●医師の立場より



看護婦に期待するもの

中通病院外来診療部長・内科科長 
福田光之 
 私は看護婦に期待するものについて問われた場合、個人、集団を問わずにいつも以下の三点を挙げています

 @ 看護技術に優れていること。
 
   A 現在の問題点を認識でき、将来へのビジョンを持っていること。
 
  B 多様な患者に対応できる幅広い洞察力と自己研修を積む意欲をもっていること。

 
 @Bは当然ですが、Aについては、看護婦周辺の諸問題  や制度が長年にわたって解決されないままであること、 新職種や新制度発足を迎えるにあたっての保守的な対応 などから推し量ると、看護婦個人及び集団に最も欠如し ている資質のように思われます。
 従来、病院や医療の評価は医師数や医療設備などを中心 になされ、その中で重要な役割を果たして来ていなが ら、看護は過少な評価しか受けてきていなかったと言えます。その原因の一部は歴史的評価の積み重ねの結果 でもありますが、その流れをなかなか打破できない看護婦集団の資質にも内在していると思われます
 
 近年、医療に対する患者の要求度も高まってきていますので、これから看護の質を中心に、居住性などでも病院の真価が問われる時代になるものと思われ、看護婦に求められる力量もより厳しくなるはずです。
 病院を訪れる患者の大部分は、複雑な社会的、精神的背景因子を抱えており、それらが病気や症状の成り立ち、更に療養態度にも複雑に影を落としていますので、治療する我々は勿論のこと、看護の面でも一歩踏みこんだ援助が必要になります。
看護婦は患者の身の回りの援助に関しては実によく働きますが、その反面、
患者とじっくり話し合い、踏みこんだ対応ができる技量をもつ看護婦は少ない様に思いますし、本来の業務と思えない雑用までも手離すことなく、患者の身の回りの世話を一生懸命にしている姿をみていると、看護婦としての責任に対して免罪符を得んとしているが如くに思えることもあります。
 
 現在、チームナーシングが普及している様ですが、
チームナーシングに甘んじていては良い看護の実践は難かしく、これではいつ迄も看護婦の社会的地位の向上は望み得ない様に思われます。私にはチームナーシングは責任体系が不明瞭に思えます。だから発展しているのかも知れませんが、集団で責任を負おうとする発想は極めて安易ですし、職業人としてのidentityは集団で責任を負う構造からは決して得られません。
 自分らの裁量から何ともし難い患者は難かしい患者として個人的にも、集団的にも敬遠されていますし、予後の悪さを悟って心理的に不安的な患者には殆んど入り込めずにいるのが実情です。
 我国では通常、癌の告知をしていませんが、これは医師、看護婦の側からの一方的な都合や論理からであって、必ずしも患者のためを思ってではありません。そのため、最近患者の知る権利として見直されつつあるわけです。この例を始めとして、今後の医療はもっと流動するでしょうし、より暖かく多様な看護が求められる様になって来ています。予後の悪い患者の場合、看護は患者に対して行うものとみなすだけでは不充分であり、残される家族への対応も重要な意味をもちます。
 
 今後の看護のあり方の一つとして私は、チームナーシングの利点を生かした上で受け持ぢ制の看護を導入する事が必要不可欠と思っています。看護計画の立案から退院迄、固定された看護婦が責任を負いつつ経験を深めていくのが、個人として、集団としての技能の向上に結びつくことだと確信していますし、結果としての波及効栗にもおおいに期待しています。勿論、看護婦の人員の不足、変則的勤務体系から限定されたかたちでしか導入出来ないとは思いますが、不足の部分は培ってきたチームナーシングて補助し合えば可能と考えられます。

最後に、この様な内容の話を看護婦にすると、決まったように「先生は私達に何か幻想でも抱いているのではないですか?」とあきれかえった様な表情で問われます。矢張りそんなものでしょうか?
(1989) 看護あきた より一部改変


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