西欧見聞録
〜モンブランの傍らで体験した急性呼吸不全〜


2000年9月5日(火)から18日(月)の間、ポーランド→オーストリア→スイス→フランスの行程でいろいろ見聞してきました.
 多忙な時期に2週間もの間、多くの方々に業務をカバーしていただきました.感謝申し上げます.  
 ツアーにはモンブラン観光もセットされていました。乗り物と高いところには弱い方なのであまり気乗りしませんでしたが、結果的には悠揚とした山岳の景色の素晴らしさに圧倒されました.また、高度3900mでは急性の呼吸不全状態を経験しました。この辺のことについて簡単に記します. 
 9月13日(水)朝9時にスイス小都市ベルンをバスにて北フランスの山岳都市シャモニー(Chamonix)に向かいました.朝は小雨でしたが陽がのぼる頃から超快晴になりました。この2週間の旅行中は天候には実に恵まれ雨が降ったのはこの時のみで、持参した傘を開く機会は一度もありませんでした.
 バスは途中のバラ園や湖周辺の名所に短時間ずつ立ち寄りつつ高速道をひたすら走り、正午にはスイスでも有数のチーズの本場とされるグリュイエールに到着し、昼食をとりました。チーズフォンデュを中心としたコースメニューでした.美味しかったのですが脂濃くてそれほどは食べられませんでした。隣のテーブルの近隣国から訪れたと思われる初老のグループの方々は体格も立派でしたが、その食事量、ビールの量にはいささか驚きました.次々と注文を取りにくる、これも恰幅の良いおばさんは「もうこれで終わり??勿体ないネ!!!(フランス語でしたから本当のところは不詳.表情から判断)」と日本人グループの少食に半ばあきれ顔でした.


午後はレマン湖畔の世界最古とも言われるシヨン城を見学、それほど美しくはないし、小規模でしたが13世紀の築城技術には正直驚きました.
 スイス人は超きれい好きな国民と聞いていましたが、ジュネーブでもベルンでも、立ち寄った田舎町でも散乱したゴミ等は一つもなく、洗濯物を外に干しているような光景も一度も見ることはなくいたく感心しましたが、住民の生活ぶりを感じ取ることはできませんでした。田園地帯や田舎では丘陵のみならず山々の中腹まで牧草地として整備され、点在する住宅も奇抜さはなく自然にとけ込んでおり、実に美しい風景でした。
 
バスは空気が希薄になったためでしょう、山岳地帯をあえぎあえぎ登り、やっとの思いでフランスとの国境を越えましたが入国審査は全く無く拍子抜けしました.通常はバスのなかに審査官が乗り込んできて厳しくチェックするとのことですが、日本人旅行者の場合、信用度が高く滅多にパスポートの提示も求められることはないそうです.
 スイス、フランス共にワインの国です。山一面にブドウ畑がありましたが、ブドウ自体が日本のそれとは大きく異なり、1-1.5m程度の小木で、山形の産地などで見られるような棚は一切ありませんでした。例えればトマト畑のような印象でした.これが5-60cm間隔で、道路脇から遙か彼方の丘陵まで広範囲に整然と植わっていました.このブドウは食べても美味しくないそうです。
 18:00シャモニーに到着.約450Kmの走行距離でしたが、運転手さんは明日も午後には仕事があるとのことで、われわれをホテル前に降ろすと、そのままベルンに戻っていきました.たいした行動力で驚きました。
 街はV字型に切り立った山岳地帯の谷間にあり標高は1030m、通常は人口は6000人程度とされますが、ウインタースポーツのメッカでシーズン中には5-6万人にに膨れ上がるとのことでした.巨大な氷河の先端がホテルの前まで迫っており、圧倒されました.モンブランは遙か上方に山頂だけ見えました。麓から山頂が鮮明に見えることはめずらしいとのことで、この点でも恵まれておりました。明日はモンブランの山頂がよく見える場所までゴンドラで登る予定とのこと、急に心配になりました.



翌朝は超快晴で比較的温暖でYシャツ程度でも十分過ごせました。山頂付近は時にはマイナス10度Cほどにもなるとのことで日本から用意していったダウンジャケットの他に下着も全部着込んで8時過ぎにホテルを出発しました.80人乗りゴンドラを一回だけ乗り継ぎ、麓駅からわずか16分で一気に3840mのエギュイユ・デュ・ミディ(Aiguille du midi)山頂まで運ばれました.麓は見事な森林地帯ですが、途中から全く草木はなくなり、次第に万年雪に覆われ山岳帯の自然の厳しさが実感されました。
 山頂では身体が重く、あたかも手足に重しをつけ、背中に重い荷物を背負ったようで、階段や坂を上るには意識的に大きく呼吸する必要がありました。頭もボーとして考えもまとまらないようで、正直言って優雅に景色を楽しめたとはいえません.軽いとはいえ初めて経験した急性呼吸不全状態で、改めて患者さん方の気持ちの一端が解りました.
 ロープウエイ設備はワイヤロープの太さも直径5-7cmはあり、大変なスケールでした.約60度ほどの急峻な角度で、岩盤すれすれにかなり高速で登りました。設備自体はかなりの年季ものと思われましたが山頂駅に掲示してある設備の図解を見ると基礎を深々と打ち込んでおり、危険を感じさせない立派なものでした.ただ、ロープウエイ山頂の工事を具体的にどのように進めたのか、登るのも困難な山をどのようにして機材を山頂まで持ち上げたのか、一本3000mの長さをもつ太いワイヤロープを如何にして中間駅、さらには山頂駅にまで持ち上げたのか、疑問は解けません.
 エギュイユ・デュ・ミディ山頂ではモンブラン(4000m)を始めとして名のある頂を見ることが出来ましたし、遙か遠方にはマッターホルンの中腹から山頂まで見渡せました.モンブランの印象を言えば、周囲の急峻な山並みの中で、お椀を伏せたような、なだらかな丸い形の山頂で、何となくほっとさせるような優しい雰囲気をたたえた山でした.しかし、危険な魔の山として地元の住民や登山家の間では恐れられていると言います.
 展望台の双眼鏡を用いると山頂を目指している人影を10数人見ることができました。
また、太陽と雲の関係で次々と変わる山岳地帯の様子を見ていると飽きることはありませんでしたが、呼吸が苦しく、体調も不良であまり長居は出来ず、11:00に下りのロープウエイにて下山しました。呼吸はすぐに楽になりましたが体調は数時間なかなか戻りませんでした。
 それにしても昨年暮れに生じたインスブルックのケーブルカーの火災事故は日本人乗客も大勢含まれていることもあって、ニュースに接するたびにロープウエイのことが思い出され、身につまされました。トンネル内で煙突効果があったとしてもなぜ車体が骨組みだけ残して燃え尽きるほど猛烈に燃えたのか、何が燃えたのか、新聞から得られた情報のみでは理解を越えたものがあります。私どもとはかなり条件は異なりますが、似たような状態になりうる状況に身を置いていたことは確かです。

 下山してから案内板など見たのですが、防寒具着用のことは記載ありましたが、呼吸器系疾患を持つ方への注意や、火の取り扱い等についての記載は見あたらなかったような気がします。