徒然日記
2013年9月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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先月の日記          来月の日記


9/30(月)晴れ 健康クリニックドック
1:30起床、寒くて足温用電気あんか使用開始。昨年もこの日から。文献、新聞他。7:45徒歩病院、回診ほか。9:00-11:00健康クリニックドック。15:20徒歩帰宅。DVD映画『バブルへgo タイムマシンはドラム式』一部。データ処理、新聞スクラップ入力、19:00夕食、20:00就寝。

歌謡曲の魅力(8) 藤圭子 好きな歌手の一人だった
 今年の6月下旬から私は録りためた歌謡曲に索引を付けるために集中的に聴いている。私は音楽はジャンルを問わず好きであるが、好みに順番をつければいわゆるクラッシックと言われる分野が第一ではあるが、それと同じほど歌謡曲が大好きである。

 私の録音ライブラリーには5.000曲ほどの歌謡曲が蓄積されている。そのインデックスを作っているが、3/4の作業が終わった。ながら作業であるが、ここ数ヶ月は連日歌謡曲漬けと言っていい。藤圭子の歌も時折登場しており、楽しんでいた。

 そんな中、8月22日、歌手藤圭子の悲報を聞いたときには驚いた。私が知っている歌謡界に関するニュースはラジオ深夜便で紹介される短い解説程度が主である。だから彼女に関しては宇多田ヒカルの母、在アメリカと言う事くらいしか知識がなく、てっきり今でも現役で歌っていると思っていた。62歳、新宿で自死した、と言う事は理解の外であった。

 新聞紙上から得た事であるが、どの紙もほぼ共通で「波乱の生涯に幕を下ろした・・」との記述があり、それにも驚いた。

 「新宿の女」でデビューしたのは1969年、黒い大きな瞳、京人形のような美しい顔立ち、殆ど笑顔を見せる事なく、暗い雰囲気でドスのきいた声で振り絞るように歌った。歌に怨念を、すごみも感じたが、私はその暗く静かな雰囲気に魅了されていた。美しい女性をリストしてみて、と問われれば必ず数番目には挙げるだろう。

 岩手県一関市生まれだとの事も知らなかった。貧しい浪曲師一家に生まれ、幼少期から苦労の連続だった。目の不自由な母の手を引き、生活のため錦糸町や浅草のネオン街を15歳のときから流していたと言う。

 家庭も崩壊、長い孤独の果てに、死を選んだらしい。その辺の事は殆ど知らない。彼女の表情はレコード会社のイメージ戦略によるものと言う。どこまでが虚像で、どこからが実像か、私には分からない。
 実像としての彼女には殆ど興味はないが、虚像としての彼女の歌を、姿を、表情を、私は決して忘れる事はないだろう。
 芸名なので敬称は付けなかった。遅まきながら心からご冥福を祈りたい。


9/29(日)快晴 飯川病院日直    
 0;50起床。本読み、新聞など。7:45徒歩飯川病院へ、8:45-17:00日直、午前は寒かった。17:30バス利用にて帰宅、18:00家内迎え。19:00夕食、20:00就眠。 歩数計Σ1634Km。

消費税増税2013(4) 消費税と社会保障改革
財務省は先月、6月の時点で国の債務が1.000兆円突破したと発表した。

 安倍首相は明後日に正式に消費税増税を発表する予定と言うが、こんな状態で消費税増税と社会保障改革、財政再建を成り立たせる事は可能なのだろうか。きわめて難しい舵取りが要求される。

 私は政治の世界にアカデミズムがもっと入り込まなければならないと思う。党利党略の事を中心に駆け引き考えている政治家に経済運営の力があるとは思いがたい。官僚がそれを支えているのだろう。が、官僚の姿は見えない。経済評論家と称する方々、学者と称する方々、もっと表に出てきてほしいと思う。

 今回、消費税を上げるか否かの判断材料を得るために安倍首相は有識者60人に意見聴取をしたと言う。7割が賛成であったとの事。勿論、賛成反対の比率だけの問題でなく、どのような意見を提言出来たか、が重要である。ところで、人選はどうやったのか。誰が選んだのか?

 消費税増税に関して3党合意で法が成立したのであるが、党首会談等で進められたのであり、まだ、まともに国会で議論が行われていない。先の参議院選挙でも消費税を上げるベシと明快に主張した候補者は少なかった。にもかかわらずスルスルと決まった。最終決定は安倍首相で良いのかもしてないが、我が国の国会はこれで良いのか? 

 民主党政権の時に野田首相は社会保障制度の破綻を防ぐためと国民に説明してきた。だから、国民の多くは社会保障のためには増税止むなしと考え、消費税が上がれば社会保障は充実するだろうと考えているのではないだろうか。しかし、この理念は安倍政権のもとで揺らいでいる。

 GDPの2倍以上の財政負担を抱えながら、毎年3兆円もの負担が増える、年金、医療、生活保護等の諸問題もあり、社会保障制度は将来的に持続不可能なレベルに達している。
 社会保障制度国民会議は、低所得者に配慮しながら自助努力を中心に公的制度への依存を減らすと言った、現行の制度の範囲の中での改革を提言している。前からヤルヤルと言ってきた抜本改革、これはどんな内容になるかはなかなか予想は出来ないが、国民に大きな発想の転換を迫るものになるだろう、は今回も先送りになった。

 過ぎたことであるが民主党の野田前首相は「消費税増税分はすべて社会保障に使うことを国民に約束したい」と繰り返し強調していた。これで3党合意が進んだ。時の各党の責任者は野田、谷垣、山口氏であった。


9/28(土)雲一つない快晴 
1:30起床、新聞、本読み。文献・データ検討、居間後片付け他、13:00畠の整理と片付け、栗拾い、庭木の剪定、落ち葉の整理。クロスバイクで北インター往復。 DVD映画「青い鳥」。なかなか良い作品。 19:00夕食、夕食後に見ていた「あまちゃん」「てっぱん」の放送本日で最終回、寂しくなる。20:10就寝。歩数計Σ1623Km。

消費税増税2013(3) 国の債務1000兆円突破 国民、政府とも危機感欠如
 財務省は先月、6月の時点で国の債務が1.000兆円突破したと発表した。何ら危機感無く、淡々と。

 この債務の実情ははっきり言って我が国のGDPの2倍以上の負債であって、この現状はやはり無視できないと思う。
 10年以上も税収は右肩下がり、一方、歳出は右肩上がりだからこうなるのは当然である。歴代の政権ともに財政再建を口にしながらも、次々と国債を発行し、赤字予算を組んできた。次年度の予算は史上最高の99兆円に及び、また債務を増やす。過去の時代はまだ余裕があった。今は経済再建は待ったなしと言っていいのではないか。

 財政再建に今後も目処がないとすれば、生活者である国民は国家財政が破綻したときの姿を思い描くしかない。このままでは何れ国への信頼が失われ、国債の価値が下がり、大量に売られ、大暴落しかね無い。そうなると国家は国民の生活と安全と財産を守るという国の義務を果たす事が出来なくなる。社会保障も狭められる。食料すら輸入が難しくなる、治安も乱れる。

 日本の場合はギリシャの債務とは違うのだ、と強調されているが、基本は同じである。国債がまだ売られていないから表面化していないだけ。国の財政規模が大きいだけに全世界の経済に与える影響はギリシャの比、リーマンショックの比ではない。経済のクライシスはある日突然来るのだ。

 私は小心者だからかなり心配している。
 しかし、国民には切迫感・危機感が殆どない様に見える。日本の国債はほとんどが日本人の投資家、銀行、保険会社等のが所有しており、投資家はそう簡単には国債を手放す事はない、と甘い発想を持っているようだ。しかし、国債の価値が下がり始めれば投資家は篤志家ではないから国債を手放し、次の投資先を探すことになろう。

 消費税増税、この経済の中での実施は両刃の刃になる。しかし、三党合意がある以上、今更人の意見を聞いてどうするのか。知識人からの意見聴取は三党合意の前に聞くべきだったのだ。消費税は真の経済上の論争でなく、政争の道具として扱われ合意された。政治ってそんな物だ。


9/27(金)快晴 大曲中通病院外来 家内孫の保育参観で盛岡
1:00起床、新聞チェック・文献読み・徒然など。6:30盛岡に発つ家内を送り重症者回診他。8:02こまち、9:00-14:45大曲中通病院外来、駅のスピーカーは今日も強烈であった。書簡に対し返事もない。17:00帰宅。19:00夕食、20:00就寝。歩行計Σ1616Km。

品川正治氏が死去された
 元経済同友会代表幹事・専務理事で、全国革新懇談会の代表世話人をつとめた品川正治氏が8月29日にお亡くなりになった。享年89歳。

 私は氏の講演を2回聴き、3冊の著作を読み、深く感銘を受けた。氏の講演と著作は私の戦争、近代日本の歴史を学び直したいと言う気持ちを後押ししてくれた。

 2009年9月13日私は東北医連総会で福島にいた。午後、特別講演として品川正治氏の「戦争・人間・憲法9条」があった。医師会関連の総会の講演になんで憲法9条か、と正直思ったし、品川氏のお名前にも初めて接した。
 氏は実にゆっくりとした話しぶりで話し始め、どうなる事か、と思ったのであるが、5分、10分と聴いているうちにぐんぐんと引き込まれた。戦争の現場を直接体験した方でなければ話せない、実にリアルな内容であった。会場は物音一つしないほど静まりかえった。

 次いで9月19日、今度は秋田県県児童会館で「秋田九条の会」主催の同氏の講演を再度聴講した。
 戦争の悲劇を繰り返してはならない戦争への思いが、ひしひしと伝わる講演であった。現在の憲法に対しては、護憲を支持する立場、改憲を訴える立場など様々であるが.氏の語る内容は、そのような論争をはるかに超えた高い次元で平和の曹さを訴えていたと感じた。ロビーで著書が販売されており私はこの本を購入、目の前でサインも戴いた。

 品川氏は九条の会の趣旨に賛同し、財界活動の一線を退いたあとの10年余は、憲法九条の『死守」を訴えた。05年自民党が改憲案を発表した後の活動は目覚ましかった、とのことである。
 残念な事ではあるが、ご高齢である。心からご冥福をお祈りします。 


9/26(木)晴れ夜間に雨 外来 患者家族面談
1:00起床、新聞・文献・徒然など。ハト後、7:35徒歩病院着、回診他、8:45-13:30外来、混雑、入院患者も不調に。15:00徒歩Alve、コインバス資格証明書取得。16:00徒歩帰宅。データ整理他、 DVD映画「ハチ公物語」 19:00夕食、20:00就眠。 歩数計Σ1606Km。

誕生日のプレゼントのために初めて花を買った 

(飯川病院の玄関先に鎮座している「からんこえ」) 


 9月24日に病院からの帰路、町の花屋に立ち寄り花を購入した。荷物運びのために家内と花屋に入ったことは何度もあるが、一人で花屋に入るのも初めて、自分の判断で花を買ったのも初めてである。

 当日は家内の誕生日だった。私も何を考えたのかその日の心の動きを覚えていないが、今年は誕生日のために花を買わなければなるまい、と思ってしまった。41年目の心変わりであった。

 誕生日の贈り物としてどんな花が相応しいのかも分からず、通りすがりの花屋に入った。
 いろいろな花がある。値段もピンからキリまである。決めかねて店内でうろうろしていたら若い男性の店員が傍まで来たが何も言わずに引っ込んだ。声をかけてもあまり見込みがないと思ったのだろうか。確かに、その時は私も決めかねて店を出ようかと迷っていた。次いで店のオーナーと思われる70歳ほどの男性が奥から近づいてきて温和な表情で「何かお探しですか・・」と声をかけてくれた。これで助かった。
 
 奥で私を見ながら声かけのタイミングなどをはかっていた様だ。確かに私の場合、何かを買おうと商店に入り品定めをしているとき、基本的にそっとして置いてほしいと思う。頻繁に声をかけられると買う気が萎えてしまうからであるが、今回は絶妙であった。

 で、4千円ほどで購入した。何と言う花かも知らなかったが、ともかく買えた。40分ほど歩いて帰ったが重かった。調べたら「からんこえ」という、私にとって初耳の花であった。

 家内の一言は「最初で最後になるかもね・・」と意味深の返事であったが、表情はまんざらでもなさそうであった。同じ事は私も考えていた。

 翌日、玄関先から花が無くなっていた。自分が勤務する病院の玄関に飾ったと言う。マ、良いか。その方が良いかも・・と思った。


9/25(水)曇り午後雨、外来
1:30起床。文献若干,新聞読む。ハトに餌後7:40徒歩病院着。回診等病棟関連業務。8:45-13:00外来。15:00徒歩帰宅。DVD映画「八日目の蝉」、新聞チェック、17:00夕食、20:45就寝。歩数計Σ1590Km。

消費税増税2013(2)法人税減税を考える
 首相は消費税率引き上げを決断した。正式決定は10月1日とされている。
 首相は消費税増税と法人税率の引き下げを抱き合わせで実施するらしい。これは大変な問題を含む。与野党上げての反対を望む。
 国家の税収入は落ち込んでおり、最も確実に効果があるとされる消費税増税は避けられない。むしろ、過去の消費税導入の方が必然性は少なかった。今は国の借金が1.000兆円にまで達しているのでむしろその必要性は逼迫していると言える。しかし、だからといって消費税増税に法人税減税をリンクさせるのには問題がある。
 消費税が引き上げられると景気に水を差す事は避けられない。首相は企業が減税で活性化すれば賃金が上がり国民が豊かになって、購買力が上がり、国の収入も増える、それによって経済再構築する余裕が生まれる、と単純に考えているようであるが、過去を見てもそう簡単には事は進まない。
 なぜなら、景気が良くなっても賃金は増えていないのは1990年代からで、今始まった事ではない。その頃も「いざなぎ景気」と呼ばれた好景気な時期があり企業の収入は増えたが、労働者の賃金はむしろ低下、浮いた資金は内部留保や株主の配当に回された。日本の雇用制度が変わり、非正規雇用が増え、最低賃金はそのまま据え置かれたからである。ここに手を加えないと同じ事になる。 
 安倍首相の言う経済対策は2段階で行われる。まず、
■復興特別法人税を前倒し来年3月で廃止する。これで法人税は3.37%減少する。その穴埋めは補正予算を用いる。一方、個人にかかる復興税はこのまま2037年まで維持する。これは企業優先、国民軽視であまりにも不公平でないか?
■設備投資に応じさらに法人税を軽減する。これはまだ少ないまま留まっている設備投資を誘導する一つの方法とは思うが、減税にリンクさせるなら優遇し過ぎである。
 法人税減税に対して経済界から強い要求が続いてきた。しかも、消費税増税とセットにして下げて欲しいとの要求である。第一次安倍政権の2007年、当時の御手洗経団連会長は法人税引き下げを要求し、その財源には消費税増税を当てればいいと明言している。第二次安倍内閣がやろうとしているシナリオと同じ事が語られている。 
 消費税は引き上げておいて企業の税金は引き下げるというのは、国民の財産を企業にシフトさせるだけであってに納得できない。企業に対して内部留保を吐き出させるよう政治的な梃子入れしてから法人税を下げなければ危険である。 
 日本の法人税が高すぎると経済界は常に主張しているが、わが国の場合は優遇措置も多い。15%程度しか負担していない企業もあると言う。日本の法人税は税率では大きいが、GDP比で見れば日本は先進国では最低でフランスと比較すれば3分の2以下である。 法人税のあり方は全世界的視野で見直す必要がある。

 改正労働契約法が実施された。これは継続5年以上の非正規社員を正社員にする道を開くが、企業がこれを嫌って経験を積んだ従業員の契約を切っている例も見られる。雇用、労働者のためにあるはずの法律が企業に逆運用されている。ここにも梃入れが必要。
 内部留保税でも新設して企業の資金の運用を促してはどうか。
 どちらにせよ企業のこの実態を放置したまま消費税増税と一緒に法人税減税を行う事を容認できない。



9/24(火)雲一つない快晴 外来 初めて花購入
 1:30起床。新聞・医学論文チェック他。5:45ゴミ出し他、ハトにエサ後7:50徒歩病院着、回診・病棟業務。8:45-13:50外来、混雑。入院患者対応、16:30家内の誕生日、花購入し徒歩帰宅。花壇改修で不要になった庭のブロック30ヶほど移動整理。その後、読書、新聞、文献など、19:00夕食、20:30就寝。 大曲駅のホームで強烈に鳴らされる民謡について書簡にて改善を申し入れた。歩数計Σ1578Km。

消費税増税2013(1)安倍首相 来年4月8%に決断  
 安倍内閣の大きな政策の一つであった消費税増税を安倍首相は最終判断は自分で行うと明言していたが、ついに2014年4月から実施する事を決断した。

 国民に負担を強いる消費税増税は不人気政策の最たるものであり、政権にはやっかいな代物である。順調な安倍政権と言えど厳しい。
 過去の記録を見ると、
■1987年、中曽根首相、「売上税」法案を国会に提出したが、統一地方選で惨敗。
■1989年、竹下首相、3%消費税導入。自民党は参議院の過半数割れに入った。 
■1997年、橋本首相、消費税率は3%から5%に引き上げ。日本はデフレヘ。翌年の参院選で惨敗した。
■2014年、安倍首相、 ? ?。
 安倍首相はこの3回の歴史的経験と同じ轍を踏みたくないはずだ。

 国のこの増税で消費税増税は8兆円に増えるが、景気にはマイナスの要素になる。だから、それを回避しようと消費税増税による税収入増加にに抱合わせていろいろな政策を打ち出し始めた。結果的に消費税増税の当初の理念は失われる。

 そもそも今回の増税は、年金や医療などの社会保障制度を維持・拡充し、先進国最悪の財政を立て直していく目的だった。民主党の野田前首相は、消費税の増収分はすべて社会保障に使うことを国民に約束する、増税分は社会保障の附源に充てることを、繰り返し強調していた。景気の低迷などで国の税収が減少し「社会保障の安定化」に必要な財源を確保できなかったためである。そして消費税増税法案が成立した。

 ところが、安倍首相は最終決断にあたって「景気の腰折れを防ぐ経済対策」という名目で、5兆円程度の経済対策を打ち出す意向である。
■公共事業の追加
■法人税率の引き下げ
■震災復興法人税の1年前倒し廃止
■設備投資減税

 消費税増税による「景気の腰折れを防ぐ経済対策」は確かに重要だと思う。アベノミクスの第三の矢である「成長戦略」はまだ実効を挙げていない。安倍首相が考えているように、大企業が節税などで潤い回り回って賃金の増加に結びつけば良いのであるが、アベノミクスの効果が出始めても企業の内部留保に回るだけで良い意味での経済の回転は見えていない。

 消費税増税と法人税減税はリンクさせただけでは国民のお金を大企業に回すだけになりうる。企業の内部留保を吐き出させる政策が同時に行われなければならない。企業には国際的に打って出るようなアイデアは無いのだろうか。


9/23(月)秋分の日 雲一つない快晴 庭師による樹木枝切り
 1:00飯川病院にて起床。医学論文・新聞他いつもの如し。7:00検食、9:10-10:10中通病院、新入院患者、重症患者対応。11:00徒歩帰宅、12:00畑仕事、文献読み他、19:00夕食、21:00就寝。歩数計1561Km。

NGOとNPOは何が違うのか?「特定NPO法人」は?「認定NPO法人」とは?
 最近何かとボランティア団体や組織の活動を見聞きするが、その名称の枕詞に「NGO」とか「NPO」がついているのが多い。さらに、「NGO法人」と「NPO法人」もある。さらに 「特定NPO法人」、「認定NPO法人」なるものも目につく。これらは一体何なのか?

  寄付の依頼などがあれば適宜対応しているが、この辺の区別については不勉強でよくわからなかったのでざっとまとめてみた。

 NGOは Non-governmental Organizationの略で、あり「非政府組織」という。NPOはNon-profit Organizationの略で「非営利組織」となるが、こちらの場合は「民間非営利組織」と略すのが分かりやすい。
 両者ともほぼ同じで、■非常利の、■民間の団体、と言う事なのだそうだ。「非政府」であることを強調する団体がNGOを名乗り、「非営利」を強調する団体がNPOを名乗っており根本的違いはない。NGOは国境を越えて活動をしている組織が「非政府」を強調するためにつけている。安全のためにも良いのだろう。

 NPOは「非営利組織」ということで、「金儲けをしてはいけない団体」と誤解され、経済活動ができないとされているフシがある。この「非営利」とは、利益を構成員に分配しない、という意味であって、営利事業を行ってはならないということではない。営利活動で得た利益を構成員に分配せず、生じた余剰金は新たな活動資金へまわせば問題はない。勿論、従業員は給料をもらって良い。

 「特定NPO法人」は「NPO法人」と同じで法人格を有する団体のことで、いまやその数は約45.000に上るという。法人登記することから社会的信用度が増すので数が増えている。特定というのはここには紹介できないが、活動分野が20に限定されているからである。
 その中で、約250の法人が「認定NPO法人」で、都道府県知事または指定都市の長に認定された団体である。「認定NPO法人」に寄付すると、税金が安くなるメリットがある。寄付を集めやすいNPO法人を噌やすことで、自発的かつ自律的な市民活動が一層活発になることが期待されている。

 NGOは貧困、飢餓、環境など、世界的な問題に対して、民間の立場から取り組む団体のことを指す。活動の対象分野は、教育、子ども、保健医療、職業訓練、女性問題、植林、復興支援などが盛んに行われている。

 我が家にはNGO「国境なき医師団」から頻繁に寄付依頼が来る。とても応じきれない。


9/22(日)快晴 飯川病院当直
 1:00起床、電子データチェック、本読みなど十二分に楽しめた。午前は畠の整理。DVDにてN響ほかの定期公演を楽しむ。以降はデータ整理と本読み、15:30徒歩飯川病院、17:00当直業務に、18:00検食、20:30就寝。歩数計1552Km。

徒歩通勤(20) 偉人伊能忠敬(10) 歩数計:故障→直った 紛失→戻った
 4月以降歩行距離のデータを積算している大事な歩行計に今月受難が続いた。

■故障:歩数計「平成の伊能忠敬」を9月7日、病院で机の上から床に落とした。今までも何度か落下したが機能が狂ったのは今回が初めてである。多分あたりどころが悪かったのだろう。ディスプレイに何も表示されず、何度かリセット試みたあと表示が出たものの無情にも「Error」のみ。不注意で壊したから保証外だろう。この時点で諦めた。

■代替品購入:上記歩数計は日本の海岸線一週19.000Kmを歩くと言うものである。10Km/dayとすれば5年以上もかかる。そのうちの1.500Km蓄積した状態でデータを失うには惜しい。この歩数計と同じメカで四国お遍路巡りがあるのでそれを取り寄せ、エクセル上で蓄積することとした。7日に注文し9日に届いた。

■代替品が届いた時点で故障した歩数計をばらした。私は愛用の物品が故障した際は自分で修理を試みる。直らなければ転用出来る部品を外し徹底的にバラしてから捨てる。エレクトロニクス製品は私の能力では修理が成功するのは希である。今回は電池、基盤を外して再度組み立てたらそれだけで直った。理由は分からないがどこか接触不良でもあったのだろう。嬉しい事に蓄積データがそのまま残っていた。その日からまた積算を続けている。

■代替品として購入したお遍路コースの歩数計は一周1.200Kmである。もともとお遍路には興味があるので二つの歩数計をセットにして日本の海岸線一周コースとお遍路コースを同時に味わう事とした。

■二つの歩数計を重ねると厚みがありかさばるので右の靴下の中にセットした。二日目の9月11日、気付いたら無くなっていた。朝に病院近くの交差点でデータの確認をしたので院内でなくした可能性が高い。仕事上で立ち寄った場所を隈無く探したが見つからず、遺失物係に連絡しても届いていなかった。


■翌日、総合案内の受付に届いていた。届けていただいた方には心から感謝である。

■今回は2回肝を冷やした。考えてみるよ私の方に甘さがあった。反省し同じ轍を踏まぬよう、(1)ソフトケースに入れる、(2)名前と電話番号を書く、(3)足首に装着するホルダーを作る・・など改善した。今回のエピソードはむしろ役立った。衝撃対策、紛失対策も大丈夫だと思う。


9/21(土)降雨時に曇り晴と不安定、 重症患者対応
1:30 起床、いつもと同じ、蓄積資料整理。文献読みなど出来て満足。14:00車病院に、重症患者対応。16:00バス併用帰宅。 DVD「ハッピーフライト」 。新聞データ化。19:00夕食、20:30就寝。歩数計1545Km。

徒歩通勤(19) 偉人伊能忠敬(9) 福島・宮城を通過して
 伊能式の歩数計で4月7日に日本橋をスタートした時点からずっと積算されているが、9月19日にΣ1.525Kmとなり距離と歩数計の地図上で岩手県陸前高田市に到達した。いま広田湾、ちょうど高田の松原付近あたりを歩いている。
 岩手県は宮城県北部から始まるリアス式海岸で海岸線がとても長い。宮城県は北部が長くて552.0Km、岩手県は全体が長くて649.2Kmとなっている。青森県まで2ヶ月以上かかる事になる。

 今まで通過した沿岸部の地名を確認し、ネット、百科事典等で地域の特徴を学んできた。福島県に関しては原発事故中心に、宮城県については津波の被害を中心に振り返ってみた。

 津波の死亡、行方不明は福島、宮城、岩手県に集中している。本年8月下旬迄の警察庁のデータでは、

 ■岩手県は、死亡4673人、行方不明1145人である。これから北上しながら学んでいく。

 ■福島県沿岸部は何と言っても原発事故関連が目が引かれる。原発事故の人的被害の把握は困難でなかなか数値化できない。隠れてしまっているが津波の被害も少なくない。死亡1606人、行方不明208人。
 100人以上の死亡は南からみるといわき市293人、南相馬市525人、相馬市439人、新地町100名である。

 ■宮城県に入ると一層被害は甚大になる。 死亡9537人、行方不明1299人。
  山本町から塩竈市にかけての県南部は海岸のはより直線的で広い仙台平野である。仙台市、名取市を含むが、死亡は2960人、県北部は仙台塩釜港を境に急に複雑なリアス式地形となり島も多い。それに伴って死亡者数も増える。東松島市1061人、女川580人、石巻3256人、南三陸594人、気仙沼1104人である。

 東北電力女川原子力発電所は、1-3号機設置されているが、主要建屋は津波対策として過去に経験した最大級の津波のおおよそ倍の高さである海抜約15mの場所に設置され、地震対策として建築基準法の3倍の強度で作られているとされる。東日本大震災では1号機の外部電源が故障し非常用電源で冷却された。その他にもトラブルには見舞われたが、1号機および3号機も自動停止し 地震・津波到達による重大な被害は無く、幸い大事には至らなかった。仮定はいけないが、もし重大な原発事故が生じたら津波被害も大きかっただけに福島以上に対策は困難になっていただろう。

 福島・宮城の沿岸部を地図上でたどりながら被害状況をチェックしていくとよりリアルに状況が推測されるが、津波で犠牲になられた方やそのご家族、原発で被害を受けられた方々の苦痛は到底理解ですることは出来ない。


9/20(金)快晴 大曲中通病院外来 
0:30起床、新聞チェック、本読みなど。7:40Taxi。8:02こまち、9:00-13:00大曲中通病院外来、入院患者不調で13:25こまちにて秋田に。病院駅間往復徒歩、重症患者回診そのほか。保戸野までTaxi、コーヒー購入後徒歩16:45帰宅、孫短時間通過、男鹿の稲刈りに。 DVD「東京オリンピック」 。新聞読み他、19:00夕食、20:00就寝。Σ1537Km。

東京オリンピック(2) IOC委員会は安倍首相の演説で最終決断
■2020年の夏季オリンピックはなんで東京なのか
 2020年の夏季オリンピックは東京に決まったが、私は他の候補地の問題点が大きくなってきたために、また、7年後の状況が読めないだけにIOC委員会の各委員はあらかじめ東京開催に大きく傾いていた、と思う。そこで急に浮上してきたのは原発事故汚染水問題であった。委員会もこの点で大きな懸念として悩みを抱えたが、当然彼らが判断できる内容ではない。何かにすがらなければ決められなかった。最終プレゼンテーションで安倍首相の大風呂敷演説を聞き、その信憑性など分かるわけもなく、ひたすら胸を撫で下ろし賛成に投票した、と言うのが真相ではなかろうか。

 安倍首相の演説のブレーンは誰なのだろうか。まさか自分で作り上げたのではあるまい。安倍首相は自分で述べた内容を理解していないフシがあるし、関係団体も疑義を持っている。昨日、首相は被災地を訪問し、かつ、5号6号機の廃炉を要請した。その方向は良いが、なんでいまになっての要請なのか。オリンピックの演説に関連したパフォーマンスかなと思う。
 オリンピック問題の有無に関わらず汚染水問題は我が国にとって最重要課題の一つである。持てる英知を集め国を挙げて対策してほしい。

■1964年の東京オリンピックは記録映画で
 昭和39年の東京オリンピックの時、私は高校卒業し仙台で浪人生活をしていた。下宿にTVはなかった。ラジオで状況を予想しながら過ごした。大村崑監督の映画「東京オリンピック」は翌年完成、新潟から帰省途中に仙台で観た。大変な混雑で立ち見であった。担当大臣等からは内容的に不満との声が上がり記録かドキュメンタリー映画かで論争になった。私は内容的には感激した。昭和60年に2枚組のレーザーディスクを購入、何度も観た。時代は変わった、いまはブルーレイディスクの一部に収まっている。本日はそれを観ながら徒然を書いた。

■2020年東京オリンピックは多分見れない
 私は2020年オリンピックが東京に決まった事は良かったと思っている。しかし、個人的には殆ど期待していない。オリンピックそのものは華麗に行われるだろうが、私自身がこの世に存在している可能性はかなり小さいと考えているからである。この予測が外れる事と嬉しいのだが。

■高齢者は2020年東京オリンピックを楽しみにしている。
 7年後の東京オリンピックが開催される事が決まった後、私は外来で70−80代の患者30名ほどに感想を聞いたところ、大多数が「とても楽しみにしています・・」と答えた。表情を見ても虚勢をはったりウソをついているとは思えない。いまの高齢者の生きるパワーはすごいと思う。私よりも健康で丈夫な方々を私が診療する必要はないのだが・・。


9/19(木)快晴 外来 映画「終戦のエンペラー」
1:00起床。文献検索、新聞チェック、5:45本・雑誌・新聞・一般紙など収集所に。7:45徒歩病院、回診。外来8:45-12:30。12:50-15:30、映画「終戦のエンペラー」。ルミエール初めて。17:00徒歩帰宅。マーラー楽しみつつ資料整理など、19:00夕食、20:50就寝。歩数計1525Km、岩手県陸前高田市に到達。

映画「終戦のエンペラー」
 「シアタープレイタウン」が閉館になったので、私は主にDVDで映画を楽しんでいる。「テルマエロマエ」、「風立ちぬ」は話題作でこれは東宝シネマで観た。今回「終戦のエンペラー」を秋田駅に隣接したビルにある「ルミエール」で観た。毎週金曜日に私は新幹線を利用するが、駅構内の看板を見て興味があったからである。
 「ルミエール」には初めて入った。シートも余裕があり、音響もなかなか良かった。今までは自分で敷居を高くしてセーブしていたのであるが、今後は気楽に観れそうである。

 映画「終戦のエンペラー」 は太平洋戦争の終結直後から日本の復興をあつかった米映画である。日本の命運を決定づけた終戦にまつわる歴史の史実をもとにフィクションを織り交ぜた歴史ドラマ。企画は日本人プロデューサー名良橋陽子ら。日米の製作チームが昭和史に挑んだ。この作品は主に米国側からみた歴史観である。日米の名優達による競演も見応えがあった。監督は英国のP・ウェーバー。1時問47分。

 画面は終戦間際の激しい空爆、戦闘のシーンから始まり、ポツダム宣言非受諾、広島・長崎への原爆投下、御前会議、天皇の録音盤を奪おうと皇居を襲った軍部、1945年8月30日天皇の玉音放送、貧困と飢えの描写と続く。私は録音盤をめぐって軍部の暴動があったことは知らなかった。本でも読んだ事はなかった。

 同8月30日、連合軍総司令部(GHQ)の最高司令官マッカーサーが厚木基地に降り立った。
 彼は直ちに側近のフェラーズ准将に10日間で戦争責任の所在を調べるよう極秘に命じる。10日間で結論を、と言うのはあまりにも早急であるが、天皇の処遇に関してはマッカーサーの気持ちは決まっていたのだろう。
 天皇不起訴に大きな影響を与えたレポートを書いたフェラーズは実在の人物。フェラーズは調査に奔走する。この部分に戦前、米国で恋仲にあった日本人留学生アヤとの恋物語が挿入され、その父親との交流の中で日本の文化について学び、日本人の特質を理解する。この部分はフィクションだと言う。

 フェラーズは若干ながら日本語を話し、日本文化に造詣もあったと言う。天皇に対する日本人の精神性を理解し「開戦に関して天皇が果たした役割は不明。戦争終結に関しては重要な役割を担った・・」とマッカーサーに報告するが、個人の感覚に過ぎない報告だとにべもなかった。マッカーサーは天皇に面会する瞬間まで天皇の責任は逃れられない、と考えていたらしい。フェラーズは天皇側近にマッカーサーとの面会を勧めたが側近達は認めようとしなかった。その際に言った言葉、「一杯のお茶が事態を大きく改善するきっかけになることはよくあります・・」は印象的であった。

 互いの文化は理解しがたい。フェラーズは何度も「日本人は理解しがたい・・」とつぶやく。時と文化を超えて、日本の復興に尽力したフェラーズ、互いの文化を理解し尊重することが、平和を構築する基礎になる、と考えていた。1971年、日本政府はフェラーズに対し日米親善に尽くした功績を讃え、勲二等瑞宝章を授与した。その申請書には「B・フェラーズ准将は、連合国軍総司令部に於ける唯一の親日将校として天皇陛下を戦犯より救出したる大恩人である」と記載されていた。

 戦後焼け野原と化した東京の街、当時の国民の生活振り、ジープなども忠実に再現されている。これも十分見応えがあった。
 この、終戦にまつわる映画の史実のとらえかたについて私はまだまだ勉強しなければ何とも言えない。が、その気にさせる魅力は十分にあった。



9/18(水)超快晴 外来 
1:00起床。文献検索、新聞チェック、本読み他。7:45徒歩病院着。回診、病棟業務。 8:45-12:30外来。15:30雲一つない青空のもと徒歩帰宅。16:30庭の草刈り。医学文献チェックと電子化、歴史本など。19:00夕食、19:50就寝。

壇蜜 JAグループ秋田のために「一肌脱いだ」 これ以上脱ぐとどうなる?
  壇蜜なる名を知ったのは半年ほど前のある料理番組。たまたま見たのであるが、そこで調理していた女性に目が止まった。
 大変な美人と言う訳ではないが、長い黒髪、さわやかな顔立ち、表情とか仕草に純日本的な、いにしえの女性の雰囲気を感じられる良い表情をしている。つけまつげなし、髪も染めていないし、爪も短い。芸能として派手な顔立ちとはいえないのが良いのかも。名前も変だから一発で覚えた。調理の手さばきも見事であった。

 何と秋田出身のモデル、タレントで、しかもキワドク脱ぐ人だと言う。私は興味を感じた。とはいえその後に出演番組を見たわけではない。

 最近、檀蜜は郷里秋田のために「一肌脱いだ」との事。これ以上脱ぐとどうなるのか、心配である。

 ■一月ほど前、秋田でのプロ野球の試合の始球式に来たと言う。なかなか面白い企画た思ったが、翌日の新聞によるとスクール水着と言われる姿で投げた、と言う。本日YouTubeで画像を見た。観客には子供も多かっただろうから良い判断だったのではなかろうか。

■今回、彼女は県産米「あきたこまち」の新ポスターのモデルをつとめる事となった。こまち娘の衣装らしい。裸を売りにしているタレントの起用など意表をついた企画である。新米の販売が本格化する10月から東京駅や秋田駅に掲示する。「あきたこまち」が30周年を迎えるのを記念した企画で、テレビCMは今月下旬から放映がはじまるとのこと、楽しみである。

 秋田県は観光でも遅れを取っている。県でも県出身のモデルやタレントをもっと起用してはどうなのか、と思う。


9/17(火)台風18号通過で快晴 外来  
 1:30起床。文献・新聞チェック。7:45徒歩病院着。8:45-13:30外来、比較的少なかった。15:00千秋公園周辺の台風の被害を観察しつつ帰宅。16:00-17:00畠の整理、庭の草刈り。DVD「A・ヒトラーとR・リーフェンスタール」観つつ医学論文、歴史など読む。19:00夕食、20:30就寝。

台風18号通過 通勤路の大木が一本横倒しになった ここ数年来気象状態が変である
 民間気象情報会社のまとめではでは国内の局地的豪雨は昨年の2.7倍になっている。東京は6.4倍になっている(ウエザーニュースHPによる)。

 8月13日には高知四万十市で最高気温が41.0℃を更新した。ちなみに、従来の記録は2007年多治見市40.9℃、1933年40.8℃山形市、2013年40.7℃と小刻みにデータが並んでいる。
 気温についてはニュース等で大騒ぎであるが、実はこれ程度の差では正確なランク付けはできない。気象庁が全国927ヶ所に設置してある温度計は、気象観測用としては最高の精度である。しかし常温で土0.2℃の誤差がある。工業用には誤差が1/1000℃程度のもあるが超高額で天気予報にはもったいない。天気予報だって当てにならないこともある。この程度ファジーが丁度良い。四万十市ではこれを記念して41円のかき氷が売られた、という。

 先週後半は大型の台風18号が日本に接近中ということが大きなニュースになっていた。9月17日関東地方を横断、18日に東北太平洋側を通過し終日降雨で、風も強かった。

 秋田県の被害は床上、床下浸水208棟、稲や大豆、リンゴ・梨等にも被害が出た。ハウスが飛ばされた農家もある。17日夕方に居住している外旭川地区にも避難勧告が出た。我が家の近くには溢れるような河川はない。無視した。

 我が家は特に被害らしい被害は生じなかった。
 ■家内が横浜の長女宅に訪問する予定を組んでいた。15日早朝に発ち、予定を一晩短縮して16日夕方に帰宅した。孫と十分接する時間がなかったとブーブーである。17日は秋田新幹線が全面運休となったために予定を早めて帰宅したのは良い判断だった。

 ■畑は台風がくる前に杭を抜き、キウリ、トマトの蔓も引き抜き整理した。そのため実害はなかった。庭には落ち葉が溜まった.いずれ掃除しなければならない。

 ■我が家では飼い猫が一匹、通いの外ネコが2匹いる。後者は軒下で過ごしている。横殴りの雨に濡れて気の毒なので、急遽段ボール箱にビニールの覆いをかけた避難用のシェルターをプレゼントした。嬉々として利用している。今後寒くなるが防寒をどうしようか悩んでいる。

 ■私に関しては、徒歩通勤路である千秋公園の脇道で一本の木が倒れていて通行できなくなった。強風のためと思われたが、それほど老木ではなく、根もしっかりしているように見えたが、根元からそっくり抜けて倒れたような感じである。孤立している木が倒れることは時折見られるが、この場所は同じような木が密集して生えている。なんでこの一本だけが倒れたのか・・、不思議である。この木だけ何か欠陥があったのかもしれない。
 多分、今後も異常気象が続くであろう。私にとっては今冬の降雪が気がかりである。


9/16(月)敬老の日 台風18号接近 雨、台風の影響風強い
 0:00起床。録音データ整理。新聞、文献、本読み等で過ごす。9:10帰宅、天候不調で本日は外仕事不可能。ほぼ終日部屋の片付け、データ整理、読書で過ごす。四国地方の地理を学ぶ。DVD映画は「乗組員から見た零戦−後半」、外ネコに強風雨を凌ぐ避難箱設置、喜んで利用している。19:00夕食、20:15就寝。

東京オリンピック(1) フクシマ汚染水問題は本当に大丈夫なのか?
 2016年のオリンピック・パラリンピックは大金を使っての招致運動にも拘らず東京でなくリオデジャネイロに決まった。今回、7年後の2020年大会は東京に決定した。夏季五輪は1964年以来、2度目の開催となる。

 東京はイスタンブール、マドリードと招致争いを繰り広げた。東京は2回目と言う事もあって必ずしも優位だったとは言えなかったが、消去法的に東京が残ってしまった感じである。関係者は満面笑みで驚喜しているがなんか白々しい。

 東京の7年後の姿が支持されたと言う事。確かにトルコ、スペインの政治・経済面での安定性は現在も大変であり、ましてや7年後の状況は不透明である。東京だって分からないが、東京は相対的に安定度が高いとの評価である。治安の良さ、コンパクトな会場設定・運営方針なども支持されたのであろう。

 東京にも懸念があった。東京電力福島第1原発の汚染水問題である。イスタンブール、マドリード以外の都市と競合していたら、東京は今回もダメだったかもしれない。
 私はフクシマ問題で東京への招致が果たせなくなるのはやむを得ないと考えていた。安倍首相が「状況はコントロールされている。今後も東京にダメージを与えることはない」と明言した。この演説はかなりインパクトがあった。しかし、首相は汚染水対策に関しては政治家らしい大風呂敷を広げた、と思う。汚染水対策は現時点で決定的な方策が見つかっていない。ここ1ー2年で対応策が見つかるのだろうか。

 私はタンクに貯めて貯蔵すると言う不安定な方法に懸念を抱いている。タンクの強度も十分でないらしい。パッキングも劣化、締めているネジに錆も生じているとの事。これらは何とか修理出来るかもししれないが、現状のように多数のタンクが並んでいる状況に再度大きな地震や津波が来た際に、満タンとなったタンクは果たして耐えられるのだろうか?

 「もしかして」と言う事を前面に出すと何も出来ないが、南海トラフ問題は可能性が高いと言う視点で対策が進んでいる。私はタンク群の写真を見るたびに、災害で破壊されるタンクの情景を思わずにはいられない。

 このような懸念が論じられ対策されているのだろうか。私の杞憂だけなら良いのだが。


9/15(日)終日降雨 飯川病院当直 
1:30 起床、新聞チェック、本読み、データ整理ほかいつもの如し。歴史本読み。楽天リーダーkobo使用法検討、14:30-16:30DVD「乗組員から見た零戦−前半」見る。文献読み。19:00飯川病院当直に。18:00検食、20:30就眠。歩数計1473Km。

映画「風立ちぬ」(3)わけのわからない批判がある
 映画「風立ちぬ」は私は良い作品だと思ったが、いろいろ批判的な意見もあるようだ。

■喫煙シーンについて ーーーこの作品でそんな事が言えるのか
 喫煙が肯定的に表現されている、と日本禁煙学会が苦言を呈したと言う。男性の80%近くが喫煙していた時代、恩賜タバコもあった時代の国民の生活の表現に私は不適切さを読み取れなかった。
 映画の中で喫煙を推奨などしていない。確かに、喫煙の場面が一切なくとも作品の価値には影響はなかっただろう。しかし、監督は堀越氏を語るに必要と感じたから、喫煙の場面も取り入れたのだろう。
 喫煙の場面が教育的に悪いと言うなら、過去を目隠しするより未来に向かってどう過去を材料にするかの方が重要だろう。教育は事実を隠蔽するものであってはならない。わが国の文化は隠蔽文化だと思う。不適切と思ったら悪しき例に挙げて利用すれば良い。
 今は銃刀剣の保持は禁止されている。これを用いた映画は非教育的なのか?

■軍国主義の美化についてーーーこの作品でそんな事が言えるのか
 零戦の設計者、堀越二郎氏をモデルにしていることなどが、軍国主義の美化であると宮崎監督の姿勢が批判の対象になっている。激動の時代の流れの中ですべての国民が苦痛に耐えて生きていた時代、選択肢が狭められた時代、飛行機製造に技能があるものは軍用機を作るしかなかった。堀越氏に選択の自由はなかった。
 その時代の中で生きていたのだから、自分の仕事のなかでベストをつくしかなかった。その結果出来上がったのが優秀な飛行機であった。勿論、欠陥もあった。堀越氏は間違っていたのだろうか。私は間違っていなかったと思う。宮崎監督は堀越氏の生き方をフィクションを加えて映像化した。この作品は軍国主義を美化などしていない。
 世界的に見ても一級の能力を持った零戦を作った事の責任? 私はないと思う。これはドキュメンタリーではない。一人の技術者の生き方を、虚構をまじえたアニメ作品に仕上げただけでしかない。宮崎監督が抱く堀越氏へのイメージの具現化である。

 零戦は第二次世界大戦の主役でもない。鉄、ジュラルミンの固まりでしかない。零戦としての機能を十分発揮するには優秀な操縦士が必要である。操縦士は拒否する事の出来ない軍の命令、すなわち国の命令を受けて滅私で操縦した。5.000名近くが機とともに殉職した。彼らが敵機を撃墜したとしても、特攻機を操縦したとしても罪はない。大罪は別にある。

 特攻隊で殉職した隊員は軍神としてあがめられたが、戦後は一転して非難の対象となった。時代の流れが人々の考え方を変えた。戦後、零戦の能力が一般的に知られるようになって神話的扱いを受けたが、そのうちに欠陥機としての評価となった。堀越氏への評価もそれと共に変わっていった。軽軽と変わっていく世論は恐いものである。

 私は史実を知り評論・評価するのは推奨すべき事と思う。しかし、批判・非難は慎重でなければならない。言葉の遊びであってはならない。
 私は「何もしなかった人ほど、立場を軽軽と変え、過去を厳しく批判する」と思っているが、そんな意見に接するのは辛い。「風立ちぬ」への批判についてもそう感じている。


9/14(土)晴天暑い 家内横浜に ポップサーカス
1:20 起床。いつもと同じ。。10:03こまち、家内横浜に。台風が迫っており帰路が。10:20-12:00ポップサーカス。13:00ー15:00DVD映画「感染列島」観る。15:00-17:00畑仕事、キウリ・トマトの整理、支柱など整理。録音データ処理、歴史本など、19:00夕食、20:30就眠。歩数計1466Km。

ポップサーカス秋田公演
 9月14日(土)「ポップサーカス」に行ってみた。土曜であったが公演開始後2ヶ月も経っているのでさすがに混んでいない。とても良かった。

 サーカスは子供の時から数えて3回目である。2回目は2008年8月の「キグレサーカス」であった。その年3月に肺にガン疑いの陰影が見つかった時から発想が変わった。残り時間が少ないかも、と思った途端に視野がパッと開けた。今まであまり触れる事がなかった分野にも触れてみたくなっていろいろな催しにも出かけることとした。幸いガンではなかったが、視野だけ広がったままである。 前回の「キグレサーカス」は親戚の子供達を連れて7人で出かけた。さんざん気遣いしたが、家族も子供達もさっぱり喜ばなかった。今回は誰も誘わなかった。知り合いにも会わず、私は一人で集中できた。

 元秋田空港の特設会場にしつらえたカラフルな大型のテントがサーカスの巡業に相応しい雰囲気を持っている。入りは30%くらいか。追加で座席指定を購入、条件の良い正面席に座った。スタッフは日本人に見えたが、出演者は殆どが外国人で、中国?アラブ?ロシア人?かと思われた。それでも日本のサーカス団で大阪に本部があり、1996年以降5ー6都市/年巡回公演していると言う。テントの看板には「International Cirkus Fesutival」とあった。出演した女性達はボディも顔もグラマラスで圧倒された。

 休憩以外は間髪を入れずに次の演目が始まり、テンポの良い進行が気分よかった。 前半は、子犬たちの曲芸、クラウンのおどけた仕草、手玉芸、フラフープ回し、数秒で次々とコステュームを変える技、箱抜け等、比較的小さな芸が並んだ。なかなか細やかな技で見応えはあった。

 後半はやや大きめのスケールの芸であった。鍛え抜かれた筋肉の男性2人によるバランス芸、中国雑技団かと思われる10人ほどの女性達による曲芸、最後はスリル満点の空中ブランコであった。

 休憩をはさんで約2時間、私は目と鼻の先で展開された美技を十分堪能した。


9/13(金)快晴 大曲中通病院外来
1:30起床、文献新聞徒然他、7:40Taxi駅。8:02こまち。8:45-14:45大曲中通病院外来。駅病院間往復徒歩、17:00Taxi帰宅、DVD映画「白夜行」。18:30夕食。20:00就眠。

映画「風立ちぬ」(2)関東大震災の描写に驚く 
 
映画「風立ちぬ」は飛行機に興味を抱く少年が、関東大震災を経て戦争に進んでいく時代に生きた少年の青春を描く。その関東大震災の描写、地震に続いた火災のシーンはアニメでなければ描写できない。圧巻であった。

 この作品は「零戦」開発で中心的役割を果たした堀越二郎氏の半生を描いているが、零戦開発に関しての部分は無い。特徴的な逆ガル低翼を持つ「九試単戦機」の設計から初飛行に至るまでの過程が中心に描かれている。「九試単戦機」は設計開始からわずか10ヶ月後に完成、飛行試験では驚異的な速度や飛行性能の記録が出た。発注者である海軍航空部も当初は信じなかったと言う。
 この「九試単戦機」は海軍に採用され「九六式艦上戦闘機」として982機が生産され、日中戦争で圧倒的な役割を果たした。

 海軍はその後継機である「十二式艦上戦闘機」の開発を決め、堀越氏らに計画要求書を提示した。世界の戦闘機の性能を遥かに超えた仕様で 、戦闘機として随所に矛盾した内容を含んでいた。例えば、航続距離を伸ばせば燃料の重さでスピードや旋回性能などは犠牲になるのであるが、この要求をほぼすべて実現したのがいわゆる「零式艦上戦闘機」、すなわち「零戦」である。しかし、「零戦」の姿は映画の終盤で堀越氏とカプローニとの対話の中で、20機ほどの美しい零線が飛び去る姿は、堀越氏が「一機も帰ってきませんでした・・」と沈痛は表情で述べるシーンに垣間見せたに過ぎない。

 この映画のなかで、戦局後半に特攻機として改造され、多くの若者が殉職した悲劇の戦闘機「零戦」の開発に携わった堀越氏の行き方に注目した作品だけに、見る者の立場によっていろいろな見方が出来るだろう。この映画の中で監督が描きたかったのは、激動の時代の中、「自分の夢に忠実に、まっすぐに進んだ一人の技術者の半生」、イコール宮崎監督自身の半生なのだと思う。

 戦闘機「零戦」は累計10.425機生産された。我が国の軍用機としては郡を抜いた数である。その飛行性能は世界中の戦闘機を遥かに凌ぐものであったがその優位性を保持できたのはわずかに3年間に過ぎなかった。敗戦濃厚になった昭和19年10月以降は特攻機に改造された。「零戦」で戦死殉職した搭乗員は記録に残るだけで4.330名と言われている(歴史群像23年9月号)。

 宮崎監督は「戦闘機は好きだが戦争は嫌・・」と述べているが、堀越二郎の半生を描くにあたって「零戦」を中心に据えれば、堀越氏の生き方を描ききれないし、日本海軍の戦略はもとより日本という国の在りようにも言及せざるを得なくなり、論点が変わっていく。
 私は「九試単戦機」開発を中心に据えたのは良い判断だと思う。


9/12(木)快晴 歩数計戻る  外来 映画「風立ちぬ」
1:00起床,医学文献、新聞他、7:45コイ、ハトに餌、徒歩病院着。回診ほか。歩数計受付に届いていた、感謝。8:45-13:00外来。家内の車を借りイオンへ。15:15−17:30映画「風立ちぬ」を見る。18:15帰宅。19:00夕食。20:45就寝。歩数計1455Km。映画

「風立ちぬ」(1)おそるおそる観に行ったが・・・
 
行きつけであった映画館「シアタープレイタウン」が暮れに閉館になった事もあり、今年になってから私はDVDで映画を楽しんでいる。
 当初、関心があったものの見る機会が全く無かったジブリの作品を集中的に見た。「風の中のナウシカ」、「千と千尋の神隠し」など、恐らく7−8作品は見た。ジブリの作品はストーリーに関しては必ずしも私の好みではないが、アニメでなければ表現できないメルヘンの世界を描き出している。私がいつも驚嘆するのは自然、特に森の描写シーンである。

 映画「風立ちぬ」 はジブリの最新作で、私が好きな飛行機ものであること、くわえて宮崎監督の突然の引退宣言もあって何かと話題になっている作品である。 先に見た方からの勧めもあって、本日9月12日に仕事が終わった後東宝シネマに観に行った。

 秋田市御所野にあるこの映画館に出かけたのはこれで2回目で、初回は「テルマエロマエ」であった。秋田市の映画館で「シアタープレイタウン」
以外で映画を観たのはこれが初めてであった。映画館がある商業施設イオンの規模、駐車場の規模などは私の予測を遥かに凌いでいた。駐車場に空きがなかなか見つからず、やっと入ったイオンには若い男女達、家族連れで施設内は人で溢れていた。
 映画館の規模も大きく,ほぼ満席であったなど、秋田にもこんなに賑わう所があったのか、と驚いた。これでは秋田市内が閑散になるわけである。初めて納得した。

 本日も行く前から人ごみが嫌で多少ビビっていたのであるが、実際は前回とは様相が異なり、駐車も何ら苦労する事無く出来たし、映画館もガラガラ、「風立ちぬ」は20人くらいの観客で気抜けした。前回はGW中であり、かつ雨模様だったので特別だったのではないだろうか。今回行ってみてそう感じた。

 映画「風立ちぬ」 は、日中戦争、第二次世界大戦に大活躍し、戦局後半は特攻機として用いられ、多くの若者が殉職した「栄光」と「悲劇」の道を辿った戦闘機「零戦」の開発に携わった堀越二郎氏の半生に注目した作品だけに、見る者の立場によっていろいろな見方が出来るだろう。この映画の中で監督が描きたかったのは、激動の時代の中、「自分の夢に忠実に、まっすぐに進んだ一人の技術者の半生」なのだと思う。

 イタリアの飛行機製作者カプローニとの時空を超えた対話、奈穂子と言う女性とのロマンスも挿入されているが、これらはフィクションであろう。
 私の知る範囲から見ると戦闘機開発に関する部分はかなり史実に忠実の様に思った。


9/11(水)曇り・快晴 外来 歩数計紛失
1:00起床。文献・新聞。医学論文など。7:40徒歩病院着。回診他。8:45-13:00外来+患者面談。帰宅直前歩数計紛失に気づきガックリ。恐らく院内で紛失。明日にかける。15:30徒歩帰宅。DVD映画「伊豆の踊り子」。観るも楽しめず中断。歴史本他。19:00夕食、20:30就寝。

医療費未払いを弁護士が解説すれば・・(2) 病院を出る前に、医療機関側に相談を
 医療費未払いの件について日本医事新報4656号に質問があり、これに弁護士が回答している。その回答は実にけだるい。私の感覚からは何を言っているのかわからない。

 病院に診療を求めたとき、その時点で診療契約が結ばれた事になるが、その契約には患者は病院側に対価を支払う事は折り込み済みである。
 従って、故意であろうとなかろうと医療費を支払わずに病院を離れた場合にはそれだけで診療契約違反になる。勿論、診療契約違反はそれ自身に罰則を伴うものではない。しかし、医事紛争の際には医療側の診療契約違反が問題となり、損害賠償の判断の材料になっている。診療契約は相互間の契約であるから、医療費の未払いは診療側に被害を及ぼす事になるから、それが故意であるならば即診療契約違反、同時に詐欺または窃盗となる。そこに面倒くさい理屈は不要である。ラーメン食い逃げ、タクシーの乗り逃げにそんな理由が必要なのか。払わなかった、と言う事実だけで十分である。

 何で医療の場合はこんな簡単で明快な理屈が通らないのか。弁護士の回答(青文字)にちょっとコメントを加える。

【弁護士】患者は最初から踏み倒す意思で来院したとは言いがたく、結果的に支払い能力を欠くケースとなっても、傷病を得る事によっての困窮化もあり、疾患による判断能力の低下と言う事もあり得るので詐欺罪の立件は困難。
 -----どんな状態でも踏み倒しただけで立派な犯罪のはず。医療機関に支払いについて相談すれば回避できる問題である。

【弁護士】正当な理由なく故意に支払わない、と病院側が捜査当局に明らかにしても立件はなかなか簡単でないケースがままある。
 -----踏み倒しただけで立派な犯罪のはず。これが通らないなら法が不備。病院側の損害を公的に補填すべきである。

【弁護士】解決方法は支払い督促、医療費請求訴訟、税務処理上での配慮を受ける、無料定額医療機関の指定を受ける、デポジットの請求、薬剤などと支払いの同時履行の励行などが考えられる。

 -----そんな事は何処でもやっている。それでも多額の未払い金が生じている現実がある事を弁護士は何と考える?

【弁護士】上記項目をあまり全面に出すと、セフティネットとしての自覚を欠く非常な医療機関と言う自己表現になりかねない。
 -----実におかしな論理。医療機関の使命はいつでも、何処でも、誰にでも優れた医療を提供すること。正当な支払いをしっかり求める事とリンクしない。払えなければ相談し善処をすれば良いだけ。

 医療費の未払いは、たとえ後日支払おうと思っていても、所定の手続きをせずに病院を離れれば即犯罪である。
 今のままでは、医療機関は弱者である。こんな状態を野放しにしていてはいい医療は出来ない。


9/10(火)快晴暑い 外来 歩数計修理成功
0:30 起床、医学文献・新聞ほか。7:40徒歩病院着、回診。 8:45-13:30外来。15:30徒歩遠回り帰宅。借用した家内の歩数計で21.6Km歩いたことに。机から落下して機能停止した歩数計を修理、接点が何かに触れたのであろう、なんとか改善した。基盤がすごく精密に出来ており驚く。 DVD映画「紅の豚」、新聞、文献チェックPDF化、録音データ整理。19:00夕食、20:30就寝。歩数計1455Km。

医療費未払いを弁護士が解説すれば・・(1) 実にまだるっこい、納得できない

■詐欺罪の成立のためには相手側に錯誤に陥らせるような行為をして、相手が錯誤に陥り・・・(以下何を言いたいのかわからないので省略)。
■患者については最初から踏み倒す意思で来院したとは言いがたく、結果的に支払い能力を欠くケースとなっても、傷病を得る事によっての困窮化もあり、疾患による判断能力の低下と言う事もあり得るので詐欺罪の立件は困難である。
■正当な理由なく故意に支払わない、と病院側が捜査当局に明らかにしても立件はなかなか簡単でないケースがままある。
■解決方法は支払い督促、医療費請求訴訟、税務処理上での配慮を受ける、無料定額医療機関の指定を受ける、デポジットの請求、薬剤などと支払いの同時履行の励行などが考えられる。
■上記項目をあまり全面に出すと、セフティネットとしての自覚を欠く非常な医療機関と言う自己表現になりかねず、医療者としては非常に難しく、対処の困難な時代に直面していると言わざるを得ない。
■他の話題として、患者を装って忍び込み窃盗を働いたケース、詐病のケース、アルコール症のケース、映画「ジョンQ」の場合映画「シッコ」の場合など、を挙げている。
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 弁護士の回答は私の感覚からは何を言っているのかわからない。



9/9(月)快晴 外来 
0:50起床。新聞・文献チェック。データ整理、歴史本読み等。7:40徒歩病院着。8:45-13:45外来。15:45徒歩帰宅。Hulu映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」後半見る。新聞チェック、データ整理。読書他、19:00夕食、20:30就寝。歩行距離Σ1536Km。

ホンダ CRX-デルソル(2)オープンカーの魅力は別格
 大して売れなかった車であるが、国内でもCR-Xデルソルならではの楽しさと遊び心に共鳴したオーナーが現在も根強く乗り続けている。
 デルソルをどうやって手放そうかと考えた。
 ■廃車、スクラップ化、■中古車販売業者に委ねる、■オークションにかける、■愛好家に無償で提供、などあるが、まだまだ使えそうなので愛好家に差し上げることとした。

 デルソル愛好者の方が運営しているHPが見つかったのでその掲示板に以下のごとくの伝言を出した。
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CRX-デルソルを差し上げます。
現役車、車検26年5月、型式D15B、走行距離 87.000Km。錆あり、ルーフオープン時に手でアシスト必要。 無償で差し上げます。興味のある方ご連絡ください。 秋田県在住。

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 翌日から5人の方から申し込みがあった。 先着順に連絡を取り、最初に連絡をくれた方に決めたが、何と九州の方であった。当初は今月6日に自分で秋田まで受け取りに来ると言う事で私は心から驚いた。経費、時間、長距離運転等のリスクを心配した。その後、計画変更があり陸送業者を通じて運搬する事になり、7日に引き取られて行った。

 私は運転が嫌いで最小限の距離しか乗らない。片道10Km程度までならなんとか耐えられる。私の知人にも運転が好きで東京、大阪等に自分で運転して出かけるという方がいるが、私の理解を超えている。九州まで自分で運転!!! 驚きを禁じえなかった。また、私は面識の無い方との対話も苦手である。だから、Face to faceの交渉も、金銭のやり取りもなく済んで良かった。

 CRX-デルソルには手動でルーフを外すタイプもある。私が使っていた車種は電動式で、ルーフ持ち上げ用、トランク持ち上げ用、ルーフスライド用の3つのモーターがコンピューター制御で動くメカニズムであるが、実によく出来ていると思う。車としては殆どゼロ査定であるが、この機能のおかげでCR-Xデルソルは今も20-40万円ほどで流通しているらしい。

 今回と同じ発想で、2011年に自称「 オールド・ボロ・ボロ・ハーレー FLSTF」を手放した。この時も私は愛好の方に無償で差し上げたいと思ったが、バイクは整備が不備だと危ないのでディーラーにその後の事を任せた。思いがけず若干の値がついたので岩手の復興資金に寄付した。

 デルソルも、ハーレーも、長い間トラブルもなく持てる機能、特徴を十分堪能できた。まだ両者とも十分使用可能なので今後の事は次のユーザーに委ることとした。


9/8(日)降雨後晴れ、一時激しい雨 飯川病院日直 2020オリンピック東京で 
1:00起床、新聞チェック+歴史本、医学論文読み。文献整理。8:30プリウスで飯川病院。歴史関連本読む。データ整理、入力、など進める。17:00帰宅、昨日から視聴可能になった動画サービスHuluにて特攻隊関連の映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」途中まで観る。上官による暴力の場面が不快。19:30夕食。20:30就寝。

ホンダ CRX-デルソル(1)九州にもらわれて行った
 私はプリウスを用いているが、それも厳寒期や降雪期でなければあまり乗らない。4WDでないのが不満だがもっぱら冬用である。もう一台、ホンダCRX-デルソルも持っていた、数日前までは。
 これは1993年に初登録された20年目の古い車であるが、ハードルーフが電動でトランクに収納される面白い機能を持っている。

 1992年、ホンダのスポーツ車として人気が高かったCR-Xの3代目として「デルソル」の冠をつけて発売したのがこの車である。「デルソル」の名前の由来などわからないが、国内初の電動ハードルーフなど、 趣味色の濃い2シーターの車である。
 メカニズム等で業界に一石を投じた実績はあるが、 国内登録台数わずか17.000台弱という不人気車であった。しかし、海外での人気は高くUSAでの販売台数は7万台を越えた。これは、わが国では自動車文化、気象条件、道路事情などからオープンカーの市場が少ない事に関連しているのだろう。国産ではレクサスに類似の機能を持つ車があるが市中であまり見かける事はない。

 私がこれをもっているのは車の閉塞感が嫌だからである。ルーフの開口部はそれほど大きくはないが、ルーフを開けると大きな解放感が得られる。風を受けながら、太陽の光を浴びながら、夜間は月や星を見ながら走る、これは他の車で生えられない最高の魅力である。それに、思うほど寒くはない。

 塗装の劣化は若干あるものの、今でも特別なメンテナンスすることなく手放す当日まで乗っていた。

 これを今回手放そうと考えたのは、徐々に乗る機会が少なくなってきたからである。

 私の通勤を含めた移動手段は、家族が多かった時は車中心、子供達が成長し一緒に移動する機会が少なくなってからはバイク中心となった。バイクは主に1992年製のハーレーを用いたが、300Kgもある図体の取り回しが困難になって、2011年から歩行と自転車に切り替えた。
 2013年春以降は主に徒歩である。4月以降、歩数計の積算は本日の段階で1.500Kmになっている。


9/7(土)秋田盛岡とも雲リー降雨 幼稚園運動会
1:00起床、本読み、文献チェック。5:30車で盛岡に、運転なし。8:00吉野家で軽食、8:30-12:00幼稚園運動会にジジババ参加。昼食、17:30帰宅。19:30夕食、21:00就寝。 歩数計1430Km。

孫の幼稚園の運動会  


 本日、9/7(土)は 孫の幼稚園の運動会ということで招待された。というか協力要請があったので参加した。
 孫は3才で「X幼稚園」の年少組である。

 「X」と言えば盛岡では某県立高等学校の愛称でもある。親しく呼ぶときは「○○」とも呼ばれる。学校の歴史は長い。
 X幼稚園と高校との関連は分からないが、設立母体は当然別だろうが、場所的に隣接していることでXと名前が付けられたのだろう。「X」は私にとっては懐かしい名前である。私の祖母「キヌ」が創立後さほど立たない頃にこの学校を卒業しているから、家でも時折話題になった。明治の終わり頃だからエリート女学生だったらしい。私も盛岡の高校を卒業していて「○○」と交流の機会もあったが、私は恐れ多くて近づいたことも無い。

 幼稚園の運動会はその「○○」の体育館で行われた。園児100名余の黄色い声に触れるのは久々であったが心地よく耳に響いた。本当に黄色である。声に色を付けた先人の知恵には感心する。

 5:30に秋田をでて8:30に到着、運動会は9:15-11:45の2時間半、整然と進行した。かけっこ、綱引き、遊戯、リレーなど盛りだくさんであった。職員の方々の事前の2準備、園児の練習、当日の運営など実にご苦労なことであった。園児の様子はというと、個性豊かに行動する子が何人かいて担任の先生は実に大変そうであった。
もう一人の孫の相手などしながら過ごしたが、若干ながら役には立ったかなと思った。
 ジジ・ババが参加する種目に玉入れがあって私もちょっとだけ童心に帰った。

 昼食をゆっくり摂り、17:30頃自宅に帰ったが、疲れていたのであろう、2時間ほど深く眠ってしまった。
 まあ、なんであれ孫に接する機会がある事は良い事だと思う。思えばわが家の子供達の運動会とか学芸会などを見に行ったと言う記憶はない。多分、今回が初めてである。この様な事に使える時間が得られた事を喜び、大切にしたい。


9/6(金)曇りのち晴れ 大曲中通病院外来 ブルーレイプレイヤー導入
1:30 起床、新聞・文献他.データ整理、旭川増水コイへの給餌は不適。7:40Taxi駅に、8:02こまち、駅から徒歩、9:45-14:45大曲中通病院外来。徒歩駅、15:16こまち、実際は20分遅れ。16:30帰院、入院患者対応。Taxi、書店、コーヒー店経由17:00帰宅。自室にブルーレイディスクプレイヤー導入。一層便利になった。DVD「史上最大の作戦』一部。新聞処理、本読み。19:00検食、20:45就寝。

オバマ, 安倍総理がひきずるトラウマ(2) 安倍首相の立場
 安倍首相は政権の第一の政策をデフレ脱却に置き、アベノミクスでは経済政策を思い切って打ちだし、円安を誘導、国民や市場の期待を高めた。確かに各種の指標から判断する限り一定の効果は挙がっている。デフレ脱却にマイナスの影響を与える材料はことごとく排除したいとの思いが強いだろうが、道は厳しい。

  TPP交渉参加の道も開いた。結果はどうなるか、是とでるか非とでるかまだ解らない。

 安倍首相は今回の参議院選で四半世紀続いたねじれを解消した。次は消費税導入問題である。国際公約した財政健全化も大きな目標である。これに消費税増税が濃厚に関連している。安倍首相は最終判断は自分で行うと明言している。凍結や小幅増税も検討対象としていてまだ煮え切らないが、首相自身はほぼ決めているだろう。有識者からの意見聴取も行っているが、十分検討しているとの実績作りのようにも思える。

 国民に負担を強いる消費税増税は不人気政策の最たるものであり、政権にはやっかいな代物である。順調な安倍政権と言えど厳しい。
 これについて過去の記録を見る。
  
 ■1987年、中曽根根首相は「大型間接税はやらない」と表明して前年の衆参同日選挙で歴史的勝利を得た。ところが、1987年に売上税法案を国会に提出した。その年の4月の統一地方選で自民党は惨敗し、法案も廃案となった。歴史的勝利から惨敗屁の道を辿った。

 ■1989年4月、もう24年も前になるが、時は竹下政権、3%消費税導入で7月の参院選は自民党への逆風はすさまじかった。この時に自民党は参議院の過半数割れに入った。 

 ■1997年4月、橋本政権下で消費税率は3%から5%に引き上げられた。同年4〜6月期の成長率はマイナスに落ち込み、これをきっかけに日本はデフレヘと沈みこみ、戦後景悪といわれた不況の中で行われた1998年の参院選で自民党は惨敗した。

 安倍首相はこの3回の歴史的経験と同じ轍を踏みたくないはずだ。

 中曽根、竹下、橋本政権時代の過去に学ぶ事は大事だが、その時と時代が違う。国の借金は1,000兆円に達している。にも拘らず来年度の予算の概算要求は日本の税収の約2倍、100兆円に達している。これが通ればさらに借金財政は悪化する。

 また、過去の消費税初導入時、3%から5%に増税する時の世論調査では賛同は20%にも満たなかったが、いまは約半数が増税止むなしと答えている。国民も本音は嫌だがここまでくればやむを得ないと納得しつつある。ただ、増税が景気に与える影響は少なくないだろう。そのために小刻み増税も考えているようである。

 国の景気は消費税増税はマイナスの要素になる。しかし、借金が年々膨らんでいる状況下では増税の先送りの功罪のは明らかと思う。煩雑だが段階を踏んだ増税が良いかもしれない。 
 首相の一刻も早い判断が必要である。


9/5(木)降雨 午後曇り 外来  デルソル九州の方にもらわれた
1:00起床。新聞・文献など。降雨にて車7:10病院着、回診ほか書類記載。8:45-13:00外来。ドック判定、14:30車帰宅、15:00デルソル陸送屋に引き取られていった。DVD「蒲田行進曲」。新聞・文献処理、19:00夕食、20:00就寝。歩数計1409Km。

オバマ, 安倍総理がひきずるトラウマ(1)オバマの立場 
シリアが毒ガスを使用した確固たる証拠があるとして、オバマはシリアへの武力攻撃を辞さない構えで着々と準備を進めている。しかし、議会や諸外国の同意を得られず壁に突き当たってている。比較的積極的であった英国は議会の承認を得られず早々と列を離れた。オバマはG20でも各国の承認、協力を取り付けようと努力しているが、ロシア、中国等の反対に遭っている。

 この状況はイラクが大量破壊兵器を保有しているとして攻撃に踏み切ったブッシュの決断に似た状況にある。
 しかし、ブッシュ時代と決定的に異なるのは米国が直接被害を被っていないことである。9.11の場合はテロリストからではあったが、アメリカ史上唯一と行っていい攻撃に米国民が大きなショックを受けた後であった。イラク攻撃開始の際に国側の世論もイラク攻撃を支持していた。

 イラクには大量破壊兵器はなかった。フセイン政権の崩壊と言う目標はなし得たが、その後のイラクの混迷は目を覆いたくなる状況である。米国に同調してイラクに派兵した国はイラク攻撃がトラウマとして残っているに違いない。

 しかし、今回の様相はブッシュの場合と明らかに異なる。例え、国際的に禁止されている毒ガス使用があったとしても米国は直接の被害を受けていない。更に、シリア攻撃に関しては同盟国を始めG20参加国の介入反対は半数ににのぼり、指示の表示は5ヶ国でしかない。このような状況下で攻撃に踏み込む事は国際社会が許さないだろう。 

 ローズ大統領副補佐官は「世界の安全保障を何十年も支えてきた米国の役割を放棄したくない」、と述べシリアへの軍事介入は米国の威信をかけた判断だと述べているが、オバマはブッシュの同じ過ちを繰り返すならば国内外からの支持を失うことになるだろう。

 ブッシュの失敗はオバマにもトラウマになっているのだろう。だから、国際社会の支持を求めている。重大な提起ではあったが、引っ込める事も勇断である。


9/4(水)快晴 夜間降雨 外来 
1:00 起床、文献検討、新聞チェック。天候は急変しそうで不穏である。5:30花の寄せ植え。7:40徒歩病院着。回診他。8:45-13:20外来。ドック判定。15:30徒歩帰宅。DVD「蒲田行進曲」一部。19:00夕食、20:30就寝。

家庭菜園2013(2) トマト・ナス・キウリの収穫は終了 今年はちょっと変だった
 数年前から近所の方から借りた畠で野菜を作っている。
 今年作付けしたのはトマト・ナス・キウリそれぞれ10本ずつと30本ほどの枝豆である。7月中旬からトマト・キウリの収穫が始まり、うれしいどころか食べきれず、食卓がこれらに追いかけられた状態が続いたが、盆過ぎには枝葉が弱り始め、8月下旬になって収穫量が一気に落ちた。

 今朝の畠の様子を見た所、枝豆以外は終わりを迎えた様である。葉が枯れ始め、枝も茎も全体に生気が無くなってきた。キウリは5cm程度のがまだ10数本は残っているがもう成長は望めない。トマトはまだ数10ヶ青い実をつけているが、もう成熟できないだろう。ナスはまだ元気であるが、もう殆ど結実していない。

 キウリもトマトも時期になるとスーパーで買ってもそれほど高くはない。だから自分で栽培する必要もないのだが、それでも畠に毎夕撒水し、毎朝様子を見に行くのは自作した果実には様様な思いが詰まっているからである。
 小さな苗が日々大きく生長していくのを見るのは楽しい。倒れないように杭を打ち棚を作る、こんな世話も楽しい。トマトが赤くなり始めるといい匂いがして来る。カラスに食べられガックリする、葉の先にしがみついているカエルや毛虫を見るとつい声をかける。畝と畝の間にのびる雑草、盆過ぎの足下の露・・・などなど、数値化できないこうした喜びや記憶が「食卓の味」を決めるのだろう。

 いま残っているのは、枝豆である。20本ほどあるのだがまだ実の成長は遅い。これももしかすればダメかもしれない。
 私は家庭菜園は初心者でだから何とも言えないが、今年の畠の様子は昨年までと違ってちょっと変であった。
 ■昨年より3週間ほど植え付けが遅れた。
 ■昨年まで種から播いて豊かな実りを味わえた枝豆が、わずか2ー3割しか発芽しなかった。遅れて植え付けた分も成長が今ひとつである。
 ■トマトはまだ多数の実をつけているのに立ち枯れ状態で頓挫した。
 ■ナスは枝葉は立派に育ったが結実は乏しかった。
 ■などなど。

 原因として、昨年と同じ畝に植えてしまったから連作の障害か。水はリッチに与えたが、肥料の追加を行わなかったためか?5月までは気温が低かった、6月は降水量が極端に少なかったが7月は一転して曇天の日が多く降水量が多かった。8月は時折ゲリラ的降雨があったが、こんな事が重なったためだろうか?

 もし来年もチャンスがあるなら今年と同じ轍を踏まないようにしたい。


9/3(火)降雨 外来 
0:30 起床、文献検討、新聞チェック。降雨にて7:40バス利用で病院着、回診他。8:45-13:00外来。15:00空で歩かれずバス利用帰宅。 DVD「 リンク」観る。ホラー映画で理解できない作品であった。竹島・尖閣問題中心に領土問題の歴史について学ぶ。データ整理など。19:00夕食、20:30就寝。歩数計1385Km。

DVD映画「二つの祖国で 日系陸軍情報部」 (2)日本の復興にも貢献
「MIS(ミリタリーインテリジェンスサービス)」には日系二世が中心となって日本軍の暗号の解読など行っていた。

 このドキュメンタリーでも何度も強調されてていたが、日本軍が情報管理にいかに無神経だったか驚かされる。
 この面での日本の問題点は何も第二次世界大戦に限った事ではなく。日露戦争の際の外交暗号がロシア側に解読されており、そのためにポーツマス講和会議では日本側がきわめて不利な状況に追い込まれた、とされる。また、ワシントン海軍軍縮会議でも日本の外交文書は傍受されていた。

 勿論日本側が無策ではなかった訳ではない。昭和9年ドイツから暗号機械「エニグマ」を購入、外務省暗号担当者はこれに複雑な改良を加え「九十七式欧文印刷機」を作り上げた。昭和16年東郷外相は「 九十七式欧文印刷機が盗まれない限り解読はあり得ません」と答弁している。この機器は毎日または使用時に条件を変えられにもかかわらず、日本側のオペレーターは月に3回しか変更を行っていなかった。このために10日間は同じ仕組みで作られた暗号文が送られ、米国側に解読の機会を与えてしまった。米国はこの暗号機の模造機を時遅れずして作り上げた。時のルーズベルト大統領は解読された日本の外交文書に目を通しながら戦争準備を進め、巧みに日本をあやしながら戦争に誘い込んだ。後のミッドウエイ海戦も情報戦で勝負がついた。山本五十六搭乗機の飛行計画の傍受などを行ったのもMISである(この段落は近代戦史研究会編 情報戦の敗北 PHP文庫を参照した)。

 一方、米国は戦闘相手である日本の文化や国民の習性をよく調べ挙げていた。日本は欧米の文化を「敵側の文化」を称して触れる事を一切禁止したのと正反対の対応である。
 日本の捕虜に対しては拷問とかでなく、タバコやビールを与え、演歌などを聴かせて心を開かせた。拷問で得られない成果があったという。日本軍は捕虜になるより死を選べと教育されていたが、実際に死にきれず捕虜になった兵士は少なくない。捕虜になった後の心得など一切教育されていなかった兵士は一旦心を開いた後は聞かれた事に限らず何でも話した・・という。

 元MIS兵士達の証言、日本軍が発した通信の解読や捕虜尋問などの活動の現場、戦闘の実写フィルムが多数挿入されている。彼らが得た情報は連合軍を勝利に導く原動力の一つになった。MISの働きは終戦を2年早めたという説もある。
 MISの活躍は終戦後も続いた。米国の原爆投下の1ヶ月後に通訳として広島に赴いた日系人は、子供と女性とお年寄りしか横たわっていない光景に驚き「サイレント・ムーヴィー」と称し報告した。帰国後、して飢餓に驚きゴミを漁る子供たちを目にして涙を流しながら、日本語ができる日系二世兵士が日本本土と沖縄の復興に尽力したとされている。

 私は戦勝国側のGHQが、わが国の文化、国民の生活を尊重しながら弱体化政策を進めたことに驚きを感じているが、あらかじめMISが米国に与えた情報が役に立っていたと思う。
 戦時中の活躍だけでなく、戦後も日米の懸け橋として日本の復興に貢献した日系二世の方々の活躍をこの映画を通じて初めて知った。



9/2(月)終日小雨 健康クリニックドック 
 0:45 起床。文献チェックその他。降雨にて歩行は難しい、まもなく手放すデルソルにて7:15病院着。回診他病棟業務。9:00-11:30健康クリニックドック診察と結果説明。文献検討、15:00一部電子機器家に運び帰宅。DVD「 ホームレス中学生」観る。その他いつものごとく。19:00夕食、20:30就寝。

DVD映画「二つの祖国」 (1)日系二世の働き
 

 昨年暮れに行きつけの映画館が閉鎖してから私の映画鑑賞はもっぱらDVDによっている。
 映画館では自分の価値判断で選択すること無く、約一年半に渡ってその映画館で上映されたほぼすべての作品を観た。それまで軽く考えていた映像の説得力、魅力を知った。私の自室の機器にも改良を加え、オーディオからビジュアル系重視の部屋に変容しつつある。画面はまだ23インチのTFTであるが、音だけは映画館より遥かに良い。

 DVDでの映画はドラマも見るが、近代日本史の理解に役立つような作品を中心に見ている。
 最近観たこの「二つの祖国で 日系陸軍情報部」は太平洋戦争時、時代に翻弄された日系2世たちの、人生を明らかにしたドキュメンタリー映画である。

 米国籍をもち人種差別を受けていた日系2世たちは、自身の祖国である米国のため、両親の祖国・日本との戦争を受け入れざるを得なかった。長く沈黙していた80人近い日系二世の元兵士は2つの祖国への複雑な思いを語っている。主たる登場人物の多くは現在アメリカに住んでいる日系人で80〜90歳代である。

 てっきり米国映画かと思っていたのであるが、 「すずきじゅんいち」氏が監督し 「喜多郎」が音楽を手がけた日米合作映画である。資料によると、監督には『東洋宮武が覗いた時代』(2008年)、『442 日系部隊・アメリカ史上最強の陸軍』(2010年)があり、本作は日系米人の第二次世界大戦時の役割を描いた三部作のラストの作品にあたるとのこと。

 私は単純に第二次世界大戦は日本人とアメリカ人が戦った・・と思っていたのだが、当時も多数の日系二世の方々がおり、それぞれ置かれた立場によって一部は日本兵として、米軍兵として戦った。兄弟が両者に別れて同じ戦場で戦った例もあり、血を分けた兄弟が互いを敵として戦うなど、戦争に振り回された彼らの言葉の悲しみに胸を締めつけられる。

 日系二世は米国で差別待遇を受けていたが、そのうちに日系二世の持つ技術・技能に米国軍が気付いて重用した。
 米国陸軍には秘密情報機関として「MIS(ミリタリーインテリジェンスサービス)」という部署があり、日本からの情報収集、暗号解読等にあたった。そこのメンバーは日本語が話せ、日本文化や習慣などの知識が豊富な日系二世たちを中心に構成されていた。

 日米合作というが、人種差別等米国側の問題点も明らかにされる。このような作品が共同で作られる背景には戦後60年も経過し、クールに史実を見る動きが高まってきたからであろう。喜ばしいことである。


9/1(日)早朝降雨以降曇り 
0:30起床、文献・新聞チェック。7:00畠、花壇。10:30石灯籠設置。13:30自転車横山金足栓経由北インター往復12km。DVD「男はつらいよ」見る。その他読書、データ整理。19:00夕食、20:30就眠。

避難勧告に反応しない住民(2)津波警報の場合
 近年の津波警報を受けてどれだけの住民が避難したのかを示すデータがある。
 ■2006年11月千島列島の地震で北海道と東北地方に津波警報が出たが、消防庁の同様の調査で、避難率は前者が平均13.6%であった。
 ■2007年1月の千島列島の地震で北海道と東北地方に津波警報が出たが、避難率は8.7%だった。
 ■1960年南米チリの大地震による津波が日本まで到達した。この津波で被害が大きかったのはリアス式海岸の奥にある港で、大船渡市で53名、志津川町(現在の南三陸町)では41名が犠牲になった。このときの避難率については私の手元にデータが無い。
 ■2010年南米チリの大地震による津波が日本まで到達した。日本国内で人的被害は無かったが、大津波警報が発令された東北地方の太平洋沿岸地域を中心に養殖施設の網が流されるなどの漁業被害や、道路などが浸水する被害が出た。陸前高田市両替漁港で1.9m、気仙沼で1.8m、大槌漁港で1.3mの津波であった。これらの地域は翌年の東日本大震災による津波で壊滅的な被害を受けた。

 この時、避難指示や勧告が出た地域の住民のうち、避難所などで実際に避難が確認された人の割合は3.8%であった(総務省消防庁のデータ)。津波警報を発した地域のうち、市町村長が避難指示や勧告を出したのは20都道県の189市町村。対象人口は約168万人で、このうち市町村が避難所などに遊難していることを確認した住民は6万3千人(3.8%)であった。
 1万人以上に勧告や指示が出された道県のうち、最も避難率が高かった道県を順に並べると、岩手県(対象8万3千人、避難率12.2%)>北海道(11万人、6.8%)>宮城県(19.1万人、6.6%)>沖縄県(23.6万人、5.6%)>福島県(1.7万人、5.5%)の順だった。

 ■2011年の東日本大震災で被災し、現在避難生活を過ごしている870人に対して総務省消防庁が聞き取り調査で地震直後に避難した人は57%にとどまった。42%は家族を捜したり自宅に戻ったあとに避難していた。大津波警報に気がつかなかったは58%、半数以上が車を使って避難し、うち1/3が渋滞に巻き込まれていた。
 私は沿岸に住んでいる訳でないから、沿岸の住民の方々の考え方は解らないが、印象として避難勧告に対して住民の反応は乏しいと思われる。チリ地震の際には実際は揺れていないのに避難勧告が出た。あれほど遠方の地震で津波が到達するなど考え難かったのかもしれない。また、徐々に避難率が下がっているのは経験の風化と防波堤の整備が住民に過剰の安心を与えたからなのかもしれない。

 ただ、私の場合をいえば、2年間岩手県宮古市で働いていてその間磯釣りを楽しんだ。その際、少しでも地震を感じたときには直ちに切り立った崖に避難するようその道のベテランから厳しく指導を受けた。この言葉はいまだに耳に残っている。東日本大震災のほどの巨大な地震を感じ取っていながら直ちに避難行動をとらなかった住民が生存者の中これだけおられた事は信じ難い。
 避難に対する私の感想である。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
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