卒後研修のための病院が自治医科大学に必要なのか
           
                秋田県医師会自治医科大学病院問題検討委員会委員 福田光之
 
はじめに
 約1年前、自治医科大学の卒後研修病院が大森町に進出する構想が明らかにされた。秋田県医師会は本年3月反対声明を出したが、この間の展開は医師会員にも十分に理解されていない。自治医科大学に何故新しい施設が必要なのか、を知るため自治医科大学の設立理念、卒前卒後教育、研修方法論、後継者育成、大学の今後の展望、などを調べた。
 結果として、自治医科大学の卒後研修病院が大森町に進出することは恐らく実現不可能であり、行政側の構想が一人歩きしているのではないか、と考えるに至った。
 この問題について私見を交えて解説する。
自治医科大学の建学の精神、運営など
 自治医科大学は47都道府県が分担金を出して運営する私立医大で、医療に恵まれない地域の医療に進んで挺身する気概と高度の臨床能力を有する医師を養成することを目的に1972年に発足した。
 当時、わが国では医師数が絶対的に不足し、医師は都市に偏在し、過疎地域、特に僻地では医師確保が極めて困難であった。折から医大新設が可能となり、各自治体が共同で医師を養成するために設立したものである。学生は各県から2名(時に3名)入学するが、学生には生活費、授業料などの修学資金が貸与される(1期生で約1,650万円、14期生約2,700万円)。
 卒業後は県知事の指示で9年間、そのうち1/2の期間は僻地などに勤務しなければならないが、義務年限が修了すると就学資金の返済は免除される。医師としての進路に悩み就学資金を返還したのは開学以来40名(卒業生1573人中2.5%)である。
 秋田県の自治医科大学に関連する支出は年間約1億2,000万円である。
 自治医科大学設立当時の医育機関の地域医療への取組み、医師供給の姿勢に問題がなかったか、を改めて考えてみる必要があるが、医師としての成長に重要な9年間を行政が思うように采配出来る医師団を育成することが果たして妥当な方法であったのか、と疑問を感じざるを得ない。
自治医科大学の教育方針、付属病院、教官
 自治医科大学の卒前、卒後の教育方針は包括的医療を実践出来る幅広い臨床力を持つ総合医の養成に重点を置いているが、高度なサブスペシャリティも修得するよう推奨している。また、卒業生は学会認定医や専門医の資格が得難いため、自治医科大学では総合医制度を一つの専門分野として確立することを目指している。
 付属病院は病床数約900床で、他の大学病院と同様の先進的医療が展開されているが、近くの住民を対象とした疾病予防活動、慢性疾患の疫学調査などの地域医療重視の姿勢は特色の一つになっている。
 自治医科大学は発足時には教官の大部分が東京大学などの出身者で占められた。大学の後継者を卒業生から育成することと義務年限終了者を再修練することは、大学の重大課題と認識されているが、1992年現在、自治医科大学の教員中に占める母校卒業生は45/521(10.7%)でしかない.更に最近は他大学出身の応募者も減少しつつあり、関係者を悩ませている。
卒業生の義務年限内のすすむ道
 自治医科大学に初期研修を委託している長野、栃木県出身者を除くと卒業生は地元の中核病院や大学病院で初期研修を2年(東京都は3年間)受ける。大学では初期研修としてローテーション方式を推奨しているが必ずしもそのように行われているわけではない。研修終了後、各医師は知事の指示で地域の公的医療機関に赴任する。1-2年間の後期専門研修も行われるが、実態は各自治体毎にかなり異なる。
 秋田県出身者は1993年現在38名が卒業し、うち27名が義務年限内にある。秋田県出身者の研修は秋田大学で行われてきたが、ここ2-3年は自治医科大学で行われている。秋田大学での研修はストレート入局に準じて行われており、研修生は医局と強いきずなを保ちつつスペシャリストとしての道を歩んでいる。赴任先は秋田市以外の公的病院であるが、秋田県出身者は他県の卒業生に比較すると、かなり恵まれているように思える。
 現在自治医科大学で初期研修を受けている卒業生には、恐らく行政側の思惑がより濃厚に反映されるであろう。
義務年限終了後の卒業生
 1992年の時点で義務年限を終了した自治医大卒業生は551名で、その勤務状況は大学関連が136名(24.7%)、一般病院は275名(49.9%)で開業は42名(26%)である。自治医科大学と関連施設には94名属しており、45名が自治医科大学または付属病院に教官として勤務している。教官の中に卒業生の占める割合が少ない理由として、・卒後教育に自治医大の関与が少なく心理的にも疎遠となる.・任地と医大の物理的距離が大きい。・卒後9年で生じた地域との結び付き、家庭の問題など、が挙げられている。しかし、母校といえども他大学と大差のない高度先進的医療に主眼を置いている付属病院に対し、9年間も地方で過ごした医師が親近感を持てるのか、との疑問も残る。
 大学の後継者の養成には、一定数の人材は地方勤務を免除してもらうとか、義務年限終了生のためのコースも用意するなどの工夫も必要であろう。卒業生の自治医科大学大学院への入学は計43名で、現在22名在学している。義務年限内の入学者は34名である。大学では義務年限内の大学院入学者を各県から10年間で2名確保出来るよう各自治体と交渉している。
 義務年限終了後も地元で勤務、または開業している医師は377名で義務年限終了者の66,4%である。このうち僻地などには176名が留まっている。秋田県出身者の義務年限終了後の県内定着率は80%(全国平均は68%)である。僻地等で働くことは安易に出来るものではないので地元に定着する意義は大きいが、進むべき他の道が閉ざされているため、とすれば由々しきことであり、自治医科大学の卒業生の義務年限終了後の進路について誰が責任を持つべきか、問題となる。
 
自治医科大学卒業者の地域医療における評価、自治医科大学不要論
 自治医科大学卒業生は義務年限内、終了後各地方の医療に幅広く従事しており、社会で果たしている役割は大きい。
 わが国の医師の適性教は、1970年に人口10万人あたり150人とされたが、1990年で171.3人に達し、2000年には220人が見込まれている。無医地区は1965年と1989年と比較すると3000カ所から1000カ所に減少、住民人口では120万人から30万人に減少した。1985年から医学部募集定員も漸減され始め、自治医科大学はもはや不要、との意見もある。しかし、医師の専門志向、大学院志向のために、僻地離島の医師確保の困難さはむしろ顕在化しつつあるとされ、行政や各自治体は自治医科大学卒業生に大きな期待を寄せている。
 厚生省の第7次僻地保健医療計画や28都道府県の地域医療計画には自治医科大学卒業生の活用について記述され、中国地方の知事会は1992年に、自治医科大学学生募集定員の増員を決議し要望した。年間3名以上の入学を希望する自治体は1993年度には34都道府県にのぼっている。
 この様な各自治体の動きを見ると、自治医科大学不要論は一部の意見に過ぎないように見えるが、行政側から見て自治医科大学卒業生は都合の良い存在であり、その需要は決して無くなることはないであろう。
大宮医療センター
 大宮医療センターは!988年に設立された約200床の病院である。設立目的は10年近い経験をもつ医師向けの総合的育成および生涯研修の場としてである。即ち、自治医科大学付属病院は学生教育と研究が主たる任務であって、総合的育成には不適であることから大学の近辺に他の施設が必要、との考え方に立ち設立された。この設立理由は自治医科大学の設立理念、各所で強調されている大学の教育方針に大きく離反しており、俄には納得し難い。大宮医療センターは紅余曲折を経ながら建設にこぎつけたが、地元と医師会との交渉の過程で規模が縮小され、循環器を中心とした診療に限定された。
 
 大宮医療センターに勤務する義務年限終了後の卒業生は49名で、全教官84名中62%を占める。ただし、現在助手のポストについている29名中25名は2年間のみの短期有期限ポストである。大宮医療センターは義務年限終了者の再研修の場として一定の役割を果たしているが、受け入れのキャパシティは小さい。
 大宮医療センターを大森町に計画されている約200床程度の研修病院のイメージモデルとして考えてみた。先ず、現在の自治医科大学には新しい研修施設に人材をまとめて派遣するほどの人的余裕は無いと考えられる。大学から物理的に距離が遠ければ尚更である。次に、大宮医療センターは立地条件は悪くはないが経営的には苦しく、累積赤字は20億にも達しているともされる。大森地区に同じような施設を誘致すれば、経済的には全く成り立たないであろう。その際、生じた赤字をどのように補填するのか、県民や地域住民にとって重大な問題になろう。
社団法人地域医療振興協会と自治医科大学将来間題検討委員会
 地域医療振興協会は卒業生を中心に1986年に設立された法人組織で会員数は1,148名で、会長は自治医科大学学長である。自治医科大学の建学の主旨に添う各種の事業を行うが、具体的には人材データバンク事業、病院の直営、病院運営の管理受託の促進、などである。病院直営の実績としては群馬県六合村診療所の管理受託、茨城県石岡第一病院(120床)の直営がある。現在、国立療養所霧島病院の民営化後の管理運営も検討されている。
 自治医科大学将来問題検討委員会は、学識経験者を中心に12名の委員から構成され、佐々木秋田県知事もそのメンバーの一人である。1993年6月に義務年限終了後の卒業生の活用について答申を行った。その中で、卒業生の活用方法の策定は自治医大、都道府県の共通の課題であるとし、各自治体、自治医科大学、社団法人地域医療振興協会の三者に対して具体的な推進策の実践要請を行っている。その中で、地域医療振興協会に対しては関係省庁、都道府県市町村と連携を図りながら、病院の直営、病院運営の管理受託を促進するのが望ましい、と提言している。
 大森町に自治医科大学の研修病院を誘致する計画は、当初は自治医科大学と秋田県の間で進められているかの如くに発表された。しかし、県医師会長代行の質問に答えた自治医科大学事務長の返書を始め、種々の資料を検討しても実体が何処にあるのかつかみ難い。 自治医科大学の現状を調べる過程で、実際に大森町に進出をはかることが出来るとすれば、自治医科大学ではなく地域医療振興協会であろう、との推測が可能になった。その場合、大森町立病院への人材派遣、または運営の管理受託であろう。その様に考えれば、今回の自治医科大学の大森町への進出計画の概観が見えてくる。どちらにせよ、長い間大森地区の医療を支えてきた秋田大学との調整や、秋田県を始めとする近県出身の自治医科大学卒業生のコンセンサスを得ることが重要であろう。ちなみに、秋田県出身者は母校よりも秋田大学とのきずなが強いためか地域医療振興協会の加入率は30%以下で、全国の中で最も低率である。
おわりに
自治医科大学に関する資料から知りえた内容について私見を交えて記述した。その過程で認識できた問融点をいくつかの観点からまとめてみた。
・自治医科大学卒業生が医師として歩む道は決して恵まれたものではない。その改善のために、新たな研修病院の建設や関連病院を増やすことは、自治医科大学にとって重要な課題であるとすることは理解できる。
・自治医科大学病院の大森町進出計画によって影響を受ける秋田県、特に県南部の地域医療上の諸問題や、自治医科大学病院が大森町に進出した場合、経営的見地から成り立ち得る計画か否か、ということも本質的かつ重要な課題であり、別個に論じられなければならない。
・自治医科大学付属病院が建学の主旨に添った病院として様変わりすることが先決のように思える。そのためには卒業生から有能な人材を一日も早く一定数育成し、培ってきた地域医療の経験を新たな伝統として蓄積し、発展させることになろう。
・年後研修施設を大森地区に建設して維持するのに必要な人的余裕は現在の自治医科大学にはないと推測される。
・地域医療振興協会は地域の強い要望があれば町立大森病院に人材を派遣するとか、管理経欝を引受ることの是非を検村してよいと思われる。その際、従来から人材派遣を行ってきた秋田大学や地域医療を支えてきた医師会などの関係者間の意見の調整は重要であり、近県出身の自治医科大学卒業生の考え方も参考にすべきであろう。
・今回の自治医科大学の年後研修病院の進出問題は大森地域と秋田県側の意向だけが一方的に先行した、実体のない構想なのかもしれない。
参考資料
・自治医科大学卒業生の現状    平成4年7月1日現在  自治医科大学
・池田正男   自治医科大学付属大宮医療センターの発足に当たって  自治医科大学年報主6
・柏井昭長  大宮医療センターの現状  自治医科大学年報17
・平野俊治   本学第二病院(仮称)の設置について    自治医科大学年報14
・佐藤文明  自治医科大学付属病院の最近の動向   自治医科大学年報13
・中尾喜久ほか   対談:へき地医療の現状と対策     読売新聞1993.3.8
・横手平鹿地区保健医療計画(平成5年)    秋田県・横手保健所
・自治医科大学   創立20周年記念誌(平成4年)   自治医科大学
 
 
(秋田医報No955 平成5年12月1日号)



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