巻頭言 
医師の応召義務と新型インフルエンザ



秋田県医師会副会長 福田光之

医師には応招義務が課せられており、大きな威嚇効果を発揮している。

 医師法19条1項には、「診療に従事する医師は、診察や治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」と定められている。この定めには罰則規定はないが、法の理念は患者保護にあると考えられることから医師が診療拒否したことで患者に損害が及んだ際には、医師に「正当な事由」の反証・証明がない限り、民事上の責が負わされることになる。
 この医師法19条の最大の問題は「正当な事由」の範囲が狭すぎること、具体性を欠くことにある。「正当な事由」の解釈が示されたのは、50年以上前の行政通知である。それには「医師の不在又は病気等により、事実上診療が不可能な場合に限られる」と厳しく限定しており、これが今もそのまま通用している。
 これは「医師は、死体又は妊娠4月以上の死産児を検案して異状があると認めたときは、24時間以内に所轄警察署に届け出なければならない」と定めた医師法21条と同様である。ここでは「異状死体の定義」が曖昧模糊としていたことに問題があり、本来は診療関連死は対象外であったが、都立広尾病院事件、福島県立大野病院事件では異状死体の定義が拡大解釈され、院長や執刀医が逮捕された事は記憶に新しい。

 医師は診療応招があっても他の医師の受け入れ態勢の状況、患者の疾病の緊急重大度、診療の困難度、その地域での診療の代替機能の程度の相関関係によって、個別具体的に判断されねばならない。だから、応招義務について「正当な事由」の考え方の原則、具体的内容を明らかにすべきである。
 現在の解釈のままだと、労働基準法にも護られず、過労死レベルを凌ぐ過酷な勤務を強いられ、疲弊し尽くした勤務医が応招義務の元に診療を求められ、かつ、患者が思いがけない経過をたどった場合、異状死として24時間以内に警察に届け出を求められ、場合によっては刑事・民事事件の被疑者にされることもあり得る。医師は何と厳しい環境の中に置かれているのであろうか。さらに、旧厚生省の行政解釈では「応招義務違反は医師の品位を損なう行為」として、これを反復するような場合には医師免許取消し等の理由にもなりうるとだめ押ししている。

 われわれ医師を護るような法や配慮は何処にも見いだせなかった。
 最近は患者から医師の応招義務についての発言がでることもある。

 以上は前段である。

 今回、医師の応招義務について記述したルーツは、「新型インフルエンザ」(「新イ」)対策へ医師の参加の件からである。
 国は「新イ」対策ガイドラインを作成するにあたってすべての医師や医療機関が対策に参加することとして作成している(医報1322号参照)。
 私は県医師会の感染症等危機管理対策担当として県の「新イ」対策に関与している。「新イ」対策の医療分野は医師でなければ出来ない。かつ、対策はシステマティックでなければならない。「新イ」は人類が迎えるであろう最大の感染症の一つであり甚大な健康被害と経済や社会の大混乱が予想されている。 
 その被害を軽減するためには医療面や疫学面での対策が必須である。

 私は医師会員であろうと無かろうと、医師の多くは「新イ」対策に参加してくれるはず、と期待しているが、本当に対策にはせ参じていただけるものなのか、実際には不安がないわけではない。医師としての勤務・業務形態は多様であり、しかも、高度に専門分化している。日常、中等ないし重症の呼吸器感染症、全身感染症を診療していない医師も多い。
 果たして「新イ」対策への参加は医師として吝かでないが、医師の責務・責任なのか?倫理観なのか?好意なのか?と言う疑問は解けない。勿論、「新イ」患者、疑い患者から診療を求められればそこには応招義務が発生するが、この辺のことが論じられないまま「新イ」対策が進められている。これで良いのだろうか。
 私が得た結論は、「新イ」対策の場合、少なくとも応招義務などの法的な縛り、義務はなく、唯一、拠り所を見出すとすれば、医師が「新イ」対策に参加しなければ「医師としての品位、品格」が問われる、と言うところだけの様である。

 勤務医は雇用者・管理者との間に業務契約が結ばれているから業務への指示系統は明かであるが、肝心の雇用者・管理者が「新イ」対策にどのように対応しようとしているのか不明である。さらに、被雇用者は納得できない業務へ就くことを拒否できる事になっている。

 診療所医師に対しての業務上の指示系統は見いだせない。会員ならば医師会を通じて、と言うルートがあるが、医師会は任意加入の団体であり、会員に対する業務上の指示は協力要請のレベルで留まらざるを得ない。病院の管理者・勤務医も診療所医師も「新イ」対策について温度差が著しいのも問題である。

 そこで、提案であるが、県病院協会では会員である病院の「新イ」対策への参加を合意して足並みを整えて頂きたい。各郡市医師会でも会員に対しての対策への参加の合意を得て頂きたい。その上で、各保健所を中心に作成される危機管理対策に持てる機能の範囲で参加して頂きたい。

 ただし、これすらも事は簡単ではない。医療関係者の安全確保と保障について不明瞭な状況では組織として責任ある結論を出すわけにはいかないからである。

 地震などの自然災害では地域の医師会、隣接地区の医師会、DMAT等の他、いろいろな団体、個人が支援に駆けつける。この場合、二次災害の危険性は勿論ゼロではないが、これについては現場で十分に配慮される。DMATの場合は身分保障もある。
 一方、「新イ」対策の場合、蔓延期には誰でも感染しうるが、少なくとも蔓延拡大期には診療に従事した医療関係者が感染する危険性はかなり高いと考えられる。
 厚労省は2月に改訂した「新イ対策行動計画」には死亡者数を最大64万人と想定したが、専門家からは感染力も死亡者数の見込みも甘いとの指摘を受け、被害想定を上方修正する方向で検討を進めることになった。一層感染の危険度が高まることとなる。

 「新イ」対策は国が主導して行う危機管理対策である。協力者である医師や医療機関、医師会に対策の責任を負わせ過ぎていないだろうか。
 国では、感染は普く生じるのだから医療関係者や医療機関を特別視できない、との考えで医療機関や医療関係者への保障は全く考えていないようであるが、感染し、時には死亡することもあり得る危険な業務へ無防備のまま参加を呼びかけること自体に疑問を感じてしまう。

 私は国や県に対し、協力する医療従事者の立場でプレパンデミックワクチン、パンデミックワクチンの優先投与、充分なPPE材の配給、抗インフルエンザ薬の予防服薬、労災認定を要求したいと考えている。

 「新イ」対策を進めるにあたって、やぶ蛇にならないことを願いながら、最も疑問に思っていることを述べてみた。


        (秋田医報1324: pp4-6. 2009)
ご意見・ご感想をお待ちしています

これからの医療の在り方Send Mail