徒然日記
2013年11月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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11/30(土)終日小雨ときに雪に 寒波 飯川病院日当直
1:15起床。いつもの如く資料整理中心。午前は書籍、新聞等廃棄準備。12:00車にて飯川病院へ、12:30検食から飯川病院日当直業務につく。院内は平穏。18:00夕食、20:30就寝。歩行機会乏しい、わずか5Km。Σ2179Km。

外交2013(3)中国の防空識別圏設定(2) その後の動き
 中国は23日、東シナ海に防空識別圏を独自に設定した。設定目的は「国の主権と領土の安全を守り、飛行秩序を維持することにあり、特定の国にむけたものではない」と強調している。しかし、我が国への対応を意識したものである事に疑問はない。

 日中関係は一層困難で面倒くさい現実を迎えた。
 日本は識別圏を1969年から設定していた。この辺の状況は知らない。世界的にみて航空識別権は20数か国が設定しているが、いままで中国側は航空識別圏設定はなかった。中国では近年軍備拡張を進め、空軍の能力を高める方向にあり、航空識別権設定も視野にいれ10年近く準備を続けてきたと思われる。尖閣諸島問題でここ2年ほど両国間は冷えた関係にあるが、中国では数年前から識別圏設定を準備していて、今回は指導部が数か月前に決断したらしい。

 それだけ空軍が充実してきたとの判断であろうが、国際社会は中国空軍がこの広い識別権をうまく監視できる能力はまだない、と考えている。日米の持つ能力には今のところ太刀打ち出来ないとの評価である。中国国防省は自衛隊機や米軍機が識別圏に入ったので緊急発進したと発表したがこの事実は確認出来ていない。国内向けの宣伝だろうと考えられている。

 今回の中国による防空識別圏の一方的発表に国際社会も懸念を表明している。
■我が国は容認出来ない、としている。
■米国は東シナ海での行動が制限される事に危機感を抱いている。
■韓国は事前協議もないままに自国の識別権と一部重複するの航空識別権を一方的に設定した事に抗議し空域変更を求めている。
■EUも懸念表明した.
■台湾も自国の識別権が重複するが、いまのところ静観している。

 中国は識別権設定に「特定の国を念頭に置いたものではない」としていたが国際社会の反発に対して尖閣諸島周辺の防衛のため、と繰り返し矛を収めようとしている。二枚舌である。

 中国空軍がこの広い識別権をうまく監視できる能力はまだなく、日米の能力に太刀打ち出来ないとの評価であるが、そうであればあるほど偶発的事件が生じうる。現に、2001年には米国の偵察機と中国の戦闘機が接触し、後者が墜落、前者が海南島に不時着すると言う事件が生じ、両国間で緊張が高まった事がある(海南島事件)。このようなことは今後あってはならない事である。

 防空識別圏を飛ぶ航空機は飛行計画を中国航空当局に提出する義務があるとしていたが、協力要請に変更した。日本は民間機に飛行計画を中国航空当局に提出しないよう求めているが、米国は提出を容認するなど足並みが揃っていない。安全のための対応と識別圏を認める事とは別問題と割り切らざるを得ないのではないだろうか。

 この航空識別圏問題は目が離せない。


11/29(金)終日降雪 大曲中通病院外来
2:30起床、新聞文献チェックPDF化、徒然他。7:30タクシー病院経由、こまち乗り遅れ8:50発に、9:15-15:00大曲中通病院外来、16:40Taxi帰宅。文献整理・破棄準備。19:00夕食、20:15就寝。中通総合病院が完成し本日から引っ越し。Σ2179Km。

落語(5) 「立川志の輔」独演会
 秋田市文化会館で11月28日夕から落語の「立川志の輔」独演会を聴いた。 「立川志の輔」氏はNHK「ためして合点」の司会者の一人である.あまり好きな番組ではないが家内が時に録画を見ている事もあり、嫌でも目に入る。私はしばらくこのおじさん司会者が落語界の実力者「立川志の輔」である事に気づかなかった。

 ここ2−3年、秋田で開催される落語の公演には出来るだけ聴くつもりでいるが、今年は時間の関係で「春風亭小朝」、「桂文治」と今回の公演だけと少なかった。 当日券で何とか入れた。会場は満席。  前座として「志の太郎」が登場し「牛ほめ』た。若手の高座は言葉もはっきり、発音もクリアでわかりやすくて良い。 一般的に早口で、いわゆる「間」や「味」が不足するが、これからであろう。 その後、「立川志の輔」が高座に上がった。

 「ためして合点」で受けたイメージとは異なり、歩く姿は前屈みで冴えない。これが本当に同一人か?最初の印象はこうであった。「まくら」として秋田空港についた時の印象、雪の事等話したが ひとたび話し始めると背は伸び、姿勢も良く、名人の域というのだろうか、 次第に乗ってきて私は引き込まれた。

 新作落語か?初めて聞くサラリーマンもの、社長から勤続の記念品として鹿の剥製が送られ、その処置、仕舞い場所をめぐる家族間の対話で笑わせた。演題は「ディアファミリー」。 後半は出ばやしを担当している三味線の「松永鉄九郎」が「長唄三味線」を、10分ほど見事なバチさばきを聞かせた。三味線の表現力の広さを味わった。

 その後、「立川志の輔」が高座に上がった。終焉予定時間まで20数分しか残っていない.短かめの古典でも?と聞いていたら、長編「帯久」をよどみもなく一気に聴かせてくれた。この演目は「立川志の輔」しか取り上げないらしい。終了したのは21:15を回っていた。
 見事な芸を堪能出来た一夜であった。


11/28(木)曇り雨強風・寒波  外来 立川志の輔独演会  
 1:00 起床、文献処理、徒然。7:00車病院着。7:15回診、病棟業務。8:45-12:50外来。15:00車帰宅、新聞他データ化、18:00文化会館、 立川志の輔独演会、21:15終演、外食後22:00帰宅、22:00就寝。Σ2169Km。

DVD映画2013(7)「明日への遺言」:欺瞞、偽証、隠蔽の時代に問題提起する高潔さ
 私は歴史音痴であるが、ここ2年ばかり近代日本の歴史を再勉強している。断片的であった知識が徐々に互いに繋がりつつある。
 参考にしている教材は基本的には歴史教科書、一般書籍、関連文献、体験談、小説類であるが、最近はDVD化された映画やノンフィクション作品も取り寄せて参考にしている。

 「明日への遺言」は一月ほど間を空けて2回観た。この作品は第二次世界大戦終了後、B級戦犯裁判として死刑判決を受けた岡田資(たすく)中将の裁判過程を描いた作品で、原作者は戦争文学の第一人者大岡昇平の「ながい旅」である。

 敗戦直後の混乱の中で自身の責任と信念を貫き通した岡田中将の姿は、作者の思惑、映画監督の目の中で修飾されていると思われるが、食品教示偽装を始め、欺瞞、偽証、JR北海道のデータ改ざん、東電の隠蔽体質等が明らかになっている現代社会に改めて一石を投じる高潔さが示されている。

 第二次世界大戦末期に名古屋を空爆した際に捕らえられた米兵38名は正式な手続きを得ずに処刑された.その命令を下したのが岡田中将であった。戦後米軍捕虜を処刑した責任を問われ、B級戦犯として裁判にかけられた岡田中将は裁判の中で堂々と信念を主張し、米国人弁護士フェザーストーンと共に法廷を戦い抜く。

 映画は戦争の中で行われた過去の無差別爆弾攻撃の資料映像で始まる。戦争自体は必要悪ではあるが国際的に否定はされていない.しかし、非戦闘員に対する無差別攻撃、殺戮は国際的に違法とされている。原爆は完全に違法である。

 岡田は軍需工場もない名古屋を無差別攻撃したのは国際法違反であり、その攻撃に加わった米軍兵士は捕虜ではなく犯罪者であるとの立場を主張する。 彼は「一般民衆への無差別爆撃の責任は誰が負うのか、命令により実行した部下の責任は誰が負うべきなのか」と堂々と信念を主張し、「自分が命令を下したのであって実行した部下に責任はない」、と主張した。

 彼の論理で問題を突き詰めていくと、東京大空襲の命を下したK・E・ルメイ准将、原爆2発の投下を命じたトルーマン大統領も犯罪者と言う事に行き着く。しかし、彼らの罪は問われていない。

 場面は大部分が法廷でのやり取りが中心。回想シーンもなく、カメラワークも地味である。

 対決的雰囲気で始まった法廷は次第に検事も弁護人も裁判官も、傍聴人も岡田中将の高潔さに触れて互いの立場を超えた共感が生まれた、という。しかし、所詮は戦勝国による不平等裁判であり、最終的には非論理的結論で決着し、彼は絞首台に向かう事となった。

 ニュルンベルク裁判、東京裁判の法的意義、B・C級戦争犯罪者への裁判は、少なくとも問われ直されなければならない。そんな事を考えながらこの作品を観た。


11/27(水)雨・強風 外来 歩数計Σ2169Km岩手から青森に
1:00 起床、新聞・文献読みとPDF化、他諸々。7:50雨の合間に徒歩病院着。回診、8:45ー13:30外来。15:30バスにて帰宅、文献読む、録画で「ドイツの重戦車」観る。19:00夕食、20:45就寝。

徒歩通勤(24) 歩数計Σ2169Km岩手から青森に 岩手の沿岸部自治体の被害状況
 伊能式歩数計を用い、4月7日に日本橋をスタート、伊能忠敬が歩いたのと同じ海岸線のルートを辿って北上している。歩行距離は積算され、本日11月27日にΣ2169Kmとなり、歩数計の地図上で岩手県を抜け青森県に入った。いま八戸市手前を歩事になる。東北新幹線の東京ー八戸間の距離は631Kmだから海岸線は3倍強の長さである。

 岩手県は宮城県北部から始まるリアス式海岸で海岸線でとても長かった。岩手県はほぼ全区間がリアス式海岸で649.2Kmであった。この距離を2か月かかって歩いた。青森の海岸線も結構長くは743.92Kmとなってる。この降雪期、徒歩通勤の頻度は減るだろうから、北海道に渡るまでまで3ヶ月と思われる。

 今まで歩いた岩手県は私の郷里で他県の港町より身近である.大抵は一度は訪問済みである。福島県に関しては原発事故中心に調べたが、宮城県・岩手については津波の被害を中心に振り返った。

 津波の死亡、行方不明は福島、宮城、岩手県に集中している。本年4月7日迄の警察庁のデータでは、岩手県の人的被害は、死亡4672人、行方不明1151人である。

 陸前高田市以北の自治体の人口、死亡者数、行方不明者数、被害状況のポイントをまとめてみた。
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  自治体  人口  死亡 不明   被災の特徴
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■陸前高田市 23300  4672  1556  自治体別で見て最大の被災地。一本松
■大船渡市  40737  1556   217  市の中心部に大被害。
■釜石市   39574  888 152  人口比で被害者は少なめで、釜石の奇跡と。
■大槌町   15276  803   437  人口比で最大の被災地。町長・職員多数被災。
■山田町   18617  604   149  湾近傍の平野地被害が大。広域火災発生。
■宮古市   59430  420  94  防災優良地の田老地区の被害大。
■岩泉町   10804   7 0  小本小88人が新設の避難階段で無事であった。
■田野畑村 3848   14  15  水産業・観光業の拠点の被害甚大。
■普代村 3088 0   1  普代水門15.5mが村を守った。
■野田村 632 38  0  日頃からの防災意識で園児81人職員14人無事。
■久慈市 36872  2  2  施設・住宅の被害の割に人的被害は小。
■洋野町  17913  0  0  沿岸部唯一人的被害なし。
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 今回の大震災津波では岩手県各地で深刻な被害が発生した。津波は明治29年、昭和8年の三陸地震津波、昭和35年のチリ地震津波をしのいだ。岩手ではこれらの経験を無駄にせず対策は行っていたが、今回の津波は想定以上だった。普代村ではかつての村長が一般的な堤防に半ばごり押しで5.5mかさ上げし村民のひんしゅくを買ったが、今では村民のいのちを救ったとして再評価されている。

 リアス式海岸はノコギリの刃先に沿って歩くようなものである。岩手は他県に比較してダントツに海岸線が長いと思っていたが、資料を見ると青森の方が長くて驚いた。リアス式ではないが県のかたちが大きく入り組んでいるためである。殆ど知らない青森の沿岸地域を知る良い機会となる。楽しみである。
 


11/26(火)風雨終日 外来 
 0:15起床、新聞・文献読みとPDF化、本読み、他諸々。7:00車病院。回診、8:45ー13:00外来。新入院患者の入院手続きもたつき16:00車帰宅、新聞PDF化。「ローマの休日」制作関連の資料、「スーパーマリン スピットファイア」関連資料観る。19:00夕食、20:30就寝。Σ2.139Km。

HP「これからの医療の在り方--徒然日記」2013(3) 親子の対話のために 
 当ホームページは13年目に入った。アリバイ記録をつける目的で日記を再開したが、もうその意義は殆どないだろう。
 自分にとってこの日記の意義を振り返ってみれば、

■「継続は力」にこだわっているーー毎日の積み重ねが苦しくも楽しい
■「記憶から記録に」ーー記憶が維持出来ないから記録に頼らざるをえない。
■「ちょっとした疑問などを一つずつ形にする」楽しみ。
■「無知を認識出来る」楽しみ。
■「日々の話題をさがす」楽しみ。
■「日々のストレス解消」のために役立つ。
 
 まだまだ挙げられそうだが、まあこんなところだろうが、もう一つ私が大きな意義と感じている事は、
■「子供たちとの対話」である。
 それも直接の対話・会話でなく、文章を通じた間接的対話である。

 自分と両親の関係を振り返った場合、最も身近な存在であったはずの両親、さらに祖父母について私は殆ど何も知らない、ということを両親の死後に自覚した。別に知らなくても、自身が、今ここで生きているのだからそれで良い、と言う考えも出来ない訳ではないが、なんか寂しい。

 私は18歳で進学のために親元を離れたが、中学の頃からは食事時以外はネコとともに敷地内にある離れで暮らしていた。両親とはそれなりの会話はあったが、あくまでも日常的な内容であった。その後も一緒に暮らしていた訳でないから会話の機会は少なかった。
 
 父は家督を継いでいて親戚付き合いも多かったから若干は推測出来るが、母方の家族との付き合いは何故か軽視され蔑ろにされた。従って、母はどんな両親から.どんな環境で生まれ、どんな家庭で育ったのか、学校はどこだったのか、どんな過程で二人が出会って一緒になったのか、など私は全く知らない。私が知っているのは、花巻近郊で育ったらしいこと、同胞が3人だったらしいこと、旧姓は工藤だったくらいである。

 このような状況は親子関係に置いても必ずしも良くないのではないか?
 と、いうことでこの日記は子供たちとのコミュニケーションツールとしての位置づけも持たせた。

 私が日常どんなことを考えているのか、体調のこと、言い残しておきたいことなどを適当に、一方的に記載している。3人の子供たちは幸い読んでくれているようである。勿論、いちいち反応はないが、読んでくれている雰囲気を感じ取ることが出来るから、私の目的は十分叶えられている。
 
 情報を簡単にやり取りできるこの時代、親子関係の理解、維持にとってもネットは有用である。便利な時代になったものだ、と思っている。


11/25(月) 風雨続く 健康クリニックドック
1:00起床。文献・新聞等処理、徒然といつもの如く。7:00車病院、回診。9:00-11:00 健康クリニックドック。14:30車帰宅、DVDにて映画「乱」観ながら各種の処理、文献、データ整理、新聞処理、19:00夕食、20:30就寝。Σ2.142Km。

外交2013(2)中国の防空識別圏設定(1) 難問がまた発生した
 中国は23日、東シナ海に防空識別圏を独自に設定し、識別圏で初の巡視飛行を実施したと明らかにした。大型偵察機2機、早期警戒機と戦闘機も出動した。日本の防衛省は、同日中国機2機が日本国防空識別圈に入り、そのうち1機は尖閣の領空から約40Kmまで接近した。自衛隊の戦闘機が緊急発進した。

 航空識別圏は不審機の領空審防ぐ目的で設定される。航空機はスピードが速いために早期に対応しなければ間に合わない。日本は識別圏を設定していたが、中国にはなかった。
 国際法上、領空は海岸線から約22Kmまでの上空だが、防衛省はその外側に最大約500Kmの幅で防空識別圏を設けている。飛行計画を出していない不審機を対象に領空侵犯との関連を判断する。

 領空侵犯の可能性が大になれば、まずは自衛隊機が無線で呼ぴかける。次に不審機から見える位置に移動し機体を揺らして合図を送る。それでも反応がなければ曳光弾で信号射撃する。信号射撃は1987年に旧ソ連機に対して1度だけ実施された。領空侵犯となればもっと強硬な対応がされる。実例をそれほど知っている訳ではないが、1983年9月1日ソ連(現ロシア)サハリン南西部沖合のモネロン島上空で大韓航空機007便ボーイング747ジャンボ機が領空を侵犯したとしてソ連の戦闘機に撃墜され乗客乗員あわせて269名が死亡した事件が思い起こされる。

 今回の航空識別圏を設定目的は「国の主権と領土の安全を守り、飛行秩序を維持することにあり、特定の国にむけたものではない」と強調している。しかし、日本を念頭に置いていることは間違いないだろう。

 今回の航空識別圏設定に関して以下の点でよくわからない点がある。

 ■日本の識別圏では飛行計画を出していない不審機を対象に領空侵犯との関連を判断するが、国際的に認知されていたのだろうか。中国はどうとらえていたのだろうか。

 ■いままで中国側は航空識別圏設定はなかった。航空識別圏設定は自由に設定する事が国際的に許容されているのだろうか。

 ■中国側の識別圏は日本の識別圏と大きく、より狭いが韓国の識別圏とも重複している。日本の領土である尖閣諸島含む形で線引きしている。日本に対する恣意的な目的と思われるが、このような他国の領土を含む区域に勝手な線引きは国際法的にどうなのだろうか。

 ■防空識別圏を飛ぶ航空機には飛行計画を中国航空当局に提出する義務を負わせている。また、識別圏に侵入した航空機が軍機の命令に従わない場合「防御的緊急措置を取る」とした。日本側も飛行計画を提出を求めているが内容的に同じなのだろうか。

 ■日本は民間機にも飛行計画を中国航空当局に提出しないよう求めているが、それで良いのだろうか?


11/24 (日)快晴 重症者回診 飯川病院日直
 1:30起床.新聞チェック、医学論文読み,整理、PDF化。7:50徒歩病院着、重症者回診、対応。8:50−17:00飯川病院日直、久しぶりの快晴で外仕事出来ず惜しい。18:00バス利用帰宅。新聞入力、19:00夕食、20:30就寝。Σ2.139Km。

外交2013(1)日本へ請求権を認める韓国司法はおかしい 韓国の国内問題だ
 今月11月1日、韓国南部の地裁で三菱重工業に対して戦時中に朝鮮半島出身の労働に対する損害賠償を認め、被告に日本円で6.300万円の支払いを命じる判決がでた。これで3件目になる。7月に同様の判決を受けた新日鉄往金は韓国最高裁に上告している。敗訴した場合は賠償に応じる方針と言う。このほか機械メーカーの不二越も同様の訴えを起こされている。

 私はこの判決はおかしいと思う。もし違憲として請求権を認めるのであれば、韓国司法は韓国政府に対して賠償を命じるべきである。外交問題として処理された件について国民が納得出来ないのであれば自国政府に保障を求めるべきである。

 戦後補償をめぐっては、1965年の国交正常化を定める日韓基本条約と共に締結した請求権協定で、日本が5億ドルの経済協力をすることで個人の財産請求権問題は完全に消滅している。しかも、2000年代半ぱに公開された外交文書で、個人補償の道を閉ざしたのは日本ではなく韓国側だったことも判明している。

 ところが韓国政府は2005年に、従軍慰安婦、サハリン残留韓国人、被爆者は協定の対象外であったと主張した。2012年には韓国最高裁が元徴用工の請求は協定で消滅していないと判断した。これを受けて本年7月に日本企業に賠償を命じる二つの高裁判決がでた。

 協定や条約の中で個別の問題は挙げきれない。だから包括的に取り決めている。その時代に日韓間で結んだ協定に対しては両政府各々に責任がある。その前提に立って個別の保証を論じるのであればもう国内問題である。だから、原告は韓国政府を訴えるべきである。

 日本の企業が賠償を拒めば、韓国内にある関連資産の差し押さえなど、強制執行に踏み切る可能性が高い。

 一連の裁判の背景を考える上では、従来の歴史認識に否定的な見解を持っている安倍政権の言動と関連は無いのだろうか。韓国も司法権は行政権から独立しているというが、司法判断に近年の韓国との政治的背景が影響を与えているのかもしれない。感情論を持ち込んではならない。
 私が知る限りにおいて外交問題はたとえその後に解釈が変わったとしても両国間では蒸し返しをしないのが原則だと思う。

 互いに政府見解を主張しているだけでは解決しないだろう。慰安婦問題ではうまく行かなかった様であるが、NGOレベルでの支援も一つの解決策だと思う。


11/23(土)晴れ 隣家との話し合い パナソニックTV届く
1:00 起床。新聞・文献PDF化。各種の録音資料再検討。9:00-10:00隣家との話し合い。11:00パナソニックTV届く。不調になった旧TVをモニターとして書斎の机上に設置。半日がかりで周辺を改造。整理、19:00夕食。20:00就寝。

高齢化社会の医療・福祉は2013(6) 介護保険の改訂の方向
 終活そのものは否定しない。あっさりと急死する一部の高齢者は幸せ者である。「たつ鳥後を濁さず」を地に逝ける。しかし、こんな高齢者は少ない。多くは終活で予想もしなかった事態を数年経過してしから死ぬ。

 平成22年度の平均寿命は男性79.55歳、女性86.3歳であるが、死までの不健康年数は男性が9.13年、女性が10.61年(厚労省統計)である。平均寿命はよく知られているが、健康寿命は意外と知られていない。「寝たきりを増やして今年も世界一」は的を得た川柳である。

 緩徐に死を迎えるような高齢者は、死の前数年間ヒトの援助を要する不健康状態で過ごす。この間のことが問題である。夫婦単独所帯では老老介護状態へ、一人暮らしの場合は生きるのが無理。我を張れば人知れずのたれ死にすることもありうる。

 この間の頼りは医療・介護であるが、高齢者に医療が関与する余地は少ない。治療が効をなさないからである。
 頼りは介護保険と言うことになるが、厚労省は来年の通常国会への提出すべく、介護保険改正を急ピッチですすめている。改正案は、国の経費削減から介護を必要とする人のサービス利用をきびしく制限する方向にある。
 介護保険もあてになり難くなる。

 厚労省は9月検討を重ねていた社会保障審議会介護保険部会にその案を提示したが、それには、従来の介護保険制度の根幹を覆す様な以下の内容が含まれている。

■一定の所得のある高齢者の利用時の自己負担率を上げる。
 1割だった利用料負担を2割にする。負担増対象は今のところ65歳以上の高齢者の5人に1人であるが、今回の負担増が次の改訂では「一律2割」の突破口になりうる。
■「要支援1、2」の「軽度者」の締め出し。
 「要支援1、2」の高齢者約150万人を国の介護保険給付の対象から除外する。「要支援1、2」は、「予防給付」の意味合いがあり意義は大きかった。これを市町村の「事業」に丸投げする。市町村はやって行けないと思われる。
■特別養護老人ホームの入所条件を「要介護3」以上にする。
 介護難民が増える。
■高い保険料を長期間納めても国民は希望するサービスが利用できない事態となる。
■切実に介護保険給付を求めている高齢者・家族の声は法によって無視される。

 消費税増税と社会保障の充実のリンクは二枚舌だったのか?政権交代では、あるいは首相が変われば何でもリセットして問われないのか?


11/22(金)曇り雨時々 大曲中通病院外来
 1:30起床.新聞、文献PDF化、読書。徒然他何時もの如く。7:40Taxi駅に、8:03こまち、9:00-15:00大曲中通病院外来。雨で歩けず。17:00コーヒー店など経由して帰宅。 DVDにて映画「明日への遺言」観る。 文献チェック、19:00夕食。20:00就寝。歩数計Σ2.125Km。

高齢化社会の医療・福祉は2013(5) 終活より老々介護の準備を
 最近、終活を論じる事が盛んである。私はとても良い事だと思っている。
 私の感覚では特に高齢者の死はもう社会性を失い、また、親族間でも意義は異なってきた。親子の間ですら大した問題で無くなってきている場合もある。

 だから、これからの高齢者は自分で自分の最後の始末をしなければならない。家族にも期待できない。残していく高齢者の物品など家族に取ってはゴミ同然である。

 自分の終末期や死後について,その方針などを書き留めておくエンディングノートを作る事も流行っている。まあ、ちょっとした生活上の伝達簿にはなるが、死んでいくものの思惑の通り進むなんて考えてはいけない。だから、エンディングノート作成などは問題ではない。終活は家族のために残すのではなく、自分の人生を死を前提に振り返る意味ではとても良い。

 確かに自分の死は大事であるがそれ以上に大事な事がある。
 それは、自分が、あるいは伴侶が介助を要する様な状況を迎えた際に、どうするか、どう介護を受け、どういう治療を受けるのかがすっぽり抜けている。高齢のご夫婦が幸せそうに旅行したり、散歩している姿を見るが、どちらかが要介護状態になる可能性が近いのに、老老介護の事、伴侶を失った際の生活の事を考えておられるのだろうか。

 はっきり言って高齢者の死の問題は小さい。生物の当たり前の姿だからである。それに対して介護は人間にしかない行為である。だからこそ、厳しい現実が待っている。終活などはっきり言ってどうでも良いのだ。介護に対する考え方の勉強、最小限の介護技術、その後の独居生活の維持をどうするか学ぶ事は多い。

 少なくともこれからのわが国の医療供給体制の中では急死する時は別であるが高齢者が病院で死を迎えるのは困難になる。慢性化すると在宅か、施設かの選択が迫られる。従って、何処でどのように旅立つのか、そこまで考えなければならない。この様な事を自覚して自己決定する必要が出てきた。
 誰しも、特に男性は在宅を望む。妻への甘えと軽視である。はっきり言って継続困難である。娘息子の手助けなど期待してはならない。わずか数日で現実の厳しさを知り、それから施設介護を希望されるが、待機時間は数ヶ月か年単位である。

 まず、前提として施設介護の機会が与えられたら、我を通さず受け入れる姿勢が欲しい。


11/21(木) 終日雨 外来
 1:00起床、新聞、文献PDF化など。7:00車病院着、回診他。8:40-12:30外来。15:00車帰宅。DVD映画「明日への遺言」、 新聞、文献PDF化。19:00夕食、20:10就寝。歩数計Σ2.115Km。

エアコンの暖房機能について(2)新しいエアコンなら灯油よりも有利かも
 つい先日迄はエアコンについて興味もなく、カタログも読んだ事もなかったが、ここ2週間ほどエアコンについて勉強した。

 エアコン暖房の仕組みは、私が考えていた様な電気ヒーターによるものではなく、電気エネルギーを動力として用いて冷媒を循環させて室外にあるヒートポンプ(コンプレッサー)を介して、外気から熱を取り出す。これにより、消費する電気の何倍もの熱量を室内に放出することができる。冷媒は圧縮と膨張を繰り返してー10℃ほどにもなるから理論上は外気温がそれ以上であれば温風がでる事になる。

 電力消費より何倍の熱量が得られるかがエアコンの暖房効率(COP)と言われる数値で、エアコンの年式やモデルにより異なっている。ざっと言って10年前の製品で4.0程度、最新式の製品で6.0以上となっている。

 外気の熱を吸収するのだから外気温は低ければエアコンの暖房効率(COP)は低下する。寒冷地におけるCOPは、室外機が凍り付く様な極寒でなければカタログに記載してあるCOP値の8割程度と推定される。この概算式、電気料金、電気の熱量(3.6MJ/1Kw)、灯油の発熱量(36.7MJ/1L)、料金を比較する事で同じ熱量を得るのにエアコンと石油ストーブのどちらが有利かをざっと比較できる。

 石油ストーブはFF方式でない熱効率ほぼ100%の製品をイメージして比較した。私の書斎のエアコンはCOP4.0前後だから1800円/18Lのときの石油ストーブと同等、今夏設置した2階のエアコンはCOP7.0だから1000円/18Lの灯油と同等となる。いま、灯油は1800円/18L前後だから私の書斎のエアコンはメリットなし、2階のエアコンは灯油ストーブよりかなり有用と言う事になる。

 実際にはそう簡単ではない、と私も思う。エアコンが古いとシステムが劣化していて暖房効率が落ちている可能性がある。室外のヒートポンプ(コンプレッサー)の風通しが良いか、雪は積もっていないかも影響するだろう。私の書斎のエアコンは10数年掃除もした事がない。だから実態は分からない。理論上、外気温が冷媒の温度に近い氷点下であれば効率はマイナスとなる。

 エアコン暖房は温風が緩い。即効性がないからしばらく前から作動させておかねばならない。しかし、灯油を購入したり注ぎ足す必要もない。安全装置で火災になる可能性は殆どないなどの優位点もある。灯油ストーブの強烈な暖かさも捨てきれない。

 ホントかな?と自分でも思う様な計算で暖房機器としてのエアコン灯油の比較をやってみた。私にとっては目から鱗が落ちた。2週間前迄の古い考えは100%捨てざるを得ない結果を得た。

 毎日ブログを更新する作業の楽しみは、ちょっとした事、あやふやに覚えている事、誤解している事などについて勉強できることにもある。エアコンの仕組みについての勉強は私にとってとても有用であった。


11/20 (水)雨 外来
1:00起床、文献チェック。徒然他。録音データ整理など。7:00車病院着、紹介状その他処理。8:45-13:00外来。15:00車帰宅。新聞PDF化。DVD映画「明日への遺言」再度見る。歴史を学んだ為か初回とは大きく異なる印象受ける。19:00夕食、20:30就寝。歩数計Σ2.104Km。

エアコンの暖房機能について(1) 無知でした、壁掛けの電気ストーブでなかった
 私は秋田ではエアコンなど不要、と思ってきた。私の書斎には20年ほどの前のエアコンがあるが殆ど用いたことはない。子供らが受験のときに用いたらしい。

 一方、私は寒がりだから暖房に関しては重装備である。子育ての頃は節電のためにハイブリッドこたつなるものを自作し家族全員で暖をとったものである。ハイブリッドと称する機器を導入したのはトヨタよりも我が家の方が早かった。しかし、我が家のFFストーブなどの暖房機器が総じて古くなった。

 最近は盛岡在住の孫たちがたまに泊まりに来るが、夏は冷房のない部屋から汗びっしょりで、冬は35年前の、温度調節が出来ないFFストーブで汗びっしょりで起きてきた。

 今春、長女が里帰り出産し夏までいる予定ということで「赤ちゃんの為に」エアコンや空気清浄機が欲しいという。ついでにが暖房も検討したら?・・という。子供たちはそんなのは今は当たり前、と誰も異議は唱えない。

 私どもは必要性をそれほど感じなかったが、「赤ちゃんの為に」、「孫の為に」といわれればで抵抗出来ない。2階にエアコンを2台設置した。

 私がエアコンに暖房機能を知ったのは冬支度を始めた2か月前のことである。
 エアコンの暖房機能は灯油のストーブよりも手軽で安全、かつ経済的だ、と長男が主張した。私は端からそんなことはあり得ない、と考えていただけに驚いた。

 私はエアコンに暖房機能がついていることは知っていたが、暖房用のヒーターが機器の中に組み込まれている、と思い込んでいた。要するに、構造的に電気ストーブと大差ないはず、だから、暖房に用いると不経済なのだと固く信じていた。
 電気ストーブは消費電力の割にはさっぱり暖かくない。補助的には有用だが、部屋を暖めるほどの能力がない、きわめて不経済な機器だと思っていた。かつ、最近の電気ストーブはいろいろな形式のがあるが、どのように改良してもワットあたりの発熱量は不変だから、大差あるはずがない、と思っていた。

 それが、エアコンの暖房機能に発熱体はなかった。今年設置したエアコンの説明書見て初めて知った。ショックであった。独りで無知を恥じた。


11/19(火)雨・夕方以降みぞれ風雨 外来 auショップなど プリウスタイヤ購入
1:00起床。文献・新聞等処理、徒然。自炊本読み。歌謡曲データ化。7:00車病院。8:45-12:55外来。iPhone修理でauショップへ。プリウスタイヤ購入。16:00帰宅。新聞、医学論文チェック、19:00夕食、 20:15就寝。 歩数計Σ2.104Km。

他人の陰の部分は知る要もなし(2)宗教学者山折哲生氏の「安藤美姫論」から
 山折哲雄氏は著名な宗教学者、評論家のお一人である。最近、新聞紙上に「震災と仏陀」、「皇太子退位論」などを発表している。私は某学会の特別講演で氏の講演を拝聴して感銘を受け、その後も東京の講演会にも2度出かけ拝聴している。氏は今80歳前後と思われる。淡々とした優しい語り口であるが発せられる言葉は厳しい。私にとって、遠い存在であるが身近にも感じられる方である。

 その山折氏が11月8日岩手日報の識者コラム欄にフィギュアスケートの安藤美姫選手にたいする論評を掲載した。なんで安藤選手??意外な対象でちょっと驚いた。

 山折氏の論旨は「安藤選手の出産と不妊治療に悩む女性達の苦悩について」であろうが、私は「安藤選手の固いガードとマスコミの報道姿勢」の方向で読んだ。

 山折氏の記述から安藤選手の部分のみの要点を引用する(一部改変)。
■安藤選手が復帰し、全日本選手権の出場権を手にした。
■安藤選手は今年4月に女児を出産、7月に発表した。
■マスコミの執拗な追及にもかかわらず、父親について一切語らない。
■子育てと選手生活を続けると言い切った。新しいスタイルのシングルマザー宣讐だった。
■心ないマスコミが「安藤選手の出産を支持しますか」と問うアンケートを企画したが、読者から「人権侵害」と抗議をうけ、謝罪と撤回した。一連のマスコミの姿勢には問題があった。
■彼女の言葉で、「自分のおなかの中には赤ちゃんがいる。その赤ちゃんとサヨナラしてしまうという答えを出すのが嫌だった。固りからは、スケーターとしての自分の立場を考えて、と反対されたときもあった。けれども自分なりに一生懸命に説明し、スケートよりもいのちを選ぶことにした」、は特に印象的だった。
■2020年の東京五輪の頃、引退した安藤選手は7歳の娘とペアで究極の姿をわれにみせてくれればいい。そんな妄想を抱く。
■上記の安藤選手の姿勢は近年まれな朗報である。
■・・・・・。

 山折氏は安藤選手の姿勢を高く評価している。後半には不妊治療の発達、IPS細胞の発見など不妊治療に悩む女性たちの苦悩についても言及されている.一読の値があるが省略した。

 私は「母となった安藤選手の陰の部分は知る要もなし。興味もない。復帰した以上、選手として良い滑りが出来れば良い・・」ととらえている。

 他人にとってどうでも良いことをマスコミ関係者は何で根掘り葉掘りほじくるのか。彼らは読者が、視聴者が求めている、国民は知る権利があるから報道する・・という。そんなことはない.マスコミ関係者に単に良識がない、自制がないだけ、である。

 私はリンク上で見せる演技以外のことを何一つ知らない。演技中の表情はとても良い、と思う。安藤選手のマスコミ攻勢にたいして敢然と対峙し、プライバシーを守った姿勢を高く評価する。


11/18(月)終日雨 外来 画像システム閲覧方法説明 iPhone落下傷付けた
 1:45 起床。文献・新聞等処理、徒然。7:10車病院。8:45-11:25外来。11:30-12:15オーダリング画像システム閲覧方法説明会。15:00車帰宅。 iPhone落下傷付けた。新聞、医学論文チェック。映画「クヒオ大佐」、アメリカ空軍のパイロットなどと偽って女性たちから約1億円を巻き上げた実在の結婚詐欺師の姿。本「永遠のゼロ」読む。19:00夕食、 20:15就寝。歩数計Σ2.088Km。

他人の陰の部分は知る要もなし(1)藤圭子をめぐって根掘り葉掘り
 8月22日、歌手藤圭子が死去した。驚いた。今でも元気で現役で歌っていると思っていた。

 「新宿の女」でデビューしたのは1969年、黒い大きな瞳、京人形のような美しい顔立ち、殆ど笑顔を見せる事なく、暗い雰囲気で絞るように歌った。私はその暗く静かな雰囲気に魅了された。彼女の表情はレコード会社のイメージ戦略によると言う。どこまでが虚像で、どこからが実像か、私には分からない。美しい女性をリストしてみて、と問われれば私は数番目には挙げるだろう。

 ラジオ深夜便で時折藤圭子の特集が放送される。その際簡単な解説が入るが、「貧しい浪曲師一家に生まれ、目の不自由な母の手を引き、生活のため浅草のネオン街などを15歳のときから流した」。この程度が私の藤圭子に対する知識のほぼすべてであった。それで十分、それ以上の興味もなかった。

 死去された後、新聞等で追悼記事を読んだ。好意的な記述であった。岩手で出生したことも初めて知った。家庭も崩壊、長い孤独の果てに、死を選んだらしい。一方、週刊誌は、私は新聞広告で見出しを見るだけだが、しばらくの間彼女に関するゴシップ記事、暴露記事で満たされていた。悪意を感じさせる見出しも少なくなかった。なんで人は他人のことまでこんなに詳細に詮索したがるのか?呆れるばかりである。身内の方を含め、死んでも解放されることのない、有名人は実に気の毒である。

 私は他人に関して殆ど興味がない。知人でも、スタッフでも私の前で見せる表情、姿以上の事は殆ど知らないし、興味も無い。さすがに家族に関してはちょっとだけ違うが、・・・。

 私にとって人のイメージは情報量が少ないほど良く保たれるようだ。良いイメージだけで人物像を作り上げているからであろう。
 例えば、「梅ちゃん先生」で好演した堀北真希の場合、何かの雑誌のピンナップの写真があまりにも美しかった。期待して「梅ちゃん先生」を見たが、見るたびに私のイメージは崩れて行った。
 病院のスタッフにもすれ違うたびごとに私のこころが癒される、良い表情をした女性がいる。名前も知らないし会話したことも無い。私にとってはこの程度のままが一番良いようである。


11/17(日)快晴 庭掃除中心 
1:30起床、新聞、文献チェック。医学雑誌のPDF化、録音データ整理など。9:00病院と自宅のイス交換。午前は居間の掃除。13:00-16:00庭の掃除、ハス用に掘った穴を埋める作業。防寒靴購入。「永遠のゼロ」読む。帰宅,19:00夕食、20:45就寝。 歩数計Σ2.088Km。

高齢化社会の医療・福祉は2013(4)「 国民医療費」
 厚生労働省が今月14日に国民医療費の確定値を公表した。
 2011年度に使われた医療費は、前年度より3.1%多い38兆5850億円だった。5年連続で増え続け、過去最多を更新した,1人あたりの額も30万1900円と、初めて30万円を超えた。

 医療費がこの数年問は2-3%程度ずつ増え続けており、国の財政を圧迫している。財務省は来年4月の診療報酬改定で底下げしたいとの意向らしい。医療の公定価格である診療報酬の見直し論議はいま中医協、政府の財政諮問会議で論じられているが、従来に増して厳しくなりそうだ。

 「国民医療費」は公的な医療保険が使われた保険診療の総額。その内訳は、全体の■5削弱が保険料、■4削弱が税金、■1割余が患者負担、でまかなわれている。 

 医療費が膨張して行く主な要因は、■医療技術の進歩、■高齢化であるが、■人件費、である。

 ■医療は日進月歩である。高度な検査機器や検査法、治療法が普及することによって医療の質が良くなり、患者のみならず国民全体が恩恵を受けることになる。その半面、診療のコストも上がる。治療の効果が上がるほど慢性的に治療を要する患者は増えていく。

 ■人は年を重ねると、病気やけがをしやすくなる。11年度、65歳未満の方のI人あたりの医療費は年間17万4800円にとどまるのに対し、65歳以上では72万900円となる。元気な100寿者は時にマスコミに登場し矍鑠たる姿を見せているが、その陰に何倍もが全介助状態者がいる。現在100寿者は5万人ほど、2050年には70万人にも達する。誰がそのようにケアし、医療費を負担するのか。「寝たきりを増やして今年も世界一」である。

 ■医療関係職種のマンパワーは医師も、看護師も、パラメディカルスタッフも少ない。日本の医療が低費用で大きな成果を上げているのはスタッフの献身的姿勢で働いているからである。例としては50−60名の入院患者に対し夜間帯の看護師の数は3名、多くて4名程度で、仮眠もとれず走り回っている。こんな状況は看過出来ない。

 医療費の伸ぴは国の財政の悪化にもつながってるが、医療界の団体、日本医師会など、は「医療費を国内総生産(GDP)比で見れば、先進国の中では高くない」と主張しているが、各国の国内事情、医療事情は大きく異なっているのだから、単純な比較、相対的な比較は意味が無い。だから、主張の論拠にはなり得ない。国の将来像を含む、視野の広い、論理的な主張に変えて行くべきである。


11/16(土)終日雨 重症回診対応 飯川病院日当直 
1:00起床、新聞チェック、徒然他いつもの如し。歌謡曲インデックス作成作業、PDFデータ整理、午前は野良猫のための防寒ハウス作成。11:00病院へ、重症者回診と対応。12;10飯川病院へ、日当直業務に。 新聞チェック、 アジアの歴史関連読む。18:30検食、20:00就寝。

プラズマTVとロータリーエンジン
 パナソニックはプラズマテレビ業界から撤退する。このニュースを見て、私はマツダロータリーエンジンの撤退のニュースとオーバーラップした。

 マツダは2011年10月、ロータリーエンジン搭載車「RX-8」の生産を終了すると発表した。これで世界で唯一、同社が1967年から販売していたロータリーエンジン車がすべて姿を消した。ロータリーエンジンは小型で軽量、静粛、高出力だが、燃費性能が劣った。ガソリン高騰、ユーザーの低燃費志向の高まりのなか需要が低迷し、販売継続は困難と判断した。ロータリーエンジンの研究・改良は続けると言う。

 パナソニックが今月初旬にプラズマテレビからの撤退を決めた。巨額赤字で社の財務基盤を傷めていたが、需要が低迷し販売継続が困難と判断した。大型テレビはプラズマでしかつくれないとされて期待されていたが、プラズマテレビは液晶の倍近くの電力を消費する、焼き付きやすい、などの問題があった。 日本製のテレビの低迷はプラズマテレビだけでない。液晶テレビの売上も低迷している。世界の液晶テレビの売上高で日本メーカが占める割合は本年が25%で、2009年の43%で大きく低下している(総務省)。ソニーも来年のテレビの販売計画をこれまでより100万台少ない1400万台に下方修正している。

 夢のエンジンとして注目され上り調子であったロータリーエンジン車が低迷し始めたのは第一次石油ショックであった。その後燃費は改良されたもののガソリンの高騰が続き、世界市場で需要は伸び悩んだ。私は13B型ロータリーエンジンの搭載車のルーチェ・レガートを用いていた。とても気に入った車であったが燃費は通常走行では4-5Km/Lと極めて不経済であった。県条例でスパイクタイヤが履けなくなった年、FRで滑りやすかったルーチェに見切りを付けスバルの4WD車に乗り換えた。

 プラズマテレビの売り上げは東日本大震災、原発事故後の節電意識の高まりがとどめをさした。プラズマテレビの機能には液晶テレビよりも優れた点もあったが、消費電力の多さがあだになった。震災後ユーザーの節電意識が高まったことと、液晶テレビの大型化の成功、4K,8K機能に高機能化、バックライトのLED化による消費電力の一層の減少など、液晶テレビの改良が進んだためにプラズマテレビは全く売れなくなった、と言う。

 ロータリーエンジン車、プラズマテレビは姿を消すことになりとても寂しい。

 私はロータリーエンジン実用化を実現させたマツダの技術力に打たれてロータリーエンジン搭載車に乗った。今更ながら懐かしさと喜びを味わっている。最近我が家のテレビが不調となった。プラズマテレビは娘宅で用いている。なかなかいい印象であった。だからプラズマテレビも視野に入れて選択していたが、今回は液晶テレビにせざるを得ない。プラズマテレビに夢をかけたパナソニックの技術力はたたえたい。それで、今回はパナソニック製の液晶テレビを注文した。


11/15(金)雨 冷えた 大曲中通病院外来 
1:30起床、MP3録音、PDFデータ整理。新聞処理。7:00Taxi病院着、回診他、8:03こまち、徒歩病院、9:00-15:00大曲中通病院外来。17:00書店、コーヒー店など経由して帰宅。 DVDにて映画「ジェネラル・ルージュの凱旋」前半観る。 文献チェック、夕食。20:00就寝。 歩数計Σ2.078Km。

高齢化社会の医療・福祉は2013(3) 「残りの人生は長さでない、どう活用するか」だ 
長寿社会に生きているわれわれであっても、何時かは生を終える。今迄死ななかった人は一人もいない。何時途絶えるか分からないから、残りの時間は「長さでなく、どう活用するか」なのだ、と先人達は提言する。

 勿論、お金はそれなりに準備する必要はあるが、これからの時代は悠々自適ではなく「すがらず、頼らず、強く」生きねばならない。そんな時代を迎えつつある。
 誰かに必要とされる自分の発見し、誰かとかかわりながら生きる、それを通じて残りの人生をどれだけ充実させるかにある。一旦第一線を退いてしまうと黙っていては何かに指名されるとか、選ばれると言う事は殆ど期待できない。その埋没しないための努力は自分でしなければならない。その際に問われるのはかつての肩書きでなく、裸の人間としての資質・能力である。

 私も発想の転換をしなければならないことはよくわかっているが、私にはどうも実行困難な世界のように思う。今の所はまだ医師の一人として細い糸で病院に繋がっているが、それも途絶える可能性をがある。その場合にどうするか。今から悩みの素になっている。その際、暇そうな姿を見せていれば町内会の役員あたりが回ってくる位なものである。

 女性は社会のなかで人間関係のネットワークを充実させるのは比較的簡単、男性は一般的に困難であるとされる。家内はちょこまかと出かけいろんな会に参加しそれなりに人脈を作っている。休日などほどんと家に居ない。たいしたもんだと対極にいる私は感心している。 

 私自身は過去の大部分をリセットし、最小限のことしか残していない。これらをすべて捨てる日はいずれ来る。今ですら家屋敷の外に出る機会は滅多にないが、その際、私はどういう人間になっているだろうか。引きこもり老人か。

 いま第一線から退きつつある60歳代にのシニア層は日本の経済の動向も体感しているから、古き良き時代がもう戻ってこない事は実感としてつかんでいる・・・と思う。しかも、右を見ても左を見ても同年代ばかりである。こんなにシニアが多いと「もう、年だから」と家族や社会に寄りかかるわけにもいかない。年金は減らされ、医療保険・介護保険だって給付内容が後退していく。だから、生きていくのに新しい発想、覚悟が要る。

  実は、このシニア世代の新しい生き方の覚悟こそが、新しい自立した生き方を見いだしていくきっかけになる、と思ってる。経済成長で失った何かが戻ってきて、面白い社会が到来するかもしれない。


11/14(木)曇り晴れ 外来
1:30起床、文献・新聞チェックなど。7:40徒歩病院着、回診他、8:45-13:00外来。ドック判定総括。15:45天徳寺から歩行帰宅。DVDにて映画「ねらわれた学園」1981年作観る。私は乗り切れない作品であった。17:00夕食、20:20就寝。歩数計Σ2.070Km。

徒歩通勤(23) 四国お遍路めぐり(2) 44札所に到達 
 伊能忠敬の足跡をたどる歩数計が不調になったのを機会に、歩数計「四国お遍路めぐり1200Kmコース」を購入した。歩数計は間もなく直ったので日本一周コースと同時に四国お遍路めぐりコースも味わう事とした。

 四国霊場めぐりは四国を一周ぐるりと囲むように空海ゆかりの八十八の札所寺院を巡る旅である。
 9月20日お遍路コースめぐりを開始した。徳島県鳴門の近くの第一番「霊山寺」から始め、現在約700Kmの時点にいて44番「大宝寺」を通過したばかりである。

 私は宗教にはとても興味がある。宗教への興味の背景には、心理学的立場、歴史的立場、民族的、文化的・・・な立場からであり、私にとってとてつもなく大きな研究対象である。建造物としての神社仏閣にも興味がある。仏像にも強く惹かれる。

 机上には大きめの四国全図と出版文化社発行の「四国八十八ヶ所周辺ガイド」を置き、各霊場に関する由来等を学んでいる。通過した44ヶ所の寺院の外観をガイドブック見て、さらにネットで各寺院の由来等を学ぶ。バーチャルながらなかなか楽しい旅である。各寺院は外観も大きく異なっており、由来もそれぞれ特徴がある。

 その中で興味を感じたのは、第13番札所、徳島の大日寺の住職がたどった人生についてである。
 この方は韓国の女性で金 昴先(キム・ミョソン)氏。韓国伝統舞踊の名手で国際的にもよく知られ、2011年に韓国の文化勲章花冠の叙勲を受けている。2000年頃に韓国の舞踏団を率いて来日し、大日寺に宿泊をしたことが縁となり37歳で前住職弘榮氏と結婚した。07年夫が脳梗塞で急逝され、08年に四国八十八ヶ所初の外国籍の住職となる。この間乗り越えるべき障碍は多々あってかなり苦労されたと思われるが、氏を支えてくれたのは前住職弘榮氏の「ありがとう」の言葉だったと言う。最近のインタビュー等では「運命を自然に任せるだけ」と淡々と述べておられる。
 本年3月「がまんの先には、いいことが待っている」と題する本をPHP研究所から出された。私はまだ読んでいないが近日中に取り寄せるつもりである。

 バーチャルであるが四国遍路は面白い。いろいろ学ばされる。いま行程の半分が過ぎたばかりであと500Km残っている。この先の札所については全く白紙である。どんな楽しみが待っているのか、と思う。


11/13 (水)寒波降雪続く 外来
1:30起床。新聞・文献・録音データ編集他。5:30ゴミ出し、7:40徒歩病院着、かなり寒い。回診他病棟業務。8:45-13:00外来。ドック総括。15:30天徳寺までバス帰宅、医学論文PDF化など、 DVDで映画「北の零年」後半見る。17:00夕食、20:20就寝。歩数計Σ2.058Km。

高齢化社会の医療・福祉は2013(2) 意識転換を 「すがらず、頼らず、強く生きる」
 地球レベルで見て先進国では人口減と高齢化が、途上国では人口爆発と高齢化が問題になっており、世界的に見て高齢化への手当が必要となっている。各国とも大変な経済的問題点を包含する。

 欧米の先進国は高齢化を100年以上もかかって進行してきた。その対策もじっくり準備出来た。一方、わが国の高齢化ははわずかに30年ほどで急速に進行し、あれよあれよと言っているうちに世界一の高齢国になってしまった。

 高齢化としては超先進国で、健康寿命、平均寿命も世界一である。急造の内容で欠陥もあるが高齢者制度、医療制度も充実している。日本の高齢化対策の充実・成功を世界は驚嘆の目で見てきた。わが国では100歳以上の高齢者が将来70万人にも達すると言うデータがある。100寿者の一部は矍鑠としているが、その陰には認知症、寝たきり状態にあり医療・介護、マンパワーを要する状態になる。高齢化を詠った川柳に「寝たきりを増やして今年も世界一」もある。こんな状況を日本がどうやって乗り切るのか、今は世界の目はそちらの方向に目が向いている。

 日本人は慎重で勤勉な国民である。先々の不安に対しては「備えあれば憂いなし」と蓄財に励み、「老いては子に従え」、「家督を譲り、隠居して悠々自適」との精神で対処してきた。確かに国は個人の蓄財を借り上げて維持できているなど、現在の日本の経済に大きく寄与している。

 しかしながら、「備え」、「老いては子に」、「隠居して悠々」などが通用しなくなる時代が到来する。こんな夢は家族の同居を前提した社会であればこそ言える事である。 孫子と一緒に生きる事がしあわせと考えてはならない。日本の独居率は現在23%だが、急速に上昇しつつある。高齢者は独居のためのノウハウを身に付けなければならない。

 ところが、後期高齢者の年代の方々は、この急速な変化に自らの意識が追いついていない。親方日の丸的考えで待っていれば、年金の始め、互助・共助、国のサポートが右肩上がりにが良くなっていくとの期待がまだ大きい。在宅で老老介護などで悲惨な生活をしている老夫婦は少なくない。

 今、65歳の高齢者に達した方々は、人生90年代の到来を分かっている世代である。国のサポートは右肩下がりになるだろうと言う事を感じ取り、不安に思っている。どうやって独りで生きていくのか、自分で決めなければならない。 そのキーワードは「すがらず、頼らず、強く生きる」である。


11/12(火)寒波・降雪 外来
1:30起床。文献、新聞・徒然。5:30家庭ゴミ集積所に。7:40徒歩病院、回診他、患者書類処理。8:45-13:10外来。15:45天徳寺までバス帰宅。掃除関連文献学習。文献PDF化、19:00夕食、 20:00就寝。歩数計Σ2.048Km。

高齢化社会の医療・福祉は2013(1) 迎えつつある厳しい状況
 日本は世界的に例を見ないスビードで少子高齢化が進んでいる。語り尽くされて来た観があるが、不安を持たない方が不思議になる数値が並ぶ。しかし、国として、個人としての対策を考えなければならないが、対策の姿が見え難い。

 最近の文献から高齢化に関する簡単な数値をピックアップしてみた。
 ■100歳以上の超高齢者:現在5万人、2050年には70万人ーーー多くは自立出来ない状況と予想される。
 ■人口減:2050年には現在の7割ほどの9.000万人に減少する。1955年(昭和30)ほどと同じであるが、人口構成は少子高齢化のまま。 
 ■国の平均年齢:最も多い年齢のこと。1955年24歳、2055年は53歳で4割が高齢者、1割が子供 5割が労働世代ーーー現況の労働世代の負担のみで社会保障は運用困難。
 ■独居生活、独居率:米国45%、英仏は50%以上。現在の日本は23%だが、急速に上昇しつつあるーーー高齢者は独居のためのノウハウを。 
 ■過疎地区が増えるーーー社会資源サービス困難に.

 日本は経済的に、活力と言う面では下降線を辿っているが、世界に例を見ない超先進国を示す項目だけはどんどんと記録を更新してきている。

 戦後のどん底状態から急速に復興を遂げ、世界第二の経済国となり、「アジアの奇跡」と称された日本、その経済成長を支えてきた労働者は団塊の世代と称されるが、この大集団が2025年には後期高齢者世代に突入する。後期高齢者は色々とコストがかかる世代である。
 この厳しい状況を迎え、国の活力をどう維持するか?

 大きな課題を内在しながら、大多数の国民は今は恵まれているためか、その現実を知ろうとしていない。日本は医療・福祉制度として最も充実している国の一つである。国民皆保険、年金制度、介護保険制度、虐待防止法がそろっている国は世界広しといえど日本だけである。各々の制度の欠陥を挙げる事は易しいが、制度として揃っているのは我が国だけ。この恩恵を国民がどれだけ認識して享持しているか?これから先をどう考えているのだろうか。

 2025年は間もなく到来する。国も個人的にも対策を考えて置くべきである。そうでなければ、日本は貴重な財源を、年金・医療・介護・福祉の社会保障で食い尽くしていく事にもなりかねない。
 こんな状況は考えるだけでも辛い。


11/11(月)初雪・降雪・寒気 健康クリニックドック MRI受けた
1:45 起床。文献・新聞等処理、徒然など。本日は厳しい寒気と降雪が予想されている。若干の晴れ間を狙って7:45徒歩病院着。回診患者書類処理。9:00-11:00健康クリニックドック。11:10-11:45脳MRI受けた。入院患者若干重症化あり対応。15:30バス利用帰宅。録音データ処理。DVDで映画「北の零年」一部見る。17:00夕食。20:00就寝。歩数計Σ2.036Km。

佐藤卓史リサイタル ベートーヴェン4大ソナタを弾く
 11月10日(日)14:00からアトリオンにて佐藤卓史氏の ベートーヴェン4大ソナタを弾くと称したピアノリサイタルがあった。
 氏はデビュー10周年を迎え、全国16か所を回るリサイタルで、ベートーベンのソナタ第8番「悲愴」、第21番「ワルトシュタイン」、第14番「月光」、第23番「熱情」を演奏した。
 氏は1983年秋田市生まれ。幼少の時から逸材として注目されていた。東京藝術大卒。在学中から数多くのコンクールの入賞歴がある。第11回シューベルト国際ピアノ・コンクールにて第1位に輝いている。ソリストとして、室内楽奏者としても活動している。

 秋田での演奏会も数多い。在京オーケストラとの競演、アトリオン室内合奏団との競演、篠崎史紀氏とのデュオなど。私も氏の演奏を聴くのは今回が6-7回目ほどである。

 私はピアノソロ曲をあまり好まない。強い打鍵音は私にはちょっと辛い。だから、ソロリサイタルも行かない訳ではないが、数は少ない。今思い出すと、リヒテル、ブレンデル、ブーニン、梯、中道・・をあげる事が出来るが、弦を中心とした室内楽、オーケストラの演奏会に比べれば1割以下であろう。ピアノ協奏曲は好んで聴く。レコードやCDでピアノ作品を聴く際には音量を絞って聴く。

  今回演奏されたベートーベンのソナタは聞き慣れた作品で、氏は見事に弾き終えた。名曲であることを再確認した。アンコールには「ワルトシュタイン」の第二楽章として作曲されたが独立した曲となった「アンダンテ・ファヴォリ」、「エリーゼのために」が演奏された。よくまあ疲れも見せずに弾き切るものだ、と感心した。
 私は演奏内容についてはコメントできない。

 アトリオンホールは残響が豊かだと思う。室内楽やオルガン曲などでは豊かに聴こえる。しかし、その事がマイナスとなる事もある。今回の演奏でも速いパッセージがグリッサンド様に聞こえた箇所もあった。私は後方の壁際の席であったが、音量も豊かすぎた。
  演奏後大声で「ブラポー」と叫ぶ方がいたが、不快で興ざめ、堪え難い。やるなら最前列で小声でやって欲しい。


11/10(日)降雨・強風 隣家との話し合い 佐藤卓史リサイタル
1:00起床、新聞・文献チェック,徒然その他。軽食、午前中は居間の整理、隣家との話し合い。午後はアトリオン、佐藤卓史リサイタル。17:00バスにて帰宅。書斎の整理。不要品の廃棄など。19:00夕食、20:15就寝。歩数計Σ2.025Km。

身近な食品、鶏卵と牛乳ー無知だった(2)ホルスタイン:産まされ搾られ続ける一生
 私は牛乳がそれほど好きという訳ではないが、幼少のときから親しみはあった。現在は牛乳に追いかけ回されている毎日である。

 私が育ったのは盛岡近郊の片田舎であったが、医師である祖父が牛乳をことさら好んでいた。小学校に入る前から週2回、1Kmほど離れた親戚の農家に一升瓶を持って絞り立ての牛乳を取りに行っていた。生の牛乳はそのまま飲んではならない。牛乳を祖母が鍋で沸騰させた。牛乳を静かに沸騰させると表面にタンパク質からなる薄い膜が張る。それを箸で上手にからめとって牛乳に浮かべて飲ませてくれた。小学5年、祖父の死去を持ってこの習慣は終了した。

 しばらくは牛乳から離れた生活を送ったが、10数年ほど前から家内が定期的に牛乳を取り始めた。500ml瓶で一週間で3L配達されてくる。牛乳を取り始めた頃、私は夕食のみの一日一食にしていて家内はこれに批判的であった。苦肉の策として私に牛乳を飲まそうと図った様である。家内は自分では牛乳を殆ど飲む事はなく、時に料理に用いる程度で、3L/週の牛乳を飲むのは私の役目となった。今は一日二食にしているが届く牛乳の本数は変わっていない。

 これほど牛乳とホットな関係にあるのに、ホルスタインの一生について私は大きく誤解していた。一度出産すると数年間も乳汁を分泌し続けるものだと思っていた。先日、農業関連の本を読んで牛の苦労を初めて知った。無知であった。

 乳用牛のホルスタインは多量の乳を出すように品種改良されてた牛である。
 出産を契機に多量の乳を分泌し、ピーク時には一日50−60Lもの乳を出す。搾乳してやらないと乳房炎になって命を落とす。初乳だけは一週間ほど子牛に与えるが、その後10ヶ月間人間の為におよそ7.500Lの乳を出す。乳分泌が止まった乳牛は2ヶ月ほど休ませた後再び妊娠させられ、出産後再び乳汁を分泌する。このサイクルを5ー6回繰り返した後、と殺されて食肉として一生を終えると言う。

 ここでちょっと疑問なのは、頻回に妊娠させるより、乳汁分泌ホルモンであるプロラクチンを用いる事は出来ないのか?と言う事である。その方が効率的だと思うのだが。ただ、子牛を得る事も必要だからむしろこの方が良いのかもしれない。

 ホルスタインの寿命は実は分かっていない。莫大な費用がかかる為に寿命がつきるまで飼育される事がないからである。予想として30年ほどとされるが、家畜としての寿命は10年にも満たない。

 恐れ入りました。人間の為に彼女らがこんな厳しい一生を送っているなんて不勉強で知りませんでした。苦労続きの一生だと思う。今後、牛乳とお肉を心していただきたい、と思う。


11/9(土)快晴 重症患者対応
1:00起床、何時もと同じ.読書中心。7:00軽く朝食、文献・新聞読み。家内のバザー用の品目準備。10:00ゾンタクラブのバザーに出る家内を送り駅に。10:30重症患者回診、オーダー出し。12:30バス利用帰宅、午睡若干。午後は野良猫の為の風除室作成。データ入力、整理。19:00夕食、20:30就寝。

身近な食品、鶏卵と牛乳ー無知だった(1)白色レグホン、さんざん産まされてポイ捨て 
私は卵焼きが異常なほど好きである。
 小学一年の春に自宅が火災に遭ったが、昼食に食べていた厚焼きの卵焼きをそのままにして逃げた。この時のトラウマなのだろう、私はそれ以降現在に至るまで目の前に卵焼きがあると手を出さないではいられない。寿司を食べる時には卵焼きだけ単品で注文する事もある。

 これほど卵焼きが好きなのであるが、白玉を産む白色レグホン、赤玉を産むポリスブラウンなどの採卵鶏について大きく誤解していた。つい、先日農業関連の本を読んで初めて知った。

 採卵鶏の雄はひなの段階で処分される事は知っていた。何故か私の父が鶏の雌雄鑑別師の技術を持っており、時々話を聞いていたからである。判定はきわめて難しく時に雄鶏が混じって育つ事もあるのだと言う。養鶏場では雄は無用なので、彼らは見つかった時点で処分される。また嘴で互いに怪我が絶えない。そのため無麻酔で嘴を切る。日本では約80%で実施されている、との事である。

 採卵鶏は生後5か月頃から産卵をはじめる。
 その後ずっと数年間にわたって産卵し続けるものだと思っていた。

 それが、産卵開始後1年ほど経つと換羽期に入り卵質や産卵率が低下し、休産期に入る。このため、換羽前に処分する養鶏場もあるが、約半数の養鶏場では人工的に強制換羽を行う。鶏を給餌制限により栄養不足にさせる。これで羽が抜け替わる。この処置で生き残った鶏は、その後8か月ほど質の良い卵を生む。再び産卵率が落ち、この時点で処分される。強制換羽は日本では半数の施設で実施されている。

 採卵鶏の一生をまとめると、
■生まれた時点で雄は処分される。
■嘴が無麻酔で切られる。
■産卵開始後約一年で休産期を迎えるが、一部はこの時点でと殺処分される。
■と殺処分されない場合は人工的に栄養失調状態にさせ換羽させるが、一部は栄養失調死する。
■強制換羽後8か月ほど産卵するが再び産卵率が落ちる。この時点でと殺処分される。
■この時点でやせ細り食肉用にはあまり向いていない。肉の価格は安い。一部は家畜のエサ用などとなる。
■鶏の寿命は20年ほどとされるが、採卵鶏の寿命は2年ほどである。

 恐れ入りました。人間は他の生物の「いのち」をいただいて生きていると分かっていたが、好物の卵焼きの元となる卵を産んでいる鳥を尊敬していただけに、彼女らがこんな厳しい一生を送っているとは、知りませんでした。2週間ほど前にショックを受けた。苦労続きの一生だと思う。今後、卵を心していただきたい、と思う。


11/8(金) 大曲中通病院外来 居間暖房初点火
1:20起床。文献、新聞チェック、徒然。7:00Taxi病院、重傷者回診、8:12こまち。9:00−14:50大曲中通病院外来。大曲は往復17:00Taxi帰宅徒歩。居間の整理、冬支度他。19:00夕食、20:00就寝。歩数計Σ2.010Km。

あきれたメニュー偽装問題(3) 私の防御策 判断出来ないのには近づかないこと
 今は食品表示偽装について騒がれているが、問題は食品表示偽装の範囲でなく、衣食住すべての項目、流通品すべてに及んで来る、と思われる。多分、今後もっともっと、驚く様な表示偽装のケースが明らかになっていくと思われる。

 そう考えている私の防御策であるが、今問題になっている食品誤表示の範囲は私には関係ない贅沢な世界の事である。やはりそうか・・と思っただけで実害は無い。高い金を払って偽物を食べさせられた方々には、気の毒に・・、と思うだけ。考えようによっては自業自得とも言える。

 私の防御策は以下かな?
■表示偽装は当たり前にあることの事だとの前提に立つ。
■だから、自分の判断力、評価が及ばない様な高級な?高額な?世界には近づかない。
■中級から低価格の実用品を選ぶ。食材購入、外食を含む。地産地消を尊重する。
■その上で、企業、商店など利潤をあげる工夫は当然である。おいしくて満足できればそれで良いと納得し、受け入れる。

 私は日常からけちだけちだ、と公言しているし、この徒然にも数10回はこの言葉が使われているはずである。お金を気持ちよく上手に使えない。そんな母親に育てられ、すっかり私の身にも付いてしまった。

 かつては学会等で頻回に出張した。その際、選択する余裕がある時には宿泊するホテルもランクをさげた。どうせ本を読むか寝るだけだから。ホテルを選択できず、今回話題になっている阪急ホテル、ホテルオークラなどにも泊まったが、レストランの食事はディナーなど1−3万円と馬鹿みたいに高く、勿体ぶってて私のレベルではない。多くはホテル外で食事をとる。

 こんな判断力も無い私が、偽物でもかまわない、と清水の舞台から飛び降りる気持ちで買ったものがある。30年ほど前のことである。ヴァイオリンと弓を購入した。1700年代のイタリアの楽器でラベルにはOddardi作とある。古楽器のラベルなど殆ど信じられないとされるが試奏して気に入ったから決めた。実際によく鳴る楽器で気に入っている。真贋を明らかにする気もない。別に偽物でもかまわない、と思っている。こういう納得の仕方もあると思う。

 今回の偽表示は儲けるために会社、組織を挙げて行った詐欺で犯罪である。看過すべきではない。


11/7(木)終日雨、風、雷鳴 外来 歩行計積算2.000Km到達
 1:30起床,新聞整理。本読みなど。5:30書籍、書籍・段ボールなど市の資源ゴミ回収所に搬送。雨に濡れないように屋根が欲しい。7:15車にて病院。回診、書類処理。8:45-12:45外来。15:00車で帰宅。ミスパイロット他観る。データ整理。19:00夕食、20:30就寝。歩数計、朝のうちに2.000Km到達、Σ2.002Km。

徒歩通勤(21)歩行計積算2.000Kmに到達 
 植物、雲、風などを友として歩く もともと体を動かすのは好きである。抗凝固療法の為に自転車を止めて今春からは徒歩通勤としている。4月に伊能忠敬氏の元に弟子入りした。入門費用は5.000円であった。氏は50歳から天文学を学び、日本全国の地図を作るために地球1周分歩いた歴史上の偉人である。私は68歳であるが一念奮起して氏の足跡を辿って歩いてみようと思い立った。
 私は「継続は力なり」という言葉が好きである。自身を省みても計画を中断したり頓挫したりすることは比較的少ない方だと思う。今期から歩行通勤の項目が加わった。
 で、11月7日、ちょうど7か月目に歩行計積算2.000Km到達した。ちっちゃな節目である。一人で喜んでいる。入門前に250Kmほどの蓄積があるが準備期間としてデータに入れていない。

 500Km毎に要した日数をプロットしてみると、0−500Km:46日、500ー1.000Km:60日、1.000−1.500Km:51日、1.500−2.000Km:49日である。だいたい500Km/50日で、平均一日10Km歩いている事となる。途中Σ750Kmほどの時には右膝痛の為に整形外科を受診、歩行を控えるよう助言があって2週間ほどバス通、自転車通した時期である。幸いその後は快調である。

 東京を起点として伊能忠敬が辿ったとされる海岸線を北上しているが、青森県境まであと150Kmである。
 途中、9月20日からは四国遍路も開始したが現在39番目の円光寺に向かっているところである。

 連日の歩行の時の楽しみは何か、と言うと、路傍の植物、雲、風など自然であり、録音してあったラジオ深夜便の聴き直しである。

 これからちょっと歩行には条件が悪くなっていく。本年中にどこまで行けるか楽しみである。


11/6(水)曇りのち快晴 外来 飯川病院 患者家族面談
1:30起床,持参の新聞整理。本読みなど。7:45徒歩にて病院。回診書類処理。8:45-12:45外来。13:00−17:00飯川病院代診、病院に戻り19:15−18:15入院患者家族面談。17:10家内ニュージーランドから帰秋、駅に向かえ。外食、20:30帰宅、21:30就寝。

あきれたメニュー偽装問題(2) 食品表示偽装について私の考え
 メニュー偽装問題が大阪の阪急阪神ホテルズをきっかけに、全国に広がっている。実際には食品問題で済まないだろう。

 私は今回の様な偽装が人知れずに行われていた事は当然の事としてとらえている。だから、もっともっと出てくるはずだ。これは商売の基本の考え方ではないのだろうかる。

 まともな商売をされている方には本当に申し訳ないが、私には良心的に仕事をなさっている方とそうでない方と区別が出来ない。だから、私は十把一絡げに考えている。すなわち、みんな似た様なもの、同じアナのムジナの様なものだと考える。さらに言えば、この世の中は騙し合いの中でぎりぎりのバランスが保たれている、という考え方に帰結する。

 多分、「今、問題になっている食品表示に相当する様な不正を一切やっていません・・・」と宣言できる関係者はどれだけいるのだろうか?募集してみてはどうだろうか。

 食品表示偽装を報道するマスコミは悪人の首を取ったように優等生的に振る舞っているが、自分たちはどういう立場なのだろうか?何か似た様な事していませんか。

 私は食品表示偽装を以下のごとく考える。
■原料を仕入れ、加工して商売している業界では原料を出来るだけ安く仕入れようと考えるのは当然の事である。
■顧客には満足してもらわれなければ商売が成り立たない。判断力の乏しい顧客の裏をかくのはその道のプロにとっては赤子の手をひねる様なものだろう。高級指向の方々は自分の判断力をもっと大事にしては?
■それなりに高額な値段を支払い、ブランド店で食べたと言うことで顧客は満足する。だから、安い食材を使った事で安くしてはならない。むしろ、高級な雰囲気を演出すればいい。だから、ぼろ儲けと言う事になる。すなわちこの過程は確信的詐欺行為である。だから、今回は高級料理提供のレストランが集中的にあげられている。
■偽装はファミリーレストランでも行われていると思われるが、ブランド店とは考えが逆だろう。安い原料を使い安い値段で提供しないとやって行けないからである。ユーザーは食品に偽装もありうると分かった上で利用しているはずである。大体、文句言えるほどのコストを払っていない。私は外食は嫌いだが、止むない際にはファレスレベルの安い店を好む。肉の産地が何処であろうと、横隔膜であろうと、脂注入肉であろうと、そんな事はどうでも良い。そんな事など考えない。十分においしいからである。

 私は偽装を容認している訳ではない。偽装は偽装、その罪をどう購うのだろうか?不当に設けた分を社会に還元してはどうだろうか?


11/5(火)雨 外来 飯川病院
1:30起床,持参の新聞整理。本読みなど。7:45徒歩にて病院。回診書類処理。8:45-12:45外来。13:00−17:00飯川病院代診、尿カテーテル、胃瘻テューブ交換。17:30病院脇に開いた食堂にて夕食摂る。18:30バス利用帰宅、20:00就寝。

あきれたメニュー偽装問題(1)またか これは完全に詐欺罪
 メニュー偽装問題が大阪の阪急阪神ホテルズをきっかけに、全国に広がっている。 シバエビと表示したのに実際は安いバナメイエビ、天ざるそば(信州)が実は別産地、手作りをうたいながら既製品のチョコソースを使うなどなど。芋づる式に次から次と出るわ出るわ、で驚く。

 事が明らかになってから言ってもしょうがないが、私は多分そんな事もあろうと漫然と思っていた。ただ、私は食品の質にそれほど興味がない、知識もない、高級指向はなく安い食品の方が好き。そんな私だから証明しようがない。漫然とそんなものだと思っていた。だから私は溜飲を下げた。

 私の根拠は以下の事件を背景にしている。

 ■20年以上も前の事であるが、当時の黒豚は九州のある牧場で少量出荷していたが、黒豚として流通していた豚肉はその生産者の生産量の数倍はあった、と言う事が判明した。黒豚の表示はバークシャー純粋種にしか認められていなかったが流通業界の一部が不正をしていた。この事件は食品表示の問題で私に大きなインパクトを与えた。黒豚に関しては今はどうなってるか分からない。 

 ■2007年の今頃、食品表示偽造は社会問題になっていた。私の徒然にも何度も取り上げた。「船場吉兆」は日本料理の超有名店で、私には縁のない世界である。社では商品に、「但馬牛」や「三田牛」と表示したシールを張っていたが、実際には九州産の牛を使っていた。幹部は、「パートが独断で・・」とか、「仕入れ業者にだまされた・・」などと釈明したが、実際には幹部が指示した会社ぐるみの不正だったようだ。社長の説明を含めて今回の事件とそっくりである。

■「赤福餅」の事件もあった。「白い恋人達」、「比内地鶏」の事件もあった。

 これら事件の原点は、原料がどこの産であれ消費者は一切気づかないことにある。よく言えば料理人は材料の違いを気づかないように美味しく料理する技術を持っていたことである。さらにうがって言えば、食材の違い、味の違いは誰にも分からない、だから何とでもなると言う関係者のおごりに帰結するように思う。 

 私は味音痴で食品などの違いがあまり分からない。だから、食品の質などは気にしない。気にするのは清潔面、安全面のことだけと言っていい。

 よその方の判断力など知るよしもないが、本当に違いが分かって高級な食事を愛でているのだろうか? 自分の五感でなく、値段の高さで満足しているのではないか。

 私は「違いが分からないからこそ多くの方は高級ブランド、高級な食品を愛でるのだ」、と思う。消費者は信じきっているからクレームが出る事はないのだ。多分関係者はそう思って詐欺行為を続けてきたのだと思う。
 食材の問題は仕入れ関係を調べれば直ぐに分かるものだと思うのだが、お互い暗黙の了解で沈黙しているのだろう。

 だから、同じ事は今後も繰り返す事になろう。では、どうやって詐欺行為を防ぐかと言う事になるが、まず、高級レストランには客の氏素性の登録を義務づければいい。不正が明らかになった場合に直ちに返金できるからである。勿論冗談である(笑)。

 ところで、今回の事件は詐欺罪に相当すると思うのだが、記者会見で経営者が頭を下げれば終わりなのだろうか。


11/4(月)休日 快晴、一時強風・降雨・雷鳴 飯川病院日直 脳塞栓発症一年
 1:00起床。録音データ、画像データ整理、iPodに入力など。歴史本を読む。PDF書類整理など集中。車で出勤、街は深い霧に覆われ幻想的な情景。しばし車を止めて光景を眺めるた。 8:00重症患者回診対応。8:50−17:00飯川病院日直。持参の文献読み、新聞チェック、コンピューター関連の書籍読み。録音データ処理等々。18:00天徳寺近くに開いたレストランで夕食、19:00帰宅、風呂掃除など。20:00就寝。歩数計1975Km。

脳梗塞発症から一年
 昨年11/4(日)、9:00am頃、激しいめまいを来たし、次いで意識朦朧混迷状態、右片麻痺、発語障害に進行した。脳卒中発作である。直ぐ家内に発見され、救急車にて中通総合病院に搬送された。救急室到着後に意識は回復傾向となる。CT上脳梗塞疑いで、発作生心房細動による血栓症の診断であった。右片麻痺も時間と共に徐々に改善傾向にあった。
 治療のために入院、ICU入室時には発語以外は一見問題ないレベルまで改善傾向にあった。この私の状態を端的に示しているのは家族達の反応であった。発作直後に家内がいだいた「ベット上寝たきり状態になるかも・・」 という不安、急遽見舞いにきた次男がICUの私の状態を見て、家族に「医師として患者の前に出るのはもう無理だろう・・」と告げた一言、に現れていた。その時点で私もそう思っていた。

 二日目の朝のMRI所見はL-MCA領域に広範な急性期の梗塞巣が認められた。その後、言語障害も順調に回復した。6日に見舞いにきた長女は心配していた時間が長かっただけに、会ったときの感想は「脳梗塞になったというのは本当か・・」だったと言う。この家族たちの感想からもいかに回復が急速かつ順調であったかを伺う事が出来る。

 私は言葉が回復した後もパソコンのキーボードのブラインドタッチが上手く出来ないことに一か月ほど悩んだ。ミスタッチも多く、変換キーを勝手に押したり、エンターキーを不用意に押すなどのミスが多く、入力に難渋した。そのうちにその症状もいつの間にか消失した。

 今回の脳梗塞罹患は、自転車で走り回ることにこだわり、発作性心房細動でありながら抗凝固療法を受けなかったことにある。抗凝固療法下では事故や転倒などの際に出血で大事になる可能性があると思ったからである。だから、自業自得と言っていい。

 さいわい後遺症らしいものは自覚しない程度まで回復したが、一般的に心房細動に由来する脳塞栓症は重症で、予後も良くない、とされている。私の場合には千に一つ、万に一つの幸運だったと思う。毎日毎日を大切に過ごしている。

 治療に当たってくれたスタッフには感謝である。いまは抗不整脈剤、抗凝固剤を服用している。この一年間は小さな発作を起こしたという自覚はない。この11日に脳のMRIの検査を受ける事になっている。主治医から何と告げられるのだろうか。


11/3(日) 文化の日  終日雨 雨読の一日
2:00起床。録音データ整理、iPodに入力。画像処理。経済と歴史本を読む。PDF書類整理などゆっくり過ごす。DVDで映画など。昼食はとらず。コンピューター関連の書籍読み。録音データ処理。居間のストーブ使用可能に調整した。18:30夕食、20:00就寝。家内旅行に出かけて4日目。家には誰もいない。たまにこのような時間を作るのも良い。本日は自宅内作業だけで5Km相当しか歩行出来ていない。 歩数計1.969Km。

歌謡曲の魅力2013(11)藤山一郎&淡谷のり子
 今、私は録り溜めた歌謡曲のデータベース化、インデックス作りの為に歌謡曲を集中的に聴いている。この作業を通じて再確認できたのは、淡谷のり子氏(1907−1999 )藤山一郎氏(1911−1993 )の活動の足跡である。
 この二人には共通点が多い。権力に対する反骨精神も相当なものである。
■東京音楽学校を主席卒業、淡谷は卒業名簿から抹消、藤山は停学処分
 この二人は同時代で、しかも資産家の家庭で育ち、東洋音楽学校でクラシックの教育を受けている。しかし、淡谷は家が徐々に貧しくなった為に学資を稼ぐ為に1年間休学して絵画の裸婦のモデルを務めるなどして生活費を稼いだ。1929年に首席で卒業した。クラシックでは生計が立たず、家を支えるために流行歌を歌う。 淡谷は流行歌手になったが低俗な歌を歌った、とみなされ母校の卒業名簿から抹消された。後年復籍が認められたそうである。
 藤山は1929年東京音楽学校予科声楽部に入学。間もなく世界恐慌で経営が傾き、藤山は家計を助けようとレコードの吹き込みの仕事を始めた。学外の校則に反していた。『丘を越えて』によって藤山はスターダムにのし上がったが、学校宛に学外活動していると告発の投書が届き、停学1か月の処分をうけた。このとき、藤山は「先生方は作曲、演奏等で学外で金を稼いでいるのに、生徒が学費のために内職するのを責めるのは不公平」と反発したため退学処分一歩手前であったという有名な逸話が残されている。反骨精神はなかなかのものだったようである。1933年東京音楽学校を主席で卒業した。
 当時大衆が喜ぶ様な、いわゆる流行歌は音楽学校等では低俗な歌と見なされ、これらを歌う事は処分の対象になっていた事には驚いた。時代ダッタというしかなかろう。
■戦時下の慰問活動
 淡谷は戦時下で多くの慰問活動を行った。派手に着飾って。彼女は「化粧やドレスは贅沢ではなく歌手の戦闘服」という信念の元、禁止されていたパーマをかけ、ドレスに身を包み、死地に赴く兵士たちを慰めた。問題行動で書かされた始末書は数センチもの厚さに達したとのことである。
 藤山は読売新聞社が南方慰問団を結成するとこれに参加した。慰問団は南方戦地周辺一帯を慰問に回った。2回目の慰問の地スンバ島は敵機が飛び交う最前線で、慰問に訪れた芸能人は藤山ただ一人であったという。終戦後は藤山はインドネシアの捕虜となり1946年帰国した。
■戦後
 淡谷は晩年までTVやコンサートで精力的に活動を続けてきた。ブルースの女王と呼ばれているが、基礎ができている為か独特のファルセット唱法もすばらしいと思う。かなりの毒舌家で若い歌手を批判したのも懐かしい。1993年脳梗塞で倒れる。軽度ではあったが言語障害や手足にマヒが残るなど体調は悪化し、この頃から急速に仕事への意欲を失い始めた。この時期、自身のライブを録音したテープを聴き「これでは人様に聴かせられない」と絶句し、一線を退く決心をしたとも言われ、露出は無くなった。
19
 6.000曲もの歌謡曲を聞き直す作業は大変であるがとても楽しい。特に、聴いた事のなかった素晴らしい曲に出会った時は、何とも言えない快感を覚える。それにしても聞いたことの無い曲の多いこと、今後どんな曲に出会うか、楽しみである。


11/2(土)快晴  
0:30起床、家内旅行中。新聞文献チェック。文献その他整理、廃棄。昨年 iPhone5購入、居間、風除湿等整理整頓。10:00-15:00庭掃除、ガレージ掃除、古い水槽利用し野良猫用防寒居室準備、新聞、文献読み。18:30夕食、20:00就寝。本日は自宅内作業だけで12Km相当歩行。 歩数計1964Km。

HP「これからの医療の在り方--徒然日記」2013(2)なぜ続けているのか 
 当ホームページ、「これからの医療の在り方----徒然日記」は13年目に入った。よくまあ続けてきたものだと思う。昨日と重複するが自分で続けている事の意義について考えてみた。

■継続は力なり、は私の信条だが・・・
 「継続は力なり」と言うのは私が好きな言葉であり、自分の信条の一つでもある。でもそんな言葉が好き、というだけでは続くものではないはずだ。私は自分でも粘着気質と思っている。加えて、攻撃性は殆ど無いが執念深さは相当である。こころに受けた傷は時間とともに若干薄れることはあっても忘れない。こんな性格を背景にしているからか、意を決して始めた事はなかなか止められない。

 いろいろあるが、今でも続けているのは、20年続けている新聞・文献スクラップ。昨年秋までは自転車に凝り、5年かけて3万Kmを走りたいと思ったが5.000Kmほどで怪我と病気で頓挫した。その替わりにこの4月からは歩く事を楽しんでいる。本日の時点で積算計は1.990Kmを示している。この春以降、録りためた録音データを整理する為に歌謡曲を5.000曲ほど聴いている。生活記録は通算で50年、そのうちの12年がこの徒然である。

■私の自己満足を満たすために
 継続自体が目的となっている記録もない訳ではないが、蓄積し続けてきた結果を一人で味わってほくそ笑んでいる。私は人と競争することは好みではない。競争相手は私自身であり、私自身の弱気との競争である。今のところは若干やる気の方が勝っている。それで続いているのだろう。だから、自分の気力のバロメーターにもなっている。

■普段感じているちょっとしたことを一つずつ形にする楽しみ
 普段感じている事、考えている事を一日一つずつ文章化していく作業は楽しい。考えるだけだと形がないからすぐに忘れるし、覚えていてもまとまった考えにならない。私は大きな事を継続的に考える事は不得意である。長文は書けない。だから、項目ごとに小さくまとめる。
 不定期にしてしまうと私の場合は多分頓挫するだろうと思う。だから、一日一話をまとめる、と自分に負荷をかけた。毎日の事だから深くは調べる事は出来ないが、文章化する時には適宜調べて形にしていく。調べている間に私自身の誤解が分かり、当初考えていた事と別な結論が導きだされる事も希ではない。こんな時は大きな喜びの時でもある。

 こんな事で半ば楽しみながら、半ば苦しみながら続けてきた。今後も続けていく。


11/1(金)快晴 大曲中通病院外来 
1:20起床。文献、新聞チェック、徒然。6:45家内ニュージーランド無事到着のメール。物理的距離感を感じない。となりの部屋から来るメールと変わりない。7:00Taxi病院着、回診他。8:02こまち。9:00-14:45大曲中通病院外来。17:00Taxi書店経由で帰宅。居間の整理、冬支度他。19:00夕食、20:00就寝。歩数計1952Km。

HP「これからの医療の在り方--徒然日記」2013(1)満12年迎えた 
 当ホームページ、「これからの医療の在り方----徒然日記」は、2001年11月1日からなので昨日で開設後満12年を迎えた。本日は13年目のスタート。見て下さった方々,コメントを下さった方々には心から感謝している。いただいた御意見等は私にとってはとても刺激的で参考になる。感謝しながらも、匿名の方には原則として返事をしない事にしている。

■継続は力
 この12年間、よくまあここまで続いたものだ、「継続は力なり」と言うのは私が好きな言葉であり、自分の信条の一つでもある。今日も一人で悦に浸っている。
 継続する事自体が目的となっている日もない訳ではないが、本日まで自分の気力が何とか維持されていると言うバロメーターにもなっている。その面では変わりない。

■「これからの医療の在り方」のタイトルが重荷になった
 第一戦から離れたのを機会に自分自身をリセットし、後ろより前を見ながら、今まで不勉強であった分野を学び直している。結果的に医療面での話題が減ってきている。「これからの医療の在り方--徒然日記」のタイトルが重荷になっていが、このまま継続する。時折、ちょっと距離を置いた立場から医療や福祉面についても考えたいと思う。
■アリバイ記録から日記を再開したが 幼少の事から書く事が好きであり、ちょっとした日記はつけていたが、大学生であった時期は中断していた。再開したのは子供達を向浜の遊園地で遊ばせている時に受けた、私にとって3回目の、警察による職務質問であった。10日ほど前に何処でなにしていたのかを聞かれたが答えられなかった。何とか解放されたが、この後から生活記録を再開した。もう職質などの機会はないと思うが、続けている。

■記憶から記録に
 月並みな日々、時間の積み重ねであるが、記録をつけていないと全て忘れてしまう。残るは暦上での齢のみである。良い人生だと思って満足しているが、忘れてしまえばほぼ無となり今があるだけとなる。過ぎし日々を思えておくのは柔らかになりつつある私の脳ではもう困難だから、硬い記憶媒体であるハードディスクに頼っている。検索にて何月何日、何時頃に私が何をしていたか、何を考えていたかを知ることが出来る。私にとって貴重なデータであり、生きてきた証しになっている。

■小さな毎日の積み重ねが楽しい
 則を超えないレベルで、患者に迷惑をかけないように配慮しながら外来中心の診療を続けている。これだけが外界との接点である。後は自分の世界をマイペースで楽しんでいる。時間は殆どムダにしていないつもりであるが、相変わらず時間が足りない。

 家族達の動向を楽しみ、自然現象の移ろいを味わい、芸術、文学、歴史、政治・経済、宗教、社会問題など、到底あげきれないが、先人達の足跡に触れては感心し味わう日々である。映像の持つ魅力にも最近気付き始めた。■今後
 この「徒然日記」は今後も自身の記録のために、自己満足のために続けて行く。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
  日曜・祭日もほぼ同様ですが、病院には午後出かけます。時間的に余裕無いのが悩みです。


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