三浦 亮学長の定年退官記念祝賀会スピーチ

 講師、助教授、教授時代に私が13年間にわたってご指導いただいた三浦 亮先生は医学部長、秋田大学学長を経てこの3月末日をもって定年退官された。
 4月5日、秋田大学第三内科、第三内科同窓会の主催で定年退官記念祝賀会が開催された。その席でご祝辞を申し上げる機会が与えられ、以下の内容を掻い摘んで述べさせていただいた。

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同窓会の皆様方こんにちは。中通総合病院の院長の福田です。本日初めてお会いする方々もおられますので、三浦先生にお祝いを述べる前にホンの少しだけ自己紹介をさせていただきます。
■私は1973年から85年まで、最初は第一内科員として、次いで第三内科員としての13年間勉強させていただき、今の中通病院に移りました。ここまでは特別のことではないのですが、その後、つい2年ほど前まで、20年以上に渡って第三内科を訪れたこともなく、ご招待状をいただいておりながら関連の行事に一度も参加しませんでした。こんな同窓生は多分私だけかも知れません。お世話になりました柴田先生、三浦先生、澤田教授を始め、同窓会の皆様方には大変失礼なことをしたと思って、今は素直に反省しております。
■そのような私ですが、本日はこの様にお祝いを申し上げる機会をいただきました。心から感謝申し上げます。どうも有り難うございます。

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三浦 亮先生、定年ご退官本当におめでとうございます。心からお祝い申し上げます。
■私は立場上、定年退職される方々を送る立場で挨拶をすることがあるのですが、その時三つの点を挙げております。本日もそれに沿って自分自身のこともちょっと加えながら、お祝いを申し上げたいと思います。
第一は、三浦先生がこれまで大きく健康を害されたというお話を聞いたことはありません。私の情報不足なのかも知れませんが、まず、健康に恵まれて今日の日を迎えられましたことに対して、心からお祝いを申し上げます。山をこよなく愛されたというだけ身体には恵まれていらっしゃったのでしょうが、何か特別な健康法をなさっておられるならば、後ほど参考までにお教えいただきたい、と考えております。
 私は昨年8月に膀胱疾患で開腹手術を受けましたし、先月末下旬からは肺ガンを否定できない陰影を指摘されて経過観察中の身でありますが、多分ガンではないでしょうが、見込みが外れたらその時はその時考えることにします。こんな状態ですので今日は10年先輩の三浦先生のお元気な姿を見てとても嬉しく感じました。

第二に、お仕事上の成果に対してのお祝いです。
三浦先生は昭和35年に大学を卒業されてからつい先日までの間、48年間、ほぼ半世紀、殆ど休むことなくお仕事に邁進されてこられた、と思います。
そして、教授として、医学部長として、学長として十分仕事をなし得た、と今は心から満足されておられるだろうと思っております。三浦先生とはいろいろな会でお会いする機会はありましたが、本日は気が許せる古巣の会ということもあるでしょうが、いつも以上に、満ち足りた表情をなさっています。

先生は柴田教授が助教授の頃外遊されていた一年間、その時は第一内科講師だったと思いますが、厳しい医局環境の中で見事にグループを統率されました。この時かなり過緊張状態にあったことが思い出されます。一方、柴田助教授から届く書簡はゆったりとした内容で、緊張感にとても大きなギャップを感じました。

教授時代にもいろいろ仕事を果たされましたが、特に大きな行事としては臨血学会総会、網内系学会を主催されましたことを挙げておきます。

医学部長になられた平成10年は既に医療界は「厳しい冬の時代」を迎えており、大学に対する風当たりも強くなってきた時期だったと思います。そのため、文部省・厚生省との折衝等で大変な時期だった様に思いますし、大学をまとめて行くのにさぞや大変だったと推察いたします。

学長に就任なさった平成13年は「独法化の嵐のまっただ中」の厳しい時期だったと思いますが、何かの会で先生は時代の流れだから前向きに進める、と語られたことを記憶しておりますし、独法化に向けて力強くリーダーシップを発揮されたと聞いております。

この間、私は三浦先生がおそらく組織のトップとして医学部や大学の将来について常にビジョンを語りながら牽引してこられたと思いますが、一方ではこの10年あまりは、おそらく孤独との闘い、孤独の中で決断し続けた、心休まらない日々でもあったのではないか、とも推察いたします。

私は院長になってまだ3年弱でしかありませんが、私の所に飛び込んでくる話題、懸案事項の9割はネガティブな要素のもので、なかなか心休まらない厳しい日々を過ごしております。組織のトップはこれほど孤独なのか、と感じております。先生とはレベルは異なりますが、この点では恐らく共感出来る事項でないかと思っております。

■ 第三に、これから自分のために使えるであろう、ある程度まとまった時間を残した時期・状態で退官を迎えられた、ということ、このことにもお祝い申し上げたいと思います。
 この残された時間をどの様にお使いになるのでしょうか。
 有り余るほど、多方面で経験された内容、足跡を後世に残すために本でも執筆なさるのか、あるいは、若いときに小説家を目指した時期もあるんだよということをよく話していただきましたが、それを実行に移されるのか、あるいは長年苦労をかけたであろう奥様をゆっくりと労って差し上げるのか、私には分かりませんが、どうぞ先生にとって最も有意義と思われる事で、残された時間を大切に、末永くお使いいただきたく思います。

■私は13年間にわたって講師、助教授、教授時代の三浦先生から直接薫陶を受けたのですが、初代の柴田教授とは違った意味で厳しい御指導をいただきました。特に、一期生が入局してくるまでの3年間ほどは、途中で柴田教授が留学されたこともあって本当に指導は厳しかったと思います。総回診のベットサイドでのディスカッションを如何に乗り切るか、3日ほど前から呻吟したモノです。今でも三浦先生にお会いするときはとても緊張するのはその時の後遺症です。
■また論文をご高閲いただいた際には、3日ほどで真っ赤になって返ってきました。でも、具体的に添削されているのではなく、何故こう考えるのか??どうしてなのか??といった書き込みが主でした。論文のチェックを介しては「てにおは」ではなく、臨床医として如何に学ぶべきか、どんな着眼点を持つべきかをご指導いただきました。
■先日、同窓会誌7号が送られてきました。同窓会名簿には130余名がリストアップされております。
 秋田県のみならず、東北北海道・関東各地で活躍されており、改めて第三内科のパワーを感じることが出来ます。多くの方は臨床医として地域医療を支えておりますし、ある方は教授として、あるいは教育者として後進の指導に当たっておられます。行政職として、あるいは地域の医師会長、役員として地域の医療を改善するために活躍されている方もおりますが、この多様性こそがとても素晴らしいことだと思います。
 教授退官の際には論文を中心とした業績集が発刊されます。私はそれと同じように、あるいはそれ以上にこれだけの人材を育てられたことが先生の大きな業績であり、各々の持ち場で医療を支えている。そして、本日のこの記念の日に100名近くがはせ参じてくる、こういう教室を作られた先生に改めて敬意を表したいと思います。
■大変長くなりました。三浦先生の定年ご退官を、改めて心からお祝い申し上げます。
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■最後にこれだけの医師が集まっている機会ですので一言だけ追加させていただきます。
 今地域医療は崩壊しつつありますが、その原因として数多くの因子が挙げられますが、私は物言わぬ医師に、特に物言わぬ勤務医に一番の問題があると思っています。
 医療現場の問題点を一番味わい知っている私ども医師が沈黙していては更に崩壊が進んでいくことになります。この点は宜しくお願いいたします。

 本日はご挨拶の機会をいただきましたことに感謝致します。
                                                 

 (2008年4月5日)

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