徒然日記
2019年12月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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12/31(火)大晦日 降雨 年末休暇四日目 飯川病院日当直
 1:00起床。新聞入力昨年文終了。本読み、徒然などゆったり過ごす。今年の大晦日は飯川病院で過ごすことになった。6:00可燃ゴミ集積所に提出。市の依頼を受けた業者のスタフの方々ご苦労様。8:25小雨の中レガシーにて出勤。午前はデータ整理、および微睡。検食後午後は読書、中心に。18:00検食。文献検討。新聞電子化、読書など。19:00就寝。Σ6750歩。ゴーン氏極秘離日!!! 驚いた。

2019年年末(6) 大晦日 静かに時間が流れ、感謝の気持ちで越年した
 本日は大晦日である。
 久々大晦日の日当直に当たった。
 8:30、荒れ模様のほか、秋田中央交通のバスが年末年始スケジュールで運行されているので本数が少ない、という事情もあり、レガシーにて出勤、業務に就く。自炊予定の数冊持ち込む。

 病院内の患者の状態は落ち着いているようだ。
 病院内で私が過ごす部屋にはTVがない。TVがない環境は私は好きだ。
 パソコンと自炊した書籍満載のiPadで、淡々と過ごしている。
 本日は外の車の音も少ない。人通りも少ない。

 18:00検食であった。
 白米にエビフライと野菜の盛り合わせ、きんぴらごぼうの小鉢がつき、お椀にはミニ蕎麦。大晦日のための祝膳である。十分雰囲気が感じられる。

 19:00いつもより早目に休み、23:15に起床した。2020年を迎えるのにいい時間に目が覚めた。
 外はやや風が強く、小雪が舞っている。夜半までの間に数cmつもったかなというところ。明日は初除雪か?
 
 いつもより深い「感謝」の気持ちを込めて、厳粛な気持ちで締めたい。


12/30(月)曇り 年末休暇三日目 午後は飯川病院勤務 
 1:00起床。本読み、徒然などゆったり過ごす。午前の健康クリニックは年末休暇でなし、11:07バスにて飯川病院。データ整理など。14:00-19:00通常勤務。外来入院患者対応。19:30帰宅、夕食。21:00就寝。Σ9287歩。

2019年年末(5)  我が家の動き
 時間の経過は実に早い。本年も晦日を迎えた。
 私としては淡々と過ごし得た一年であった。ずいぶん本を読んだ。

 私は、先に勤務していた病院の嘱託医として、また、家内が傭われ院長している飯川病院の補助医師として診療を細々と続けているが、それ以外は外との接触・交流・対話は一切ない。今年も同様、家族とネコ、自分との対話を中心に引きこもり状態で過ごした。
 病院の嘱託医としても外来が週一回となり、患者数を意識的に他の医師に紹介したが、それでも大変である。更に、12月から新カルテシステムに移行したからこの面でも大変である。

 毎日の新聞読み、読書三昧、文献整理その他、文献チェックなどを通じていろいろ情報を仕入れ勉強し、知識を蓄積した。無知であった自分を恥じながら新しい史実、事実を学んで一人で感激している。入れた情報の一部は本徒然日記の中に文章化している。

 この一年間は、私は健康上のトラブルはほとんど無かったが、最近、体力・気力の衰えが顕著である。バランス感覚の衰えか筋力低下か、ふらつく。全コースの徒歩通勤は健康に自信なく一度もできなかったが、こまめにはよく歩いた。伊能忠敬の足跡をたどる歩数計は6.8年もかかったがトータル18.622Kmとなり、後100Kmを残すだけとなった。

 終活は昨年はCDのMP3化した。今年は書籍の自炊を通じて大幅に進めた。
 まだまだ読書欲は衰えていない。この一年間に新しく購入した関連書籍だけでも120冊に近い。よく読んだものである。

 家内は体調的には元気であるが、一昨年末に大腸ガンが再発し6回目の手術を受け、本年5月に舌癌の手術を受けた。今は元気で実に嬉しい。
 私自身はそろそろ引退を希望するが、家内が働いている間は補完的に、補助的に手伝わなければなるまい。引退するなら同時だろう。

 家族達は、総じて元気に過ごしている。孫5人、何れも個性豊かにすくすくと育っている。賄いの石井さんも弱ってきたがなんとか頑張っている。

 我が家はのネコたちは昨年飼いネコに昇格した。彼らはとても元気、毎日笑いを提供してくれている。ただ、そのうちの1匹「しまじろう」は仲間との諍いが絶えず、風除室の中で隔離している。もう一匹、横浜で拾われ搬送されたユーは外で過ごしている。現在14歳で、この寒空健康面が心配である。

 私供がこうして無事年末を迎え得たのは、やはり多くの方々のお陰である。
 私の最近よく口にする標語は「寛容」、「忍耐」、「感謝」であるが、この一年、まだ一日あるがいつもより深い「感謝」の気持ちを込めて、厳粛な気持ちで締めたい。
 ありがとうございました。


12/29(日)年末休暇二日目 積雪なし曇り 恒例の年末餅つきパーティ
 1:00起床、いつものごとくデータの更新・整理、コンピューター関連読書、徒然ほか、微睡。除雪不要。午前は録画データで音楽三昧で過ごすことに。NHK音楽祭、N響定期公演数本分みる。16:00恒例の年末餅つきパーティ、久宝寺に。家内の親族中心に年に一回の会合、30名ほど。日本酒中心に若干、20:00帰宅、就寝。Σ5613歩。

2019年年末(4) 終活(6) 宗教 自死 死刑 生老病死 尊厳死・安楽死
 今年はずいぶん本を読んだ。
 ジャンルとしては、古典的な作品を含む小説類、宗教関連、高齢者心理と生老病死、尊厳死・安楽死問題、重要犯罪関連のドキュメンタリー、警察・検察・裁判制度・日本の司法制度などなど。

 11月30日、12月7日の二回、末日聖徒なる宗教教団の二人の伝道師の方と面談した。わかりいやすく言えばモルモン教である。
 昨年12月、約1年前であったが、通町を歩いている時に路上で声をかけられたが、時間がないために携帯の電話を交換して次の機会を約していた。その後2回ほど連絡があったが面談の機会は得られなかった。
 本年11月末に再度連絡があった。その時たまたまローマ教皇来日が話題になっていて、私の宗教に対する感覚が異様に高まっていた時期であり、面談を約した。
 土曜の午後病院にきていただき、2回で3時間ほど歓談した。20代と思われる日本人、米人のお二人である。後者の方も日本語でなんとか会話できた。

 面談は先方の伝道の目的には沿わなかったであろう。
 私が抱いている宗教に対する持論、すなわち、宗教に何ができるのか? 神は何を与えてくれるのか? 宗教で社会の何が変わるのか? 宗教は集団的マインドコントロールでないのか? 宗教は個人に謙虚さを教える効果があるが・・・などを提示し、双方の考え方を述べ合った。
 私は話題の資料として11月25日の記述を提示した。宗教2019(3) 私の宗教観に示唆を与えた言葉
 各々の意見に関しては個別に記すことはしないが、双方にとって、少なくとも私にとっては有意義な面談となった。別れに当たって「モルモン教」をいう立派な書籍をいただいた。

 私の場合、私の命の価値は豆粒一つでしかない。この一年間いろいろ考えたが、「好きにさせてよ!!」と思う。だから、終活として自死も安楽死も支持する立場であることには変わりがない。


12/28(土)年末休暇初日 曇り 積雪なし
1:00起床、いつものごとくデータの更新・整理、コンピューター関連読書、徒然ほか。10:30家内に同乗飯川病院。13:30-15:00某診療所医師来訪歓談。19:30ブックオフ経由レガシー帰宅。孫はインフルエンザAであった。21:00就寝。Σ6828歩。

2019年年末(3) 医療界の出来事   
 2019年は医学界にとってどんな年だったのか?
 「これからの医療のあり方」などと名称つけた徒然日記であるが、私の医療面での情報収集能は明らかのに低下してしまった。
 昨年に引き続きm3.comの年末記事を引用しながら振り返ってみた。(一部改変)。
 また、資料として過去3年分のを併記した。

2019年医療界の動き (医療維新による)
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(1)台風豪雨などで浸水被害位相次ぐ
(2)中村哲氏アフガニスタンで死亡
(3)医師の働き方改革議論進む
(4)医学部不適切入試問題で元受験生らによる提訴相次ぐ
(5)ゾフルーザ耐性インフルエンザウイルス高頻度に検出
(6)水泳の池江選手白血病公表
(7)京アニ事件36人死亡 日本の犯罪史上最大の事件
(8)MRからの情報提供規制強化
(9)424の公立・公的病院のリスト公表。再編統合視野に再検証進める
(10)医師志望の福岡、ラグビーW杯で活躍
(11)大学病院の無給医少なくとも2191人
(12)乳腺外科医裁判で無罪。わいせつ行為否定
(13)本庶京大特別教授、小野薬品と対立
(14)抗菌薬セファゾリン供給停止
(15)医師の働き方、報告書まとめ
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参考 2018年医療界の動き (医療維新による)
こんなことが話題になっていた。時の流れは早いものである。

(1)本庶京大特別教授にノーベル医学生理学賞
(2)東京医大女性差別など不正入試
(3)医師の働き方改革議論進む
(4)AI、医療分野で実用化検討
(5)複数の大学で不正入試 文科省中間報告
(6)順天堂大学女性差別など不正入試
(7)大学病院など労働基準監督署の指導相次ぐ
(8)東京医大、44人を追加合格
(9)ゲノム医療、再生医療など最先端医療の推進
(10)医師の地域偏在、診療科偏在対策の動き

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参考 2017年医療界の主な出来事(医療維新による)。

(1)2018年開始の専門医制度を巡る動き 
(2)医師の働き方改革への動き
(3)2018年診療・介護報酬同時改定を巡る動き
(4)日野原氏105歳で死去
(5)小林麻央さん死去
(6)千葉大医学部学生に有罪、集団乱暴事件
(7)医師の地域偏在、診療科偏在を巡る動き
(8)京都医大、虚偽診断諸問題
(9)NHK糖尿病治療に睡眠薬推奨
(10)2018年薬価制度改革を巡る動き
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参考 2016医療界の主な出来事(医療維新による)。
(1)オプジーポを対象に緊急薬価改定実施 薬価の毎年改定導入
(2)大隅氏がノーベル医学・生理学賞受賞
(3)全国がん登録がスタート
(4)新専門医制度の2018年度開始に
(5)診療報酬改定で多剤投与の見直し
(6)国際医療福祉大の医学部設認可
(7)HPVワクチン接種を巡る混乱
(8)過労死等防止対策白書が初めて公表
(9)B型肝炎ワクテンか定期接種化
(10)世界医師会総会で横倉日医会長が次期会長に


12/27(金) 若干降雨降雪 大曲中通病院 飯川病院ボランディア 長女と孫来秋
 1:15起床。データの更新・整理、読書、徒然ほか。降雪あれど積雪なしが嬉しい。5:30今年最後の可燃ゴミ提出。7:30Taxi駅東に、早めについてスターバックスで時間稼ぎ。8:11こまち、8:50-12:15大曲中通病院、往復ともTaxi。13:45-19:00飯川病院勤務。長女と孫来秋、孫は発熱状態、インフルエンザだろう。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数Σ9876歩。

2019年年末(2) 国内外の出来事
 今年も残すところ数日となった。
 今年も色々な出来事があった。自分でも需要項目をピックアップしていたが、項目が多すぎてまとめきれなかったので秋田魁新聞の記事(2018,12,24)から引用させていたいた(一部改変)。
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■ 国内
 ・天皇代替わり、平成から令和に、行事相次ぐ
 ・相次ぐ台風で列島被害甚大、停電や河川氾濫
 ・京アニ放火殺人事件で36人死亡、容疑者拘束
 ・消費税率10%に、軽減税率やポイント還元も
 ・ラグビーW杯国内開催.日本初の8強入り
 ・関電幹部に町元助役から金品。会長らは辞任z
 ・参院選で与党過半数、改憲勢力3分の2割れ
 ・安倍首相、在任最長も「桜を見る会」で疑惑
 ・沖縄の首里城が炎上、正殿、北殿などが焼失
 ・ゴルフ渋野が全英、テニス大坂は全豪を制す
 ・池袋暴走など高齢運転者の事故相次ぐ
 ・アフガニスタンで中村哲医師び銃撃死

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■ 国際
 ・日韓関係さらに悪化、GSOMIA破棄は回避
 ・米中貿易摩擦、追加関税応酬も第1段階合意
 ・英総選挙で保守党大勝、来年1月EU離脱へ
 ・米朝、ハノイと板門店で会談も非核化進まず
 ・INF廃棄条約失効、米・口は武器開発競争へ
 ・核合意巡る米・イランの対立激化、ウラン濃縮再開も
 ・温暖化防止訴えスウェーデン少女が国連演説
 ・ノートルダム寺院で火災、尖塔が焼け落ちる
 ・米大統領のウクライナ疑惑、下院で弾劾訴追
 ・北朝鮮、ミサイル発射続け米をけん制


12/26(木)寒波小雨 飯川病院 
1:00起床。いつものごとく、文献読みデータ整理。自炊を含む座学中心。録画でNHK音楽祭2019を観る。トンコープマン指揮N響公演、Mozart No40とRequiem。カラヤン初来日の記録からBeethoven No5。11:07バス飯川病院、文献整理など。14:00飯川病院勤務、外来患者病棟対応。19:20帰宅、夕食。21:00就寝。歩数Σ7640歩。

2019年年末(1) 自炊と読書に開けくれた1年
 今年はずいぶん本を買った。読んだ。
 ジャンルとしては、小説類を始め宗教、生老病死、尊厳死・安楽死問題、自死問題、重要犯罪関連のドキュメンタリー、警察・検察・裁判制度・日本の司法制度など。などである。
 本を時代的に区分して見れば、近代作品半分、ビンテージ作品半分といったところか。

 終活として、蔵書を減らす目的で自炊を始めて10年になる。かなり処理が進んだ。

 書類や本の取り込みについては富士通のページスキャナーを用いて電子化している。
 本年9月に次男からS-500Mというスキャナーをタダでもらった。S-500Mは私が頻用していたS1300よりは処理スピードを始め機能が高く自炊の能率が増した。500ページ程の厚手の文庫本を処理するのに10分もかからない。S1300の1/4ほどの時間で仕上がる。これ以降、私は自炊作業に酔いしれてしまった。連日数冊のペースで電子化している。

 次男は結構親との取引に長けている。今までもパソコンとかiPad miniとか自分が新規購入する際に旧製品が私に回ってきた。いつも親子値段で引き受けていたが、今回は何故かタダらしい。何かある??
 後日談であるが、11月に、TVボード、キッチンボード、大型冷蔵庫の請求書が回ってきた。100万円超である。新築祝いとしてもちょっと高すぎる。S-500Mは新品でも5万円程度だったし、10年も経っているし・・・、と文句はあったが、終活の一部とみなして、私は素直に振り込んだ。

 自炊し電子化したデータは12.9インチのiPad Proで読む 。最近はどこに行くのもiPad Pro同伴である。

 何で今更ビンテージ作品なのか? 1965年大学入学後から堰を切ったように内外の作品を読破し始めた。当時、何を読むべきかすらわからなかった私は、とりあえず古典を中心とした岩波100冊の本というシリーズから取り掛かった。
 新潟大学学生のうちに大体その9割を読破した。

 そのほかに当時買い求めたジャンルは、軽い者から重いものまで含む広範な小説類、人生論、心理学関連図書、老病死関連、宗教関連本などなど。これらのビンテージものはダンボール数ケに入れて倉庫の奥にしまっていたのを数ヶ月前に発見し、自炊しながら興味のあるものは読み返している。当時、私は人間関係の構築方法に悩み、人生に悩んでいたことがわかる。

 大学卒業後は古典作品から現代的作品しシフトして蒐集、読んできた。

 最後に、私は自分の命は自分のものであって、自由に扱っていいと考える立場である。今年一年関連本を読みながら考えてきたが、やはり変化はきたさなかった。安楽死も容認する立場である。
 私の命の価値は豆粒一つでしかない。だから、「好きにさせてよ!!」、私はそう願う。
 そういう気持ちをもって今年を過ごしたが、幸い来年まで長引きそうである。
 この辺のことを一層深めたいと思う。


12/25(水)曇り 飯川病院勤務 サンタ姿で病室訪問
 0:30起床、新聞チェックほか,ほぼいつもと同じに過ごす。院長受診のために終日勤務。7:00 iPhone7のバックアップ終わらずレガシーで飯川病院、8:45から勤務、外来、入院患者対応。午後にサンタ姿で病室訪問。19:30帰宅、夕食。21:30就寝。Σ10185歩。

老医のつぶやき2019(15) 仕事上の出来事二つ、外来診療縮小と新カルテシステム
 今年も間も無く暮れる。私は74歳+αであるがまだ明和会という法人の嘱託医として中通総合病院の内科外来、健康クリニックのドックの担当医、大曲中通病院の外来を各々週一回働いている。午後は別法人の病院で週3回の勤務、そのほかの日はボランティアである。

 今年は私の仕事上で多少の動きがあった。
 一つは新年度を迎える前に法人管理部門から中通総合病院の内科外来単位数を2回から1回にするように指示を受けたこと、もう一つは12月1日から旧電子カルテシステムから新システムに移行したことである。
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 診療単位縮小の通告。
 私は74歳+αの老医であるから、基本的に老齢医師は総合病院では不要である。だから、新年度を迎える毎に次年度の更新はないだろうと予測してきたから、今回のことは当然のことと受け止めた。
 縮小の理由として、総合内科外来を閉鎖することと、私の出身医局である秋大第3内科から中堅の医師が赴任してきたことを挙げていた。前者はこれからの一層深まっていく高齢化社会では総合内科外来の意義は一層重要になることはあれど逆はない、と考えるが、病院の方針とのことで異論は挟まない。
 中堅の医師赴任は私が現役の頃からずっと求め続けていたことでやっと実現した、ということ。早速新体制に向けて患者の仕分けを開始したが、予約が7月一杯入れてあるために8月1日から外来診療を週に一回とした。新たに赴任した医師に55名の患者の移行した。
 そうはいっても、週2回の外来が1回になったから毎回の外来は混雑し、毎火曜日は終日疲弊している。
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 12月1日から新電子カルテシステムに移行した。

 旧電子カルテシステム2006年に導入した。
 数年かけてコンピューターによるオーダリングシステムを準備し、段階的に医療業務、看護業務、事務処理に機能を拡張してきた。
 導入当初は戸惑い、反発、心配等もかなりあったが何とか乗り越え、全体的に見れば病院としての機能は格段に向上した。
 それから13年経過し、今回一層高機能の別システムに入れ替えることになった。私も学習会に2回参加したが、高機能になった分診療現場での入力作業は実に大変である。

 コンピューターはどんなに文句を言おうと異議を唱えようとビビラないし、ビクともしない。最期まで人間の方が合わせてくれるまで拒否し続ける。私から見てコンピューターは思い通りにならない絶対的権力者であるが、人を従順にさせるという技能を備えた羨ましい存在でもある。

 私にとっては二つの点で新電子カルテシステムは辛い。
 一つはやはり高齢に伴う脳機能低下があり、旧システムとは全く異なるシステムへの適応能力は弱い。
 もう一つは外来が週一回だけとなり、新システムに慣れるのが難しいことである。

 まだ導入後一月で私自身は混乱の最中にあるが、勤務している限り後には引けない。できる限り習熟するしかない。
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 今年最後のつぶやきになるかな?


12/24(火)晴れ曇り 外来 飯川病院 国立キエフバレー公演
 0:30起床、文献読み。データ整理、6:00可燃ゴミ出し、コンポスト処理。7:10バス飯川病院。8:20中通病院へ。新電子カルテシステムの予習、8:20-14:10外来、やや混雑のうえ新システム対応に四苦八苦、操作不慣れで時間がかかり疲弊した。14:40-17:00飯川病院勤務。入院対応、17:00秋田市文化会館に、車止められず労福会館に駐車。17:30-20:10キエフバレー秋田公演、22:30帰宅就寝。Σ13215歩。

国立キエフバレー秋田公演「くるみ割り人形」秋田市文化会館
 12月24日の夕方から25日の夕方までの1日がクリスマス。
 本日はタイミングよくウクライナの国立キエフ・バレエ秋田公演が催された。しかも、クリスマスの定番演目「くるみ割り人形」であった。音楽雑誌によるとウクライナ国立歌劇場管弦楽団も来日しているが、秋田では特別録音音源を使用した。会場が狭くオーケストラピットを作れなかったためなのか、入場者数から見て採算が取れないと判断されたためだろうか。

(配布パンフレットより一部を引用した)

 キエフ・バレエは創立150年を迎えた名門歌劇場のバレエ団として名高く、世界でもトップクラスの伝統と実力を誇る。予定されていたダンサーのオレシア・シャイターノワは怪我で来日できず、ダブルキャストのアンナ・ムロムツェワが主役を演じ、華やかに舞台を彩った。
 一年の締めくくりに、久々華麗な本格バレエを堪能した。

 今回のキエフ・バレエ秋田公演の観覧に関しては私は數ケ月前から知っていたのであるが、録音音源で踊るというので敬遠していた。しかし、11月に英国ロイヤルバレー団のプリンシパルを長く務めたバレリーナ吉田都氏に関するドキュメントをTVで見た家内が強く観覧を希望した。そのために付き添いとして同伴したものである。
 実は、私はバレー公演でもオペラでもお目当はオーケストラの演奏・音色である。そのため随伴音楽には詳しいがバレーやオペラの物語に関してはあらすじの解説や対訳を見たこともなくほとんど知識がない。そんなこともあってちょっと距離を置いていたのであるが、ひょんな事から観覧することになった。それが良い結果をもたらした。

 開演は17:30とちょっと苦しい時間帯であった。いつもなら業務の最中である。
 観客の入りは一階席はほぼ満席、二階席は6-7 割くらいの入りか。私供の席は二階の最後部中央であった。だから人混みを意識せずにゆっくり鑑賞できた。
 観た感想を示せば、使われた録音音源は殊の外音質が良かった。特に低弦楽器の音は、あたかも弓から松脂の粉が飛ぶようなリアルな、ゴツゴツした音色で満足した。しばらくは録音音源であることを意識したが、もう気にならなくなった。
 主役の男女の踊り手の技術、脇役の踊りを含め、総じて見事であった。

 私が驚いたのは会場の聴衆の反応である。見るべき場面場面、高度のテクニックを披露した場面などに的確に拍手を送っていた。演目の「くるみ割り人形」の舞台を知り尽くしているのでは??と思われた。秋田でもバレー教室の活動は盛んで講演会も行われているが、その生徒や家族などの関係者ではないかと考えられた。

 今回の公園で最も良かったこと、は私を悩ます不快な「ブラボー男」の声がなかったことである。秋田の演奏会では十中八九遭遇する不快感を味わわないで済んだことは別な意味で最高に良かった。最近の演奏会雑観 ブラボー プレトーク 団員への労い そのほか

 私はクリスマスなどそれほど関心はないが、キエフ・バレエ秋田公演は十分に楽しめた。良きイヴであった。


12/23(月) 晴れ曇り小雪 健康クリニックドック 飯川病院
 1:00起床、徒然、文献読み。7:10バス飯川病院。9:00-11:00健康クリニックドック。今週は少なく8名、結果判定は15名分。11:00飯川病院へ。データ処理とか微睡とか。14:00勤務、外来入院患者対応。19:00帰宅夕食、21:00就寝。Σ10757歩。

冬至2019:私には大きな節目 柚子湯・カボチャ小豆粥考

 昨日22日は冬至。冬至は1年のうちで日の出の時刻が最も遅く、日の入りの時刻が最も早い日。今後、朝が明るくなるだけでなく、朝の日差しが徐々に力強くなって行く。希望のスタート日でもある。

 我が家では家事分担として料理以外の外仕事は私が担っている。
 敷地内の掃除や草刈り、樹木の世話、花壇の整理、ガレージの整頓、廃棄物の処理などなど、意外と仕事は多い。積雪期は除雪も私が担う。

 可燃ごみは週2回5:00-6:00am頃に私が集積所に出すが、10月末から12月末までは真っ暗闇の中の作業になる。自転車用のヘルメットを改造して作ったヘッドランプで手元、足元を照らしつつ作業を進める。

 秋田では通常は冬至は積雪状態で迎え、寒さはとても厳しい。本年の冬至は昨年・一昨年同様、まだ積雪はない。実際の気温や天候は日照時間とは約二ケ月のズレがある。だから、秋田ではこれからが本格的な雪の季節である。
 
 今後一週間単位で見れば夜が明けるのが確実に認識できる。
 冬が長い北欧ではこの日を「太陽の力が再び力を持って来る日」として祝う、祭りが今でも盛んだという。
 私にとっても、冬至は除雪のストレスに悩み、春を待つ心が誰よりもつよい心が迎える新しいスタート日でもある。

 古代には冬至が1年の始まりだつたと言う。その様にしていた気持ちはよくわかる。
 キリスト教の文化圏では11月1日を「収穫を祝う日」、「聖人のための大祝日」とし、一年の始まりだったという。

 冬至といえば食卓には「カボチャと小豆」、風呂には「柚子」である。

 柚子湯は身体を温めて、風邪知らずに。この習慣は冬至と湯治の語呂あわせから来ているほか、柑橘系の芳香成分による保温効果や、沈静効果が期待できるという根拠も上げられている。

 冬至にカボチャを食すと健康によいといわれている。カボチャは16世紀に日本に伝わった渡来作物であり、一般に晋及したのは江戸時代とされている。だから、この風習は江戸時代以降に始まつたと考えられる。現在と違つて冬場は野菜類が少ないため、保存がきく、食昧などの点から珍重されたのであろう。ただ、この時期まで保存されたカボチャは皮が硬くなっており簡単には刃物が通らない。かつてはマサカリなどで破壊してから料理したものであるが、今年は電動のこぎりで裁断した。

 私たちにとつては暖かさの実感はまだまだ遠いが、小さな植物のなかにはいち早く太陽の恩恵を受けているものがある。ボタンの枝先には来春のための芽が硬く準備され、春の訪れを待っている。

 日が長くなリ始める毎日、来春への準備を怠らない植物たち、私も一緒に春までの日々を歩んで行きたい。


12/22(日) 快晴比較的温暖 冬至
13:00飯川病院にて起床、本読み、新聞PDF化、徒然。当直終了も孫がいるので12:15帰宅、この間、旅客機の着陸シーンをYuTubeにて堪能、読書、データ整理、自炊数冊。13:30微睡。TV音声用のFMトランスミッター再調整、機能安定した。19:00夕食、21:00就寝。歩数計忘れて帰宅後からの半日分の計測となりΣ3090歩。

忘年会とは何か(2) 「忘れないけれども忘れる」日本特有の文化を大事にしよう 
 私の唯一の忘年会が終わった。会そのものには一年間ご苦労様という気持ちで楽しく過ごそう、という、開放感も伴った楽しい雰囲気があ理、意義はある。全てを否定はできない。
 毎日顔を合わせながら対話の機会が少ない職員達との対話はそれなりに楽しかった。

 「忘年」と言う名称はリセット感覚としては良いが、下向き、後ろ向きなイメージが伴っていて嫌である。それに、私には忘れなければならないことなどは一つもない。忘年会などしなくても脳機能が低下していてほとんど記憶に残っていないからである。

 かつて、県医師会の会長が「忘年会」と言わず「望年会」と言おう、と挨拶したが、なかなかいいアイデアであった。私が働く法人では「年末大交流会」と称していた。

 広辞苑で忘年会を引いてみると「その年の苦労を忘れるために年末に催す宴会」とある。日本独特の行事らしく、歴史を遡れば鎌倉時代にまで行き着くのだという。鎌倉時代当時は優雅に厳かに和歌などをつなげて詠う会だったらしい。江戸時代になって庶民が一年の労をねぎらい、杯を酌み交わす会を行ったとされるが、一般的にはならず、現在の如くになったのは明治以降らしい。
 「忘年会」が文章上で初めて記載されたのは漱石の「我輩は猫である」とされているのも意外である。

 今どきの若い人達は友達と楽しむ忘年会はいいけれど、会社の先輩や上司と一緒の忘年会は勘弁してほしい、いう人が増えている、という。実は私もそうだった。組織のヒラの時は適当に理屈をつけてさぼっていたが、組織の維持や運営に関わるようになってからは、忘年会等を含む懇親会などにそれなりの意義も感じていた。人間関係が円滑になるからである。だが、現役を退いてからは全部遠慮させてもらっている。今は参加の誘いもない。

 今、働く場は派遣や非正規などが入り混じって、女性も増えて多様化が進んで、職揚が集団から個の集合体へと変化しつつある。忘年会だけでなく飲み会の機会そのものが減つている。 
 時代柄やむを得ないが、宴会の文化や伝統が完全になくなってしまうことにはいささかの不安を感じる。人間は古来から集団同士で参加する宴を開いてきた。相互に顔を突き合わせながら会話し、敵でないことを確認しあった。収穫があった時には宴を開いて幸福を分かち合ってきた。SNSが及ばない世界である。

 節目を迎えたら、忘れないけれども忘れる。
 この相矛盾する心情の積み重ねが、複雑で奥深い日本の文化を形作ってきた。何を忘れ、何を忘れるべきでないのか、忘年会のシーズン、間も無く新年が開けると言う節目の時期に、私は自らの内なるものと対峙して見る機会にしている。私はしつこく執念深い性格だから忘れることができない事象は沢山あるが、それらを割り切ることで乗り切っていく。


12/21(土)快晴で温暖 飯川病院日当直 孫預かり 
 1:00起床、新聞チェック、医学系論文読み、徒然ほか。11;00家内に同乗、飯川病院に。12:30日当直、検食、微睡、座学、読書三昧。18:00検食。データ整理、21:30就眠。歩数Σ0歩、歩数計忘れたため。

忘年会とは何か(1) 日本特有?の区切りの文化の生活密着型行事 

 今となっては、他の組織のことは全く分からないが、年末になるとかつては忘年会という行事があった。
 現役の時は役職上10数回もの忘年会に出席を余儀なくされていた。酒を飲めない私にとっては辛い年末の行事であったが、一方ではそれなりの意義も感じ、真面目に対応してきた。

 最近では私が出席する忘年会は一回だけ。それもボランティアとして働く飯川病院の忘年会で、昨日開催された。なかなか楽しい会であった。

 これを機会に、忘年会の意義、節目を越しては過去のことにこだわらない、とする日本の文化についてつらつらと考えてみた。

 日本人は歴史を区切って考える傾向がある。忘年会もその一つと考えられる
 この一年、いろいろ大変だった、歪みも生まれたがが、忘年会を機会に忘れたことにして次年に持ち越さないようにしよう、という行事である。

 日本には「水に流す」という言葉もあるように、日本人は過去のことを忘れはしないが節目を超えてまで持ち越さずに、なかったことと割り切ることで未来を築こうとする考え方や文化がある。その「水」の役目を果たすのが「盃」、「酒」であった。だから、忘年会や宴会には守らなけれぱならないルールもあった。こうしたルールが地域社会や企業社会の秩序を維持し、ものごとを円滑に動かすために有用とされてきた。

 年末年始の忘年会や新年会がその節目の一つとする。そう考える方が人間関係の構築の中で楽であるし、それは前向きに生るための一種の知恵と考えられてきた。 
 
 一方、社会としては歴史を刻み続け、記録として蓄積し、知になるように伝承されていく必要がある。
 それに関していえば、西暦が単純に連続した数字の積み重ねであるのに対して、日本特有の和暦は、明治・大正・昭和・平成・令和と細かく年代を刻む。これも大き目の節目である。和暦のような暦を採用している国は日本の他にほとんどなくなったとされる。私は和暦を支持する。ただし、西暦和暦併記がいい。

 近代日本を語るときに、戦前・戦後という区切りも置かれている。極端な言い方をすれば戦前の日本は全く異なった時代のことように感じてしまいかねない。日本人は実に上手に乗り越えたモノだ、と思う。これも日本の文化である。


12/20(金)小雨小雪寒い 大曲中通病院 飯川病院 飯川病院忘年会
1:00起床、徒然、文献読み。5:30可燃ごみ提出。7:30Taxi駅東に。8:11こまちで大曲、9:10-12:00外来業務、駅病院間は往徒歩、帰路は時間なくてTaxi。新幹線5分遅れ。 14:00飯川病院。微睡など。18:00焼肉店にて飯川病院忘年会。私にとって唯一の会。21:00Taxi帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ13412歩。

老医のつぶやき2019(15) 最近、辞書で調べたカタカナ語
 おそらく、カタカナ語を好んで用いる方々は、カタカナ語の方が最新でグローバル化の波に乗った語彙で、かっこいいと考えたのではないか。
 もしかすると、将来の日本語はカタカナ語を平仮名の「てにおは」でつないだだけになるかもしれない。
 日本語はそれだけで内容伝達性がある。カタカナ語にすればソレを失う。これは記録性や意思伝達、内容伝達が目的の言語としての価値を捨てることになる。さらに日本語は書いても聴いても歌っても美しい。その美は詩歌でしか味わえないようになるかもしれない。

 特に医療関係の用語にカタカナ語が増えるのは悲しい。フレイル、ロコモティブシンドローム
私は今も少なからず英語も学んでいる。だから、英語由来のカタカナ語の意味は大体予測がつく。しかしながら、実際の使われ方から見て意味が取れないことがある。この場合、通常の辞書では解決できない。そのような場合は「現代用語の基礎知識 2020 (新創刊)」で調べている。これはいい本である。

 最近分からなくて、あるいは意味が取れずに調べたカタカナ語は、ざっと挙げると以下のようなものである。一つ一つの意味は省略する。
―――――――――――――――――――――――――――――
○ジェンダー・セクシー・セクシャル・トランスジェンダー・LGBTなど
○コンテンツ
○ガバナンス 
○サステイナブル
○パトリオティズム
○サイクルトレイン
○イノベーション
○ジャポニスム
○ルーラ
○スタンス
○レアアース
○ハラスメント
○キラキラネーム
○プレトーク
○ジオパーク
○フェイクニュース
○アメニティグッズ
○シルバーデモクラシー
○グランクラス
○ネトウヨ
○グローバル化
○アメラジアン
○ブロックチェーン
○スピンオフ
○リバースモーゲージ
○メンター
○ストーカー・・・・他いろいろ。


12/19(木)晴れ 飯川病院
1:00起床、新聞、文献自炊。徒然ほか。午前はガレージの整理・冬支度。11:50バス飯川病院、14:00-19:00勤務、入院・外来患者対応。15:30青森県を震源にする地震発生。震度5弱。秋田市は1-3度。花壇の冬囲い。19:00プリにて帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ9819歩。

老医のつぶやき2019(14) 日本語が難しくなってきた 
 今、日本ではグローバル化が進んでいる。ソレによって日本人の言語表現が「カタカナ化」される傾向が大きくなっている。
 私はとても残念なことだ、と思っている。日本語の単語、熟語はそれだけで意味がわかるから便利である。カタカナ化すればそれだけからは意味が分からない。文章の中から予測するしかない。ソレができないときは辞書に頼るしかない。

 おそらく、カタカナ語を好んで用いる方々は、カタカナ語の方が最新でグローバル化の波に乗った語彙で、かっこいい表現と考えたのではないか、と思う。これにメディアが、各界の専門家、識者と言われる人たちが無批判に乗っている。

 訪日客を「インバウンド」と呼ぶのはどこから始まったのだろう。どうしてこんなのが通用しているのか??「インバウンド」は「入って来る」、「アウトバウンド」は「出て行く」列車やバスを指す言葉である。例えば各地から東京駅を目指す本線の列車、新幹線は「インバウンド」で、東京駅発のは「アウトバウンド」である。これがなんで訪日客なのだ??列車やバスがいつの間にか人になっている。

 私は「オリンピック」と記載することない。五輪である。五輪なら理念もわかる。五輪を控えて「アスリート」も頻繁に登場する。「運動選手、運動競技者」でなく何でアスリートなのか?

 本年の新聞切り抜きをざっと見ただけで、「オピニオン」、「サービス」、「エンタープライズ」、「イベント中止」、「プログラム」などなど、簡単な英語であるが、何でここでカタカナ語が使われなくてはならないのか?と思う。

 最近のカタカナの氾濫は、異常でないか?
 日本語に興味を持ち、できるだけ標準的な日本語を使いたいと思っている立場からは残念なことである。

 カタカナ現象は、医療分野にも波及している。
 例えば、「フレイル」。厚生労働省は何だかわからない「フレイル健診」を始めるらしい。省では「フレイル」を「健康な状態と要介護状態との中間点で、身体がストレスに弱くなり身体的機能や認知的機能の低下がみられる状態」と定義している。くどくどとうるさい定義である。「虚弱老人」でいい。
 ところで、「ユマニテュード」ってなーんだ?

 秋田市は市の標語として「エイジ・フレンドリー・シティ」とを掲げている。「高齢者に優しい街」でいいじゃないか。分かりきった標語にこんな横文字を使うのは高齢者いじめと思う。「秋田版ネウボラ」というのもあるが、これはなーんだ?

 高齢者の方々も、私も、いまや力タカナ語から逸れられない時代となった。


12/18(水)快晴温暖 飯川病院ボランティア
 0:40起床、徒然ほか。新聞、文献チェック。午前はダリア球根の整理と収納、鉢植えボタン他ガレージに収納。11:07バス、通町からは薬局経由徒歩で飯川病院。花壇の整理、冬囲い下準備。19:20帰宅・夕食、21:00就寝。BRながら視聴:「そこまで言って委員会:映画」、「今世界は」。歩数計Σ12002歩。

師走2019 (5) 私が愛聴する宗教音楽
 なんで年末になると宗教音楽が聴きたくなるのだろうか?
 私は1年間の感謝を込めて、しみじみと人生を思う季節だからではないか、と思う。
1年間の感謝を意識するのは、私は大したことをやっていないが、秋深くになって畑や園芸の作業を終えたことが一番だろう。
 座学などは季節感が乏しい。

 カトリック教会では11月1日を「収穫を祝う日」、「聖人のための大祝日」としている。これが定められたのは9世紀頃というが、農と信仰の間の古くからの習慣だったのだろう。 
 竹下節子氏は、パリ在住の文化史家、評論家で、カトリックやエゾテリスムの歴史を専攻している方であるが、氏によると全ての収穫を終えて翌年の準備か始まる11月1日が当時は年の始まりとされていた、とのこと。この時期に前の年の全ての死者が戻つてきて転生し、世界がすつかり全て新しく生まれ変わるとされ、7日7晩にわたって祝われた。前夜には死者の世界の扉が開けられて死と生の交わる時でもあり、全ての火が消され、1日に新しい火ととも新しい世界を始めた、とされる(竹下節子著 ヨーロッパの死者の書 ちくま新書 1995年)。
 ここには仏教的な輪廻転生の思想に近いものかあって面白い。

 私が愛聴する宗教音楽は、思いつくまま上げれば以下かな? 年末にかけて聴きたい曲も含むが、さわりだけになるかも。
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 チマローザ 「レクイエム」 まるで天上の音楽。弦楽器が美しく歌う。 
 ケルビーニ 「レクイエム」 銅鑼の音が怒りの表現?
 フォーレ 「レクイエム」 声による天上の音楽?
 オケゲム 「レクイエム」 これは現存最古のレクイエムとされる。

 グレゴリオ聖歌、
 バッハ「ミサ曲 ロ短調」、「マタイ受難曲」 とても全曲は無理。抜粋で聴く。
 ヘンデル 「メサイア」  これも抜粋で聴く
 モーツァルト 「レクイエム」、「ミサ曲各種」、「アヴェ・ヴェルム・コルプス」
 ブルックナー 「テ・デウム」
ベートーヴェン 「ミサ・ソレムニス」、
 ヴェルディ 「レクイエム」
 ブラームス 「ドイツレクイエム」
 ロッシーニ 「悲しみの生母」
 ベルリオーズ 「レクイエム」
 シューマン 「レクイエム」
 シューベルト ミサ曲ほか
 ヴィヴァルディ モテット「おお、天にても地にても清きもの」
 デュリフレ 「レクイエム」
 ブリテン 「戦争レクイエム」
・・・・・
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12/17(火)比較的温暖晴 外来 飯川病院
 0:40起床、文献チェックなど。まだ除雪不要でうれしい。5:30可燃ごみ処理、提出。7:10バス飯川病院着。8:45-12:45中通病院外来。12月から新コンピューターシステムが導入され、本日で3回目の外来であるが、だいぶ慣れてきた。13:15飯川病院、14:00勤務、入院患者対応。19:00帰宅、夕食、20:00就寝。歩数計Σ7603歩。

師走2019 (4)もう師走、 宗教音楽雑感
 自分にとっての宗教音楽についてつらつら考えて見た。
 宗教音楽といえば、具体的には、賛美歌や聖歌、ミサ曲、モテット、カンタータ、コラール、オラトリオ、レクイエムなどが挙げらる。それらはミサ典礼文や聖書に基づいたテキストによって構成されている。 歌詞を追えばみんな似た様な内容である。だから、私は歌詞を意識しない。曲の雰囲気だけを楽しむ。

 宗教音楽は、ある宗教の儀式の際に用いられる典礼音楽と,直接には典礼に用いられないが宗教的内容をもつ音楽とを総称していう。多様な芸術のなかで、特に音楽は宗教との結びつきが強く,かつ深い。

 音楽がその発生期において宗教的儀式と一体となっていたことは明らかであり,音楽の発展の初期の段階において宗教が果した役割は非常に大きい。グレゴリオ聖歌にその足跡を感じつことができる。

 古今の大宗教のうち、原則として礼拝における音楽の使用を排するのはイスラム教だけである。その教義上、音楽を官能的快楽をもたらすものとして容認していない。にもかかわらず、コーランの読誦や、礼拝の時を告げる呼びかけなどには、当事者の意識とはかかわりなく、明らかな音楽的展開を聞き取れる。

 日本でも,仏教の僧侶による読経の際の重唱には音楽的響きがある。これを声明 (しょうみょう) というらしいが、能楽の要素となっているなど,宗教音楽と世俗音楽の結びつきは随所にみられる。

 キリスト教では、教義を反映して音楽を重要視し、積極的に芸術的な宗教音楽を育成してきた。儀式に伴って発達したグレゴリオ聖歌・ミサ曲・賛美歌などがあり、それとは別に、宗教的題材による演奏会用音楽はレクイエムやオラトリオなどとして発展した。今日の世界の音楽のなかでキリスト教音楽の占める比重はきわめて大きい。

 キリスト教の代表的な宗教曲としては、グレゴリオ聖歌、バッハの「ミサ曲 ロ短調」、「マタイ受難曲」、あるいは、ヘンデルの「メサイア」、あるいはモーツァルトの「レクイエム」などが挙げられる。


 12/16(月)快晴 健康クリニック 飯川病院 
 1:00起床、降雪なし。そのほか文献読み。PDF化書類。7:10バス飯川病院着。9:00-11:50健康クリニックドック業務、14名+レ線判定。秋田銀行経由で12:00飯川病院、本読み、微睡、14:00-18:30飯川病院勤務、外来・入院対応する。19:30帰宅、夕食、21:30就眠。Σ歩数計Σ9223歩。

師走2019 (3)もう師走、宗教音楽、とりわけレクイエムを聴く日々
 私は師走があまり好きでない。何かと慌ただしいからである。私は淡々と、かつ静かに過ごしたい。
 私には、濃密でない時間がもっとあってもいい。静かで豊かな時間の中に身を置くことが最高の贅沢である。ただ、その希望は実現していない。

 音楽の面で年末の話題、といえば「クリスマス関連」音楽、「NHK紅白歌合戦」と「第九」である。音楽雑誌を見ても「第九、第九」と演奏会広告記事がうるさい。
 「クリスマス関連」音楽は季節感がありすぎて、嫌だし、「紅白」はかつては年越し行事としていつも楽しんでいたが、ここ10数年は一切見ていない。画面、演出が派手派手で、過剰、人海戦術、私は楽しめなくなってしまった。私が変わって時流に乗れなくなった為だろう。

 「第九」は作品としてはすごく好きな曲である。年間を通して聴く機会は少なくない。

 ただ、年末は「第九」を聴く気がしない。大晦日の日以外は聴く気がしない。
 「第九」は馬力がありすぎるから、師走の他の日に聴くのは嫌だ。越年近くになり、迎える新年への期待感が高揚してきてからなら、聴ける。尤も、NHK交響楽団は12月21日から26日の間に5回も演奏している。ご苦労様なことである。私だけが勝手に年越しなら、と思っているだけ。今年の指揮はシモーネ・ヤング。放送が楽しみである。

 私は師走になると突然宗教音楽が聴きたくなる。静かに内省的に過ごすためである。

 昭和53年母ハナが死去した。十分ケアできず私に遺恨を残した。この時期、鎮魂と反省、自分の心を落ち着かせるために宗教音楽のレコードを買い集め集中的に聴いた。異様な心理にあったのだろう、約40枚ものレコード、60曲程も購入していた。

 いまはこれらを自分のために聴いている。レクイエム、ミサ曲など、作曲家自身が迫り来る死を意識して作曲した曲である。時代や文化、世界が異なっていても人間はそれほど変わっていないことが理解できる。

 私は無宗教と思っているが、いわゆるクラッシックのジャンルの宗教音楽は親しみがある。宗教画も好き。特にラファエロの聖母像がいい。


12/15(日)寒波多少ゆるむ、曇り晴れ 飯川病院日当直医補助 
 1:00起床、新聞チェック、そのほか文献読み等淡々と処理。PDF化書類、ラジオ深夜便のMP3データを整理。9:00レガシー帰宅。データ整理など、12:30家内に同乗飯川病院に、日当直医補助18:30まで。病棟は平穏。ラジオ、深夜便録音数日分聴く。19:00帰宅・夕食、21:30就眠。歩数計Σ9533歩。

教育に関して思うこと(3) 「教師にふさわしい人柄」とは
 教育は、子どもが物事の前提や立場や役割にそれほど縛られていない時から行われる。だから、実に怖いものだ、と思う。
 その怖さについて、私は「かたくなな指導的姿勢の元で行われる教育は、真の意味の教育でなく洗脳なのだ」、と思っている。

 教師の資質とは何だろう。 
 興味あるテーマであるが、門外漢である私はそれを具体的に指摘することは僭越で、出来ない。先人の言葉を借用する。

 1970年、「教師の理想的パーソナリティ」という共同研究が教師の曽我静雄氏が発表している。小、中、高の児童、生徒や親らを調査し「教師にふさわしい人柄を追究」した結果である。 
 その終わりの文章で、「教師は、あるときは研究熱心な学者であり、あるときは几帳面な官僚、あるいは統率力にすぐれた将校のような性格特性も要求されているが、特に 信頼がおけるという牧師的特性が強く求められているようである」と結んでいる。
 要するに、「勇気、観察力、使命感、決断力、そして優しさ」である。生涯を通じてそれらを駆使し、教師と子どもたちとの間の信頼を問い続け、全人格で表現した曽我氏の伝言は重い。
 曽我氏に関しては、吉野興一著「教師 曽我静雄―戦時下に女生徒を救った教師の物語ー」 2009/10新読書社、に詳しい。

 最近、教育界がよくわからない。何か欠陥があるように思えてならない。
 教育を巡っては不登校、いじめやそれに伴う自死事件や悲惨なニュースが日常的に報道される。この根底にこある要因は恐らくは単純ではない。

 教員をめぐる状況は厳しさを増してきた。
 学力向上が求められ、いじめや不登校の指導、保護者への対応、部活動、事務処理など、学校の役割は膨らみ、教員の仕事も増えてきた。文科省が教師の実態調査したのは2016年であるが、小学校教諭の約3割、中学校教諭の約6割が過労死レベルに達していた。
 教師の世界は長時間労働が問題となつて、あるべきことか「ブラック職場」とみなされている、ようだ。

 こんな状態では「教師にふさわしい人柄」として、ふさわしかった人材も疲弊、燃え尽き、教育マシン化してしまう。


12/14(土)曇り小雨 飯川病院日当直 
1:00起床、本読み、医学文献読みなど。9:00散髪、3Qカット八橋店にて。文献整理自炊など入力。12:00レガシーにて飯川病院に。午後日直当直業務に就く。兼食後新聞文献切り抜き、ほか。ABSラジオヨセ2018?19年目録作り。18:00夕食。20:55就寝。ほとんど歩行せず。歩数計Σ5756歩。

教育に関して思うこと(2) 私はダメな親であった
 私の子育てはほとんど人任せに近かった。今から考えると忸怩たる思いがする。
 にもかかわらず、我が家の3人の子供たちは大家族、周りの同年代、年長の子どもたちに囲まれ、様々な影響を受けながら素直に育った、といえよう。
 勿論、親の立場から見て理想的に育ったとは言えないが、十二分に合格点である。正しい判断力を身につけた3人に、感動と感謝の気持ちを抱いている。

 一方、私は子育てに関して総括すればダメ親であった。
 私が親として子供達に与えられたのは、私の親としての気配りなどよりも、育つ為の環境であった。
 
 私は卒後2年間岩手県宮古市で過ごしたが、県医療局から貸与された奨学金の義務年限が昭和48年6月に終了した。生まれたばかりの長女をどこでどの様に育てるか思案していたが、基本的には血縁者の援助のもとで育てたい、と考えた。されど、私の両親は高齢であてにならず、秋田の両親を頼ることとし秋田に転居した。私が志向していた血液学の専攻に関しては、決して主たる要因ではなかった。機をほぼ同じくして秋田大学に血液内科が開設されたことは偶然の賜物で、私は二兎を追って二兎を同時に得て幸運であった。

 結果的に私が子どもたちに与えることができたのは
 ■ 住み込み、ほぼ専従の子育て、兼、お手伝いさん、
 ■ お手伝いさんの二人の娘も同居、
 ■ 一時10人まで増えた同居家族、
 ■ 近隣には従兄弟たちが居住、
 ■ 比較的広い住宅と敷地、
 ■ 秋田の広い空、豊かな緑、河川や山などの自然環境、
 ■ 秋田の豊かな食材など、
 ■ などなど・・・

 子供達が育つには環境も大事だと思う。だから、結構のびのびと育った様に思う。
 一方、私は子育てに関しては、必死ではあったが結果的にダメ親であった。かなり時間を作って子供たちとも接したつもりであるが、多忙さにかまけていつもイライラしていたし、時には我慢しきれず大きな声も発した。子供達にとっては、私があまり家にいなかったことが最大の救いであったのだろう。私のイライラは、社会的立場に応じて変化はしたものの、現役からの引退の時期まで続いていた、と反省する。

 父親としての評価を家内に聞くと、合格すれすれの様だ。
 だからと言って、反省しきり、と言って、可能であれば時間を巻き戻してやり直したいか?と問われれば、私はそれなりに必死だったし、なんとか頑張ってきた、と思っているから、今更やり直したいとは思っていない、と答えるだろう。

 ただ、思うに、人生って似た様なことを繰り返すのか?としみじみ思う。 
 私も、幼少期には家業の医院が多忙で、母よりは住み込みのお手伝いさんに育てられた。彼女が嫁に行ってから以降は一匹のネコと離れで暮らした。私はそのネコに母親のイメージを感じていた。


12/13(金)曇り 積雪なし 大曲中通外来 飯川病院ボランティア
 0:40起床、本読み他いつもの如く、6:00家庭ゴミ処理、提出。7:25Taxi駅に、8:11こまち。9:50ー12:15大曲中通病院外来。往復歩行は足元危険でTaxi。帰路のこまちは定刻。13:30-17:40飯川病院ボランティア。家内は組合病院関連スタッフの忘年会。18:30送ってプリウス帰宅、21:30就寝。歩数計Σ8345歩。

教育に関して思うこと(1) 幼少期の家庭内の教え
 最近、教育界がよくわからない。何か欠陥があるように思えてならない。
 教育を巡っては不登校、いじめやそれに伴う自死事件や悲惨なニュースが日常的に的に飛ぴ交うが、この根底にこあるものは恐らくは単純ではない。
 少子高齢化等の社会構造、家庭構造の変化、教育内容の非可塑性、担当する教師の資質や教育界の環境問題、子供達の経済格差など、枚挙にいとまがないが、その要因について思いつくままいくつか考えてみたい。

 小さなころからさまざまな個性を認め合い、支え合う心の交流のある教育の場があることは大切なことと思われる。この世に生を受けたら、たくさんの愛情に育まれ、成長したのちには実社会に適応できる状況まで指導されるのが望ましいのであるが、最近は適応未発達状態で社会に送り出される学生も多いように思える。

 教育は多様な状況で行われる。生まれ落ちた瞬間からもう差別があると言っていい。

 しかし、基本は両親からからの教育である。

 幼児期の教育にも様々な意見がある。両親たちもいろいろな意見を持ちつつ子育てしていると思われるが、私は以下に示すドロシー・ロー・ノルトの詩で代用したい。
――――――――――――――――――――――――――――-

「子供が育つ魔法の言葉」

けなされて育つと,子どもは、人をけなすようになる
とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる
不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる
「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持ちになる
子どもを馬鹿にすると、引っ込みじあんな子どもになる
親が他人を羨んでばかりいると、子どもも人を羨むようになる
叱りつけてばかりいると、子どもは「自分は悪い子なんだ」と思ってしまう
励ましてあげれば、子どもは、自信を持つようになる
広い心で接すれば、キレる子どもにはならない
褒めてあげれば、子どもは、明るい子に育つ
愛してあげれば、子どもは、人を愛することを学ぶ
認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる
見つめてあげれば、子どもは、頑張り屋になる
分かち合うことを教えれば、子どもは、思いやりを学ぶ
親が正直であれば、子どもは、正直であることの大切さを知る
子どもに公平であれば、子どもは、正義感のある子に育つ
やさしく、思いやりを持って育てれば、子どもはやさしい子に育つ
守ってあげれば、子どもは、強い子に育つ
和気あいあいとした家庭で育てば、子どもは、この世のなかはいいところだと思えるようになる
――――――――――――――――――――――――――――-
 上記の詩は、たまたま他の本で知って探していたところ、ドロシー・ロー・ノルト/レイチャル・ハリス著/石井千春役 「子供が育つ魔法の言葉」1998年、PHP文庫、にあることが分かり購入した。

 著者がこの詩の原型を書いたのは1954年という。その後、改定、加筆を重ねてこの形に落ち着いたのだ、という。本書の中で何でこの様な文章になったのか、著者の子育ての心構えなど、詳しい説明が載っている。


12/12(木)寒気ややゆるむ 雨夕方から降雪 飯川病院 
祖父耕陽命日。1:00起床、徒然。文献・録音データの整理・処理など。8:40家内に同乗飯川病院、院長多忙というので午前ボランティア、外来患者対応。14:00飯川病院勤務に、外来・入院患者対応。新聞、文献読みなど。19:30帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ6998歩。

本 柳田邦男著『マッハの恐怖―連続ジェット機事故を追って』フジ出版社 1971年
 1966年(昭和41年)春の日本の空は異常であった。わずか1カ月の間に300人を超える人命が失われた。
 ■ 2月4日 全日空ボーイング727型機羽田沖に墜落、133人全員死亡。
 ■ 3月4日 カナダ太平洋航空ダグラスDC8型機羽田空港で着陸失敗炎上、64人死亡、8人重軽傷。
 ■ 3月5日 イギリスBOAC機ボーイング707型機富士山麓に墜落、124人全員死亡。

 本書は柳田氏のノンフィクション作家としての原点に相当する名著で、上記の3事故を取り上げている。氏は、1966年の全日空のB727羽田沖墜落事故を端緒にNHK記者を退職、事故原因追求の世界に入った。

 私はこれらの連続事故に関心を持っていたので、本書が発売になって直ちに購入して数回読んだ。
 航空機事故では原因を究明することがなかなかできない。事故はパイロット、機材、管制、天候、保安設備などが複雑に絡み合って最悪の状態に陥っていることが多く、原因究明は困難なことが多く、クリアな結論に至らないことも少なくない。本書で取り上げられている事故では、パイロットが事前に危険を察知した様子はなく、いずれも死亡しており原因究明はいずれも困難を極めた。また、航空会社は結論によって被害者への補償額が変わることから一層線引きが難しくなる。

 今回、約40年ぶりに本書を読み返したのは、渡辺淳一著「富士に射つ」を読んで、BOAC機富士山麓墜落事故を再確認したくて中心に読み返したものである。

 ほとんど忘れていたが、今回再読してBOAC機事故に関して確認したのは以下のごとくである。
?????????????????????????????-
 ▼ BOAC機は事故遭遇直前まで順調に飛行していた。
 ▼ 機は通常の飛行ルートから大きく外れていたが、富士観光なのか香港への近道のためだったのかは不明。
 ▼ パイロットは事故遭遇直前まで危険を察知していない。危機の交信、危険信号の発信もない。
 ▼ 機は突然進行方向右側から秒速70mもの突風を受け、右側主翼が1/3ほど脱落、垂直安定板が破壊された。
 ▼ 垂直安定板は左側水平安定板に激しく激突した。
 ▼ 機は時速700Kmほどから400Kmほどにまで一瞬で減速した。
 ▼ 一瞬の減速で乗員乗客の大部分は前の座席に頭部頚部を打ち付け、死因になったが、操縦室でも同様であったと考えられる。
 ▼ 一瞬の減速で中央タンクが破れ、燃料が荷物室を通じて機の前部に移動した。
 ▼ 機は墜落過程で中央部で二分した。
 ▼ 地上に激突後、前部に移動した燃料に引火し消失、火勢でフライトレコーダーも消失した。
 ▼ 乗客の8mmカメラの映像が原因究明に役立った。カメラが受けた衝撃は7.5Gであった。人間は4.5-5.0Gで失神、旅客機の荷重限界は4-5Gと言われている。
 ▼ ・・・・
?????????????????????????????-

 参考)柳田邦男著『続マッハの恐怖』フジ出版社1973年では、「ばんだい号墜落事故」、「全日空松山沖墜落事故」、「日本航空羽田空港暴走事故」、「同ニューデリー墜落事故」、「同金浦空港暴走事故」、「同ボンベイ空港誤認着陸事故」、「同シュレメチボォ空港墜落事故」、「デ・ハビランド コメット機の連続空中分解事故」、「イースタン航空401便墜落事故」など、様々な原因によって発生した航空事故を取り上げている。
 これもいま再読中である。


12/11(水)晴れ曇り 終日飯川病院ボランティア 
1:15起床、文献読み。蓄積データ処理。自炊、ダリアの球根整理。8:40家内に同乗飯川病院出勤、院長多忙というので終日ボランティア。外来対応。13:30秋銀スタッフ来訪、
18:00院長はゾンタの会合に向かい。19:30バスにて帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ8797歩。

渡辺淳一著 「富士に射つ」 文春文庫 1972年(2) BOAC機墜落事故関連作品
 渡辺淳一氏の著作は随分読んだが、航空機事故を扱った作品があることは失念していた。これを見つけ、数日で一気に読み切った。

 本書は1966年(昭和41年)3月5日の124人全員死亡したBOAC機事故の白煙と、パラシュートをゴルフ場で目撃したあと、強度の不安神経症に陥った中年の患者とその治療を担当した主治医を巡ってのエピソードを綴った作品である。
 私の興味と一部重複していることで親しみを感じた作品である。

 主治医の私は、44歳の元会社人の脅迫神経症疑いでうつ状態にある患者の主治医となる。昭和41年より、いらいらし不眠が激しくなり、気が重く、被害妄想的となった。42年春には都内の精神科へ行き、ノイローゼの診断の下で治療受けたが軽快せず、人と接触するのが怖くなり、話すのも、挨拶することもできなくなって妄想や幻覚が生じるようになって主治医の勤務する病院に転院した。
 主治医として関わるも一切こころを開かず、原因は不明でやむなく催眠療法を行なった。結果として、富士の見えるゴルフ場で、飛行機が落ちるのをみ、パラシュートを見た、ということまで聞き出した。

 当時の新聞からを検討し、患者は124人全員死亡したBOAC機事故の際にパラシュートを目撃したが、患者は誰もその話を信じてくれない、と悩み、その後に強度の不安神経症に陥ったことがわかった。
 旅客機にはパラシュートは搭載されていないから、主治医は患者の病態はさることながらこのBOAC機事故について興味を持ち、患者が見た、というパラシュートとの関係から事故を追って行く。事故原因は乱気流に突っ込んだための空中分解説が有力となっていた。
 さらに新聞記事による検討、患者の勤務先訪問、同様にパラシュートを見たというタクシー運転手との面談、患者の妻との面談、元パイロットとの面談を繰り返して行く。

 最も参考になったのは元パイロットとの面談で、彼は「全体的に乱気流説にマスコミ報道が作られている様な気がする。フライトレコーダーが激しく焼けているのも納得しがたい。自衛隊機のスクランブルが関与している可能性も否定できない・・」などと述べる。

 主治医は最終的には患者を信じ、患者の言葉を信じたい、と思ったが確証は得られないだろうと納得せざるを得なかった。

 作家渡辺淳一氏も航空機に興味があったのだろうか。
 事故調査団が科学的手法を駆使して乱気流による空中分解説で結論をまとめようとしている時期に、精神を病む患者のパラシュートを見たという言葉には嘘がないはずだ、ということを前提に別の視点からBOAC機事故を考えて行くという構成になっている。その解析過程、精神科領域の治療法などに魅力ある作品となっている。
 渡辺淳一氏の作品群の中では目立たない作品であるが、これを読んで私は氏に強く親近感を覚えた。このことは氏のほかの作品を読む際にも有用となるだろう。


12/10(火)晴れ、比較的温暖 中通病院外来  飯川病院 
1:00飯川病院で起床、データ処理。7:00検食。8:45-12:50外来。新コンピューターシステムでの2回目診療、看護師に助けられつつなんとか乗り切った。13:00飯川病院。微睡、14:00-19:00勤務に。19:20帰宅夕食。21:00就寝。歩数計Σ@@@歩。ラジオ深夜便録音数篇聞く。

渡辺淳一著 「富士に射つ」 文春文庫 1972年(1) BOAC機墜落事故関連作品
 1966年(昭和41年)春の日本の空は異常であった。
 ■ 2月4日 全日空ボーイング727型機羽田沖に墜落、133人全員死亡。
 ■ 3月4日 カナダ太平洋航空ダグラスDC8型機羽田空港で着陸失敗炎上、64人死亡、8人重軽傷。
 ■ 3月5日 イギリスBOAC機ボーイング707型機富士山麓に墜落、124人全員死亡。

 わずか1カ月の間に、東京を中心とする限られた空域で、これだけの大惨事が連続して発生した。しかも、みな大型ジェット機である。世界的に見ても前例のない惨事であった。
 これらの大惨事については、柳田邦夫著「マッハの恐怖」(1971年フジ出版)に詳しく記述されている。

 私は大学入学後、堰を切ったように読書の世界にのめり込んだが、ほとんどが古典や現代の文芸作品が中心であった。私は柳田邦夫著「マッハの恐怖」によってノンフィクション、ドキュメンタリーの世界にも領域を広げて読みあさることになった。その中でも巨大システム、原子力発電、巨大建築などに関するものが多かったが、とりわけ航空関係の領域が多かった。
 
 なぜ航空機か、と考えてみると、あんな重い飛行機がなんで飛ぶのかなど原理的な興味、機体、特にゼロ式戦闘機、YS-11、コンコルド、ジャンボなど最新鋭の航空機に関する興味、さらに航空機を支える管制などの運航システム、安全システムなどに対する興味など、興味の範囲は尽きることはなかった。世界中で生じた大きな航空機事故についての文献は積極的に収集した。150冊以上も求めていると思う。

 私は医師になって患者の命に責任を負うことになってその責任の大きさに慄いたが、そうは言っても患者は自分から見てあくまでも第三者であって、その命の推移・変化を冷静に観察できたが、自分が同時に巻き込まれるわけではない。一方、パイロットは事故の際に乗客と運命を共にすることになる。この点から私はパイロットの心理にも思いを馳せ、自らの問題として自分の考えに反映させようとしてきた。

 私はいま終活をかねて書籍を電子化している。やっと古い蔵書にまで手を広げているが、その中に本書があった。購入していたものの、おそらく時間がなくてそのまましまったにしておいたらしい。

 渡辺淳一氏の著作は随分読んだが、航空機事故を扱った作品があることは失念していた。これを見つけ、数日で一気に読み切った。氏は、1966年(昭和41年)3月5日の124人全員死亡したBOAC機事故で、ゴルフ場でパラシュートを目撃したあと強度の不安神経症に陥った中年の患者とその治療を担当した主治医を巡ってのエピソードを綴った作品として完成させた。私の興味と一部一致していることで親しみを感じた作品である。


12/9(月)寒波終日曇り 健康クリドック 午後飯川病院+当直
1:00起床、文献・新聞チェック、読書。7:10バス飯川病院。9:00-11:15健康クリニックドック。11:20飯川病院、微睡など。14:00-18:45勤務、入院患者対応。19:00帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ6005歩。

薬物依存症(4) 突撃錠 猫目錠として軍が使用
 昨日12月8日は、1941(昭和16)年真珠湾攻撃が行われた記念すべき日である。アメリカでは例年記念の慰霊祭などを行なっている。対して我が国の記念行事はとても少ない。メディアはあえて触れないようにしているのではないか?
 日本は当時、国際的に孤立し、国としての存続が危ぶまれる状況にあり、苦渋の決断がなされたものである。このあたりの歴史は誤解があるようで、勉強する価値は大きい。

 戦争中は覚せい剤の軍事利用があった、とされる。兵士だけでなく、工場で働く女子工員などにも用いられ生産能率向上が図られた。
 大日本製薬が覚醒剤ヒロポンを発売したのは1941(昭和16)年。同年12月には真珠湾攻撃によって日本は太平洋戦争に突入することになる。

 医薬品の分野では、1941年5月に医薬品及び衛生材料生産配給統制規則によって、全面的な医薬品統制が敷かれ、指定重要医薬品は生産許可制となるなど統制が一段と強化されていた。また、大手製薬会社は軍管理工場に指定され、戦線の拡大とともに増加する軍用医薬品の需要に応じた。
 統制下での製薬業の状況は、民間用医薬品は品不足で危機的状態にあったが軍需用には原料が割当てられ、特に覚醒剤、睡眠剤、抗マラリア剤、ホルモン剤、サルファ剤、解熱鎮痛剤、ビタミン剤などが軍管理の下で生産が強要され各地で使用された。それでも供給は不十分で、南方の戦線では栄養失調死、マラリア等の感染症死が多かったとされる。

 覚醒剤ヒロポンは、軍部や軍需工場で大量に使用されていた。しかしながら、戦争末期に資料が焼却され状況を知る資料はほとんど残されていない。散発的に、「覚醒剤は軍需工場で労働強化ために、徹夜作業にもちいられた。服用で一時的に視力が良くなることから『猫目錠』と呼ばれていた・・。」、「戦闘の前線では兵士の士気高揚のための興奮剤として覚醒剤が使われた。特攻隊員たちは「突撃錠」と称するヒロポンの錠剤を飲まされた」などなどの証言がある。

 上記の話は多分本当だろう。私は新潟大学の授業で、戦時中の軍需工場で働いていた若い女性たちがフェナセチンを投与され、それによる腎障害を起こしていた、と習ったことがある。
 当時は日本の歴史に関する知識も薄く、大きな感慨もなくそんな事実もあったのか、と受け流していたが、今は複雑な思いで日本の歴史の一場面として捉え直している。


12/8(日)寒波、曇り、積雪なし 開戦記念日 ダリア球根掘り 除雪機整備 
 1:30起床、新聞チェック、読書など。自炊2冊。午前はデータ整理。10:30-12:00除雪機整備、「NHKのど自慢」見る。13:30-15:00ダリア球根掘り、今年は成長いいようだ。外の水道凍結対策など。「題名のない音楽会」3回分視聴。19:00夕食、21:00就寝。 歩数計Σ7807歩。こまち最終で家内帰宅。

薬物依存症(3) いろんな薬物製剤がある(2) アルコールさえもそれに含まれる
 下戸の私から見ればアルコールも同様の危険物質である。
 危険な薬物の列挙を続ける。

 ■ヘロイン
 ヘロインは、けしを原料とした薬物で、けしからあへんを採取、あへんからモルヒネを精製して作られ、「麻薬及び向精神薬取締法」で麻薬として規制されている。
 ヘロインは静脈注射のほか、煙を吸う方法、吸入する方法、経口からとる方法で乱用されている。神経を抑制する作用があり、強い陶酔感を覚える。強い精神的依存、強い身体的依存が形成され、2〜3時間ごとに摂取しないと、体中の筋肉に激痛が走り、骨がバラバラになって飛散すると当該者が表現する痛み、嘔吐、失神などの激しい禁断症状に苦しむ。あまりの苦しさから精神に異常を来すこともある。大量摂取で死に至る。
 ヘロインは心身への影響が強く、医療上の使用も禁止されている。

 ■大麻
 乾燥大麻(マリファナ)、大麻樹脂(ハシッシュ)、液体大麻(ハシッシュオイル)
がある。通常は吸煙、食べる、飲むなど。一般的には快活・陽気になる。同時に、視覚、聴覚、味覚、触覚等の感覚が過敏になり、時間感覚が混乱、思考分裂、感情不安定になる。このため、興奮状態に陥って、暴力や挑発的な行為を行うことがある。幻覚や妄想に陥ることもある。

 ■シンナー、トルエン等有機溶剤
 シンナーは塗料の希釈液のこと。その成分トルエン等とともに「毒物及び劇物取締法」により、その乱用が規制されている。 用いると神経が抑制されてぼんやりとし、宿酔状態になる。乱用で集中力・判断力が低下し、無気力になるほか、幻覚や妄想などが現れる。脳心肺肝腎、生殖器に障害が生じる。大量吸入で、呼吸麻痺で死亡することも。
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 ■酒・アルコール
 エチルアルコールは、歴史も長く、世界中で作られており、嗜好品のように考えられているが、脳に作用する危険な依存性薬物と変わりがない。習慣性、依存性、耐性がある。
 脳への作用は「抑制」で、思考や自制心などが抑制されるため、感情のおもむくままに行動する傾向になる。だから、ストレスの解放に有用なのだろう。大量摂取で昏睡状態、呼吸中枢が麻痺して死に至ることもある。
 耐性があるために次第に酒量が増えていく。精神依存、身体依存も引き起こす。中止すると禁断症状が出る。それを抑えるために飲酒するようになる。これが一部の人が陥るアルコール中毒である。

 私はアルコールは不要である。ストレスをアルコールで発散しようとは思わない。それ以外でも十分発散できる。一瞬、ビール、酒など美味しいと感じることもあるが、少しでも飲むと気だるさが襲って来るから嫌である。
 適量のアルコールは人間関係、社会の安定のためにも役立っている、と思いたいが、私はアルコールが出る席は不快なだけであった。


12/7(土)寒波小雪終日 家内横浜 飯川病院午前外来・午後日直
0:10起床。文献検索、徒然他何時もと同じ。新聞チェック、データ整理中心。7:00横浜に立つ家内駅に送りプリウスで飯川病院出勤。午前外来・午後日直。13:30-14:30末日聖徒宣教師二人来訪歓談。資料いただく。微睡文献読みなど。18:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ9004歩。ラジオ深夜便録音数篇聴く。

薬物依存症(2) いろんな薬物製剤がある(1) 覚醒剤、危険ドラッグなど
 薬物依存症に陥る薬物等は多数にわたる。医療関係者といってもその内容を詳しく知っているわけではない。この機会に対象薬物をまとめてみた。
 調べた結果では、結局は誰でも楽しめるアルコールですら、下戸の私から見れば同様の危険物質であることがわかる。

 ■ 危険ドラッグ・脱法ハーブ・合法ドラック
 最近、ネット上で「合法ハーブ」などとして販売され、意識障害、嘔吐、痙攣、呼吸困難等を起こして重体に陥る事件が発生している。
 これらは、法で規制されないよう化学構造を変えているが、規制薬物と同等の作用を有し危険である。中毒症状も覚せい剤や大麻などの違法薬物に比し重篤例が目立つ。

 ■ 向精神薬・睡眠薬・抗不安薬
 中枢神経に作用し、精神活動に影響を与える薬物を総称して「向精神薬」と呼ぶ。
精神科や心療内科などで処方される薬を指します。睡眠薬や抗精神病薬、抗不安薬と抗うつ剤が含まる。ハルシオン・デパス・ロヒプノール等が有名。正しく使用すれば治療効果が期待できる薬剤であるが、依存症からの離脱は困難とされている。

 ■ 覚せい剤
 覚醒剤の水溶液を注射する方法、煙を吸う、服用する方法もある。神経を興奮させ、眠気や疲労感が消失、頭が冴えた感じになる。しかし、効果が切れると、激しい脱力感、疲労感、倦怠感に襲われます。
 覚醒剤は、特に依存性が強く、幻覚や幻聴、妄想が現れるほか、錯乱状態になって、発作的に他人に暴行を加えたり、殺害したりすることがあり、このような症状は、やめても長期間にわたって残る危険性がある。1981(昭和56年)に起きた「深川通り魔殺人事件」は4人犠牲になったが犯人の尿から覚醒剤が検出された。
 
 ■ MDMA・MDA
 MDMAは化学名「3,4-メチレンジオキシメタンフェタミン(3,4-Methylene-dioxymethamphetamine)」の略名。俗に「エクスタシー」と呼ばれる。
 MDAは化学名「3,4-メチレンジオキシアンフェタミン(3,4-Methylene-dioxyamphetamine)」の略名。「ラブドラッグ」等と呼ばれる。
 MDMAとMDAの薬理作用は類似しており、視覚、聴覚を変化させる反面、不安や不眠などに悩まされる場合もあり、使用を続けると錯乱状態に陥ることがあるほか、記憶障害等の症状も現れることがあります。

 ■ コカイン
 コカインはコカの木の葉を原料とし「麻薬及び向精神薬取締法」で規制されている。
 鼻からの吸引、経口で使用され覚醒剤と同様の興奮作用がある。覚醒剤に比べて作用時間が30分程度と短いため、精神的依存が形成されると、一日に何度も乱用するようになる。乱用で幻覚等が現れたりする。大量に摂取で死亡することがある。

 ■ LSD
 LSDは化学名リゼルギン酸ジエチルアミド( lysergic acid diethylamide)は、合成麻薬の一種。「麻薬及び向精神薬取締法」の規制の対象とされ、経口で乱用されている。乱用すると、幻視、幻聴、時間の感覚の欠如などの強烈な幻覚作用が現れます。特に幻視作用が強く、ほんのわずかな量だけで物の形が変形、巨大化して見えたり、色とりどりの光が見えたりする状態が8〜12時間続く。
 また、乱用を続けると、長期にわたって神経障害を来すこともある。


12/6(金)終日小雪舞う 大曲外来 飯川病院ボランティア
0:30起床。文献検索、読書、医学文献読み。自炊数冊。6:00家庭ゴミ収集所に。路面は滑る。7:20Taxi駅、8:11こまち。9:00-12:15大曲中通病院外来。駅病院間は道路冠雪でTaxi、帰路のこまち3分遅れ。13:30-18:40飯川病院ボランティア。19:30帰宅。21:30就寝。歩数計Σ5433歩。秋田は積雪数cm、大曲の住宅の屋根には30cmほどの雪、隣市の横手は1m近いという。本格的雪の季節を迎えた。

薬物依存症(1) 孤立の病気
 違法薬物を持っていた、あるいは使用していた有名人が相次ぎ逮捕されている。 

 最近話題になったのは合成麻薬のMDMA・MDA。
 MDMAは別名エクスタシーとも呼ばれ、MDAは別名ラブドラッグとも呼ばれ、視覚、聴覚を変化させる作用があり、多幸的になったり、他人に対する親近感が増したり、その反面、不安不眠等に悩まされることにもなる。強い精神依存性をもっており、乱用を続けると錯乱状態になり、記憶障害等の症状も現れる。

 違法薬物には、覚せい剤、大麻、コカイン、ヘロイン、あへん、LSD、MDMA、MDAなどがある。
 他に、「合法ハーブ」などと称する商品を使用した人が、意識障害、嘔吐、けいれん、呼吸困難等を起こして、重大な事故をおこしたり、重体に陥る事件が多発している。これらの商品は、覚醒剤、麻薬、大麻など規制薬物の化学構造に似た構造を有している。

 日本では「薬事法」により、中枢神経系の興奮若しくは抑制、幻覚の作用を有する可能性が高く、人に使用された場合に保健衛生上の危害が発生するおそれがある1379物質(平成26年現在)が指定薬物として、医療等の用途に供する場合を除いて、その製造、輸入、販売等が禁止されている。

 違法薬物による事件は年約2万件。そのうちの7割を占める覚醒剤事件は再犯率が高いのが特徴で、2018年の摘発の場合7割近くが再犯だった。

 薬物依存症は薬物を使うことを自分の意志でコントロールできない状況に陥った状態である。薬物を使わないと体が震えるなどの身体的依存があるが、より対応が難しいのは精神的依存である。

 脳が薬物に支配された状態で、その状態が記憶され、止めて何年もたつてから急に使いたくなり再犯に走ることもある、と言われている。 

 薬物依存症は孤立の病気と言われる。人気に依存する駆け出しの芸能人や落ち目になりつつあるスポーツ選手などのストレスは大変なものだ、と思われる。
 しかしながら、治療によって回復や社会復帰は十分可能で、カウンセリング自助グループへの参加が効果的とされる。
 
 孤立することを防ぎ、自分が依存症であると認め、他の人に相談できるようになることは目標のゴールとなる。
 薬物依存症は生活習慣病のような慢性の病気なので継続的治療が必要とされる。周りの人たちの支持が重要となる。


12/5(木)終日降雪、道路の冠雪まで至らず 寒い 飯川病院
0:10起床、新聞。医学文献読み。経済問題の文献読む。午前は居間の整理、ネコ対策、自炊、読書。11:50バス飯川病院。文献読書。14:00-19:00飯川病院勤務、入院・外来対応、19:30帰宅。夕食、21:20就眠。歩数計Σ6384歩。

人生100年時代(34)  文庫本・新書の寿命は意外と短い
 私は自分が関与した物品などなかなか捨てられない。「いつか役に立つ・・」の発想自体捨てられない。したがって物置には木片を中心としたガラクタ、部品取りのためにとってある家電製品などが、多数占拠している。

 読んだ文献や新聞、雑誌の記事も捨てられない。

 書棚は「いつか読むだろう、いつかは読みたい・・」と思って購入した本も未読のままかなり占拠していた。私は本の背表紙を見ているだけでも幸せな気分になる性分だから捨てられず、また、今だに書籍を購入し続けるものだから、増えすぎる本の処理に困っていた。10年ほど前からスキャナーで取り込み、自分で電子化する自炊作業を始めて書棚の本はかなり少なくなった。

 ところが、先日、物置を探していたら、学生時代1965年以降に買い集めた古い書籍が大量に見つかった。文庫本を中心に新書など500冊以上はアリそう。所持していることさえ忘れていた本や、懐かしい本、紛失したと思い込んでいた本も出てきて、驚いたり、喜んだりして悲喜交々懐かしんでいる。

 これらの古い本も含め、ほぼ連日自炊作業をしているが、30年以上も前の古い書籍は字が小さく、フォントも古く、行間も狭くて読み難い。絶版にならず今も入手できる書籍なら新規に購入してもいいが、まずは私の歴史を大事にしたい。

 古い本は、紙自体が劣化し、ページは黄変している。また綴じ面のノリが劣化して持ち上げるとバラバラになる本もある。だからこそ、今のうちに電子化することは意味がある。書籍の自炊、電子化は劣化を防ぐ作用もある。

 しかしながら、スキャナーに取り込む前に本をカッターで裁断するのであるが、紙が劣化しコシが弱くなっている文庫本・新書はカッターでの裁断は困難で、その場合にはハサミを用いて裁断する。さらに加えて、スキャナーのページ送りがうまく機能しないこともある。

 自炊作業を通じ「文庫本・新書の寿命」は意外と短いことを知った。ハードカバーの単行本は紙質も堅牢さも段違いで当時の書籍であっても劣化していないのが多いが、当時の私は乱読主義で、とても単行本など到底手が出なかった。「文庫本・新書」ファンであり、かつ古本屋を利用していた。

 出版社にしてみれば利益の少ない文庫本は紙にも装丁にも費用をかけられないのであろう。

 若い頃に無目的に買った本が、今になって人生を振り返る貴重な資料になっている。購入時、「読まないかもしれない、無駄な買い物かな?」と思った本でも、長い目で見れば、読み手の人生の視点が変わるから、結構役立つこともあるのだ、と実感する毎日である。


 12/4(水)曇り降雪少々寒波 飯川病院ボランティア
 0:30起床。医療文献PDF化、書類整理淡々と処理。文献・新聞読み。11:50バスにて飯川へ、ボランティア、微睡、外来入院対応。19:00帰宅、20:50就眠。歩数計Σ9495歩。本日から防寒靴にした。バス待ちは冷える。

中曽根元首相死去 現実を直視した先進的政治家であった
 田中首相の失脚を受け総理に就任した中曽根氏は「戦後政治の総決算」を掲げ、数々の業績を残した。
 先日、11月29日に101歳で亡くなった。民意に敏感な政治スタイル、長期的展望に立つ政治姿勢は、その後の歴代内閣に大きな影響を与えた。
 レーガン大統領との間のロン・ヤス関係構築、「不沈空母」発言などで物議を醸したが、後々の「劇場型政治」の走りといえるかもしれない。


 中曽根氏の原体験は戦争の悲惨さである。国家指導者達はだらしなかったし、民衆は戦前の官憲の圧力に懲りていた。
 
 戦後2回目の衆院選で27歳で国政に登場した中曽根氏は、タカ派的な言動で早くから注目を集めた。利害調整型の議員が多い自民党では異彩を放った。
 自民党戦国時代といわれた派閥抗争はなやかな時代、大きな派閥も持たなかった彼は、民衆に定着した姿勢を貫き、風見鶏とあだ名された世渡りのうまさを発揮し、田中角栄に支えられついに首相となる。
 1982-87年首相を務めたが、常に国家再建の姿勢を明快にしていた。 

 氏の政治のもうひとつの特徴は米大統領との蜜月、米軍事戦略との協力、外交・安保の重視であった。米国の国力が傾き、日米安保に安住するだけでは国を守れない、といまの日本が直面しつつある課題にいち早く気づき、防衛費の国民総生産(GNP)比1%枠を撤廃するなど、防衛力の整備を進めた。これは方向性として先を見据えた画期的政策であった。
 労使関係が破綻してスト続きだった国鉄の再建といった国民生活に身近な課題も成し遂げた。
 
 悲願だった靖国神社への公式参拝を強行したが、近隣諸国とのあつれきを考慮して翌年以降やめたのも、現実を直視した中曽根政治を象徴するエピソードといってよい。氏の政治の中で評価が大きく分かれている点である。国益の重視のために、英霊を想うという個人の思惑を捨てたのだろう。

 2003年(平成15年)、小泉首相から定年制導入のために引退を要請され、当初は反対するも最終的には政界から引退した。56年7力月の議員生活、うち5年首相を務めた 。2018年(平成30年)首相経験者として2人目となる満100歳を迎えていた。

 氏は若い時からの歌人でもあった。
 「暮れてなほ 命の限り 蝉時雨」。中曽根氏のこの旬は彼の人生そのものを詠っている。 
  
 私は知らなかったのであるが、晩年、回顧録を次々と執筆した、と言う。後世の歴史家に役立つ手掛かりを残したことは評価すべきである。
 敗戦間近に軍幹部は保身のために戦争関連の資料の大部分を焼却したが、これは日本の将来に対する重大な冒涜であり、犯罪行為である。 

 最近、「桜を観る会」の資料が廃棄された、というが、なんか共通する行いのような気がしてならない。隠蔽工作は、日本の、組織の、為政者の特技なのか?


12/3(火)曇り小雪 外来・新コンピューターシステム稼動 飯川病院 
 0:45起床、文献・新聞などPDF化。録音データ整理。6:00可燃ごみ集積所に。6:50バスで飯川病院。8:45-13:30中通病院外来。13:45飯川病院、微睡、14:00飯川病院勤務。入院患者対応。再び微睡。19:10帰宅、夕食。20:30就寝。歩数計Σ7820歩。

何もしない人が一番クレームをつける 被災地のボランティア募集について
 朝日新聞2019.11.13に以下の記事が掲載された(一部改変)

 この秋、3つの台風が猛威を振るった千葉県。長柄町の山あいでは濁流が押しよせ、床の上まで浸水した。今も泥まみれの家財道具が庭に積み上げられたまま。
 家財道具の運び出しや泥かきなど、各地でボランティア活動も続いている。
 熊本県から駆けつけ、二週間以上泥かきを続けているというB氏(66)は「必死に作業しているのに終わらない。もっと人数がいれば・・」と疲れた表情を見せた。
    
 千曲川沿いの長野市近郊のリンゴ畑では、分厚い泥が堆積し、すでに固まり始めている。取り除くには、散乱したリンゴの枝や流されてきた屋根などのごみを撤去しなければいけない。ここではボランティア約15人がリンゴ畑で汗を流していた。畑を所有する農家の女性(87)は「本当にいろんな人に助けてもらった」。ただ、本格的な冬を控え、なくならない泥に焦りを隠さない。「本当は、まだまだ力をお借りしたい」、と肩を落とした。

 全国社会福祉協議会によるとこの1カ月で延べ約13万400人のボランティアが被災地で活動した。宮城県丸森町や福島県いわき市、長野市などでは、今も人手が必要な状況が続いている。
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 被災した現場の深刻な状況がよくわかる。
 このようなニュースがTVや新聞で報じられると、「被災地が深刻なボランティア不足に悩んでいるそうだ。だからと言って、ボランティアは自主的参加なはずだから、もっと来て欲しいというのはおかしい・・・」といった場違いの意見が投書欄などに掲載された。ネットでも行き交っているらしい。

 そもそも、国は有事の際に国民を守る義務がある。だから、ボランティアの不足が問題なのではなく、国や地方公共団体に労働力不足の責任がある、という趣旨の意見である。

 こんな意見に真面目に反論する気は無いが、自分で手を出さずに全てに「親方日の丸」に、すなわち国や自治体に頼ろうとする、最も嫌な意見の一つである。

 本来ならば住民同士が共助互助の気持ちで助け合うべきであるが、それでも人手は足りない。広域災害の時は難を免れた地域からの労働力に期待せざるを得ない。こんなことは自明の理である。また、国自治体の動きには一定の時間が必要であるが、被災地の住民には生活があり、被災直後から生活を立て直さなければならない。この時に最も力になるのは篤志家によるボランティア活動である。

 ボランティアが余るほど来るということは期待出来難い。
 ボランティア活動をしている人、被災した人たちがもっと人手が欲しい、と深刻に思っているはずである。この気持ちに偽りはないだろう。

 ボランティアを募る事自体には何の問題もない。それに対していろんな意見を発することはいいことだと思うが、非難誹謗の意見は「何もしない第三者」から発っせられることが多い。活動に手を染めた人は意見を述べるにしてももっと慎重、建設的意見になると思われる。

 そういう私は、まだ勤務があるし、高齢で作業に参加することはできない。だから、中央共同募金会を通じて台風19号被災地に義援金を送金する事しか出来ない。私の小さなボランティア活動である。


12/2(月)終日雨 健康クリニックドック 飯川病院
0:00起床、本読み。文献・新聞などPDF化。7:10バス飯川病院着。9:00-11:00健康クリニックドック。11:30飯川病院へ、微睡など。14:00-18:45勤務、入院患者、外来患者対応。15:30明日からの新コンピューターシステム稼動に備え中通病院に勉強に行く。19:30帰宅夕食、21:15就寝。歩数計Σ7420歩。ラジオ深夜便録音数篇聞く。

師走2019 (2)もう師走、毎日をもっとゆったりと過ごしたいものだ

 せき立てられるような、落ち着きのないこの師走、私はあまり好まない。この時期は節目として一年を振り返る時期でもある。

 人聞は、特に私は、自分中心主義であるから心の中に絶えず「歪み」、「毒」、「葛藤」が形成される。私どもは、いや、私は罪作りである。生きるために他の命を殺めることから逃れられられないし、生きるためにウソを重ねて社会に適合、他人に迎合せざるを得なかったから、心の中に常に他人に対しての「毒の感情」を発生させてきた。
 
 人には五欲があると言う。
 【食欲】、【財欲】、【色欲】、【名誉欲 】、【睡眠欲】。朝起きてから夜寝るまで、私もこの五欲に追い立てられている。私はどちらかと言うと根暗で無気力人間であったから「他人を蹴落としても自分が・・・」と言う発想は乏しいが、それでもやっぱり五欲から逃れられず、様々な悪行を重ねてきた、と思う。
 私も年齢を重ねて自らの業の深さに思い至り、自らの過去を反省し、「終わった人」と、自身を否定している。これ以上罪を重ねない様に社会、他人との間に距離を置いている。

 もう私には大きな目標はない。例外は、家内には一生付き合ってもらったとの感謝を込めて、良き人生を纏うしてもらいたい、と思っている。そのために、「寛容」・「忍耐」・「奉仕」に徹して支えたい。
 彼女は「つまらない人と一緒になったものだ・・」と時折言う。その通りかもしれないがいまさら何ともできない。また、ボランティアとして彼女の仕事を手伝っているが、評価は低い。「外来には出したくない、患者が減るから。病棟は任せられない、患者が死ぬから・・・」と手厳しい。花壇の世話は略合格か?滅多に運転もさせてもらえない。危ないから・・と全てに関して好き勝手な評価をぶつけてくる。その時の表情がとてもいい。私の「寛容」・「忍耐」・「奉仕」の気持ちが発揮されていることの証の一瞬である。もちろん私にもプライドが若干残っている。私は彼女が言うほどひどい、役立たずの人間ではない、と思っている。それが私を支えているが口には出さない。長年連れ添った間といえ、まだ駆け引きは必要である。

 人が暮らしていくうえで、モラルや常識の範囲がある。法律より広い。しかし、今、さまざまな場面で、人間社会の澗滑油というべきその守備範囲が狭まっているように思われてならない。言葉や態度に載せて外に逃がさねば生きていけない厄介な存在の人もいる。最近の日本はその様な自己中心の考え方が増えてきた様に思う。私の自己中心とはちょっと異なっている。

 不寛容の時代である


12/1(日)快晴午後曇り プリウスタイヤ交換  
3:00飯川病院起床、本読み、文献チェック、スクラップ化。7:00検食、9:15レガシーにて帰宅。入浴、スクラップ電子化、データ整理。12:00NHKニュース、のど自慢楽しむ。13:00-15:30プリタイヤ交換、物置整理、廃棄物多数。微睡。書斎整理、ストーブ超整初点火。BR美術館関連。19:00夕食、21:00就寝。歩数計Σ9055歩。

師走2019 (1)もう師走、毎日をもっとゆったりと過ごしたいものだ
 ついに師走となった。この月は多くの家で僧侶を家々に迎えて読経などの仏事を行ったため、師が東西に走り回るから師走と言った。年の暮れの往来の慌ただしさを絡めて、陽暦12月の異称として親しまれている。

 新年を迎えてからの時間、過ぎるのが早い。もう11ケ月も経過した。それだけ私自身が鈍くなって時間感覚がスローペースになっているからである。全部の動作が遅くなっている。これだとポール・ジャネの法則などの難しい論理を持って来なくとも時間の過ぎるのが早くなっていることは簡単に説明できる。

 「忙しい」の「忙」は「心を亡くすこと」と言われる。昔の人はよくぞ言ったものだ。よくぞふさわしい文字を創り上げたものだ。
 ここ数年、多忙から解放され、かなり自分を取り戻している。そうなると新しく見えてくる分野が広くなる。

 私は師走があまり好きでない。何かと慌ただしいからである。私は淡々と、かつ静かに過ごしたい。
 師走になると世の中が喧騒になってくる。
 通勤路にはイルミネーション、商店街がクリスマスセール、お歳暮セールと、目や耳にうるさい。お歳暮は今なら10%引きなどと世の中を煽っている。半ば親切、半ば脅迫である。私は中元や歳暮など、意味の無い物品のやり取りは嫌いである。嬉しさよりも心に傷つく。
 
 新聞ひらけば折り込み広告がうるさい。ラジオ、TVも同様、商店街も「ジングルベル」。これからますます市井が煩くなっていく。音楽雑誌をひらけば「第九」、「第九」の広告である。
 世の中が見えない力で踊らされている。
 近年加わったのがおせち料理の広告で、9月頃から始まっている。3け月あとのセールスなのに、示した通りのものが作れるのか?、と思いきや、この頃から作り始め、冷凍状態で注文を待つのだ、という。今の冷凍はコンピューター制御で一定の温度のプロセスで冷凍されるため、食品の旨みが失われないのだ、という。私も骨髄移植の分野でこの方法で細胞を生かしたまま冷凍する技術を応用していた。今は産業分野で冷凍技術は素晴らしく発展している。

 駅前、街中のイルミネーション、評判は良いようであるが私は嫌だ。冬の夜はモノクロ写真の雰囲気が似合うのにカラーの世界である。
 忘年会、今年は一回だけ飯川病院の会に出席する。付き合いとしてでなく、業務の一環として出席する。私にはアルコールも不要、忘年すべきことなどない。記憶力が乏しくなった昨今、忘年会しなくとも自然に忘れていく。

 人間には、濃密でない時間があってもいい。これからは時間を大切にすることは勿論であるが、お金で買えない、静かで豊かな時間の中に身を置くことが最高の贅沢になる。

 いつも似たような結論になるが、今年も元気で師走を迎えられての感想である。良かった良かった。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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