徒然日記
2017年8月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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8/31(木)早朝午前降雨・午後晴れ 外来 飯川病院
1:10起床。新聞雑誌データか。録音データ整理。7:10飯川病院着、外来直前からいつもの不明の腹痛あり。8:45-13:00外来。混雑した。ドック関係判定総括14名分。14:00-18:45飯川病院勤務。入院患者処置1名に3件。腹痛のために横臥して過ごす。
Blu-ray Disc視聴なし。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計8685歩。昨年の本日、40年間働いてくれた賄いの石井さん離秋した。

自転車問題2017(2) 5月に「自転車活用推進法」が施行されたが、ほとんど知られていない
 自転車事故を減らし、自転車を文化として成熟させていくために、以下の対策が必要だと思う。

■自転車レーンを増やすなど、自転車空間を確立する。歩道を自転車通行帯と歩行者通行帯に分けただけでは不十分。
 受動喫煙問題も同じだが、自転車・歩行者安全問題は野放し・後回しにされている。

■違反自転車を強く取り締まる。指導する。

■教育が重要。小・中学生の授業や高齢者向けの講習の機会は増えているが、20-50代が学ぶ機会は少ない。

■女性のための自転車の講習も必要。子どもを自転車に乗せて走る親は多い。

■自転車保険の普及が必要。

 「自転車は軽車両だが法を守らなくても許される」、が日本の空気のように感じられる。
 歩道を走っても、イヤホンをかけながらでも、よほどのことがなければ違反をとられない。最近はながらスマフォも稀でない。
 自転車は1970年の道路交通法改正で歩道を走ることが認められて以来、軽車両ではなく歩行者の道具になり、歩行者と立場が並列になった。

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 この5月に「自転車活用推進法」が施行された。
 「自転車は車道」という原則を徹底する時期が来た。
 この法は以下の施策を重点的に検討・実施するとある。
■1 自転車専用道路等の整備
■2 路外駐車場の整備等
■3 シェアサイクル施設の整備
■4 自転車競技施設の整備
■5 高い安全性を備えた自転車の供給体制整備
■6 自転車安全に寄与する人材の育成等
■7 情報通信技術等の活用による管理の適正化  
■8 交通安全に係る教育及び啓発
■9 国民の健康の保持増進
■10 青少年の体力の向上
■11 公共交通機関との連携の促進
■12 災害時の有効活用体制の整備
■13 自転車を活用した国際交流の促進 ■14 観光来訪の促進、地域活性化の支援

 自転車は車道を走らなければならないという交通ルールは理解しているけれども、事故が怖い?といった意見は多い。
?
 道路交通法上、自転車は歩・車道の区別があるところは、原則として車道を走行しなければならない。信号は当然車道信号に従わねばならない。歩行者用信号で渡るときは押して渡るべき。

 ただし、車道通行に関して以下の例外がある。
?
■1 道路標識等で指定された場合
■2 運転者が児童(6歳以上13歳未満)・幼児(6歳未満)の場合
■3 運転者が70歳以上の高齢者の場合
■4 運転者が一定程度の身体の障害を有する場合
■5 車道又は交通の状況からみて、やむを得ない場合
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 この、「やむを得ない場合」は以下のごとく。
■路上駐車車両が多く、かつ右側に避けるのが困難な場合。
■自動車の交通量が著しく多く、かつ車道が狭い場合。
■煽り運転、幅寄せなどの危険運転や、理由もなくクラクションを鳴らすなど、自動車を用いた暴行行為を行う者がいる場合。
(参考 公益社団法人自転車道路交通法研究会HP)

? 日本の道路は狭く拡張は困難。だから最小限、自転車の走る道路の色分け、進行方向を示すマークなどの表示をつけるべきである。

 私もたまに自転車通勤する場合がある。私は年齢的に歩道走行が許されるが、ドロップハンドルのクロスバイクなので歩道走行には向かないから、車道を走っている。
 今のままでは、車道走行は危険を伴う。車のドライバーの認識も変えていかなければならない。


8/30(水)雨天一過晴天 飯川病院ボランティア 
1:00起床、文献検討、新聞チェック。午前はネコ部屋暖房機器整備。11:00にクロスバイク飯川病院に。院長外出のためボランティア。新聞チェック、微睡。16:00帰宅、畑の整理。新聞入力。19:00夕食、20:00就寝。Blu-ray Discながら視聴:「昭和は輝いていた:パレード」観る。歩数計12368歩。

自転車問題2017(1) 自転車は軽車両だよ 歩道走るな 歩行者信号では押して渡れ
 私は年齢とともに移動手段を自動車からバイクに、さらに自転車に、そして今は徒歩と公共のバスを利用して移動している。

 自分の立場が変わると考えも変わっていく。

 ■自動車の頃は、バイクや自転車の法を守らない走行に悩んだ。
 ■バイクの時には、自動車から、特に女性ドライバーから頻回に幅寄せ等の危険行為を仕掛けられた。
 ■自転車の時、私はほとんど車道走行していたが、自動車やバイク、逆走してくる自転車、無灯火の自転車が悩みの種であった。
 ■いまは歩行中心であるが、歩行者の脇をすれすれに走り去る自動車と、歩道をハイスピードですり抜ける自転車に危険と憎悪を感じている。

 私は、自転車同士衝突したことがあるが、幸い、今の所、それ以外の事故はない。

 自転車は、わが国では生活のための移動手段という面が強い。手軽な移動手段として使われるから、「歩行者が気軽に利用する道具」という感覚が根強い。欧米では、どちらかといえばレジャーの手段でスポーツやレジャーが中心である。

 日本での自転車の歴史を見ると、輸入されて来た明治時代には極めて高価で一部の階級にしか用いられなかった。主にレジャー的使用であった。大正に入ると、国産のものが安価に手に入るようになり、主に運搬手段として使われた。
 1954年頃に車体を軽くし、フレームを女性向けにし、カゴをつけ、価格を低く抑えたこともあって幅広く女性が用いるようになり、急速に普及した。女性向けサイクルの生産台数が1967年には4万台だったのが、1973年には280万台になった。

 これだけ増えてくると、問題は、やはり事故。自動車の普及とも時期を一緒にしていたから自転車と自動車の事故が増えた。

 1970年に自転車の歩道通行を認めたのも、車道での事故が多かったからで、この判断はやむを得なかったと思われるが、今となっては間違いであった。自転車の機能も向上しスピードが出るようになった。結果的に、自転車が走る凶器に化けた。

 悪質な自転車運転者に安全講習を義務付ける制度が、2015年6月に始まった。
 同年末までの問に、全国の警察が摘発したのは7924件。秋田市では40代の男性会社員が酒に酔った状態で自転車を蛇行運転したとして、6月下旬に摘発された。
 危険行為の内訳は、信号無視の3419件、携帯電話をしながら運転して事故を起こすなどの安全運転義務違反921件など。

 自転車が関連する交通事故は、10年前に比べ半減している。しかし,自転車と歩行者の事故はあまり減っておらず、大きなものでなければ、警察に届けないことも多い。
 昨年2月には千葉で77歳の高齢者が22歳の大学生に接触され転倒、死亡した。2013年神戸で小学生が高齢者に接触、転倒して後遺症が残り、9500万円の賠償判決を受けている。自転車の傷害保険はほとんど普及していない。こんな事故の時、加害者はどうするのだろうか?

 自転車は車両と歩行者のどちらに近い??と聞くと、若い人ほど「歩行者」という答えが多い、という。そういう意識がいわぱ当たり前だから、平気で歩行者の間をすり抜ける。
 この意識を変えなければ、自転車問題は解決しない。


8/29(火)終日降雨 外来 飯川病院 北朝鮮ミサイル上空通過
0:30起床、文献検討、新聞チェック。6:02北朝鮮ミサイル上空通過ニュース。7:10バス飯川病院着、8:45-12:30中通外来、比較的余裕。12:45飯川病院、微睡など。14:00-18:30飯川病院。Blu-ray Discながら視聴:「英雄選択;金子堅太郎 日露戦争アメリカを取り逃すな」、「歴史秘話;将軍と10万匹の犬」観る。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計7748歩。

北朝鮮2017(10) 日本本土を通過 発射数分でアラート
 数日前に北朝鮮のミサイルについて疑問を感じていたことをまとめたばかりである。
 その日の結論は、国民を守るということは、着弾まで10分しかないから発射自体をリアルタイムにキャッチし、瞬時に対応開始していなければ迎撃などできない。だから、NHKニュースを通じて発表されるミサイル発射情報内容は全く役に立たないし、我が国の情報収集能力はこんなものではないはずだ、であった。

 今朝29日、可燃こみを取集所に出すなど、いつものごとく朝の出勤準備していたが、6:02に私と家内のスマフォがけたたましく、普段聴くことがなかった異音を発した。見るとYahooニュースとして北朝鮮がミサイル発射、日本国土を超えて飛翔する可能性がある、とでていた。NHKラジオは6:00の定時放送中であったがすぐに緊急放送に切り替えられた。

 それによると、am5:58頃に北朝鮮から不明の飛行体が発射され、ミサイルと思われるが、日本国土上空を通過する模様ということであった。そのことを確認した時には、すでに発射後10分ほど経過していたが、我が家の周辺の状況には変化は一切ないから一安心である。引続く情報では、北海道襟裳岬に落下した模様、とのことであった。

 今回、全国瞬時警報システムが北海道、東北、北関東に出された。今回が3回目というが、私は初めて気づいた。

 実際に全国瞬時警報システムが作動したのであろうが、それを聞いたからといって私どもにできることは殆どない。我々の地域近くに落ちないことを望むだけである。放送では直ちに丈夫な建物などに避難せよというが、そのような施設の近くで聞いた場合にしか対応できない。

 まだミサイルの詳細はわからないが、北朝鮮がグアム近傍にまで飛ばせるということを、方向を変えて誇示した、と思われる。グアムの方向なら中国四国地方を通過するが、アメリカを刺激しないよう北朝鮮に進路をとったものなのだろう。

 今後はミサイル発射訓練はどうなるかわからないが、このような形に強化される可能性があり、危険極まりない。
 直接日本国土を狙うことは現状ではないだろうが、誤射、機器の故障による迷走と本土への落下、航空機、船舶への影響など不測の事態は起こりうる。

 今回の警報発令を通じて、情報収集が迅速になされていたことを確認できた。

 それにしても今後が心配である。


8/28(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 0:30起床。文献、新聞チェック。データの電子化。7:15バスと徒歩飯川病院。新聞チェック、9:00-11:00健康クリニック、ドック診察14名。12:00飯川病院へ、微睡。 14:00-18:45勤務。Blu-ray Discながら視聴:「地球大紀行;四季 生物の苦悩」観る。19:10帰宅、夕食。21:00就寝。歩行Σ12835歩。

展覧会2017(7) 県立近代美術館 ミューズ展
 「ミューズ(芸術の女神)---まなざしの先の女性たち」展が県立近代美術館で開催されており、楽しみにしていた。18日に大曲中通病院の診療応援の帰路遠回りして鑑賞した。
 本展は女性像をテーマとした展覧会。私とっても興味深いテーマであった。
 女性たちは、何世紀も前から芸術家たちを魅了し、その制作意欲をかき立てる存在であり続けてきた。古くは埴輪の中にも見られるし、ギリシャ神話の表現対象として花開いた。西洋の宗教画に名作は多い。ロマン派の傑作にも。しかしながら、これは何も西洋のことだけでない、日本でも浮世絵を始め女性は常に表現の対象とされてきた。

 展覧会場は、■「女性作家たち」、■「母と家族」、■「魔性の女たち」、■「恋愛・結婚・女と男の物語」、■「働く女性たち」、■「アルカディアの女性たち」、■「女性の裸体表現」に、分類して女性像の表現の歴史を紹介している。
 個々の芸術家の固有の美観、解釈の表現が魅力である。

 さまざまな社会的制約を課され、女性が作家として活動するのが困難であった時代に道を切り拓いた女性芸術家達もいた。女性たちは、時に美しく、時に妖艶な魔性の誘惑者として、時に地に足をつけた生活者として、罪人としても表現されている。描かれた作品の画面からは画家の眼差しや視点、当時の思考までが伝わってくる。

 これらの数々の作品を通じて、女性たちを取り巻いていた環境や、子供達の母へのあこがれ、あるいは嫌悪など、女性たちに向けられたまなざしの多様性も見て取れる。女性たちがいかに描き、描かれてきたか、芸術家の感性がどのようなものだったか実に深い。
 私にとっても大きな発見が数々あった。私の女性観もまだまだ変わっていく。

 絵画とは何か?
 対象がそこに存在するということのその本質をしっかり確かめキャンバスに表現する手法である。物が存在するということの意味のすべてを、二次元のカンバスの中に描き切ろうという創造である。そこに価値がある。

 19世紀に写真が登場すると、絵画の使命は急速に衰退した。写真情報とは一線を画する印象派やピカソなどの抽象絵画が登場した。

 写真を枚数を気にせず自由に撮れる現代にあるが、写真と絵画は本質的に異なる。
 今回の作品群の中では、私は特にの自画像に魅力を感じた。M.Gカペは自らの美しさを徹底して強調した奥深さが感じられる。

 写真ならば一瞬の光の固定で済んだであろうが、長い時間をかけて作品を練り上げたであろう作品の女性たち、私はすっかり描かれた女性像に魅了されてしまった。

 良い展覧会であった。



 (会場のギャラリーで入手したミューズ展の案内書、なぜか通常の案内書の半額近い。この書の価値も高い)


8/27(日)快晴 
1:00起床、本読み、データ整理他。10:00-11:30外仕事、草刈り中心、畑と庭。NHKのど自慢、微睡、ネコべや掃除、外仕事、草刈りと庭掃除中心、17:00まで。以降は文献読み、新聞切り抜きなど。自作の枝豆収穫直ちに食卓に、美味かった。19:00夕食。Blu-ray Disc視聴なし、歩行Σ12947歩。

徴用工問題2017 大統領は他に何かやることはないのだろうか。
 韓国の8月15日は、日本の植民地政治から解放された記念日の「光復節」である。
 「光復節」式典で文大統領は日韓の未解決問題の一つとして徴用工問題に言及し「日本指導者らの勇気ある姿勢が必要だ」と述べた。

 私はこの報道を見て、韓国の大統領は後ろまたは脇にしか目がついていないのか??と思った。慰安婦問題しかり、竹島問題しかりである。

 徴用工問題とは、戦時中に徴用され、工場などで働いた朝鮮半島出身者とその遺族の損害賠償や賃金をめぐる問題である。
 国交正常化交渉の当時、韓国側の対日要求要綱8項目の中にこの項目が入っていた。しかし、1965年の「日本国と大韓民国との間の協定についての合意議事録」では、「いかなる主張もなしえないこと」となった。
 その後、盧政権はこの協定の効力を検証する検討会を設置し、2005年8月、慰安婦、サハリン残留者、原爆被害者の三つの問題を効力の対象外とし、徴用工問題は解決の範囲だと再確認した。この時の文氏も委員会のメンバーの一人であった。

 文大統領の同問題への言及はこれまでの韓国政府の見解と100%異なるものであり、政策転換の表明なら協定の「無視・蒸し返し」である。このようなことは国際的視点で見て外交の基本を揺るがす。関連国との関係が根本から揺らぐことになるだけでなく、国としての国際的な信用にかかわってくる。
 韓国は政治的に、外交的にまだ二流国としか言えないと思う。

 文大統領は、17日に行った記者会見でも、「両国聞の合意にもかかわらず、徴用された個人が、三菱などの会社を相手にする民事的権利はそのまま残っているというのが、韓国の憲法裁判所や最高裁の判例だ」と述べた。
 韓国では、12年に最高裁が元徴用工の個人請求権は消滅していないとし、日本企業の賠償責任を認める差し戻し審が相次いでいる。
 韓国は司法も二流国としか言えないような動きをする。世論に迎合した判決が目立つ。産経新聞記者問題の判決でもそうであった。

 韓国の憲法裁判所や最高裁の判例だとしても、それは国内の問題であり、日本としては解決済み事項である。国交正常化交渉時の政権の非を指摘するのは勝手だが、あとは韓国内の問題として処理すればいい。

 日本政府は18日、一連の発言に対し「解決済み」との立場を韓国側へ伝達した。当然である。慰安婦問題も最初に毅然とした姿勢をとればここまでこじれなかったのだ。

 私は、韓国政権がいつまでも蒸し返し戦術をとるということは、個々の政権に実は国の運営に対してロクなビジョンが持てないからだ、と思う。とりあえず対日問題を蒸し返していれば国内の支持率は維持できるからである。大統領は他に何かやることはないのだろうか。

 文政権は対北朝鮮政策でも半ばコケにされた状態にある。
 韓国政府はもっと先を見据え、内憂外患を解決していくべきであろう。日韓関係は私どもが思っている以上の意義があると思う。
 両国の安定、安全のためにも重要だと思う。


8/26(土)早朝午前時折降雨 午後は快晴に 大曲花火
 0:45起床、新聞・文献他、本読み。早朝より不明の腹痛あり、寝たり起きたりしつつ週末をゆっくり過ごす。大曲花火は実施決定。午後は収穫、キウリほとんど最終。トマト・ナスはまだ収穫できる。微睡。ネコ部屋の網戸の強化など、微睡。19:00夕食、20:30就寝。大曲花火は無事施行された様子。歩数計7564歩数。

家庭菜園・園芸2017(4) メインのキウリ、トマト、ナスは本日の収穫をもって終了
 今年は、いつもならGW中に植えるのであるが、今年は腰痛のために予定より2週間遅れで私の定番になっているトマト、キウリ、ナス、元蔵ネギを植えた。枝豆はカップに栽培、芽の生育状態を見ながら本植えしている。

 5月下旬になってから気温は全般に低く、雨が多く日照時間が少ない。今年は植え付けが遅れたというハンディあったが、それでも例年に比して成長が明らかに遅い、と思う。

 6月25日にキウリが一本だけ収穫できた。昨年より10日遅かった。7月上旬後半から突然キウリとナスの収穫量が増えた。キウリ・ナス共に最盛期になると収穫に追われ、食べきれないから、昨年より植え付け本数を減らしたが、今年も毎日収穫に追われるようになった。
 キウリ・ナス共に家族たちはあまり好まないために私が一気に引き受ける。しかし、とても食べきれない。
 私は、適宜飯川病院に届けている。病院の検食にキウリ料理が出てくると、これは私の作品かな?とほくそ笑む。スタッフも朝どりキウリを適宜持ち帰ってくれた。

 8月になってキウリ、トマトが少しずつ葉が枯れ、枝がれし始めた。ナスは中旬以降にに枯れ始めた。
 本日を今期最後の収穫日とした。明日は、枝を刈り取り、根を抜去し、添え木、棚を抜去して終わりにする。

 写真は本日朝の収穫分である。キウリ、ナスは巨大化している。一方、トマトは概して小粒であった。
 若いキウリも好むが、私は巨大化したキウリ料理も好む。冬瓜のあんかけなどは確立した料理のようであるが、それを巨大キウリで作る。これが結構うまい。キウリ汁もうまい。こんなのはどこにも売っていない。だから、シーズン終了頃になるとあえて一部を巨大キウリにする。
 大きくなったナスはナス焼きにし味噌味で食べる。デカすぎると皮の光沢もなくなり、若干味が落ちるが、頑張って食べている。
 私はトマトは試食程度でほとんど食べないが、家内が好む。今年のトマトの評判はとても良かった。「売っているトマトとは一味も二味も違う・・」との評価である。食べている様子を見るとあながちウソを言っているとは思えない。

 メインの三種の収穫は終了した。あとは枝豆と元蔵ネギだけとなった。ちょっと寂しくなる。


8/25(金)早朝降雨のち晴れ 大曲中通病院外来休診 飯川病院ボランティア  
 0:20起床、新聞・文献他、本読み。5:10可燃ゴミ整理。7:30Taxi、駅に向かうも途中でこまち運休を知る。フィットで向かうも休診となる。雄物川水位上昇、明日の花火会場は大丈夫か??11:30保健所監査あり飯川病院ボランティア。18:45帰宅、夕食、20:30就寝。Blu-ray Disc視聴なし。歩数計7097歩。

北朝鮮2017(9) 本当は発射をリアルタイムにキャッチして入るはずだ
 北朝鮮に対してはあくまでも外交を介しての対応が必要であることは論を待たない。言葉が通じない北朝鮮と言え、自分たちが攻撃の意図でミサイルをアメリカ本土及び関連施設、関連国に発射することはない、と考えている。発射した時にはおそらく大惨事になるだろう。わが国も一定の覚悟が必要と思う。
 にもかかわらず核を含めて挑発を続ける北朝鮮の意図がわからない。

 我が国に向けてミサイルを発射した際、あるいは誤射、失敗により国土に落下しそうな際には、■海上イージス艦から「SM3」を発射して迎撃する。■さらに国内主要基地から「PAC3」で迎撃する。現状ではこの2法とされている。

 この方法で国民を守るということは、着弾まで10分しかないから発射自体をリアルタイムにキャッチしていなければできない。だから、通常のミサイル発射情報の発表内容は私は信じがたい。

 防衛省は先日、北朝鮮による相次ぐ弾道ミサイル発射に対処するため、迎撃ミサイル「SM3」を用いる地上型の「イージス・アショア」導入を決めた。北朝鮮が同時に数発のミサイルを発射したこともあって防衛能力の向上が不可欠と判断した。
 また、偵察衛星を守るための経費も計上する。これらが導入されれば陸海双方と宇宙空間かからの監視が可能となり迎撃精度も上がるはずである。
 弾道ミサイルに対応できるイージス艦を、来年3月末までに現状の4隻から5隻に増やす計画についても前倒しし、今年中に実現させる方向で調整する。

 一方、このような対応は地域の緊張を高めかねないとの指摘も出ている。しかし、言葉が通じない北朝鮮を相手にしている以上、国としては国民の命と財産を守るためにはしようがない。また為政者はその視点で準備をせざるを得ない。国民に対して「日本は平和国家だから、対抗はしない。座して死を待て・・・」とするならば、そんな政府はいらない。
 イージス・アショアはイージス艦と比ぺて常時警戒が容易で、経済的負担も軽微できる利点がある。迎撃可能な高度や防護範囲、命中精度も同上するとされる。
 自衛隊に宇宙部隊創設は、日米が弾道ミサイルの警戒監視などで使用する人工衛星を、対衛星兵器や宇宙を漂うごみから防御する狙い。23年度にも空自が実際にレーダーの運用を開始してアジア地域の監視を担う。

 自衛隊や韓国軍、米軍は北朝鮮の作業時の連絡も傍受している、と思われるし、地上や会場から、さらには衛星から監視していると思われる。雲に覆われていても地上を観察することが出来るというし、その解像力は人間一人一人の動きを観察できる制度だという。ただ、それは機密事項で明確にすることはない。

 私どもは、ことの流れを傍観していくしかないが、防衛システムは北朝鮮に合わせて重層化する必要はある。


8/24(木)早朝一時雨、終日降雨 外来 飯川病院 
 0:00起床。文献読み、PDF化他いつもの如し。7:10小雨模様にてバス飯川病院着、8:45-13:30外来+人間ドック判定総括14名分。飯川病院へ移動、微睡。14:00-18:50飯川病院。19:10帰宅。夕食。20:10就寝。Blu-ray Disc視聴:「日本の底力;車王国2」、「皇室の名品」、「サイエンスゼロ;ワイン」、「昭和は輝いていた;水の江瀧子と石原悠次郎」。歩数計7233歩。

北朝鮮2017(8) ミサイル発射を自衛隊や国は何時の時点で把握しているのか??
 北朝鮮は金正恩氏が権力を継いだ2011年末から、長距離から短距離まで多様な弾道ミサイルを少なくとも計53発発射した。昨年だけで24発。今年もすでに20発近くである。私も報道があるたびに数えていたが、今年分の数はまだ集計していない。80発との集計もある。ちなみに、金正日体制では14年間で16回だった。金正恩氏はミサイル発射により、何をどこまで求めていくのか?理解できない。

 最近の発射はICBMとされている。ICBMとなれば飛距離は格段に伸びる。まだコントロール技術等問題があろうが、場合によっては米国本土にもどどく。
 金正恩氏は先日グアム近傍に打ち込む可能性を示唆し、トランプ氏が一層の強硬姿勢を示した後、ここ10日間ほどは発車していない。

 軍事挑発を続ける背景には、国力の維持に躍起になる正恩氏の姿が見える。

 それとは別に私が疑問に思っているのは、ミサイル発射を自衛隊や国は何時把握しているのか??ということである。

 私は早朝は連日NHKのAM第一放送を聴きながら過ごしている。北朝鮮のミサイル発射はいくつかの例外を除くと、大部分早朝に行われる。臨時ニュースで発射が報じられるが、発射後30分ほど過ぎてから「北朝鮮が何らかのミサイルを発車した模様。現在韓国と連絡を取りつつ情報を集めている・・」というもの。

 私はこの報道が真の状況を示しているとすれば、もし、失敗にせよ、目的があったにせよ日本国土に落下することがあれば、正確な情報を得る前に日本のどこかに落ちてしまうことになる。
 北朝鮮は短距離の射程500KmのスカッドCを1980年代に実戦配備しており、我が国は極めて危険な状況にある。金正恩氏が狂うか、指揮系統が混乱して発車ボタンが押されたらそれまでである。北朝鮮から我が国までの到達時間は約10分とされているから、NHKのAM第一放送の臨時ニュースは現実には役に立たないことになる。日本の〇〇地方で不明の爆破時があった、という報道の方が先行する可能性がある。

 弾道ミサイルの攻撃に関しては一般住民は身を守る術はない。自身の居住地、家族たちの住む地域でないことを望むだけである。さらに、我が国の迎撃システムが上手く作動してくれることを望むだけ・・・・、しかない。

 ミサイル発射があると、日本の沿岸にある都道府県の一部では、秋田県を含めて、休日返上で被害情報収集しているというが、全て後手の対応である。
 東京メトロ全線では、5月の発射時に10分間ほど列車を止めた。一時的処置であったが、運行停止の判断はNHKの放送によって判断していた。発射後30分も経ってから流れるニュースを聞いてから列車を止めても何の意味がない。
 
 私は我が国の情報収集能力がこの程度だとは思っていない、が知る方法もないのが残念である。


8/23(水)早朝雨、晴れ 午前フリー、午後飯川病院ボランティア
1:00起床。文献・新聞ほか処理、読書。午前は庭の枝処理。13:15送られて飯川へ。ボランティア、微睡、新聞チェック、書類等処理。19:00帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計9662歩。Blu-ray Discながら視聴:「ぶらぶら美術館;ミーシャ展」、「知恵泉;邪馬台国」、「地球大紀行:インド自然公園」。

上小阿仁村、秋田北空港、マタギの里、角館に(2)
 昼食を摂った後、マタギの里、角館に向け南下した。

 ■マタギの里の印象
 北秋田空港から米内沢を経て国道105号、比立内より外れ、20分ほどの打当温泉へ。ここにマタギ資料館がある。
 マタギは冬山を駆け、東北各地、さらに東日本を股にかけて活躍したとされる。山では「マタギ言葉」で会話し、里の言葉は使わないなど、厳しいマタギの規律と山の掟を守り、現代まで独特の狩猟文化を保ち続けてきた。雪深い山奥で生活を営んだマタギ達の生活の知恵の一部に触れることができた。
 マタギ達が使用した衣装、防寒具や装束、槍や鉈、包丁としても使われた万能ナイフ「ナガサ」、そして「村田銃」など、多くの狩猟道具と資料が展示されている。また、ツキノワグマを始め、主に狩りの対象になった動物の剥製も展示されている。
 端から見て厳しいマタギを継承する若者がいるとは思えない。昨年3月秋田魁にマタギに関する3回の連載掲載された。マタギの生活は厳しいが、現在二人が弟子入りして修行しているという。

 この「マタギ資料館」は、その文化を伝えていく大きな役割を担っている。

 ■田沢湖の印象 
  国道105号更に南下、松葉地区から外れて田沢湖に向かった。16:00過ぎの田沢湖は人も少なく静かであった。11日の昼食時には1時間も待ったレストランORAEでコーヒーを飲みつつ休憩したが、客は我々のみであった。F杉一家は娘をボートに乗せ、私は湖畔を散策した。近隣の共栄パレスで秋田三鶏を見ることができた。

 ■角館の印象 
 国道46号線を秋田方面に向かうと小京都と言われる角館である。桧木内川の桜、武家屋敷、枝垂れ桜並木が有名であるが、私はいづれも立ち寄ったことがない。
 17:30過ぎで見学するところもなく、車でざっと町内を回って見た。武家屋敷のたたずまいは落ち着きがあり、急に別世界に紛れ込んだような印象を受けた。
 更に、近隣の住居や商店も武家屋敷の雰囲気をうまく取り入れて調和がとれていた。町全体で、住民も武家屋敷を大事にしている現れであろう。
 近隣にはコンビニもあったが、他で見られるような店舗のスタイルではなく、色調も地味で、看板も目立たないように配慮され、照明もやや控えめで周辺に合わせていた。そういえば、このようなコンビニはかつて京都で見たことを思い出した。

 今年の夏は、上小阿仁村、秋田北空港、マタギの里、田沢湖、角館を訪問した。ざっと見ただけで深く触れることはできなかったが、貴重な秋田の歴史、文化の一部を垣間見ることができた。
  


8/22(火)曇り時々激しい雨 外来 飯川病院
 0:00起床,論文読み、データ処理・整理他、5:15家庭ゴミ出し。7:15バスと徒歩飯川病院着。8:45-12:50中通病院外来+書類など。13:10郵便局四季亭鍵送る、飯川病院、14:00-18:25勤務、Blu-ray Discながら視聴:「榎本武揚;ロシアと領土交渉」、「ガイヤの夜明け;道の駅」,「地球紀行;大西洋」。歩数計11492歩。19:00帰宅夕食、20:30就寝。

上小阿仁村、秋田北空港、マタギの里、角館に(1)
 横浜のF杉一家が4歳になる孫とともに墓参りを兼ねて秋田に来ている。
 昨年は、ドライブを兼ね、男鹿のなまはげ伝承館、県立男鹿水族館GAO、八郎潟干拓記念館などを訪れた。
 今年は上小阿仁、北秋田空港、阿仁、田沢湖、角館方面を案内するという。水曜日でフリーの日なので私も同行した。



(秋田県の中央部をぐるっと一周した感じとなった)

 秋田県に在住してから44年も経ちながら、秋田県のことをほとんど知らないと最近よく思う。秋田を知るのに、歴史を知るのに、重要なスポットをたくさん見落としていることがあるのではないのか?いつもそう思っているから今日はいい機会でもあった。

 上小阿仁はかつて各廃棄物処理施設誘致が話題になった。医療関係者として気がかりなのは医師退職問題。村の診療所の医師が、08年からの4年間で4人短期間で辞めていった。秋田北空港は小規模空港への興味から・・・一度は行ってみたかった。

■上小阿仁村の印象
 人口減少、高齢化の過疎の町と聞いていた。確かに至る道路の両脇はほとんどが鬱蒼とした木々に覆われていた。
 人口は1970年には5000人程度であったが、2015年は2400人と半減しているそうである。高齢化率45%で秋田県の自治体で最高水準である。村の9割が山林で、村民の年間平均所得は150万円程度という。
 立ち寄った「道の駅かみこあに」から受けた印象は、道の駅自体も上小阿仁物産センター、生涯学習センターも比較的新しく、かつ村の人口から見て規模が不釣り合いに大きい、と思った。まだ、お盆の季節であり結構人出もあって、このエリアからのイメージでは上記の村の厳しい状況を類推することもできなかった。

 小さな村の道の駅であるが、遊具施設もあり、いくつかの飲食施設も備わっていた。
 困ったときにかけられるよう、公的機関の電話番号が駅内に掲示されていて、行き届いた配慮を感じた。
 村の診療所の現状はどうなっているのか?知ることはできなかった。

 今回は、単に通過したに過ぎないから具体的情報は得られなかった。しかし村を通過しただけでも、今後上小阿仁村の話題が新聞等で報じられた際には一層親しみを持ってみることが出来る、と思う。

■北秋田空港の印象
 大館能代空港は北秋田市にある。ターミナルビルや駐車場などの施設は「道の駅大館能代空港」と兼用になっている。これはいいアイデアだと思った。
 空港は1998年開港した。滑走路は2000mで、天候不順による欠航・遅延も多い。年間利用客数は、当初予想の40万人を大幅に下回り、2002年には17万人であったが以後減少、2013年度は11.7万人、東北で最も利用客が少ない空港で、秋田県は毎年5億円ほど赤字補てんを続けている。
 全日空系の会社が運行しているが運行スケジュールをみたところ一日4便で、昼食の時間帯には発着便はなかった。カウンターには職員が座っていない。にも拘わらず、地域の人たちが家族連れで大勢レストランを利用していて、空港としてよりも道の駅として地域に親しまれていると思われた。
 家族たちはラーメンを、私は一人ビーフカレーを食べたが、期待以上の味で驚いた。

 両者を訪れて「道の駅」とはなんぞや??改めて調べて見たくなった。


8/21(月)晴れ 健康クリニック 飯川病院  術前検査
 1:00起床。文献・新聞、医学論文チェック、先週分溜まった文献その他電子化。7:10バスと徒歩飯川病院着。新聞切り抜き、9:00-11:00健康クリニックドック14名+結果説明1名。11:15中通病院、術前検査として下肢静脈エコー、呼吸機能、胸腹部単純レントゲン、採血検査など。12:30飯川病院、微睡休息。新聞切り抜きなど。14:00-18:45勤務、19:00帰宅、夕食、20:45就寝。Blu-ray Disc視聴:「昭和偉人伝sp;船村徹」。歩数計11480歩。

徒歩通勤2017(9) 宮崎県を通過し大分県に 
 平成13年3月から徒歩通勤を始めた。伊能忠敬が歩いた海岸線をたどっているが、今月20日に宮崎県を通過し大分県に到着した。

 積算開始当初、1日平均12.000歩以上、または10.0Kmを目標にしていた。
 この4年余の間に勤務形態が変わり、往復徒歩通勤は困難となった。現在、往路は原則として徒歩、復路は家内の車に便乗、あるいはバスで帰宅する。歳も歳だし、マアいいか、と妥協の日々である。

 歩行実績が積算できる歩数計「新・平成の忠孝」の積算開始して本年8月20日に1505日目、総歩数がΣ1550万歩、歩行距離がΣ12400Kmとなっている。これまでのデータから一日10229歩、8.2Km歩行していることになる。

 7月13日に宮崎に入ったが、その時点では1550日目、歩行がΣ12000Kmで、一日7.5Km、9677歩であった。だから、宮崎県歩行中のペースは若干よかったことになる。


(大差ないので宮崎に入った時点の地図を流用した。現在点は28番の大分県で、全行程の67%である)

 大分県の海岸線は約600Kmである。大分を通過すれば広島県に移動することになっている。通常なら2け月余で歩派できる距離であるが、9月上旬にヘルニアの手術を受ける予定で、その後しばらく安静が必要とされているために本年中に達成でれば良いと言うことになろう。

 歩数計「新・平成の忠孝」は歩行開始からの種々のデータが蓄積されるほか、略図でいま何県のどこらへんの海岸線上にあるのか、次の県までは何kmなどが示される。それを見ながら日本地図を開き、確認する作業を月に一度ほどやっている。地理に疎い私にとっては地図帳を開く貴重な機会でもある。

 宮崎県は訪れたことがない。私にとってはなじみの少ない土地である。
 地図で見ると、南から日南市、宮崎市、日向市、延岡市と確認できるが、名前を知っているだけでほとんど何も知らない。
 今はどうかわからないが、宮崎県はかつては新婚旅行のメッカだったことがあるらしい。そのことを思い出させる歌にデューク・エイセスのフェニックス・ハネムーンがある。なかなかいい曲で、これを聴くたびに宮崎県をの県名が浮かんでくる。
 そのほか、鳥インフルエンザ禍、口蹄疫の発生などを通じて若干知っているに過ぎない。


8/20(日)快晴・暑い フリー外仕事中心
 0:30起床、新聞文献チェック。本読み、データ整理他。9:00-11:30庭の伐採済み枝木処理。草刈り、11:30F一家離秋。NHKのど自慢、微睡。野球聞きつつ16-18:00庭の枝木処理。岩手、宮城代表はともに敗退。書斎整理など若干、本読み。新聞資料化など。Blu-ray Disc視聴なし。19:00夕食。20:30就寝。歩行Σ11480歩。大分に到着。雪音戻る。11日以降の非日常的生活は本日で終了。

炊飯器リニューアル(2) 電気炊飯器の最近の趨勢 
 約一年ほど前、電気炊飯器各メーカーがより美味しくご飯が炊け、冷めてもおいしいご飯ができる機種の開発にしのぎを削っているということを某雑誌で読み、私はいたく興味を持った。

 ご飯を美味しく炊くには効率よく強い熱源でコメを加熱する必要がある。電気炊飯器のエネルギー源が電気である以上、理論上、消費電力に見合った以上の発熱は得られない。消費電力も無限には大きくできない。
 そのため各社は発熱体の方式を熱効率の良い「IH方式」に変え、かつ、内蓋の材質や形状、厚さなどに工夫を凝らし、一部は圧力釜の方式も応用している。

 炊き上がりがふっくらとして味が良い、保温しても味が落ちないは勿論のこと、お弁当を作る人が増えたことと関連してか冷えても味が落ちない特徴も、注目が集まるポイントになっているそうである。

 電気炊飯器の市場規模は年約600万台。その大半が、強い発熱が特徴の「IH方式」という。必然的に消費電力は大きくなり、高級機種では最大1200-1400Wに達するものも珍しくない。希望小売価格は10万円を超える。
 「IH方式」が登場したのは1990年前後で、四半世紀が経つが、消費電力の低減はあまり考えられていないようだ。

 美味しいご飯を炊くには器具の選択が重要。
 最上位機種の一部には「炊き分け機能」がついている。前回炊いたご飯の硬さや粘りについての評価を入力すると、炊飯器がそれに沿って食感を調整する。マイコン炊飯器からAI炊飯器に移行しつつあるようだ。

 消費者はカタログを見ても炊き上がり具合は分かるわけはない。家電量販店などでは試食イベントが開かれることもあるが、ネットでユーザーの評価を集めるのも良い。

 高級品の価格は15万円にも達している。日本電機工集会のデータでは、売れ筋は5-6万円の製品でシニア層に人気という。2-3万円の値段で結構おいしく炊けるコストパフォーマンスの高い商品は若い年代に好まれている。

 電気炊飯器の研究は随分進んでいるが、節電への配慮は二の次になっている。今の所、味を追求するとどうしても消費電力のアップに結びつかざるを得ない。痛し痒しである。

 省エネルギーセンターが発表しているデータによると、4人家族での平均年間消費電力量はおよそ5,500kwhで、電気料金としては15万円程度という。
 年間を通して一番多く消費する家電は冷蔵庫で14.2%。次いで照明機器が13.4%、 TVが8.9%、エアコンが7.4%という順番である。この統計には出てこないが、炊飯器は電気使用量の多さで洗濯機・乾燥機を上回っている、とされている。
 
 炊飯器の消費電力はユーザーもあまり意識していないらしい。消費量は減っているとはいえ米飯は日本人の主食であり、それだけにこだわりも強いからである。だが、1400W程度が上限でないだろうか。これ以上だと壁のコンセントの容量、電源コードの容量を越し、事故などにつながる可能性がある。

 これだけ消費電力が多くなった以上、ユーザーは節電を一緒に考えないと地球温暖化に寄与してしまう。

 実際、炊飯時にどのくらいの電気代がかかるか??。我が家が購入した象印NW-AS10を例に計算してみる。
■1回あたりの炊飯時=約3.7円
■保温10時間=約4円

 上記から考えられる節電法は、
■炊く回数をできる限り減らす。一度に多く炊く。水道代の節約にもなる。
■保温はすぐに切る。小分けして冷凍に。
■1食分ずつ保存しレンジで温めなおす。
■待機電力を意識、使わないときはコンセントを抜く。

 エネルギーは有効に使うもので、浪費してはならない。


8/19(土)小雨のち快晴 飯川病院日直 外旭川地区夏祭り 
 0:30起床、文献・新聞チェック等、本読み等。雪音遁走不明に。F杉一家は県南にドライブ、白瀬記念館中心と。庭の伐採済み枝木処理。12:00斎場前からバス飯川病院、日直業務につく。遅れていた新聞のチェック大量に、疲れて微睡など。19:00迎えあり帰宅、外旭川地区夏祭りはF杉一家のみ、今年は参加なし。Blu-ray Disc視聴;「東京でエルミタージュ展覧会」、「昭和偉人伝:東山魁夷」、「春日局」。19:30夕食。20:30就寝。歩数計14136歩数。

炊飯器リニューアル(1) 恩智の私でも美味さがわかった 
私は味音痴である。
 というか、あまり味にこだわらない。というか、食事は基本的に生きるために食べるのであって必要十分と思われる内容であればほぼ満足できる。

 私の母は極めて保守的な和食、いわゆるおふくろの味的な食事しか作らなかった。さらに私の食生活に決定的な影響を及ぼしたのは新潟大学で6年間学生寮で暮らしたことである。6年間一日130円で生きた。この間一度も値上げなし。感謝である。内容的には当然超貧しい食事であった。貧乏学生にとって、確実に食事にありつける幸せを味わいながら、学業に専念できた。

 だから、私は食道楽、グルメという食文化、その言葉すらも大嫌いである。
 近年、料理関係のTV番組、新聞記事なども多い。私が最も嫌う番組であり、記事である。語弊もあるが、美食、贅沢食は罪悪とも考えている。

 食に関心が乏しいから自分では滅多に調理しない。誰かが作ってくれたものがあれば、前日の残り物でもあればそれを食べる。外食も嫌いである。コンビニ弁当?、まだ購入したことはない。

 我が家では昭和30年頃からずっと電気炊飯器を用いてきた。当時は贅沢品だった。初期型は単にご飯が炊けてスイッチが切れる程度のものであったが、祖父の診療所を手伝いながら主婦業をやっていた母にとっては、火起こしも不要、途中の火加減調整も不要の炊飯器はとても重宝し、喜んでいた。

 それ以降、ざっと見直してみると約10年ごとにリニューアルして来たように思う。最近の2機種はいわゆるマイコン炊飯器と言われるもので、機能が複雑で、もう私には扱いきれない。

 15年以上使用して来た現在の炊飯器のマイコンが不調?になったらしく、時に誤動作するというので寿命と考えてリニューアルすることとした。

 今回選んだ機種は、象印・圧力IH炊飯ジャー「極めだき」NW-AS10である。

 私はあまり関心もなく深く考えずに購入に同意した。届いた製品を見て驚いた。「IH」式加熱で、内釜に「南部鉄器」を使用、かつ圧力釜仕様で1.5気圧で112℃で炊き上げる。重量は内釜だけで2Kg、全体で11Kgと重く、機能面では140種ほどの炊き上げコースを選べるという複雑な製品であった。蓋も重いが、開閉はボタンを押すだけ。



 (右が象印NW-AS10、左が日立RZ-CR10 1999年製 炊飯最大時1060W)

 味は・・・??ふっくらと透き通ったご飯に炊き上がった。私は微妙な味の表現する筆力はない。美味しくて驚いた。私はご飯をお代わりした記憶はない。10年以上もなかったのではないだろうか、と思う。それが、この釜に代えて初めて使用した日の夕食で、つい2杯も食べてしまった。これが私の評価である。味は従来の炊飯器と明らかに違う。

 ただ、その仕様を見てがっくり来た。炊飯容量:0.5〜5.5合。サイズW305×H245×D400cm/約11.5s。炊飯最大時1450W!!!!とのこと。

 これじゃ省エネ派の私の立場がなくなってしまう。


8/18(金)午前曇り時に雨、のち晴 大曲中通病院 秋田近代美術館 焼肉パーティ
 1:15起床、新聞・文献他いつものごとし。5:00可燃ゴミ提出。7:30Taxi、8:10こまち。8:45-13:00大曲中通病院外来。盆明け混雑。駅病院間は往歩行。業務用スーパー後にF杉一家と秋田近代美術館に、ミューズ展。17:00帰宅、19:00恒例化している家族総出の焼肉パーティ。庭で火起こし係他、20:30泥酔350mlビール就寝。歩数計15523歩。Blu-ray Disc試聴なし。ヘルスチャレンジ2017スリム3Kgにエントリー。

岩手県立農業科学博物館見学(2) 暮らしを豊かにしてくれた稲わら
 農業科学博物館では、稲わら文化の歴史を見ることができた。
 私ども子供の頃は、稲わらは常に身近にあり、衣食住、労働、運搬、遊びなど、生活のあらゆる場面で使用されていた。昔は「稲わらを燃やしたら罰があたる」とされ、資源として大切に扱ってきた。

 しかし、昭和の中頃からは大量生産でき、丈夫で軽いナイロン、ビ二ールなどの化学製品の登場により、稲わら製品は急速に使われなくなった。

 今、稲わら製品は、伝統行事や民芸品でしか見ることができない。
 日本の生活文化を支え、また、生活を豊かにしてくれた稲わらが、その役割を終えて
しまったが、農業科学博物館で貰った資料をもとに、懐かしい稲わら文化について考えてみた。

■稲わら利用文化の始まり
 稲作が始まったのは、弥生時代の後期といわれる。柄のついた鉄鎌が登場する7-8世紀までは稲の刈り取りは「穂刈り」という収穫方法で、稲わらはほとんど利用されなかった。
 稲わらが日常的に使用されるようになったのは、鉄鎌が普及した奈良・飛鳥時代といわれている。

■稲わらの利用
 稲を脱穀した後には大量の稲わらが残される。それを先人達は無駄なく有効に活用しており、その利用範囲は驚くほど広範囲にわたっている。日本人の生活すべての面で活用されたと言っても過言ではない。
 「手袋?履物・ミノなど各種生活用品」、「肥料」、「家畜飼料」、「家畜敷き藁」、「住宅・小屋など建築素材」、「燃料」、「野菜貯蔵用の保温・断熱材、容器」、「漬物」、「食用油」、「エ業用油」などなどである。とても挙げきれない。

■現代の稲わら
 稲わら加工は、農家自身が自給自足の暮らしを豊かにするためであったが、大正時代には農家の副業として奨励され、多くの種類の稲わら加工品が製造・販売された。
 しかし昭和の中頃からの生活様式の多様化やナイロン・ビニールなどの登場により、人手を要し、大量生産が難しい稲わらは徐々にその需要が失われた。

 現在の稲わら利用状況(農林水産省資料より)
     肥料(水田すき込み)      70%
     飼料              10%
     堆肥原料             8%
     畜舎の敷ワラ           4%
     マルチ資材(雑草、害虫防除用) 3%
     加工用(しめ縄、工芸品など)  1%
 産業廃棄物として無駄に処分されていないのが救いである。
                       
■今後の稲わらは
 食糧やエネルギー資源の多くを輸入に頼っている日本では、数少ない自給できる作物である米と、その副産物として生産される稲わらを素材として自動車や暖房用などの燃料として活用するための研究が進んでいる。

 過去には日本文化を形作ってきた稲わらは、そのままの使用の道はほとんど閉ざされたが、新素材の一つとして注目されている。


8/17(木)晴れ 外来 飯川病院 
0:30起床。いつものごとし、新聞チェック、歴史関連本読む。昨日、当日仕上げのクリーニングに依頼したが取りに行くのを忘れたため8:00開店を待ち回収、なんとか診療に服装が間に合った。8:30家内の車に同乗、直接中通総合病院へ出勤。8:45-13:00外来、13:30飯川病院、微睡、14:00?17:50勤務、入院外来患者対応。18:00クロスバイク帰宅。夕食19:30開始、20:30就寝。Blu-ray Discながら視聴:「国際子ども図書館」、「地球紀行:ギアナ高地」、「100分で名著:陳寿三国志(1)-(4)」。歩行歩数計10230歩。

岩手県立農業科学博物館見学(1)
 8月12日(土)は墓参り兼ミニ家族旅行の二日目である。
 宿泊したつなぎ温泉から志戸平へ温泉へと移動した。毎年のミニ家族旅行では花巻を中心とした県中央から県南地域の各種の記念館や施設を見学するのを楽しみにしている。
 今までも、遠野のふるさと村、水沢の緯度観測所、後藤新平記念館、宮沢賢治記念館など、岩手出身ながらほとんど不案内であった地域を味わい直している。

 今年は北上市にある岩手県立農業科学博物館を見学した。
 私は日本の農業の将来に関心とともに一抹の不安を持っている。
 最近、カロリーベースの自給率が38%とほとんど向上していないことが示されたばかりである。世界人口は間も無く100億人に達しようとしている。20世紀は種々の改良によって食糧増産が叶えられたが、21世紀は温暖化の影響などが徐々に明らかになってくる、と考えられる。増産も頭打ちになってくる可能性が高い。そうなると確実に食糧争奪戦が生じるだろう。日本の食の将来について目を離せないと思っている。

 もう一つ、最近電気炊飯器をリニューアルした。ずいぶん味がいい。それによっても日本の主食である米飯の素晴らしさを体感できている。

 当施設は北上市の農業ふれあい公園の中にある。



(施設の全景 この周辺には桜が植樹されている まだ樹は若いが将来楽しみである 写真はHPから借用した)

 農業科学博物館は、岩手の農業の過去・現在・未来を体感できることを目指した施設で館内は「農業れきし館」、「農業かがく館」からなっている。
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?■「農業れきし館」
 岩手県は平野は少ないが、広大な土地を有し、各地域でそれぞれの風土に合わせて特色ある農業が営まれてきた。この岩手の風土を背景に育まれてきた農業の歴史と作業の様子、そして人々のくらしを感じることがでた。
 特に、稲作・畑作に使われた圧倒的な農具の展示は、機能面だけでなく洗練された機能美すら感じ取れる。これらの器具のうち一部は私も実際に動かしたことがあるもので、懐かしく感じた。
 米という漢字は八十八を組み合わせている。米作には88以上の工程を経ていることの表れとの説明があった。
 私が幼少時には岩手はしょっちゅう冷害にも見舞われた。近隣では自殺者も出た。厳しい産業であったことがうかがわれる。
 近代の農業はすっかり様変わりし、日本人の大多数の方々は日本の生命線である農業、特に稲作のことは関心を持っていないようである。食文化の今後のことを考えると、とても残念なことと思う。

?■「農業かがく館」
 第2展示室は、農学の研究室をイメージしている。田んぼの世界・冷蔵庫の中・牛のからだ、に分かれている。ここでは、イネや田んぼについて、野菜・果物の由来、牛の身体などについて理解できるよう工夫されている。

 今回、岩手県立農業科学博物館を訪れて色々と勉強になった。
 大曲にも同様の施設がある。早速こちらの方も見学してみたいと考えている。?


8/16(水)曇り時々小雨 フリー日  北秋田市方面に
 1:00起床,文献・新聞ほかこなす。医学雑誌読書。7:00トマト・キウリ収穫。横浜のF一家と孫もいるので北秋田市方面にドライブ。9:00出発→五城目→上小阿仁村→12:00大館能代空港昼食→阿仁→マタギ資料館→田沢湖→16:30オラエ→角館武家屋敷→御所のイオンで夕食→20:00帰宅、20:45就寝。歩行Σ14322歩。

千秋美術館マリメッコ展 私にとっては場違いの展覧会であった 
 フィンランドを代表するファブリックブランド「マリメッコ」をテーマにした国内初の大規模展覧会が千秋美術館で開かれている。
 8月4日、大曲診療応援からの帰路、千秋美術館で「マリメッコ展」を観た。

 私は展覧会などを好む。千秋美術館、県立美術館は年間パスポートを購入しているから、ちょっとした時間を利用して何度でも楽しむことができる。
 好きではあるが、あまり知識はない。知らない展示会の場合は下調べもしないで出かける。作品を見るのに予断を持つことがよくない、と考えているからである。
 今回も何も調べなかったが、私にとってはファッションショーのような、場違いの展覧会に入り込んだようなものだった。

 美術品、作品を鑑賞するもの展示会ではなかった。会場には、ファブリック約50点、ヴィンテージドレス約60点 デザイナー自筆のスケッチ、各時代の資料など200点余が展示されていた。マリメッコの60年にわたる歴史、個性あふれるデザインを紹介する、国内初の大規模な展覧会であった。

 マリメッコは1951年に創業された世界的に知られるフィンランドのスタイルメーカーで60年の歴史がある。
 マリメッコはフィンランド語で「マリーのドレス」という意味を持ち、日常に溶け込んだライフスタイル・ブランドで、マリメッコを知らない国民はいない、とされる。

 マリメッコが生み出す布地の柄は、多くがフィンランドの伝統的なモチーフや自然に着想を得つつ、大胆でカラフル、抽象的なデザインが多い。鮮やかな色の大胆なプリント柄をデザインした商品ラインナップが特徴で、色調は明るく、大柄の花などを描いた大胆なデザインが印象的。装飾に凝らないシンプルな形の服は、ファブリックの柄を活かすと同時に、体を締め付けないデザインが多いようだ。動きやすく快適に過ごせる、という。ムームーとかマタニティドレスの印象である。
 マリメッコデザインの洋服とかは、我が国ではちょっと浮いてしまうのではないだろうか。

 デザインは家庭用品やインテリアにまで展開され、マリメッコは今日、世界中で絶大な人気を誇っている。
 私は何も購入しなかったが、1Fのミュージアムショップではマリメッコデザインのコップ、タペストリーなどのグッズが多数販売されている。

(今月の広報秋田の表紙はマリメッコ展であった。会場の雰囲気の一部を味わうことができる)


8/15(火)終戦記念日 快晴 外来 飯川病院休診
 1:00起床,文献・新聞ほかこなす。早朝涼風あり快適。4:30家庭ゴミ集積所に。バスで飯川病院予定が休日ダイヤで急遽クロスバイクで。8:45-12:30外来。盆で予約は少ない。13:00-18:00勤務ではないが暑いため飯川病院で過ごす。新聞、医学雑誌読書。水撒き。迎えあり帰宅、19:00夕食、20:45就寝。歩行Σ9720歩。

72回目の終戦記念日に思う 
 72回目の終戦の日を迎えた。内外の多くの犠牲者を悼み、平和への誓いを新たにしたい。

 亡くなれば敵も味方もない。生前の行動に対する評価はすべきであるが、善悪の面から
崇めたり、非を問いたくない。魂は平等である。私はこういう生者・死者観、死生観を持っている。死ねば皆平等である。

 語弊があるが、私はいま生きて活動している人間は、私を含めて、必ずしも好きでない。いやそれ以上に、私にとっては怖い存在である。さらに続ければ、先日お亡くなりになった日野原氏は、亡くなって以降急に私にとって身近な存在になった。

 私は終戦直前の5月に生を受けた。
 自分が生まれた年でもあり、過酷であった戦争から平和な時代へと、価値観が180度方向転換した昭和20年を特別な感慨を持って受け止めている。歴史は流れがある。複雑でまだまだよく理解できていない。

 8月13日に墓参りに行ってきた。思い出すのは、幼少の頃は寺に行くたびに、長押の上に整然と並べられた、50枚以上の多数の軍服姿の若者の顔写真であり、地獄極楽絵図であった。これらは見る度に圧倒された。

 後者はまだ掲げられているが、前者はいつとはなしに撤去されていた。なんか本堂自体が急に明るくなった印象を受けていたが、具体的にいつ撤去されたのか、私は記録に残していないので思い出すこともできない。
 英霊として長押に祀られていた顔写真は陸軍の戦闘帽、海軍の服装、パイロットのそれもあった。いずれも精悍で、いい表情していた。幼少の頃はなんでこのような写真が並べられていたのか理解できなかったが、小学高学年時に当時の住職からそのいわれを聞き、感じ入ったものである。

 これらの顔写真は私の心に大きな影響を与えていた、と思う。今でも思い出す。のちに日本の歴史、第二次世界大戦の歴史、史実を知って改めて感じ入った。常にこれらの英霊のことが脳裏に浮かんできた。我が家の関係者はおらず、個々人がどのような最期を迎えたのかなど全くわからない。それは英霊に対して感謝の気持ちをあわわすのに重要なことではない。

 いつもこの日を迎えると靖国問題が話題になる。今年は閣僚は一人も参拝しなかったという。閣僚が参拝するか否かも、それほど重要なことではない。各人の心の中を知ることができないが、心から御霊に感謝の心を持っていればそれで良い。
 機会があれば、私も靖国神社を訪れたいと思っている。


8/14(月)晴れ 健康クリニック休診 飯川病院休診
 2:30起床、疲れか?やや寝坊。ここから通常の生活に。新聞入力など。8:00-10:00収穫、庭仕事。以降は机に向かう。新聞記事チェック、Blu-ray Disc:「N響定期;2回文、ヤルヴィ指揮、フランス音楽他」、「題名のない音楽会:田園」他。17:00-18:30再度庭仕事。19:00夕食。20:10就眠。歩数計19999歩。

墓参り2017(2) 今年の墓参兼ミニ家族旅行
 今年の墓参とミニ家族旅行は時折小雨が降る中で略予定通りであった。
 最近は計画が墓参から孫中心しシフトしている。今回は小岩井農場とホテルの温水プールがメインであった。

■初日8/11(金) 
 今年は暦上の連休と週末の都合から13日を墓参日とし、連休利用で本日から墓参りミニ旅行とした。5:30不在時に突風などで倒れない様、飯川病院花壇のハイビスカスの鉢を固定した。早め出発を目指したが、8:00飯川病院患者不調で家内出勤し、結局出発は11:00となった。
 秋田道、46号線で田沢湖に。湖畔のレストランORAEにて昼食。さすが時期的に観光客多く混雑、30分待ちで席に。さらに20分ほど待たされた。通常なら他に移るのであるが、今回は目当てがあって時間に耐えた。目的は達成されなかった。
 16:00繋温泉四季亭着。四季亭は15年ほど前から常宿にしている。宿泊は結構高額であるが料理も良く、まず満足している。1時間ほど散歩、18:00小岩井で子供達を遊ばせた次男一家と横浜F杉一家を合流。大人5名、子供5名揃う。次男一家のうち嫁さんと新孫は不参加。いつものごとく、夕食は30mlほどの食前の果実酒で泥酔し中座、就寝。

■二日目8/12(土)
 2:00-7:00四季亭ロビーにて一人過ごす。入浴、読書、新聞処理などのんびり。
 8:00朝食、10:00車2台に分乗し花巻に移動、農業科学博物館を見学する。稲作中心に、主に歴史、いろいろ学べた。
 13:00本場の「わんこ蕎麦」目的に、賢治の作品の中でブッシュとして出てくる「藪や本店」狙うも、店の外にまで長い行列。これは無理、諦めて近隣のガストにて昼食、久々のファミレス。 
 15:00志戸平ホテル着、ここも6?7年前から利用している。子供らは温水プールで遊ばせ、私はのんびり過ごした。19:30夕食、ビュッフェスタイル。料理の質もいいが、私のダイエットには敵。なんとか摂取量を抑制して早々に帰室、就寝。

■三日目8/13(日)
 1:00-7:00志戸平ホテルロビーにて一人過ごす。入浴、読書、新聞処理など。
 7:30朝食、ビュッフェスタイル。ダイエット中なのでコーヒーと葉っぱ中心に摂る。  
 10:00チェックアウト。紫波町長岡の江岸寺に。駐車場に入りきれないほどの車の数であったが、本堂内は意外と閑散。本日は読経いただくのは困難と思っていたが住職には快く応じていただく。読経後は墓に花、ロウソク、線香をあげ、水をかけた。
 13:00ここ数年恒例となっている盛岡市黒川のひっつみ亭にて昼食。ここで解散、一台は平泉へ向かい、私どもは実兄宅を経て帰秋。数年前まで本家と親戚宅も訪問したが今はそれもなく気軽になった。
 18:00帰宅、次男一家はそのまま男鹿に向かった。20:00平泉に向かったグループも無事到着した。

 年に一回だけの私の郷里訪問、無事終了した。疲れた。


8/13(日)午前小雨模様、昼から晴天に 江岸寺墓参 帰秋  
 1:00ホテル志戸平にて起床。読書、1:30-7:00ホテルロビーにて読書、データ整理など。8:00朝食他、体重意識しコーヒーとサラダ中心。10:00ホテル発、11:45江岸寺にて読経いただく。12:30ひっつみ亭昼食後、盛岡組・平泉組に分かれ解散。私どもは男鹿に向かう次男一家とともに帰秋へ。途中14:00実兄宅訪問、短時間。17:15自宅着。微睡、20:30平泉組到着。軽夕食、小旅行の荷物整理、新聞ほか入力。0:00就寝。歩数計11059歩。

墓参り2017(1) 一応鎮魂の行脚だが、内容は様変わり 
 日本人は盆には何故憑かれたように郷里に帰るのだろうか。
 私もその例に漏れない。一昨日から墓参のために岩手に来ている。私の年に一度の郷里訪問である。

 盆の帰省については、私は「日本特有の自然宗教観による祭祀帰省」と思う。だから、暦上で休日や連休が増えたとしても墓参がらみの帰省はこの時期を外すことなどあり得ない。この時期は何かに誘われたように郷里に向かう。郷里の自然、両親・親族、友人らとの年に一度の対面の機会でもある。
 お盆は家族が墓前に集まって亡き人をしのぴ、先祖、家族を敬う子どもの心を育むいい機会である。

 我が家では、数年ほど前までは兄の家族とも一緒に墓参してきたが、ここ4年ほど別々に墓参するようになった。

 今年の我が家の墓参と小旅行は我ら夫婦中心に総勢10人で動いた。次男嫁さんは新孫と欠席。毎年墓参に参加してくれる子供達、及びその家族には頭がさがる。

 先祖を偲ぶ墓参りはとてもいいものと思う。しかし、将来この本質を変えずにどう続けていくか、私も悩んでいる。

 私が生きている間は、私がこの行事を采配していくだろうが、その後はどうなるのか。
 その判断は私がすべきだろうが間に合わなければ子供達に委ねるしかないが、様変わりするであろう。

 この墓参を機会に我が家の墓の有り様に関して考えてみた。
 わが家の墓は盛岡市の郊外の約20Km南、紫波町長岡、曹洞宗江岸寺にある。私自身は秋田に居を構えて40年、昭和53年に母が、58年に父が死亡し、盛岡の住居は売却した。盛岡在住の兄も死去した。

 もう、私が幼少期を過ごした故郷、盛岡には知己はいない。
 結局、墓だけが郷里に残った。私はずっとわが家の墓守をやってきた。遅まきながら、今からわが家の墓をどうするか、考えなければならない。私がこの墓に入るのに抵抗はないが、家内はあまり良い返事をしない。また、私が方向性を示さずに墓に入ってしまうと子供達に負荷になる。だからもう少し時間が欲しい。

 まだ結論は得ていないが、墓の将来をつらつら考えながら、本日13日昼、墓参し、住職より読経を頂いた。
 これで私の盆の行事のメインは終了した。


8/12(土)終日小雨模様 つなぎから志戸平へ
 1:00四季亭で起床,読書、入浴、2:00-7:30ロビーのコーナーにて文献・新聞チェック、読書。電気スタンド借用、有用。8:00朝食。10:00チェックアウト、12:00花巻農業科学博物館、種々勉強。あてにした藪屋にて椀子そばは待ち時間から無理、ガストにて昼食、花巻志戸平温泉へ、15;00ホテル志戸平着温泉着、15:30休息、子供達はプールへ、読書ほか。微睡。19;15ビュッフェスタイル夕食。20:30就眠。7225歩。

高レベル放射性廃棄物処分(3) かつて上小阿仁村が最終処分場を検討
 国は1960年代から、核燃料サイクル計画を進めていた。原発で使った核燃料からプルトニウムを取り出してウランと混ぜ、燃料として再利用する計画である。
 この「再処理」の過程で廃棄物が出るが、最終処分場は決まっていない。尤も、青森県六ケ所村の再処理施設は2018年度の工場完成を目指しているが、稼働時期は不透明。

 この状態での地層処分場のマップの発表である。だから、「核のゴミ処分」は何もスタートしていないに等しい。それでも原発再稼働が続いている。

 国は「再処理」、貯蔵施設には多額の交付金をつけていた。青森県六ケ所村は誘致したのか、押し付けられたのか不明であるが、一気に財政が豊かになった。しかし、村民は賛否派に分かれて対立し、人的には荒廃した。

 2007年7月頃、核燃料最終処分場誘致を秋田・上小阿仁村で検討されたことがある。
 当時の秋田魁新聞によると、7月秋田県北秋田郡上小阿仁村の小林村長が、プルサーマルの最終処分場の誘致を検討していることを明らかにした。

 小林村長は「村の財政が厳しいため」と公募を検討した。しかし、「村民の大半が反対すれば、取り下げる」とも付け加えた。これを聞いた、当時の秋田県寺田知事は記者会見で「きわめて短絡的」と反発した。村議からも反対された。県や議会の賛同がなくては進められなかった。
 毎日新聞によると、その後、27日に小林村長は、「反対を受け、この問題は幕引きする」と述べ、事実上この案を撤回した。

 小林村長は村の財政が逼迫していることから、高レベル放射性廃棄物の最終処分場を村に誘致できるかどうかの検討を始めたもの。
 そのころ、同村は一般会計24億円レベルであったが、60億円の借金を抱えていた。処分場の調査に応募すれば、最大で20億円が国から交付され、そのうち半額以上が応募した市町村に入ることになっていた。
 小林村長は、「教育や医療の分野でやりたいことが沢山あった。そのためにはお金が必要であった。次の世代に借金はまわせない」、と述べた。処分場では6500人が雇用されるといわれた。人口約3千人の過疎の村で、働き口の確保と人口増は当時からの村の課題であった。

 いかに財政が逼迫しても、「科学的特性マップ」をに基づき放射線廃棄物の貯蔵施設の誘致に乗り出す県や自治体はおそらく皆無だろう。なぜなら、今までの原子力行政は隠蔽と虚偽で成り立ってきたからである。そのつけが今問題化している。

 「核のゴミ処分」は喫緊の話題でもある。
 ならば、国はどう出るのか?見ものである。


8/11(金)山の日休日 秋田快晴・岩手曇り 墓参り小旅行繋温泉へ
 0:20起床,本日から墓参りミニ旅行。準備不足。4:30可燃ゴミ提出、5;00レガシー飯川病院へ、花壇の植木鉢固定。6;30帰宅。文献検討、ネコ室掃除。11;00盛岡に向け出発、高速経由。この2泊3日は石井さんに留守に。昨年に引き続き田沢湖、ORAEにて昼食、湖畔一周。16;00四季邸着、読書ほか。散策等、F杉一家、次男一家合流。今年は嫁と生まれた新孫は同行せず、大人5、子供5人。19;30夕食。21;00就寝。読書ほか。16259歩。

高レベル放射性廃棄物処分(2) 要するに全く目処がない計画だ
 「核のごみ」地層処分は、使用済み核燃料を再処理した際に出る放射性レベルの高い廃液を、高温のガラスに混ぜて固体化し、地下300m以上の岩盤に埋める処分法である。地層処分が世界各国で採用された方式として安全性が高い、とされている。
 使用済み核燃料の再処理は日本原燃が青森県六ケ所村の工場で行う予定で、原燃は2018年度の工場完成を目指しているが、稼働時期は不透明だ。

 「核のごみ」の処分をめぐり、国は7月28日、処分場の選定に向けて、将来、調査対象になる可能性がある地域を示した初めての全国地図「科学的特性マップ」を公表した。

 公表された全国地図は、国土全体のおよそ2/3が処分場として「好ましい特性が確認できる可能性が相対的に高い地域」とされている。これらの地域は、将来的に処分場の選定に向けた国の調査対象になる可能性がある。

 海岸から20Km以内を目安とした地域は廃棄物の輸送の面でも好ましいとされ、こうした地域が一部でも含まれる市区町村は900余に上るという。

 近くに火山や活断層があったり地盤が弱かったりする地域は、地質が長期間安定しているかという点で、また、油田やガス田、炭田などの資源がある地域も処分場として「好ましくない特性があると推定される」と位置づけられている。
 本県では、秋田駒ケ岳、秋田焼山、栗駒山、鳥海山など火山の周りや活断層の周辺に加え、将来的に石油やガス掘削の可能性があるとして秋田市や由利本荘市などの沿岸の一部が「好ましくない」とされた。

 国は、この地図は処分場の選定に向けた第一歩で、今後、各地で説明会を開いて理解を求め、今後、各地で説明会を開き、約20年かけて立地の可能性を調査し、場所が決まれば10年ほどで建設する計画を描いている。

 マップ公表を受け、さまざまな反応が見られる。
 原発立地自治体には「首都圏への電力供給、日本の電力供給のために原発を抱え、社会的責任は果たしている。だから、これ以上の関与は嫌だ。処分場は他の場所に」と考えるのは当然である。
 一方、原発のない自治体には、核のごみが持ち込まれるといった新しい事態は想定し難い。

 原発再稼働に対する国民の反発は根強い。原発稼働自体が危険な上、最終処分のめどが立たないまま再稼働が進むことへの抵抗感は当然である。
 処分場の選定に向けた第一歩はきられてが、ほとんど無策に近い。解決の目処は全く立っていない。

 解決が全く見通せない中では、これ以上ごみを増やさないようなエネルギー政策を検討すべきである。


8/10(木)晴れ、時折小雨 外来 飯川病院 
 1:00起床、新聞データ化と整理。画像データ処理。5:00野菜収穫。7:30バス通町、徒歩病院着。8:45-12:40外来+ドック判定14名分。13:00飯川病院、14:00あきぎんスタッフ、振込ほか。14:00-18:50飯川病院勤務、患者対応。19:30帰宅、夕食、20:30就寝。歩数計積算8895歩。Blu-ray Discながら視聴:「そこまで委員会;誰?後半」。

高レベル放射性廃棄物処分(1) 一口に10万年というが!!!!
 高レベル放射性廃棄物、いわゆる核のごみは現在2万トンほど。国は地下深くに埋設することを決めている。問題は、場所をどこにするか全く目処が立っていないことだ。をの最終処分場の候補地として、国土の7割近くが「適地」に分類された科学的マップを発表した。適地は本県を含め全国各地にある。

 わずか40年余の原発エネルギーを享受してきたが、その結果、10万年にも及ぶ管理が必要な核のごみを蓄積してきた。しかし、その処分が決定しているのは世界で二ケ所しかない。
 将来、日本で処分場が必要なのは間違いない事実である。しかし、問題は処分計画が確立しない今でも核のゴミが増え続けている現状である。

 国が公表したこの選定は国土の7割含まれる。こんなあまりにも対象地が広い候補地のデータををどう受け止めたらよいのだろうか。
 以下に科学的評価の概要を示す。
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■国民に、すべての居住地域および周辺地域が地下埋没地となる可能性があると、表現したに過ぎない。
■国民に核ゴミ処理の考え方の基本を提示し、全国民が核のゴミ処理の負荷を均等に負う自覚を喚起したにすぎない。
■何が科学的検討結果なのだろうか。本当にそんなに適地は多いのだろうか。結局は何も示さないのに等しいのではないか?
■具体的はどのようなことを検討したのだろうか。若干の条件を機械的に付して国土を色分けしただけでないのか??
■火山や活断層周辺、地下に採掘可能な鉱物資源がある地域などは「好ましくない」として除外された。全体の3割強に当たる。
■残りの7割弱が「好ましい」適地と判断された。日本の活断層は2000ヶ所もあるというのに本当に考慮されたのだろうか??
■適地とされたうち、海岸から約20Kmの範囲は「輸送面で好ましい」地域に分類。「最適地」と位置付けられた。秋田県沿岸部は北から南まですっぽり入った。
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 核のゴミは10万年間の厳重な管理を必要とする物質である。
 地球の誕生からの時間を示す。

■地球誕生してから約46億年。
■人類誕生してから800-500万年。
■文明誕生してから50万年、火を使用し、20万年前からは道具使用。
■農耕文明は約1万年前。計画的食糧生産。
■・・・・・
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 核のゴミの管理は10万年必要とするが、時間を逆行させると原始時代の文明にまで遡る。
 原子時代の歴史はわずか100年に満たない。簡単に10万年というが、人類の歴史に置き換えてみても気が遠くなるほどの長い期間である。この間、安全に保存できる方法と場所の開発が必要であるが、両者ともまだ道は長い。

 現代人はこのような重大な懸案事項に関して責任を負っている。

 このちょっとした検討から見ても原発再稼働の問題点が見えてくる。


8/9(水)時折降雨 午後飯川病院ボランティア  
 1:00起床,新聞・録音のデータ整理中心。12:50バス飯川病院へ。ボランティア、植木の移動など。16:30迎え車で帰宅、雨で外作業無理、新聞データ化、19:30夕食。21:00就眠。Blu-ray Disc視聴なし。歩数計積算9429歩。

原爆投下72年 長崎「原爆の日 」 田上長崎市長平和宣言 vs 安倍総理挨拶
長崎に「原爆」が投下されてから72年目を迎えた。
 本日、長崎ではしめやかに平和記念式典が行われた。

 長崎は「2番目」ではなく「最後」の被爆地になるよう運動を進めている。

 当時のトルーマン大統領は戦争終結のためにもはや原爆は必要でないことは認識していたが、極秘裏に巨費を投じて開発した原爆を使用しないまま残しておくことは議会対策のためにも、自分の地位を守るためにも考えられなかった。二発の原爆は作られた以上、使われなければならなかった。広島・長崎の命は、アメリカ国内の事情、トルーマンの保身のために奪われた。

 B29は莫大な予算を取り2700機ほどの製造されそれに見合った爆弾も準備された。日本は壊滅状態、ほぼ無防備・無抵抗状態にあったが、多くの都市が8月14日まで爆撃された。空爆の効果などはどうでも良かった。B29、大量の爆弾は作られた以上、使われなければならなかった。日本の国民の命は、米国の政治、経済上の議会対策のために奪われた。
 私はそんな風に思っている。

 本年の田上市長の平和宣言は日本政府への痛烈が批判が綴られている。記憶しておくべき内容である。
 一方、安倍総理の挨拶は広島のとほぼ同じであった。
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長崎・平和祈念式典 田上市長の平和宣言全文
 「ノーモア ヒバクシャ」
 この言葉は、未来に向けて、世界中の誰も、永久に、核兵器による惨禍を体験することがないように、という被爆者の心からの願いを表したものです。その願いが、この夏、世界の多くの国々を動かし、一つの条約を生み出しました。

 核兵器を、使うことはもちろん、持つことも、配備することも禁止した「核兵器禁止条約」が、国連加盟国の6割を超える122カ国の賛成で採択されたのです。それは、被爆者が長年積み重ねてきた努力がようやく形になった瞬間でした。
 私たちは「ヒバクシャ」の苦しみや努力にも言及したこの条約を「ヒロシマ・ナガサキ条約」と呼びたいと思います。そして、核兵器禁止条約を推進する国々や国連、NGOなどの、人道に反するものを世界からなくそうとする強い意志と勇気ある行動に深く感謝します。

 しかし、これはゴールではありません。今も世界には、1万5千発近くの核兵器があります。核兵器を巡る国際情勢は緊張感を増しており、遠くない未来に核兵器が使われるのではないか、という強い不安が広がっています。しかも、核兵器を持つ国々は、この条約に反対しており、私たちが目指す「核兵器のない世界」にたどり着く道筋はまだ見えていません。ようやく生まれたこの条約をいかに活かし、歩みを進めることができるかが、今、人類に問われています。

 核兵器を持つ国々と核の傘の下にいる国々に訴えます。

 安全保障上、核兵器が必要だと言い続ける限り、核の脅威はなくなりません。核兵器によって国を守ろうとする政策を見直してください。核不拡散条約(NPT)は、すべての加盟国に核軍縮の義務を課しているはずです。その義務を果たしてください。世界が勇気ある決断を待っています。

 日本政府に訴えます。

 核兵器のない世界を目指してリーダーシップをとり、核兵器を持つ国々と持たない国々の橋渡し役を務めると明言しているにも関わらず、核兵器禁止条約の交渉会議にさえ参加しない姿勢を、被爆地は到底理解できません。唯一の戦争被爆国として、核兵器禁止条約への一日も早い参加を目指し、核の傘に依存する政策の見直しを進めてください。日本の参加を国際社会は待っています。

 また、二度と戦争をしてはならないと固く決意した日本国憲法の平和の理念と非核三原則の厳守を世界に発信し、核兵器のない世界に向けて前進する具体的方策の一つとして、今こそ「北東アジア非核兵器地帯」構想の検討を求めます。

 私たちは決して忘れません。1945年8月9日午前11時2分、今、私たちがいるこの丘の上空で原子爆弾がさく裂し、15万人もの人々が死傷した事実を。

 あの日、原爆の凄まじい熱線と爆風によって、長崎の街は一面の焼野原となりました。皮ふが垂れ下がりながらも、家族を探し、さ迷い歩く人々。黒焦げの子どもの傍らで、茫然と立ちすくむ母親。街のあちこちに地獄のような光景がありました。十分な治療も受けられずに、多くの人々が死んでいきました。そして72年経った今でも、放射線の障害が被爆者の体をむしばみ続けています。原爆は、いつも側にいた大切な家族や友だちの命を無差別に奪い去っただけでなく、生き残った人たちのその後の人生をも無惨に狂わせたのです。

 世界各国のリーダーの皆さん。被爆地を訪れてください。

 遠い原子雲の上からの視点ではなく、原子雲の下で何が起きたのか、原爆が人間の尊厳をどれほど残酷に踏みにじったのか、あなたの目で見て、耳で聴いて、心で感じてください。もし自分の家族がそこにいたら、と考えてみてください。

 人はあまりにもつらく苦しい体験をしたとき、その記憶を封印し、語ろうとはしません。語るためには思い出さなければならないからです。それでも被爆者が、心と体の痛みに耐えながら体験を語ってくれるのは、人類の一員として、私たちの未来を守るために、懸命に伝えようと決意しているからです。

 世界中のすべての人に呼びかけます。最も怖いのは無関心なこと、そして忘れていくことです。戦争体験者や被爆者からの平和のバトンを途切れさせることなく未来へつないでいきましょう。

 今、長崎では平和首長会議の総会が開かれています。世界の7400の都市が参加するこのネットワークには、戦争や内戦などつらい記憶を持つまちの代表も大勢参加しています。被爆者が私たちに示してくれたように、小さなまちの平和を願う思いも、力を合わせれば、そしてあきらめなければ、世界を動かす力になることを、ここ長崎から、平和首長会議の仲間たちとともに世界に発信します。そして、被爆者が声をからして訴え続けてきた「長崎を最後の被爆地に」という言葉が、人類共通の願いであり、意志であることを示します。
 被爆者の平均年齢は81歳を超えました。「被爆者がいる時代」の終わりが近づいています。日本政府には、被爆者のさらなる援護の充実と、被爆体験者の救済を求めます。

 福島の原発事故から6年が経ちました。長崎は放射能の脅威を経験したまちとして、福島の被災者に寄り添い、応援します。

 原子爆弾で亡くなられた方々に心から追悼の意を捧げ、私たち長崎市民は、核兵器のない世界を願う世界の人々と連携して、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くし続けることをここに宣言します。
  2017年(平成29年)8月9日
長崎市長 田上富久


8/8(火)台風5号接近・快晴風午後雨猛暑薄らぐ 外来 飯川病院 
0:20起床,いつもの如く。5:00可燃ゴミ処理、伐採枝葉処理。野菜収穫、7:47バス通町、以降徒歩飯川病院着。8:45-12:20外来。患者少なく余裕。13:00飯川病院、14:00-18:45。入院患者対応。19:00帰宅、夕食。20:30就眠。Blu-ray Disc:「そこまで委員会:あれは誰??」。歩数計13157歩。

ジェンダー文化未成熟(2) 蓮舫民主党辞任劇
 蓮舫氏は自らの個性を武器に踏み出したが、党内の援護を得られないまま、時間とともに孤立していった。

 私はその個性が問題だったと思う。
 蓮舫氏は49歳、画像で見る限り私の目には爽やかな印象を与える美女に映る。マスコミ関係のキャリアも長く、表情の作りも洗練されている。出てくる言葉は明瞭で批判する立場に回った時はかなり辛辣でもある。ただ責められることには弱いようだ。自身の二重国籍問題は日本国民としては法的に問題な状況である。その説明に関し、虚偽ともとられかねない発言を繰り返しながら、代表選を突破した。虚像で選ばれたのではないだろうか。

 意外とこういう女性に、時間とともに嫌悪感を覚える男性は多いのではないかと思う。少なくとも、上司には持ちたくない女性の一人、と思うのではないだろうか。私はそう思わないと確信を持って言えない。

 30年前に野党第一党の旧社会党の党首になった土井たか子氏は就任時58歳。学者肌であった。画像で見る限り私の目にはその辺のおばさん的で全然刺激的ではなかった。当時日本を挙げてマドンナ旋風が吹き荒れたが、年齢を問わず広く女性に支持された。

 今は映像の時代である。年齢、見てくれ、一般受けするキャリアなどを含む印象を偏差値に置き換えてみれば、蓮舫氏の印象は30年前の土井氏とはかなり異なる。

 蓮紡氏は男尊女卑的考え方が残る我が国の文化で目立ち過ぎる負の因子を持ちすぎていた、私はそう思う。民進党代表が蓮舫氏でなければ、代表選で敗れた前原氏が真に適任であったかは別問題であるが、別な方向に進んだのではないか?と思っている。

 私は人間社会において性別の問題は、人間は発生してきた時から持つ根の深い問題だと思う。非常識的だろうが、男と女は果たして同じ人間なのか?とまで思う。別種類の生き物だと考えれば、男女に関わる問題が一気に単純化するのだが。

 最近は性に関してセックス、セクシャリティ、ジェンダーと区別して言われる。さらにLGBTの概念も入ってきた。
 その概念は簡単に示せば以下のごとくである。

■セックス:生物学的な性別。
■ジェンダー:生物学的な性別に加え、男らしさ女らしさと呼ばれている社会的な性別。
■セクシュアリティ:性的嗜好で、異性愛者、同性愛者、両性愛者など。
■LGBT:心と体と別の性を自認する方々。

 この中で、ジェンダーという言葉が表現する世界は、複雑なニュアンスを持ち、言葉自身に男女における対立的ニュアンスを孕んでいるにもかかわらず、無理やり両者を近づけようというのが最近の風潮である。セックス、ジェンダー、セクシュアリティ、LGBTが混同されている。

 蓮舫氏の民主党代表辞任劇の背景にはジェンダーという要素を入れて考える必要がある。


8/7(月)快晴 健康クリニックドック 飯川病院 
 0:00起床,新聞・文献チェック他。明徳館ボイラーに関するメールに対応する。6:00ネコ給餌。6:20フィットに同乗飯川病院着。9:00-10:30健康クリニック。11:00飯川病院に。読書、データ整理。微睡。14:00-18:30勤務。歴史関連本読む。撒水、19:15帰宅、夕食、20:30就寝。Blu-ray Disc:「世界は今:ISの現在」。歩数計積算8087Km。

ジェンダー文化未成熟(1) 蓮舫民主党辞任劇の背景にも?
 民進党の蓮訪代表は8月2日の両院議員総会で、代表辞任を表明した。
 蓮舫氏は自らの個性を武器に踏み出したが、党内の援護を得られないまま、孤立していった。私はその個性が問題だったと思う。
 蓮紡路線はことごとく裏目に出て、支持する動きがほとんどなかった。この民進党の体たらくは一体何だったのか。本当は氏の問題でなく党の問題なのだが・・・。

 私はここでジェンダー論を持ち出したい。蓮舫代表が女性でなければ、別方向に走ったのではないか?と思っている。
 私は、責任ある地位に女が立つことを心の底では是としない、男性中心社会の風潮が残っているからだ、と考える。社会風潮がそうだと社会に責任を押し付けるまでなく、私自身にそう考える傾向が残っている。それを自覚している。

 最近の報道に見る、ジェンダー問題。
 私は、以下の報道を通じて我が国のジェンダー文化の後進性を感じ取っている。
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??STAP細胞(2014年1月)
 STAP細胞についてすごい発見が唐突になされた。「ネイチャー」、「ハーバード大学」、「理研」などのバックを伴い、報道機関も国民も最初から信じこんでしまった。そのため、マスコミはSTAP細胞そっちのけに、「リケジョ」、「かっぽう着」など、世紀のアイドル誕生といったごとくの報道が続き、実に不自然であった。後のバッシング記事も厳しい内容であった。小保方氏が男だったら別な報道になっていただろう。

??都議会のセクハラヤジ(2014年6月)
 都議会のセクハラヤジ問題。日本の男尊女卑的考えが未だに根強く残っていることの表れであった。私はバカな行為だったと思うが、女性に対して思うことは似ている。だから、私には野次飛ばし議員の心の内までを批判する資格はない。

??小渕・松島氏の閣僚辞任劇(2014年10月)
 両閣僚辞任劇は性別に全く関係ない原因にある。この件に関する新聞報道の見出しを並べてみると、「女性閣僚の失態、辞任」としての報道が大部分であった。

??クリントン氏落選(2016年11月)
 当初から本命視され、経験や知識、資金量も申し分のなかったクリントン氏が最後に逆転された理由として、米国社会に根強い女性に対する偏見を挙ける声も根強い。オバマ大統領は終盤戦、「なぜ、今まで女性大統領がいなかったのか。男性有権者の心の内をのぞいてみて欲しい」と述べた。
 今の米国で性差別を公然と口にする人は少ないが、意識下に偏見が残っているとする調査もある。

??電通過労死報道(2016年11月)
 電通で過労死した高橋まつり(24)さんは、東大卒の、若い、優秀な、可愛い女性であった。こんな方はパワハラいじめに遭いやすい。その報道では今でも顔写真を伴い目を引く。似たような環境で本年3月に過労死した、建設会社の男性若手新入職員(23)に関してはメディアの扱いは電通に比し明らかに小さい。

??蓮舫民進党代表辞任表明(2017年8月)

??稲田防衛大臣の閣僚辞任劇(2017年8月)
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 レディファースト、自由の国の米国でも人種差別問題はリンカーンの時代、ケネディの時代をへて未だに根強く残っている。性差別も同様である。人の考え方は法があろうと何があろうとなかなか変わっていくものではない。それには何代かの世代交代が必要である。
 上記の7件はちょっとした例に過ぎないが、メディア自体が遅れている。報道から「女性」を強調した部分がなくれば、我が国のジェンダー文化が真に成熟に向かった、と言えるだろう。

 現在のジェンダー論は、女性差別という伝統的テーマを超え、個人の多様性へと範囲をを広げている。


8/6(日)快晴暑い 広島原爆投下72年 飯川病院当直明け 
 1:00起床、読書、新聞、画像データ整理など。7:00検食、8:00広島原爆追悼式典の実況中継をラジオで聞く。9:00クロスバイク帰宅、熱気で厳しい。外の作業は困難。ネコ世話、収穫、読書など。ネコ達居間で過ごさせたが口呼吸であえいでいる。扇風機最強で用いるが温風。NHKのど自慢大館楽しむ。微睡など、15:00外仕事、18:00文献対応、19:30夕食、21:00就寝。Blu-ray Discなし。歩数計11600歩。

原爆投下72年 広島「原爆の日 」 松井広島市長平和宣言 vs 安倍総理挨拶 
 長崎に「原爆」が投下されてから72年目を迎えた。
 本日、長崎ではしめやかに平和記念式典が行われた。

 今朝は飯川病院の当直明けの朝。NHKラジオで中継を聞いた。

 8時15分に平和の鐘を鳴らし、1分間の黙祷。続く広島市長の平和宣言は落ち着いた口調で国民への問いかけと全世界に対する決意宣言であった。総理の挨拶も場所柄声の張り上げはなかったが、安倍節の域を脱していない。
 両者とも、要旨は記憶しておくべき内容であった。

 広島市長の平和宣言(一部)。
 「皆さん、72年前の今日、8月6日8時15分、広島の空に「絶対悪」が放たれ、立ち昇ったきのこ雲の下で何が起こったかを思い浮かべてみませんか(中略)。
 正に地獄です。「絶対悪」である原子爆弾は、きのこ雲の下で罪のない多くの人々に惨たらしい死をもたらしただけでなく、放射線障害や健康不安など心身に深い傷を残し、社会的な差別や偏見を生じさせ、辛うじて生き延びた人々の人生をも大きく歪めてしまいました。
 このような地獄は、決して過去のものではありません。核兵器が存在し、その使用を仄めかす為政者がいる限り、いつ何時、遭遇するかもしれないものであり、惨たらしい目に遭うのは、あなたかもしれません。
 それ故、皆さんには是非とも、被爆者の声を聞いてもらいたいと思います(中略)。
 皆さん、このような被爆者の体験に根差した「良心」への問い掛けと為政者に対する「誠実」な対応への要請を我々のものとし、世界の人々に広げ、そして次の世代に受け渡していこうではありませんか。
 為政者の皆さんには、特に、互いに相違点を認め合い、その相違点を克服するための努力を「誠実」に行っていただきたい。また、そのためには、核兵器の非人道性についての認識を深めた上で、自国のことのみに専念して他国を無視することなく、共に生きるための世界をつくる責務があるということを自覚しておくことが重要です(中略)。
 
 核兵器の使用は、一発の威力が72年前の数千倍にもなった今、敵対国のみならず自国をも含む全世界の人々を地獄へと突き落とす行為であり、人類として決して許されない行為です。そのような核兵器を保有することは、人類全体に危険を及ぼすための巨額な費用投入にすぎないと言って差し支えありません。

 今や世界中からの訪問者が年間170万人を超える平和記念公園ですが、これからもできるだけ多くの人々が訪れ、被爆の実相を見て、被爆者の証言を聴いていただきたい。そして、きのこ雲の下で何が起こったかを知り、被爆者の核兵器廃絶への願いを受け止めた上で、世界中に「共感」の輪を広げていただきたい。特に、若い人たちには、広島を訪れ、非核大使として友情の輪を広げていただきたい。広島は、世界の人々がそのための交流をし、行動を始める場であり続けます。

 その広島が会長都市となって世界の7,400を超える都市で構成する平和首長会議は、市民社会において世界中の為政者が、核兵器廃絶に向け、「良心」に基づき国家の枠を超えた「誠実」な対応を行えるような環境づくりを後押ししていきます。

 今年7月、国連では、核保有国や核の傘の下にある国々を除く122か国の賛同を得て、核兵器禁止条約を採択し、核兵器廃絶に向かう明確な決意が示されました。こうした中、各国政府は、「核兵器のない世界」に向けた取組を更に前進させなければなりません。

 特に、日本政府には、「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。」と明記している日本国憲法が掲げる平和主義を体現するためにも、核兵器禁止条約の締結促進を目指して核保有国と非核保有国との橋渡しに本気で取り組んでいただきたい(中略)。
 私たちは、原爆犠牲者の御霊に心からの哀悼の誠を捧げ、世界の人々と共に、「絶対悪」である核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現に向けて力を尽くすことを誓います。?
                         ?(広島市長 松井一實)


安倍総理挨拶全文
 本日、被爆72周年の広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式が執り行われるに当たり、原子爆弾の犠牲となられた数多くの方々の御霊に対し、謹んで、哀悼の誠を捧げます。
 そして、今なお被爆の後遺症に苦しんでおられる方々に、心からお見舞いを申し上げます。
 今から72年前の、あの朝、一発の原子爆弾がここ広島に投下され、十数万ともいわれる数多の貴い命が失われました。街は一瞬にして焦土と化し、一命をとりとめた方々にも、言葉では言い表せない苦難の日々をもたらしました。若者の夢や明るい未来も、容赦なく奪われました。
 このような惨禍が二度と繰り返されてはならない。唯一の戦争被爆国として、「核兵器のない世界」の実現に向けた歩みを着実に前に進める努力を、絶え間なく積み重ねていくこと。それが、今を生きる私たちの責任です。
 真に「核兵器のない世界」を実現するためには、核兵器国と非核兵器国双方の参画が必要です。我が国は、非核三原則を堅持し、双方に働きかけを行うことを通じて、国際社会を主導していく決意です。
 そのため、あの悲惨な体験の「記憶」を、世代や国境を越えて、人類が共有する「記憶」として継承していかなければなりません。昨年、オバマ大統領が、現職の米国大統領として初めて、この地を訪れ、被爆の実相に触れ、核を保有する国々に対して、核兵器のない世界を追求する勇気を持とうと力強く呼びかけました。核を保有する国の人々を含め、広島・長崎を訪れる世界中の人々が、被爆の悲惨な実相に触れ、平和への願いを新たにする。若い世代が、被爆者の方々から伝えられた被爆体験を語り継ぐ。政府として、そうした取組をしっかりと推し進めてまいります。
 そして、各国の有識者の知見も得ながら、核兵器不拡散条約(NPT)発効50周年となる2020年のNPT運用検討会議が意義あるものとなるよう、積極的に貢献してまいります。
 被爆者の方々に対しましては、保健、医療、福祉にわたる総合的な援護施策の充実を行ってまいりました。今後とも、被爆者の方々に寄り添いながら、援護施策を着実に推進してまいります。特に、原爆症の認定について、引き続き、一日も早く結果をお知らせできるよう、できる限り迅速な審査を行ってまいります。
 今や、国際平和文化都市として、見事に発展を遂げられた、ここ広島市において、改めて、「核兵器のない世界」と恒久平和の実現に向けて力を尽くすことをお誓い申し上げるとともに、原子爆弾の犠牲となられた方々のご冥福と、ご遺族、被爆者の皆様、並びに、参列者、広島市民の皆様のご平安を祈念いたしまして、私の挨拶といたします。
(内閣総理大臣 安倍晋三)


8/5(土)快晴暑い 竿燈日3日目 飯川病院日当直 レセプト点検。
0:00起床、本読み中心、画像データ整理。5:00収穫、散水他。午前は文献整理、伐採枝葉整理など。12:00クロスバイク飯川病院、日当直業務、入院患者対応、検食。新聞データ収集、レセプト点検半分。ピロティ朝顔に添え木。歩数計積算13450歩。18:00検食、20:00就寝。

民進党蓮舫代表が辞意 党の再生は困難か?
 民進党の蓮訪代表は8月2日の両院議員総会で、代表辞任を表明した。

 新代表に蓮舫氏が選ばれたのは2016年9月中旬のことであった。蓮舫氏は国会議員、地方議員、党員サポーターらの850票中500票を獲得しての圧倒的支持を得た。
 野党第1党の民進党は崖っぷちにいる。だからこそ、政治実績は乏しいが、知名度の高い運航氏を党の顔に、と期待したのだろう。
 民進党は過去から何を学ぶのか。かつて民主党が政権を取りながら失敗した要因は、国政を担うだけの資質を持たない党幹部達の悪政、国政そっちのけにしての党内の足の引っ張り合い抗争した結果によるに自滅だった。

 蓮舫氏を選んだ以上、党としては結束してことにあたることが期待されたが、就任当初から不安な材料がくすぶり始めた。
 蓮舫氏は自らの個性を武器に踏み出したが、党内の援護を得られないまま、孤立していった。
 あれほどの支持を得ながらわずか一年で・・・。そこに何があったのか?

 蓮訪代表は「しっかりとまとめることができなかった。もっと強い執行部に委ねる決断をすることが私の仕事だと思った」と氏は代表辞任を決断した経緯を説明した。総会ではさしたる意義も出ずに了承され、後継を選ぶ代表選の日程が粛々と検討された。蓮舫氏の役目は何だったのか?

 「蓮紡路線」はことごとく裏目に出た。第一は野田前首相を幹事長に起用したこと。第二は「2030年原発ゼロ」は事前の調整が不十分で、連合などが反発し、断念に追い込まれたこと、第三は都議選前に離党者が続出した、などなど。

 蓮舫氏に対し、支持する動きがほとんどなかった。高い支持を集めたのにこの体たらくは一体何だったのか。この間、民進党再建論より解党諭が語られたりした。
 蓮肪氏自身も認めたように、それほど党内の求心力は低下していた。

 今、民進党は自民党に対峙できる勢力になるという目的を持って、結束することか何よりも肝心だ。蓮舫氏の元で一致団結できるか、と私は期待したが、もう終わり。今後の民進党は存続することも困難になるだろう。

 民進党の長期低迷は、小グループが乱立していることに尽きる。民進党は烏合屋号の衆であり、政治思想も一枚板ではない。私から見てもなんで民進党に所属しているのかわからない人たちがたくさんいる、と思う。だから、次の執行部で前向きの力を結集できなければ解党、再出発も一案となる。
 次が、党としての最後の活動になるかもしれない。


8/4(金)晴れ 竿燈2日目 大曲中通病院 飯川病院ボランティア
 0:45起床,文献・新聞チェックその他。4:30一般ゴミ提出、5:00収穫、散水。7:30Taxi駅。8:10こまち。徒歩、9:10大曲中通病院外来、混雑なし。帰路病院駅はTaxi。千秋美術館:「マリメッコ展」観る。14:10飯川病院、ボランティア。19:15帰宅、19:30夕食、20:45就寝。Blu-ray Discながら視聴:「知恵泉:邪馬台国」、「英雄選択:高田屋嘉平」、「昭和は輝いていた;なかにし礼」。歩数計積算9548歩。

富島健夫著「女人追憶」全7巻 1995年 集英社文庫   
 私が担当している外来に通院している95歳の患者が、「終活で蔵書を処分しているが、一部を先生に差し上げます」と、毎回数冊書籍を持参してくる。その書籍の傾向は、どちらかといえば官能小説が多い。
 「今でもこのジャンルの書籍を読んでいます」と、とても元気である。確かに、若さの源になりうる内容の本が並ぶ。「本当は先生も好きなんでしょう」と勝手に決めつけているようだ。嫌いと言えば嘘になるから、明確には同意していない。

 いただいた書籍は今まで40冊以上になる。渡辺淳一氏の著作が最も多い。その他多彩な著者の小説が多いが、通常自分が購入することはない官能のジャンルなので、その中から適宜選んで楽しんでいる。

 半年ほど前にいただいたのは富島健夫著「女人追憶」で、全7巻、文庫本で14冊に渡る大作、長編小説である。官能小説であるが、読み始めると物珍しさもあって結構面白かった。戴いたのはそのうちの5冊であったが、結局欠けていた9冊は自分で購入して全編を読み終えた。絶版となっており、版元には在庫がなかった。

 富島健夫氏(1931-98年)は1953年文壇デビュー。1960年代からは青春小説に着手する。性の問題を回避して青春の文学は成立しないと主張し、それまでタブー視されていた10代の性の問題を正面から扱った。1973年以後、作品は官能的な傾向を強め、1980年代には川上宗薫、宇能鴻一郎とともに官能小説御三家とも称せられた。超多作作家で66歳で没するまでに刊行された著書は700冊に及ぶ。

 大変な多作の方であるが、氏を私はこの作品を通じて初めて知った。川上宗薫、宇能鴻一郎氏については作品を読んだことはなかったが名前だけは知っていた。

 「女人追憶」は氏の代表作と言われているようだ。
 主人公は20歳大学学生。
 見てくれもよく、女性によくモテる。郷里に恋人を抱えているほか、東京で学生生活を送るのだが、わずか数年間の郷里と東京での女性との交流を中心に全編を通じて次々と描写する。女性達は数が多い他に、複数回登場する場合もあり、誰が誰だか、何が何だか分からなくなる。私は登場人物の名簿を作りながら読み進めた。こんなことは大学進学時に読んだトルストイの「戦争と平和」以来である。

 内容は面白く読めた。しかし、読み進めるにつれて記述内容にマンネリを感じた。特に官能的部分については同じような記述の羅列なった。私が年を食ってしまって個々の場面に感動しなくなったからなのかもしれない。
 半分ほど読み進んだ頃からは、中途頓挫が惜しく、読み終えることが目的となってしまった。主人公と関係した女性は優に20名を超え、頻回に登場する女性も少なくない。さらにストーリーに枝葉がついて、主人公の友人などが登場し、付き合った女性達10名程度?についての記述も長ながと挿入されるから、記述自体マンネリ化しない方がおかしい。
 最後の巻に至っては、作者自身があらすじの進展を理解できなくなったような、妙な具合になり、何が何だか分からない状態で尻切れトンボで終わってしまった。

 私は今回、偶然にも富島健夫氏の代表作とされる「女人追憶」を読む機会があり、官能小説と言われるジャンルの作品に初めて触れた、と言っていい。
 文字で表現される官能の世界、意外と面白いものだ。私は遅まきながら好きになりそうである。95歳の患者にすっかり見透かされてしまった。


8/3(木)快晴暑い 竿燈祭り初日 外来 飯川病院 
 0:00起床、新聞データ化と整理。4:20資源ごみ大量に集積所に。5:00野菜収穫、畑、庭に散水他。7:30徒歩病院着、汗だくになる。8:45-13:00外来+ドック判定14名分。14:00-18:50飯川病院勤務、19:15竿灯のため大学本部経由で帰宅。19:30夕食、20:30就寝。歩数計積算12738歩。Blu-ray Discながら視聴:「歴史列伝;西郷隆盛」、「知恵泉:邪馬台国」、「昭和は輝いていた;ピン芸人」。

災害列島(10) 温暖化対策(2) 車のEV化は重要 ガソリンエンジンの改良も重要
 環境面でも車の電動化の利点を見極めたい。
 車がEV化すれば走行時の排ガスがゼロになる。地球環境の悪化の寄与すると思われる。その意味ではフランスの決断は支持したい。英国政府も7月26日に同様の政策を表明し、自動車大国のドイツでも検討されている。
 「脱・化石燃料」の動きが急な欧州は、もともと温暖化対策の国際的枠組み「パリ協定」に積極的で環境意識も高い。

 国際エネルギー機関は、EVの累計販売台数が2016年の約200万台から、20年には最大2000万台に増える、と予測している。

 一方、日本の自動車メーカーの動きを見ると、エンジンの改良で目覚ましい成果を上げてきた。我が家のフィットとプリウスの燃費は差は意外と小さい。ほぼ同じ条件下では前者は24Km/L、後者は17Km/Lである。降雪期のためにやむなく維持している20年前のレガシーは10Km/L。この3台の差は大きいようにも見えるが、日常あまり乗らないから私にとって大きな差ではない。

 日本では逆に、ガソリンエンジンの改良の技術力があるだけに国際的な新たな潮流に乗り遅れているようだ。確かにプリウスなどハイブリッド車もあるが、EV化、ハイブリッド車の全体としての普及はまだ少ない。今後ともEV化の流れは逆行することはあり得ない。

 EV化転換に対して日本の出足は必ずしも早いとは言えない。EV化転換によって車産業は一層裾野が広がり雇用にも影響が予想される。日本にはリチウムイオン電池の絶縁材など、独自の技術を持つ素材メーカーも少なくない。民間の技術開発の後押しや、市場開拓のためのEV購入支援の拡大など、官民挙げた取り組みを日本も加速すべきだろう。

 一方、EV化、ハイブリッド車の寄与は明らかであるが、既存のガソリンエンジン車の利用は世界的に見て一気に減ることはないだろう。だからこそガソリンエンジンの改良は地球環境のためにも今後も必要である。

 日本ではガソリンエンジンの低燃費化の改良が進んでいる。その目標は熱効率を50%に近づけることである。1970年代のエンジンの熱効率は30台%だった。ガソリンを撒きながら走っていたようなものである。16年度には44.4%にまで達したが、まだまだ低い。2014年度から始まった新プロジェクトではでは5年で10%引き上げ、地球温暖化対策としてCO2の排出量を2011年比で30%減らす大胆な目標を掲げている。
 
 自動車の立場から言えば、EV化、ハイブリッド化の推進、水素で走る燃料電池車の実用化も必要であるが、既存のエンジンの効率改良によって温暖化対策に寄与していく重要性は無視できない。


8/2(水)東北地方梅雨明け 快晴暑い 飯川病院ボランティア 
0:20起床、文献新聞整理。5:00収穫、散水。午前は暑くて室内で仕事など。12:30炎天でクロスバイクで飯川病院へボランティア,16:15帰宅、庭掃除、畑草刈り、樹木枝落としなど。19:00夕食、21:30就寝。Blu-ray Discながら視聴:「昭和は輝いていた:ひばりと森英恵」、「歴史列伝:徳川慶喜」。歩数計積算16685歩。

災害列島(9) 温暖化対策(1) 画期的車政策フランスで
 最近の世界的規模の異常気象の背景は地球の温暖化であることは明らかである。その原因はCO2の蓄積であり、その主たる原因は化石燃料に由来する。化石燃料の消費に大きな比率を占めるのは化石燃料エンジンを用いる車である。
 それをわかっていながら全世界的に化石燃料車が増えているのが現状である。これでは地球温暖化は防ぎ得ない。このままだと孫・子供の代には地球環境がどうなるのか、予想もつかない。

 フランスのマクロン新政権が、地球環境対策として注目すべき大胆な政策を打ち出した。即ち、2040年までに、ガソリン車などの化石燃料車の販売を禁止し、電気自動車(EV)の普及を加速するという政策である。
 従来、このような画期的政策は国家的レベルで出されたことはない。
 しかも、自国に世界的に有力な自動車会社を擁する同国は、政策の発表に至るまでの国内の調整も大変だったのではないだろうか。

 確かに、排ガスゼロのEVや、電池とエンジンを併用するハイプリッド車の普及を後押しする動きは、カリフォルニアなどの米国の一部の州や中国でも進んでおり、メーカーとしても対応が急務だ。

 日本を含む世界の自動車産業の行方に大きな影響を与える。
 スエーデンのボルポ社は、2019年以降に発売する全てをEVやハイプリッドにする、という。フォルクスワーゲン社やフォード社も車の電勧化について長期計画を発表している。
 しかしながら、昨年の世界新車販売に占めるEVの比率は0.5%にすぎず、ハイプリッドを合めても3%弱にとどまる。電池のコストがエンジンに比べてまだまだ高く、一回の充電で走れる距離も短い。

 EVがエンジン車と同等の条件で普及するようになるには、電池の改良や量産化によるコストの大幅低減などを進める必要がある。
 レアアースの生産や再利用技術も重要となる。2011年頃中国産のレアアース生産に陰りが見られたと報道されていたが、その後もEV、ハイプリッド車は順調に伸びている。どうなっているのだろうか。

 それに、EV、ハイプリッド車は走行時にこそCO2を出さないが、電気の元は化石燃料で発電した電気である。車を作り上げる過程で消費されるエネルギーは莫大なものがある。CO2排出の少ない原子力発電の比率が少ないフランスだからこそ、車の電勧化の価値は一層大きいと言える。


8/1(火)快晴暑い 外来+飯川病院 
1:00起床,新聞入力、文献整理。本読み。6:00微睡しすぎ、可燃ゴミ提出。7:10バス飯川病院。8:45-12:30外来。13:00飯川病院、保健所の立ち入り調査あり。14:00-18:45勤務、19:15帰宅、夕食、20:30就寝。積算19464歩。Blu-ray Disc:「知恵泉:宮沢賢治」、「英雄の選択:応天門の乱」、「歴史列伝:双葉山」。

四季2017(9)立秋を前にもう秋の涼風、空、雲 
 秋田は日中まだ日差しが強く暑くて31℃もある。熱中症搬送とかが続いているが、この日差しと暑さは夏好きの私にとっては最高に嬉しい。

 私は朝早くから起き出し活動する。我が家はエアコンなどないので暑い日は上半身は何も着ないで、扇風機の風を当てて流れる汗を乾かす。腰にはちょっと厚手のバスタオルを巻く。汗を吸い取るのと、飼い猫のプチがスキンシップを求めてきたとき、膝に乗りやすいように、膝の間から落ちないようにするためである。

 数日前から早朝3-5時頃はかなり冷え始め、裸では過ごせず、薄手のシャツを着用している。
 朝5:00過ぎには裏の畠にキウリ、トマト、ナスなどの収穫に、また、庭の花たちに散水するのが日課であるが、外へ出ると早朝の空は高く、秋に特徴的な細切れの雲が出始めている。涼風が足下を冷やす。畑や庭の雑草の露でスリッパ履きの足が濡れる。

 このような秋の朝の雰囲気を感じた日以降は、私はそろそろ夏の終わりか、と意識し、いつも落ち込み始める。
 通常は8月中旬、お盆の頃から体感するのであるが、今年はちょっと早い。
 それでも日中はまだまだ暑い。これからの日々は夏の名残りとしての暑さと残暑が、一日も長く続くことを願っている。

 まもなく立秋を迎える。毎年8月7日頃である。暦便覧では、立秋を「初めて秋の気配が現れてくる日」としている。立秋から立冬までが暦の上で「秋」である。
? 私が好きな季節は、夏>春>冬>秋の順。私にとって夏の熱暑の毎日は最高である。

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(真夏日に居間でぐったりするネコたちは呼吸は荒く、喘いでいる。横切る雪音もフラフラで足元おぼつかない。私もネコと同じ。汗びっしょりでiPhoneを向けた)

 これが夕方日が陰ってくると気温が下がり、ネコどもも急に元気になる。

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(思い切り背筋伸ばして外を見ている雪音。 「次は俺だ、その場所よこせ」と鉄 )

 今年も異常気象が続く。
 東北地方はなかなか梅雨明け宣言が出ない。その一方、関東関西方面では酷暑の日々が続いている。35℃以上の地域が各所に及んでいる。体温より暑い環境っていったいどんなものだろうか。呼吸も苦しくなるのではないだろうか。
 局所的ゲリラ豪雨が九州、新潟、秋田で生じた。秋田でも先日記録的豪雨による大きな被害が生じた。

 世間では秋の到来をよろこび、実りの秋だ、観光だ、紅葉狩りだ、スポーツは・・とメディアなどは大はしゃぎ、大騒ぎする。確かに秋は実りの秋で活力を感じるし、暮らしには快適な季節なのだが、私はそれ以上に冬の予感を先取りしてしまう。

 四季の移ろいにはそれぞれ味がある。それを毎日体感出来る生活であることに喜びを感じる。
 好きだ嫌いだ・・と言ってても、必ず時は流れ、秋は来る。



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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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