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  ペットと私、我が家

        
 私も家族も動物好きである。私は幼少の時から馬、ネコ、ウサギ、犬、金魚や熱帯魚・・・、殆ど周辺に動物やペットがいた。それらとの関わり合いについて何度か話題として取り上げてきた。


2008/4/4?理解を超えた動物愛護、ペット愛護事情(1)何なんだ、これは
 人間による過度の捕獲、自然破壊によって絶滅の危機に貧している動物は多く、種々の保護政策がとられている。また、ペットは癒しの意味もあってだろう、長く古くから飼われてきたが、最近はペットブームといわれている。私の目から見て行き過ぎのように思えてならない。

?? 私も動物好きである。幼少の時から馬、ネコ、ウサギ、犬、金魚や熱帯魚・・・、殆ど周辺に動物やペットがいた。小学校3年から高校までは離れで一匹のネコと共に暮らした。今はネコ2.5匹と同居している。しかし、クールにたかがペット、と割り切っている。???

 最近ペットや動物に対して理解しがたい異様な事象が次々と現れてきている。人と動物、ペットとの主客関係が逆転したか、と思うの迄ある。また、動物愛護を求める運動家達の行動は徐々にエスカレートしているように思えてならない。ここでもモンスター化が生じている。
??■4月2日、埼玉県警浦和東署は飼い犬が路線バスにはねられて死んだことに逆上し、運転手に暴行したとして31歳の飼い主を傷害容疑の現行犯で逮捕した。
?■ 3月上旬、南極海を航行中の日本の調査捕鯨船に対して米環境保護団体シー・シェパードが再三にわたって妨害活動を行い怪我人も出た。日本は諸般の事情から商業捕鯨から撤退して調査捕鯨の道を選択した。当初は南極海のミンククジラ約300頭が対象だったが、最近は1200頭ほどで鯨肉の在庫は約4500トンに上る。このため「日本は調査ではなく、殺鯨だ」という反捕鯨国の批判が根強い。シー・シェパードの船長は、「鯨を救う」と英雄気取りとのことである。?■ 昨年10月滋賀県で動物愛護団体都市民との間で衝突事件が起きた。?■ 欧米では動物愛護団体が頻繁に過激な行動を起こしている。
?■ 私の担当する外来に、犬が死んだことが契機となり難治性の鬱状態に陥った患者がいる。自分も死にたいという。死んだらあの子に会えるでしょうか、と泣く。
?■ 結婚して相手方の両親と同居したが、ネコ以下の扱いで耐えられない、ネコに殺意すら感じる、と言う心身症から不能になったと悩むの若い男性患者。?
■ 命にかかわる状況なのに、ネコがいるの絶対に入院できない、と断る患者も増えた。
?■ 携帯電話でペットの写真を見せてくれる愛犬家、愛猫家が増えた。私は他所のペットなど些かも興味などないが、一応お愛想を言わねばならぬほどの雰囲気である。
?■動物嫌い、の人達の影が薄くなりつつあるようだ。お気の毒に。




2008/4/5
理解を超えた動物愛護、ペット愛護事情(2)言葉のやいばが無いから癒される?
 私のHPの表紙には頻繁に我が家の飼いネコ、犬が登場するので私は無頼の動物好きと思われている。だから、私に携帯の写真を見せてくれるのだろう。しかし、それは誤解である。同じ生き物として存在を尊重していると言う点ではその通りである。
 私は我が家の飼い猫以外には立派だな、とか良い表情だなと思う程度でそれ以上の関心は湧かない。

?? 今の同居ネコ達に「君たちは家族の一員なんだよ」などと言う気はない。あえて言えば、飼ってしまったという責任をまとうしているだけで、気持の上では準一員程度かな? 
?? だから、最近の動物愛護、ペットブームなるものを見聞する度に私はいくら何でも行き過ぎだと戸惑ってしまう。何故、人は動物に、ペットにこれほどまでに気持を集中するのだろうか?
?? 一般的動物愛護をヒューマニズムの一つの現れと捉えることは可能だが、それが運動化する背景には「動物愛護は絶対的に正しい」と言う思いこみがあり、運動家の共通の考えとなっている。こうなればヒューマニズムの域を超えて思想の域に昇華してしまう。ここまで来れば私の理解を超える。

?? 一方、ペットを好んだり愛することの理由を考えることはそれほど難しいことではないようだ。
?? ヒトは社会的動物だから孤独、孤立には耐えられないのだ、と言うことを前提に置き、その上で、何故ペットの代表はイヌ、ネコなのか?など、いつかゆっくり考えてみたい。今つらつら挙げるだけで、

■可愛いと言える安心のサイズである、
■しつけが出来て不潔でない、
■言葉が無い、
■感情的揺らぎが少ない、
■喜び・甘えの表情・仕草が可愛い、
■呼びかけ等に無視せず反応してくれる、
■危害を加えない、
■全身柔らかい毛で覆われている、
■暖かい
・・等の要素を簡単に挙げることが出来る。
?? これは、見方を変えると人間社会の中で、特に対人関係において、相手の言葉、表情、感情的揺らぎなどで如何に傷ついているのか、と言うことの反映ではないのだろうか。これが最近の「個で生きる」風潮と共に反動的にエスカレートしていっているのではないのかと思う。?? 呆れたことに、信じ難くもあるのだが、婚家の墓にも、夫婦の墓に入るのも嫌で、個別にペットと一緒の埋葬を望む方もいるらしいし、そのような墓を売り出している業者もあるそうだ。




2009/8/29
猫の認知症に悩む日々  ペットの医療費事情
 我が家の飼い猫ナンナンはまもなく20歳にもなろうとしている老婆猫である。 
 5年ほど前から年に何回か死にかけて,私は骨壺まで購入してその日を待っていたのであるがなかなか逝かない。体調が悪くなると数日餌も摂らずにじっとしている。呼吸も浅めで止まりそうなので、今度こそか,と思うのであるが、いつの間にか起き出すようになる。そんなことをもう10数回繰り返している。たいしたものである。

 生きているだけで良い、と言うべきなのであるが、最近のナンナンに関する私の悩みは彼女の完全な昼夜逆転、夜間の奇声と徘徊である。猫は基本的には夜型なのだろう。そうは言っても通常は迷惑する様な行動には出ないのだが、ナンナンの昼夜逆転は本格的で、奇声と徘徊を伴うから大変である。外に出て徘徊してくれれば良いのだが戸を開けても外には出ない。

 家中を奇声を上げながら30分くらいかけて徘徊し、また疲れて30分ほど寝る。それの繰り返しである。結構うるさい。
 仕事中の私の脇に立って数分叫ぶ。可愛い猫の鳴き声でも続けざまだと耐え難いのだが,ナンナンの声はだみ声である。また、聴力が落ちてるのか声が大きく、何故か恨みがましくねちっこく鳴く。
 20年前、厳冬のある日、たまたま私と目があった事を機に野良から飼い猫に昇格したのだが、何で今更私を恨みがましく攻めるのだ・・と思ってしまう。

 家内も昼夜逆転しているし、私も早朝起床だから睡眠が邪魔されることはないが、とにかくうるさい。まだしばらく、私の悩みは続きそうである。
 
 ところで、私は「ペットは所詮ペットさ」、と思っているから関心がないのだが、最近「ペット様」用の医療保険が伸びているらしい。「ペット保険」で病気や怪我のとき、動物病院の医療費の半額を補償するという。
 少子高齢化、単身世帯の増加、世代間コミュニケーションの不足などで、ペットを子どもやパートナーのように家族の一員にしている人が増えていること、動物病院の医療費の高額化が背景にある。保険料は5歳のプードルなら年額約37.000円と決して安くない。

 一方、ペットの医療もCT装置や放射線治療などが導入されかなり高度化しているとのことである。それにつれてペットの医療費は年々増えているらしい。犬の保険はヨーロッパで普及しており、加入率が最も高いのはスウェーデンで43%だという。日本の加入率はまだ1-2%に止まっており後進国なのだそうだ。

 私は「人は人として」、「ペットはペットとして」の生き方の則があると思う。だが、これはペットを何よりも大事に思われている方々には通用しない論理だろう。




2013/10/28
裏庭にミニ石灯籠を設置した(1) 私が埋葬したペットたちをしのぶ
 今年のお盆過ぎにミニ灯籠を裏庭に設置した。長年、家族の一員として暮らし、私の手で遺骸を庭の隅に埋葬したペットたちをしのび、私自身を慰める為である。

 私にとって記憶に残るペットは、古くは小中高生の頃飼っていた数10羽の伝書バトと一匹のネコである。

 ■伝書鳩は、飼っている途中で20羽ほど死んだのが、すべて私が畠の隅に埋葬した。
 ■ネコは、年に1-2回出産したが、仔の多くも私の手で埋葬された。そのネコは13歳で老衰と思われる状況を迎え、行方が分からなくなった。ネコは死ぬときに飼い主の前から姿を消すといわれている。そのまま死亡したのであろう。だから死体はなく、思い出だけが残っている。今もそのネコの写真を見ては癒されている毎日である。

 その後、25年ほど間を空けて今度は子供たちの希望もあって熱帯魚・金魚、犬とネコを飼い始めた。

 ■熱帯魚・金魚は1990年代、数年間飼った。小さなグッピーなどの他、中型のタイガーオスカーなど飼った。数年間生きて巨大化した金魚が死んだのを機会に飼うのをやめた。この間、数10匹死んだ。すべて庭の隅に埋められた。

 ■犬は90年代に飼った中型のハスキー犬で名前はルーチェ。一度に8匹の仔を産んで驚いたが、それらに囲まれた3ケ月ほどは私にとっても至福のときでもあった。ルーチェは10歳に満たずして糖尿病で死んだ。死体は庭の隅に深く埋葬した。

 ■ネコのナンナン、性格は今ひとつだったが美しいネコであった.2010年5月に20歳で死んだ。

 ■ネコのミーシャはお手伝いの石井さんのネコであったが、 昨年我が家で引き取った。とても謙虚で控えめの性格であった。12月5に衰弱して死んだ。年齢不詳だが13歳程度か。両者とも白木の箱に入れ裏庭に丁重に埋葬した。

 私は動物が大好きであるが、愛玩という気持ちはない.飼われていると言う条件の下で出来るだけ自然体で過ごさせた。だから、積極的に関与したわけではなく、必要な事を最小限世話したに過ぎない。だから、私は地位はペットたちの下部であったが、のびのびと生きる姿に癒された。それらを自分がみとり、自分の手で埋葬した事に満足している。

 今回、ミニ石灯籠を設置したが、私自身のために、である。


10/29
裏庭にミニ石灯籠を設置した(2) ペットたちは埋められて責務を果たした
 今年、ミニ石灯籠を裏庭に設置した。私の手で遺骸を庭に埋葬したペットたちをしのぶためである。ペット達の霊などの事などは一切考えていない。

 私はペットの死体はゴミ、廃棄物と同じと思っている。東京のように条例とかで禁止されているのなら別であるが、秋田ではペットの埋葬に関する条例など探したが見つける事が出来なかった。秋田市の市民便利帳には「飼っているペットが死んだとき、埋葬や廃棄物処理と言った方法があります。火葬希望される方はペット霊園等の業者に相談ください」とある。ゴミ・リサイクルの項にはペットの死体に関して特に記載がない。だからゴミに出しても良いと言う事になる。

 たまたま私は埋葬する場所があるから、人手に頼らずに自分で処理しているだけである。
 ペットを敷地内に埋葬することに関しては場所や方角への拘りや、たたりがあるなどいろいろな言い伝えなどもあるようだ。秋田ではどうなのか?あっても私は一切気にしない。

 患者と時にペットの話になる。死んだ場合には火葬し、読経し、ペット霊園に埋葬しているケースが多い。骨を全部または一部をペンダントとかに入れて身近に置いていると言う方もいた。ペットに気持ちを入れ込んでいる方が多いが、理解出来ない。私には火葬するなどの発想は一切ない。自宅敷地に埋葬している、と言うと驚いていた。

 動物が生まれ生きる目的は、子孫を産み育てる事、他の動物の餌になる事である。我が家のペットたちは土の中でその責務を果たし、自然に還った。もし、埋める場所がない環境であったなら、多分ゴミ処理に出す事になっただろう。

 私は動物が大好きであるが、愛玩という気持ちはない。共に生きたと言う事。ペットたちは餌を与えられて満足していただけ。私がとても癒され、満足していた、と言う事など気づいてもいないだろう。

 今回、ミニ石灯籠を設置した。私自身のために、である。石灯籠を見る度に埋めたペットを思い、癒された日々を思う。



2015/4/6
イヌ・ネコはペットにあらず?(1) ペットと人の関係
 私は動物が好きだ。我が家で共に暮らしたことのあるのを思いつくままにあげれば、でかいのはウマ、次いでイヌ・ネコ、ウサギ、ハト、ジュウシマツ、ベニスズメ、熱帯魚、コイ、金魚、小型のはコオロギ、スズムシまでで、常に何かと一緒に暮らしていた。

 ウマの優しい目、ウサギの葉っぱを食べる仕草、初代ネコの目を細めて私を見つめる目、必死の子育て・・などから私は癒され、その生き様からいろんなことを教えられた。

 今は、クロネコが一匹、外猫1-2匹だけである。後者は昨年生まれ、わが家周辺で育った白のネコで冬期間をなんとか乗り切った。メスには避妊手術も行った。まだ警戒心は強いが徐々になついて来た。表情が可愛い。目元が可愛い。いずれは家ネコにしたいと思っている。

 次男の家にはボーダーコリーの犬が3匹同居している。夫婦は家族の一員と称して可愛がっている。私には到底入り込めないヒト・イヌ関係の一家である。
 私は動物が好きだが、私は一定の距離を開けた関係がいい。その意味ではイヌとの付き合い方が難しく、次男の家の3匹は甘えん坊で、休まる暇もない。静かな生活を好む私にはちょっと辛い。

 最近は、ペットと人の関係がやや濃密になりすぎるのではないか?と思っている。背景には核家族化、高齢者単独世帯の増加など、人間関係が希薄になっていく中、愛情の転嫁が生じているためと思う。イヌを室内で飼うようになったことの影響も大きい。
 
 人が何で癒やされようが、他人かあれこれ口出しすべき事柄ではない。何の問題もない。でも、新聞や雑誌にペットを紹介しているコーナーがあるが、ペットだけの写真ならまだ良いが、一緒に写っている飼い主の表情はどっか抜けていて、見るのも辛い。それにしても最近のペット達、飼い主よりも立派な表情をしている。

 犬のフン、ノラネコの対処は社会問題にもなっている。
 秋田市広報2月号には、「地域のみなさんが快適な生活を送るには、飼い主が責任をもってペットのしつけを行うことが大切です。」とあり、以下の助言が掲載されていた。
(1)飼い犬のフンの放置は不衛生です。必ず持ち帰りましょう。
(2)犬の放し飼いは、交通事故にもつながり危険です。絶対にやめましょう。
(3)喘飼い猫が家と外を行き来すると、病気に感染する危険性が高くなります。猫は家の中で飼いましょう。
(4)野良猫への無責任な餌やりは望まない猫を増やすだけでなく、フン害苦情の原因になります。絶対にやめましょう。

 2008年、東京都荒川区は、野良猫やカラス、ハトなど飼い主のいない動物に餌を与えたり、自宅にごみをため込むことを罰金付きで禁止する条例を制定した。
 本年3月、京都市で野良猫などへの不適切なエサやりを禁止する条例が成立した。命令違反をした場合は、5万円以下の過料が適用される。

 自宅周辺のネコ、千秋公園のハト、旭川のコイに餌を与えている私は肩身が狭くなってきた。






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