日本医師会:植松体制から唐澤体制に

(この2年間の私の日医印象記)

 

2006年4月1日、植松体制は僅か1期2年で終焉を迎えた。
 この2年間、徒然日記で日本医師会に対する印象を綴ってきた。最初の2年間であり、まだ助走期間と思っていたので取り上げた頻度も少ない。特に発足一年間は全く取り上げていなかった。

 植松体制の問題点は、会務が見えないこととスピード感と歯切れ良さの欠如が大きかった、と考えている。読み返してみると新体制誕生までの流れが読みとれるような気がする




(2004/4/26)坪井前日本医師会長、表情も柔和に

 昨日の日曜日、夕方から仙台勝山館にて前期限りで引退された坪井前日本医師会長、星前日本医師会常任理事、東北医連の関係の宮城、福島、山形の各医師会長の慰労会が催され出席した。
 上席に並んだ上記の元各役員は現役・・と言うより前回お目にかかった一ヶ月ほど前の表情と一変して表情がおしなべて柔和になっている。一番顕著であったのは坪井氏であった。如何に日本医師会長のポストの責任が重いかが推し量られるという感じである。

 坪井氏の挨拶では今回の日医会長選挙の顛末、新体制による日医の方向転換などに対する厳しい意見が聞かれるかと注目したが、何ら踏み込んだ話はなく、支持していただいた医連に対する感謝と今後の身の振り方について簡単に言及したのみで、肩すかしを喰らった感じであった。星氏、3人の前県医師会長の挨拶も同様。僅かこの一ヶ月間と言う短い間のの変化であるが、実際は心からホッとしておられるのであろうし、この様な挨拶をなされたのも一つの見識かも知れない。

 私は坪井氏の日医の運営、3人の前県医師会長の東北医連での考え方、ご意見には必ずしも同調出来なかった部分も少なくなかったが、今は果たしてきた足跡に対して心から労をねぎらいたいと思っている。星前常任理事は40代の気鋭であり今後の活動に注目したい。4名の方々は何れも70歳を優に超えた方々である。今後のご健康、自適の生活をされるようを望みたい。

 組織を離れるととても表情がよくなることは私どもの病院から独立して開業された中堅どころの医師にもおしなべて共通してみられる現象である。それだけヒトにとって組織というのは光と影とを伴っているものだろう、と改めて感じてしまう。

 私も生きていればそう遠くない時期に定年を迎える、と言うよりも私は還暦を迎えたら引退しようと考えている。その時の私の表情は一体どう変わるのであろうか?・・・楽しみである。




(2005/5/20)テンポが合わなかった昨日の日医の協議会  説明会のレベルで不快、不満

 昨日は「日医医事紛争・自浄化活性化担当理事合同連絡協議会」なる重要な会が開かれ、出席した。全国の都道府県医師会から複数の担当者が参加し、200名以上は集まったと思われ、会場はそれなりに緊張感もあった。

 執行部からこの会の開催に至った経過、趣旨が説明された。執行部の準備された内容は資料を見る限りそれなりの価値はあったが、実際に資料の説明が始まった途端に私は落胆した。司会を始め、ご高齢の担当常任理事の方々ゆったりとした、内容的にしつこい説明が延々と続いた。話のテンポが私の感覚からみて全て半分以下で苦痛以外の何物でもなかった。

 医療界の今後を左右するほどの重要な任務を担っている日医の執行部である、何時かの時点で、何か決定的な発言があるのかと聞き続けてたが、結局何を言いたいのか解らない説明。本日の出席者なら誰でも解っている様な、資料から予測出来る範囲の内容をしつこく、ゆったりと、20分もかかって話した。聞き終わってみれば、結局、要領よく話せば5分もかからずに伝える事の出来る内容。この様な発言が数人から続き、私は心底ガックリきた。
 本日各地から集まってきた担当者はそれなりの働きをしている担当者である。大勢の出席者を前にしてのこの様な会の進行は迷惑千万である。

 質疑応答の時間になって各地から集まった担当者から内容に関しての疑義、意見が飛び出したが、結局、挙手する出席者が複数いるなかで時間切れと言うことで司会から閉会が宣言された。私も発言の機会を狙っていたが敵わなかった。これでは協議会でなく説明会である。

 圧巻は最後の副会長のまとめの挨拶。他の会に出席していたとのことで閉会数分前に会場に現れたばかり。まとめなんか話す資格など始めから無い。出席者をバカにしている、としか言えない。私は現執行部へ大きく期待しているが、この会の運営を見て、その印象、期待感は大きく下落した。
 会が終了してから、会場で日医の事務局長に本日の懸案事項についての意見と会の進行に対する意見を具申した。後ほど文書を送ることを約した。
 
 説明の前に演者は内容を考え、如何に無駄をそぎ落として要領よく伝えるか考えて欲しいものである。時間と経費が実に勿体ない。周囲の助言も必要だろう。
 今、医療界は厳しい現実に対峙している。医師会は、医師会自身のためにも、国民医療を守るためにも、早め早めの世代交代が絶対に必要である。 日医の協議会、他の講演会などで厚労省の課長クラスの話を聴く機会が何度かあったが、彼らの殆どは40歳代で、話はテンポも速く、具体的で迫力もある。こんな彼らとまともに対峙・対応していくには少し無理がある。 おそらく厚労省の役人、議員等は日医の説明など時間が勿体なくて聞いていられないのでは無かろうか。私だって耐え難いのだから。



(2005/7/30)日本医師会のNo1男女共同参画フォーラムに参加(1) 女性の参画の面では日本は後進国

?? 日本医師会では、女性医師が急増しつつある現在、それに伴う問題点、女性医師のかかえる諸問題の解決が必要、と言うことで昨年「女性会員懇談会」を設置した。その会の企画により7月30日に「No1男女共同参画フォーラム」が開催された。

 日医から各都道府県に女性会員を中心に参加が求められたが、女性会員の一人として家内が推薦され、私は総務担当として共に参加した。

 わが国では平成11年、「男女共同参画社会基本法」が成立している。基本法は、「男女が互いにその人権を尊重しつつ、責任も分かち合い、その個性と能力を発揮できる社会の実現は、わが国の将来を決定する最重要課題である」と位置づけている。それを実現するため、積極的改善措置を定義しており、国、地方公共団体が策定する計画に盛り込むことが義務付けられている。

 基調講演をされた講師が配布した内閣府男女共同参画局発行の最新の資料を見る限り、政策・方針決定分野に於ける女性の参加を指標で見ると、わが国は国際的に後進国であるようだ。医学を含む科学分野の研究者の中の女性の割合は11.6%と27位である。

 だから、秋田県が設置する各種の委員会等にも女性の委員を入れる事が求められており、県医師会でも委員を推薦する場合に出来れば女性医師を推薦して欲しい、とコメントが付いてくる。ところが、これがなかなか簡単なことではない。多くの女性はいろいろな理由を、その多くは断るための理由でしかないが、付けて断ってくる。勿論、現在がまだまだ男性中心の社会であって、女性が受け入れられる体制が不十分であることは認めなければならないが、医師であっても一様に尻込みするのを見るとさもあらんとも思ってしまう。基本的には女性自身がもっと積極的になんとかしなければ、と思わない限り、いくら法が整備されたからと言って一気に改善するものではない。



(2005/8/1)日本医師会の「No1男女共同参画フォーラム」に参加(2)目から鱗  

 男女共同参画と言うことは時代の流れであり、社会のあらゆる分野において必要なことであることは、このフォーラムに参加して内閣府の局長の基調講演を聴いてよく理解できた。
 女性の参画は医療、医師の世界でも同様であるが、他の分野に比較して女性医師の進出、参画はプラスの面は勿論大きいが、マイナスの影響も大きく、無視できない。だから日本医師会へ女性医師問題への対応の要望が大きくなり、この会が開催されたということ。
 女性の進出と言っても、医師の中に於ける女性の割合は平成14年の統計でたかだか15.7%でしかない。しかし、医師国家試験に於ける合格者数は平成17年では33.7%も占めており、女子医学生中の割合は更に多いようである。従って、今後はその問題が年々大きくなっていくだろう。

 日本はまだ男性中心の社会、と言うか男性が家事を分担することは個人単位ではないわけではないが、概して少ない。従って女性は結婚・出産・育児と仕事の両立に苦慮している姿が浮かび上がってくる。その結果、日本の女性の就業状況は結婚・出産・育児の年代で低下する。これは先進諸外国ではあまり見られない現象である。これが医師の場合には両立が特に困難で女性医師にとって厳しい生活・就労環境が強いられることになり、結果的に退職やパート化に至っている場合も少なくない。
 従って、このまま女性医師が増加していくと医師不足にも拍車がかかることになり、周り回って男性医師の就労環境も悪化していく。

 だから、日医が女性医師問題を重視しこの様な検討会を立ち上げ、この様なフォーラムを開催したことの意義はとても大きい。男女共同参画社会を発展させて行くにはまず男性のものの考え方を変える必要があり、育児・家事が女性が担って当たり前と言う社会構造を変えていかなければならない。

 県医師会の総務・庶務担当という立場での出席で、会場に入るまで「何で私が男女共同参画・・なんだ?」とあまり気乗りしていなかったが、会場を出るときにはその気持ちは一変していた。良い時間を持てたと思っている。
 ただし、意見交換の場での発言者の冗長な話しぶりには心底不快感を持った。



(2005/11/7)役にも立たない表彰の記念品、何とかなりませんでしょうか

 一昨年から今年にかけて、私は4回ほど表彰される機会があった。特に何したわけではなくただ組織に長く参加してきたと言うことが理由で頂くという表彰であり、私にとっては意義も興味もあまり感じられない内容である。 

 (1)県医師会勤務会員歴25年の表彰、(2)秋田県環境・保険事業功労者:医療功労者表彰、(3)秋田県医師会功労者表彰、(4)明和会勤続20年表彰、(5)日本医師会優功賞、である。
 このうち(1)(4)(5)は単に、勤務会員として25年、勤続が20年、日本医師会委員会員を10年続けたと言うことで、自動的に表彰規定に合致したもの。(2)は私の何かが秋田県の表彰規定の何らかの項目に合致しただけ、(3)は(2)に伴って県医師会の表彰規定に自動的に合致しただけで受けることになったもの。
 
 表彰状は邪魔にもならないから、まあ良いとして、表彰の記念品は基本的にろくなものがない。県のは記念品は無かったと思う。県医師会のは小型の楯、明和会のは旅行券3万円分だった。このうちでは旅行券3万円がとてもうれしい。病院の出張、学会出張は往々にして赤字になるからその補填に使おう。医師会からの楯はくり抜いて何か別なものに流用した。明和会からの額縁は患者さんが描いた絵を入れて院長室に吊した。

 日本医師会の表彰式には当然欠席したが、一昨日、直径10cmほどの純銀製?の、本当か否か見る目のない私には解らないが目録にはそう書いてある、ずっしり重い三段重ねの杯が厚手の桐の箱に納まっているが送られてきた。私はガックリ来た。私はこんなものを愛でる気は一切無い。多分、日医のやることだもの決して安くは無かろう。何万円相当かな、何と無駄な・・・と思う。どう処分するか、新しい悩みが増えてしまった。

 詳細は省くとして、表彰は表彰する側の論理で進められ、被表彰者の関与する余地がないのが一般的であるが、これはおかしい。あくまでも被表彰者が主役であるべきである。送る側の自己満足では困る。せめて、記念品は被表彰者から選んでもらってはいかがだろうか。私なら迷わず、形に残らない使い切ってしまうもの、旅行券は良いね、を選ぶだろう。
 ちょっと考えていただきたい事項である。



(2006/3/22)日本医師会会長選挙(1):植松体制一期にして審判を迎えることに

 2年前の2004年4月1日、4期8年の坪井体制は終焉を迎え、大きな期待の元に植松日本医師会会長が誕生した。それから僅か1期2年しか経っていないがこの4月1日にまたもや会長選挙が行われようとしている。
 今年の新年早々、唐突に、との印象がぬぐえないが、東京都医師会会長で現日本医師会理事でもある唐澤氏が立候補を表明したからである。

 先の坪井会長はある程度長期であったということもあり、任期の後半には代議員会で手腕に疑義が出され、代議員会が混乱する等の過程を経た中で最終的には自ら進退を決定した。
 植松会長の場合、手腕に関していろいろ意見が飛び交っていたことは事実であるが、まだ就任1期目であり、直接退陣を迫るような激しい意見までは見られなかった。

 本年4月の診療報酬改定は小泉首相の裁断でマイナス3.16%と過去最大の引き下げが行われた。全国の医療機関にとって、全国の医師会員にとって未曾有の大打撃となる。このマイナス幅は事実、私にとっても大きなショックであった。このマイナス改定を巡り日医の力不足を指摘する声もあり、会長をはじめとして現執行部は苦境に立たされている事は事実である。
 私は植松会長の力量、努力は認める。今回の改定は小泉首相という対話の成り立たない首相が相手であって、そのために主張が通らなかったと言うことで、誰か別の人ががやれば別の結果が出たとは思えない。
 今回の改定に関して私は植松会長を責める必要はないと思っている。それ以上に、本当は医師会員全員がまず自省しなければならない、と思っている。

 基本的には唐澤氏は植松会長の政治的手腕の拙さを指摘しての立候補である。それならば、選挙は悪しきことではない。選挙を通じて日医が成長すればいいのだ。日医の今後の政策論争をめぐる選挙になることが期待され、私も注目していたが、次第に自民党との関係、医系代議士との関係、等に論点が移ってきており、相手側を暗に誹謗したりする文書も飛び交い、泥仕合、汚れた選挙の様相を帯びてきており、日医の今後にマイナスになりかねない、憂うべき事態を迎えつつある。
 日医の悪しき事態は政府の医療行政にも大きく影響する。結果として国民の医療に大きく影響する事態を招く。何とかしてこの昏迷状態を打開しなければならない。



(2006/3/23)日本医師会会長選挙(2):選挙制度を変える良い機会にしよう

 現状の日本医師会が採用している選挙制度では激しい選挙をすればどうしてもしこりが残る。会長候補は予め副会長、常任理事の候補を募り執行部キャビネットとして審判を受ける。このような状況だと対立候補の出身地や支持地域からは有能な人材を登用できない。これは大きな損失となる。さらに、従来から「ブロック選挙」と称される地域ごとにまとまった選挙運動がなされてきた。各都道府県医師会は地域ごとにブロックを作って活動しており、東北6県の医師会は東北医師連合会としても活動もしている。このまとまりは事実上選挙対策の時に最も強くなる。

 前回の会長選挙では東北医連は植松候補でない方の候補を推したが、結果として落選した。そのために植松キャビネットには東北・北海道及び九州地区からは誰も入っていない。大阪・近畿を中心とした人材で固められている。これでは日本医師会は近畿ブロック医師会が運営しているようなものである。例外的に3名が東京から参加しているがこれは3人の候補が植松陣営に一本化した談合の名残で積極的な意味づけとは解釈できない。

 日医は常にオールジャパンでなくてはならないのだ。今回も両陣営はそう言っているが、両陣営の運動の進め方、主張を見ているとまず実施困難であろう。日医の選挙には構造的にも、機能的にも欠陥がある。
 基本的にブロック単位で特定の候補者を支持したり、推薦するようなことは止めるべきである。推薦・支持の表明は選挙を、日本医師会の会長の性格、業務遂行を妙なものにしてしまうからである。
 しかし、今回の選挙に関して言えば従来の選挙と若干様相を異にしている。明確に支持表明したのは現時点で4/8ブロックに過ぎない。植松候補支持表明はお膝元の近畿のみ。唐澤候補支持は東京・北海道・九州ブロックのみで未だ流動的なブロックもあるようだが、それにしても今までこんな事はなかったハズである。
 これは日医の選挙制度を変えるためには良い兆しなのではないか、と私は思う。

 今、医療界は大変な危機を迎えている。日医は会長選挙などでゴタゴタすべきでないのだ。日本医師会は日本の医療行政に対する影響力の点から見ても大きな存在である。今後は会長は純粋に人物、力量で全国1区として選ぶべきである。
 そのためには会長単独、あるいは会長と副会長3人ほどのミニキャビネットで立候補し、当選後に残りの人材を全国から集めればいい。この場合、どちらが当選しても有能な人物はキャビネットに登用されるであろう。これぞ真のオールジャパンの姿である。

 今回の選挙は政策論争でない、政治がらみの妙なところを主論点に争われている。しかも泥仕合的様相を帯びている。今回の選挙に関しては全国の医師会員も代議員も「何かおかしい」と感じているはずである。
 今回の選挙を選挙制度改革の良い機会にしなければ日医は確実に駄目になって行く。



(2006/3/24)日本医師会会長選挙(3):東北医連は自主投票になった

 現秋田県医師会会長はまもなく退陣の時期を迎えるが、日医の会長選挙に関してブロック選挙はすべきでない、そのことに東北医連が先鞭を取るべきである、と一貫して主張してきた。私もそう思っている。私は医連の中で今後も主張していきたいと考えている。それが日医を改善していく最良の方法の一つだと思うからである。
 
 しかし、このような考えは東北医連のなかでも未だ少数派であり、どちらかというと冷ややかな扱いを受けてきた。2年前の選挙の時には今とは若干事情が異なり、東北ブロック出身の坪井体制の後継者が北海道から立候補したことから、東北医連は早々に支持候補を表明した。

 先日、2/19に東北医連の定例の会議が持たれた。その中で、岩手県医師会長を日医代議員会議長として東北医連が推薦することを全員一致で決定したが、会長選挙に関しては未だ両陣営の主張も明らかでなくて決められず、3/19に再度会議を開いて決めることとした。この時にも秋田県医師会会長はブロック選挙はすべきでない旨の主張をしたが、特にいつもと変わった反応があったわけでない。医連の会長の締めの挨拶でも「それは建前としては正しいが・・」として格別のことは言わなかった。

 3/19に開かれた東北医連の会議で、日医会長選挙に関する協議で医連の会長から「今回は東北医連として推薦候補を立てずに自主投票にしたい・・」と提起があって、唐澤候補に一本化するのではないか、その際にはまた自主投票を主張するぞ、といささか勇んで聞いていた私はすっかり拍子抜けした。今回、自主投票を提起したのは決してその方法が正しい方向性と納得したからでなく、裏事情として、医連が押す代議員議長候補について日医会長候補の双方の陣営から推薦受諾の打診があり、どちらかの候補のみを推薦出来なくなったため、とのことである。

 マア、事情は何であれ自主投票になったことは喜ばしいことである。例え医連が推薦候補を明確にしても私はそれと関連なく投票する積もりだったから良いけど、一つのエポックになることは確かである。これを梃子にして今後東北医連が日医選挙に対する姿勢を率先して改善していけばいいのだ。

 今回の日医会長選挙は今後の日本の医療、日医自身のためにも重要である。代議員会で候補者に若干の時間を与え、その後に投票するようにすれば、自主的に投票する代議員も増えるだろうし、より良いと思う。


(2006/4/4)日本医師会会長選挙(4) 植松体制は一期で終焉 若い唐澤陣容誕生

 4月1日は日本医師会の代議員会初日、選挙日であった。選挙結果は代議員議長は石川岩手県医師会長で無競争で当選。日本の医療を左右する大事な日本医師会長選挙は唐澤候補が当選し、植松体制は一期のみで終焉した。これは私にとって予想外の展開であった。

 得票数は唐澤氏(東京都医師会長)198票、植松氏(日本医師会長)152票、金丸氏(京都府医師会)0票であった。無効票0、白票0、立候補の所信すら表明しなかった金丸氏が0票であったことは代議員の見識の表れである。
 引き続いて行われた副会長選挙は3名の定員を4名で争い、竹嶋氏(福岡県医師会長)、宝住氏(栃木県医師会長)、岩砂氏(岐阜県医師会長)が選出された。常任理事は定員10名を11名で争い、唐澤キャビネット以外からの立候補者は当選できなかった。

 日本医師会の選挙は慣習的にキャビネット制で行われてきており、会長が決まった段階で落選した会長のキャビネット予定者である副会長、常任理事候補者は立候補を辞退する慣習があり、選挙が現実に行われたのは数10年ぶりだったとのことである。

 会長、副会長、常任理事の唐澤キャビネットに坪井時代の常任理事が一名入っているが、実務能力は未知数である。しかし、キャビネットの構成年齢を見ると、会長が63歳、最年長者の宝住氏が69歳、最年少の常任理事は54歳が2名で、平均年齢が61.2歳と従来のキャビネットから見て極めて若い陣容であり、新しい時代感覚を持った新執行部としての活動が期待される。

 今回の選挙は植松会長が秋早々に出馬を宣言し、一見このまま次期も担うと予想されていたが、東京都医師会長である唐澤氏が1月中旬、電撃的に立候補を表明し選挙戦に突入した。唐澤候補はこの2年間植松体制の中で重要な立場である理事として業務を担ってきた立場であり、理事として唐澤氏はこの間植松氏の方針に反対を唱えたことは殆どなかったという。その面では植松氏にしてみれば唐澤氏の立候補は青天の霹靂そのものであったのであろう、そのような発言も時折されていた。私も立候補を知った時耳を疑った。半信半疑であった。


(2006/4/5)日本医師会会長選挙(5) 植松元会長の印象

 私は今回の選挙では熟慮の上で植松候補に投票した。前回の2年前の選挙では直前まで植松候補に投票する積もりであったが、最終的には対立候補に投票した。直前に信じがたいことであったが、3候補が談合し植松候補に一本化したためである。このような手段を用いられればそれまで優勢であった対立候補は無力と化してしまう。比較的クリーンな印象の選挙戦であったが、最後は汚い結末を迎えた。

 結果的に植松会長が誕生し、談合した2人の候補はそれぞれ植松キャビネットの副会長の任に着いた。その意味では植松会長はその誕生の時からアンフェアな印象と共にスタートしたと言える。
 何故、私が前回も、今回も植松候補を支持したかというと、大阪府医師会長としての植松氏の活躍、日本医師会代議員会における発言、日本医師会雑誌等で知ることの出来る都道府県医師会長協議会での発言などから、坪井氏の次に日本医師会の舵取りをするのは恐らくこの人であろうと数年も前から思っていたからである。ただし、その情報の源の多くは「大阪府医ニュース」と言う府医師会の広報誌からである。
 前回の選挙では東北医連としては対立候補の方を支持表明しておりいわゆるブロック選挙であったが、私は敢えてそれに反してまで植松候補に投票しようとしていた。それだけ高く評価していたが、談合のため投票しなかったが、残念なことであった。
  
 実際に私が植松候補と身近に接し直接会話を交わしたのは、彼が選挙運動のために秋田県医師会を訪れたときが最初であった。その時は随行された方々の方が一生懸命植松氏のすばらしさを力説していたが、植松氏は最初の挨拶をした後はもっぱら聞き役に回り、時に挟む言葉や意見も実に控えめであった。その会で私は意外と寡黙の人なんだ、あまり明晰に話をされない方なんだ、と私が印刷物を通じていいだいていたイメージと随分異なる印象であったことは確かである。

 実際、これは日本医師会長としての植松氏にずっと抱き続けていたイメージである。植松会長の講演や挨拶を聴く機会はこの2年間で10数回あるいはそれ以上あったと思うが、いつも若干の準備不足を感じ取ることが出来た。また、若干言い訳が多いかなとも感じた。この点はいつか解消し積極的に前に出る姿勢が現れるだろうと期待していたが、遂に訪れることなく選挙戦を迎えてしまった。


(2006/4/6)日本医師会会長選挙(6) 見えなかった会務

 私はこの2年間、ずっと植松体制の変化を期待しつつ見てきた。新しい試みもいろいろ認められた。実際、常任理事の一部の方々は随分頑張ってきた様に見える。しかし、常任理事、副会長、会長は全員関東以南であり、実務者の大部分は大阪近郊の出身である。これら近隣地域の医師会報とかには日本医師会の動向、執行部の動き、常任理事の活動などは頻繁に掲載された。これら地域には執行部もいろいろ気遣いした様子もうかがわれた。
 しかし、関東以北については虚という感じである。確かに、都道府県の設立記念大会、医連総会とか、学校医大会、共同利用施設などの各種の行事の際には担当常任理事、会長副会長の方々にも来ていただき、挨拶や講演等をしていただいたが、それだけでは単なる通過と同じで不足であった。
 特に、関東以北については各県医師会、各地区の医連のメンバーとかと定期的な対話の場が必要でなかったのか? という感じがする。この点を一言で言えば「日医の会務が見えなかった」ということ。
 更に言及すれば、執行部の会務処理、対応に時代に相応しい「スピード感、メリハリに欠けていた」、事も挙げておきたい。

 私は、日医発行の新聞「日医ニュース」を見て唖然としたことがある。この中に各界有識者からの提言を掲載するコーナーがある。この企画自体は素晴らしいが、2006年1月5日号にあるジャーナリストの厳しい提言が掲載されたが、翌1月20日号のコラムに執行部の誰かが書いたと思われる前号の記事への批判が掲載された。これは実に奇妙な事である。有り難い提言を「何も分かっていないのに言い過ぎだ」と批判するその精神、これは許し難い姿勢である。「日本医師会は何様だ!!!と思っているんだ」、と言いたくなる姿勢である。

 もう一つ。主治医意見書のソフト「医見書ver2.5」についてであるが、コンピューターの立場から見れば行き方は正しいとしても、私の目から見れば会員軽視の施策にしか見えない。技術者は執行部の承諾の元に進めた結果です、と説明してくれたが、そうだとすれば会員軽視であろう。会員軽視の姿勢は後に大きな反動の源となる。

 診療報酬マイナス3.16%はショックではあるが、私は植松体制の力不足の結果だとは思っていない。
 私は、いろいろ感じながらではあるが、この一期の活動は植松体制の助走期間として納得の範囲であった。医政にも、中医協の中でもよく主張してくれたと思っている。だから、次期には一期目の経験を生かしてもっと良い働きをしてくれるものと期待していた。このことが私の投票の判断のルーツである。



(2006/4/8)日本医師会会長選挙(7)結局、政治力が問題だったのか

 今回の選挙戦は一般会員、代議員にとっても全く唐突だったと思う。それ以上に植松会長、キャビネットにとっても同様であっただろう。当初の対応には現職側としての自信を覗かせながらも、かなりのとまどいも狼狽も感じられた。

 唐澤陣営は「執行部の無策で国民皆保険制度が崩壊の危機にある。座して死を待つわけにはいかない。一刻の猶予も許されない」「政治力欠如」「自民党との関係が悪い」「執行部が政権政党を敵に回した結果、何が起きたかは誰の目にも明らか」等を論点に積極的に選挙運動を展開した。
 診療報酬改訂マイナス3.16%は医療界にとって驚愕の数値である。医療の安全と良い医療の確保のためにはプラス3%の改訂が必要と日医は主張していたから、その立場では6%もの開きである。こんなに大きな格差で決着したのに日医の反応は小さかった。会内広報誌の中では不当な数値であるとは強調していたが、現場の医療を担っている側の代表としての立場からは社会に対してのアクションは確かに小さかった。また、唐澤氏の主張に対する反応、説明にも歯切れは今ひとつであった。今となってみれば、植松氏はもっとやるべき事はあった様に感じられる。

 現執行部が医系議員である武見敬三、西島英利両参院議員に対して一定の距離を置いたことはマスコミでも報道された。私は事の真相をつぶさに知ることは出来なかったが、結果的に両議員は唐澤候補を支持する意向まで表明した。私的団体である日本医師会の会長選挙に議員が介入してくることの不自然さが漂ったのは確かであるが、今回の診療報酬の改訂に日医の政治力の減退を感じた会員、代議員が多かったと言うことだろう。

 ともあれ、日医に唐澤新会長が誕生した。代議員会終了後にロビーで記者会見が開かれた。唐澤氏の言葉はどれも聞き心地の良いものだったが、その言葉、雰囲気は、誠実さ、清楚さが感じ取れたが、組織のトップとしてのある種の存在感が希薄なように思えてならなかった。

 「唐澤氏の人柄」を評価する声は高いが、日医のトップとしての脂質については未知数である。組織のトップを形容する表現として「豪腕型」、「創造型」とか「調整型」とかいろいろあるが、唐澤氏は前二者ではないような気がする。さりとて単なる調整役であれば今後の日医を背負ってはいけない。
 選挙は厳しい。明暗あり、悲喜こもごもあり、一抹の寂しさも感じる。ともあれ唐澤新日医会長、唐澤キャビネットの今後の働きに、大きく期待している。結果がクリアに出た以上、日医の再建のために会員として協力は惜しまないつもりである。



ご意見・ご感想をお待ちしています

これからの医療の在り方Send Mail