徒然日記
2019年10月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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10/31(木)朝曇り雨のち 午後飯川病院  
 0:40起床,新聞・文献チェックほかいつものごとし。11:00受診の家人に同乗飯川病院。14:00-18:50飯川病院。外来、入院患者対応。自炊文庫本8冊ほど。読書、19:10帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ5385歩。

日本の食文化の崩壊2019(15) 日本の漁業(2) 日本は漁業後進国
 我が国は漁業後進国の中に分類されるらしい。
 識者らはこの辺の事実をもっと声を大にして主張しなければならない。
 国民の中で漁業に関心を持っている人はどれだけいるのだろうか??

 日本は海洋大国である。政府は2008年「海洋立国」構想を打ち出した。日本が周辺の海を最大限生かせるよう、関係省庁が一丸となって取り組むことによって、他の主要先進国のように漁業か成長産業化し、補助金に頼らないどころか、税金を納める産業になれる可能性がある。

 しかし、実際は先進国どころか漁業は衰退の一途を辿っている。
 積年の管理なき漁獲の問題点は、日本の水産物市場が乱獲や違法に漁獲された水産物でも気にせず受け入れ取り込んできたことにある。
 小売店の店頭に程良いサイズの魚を並べるために、陰では多くの小型魚や混獲魚が無駄になっている。そのことが漁獲量低下に拍車をかけていることなどを消費者は知らない。

 水産物を含む輸入食品が潤沢に安価に入手できることに甘んじて対策が後手に回っている??それが漁業を衰退させている。少なくとも私には有効な対策がなされているされているようには見えない。

 我が国は漁業の先進国どころか、衰退の一途を辿っている。

 漁業衰退の原因は、水産庁の国内漁業での無策と海外漁業での失策だと言う。
 日本の無策が、いかに国内資源を枯渇させたか、日本の水産外交の失策でどれほどの海外権益が消失したか、国民の多くは知る由もない。

 昨年末、70年ぶりとなる改正漁業法が成立し、来年夏の施行を目指して準備が進められている。
 改正案が公表されて1週間後に国会審議入りした。これでは何ら意見を挟む間も無かった。方は決定的な審議も経ずに1力月足らずで成立した。 

 法改正のきつかけは、17年秋の政府の規制改革推進会議の議論だった。漁業者の高齢化や漁業生産量の低迷を背景に、養殖漁業への民間企業参入拡大、資源管理の見直しといった新自由主義的な内容が改正案に盛られた。
 短期利益を追求する企業参入が進めば、魚の値崩れや浜の混乱などの影響は避けられないのに、漁民や漁協の多くは今も法改正の内容を具体的には知らされていない。


10/30(水)快晴 当直明け 午後飯川病院ボランティア
 0:15飯川病院で起床,文献チェックなどいつものごとし。ラジオ深夜便聴きながら読書他。7:00朝の検食、10:00BookOff経由にて一度帰宅、入浴、自炊など。13:00サイド出勤、飯川病院ボランティア。15:30某クリニック院長、スタッフ来訪、病気からの復帰順調とのこと。データ整理、読書。19:10帰宅・夕食、21:30就寝。歩数計Σ5914歩。

日本の食文化の崩壊2019(14) 日本の漁業(1) 魚を食べ続けるのができるのか?
 最近の漁業に関するニュースを見ていると、不漁のニュースばかりで、このままで行くと我が国は水産資源物、すなわち魚を食べ続けるのができるのか? と不安になる。

 今年の漁業・水産ニュースの中で私のファイルにある漁業関連ニュースのうち、具体的に不漁が挙げられているのは、あいうえお順に並べると、「イカ」、「エゾアワビ」、「カツオ」、「サクラマス」、「サケ」、「サバ」、「サンマ」、「タラ」、「ハタハタ」、「フグ」、「マグロ」、「マダイ」、「ワカサギ」・・・・である。

 一部は私にとって高級過ぎて身近な魚ではないが、これらが総じて不良と言われると日本の漁業は今後どうなるのか、不安にもなる。実際に漁業は衰退の一途を辿っている。

 地方紙などを見ると、幼稚園の子供たちを使って各種の稚魚の放流のニュースは見られる。しかし、これらは地域のお遊び程度の活動でしかない。私から見て、日本の漁業政策の大きな視点での、持続可能な水産対策が欠けているように思える。だいたい、日常のニュースの中で農林水産省のトピックが出ることは極めて稀である。 
 
 識者らに言わせると、我が国は漁業後進国の中に分類されるらしい。
 識者らはこの辺の事実をもっと声を大にして主張しなければならない。
 国民の中で漁業に関心を持っている人はどれだけいるのだろうか??
 新聞や雑誌などを見るとグルメ関の記事が多い。日本人は食うこと、美食にしか興味がないのかな?、と思ってしまう。日本人の食を考える(1) 日本人は食べることにしか興味がないのか?

 日本は島国であり、日本の国土は狭い。だが、海洋まで展望すれば実に広い。管轄権の及ぶ領海と排他的経済水域(EEZ)、大陸棚を合わせた面積は世界で6番目で、そういう視点を持ち込むと超大国である。しかも、海底地形は変化に富み、豊かな生物資源にも恵まれている。
 水産物は昔から我が国の重要な食料資源であった。

 そんな我が国は国際的に見れば、漁業後進国などと言われたら耳を疑う。
 日本に欠けているのは、科学的根拠に基づく養殖計画と漁獲量設定である。 

 政府は2008年「海洋立国」構想を打ち出した。海洋資源の開発・利用、海上交通の安全確保、環境保全、科学的な探査、国民の理解増進、人材育成まで、その内容は12項目にわたっていた。日本が周辺の海を最大限生かせるよう、関係省庁が一丸となって取り組むことが肝要だ。しかし、水産物を含む輸入食品が潤沢に入手できることに甘んじて対策が後手に回っているのではないか??少なくとも私には見えない。
 国際的な視点も重要だ。日本のEEZは中国や韓国など七つの国・地域に接している。権益の主張が重複する海域もある。国連海洋法条約などの国際ルールに基づいて日本の権益を毅然として守らねばならない。


10/ 29(火)曇り夕方から雨 外来 飯川病院午後勤務+当直 
 0:00起床,文献チェックほかいつものごとし。家内勉強会のスライド最終稿作成。6:00可燃ゴミ提出、雨にて6:47バス飯川病院着。8:45-14:30中通外来。内容的に混雑、紹介状作成、疲弊。14:45飯川病院へ、勤務、入院患者対応。15:30微睡、17:00当直業務に、夕食、20:30就寝。歩数計Σ7245歩。

本 松本清張「闇に駆ける猟銃」 中公文庫 1095年 (「ミステリーの系譜」に含まれる)
 私は犯罪の社会的背景、犯罪心理学、死刑制度、警察検察、裁判等の報告書、ドキュメンタリー、関連小説などを読んできた。リストアップすれば優に100冊は超えるだろう。これもそのうちの1冊。
 津山事件は戦前1938年(昭和13年)5月未明に現・岡山県津山市加茂町行重の集落で発生した世界最大級の事件、日本の犯罪史上でも前代未聞の事件である。2時間余の間に死者31名に上った。

 この事件の詳細は、筑波 昭氏が「津山事件―日本犯罪史上空前の惨劇―-」にまとめ、松本清張氏が「闇に駆ける猟銃」を上梓している。事件の資料としては筆者の主観の介入が少なく、前者の方が優れている様な気がする。
 後者が本書で、中公文庫文庫『ミステリーの系譜』の中に収められている。大正、昭和史に残る犯罪実話、「闇に駆ける猟銃」、「肉鍋を食う女」、「二人の真犯人」の3篇が収められている。

 松本清張氏の事件に関する記述は時系列に沿った文体なので分かり易い。
 調書・裁判資料・警察官取材など緻密な資料集めと分析、怜悧な資料解析はさすが。淡々とした文章の中に、胸に迫る真実が濃縮されている。綿密な取材を通して表されるリアリズムは、一部に虚構や主観が含まれているとはいえ、これはまとめ上げるために必要な著者の推論や主観であって、読むものに救いを与える。人物の息遣いが感じられるほど真に迫った表現になっている。

 松本清張氏は犯人の生い立ちから事件の背景を分析している。犯人の性格はいわゆるネクラタイプで、対人関係が苦手だった。犯人は健康上の問題で深く悩み、本人の被害妄想、自意識過剰から来るもののようで、医学的にはさほどのことはなかったようだ。学業は優秀で、容姿も悪くなく、むしろ色白の美青年だったようだ。犯人に前科があるわけでもない。

 このようにどこにでもいそうな、平凡でありふれた青年が何故これほどの大惨事を引き起こしたのか、に注目して論旨を展開している。
 犯人はかなり頭脳明晰な様だ。2年ほどかけて着実に準備をしている。襲うべき住居を調べ上げ、施錠されているのか、どこに誰が寝ているのか、などまで。また誰かが警察に通報した際には、警察が何分で駆けつけるのかなど計算し、犯行時間は実質2時間しかない、と割り出している。

 一度警察の捜索を受けて銃器などが押収されているが、その日のうちから次の準備を始めている執念深さがのぞく。

 犯行の前に2通の遺書をしたためている。記述内容はしっかりしている。
 犯行の日、村に入る電線、電話線を切断、村を光のない孤立状態にしてから犯行に臨む。最初の数人は斧や日本刀などで殺害している。銃声が聞かれれば次の犯行に支障が出るとの配慮である。その後は銃で次々と殺戮を繰り返す。その現場の記述は真に迫る。

 犯行終了後に自分の胸を打ち自殺するが、その直前にも姉宛の遺書を認めている。文章もしっかりしているのが驚きである。

 松本清張氏の卓越した記述力が発揮された作品である。社会の闇を鋭く切り裂く氏の視点を十分に堪能できるノンフィクション作品である。


10/28(月) 快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:00起床。録音データ、画像データ整理、歴史本を読む。家内の勉強会資料作成に協力。6:47バス飯川病院、9:00-11:45健康クリニックドック。14名、結果説明1名、12:00飯川病院、14:00-19:00勤務。19:00帰宅、夕食。21:00就寝。歩数計6391歩。

本 津山事件 日本犯罪史上空前の惨劇 筑波 昭著 新潮文庫 2005年

 私は猟奇的な趣味はないが、犯罪の社会的背景、犯罪心理学、死刑制度、警察検察、裁判等に興味があって入手できるいろいろな報告書、作家によるドキュメンタリー、関連小説などを集めて読んできた。リストアップすれば優に100冊は超えるだろう。
 
 本書にある津山事件は戦前1938年(昭和13年)5月未明に現・岡山県津山市加茂町行重の集落で発生した。2時間足らずで30名(本人を含めると31名)死亡、3名が重軽傷を負った。当時としては世界最大級の殺人事件であった。犠牲者数が27名のオウム真理教事件も上回る、日本の犯罪史上前代未聞の事件であった。
 本年の京アニ事件は死者36人で、この事件を上回った。

 この事件をヒントに作家の横溝正史が「八つ墓村」を、松本清張が「闇に駆ける猟銃」を上梓している。

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 犯人の青年は犯行21歳。2歳のときに父を、3歳のときに母を肺結核で亡くし祖母が後見人となって育てられた。成績は優秀だったが次第に家に引きこもるようになり、同年代の人間と関わることはなかった。
 一方で、子供向けに自信が作り直した小説を近所の子供達に読み聞かせて、彼らの人気を博していた。さらに、近隣の女性達とこの地域での風習でもあった夜這いなどの形で関係を持つようになっていた。
 徴兵検査不合格と、不治の病という二重のショックで、失意のどん底にたたき落とされ、性的異常素行などで村では完全に孤立状態となった。

 その一方で、自分を拒否した女性達に憎しみをいだき、特に自分と関係を持ちながらも、別の男と結婚した二人の女性には、とりわけ強い殺意を持つようになっていた。

 やがていつの頃からか銃や刃物を集め、来たるべき日に備えて、山奥で射撃の練習した。
 実行の3日前、犯人は遺書を残している。自分の悪口を言って歩いた何人かの女性の名前をあげて、「復讐のために殺す」という内容などが書かれてあった。

 反抗の日、夕方に村の送電線と電話線を切断。当時は強風などで停電が珍しくなかったために誰も怪しむ者は無かった。
 深夜、彼は鉈を手に、まず眠りについていた祖母の首を斬り落とす。事件後に悲しい思いをさせたくなかったからと自殺直前の遺書に認めてあった。

 次いで、詰襟の学生服を着込み足にはゲートル、頭には2本の懐中電灯を括り付け夜中の村へ出た。

 隣家で老婆とその娘を日本刀で刺殺。次は、かつて夜這い相手だった人妻の家に忍び込み下腹部へ散弾を打ち込んだ。夫も幼い娘も即座に射殺。

 深夜1時から、わずか2時間足らずで30人の村人を殺害した犯人は、村はずれの家を訪ね、紙と鉛筆を所望し、山の高台に上り姉に宛てた遺書を書き記した後、猟銃を自分に向け、その引き金を引いた。

 自殺直前に書いた遺書には、「村人の余所者へ対する差別」、「結核患者への差別」、そして夜這いなどの「村の悪しき因習」について記されていた。

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 犯人の遺書はしっかりした内容で異常性はそれほど感じられない。それがために、凶暴性、偏執性、凶行のすべてが、一層おそろしい。
 30人殺しの方法や内容は生々しく、背筋が凍る思いがする。
 彼を追い詰めたのはなんであったのか。犯人を含め多くが死亡しているために推定しかない。

 関係者によっていろいろ取りざたされた。多くは、父母愛の欠乏、爛れた性、部落の因習、疎外感孤立感などが挙げられるが、あくまでも一因でしかなかろう。


10/27(日)曇りのち晴れ 次男宅完成ミニ祝賀会
1:00起床。録音データ整理、書類整理、自炊数冊。午前は家内の講義「クロストリディオイデス・ディフィシール」準備手伝い。自炊数冊、NHKのど自慢は湯沢市。ディバッグ 修理、民芸品の竹かご修理。15:30次男宅完成ミニ祝賀会、18:45帰宅、20:30就寝。歩数計7772歩。

私のジェンダー論(7) 性同一性障害を抱える人々の社会的困難
 従来、我が国の戸籍法では一欄登録されると性別の変更は不可能せあった。今までは人年には男性と女性しかいなかったからである。しかしながら、近年、性別は男女2大別されるような単純なものではなく、その間に色々な多様性があることがわかってきた。

 医学的にも性同一性障害に対して、ホルモン投与や性別適合手術を用いて、当事者のジェンダー・アイデンティティに合わせて社会適応させることが可能となってきた。
 しかし、戸籍上の性別が変更できない状態では、外見と性別記載が食い違っているために本人確認に問題を生じ、また差別を受けることもあった。

 2003年7月「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」が可決された。この法律は高齢の男性議員の無理解もあって成立までに紆余曲折した。その経緯を読むと面白い。国会議員はいかに偏見と差別観に満たされた異常集団であるか知ることができる。よく成立したものだと思う。国会は「老害・男害」に満ち溢れている。この面からも、早く女性が力をつけて男性中心社会に切り込み、活躍できる時代が到来することが望まれる。

 この法により、性同一性障害者のうち特定の要件を満たす者につき、家庭裁判所の審判により、法令上の性別と、戸籍上の性別記載を変更できる様になった。

 法令上の性別と、戸籍上の性別記載を変更する要件として以下の要件が求められる。
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 ■1 20歳以上であること。
 ■2 現に婚姻をしていないこと。
 ■3 現に未成年の子がいないこと。
 ■4 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にある。
 ■5 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 大きな進展だとは思うのだが、当事者からは、■性別を変えるには離婚しなければならないのか? ■同性婚が許されない状況にしたのではないか?■子を持つものは性別原稿を諦めなくてはならないのか?■手術を受けるよう勧奨する法律ではないのか?■・・・
などの反発が聞かれる。

 欧米では男女の夫婦として結婚して後に同性婚となったケース、子を持つ夫婦ながら同性婚と認められたケースなどが報告されている。

 性の世界は複雑で、改めて驚かされる。


10/26(土)曇りのち晴れ 孫の学芸会 自炊多数と庭掃除
0:30起床、新聞文献チェック。文献その他整理、廃棄。家内のミニ講義のための原稿作り。8:30広面小学校に家内送る。午前は座学中心、自炊多数。14:00-16:30庭掃除、枝は、根の廃棄。その後はN響定期公演、:ポーランドの音楽を視聴。19:00夕食、21:30就寝。 歩数計12100歩。

私のジェンダー論(6) 用語の整理(2) インターセックス 半陰陽 他
 ジェンダー関連の用語はいろいろあって難しい。学術的文献、新聞や小説を読む際にも混乱する。
 
 今まで勉強した用語は以下。
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(1)セックス ジェンダー セクシュアリティー私のジェンダー論(5) 用語の整理(1) セックス ジェンダー セクシュアリティー


(2)セクシー セクシャル トランスジェンダー LGBT セクシャルアイデンティティ ジェンダーアイデンティティ セクシャルマイノリティ
私のジェンダー論(6) 用語の整理(2)セクシー・セクシャル・トランスジェンダー・LGBT
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インターセックスは「中間的な性」。日本語では「半陰陽」が近い。

 ■ 男性仮性半陰陽、精巣持ちながら女性的外見や外性器外見
 ■ 女性仮性半陰陽 卵巣持ちながら男性的外見や外性器外見
 ■ 真性半陰陽 卵巣も精巣も持つ


同性愛の差別の撤廃、権利拡大運動を通じての性の用語
 
 ■ ホモファイル運動 同性愛の解放運動 理解と同化を目的にする運動。キーワードは啓蒙教育同化。
 ■ ラディカル・ゲイ解放運動 自らの性的アイデンティティを公の場で肯定社会の多数派に溶け込見ながら自らを少数派としてきて性差別の撤廃をもとめる。キーワードは、文化的マイノリティ、カミングアウト、連隊。
 ■ ゲイライツ運動 同性愛者の権利拡大を求める運動。キーワードは権利拡大。

医療との関わりで定義されるトランスジェンダー、TS、TG、TV。

 自分の生物学的性別に違和感を持ち、その枠を越えようとする人々がいる。こうした人々を広い意味でトランスジェンダーと呼ぶ。
 ■トランスセクシャル(TS) 性別適合手術を必要とする人々。
 ■トランスヴェスタイト(TG) 異性の服装を見にまとうことで性別違和を解消しようとする人々。
 ■トランスジェンダリズム(TG) 必ずしも医療を必要としないと主張する人々。これが狭義のトランスジェンダーにあたる。

同性間のパートナーシップからの分類

 男性と女性の格差は互いのコミュニティ間の格差としてより著明に現れる傾向がある。一般に女性同士のカップルは生活が苦しい傾向にある。
 ■ゲイ・コミュニティ
 ■レズビアン・コミュニティ

 まだまだ続く予定。


10/25(金)早朝雨朝より晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
12:50起床、新聞文献チェック。文献その他整理、5:30可燃ごみ処理提出。7:35Taxi秋田駅東口8:11こまち大曲、9:10-12:00外来。往徒歩。患者からりんご頂く、重い。Taxiにて駅に、こまち古川駅近辺で不審物??安全確認で50分ほど遅れ、駅前の喫茶で軽食とコーヒー。秋田もTaxi14:30飯川病院ボランティア、第一生命スタッフ来訪。19:30途中Book-off経由帰宅、夕食、21:30就寝。 歩数計9538歩。

台風15号(2)、台風19号(3) 台風21号(4) 最近の降雨状況、過去の経験は役立たない
 地球の温暖化の関連だろう、ここ数10年気候の変動が大きくなった。雨の降り方や気温の上がり方が極端になつてきたと感じている。今回の連続した台風など、多くの死者不明者が出ている豪雨は、激しさを増す。近年の気象と災害の怖さを改めて見せつけた。豪雨だけではない。猛暑、竜巻、大雪なども珍しくなくなつてきた。

 このような異常気象にどう向き合えばいいか。

 今回のような台風がこれからも頻繁に襲来する可能性が高い。低気圧とともに局所的なゲリラ豪雨なども増えている。観測データからもその傾向は明らかで、今後も激甚化が予測されている。
 異常気象多発時代に入っている。

 ゆえに、過去の経験から「自分は知識も経験もあるから大丈夫だろう」という思い込みは通用しないこと認識することが大事である。「自然環境は変わった」と認識し、国自治体では従来の治水や安全対策を見直し、ハザードマップ等で住民に周知を図り、住民は自分たちの行動を変えてく必要がある。

 災害から命を守るためには、災害を「どこか遠くの出来事ではなく、我が事化が肝要」といわれる。報じられる遠方の被害が自分にいつ降りかかってもおかしくない時代になったのだ、という認識をもつことである。
 かつて豪雨と言えば西日本というイメージがあつたが、近年は東北や北海道でも見舞われている。被災地域や時期は確実に広かつており、いつ、どこで起きても不思議ではない。
 ただ、そうした変化に住民たちの意識か追い付いていない。

 そのためには大手メディア、気象庁のサイト、都道府県などが提供する情報等、さまざまなソースから情報を取得する習慣を、住民一人ひとりがもつことであろう。

 一方で、「情報だけでは人は動かない」とも言われる。自分だけは大丈夫と考える「正常性バイアス」と呼ぱれる心理が働く。通常は心理的安息感を生むが、災害時にはこれが悪さして避難や初動の遅れにもつながる。 

 近年頻発している土砂崩れは、長い歳月をかけその地域の気候に適応してきた地形が、近年の雨量には耐えられなくなっている、ということを示す。従来、安全だと思われてきた場所がそうとは言い切れなくなってきた。
 そのような地形の近くに居住する人は過去にこだわらず前向きに安全対策をすべきである。もちろん、個人レベルではできない。とりあえずは公的避難所の利用である。


10/24(木)快晴 午後飯川病院 台風21号接近
 0:00起床,新聞・文献チェックほか。家内のミニ講演準備でスライド作り。12:12バスと徒歩飯川病院、14:00-18:20飯川病院勤務。外来患者、入院患者対応、文献読み、データ集計。19:10帰宅、夕食、20:45就寝。歩数計Σ7420歩。

台風15号(1)、台風19号(3) 台風21号 河川の状況を見に行く心理
 今年最強クラスの勢力をもつ台風19号が関東に上陸、その後太平洋沿岸をかすめて去った。

 千葉県などに被害をもたらした15号の直撃から1カ月しか経っていない。地元では住宅の復旧もまだだったのに、また次のが来た。10月13-14日に台風19号は15号を上回る被害を広域に及ぼした。千葉県の被害はまたも甚大であった。私も群馬県に出かける予定をキャンセルし、ダリアの保護に集中した。

 更に、明日25日は台風21号関連の集中豪雨が千葉・茨城・福島県などの各県下で予想されている。最近の気候情報は結構正確である。該当する自治体やライフラインに関係する企業・施設は、情報の把握、適切な人員配置を考えてほしい。

 住民の危険回避活動も検証が必要であろう。

 その中で、「外の様子を見に行く」、「川の様子を見に行く」、「田んぼの様子を見に行く」、と言って被災される方も後を絶たない。批判されやすいが、私はその心情がわかるような気がする。

 私は岩手県の片田舎で育った。
 その地域の北上川は子供達の遊び場、釣り場であった。
 北上川は天候や降雨の影響を受けて毎回様子が違っていた。気軽に渡れる場所も渡れなくなる、流れが急になると膝下程度の推進でも足を取られて危険など、子供なりに安全と危険について色々経験した。また、雨が続くと氾濫し、周囲の田畑が水没した。この北上川の変化を知っていることは自分たちの危険防止にも役立った。

 小学4-5年生の頃だろうか、上流で小学生が船遊びをしていて流され、数人死亡、行方不明一人出たことがある。
 事件から2ヶ月後頃、私はいつもの如く数人で北上川辺りで遊んでいた。
 当時の川には稀ながら子ブタの死体、イヌ・ネコの死体も流れて来たり、川べりの潅木の間に引っかかっていることもあった。決していいものではないが慣れた光景であった。ある時、そこに人間の頭部らしきものが見え、一部学生服も見えた。頭部はほとんど白骨化していた。この死体発見の経験のショックは大きく水の危険を認識した。

 台風の接近や大雨などは子どもにとっては何かがおこるのでは??、と期待して興奮したものである。私も北上川が大きく氾濫するたびに様子をみにいった。

 「様子を見に行く」といっても、どのような様子になっているのか知りたくなり、出かけてしまうケース。もうひとつは田畑の耕作者が状況を知りたくて外出せざるを得ないケースがあるだろう。

 前者の行動はリスクを過小評価しているから危険である。
 後者の「田畑が心配で」、と様子が気になる、という心情を責めることはできない。居てもたってもいられなく体が動いてしまうのだろう。このような場合、安全について正常な判断がしづらくなる。


10/23(水)快晴 終日 院長受診のため午前から飯川病院ボランティア+勤務
 0:30起床,文献チェックほかいつものごとし。8:46バス予定していたがネコ構っていて遅れ、レガシーで飯川病院に。終日ボランティア+勤務。検食、外来・入院患者対応。
データ整理、読書。19:10帰宅・夕食、21:30就寝。歩数計Σ8314歩。

家庭菜園・園芸2019(9) 我が家の庭の味覚(2) 柿
 秋である。味覚の秋。

 今年の園芸の中では嬉しいことに、リンゴ、モモが多数の実をつけたこと。リンゴは毎週何ケかもぎ取って食べている。市販品では得られない新鮮な硬さと渋さ、甘さがあってとても美味しい。

 いま熟しはじめたのは柿である。リンゴ、モモと同様無農薬無肥料であるが、陽の光を十分に浴びていい色調になっている。
 
 (果実の重さでしなっている枝。今春大幅に剪定したので収穫量は減ったが我が家には十分)


 (軒下に吊るされた柿) 

 先週あたりから柿を細い枝ごと切り取っている。一割程度は鳥たちのために残してある。カラスが来れば多少がっかりするが、彼らも必死で生きている。食べてくれればそれなりに嬉しい。

 渋柿なので、樽に入れて焼酎で渋抜きが半分、干し柿に半分作った。前者は1週間ほどで食べられるようになる予定。楽しみである。後者はひと月ほどかかる予定。これも楽しみである。

 渋柿は果肉細胞に含まれる可溶性タンニンが舌の上で溶けだすためと言われている。渋抜きは、可溶性タンニンを不溶性タンニンにすれば良い。

 渋抜きは、干してもいいが、焼酎などの高濃度のアルコール飲料などを使ってやるやり方が一般的。固形エチルアルコールを使用した棒状の渋抜き材も市販されている。我が家では焼酎を用いている。
 ドライアイスで二酸化炭素責めにする方法もある。


10/22(火)「即位礼正殿の儀」休日 降雨曇天 書斎片付け 
1:10起床,文献チェックほかいつものごとし。5:00可燃ゴミ提出、終日書斎にこもる、整理終活など。オーディオ回路改良。録画しておいたN響定期公演、読売日本交響楽団定期演奏会、題名のない音楽会など数回分視聴。ディバッグの底抜けを修理。細い針金で縫い上げた。あとは革で再度補強を試みる。19:00夕食、21:00就寝。歩数計Σ6139歩。

ディバッグ論議(3) 私はなぜこんなに転ぶのか??
私はよく転ぶ。大きな怪我はしたことはないが背中のディバッグ に助けられてきた。10年近く使っている品でボロボロであるが、とても引退させられない。感謝を込めて修理している。

 
 (愛用のボロ・ディバッグ 。抜けた底を針金で縫い合わせ、数カ所革のパッチで補強している。安全のために反射板2ケつけている)

 私はなぜこんなに転ぶのか??年齢因子は否定出来ないが、意欲の低下による運動不足、視力低下、バランス感覚の衰え、筋力低下、すり足など関連しているようだ。あと、脳梗塞の既往を考えると脳機能も衰えているのだろう。スリッパも一因か??

 よく人は足から弱るといわれる。
 確かに私の歩き方を見ると、歩幅が狭く、すり足歩行になっている様である。だから、速さも遅くなり、かつ転びやすくなる。多分背中が丸まっている。多分歩く姿勢も悪いだろう。

 私は病院の階段等を歩いているときに後ろにスタッフの気配を感じたときには,脇にそれてやり過ごす。私は前を歩いている知人を追い越すのも嫌であるが、それ以上に人に後ろから近づかれるのが嫌である。それでやり過ごす。
 それにしても歩くスピードが落ちたものだ。歩くのが遅くなってきているのは動作が緩慢になってきているためであろう。

 すり足になる原因は腰部、大腿、前脛の前の筋が後ろ側の筋に比較して萎縮し易く、下肢の挙上が不足するからとされている。これは、特に階段を上る時に問題となるが、平地では数mm程度の段差でもつまずく。段差がない時にもつまづく。下肢の筋力が不足するとバランスを崩したときの対応が出来ず転倒することになる。

 スリッパ履きだと歩行時の蹴りが弱いほか、脱げないようにどうしてもすり足歩行になる。それがすっかり私の身についてしまっていた、と言うことである。
 このつまずき、転倒は、日常的に,無意識に歩いているときに生じやすい。だから、歩く時、階段を上る時などには意識してやや大股に、しっかりと地面を蹴るように気をつけている。

 私は最近運動不足である。体調が今ひとつなので徒歩通勤は休んでいる。それに意欲の減退なのかエレベーターに乗ることも増えている。よくない傾向である。

 徐々にではあるが、私の歩行の変化は、以下のように退化傾向にあるようだ。原因は不明。要するに老化。
................................................................................................................
■ 歩調が遅い。
■ 小刻みで、歩幅が狭くなる。
■ 下肢を左右に広げて歩く。
■ 両足が地面についている時間が長い。
■ すり足で歩く。
■ 腕の振りが小さくなる。
■ などなど
................................................................................................................

 転倒を防ぐため、この逆を行くように「転びにくい歩き方」を心掛けている。
 「胸を張って前を向き、腕を振り、足先でしっかり地面をけってかかとから着地する」。視力も悪くなったから視線が足元に落ちる。階段のヘリが特に見え難句降りる際に緊張する。ディバッグ はしっかり背負い両腕をあけ、手を振る。

 さ、効果はどうだろうか?


10/21(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院
1:30起床、文献新聞他チェック。この時間からだと余裕あり。6:47バス飯川病院、9:00-11:00健康クリニックドック。11:15飯川病院、14:00-19:00勤務、入院患者対応。Blu-rayながら視聴:「このままではなくなる、大学・漁業など」。歩数計Σ6417歩。19:30帰宅・夕食、21:00就寝。6417洗面所の蛇口専門業者にて修理解決。

ディバッグ論議(2) 背負ったディバッグに何度も助けられた
 今まで何度か激しく転倒したが、今までのところ大事に至っていない。
 私のこの小文に検索をかけた所38件抽出された。私がいかに転倒しやすいか、転倒に関心あるのか、予防策を考えているのかが分かる結果である。

 転倒時に私を守ってくれたのが今用いているディバッグ。
 2013年、賄いのおばさんから1000円で譲り受けた品。1日も欠かさず持ち歩いているが、これを背負っていなければどんなにひどい怪我をしていたのか、思いだすとゾッとする。

 ディバッグには、iPhone、iPad pro、Hard diskなどの電子機器、時にはパソコンとこれらを守る緩衝袋、切り抜き用の日刊紙が3紙、その他に雨傘等を入れてあり、結構重量があり、格好悪く膨らんでいる。

 これらが転倒時にクッションとなり衝撃を緩衝してくれた。

 ディバッグは布製でもうボロボロになり、ところどころに穴も開いている。補修しながら使い続けて来たが、先日ついに底が抜けて大きな穴が空いた。中身を失うなどの実害はなかった。
 まだ使い続けるのかと呆れられているが、私にとっては大事な品で当然である。とりあえず細い針金で底を縫い上げた。今後古い牛革を貼り付け底全体を内側から補強する。

 ここ数年間の転倒とディバッグが怪我防止にいかに役立ったか思い出してみた。

 ■1 2013年10月9日6:30am、自転車で通勤途上、手形陸橋付近の交差点で対向してきた高校生の自転車と接触した。私の方はかなりスピードが出ており、10mほど走って歩車道を分けているブロックに前輪を引っ掛けて舗道側に転倒、左側半身を強打した。高校生には怪我はなかった。高校生の所持品の中にライター、タバコがあり拾ってあげたらいつの間にかいなくなった。
 私も体表上には怪我がなかったが、一週間ほど激しい警部痛、左胸痛に悩まされた。ヘルメットとディバッグが衝撃を吸収してくれた。

 ■2 2013年12月3日7:20am、徒歩で病院に向かっている途中、千秋公園下の、板敷きの歩道で両足が同時に滑ったために身体が浮き、仰向けに転倒、臀部と背部を強打した。四肢は通常に動いた。この時の衝撃も背負っていたディバッグが吸収してくれた。

 ■3 2015年8月16日9;30am、花巻温泉郷志戸平温泉近郊の「薄衣の滝」を見に行き、濡れた石に足を取られ右背面を下にして石の河原に落下、右側頭部と右側腹部、臀部を強打した。
 落ちていく最中、最悪の事態も覚悟した。右上半身は頭部からの出血で真っ赤に染まっていた。意外にも四肢は無事動いた。200mほど歩き下山、救急病院受診した。頭蓋内出血はなかったが、のちに腰部臀部が腫脹し始めた。深部の出血のためで結構危険な状態であった。ディバッグにはミニ旅行中に読もうと書籍が数冊入っていて転倒の衝撃を大幅に和らげてくれた。ディバッグには1-2か所新たに穴が開き、表面は血だらけであった。

 ■4 その他。2015年以降も積雪凍結期には冬から春までの間、凍結した雪に足を取られ、毎期3-4回後ろ向きに転倒した。これらの時、背負ったディバッグが衝撃を和らげてくれ、いずれも大事に至らなかった。この転倒から防寒靴の滑り防止機能はあてにならないと悟り、2017年以降は脱着式のスパイクを用いている。それでも油断すると滑る。

 私の頻回の転倒は老化が濃厚に関連していると思われる。


10/20(日)快晴 飯川病院日直 蛇口故障
1:00起床。資料、種々こなす。8:42バス飯川病院に。9:30-17:00日直。入院患者は落ち着いている。新聞切り抜き他多数、読書。13:25-14:00微酔。書籍自炊。19:30帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ7410歩。夜洗面所の瀬水道蛇口故障、水止まらず、応急処置。

ディバッグ論議(1) 時には前に抱えるのがいい
 近頃、背にはディバッグ、手にはキャリーバッグを引いて移動する方がめっきり増えた。両手あるいは片手が自由になるから便利活安全である。

 都会の電車などでは多くの人がディバッグを背中にではなく胸に抱えている写真が目につくようになった。車内放送でも背中の荷物が互いの迷感にならないようにと呼びかけている、という。

 JR山手線などの満員電車の中では、背中に出つ張るディバッグは立っていてもスペースを広く占拠し、ディバッグを背負った人が動くたびに周りの人々に色々迷惑をかける。周りの人たちは不快そうな表情しているが当人は気がついていないようである。両手が自由になるから便利であるが、これを背負ったままでは狭い航空機の通路などでは他の方に迷惑になる。最小限、手に持って移動すべきである。

 もう一つの対策として、ディバッグを胸の方に抱えればいい。
 このことは、私は前から実行していることで、とてもいいと思っている。

 私は東京に出て混雑に遭遇したとき、飛行機内の狭い通路を進む時など20年も前から実行していた。見た目には格好悪く見えるのだろう、子供にじっと見られることもあった。

 かつて、お母さんたちは赤ん坊を背負っていたが、今は多くの方々は胸に抱えている。見慣れてしまえば赤ん坊とのコミュニケーションのためにも、安全のためにも良いと思うし、胸に抱えた若いお母さんの姿は背中に背負うよりもほほえましくもある。背負った姿は前かがみとなり格好が悪いし、苦しそうに見える。

 私が何故ディバッグを胸にかけるかというと、そのはじまりは雨の日の水濡れ防止の工夫からである。
 私は常に軽く小さな折りたたみ傘を持っている。小さいサイズなので下半身はずぶ濡れになる。どうしても背のディバッグは傘の水滴もかかって雨で濡れる。その状況の把握もできない。

 私のディバッグには、パソコン、iPhone、Hard diskのほか、新聞や書類、書籍も入っていてこれらは水分を嫌う。試しにディバッグを前に抱えてみると水濡れ防止効果は明らかに有用であった。

 前に抱えれば、混雑した車内などでは、他人の邪魔にならない、席が空けば肩から降ろさずにそのまま座れるというメリットもある。

 私は今は頻繁にバス通勤している。私が利用するバスはそれほど混むことがないから、多くの場合そこまで考える必要はないのが嬉しい。 1


0/ 19(土)早朝から降雨 座学、書籍の自炊中心
 1:00起床、新聞・文献、徒然、その他、ゆったりと。貴重な週末。午前・午後ともに座学。データ整理。微睡後、読書。夕方次男の余った家具届く。借家は本日引き払った、という。昨年書斎のストーブ設定初点火。19:00夕食、21:00就寝。歩数計4775歩。

本 木村盛武著 「慟哭の谷」文春文庫 2015年
 日本で起こったクマによる襲撃事件として、10件ほどの報告がある。
・三毛別羆事件、?・石狩沼田幌新事件、?・札幌丘珠事件、?・福岡大学ワンダーフォーゲル同好会羆襲撃事件、・秋田八幡平クマ牧場事件、・十和利山熊襲撃事件 など。

 ヒグマによる襲撃事件は1915年(大正4)の「三毛別(さんけべつ)ヒグマ事件」が有名。
 この「三毛別ヒグマ事件」は吉村昭著「羆嵐」(1982年)、同「ひぐま」(1985年)に詳しい。

 本書「慟哭の谷」の著者は長く林務官を務められた方。長い間資料を集められた集大成の一冊。
「三毛別ヒグマ事件」を別の視点から追ったドキュメンタリーで2015年に出版された。

 本書の内容は以下のごとくである。
―――――――――――――――――――――――――――
    はじめに          
第一部 慟哭の苫前三毛別事件
    第一章 惨劇の暮明け     
    第二章 通夜の亡霊      
    第三章 人討伐隊      
    第四章 魔獣の最期     
    第五章 史じ最悪の惨劇を検証する 

第二部 クマとの遭遇
    第一章 北千島の人食いヒグマ事件と私 
    第二章 ヒグマとの対峙      
    第三章 ヒグマが人を襲うとき   
    おわりに          
    解説 増田俊也        
―――――――――――――――――――――――――――

 本書の前半は苫前三毛別事件の詳細で、私は三作目にあたるがどれも必見の値がある。ここでは繰り返さない。

 本書は他の事件も扱っているので私にとっては後半が持つ価値も大きい。
 ■ 居相川国有林内の事件1938(昭和13年)
 ■ 林務官としての自身の体験
 ■ 写真家星野道夫氏事件1996(平成8年)の詳述。
 ■ 林務官の殉職1925(大正14年)の詳述。
 ■ レンブ山大松寺ヒグマ事件1934(昭和9年)の詳述。
 ■ 福岡大学ワンゲル部員日高山系遭難事件1970(昭和45年)の詳述。
 ■ その他

 著者は事件から次の教訓を得た、という。 
01 ばったり出会った場合 とつさに襲われることがある
02 満腹の時でも人畜を襲い 食害することがある
03 餌の豊富な場所にはヒグマも集まりやすい
04 ヒグマは何かに熱中している場合、かなり接近しても気付かないことがある
05 食い残しがあれば人間が接近しても 遠くまで逃げない
06 殺害後 被服 体毛のすべてを剥ぎ取る習性がある
07 殺害から食害までに二 三十分もかからない
08 食害の最もひどいのは 顔面 下腹部 肛門周囲などである
09 血液が遺体やその付近にまつたく認められない。吸飲したものと考えられる
10 ハイマツ地帯に逃げ込んだヒグマは追跡が不可能である
11 ヒグマの餌場深く侵入してはならない
12 至近で大声を出し人間がいることを知らせてもヒグマは逃げない場合がある

 ヒグマに襲われないためには、居住区、餌場には近寄らないことしかないようだ。


10/18(金)快晴 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:30起床、新聞チェック他。歴史関連本読み、5:00可燃ゴミ出し。7:35Taxi駅、8:11こまち、大曲曇り。8:50-12:00大曲中通病院外来。駅病院間往復徒歩。帰路の新幹線20分遅れ、14:00-18:45飯川病院ボランティア、入院外来対応。19:00Taxi帰宅・夕食、20:30就寝。歩数計Σ12628歩。

本 「羆」 吉村 昭著 新潮社 1985

 
 (本書もすでに書棚にあった。購入した時期は忘れた。今回取り出して自炊しながら読んだ。)

 動物もの短編5編を収録した短編集。
本書で取り上げた動物は、■ 羆(ヒグマ)、■ 蘭鋳(ランチュウ)、■ 軍鶏(シャモ)、■ 鳩(レース鳩)、■ ハタハタ

 ヒグマ、 ハタハタについては実話を基に脚色したノンフィクションノベル。他はフィクションであろう。
 5つの作品はいずれもストーリー性が強く、思いがけない展開・結末も用意されている。

 作品に登場する動物が私に与えたインパクトは大きい。氏の卓越した描写力によって描かれた動物達の姿が見事。
 動物と人間の関係において、もの悲しさ、切なさが残る。

 私にとってこの本はとても身近である。

 比較的好きな動物であるクマ、蘭鋳は経験ないが熱帯魚・金魚・コイの飼育歴も長かったし、それ以上に飼育歴が長かった伝書鳩 、秋田の漁業にとって欠くことのできないハタハタ漁の話題。
 これだけ揃っていれば、私にとっては重要な文献にもなりうる。

 ■ ヒグマは国際的にも大きな「三毛別ヒグマ事件」に際し、巨大な羆を仕留めた老猟師の若い頃の話。自分が育てたヒグマによって妻が殺されたが、そのヒグマに対しては愛憎交々。そのヒグマを追い詰め撃ち殺す。その心情描写がすごい。

 ■ 観賞用に飼育される蘭鋳。その飼育は極めて難しい。蘭鋳飼育の技術的困難さが良く書かれており、物語としても、なかなかのものと思われる。飼い主の夫婦関係と精神状態の影響をもろに受け、深い傷心の夫が世話を放棄、蘭鋳は死にいたる。

 ■ 戦うために鍛えられた軍鶏。これは私の趣味ではない。

 ■ 数100羽のレース鳩を飼育する男女二人の関係が語られる。800−1000Kmレースのたびにエントリーした鳩の8-9割が失われる厳しい状況の中、帰巣を待つ主人公の心理が巧みに表現されている。私はせいぜい20羽程度の飼育と数回の200Kmレベルのレースの経験しかないが、帰巣を今か今かと待つ飼い主の心情が筆者によって見事に描かれる。毎日空を見上げていたその頃の生活が思い出される。
 ある鳩の思い出

 ■ ハタハタは冬の日本海、海が荒れた時に産卵のために接岸するが、その海岸はどこであるかは予想困難である。その漁は危険きわまるものである。荒れた海の表現、その中に船を出す漁師、その表現は迫力がある。かつては猟師が事故死したニュースが稀ならずあった。最近は船も漁法も変わったのか海難事故はほとんど見ない。それ以上にここ10年ほどはハタハタの漁獲量は従来の1割程度まで減少している。本編では4名の遭難者が出た転覆事件が取り上げられている。二人の遺体が未収容であったがハタハタの大襲来があった。遺族は捜索より漁を、と申し出る。主体が人間から経済活動に移った瞬間である。

 小説の主人公はあくまで人間であり、男と女なのだが、人間の生活の中にある動物たちが、時には人間の人生を支配する。互いの関係性が、特に人間側の事情によって乱れれば、動物たちは無残にも廃棄されるか、殺される。時にはその関係が逆転する。

 動物好きの私には、読後に重たく心に残った。名著である。


 10/17(木)早朝一時降雨、のち快晴 飯川病院午前ボランティア、午後勤務 
 1:30起床。文献・新聞他。いつもの如し。9:00科内に同情飯川病院、8:45-13:00中通外来。13:30飯川病院、14:00-19:10勤務、外来・入院患者処置対応。本読み中心。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ6671歩。今朝から半袖作業服を長袖に、ランニングシャツ着用。

本 「羆嵐」 吉村 昭著 新潮社 改訂版 1982
 秋田では毎週のごとくツキノワグマに襲われて怪我したとの記事が報道される。いや、秋田だけでない、新潟や岐阜でも生じている。北海道では、現在でもほぼ毎日のように全道中で目撃情報がある。

 日本で起こったクマによる襲撃事件として、10件ほどの報告がある。
・三毛別羆事件、?・石狩沼田幌新事件、?・札幌丘珠事件、?・福岡大学ワンダーフォーゲル同好会羆襲撃事件、・秋田八幡平クマ牧場事件、
・十和利山熊襲撃事件 など。

 ■ 2016年に秋田県男女計7人が襲われ、4人が死亡、駆除されたクマの胃から頭髪や人体の一部が見つかった。本州の最大の獣害。

 ■ ヒグマによる襲撃事件は1915年(大正4)12月の「三毛別(さんけべつ)ヒグマ事件」が有名。冬眠に失敗した「穴無し」ヒグマが次々と民家を襲い、村人6人を殺し、妊婦を含む女性の遺体のみを食した。体長2.7m、体重は340kgもあった巨大なクマで、胃から人体の一部が見つかった。世界的にも最大の獣害とみなされている。

 この「三毛別ヒグマ事件」は吉村昭著「羆嵐」に詳しい。

 今回自炊した私のライブラリーの中に本書を見つけた。いつ購入したものか、記憶から飛んでいた。クマについての勉強を兼ねて改めて読んでみた。

 本書は現実の事件を元に多少の脚色がなされたノンフィクションノベルである。
 1915年(大正4)12月、北海道天塩山麓の六線沢で惨劇は起きた。冬籠りをしそこなった「穴無し」ヒグマが生きるために開拓民家に押し入り、わずか2日間に6人の男女を殺害し人間を喰った。犠牲者の中には妊婦もいた。開拓村を餌場とヒグマは人喰いを続ける。

 犠牲になった村人は開拓民であり、山の真の怖さを知らなかった。たった1頭のヒグマに対しても武器もない人間たちがどれほど弱いものかということを、思い知らされたが遅かった。ヒグマが骨を噛み砕き、肉をむしる音が行間から聞こえてくるような迫真の筆力である。

 後半では、ヒグマ対策を巡って人間たちが迷走する様が描かれる。未曽有の事態を前にして、保身や集団の力に頼る警察等の組織人たちの無能な姿。
 中でただ一人、経験豊かなクマ撃ちの老猟師が、自然の摂理、クマの性格を知り尽くしていた。その恐怖心は尋常でない。老猟師は討伐隊の一行から離れ、単独行動をとる。ヒグマは老猟師によって二発の弾丸で斃されたが、熊を撃ち倒したのちの老猟師の顔色は緊張と恐怖のために死人のように蒼白であったという。
 老猟師は、羆よりも人間たちの愚行に対して怒り、去っていく。

 北海道のヒグマは300Kgを越えるものすらある。その力は強大で、牛馬の頸骨を一撃でたたき折り内臓、骨まで食いつくす。人間も餌にすぎない。

 何故、極寒で未開の地である北海道の大地を開拓しなければならなかったのか。故郷を捨てて移住せざるを得なかった方々の苦労が詳細に語られる。
 その当時、満足な通信手段もなく、食料も寒さを凌ぐ家屋もない貧しい村落。当時の開拓民の生活様式,警察官の階級制、ヒグマの習性などが詳細に記述され,臨場感を高めている。

 日本の歴史上最大の獣害事件を詳細に取材し克明に小説化してある。貴重な歴史の記録である。

 類書
■ 木村盛武 慟哭のもり 文春文庫 2015年 所持しているが未読。
■ 熊谷達也著 ウエンカムイの牙 集英社文庫 2008 既読
  書評 ウエンカムイの牙 熊谷達也著 集英社文庫 2008


10/16(水)秋晴れ 飯川病院ボランティア  
1:10起床。読書、録音データ整理と処分など。歴史関連本読み。午前はダリアの世話、庭掃除など。10:30整形受診の家人のせて中通病院へレガシーで、11:00飯川病院ボランティア。13:00健康クリニックデータ判定、14:00-15:30中通病院で電子カルテの講義2回目。若干先が見えてきた。自炊数冊ほど。19:10レガシー帰宅、夕食、21:15就寝。歩数計Σ10685歩。

秋田県のクマ問題2019(2) クマとの関係は大きく変化している
 「クマに襲われ死亡」、「クマ出没しきり」、「クマの出没記録的」、「クマの目撃数記録的」、・・。秋田では毎週のごとくこの様な新聞記事が掲載される。いや、秋田だけでない、新潟や岐阜でも生じている。2003年には熊がJR線路に寝そべっていて跳ねられた!!。
 クマと人間との関係が大きく変化している。

 クマは日本最大の哺乳類であるが、秋田のクマはツキノワグマである。幸いなことに大型獰猛なヒグマは北海道以外には生息していない。本州で目撃されたこともない。ただし、マタギ発祥の地とされる阿仁熊牧場には20頭ほどのヒグマも飼育されている。

 ツキノワグマは全身が黒一色で首に三日月模様の白い毛が生えている。そのために「月の輪グマ」と呼ばれている。ヒグマは茶色や灰褐色。ツキノワグマの体長は150cmほど、体重は80〜100kgが平均。ヒグマの体長は往々に2mを越え、体重も200kg以上になる。
 共に食性は草食性に近い雑食性。ヒグマは肉食性が強い。性格はどちらも臆病で警戒心が強い。かつては人間を怖がり、人里には滅多に近づかないとされていたが、最近は人家の近くにも頻繁に出没している。人に出会うと自分を守るために襲い、逃げていく。

 山では音でクマにこちらの存在を知らせることが大切と言われているが、最近は音で人間が来たことを知り寄ってくることもある?のではとの見方もある。「クマがいるところには行かない!」がベストな対処法。

 また、最近は人間の生活圏に侵出してくるツキノワグマが多く、人里で人身事故も生じている。
 私も2004年当時、バイクで通勤していた時に秋田大学近辺の農道で子連れのクマに遭遇したことがあるが、バイクの音にびっくりしたのか逃げていった。

日本で起こったクマによる襲撃事件
 秋田では毎年の様に死者が出ている。
 2016年に秋田県鹿角市十和田の山中で山菜採りをしていた男女計7人が襲われ、4人が死亡、3人が重傷を負った。5月下旬から短期間に生じた事件で近くで1頭のツキノワグマが駆除され、胃の中から頭髪や人体の一部が見つかった。人間の味を知ったクマは危険で駆除するしかない。

 ヒグマによる襲撃事件は大正時代の「三毛別(さんけべつ)ヒグマ事件」が有名。冬眠用の穴が見つからないヒグマは「穴無し」と呼ばれ、気性も荒く恐れられている。
 三毛別事件ではこのヒグマが次々と民家を襲い、村人6人を殺し妊婦を含む女性の遺体のみを食した。最終的には凄腕の猟師により射殺された。体長2.7m、体重は340kgもあった巨大なクマで、胃から人体の一部が見つかった。
 この事件は吉村昭著「羆嵐」に詳しい。

 (付・宣伝) 岩手の銘酒「月の輪」
 私はツキノワグマに親しみを感じている。最近報じられる人を襲う記事は残念でしかない。私の祖母「キヌ」の生家は岩手県中心部にある「月の輪酒造」で、幼少の頃はよく遊びにいった。造り酒屋の独特な匂いは好きだった。代替わりして5代目は女性杜氏のハシリとして有名である。私は下戸で酒などに興味はないが「酒を飲めたらなー」、と思うことも時にある。別な人生もあったかも・・と。
 
 (某販売店のHPから画像借用しました)


10/15(火)晴れ、中通病院外来 飯川病院 
 1:00起床、歴史、新聞切り抜きと入力などいつものごとし。読書中心、5:00可燃ゴミ集積所に廃棄、7:00飯川病院着、8:45-13:00中通病院外来。13:15飯川病院。14:00-15
:30勤務なるも中通病院で電子カルテの講義。19:30帰宅、夕食、21:30就寝。歩数計Σ8091歩。

秋田県のクマ問題2019(1) 秋田がダントツ、というわけではないが
 「クマに襲われ死亡」、「クマ出没しきり」、「クマの出没記録的」、「クマの目撃数記録的」、・・・・・・。
 2018秋田魁新報のクマ関連の見出しである。同紙は2018年クマの問題をシリーズ化して大きく報道した。

 それによると、ツキノワグマの県内の捕獲数は1979年293頭に上った。この年は県内でクマの大量出没が社会的な関心を集めた初めての年だった。 
 これ以降の捕獲数は、1979年293頭、1984年232頭 、1986年415頭、2016年487頭、2017年824頭、今年も減少していないことから、2017年以降急激に増加している、と見ていい様である。

 東北では比較的身近なツキノワグマであるが、九州では絶滅し、四国では絶滅の恐れがあるとされる。

 環境省は各都道府県に対し推定生息数に基づいて捕獲数の上限を定めることなどを求めている。 
 1980年に秋田県は全国で初めて大規模な生息数調査を実施した。
 2002年に秋田県はツキノワグマ保護管理計画を策定した。

 秋田県の推定生息数は1986年度の2640頭で、2008年度以降は900-1200頭ほどで推移してきた、とみなしていた。 
 だが、2016年度の目撃件数は869件に達し、クマによって19人が死傷し476頭が捕獲された。
 17年度も目撃件数は1303件、死傷者数は20人に上り、捕複数も834頭となった。 

 クマによる被害が相次ぐ中、秋田県は2017度の推定生息数を2600頭に増やした。     

 東北各県の推定生息数などは以下のごとくと報告されている。調査方法は各県で異なっていることは問題であるが、現状ではやむを得ない。
<img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/fd/3d19940c7be358e609f042e13f10a2e5.jpg" border="0">
 (東北各県の推定生息数、捕獲数、死傷者数、目撃件数 朝日新聞2018.4.14より借用)

 生息数は岩手>福島>秋田>山形であるが、県境付近のクマは広く動き回っているからこの推定値には若干問題がある。
 捕獲数は秋田>>岩手ほか、死傷者は秋田>岩手>>ほか、となっている。
 死傷者数は秋田の場合、山菜採りと関連している様に思われる。


10/14(月)体育の日休日 曇り快晴、夕方降雨 飯川病院日直 
1:00起床。何時もと同様、書類書籍自炊、新聞、医学論文などチェック。自炊数冊。
8:42バスで飯川病院へ。9:00日当直業務に就く。患者対応は求められず。自炊数冊、読書中心で過ごす。12:00検食。データ整理読書中心に。19:00帰宅、20:30就寝。歩数計Σ7353歩、日ではほとんどの時間を机に向かって過ごすから、歩数が伸びない。運動不足感アリ。

台風15号、台風19号(2)
 今年最強クラスの勢力をもつ台風19号が日本列島に近づいている。

 千葉県などに被害をもたらした15号を上回る猛烈な台風に発達していて、12日からの3連休に最接近する見込み。各地でイベントの中止・延期、交通機関の計画運休など早めの対策で影響を最小限に抑えたいものだ。

 台風19号に対する私の対策としては以下のごとく。
■同級会出席を前日の朝にキャンセル。
■ダリアの風邪対策として根元から花の位置まで紐をかけて株ごとに簀巻き状態に。
■庭に集め乾燥中の畑の根や茎が風で飛ばないよう、ブロックで上から押さえつけ。
■鉢植えのバラ、ボタンなどガレージに避難。
■リンゴの落果防止のために枝固定。

 千葉県に甚大な被害を及ぼした15号の直撃から1カ月しか経っていないのにまた次のが来た。地球温暖化の影響などで海水温が上昇し、これまでに例のない強さの台風が襲うリスクは高まっている。おそらくこれからこのような自然災害は増えていくと考えられる。

 自治体やライフラインに関係する企業・施設は、情報の把握、適切な人員配置を考えてほしい。

 15号では鉄道各社、航空各社は早々に計画運休を決めた。
 これはいい事と思う。社会全体でも、企業もこのような災害時は活動を縮小して台風が通り過ぎるのを待つべきであろう。これを災害を迎える際の考え方の規範としてほしい。治水対策は基本であるが、人の生命を守るための時間的余裕が欲しい。

 15号では計画運休は実行されたが、運転を再開できず混乱を招いた。停電、交通網の維持に関しては倒木による被害が復旧を邪魔した。

 住民の避難活動も検証が必要であろう。

 15号の被災地の生活再建はまだ十分ではなかった。そこへの追い討ちである。住民の高齢化、建設労働者の深刻な人手不足がある。屋根工事まで数カ月待ちとの声も聞く。その間ブルーシートで雨風を防ぎきれない。非常時の対応力が弱まっている。

 このような時代を迎えて自衛隊の持つ潜在能力に期待しなければならない、と思う。

 台風19号の被害状況はまだわからないが、時間とともに明らかになって行くだろう。


10/13(日)台風19号接近早朝降雨 飯川病院日直
 1:00起床。台風19号岩手県宮古市沖通過中、風は若干強くなってきた。早々に温帯低気圧になった。文献チェック他。何時ものごとし。書籍電子化、データ整理。飲料水、生理用ダンボールを箱につつレガシー飯川病院に。9:00-19:15日直、当直医の業務一時代行。院内は平穏、読書、音楽観賞、データ整理など。散水も。19:45夕食、21:45就寝。台風19号の全国被害が集約されてきた。各所に重大被害。Σ8782歩のみ。

新潟大学医学部46会同級会 台風19号(1)接近でキャンセル 
 本日10月13日は新潟大学医学部46会同級会が行われることになっていた。

 2003(H15)年から同級会の出席記録は残している。私は今年14回目の出席となる予定であった。
 家内は20回目ほどであろうか。この頃になると機嫌が悪くなるので家庭平和のために家内の荷物持ちという名目で参加した。   
 2005年家内が病気をしたので、その後は家内の生存報告のため、最近では私も何かと不調なので、我ら夫婦の生存報告を兼ねた出席となっている。

 同級会はほぼ毎年で、隔年に新潟在住者のが担当、それ以外は各地の同級生が世話役をしている。2012年は秋田でも開催、以降は佐渡、松島、月岡温泉郷、洞爺湖温泉郷、新潟で開催された。
 家内は年に何度も出かけるが、私は旅行嫌いである。現役を退いてからは旅行といえば年一回のこの同級会のみとなった。
 今年の同級会は群馬在住の同級生が幹事となって伊香保温泉郷が予定されていた。

 一週間ほど前から南太平洋に不穏な動きがあり、ずっとフォローしていたが、超大型の台風19号として13、14日に縦断または近
接の危険があった。

 秋田新幹線は風雨に弱い。12日は計画運休が計画されたために13日早朝の列車は無理と考え、残念であったが12日10:00頃幹事に出席できない旨を伝えた。驚いたことに、その時点でも現場ではまだキャンセルは考えていない、とのことであった。

 13、14日は秋田を不在にする予定だったので、両日の飯川病院の日当直は特別に次男にお願いしたが、両日ともに日直は私が担当することとした。

 本日の時点で台風19号は首都圏を直撃し、その後太平洋に外れ、早々と温帯低気圧に変わった。色々準備していたが秋田県はほとんど被害はなさそうである。あっけなかった。
 台風19号は近年になく大型でと東京以南、首都圏、東北の太平洋側に甚大な被害をもたらしたようであるが、本日の時点では詳細は明らかになっていない。

 被災された方々にはお見舞い申し上げたい。

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 私どもの同級会は台風の影響を受けやすいようである。私が出席した13回のうち台風の影響を受けたのが今回で4回目。
 ■ 2004年の犬山市の会は台風22号襲来で急遽中止になり、翌年に延期された。
 ■ 2006年の新潟の会は強風で羽越線が4時間も遅れ、一次会は10分間だけの参加になった。
 ■ 2018年は台風21号が通過した直後で、10名の直前キャンセルがあったと言う。私どもは13:00の「いなほ」が動くことになったので新潟での会に出席できた。
 ■ 2019年、今年の会は上述のごとく私どもは前もってキャンセルした。会が行われたのか?多分中止になったと思うが、それについての情報は入ってきていない。


10/12(土)台風19号接近終日雨 新潟大学同級会キャンセル 映画教誨師  
 1:00起床。データ入力整理。8:00伊香保温泉で開催予定の同級会キャンセルとした。主催者はまだ開催のつもりでいた。二日間時間が空いた。急遽二日間日直することに。台風19号接近の暴風対策、ダリア簀巻き、畑から庭に持ち込んだ枝茎根の飛散防止対策、金属の格子戸をかぶせブロックで重石。13:30杉本経由、文化会館小ホール、映画「教誨師」、監督とのトークショーまで参加。Taxi飯川病院、頻用のiMac21のOS入れ替え、iTune不調のため。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ9797歩。この時点で静岡に上陸。

映画 「教誨師」(2018年) 監督:佐向 大、主演と企画:大杉 漣  
 秋田弁護士会の「死刑制度を考える会」の主催の映写会。通常の映画館でなく市の文化会館小ホールで開催された。
 主催者の説明によると用意した300部のパンフレットがなくなったという。終了後に佐向監督を交えてトークショーがあり、それにも参加した。監督は多数の出席者に驚かれていた。

 教誨師は刑務所や少年院等の矯正施設に出向き、宗教的立場で対話し、更生するきつかけを与える人と考えていいだろう。現在、約2千人か活動されている。被収容者の宗教上の希望に応じ、宗教教誨活動?-礼拝・面接・講和等?-を行う民間の篤志の宗教家。

 主人公は教誨師になってまだ半年という設定。
 6人の死刑囚と向き合い、傾聴に徹する。死刑囚の発言に喜怒哀楽する教誨師の表情は、さすが「300の顔を持つ男」と言われた大杉氏の秀演が光る。
 大杉氏は400本以上も映画に出演している超ベテラン俳優というが、私は無知にして初めて聞くお名前で、今回の映画会で初めて見た。2018年2月21日(66歳)で死去している。

 秋田弁護士会の「死刑制度を考える会」の主催であるが、時間にして8割近くが面会室を舞台にしている。限られた空間や時間の中で進行していく。派手な場面はなく、映像は教誨室での会話のみ。死刑囚と教誨師それぞれの言葉と表情によって、彼らの人となりが次第にわかっていく。

 <img src="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/7f/1f552e12ee821c8d852f55bd5f6ffb11.jpg" border="0">
 (会場で配布されたパンフレットから一部を引用させていただいた)

 死刑の意義など話題になされておらず、結論など出ない。死刑囚が独房で過ごす姿もない。
 死刑囚の中で、カレー事件の犯人を想起させる中年女性、相模原の障害者施設での殺傷事件犯を想起させる青年もいる。後者の対話内容も印象的、死刑囚を演じた俳優、そのうちの一人は監督の知己のサラリーマンらしいが、いずれも演技は、心理描写を含めて素晴らしかった。

 この映画は教誨師だけの話ではなく、面談を仕事する全ての人間に関連する映画だと感じた。
 従って私にとっても意義深かった。多くの職業的相談者は傾聴に徹するよりは自己の考えを押し付ける傾向にある。
 人の悩みや苦悩を傾聴すること、対話し語りかけるとは何か?親身になるとは何か?
 傾聴に長けていると自認している私にとっても、人の心を引き出すとは何だろうか?見習うべきヒントがあった。

 なかなかいい作品だと思う。詳細は記載できない。見るべき映画か?と問われれば疑問なくそう答えたい。


10/11(金)晴れ夜間降雨 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア  
 0:30起床、いつものごとし。5:00可燃ゴミ廃棄準備まで、7:35Taxi駅東口に、8:12こまち、大曲は往復徒歩、9:10-12:00外来、13:30-18:45飯川病院ボランティア。21:00就寝。歩数計Σ11541歩。秋田は雨になったがまだ風もない。台風19号最大級らしい。交通機関は計画運休多数。同級会はまだ中止になっていないが、13日朝の新幹線は多分ダメだろう。

本 「教誨師」 堀川恵子著 講談社文庫 2018
 明日、秋田市弁護士会の主催で映画「教誨師」が上演される。観覧する予定であるが途中まで読んでいた本書を引っ張り出して全編を通読し、予習した。

 私たちは死刑制度のある国に生きている。死刑廃止論が声高に叫ばれるこの時代、本当に死刑制度を続けることについて、私は是とする立場であるが、より深く考えなければならない。

 著者の堀川 惠子氏(1969年-)は日本のジャーナリストで数多くのノンフィクションを
出版している。本書は、50年にもわたって教誨師を務めたある僧侶から聴取した内容を記述したものであるが、「自分が死んだら世に出して欲しい」との希望もあり、さらに取り上げる事件は1970年代までのものに留め、歴史上広く実名が知られている人物以外は全て仮名とした、という。本書の内容は秘匿義務が伴うが、東京拘置所元職員、関係者のご遺族等の協力がなくてはまとめられなかった、と感謝の気持ちを巻末で述べている。 
 

 いかなる罪があろうと、国家権力が生身の人間の命を奪うことが合法とされる制度について、もつと現実を知り、その結末がどんな社会的な利益をもたらしているのか、を考えるべきである。ただ、議論が成熟するにはまだまだ時間が必要だろう。

 そのような視点から、私は犯罪心理学、犯罪社会学等の学びを通じて受刑者、死刑執行人、死刑制度などについて学んでいる。当然、宗教も関連する。

 人は誰でも死ぬ。死には自由選択もあるから素晴らしいと思う。しかし、死刑囚の場合は生きることも死ぬことももはや自由ではない。法的には確定後半年以内に執行されることになっているが実際には数年に渡り拘置される例が多い。法務大臣の最終判断が出た時点で刑が執行される。

 教誨師の方々は宗教者の中から選ばれ、ボランティアとして働く。
 決して「教戒」するのではなく、死刑囚の中の人間性に問いかけ「誨」を待つ。しかしながら、やはり権力側の人間であることに変わりない。教誨師の仕事は死刑囚の心のケアで決して欠くことはできないが、宗教者として矛盾に満ちたものになる。

 死刑囚が犯した罪の重さを理解しつつも、死刑囚に携わる拘置所職員たちの心の葛藤は大変らしい。時には精神を病むという。

 私は、他人が怖い。そのために数多くの関連書籍を読んだが教誨師に視点を当てたものは初めて接した。教誨師から見た死刑囚の「人間」が語られている。

 死刑囚は、死をもって罪を償うことだけができるのか、というと私はそう考えていない。死は救いでもある。

 罪を心から反省し、罪を償う意思を持って生涯贖罪に勤しむ道があれば、死刑以上の価値はあるだろうが、思いつかない。


 10/10(木)快晴 午後飯川病院勤務 
 1:30起床、新聞切り抜き入力・整理。録音データ整理などいつものごとし。8:45-13:15中通外来。10:00-11:30畑の枝豆の茎根抜去、マルチを剥ぎ取る。残るはネギのみ。12:10バス飯川病院、14:00勤務、入院患者対応。19:00帰宅・夕食、21:00就寝。歩数計Σ8556歩。

私のジェンダー論(4) 用語の整理(2)
 性に関して検討していくといかに多様な世界だか分かってくる。
 「性別は男女だけ」、「男は女を、女は男を性愛の対象にする」などの常識にとらわれると性にまつわる多くの事実を見失ってしまう。

 最近の新聞や小説などを読むにもジェンダー用語をよく理解していないと読み進められないこともある。
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■セクシー
 性的な魅力のあるさまを表す形容動詞。対象となる人や物体がそのような雰囲気を持っているとは限らず、見るものの期待感の表れのことが多い。

■セクシュアル セクシャル
 性に関係のあるさま。また、性的な関心を引き出す雰囲気。「セクシュアルな魅力」などなど。

■セクシャルアイデンティティ
 その人がどちらの性に引きつけられるかを表す用語。
?■ジェンダーアイデンティティ
 本人が自分自身の性別をどう認識しているか、すなわち自分が男性的、女性的、それ以外の状態のどれかなのかを表す用語。それ以外の状態とは、男性と女性の中間などの場合がある。

■トランスジェンダー
 体の性と心の性が一致しない人。一般に、生まれたときからもっているとされる、伝統的に社会で認識されている性的特徴、性的役割に収まらない傾向を持つ性別違和感をもつ人々の総称。
 性別違和感とは,体の性的特徴,出生時の体に基づいて判別された性別や,その役割に課される性的役割,性別表現など,すなわちジェンダーへの違和感である。他の方の性別への一致感のレベルは様々であり、違和感も持続的な人と,そうでない人がいる。トランスジェンダーは,性同一性障害より更に多様な性別違和を包括する。

■セクシャルマイノリティ
 「性的少数者」のこと。多数とは異なる性的指向やジェンダーアイデンティティ、または性的な特徴を持つ人々のことで、同性愛者やトランスジェンダーの人たちが含まれる。
 LGBTは、最近よく使われる言葉であるが、「性的少数者」のうち Lesbian(女性の同性愛者)、Gay(ゲイ:男性の同性愛者)、 Bisexual(両性愛者)、Transgener(体の性と心の性に違和感を持つ) の4つの人たちしか含まない。


10/9(水)曇晴れ、風強し 飯川病院ボランティア
 1:50起床、歴史、新聞切り抜き入力・整理。自炊数冊。台風19号接近のためか風強し。ダリア危険。再再度簀巻きに。自炊本再構築1冊。12:12バス、飯川病院ボランティア。歩数計Σ8838歩。本日の強風は一般的低気圧のためらしい。19:00帰宅、夕食。21:00就寝。

私のジェンダー論(3) 用語の整理(1) セックス ジェンダー セクシュアリティー
 現在は男女が接近し、遺伝学的にも、肉体的にも社会的にも、その違いがやや不明瞭になった時代と言える。
 私達は男女という概念を、今までは両極という単純なとらえてきたが、もうそれでは理解できない。性的に複雑な時代に生きている、ということができる。
 それに伴う用語も複雑になってきている。それらを整理しておかなければジェンダーについて論じることもできない。
 
 以下に簡単に整理していく。
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■セックス
 身体の特徴など生来の性別の違いを示す。生物学上のオス・メス。

■ジェンダー 社会的性の違い
 身体上の性別の違い、生物学上のオス・メスをセックスというのに対して、社会的、文化的に形成された男女の違いをジェンダーと呼ぶ。先天的なものではなく、文化的。社会的にに身につけた、あるいはつくられた性差の概念をさす。
 日本においては、男は社会で働き、女は家庭を守るという性的分業が教育を通して刷り込まれ、〈男らしさ〉〈女らしさ〉など。
 社会通念において一般的な固定的な性別観・性差観を意味することもある。女性にとっては社会で活動しにくい差別的な環境が形成されてきた。
 1980年代以降、男女差別を禁止する法制度が作られ、1990年代には男女共同参画社会の構築が国を挙げての政策目標となった。ジェンダーに対する考え方は今後も変わっていく。

 ジェンダー・アイデンティティの形成:社会のなかで一般的なジェンダー観というものを知り,それに従ってふるまうことをいう。

■セクシュアリティー
 性行為や性的欲求に関すること。
 狭義の性行為だけでなく、広くは性と欲望にかかわる人間の活動全般を指す語。ただしこの語は前二者のセックス、ジェンダーの概念も含み厳密に区別する定義は困難である。

 即ち、セックスは生物学レベルの営み、ジェンダーは社会的文化的性差を指すとされるが、セクシュアリティはそのどちらをも含み、生殖、快楽、恋愛、自己表現といった多様な領域にまたがっている。
 この語が使われるのは性的マイノリティ、特に「ホモ」と「ヘテロ」の区別においてであり、ジェンダーが男女の性差を指すのに対して、セクシュアリティは性的指向、つまり同性愛・異性愛の区別をまず問題にする。性指向は生まれつき備わっているもので、本人には責任がないとすることも忘れるべきではない。本人の趣味や考えからその志向・嗜好が出るわけではない。この辺の理解が重要である。


10/8(火)雨午後晴れ 外来 飯川病院
1:00起床、新聞データ整理などいつものパターン。雨の中5:00可燃ゴミ2袋提出、6:30レガシー飯川病院。激しい降雨で中通病院にもレガシー、8:45-13:00外来、14:00-18:30飯川病院、患者対応。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。書籍自炊。歩数計Σ8463歩。

私のジェンダー論(3) ジェンダーってなんだ??分からなくなってきた
 私の子供の頃は、この世に男と女しかいなかった。
 実にクリアな分類で二種類だけであった。勿論、私が性的に無知であったことも関連している。1980年代までそう思ってきたが、男女の中間の特質を備えた人もいて、いつの間にか分類がとても困難になってしまった。

 人を発生学的に捉えると、染色体の組み合わせでも男女の他に例外があることは学んで知っていた。それでも戸籍を始め社会的、法的分類は男女だけで中間はなかった。最近は社会的に法の分類を超えた新しい生き方、LGBT、同性婚等をされる方々がおられるようになり、社会的に認知もされるようになってきた。LGBTに子供を持たせるという生殖医療も実施されている。

 より普遍的な、性に対する考えを持つ私が、それなりに常識的に生きてきた環境からは知り得なかった世界が展開している。それに伴い、性に関していろいろな用語があって、整理しなければ性に対して正しい知識の整理や話を進めることができない状況である。

 男女と書き並べると陽と陰というように相反する形でとらえられる。
 事実、男女は両極であり、対立したり、枯抗したりする。そしてそれ故に互いに強くひき合うカップルが誕生する。この時、脳内でどんな動きが生じているのか、興味は尽きない。男女間の抗争、反して引き合う感情、恋心など、それは人間の歴史のなかでくり返されてきたことであり、今後も続くことであろう。

 しかし、人間の歴史のなかで男女の距離感が広がった時期がある。男女席を同じにせずなど、男尊女卑的考え方など、社会的な事情でそうなっていた。
 
 現在は男女が接近し、やや不明瞭になった時代と言える。
 遺伝学的にも、肉体的にも社会的にも区別が混沌としてきている。
 私達は男女という概念を今までの両極という単純なとらえ方では理解できない。複雑な時代に生きている、ということができる。

 男女の性について、次のような分類がある。性の根本的な理解に有効である。
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■1 Genetic Sex -------染色体、遺伝子レベルの性。受精の瞬間に決まる。
■2 Physical Sex -------肉体レベルの性で二次性徴以降により差が明らかになる。生物学的に生殖に関して役割がはっきりしていく。しかしながら、これを重視するあまり「心の男女差」が最近まで軽視されてきた。
■3 Legal Sex -------法的レベルの性。社会の秩序、機能維持のために性が法的に分類される。戸籍の性など。最近、同性カップル・同性婚も法的に認められつつある。
■4 Social Sex ------- 社会的レベルの性。男女どちらで生きるのか?など。
■5 Pcychological Sex ------- 肉体レベルの性ではなく、心のレベルの性差。Physical Sexとは一致しない心の男女差が注目されている。
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 などなど。
 男女のどの部分を視点に考えるかによって別の分類もありうる。ますます分からなくなっていく。


10/7(月) 健康クリニックドック 飯川病院 
 1:30飯川病院で起床。文献、新聞チェック。データの電子化。9:00-11:15健康クリニック、ドック診察15名。先週分の結果判定。レ線読み。11;45飯川病院、12:00~13:00 Book-offに。3冊購入、検食、微睡。 14:00-19:00勤務。19:15帰宅、夕食。21:00就寝。歩行Σ6493歩。書籍の自炊化。 

企業不正 関電問題(2) 孫たちに顔を合わせられるのか??
 関西電力の首脳らが福井県高浜町の元助役から多額の金品を受けとっていたことが明るみに出て、原発につきまとう問題があらためて浮かび上がった。

 国民は今回の不祥事を見て、やはりそうだったのか!!!
 他の電力会社にも厳しい視線が向けられている。今後の再稼働にすら理解を得られなくなった。他の大手電力は「そんな事例は当社にはない」と早々に表明している。
 地元と良好な関係を保つことは、電力業界では常識。
 電力のような公益事業は、社会との信頼関係がことのほか重要だ。問われているのは関電だけではない。

 大手電力10社でつくる電気事業連合会は指針で「社会的良識をもって誠実かつ公正な事業活動を遂行する」と定める。その電事連の会長は、自らも金品を受け取っていた関電の岩根社長。

 関電側が受領した金品は計3億円を超す。地元有力者の機嫌を損なえば、原発の再稼働にも障害となると考え、断れなかったという。あくまで原発の将来のため 金品を預かった、と聞こえる。故人となった助役を利用していないか?後付けのバカ丸出しの記者会見での説明によればそうなる。
 代々の担当者が悪しき前例を踏襲していく。そんな体質があらわになった。

 政府もこの事件を注目している。今回の問題が安倍政権の原発重視政策に影響を及ぼしかねない、との強い危機感がある。
 
 2011年の福島発事故の後に国内の原発は一時全基停止した。
 原子力規制委員会の下で新たな規制基準をつくり、同委が基準を満たすと判断した原発は再稼働を認めるかたちにしたが、安全対策工事に膨大な費用がかかるようになるなど原発の再稼働は政府の思惑通りには進んでいない。 
 再稼働したのは9基だけ。

 もともと再稼働が困難視される様になったが、今回の事態で地域の同意が得難くなり、再稼働はますます遠のきかねない。
 原子力規制委員会の委員長は自身の記者会見で、組織として健全でないのは明らと指摘した。 
   
 関電幹部らが受け取った計約3億2千万円分の金品については、資金を提供した某会社に金沢国税局の調査が入った昨年1月より前に約1.2億円分が返却された。国税局の調査がなけれぱ返却しなかつった??そんな疑念もぬぐない。  
 巨大な交付金とともに原発を地方に任せる都会と、それを享受してきた地方。原発は 不明瞭な関係性をつくりやすい。こうした構図を生む原発政策そのもののが、あらためて問われている。

 関連した東電幹部らは家に帰ればどこにでもいるお爺ちゃんだろう。孫たちに顔を合わせられるのか??私は、彼らに孫たちに童話でも読み聞かせればいい、とアドバイスしたい。そこには人としての大事な教訓が散りばめられているよ。


10/6(日)快晴 飯川病院日当直 
1:00起床。何時もと同様、書類書籍自炊、新聞、医学論文などチェック。8:42バスで飯川病院へ。9:00日当直業務に就く。患者対応は求められず。自炊数冊、読書中心で過ごす。12:00、18:00検食。21;00就寝。歩数計Σ7301歩、日当直ではほとんどの時間を机に向かって過ごすから、意識して院内をうろうろしても歩数が伸びない。運動不足。

企業不正 関電問題(1) すごい事件 関係者を辞職させてはならない
 2018年11月、日産のC.ゴーン氏が逮捕された。
 事件は捜査が一段落したようであるが、私は把握していないが金額スケールの大きさから驚愕したものである。ただ、私は最初からこれはC.ゴーン個人の問題ではなく、日産自体に根源がある様に感じていた。日産自体から逮捕者などは出ていないようであるが、最近のニュースによれば取締役会で社長が交代させられた、という。これほどの犯罪を指摘、対応できなかった上層部の責任は大きいと思う。

 2019年10月関西電力の問題が明るみになった。
 今度は会社上層部の集団的な背任?行為である。動いた金品は3-4億円とされるが、救いを挙げるとすれば、個人の会社の金が使われたことで原子力マネーや税金が動かなかった?ことであろう。だが本当だろうか?
 会社の金だったとしても贈収賄に当たらないか?? はっきりさせてほしい。
 関電側は否定しているが、全く見返りも期待せずにこれほどの金品が動くことはあり得ない。

 福井県高浜町の森山元助役(故人)が菓子袋の底に金品をしのぱせて関電幹部らに渡していたことなどが明らかになり、今でもこんなスタイルがあるのか?と驚きを禁じ得ない。
 返却しようとすれば激昂するために返せなかったという。そんなバカな!! 立場が逆でないか??金品を差し出す方が立場が小さいはずである。
 関電の説明が本当だとすれば、会社全体で管理すべきと考えるのが組織人としての姿だと思うが、金品が個人の裁量で管理された経緯や会社としての対応など、考えがたい。 さらなる事実究明が必要である。

 今度の事件が国民に与えた影響は大きい。
 日本の原子力行政は利権と多額の原子力マネーによって行われてきた。だから各原子力発電所は電力消費が大きい都市部に作られず過疎地に作られてきた。送電のエネルギーロスは小さくない。にも関わらず、東京電力は福島県、新潟県に発電所を作った。原子力発電が絶対的に安全なら東京近隣に作ればよかったのだ。

 かすかな放射線漏れを起こした原子力船「むつ」は十二分な改修がなされて問題がなくなったのに、マスコミ報道の影響から国民に受け入れられず、その数奇な運命を辿った。寄港・停泊の時にもマネーが動いた、とされる。最終受け入れ場所が見つからず他国にも劣らない最終的な原子力船「むつ」は廃船となった。

 青森県六ケ所村は過疎の漁港が超近代的な地域に変わった。しかし、六ヶ所村は貧乏ながら平穏であった漁村を人間不信の飛び交う村に変えてしまった。
 原子力マネー、そのもたらす影響は小さくない。

 関電の上層部も常識、良識、倫理観を欠いたようである。

 ここまで話が明らかになると進退問題が浮上してくるが、全容が明らかになるまで関係者を退職させてはならない、とおもう。降格し窓際に置いてもいい。それが企業の責任であり、関係者の負うべき責任である。


10/5(土)曇り時々雨 畑しまい作業 
 1:00起床。何時もと同様、書類・録音データ整理、、自炊。5:30微睡。9;00ダリアを再度保護のダリア簀巻きから解放、風も比較的弱く、実害は花の枝一本のみ。新聞、医学論文などチェック、自炊。13:30-15:00畑しまい作業、支柱撤去、キウリ・トマト・ナス根抜去。以降は読書中心、19:00夕食、21:00就眠。歩数計Σ7761歩、うろうろした割に意義と伸びない。

私のジェンダー論(3) 女性活躍の推進は安倍政権の大きな業績だが、空回りしている
 2016年の世界経済フォーラム「ジェンダー・ギャップ指数」でみると、わが国の女性の社会進出は111位/144国中、と異常事態である。
 日本の女性は高学歴だが、多くは人材として未活用のままでいる。これは女性側にも問題もあるが、男性中心社会、年寄り中心社会が長く続いてきたからである。私は「男性害社会、老害社会」と呼んで批判的である。しかしながら、この文化を短時間で改善させようと法律などで無理やり動かそうとしても女性に受け入れ態勢が乏しく無理がある。
 
 閣僚の女性登用に乗せて論じてみる。

 ■ 2014年9月、安倍内閣が行った改造で過去最多に並ぶ5人の女性閣僚を登用した。首相が経済成長の観点から女性の社会進出を促進させる考えを繰り返し表明していることの表れである。
 ただし、女性閣僚を、改造するたびに4-5人と登用していくと、女性の人材が枯渇する。
 小渕経産、松島法務、稲田防衛と、途中3人が辞任したなど、女性の人材が育っていないことの表れであり、安倍総理の思惑は空回りしているのではないだろうか。

 ■ 2017年の第3次安倍内閣改造では女性閣僚はたった2人、となった。
 「女性活躍」という言葉が、実質的に成熟していないことの表れだ、と思う。
 
 2017年現在、自民党の議員は、衆院290名、参院126名の計416名。うち女性は、衆院25名、参院20名で、衆院8.6%、参院15.9%、全体でも10.8%と1割程度しかいない。
 今回の改造内閣で野田総務大臣兼女性活躍担当大臣と上川法務大臣の2人の女性が入閣したが、女性の割合は10.5%に留まる。女性議員の比率とほぼ同じで、私は当然の人数と思う。女性議員は一般的に若くて経験が乏しい。無理やり登用すると綻びが生じる。

 ■ 2018年10月の第4次安倍改造内閣では女性閣僚は片山地方創生担当相のみ1名。

 ■ 2019年9月11日の第4次安倍再改造内閣では、高市総務相、橋本五輪担当相の2人になった。総理の主張から見ると少ないがやむを得まい。

 今回、首相は「人づくり革命担当相」も新たに設けた。政府は「社会のあらゆる分野において、2020年までに指導的地位に女性が占める割合を少なくとも30%程度とする目標」を掲げている。掛け声は立派、机上の楼閣的で「30%」にする行程を明らかにすべきであろう。

 安倍政権ははこれまでに「女性活躍」や「国難突破」、「一億総活躍社会」といったさまざまなスローガンを掲げてきたが、結局はどれも積み残してばかりいるように見える。


10/4(金)午後雨 台風18号温帯低気圧接近 大曲外来 飯川病院ボランティア
1:10起床、新聞その他文献チェック何時ものごとく。5:30可燃ゴミ提出準備まで。台風18号温帯低気圧近接で風が強まる予定、ダリア簀巻きにする。7:35Taxi駅に。8:11こまち、往路徒歩9:10-12:15大曲中通病院。時間なく帰路タクシー。秋田到着時から降雨、Taxiで病院。13:30飯川病院ボランティア。患者対応なし。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計Σ10390歩。

私のジェンダー論(2) 女性活躍推進法とは
 2016年4月から施行された「女性活躍推進法」、正式には「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律」という。

 これについて調べてみた。ちょっと文章にまとめててみるといろんなことがわかってくる。

 日本の15歳~64歳の就業率は徐々に上昇しつつあるが、出産を機に離職する女性が多い。子育て環境が十分備わっていないことが問題であるが、社会的に長い間女性の就労についてそのような慣習があったことも確か。女性たちになんとかしなければ、との意識が生まれてくればいいのだが、・・・。

 日本の労働環境の問題点として、以下の特徴がある。
――――――――――――――――――――――――――――
■働きたくても働けない女性が約300万人いる。
■就業していても第一子出産を機に6割の女性が離職する 。
■再就職時はパート・アルバイト的になる場合が多く、女性非正規雇用者は56.6%にもなる。
■女性の管理職は1割程度と、国際的に見ても低い。
――――――――――――――――――――――――――――-

 この法の目的は迫り来る労働力不足の解消にあることは明確。より多くの女性に、より長く働いて欲しいという面から定められたもの。
 
 従業員301人以上の、国や自治体、学校、病院など含め、あらゆる企業、組織に女性の活躍を促すための行動計画を策定すること、などが義務付けられた。従業員300人以下の事業主には努力義務。ただし、この法律は10年の時限立法。この10年間でどこまで変わるのか。

 取り組み内容の例として
■「男性の子育て目的の休暇の取得促進」。
■「事業所内保育施設の設置及び運営」。
■「短時間正社員制度の導入・定着」。
■「若手に対する 働き方改革 」。
■「非正社員から正社員 への転換制度」、など。

 本法が施行されてから3年が経った。日経新聞ではこの法の影響についての調査を報告している。
 2018年12月時点で計画策定、届け出は99.3%。驚くほどの高比率に達している。
 男女別、年齢層別に集めた800人への調査では、働きやすくなつたとの回答は16.7%。その内容は、残業の減少と休日の増加、課長職になる女性も出て先に希望を持てるようになった、などなど。
 一方では、育児休業や残業管理のしわ寄せなどが男性側の意見に見られた。

 企業側の対応に思った以上の効果が出ている、と思う。従業員の実感はまだそれほど伴っていないが、それだけ職場環境が男性中心であったということだろう。法の期限という点ではまだ7年ある。この間どれだけ改善されるか?興味は尽きない。

 女性の意識が変わって就労がこれで大きく増えるのか?予断はできない。


10/3(木)雲午後から降雨風つよし 保健福祉推進員巡回 午後飯川病院 
 0:30起床。文献・新聞他。自炊数冊。10:00保健福祉推進員として虚弱老人巡回、問題なし。12:07バス飯川病院、14:00-18:45勤務、入院患者対応。19:10レガシー帰宅、夕食、21:00就寝。自炊10冊ほど。歩数計Σ7032歩。

私のジェンダー論(1) 女性活躍推進法から受ける違和感
 私は女性の存在と役割について、如何に高く評価しても仕切れないと思っている。女性を敬っている。そのルーツは、第一はやはり妊娠、出産、子育てに関連している。第二は、うまい表現はできないが、男である私は常に女性の存在を意識してきた。決していい事ばかりではなく、悲喜交々であったのだが、この歳になっても、女性がいない社会は考えるだけで殺伐としているだろう、そんな社会では生きていてもつまらない、と思う。

 ただ、このことを女性たちに述べると「それはセクハラ的意見だ・・・」、と言われることがある。

 男女に関して心底思っていることも言えない時代になってきた。なんでだあ?と思う。

 国際的に見て、わが国の女性の社会進出、活躍が乏しい、とされている。そのために女性活躍推進法が2016年に施行された。それ以降、政府も自治体もメディアも法律や政策の周知のため一生懸命である。周知のため一生懸命である、ということは社会が熟していないことの現れである。

 私は女性に対して理解ある方だ、と思っているが、そういう私にとっても残念なのは女性活躍という言葉がしっくり響いてこないことである。女性活躍推進云々と言われると何だかもやもやする。

 確かに、女性たちの活躍の場が無理やり抑制されている、とすればとてもいい法律だろう。
 女性活躍推進に関して、確かに社会の受け入れ態勢が未熟の部分もあるが、それ以上に女性自身の社会進出の自覚や準備ができていないのに、外側から無理やり意識改革を求めているように感じられる点にある。

 違和感の根本にあるものは、家事や育児より外で働くことに価値があると言われているようだ。日本の経済の低迷に女性が関連している?人手不足だって・・云々、いろいろ言われている。 

 女性活躍推進法の第2条2項には、「男女が共に協力して家事や育児をして就労を継続できる社会を目指す」という理念が書かれている。この理念は素晴らしい。

 誤解の背景には女性活躍社会の議論が一面的になりがちなことがある。 
 日本の女性活躍政策は、人口減少社会における経済活性化の一環として広がった。今の時代、女性就労が増えることによる税収増や社会保障財源の安定といった経済効果を期待するのは国の舵取りを担う立場からは当然だろう。 

 女性活躍は社会をよりいいものにするために必要なのだ。人手不足を解消するためではなく、税収のためでもなく、希望を持てる社会を作るために必要なのだ、という視点をもっと強調すべきだ。 


10/2(水)晴れ 終日飯川病院ボランティア 
 1:00起床。読書、録音データ整理と処理、新聞データ化、データ分類など。歴
史関連本読み。9:00家内に便乗飯川病院、院長大学受診でボランティア、外来患者対応、入院患者看取り。自炊。19:30帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計Σ5689歩。

家庭菜園・園芸2019(8) 我が家の庭の味覚 クリとリンゴ
 秋である。味覚の秋。

 今年の園芸の中では嬉しいことに、リンゴ、モモが多数の実をつけたこと。昨年までは何個か結実していたが収穫した記憶はない。今年は驚くほどの実の数であった。
 後者は小型の桃である。8月に入って十分熟したので毎日数ケずつ取ってデザートとして食した。肥料も農薬も一切用いていないからいくつかは虫に食べられていた。それだけ美味しく実ったということ。、問題のある実は集めて来年のために根の元に埋めた。

 いま熟しはじめたのはリンゴである。モモと同様無農薬無肥料なので実は小さく、表面はザラザラであるが、陽の光を十分に浴びていい色調になっている。
 私は畑でも花でも無農薬派である。リンゴ、モモに関しても散布する気もなかった。どうなるか心配な点もあったがあくまでも自然に任せている。

 先週あたりから熟したリンゴを数ケずもぎ取って味わっている。形も肌合いも悪いが皮を剥き切ってみると見事な出来である。私はリンゴが好きなのであるが、この時期に市場に出るリンゴに満足できない。すぐに柔らかくなって食感上満足できない。リンゴは完熟しないのをとってはその日のうちに食す。それが最高である。実の硬さは最高、味は甘みは乏しくやや渋いが新鮮味十分。私は岩手の片田舎で高校卒業まで過ごし、畑で色々作った。リンゴの木は3本あったが、その時に味わっていたリンゴの味を60年ぶりに再現でき、懐かしく味わっている。リンゴの品種は?私は知らない。


 (たわわに実ったリンゴ。固くて渋くて美味しい)

 もう一つ今たけなわなのがクリである。庭に一本ある。品種はわからないが、大きな実みが取れる。昨年ダリアの日照を確保するために枝をかなり落とした。そのために今年は結実した身は少ない。
 毎日、大きく口を開いたいがクリが数ケ落ちてくる。生でも美味しいが、焼いてよし、蒸かしてよし、クリご飯良しであるが、下作りに結構手間がかかるのが難点である。


 (今春伐採したケヤキの太い枝、私の作業椅子になっている。いが栗2ケ、その後ろに栽培中のネギ)

 我が庭では、次はカキが熟しはじめた。


10/1(火)曇りのち快晴 中通病院外来 飯川病院
 1:10起床、新聞・文献チェック、書籍電子化、徒然など。5:10家庭ゴミ出し。6:47バス飯川病院着、8:45-13:00中通病院外来、疲弊。昨年いただいた大谷のウエア、今年頻用。赤くて年寄りにいい。13:15飯川病院、14:00-18:30勤務。入院患者対応、19:00帰宅、夕食、20:30就寝。自炊数冊。歩数計Σ8168歩。

四季2019(9)早朝、秋田は濃霧に覆われた
 我が家の居間には今夏まで扇風機が数台唸りを上げていたが、エアコンがない部屋で留守番している78歳の賄いのばあさんは暑い暑い、と文句タラタラである。言外に何とかしてくれ、と言っている。私は今までは取り合わず無視してきた。老人を軽んじる「軽老罪」があれば抵触する可能性があった。
 「日中の暑さはひどく台所に立つ気がしない、日中いない人にはわからない暑さでしょう。ネコ達も喘いで呼吸しています・・・」などとのたまわる。
 今年はより暑い夏が予想されているだけに、私もついに折れ7月に居間にエアコンをつけた。
 居間は台所とつながっていて24畳ある。これに相応しいエアコンは通常のタイプでは無理。複数台導入するか、業務用のタイプとなる。今まで無かったのだから、カーテンとか扇風機を併用すればなんとかなる、と考えて200Vの15畳用のタイプとした。電源工事を含め20万円程度となった。ちなみに、ばあさんの2Fの居室には数年前にエアコンをつけた。

 結果は、快適となり、ばあさんに笑顔が戻ったが、私自身はエアコンのスイッチに一度も触っていない。一人の時は去りゆく暑さを楽しんだ。
 お盆には子供達、孫たちが集まってくるが、今年はとても評判が良かった。ジジババの歓迎の結果ではなく、エアコンがついたため、とクールな評価であった。

 今年は残暑も厳しかった。本音では私はもっと暑いままであって欲しいのだが、9月下旬になって秋田は日中は24-25℃でやっと猛暑から解放された感じ。
 ここ一週間ほどは朝夕の気温は急速に下がり始めている。中でも9月31日の朝は深夜・早朝から冷え冷えとし、通常私は一人の時は腰にタオルで作った巻きスカート(?)で上半身は裸なのであるが、久々にランニングシャツを着た。

 9月31日、白々と夜が明け始めた6時頃は一面霧に包まれ、秋の到来をはっきりと実感した。
 https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=78296d2a018a7c985e603e2f04116a2b&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MCZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2MmY2F0ZWdvcnlfaWQ9JnltZD0mcD0x#
 (6:30am出勤途中の町内の様子、若干霧が薄くなりはじめた)

 濃霧・霧が発生する条件とは以下の通り。
■空気中の湿度が高いこと。
■気温が冷え、水蒸気が飽和状態に達し、余分な水蒸気が細かな水滴になる。
■微小な水滴が光を散乱させたり、反射して見通が悪くなる。
■雲ひとつない晴天の朝で、短時間に急速に冷えること、放射冷却現象の朝に多い。
■無風状態にあること。、

 この日の天候の条件はまさにピッタリであった。
 今年の降雪はどうなるのか?今から気がかりである。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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