徒然日記
2014年3月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


3/31(月)曇り晴 健康クリニック+飯川病院 入院患者家族面談
 1:30起床、新聞・文献・徒然ほか何時もの如く。7:45半コース徒歩病院。健康クリニックは年度開始日休診、連絡不備。書類記述。回診+家族面談。13:00−18:50飯川病院。19:10帰宅。19:30夕食、20:30就眠。徒歩Σ2685Km。

 徒歩通勤2014(7) 国の原子力行政と下北半島(2) 六ヶ所村
 六ヶ所村は、下北半島の太平洋岸に位置する。
 泊港ではイカの有数の漁場である。貧しく中学生も漁に出て生活を支えた。高校進学率10%以下、漁のない時期には男たちは出稼ぎで生活を支えていた。
 高度経済成長のまっただ中、下北半島は日本の隆盛とは関係なかった。

■むつ小河原開発計画
 1969年、経団連視察から巨大開発の話が持ちかけられた。六ヶ所村近辺に大規模の石油産業を誘致する話で、その経済効果は当時で5兆円とされ、10万人以上が働く産業になると言う計画であった。
 この計画は雇用の場が出来れば家族が一緒に暮らせる、と言う期待が高まった。一方、公害などの問題から反対運動も激しく生じ、地域は賛成・反対派に二分された。開発は住民の立ち退きも必要であったが土地は高く売れ、東京から不動産業、銀行まで進出した。1973年の選挙で開発推進派の候補が当選、巨大開発が一気に進むものと期待された。

 しかし、この年第一次オイルショックが生じ、小河原に進出する企業は皆無であった。
 土地は荒れ果て、住民は土地を売った保証金も使い果たした。就職口もなく破産して地域を離れた家族も少なくない。

■六ヶ所村 核燃料サイクル施設誘致
 1979年、荒廃した六ヶ所村近辺に核燃料サイクル施設、再処理工場を誘致する計画が持ち上がった。地域は再び賛成派・反対派に二分され対立した。1985年の選挙では将来地域が生きて行くためには核燃でも発電所でも誘致したいとする開発推進派の候補が勝利した。

 1988年建設開始、村民の亀裂は残ったままであったが、数100億円の電源交付金が入り全国有数の豊かな自治体になり、村議の多くは建設業者によって占められた。

 全国の原発で各廃棄物が大量に生じるが、日本のエネルギー政策はガラスで固化し、核燃料サイクル施設で再処理を行い、プルトニウムは繰り返し利用する予定であった。
 1995年実験炉であるもんじゅで冷却材であるナトリウム漏洩による火災事故を起こし、さらにそれが一時隠ぺいされたことから、物議を醸した。現在開発は止まっている。

 使用済み核燃料、海外から返還される高レベル廃棄物も六ヶ所村近辺の核燃料サイクル施設に集められた。関根浜でも3000本貯蔵されている。
 3.11原発事故後、原子力政策を根本から見直す方向であった。核燃は再処理しない方がコストが安くつくが、国は再処理継続とした。しかし、再処理工場自体は20回も稼働が延期されていてうまく行っていない。

 核燃廃棄物は過去の分も、将来発生して行くであろう分も含めてまだ回答の無い問題である。未処理の核燃処理の方法も埋める場所も決まっていない。このままでは六ヶ所村は核燃貯蔵庫となってしまう。

 核燃処理が決まらないうちから安倍政権は原発を我が国のベースロード電源と位置づけの再稼働の方向にある。

 むつ小河原開発の対立と混乱の日々から30年、地元は国家石油備蓄基地、風力発電基地などのエネルギー関連施設が集中している。そのため税収は多く、全国でも有数の豊かな自治体となった。住民も豊かになり家族が一緒に暮らせるようになった。しかし、住民の間の亀裂は未だに埋まっていない。


3/30(日)降雨 飯川病院日直 
0:30起床、Mac関連本読み、文献・録音データその他の整理で過ごす。8:45車飯川病院日直に。家内はAlveの講演会他に。患者対応数名。 録画映画「幸せのスイッチ」観る。田舎の電気屋の悲喜こもごも。18:00帰宅、19:00夕食。20:30就眠。

徒歩通勤2014(6) 国の原子力行政と下北半島(1) 原子力船むつ
 徒歩通勤では伊能忠敬が歩いたとされるルートに沿って北上している。数日前に青森県を通過していま北海道の海岸線を歩行し始めてている。
 通過する県について地図を見ながらその土地について少し情報を集めている。福島、宮城、岩手では東日本大震災と原発事故関連の文献を読んだ。

 青森県通過時、特に下北半島に関してはわが国の原子力政策で大きく変貌した地である。この間、国の原子力行政についての文献を読んだ。

■原子力船むつ問題
 むつは日本最初の原子力船。原子炉を動力源とする船は意外と少なく世界でも4番目の船であった。母港として横浜港に断られ、むつ市の大湊港へ移された。名称は進水時の母港である大湊港があるむつ市にちなんでいる。

 1969年に進水、1974年に核燃料搭載した。港では大反対運動が生じむつの船体を漁船が取り囲み出港できない状況にあったが、大嵐の夜、小さな漁船は危険であり引き上げざるを得なかったが、むつはその隙に無理矢理出港した。 太平洋上で出力上昇試験が開始されたが、試験開始早々、わずか1.4%の低出力放射能漏れが生じた。この放射線漏れで地元むつ市の市民は帰港を拒否したため、港に入れず沖に漂泊した。

 4年後に佐世保で修理したが、佐世保港、大湊港での母港化反対運動により帰る場所を失ったままであった。長い話し合いの末に鈴木善幸氏が中に入り、「原子力を動さない」、「6ヶ月で出て行く」条件で大湊港に入港させた。しかし、受け入れる港は無かった。

 最終的にむつ市関根浜港が新母港として決まった。関根浜に入港するまでに実に7年を要した。1988年1月関根浜に入港、しかし、むつは1992年廃船となり、220億円の建設費をかけて整備した関根浜港は5年間しか使われなかった。1993年に原子炉が撤去された。取り外された原子炉室はむつ市のむつ科学技術館で展示されている。

 むつ市も交付金がのために母港を市内の何処かにおきたかったのだろう。大湊が不可能と判断したむつ市は太平洋側の関根浜を選んだ。政府は地元の説得に中川長官を派遣、見返りに漁港の整備を約束した。関根浜にはいろいろな思惑の他に多額の交付金が飛び交った。

 むつ問題さえ無ければ、貧しいながらも漁業も地元の人間関係もうまくいっていた。地域には保証金23億円が転がり込み、多い人は1億円以上も手に入れたと言われている。中央から投資を勧める業者が山のように押し寄せた。投資した会社の計画倒産などで保証金は瞬く間になくなっただけでなく、保証金に匹敵する借金を抱え離散した家族も少なくない。一時的に大金を握った人の末路は悲惨だったとされる。

 漁場は荒廃し、関根浜の住民の心も荒廃した。むつを巡る政府の政策はいまでは「海殺し政策」と呼ばれている。

 私が医師になって間もなくの頃、青森県はむつ問題で大荒れに荒れていた事を思い出す。高度成長期に入った日本の景気から取り残されていた下北半島に巨額の交付金が提示された事で地域が賛成派・反対派に二分して争った。
 地域の方々でなければ到底理解できない複雑な想いが交錯しただろう。


3/29 (土)快晴 散髪 庭掃除+植木ケア 県立博物館:秋田のくすり今昔物語展 
 0:30起床、新聞・文献・徒然ほか。MP3の録音データ整理。9:30外で散髪。庭掃除など。積み重なった雪のために庭木のダメージが大きい。12:00外食と県立博物館:秋田のくすり今昔物語展。16:00帰宅、新聞雑誌読み。19:00夕食、20:30就眠。徒歩Σ2950Km。

南京事件:習近平国家主席ドイツでの発言 対日徹底対決姿勢を一層明確にしたが・・
 本日報道された共同通信によるニュースによると、ドイツ訪間中の習近平国家主席は昨日、3月28日にベルリンで講演し、日中戦争時に旧日本軍が南京を占領した際に起きた南京大虐殺に言及し、「日本は30万人以上の住民を虐殺した」と強調した。習主席は更に「日本軍による侵略戦争で中国人に3500万人以上の死傷者が出た」とも述べ、日本を名指しで批判した。

 講演はドイツのシンクタンクが主催。政財界の要人や外交関係者ら約200人が訪れた。
 ホロコーストの歴史を近隣諸国と和解したドイツで、習主席が歴史問題をめぐって日本批判を展開し、安倍政権と徹底対決する姿勢を一層鮮明にした事になる。中国が「抗日戦争の勝利70周年」と位置付けし、来年の9月に行われる慶事に向け、国際社会での対日包囲網構築の動きを強める構え、と考えられる(共同通信)。

 南京大虐殺の犠牲者数をめぐり日中間で論争がまだ続いている。このような中、一国の代表者がまだ結論を得ていない事件の犠牲者を都合の良い数値を並べた事には問題がある。

 日中両国の有識者による歴史共同研究委員会の2010年の報告書は、南京事件で「30万人以上」が犠牲になったとする中国側主張と、日本側の「20万人を上限として4万人、2万人などの推計がある」と併記されている。南京事件そのものに対する両国の解釈の違いがあって同じ土俵で論じる事が出来ないためにこのような大きな差が生じている。

 これの信憑性は私には分からない。文献を読み解くしかないが、1937年当時の南京の人口は20万−25万人と記録されていた事からも中国側の「30万人以上」は納得出来ない数値である。

 中国のいろいろな文献とか論評を読んでいると、中国では自分達に取って不都合な部分はかくし、都合良い部分のみを抜き出し、都合良く解釈し、更にそれをごり押しする傾向がある。私もそれを感じる。

 今回も、中国はいま国内の人権抑圧に対し国際的に批判を受けているがこれらには一切語らなかった。
 世界第二の経済力を背景に軍備を拡張し、周辺国にやりたい放題の難題を突きつけている。経済力に見合ったバランス感覚を伴う「責任ある大国」になるにはまだまだ道が遠い。それ以上に、一党独裁、経済格差、人権侵害、情報操作等の国内問題によって一気に立場が変わりうる可能性を秘めている危うい国でもある。

 歴史的史実は適正な評価は必要であるが、変えようとしても不可能である。いま中国に求められるのは内憂に対する適正な対応である。


3/28(金)曇り 大曲中通病院外来 飯川病院ボランティア
 1:00起床、文献・新聞読み、データ整理などいつもの如く。7:30Taxiにて駅に、8:10こまち。8:45ー13:15大曲中通病院外来、徒歩にて駅へ23分。飯川病院ボランティア、検食、花壇ケアなど。19:00帰宅。夕食、20:30就寝。

違いが分からない(7)  レコードやCDに名曲・名盤など無い 
 私は音楽全般が好きである。いわゆるクラッシック音楽と言われるジャンルが中心であるがあまりこだわらない。

 ジャズ関連にも伝説的な名演奏、名録音があると言うが、私にはよく分からない。
 いわゆるクラシック音楽とジャンルの雑誌や書籍を読んでいると幻の名盤、名演奏と言われる貴重な、歴史的な録音があると言う記事を目にする。「世界最高の名盤」、「20世紀最高の演奏」と言う言葉を用いている評論家もいる。
 私は少なくとも芸術の分野、特に音楽の世界には名演奏・名盤と言うことはあり得ないし、そう思ってはならない、と思う。これが最高と評価した時に時間が止まるのであり、他の演奏の真の価値が分からなくなる。「最高の演奏」の中にフルトヴェングラー、ハイフェッツ、 カザルスらの名前が挙げられていると一体何なのだ?と思ってしまう。歴史的価値なら私にも分かる。

 私にとっては現存の音楽家のライブ放送が良い。画像を伴ったTVのライブ放送はもっと良い。ベストは演奏会そのもので聴く事である。ただ、秋田では演奏会の機会が乏しいのが残念である。

 私は「違いが解らない」。ただ、確実に解る方はいる、と思う。
 かつて筑波大学で教授職にあった方がラジヲ出演された時の言葉が印象的であった。若い時からピアノのソリストになることを夢見て、周囲からもそのように嘱望されていていたが、受験期に多少の迷いが生じ、某音楽大学教授に演奏を聴いていただいた。その際、わずか2小節の試奏しただけで、音楽の道でなく学問の道に進む様提言されたとのことであった。

 私のように中途半端に、不真面目に聴いている者には到底知ることが出来ない超高度の世界が音楽にもあるのだ・・、と思うしかない。

 ブルックナーの交響曲七番は好きな曲であるが、これには「原点版」、「ハース版」、「ノバーク版」がある。資料を見ながらそれぞれの演奏を聴き比べたことがあるが、私には違いが全く解らなかった。どの版でも十分楽しめた。
 年に一回「NHKのど自慢」の全国チャンピオン大会が開かれるが、全員にグランプリ賞をあげたくなる。素人の歌唱力も判断できない。

 違いが解らないことは、広く楽しめる事でもある。だから、意外と幸せなことかもしれない。 


3/27(木)曇り 外来+飯川病院 労働契約次年度分更新  
1:00起床、新聞文献、雑誌チェックとPDF化。読書。7:45徒歩病院着。8:45-13:00外来+入院患者対応。13:40飯川病院。19:00帰宅、夕食、20:30就眠。徒歩Σ2937Km。

徒歩通勤2014(5) 身は労すべし やすめ過すべからず・・(貝原益軒)
 「身は労すべし やすめ過すべからず。凡そわが身を愛しすべからず」は貝原益軒の言葉である。自分自身を甘やかす筋肉は消え去るのだ、と言っている。

 私も歳である。やはり自分に合わせた健康づくりは意識している。太り気味なのが悩みの一つである。
 2年ほど前から可及的にバイクや車から離れ自転車通勤にした。更に昨春からは徒歩通勤にした。体を動かす事は好きであるが、もう激しい運動は出来ない。その点、歩行は通勤時間帯を利用すればわざわざ時間を作る必要もない。

 何をやるにしても時間は必要である。通勤に片道1時間余かかる。時間を無駄にしない様にラジオ深夜便の録音を聴く。昨年まではiPod nanoをノイズキャンセリングヘッドフォンに取り付けて用いていたが、今春からはiPod shaffleをイヤーパッドの中にセットした。これで利便性が一層高まった。

 歩行は手軽に出来る割に効果が大きいとされる。体重減の効果はあまりないが、心肺機能には良いだろう。高齢者の場合には内臓の機能も大事だが下肢機能の維持は思いがけない事故を防ぐためにも重要である。普通に生活していると、人間の下肢の筋肉は一年に1%ずつ細くなる。これは、すべての人に共通の加齢変化である。この計算だと120歳まで生きた方は寝たきりとなる。桜美林大の柴田博教授は、75歳以上の高齢者では、普通に歩く時の速度が速い人ほど、その後の人生の生活機能がよく保たれた、と指摘している。

 日常の診療において患者の体を観察すると、広い年代に渡って太っちょも痩せも「グニョグニョ・ブヨブヨ」として張りがない方が多い。要するに、筋肉不足と肥満の合併である。ロダンの「考える人」は座っているのに、あの筋肉量、緊張感ともに素晴らしい。トレーニング等で無理に作り上げた筋肉ではない。肉体労働の結果であろう。一つの理想の姿である。

 筋量の減少は二十代後半から始まり、生涯進む。とはいえ筋肉自体を失って行くわけではなく、細胞がやせ衰えて機能が低下するだけである。だから、「いくつになっても筋トレは重要」と云う。歩行の他に、スクワットや踏み台昇降のような下半身の筋トレを加えればより効果的という。

 私自身も上下肢は多少筋肉質であるが、ハラはブヨブヨで情けない。分かっているが左下腹部にヘルニアがあってあまり不用意に腹圧はかけられない。だから、ハラは諦めている。


3/26(水)曇り 外来+飯川病院ボランティア 
1:00起床、文献整理関連ほか。7:45徒歩にて病院着。8:45-13:00外来+回診ほか。13:40飯川病院ボランティア。19:00一部徒歩帰宅、夕食、20:00就眠。

徒歩通勤2014(4) 35年ぶりにバスも利用して丸一年 北海道まで達した 
昨春から自転車通勤を止め歩くことにした。
 今年は3月上旬から徒歩通勤を始めたがまだ舗道上には雪が残っていて滑って大変であった。下旬になって歩道の雪も融けた。
 往復で12Kmであるが,本年1月から週3日間午後に飯川病院勤務になった。他の2日間は院長の希望があればボランティアで病院に行く。医療でなく検食代行、花壇の水まきなどを適宜やっている。復路は病院をでるのが18:30過ぎなので、車に便乗する機会が増えた。

 昨年の今日,35年ぶりにバスに乗った。その後は体調が思わしくなかった時、天候不順などに時折利用した。私は運転が嫌いなので気軽でとても便利、かいである。バスルートは自宅からも病院からも歩いて15分ほどだから歩行も出来る。時間待ちの間もiPadで本を読めるのでそれほど苦痛ではない。

 秋田市斎場前から秋田駅近くのなかいち前までで290円であった。往復だと結構な金額になる。秋田市では70歳以上の高齢者には100円で乗車できる特典を用意していたが,昨年9月に68歳に年齢条件を引き下げた。親切なことに、私にもハガキで申請するよう連絡が来た。市政も結構配慮が細やかである。私はまだ略現役で働いているので市に負担をかけるのはどんなものかと考えたが、納税もしているし、市のプランに乗って高齢者のバス利用者を増やすのも一つの貢献だろうと考えて申請した。9月以降時々「コインバス乗車資格証明書」を提示して片道100円で利用している。

 昨年4月7日から伊能忠敬が測量したと言う海岸線のルートを東京を起点に北上している。本日の段階で積算計はΣ2932Kmを示している。青森県の下北半島を進み、陸奥湾をぐるっと回り、津軽半島の海岸線を秋田県境に向かって南下し、本日秋田県に入った。歩行計のガイド、計測はこれ以降北海道に渡る事になっている。秋田県境までほぼ一年かかった。北海道一周は2750Kmと長い。多分一年以上かかるだろう。ちょっと気が遠くなる感じがする。


3/25(火)晴れのち曇り、外来+飯川病院
 1:30起床、いつもの如し。80%徒歩で7:50病院着。8:45-13:30外来。14:-18:30飯川病院、50%徒歩、19:10帰宅。夕食、20:30就眠。Σ2926Km。

小さなフレームの世界に没頭(5) 即時的情報交換、頭と心では受け取り方が異なる
 21世紀はまだ始まったばかりである。どんな世紀になるのか、まだ皆目見当がつかない。
 20世紀は文明史上、最も画期的な世紀となった。文明は発達し、多様な発明があった。エネルギー改革があった。その過程で二つの世界大戦が生じ、大量の破壊と殺戮が行われた。これも文明の発達の成果である。

 20世紀の後半、交通網の発達で地球は狭くなり、コミュニケーション機能は飛躍的に進歩した。その中で最も画期的なのは何と云ってもインターネットの発達であろう。インターネットで交わされる滑らかな高速の情報は先進的なビジネスのレベルを乗り越えて家庭にまで入り込み、瞬く間に子供たちの世界にまで入り込んで来た。

 最近の中・高校生の世代はウエブとメール、ツイッターなどに占拠された時空間の中に浸っている。この年代は情緒的発達の面で人間生成の中で最も重要な時期である。いま、情緒論、精神論などを論じる事は本来の場所と意義を失った。それを不満に思う者はもう少数になっているかもしれない。私は心配している。

 中・高校生世代の問題点を最も身近に感じている世代は、何と言っても親の世代であろう。しかしながらこの親たちのかなりの部分が自身もウエブとメール、ツイッターに浸っているように見える。病院の待合室の様子を見ているとそう思わざるを得ない。子供が親を求めていてもそっちのけで携帯やスマ−トフォンを繰っている姿が見られる。小さな画面に集中している姿は排他的である。救急外来の待合室ですらそんな光景が見られる。ホントに具合が悪いのかな?と思う。

 今となっては情緒や精神を追い求める事に何の意味があるのだろうか、と言う暴論もあるが、私はこんな時代だからこそ一層求めなければならない、と思う。

 メール、ツイッター、フェイスブックなど本当に瞬時に情報のやり取りできる。私はこの高速通信のやり取りにも問題がある、と感じる。スマホなどでバーチャルな文字対話を交わす相手など、真の友人とは云えない。

 私の場合はせいぜい一日2−3通のメールを受けるだけで自分から発信する事は殆どない。メールによる連絡があった場合には、緊急の対応が必要な件には即座に対応するが、そうではないメールは最小限翌日早朝に返信する。その間、どのように返事を書くか暖めて置く。

 人間の頭は知的な分野では即座の対応も可能である。しかし、人間の心は即時性に付いて行けない。いや、それどころか熟成されて行くべき感情・情感・情緒などは即時的対応によって削ぎ落とされる。一方、即時的対応は、「感情の噴火」、「捨て台詞」、「憎しみや憎悪の連鎖」、・・につながり易い。

 人間関係を取り持つ小道具としては危険でないだろうか。いや、スマートフォン等が悪いのではない。用いる人間の側の問題である。


3/24(月)曇り、比較的寒い 外来+飯川病院 
 1:30起床、いつもと同じパターン。データ整理。コース70%徒歩、7:50病院着、8:45-13:30外来。14:00-18:10飯川病院、80%徒歩,19:10帰宅。夕食、 20:30就眠。約1年間の徒歩通勤で2900Kmに達し、本日から北海道の海岸沿いを歩く事になる。北海道一周は2800Kmと一年はかかりそう。

映画 2014(2):山田洋次監督「東京家族」、小津安二郎監督「東京物語」
 若干時間に余裕ができたので自分の書斎にセットしたDVD、Blu-rayの再生装置で映画やドキュメンタリー作品を観ている。
 机上にはいろいろ懸案事項が並んでいるために「ながら鑑賞」にならざるを得ない。映画館で見るのとの違いはこの点が大きいが、気楽に観れる、何度かに分けて観れるなど、別な視点からのメリットもある。

 2月末に山田洋次監督「東京家族」、3月中旬に小津安二郎監督「東京物語」を見た。前者を録画で観て、興味を感じて後者を購入した。

 ■「東京家族」は2011年公開予定であったが東日本大震災のために制作がおくれ、2013年1月に公開された。この作品は小津安二郎監督の『東京物語』のリメイク作品と言いうる。
 『東京物語』は尾道に暮らす老夫婦が、東京で暮らす子どもたちの家を訪ねた数日間を描いている。『東京家族』のストーリーは『東京物語』と同じだが、現代風に構成をかえている。
 老夫婦の長男は東京で医院を開業している。長女は美容院をやっている。両者ともに上京直後にこそ両親を迎え入れたが多忙で十分かまってやれず、滞在が長くなると両親をホテルに宿泊させたりする。旧知の友人宅を訪れたがそこの家庭では家族間の折り合いが悪く歓迎されず、東京の生活環境に疎外感を感じてしまう。

 もう一人の息子である次男は舞台美術の仕事をしていて生活は不安定だが明るい恋人がいて二人は両親を歓迎する。明るくこころが休まるひと時を過ごすが、老母は長男宅で急死する。尾道に帰った老父を長男長女はゆっくり世話できなかったが、次男と恋人はしばらく世話し親交を温める。

■「東京物語」は1953年の作である。両作品の間には60年間の開きがある。『東京物語』では終戦直後の作品で、次男は戦死し、未亡人になった嫁が長男宅に同居している、と言う設定になっている。モノクロ映画と言う事もあって終始どこか暗く物悲しい印象が漂う。老夫婦は寂しく尾道に帰ったのであるが、老母は病に伏し死去する。


 前者は蒼井優、他が出演しているが、殆どは私が知らない俳優である。後者では原節子、笠智衆、東山千栄子、杉村春子等の懐かしい名優たちを見る事が出来る。時代背景が異なるために前者は比較的陽気な、若者の自由闊達な生活をも描き出している。

 両作品は、ほぼ同じ情景を描きながら、世代間の考え方の相違、老化と死の問題、生活に追われる余裕の無い都会の生活などを通じて、家族とは何だろうか、と問いかける。 60年間の時の差はあっても人間の本質は変わらない。

 私は概してドラマ仕立ての作品は好きでないが、「家族」については普段私も考えているテーマだから共感を持って見る事が出来た。両監督の視点の違いも面白い。


3/23(日)快晴、温暖 飯川病院日直
1:00起床、蓄積データの整理と確認、本読み、文献読み。そのほかいつもの如く。7:45飯川病院へ。徒歩で行けなかったのが残念。8:30−17:00日直勤務。院内平穏、DVDにて小津監督の「東京物語」見る。入院患者平穏。17:13秋田駅に、家内迎え。17:30帰宅、19:30夕食、20:00就寝。徒歩Σ2907Km。青森・秋田県境まで5.7Km、明日は北海道に渡れる予定。

STAP細胞(3) 理化学研究所の体質に問題があるのでは
 STAP細胞の発見は大々的に取り上げられた。私も興味を持ってきた。STAP細胞と若いリーダーの業績、将来性に大いに期待した。

 多能性幹細胞については1981年ES細胞、2006年iPS細胞、2012年Muse細胞に続く第4のSTAP細胞が発見された。第四の多能性幹細胞としてのSTAP細胞の発見にも驚いたが、研究のリーダーが若い女性であることの方により驚いた。有能な研究者をリーダーとして抜擢する態勢にも感心した。

 マスコミはSTAP細胞の詳細や科学的価値などはそっちのけで突然寵児に躍り出たリーダーについて、特に若い独身女性であることなどで、学問的分野とは別に興味本位に取り上げたが、リーダーが不用意に傷つけられないよう、メディアの良識ある対応が望まれた。

 ところが、STAP細胞に関して雲行きがおかしくなってきた。論文中の画像が先前の論文の写真と同一であった事、重大な遺伝子分析検査の画像に修正した跡も明らかになってきた、他の研究者の論文が流用されていたことなどなどが切っ掛けとなった。
 今月14日には理化学研究所が中間調査発表会を開き「重大な過誤があった」として謝罪するとともに、論文のずさんさを認めた。

 私はこの中間調査結果を見ていろいろ疑問に思った。リーダーの個人的な問題はあったとしても、見抜けなかった理化学研究所そのものにも問題があったと思う。

■理化学研究所の理事長のは論文を「杜撰」だったと激しい言葉で糾弾したが、その資格はないのでは?「杜撰」さは研究所全体が負うべきでないか。
■リーダーは「画像の改ざんなどやってはいけない事だと知らなかった」と述べたと言うが本人がそう述べたのか。これが本当なら研究者としての常識まで問われかねず、論文そのものの信憑性が失われる。信じ難い発言である。
■上記が本当ならリーダーへの任命に問題があった。
■直接リーダーから説明する機会を作るべきでないか。ただ、現在リーダーの精神状態が不安定との事で配慮が必要。
■このような先進的研究に対して研究所内で検討会とか報告会とか開いていないのか。
■国内外の学会などで批判や評価を受ける機会を作らなかったのか?
■最初から「Nature」誌にしぼって投稿?関連論文はないのか?
■共著者は14人もいたとの事であるが、一部は名前だけのゴースト研究者ででないか。
■研究所でiPS細胞と比較し、有用性を強調したた宣伝用のパンフレットを作ったとされるが、記述に間違いがあって回収されたと言う。施設ぐるみの対応でなかったのか?

 STAP細胞関連ではまだまだ分からない事だらけである。
 これとは別に、博士論文まで含めて問題点を指摘されているリーダーの心身の健康状態も気がかりである。
 


3/22(土)曇り晴れ 飯川病院午前外来
 1:30起床、文献検討、徒然など昼前まで、8:30車飯川病院に、午前外来。午後もそのまま病院で読書とデータ整理中心に過ごす。DVDで小津安二郎監督の「東京物語」を観る。19:00帰宅。一人夕食。20:30就寝。

小さなフレームの世界に没頭(4) 変化が早過ぎ余裕がないこの時代に電子機器が登場
 この現代、何事に付けても変化が早すぎる。このスピードのために多くの人々が潜在的ストレス状態にあると思われる。特に子供たちは大変だ・・と思う。

 特に現代の子供たちは生まれた環境がそうだからそのストレスに気づいていない。なんだか分からないが必死に周りについていかなければならない。いや、子供を取り巻く大人たちもその事に気づいていない。学校の教師もそうであるが、身近な親たちは自分の子供に普通以上の状態である事を強要している。子供たちは逃げる事の出来ない環境の中で親の言いなりにならねばならない。実に大変だ・・と思う。

  私は子供が育っていくのに現代のスピード感覚は無理ではないのか?と思っている。如何に人間の脳が包容力・学習能力が大きいと言っても、無理でないのだろうか。今の子供たちは情感を養ういとまも無いほどの知識を詰め込まれる。これじゃ、まるでもやしの促成栽培でないか?成長段階には特に心の発達にはもっとゆったりとした時間と環境が必要でないのだろうか。

 人間の歴史は300万年とも言われる。この間、子供はゆったりと自らの五感でを駆使してものを覚え、情感と知恵がついてきたハズである。そこにはかなりの幅の個人差があったと思われるが、社会がそれを許容していた。大器晩成と言ういい言葉もある。ここ100年ほどは教育の名の下に一律のスピードで育てられる。ついていけなければ落ちこぼれ、とされる。大器晩成など死語に近い。大丈夫なのだろうか。

 私の人生を考えたとき、常に「今が最高である」と思う。しかし、私の宝は「ゆったりととした時間が流れた子供の時の時代、環境、経験」であり、「一匹のネコと過ごしたゆったりとした時間」であった。

 そんな問題のある子供たちの生育環境に侵入してきた便利な道具が、ゲーム機器であり、携帯電話やスマートフォンである。大人たちにとってもそうであるが、現代っ子たちにとって興味深い機器であり、スマートフォンの持つ機能は一層魅力的であるはずである。子供たちは携帯電話やスマートフォンを駆使して未知の世界を覗き、メールやチャット、フェイスブックなどで「バーチャル友人」と言葉を交わす。もう子供たちの環境を考えるときに、インターネット、スマートフォンを否定する事は出来ない。

 勿論、これらの機器には情報を収集するなどのプラスの、有用な機能はある。その価値は絶対に否定できない。しかし、人間は本来弱い部分を持っている。グレシャムの法則に「悪貨は良貨を駆逐する」というのがある。本来は経済用語であるが、私は「人の本能は低きに流れやすい」と同義にも使えるのではないか、と時々流用している。

 私は子供たちは「低きに流れている」と感じている。結果として、特に情緒面の発達、コミュニケーション能力の習得の面で悪しき影響があるのではないか、と危機感も持っている。

 我が家の子育ての時代はTVゲームの時代であった。時間制限などルールを作ったが、私が熟睡するのを待って3人で夜中にゲームをやっていたらしい。知らなかったのは私だけだった。いま孫が3人いる。上の二人は5才3才であるがタブレットを自由に駆使して遊んでいる。まだ時間があるが、正直なところどう育つのだろうか。興味と心配とともに見守っている。


3/21(金)春分の日 雨 飯川病院日直 家内横浜に
 1:00起床、文献・新聞読み、データ整理などいつもの如く。7:50駅に家内送り飯川病院に、8:30ー17:日直。18:45休宝寺をへて帰宅。途中で閉店間際の八百屋でみかん購入。19:00一人夕食、20:30就寝。Σ2897Km。

みかんが美味しい季節:自分の意志でみかんを初めて買った
 賄いのおばさんは10日間ほど所用で北海道に帰って不在である。今朝、家内が孫を見に横浜に発ったので週末の3日ほど私一人で過ごす。

 本日と明後日は飯川病院の日直、明日は同病院の午前外来があたっている。昼食の検食があるから朝食は不要、夕食の食事だけを考えれば良い。いつものごとく冷凍ご飯をチンすれば何とかなるのであるが、本日休宝寺からお彼岸の赤飯を頂いたから3日間これだけで済ませる事が出来る。

 本日、帰路途中、夕方で店じまい中の八百屋の裸電球が目についた。そのときにみかんの買い置きがない事に気づいた。この時期、みかんが無いと寂しい。八百屋は再度店舗を開けてくれた。無理に開けてもらったので質は選べないと思ったが、好みのブヨブヨみかんがあったので3袋購入した。中玉6ヶで300円、高いのか安いのかは判断出来ない。

 考えてみれば私が自分の意志で食品を購入したのは多分始めてである。
 日常、賄いのおばさんが食事の支度をする。食材の購入を頼まれた事はあるが、メモに従って買うだけ。自分の意思で食べたいものを選んで購入した事は無かった。

 私はみかんが好きである。私の場合は2月末−4月限定である。秋口からがみかんの旬であるが、食卓に並べられても一切手を出す事はない。ところが2月下旬になると突然みかんを食べ始める。憑かれたように食べる。
 この頃の蜜柑は水分を失って萎縮し、皮との間に広く隙間が出てくる。外見もさえなくなるが、皮を剥きやすいし、味もマイルドな甘さになる。「ウーン、これこれ」と思う。 実に美味である。
 数個食べたいと思うとき、主食の座をミカンが占拠する。

 みかんを食べる時に必ず思い出す歌と小説がある。童謡の「みかんの花咲く頃」ではなく、阿久悠作曲、大竹しのぶが歌った古い「みかん」である。大竹しのぶが清純に歌い上げる。歌詞に「小説みたいにこのみかん、窓から投げたくなりました・・」との一節がある。芥川竜之介の小説「みかん」で、奉公に出る姉が踏切で見送る弟たちに、駅で買ったみかんを窓から投げる、というがシーンがある。芥川は「みかん」で貧しかった日本の情景と家族の結びつきを美しく表現している。
 しわくちゃミカン礼賛者の独り言である。


3/20(木) 終日雨 寒波で風強い 外来+飯川病院 
1:30起床,文献多数検討など。本読み、録音データ整理など。8:15車病院に。8:45-14:00外来、混雑、疲弊。14:20−18:50飯川病院、19:30帰宅、一人夕食、20;30就寝。Σ2892Km。

TPP2014(2)日本の譲歩は重大な結果を及ぼす 米国の事情はよく分からない 
 昨年3月TPPの交渉に参加したがタイミングとしては遅すぎた。政権交代とかがあって時間を失なった。新規加盟国への手続きは煩雑であり、7月または9月の最終回の交渉に間に合うかというギリギリの時期での参加であった。

 いまTPP交渉は暗礁に乗り上げている。
 日米間の関税に関する懸案事項がまとまらない事が主因である。このまま継続交渉にするのか??離脱する事も視野に入れて選択する必要がある。交渉持続すれば我が国は大幅な譲歩を求められるだろう。離脱すれば今後の日本の交易に、特に米国を始めとするTPP加盟国の信用を失墜することになろう。どちらにせよわが国は厳しい条件下におかれている。

 安倍首相は離脱の方向は取らないだろうが、自民党の総裁選時にTPPに関する公約として6原則をあげた。■「聖域のない」関税撤廃が前提である限り交渉参加に反対する、■工業製品数値目標は受け入れない、■国民皆保険堅持、■食の安全・安心を守る、■国の主権を損なうISD条項には合意しない、■政府調達・金融サービス等はわが国の特性を踏まえる、の項目である。更に、自民党は、■コメ、■麦、■牛豚肉、■乳製品、■サトウキビなど甘味資源作物など、「重要5品目」を、関税撤廃の例外とするよう求めている。これらの約束をはたして守れるか、厳しい状況にある。

 TPP交渉は具体的な進行状況など知らされていない。情報公開が当たり前の時勢なのに何たる事だろうか。

 その中で、農業「重要5品目」の中では牛豚肉が厳しい。その交渉内容が報じられた。
 今回の協議には日本は牛・豚肉の関税をギリギリまで引き下げる譲歩案を用意して臨んだ、とされる。もし、関税が譲歩案以上に引き下げられた場合、安い外国産の肉が輸入される事になり、低価格帯の国産肉は競合してしまう。現在、牛肉の関税収入は約700億円あり、畜産農家への補助に用いられている。関税が下げられ税収入が減少すれば農家への支援事業が成り立たなくなる。我が国の畜産農家を保護するとなれば税金で補填しなければやっていけない。

 このようにTPP参加は我が国の産業構造を一変させる事になりかねない。だから今回はこれ以上は譲れなかった、と言うのが真相らしい。

 TPPは農業問題だけクローズアップされている様に見えるが、21分野で交渉が進んでいる。
 そのうち、知的財産、環境の分野は各国の利害が対立している。日本に取って厳しい局面になると考えられるのは、■日本郵政の保険部門、JA共催も危ない、■投資家対国家の紛争解決条項(ISD条項)は危険、■水道事業の民営化、■薬価操作、混合診療解禁で国民皆保険も岐路に立つ可能性、■遺伝子組み換え作物の輸入で食の安全は大丈夫か、などなどである。

 米国の姿勢は相変わらず頑。米国が態度を軟化させない限り、交渉は進まない。米国が強硬姿勢を貫くなら日本も「聖域」と位置づけた「重要5項目」の関税維持を堅持すべきだ。もしかすれば、日本は離脱を余儀なくされるかもしれないが、それもありだろう。

 なんか、並みいる列強のなかで孤立し国際連盟を離脱した状況や、互いの歴史認識を相容れずに主張しあっている対中韓の交渉にも似ている。日本はどう舵を切るのか、目が離せない。


3/19(水) 寒波で風強い 外来
 1:30起床,文献多数検討など。録音データ整理など。7:30上京する家族を駅に送り病院に。8:45-14:00外来、混雑、疲弊した。14:30飯川病院、16:00バスにて帰宅。新聞・文献チェック、19;00久々一人夕食、20;30就寝。42回の○○記念日。 

TPP2014(1)合意に至らなかった背景 そもそもわが国にとって不自然すぎるから
 TPP交渉が暗礁に乗り上げている。
 米国は昨年内妥結を目論んでいたが、それが不成功に終わった。なんでだろうか。そもそも、TPPはわが国固有の文化、社会を踏みにじりかねない内容が並んでいる。これを短期間にまとめあげようとする米国がおかしい。 TPP交渉閣僚会合は日米協議の停滞が原因となって全体合意の進展を阻んだ事になる。一向に進まない日米協議に他の参加国は不満を募らせている。本当に他の国々はTPPの条件を呑めるのだろうか?不思議な事にTPPの交渉は秘密裏に行われているらしく、情報がとても乏しい。

 TPPに参加すると言うことは、米国の貿易ルールに沿うことと同義だろう。だから、TPPによってわが国の貿易の自由度は低下することになる。
 外交もそうであるが貿易も相手によってやり方をかえていかなければならない。相手側の事情によってはダブルスタンダードを持たねばならない事もある。わが国の従来の貿易方針はそうであった。TPPによって結果的に動きが取れなくならないのだろうか。

 国際的な貿易ルールとしてWTO(世界貿易機関)の原則がある。■自由(関税の低減、数量制限の原則禁止)、■無差別、■多角的通商体制、となっている。TPPはWTOの原則に背くことにならないか。わが国は従来通り、WTOのルールの中で貿易をやっていけないのだろうか。他の枠組みとして、2国間のEPA(経済連携協定)やFTA(自由貿易協定)もあるが、これらの枠組みと米国追従のTPPを同時的に進めていくのは矛盾を抱える事にならないか?

 東アジアには米国に依存しない独自の共同体を作ろうという動きがある。アジア共同体として日本の存在は大きい。一方、米国は中南米諸国の取り込みに失敗したたためアジアに乗り出そうとしている。だから、東アジア共同体が発足する前にTPPを発足させ、第3の経済大国であるわが国を取り込み貿易を牛耳ろうとしている。TPPはわが国の国益のためと言うより米国のためのルール作りの要素が大きい。まさか、考えがたい事であるが、日米安全保障の維持のため?ではないだろうね。

 TPPに参加したらアジアの国々とどう関わっていく事になるのか。安倍首相はどう考えているのだろうか。

 ただ、実際には日本も頑張っているようだ。TPP交渉閣僚会合は日米間の対立が解けず「大筋合意」さえ断念して閉幕した。 昨年12月に続く2度の先送りは日米協議の停滞が原因となって全体合意の進展を阻んだ事になる。しかし、具体的な打開策は見当たらず、交渉は長期化しそうである。

 私はもっともっと時間をかけて協議して欲しいと思う。


3/18(火)降雨曇り  外来+飯川病院
1:00起床、新聞・文献チェック。8:00徒歩病院、8:30-14:20外来、紹介患者あり時間がかかり疲弊した。14:30-18:40飯川病院、19:00帰宅、夕食、20:30就眠。Σ2879Km。

佐村河内守作曲 交響曲第一番(4) 作曲家を訴訟する? いい加減にしてくれ
 作曲を別人に代作させていた佐村河内守氏(50)が3月7日記者会見し、200人を超える報道陣を前で謝罪した。医療機関での聴力検査の結果も公表し、障害者手帳を横浜市に返納した、と言う。

 氏は35歳で聴力を失って以来、絶対音感を頼りに作曲活動をしてきた、と説明していたが某週刊誌に疑問を呈され、2月5日に代作の事実を公表、6日には18年にわたりゴーストコンポーザーを務めてきた作曲家の新垣隆さん(43)が会見し、事の概要が明らかになった。

 「絶対音感はありません。4歳から母の指導でピアノを猛練習し、専門書で独学したという音楽修業もすべてウソ」とも述べた。 長年にわたり世間をだましていた意識があったが、「自分が巨大化していくたぴに、どうしても言い出せなかった」と語った。

 写真で見ると氏は短髪にして、髭も剃り、サングラスもつけていない。それを見るとどうと言う事のない当たり前のオジさんであった。それだけ欺瞞に満ちた演出をし続けて来たと言う事。

 会見の中で新垣氏が述べた内容には事実と異なる部分がある、と反論し名誉毀損で訴えると話した。訴訟??こういうのを「バカの上塗り」と言うのではないか?

 もういい加減にしてくれと言うのが私の感覚である。こんな変な関係の二人に呆れるばかりであるが、聴く者に感動を与えた楽曲があった事は事実である。交響曲第一番 「HIROSHIMA」は事実関係を明示した上で再販されてもいいと思う。二人ともメディアによるバッシングを受けた。本当に反省するなら、訴訟などと言わずに静かな市井の生活にもどって欲しい。

 今回の一連の騒動は、メディアの有り様を明快に示していて面白い。
 ボヤで煙を出したのは当該の二人であるが、それを目ざとく見つけ出しウチワで扇ぎ立てて大火に発展させ、なんか事件性がないかと探りを入れ、あったあったとさらに騒ぎ立てたのはメディアである。民衆も興味本位・野次馬感覚で群がる。やっと鎮火しかかったかと思うと燃えかすをほじくりだしてメディアがまた騒ぐ。当該本人も訴訟などと言ってさらに引っ張る。

 この騒動で一番得したのはメディアだろう。被害を受けたのは売らんかなと策を講じたCD業界、出版業界である。音楽愛好家にも少なからずショックを与えただろう。一般的には「ふーん、欺瞞もここまで来たか・・・」程度で得にも損にもならない。そんな事件であった。


3/17(月)快晴比較的温暖 健康クリニックドック+飯川病院 
 1:00飯川病院にて起床、新聞・文献チェック。その他蓄積データ整理。8:30中通病院に移動。9:00-11:00健康クリニックドック。回診ほか重症者退院。14:00-18:45飯川病院、録画でドキュメンタリー「生き抜くー小野田寛郎」見る。 19:10帰宅・夕食、20:00就寝。Σ2868Km。

小さなフレームの世界に没頭(3) ディスプレイのサイズによる違い
 私は20年ほど前から緊急連絡用に携帯電話を用いて来た。
 iPhoneは2008年から用いているが殆ど使う事はない。電話やメールを一日1-2本受けるだけ。自分から発信する事は滅多にない。ヒトと話す事など煩わしい。だから、iPhoneが持つ機能の1%も使っていないのではないか。私にとってはこんな小さなディスプレイ機器は補助的な意味しかない。

 私と世界はiPhoneのインターネット機能を介してつながっている。ただ小窓である。こんな小窓では視野広く見渡す事すら出来ない。単に視野だけでなく心の視野も狭くなる。あまり小さくて全体像は見えず、世界に思いを馳せる事も出来ない。

 小さな画面をじっと見ていると眼も苦しくなる。それ以上に、全体が見えないために気持ちの上でも余裕が無く、次第に苦しくなる。まじめに見ようとすると周囲への感心が薄れて行く。排他的心理になるのが分かる。その使用中に、声でもかけられると連続性が断たれるために「うるさい」という感じになってしまう。

 その点、同じ機能ながらiPad miniは、タブレットの中では小さな方であるが、このサイズだと心にも余裕が出てくる。iPad miniでは難解な本や書類を読んでいても周囲の様相が見えるし、周囲への感心が薄れる事はない。私は気に入っている。

 さらにパソコンの画面サイズについて考えれば、私は可能なだけモニターのサイズを大きくしている。一台のパソコンに2台のモニターをつなげている。私はネットサーフィンなど全くしないが、私がパソコンの前で過ごす時間はスマートフォン中毒(?)の女子高校生の比ではない。12時間以上の日もまれでない。
 二つのモニターのサイズを合わせると居間のパソコンは44インチ、書斎50、中通総合病院医局32、大曲中通病院外来27、飯川病院42インチである。画面が広いと心理的圧迫感はなく、自然な気持ちでゆったりと利用する事が出来る。

 スマートフォン程度の小さな画面は、何と言っても機器が軽量小型で、いつでも身近に置ける、と言う事が大きい。これは絶対のメリットである。私にとっても携帯出来ると言うメリットは大きい。でも、補助的小道具でしかない。
 
 疑問なのは、スマートフォン利用者は自宅も含めずっとスマートフォンだけなのだろうか??と言う事である。
 私の経験から言っても画面のサイズが見るものの気持ちや心理に、精神発達に与える影響は決して小さくないと思う。スマートフォンの所持率比率は、男子高校生は80.6%、女子高校生では95.1%、1日の平均使用時間は、中学生は男女とも平均1.8時間、高校男子は4.3時間。女子高生は6.4時間だったという。人間は五感を総動員して、環境から、ヒトから、自然から、生きる術を学ばなければならないが、小さな画面を見つめているのは楽しいかもしれないが、これを介して学びとれる事は極めて少ない。

 この世代にこれだけスマートフォンが普及している理由は何だろうか。


3/16(日)晴れ・寒波緩む 飯川病院当直 
 1:15起床、新聞チェック。関連文献検討、本読みなどほかいつもの如く。物置、春に向けて若干整理。プリウス不調箇所点検、このまま様子を見る。本読みなど。16:30バス、16:50飯川病院当直に。18:00検食、録画映画「北のカナリアたち」後半、録画でドキュメンタリー「喜劇王チャプリン」 を見る。20 :00ソファーにて就眠。Σ2864Km。

大曲駅 列車の遅延は目立つところに掲示して欲しい
 平成13年9月24日、私は大曲駅駅長に書簡を送り以下の2点についてお願いした。
 ■新幹線発車時に鳴らされる民謡調の騒音に関して、不快なので中止して頂きたい。
 ■新幹線の遅れが構内放送のみで告げられるが、利用客に十分伝わらない。せめて改札口に見え易く掲示して欲しい。

 これに対して大曲駅長から10月4日に丁寧な書簡をいただいた。内容は、前者の■についてはおもてなしの一環として大仙市との協議で決めた事なのでご理解いただきたい、後者の■については放送を一層強化します、と言う内容であった。私と駅長からの書簡は個人情報に相当するので提示しない。

 その後も週一回新幹線を利用しているが、全く何も変化していなかった。

 3月14日、大曲駅発13:20のこまちに乗ろうとして13:15頃に駅に到着、構内の改札口、ホーム前の新幹線の改札を通りホームを歩いている時に「1時間6分ほど遅れます」と構内放送があった。
 
 1時間も遅れているのであれば待合室で待つ方がいい。構内の改札を通る時に窓口にいた中年の駅員に「遅れに気づかずにホームに出た。伝達が悪いのではないか」と質問した。返事は「頻繁に放送しています。お客さんはたまたまそのタイミングとずれていたのでしょう」であった。呆れた。「掲示はしないのですか?」、返事は「そこに書いてます。見なかったのでしょう、ちゃんと書いてあります」との事であった。これにも呆れた。

 振り返ると改札口の左脇に白板があった。そこには何かが書いてあったが、字も小さく読み取り難く、すぐには新幹線の遅れの知らせとは読めなかった。じっくり見たら一番下に一行、「こまち11号14:26頃到着」と読めた。これが遅れの掲示なのか? せめて「新幹線下り13:21発こまち11号は1時間ほど遅れ、到着予定14:26頃です」と大書すべきでないのか。

 駅員の説明は、遅れに気づかなかったのは私の方に非がある様な雰囲気であった。

 駅員としてはそれなりにやっていはいると思うが、少なくとも乗客の立場に立った対策とは言えない。
 乗客は急いでいる。私は時間を無駄にしないよう、駅での待ち時間は最小限にするよう調整している。

 2−3分ごとに放送するなら別であるが、放送頻度を増やしてもうまく伝わる可能性は少ない。売店で本を探しながら15分ほど駅舎で過ごしたが、その間放送は1回のみであった。これで頻繁に放送なのか?
 掲示する事はいい。ただ、改札口の左側の掲示板は目に入らなかった。こんな脇にある掲示板に乗客の目が行くわけもない。

 で、駅への要望であるが、頻回の?放送は不要、掲示板は必ず乗客の目に入るよう改札機の正面において欲しい。
 後に駅長宛に書簡でお願いしようと思う。


3/15(土)晴天 JRダイヤ改正 こまち320Km運転 
 1:00起床、新聞・文献・資料検討。その後は資料整理他に終日充てる。録画映画「北のカナリアたち」前半を見る。 本日はJRダイヤ改正日、こまち320Km運転初日、あけぼの廃止に。 19:00夕食、20:30就寝。Σ2858Km。

確定申告2014 初めて確定申告書作成所を利用
 小さな間違いはいろいろあったが、3回ほど比較的大きな失敗があった。私に非があったから追徴金等支払いは当然。しかし、若い税務署員の態度、言葉にいたく傷ついた。

 ■盛岡の住宅を親戚に提供し1万円/月程度を受け取っていたが、数年目に申告漏れの通告が来て6万円ほどの追徴された。若い署員に犯罪者扱いされた。

 ■生命保険解約関連の申告漏れで、追徴金50万円+延滞金2万円ほど。この時も若い署員に犯罪者扱いにされた。やり取りを録音しておけば良かった。何かに使えたはず。

 ■申告書を自分で作成して提出したら98万円の追加納税となった。高額過ぎるので意義を申し出たら38万円に減った。自己申告だから多く払うのも自由ですよ、との説明であった。税務署に対して一層印象を悪くした。

 数年前にパソコンで申告書を作成する方法があることを知った。税務署員に会わずにすむ。必要な項目を入力すると税額が自動計算される。昨年から講演会等の副収入が殆どなくなり、入力事項が減ったのでこれで作成し郵送している。
 
 今年も挑戦した。家内の分は何とか完成させた。問題は私の分で、昨年盛岡の宅地を売却したが、その関連の入力方法が理解できない。どんなにマニュアルを読んでも分からない。法律用語がわからない。結局パソコン入力はgive upした。

 3月12日(水)は週一回の午後フリーの日である。13:00に秋田市に開設されている確定申告書作成所に出かけた。大きめのホールには老若男女100名以上が詰めかけていた。混雑は予想していたが、20-30代とおもわれる若者が多かったのは予想外であった。個人事業関連だろうか?
 手続きは、申告書記入準備コーナーで書類の整理 →パソコン入力コーナーで入力 →印刷コーナー、と進むような仕組みになっていた。基本は自分で書類を作成するようになっていて、困ったときに手を挙げると担当者が来て指導してくれた。パソコンが全く駄目なヒトにはスタッフが代行入力してくれていた。大勢の中にはまっての作業だったから気持ちは楽であった。作成し終わり会場をでたのは15:30を回っていた。

 宅地売却分は大きく、通常は価格の15%ほど追加なるそうであるが、東日本大震災復興資金として岩手県に寄付をしている分が減税され、12%程度ですんだ。
 これで新年あけてからずっと重荷になっていた確定申告から解放された。ただ、一旦自分の財布に入ったお金から申告で80万円ほど持っていかれるのは感覚的につらい。土地などは売買契約が成立し、支払いが行われた時に15%が税として徴収され、年度末に再調整する制度であれば気持ちの上で楽に思える。


3/14(金)快晴・寒波 大曲中通病院外来
3:00起床。寝るタイミングがずれたためか寝不足感。文献・本読み、徒然他、データ処理。新雪2-3cm。7:35Taxi駅に8:06こまち、熟睡しあわや乗り越ししそうに。8:45-13:00大曲中通病院外来。13:21発こまち1時間遅れ、気づかずホームで待つ。遅れの伝達に不備。15:10飯川病院で休息。19:10帰宅、夕食、20:30就寝。Σ2840Km。

落語「昇太・たい平・円楽 三人会」(2) 林家木久扇氏の芸に接してみたい
 休憩を挟んで、4番手は紙切り師の「林家二楽」氏。落語でないから前座なのだろう。会場からのリクエストで「なまはげ」、「卒業式」、「ジャンプの葛西」を一気に切り上げた。作品はOHPにて拡大して見せたが、シルエットとして浮かぶ人物像は躍動感があり、素晴らしい出来であった。私は今回で3回目。

 5番手は林家たい平氏。演目は古典の一つ「お見立て」。花魁の喜瀬川は田舎から訪れてくるお大尽が嫌いで、なんとか会わずに済ませたい。とりあえず仮病で済まそうとしたが通用せず、今度は死んだことにする。大尽は墓参りに行きたいと言う。適当な墓を見立てて取り繕うがお大尽は納得しない。花魁とお大尽との間に挟まれて、右往左往、しどろもどろの喜助の動きが面白い作品である。言葉は流暢でテンポも早く、声も仕草も堂々として聴くのに,演技を見るのに気が抜けなかった。私は今回で3回目。

 6番手は三遊亭円楽氏。 演目は「長寿」。円楽氏は前二者に比して地味な表現の芸であった。言葉はそれほど流暢でなく、時折聴き取り難い感じがした。そのため、最初の方はしっかり聴き取ろうと思っていたが、私の方が気力が萎えた。話の内容はそれほど覚えていない。私は今回が初。

 「笑点」はもう45周年も迎えた人気番組である。昨年は秋田での収録があり私も見る機会があった。600人もいるとされる落語家の中で笑点のメンバーの人気は多分抜群だと思う。「笑点」はTV受けするように各人にキャラクタ^も振り分けられ、面白く演出されている。だから、メンバーの実力とは別である。落語会はTV用のイメージを払拭して力を示す良い機会だと思うが、このメンバーの場合には総じて「笑点」の話題から離れる事がない。それが残念である。

 今回は円楽氏を初めて聴く事が出来た。これで「笑点」メンバーのうち直接その芸に接していないのは林家木久扇氏のみとなった。氏は現在77歳、出来るだけ早くその機会を持ちたいものである。

 「笑点」メンバー以外の噺家の秋田公演も心待ちにしている。


3/13(木)曇り・快晴後雨 外来+飯川病院 落語:昇太・たい平・円楽三人会
 0:20起床。文献新聞など。夜間の降雪殆どなし。7:20車病院着。机上書類処理。8:45-13:00外来。13:45-18:00飯川病院。18:30−21:10秋田市文化会館、落語:昇太・たい平・円楽三人会、外食後22:30帰宅、すぐに就寝。

落語「昇太・たい平・円楽 三人会」(1) 前座の三人も素晴らしかった
 私は落語好きである。明日で運行停止になる寝台特急「あけぼの」で上京していた頃は鈴本演芸場にはよく通った。 普段は録音で聴いているが、 落語を十分楽しむには身振り手振り、顔の表情も欠かせない。落語の公演があると私はできるだけ聴きに出かける。

 本日 3/13(木)、ABS秋田放送特選落語会「昇太・たい平・円楽 三人会」が開催された。 会場は秋田市文化会館大ホール。1188席であるが一階席を見る限りほぼ満席であった。この三人の人気がわかるというものである。席は後方よりの右側通路脇で、演技や表情を細やかに見るのには遠かったが、バードウオッチング用の双眼鏡が多いに役立った。

 開演時間とともに思いがけず3人のプレトークがあった。ジーパン・セーター姿で3人出て来たが、最初は誰だか分からなかった。舞台関係者がマイクのセッティングにでもでて来たか、と思った。何の特徴も変哲もない中年男三人、とても落語の名人達とは思われなかった。それだけ人は見かけが大事である。落語家としての服装であればまた違った印象だったろう。

 プレトークは笑点のエピソードが中心でつまらなかった。三人は笑点で結びついている仲だからやむを得ないだろうが、演芸会は各々の芸を楽しむための会だと思うからしばし笑点から離れて欲しかった。聴衆との交流のためと思うが、私に取っては無駄に思える企画であった。

 前座の1番手は20代と思われる若手の「春風亭○○」氏による古典的演目「たらちね」。よどみの無い完璧な演技であった。スタイル良し、男前よし、言葉もとても聞き取りやすく、爽やかな印象を与えた。さらに精進して欲しい者である。

 前座の2番手は女性で「林家あずみ」氏、20代だろう、ちょっとエキゾチックなイメージの美形、本人が「マレーシア人」と間違えられるエピソードを披露したが、正しくそんな感じであった。実際は生粋の京都人だとの事。三味線漫談を披露した。3曲ほど唄ったが、全然漫談的でなく、見事な歌唱であった。それ以上に、私はつま弾いた三味線の見事な音色に感じ行った。

 3番手は「春風亭昇太」氏が登場、演目は古典の「時そば」。何度も聞いている演目であったが、顔の表情から全身を使った大きなアクション入りで見事な芸であった。氏は何度か見ているが特に食べるシーンの表現が秀逸である。


3/12(水)曇り時々張れ 外来 確定申告会場初体験・申告終了
1:30 起床、文献など。7:30病院。8:45-13:00外来。13:30−15:30フォーラム秋田で自分の分の確定申告。これで1月以降の懸案から解放された。ボランティア的に飯川病院、19:40帰宅、夕食、21:00就眠。Σ2840Km。

原発事故から3年  まだ目処すらない状態
 東京電力福島第1原発事故から3年経過した。その影響は今も深刻である。

 2014年1月末までの関連死が1,660人で地震や津波による直接死の1,607人を上回った。東北三県の関連死のうち6割近くを福島が占める。福島の避難者数は13万人超である。 福島の復興は私から見ても遅々としている。いや、復興など緒にもついていない、と言うべきだろう。

 事故の誘因としては東日本大震災の地震と津波であったが、その背景は過去の自然災害の歴史を無視して低次元の対策しか用意せず、その一方では安全神話を流してきたからである。住民はこんな事になるなんて、起こるまで知らなかった。東京電力、国の責任は大きい。危険性について知りながら口をつぐんできた専門家、学者たちの責任も大きい。事故が生じてからいろんな事が分かってきた。原発事故は人災であった。

 事故後の対応の拙さ、遅れもこれも人災である、何しろ事故に対する対策の方法が分かっておらず後手に回り、結局メルトダウンまで来した。その後の対応も未知の分野だと言われている。想定もされていなかったらしい。原発は安全との前提を持つとそうなってしまう。

 原子炉に対する急性期の対策は一応功を奏したようであるが、ぎりぎりでバランスを保っている程度である。
 原子力事故が生じた際、風、雨、地下水、池や沼、海などの自然現象、地形などがこれほどまでに事を複雑化するなど想定していたのであろうか。

■発電所に近い高汚染地域に対し、政府は昨年末「全員帰還」の従来方針をやっと取り下げた。始めから想定されていたはずなのに、政府は避難民に対して見果てぬ夢を与えていた、嘘をついていたと私は思った。

■本格的な廃炉作業が始まったが多くの難題を抱えている。待ち受けるのは溶融燃料の取り出しであるが、その方法は検討し始めたばかりである。ホントに世界の英知を集めているのだろうか?私には見えない。

■汚染水は毎日400トンも増加している。雨や地下水が原因だが人為的にコントロール出来るのだろうか。「凍土遮水壁」、「地下水バイパス」も計画されているが、技術的に困難が予想されている。私は方法なんて思いつかないが困難のように思う。タンクに貯めた汚染水の管理も綱渡りが続く。

■除染は意味があるのだろうか?地域の放射能は自然減衰を待つしかない。水で流しても、汚染土をはがしても、総体としての放射能は減る訳ではない。「除染でなく移染」である。何処に「移染」する?私は原発周辺しかないと思う。高濃度汚染地域に集め、国で管理するしかない。

■安倍首相は「さまざまな声に応え丁寧に支援する」と言う。こんな言葉は市井の誰でも言える。彼は権力を持っている。それをもっと発揮しては?


3/11(火) 東日本大震災3周年 曇り 外来+飯川病院 
0:20起床、文献・新聞関連など。。7:40車病院、家内分申告郵送で終了。8:45-12:30外来+病病棟。13:30-18:45帰宅、8:20就寝。Σ2834Km。

東日本大震災からまる3年 復興復旧は遅々としている
 本日、東日本大震災はまる3年を迎えた。
 各地で追悼他の関連行事が行われている。

 2014年3月11日現在の警察庁の統計では、死者・行方不明者数(昨年)は、直接死者数15884人(15882人)、行方不明者数 2,633人(2,668人)となっている。避難・転居者数は2月13日現在26万7,419人(31万5,196人)となっている。関連死数は3,048人となっている。この一年で避難転居者数がかなり増加した。

 復興は私から見ても遅々としている。
 地震、津波、更に原発災害の被害に遭われ、今なお不自由な生活を強いられている方々の心情などは、遠くで平穏な日々を送っている私などには到底推し量ることは出来ない。
  私自身の考えもあるが、この件に関しては安易な言葉は慎みたい。

  多分、時間の経過と共に被災された方々は辛い思い、政府への不満などが一層募っておられることだろう。さまざまな事情から内陸や他地域への移住が止まらない。もう待てない、それが正直な気持ちだろうが、多くの方々は今後どうすればいいのか、その選択肢すら持たないのだろう。

 震災の記憶も風化しつつあり、復興資金の面でささやかな寄付を続けている私でも複雑な思いにとらわれる。
 
 私は 震災直後に掲げられた「復興」は夢のまた夢、「復旧」すらは望めないと思う。新しい発想に転換して行くしかないだろう。防波堤をいくら高くしても、かさ上げした土地や高台に街を作っても、高齢化、過疎化には抑制はかからない。だから暮らしを維持できない。

 政府の復興構想会議が震災3カ月後に出した提言は、被災地に「成長の核」となる新産業と雇用創出すると明記した。政府の基本方針は「東北の新時代を実現すべく新たな投資や企業の進出を力強く支援する」とうたった。
 アレから3年、政権交代後、復興の理念は全く色あせ、安倍首相は被災地の将来像を語らない。


3/10(月)寒波曇り 降雪3cmほど  外来+飯川病院 
 1:30起床。新聞・文献チェック。7:15車病院着、8:45-12:40外来、混雑無し、回診。13:30飯川病院。19:00夕食、20:30就寝。明日は3.11で新聞、ラジヲ、TV共に東日本大震災関連特集が組まれており、見るのも聴くのも辛い。Σ2828Km。

小さなフレームの中に没頭(1) デジタルアーツ社、厚労省、東大・総務省の実態調査 
 私は内閣府の調査結果にも驚いたが、別の調査にもっと驚く様な実態がある。

■2008年厚労省は成人男女7500人を抽出調査した結果、国内で約271万人がネット依存傾向にあると推計した。

■2013年2月東京大学と総務省情報通信政策研究所の共同研究による調査では、ネット依存傾向が高い人の割合が、小学生2.3%、中学生7.6%、高校生9.2%、大学生6.1%、社会人6.2%という結果が出た。

■2013年厚生労働省研究班の10万人を対象とした実態調査で、ネット依存の中高生が全国で51万8千人と推計された。

■2014年2月インターネット等のセキュリティソフトの開発・販売を行っているデジタルアーツ社が、携帯かスマートフォンを持つ10−18歳の青少年と保護者計1242人にインターネットで調査した。スマートフォンの所持率比率は年齢とともに上昇し、男子高校生は80.6%、女子高校生では95.1%に達した。スマートフォンや携帯の1日の平均使用時間は、中学生は男女とも平均1.8時間、高校男子は4.3時間。女子高生は6.4時間だった。12時間以上との回答が1割を超えた。女子高生のほぼ4割が「インターネット閲覧を止められず苦しい思いをした」と回答している。

 我が国ではインターネット依存症への問題意識が低かったため、対処や予防は遅れている。まだ調査の段階、と言っていいと思われる。実社会の中で携帯とかスマートフォンが普及し、特に女子高校生を中心とした異常なほどの使用状態が調査上でているのに殆ど放任されている、これはどうしたことだろうかと思う。教育関係部門では何か動きはないのだろうか

 電子機器の異常なまでの普及が、特に子ども達の精神発達、人格形成、社会性の形成に影響を持たないはずはないと思う。悪しき影響は明らかになっていないのだろうか?あるとすれば、それに対する対策はどうなっているのだろうか。

 子どもたち、若者たちは何故あんな小さなディスプレイを見つめ続けているのだろうか?
 私はスマートフォンのディスプレイのサイズにも意味がある、と思っている。


3/9(日)降雪・曇り強風 
0:30 起床、新聞・文献チェック、本読み。データ整理。午前は読書中心。午後は微睡はさみ蓄積データの整理、コンピューター関連、本読みなど。19:00夕食、20:30就眠。時間的には豊かな週末、体はさほど動かさなかった。Σ2822Km。

小さなフレームの中に没頭(1)小中高生のスマホなど普及率急増 内閣府調査から
 数年前に都電の中などで、座っている乗客の殆どが携帯画面を見ている光景に驚いた事がある。
 秋田でも最近若者を中心に通勤時にすれ違う人たちのかなりの人たちが携帯やスマートフォンを片手に歩いている。その中でも高校生の利用率がダントツに高い。すれ違いざまぶつかりそうになる事もある。自転車での利用も少なくない。

 先日、内閣府から13年度の小中高生の実態調査が発表になった。

 私は緊急連絡用に携帯電話を持ってから恐らく20年ほど、スマートフォンは2008年から所持しているが殆ど使う事はない。そんな私から見て驚く内容であった。

 内閣府は2月21日に13年度の小中高生の生活実態調査を公表した。内容は内閣府のHPで見る事が出来る。調査は今回で5回目。10-17歳の青少年と保護者の各3000人を対象に、昨年11-12月に個別面接方式で実施した。青少年1817人、保護者1993人が答えている。

 それによると、スマートフォンの所有割合が12年度の36.0%から58.4%に増えた。 スマートフオンなど携帯電話による一日のインターネット利用時間が平均1時間47分。2時間以上の利用者が39.8%、5時問以上も7.9%。小学生のネット利用は44.3%であった。

 今回調査で目立ったのは、会員制交流サイトSNSや、無料通信アプリLINEなどチャットの利用が中高生で急増したことである。中学生のSNS利用23.7%(12年度は11.6%)、チャット23.1%(7.3%)、高校生ではSNS51.3%(36.0%)、チャットが46.6%S(24.5%)に増えた。

 保護者に有害サイトの閲覧を制限する「フィルタリング」の使用状況を質問したところ、利用率は前回より8.3%少なく55.2%だった。
 上記の結果は、小中高生の閲でスマートフォンでのネット利用が日常化している、という事を示している。 


3/8(土)降雪曇り 確定申告に集中
1:00起床、文献新聞チェック。講演準備、コンピューター関連の勉強、本読みなど。午前から夕方まで二人分の確定申告に集中。家内の分は完成したが、自身のは土地譲渡関連の法律用語を理解出来ずgive up、申告書作成場に行く事とした。録画で落語、「七段目」楽しむ。19:00夕食、20:30就寝。Σ2818Km、終日パソコン入力で過ごしたために歩数のびず。

自動車任意保険:暴力団関係者の加入を排除は問題
 平成13年10月、みずほ銀行が暴力団組員らへの融資を放置していたことが大きな問題になった。みずほは過去にも同様な問題をおこし業務停止など2度の行政処分を受け、頭取らが辞任した。

 暴力団の排除は各業界、企業にとって当然の流れとなりつつある。福岡県を始め排除条例を制定した県もある。暴力団に援助することなどは明らかに反社会的行為あって許してはならないことである。

 銀行のデータベースにはかなりの数の「問題あり」の人が登録されているらしいが、現在、暴力団を明確に定義する法令も、判断基準も、判定する公的機関もない。根拠がないのに顧客を排除することは、企業の社会的役割に背く。この辺が難しいところである。今回もメディアはこぞってみずほバッシングであった。しかし、メディア側は暴力団に関して何を拠り所にして判断していたのか、私には分からない。みずほ側もあやふやな状況だったのでないか?
 証券業界は警察庁に接続された共通のデータベースを用いて該当の有無を照会・確認している、と言う。金融業界でもこのような、より明快にできる体制が必要でないだろうか。

 一方、暴力団関連として新たに距離を置く業界がでてきた。企業が暴力団と距離を置く事は一般論としては良い方向であるが、自動車任意保険の約款に「暴力団員と契約しない」という条項を加える損保会社が増えている事は大きな問題があって、支持できない。

 要するにこのままでは暴力団員は任意保険には入れないと言うことになる。と言うことは暴力団員は任意保険のない車を走らせることになる。任意保険なしの車で事故を起こされたら、悲惨である。自賠責保険の支払額の上限は4千万円、相手が任意保険に入っておらず、支払い能力もなければ、それ以上の被害を被った被害者は泣き寝入りするしかない。相手がその筋のものであればさらに悲惨である。

 保険会社は利潤をあげるのが第一であるとしても、経営の理念としてはユーザーの保護が目的の第一の筈である。ユーザーとは傷害保険の場合には加害者、被害者双方のことである。傷害保険は安心のための保険であるが、実際に事故が生じた際には被害者の救済の方の比重が大きいはずである。
 だから、任意保険加入対象者から暴力団関係者を排除すると言う事は、企業として反社会的行為になると思う。

 この問題は暴力団排除という風潮に便乗し、支払いをを少しでも減らしたいという損保会社の利己的体質が表れている。

 この問題は、善良な市民を守る視点でなんとかしなければならない問題である。


3/7(金)降雪・寒波 大曲中通病院外来
1:00 起床、新聞、徒然。5:30可燃ゴミ収集所に。7:30Taxi駅東口、車病院着、回診他。 8:06こまち、8:45-13:00大曲中通病院外来。大曲13:24発のこまち、飯川病院立寄り、15:30Taxi帰宅。録画で映画『NANA』観る。19:00夕食、20:00就寝。貴重な週末。

プリウスリコール:かつて大問題となったレアアースの供給はどうなった? 
 2月12日、トヨタ自動車はプリウス約100万台のリコール(回収・無償修理)を届け出た。国内で、同一車種の届け出としては過去最多となった。全世界的には190万台が対象になると言う。

 対象車種は2009年以降の第三世代で、国内における販売台数は25−30万台/年で、2013年は同社のアクアに抜かれたものの常に販売台数はトップであった。プリウスは1997年発売で、昨年6月末には輸出も含め販売300万台を達成した。電池とかモーターの生産が間に合っている事になる。

 今回のリコールはモーターを制御するソフトに不具合があり、急加速で電子部品に過剰な電流が流れて破損し走行不能になる可能性があるためと言う。プリウスは2010年2月にもブレーキ系のトラブルで約30万台のリコールを行っている。

 今回は100万台にものぼるリコールだというので、てっきり私のも対象車種になっていると思ったが、私のは2003年型で対象外であった。当時はまだそれほど普及はしていなかったが、エコカー減税もあってその後に販売台数が急速に伸びた。 それにしても大変な数を生産したものである。

 ところで2010年9月7日の尖閣諸島沖漁船長逮捕事件を機に中国がレアアース・レアメタル対日輸出禁止措置を行った。レアアースは世界の供給量のうち90%以上を中国が占めており中国はこれを戦略物質として見なしていた。ケ小平はかつて「中東に石油があるなら、我が国にはレアアースがある」と述べていた。レアアース・レアメタルはわが国の産業には欠くことが出来ないため、当時産業界には大きな衝撃が走った。中でもネオジムはハイブリッド車の生産に欠かせないとの事であった。

 ・・が、その後も日中の関係は険悪化しているが、トヨタや国内外の自動車メーカーもハイブリッドカーの生産、生産量を順調に増やしている。不思議である。その後のレアアースの供給はどうなっているのだろうか。

 あまり正確な情報ではないが、我が国ではカザフスタン、インドからの輸入が軌道に乗り、中国への依存度を下げている。国内のレアアースのリサイクルも始まっている。また、トヨタ自動車など11企業・団体は、レアアースを一切使わないモーター用磁石を研究する組織を発足、モーター用の磁石を各社が相次いで開発した。結果的に中国のレアアースは輸出が減少し、戦略物質としての目論みは完全に外れた。採掘現場は不況で厳しい状況に陥っているらしい。日本の「窮しても何とか乗り切る」と言う産業界の技術力は大したものである。

 私がつかんだのは此の様な動きであるが、これだけで本当に間に合っているのだろうか。
 原発事故で化石燃料の消費が増えている。こっちの方は何とかならないのだろうか。


3/6(木)寒波再来 時折吹雪く 外来+飯川病院
 1:20起床。新聞他、文献読み、PDF化。5:30資源ゴミ大量に集積所に運ぶ。7:30積雪で危険、車病院着。8:45-13:45外来、今週の外来は患者が多かった他に手がかかる患者で大変であった。14:15−17:55飯川病院、18:45猛吹雪の中バス帰宅。19:00夕食、20:30就眠。Σ2811Km。

STAP細胞(2) 異様な報道合戦の末に
 1981年ES細胞、2006年iPS細胞、2012年Muse細胞、2014年STAP細胞が発見された。 
 私がMuse細胞について知ったのは一月ほど前の事であった。STAP細胞について調べているうちにたどり着いた。Muse細胞は医学系雑誌でもメディアでも地味な扱いで、私も注目していなかった。不勉強であった。こんな欠損に気づくのも日記を連日書く事の副産物である。
 
 STAP細胞はその後論文中の写真の信憑性、実験の再現性の低さから疑問が多く投げかけられ、ちょっと厳しい状況におかれている。これらの過程、科学的評価はこの領域の研究を行っているもの以外は到底評価出来ないハズであるが、遠い位置にある者もある事ない事いろいろ評論している。評論家が多い国である。

 理化学研究所などが作成したSTAP細胞の価値は、はっきり言って大多数の国民には理解出来ないだろうし、感心も興味ももないだろう。今回の報道はSTAP細胞の科学的な価値よりも研究のリーダーが若い女性であったと言う一点に興味を持たれ、報道がブレークした。メディアも俗っぽく低レベルである。

 iPS細胞関連の記事は10年間にわたって私のスクラップでも見る事が出来る。それらの中では山中教授についての記載は殆ど見られない。教授がメディアの中で注目されたのはノーベル賞受賞後である。その報道と比較すればSTAP細胞の作成成功の報道は著しくバランスを欠いた内容であった。

 そのルーツは我が国にまだ根強い男尊女卑的考え方、「一般的に女は男より劣っていて、価値ある仕事はできない・・・」と言った変な前提があるためである。男尊女卑と言う直接的表現が用いられる事はさすがに少ないが、「男勝りの女」、「女のくせに」、「子育て、家事、介護などは女が」、「・・」と続く。ドラマ八重の桜はそんな発想がもとになっているだろう。まだ女性の地位は低い。

 ちなみに、スイスにある「世界経済フォーラム」は政治、経済、教育、健康分野の14項目から男女平等の国際順位を見ているが日本は105位、東北大学が開発した「男女平等度指標」に依る調査では秋田は37位と言う。
 物理学者、米沢富美子慶大名誉教授は女性で初めて日本物理学会会長をつとめられた方であるが、外国では女の研究者である事を意識した事はないが、国内では常に女性物理学者とレッテルを貼られ自由度は乏しかった、と述べていた(ラジオ深夜便2013年6月20日 人生はいつでもチャレンジより)。 

 STAP細胞は今厳しい視線を集めている。メディアは小さくしか扱っていない。研究リーダーについての興味本位の記事もなくなった。
 


3/5(水)雨 寒気緩む  外来 
1:00 起床。文献・新聞チェック。7:20車病院着。8:45-14:00外来、混雑、疲弊。飯川病院に立ち寄り、16:00バス利用にて帰宅、久々自室で過ごす。確定準備、録画で映画「二十四の瞳」観る。子供たちの演技に感心。19:00夕食、20:30就眠。Σ2804Km。

iPS細胞はいつ患者に届くのか(1)メディアは無責任にはしゃぎ過ぎ
 「iPS細胞はいつ患者に届くのか」と題する本が出版されている。著者はジャーナリストの塚崎朝子氏、岩波書店から。私はこの本を読んだわけではない。題名が魅力的だったからそれを拝借しただけ。

 私は造血幹細胞に関した研究に従事した事があり、その知見は骨髄移植に結びついた。だから、「ES細胞」「Muse細胞」「iPS細胞」「STAP細胞」などの多能性幹細胞についてはちょっとだけ親近感を持って研究の進展段階を追っている。

 これらの細胞は再生医療の分野では革命的な価値があると思うが、画期的だけにその実用化については大きな困難がある。その臨床応用に関してはがん化の問題、制度上の困難を始めとして、数々のハードル横たわっている、私はまだまだ遠い話だと思っている。その面ではクールである。ここでもメディアは無責任にはしゃぎ過ぎである。

  iPS細胞で山中教授がノーベル賞を受けたが、iPS細胞はまだ一人の患者をも助けていない。そんなレベルである。iPS細胞の臨床応用は黄斑変性症と言う眼科の病気に対して2014年夏に予定されている。恐らく世界初の臨床応用として注目されるだろうが、例えそれが実施され、成果を上げたとしても、その後4年以上にわたって経過を観察し,iPS細胞が機能するかどうか,がん化しないか、などのチェックが必要である。広く臨床応用され、患者のもとに届くまでには最低10年、実際にはそれ以上は必要だろうと思う。

 しかし、報道を見る限り、もう間もなく自分たちの手元に届くのではないか、と誤解される様な取り上げ方で、治療対象になりうる疾患を患う患者に期待を持たせている。ここ数日間の新聞を見ても「iPS細胞でがん治療」、「iPS細胞でパーキンソン病治療」などが掲載されている。その基礎研究はラット、マウス、猿で行われているレベルでいま「パーキンソン病」に悩んでいる患者たちは間に合わないだろう。

  再生医療の医療としての現状は曖昧模糊としたところがある。ガン化の問題は山中教授自身も認めているように安全性は未だ確立していない。iiPS細胞に多能性を持たせる為に用いられた4種類の遺伝子のうちの1つはガン遺伝子である。培養中はiPS細胞を常に監視していて,未分化株を除去しなければならない。そんなレベルであり、問題点をかかえている。こんな事は「いつ実用化されるのか」だけ追っているメディアは感心もないようである。

 何で初めての対象が眼科疾患なのか?以下の理由が考えられるが、それだけiPS細胞に問題がある事を示している。
 ■眼底だから移植後の網膜の状況が観察しやすい、■iPS細胞が生着し機能してるか否かは視力、視野検査で判断出来る、■がん化しても発見しやすく治療もし易い、■高齢の患者で倫理的問題も少ない、などなど。

 ホントに、iPS細胞はいつ患者に届くのか? 未定である。


3/4(火)晴れ 外来+飯川病院
 2:00 起床,文献読み、新聞チェック、徒然ほか。7:30途中から徒歩で病院着、8:45-15:00外来、対応困難な患者数名続き以上に時間がかかった。疲弊した。15:20-18:15飯川病院。18:30−20:30家内交えて旧知のクリニック院長ご夫婦と歓談。業務以外での対話、懇談は久々。20:50帰宅、21:30就眠。Σ2799Km。

雛祭り(2) 私も、小一まで雛を飾ってもらった 悲しい別れがあったが・・・
 わが家の祖父母は3男3女を育て

孫にプレゼントした雛の女雛。
フィギアの浅田選手の面影を感じている

た。
 祖父母は3人の娘たちのすこやかな成長を願って毎年雛を飾っていたのであろう。私が生まれる前に娘たちは他家に嫁いでいった。雛は誰も持って行かず、家に残された。

 私はひよわであったが、それだけ色白で女の子の如く?可愛かったらしい。祖母、母は私の無事と成長を願って毎年座敷の中央に雛を飾ってくれた。今時滅多に見る事の出来ない7段ほどのフルセット?で 付属品も並べると座敷の半分ほど占拠するサイズで、見事なものであった。

 緋毛氈の上に並べられた人形は大正初期の作品で、衣装はセピア色に変色しかかっていた。顔は陶器で出来ており、美しかったが、個々の顔立ちは覚えていない。私も年に一度見るのを楽しみにしていた。

 昭和27年4月上旬に我が家は近所から出火した火災に巻き込まれ全焼した。数日後、黒く焼けこげ、まだ火照りの残る柱の間に埋まっていた陶器製の雛の頭部を10数個回収した。温かかった。桐箱に仕舞い込んでから幾ばくも経っていなかっただけに、変わり果てた姿に涙した。今でも節句の季節になり、雛が飾られると、その時のことを鮮明に思い出し、私はちょっとだけ感傷に浸る。

 人の形をした人形は愛らしく、時に怪しく私どもの心をとらえる。言って見ればただの物であるはずなのにそれを超えた存在でもある。動物のフィギュアなどとは大きく異なる。人形には霊までとは行かないが、表現し難い何かが宿っている。だから、私は、実は物体としての人形は雛を含めてもあまり好きではない。

 芥川竜之介の短編に「雛」と言う作品がある。没落していく旧家の母と娘とひな人形の話で、冒頭に「箱を出る顔忘れめや雛二対」の蕪村の句を置いて始まっている。生活のために横浜の異人に売られる雛人形。手放す日が近づくと母は病に伏す。手放す日を前にした夜更け、娘は土蔵でこっそりとひな人形を飾り、あんどんの明かりの中でじっと見つめて思案にふけっている父親の姿を見る、と言った情景である。雛は単なる物体ではない、と言うテーマの、妖艶な雰囲気の作品である。

 人形に人と同じ魂を感じ取り、自分の身代わり、親や娘の姿にまで昇華させるといった、日本人には独特のこころがある。私の父は母が死去した後、日本人形を何個か買い求め周辺に置いていた。私がそれを引き継いでいる。
 人形は時には憎悪の対象にもなる。そのようなテーマの文学作品、絵画も数多い。廃棄するマネキンを満載したトラックを見た事がある。エロティックでもあって私はとてもまともに見ていられなかった。

 日本人形協会によると、ここ数年は60代の女性や30、40代の独身女性が自分のために買う「マイ雛」が増えている、と言う。女性たちは雛人形に何を求めるのだろうか?私には理解出来ない。
 最近一つ分かって来たのは、祖母、母は私のためにではなく、自身のために雛を飾っていたのではないか、と言う事である。


3/3(月)晴れ ひな祭り 健康クリニックドック+飯川病院 
1:30 起床、文献、徒然、その他。7:30都中まで車、久保田新橋から徒歩で病院着。歩行にはまだ寒い。9:00-11:00健康クリニックドック。13:30-18:45飯川病院、19:15帰宅、夕食。20:30就寝。Σ2793Km。

雛祭り(1) 娘のすこやかな成長のために・・なのだが
 本日は雛祭りである。
 我が家でも2週間ほど前から2セットの雛を飾っている。1973年に長女用に求めたセットはピアノの上に鎮座している。2007年に家内が自分用に求めたセットは低い位置に置き、衣装を上から鑑賞する様なデザインでローチェストの上にある。

 「あかりをつけましょ ぼんぼりに」で始まるサトウハチロウ作詞,河村光陽作曲の「うれしいひな祭り」は名曲である。その歌詞には「お内裏様とおひな様 二人ならんですまし顔」とある。その通り,男女の雛がすまし顔で鎮座している。
 歌詞の歌いだしに「明かりをつけましょ ぼんぼりに 」とある様に、今年からちょっと工夫して「ぼんぼり風に」夜間照明をつけてみた。雛があると昼夜ともに部屋の雰囲気が華やかに変わってなかなかいいものであるが、夜はぼんやりとした薄明かりの中で雛の白い顔立ちが暗闇の中に浮き上がって,これも良い。昼とはまた違う雰囲気を醸している。雛の白い顔は「お嫁にいらした姉様に よく似た官女の白い顔」と歌われている。そして、「着物をきかえて 帯しめて 今日はわたしも 晴れ姿 春のやよいの このよき日 なによりうれしい ひな祭り」とある。女の子たちが集まって楽しげに雛壇の前ではしゃいでいる情景が浮かんでくる。

 どこの家でも女の子が生まれれば、健やかな成長と幸せを願って雛を買い求める習慣があるのだろう。

 ところで、娘が嫁ぐとき親は何で雛人形を持たせてやらないのだろうか。娘は何で自分の雛を持っていくと言わないのだろうか。私は不思議に思っていた。考えてみれば、娘たちが雛壇の前で喜んでいるのはホンの幼少の一時期であって、雛に想いを込めるのは親の方だろう,と理解した。嫁入り道具の中に雛セットを持っていくなんて,嫁に行く年頃の娘にとってはもはや関心もなく、邪魔で迷惑な話、ということになる。私はその家に大切にされて来た雛人形は娘を通じて次々と利用されて行けばいい、と思う。母になった娘が「これは秋田のババが使っていたものだよ・・」と自分の娘に言い聞かせながら飾る、こんな風景はいいじゃないか。

 今年、長女の孫が1歳を迎え、家内が雛人形をプレゼントした。長女は自分のを取り寄せて飾ろうと言う意識は殆どないらしい。それに、「女の子が生まれたら母親の方のババが雛を用意する・・」と言った風習もどこかにあるらしい。私は「人形協会?」あたりが作り上げた習慣でないのだろうか、と思う。それに則って昨年は次男の孫娘にもプレゼントした、とのことであった。
 ババは自分のを入れて4セット購入した。


3/2(日)晴れ  
1:30 起床、文献関連、新聞チェック。録音データ、雑誌や本の整理。8:00飯川病院へ。8:30-17:00日直。17:30帰宅、新聞PDF化、19:00ひな祭りの手巻き寿司で夕食、20:30就眠。Σ2786Km。

映画 2014(1)「 半落ち」:骨髄移植関連作品だが、内容も「 半落ち、半満足」
 2002年「週刊文春ミステリーベスト10」で 第1位であった横山秀雄氏の「半落ち」の映画化作品。録画しておいたものを自分の再生装置で観賞した。

 この映画に注目したのは、以下の二点について興味を感じたからである。
 ■おりしも、いま秋田県警の、パワハラと職員の自殺問題、反則切符の捏造問題などが話題になっていて、秋田警察の組織的隠蔽体質が問題になっている。ガードが固く、部外者にはわかり難い警察組織の実態の一部でも理解出来ないか?
 ■血液疾患治療における骨髄移植の意義は確立されている。その黎明期に関与していた私に取って、一般的作品の中で骨髄移植がどのように扱われているのだろうか?
 
 あらすじは、寺尾聰が演じる現職警察官の梶が、アルツハイマー病の妻を殺害し自首してきた。動機も経過も素直に明かす梶だが、殺害から自首までの2日間の行動だけは頑として語ろうとしない。最終的にはその間の行動が不明のまま裁判を受け、懲役6年の実刑判決を申し渡される。梶が完全に「落ちなかった」のは何故?これがこの映画の主題であり、そのために「 半落ち」と言う題名になったと考えられる。

 梶夫婦の一人息子は急性骨髄性白血病を患い、最後の治療方として非血縁者からの同種骨髄移植に希望を託すが、骨髄提供者が現れないまま死亡する。失意の両親は自らも骨髄バンクに登録する。自分たちの骨髄を移植された患者が感謝の意を新聞に投稿した記事を見て妻はその患者に会いたがるが、骨髄提供者と移植された患者の交流は禁止されており実現しないままであった。妻はその後アルツハイマー病を発症し、梶に殺してくれるよう懇願し、「妻の脳が壊れて行く・・」と共感し、梶は首を絞める。梶は3日目に自首した。梶はこの間、自分たちの骨髄を移植され助かった青年を探し出し、妻との約束を果たしていた。

 現職警察官の尊属殺人事件と言う事で警察は大混乱に陥る。警察は何とか都合のいい方向に捜査結果を捏造し、自分たちの組織がかかえる問題点を隠蔽しようと画策する。さらに、検察、新聞記者、弁護士、裁判官、そして刑務官 などが、それぞれの人生、認知症をかかえている立場から梶を理解しようと努力するが、いずれも「 半落ち」レベルで終わってしまう。

 同僚警察官に対する捜査・尋問の過程、警察が組織防衛に走る姿などは興味深かった。しかし、これらの点への追求は尻切れとんぼで「なに、こんな結末?」と肩すかしをくらった感じで終わってしまった。こんな結果で終わるなら、前半で警察と検察の内部問題を大げさに取り上げる必要はなかったのでは?と思った。

 老人性認知症、アルツハイマー型認知症をかかえる家庭の問題点も描かれる。その中で骨髄移植は軽く扱われている。見るものにその意義は伝わるのだろうか。

 殺人とかではなく、生老病死を描いた人間ドラマとしての意義はある。主役を演じた寺尾聰の演技力も良かった。


3/1(土)晴れ 飯川病院日当直 中通病院患者対応 スニーカーに
 1:30起床。新聞、文献、徒然などゆったり進める。微睡。防寒靴からスニーカーに替え 12:02バス、12:30飯川病院日当直に就く、検食。14:00-14:30中通病院患者対応。読書、落語(持参金、七度狐、火炎太鼓他)。18:00検食、20:30就眠。Σ2776Km。本日から原則歩行とした。昨年はまだ天候荒れており暴風・寒波再来し激しい降雪があり、秋田新幹線脱線した。

徒歩通勤2014(3) 本日より原則徒歩通勤に 昨年より20日早い
 昨年春以来、気象条件が良ければ徒歩通勤にしてきた。
 12月中旬以降は寒さと歩道の積雪のために歩行通勤が危険になり、往復とも家内の車に便乗して通勤してきた。4月以降の8か月間の歩行距離の積算はΣ2270Kmで、平均11Km/日であった。車通勤にして以降は、院内とかでは意識的に歩くようにはしたが平均6Km/日である。

 昨年、歩行通勤を始めたのは歩道の雪が大体溶けた3月18日であった。今年は昨年より20日も早くほぼ同じ状態になった。昨年の降雪がいかに多かったか分かる。ただ、まだ気温は低く、日陰の道路には雪があって危ない。(左は今朝の雪の様子。借り物の車には雪はない。右は昨年3月20日の様子。鹿児島に貰われて行ったホンダのデルソルが埋まっている)


 私が家内の車に便乗して通勤を始めた事で、時間感覚が乏しい家内の出勤時間、帰宅時間がほぼ固定化した。その効果はとても大きい。家を出るのは7:00、帰宅時に病院を出るのが18:30前後となった。病院は、特に高齢者が多い病院は早朝に体調が変化する患者が少なくないから、その時間帯に医師が病院に着いている事の意味は少なくない。職場では喜んでいるようである。

 私が全コースを歩く事になるとその習慣が崩れる。当面は一緒に家を出て、途中で私がおりて歩く事にした。久保田新橋で降りればコイに餌を与えたり、千秋公園のハトに餌を与えられるから一石四鳥ほどの効果がある。帰りはどうしようか、まだ日が短いために帰路歩く事はまだ危ない。で、いま思案中である。

 どちらにせよ昨年よりは歩行距離は短くなりそうである。日本一周、いつになるだろうか。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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