徒然日記
2019年8月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


8/31(土)雨午後から晴天 飯川病院午前外来、午後日直 大曲花火大会。
1:30起床、本読み、文献チェック。新聞データ化。7:22バス飯川病院、7:30-9:00早く病院に戻るという昨夜の当直医一部代行。患者対応一人。午前外来、数人来院、対応。12:00検食、午後日直に就く。微睡。読書など、自炊。17:00-19:00遅く病院に来るという今夜の当直医のカバー。その後、新聞電子化、19:00レガシー帰宅、大曲花火見ながら
夕食。今夜孫二人が泊まりに、大きくなったものだね。21:00就寝。歩数6925歩。

あおり運転(1) 2017年の事件以降社会問題化した
 車間距離を極端に縮めたり、幅寄せをしたりするあおり運転による事故やトラブルが後を絶たない。

 2017年6月神奈川県大井町の東名高速道路で夫婦が死亡したあおり運転事故を受けて、警察庁は18年1月、悪質で危険な運転には徹底した捜査をするよう各都道府県警に指示した。暴行罪の適用も視野に各地の警察は道交法などの法令を駆使して摘発に力を入れている。
 接近や並走を執拗に繰り返した場合、暴行罪が適用された事例もある。
 
 あおり運転に絞った摘発件数の統計はないが、2018年1-10月に全国の警察が道交法違反の車間距離不保持で摘発した件数は10873件超と2017年同期のデータに比し倍増した。このうち9865件が高速道路上で生じている。

 「前の車が遅くて腹が立った」。昨年5月愛媛県警が書類送検した30代の男はあおり運転の動機をこう語った。また、「バイクに追い越されて腹が立った」として追いかけ、あおり、時速90Kmで故意に接触して転倒させ死亡させた例、この例は事故に至るまでの状況が加害者のドライブレコーダーに記録され、あおりの証拠となった。

 本年8月10日午前6時頃茨城県守谷市の常磐自動車道上り線で、あおり運転をした後、前方の車を無理やり停車させ男性会社員を殴りけがを負わせた事件が発生した。
 新聞によると「降りてこいや」、「殺すぞ・・・」なと怒鳴りつけ、運転席の窓から拳で男性の顔面を複数回殴打し顔などにけがを負わせた、という。被害者のドライブレコーダーにはあおり運転を受けている様子が記録されていた。
 7月23日静岡市と愛知県岡崎市でも同じ車からあおり運転された、などの119番通報があり、茨城、静岡、愛知の3県警が連携し捜査を進めていた。8月16日全国に指名手配され、8月20日に大阪市東住吉区で逮捕された。その際、容疑者をかくまった同乗者も逮捕された。
 容疑者が乗っていた車は7月21日に横浜市内のディーラーから代車として3日間貸し出されたBMBで、20日間も返さず、この間2000Km走行しており、事件翌日の8月11日に代理人が返却してきたという。

 このあおり運転事件は、数々の特異な点がありマスコミでも大きく取り上げられ、NHKラジオニュースでも連日のごとく、呆れるほど頻回に報道された。逮捕後に判明した奇異な点も少なくない。
 単純かつ幼稚な、しかしながら重大な事件であった。
 被害にあったドライバーの状況はあまり報じられていないが、それほどの外傷はなかったように思われる。心に負った傷はとてつもなく大きいだろう。


8/ 30(金)早朝降雨小雨終日 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
 0:20起床、新聞・文献他、本読み。可燃ゴミ提出せず。7:30Taxi、8:45-12:00大曲中通病院往路徒歩、復路不可、定額小為替購入。13:30飯川病院ボランティア。19:00Taxi、自宅に、オーディオ回路検討。夕食、20:30就寝。書籍データ化。歩数計6025歩。

本 松本清張 「黒い空」 1996年 角川文庫(2) カラスと歴史が織りなす世界
 この作品の雰囲気を作っているのはハシブトカラスの大群である。ハシブトカラスに覆われた「黒い空」が不気味。カラスの描写、特に中盤の無数のカラスが舞うシーンの禍々しさの表現はとても素晴らしい。この場面だけでも読む値がある。カラスが嫌いでない私も何度か読み返した。

 清張氏の作品は手口やトリックもすばらしいが、それよりもその背景に視点を置いた作風という印象があり、芯の通った女性像の描写と、対照的に一見何か”が欠落している欠陥男性像を描く。本作では見ていてイライラするほど鈍い婿養子と聡明な事業家の妻が描かれる。事業をめぐっての両者の立場も鮮明で面白い。妻を殺した後、秘書である共謀者と殺害を隠蔽するシーンは緊迫感がある。その中で重要な役目を果たすのは死臭。「殺害は簡単、遺体処理は困難」そのもの。それにカラスである。

 イントロも長く、結論も長く、歴史の話はあまり知識のない私にはちょっと退屈で読むのが苦しかった。長い歴史解説を除けば、長編としては読み応えがあった。河越夜戦についての記述部分は把握するまでに時間を要したが、慣れると一気に終わった。

 川越は直接的な舞台ではない。象徴的にはかなり重要だけれど、上杉家の歴史と上手に絡み合わせて用いられている。氏は執筆時74歳と私と同年代で書き上げている。よくこんな詳細な史実を組み合わせて一本の作品に仕上げられるものだ、と関心する。

 事件自体に、何代にもわたる上杉家同士の確執、室町時代の関東管領である扇谷と山内上杉家の因縁が背景となっている、らしい。400年前の一家一族の怨念を持ち続ける執念はすごい。ここまで復讐の気持ちが強いとは驚きである。戦国時代の敗将の末裔が現代に復讐を果たそうとするというトリックも、途中で登場する郷土史愛好家の推理によってうまく説明が付いている。

 松本清張の作品は私の好みである。特に、本作のような女性がらみは好みである。しかしながら、時代背景の説明などはあまりにもクドく、粘着性であり、これが氏の特徴と思っていても、読み進めるのに困難さを感じることもある。

 今回、終活を通じて松本清張を再発掘している。まだまだ読みたい作品が私の電子書棚に並んでいる。次に何を読み返そうか?時間との小競り合いが続く。


8/29(木)曇り、快晴 飯川病院 職員検診
1:10起床。新聞雑誌データか。録音データ整理。ダリアとネギの世話、11:10バス飯川病院、午前検診に間に合わず、12:00-18:45飯川病院ボランティア、15:55職員検診にギリギリ間に合う。14652歩。

本 松本清張 「黒い空」 1996年 角川文庫(1) カラスと歴史が織りなす世界
 社会派ミステリー、歴史小説、ノンフィクションなど幅広い分野で活躍した作家の松本清張氏は今年生誕110年を迎える。
 氏の作品は私はかなり好んできた。受験勉強から解放され、新潟大学の学生寮で貪るように読んだ記憶がある。多分、今まで100冊以上は読んだ、と思う。氏の作品は単に面白かったというよりは作品を通じて昭和史の勉強、政治の勉強、時代の世相の理解にもつながったと思っている。

 その中でも、GHQ占領下の日本で起きた怪事件を取り上げた「日本の黒い霧」、大正末期の陸軍機密費問題から二・二六事件までの背景を探った「昭和史発掘」といった作品は大きく役立った。

 氏はそれまで誰も手の着けなかった分野に挑んだ、といえよう。
 事件や事故をめぐる秘密だけでなく、社会から排除されこ人たちにも光を当てようとした。私の読書歴は氏の作品の初期から中期で止まっているが、その後も氏の作品の手法の流れをくむルポやドキュメンタリーを好んできた。

 今私は終活中で蔵書を次々に処分している。捨てるに忍びない書籍は自炊して電子化して保存している。先月から氏のシリーズに手をつけ始めたが、惜しくて捨てられない。ほとんど全部を電子化してiPadに入れ、時間を見ては読んでいる。
 最近、再読中なのは「日本の黒い霧(1960年)」、「昭和史発掘(1972年) 」、「点と線(1958年)」、「神と野獣の日々(1963年)」北朝鮮2017(6) ミサイル5発東京に向かっている!!!  書評:松本清張「神と野獣の日々」(1) 昭和38年 角川文庫、・・・・である。

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 今回読切ったのは「黒い空(1988年)」作、1996年角川文庫化された。何冊かある「黒いシリーズ」の一冊。

 作品の筋書きは単純である。

 辣腕事業家の山内女史が始めた八王子郊外の結婚式場「観麗会館」は大繁盛だった。しかし、その会館の上空を不吉なカラスの群れが飛び交い、徐々に評判に陰りが生じてくる。経営をまかされていた婿養子である夫はある日、口論から激情して妻を殺してしまう。死体を会館の名所である「岩壁」に埋め込む。名実ともに経営の代表者となった社長の門出を祝う式場が奇しくも山内女史の墓場となり、その上空を不吉なカラスが飛び交い、新たな事件が発生する。

 この作品の題名の背景になっているのは、ハシブトカラスの大群である。私もカラスに今日にがあって勉強中であるが、氏の筆にかかるとその生態が見事に浮き上がってくる。
 歴史と上手に絡み合わせているところも捨てがたい。


8/28(水)快晴 飯川病院ボランティア 
1:00起床、文献検討、新聞チェック。12:07バス飯川病院、院長外出予定、新聞チェック、微睡。特に患者対応求められず。読書と書籍データ化進める。19:00帰宅、夕食、20:00就寝。歩数計8168歩。

#KuToo運動に思う(3) 私のハイヒール(?)体験
 ハイヒールは一般に、かかとが7cm以上の婦人靴を指す・・と言われている。
 1600年代、フランスで町の汚物を踏むまない様に工夫された靴だという。そのような目的があるのなら納得できるが、現代において「ハイヒール」は最も非生理的な履き物と言い得るのではないだろうか。

 これは女心を知らない私の個人的感想であるが、見た目だけからの感想ではない。私は疑似体験がある。
 
 2003年10月、私はテニスをしていて右側のアキレス腱を切った。痛みは殆どなく、立てた。ソロソロとならどうにか歩けた。体験して見てわかったのであるが、症状は教科書に書いてあるのとちょっと違っていた。

 救急外来で整形外科医の診断は「完全離断、明日手術」であった。局麻で縫合術を受けたが、術後はアキレス腱に負荷をかけない様に右足関節を過伸展した状態でギプス固定された。ギプスは長靴型で膝下から指先まで覆うタイプで、縫合したアキレス腱に負荷がかからない様に10cmほどの高さのヒールがついていた。ヒールは5mmほどの薄い板を接着した構造で、経過によって一枚ずつ剥ぎ、徐々にフラットになるように工夫されていた。術後、松葉杖を用いて歩行できたが、右はハイヒール、左はスニーカーを履いた状況であった。約2ケ月経て徐々にヒールの高さは減じられ歩き易くなったが、この間ヒールの高さと右足の機能について観察・考察できた。

 通常の歩行はかかとから床面につくのであるが、ハイヒールではかかとと爪先を同時に接地させる必要がある。そのためにふくらはぎの主な筋肉である腓腹筋は常に収縮した状態になる。そのことでふくらはぎがよりほっそり、足の形がよく見えることになる。
 また、「がに股」、「猫背」は似合わない。だから、目線が下らないように背筋をぴんと維持し、一本のベルトの上をなぞる様に歩かなければならない。

 こんな状態での歩行は異常であって、つまずきやすいし、骨格、筋に対して無理な緊張・負担をがかかり、長期に及ぶと骨盤が歪んだり、外反母趾、下肢の浮腫、腰痛、肩こり、などその影響は全身に及ぶ。

 かかとを高くすると靴の中で足が前方に滑り、体重が極端に爪先方向にかかる。更に、靴が足の形を無視してつま先に向かって絞られている。だから、足指の自由がなく指の付け根で体重を支える事になる。長期間の着用は筋力のバランスと指間の靱帯を弛緩させ、足の骨格を歪ませてしまう。爪先保護用のクッションやバンド、前滑り防止の中敷きなども用いられている。
 そこまでして・・と、私はハイヒール女性に尊敬の念を抱く。

 #KuToo運動には関心がある。もちろん多様な価値観があって然るべきだが、靴を含め締め付けない服装、全てにゆるゆるを好む私には、女性の体の締め付けは理解しがたい世界である。#KuToo運動を通じて「やはりそうなのか・・」と女性の一部の考え方、悩みを知ってホッとした。


8/27(火)快晴 外来 飯川病院 
0:30起床、文献検討、新聞チェック。5:30可燃ゴミ集積所に。6:47バス飯川病院、8:45-13:30中通外来、週一回の外来になったので混雑、疲弊。13:45飯川病院。14:00-18:30飯川病院。微睡、入院患者対応、19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計8270歩。

#KuToo運動に思う(2) 女性の素足は美しいか?
 #KuToo運動は2019年初頭から話題になった。靴嫌いの私は、今更ながら溜飲が下がる思いで見ているが、この運動に対しては必ずしも賛同だけではないようである。多様であって然るべきだが、辛くない方もいるらしい。私から見てよくわからない。

 私自身は身体を締め付けるような服装やアイテムは決定的に嫌いである。だから普段はだらしない格好に見えるようだ。 
 靴下と靴、ズボンのベルト、首を絞めるワイシャツ、ネクタイは決定的に嫌い。腕時計も持たない。現役の時には社会的立場とTPOを考えて仕方なく着用していた。

 靴下は違和感があって履いていると気分が悪くなる。働く意欲がしぼんで行く。外来や事務処理の時はひんやりした床に触れる素足の感触がとても良い。だから、今でも外来などではスリッパも脱いで素足で過ごす。
 
 靴はもっと辛い。ほとんど履かない。日常はスリッパ生活である。
 別に荒れ地を歩くわけでもないのに何で人は靴を履かねばならぬのか、と思う。
 そんなことを言っても始まらない。社会の習慣、常識的姿だからだからやむを得ない。でも、私はできるだけそれに反してきた。靴は臨時的に最小限履くだけ。私は70年以上生きてきたが、今まで革靴なるものを2足しか買っていない。必要がなかったからである。

 靴がいかに私にとって不自然な履物であるかは靴擦れや歩行時の窮屈さが示している。頭痛も生じる。履き続けなければならない状況の時は見えないところでは脱いでいる。

 靴売り場に行くと、新品の靴は機能性よりファッション性が優先されていることがよく分かる。紳士靴もそうであるが、特に女性の靴は、これが「人間の女性が、足に!!!、履くものか?」、などと思うものばかりで、芸術的造形で、美しささえ感じる。

 靴の形と女性の足の形に大きな差を感じ取るから、こんなのを履くことは拷問なのではないか?と私はかなり前から思ってきた。昔、軍隊では配給された靴に文句を言うことは許されず「靴に足を合わせろ」などと言われたものらしい。この辺のことは大岡昇平作「靴」に詳しい。同じことが今でも通用するようだ。靴も足に適応して行くにはかなり変形を余儀なくされるから、丈夫でなければなるまい。足も同じ。双方が耐えて凌ぎ合いを繰り返している。何か不思議な世界である。
 こんなのを履いて、女性は具合悪くならないのだろうか?と心配になる。

 私は靴に関しては自分も辛いだけに、特に女性の靴文化に対してはこころ穏やかにはいれない。望むなら解放してあげたい。だから、#KuToo運動には関心がある。2012年頃にも同じ様なことを考えていた。馬子にも衣装とは(3)靴(1) 苦痛より美しさの探究


8/26(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 0:30起床。文献、新聞チェック。データの電子化。6:47バスと徒歩飯川病院。新聞チェック、9:00-11:00健康クリニック、ドック診察15名。先週分の結果判定。11:15中通病院医局で書類書き。13:00飯川病院へ、微睡。 14:00-19:15勤務。19:10帰宅、夕食。21:00就寝。歩行Σ8435歩。書籍の自炊化。

#KuToo運動に思う(1) 辛いだろうな
 女性のファッションについて、つい先日まで私は辛い装いも、一部は強制されたものはあるだろうが、求められる状況に女性が納得して自発的に応じていたものと思っていた。

 女性は体を締め付ける。その代表は欧米のコルセットであろう。数人がかりで締め上げてウエストを細く見せようとしている名画が多数残っている。例としてエリザベート王妃の肖像画、映画「風ととも去りぬ」の主人公など。風刺画の中には、内臓が飛び出すのではないかと思われるほど苦痛に喘ぐ表情の女性も記録されている。
 日本の和装でも5-6本ほどの紐が用いられ体を締め付けている。

 女性は下着類でもボディスーツで締め上げ、胸にはブラジャーをつけ、足にはストッキング、さらに足の形と全く異なる形状の靴で足を締め上げる。
 さらに化粧も必要、持ち物にも気を配るなど女性に求められる無言のプレッシャーは限りない。私は女性の気持ちなどわからないが、そこまでして「美しく??」見せなければならないとすれば大変なものだ、気の毒なものだ、と思ってきた。

 本人たちはどう思っているか? 疑問であったが、#KuToo運動が示唆を与えてくれた。
 本年初頭から#KuToo運動なるものが話題になり始めた。セクハラの#MeToo運動に語呂合わせしている。

 #KuToo運動とは、女性が職場でヒールのあるパンプスを履くよう強いられることに異を称える運動である。葬儀場でバイトをしていた俳優の石川優実氏(32)が1月に「なんで足を痛めながら仕事しなければならないか??」と発信、賛同が広がったもの。マスコミでも広く取り上げられた。 

 氏は2月にネット署名を始め、厚労省に約18.800人分の署名と要望書を届けた。「企業がパンプスの着用を女性のみに命じることは性差別、ジェンダーハラスメントに当たる。禁止する法規定をつくって欲しい」などを求めた。なお、個人的好みでパンプスを着用する場合はこれを否定しない、との立場。

 私は接客業に従事する女性たちに接する機会はないから実感はないが、かなりの企業・職場で女性にパンプスを履くことを定めているらしい。某新聞の調査では、調査対象の母集団は少ないものの、半数以上が靴について何らかの規定があったという。特に、ホテルや航空業界ではヒールはおおむね3-5cmなどと細かく決めている例が目立った。フラットなスニーカーなどをはく時は「異装届」を求めている企業もあった、という。 

 必ずしも賛同だけではなく、パンプスの着用は女性のマナーの範囲、という意見もある。
 パンプスの着用は外反拇指や腰痛、頭痛など原因になるだけに、仕事で本当に必要なのか? これを機会に改めて問い直そうとする企業も出始めているらしい。 


8/25(日)快晴 飯川病院日直 
0:30起床、本読み、データ整理他。8:30バス飯川病院。日直業務に着く。患者対応無し。新聞入力、らじるらじるNHKのど自慢、微睡。13:30-14:30某診療所医来訪歓談。読書進める、データ整理中心。17:45レガシー帰宅。以降は文献読み、新聞切り抜きなど。19:00夕食。歩行Σ18177歩、本当かな?。

マスコミ報道 感想:ワンパターンの結語に責任を果してほしい
 私の情報源は、新聞 >>ラジオ >書籍・文献 >>TV >ネットの順だろうか。
何と言っても第一は新聞である。 

 私は情報を集めるにあたつては次のことに留意している。
 ■ 過剰な情報は無に等しい。収集範囲を狭める。
■ 形が無いから真偽の見極めが必要。
 ■ 悪意の情報に操られてしまう危険性もあるが、今のところ実害は被っていない。
 ■ 受け手によつて別の意味を持つ情報もある。
 ■ 有益情報・必要情報の入手は自ら行勣して得る。
 
 私の情報の多くは新聞から得ている。とても役立っている。毎日これだけの情報を文章化する業務に携わっている関係者の努力には頭が下がる。

 TV、ラジオもそうであるが、新聞の報道等にはほぼ決まりきった終わりの常套句がある。特に小さな事件の報道に見られる。ほぼ同様の表現である。
 「・・事故の原因については現在調査中である」、「・・県警が捜査を進めている」、「第三者委員会を作って検討する予定である」、などなどである。
 ところが、軽い内容の記事の場合、十中八九その後の情報が報道されることはない。

 私は記事に関心を持った場合、その後の報道に期待することは大きい。
 しかし、その後は一般的に「なしのつぶて」である。本来は「なしのつぶて」とは「働きかけたのに応答がない」ということだから日本語としてこのような用い方は誤っているのだろうが、記事の結語が上記のようにあれば、その後の報道を私は「心の中で」大いに期待している。

 新聞報道に出るような何かの事件があれば関係者が対応しているのはあたり前である。ならば、わざわざ「検討中である」などと記事にした、ということはその後の経過を報告する、ということではないのだろうか。

 結びの言葉としてはとても便利なのだろう。しかし、手紙の「敬具」とか「かしこ」的使い方では困るのだ。

 もう一つ気になるのは、NHK TVでよく見られるが、ニュース番組で住民や関係者を登場させることである。最短では1秒程度の「怖かったです」のコメントもある。ちょっと長めの数秒程度では「びっくりしました」、「大きな音でした」などなど。NHKがフェイクニュースを流しているなどと疑っていないからこのような当たり前すぎる関係者のコメントを流すのはやめてほしい。
 また、子供を登場させての「とても楽しかった・・・」、「美味しかった・・」などもやめよう。「ぜんぜん楽しくなかった・・・」、「とても不味かった・・」などの特記すべきコメントがあったら取り上げてほしい。普通でない、特別の感受性を持っている将来の逸材かもしれないじゃないか。


8/24(土)曇快晴 草刈り中心
 0:15起床、新聞・文献他、本読み。午前5周目の草刈り北側から開始、日差しは強く汗びっしょり。午後に北側終了。微睡ご書斎の整理、Blu-rey:「読響定期、英雄、シューマンVc協奏曲」、「ららら、トルコ行進曲」,「題名の無い:霧島音楽祭33名Vc」、19:00夕食、20:30就寝。歩数計8648歩。

日本の食文化の崩壊2019(13) ウナギ(3) 代替品?さんまの蒲焼も十分美味い
 今は食材の代替品が出回っている。代替品といっても人口的に作ったもの、類似の食材を偽って用いているもの、など様々である。実態を知らなければ何を食べさせられているか気がつかない事もある。このような食材をコピー食品というのだそうだが食品に対して実に軽薄な呼び方である。

 一般に「蒲焼」といえば「ウナギの蒲焼」を指すことが多いが、今年は「うな重の特上」など6?8千円で提供されている専門店もあり、私など最後の晩餐ででもなければとてもとても。

 ウナギ蒲焼用代替食材の発掘・開発が進められている。
  ■大型スーパーのイオンはニホンウナギの調達を2023年までに止める方針とした。代替品として東南アジア原産のにピカーラ種ウナギのかぱ焼きを提供する。いい試みである。ただピカーラ種も準絶滅危惧種に指定されており全てを置き換えるのも難しい。そのほかの代替品も検討しているという。 
  ■ウナギ蒲焼の代替品として工夫されているのが、ナマズ、サバ、サケ、サンマ、イワシ、ハモ、アナゴ、ドジョウ、ムツゴロウ、カワヤツメなど。このうち、アナゴは代用品の中では食感が最も似ているとされる。
  ■ナスの蒲焼もある。   
  ■某大学生協では蒲焼のタレをかけた「たれめし」が人気、という。
  ■ウナギ風味のカマボコ(蒲鉾)もある。

 このうちのいくつかは私も試して見たが結構面白い。商品にこぎつけるまでの関係者の努力に脱帽である。

 私は20年ほど前、同僚たちと食事中に「あー、やっぱりカニはうまい!!!・・・」、と感極まった喜びの声を聞いた。一瞬、嘲笑的冷ややかな雰囲気が流れたがそのまま食事会は終了した。そのカニはカニ風味の蒲鉾であった。私は彼は「最高に幸せな人」と思った。私は蒲鉾と知っていたが美味い、よく出来ていると思うから「準幸せ人間」である。

 代替品開発とは意味が異なるが、2013年に大手一流ホテル・百貨店レストラン等の高級メニュー表示における、産地や食材の虚偽表示・偽装表示が相次いで発覚した。騙す方も問題だが、価値をわからないままお高い金を払って満足していた客は実は「幸せ人間」だったのだ、と思う。
 騙して暴利をむさぼるなら別だが、代替品であることを明示し、美味しく提供してくれればそれでいいと思う。


8/ 23(金)早朝降雨午前晴れ夕降雨 大曲中通病院 飯川病院ボランティア  
 0:20起床、新聞・文献他、本読み。雨の中5:10可燃ゴミ提出。7:30Taxi駅東、8:11こまち、9:00-12:00大曲中通病院、駅病院間徒歩、秋田も徒歩。13:30飯川病院ボランティア。18:45Taxi帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計16458歩。

日本の食文化の崩壊2019(12) ウナギ(2) ウナギの完全養殖はどこまで進んでいる?
 私どもが食べているウナギは全て天然ウナギである。うなぎの産地として浜松は有名であるが、ここでは各地の沿岸で漁獲しで取れたシラスウナギを養殖して製品化しているだけ。

 日本でのウナギの人工生産の研究開始からおよそ40年を経た平成14年、世界で初めてシラスウナギの人工生産に成功し、農林水産省の報告書によると、平成22年に 完全養殖を達成した。
 ウナギの養殖産業にとってはシラスウナギを安定的に確保が年々困難になり、ニホンウナギはクロマグロとともに「絶滅危惧種」に指定された。
 ウナギの人工的な種苗量産を求める声が高まった。

 ウナギの完全養殖はとても難しいらしい。新聞記事などをもとにまとめて見た。
  ■ ウナギの繁殖生態はよく分かっておらず、最近までどこで生まれるのかさえ不明であった。ウナギから卵をとるには、まず性成熟させて卵を産める状態にする。人工飼育では性成熟の進行や産卵を起こすホルモンによる情報伝達系が正常に働かなくなる。まずそれに対する研究と技術開発が必要であった。

  ■ウナギは養殖環境ではほとんどの親がオスになる。人工飼育でも同じだったため、母親候補のウナギには成長期の初期に女性ホルモンを加えた特別な餌を与えメス化するなどの研究も進めた。

  ■さらに大変なのは、ふ化した仔魚の飼育。人工ふ化仔魚がサメの卵を食べることがわかり飼育が可能となった。サメの卵などの材料を調製した餌を2時間間隔で1日5回、長いガラスのスポイトで静かに流し込む。水槽内は常に清潔に保つのは勿論のこと、光の色もアクリルの円形水槽も、注水装置も試作・改良を繰り返した。

  ■シラスウナギ量産化への課題
 こうして世界で初めて人工養成ウナギから人工受精によって世界初のふ化仔魚が誕生し、完全養殖に成功した。しかし、課題は人工シラスウナギの大量生産をいかにクリアするかで、まだ解決には至っていない。まだ1万匹程度の生産だというが、日本の食文化であるウナギ安定供給のためには1億匹は必要と言う。本格的な実用化には費用や技術の面で多くの高いハードルがあり、実現は容易ではない。仔魚の飼育に必要なサメの卵などの入手も困難。関係者はさらなる技術の確立に力を注いでいる。

 上記が日本ウナギの完全養殖の概要と到達点である。関係者の努力には頭がさがる思いである。
 かつてはクロマグロの完全養殖も同様の困難さを抱えていたが、今では商品化されるにまで至っている。

 私にとっては、日常の食材としてウナギもマグロも必要ない。日本の漁業は危機に瀕している。TV、雑誌、新聞などを見ても食に対する情報ばっかり。なんでもお金さえ払えば手に入る現場で、食料に関しての危機意識が乏し過ぎるように思う。
 日本人は食べることにしか興味がないのか?とさえ思ってしまう。
日本人の食を考える(1) 日本人は食べることにしか興味がないのか?


8/22(木)快晴暑い 午後飯川病院勤務
1:00起床。文献・新聞ほか処理、読書。iPad Pro用書見台作成。自炊多数、松本清張昭和史発掘シリーズ。畑、収穫、ネギに土かぶせなどの作業若干。12:07バス飯川病院へ。14:00勤務、入院外来患者対応、新聞チェック、書類等処理。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計9048歩。

日本の食文化の崩壊2019(11) ウナギ(1) ニホンウナギの稚魚激減
 私はウナギが好きだ。ただ、ニホンウナギの漁獲量は激減している。今、私どもが食べているウナギは全て天然ウナギである。稚魚を採取して養殖されている。最近、科学的検討から絶滅危惧種に指定された。そうであれば、私は、ウナギを食べたいとも食べる必要を感じない。

 水産庁の推計によると、養殖に不可欠な稚魚シラスウナギの国内捕獲貴は本年は3.7tと前年に比べて6割減り、6年ぷりに過去最低を記録するらしい。大雑把な統計らしいが1960年代に比べると60分の1ほど。国内養殖施設に必要な量を確保するため、稚魚の輸入依存度は7割に達している。
 
 7月27日は土用の丑の日、例年ウナギの消費量はピークを迎える。土用の丑の日は江戸時代からの風習なのだそうだが、商業主義的イメージに加え、食品軽視、遊び半分のイメージが払拭できない。私は、丑の日や恵方巻きを食べる日などは不快に思っている。食べたければ年中いつでも食べればいいのだ。

 日本のウナギは大部分は稚魚シラスウナギから養殖される。全て天然ものである。輸入を含め、不透明なシラスウナギの流通の改善を急がなければ資源危機は深刻になる。
 シラスウナギの取引価格は昨年の平均値か1Kg300万円程度、今年も200万円以上だという。

 資源の減少が取引価格を高騰させ、密漁や不正流通を生んでいる。アジア地域からの不正な輸入も多い。香港ではシラス漁の実態がほとんどないにも関わらず、日本向けの稚魚輸出が多い。稚魚の大部分が輸出を禁止している台湾などから不正に持ち出されたものが、超高値で買ってくれる日本に向かっている、とされる。
 資源保護のためにも悪循環を早に断たなければならない。

 アジア地域に生息するニホンウナギの資源が減った要因には河川の環境変化なども指摘される。しかし、量大の要因は過剰な漁獲にあるとされている。特に日本の食生活が果たしている責任は大きい。 

 日本だけでなく、中国などでもウナギの消費が増えている。日本がけん引して漁獲規制を各国にも瞰底して不正な流通を根絶させなければならない。

 完全養殖によって生産された人工シラスウナギの供給はまだ試験段階である。マグロもかつてはそうだったが、近年完全養殖が可能になった。ウナギの人工稚魚を供給できるようになるまでは消費量を抑えるために他の魚などの代替利用も工夫しなければならない。私は料理オンチ、味オンチだから、サンマの蒲焼をほぼウナギと同じように楽しめる。オンチはある面では幸せだ。


 8/21(水)快晴暑い 午後飯川病院ボランティア
0:30起床。文献・新聞ほか処理、自炊、読書。畑、庭に散水。12:07バスにて飯川病院へ。ボランティア。外来患者対応、新聞チェック、書類等処理。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計6534歩。

ファミレス(2) 労働力不足をなんとするか
 外食産業として、この状態は異常であるが、どこに問題点・責任があるのだろうか?待ちながらつらつら考えた。

 ■基本的には人口減。 
 ■少子高齢化で若者が減少、さらに県外流出増。
 ■ 大学生などのバイト人口の減。 
 ■ 最低賃金の伸び悩み。
 ■ 外国人の労働者の受け入れ体制の遅延。
 ■ ユーザーに不便させても通常運営しようとする経営者の姿勢。
 ■・・・・

 日本は人口減を容認する政策に舵を切っている。だから、このような状況になりつつあることは容認しなければならない。それにしても、ユーザーの満足感を阻害しない程度の状況改善は必要であろう。それが不十分だと経営に傷がつきかねない。

 一昔前は大学生は夏休みはバイトの掻き入れ時であったが、どこに消えたのか? 他の条件の良いバイトに流れたのか?それとも経済的に問題がなくなったのか。
 
 県人口のピークは1956年の134万9936人、その後徐々に減少し2017年4月には100万人を割った。知事は若者が県内に定着するため、賃金や就業環境の向上に取り組2と語ったが、遅すぎる。

 県内は平成の30年間に少子高齢化が急速に進んだ 
 ■65歳以上の割合は14.8%から36.4%に。 
 ■14歳以下は18.4%から10.0%に。 
 ■死亡数>>が出生数。出生数は国内最低。自然減はもう止まらない。
 ■県施策の根底は若者らの県外流出抑制、県外からの転入促進策。
 ■少子化対策局の設置、結婚支援、保育料助成枠の拡大など。 
 ■人口減少対策に237億円を割り当てる。一体何をするつもりかな?

 2014年に衝撃が走る。民間研究機関の試算で県内25市町村のうち大潟村以外は2040年までに消滅する可能性があるとした。   
 県の人口減少対策がきめ細かくなつたのは遅すぎる。国内でも人口が減少し高齢化が進んでいるときに秋田県に人を呼び込もうとしても効果は乏しいだろう。    
 総務省によると、秋田県は18年転出が転入者を4435人上回った。経済活力低迷のため。

 つらつら考えたが、私の中で答えは出るはずもない。年寄りの戯言に過ぎない。それなりの立場の方々に託すしかない。


8/20(火) 降雨 外来 飯川病院 
 2:00飯川病院で起床,昨夜半から降雨続く。論文読み、データ処理・整理他、7:00検食。8:45-13:50中通病院外来。盆明けで混雑、紹介状書き時間なく対応に難渋。14:00飯川病院、14:00-19:00勤務、入院患者対応、散水ほか。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計9941歩。

ファミレス(1) 労働力不足で機能低下?
 私はめったに外食しない。殆んどない、と言っていい。
 新聞紙上などでは秋田県の労働力は不足していると報じられ、そのために閉店を余儀なくされるレストランとかもあるというが、私は自分では体感した事はなかった。

 今年の盆の墓参り兼家族ミニ旅行で、「これが労働力不足の現実か??」、と思われる経験した。

 我が家の墓参り兼家族ミニ旅行は総勢12人で秋田から岩手に行く。車3台に分乗することもあるが、私が新幹線で盛岡に向かい、ワゴン車を含む2台で動くこともある。今年は3台で動いた。
 いつもは互いに別行動で、昼頃に盛岡近郊の郷土料理レストラン「ひっつみ亭」で合流する。今年は墓参りが火曜となった為に「ひっつみ亭」は休みであった。

 私が便乗したワゴン車、大人3名、子供3名、は南部屋敷に立ち寄った。
 南部屋敷は秋田岩手両県で20店舗ほど、東北、北日本で合計30店舗も展開している中堅のファミレスで、盆の時に何回か利用している。今まではサービス面とかでそれほど不満を感じた事はない。

 駐車場には車が並び、エントランス周辺では10家族ほどが順番待ちしていた。今年も盛況・・と思ったが、申し込みノートに名前を記載する際に店内を見たら70席ほどのうち7割くらいしか埋まっていなかった。これなら早いだろうと思って待ったが、客の回転が極めて遅い。
 みるとウエイター・ウエイトレスが4人しかいない。そのうちの初老の女性一人は会計も担当していたが、不慣れであることがよく分かった。

 要するに店舗の規模の割に客室係の従業員が極端に少ない状況にあった。私どもが席に着くまで約1時間、席に着いてからも30分以上待たされた。注文は蕎麦を中心とした比較的単純な料理であったが、食事終了まで2時間弱要した。

 外食系の店舗としては、特に、ファミレスレベルとしては決定的に機能低下であった。私の感覚ではファミレスは子供連れなどで気軽に利用出来るところが最大のセールスポイントだ、と思う。その為、重厚な雰囲気は要らない。多少は軽薄短小でいい。時間も短く済み、比較的安いことが重要だろう。

 今回は私にとってわずか一店舗だけの経験である。一店舗だけの、一時的な現象ならいいが、もし、この状況が続くなら顧客離れが進むだろう。その中で従業員はキビキビと働いていたのが救いであった。

 待ちながら、なぜこんな状態なのかを考えて見た。 


8/19(月)晴れ 健康クリニック 飯川病院午後勤務+当直
 1:00起床。文献・新聞、医学論文チェック、先週分溜まった文献その他電子化。7:05バス飯川病院着。新聞切り抜き、9:00-11:30健康クリニックドック15名。11:45飯川病院、入院患者対応、花壇に散水。読書、微睡、新聞切り抜きなど。14:00-17:00勤務そのまま当直に。18:00検食、19:45就寝。歩数計6418歩。

横手市増田まんが美術館(3) 京都アニメーション放火事件に思う
 増田まんが美術館を訪問して漫画の原画の緻密さ、迫力、美しさに感動したが、常に心から離れなかったのはのは「京都アニメーション」(京アニ)の悲惨な放火事件である。あれから1力月がたつ。

 京アニ放火事件について、新聞から集めた情報をまとめてみた。
 事件は京アニ一階の第1スタジオに男が侵入、ガソリンを撒いて放火したことで、同社の74人が被害に遭い、うち35人が死亡、33人が負傷した。負傷者は7月末の時点で、犯人を含め、重症8人、中等症6人、軽症20人。警察庁によれば「放火事件としては平成期以降最多の死者数」だという。また、某紙は「戦後でも最も死者が多いとみられる」と報じている。

 第1スタジオは全焼し、制作中の資料は焼失。しかし、デジタル化されていた原画などを収めたサーバーは焼損を免れ回収された、という。
 京アニの放火事件では、カナダや台湾の首脳、国連事務総長、フランスなど各国の大使館、米アップルのティムクック氏らか追悼の意を公表、米アニメ配給会社がクラウドファンディングで募金を集め、中国の動画関連業か支援の声明を出すなど、手をさしのべる動きが世界に広がる。それだけ京アニの作品は全世界に浸透していたことになる。
 全世界からの支援は合計で約20億円近くに達している模様。

 私は事件で初めて京アニの名を知った。

 事件後、哀悼文も数千集まっている、という。「モノクロだった毎日に、様々な表情、風景、そして色を与えてくれた京アニ。ありがとう・・・」、「京アニ作品に救われた自分か確かにいます・・」、「アニメの楽しさを教えてくれたのは京アニでした」、などなど。外国からも多数寄せられている、という。
 
 世界の若者らに「心を救われた」と語らせる京アニ、何かここまでの思い入れを生んだのだろうか。 

 フリーとしてでなく、社員として描き手を抱え、質の高い作画をする会社として業界で知られていた。スタッフの資質の高さに加え、スタッフ間の親密さも作品のレベルを押し上げた、という。 

 京アニが描いたものは、従来のアニメのような、異国ての冒険、宇宙、決闘などではなく、セクシーなヒロインでもなく、どこにでもある街、何気ない動作、日常活動やスポーツなど、という。小説同様、描くアニメ画すべてに作者の思いや意味がこもる。ありふれた風景や動作を緻密に描くとしたら、作り手がそこに価値を見いだしているからである。
 その作品を見た人は、自分自身に、また、さりげない日常に価値を再発見する。一見、平凡に思えた自分のおかれた現実か輝き始める。「現実からの逃避ではなく、現実の肯定」、そうした体験ゆえに若者に夢と希望を与え、上記の言葉が発せられた、と考えればスッキリと腑に落ちる。 

 京アニ作品は、声こそ大きくないが、世界中に大勢いる勝者でない人たちの繊細な気持ちを大事にしてきた、日本の文化の表現だったのだ。それが世界中の若者たちに夢を抱かせた、という事。 

 大手企業とは違う地道に支持者を広げた京アニは、近年、独自に原作を公募するなどより自立色を強めていた。そのことが今回の事件の背景になっていたとすれば、残念なことであった。
 まんがやアニメの愛好者として、事件で犠牲になった方々に哀悼の気持ちを表します。また、受傷された方々が1日も早く回復されます事を願っています。


8/18(日)快晴暑い 
 1:30起床、新聞文献チェック。本読み、データ整理他。午前、散水、ダリア風対策を外す。11:00舩杉夫婦孫離秋。新聞資料化しつつNHKのど自慢楽しむ。午後は暑い間は音楽BR録画楽しむ。昨日同様、「N響定期」,「読売日本so演奏会」中心。座学しつつひさびさに甲子園野球仙台育英vs 石川星稜みる、後者が大勝。夕方散水、収穫。微睡。本読み。など。19:00夕食。20:30就寝。歩行Σ9278歩。10日以降の盆中心の非日常的生活は本日で終了。徒歩6720歩。

横手市増田まんが美術館(2) 荒川 弘「鋼の錬金術師」展
 私は漫画が好きである。先日念願であった横手市増田まんが美術館を訪れた。
 エントランスを入ると、もう漫画の世界である。誰もが知っている定番マンガの名シーンが壁を埋め尽くす。横手市は、増田町は素晴らしい美術館を作ったものと思う。矢口高雄氏の出身地であったとしても、また、氏から原画を4万枚も寄贈を受けたとしても、首長の意向があるとしても、市の議会がよく予算をつけたものと感心する。議員にも漫画好きが多かったのだろうか。

 今回は特別企画として荒川 弘氏の「鋼の錬金術師」展であった。私は絵画展には繁く足を運び、それなりに堪能しているが、この様な漫画の原画展が存在することも知らなかった。

 作者の荒川氏はの作品のうち、「百姓貴族」、「銀の匙」は愛読した作品である。農業、特に酪農関係の私の知識の一部はこの作品から得ている。
 今回の企画展の作品である「鋼の錬金術師」はスキャナーでデータ化して所持しているが、未読であった。氏の他の作品として「獣人演武」、「三国志魂」をすでにデータ化してある。最近作の「アルスラーン戦記」は定期購読し書棚に並んでいる。

 また、今回の展示会を通じて初めて氏が女性であることを知った。名前からして、農業関連の仕事ぶりからして、てっきり男性作家と思い込んでいた。

 展示された漫画の原画は1000枚に近いのではないだろうか。実際に「鋼の錬金術師」は27巻の及ぶ大作であるから驚くには足らない数だとは思うが、それにしてもこの様な絵を数千枚も書き続けるには相当の時間と労力が必要だろう。もちろん、有能なアシスタントも必要であろう。

 「鋼の錬金術師」は私があまり好まないバトルものである。だから未読であった。その原画を見る限り、登場人物は実に表情が豊か、見るものに訴えかける真摯な表情がすごい。原画には台詞部分が入っていないのが多いが、絵自体から受ける心理描写がとてもいい。必ずしも吹き出しは要らない。また原画の大部分は出版された書籍のそれに比してはるかに美しい。まるで一枚一枚が完成された絵画のごとく、完成度と輝きを持っている。

 私は漫画が好きだと言っても、各作品の各々の場面をそれほど注視した事はなかった。サラリと流していた、と言って良い。今回の漫画原画展を見て、私の漫画鑑賞は作品の上面を撫でているにすぎない、と反省した。早速、昨日から読み方を変え、気に行った場面の絵はじっくりと鑑賞しはじめた。

 私の漫画鑑賞は一層進化した。これまで以上に楽しめそうである。
 常設展示場ですら情報過多でとても一度の訪問では見切れない。後日、また訪れたい。


8/17(土)快晴 外旭川地区夏祭り ネコ用出入り口設置 ネギ周辺の草取り
 1:30起床、文献・新聞チェック等、本読み等。午前は居間のドアにネコ用出入り口設置、
午後はクラッシック音楽BR録画楽しむ。主に「N響定期」,「読売日本so演奏会」鑑賞する。夕方を待ってネギ周辺の草むしり。雑草に覆われたネギは脆弱。腰が弱い。ネギ2本今季初収穫。外旭川地区夏祭り。19:30夕食、21:00就寝。歩数計9119歩。

横手市増田まんが美術館(1)
 私は漫画が好きである。しかし、どちらかというと活字だけの本の方が好きだ。しかし漫画の価値は私にとって大きい。
 漫画、マンガ礼賛(2) 映画以上とも言える、ある意味で総合芸術だと思う

 私は特に歴史関係の知識に疎い。真面目に勉強すれが良かった、と思っている。だから、現役を引退した時に最初に購入したのが漫画による歴史全集であった。歴史を再勉強し始めたのであるが、少年少女向けである同全集は私にも十分価値がある。歴史再勉強の最初の入門書として購入した。
 本 「学習まんが 少年少女日本の歴史(18冊セット)」集英社 漫画礼讃2016(2) 
本:「学習まんが 少年少女人物日本の歴史(25冊セット)」小学館 1984 

 横手市増田「まんが美術館」は、増田町出身のである矢口高雄氏の偉業を記念し、1995年10月に日本で初めて漫画をテーマにした美術館として公民館、図書館、郷土資料館を併設する複合施設「増田ふれあいプラザ」内に開館した。

 同館は、2017年4月1日から2019年4月30日まで休館していたが、本年2019年5月1日にリニューアルオープンした。矢口氏からマンガ原画約4万5000枚を寄贈受けた横手市は、「まんが美術館」の大改修をおこなったもの。建物は以前と変わらないが、全館が美術館になったため10倍以上の大きさになった。矢口氏が名誉館長に就任した。

 1995年にオープンした「旧・増田まんが美術館」はマンガの原画を多数展示する全国でも例のない美術館であった。国内にある多くのマンガ関連施設が、漫画家個人の記念館的な施設であるのに対し、増田「まんが美術館」は多くの漫画家、現時点で179人の原画を収蔵。また、「魅せる収蔵庫」として、原画をデジタルアーカイブ化する作業も進めている。

 また特別企画展として著名な漫画家の原画の展示を行うとともに、漫画家によるトークイベントやサイン会などを数多く開催している。今回は荒川弘氏の「鋼の錬金術師」展であった。

 お盆には横浜在住の長女一家が孫とともに帰省する。ミニ旅行のほかに適宜、県立美術館、県立近代美術館、県立博物館、ガラス工房などを訪問している。

 今回は「まんが美術館」である。私もいつかは・・と思っていたが機会が得られなかった。金曜日午前は大曲で診療応援をしているということもあって、午後そのまま比較的近い増田町に出かけたもの。

 舘はイメージしていたよりもはるかに立派であった。

 エントランスを入ると、もう漫画の世界である。誰もが知っている定番マンガの名シーンが壁を埋め尽くす。館内は20代と思われる観客で結構混雑していた。漫画が若者たちの文化に深く浸透していることが手に取るようにわかった。年寄りは・・探したが、私以外にいなかった。


8/16 (金)終日降雨風強い 大曲中通病院外来 まんが美術館 飯川病院ボランティア
 0:30起床,文献・新聞ほかこなす。台風10号日本海を北上、早朝時折強風あり。涼風快適。5:00ダリアの強風対策で支柱追加、紐で縛り上げた。すでに一本折れていた。鉢植えをガレージに移動。家庭ゴミはまとめただけ。7:30Taxi駅東。スターバックス、8:11こまち。往徒歩、9:10大曲中通病院外来、混雑なし。舩杉一家と増田町マンガ美術館へ。16:50飯川病院ボランティア。19:30帰宅、夕食は寿司出前で。21:00就寝。歩数9984歩。

74回目の終戦記念日 全国戦没者追悼式の歴史 令和新天皇のお言葉
 昨日74回目の終戦の日を迎えた。
 内外の多くの犠牲者を悼み、平和への誓いを新たにしたい。

 全国戦没者追悼式は今年の日本武道館で開催された。
■1945(昭和20)年8月14日、政府はポツダム宣言を受諾。終戦の詔書はこの日付。、
■1945(昭和20)年8月15日、正午昭和天皇はラジオを通じて国民にポツダム宣言受諾を伝えた。
■1945(昭和20)年9月2日、降伏文書に調印。国際的にはこの日が終戦日。

■1952年サンフランシスコ講和条約が発効、日本独立。
■1952年5月2日「全国戦没者追悼式」政府主催 新宿御苑 以降宗教性が問われ開催されず。
       ―――――――――――――――――――
■1963年8月15曰非宗教的に「全国戦没者追悼式」開催、会場は日比谷公会堂。
■1964年「遺族の要望」で靖国神社を会場としたが強い批判を浴びる。
■1965年以降は「全国戦没者追悼式」は日本武道館が通例となる。
■1982年、政府が8月15日を「戦没者を追悼し平和を折念する日」と公式に定めた。
     玉音放送の衡撃は強く、戦争集結日として国民の心に刻まれた。月遅れ盆にも     
     重なり、日本人の心に深く浸透したためにこの日が選ばれた。  

全国戦没者追悼式2019年 新天皇初のおことば
 日本武道館での全国戦没者追悼式は安倍総理や全国の遺族ら約7000人が参列、戦後生まれの陛下のお言葉が注目された。
 犠牲となった約310万人の戦没者を悼み、平和への誓いを新たにした。

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■天皇陛下のおことば
 本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来74年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、まことに感慨深いものがあります。

 戦後長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。
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 私は毎年では無いが、この会、広島長崎の原爆慰霊祭はできるだけ中継と直接聞くようにしている。
 陛下のお言葉に、犠牲になった諸外国の方々への呼びかけがあれば良かったと思う。


8/15 (木)快晴暑い 飯川病院日直二日目 台風10号山陰地方だが風強し
1:00起床,文献・新聞ほかこなす。早朝涼風あり快適。5:30ビンカン他家庭ゴミ集積所に。8:30レガシー飯川病院。9:00-17:00日直。19:00迎えあり帰宅、19:30夕食、20:45就寝。歩行Σ8638歩。

墓参り2019(2) 私の墓参り 矛盾に満ちたもの
 夏は死を思う季節、死者たちの存在を強く感じる季節だ。
 盆には彼岸からの死者の訪れがあり家族総出でそれを迎える、という伝統があった。私は幼少の時からそのように信じ、行事の一翼を担ってきた。来客も多かった。お盆の三日間はお盆の行事に参加しながら、私は夜になると約2Km離れた寺の坂道を登り墓まで行って「送り火」を焚き、急ぎ戻って玄関先で「迎え火」を焚いた。ほとんど人もおらず、街灯もない。恐ろしくて身の毛もよだつ実に辛い作業であった。高校3年の夏までやりきった。  

 我が家の菩提寺であった江岸寺の庫裡の長押には2枚の地獄図譜とともに、100葉以上の20代の若者の遺影が飾ってあった。大多数が空軍服で、物心つく前から見続けてきたが、それらが大戦の犠牲者であることを知ったのはいつ頃のことだったのであろうか。さらに、8月は原爆投下があり、終戦がある。否が応でもお盆は死を思わざるを得ない季節である。 

 死者は生者を守護する。
 それが先祖という存在の根底にある、と日本では考えられている。ここでの死者は身近に存在するいわば死霊である。幼少時虚弱であって死が短かにあった私は疑問持たずにそのように信じていた。子供の頃、私は人は死後ははたしてどうなるのかなどと考えてみたものである。もちろん、見当もつかないのだが、死者の魂がどこかで自分を見ているような気分がしていた。

 医師になってからは一層死が短になり、宗教を中心にこの関係を勉強したこともあって人が死んでからも存在するという死生観、世界観は否定する立場となった。人間は肉体的な死とともに消滅する。死ののちは無になる。死者を敬う気持ちは否定はしないが、生きている時の姿も大してであって霊を美化したりしない。
 私はもう「終わった人である」との認識のもと、社会的な人間関係としての付き合いは全くない。死亡の連絡を受けても葬儀関連の行事にはには連なることはない。意味を感じない。

 一方、死者を、死後の世界を信じている方々を多数知っている。それはそれでいい。私から見て矛盾していると言えば言える。しかし、それが人間なのでないか。人は誰も理念のままには生きていないし、生きられない。こんな世界は自由でいい。

 もともと仏教には先祖の霊も、またそれが帰ってくるという観念もなく、お盆などという習慣はなかつた。おそらく、日本に昔からあつた死後の魂にいての素朴な信仰と仏教との教えが合体したのであろう。

 それでも、時折聞こえてくる読経の声や墓石に花を添え線香をあげ手をあわすという非日常的な儀式に妙に厳粛さを感じる。ここにも矛盾がある。 

 しかし、今は子供たちに対する教育目的、大人たちの親睦が大きい。総勢12名での移動であるがお墓の中にいる私の両親を知るものは4人だけ。それでも合掌してくれる事に感謝せずにはいられない。


8/14(水)晴れ 飯川病院日直
3:00起床,画像データ整理、文献・新聞ほかこなす。6:00庭畑に散水、トマト・キウリ収穫。8:20レガシー飯川病院、9:00-17:00日直、病棟は平穏。散水など。リッチに座学、至福の時間過ごす。19:40次男とともに岩手から帰秋の家内を待ち帰宅、20:00夕食、21:00就寝。歩行Σ13789歩。

墓参り2019(1) 墓参とミニ家族旅行 孫中心の親睦会 兄嫁宅に立ち寄り繋温泉に
 最近の墓参とその前後のミニ家族旅行は、時を経るに従って先祖を偲ぶための墓参の意義は小さくなり、孫中心の家族親睦会にシフトしている。

 いつもなら2泊3日の予定を組んで繋温泉と花巻志戸平温泉で家族12名で懇親するのであるが、今年は岩手の墓参の中心である8月13-14日は火、水曜日にあたり、なかなか各自時間が取れ難い状況であった。孫達も大きくなると各々スケジュールをもつようになり、全員揃うのは困難となる。
 次男は勤務、その長女は水泳クラブの強化選手となっていて練習時間が多いようだ。時間的に二人は参加が無理なので夜に合流することで、墓参は両者を欠いて8月13日夕方に設定して2台に分乗岩手に向かった。

 私どもは7人、私の指示が間違っていて大きく遠回りした。いつも昼食をとる黒川のひっつみ亭は休みらしい。国道4号線沿いの南部屋敷にて昼食。これが従業員が少ないためか客の回転が悪く、入店から食べ終わるのに2時間も要した。16:00江岸寺に到着、別ルートの舩杉一家と合流した。残念ながら住職は葬儀があって不在であった。

 昨年は墓周辺は草ボウボウ、ちょっと問題を感じ、今年は草刈り用のハサミを持参したが、草は刈られておりそれを用いるまではなかった。墓前で合掌後、盛岡で一人で暮らしているという兄嫁宅訪問した。殊の外元気で安堵した。
 
 その後、一路繋温泉郷に。宿泊は昨年と同じくホテル大観。孫たちが活動的でしっとりとした雰囲気の四季亭から変更した。夕方、総勢12名揃う。昭和47年夫婦二人からよくもこう増えに増たものだ、と感慨深い。私ども一家は人口維持という面では十分社会貢献しただろう。

 20:30、会食ご私一人明日の日直に備えてタクシーで雫石駅に、20:50秋田新幹線にて帰秋した。昨年は私だけ7:30am新花巻駅発の新幹線にて秋田へ向かったが、日直には1時間ほど遅れるために、代行の医師を依頼したが、今年はそれを嫌って前日に戻ったもの。
 私は明日から二日間飯川病院の日直業務、16日から通常業務に戻る。


8/13(火)秋田岩手共に快晴 恒例の鎮魂・家族親睦小旅行
1:00起床,文献・新聞ほかこなす。早朝涼風あり快適。5:30家庭ゴミ、資源ごみ集積所に。畑花壇の対応散水、収穫。9:30レガシー飯川病院、散水ほか。10:00次男宅のワゴンで盛岡に出発、途中ルート間違え秋田道、東北高速道経由、北上経由で盛岡に。13:00南部屋敷昼食、待ち時間異常、別ルートの舩杉一家と合流。江岸寺に墓参、住職不在で読経なし。盛岡実兄宅に立ち寄りつなぎ温泉ホテル大観、夕食18:30、私だけ20:30雫石駅から新幹線にて帰秋、レガシーにて帰宅、11:30就寝、歩数14830歩。

人生100年時代(19) 終活2019(2) チェロ解体 タンノイGRF memory
 人生100年時代と言われるが、私には実感が無い。だからコツコツと終活を続けている。CD廃棄は終了、レコードの単体ものは終了し箱物の全集類が残っているだけ。書籍は進行中。書斎はすっかりガラガラになった。

■ 2018チェロ解体
 1980年頃、念願のチェロを購入した。
 イタリアのクレモナにある工房の作で、底面のレッテルには「Benedikt Lung」。新しい楽器で、形よく、音色もシャープ、私は充分気にいった。弓、ケース込みで60万円ほどと、ど素人の私が持つには贅沢な楽器であった。

 そして、このチェロ。2018年11月私の手で解体され、その生涯を閉じた。 
 このチェロは新作で購入時は問題なかったが、2010年頃から裏板が徐々に側板から剥離してきた。若い楽器で、経年変化であろう。数回修理したが完治しなかった。こう言う運命の元に生まれた楽器であった、と思わざるを得ない。

 私の残り時間を考えて私の手で最期を迎えた事は、無常の喜びである。
 私は自分で愛着を持って用いた品々は自分の手で解体して廃棄する様にしているので、このチェロもそう扱った。
 終活2018(16) 先日愛用のチェロを解体した

■ 2020大型スピーカータンノイGRF memory旅たつ
 現在に至るまでレコード、CD、LD、MD、オーディオ装置、コンサート通い、楽器の購入・・・と音楽関連に私が散在したお金は、住宅についで2番目だろうか。
 GRFメモリーはタンノイの創始者である、ガイ・R・ファウンテン氏の名を冠したモデルであり、イギリス屈指のスピーカーメーカータンノイ社の自信作であった。

 1990年頃に購入した。1対で110万円ほど、以来約30年、GRFメモリーではクラシック音楽全般を心地よく聴くことが出来たが、特に弦楽器を生々しく再生した。
 GRFメモリーを購入した際、もう一ランク上のタンノイ・ウェストミンスター、当時250万円ほど・・・、を購入するかどうかまよったが、あまりに贅沢過ぎるのでは?というバランス感覚に従ってしまった。いま思えば懐かしい。
 GRFメモリーより先に私が寿命を迎えつつある、ということ。重くサイズもでかい。次世代にも越しても迷惑になるだけだろう。家族たちも誰も反対しなかった。
 先日、引き取ってくれる業者が見つかった。10万円の値がつき私の書斎から旅立っていった。
 私は、2011年以来、収入の約2割ほど岩手県に復興資金として送っているが、ハーレーと同様、GRF memory分も岩手県に送ることとした。
 GRFmemory


8/12(月)山の日振替休日 晴れ暑い 
 1:30起床、新聞記事チェック。蓄積データ整理。午前中は溜め込んでいた樹木から落とした枝など裁断、資源ごみ化。補充用メガネ購入。午後はゆっくりBR録画の音楽鑑賞、NHK so定期公演、題名のない音楽会「太鼓」、らららクラシック「望郷の音楽」。19:00夕食。20:30就眠。歩数計10452歩。

人生100年時代(18) 終活2019(1) ハーレーダビッドソン ホンダ「デルソル」
 人生100年時代と言われるが、私には実感が無い。だからコツコツと終活を続けている。CD排気は終了、レコードの単体ものは終了し箱物の全集類が残っている。書籍は進行中。書斎はガラガラになりつつある。

 比較的大型の物品も対象にしてきた。先日は大切に用いてきた大型スピーカーも私の元を離れた。

■ 2011年 大型バイク ハーレーダビッドソンFLSTF
 約20年用いたハーレーダビッドソンFLSTOFが私のもとからディーラーに引き取られていった。
 10年ほど前からは自転車通勤の比重が高まり、バイクの出番が少なくなっていた。機能的には問題がない。だから、本来の走る機能を発揮できる機会があるのならその方が良い。それに 300Kgで取り回しも困難となった。バイクよりもライダーが寿命を迎えた、ということ。
 欲しい方にタダで差し上げようとも思ったが、バイクは危険な乗り物なので、機能的に問題なしと保証できない状態では差しあげられない。で、ディーラーを介して使ってくれる方を探すことにした。
 ディーラーはタダというわけにはいかないらしい。
 10万円で引き取られた。早速東日本大震災で被災した岩手県に復興資金として寄付をした。
 オールド・ボロ・ボロ・ハーレー(19)ついに別れの時が来た

■ 2013年 小型オープンカー ホンダ「デルソル」
 これは1993年に初登録された20年目の古い車であるが、ハードルーフが電動でトランクに収納される面白い機能を持っていた。

 1992年、ホンダのスポーツ車として人気が高かったCR-Xの3代目として「デルソル」の冠をつけて発売したのがこの車である。「デルソル」の名前の由来などわからないが、国内初の電動ハードルーフなど、 趣味色の濃い2シーターの車であった。
 私がこれを好むのは車の閉塞感が嫌いだからである。ルーフを開けると大きな解放感が得られる。風を受け、太陽の光を浴びながら、夜間は月や星を見ながら走った。
 これを手放そうと考えたのは、徐々に乗る機会が少なくなってきたからである。趣味性の強い車で30万円ほどの値がつきそうだったが、デルソル愛好家が作っているHPに「大切に用いてくれる方に差し上げます」と投稿したら即日鹿児島の愛好家柄申し込みがあった。休日を利用して取りに来るとの連絡でびっくりした。私の申し出で、陸送業者によって九州まで運ばれた。
 ホンダ CRX-デルソル(1)九州にもらわれて行った


8/11(日)快晴 山の日休日 書斎大改造 焼肉パーティ 
 1:00起床。読書、徒然、データ整理など。午前から終日書斎改修、■タンノイGRF玄関先まで一人で運搬。■可変式書架移動、■作業机周辺の整頓、■クローゼット改良、■タンノイGRF男性4人の手でガレージまで運搬。■廃棄物多数。微睡、その後は音楽鑑賞ほか。18:00庭で恒例の焼肉パーティ、兼夕食、いつものごとくビール多少飲み20:00就寝早々に就寝。歩数計19780歩。

原爆投下74年 世界的政治指導者はなんと馬鹿なことか
 広島・長崎に原爆が落とされてから、74年を迎えた。広島・長崎では慰霊祭がしめやかに行われた。
 核をめぐり、数年前までの「核なき世界」への方向性が後退し、核大国は再び、軍拡に転じようとしている。核を小型化し、兵器として実用性のあるものにする動きもある。

 戦争といっても何をしても良いということは無い。戦争には国際法がある。無差別東京空爆などは非合法だったとされているが、原爆投下に対しては国際法違反との言葉を聞かない。どうなっているのだろうか。

 トランプ大統領の不用意な?ツイッターが反応を呼び、核のリスクが高まってる。「核兵器が存在し、抑止論に頼り続ける限り、いつか使われる」、「核兵器が使われるリスクは、第2次世界大戦後で最も高い」との識者からの警告もある。

 米・ロシアは互いに数を減らしてきた、といえども世界の核兵器のうち9割、計12,000発以上を保有している。
 核不拡散条約で核保有の権利を認められてはいるが、核軍縮に逆行するふるまいが目立つ。

 中距離核戦力全廃条約(INF)は今月、白紙に戻された。米ロ間で核弾頭などの数を制限する新戦略兵器削減条約(新START)の存続も危うい状況で、核不拡散条約(NPT)準備委員会では核軍縮の進め方をめぐり核保有国と非保有国の対立が露呈した。

 トランプ政権は戦力の更新に力を入れている。これにロシアは対抗姿勢を打ち出したほか、台頭する中国も新型ミサイルなどの開発に突き進む。核兵器の舞台は宇宙空間にも広がり、兵器システムは複雑さを増している。システムの誤作動や誤認による核戦争の危うさも高めている。一国が増強すれば他国は黙っておれない。世界的政治指導者はなんと馬鹿なことを繰り返すのか?

 2年前に国連本部で122カ国が賛成して採択された各不拡散条約に、核保有大国は反対している。核抑止にもとづく安全保障を理由に掲げる。日本の政府は条約の採択に参加せず、否定的な態度維持している。国際世論と連帯する日本の被爆者たちの思いと、政府の行動との間には乖離している。
 首相は「核兵器のない世界の実現に向けた努力を続ける」と強調した。しかし、首相は広島、長崎両市のあいさつで今年も条約に触れなかった。米国の核の傘下にある状態では行動には制限があるが、積極的に動いて欲しい。

 私はかつて広島・長崎の平和記念館を何度か訪れショックをうけた。この春、広島平和記念資料館本館がリニューアルした、という。どのように変わったのか、機会があれば行ってみたいものである。


8/10(土)早朝豪雨、激しい雷鳴 午前から快晴に暑い 
 1:00起床,読書、入浴、3:00突然豪雨、激しい雷鳴、後者は最近経験したことがないほど。連続の光で本が読めるほど。6:00オーディオ再チェック、9:00タンノイ査定受ける。8万円だという。就活のために手放すこととした。途中で昼食、微睡。午後は畑、ダリアの世話など。18:30友人と会食、21:30帰宅、就寝。8573歩。

本 村山由佳著 「ラ・ヴィアン・ローズ」 集英社 2016年 DVの実態を明らかに
 本書の題名の「La Vie en rose」は薔薇の一種??かと思っていたが、実在しているかは調べた範囲ではわからなかった。私も少数ながら薔薇を栽培・世話しているので薔薇の話題のちょっとしたことでも興味がわく。本書を手にとったきっかけは本誌の表紙の薔薇の写真が素晴らしいことだった。

 「La Vie en rose」は1946年のシャンソン歌手エディット・ピアフの、世界的に知られている名曲である。邦題は「ばら色の人生」。本小説は終始薔薇の花が登場する。後半この曲が意味を持つ展開となり、本の題名となった。

 本小説は普段外に出ないDV、モラルハラスメントが主題である。
 小説の筋は単純。
 薔薇の咲き誇る家で暮らす夫婦。夫は妻に対し、門限は九時。外出する場合は三日以上前に場所と時間を報告する、男性と二人だけの打ち合わせは禁。泊まりの旅行など論外・・・。夫が決めた厳格なルールに従って成り立っていた「幸せ」な暮らし。しかし、他の男性との出会いをきっかけに、妻は自分がモラハラを受けていることに初めて気づく。
 ある夜、夫が激高、妻は夫の後頭部に花瓶を振り降ろす・・・。

 DVの加害者は暴力や罵倒を通して「お前はたいした人間じやない・・」とメッセージを送り続ける。いじめ、虐待も同じ構造。個々人の尊厳や自尊心、個性は幼い頃から他人と比較されることで輝きを失っていく。結果的に被害者は「自分はたいした人間じやない」と思うようになり、被害者は自責の念にも苛まれる。本書の主人公である妻は典型的なDV・モラハラの被害者の姿である。

 DV問題は加害者側にあることは明らかであるが、加害者は自分の不甲斐なさ、自分の無力さにいら立ち、惨めな自分を隠すためにもDV化する場合もある。被害者側の「自分が悪い・・・」の考え方があるためにその実態はなかなか家庭外へは出難い。

 親による性的DVも少なくないようだ。現場では筆舌に尽くし難い凄惨な場面が繰り返されているのだろうが、死亡事故等にまで至ると初めて社会が知ることとなる。千に一つ、いや、万に一つしか明るみに出ていない。このことこそが大きな問題なのだ。

 数々の作品を世に送り出してきた村山由佳氏が「ラ・ヴィアン・ローズ」で、DV、モラハラの実態を明らかにした。
 妻を責める夫が気分を損ねる瞬間の動き、言葉による執拗な責め、被害者を自分の傘下に置けたと判断した後の異常なほどの優しさ、など、読んでて嫌になるようなリアルさが全編に流れる。しかしながら、被害者は「これが幸せだ」と自分に言い聞かせて続けている。
 おそらく、氏自身にも育つ段階で、あるいは結婚生活において類似の経験があったのではないだろうかと類推させる。

 私は美しい薔薇の表紙につられて本書を手にとったが、読んだあと、DV、モラハラに対する知識、考え方を修正する必要を感じ、勉強し直した。参考になった。


8/9(金)朝冷え晴れ暑い 長崎被爆 大曲中通病院 飯川病院ボランティア 
 1:05起床,朝冷風。文献・新聞チェックその他。5:30一般ゴミ提出、7:00収穫、散水。7:30Taxi駅東。スターバックス、8:11こまち。往復共徒歩、9:10大曲中通病院外来、混雑なし。帰路新幹線はやや混雑、5分遅れ。13:40飯川病院、ボランティア。秋銀スタッフ来訪、19:00帰宅、夕食21:00就寝。歩数11194歩。

DVについて考える(2) 加害者対策が重要
 家庭内のこととはいえ、暴力行為でけがをさせたりすると逮捕される。身体的暴力事件は少なくなっているが、心理的に相手を追い詰める加害者が増え、DVは執拗化、陰湿化しているとされる。

 被害者は逃げられないのか?結婚する前に気づけないのだろうか?と誰しもが思うが、そう簡単ではない。
 加害者は相手を自分の所有物だと思っているので、逃げようとする行為自体が許せないのでさらに激しいDVのきっかけになるし、加害者は被害者を執拗に追いかける。被害者は精神的に加害者に依存するように洗脳されているため、結局は戻ってしまうケースが多い。この辺のことは常識的には理解しがたい心理状況である。

 加害者は支配しやすい相手を選んで近ずく。それなりの相手を見つけると最初は優しく扱う。事前に見極めるのは困難なのだろう。間も無くDVの被害者になりうる本人は、結婚する頃には「恋の病」?に罹患しているので「あばたもえくぼ」に見えるがごとく判断力を失っている。所帯を持って徐々にDV的行為が始まる場合が多い。私の従兄弟は結婚後ひと月も経たずに親元に戻り、そのまま離婚した。二度と結婚することはなく、背景はDVだったとされている。親を始め周りの人たちも全く気がつかなかった、という。

 2001年にDV防止法が施行され、配偶者暴力相談支援センターが全国に置かれた。2017年度は10万件以上の相談が寄せられた。しかしながら、被害者支援が中心で、肝心の加害者への処罰や更生は義務化されていない。加害者の更生に関しては国は補助金を出していない。
  
 DVを減らすらすには加害者対策が重要である。
 日本では身体的暴力または生命に対する脅迫を証明できないと裁判所は保護命令を出さない。精神的暴力は身体的暴力に比肩して劣らないはずなのに、軽視されている。そのことがDV問題の解決を困難にしている要因である。被害者が支援センターなどに逃げても追跡を恐れたり、子どもを取り戻されるなどと、おぴえている。DV被害者が一生逃げ続けるのは困難だし、うまく関係が消滅したとしても、加害者は次の対象を見つけていくだけである。

 DVは病気や薬物依存症、精神的疾患などが原因で起こるものではない。自分が育った環境から学んだ支配の価値観に由来する。だから、対策は困難だし、放置しておくと次世代にも伝播していく。DVの加害者はかつては被害者であったケースが多い。心理的に準備されている。だから、対応は一般的に困難である。


8/8(木)晴れ暑さ 外来 散髪 飯川病院 
1:00起床、新聞データ化と整理。画像データ処理。5:00野菜収穫。9:00散髪、12:00バス飯川病院勤務、患者対応。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計積算13141歩。

DVについて考える(1) 被害・加害者ともにゆがんだ価値観を備えている不思議さ
 最近、村上由佳氏の小説「La Vie en rose」を読んで、私が抱いていたDVに関するイメージをいささか修正する必要があると感じ、再度勉強した。

 DVとは何を指すのか?? 
 親密な関係にある相手を力によって支配し続けるために繰り返し行う虐待行為のこと。
 内容的には、■ 相手を威圧する、■ 恥をかかせる、■ 孤立させる、■ 怖がらせる、 ■ 威嚇する、■ 強制する、■ 脅す、■ 責める、■ 無視する、■ 感情を傷つける、■ けがをさせる、などなど。
 身体的な暴力だけでなく、■ 性的、■ 経済的暴力、■ 心理的攻撃など、あらゆる行為が含まれる。

 加害者は被害者を自分の所有物と考えており、自分の思い通りに動かすことが目的なので手段として暴力をふるったり、怒鳴ったりする。あらゆる種類の方法の中から、その都度思いついた方法を選択し、繰り返し執拗に行う。相手がいたいけな子供であれば、食事を与えない、寒い環境に放置、ネグレクトなど多岐に渡る。

 加害者は、暴力を振るうきつかけ、その方法をいつも探している。だから被害者は避けようがない。被害者が「自分が悪いから暴力をふるわれている・・」、「自分の努力が足りなかった・・」思うことになる。「もうしませんから許してください・・」と記載した女の子の親に嘆願したメモなど、涙なしで読めない。
 加害者は卑劣で巧みな論法と話術で会話を牛耳り、暴力で相手を洗脳して思考を乗つ取っている。

 DVの加害者、被害者はどんな人たちなのだろうか? 
 DVは病気や薬物依存症、精神的疾患などが原因で起こるものではない。自分が育った環境から学んだ支配の価値観やジェンダー観、男尊女卑観、血筋観などが背景にあるが、誰にでも起こりうる、と考えるべき。
 親密な関係、多くは家庭内でしか起きないのでしつけとか教育の一環とかで説明している例が多い。
   
 DVの加害者は男性だけではなく、男性の5人に1人が「妻からの暴力」との調査がある。

 配偶者への暴力は犯罪とされなかった時代もあり、ローマ帝国時代は、夫の親指までの太さの棒かムチなら妻を打っても良いという法律もあつたそうだ。DVは、いじめと同じく近現代になってから起こってきた問題ではなく、人間関係の、上下関係の形成と伴って生じてきた人間が備えた根本的な姿なのかも知れない、と私は思っている。


8/7(水)快晴暑 午前から飯川病院勤務  
 1:00起床,新聞・録音のデータ整理中心。3:00前後から外から涼風が吹き込みシャツ着用。読書データ整理、6:00収穫散水ほか、8:30家内に同乗飯川病院へ。10:00院長が院長外出、勤務となる。新聞データ化そのほか座学中心、外来患者対応。18:30バスにて帰宅。19:00夕食。21:00就眠。歩数計積算12056歩。

四季2019(8)立秋 2019年は明日8月8日
 最近はまだ暑いが、早朝1:;00頃から涼風が室内に流れ込むようになった。間もなく秋の到来である。
 子供の頃はお盆の墓参りの時に秋を感じて来た。別に最近の秋の到来が早まったのでななかろう。その頃は朝といえば起床は陽が昇ったあとの5-6:00am頃だったから、すでに気温は上がっていて草の露で秋を感じたのだろう。

 立秋は毎年8月7日頃〜8月22日頃にあたる。日付が固定されているわけではなく昨年は8月7日から8月22日。今年は明日8月8日から8月22日とのこと。

 立秋は、二十四節気のひとつ。二十四節気は1年を太陽の動きに合わせて約15日間ごとに24等分して決められるので、1日程度は前後する。
 立秋とは、立秋に入る日を示す場合と、二十四節気の第13立秋から処暑までの約15日間をさす場合がある。私の感覚では入りの1日のことである。

 暦のうえでは立秋の日から秋に入ることになる。少しずつ涼しくなって秋の気配が漂いだす。立秋以降の暑さを「残暑」という。「暑中見舞い」は、立秋以降「残暑見舞い」にかわる。

 私はNHKのラジオ深夜便の愛聴者であるが、二十四節気をさらに3つに分けた七十二侯の各々をピアノで表現したコーナーは2016年4月4日から今春まで続いた。このコーナーはっきり言って、聞きたくもない曲をほぼ連日聞かされ実に不快であった。
 しかしながら、七十二侯についての説明を3年間にわたってほぼ毎日毎日聞かせられた事によって七十二侯がすっかり体に馴染んでしまった。誤解なきように記録しておくが、川上ミネ氏の作曲による72曲はいずれも良い小品である。ただし、私は七十二侯の細やかなイメージを感じ取ることはできなかった。このような押し付け的コーナーを企画し、長々と放送したNHKのディレクターの気持ちが知りたい。いつかラジオ深夜便で取り上げて欲しい。

 立秋の間の七十二侯は以下の三つ。いづれも今の季節の移り変わりをほぼ正確に提示している。昔の方々の季節への感受性にはほとほと感心する。
■涼風至(すずかぜいたる)8月8日頃。
■寒蝉鳴(ひぐらしなく) 8月13日頃。
■蒙霧升降(ふかききりまとう) 8月18日頃。
 
 立秋前後から徐々に涼しくなって空が高くなって来る。好きな夏が去っていく。好きとは言えないが、爽やかな季節である。


8/6(火)快晴暑い  外来 飯川病院  竿灯最終日 広島被爆
0:20起床,いつもの如く。5:00可燃ゴミ廃棄。散水、7:10バス飯川病院着。8:45-13:00外来、盆前で混雑疲弊。13:30飯川病院、iPad Pro到着、機能修復、データ修復。14:00-18:45勤務。入院患者対応。19:00帰宅、夕食。21:30就眠。歩数計9678歩。

人生100年時代(18) 年金問題(6) 「シルバーデモクラシー」から若者たちへ
 ■ 「保育園落ちた 日本死ね・・」の小汚い文面が政治を動かす異常。
 2016年に、子供が保育園に落ちて仕事を辞めざるを得なくなつたとみられる母親がネットに投稿した匿名の投稿を巡って、国会で野党から取り上げられ、待機児童対策の遅れにうんざりしていた人々の怒りに火をつけ抗議が殺到し、塩崎厚労相は待機児童の解消を求める2万7600人分の署名を受け取った。
 結果としてい安倍政権が保育所の増設を加速させる切っ掛けをつくった。しかし保育士が足りない状況はより深刻になっている。政権は10月の消費税増税による増収分の一部を保育・幼児教育の無償化に充てるとしたが、待機児童対策としての効果ははつきりしない
 切り札は保育士資格や配置要件の大幅な緩和などの規制改革と、0歳児を持つ父母が、共に育児休業を取りやすくする制度への取り組みにかかっている。

 私はこの投稿の内容はともかくとして、その「保育園落ちた 日本死ね・・」と言った小汚い文面にいたく不満であった。日本人のレベルはここまで落ちたか、とがっかりした。「保育園落ちた」とのブログを巡って(1) 怒りは十分伝わるが、品位欠く文章
 しかし、この文面が社会に与えたインパクトは大きかった。
 要するに、待機児童に関する国民の意見は無数にあるのに政権は取り上げることもなかった。要するに政治家として貼っておくべきアンテナを欠いていたことである。そのことの方がより重要である。

 ■ 後期高齢者問題
 75歳以上の後期高齢者は年間一人当たり95万円と他の世代の6倍使用している。だから、現役世代を中心とする健康保険制度から切り離して独自の財源を確保して医療費を確保する制度は2008年に施行した。都道府県唄位で運営している。医療給付費の財源構成は保険料が全体の50%、国と地方自治体が50%。
 消費税増税の遅れによって本来は公費で賄うべき資金が大幅に不足している。

 後期高齢者の医療費の削減と確保は若い世代への社会保障を賄うのに必須なのであるが、具体的取り組みは見られない。保険料の増額と窓口負担の増額では対応できないレベルになっている。後期高齢者の医療にとって何が価値が高いか、検討を要する。

 ■ 介護保険制度
 2000年度にス夕一卜した介護保険制度は40歳以上の加入者や企業が払う保険料と国・地方自治体の公費で折半している。65歳以上の高齢者は心身の状態の軽重に応じて7段階に分かれている内容で使った費用の原1割を負担する。
 制度開始時の総費用は年3兆6000億円だつたが18年度は11兆円強に達している。制度改革は困難なので、増収対策が必要となるが、その切り札は保険料を負担する年齢の切り下げになるだろう。
 団塊世代が高齢化して制度が成り立たなくなることなど前からわかっていたが、具体的対策は乏しい。ここにきて若者の負担が増えることになるだろう。


8/5(月)快晴暑い 健康クリニックドック 飯川病院 竿灯三日目
 0:30起床,新聞・文献チェック他。5:00ネコ給餌ほか。7:20徒歩飯川病院着。9:00-11:00健康クリニック。11:30飯川病院に。ハードディスク到着。初期化と複製終了、読書、データ整理。微睡。14:00-18:30勤務。本読む。撒水。19:15帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計積算6888歩。

人生100年時代(17) 年金問題(5) 年金制度維持ための工夫
 「シルバーデモクラシー」という言葉がある。有権者のうち、高齢者が占める割合が高く、かつ、若者の投票率が低いために、選挙結果に必要以上に高齢者にの価値判断が反映されることをしめす。

 1990年平成最初の衆議院選挙での投票率は60代が87%、20代が52%であった。約30%の差であったが、2017年の場合にはその差が38%に開いた。
 参政権を無駄にする世代に若者に政治は冷たい。さらにこの間に少子高齢化が一層進んだから民主主義における「シルバーデモクラシー」の要素は一層進んだ。その結果、顕著になってきたのは世代間格差と言う厄介な問題である。

 高齢人口は増え 加えて投票所に足を運ぶ人が多い。高齢者の暮らしに直結する社会保障や税制で「貿担は軽く、給付は厚く」の耳当たりのいいスローガンを掲げて選挙を戦う野党、それに負けてはいられないと同じような主張に傾く政権与党、その犠牲になったのは国民でなく、「社会保障制度の持続性」である。 

 小泉政権の2004年、年金改革法を与党が強行採決して成立させた。これは「2100年ごろまでを見通して年金財政の均衡を図る」という考え方を実現させようとしたものであった。それだけに意味があった法律であった。

 その手段は以下の通りであるが、一部の与党議員はこれを「年金の100年安心プラン」と銘打って宣伝に用いた。
■ 独立行政法人が運用する積立金を計画的に取り崩す。
■ 現役世代か払う保険料を段階的に引き上げる。
■ 高齢者の年金受給額を毎年小刻みに切り下げるマクロスライド制を導入する。

 「100年安心プラン」の実現には上記3項目のすべてを満たす必要があるが、それから15年たった達成度は、■保険料を段階的引き上げは厚生年金の方で実現して達成したものの、■ 積立金の取り崩し額が想定を超過。■ マクロスライド制は発動が2019年度でようやく2回だけ、であった。
 これでは「100年安心プラン」の実現はおぼつかない。

 年金の生涯収支が高齢者は黒字、子供世代が赤字になるのは少子高齢化に直面する日本にとって避けがたいが、安倍内閣では加えて、■ 高齢者の就業を勧奨する、■ 年金受給年齢を引き上げる・・・などの計画を打ち出して「100年安心プラン」を制度上は持続可能であると強調している。

 ところが、6月上旬に2000万円問題が浮上し、制度の持続だけでなく年金額の問題も社会問題化してきた。今回の参院選で2000万円問題がさほど大きな話題にならなかったのは、与党が解決策の提示ができなかったことによる。


8/4(日)快晴暑い 竿灯二日目
 1:00飯川病院起床、読書、新聞、画像データ整理など。空いたっぷり、ひまわり急成長、支え必要。10:10日直医師来院待ちレガシー帰宅、暑さで外仕事無理、新聞データ化そのほか。NHKのど自慢ご微睡、メガネ購入、DIY店にて蝶番、マグネットクリップ購入。風除室ラティス固定。市内は観光バスと大勢の人でにぎわい。19:00夕食、21:00就寝。歩数計9447歩。

遠交近攻 日韓関係(3) ホワイト国問題
 政府が安全保障上の輸出管理で問題があったからと優遇措置を取るホワイト国から韓国を除外した政令改正について、韓国側は事実上の報復だこ無け止めている。報復ではないと否定する日本側の見解の差は非常に大きい。
 
 少なくとも私も、安全保障上の輸出管理で韓国側に重大な問題があることを知らなかったために、当初は安倍首相が全朴槿恵大統領時代を含め、文大統領が重ねてきた失礼な態度に耐えかねてついに報復に走った、と当初は感じていた。相手に問題はあるものの、大人気ないとも感じた。

 日本側の決断にそのような重大な背景があるとすればやむを得ないが、それでもタイミングが悪かった。この状態なら激昂しやすい韓国の若者達が、不買運動等の報復に走ってもやむを得ない。  

 これまで日韓間で起きた対立は歴史問題に起因したものが大半だつたが、対話を重ねながら関係を修復してきた。日韓の相互依存的な経済関係を維持しようとする努力が関係修復の流れを後押ししてきた。
 しかしながら、文大統領になってからの関係は一層最悪化してきている。本当に文大統領が国の代表者としてふさわしい人材なのか、という疑問すら抱いてことの推移を見守ってきた

 今回の日本の措置は 元徴用工訴訟、慰安婦問題という歴史問題を発端にした対立であるが、それを経済分野にも波及させてしまった。ここまで問題を拡大したのは初めてではなかろうか。 
 今回の政令改正は日韓が未来志向的な関係を目指して歩んできたという関係を深く損なう可能性があり、いささか疑問も残る。

 安全保障上の問題がどこまで改善すればホワイト国に再認定するのか、落とし所を明快にしてあるのだろうか。同じことはトランプと中国との経済戦争でも同様である。国際間のトラブルはゴールが見えないと泥沼化する。

 韓国では7月に日本が半導体材糾の対韓輪幽霊害を厳格化したこことを機会に国民の間で日本製品の不買運動が始まつた。その根底にはナショナリズムの高揚がある。それはどんな国々でも共通で、どの民族にもある普遍的な感情であり否定はできないが、だからこそ首脳同士が互いの立場を認め話し合うといった関係づくりが不可欠で日韓関係を修復へ向かわせる鍵となるだろう。
 
 相互に信頼がなければ葛藤は増幅する。誤解も生る。残念ながら両国首脳同士会談には意味ある話し合いがほとんどなかった。この二人の関係では報復のしあいだと思われてもやむを得ないだろう。

 両首脳の責任は重い。両国関係の早急な修復が望まれる。


8/3(土)快晴暑い 竿灯祭り初日 飯川病院日当直 レセプト点検
 1:00起床、読書、新聞、画像データ整理など。5:00収穫、散水他。9:00-10:30炎天下で草むしり、草刈り4巡目開始。11:30バス飯川病院、午前中にPad Pro回収。12:00日当直に、検食、微睡、新聞データ収集。18:00検食、レセプト処理、21:50就寝。歩数計13622歩。

遠交近攻 日韓関係(2) 誤りが多い韓国の歴史認識
 韓国人は1910年の日韓併合から2045年の終戦までの朝鮮半島の日本統治時代を「日帝36年時代」と呼び、日本および日本人かいかに悪逆非道の行いをしてきたかということを非難しつづけてきた。

 2001年、日本の新しい歴史教科書に対して韓国側から激しい抗議行動、修正要求が起こった。実に細かい修正を要求してきた。しかし、その内容は歴史に関する韓国の誤りだらけの認識に基づく、独善的内容であったと思われるが、日本の政府は韓国の抗議や修正要求に右往左往するだけの見苦しいものであった。
  
 歴史に詳しくない私は、教科書をめぐる日韓の歴史認識の違いには驚いたものであった。韓国の歴史認識こそが大幅な修正を要するものであることは明らかであったが、日本政府関係者も日韓の歴史認識に勉強不足でないのかと思った。

 しかも、日本政府がいくら謝罪を重ね、さらにはそれを明文化しても 韓国人の嫌日反日感情は沈静化するどころかさらに激昂していく一方である。
 興味深いのは 反日を声高に叫んでいるのは、デモの参加者やTVでのコメント発言を見ていると、日本統治時代を知る世代人よりも若い世代の方か多いということである。若者たちのエネルギーのはけ口になっているようだ。

 慰安婦問題、徴用工問題など、ここまで来れば韓国の反日感情は科学的史実に基づいたものというよりは国民を挙げての感情論であり、宗教に似ているように感じられる。私は宗教を集団催眠術のようなものと思っている。ただ、少なくとも教祖はおらず経典もないことから宗教の概念に合わない。とすれば、思想家吉本氏が説く「共同幻想」で説明できるのではないだろうか。人間はおしなべて共同幻想依存症?? 吉本隆明氏の著作を読んで

 韓国人の嫌日反日感情にはさまざまな要因、理由が複合的に絡まっていると思われる。隣国の繁栄に対する嫉妬感覚もあろう、また、民族をまとめるために日本を敵と位置づけようという近年の歴代大統領たちの政治的な思惑の影響もあるだろう。

 反日の理由として必ず引き合いに出してくる歴史認識については科学的に史実をはつきりさせなくてはならない。
 韓国人は「日帝時代36年」の間に「7奪」があったと主張している。日帝により 「主権」、「国王」、「人命」、「国語」、「姓氏」、「土地」、「資源」を奪われた、いうものだ。 

 しかし 本当にこのような略奪かあつたのだろうか??
 私が勉強した資料によると否定的である。しかも、「7奪」に関する韓国側の評価自体が正しいとは思えない。


8/2(金)晴れ暑い 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
 1:10起床,湿度高く朝が吹き出す。文献・新聞チェックその他。5:30可燃ゴミ提出、6:00収穫、散水。7:35Taxi駅東口に。8:11こまち。往路徒歩、9:10大曲中通病院外来、混雑若干。帰路時間なく徒歩不可。新幹線は竿灯祭り前日で混雑。14:40飯川病院、ボランティア。19:30帰宅、19:00夕食、20:45就寝。歩数計積算9704歩。

?遠交近攻 日韓関係(1)
 遠交近攻とは、「遠い国と親交を結び、近い国を攻める外交政策」のことである。中国の戦国時代に、魏の范雎が唱えた、とされる。本来は「遠い国と親しくし、その力をかって近くの国を攻略する」と言うこと。
 本来の遠交近攻の意味とはとなるが、安倍首相の外交は字面で言えは遠交近攻と映る。

 今、韓国と我が国の関係は近年にないほど悪化している。
 確かに日韓間においては韓国併合の歴史があり、『韓国併合条約』と言う取り決めで日本に併合されることとなった。日本側の視点では併合であり、政治経済社会の改革を進めたが、韓国側では植民地支配と捉えている。日本が韓国の改革のために費やした費用は莫大なものである。列強が行った搾取だけの植民地支配とは様相が全く異なっていた。

 100年前の1919年2月8日、朝鮮半島出身の青年らが東京で、のちに「2・8宣言」と呼ばれる宣言文を採択した。朝鮮半島の独立を求める文章で、日本による併合は民族の意思ではない、と訴えた。  
 現場にいた若者たちは警察官らに検挙されたが、この動きをきつかけに翌月には最大の独立運動「3・1運動」が朝鮮半島各地で起きた。 
 
 韓国併合は合法か否か?この問題をめぐつては日韓国交正常化の際も主張が真っ向から対立したが、最後は玉虫色で決着した。関係改善を優先するためあえて断定を避けた政治的判断だった。 

 このような経過で解決を図って来たので、歴史問題は今も日韓関係を揺さぶり、最近では元徴用工をめぐる韓国の司法判断や慰安婦合意の履行問題などで再び摩擦がおきている。両国間の問題は日韓正常化交渉の中で解決済み、とするのがやはりスジだろう。

 韓国の文在寅大統領は、南北融和の流れを受け南北朝鮮共同で記念事業を開く構想を抱いている。同胞同士の関係を確かめあうことは意義があろうが、いたずらに日本批判に走って民族意識をあおることは問題がある。日韓関係の歪みについて、日本側からの提案をほぼ全て無視し続けていることに、私は明確な目的があるように思える。方法論として決して正しいとは思えない。

 日韓の歴史のもう一つの側面を忘れてはならない。併合自体が日本側の改革路線で進められたこと、「2・8宣言」からの100年を鳥瞰すれば、その半分以上の歳月は関係改善を目指した協力関係の積み上げだった、と言える。
 1960年代から国交をもち社会経済の絆を深めてきた。時々の出来事で国民感情の浮沈はあっても人間同士が出会う場は暮らしの中で膨大に増えた。
 
 これまで積み重ねてきた和解の歩みがわずか2年の実績しかない文大統領がすっかりダメにしつつある。過去の歴史には冷静な姿勢で向き合うべきである。 


8/1(木)曇り後快晴暑い 工藤氏来訪 飯川病院 
 1:00起床、本日から中通総合病院内科外来の木曜分はなくなる。書籍データ化整理。9:00-10:30庭の草刈り、3順目終了。汗だくになる。間も無く3順目必要となる。11:30バス飯川病院着、13:00工藤氏沼津より来訪、いやたかで歓談。15:00-19:10飯川病院勤務。入院患者対応、散水ほか。iPad Pro落下、一部ドット切れ。IO-DATAのハードディスク故障、19:30帰宅。夕食、21:00就寝。歩数計積算17747歩。

本日からの外来勤務状況が変わる
 8月1日から私の外来勤診療が変わる。中通総合病院の内科外来は火曜日木曜日の2回であったが木曜日の外来を閉鎖した。

 4月の時点でその旨の内示があって準備してきた。4ケ月かけて予約を整理し始め準備を整えた。
 2015年3月には外来担当医の充足が得られたので、水曜外来から外れることにした。実際には長い準備期間が必要であって最終的に水曜外来をクローズ出来たのは12月であった。それから約4年、週2回外来診療を続けてきた。

 私が担当する外来に通院している方のうち血液疾患の患者はすでに何年かかけながら若い専門医に紹介しほとんど残っていない。大部分は高血圧、高脂血症等の生活習慣病、あるいは老年症候群等、である。要するにどんな医師でもできる仕事である。大した技能もいらない。「いつも慰め、時に治療する」程度で、急性期病院の仕事としては必ずしも相応しいものではなくなっていた。

 多くの患者は、こんな年寄り医師でも良いから、と火曜日の外来への移動を希望したが、それでは火曜日の外来が溢れてしまう。バッサリと割り切り説得した。「互いに生きたままでお別れ出来るのは最高。火曜に移っても来年のことはわかりません。今のうちに若い先生に移りましょう。では、お元気で・・」、である。

 いろいろな声が聞かれ、一部の患者には泣かれたが、この際、バッサリと割り切った。対象となる患者の準備は全て整った。何人かは外のクリニックに紹介した。飯川病院の午後外来を希望された方もいたがお断りした。
 木曜午前の、空いた時間のことを考えるとワクワクしてしまう。


 以下が8月1日以降の診療スケジュールである。

         午前                 午後
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 月曜 健康クリニックドック診察、判定、結果説明  飯川病院勤務。
 火曜 中通総合病院外来              飯川病院勤務。
 水曜 勤務なし(飯川病院ボランティア)      飯川病院ボランティア
 木曜 勤務なし(飯川病院ボランティア)       飯川病院勤務。
 金曜 大曲中通病院。     大曲中通病院+飯川病院ボランティア
 土曜 月1-3回飯川病院日直または当直
 日曜 月1-3回飯川病院日直または当直
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――-
 
 8月1日、新しい気分でのスタートが切れた。
 いい季節である。



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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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