徒然日記
2022年4月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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4/30(土)快晴 連休二日目 草刈1回目

1:30起床、文献検索。読書。8:30草刈1回目、東側だけ。バラのケア、庭掃除、枝処理など。12;00家内に同乗、飯川病院、新聞チェック、入力、自炊3冊・データ処理、微睡、ハイビスカス外に移動。読書三昧、音楽鑑賞、微睡など。19:00帰宅、夕食。20:30就寝。歩行計9888歩。

こころと体2022(44) いじめ(12) 校?や教育委員会の責任が分かる2冊

 大津市の「いじめ関連自死」事件に関して断片的な新聞記事からだけでは情報が不足する。この事件に関しては関連著作が数冊出版されているが、以下の2冊から私は情報と知識を得た。これらから、事件の概要、「いじめ」の詳細、学校・教育委員会、加害者と保護者の責任などの詳細を知った。


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(1)共同通信大阪社会部 「大津中2いじめ自殺 学校は何故目を背けたのか」PHP新書   2013

 大津中の「いじめ」事件について、突っ込んだ取材結果が示されている。被害者や加害者、教育現場の実像に迫る努力をしている。

 報道しにくい事件を被害者・加害者の両立場に偏ることなく、調査で得られれた重要な情報を冷静に分析し真実を捉えようとした。絶対先生とかも気づいていたと思う。大人のエゴのせいでみんな傷ついた。隠さず話してほしい(全校生徒アンケート)。子供達の声も吸い上げている。

 「自殺の練習をさせられていた」生徒たちの小さな証言から事件は発覚した。ただ、加害者側への取材は難しかったのだろう。やむを得まい。

 学校と教育委員会の対応も問題で社会問題となった。

 教員は教科以外に道徳、生徒指導、部活動指導などで業務過重である。

 学校は世間の常識が通用しない世界である。今後は、開かれた学校として保護者との密接な連携や、多様な識者の参加を得て、少しでも子供の声をすくい取り、最悪の事態を未然に防いでいくしかない。

 学校、教師が置かれている状況をふまえると、「いじめ」は対症療法でどうにかなるような問題ではない。


(1)越直美著 「教室のいじめとたたかう 大津いじめ事件・女性市長の改革」ワニブックス新書   2014

 市長就任前に起きた「いじめ」事件に急遽対峙しなければならなかった36歳の女性市長が自身のいじめ体験、弁護士としての経験を背景に、高機能の第三者調査委員会を設置し、その結果を受けて教育委員会と学校に面と向かった記録である。

 市長は遺族の気持ちを重視した。我が子を「いじめ」で亡くした当事者が、訴訟の被告となる自治体のトップに大きな信頼を寄せていることからも、市長の姿勢が本物であることを見抜き、結果的に和解に至った。

 調査委員会が「いじめ」に対して全国でも初めてといえるような詳細な状況を明らかした。改めて大津市の対応が如何に画期的だったかがわかる。

 この本は第3者委員会報告書の要約がメインだが、教育関係者であってもなかなか読み切れない分厚い報告書を、一般の我々にもわかり易く説明している。

 加えて、権限と責任の所在があいまいな教育委員会制度そのものの問題点をも明らかにしている。また、大津市が再発防止のために設置制定した様々なサポート組織や制度・運用を紹介しており、実際多くの自治体から大津モデルの相談を受けているとの事である。

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 しかし、大津「いじめ」事件の後も現在に至るまで全国で「いじめ」の報道が後を絶たない。昨今問題になっているSNS「いじめ」を含めると、相当根が深い問題であることが認識できる。

 文科省が2020年10月に公表したいじめの認知件数は、18年度が小学校2万4545件、中学校 11万6524件で、いずれも過去最多を更新。8年に「いじめ防止対策推進法」が施行され、学校現場に早期発見や報告が強く求められていることが増加の要因にもなっているという。


4/29(金)昭和の日   晴れ午後から降雨 連休初日
1:30起床、文献検索、5:30可燃ゴミまとめのみ提出なし。9:00古いコンポスト改造、演芸の廃棄物の処理に有用にした。これで能率改善。早速枝の処理すすめた。14:00降雨、微睡、新聞チェック。19:00帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計11039歩。

こころと体2022(43) いじめ(11) 大津事件に賠償命令 学校・教育委員会・加害者と保護者の責任

 「いじめ関連自死」事件を追っていると学校自体の問題に加えて「教育委員会」の判断がネガティブな判断をして事実解明の足を引っ張っていることが多い様な気がする。正当にその任務を果たしている「教育委員会」もあると思われるが、私が集めたケースの中にはその様な例は見られない。


 「教育委員会」は門外漢には何しているところかわからない組織であるが、大津市の「いじめ関連自死」訴訟を通じて「教育委員会」の責務が問われた。


 「いじめ」を苦に2011年10月、当時中学2年の男子が大津市の自宅マンション14階からから飛び降り自殺した。「市教育委員会」は当初、いじめと自殺の関係を不明としていたが、市が設置した外部の第三者委員会が13年1月、因果関係を認めた。 

 遺族が市などに損害賠償を求めた訴訟で、15年遺族側と市との和解が大津地裁で成立した。自殺を防げなかったことや、「学校」と「教育委員会」の対応に問題があったことを謝罪した。


 和解では元同級生から殴られたり、持ち物を隠されたりした計19件のいじめを認定。「学校」が男子生徒へのいじめ行為を認識し、自殺を予見できたのに適切な対応をしなかったこと、「市教育委員会」が学校の調査打ち切りを追認した責任について、市が謝罪した。

 安全配慮を怠った市は賠償責任を負うとして、賠償額を4100万円と算定。支払い済みの死亡見舞金2800万円を除き、1300万円を和解金とした。


 この和解とは別に、遺族が元同級生3人と保護者に損害賠償を求めた訴訟で、大津地裁は2019年2月、元同級生2人に約3700万円の賠償を命じる判決を言い渡した。裁判長は「いじめが自殺の原因で、予見可能性はあった」と 述べた。もう一人の同級生について判決は、「一体となって関与していたとまではいえない」として、賠償を命じなかった。 


 「いじめ」で人を死に追いやったり傷つけたりすれば、子どもでも厳しく責任を問われうる。社会にそのことを認識させる画期的と言える判決である。再発防止に生かしたいものである。


 この事件では、「いじめ」のむごさに加え、「学校」や「教育委員会」の対応の鈍さや保身に走った振る舞いが指摘され、「いじめ防止法」の制定につながった。


 「いじめ防止法」は二つの柱を掲げる。

 教職員らの情報共有を徹底し、「学校」が組織として対処する。自殺や長期の不登校などの「重大事態」が起きたら、すみやかに調査に着手し、事実関係を解明する、というもの。


 だが、実践はなお遠い。

 公表されている各地の「いじめ関連自死」調査報告書を見ると、判で押したように「情報共有の欠如」が指摘され、真相究明に後ろ向きな「学校」や「教育委員会」の姿勢がしばしば批判の対象になっている。


 教員の多忙の解消が社会の課題になるなか、さらに業務を増やすのかとの声もある。だが、「学校」側の「いじめ」に対する認識の甘さ、危機感の薄さは驚くばかりである。先生たちは重く受け止めてほしい。


 教育関係者は何を考えているのか??これほど「いじめ」が問題になって多数報道されているのに、自分達は関係ない、とでも思っているのだろうか??


4/28(木)快晴やや寒い  飯川病院 ハイビスカス外に
1:45起床。文献等若干処理。画像収集処理。読書三昧。午前は木蓮の花びら中心に庭掃除、剪定した小枝の裁断、3年目のコンポスト掘り返し。11:50郵便局経由、レターパック購入、飯川病院。ボランティア、微睡、新聞チェックと電子化、自炊2冊、14;00-19:00勤務、入院患者対応。途中で郵便を出し、患者用チョコレート購入など。ハイビスカス訓練室から外に出す。散水。19:00帰宅、夕食。21:00就寝、歩行10.222歩。

こころと体2022(43) いじめ(11) 教育委員会は何するところ??

 「いじめ」のニュースなどでは「教育委員会」での判断が問われることが多い様に思われるが、教育委員会は何しているところかわからない組織である。


 しかし、学校教育の中では大きな権限があるから学校教育を語るさいに決して無視できない。


 そのために「いじめ」の際に学校と同じ立場で、あるいはそれ以上に話題になる。

 私は「いじめ関連自死事件」についてのニュースを追っているが、大津市、神戸市、横浜市、仙台、青森、茨城、取手、岩手矢巾町、そのほかの例でも教育委員会はネガティブな意味での判断をして事実解明の足を引っ張っている。大津市のいじめ問題でも、他のいずれのケースでも「教育委員は何をしてたのか」と疑問の声がある。

 これは何故だろうか?


 教育委員会は学校その他の教育機関を管理し、学校の組織編制、教育課程、教科書その他の教材の取扱、及び教育職員の身分取扱に関する事務を行い、社会教育その他、教育、学術及び文化に関する事務を管理する。

 教育委員会は都道府県と市区町村に置かれていて、全国で1600以上もの委員会があり、地域の教育行政の方針を決めている。委員は原則5人で、教員人事や学校の教育の方針を決め、 使う教科書の選定、地域の文化財の保存など幅広い。 教育長は首長に任命される。教育委員が話し合いで方針を決め、それに従って自治体職員らの事務局が実務を行う。


 委員がどんな人がなるのかは特に決まりはない。教育学者や教員経験者のほか、地域団体の長といった「地域の名士」やPTA役員経験者も多い。事務局トップの教育長も入るが、教育行政に関する「人」が加わって方針を決める点が特徴となっている。


 決定内容は重要な項目が多いが、素人も参加することがある教育委員会に大事なことが決められるのか否かに関しては以前から問題として指摘されている。委員は非常勤で、定例会は月1~2回。だから会議では、玄人である事務局の方針を追認するケースが大半らしい。「形骸化している」と批判される所以になっている。実際に「いじめ関連自死事件」を追っているとそう思わざるを得ない事例にぶち当たる。


 教育委員会が作られた背景は、過去に無謀な戦争に突き進んだ政治に、教育も引きずられてしまったという戦前の反省からである。政治から距離を置き、首長が直接舵を取らないようにする。教育は住民に身近な問題だから、一般人も加わって幅広い意見を反映させようとしてる。そういう理念が十分生かされているかは門外漢にはなかなかわからない。


 それでも、最近は「教育の責任の所在があいまい」と見直しも提起されている。 


4/27(水)曇りのち快晴  JR上飯島まで 午後飯川病院勤務
1:20起床、文献チェック他。データ関連処理進む。6:00ペットボトル廃棄。9:48泉外旭川駅から上飯島まで初乗り。古書店、7冊購入。歩行は疲れた。帰路はバス、11:50飯川病院。ボランティア、微睡、14:00勤務、入院患者対応なし、読書。19:00帰宅夕食、20:30就寝。歩行計8499歩。意外と伸びなかった。

こころと身体2022(42)   いじめ(10)  義務教育とは、学校とは

 「いじめ」が成立するためには、被害者が簡単に逃れられない環境が関係している。我が国では義務教育は学校での教育を基本にしており、これが閉鎖的環境を作っている。学校は自由が乏しく子供たちの行動を大きく規制しているが「義務」ではない。この辺が誤解の元になっている。


 憲法には国民の様々な権利が規定されているが、国民の義務として規定されているのは、『教育の義務』『勤労の義務』『納税の義務』だけである。


 「教育の義務」は憲法26条に規定されている。

1項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

2項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。


 無償とは「授業料の無償」を意味する。

 義務教育は9年間。義務教育は子供たちの「権利」ではあるが「義務」ではないとしている。義務は市町村と保護者に課せられている。


 私立中学は、学校法人として教育理念を掲げている学校。全国における中学生のうち、7%が私立中学で学んでいる。義務教育であるが、授業料は有償である。


 制度としては、教育義務型と就学義務型がある。日本は後者で、学校へ就学しそこでの教育によってのみ義務教育が行なわれる。

 学校教育法の第38条、49条で市町村は、その区域内にある学齢児童を就学させるに必要な小中学校を設置しなければならない。


 そのため、保護者は、学齢期の子供を地域の小中学校などに通学するように取り計らう義務がある。


 これは6歳から15歳までの9年間を義務教育期間とし、完全な年齢主義で運用するようにしたものである。

 保護者が子供が学校に就学できるよう充分な便宜を図ったにもかかわらず、子供自身が登校しない、あるいは出来ない10万人超の不登校者問題が生じている。最近では民間教育施設への通所も出席に算入できるようになり、さらに中学校卒業程度認定試験(中検)と大学入学資格検定(大検)を経れば大学に進学できるようにしたなど、就学義務制は緩和されており、就学に代わる家庭教育も可能になりつつある。


 しかし、国際学校、外国人学校、民族学校などをはじめとする無認可校に子女を通わせる保護者は義務教育不履行と教育委員会から通告を受ける場合がある。


 ここで教育委員会とは何かという疑問だ生じてくる。


4/26(火)快晴午後降雨 中通病院外来 飯川病院ボランティア  
1:30起床。本読み、データ整理他いつもと同じ。5:00可燃ゴミ提出。6:40バスにて飯川病院。8:35-13:15中通病院内科外来、患者数も多かったが内容的に疲弊。14:00-19:00飯川病院ボランティア、この間微睡、読書その他。帰宅間際に患者不調に、院長対応、20:00帰宅、夕食。21:00就寝。Σ8150歩。

こころと身体2022(41)   いじめ(9)  時代の変化と少年の心の変化

 かつて、子供の立場で大人を批判した自分であったのに、親になっていつしか立場が逆転していた。子どもの反抗や指摘に、一方的に大人の立場を押しつけている自分に気づき愕然としたことが何度かある。


 時には声を荒げたこともあった。でも、それにもかかわらず、三人の子どもはつまずくこともなく育ってくれた。数知れぬ私の失敗にもかかわらず、である。


 さて、「少年期」は子どもが親の庇護から離れ「生き方を分ち合うような仲間を広く求めるようになる時期」であり、これはいわば自己中心的ながら「社会化の時期、または最初の社会的人格の成立の時期」、とも言える。


 つまり、それ以前は両親の像を通してのみ社会を見ていた子どもが、同年輩の遊び仲間を通じて直接的に社会と接触するようになる重要な時期となる。どのようにして社会的に適合するか、またどのようにして他人とうまくやっていくか、を学ぶ時期である。


 同じく「少年期」といっても、時代を通じて不変なものもあるし、時代の変化と関わりながら、たとえば戦前と戦後ではその様相が多きく変わってしまった。同じ戦後でも、さらに細かくみれば、各年代ごとに微妙な変化がある。


 かっては近所の子達はたいてい仲よしであった。お互いの家には開放的な縁側があり、その家の家族も含め勝手知ったるわれらが領分であった。ところが、今は、各家々は一つ一つが独立して一枚のドアで仕切られている。


 家へ帰れば、TVという受身一方の情報が流され、その間にもあれこれと制約を加えられて、少年たちが自主的に生きる空間と時間の「自由」を選択することなど、どだい困難な状況になっている。

 これは、核家族化や住宅事情の変化に伴う団地化などとも深く関わりあっており、私どもの少年期の環境を「自由・開放系」とするなら、現代のそれは「不自由・閉鎖系」と言わざるえない。


 こうしたなかで、家族内の不和とか経済的困難とかの何らかの不安をもたらす要因が生じれば、少年たちの心にダイレクトにその影響があらわれてくる。


 少年少女たちの大部分は、自身たちが招いた問題というよりは、周囲の環境に影響されたもので、いわば自我が弱い立場の子どもが一番最初に犠牲となる。


 少年たちにとって一番大切なのは、彼らの自由な空間と時間の保障である。年少者にとっては「遊び」の保障であり、年長者にとっては「自主性」の保障が大切である。そして、それらをやさしく見守る親や教師の心の「ゆとり」が必要である。


 子ども時代に祖母や母のやさしさを経験せず、少年時代に遊びを通じて少年らしさを発揮することのできず、大人になったとき、その分だけの、いやそれに数倍する代償を払わされることにもなり得る。

 少年期の時の経験は、あらゆる面でその後の人生に影響を与えるのだ、と思う。

 「いじめ」への対応も同様である。


4/25(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
1:30起床。新聞・文献,いつものごとく。6:40バス飯川病院、9:00-11:00。ドック11名、結果レ線判定10名。11:20飯川病院、一時微睡、読書、14:00-18:40勤務。入院患者対応、16;30-18:00歩行、ドンキ、古書6冊購入。家内はWeb学習、20:45帰宅、夕食、21:30就寝。歩行計9825歩。飯川?ドンキは4000歩のみ。

こころと身体2022(40)   いじめ(8)  回想、私の少年期の頃(2)

 私の小学生時代は素直だった、と思う。基本的に親が決めてくれたことを良かれと思いありがたく受け入れてきた。小学校の頃の気持ちはそんなものである。


 私は中学は家族の勧めで郷里の中学校でなく盛岡市にある中高一貫校に進んだ。そこは10年以上前に兄が学び志望の大学に進学できた学校で我が家では評価が高かった。私は進学してまもなく英語教師に平手打ちを喰らうなどのショックもあり、この学校のどうしようもない旧態依然とした体質に嫌気を感じ、同じ考えの仲間と共に2年終了時に退学し、郷里の中学に移った。中学校時代(1958〜61)


 この時、大人たちには中学生の自分の気持ちが伝わらない、特に教師達にはほとんど伝わらない、ということを実感した。大人たちは子供の気持ちを忘れている、理解しようともしない、と。


 このことは、自分が子どもを育てる年代になって改めてよくわかった。気がつくと自分自身もそうなってしまっていた。


 幼児はどんな環境にあってもひねくれたり、グレたりしない。 その一因として、幼児は言葉を持たないから客観視できないからではないだろうか。 しゃべりはするが、ボキャブラリーは貧しいし、筋道の通った理論はとても無理である。

  親に、わけもわからぬ原因で叱られても、幼児の頭には「・・・・。????」

と戸惑いと憤りの感情が、不定型のイメージで脳裏に宿るくらいであろう。そして、やがてそれは直ちに忘れ去られる。幼児期に虐待を受けても子供たちは両親を忌避することはないのは何故なのか、私は疑問に思っていたが、その原因の一つがわかった様な気がしている。


 中学生になると、自分達はもう幼稚な小学生ではない、との自覚を持つ。そのことが心理的発達を大いに刺激するのであるが、所詮、社会性のある判断などできない。だから、事あるごとに、教師や親に注意されるたびに、普段観察している結果から打ち立てた概念、すなわち「自分のことは棚にあげて・・・口うるさい!!!!!!    なによ、偉そうに。 大人なんて影では人の顔見てインチキばかりしてるじゃないかよ。それなら、グレてやる・・・」、「わからずや!  もう知らない!  どうせわかってくれないんだから・・・」と考える様になる。 


 上から目線の大人たちへの不満の蓄積がやがて親や教師たちと距離を置き、話のわかる同年代の仲間達と集う様になる。

 子供たちが非行に走ったり「いじめ」に向かうのはこの年頃からである。 


 人間の不幸は言葉を持って、イメージを固定化してしまうことに始まっているのかもしれない。


4/24(日)快晴 半袖ワイシャツ購入

 1:30飯川病院で起床、文献検索整理,散水など。9:00-10:30徒歩帰宅、千秋公園、秋田工業、奥羽本線わき歩行者道路経由。コナカで半袖ワイシャツ2枚購入、290円ラーメン店、スーパーなど。午後は午前はLEDランプかさ作り、新聞チェックとのど自慢。外仕事せず、午後は、微睡。17:00以降は書斎で整理と音楽関連録画チェック。19:00夕食、21:00就寝。歩行計15697歩。秋田の桜ちる。

こころと身体2022(39)   いじめ(7)  回想、私の少年期の頃(1)

「いじめ 」問題を論じるには少年期の心について考えなければならない。しかし、私は今の若者たちに接する機会は皆無に等しい。だから自分の経験を回想し、それに文献的に学んだことを若干加えることしかできない。


 誰でも少年期を経過する。育った時代を背景に皆それぞれに楽しい or つらい少年時代の想い出があるだろう。


 私の少年期は田舎で過ごし、ある意味でとても幸せであった。自然に囲まれて、ゆったりと過ごした田舎での生活は、時々ふと、鮮やかな記憶として浮んでくる。

 ●家が火災で消失したこと、●一匹のネコとの出会い、●自転車の三角乗り、●ボールが見えなくなるまで遊んだ草野球などなど。●太鼓や笛の音が響く祭りの日は自転車で隣町の神社まで遠征したこと、●北上川の支流の乙部川での釣りやヤスでの魚取り、置き針など猟法、次から次へと想い出す。到底上げきれない。●初恋?もあった。


 田舎では田植え、稲刈り等の多忙期には小中学校は休みになり、その間、農作業は「結い」と呼ばれる地域社会内の労力交換のシステムがあり、我が家は開業医で農家ではなかったが、私はこの期間毎日のように農家の手伝いに勤しんだ。夜はささやかな打ち上げ会にも呼ばれ、大人の住民たちとも交わった。

 今は機械化ですっかり廃れたが、当時の村民は「結い」を通じて緩やかに結ばれており、子供たちはみんな仲が良く、助け合ってもいた。私が園芸とか畑づくりに精を出せる技術的背景はこのような素地をもとに培われた。


 当時、日本は全体に貧しかったが、特に岩手県は気候も厳しく冷害も多く日本のチベットなどと言われていた。これは決して屈辱的なことではなく、若いものはそのような評価の中で上昇志向が大きかったのではなかろうか。私は小学校に上がる前から、将来は医者になって地域に貢献するのだ、と固く思っていた。


 今回、「いじめ 」問題を考えるにあたって改めてこの少年期のことを回想してみた。ある意味では私にとってもいい経験であった。


 いつまでも少年の心を持ち続けているヒトもいるが、大人になるにつれ大抵はいつのまにか、どこか遠くに置き忘れ、いつしか大人の視点のみから世の中を見ており、しかもその問題点に気づいていない。特に教育界の方々にそのような方々が多いのではないだろうか。


 このことは現代の「いじめ 」問題を考えるにあたって根本的意味があるように思える。当時の子供たちはガキ大将を中心に一定のルールがあり、諍いは日常茶飯事であったが、そこには自由があり、小さな自治があり、陰鬱な「いじめ 」など存在しなかった。


4/23(土)快晴 飯川病院日当直 北海道で観光船事故
1:30起床、文献検索。読書。8:30家内に同乗、飯川病院、日当直に就く。午前は新聞チェックと電子化。自炊3冊。12:00検食、午後は読書三昧、音楽鑑賞、微睡など。18:00検食、データ整理。20:30就寝。歩行計3430歩、ほとんど室内で過ごす。 昨年草刈り一回目。北海道で観光船事故。この海水温で海に投げ出されたら10分ほどで意識を失う。恐らく全員助からないだろう。

こころと身体2022(38)   いじめ(6)  学校のいじめはやはり特殊

 「いじめ」が成立するためには、(1)加害者の嗜虐意欲、(2)加害者による攻撃行動、(3)被害者の苦しみ、の三要素に加えて、(4)被害者が簡単に逃れられない環境、が必要である。


 「いじめ」は何も特別な現象ではない。人間集団が存在するところでは普遍的な現象として発生する。「いじめ」は、学校の生徒たちだけの問題ではない。昔から今まで、ありとあらゆる社会て、ヒトはこのはらわたがねじれるような現象に苦しんできた。


 基本的には「いじめ」は特別な現象でもなく、普遍的現象であることをまず認め、重大な結果を招かないように教育、指導、対策を講じなくてはなければならない。

 

 逃げることができない、出口なしの集団の世界は、恐怖である。

 そこには差別、序列関係や仲間意識も生じ、誰かが誰かの運命を容易に左右し、暗転させることができる。立場の弱い者は、「何をされるか」と過剰に警戒し、硬直し、つねに相手の顔色をうかがっていなければならない。


 「いじめ」のうち、学校の「いじめ」は成長期の多感な少年少女期に生じ、かつ学校社会という半閉鎖社会で、教育者という特別な資質や考え方を持つ指導者に囲まれ、教師自身もバッチリ管理され自由度が少なくなっているし、さらに自由度の少ない校長、副校長らに囲まれている。学校の背景にはさらに問題のある教育委員会が存在し、文科省も十分な指導性を発揮できない。


 日本の義務教育の中で学校の占める位置はとても大きい。「いじめ」の被害者が簡単に逃れられない構造になっている。


 こんな環境の中で「いじめ」が頻発している。だから、学校の「いじめ」にはやはり特別な位置を与えなければならない。


 学校社会の特別さ、とは何だろうか。その特別な環境について考え、「なぜいじめが起こるのか」について考察したい。


4/22(金)降雨 大曲診療応援 飯川病院ボランティア  
1:30起床、起床時から降雨。文献検索、録音データ処理その他,5:30可燃ゴミ提出。7:40Taxi駅東に。8:11こまち、8:50大曲中通病院外来結構多忙。帰路こまち10人ほど、若干増加傾向。15;20飯川病院、ボランティアほか。19:20帰宅夕食、21:00就眠。歩数計7880歩。

こころと身体2022(37)   いじめ(5)  現代のネコにも「いじめ」あり(2) 難しい多頭室内飼い

(2)室内多頭飼いネコの「いじめ」行動

 2014年の厳冬を外で乗り切った野良ネコ1匹を家に入れ「プチ」と名づけた。

 その後間も無く、我が家の庭で同じ雌ネコが5匹の子供を産んだ。「プチ」の例があるから母子を無碍に出来ない。やむなく家に入れた。我が家の周辺はネコ嫌いが多いからネコ親子にとって必ずしも安全な環境とは言えない。だから、緊急的、一時的に収容したつもりであったが、結果的に我が家で飼うことになった。


 その後、いろいろあって数は増減したがが、現在6匹と同居している。

 横浜で拾われた「ゆう」はすっかり老ネコになった。母「チー」、娘の「プチ」と「雪音」、息子の「鉄」と「シマジ」である。原則的に外に出さず家の中だけで過ごさせている。


 子供たちは比較的仲良く暮らしていたが、2歳過ぎた頃「シマジ」が脱走し2ヶ月ほどガレージの2Fで暮らした。なんとか「シマジ」を確保したが、その後から「シマジ」vs「鉄」、「シマジ」vs「雪音」で「いじめ」行動が見られるようになった。


(昔はこんなに仲良かったのに・・・)


(男ぶりのシマジ 今はいじめにあっている・・・)


(精悍な若武者の鉄 果敢にシマジと戦うも時に劣勢・・・)


(我が家の美ネコの雪音 パンを投げると見事にキャッチ かわいい顔してシマジを威嚇する)


 この「いじめ」を観察しているといろんなことがわかってくる。

 これらの一部は人間社会の「いじめ」と共通しているようにも見える。

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 ■室内飼いで自由を奪った状態の多頭飼いは、本来単独生活を好むネコにとってかなり問題があるようである。

 ■ネコを住宅に閉じ込め多頭飼すると縄張り争いから「いじめ」とケンカが生じ易い。

 ■兄弟であったことを忘れたのであろう。

 ■「鉄」と「雪音」は「シマジ」を監視しており、共通の空間には入るのを許さない。

 ■日に何度か激しいバトルを繰り返し床が毛だらけになる。時に血を流すこともあるようだが、今のところは大きな怪我は負っていない。しかし、この先が心配である。

 ■ネコの「いじめ」はとにかく執拗。物陰にひそんで急襲する、隙を狙ってパンチするなど。

 ■相手が委縮すればするほど、しつこく「いじめ」る。

 ■「いじめ」がなくならないのは、意味のない娯楽的行動なのか??

 ■ケンカが始まると、関与しないネコも集まって傍観する。

 ■メスの「雪音」が仕掛けるケンカは気まぐれで、気分しだい。大きなバトルにはならないがしつこい。

 ■オスの「鉄」が仕掛けるケンカは正々堂々としたもので、短時間のうちに激しいバトルに進展する。しかし勝負がつかない。


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 ネコ科の動物の中で集団生活するのはライオンだけと言われている。なぜ群れるのか、研究者たちの観察によって、その社会的システム、上下関係、狩の時の分業なども少しずつ明らかにされている。

 しかしながら、ネコの集団には社会システムと呼べるものは見いだされていない。だからこのような行動が生じるのだろう。


4/21(木)快晴 院長受診 終日飯川病院 
2:30起床、何か寝過ごした。いつもと変わらず読書、データ整理など。8:30家内に同乗飯川病院、院長受診のために。8:50-19:00勤務。外来・入院患者対応なし、散水。15:00途中歩行。古書店に、10冊ほど買い取り、5冊購入。19:30帰宅・夕食、20:30就寝。Σ10400歩。

こころと身体2022(35)   いじめ(4)  現代のネコにも「いじめ」あり(1)

 「いじめ」は自由に動ける野生動物の中では起こりようもない。

 しかし、私は我が家の初代のネコで「いじめ」を経験し、今は多頭飼いのために生じた新しいタイプの「いじめ」悩んでいる。


(1)初代のネコの「いじめ」行動

 60年も前の話。

 小一から高校卒業まで13年間、私は1匹の雌ネコと過ごした。家族たちはあまりネコが好きでないから、私とネコは小5頃からかつて診療所として用いていた住宅で一緒に暮らしていた。母家には食事時などに短時間もどるだけで大部分その住宅で過ごしていた。

 私が高2のころ近くの県立農業高校乙部分校に転勤してくる教師夫婦にその住宅を一時的に提供することになり、私とネコは母家の応接間に居を移した。


 不幸なことに、夫妻は一匹の若いネコを同伴して引っ越してきた。その頃は我が家のネコは10歳に達しており、体力的には衰え始めていた。引っ越して10日間ほどは夫妻はネコを新しい環境に慣らすために戸を締め切っていた。その間、我が家のネコはその住宅の周囲を何度も徘徊して隙間から匂いを嗅いだり、隣の家屋の屋根に登り様子を観察していた。


 10日ほどのちに、慣れたとの判断で縁側を開けたらしい。我が家のネコはその機を逃さず住宅に突入、夫妻のネコと大バトルを演じたとのこと。ちょっとオーバーに言えば2匹とも障子や襖を駆け上がり天井から落ちてくる様な状態だったらしい。何とか2匹を引き離していたが毎日の如くにそれが繰り返された、という。


 約1週間後、突然その争いは終息を迎えた。夫妻のネコが大怪我を負ったとのこと。その後我が家のネコは2度とその家に近づくこともなかった。

 私は飼い主として怪我を負わせたことを謝りに行ったが、ネコ同士のことと許してもらえた。夫妻のネコは片目を失い背中に3cmほどの裂創を負っていた。


 約2週間ほどのち、片目を失ったネコは傷も癒え時折外で見ることがあったが、我が家のネコはもう関心を示す事もなく、そばにも一切近づかなかった。


 日常、我が家のネコは体力も衰えていたが、このバトルの時だけは若いネコに劣ることなく追いかけ回した。


 夫妻は約2年後、任期を終えネコと共に三陸の方に転居した。


 ネコは飼い主より家につく、と言われる。

 ネコは単独行動をするため「なわばり」を重視する。そのため、「なわばり」内に入ってくるネコに対しては威嚇し、ケンカをしかけ排除しようとする。私のネコは何年間もその家に住んでいたから「なわばり」意識が強かったのだろう。


 夫妻のネコは夫妻によく慣れていておとなしく、野生の習性など殆ど感じられなかった。そのため身の危険を感じながらも家から逃走しなかったのか?  もし、うまく屋外に逃れていたら両者の争いは別の展開しており、眼球を失ったり傷を負うこともなかった、と考えられる。


 その後、両者は二度と争うことはなかったが、我が家のネコにとって「いじめ」の目的を十分達したから「なわばり」の中に居ることを許したのであろう。


4/20(水)快晴、午後飯川病院 COVID-19ワクチン接種担当 家内Web学習
 1:30起床、文献データ処理,いつものごとく。iMac2機廃棄準備、庭の樹木剪定切断その他、10:50バス通り待ち、山王、ドンキ、古本7冊購入、徒歩飯川病院、14:00COVID-19ワクチン接種担当。読書、微睡。画像データ処理。18:30-19:45家内Web学習、テイクアウトで軽食。20:00帰宅、夕食、就寝。Σ12.998歩数。

こころと身体2022(35)   いじめ(4)  「いじめ」の社会的土壌=逃れられない共同体

 「いじめ」が成立するためには、前回記述した様に(1)加害者の嗜虐意欲、(2)加害者による現実の攻撃行動、(3)被害者の苦しみ、の三要素が必要である。

 さらに環境因子を加えるならば、「いじめ」は被害者が簡単に逃れられない環境下でのみ生じると言って良い。ここに「いじめ」問題の解決策の一つがある。


 私はネコと暮らしていてそのことを実感している。


 「いじめ」を形成する社会的土壌とは何か??

 野生の動物は不快と認識するものには近づこうとしないし、危険を感じれば離れていく。このいたって単純な行動原理は、人類を除くあらゆる動物の野生生活に貫徹している。だから、「いじめ」などの不快な社会的経験など野生動物の中では起こりようもない。

 では、どうして人類だけに起きるようになったのか?

 それはわれわれの祖先が農耕生活を始めて共同体を形成した時、社会的排斥=「いじめ」が誕生した時でもある。

 しかし、共同体からの排斥が、共同体外部によって吸収可能であるうちは、まだよかった。ところが排斥がされていても受け皿がない状況になると、「いじめ」がエスカレートし、「いじめ」関連自死や「ひきこもり」へと発展するのだと考えられる。


 「いじめ」や「ひきこもり」が日本において社会問題としての市民権を得てから、かなりの年月が経過した。両者ともすっかり特殊化してしまった人類の社会の在り方に対する一つの適応形態にほかならない。その点ではコロナウイルス蔓延と共通するところがある。


 しかし、問題の本質への理解は、意外なほど深まっていないように思えてならない。

 「いじめ」が最初に話題となったのは1986年のこと。東京都の当時中学2年の男子生徒が自殺し遺書から、同級生のいじめが原因だとわかり大騒ぎとなった。


 「いじめ」は攻撃を受けているにもかかわらず、被害者がそこになおとどまるゆえに成立する。


 本来「いじめ」は動物界には無いと考えられてきたが、ネコでも野生でなくなると、人間並みに「いじめ」もどきの行動をするようになることを体感した。要は危険や脅威を感じてもその場から立ち去らない、あるいは立ち去れない環境を飼い主が作ったからである。


 人間が地球上に出現した当面の間は、「いじめ」など存在しなかった。それがある段階から、仲間を「いじめ」だす。それはまさに狩猟生活することをやめた時だったのではないかと、考えられる。それは定住化、農耕生活化であった。


 要するに、われわれの祖先が「不快には近づかず、危険からは逃げる」という動物的な行動原理を捨てたから、ということになる。


4/19(火)晴 中通病院外来 循環器科受診 飯川病院 
 1:40起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。可燃ごみ提出。8:30中通病院、8:40-13:00外来、本日は予約患者22名、疲弊した。循環器科受診、経過観察で可と。13:30飯川病院、ボランティア、一時微睡、新聞チェックなど。19:20帰宅夕食、20:00就眠。歩数Σ9273歩。

こころと身体2022(34)   いじめ(3)  いじめとは?? いじめの定義

 「いじめ」が成立するためには、(1)加害者の嗜虐意欲、(2)加害者による現実の攻撃行動、(3)被害者の苦しみ、の三要素が必要である。


 「いじめ」は若い人たちに特有のものではない。老若男女あらゆる集団で「いじめ」は発生し、蔓延する。親が子どもを虐待するのも「いじめ」である。特にその人間関係、人間集団から逃れられない環境下においては頻発する。


 被害者の意識を基準にした定義が散見されるが、被害者が「苦痛」と感じさえすれば「いじめ」とすれば、何でも「いじめ」になりうる。暴力行為によって苦痛を与えるだけでは「いじめ」ではない。


 いったい何から何までが「いじめ」なのだろうか。


 「いじめ」における攻撃では、被害者が苦しむことがはじめから目的とされて、被害者の苦しみが具現化され、その手応えを加害者側が遊び感覚、楽しみとして享受する。この嗜虐的意欲が、「いじめ」のコアである。


 「いじめ」の多くは、特定の一人によるものではなく、周囲に賛同者がいるなど何らかの社会構造に埋め込まれた、複数の「みんな」の勢い、あるいは「自分たちなり」の特殊な秩序を背景にしているのが特徴的姿である。


 だから、ほぼ閉鎖的な学校は「いじめ」の温床になりうる。

 学校で「いじめ」が発生する根本的な要因は、雑多な人間が集められたクラス内において過度に人間関係の親密さを強要するシステムそのものにあるから、学校、特に中学は「いじめ」の温床になりやすい。

 特に中学は一般社会のルールや常識も知らず、にもかかわらず中学生としての自覚を要求されるな微妙な位置にいる。

 学校関係者、教育関係者はこのことをよく認識してほしい。


 私は3人の子どもがいる。今とは、時代も異なっているが、わが家で「いじめ」が深刻な話題になったことはなかった。しかし、個々に聞くと多少はあったようであるが、幸いにそれほど深刻ではなかったようだ。

 今は孫たちが若干心配である。「いじめ」問題は私にとっても看過出来ない問題である。


4/18(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:30起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。6:40バス飯川病院、9:00-11:15健康クリニックドック10名と少ない、結果レ線判定8名。飯川病院、一時微睡、14:00勤務。入院患者対応、その後歩行古書店8冊購入。内科学会講演視聴数件。19:00帰宅夕食、20:00就眠。歩数Σ11490歩。

こころと身体2022(33)   いじめ(2)  被害者の心の叫びを聞け

 北海道旭川市で「いじめ」を受けていた被害者がツイッターに匿名で「私はいじめを受けていました」などと書き残していたことが1月、関係者への取材で分かった。遺族が本人の投稿と確認した。本人が詳細に残していた「いじめ」被害の経緯、当時の心情や悩みが明らかになるのは初めて。

 これは状況を判断するのに重要な示唆を与える。


 私はこのネット時代の申し子たちが「いじめ」被害についてなぜ記録を残さないのか不思議に思っていた。

 被害者本人がツイッターに書き残した内容

―――――――――――――――――――――――――――――――――-

●私は前の学校でいじめを受けていました。

●先輩たちと仲良くしようと頑張りました。でもどこからか変わっていくのに気が

付きませんでした。

●いつの間にかコンビニに行くときは私が全部払う。

●1人になりたくなかった。でも先輩たちといることによって私は誇りも失うこと

になります。

●居場所のない私はよくネットに籠るようになりました。

●いじめを受けてから1年たちそうなのに私は何もできません。

●何もかもが怖くて怖くてたまりません私は存在価値を見いだせなくなってきました。

―――――――――――――――――――――――――――――――-


 これは、親から受けた虐待で亡くなった5歳児の残した「反省文」と同じく、読むものに深い悲しみを抱かせる。それは以下の文章からなる。

●「パパとママにいわれなくてもしっかりとじふんからもっともっときょうよりかあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるしてくださいおねがいしますほんとうにおなじことはしません ゆるして」


●「きのうぜんぜんできなかったこと これまでまいにちやっていたことをなおす これまでどんだけあほみたいにあそんだか あそぶってあほみたいだから もうぜったいやらないからね ぜったいやくそくします」(原文のまま)


 被害の女児は上記のいわゆる「反省文」を残していた。女児は毎朝4時ごろに起床し、父親から平仮名を書く練習をさせられていた。


 「いじめ」問題を考えていくと加害者側の子供達の行動に理解しがたい状況に突き当たる。また、学校は教育の場として専門家集団のみが担っていて、閉鎖的な、一般人には近づきがたい存在となっている。ひとたび「いじめ」事件等が生じると、いままでのケースではその閉鎖的組織の壁を打ち破るのは一般的には至難の業のようである。


 過去の「いじめ」問題の報道を通じて私は以下の疑問を持っていた。以下は2012年11月27日に記載した内容であるが現在と何ら変わっていないように思われる。


■なぜ、学校側・教育委員会は事実をこれほど隠すのか?

■学校は危機管理の面で組織的機能を果たしていないのではないか? 

■学校と教育委員会間の関係は過度に緊張関係、上下関係にあるのでは?

■教職員、教育委員会に人間をあつかっていると言う感覚が乏しくないか?

■何故被害者は誰にも相談なく死を選ぶのか? 

■なぜ子供達は同級生や学校のいじめを見て、見ぬふりするのか?  

■加害者側は遊び感覚、楽しんでいる様子で、多くの場合「いじめ」の感覚なし。

■一部に名誉毀損、強要、恐喝、暴行などを伴うことがある。これはほぼ犯罪行為であるが、被害者はそれでも隠し通そうとするのは何故か。

■ほぼ犯罪行為と言って良い「いじめ」もあるが、この場合には学校組織だけでの対応は困難だろう。 

■被害者は尊厳がずたずてにされる。大人になっても深いトラウマとして残っている様である。

■一定以上の身体的障害を伴った場合は警察に届けるべきと思う。


以上。


4/17(日)快晴 飯川病院日直 
1:40起床。新聞・文献・録音データ処理,いつものごとく。8:50家内同乗飯川病院、9:00-19:00飯川病院日直。2時間当直医の代行。新聞チェック、データ化、読書、微睡、花壇に散水など。自炊5冊。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。歩数Σ4635歩。

こころと身体2022(32)   いじめ(1)  学校、教育委員会の無責任対応が繰り返されているのは何故か

 私は新聞上で報道される「いじめ」問題はほとんど漏らすことなく収集しているつもりである。このブログ開始から20年以上フォローしているが、「いじめ」対策はさっぱり進展しているようには見えない。

  それは、人間社会に内在する回避できない事象であるとの認識が乏しく、関連する今人の問題と問題と捉える風潮がまかり通っているからであり、人間関係をコントロールすべき立場にいる管理者が自覚と能力が乏しいからである。せめて管理者が能力がないことを自覚してくれればいいのだが。


 この30年間に報じられた各ケースは、学校だけではなく、私的企業、公務員、政治機構、アカデミックな環境の中でも生じており、いずれも深刻な問題を孕んでいる。全て陰惨であり、被害者のことを考えると心が暗くなる。

 「いじめ」の結果、被害者が自死に至る場合があるが、「いじめ関連強制的自死」と捉え、因果関係、人間的関連について明快に犯罪事件として扱うべきである。


 大津市の事件はセンセーショナルであった。2011年に滋賀県大津市内の中学校の当時2年生の男子生徒がいじめを苦に自殺した。事件前後の学校と教育委員会の隠蔽体質 が発覚、問題視された。翌年には「いじめ防止対策推進法」が可決された。

 以来10年経過した。その間も多くの「いじめ」関連の自死が報告されてきた。


 最近、北海道旭川市の中学生の例はその代表的なものである。


 北海道旭川市で昨年3月、凍死した状態で見つかった中学2年の女子が陰鬱な「いじめ」を受けていた問題で、家族から「いじめ」としての申告があったのに当初は学校も教育委員会も十分対応してこなかった。

 自死が明らかになりマスコミが取り上げてから重大事項として認められ、第三者委員会もつくられた。事実関係を調べている委員会が本年4月5日、記者会見し、性的な意味での身体接触や性的動画の送信要求など6項目を「いじめ」と認定したと発表した。


 第三者委員会委員長は「被害者が苦痛を感じていたのは間違いない」=「いじめ」があったと認定し、中学や他校の先輩などによる性的な身体接触や菓子代などの要求、性的動画の送信要求、性的画像を周囲に見せたことも「いじめと同様」と判断した。

 第三者委は「いじめ」と死亡の因果関係などの調査を続け、8月末をめどに最終報告をまとめる意向も示した。


 記者会見に同席した市の教育長はこれまでの対応について「深くおわび申し上げる」と謝罪。市長も記者会見し、「人間の尊厳を大きく傷つける内容だ」と陳謝した。


 私はこのケースには、学校や教育委員会の対応には大津市の事件の時と変わりがない大きな問題が内在していると思う。

 その背景は、学校、教育委員会の意思決定に内部の関係者だけで協議し、特に高齢者が多数占めていること、さらに人間の心理についての勉強不足が問題、と思う。

 これは上記の組織のみでなく児童相談所、入国管理局など人権を扱う組織に共通の問題点である。


4/16(土)降雨のち快晴  千秋公園花見
2:00起床。ネコの歓迎で再微睡、文献・録音データ処理。資源ごみまとめ。午前読書中心。午後家内に同乗飯川病院、微睡、15:00-17:00市民市場経由千秋公園に花見。17:30帰宅、蓄積データ整理など。19:00夕食、21:30就眠。歩数計8268歩。

漫画と本と映画 葛飾北斎の娘、葛飾応為(お栄)関連3作品(2)

 最近以下の3作品を通じて北斎の娘・葛飾応為に親しみを持った。

(1)朝井まかて著 「眩(クララ) 」  新潮文庫 2018

 朝井まかて氏(1959年- )は、日本の女性小説家。氏の作品には時代小説、それも人物を対象にした作品が多いようだ。これもそれの一冊。

 北斎の娘・葛飾応為(お栄)には以前から興味があった。本作は、幼少の頃から絵筆を好み、父北斎の薫陶を受け、北斎の娘であることの苦悩も描かれている。江戸時代の中にあって女流絵師の立場は困難の連続であったと思われるが、何分にも残された史料が少ないなかで応為の半生が小説と言う形でよくまとめられている。北斎を凌ぐ程の才能があり、女流画家というハンデを乗り越えて名画を描いた半生が生き生きと描かれ、私をわくわくさせた。文体は難しい言葉が多く難解であったが、史料がすくないなか、見事な構成である。この作品を通じて。応為がより身近になった。


(文庫本の表紙から借用 応為の技法である光の中に浮かぶ被写体を見てとれる)


(2)松坂著 「北斎のむすめ」(1) -(3)巻 コミック 2017

 4コマ漫画で応為の破天荒な人物像が描かれる。江戸時代の民衆の暮らしぶりにも興味がわく。好奇心と行動力があって、男勝りで、部屋の片づけや家事ができない、ただただ絵筆を握るのが好きな、サバサバした性格の人物として描かれる。広重、国芳、栄泉といったクセのある絵師たちに負けじと、日夜絵のことばかり考えている。読みやすいコメディである。

 私が感心したのは松坂が描く応為の表情である。美しく描かれ、絵としても魅力的。パラパラと流し見してもホッとする。


(「北斎のむすめ」一巻の表紙から借用)


(3) ドラマ『眩』(くらら) ブルーレイ

 NHKが2017年に朝井まかて氏の著作を単発のスペシャルドラマ化した。出演は宮アあおい、松田龍平他。ブルーレイを知人から借用。

 応為は専門家の間では並外れた独創的な天才絵師として高く評価されている女性であるが、その才能よりも父親・北斎と応為の人間関係に焦点を当てた作品であった。応為の卓越した技能や作品等にはほとんど焦点が当たらず、作品そのものはほとんど見ることが出来ない。応為の苦悩に関してはよく描かれている印象。

 応為は北斎が死去するまで、「親父殿」としてあがめ、その助手であることに満足していた人のようである。応為は父の「影」として北斎の絵を手伝う。「父北斎は光、自分はその影でいい」、そう考えて応為は絵を描き続ける。当時の女流絵師の立場はこんなものだったのだろう。

 一方、どんなに優れた絵を描いても決して満足せず、向上心の旺盛な人であった。

 60歳を過ぎた応為は、「影が万事を形づけ、光がそれを浮かび上がらせる。この世は光と影でできている」、その境地に達し、女性絵師でなければ描けない独自の世界を切り開いた。


 ただ、私は映像作品を真剣に見続けることが出来ない。この作品は70分ほどの作品であるが、まだるっこしくて耐え難かったが、私は耐えた。魅力も感じたからであろう。


( ブルーレイの写真から借用)


4/15(金) 曇り小雨 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア 
 1:40起床、読書、データ整理。5:30可燃ごみ集積所に。7:35Taxi秋田駅。8:11こまち、乗客は増えているといえど先頭車両には2人だけ。8:55大曲中通病院外来。雨で駅病院往復徒歩できず。帰路の新幹線は間引き運転で臨時運行で。影響あり。16:08秋田駅着、飯川病院ボランティア。新聞入力ほか自炊2冊。19:20帰宅、夕食、21:00就寝。5903歩。

漫画と本と映画 葛飾北斎の娘、葛飾応為(お栄)関連3作品(1) 北斎父娘の姿

 私は嬉しいことに音楽他の芸術にも広く興味と感受性があり絵画鑑賞も好む。特に西洋画とりわけ宗教画を好むが日本人の作品にも関心と興味がある。

 その中で浮世絵の世界における葛飾北斎らの作品は最も身近な存在である。


 江戸後期の画家・葛飾北斎(1760〜1849)は当時としては長寿で、浮世絵師として70年活躍した。北斉の画は江戸庶民に愛されただけではなく、ゴッホやモネ、セザンヌ、ドビュッシーにも影響を与えた。

 北斎は森羅万象を描き、生涯に3万点を超える作品を発表した。その気概は衰えを知らなかった。

 臨終の有名なエピソードとして次の発言が残っている。

 北斎は卒寿の90歳にて臨終を迎えた。臨死にあたり「天、我をして十年の命を長らわしめば・・・、天、我をして五年の命を保たしめば真正の画工となるを得べし・・・」、と言ったという。


 北斎は93回転居した。彼自身と出戻り娘の葛飾応為(お栄)が、絵を描くことに集中し、部屋が荒れたり汚れたりするたびに引っ越していた、と言う。あらゆるものを美しく描き尽くそうとした北斎と娘、共に身の周りには気が回らなかったようだ。そう言う欠陥を持っているからこそ深い技能を成し得たのだろう。


 北斎には2人の息子と3人の娘がいた。三女お栄は、北斎の弟子、助手として生涯共に暮らした、とされる。お栄は父の背中を追い、絵の道を志す。夫の作品を嘲笑ったことで離縁され、病に倒れた父の看病をしながら、己の才に歯がゆさを覚えながらも努力を続け、自分だけの光と影を見出していく。北斎は「美人画にかけては応為には敵わない」と語ったと伝えられている。


 葛飾応為(お栄)の作品は暗い背景の中に光をうまく生かして人物を浮かび上がらせる技法を持っていることから、後に「江戸のレンブラント」とまで言われたらしい。しかし、現存する作品は十数点と非常に少ないし、応為に関する資料もとても少ない。


 その中で、私にとって以下の3点は葛飾応為(お栄)を理解するのに役立っている。


4/14(木)曇り 午後飯川病院 
 1:20起床、文献読みなど数件。ダリア発芽状況など確認。10:50バス、通町から徒歩山王経由ドンキ。古書店5冊購入。徒歩病院へ。午後は飯川病院勤務。入院患者対応なし。座学、新聞チェック。音楽録画。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。通勤路の桜は満開。歩行計11050歩。

音楽談議2022(5) チェリビダケ指揮ブルックナー第8番(2) 
 ブルックナーの交響曲は時折テンポが急に切り変わるが、チェリビダケ、ミュンヘンフィルの演奏はすべてのフレーズをスムーズに繋いでいく。
 ヘッドフォンで再現される遅いテンポ、繊細な音に耳を傾けていると時間という概念が消え、全てが一体化して鳴り響く。ブルックナーの音楽は壮大な建造物に例えられることが多いが、チェリビダケの手になると演奏は雄大な自然そのものに化けてしまう。

 このライヴが行われて2年後にチェリビダッケは世を去った。

 おそらく老いが進むにつれ彼自身の体内時計のテンポが一層遅く刻まれる様になったのであろう。それに伴ってさらに演奏テンポが遅くなったと思われる。

 高齢指揮者の晩年の演奏は一般的に遅くなる傾向があり、それが古潭の境地などと評され珍重されるが、コンサート会場で直接聴いている場合、演奏の録画を観る範囲ではそれなりにその演奏に入っていける。しかし、レコード、CDなどで音だけを聴くと緊張感のない、だるく、遅いだけの演奏になっていることがある。だから、概して高齢指揮者の演奏は私は好まなかった。

 チェリビダケ、ミュンヘンフィルの演奏はテンポが遅いが、緊張感を失うことはない。長年一緒に演奏してきたからなせる技と境地であろう。
 チェリビダケの練習は異常に厳しいとされる。そのために楽団から嫌われ関係が長く続かないという経緯は有名である。読売日本交響楽団の招きで対日した際には通常1−2分しかかからない音合わせに30分もかけたという逸話も残っている。ミュンヘンフィルは彼の資質に共鳴し総監督として迎え、長い付き合いがあったからこそなし得た演奏というべきだろう。

 超スローテンポで全曲を貫徹、これはチェリビダッケ晩年の表現であるが、私はこの曲以外の録音はそれほど好んでいるわけではない。尤もこの曲ほど聴き込んだのはないからそう結論づけるのは早計なのかもしれない。

 何で私がチェリビダケ、ミュンヘンフィルのブルックナー交響曲第8番を異常に好むのか??それは、私自身がこの曲が「この世とあの世の接点、端境域にある」ように感じてこの曲を特別に好んでいること、多くの演奏を耳にしていることによっているから、と思われる。加えて、私の体内時計が刻むリズムが老化によって遅くなってきているから、だと思われる。

 最近、私は会話にしても歩行にしても全体にスローテンポになっていることを自覚する。また。何かに取り掛かるにしてもその前に若干の時間が必要になった。さらに、やるべきことを後回しにする傾向も出てきている。

 このような変化を背景に今回チェリビダケ、ミュンヘンフィルのブルックナー交響曲第8番のCDを購入した。今まで所持してきたアナログ録音が劣化して聴き難くなってきたからでもあるが、さらに彼らの演奏に浸ってみたいと考えたからでもある。


4/13(水) 曇り 午前病院ボランティア 午後飯川病院勤務 COVID-19ワクチン担当
 1:00起床、新聞・文献読み、徒然。自炊本読み。画像データ処理。午前病院ボランティア 午後飯川病院勤務 14:00-16:00 COVID-19ワクチン担当。
14:00飯川病院、入院患者対応。新聞データ化、自炊3冊。19:00帰宅夕食、20:30就眠。歩数計4540歩。昨年、リハビリ病院を通じてデロンギヒーター2ケ、古いガス台、犬のケージ廃棄した。今年はiMac27x2対象としたい。

音楽談議2022(4) チェリビダケ指揮ブルックナー第8番(1) 遅いテンポに酔える日々
 今回、約10年ぶりに音楽CDを購入した。今回購入したのは、廣津留すみれ氏が演奏するメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲とチェリビダケ指揮のブルックナー交響曲第8番の東京公演版である。前者の印象は前述した。

 私は独墺系のロマン派の音楽を好んで聴く。その中で私の好みはマーラー、ブルックナーが中心である。両者の作品の演奏データは優に50種を数える。ブルックナーが6割、マーラーが4割というところ。

 ブルックナーの交響曲は0番から10曲あるが、私の好みは8番>9番>7番>5番>6番>・・・と続く。8番の演奏データは15種類。愛聴するデータは、カラヤン>ギュンター・バント>チェリビダケ>インバル>朝比奈隆>ジュリーニ>ヨッフム>シャイー>バレンボイム>・・・・と続くが、最近はチェリビダケを聴く機会が増えてきている。

 チェリビダケは1912年ルーマニア生まれ。1996年没。1945年のドイツ敗戦直後、戦後、一時ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団(BPO)の首席指揮者に就任した。
 フルトヴェングラーの死後、BPOは後継者としてカラヤンを選出する。チェリビダケはその後各地で演奏を行い、1970年にシュトゥットガルト放送交響楽団、1979年からミュンヘン・フィルハーモニーの総監督を務めた。 日本には読売交響楽団の招きで2回客演で来日した他、ミュンヘン・フィルと複数回来日している。

 チェリビダケは、「音楽は空間および時間と一体として存在するもので、それらを切り離すことは不可能、つまり、音楽はホールで、一回きり。録音などは、一切ダメ」という考えを表明している。そういう一方で、イタリア、スエーデンなど、各地の放送交響楽団の役職を兼ねるなど、ちょっと矛盾している。それがむしろ嬉しい。

 そんなユニークな考えをもつチェリビダケの演奏は、逆に聴きたくなる。彼の録音は非正規という形で次々にリリースされた。だからCDカタログ上では多数認められる。中には客席の足元に置いた録音機で??と思われる海賊版もあった。

 チェリビダケのブルックナー交響曲第8番は、種々の録音が繰り返しリリースされた。その中でリスボンでのライブ盤はベストセラーであったが、先般、遺族の許可を経て、初めて正規のCDとして「復活」を遂げた。第8番はおおよそ80分ほどかかる大作だが、チェリビダケの手になるとの105分を要する。

 水久に終わらないのでは、と感じられる遅いテンポで奏られる。だから、聴くときはそれなりの準備が必要である。ながら聴きには向かない。
 それぞれのパートに明確な輪郭を与えつつ、透明感をもって音が重ねられる。強奏部分でも、音量が上がるというより、音圧が厚さを増しながらみるみる広がっていくような感じである。

 ブルックナーの作品が、チェリビダケとミュンヘンフィルによって生まれ変わった。豊かな音に囲まれながら過ごす時間は、私にとって至福のひとときの一つである。


 4/12(火)晴れ 外来 飯川病院ボランティア 飯川病院当直 秋田桜開花宣言
1:20床、新聞・文献読み、徒然といつもと同じ。6:00可燃ゴミ提出。6:40バス飯川病院へ。8:45-12:15外来。診療の合間を縫って私自身の胸部レ線、心電図、採血をチェック。2月の職員検診で心電図に異常が加わり、慢性腎不全に近いデータが得られたための再検。14:00-18:30飯川病院ボランティア。微睡読書、新聞データ化、自炊4冊ほど。17:00当直業務に就く。18:00検食、20:00就眠。Σ7936歩。

音楽談議2022(3) オーケストラの伝統にこだわらない配置で新しい響き デアリング東京オーケストラ
 廣津留すみれ氏が独奏した「メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲」のバックを務めたデアリング東京オーケストラは2013年に西脇義訓氏らにより設立された。従来のオーケストラの常識にとらわれることなく「空間力」を生み出すことを基本理念に、新たな響きの創造を目指している。
「デア・リング」の名称は、先進性、独創性、開拓者精神で世界を席巻したワーグナーの代表作「ニーベルングの指環 Der Ring des Nibelungen 」からとったもので「リング」は「輪」や「和」にも通じることからこのオーケストラの基本理念を示す、という。

 全員前向き配置、曲によっては一部の演奏家は後ろ向き、立って演奏するなど従来のオーケストラにはない試みをおこなっている。オーケストラは通常、指揮者を中心に演奏者が半円形に並び、指揮棒に合わせて音を奏でる。これが最良の方法だと考えられている。
 演奏者は指揮者を見るだけでなく、コンサートマスターの指示も視界にとらえ、さらにはパートのトップと隣の奏者の音や動きにも合わせ演奏しなければならない。
 だがこうした縛りから解放されれば、もっと自発的に生き生きとした演奏ができるのではないか。演奏会毎に新たなフォーメーションを試み、知見を蓄えていった。

 オーケストラは室内楽の拡大したものとよくいわれる。小編成で演奏するときのようにほかのパートをよく聴けば、室内楽の感覚でオーケストラでも演奏できる。 ホールを楽器として響かせる「空間力」を高めていったことで、新しい色彩や、香りが生まれてきたと感じている(西脇氏)。

 オーケストラのメンバーは、東京芸大、桐朋音大等を卒業した若手のプロの演奏家により構成されている。この若さで伝統にこだわらない新しい試みに協力しているという。オーケストラは当初録音に特化して2013年にスタートしたが、公演を望む声が多くあり、2018年にデビュー・コンンサートを行った。同年の毎日新聞で、「演奏会の響きは、柔らかさ、色彩、音楽的な豊かさにおいて、驚異的な革命であった」と評された。

  設立者の西脇義訓氏は今回初めて知った方。基本は録音関係のプロらしいが、指揮者としても研鑽を積んでいる、とのこと。1948年名古屋市生まれ。木琴、チェロを習い慶応義塾ワグネルソサィエティ・オーケストラにチェロで在籍。
 1971年、日本フォノグラム(株)に入社。録音プロデューサーとしてサイトウ・キネン・オーケストラ、水戸室内管弦楽団などの録音・CD制作に携わる。
 指揮はスイスの名指揮者Mコルボの薫陶を受けたという。

 すでに10枚ほどの録音をリリースしているが、廣津留すみれ氏とその恩師のジョセフ・リン氏を独奏に迎えた2つの録音以外は全て氏の指揮によっている。
(廣津留すみれ氏のCDのライナーノートから借用)


4/11(月)快晴 健康クリニック 飯川病院 
1:20起床、新聞・文献読み、自炊など。いつもと同じ。6:40バス飯川病院着、9:00-10:30健康クリニック。新年度で少ない。受審者8名、結果判定8名。10:45飯川病院、検食後微睡。14:00-17:00飯川病院勤務。入院外来対応なし。花壇にパンジー追加で植える。19:30帰宅夕食、20:30就眠。Σ8272歩。

音楽談議2022(2) 廣津留すみれ:メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲、シャコンヌ
 廣津留すみれ氏が演奏した「メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲」のCDを購入した。バッハの「シャコンヌ」との組み合わせ。録音は2021年9月だからつい先日。

 私は同曲が欲しかったわけではない。私の愛聴曲であり、10種以上の録音データを所持している。ホンの一部、自分でも譜面をなぞったこともあった。
 何で今回購入したのか??ソリストとオーケストラに興味があったからである。

 氏は2021年4月10日放送の「題名のない音楽会(テレビ朝日)」に出演し好演したのを観て私は興味を感じ、記憶の隅にちょっとだけ残してあった。それが音楽雑誌か何かでCDを出した、とあったので早速購入した。

 (1)まず氏のキャリアに興味を持った。
 ソリストの廣津留すみれ氏は大分県生まれ、幼少時からバイオリンを習い、母親から英語の教育を受け、公立高校在学中にイタリアで開催された国際音楽コンクールで優勝。2012年9月ハーバード大学に現役入学、学士課程を優秀な成績で卒業、次いでヴァイオリンを極めようと、ジュリアード音楽院の大学院に進学した。
 卒業後ニューヨーク市でエンターテインメントを担う音楽コンサルティング会社「Smilee Entertainment」社を立ち上げ、そのまま同市に在住し、ヨーヨー・マとの共演に加え、ゲーム音楽の作曲やプロデュースを行った。事業の才能もありそう。

 2020年に、コロナ禍により帰国。著述や講演に加え、TV番組への出演、成蹊大学および「秋田の国際教養大学」の講師に就任している。
 氏の歩んできた過程、なし得た結果など私はひたすら驚くしかない。

 (2)氏は秋田の「国際教養大学」の特任講師に就任
 国際教養大学特任助教授の渡辺玲子氏は秋田で時にコンサートを行うが、廣津留氏にもその活動を期待したい。

 (3)廣津留という姓
 詳細は不明であるが大分でも氏の周辺にしかおらない稀中の稀な姓らしい。私も一発で覚えた。そのような希少な一族の中からこのような才能豊かな方が出てくるなんて、これも驚きである。

 (4)演奏
 私には名盤、名演奏という考え方はない。演奏を批判することも好かないし、出来ない。提供された音楽にひたすら同化し楽しむだけ。
 これはライブ録音であった。しかも指揮者なしの指揮振りで行われたとのこと。演奏そのものは流麗で素晴らしい、と思った。バッハのシャコンヌは心に深く染みた。聴いていて心地良い。聴いている時間、しみじみと幸福感を味わった。

 ライナーノートによるとこの演奏会はジュリアード時代の恩師ジョセフ・リン氏が出演する予定で廣津留氏も再会を楽しみにしていたが、リン氏がコロナで来日できなくなった。廣津留氏に代演のオファーが来たのは演奏会の1ヶ月ほど前、しかも録音収録付き。曲目をメンデルスゾーンに変更してもらうことを条件に快諾した、という。
 それでこの結果、これも大したものである。

 (5)ジャケットの写真
 実に可愛いいし、優しい表情に写っていると思う。
(廣津留すみれ氏のCDのライナーノートから借用)


4/10(日)快晴気温上昇 倦怠感にて外仕事なし
 0:15起床、本読み、文献・録音・画像整理。微睡など。7:30入院患者死去。9:00-10:10歩行にて帰宅、疲弊し天徳寺まで迎え依頼。新聞チェック、のど自慢後座学中心。微睡若干、16:00書斎で音楽録画見る。19:00夕食、、20:30就眠。Σ11400歩。

音楽談議2022(1) 10年りにCDを購入した
 今回、約10年ぶりに音楽CDを購入した。前回購入は2013年の「いきものがかりのバラー丼」であった。
 今回購入したのは、廣津留すみれ氏が演奏するメンデルスゾーンのバイオリン協奏曲とチェリビダケ指揮のブルックナー交響曲第8番の東京公演版である。

 CDは1982年に発売された。しかし2000年代以降はインターネットによる音楽配信などが増加し、2010年以降は配信データのハイレゾ化による高音質化があって、音楽ソース媒体としてのCDの売上は減少してきている。
 CDの年間販売数は、1998年の3.2億万枚をピークに漸減し続け、2018年には1.37億万枚と、20年間で半分以下まで減少している。インターネットを通じた音楽配信は2009年に900億円に成長してきたが、こちらも予想に反して普及はそれほど伸びていない。

 CD販売減少の背景には、音楽を聴く機会が減っていることがあるらしい。若い人たちは趣味や遊びも多彩になって、音楽を聴く機会が減ったのであろう。
 私の場合はここ20年は聞くことから読むことに興味の主体が移った。
 
 さらに、CDを買わなくとも音楽を入手する手段がふえてきたことがあると思われる。
 ■低価格なレンタルの普及
 ■音楽データとしてパソコンに入れられる
 ■無料で聴ける配信型の音楽ソースの普及
 ■ダウンロード販売の増加
 ■などなど・・・

 私もかつてはCD販売増加に貢献してきた。私はレコード派であり、CDは補助的立場であったがそれでも優に500枚以上は購入していた。しかし、2010年以降は興味が薄れ、CD販売減少に貢献してきた。
 この22年間で購入したのは「いきものがかり」の1枚、それと今回購入した3枚だけである。しかもその間、ほぼ全CDをパソコンでMP3化し本体は廃棄した。レコードも全て廃棄した。

 レコードは再度注目され販売量も増えつつあると言うが私は興味がない。CDはレコード以上に悲しい運命を辿りそうである。デジタル音源だから容易にデータ化することが出来るが、この先進性がCD販売減少の背景の一つになっていると思う。

 音源としてのCDの価値は決して減じていない。通常のCDより音質が良いSACDと言う規格品もある。
 
 私もはアップルの音楽配信サービス会員になっているが、そのシステムがよくわからず聴きたい曲を探し出せない。だからほんの少ししか利用していない。
 それで今回購入に至ったもの。


4/9(土)快晴 飯川病院日当直 
1:50起床。読書、データ整理中心。8:30家内に送られ飯川病院、日当直に就く。新聞チェック、月刊誌など自炊数冊分入力。酸素飽和度低下した入院患者対応。12:00検食、午後院長出勤あり、院長に送られ広面古書店に、数冊購入、帰路は徒歩、わらび餅購入。それ以降は座学に集中。18:00検食、20:00就眠。歩数計6308歩と意外と伸びない。

こころと身体2022(31) GG(4)  子供の日に「少年少女の主張」を
 少年たちの様子を観察するのは楽しい。ただ、私にとってそうある機会ではない。
 私の偏見?なのだろうか、今の少年(少女も含む)たちは一般的に落ち着きが乏しく、心に余裕がないように見える。その大部分は少年たち自身の問題というよりは、周囲の環境に影響されたもので、いわば自我の発達が未熟な立場の子どもが、一番最初に時代の変化の洗礼を受けていからだろう。

 私が感じるに、今の子供たちは両親にとって贅沢なおもちゃ的存在、ペット的存在なのではと感じられる。育児には細心の注意が必要であり、とても費用がかかる。だからか、一般的に過干渉に見える。

 少年たちにとって、必要なものは何だろうか。
 特に年少の少年たちにとっては「遊び」の保障であり、年長の少年たちにとっては「自由」の保障、将来への「迷い」なのではないだろうか。そして、それらをやさしく見守る親や教師の心の「ゆとり」が大事、と思う。
 「遊び」を介した人間関係の構築や確執、両親の「やさしさ」を経験しなかった子どもが将来どんな大人になっていくか、心配である。

 一方、中学生や高校生になると自分の置かれた環境に対する評価もできるようになる。自立していく過程で、彼らは大人に向かって言いたいことが多数あるのではないだろうか。

 ■親にあらゆることをコントロールされ押し付けられるのは嫌だ。
 ■親の顔色を伺って生きるのは嫌だ。
 ■親から自立して別の家に住みたい。
 ■異性と付き合いたい。
 ■クラブ活動で青春を燃やしたい。
 ■友達同士でカラオケなどしたいが、親が許さない。
 ■将来への希望が見えない。自分は生きていても意味がない。
 ■・・・・・・
 まだまだあるのだろうが、私にはよくわからない。

 つまり、いつも親のいう事に従って生き、親が決めたコースに乗って正しく、まっすぐ生きる。自分は素直な子のふりをし、人前では作り笑顔をし続ける。
 だけど、そんなんじゃ、青春とは言えないのでは?

 青春とは、人の顔色を伺うものではない。将来やりたい事を求めて悩み、挫折し続ける時期でもある。

 私ども大人は子供たちの声を聞く機会をもっと持つべきでないだろうか。

 私はいつもNHK第一放送を、最近ではR1放送というらしいが、いつも微かに流し続けている。TVほどではないがラジオでもバラエティ番組というべき内容の時間が多い。勿体ないことである。NHKには世代のギャップを埋めるような特集も折々に組んでほしい、と思う。


4/8(金) 終日曇り寒波 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
 1:45起床。読書、データ整理中心。6:00可燃ゴミ、7:35Taxi駅に、8:11こまち、本日から新幹線可能に、9:10大曲中通病院外来、往路徒歩、復路タクシー。秋田は徒歩。15:30-19:00飯川病院ボランティア。昨年iMac2019届く。19:00帰宅、21:00就眠。歩数計9720歩。日本内科学会MM分登録終了。 昨年Suica使用開始。

こころと身体2022(30) GG(3) 懐かしい少年時代の自由と余裕(1)
 「ジェネレーションギャップ(generation gap)=以下GG」は「世代間に生ずる、知識・関心・考え方などの違い」という意味で、「世代間格差」あるいは「世代間断絶」と訳される。

 私は現役を退いてからは働いている年代の方々、青年期の方々とはほとんど声を交わすことがなくなった。老年期を迎えてそのことに満足と一抹の寂寥感、それと若い方々の考えがわからないという不安を感じている。若い方に融通性とか包容力を感じることができず、何か怖い。

 私は3人の子供を育てた。業務が多忙だったこともあり、できるだけ頑張ったつもりではいたが、子供たちと十分コミュニケーションを取ったとは思っていない。子育てをやり直したい、と考えたこともある。にもかかわらず子供たちはそれなりに成長してくれた。その点では感謝している。

 現役を退いてからは時間的に余裕ができた。
 その頃から何人かの孫が誕生した。これを機会に「0歳から、子供はどう精神的に、知能的にどう発達するのか、どのように言葉を学んでいくのか??、などに興味を持ち、文献を集め、勉強する準備を始めた。しかし、残念ながらこの試みは身を結ばなかった。その理由は、時にしか会うことがない、いわゆる外孫であったことで、十分な観察ができなかったからである。

 私にとって幼児期や少年期は、懐かしく感傷的に心によみがえる。敗戦後の復興期に、少年時代を過すことのできた私はある意味でとても幸せであった。その記憶は時々ふと、鮮やかなイメージとして浮んでくる。

 遠くで太鼓や笛の音が聞こえ、心が浮き立った隣町の神社の祭り、ボールが見えなくなるまで毎日遊んだ草野球など、次から次へと想い出すことがでる。かつては、学校がひけてもずいぶん長いこと校庭で遊んでいたし、道路ですら立派な遊び場だったし、近くの川では泳げた。日の暮れるまで外で遊んで時々叱られた。恵まれた自然と、友人と時間的余裕と自由があった。

 ところが今は、学校の校庭は放課後はクラブなど一定のもの以外は使用できず、早く校内から去ることが求められ、道路は危なくて遊ぶどころではない。各家々はみんな一つ一つが閉鎖的に孤立して、上品で、内に夫婦の不和とか経済的困難とかいった問題があっても知ることができない。何らかのそんな要因が生じれば、少年たちの心はその影響をモロに受けるだろう。

 私はこの歳になって童謡を聴き、絵本も購入して読んでいる。かなり少年の心を持ち続けている方だと思っているが、時折世の中を老人の視点から固定的に見ていることに気づき愕然とすることがある。
 これじゃダメだ、とも思う。


4/07(木)晴れ  飯川病院 
1:15起床。新聞・文献チェック他座学中心。午前は枯れ枝処理10:50バス、通町山王ドンキ店、3冊購入、飯川病院。14:00-19:00勤務。入院患者対応。19;30帰宅夕食、21:00就眠。歩数計11950歩。

こころと身体2022(29) GG(2)成人の日に「青年の主張」、敬老の日に「老人の主張」を
 かつてNHKの番組の一つに「青年の主張」というのがあった。
 たしか毎年の成人の日の当日だったか翌日だったかにラジオ番組で放送されたと思う。「NHK青年の主張全国コンクール」はNHKが1956年から毎年成人の日に開催し、以降毎年放送された。ラジオでは第1回から毎年中継していたが、テレビでの中継は1959年からである。
 1990年から表題を『NHK青春メッセージ』として装いを一新。それまで設けていた主張テーマを廃して自由にアピールを発表する事が出来るようになった他、年齢制限も緩和され、当該年度に満15〜25歳になる青少年に広く門戸を開放した。2003年に終了した。

 私は子供の頃からこの番組が好きだった。青年たちの夢が力強く語られ、それを聴きながら自分の将来についても考えたものであった。

 思えば、あのころは世の中全体が若者社会だった。
 若者たちの気力で溢れていた。老人も引きづられて元気だった。
 政治も産業もマスコミも文化もコマーシャリズムも、ターゲットは若者だった。
若者が日本の文化を動かしていたといっても過言ではない時代だった。
 だから人々は若者の発言に注意深く耳を傾け、これからの世の中の移り変わりを、その主張の中に見ようとしていた。

 あれから何年たったであろうか。
 ふと気がつくと世の中はいつのまにか老人社会ということになった。
 日本は少子高齢化社会となり街に高齢者が溢れている。我が国の65歳以上の高齢化率は、1950年が4.9%であったが、以降一貫して上昇が続いており、1985年に10%、2005年に20%を超え、2018年は28.1%となった。
 これから先、この比率は恐ろしいまでに増えていく。さらに、人口自体が減少し始めている。

 民主主義社会では選挙の意義は大きい。多数を占める老人が世の中を動かす時代になってきた。政治家は身の安全を図るために老人に甘い政策を掲げたそれがシルバーデモクラシーである。これは決していいことではない。
 その結果、老人たちは世の中に甘え、若者たちは夢を失ってしまった。

 いま老人たちは何を考え、何をしようとしているのか。その主張に耳を傾けなければならない。要するに老人を甘やかすと日本は活力を失っていく。

 それにしても老若世代間の対話が少ない。互いに何を考えているのかよくわかっていないのではないか、と思う

 私は「ジェネレーションギャップ(generation gap)=以下GGと略す」の中でつくられてきた溝を埋めるために「老人の主張」を敬老の日に復活させてほしい。最近の社会の考え方は「敬老」から「軽老」の日に向かっているようにもみえ、「嫌老」「棄老」の言葉すら見つけることができる。これは他の世代が高齢者についてよく知らないから生じている現象である。

 同じことは青少年にも言える。成人の日付近に『NHK青春メッセージ』を復活させ こどもの日付近には「少年の主張」を組んでほしい。


4/6(水)曇り晴れ 飯川病院 COVID-19ワクチン接種担当 
1:30起床。文献検索、徒然ほか。ラジオの電源修理するも主電源が切れなくなって失敗再挑戦することに。10:50バス、通町から山王経由ドンキホーテへ歩行、古書3冊購入、バスで飯川病院に。12:30ボランティア。新聞チェック、14:00勤務、COVID-19ワクチン接種担当、入院患者対応。データ整理、本読みほか。昨年家内用にiPad mini5落札するも結局私が使用している。19:30帰宅。夕食、21:00就眠。歩数9114歩。

こころと身体2022(28) ジェネレーションギャップ「世代間格差」について(1)
 「ジェネレーションギャップ(generation gap)=以下GGと略す」は「世代間に生ずる、知識・関心・考え方などの違い」という意味で、「世代間格差」あるいは「世代間断絶」と訳される。あくまでも「差異や、認識の違い」があることを指す言葉で、その善し悪しを示す言葉ではない。
 GGは、職場や家庭だけでなく日常生活のあらゆる場面で発生する。何気ない会話の中でも、異世代に通じない!という言葉や考え方は意外と多い。

 我が国には和暦がある。和暦には西暦にはない一定の年代区切りを示す優れた機能がある。今の日本人は、大部分が昭和世代と平成世代に属すが、その間でGGが起こりやすい、と考えれば理解しやすい。さらに、令和に突入した。令和世代はまだ子供しかいないが、近い将来には、3世代にわたる新GG時代が生じてくる。

 人は育ってきた時代の考え方を身につけながら成長し、活動し、やがて老いていく。この間、如何に「人間」について、「人生」について勉強しようと、頭では理解していながら、深層にある考え方はなかなか変わることがない。

 私はそういう意味では「人間」について、「人生」について勉強している方だと自認している。時代別の社会の考え方の変遷についてもわかっている方だと思うが、私は「昭和の古い人間」というカテゴリーから抜けきれない。私は考え方の深層に「昭和」を引きずって生きている。

 私は、世代間の格差がなくなることは絶対にあり得ないことだ、だからGGはあって当然のもの、と考えている。GGの解消は、極言すれば古い人間に引退してもらうか、消滅してもらうしかないが、そんなことは望みようがない。

 世代間に見られるGGは、世代間の対話の減少、世代間の交流減少が原因しているように思われる。若者は若者の社会で生き、高齢者も高齢者だけの社会で生きていて、その間のコミュニケーションが大きく欠けているような気がする。

 日本は少子高齢化、人口減のためにGGが拡大していくであろう。これは互いに不幸なことである。
 だから、GGを埋める手立てを考えなければならないと思う。


4/5(火)快晴 中通病院外来 飯川病院ボランティア
1:10起床、新聞・文献・本読み他、蓄積データ整理、徒然。5:30可燃ゴミ提出。6:40バス飯川病院。8:45-14:00外来。混雑なし、されど書類等あり疲弊。14:15飯川病院、微睡など。ボランティア。やはり火曜日は疲弊する。19:30帰宅、夕食、21:00就眠。歩行計7026歩。現在の歩数計、使用開始後8.9年、3.287日で3.000万歩、2.4000Kmに達した。

こころと身体2022(27) 歩数計積算データを眺める 運動不足解消に生かす

 2013年4月に私はクロスバイクによる通勤を諦め、徒歩通勤を開始した。条件によってはバスも利用している。
 その時に購入したのが歩数計「新・平成の伊能忠敬」である。伊能忠敬が日本地図を作るために海岸沿いに歩いた足跡を、日本一周約18.000Kmをゲーム感覚で地図を作りながら進んでいくというもの。

 現在、日本二周目の途上にあって東京から北上、北海道は後1.000Kmを残すだけとなっている。
 
 歩数計、「新・平成の伊能忠敬」は2022年4月時点で以下のデータを示した。
---------------------------------------------------------------------------
 ■使用開始後、3.287日目(8.9年)
 ■Σ歩数3.000万歩(平均9.128歩/日)
 ■歩行距離2.4000Km(平均7.3Km/日)
---------------------------------------------------------------------------

 2020年4月14日、沖縄を含む日本一周を達成した。
 その時のデータは、■2.565日(7.03年)目、■総歩数Σ2.411万歩 (平均9.399歩/日)、■歩行距離Σ19.292Km(平均7.52Km/日)であった。

 この歩数計は到達目標がとても遠い。時間もかかる。実際、購入した方々の何%ほどが達成するのか??と思う。購入者の1割にも満たないのではないか??
 私は当時この歩数計を気に入り5ヶ購入し、家内や子供たちに配った。しかし、1年経った頃聞いてみたら利用し続けていたのは私だけだった。

 まあ、そんなものだろうと思ったが、私が9年近くも使い続けてきた背景を考えてみた。
――――――――――――――――――――――――――-
 ■ 「継続は力なり・・」という意識、持論があった。
 ■ 最大の理由は死ななかった、あるいは大きく健康を害さなかった。
 ■ 紛失せず、決定的な故障なし。
 ■この8年間、毎日 2:00amに歩行数を確認しブログに記録し続けた。
 ■ 歩数からその日の運動量を推定、翌日の生活に役立てた・・・などなど。
――――――――――――――――――――――――――-

 連日の歩数は、日当直の日は病院の部屋にこもるから3.000歩程度、雨天などは通勤はバスを利用、座学中心で座りっぱなしなので6-7.000歩、雪が消えた3月以降は外仕事と歩行で10.000-15.000歩程度となっている。

 いつまで積算できるのか、楽しみである。


4/4(月)晴れ 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。いつものごとく。6:48バス飯川病院着.9:00-11:00健康クリニックドック10名。結果判定なし、飯川病院に移動。歩行ドンキホーテ往復、本3冊購入。微睡、本読みなど。14:00-18:45飯川病院勤務、入院患者対応、花壇に花植え付け、今季初散水。19:30帰宅・夕食、21:00就眠。歩行計12250歩。

JR東日本「泉外旭川駅」オープンから一年 乗客数は予想の1/2程度とまずまず
 JR秋田奥羽線の新駅「泉外旭川駅」は、2021年3月13日に開業し、1周年を迎えた。
 泉外旭川駅は県内で20年ぶりに開業した駅で無人駅。隣の秋田駅、土崎駅までの所要時間はそれぞれ4分程度。1日に奥羽、男鹿線計76本が停車する。

 秋田-土崎間7.1Kmは東北6県の県庁所在地の中で、中心駅との駅間距離が最も長く、沿線側の住民や施設にとって鉄道利用ができない地域となっていた。
 新駅は泉、外旭川地区とも住宅地のど真ん中に位置する。その意味ではいい場所を選んだ、と思う。

 秋田市は鉄道とバスの連携強化を図る方針で泉外旭川駅は泉側と外旭川側にそれぞれバス停を設置した。
 市は21年度から5カ年計画の「公共交通政策ビジョン」を策定中。路線バスの運行頻度を適正化し、タクシーも含めた公共交通網の整備を行い、利用者数アップの仕組みを検討している。

 高齢化の一層の進展を見据え、車依存からの脱却を図る意味でも新駅は周辺住民の悲願だつた。 
 市の試算、その根拠になった調査、データなど私にはわからないが、1日当たりの乗客数は2.118人と試算。開業から50年間の経済効果が48.3億円。総事業費は20.5億円。地元要望設置駅のため事業費は全額市の負担となった。

 2月に市が行った調査によると、利用者は平日が平均1.124人、休日が510人と当初の想定を大きく下回っている。秋田の地方紙である魁新聞は利用者が当初見込みの1/2以下という現状を厳しく論じている。しかし、そうだろうか?

 市は、長年にわたって日常の移動に車やバスを使ってきた地域住民が列車を利用するようになるには一定の時間がかかると説明している。さらに、COVID-19の影響で、イベントや会食の機会が減ったことなども伸び悩みに影響したとしている。

 私は、乗降者数が当初予想の半数ほどに止まっている現実はほぼ妥当、と評価している。今まで鉄道がない状況でも、それなりの方法で移動していた住民が駅ができたからといって直ちに列車に切り替えられるものではない。私も移動の手段が増えたことを喜んでいるが、まだ一度も利用していない。

 それと、足腰が弱った高齢者にとっては、例えば自宅から駅までの数100mの移動、駅構内の移動も結構辛いという現実もある。現に、通勤時間帯と休日に利用状況を見学に行って見たが、高齢者はほとんどいなかった。一方、通勤時間帯は別とすれば、路線バスの乗客はほとんどが高齢者である。

 まちづくり構想に新駅をどう関連づけていくかは大事である。
 市はこれまでバス利便性を高めるために一回乗車あたり100円の高齢者パスも発行し喜ばれてきた。その成果も出ている。
 住民は利便性の向上を評価している。駅開設の結果を数字の上だけで評価してはいけない。普及には時間がかかるのだ。


4/3(日)快晴 故三浦亮元教授お別れ会
 1:45起床飯川病院で起床。データ整理 9:00-10:00歩行帰宅、秋田工業高校まで迎え依頼。コナカ、ハッピーにてスラックス、ポットの花、肥料、除草剤購入。NHKのど自慢楽しむ。13:00-14:00微睡。以降外仕事、主としてバラ対策。故三浦亮元教授お別れ会は欠席。書斎にこもり整頓と音楽関係録画視聴、19:00家内帰宅夕食。21:00就寝。歩行計13255歩。

こころと身体2022(26) 私は何者か?(4) 列車を乗り越したが、最高に運がよかった
 3月16日(水)深夜に起きた地震により東北新幹線は不通となった。秋田新幹線はその影響で運行本数を減らして秋田・盛岡で運行となった。私は週一回金曜日に大曲出張で往復秋田新幹線を利用しているが、運が悪いことに私が利用する便は往復とも間引かれてしまった。
 そのために3月18日(金)以降、奥羽本線の普通列車を利用している。出発時間は新幹線とほぼ同じ、乗車時間は10数分ほど長い60分ほどである。
 4月1日(金)朝、途中までiPadで読書していたが大曲駅近くで睡魔に襲われ眠ったらしい。車内放送で「次は後3年駅・・・」と言っており驚いた。乗り越しである。大曲を過ぎていた。とりあえず次の「後3年駅」で降り対策を考えることにした。
 しかし、奥羽分線は上り下りとも1-2時間に1本ほどしかないから列車で戻るには無理があるだろう、タクシーで大曲に戻るしかないが、田舎の駅でありタクシーも横手市から呼ぶことになるだろうから時間がかかるだろう、と考えていた。
 結局、今日は診療応援にはならないかもと半ば諦めているうちに「後3年駅」に着き降車した。なんと!!! 向かい側のホームに向かって逆方向の普通列車が静かに近づいてくるではないか!!!
 ・・・・・と言うことで、大曲中通病院には予定時間から40分ほど遅れただけで到着し業務に大きな傷を負わせないで済んだ。大曲に戻るチケット代金は無料であった。
 今回の乗り越しは、逆方向の列車と同じ時間に停車するという偶然の機会に助けられた。まるで松本清張の列車トリックを用いた作品「点と線」の如くだ、と思いながら病院に向かった。

 これまで私の乗り越しは何度かある。何も睡魔に負けた。
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能代の病院の診療応援の際、睡魔に襲われ急行列車で乗り越し、二ツ井駅で降車した。この時は約2時間遅れて病院に着いた。外来診療には間に合わず、病棟回診だけで済ませた。
仙台の会議に向かった際、睡魔に襲われ新幹線で乗り越し、大宮駅で降車した。急いで戻ろうとしたが、下りの東北・秋田新幹線は満席での席が取れず仙台に戻ったのが4時間後。当然会議には間に合わず、そのまま秋田まで帰った。
その他若干
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■宮城・福島県沖の地震について
 3月16日23時34分頃、宮城県や福島県で震度6強を観測する地震があった。同36分頃にも、震度6強が観測された。気象庁によると地震の震源は福島県沖、震源の深さは約60キロ、M=7.3と推定され、最大1mほどの津波注意報を発表した。
 震度5強は岩手県、山形県。
 震度5弱は、青森、岩手、秋田、山形、福島、茨城、栃木、新潟各県で観測された。
 震度4は東京都内でも観測されている。

 東北新幹線では営業運行中の車両が白石蔵王駅近くで脱線、東北自動車道で路面に亀裂が入るなど大きな被害が発生。大規模停電や断水も相次いだ。
 新幹線は17両のうち16両が脱線しており、さらに線路や高架橋に1000箇所ほどの損傷が見られ、復旧は4月中旬の予定という。

 上記の事故で東北新幹線は不通となり、秋田新幹線は運行本数を減らし盛岡・秋田間の運行となった。

 東北新幹線事故は人身事故にならなかったのは幸運であった。

 私は自分が何ともできない巨大システムに身を委ねるのを恐ろしいと思っている不安症である。例えば、東京都庁、航空機、新幹線、地下鉄、青函トンネルなど。現実には利用しないで過ごせないから利用はするがその度に内心穏やかではない。困った性格である。


4/2(土)快晴 飯川病院午後日直・当直 外来レセプト点検  
1:30起床。本読み、データ整理、飯川病院日直、8:30回診に行くと言う家内に同乗、飯川病院、日直・当直に就く。土曜日当直は1本日から終日となる。微睡、新聞チェック、12:00検食、読書、14:00-15:30外来レセプト点検、以降は読書三昧。18:00検食、20:30就眠。歩行計3448歩。

こころと身体2022(25) 私は何者か?(4) 電子化データに集中する変人か??
 私は自分に課した日課、作業を机に向かってコツコツ進めるのが好きである。

 早朝1:00-2:00から1日がスタート、19:00の夕食までの間、診療、読書、園芸とかの外の仕事以外はほとんどパソコンに向かってデータ入力と分類に割いている。そう言っても、体力不足で午後に1時間ほどの微睡を取り、さらに天候時間を見ては歩行訓練と称して散歩に出、外の作業をこなす。

 現在、収集しているデータ、作業は主に以下のごとく。
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(1)連日の作業 蓄積、処理
 ■ 新聞、学術、専門誌等などの有用記事の切り抜きと電子化。
 ■ 上記の分類作業。 
 ■ 日常生活の記録。
 ■ 運動量のチェックのために歩数確認。
 ■ 福田の雑記帳記述とブログにアップ。
 ■ NHKラジオ深夜便録音連日3時間分と聴取。
 ■ NHKラジオ聴き逃しサービスから「歌謡曲」、「宗教の時間」、「浪曲、落語、各種古典演芸その他」の聴取と録音。
 ■ 上記作業のデータ確認と分類。データはiPadで読み、ヘッドフォンで聴く。

(2)週数回程度
 ■ 雑誌、書籍の購入、裁断と電子化(自炊)作業
 ■ 音楽関係の放送を録画蓄積、その視聴と分類。
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 私は幼少の頃からガラクタ収集癖をがあった。ガレージの2Fは所狭しとなっていたが、終活のために大量処分ガラガラ状態にまでなった。今は書籍、文章類、音楽関係の電子化データの蓄積と処理とその利用に集中している。

 電子化データは脳機能の低下のためである。私は記憶として残すのを諦めた。文章や画像、録画データ等の情報を電子化しハードディスクに収める。だから基本的に忘却はない。

 (1)はデータとして毎日50項目くらいずつ増えていく。新聞は3紙に目を通し、専門誌は今は3冊くらい。書籍購入は週5冊程度か。

 重要な記事、興味ある記事を裁断し、スキャナーで電子化する。処理後の新聞書籍はすべて資源ごみとして再利用のコースに乗せて廃棄する。
 情報収拾、それらの確認作業には時間がかかる。辛い作業であるが、私の知識欲も満足させてくれるから、大きな喜びにつながっている。

 私が生きている世界はとても狭い。世間知らずである。
 一方、興味を持っている世界は広い、だから、連日の新聞をチェックする作業は知らなかった世界を、知らなかった人物を知るのに有用で、とても楽しい時間である。

 時には「私の人生はなんなんだ!!! もっと有意義は時間の過ごし方があるのではないか・・?」と時に思う、が思い当たらない。

 何かを選択することは何かを失うことでもある。
 毎日を平穏に、時には疑問を抱きながらも、ほぼ満足しながら過ごしている私にとっては、今更何か新しいことに踏み出すというよりは、淡々と継続しながら過ごすこと、と納得するしかない。

 私が存在したことは、家族以外にとってはもう価値はなかろう。引きこもりの成果である。
 私が蓄積した情報やデータ、作ったデータは、私以外には不要だろう。その機会を迎えたら自分で消去し、スッキリ旅立ちたい。骨も残す必要も感じないが、家族たちはどう判断してくれるか。それが心残りになるのかも。


4/1(金)快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア 
 1:30起床、データ整理、文献読みなどいつものごとく。徒然、5:30可燃ごみ提出、7:35Taxi駅に、8:06奥羽線、乗り越し、運良く帰りの汽車に乗れた。9:50大曲中通病院、徒歩不可。15:30飯川病院ボランティア。19:15帰宅、夕食。20:30就眠。歩行Σ6738歩。

新年度(2022)スタート  今年度就労予定とコメント 
 本日は新年度スタート日。
 本日から私の就業契約も改訂になった。昨年度とほとんど同じ。
 今年は明和会からは継続の声がかからないかも、と思っていたが、新院長より健康である限り嘱託医師として複数年お願いする、との伝言があった。また、飯川病院の応援医、ボランティア医としても働くことになった。有難いことだが、健康上の懸案がありいつまで続くかは不明。

 以下が今年度予定されている勤務スケジュールである。全体的に業務上軽減されているが、終日フリー日は無くなった。飯川病院の土曜日午前外来が大学の都合にて終了になったため土曜午前も当直医の領域になった。そのために私がかなり担当することになるだろう。
 
今年度の就労予定
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午前 午後
 月曜 健康クリニックドック診察、結果説明       飯川病院勤務。
 火曜 中通総合病院外来。               飯川病院ボランティア。
 水曜 (飯川病院ボランティア)             飯川病院勤務
 木曜 (飯川病院ボランティア)             飯川病院勤務。
 金曜 大曲中通病院                  大曲中通病院

土・日曜日・祭日            月2-4回飯川病院日直または当直
 平日                 月1-3回飯川病院当直
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 上記の勤務時間以外は、適宜読書などで過ごしている。
 飯川病院ボランティアの時間帯には木々や花のケア、散水なども含まれる。

 せっかく時間に余裕ができたのに、最近は体力・気力の低下が著しい。
 自覚的には心肺機能、四肢体幹機能の低下も自覚する。

 日々、時間を無為に過ごすことはまだないが、複数回微睡をとることが多くなった。寝過ぎ??
 その日充実感に乏しかったとしてももう気にしないようにしている。
 「無の境地」に至る過程??  イヤイヤ、「ボケ老人の境地」への進行過程と思う。まあ、どちらでもいい。自然に任せる。

 こう考えてから心身ともにとても楽になった。惰眠も楽しんでいる。
 余生である。余生とはいつ途切れてもいい状態。旅立つ準備は必要。「明日も、明後日も生きる・・・」、と考えるから窮屈となる。
 
 新年度初日、こんな私にとっても新しい気分でのスタートになるから節目というものはいいものだ。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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