医療について話し合おう連続講座 第二回 


平成16年5月23日

「生老病死に医療はどこまで役に立っているか」
(要約)

講師 中通総合病院 副院長 福田光之氏



<講演要旨>
 日本の医療は十二分に発達している。健康寿命、平均寿命世界一に寄与している。世界一の健康保険制度が国民を守っている。WHOもこれを認めている。
 日本の医療費は安い。国民はもっと安くせよと言う、多くの患者さん方の望みは民宿の料金で一流ホテルのサービスを求めるようなもの。高質で安全な医療のためにはそれなりの費用が必要である事は理解いただきたい。

 医療費が安いこともあって患者さんはたびたび受診するが、そんなに病院に来ても老化に関連した症状はなかなかよくならない。老化現象に医療はほとんど無力だ。
 国民の医療に対する満足度は必ずしも高くない。医療事故が多発して、医師と患者の大事な信頼関係に陰りが出てきた。国民医療費の削減抑制政策があらゆるひずみの原因と言いうる。
 日本の医療費はGDPの7.5%、アメリカは12.9%。歴代大統領は国の医療費負担率を年々高くしている。日本は今後病気をたくさん持った高齢者が増え、医療も発達していくので国の医療費は増えて当然なのに、小泉さんは国家の負担を減らして、個人払いを多くする政策を採っている。

 医療機関は薄利多売、自転車操業を強いられている。長期入院の患者さんが増えていくと赤字に近くなってしまうから、慢性疾患の患者さんに退院を勧奨することになる。医療機関にとっても患者にとっても厳しい時代である。国民は医療費についてあまりにも知らない。高齢者はゲートボールもいいけれども、高齢者党を作って主張すべきだろう。

 日本では医療従事者がとても少なく、医療従事者の業務はとてもハードである。患者100床に対する医師の数はアメリカ63人、ドイツ35.6人、日本12人で一体何をしろというのか。看護職員はアメリカ197人、ドイツ92.9人、日本41.8人である。ボストンSE病院(350床)では、全職員数は2011人で、ほぼ同規模の日本のS国立病院(310床)の職員数は僅か200人である。SE病院では秘書が90人。秘書は各ドクターの外来に付いてタイプでカルテを作るので、ドクターはサインするだけ。ドクターが患者に直接会話ができる状況を作っている。また患者の運搬係も17人いるのに、日本はゼロ。現場の人手不足は明らかだ。日本で医療事故が多い理由もこの数字に表れている。
 医療従事者は疲弊している。献身にも限界がある。しかし、多くの医師はもっと医療をよくしたいと口では言いながら具体的行動はなかなかしない。せめて医師会活動に協力してほしいものだ、と思う。

 マスコミの医療に関する報道姿勢は正しくない。派手なニュースはとりあげるが地道なことはとりあげない。医療の背景にある諸問題には踏み込んでくれない。100%確かな報道はない。例えば「みのもんた」の番組は娯楽番組であって教養番組ではない。面白く見せるために誇張している。基礎知識を持って番組を判断しないと不安になって病院に押し寄せる。
 お年寄りは今からタバコをやめても、血圧の薬を飲んでも、寿命に大きな変化はないが、この辺の考え方は医師によってかなり異なる。大切なのは青少年、30代-40代の若い世代。今、この世代は高脂血症が増加し極めて危険な状態になった。車、運動不足、美食、脂肪摂取で、糖尿病に近い状態を自ら作っている方も多い。子供の肥満が増えて、生活習慣病の危険が出てきた。親が次の世代を育てるための教育や健康管理の面で責任を十分果たしていない。

 30数年前多くの病気は急性の病気だった。今、急性の病気を治す技術はベストの状態にある。しかしながら、最近では病院の患者の8〜9割は生活習慣病を治療するために来ている。医師もテレビの健康番組も、医療は生活習慣病を治す力が乏しいということをほとんど言わない。日本の死因の多くはがん、脳卒中、心疾患など。これらの生活習慣病は長命化に必然的に伴ってくるもので治せないから何れ死ぬ。人は長生きすれば宿命としてこういう病気にかかる。全て老化は自然の経過。老化の進展を予防できると考えるのは間違いである。

 人は100%死ぬ。患者を上手に死なせる技術は十分なのか。「死をめぐる医療」についての検討が急務である。
 医療・医学が発達すれば人生は豊かになるだろうか??疑問である。人工的に操作されすぎてはいないか。借り腹出産、出生前診断、ES細胞移植、人体部分の復元、死んだ子の復元など、医療倫理が問題になっているが、結論は出ていない。当然だ、医療倫理以前の問題だ。私は医療・医学発達で人生は必ずしも豊かにならないと思う。

 医療がほとんど無かったころ、死を身近に考えて生きた人々がいた。豊かな人生だと思う。「願はくは 花のもとにて春死なむ その如月の望月のころ」「散る桜 残る桜も散る桜」「旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる」など素晴らしいと思う。こんな心境で暮らしたら明日死んだっていい。長命自体には、それだけならば、それほどの価値はない。私は人生の定年を60年と決めている。

 老化は薬を服用しても元には絶対に戻らない。生物すべてに生ずる変化。止めることはできない。人生は後戻り出来ない富士登山のごとくで、上に上がる(高齢になる)につれて厳しい世界が待っている。私の診察室では多くの患者さんが「死ぬ話」をして喜んで帰っていく。高齢者はさほど長生きを望んではいない。80〜90歳の人にいつまで生きたいか尋ねると、「いつでもいい。先生うまく逝かせてけれ」と言う。長く生きたって決して幸せだ、と思っていない。むしろ死ぬときの事を考えると不安で不安で・・と言う。
 人間はゆっくり干からびて死ぬのが一番楽である。できればガンで死ぬのが良い。
老化についての考え方や死生観の熟成をはかろう。皆さん一人一人に自分なりのいい人生を自分の考えで決めていく強さと個性を要求したい。患者と医師は十分にコミュニケーションをとって、医療の力を患者本人の人生観に沿う形で役立て、より良い人生を送れるように援助していくものだと思う。

<質問に答えて>
 ●新薬などの新しい情報について、医者に聞きたいときは実際に口に出して言ってみればいい。その時の医者の反応で、あなたがその医者を診断すればよい。場合によっては医者を替える。私は以前から使っている薬のほうが安全性を知っているので使いやすい。新薬は滅多に使わない。

 ●一日三食が体によいという根拠はない。私の家系は糖尿病が多いので太れない。数年前から食事は一日一食(夕食)にしてどうなるか試している。テニスなどもするが、腹が減っているとかえってファイトが湧いてくる。ライオンの狩と同じである。ただしこの方法は皆さん方には勧めません。

 ●私は自然死を希望する人には、本人の意思がしっかりしていて、家族が同意していれば自然に死を待つ方法をとる事の方が多い。但し、苦しまないような治療は十分にしてあげる。この辺について私の考えは次回に述べたい。自分の死、患者の死に関してすべての医師が同じではない。亡くなる患者を看取るときの医療はドクターが100人いれば100通りあると言っていい。だから、主治医がどの様な生老病死観を持っているか、確かめてみればいい。

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