徒然日記
2019年6月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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6/30(日) 曇り、時に小雨模様
0:00起床。新年を迎えて6ヶ月経過、速い。 本読み、文献読み、整理。午前は新聞チェック、データのコピー、10:30収穫、畑の苗世話。12:00NHKニュース、のど自慢観る。13:00-15:00再度外仕事。カップに豆種まき第二弾用。以降座学、BR disk「読売日響:新常任指揮者ヴァイクレによるブルックナー交響曲No9第2楽章」,「N響幻の名演奏シリーズ、H.Stein Beeth 運命、 アンセルメ火の鳥、Pフルニエほか」。19:00夕食。21;30就眠。歩数計 Σ8198歩。

人生100年時代(8) 少子高齢化のもとで寿命が伸びれば国は窮地に
 国が進める健康寿命延長の施策、検診、がん検診、人間ドックなどがどの程度の生命延長効果があるのか、科学的根拠はまだ十分ではない。個人に対する生命延長効果は明らかにあると思う。しかしながら、集団としてみれば、寿命が長くなるのは社会の変貌の結果であり、検診とかの効果のためではない。
 例えば、メタボ健診の重要な項目である男性85cm・女性90cmという腹囲の基準の意義も解決していない。運動不足、過食による肥満は種々の合併症の原因となるという悪しきイメージはある。

 厚労省は2006年メタボ健診によつて2025年に約2兆円の医療費を削票するという目標を褐げたが、それが出来るという科学的根拠は全くない。逆に、発見された高脂血症、糖尿病、ガン等の治療のために医療費は増大している。

 そもそも医療費はなぜ増えていくのか??

 医療費増に及ぼす大きな要因は、■医療技術の進歩、■受診対象者の増加、■疾患像の変化である。
 近代医療の黎明期には感染症が大きな比率を持っていた。感染症の場合は治療期間は短く、医療費はそれほど大きくない。重症患者は死亡し、軽症患者は治癒するからである。しかし、現代のようにガンや糖尿病の様に生活習慣病が中心になると、劇的に病気が治つてしまうことはなく、疾患のコントロールが中心になる。したがって一度医療を受け始めた場合、生涯継続する必要が出て来る。これを国が全て支えるのは難しいだろう。

 進歩が目覚ましいガン医療の場合も、新しい治療薬や技術の進歩があって、いずれも非常に高価なのに早期発見例以外は完治は難しい。
 医療技術は日進月歩で国民もそれを享受している。この喜びを政治的にコントロールすることはできない。

 ならば、医療費の増加を国の財政が支え切れるのだろうか。
 医療費の増加を抑制する必要はあるが、少子高齢化、寿命の伸延に伴う社会保障費という視点で捉えれば、国は窮地に陥っていく。

 なのに、政治を見ていると、国民の考えを見ていると、危機感が極めて乏しい、と思ってしまう。今回の2000万円不足のニュースは甘い考えに一石を投じた、と私は喜んでいる。


6/29(土) 曇り午後から降雨 
1:00起床、各種データチェック、新聞文献PDF化。本読みほか。ネコの世話など。9:00-9:30サンキュウカット店にて散髪、1080円から1200円に値上がりしていた。畑、庭の草刈り。今季2巡目ほぼ終了。ついでに草むしりも。午後は座学に。BR disk視聴「題名のない音楽会:チェロ特集、宮田大」。「読売日響演奏会:新常任指揮者となったヴァイクレによるブルックナー交響曲No9第一楽章」視聴。19:00夕食。20;40就眠。歩数計Σ11509歩。自炊数冊。

人生100年時代(7) 健康寿命を延ばしても医療費削滅効果はない
 人生100年時代は国の財政にとっても、個人の経済にとっても、健康維持と言う意味でも相当しんどい状態をもたらす。

 ざっと考えてみれば、体力がおとろ得てくる高齢者は存在するだけでも、経済という面から見るとかなり費用がかかる。高齢化は社会保障費がかかる。さらに少子化はその原資を乏しくさせる。要するに、国の財政は人口減・少子高齢化の結果として逼迫して行く。

 健康で長生きすれば一般的に医療費はかなり軽減するものと、イメージ的には考えられる。しかしながら、健康寿命を延長しても医療費は軽減しない。
 近年の治療対象疾患はガンや生活習慣病が中心。だから健康寿命を保っていてもいずれは病気は進行し、重篤化する。要するに、生涯にかかる医療費には影響しない。予防医療は医療費がかかる時期を先送りしているだけで、医療費を減らす効果はほとんどない。
 寿命も長くなるので、一生にかかる経費の総額はむしろ増える。経費だけでなく、生きていくだけでエネルギー消費、栄養摂取、排泄行為等で地球を汚染する。

 メタボ健診、がん検診なども同じこと。経済的価値は乏しい。これは専門家の間ではほぽ共通認識されている。それに反するような意見やデータも散見するが、この結論を覆すことはできない。

 早死にすれば医原費がかからない。それは自明の理である。しかし、これはまつたく本末転倒の論理。

 予防医療は健康という価値を得るためで、医療費を削滅するためにやるものではない。健康寿命の延長そのものにはお金がかかるし、それで長命がもたらされるとすればそれだけお金がかかるし、さらに、病気になれば医療費がかかることになる。国は国民向けの宣伝として健康寿命の延長を求めている。しかし、そこには医療費が軽減するという論理性は成り立たない。

 医療費が削減できる予防医療は例えば、子どもへのワクチン接種などがあげられる。それによって子供や若者が病気にかからずに済み、子どもが大人になり天寿を全うするまでの間に働いたり、人生を楽しんだりする効果を通じて経済的に寄与する。これに反して、高齢者の場合は、ほとんどの予防医療は効果があっても一過性であり、結果的に医療費も増える。

 かけがえのない健康を勝ち取り、維持するためにも、効果のはっきりしている方法には投資は必要であろう。ただそのような効果が明解になっている方法は少ない。私は、一般的に流通しているサプリなどはほとんど意義を認めない。


6/28(金)小雨午後曇り 大曲外来 年金相談予約 飯川病院ボランティア
1:00起床、文献検索、新聞チェック,本読み他.5:00可燃ごみ処理、提出せず。7:30Taxi飯川経由駅へ。8:11こまち、9:10-12:15大曲外来。駅往復徒歩不可。13:30Alve年金相談予約、Taxi飯川病院勤務、岩銀スタッフ来訪、微睡。自炊数冊、19:10Taxi帰宅。夕食、20:30就眠。歩数計Σ6765歩。

人生100年時代(6) 健康寿命を延ばしても生活費削滅効果はない むしろ逆
 人生100年時代と言われるように超高齢化社会に突入した日本。
 人間の生き方として、人生100年時代が果たして幸せなのか?もともとそんな議論があった。私は幸せな高齢化社会はないとの視点であるが、一般的にはそう考えられていない。

 先月上旬、現役を退いてから年金生活をしている夫婦が95歳まで長生きしたらどうなるのかの試算が発表された。
 2000万円ほど蓄財を取り崩さなければならないとあり、社会に大きな衝撃を与えた。実際には3000万円近くの計算になるはずである。

 金融広報中央委員会「家計の金融行動に関する世論調査 平成27年調査結果」で見ると、貯金額として普通貯金と定期預金に限った金額の平均額をみると、70代以上の貯金額の平均は2人以上の世帯で1,350万円となっていているが、一方で、70代以上で金融資産を持っていない世帯は2人以上の世帯で28.6%となっている。私の正直な感覚では、持てる方々は随分持っているものだと感心する一方、厳しい世帯も多いと思う。

 結局、長生きすると、収入面での改善は期待し難いため、生活が苦しくなったら、親族からの援助か生活保護ということになる。と入っても、子供たちの経済力にはそれほど期待出来ない。国は年齢とともに細ぼって行く経済的に下層にある高齢者を何としようとしているのか。今までは明確にしてこなかった。事実をつかんでいたのに、これは隠蔽である。

 高齢化と病気罹患率は切っても切れない関係にある。
 病気を予防して「健康寿命を延ばせぱ長生きしても医療費は減らせる」、と考える人は多い。政府もそういう期待を振りまいてきた。しかしながら、その効果はほとんど期待できない。
 
 大前提として「健康寿命を延ばして長生きすること」は万人の、一部は異なった考えを持っているとしても・・・、望みであるから、健康寿命の延長は絶対に推進すべきである。健康というかけがえのない価値が得られる喜びはとてつもなく大きい。これを経済を視点に考えるならば血の通わない論旨である。

 しかし、「健康寿命の延長」によつて医療費を減らすこと、老後の経費を減らすことは不可能である。長生きするとそれなりにお金がかかる。霞を食って生きて行くことはできない。病気にも罹患する機会が増えていく。

 だから、国民の長命化はそれだけ経費がかかることになる。長期的には、高齢者対策費用は、社会保障は、むしろ増える可能性の方が高い。


6/27(木)晴れ午後から雨 外来 飯川病院 
 1:00起床、文献チェックほか、資料整理。本読み。7:10バス飯川病院。8:45-12:45中通病院外来+ドック判定総括14名分。13:00-18:50飯川病院勤務。入院患者処置、BR disk視聴:「そこまで言って委員会」視聴。19:20帰宅、夕食、20:30就寝。歩数Σ10638歩。

本 画文集「炭鉱に生きるーー地の底の人生記録」山本作兵衛著 講談社 2011年 新装版(2)
 「山本作兵衛」氏は迫り来る石炭から石油へのエネルギー革命のあおりを受けて炭鉱の衰退と共に働く場所を奪われ、60代半ばに福岡県田川市にある炭鉱事務所の宿直警備員として働き始めた。
 「子や孫にヤマ(炭鉱)の生活や人情を残したい」と絵筆を取るようになり、自らの経験や伝聞を基に、明治末期から戦後にいたる炭鉱の様子を墨や水彩で描いた。余白に説明を書き加える手法で1000点以上の作品を残した。

 氏は初等教育すらまともに受けていない。ましてや美術教育を受けた経験は無く、水彩やデッサンの技術もほとんど自己流であった。文盲であったが、勉強意欲は強く、成人になってから漢和辞典を写しながら独習したのだ、という。

 福岡県中央部に位置する市田市は市内に残る旧三井田川鉱業所など炭鉱遺産について「九州・山口の近代化産業遺産群」として世界遺産登録を目指したが選考から漏れた。その際、関連資料として紹介した作兵衛作品の記録画は海外の専門家から高く評価された。2010年3月、ユネスコに推薦書を送付し、2011年5月に日本で初めて登録を受けた。

 ユネスコの記憶遺産は、歴史上重要な文献や絵画、音楽などを後世に伝えるのが目的で1992年から始めた事業。これまでにベートーベンの交響曲第9番の自筆楽譜、マグナカルタ、「アンネの日記」など268件が登録されている。これに無名の一坑夫が描いた絵が採用されたことは驚きをもって迎えられた。その背景には、今も行われている国があるが、当時世界的に行われていた石炭採掘の現場を示した資料が乏しかったことも挙げられよう。

 自然や建物など不動産が中心の世界遺産、伝統芸能などが対象の無形文化遺産と合わせ、ユネスコの三大遺産事業ともいわれる。

 これに気を良くしてか、日本ユネスコ委員会は続いて複数の作品の推薦を提出,2013年には「慶長遣欧使節資料」、「御堂関白記」が,2015年には「舞鶴への生還 1945〜1956シベリア抑留等日本人の本国への引き揚げの記録」、「東大寺百合文書」が登録された。

 赤裸々な炭鉱夫の赤裸々な姿を尊敬の気持ちを持って描いている。男はたくましく、女性は生き生きし艶かしい。一説によると2000枚以上書いた、とされている。本格的に描き始めたのは60歳を過ぎてから。
 幼児が母親とともに入坑する絵、母が振り返って子供を見る絵は「筑豊の聖母子像」といわれている。女坑夫が上半身裸で、背に赤子を背負い、カンテラを口にくわえ、200Kgにもおよぶ石炭を運ぶ苦痛に耐える姿は感動的である。


 炭鉱夫の世界にも上下関係はあり、かつ資産家たちの横暴もあった。これらの中で耐えてきた炭鉱夫の姿がこの本の中にみえる。
 
 座右から離し難い本である。


6/26(水)快晴 午後飯川病院ボランティア
 1:00起床、文献チェック,本読みほか、新聞データ化。9:00畑園芸就寝、紫陽花周辺の笹だけ切除、キウリトマト枝まとめと固定、収穫草むしり。DIY店にてスリッパ、座り作業用イスなど購入。11:50バス飯川病院ボランティア、ハイビスカス植え替え散水ほか。19:15バス帰宅・夕食、21:30就寝。歩数Σ17576歩。ダリアは全部発芽した。

本 画文集「炭鉱に生きるーー地の底の人生記録」山本作兵衛著 講談社 2011年 新装版(1)
 5月17日、NHKラジオ深夜便4:00に、映像ジャーナリストの熊谷博子氏の「我が心の人:山本作兵衛」を聴いた。熊谷氏は炭鉱労働者の「山本作兵衛」の生涯と作品について広く世に紹介するために「作兵衛さんと日本を掘る」をいう映画作品を今年の5月、7年がかりで完成させた方である。
 2011年、日本初のユネスコ世界記憶遺産となった絵や日記697点を残した炭坑画家・山本作兵衛に迫るドキュメンタリー映画である。

 熊谷氏は「山本作兵衛」について約1時間熱く語られ、私は感銘を受けた。
 私は「山本作兵衛」に興味があり数年前に本書を購入してあったが、購入時にはさらりと手をつけただけで仕舞い込んでいた。早速取り出し、自炊しiPadで一気に読みきった。

 本書は1967年に刊行された画文集をユネスコ「世界記憶遺産」登録を機に緊急復刊された復刻版である。
 「山本作兵衛」が孫たちの世代のために遺した文章と約150点の図版で、明治・大正期の炭鉱のありのままの姿を記している。
 著者の「作兵衛」は明治25(1892年)福岡県生まれ。7歳の時から筑豊で炭鉱夫として働き、還暦を過ぎて絵筆を握った方である。
 7歳から父の仕事を手伝う。以来50余年、筑豊地方の炭鉱で働き続けてきた。昭和33年(1958年)に、「炭鉱の姿を記録して孫たちに残しておこう」と絵筆を握り、明治・大正・昭和の炭鉱の姿を描き始めた。昭和59(1984年)、91歳で老衰により逝去。過酷な労働に耐えてきたが、長命であった。

 2011年5月、585点の絵画や6点の日記などが、ユネスコが認定する「世界記憶遺産」に国内から初めて登録された。この記憶遺産はベートーヴェン交響曲第9番、アンネの自筆日記などが指定されている。名もない炭鉱夫が書いた文章絵画が「世界記憶遺産」になったことで世界的に驚きを与えた。
 過酷な現場に才人がいて歴史的に貴重な資料が残った。文章も読みごたえがあるが、なんといっても歴史を証言する絵の数々に価値がある。

 当時、子供のころから働かねばならないのは貧しさのせい。乳飲み子の弟を背中にせおって過酷な労働に従事した。炭鉱労働者が、かつていかに劣悪で非人間的環境で搾取されながら働かされていたのかがよく理解できる。実に生活や労働が生々しい。彼らは差別的境遇にあり、炭鉱で働いていたことを堂々と述べれなかった。こんな方々の血を流すような苦労の上に今の私たちの生活があることに感謝せずにはいらない。

 本書に多数掲載されている絵画は写真よりリアル。虐げられてきた人々の話なのに、絵自体に、労働者の表情にもユーモアがある。記憶力も抜群。入浴シーンは人気があって多数が散逸したらしい。女性の姿は神々しく描かれている。表現力と共に論理的思考力にも恵まれていたことがわかる。教育を受けられなかった人の作品とはとても思えない。絵の後ろから作業の音が聞こえてくるほどのリアルさがある。その画集はプロの写真家によるものよりもはるかにリアリティがある。
 本書に多数掲載されている絵画は写真よりリアル。虐げられてきた人々の話なのに、絵自体に、労働者の表情にもユーモアがある。記憶力も抜群。入浴シーンは人気があって多数が散逸したらしい。女性の姿は神々しく描かれている。表現力と共に論理的思考力にも恵まれていたことがわかる。教育を受けられなかった人の作品とはとても思えない。絵の後ろから作業の音が聞こえてくるほどのリアルさがある。その画集はプロの写真家によるものよりもはるかにリアリティがある。


 この百年の間にこんなにも社会が変化したんだ、と学んだ。また、当時、力強く走っていた蒸気機関車などがこのような過酷な労働に支えられていたことにも想いを馳せた。


 この百年の間にこんなにも社会が変化したんだ、と学んだ。また、当時、力強く走っていた蒸気機関車などがこのような過酷な労働に支えられていたことにも想いを馳せた。


6/25(火) 小雨-中等降雨 午後快晴 外来 飯川病院
 0:30 起床。新聞、音声データ整理.書類処理、7:30バス飯川病院、降車後雨にあたりびしょ濡れ。 ソニーヘッドフォン不調に。8:45-13:00中通病院外来。8月からの木曜休診に備えて紹介状記載数件。14:00-19:00飯川病院、患者対応、静脈確保、微睡。ソニー修理部門に電話等でアクセス、不調に。機能的にはリセットで回復。19:30帰宅、夕食、21;30就眠。歩数計12718歩。

夕張メロン 令和の初競りは1箱(2玉)で500万円
 この時期、北海道の代表といえば夕張メロン。
 札幌の知人から賄いの石井さんの分も含め毎年8ケいただく。先日届いたが、1ケ約2Kg程度だから重くてなかなか移動できない。運送会社の方は軽々と運んできたが、私は玄関先で数が減っていくのを待っている。

 今回届いた8ケは6月25日から27日が食べ頃の札がついていた。あまりにも短期間である。
 

 必ずしもこだわる必要はないだろうが、高齢者世帯では到底食べきれない。ご近所や孫たちに適宜分配した。ちょうどサクランボの時期とも重なったために計画的に食べるのが大変である。うれしい悲鳴を上げている。

 夕張メロンとして出荷できる農家は120戸だけらしい。寡占でないか?これもどうかと思うが、現場のことはわからないからなんとも言えない。地元JAが種の供給から販売まで一元管理している。JAでは品質管理を徹底し、この先100年を見据えて次世代につなげるための工夫と、説明している。

 今年の夕張メロンの令和元年の初競りは5月24日に札幌市中央卸売市場で行われた。
 1箱(2玉)をポッカサッポロフード&ビバレッジという会社が500万円で落札した。
 これまでの高値は2008年、14年の250万円、2018年300万円であったが、それを上回った。同社は「北海道夕張メロンのソーダ」の発売10周年を記念し、原料を提供してきた夕張市の生産者へ「感謝の思いを伝えたくて」落札したという。落札した「夕張メロン」は、北海道新千歳空港で展示し、その後は同社の研究開発本部において、香りの研究などに活用する、という。同社は「今後も生産者の方々の生産サポートになるような取り組みを展開していきます」としている。

 なんでも初競りはご祝儀値段で競り落とされる。
 青森県大間産のクロマグロが新年の話題になるが、今年は278Kgのマグロに3億3360万円の値がついた。2013年に1億5540万円の最高値が出たが、今年はこれを2倍以上上回った。競り落としたのは、13年と同じすしチェーン店であった。

 私には到底理解できない世界である。正直なところ不快感を伴う。


6/24(月)快晴 健康クリニック 飯川病院
 1:00起床、新聞・文献チェック。読書中心。7:00バス病院着。9:00-11;20健康クリニックドック。11:30飯川病院へ。微睡読書、14:00勤務。院内電気系統点検のため1時間停電。入院患者血対応。19:30帰宅夕食、21:30就眠。歩数計9271歩。いつものごとく淡々と。

サクランボ 我が家には錯乱母
 今年もサクランボの季節がやってきた。
 毎年、この時期になるとわが家の食卓には殆ど途切れることなくサクランボが並ぶ。それも結構な量である。
 例年、知人から送られてくる県南の十文字産のサクランボがきっかけとなって始まる習慣である。今年も見事なのをいただいた。

 この時期、家内は「錯乱母」と化する。さすがに最近は食べる量は減ってきたように思うが、かつては2Kgの箱、それも比較的高級なのが、1-2晩で全てツルと種に変身し、腹ふくれた「錯乱母」が箱の横でうたた寝していたこともあった。健康面も心配である。注意しても効果はない。救いはサクランボの旬が短いことである。

 サクランボ好きの家内にとっては嬉しい、私にとっては恐怖の、かつ心配な時期でもある。これ以降、旬の終わりまでほぼ毎日の如く食卓で途切れることがない。
 
 (これ何Kg目??聞くのも怖い)

 調べてみると、サクランボは世界で1000種類も栽培されているといわれている。結構多くの国で栽培されているものだ。国内で100種類程、山形県では30種程度といわれている。

 中でも、佐藤錦は日本を代表する品種。果実は6グラム程度であるが、摘果等により10グラム程度の大玉生産も行われている。果肉は比較的軟らかく、乳白色で見ていても美しい。
 紅秀峰は1991年に山形県で誕生した比較的新しい、晩生種で、佐藤錦の後に食べ頃になるため人気が高まつているという。 

 旬が短いために、私はジャムなどの加工品にできないものか?と思う。栽培農家によると収穫するだけで精いつぱい、かつ加工費用の方が高くつくらしく、この方面ではあまり進展はしていない様だ。残念なことである。  
 
 それでも新しい工夫はある様だ。
 サクランボは、通常収穫して3日で味や風味が落ちるが、「紅姫」というブランド品は特殊な冷蔵保存技術により、6月下旬から7月上旬に収穫した紅秀峰などを、酸素を通しにくいフィルムをかけ、3度以下の低温で冷蔵保管したもの。紅姫は約40日間鮮度を保つとされている。一度は試してみたいものだ。

 家内は自分が楽しむだけでなくお世話になった方々にも送っているらしい。

 サクランボはあのツルをプラプラさせて指先の遊びを楽しみ、形や色合いを十分見て楽しんでからおもむろに口に運ぶ。果実の表面はとてもスムーズで舌触りがとても良い。1ヶずつ口に含む。 この時、おちょぼ口である。若くて口元の美しい女性をイメージするとエロチックなイメージが伴う。ひげの男が大口を開けて食べているシーンなど思いたくもない。

 産地ではサクランボ狩り、種飛ばし大会なども行われている様だが、後者はあまりイメージが良くなく、いただけない。


6/23(日)快晴、一時雨 飯川病院日直 ヤートセ祭 
 1:00起床、いつもの如く、新聞、文献など。蓄積データ大幅に整理。5:00収穫他。8:30バス飯川病院、日直。昨日からヤートセ祭、通町で。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。歩数計9084歩。 

人生100年時代(4) 死のデザインも医師の仕事
 人間は生物だからいずれ死ぬ、さらに死ぬ前に人間の感性が失われていく。それであっても生きているという、本人にとってはどうでもいいことが優先されていく。

 近年、社会の考え方も、医療関係者の考えはかなり変わりつつあるが、それでも肉親である家族たちの感覚はまだそこまでは至っていない。
 
 終末期には苦痛を除くという、対症療法しか意味がない。それ以外の医療は不要である。
 終末期にある患者のケアにおいては、しかしながら、医師の立場ではたとえ理不尽と思っていても、発生するであろう家族との確執を考えれば家族の希望を入れざるを得ない。要するに家族が死にゆく方々に苦痛を強いており、その時間も長めている。背景に年金等の問題が絡んでいることもある。

 極めて古い話であるが、私は若い時に秋田大学第三内科で血液の臨床を学んだ。白血病を中心とする疾患群が中心であったが、そこで展開される検査や治療は、患者のためにと思っていたことは疑いはないが、当時はいかに生存期間をいかに伸ばすか、を求めていた。今から考えれば理不尽であったが、患者が重症化すればするほど濃厚な治療を行なった。結果として死に至る経過は壮絶なものとなった。
 私はこの様な死を、名古屋空港で生じた中華航空機の墜落事故にたとえて話すことが多い。この事故は25年前の4月、長いフライトを終えて着陸直前まで順調であった中華航空機が滑走路上で突然機種を挙げて失速。空港内に墜落し264人が犠牲になったものである。操縦士は別にして乗客の誰もがこのまま静かに着陸するものと思っていたはずである。一度離陸した飛行機はいずれは着陸しなければならない。着陸はスムーズでなければならない。人生も同じである。

 私は、昭和30年代に岩手の田舎で育ったが医師である祖父の仕事を垣間見て、「人は静かに死を迎えられる。そのように迎えさせるべきだ・・・」との考えを持っていたので、私はその様な医療の世界を求めて中通病院に移った。私の性格もあって、医療チームに深く同化できなかったために、逆に単独で思い通りの治療を概ね実現できた、と思う。

 最近では、クオリティ・オブ・デスということまで言われるようになった。
 私はこの動きを待っていた。

 人は必ず死ぬのだから、良い死を迎えられる様に手伝うのも医師の重要な役割だと思ってきた。航空機の操縦士も同じである。操縦士の場合は自分の命もかかっている。

 2009年、映画で大きく話題になったのはアカデミー賞受賞作品「おくりびと」であり、私はいたく興味を持った。何で、興味をいだいたかというと、私自身が自ら「おくりびと」を自認していたからで、葬儀屋や納棺師にすっかり株を奪われてしまった、と思ったからである。
 映画「おくりびと」を観た(2)私も「おくりびと」デス


6/22(土)曇りのち快晴 ヤートセ祭
1:30起床、新聞、文献など。午前・午後畑と庭の対応。草刈り、伐採した小枝の処理、ガレージ掃除。午後微睡、16:00書斎にて蓄積データ整理。N響定期公演最新録画楽しむ、:本読み三昧、「N響定期公演、ツァラトゥストラはこう語った 、ヤナーチェクなど」。歩数計11826歩、敷地外に一歩もでず。

人生100年時代(3) 人は死ぬべき存在なのだ
 高齢化が進んで虚弱化した高齢者は複数臓器に障害があり、臓器別の診療では対応が難しい。

 虚弱高齢者は、身体的、精神・心理的、社会的な問題を抱える。この状態をまとめて老年症候群という。
 高齢者の初期治療を扱う「高齢者総合診療部」を設置している医療機関が増えてきた。高齢者は全体的にガタがきているから特定の臓器のみを対象に高度の専門的医療で診療すれば解決するというものではない。

 医師・看護師、薬剤師、医療ソーシャルワーカーや栄養士など、多職種の者達からなるチーム医療で、多様性がある高齢者の問題に立ち向うのがいい。かつ、高齢者は病気をいろいろ抱えているので、院内をウロウロさせずに一カ所で診るのがいい。各診療科の連携が取れてさえいれば不可能ではないし、専門の診療科にとっても集中すべき患者に集中できるという意味でも都合がいい。

 高齢者は、加齢とともに身体機能が衰え、食が細くなり、だんだん歩けなくなるがこれは自然の摂理である。このような状況に医療が介入すれば、若干の効果はあるだろうが、元に戻ることは期待できない。治療の結果、歩行も不可能になり、患者から笑顔が失われる状況になることは目に見えている。医師の使命は何なのか、と思う。

 老年医学会も現場の関係者も高齢者医療のあり方を原点に立ち返って考えるべきである。
 まず自然の摂理、医療の限界を認識すべきである。
 何で虚弱高齢者をフレイルなどと呼び替えるのか?何に対しての遠慮するのか??私は賛成できない。メタボよりデブでいいじゃないか。その方が本質を明快に示す。

 社会参加をしている方は、認知症の発症率も低く虚弱化率も低い。
 認知症の方が2025年には約700万人になるとの予測もある。生物である限り自然の摂理である。予防も大事だが効果は乏しい。認知症を受け入れる社会をつくるべきである。

 人は死ぬべき存在なのに忘れられていないか?
 誰だって人は「死すべき定め」があることは知っている。しかしながら、意識的に触れない様にしていないか?

 人間は生物だからいずれ死ぬ。さらに死ぬ前に人間の感性が失われていく。栄養が外から与えられて、呼吸ができていればそれでいいのか??そんな状況が医療によってもたらされているが、それでいいのだろうか。とにかく患者さんを生かそうと思って手をつくしたことが、かえって患者さんにマイナスになっている場合の方が多い。

 それが高齢者医療の実態の一面である。


6/21(金)快晴暑い 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
0:30起床、文献・新聞チェック。何時ものごとく、5:00可燃ゴミ出し。7:35Taxi駅東口に、8:11こまち。9:15-12:15大曲外来,往徒歩。複は時間切れTaxi。飯川病院散水ほかボランティア。新聞チェック。19:00Taxi書店経由帰宅、夕食、21:00就眠。歩数計9773歩。自炊数冊。

人生100年時代(3) 明るい高齢社会などは幻想 政府は年寄りを騙すな
 日本の人口減少・少子高齢化は世界でトップを走っている。日本の社会の行く末は全世界が固唾を飲んで注目していると言っていい。だから、そのモデルをしっかりと示していかなければならない。
 我が国の高齢者対策は正しい道にあるのか? 私は疑問に思っている。

 高齢者に関わるさまざまな問題を取り上げてみる。超高齢社会において、大きな課題としては三つに集約できる。
――――――――――――――――――――――――
■ 老後資金。
■ 医療、健康。
■ 終の住まい。
 ――――――――――――――――――――――――

 従来、高齢者問題を論じる場合は医療、健康が第一と考えられてきたが、今月初旬、年金生活者の経済状態が明らかになってからは順番が逆転し老後資金が第一に躍り出た。巷には8050問題と言って80代の老人が50代の子供の面倒を見なければならない実態もある。結局、亡くなるまでにどれだけの生活費や医療費が掛かるのか、更にどういうリスクがあり、そのリスクを避けるために何をやってはいけないかといった話は重要になる。

 しかしながら、2000万円不足問題が表面化してからの政府の慌て方を見ていると本来手をつけるべきことが明快にされて来なかった、隠蔽されていたとしかいえない。データをクールに見ると2000万円では足りない。金融庁の試算では3000万円ともされている。

 実際には、高齢者にとって一番大事なのは「お金」であること今に至らなくても自明の理であった。
 かつて「消えた年金」が問題になって安倍首相の退陣に結びついたときから、私は年金問題に関心を持ってきた。政府は「100年安心」を主張してきたが、私はどうも計算が合わない、と思っていた。

 また、私が現役を引退した時に確定した私の年金支給額を見て、あまりの低さに驚いたものであった。20代からずっと天引きされていたが、こんなものなのかと??驚いた。
 さらに、私は現在も働いているので厚生年金は「支給停止額」が30%以上と大きい。
 これじゃ何のために天引きされてきたのか??と思う。私が預けた年金はどこに消えたのか??

 年金問題を他人と比較する資料を持ち合わせていないが、国民年金しか支給されていない高齢者、かつ満額支給に至らない高齢者、無年金の高齢者などの存在を考えると私は恵まれている方には属すだろうが、なんかスッキリしない。

 高齢者の寿命が延びると老後資金が不足する国民はうなぎのぼりに増えてくる。しかも、高齢者にとって収入を増やす道は皆無である。国はセフティネットとしての生活保護支給に対する準備はできているのだろうか。私の感覚では「無い」である。

 人口減、少子高齢化を放置して至った現状は、今になってはもう誰も手がつけられない。過去の政策の当然の帰結なのだと、私はクールに捉えている。
 何で今更騒ぐのだ、と政治家にも言いたいところであるが、このままでは日本は立ち行かなくなる。
 
 改善させる方法はひとつしかない。


6/20(木)快晴 外来 飯川病院 
1:00起床。録音他各種データ整理。7:00バス飯川病院。8:40-13:45中通病院外来+ドック判定14人分。14:00飯川病院、午睡。14:00-18:45飯川病院。入院患者対応5名。19:30帰宅。夕食、21:00就寝。歩数計9071歩。

家庭菜園・園芸2019(2) ボタン、バラ、紫陽花など
 私の野菜つくりなど、小規模だから食糧生産などとは一切言えない。我が家の食卓に一時期上る程度である。コスト面でも割りに合わない。苗は高いし、腐葉土、肥料、添え木なども全て買わなければならない。肥料の一部はコンポストで自作しているが、全体でみれば赤字である。スーパーで買うほうがはるかに安い。
 雑草の処理も大変。ただ、その作業を通じて、天候問題、農漁業問題、食料自給率、世界の食糧不足、温暖化にも関心が向き、私の視野が広くなっていく。そんなところが私の畑作業の喜びにつながっている。

 今年は住宅の前のスペースにダリア中心に植え、ボタン、バラなどの世話をしている。余ったスペースにはキウリ、ネギを植えた。お盆頃にはダリアの前にネギの姿か見ものだろう。花の世話も決して楽ではない。休日が作業の中心であるが、休日は高頻度に飯川病院の日当直に当たる。その日が良い天気だと心穏やかではない。

 鉢植え、地植えのボタン、バラの管理は家内が主で、私は実作業をする従たる立場であるが、結構うるさく指示が出て大変である。鉢植えのボタンはワラのこもで全体を覆い、玄関先にで凍結を防いだ。
 両者とも今年も見事な花をつけた。


 ダリアは主役は私である。今季は5季目。
 昨秋、シーズンが終わり、霜が降りる前に球根を掘り出した。球根は植えた時の何倍にも増えているだろうと期待したが、予想に反して小さく、弱々しかった。数日乾燥させ、ビニールの買い物袋に小分けして、凍結させない様に書斎の隅で越冬させた。
 5月初旬、球根を出してみると乾燥し切っており、掘り起こした時の半分ほどに縮み、中には鉛筆の如く、哀れな姿となっていたのもあった。過剰乾燥状態で発芽が危ぶまれたので、自己流であるが外に並べ一日一回球根に水分を与えてみた。3-5週間ほど続けたところやっと新芽が現れ始めた。新芽を確認した球根から適宜花壇に植えた。昨年は14株植えたが今年は10株に減ってしまった。本日の段階では全株発芽して元気に成長している。今年は再生に苦労したから開花が楽しみである。

 いま紫陽花が綺麗である。

 これは何だろうか。可憐な花である。
 調べてみた。ホタルブクロというらしい。

 10年ほど前までは自宅の花にそれほど関心はなかった。
 今は図鑑やカタログで楽しむほどになった。それだけ狭かった視野が開けてきた、ということ。


6/19(水)曇り昼より若干降雨 飯川病院ボランティア   
 0:30起床。データ整理、本読み。5:00庭と畑見廻り、散水。畑草取り、草刈り2巡目、枝伐採、足元引っ掛け転倒、大事にいたらず。10:50降雨で石井さん乗せてレガシー飯川病院へ。11:20-19:00ボランティア。本読み、データ整理、19:00夕食、21:00就眠。歩数計8877歩。

家庭菜園・園芸2019(1) きうり収穫始まる 家庭菜園園芸の喜び
 2011年、現役を退いてから小規模ながら家庭菜園・園芸をやっている。
 勤務があるので、水曜午前と週末に天候と相談しながら適宜作業する。
 その日は晴耕雨読のどちらかを適宜判断するが、5-6月は秋田は晴天が続き、身体は疲弊傾向にある。

 植えた種や苗の成長過程を眺めるのは楽しいし、初めてしまえば相手は生き物だから散水とか手が抜けない。年齢のせいか、作業を開始するまでは億劫な気持ちもあってずるずる延ばしていたが、4月下旬から今年の作業を開始した。

 家の西側に隣接する畑は通常どおり今年も借用し、ネギ、トマト、キウリ、ナス、大豆を植えた。キウリ、トマトは旬になると一気に成熟する。とても食べきれない。だから、時間差収穫を狙って各々の苗の植え付けは2週間以上ずらした。

 枝豆は畑に直播にすると発芽率が良くない。そのためにカップに栽培し、6月に入ってから本植えしたが、順調に育っている。今週中にもう一回カップに栽培する。今年の植え付けはここまでになる。
 キウリ、ナスの収穫が始まった。

(買う方が安いんじゃないか??それがどうした!! 私はそうは思わないよ)

 ネギは秋頃から初春まで長く味わうことができ、家族たちの評判もよかったので今年は昨年の3倍強、150本を植えた。ネギは白色の部分の比率を増やすために途中で土盛りが必要であるが、その手間を省くためにムネに金属棒を深く打ち込み、その穴に深々と植えた。この工夫が吉と出るか、楽しみである。

 今年は支柱も工夫した。
 秋田も結構強風にさらされる日がある。だから、トマト、キウリ、ナスなど背丈が大きくなる苗には成長に合わせ支柱を立てて茎を固定しなければならない。従来は真っ直ぐな支柱のみで対応したので倒れないような補強が縦横に必要で、それでも台風の時には倒れて大変であった。今年は二つのムネにまたがるような大型のU字型の支柱を採用した。おそらくこれで万全とおもう。

 今後はメインテナンス中心となるが、今年は追肥も工夫してみる。

 家庭菜園の収穫などしれたもので、多分買う方が安いとおもう。それでも楽しいのは成長の姿、収穫の楽しみである。
 細々と畑を作っているといろんな自然現象についていろいろな疑問が湧いてくる。それらを調べて見るのは楽しい作業である。
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 ■ 連作障害とはなんだろうか?水田はなんで連作障害が生じないのか?
 ■ 日本全国に水田を作ることができるのは何故か?何故水漏れしないのか??
 ■ 食物を支える土壌とは何か??
 ■ 植物にとって日光の意義とは?
 ■ 肥料の意義とは?水は??
 ■ などなど、
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 疑問は尽きることはない。徐々に調べていく。
尽きない。


6/18(火)快晴 外来 飯川病院  
0:30起床,いつもと同じ、5:30可燃ゴミ、ネコ対応、7:00バス飯川病院着。8:45-13:30中通病院外来。13:45飯川病院へ、微睡。14:00-18:45飯川病院勤務。入院患者対応。19:00帰宅、夕食、20:30就寝、歩数計9762歩。

秋田新幹線の車内販売なくなった 残念なコーヒー、アイス 
 この3月のJRダイヤ改正を前に秋田新幹線の秋田-盛岡間の車内販売がなくなった。私は東京往復でもせいぜいコーヒーを買う程度で売上への寄与度はほとんどないが、車内販売がなくなってとても寂しい。

 私はこの車内販売中止の件に関しては100%誤解していた。
 てっきり少子高齢化のための若いスタッフ不足したのが原因と考えていた。だから、より年寄りを雇えばいいじゃないか、と考えていた。私は最近、何でも人口減、少子高齢化に結びつける傾向がある。要反省。

 実際、スタッフ不足もあるが、売上が2000年前後に比較して半分ほどと減ったことが主な原因だ、という。
 JR北海道によると、2013年度の車内販売の赤字額は過去最大の3億円に達し、経営難のJR北海道は車内販売を維持する余裕はないと判断し、2015年以降、特急列車の車内販売を次々に廃止した。
 ここでも私は誤解していた。車内販売はJR直営ではなく、委託された別の会社が担っていた、と思っていた。

 売上減の原因は各駅の売店が立派になってきていること、列車の高速化、乗客の旅行スタイルの変化にある様だ。
 確かに、車窓を眺めている乗客は少なく、居眠りしたり、パソコンやスマホをいじるなど、鉄道旅行を楽しもうとはしていないように見える。客は食べ物や飲み物を駅で購入してくるようだ。だとすればなかなか対策は困難だろう。最近の車内は静かになった。中年女性の集団が大声で騒ぎ立てる、ということ少なくなった。

 盛岡-秋田間の新幹線だけでなく、全国の新幹戦で、車内販売が縮小されている。 
 JRによると、北海道、九州の各新幹線、秋田新幹線と東北新秤線のやまびこは3月15日を最後に車内販売を終了した。一部の東北新幹線やこまち、上越、山形新幹線の車内では、弁当や土産物の取り扱いをやめ飲み物や菓子、つまみ類に品目を絞った。
 先日こまちで来秋した長女によると、東京-盛岡間で車内販売があったが、カップアイスはなくなった、という。私もたまには購入した。極めて固く、スプーンが刺さらない硬さで、一気に食べられずいい時間つぶしになつた。 
 
 一方、在来線特急ではすでに車内販売が消えつつあつた。
 JR九州は2015年に特急で廃止、JR北海道の在来線特急の車内販売はすべてなくなっている。 

 売り上げが半分になったとすればその流れには逆らえない。

 せめて、コーヒーの自動販売機は設置できないだろうか?東京までの4時間、駅で購入したコーヒーをすするが、冷めるし、残念である。


6/17(月)快晴 健康クリック 飯川病院 損保スタッフ来訪
1:00起床、いつもの如し。データ整理、一部廃棄。5:00畑に散水。700バス飯川病院着。9:00-11:00健康クリドック14名+レントゲン判定。11:30飯川病院へ、微睡、14:00から業務、入院患者対応。玄関のピロティにハイビスカス5鉢移動、固定。今年はどんな花になるか。19:00帰宅、夕食。20:30就寝。9207歩。

人生100年時代(2) 高齢者は隠居など夢の夢
 75歳以上が高齢者と定義した日本老年学会他の意図は、65歳を過ぎても昔より5-20歳若々しいという評価が背景になっている。

 日本は厳しい人口減、少子高齢化の中にある。その面では日本は世界一の先進国である。
 他の国国は日本のこの厳しい現状をどう乗り切るか、注目してみている。しかし、その渦中にある我が国の高齢化対策は不明瞭である。為政者たちは何を考えているのか?と思う。

 現状をざっと計算すれば、一人の高齢者を二人の生産人口者が支えている、という構造である。75歳まで仕事に従事するようにすれば、支える側、支えられる側の比率が大きく変わる。
 今話題になっている老後2000万円不足問題も変わってくるし、危機的状態にある年金を含む我が国の社会保障環境も一変するだろう。この辺のことをヴィジョンとして付則で語らなかったから、大変な事情、と捉えられた。

 古く我が国では「功なし名遂げて道退くは・・」などとされ、戸主権を次世代の相続人に承継させる制度があった。伊能忠敬は50歳にして隠居生活に入り天文学を学んだ。当時の家業は次々と継代できる環境があったから可能になった制度である。早めに隠居生活に入ることは当時の高齢者の夢であったとされるが、実行できたものは少なかった、とされる。

 65歳を過ぎたら、「支えられる側」として計算されるのは今でも実態に属していないと思う。高齢者が社会参画をいつまでも続けることができれば、社会を救うし、本人の健康にとってもいい。

 ただし、高齢者の身体状況は多彩であり、虚弱高齢者もいるのでそういう方にはきちんと社会保障で手当てすることが必要である。
 現代の高齢者は隠居など夢の夢、元気で働く意欲のある方には若い世代の負担を減らすという意味でも働くべきであろう。ただ、秋田では高齢者が働ける職場がとても少ない。私が担当している外来の患者の中にも「就活中」の方が少なくない。

 私など、人口減、少子高齢化を悲観的にしか捉えられないが、老人パワーという資産を活用するという発想転換すれば、まだまだ活力のある国と言えるのではないか、と思う。
 そのためには、高齢者が働きやすい環境を用意してほしい。

 私は高齢者の定義を75歳以上とする提言は社会保障そのほかをめぐる高齢者制度に利用するのであれば賛成である。早く環境整備をしてほしい。


6/16(日)終日降雨 飯川病院日直  
1:10起床、随想読み、徒然など。データ整理。8:30降雨のためにレガシーで出勤、9:00-17:30飯川病院日直。風強し、降雨あり。微睡。各種のデータ複製保存。19:00帰宅、夕食。20:30就寝、歩数計10011歩。録画で「そこまで言って委員会3回分」、「世界は今」見る。

人生100年時代(1) 高齢者医療のあり方について
 最近、人生100年時代と言われる。
 あたかも長寿社会には今以上の幸があるような雰囲気で語られている。私は人生100年時代など、考えて見ただけでゾッとする、ひどい社会になると思っている。

 6月3日金融庁が、夫婦で95歳まで生きながらえると年金を受けていながら2000万円ほど備蓄から取り崩すことになるという試算を発表して、甘い考えに水をかけた状態になった。実際には2000万円は豊かな高齢者にとっての控え目な数値であって、実際には倍ほど不足する。
 大体、95歳という年齢を設定して考えていたことが驚きである。より若い年齢で区切ればこんなことにならなかったものを・・・。なんで95歳としたのか??

 私は、年金論議にいい材料が提供されたと思っているが、国民の反応はいまのところ静か。この問題は生活者が騒ぐのではなく、政争の具となっている。

 人生100年時代に高齢者にどのように対応していくかが大きな課題になっている。

 少なくとも今のままではダメだ。人口減と少子高齢化が最大のネックになって行く。半世紀も前から今日の状況は十分予測できたのに、政治的に何も手を打ってこなかったツケがこれから徐々にあらわになる。もう取り返しがつかない。しかしながら、そんな危機感はあまり語られない。政府はこの辺のことを隠している。
 心ある高齢者は国の将来を憂えている。若者はそれほど関心がないようだ。高齢者は間も無くいなくなるからそう深刻に憂える要はない。若者の問題なのだ。

 我が国は、自ら衰退の道を選択した。なのに、今になって大騒ぎである。もう取り返しがつかない。
 例えば、秋田県の場合、2045年には人口が現在の100万から60万人まで減少する。この広大な地で何とするのだろう。

 人生100年時代を迎えるにあたり、高齢者医療のあり方について考えなければならない。

 まず、高齢者とは何歳からの人達のことをいうのか??
 2017年1月、日本老年学会と日本老年医学は65歳ではなく、75歳からで良いのでは、と提言を出している。

 65歳以上を高齢者というのは、多くの先進国の定義。しかしながら、高齢者が65歳以上という定義が、もう今の社会の状況にマッチしていないのではないか、というのは実感である。

 学会では、高齢者の体力、知力などを科学的に調べた。
 歩行スピードなどの体力、知的機能、残っている歯の数など、いろいろなコホートスタディの結果を見たところ、以前に比べて少なくとも5年-20年、平均的には10年若返っていることが分った。
 このデータが根拠に高齢者とは75歳以上でいいのでは・・、と提言した。
社会保障環境2017年(7) 高齢者定義75歳?? 制度的意義がなければ無駄


6/15(土)風強し、終日曇り小雨  
1:10起床、随想読み、徒然など。データ整理。降雨の前に畑園芸に。散水、ネギ50本追加、ダリアの前にも。ミニカップに植えた大豆を畑に移植。キウリ初収穫一本、昨年と同日。10:30以降は強風、降雨あり座学に変更。小説読み、録画で「題名のない音楽会:千葉青少年オケ関連」、データ整理。19:00夕食、21:30就寝。歩数計13011歩。

老後2000万円不足問題(2) 裕福な高齢者のタンス預金、銀行預金等を引き出す目的??
年金受給を受けている高齢夫婦が95歳まで長生きした場合、老齢資産として2000万円の備蓄の取り崩しが必要との試算は、おそらく年金生活者の8-9割に「そんなにお金なんかないよ・・・」とショックを与えたと思われる。

 2000万円の備蓄を持って年金生活に入れる高齢者はどれだけいるのだろうか??
 定年まで勤めたサラリーマンは退職金、企業年金、厚生年金、国民年金などで身の丈にあった備蓄、おそらく2000万円近くの備蓄が可能であろうが、その実態は不明である。国民年金のみ受給する高齢者は、年金受給者の約半数に上るが、国民年金だけでは月6万円余だけなので95歳まで長生きした場合はこんな程度の不足ではありえない。5000万円にも上ると考えられる。無年金の人もいる。

 だから、あまりピンとこなかったはずである。体力も資金もない人には収入を得る道は閉ざされている。長寿化のもとでは生活保護受給申請はうなぎのぼりに増えるだろう。
 この点は報告書の中では触れていないが国は準備しているのか??

 今回の報告書が、多様な高齢者の生き方の平均値を出したところに問題があるが、多分、報告書は裕福な高齢者、まあまあ裕福な高齢者に対して、「手持ちの資金の寿命を伸ばす必要があるから、資金は眠らせていないで投資とかで運用を図る必要がある・・・」、ということを示したかったのだろう。

 長寿化か進む社会で社会保障の原資が不足する我が国の将来においては、一人ひとりの老後資産づくりをどう考えるかは政府として避けては通れない課題となる。そのための手段として政府が推奨するのが「個人型確定拠出年金」などの私的年金や「少頷投資非課税制度などの投資であるが、本来勤勉なワカ国の国民は投資による利殖に対して消極的で、これら私的年金等の加入者は公的年受給者の1%ほどにとどまっている。
 だいたい一般の高齢者には蓄財などする余裕がないのだ。
 
 本来ならば、ある程度の裕福な高齢者に対してこのような形での自助努力を喚起する予定で今回の試算を公表したのであるが、多様な状況にある高齢者をまとめて平均値として示したものだから、逆効果になり、公的年金制度の失敗を意味する印象を植え付けた。

 日本の納税者の6割は課税対象の所得が195万円以下である。
 このような低所得の人たちに対して自助努力せよ、というのは土台無理な話である。このような方々にとっては収入を増やす方法は思いつかず、支出を控えるか、生活保護受給の方法しかない。まず、この様な積み立てるお金がない人の支援を優先すべきである。

 少子高齢化と人口減は社会保障の仕組みを脆くする。公的年金の持続性を高めるには高齢者にできるだけ長く働いてもらうこと、自己資金の有効活用などの自助努力を支える仕組みの充実を並行して進めることが不可欠である。


6/14(金)晴れ暑い 大曲外来 飯川病院ボランティア
1:00起床,新聞文献、徒然など。5:30可燃ごみ提出。7:30Tax駅に、8:11こまち。9:10大曲中通病院外来。駅病院間往復徒歩。秋田の袋も徒歩、ネギ1束入手。13:30-18:45飯川病院ボランティア、19:00Taxi帰宅、夕食、21:00就寝。Σ13834歩。

老後2000万円不足問題(1) 「政府のスタンスとも異なっている」は政府が間違っている

 1週間前に紹介した有識者の報告書が、内容的に今夏の参議院選挙の逆風になり得るとみるや、政府は「これまでの政府の政策スタンスとも異なっている」と一転報告書を批判し、受け取りを拒み、報告書ごと「なかったこと」にして、躍起になって火消しを始めた。
 こんな馬鹿な話は無いだろう。別の視点からの考え方が提示されたのに、この対応は疑問、呆れるしかない。

 あるデータによると国民の8割が老後の生活に資金不足を感じている、としている。とりわけ「年金不足」は深刻である。誰の目から見ても不足は明らかであろうが、政府はその事実が白日のもとに晒され、夏の参院選の争点になることを恐れている。
 そもそも審議会を招集し議論を頼んでおきながら、風向きが悪くなると背を向けるのでは、行政の責任者としての資格はない。審議会は政府を代弁すべき内容でまとめるべきだという「本音」が露呈している。
 要するに、最初から「結論ありき」の会議であることを期待していたのだろう。
 今回の審議会の論旨は明快である。ただし、今回の判断の根拠としたのは総務省の9.000世帯の家計調査で、そのデータから導き出した2000万円が不足になる、は間違いではない。しかしながら、利用したデータによっては数100万円程度のばらつきが出る可能性がある。生活者が都会に住んでいるのか、地方に住んでいるのかだけでも差が出る。
 報告書は、学者や金融業界関係者らが昨秋来12回の会合を重ねてまとめたもので、「年金生活に入った夫婦が95歳まで長生きしするには、予め約2000万円の蓄えが必要である・・」、とした内容を含むが、これが社会に衝撃を与える内容だからである。
 この報告書は、麻生氏の諮問を受けて設けられた作業部会で作成された。金融庁が事務局を務め、会合は公開、資料や議事録も公表されている。
 私は新聞に掲載されたこの報告書を読んでみた。

 論旨も、話題の展開も、結論も、より科学的であり、この報告書の論旨は正しいだろうと思う。ただ、個々の生活者は多様なのであり、この平均値を直ちに国民の実態とするには乱暴かもしれないが、少なくとも考え方の方向性としては間違ってはいない。
 「政府のスタンスと異なっている・・・・」との意見は政府の方が間違っていると私は解釈したい。データに不正確なところがあると言うのなら、より正確なデータや解釈を示すべきだ。
 確かに、報告書は資産の取り崩しが必要としたが、年金の水準が下がり、年金だけでは最低限の生活すら維持できないと思う国民が多数いるのは動かしがたい事実である。大体、2000万円の備蓄を用意して年金生活に入れる国民はどれだけいるのだろうか?疑問である。
 さらに、報告書は長寿時代には資産の寿命も延ばす必要がある、と述べている。だから、資金は長期の積み立てや分散投資が大事で、金融機関も顧客のニーズに応えるべきだとあるが、私から見て非現実的である。そんなに余裕を持って蓄積できた高齢者は多く無い、と思う。
 それに、現実に資金が不足になった高齢者にとって収入をうる方法はほとんど無い。生活保護受給は最後の手段であるが、国は準備しているのだろうか??逆に問いたい。
 日本の高齢者の格差と貧困は極めて深刻であり、今後も一層深刻になっていく。この報告書の結論の趣旨は正しいと思う。


6/13(木)晴れ 外来 飯川病院 
0:30起床,文献整理。7:00バス飯川病院、8:45-12:50中通病院外来+ドック判定総括14人分。13:15飯川病院、微睡。秋銀スタッフ来訪、入院患者対応。19:00帰宅、夕食、21:30就寝。Σ9732歩。

車社会の今日2019(5) 高齢者ドライバー問題(1) 年齢で質の異なる事故原因
 昨今、高齢者ドライバーの交通事故のニュースが世間を騒がせている。
 具体的は大津市の16人死傷事故、池袋の10人死傷事故、福岡の9人死傷事故などなどである。

 75歳以上の運転者による交通死亡事故は昨年460件あり、前年に比較して1割増えた。これは、高齢者のドライバーの絶対数が増加していることと関連する。
 死亡事故全体に占める高齢者のドライバーの割合は14.8%で、統計が残る1990年以降で最多になつた。 
 警察庁によると、80歳以上の件数は、前年より7.2%増の252件で、死亡事故全体に占める割合は8.1%で、こちらも統計上最多だつた。

 免許人口10万人当たりの死亡事故件数は、過去10年減少傾向が続いていたが、今回はやや上昇した。
 理由の一つは長寿化によって高齢の免許保有人口が増えていることで、さらにこの傾向は続く。だから、今後、高齢運転者対策が課題となる。

 75歳以上の運転者による死亡事故を要因別でみると、
――――――――――――――――――――――――――――――
■ 操作の誤りやブレーキとアクセルの踏み間違いなどの操作の誤りが136件で最も多く3割を占めた。
   ハンドル操作ミスが79件
   ブレーキとアクセルの踏み間違いが25件。
■ 漫然運転や脇見など前方不注意は133件、
   電柱や標識などへの衝突が94件
   出合い頭の衝突が85件、正面衝突が70件
■ 後方をよく見ないなど安全確認不備が105件。
――――――――――――――――――――――――――――――

 75歳未満の運転者による死亡事故2639件では、75歳以上の運転者とは異なり
――――――――――――――――――――――――――――――
■ 前方不注意が1119件で約4割を占め、
■ 操作の誤りは432件で1割台にとどまる。 
―――――――――――――――――――――――――――――― 

 75歳以上の運転者に対しては2017年3月施行の改正道路交通法で、運転免許更新時や一方通行逆走などの違反をした場合に認知機能検査を受けることが義務づけられた。
 17年に検査を受けた196万2千人のうち認知症の恐れがあると判定されたのは2.8%、認知機能低下の恐れがあるが26.8%だつた。 

 今後、高齢運転者対策が課題となるが、認知機能の低下だけではない。視力の低下、瞬間の対応能力の低下、バランス感覚の低下なども問題である。

 しかしながら、いちばんの問題は自分自身の状況を認識していないところにある。要するに、年齢とともに増えていく「運転技能に対する自信過剰状態」である。


6/12(水)快晴 午前フリー 飯川病院ボランティア 
1:15起床,文献読み、データ整理中心、いつもの如く。7:30畑見回り。9:30DIY店にてキウリ苗、ナス苗追加購入。畑とプランターに。12:00レガシーバッテリー上がり、なぜか??院長大学病院受診で留守番。13:00飯川病院出勤。19:00帰宅、夕食、21:00就寝。Σ12618歩。
 
車社会の今日2019(5) 車のフロントに速度表示灯を復活させよう
 車同士の接触事故は、車が自由に動けるという特性がある以上、やむを得ない。

 防ぐべきは、交通弱者と車との間で生じる事故である。
 この場合、殆どは車のフロント部で事故が生じる。かつ、傷害を受けるのは常に弱者の方である。これらの事故を防ぐためには、ドライバーの運転状況が弱者に分かるように車のフロントにブレーキランプ、速度表示灯を装着するのが一方法である。

 また、バイクと車、車同士の衝突の中でも多いのは直進車と対向車線の右折車間の衝突事故であり、しかも死亡に至る大事故が多い。フロントに両者のランプがあれば互いに相手の運転状況が分かり、事故防止に役立つはずである。

 交通弱者の一人としての深刻な要望、希望である。

 速度表示灯は、1967年(昭和42年)車両総重量8トン以上または最大積載量5トン以上の大型トラックのみに義務付けられていた。

 速度表示灯は3つのライトでセットとなっており、
―――――――――――――――――――――――――――-
■40km/h以下で一つ点灯、
■40km/h-60km/hで2つ点灯、
■60km超…3つ点灯
―――――――――――――――――――――――――――-
 私は日常参考にしていた。
 しかしながら、この速度表示灯の義務化は、車の輸入に弊害となった。国内で運行するには改造が必要であった。また、一般人には速度表示灯の意味すら知られなかった。
 
 結局は実用性に乏しいと判断されて、1999年(平成11年)廃止されたが、悔やまれる判断であった。私は軽自動車をはじめ全ての車両に再度義務付けて欲しいと思っている。

 最近の経験を二つ。
 時差式交差点は対向車の方が先に赤信号になるが、それにもかかわらず直進してくる対向車がマレにある。このような車は減速しないから予想が付く。私の方で右折しないで待つが、とても危険である。

 その他、自転車通勤時に、徒歩通勤の時にも危ない思いをする。横断歩道でも止まらない車が少なくない。車の運転状況が判断出来れば身を守ることができる。ドライバーが自分を認識して対応してくれているか否かを判断できる。

 最近、あおり運転も問題になる。フロントに両者のランプが付いていれば、後続車の運転状況を知ることができ、危険を早めに察知できる。

 監督官庁は、全車両のフロントにストップランプと速度表示灯を復活してほしい。


 6/11(火)晴れ 外来 飯川病院 
1:15起床,新聞・文献チェック、他。5:00可燃ゴミ集積所に45Kgx2袋提出する。7:00バス飯川病院、8:45-13:00中通外来予約数のわりに多忙。13:15飯川病院、14:00から勤務、入院患者対応、データ整理・新聞チェック。19:20帰宅、夕食、20:30就寝。Σ11642歩。

車社会の今日2019(4) 車のフロントにブレーキランプをつけてほしい
 2010年5月、私は秋田市内の交差点で青信号で進行中、左側から赤信号を無視した車に側面に突っ込まれた。相手がブレーキをかけていないことを勘で察知し、回避しようとしたが間一髪間に合わず後部側面に衝突された。

 私は1992年から以下の件を提案している。当時の運輸省に提言したこともあったが返事さえもらえなかった。
 この事故に関してその重要性を再確認した。この3点が備わっていたらもっと早く回避操作が取れた、とおもう。

 今回もう一回強調したい。
―――――――――――――――――――――――――――――-
 ■ フロントにブレーキランプがあればいい。
 ■ さらにスピードを示すインジケーターがほしい。
 ■ さらには、運転手の顔が視認できやすいよう工夫をしてほしい。
―――――――――――――――――――――――――――――-
 同様に、もし、この3点が備わっていたら、5月8日に大津市で起こった園児2人の死亡を含む13人が巻き込まれた事故は、恐らくは回避できていたのではないだろうか、と私は思っている。

 この事故は信号のない交差点で、右折車が不用意に発進、対向してきた直進車が衝突し、煽りで直進車が歩道上にいた園児たちに突っ込んだものである。
 右折車は直進車の状況を見誤って発進したのだろう。もし直進車のフロントグリルに速度のインジケーターとブレーキランプがあれば、また、ドライバーの表情を知ることができれば右折車は危険を察知して発進しなかったのではないだろうか??
 また、直進車も右折車のブレーキが外されたことを知って、発進するのでは??と感知できたのではないだろうか。
 不幸なことに、この交差点には歩行者を守るガードがなかった、ことも事故を大きくした。

 車は自由に動くことができる以上、危険と紙一重である。だから、その運転者の意図は周囲から確認できる構造にすべきと思う。すなわち、対向車や右折車がどの程度のスピードが出ているのか、ブレーキを踏んでいるのかが分かれは不安感はかなり減る。
 ドライブレコーダーの装着も有用であるが事故の原因究明には有用であるが、事故防止の意義は少ない。

 2002年、国交省はRVや乗用車リヤに第3のブレーキランプを義務化した。視認性を高め、追突防止が目的である。確かに、追突防止方策は重要だが、車同士の事故はもとより交通弱者を巻き込んだ事故はフロント部で生じる。かつ、傷害を被るのは常に弱者の方である。最近の車はドライバーの表情が見えがたい。あうんの呼吸で、紙一心の判断で安全がなんとか保持されているなんて恐ろしい。

 リヤに第3のブレーキランプを付けるなら一緒にフロントに第4のブレーキランプつけるようにすればよかった。単純に考えればランプと配線だけ済む問題である。

 関係省庁は、全車両の前部に第4のブレーキランプ装備を義務化してほしい。


6/10(月)晴れ 健康クリニック 飯川病院
1:10起床,いつものごとし。データ整理ほか。5:00庭畑見廻り、風の被害は無い。
7:00バス飯川病院着。9:00-11:15健康クリニック、ドック14名。11:30飯川病院、微睡、14:00-19:00勤務。入院患者対応。当直医来院を待ち19:10帰宅、夕食、21:15就眠。Σ7411歩。

緑内障(2) 40歳以上の失明原因の4分の1以上を占める重大は疾患
 緑内障とは何か??

 私たちの眼球は液体の房水で満たされ、内側から一定の圧力をかけて丸い形や大きさを保っている。この圧力を眼圧と呼ぶが、眼圧は高すぎても低すぎても目に障害がおこり得る。
 眼圧の異常でおこる病気のひとつに緑内障がある。 

 房水は眼内で作られ、一定量が眼の外に流れ出て眼圧が保たれている。何かの原因で房水が外に流れ出にくくなると眼圧が上がり眼の中にある神経が傷つき徐々に見える範囲が狭くなる。これが緑内障である。 

 しかし 眼圧の上昇=緑内障ではない。視神経が傷つきやすい人は眼圧がそれほど高くなくても緑内障になることがある。逆に、視神経が眼圧に強い人は眼圧が高くても緑内障にならない。だから、眼圧検査だけでなく、血管や神経を調べる眼底検査や視野検査が必要となる。 

 緑内障は急性の、1-2日で失明につながるタイプもあるが、ほとんどは自覚症状がないい慢性型で、気がつかないままに病気が進んでいることが多く、そのままにしていると失明につながることがある。早期診断早期治療が重要である。

 私はたまたま職員健診で見つかったが、40歳以上の方で、その機会がない人はメガネの更新時などの際にはメガネ店だけで済ますのではなく、眼科医で診察を受けるのがいい。ドックの検査で診断がつく場合も少なくない。

 国内には約465万人の患者がおり、40歳以上の20人に1人とされる。子どもや若者でも発症する場合もある。日本の失明原因の4分の1以上を占める。
 
 治療は眼圧を下げて視神経の損傷が進むの防ぐことだが、一度欠けた視野は戻らない。眼圧を下げる薬にはいくつもの種類がある。きちんと点眼すれぱ多くの場合、進行を抑えることができる。

 超高齢社会を前に、緑内障とともに生きる人はさらに増える。
 緑内障については自覚症状が少ないだけに社会によく知ってもらうことが重要である。


6/9(日)快晴 畑、庭など中心 映画:君の膵臓をたべたい
 0:40起床、通常の作業、新聞チェック、読書ほか。録音データ整理、自炊データ整理。9:00花壇、畑に散水。庭掃除、草刈り2巡目開始、畑・農道も。NHKのど自慢楽しむ。iPadで視聴可能とわかったので映画:「君の膵臓をたべたい」観る。iPadでの映画は1年ぶり。午後は庭木の枝落とし。19:15帰宅、夕食。21:00就眠。歩数Σ8652歩。

緑内障(1) 心配するほど進んでいなかった 
 私は生来病弱で長く生きられないとされてきたが、成長とともに丈夫になり、中年までは著患を知らなかった? と言っていいだろう。
 しかしながら還暦を迎えることから状況は一変し、病気と外傷のオンパレード化した。

 個々の病気については体験記として記載しているが、それらを一覧にまとめてみた。
―――――――――――――――――――――――――――
■2003年10月テニスで右アキレス腱断裂、縫合手術。
■2005年11月腰椎ヘルニアとそれに由来する坐骨神経痛。。
■2006年不整脈頻発 徐々に心房細動に移行、放置。
?■2007年8月膀胱頸部硬化症手術。
■2008年3月肺がん疑いにて経過観察にーー数ケ月後に病巣消失。
■2010年高血圧にて服薬開始 心房細動は慢性化。 
■2011年緑内障・白内障の診断 点眼治療開始。
■2012年10月自転車で転倒、胸腹部打撲。
■2012年10月腸閉塞 腹腔鏡下手術 腹部打撲による内ヘルニアか?
■2012年11月心原性脳梗塞 右片麻痺+失語症 抗凝固療法開始。
■2015年8月花巻で崖から数m滑落し転倒 頭部裂傷 腰背部筋肉内出血
■2017年9月右鼠径ヘルニア手術。  
■2019年5月変質食品摂取にて強烈な急性胃腸炎。
―――――――――――――――――――――――――――
 これほど診断名が並んだが現状の服薬は、降圧剤、抗凝固療法剤の2剤と点眼薬だけで、後遺症や合併症は見られない。つくづく運のいい星のもとに生まれた、と思う。

 私は、視力はもともと悪いがそれ以外のことでは目に関する自覚症状は一切なかった。

 2011年2月の職員検診の眼底検査で異常をチェックされ精密検査を受けた。
 眼圧が若干高く、機能検査で左目に視野欠損があり初期-中期の緑内障と診断された。それ以降、今日まで点眼薬で治療を続けている。
 最初の頃は、年に2−3回眼科を受診して経過観察を受けていたが、その後は特に症状もなかったし、視野欠損も自覚していなかったことから約2.5年点眼薬のみ続けていた。眼科の主治医からは「そろそろ受診を・・」と何度か勧められていたがのらりくらりと逃げていた。

 先ごろ、家内の恩師の某元教授が緑内障で片方の目の視力を失ったということを聞きつけ大騒ぎ、うるさく私に受診を迫ってきたので折れて、恐る恐る受診した。一旦受診の間隔が空くと受診し難くなる。

 受診の結果は、
――――――――――――――――――――――――――――
■左側の診察所見、視野検査で若干悪化傾向あるも進行は遅々としている。
■前回までなかった右にも一部視野欠損が生じている。
■今までの経過から見て、余病さえ発症しなければ後10余年は視力を失うことはないだろう。
■治療は現状通りで良い。
■白内障は視力に影響を与えている。手術を勧めます。
■3ケ月後に受診を!! (→わがまま言って半年後に伸ばしていただいた)。
――――――――――――――――――――――――――――
という結果であった。

 私は連日目を酷使する生活で、悪しき宣告を怖れていたが、まだしばらく読書など楽しめそうである。
 最高の結果であった。


6/8(土)午前小雨午後晴れ 午前座学、午後庭仕事・畑中心 ネギ植え
1:00起床。文献新聞チェック、蓄積データ整理、その他いつもの如し。午前小雨で座学中心、N響定期公演、題名のない音楽会録画見る。後者は千葉県立青少年オケ。製本など。午後は畑でネギ50本追加植え。iPhone5電池交換試みるも失敗。新聞チェック、19:00夕食、21:00就寝。8157歩、敷地から一歩も出ず。

車社会の今日2019(3) ヒトと車の運動エネルギー差
 歩いている体重50Kgの人間と、50Km/hで疾走する重さ1tの車の運動エネルギー差は2.000倍ほどあり、幼児の場合は数万倍の差にもなり得る。

 こんな違いがあるのに、また、歩行者はほぼ無防備、運転手は衝撃吸収構造、シートベルト、エアバックなどで安全に守られているのに、互いの通行区域を分ける隔壁もない道路を共用している。これでは事故が生じてもやむを得ない。

 交通マナーの順守は重要であるが、その効果が発揮されるのは、道路の安全対策が充実してからである。道路の構造的欠陥の解消が先である。
 既存道路の改良は進んでいない。

 ドライバーの技量や安全への考え方は百人百様で、運転は本人の意志に任される。通常は安全運転を心掛けている人でも、平静な心理状況の時のみ運転するのではない。運転に障害をきたすような睡眠薬などを服用している人、めまいや胸腹痛に悩んでいるかもしれないし、便意を我慢している状況のドライバーもいるだろう。

 特に、歩行者の多くを占める幼児や老人に交通マナー順守を求めても効果に限界がある。幼児は後先を考えずに道路に飛び出すし、高齢者は交通システム、車の特性を理解できない。幼児レベルの判断力しかなくなった高齢者も増えている。

 今の交通教育、交通安全週間は、現状を100%容認し、注意を喚起する程度である。
 交通安全の標語は、「飛び出すな、車は急には止まらない」で歩行者を抑えてはダメ。「飛び出すぞ、歩行者は急には止まらない」がいい。
 交通事故に関しては、国民全体が不感症に陥っているように感じられる。このままでは貴重な命がいつまでも失われ続ける。

 とりあえずの対策は以下のようなものだろう。
――――――――――――――――――――――――――――――
■ 歩行者、自転車、バイクの保護。
■ 横断歩道の機能強化。監視カメラも。
■ 歩行者に目立つ服装、反射板の着用。
■ ドライバーの表情を見易くする。アイコンタクトを可能に。
■ スピードやブレーキ操作などを明示するインジケーターを前部またはルーフに付ける。
■ ナンバープレートを大型にする。一部を大文字化。
■ 住宅地の車の使用は原則として住民に限定。
■ 進入禁止区域の拡大。原則として歩道が完備された道路に限定すべき。
■ 速度制限。スピードを出したままでは通れないような凸凹道路の導入。
■ 高齢者ドライバーの運転制限。
■ 車に市街地モード、高速道モードの切り替え。
■ 車の事故防止装置の機能拡充。
■ ・・・・・などなど。


6/7(金)曇りのち快晴 大曲中通病院 飯川病院ボランティア ネギ苗追加購入  
0:30起床,文献本読み、新聞チェックほか。5:15可燃ゴミ提出、7:30飯川病院経由Taxi駅に。8:11こまち、病院・駅間は往復徒歩。9:10-12:05大曲中通病院外来、13:45-19:00飯川病院ボランティア。駅前苗屋にて預託してあったネギ購入。19:15Taxi帰宅、夕食、21:00就寝。歩数計15484歩。書籍自炊化。

車社会の今日2019(2) 交通事故減には多角的方面からの対策が必要
 確かに近年交通事故死者数は大幅に減少している。

 死者数の減少に有効に関与したのは以下の状況が考えられる。ただし、他の要因がある。挙げきれない。互いに複合的な効果と考えられる。
―――――――――――――――――――――――――――――――
■ 飲酒運転防止の社会的運動、取締り、厳罰化 
■ 危険運転防止罪の施行 
■ 道路の改良
■ 交通安全教育の普及、登下校時の地域住民による見守り。 
■ シートベルト着用、チャイルドシート着用 
■ 危険防止アシスト機能付き自動車の普及 急発進防止装置など 
■ ドラレコの普及、運転状況診断機能付きドラレコ貸与保険
■ 衝突時の生存空間確保等の安全機能
■ 歩行者を守る衝撃吸収ボンネット等の安全機能
■ などなど・・・。
―――――――――――――――――――――――――――――――

 マイナスの要因、あるいはまだ進んでいない分野。
―――――――――――――――――――――――――――――――
?? これが先進国道路なの??歩車分離などが遅々として進まない。 
?? 信号機の不備。
?? ガードレールなどで歩行者の安全が確保されていない道路が多い。
?? 幹線道路と市街地の区別がない。 
?? 歩行者優先の不徹底、横断歩道一時停止不徹底。停止率8.5%(JAF調べ)と驚くほど低い。
?? 住宅地道路の抜け道的利用。
?? 煽り運転の頻発。 
?? 高齢ドライバーの増加、持病、認知症等で判断力低下、身体機能低下など。
?? 危険防止アシスト機能の開発 自動運転車の開発。
??などなど・・・・。
―――――――――――――――――――――――――――――――

 私が文章をまとめた当時、秋田大学の某教授は「交通事故の85%は人的要因である」と述べていた。交通取締りを強化し、声掛け運動をすれば、交通事故が防げると考えるのは甘い幻想でしかない。インフラを始め、多方面からの検討が求められる。

 かつては道路の主役であった歩行者、自転車はすっかり脇に押しやられ、道路の端を利用しなけれ.はならなくなった。わが国では新しい道路ですら歩行者の安全確歩は十分でない。

 歩道が設置されていない道路が多く、たとえあっても、その安全対策は不備である。こんなところに車を通すこと自体が問題と考える。
 歩道・車道を分けるブロック一つ程の段差は車は容易に乗り越える。
 交通信号も問題がある。横断者は青信号でも右・左折車に擾ねられる危険がある。
 道路脇の白線は何のためにある??自転車はもとより歩くことさえ出来ない幅である。

 多くの人は経済活動の維持、日常の便利さ確保のために車が優先されて当然と言う。
 しかし、交通弱者の安全が脅かされていることは、重要である。


6/6(木)曇りのち晴れ 外来 ドック総括 飯川病院 眼科受診
 1:00起床,新聞チェックほかデータ整理。いつものごとく。5:00ネコ給餌。5:30空き瓶中心に廃棄。7:00バス飯川病院着。8:45-13:00中通病院外来+健康クリニックドック判定13人分。一旦飯川病院に戻り勤務、14:00-15:20眼科受診、視野検査等、疲弊した。入院外来補助。データ整理、など。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計8652歩。BR disk視聴なし。

車社会の今日2019(1) 「車よ驕るなかれ、車を驕らせるなかれ」
 車は実に便利である。車なしの生活は考えられない。しかし、私はそろそろ免許証返上も視野に入れる必要がある年齢に達した。
 交通に関する社会状況は変わりつつある。

 私は、あまり車は好きでない。閉鎖空間が嫌なことも理由の一つであるが、交通行政、特に道路整備に不満で、車を気分良く利用出来ないからである。かつてはバイクも利用していたが、最近は、日常的に歩くか、自転車か、バスを利用する。車での移動は都合がつけば家内の車に同乗する。
 自分では滅多に運転しないが、それでも車は必要であり、20年もののボロ車を持っている。

 いずれにせよ、私は基本的に交通弱者の一人である。この意識は運転するときに大いに役立っている。

 交通弱者は車との関係では常に危険と紙一重である。

 その立場で、私は1992年に日本医事新報に「車よ驕るなかれ、車を驕らせるなかれ」と題する小文の投稿をした。車よ騎るなかれ!! 車を騎らせるなかれ!!。この投稿もあってその後も交通問題には関心を持ち続けていた。
 当時は、「交通戦争」という言葉が用いられ、年間の交通事故死者は、11,000人を超えていた。死者のうち約1/3-1/4が歩行者と自転車利用者で、特に高齢者、幼児が多かった。この小文の結論は、車の対人事故の大部分は道路の構造的欠陥に由来するので、事故を防ぐ手立ては幾らでもある、しかし、なかなか改善されない、というのが結論であった。
 もう27年前の話である。その後、我が国の交通事情は大きく変わった。

 2018年の全国の交通事故死者数は3532人で、統計のある1948年以降最少だつた.。65歳以上の死者は33年ぶりに2000人を切つたが死者の過半数を占め、比率では過去最高となつた。 


 警察庁によると、インフラ整備や取り締まりの推進、飲酒運転の取り締まりなどを背景に死者の減少傾向が続き1970年と比ぺ5分の1程度となつた。2018年の事故件数は全国で43万345件、負傷者数は52万4695人でともに減少傾向にある。

 そうは言っても多くの尊い命が失われていることに変わりなく重大な事故も後を絶たない。
 その中でとみに問題になってきたのは高齢者ドライバーの事故である。


6/5(水)晴、夕方から突然降雨雷雨 午後飯川病院ボランティア
1:00起床,新聞チェックほかデータ整理。午前フリーで園芸畑作業他、畑仕事。急遽11:40バス飯川病院ボランティアに。13:00近隣のサティスファクションで昼食、外来対応、本読み、データ整理。19:15帰宅、夕食、20:30就寝。歩数Σ9482歩。

秋田県の政治(3) クジ引き民主主義を試行しては??

 今回の参議院選挙では、衆参同日選の可能性も取りざたされている。
 
 何のため??私は理解できていない。
 解散権を持つ安倍首相による、勢力拡大が最大の理由であれば困る。前の衆院選から2年しか経っておらず何を問う解散なのかが まずわからない 
 一応、以下の理由が取りざたされている。
――――――――――――――――――――――――――――――――
■消費増税の延期を首相が決断し その是非を問う?
■憲法改正
■内閣不信任案の提出?
■解散権を持つ安倍首相による勢力拡大? 
――――――――――――――――――――――――――――――――

 某新聞が実施した世論調査で、いまの政権が国民の声を政治に反映させる役罰を果たしていない、との意見が71%もあった。だから民意を問う??

 今の選挙制度が果たして機能しているか、についてはいろんな疑問がある。 

 こんな現状から脱するには まずは
■小選挙区制を考え直す。
■対抗勢力としての野党が強くなる。 
■政治参加の多様化を図る、きれ目のない民主主義へ。

 吉田徹北海道大教授は選挙制度の問題点を改善する方法として「クジ引き民主主義」を提案している。
 興味ある考え方である。
 氏によると抽選で選ばれた市民が政策決定にかかわることは欧州では珍しくなくなつている、と言う。

 なぜ「くじ引き」なのか? 
■古代や中世における抽選制ことこそ民主的だと考えられていた。 
■近代になると貴族らが支配の正当化のため選挙による代議制を生み出した。
■近年はその選挙制度の機能不全が著しい。
■くじで選べば議会の中に社会の縮図ができることで政治を広く開放する。
■なり手不足の解消になる。 
■選挙目当ての政策提示が目に余る、などなど。 

 確かに、司法の世界では裁判員制度を導入してから10年になる。いろいろ問題点はあるが一般市民の考え方を反映させる方法として一定の効果をあげている。
 この、ランダムに選んだ人を司法の中に取り入れる手法は、議会政治の在り様に一石を投じることになるだろう。

 旋回の地方選では、秋田県では全14選挙区のうち8選挙区が無投票となった。県民に選択の自由が与えられていない。候補者が定員に達していない場合は「信認」するか否かを問えばいい。
 さらに、一歩進めて「クジ引き民主主義」を考えてみては??と思う。


6/4(火)快晴 外来 飯川病院
0:30起床,いつもの如く。徒然など。5:00可燃ゴミ提出。7:05バス飯川病院着。8:40-12:45外来、13:10飯川病院、14:00-18:45勤務。入院患者対応。新聞、文献読み、
19:00帰宅・夕食。20:30就寝。歩数計10158歩。BR disk視聴:「そこまでいって委員会2回分」。文献自炊化。

秋田県の政治(2) 低調であった4月の県議会選挙 
 もちろん、私は投票に行ったが、本年4月7日に投開票が行われた県議選の投票率は52%で、前回2015年の56%を下回り過去最低を更新した。1979年から11回運続低落傾向が続いている。最も低かつたのは秋田市の46%。

 この低投票率では選挙の意義が問われる。新県議43人は県の活性化のために何が必要なのかを考えてほしい。

 全14選挙区のうち8選挙区が無投票となった。 
 ■ 急速に進む人口減と少子高齢化にいかに臨むかは喫緊の課題である。
 ■ さらに、今回はイージスアショアにどう対応するのかが問われている。

 これほど重要な問題が山積しているにもかかわらず、この低低投票率は・・・深刻である。 

 低投票率の背景の一つに議員のなり手不足があり、14選挙区の候補者数が過去最少の51人にとどまつたことが挙げられる。対抗する野党からの候補擁立も少なかった。
 要するに秋田県の政治に魅力が無いからだろう。
 
 国会議員ですら当選してしまうとその存在感は薄れるが、県議の存在感ははるかに薄い。県議は何している??県議会は県の政策をただ承認しているのでは??疑問は尽きない。

 知事ら県当局と緊張関係を保ち、活発に政策論議を展開すべきだ。
 大体、各家庭に届く県議会頼りは簡単すぎて読む値が無い。地方紙であるさきがけ新聞も積極的に県政を報道すべきである。県や知事の記事だけでは心もとない。県民が議員の活躍を知る手段としては地方紙しか無いと言っていい。
 地方紙の報道がそれが県民の関心を喚起する。現状では地方紙も同じ穴の狢の役割を果たしている。 

 有権者ももつと県政に目を向けたい。

 秋田は農業県であり、政治的には保守が強い風土をもつ。だから、安定感があり緊張感を書く、と言っていい。一方、野党は力不足で、候補擁立も少なかった。今後もかわりないだろう。

 いっそ選挙をやめて裁判員制度のような新制度を秋田県の地方政治に導入してはどうだろうか??
 選挙制度は民主主義の根幹をなすが、機能不全に陥っていないか??


6/3(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
1:00起床。本読み、文献チェック。データ整理。7:00バス飯川病院、9:00-11:15健康クリニックドック+レ線判定。微睡、読書など。14:00-18:20飯川病院勤務、外来・入院患者対応。19:00帰宅・夕食、21:30就眠。Σ13172歩。自炊進める。

秋田県の政治(1) 第25回参議院議員通常選挙 立候補予定に寺田静氏、中泉松司氏
 今夏の第25回参議院議員選挙は、公示日は7月4日、投開票7月21日ということになりそうである。まだ衆参同時選挙になる可能性はゼロではなさそうだ。

 秋田の参議院議員通常選挙では、2004年以降はマスコミ等で知名度が高かった2名のアナウンサーが当選、両名は結局は一期だけ。それ以降は元野球選手であった石井氏、元県議会議員の中泉松司氏が任を担っている。

 1995年以降の参議院選挙の秋田県選出議員は以下のごとく
――――――――――――――――――――――――――――――――-
第17回参議院議員通常選挙 1995年 金田勝年氏
第18回参議院議員通常選挙 1998年 斎藤滋宣氏
第19回参議院議員通常選挙 2001年 金田勝年氏
第20回参議院議員通常選挙 2004年 鈴木陽悦氏
第21回参議院議員通常選挙 2007年 松浦大悟氏
第22回参議院議員通常選挙 2010年 石井浩郎氏
第23回参議院議員通常選挙 2013年 中泉松司氏
第24回参議院議員通常選挙 2016年 石井浩郎氏
第25回参議院議員通常選挙 2019年 立候補予定 寺田静氏 中泉松司氏
――――――――――――――――――――――――――――――――-

 秋田では、民主党への政権交代があった一時期、無所属の鈴木陽悦氏、松浦大悟氏が担っていたこともあったが、自民党政権に返り咲いた後は、自民党公認の石井氏、中泉氏に取って代わった。

 3年ごとの参議院改選をその目で見れば秋田選挙区は3回連続タレント候補を送り出したことになる。しかも、すべて新人、これでは秋田の声は国会まで届き難い。勿論、タレント候補、新人が政治的に適格でないなどという気は一切ない。当選後の活動で評価されれなければならない。

 今夏の参議院選秋田選挙区は定数1名で、立民、国民、社民の3党県組織は、秘書経験があり即戦力であるなどとして、野党統一侯補公認で寺田静氏が決まつた。各党の推薦は受けずに選挙に臨む方針だ、という。
 寺田静氏は横手市生まれ、早大卒業、寺田学衆院議員の秘書を10年近く経験している。

 寺田静氏は「安倍政権は周囲の声ばかりを聞き、地方が抱える問題やこれからの世代の不安に向き合っていない。一県民、母親として秋田と未来ある子どもたちのために、できる限りのことをしたい」と述べた。

 自民現職の中泉松司氏も立侯補を表明している。 

 私は前々会の選挙で元県会議員の中泉松司氏の出馬と当選を高く評価したい。

 今までの秋田県の参議院候補は知名度で選ばれている。今回の寺田静氏は、秘書経験が10年あるとしても、私からみるとほぼ同様である。

 県議会議員の中から中泉氏に続く方は出ないものか??と思う。秋田が抱える問題点を一番身近に感じているのは県議会議員であろう。その中から国政に打って出ようとする士はいないものなのか??地道に準備している方はいないのか??

 地元の政界、特に野党はどうなっているのか?選挙が近くなるとドタバタと候補を決める。
 秋田の野党の地方政治、国政への参加のビジョンはどうなっているのだろうか。


6/2(日)快晴 温暖 園芸畑中心に過ごす 
1:30飯川病院起床、本読み、文献チェック。9:40バス帰宅、10:30草刈り残終了。NHKニュース、のど自慢楽しむ、微睡。14:00水分を与え根が出始めたダリア一株植える。ミニポットに大豆植え付け、畑にも直播。キウリ棚追加、バラの鉢がえ。散水。録画、「昭和は輝いていた小林亜星氏」。医学部進学するも道を変えた、という。19:00夕食、21:00就寝。Σ10863歩。

退職9年目(2) 生活のレベルをダウンサイジング 
 「急性期の病院に年寄り医師は不要」、「私の社会的使命は終わっている」、「社会の老害、男性害」・・・と発言している私から見れば、現在嘱託として働いている社会医療法人明和会からいつ契約解除されても良い状態である。もう私はそれほど有用な役割を果たしていない。必要ともされていないだろう。私の医療レベルからみても当然でもある。

 現に、本年8月からは週2回の外来は1回に縮小となる。予約患者の一部は8月以降の受診になるために、そのような患者には他の医師にするよう働きかけ始めた。
 飯川病院は院長が働いている間だけは補助したいが、これも病院側の意向次第である。

 患者以外と会話を交わすこともなく、ほぼ引きこもり状態であるが、自分としてはとても有意義な日々を過ごしている。診療担当時間がさらに少なくなる分、園芸に割く時間に余裕ができるだろうし、気力が湧いたら図書館、美術館、博物館などを訪れたいと思っている。

 私は最近、働く意欲が乏しくなった。何で人は働かなければならないのか??
 日本国民の義務は憲法に定められている。教育を受け、労働し、納税することである。
 私は税金で医師になったようなもの。社会に恩義がある。だから労働せずには生きてゆくわけにはいかない。
 
 今この国民の義務と、社会に対する恩義と、働く意欲減退のジレンマの狭間にいる。

 社会的に義務を果たすことは放棄できないが、私的なことは意欲の減退に合わせた調整が必要になってきている。
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 ■このホームページの更新が苦しくなってきた。数年ぶりであるが、先月30日の分、更新を休んでみた。今後は更新できない日がおそらくは増えていくだろう。
 ■徒歩通勤。億劫になってきた。ウオーキングシューズを新調し準備しているが、靴ずれが続いていることを言いことに全コース歩行は昨年暮れからやっていない。また、昨年は途中で気分が悪くなることもあった。
 ■岩手県への復興資金の送付。8月以降収入が減るのを機会に若干減額したい。
 ■録音、録画、新聞スクラップ、文献スクラップ、学術文献スクラップを減らしルーチンワークを減らしていく。
 ■目が悪くなってきた。棟方志功氏に似た状況になりつつある。書籍購入、読書も減らすか。
 ■緊張感の少ない生活にシフト。惰眠をむさぼる、などなど。
 ■終活も嫌になった。残ったらよろしく・・・・・・
??????????????????????????????-

 まあ、いろいろあるが今年度も何とか責務を、最小限のことしかできないが、果たしていければいい、と思っている。


6/1(土)快晴 温暖 飯川病院午前外来 日当直 レセプト点検
1:00起床、文献検索整理など何時ものごとし。8:37バス飯川病院、9:00午前外来。その後日当直に。12:00検食、14:00某診療所医師来訪、歓談。16:00ミサワホームスタッフ来訪、エアコン関連打ち合わせ。18:00検食、20:00外来レセプトチェック。21:00就寝。歩数Σ5802。

退職9年目(1) 労働だけでなく概して意欲が薄れて来た
 本日は退職9年目初日となる。ずいぶん長い時間が過ぎたものだ。

 最近とみに、全般的に意欲が薄れて来た。年齢のせいだろうか。かつてのハードな状況がもたらした燃え尽き的な現象であろうか。

 「人はなぜ働くのか?」、昔はこんなことを考えもしなかったし、そんな余裕も無かった。働くことは生計を立てる収入を得るだけでなく、他人に奉仕することである。労働から直接的な喜ぴが得られるとは限らない。ましてや、個々人の労働環境も様々である。加えて働く事が嫌になったとしても、生きて行くためには働かざるをえない。

 本当に望む様な職業に就いている方はそれほどあるとは思われない。でもそんなものだと思う。

 私は幼少の時から医師になる方向で育てられ、医師になった。しかし、還暦を迎える頃から医師であることがつくづく嫌になっていた。されど、環境を変える勇気もなく、たまたま病院の管理者にもなったから道を変えようにも変えられないまま、惰性で続けてきたに過ぎない。
 私にとって医師を続けているのが一番楽だからやっている、ということ。

 今も社会医療法人明和会で週4日、午前、一部は午後も診療所、病院で内科嘱託医として働いている。ウイークデイの午後は近隣の飯川病院で過ごす。このうち勤務は月、火、木で、院長の補助しながら、診療もするがや院長の趣味である花の維持などの雑務を手伝っている。帰宅は当直医の来院を待って19:00前後になる。朝は6:30前後に家を出るからまだ一日12時間は病院で過ごしている事になる。

 飯川病院の勤務とボランティアで求められる業務量はそれほど多くはない。大体、院長が私の働きをそれほど評価していない。補助的存在である。外出の際の留守番とかが中心。「外来に出すと患者が来なくなる、病棟に出すと患者が具合悪くなる・・・」とひどいことを言う。私もそうだと思っているから反対もせず甘んじている。その方が楽だから。午睡も、読書も、音楽も聴ける。私にとっては至宝と言うべき時間で、今を、今後を大切にしたい。最近注目して読んでいる作家の一人、西村賢太氏に「どうせ死ぬ身の一踊り」と言うのがあるが、そんな心境である。

 飯川病院の院長には感謝している。



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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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