top /エッセイ / 徒然随想 / 宗教とは何か (2004年、 2012年)

宗教とは何か (2004年、 2012年)

  
 人間は考える動物である。また、感じる動物である。宗教は人間が命の有限性に目覚めた時から始まったもっとも基本的な心の営みだと思う。それが、今日までかかって文化となり習慣となり、哲学の源となってきた。

 そうは言っても、私はまだ宗教を理解していない。それでも、つらつら宗教について考えることもある。
 私の場合は、その際に特に人の生老病死と結びつけて考えている


2004年
??我が国の医療史と命の価値観の変遷2004(1) 医療と生老病死
??我が国の医療史と命の価値観の変遷2004(2) 宗教・儒教と密着した自然哲学であった


2012年
??宗教とは何だろうか2012(1)以下の言葉に接した
??宗教とは何だろうか2012(2)経や仏教用語は難解だ
??宗教とは何だろうか2012(3)神社が随分あるが、神道とは何だろうか?(1)
??宗教とは何だろうか2012(4) 神道とは何だろうか?(2) 祭りの意義
―――――――――――――――――――――――――




2004年
―――――――――――――――――――――――――

我が国の医療史と命の価値観の変遷2004(1) 医療と生老病死? 今度の日曜日、NPO法人秋田パートナーシップの第2回目の講演として「医療は生老病死にどれだけ役に立っているか」について話すことになっており今準備中である。その中で我が国の医療史を大まかに振り返る必要があり、業務の合間をぬってただいま勉強中。もっと時間が欲しい。??  日本の医療の歴史は、古くからの加持祈祷や薬草、経験的医療が主であったが、4世紀末頃、朝鮮半島から「朝鮮医方」が、奈良時代には仏教と共に「インド医学」、平安時代には「唐の医学」が伝播してきており、平安貴族を中心に次第に我が国独自の医方が形成されるようになってきている。
?? 平安時代初期の808年 (大同3年) には、平城天皇の命によって医書「大同類聚方」が完成しているが、これは日本最初の医学書と言うことになる。? 医学書と言えば「蘭学事始」くらいのものしか知っていなかったが、この様な医書がこんなに古くからある事を知り、改めて自分の無知に恥じ入った次第。? この書以降、我が国では医学事典「和名類聚抄 」、絵巻物「病草紙」等の医学関係の書籍が次々に編纂された。これ以降、我が国の医療は従来の呪術的・原始的な経験医療から、科学的な合理性と客観性を持つ「医師の医療」へと徐々に変容してきた。?? この中で、我が国の医療の黎明期に大きな役割を果たしたのが、984年 (永観2年) に丹波康頼によって編纂された医学全書「医心方 」であったとされる。 この本は胸部・消化器等の様々な疾患を、陰陽五行説に基づく相生・相克によって捉え、仏教及び儒教思想から独自の東洋的疾病観を構築し、同時に薬草や、軟膏の使用、食餌等を用いた治療の実践的体系としても注目に値するものであったと評価されている。 ? 実はこの本は学生の頃一部を購入読んでみたが、当時はその価値にも気づかず、興味半分だけで読んでいたが、度重なる引っ越しの中でどこかに紛失してしまった。機会あれば再度読んでみたいものである。?? この様な医史に触れる度に、当時は本当に低レベルの医療的なことしかなかったわけだが、厳しい生活環境、生活苦の中でも、豊かな感性が人々の中にあり、ある意味では、諦観に根ざしたと言うべき見事な死生観が確立していた様に思える。当時の人々の日々の生活は、感性を失い「脳だけ」で、「視角だけ」で生きる現代人に比較してむしろ豊かに暮らしていたように感じられてならない 。
? このような世界が私は大好きだ。何とか近代医療と豊かな感性に立脚した死生観を両立させられないものかと思う。そうなれば医療の一端を担った一人として最高だ、と思う。?? 多くて挙げきれないが、代表として二句・・・??? ねがわくば 花の下にて春死なん そのきさらぎの もち月のころ (西行)??? 散る桜 残る桜も 散る桜  (良寛)

(2004/5/18)

―――――――――――――――――――――――――



我が国の医療史と命の価値観の変遷2004(2) 宗教・儒教と密着した自然哲学であった

 大宝律令 (701年) や養老律令 (718年) には医疾令 が示され、医術や薬術の面からの病気の治療法が一応は規定されたとされ、驚かされる。そうは言ってもこの頃はやはり呪い・加持・修法が中心で、 平安時代においては薬や医術よりも、体に溜まった穢れを追い出す呪いや祓えが優先され、その様な施術を行う祈祷師等が活躍していたとされる。
? 鎌倉時代以降の疾病観にはアジア大陸からの東洋精神的な価値観・思考様式や仏教 (禅宗) の因果応報観等の思想が中心で、江戸時代になると仏教よりも儒教の影響が強くなり、次第に実証主義的傾向が強まっていった。 ?? ここで医史上で大きな変革がくる。すなわち、1754年の山脇東洋の刑死の剖検、さらに1771年の杉田玄白らによる江戸小塚ヶ原刑死体解剖である。これによって我が国の医療観を絶対的に方向付けていた中国医学由来の五臓六腑説は否定され、我が国の医療はより実証的なオランダ流の思考様式を取り入れる事になり、初めて科学的アプローチの方法論を習得していくことになる。
? 要するに西洋的思考流入前は、わが国にの医療は封建主義的思想と仏教・儒教等の宗教的精神を融合させ、自然哲学の一部として発展していたと考えることが出来る。そこでは疾病は殆ど実証的に扱われるは無かったとされる。
? この様な歴史を見直すとき、当時の医師・薬師がどんな程度の判断力を持っていたのか、大衆の医療は実際にどう行われていたのか興味を感じるところである。しかし、それらを詳細に述べた文献を私はまだ知らない。
 小説「赤ひげ」は山本周五郎の大作であるが、医史から知りうる当時の医療の状況と小説の中で描かれた状況との間にはかなり乖離があるように思えてならない。? ? 当時の人達にとって死は常に身近であり、常に脳裏から離れることはなかっただろう。生きることも厳しかったであろうが、それだけ一日一日の持つ意義は大きかったのかも知れない。人生は長さではなく、中身なのだろうし、当時の人達にとって死によって安息を迎えられるといった救済の意味もあったように思える。

 いま、話すことも動くことも出来ない状態で生き続けている高齢者のお世話をしているが、救済の世界に入り難い現代医療のジレンマを、私はひたすら感じながら過ごす日々である。
(2004/5/19)



―――――――――――――――――――――――――


2012年
?
宗教とは何だろうか2012(1)以下の言葉に接した
 最近、私は少しだけ英語を復習している。中高大で学び、日常でも英語に触れているのにこんな程度でしかないのか、そんな気持ちだからである。特に体系的に学びなおしているわけではないが、英語の録音や書籍を身近に置いて利用している。

 その過程で、先日以下の詩を知った。NY大学付属病院リハビリテーションセンターの壁に誰かが書いたものらしい。ネットで知られて有名になった詩だという。

「A creed for those who have suffered (author unknown)」

I asked God for strength, that I might achieve 
  I was made weak, that I might learn humbly to obey.
I asked for health, that I might do greater things  
  I was given infirmity, that I might do better things.
I asked for riches, that I might be happy
  I was given poverty, that I might be wise.
I asked for power, that I might have the praise of men
  I was given weakness, that I might feel the need of God.
I asked for all things, that I might enjoy life
  I was given life, I might enjoy all things.
I got nothing that I asked for but everything I had hoped for
  Almost despite myself, my unspoken prayers were answered.
I am among all men, most richly blessed!   
  
 『苦しみを超えて 大きなことを成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに、謙遜を学ぶように弱い者とされた。より偉大なことができるように健康を求めたのに、よりよいことができるようにと病気を戴いた。幸せになろうとして富を求めたのに、賢明であるようにと貧しさを授かった。 世の人々の賞賛を得ようとして成功を求めたのに、神を求め続けるようにと弱さを授かった。人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに、あらゆることを喜べるようにと命を授かった。
 求めたものは一つとして与えられなかったが、 願いはすべて聞き届けられた。 神の意に添わぬものであるにもかかわらず、こころの中の言い表せない祈りはすべて叶えられた。
 私はあらゆる人の中で最も豊かに祝福されたのだ。』


 すごく心に響く名文だと思う。これは聖書の言葉ではない。無名の兵士の作と言われている。
 
 聖書にはこの様な言葉が満ちあふれているらしい。米国を始めとしてキリスト教社会の子供達は聖書を通じてこの様な言葉に接しながら成長しているとすれば、最高の道徳教育がなされていると言って良い。が、米国は常に強さを、豊かさを求めている。米国は世界の軍事費の46%も占めている。自由と平和と富を得るためである。

 中東戦争および以降のパレスチナ勢力との紛争は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の聖地であるエルサレムなどの帰属問題が絡んでいて、軽々しくは言えないが、私には宗教が絡む戦争に思える。ユダヤ教・イスラム教などの教義も好戦的な内容ではないと思うのだが、宗教と戦争、殺戮など、現実との差はどこから来るのだろうか。

 私にとって宗教は今後追及していきたい分野である。現時点での感想を一言で言えば集団催眠状態ではないか、である。
         ( 2012/3/29)




―――――――――――――――――――――――――――-


宗教とは何だろうか2012(2)経や仏教用語は難解だ
 最近、私は少しだけであるが宗教についても勉強し始めている。人間のありようを知るにも、世界史を学ぶ際にも必要だし、難解なパレスチナ問題を少しでも知ろうとするとどうしても宗教についての知識が必要となる。そうはいってもまだ手をつけたばかりで混沌としている。

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の関係について少しずつ分かってきた。互いに相容れない関係にあるように見えるが、実際には殆ど共通した宗教である。同じ神が話したことを基にした宗教だから当然と言えば当然である。ただ、人種や民俗の問題、ユダヤ人迫害や流浪の歴史を同時に理解していかなければならず、その関係を知るのはなかなか難解である。

 この三つの宗教は互いの違いを強調している。
 特に、キリスト教徒は自分たちの、世界の救世主たるキリストをユダヤ人が殺した、と宣伝したことなどでユダヤ人を憎み、排斥する様になった。
 イスラム教は好戦的なイメージであるが、コーランの教えにあるのではなく、貧困が背景になっているようである。食事や礼拝等に関する戒律とかは厳しいがその他の所では結構融通性がありそうに見える。

 一方、仏教に手をつけてみると、言葉の難解さが壁になる。「南無阿弥陀仏、如来、涅槃、菩薩・・」と、古来の外来語だから仕方がないのかもしれないが、漢字に弱い私には難解である。

 先日、岩手県大槌町の方が岩手日報に「名は娑婆訶」と言うエッセイを投稿していたが、この題名を読めなかった。調べてみると読みは「ソワカ」である。「娑婆訶」とは「幸あれ」という言葉のようでもあるが、般若心経では駄目押しの言葉として使われている。遠野地方の民話には最後に「どんとはれ」、秋田では「とっぴんぱらりのぷう」と結ぶが、これ似たような言葉だと理解している。

 私は年に一回盆に墓参りをしている。その度ごとに住職から有り難い読経を戴くのであるが、挿入される私共家族の安全を願う様な一節以外殆ど理解出来ていない。それでも心が清む気持ちを得ていたのであるが、最近これではいかんと思うようになってきた。

 ブッダの教えをまともに知る機会を得ないまま生を終えることは実にもったいない。だからといって仏典を直接読み解くのは私にとって無理である。解説書はいろいろ出ているが、仏典を現代日本語訳にした文献を探しているところである。
 生命科学者で自ら生死の淵をさまよった柳澤桂子氏の「生きて死ぬ智慧」、詩人の伊藤比呂美氏の「読み解き般若心経」あたりから手をつけてみたい。

 エッセイの「名は娑婆訶 (ソワカ)」はネコの名前であった。ちょっとガックリ来たが、2年前の5月に死んだわが家のネコ、通称「ナンナン」に対して私がつけた正式名は「マルスランナ・ランドスト・福田」で特別の意味はないが、似たようなものか。
                       (2012/4/29)


―――――――――――――――――――――――――――-

宗教とは何だろうか2012(3)神社が随分あるが、神道とは何だろうか?(1)
 私は昨秋、約20年乗ってきたバイクのハーレーから自転車のクロスバイクに乗り換えた。ガソリンを使わずに自分の筋力・体力を利用して走れることは大きな喜びである。
 今年も2月下旬から乗り始めている。寒いと雨天は辛く雨具を用意しているが、これからは多少の雨なら濡れながらでも走れる。

 基本は職場と自宅の往復であるが、時間をみつけて適宜遠回りして市内の各所を走っている。昨年は手当たり次第行ったことのない路地を見つけては走ってみた。その中でも老健施設・老人ホームに注目して走った。きちんと記録はとっていないが20施設以上は訪れたと思う。下手に入ると入所の予約に自分で来たのか誤解されるから外から眺めるだけにした。殆どの施設と業務上で患者のやりとりをしていたからとても親近感がわいた。感想は、一言で言えば、何でこんな寂れたところに、しかも坂の途中にあるのだ、である。もっと早く知っておけば良かった、と思っている。

 やみくもに走っても面白くないから今年は、■秋田周辺の河川、■神社・仏閣探訪、をテーマに走りたいと思う。

 若干興味あるためか、走っていると神社が目に付く。市内の方々に大小様々ある。大きいのは日吉、三吉、弥高、護国神社、などあるが、市内各所の小高い丘や山々に多数あり、赤い鳥居が目立つ。平地にもある。時には社まで行ってみる。私は信心深い方でないが、敬虔な気持ちになるから不思議である。

 私はいま人間社会の歴史について勉強中であるが、それには常に宗教問題がつきまとう。不遜な表現であるが、今のところは宗教は死にまつわる考え方の集大成、思想の一つであり、人々を束ねる文化・習慣であり、一部は集団催眠状態ではないか、と思っている。

 神仏に関連した行事に自分から積極的に行動することはないが、生活の中では適宜取り入れている。仏教について何も知らないが、宗教を問われると仏教と答えるだろう。祖父母も両親の葬儀も当たり前に仏式で行った。そう言えば、私どもの結婚式もお寺で仏式で挙げた。しかしながら、七五三は護国神社で、子供達は入信したわけでは無かろうが牧師さんの前で結婚を誓った。それに私は平然と出席・・などなど節操がない。

 宗教観に依ると言うより生活習慣だからである。
(2012/5/24)


―――――――――――――――――――――――――――-

宗教とは何だろうか2012(4) 神道とは何だろうか?(2) 祭りの意義
 自転車では自動車では行けない路地や小径を走ることが出来る。走ると今迄気が付かなかったが、多数の神社が目に付く。
 神社は全国で8万ヶ所もあるというから、秋田市内の方々にみられて当然である。多くは鎮守の森とされるような森や丘を背にしている。ちょっとした丘の途中にも小さな社がひっそりと立っていることもある。その他、大木や大岩に縄がまかれ、白い短冊様の紙がひらひらと風にそよいでいる所もある。これも神を祀る信仰の姿であろう。

 神社や社はそこで祀られている神との接点の場所と考えられている。社があると便利で分かりやすいし、そこを中心に人々が集う事になり、こころ一つにして祭りを行い神様をお迎えする。それによって共同体意識が醸成されていく。

 わが国では八百万の神がいると言われているが、神とは自然であり、親族の霊でもある。だから、太陽神、風神などもある。何かの対象物を神と見なして崇めればそれでよかったらしい。
 私の子供の頃にはどこの家でも天井近い所に神棚があったものである。多分ご先祖様が神になって家を守ってくれていると、ご先祖様に対する感謝と畏怖の念を抱いていたのであろう。にもかかわらず、葬式は仏式で行われ墓には先祖代々の墓などと書かれてあって、何が何だか分からなかった。ただ、何となく神様の方が清楚で崇高なイメージであった。キリスト教やイスラム教などの一神教は一定の教祖を持っているのとは大きな違いである。
 神事の中で代表的行事が祭りである。神をお迎えして五穀豊穣への感謝の意をあらわす、農耕の時代から伝わってきた行事である。
 今の季節になると全国でいろいろな祭りが行われる。食料品のかなりの部分が輸入に頼っている現在、神に感謝する意義は薄れているが、祭りはむしろ盛んになっている。4月下旬には浅草三社祭りが行われ大変な人出で話題になった。明日から「東北六魂祭」が盛岡市で開催される。多分大変な人出になる事だろう。秋田でもほぼ一月後には土崎神明社の例祭、即ち土崎港祭りが行われる・・。

 日本人はこんなに信心深い民族だったのだろうか。近年の祭りは神を祀るという意味は著しく薄れ、楽しみと経済活動中心の行事と化している様に思える。四季のうつろいがハッキリしているわが国では、節目毎に祈願祭、感謝祭などなど何らかの行事が営まれて来たが、名目だけであっても神を祀るのは日本人の文化として良いことかもしれない。

 神社の存在とそこを中心に行われるのが祭りの本来の姿であるが、秋田の「ヤートセ祭り」、「大学祭」、「病院祭」などのように神事とまったく関係がなさそうなイベントもある。

 長い農耕文化の中でを過ごしてきた日本人には「お祭りさわぎ」を好むDNAが組み込まれているのだと割り切って考えるしかない。お祭りなど「興味がない」、「不合理だ」、「人がうんといるから嫌だ」・・と言っている私も、実は祭りのお囃しを聞くとこころが騒ぎ始める。
( 2012/5/25)


―――――――――――――――――――――――――――-








ご意見・ご感想をお待ちしています

これからの医療の在り方Send Mail

;(