徒然日記
2010年2月分

 日記と言うより、自分の行動記録からの抜粋と日々の雑感です。

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2/28(日)曇り チリ地震で終日津波警戒 次男宅の犬誕生パーティ 長女離秋 
2:10起床、ドック総括x1、徒然など。7:10病院着、8:30救急カンファ。ラジオでチリ地震による津波警報発令を知る。11:00帰宅、その後夜半までNHKラジオ・TVは定時番組中止してこれのニュースだけ。13:00次男夫婦+孫+犬来訪。犬の誕生パーティ。桜餅など作る。午睡の間に長女離秋、何時も親バカの私が駅に送るのだが残念であった。明日の挨拶文作成。20:30夕食、21;00就寝。

チリ地震で津波警戒の一日 50年前の災害を思い出した
 昨日早朝、ラジオが緊急通報時のコールが鳴り、沖縄地方でやや大きめの地震が生じることが報じられた。幸いなことにあまり大きくない地震らしかったが、早朝のラジオ、TVは現地からの実況報道を繰り返していた。私はそれを聞きながら出勤して業務に入ったのであるが、夕方帰宅してみるとまだ地震の報道が続いている。

 それは沖縄の地震ではなく、遙か遠いチリの地震報道である。何時のことか即座には理解できなかったが、昨日、チリ中部沖の海底でM8.8の巨大地震が生じたとのことであった。地震エネルギーは一月ほど前に生じたハイチ地震の500倍とのことである。

 そのときは津波のことは特に触れられていなかったと思うが、一夜明けた本日は朝9時頃から気象庁は青森県から宮城県にかけて17年ぶりの大津波警報を出すなど、厳重な警戒を呼びかけた。到達時刻は13:00以降とのことで若干の余裕があった。結果的に最大で1.5mほどで済んだようで、処によっては道路やビルなどが冠水したが、大きな被害がなかったとのことで幸いだった。
 50年前の1960年のチリ地震が思い出される。この時の地震は20世紀最大でM9.5で、ほぼ1日後、岩手県三陸地方を中心に大津波が襲った。このときの津波は全く予想外のことで、未明に最大5mを超す津波に襲われ、三陸を中心に140人を超える犠牲者が出た。

 この時、私は中学生であったが、当時の岩手日報に掲載された記事や被害の写真は今でも記憶に残っている。それから約10年後、私は三陸の病院に勤務し、この時の傷跡を見、住民から恐ろしい体験談を聞いたこともあり、この災害は忘れられない。鮭の遡上が名物の宮古市郊外の津軽石川が激しく逆流し、大きな被害が出た、という。

 それから見たら、今回は全く違う。数時間前から津波警報が出され、到達時刻や高さの予測と報じられた。1m前後との予想のためか漁港などでは緊迫感が乏しい印象を受けたが、水門や堤防など災害防止の対策が進んだ結果だから、ということもあろう。
 しかし、現場の方々の気持ちはいかなるものであったのか、到底推し量ることは出来ない。遠方の地震は直接的被害は及ばないし、遠地津波は海に接したところが影響を被るだけで、秋田に及ぶことは考えられない。そんな立場ではどうしても傍観者的にならざるを得ないが、大津波警報が出た地域を多少なりとも知っている立場で、大きな被害が出なかったことで安堵した。


2/27(土)快晴 病棟拘束 
2:20起床、ドック総括、徒然他。6:45病院着、7:20回診他、書類処理、文献に集中。8:30救急カンファ、入院患者対応、書類処理。午後、新入院患者対応。18:30帰宅、夕食、20:30就眠。

匿名化、顔の見えない社会化はまずい(6)匿名は幽霊または透明人間と同じ
 メールの署名無し、匿名化はひどい状況になっている。匿名が当たり前になっているのか分からないが、得体の知れないメールが飛び交っている。
 これは良くないことだ。匿名でいろんな事をすると言う考え方が浸透していくのは恐ろしい。あまり親しくない同士のメール連絡の際には名前の他に、その内容に応じた簡単な自己紹介が必要である。

 私のパソコンには連日100件ほどの種々のメールが来るが、そのうちの80%ほどは迷惑メールに自動的に分類される。そうでないメールも基本的には私自身が送り主を識別できないメールは開いたとしても内容は読まずに破棄している。だから重要な連絡事項を廃棄している可能性はゼロではないが、やむなし、と割り切っている。

 私は人間同士の付き合いや交渉の際などに名前を明かすことは社会人として当然と思っているし、更に状況が許せば顔が分かればもっと良い。顔が見える関係というのがベストだと思っている。しかしながら、そうではない考えの方が沢山おられるようで、どちらかと言えばこの方が多いように感じる。

 自分の名前や顔、素性が知られない状態というのは個人の実態がないに等しい。いや、総割り切ると考えやすい。
 例えてみれば幽霊、または透明人間だろう。前者ははじめからひ弱で滑稽な存在であり、性格もそう悪くはなく幽霊が積極的にひどい悪さを繰り返す話は、私が知っている範囲では落語や講談の世界でも余りない。幽霊話は一般的に面白い。
 一方、後者の透明人間は自分の欲望・願望を具現化した存在である。単に自分が透明で他人から察知されなければいろんな事が出来て面白いだろうな・・というような軽く、明るく、単純なものではない。子供の頃に読んだ透明人間の物語は懐かしいが、そこには、陰険な欲望が渦巻いているのが多かった。

 一般的に人は誰も見ていなかったり、名前や顔、素性が知られない状態では抑制のタガが外れやすくてマイナーな悪事をやりかねない。これは恥ずかしながら、私自身にも言えることだから、私は正しい感覚、と思っている。ところで、この世の中で誰か見ているところではいざ知らず、全く見ていないところで一切の悪事やいたずらをやったことのない、と言える人はいるのだろうか?

 現代社会では筆跡、声を隠した状態で、住所も連絡方法も隠した状態で、メールや書簡を通じて相手に連絡が出来る様になった。その気があれば、これを積極的に悪用することも不可能ではない。これは考えてみれば実に恐ろしい状況である。そんなのを貰った方は無視できないとそれこそ大変である。
 匿名のものには一切対応せず、記録だけは残しておく、が現状でのベストと思っている。


2/26(金)雨 人間ドック診察 法人理事会 長女帰秋
2:20起床、ドック総括、徒然他。6:00病院着、6:20回診他、患者対応、書類処理、文献に集中。13:45ドック診察5名、17:30-18:20法人理事会。20:45帰宅、長女帰省していた。21:30就眠。

匿名化、顔の見えない社会化はまずい(5)個々人の名前の持つ意味(2)
 人間社会においては名前と顔はほぼ同様な意味を持っているのだが、実際には名前の方がより重要な意味を持つといえよう。とはいえ、名前を必要としないレベルの間柄では顔を見せていることは最小限の礼儀でもある。
 私は時にバイクでの帰宅時に書店などに寄ることもあるが、フルフェイスのヘルメットは外してから店内に入る。路上で道を聞くときも同様である。これは人としての礼儀だと思っているからである。

 県医師会の会員名簿には全会員の住所や専門領域、連絡先等が掲載されており、実務的にはこれで十分役に立つ。記載されている個人名がその個人の存在そのものを直接示しているからで、直接的知己で無くともほぼ十分である。もし仮に、これが個人名でなく記号や識別番号であったら、その有用性は大きく損なわれるだろう。
 たとえば私の場合、医師No450514 中通総合病院勤務 院長(65)、男、一般内科 新潟大学卒・・だけでは間接的な情報で、病院にこれに合致する医師がいる、と言うことだけしかわからず、実態を何も示していない。これでは利用する際にほとんど役立たない。
 名前を提示すると言うことは特定の個人の存在を直接記載することであり、同時に責任の提示でもある。

 学術論文には個人名や所属だけでほぼ十分であるが、随想などの文章の場合は、個人名に加えて顔写真が掲載されていると、その文章の価値は一層高まる。私は自分の顔写真が掲載されることに若干気後れするが、これも責任の一端の表示と思えば割り切らざるを得ない。逆に、顔写真が掲載されている文章の場合、読み取る内容も深まるし一層親しみを持って読むことができる。それ以上に、顔自体、十分何かを語っている。

 相手がどなたかわからない状態で会話しなければならないことがあり、この際は何とも居心地が悪いが、相手が目の前にいるし、表情からいろいろ読み取れるし、名前を確認しようとすれば出来る状況だからまだいい方である。これが、メールとか投書等で署名無しのはさらに不快である。後者の場合には直筆であればまだ個性や血の通った人間としての雰囲気が感じとれるのであるが、パソコンやワープロで印字された文章には暖かさは感じがたく、内容によっては何とも言いようのないクールさ、時には不気味さを感じてしまう。
 だからこそ、個人を明かすために署名が必要である。署名しないと言うことは責任と義務の回避だから、私は受ける側の立場として責任と義務はないと割り切って対応する。


2/25(木)曇り 外来  療養病棟診療部会議
1:10病棟より連絡。患者死去、3:30帰宅、微睡。4:30起床、流石に寝不感。ドック判定総括1など。7:00Taxi病院着。7:30回診他、8:00救急カンファ。8:45-14:00外来+ドック結果説明。17:00療棟診療部会議。20:45帰宅。夕食。21:30就寝。眠い一日であった。

在宅死と死亡診断書(2) 医師からの投稿 「自宅でみとり 検視」は誤解から

 昨日の在宅死と死亡診断書〔1〕の朝日新聞の投書は2月2日の掲載であった。私は気が付かなかったのであるが、2月10日の同欄に以下の如くの投書が載った事を本日の県医師会理事会で知った。

 投稿者は横浜在住の47歳医師とのことである。
 『自宅でみとりなぜ検視なのか』を読みました。その主治医が在宅でかかわっていた揚合には、残念ながら主治医の誤解に基づくものと推察されます。通常、医師が継続診療している方が亡くなられた時は、医師は「死亡診断」をすることが可能です。診療中の病気と異なる疾患で死亡したと診断できれは、医師は「死体検案」を行います。いずれも、死因が異状と判断されなければ警察介入はありません。生前24時間以内に診察していないと死亡診断が出来ないと医師が誤解している向きがあります。正しくは継続診察中に亡くなられた場合、受診後24時間以内なら死後診察をせずに死亡診断書を交付できるという意味です。法律の難解な文言が招いた誤解ですが、在宅医療が普及し、自宅での看取りが普通のことになれば消えていくと期特しています。投稿の方たちにご心痛を与えたこと、医師の一人として申し訳なく思います。』

 私はこの文章を読んでこれを投稿された方はとても暖かい方だとの印象を持った。「投稿の方たちにご心痛を与えたこと、医師の一人として申し訳なく思います。」は素晴らしい表現である。私は2日の投稿を読んだ時点ではこんな医師もいたのか・・とは思ったものの特別のアクションを取ろうとしなかったのであるが、この方はご家族の心痛を思い、黙ってはいられなかったらしい。ただ、誤りではないが、内容的には誤解され易い表現になっている。これは短く制約された文章の中で一部の主語や述語が省略されたからかもしれない。

 この方の文章に沿って私の考えをコメントすると、■継続診療中の患者の死亡では主治医は死亡診断書を発行できるが、この場合は、最終診察から24時間以内の場合である。■24時間以上経過していた場合、他の疾患で死亡した場合には検案書の発行になる。■どちらの場合でも、異状死体でなければ警察への届け出は不要である。■死亡確認は医師しかできない。他の医師が死亡確認をした場合でも主治医が24時間以内に診察していれば死亡診断書を発行できる。■そうは言えども、可能であれば主治医が死亡確認と死後診察をすべきである。

 ところが、旧厚生省は昭和24年に医発第385号として更に現場を混乱させるような文章を各都道府県知事宛に発行している。多少表現を変えた。


医師法第20条但し書に関する件に関し若干誤解の向きもあるようであるが、以下の通り解すべきものであるので、御諒承の上貴管内の医師に対し周知徹底方特に御配意願いたい。  

1 死亡診断書は、診療中の患者が死亡した場合に交付されるものであるから、苟しくもその者が診療中の患者であった場合は、死亡の際に立ち会っていなかった場合でもこれを交付することができる。但し、この場合においては法第20条の本文の規定により、原則として死亡後改めて診察をしなければならない。  
 法第20条但し書は、右の原則に対する例外として、診療中の患者が受診後24時間以内に死亡した場合に限り、改めて死後診察しなくても死亡診断書を交付し得ることを認めたものである。  

2 診療中の患者であっても、それが他の全然別個の原因例えば交通事故等により死亡した場合は、死体検案書を交付すべきである。  

3 死体検案書は、診療中の患者以外の者が死亡した場合に、死後その死体を検案して交付されるものである。

この文章を拠り所に継続診療中の患者であれば主治医は24時間以上経過していても死後診察さえすれば「死亡診断書」を発行できると解釈する意見もあるが、賛同できない。その意見では、例えば2ヶ月前に診察した患者が死亡したとき、死後診察すれば「死亡診断書」を発行できるという事になる。半年前の患者ならどうなる??もう主治医の判断が及ぶ範囲でない。
 だから24時間以上なら主治医であっても「検案書」発行で統一、でいいのだ。


2/24(水)外来 中通病院友の会理事会 県医師会理事会 医療関係団体連絡協議会 
2:30 起床。ドック判定総括他。6:10Taxi病院着。6:20回診、8:00救急カンファ、8:45-13:00外来。14:00-15:30中通病院友の会第2回理事会。14:30-18:15県医師会理事会。18:30-21:30第14回医療関係団体連絡協議会+情報交換会。22:00帰宅、 22:30就寝。

在宅死と死亡診断書(1) 「自宅でみとり なぜ検視なのか」
 死亡診断書の発行というのはなかなか正しく伝わっておらず、いろいろトラブルのモトになっている。
 2月10日朝日新聞の読者の欄に以下の如くの投書が載っていて興味を持っていた。「自宅でみとり なぜ検視なのか」というタイトルで64歳、愛知県の主婦からである。

 『一昨年、ケアハウスで過ごしていた姑に胃がんが見つかりました。高齢なので積極的な治療をするより、様子を見ながら天寿を全うする方がよいのでは、という複数の医師の意見もあり、家に引き取りデイサ-ビスに通いながら穏やかに過ごしていました。異変が起き始めたのはお正月過ぎ。生きる気力を失い始めたのかと思っているうちに足腰が立たなくなり、食欲もなくなり、あっという間に逝ってしまいました。私たちが寝ている間、一人静かに。天寿を全うしたと思ったのもつかの間、主治医に連絡すると、警察に電話するようにとのこと。「検視」のため刑事さんが入ってきて「お気持ちはわかりますが、仕事なので」と質問攻め。「なぜ、そんなことまで聞かれなきゃならないの」と声を荒らげざるを得ませんでした。穏やかな旅立ちのはずが、検視という、故人と遺族の心を踏みにじられました。腑に落ちません。』

 主治医はなぜ警察に連絡するように指示したのであろうか。
 以下のどれかだと思われる。
■死亡診断書発行に関して勉強不足で誤解している。
■何かの都合で自ら死亡確認に行けず、かつ頼める医師もいないために警察、警察医にそれを委ねようとした。
■死因に不審をもっている。
■医師としての自覚に欠ける?

 死亡診断書の発行に関してはなかなか正しく伝わっていない。死亡診断書の書き方については旧厚生省統計局発行の「死亡診断書・死産証明書・出生証明書の書き方」を参考にすると良い。多くの医師がこの様な本があることも知らない。日本の死亡診断書の記述内容は必ずしも正しくない、と国際的評価である。それでも保健所には受理されているからなかなか改善されない。

 診断書や処方箋の発行を規定した医師法の第20条は以下の如くの文章である。
 「医師は、自ら診察しないで治療をし、若しくは診断書若しくは処方せんを交付し、自ら出産に立ち会わないで出生証明書若しくは死産証書を交付し、又は自ら検案をしないで検案書を交付してはならない。但し、診療中の患者が受診後二十四時間以内に死亡した場合に交付する死亡診断書については、この限りでない。」

 死亡の認定は医師でなければならないから主治医は少なくとも自分で診療している患者が死亡した際には自ら出向いて死亡の確認をすべきである。その上で、死亡に不審がなければ、24時間以内に診察していれば死亡診断書を、そうでなければ検案書を発行すればいい。
 他の医師が死亡確認した際にも、24時間以内に患者を診ていれば主治医は死亡診断書を発行できる。

 多分、家族は主治医の予想外の対応と、警察の検視を受けたことで大きな傷を負ったと思われる。実に気の毒なことであった。
 私の感覚ではあり得ない様な、不思議な内容の投書だったのでスクラップして保存しておいた。


2/23(火)雲り 外来 常務会 秋大医学部との懇談会 
2:00起床,ドック判定総括x1他、医師会決議案推敲。6:00病院着、6:30回診。8:00救急カンファ、8:45-13:00外来、患者少なくガラガラであった。14:45-17:**常務会、18:30-21:20秋田大学医学部との懇談会。21;40帰宅、22:00就寝。

今期をもって県医師会役員を辞退(2)「まだ出来る」、と感じたから
 県医師会の選挙が無投票で決まった日以降、私は今期限りで役員を辞退したことを表明している。
 何名の方々からいろいろ御意見やねぎらいの言葉を戴いた。有り難いものである。ある医師一人だけが、「とても良い判断だと思います」と賞賛?してくれた。何でそう考えられたのか分からないが、そこまでクリアに褒められると脇腹あたりがこそばゆくなる。
 何で辞めるのか?と問われれば、理由は公私を含めて多数ある。それら個々について話したことは無いが、私の返事は一言で言えば「まだ出来る・・と考えたので辞めることにした」である。

 私は従来から、組織の中の一員として、あるいは何らかの役職としての立場を考えるとき、それを継続する論拠として「私が必要とされている」あるいは「自分として、何としても続けたい」と自ら感じている間、としてきた。初めて勤務した県立宮古病院を去るときも、秋大第三内科を辞したときもこの2点が微妙に変化したから自分で決定した。

 県医師会役員を私が来期も継続することはそう不自然なことではなかったと思う。にもかかわらず、今期で最期としたのは「自分として、何としても続けたい」という意欲が少しだけであるが萎えてきたことを自覚したからである。それは、やはり、もういい歳である。体力不足を背景にした気力の減退を自覚した。

 現会長の下での2期4年は副会長と、感染症等危機管理の担当は任されてきたが、全体的には会長の配慮もあってかつての8割程度の業務でしかなかったような気がする。一方、病院の方の業務は年と共にハードになってきたこともあり、医師会業務を十分にこなしたとは言えず、申し訳ないと感じていた。
 早朝の起床も若干辛くなってきた。日中も机に向かった姿勢で休息をとる頻度も多くなってきている。今の体力の中では業務を選択しなければならないが、立場上、病院業務を優先させざるを得なかった。

 「まだ出来る」と自ら感じることは守りの姿勢の自覚でもある。組織の中では次々と人材が力を付けて来るからその方々に道を譲るのは少なくとも悪い判断ではない。県医師会が新しい執行部のもとで一層発展していくはずである。
 


2/22(月)晴れ 管理会議 療養判定会議 長副会議 
2:00起床、ドック判定総括x1他、5:45病院着。6:15回診、7:45-8:15管理会議、総括x3、紹介状他。16:00-16:40療養判定会議、17:00-19:45長副会議、20:50帰宅、夕食、21:30就眠。

「下手な聞き手のしるし 上手な聞き手のしるし」 私にも参考になる子供達の声
 昨夜、家の中の書類を整理・処分しているときに「下手な聞き手のしるし、上手な聞き手のしるし」と題したプリントが見つかった。NPO法人チャイルドライン支援センターの講習会か勉強会の資料と思われる。

 チャイルドラインは1986年イギリスで始まった活動で、日本では33都道府県61団体が活躍している、というが、これは3年ほど前のデータなので現在はもっと多いと考えられる。チャイルドラインは名前が示す通り子供のための専用電話で、子どもの声を受け止める活動をしている団体である。チャイルドラインあきたは、比較的新しく発足したNPOの様である。
 多分、これはいろんな処に顔を出している家内の勉強用の資料なのだろう。要らないというので貰ってじっくりと読んだ。

 プリントは二部に分かれていて「下手な聞き手のしるし」、「上手な聞き手のしるし」とある。 
「下手な聞き手のしるし」には、■私が言おうとしたり、考えている流れを妨害する人、■問題をそらしてしまう人、■私がまだしゃべっているのに、もう自分の答えを考えている人、■答えを一緒に考えてくれず、すぐ助言をする人、■私も皆と同じだといって、話を一般化する人、■すぐ結論を出し、私を邪魔する人、■私の間題を決めつけようとする人、■理性的にも感椿的にも、私の今ある情況の外に立つ人、■手足や姿努の位置を頻繁に変える人、■「私もそうだったのよ」という人、■沈黙や間をあけてはいけないと思っている人、■私の質問を避ける人、とある。

「上手な聞き手のしるし」には、■心を開いて、受け入れるような態度で、「そうだ」と言ってくれる人、■暖かく、適切に接してくれる人、■黙って、成長の節目を聴いてくれる人、■ほんとうのことを全部知っている、というふりをしない人、■私の感惰を感じ取ってくれる人、■私と同じ気持ちになって、内面の情況に立ち入ってくれる人、■私の考えや気持ちを反映してくれる人、■私を批判せず、あるがままの私を受けとめてくれる人、■私が口ごもっても、そのままでいてくれる人、■聞き手側の自分の関心や欲求を押しのけて聞いてくれる人、とある。

 一つ一つの意見にはちょっと不自然な言い回しもあるか、これは多分子供達の声をそのまま集めたものだろうと思う。NPOの相談員が教育用にまとめたものなら何と言うことない常識的な項目の羅列であるが、子供達の声だとすれば捨て置けない意味がある。たかが子供の、といって捨て置けない。

 私どもも患者や家族との面談を通じて十分告げたいことを聞いているのか、常に反省が必要である。悩み事、心配事を聞く相談電話担当とは立場が違うし、常に時間に追われているから、つい知らず知らずのうちに「下手な聞き手のしるし」に書かれたような聞き手になっている可能性が高い。
 これを見て反省した。


2/21(日)晴れ 病棟拘束 講演「がんの予防について」
2:30起床。ドック判定総括x1他、新聞文献処理など。6:30病院、講演機材用意,救急カンファ欠とし8:30帰宅、準備。10:00泉地区保健推進員会健康講演会へ、1030-11:45講演「がんの予防について」、12:30帰宅。午睡若干。15:00-19:00病院、総括など。 19:15帰宅、夕食、20:00-23:00就寝。

匿名化、顔の見えない社会化はまずい(4)個々人の名前の持つ意味(1)
 顔の持つ意義を一言で言えば「顔はその人そのものであり、個性であり、人格である」と私は答えたい。そして、それは名前と一緒になった場合にその意味は大きくなる。
 名前と顔はほぼ同様な意味を持って、いや、人間社会においては名前の方がより重要な意味を持っている。

 よく相手が誰だか分からない状態で会話をしなければならないことがある。これは話がかみ合わないから苦痛であるばかりでなく、何とも居心地が悪い状態となる。相手に名前を聞けばいいのだが、タイミングを失すとそれも出来ない。そういった意味では名刺交換はとても役に立つ社会的慣習である。
 私は本当は100%違うのだが、話しかけられやすい雰囲気を持っているらしい。だから、病院内を移動しているときによく患者とかその家族から声がかけられる。その場合は大げさな対話ではなく気楽な内容なのであるが、患者の○○ですとか、○○の家族ですとでもしっかり名乗っていただけないと、顔は何となく分かるのだがはたして何所のどなたなのだか分からない事の方が多い。先方は私を知っているのだが、私の方で見当がつかない場合の会話はほぼ成り立たない。こんな時は差し障りのない返事をして早々に立ち去る。

 最近は個人情報保護という名目で小さなコミュニティ、PTAなどでさえ名前や素性を明かさない状態の事が多いのだという。そんな状態での会合などの際どんな風に会話がなされているのだろうか。
 実生活の中での事で、名前が分からなくとも姿や顔を見せているだけまだ安心できるのであるが、本当に不気味なのはインターネット社会での匿名化である。ネットを通じれば、やろうと思えば誰でも自分の素性を隠したまま、特定、あるいは不特定多数の人間を相手に情報や意見、抗議、中傷、誹謗、バッシングなどを発信することが出来るようになった。

 自分の、名前や顔、素性が知られない状態では人は抑制のタガが外れやすい。それどころか匿名の状況を積極的に悪用することも不可能ではない。これは実に恐ろしい事である。


2/20(土)晴れ・曇り  病棟拘束 患者家族面談 勤務医勉強会『メディカルクラーク導入』
2:00起床。文献,新聞整理他、7:00病院着。7:30回診。8:30救急カンファ。事務処理。10:30-11:50入院患者家族面談2 件,患者対応。15:00-17:00勤務医勉強会『メディカルクラーク導入』。紹介状など。19:00帰宅、夕食、20:00就寝。

次回参院選で自民党秋田県連は石井浩郎氏を公認 ちょっと疑問
 2月15日、自民党秋田県連は次回参院選の公認候補として元プロ野球選手の石井浩郎氏と発表した。
 私は、ラジオニュースで聞いて、「またか」と疑問を感じてしまった。真に候補者として相応しい方なのかもしれないが、私は石井氏を殆ど知らないから、単なる印象でしかないのだが。

 前回の選挙は3年前の7月、安倍内閣発足後初めての国政選挙で、自民は歴史的な惨敗を喫した。一方、民主党は議席を大幅に増やし、与野党が逆転した。安倍首相は異端の小泉の後という幸運さもあって実力のほどは不明ながら大きく期待されて登場した。靖国、不適切発言閣僚の擁護などいろいろあったが、決定的だったのは年金記録不備問題であった。安倍首相は選挙敗退後も引き続き政権を担う、と表明したが、結局は9月にストレスから体調を崩し辞任することになり,福田、麻生と1年しか持たない短命内閣が続き、政権交代に至る素地を作った。

 選挙の結果について,当時、私はとても残念な気持ちをいだいた。本県は2期12 年の実績を持つ金田氏が落選し、元アナウンサーの松浦氏が当選した。あの時の選挙は候補者個人の資質よりは政党選択選挙で、当選のキーワードは「年金」、「民主」で,全国から若手が多数当選したが、国会機能は弱体化するのではないかと危惧された。
 秋田では過去2回の参議院選挙でTV局のアナウンサーが当選した。はっきり言って政策的な主張で当選したと言うよりも人気投票的であった。秋田では選挙に勝つには地道な実績よりもマスコミを通じて顔が知られていることが重要なようである。2期とも政治的経験が無い新人に秋田県民は期待したわけだが、政治的に秋田が後退したことは否めなかった。お二人共に現在民主党の議員として活躍している様であるが,姿が見えない。

 で、今回の自民党秋田県連の公認候補発表である。「またか」の印象はぬぐえない。石井氏の本県に対する思いを評価したとのことであるが、県内や国内で実績を積み重ねてきた方でなく、自民党県連が政治的に全く実績のない石井氏に託した背景は「知名度」ではないのだろうか。自民県連にとっては官僚や政治家ではない候補の擁立は初めてとのことであるが、ついにここまで来たか,とも思う。
 7月の選挙は元アナウンサーの鈴木陽悦現議員と石井氏の対決となる。「またか」を払拭するために早く両氏の政策を知りたいものである。


2/19(金)曇り 入院患者対応 人間ドック診察 GSCスタッフ 健康推進課スタッフ来訪。
2:20起床。文献チェック、徒然など。6:25病院着。7:00回診。10:00入院患者面談。13:30人間ドック診察。15:00GSCスタッフ来訪、新型インフワクチン関連。16:00県健康推進課スタッフ来訪、新型インフ総括関連。21:20帰宅、夕食、 21:50就寝。

匿名化、顔の見えない社会化はまずい(3)顔の持つ意味(1)
 人はそれぞれ個性的な顔を持つ。だから、個々人の識別にとても有用である。だから犯罪の際には顔を隠して行われるのも多いし、犯行後に整形手術を受けて変身を試みた犯人もあった。
 顔とは何なのか、個人の識別に手っ取り早く役に立つのであるが、決してそのためにあるわけではない。社会生活の中ではとても重要な意義がある。
 顔の簡単な定義を国語辞典で調べてみると、1 頭部の前面で、目・口・鼻などのある部分、2容貌、3 表情、4 列座する予定の人で顔ぶれなど、5社会に対する体面や名誉、6 社会・地域における知名度・勢力など、7 組織や集団の代表、8 物の表面・姿・・・といろいろ記載されている。
 1の「頭部の前面で、目・口・鼻などのある部分」、と言うのが一番直接的に顔の性状を示しているのであるが、顔の持つ意味は広くてそれに止まらない。2-8に示されたような、個人のみならず、社会的な意味までいろいろ持っている。

 あえて、後者の意義を別とすれば、顔の持つ意義を一言で言えば「顔はその人そのものであり、個性であり、人格である」と、私は答えたい。この見方を拡大していくと、顔だけでなく、直筆、声、話し方、種々の活動、作品、ファッション等、個人から発信されたあらゆる事にも人格がある、と言うことになるが、その中で顔が持つ意義は最も大きいだろう。
 だから、社会の中で顔の持つ意義、顔が知られていることの意義も大きくなっていく。

 ここ数日、バンクーバー五輪のスノボ選手でハーフパイプの国母選手の「腰パン」と言われる着崩しファッションや記者会見での物言いが話題になっている。賛否両論である。私はこの話題は活字で見ただけなのでどんなものだったのか、是非まではコメントは出来ないが、これこそ、単に服装や言い様がそれだけでなく人格そのものまで含んでいることを示す事例と言えよう。彼は見事に入賞を果たした。それで一層話題性が高まった。印象では、服装は自己主張として容認出来るレベルだった様に感じるが、会見での表現は拙かったのでないだろうか。規範重視の日本五輪組織委員会の姿勢に言いたいことがあれば言えば良かったのだ。

 詳細は忘れたが、安部公房の作品に「他人の顔」というのがある。大学の頃読んで不思議な世界に引きずり込まれた記憶がある。顔と人格の関係を鋭くとらえた作品だったと思う。カフカ「異邦人」もこれに似た雰囲気を持っていた。これを機会にもう一度読んでみたい。


2/18(木)曇り 外来 入院患者家族面談2件 耳鼻科スタッフと打ち合わせ
2:00 起床。ドック判定他、6:10病院着、6:45回診、8:45-14:00外来、14:30-15:30 患者家族面談2件、17:30-18:00耳鼻科スタッフと打ち合わせ。21:10帰宅、夕食、21:45就寝。

秋田の良いとこ、足らぬとこ(5)12年連続がん死亡率日本一(2)
 秋田県では胃がん、大腸がんの登録がある。この登録は結構ハイレベルの精度を誇っている。だから、この二つのがんに関しては死亡率に関連する因子の分析が可能である。

 それから分かったことは、■胃がんの死亡率も日本一。■高齢化等の因子を除いた年齢調整死亡率でも日本一。■がん罹患率自体が高く、年齢調整罹患率も高率。■従って、秋田県民は胃がんになり易く、患者数が多い。■一方、胃がん罹患者数の中における胃がんの死亡率は全国49.6%、秋田県は47.9%で低い。■胃がんの5年生存率は外来診断例が47.2%。検診診断者は80数%と全国的に見ても良好である。■大腸癌でもほぼ同じ傾向であった。

 従って、秋田県の胃がん、大腸がんの死亡率日本一の原因はがん患者が多いこと、である。
がん死日本一を返上するには、県民が一人一人置かれている立場を理解し、■塩分・喫煙等の生活習慣を改善させてがん罹患率を下げる。■秋田県民はがん罹患率が高いから、早期発見のための検診を受け早期発見、早期治療すること。■全がん登録事業を進めること の3点に集約される。

 秋田県は12年連続で全国ワーストとなっている本県のがん死亡率の改善を目指し、2008年度に県がん対策推進計画をまとめ、5カ年計画で「予防」「検診」「治療」の総合対策に取り組んでいる。
 がんの早期発見などを重点に、■部位別で20-30%台の検診受診率を5割にする。■10年以内にがん年齢調整死亡率を2割減らす-を目指している。

 ただ、県民に向けた計画なのに、その意義が十分に伝わっているとはいえない。自分の健康を守りたい人にはもっと便宜を図るべきで、関心の低い人に対しては、なぜ検診が必要なのかを周知していく努力が求められる。がんの現状をすべての県民に理解してもらう段階まで意識改革を図るには、行政、医師会、自治体、コミュニティーが一体となった総合的なキャンペーンが必要である。
 人は生まれた以上必ず死ぬ。一度だけの、与えられた大切な時間は長いように見えるが、実際にはそう長いものではない。特に中年になると残りは短い。「検診を受けようとしない無知と怠惰、日常生活での贅沢、美食、飽食などは大切な時間を浪費しているに等しい」と私は思う。


2/17(水)曇り 症例検討会 外来 院内感染症対策会議 
5:20 起床。6:00病院、6:30回診、7:40外科症例検討、8:40-13:30外来、16:00-17:00院内感染対策委員会。若干微睡。21:00帰宅、夕食、21:30就寝。ペースが乱れて眠い一日であった。

秋田の良いとこ、足らぬとこ(4)12年連続がん死亡率日本一(1)それでも良いところだ
 秋田県は12年連続でがん死亡率は全国ワーストワンとなっている。

 2006秋田県のがん死亡率は10万人あたり342.7人で、全国の260.9 人に比して高く、堂々と日本一である。ただ、この数値が一人歩きして,「だから秋田の医療水準が低いのだ・・」と言う飛躍した評価があるが、これは根拠がない誤った考えである。2006年1月のNHK-TVで「わが国のがん治療の地域格差を解消する」と言う特集番組の中で、秋田県のがん死亡率は日本一で、がん診療連携拠点病院も無いから、「秋田県のがん医療のレベルが劣っている」と報道されたが、この論旨は完全に間違っている。

 一般的に普及している「がん死亡率」は全死亡者数の中におけるがんによる死亡者数の割合を人口10万人あたりで表現したもので、数値自体の信憑性は高いが、ただそれだけの数値でしかない。この数値から地域のがん診療のレベルを直接論じることは出来ない。まず、この点を押さえておかなければならない。
 がんの死亡率に関連する因子,疑問をざっと挙げてみても、■秋田県民はがんに罹りやすいのか?■がんの死亡率が高いのは高齢者が多いからではないか?■ 他疾患で死なないからがんで死ぬのではないか?■がんになれば患者は必ずがんで死ぬのか?■秋田のがん治療レベルには問題はないのか?・・・などの疑問点が挙げられる。

 ただ、これに答えを出すことは現時点では不可能である。それはこれらの点を解明するための基礎になる全がん登録がないからである。ただ、これは秋田に限ったことではなく、日本のがん医療のレベルの問題点の一つである。

 しかし、考え様によっては評価も変わる。いつの世でも人の死亡率は100%である。今までに一人の例外もなく人は死んでいる。生まれた限り死ぬ事から逃れることは出来ない。あとは何で,どんな状態で死を迎えるか、ということになる。最近では2人に1人ががんに罹患し、3人に1人ががんで死んでいる。検診やドックで早期発見すれば完治が期待出来るがんで早死にするのは勿体ないが,最終的にがんで生を終えるのは私は悪くないことと思っている。

 がんの予防や早期発見は不可能ではない。だから、秋田はがん死亡率一位ではあるが、とても良いところである。


2/16(火)曇り・降雪・寒波 外来 常務会 医局カンファレンス 
2:10起床。ドック判定総括他。6:00病院着、6:20回診他。8:00救急カンファ。8:45-13:50外来。14:45-16:10常務会、17:30医局カンファ、21:00帰宅、21;30就眠。直後に病棟から喀血の報告。指示し就寝、1:00病棟より再度連絡、Taxi病院着対応。3:30帰宅、就眠。

KAMPO MEDICAL SYMPOSIUMU 2010に参加した(2)
 社長の格調高い挨拶の後シンポジウムとなったが、演題は、■東海地区7大学による漢方医学充実のためのネットワーク化(名古屋市立大学)■漢方教育の卒前・卒後一体化導入(筑波大学)■地域病院の漢方内科外来とタイアップした漢方卒前教育の取り組み〔金沢大学〕■これからの漢方医学教育への提言〔東京大学〕、であった。講演の後ディスカッションも行われた。演者は何れも学長や教授が登壇した。
 
 一部の大学からの報告ではあるが、この演題を聞いて薬理学教育、臨床薬理学の狭い教育だけでなく、付属病院の医療の展開の中でも漢方治療が普及してきており、更に、医学生教育、研修の分野でもカリキュラムに導入する動きなど、確実に進展していることが示された。ここで示されたのは先進的な大学であろうが、恐らく、他の大学でも同様の試みが進んでいるものと推定された。

 大学でも臨床で、研究で、教育で、研修でこれ程漢方が取り入れられていることを知る機会は今まで無かっただけに驚きであった。漢方薬の薬理学的なエビデンスも徐々に学術的に証明されている。それはそれとして重要であるが、それ以上に日常臨床の中で実感される漢方処方の有用性が、漢方薬の普及のエネルギーになっていると思われ、当シンポジウム出席者の熱意のルーツになっていると感じられた。
 私など、たまたま出席しやすい状況にあったからちょっと行ってみるかという不純な気持ちでの参加であったが、漢方についての考え方を改める機会となった。

 私がこの会に出席しようと思ったのは漢方そのものよりも教育関連の演題であることと、最後の2演題、■大学医学部教育の未来に向けた提言〔山形大学嘉山学長〕■KAMPO MEDICAL SYMPOSIUMU 10年間の歩みを振り返って(自治医科大学高久学長)にあった。
 しかし、前者を聞き始めて間もなく、新宿から羽田に向かう高速道路が渋滞しているとの情報が入ったために18:30に後ろ髪引かれる思いで中座し帰路についた。私にとって大きな副産物は得られたが、主目的を果たしたとは言えない出張であった。


2/15(月)降雪・寒波・曇り 管理会議 外来 療養判定会議(欠) 長副会議
2:20起床、文献、本読みなど。6:10病院着、積雪4-5cm程。6:30回診他、7:45-8:25管理会議.8:45-14:40外来,超混雑。16:00-16:40療養入棟判定会議は欠。17:00-19:50長副会議、21:30帰宅。夕食、22:00就寝。

KAMPO MEDICAL SYMPOSIUMU 2010に参加した(1)
 ツムラKKのスタッフよりKAMPO MEDICAL SYMPOSIUMU 2010「拡がる波、繋がる波 漢方医学教育の新たな波」への参加を勧められた。この会は今年で10年目だとのことである。私は聞いた事もない会である。

 私は日常から漢方薬を処方しないわけではないが、あくまでも補助的な使用のレベルであり、個々の漢方薬を深く勉強しているわけでも無い。決して無視は出来ないもののそれほど重視しているわけでもなく、関心度も高くなかった。毎月届けられる学術的リーフレットにも軽く目を通す程度であった。

 そのような私がこの会に出席した第一の理由は、たまたま、前日に日本医師会の「医政シンポジウム」に参加するために上京しており、翌日わざわざ移動しなくとも参加できることであった。第二の理由は漢方薬そのものの話題であれば丁寧にお断りするところであるが、話題の中心が漢方医学をめぐる教育システムが論じられること、第三の理由は、特別講演に山形大学嘉山学長の「大学医学部教育の未来に向けた提言」が予定されていたことで興味がわいたからである。

 会は2010年2月6日〔土〕新宿の京王プラザホテルで行われた。主催者の集計で700人もの出席者があったことで、会場は静かながら熱気に溢れていて、出席者の漢方医療にかける熱意にすっかり圧倒されてしまった。

 最初に、ツムラの代表社長が挨拶に立ち、実に落ち着いた声、聞きやすい表現で挨拶を述べた。
 まず、民主党の事業仕分けで漢方薬が保険診療から外されそうになった事に触れ、東洋医学学会だけでなく患者からも異議の声が上がったことを背景に、結果的に保険診療が継続されることになったことに感謝の意を述べた。その後、近年、漢方医学の評価が高まり、年間8単位以上の授業を持つのが76大学病院、漢方外来を開設しているのが79大学であることを示し、漢方医療が確実に普及していることを示した。その上で、究極的には医師国家試験に漢方の問題が取りあげられるようになることを一つの目標に置いていると話した。さらに薬効のエビデンスの確立を介して漢方の国際化が目標の一つであると述べられた。

 私はこの社長の挨拶、15分ほどにもわたったであろうが、これを聞いていて、本来やるべきであった分野の勉強を怠ってきたのではないか?との自責の念に駆られてしまった。


2/14(日)曇り・時々晴れ 病棟拘束  中国からの留学生来訪歓談
2:30起床、人間ドック関連、新聞チェックなど。7:00病院へ。回診、8:30救急カンファ。重症患者対応、患者関連書類処理。11:00帰宅。人間ドック総括x1他、本読みなど。16:30県立大学へ留学中の学生2名来訪、中国茶,きりたんぽ他囲んで歓談。中座して20:00就寝。

中国からの留学生2名来訪し歓談す  ミニ国際親善になったかな
 つい先日、秋田市でワピエと称する国際交流の会が開催され家内が出席した。その際、同じテーブルに座した秋田県立大学本荘校に中国から留学している女子学生と話が弾んだらしく、我が家に招待することになった。
 一人では緊張するだろうから誰かを誘ってきて貰うこととし、二人が本日夕方わが家を訪れた。私から見て女子学生は20代前半??と思われ、一緒に来た男性学生は自国で大学を卒業した後の留学で、直接尋ねて聞いたのであるが30歳に近いという。

 日本に来てから共に1年余と言うことで日本語は十分とは言えない。留学前に一定期間の日本語訓練期間があるかと思ったがそのようなコースはないとのことであった。二人ともそれなりの資質があっての留学であろうとは思うが、短時間でよくここまで分かるものだと感心した。それでも英語の方が未だ楽と言うことであった。 

 二人とも明るい性格のようで日本語、英語を交えてのたどたどしい歓談であったので詳しい話は出来なかったが,楽しい交流の時間を過ごした。招待した側にとって嬉しかったのは、夕食として用意したきりたんぽ料理を喜んで食べていただいたことであった。

 私は今まで中国の方とは僅か数人との,それも対話だけの短時間の交流しかなく食卓を囲むのは初めてなのでちょっと緊張したが,殆ど違和感もなかった。少量のアルコールで酔って中座して寝てしまったが、ちょっとではあるが良い経験した。

 秋田には現在270人ほどの留学生が居るとのことで,その多くは国際教養大学で学んでいるらしい。県立大学は20-30人程度、中国からは数人とのことであった。これらの方々が日本の文化や秋田に溶け込むような機会が十分に用意されて、文化的な交流が深まることが秋田にとっても,留学生にとっても望ましいことだと思う。その意味で,私どもも国際交流に若干寄与したかな?と思う。


2/13(土)曇り・降雪 病棟拘束 入院患者家族面談 患者死亡 県医師会性教育関連講演会 
2:00起床。ドック他、公的書類処理種々、徒然。6:20病院着、6:50回診。8:30救急カンファ、11:00-11:30入院患者家族面談。患者死亡 対応総括ほか。17:00-19:00県医師会性教育関連講演会、19:30帰宅、夕食、20;30就寝。

バレンタインのチョコ  最近は菓子も果物も甘すぎて閉口・・・
 再来患者さんは1月中から、「ちょっと早いですが・・」と小さな包みを置いていく。2月14日のバレンタインのチョコである。最近は処方の長期投与ができるからこの時を逃すと受診が2月下旬とか3月になるからである。時には自宅に宅急便で送ってくれる方もある。5-6人ほどからいただくのであるが、若い方はおらず全員70歳以上の方々である。患者さんから品々をいただくのは禁じられているのだが、義理チョコと分かるから、素直に有り難くいただいている。義理チョコでなければそれこそ大変である。私は逃げる。
 最近は前より少なくなったが、昨日も院内で数ヶ戴いたし、本日家に帰ったら10ヶほど届いていた。ソフトチョコ、焼酎、梅酒のぼんぼん等細工品あっていろいろ面白い。有り難いものである。

 ところで、私はアルコールは飲めないわけではないが弱い。甘いものが好きである。それでも、果物も菓子も異常に甘くなりすぎている様な気がしてならない。果物には自然のほろ苦さ、酸味がもっともっと欲しいのであるが、とにかく甘い。甘すぎる。糖度計なるもので甘さを測定して値段を付けている果物もあるらしい。
 菓子は甘みを抑えたのが良いが、和菓子、洋菓子共にとにかく甘い。甘すぎる。これは私の味覚が替わったのでは無かろう。日本人味覚が替わって甘いものを求めているのだ、と思う。

 昔から経験の積み重ねからなのだろう。「甘いものは別腹」と言われている。これに関しても生理学的に研究が進んでいる。それによると、甘いものは例え満腹であっても、見た目の美しさや味に対する期待感で脳の前頭葉を介して再び摂食中枢を刺激する一方、オレキシンと言うホルモンを介して胃腸の働きを高めて胃内容を排出し、胃に甘いものを受け入れる隙間を作るとのことである。甘いものは食後でも結構入るからカロリー過剰になりやすい。

 自然界の動物が甘いものを自由に摂ることはなかろう。諸外国の食文化はどうだろうか。少なくとも日本においてはこの過剰な甘さ好みが飽食の一要因となり、間接的に健康に悪しき影響を与えている様に思えてならない。


2/12(金)曇り 入院患者家族面談 人間ドック診察 法人理事会 
2:30起床。ドック総括。徒然など。6:15病院着。6:45回診+その他。重症患者対応、机上書類処理。13:45人間ドック診察。総括その他書類処理。17:30法人理事会。20:30帰宅、21:15就寝。

いろんな生き物を利用した治療法  難治性皮膚潰瘍にはウジ療法も

 イヌやネコを用いたアニマル療法というのがある。これはホスピスケアの分野や認知症患者の精神面での癒しという面で成果が認められている。一方、かつては梅毒による麻痺性痴呆の治療にはマラリアを感染させて、発する高熱を利用して梅毒駆除に用いていた。眼瞼がピクピクと動くチックという状態にはボツリヌスという細菌がもつ毒素の神経麻痺作用を利用した治療が行われている。
 
 で、次はウジ療法である。
 最近、高齢社会となって寝たきり患者が増えてきている。そこでは褥瘡の発生と治療が問題になる。一方、糖尿病等では特に下肢、下腿が循環障害で壊死に陥る。双方とも苦痛が大きく、難治性であり、療養生活が長くなることも、これによって死に至る場合があり、臨床上重大な意味を持っている。
 私は高齢者が多い療養病棟を受け持っているが、褥瘡、糖尿病性・動脈硬化性の下腿潰瘍の治療は難渋している。下腿潰瘍の場合は時に下肢を切断せざるを得ないこともある。

 人や動物が死ぬと時間をそれほど置かずハエがとりつき、まもなく死体全体にウジがわいて来て食い尽くす。おぞましい光景が繰り広げられる事になるが、これは自然の浄化の一過程である。

 ところが、古来よりこのウジによる浄化の過程を医療にうまく利用する治療法が伝承されてきた。更に、近代医療の中でその治療法の持つ特性が注目され、研究が行われて発展してきている。それは、クロバエ科ヒロズキンバエの幼虫、即ち、ウジが動物の壊死組織だけを食する性質、殺菌作用、肉芽増生作用を利用して人の難治性下腿壊疽、潰瘍、褥瘡を治癒させる、というものである。

 米国、英国では20年ほど前に正式に治療法として認可され、現在、世界35カ国以上で難治性創傷の治療に採用され、一般的医療として認知されている。
 わが国ではあまり普及していないが、この治療法に注目した医療者達が「バイオセラピーメディカル」という会社を打ち立て、このウジを無菌的に培養し、製品として提供している。保険診療として認められていないためにこの方法による治療は10-30万円、あるいはそれ以上の経費がかかる、と言う。
 
 しかも、通常の褥瘡の治療、壊疽の治療はかなりの痛みも伴うが、このウジ療法、マゴットテラピーと言うが、一切疼痛はないという。

 この治療法の意義がもっと認識され、保険診療が認められれば難治性の潰瘍の治療が進むものと期待され、一気に普及するのではないかと考えられる。
 病棟や外来で私がウジをピンセットでつまみ上げる時代が来る事を期待して、時の流れを待っている。


2/11(水)建国記念日 晴れ 病棟拘束 患者死去
2:30起床、文献、徒然。6:30病院着、8:30救急カンファ。10:20帰宅、10:25病棟より患者不調、再度病院に、10:49患者死去、14:00見送り。15:00帰宅。蒸し用のセイロ修理、製本、文献。18:00雑煮にて夕食。文献読み他。19:00-22:00微睡、新聞チェックほか、0:00就寝。

今年のがん診療連携拠点病院の認可をめぐって  私どもの病院は指定を受けられなかった

 厚労省の「がん診療連携拠点病院指定に関する委員会」〔座長:垣添日本対がん協会長〕は、2月3日に会合を開き、がん連携拠点病院の指定の更新や新規指定について審議し、新規に19施設を承認した。更新は319施設で指定の継続や失効を合わせてがん診療連携拠点病院は375施設となった。

 がん診療連携拠点病院は2008年3月に指定要件が見直され、今回は新指針の用件を充足していることが認定あるいは更新の要件となっている。国のがん対策推進基本計画では2009年度内に全国の全二次医療圏の1つのがん診療連携拠点病院の指定を目標としていた。現在、全国二次医療圏は348あるが、今回は375施設の指定だから達成率は107%となった。
 前回の指定では、全都道府県にかん診療連携拠点病院が整備されたが、その際、申請30病院のうちで認定を受けられなかったのは僅か2つの病院で、私どもの中通総合病院と秋田市立総合病院であった。

 今回も中通総合病院と秋田市立総合病院は双方共に県に対して申請書類を提出した。県は今回もこの2病院は国の要件を満たしていることを認めたが、国に対しては推薦しなかった。加えて、新要件を満たすことが出来なかった雄勝中央病院の更新申請を取り下げた。だから、秋田県のがん診療連携拠点病院はむしろ1 病院減少した。
 秋田市の2病院は今までは国の段階で認定されなかったが、今回は県の判断で厚労省の委員会に推薦されなかった、と言うことである。その理由は、例え申請しても人口30万人の秋田市に新たに追加認可される可能性は、国の1医療圏1拠点病院指定の原則に鑑みても殆ど可能性がない、との判断のためだという。今回も残念な結果となった。

 これで私どもの病院は2006年以来昨年までは国の判断で、今年は県の判断で認定が受けられなかったことになる。私は基準を満たしながら認定を受けられない病院の院長として県や国の判断をそのまま素直に認めることは出来ない。共に働く職員に対して説明のしようがない。

 がん連携拠点病院の指定を国は病院の機能ではなく、地理的立地条件が優先されて認定されている。だから、認定病院の機能差はとても大きい。到底基準を満たしていないと思われる病院が認定されている。こんなバカな事があって良いのか、と思う。

 秋田県は要件を満たしながら国の認定を受けられなかった2病院と今回認定更新できなかった1病院を「県のがん診療拠点病院」として認定し、今後も補助していくという。地域医療の実績の評価という面でとても良い制度だと思う。医療機関は設立母体、規模、立地条件などに関わらず非営利、公的な働きが求められている。それに充分対応し,地域に充分に貢献している医療機関を「県や国が差別する」ことは、絶対に理に合わない。国は要件を満たした病院を全て認定すればいいのだ。不平等きわまりないが、それが政治的判断というものなのだ、と思わざるを得ない。


2/10(水)曇り 外来 感染症評価会議(欠)秋大老年内科訪問 医師面談 県医師会常任理事会
2:30起床、文献、徒然。5:30病院着、紹介状作成、8:45-14:00外来。新入院患者あり,重症で対応のため14:00からの感染症評価会議は欠。連絡も出来ず。15:45秋大老年内科訪問。16:30医師面談、17:30-19:15県医師会常任理事会。21:30帰宅。22:00就寝。終日、座する間もなかった。

ANA、JALマイレージを全て失効させたが、今回からは登録もやめた
 この10何年か、東京他の出張は随分あったが大部分は医師会関連の出張で、移動は空路であった。年間10-20数回程度はあったと思う。具体的なメリットはよく分からなかったが、何か便利なこともあろう、とANA、JALともにメンバーズに登録し,搭乗の度にマイレージ登録してきた。マイレージポイントも結構貯まっていて、期限切れ失効の連絡は毎年春に貰っていたのだが、面倒なので手続きせずすべて失効させてきた。今年も同様に連絡は来ているが無視している。

 医師会から旅費の支給を受けた出張で貯まったポイントを私的に利用して良いものか、と言う考えもないわけでなかった。6-7年前にはヨーロッパ往復もあり、ANA分のポイントはかなりあったが、これは法人の出張扱いで旅費をいただいたから、同様の考えで自分のものと思えず、失効させた。

 今期で医師会役員を降りるので、先日の医政シンポジウムの出張が最後の出張となる。今後は学会出張が年1-3回程度になる事を考えればポイントは登録し続けても殆ど集まらないことになる。だから前回から登録も止めてしまった。
 
 家内や賄いのおばさんを見ていると商店街のほっぺちゃんシールとかスーパーその他のシールはこつこつと集めて有効に利用している様であるが、私はまだその発想には近づけない。今後、私の行動範囲は大幅に小さくなる。一つの節目と言うことで、今朝、机のスミにまとめてあった数年分の航空券の半切れを全部処分した。いつからの分かチェックしなかったが、150枚ほどあった。
 出張を介して随分いろいろな事を経験できたものだと改めて思う。


2/9(火)夜半から雨 外来 患者家族面談 県健康作り審議会感染症部会 常務会 
21:30起床、新聞・文献チェック、徒然 6:15病院着。6:30回診、8:45-14:15外来。17:00-18:30県健康作り審議会感染症部会。18:45-20:45常務会。21:50帰宅、22:30就寝。

発電機能付きフィットネスバイクが紹介されていた 
 一度通販で品物を購入すると次々とカタログが送られてくる。紙資源が勿体ないと思うほど立派な冊子やパンフレット類である。通販の立場にして見れば、ダイレクトメールこそが生命線だろうからやむを得ないか。私はあまり物品の購入に興味がない方でまず購入することはないが、何か面白いアイデア商品がないか、と言う視点で内容にはパラパラと目を通し、廃棄する。
 最近の「いいもの天国」という会社?のパンフレットに発電機能がついた室内運動器具のルームランナーやルームバイクが紹介されていた。

写真クリックで紹介ページへジャンプします

 私は前から過剰カロリー摂取による肥満の解消のための運動に時間とエネルギーを費やすのは浪費以外の何者でもないとの考えを持っている。特に、過食自体が無駄であり、その解消のための努力も重要だが無駄なダブル浪費である。更に最近は逆に電動式の運動器具もあって単に足を乗せているだけで歩いたのと同じ効果が得られると宣伝している。これなどトリプル浪費である。

 最近、先進国では生活が豊かになって運動量が激減、ヒトは本当に動物かいな、と思ってしまう。静物と言っていいのではないか。1850年頃の労働エネルギーの13%は人力であったが、100年で様変わりして1950年にはほとんど動物と機械エネルギーにとって替わり、人力は1%に過ぎなくなったとする研究もある。ましてや今ならどうだろうか。
 一方、食事の内容は徐々に濃厚になっていく。だから過剰栄養蓄積状態になる。その解消のためには運が必要だがその努力は無駄だから各地域に人力発電センターを作り、発電していただけばいい。これなら痩せられるし、社会貢献が出来る。

 家庭用のフィットネス機にも発電機を付ければいいと思っていた。ルームバイクは味気ないからTVを見ながら回す方が多いようだが、発電した電気でTVを見れればいい。ところが、私は発電機付きのラジヲを持っているが、30分ラジヲを聞くために5分以上も必死にハンドルを回さなければならない。単3電池を2本入れれば一日使えるから人力を電気エネルギーに変えるのは大変である。そのことが分かるだけでも良い。

 発電機能がついたルームバイクは発想は良いが発電能力は非常に小さい。3-4時間の運動で単3充電池2本を充電できるとあるし、携帯電話を充電できる程度である。TV等は見れないほど弱い。一日3-4時間も家庭用のフィットネス機を利用する人は少ないだろう。だから、発電器具としては残念ながら非実用的製品に近い。

 私どもが簡単にコンセントから得ている電力が如何に便利で巨大なエネルギーであることが分かる。だから、無駄に浪費してはならないのだ。有限の資源から得ているエネルギーだから「浪費は将来そのものの消費」でもある。


2/8(月)曇り 管理会議  療養病棟判定会議(欠) 長副会議 
1:30起床、新興感染症部会まとめ、書類処理.新聞・文献チェック。5:10病院着、病棟業務他、7:45-8:15管理会議。机上業務処理。16:00療養病棟判定会議(欠)、17:00-18:20長副会議。20:30帰宅、夕食、21:30就寝。

日本相撲協会理事選挙 これが選挙? 理解できない組織だ
 横綱朝青龍が引退した。酒で身を誤った事になるが最期の駄目押しが酒による不祥事と言うことで、本質は彼の資質と相撲協会の体質だろう。
 横綱の引退と小澤氏の続投とを対比させた風刺マンガなどが新聞紙上に掲載された。NHK日曜朝9時からの政治番組である日曜討論のイントロは朝青龍の画像からから始まった。ついに日曜討論も相撲問題を取り上げるのかと思いきや、主眼は小澤続投関連であった。ちょっと軽すぎる構成でないか?

 これとは別に日本相撲協会の理事選挙の報道を見ていて、全く理解できなかった。従来3期連続で無投票だった。これに貴乃花が立候補した。劣勢とされた貴乃花親方が当選したことは「奇跡」なのだという。理事選では立会人に票を見せるよう求める声が出たそうだ。退けられたが、その古さ、発想に驚く。
 「誰の一票」が回ったのかまで詮索される社会で、貴乃花に投票した親方は謀反人扱いで、ある親方は直ぐに撤回したが、退職表明まで行った。ここまでみるとまともな選挙などではなく,単なる票の分配でしかない。

 甲子園の野球で組み合わせ一覧のみから試合抜きに優勝校を決める様なものだ。

 数々の不祥事が続いたが、その際の理事長の動き、理事会の動きは端から見ていて鈍かったし,判断は時代錯誤で驚くばかりであった。他の世界を知らず、閉鎖社会の中で登り詰め、周囲からちやほやされて過ごしている親方衆が力を握る相撲協会、もっと外に目を向けなければダメだろう。理事会には角界以外からの理事あるいは幹事が必要だろう。協会の理事会には法的にそれが求められていないのだろうか。若いのに年寄りという呼称、地位もある。よく知らないが、あれは何だろう。

 とあれ、新理事に貴乃花が当選した意義は奇跡的と言われるだけに画期的だろう。新理事としての働きに期待したい。


2/7(日)曇寒波若干緩む 病棟拘束  
3:30起床。新聞・文献チェック、ドック判定総括他を処理。7:00病院着、回診その他病棟業務、8:30救急カンファ。11:30帰宅。以後自宅で新型インフまとめ、決議文などを進めた。午睡若干、新聞、文献チェックなどなど。19:30夕食、20:00就寝。

ホームレスの自立を応援する「ビッグイシュー日本版」を買ってみた(2)
 冊子「ビッグイシュー」は、ホームレスの人々に収入を得る機会を提供する事業としで、1991年にロンドンで始まった。
 日本では大阪で6年前から始まった。有限会社ビッグイシュー日本の代表で,編集長でもある水越洋子氏が昨年10月NHKラジオ深夜便に登場した。それを聴いて私が興味を持ち,たまたま駒込駅前で購入したということである。

 この冊子は30ページほどでオールカラー、表紙には国際的な著名人が登場している。全てボランティアらしい。内容は国際記事,時勢にあった特集記事、趣味の記事、意見交換の記事などからなる。人生相談コーナーでは回答者はホームレスである。

 大阪で始まったこの事業は徐々に規模が大きくなって,現在全国で12都市で、販売員は150人ほどだという。発行部数が8.000部、そのうち6.500部ほどが路上で販売されるのだとのこと。実際にこの販売を通じて就職できた人もいるという。東京大学,関西学院大学、高校とかで講演した方も居るという。

 販売者は雑誌販売中は以下の行動規範をしっかり守ることについて同意しなければならないとのこと。結構厳しい。■割り当てられた場所で■IDカードを提示して■販売者として働いている期間中、攻撃的または強迫的な熊度や言葉を使わない■酒や薬物の影響を受けた状態で売らない■市民の邪魔になったり通行を妨害しない■街頭で生活費を程ぐ他の人々と売り場について争わない■金品などの無心しない■ビッグイシューと販売者の信頼を落とす行動はしない。

 81号から300円に値上げされ、販売員の収入も160円/冊になったとのこと。それでも会社としては赤字だというが徐々に改善しつつあるらしい。2009年8月時点で、販売中が145人、今まで89人が就職し自立した。219万冊販売され,ホームレスが得た収入は4億4.000万円ほどという。

 99%失敗すると言われて始めた事業で、失敗はしていないが決して成功していない,それでも今後も続ける、と水越氏は話を結んでいた。
 雑誌そのものはしっかり編集されて遜色のない立派な本になっている。読んでいて楽しい。秋田では手に入らないが、出張時とかで販売員に会ったらまた買い求めてみようと思っている。


2/6(土)東京快晴 秋田降雪寒波 Kanpo Symposium出席 病棟拘束 
3:00起床。新聞チェック、徒然。決議文、新型インフ総括素案。8:00葉っぱとコーヒー朝食。ホテルを3時間延長し14:00までトロトロと業務。16:00京王プラザホテルに移動、18:30まで Kanpo Symposium聴講。漢方学者の熱気に圧倒された。途中高速渋滞で焦った。20:00羽田発ANA,雪のために羽田に戻ることもあるとの条件付運行、 21:10無事秋田着、22:00帰宅、23:30:就寝。

浅草ビューホテルの24階から工事中の東京スカイツリーを見た
 東京都墨田区に建設中の東京スカイツリーは電波塔としては世界一となる全長634m,2012年春の開業を目指している。建設費用は周辺の施設を入れて1400億円だという。日本政策投資銀行,生命保険会社など21の金融機関が総額850億円の融資を事業主体の東武鉄道に実施することを発表しで話題を集めている。

 今回宿泊した浅草ビューホテルから工事中の塔がよく見えた。1月下旬の段階では264mとのことである。
 24階の窓越しに撮影したものであるが、この2.5倍近くになるとしたら実際どんなになるのか見当も付かないほどである。
 足下には浅草浅草寺,五重塔もある。

 先週末は東京タワーの近くのホテルから見上げて333mでも凄い規模だと感じた。建設当時は世界一と聞いていたが,その後、ベルリン368m、上海468m、モスクワ540m、トロント553m、広州618mと驚くほどの高さの塔が完成している。これも高層ビルの電波障害の対策の一環らしい。

 端から見て思うのは、果たして機能面から見て実質的な高さを求めたのか,世界一の称号を目指したのか、分からないが、これで一挙両得と言うことになる。

 事業仕分けの蓮舫議員の言葉『世界2位じゃダメなんでしょうか?」』を思い出す。


2/5(金)寒波・降雪 東京快晴 医政シンポジウム 東京泊
1:45起床、ドック判定総括x1。文献チェック、徒然など。降雪7-8cmほど。除雪せず5:15病院着。出張時準備、紹介状など。8:30医師会公用車にて空港へ、公用車も今日が最後の機会だろう。9:40発JALは滑走路除雪のために約1時間遅れて離陸。12:50日本医師会会館着。 13:00-17:10医政シンポジウム聴講。駒込駅書店にて新書、文庫購入。18:30浅草ビュー着、長女と夕食。10:00就寝。

ホームレスの自立を応援する「ビッグイシュー日本版」を買ってみた(1)
 本日、医政シンポジウムの帰路、先を急いでいたのだが駅の入り口で一瞬見た人物になんか引っかかるものがあった。歩きながら反芻してみた。失礼な表現だが,一見風采のあがらない中年男性が何かファイルに入った印刷物を通行人に示していたのだ。もしかすればあれが前にラジオ深夜便で聞いた事のある「ビッグイシュー日本版」の販売でなかったのか、と思いついた。改札を通過しようとしていたが、思い直して戻ってみた。そうであった。

 地味な古い服装をまとった中年男性で、聞くと新刊はなくてバックナンバーだけという。私はホームレスの自立を助けるための「ビッグイシュー日本版」と言う雑誌及びシステムそのものを知りたかったので雑誌の内容は何でも良かったから ,そのうちの一冊を購入した。2006年11月号第61号とある。

 その冊子によると、「ビッグイシューは、ホームレスの人々に収入を得る機会を提供する事業としで、1091年に英国ロントンではじまりました。雑誌販売者は、現在ホームレスか、あるいは自分の住まいを持たない人々です。住まいを得ることは単にホームレスの状態から抜け出す第一歩に過ぎません。そのため、住まいを得たホームレスの人でも、必要な場合にはビッグイシューの阪売を認めています。最初、販売者は、この雑誌10冊を無料で受け取り、その売り上げ2000円を元手に、以後は90円で仕入れ200円で販売し、110円を収入とします。販売者全員が行動規範に同意し、顔写真入りの身分証明書を身につけて雑誌を販売していま 」(一部略)。

 「ビッグイシュー日本版」は現在では月2刊、発行部数は、約3万5千部。発売都市は、順次拡大している,と言う。最近、赤字が蓄積したことから定価を300円とし、1冊につき160円が彼らの収入となる様になった。

 これが果たしてホームレスの自立を促進しているかに関しては評価が定まっていないらしいが、どうなのだろうか。
 私はこういう事業を見たり聞いたりすると無関心では居られない。


2/4(木)降雪・寒波 外来 魁新聞取材 県治験医療関連担当者来訪 県健康推進課担当者来訪 
1:30起床、ドック判定総括x1.文献チェック、徒然など、6:15病院着。6:30回診他。8:45-14:00外来。14:00秋田魁新聞記者来訪取材、県の医療事情関連。15:00県治験医療関連担当者来訪、16:00県健康推進課担当者来訪打ち合わせ。17:00出張準備他。21:10 帰宅。夕食、22:00就眠。

匿名化、顔の見えない社会化はまずい(2)匿名メール、書き込みに対応しない
 人が社会的生活を営む以上、責任と義務が生じる。私は社会を構成する一員として、その立場に応じて最小限の個人の情報を提供することは社会に対する責任の一つなのだと思う。これは国、自治体、コミュニティの中でも同様である。
 最小単位である人と人との会話の際でも同様である。相手を全く特定できない中で交わされる会話は何かギクシャクして全然かみ合わない。

 しかし、この人と人との間の基本が、個人の情報や人権を守る目的で作られた個人情報保護法のためにうまくいかなくなっている。個人情報への過剰な反応の多くは法に対する誤解に依っている。だから、法の意味するところについての周知徹底がさらに必要である。
 更に、法を云々する前に社会の中における個人の関わりについてもっと考えてみる必要がある。法の拡大解釈がこのまままかり通って、社会が徐々に匿名化していくのは決して良いことではない。もっと世の中が殺伐になるだろう。その弊害は各所に現れて来る。

 私の徒然日記にも時折書き込みがある。
 心温まる励ましなどもありとても有り難いが、発信者を特定できない書き込みやメールには原則的に対応しない。匿名で事をなそうとする姿勢を支持できないからである。良きにつけ悪しきにつけ無責任だと思うからである。
 ただ、鳩の怪我などでアドバイスを求められた場合などは例外的に対応した。傷ついた鳩を見つけ,そのまま放置できずに保護したものの、対応に困り果てて私の記述までたどり着いた熱意と、私のアドバイスが少しでも役に立てば、と思い返事を書いた。


2/3(水)曇り 外来 21世紀の医療を守る会理事会 医事紛争対策委員会
2:30起床。ドック判定総括x1。新聞チェック、徒然。6:00病院着、6:20回診、8:00救急カンファ。8:40-12:45外来。 13:00 21世紀の医療を守る会理事会。15:00患者家族面談。18:30医事紛争対策委員会。20:00帰宅。21:00就寝。

匿名化、顔の見えない社会化はまずい(1) 新聞の署名記事が増えたのはとても良い
 個人情報保護法は17年4月に全面施行されたが、その後この法が一人歩きして徐々に「匿名社会」になりつつあってとても居心地が悪くなっている。それ以上に不気味な社会になってきたと言って良い様である。しかもだんだんひどくなってきていると感じてしまう。
 私は個人情報保護法でなく個人情報隠蔽法と読んで今の社会の動きを憂いている。

 私は個人名とは単なる個人を識別する符号などではなく、「人としての人格、存在そのものを表す」と思う。だから、私は必要な場面においては個人名を明らかにすることにあまりこだわらないし、それが今の自分が置かれている立場では義務だとも思っている。

 最近、この様な個人情報の秘匿の動きに反する良い動きが見えてきた。
 それは新聞の署名記事が増えてきたことである。
 かねてから日本の新聞は担当した記者の名前を明かす記名記事が諸外国のそれに比較して少ないとされてきた。
 地方紙である秋田魁新聞は本年から署名記事を大幅に増やすと広報した。その目で見ると昨年までの紙面と今年の紙面は大きく異なっている。マスコミ、特に新聞の影響力は大きい。この動きはとても良いことだと大きく評価したい。

 私は今の立場上、マスコミの取材を受けることは少なくない。魁新聞社にもよく知った記者が数人いるが、その方々の名前が頻繁に紙面に登場している。署名のあった記事は、だから一層親しみを持って読むことになる。
 記者を知っている立場ではこの違いはとても大きい。知らない記者であっても署名が無いより遙かに良い。

 軽く扱われすぎて不満なのだが、交通事故の報道、火災の報道などの大部分は事実の概要を淡々と報じている。そこには記者の感情や判断は入っておらず、第三者としての傍観的記事となっている。これなどには担当した記者の署名などは不要であろう。

 社説はまた別であろうが、今までは一般的な記事、特集記事などは従来は新聞社の責任とか判断の下での記述なのだ、と納得せざるを得なかったが、記述内容にはかなり担当記者の視点が反映されているから、責任上でも自らの氏名を明らかにするのは当然である。
 恐らく、記者も責任を一層強く感じると共に、反響も感じる機会も増えただろうし、やりがいも出てきたのではないか、と思っている。


2/2(火)曇り 外来  常務会 医局会 
2:30起床。新聞チェック、ドック、徒然他。5:20病院着。6:30回診他。8:45-14:00外来、混雑。14:45-15:20常務会、17:30医局会。退院総括など。21:00帰宅、21:45就寝。

山崎豊子著 「沈まぬ太陽第3巻御巣鷹山篇」(2) 新潮文庫 667円 
 この小説は平成11年新潮社から発売された。
 発売当初から特定の会社の内情を暴露しているとしていろいろ物議をかもし出した。小説中の航空会社は国民航空(NAL)とされているが便名は123便であり、犠牲者も520人と1985年8月12日日航123便墜落事故と同一である。従って読者は国民航空を日本航空(JAL)に置き換えて読んでいるはずである。

 この小説の構成は被害者及び家族を善人、航空会社を加害者と二大別し、更に後者の国民航空のスタッフの一部を企業の中で悪と立ち向かうヒーローとして扱う。社長を含む上層部の大部分のスタッフは総じて善人と言えない、企業人としての冷徹な人間像として描かれている。これらの登場人物は具体的にモデルがあり、知る人たちは特定できるほどリアルだという。その様な方々は明らかにノンフィクション小説と判断できるだろうが、登場人物を具体的に知ってない読者は知らず知らずのうちに日本航空の企業のイメージ、企業人のイメージと重ね合わしてしまう。これは影響が大きい。この小説が出た頃に読者から『お宅の会社はひどいところですね』と言われた従業員も少なくないと言うし、これを読んだ私の身近な人物も同様のことを話していた。

 著者の山崎氏は日本航空に対して悪しきイメージを抱いているようである。単独事故としては520人もの大勢の犠牲者を出した世界最大の事故の被害者の立場に視点を置けばそのような感覚を持つのは理解できるしそのことがこの小説を書き上げたエネルギーの源泉であろう。

 書かれた日本航空の立場はどうだろうか。小説とは言え大変な扱いのされようである。会社として、個人としてかなり名誉に傷が付いたと思われる。会社としては対抗する大きなアクションは起こさなかったらしいが、発売当時には様々な立場の方が意見を述べていた。

 私もこの小説は傑作だと思う。特に520人もの大勢の犠牲者の立場から記述した人間模様、墜落現場の描写、犠牲になった方々の遺体の描写などの部分は素晴らしいと思う。しかし、企業としての国民航空を扱った部分に関しては必ずしも是と言えない。この点は予め知っていたので私は区別してクールな気持ちで読むことが出来たが、フィクション、ノンフィクション部分を読者が気づかぬように仕上げた著者の技法が優れているだけに読み終わった時の満足感は今ひとつであった。

 山崎氏の日本航空に対する視点は、ある一面では正しいのかもしれないがこの本に描かれた企業像はあくまでも一人の著者の目から見た像でしかない。それを分かっていないと、だから日本航空はだめなのだ、だから倒産したのだ・・という方向に短絡的に結びつく。読者にそう言う感覚を抱かせる問題の作品と言うべきだろう。


2/1(月)曇り 管理会議 外来 療養判定会議 長副会議 
2:00起床、ドック関連,文献、新聞チェック、徒然。6:10病院着。6:30回診他、7:45-8:30管理会議、8:45-14:00外来。16:00療養判定会議〔欠〕、17:00-19:200長副会議。21:00帰宅、夕食、22:00就寝。

山崎豊子著 「沈まぬ太陽第3巻御巣鷹山篇」(1) 新潮文庫 667円 

 前から読みたいと思い続けていたがあまりの長編のため実際に手に取らず諦めていた山崎豊子著「沈まぬ太陽」新潮文庫全編が秋田空港売店のブックコーナーにあった。他にあまりめぼしい書籍がなかったのでこの二日間なら読めるだろうと「第3巻御巣鷹山篇」を購入した。

 私は幼少の頃から飛行機に興味を持っていたし、柳田邦夫氏の「マッハの恐怖」、「続マッハの恐怖」を読んでからは航空機の運行や事故についての文献を数多く購入して読んできた。
 この日航123便墜落事故関連の書籍も10冊以上は読んできたと思う。その多くはハード面が中心で機体の問題点、修理の問題点、墜落至る過程、ソフト面ではクルーの操縦内容などについての記述が中心であった。
 今回の山崎氏の作品は乗客やその家族を中心にした人間模様、現場の描写など地上面からの視点が中心になっているという特徴がある。こう言う視点で詳細に取材しフィクション風に仕立て上げた氏の技量は大変優れていると思う。

 ただ、この作品を読む際に注意しなければならない点がある。これを再確認してから読まなければなら読者が知らず知らずのうちに引き込まれ、妙な感覚、誤解に落ち込んでしまう危険である。要するに、これは「日航123便墜落事故を中心においた小説」で、このことは読んでいる過程で常に意識していなければならない。
 ノンフィクションの部分と小説としてのフィクションが混在していてそれがシームレスに繋がっている。読んでいてこれが小説かと思うばかりのノンフィクション風の記述である。だからついつい小説であることを忘れてしまう。

 すると、小説上の登場人物の立場が、現在の、あるいは過去の実在の日航の上層部、職員達の人物像と区別できなくなる可能性がある。山崎氏の記述上の手法が如何に優れているかを確認できる作品であるが、この作品の持つ影響力は「白い巨塔」「大地の子」など氏の他の作品より遙かに大きいだろうと思ってしまった。

 偶然であるが、昨日の閲覧数が747となっていて驚いた。墜落した日航123便はボーイン747型ジャンボ機で、たまたまであろうが数字が一致していた。


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   年を通じてワンパターンで淡々とした毎日です。AM2:00-5:00にメールチェック・返事送付、人間ドック(HDD)判定・報告書作成、新聞切り抜き、病院・医師会業務など。
  月〜土曜は6:00頃出勤、HDD報告書印刷、外来書類処理など。病棟回診、HDD受診者とミーティングと診察。8:45-14:00外来とHDD受診者に結果説明。昼食は摂りません。午後は病院業務・医師会業務、各種委員会等に出席など。20:00頃帰宅。
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