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音ノイローゼ 

2002年
2003年



2002年



耳にはまぶたがない(1)
 
上記はパスカル・キャニール
の言葉である。一昨年の欧州旅行では静かな環境を維持しようとする文化、努力を見た。 日本は、音に対して無頓着過ぎる。もっと静かにして欲しい。レストラン、駅や公共施設もうるさ過ぎる。
 
 音を出していいのは、例えば、救急車のサイレン等特殊な場合、音を無くす手段がない場合などに限るべきだ。
耳にはまぶたがないのだから、嫌音権があるべき。自分が不要な音源になっていることすら感じない人がいるが、自分にとってはマナーの悪い喫煙者以上に嫌悪する存在だ。
                                  2/24(日)


耳にはまぶたがない(2)
 
巷にはワザと騒音をまき散らす輩が居る.代表は排気管の改造車である。
 私にとって憎悪の対象の一つであるが、先日、代車にその改造車が届いた.散々迷ったが、乗って驚いたのは車室内は意外と静かなことであった.これでは駄目だ.改造は徐々にエスカレートしていくだろう.排気音を室内だけに響かせるように改造させるべきである.その際、ちょっぴり排ガスも・・・.
 それにしてもこのような改造が法的に認められているならば合点がいかない.
                                  2/25(月)

テレビは何でがなり立てるのか
 
 私は情報を得るために、音楽を楽しむために時には利用するが、基本的にはテレビが嫌いで、決定的にラジオ派である.その理由の第一はテレビの音声がうるさ過ぎるからだ.
 私にしてみれば画面があるのだから情報量はラジオなどに比べて格段に多いからいちいち細かい説明などいらない.必要なポイントさえあればいいと思う.なのに、聞こえてくる音声の多くはアナウンサー、キャスターの品のない怒鳴り散らしの音声ばかり.更に民法ではコマーシャルになると一段とボリュームが上がりワーワーギャーギャーとうるさい.何故なのか.

 要するに、四六時中くだらない放送でまじめに見られていないから、要所要所で目を引きつけるためにがなり立てる必要があるのであろう.さりとてボリュームゼロ状態では登場人物が口をパクパクさせるだけでアホに見えるし、がなり立てる所でも刺激的でない程度にすると肝腎な箇所が聞き取れない.

 嫌音権を主張したい私には不便な道具だ.出演して静かに話しているとスタジオの中で違和感を感じてしまう.
 
                               5/29(水)


街の喧噪 何でみんな何ともないのか!!?? 嫌音権やーい
 15:00-17:00秋田県庁、医療的ケア連絡協議会に出席した.
 秋田市のど真ん中にある秋田県庁第二庁舎の6F 会議室の所定の座席に座っった途端、道路の喧噪に圧倒された.私の許容をはるかに超えていた.今までも何度もこの会議室での会議に出席しているが初めてである.見ると窓が開かれている.

 今までは窓を閉めている季節だったから感じなかったのだ.確かに本日は暑い. 運が悪いことに若干の時間に余裕があれば主催者側に対応を申し出でることも出来たが、ぎりぎりに到着したので状況を十分把握出来ないうちに会議が始まった.言い出す機会をずっとうかがっていたが、出席者20名、誰も不快そうではない.窓を閉める申し出は他のメンバーにとっては騒音のために暑さに耐える方がむしろ不快なことなのだろう、結局諦めた.この2時間は実に苦痛であった.何時発言を求められるか分からない状況であったから、騒音の中から発言を聞き取るのに集中したが静かな環境の数倍は疲れた.

 やはり私は異常なのだろうと再々再々,確認した.世の中「う・る・さ・い!!!」
                              6/7(金)


嫌音権を主張するぞ! 特に、身体から発する音は嫌悪
 私は音に関しては人一倍敏感だ。特に、身体から発する音、それがコントロールできないものならやむを得ないので我慢も出来るが、コントロール出来るものが不用意に発せられると耐え難いほどの嫌悪感を感じる.たとえば鼻水をすする音、咳払い、痰を処理する音などで,これには耐えられない.鳥肌が立ち、自律神経系が勝手に活動し始め、しばらく不調になる。

 次に嫌なのが聴きたくもない音楽、例えば電話の取り次ぎの時に鳴らされるメロディー、こんなのは音楽でも何でもない、単なる雑音に過ぎない。無い方がずっと良い。こんなのを当たり前に受け入れ、便利だからと言って日常化する文化はもの悲しい。

 その他、スキー場のスピーカーからの音楽まがいの雑音など.次いで車のクラクション、換気扇、ヒーター、クーラーなどの持続音、窓を開放したときの街の喧騒、椅子のギシギシ音、タクシー無線・・と切りがなく挙げられる.

 生活上、何らかの音が生じるのは当然だが、一番嫌なのは、音を発していることへの自覚が欠如し、出来るだけコントロールしようとする配慮が見られないヒトである。飛行機、JR、レストラン等で近くにそのようなヒト、特に身体から発する音に無頓着で頻発するヒトが近くに居れば、いたたまれない。

 私の楽器、よそでは弾くことはないが、家族にとっては雑音かな?と、思うと落ち込むことがあるが、この点だけは知らんぷりを決め込むことにしよう。かつてピアノ殺人があった。弦楽器、中でも下手なヴァイオリンはピアノよりもっと不快なはずなのに、大事に至ったという話はあまり聞かない。

 (ホームページ来訪者の皆様方の嫌音権保護のため、本日からページ内で自動的に音楽が流れる設定をやめることにしました。ご了承ください)
                            7/3(水)


電話の待機中に雑音を流すな 無神経な待機音楽

 電話の取り次ぎ待機中にちゃちな電子音楽を聴かされるのは耐え難く,電話を切りたくなるのは私だけだろうか.
 
 実に不快で、相手方の見識を疑いたくなる.仕方がないので音楽が止むまで受話器をずっと離している.実に無神経な・・・何のために鳴らすのか? 待っている相手を思いやるためでなく聴かれたくない電話先の喧噪,打ち合わせなどが聞こえないようにカットするためだろうが,聞かされる側は実に辛い思いをしているなどとは考えたことも無かろう.が、相手方もそれほど深く考えてやっていることでなく、世の趨勢に追従しているだけだろうから腹を立てるのも馬鹿らしい.

 
音楽まがいのものよりは土地の民話,天気予報、会社の広告や理念などなど静かに流してくれる方がずっといい.

 来月から横手市役所では電子音をやめて横手のイメージを伝える数曲の合唱曲「雪やこんコ」etc にするらしく先頃高校の合唱団で収録が行われたという.電子音よりは良いだろうが,電話のちゃちなスピーカーでどのように聞こえるだろうか?
 
 今後電話の待機音楽を鳴らすのを止めよう,という相手の立場を考えた案は市役所の会議では誰からも出なかったのだろうか.
                        7/8(月)


2003年



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