある腸管が破裂しないか、既に出血はないのだからクリッピングは不要ではないか、etc etc要らざることをいろいろ考えた。
 それ以上に、あまりの苦しさに、このまま心肺停止してもいいな、とまで考えたほどであった。
 その後、間もなく検査は終了となり、私はケロリと生き返った。生きてて良かった。

 予定外の飛び込みの患者に対して、ずいぶん頑張ってくれた検査医には心から感謝したい。ただ、願わくは、局所の病変の観察と同じに、検査されている側の苦痛の声や苦痛の表情も見て欲い、ということであった。


1022 (土) 入院3日目 降雨時に雷鳴     第三者内科同窓会(欠)
 本日は飯川病院日当直が当たっていたが、代行医見つからず緊急的に院長に代行お願いした。頻尿傾向も若干よしが辛い。ほとんど普通便となる。2時頃から読書、桜の樹の下で下巻に。音楽も楽しむ。
 病状の悪化のはなさそう。今朝から流動食か?期待したが実際には朝食は来なかった。プラザキサは指示待ち。午前回診時に病棟内歩行可能となる、これは大きい。昼食から食事開始、という。12時昼食から食事出た。心臓高血圧1600Cal、全がゆ、焼魚、野菜あんかけ、バナナ。美味しかった。18時夕食は、全粥、オイスターソース炒め、マカロニサラダ、キウイ2切。美味。新聞スクラップいつもの如く進める。iPhoneのテザリング解決、飯川よりMacBook Air運んで貰いパソコン環境整えた。これで徒然更新できる。記憶力悪いから早目に文章化しておかないと忘れてしまう。ブログ軽く更新、取り敢えず入院した旨のみ掲載。以降可能なら状況を追記していく。20時点滴終了。読書三昧できるのは嬉しいが選択肢が乏しい中、それだけだと辛くもある。消灯と共に就眠。
 歩数計Σ2623

下血にて緊急入院(3)   入院で有用な道具類
 今回は緊急入院だったし、経過観察が主の短期入院と考えられたので特別な用意はしていない。最小限の下着類と以下の電子機器のみである。身の回りの衛生品、消耗品はアメニティ購入したらしく看護師に求めると持って来てくれる。

 読書関係としてiPad mimi 、iPad pro持参。両者に合計数百冊の蔵書が収められている。

 音楽ラジオ関係としては、録音機能付きラジオオリンパスPJ20、iPhone8とヘッドホンソニーWH1000XM2。これらに音楽ソースCDにして600枚分を入力してあるので選曲に困ることはない。

 これらに加えiPhoneのテザリングでWi?Fi接続が可能になったのでパソコンでブログも更新出来るようになったから殆ど不自由していない。あえて言えば爪楊枝が欲しい程度。早速、妻に持ってくるようお願いした。

 入院後、出血はとまっており再出血に備えての経過観察で検査も無い。トイレ往復が主で暇である。
 入院後読む機会がなかった渡辺淳一のエッセイ集数冊、医療界を舞台にした、白き白骨とうの小説をを読んでいる。音楽はブルックナーの交響曲3〜9番をチェリビダケ盤で繰り返し聴いてる。ブルックナーの曲は何度聞いても混沌として覚えられない。それがまた良い。

10/21(金)入院2日目  快晴のち曇り
健康状態に変化あり緊急入院しています。当面数日ほど掲載をおやすみします。
以上お知らせいたします。
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追記(2)
 本日は大曲内科診療を休診とし、講演に当てたが今回の緊急入院で中止となった。返すがえす残念。
 2時頃起床、早朝から読書音楽鑑賞中心で過ごす。実に贅沢、されど他の選択肢が無いだけ辛い。
 頻尿傾向が辛い。尿瓶用意してもらい介助の頻度は減らせたが、便意も伴うので尿取りパッド等の交換が必要であった。それらを看護師の手を借りず自分で全て処理できているのが嬉しいし満足。新しい血液の排泄無し、凝血のみ。
 ネットに繋ぐためのiPhone   iPad間のテザリング試みるもうまくいかない。
 午前回診時トイレ歩行のみ可能になった。看護師の車椅子介助が不要になりこれは大きい。主治医はまだ出血持続と判断し、水分は可となるも絶食は継続となる。家内から新聞ジュースほか届く。オロナミンC、いつになく美味。喉に沁みた。

  ブルックナー交響曲4と5番じっくり聴くフィナーレの弦の刻みの上でうねりの如く盛り上げる手法にいつも感心。その後、新聞スクラップ作成。読書音楽鑑賞中心で過ごす。消灯とともに就眠す。歩数計Σ 2761

下血にて緊急入院 (2) 追記(2) 状況報告 

緊急入院(2) ?今回の出血の原因は何か?
 憩室は50ケ近くあるがこれはは30年も前からわかっていたこと。いままでは健診時に時に潜血反応陽性はあったが継続的陽性はなかった。顕出血の既往はない。今回、憩室内に炎症でもあって出血が始まりそれにプラザキサ服用が影響したのであろう。これほどの憩室があってこの間腹痛も殆どなく便通にも問題なかったのが不思議。プラザキサ服用の副作用に消化管出血は上位に位置している。心房細動の脳梗塞の再発防止には必須であるから痛し痒し、である。笑ってはおれない重大なことなんだけど。

 ?今回の出血量はどれ位か?
 自宅でも病院でも血圧は終始120/ mmHgといつもよりは低目であるが立位でも目眩もなく頻脈も生じなかった。したがって反応性の血管収縮で循環動体は維持されていたのだろう。救急受診時と本日の血色素の動きも比較的軽微であった。せいぜい500ml程度か、と推定できる。よく止まってくれたものだ、と感謝。水洗トイレ使用時の下血量は水に混じるためなかなか実態は分かり難い。


10/20(木) 快晴 夜半降雨 原因不明の大量下血 
  本日は飯川病院午後勤務。講演準備予定であったが私の健康状態に緊急事態発生し共にキャンセル。
 1:00通常に起床、トイレにて鮮血の大量排泄あり。4時頃からは排泄無し。止血されかかったと期待。9時飯川病院に移動し、消化器内科T医師に相談、先に救急受診とし、採血点滴、CT検査を受けた。データ上貧血以外は異常少ない。CT検査も同様で腫瘍など無し。正午前から大腸内視鏡検査となる。 約1時間半のフルコース。これが激しくつらかった。頭汗びっしょり吐き気もあったがなんとかたえた。すでに出血は見られなかったが責任病巣と思われる部位にクリッピング数本置いた。

 その後やはり入院に。全身的に可能ではあったが主治医からは講演は許可でなかった。血管系病変はいつ再出血になるか予測できないため、という。確かに止血後数日後に再出血来した患者を何名か経験している。やむなし。

 5階消化器病棟、4回目の入院で初めて4人部屋。それだけ病床混雑。絶対安静を命ぜられトイレ歩行も許可ならず介助のもと車椅子移動となる。これがストレス。

 講演は家内を通じ講演責任者に状況説明依頼、先方は講演が翌日のことであり多分ショックだったろう。この講演会は3年越しの計画、過去2回はCOVID-19蔓延で中止となったもの。今回は準備万端であったがその前日の緊急事態、関係者には迷惑かけた。申し訳ないけどやむを得ない。私も最後と捉えていたからこんな事態で中止にせざるを得ないのは残念であった 

 16時30分入院、その後は特別症状はなかった。読書音楽鑑賞中心で過ごす。
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下血にて緊急入院 (1) 追記(1) 状況報告
 10/20(木) 快晴 夜半降雨 早朝から原因不明の大量下血 
  本日は飯川病院午後勤務。講演準備予定であったが私の健康状態に緊急事態発生し共にキャンセル。
 1:00通常に起床、全く予兆なくトイレにて鮮血の大量排泄あり。15分毎と頻回であったが色調から大腸由来と考え、多少余裕を持って対応。症状が全くないことから類推し憩室出血とかんがえた。4時頃からは排泄無し。止血されかかったと期待。
 血圧脈拍、自覚症状に著変なきため消化器内科を午前受診とし、9時飯川病院に移動し、消化器内科T医師に相談、先に救急受診とし、採血点滴、CT検査を受けた。データ上貧血以外は異常少ない。CT検査も同様で腫瘍など無し。

 正午前から大腸内視鏡検査となる。簡単に病状確認のと思ったが約1時間半のフルコース。これが激しくつらかった。頭汗びっしょり吐き気もあったがなんとかたえた。すでに出血は見られなかったが責任病巣と思われる部位にクリッピング数本置いた。

 その後やはり入院に。全身的に可能ではあったが主治医からは講演は許可でなかった。血管系病変はいつ再出血になるか予測できないため、という。確かに止血後数日後に再出血来した患者を何名か経験している。やむなし。

 5階消化器病棟、4回目の入院で初めて4人部屋。それだけ病床混雑。絶対安静を命ぜられトイレ歩行も許可ならず介助のもと車椅子移動となる。これがストレス。

 講演は家内を通じ講演責任者に状況説明依頼、先方は講演が翌日のことであり多分ショックだったろう。この講演会は3年越しの計画、過去2回はCOVID-19蔓延で中止となったもの。今回は準備万端であったがその前日の緊急事態、関係者には迷惑かけた。申し訳ないけどやむを得ない。私も最後と捉えていたからこんな事態で中止にせざるを得ないのは残念であった 

10/19(木) 快晴 夜半降雨  

文房具2022(2) 鉛筆削り器は鉛筆の墓場である
 私は筆記用具の中では万年筆に次いで鉛筆が好きである。
 鉛筆には独特の使用感、木の感触、安定感ある書き味、削ったときの木くずのにおいなど、他の筆記具には得られない、魅力、利便性がある。だから、今も家でも職場でも机のペン皿には数本の鉛筆が出番を待っている。

 私は漢字や英語の単語などはなかなか覚えられず、記憶すると言うより手で覚える方法を取った。だから、頻回に削らなければならなかった。しかし、決して煩わしいと思ったことはなく、鉛筆削りを毎日楽しんでいた。

 特に、勉強を始める前に、あるいは疲れて一休みする際に、愛用の小刀や折りたたみのカミソリでじっくりと自分に合った形に削り挙げる、自分の望む形に自分で整えて使う、あの感触,快感は捨てがたい。今は、より切れ味の良いカッターで削るから尚更良い気分になれる。

 鉛筆削りと言えば、私が子供の頃は手動の削り器があった。消しゴム程度の大きさの、斜めに羽が付いていて穴に鉛筆を差し込んでくるくる回すタイプである。私は好きになれず殆ど用いなかった。このタイプは今も入手できる。

 高校の頃ハンドルを回すタイプの削り器を求めて一時的に使った。便利ではあったが、固定する爪で鉛筆に傷が付くこと、無駄に削りすぎること、短くなった鉛筆は削れない・・などの欠点もあって、私の性に合わずあまり使わなかった。

 最近は電子カルテが普及して筆記の様相が変わったが、病棟ではしばらくは二色鉛筆を用いていた。職場ではハンドル式あるいは電動削り器が備わっていて、鉛筆は驚くほど鋭く削られていた。

 私はこれを見る度に心に大きく傷が付いた。本来、鉛筆の芯は削る必要はないのだ。私は基本的に芯自体を削らない。最終的に先端をちょっと鋭くする程度。二色鉛筆は回しながら用いることでいい条件で字を書くことが出来るから芯は削らない。だから、一本の鉛筆の寿命は極めて長い。

 削り器で削った芯は鋭どすぎて減りやすいから頻回に削らなければならない。悪循環である。

 私の感覚では、手動鉛筆削り器、電動削り器は鉛筆の墓場である。何にも悪い事などしていないのに、鉛筆として持てる機能の大部分、恐らく90%はこの器具で削り捨てられていると思われる。しかも短い鉛筆は削れない。実に気の毒で、勿体ないことである。

 まあ、一般人がこのような感想を抱くのも時代柄もうない事かもしれない。

10/18(火)   快晴 中通病院外来   飯川病院ボランティア
 0:30起床、文献検索、読書中心、5:15可燃ゴミ集積所に。6:40バス飯川病院へ、8:45-12:45中通病院外来。比較的混雑、対応困難患者あり疲弊。13:00飯川病院。微睡、新聞入力、専門誌入力。データ整理。19:30帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ9878歩。 
文房具2022(1) 鉛筆
 私は随分と、コツこつと勉強してきたもんだ、と今更思う。

 何が本当の勉強なのかはさておき、私は決して頭がいいとは思えなかったから人一倍努力するしかないのだ、そう自覚したのは小学校の高学年時であった。なにしろ、小学校に上がる前から将来は医師になって家業を継ぐことを半ば強制されていたからである。それからは、遊びはもちろんあったが勉強中心の生活にした。

 そんな私にとって、いつも机上の座布団に鎮座して私を見守ってくれた初代のネコと、鉛筆は私の友であった。当時、鉛筆は何かにつけて貰うことが多く、あまり買ったという記憶はない。運動会、学芸会などの景品などはたいてい鉛筆2本であった。それで私の用具箱の中には多数溜まっていった。

 高校以降の頃、色気を出して三菱ユニHBとか高級鉛筆を求めたこともある。木は綺麗な正目でソフトで削りやすく、芯も折れ難かった。確かに素晴らしかったが、性格上贅沢品は使えないから今でもそっくり残っている。わたしは普及品、あるいはそれ以下の製品をうまく使い切ることに意義を感じていた。

 勉強する前には小刀を利用して鉛筆を削ることから始める。木の部分を綺麗に削り、芯は多少長めにし、先端のみを鋭く削る。3段になるが、これで長い時間字を書く事が可能になるし、ちょっと小刀をあてればすぐに鋭くする事ができる。

 私はものを大事にする方である。しかも手先はちょっと器用。短くなった鉛筆はほとんど捨てる事なく工夫して徹底して使い切った。市販の鉛筆ホルダーの利用、鉛筆同士を楔形に削りセメダインと糸で互いに接合して延長する、古いボールペンのプラスチック部分を改良して自作ホルダーにするなど、鉛筆は1cmほどまで使い切った。

 多分よその人たちよりは2倍3倍と有効に用いたのではないか、と思っている。

 鉛筆の使用頻度は徐々に減っていった。中学時に万年筆に目覚め、高校・大学時にはボールペンが主流になっていったからである。今はほとんどパソコンで作文する。
 
 それでも今も机の中のペンケースには鉛筆が1-2本鎮座し出番を待っている。ちょっとしたメモには有用である。
 また、文房具箱には古い鉛筆が多数残っている。


 いかに鉛筆を用いてきたかは私の右手の第3指の先端には大きく硬くペンダコが残っている。

 私の望みは、6角形の2色鉛筆の登場である。丸型だと転がって困る。わたしは2色ペンの中央部に輪ゴムを巻いて転がりを防いでいる。

10/17(月)   曇り  健康クリニックドック  飯川病院 
1:30起床、歩数計のがたつき修理改善。6:40バス飯川病院、9:00-12:00健康クリニックドック14名+結果説明1名、これに1時間要した。12:15飯川病院、微睡、14:00-19:00勤務。入院患者対応。尿道カテーテル挿入に難渋、患者はよく耐えてくれえた。文献検討など。19:30帰宅・夕食、20:30就寝。 歩数計Σ7765歩。
こころと体2022(86) 医者からもらうクスリ(7) 薬剤と交通事故(3)
 われわれ医療従事者は、自動車運転を前提とした健康管理、患者の状態に応じた運転中の注意などを行う必要がある。
 ところが、さっぱり行われていないのが実態である。

 運転者の体調を良好に保つために、必要な薬剤は積極的に用いられるべきであるが、薬剤投与によって新たな問題が生じうる。

 自動車の運転を規定する道路交通法において、「薬物」について規定されているのは第66条「何人も、過労、病気、薬物の影響その他の理由により、正常な運転ができないおそれがある状態で車両等を運転してはならない」のみ。自己責任として定められているだけ。

 交通事故で救命救急センターに搬送された運転者のうち、意識消失が先行していた例として、?向精神薬多剤内服後の運転、?降圧薬の多剤内服による低血圧、?常用薬の怠薬によるてんかん発作、?インスリン注射や経口糖尿病治療薬による低血糖─が挙げられている。それ以外の情報は通常は得られない。

 2014年にてんかんなどの一定の疾患に起因した死傷事故について、要件を満たせば故意犯である危険運転致死傷罪が適用されることになった。

 さらに、免許の取得・更新時に提出する病気等に関する質問票(意識消失の有無、医師から自動車の運転をやめるように言われているかなどの質問票)に回答することが義務化され、虚偽の回答をした際には罰則が科せられることになった。

 私も7年ほど前、免許免許更新の際に、脳梗塞の際意識消失の経験ありと書いたが為に、診断書の提出、主治医の意見書提出などを求められたことがある。疾患を持つ者への対応として必要な手続きと納得した。

 法の改正によって、免許の取り消し例が増加した。2013年には、てんかん患者における免許の取り消しが788例、改正法施行の翌年である2015年には3028例であった。

 しかしながら、てんかんに起因した交通事故件数は、改正法施行前の2010年〜2013年には255件、法改正後の2015年〜2018年では276件と、減少は見られていない。いまだに、てんかんに対する管理が不十分で、かつ、危険性を認識せずに運転している人がいるということである(一杉正仁:日本医事新報5057号、2021) 。

 抗てんかん薬以外でも問題が生じている可能性がある。私はこの辺について注目しているがこの辺の情報は少ない。

 私は、日常診療で当面できることとして患者の「お薬手帳」を時折確認し指導している。
―――――――――――――――――――――――――――-
?全ての処方についての情報を得る。
?薬を変えた、薬を追加した際は、症状の変化に注意する。
?勝手に薬をやめたり、減らしたりせず、かかりつけ医や薬局に相談する様指導する。
?必要に応じ処方医、薬剤師と情報交換する。
―――――――――――――――――――――――――――-
参照「自動車運転禁止薬リスト」https://www2.hosp.med.tottori-u.ac.jp/departments/establishment/pharmaceutical/renkei/22156.html
 

10/16(日) 快晴 畑マルチはずしほか
1:30起床。徒然など。途中で微睡取る。10:00畑仕事、マルチ外し、ナス抜き取り、里芋一本掘り出す、略立派。12:00ニュース、のど自慢、新聞切り抜き、読書。ダリアの世話若干。15:00回診に行く家内に同乗飯川病院。新聞入力、講演準備。19:00帰宅夕食、20:30就寝。歩数計Σ8990歩。

こころと体2022(85) 医者からもらうクスリ(6) 薬剤と交通事故(2)
 多くの人に対して交通社会参加の道を開くため、2002年に改正された道交法では、特定の疾患患者が免許を取得できないという絶対的欠格事由が廃止され、免許取得の可否について個別に判断されることになった。
 
 自動車の運転は生活に必要な行為である一方、社会の安全にかかわることである。自動車の運転には複雑な能力を要するので、適切な運転能力に欠ける人が運転することは、事故を誘発することにもなる。
 私は、運転できないという縛りを外してより多くの人に運転の機会を与えることはいいことだ、と思うがその後のフォローが不十分なのではないか、と思う。

 高齢者の事故はよく報道される。
――――――――――――――――――――――――――-
 ?全年齢群の交通事故の頻度の平均は免許保有者10万人当たり4.2件、
 ?16〜19歳では13.5と3倍以上。
 ?75〜79歳で6.7、
 ?80〜84歳で10.6、
 ?85歳以上で16.7と高くなっている。
――――――――――――――――――――――――――-

 運転免許取得後間もない若年ドライバーが死亡事故を起こしやすいことは周知の通りであったが、高齢運転者になるほど死亡事故を起こしやすいことも事実であった。

 その高齢者はおそらく各種の病気のために服薬している方、と思うがその辺のことが報道されることは「てんかん」以外では稀である。
 私は高齢者の事故の背景にはかなりの頻度で服薬が絡んでいると思っている。

 諸外国の報告では、交通事故死の1割以上は運転者の体調変化が原因とされており、わが国では詳細な検討結果はないが、同様と推定されている。

 我が国で、職業運転者を対象に、「運転中に体調変化が生じる実態」を調査した研究がある。
――――――――――――――――――――――――――-
 ?運転中に体調変化を来したことがある  22.6〜33.3%。
 ?体調変化が原因で事故を起こした経験がある  0〜3.0%、
 ?事故に至らなかったがヒヤリハットした経験がある 11.9〜15.8%。
――――――――――――――――――――――――――-

 このように、体調変化が原因で自動車事故やニアミスに至ることは、「よくある当たり前のこと」と考えるべき結果であった。

 私のような交通弱者にとっては身を守るにも参考にすべき数値である。



10/ 15(土) 夜半降雨 飯川病院午前日直 
1:30起床、文献、徒然、その他、ゆったりと。8:30回診にいく家内に同乗飯川病院へ。そのまま日直に。座学、新聞入力。データ整理。12:00検食、睡後、読書。講演準備、18:30帰宅、夕食、19:55就寝。歩数計4679歩。

こころと体2022(84) 医者からもらうクスリ(5) 薬剤と交通事故(1)
 道交法第66条では、「何人も、過労、病気、薬物の影響その他の理由により、正常な運転ができないおそれがある状態で車両等を運転してはならない」と定められている。
 要するに、運転する際に全身状態、体調が良好であることが大前提である。

 自動車の運転には複雑な認知・判断・操作能力が必要なので、注意障害、遂行機能障害、記憶障害、空間認知障害、失行、判断力低下といった高次脳機能障害があると、運転に支障を来し得る。

 上記の機能障害は年齢に関わらずある種の疾患でも生じうるし、高齢化による判断力の低下、さらに加えて各種の治療薬によっても生じ得る。

 多くの地域では、日常生活の移動手段として自動車が必要であることは論を待たない。特に公共交通機関が少ない秋田では自家用車による移動は欠くことができない。

 私は秋田市と大曲市の病院で外来診療を担っているが、ほとんどの患者は自家用車で通院してくる。高齢とか、体が不自由な方々は家族に送られてくるが、多くは患者本人が運転してきている。

 その中の患者のかなりの方は添付文書の中で運転に関して、「眠気を催すことがあるので、本剤投与中の患者には自動車の運転等危険を伴う機械の操作には従事させないよう十分注意すること」(運転等禁止)、あるいは「眠気を催すことがあるので、本剤投与中の患者には自動車の運転等危険を伴う機械の操作には特に注意させること」(運転等注意)と記載されている薬剤の投与を受けている。

 それらの薬剤の実態はよくわからないが、この中に私どもが日常的に処方している薬剤が多く含まれる。この記載に本当に従うならば、ある一定の疾患を有する患者、服薬者は自動車の運転ができないということになる。

 例えば、抗てんかん薬の添付文書には、運転等禁止の記載がある。
 この記載に従うならば、抗てんかん薬を内服している患者は自動車を運転できないことになる。しかし、疾患が良好にコントロールされており、安全に運転ができる状態であれば、運転が法的に認められている。

 2011年の4月に栃木県鹿沼市で小学生6人がクレーン車にはねられて死亡した事故では運転者の薬の服用が不十分で、てんかん発作で意識を失い、事故が起こったと判断された。
 2012年には、京都市でてんかんの既往がある男性が車を暴走させ、8人が死傷するという事故が生じた。

 この辺の実態が曖昧である。


10/14(金)快晴 大曲中通病院外来  古書店訪問 飯川病院ボランティア
1:00起床、医療関連本読み、5:30可燃ゴミ出し。7:35Taxi駅、チケット見つからずツケに。8:11こまち、大曲往路徒歩。9:10大曲中通病院外来。長崎屋経由、店舗受け取り書籍7冊。15:30飯川病院ボランティア。微睡、新聞チ ェック。19:15帰宅・夕食、20:30就寝。歩数計Σ10300歩。

こころと体2022(83) 医者からもらうクスリ(4) 何で多剤に?? 責任者がいない
 ポリファーマシーという言葉がある。
 ポリファーマシーとは、単に服用する薬剤数が多いのみならず、それに関連して薬物有害事象のリスク増加、服用過誤、患者が指示通りに服用しないという事象が生じうる状態を示す。

 「多剤服用有害事象」、と言わず何でポリファーマシーというのか理解に苦しむ。また最近は患者が指示通りに服用しないという事象は「服薬コンプライアンス」の低下、あるいは「服薬アドヒアランス」低下というが、薬剤関係者は日本語を知らないのか?と思ってしまう。何を格好つけてるんだ?のレベルで反対である。

 なぜ多剤になるのか?
 複数の病気や体調不良で複数の医療機関や診療科を受診することにより、各々の担当医から別々に処方され薬品が増えることが原因のことが多いが、一人の主治医によって多種の薬品が処方されていることがある。

 処方された薬の把握や管理が難しくなり、それぞれで似た薬効の処方、相互作用の面から禁忌とている組み合わせが生じうる。

 その原因として
―――――――――――――――――――――――――-
?主治医の薬物治療に対する考え方。
?個々の患者に対する責任者、いわゆる真の主治医がいない。
?お薬手帳はとても良い発想の実現であるが、そこまでで、薬剤師の機能が発揮されていない。
―――――――――――――――――――――――――-
 私は基本的には薬物が怖い。だから処方は慎重である。

 よく主治医はどなた?などと問われることがあるが、個々の患者において真の主治医はいないといっていい。医師は他の医師の判断に意見を持つことが少ない。ましてや、多少問題を感じても連絡を取って調整するといった連携は一切ない。
 ならば薬剤師は?処方箋上の記載間違いなどには疑義紹介の電話等がくるが、せいぜいそこまでである。

 なぜ多剤投与では副作用が起こりやすいのか?
 特に高齢者では、加齢や病気などにともない薬の代謝が遅くなったり、排泄に障害が生じていることもあろう。複数の薬が影響しあい、薬が効きすぎたり、効かなかったり、副作用が出やすくなることがあり得る。しかし、それは一般論であり、それから先の実態はわからない。

 私は複数の薬を服用することが、物忘れや転倒、便秘、ふらつきや転倒、運転時の判断ミスと事故などの有害な副作用の原因となっていると思われるが、それに対する分析が少ない、と思う。

 最近高齢者の交通事故が問題になっているが、ここのケースにおいて運転時にどんな薬品が用いられてきているのか報じられることがない。個人情報の問題点があるに違いない。


10/13(木) 快晴  午後飯川病院
1:30起床。文献チェック。いつもの如し。10:50バス、保戸野八丁 保戸野新橋、千秋公園堀にてコイに給餌、11:30飯川病院、検食微睡、新聞入力、駅ネットフィッシングか、カード無効化に。15:00入院患者処置対応。本読み中心。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩 数計7104歩。昨年半袖作業服を長袖に、ランニングシャツ着用。今年は約10日前から着用済み。

こころと体2022(82) 医者からもらうクスリ(4) 残り時間への内省は医療に勝る 
 私は医師であるが、医療に対する姿勢、特に薬物療法に対する私の姿勢はとても謙虚だ、と自分でも思う。しかしながら、決してネガティブに考えて患者に悪き影響を与えないように考えている。逆に、何が患者にとってメリットになるのか、常に考えている。

 健康を考えるにあたって、まず動物の一員としての一生を考えたときに、そこにはまず生老病死という純然たる現実と、そこには厳しい過程があることを認める。ここをスタートとしてこの生老病死に対して私は謙虚でありたい、との立場である。

 良寛は「災難にあう時節には、災難にてあうがよく候。死ぬる時節には、死ぬがよく候。是はこれ、災難をのがるる妙法にて候」、と述べている。

 災難という現実を受け入れる。特に最近は温暖化のために災害は激甚化している。そして、そのなかで何ができるかを考える。「死ぬる時節には、死ぬがよく候」というのも、死期が近づいたら死をおそれずに受け入れろ、という意味。

 ヒトが祖先と別れた600万年前〜700万年前からどれだけの人が生まれてきたのか予想もつかない。多くは死を恐怖し忌避していたにしろ、今まで誰一人として死ななかった個体は居ない。

 生老病死こそが人間の摂理である。だから、長命化の価値はそれほど大きいとは思っていない。いのちの中身こそが大事である。

 死から逃れようとすると、人は往々にして自分を見失い、生きてる喜びを失い、絶望して心を病み、かえって死期を早めてしまうこともある。

 ある限られた範囲ではあるが現代はこの生老病死の過程を修飾することができるようになってきた。我が国の終戦直後の平均寿命は40歳そこそこであったが、今やその倍にまで伸びている。その背景因子は生活環境の向上がメインであるが、医療も一定の寄与してきた。

 還暦を過ぎることから、あるいは後期高齢者に分類される頃から、個人差はあるが心身の活力が減退していく。だから、いつ死ぬかわからないのから今あるいのちを輝かすには悪戯に健康志向するよりも「今日が一番若いのだ!!」という視点で「今日という時間を輝かす」ことしかない。

 兼好法師は「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや」と述べている。
 残り時間への内省は、死の恐怖や憎しみにに勝る、と兼好法師はいう。内省的な人とは、自らの人生を省みることができる人を指す。自分自身の心の内を意識的に見つめ直すと、将来に向けての考えや行動を変えるきっかけとなり希望が沸く。

 内省的であることにより、自主性や主体性を伸ばして知性を高める効果が期待できる。この過程を通じて健康や医療について考えたい。
 医療に過度に頼るべきではない。その前にすることがある。



10/12(水) 晴れ 寒さ若干緩む
1:10飯川病院起床。読書、録音データ整理と処分など。歴史関連本、台湾関連読み。午前はそのまま病院で過ごす。新聞入力、文献読みなど。検食、微睡など。14:00勤務、入院対応なし。15:00許可得て歩行に。広面古書店訪問、4冊購入、16:30散水他。新聞チェック。自炊データチェック。19:10帰宅、夕食、20:15就寝。歩数計Σ9580歩。

こころと体2022(81) 医者からもらうクスリ(3) 高齢者の多剤処方 
 
 高齢の患者の医療を担当しているとに「多剤処方」を受けている患者が多い。

 高齢になると疾病が増えるだけでなく、加齢によって種々の症状が増え、親切な主治医だと薬も多くなる。厚労省の調査によると、糖尿病など慢性疾患が二つ以上ある高齢者では、平均で約6種類の薬が処方されている、と言う。一つ一つは適切な処方に見えるのだが、全体像として考えると疑問である。

 薬が増えると副作用は起こりやすい 。
 私はとても心配である。副作用が増えるなど体調にに深刻な影響を及ぼすことがあるからだ。
 ところが、これに反して多剤投与を受けている患者は意外とケロッとしている。これは何たることか??それほど薬品は安全になったのか??

 私が考えるに、多剤の多くは安全なのでなく、ほとんど効果も発揮していないのだ。だから副作用も来さない。要するに無駄なのだ、と考えたい。
 日本の高齢者がこれほど多剤の投薬を受けていながら嬉々として通院してくるのは費用が安いことと、効果も副作用もない多剤の投薬を受けていて精神的にも安定しているからなのだろう。だから、減薬には抵抗する。

 私の記憶の中にのこっている二人について。
――――――――――――――――――――――――――――-
 ?約4年前の外来での話。
 86歳高齢女性の新患患者。某有名総合病院の循環器科に長く通院してきた方である。患者いわく、「何か症状を訴えるとその度ごとにお薬が増えるんです。」
 できれば転院したいとの希望であった。
 「おくすり手帳」には25種類の処方のコピーが貼り付けてあった。

 内容的には循環器用薬が5種類以上、抗不安薬2種類以上、消化器薬7種類以上、高脂血症薬、血栓予防薬・・・、と続く。

 私の40数年の医師生活の中で最も多い処方例である。結局私のところに転院してこなかったが、患者は悪性疾患の悪化で一年後に死亡した、とのことであった。

 ?他の患者のケース
 20年以上の前の患者。たまたま私の外来に通院するようになった80歳ほどの男性、すでに12剤ほどの投薬を受けていた。めまい、ふらつき感、手指の振戦、全身倦怠感で元気が出ないなどの不定愁訴が中心であった。私は受診してくるたびに減薬を薦めていたが頑として同意しなかった。

 その方が突然外来に現れなくなった。しつこく減薬を薦めるので嫌気がさして他の医師の外来に変わったのか?ならばそれでもよし、と存在を忘れていた。

 約一年後、とても元気な状態で外来を受診した。
 孫が事故に遭って四国に行っていて3日前に帰秋したのだ、という。この間どこにも受診せず薬も服用していなかった。
 帰ってきたから前の薬を出してほしい、というが、今の状態が本来の姿だから、このまま様子見るように薦めたのは無論である。

――――――――――――――――――――――――――――-

 そもそも高齢者は肝臓や腎臓の働き、全身の代謝が低下し、薬効が不安定である。薬が効き過ぎることがある。 複数の診療科で同じような薬を重複して処方されたり、別々に処方された薬の相互作用で効果が変化したりして副作用につながる場合もある。

 薬の副作用が病気の症状と取り違えられ、さらに薬が増えることもある。食欲不振で処方された薬で震えが起こり、パーキンソン病の薬が出されて認知機能が低下した例もあるが、私が危惧しているこのような状況は滅多に起こらない。
 
 それが現実だから不思議である。

10/11(火) 激しい降雨、午後晴れ  中通病院外来  飯川病院ボランティア+当直
1:10起床、データ精鋭などいつものごとし。読書中心、5:00可燃ゴミ集積所、6:40バス飯川病院へ、バス待ち時間に天候急変、強風と共に激しい降雨。傘あれどそれほど役立たず、靴から下着までびしょ濡れ。飯川病院で乾かす。8:45-13:15中通病院外来。混雑疲弊。13:30飯川病院。微睡、COVID-19ワクチン接種なし。新聞チェエック、入力。17:00当直業務に、18:00検食、20:30就寝。歩数計Σ7220歩。

こころと体2022(80) 医者からもらうクスリ(2) 薬効は全ての患者に均等ではない
 日本人は無頼の薬好きと言われる。
 患者だけでなく医師にもその傾向が認められる。国民皆保険のために患者の自己負担額が少ないために医師は患者の経済的負担を意識することなく薬を処方できることも背景になっている。医薬分業が普及しなかった時には多くの薬剤を処方することは医師にもメリットがあった。その名残もある。

 2021年度の国民医療費は44.2兆円で前年比4.6%増であった。
 国民医療費に占める薬剤費は約10兆円、比率は22.0%で2000年代半ば以降安定的に推移していると政府はいう。

 いささか古いデータであるが、国際比較で見れば2014年の日本の保健医療支出は対GDP10.2%で OECD加盟国中8位、医薬品費で見れば3位と薬剤比率は相対的に高い。

日本では後発品へのシフトは約80%と当初の目標を達しているが、金額としての抑制効果は約50%にとどまり医療費減にはあまり寄与していない。比較的高額の薬品は後発品へのシフトが進んでいないからである。医療現場では後発品の供給不安定さが問題となっている。

 古い薬のなかには効能書きを見ても、はっきりした副作用調査がないものも多い。「副作用がなく、効果もない薬は医師から見れば安心して使えるんです」、冗談であろうがこう言う言葉も飛び交っていた。

 かつて新薬の効果判定には、使った医者が印象で五段階で評価していた有用度という言葉があった。各々の医師は薬剤の効果はなかなか判定できないものである。一方、副作用の判断は比較的わかりやすい。だから、副作用がないということだけで、有用度は高くなった。要するに、副作用がなければ効果はそれほどでなくとも最終的には有効な薬になってしまった。

 こんな過程を経て効果が曖昧な薬がまだまだ数多く存在しているのは事実である。そのため厚労省は市場にでている薬の再評価をおこなう作業を続けている。

 新薬治験には大きな組織が必要であるが、それを担ってきたのは大部分大学病院で、その際に交わされる研究費契約をめぐって製薬メーカーとの間になれあいの体制ができあがってしまった。その悪き結果が血液製剤が引き起こしたエイズ禍の問題である。学閥や学会がからんだ新薬承認で、その弊害がモロに出た。

 そんな視点から薬をもう一度見直してみたい。

 新薬の効果判定では意外にも明確な基準がない。まったく治療方法のない病気の薬であれば、プラセボの効果より優れていれば、薬と認められる可能性がある。 普通20%近くの人は薬効のない偽薬でも症状がよくなってしまうので、それ以上の患者に有効性があれば、新薬と承認される可能性はある。

 90%以上の患者に有効性を持つ薬はないと考えるべきだ。 医者がくれる薬は、 誰しもが効いているはずだ、と思ってしまうだろうが、せいぜい70-80%の患者にしか有効ではないのだ、私はそう思う。だから一部の患者は全く効いていない薬にお金を払っている可能性がある。


10/10(月) スポーツの日 曇り小雨
1:00起床。何時もと同様、書類書籍、医学論文などチェック。風邪か??ちょっと体調不良。14:00回診に行くかないに同乗、長崎屋経由古書店で10冊ほど。飯川病院、微睡、新聞大量入力。 講演準備、配布資料作成。19:15帰宅、夕食。20:15就寝。歩行Σ4925歩。

こころと体2022(79) 医者からもらうクスリ(1) 本当に効いているのか??

 サプリメントについては薦められるような効果は期待できない、が結論であったが、医師から処方してもらう薬はどうだろうか。本当に効いているのだろうか??
 医療において、薬への依存度は日本は非常に高い。
 最近のデータはわからないが、現役だった10年ほど前でも医薬品として認められて薬価基準に登載されている薬品は約12.000種類もあった。

 なんでこれだけ多いのか?
 これは日本独特の医療皆保険制度のもとに、医者は薬をやたら処方し、患者も医者へ行って薬をもらわねば納得できないような感覚があった。要するに日本の医療は、受診することはクスリをもらうことと同義であった。今もこの考えは廃れていない。日本人は無頼の薬ずきなのだ。

 薬の副作用や薬害が社会問題となって、ようやく薬の本来の意味が問われるようになったきた。
 医者がだす薬は厚労省から医薬品として認められているのだから効果があるだろう、と医者も患者もみな思っている・・、に違いない。

 現に私も薬の効果を幼少の頃から体感していた。
 虚弱児であった私は特に冬季間は気管支炎や胃腸炎で床に伏せっていることが多かったが、医師である祖父は時に茶色の錠剤を処方してくれた。これがとっても効果的で立ち所に改善したものであった。これぞ1950年代始めから世界的に用いられ始めたペニシリンに次ぐ抗生物質のクロラムフェニコールの錠剤であった。私は同剤を当時救世主の如くに考えていた。
 幼き日のほろ苦い思い出である。

 しかし、医師になって秋大で「薬物の造血器障害」も研究対象になり、医者が使っている薬ひとつひとつを調べていくと、必ずしもしっかりした評価がなされないまま市場にでてきたものも数多いことに気づいた。

 その考えが疑問から肯定的になったのは脳代謝賦活剤の再評価であった。

 1999年4月、私が医師になって20数年経ってからのことであるが、新聞紙上に「脳疾患4治療薬効果なし。薬効取り消し」と大々的に掲載された。脳梗塞の治療薬で脳代謝賦活剤と呼ばれる薬剤である、?アバン(武田薬品工業)、?エレン (山之内製薬)、?アルナート (藤沢薬品工業) 、?セレポート (エーザイ)、?ヘキストール(ヘキスト社)が、薬効のないプラセボと比較して全く有用性が認められなかったと判断された。

 これらは、脳の血流を改善し脳代謝賦活する薬剤として広く使われ、実際には痴呆症にまで使用され、総額で8.000億円の売り上げがあった。

 私も内科医としてこの方面の疾患を持つ患者には処方した。当初からあまり効果のない薬という印象は持っていたが、多分効いているのだろう、と漫然と考えていた。だからショックであった。

 実際に、処方医は個々の薬品の薬効について専門領域の薬品ならいざ知らず、その効果を判断できるものではない。だから信用して処方するしかないのだ。


10/9(日) 快晴曇り降雨 寒い 鼻風邪で体調今ひとつ
1:00起床。文献チェック他。何時ものごとし。電子化書籍データ整理。 午前午後とも座学中心。微睡、NHKのど自慢は男鹿市。14:00家内に同乗、久保田新橋、通り町書店、千秋公園の堀経由コイ等に餌を与え飯川病院。新聞スクラップ大量に電子化ほか。その後は読書、講演準備。19:00帰宅、夕食、20:45就寝。Σ5091歩。

こころと体2022(78) 健康不安(7) 記憶に関するサプリメント(2) 治療薬の進捗状態
 記憶関連の衰えに影響を及ぼすかも知れないトクホは私が調べた範囲で数種類ある。
 それらに含まれる成分は、よく知られているEPA・DHA、そのほかにARA(アラキドン酸)イチョウ葉フラボノイド配糖体、イチョウ葉テルペンラクトン、バコパサポニンなどである。

 それらの製品説明書には
?本品は機能性表示食品です。
?届出表示:成分の〇〇には、中高年の方の加齢に伴い低下する、認知機能の一部である記憶力を維持することが報告されています。
?記憶力とは、一時的に物事を記憶し、思い出す力をいいます。
?本品は、消費者庁長官による個別審査を受けたものではありません。

 さらに製品の信用度をたかめるために広告に薬剤師が登場し解説している製品もある。
 
 最終的私の結論は、記憶の維持には期待できない、と言うこと。

――――――――――――――――――――――――――――――――

 認知症治療薬の開発競争も激しい。
 認知症の原因となる病気でもっとも多いのはアルツハイマー病で、認知症全体の6割程度を占める。脳にアミロイドβとタウと呼ばれるたんぱく質がたまり、脳の細胞が傷害される。高齢者にみられる通常のアルツハイマー病では遺伝的な素因と後天的な因子の両者が複合的にリスクになって発症する。
 次いで多いといわれているのは脳血管性認知症とレビー小体型認知症。前者は脳出血、脳梗塞、くも膜下出血など脳の血管の障害で脳が損傷されることが原因。レビー小体型認知症では、脳の神経細胞にαシヌクレインというたんぱく質がレビー小体と呼ばれる構造をつくって蓄積することにより神経細胞が障害されることが原因なる。
 先行し注目してされていた「アデュカヌマブ」は大きく期待されながら普及しなかった。
 現在、「レカネマブ」、「ドナネマブ」、「ガンテネルマブ」は最終段階の治験に入っている。
 この薬品名を覚えれる人は認知症にはなっていないだろう。私にも困難である。ならば私も怪しいか??

 認知症の進み方は人によって大きく異なり、薬の効果を客観的に見極めるのは難しい。アルツハイマー病では脳内のアミロイドが減っても認知機能の低下が抑えられない患者もいるなど、未解明な部分も多い。

 「アデュカヌマブ」の臨床試験では認知機能の低下が2割程度抑えられたとされた。別の新薬候補も複数ある。安全性と有効性も認められ承認されていくことを期待したい。多少時間がかかっても丁寧な検討が必要だ。
 日本で「アデュカヌマブ」の承認が見送られ継続審議になった理由について、一部の患者に「脳浮腫」がみられたことらしい。

10/8(土) 晴れされど寒い 家内はゾンタ
1:20起床。データ入力整理。早朝午前は座学中心、自炊データ整理。12:30微睡、午後も同様寒くて巣篭もり。新聞データ化、16:00書斎整理、録画でN響定期公演:新首席指揮者ファビオ・ルイージ就任記念コンサート、ヴェルディ「レクイエム」ほか視聴。19:00夕食、きりたんぽ鍋、20:30就寝。歩数計Σ4107歩。

こころと体2022(77) 健康不安(6) 記憶に関するサプリメント(1)
 健康管理に必須なのは、大きく捉えれば以下であり、サプリメントなどによる栄養摂取が有用との項目はない。
――――――――――――――――――――――――
?規則正しい生活
?バランスの取れた食事
?疾患の治療
?適度な運動の習慣
――――――――――――――――――――――――
 健康管理の原則はあたりまえすぎて、わかっているけれど、なかなか出来難い、と言うのが正直な感想だろう。だから安易にサプリメントなどに目がいく。

 最近、記憶力保持を謳ったサプリの台頭が目立つような気がする。
 物忘れは高齢者は万人が自覚していることだろう。「自分は先々認知症になるのでは??」と不安や恐怖感を抱いていると思われる。

 私もその例には漏れない。毎日が物忘れとの戦いである。でも、記憶力保持を謳ったサプリなど当てにしていない。私は20年も前から自分の脳の記憶力に頼らず、記憶すべきことを細かく記述し、電子的記録に頼っている。

 記憶力保持を謳ったサプリメントは「60代、70代、衰えてきたと感じたら、補うものがある・・」などなどと宣伝している。 一見、認知症予防を連想させる。
 もし、これらのサプリメントに本当に認知症対策の効果があるのならば、サプリメントではなく医薬品として開発を進めればいいのだが、そこまで進めた製薬会社は皆無である。

 なぜ、サプリメントならこんな表現が許されるのか?
 サプリメント、健康食品はあくまでも食品であり、薬ではないからである。

 健康食品には国への届出で以下のように分けられる

(1)機能性表示食品:事業者の責任で、科学的根拠を基に商品パッケージに機能性を表示するものとして、消費者庁に届けた食品

(2)特定保健用食品(トクホ):生理学的機能などに影響を与える保健機能成分を含む食品で消費者庁長官の許可を得た食品

(3)そのほか

 これらの区別は微妙であり、ざっと読んだだけでは区別が困難である。
 (1)(2)は届出によって特定の用途に適する旨を表示できるようになるが、(3)の健康食品はいわばなんでもアリとなっていてその実態はよくわからなかった。

 「単なる食品の成分を抽出し製品として高く売る」 、「健康にいいと思わせる」 ことに創意工夫が凝らされていることは明確である。
10/7(金) 降雨ほぼ終日 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:30起床、5:00可燃ゴミ資源ごみ廃棄。7:35Taxi駅東口に、8:11こまち、大曲はハナ風邪で気だるさもあり往復Taxi、9:10外来、15:30長崎屋に、古書店1冊購入、Taxi帰院。新聞入力、微睡。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ8595歩。

こころと体2022(76) 健康不安(4) サプリメント(2) 私も用いている
  私は通常に食事を摂っているから補助食品など全く必要を認めないが、私も一時期サプリメントを利用していた時期があるし、今も利用している。

 私が今まで服用したサプリメントはいかのごとく。大変な出費である。
?ローヤルゼリー 20万円分(推定)
?コエンザイムQ10 1万円分
?スリムコーヒー 1.5万円分
?ブロポリス他数種類

 各サプリメントには滋養、強壮、免疫能増加、体重減少効果などを謳っていたが、私はその効果も副作用も皆無であった。

 私自身は100%無駄と考えているのだが、なんで上記を用いたか?と言うと「勿体無いから利用した」、に過ぎない。

 ?ローヤルゼリーは昭和58年に79歳で死去した父の遺品から大量に見つけたもの。長く一人暮らししていたが健康不安があったのだろう。領収書を頼りに購入の経緯について確認したが、40代半ばの訪問販売員は時には茶のみ友達として話し相手にもなっていたが、訪問するたびに購入してくれたのです、と話していた。綺麗な瓶が20ケほど、私は父を偲びながら約2年で食べ終わった。体調に何も変化はなかった。

 ?コエンザイムQ10は半年ほど前に家内からもらったもの。疲れやすい、息切れなどある、と言う私のために買ったらしい。断る理由もなし、と連日食べているが何も変化はない。

 ?スリムコーヒーは、「自分はこれで痩せました」という外来の補助看護師の強い勧めで飲み始めた。これで痩せるはずはないが好きなコーヒーなので申し出を断るよりは楽、と3ケ月飲んでみたが私にはなんら効果なし。

 ?ブロポリス他数種類、は家内が持っていたのを見つけ、勿体無いから代わりに私が用いたもの。私にはなんら効果なし。

 サプリメント業界は高齢者の健康不安を背景にとても活発、好調である。
 健康や医療といったテーマの周りには、ウソや不正確な情報、医療デマが蔓延している。

 誰もが知るような有名企業が、新聞やテレビでウソや不正確な情報を発信している。「医療はデマだらけ」といってもいいほど。

 どうしてか?? 理由はシンプルなので、騙されやすいと言うこと。
-------------------------------------------------------------------
 ?「健康」が万人の関心事だから。健康に無関心な人はいないだろう。
 ?企業もメディアも儲かるから。
 ?医療は不確実な面がある。
 ?医療は白でも黒でもない幅広いグレーゾーンがある。
 ?グレーゾーンにはどんな意見も入り込む余地がある。
 ?グレーゾーンの意見は正誤決められない。だから異論が飛び交う。 
 ?「楽に健康になりたい」から情報を強く求め、都合のいい部分だけに注目する。
--------------------------------------------------------------------
 正しくない医療情報は、サプリメント広告も含め、人間の弱みにつけ込んでくる。だから判断はむずかしい。
10/6(木) 晴とても寒い  午後飯川病院勤務  健康クリニックチェック
1:30起床、新聞切り抜き。録音データ整理などいつものごとし。読書、微睡。午前は作業着等冬支度、薄手の長袖に着替え。11:50バス飯川病院へ、病院にセーター準備。14:00勤務、入院患者対応2名+外来。新聞スクラ作成入力、15:30健康クリニックレ線チェック。
19:30帰宅・夕食、21:00就寝。歩数計Σ9980歩。

こころと体2022(75) 健康不安(4) サプリメントについて(1)
  私は全く必要を認めない立場であるが、サプリメント業界は高齢者の健康不安を背景にとても活発、好調である。


  (右肩上がりの販売量)

 サプリメントとは、食品の中の特定の成分を錠剤や粉末にした食品の一種。2015年(平成27)に企業の責任で健康への効果を表示できる機能性表示食品制度がスタートした。食品メーカー、製薬会社、酒造メーカーなどは加齢や生活様式の変化により、健康不安を持つ人の利用を見込む。

 厚労省の2019年(令和元年)の国民健康・栄養調査によると、サプリのような健康食品を摂取していると答えた人は既に3割超に上っており、調査会社の富士経済はCOVID-19禍を背景とした特需的な追い風があり、2021年の市場規模は前年比3.4%増の1兆77億円と、初の1兆円超えを見込んでいる。

 2020年のサプリメント市場は、生活習慣病(高血圧、糖尿病、高脂血症、動脈硬化など)のリスク低減を訴求した商品を対象とするのが多い。また高齢者の腰痛、膝関節痛を指標に骨粗鬆症予防の意識の高まりにより、市場は活性化している。

 サプリメントは、栄養素を食事だけでは必要量を摂取できない時、足りない分を補う目的で利用するのが本来の姿。必要以上摂取した場合には、過剰摂取が問題になる。

 あくまで薬品ではなく「一般食品」の範囲で捉えるべきであって、法律上疾患の予防や治療に対する効果はうたえない。しかしながら、広告に医薬品まがいの、虚偽・誇大と思われるキャッチコピーは数多く認められる。

 以下のようなうたい文句には要注意! 
――――――――――――――――――――――――――――――――――
?「即効性」、「万能」、「最高のダイエット食品」
?「ガンが治った」などの治療、治癒に関する言及。
?「天然」「食品だから安全」「全く副作用がない」。
?「厚労省許可」「厚労省承認済み」
?ラクして手軽に希望を叶えたい。
?「新しい科学的進歩」、「奇跡的な治療法」、「他にない」、「秘密の成分」など
――――――――――――――――――――――――――――――――――
 
 健康不安を抱えている方は「藁をも掴むごとく」の気持ちでいるようだが、所詮は藁に過ぎない。要注意!である。
10/5(水) 晴れ、飯川病院
1:20起床、歴史、整理。自炊。9:00多少のダリア世話、11:30受診の石井さん迎えの車に同乗、飯川病院。検食、微睡。COVID-19ワクチン関連業務今週はなし。読書、資料整理。15:30許可を得て歩行に、千秋公園コイに給餌。文化創造館で図書検討。データ整理、19:30帰宅、夕食。20:30就寝。歩数計Σ7276歩。

こころと体2022(74) 健康不安(3) 高齢者には平均寿命より、健康寿命、平均余命が重要  
 毎年おこなっている某社のアンケート調査(対象者ほぼ全世代の男女、n=500と小さいのが難だが)によると、老後の不安を感じている人に、具体的に不安を尋ねたところ、相変わらず健康と経済面の不安が半数以上であった。
――――――――――――――――――――――――――――――――――
?1位「病気やケガなどの健康不安(72.2%)」、
?2位「経済的な負担に関する不安(71.8%)」、
?3位「介護に関する不安(52.8%)」
――――――――――――――――――――――――――――――――――

 平均寿命、高齢者の健康余命は伸びている。これは高齢者の生活環境が悪くないことの表れであるが、長寿だからこそ健康不安は強くなるという矛盾を抱える。

 それは、健康に対する知識不足、人生の経験から体得すべき学習不足が大きい。高齢者になるまでに65年、後期高齢者になるまで75年も生きてきていて、「老化とは何か」、「高年齢者の健康維持はどうあるべきか」、「いかに死ぬか」などなどほとんど学んできていない。
 私は高齢者を中心に外来診療をしているが「高齢者の健康に対する知識」の乏しさ、「齢を重ねた人の心構え」の乏しさに驚くことが多い。一体何を考えて生きてきたのか??と言いたくなる。責める気はないのだが・・。

 ところで国民の健康を考えると平均寿命の推移が注目される。毎年発表される。国際的にもトップクラスである。しかし、この数値は0歳児の平均寿命のことである。この点は誤解されている。

 厚労省は本年7月29日簡易生命表を発表した。
 生まれたばかりの男の子の平均寿命は81.47年、女の子は87.57年。世界のトップである。

 これに対して、各人に関連しているのが平均余命。各年代によって数値が異なる。
 たとえば、現在75歳の方の平均余命は 男が11.58年、女は15.38年。だから、統計上は男は平均86.5歳、女で92.8歳まで生きられる可能性が示されている。平均寿命より5年ほど長い。有難いことである。

 もう一つ健康寿命という指標もある。
 健康寿命は「健康上の問題で日常生活が制限されることなく生活できる期間」と定義されている。2019年において、健康寿命は男性は72.68年、女性は75.38年であった。
 平均寿命と健康寿命との差は、日常生活に制限のある「健康ではない期間」を意味する。

 高齢者にとっては平均寿命の数値より、健康寿命をいかに伸ばすか、平均余命の値が重要である。
 それには第一に運動習慣、である。

10/4(火) 降雨早朝から終日  中通病院外来  飯川病院ボランティア
1:00起床、書籍自炊データ整理などいつものパターン。5:30可燃ゴミ、植物の資源ごみ提出、6:40バス飯川病院。神田旭野線に変更なし、減便もなし。8:45-13:20中通病院外来、書類で苦慮。疲弊した。14:00-18:30飯川病院ボランティア、新聞入力、自炊数冊。14:00-15:30微睡。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ9820歩。

こころと体2022(73) 健康不安(2) 希望から実態のない幻想に

 米国の作家・評論家S・ソンタグによれば、「現代人を動かす動機は、?金銭、?快楽、?健康の三つである」という。確かに、そう言わざるを得なかった自分もいた。齢を重ねた今となってはこれらは相対的に小さくなった。今は「知らざるを知り、明日のために学ぶ」、これが一番と思っている。もはや仙人の心境である。

 高齢者の場合、金銭的にも投資や利殖などの新しい試みはできないだろうし、快楽を求めても孫達や家族との交流、園芸などと静かな内容が中心で限定的であろう。そんな中、孤独で寂しい、金銭的に余裕もない、などの背景のもと、TVばかり見るような受身的生活をしていると自身の健康に関する自信も失われ、他人の意見に惑わされていくのはやむを得ないことだろう。

 先進国の現代人は衣食といった基本的な欲望が満たされたように見える、その次に興味を示すのは自身の健康のことであろう。

 健康維持には地道な努力が必要である。何ら健康管理に努力していないのに「永遠に健康でありたい」という儚い希望は、メディアの影響ですっかり幻想に変わってしまう。この幻想は臨死の直前に至るまで存在し続ける。

 その健康という高齢者の幻想へ、産業もメディアも激しくなだれこむ。だから、TVも新聞にさまざまな情報があふれている。恐ろしいほどの医療情報の交錯のなかで、ますます高齢者は、冷静な目で自分の状態を判断できなくなってきている。

(ある日の新聞広告と折り込み広告 漫画のおばあさんの表情がいい)

 こんな状況は果たして健全な状況なのであろうか。
 人間は健康でありたいという願望から、生きていくためには健康でなければいけないという風潮になり、しかも実態のない幻想になってしまった。
 価値観の多様性が叫ばれているなか、当然、健康に対する考え方はいろいろあっていい。足元がしっかりしているならば、である。

 健康でなくてはいけない、ならば・・いうことで、健康食品を食べ、健康補助薬を飲み、ちょっとでも体調に変わったことがあればすぐに医者へ行き、検査検査と要求する。

 一方、健康に強い願望を持ちながら、タバコを吸い、深酒し、飽食する現代人は、いったい何を考えているのか。高齢者にとって健康維持に最も大事なのは運動習慣であるが、坐してTVだけの生活・・・。


 日本は国民皆保険で受診の機会が保障されており、諸外国のように受診の制限はなく、最先端の医療も安価に受けられる。
 こんな恵まれた状態の日本でどうしてこれほど健康不安、体調不良の方が増えているのか・・・。

 答えは、恵まれ過ぎているから、不安が強いのである。

10/3(月) 快晴 健康クリニックドック 飯川病院
1:30飯川病院で起床。文献、新聞チェック。データの電子化。9:00-11:30健康クリニック、ドック診察13名。 結果判定13名分。11:45飯川病院。検食、微睡。 14:00-19:00勤務。入院患者対応、散水。新聞チェック、入力。書籍自炊3冊ほど。19:15帰宅、夕食。20:30就寝。歩行Σ6575歩。

こころと体2022(72) 健康不安(1) メディアも悪ノリ
 私はいま新聞を3紙購読している。新聞は私にとって信頼できる重要な情報源である。

 新聞は発行部数が軒並み低迷し、広告料も減少、新聞各社の経営は苦し苦くなっている、という。私はこのような状況を憂えている。日本の新聞広告費は1990年のバブル崩壊後、低落を続けている。
 この背景には、新聞が特に若者に読まれなくなってきていること、他メディアの台頭もあって、新聞のジャーナリズム機能が落ちてきていることなどがあり、これが新聞の低迷に反映されているのではないか?

 とは言っても、広告の紙面が急減しているとは思われない。新聞社の努力もあるのだろう。

 最近の紙面の広告で最も頻繁で、広い面積を占拠するのは、「サプリメント、健康器具」などに関する情報である。しかもそのほとんどが全面広告である。新聞社にとってはかなりの収入源になっていると思われる。また広告主にとっては本来なら痛い出費となる・・ハズであるがそれに見合う効果があるのだろう。

 3-4年前までは車関連の広告が多かった。私は当時、わざわざ購読料を払って車の広告誌を買っているのではないか??とまで批判したこともあるが、最近は車関係はほとんど見なくなった。その代わりに台頭してきたのが「高齢者向きのサプリメント、健康器具」である。実に多い。これほどの広告を出せる経済力は大したものだと感心する。

 ちなみに、単発の朝刊1ページ全面カラー広告の掲載料金は、朝日新聞で47.435.000円、日本経済新聞で25.300.000万円らしい。ただ、定期的に掲載する場合は契約内容によってかなり減額されるらしい。世の中では多額のお金が動いているものだ、と感心する。

 私の新聞購読量は3紙合わせて月額12.000円である。結構高額である。それでも広告料があるからこの程度に抑えられている、と言われている。

 さらに、折り込み広告も各紙ごとに数枚織り込まれてくる。そのかなりの部分がスーパーなどの広告であるが、それ以外では「高齢者向きのサプリメント、健康器具」である。また、ダイレクトメールでも同様の内容が送られてくる。

 テレビも同様で毎日、医療の問題や健康に関する情報を流し続けている。何故これほどまでに、健康に関することに、国民、特に高齢者が興味を持つようになったのだろうか。

 医療や健康の情報は流されても、患者側は十分な理解ができない。それは健康とはなにか、という基本的な認識が一致していないから、でもあろう。

 高齢者は健康的でありたいと思っても、その健康とはなにかとなると、なかなかうまく表現することはできないでいる。全く個人的な感覚である。多くの方々は加齢現象も病気ということになっている。

 毎日これほどの健康情報に囲まれていると感覚が狂ってくるのは当然である。

10/2(日) 快晴 飯川病院日当直 レセプト点検
1:00起床。何時もと同様、音楽関連データ整理、医学論文などチェック。読書。8:30回診に行く家内に同乗、飯川病院、9:00日当直の業務に。新聞スクラップ大量入力。昼検食は豪華であったが不用意にひっくり返してダメにした。のど自慢ご微睡。14:00-15:00っガイレセプト点検。のち座学、18:00夕の検食、座学継続、20:30就寝、歩数計Σ5272歩、日当直ではほとんどの時間を机に向かって過ごすから運動不足。

高齢者コインバス事業 本日からキャッシュレスになった(2) が、問題も・・
 秋田市の高齢者バスが昨日から高齢者コインバスカード(AKiCA)払いが可能になった。とても便利になった。
 私はここ数年買い物は、新幹線の切符、DIY店を含めクレジット払いとしており、ちょっとオーバーに言えば現金払いはこのバスだけになっていた。しかも、クレジットカードはSuicaの他数種用いているが、それらをいちいち提示しなくともiPhoneに入力しておけば会計時に店頭の機器にタッチするだけで事足りていた。

 ところが、秋田市のAKiCAは機能的にはSuicaカードがベースになっていて、従来用いていたSuicaカードと機能的に競合することがわかった。また、iPhoneにカード機能を取り込むこともできないために利用時にカードで直接バスの機器にタッチしなければならない。チャージは現金だけ、という問題もある。

 私は昨日、なんとかもっと便利に用いられないかといろいろ検討したが、AKiCAカードをiPhoneの背面にくっつけた場合、結果的に従来から用いてきたSuicaが優先し、AKiCAカードが機能しないことがわかった。私の工夫を実際にバスに乗って2回確かめてみたが、結局ダメであった。AKiCAなら200円で行けたのであるが、一般のSuicaで520円支払った。この差額は秋田中央交通にはいささかのメリットになるだろうから「ま、いっか・・」、である。

 ならばどうする?
 クリアファイルでAKiCAカード用のケースを自作し、それをコイル式のキーホルダーにつけて靴ベラと共に胸ポケットに入れることにした。コイルを引っ張るとすぐに出てくるから便利で、紛失する可能性も小さい。現時点での到達点である。これでしばらく使ってみる。

(AKiCAカード、靴ベラのセット 破れないように金属のリングをつけてるのがミソ)

10/1(土)快晴 庭仕事 バス本日からキャッシュレスに
1:30起床。何時もと同様、書類・録音データ整理。9:00-11:00庭の掃除、小枝処理。ダリア世話。日差しも和らぎ涼しくなって最近の花は美しい。所用で出かける家内に同乗、久保田新橋経由、通町まで。徒歩長崎屋古書店、店舗受け取り回収、バス飯川病院に。17:00千秋公園コイ経由、バス帰宅、アキカ対応に失敗、往復で500円要した。携帯Suicaとの併用は不可。新聞チェック。19:00夕食、20:30就眠。歩数計Σ14267歩。

高齢者コインバス事業 本日からキャッシュレスになった(1) これは便利!!!
 秋田市では高齢者コインバス事業がある。
 2011年(平成23)10月、満70歳以上の市民を対象に「コインバス資格証明書」を提示すると、市内の路線バス、マイタウンバスに一回の乗車あたり100円で乗車できる制度が発足した。
 この事業は2013年(平成25)年10月に満68歳以上の高齢者に引き下げた。

 秋田市は「エイジ・フレンドリーシティ」構想を掲げ、高齢者対策にも力を入れている。ならば、高齢者に分かりやすく「高齢者に優しい秋田市」と日本語で表示すれば良い。
 高齢者コインバス事業は高齢市民がどの路線でも100円で乗れる制度は分かりやすく、久々のヒット政策だと思う。路線バス業績は長期にわたって低迷を続けている。市では年間約1億円弱の負担金をバス会社に支払い、乗客確保に努め事業維持に努めている。

 この制度開始後1年間で、バスの年間利用者は、中央交通が9.1%(約70万人)、マイタウン・バスも4.3%(約8千人)増えたという。

 確実に利用客は増えている様だが、地域の交通維持は重要である。
 高齢者がこの制度を利用し、行きたいところに気軽に行けるようになる意味は大きい。高齢者は、運転免許を返納した私も含め、移動の手段が乏しい。自転車は危険、タクシーは高額である。バスは廉価で安全であるが距離によっては片道500円程度になる。これは結構大きい。だから、コインバスは高齢者にとって救いになる。高齢者の鬱や認知症、孤独死等にも間接的に効果があるかもしれない。

 私にとってのバスは片道350円、これが100円。当初は市に負担をかけるのではないかと思っていたが、折角の制度だし、一人でも多い方が市の為にもなる、と逆に考えて2013年に認定書交付を受けた。その恩恵をずっと受けてきた。

 秋田市のバスは本年3月からSuicaによるキャッシュレス払いが可能となったが、高齢者コインバスは本日から適応になった。贅沢言うわけでないが乗車一回ごとに100円を用意するのは車内で落とすこともあり、結構大変である。だからとても便利になる。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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